これはもうそのものズバリ
文藝春秋社、上下巻。
ルトガー・ブレグマンさんという方が書いた「Humankind(希望の歴史 )人類(が善き未来をつくるための18章)」という大きいタイトルの本。
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副題が「希望の歴史」。
(多分副題ではない)
人間というのをどう見るか?
大上段。
こういう本を見るとうずく武田先生。
でっかいタイトルが好きなので、自分の些末な出来事を一瞬忘れさせてしまう大きいテーマの本。
これはどんなふうに水谷譲に説明しようかなと思ったのだが、とにかく1ページ目から書いてあることをそのまま水谷譲にわたしていく。
一九四〇年九月七日、三四八機のドイツの爆撃機がイギリス海峡を越えた。(13頁)
ヒトラーは司令官らに攻撃計画を伝えた。「然るべき時に、ドイツ空軍によって容赦ない攻撃をしかければ、英国人の戦意をくじくことができるだろう」と。(13頁)
数百万の市民が恐怖心に圧倒されるだろう。ヒステリックな暴動が起きるから、−中略−とチャーチルは予測した。(12頁)
ぎりぎりのタイミングで、精神病院がいくつか郊外に急造された。(13頁)
続く九か月間、ロンドンだけで八万超の爆弾が落とされた。−中略−数か月にわたって爆撃を受けたら−中略−市民はヒステリックになっただろうか。野蛮人のようにふるまっただろうか。(14頁)
空襲下のロンドン市民はどのようにパニックになったか?というのを記録として残っていないかと探す。
これが不思議なことに死者4万人を出しているのだが、さしたるパニックが起こっていない。
みんな空襲の警報が鳴るとバーっと地下に隠れて逃げて、通り過ぎるのを待つということを繰り返す。
空襲下に於いても空襲警報が鳴るまで普通の商売をやっていた。
空襲で破壊されたデパートが、「営業中。本日から入り口を拡張しました」とユーモアあふれるポスターを掲示したのは有名な話だ。また、あるパブの経営者は、空襲の日々にこんな広告を出した。「窓はなくなりましたが、当店のスピリッツ(アルコール、精神の意味もある)は一流です。中に入ってお試しください」(15頁)
「ドイツ人が爆弾を落とすならその下でみんな飲もうや」という。
こういう類例がたくさんあがってきた。
精神への影響はどうだったのだろう。専門家が予測したように、数百万人が心に傷を負っただろうか。不思議なことに、そのような人はどこにもいなかった。確かに悲しみと憤りはあった。−中略−この時期、英国人のメンタルヘルスはむしろ向上した。アルコール依存症は減り、自殺者数は平時より少なかった。(15頁)
「空襲の時期、隣人たちはすばらしく協力的だった」(19頁)
「英国の社会は大空襲によっていろいろな意味で強くなった」と、英国の歴史学者は後に書いている。「その結果を知って、ヒトラーはがっかりした」(16頁)
イギリス空軍も慣れてきて迎撃されるようになってしまう。
こういうことを前提にすると「人間の見方そのものが、今まで少し間違ってるんじゃないか?」という。
空襲は効果がないということをヒトラーに人々は学ぶべきだ
空から攻撃すれば人民は怯え続けると思っているという。
これは伝え方が悪いんじゃないか?とルトガーはこんなことを言う。
実はこの伝わっていないものの中に人類の希望があるのではないか?
だから不幸というのをもっと正確に読み込んでみようや、という。
ここから皆さん、早春なので希望のある話が続く。
是非春先の希望、これを当番組(「今朝の三枚おろし」)で見つけていただければと思う。
これはどの番組でもそうだが、武田先生も時々間違えて呼ばれて。
時事問題を扱うワイドショーの番組に呼ばれたりするのだが「103万円の壁」とかという話題になると何も発言できない。
ああいう話になると東野幸治君とか強い。
それからEXITの髪の毛を染めた人(恐らく兼近大樹)。
とにかくあんな若いのにやたら強い。
ごめんなさい。
本当、(武田先生が坂本金八役で出演した「3年B組金八先生」で山田麗子役だった)「三原じゅん子議員」しか知らない。
センスが無い。
ごめんなさい。
自分を反省している時に見つけたのがこの「希望の歴史」だった。
このルトガーというのはオランダの人なのだが、この人が声を大にしておっしゃっているのが
人間は本質的に利己的で攻撃的で、すぐパニックを起こす、という根強い神話がある。(24頁)
そのことを一番叫んでいるのは何か?
