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2025年04月29日

2025年1月20〜31日◆降りてゆく生き方Part2(後編)

これの続きです。

この向谷地さんの本を読んでいたら「この人のことラジオで喋っていいのかな?」という、そういう思いを。
そうしたら向谷地さんは「いいんじゃ無ぇの」とかと強気で言うものだから。
ご迷惑をかけないように心して語るつもりでいるが。

元大学の教授でありつつ、予備校にて論文試験の講師などもやっておられるという(最首悟氏と)、文化人類学の教授の方で辻信一さんとの対談。
これも知らない人の名前ばっかり続いて申し訳ない。
ザックリした言い方をすると、そういう方がおられてそんな話をなさったという。
その途中でこの最首さんはある重大な殺人犯との交流を語られる。
これは衝撃的。
人間を見る深いまなざし。
ただラジオで語るにはご本人の許可が必要かと思ったという。
しかしその本を編集した人から聞いたら「本に書いてあることなんで」という。
ただ、この最首悟さんというこの方の一種畏怖を感じる。

最首 私は現在八五歳になりまして(二〇二二年)。私が四〇歳のときにダウン症の星子が生まれました。三人上に子がいて(一男二女)、星子はその四番目の三女ということになります。
 現在(二〇二二年)星子は四五歳になるわけです。
(169頁)

(番組では「星子」を「ほしこ」と紹介しているが、本の振り仮名によると「せいこ」)

 当時はダウン症の子は、早死にするという。生きても三〇代とかということだったんですけど。今はもう六〇代まで生きる人も出てきて(169頁)

八歳の頃、白内障の手術が失敗したんですね。−中略−それで星子は全盲ということになって。−中略−
 何もできないというか、物を掴まない、食べるのも食べさせてもらう、そして噛まないで丸のみにするんです。
(169〜170頁)

一九七六年というのは、大変な子どもが本当に多く生まれている年で、四月には乙武君も生まれてるんですね。(170頁)

胎児性の病ということで。
最首さんはその時代、星子さんと生きてこられた。

星子は、頼らなくては行きていけない存在ですよね。鉢植えの草花っていうようなイメージで。やっぱり、水を三日やらないと枯れてしまうようなことで。(171頁)

他の力がいるんですみたいな。そのように頼られている。私たちが頼ってるっていうのは、頼られてることの、別名かと思ったりします。頼るというのと、頼られるという、これは相互関係ですよね。関係っていうのは、一方通行ではないんだ、そういう気もするんです。(172頁)

 将来、よく幼い子どもを持っている人に「将来が楽しみですね」というふうに声をかけるのが挨拶としてありますよね。(172頁)

「私も星子の将来に対しては楽しみでならないんですよ。そういう恩恵をこの子から貰っている」

今日という日と、明日という日はそんなに変わらない。
 じゃあ、未来はないんですかとはっきり言われるとね、そうは考えてないな、というような感じなんですね。
(173頁)

それも立派な将来なのだ、と。
何かそんなことを目指して生きておられるそうだ。

変化はあるんですよ。そりゃあもう、少しの変化だけで本当に嬉しいし。星子は便秘気味でしてね。なるべく薬を使わないっていうことになると、一〇日くらいぶりの排便になります。家中もう臭いんですよ。それが、何とも、母親と私とで、うきうきした気分になって、そういうのが良いですね。(174頁)

「私共はそういう生活をちっとも不幸とは思わない」「この排便の臭いをさせてくれる星子という存在が無ければ私どもの暮らしには喜びはありません」という、そういう方。
誰のものでもない出来事が私を喜ばせている。
その成り行きには人称の主語がない。
また日本語の不思議さ。
「成り行き」の不思議さ。

茶碗が割れた、ガラスが割れたという。それ割っちゃったっていうよりも、割れたっていうんですよね。(177頁)

こういう言い方をして、人影を言葉から消して、そういう流れであるという「成り行き」。
それが星子さんとの間に交わされることの嬉しさがとても幸せだとおっしゃる最首さんだが、その最首さんの身辺に実に不穏な影が忍び寄る。

余談だが不思議な日本語の言い回し。
「居る」という単語。
「そこに居る」という成り行き。

 リビングルームも居間ですしね、居留守を使うとか、居酒屋とかね。その居るっていう落ち着き方というかね、その場にいるっていうことなんだ、みたいな。驚いたのは、西洋語に、居るっていう表現がないっていうんですよ。(178頁)

