中野信子先生の「運のいい人」という著作を取り上げて三枚におろしている。
中野先生は脳科学者だから、あくまでも立場は科学的。
中野先生がその著作の真ん中ぐらいに書いてらっしゃる言葉。
運のいい人とはどういう人か?
中野先生は繰り返しおっしゃっている。
自分は運がいい人間だ、と決め込んでしまう。
これが運をよくするコツのひとつです。(70頁)
これは自分を暗く認識すると自分がどんどん不自然になっていく。
これに対して、まず自分を明るく保つ。
これがもの凄く大事なんですよ。
自然というのはわかりにくいかも知れないけど自然のままなんです。
セロトニンとメラトニンを十分に分泌させるためには、もともと体に備わっているサーカディアンリズムにのっとった生活をすること、すなわち朝は早めに起きて朝日をしっかり浴び、夜は早めに就寝することが大事なのです。(88頁)
(番組では「メロトニン」と言っているようだが、全て「メラトニン」と表記する)
セロトニンをつくりだすためには、トリプトファンが含まれる食事をしっかりとることも重要です。
トリプトファンは、赤身の魚や肉類、乳製品などに含まれています。そしてセロトニンの合成にはビタミンB6も必要なので、ビタミンB6が含まれる食品−中略−をうまく組み合わせて食べるとよいでしょう。(88〜89頁)
メラトニンは、脳の松果体でセロトニンからつくられます。(88頁)
「これは全部連鎖しているんですよ。そういうことで好循環、よい循環が体の中に生まれるのです」という。
ちょっとホルモンの名前とか難しいかも知れないが、昔から言われている「早起きは三文の得」とかという、三文も頑張って続けていると小判に化けることもあるので、「そういうこと大事なんだなぁ」ことを思ったりなんかする。
「私は運がいい」そう思うことが大事である。
武田先生も2023年はついてないことばっかりだったが、でも自分の運については絶対にののしらない。
死んでいく時も必ずそうつぶやこうと思うが、運のいい人生だった。
本当にたくさん、いい人に会った。
もう思い出なので語るが、去年2024年の暮れぐらいに(高倉)健さんの十周忌があって、健さんの映画をみんなで振り返ろうという企画が。
その人気投票をやったら一位に「幸福の黄色いハンカチ」が。
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東映の方から「くやしいですけど『黄色いハンカチ』は普遍的な名作で、健さんのいい作品、東映にもあるんですが一位は必ずハンカチに取られちゃうんですよ」というので、山田(洋次)監督と一緒に登壇して健さんのその映画の上映会のゲストで。
もう山田監督は90代のご老体で。
壇上に上がる時、足元が危ないので、あの大監督が武田先生の肩を「鉄矢君・・・運んで」と。
何か泣きそうになってしまった。
本当にもう50年の年月にわたって。
50年前の作品がいまだ映画館でかかっているというのは、これは「運がいい」としか言えなくて「運が悪い」なんていったら運の神様から怒られてしまうという。
そんな気がして。
本当に現場では言ってもらえなかったが、監督から「君を選んでよかったよ」という。
50年後に監督の杖代わりになっているという。
「あの時は頼りなかったけど、今は頼りになるよ。鉄矢君」と言われて。
75(歳)で「君」だから、そう呼んでくださる方と映画館の壇上に登っているというのはもうこれは「運がいい」としか言いようがない。
中野先生の本に戻りましょう。
人類そのものから考えてみよう。
人類の曙に於いて、アフリカの東の海岸から歩き出し、世界へ広がっていった、それが人類である。
なぜ歩き出した?
世界の果てまで広がる旅をなぜ人類は始めたのか?
それは「ここじゃダメだ!」という予感があり、「遠くへ行きたい」というロマンがあり、その土地で生きてゆく不都合、干ばつ、飢饉、ディストピアに対する不安から滅亡を恐れての旅立ちであったという。
だから人間の体の中には「ここを脱出すれば必ずユートピア、いい世界へ行ける」という一種妄想・迷信があるという。
だからこそ彼は旅に出るのである。
その妄想こそはドーパミンを刺激する快感。
こうやって考えると、やはり人類の曙そのものが「遠くへ行きたい」という、そういう妄想が湧く頭を持っていることが運のいい人を作るのではないだろうか?という。
水谷譲は自分では結構運がいい人生だな、ありがたいことだなと思いながら生きている。
水谷譲の運の良さを支えているのは何か?
