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2024年10月10日

2024年5月13〜24日◆サルタヒコ(前編)

(今回のネタ本は二冊だが、番組の前半では紹介されない)

サルタヒコのゆくえ: 仮面に隠された古代王朝の秘密



猿田彦の怨霊:小余綾俊輔の封印講義



BSなのだが「英雄たちの選択」という武田先生好みで、これを見るのが大好きで。
(番組の司会の)磯田(道史)さん、この方が自分の歴史観を語るのだが、例えば関ヶ原の戦いで小早川秀秋という人がいるのだが、豊臣秀吉に育てられながら天下分け目の戦いでは家康に味方したということで彼は歴史上「裏切者」という。
しかしよくよく調べると「この小早川は決して裏切者ではありませんよ」と。
戦国の武将として全体の戦略を見ればどっちが勝つかはわかり切っているので、武将としては家康に付くのは当然ではないか、という。
後世の、後の世の人達が「裏切り裏切り」と言うけどそんなことはないですよ、という。
歴史というのは常に勝者によって語られるので、その中には敵となった人、関ヶ原では石田三成、そういう悪役が作られる。
それともう一つ、消された人物がいる。
そういう人達のことも調べ上げないと、という。
磯田さんはいいことをおっしゃっている。
歴史上で消された人、最大の消された人。
武田先生流で言えば簡単で「坂本龍馬」。
坂本龍馬は何人かが知っていて他の人は誰も知らなかった。
坂本龍馬は正史に堂々と出て来た、歴史上に堂々と出て来た人ではない。
あれは土佐の若い衆達が「アイツは面白かった」と語り継いでゆくうちに蘇った人。
龍馬がやったと言われる大政奉還案にしろ、あれは歴史の上では後藤象二郎という土佐藩の家老がやったことであって、後藤は「あれは坂本が考えたんですよ」なんて言っているワケがない。
だから坂本龍馬は消えかかった。
若い衆は「坂本ってのは凄かったよ」と言っているうちにそのレジェンドだけが残って、そこから出て来る。
そういうのが面白い。
だから坂本龍馬というのは内田樹さんという哲学者の方が絶妙のことを言っているのだが、龍馬を暗殺した人達は龍馬を歴史から消したかった。
ところが世の中は不思議。
消されることによって名前が残ってしまった。
「消されたことによって名前が残る」というそんな人は本当にいる。
聖徳太子という人がいて、これは一説での説。
いたかいなかったかよくわかっていない。
この人も伝説に残っていて、正史に残っていない。
聖徳太子でいうと一遍に十人の人からの話を聞けたみたいなちょっとドラマみたいなエピソードしか残っていないと思う水谷譲。
お母さんが旅している最中、途中の馬小屋の中で出産しちゃった。
それで「厩戸皇子」とかと聖人化してゆくという。
ただ、正史には残っていない。
正史に残らないという人は、いたかいなかったか本当はわからない。
浄土真宗の親鸞なんかも一時期は「いなかったんじゃないか」。
正式な歴史の本に残っていない。
レジェンドはあったのだが。
こういう不思議な人物が歴史の中に点々といる。
磯田さんの提案は「そういう人達も一回歴史上に上げて、綺麗にさらって泥を落とさないとその人の正体というのがわかりませんぜ」という。
歴史を作ったのは戦いに勝った人。
そしてもう一つの一群の中に歴史上で消されてしまった人達。
それを探し出して見せない限り真相、歴史的な流れを正確に言い当てることはできませんよ、という。

今日まな板の上に置いたのは「サルタヒコ」。
コーヒーショップで「猿田彦」という店があるが、そこからきているのか?と思う水谷譲。
(「ブランド名(屋号)は『みちひらき』の神様・三重県伊勢市の猿田彦大神から拝受しております」とのこと)
それはどうか知らない武田先生。
ただし、水谷譲がコーヒーショップを連想する程、場違いなというか。
舞台で猿田彦が何かで出て来たような気がするが何をやった人かはわからない水谷譲。
ゆっくりご説明しましょう。
日本の初めての歴史の教科書が二冊ある。
一冊が「古事記」もう一冊が「日本書紀」。
古事記と日本書紀の中に登場する神様。

 サルタヒコがどのような容姿であったかは『日本書紀』にのみ記されている。
 その八年前に成立した『古事記』にはそういった記述は一切ない。
(「サルタヒコのゆくえ」13頁)

日本書紀の方ではそうとう妙ちくりんな神様として登場する。
「名前はちょっと聞いたことがある」とか、それから「何かにも出てきましたよね」と水谷譲が言う通りで、サルタヒコの風貌が天狗になってしまう。

やがてそれが天狗のモデルともなっていった。(「猿田彦の怨霊」54頁)

異形の姿として登場する神様。
とてもとても不思議な神様だが、いかな神様か?

