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2025年05月01日

2024年10月28〜11月8日◆男の唯一無二(前編)

(今回は二冊の本を取り上げているので区別を付ける為にページ数のところに「男はなぜ孤独死するのか」「勇気論」と入れておく)

よくわからないタイトルになってしまった。
「男の唯一無二」
これは、(武田先生が作った資料の量が)これだけある。
ちょっと最近は、お時間があるものだから。
これが果たして皆さんの聞きたいネタかどうかというのはわからないが、この年になってやたらこういうものに惹かれるという年齢になった。
釣り上げた本は何かというとタイトルは「男はなぜ孤独死するのか」。
「男たちの成功の代償」という副題が付いていて(著者は)トーマス・ジョイナーさん、晶文社から出ている。

男はなぜ孤独死するのか 男たちの成功の代償



分厚い。
このジョイナーさんはフロリダ州立大学の心理学者。
専門のテーマは自殺なのだが、この方は頼まれて米国防省の軍人さんの自殺が定年なさった後にもの凄く多い。
このテーマで「男の自殺」というものを心理研究の対象としたいということでトーマス・ジョイナー教授が研究に乗り出した。
(米国防総省が資金を提供した軍隊での自殺率を下げる方法に関するプロジェクトの主任研究員を務めた)
ただ、いろんな知恵というか出来事がなだれ込んでくる本で、支流が多くて途中でもうワケわかんなくなって眠たくなってしまう。
ただ、十ページに数行、ハッとする文章に出会う為、必死になり読み進み、「もうやめようか」と思うとまた十ページ読む頃にいい文章にバッタリ出会うという。
それでやめられず何度も息切れしながら、いつの間にか読了してしまったという。
これは男の後半のいわゆる完成しやすい人生のポイントで、アメリカのたくさんの男達が自殺しているという。
その中で自殺の原因の第一位「孤独」。
孤独がつらくて自殺するという。
その大半の男性が成功者。
自分の人生に於いて、ある程度の成功を収めたものの最晩年に自殺しているという。
ギクッとする。
成功されているのに・・・ということ。
嫌味な言い方になるが「人生の成功者」といえば武田先生もそう。
ラジオのレギュラーをお持ちになって・・・と思う水谷譲。
そんなことを考えると、とても他人事とは思えない。
と、思う時に「男はなぜ、自殺してしまうのか」という。
そこで「男の晩年に於ける自殺」というものを三枚におろしてみようかと。

ズバリ言うと男性は女性に比べて自殺をする率が高い。
男性の方が遥かに女性よりもたくさん自殺している。
なぜ男性はそうなりやすいのかというと、はっきりしているのは晩年、その人は孤独であった。
ではなぜ孤独に陥るのか?
その孤独を避ける道とはあるのかないのか?
それをどうしても自分でも気になった。
晩年の孤独の原因が「人生の成功」。
家族はいらっしゃらない。
それともう一つ、家族の中でも孤独であったという。
このトーマス・ジョイナーさんのテーマの据え方「男の晩年に於ける自殺の研究」なのだが、ジョイナーさんがこんなことを言うからギクッとしてしまう。
この人はお父さんを自殺で亡くしている。

 僕の父が命を絶ったのは彼が56歳の時だった。(「男はなぜ孤独死するのか」175頁)

ジョイナーさんはその朝に機嫌のいい父の顔を見て、夕暮れに死の報告を聞いているという。
(本の内容とは異なる)
家族をみんな幸せにして、お父様は成功者であった。
武田先生はもう人生の晩年、夕暮れを生きて、黄昏を生きているが「男の人生は非常に晩年、孤独に陥りやすい」という、そういうところの観点から生存、生き延びる術を探すという意味合いでお付き合い願えればなぁというふうに思う。

 1991年、10月の太陽がオークランドとバークレーの丘に昇る頃、−中略−火災は数分以内に住宅街に及び、最も激しい時には11秒に一軒の割合で燃え広がり、家の所有者たちは命からがら家から逃げ出すことを余儀なくされた。−中略−
 美術品や宝石を手にする人は、ほとんどいなかったが、多くの人が写真──愛する人々の写真を救い出していた。
(「男はなぜ孤独死するのか」10〜11頁)

人々は避難所に集まってお互いを助け合い、優しさに満ち溢れた言葉を掛け合って再起を誓い合ったという。
大変いい話なのだが。

「火災の体験が世俗的な財産を切り離し、自分の意志を清らかにしようと促しているまさにその時、保険をめぐる現実的な政治が始まり、プライドや欲、罪悪感、その他、思いつく限りの不穏な感情に煽りたてられるのだ」(「男はなぜ孤独死するのか」12頁)