「居る」というのは不思議な表現。
「そこに座っていた」とかそういう言い方をしないで「居る」という。
これは一種の成り行きで、流れのうちにある行動。
意志でそこにいたのではなくて、そこにいるような運命であったということで「いやぁ〜家に居たよ」、それから「居酒屋にいた」。
「アイツどこに居た?」「居酒屋に居るよ」という。
居る事情、成り行きを持っているという。
それを一瞬のうちに伝える。
哲学用語で言うと「私はそこに存在している」。
不思議な言い方がある。
「仕事は何やってるの」
「あ、学生してます」という。
あれも妙な言い方。

 風が吹くと桶屋が儲かる、そういう辿り方ができないんじゃないかと。−中略−私たち、成り行くというと、ちょっとって枠組みが取れない。(〜頁)

この最首さんのダウン症の娘さんに寄せる思いというのは、能力で人を分けなくなった。
「星子がそこにいる。それだけで幸せなんである」という。
そのことをこの最首さんという老境の大学教授が本にお書きになった。
これが評判を呼んだらしい。
評判を呼んだ最首さんのところに、ある日、手紙が舞い込んだ。
手紙を見て最首さんはびっくりなさる。
これが死刑囚・植松聡から。
事件当時26歳だった植松からの手紙だった。
覚えておられますか?皆さん。
相模原施設19人殺害事件、植松被告に死刑判決 - BBCニュース
やまゆり学園で重症心身の障害者の方45人を殺傷したという。
もう死刑判決は降りているが。
その彼からの手紙だった。
それで何が書いてあったかというと「この国にあって生産能力の全くないものを支援することはできない」。
丁寧な文章で差別の正当性を訴えてきた。
死刑囚・植松は著者と星子さんの関係が嘘に満ちていると手紙で告発してきた。

 一点目は、「奥さんがどんなに苦労してるのか、あんたわかるのか」ということ。−中略−あんたも大学人なら優生思想だろう。それと、星子のような子どもを育てるのは矛盾している。(180頁)

最首 会いに行きました(180頁)

「あの野郎」と言いたくなるが、あの死刑囚・植松聡。
報道キャメラが彼を撮ろうとした時に、車の中で笑い転げていた。

 その印象はどうでした。
最首 輪郭がはっきりしなくて、ぼけていて、この青年が、あれ程のことができるのかと思うような人でしたね。
(180頁)

そこでこの死刑囚と語り合うことになった。
植松は世界を割り切ろうとする。
「世界というのは単純化すべきなんだ。単純な支配、それが世界を動かしてるんだ」

IQ二〇以下は人間じゃない、もう人間扱いしないようにしよう(183頁)

「そういうふうに割り切った方が日本という国をもっと豊かにできるんだ」という。

それで、私は「割り切れないよ」っていうことを言い続ける覚悟というか、そんな簡単に、この命ということで、私たちは、命を生きたりなんかしてない。(183頁)

「自立している命が一つずつ世界にばらまかれているワケではないんだ。両足で立つもの、片足で立つもの、座るもの、うずくまるもの、様々な姿の命がある。弱くてフラフラしているものだってあるよ。そこでその命は誰かに頼る。命はそれ故に成立するんだよ」

「人のあいだ」を人と言う。(185頁)

「二人の間」の君と私であって、「二つの私」ではないという。
凄い。
それを直接本人に言いに行った。
この最首さんは論客で。
「よく考えてみてくれよ。単独としての個人なんていようはずがない。何かこう世界というものはそういう人達でできてるんだ。人間で一番孤独ではないということじゃないか?」と。
ここからこの方は壮絶な討論をこの死刑囚と始める。

