まな板の上はなかなかショッキングなタイトル。
「みんな政治でバカになる」
これは武田先生も「ちょっと酷いタイトルだな」と思ったのだが、読むと著者の方は懸命に政治というもののこれからを悩んでおられる方で、あえて「政治に携わるとバカになるんだ」と。
これはなかなか大変なタイトルで、そんなことを言ったらまたラジオ番組なんか政治を語る人ばっかりだから、その人達に向かって「バカになる」と言っているようで、本当にそのあたり発言に気を付けながら進めたいと思うのだが。
著者の方はというと綿野恵太さんという方。
晶文社から出ている。
「みんな政治でバカになる」
私たちには人間本性上「バカ」な言動をとってしまう傾向がある。(4頁)
ほとんどの人が政治について無知=バカであるのは事実である。−中略−私たちは単に愚かなのではない。「環境」によって政治的無知=バカになっている。(12頁)
繰り返しになるが「環境がバカにする」というのは言うことが中途で変わること。
「監視カメラを付ける」と言った時に、当初メディアも含めて一般市民は「監視するとは何事か」と反対議論が浮かび上がった。
「渋谷に監視カメラがあるなんて寒気する」とか「自由の権利は何?」とかと(言って)いた。
ところが(監視カメラを)付けて泥棒が見つかるとみんな「あそこつけなきゃダメよ!監視カメラ!」とかと。
それどころではない。
車に前と後ろに着けているのだから。
「いやぁ保険楽だもん。あれがあるから」とか。
「ほら、ついこの間言っていた自由はどうなんだよ?守らなきゃいけない個人の権利があるんでしょ?」
でもこれだけ変わる。
「環境」によって主張が変わる。
それが無知とドッキングしている。
人間という生き物は認知バイアス、バイアス、歪みを持っている。
言うことが変わる、環境によって変わる。
「自由はどうの」とか「個人的権利は」とか言っておいて、泥棒が捕まると「あそこも付けろよ」という話になる。
私たちは「人間本性」によるバカ(認知バイアス)と「環境」によるバカ(政治的無知)という「バカの二乗」というべき状態にある。(81頁)
では人間の認知バイアスというものがどのくらいバカかというと「見てくれ世界を」と綿野さんは言う。
なぜフェイクニュースや陰謀論が後を絶たないのか。それは私たちがバカだからだ。(4頁)
それで「政治のことについて発言する人はみんなバカである」という本だからこの後も、そういう方がいっぱい出て来る。
それで誰がどうのと言わない。
だから武田先生のバカさを。
武田先生は前から言っているように政治的に本当に無知。
何が楽しくてやっているのかもよくわからないし。
もう一回繰り返す。
「私のバカ」
一体このバカさ加減がどこから来ているのかをこの綿野さんの本で追及しよう、と。
だから武田先生個人のバカの二乗にお付き合いください。
決してアナタのことを言っているワケではありませんから。
妙に抗議の手紙をよこしたりするのはやめてください。
二〇二〇年のアメリカ大統領選で民主党のジョー・バイデンが共和党のドナルド・トランプに勝利した。トランプは選挙に不正があったとして票の再集計を求め、その翌年にはトランプの勝利を信じる支持者たちが国会議事堂を襲撃し、多数の死傷者を出した。ドナルド・トランプが小児性愛者の秘密結社と闘うヒーローだという「Qアノン」と呼ばれる陰謀論が流行した。(3〜4頁)
「Qアノン」
これはトランプ支持者の中で信じられていることで、トランプさん以外、アメリカの政治に携わっているのはもうズバリ言うと(仮面ライダーに出て来る)ショッカー。
「イー!」という人間モドキという。
それの代表がバイデンさん。
こういうふうにして自分が正しいという一人の人が出て来ると他がみんな悪い人に見えてしまう。
「認知バイアス」「歪み」、「わたしら」と「あいつら」。
この二つの集団に分けて世界を見る。
その「あいつら」が許せない。
こういうバイアス、心理がある。
このような傾向は「部族主義」と呼ばれる。(10頁)
国民とか市民ではなく「部族」。
昨日お話したのは人間はもともと認知バイアス、何か物事を考えたり決心する時にバイアス、歪みが発生するのだ、と。
