北海道・襟裳岬の付け根にある人口1万2千ばかりの浦河町「べてるの家」ということで、何度も話題に。
そこの町で生きる、あるお医者様に注目したという著作が、みすず書房「治したくない ひがし町診療所の日々」。
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(本の中の傍点部はアンダーラインで表記する)
斉藤道雄さんという方が書いておられるのだが、これが読み応えがあったのだが、まずは初めて聞かれる方の為に浦河という町の風景からご説明する。
町の背中は日高山脈で目の前には北海道の南の海が広がっている。
日高の山々。
傾斜地が多いのだが、その一番緩やかなところには浦河の有名な産業であるが競馬馬の生産をやっておられて。
ここは南の海が温かいものだから海洋性気候で霧が発生しやすい。
その分、冬の厳しさもある程度緩やかだという場所。
これは行くとわかるが日高山脈は緩やかな裾野には馬の牧場が広がっていて、牛の方はワリとバリケードでバーっと巡らしている。
馬牧場の方は白い柵がずらーっと並んでいて、何かこう歌が聞こえてくる・・・
「ルンナ♪白い何とかのルンナ♪」というような。
牧舎も全然スケールが。
この浦河の町に今、インドの出稼ぎの方が凄い勢いで増えているという。
インドというのは昔、イギリスの植民地でイギリスが、ポロとかで競馬もそうだが、とても馬競技を大事にしたので、馬の飼育に関してプロが多い。
人手不足を補う為に浦河の町にインド人の方がやってきて、という。
このインド人の方々の技術というのは日本競馬会「JRA(日本中央競馬会)」でもスタッフとして有名だそうだ。
とにかく海は豊か、山は豊かという浦河。
ここは日高昆布の集積所、集まる市場がある。
人口1万2千の本当に小さな町に、何度でも紹介しているが、精神障害者のグループホームの「べてるの家」があって。
精神障害の方が精神障害の方と一緒に暮らしながら、いわゆる精神障害を治そうという医療の挑戦。
精神の方の病は様々あるが、長い人類の歴史の中でこの精神の病というのは無くなったことはない。
確かに存在する。
日本の精神科の入院患者は三十一万人(196頁)
これに加えて昨今では、鬱、引きこもり、そして認知症等も加わって、15年前から2.6倍の患者の方がおられるということ。
認知症等は高齢者の14%がこの病に罹っているということで、とにかく体を統合する心を病み、或いは暮らしを認識する能力を失うというこの病は世界的にも増加傾向にあるということ。
アジアでは韓国社会もその人数が増えているし、韓国では「どうやって治すか」の模索が続いていて、武田先生もお会いしたが、韓国からの医療の方々がここで勉強しておられる。
やはり中国の方も早く勉強をスタートした方がいいんじゃないだろうか?
認知症が中国では加わっていくから。
本当に「景気のどうのこうの」言っていないで、この勉強を開始した方がいいのではないか?と。
浦河というのはアジアが注目する精神医療の最前線基地になっている。
これは日本の方もご存じないかと思うが、やはりこの浦河の挑戦というのは凄く今、ヨーロッパが注目している。
「べてるの家」というのはそれほど価値のあるものだが、実はこのべてるの家を支えるのに奇跡のような人物がいる。
それが精神医療者、病院の先生で川村敏明先生という先生がおられる。
この方は浦河赤十字病院の精神科医をしながら、浦河の病院に精神に病があって入院してくる人達を町に出しているという。
精神に病を持った人を入院という形で病院に閉じ込めてしまうとどんどん悪くなる。
川村先生は逆に町に出して普通の暮らしを、働いて生きていくという暮らしをさせた方が病の為にはいいということで通院を求めるという。
この今回は川村先生のこの精神医療に対する日々の取り組みをご紹介したいと思って語り始めたワケで。
北海道浦河、赤十字病院の川村先生の話。
精神に病を持つ方がやってくるのだが、先生は「町で共同生活をしなさい」
その町には「べてるの家」という福祉法人があるワケで。
「そっちの方が治りが早い」というのを川村先生はおっしゃる。
そうすると浦河の赤十字の精神科の方の入院のベッドが空いてしまう。
矛盾している。
そうするとお国の方から「縮小しろ」と。
「入院患者を引き受けないんだったらベッドはいらないだろ」
精神科病棟を老人病棟にしろという要求は、−中略−地域からの方が強かった。(7頁)
川村先生は「認知症も隔離しておいて治すということはできないんだ」という。
かといって治るものでもない。