周りは「可哀そうねぇ」ということもあったりするが、自分では「いや、そうでもない。結構幸せだし」と思うので、ポジティブに生きていることが運のよさなのかなということは思う水谷譲。
自分で「しあわせのものさし」をきちっと握っていて、他の人のものさしに惑わされない。
それはあると思う水谷譲。
あとは他と比較しないとかということかと思う水谷譲。
運を作る為、幸運を作る為、もう一つ大事な要素がある。
あなたの近くに、愛しいと思える、自分より弱い存在の人はいませんか。−中略−
もしいるとしたら、その存在を目いっぱいの愛情をもって育てること。それたあなたの能力向上、ひいては、「運」の向上につながる可能性があります。(93〜94頁)
出産経験のあるラットのほうが未婚ラットより記憶と学習の能力が高まる、という研究結果を発表しています。(94頁)
母親ラット、未婚ラット(交尾経験のないラット)、里親ラットを、それぞれエサの隠してある迷路に入れます。そしていつも同じ箇所にエサを隠し、そこへ戻る道順を記憶させました。−中略−
この実験でも、戻る道順をもっとも早く記憶したのは母親のラットでしたが、2位は里親のラットで、その成績は僅差だったのです。(95頁)
一番遅かったのが独身ネズミ。
実の母親であるかどうかは関係なく、たとえ里親であっても父親であっても、愛情をもって「子ども」を育てれば、記憶と学習の能力は高まることがわかったのです。(96頁)
そして同時に幸運、つまりエサを見つける能力までが向上するという。
運を引き付ける為には「誰かに貢献したい」と願わないかぎり運というのは開けないという。
前に東郷平八郎の運の話をした。
武田先生は忘れられない。
「燃えよ剣」の中に書いてある東郷平八郎の運の強さなのだが
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土方歳三が乗った順動丸だったか幕府の軍艦。
(多分「順動丸」ではなく「開陽丸」)
それが大阪から出た時に、木っ端舟ぐらいの薩摩船とすれ違って、その薩摩船の砲手に21〜22歳の東郷平八郎がいた。
それで順動丸という幕府の船は、薩摩船、丸に十の字と見抜いて、「このこわっぱ」というので大砲を至近距離で100発撃った。
一発も当たらない。
それでその薩摩の船、春日丸だったと思う。
そのカツオ船級の戦艦に乗っている21〜22歳の東郷平八郎は右舷甲板にいた。
右の方の大砲の打ち手だった。
東郷が撃った弾が幕府艦隊に全弾命中する。
この不思議を司馬遼太郎が驚く。
つまり東郷から見れば、海戦ですれ違う時に、大砲のその位置に偶然立っていたというその幸運。
その幸運に恵まれたのは東郷しかいなかった。
幕府の軍艦はあれほど撃ちかけて一発も当たらなかった。
まだ続く。
東郷平八郎。
土方が函館に逃げた後、仙台の近くの宮古湾で宮古湾海戦というのが行われて、その時に土方が切込み隊長で官軍の軍隊に突っ込んで行って飛び移るという乱暴な作戦を。
夜明け前に停泊中の敵の艦隊にぶつかっていく。
土方は手榴弾か何か持っていたらしい。
それを投げつけて飛び移って、その官軍の軍艦をやっつける。
ところが20隻ぐらいが折り重なっているから、撃つワケにはいかない。
ところがちょうどいい角度にいた船に乗っていたのが東郷平八郎だった。
それで東郷がまた右の甲板にいて撃ったら全弾命中。
このことで薩摩の中に一種神話が生まれる。
それは「東郷が乗っていると弾は当たるが敵の弾は当たらない」という。
それで何十年も時が経って、60(歳)手前になった東郷が海軍を辞める時、その時に日露戦争が起きる。
それで誰を司令長官にするかと悩んだ時に山本権兵衛という人が「東郷で行きたい」と。
「運を持っているから」それだけ。
明治帝が「なぜ東郷に?東郷は来年引退じゃないか」そうしたら「ヤツは不思議なことに運を持っております」という。
それが日本海海戦でバルチック艦隊という最強ロシア艦隊の壊滅状態まで勝利したという。
この東郷を支配していた運というのは何だろうか?と考えてしまうワケで。
「日本がロシアの奴隷になるか・ならないか」という日露戦争の戦いで大日本帝国連合艦隊が縋り付いたのは東郷の運だった。
東郷というのは薩摩隼人の仲間からいつもからかわれていて、若き兵隊の頃、軍服を着て町を歩いていても牛とすれ違う時は遠回りをしたとか。
犬でちょっと目つきのおかしいヤツはもう小走りに逃げるようにという。
東郷平八郎はそれを仲間から笑われる。
「東郷どんは犬や牛が怖かすか」とかからかわれると「怖い」と言ったという。
