脚本家・橋本忍を語っている。
「鬼の筆」という春日太一さんの著作。
今、語っているのはデビュー。
何せ橋本忍はデビューが凄い。
「羅生門」
あれの台本を27(歳)の若さで書けた。
洛中の入り口である荒れ果てた羅生門。
流れて来る音楽
皆さん、ボレロ。
(ここで本放送では「羅生門」のサウンドトラックが流れる)
この羅生門は始まる。
その羅生門に三人の人物が雨宿りしている。
死体から衣服を剥ぎ取る盗人、薪を売る木樵、そして旅の僧。
その三人が武士と盗賊と美しい貴族の妻の三人の間で起こった殺人事件の真相を語り合う。
しかし事の真相は藪の中。
人間の心の中などはわかるものではない。
そう人間への不信を、戦後の日本は戦争に負けて四年か五年の日本だから「それを三人が語り合うということで終わろうかな」と思ったのだが、共同脚本で黒澤か橋本どちらかが「やっぱり希望も語りましょう」ということになったらしい。
これは真相が全然わからない。
とにかくどちらかが思いついた。
羅生門には赤ん坊が捨てられており、下人はその赤ん坊から着物を奪い取ると去っていく。肌着だけになった赤ん坊に木樵が手をのばす。−中略−木樵は「俺には子供が六人いる。六人育てるのも七人育てるのも同じだ」として、赤ん坊を抱いて去っていく(81頁)
真っ暗闇の人間の世界なのだが、そこに「善意の小さな明りはあるんだ」ということを最後のメッセージにするという。
いいオチ。
それでお二人のお書きになった後のエッセーを読むと両方とも「私が考えた」とおっしゃっているという。
真相は「藪の中」という。
二人ともそのことでケンカすることはなかった。
何でか?
この「羅生門」の評判が凄かった。
ヨーロッパに出品したら、戦争に負けて5年。
『羅生門』はヴェネチア国際映画祭でグランプリを受賞した。−中略−この受賞により黒澤明は「世界のクロサワ」と称されるようになる。(86頁)
ご本人も「俺は世界のクロサワかも知んない」とかと・・・
でもこの人のこの思い上がりというか熱くなるところが作品にマイナスしない。
外国で平安の時代劇が受けた。
「よし、勝負しよう。戦後の日本に主人公持ってこよう」
「橋本!」
呼びつけられた。
黒澤から提案があった。
「次の映画はな、もう来年取り掛かるぞ」
黒澤からの指示は、以下の三点だった。−中略−
・あと七十五日しか生きられない男
・男の職業はなんでもいいが、ヤクザは駄目
・ペラ二枚か三枚で簡単なストーリーだけを書く(97頁)
黒澤は「羅生門」でウケたヒューマンな映画、それを現代の日本に置き直して描きたかった。
頭の中にあった。
文学青年の三十代の黒澤はロシアのトルストイに憧れていた。
トルストイの『イワン・イリッチの死』をやるから(96頁)
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貴族で高級官僚の男が何か月かのうちに死んでしまうという業病を背負って一生を振り返るという。
これを意識した。
だから設定としては70日しか生きられない男、高級官僚の男がしみじみ人生を振り返って「俺の人生は何だったんだ」という。
これが面白い。
橋本忍はロシア文学が大嫌い。
橋本は黒澤が持っている文学青年の臭いが嫌い。
「高級官僚が悩む?悩むか?」という。
「俺ぁ結核の病棟で見て来たよ。寿命何年て言われて生きていかなきゃいけない。それは身分の低い兵隊達の苦悩に落とした方がいいんだ。何が高級官僚だよ。いっそのことさ、市役所の地味な仕事してるジジイがいいよ。主人公は」
そこで考えた。
70日しか生きられない男。
それが「胃癌だ」ということが病院での立ち聞きでわかるという。
そしてあてにしている一人息子、一生懸命育てた息子にも言おうと思うのだが、父親の話を聞いてくれないという孤独の中で「一体私は何の為に生きてきたんだ」。
「生きる」そのことを真剣に考え始めるという。
さあ、ここから台本作りが始まったが、これが壮絶なケンカで。
何でケンカになったか?
