まな板の上に「富士山」が乗っている。
世界の観光地として有名だが、ちょっと迷いながら三枚におろしたのが。
いくつかの体験があるのでまずはそこから入る。
武田先生は静岡のテレビ局に知り合いがいて、一回そのテレビ局に招かれて、静岡の街で遊んだことがある。
地元のお料理を食べに行くと同時に「久能山の東照宮に行かないか」とお誘いを受けた。
もちろんこれは家康のお墓。
「せっかくですから久能山東照宮へ登りましょう」ということで車、ロープウェイで乗り継いで、久能山という小高い山の山頂いっぱいに久能山東照宮があって家康が祀ってある。
なかなか壮大なもの。
これはもちろん日光東照宮と対を成している。
久能山東照宮の神主さんから言われたのだが「この東照宮の正面向いてるこっから真っ直ぐ行きますと、日光東照宮があります。家康の霊を弔う為には直線で二つ、お宮を建てたんですよ」という。
でも衛星から撮影するワケでもないのに「こっち側から真っ直ぐで日光東照宮があります」なんて信じられない。
江戸時代、戦国時代。
「そんな時代にそんな科学的な測量ができるワケない」と思っていたのだが、この本を読んだら「そうではないぞ」と。
戸矢学さんという神社に滅茶苦茶詳しい方で、河出書房新社から出ている「古事記はなぜ富士を記述しなかったのか」。
(本の中の傍点部はアンダーラインで表記する)
その説明に入る前にこの戸矢学さんという方が江戸の町の都市設計について語っておられる。
そのことをやるような専門家が昔いた。
「陰陽師」
陰陽師というのはこういうことをやる人。
(祈祷だけではなくて)星を観察しながら東西南北をきちんと計算したり、それから春分の日・秋分の日とかというのは農業に関わることなのでそういう天然現象の調査をやるのが陰陽師で官僚だった。
これは有名な話だが徳川家康についていて陰陽師の知恵を授けたのが天台宗の天海僧正。
彼は家康に仕えて徳川政権を陰陽師、方術で支えたという。
家康の静岡の方の墓所から富士を挟んで一直線に結ぶと日光東照宮になる。
確かそんなふうに書いてあったと思う。
久能山─富士─日光東照宮は全部風水による都市計画。
江戸の町というのはちょっと乱暴な言い方だが、富士山に向かって背中を日光東照宮が守っている。
天台宗の天海僧正が作った都市計画だが、久能山─富士山─日光東照宮の直線状に世良田という村があって、ここで徳川家が誕生した。
誕生した土地、家康が死んだ土地、家康が守られている土地、そして真ん中に江戸の町があって、その直線上を真っ直ぐ伸ばしていくと奇怪な話なのだが、明智光秀のお城がある。
光秀と天海を直結させるという説≠ェあります(19頁)
そういう裏解釈というか信用はできないのだが全部因縁がある所が一直線上に結ばれているという。
江戸の町の作りもそういう陰陽。
武田先生はびっくりしたのだが
目白と目黒−中略−東京には五色の不動尊が設けられています。−中略−
目白不動尊、目黒不動尊、目赤不動尊、目青不動尊、目黄不動尊の五色不動です。(31頁)
目黄は三軒茶屋にある。
天海が四方方向に不動明王を置いた。
そういう摩訶不思議な話から富士山の話が出て来る。
風水、いわゆる方術、こういう考え方が昔からあって、都市計画はこれに則って東西南北を決める。
だから江戸の町を守る為には不動明王が置かれて、その不動明王の目の色が変わった。
(本には「実際に目に色があるわけではなく」と書かれている)
それが目が黒いヤツ、目が白いヤツ、目が青いヤツ、目が黄色いヤツ、そして目赤だったか。
それと江戸城の周り、ぐるり内堀が水を巻いている。
江戸城を取り囲む堀り割りが螺旋形になっているのが、はっきり見て取れます。(24頁)
蚊取り線香みたいに。
らせん構造は、その中心へ「気」を導き引き込むための呪術手法です。(28頁)
これも風水。
地形を見ると、どこかの何かからエネルギーが湧いてくるというポイントがあって都市がそのエネルギーを吸い込むように町を作っていくという。
富士山からの気の流れを取り込んで江戸城へ集約収斂させるという手法を、水路の建設という大がかりな土木工事によって実現したものです。(29頁)
それをどう我が町に呼び込むかが都市の繁栄を決定付ける。
日本の考え方だろうけれども。
久能山東照宮から真西に約一〇〇キロメートルのところに岡崎城があります。
言わずと知れた家康の生誕地です。−中略−
岡崎からさらに真西へ約一〇〇キロメートルの地には亀岡市・亀山城があります−中略−。この城は、もともと明智光秀の居城であったものです。(19頁)
