まな板の上にはかなり大きいものが載っている。
イスラエル。
鳴り続ける警報としてのアラブ問題の地。
そこに一体何でこうややこしい事件が起きるのかという。
ガザの問題とかイスラエルの問題とかアラブの問題とかというのを日本人としてどう考えていいのか?
大きく含めると中東問題だが。
憎悪の応酬が続いているが、あの恨みの深さというのは凄いものだなと思う。
ウクライナの方はというと、これは17世紀ピョートル大帝、そして18世紀エカテリーナ女帝、この方の主張なのだが「ウクライナはロシアのものだ」という。
それをプーチンという方が「昔から」とおっしゃるものだから「いや、そうじゃない」という争いが血を見ているというのがロシア-ウクライナ戦争。
そしてアラブの方はというとこれはハマス対イスラエル。
これはどのくらい古いかというと凄い。
紀元前1400年前から。
紀元前1400年頃にこの神様を信仰するその宗教絡みの政治問題なワケで。
このイスラエルとアラブの憎悪関係というのは我々が簡単に入れないのは当然で、三千年を超えている。
あの憎悪の深さはちょっと手が出せないところがある。
我らヤマト民族には「やめてください」とも言い難いような長い長い歴史がある。
皆さん、最後まで聞いてください。
(日本と)ちょっと関係がある。
このあたりに歴史という物語の面白さがあるので、完璧に人ごとの出来事ではなくて、日本人の目から見たアラブ問題、イスラエル問題というのは何者かというと、旧約(聖書)の神様。
この人(神)の言ったことで揉めているワケで
どうにもそういう意味では理解し難い戦争なのだが、「死んだ人というのは祟ると恐ろしいことになりますよ」という。
これは若い方は「そんなアンタ、迷信めいた話は朝からやめてくれ」とおっしゃりたいかも知れないが、武田先生は呪いとか祟りとかがあるような気がして仕方がない。
少しカルトっぽいかも知れないが、どうやったらこの呪いというものが発動、スイッチが入って今、生きている人にその呪いがかかるのかというのを三枚におろしたい。
このあたりは相当濃厚に武田先生は、文字学で世に知られたる白川静先生の漢字解説を何となく・・・
「死者をきちんと弔いなさい。でないと死者は祟るよ」というのはもう漢字文化のアジアの中に、三千年前からあった。
それが西洋版としてイスラエル-ハマス問題として今になっているということを思うと。
武田先生は「きちんと弔っていない」と思う。
では一体どういう問題があったのか?ということを考えてみましょう。
「どんなことがあったか」というのは旧約聖書に書いてあるから。
まずはユダヤの民の事情からご説明する。
(番組中、古代イスラエルの一神教を信仰していた民族を一貫して「ユダヤの民」と言っているが正確には同一ではない)
彼等ユダヤの民は「ヤハウェ」神様を信仰している。
この神様なのだが、面白い神様で日本の神様とちょっと違う。
神様自らが人間の世界に降りてきて自ら布教活動をしたという。
これが旧約の神様。
神様が直に。
普通は伝道師がいたりするのだが、そうではない。
いきなり出てくる。
神様が「私を信じなさい」。
そんなふうにして人間の前に登場した。
一番最初、誰のところに現れたかというと、ユーフラテス川の源流ハランという地にその旧約の神様が現われて「私、信用しなさい。私神様よ」と言った相手がアブラハム。
奥さんはサラという方。
大勢の下僕をかかえ草原に天幕を張って遊牧を営んでいた。裕福な一族であったことは疑いない。
ある日、アブラハムは神の啓示を受ける。おごそかな声が聞こえた。(10〜11頁)
目ざすところは、カナンの地。(12頁)
この声で3400年前、中東問題が始まる。
ここから始まる。
ユダヤの宗教を信じるアブラハム。
ユダヤの民だから、その声を聞いてその声を信じた。