もう一人脚本家が入る。
黒澤は世界的評価を狙っていた。
(脚本家が)三人になってしまう。
だからケンカが凄い。
その凄いケンカがいかなるケンカか。
というワケで70日しか生きられない男の物語が始まる。
ロシア文学の影響を受けている黒澤はトルストイの短編をベースにしているのだが、相対したのは橋本忍で「そんな気取ったものを描いてどうすんだ」という。
それで黒澤がもう一人脚本家を呼んだ。
この黒澤という人は凄い。
だから「世界のクロサワ」なのだが。
「橋本もそうだし自分もそうだけれども、つい物語の流れに流されてしまう。監督の私は画面に惚れてストーリーをゆがめる可能性がある。国際的評価を得られるような映画を作る為にはそれに真理がちゃんと語れる才能が必要だ」というのでもう一人、小國(英雄)を入れる。
三人での共同脚本なのだが、何と一日に七時間書く。
橋本と黒澤がストーリーを練る。
夕方、小國はやってくる。
それで矛盾点を突く。
最初の設定が70日しか生きられない男で、生きがいを見つけて一生懸命打ち込む。
だが、生きがいを達成した後、死んでしまう。
葬式で終わってしまう。
「後はどうすんだ?」
黒澤曰く「いや、それは息子がさ、日記を見るんだよ。日記を」。
日記に「癌だった」というのが書いてある。
三分の二で主人公が死んでしまう映画の三分の一。
小國は「どうやって主人公の心中を描けばいいんだ」と言う。
小國の指摘を受けた黒澤は「憤怒で真っ赤」になり、これまで書かれた原稿用紙をびりびりに引き裂いてしまったのだ。(107頁)
ここがまた偉い。
引き破った後、橋本の肩を叩いて「初めっからやり直しだ」。
大変。
人から否定されるというのも頭にくる。
しょうもない映画しか作っていないが。
でもわかる。
この我慢強さがあるか無いか。
そこでまた橋本。
物語がある。
それを別の物語の中にはめ込む。
同じ手を使う。
男は癌で死んでしまう。
最後はブランコに揺られながら雪の日に死ぬ。
死んだ後、葬式が始まる。
あれが額縁。
そして男の回想シーンが始まる。
回想で男の心理を解き明かしていくという。
一本の映画で主人公が途中で死ぬ。
それでもう映画は完了してしまう。
日記で息子がその日記を知って読むとか、遺書で死の真相を知る。
そんな陳腐な結末なんかダメなんだ。
それで書き直してやったのが映画の途中で「主人公は死んでいる」ということを前提に、その主人公の心の内をみんなで語り合ううちに「男が命をかけてあの小さな小さな公園を作った」という、あの葬式の名場面。
今でこそ、そういう構成はあるが当時はそんなものはなかったと思う水谷譲。
黒澤は凄く用心深くて「回想は危険だ」と知っている。
映画は縦に時間が流れていく。
それが「昔に戻りました」というのは絶対説明になるから。
それを橋本がブチ破る。
「絶対いける」と。
「羅生門」と同じ。
物語を物語で包む。
ラスト、事の真相がわかる。
それは夜回りのお巡りさんが目撃したシーンで志村(喬)の名演技。
雪が降る中歌う。
いのち短し(「ゴンドラの唄」)
(本放送ではここで「ゴンドラの唄」が流れる)
渡辺を演じる志村さんのセリフが聞き取りにくい。
「(かすれた声で)私は、そんなつもりで言ったんじゃないんです。ただ・・・」
あれは病院の先生から聞いた話。
胃癌をやられてしまうと、声帯がいきなり弱くなるので。
あの人は、それでガリガリに痩せている。
黒澤から「太り過ぎだよ」と言われて。
飯を喰わなくて。
それで一番最後は晴れやかな表情でブランコに揺られて。
これが大評判。
「生きる」は傑作。
もう見事。
もう本当に工夫している。
男が「何で君はそんなに生き生きしてるんだ」。
喫茶店で話す。
そうしたら小田切みきの若い女が「何か生きがいのあること探してご覧よ、課長さんも」と言って。
志村が歩き出す。
階段を降りてゆく。
そうしたら反対側の喫茶店に若い娘がバースデーケーキを抱えながら「ハッピバースデートゥーユー♪」で昇っていく。
降りる男と昇る若者達。
「生きる」
語っていても志村喬さんの名演技が見えてきて