「それで戦場で戦える軍人になれるか」と叱ると「牛に体を突かれてケガをしたり、犬に腿を噛まれて動けなくなったり、そういう傷を持つことが怖い」と。
「おいは軍人でごわす。戦場で戦う為に生きております。その前に自分の体を痛めるようなことは一切したくありもはん」と言いながら、牛や馬とすれ違う時、わざわざ距離を。
それは何でそんなことをしたかというと、戦場で戦う為の体を戦場に持っていく。
そういう心がけの人だったらしい。
全ての運をいくさで使おうと思ったという。
それから日本海海戦で大勝利をあげるのだが、大勝利をあげた後、影のように静かな人になったという。
それは東郷の中に「全ての運を使った」という思いがあったのだろう。
もう一つ「運」話。
これは合気道を教わっている管長から教えてもらって、敵の名前はあえて言わないが、植芝盛平という合気道の開祖がいた。
身長1m51〜52cm。
小柄な老人。
明治の人だから。
この方にある格闘技家が決闘を申し込んだ。
(この話は以前「運という技術」でも紹介されている。今回は名を伏せているが、その時の話によると決闘を申し込んだ相手は木村政彦)
戦前のことだからもう決闘といえば殺し合い。
その方が伝説によれば2m近いような大男。
1m80数cm、100数kgの巨漢。
それに151cmの中年男が対決するという。
これを植芝盛平が受ける。
道場内で「じゃ、決闘やりましょう」。
それで弟子共は「おやめください」と止めるのだが、植芝盛平は平然としている。
当日を待っていた。
そうしたら敵が、申し込み者が来なかった。
なぜだか知らないけれども。
それで「何だ、アイツは怯えやがって」とかとみんなが騒いだ時に植芝盛平が「このことは誰にも言うな。決して相手が逃げ出したとかそんな不正確な情報をばらまいて『うちの先生は凄い』とか言わないでくれ」。
だが「1m51cmの中年男が2m近い巨漢を合気道の何技でやっつけるんだろう?」と弟子共は興味があって「先生はいかなる技であの男に勝とうと思ったのでありますか?」と訊いたら「私は運が強い」。
ただ一言だけ。
それで植芝盛平が弟子共に言ったのは「毎日合気道の稽古をする。それは何の為にやるか。運を強くする為だ」。
これを管長から教えてもらって「頑張ろう」と。
あの武道をやることによって「運が強くなる」というのは、植芝盛平は何を以てそういったのか、不思議な言葉。
毎日毎日地道にコツコツやって積み重ねていくということが大切なのかと思う水谷譲。
どうもそういう「積み上げてゆく」という何かがないと運は強くならないみたいだ、という。
この話は武田先生は好きで。
若先生といって合気道の指導をしてくださっている息子さんがおられるのだが、この方もそういう発想の方で。
若先生はちょっと責任を感じたのか、この間、ちょっと道場で小さな事件があって。
少年部で一生懸命練習している子が、道場ではない、学校でちょっと躓いて骨折をしてしまった。
それですぐお母様から連絡があって「うちの子、骨折してるんで、先生、休ませてください」と。
お母様も決して悪気は無かったのだろう。
こそっと「もう全く恥ずかしい。あんだけ一生懸命合気道やってるのに、学校で骨折なんかして」という。
そうしたら若先生は凛とした声で「お母さん、合気道やってなかったらアイツは死んでいます」と。
ポジティブに。
「合気道をやっていたから骨折でよかったんです」という。
それをこの中野先生の話に重ねると、人生を横のラインで見るか縦のラインで見るか。
それで「幸・不幸」というのが決まってくるという。
そういう意味ではなるべく頑張って横のラインで見ていけば、と。
そう考えると武田先生の車を傷つけられたというのも、それぐらいで済んだという考え方でいいと思う水谷譲。
もう腹が立ったが、でも悪いことに出会った時にそれをどう考えるかというのが中野先生の「横のラインで見るか縦で見るか」という。
財布を無くしたのも全て「その程度で済んだ」ということだと思う水谷譲。
老人を励ますような口調の水谷譲に不満な武田先生。
中野信子先生の「運のいい人」という著作を取り上げて三枚におろしている。
中野先生は脳科学者だからあくまでも科学的なのだが、中には中野先生らしい人生に対する明るい取り組み方みたいな指導があって、それはやはりよく胸に響く。
「あなたの幸運の役に立つお話を続けましょう」
中野先生は脳科学者故にスッパリとおっしゃる。
加齢等で人は時として必要以上に暗く不安になる時がある。
ご同輩、段階の世代の方、聞いておいてください。
加齢等で人は時として必要以上に暗く不安になることがある。
或いは青少年もそう。
「借金をした。返さなければ。何とかバイトして。それも効率のいいバイト」で闇バイトへ走ってしまう。