「天海こそ実は生き残った明智光秀ではないか?」というちょっと怪しげな歴史説が出て来たりするが。
この他にも天海の施した風水術は江戸のあちこちに残されていて、風水のエネルギー源としての富士。
そういえば縁起のいい夢は「一富士二鷹三なすび」。
「富士山」というのはエネルギーの元だったので家康がとことん愛したという。
やはり今でもそうだが富士は世界遺産になっている。
でもこれは富士山の自然が世界遺産になったのではなくて信仰の対象。
富士山信仰。
「『山そのものを拝む』というのは文化としても凄いんじゃ無ぇの?」という
この富士山に関する信仰というのは縄文時代からあったのではないだろうか?と。
富士は神の化身であって
古神道は−中略−自然崇拝が本質です。
自然なるものすべてに神の遍在を観るもので、山も海も川も神であり、太陽も月も北極星も神です。風も雷も神であり、季節も時間も神です。(44頁)
ここからちょっと話がややこしいのだが、日本の神道の中には神様の条件がある。
「かんなび」は神奈備、甘南備、神名火、賀武奈備などとも書きます。−中略−神隠の意味で、神の居る山、すなわち神体山として崇敬、信仰されるものをそう呼びます。
富士山に代表される左右対称の独立峰が多いのですが(45頁)
「ひもろぎ」は、神籬、霊諸木などとも書きます。
神の依り代たる森や樹木をそう呼びます。−中略−森、または疑似森で、神の住まう場所、降臨する場所、神々の集いたまえる場所のことです。(45〜46頁)
「いわくら」は、磐座、岩倉、岩鞍などとも書きます。−中略−巨石のことで、それ自体が神の依り代です。(47頁)
その石のところに陽が一日カーッと強く当たったりなんかする。
日本中の都市は全部これで出来ている。
人間が住んでいる町は「かんなび」、山がすぐ近くにある。
その山こそは信仰の対象になる山で、関東方面はもちろん富士山が圧倒的だが、その他に福岡には宝満山という山がある。
「宝が満ちている」という。
その宝満山に登る入り口の神社が竈門(かまど)神社。
これが「鬼滅の刃」の炭治郎が生まれたところではないかと、そういう説もあるという。
神話が出て来る。
奈良といえば三輪山とか、京都は比叡山。
あれは北東にあるので魔が入って来る方角に神社を建てた。
京都の駅は陽が通るように真ん中をくりぬいている。
あれは凄いと思う水谷譲。
気というのは龍と同じで蛇の形をしているので「流れを作っておかないとダメですよ」という。
龍は入って来る。
これがエネルギーなのだが、これが溜まっては災いを成す。
ではどうするかというと水を飲ませて帰す。
それが京都の池。
大沢の池とか池にある。
だから比叡山から入って来た龍が街に降りてきて水を飲んで帰ってゆくという。
東北には白山がある。
鳥取には大山。
東北地方には岩木山。
お岩木山(岩木山神社)があったりして。
山というのはとにかく信仰の対象で神のいる場所。
「ひもろぎ」というのは神の依り代で、神がそれを伝って降りて来る。
だから御柱を立てたり。
これが縄文から続く日本人の宗教観の中に沁み込んでくる。
陰陽道。
或いは中国では「方術」と言ったりする。
これは東西南北を四匹の動物に例えて説明している。
▼青龍=神籬──神籬は、清流が走る蒼々たる豊かな森。だから清流である。
▼朱雀=靈──靈は、赤く照り輝く陽光。だから朱雀である。
▼白虎=磐座──磐座は、力強く白き岩山。だから白虎である。
▼玄武=神奈備──神奈備は、玄き武き山、だから玄武である。さらにその真上の玄き空に武き輝きを放つ北極星である。(48頁)
この四つの神の化身を東西南北に当てて都市計画をしたというのが陰陽道。
これは今でも生きていて、お相撲。
「赤総下」とか「青総下」とか。総が下がっている。
あれが陰陽道。
真ん中中心に穴っぽこが空いていて、土俵の真ん中に埋まっている。
相撲の勝負を動かしているのは実は陰陽道によるエネルギーの交わり。
これを昔の人は例えて運命を占ったのがお相撲。
昔はみんな、お相撲のスポンサーは神社だったというから。
奉納相撲だから。
今でも横綱になると神社に行って・・・
こうやって見ると東西南北、これが都市計画を決定したという。
これは「科学的に見てもそんなに大外れではないな」というのがあって・・・
ここから富士山の話に持っていこうかなと思うのだが、富士山て何でこんなに尊いのか?霊山になったのか?
