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2024年06月21日

2024年4月15〜26日◆鬼の筆〈前〉(前編)

(一冊の本を二週ずつ二回に分けて取り上げていて、どちらも「鬼の筆」というタイトルだったので、一回目を「鬼の筆〈前〉」二回目を「鬼の筆〈後〉」としておく)
(番組の最初に以前の放送の訂正)

さてまな板の上「鬼の筆」。

鬼の筆 戦後最大の脚本家・橋本忍の栄光と挫折



(今回はいつも以上に番組内で本の内容と大幅に違うことを言っているが、個別に指摘しないことにする)
(この本は「橋本へのインタビューによる証言と、創作ノートからの引用箇所は全て太字」ということなので、引用箇所も同様に表記する)

鬼が筆を握っているという。
いかな鬼か?
著者は春日太一。
しばしば当番組で彼の作品を取り上げているが、映画製作現場のルポルタージュ。
この方の筆はたいしたもので、この本は抜群に面白い。
相当飛ばす。
相当飛ばさないと、全部話していると二か月ぐらいかかる。
何の話をしているのかわからなくなるかも知れないがそのあたり、どっしり構えて聞いていただければと。
ズバリ申しまして平成の方、あまり面白くないかも知れない。
というのは、この橋本作品というのをたくさんご覧になった方なんていうのも少ないと思うので。
ただし、昭和の方、それも団塊の世代。
まあ付き合っちゃってよ。
橋本忍が携わった脚本の作品。
ザッと触れてみる。
黒澤作品「羅生門」「生きる」「七人の侍」、その上に「日本沈没」「白い巨塔」「私は貝になりたい」「砂の器」、松本作品でいうと「黒い画集(あるサラリーマンの証言)」「霧の旗」、そして「八つ墓村」「八甲田山」も・・・
とにかく必聴の「(今朝の)三枚おろし」になる。
前期三枚おろし、多分最高傑作。
これは何で「やってみようかな」と思ったのかというと、折も折だがテレビ連続ドラマで地味な女事務員さんがちょっと怪しげな衣装を着てアラブ風の踊りをやるという作品があって、それが原作・脚本・撮影・俳優さんとのコミュニケーションがちょっと上手くいかなかったようで大きな事故が起きてしまった。

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そうしたら続いて「これ言われちゃったらキツイだろうなぁ」と思ったのだが、救急出動して人を救うコミックが映画化された時に、その原作の方が現場に行ったら主役の男がケンモホロロな対応をしたので出来上がった作品に対して原作者の漫画家の方がもう言いたくもないが「クソ映画」とおっしゃった。

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とにかく原作者の考えたストーリー、或いはセリフを勝手に変えるというのが令和の世の中で大きく揺れていて「原作者とか脚本家が書いたセリフを勝手に変えちゃイカンよ」と言いかけたのだが、「セリフを変える」といえば武田先生。
結構お叱りを受けている。

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40分間一人で(セリフを)言う。
(刑事役の時に親鸞の言葉をアドリブで入れて)嫌われた武田先生。
あの監督さんは武田先生をほったらかしだった。
「そこらへんでやってください」みたいなもので。
だから脚本を勝手に変えるとか原作を変えるとかというのは本当にスネにいくらでも傷がある。
武田先生の場合は文春ネタとかにならなかったから・・・
でも「鬼の筆」をやってみようと思ったのは、ラジオをお聞きの皆さんに映画の脚本というのはどんなふうにして生まれてくるのかというのをお話すると面白いかなと思った。
ここは勘違いなさらないでください。
テレビの映像化、コミックの映像化の方で問題になっているのと、映画では違う。
映画の方は原作というのがあって、それを脚本化する。
だがコミック、或いは漫画というのは既に映像化されている。
映像化されてファンを惹きつけたものを実写化した場合、余りにも違うと見ている人が怒るという。
既に絵コンテが出来ているものと文字を絵コンテにしていくものとでは違うので、同列に並べることは不可能。
でも台本を変えた人間としては、言い訳をしているワケではない。
脚本作りは半分ケンカ。
「いい・悪い」は作ってみないとわからない。
例えば小さい作品。
武田鉄矢がハンガーを振り回す「刑事物語」。