「国を離れ、父の家を離れて、私の示す地へ行きなさい。私はあなたを祝福し、おおいなる国民としよう」(10〜11頁)
何と「今、住んでいる土地から旅立ってここに行け」と。
チグリス-ユーフラテス川のほとり、メソポタミア文明が花開いたエリアだが
ユーフラテス川周辺の地では、人々は太陽や月や、さまざまな偶像を拝んでいたが、アブラハムの心には昔からそれとはちがった信仰が宿っていた。民族の繁栄を約束する唯一全能の神……。(11頁)
たった一つの唯一の人種、ユダヤの民を選んで「私が神様」、こんなふうに自らおっしゃったという。
神が「私のとこ来い」「私を信じなさい」と。
これは仏教なんかのたおやかさが無い。
砂漠の神様は性格がきつい。
このあたりから3400年前から始まった格闘。
それがどう展開するのか。
あくまでも宗教なので武田先生の講釈師風喋りで「解釈が間違っている」とおっしゃりたい方もいると思うが、「講談風にやっております」ということで宗教関係の方はお許しいただきたいというふうに思っている。
あくまでも武田先生の知恵で読んだという。
「こういう武田の解釈で」ということでご容赦ください。
ネタはというと新潮社から出ている、本屋を探すとあると思うが 阿刀田高さんの「旧約聖書を知っていますか」という
旧約聖書を分かりやすく面白く説明した。
だから阿刀田さんの説明も込みで味わっているという旧約の解釈なので、その辺のところはなにとぞ勘弁していただきたいと思う。
とにかくヤハウェの神がユダヤの民の前に現れて「私を信じなさい」。
凄いのは神様が自ら「アンタね、あっち行け」。
行くべき土地を教えたという。
カナンという土地へ行けという。
それはどういう土地かというと、神様の宣伝文句としか言いようがないのだが、神様の説明によると、そのカナンという神様がすすめる土地こそ
乳と蜜の流れる地(27頁)
「そこに神の国を創る為、アブラハムはカナンへ行け。そこで頑張れ」と、こう励まされた。
カナンは今もある。
これはどういうところかというと地中海の沿岸に。
皆さんも最近の戦争の説明なんかでご存じだろうと思うが、地中海が左側にあって、その沿岸にイスラエルがあって、あのガザなんていう地区が。
上の方にはレバノンという国があって右にシリア、ヨルダン。
下の方にぐっと下がってエジプトがあるという。
そこの北の方。
地中海上の北の方にカナンというところがあって、そのカナンという地に行けと神様が命令した。
何せ不動産の勧め方の宣伝文句が凄い。
「ミルクと蜜が流れている」
これは行きたくなる。
ところがはっきり言って、そんなによくない。
カナンというのは、もの成りの悪い国で、。
アブラハムも信用して行くのだが、もの成りが悪くて結構苦労している。
小麦とかが育たないのだろう。
それで何をやったかというと、南に景気のいいエジプトという国があって、そこに出稼ぎに行く。
季節労働者みたいな感じで働きに。
このユダヤの民は面白いことに、申し訳ないが言い方は悪いが、潜り込んでエジプトでの出稼ぎで稼いで生き延びている。
あんまりいい地ではないが、アブラハムはとにかく一途に仲間のユダヤ人がいると声をかけて「神を信じましょうよ」と言いながら信者をゆっくり増やしていくという。
一番いいのはユダヤの民だからアブラハムが子供を作ってそのユダヤの民を信者にしていけばヤハウェの神の信者が増える。
ところが、アブラハムも奥さんのサラも年を取ってしまって。
切ない。
サラは、自分の召使いのハガルを差し出す。サラ自身子どもを生めないものなら、ハガルによってアブラハムの血筋を残そうという計画であった。−中略−
ハガルはエジプト女であり、生まれた子どもの半分は異教徒の血である。(16頁)
ハガルは身籠ってイシュマエルを生む。(16頁)
ところが旧約は何でこんなことが起こるのか?