その上に政治というのは十年先のことを考える為に今、決断するようなもので、十年先はすっかり答えが入れ替わっているかも知れないという。
今、結論を出すワケだが、元々バイアス、歪みがある考え方しかできない。
人々はみんなバカの二乗で生きているという。
そのバイアスの一つが部族主義。
「あいつら」と「われわれ」と集団の色分けを考えて「われわれ」を増やして「あいつら」を減らそうとするという。
これを著者は「部族主義」と呼んでいる。
「我々のことは知っている。でもあいつらのことは勉強しなくていいんだ」という。
これはアメリカの人、すみません。
でも調査によると、トランプさんの支持者の大半が中国・韓国・日本を(地図上で)指差せる人があまりいないという。
それからこれはかなりの確率らしいのだが、ニューヨークで調査をやったのだが、大半のアメリカ人がイスラエルの場所が指差せない。
ワシントン・ポスト紙の調査によると、ウクライナの位置を地図上で示すことができたのは、六人中一人しかいなかった(10頁)
我々だってウクライナはそんなに知らなかった。
今回のことがあって、どのくらいの大きさでここにあってというふうに改めて思った水谷譲。
世界地図の中で「この国はここだ」と指差しができない。
無知なんだ、と。
でも彼ら曰く「アメリカをもう一度偉大な国にしなければならない」。
ここはもう、トランプ支持者全員共通している。
「偉大な国にする為には中国、韓国、日本がどこにあるか、イスラエルがどこ、ウクライナがどこ、そんなこと知らなくていいんだ。アメリカさえ偉大な国になればいいんだ」
こういうこと。
クリミア半島とかロシア侵攻の前には知らなかった。
二〇一四年にロシアがウクライナのクリミア半島に侵攻した(10頁)
2014年にロシアがクリミア半島を侵略したことさえ武田先生は知らなかった。
ガザ地区。
死者の数がある一定数を超えた時にその悲惨を知るワケで。
つまりそういう意味合いで武田先生の政治的無知は「バカの二乗」である。
著者はここから様々な考え方を重ねていく。
実は綿野さんは哲学者。
戦後日本の中に生まれた「大衆」達がいる。
市民とは呼べない。
「大衆」
政治家さんから「大衆のみなさん!」と言われる。
「大衆と呼ばれる筋合いじゃ無ぇよ」と思う時があるが、とにかく「大衆」。
読むんだったら「週刊大衆」。
武田先生は仕方がない。
大衆だが。
「大衆」というのは一体何かというと進化の途中で、集団の生存率の高さを知り、文化を遺伝的に受け渡す人々。
それを「大衆」と呼ぶ。
先例としたトランプ支持者。
これは典型的なアメリカの「部族」。
「アメリカ国民」ではない。
アメリカの部族、大衆。
彼らは直感システム、素早い判断とハロー効果、何回も繰り返される言葉で洗脳された、覚え込んだ人達で。
彼らが願っていることは何か?
トランプ支持者が狙っているのはどういうことか?
「世界の平和」「台湾の安全」何にも関係無い。
トランプ支持者は、そんなことは何一つ考えていない。
何を考えているか?
「富の分配が自分のところにいっぱい来るように」
本に書いてあることというよりは武田先生の独自見解。
でも当たり前。
富の分配、分け前が少しでも自分のところに多く来るということを願うことは生き方としては間違っていない。
水谷譲も自分はそうありたいと思う。
だから水谷譲も二乗とまでは言わないがバカの種類。
そのくせ、自分のところの富の分配が少しでも多いことを祈りつつも「ダメよ岸田じゃ。今、日本は」とか「株ばっかり高くなってて実感ないもの」とか。
実は気にしているのは「富の分配が自分のところに来ない」ということに不満を持っているクセに「あの経済学者あてになんない、あの人」とかと・・・
これを綿野さんは「みんな政治を語ることによってバカになってんじゃ無ぇの?」。
「今のこの暮らし向きがよくならないのは政治が悪いんだよ」という人は多いということだと思う水谷譲。
「それで何か変わる?」ということを言っている。
人々はみんな富の分配が自分のところに一円でも多くなることを実は願っているだけ。
では武田先生は何か?
