先週は松竹作品の「ゼロの焦点」まで話をした。
「ゼロの焦点」
松本清張さんの原作なのだが、橋本忍はこれを映画化するにあたって、後半の方は全く変えてしまう。
かつて売春をやっていた女性が過去を知っている人間を殺してゆくという。
サリーという元売春婦の仲間だった女性を殺す時は吊り橋から突き落として殺すのだが、これを橋本忍はやめてサリーが佐知子に同情を寄せると佐知子の中から悪で染まっていた心が晴れて泣き出してしまう。
「あんたも苦労したんだねえ。過去を隠す為にどのくらい苦労したか、ホント可哀想だよアンタ。よくわかるよ」と言われると泣き崩れるという。
それで「もう人は殺さない。あたしこれから警察に自首して出る」と言って警察に向かう途中、前の男を殺した毒入りウイスキーを後ろの座席でサリーが飲んでバックミラーで見た瞬間「あっ!」と声を上げて急ブレーキを踏むとサリーはその毒で倒れてしまう。
殺す気は全く無く、ここから善を始めようと思っていたという。
それが善を掴み損ねるというその悲劇。
急停車の車、中から「ウワーッ!」と女の泣き声が聞こえてくる悲劇。
このへんはやはり映画にする時にワクワクする。
やはりワクワクするようなストーリーを作らなければならない。
橋本忍というのは上手いこと言っている。
「小國さんの言うことにはね。シナリオライターというのは指先で書く奴と、手のひら全体で書く奴がいる。でも橋本お前はどちらでもない。腕で書いている。(252頁)
橋本は腕力を使う。その腕力による圧倒的な筆致により登場人物をねじ伏せて意のままに動かし、同時に観客の心をもねじ伏せる。(252頁)
佐知子がサリーを吊り橋から突き落とす。
「簡単だよ印象は。これじゃあ映画にはならない。なぜならば観客は悪に慣れるんだよ。慣れてしまうと悪に退屈する。そうするともう悪なんて描きようはないんだ。だから一端悪から抜け出してもう一度悪に落ちるというところを悲劇にする。これが映画なんだよ」
原作と違う。
ところが松本清張という人はわかっていたのだろう。
橋本忍にどんどん頼んでくる。
これは付け足しておくが、原作はまた、原作ということで売れる。
それは事実。
映画の方はというと、これはロケーションをやったのだが、石川県の東尋坊での犯人を追及する人妻との対決シーンで断崖絶壁で女二人が対決するという。
(追記:7月8日放送分の中で訂正。「東尋坊」ではなく「ヤセの断崖」。「東尋坊」は福井県)
この「断崖絶壁で語り合う」というのがサスペンスの定番になるというワケで、このあたりもやっぱり橋本の知恵。
「断崖絶壁で対決する」という。
清張は橋本や野村を招いて食事会を開いていた。そしてある時、橋本にこう語りかけてきたという。
「橋本さん、−中略−これをぜひ映画にしてください。−中略−
この時の新聞連載こそ、『砂の器』だった。(215頁)
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この時も橋本忍さんは「変えますよ」ということはおっしゃっている。
砂の器も変えていきますよということを前提にして作品を読みだす。
ところが三分の一もいかないうちに橋本のつぶやき「(映画としては)全く面白くない」。
松竹が乗り出してきた。
東宝もヒットメーカーの橋本を手放すということはできなくて「いやいや!ウチでやろうよ!『砂の器』はウチでやろうよぉ」と誘う。
松竹の方はもうカッカ燃えているので「放すもんか」。
「松本清張・橋本忍・松竹」これをやりたかった。
それで松竹はとっておきを出した。
「アンタも一人で脚本大変でしょ。助手付けるから、アシスタント。コイツもね、ホン書けるの。まだ若いんだけど、これから伸びるヤツだから、ねぇ橋本さん。アンタんとこでシナリオの勉強させて伸ばしてやってくれよコイツを。山田洋次っていうんだ」
山田洋次監督。
フウテンの寅「男はつらいよ」で喜劇作品を手掛けているのだが、その喜劇を書いてるヤツは腕がいい。
喜劇というのは巧妙に仕掛けないと笑わないから。
作品の方はどういうことかというと、高名なクラシックの指揮者がいる。
