お医者さんだが和田秀樹さんの「老害の壁」というのを下敷きに、老いた人が社会全体の害をなすという「老害」を取り上げているワケだが。
「老害」というと、もう平べったく昔のことをしきりに振り回したり語ったりする人のことを「老害」と。
武田先生も若い世代の方からは「昔のことしか話さない老害」と言われている。
老害というのはいろいろ使いやすいらしくて、YouTubeなんかを見ていたら時々武田先生が出て来る。
それでいろんな意見を言ったり他国の悪口を言ったり「武田鉄矢は悪口を言ってるぞ」みたいなのが出て来る。
でも言った覚えが無いことだけは事実。
だからある発言を受けてその人がそういうふうに解釈して「武田鉄矢があの人とあの国の悪口を言ってるぞ」みたいなことに仕立て上げているんだろうと思って。
「切り取り」というのは今、大流行りだから。
「女性の政治家を生まないとあなた方、女性としては・・・」なんていう、そういう発言もいつの間にか「女を『生む生き物だ』というふうに決めつけている」というような・・・
国語的表現でそういうのあるじゃ無ぇか、という。
揚げ足を取り過ぎだなと思う水谷譲。
揚げ足を取り過ぎてまたぐら丸見えみたいな。
何かよくわからないが。
それは発言としてはどうかと思う水谷譲。
こういうのを「老害」と言う。
言葉を知りすぎているものだから使い過ぎるというヤツ。
「いろんな番組に出てベラベラ喋るのよく無いなぁ」とか「それ誤解されるよ」とかと身内からも注意されたり。
そう言われるとガクッときて落ち込むのだが、和田先生は断固たるもので「気にするな」と言う。
「どうせ言葉なんてのは正確に伝わらないんだ」
はっきりおっしゃる。
和田先生がおっしゃっているのは「切り取り等々で発言を曲解する、そういうバカモンというのはいるんだ。放っときゃいいんだ」
自分が思うことを萎縮しないで発信してください。そのほうが、いろんなストレスからも解放されるでしょう。(「老害の壁」100頁)
このあたり見事。
ただし付け足してあった。
「人の名前を使って金儲けに使うというような切り取りに関しては犯罪だから訴えましょう。バンバカ訴えていいんです、そういう輩は」という。
ここからまた、和田先生のお医者さんらしい不満というか怒りが書いてあったのだが。
今、日本には認知症患者が約600万人いるといわれています。(「老害の壁」122頁)
600万人、大変な数。
これは高齢者では4人に1人か3人に1人かという、かなりの確率になるという。
これを和田先生はワリと怒ってらっしゃる。
「大きな言葉を使い過ぎる」と。
老化現象の一種の物忘れを大きく括って「認知症」という病名を使うな。
病気なのか「もうおじいちゃんおばあちゃんだからしょうがないよね」というものなのかというのがちょっと境目が無くなってきていると思う水谷譲。
毎日徘徊していると言っても、家には帰ってきているわけですから、その老人は毎日散歩しているだけなのかもしれません。(「老害の壁」125頁)
認知症の問題点は何か?基準点はどこか?というと、ご近所に迷惑をかける線路への立ち入り等々、これは認知症だから何とかしなくてはいけない。
だが掃除はするわ、「鉄道は危ないわ」ということはわかるわ、そんなのは認知症でも何でもないんだ。
その他に火の消し忘れとか、近道を忘れてしまって遠回りをした。
こんなのは認知症じゃない。
(このあたりは本の内容とは異なる)
それは和田先生曰く「うっかり」で「ぼんやり」なんだ。
うっかりとぼんやりは順調に年を取っているあかしだ。
大きい言葉ですぐに「認知症の初期症状」とか、そういうふうに決めつけてしまう対応の仕方、呼び方ってまずいんじゃ無ぇの?