日本書紀そのものは養老四年(西暦)720年に完成した歴史書。
日本で初めての歴史書。
これは大和政権、大和の天皇家が「俺が昔からの王様なんだぞ」という正当性を叫んだ、天皇家の系譜を歴史に残すという事業で登場した書物ということ。
天孫族、つまり天皇家の始まりの神様が大和の国、日本を目指して天からずーっと天下りしてきた。
その高天原から日本の瑞穂の国、日本に降りて来る途中、天の八衢(あまのやちまた)という何叉路にも分かれたところに来て「あれ?どっち行こうか?」という話になった。
その時にその道脇で待っていた神様がサルタヒコ。
この人の風貌が

▼読み下し
「一人の神あり。天の八達の衢に居りたり。
 その鼻の長さ七咫。背の高さ七尺あまり。七尋という。
 また口尻明かく耀けり。
 眼は八咫鏡の如くにして、赩く輝けること赤酸醬に似る也」
▼口語訳
「ひとりの神が、天の道の交差点にいた。
 その鼻の長さは七咫(約一二六cm)、身長は七尺(約二一〇cm)。巨大である。
 口の端が明るく輝いていた。
 眼は八咫鏡のように大きく、赤く輝いているさまはホオズキ(酸漿・鬼灯)に似ていた」
(「サルタヒコのゆくえ」14頁)

アマテラスの孫であるニニギノミコトは高天原の神々を従えて豊葦原、瑞穂の国、このヒノモトに天下った。
新しく王様になる為の遠征が始まったワケだが、このニニギにはニギハヤというお兄さんがいた。
兄が先に出発した。
ところがその後、音信不通になる。
連絡が来ない。
それでアマテラスオオミカミは「よし、じゃあ弟の今度はアンタが行きなさい」ということで高天原の有力メンバーをこのニニギにくっつけて瑞穂の国に行かせた。
その瑞穂の国に遠征途中でバッタリと遭遇した異人がサルタヒコ。
日本書紀は怪奇な巨人として登場させているが、古事記にはこのようなことは一切書かれていない。
不思議なもの。
この時に、ニニギは不気味な神様が睨んでいるので「いきなり暴れたりするんじゃ無ぇかな」と思って「おい!スタッフ呼んで」。
その呼びつけたスタッフが女性。
アメノウズメノミコト。

天鈿女命は、自分の胸を露わにむき出して、腰紐を臍の下まで押し下げ、嘲笑って猿田彦神と向かい立ち、−中略−この天鈿女命の所作は、天岩戸開きで見せたのと同様の「性的所作」といわれている。天岩戸の際には、この所作によって大勢の神々の笑いを誘い、岩戸にお隠れになっている天照大神を呼び出したのだが、この時も猿田彦神の感心を見事に惹いた。(「猿田彦の怨霊」64頁)

言ったことが不思議な一言。
神様の会話だから。
「私が先に行く?それともあなたが先に行く?どっち?」

天鈿女命が、天孫をどこに連れて行こうとするのかと尋ねると、
「筑紫の日向の高千穂の槵触峯」に、そして自分は「伊勢の狭長田の五十鈴の川上」へ行くのだと答えた。
(「猿田彦の怨霊」93頁)

そのニニギがこの後、どこに行けばいいかというのを指図したという。
「自分は伊勢の方に行くわ」これだけを伝えてサルタヒコは去っていったという。
この時に不思議なことにアメノウズメノミコトも一緒に伊勢へ去ったという。
ニニギは筑紫の日向の高千穂のクシフルダケというところに降りようというところで天からスーッと宮崎の方に降りたという、こういう話。
これは日本書紀の中で何が言いたいかというと、ニニギに一番最初に降り立つべき場所を教えた神様ということで

 この言葉から、猿田彦神が「道開きの神」−中略−と呼ばれるようになった。(「猿田彦の怨霊」93頁)