メディアである。
わたしが「ニュース」と呼ぶのは、偶発的でセンセーショナルな事件を報じる、最も一般的なジャーナリズムだ。欧米の成人の一〇人に八人は、毎日ニュースを見たり読んだりする。ニュースを知るために平均で一日に一時間を費やしている。(37頁)
しかし、それが本当かどうか検証した人は一人もいない。
ルトガーという人はここに疑問を持った。
二〇〇五年八月二九日、ハリケーン・カトリーナがニューオーリンズを襲った。市を守るはずだった堤防と防潮壁が壊れた。家屋の八〇パーセントが浸水し、少なくとも一八三六人が亡くなった。カトリーナは米国史上最も破壊的な自然災害の一つになった。
それからの一週間、新聞の紙面は、ニューオーリンズで起きたレイプや発砲事件のニュースで埋まった。うろつくギャング、略奪行為、−中略−最大の避難所になったスーパードームには、−中略−二人の幼児がのどを切られ、七歳の子どもがレイプされて殺された、と新聞が報じた。
警察署長は、市は無政府状態に陥っていると語り、ルイジアナ州知事も同じことを恐れた。(24頁)
ガーディアン紙に寄せたコラムにおいて、多くの人の考えを代弁した。−中略−人間は数時間内にホッブズが唱える自然状態に戻ってしまう。すなわち、万人の万人に対する闘争という状態だ……。−中略−大半の人はサルに戻る」−中略−ニューオーリンズは、「人間の本性も含む、自然という沸き返るマグマを覆っている薄い地殻に、小さな穴をあけた」(25頁)
およそ一か月後、ジャーナリストが去り、−中略−研究者たちはようやく、ニューオーリンズで本当は何が起きたかを知った。
銃声のように聞こえたのは、ガソリンタンクの安全弁がはずれる音だった。スーパードームで亡くなったのは六人。うち四人は自然死で、一人は薬物の過剰摂取、もう一人は自殺だった。警察署長は、レイプや殺人に関する公式の報告は一件もなかったことをしぶしぶ認めた。実をいうと、略奪は起きたが、ほとんどは、生き延びるためにチームを組んで行ったもので、一部は警察が協力していた。(25頁)
(亡くなった人数等は番組の内容とは異なる)
それを「集団略奪が起こった」と新聞が書いてしまった。
ニューオリンズの洪水の犯罪報道の大半が社会の為の非常時行動であって、その結論を数年後メディアに報告した。
この科学者達、研究者達が「あの記事間違ってます」「この記事間違ってます」というのをことがちゃんとわかって数年後。
調べるまで数年かかったらしい。
それこそフェイクだった。
それを訂正すべきだったのだが、もう2年近く経っているので「もう今更訂正しても」みたいな。
そういうことだったらしい。
(このあたりの話は本には無い)
これをこの本の著者は「こんなことでいいのだろうか?」と。
そしてもう一つ、私達が肝に銘じなければならないのがメディアがニュースになると思って飛びつくのは悪の報道であって、この事実にルトガーは「気づけ」というワケで。
こんなことを言っているのはこの番組だけ。
この本は武田先生にとってショックだった。
文藝春秋社刊だが「Humankind 希望の歴史」という上下巻。
オランダのジャーナリスト・歴史家のルトガーさんという方が書いた本。
今、希望の無い時代に生きていて、経済学者の方はもう「日本もどんどんどんどん経済的に落ちていって、もう先進国から零れ落ちる」という。
年明け早々からトランプ旋風を警戒してみんな身構えている。
ニュースを見ていても悪いニュースとか嫌なニュースが続いた後に「お爺ちゃん・お婆ちゃん達が集まって餅つき大会が開かれました」みたいなの(が始まると)一回「ま、いっか」と思って席を立って、そのニュースは見ず、また戻ってきてスポーツニュースが始まる水谷譲。
トップニュースはだいたい殺人系列。
「爺さん婆さん殺された」とか「爺さん婆さんが殺した」とかそういうニュース。
「若いヤツが詐欺やってるぞ」とか「まあいよいよ不況が始まったぞ」とか「隣の国のCという国が日本の領土近くに船を出して」とか「隣国のあの国は大揉めに揉めてるぞ」というような。
これは何か?