新しい家の窓が上向きに設計されていたため、火事の影響やほかの人の家を見ずに済むという事実が語られていなかった。要は建築によって意図的に作られた絶縁空間だったのだ。−中略−火災は、数週間にわたる励まし合いとともに、その後の貪欲さと卑劣さと対立という気の遠くなるような試練をもたらした。(「男はなぜ孤独死するのか」13頁)

このあたりからこの方の研究が始まるワケで。
今週は少し暗い話題だが何かの人生のお役に立てばと三枚におろす今週。

難しいタイトルを付けてしまったが「男の唯一無二」。
男の人生というのは何となく「唯一無二」「誰にも似ていない一生を送りたい」という。
これは男のどこか理想。
「唯一無二の存在でありたい」という、そういう生き方を目指すワケだが。
この「唯一無二を目指す」というところが、考えてみると当然だが孤独になる。
唯一無二を目指しているワケだから。
男性は年齢と共に孤独を選ぶ傾向にある。
彼等男性は独りぼっちを「人生の戦利品」「戦って手に入れたトロフィー」だというふうに思っている。
仕事でライバル達に勝ち、多くの金銭を手にできた。
そして「いやぁ、あの仕事は彼しかできませんよ」なんていう評判を立てられる技と知恵を持っていた。
それ故に彼は彼しか座れない「ただ一人の椅子」に座ることができた。
それが玉座じゃなくても「俺しか座れない椅子に俺は座ってるんだ」というのは男の唯一無二の証。
ここ。
この「一人しか座れない椅子に座る」ということ自体が独りぼっちを目指しているワケで、それが晩年になって「寂しさ」になって襲ってくる。
その「唯一無二を目指す」というところから男というのは案外晩年で躓きやすい性なのではないだろうか?
彼は男であることにまずは満足している。
男であるからこそ、たった一つの椅子に座れた。
その「男」について考えてみよう。
男はそれほど強い生き物なのか?

「受胎から老齢に至るまでのすべてのライフステージにおいて、男性は女性よりも死亡率が高い」と記されている。−中略−女の子100人に対して、男の子は受胎した125人のうち105人しか生まれてこない。男性の約2割は出産まで至らないのだ。そして、産まれてきた男の子は、女の子に比べ、超低出生体重児や、成長障害症候群がより多く見受けられている。−中略−男性にとっては女性を奪い合う一種の「椅子取りゲーム」のような状況を意味する。−中略−まさに命を賭けた真剣勝負だ。(「男はなぜ孤独死するのか」16頁)

そして耐えなければならない。
ロシアの平均寿命。
2021年、男64歳、女75歳。
僅か二年前は男性が68歳で女性が78歳だった。
死亡年齢が低くなっている。
だから今年ぐらいの男の平均寿命はもっと下がる。
戦争をやっているから。
戦争をやると一発で下がる。
戦場に駆り出されずとも、男の死亡率というのは成人になればなるほど高くなる。
交通事故とか趣味での遊び、それによる事故。
三十代半ばで世界的に女性の数が男よりも多くなる。
つまり男の方はどんどん死んでいなくなってしまうという。
この他の生物を見ればわかるが、男という性は基本的には消耗品。
強そうで弱い。
女性は生存の為に男より強く作られている。

同じレベルの外傷を負った場合でも、女性は男性よりも約14%生存率が高いという。(「男はなぜ孤独死するのか」18頁)

その上に病気が中年から一斉に出てくる。

冠動脈疾患、脳卒中、慢性閉塞性肺疾患、インフルエンザおよび肺炎、糖尿病、HIV、自動車事故、自殺、外傷、肝疾患などがこれに当たる。また、肺がん、大腸がん、咽頭がん、胃がん、膵臓がん、膀胱がん、非ホジキンリンパ腫、白血病など、がんの発生率は女性よりも男性の方が約50%高くなっている。−中略−労働災害による死亡率の90%以上が男性だ。(「男はなぜ孤独死するのか」18〜19頁)