もの凄い長い歴史がある。
これはジオ(geo)で語れば非常にわかりやすいのだが、日本のいわゆる伊豆半島の付け根あたりぐらいからまっすぐ新潟方面に抜ける道にフォッサマグナという、断絶した中央構造体がある。
これは日本のど真ん中に1000kmに渡って大地のズレがある。
これは遠い昔、一億年前のこと、アジア大陸の一部だった島が二つ日本の方角に流れ着いた。
真ん中は穴が空いていた。
何とこの真ん中は凄いことに6000mの溝だった。
富士山が二つ入る程の深い溝があった。
これがくっついた。
だから電車で松本まで行けるようになった。
両側から土砂が流れ込むのと下に流れているマグマの関係で、その空いた溝の所に点々と活火山があって爆発し続ける。
そうしたら6000mを埋めてしまった。
それは本当。
ジオの話だから。
その埋められた溝には火山がずらりと並んで、この火山帯の噴火でその溝を埋める土を吹き出し続けた。
この日本の東西を繋いだ溝、フォッサマグナの繋ぐ原動力になったのが恐らく富士山の噴火ではなかろうか?という。
もの凄い勢いで噴火した。
それぐらい大地を吐き出して日本を繋いだ。
それが富士山だ。
この頭から火を吐いて、土をばらまいて地面をゆっくり広げてゆくという、そういう山のことを縄文人は「アサマ」と呼んだらしい。
「浅間」は火山の古語です。−中略−九州の阿蘇も語源は浅間であろうとされますが(49頁)
「アソ」は火山の代名詞となりました。
音韻転訛の成り行きから考えて、おろらく「アソ+ヤマ」→「アソヤマ」→「アサマ」となったものでしょう。そして「アサマ」は「火山」の代名詞となりました。(80頁)
富士山は一番デカい「アサマ」。
形も綺麗だし。
それで縄文の頃から信仰の対象だった。
ところが、問題はここから。
縄文時代からの信仰の対象である富士山を「古事記」と「日本書紀」は一行も書いていない。
それを戸矢さんが「不思議ではないか」とおっしゃっている。
本題の富士山に入った。
これは神としての富士山なので、その点、心にとめてお聞きくださいませ。
神の山として有名な「富士山本宮浅間(せんげん)大社」。
ご神体である富士山。
宿る神はコノハナサクヤヒメ。
コノハナサクヤヒメは日本神話の中で、はっきりと「美人」「美女」であるとして記されています。−中略−
天孫ニニギは降臨した際に、日向でコノハナサクヤヒメと出会って求婚します。(72頁)
コノハナサクヤヒメが浅間神社の祭神とされるのは『竹取物語』以後ということです。
『竹取物語』が成立したのは早くても九世紀前半頃とされていますので、コノハナサクヤヒメが祭神とされたのもそれ以降ということになります。(73頁)
ここで祀られてきたのは浅間大神です。−中略−
これこそが富士山の神です。(74頁)
(コノハナサクヤヒメ以前に祀られてきた神は)男性になっている。
女性ではない。
縄文の頃からこれほど巨大な山様だから「古事記」「日本書紀」に書かれて当然だが、天皇の系譜は「古事記」、天皇の出来事は「日本書紀」のテーマということで書いてあるのだが
富士山は、実は『古事記』にも『日本書紀』にも、まったく出てきません。(1頁)
公式の史書に初めて「富士山」が登場するのは『続日本紀』(七九七年成立)の天応元年(七八一)の条です。
『日本書紀』成立(七二〇年)から七十七年経っています。(4頁)
「この七十何年というのは何だったんだろうか?」という。
これが戸矢さんの謎。
遠い昔の77年、どうでもいいような気もするが。
あれ程の山をなぜ書かなかったのか?