刑事物語



あれは武田先生の脚本。
もう渡辺祐介監督とケンカ。
渡辺さんがラストが気に入らない。
耳の聞こえない娘さん(三沢ひさ子)と片山(武田先生の演じる主人公の片山刑事)が最後は事件が終わって仲良く違う街へ二人で流れてゆくという結末だった。
そうしたら祐介監督が「結末がこれじゃ、何の為の苦労かわかんない」と言う。
「どうするんですか」と言ったら「別れなきゃダメですよ」。
それで耳の聞こえないお嬢さんは耳の聞こえない男に恋をして片山刑事は捨てられる。
「それを耐えて一人で歩き出すところに武田さんが描きたい男があるんですよ」
「いや、それじゃあ・・・」とかと言って・・・
でも結局、祐介さんの言うことを聞いてそのラストにしたからパート5までできた。
そういう「脚本のせめぎ合い」というのをちょっと折も折ではあるが、橋本忍という脚本家の妙というか。

ドラマの制作現場。
そこではどんなことが起こっているのか?
春日太一の「鬼の筆」。
この本の中には橋本忍の制作現場がびっしり詰まっている。
春日さんが

計九回、総インタビュー時間は二十時間を超えた。(17頁)

それで本になった。
読んでいると時々知り合いが出て来る。
橋本忍は脚本家。
いかな人生を歩かれた方なのか?
ここからちょっと脚本から離れる。
橋本忍、その人生の始まりから振り出す。

 一九一八(大正七)年四月十八日、脚本家・橋本忍はこの鶴居の町で生まれ、そして育った。(20頁)

 橋本が生まれた際、−中略−鶴居駅前に職住兼備の家を建て、そこで小料理屋を営むことにした。(21頁)

お父さん・徳治という方はちょっと変わった方で小料理屋を営みながらも

 徳治は毎年、お盆の季節になると、自腹で旅回りの大衆演劇の一座を呼び、独自に芝居の興行を開くようになる。(21頁)

資金が必要で芝居小屋の設置から演目の決定、興行中の一座のあご・あし・寝床までの面倒を見なければならない。

入れば大儲けできるし、外れれば財産を失う。それが興行だ。(21頁)

しかし興行に熱中している父親を見るのが忍少年は大好きだったという。

 向かう先は、芝居小屋の楽屋だ。−中略−そこで二十人ほどの役者たちが筵の上に座り込んで向かい合い、化粧をしていた。(24頁)

そういう楽屋裏を覗くともう異世界で、橋本少年は演劇の持つ異世界に胸をときめかせ眺めていた。
でも何せ中央から遠い田舎町。
劇的なことなど起こらないという非常にのどかな村だったのだが、江戸から明治に変わったばかりの頃、姫路の山奥の村でも近代化というか現金で税金を払わなければいけないのが凄く負担だった。
それまではお米でよかった。
ところが現金なのでお百姓さんが扱ったことがないので、それでこの鶴居の村で税の重たさに耐えかねて百姓一揆が起きたという。
それで鶴居一帯、生野の百姓が一揆を起した。
ところがたちまち警察に取り囲まれて首謀者は官憲に逮捕、そして処刑されたそうだ。

 首謀者たちの処刑は、早朝から生野峠で執り行われることになった。−中略−村人たちの斬首は粛々と進行していく。−中略−
 その中から一人飛び出したのは、鶴居に住む若い女性・いさ。いさは斬り飛ばされた結婚間もない夫の首を抱き上げ、胴体に駆け寄る。そして、予め用意していた両端の尖った木を胴体の切り口に突き入れ、その先端に首を差し込み、首と胴を繋いでしまうのだ。周囲が唖然とする中、いさは棺桶を持ってこさせ、そこに死骸を入れると男たちに担がせて峠を去っていった。
(27〜28頁)

あまりの異様さに首を落とした官憲も後ずさりして息を飲んだという。
その棺桶に収めて帰って行ったという。

 橋本はこの血なまぐさい物語を、−中略−毎日のように祖母の家の縁側に通い、せっついた。(28頁)

