カテゴリ

2025年11月13日

2025年9月22日〜10月3日◆日本語教師、外国人に日本語を学ぶ(前編)

(8月22日放送の「僕には鳥の言葉がわかる」の最終日でもこの本に関して触れているが、内容が今回のものと重複しているので省く)

タイトルズバリなのだが「日本語教師、外国人に日本語を学ぶ」

日本語教師、外国人に日本語を学ぶ (小学館新書 487)


そんな本を手に入れた。
(著者は)北村浩子さんという方。
小学館新書。
武田鉄矢の人生最後の学びなのだが「日本人て何か?」と考え始めた。
それだけは解き明かしてこの一生、終われたらいいなと思って。
水谷譲はまだ生まれてからそんなに時間が経っていないから。
武田先生は子供の時から敗戦国日本に生まれて、団塊の世代だから、ロクなことが無かった。
日本は酷い言われ方で、学校の先生で「酷い国に生まれて、君たちは可哀そうに」とか言う先生もいたし。
それに近いことをおっしゃる方がいらっしゃった。
武田先生達は小学校の五年生で見た映画は北朝鮮の記録映画の「チョンリマ」という。
(1964年8月末に封切りされた『チョンリマ(千里馬) 社会主義朝鮮の記録』のことを指していると思われる)
いかに北朝鮮が幸せな国かというのを(学校で見せられる)。
思春期の頃は日本の悪口を言う本が大流行して。
一番よく売れたのは外交部門の日本人の人が書いた「みにくい日本人」というのがあって。
ショックだった。
「俺達は醜い日本人に生まれたんだ」と言っていた。
大学生になっても三島由紀夫なんていう頭のいい人が腹を切って死んでしまうし。
ところが後期高齢者の仲間に入った途端、「インバウンドインバウンド」と日本に観光客が来る。
これをどうケリを付けるか?
これはやはり一生のテーマ。
だから自分でそのことを感じたら手繰り寄せよう。
その時にバッタリ本屋さんで目が合ったのは「日本語教師、外国人に日本語を学ぶ」。
つまり外国の方で日本を熟知なさっている方に「あなたの知ってる日本とはどういう国ですか?」というのを、この後期高齢者、武田先生も知りたくなった。

北村浩子(きたむら ひろこ)−中略−
フリーアナウンサーとしてFMヨコハマにて20年以上ニュースを担当し
−中略−2009年からは日本語教師として(奥付)

メディアにも慣れておられる。
この人は日本語教師として異国の人に日本語を教える時、その人達が一体何があって日本語を学びたいと思ったのか?
その後、日本語を知ることによって彼は、或いは彼女はどう変わったのか?
この国の歴史の中で初めて。
こんな時代は無い。
令和というこの時代で異国人が大量に日本に、観光等々、仕事の方もいらっしゃるがおしかけてきているという。
インバウンドはどこに来ているか?
ハチ公、豪徳寺の猫、それから相撲の桟敷席に座って見ている人がいる。
最近、相撲見物の外国の方がどんどん増えている。
そして鎌倉の湘南電車。
あれを何で記念写真に撮りたがるのか?
それから合羽橋にも。
彼らは日本の中の日常を見物している。
一体彼らは何を探しに日本に来ているのか?
日本を彼達の日本語で語ってもらおうというワケで。

これは、この本を読んでいる時にズバリ会った。
著者はテレビでお馴染みの人物からこの探索を始めている。

日本でデビューした韓国出身の歌手、Kさん。(13頁)

韓国・ソウル市出身。(12頁)

奥さんは日本人(妻は関根麻里、義理の父は関根勤)。
Kさんというのはもちろん韓国の方というのは知っていたが、番組でバッタリ会った。
凄く好感度の高い彼。
日本人らしい日本語で。
彼は2002年の日韓共同開催のサッカーワールドカップのテーマソング、日韓コラボの「Let's Get Together Now」を契機に日本にやってきたという。

2002 FIFA World Cup Official Album~Songs of KOREA/JAPAN~


その時に、不思議な感性。
この「Let's Get Together Now」というそのテーマソングを彼も歌っていた。
その時に韓国語で彼は歌うのだが、共同開催だから歌詞の半分ぐらいは日本語。

