(一冊の本を二週ずつ二回に分けて取り上げていて、どちらも「鬼の筆」というタイトルだったので、一回目を「鬼の筆〈前〉」二回目を「鬼の筆〈後〉」としておく)
(番組の冒頭はQloveR(クローバー)の宣伝)
まな板の上、「鬼の筆」が乗っている。
丁度一か月前ぐらいだが「鬼の筆」橋本忍伝ということでお送りした。
![]() |

(今回もいつも以上に番組内で本の内容と大幅に違うことを言っているが、個別に指摘しないことにする)
(この本は「橋本へのインタビューによる証言と、創作ノートからの引用箇所は全て太字」ということなので、引用箇所も同様に表記する)
春日太一さんの大著。
本当に面白かった。
取れ高が余りにも素晴らしいもので後編に行くのだが、後編でもこの一冊を全部お話しできない。
珍しくこんな弱音を吐くが、後は読んでください。
何となくこの本を読んで思ったのだが、春日さんにも申し訳なくて。
武田先生の場合は(著書の)ネタばらしをやってしまうワケだがから。
とにかくこの本、「鬼の筆」を店頭で取ったのはもう数か月前のことで、読み出した理由はというと漫画原作の方とテレビ脚本家の方がテレビドラマを作るにあたって脚本をいじりすぎるとか、原作者の思う通りに行かないということで漫画原作者とテレビ制作者の揉め合いみたいなのがあったもので。
![]() |

武田先生も先生もので結構変えている。
ワリとよく変えてしまうタイプだと思う水谷譲。
(水谷譲の評価に対して)「うるせぇ」と言ってはいけないのだが。
それは脚本家としては原作者としてはお怒りの(方が)いらっしゃったのではないか。
「白夜行」とかあのへんも・・・
![]() |

「白夜行」では親鸞の「歎異抄」をつぶやく。
あんなのは脚本に一行もない。
「ここ俺こうやるから」と高圧的に出ないと。
監督さんは横を向いて「あ・・・はい・・・」と言いながら目を合わせようとしないという。
山田(孝之)君は寄ってこないし、綾瀬(はるか)も来ないし、監督も知らん顔をしているから。
でもドラマ自体がそういう設定。
向こうは犯罪を犯して逃げていく犯人で(刑事役の)武田先生が追いかけるから。
でも高く評価してくださった。
お世辞ではなく本当にドラマは面白かったと思う水谷譲。
(原作者の)東野圭吾さんには打ち上げの時にちゃんと詫びた。
![]() |

(原作では)武田先生は中途で殺されている刑事。
それをずっと生かした。
そこがもう(原作との)決定的な違い。
前のあの時も言ったが、漫画をドラマ化する場合は漫画そのものがもう視覚情報になっているので、ドラマ化した場合、ドラマと余りにも違うとファンの方は怒る。
文字で書かれた原作の場合は、映像化する為に工夫しないと原作をそのままできない。
これはちょっと武田先生が言うのは不適当かも知れないが、そのあたり、橋本忍というこの巨大な脚本家は原作を変える変える。
橋本忍という脚本家としてのスタートは、映画監督の中に黒澤明さんという天才的な方がいる。
この方から共同脚本を申し入れられて「羅生門」「生きる」「七人の侍」、戦後邦画の最高傑作を三本渡り歩いている。
本当のことを言うと、もう一本だけでも凄い。
黒澤明という天才的な監督さんとくっついてそのままずっと・・・という生き方もできるのだが、橋本さんの大胆不敵なところは「俺は台本工夫してもトロフィーみんな黒澤さんが持っていくな」ということに気付く。
単独で自分の作品で自分の存在みたいなものを世の中に訴えたい。
この人は大胆不敵な方。
そして橋本忍という人は文学が嫌い。
この人は何が好きかというと大衆演劇が好き。
村芝居が。
それで戦後日本の映像芸術に乗り出していくワケだが。