しまった!と本人が思ってるんだったら全然認知症じゃない。
うっかり、ぼんやりは水谷譲もある。
それから注意されるが火の消し忘れ等々、これはなかなか怖い。
ただ最近、点けっぱなしでもタイマーで消えるようになっている。
本当に安心・安全になったと思う水谷譲。
それを最初に操作しておけば、無いワケで。
マツコさんなんか、お漏らしの一件とか堂々と言う。
マツコさんはやっぱりお漏らしをしてしまうらしい。
夢の中でおしっこをしながら、ふと「こんなとこでおしっこするハズがない」と思うとだいたいお漏らししているという。
「大きいくくりで病気病気と呼ぶのはやめなさいよ」と先生はおっしゃっている。
そういえばこの間聞いた話で、片頭痛が酷くて脳の先生のところへ行ったそうだ。
そうしたらもの凄い勢いで怒られて。
脳の病気に片頭痛というのは無い。
「片頭痛は無いんだよ。脳の病気には。内科に行って」
内科の先生が見た瞬間「あ、片頭痛ですね」と言ったという。
武田先生なんかも典型的に世に害をなすという意味の「老害」の部分があるのだが、一つは昭和に生きていた時に令和の日本を想像できなかった。
水谷譲なんかは全然ピンとこないかも知れないが、武田先生達団塊の世代で戦後すぐの子。
「この国に生まれたことを恥ずかしく思いましょう」運動というのがあった。
日本は貧しくて、間違った戦争をして、民主主義ができなくて、アメリカに一生懸命教えてもらっている、それが日本という認識。
それで日本の持っている習慣は全て奇習で、外国の非常識だった。
よく言われていたのが「麺類を音させて食べるなんて」。
昭和の頃、よく言われていた。
「下品な!スパゲティをすするんだぜ、日本人は」と。
それで当然、マナーとして蕎麦をすする爺さんがいるんだと言われていた。
何でこんなことを言うかというと、これは武田先生にとってはびっくりするような光景を見た。
令和の方は全然驚かないだろう。
昭和、戦後すぐに育ったこの鉄矢老害が驚く。
羽田の飛行場で見かけた風景。
金髪の綺麗なマダムが、可愛らしいお人形さんみたいな女の子と二人でうどんを喰っている。
マリリンモンローがうどん喰うか?
あれが富士そばか何かに入って、サブウェイの立ち喰いか何かで蕎麦喰うか?
もう武田先生はダメ。
それが箸の使い方が危ういんだったらまだわかる。
日本に来て、あの割り箸のワケのわからないので・・・
それはもの凄い麺類を上下させながらつゆに浸して喰っている。
それで娘と何か「quickley,quickley」と言いながら娘に子供用のボール茶碗でこう麺類を注いで分けてあげて、娘にはフォークで食べさせてあったけれども。
でもあんなに箸で器用にすする人というのが・・・
(外国の方も箸使いが)上手。
それを見た時に「昭和の常識・令和の非常識」と言われるが、武田先生達の頃に非常識だったものが今、常識になっていることへの違和というのが強烈にある。
「武田先生はモロ昭和」だと思う水谷譲。
モロ昭和の話を脱線でする。
武田先生はタイトルを聞いただけで笑った。
何かの番組で昭和の深夜番組のタイトルを挙げていた。
そうしたらもう令和の今、タイトルだけでアウト。
「11PM(イレブンピーエム)」(日本テレビ系)「露天風呂紹介うさぎちゃん」。
これはもう見たことがある。
本当に露天風呂に浸かっておられる「うさぎちゃん」という愛くるしい少女が「効能は〜の〜わせ〜ん」と、そういうのを温泉について語るのだが、誰も温泉なんか見てない。
「露天風呂のうさぎちゃん」
別の深夜番組。
チャンネルを変える。
「(独占!)男の時間」(東京12チャンネル)
司会、山城新伍。
その夜の特集。
「全国素人ストリップ選手権」
どんな番組だよ?
