今週は「アオハルとカレイ」。
書店の棚には、様々な年齢に分けて生き方を問い、どうこの人生を生きるかの賢者、或いは成功者、そういうインフルエンサー達の人生読本のヒット作品がズラーッと並んでいる。
いろんなことで成功なさった方達。
その中で「(今朝の)三枚おろし」にするには誰がいいかな?と迷ったのだが、まずは近い年齢の方の本を探してみたら「老いの整理学」という(著者は)外山滋比古さん。
(この本は文庫と新書があるが番組で取り上げたのがどちらなのかが不明だったので、本文中のページ数等は全て文庫のものとする)
この方は前昭和大学教授で文学博士、「知の巨人」というあだ名をお持ちの教授。
この方は「思考の整理学」という大ヒットを飛ばした方。
何と263万部を売ったという。
この方の「老いの整理学」。
その老いをどう整理するか?
「80代からを楽しく生きていく為の方法」とあるので、これは自分が目指すべき年齢、行くべき年齢だと思って、これを読んでみよう、と。
この方は1923年生まれ、2020年、97歳の長寿で世を去られるまで「高齢者はいかに老い、その老いを完成させるか」を本になさった。
自分も高齢者なので、高齢者の先輩に学ぼうと思った武田先生。
これだけではやはり面白くない。
何でかというと若い方もこの番組を聞いて欲しいから。
それでもう一冊本を探したのだが、その本が「20代で得た知見」。
それを本になさった。
アルファベットの「F」と書いて著者名は書いていない。
(「F」は著者名)
いわゆる覆面作家。
ピタリ「20代」と言い切っているところと、80代から楽しくという、対照的な本二冊を同時進行。
両方を読んで80代の知恵のある言葉と20代の知恵のある言葉を三枚おろしで食べ比べてみようと。
人生の味は20代と80代でどれほど違うのか?
こんな指向。
三枚おろしで刺身か煮魚か?サラダか漬物か?
こういうので皆さんに活字の味を楽しんでいただければというふうに思う。
タイトルをどうしようかと思った。
「アオハル」だから「青春」、「カレイ」は年を取ったことの「加齢」、というタイトルでお送りしたいというふうに思う。
「青春」のことは「アオハル」と言うそうだ。
とにかく武田先生なりで青春と年を取っていくという意味合いの加齢。
「アオハル」と「カレイ」。
それぞれの世代の名言を食べ比べてみようではないかという今週。
外山教授の本はもの凄くわかりやすい。
「老いの整理学」とは命の始末のつけ方だとおっしゃる。
日常の暮らしの中でどう年齢と折り合うか?
教授は言う。
まず歳を取ったらやること。
招待を断るな−中略−
どんどん人をもてなせ−中略−
なにがなんでも恋をせよ(「老いの整理学」18〜19頁)
よく「歳だから」と言って朝からウォーキングを意識して小走りに歩く人、走る人がいるが、教授は
ただの散歩ではおもしろくなくなり、足のほか、手、口、耳目、頭の五つのすべてを動かす五体の散歩(「老いの整理学」21頁)
散歩、ランニングで足を鍛えつつ「あの花が咲いている頃だからこっちの道を行こう」とか、或いは「こっちの道を今日行ったら知り合いのあの犬と会うかも知れない」という犬の散歩コース、それから誰か話し相手がその先に待っているんだったらそこを通ろう。
ご老人で自炊なさっているというようなその孤独な方もおられるだろう。
そうしたら思い切って散歩コースに商店街を入れましょうよ。
そこで安いいいものを買えばいいじゃないですか。
しっかり頭使って値切るところは値切って。
(武田先生の意見)で流行を学ぶ気持ちで歩け。
ユニクロを覗きなさい。
ユニクロはやっぱり値段は相当廉価。
聞いたことがあるが、もの凄く豊かな気分になる
「気に入ったシャツがあると色違いで何着も買えるから」とおっしゃっていた。
そういうことで自分を着飾る、流行を学ぶ気持ちで歩け、と。