はっきり言って認知症は治らない。
今は薬も出始めているが、始まったばかりだから。
それでその日赤の人間として立場も苦しい川村先生が考えたのが、「診療所を作ろう」という。
だから「入院設備はない」という。
自分が診療する。
そうすると、この先生は何か凄い評判がいい人で、看護師さんたちも「川村先生と一緒だったら私、定年退職したら先生の診療所に行く」と言って何人も力を貸してくれる。
とにかく精神医療というのはなかなか偏見もあって難しい。
それで病院で隔離せずに町に出してしまう川村先生にも凄い非難が集まるのだが、べてるの家というこの福祉施設がしっかりしていて、町との折り合いがいいものだから、ワリと上手くいっている。
「結局、(精神科は)赤字だから患者さんを集めてベッドを埋めるか、やめるかだっていわれたんですよ、経営コンサルタントに。で、集めるっていったら高齢者、それこそ認知症の人たちで埋めるって話で、それはもう」−中略−こんどは老人の「収容施設」になるなんて耐えられない。(6〜7頁)
これでもう廃止が決まってしまう。
入院病棟を持っていると国から6億円出るのだが、先生はどんどん(病院から)出してしまうので6億円が入ってこない。
(本によると、浦河日赤では入院患者の減少で国の医療保険が毎年六億円の節約になったという試算があるということが書かれてあるので、このあたりの話は事実とは異なる)
それでその認知症の老人達はどうするかというと、入院施設の無い先生の診療室に行く。
それでこの先生は何をやったかというと、自分で車に乗って看護師さんを連れて二人で自宅を診て歩く。
認知症の老人達のところを。
それが斉藤道雄さんがお書きになった「治したくない ひがし町診療所の日々」に書いてある。
それが「こんなことをやってる人がいるのか」と思うだけでなんだか心がウォームアップ(「ハートウォーミング」ということを言いたかったのだと思われる)というか温かくなってくる。
その認知症の老人達の話は後回しにして、一番最初にその診療所が扱った問題を。
(以下の内容は2017年に始まったようなので、診療所のオープンが2014年であることから考えると「一番最初に扱った」というのは誤りだと思われる)
大貫恵さんは統合失調症だ。かつて子どもを二人産んだが育てることはできず、児童相談所が介入して施設に預けなければならなかった。親はアルコール依存症、きょうだいも頼りになるどころか逆に大貫さんの生活保護費をあてにするありさまだった。大貫さん自身も幻聴や幻覚が強く、パチンコや男性依存から抜けられない−中略−川村先生の患者だったが、二年前に浦河から姿を消し、隣町に行ったといわれていた。(45頁)
(番組内では浦河から姿を消したのは数か月であるように言っているが、上記のように二年)
その大貫さんが妊娠したと一報が入ったのは三月だった。子どもは浦河で産みたいと、浦河日赤まで受診に来たのである。ところが四十代の高齢出産だというのに準備がまったくできていない。所持金もなく(45頁)
母親は精神障害、自活能力はなく、頼れる友人家族はひとりもいない。−中略−子どもが生まれたらはじめから児童相談所に任せるというのが一般的な判断だろう。(45頁)
長年大貫さんとかかわった経験のあるワーカーの伊藤恵里子さんは、「チャンスだと思った」とふり返っている。高田大志ワーカーも「もうパパっと動きましたよ」といい、川村先生も「これはビッグ・イベントだ」と腰を浮かせた。(46頁)
家族に取りあげられていた預金通帳を取り返すこと、そこに振り込まれる生活保護費を自分で受けとれるようにすること(47頁)
べてるの家が持っているグループホームを借りて中古の冷蔵庫を一台買うとその冷蔵庫にセイコーマートで買えるだけの食品を詰め込んで、本人に「おなかの子の為にこの中にある食品を喰え!」という。
(本によると既にあった冷蔵庫の中へ「近くのスーパー」から買ってきたものを入れたことになっている)
町の福祉が「子供産むの無理だよ」と言う。
役場の担当者はときに声を荒げたという。
「支援、支援っていうけど、いつまで支援できるんですか。−中略−あなた方、骨を拾うところまで援助できるっていうんですか」(47頁)
川村先生は凄い。
病院内で骨を拾う順番を決めたという。
「私がまず拾って」という。
(という話は本にはない)
「どこに埋めるんですか?」と言ったら何人か入れる墓を購入したというから凄い。
行政担当者からしてみれば福祉の枠組みからはみ出す行為を川村先生はやる。
しかし川村先生の後ろ側にはべてるの家があって、それで出産させたという。