アブラハムはヘブロンにいた。(17頁)
──神様かもしれない──−中略−
アブラハムの判断は的中していた。−中略−一年後にサラが男の子を生むことを予告する。聖書の記述によれば、アブラハム百歳、サラ九十歳……。−中略−
サラは「無理よ」と笑ったが、
「神にはできないことがないのです」
と咎められてしまう。(17頁)
サラは神の予告通りに懐妊して、男の子を生む。イサクと名づけられた。(20頁)
何が問題かと言うと、これは九十数歳でサラが産んだ子供なワケで。
だから純粋にユダヤの血を持っている。
(サラは)エジプト娘ではないから。
それでやはり、アブラハムみたいな立派な人もグラッと気持ちが揺れてしまうという。
かなりの高齢出産ということだが、ユダヤの血を受けたイサクという男の子が産まれるとエジプト娘との間に生まれた長男よりも次男の方が可愛くなってしまう。
生々しい旧約聖書の世界。
ここでまた面白いことだが、これも聖書に書いてある。
割礼の習慣は、−中略−
ペニスの包皮を切り取る−中略−アブラハムの血を受け継ぐイスラエルの民にとっては、神との契約のしるしである。(20〜21頁)
ユダヤの民であるというしるしを体に刻む為に、神の命令によってチンチンの皮を切ってしまう「割礼」という儀式がある。
これなんかも施してあった。
イスラエルの純度からいうとやはりイシュマエルよりもイサクの方が濃厚に。
父と母の子なのでエジプトの血が、アラブの血が混じっていない。
そのサラさんもいい人なのだが、どうしてもこの次男のイサクが可愛くて仕方がない。
サラにせがまれ、アブラハムは神の意向を確かめたうえで、ハガル母子を砂漠に追いやる、ほんのわずかな食料と革袋一ぱいの水を与えて……。(21頁)
荒野にこの母子を捨てる。
ユダヤとアラブ、エジプトの血を受けたイシュマエル。
旧約の神は「哀れだな」と思ったのだろう
神の恵みが下り、母子は命を長らえる。イシュマエルは荒野に住んで弓を射るものとなった。これがアラブ人の祖先であり、マホメッドはその末裔とされている。マホメッドが、自分の宗祖としてアブラハムを置くのはこのゆえである。(21頁)
これでおわかりだろうと思うが、イスラム対ユダヤ教は激しく戦っているが、何のことはない、長男と次男のケンカ。
どうにも割って入りにくくて。
申し訳ないけれどもヤマト民族から言わせてもらうと「よく話し合えよ」と言いたくなってしまう。
考えてみたらイスラエル・米・欧州・露・イラン・サウジ・エジプト、いろんな国がケンカしているが、争いの大元はとどのつまりここ。
ややこしい。
とにかくこのイサクがユダヤの民の跡取りとなって、二代目を襲名させたいアブラハムだが、神様は命じる。
ワケのわからないことを突然言い出す。
やっと次男坊に二代目を襲名させるつもりでいるアブラハムに向かって
また神の声が聞こえた。
「イサクを連れ、モリヤの地に行きなさい。そこで私の命じる山に登り、イサクをいけにえに捧げなさい」(22頁)
「全焼」丸焼きにして。
豚とか羊ではないのだから父親に向かって「息子を丸焼きに、バーベキューにして私に捧げろ」と言う。
無体なことを言うが、旧約の神というのはかくのごとく人間を試す。
またアブラハムがいい人だったのだろう。
この神の声に従う。
距離を計算して敢えて言っているのだが、アブラハムがいるところと神が行けと言ったモリヤという地までは距離数にして世田谷から成田。
それぐらいの距離の山がある。
山の山頂に到着し、祭壇を作って、たきぎを並べた。イサクを縛り、刃物を取り……(23頁)
神様は人を助ける存在ではないのか?と疑問に思う水谷譲。
理不尽。
そのとき天からの声が呼んだ。
「アブラハム、手を放せ。あなたの心はわかった」−中略−
──試されたのだ──(23頁)
「神様、試さんといて欲しい」
そのユダヤの神というのは強烈なもの。
このようにしてユダヤの民の血統は守られたというワケで。
しかしこんな事件が起きる。
この二代目のイサクは大人になる。
ユダヤの民を増やさなければならない。
ちょっとあからさまな言い方で申し訳ないが、若い娘とセックスして子供をいっぱい増やすというのが旧約の神の求めておられることで、それで
娘の名はリベカと言い、アブラハムの弟ナホルの孫であった。イサクにとっては従兄弟の娘となる。(25頁)
このイサクとレベッカからイスラエル建国史となる。