一番最後、白黒映画だが夕焼けの中を小さな公園を渡辺を思い出した部下が見下ろしているという、あそこはいい。
黒澤の映画というのは、もの凄い情報量だし、もの凄い熱演を蓄えているので、一度や二度で通過できない。
それぐらい凄い作品。
癌進行の志村が演じた演技のリアルさ。
実存主義。
「人間は何に命を使うか」ということを求め続けるサルトルが言った言葉なのだが、そんなのはもう黒澤が「生きる」の中で描いている。
小さな町の公園を作る為に彼は進行癌でありつつも、遂に成し遂げるという人間の尊厳。
それは「誰も見てなかったけど確かにあった話です」という。
これはもう世界的に大評判なのだが、黒澤さんにとっては外国での評判が今一つだったのだろう
武田先生はそう思う。
黒澤さんはウケた理由はわかっている。
志村に命じたあのリアルな演技。
リアルに人間を描き出す。
リアルが根本じゃないと。
それと頭をかすめるのが「羅生門」の成功。
やはり時代劇の恰好をすると「サムライ!サムライ」と言いながら外国人が見る。
「侍、バッと出すか」
それで「橋本!橋本!」。
また呼ばれてしまう。
「何でしょう?」
「もう一本作るぞ。来年作るぞ。これから脚本書くからオマエ叩き台だけ作れ」
「どんな物語にしましょうか?」
「『生きる』で受けたから、リアルで行こう、リアルで。例えばさぁ、侍の一日。ある侍が朝起きて、朝飯喰ってお城行って、昔の侍、三時ぐらいに家に帰ってきたらしいから。日のあるうちに。とにかく侍の一日っての調べろ。一番の謎で調べても俺も調べたけどよくわからないのが昼飯なんだよ。侍、あれは昼飯どうしてんだ?侍っていうのは。弁当持って行くのか、家から。それとも出前取るのかなぁ?」
「お城で出前は取らない・・・」
「あっ!そうだ。『侍食堂』とかっていうのはあるのかな?とにかくオマエはさぁ、資料を読むだけ読んで侍の一日、特に昼飯はどうしているかっていうのを調べろ」
これで橋本は調べる。
東宝の文芸部も手伝って国立図書館から何から一生懸命、侍の一日を調べる。
ところが昼飯をどうしてるのかわからない。
だが、東宝の文芸部員の調べでは、時代背景として設定した江戸初期には「侍は一日三食ではなく二食」だったというのだ。三食になったのは文化文政以降だ。つまり、この物語の時点では昼食はとらない。(113頁)
「時代劇作りたくても、それを守らないとリアルさは無くなりますよ。『何年ぐらいの物語です』って言わないと」
グズグズ黒澤が「昼飯、どうしてるのかな」とまだ言うものだから橋本青年は怒ってしまう。
「我が国には事件の歴史はある。しかし、生活の歴史はないんです!」(115頁)
実は橋本の中にムラムラするものがあって、それは「この人はどこまでも文学で人間を考えてる。日本人が好きなのは講談だよ」
時に元禄十五年十二月十四日、
江戸の夜風をふるわせて響くは山鹿流儀の陣太鼓、
しかも一打ち二打ち三流れ、思わずハッと立ち上がり、
耳を澄ませて太鼓を数え「おう、正しく赤穂浪士の討ち入りじゃ」(三波春夫「俵星玄蕃」)
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これを全部覚えた武田先生。
「映画にするんだったら講談の要素がないとダメなんだ」
黒澤さんとは口もきかない。
人間は戦い。
物事を作る。
何日かして昼飯がどうたったかわからないという黒澤が突然「おい、橋本。弁当の話はやめた」。
黒澤は「ところで橋本君……武者修行って、いったいなんだったんだろうね」と問いかける。全国を武者修行の旅に出ていた兵法者たちは、その旅費をいかにして稼いでいたのか──。−中略−「行く先々の道場で手合わせをすれば、晩飯を食べさせてくれるし、出立する際には乾飯を一握りくれる。−中略−道場も寺もなければ、百姓が夜盗の番として雇ってくれる」ということが分かった。
百姓が侍を雇う──。その視点に黒澤も橋本も興味を示し、それが『七人の侍』に繋がっていった。(114〜115頁)