「オールナイトフジ」(フジテレビ系)
司会、とんねるず。
コーナー「あなたのパンツ見せて下さい」。
凄い。
そしてこの深夜番組のアイドル「オナッターズ」。
驚くなかれその中で歌とも踊りともつかないヒット曲があって、そのオナッターズの歌う歌のタイトルが「テンパイポンチン体操」。
そして山本晋也さん司会で有名な、これはテレ朝だったと思う「トゥナイト」「ノーパン喫茶めぐり」。
もうタイトルだけで令和ではありえない。
抗議の電話が凄いだろう。
老若男女見ていた。
その手の大人の世界を、こっそりだが子供も見ていた。
それで「早く大人になりたいな」と思うという。
「昭和の常識・令和の非常識」と言われているが「昭和の非常識・令和の常識」ということもあり得るワケで、大変申し訳ないが、「この手のところからテレビはスタートしたんだよ」という。
そこを誰かが語っていないといけないじゃないかというところに老害と言われる武田先生の意味があるワケで、是非そんなふうに了解していただけないだろうかと。
ここで本を乗り換える。
次なる本は藤井英子さんの本で「ほどよく忘れて生きていく」。
サンマーク出版で、何とこの藤井さんは女医さんで、91歳で心療内科を自ら始めた。
知恵に裏打ちされた助言がいっぱい載っている。
紹介する。
人間関係は、考えすぎないほうが
うまくいく気がします。(「ほどよく忘れて生きていく」24頁)
相手のことを考えない時間を持つこと。(「ほどよく忘れて生きていく」25頁)
これはいい言葉。
誰でもある。
「苦手な人とうまくやろう」なんて
最初から思わないことです。
関わりを絶てないならば、
相手のことを考えない時間を
つくること。(「ほどよく忘れて生きていく」34頁)
「忘れる練習」を繰り返し行うのです。(「ほどよく忘れて生きていく」35頁)
「これをしながら生きていかなければなりませんよ」
これはハッとする。
「忘れる練習」
練習で忘れられるのか?と思う水谷譲。
それはわからない武田先生。
だが「忘れる練習」が世の中にあるということだけは覚えておきましょう。
(藤井)先生がおっしゃるのだから、あるのだろう。
これはあまり大げさな言葉で言いたくないのだが、年を取ると夜中にフッと目が覚めてちょっと悪い方に悪い方に物事を考えるという、そういう嫌な流れの眠れない夜というのがある。
水谷譲も最近ある。
「遅れる」とか「遅刻する」夢を未だに見る水谷譲。
日本人の殆どが夢はそれ。
「遅れる」というか「間に合わない」というのが日本人の悪夢の典型。
生放送がもう始まっているのに、どこか他の所にいて踏切が開かないという夢を見る水谷譲。
試験会場に間に合わないとか。
それは日本人の殆どがそんな夢を見ていると思ってこれから過ごして下さい。
「みんなが見てるんだ」と思っていれば(遅刻は夢に)出て来なくなる。
「私だけだ」と思うから見る。
遠い昔、日本人に何かあったようだ。
その出来事が夢を見させるようだ。
日本人は時間にもの凄くうるさい。
その性格は進化のどこかの段階で出来事が太古にあったようだ。
それは日本人だけ。
オランダ人は別の悪夢を見る。
これはまた、三枚におろすので待っていて。
水谷譲が夢を見る。
でも夢の方も水谷譲を見ている。
そういうことがあって「これは私だけのことではないんだ」と思った瞬間、そいつが作戦を変えてくる。
これはまたゆっくりやる。
忘れる練習はした方がいい。
長い人生を生きてきて、武田先生も一生懸命生きてきたのだが、時として人生の中で何人か深く傷付けた人の思い出がある。
その人のことを眠れない夜なんかにフッと思い出して「あの人はどうしてるかな?」とか「あんなことをあの時言わなきゃよかった」とかという何人かがいる。
藤井先生はそのことで考え込むのは辞めた方がいいよ、という。
「あなたがその人に対して『悪いなぁ』と思っているかも知れないが、その人、あなたのことをすっかり忘れてるよ。その可能性を全部消して『傷つけた傷つけた』ばっかり思い出しちゃダメ」という。
また水谷譲は関係ないのだが、藤井先生が凄く警戒してらっしゃるのは老いの鬱。
やっぱり危険だそうだ。
(このあたりの話を番組では「ほどよく忘れて生きていく」の内容として紹介されているが「老害の壁」の方)