「道を案内する神様」ということで信仰の対象になっていった。
ニニギがサルタヒコから行けと言われた筑紫の日向の高千穂のクシフルダケ。
これは「筑紫」と「日向」は全然違う。
筑紫は武田先生が生まれたところ(福岡)。
日向は違う。
東国原さんのところ(宮崎)。
何か九州がごちゃごちゃに地名として書いてある。
何でこんなにグジャグジャに・・・
だから変な言い方をすると日本書紀を書いた人は宮崎と福岡の違いがわからかったような人なのかな?と。
「アマ」というのを「海」と読んで、船でやってきた一団が日向の沖で上陸したポイントが宮崎だったという。
そんなふうに読んだらどうだろうか?という。

日本のヤオヨロズの神が住みたもうというこの大八洲(おおやしま)だが、その神の一人、サルタヒコを扱っている。
奇妙な神様。
鼻がもの凄く長くて天狗と同じで顔が真っ赤っ赤。
身長は2mもあるというような大男。
異国から海を渡ってやってきた神様と土着の神様。
そういうものがゆっくり混ざってゆくその過程を歴史で書いたのが日本書紀ではないだろうか?
ことごとく神話。
それで「アンタ方ここ行きなさいよ」とサルタヒコが勧めた。
日本のことをよく知っているということ。
それで「ここに住んだらどう?」と勧めてくれた。
それが日向の国、高千穂のあの一帯。
そこに天孫族の神が降り立ったという。
先住の神、先に住んでいた神が新たにやってきた神へ、開拓すべき土地を教えてあげた。
そしてサルタヒコ自身は自分の本拠地、伊勢へ帰った、というワケ。
その時に交渉係に立ったアメノウズメノミコト、女性の肉体美の神様を誘って一緒に伊勢まで行ったという。
この一組の神様はこの伊勢で夫婦生活を営む。
ところがあっけなく物語は終わってしまう。
本拠地伊勢の狭長田の五十鈴川、今の伊勢神宮の五十鈴川の川上というところが住まいだったらしく、そこに行ったらしい。
今でこそ伊勢だが、昔はサルタヒコが支配する土地だったのではないだろうか?という。
そこでこんなことになった。

アメノウズメは、むすばれてまもなく寡婦となる。
 サルタヒコが漁のために伊勢の阿邪訶(松阪)の海に潜った際に比良夫貝(オオシャコ貝)に手を挟まれて溺死してしまったためである。
(「サルタヒコのゆくえ」4頁)

貝類では世界最大のもので−中略−
 これまでに発見されたもので最大のものは、体長一三五センチメートル、重量二三〇キログラムにも達していたという。
(「サルタヒコのゆくえ」208頁)

これは恐らく今で言うところのシャコ貝ではなかろうか?
パラオで見たことがある武田先生。
シャコ貝が海底にバーッとある。
貝がタンスぐらいの大きさ。
「ビーナス誕生」のあのシャコ貝。

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それはもう重機がないと上がらない。
このあたり、死に様からしてもサルタヒコというのは海にまつわる一族の臭いがする。

猿田彦神は、間違いなく海神たちの主だった。(「猿田彦の怨霊」156頁)

遠い昔、海から日本に辿り着いたという一族の神だったのだろう。
このサルタヒコは海の臭いがする。
何か南海の男子を思わせる、そんな気がする。
それで後にそこにアマテラスオオミカミがやって来る。
伊勢は、最初にサルタヒコの領地だったのではないか?
アメノウズメノミコトとサルタヒコ夫婦。
夫婦でその土地に化身として宿ったのが二見浦の夫婦岩。
あれが実はサルタとアメノウズメの化身、墓標みたいなものじゃないかという。
そして驚くなかれだが、サルタヒコ信仰というのは凄いもので

 サルタヒコを祭神としている神社は、全国に三三〇〇余社鎮座する。(「サルタヒコのゆくえ」84頁)