この時に忍少年は「この世の中には鬼のようなものたちがいるんだ。鬼というのは実在するんだ。その鬼のしうちに血まみれになりながら耐えている。そこに人間の美しさがあるんだ」。
涙を流しながら杭で自分の亭主の首と胴体を繋いで遺体を大八車に載せて帰る娘・若妻。
「これは凄いなぁ」と無意識の中に溶け込んだのだろう。
「生きていく」ということが。
この話から忍少年は鬼に歯向かう反逆の人生、「そういうものが人生にはあるんだ」と。
ここから橋本忍少年、或いは青年と鬼との対決が始まる。

 一九三七年、日本は中国との戦争を始める。(33頁)

鳥取歩兵四十連隊は初年兵として、二千人の若者を現役招集した。その若者たちの中に、当時二十歳で国鉄竹田駅に勤務していた橋本もいた。三カ月の訓練を終えたら、橋本も連隊の一員として中国戦線に向かうことになっていた。(33頁)

 出征の直前、−中略−即日入院となったのだ。三日後の検査で結核菌が検出、「肺結核」と診断された。(34頁)

戦場で死のうかと思っている時に「オマエは結核なんで、軍隊には入れない。すぐに荷物を畳んで療養所に行け」というお国の命令で、この方は結核患者として別の戦いの道に・・・
召集令状が来て鳥取の連隊、陸軍に入るのだが、「これから出征するぞ」と思った矢先、最後の健康診断に彼の肺の中から結核菌が見付かって除隊命令が下る。
これはおうちにも帰れない。
感染症だから

 疾病軍人岡山療養所は、瀬戸内海に突き出た児島半島の付け根にあり(34頁)

粟粒結核だったんだ。それは、当時の医学では絶対に治らないという病名だった。
 大きな結核菌の巣ではなくて、蜂の巣みたいな小さな傷がいっぱいある結核菌なの。
−中略−病巣の菌が一つ動き出したら全部が一斉に動くから、もう派手に血を吐いて三日ほどで死ぬというんだよ。(37〜38頁)

これはやっぱり死亡宣言が出たようなもの。
お医者さんの診立てだが余命二年。
はっきり言われたという。
ここからこの人の人生は二年どころではない。
70年、80年続く。
とにかく彼は二十歳の若さで余命が二年と決まった絶望の命を生きる。
しかし絶望の命も二年生きなければならない。
死ぬまで生きていなければならない。
療養所というところで暮らすワケだが、ここの暮らしがいいワケがない。

 療養所に行ったときにはもう愕然とした。食事の粗末さにね。(39頁)

とにかく寝ていること。
寝てばかりいる。
医療処置というのも殆ど無い。
ほったらかしの状態という。
横でも結核の戦友がいる。
戦友達は看守の看護婦さんもいないので、療養所を抜け出してしまう。
それで街まで行って食堂で飯を喰っている。
感染源になるのでは?と思う水谷譲。
「黙っときゃわかんない。わかんない」で。
それでカネのないヤツは野辺だから畑はいくらでもあるから果物とか野菜とかを盗みに行ってしまう。
ここの療養所の中で青年橋本は命の矛盾をいくつも目撃する。
何も治療法がない。
だから医者の言う通り、とにかく寝ている。
ところが体験から得た知識だろう。

『治らない』と言われた奴でも治ってるの。大人しく寝てた奴は、みんな死んだ。(39頁)

このへんは何が正しいとかわからない。
これに対して脱走して街の食堂で飯を喰ったり、畑に入って果物でマスカットを喰うヤツがいる。

 山を下りて山一つ離れた集落を見たらさ、温室があるの。何だろうと行ってみたら、マスカット。(41頁)

中には凄い奴もいたよ。そいつは『〈出征兵士遺族慰問〉をやってる』というんだ。
 旦那が出征して奥さんが一人住まいの家を訪ねて、その奥さんを落とす。狙ったら、必ず関係するの。
(39頁)

