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2024年09月21日

2024年8月12〜16日◆俵星玄蕃

とんでもないものがまな板の上に乗っているのだが、これは今週一週間だけのネタで「俵星玄蕃」。
これは三波春夫さんの長編歌謡浪曲という、赤穂浪士の話を10分間近い歌にまとめたという一篇なのだが、この歌に武田先生がどハマりし始めた。

長編歌謡浪曲 元禄名槍譜 俵星玄蕃



この「俵星玄蕃」を朗々と楽しそうに(過去の番組内でも歌うので)「何がそんなに楽しいんだろう?」と思っていた水谷譲。
こういうことがあった。
それはいつも出てくるが内田樹先生、文藝春秋社刊の本を読んでいた。
「街場の成熟論」

街場の成熟論



(本の中の傍点部はアンダーラインで表記する)
その第一章に「ウクライナ危機と『反抗』」という文章があった。
内田氏は第一章でアルベール・カミュの名作を挙げている。
「反抗的人間」という本があった。
これは何で覚えているかというと武田先生は70年代の学生さん。
福岡みたいな田舎町の本屋にも大江健三郎「芽むしり仔撃ち」とか「見るまえに跳べ」とかいっぱい並んでいて、その端っこにカミュの「反抗的人間」という一冊があった。

芽むしり仔撃ち(新潮文庫)



見るまえに跳べ (新潮文庫)



 アルベール・カミュは『反抗的人間』という長大な哲学書の冒頭に−中略−あるときに「何かがこれまでと違う」と直感すると人間はそれまでにしたことのない行動をすることがあるという話を記している。主人の命令につねに唯々諾々と従ってきた奴隷が、ある日突然「この命令には従えない」と言い出すことがある。−中略−このときに奴隷が抵抗の根拠にした「踏み越えてはいけない一線」(17頁)

人がそれに抵抗するのは、『ものには限度がある』と感じるからである。(18頁)

いわゆる「堪忍袋の緒が切れる」そういう瞬間があるんだ、という。

 カミュはこう続けている。−中略−
「人が死ぬことを受け入れ、時に反抗のうちに死ぬのは、それが自分個人の運命を超える『善きもの』のためだと信じているからである。
(19頁)

「でもそれは許せない」という感情は水谷譲の中には無いか?
内田さんが持って来たのはウクライナ・ロシア戦争。
ウクライナの人が、ロシアのやり口にもう我慢できなくなった。

今ウクライナやロシアで「反抗」の戦いをしている人たちの動機を「愛国心」だとは私は解さない。それより「上位の価値」のために彼らは戦っているのだと思う。(21頁)

それがロシア兵とウクライナ兵の違いだ。
それは「やっていいこと・悪いことには限度があるんだ」という。
これはわかる。
日本人の中にもスズキさん(鈴木宗男氏を指していると思われる)みたいな方がおられて「何言ってるんだ。ウクライナがロシアに勝てるワケないじゃないか」と言ってロシアまでお行きになった。
それは勝てそうに無い。
だが「ウクライナに勝って欲しい」と思う。

 私たちが反抗の戦いをしている人たちから目が離せないのは、彼らがその戦いを通じて、遠く離れた、顔も知らず名前も知らない私たちの権利をも同時に守ってくれていると感じるからである。(21頁)

だから日本人はウクライナに連帯を感じてウクライナを支援している。
これは「思想」ではない。
内田先生は鋭いいいことを言う。
「このウクライナに勝って欲しい」というのは政治でもなければ思想でもない。
これは「気分」だとおっしゃる。
直感がヨーロッパ、EU諸国を動かしている。
遠い遠い昔、学生の頃に武田先生達にも一種その気分があった。
それを思い出した。
それはベトナム反戦。
アジア人をナパーム弾をバカバカ落として焼き殺すというのは、やることに限度がある。
日本もアメリカにヤラれた口。
いつの間にかベトナム人と自分達の父母が重なった。
それが若者達の中で「ベトナム反戦」とか「『米帝国主義』とかという罵り」になって70年の全共闘運動になった。
全共闘運動もそのうちダメになってしまうのだが。
その70年に実はこんなことがあった。