その男には隠さなければならない過去がある。
ハンセン病を患ってしまったために理不尽な差別を受け、お遍路姿で流浪することになった本浦千代吉(加藤嘉)と、それについていく幼い息子。行く先々で邪険に扱う人々と、それにめげない父子の触れ合い(212頁)
高名な指揮者がいる。
その男の父は皮膚病で村を追われた人。
息子と二人で日本を放浪の旅をしているワケだが伝染性ではない。
だが伝染するということでもの凄く激しい患者差別が日本にはあった。
この皮膚病に罹ると徹底した隔離が行なわれ、その人は一生涯人里離れた療養所でただ死を待つのみの暮らしを強制されたという。
その死んだお父さんのことを隠したい。
ところが有名な指揮者・ピアニストになった後に、そのことを知っている彼等を保護した正義感溢れる田舎の村の巡査さんが現われて「お前は息子だろ!」と言う。
「俺の過去を知っている」ということでその男を殺してしまった。
そういう物語。
これは松本清張さんが病に関する偏見がどれほど日本社会にはびこり、どれほど人を苦しめたかを小説で訴えた作品。
それが「砂の器」。
ところが読んでも読んでも橋本はちっとも感動しない。
まず泣けない。
若い演出家である山田洋次という青年も「病に関する偏見に対する怒りというのは映画で一時間以上訴え続けて物語にするのは難しいなぁ」というふうに思うようになった。
それで二人とも音を上げて「映画化不可能」ということで一回引く。
六三年になり、事態が動く。橋本の父・徳治が死の病に倒れたのだ。故郷の鶴居に見舞いに行くと、その枕元には二冊の台本が置いてあったという。−中略−もう一冊が『砂の器』だった。
病床の父は、橋本にこう語りかける。−中略−『砂の器』のほうが好きだ」と。そして最後にこう付け加えた。
「忍よ、これは当たるよ」
橋本は、父の博才に惚れ込んでおり、特に「当たる興行」を見抜く目を信頼していた。(219頁)
お父さんは凄く面白い人で、どこの一座も12月は「忠臣蔵」をやりたがる。
武田先生も(「忠臣蔵」は)好き。
考え込んだ末に徳治の出した答えは、意外なものだった。−中略−
「『忠臣蔵』はやっぱりやめとくわ」−中略−「一人が四十七人斬った話なら面白いけど、四十七人かかって一人のジジイを斬って、どこが面白いんだ」(220頁)
『砂の器』は当たる──。そんな父の言葉を受けた橋本は、東京に戻るとすぐに『砂の器』の脚本を読み返す。(222頁)
ここからが橋本忍の才能。
橋本はあるアイデアを思いつく。
「そういえば、小説にはあの父子の旅について二十行くらいで書かれていたよな。《その旅がどのようなものだったか、彼ら二人しか知らない》って」(217頁)
これを橋本が読んだ瞬間「これだ!」と。
この一行だけ。
「その旅がどのようなものだったか、彼ら二人しか知らない」
これは丹波哲郎がセリフで言う。
それで回想に入っていく。
橋本の頭の中にブァーッと浮かんだ。
これをメインにする。
そしてこの間、原作に親子の会話なんか何も書いていないから無言劇にする。
無言劇にしておいて旅しているだけの二人を追う。
しかもワンシーズンじゃダメだ
「その旅がどのようなものだったか、(彼ら)二人しか知らない」それを日本の四季で描いてゆく。
「砂の器」といったらそのシーンがまず思い浮かぶ水谷譲。
それでそこを丁寧に描いていったら映画になるかも知れない。
「これは無言劇だが泣ける」という。
橋本忍はもっと凄いことを考える。
無言劇だからセリフがない。
どうするか。
『砂の器』の構成について考える上で、橋本が重要視していたものがもう一つある。それが文楽だ。−中略−
文楽はまたの名を人形浄瑠璃ともいう。−中略−この構図を「父子の旅」で使えないか──と橋本は考えた。つまり、人形遣いの操る人形が「旅をする父と子」、三味線が主題曲「宿命」、そして義太夫が捜査会議の今西。これにより、文楽のような荘厳で情感あふれる表現ができる。それが橋本の考えだった。(262頁)
一点突破するとブレイクスルー。
そうすると橋本の悲劇の予感が震え始める。
これに更に悲劇を盛り付ける。
悲劇をどう盛り付けるか?