タチが悪い。
戦争未亡人を口説いて「可愛そうに」とか言うと奥さんもコロッ。
そいつらが結構回復する。
橋本もそういうのを見ると「何だい!鬼は俺の命、もて遊んでるんだ。だったら俺も楽しくやろう」というので仲間と一緒に飯を喰いに行ったり、畑に入って果物を盗んだりという。
見つかったら酷い目に遭うのだが、あと二年の命だからどうなろうとかまわないから怖いものは何もない。
だが橋本というのはもともとそういう人だったのだろう。

それは分厚い雑誌で、表紙には『日本映画』とある。−中略−巻末に掲載されたシナリオが目に止まる。
 これが橋本が初めて目にした、映画のシナリオである。
−中略−
「これが映画のシナリオというものですか」
−中略−
「実に簡単なものですね──この程度なら、自分でも書けそうな気がする」
−中略−
「いや、この程度なら、自分のほうがうまく書ける……これを書く人で、日本で一番偉い人はなんという人ですか?」
−中略−
成田伊介は躊躇うことなく答えた。
「伊丹万作という人です」
−中略−
名作時代劇を撮った監督で、
−中略−『無法松の一生』−中略−にはシナリオを提供するなど、脚本家としても高い評判を得ていた。(36頁)

ご存じの方はおわかりだが(伊丹万作は)伊丹(十三)さんのお父さん。
天才と言われた方。

 その名前を聞いた橋本は、少し勢いこんでこう言い放ったという。
「では、私は自分でシナリオを書いて、その伊丹万作という人に見てもらいます」
(37頁)

とにかく橋本は暇なのでコツコツと脚本を書き始める。
ネタはある。
何のネタか?
この肺病兵士達の絶望、運命に翻弄される命と、それを操っている鬼を書いてみようというので

橋本の人生初のシナリオが『山の兵隊』だった。(54頁)

戦地・戦場や海戦の海では戦わず、田舎の山の隔離病棟で肺病と戦う兵士の物語、という。
「出来上がったよ」と言って同病の成田に報告すると、成田は「伊丹万作っていうのはよ、ワリと岡山に近くの京都にいるらしいんだ。だから送ったら何とかなるんじゃ無ぇの?」と言って住所を探してくれて。
その当時はワリと個人情報がモロに漏れるという時代だから、そこに送ってしまう。

 そして橋本は、成田伊介との約束通り、伊丹万作にそのシナリオを送った。(54頁)

(普通は伊丹万作は)読む筈がない。
大脚本家だから。
何故か読んでくれる。
この「何でか読んでくれる」がまた鬼の仕業。
ところが本当にこういうことがある。
奇蹟のようなことが起きる。
送ってから数日すると、返事が来た。
そしてびっしりボロカスに書いてあった。
伊丹万作の評は「エピソードが多すぎる。書き方が粗雑だよ」「人に読んでもらおうというのに、君、誤字が多すぎるよ」。
とにかくびっしり細かい注文が。
だが、橋本の喜びはそれどころではない。
伊丹万作が返事をくれたという。
これはそうだろう。
高名な小説家の方に素人が何か小説を書いて出しても読んではいただけない。
ここから面白い。

なぜ返信をくれたのか−中略−伊丹さんにあのシナリオを読ませる気持ちをおこさせたものは、その内容が療養所に材をとったからではなかったろうか」
「新しい療養のやり方などに、興味を持たれたのではないかと思われる」
−中略−
 伊丹も同じ結核患者であるため、『山の兵隊』に記された結核治療の実態や、病状の具体的な描写に関心を抱いたのではないか
(56〜57頁)

鬼に憑りつかれた橋本なのだが、伊丹も肺病だったということで、同じく鬼に憑りつかれた伊丹万作を引き合わせるという、どこの馬の骨ともわからない橋本の脚本を読んでくれた。
だが「シナリオというのは甘くないぞ」。
橋本はこのことを励みにしてまたシナリオを書く。
伊丹とのやり取りが続く。
橋本はこの頃になると死ぬということが横を通り過ぎて二年過ぎてしまう。
その二年が経ったら、橋本の肺から結核菌が出なくなってしまった。
それで1941年に12月になって橋本は「療養所から出てよい」ということになったのだが