1970年、政治的に日本が揺れた年代だった。
その秋口のことだったが、武田先生達のアマチュアのフォークグループ(海援隊)は九大(九州大学)という国立大学の文化祭に出た。
もう全学封鎖だから一般の学生は来ない、部活の学生だけが来ていて、後は全部ヘルメットの学生が大学を占拠している。
異様な雰囲気だった。
それでも文化祭をやっていた。
お祭は若いヤツは好きだから。
それでその九大の方から依頼があったのは「海援隊出て欲しい。アンタ達人気あるやない?」とかと執行部の人から言われて。
まあ、同級生だけれども。
それで九大の文化祭に出た。
そうしたらもう名前も言ってしまうがヤノというヤツがフォークソングを歌っていた。
世界の平和を歌う。
「♪世界は平和を・・・」とかと歌っていた。
そうしたらヘルメットが2個入ってきて「ナンセンス!」と言い始めた。
会場は階段教室で500名。
2個のヘルメットがコンサートを潰してしまった。
それで壇上に上がって「今からベトナム反戦について討論会やる」と言う。
武田先生達の出番の前。
「コンサート潰し」というのが流行った。
吉田拓郎さんのステージにもコンサート潰しが出たり、岡林(信康)さんにも杉田二郎さんなんかも。
それで「愛は世界を救う」なんて歌を歌っていたヤツに「愛が地球を救ってるっていうのを証明しろよ!」。
剣幕が半端ではないから、ヤノも怖かったのだろう。
一種の狂気だから。
それで皆もじっと下を向いていた。
500人の学生さん達。
「歌なんか聞いてる場合じゃ無ぇよ。ベトナム反戦で討議やろうぜ」と潰れかかった時にちょっとした事件が連続して起こるという。
それで別のヘルメットが入ってきた。
「あれっ?」と思った。
ヘルメットの色が違う。
このへんはなかなか難しくて、ヘルメットの色が違うだけで殺し合うぐらい凄まじいセクト間の抗争があった。
(違う色のヘルメットをかぶった人が)一人入ってきた。
そのヘルメットが突然二人の別の色のヘルメットに向かって「出てけコノヤロウ」が始まった。
「オマエ何だよ!俺らは自己批判求めてるんだ!」
「いいから出てけよ」
その男の剣幕がもの凄い。
右手に鉄パイプを持っている。
黒縁のメガネをかけた、ヘルメットから長髪がはみ出したヤツだったが。
それが「中庭に出ろ!コノヤロウ!」と始まって押し出した。
武田先生達は教室の外で次の出番を待っていた。
そうしたらその追い出した方の違う色のヘルメットが武田先生(の前)を通過する時に「続けていいよ」と言った。
それで二人を中庭に引っ張り出して怒鳴り合う声がしたのだが「続けていいよ」と言われたものだから、武田先生は(ステージに)出た。
それで出て来たものだから500人は大喜び。
ウワーッと。
それでバカの一つ覚え。
歌った歌が「♪辞書とゲバ棒 はかりにかけりゃ ゲバ棒が重たい 学生の世界」という。
「唐獅子牡丹」のパロディーソングで「大学ボタン」という。



今、過激派との抗争があったばかりで「♪辞書と」と出て行くものだから、ヤンヤヤンヤの喝采。
ウケるだけウケる。
言っておくが音楽性でウケたのではない。
何というか場の流れがよかったものだからパロディーソングがピッタリハマった。
二曲目は「ティーチ・ユア・チルドレン」とか吉田拓郎の「マークII」とか、ラブソングを歌って「腰まで泥まみれ」なんていう反戦ソングも歌って最後は武田先生達の郷土ソング「風の福岡」。

腰まで泥まみれ



風の福岡



それで手拍子で締めくくって大盛り上がり。
それで(ステージを)降りたら例の追い出してくれて「続けてくれ」と頼んだ別の色のヘルメットの彼がいた。
黒縁のメガネでヘルメットから長髪が出ている。
それが「ありがとうね」と言った。
「オタクら面白いね。最初のあの俺達からかうヤツ、学生運動やってるヤツをからかう。あれ面白いじゃん。君に質問があるんだけど、『俵星玄蕃』聞いたことある?」
何を思ったか、武田先生にそんなことを訊く。
「俵星玄蕃」というのは三波春夫が武田先生が15歳の時発表した長編歌謡浪曲で話題にはなったが学生に浸透する歌ではないし、何で彼が武田先生にに聞いたのか?
多分武田先生達「海援隊」は演歌をパロディーにした歌を歌ったから「コイツ、演歌知ってんのかな」と思って。
武田先生はポカンとした。
「あ、いや、知らなくていいんだ、知らなくていいんだ」
だってそんなもの、ライバルにチューリップがいて、井上陽水なんかとやっとお付き合いが始まって吉田拓郎の前座をやって、岡林信康をやっている武田先生が何で三波春夫だよ?
音楽的に誰の影響受けましたか?「ジョンレノンです」とかと言えばいい。
三波春夫は嫌だ。
それで彼の前でも「『俵星玄蕃』は知ら無ぇなぁ・・・」という。
でもソイツは一言言った。
「俺、あれ聞くと泣けるんだよ」
一瞬「こいつバカじゃ無ぇか」と思った。
過激派の学生をやりながら「『俵星玄蕃』忠臣蔵聞いて泣く?それこそナンセンスじゃん、保守じゃん」。
でもソイツが言った「俺、何でか泣けるんだよ」というのが武田鉄矢、ニ十歳だった。
ずっと胸の中に残っていた。
歳月は流れる。
その後、武田先生にもいろんなことがあって、東京に出て行ったりして歌謡界の紅白歌合戦の舞台袖でその「俵星玄蕃」の三波春夫さんとすれ違ったこともあったが、「ジョン・レノンの影響受けてるもんで」という顔をして生きてきた。