そういう不運を掴んじゃいけない。
「どうして不安になるのだろう?」「心配でしかたがない」などあれこれと考え、不安を真正面からじかに受け止めてしまうのではなく、これはおなかがすいたり、生理前になると腹痛や腰痛が起きたりするのと同じ生理現象なのだ、セロトニンの分泌量が減っているにすぎないのだ、と考えるのです。
そう考えれば、不安がさらに不安を呼び、ますます不安になってしまう、という悪循環を避け、自分の状態をコントロールしながら、しんどい時期をうまく乗り切ることができるでしょう。(143頁)
ヘルマン・ヘッセの名言。
「青空と嵐とは同じ空の違った表情にしか過ぎない」
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そう思おうと思っても難しい水谷譲。
しかし、とにかくそれを繰り返し繰り返し、自分に言い聞かせましょう。
そして一番最後、これは武田先生もハッとした。
ゲームをおりないこと──。。
運がいい人はここを徹底しています。
私たちは生きていくうえであらゆるゲームに参戦している、といえます。(160頁)
良い言葉。
ゲームをおりようと思ってはいけない。
ゲームをおりないようにするには、「ゲームは常にランダムウォークモデルのように進む」と考えるのがコツです。
コインを投げたとき、表が出る確率と裏が出る確率は共に2分の1ですね。(163頁)
「勝ち負けを繰り返すのがゲームなんだよ」という。
勝ち負けがあって当然。
勝つばっかりは絶対にありえない、という。
この「勝ち負けがある」という、そのことが大事だという。
武田先生もいいことを歌っている。
今、若い方が歌っている。
「ミスターランナー」という歌の中で武田先生が作った文句で
二勝三敗 それで上出来 まだ折り返し(東京力車「ミスターランナー」)
という。
「人生は八勝七敗で勝ち越し。あなたは15回のうち、7回負けてもいいんです。8つ勝てばあなたは勝てる、勝者になれる。7つの敗北を正しく敗北として受け止めるという。そのことが大事なんですよ」という。
細かいことを言うと、コイン投げというゲームがある。
表と裏の確率は絶対に二分の一だ。
一万回投げてみよう。
そうすると必ず勝ち負けは5000:5000になるハズだ。
5000:5000にならなくてもその数字に近くなるはずだ。
マイナスの出来事が立てつづけに起きるかもしれないけれど、いつかは必ずプラス方向に振れるときがくる、と考える。いつかくるプラスのときのためにいま何ができるかを考え、準備しておく。−中略−とにかくゲームをおりずに粘りつづける。これが最後に勝つコツといえます。(166頁)
これはその当時2023年は大話題だったのだろう。
ニュートリノをとらえ、−中略−ノーベル物理学賞−中略−を受賞した小柴昌俊博士(172頁)
田中耕一さん−中略−のちのノーベル賞受賞へとつながるのです。−中略−一見マイナスに思えた出来事がのちにプラスに転じることは、私たちの身の回りでも少なくありません。
とくに運がいいといわれる人には、過去にマイナスの出来事を経験している人が少なくないように思います。(174〜175頁)
このあたり「ゲームをやめない」その心意気。
このあたりは武田先生もちょっと励まされることがあって。
やはり「人生上手くまとめよう」とか思ったらダメ。
やはり武田先生は歌を作るというところから始まった青春だった。
「とにかく歌、作り続けよう」と。
その中から何か運があるような気がして。
武田先生が模索している「運」と中野先生がお説きになっている「運」とは少し質が違う。
武田先生の場合は幸運というか「luck(ラック)」というヤツが混じっている。
(中野)先生がおっしゃる「生き方としての運」とは少し味わいが、先生の方が深くて武田先生の方が浅いのだが。
でも、失恋しているあなたが聞いておられるかも知れない。
老後の暗さに戸惑うあなたが聞いておられるかも知れない。
宝くじ売り場に並んでおられるあなたが聞いておられるかも知れない。
いじめやハラスメントに悩むあなたが聞いておられるかも知れない。
そういう意味で「運」というのは別個に取り出して考えてみるというのはとても大事なことで、武田先生自信も自分の運について考えねばというふうに思っている。
ここでドンピタ、ネタが切れてしまった。
最終日、まとめる言葉は何も無いという。
明るく終わろうかなと。
本の話は終わり。
(最終日の後半は、今後予定しているネタについての話なので割愛)
ありがとうございます。
そう言っていただけると嬉しいです。