この「父子の旅」の中で橋本が施した、ある脚色である。それは、幼き和賀と旅を続けた父・本浦千代吉の扱いだ。
今西が捜査を始めた時点で、原作での千代吉は既に死亡している。が、橋本はそこを変える。千代吉は生きていた──という設定にして、今西と対面させているのである。(263頁)
生かしてさらにお客を泣かせる要素を持ってくるという。
「砂の器」製作の裏側。
「その旅がどのようなものだったか、彼ら二人しか知らない」
この一行二十字からあの巡礼姿で四季を歩き続ける名場面が生まれる。
橋本はそこでのセリフを全てカットした。(234頁)
「砂の器」の原作を読んでいない水谷譲。
(武田先生は原作を読んで)頭を読んで一番ケツにもう行ってしまた。
もう退屈で。
(映画の内容とは)全く違う。
武田先生は一生懸命巡礼のところを探した。
巡礼は出てこない。
巡礼のイメージしかない水谷譲。
巡礼じゃないとダメ。
あれを考えたのは橋本忍。
恐らく兵庫の人なので、四国の八十八ヶ所に渡ってゆくお遍路さんの残像が橋本さんにあったのではないか?
それともう一つ、この春日さんの本には直接書いていなかったのだが、八十八ヶ所巡礼の歴史を訪ねると「裏遍路」という別道があったようだ。
それがどうやらその手の方達の為の道だったようだ。
哀れに思う人はそこにそっと喰いものを置いてあげて、お接待としたというということで成立させる。
橋本は昨日言った通り、仕掛けの為に原作では死んでいる父を殺さない。
これはまた後でお話しする。
まずは巡礼の親子二人が日本中を歩く、四季を歩くというシーンの撮影に入る。
ところがここ。
映画は大変。
四季・一年間を通して親子の道歩きを撮ると言った瞬間、松竹の会長さんが激怒。
「バカか?オマエらは。そんな撮影ができるワケないだろ〜!」
それはそうで、映画の撮影部隊となると50人から100人ぐらい。
しかも4シーズン。
日本のいいところを点々と狙う。
はっきりいって「製作費いくらかかると思ってんだ」という。
今だったらCGで何でもできるが、当時は現実に春なら春まで待って夏には一番暑い夏を待って戦前の日本の風景を探さなければらない。
それだけで大変。
それで製作中止になる。
そうしたら東宝さんがやってきて「ウチ、頂戴よ」と言うのだが、四季を狙うとなったら東宝さんも「黒澤だって二つしかシーズン撮ったことないのに、橋本さんの本で四つは・・・」という。
それともう一つ、橋本忍さんの憂鬱は監督さんも野村芳太郎と決まっているので、もし東宝で強行するならば松竹の野村芳太郎が会社を辞めて東宝に入らなければならないと思って。
ここからが橋本忍という人の執念深さ。
もう正しく鬼。
そして何と四季を撮る。
松竹も東宝も諦めて橋本プロという映画製作会社を興す。
カネがないと人間、考えるもの。
何を考えたか?
撮影スタッフは普通50人から100人がかかるのだが、撮影スタッフを10人にした。
10人で撮影している。
出演者二人。
それも巡礼姿で引き絵が多いから本人を連れていかなくても子供とそれなりの大人がいればどこでも回せる。
そのかわり、徹底して風景にこだわる。
戦前の日本の農村の風景。
それでこのあたりを考え始めると若き監督の山田洋次が燃えて、いい候補地を挙げる。
彼は別の映画で日本中のいい景色を知っている。
寅さんがフラフラ歩く道で。
「菜の花畑はあそこですよ」とか「満開の頃はいつだ」とか。
それで10人でOK。
ロケバス一台で間に合う。
それで4シーズン撮り切る。
それがかなってカネがかからないとわかったら松竹は「いや、ウチがやるよ。ウチがやるよ」と出て来たという。
ここは凄く面白いのだが、山田洋次監督もリアルなのがお好きな方なので橋本忍さんに「放浪の旅をする人の特徴で橋本先生。あの、こういう放浪の旅をする人は寒い時は暖かい所に行く。暑くなってきたら涼しい所に行くのが、だいたいこの手の旅のパターンですよ」と教える。
橋本さんも何か直感があったのだろう。
本には(山田洋次監督のことは)「洋ちゃん」と書いてあった。
「なあ洋ちゃん。一か所だけ裏切っていいか?寒い時に寒い所を歩かしたいんだ。一か所だけでいいんだよ」
山田監督がまだ若いから「ああ、そうですか?」とかと言って乗らない。
横に置かれてその撮影が強硬された。
いい。
親子が北陸の海岸を歩いている。
タイトルに「砂の器」と入れると・・・それがポスターになる。
象徴になる。
映画というのはわからない。
こういう偶然の中から中止を命じられた作品が人数を絞ることで回転し始めた。
いい話。
ここから橋本忍は仕上げにかかる。
春日太一さんの「鬼の筆」橋本忍伝ということでお送りした「砂の器」
感想から言うと巡礼の親子二人が旅する日本の四季の美しさ。
菜の花畑のシーン。
一本道いを歩いていると村の子が石をバーッと投げつける。
それを黙々と二人は歩いてゆく。
そして寒い冬、神社の床下か何かで親子が抱き合って眠っている。
泣ける。
この描き方は凄い
脚本ばかりではない。
監督の野村芳太郎さん、共同脚本の山田洋次さんの才能も込みで素晴らしい。
本当に泣けた。
何でお父さんを殺さなかったか?