ここからまた凄まじい福祉の戦いのような活動が始まる。
というワケで精神障害のある恵さんに子供を産ませた。
産まれてくる子供にとって何が幸せなのかがわからないから、ちょっと今のところどうなるかが凄く不安だと思う水谷譲。
男の子だったらしく、「タック」という名前だそうだ。
(番組の中で「タックン」と言っているようだが、本の内容に従って全て「タック」と表記する。この後の内容も本の内容とはかなり異なっている)
子育ては診療所でである。
診療所の待合室にこの子を置いてみんなで面倒を見るという。
手の空いた人が散歩に連れて行ったり、夜は夜で日赤保健所の人、或いはベテルの家の精神障害を持った人がおしめを替えたりして24時間体制のシフトを組んだという。
グループホームの精神障害者の人が育児に協力し、精神障害を持っておられるから「睡眠が大切」ということで夜は川村先生と川村先生の奥さんが面倒を見続けた。
朝はそのまま先生は診療室に行って診療室の待合にタックを置いておくと心に病がある人がやってきてタックのお守りをしてくれる。
最初は育児放棄があったらしい。
ところが本当に「不思議なことが起きる」としか言いようがない。
だんだんタックがそういう人達に慣れてくると、恵さんの中にお母さんが芽生え始めて、面倒を見られるように成長していく。
子供が母を育てる。
育児放棄が始まったりするとスタッフ、或いは精神障害の症状が軽い人が順番に面倒を見る。
そしてグループホームへ連れてゆく。
とにかく手の空いた人がタックを家に連れていく。
そして寄り添う。
子育てに最も大事なのは手の多さであって、育児は手さえあれば何とかなるんだ、と。
ひがし町診療所の「みんなの子育て」は、法律や制度に縛られず、「パパっと動く」人びとの自然な思いが可能にしたことだった。(50頁)
そして一番重大なことは「責任者を置かない」。
責任者を置くとその人が支点になって重圧を被ることになる。
今まで話を聞きながら「誰が責任取るんだろう?」というふうに思っていた水谷譲。
最後は川村先生が取るのだろう。
責任論に巻き込まれない。「正しさ」や「常識」で考えようともしない。(50頁)
とにかく調子のいい人がタックの面倒を見るという。
調子のいい人が誰もいないということはあり得ないのかと思う水谷譲。
これが百人以上いるので、何とか回転する。
つまり責任者の責任ではなくて、手の多さが育児を回していく。
「(援助するのが)ひとり二人だったらね、(受ける方は)すごく不安なんです。どっさり人がいるんです。ふふふ。質より量です」
わかりますか? 援助ってのはね、質より量なんです。(57頁)
こういう発想。
そして一個だけ川村先生らしいのは月に一回必ず支援ミーティング。
(本によると「応援ミーティング」)
タックの子育てに関して反省、これからのスケジュール、そしてこれからの希望をみんなで検討する。
責任者よりもこれら頼りないべてるの人々が実は援助の中心になっていく。
そしてそのベテルの人達を地域社会は取り囲んでいる。
タックが育つにしたがい、大貫さんの暮らしも病状も行ったり来たりしながらではあったけれど少しずつ落ち着いている。(49頁)
「ちゃらんぽらんだったけど、母親らしくなった」(49頁)
凄いことに、恵さんの狂気も子育てに協力し始める。
これは川村さんも、それから向谷地さんも言っていたが、狂気もこっち側を見ているらしくて、だんだん小さくなる。
面白い。
ひがし町診療所がオープンした二〇一四年五月一日、−中略−なんの宣伝もしないのにこんなに患者がやって来るのは見たことがないと、製薬会社の営業担当が驚いたという。過疎の町だというのに、開設から五年半のあいだに訪れた患者の数は千八百人を超えている。(23頁)
こんなに繁盛している精神科の病院はちょっと類がないらしい。
川村先生の診療というのは、この姿勢で心の病に対応していく。
たとえば自分たちで田植えをし米づくりをする、−中略−石窯をつくってピザを焼くといったようなことだ。−中略−山をひとつ買って−中略−そこに「哲学の道」や「幻聴の広場」をつくりたい、あるいはヤギを飼いたい(24頁)
医者が患者を診ているのと同時に、患者もまた医者を見ている。(26頁)
川村先生のこれは名言。
患者は医師に希望を探る。
希望を感じない医者はいつか患者から捨てられる。
どれだけ治さなくてすむかっていうか、世間が考える医療的な部分をどれだけ減らしてもやっていけるか」
むしろ、そちらの方向を考える。(28頁)
これを伝えて提案するのが医療の道ではないか?
