大ネタに入ってしまう。
だからまた来週続くかも知れない。
これは、「(今朝の)三枚おろし」としては珍しく小説。
「どういう動機でこれを取り上げたか?」という我が思い出と絡めてこの一篇の小説を語りたいと思う。
まだ朝明けきらぬ空、武田先生は勉強を開始している。
昨今は6時には勉強を開始する。
遅くても7時までには。
朝の10時までが武田先生の勉強時間。
3〜4時間。
その時に家の者は誰も起きてこないのでラジオを点ける。
NHKの放送が声が穏やかなものだから勉強をしながら聞くにはもってこいで。
何か人の気配を感じていれればいいので、ずっとボリュームを押さえて聞いているのだが、男性の声がクールに何事かを語っている。
そのラジオの喋りの中でこんなことを言っていた。
「物事の真ん中には必ず物理法則があるんですよ。その法則は当たり前のことで気にもしない。普段は。でも、物理を知るともう一つ新たな世界が見えてきて、その世界の広さに気づくことがある。そのようなことを私は物語にしたかったんですよ」と著者が語っている。
「物理法則を小説にする」という。
この方が今、もうウケにウケている。
直木賞をお取りになった。
伊与原新さんという方。
(第172回直木賞受賞作「藍を継ぐ海」)
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この方は別の短編集の方でお取りになったのだが、武田先生が興味をそそられたのは「宙わたる教室」という学園もの。
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「物理法則を知る」ということがもう一つ広い世界を知ることになるという。
実はこんなことがあった。
17歳だったと思う。
高三だったか。
反抗期真っ盛りの頃、物理の授業を受けていた。
この物理がもう退屈で退屈で堪らない。
実験室の階段教室で白衣を着た物理教師は何やら物理式を黒板にカツカツカツと書いて、物理法則と物理世界を懸命に説明する。
これが興味も何も湧かない。
そこで仕方なく隣のハンドボール部のキーパーをやっていたイトウ君と二人で・・・
「四文字熟語を作れ!」と高校の先生から言われて、先生から「しっかり準備することは何と言うか?用意、用意・・・」と言ったらイトウ君が「用意ドン」と言った。
そういうイトウ君と部活帰りに何を喰うかのヒソヒソ話をしていた。
50人程のクラスだが、この教師の話を聞いているものなんていうのは殆どいない。
あっちこっちでヒソヒソヒソヒソ話している。
その私語がだんだん喧しくなってくるという。
カーッとなって「喧しい!」とかと怒鳴ればいいのに、大人しい物理教師で何も言わない。
ところがその物理教師が反抗期盛りのゴツい高校生の武田先生達に向かって突然、珍妙なことを言い始めた。
「皆さん方は今日は電車で大半の人がこの学校に来とります」
武田先生達は高校を西鉄電車で電車通いの人が多かった。
この物理教師はこんなことを言う。
「今日も西鉄電車で大半の皆さんはこの学校まで来ましたが、停車した電車のつり革と走っている電車のつり革の違いは何ですか?」
頭の悪い子でもわかる。
止まっていればつり革は揺れない。
走っていればつり革は揺れる。
当然。
武田先生もアホだったがそれぐらいはわかる。
「そんなことは眠っとってもわかる」と武田先生が言ったらクラスがバカウケした。
しかし、物理教師は笑わず神妙なままこう続けた。
「では止まっている電車のつり革と、走っている電車のつり革の違いを使って地球が自転していることを証明する為にはどうしたらいいでしょう?」
もうばかばかしくて「だから何だっつうんだ?」という。
50名一クラスの生徒が唖然として物理教師を見ている。
大半のものが質問の意味がわからない。
電車のつり革と自転する地球がどうやっても結びつかない。
それでみんな「ええ〜?」とか言いながら不満の声を上げながらザワザワザワとしたのだが、その物理教師は「つり革の揺れで地球の自転が証明できるんですよ」と笑った。
その時チャイムが鳴った。
昼休みの食堂へ行く時間だというので、学級委員が「起立!礼!着席!」でウワ〜ッと散ったという。
それで終わり。
ところが年を取るというのは面白いもの。
50歳ぐらいになった時に「電車のつり革と同じ理屈で地球の自転を証明するというのは何だろう?」と思い始めた。
そうは思わない水谷譲。
何十年過ぎたでしょう?
とにかく18歳の時、高校三年の時のあの日、あの問題を解く為に武田先生は物理法則を遡ることになったが、それがこの伊与原新さんの「宙わたる教室」とピタッと重なるところがあって、来週からの 「宙わたる教室」の回でご説明したいと思う。