橋本忍に言わせると「悲劇が足りない」。
捜査の末に療養所にいる千代吉にたどり着いた今西は、千代吉に音楽家として活躍する和賀の写真を見せる。(263頁)
五体を震わせ、波打たせ、激しく慟哭する。そして声を振り絞って叫ぶ。
千代吉「シ、シ、知らん! 知らん、ヒ、ヒ、人だァッ!!」(265頁)
あの加藤(嘉)さんの熱演。
「知らん」と言う度にどれほど知っているかという父親の情愛。
森田健作(吉村弘)と丹波哲郎(今西栄太郎)が逮捕に行く。
彼は「宿命」という曲を演奏している。
森田さんが「何を考えてんですかね、あいつ」と言ったら丹波さんが「今、父親と会っている」。
銀座(の映画館)で見て泣けた武田先生。
丁度武田先生も子供を持ったばかりだった。
感情移入してしまう。
「親になるっていうのはこういうことなのか」とか。
泣けた。
もう一回繰り返す。
原作では父親は死んでいる。
しかし映画では死んでいない。
なぜならば悲劇性。
腕力で観客をねじ伏せる。
その橋本脚本の妙というのがこの映画の中で生きている。
もう一回繰り返すが原作の「砂の器」と映画「砂の器」は違う。
でも映画にするというのはそういうこと。
何回もアンコール上映がされたし、皆さんもご存じだろうがこの作品はTBSの福澤(克雄)さんの手で原田芳雄さんがお父さん役をやって中居君主演で連続テレビドラマになった。
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この「砂の器」の成功を受けて映画会社が橋本忍のところに寄って来る。
「砂の器」が終わると同時に「先生!こっち」と言って橋本忍をかっさらった映画会社が東宝。
大変な作品。
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「八甲田山」に取り掛かる。
タフな人。
橋本忍という人は肺結核で死にかかった人。
その方が高齢になって引き受けた作品が「八甲田山」。
「八甲田山」のキャスティングはもちろんだがロケにも付き合うという。
これはもう喋っても大丈夫だと思うところだけ喋るが、主演・高倉健というのは決まっていた。
「相方の神田大尉を誰にするか」というので、なかなかキャスティングが決まらずに最後は健さんが決めたようだ。
「誰がいいですか?」と訊かれて、ご指名なさったのが北大路欣也。
それで決まったという。
凄い撮影。
八甲田山。
寒かったろう。
ここでも橋本忍は工夫を繰り返す。
これは現地に行った人でないとわからない
「八甲田山」
ストーリーを今日は説明しておく。
陸軍第八師団は青森県の八甲田山系での雪中行軍を実施する。だが、雪の八甲田に突入した青森歩兵第五連隊は大雪と猛吹雪の中で道を失い遭難、最終的には参加二百十名のうち百九十九名が死亡するという悲惨な結果になってしまう。−中略−新田次郎が『八甲田山死の彷徨』として小説化し(332頁)
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橋本という脚本家はいろんな工夫をして、軍隊の集団が片一方は全滅に近い遭難事故を引き起こし、片一方は上手く八甲田を下山してきたという対比をもって描こうとした。
事実はそうではない。
事実はいろいろ解釈があって事実と違うのだが。
どうやって大遭難が起こったかというのを克明に描く。
ただ橋本は気づいている。
これが面白い。
雪の中で撮影をやるのはいい。
ただし、考えたらそう。
映像はひたすら真っ白な雪に囲まれてしまうことが想定された。(337頁)
(普通は)そんな心配なんかしない。
考えたこともなかった。
それで橋本が思ったのは、時々回想を入れて白のに脅威を増すように前の回想は緑の山を描いておいて真っ白にするという。
「それを繰り返さないと、この映画はもたない」という。
このへんは凄い。
だから小説の文字と違って、映像化というのはこういうことがある。
映画「八甲田山」、脚本・橋本忍。
遭難していく悲劇を描くのだが。
八甲田山の山のふもとか何かに神田大尉ら遭難した兵士達の死体がずらっと並んで棺桶の中に神田大尉は入っている。