ところがある日のテレビの中で、その夜のことを思い出した事件が起こる。
これが2024年1月25日。
49年間、逃亡し続けたという「桐島」という元過激派の男が、何と切ないことに「死ぬ時は本名で死にたい」ということで自首して名乗り出た。
桐島聡容疑者と特定、DNA型鑑定で 指名手配犯を名乗り死亡の男性 - BBCニュース
大変申し訳ないが指名手配の桐島に、その「『俵星玄蕃』を聞くと涙が出て来る」というヤツの風貌が似ている。
黒縁のメガネのせいかも知れないが。
ただ皆さん、正直に言うが桐島という男をかばうつもりも何もない。
学生運動をやっているヤツに、ああいう顔をしたヤツがいっぱいいた。
誰でもあの時代、1970年、反米を唱えたりすれば、武装闘争となれば、ああいう顔立ちの男どもが、もう殆ど隣にいた男達が夢中でやっていたということだけは間違い無い。
それで桐島が50年間潜伏した。
その男の情報が入ってくる中で、音楽が好きだったようだ。
それが何となく彼を思い出した。
ダブった。
桐島も恐らく「泣けてくる一曲」があの時代の青年であったのなら、あったのではないだろうか?と。
長編歌謡浪曲ではないかも知れないが。
このあたりから「左翼運動に夢中になりながら何故ゆえに赤穂浪士の一人の人のことを歌った『俵星玄蕃』に泣ける要素があったのかなぁ?」という。
それが内田先生のあの言葉。
アルベールカミュの「反抗的人間」。

「人が死ぬことを受け入れ、時に反抗のうちに死ぬのは、それが自分個人の運命を超える『善きもの』のためだと信じているからである。(19頁)

ある限度を超えた瞬間に人々は反抗の為に命を投げ出すことができる。
そこが重なる
もの凄く飛躍するが「長編歌謡浪曲 元禄名槍譜 俵星玄蕃」。
この中にはアルベール・カミュが言った「限度を超えた非道に対する反抗」があるのではないだろうか?
学生運動、70年代左翼運動をやっていた青年が「なぜか泣けるんだよね」と言ったのは実はここなのではないか?
これは一瞬のうちに武田先生の頭の中で繋がった。

それで「俵星玄蕃」を調べた。
「仮名手本忠臣蔵」という歌舞伎の出し物があるが、仮名手本忠臣蔵は大石内蔵助をセンターにした四十七士の物語。
この「元禄名槍譜 俵星玄蕃」はセンターではない。
端っこにいるヤツを主役に取り上げた。
これが蕎麦屋。
杉野十平次という手槍の名人、短い槍を使うと上手という、それが吉良家の内情を探る為に夜鳴き蕎麦屋の恰好をしている。
その夜鳴き蕎麦屋が、身の動かし方で侍が臭う。
それで吉良の屋敷のすぐそばに俵星玄蕃の槍の道場がある。
そこから槍を稽古する物音を聞くと覗いてしまう。
ある日のこと、蕎麦屋がジーッと見ていることに気付いた俵星がフッと思ったのは「コイツ、蕎麦屋じゃない」。
「赤穂の浪士達が敵討ちに討って出るのではないだろうか?」という噂があって、俵星は直感的に「コイツ、赤穂の侍、浪人者かも知れない」。
それである夜のこと、この夜鳴き蕎麦屋を呼ぶ。
これは講談にあるのだが、俵星玄蕃は弟子なんか殆どいない。
道場はあるのだが教えを乞う人がいないので、何と道場を博打場に改装してレンタル料を取って生きている。
それでヤクザ者が集まって皆でそこで賭場を楽しんでいるのだが、そいつらが「先生、先生!腹減っちゃった」と言うものだから、蕎麦屋を呼んで蕎麦を差し入れさせる。
そうしたら蕎麦屋はかいがいしく蕎麦を用意するのだが俵星はフッと思いが湧いたのだろう。
そのヤクザ者のお客に向かって「オイ!悪いが今日は帰ってくれ。今日は帰ってくれ!」と言いながら追い出してしまう。
それで二人きりになった瞬間に「お前には用の無いことかも知れぬが、いつか役に立つやも知れぬ。見ておれよ」と言いながら俵星流の奥義を見せるという。