今まで聴いたことないメロディ、言葉の響き、使い方。そういうのが全部合わさって、ああきれいだなあと思ったのが日本語の第一印象です。(16頁)

 スカウトされて来日したのは2004年。(16頁)

やはり一つ目標として「日本で仕事をすれば」という。
それで彼は日本にやってきて仕事をし始めたのだろう。
ラジオで喋る仕事があったが「ハングルではなくて、お願いだから下手でもいいから日本語で喋って欲しい」。
(本の内容とは異なる)
そして本人も喋りたくなって、そこから勉強を開始したという。
その彼が一体、日本語をどう感じたのか、ちょっと知りたくないか?
このあたりから異国の人から日本語というのを学ぶという、この本の企画、鮮やかに惹き付けられた。

そして二年、三年と続くうちに失敗を繰り返しながらゆっくり上達していったという。
そのあたりから日本語の深みを直感するようになったという。
ここからがKさんの指摘はドキッとする。

『韓国にいるお友達やご家族は、Kさんが今こうやって日本で音楽を作っていることについてどう思っていらっしゃいますか』とインタビューされた時。『みんな、僕の活躍をネットで見て喜んでますよ』と答えちゃったんです。日本では自分で自分のことを『活躍してる』って言わないじゃないですか。−中略−韓国では、今自分はこういう『活動』をしていて、なおかつ『活躍』もしていると自分でアピールする国なので、僕はその感覚で喋ってたんですけど、マネージャーさんに指摘されて、そうだったのか!と。(25頁)

(番組では自分で気づいたという説明をしているが、本によると上記のようにマネージャーからの指摘)
(日本語では)「僕の活動」とか「僕の仕事」とか、そういう言い方をするが「活躍」とは言わない。
こういう発見はハッとする。
大臣まで務めた人が「うちには米は売るほどある」とか、あんなバカを言う人がいる中で、韓国人のKさんは非常に日本語というものを敏感に捉えて、自らの働きぶりを「活躍」という表現を日本でする人は非常に少ないという「そんなふうには言わないんだ」。
「コメ買ったことない」「売るほどある」農水大臣の発言が波紋 「国民の感情を逆なで」街では批判の声 コメ価格は再び最高値更新…苦悩する老舗せんべい店【news23】 | TBS CROSS DIG with Bloomberg
日本語の面白さは何かというと、名詞を繋いで新しい名詞を作る。
こんなことは日本人は気が付かない

『葉・桜』って書いて『はざくら』って言うじゃないですか。文字で見れば葉っぱの『葉』と、桜の木の『桜』で、2つの言葉をつなげると、さくらに点々(濁点)が付くんですよね。(30頁)

「葉」+「桜」が「はざくら」と発音されるような現象を「連濁」という。「本」+「棚」が「ほんだな」、「青」+「空」が「あおぞら」となるなど、後ろの言葉の最初の文字に点々が付く現象のことだ。連濁が生じる条件には一定のルールがあり、例えば「海外」+「出張」は「かいがいじゅっちょう」にはならないし(31頁)

こんなふうにして日本人は絶対に間違えない。
このKさんがおっしゃりたいのは日本人は習っていないのに使えるという。
Kさんはしきりに「その国の国語が上手くなりたければ人と話して恥をかくしかないですよ」という。
そしてこの人はこんな深いことを言っている。
これは考えましょう。

いつも100%日本語だからか、韓国へ帰ると、金浦空港でタクシーの運転手さんが『安くできるよ』って必ず日本語で僕に言うんです。−中略−
 フィーリングというか、日本人っぽい何かが出てるんでしょうね。
(33頁)

その時はK君は日本人のフリをするそうだ。
そっちの方が話が早いし楽だそうだ。
向こうもあの手この手を誘ってくるので。
何かそんなことをおっしゃっていた。
テレビ番組で彼に会ったのだが、本当にいい青年で。

浩子さんが次に紹介してらっしゃるのが

イザベラ・ディオニシオ
1980年生まれ、イタリア出身。ヴェネツィア大学で日本語を学び、2005年に来日。
(58頁)

「驚いたこともいっぱいあります。−中略−単数・複数をその都度はっきりさせるわけじゃないということ。(68頁)