うつ病の4割は60歳以上というデータがあります。高齢者がうつ病になりやすい理由の1つに、セロトニンの減少が考えられます。−中略−高齢者の場合はそれに加えて加齢によってもセロトニンが出にくくなります。(「老害の壁」130頁)
セロトニンは朝、太陽の光を浴びると分泌量が増えます。そして、このセロトニンを材料にして、夜になると「睡眠ホルモン」とも呼ばれるメラトニンがつくられます。−中略−
朝日を浴びてセロトニンが増えれば、うつ症状も改善され、夜もぐっすり眠れるようになるでしょう。(「老害の壁」131頁)
(番組の中で「メロトニン」と言っているようだが「メラトニン」)
いいことも悪いことも、
ほどよく「忘れる」ほうが
いい気がします。(「ほどよく忘れて生きていく」114頁)
これはきっとアレ。
悪いことを思い出すというのはいいことを思い出すから。
水谷譲が昔、酷く傷付けた男がいた。
その男のことを思い出して「あの人傷付けたな」と水谷譲が思っているとする。
それはどこかで「アタシがいい女だから、こういうことになっちゃったのよね」といううぬぼれがある、という。
そんなふうに考えるとやはり武田先生は運がいい。
だから悪いことを思い出す。
だが「いいことはいいことで感謝していいけれども、両方忘れていかないとバランス悪いよ」という。
これは藤井先生、なかなかいい。
いいことも悪いこともほどよく忘れる方がいい。
そんなふうにおっしゃる心療内科の藤井先生。
ふと思ったのだが、プーチン大統領。
第二次世界大戦の戦勝記念日の儀式をやっておられる報道の画面を見た。
プーチン大統領、その後ろ側に二次大戦を生き抜いた兵隊の爺ちゃん達がいっぱい勲章を付けて並んでいるが、向かって右手の方に半分眠っているお爺ちゃんがいる。
この藤井先生の本を読んでいる時にフッと思ったのだがプーチンさんの後ろに並んでいる爺ちゃん達は、戦場のことを忘れない為に勲章を付けているワケで。
まあ勝った戦争だから威張りたいのはよくわかるが、いいことも悪いことも爺ちゃん達は忘れた方がいい。
戦争が心の傷になるが如く、戦場で立てた手柄もこのお爺ちゃんたちに永遠に戦争の傷を残している。
それを胸に付けているということになりはしないか?
このお爺ちゃん達は戦争の記憶と共に、その悲惨、残酷、自分がやった勝利の為の殺害等々に関してずっと忘れずに生きていかねばならないワケで「戦場で貰った勲章というのは間違うと心の傷になりますよ」という。
武田先生がいいことを言っている。
自分で付け足したアレだが。
「プーチン大統領にお願いしたいのはただ一つ、勲章より肩掛けのケープの方が老人達には似合うのではないでしょうか?」
「ほどよく忘れる」とかというと、また怒る人が出てくる。
メディアの口癖だが「忘れてはいけない!あの悲惨さを!風化、止めなければならない!」
そういう言葉遣いで批判するワケだが、しかしこの「忘れてはいけない」というのは「忘れることを禁じている」ことではない。
これは藤井先生がいいことをおっしゃっている。
「そんなこともありましたね」と、ときどき、言われて思い出すくらいがちょうどいい気がします。(「ほどよく忘れて生きていく」115頁)
そのことをいつでも忘れずに覚えているということは、病名で「トラウマ」と言う。
だからメディアの人はトラウマを薦めている。
「ほどよく忘れる」ということの重大さで、その記憶を出し入れできるという。
そんなふうに考えると「藤井先生はいいことをおっしゃっているなぁ」というふうに思う。
それと地震が起こった地域に関してボランティアの集まりが少なかったりなんかすると、「地震が風化しております」とか言うが、
人は何かをしてあげることで、
同時に受け取っています。
励ましているように見えて、
励まされているのは
自分だったりします。(「ほどよく忘れて生きていく」170頁)
胸に沁みる言葉。
特に日本の場合は天災とか災害が凄く多いお国柄。
それ故に「お陰様」とかという摩訶不思議な宗教用語が生まれて、お互いの親切さを交換するという。
お陰様。
「陰」に「様」を付けているワケだから。
目の前には出てこないということなのだろう。
「利他思想」
他力、人にすがることによって自らも変わるという、そういう他力思想があるが、思想として暮らしの中に根付いている珍しい国ではないだろうか?