何でこんなに水谷譲の周りには暗いニュースが多いのか?
それは「暗いニュースを敢えて強く流しているから」というのと、「私達が実は暗いニュースを欲している」と思う水谷譲。
実は水谷譲が陰惨なニュースを毎日、朝起きてすぐ探しておられる。
これは水谷譲のせいではない。
水谷譲の体の奥底にある遠い遠い縄文の頃からの知恵で。
遺伝子の中に入っていて、今日起きる悪いことをざっと想定して一日を始める。
心理学者が「ネガティビティ・バイアス」と呼ぶものだ。わたしたちは良いことよりも悪いことのほうに敏感だ。狩猟採集の時代に戻れば、クモやヘビを一〇〇回怖がったほうが、一回しか怖がらないより身のためになった。人は怖がりすぎても死なないが、恐れ知らずだと死ぬ可能性が高くなる。(37頁)
二つ目の理由は、アベイラビリティ・バイアス、つまり手に入りやすい(アベイラブル)情報だけをもとに意思決定する傾向である。何らかの情報を思い出しやすいと、それはよく起きることだと、わたしたちは思い込む。(37頁)
ニュースラインを読んでみてください。
あれは悪いことからずっと流れてくる。
悪いニュースから流していく。
だから悪いニュースがたくさんの人に読まれやすい。
悪いニュースは画面に溢れているのではなくて、溢れるように画面が構成している。
ニュースはタダが一番で。
だから噂を聞くとバーっと広がる。
フェイクはそう。
「動物園からライオンが逃げ出したらしいぜ」というのが載っていると信頼性が無くてもすぐ信用していまう。
これは典型的。
縄文時代と同じ。
「あそこの道は毒蛇が多いよ」というようなもの。
「〇〇動物園から地震の際にライオンが逃げ出した」なんていうのは、誰でもすぐに「逃げ出したらしいよ」と人に伝える。
たちまちフェイクが広がってしまう。
つまり私達は悪いニュースを探しながら生きている。
だから「そのことを前提に生きていかなやダメですよ」という。
これは考えさせられる。
もう一つ人間の面白い本能。
今、時代の中で顕著に出ている。
悪い物語が好き。
NetflixとかDisney+とか相撲界の裏側、「地面師(たち)」。
つまり人間は悪い物語が好き。
こういう話をルトガーは挙げている。
一九五一年に英国のウイリアム・ゴールディングが書いた小説だ。−中略−「無人島で暮らす少年たちの話を書いて、彼らがどんな行動をとるのかを描くというのは、良い考えだと思わないかい?」
その著書、『蝿の王』(47頁)
これはイギリスに於いて大ヒットする。
少年達が深作(欣二)さんがやろうとした「バトル・ロワイアル」。
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少年少女達の殺し合い。
これが大ヒットした。
少年達が相争って命をかけて戦うというのが、イギリスは伝統的に大好き。
三〇を超す言語に翻訳され(47頁)
やがてゴールディングはノーベル文学賞を受賞した。(48頁)
では「蝿の王」というこの大ヒットの物語はどんな物語か?