ちょっと言葉が悪くてごめんなさい。
非常に下世話。
だけど下世話というのはパワー。
この人は「羅生門」「生きる」「七人の侍」を作った後、自分で企画に乗り出す。
橋本忍氏が手掛けた作品のスタート「私は貝になりたい」。
この人は映画を作りたかったのだが、映画になっていない。
(1959年にフランキー堺主演で映画化されていると、12月30日の番組内で訂正)
この「私は貝になりたい」を映画にしたのはTBS・福澤克雄氏の手により中居正広君主演で映画化した。
映画の為に作った脚本をなぜ映画にしないで、今頃になってSMAPの中居さんが演じているんだろう?という謎。
昨日の謎だが、スタジオでもグシャグシャな話になって。
「『私は貝になりたい』ってあれは中居正広主演のテレビでしょ」
「いや、違う。それは『砂の器』」
これは解きほぐしてゆくので「え?違うんじゃないの」と思わず、まずは聞いてください。
橋本忍という脚本家は黒澤明の手を離れて一人独歩で生きて行こうと思う。
あれほどの名作を残したけれども「何だ。栄光は全部黒澤にいっちゃうんじゃ無ぇか。俺の苦労は何だ」。
そういう大胆不敵な方。
実は、『私は貝になりたい』には原型となる脚本があった−中略−
戦時中に書いた脚本の題名は、『三郎床』という。(157頁)
「三郎床」を書いて伊丹万作先生に賞められた。実に人のいゝ散髪屋が応召して戦死する話である。十数年来、常にこれを何らかの形で発表したいと念願にしていた。(161頁)
ある記事と出会う。それは、『週刊朝日』の五八年八月十七日号の終戦記念特集に掲載されていた記事だった。そこには、処刑された戦犯の遺書として、次のような文章が掲載されていた。
「どうしても生まれかわらねばならないのなら、私は貝になりたいと思います」−中略−
これを読んで、橋本は閃く。この処刑された戦犯と、床屋の三郎を繋げれば、一つの物語になるのではないか──と。(161頁)
それは田舎の小さな三郎という名の床屋さん、或いは床屋の経営者が、戦争に駆り出されて、ただ隊長から命令されて米軍捕虜を殺したのに、戦後絞死刑になるという。
それで脚本を書く。
「三郎床」と「私は貝になりたい」のその遺書をくっつけて。
それで映画化の話がトントン進む。
ところがここで大きなミスが。
『私は貝になりたい』には「原作者」がいた。それが加藤哲太郎だ。(163頁)
「八月終戦号の『週刊朝日』でね、ある戦犯の手記として書かれていたんだ。−中略−『週刊朝日』が出典を明記してないから、わからなかったんだ。だから、本当にそういう戦犯の人がいたと思った。ところが後になって、それを実際に書いた人が出て来たということなんだよね」(164〜165頁)
これが事実のB級戦犯のつぶやきだったらば脚本のセリフはOK。
ところがこれが「作ったものを取って作った」となると盗作になる。
この「B級戦犯の遺書」というのは加藤哲太郎という方の体験を踏まえた創作作品で小説の中の文章。
それを橋本忍はニュースのネタだと思ったのだが、週刊朝日も悪くて。
ごめんなさいね、週刊朝日の方。
たしかにその記事には出典の明示はなく、記者が「加藤の創作」ではなく「本当の戦犯の遺書」だと勘違いして記事にしてしまったとある。(165頁)
「こんな悲しいセリフがあった」みたいなことを書いたものだから。
加藤は−中略−「狂える戦犯死刑囚」を執筆、それが−中略−『あれから七年──学徒戦犯の獄中からの手紙』に収録された。その「狂える〜」には、次のような文章が記されている。
「どうしても生まれかわらねばならないのなら、私は貝になりたいと思います。(163〜164頁)
そうつぶやいた人は、はっきり言えば世の中にいない。