高い店の前をウロウロする、ウインドウショッピングなんてやめてしまってユニクロの方が遥かにいい。
とにかく五体を使うこと。
小さな知恵なのだろうが、これはとても大事なことだという。
これは80代を目指してのことで「どうぞ60代、70代の方、華麗なる加齢を目指して準備しましょう」と教授はそう呼びかけている。
これは冗談ではなくて武田先生もちょっとズキッときた。
教授は老いの支度、年を取ることの準備として「物忘れ」。
これが重要だとおっしゃる。
武田先生はちょっと最近時々コタツを点けっぱなしとかがあるので。
水谷譲もある。
三月のことで、エラい怒られたり。
れから常夜灯を消すのを忘れたり。
ところが、その外山教授はいい意味で「それはもの凄く大事だ」とおっしゃる。
外山教授が老いの支度の中で「物忘れは重要だということを知りなさい」。
物忘れの日本の名言がある。
忘れるということの価値。
「知らぬがホトケ、忘れるがカチ」(「老いの整理学」47頁)
「知らぬがホトケ」というのはあまりいい意味では使わない。
だが、実は忘れたものが勝ちである。
これはジンとくる。
「上手いこと言う」と思う。
覚えているばっかりにずっと引きずる。
覚えていると囚われる。
(ゴルフで)ダボとかトリプルを打っておいて、次のホールに行くとすっかり忘れる、明るくやるヤツがいる。
引きずらないヤツ。
引きずらない為には何かというと「忘れる」。
日常生きていて、人がこすれ合う場では毎日いいことはない。
こっそり陰で悪口を言われてカチンときたりとかとある。
でも、それを家に帰ったら忘れるという人は強い。
外山教授はおっしゃる。
人は年と共に物忘れが多くなる。
それを恐れてはいけない。
確かに仏壇のロウソクの始末、コタツの始末等々、度忘れ物忘れで危険なことは多い。
でもそれは暮らしの中で工夫しなさい
直火全部辞め。
元から絶つ。
仏壇のロウソクの始末なんていうのはもうロウソクを辞めて、カメヤマさんには悪いけれど。
今は何かいいのが売っている。
電気でずっと、炎が揺れ続けているヤツが。
コタツの始末ももう今は暖かいから大丈夫だが、冬場コタツを使わないように努力しろ、とか。
「物忘れを恐れずに」と言われると嬉しい。
人間は、年とともに、忘れっぽくなる。そして、それが正常なのかもしれない。(「老いの整理学」50〜51頁)
命としての人間は、忘れられるから覚えるんだ。
これは武田先生は本当に身に覚えがある。
何でこの言葉がハッとしたかというと、よく奥様にも叱られるのだが「あれほど『(今朝の)三枚おろし』でいいことを言いながらなぜできない?」。
それははっきり言って全部忘れる。
だから時々ノートにとっている時がある。
三枚おろしのネタで「これ、結構長いこと使える」。
それを読み返す。
自分であまりの人間としての完成ぶりに驚くことがある。
でもここで完成しては来週のネタができない。
「完成しない」ということが努力の原動力になっている。
これは「なるほど」。
命としての人間は忘れられるから次のことを覚えようとするのだ。
そこで忘れる技をちゃんと使わなきゃダメだ。
忘れる為に何をするか?
驚くなかれ、堂々巡りかも知れないが教授が言うのは「新しいことを知りたいという意欲を持つこと」。
そうすると忘れる。
武田先生は本当に忘れる。
「本書きませんか?」と一年がかりでずっと書いている。
今日の朝もそう。
読んでいて感動してしまった。
本当にいいことを書いている。
武田先生は六か月前に(自分で)書いた文章に励まされる。
「頑張ろう」とかと思う。
この「忘れる」というのは新しいことを取り込める条件。
だから「明日はアレをしよう」とか「これが終わったら今度はアレをしよう」とかと思うことが忘れる為の技である。
嫌なことを忘れる為には何をすればいいか?