(聖書の種類によっては「レベッカ」だったり「リベカ」だったりするのだが、「旧約聖書を知っていますか」の中では「リベカ」、番組内では「レベッカ」と言っている)
リベカを娶り、リベカは双生児を生んだ。−中略−兄、エサウと名付けられた。−中略−次に現われた子は−中略−ヤコブ(33頁)
また生々しい。
長男ではない。
また弟。
目の悪くなったエサウ(おそらくイサクの誤り)。
視力が衰えているので弟のヤコブを跡取りにする為にお兄さんのふりをさせて父への口づけで跡継ぎとなるワケだが、それはエサウは怒る。
ヤコブはレベッカの勧めもありレベッカの実家に兄の怒りを避ける為に身を隠すのだが、今度はヤコブの物語が始まる。
本当に理不尽だが、理不尽ゆえに人は考えるという。
このワケのわからない、この不思議な旧約聖書の世界。
エサウの怒りは当然のことだ。
──ヤコブのやつ、汚い手を使いやがって。勘弁できん。殺してやる──(38頁)
母のリベカはエサウの殺意を察知し、そっとヤコブに伝えた。−中略−
一族の故郷であり、リベカが生まれ育った、あのハランである。
「私の兄のラバンがいるわ。あなたの伯父さんよ。あそこに身を寄せて、エサウの気持ちが収まるのを待ちなさいな」(39頁)
ハランまでは長く苦しい旅路である。旅の途中、ヤコブは不思議な夢を見た。−中略−気がつくと、神がヤコブのかたわらに立っていた。
「私はあなたの父祖アブラハム、あなたの父イサクの神である。−中略−あなたの子孫は大地にある砂粒のように増え、西へ東へ、北へ南へと広がって行くだろう。世界の民はあなたとあなたの子孫のおかげで神の祝福を受けるであろう。私はあなたとともにいる。けっして見捨てはしない」(40頁)
「よし!神の赦しを得たんだ」ということでヤコブはすっかり自信を持つ。
そしてレベッカの実家の地方、ハランへ行く。
ヤコブは自信に満ち溢れた逞しい男に。
そして嫁が欲しい。
ハランに住む伯父ラバンには二人の娘があった。姉のレアに、妹のラケル……。(41頁)
レアは優しい目をしていたが、ラケルは顔も美しく、容姿も優れていた(42頁)
ヤコブは妹が好きになり、すっかり惚れ込み、七年間伯父のもとで働くことを条件にラケルをもらい受ける約束を取り結ぶ。(42頁)
約束の七年が過ぎ、婚礼の日が来た。(42頁)
そこで突然結婚のルールを聞かされる。
「いや、いや、ここじゃあ妹のほうを先に嫁がせるわけにはいかんのじゃて。一週間だけレアと寝てくれ。そのあとで妹のラケルもあんたにあげるから。ただし、もう七年間働いてくれよ」−中略−七日目からは二人妻である。(43頁)
ラバンの娘たちはなかなか身籠らず、
「じゃあ、私の召使いと寝てよ」−中略−
実質的には四人妻の状態。(43頁)
堰を切ったように次々と妻たちが妊娠して
四人の母体から生まれた子どもは、男十一人、女一人。(〜頁)
ヤコブは殆ど種馬と化したという。
更に別の娘にも手をかけて男を12人生んだという。
旧約聖書は男尊女卑の世界である。−中略−生まれないと同等の扱いしか受けない。ゆえに女子の出生が少なく見えるのである。(44頁)
ヤコブには−中略−ベニヤミンを含めて男子十二人、これがやがてイスラエル十二部族の祖となる(44頁)
イスラエルでもエリートの貴族になってしまう。
宗教的貴族。
ヤコブは伯父のもとで合計十四年あまりの労務を終えて、父母の住むカナンの地へと帰る。−中略−
二人の妻と大勢の子どもたち、それに下僕、婢女、ハランで育てた家畜を引き連れ、ハランで作りあげた財産を積み、長い列を作って岩砂漠の道を戻った。(44頁)
その夜、突然、何者かがヤコブに襲いかかって来る。(45頁)
兄さんだと思ったのだが、兄さんではなかった。
神様だった。
このへんは武田先生もよく意味がわからない。
大きな羽の生えた天使。
「あなたは今日からヤコブではなく、イスラエルと名のりなさい。神と戦って勝ったのだから、もうなにものも恐れる必要はない」
イスラ・エル≠ニいうのは、神と戦って不屈なる者≠フ意味である。(46頁)
神様の根回しが効いていたのかどうかわからないが、兄さんと再会する。
ところがもの凄くわかりよくてエサウは「お前がイスラエルっていう名前だろ?そのイスラエルっていう国を創ってここで頑張ってくれな」。
弟に全てを譲るという。
それで兄との関係は良好に。
アブラハム、イサク、ヤコブ、そして四代目がヨセフ。