そんな人はいなかった。
それを事実として拾った橋本は盗作で作者の加藤さんに訴えられる。
「知らなかった」では済まされないということ。
それでもう土下座せんばかりに詫びを入れて
以降は、『私は貝になりたい』の「題名・遺書」として加藤の名前がクレジットされることになった。(166頁)
それで汚名をそそぐ為にもいい脚本にしたのだが映画会社が「ミソ付けちゃったからぁ〜。裁判で揉めたヤツを映画にするのはぁ〜先生、難しいっスよ」ということになった。
そうしたら東京のテレビ局が「テレビでやりましょうよ。カネ出しますよ、ウチ」という。
これも橋本さんの知恵だろう。
それで主役を細やかなリズミカルな演技で有名な元ドラマーの俳優・フランキー堺に頼む。
![]() |

それでフランキーに命じられたのは「手錠で縛られて演技しろ」。
その時に動きを封じられたフランキーさんが実に深い心情芝居をやる。
これはもう皆さんもご存じだと思うがTBSテレビのドラマ史上、テレビドラマ史上を歴史に残る傑作となったという。
この話をずっと後まで引っ張っていくと橋本さんの胸の疼きの中に「映画化したかったなぁ」という。
そうしたらそこに2mもあるような福澤さんというTBSの社員さん、ディレクターさんがやってきて「中居正広君でドラマ化したい」という。
それが映画化になったという。
![]() |

その時は新しいメディアだから、テレビはやっぱり凄かった。
ドァ〜ッと流れ込むように橋本忍のところに脚本の依頼が集中するという。
今日の橋本作品は1960年代、今井正監督による「真昼の暗黒」という東映作品に乗り出す。
![]() |

これは武田先生も見たことがない。
ただこれは、本当に春日太一さんの本を読んでいて面白かった。
一九五一年に山口県で実際に起きた強盗殺人事件を題材にした裁判劇だ。−中略−四名は無実を訴えるも、高裁で有罪判決を受けてしまう。映画は最高裁の公判の最中に製作された。
そして驚くことに、まだ最高裁の係争中であるにもかかわらず、本作の製作陣は四人を「冤罪」と断定して描いているのだ。−中略−
身に覚えのない罪状により逮捕され、警察や検察の立証の甘さを弁護士が突くも裁判官に採用されない──。そうした中で苦しむ容疑者やその家族の悲劇が、法廷ドラマとしてのミステリー性を交えて描かれた。(129〜130頁)
これは橋本さんというのはそのへんは凄く大胆。
これはもう、今で言うところの「昭和の人」。
「昭和の常識・令和の非常識」と言われる、そのパターン。
今井正はそれで描いていく。
民間人が無実の罪に落とされて、どのくらい苦しんでいるかというのを。
これは裁判は係争中なのだが、映画は「無罪に間違いない」ということで封切ってしまう。
そのため最高裁や映倫から製作中止の圧力がかかり、公開前から大きな話題を呼んだ。(130頁)
『真昼の暗黒』『私は貝になりたい』と、橋本は司法や国家権力の横暴を暴く作品で名を馳せた。
そのため、左翼的なイデオロギーの持ち主、あるいは共産党系──と思われがちだ。(172頁)
それはちょっと共産党の方に悪いが、この当時の60年代の言い方。
共産主義を酷く日本が嫌っていて、宗教団体が「共産主義は間違っている」なんていうのをしきりに街角で喧伝していた時代。
「橋本は社会正義の為にこういう裁判告発ものを作ったんだ」「今井もそうだが橋本も共産主義者」という。
『真昼の暗黒』に臨んだスタンスについて改めて尋ねた際、橋本から発せられたのは、あまりに思わぬ言葉だった。−中略−
「国の裁判制度を批判しようとか、そんなことを狙って書いたものじゃないんだ。(146頁)
橋本は何を狙ったか?