最首さんはこの死刑囚と語り合うことになった。
植松は「生産能力の全くないものを支援することはできない」差別の正当性を訴えてきた。
最首さんと植松で往復書簡があったらしいのだが、結果から言うと植松の方が面会しなくなってしまう。
最首さんはいつでも会っていいと思ってらっしゃるのだが。
手紙の方も交換を最初はしていたのだが、植松は逃げ出して、一切返事をくれなくなった。
だから最首さんは定期的に手紙をきちんと書いておられる。
凄まじい、おどろおどろしい事件は「時のかなた」みたいに思ってしまうが、まだ皆さん、世の中であの男と戦っておられる方がいる。
あの男に何べん言ってもわからない。
最首さんのエッセーで中に凄まじいと思うのは、星子が今日は自力で便を出したというその臭いが家の中に残っていることですら最首さんにとっては喜びであったということ。
「汚い」とか「嫌な臭い」。
そうじゃない。
「いい臭い」「悪い臭い」は個人のもの。
そういう個人というものをとても大事に。
この最首さんのおっしゃっている「個人」は「一人」ということではない。
星子さんに支えられて二人が個人になっている。
西洋の思想の中で明治以来日本人がもの凄く苦闘したのがこの「個人」という考え方。
「個人」になる為にいろいろ日本人は必死になって頑張ってきた。
ところが「個人」で頑張ろうと福沢諭吉さんなんかが立ち上がるのだが反乱がおきると薩摩という、藩の人達がまた集まって問題を起こしたり。
その後は長州閥とか言って「閥」が。
今でもある。
卒業した大学の「閥」とかっていうのが法曹界にはある。
政治の世界ではというと、今度個人になるべきはずで投票は個人でやるべきなのだが「〇〇派」という「派」があって、という。
その「派」では学生運動の派閥があって。
ここでは殺し合いもしている。
「〇〇赤軍何とか」とあった。
それから「それはそれ、これはこれ」というので関係を個人にしようとするギャグ。

 そんなの関係ねぇって、コメディアンの小島なんとかさんは、裸で叫ぶ。カラスの勝手でしょとかね(191頁)

関係性で回りを断ち切ろうとする。
そこまでして個人を目指すのだが、なんだか上手くいかない。
それから流行った言葉。
「自己責任」
「自己責任」をわかりやすく説明した「テメェのケツはテメェで拭け」という汚い言い方があるが。
これなんかが「自己責任」で。
でもケツの拭けない人もいる。
もう腹をくくって他人のケツを拭く人がいる。
だったらその意味での自己責任も言葉として日本人には理解できていないワケで。
どうも明治以来、日本は個人というものに関して勘違いしている。
そのまま大きくなっている。
ではその個人とは一体何だろうかという、自信が無くなっているのが今の日本ではなかろうか?
最首さんは「その個人は見つからない」「人間は個人ではありえない。やっぱり人間は人間なんだ」。
「間」
関係の中に生きている、それが人間。
「自分は今、星子から頼られている。だが頼られることによって私は個人として立つことができるから。『おたくの娘さんは人間として扱いませんよ』あなたが言うこっちゃないよ!」という。
最首さんの堂々たる論理。
重症心身障害者の娘に頼られる時、私は頼る娘を頼りにして、私であるという。
植松の方から殆ど最近は面会も謝絶で、刑務所の方から聞くと受け取りを拒否して溜り続けているという。
(本には「死刑囚は、一般人からの手紙を読むことはできない」とある)
もともとは自分から出しているのにと思う水谷譲。
植松という人の正義というのはかくのごとく非常に孤独で。
武田先生も反省文で書いている。
「朝のラジオで喋るつもりだが、しかし、重すぎるのではないだろうか?この放送をどうお聞きになるか?とにかくあなたが孤独ではないことを祈りつつ、私は聞いてくださるあなたを頼りにしております。これは決して『私の正論』とか『私の言いたいこと』ではなくて、聞いてくださるあなたへの放送で」
三枚放送。
この成り行きの中に私個人が成立しているワケで、最首さんの言葉をお借りし、最首さんから学んだ言葉を今聞いてらっしゃる方に語り掛けている。
最首さんもおっしゃっているのだが、武田先生も締めくくりにこの言葉で今日を締めくくろうと思う。

『君あり故に我あり』(189頁)

君あり、故に我あり (講談社学術文庫 1706)