ここに戸矢さんという著者が凄い疑問を持ったということ。
そしてもう一つ私達が覚えておかなければならないのは、私達が今、思っている富士山と西暦700年代の富士山はちょっと違う。
「記・紀」と同時代の貴重な古文献である『万葉集』−中略−は、山部赤人の「不盡山を望む歌」を録しています。−中略−
駿河有布士能高嶺乎 天原振放見者 度日之 陰毛隠比 照月乃 光毛不見 白雲母 伊去波伐加利 時自久曾 雪者落家留 語告 言継将徃 不盡能高嶺者(133〜134頁)
今のイメージの富士山な感じがする水谷譲。
700年代の富士の姿を現代語に置き換える。
「富士山のてっぺん見て見ろよ。太陽も月も見えやしないよ。雲がかかっており、雪が降り続けているんだ」
「雪は降りける」
雪が降っているのが下から見える。
「太陽の光も隠れ、照り輝く月の光も見えず」
というのは、富士山の噴煙がそれほどにすさまじいという意味です。(134頁)
噴火している。
噴煙を上げている。
雲がかかって。
しかも時々白いのがパラパラパラと落ちてくる。
噴煙の粒が中腹ぐらいまで降りかかってくる。
それをあえて「雪が降りける」と。
雪ではなくて噴煙。
だからどう考えても天平の時代、奈良・天平の世は山頂から噴煙を富士山は上げていた。
それでその頃から「フジ」というニックネームが付く。
それは裾野が美しいので「布を広げたみたいだ」というので「布士」。
或いは高いものだから「尽きることがない」という。
そんなことで「不尽」とかという漢字を当ててそう呼び始めた。
「アサマフジ」というような呼び方で。
それほと巨大なフジは噴煙を上げているのだが「歴史書である『古事記』と『日本書紀』は富士山について書いてもよかったんじゃないの?」という。
これは戸矢さんが疑問を持ったというのが面白い。
ズバリ言うと富士山を記録することを避けた。
「何でそんなことしたんだ?」という。
例の藤原氏、中臣鎌足(番組では「ナカオミ」と言っているようだが「ナカトミ」)から藤原氏は興るのだが、大化の改新で天皇家の中大兄皇子の腹心として活躍し、ライバルの蘇我氏を暗殺し、天皇家への影響力をどんどん高めていった。
これは藤原氏というのは凄く面白くて武力ではない。
結婚で天皇系にまつわりついていく。
娘が生まれたら天皇の嫁にして、その生まれた皇太子に対しては爺ちゃんポジションをとるという権力の握り方をする。
藤原氏に盾突ける豪族はいなかった。
鎌足の倅が有名な藤原不比等。
これは歴史で習った。
不比等なんて凄い。
「並べるヤツが他にはいないぜ」という、そういう名前だから、横着な名前を付けているが。
このあたりから「古事記」「日本書紀」を作る時に富士山を嫌ったのか?
富士山の謎に迫る。
藤原鎌足は娘を産んでおいて、天皇家に嫁がせて孫の爺さんとして天皇家を乗っ取るという、そんな面倒臭いことをしないで天皇を殺しちゃって自分がなればいい。
そう簡単には殺せないと思う水谷譲。
何で殺せなかったのか?