ちょっとびっくりしたのだがBBCの放送で自然物を見ていた。
そうしたらインドのコブラをやっていた。
インドの街ではコブラはそこらへんにいっぱいいる。
(コブラには)毒がある。
それで子供が公園で遊んでいる横をコブラがずっと這ったりなんかして、草むらなんかに入っていく。
その横を子供が裸足で走り回っている。
噛まない。
インドのコブラは人間を敵だと思っていない。
それからヒンズー教のサル。
ヒンズー教寺院に住んでいるサルは人間とのエサの交渉を知っている。
ヒンズー教の方、すみません。
BBCのキャメラが見せてくれたが、観光客がウロチョロしていると、ヒンズー教のサルが人間のメガネを取り上げる。
それで人間が追いかけてきて、「返せ」とかと言う。
そのメガネを振り上げて返してくれない。
その時にバナナを一本出すとパン!と(メガネを)捨てる。
交換ということ。
商売を覚えてしまった。
ボスザルは何か?
ボスザルはもっと凄い。
女の人の履物を片一方だけ取る。
それで女の人がキャーッ!と言いながらバナナを一本出すと(履物の)片一方をポーンと返す。
交渉することによってエサを得るという。
人間社会の中でどう野生動物が生きていくか。
彼らも懸命に考えている。
話が脱線したが、人間というのはそんな野生の動物よりも賢い。
だから「助け合うこと」というのがいかに社会にとって大事か。
学びましょう。
ここからは老いを完成させる知恵をご紹介したいと思う。
養生訓。
これは和田先生。
先週紹介した和田先生の「こんな工夫いかがでしょうか?」という提案。
60代、70代にも、若い頃にハマったサブカルがあるものです。(「老害の壁」156頁)
老害と言われようがなんと言われようが、それが好きなら買って集めるのです。(「老害の壁」157頁)
由美かおる、「同棲時代(−今日子と次郎−)」のあのポスター
高橋恵子(当時は関根恵子)、「おさな妻」のあのポスター
風邪薬の酒井和歌子のあの笑顔
「ローマの休日」のヘップバーン
若大将シリーズ
そういうものの中にアナタを若くさせる不思議なサブカルチャーがある。
若い時は英語の歌、好きだっただろう?