それは楽しそうで新しいことを目指すこと。
これはもの凄く当たり前のことを老教授は書いておられるが、加齢、自分達のように年の階段を登っていく人間にとっては凄くいい言葉。
考えてみたら昔から大好きだった宮沢賢治が同じことを言っている。
「未完、それこそ完成」
(「農民芸術概論綱要」の中に「永久の未完成これ完成である」という詩句があるらしい)
「自分は出来ていないと思う。出来てるじゃないか。完成しないことが完成なんだ」という。
でもそんな宮沢賢治から教わったことも忘れて今、老教授の言葉に感動しているワケだからいかに人間、忘れるか。
「アオハル」の方の為に知恵の言葉を。
「20代で得た知見」の本をお書きのFさんという方なのだが、この方が20代の方々に対してこんなことをおっしゃっている。
「それが人であれ、異性であれ、食べ物であれ『好き』って黙りこんだ時にやってくるもの」
武田先生が一番オススメしたいのは異性。
自分が後に考えたら奥さんにしていた女性というのは初対面の時、それほど強い印象を持っていない。
「時と場合による」と思う水谷譲。
「フッと黙り込んだ時に人間の心というのは決まるんだ」と。
食べ物もそう。
だから「食レポ」というのは皆ウソつき。
食レポで生きている芸人さんもいるかも知れないが。
でも、一噛みか二噛みぐらいですぐに「美味い!」とかと言う。
あの人は言い方が早い。
やはり美味い時は黙り込んでしまう。
それから、本当にビール会社の方、申し訳ない。
言い過ぎ。
ビールを飲んですぐに「ハーッ」とかと言う。
あれは無い。
ビールは沈黙させる。
兄さんとかオジさんあたりが一杯飲み屋で呑んでいる。
しばらく両こぶしをテーブルについて沈黙している。
「く〜ックェォ!」といながら。
ビールというのはそういう時がある。
「クエ」がコマーシャルほど早くない。
これはいい言葉。
Fさん「本当に好きなものは黙り込んだ時、やってくる」。
そしてこんなドジでも20代に送ったFさんの言葉が身に沁みたのは
恋愛の目的とは、お相手に最高のトラウマを与えることだと思う。(「20代で得た知見」41頁)
(番組では相手ではなく自分がトラウマを負う話になっている)
上手くいった恋なんて退屈なんだよ。
心が激しく動く、それが恋なんだよ。
傷を作る為に恋を、トラウマを作る為に。
これはちょっとわかりにくいだろうが武田先生の意訳。
泥で汚れたラグビー選手、或いはサッカーの選手、そして9回、大谷のユニホーム、あのユニホームが汚れているということに対する神話。
カッコいい。
つまりユニホームを汚す。
恋も同じなんだ。
自分を汚す。
その為に恋をしたんだ。
そういう思いで相手のことを見てごらん。
ちょっと意訳過ぎる気がする水谷譲。
そんな清潔な目的ばかりでは我々は退屈で息苦しいのです。(「20代で得た知見」41頁)
「泥まみれになる。それが恋の基本です」
これも武田先生の意訳。
Fさんがおっしゃっているのはとにかく一生の傷がつくような美しいトラウマを求めて恋をせよ。
(Fさんは)どうも(本を)読んでいる感じは30を超えている。
(「1989年11月生まれ」とあるので恐らく現在33歳)
その方が年上なので20代の方に「こんなふうにして過ごせよ」という。
やはり恋の思い出はトラウマ。
よく武田先生がライブでお話になることも、あれもトラウマの恋のお話。
同じ話ばかりしている。
福岡で十人ぐらいの女の人から嫌われて、何か武田先生のことが気持ち悪かったのだろう。
それは気持ち悪いような顔をしている。
よくわかる。
いろんな女の人に振られた。
全部歌になった。
その「上手くいかなかった恋」というのは歌になる。
上手くいった恋は歌にならない。
恋の思い出は傷になる。
そして思い出の中ではその人は一歳も年を取らず、こっち側を振り返ってじっと見ている。
男の人の方が女の人よりもそういうことを美化すると思う水谷譲。
武田先生が言っているのは青あざではない。
内出血とかはダメ。
福岡に帰ると「ここで振られたなぁ」というのは全部覚えている。
未練がましいと思う水谷譲。
それと恋した人の古里の近くを通った時に「フッとその人のことが」とか。
これも本当に頷ける。
Fさんは女性の理想像についてこんなことを言っている。
私が唯一女に求めるのは、綺麗でも可愛いでもありません。−中略−
綺麗な女も可愛い女もたくさんいる。でも、度胸を持った女は珍しい。(「20代で得た知見」56頁)
「度胸のいい女は男にとって心揺さぶる存在です」
これは70代の武田先生もハッとした。
武田先生は何で奥さんが好きになったか?