だから男はこれほどのハードさを切り抜けながら生きているワケで。
中年から以降、待っているのが自殺という人生の終わり方。
何と驚くなかれ、アメリカの自殺者4万9449人(2022年の自殺者数)。
約5万人。
アメリカの自殺者の70%が男性。
その70%の殆どが高齢者。
65歳以上ということ。
日本では自殺者は現在のところでは一時期3万人までいったのだが、今は2万人ぐらい。
このうちの半分くらいは高齢者の方。
(男女比は)日本も圧倒的に男性が高い。
この原因が日本でも「孤独」だそうだ。
朝から暗い話だが、この先にそれを避けるべき手段は何か?という、ここまで話を進めるのでしばしお付き合いを。
男は孤独である。
では男はどうやったら、その孤独から避難できるのであろうか?
現代社会というものに目を向けてみましょう。

1800年以降、この2世紀の間に、控えめに見ても国民一人当たりのGDP(国内総生産)が、約2000%上昇している(「男はなぜ孤独死するのか」27頁)

つまり我々は1800年代に生きるよりも2000%豊かになっている。
その割合を重ねても自殺者が増えているという、これはやっぱり謎である、と。
自殺には別の原因があるのではなかろうか?

 僕の答えは、ひとことで言えば、孤独感だ。(「男はなぜ孤独死するのか」20頁)

人間は「一人だ」と思うと死んでしまうという。
今、非常に人々が孤独を感じやすい。
パーソナルメディア、個人が発するネット社会が広がっているワケで。
世界の誰かがつぶやいた言葉が一瞬のうちに世界中に広がる可能性もあるという。
こんな世界を体験するのは人類史では初めて。
ニューヨーク、或いはアイルランドの片隅で誰かがポソッと言ったことがもう全世界、たちまちみんな知っているという。

僕たちがまさにナルシシズムの時代に突入した可能性があることを示している。(「男はなぜ孤独死するのか」30頁)

非常に個人がうぬぼれやすいという。
「〇〇大統領が俺の言うことを聞いてくれない。じゃあ暗殺しよう」
これが平気で成立するという。

今現在、誰もがスターであり、少なくともスターになる資格がある−中略−と主張するのは、ごく自然なことのように思われる。(「男はなぜ孤独死するのか」30頁)

だから容赦もなく、人のことを罵倒できる、ののしれる。
武田先生達芸能人もそうだが、たった一言言い間違えたばかりに、本当に芸能界から消えてしまう。
それで武田先生も管理されている。
武田先生は炎上しやすいタイプ。
武田先生達のような昭和生まれは特に炎上しやすい。
炎上させているのは芸能界では昭和生まれの人が多い。

ここで面白い説を唱える人がいて。
本を乗り換える。
内田樹先生なのだが、くっつけてしまった。

勇気論




この先生が「世間をよく見る為に漫画雑誌を注目してみよう」という。
それも少年漫画雑誌。
その変遷を見てみよう。
内田樹先生の理論
我々、武田先生とか内田先生のように戦後、昭和で大きくなった、その少年達を動かしていた徳目、いわゆる道徳的素晴らしさ、その行動原理、それは何か?

たしかに僕が子どもの頃に、マンガや小説を通じて繰り返し「少年は勇気を持つべし」と刷り込まれてきたことを思い出しました。(「勇気論」21頁)

「鉄腕アトム」「赤胴鈴之助」「鉄人28号」の金田少年、「まぼろし探偵」「紫電改の鷹」「スポーツマン金太郎」。
全部「勇気のある少年」だった。
勇気の次に大事な徳目、行動原理は何か?
「正直」
正直は大事だった。
ジャポーン!と湖に斧を落とした。
「ああ悲しや」というと妖精が出てきて「金の斧か?銀の斧か?」という。
その時に正直に「普通の斧でした」と言わないと金の斧が貰えない。

 勇気が最優先の徳目であった時代に、それに続く徳目は「正直と親切」でした(「勇気論」23頁)

見知らぬ人に親切にする。
例えば「すずめのお宿」。
爺さんがすずめを哀れに思って米粒を与えてあげるという親切。
「傘地蔵」
命無き石仏に雪降る中「寒かろう」と言って傘をかぶせてあげる親切。

「勇気・正直・親切」が求められた。とりあえず、僕が読みふけっていたマンガではそうでした。(「勇気論」23頁)

だからミス発言をする人は勇気がある。
そこでは言ってはいけないことを言ってみる。
それも正直に
でも二心のない。
みんな親切で言っている。
それが変わった。
この武田先生達に少年の守るべき行動原理を教えたのは「少年マガジン」だった。
ところが今は少年雑誌が変わった。