この川村先生の言う
「どれだけ治さなくてもすむか」(28頁)
治すことばっかりを考える医療。
それを我々は当然と思っているが「いや、全部治しちゃダメだ」という。
治すパーセンテージを決めるという。
こういう川村先生の発想というのは凄い。
先生は言う。
医療を抑えると思いがけないことが症状に起きる。
それが完治より患者を励ますことがある。
つまり病院があったり医者が手を出すと医者の思う通りになる場合もある。
しかし、医者の思い通りにならない時にそのことが患者をより励ますことがあるという。
これはちょっとこの先生の説はややこしい。
それが待てるかどうかが医師の腕だ。
医師が何かをする、或いは何かをしない。
そのことによって病状が変化する。
よいふうにも悪いふうにも。
よいふうになった、悪いふうになった。
この二つを見極めるところに医師の腕がある、という。
これは精神障害だから、何がどうなるかわからない。
昔、水谷譲に話した。
河合隼雄という深層心理学の先生が、自殺しかかった青年をなぐさめる為に「何か言わなきゃ、この子は自殺する」という電話か何かのやり取りで。
何も思い浮かばない。
「生きなきゃダメだよ」とかそんなこと聞きそうにない子。
先生がその時に東京駅のみどりの窓口で駅員から言われた一言をポッと言った。
「のぞみは無いがひかりはある」
そうしたらその青年は態度を変えたという。
言葉はそんなもの。
これはJRの人のつぶやいた言葉。
「のぞみは無いがひかりはある」というのは列車のこと。
のぞみが無い時でもひかりはある。
それを自殺する子には何よりの希望の言葉として繋がった。
(「思想家 河合隼雄」の時にも紹介されていた話)
そういうその言葉しか伝えられない何か。
それが言葉の面白さ。
そのたとえが分かるかわからないか。
ゴルフなんか典型的。
「手で打つバカがあるか!腰で打つ」って「打て無ぇよ。打ってみろ腰で」。
その「何か」に出会うまで人は模索しなければ。
それが待てるかどうかが医者の腕なんだ、という。
統合失調症の女性が出産し、子育てをする。
これは危険この上無い。
反対する福祉事務所を押し切って出産した。
母親は幻覚・幻聴があり育児放棄もあった。
だがそこに百人のサポーターが集まってみんなで育児を続行した。
するとこの統合失調症の女性の恵さんは三か月で症状が治まったという。
(このあたりも本の内容とは異なる)
夜任せられるようになった。
誰がどう責任を負うか。
そんなことではない。
「責任者決めてるようじゃダメなんだよ。入院させればみんな安心する。管理してる、収容してるという、そんな言葉で」
それが長い精神障害の治療であった。
そんな方法はすぐに役に立たなくなる。
数千万人いる高齢者の4人に1人が認知症になる時代に、隔離・管理で消すことはできない、という。
「認知症と共に生きていく」という腹をくくることが大事なんだ。
「今、のどかに景気のいいことを言っているが、プーチンさん。アンタんとこだって大変だよ、あれ。一億ちょっとの人口いますけど戦争やったPTSD等々を含めると、もの凄い人が心を傷付けてますよ」
皆さん、ここが面白い。
「来るべき未来の為に」と川村先生は言う。
来るべき未来の為にまずは地方が悩もう。
大都市でできないことが浦河ではできる。
だから率先して日本の問題を地方の浦河、人口1万2千が悩む。
解決することはもちろんできない。
しかし「何かにたどり着くことはできるよ」「ローカルが日本の為に悩むんだ」という。
ローカルが率先して日本の為に。
とにかく日本の問題を過疎のこの小さな町が先に悩むこと。
そうすると前進があるという。
人口1万2千の浦河がゆっくりと日本の未来の問題を解決する、或いは打つべき手をいくつも思いついているという。
高齢者の認知症も含めて精神障害というのは人類が抱えた宿痾・業病である。
「命の宿命」なんだという。
そのことを引き受ける。
そういう小さなローカルを持つことがいかに大事かという。
武田先生の熱量は凄い。
何かこういう希望を持っている人の姿を見たり語り合うと安らぐ。
これだけは皆さん、覚えておいてね。
「責任者を置かない」
良い言葉。
もうスタジオ中、みんな頷いている。
みんな責任者になりたくない。
北海道・襟裳岬の根本の町、浦河。
その浦河で精神医療に関して小さな診療所を始めた川村先生。
この川村医師が始めた精神障害者に対する町ぐるみの対処の姿勢を並べてみましょう。