「泣ける」
それを踏まえると、ラストシーンの見え方も変わってくる。高裁でも有罪判決が出て、容疑者の一人・植村を母・つなが拘置所に訪ねる場面だ。
面会室で言葉もなく、ただ涙を流しながら向き合う母子。そして、母は去る。その背中に向かって、植村は叫ぶ。
「おっかさん! おっかさん!」
「おっかさん、まだ最高裁判所があるんだ! まだ最高裁判所があるんだ!」
必死にそう叫ぶ植村を看守たちが押さえつけながら、映画は終盤を迎える。(149頁)
これはもう裁判所とか警察の大反感を買う。
過去の出来事を解釈を変えて今の映画やドラマにするというのだったらわかるが当時、起こっていた出来事を平行して(映画化するのは)凄いことだと思う水谷譲。
それで橋本がはっきり言っているのは「社会正義なんかじゃ無ぇ。泣けるからいいんだ」。
橋本は断固として言う。
「泣けないと映画なんか見に来るヤツは居無ぇぞ」
冤罪事件を泣けるエンターテインメントとしてとらえているということ。
物語というのは、彼にとってはそういうもの。
橋本は何よりも「何が当たるか」を考える。
この「真昼の暗黒」をシナリオで書いた時代はというと大栄映画が当たっていた。
母もの映画とは、大映が三益愛子を主演に作った「母」がタイトルにつく一連の映画を指す。−中略−「お涙頂戴もの」として人気を博していた。
橋本は、『真昼の暗黒』でそれを狙ったというのだ。(148頁)
『今度の『裁判官』というのは、無実の罪になってる人が四人いるんだ。それにみんな母親や恋人がいる。つまり、四倍泣けます、母もの映画だ』と言ったら、ワーッと飛び上がって、『すぐやれ!』ってことになったわけ。(148頁)
裁判の結果がどうなったかが一行も書いていない。
でも橋本忍はそういう人。
それはそれで見事な生き方。
人間は案外他人の不幸を一番喜ぶものである」(182頁)
認めましょう。
スキャンダルはお金になる。
そのことは絶対。
売り上げが伸びるのだから。
映画が興行的に当たるか、外れるか。内容的に名作となるか、駄作となるか──。その見通しが立たないスリリングさに身を投じることに、橋本はギャンブル的な刺激を求めていた。(302頁)
当たる作品に敏感だったらば当たらない作品にも敏感。
試写室で作品を見て小さい声で「これダメだ」「外れた」とつぶやくような。
その代表作が1967年に公開された「日本のいちばん長い日」。
![]() |

映画以上にこの方自体が面白い。
(映画の内容は)昭和最大の不幸。
日本がポツダム宣言を受諾してから玉音放送が流れるまでの、一九四五年八月十四日と十五日の内閣や軍部の動きを追った作品である。(189頁)
徹底したリアリズムで、暗い映画。
記録映画という感じ。
『日本のいちばん長い日』を僕のところに持って来たのは東宝の田中友幸プロデューサー。(192頁)
この人は何で名を馳せたかというと、東宝の栄光に寄与している人だがゴジラの発案者。
田中友幸さんが考えた。
黒澤さんが東宝の撮影所のセットを全部使ってしまうものだから、空いていた一個だけを使ってゴジラを・・・
「日本のいちばん長い日」の監督はというとアクションものが得意な岡本喜八監督。
出演は三船敏郎さん等。
東宝としてはオールスターの配役で準備して、敗戦処理に向けての戦いを描くサスペンスタッチ。
まさに日本人の不幸を若い世代に伝える為の映画であったという。
しかしオールラッシュで出来上がりを見て橋本忍さんが思ったことはたった一つ「暗い」。
もっと泣き場が欲しかったのに泣かない。
一種の「狂気ののたうち」みたいな。
しかも各俳優張り切り過ぎ。