『少年ジャンプ』が作家たちに求めた物語の基本は「友情・努力・勝利」でした。(「勇気論」22頁)

これが行動原理。
見てみるとそう。
全員やはり友情によって結ばれたヒーローばっかり。
「ドラゴンボール」「ワンピース」「スラムダンク」「鬼滅の刃」「ナルト」
全然違う。
「少年ジャンプ」の時代と「少年マガジン」の時代。
物語の主人公達の行動原理が全く違うんだ、と。

『少年探偵団のうた』だって、「ぼくらは少年探偵団 勇気りんりん るりのいろ」から始まります。
 1950年代の少年に求められた資質はまず勇気だったのでした。
(「勇気論」21頁)



ところが「少年ジャンプ」の方は「友情」。
これはもう「鬼滅の刃」でも凄い。
うなりながらも。

でも、友情と勇気は相性が悪いんです。(「勇気論」22頁)

「友情」には友達が必要。
でも「勇気」は一人じゃないと確認できない。
「オマエ一人でもやるのか?」「やる」と言ったところから「勇気」。
それから「少年マガジン」の方は「正直」と「親切」。
「ジャンプ」の方は「努力」と「勝利」。
これも喰い合わせが悪い。

 正直や親切というのはごく個人的なものです。社会的な評価とか達成とかということとはとりあえず無縁です。(「勇気論」23頁)

己に正直である。
他者に「ありがとう」と言って貰う為に親切にするのではない。
親切にするということは自分で自分を認めるという行為だ、と。
それが「ジャンプ」になると「努力」と「勝利」。
これは両方共「査定者」、点数を付ける人がいる。
だからパリのオリンピックの柔道と同じ。
すぐに警告を取ってしまう審判という。
ああいう武道を「他者の目に委ねる」という競技にしてしまったところが、漢字で書く「柔道」とオリンピック種目のローマ字の「JUDO」の違い。
武道の方の「柔道」は他者に自分の評価を託さない。
だから美空ひばりは

勝つと思うな 思えば負けよ
負けてもともと この胸の
(美空ひばり「柔」)

美空ひばり全曲集 柔



「柔道を勝つ為に使ってはいけない」という、そのことを歌謡曲、演歌でも日本人は理解できるのだが、フランスのパリの柔道会場ではそういう柔道の精神は見られない。
勝ったら勝ったで大喜びして相手に対して一礼もしないという。
我々、「少年マガジン」の世代の方はそういうもの。
他者に自分の価値をねだらない。
万来の拍手は必要ない。
自分で納得できるか否か。
だから星飛雄馬も最後の一球を投げた後、たった一人で「次はどの星を目指そう」と言いながら球場を去って行くという。

巨人の星コンプリートBOX Vol.1 [DVD]



「あしたのジョー」も最期は椅子に座ったまま「燃えたよ・・・真っ白に」と言いいながら・・・

あしたのジョー1&2 DVD-BOX【劇場版】



そういう「男一人の孤独を背負う」という。
それが栄光だった。
男は「孤独」でそれが「栄光」。
だから武田先生達戦後世代、「少年マガジン」はひたすら孤独を目指して生きてきた。
ところが時代が進んで、その男の孤独そのものが、絶縁で死に結びついているのではなかろうか?と。
これに対して、もういよいよここにきた。
女性はどうか?
女性は何かというと「友情」「努力」これを絶えず人生の中で結ぶことを知っている。
女の人、女性という性はどうやって人と人を自分が人に結ばれていくか?
そこにもの凄く高い人生の価値を置く。

いろいろな派閥について、誰がどうその派閥に属しているのか、誰が誰の友だちなのか、知っていなくちゃならないのよ」。−中略−女の子たちはそれを実践しているのだ。(「男はなぜ孤独死するのか」38頁)