度胸がよかった。
女は度胸。
美貌でも愛嬌でもない。
外山教授は実は97歳、2020年にお亡くなりになったのだが、わかりやすい文章をお書きの方。
日本人はほかの国の人に比べて元気がないらしい。−中略−
「自分に満足している」と答えた若者は45%で、米、英、独、仏、韓、スウェーデンと日本の七ヵ国中、最低である。トップはアメリカで86%。「自分に長所がある」と答えた日本人は68%だったが、最高のアメリカは93%である。日本はビリ。(「老いの整理学」30頁)
なぜだろうか。−中略−
端的に言えば、日本人はひとをホメないからであるように思われる。(「老いの整理学」30〜31頁)
学校でも、教師は叱ってばかり。−中略−八〇点くらいの答案によくできた≠ネどと書き添えた教師がいれば変人扱いされる、一〇〇点満点だった、よくやったなどと言うことはない。−中略−そういう学校に長くいれば、たいていのものが、自信を失い、消極的になるのは是非もないことである。(「老いの整理学」31頁)
ここから先は生存術だ。
生きていく為の技術。
褒めてくれる人間関係を作ること。
褒めてくれる人間関係を外にお持ちなさい。
家族、これはもうあきらめよう。
褒めることがない。
ドキッとした。
相手にしてくれるだけで家族というのは有難いもので。
妻や子、相手にしてくれる。
それだけでもういいじゃないか。
「褒め」まで期待しちゃダメ。
褒めてもらう為には新しい友達をみつけるしかない。
褒められる時、老人というのは不思議な力が湧いてくる。
自分のことを褒めてくれるお喋り仲間を持つことが重大になってくる、という。
武田先生もいろいろ悩むこともある。
だが、褒めてくださる方が時々おられて、それで何となくもっているようなものなのだろう。
まだ褒められると、こそばゆい感じがするが、親を見ていると歳を重ねる毎に褒めてあげた方が生き生きしてくるのが凄くわかる水谷譲。
イギリスのよく知られたコトワザに、
「心配ごとはネコでも殺す」−中略−というのがある。−中略−
そういう強いネコでさえ、心配ごとには勝てないで、命を落とす、というのが、はじめの「心配ごとはネコでも殺す」の意味で(「老いの整理学」58〜59頁)
ところが今は心配事が商売になる。
ニュースに並んでいるが、殆どが心配事。
ニュースは心配事の順番。
捕まった犯人よりも逃走中の犯人の方がトップニュースに近付くし、心配事というのが現代では商売になる。
大変失礼するが語らせていただく。
人間ドックがそう。
とにかく心配事を必死になって探す。
これが現代医療。
武田先生も素敵な先生にお世話になっている。
こんな偉そうなことは言えない。
これは武田先生が言っているのではない。
この外山教授がこんな皮肉をおっしゃっている。
人間ドックの先生、気にしないでください。
医者にかかると、病気になりやすいことを暗示する調査が、北欧のある国で行われた。
条件の同じような勤労者を千名集め、A、B二組、五〇〇名ずつのグループを作る。Aグループには、医師がついて、定期的に健康状態をチェックした。片やBグループはなにもしないで放置した。−中略−実際は何もされないで、放っておかれたBグループのほうが病人が少ない、という皮肉な結果が出て(「老いの整理学」68頁)
これはコロナの大流行の時、皆さんもお感じになっただろうが、病院もはっきり言って患者を引き受けられない疲労困憊という状態が続いた。
コロナの中で言えることは、病院はもの凄くよく奮闘したのだが、それでコロナが減っていったワケではない。
日本からコロナの数がグッと今、少なくなっている。
これは何かというと我々の努力。
やはり「手洗い」「マスク」「ディスタンス」。
これがコロナの実態。
現在の日本には、四、五十代の女性中心に二千八百万人が腰痛に苦しんでいるそうである。−中略−治療の方法が確立していない。(「老いの整理学」65頁)
もっとも大きな原因はストレスである、ということが、ようやく、近ごろわかってきた。心因性である。物療などで治そうとしていたのは時代おくれであったのである。(「老いの整理学」66頁)