昨日のところで本の方の語りは一応お終いというこで、ここから先はフリートーク。
日記風に書いている。
「2024年10月の物思い」ということで書いていたのだが「10月の4、5、6を費やして浦河べてるの家、べてる文化祭へ行く」と。
帯広を降りて車で二時間、初秋の旅。
道南、襟裳岬の根本の町、浦河へ着く。
数か月ぶり、向谷地さんに会う。
そしてもう馴染みの統合失調症の(早坂)潔さん。
この方とも会う。
ちょっと浦河の原野に食べ物屋さんがあったりして、そこでべてるのスタッフと向谷地さんのところのご家族と。
向谷地の言葉遣いが好きで。
向谷地がソーシャルワーカーとして浦河にやってきて、生活が破綻した方がおられて、それを福祉で救おうとする。
お爺ちゃんがアル中で、お父さんがアル中で、せがれもアル中でという。
三代アル中。
その一家と向谷地が苦闘するのだが、向谷地の使う言葉は「いやぁ〜、あの親子三代には鍛えられました」
「鍛えられました」と発言するところは、この人のいいところ。
こんなふうにして水谷譲にも言ったことがあったか、この話。
べてるの文化祭に出ていた時に、統合失調症の方もいれば精神障害の方もおられて、そういう人達と一緒に混じって舞台の上に立っている時に、精神障害を持っておられる方から「武田さんも自分が精神障害者としてどんな病名を自分に付けますか?」。
べてるの家では自分の精神障害に自分で病名を付けなければいけない。
それで言われたので、遠い昔に、落ち着きのない武田先生を見て、ある人間ドッグのお医者さんが武田先生に病名を付けてくださった。
その名前が「過剰適応症」。
過剰に環境に適応しようとする為に、自分本人の何かを忘れているという。
「過剰適応症」と言ったら周りの精神障害の人達がもの凄く同情してくれる。
「大変ですねぇ」とか何か言われて。
それで武田先生もちょっと自分に自信が無くなって。
周りの方は「武田鉄矢」という目で見ているのか?「この人はテレビに出ている人だ」とかと思う水谷譲。
そういうことは皆さんわかっておられて、その上に「この人にも障害はあるんだ」という目で見てくださる。
そう言われてみると自分に自信が無くなる。
武田先生がが作る歌は変。
「あんたが大将」

あんたが大将



こんなの博多の戯言。
それが歌になると思うところも変と言えば変。
「贈る言葉」なんか泣きじゃくった恋の思い出。

贈る言葉



それを卒業式の歌と勘違いされるような抒情詩に仕上げるワケで。
才能と言えば才能だが、狂気と言えば狂気。
「私はちょっと変なんじゃないか?」
でも「自分は人として完璧なんだ」と思っている人こそ変だ、そんな怪しい人はいないと思う水谷譲。
そういう過剰適応症追及という、せっかく遠い昔、人間ドッグのお医者さんから貰った適応障害なので、自分で研究してみようと思って、今、適応障害の人達の本を読んでいる。
これはまた皆さんに必ずご報告すると思う。
もうちょっと待っていてください。