今、映画化するとこれは受ける。
漂流した少年達の対立と殺し合い、生存の殺し合いを描いた物語で大ベストセラーになる。
これは何でこういう本が売れたかというと1951年、第二次大戦が終わって、ナチスのアウシュビッツ等々の悪が暴露されると「人間てのはこんな悪魔みたいなことができるのか」ということで、人間が実は心の奥底にもの凄くドロドロした汚い悪を隠している生き物であるという。
それが少年もケダモノになるという。
今も人気の「ハリー・ポッター」。
博多弁で「ハリー・ボッター」。
博多弁とか関係ないと思う水谷譲。
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これはでも、凄い言葉。
ハリー・ポッターが言った名言だが「呪われた子」。
パート1でハリー・ポッターは「呪われた子である」という。
それがいじめの現場でしょっちゅう使われるようになったという。
ハリー・ポッターの影響らしい。
私達はこういう暗い悪の物語を好む傾向にあるという。
このルトガーという人を「信じてみようかな」と思ったのは、この「蝿の王」という、少年が「バトル・ロワイアル」、漂流少年が「命を賭けて生存の為に殺し合う」という。
無人島に子どもたちしかいない時に、彼らがどう行動するかを、実際に調べた人はいないのだろうか?(49頁)
こうして、わたしの現実の『蝿の王』探しが始まった。(49頁)
この人の執念は凄い。
しばらくウェブ上を探し回った末に、−中略−興味深い話を見つけた。「−中略−六人の少年がトンガから釣り旅行に出かけた。……大きな嵐に遭い、船が難破して、少年たちは無人島にたどりついた。(50頁)
8日間の漂流の末、アタという岩だけの孤島に流れ着いた。
そこで1年3か月、その岩だけの孤島で過ごした6人の少年がいたという。
子供6人だけでそんな何にもないとこで生きられるワケがないと思う水谷譲。
水谷譲は「ハエ」だと思っている。
1年3か月後、この6人全員助かっている。
(この後の説明はところどころ本の内容とは異なる)
何でトンガから出航したかというと子供らしくて「〇〇の海まで行くと魚が釣れる」というので人んちの船を持ち出している。
それが嵐に遭っている。
それで8日間漂流した末にアタなる岩だらけの孤島に流れ着き、彼等は上陸した後、流木で火を作り、6人のうち誰かが何時間毎に起きるということで火を守り続け、島のココナツの殻を集めて浜辺に敷いて雨水を貯める貯水タンクを作り、火も一点だけだと危険なので一個火ができると点々と島のあちこちに火をくべて火を保存。
船と一緒だったものだから、それにあった野菜、そういうものをわずかな土に植えて、畑を作り、罠で捕らえた鳥を飼い卵を手にし、魚を釣り浜の生け簀で保存。
変わったダンベルのあるジムと、バドミントンのコートと、鶏舎があり(59頁)
子供にそんなドラマや映画みたいなことはできないと思う水谷譲。
流木と半分に割ったココナッツの殻−中略−を使って、ギターを作り、それを弾いて仲間を励ました。(59頁)
そして1年3か月後、商船に発見されトンガに戻り、トンガに戻った後、6人全員少年感化院に入れられている。
「人んちの船、勝手に持ち出した」というので。
かわいそう。
それで窃盗で取り調べと刑期を終えて出てくるのだが、トンガの町で評判になる。
(本によると救出した船長の機転ですぐに監獄から出ている)
何が評判になったかというと「よく6人で生きてたね。ウソ!」というおばさん達とか。
いつの間にか彼等は町の人気者になったという。
これはルトガーは言っている。
アタ島の六人の男の子の心温まる物語は、例外的なものだろうか。それとも深遠な真実を語っているのだろうか。他に例のない逸話だろうか。(69頁)
しかし小説「蝿の王」では他者、友達のことは考えない「汚物にたかるハエ」になる。
だが、事実としてあるのは誰も命令していないのに蜜を集め、見事な巣を作った。
人間はハエであるかハチであるか?
これは人間について今も続く論争であって結論は出ていない。
しかし、「ハチになった少年」という事実は消えない。
このへん、ルトガーの面白さ。
子供達の漂流の話は、にわかに信じがたい思う水谷譲。
水谷譲が信じられない話がある。
最近、ちょっと武田先生はスカタンこく。
「スカタンこく」というのは「乗りそこなう」とか「失敗する」とか「すべる」。
博多弁で言うと「スカタンこいた」。
何か「ズレちゃった」という。
この間、何かの番組に出た時(の話)。
子供は変な遊びをやる。
「赤粘土の玉づくり」という、そういう遊びがあった。
平成、令和の人にはわからない。
武田先生は昭和の貧しい子。
何か遊びたくてしようがないので「赤玉作り」というのがあった。
これは何かというと赤土を持ってきてガラスの板にこすりつけて丸くする。
それをパチンコの玉よりも硬くして、綺麗なキンキラキンの金属みたいな光を持つ赤粘土の玉を作る。
それをみんな小学校の生徒達が机の下の手でずっと授業中も回している。
何であんなことをやっていたのか?