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侍というのは武者修行がある。
その武者修行の間、時々は治安の悪い町なんかでは腕を買われてそこでガードしていたとかまた農村部に行くと盗賊なんかがやってくる。
そこでガードマンをしながら侍たちはご飯を食べるという。
それをある小説家から聞いた。
黒澤は「百姓に雇われる」というこの一行が気に入って
橋本「できました。百姓が雇う侍の数は何人にします」
黒澤「三、四人は少なすぎる。五、六人から七、八人……いや、八人は多い、七人、ぐらいだな」
橋本「じゃ、侍は七人ですね」
黒澤「そう、七人の侍だ!」(119頁)
そうすると橋本が設定を考えた。
毎年秋になると盗賊に襲われる山辺の小さな村。
その村の長老が百姓を送り出して「侍を雇ってこい」という。
そして七人侍を雇って盗賊対七人の侍、村人、この三者がぶつかり合うというストーリー。
黒澤はこのストーリーにまたリアルを求めた。
よくできている。
これは(武田先生が)昔、台本を書いている時に映画の関係者の方がいっぱいいて教えてくれたのだが、これはまた小國も入れて書くのだが、それぞれ三人別の部屋に旅館をとって、別の部屋で書く。
その時に決める。
「今日、オマエ侍な」
「じゃ、今日俺百姓側書くわ」
橋本が「じゃあ、私野伏せり、盗賊書きます」。
それでざっとの打ち合わせで村の絵図面を広げておいて「野武士がこことここにいて、七人の侍はここ。合戦の開始が七時としてどう守る?」。
それで三人部屋に分かれてそれで台本を書いて夕方合わせる。
(合わなかったら)またやる。
「やり直そう」というヤツ。
凄い。
この話はよく聞いた。
「俺達はこう攻める」というと、七人の侍と百姓は「じゃあ俺達はこことここを防いでこっちの道から入れよう」とかと。
そうやって台本を作るのは楽しいだろう。
上手くいかないと映像が見えてこないが、上手くいった時に映像が見えてくる。
その映像の作り方の中にも橋本さんも同じことを言っているのだが、シナリオに三つの書き方がある。
「指で書く」「手で書く」三番目が「腕で書く」。
こだわる瞬間と、流れを気にする手の時間と、「力で押していけ」という、そういう物語全体に向かってタクトを振る瞬間。
もういっぱいエピソードがあるのだが、そのへんは飛ばす。
何とこのシナリオ、何か月かかったか?
『七人の侍』のシナリオの執筆は計八カ月を要した。(122頁)
八か月間旅館に泊まっていた。
そしてこの後、撮影に一年。
完成作品の総上映時間は約三時間半。(122頁)
年始めに撮影に入り、秋公開だった。
できるワケがない。
それで公開が延期になったという。
時間もあったしお金もあったと思う水谷譲。
ここもまた戦い。
黒澤がやっている「七人の侍」はさっぱりできてこない。
「公開だ」というのに「できてません」とそれしかない。
東宝の社長さんは頭にきて「じゃやめろ、もう撮影は。カネばっかり喰いやがって。一体いくらかかってんだ?撮影中止。黒澤来い」。
試写室に呼びつけられた。
「出来てるところまで見せろ」
黒澤が粗編で粗く繋いで、できているところまで見せた。
これはもう間違いないと思うのだが、映画に詳しい方から聞いた話。
志村喬が「決戦は明日だ」。
三船敏郎がヒヤーと飛び上がって「きたきたきたきた!来やがった!」とバーッと指さすので、そこから真っ白になってザーッと白い・・・
「黒澤、この先は!?」
「これからなんですよ」
コントみたいだと思う水谷譲。
昔の人は命懸け。
それで社長は立ち上がって「撮影続けろ!」。
いい話ばっかり。
これはこぼれ話であった。
シナリオが出来上がるのに八か月かかった。
その時に三人で乾杯をやっている。
橋本も「やっと完成しましたね!おうちに帰れるわ」と言ったら黒澤が寂しそうに「俺はこれからこれを撮影するんだよ」と言った。
大変。
大脚本家である橋本忍さん。
その方の作品を辿っている。
初期作品で昭和20年代、三本の傑作をこの方はシナリオを書いておられる。
「羅生門」「生きる」そして「七人の侍」。
七人のキャラクターがある。