アマテラスオオミカミが5000、ニニギノミコト、あの皇太子、そこに住み着くことになったニニギ、これが1000。
天つ神の英雄、ヤマトタケルが1009か所だから。
(「サルタヒコのゆくえ」によると1900余社)
第二番目。
いかにも脇役扱いでフイッと消されるのだが、実は脇役ではなかったのではないか?という。
いろんなところに点々とサルタヒコの神社があるので、恐らく日本を縦横に海を利用して移動していた一族ではないだろうか。
それでその風貌が天狗伝説になったりするという。
それは天狗、なまはげ、それから沖縄ではマユンガナシという大男の怪物がいるそうだ。
このマユンガナシの子分がキジムナーだ。
真緑のヤツ。
そういう海からこの国に住み着いて神になったというその系譜がサルタヒコではないだろうか?という。
それでニニギノミコトにちゃんと道を教えてあげたワケだから、繰り返しになるが、長野の信濃路など旅すると道祖神の石仏が立っているが、その石仏の中に男女神が肩を寄せ合って抱き合っている姿が道中安全の守り神になっている。
これは信濃あたりにもどうもサルタヒコの臭いが、という。
信濃は不思議。
御柱というのはまさしく古代。
この不思議な不思議なサルタヒコ。
様々な推論を巡らせてゆこうと思う。

日本書紀に登場するサルタヒコを扱っている。
日本書紀はこの奇怪な神を先住、先に住んでいた神としてなぜ描いたのか?
それはやはりこの神は相当、日本全国で人気があったのではないだろうか?
この日本書紀が書かれた時は万葉仮名の時代で、音読み・訓読みではなく、音読みだけで漢字を読んでいた。
日本書紀というのは仮名が生まれる百年前の書物。
だから日本語の音を漢字の音に当てて作られた、書かれたという書物。
だから日本語読みの時と漢字が出てきてから名前が変わってしまったものとかがある。
富士山。
あれは神社は「センゲン神社」という。
センゲンは何か?
漢字は「浅間」。
あれは大元の名前は「アサマヤマ」だった。
アサマヤマは軽井沢の方にもある。
活火山で煙を吹いている山を縄文の頃の人達はどうも「アサ」という呼び名で呼んだようだ。
だから「アサマ」も「アサ」、「富士山」も「アサマ」、九州にある活火山は「阿曽(アソ)」。
ところが漢字が入ってくると、漢字で山を描くことになって、平仮名ができるギリギリに「竹取物語」という物語が日本で初めて生まれた時に富士山が出て来る。
かぐや姫が不老不死の薬をお爺さんとお婆さんにあげるのだが、お爺さんとお婆さんはかぐや姫がいなくなってしまうので「そんな薬、いらないわ」と言いながら富士山のてっぺんで燃やしてしまう。
その煙が富士山にいつもなびいているもので「アサマ」というのをやめて「死なない山」で永遠の命の薬を焼いてしまったので「不死の山」。
そのあたりから漢字がどんどん転用されていって「不死」から尽きることが無いという意味の「不二家」の「不二」、「この世に二つとない」という「不二」になって、その後「富める士」という。
古代では「アサマ」と呼んでいたものが「不死」から「富士」になったという。
ここではっきりしていることは日本書紀を書いたあたりの人達は漢字に精通している。
だからサルタヒコに「猿」の字を当てている。

あえて「猿」の字を用いて、サルタヒコを貶める意図があったと解釈せざるを得ない。
 記紀を始めとする公文書の執筆や編纂に携わったのは
−中略−母国語である漢字の意味を知らなかったということはあり得ない。つまりこれは、−中略−「卑字」を下賜するという慣習を踏襲したものと考えられる。(「サルタヒコのゆくえ」77頁)

この人達が後に「倭」をやめて「大和」にしたり「日本」にしたりするという。
そういう知恵を持った人達がこの日本書紀をやっている。

これも本来は「サタヒコ」等と表記すべきであるだろう。(「サルタヒコのゆくえ」78頁)

そうすると地方の地名の中にこの「サタ」によく似た響きがある。
「猿投(さなげ)」
名古屋にある。
「猿島(さしま)」
これも「猿の島」と書くのだがサルは関係ない。
こんなふうにしてサルをあてて風貌を連想させて歴史を残したというのが日本書紀の正体ではないだろうか?という。
その風貌「赤ら顔」「巨大な鼻」それから「ホオズキのような赤い目」「2m以上の偉丈夫」。
戸矢学さんという面白い古代史の研究家がいる。
神様をずっと並べていって神社に残っている神様で日本の歴史を見ていくという。
この人が、この風貌はどう見ても海人族だという。
海からやってきた。
赤ら顔、日に焼けている、海人族は全身に入れ墨を入れていたので、あのテラテラ光る頬とかというのは入れ墨ではないだろうか?
そしていつも海に潜っていたから目が真っ赤。
ホオズキのような赤い目という、漁労関係者の風貌を神の風貌にしたのではないだろうか?
そして鼻。
126cmもあったという。
その鼻は一体何だ?
体で126cmほどの大きさになるものは何か?