その英語の歌を日本語に訳して、じゃない。
英語で歌えるようにもう一回出会い直そう。
あの時に何言ってるかわからないけれどもフフフフフン♪とかと歌っていたのを、年を取って時間がある。
英語で歌おうじゃないの。
それからA面のヒット曲に縛られず、B面を探そう。
ビートルズ、仲間に書いたポップスがある。
あれが大好きだった。
ピーター&ゴードンの「愛なき世界」。
Please lock me away
And don’t allow the day
Here inside
Where I hide
With my loneliness(ピーター&ゴードン「愛なき世界」)
そういう「B面ソング」を敢えて口にしてみるという。
今は両A面が多いと思う水谷譲。
昔はB面という・・・
でもB面の中に名曲とこだわりの一曲がある。
和田先生はしきりに薬の危険性を説いておられる。
ワクチンを打ったことが原因で亡くなった可能性がある人が少なからずいますが、全体としてみればリスクよりも利益のほうがはるかに大きいというのがワクチンを推奨する根拠になっています。(「老害の壁」174頁)
ここで一番言いたいことは、薬には利益もあるけど、害(リスク)も意外に大きいということです。(「老害の壁」174頁)
そのことを覚悟して付き合うべきだよ、と、こんなことをおっしゃっている。
日本の医療が臓器別診療のスタイルをとっているからです。例えば、総合病院へ行くと、血圧が高ければ循環器内科で血圧の薬が出る一方、血糖値も高ければ内分泌代謝内科でも薬が出ます。さらに頻尿の症状があれば泌尿器科でも薬が出ることになるのです。(「老害の壁」177頁)
科が違うと全体を見る先生がいない。
だから前にも言ったように脳の方のお医者さんのところに行って「片頭痛です」と言うと「そんな病気は脳には無い。内科に行きなさい」と(内科に)行ったら「片頭痛ですね」と言われたという。
落語みたいだと思う水谷譲。
そういうことが本当にあるので「全体を自分で押さえておかなければダメですよ」。
こんなことを勘違いする人はいないだろうが「胃がんというものがあれば、それは切れば長生きできるという意味ではありませんよ。外科手術ってそこまで完璧なものではないですよ」という。
先週と今週に亘って使った本が「老害の壁」。
そしてもう一つ、藤井先生の「ほどよく忘れて生きていく」。
両方とも医療に携わるお医者様の本。
共通しているのは「自分の好きな老いの道を選んでください」ということ。
他にも読んだ本があって、これは取り上げなかった。
小説なので皆さんにはピタっとこないかな?と思って取り上げなかった。
小川有里さんの「死んでしまえば最愛の人」。
「夫は81歳元気。昔から自分勝手で私の人生と体力をさんざ使ってきた。ここにきて私が命令する番よ。喰うか喰われるか、恐竜の世界のようなものよ、老後は」とおっしゃるという。
こういう厳しい老後の世界も事実。
「死んでしまえば最愛の人」。
本当にそうだろうと思う。
これとは対照的に皆様にお薦めしたいのは青木さんの「アローン・アゲイン」。
この人はピート・ハミルというニューヨークタイムスで記事を書いていた作家さんの奥さん。
日本人の方で、この方が若い時、日本に音楽雑誌記者としておられて、武田先生達のこともインタビューなさっている。
その方がアメリカに渡って、ピート・ハミルさんという記者さんと結婚して。
ピートさんは亡くなられたのだが、ピートさんとの思い出話をずっとエッセーで書いてある。
これが異国の、ニューヨークの街の出来事だが、何か70年代を思い出して、たまらなく胸がキュンキュンする。
ジョン・レノンとすれ違ったりボブ・ディランとすれ違うというニューヨークの青春。
そして武田先生にとってももの凄く大きいのは、このピート・ハミルさんがニューヨークのエッセーにお書きになったのが「幸せの黄色いリボン」という小話で、それがやがてフォークソングになって
そのフォークソングを気に入って山田洋次監督が映画になさって、若者役を武田先生が務めたという。
不思議なご縁。
ピートさんは「(幸福の)黄色いハンカチ」をご覧になってくださって、笑い転げておられてた。
ちょっと汚いが武田先生が北海道で下痢をして草原をウンコをしながら走るというシーンのところで手を打って・・・
あれは名場面だと思う水谷譲。
因縁浅からぬ方で、この青木さんとこの間一杯呑むことができて。
皆さん因果。
ピートさんの奥さんなんかと、こうやって会うのだから。
三軒茶屋で一杯呑んだ。
これはいっぱい話があるのだが、これはおいおいゆっくり話していきましょう。
というワケで「老害」と題してお送りした。