黒沢年男さんも凄い。
狂気の青年将校。
「日本が負けるワケない!」とか何か言う。
それからもの凄く立派にやってしまった三船さんの陸軍大将の割腹シーン。
あそこなんかもセンチにやって悲し気にやってくれればいいのだが、三船さんは凄い。
昭和天皇からいただいたワイシャツ。
それをはだけて「一死、大罪を謝す」と言いながら、侍。
それでお腹を切っていく。
見事な最期だと思う水谷譲。
後ろから若いのが「介錯を介錯を」。
「まだまだ!まだまだ!」と言う。
それが涙を誘わない。
水谷譲が言う通りカッコいい。
そんなふうに橋本さんもシナリオに書いているのだが、涙を誘うと思ったところで全然涙が出てこない。
それで思わずつぶやいた反省が「やり過ぎた」。
『こういう映画は当たり外れがあって、外れるかもしれないけれども、国民の一人としてこういう戦争意識とか何とか持たなきゃいけないから、作るのに意義があるから──』とか何とか、もう外れたときの言い訳というのがちゃんとできている。上から下まで、全部外れると思っているんだ。僕も外れると思っていたんだけれども。(197頁)
「公開日はズバリ8月15日敗戦の日にしてください」そういうことで橋本さんの心中のつぶやきを知らないものだからどんどんやっていって。
宣伝会議に橋本忍もいて、腹の中では「外れた、外れた」と思っているのだが
八月十五日の封切の始まる二、三日前──宣伝部の林というのが担当だったんだけど──その林が、『橋本さんね、ちょっとおかしい』と言うんだ。『『いちばん長い日』だけど、あれ入るんじゃないか』って言い出したの。−中略−僕は『ええ? そうかな──』と疑っていたんだけれど、−中略−営業が言うには『東映のファンが来ました』と。『なんでわかるんだ』と聞いたら、『何十%かゲタ履きのお客だった』という。当時の東映はヤクザ映画をやっていたから、そういう客ばかりだったんだよ。(198頁)
東映の任侠ものと勘違いをして。
任侠ものの悲劇「総長の首」とか「○○組三代目」とか「親分さんがそこまでおっしゃるんだったら・・・」とかとそれの勢いで(「日本のいちばん長い日」に客が)来ているんだという。
一種のアウトロー映画、そのヤクザ映画で8月15日の軍人さんを見るという目で見るとこれはなかなか面白い作品で、ヤクザ映画のある組織の壊滅ストーリ。
それを楽しみにみんな見に来ているみたいで「東映のお客、喰ってますぜ」という話。
この林部長が武田先生にとっては懐かしい方。
この後、林さんもずっと偉くなってしまうのだが「刑事物語」の宣伝をやってくれた方。
![]() |

「無茶苦茶で面白いですよ。あの映画は」と言いながら。
いいおじいちゃんで、ゴルフをやる時は必ず日本酒を呑んでいるから、なかなかボールに当たらない。
武田先生はこの本を読みながら「林さん!」と声を上げて本の中に向かって呼んだ。
この人が大好き。
昨日は個人的な出来事も込みで懐かしい林部長の話なんかを交えてお送りした橋本忍伝だが、この「日本のいちばん長い日」の成功によって田中友幸さんは橋本忍をめっちゃ買う。
一種、組織が壊滅していく物語。
「その最大のものを作ってくれ」と言って、これは六年後、70年代に入ってすぐだが1972年に頼んだ作品が「日本沈没」。
これは面白い。
これも大ヒット。
この春日さんの調べ方が細かいので、山ほどネタがある。
戦後最も文芸界で映画になった小説家。
この人が一番多い方。
サスペンスと言えばこの人しかいない。
松本清張。
橋本という脚本家は、はっきり言ってしまうとびっくりするくらい原作を変える癖がある。