サルタヒコの特異な造形は「勃起した男根」からの発想であろうと私は考えている。(「サルタヒコのゆくえ」45頁)

体の中でも突き出たものとしては朝から何だが「男性性器があるぞ」と。
しかし身をもってお答えするが、武田先生は15cmが精一杯。
15cmちょっとぐらいか。
「その126cmは無理ですよ」というふうに思ったのだが、何と126cmもの巨根。
はっきり言ってしまえば巨根というものがあった。
これが遺跡から出て来る。
陽根信仰ということで。
「陽根」男性性器のこと。
昔はあった。
そういうのを拝むアレが。
よくご神体でお祭りで見る水谷譲。
朝だからだが、これはもの凄く大事な。
かつての人々は男女の性器そのものに神が宿ると考えていたようだ。
それで人間が増えてゆくからこれは重大な器官。

勃起した男根をかたどった石棒は、縄文時代は言うまでもなく、旧石器時代から信仰されている。(「サルタヒコのゆくえ」61頁)

それが陽根信仰で。
縄文人の集落の跡には必ずこれがあったという。
それから海岸に空いた穴。
あれも神が宿るという。
あれは女性性器。
ああいう海岸に空いた穴にザーッと波を寄せて行ったりなんかすると、海と陸とが抱き合っているように見えるという、そういう縄文人達が拝んだ石の男性性器。
それが丁度126cmぐらい。
ということはサルタヒコというのは縄文から生き残った海人族の神だったのではないだろうか?という。
それでサルタヒコの実態はというと、縄文時代からこの極東の島国に住み着き、生きて来た縄文人、その末裔で彼等の象徴は何かというと勾玉(まがたま)。
勾玉は母の胎内で発生した生命の第一歩の姿。
胎児の恰好をしている。
それと巨根とを抱き合わせて神にしたという。
サルタヒコという神が貝に挟まれたというところもアメノウズメノミコトという母ちゃん(妻)に迎えた女から密やかに殺されたのではないだろうか?という。
そんなふうなことを思わせる。

縄文という時代があった。
そこに後からやって来た弥生の人達の政策の素晴らしさは何かというと、今と違う。
今は困ったことに後からやって来た人というのが前にいた人を皆殺しにしたがる。
中東の方の問題でもそう。
それからヨーロッパの方でロシアとウクライナが争っているのも傲慢。
縄文があって弥生が入ってくる時のスムーズさは一体何かというと、神々が殺し合うことはあっても国民は殲滅したりしなかった。
その為に何をやったかというと神様を認めた。
やってきたニニギノミコトは別のシンボルを神だと思っていたのだが、先の神様が勾玉を拝む人だったら勾玉も自分のところに取り入れようとしたという。
間違いなければ、その前に鏡を神様だとする部族もいた。
それを「剣が神様だ、シンボルだ」と思う弥生の人達がやってきて、三つとも神様にしてしまった。
それで「三種の神器」。
一個にしない。
一個にすると揉める。
今、世界中がそう。
アマテラスオオミカミというのが太陽だったら弟さんはツキヨミノミコト。
そうやって考えるとシンボルまで潰さない。
この渡来人達、或いは新しい大和人達の知恵そのものが日本をまとめていったという。
日本に観光客が多い。
それを見に来ているのではないかと思う。
神様を。
多神世界の面白さ。
いっぱい神様がいる国が、これからの世界のモデルになるかも知れない。
世田谷のある神社。
猫をお祀りしている。
あそこに観光客が行ってしまうという。
どうやってそこを調べて来ているのが不思議だと思う水谷譲。
でもそれが滅茶苦茶面白い。
日本では猫が神様になっているという。
それが豪徳寺というテンプルにあるワケで。
それで近代的なビルに囲まれて、渋谷に行ったら「偉い軍人さんが立っている」「レーニンがある」「マルクスがある金日成の銅像がある」じゃない。
犬が立っている。
あそこで写真を撮っている外国人の方が凄く多いと思う水谷譲。
みんな幸せそうな顔をしている。
それで伏見稲荷に行ったら今度は狐。
鳥取県に行けばウサギ。
因幡の白兎はいるわ。
こんなふうにして「神々とどう人間が折り合うか」という課題に関して、日本はもう既に答えを持っている国。


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