そこへ健さん・徳島大尉がやってきて棺桶のすぐそばに栗原小巻さんの奥さんが立っている。
徳島へはつ子がしみじみと
はつ子(※神田の妻)「八甲田では三十一連隊の徳島様に逢える……それだけが、今度の雪中行軍の楽しみだと申しておりましたのに」
徳島「いや、雪の八甲田で逢った! 自分は間違いなく神田大尉に!!」
同時に両眼からどっと涙が噴き出してくる。
涙はあとからあとから噴き出してとまらない。(343頁)
隠れた話だが、棺の中を見て健さんがパッと寄りに行って泣くのだが、あの映らない棺の中に北大路さんがいた。
顔をちゃんと白く塗って死体として。
そこにかかるまで何時間かかかっている。
それを北大路さんは健さんの為にジーッと待っていたという。
健さんは棺の蓋を開けた瞬間に北大路さんがいるので「俺の為に死体を演じてくれてるんだ」と思う。
もうそれだけでこみ上げてきた。
(それは映像には)映っていない。
でも北大路さんが死体を演じてくれたというところに「俺はあいつを共演者に選んでよかった」という。
それぐらい過酷なロケだった。
それでここから話を手短にする為にバッサリ切ってしまうが、この八甲田山が終わった後の健さんの次の仕事「幸福の黄色いハンカチ」の撮影現場。
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健さんは例のマツダの赤い車(4代目のFRファミリア)の中でこんなことをおっしゃっていた。
「監督っていうのは凄いもんだなぁ。この山田監督も凄いけど、前の監督さん、台本にないシーンが入っててびっくりしたんだ」
「何ですか?」
「俺の少年時代の回想が入ってくるんだよ。俺が吹雪道でボーッとしてる時にポーンと子供に戻った俺の思い出は父ちゃんと母ちゃんが田植えしてるところなんだ。青森の夏の日照りの中で。俺は汗を拭いて働く父と母を見てるんだ。そこをポーンとなんだけど、何だか泣けてさぁ」
「へぇ〜」と思って「監督さんというのはポンと入れたりするんだ」とかと・・・
ところが、この春日さんの本を読んだら違った。
台本にあった。
これは健さんは忘れているとしか言いようがない。
そこは重大なシーン。
どうして重大かというと、そこのシーンが強烈に訴えられていなかったということが橋本さんは生涯の後悔。
八甲田へ進む前。神田大尉が青森から、弘前の徳島大尉を訪ねる場面なんだ。神田は『雪中行軍の辛い時には、子どもの時を思い出す』っていう話をする。それに対して徳島は『俺はそんなこと、思わんな』と言う。(344頁)
健さんはやったのを忘れている。
でもこれは脚本家の橋本忍にとってはもの凄く大事なシーン。
昨日言った。
白い雪山が続くので緑を時々混ぜ込まないと白の恐怖が伝わらない。
橋本はそこをちゃんと計算した。
ところが監督さんとキャメラマンは何気ない会話で終わっている。
橋本忍は割って欲しかった。
北大路がポツンとつぶやく「寒さで辛い時は、子どもの時を思い出して耐えましょうよ」。
そうしたら健さんが「俺はそんなことは思わんよ。そんな子どもの時の思い出なんかにすがらないよ」。
でも死の彷徨の最中、徳島を救ったのは「神田の言った通り子供の時のあの夏の思い出が吹雪の中で俺を救ってくれた」という。
その目で神田を見た時に「済まなかった・・・お前の言う通りだ」。
ここでの二人の交流により、終盤の「泣かせ」の芝居に繋がってくると計算したのだ。
だが この出発前の場面が想定より印象の薄いものになったため、終盤の「泣かせ」が弱くなってしまった。それが橋本の見解だった。(345頁)
橋本さんが証言で残されている無念さというのもこの本、春日さんがタイトルを付けた通りだが「鬼の筆」。
話はこの後もまだまだ続いて、この八甲田山が成功したことにより今度は「砂の器」で成功した松竹は「橋本さん、こっちに来てよ」で引っ張られて行く。
次の作品は「八つ墓村」
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それにしても凄いもの。
「羅生門」から始まって、日本映画のヒット作の殆どに携わったという大脚本家。