やはり令和で仕事をやらずによかった。
昭和だったからよかった。
ある意味で完璧に原作を離れて映画作品として価値を持つという。
そこまで高めないと文章は映像にならないと頑なに信じた方。
橋本さんはこの「鬼の筆」の中でこんなことを春日太一・インタビュアーに語っている。
「原作の中にいい素材があれば、あとは殺して捨ててしまう。血だけ欲しいんだよ。(239頁)
「原作を映像する」とは整形や移植ではない。
血を原作から抜き出して別の作品に輸血してゆく。
それが映画作品なんだ。
「牛が一頭いるんです」−中略−一撃で殺してしまうんです」
「もし、殺し損ねると牛が暴れ出して手がつけられなくなる。一撃で殺さないといけないんです。そして鋭利な刃物で頸動脈を切り、流れ出す血をバケツに受け、それを持って帰り、仕事をするんです。原作の姿や形はどうでもいい、欲しいのは生血だけなんです」(238〜239頁)
清張原作を映画化した六一年の『ゼロの焦点』−中略−が、まさにそうだ。
主人公の偵子はお見合いを経て結婚するが、新婚早々に夫は赴任先の金沢で疾走する。偵子は金沢で夫の行方を追う。そうしているうちに、関係者が次々と殺されていく。(244頁)
![]() |

偵子−中略−は全てを理解した状況で犯人の前に現れる。そして断崖絶壁に真犯人を呼び出すと、これまでの自らの捜査と推理で得た犯人と夫との過去の物語を語っていく。−中略−その模様が回想シーンを通して綴られる。(245頁)
金沢だから断崖絶壁がどこかわかる。
これをやったのがこの「ゼロの焦点」。
偵子は、次々と殺されていく人間達に共通点があるのがわかった。
戦後すぐの米軍基地のある立川で「エミー」と名乗って米兵相手に売春をしていた佐知子−中略−は、過去を隠して金沢で有数の大会社の社長夫人に収まった。そして、過去を隠すために、罪を重ねる。最後には売春仲間だった「サリー」−中略−も手にかける。(248頁)
原作は吊り橋からサリーを突き落とす。
ところが映画はそうしていない。
久子「でもねえ。エミー、お前も可哀想だね」
佐知子「え?」
久子「(しんみり)あたいはよく分かるよ……今までにいろいろ苦労したろうねえ」−中略−
こうした久子の言葉を受け、佐知子は思わぬ行動に出るのだ。−中略−
「サリー! そ、その通りよ!−中略−(ボロボロ涙が流れだす)(249〜250頁)
原作は突き落とすのだが、殺せずにサリーに抱き付いて泣いてしまう。
ここからが凄い。
「あたし自首する」と言い出す。
それで車にサリーを乗せて警察署に向かう。
運転を続ける佐知子。
久子、唄いながらウイスキーの蓋を廻して開ける。運転を続ける佐知子。
久子の唄が途切れる。
「エミー、遠慮なくご馳走になるよ!」
佐知子、ハッと振返える。
途端に「アッ!」と叫んでブレーキを踏む。
キキキ……軋って停る車。
だが、久子、もうウイスキーを呑んで、座席へ横様に倒れている。その凄まじい断末魔の有様。
佐知子、呆然とその有様を見ている。
やがて、久子絶命する──。−中略−
ウイスキー瓶には、これまで何人もの命を奪ってきた毒が盛ってあったのだ。そうとは知らず、久子はそれを呑んでしまった−中略−
この一連の場面では、佐知子が口封じのために久子をすんなり殺せば、それで終わる話だ。(251頁)
橋本忍は「それじゃあつまんない」と言う。
一回善人に戻して結果的には殺すという悲劇。
その悲しみがないとお客は泣かない。
この「ゼロの焦点」はこれでバカ当たり。
それで「これは面白い」と言って松本清張さんの「ゼロの焦点」を読んだ人は「あれ?」。
この後、さんざん橋本さんがやる手段で。