いよいよ話が長くなったが「べてるの家」で様々なことを学びつつ、東京へ二泊三日の旅を終えて帰ることになったのだが、向谷地さんが凄く気を遣ってくれて、浦河赤十字病院精神科の医長、精神科の長であるところの川村敏明先生に会わせてくれた。
川村先生とは前にも会ったことがあるのだが、この方と武田先生は同じ年。
団塊の世代で。
この川村先生は令和の今も現役。
初めに会った時の印象と殆ど変わらなくて、もう殆どヒグマのような風貌の先生でヒゲボーボー。
自宅近くの広大な庭で何十人もの来客を迎えて、ちょうど講話を、お話をするという会をやっておられた。
武田先生が(川村)先生のところに挨拶に行って「いやぁ〜!武田さ〜ん!」と言いながら手を振ってくれて
「こっちこっち!」と言いながら。
この川村先生は「べてるの家」と共に生きた方。
もちろん病院の先生なのだが。
まぶしい程の人で活き活きとしておられる。
何か知らないが豊かな人。
この人が小さな丸太小屋に武田先生を案内して「ちょっと世間話でもしましょうよ」と言いながらいくつか話をしたのだが。
締めにこの川村先生との会話を皆さんに聞いていただこう。
というワケで「べてるの家」と共に浦河の町での精神障害者の人達の暮らしを支える精神科医の川村先生とお会いして話していて、こういう人は落ち着く。
その時にべてるの文化祭で聞いた話。
UFOがしきりにテレパシーを送ってきて「宇宙に飛び立とう」という。
そのUFOに向かって走り出したものだからみんなで止めて。
そうしたら「べてるの家」だから、もう殆ど全員がUFOに乗ったことがある人で、みんなでミーティングをやって、その「宇宙人の中で免許証持ってないヤツもいるから危ない」とかそういう話になって、自然と流れは「アンタもUFOの免許取った方がいい」ということで川村先生は病院におられて精神科医で。
診断の結果、一週間の入院という。
入院生活をし始めると円盤の声がゆっくり遠ざかっていって、だんだん親和的、つまり向こうも慣れ親しんでくるという。
話す内容も変わってきて。
円盤の宇宙人の方から「いや、アンタやっぱり地球にいた方がいいよ」なんて真逆なことを言われてしまって。
それで症状が落ち着いたところでまた町へ帰ってくる
その時に「はい。免許取る為に入院ね」と言ったのが川村先生。
川村先生にその時の印象を聞いたのだが、やはり川村先生は医者。
武田先生がその人の狂気についてお尋ねすると、川村先生はサラっと「狂気の人も少し気がついている。幻覚や幻聴を見て、現実として狂気を語るんだけども、どこかで『ちょっとおかしい』と思う」。
だからバーっと寄ってたかって「オマエは間違ってる」と言うと狂気が強くなる。
そうすると幻覚と幻聴が生々しくなる。
ところが「そうだそうだ」と言いながらみんなで幻覚と幻聴を盛り上げると、幻覚と幻聴がゆっくりと薄くなってゆくという。
「違う」と言わずに「そうだそうだ」と一緒に乗っかると狂気の方がだんだん「いや、このままじゃまずいな」とか「みんな言ってること変だよ」とかと狂気が狂気に向かって説教し始めるという。
「そういうのを見抜くのが我々の仕事なんですよ」とえおっしゃる。
「私共も狂気を演じるんだ」と川村先生は言う。
つまり狂気の奥底には芸能にもつながるいわゆる「芸術の何か」があるという。
川村先生の近況を聞いたら、日赤でまだやってらっしゃると思う。
医長としての仕事、その局の中の長としての仕事と、それから縛られるのも何だからと言うので独立して医療の町医者を始められた。
そうしたらやはり、いろんな人がたくさん来る。
川村先生の腕がいいのを見込んで。
これが面白い。
誰かドラマにしてくれないか?
最後の仕事で、武田先生に川村先生の役をやらせてくれないか。
何が面白いかというと、人間というものを考える。
それと芸能人はやはりちょっと変じゃないとできない。
個性の塊じゃないきゃいけないし、どこかに狂気もなくちゃいけないし、癖もなくちゃいけないし、平板な人じゃ生きていけないと思う水谷譲。
そういう意味ではそっちの方面でも励まされたような気がした。
その時に最後に川村先生と盛り上がって向谷地さんも目を輝かしていたのだが、日本はこの浦河から先進の精神障害等々の治療が今、どんどん発見されている。
一万人ちょっとの小さな町。
でも世界に通じる町。
これからの「べてるの家」に期待してください。
どういう方が「べてるの家」に入れるのかと思う水谷譲。
やはり本人の決断。
「入れてください」から始まる。
ここに行くと、とにかく考え込む。
いろんな適応障害、精神障害を持った人がこの町に集まってきていて、それをべてるの文化祭で見たのだが、人から心を読まれると悩んでいる人がいる。
この人にとって必要なのは「心の壁」を持つことで、壁を持たないと他人が入ってくるという。
彼女の相談相手に向谷地さんが選んだ人が自閉症の人。
自閉症で引きこもりの青年が、この精神障害を持った女性に対して「どうやったら人との間に壁を作るか」「どうやったら閉じこもることができるか」を教えている。
面白い。
この子に向谷地が「作業は進んでる?」と言うと「はい。だいぶ壁ができるようになりました、彼女も」と言う。
彼はスタッフとして働いてる。
「人との間に壁を作る名人」「引きこもりの達人」という。
こういう発想が抜群で。
「人間というもの」というのが、どのように支え合って、ある意味で言うと硬い言葉で有機的に結びついていくか。
その人間の実験場として「べてるの家」というのは面白くて、チャンスがあったらここからまた川村先生の川村先生診療譚というのは、別個の「(今朝の)三枚おろし」で触れたいと思うのでこうご期待。
(川村敏明氏については2025年2月17〜28日◆治したくないで取り上げた)
「降りてゆく生き方Part2」を締めくくる。
来週はまた別のネタで。


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