ただ、ストレスをなくするのではない。ストレスゼロでは生きることが難しいのである。ストレスは必要である。(「老いの整理学」66頁)
ストレスは生きていく為に必要な進化の原動力だ。
「よく笑う医者はよく治す」ということわざ(「老いの整理学」65頁)
これは上手いことをおっしゃる。
あんまりスパスパ、メスみたいに切れる「私、失敗しませんから」とかというのはダメ。
大門未知子がいたら心強いと思う水谷譲。
でも「よく笑う医者はよく治す」というのはハッとする。
ストレスは新陳代謝しているのが望ましい。溜まったら、発散、放出して、ストレス・フリーの状態にする。そこで、新しいこと、別の活動をして新しいストレスを溜める。減らして、溜めて、という交代を繰り返していて、心身の生活リズムが生まれ、それにともなって、元気、活気のエネルギーも生まれる。(「老いの整理学」70頁)
水谷譲は正直に言って「20代で得た知見」(という本)はどこかで「何を言うんだろうな」みたいな感じで斜に構えていたのだが「結構いいことを言っているな」と。
このFさんというのは非常にバランスのいいセンスをお持ちで。
もの凄くこの人は人気があるらしい。
この覆面作家・Fさんの方の考え方の中に老いを意識した一言を感じる。
武田先生は「浮浪雲」が好き。
「浮浪雲」はビックコミック系列の漫画。
ため息が出る時があった。
自分に心配事、ストレスがあって、人に解決策を聞いて回る町人の男がいる。
「先のこと考えるとオイラ不安になっていけねぇんだ」と絶えず自分のことでいつも心配している男。
それがある日、浮浪雲という侍くずれというか、摩訶不思議な人物に会う。
そうすると目と目が合ったら何となく相談ばっかりしている男がしにくい。
それで目を背けるとその浮浪雲が「アンタ、また人に相談ですか?そんなこっちゃぁ犬一匹飼えませんよ。自分の心配しかできないヤツは犬も猫も飼えませんよ」。
「そんなことすらできないんだ」という。
70年代を青春で過ごした人が解けなかった謎がいくつかある。
武田先生達世代は、三島由紀夫の謎は解いていない。
三島由紀夫は謎。
なぜ彼があれほど天皇制にこだわったのかとかというのは、はやり私達は考えなくてはならない。
でないと昭和という時代は解けない。
三島は私達の体の奥にあるそこに訴えかけたかったのではないか?
東大全共闘と結託する時に「君達がひと言、天皇という言葉を挙げたら、私は君達と共闘する。共に戦おう」と。
それは内田樹先生みたいな方もまだ首をひねってらっしゃるが。
もう一つ、三波春夫を解き切らないとか。
三島由紀夫と三波春夫は・・・
(三波春夫を)「『こんにちはこんにちは』だろ?」とかと小バカにしながら言っているのだが、もの凄く魅力的。
でもそのことは友達の前では言えない。
ファッションとして「ビートルズ聞いた?」とかそんな洒落た言葉を言いたくて。
だが三波春夫が語る浪曲歌謡「一本刀土俵入り」とか
それから「俵星玄蕃」
あれを聞くとゾクッとする。
なぜ自分がゾクッとするかわからない。
例えば「一本刀土俵入り」の駒形茂兵衛。
相撲取りでお腹をすかせて、とっても優しい宿場のお姉さんがいて、財布とかんざしと全部彼にあげる。
そうしたら両手を合わせる茂兵衛がいて、二番目のコーラスの後はヤクザになった駒形茂兵衛が出てきて、全く人格の違う二人を三波春夫が演じ分ける。
たったワンコーラス歌が進んで、十何年時が流れたという
それから目に見えて仕方がないのは「俵星玄蕃」で討ち入りのところまで行った俵星玄蕃が大石内蔵助に「助太刀をさせてくれ」と言ったら「どうぞここは私達だけに任せてください」と言ったら、蕎麦屋の恰好をしていた若者が「先生〜!」と言いながら俵星玄蕃に近寄ってくる。
その時に雪を蹴立てて来る語りを三波春夫が「サク、あサク、サクサクサクサク、先生!」と言う。
「おお〜蕎麦屋かぁ!」
胸のときめきがもうたまらない。
何でときめくかわからない。
話がバラバラに、何かノイズが入ったような放送になったが今週はこれでお終い。