四一年十二月八日の真珠湾攻撃を皮切りに、日本は太平洋戦争へ突入する。(51頁)

 当時の橋本は軍需徴用により、姫路にある海軍の管理工場・中尾工業に勤めていた。本社で経理を担当した(52頁)

仕事の関係で京都や大阪の出張というのもあったから、そのときに時間を繰り合わせて行っていたんだ。大阪の仕事を済ませちゃって、そのまま京都の伊丹さんのお宅へ行くということはあった。(69頁)

 これまで脚本家としての弟子を持たなかった伊丹が、橋本を弟子として迎え入れた。(67頁)

シナリオを書いては、それを伊丹に送っていた。伊丹もまた橋本に必ず返信を送っていた。そこには、必ず先に挙げたような具体的なアドバイスが記されており(68頁)

そうするとやはり腕は上がっていくのだが、映画化はされない。
映画化されなくても伊丹を独占できたという喜び。
橋本と伊丹。
師弟関係になってしまう。
皮肉というのは凄いもので、鬼のからかいというか、何と三年も過ぎた。
まだ生きている。
「俺、死な無ぇじゃん」と思う。

 一九四五年八月十五日、戦争が終わる。そして日本はアメリカを中心とした連合国軍の占領下に入るのだが(70頁)

敗戦から約一年が経った四六年九月、長く療養生活を送っていた師、伊丹万作が死去したのだ。(70頁)

「何ということだ」と。
戦争には負けるわ、師は亡くすわ。
ところがまた不思議なことに、姫路に帰った。

「軍需会社だから、二年ごとに検診があるんだよ。−中略−レントゲン撮るたびにやっぱり引っかかってた。医官に言われた三年はもったけど、いつ死ぬかわからない状況には変わりなかった。
 でも戦争に負けて、アメリカからストレプトマイシンが入ってきたんだよ。それで、いっぺんに治ってしまった」
(70頁)

伊丹さんには間に合わなかったが、田舎にいたお陰で橋本には間に合った。
それで病院に通って治療を受けると胸の肺病が消える。
何だよこの人生は?
戦場で死なず、300万人の死者を巻き込んだ世界大戦に敗北すると、運命の鬼が橋本だけには70年の寿命をくれた。
さあ、数奇な数奇な人生は続く。

この人は肺病から救われた。
だがもう先生はいないから。

 この頃、西播磨地区にある企業を対象にした実業団野球大会が開催され、橋本の勤める中尾工業もこれに参戦。橋本もチームの一員として出場することになる。ランナーとして塁に出た際、ホーム突入時に捕手と激突、椎間板ヘルニアの大けがを負ってしまったのだ。(71頁)

 会社も欠勤せざるをえなくなった橋本は、自宅療養のため空いた時間に再びシナリオを書き進めることにした。そして、原作になりそうな小説を求めているうちに、書店で芥川龍之介の全集を目にする。(71〜72頁)

芥川龍之介の「藪の中」。

藪の中



「真実なんか誰もわかりゃしねぇや」という芥川の平安を舞台にした時代劇。

『藪の中』と題された小説に、橋本は心惹かれた。(72頁)

 これを脚本にしようと思い立った橋本は、一気呵成に書き始める(72頁)

盗賊と武士とその妻。
武士が殺されて事の真相を語り合うのだが、三人三様でどれが真相かわからないという「藪の中」。
「真実なんて誰もわかりゃしねぇや」という作品。

(二百字詰めの原稿用紙)で九十三枚(73頁)

京都の仁和寺で伊丹万作の一周忌の法要が執り行われる。これには橋本も出席していた。法要が終わると、伊丹夫人が橋本を呼び止め、一人の男を紹介する。
 佐伯清。助監督時代に伊丹に師事し、当時は東宝を経て新興の新東宝で監督として活躍していた。
(73頁)

約一年の間に橋本は十本近い脚本を書きあげたという。(73頁)