ここでは誰もがみな対等だ。常勤医師は川村先生ひとり、あとは看護師、ワーカー、事務職員などで、非常勤を含めれば三十人ほどのスタッフがいるけれど、その全員がほぼ対等な関係にある。−中略−より個性的になって、その人でなければできない役割を担うようになる。(70頁)
問題と解決を結びつけない。
幻聴が聞こえるといえば薬を増やすのが一般的な時代に、川村先生は増やさないどころかときには減らしている。「低脳薬」になった患者は自分を語るようになり、その語りが「治療」の風景を変えていった。(77頁)
すると幻覚・幻聴が当然だがひどくなる。
ひどくなると面白いことに患者とはどんな幻覚・幻聴なのかを耐えられずに人に話すようになる。
目の前に宇宙人が見えたりなんかするというのは恥ずかしい。
人に話すと「バカじゃ無ぇの」とかと言われてしまうのが嫌。
ところが酷くなるとそれを思わず話したくなる。
話し出したら先生はそれをとにかく聞く。
看護師さん達もそれを聞く。
その幻覚・幻聴の変化を記録するそうだ。
そうすると少しずつ幻覚・幻聴が物語になる。
「そうかそうか。へぇ〜。そういうふうに出た?幻覚が。ふーん。どうなるんだろう?」先生がそうやって励ますとだんだん幻覚・幻聴が整い始める。
物語っぽくなってゆく。
そこで「面白いけど面白過ぎない?」と先生から言われると狂気も考えるらしくて狂気が訂正してくる。
それでそういう話をしているうちにその人が何を隠しているかがわかってくる。
つまり人間の弱さがだんだんはっきりしてくると、見えてくるものがある。
とどのつまり先生が言いたいのは「健常者などどこにもいない」という。
狂気の人の幻覚・幻聴を聞くうちに「その幻覚だったら俺も見たことがある」とつい言いたくなるような事態になってしまう。
そうなった時に自分の異常さとその精神の病を得た人のそれが重なる。
そういうことがある。
それがはっきりした後でどうするかというと、患者自らが自分の病名を決める。
お医者さんが診断して決めるんじゃなくて、患者さんが自分の。
それを彼の病名としてカルテに書き込むんだそうだ。
例えばどういう病名が?
「あいうえお病」というのが(早坂)潔さんがよく言っていた。
「愛に飢えている」「あいうえお病」とか、「男好き好き病」とかという、そういうの。
水谷譲に言ったのだが、武田先生も精神障害の人から「武田さんも何か病気持ってますか?」と言われて、人間ドックに通い始めた時に主治医から「過剰適応症ですね」と言われて。
「過剰適応症」というのは先生でもないのに先生のふりをという凄いストレスを感じつつ演じているという。
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役者さんはみんな過剰適応症になっている。
そうやって考えると狂気というのと物語とかそういうものがどんどん似通ってくる。
役者さんの根性なんていうのは一種狂気。
だから考えてみればスタントの人なんてそれ。
キャメラのアングルを探しておいて、そこで最も危険なことをやりたがるというのは、彼の中に狂気が無いとそんなことはできやしない。
一種異常とも言えると思う水谷譲。
その異常が芸術を生んでるんじゃないか?とかと考えると、精神の病には統合失調症、鬱病、双極性障害とか不安、発達障害等々あるのだが、自分も一種の狂気を帯びていると思えば思い当たることはいくらでもある。
女の人に恋をすることはやはり狂気。
女の人はいっぱいいる。
それを「あれじゃなきゃダメだ」と言うのだから「いい加減にしろよ」(と自分で自分に言う武田先生)
「アンタと一緒になれなきゃ死んじゃう」なんていうのがいるのだから。
かくのごとく狂気というのは遠い存在ではなくて内側に誰にでも突発的に出てくることがある。
幻覚や妄想は、一対一で聞いてもつまらない。けれどみんなのなかで話せば、こんなおもしろいことはないというときがある。(219頁)
このみんなの笑いが精神障害者にとってどれほど重大か?
お笑い芸人にお笑いを頼るのではなくて、笑いを自分達の手で作ってみる。
そのことが実はもの凄く大事なことなのではなかろうか?と。
これで今週はお終い。
水谷譲の声を殆どふさぐようにして喋っているが、何かこの話は素敵。
皆さんもちょっと不適当な言葉がポンポン出たかも知れないが、ごめんなさい。
川村先生を語っていると、このような言葉になってしまう。
ここからまた更に面白い。
今度はこの川村先生が認知症の老人のそういうものに乗り出すという。
これは来週はお年寄りの方は聞いてね。