老後のことしか考えていない。
武田先生如きは政治でバカになるどころか、だんだん年を取って自分の老後しか考えないという「老害」というバカになりつつある。
老害は何が老害か?
自分の道徳を無闇に大事にする。
それが文化だと思っている。
故に他者、他の文化と比べてどれほど優れているかを主張したがる。
武田先生達世代がバカなのは他者と向き合う能力が無いくせに、他者に無関心でいられない。
だから排除に結びつく。
今「老害」と言われている老人達のやっかいなところは青春の時はマルクス共産主義を夢見た。
「分配を正しくやろう」とあの時も叫んでいた。
その時は大衆ではなく「階級闘争だ」と言った。
今はこの老人達はどうなったかというと今、お国自慢で戦っている。
「ケンミンSHOW」(秘密のケンミンSHOW極)
部族主義。
茨木と栃木、どっちが田舎か?
そんなことはどうでもいい。
だがそれが番組となるほど、いわゆる討論するにはもってこいの面白いところで、あれも一種の政治ミーティングと同じ。
それぞれの群れによって他の集団に打ち勝つこと、それがたまらない喜びとなる。
これは芸能界にもあって「部族主義」。
例えば「たけし軍団」。
あれは(北野)たけしさん中心の部族。
吉本興業。
あれは吉本興業を中心とする吉本部族。
そして今、日の出の勢い、サザンオールスターズのアミューズ部族。
これらはみんな道徳、礼節を持っている。
吉本興業のタレントさんと一緒の時は必ず吉本の人は自分達の文化である楽屋挨拶というのを来る。
アミューズさんもアミューズ部族。
ここは前室の差し入れが豪華。
それからたけし軍団は大将が来た時、たけしさん「殿」が来た時の送り迎えが綺麗に整列して見送るという美徳を持っている。
これは部族主義のよい面で、そういう礼儀作法を持っている。
武田先生は「博多部族」。
博多部族は特徴がある。
これはこの間カンニング竹山とも確認したが、自民党の森さんとか二階さんの悪口は言う。
「森さんがさぁ、オリンピックさぁ・・・」「二階さんもいい加減にしないとさぁ」とかは言うが麻生さんの悪口は言わない。
あれが部族主義。
なぜか?
麻生さんは福岡。
麻生セメント。
巨大な会社をやっておられる。
文化事業なんかよくやっている。
娯楽施設から市民会館からいろんなものを、麻生さんは自分のところのセメントで作っている。
武田先生もこの間、セメント業界からの対談の申し込みがあったが、すぐ引き受けた。
後ろ側に麻生さんの臭いがする。
これはやはり本能的に言いにくい。
これは武田先生の中に飼っているバイアス、歪み。
それは二階さんや森さんの方が悪口がいいやすい。
こんなふうにして大衆というのは歪みを持っているんだ、と。
ところが令和の今、大衆というのはもう好まれない。
令和の今、国民、市民のことを何というか?