何かあった。
そうしか言いようがないが、天皇家には中国みたいに皇帝を打倒し、殺して天下を取るというのが無い。
天皇家に何かあった。
藤原氏は皇太子の家の横に自分ちを作っていたようだ。
つまり孫んちの隣に自分ちを作って、孫を連れて天皇のいるところに行くものだから天皇も頭を下げてしまう。
爺ちゃんだから。
そういう回りくどいことをなぜやったかというと、結構早い時期だが「この人は天皇家になれない血統ですよ」という辞書を持っていた。
血統証明書≠ニして作成されるのが『新撰姓氏録』−中略−です。(114頁)
とにかく「この姓、この氏、これは天皇家の血統ではありません」「この人達はどこからか来た人です」と書いてある。
そういうのを一冊持っていたものだから、どう足掻いても天皇にはなれないということはこの新撰姓氏録に記録してあるので。
天皇にまつわりついても天皇そのものには藤原氏はなれなかったという。
不比等の父・中臣鎌足が生まれた中臣氏は、鹿島の社家の出自と現在では判明していますが(113頁)
この鹿島神宮がいわゆる古里の神社。
鹿島は茨城。
ここから鹿に乗って奈良まで飛んでいった。
だから(奈良では)鹿を飼っている。
そういう神話を勝手に作った。
それで何で富士山を消すのかという。
しかも短い。
「77年間富士を消した」というのは戸矢さんが問題にするほど武田先生は問題にならなかった。
それで、戸矢さんすいません。
「(この本を読むのは)やめようかな」「あんまりいい『(今朝の)三枚おろし』に、なら無ぇな」と思って。
武田先生はここまでは面白く読めたのだが、77年間富士山を消したことが藤原氏にとって何かそうとても重大なこととは思えなかった。
それで「この本、どうしようかな」と思ったら、突然、武田先生のスタッフのサカイ君が「何で消したんですか」。
「いやぁ、オマエ興味あんの?でもたった77年・・・」
「いや、何かあったから消したんでしょうね。よっぽど富士山が嫌いだったのか、富士山嫌う理由がその藤原不比等っていう人にはあったんじゃないんですかねぇ。本には何と書いてありました?」
「いや、捨てたんだ」
戸矢さんすいません。
「捨てた」と悪い意味ではなくて、別の本棚に移しちゃったということ。
別の本を読んでいた。
だがサカイが言うものだから、「そんなに気になるかなぁ」と思って。
ここまで言われたら気になるので言っていただかないとと思う水谷譲。
皆さん、本と付き合うことの難しさ。
それでサカイがしきりに「何で書かないんスかねぇ?『古事記』ともあろうもんが」とかと「古事記」の意味もよくわからないヤツが・・・
その時にフッと「このテーマは何か惹きつけるんだなぁ。こういう世代にも」。
それでまたもう一回倉庫から取り出して読み始めた。
本との出会いというのは面白いもので、丁度読み出したところから面白くなった。
よかった。
危なかった。
ここからはまことに申し訳ない。
戸矢さんの学説を武田先生がわかりやすく説明する。
武田先生がわかりやすく説明した分、武田先生の意見が入っているので、まるまる戸矢さんだとは思わないでください。
戸矢さんは大変な学者さんなので、そこだけは。
はっきり言って戸矢さん、書く順番が悪い。
それで急に面白くなり出したところに置いてあった物語が「かぐや姫」。
これは「かぐや姫」をまず置かなければ。
「かぐや姫」の方がとっつきやすい。
『竹取物語』は、日本最古の物語として有名ですが(89頁)
(最古は)「源氏物語」ではない。
このかぐや姫の中には何とテーマにしている「富士山」が出て来る。
竹から生まれたかぐや姫。
五人の貴公子に向かって無理難題をふっかける。
『竹取物語』で、かぐや姫に求婚する五人の貴公子が登場しますが、その一人である「庫持皇子」は不比等がモデルとされています。(118頁)
では藤原不比等、庫持皇子(くらもちのみこ)が探しに行ったのは何か?というところから・・・
ここから急に面白くなった。