それで赤土はどこにでも無くて一か所だけ小学校に赤土がある場所がある。
それが校庭の隅にある相撲の土俵。
そこから指でバッと赤土を盗んできて丸める。
ところがその小学校の男子生徒が全員赤玉作りをやるものだから、ボコッと削げた。
そこで校長先生が「赤玉作りはやめなさい!」という朝礼をやっても、それでもまだやっていたという。
いい話だと思う水谷譲。
それがスタジオで全く受けなかった。
麒麟の川島(明)さんといういい声の人から静かな声で「もう終わりました?」と言われて、「ああ、スカタンこいた」と思った武田先生。
結構あること。
こうやって時代とだんだんチグハグになってゆくという。
人間がハエであるかハチであるかという論争は続いている。
これは、何百年にもわたって哲学者が取り組んできた問いだ。英国の哲学者トマス・ホッブズ(69頁)
自然状態における人間の生活は、「−中略−おぞましく、野蛮で−中略−
その結果は? ホッブズによれば「万人の万人に対する闘争」−中略−混乱を抑制し、平和な社会を築くことは可能だ。−中略−体と心を、ただ一人の君主に委ねるのである。ホッブズはこの独裁者を、聖書に登場する海の怪獣にちなんで「リバイアサン」と名づけた。(71頁)
これがトマス・ホッブズの考え方。
ところがすぐに同じ17世紀にフランスではジャン=ジャック・ルソーが生まれた。
官僚や王が生まれる前、すべてはもっと良い状態だったとルソーは主張する。「自然状態」でいたころ、人間は思いやりのある生き物だった。(73頁)
「アダムが畑を耕し、イブが機を織っていた時、誰が貴族であったか?」
(という言葉は本の中には無い)
このトマス・ホッブズとジャン=ジャック・ルソーの戦いは今もまだ続いている。
これは科学でもそう。
ダーウィンの「弱肉強食」。
「弱いヤツを喰って生き残ったヤツが今なんだ」という。
英国の生物学者リチャード・ドーキンスは、遺伝子が進化に果たす役割を述べた自らの最高傑作『利己的な遺伝子』を出版した。それを読むと、わたしは気が滅入ってくる。−中略−「わたしたちは利己的に生まれついているのだから(79頁)
このダーウィンの「弱肉強食」、ドーキンスの「利己的遺伝子」の中から学説として現生人類、今の人類の始まりはネアンデルタール人を喰ったんじゃ無ぇかという。
ドイツ、ケルンの北にある石炭岩の採石場で、二人の鉱夫が生涯忘れられない発見をした。それはかつてこの地上を歩いた動物の中でも最も激しい議論を呼び起こすことになる動物の骨だった。−中略−
その週、地元の新聞は、ネアンデル谷での驚くべき「フラットヘッド(平たい頭)族」の発見について報じた。−中略−
その骨は現生人類のものではなく、異なる人類のものだ、と。(84〜85頁)
現在、多くのヒト族が発見されている。ホモ・エレクトス、ホモ・フローレシエンス、ホモ・デニソワン(86頁)
私達だけが生き残っている。
「何で生き残ったんだよ?」というのが現代科学の謎。
一つは「強かったから」「賢かったから」「宗教を持っていた」「国を作ることができた」「協力する集団であった」。
集団で他の集団を殺すような集団であったから現生人類が生き残った。
もしかしたら旧人類を食料として喰ったのかも知れない。
イスラエル人の歴史学者ユヴァル・ノア・ハラリは推測する。「サピエンスがネアンデルタール人に出会った後に起きたことは、史上初の、最も凄まじい民族浄化作戦だった可能性が高い」(88頁)
(本によると食人に関する話はハラリではなくレイモンド・ダート)
ところがこれは最近崩れた。
ネアンデルタール人を現生人類が喰ったというのだが、ネアンデルタール人の骨がきちんと出てくる。
皆さんもケンタッキーフライドチキンを喰った後、鶏の形に綺麗に骨を埋めたりしない。
喰うと骨はバラバラ。
ところがネアンデルタール人の骨は綺麗に骨が繋がって出てくるので、「喰った」というのは無いのではなかろうかという。
「ではなぜ俺達は人間になれたんだ?」というのは、興味深い。
こんなことを言っていたら現代の番組から浮く。
スカタンこく。
ではスカタンこき続けの武田先生が、このルトガーさんの説に従って人類の希望を見つけていこうと思う。