「消費者」
大衆も日本に於ける消費者も西洋が持っている「市民」とは違う。
日本の大衆、或いは消費者は部族の人達。
「自分達」「われわれ」という小さな集団の決まり事を持っている。
さまざまな人々が集まり、自由闊達に意見を交わす。かつてインターネットは、私たちが「他者」と出会い、対話を重ねる場として空想された。−中略−
しかし、twitterやFacebookなどのSNSを見ればわかるように、私たちは同じ考えを持つもの同士で集まる傾向がある。−中略−インターネットは私たちが見たいものしか見せないのである。−中略−私たちは同じ価値観を共有する集団=「部族」へとバラバラになる。(72頁)
インターネットが「集団分極化」を引き起こすことを指摘してきた−中略−「集団分極化」とは、同じ考えを持つものが議論すると、極端な考えの方に先鋭化する現象である。(73頁)
「バカの二乗」である私。
功利主義に弱く、部族として道徳的直感を平気で引っ込める。
森元総理や二階議員の悪口は言う。
だが麻生さんの批判はできるだけ避けたい。
なぜならば古里が福岡だから。
中国の管理・監視社会を厳しく批判する。
カメラが人を見張る社会は気味が悪い。
ただ、武田先生なんかはそうだが、世田谷に防犯カメラをもっと付けて欲しい。
水谷譲ももっと付いてもいいなと思う。
最初に抵抗したのは何だったのか?
不思議。
こういう、人間が途中でコロッと変わるというのはあり得ること。
中国はちゃんとそういうことを見越しているから偉い。
敢えて「偉い」と言った方がいい。
中国のアリババグループが開発した「セサミクレジット」という「信用スコア」が知られている−中略−税金の支払いやSNSの履歴などの個人情報を収集し、AIが信用度を数値化し、スコアが高ければ低金利でローンが組めたりレンタルサービス利用時の前払い金が不要になったりと、さまざまな恩恵を受けられる。中国で進展する管理監視社会化はしばしば中国共産党の独裁体制に結びつけられ、人びとを抑圧するテクノロジーとして描かれる。(87頁)
これはもう誰でも中国人になりたい。
そうやって全部、官民一体の監視体制。
ポイントぐらい付けないと誰が言いたくもないおべんちゃらを言うか。
ポイントがバンバン入ってくるから、そのポイントがたまると喰いものが安くなるわ、とにかく凄く特典が貰える。
それで中国の人達が本当に偉いのは「多少の犠牲があるから私は幸せになれる」という。
これは納得すれば凄くいいこと。
少数の犠牲者はみんなの幸せのタネ。
これが監視体制の・・・
この素晴らしいアリババグループのセサミクレジットが徹底したのは武漢からのパンデミック。
この時に「コロナが広がる」という脅威につけこんで都市封鎖。
「誰が破ったかを密告しなさい」でセサミポイントが貰える。
それは密告をバンバンする。
少数の犠牲者がみんなの幸せのタネになる。
これで習近平・共産党体制は不落の籠城戦を敷いたという。
これは増々ポイントは高くつくような時代になってしまうのではないか。
これはいいこと書いておられる
綿野さんの「みんな政治でバカになる」。
中国では、はっきり言えば自由はいらない。
それよりも物が貰える方がいい。
これはある意味で、もの凄くクールに言えば立派な市民感情だ、と。
「自由なんかいらないよ、そんなの。なんぼでも灯ってればいいんだ監視カメラなんか。監視カメラがいっぱい付いてた方が我々は自由に行動できる。市民的な公共性、そんなものは衰退していいんだ。最大多数が最大の幸せになるべきで少数の犠牲は当然である」という綿野さんの推論。
長い歴史を振り返ってみると、誰か偉い王様がいて、皇帝がいて、主席がいて、大統領がいて、全部決めていくと一個間違った方に行ってしまうと大変なことになってしまうと気づいたイギリス人がいた。
18世紀のこと。
この人達が王様一人よりも集団で賢い選択をした方がいいんじゃないかというので選挙と議会、政党が生まれた。
これはやはりグッドアイディアだった。
でも18世紀、イギリスで生まれた民主主義資本制度というのは採用しなかった国があって、それが中国とロシア。
その二か国をマネしたのが北朝鮮で。
まあそれでもやはり王様がいて命令を出した方が、議会なんか通さなくていいから、何をするにしても早いワケで。