三波春夫さんの長編歌謡浪曲「俵星玄蕃」。
これを語っている。
70年代の学生運動から2024年の潜伏し続けた過激派の話まで入り乱れているがこういうこと。
これは内田先生の言葉を借りる。

 すべての人間は不完全であり、邪悪であり、嘘つきであるという命題は原理的には正しい。けれども、人間の不完全さや、邪悪さや、不実には個人差があり、程度の差がある。そして、人間を衝き動かすのは、しばしば「原理の問題」ではなく「程度の問題」なのである。
 私たちは今ウクライナとロシアの戦いにおいて、「程度の問題」がどれほど現実的変成力を持ち得るのかを見つめている。ウクライナがロシアより「政治的により正しい国」であるがゆえにこの戦争に敗けなかったという歴史的事実にできることなら私は立ち会いたいと思っている。
(34頁)

この「程度の問題」という言葉がいい。
まことに申し訳ないが、ロシアは何に見えるか?
弱い者いじめに見える。
それはその中東問題もそう。
いろいろ原理とか政治とか宗教の問題もあるだろう。
しかし内田先生の言う通り「程度の問題」。
あまりにも「程度」がひどすぎる。
それで我々の感情は本当に申し訳ないが「ロシア憎し」「ウクライナ哀れ」。
「ガザの人々の哀れ」「イスラエル憎し」になってしまう。
この精神こそ実は「吉良憎し」「赤穂哀れ」。
これが実は俵星玄蕃の中に通底する音として入っている。
これはやはり将軍綱吉の失政。
片一方の吉良に対してはおかまい無しで、浅野家は切腹で断絶だから、潰したワケだから。
江戸の市民が彼等に喝采を送ったのは「やり過ぎだよ。そりゃあ松の廊下で酷いことしたかも知んないけど、切腹させといて城まで潰すのか。大石っていう家老は必至にあちこち頭下げてお家再興をって願い出るらしいけど、全部足蹴にしてるらしいじゃ無ぇか。それで何人かの赤穂浪士が切り込むらしいぜ。仇討ちするって言ってるらしいぜ」。
そっくり。
つまり我々の遺伝子の中にあるものは俵星玄蕃に反応している。
昨日も言った通り、俵星はその蕎麦屋に甲斐は無いと思いつつも、俵星は俵星流の奥義を見せてやる。
目に浮かぶ。
そうしたら舞台の中にあるのだが、その蕎麦屋が正座して俵星流の槍の動かし方を見ている。
そのフッと俵星が気付くとそのあたり蕎麦屋の十平次(番組で「ジュウスケ」と言っているようだが、おそらく十平次)というのが涙をポロポロ流しながら見ている。
もう間違いない。
蕎麦屋ではない。
それで思わず俵星は「オメェ侍だな」と訊こうとする。
それを三波は浪花節でこう歌う。
(本放送では「俵星玄蕃」の一部が流れるがポッドキャストでは無音なので、何が何だかわからない構成になっている)



涙をためて振り返る
そば屋の姿を呼びとめて
せめて名前を聞かせろよと
口まで出たがそうじゃない云わぬが花よ人生は
逢うて別れる運命とか
思い直して俵星
独りしみじみ呑みながら
時を過ごした真夜中に
心隅田の川風を
流れてひびく勇ましさ
一打ち二打ち三流れ
あれは確かに確かにあれは
山鹿流儀の陣太鼓
(三波春夫「俵星玄蕃」)

泣ける。
俵星玄蕃さんというのは実際にいた人ではない。
全部作り話。
お蕎麦屋さんは、その手の密偵行為はやったらしい。
でも何で泣けるか、何で根も葉もない話をこれほどの熱量を持って三波春夫は演じたか。
それは宿題で置いておく。