私達は複数というのを持たない。
向こうは「eggs」とか「apples」とか「s」を付ければ複数。
日本というのはもの凄く曖昧。
一番平べったいのは「達(たち)」を付けるという。
「金曜日の妻たち(へ)」とか。

金曜日の妻たちへII 男たちよ、元気かい? DVD-BOX


でも「卵たち」とは言わないと思う水谷譲。
この「たち」を付けて複数にするが、「人たち」「虫たち」「魚たち」で複数にしても「木たち」「花たち」「山たち」とは言わないという。

自然界だと「木々」「花々」「山々」のように「々」で言える、と思いきや「川々」はない。(68〜69頁)

「海々」「滝々」とか言わない。
これはイタリアの人は本当に不思議らしい。
そして日本の文法に強烈な不思議を感じるという。

時制の話には思わず「!」となった。−中略−
「『本を読んでいる時、電話が鳴った』という文の『読んでいる』は過去形じゃないけれど、後ろの動詞が『鳴った』になっているので、この文全体で過去の話だと分かります。本を読んでいるのも過去なのに、動詞が過去形にならない。日本語のこういうところも驚きでした。
 イタリア語は、動詞の形がたくさんあるんです。近過去、半過去、大過去、遠過去。
−中略−さっきの『本を読んでいる時、電話が鳴った』という文だったら、『本を読む』と『電話が鳴る』は、違う過去。本を読むのは時間的に長く続いている過去で、電話が鳴るのはその中に一瞬だけ入ってきた過去、半過去と近過去のコンビネーションになるんです」(69〜70頁)

これがイタリア。
ところが日本人は現在で言ってしまう。

「動詞の形で、自分がどう思っているかも表現できるんですよ。例えば『どこかに行った』という事実をひとつ言う時だけでも、動詞の選び方によって、例えば『実は行きたくなかったんだよね』という気持ちを含ませることができます」(70頁)

 イザベラさんの『女を書けない文豪たち』の中に、日本語には汚い言葉が少ないので〈汚い言葉を真っ先に習いたい留学生は大体みんながっかりする〉というくだりがある。(71頁)

イタリア語とかロシアとかにはたくさんありますし(72頁)

ところが日本語の汚い言葉は「バカ」ぐらいしかない。
それに頻度を付けて「クソ」とか付けるが、もうイタリア語には、汚い言葉が山ほどある。
小バカ、中バカ、大バカ。
イザベラさんの感性。

 日本語は、すごく怒った時、逆に丁寧になりますよね。恋人同士が『どうなさいます?』みたいに言い合ったりする。(72頁)

そのことによって怒りを伝えている。

「日本語で話している時の自分と、イタリア語の自分は人格が違います。(79頁)

これは面白い。
「テメぇ」とか「オメぇ」と言うよりは「あなたが」となった時の方が怖いと思う水谷譲。
内田樹さんという哲学者が指摘なさっていたが、「はい、わかりました」と言うのは「わかっていない」のと「もうあなたと話したくない」と言う言葉。
「はいはい、わかりました、わかりました」
日本人は、そういう言葉遣いの中でずっと生きてきたのだろう。
でも異国の人から見ると面白くて仕方がない。

もう一人いく。
この方はメディアなんかでもご覧になった方があると思う。
コメンテーターなんかでも出ておられる。

マライ・メントライン
1983年生まれ、ドイツ北部のキール市出身。姫路服飾西高校、早稲田大学に留学。
(88頁)

ドイツ人という立場で日本を観察している。
決して意地悪ではなくてこの人の日本観は実直。
もう真面目。
この人の指摘なのだが、日本人はその言葉をみんな知っているくせに使わない。

「『いいえ』です。使わないよね?(114頁)

「YES」「NO」の「NO」。
「いいえ」と返事をする人を聞いたことがない。
確かに「はい」は言うが、「いいえ」は冗談で「いーえ!」という感じでしか使わない水谷譲。
「これはあなたのものですか?」と訊かれると日本人は「はい。違います」と言う。
そしてもっと細かいのだが「いいえ」は使わなくて、

強くノーって言いたい時は『いえいえ』を使うし(115頁)

でも「いいえ」は使わない。
「いえいえ」も小さく伝える。
「いいえ」と、はっきり言う人がいないという。
マライさんは「日本人は否定或いは拒絶を相手に伝えることに関して失礼だと思っているという、言語上の礼儀作法があるのではないか?」。