皇帝ではないが、小さな集団で国を作っていく。
こっちの方が国を動かす時、もの凄く便利がいいという。
では民主主義はどうだというと、時間がかかり過ぎる。
だから純益を綺麗に分配できなくなった矛盾が今の議会制民主主義なのだ。
この戦いが今の世界だ、という。
綿野さんはここが鋭い。
ではどうなるんだ?これから我々は。
皇帝とか王様とか、たった一人の大統領とか、一人の頭に任せておくと間違えたらエライことになるぞというので、18世紀、イギリスがシステムを発明した。
それは一人じゃなくて議会で討論して結論を出すという。
時間がかかるのだがここでいろんなアイディアが出てイギリスの成功というのは大きかった。
イギリス議会が次々と新しい制度を出していって、何と19世紀には七つの海を全て支配し、イギリスが世界を牛耳った。
それくらい豊かな富を集めてイギリス国民に分配したという。
ところが時間が経つとこのイギリスのシステムもだんだん上手くいかなくなって、選挙で政治家を選ぶというのもまどろっこしいし、無関心というのが増えて一票がどんどん軽くなっていく。
例えば日本の民主主義で考えましょう。
たとえば、二〇二〇年の東京都知事選挙の有権者数は一一二九万二二九人であった。もし東京都民であれば、あなたの意見は一一二九万二二九分の一に過ぎないわけである。投票しようがしまいが、結果は変わらない。(11頁)
(番組では1129万2290人と言ったが、本によると1129万229人)
この間もそうだが、候補者は何十人もおられたが、どの人が政治家にふさわしいのかなかなか決めるのが難しい。
「こんな人出てきちゃっていいの?」という人もたくさんいたと思う水谷譲。
学祭のイベントみたいだった。
大学のイベントみたいで。
政見放送もとんでもない人が学芸会みたいなことをやっている人もいたが。
一番いいのは全員を集めて討論をやらせること。
討論もできないような人は、もうその人達はどのぐらいの値打ちかわかるワケで。
武田先生の独自見解だが、政治家を誰か「この人がいい」と選ぶ時に、一人の人物がいる。
この人がふさわしいかどうか討論する。
それでその討論を見聞きしているうちに「この人がいいんじゃないか」というのがだんだん決まるのではないだろうか。
誰が政治家にふさわしいか。
「討論型世論調査」は通常の世論調査とおなじく無作為抽出で一〇〇〇〜三〇〇〇人を選び、そのなかから討論の参加者を二〇〇〜四〇〇人選ぶ。テーマについての必要な情報が提供され、参加者は三日間討論をおこなう。(134頁)
選挙管理委員会は、その人達にはちゃんとギャランティを出す。
そうするとある程度の察しはつくのではないだろうか?
私達はとにかく政治的な無知を乗り越える為に政治を中継してくれる何かを作り出さなければならない。
それから日当を払おう。
東京都の都議会の議員さんがいる。
あれも選挙で選んでいた。
選挙と選挙と言っても一票にすると1129万分の1になってしまう。
東京都の議会の人達が小池さんと討論しながら東京の政治を決めていくとする。
この時に半分を抽選。
あまりにも選挙に頼り過ぎるというのが一票をどんどん軽くしている。
抽選で選ばれて東京都議会議員が明日からのアナタの仕事になる。
それをできない人もいる。
水谷譲は毎日の文化放送の仕事があるので。
(都議会議員の数は)127人だそうだ。
その半分、60人を抽選で。
60人の人は結構いい収入になると思う。
多分水谷譲の今の給料よりいいのではないか?
それでそういうことにしておいて上司にかけあう。
「任期の期間中、二年間だけ、私いなくなります」
今、産休等々のシステムを励まそうと言っている時代、或いは女性議員を増やさないといけないと言われているこの国に於いて抽選で議員を選ぶというのはいい。
きちんと生活の面倒を見るということで都議会の議員さん、127人のうちの半分は選挙は関係ない。
議会を開く時間を夕方なら夕方に決めてお昼間お仕事OKとか。
バッチリの副収入。
これが武田先生の意見。
ただし一個だけ問題は少し本式に勉強しないとわからない勉強もあるので、さあそれはどうするか?なのだが、それは来週の続きということにする。
ゆっくりパワーダウンしていく民主主義だが、何とか喝を入れてこの制度を守らねばというアイディア。