無我夢中で話しているが水谷譲に問題。
陣太鼓を聞いただけで俵星が興奮した。
何で太鼓を聞いたら興奮したのか?
太鼓の音で俵星はこの瞬間「命を捨ててもいい」と思った。
太鼓は討ち入りの合図だが、流儀があって「山鹿流儀の陣太鼓」と言っている。
山鹿流じゃないと感動していない。
これは武田先生の考え。
陣太鼓を叩くのは合戦の時の太鼓の音。
進軍ラッパ。
つまり大石は小さなスケールの敵討ちではなくて、赤穂家と吉良家の合戦として討ち入りを強行したという。
これは残っている資料だが、数字にそんなに間違いはないと思うが総勢で47人。
一人抜けてしまった人がいる。
死ななかった人がいるのだが、それはまた隠れた話なので別個に話すが47人で討ち入った。
対する吉良方は用心棒も含めて200人近かったらしい。
これはやっぱり命懸けで。
俵星が飛び込んでゆくのだが、有名な下り。
大石内蔵助を見つけて「命を賭けてもかまわない」と言いながら俵星が申し出ても

されども此処は此のままに、
槍を納めて御引上げ下さるならば有難し、
(「俵星玄蕃」三波春夫)

「サポートは必要無い」と言う。
なぜ断ったか。
大石が覚悟しているのは「全員この後死ぬんだ。この討ち入りを、絶対に江戸幕府が許さない」。
それともう一つ、赤穂浪士だけでやらないと赤穂藩と吉良家の戦いにならない。
「敵討ちじゃないんだ。名誉を賭けた戦いなんだ」
こだわる。
そしてあの名場面。
雪の場面、武田先生がよくやるヤツ。

『先生』『おうッ、そば屋か』(三波春夫「俵星玄蕃」)

いい。
でも反抗的人間、どこかで反抗を開始した人間達。
70年代に評判になったアルベール・カミュが言った「反抗的人間」の中の理屈を日本人は元禄の頃に既に理解していた。
カミュと内田樹さんと赤穂浪士が繋がるというのが凄いなと思う水谷譲。
繋げてしまう。
武田先生の頭は花火みたいに一個火を点けるとブワーッと横に広がっていく。
でも水谷譲は笑うが、赤穂浪士はやはり日本人の心象の中で凄く深く喰い込んでいるように思う。
これは作った方に訊いたことが無いので、あまり自信を持って言えないのだが、水谷譲にも話したことがある。
AKBは48人、乃木坂は46人。
「47」だけ避ける。
これはやはり「赤穂浪士」というタブーがあるからではないか?
そういう意味では現代の芸能界のいわゆる少女アイドルグループの人数を赤穂浪士というものがストッパーでかかっている。
本当はどうなのかを訊いてみたい水谷譲。
想像している方が楽しいので訊かない方がいい武田先生
何か我々は深いところで遠い昔の記憶みたいなものに凄く行動を操られている時がある。
赤穂浪士がこれだけドラマになって歌舞伎になって、本当に日本人は何でこんなに赤穂浪士が好きなんだろう?というのを昔から思っていた水谷譲。
やはり日本人のどこかの心象をしっかりつかまえているところがあって、それは内田さんが近代的な言葉で「それは思想でもなければ哲学でもない。程度の問題だ」。
その「程度」というのが日本人を酷く深く納得させるからではないだろうか?

そして最後に向けてだが、一種異様な三波春夫の俵星玄蕃に寄せる熱量は一体何だろうか?
10分ぐらいある。
見えるが如く彼は語り演ずる。
講談も入っているし浪曲もある、演歌もある。
民謡っぽいところもある。
武田先生が思うのは三波さんは「大きな戦争で日本は負けました。300万人もの死者が出た。それで日本は変わりました。でも変わらないところもあります」。
それが俵星玄蕃をあの熱量で、テンションで語らせた彼の思いがあるのではないか。
そういう意味で三波春夫という人は負けた日本の行く末を見ながら「日本がほんの僅かでも元気になるんだったら音頭でも『(世界の国から)こんにちは』でも何でも歌うぜ」という、そいう歌手の生き方をなさったのではないだろうかな?という。



三波春夫さんの長編歌謡浪曲を聞きながら今の武田説を12月14日、赤穂浪士が討ち入った時間にやろうという(企画を今)進行している。
今回はダイジェストでお送りしたが、凄まじい分量がある。
「俵星玄蕃」、武田先生のアイディアなのだが、日本人の深い心象を捉えて離さないこの物語をもう一度点検してはいかがかな?という提案。


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