継承、跡目は弟が継いでしまう。
どこかの神話に似ている。
海彦山彦。
弟と兄ちゃんのケンカ。
でも結局は跡目相続の特権を持っている兄ちゃんの海彦は身を引いて山彦に譲るところからヤマト民族の長い長い物語が始まるワケで。
旧約聖書というのは生々しい。
とにかく今も揉めている中東イスラエル・ガザ等々の紛争の地になっているが、ここで3400年前に展開した神と人間の物語。
イスラエルの側から言うとアブラハム、イサク、ヤコブ、そしてヨセフ。
この四代に関する物語がややこしい
神からの贈り物「カナンの地」というところで頑張るユダヤの民。
この神が約束した「乳と蜜が流れる豊かな地」だというのだがそうではない。
イスラエルの民は四代頑張る。
ところが豊作だと思ったら凶作が連続してやって来るとか、暮らしがさっぱり安定しない。
考えてみたらもう3400年前から非常に暮らしが安定しないエリア。
周りの国はと見ると一番安定しているのがエジプト。
それでヨセフはエジプト王朝の王族に取り入って凶作の度に出稼ぎに出る。
(ヨセフはエジプトへ売り飛ばされているので出稼ぎではない)
ヤコブは一族もろともエジプトへ移り、エジプト王の許しを得て、ナイルのほとりゴシェンの地に住むようになる。−中略−そしてその四代あとに生まれたのがモーセである。(56頁)
ここまで見てわかるとおりユダヤの民とはナイルのエジプト・アッシリア・バビロニアという大国に挟まれて小さな細い川、ヨルダン川のほとりカナンの地でかろうじて人口を増やしている小国だった。
出稼ぎは宿命で、凶作の度にエジプトに出稼ぎに行くという。
もともと旧約聖書がよくわかっていないので名前とか、ついていくのが精一杯な水谷譲。
旧約聖書を知っている方は「なるほど」と繋がっているのかも知れない。
出てくる神様が水谷譲がイメージしている神様と違うので。
人を試したり丸焼けにしたりしようとしたり、水谷譲にとってはそれは神様ではない。
我々ヤマト民族には非常にわかりにくい。
だから神様はワリと無理難題をおっしゃって、旧約でどうしても解けない章がある。
神様から試される人(ヨブ)。
とにかく神様が無理難題を言うという。
それから一生懸命神様を信仰しているのだが、神様から試されてボロボロにされた人とか出てくる。
なにかしら意味がある。
それが正解がないところを考えなければいけない。
神様が何でそんなことを言うのか考えなければいけないというのが。
哲学というのはそういうこと。
内田樹さんの本の中で凄く感動した言葉だったのだが「神が人間社会の中で正義を行なうようになったら誰も人間は正義について考えなくなる」という。
「人間の中にある正義とは何かを考える為には神は見ているだけなんだ」
そういう意味で旧約というのは「考えろ!」という問題がどんどこ起きる。
神様から試された人の代表でヨブ、「ヨブ記」というのがある。
これはもう読んでいてヨブがかわいそう。
持っている財産は無くなってしまうわ、買っていた羊がみんな死んじゃうわ、子供は死んじゃうとロクなことが起きない。
ずっとヨブは我慢するのだが、一番最後にポロっと言ってしまう。
「何の為に生まれてきたんだ。何の為に俺は信仰したんだ。何もいいこと無ぇじゃん。俺は生まれてこなかった方がよかったよ」
言った瞬間に神様が出てくる。
「今言った?何っつた?オマエ」
そこからヨブと神様の一対一の問答が始まる。
この時の旧約の神様の言い方が恐ろしい。
「悪いね。俺、宇宙創ったんだけどオマエその時どこいた?陸地創って海はこっち側にしようとか設計やって苦しんでる時、オマエどこいた?北斗七星が並んでるだろ?あれオマエあんなふうに並べたの俺よ。オマエそん時何やった?オマエはなんにもやってないんだ。そのくせに私の仕事にケチをつけるのか?」と、こうくる。
ぐうの音も出ない。
それでヨブがロレロレになって「おお神よ」と言う。
そんなふうにして神の出す難問にどう答えて行くかという、このあたりが旧約の面白さ。
今は一旦エジプトのイスラエル村でみんな生きている。
その何代目かにいよいよモーゼが生まれたという。
(聖書の種類によっては「モーセ」だったり「モーゼ」だったりするのだが、「旧約聖書を知っていますか」の中では「モーセ」、番組内では「モーゼ」と言っている)
このまたモーゼが神様から凄いことを言われてしまうという物語。
それはまた来週の続き。