男はどれか一つやりたい。
7パターンの侍のうち一つ憧れる役がある。
(武田先生が憧れるのは)志村さん(島田勘兵衛)。
野武せりが襲ってくる。
そうするとちょっと今の国際情勢に似ているが、川向うと川のこっち側があって、川向うの三軒というのが、本体の方の村がある人達と折り合いが悪くなって。
何故かというと侍がその川を掘り代わりに使って野武せりを防ぐという。
そうすると三軒は捨てるということが決定するワケで、怒って去っていく。
「守ってもらえ無ぇのに竹槍持たされて戦うことは無ぇ。川向うの者はこれじゃあグルだ!」と行って竹槍を捨てて去ってゆこうとすると志村が抜刀する。
腰低く走って早坂(文雄)のトランペットをパンパンパパ〜ン♪パンパンパ〜ン♪パパパ〜ン♪
(ここで本放送では「七人の侍」のサウンドトラックが流れる)
「列に戻れ!三軒を守る為に50軒を焼くワケにはいかん。戦とはそういうものだ」
もうたまらない。
もう好きだった。
あの志村の役を坂本龍馬でやりたかった武田先生。
七人の侍のような「龍馬伝」を作りたかった。
長州の奇兵隊という百姓上がりの侍達を坂本が率いて闘うという。
その時に志村けん(志村喬の誤りか)のような芝居を
「七人の侍」七人いるが(好みが)各国によって違う。
志村喬の侍大将。
あれはイギリスで一番ウケる。
それから剣術の強いヤツ、最初に決闘か何かやって「おう、残念。相打ちだったな」「いや、お主の負けだ」。
あの侍。
あれはフランスで(ウケる)。
それで三船敏郎さん(菊千代)はアメリカでめっちゃウケるという。
各国によって侍の・・・
加東(大介)さんの役(七郎次)もいいし・・・
千秋実さんのあのとぼけた侍(林田平八)もいい。
あの旗を作るヤツ。
セリフがいい。
「何を作ってるんだい、オメぇ」「旗だよ旗。戦の最中はなぁ気が塞ぐでな。何か翻るものが欲しい」
何回見たか忘れるぐらい何回も見ている武田先生。
というワケで、この「七人の侍」はもうご存じの方も多いのだが、追伸で伝えておく。
これがハリウッドに渡って「荒野の七人」になる。
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西部劇の傑作と言われている「荒野の七人」はこの「七人の侍」のガンマン版。
おかしい話が残っていて、七人の侍に感動したハリウッドのプロデューサーがユル・ブリンナー以下、スティーブ・マックイーンを呼んで、それで「七人の侍」を見せる。
ユル・ブリンナーなんかカーッと燃えてスティーブ・マックイーンだけ何か怪訝そうな顔をしている。
プロデューサーが「この『七人の侍』を西部劇にするぞ」と言ったらスティーブ・マックイーンが「俺、ちょんまげは嫌だな」と言った。
これは何か笑い話であった。
それにしても脚本作りに八か月、宿に泊まり込んでの執筆。
橋本はこの間、僅か三年、四年の間に鍛え上げられる。
ドラマを作る為の脚本とは大変な作業で、映画でもテレビでも人と人、ドラマを作る為に連動する。
連動するとは、チームワークよろしく製作者、原作者、脚本、監督、役者、これが一本に揃って撮影作業をやる。
そんなものではない。
各現場でケンカ。
だから「七人の侍」も現場は相当揉めたようだ。
「ズビズバー♪」のお百姓さんがいた。
左卜全さんはずっと黒澤さんの悪口を言い続けた。
「何だ。人に何させるんだ。『走れ無ぇ』ってるじゃ無ぇか」
だから皆さんもお分かりだろうと思うが、どんなドラマも対立・葛藤が生じる。
それでもその一本の糸が切れないところに物語作りの躍動がある。
「天才的な誰かがいて一本が完成」なんて無い。
戦後最大の脚本家、橋本忍にして激しく黒澤明と対立している。
この人は何を面白いと思ったかというと最初に話した。
お父さんが旅の一座を呼んで芝居をやらせる。
大衆演劇が持っている大衆性こそが日本人の感動を揺さぶるエキスを持ってるんだ。
まだ(映画を)三本しか語っていない。
この人はヒットした作品だけであと20本ぐらいある。
これは前編ということで後編、外堀が冷めましたらお送りしたいと思う。