「『藪の中』っていうの面白いね。今、うちで伸び盛りの若い監督いるんだよ。そいつにね、コレちょっと読ませて映画にしねぇか」という。
何と伊丹の死の縁。
思わず橋本は気を付け。
「あの、若い監督っていう方は何というお名前で?」
「ああ、いろいろワガママを言うんだけど面白いヤツでね。黒澤明っていうんだ」
その頃、黒澤は頭角をグングン表していた。
「虎の尾を踏む(男達)」、戦前は「姿三四郎」なんかの独特の画風で、それから「わが青春に悔いなし」なんていうのがあって。
「あの黒澤が、まさかなぁ?俺なんて相手にするワケないよなぁ」とかと思っていたら電報。
黒澤明から「急ぎ上京せよ。シナリオの件」。
「ええ?」というようなもの。
会社に事情を説明して東京に行った。
いた。
黒澤明。
とにかく礼儀とか無い。
いきなりドーンと映画の話。
「ねぇねえ。この『藪の中』っての面白いんだけどさ、200字詰めの原稿用紙で93枚。これアンタ映画にしたら40分でお終いだよ。どうするんだい?」
初めて会ったのに不機嫌そうに怒るという。
「ああ・・・すみません。じゃあちょっと考えさせてください」
それで橋本は考える。
その時に橋本は絶妙なことを考える。

橋本が考えたのは、『羅生門』の下人のエピソードを『藪の中』の盗賊・多襄丸の前日譚とすることだった。(80頁)

(本放送ではここで「羅生門」のサウンドトラックが流れる)

 原作の『羅生門』は、飢餓と疫病で荒廃した平安京が舞台。盗賊の住処となった羅生門の楼内には捨て場のない死骸が投げ込まれていた。そこに、奉公先を解雇された下人がやってくる。彼は楼で女の死骸の頭から髪の毛を抜く老婆を見つける。−中略−下人はその老婆から着衣を奪い取り、羅生門を去る。(77〜78頁)

子沢山の木樵(きこり)と、世の中をすっかり絶望しきった僧が羅生門で雨宿りをする。
そこにズバリ、藪の中の話を三人でするという。
「彼はこう言ってた」「彼はこう言ってた」というのを三人で絶望を語り合う。
まだ戦争に負けてまだ四年か五年ぐらい。
もう世の中は暗い話ばかり。
人殺しだとか子供は捨てるとか米兵が婦女子を暴行する。
暴行されても誰も助けない。
そんな殺伐たる戦後。
殺伐たる作品「羅生門」。
荒れ果てた日本。
「これ行こう!」
ここからが大事なことで、ここからが春日太一という人が立派な方で、これはいろいろ調べた。
橋本先生は「私が考えた」と言う。
「『藪の中』と『羅生門』をくっ付けよう」
黒澤は「あれは私が考えた」。
共同脚本をやると必ずこれが出て来る。
スフィンクスみたいに下半身ライオン、頭は人間みたいな感じでいわゆる共同脚本というのは二匹のケモノが一匹になっているワケで「どっちが考えた」なんてわからない。
春日さんは非常にクールな方で、どっちがこれをくっつけようと言って見事くっつけたのかは、結果的には

『藪の中』の映画化をめぐる顛末もまた、「藪の中」を地でいく話だったのだ。(79頁)

これで「羅生門」の中に「藪の中」が入るという、「藪の中」の額縁が「羅生門」という全く新しい映画の手法を橋本は脚本として考える。
撮影はというと黒澤が抜群のアイディア。
三船敏郎が「暑い暑い!全く」と言ってパッと空を見上げると(映画のカット割りに)太陽が入る。
映画の世界で太陽を撮ったのは黒澤が初めて。
あのカット。
それで暑さを表現する。
それで今でも砂漠を歩いて水が切れてハーッと空を見上げるとカッと一発だけ太陽を入れるというのはその「羅生門」から始まる。
しかも「羅生門」はアメリカでバカ当たりをする。
さあ、いよいよ始まった橋本忍の脚本の修行の旅。

羅生門 デジタル完全版







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