彼女達は独立性を犠牲にしても関係を重視する。
これはまた怒られてしまうかも知れないが、奥様の長電話を聞く度に・・・
真似できない。
関係を重視して、その関係を懸命に言葉で厚くしていく。
あの女性の持っている本能というのは凄い。
例えば、メジャーリーグを見ていても、選手の奥さん達が隊を作って集まるが、逆のことはあり得ない、女性のスポーツがあって旦那さん達が集まるということは無いと思う水谷譲。
大谷さんとかだってご家族を見てください。
旦那さんは友達がヌートバーが飲み屋に誘っても行かない。
「睡眠が大事」
あの人はもう栄光を目指す人だから孤独。
それに比べて奥さん。
やはりめっちゃあのコミュニティの中で人気者のようだ。
やはり人気者たるべき気配を持っておられる。
ところが男というのは一点を信じてそこに行こうとするという。
大谷は誰を目指しているのか?
それこそ「唯一無二」と思う水谷譲。
唯一無二。
あの犬っころも可愛い。
「犬っころ」と言ったら怒られてしまうが。
男と女というのはそもそもが「生きていく旅の形」が違うというか。
男と女というものを比べながら話した方がずっとわかりやすいのだが、ちょっと男の部分を熱く語りすぎたので。
朝から話題として暗いなと思われた方も多かろうと思うが。
昨日話したとおり「男の生き方」「女の生き方」どうも違うみたいだ、と。
生命力として女の人の方が強い。
男性より長生きだと思う水谷譲。
男女比を付けられて、さんざん男からアゴでこき使われて生きてゆくのだから。
だからやはり無くした分は全部取り返していくという女性の根性というのは凄い。
それは何でかというと、これは多分に武田先生の脚色、盛り付けが入っているが、この作者のトーマス・ジョイナーさん、アメリカの大学教授が言いたいのは、女性はトレッキング、ずっと歩いていく。
男というのは山といったらてっぺんだけ目指す。
その山のてっぺんの頂上の一番高い狭い所に立つのが「山に登った」という記憶になる。
しかも男の人は自分から山に登りたがると思う水谷譲。
しかも一人しか立てない山が好き。
だからペントハウスみたいな高い所に住みたがると思う水谷譲。。
男の人生が寂しくなるのは当たり前。
一人しか立てないところを目指すから。
バカタレ。
「頂上の孤独」ということで、加齢と共に孤独は深くなるというしくみの人生。
ところが女性はトレッキングで山の周りを回っているものだから、ワリと町人とか、すれ違うものだから寂しくない。
気楽で楽しいと思う水谷譲。

父は富と地位にこだわり、すでにそれを手に入れていたが、彼の人生で親友と呼べるのはビジネスパートナーだけで、−中略−20年後、二人がもう友人でもビジネスパートナーでもなくなった時、父は自殺した。(「男はなぜ孤独死するのか」40〜41頁)

それがずっとこの著者は引っかかっているのだろう。
考えてみれば子供の頃から孤独を気に留めないように男は育てられた。
一人になってワンワン泣く子は凄くバカにされる。
だから「男のくせに」というので小さい頃は凄く衝撃的な言葉だった。

紀元前2000年頃のエジプトで書かれた、最初のものとして知られている遺書には、「僕は不幸を背負い、信頼できる友人がいない」と書かれている。(「男はなぜ孤独死するのか」42頁)

つまり彼は孤独。
その孤独こそが己の本質だと思っている。
ときに彼は人々の中で遊んだにしても「群衆の中の孤独」それを英雄の条件と考えてしまう。
「寂しいのは俺が際立っているからだ」「他の男より抜きん出ているから俺は一人で寂しいんだ」という。
これが現代のうぬぼれのナルシストとドッキングして「寂しさの毒」に関して鈍感になっているという。
この作者の「信頼できるな」と思う一言は「孤独は毒だ」と言っている。
「孤独をよいものだと持ち上げるな」と。

孤独を多く経験すると−中略−センサーの調子が悪くなる。攻撃性、怒り、過度なリスクテイクなどの行動を取りがちになり、その結果、さらに孤独になり、−中略−負のスパイラルに陥り、最悪の結末を迎えることになるのだ。(「男はなぜ孤独死するのか」53〜54頁)

「孤独であるのはいいことだ」と思っていたのだが、それが反転すると「何だ。俺は無視されてる」という。
太宰治が言った言葉。
「『選ばれている』と思ったら、捨てられていた」という。
「選ばれた才能」と「捨てられた才能」は似ている。
実は同じこと。
太宰の名言

撰ばれてあることの
恍惚と不安と
太宰治「葉」

「あ、自分は選ばれてるんだ」という、うっとりするようなナルシストたる甘美な感情がある。
でも選ばれている人は他に誰もいない。
「え?これ俺だけ」と思ったら「この恍惚はもしかすると病気かもしんない」という。
複雑。
「もしかしたら本当は俺、選ばれたんじゃなくて捨てられたんじゃないか」と思う、そういう瞬間が人生で来ることがある。
それに警戒してください。
もう一度著者が言ったことを繰り返すと「孤独は毒です」。
この続き、来週のまな板の上で。


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