強い言葉はなかなか使えないですよね。『全部は言わないけど、察してね』っていうのが日本語の前提で(112頁)

よく「おかわりいる?」とかと言うと「いいえ」じゃなくて「大丈夫」と言う。
「大丈夫って何だろうな?」と思う水谷譲。
「いいえ」と言うと「もういらないよ」となってしまうのだろうと思う水谷譲。
「いいえ」というせっかくある否定の言葉を使わないようにしているという。
考えてみると面白い。
もう一回繰り返しておくと、こういうことは異国の人から教えてもらわない限り・・・

まだまだいく。

ラウラ・コビロウ
フィンランド出身。
−中略−高校生の時、北海道・函館に留学し、−中略−国費留学生として北海道大学大学院に入学し、−中略−日本大手企業での就職を経て(122頁)

ラウラ・コビロウさんは、筋金入りのパフェ愛好家だ。−中略−日本全国をまわって様々なパフェに「会いに」行く。1年間に500個以上のパフェを味わうこともあるという。(123頁)

一日に一個以上だと思う水谷譲。
パフェなんて、日本にはそれだけある。
「何となく日本に来てしまったんです、私」という。

日本の高校に留学した時のことを聞かせてくれた。−中略−外国人に日本語を教える資格を持っていた先生がいたことです。−中略−1対1でその先生に日本語を教わっていました。
 先生の教え方は、いわゆる聞き流し的な方法だったんですよ。
(128〜129頁)

日本語は日本の生活に慣れない限り理解できないという。

『ランチをするに行く』みたいなすごく初歩的なミス。半年ぐらいそれを繰り返していて(134頁)

 フィンランド人って、謙虚というか、自分が感じていることを表現するのがあまり得意じゃないんですよ。心の中に持ってるだけ。『愛してます』は絶対に言わないし、『好きです』も、『おいしい』『かわいい』もほとんど言わない。(139〜140頁)

そういう国もある。
ところが日本は違う。
来てびっくりした。
パフェ屋さんに行ってパフェを食べたら横の子が「美味しい!」と言った。
「甘〜い!」
そういえば言う。
フィンランドの人にとってはびっくりすることなのだと思う水谷譲。
驚いたことに会話の相手がいないのに、パフェで叫び続ける子がいる。
独り言を言っている。
だが、それを全然日本では違和感なく受け入れられる。
パフェを食べながら「美味しい!美味しい!」と言う。

日本語で気兼ねなく、思ったらいつでも『おいしい』『かわいい』が言えるのが気持ちいい。何かに感動したとか、心動かされたことを表現する時は、日本語のほうが断然言いやすいです。わくわくした! 楽しかった! みたいなことをフィンランド語で言おうとすると、ちょっとうわべの人間っぽくなっちゃうというか、真面目じゃない感じになっちゃう。(140頁)

だからそういう意味もあってパフェを食べる夢を見ると日本人になってしまって「美味しい!」と言っている。
ラウラさんは最近、新しい日本語のエリアを見つけた。
複雑な心の微妙な感情を日本人はフッと四文字熟語で言う。

「ちょっと利己的な気持ちが働いている、相手の何かを自分の都合のいいようにする、みたいなことを言える日本語ないかな? ってずっと探していて、−中略−まさに探していた言葉でした。『我田引水』です」(142頁)

でも四文字熟語というのはフィンランドの方にとっては不思議な世界だと思う水谷譲。
そういうことで彼女は最近は四文字熟語が使いたくてたまらないそうだ。
この方、ラウラさんは日本語を聞く、それをずっと繰り返す。

その変化があらわれたのは2か月後くらいでしたね。あ、日本語話せる!と気付いたんです。(130頁)

文法を一から教えるわけではないというのはすごく新鮮に感じる。(130頁)

思い出が増えると日本語は定着してゆく。
何か体験しながら日本語を覚えるというのがいいのか。

 好きなのは、ドキドキ、ピカピカ、ツヤツヤみたいな繰り返しの言葉。−中略−
 繰り返しの言葉、オノマトペ(擬音語・擬態語)
(136頁)

それから日本には流行言葉というのがあって「やばい」「超」「めっちゃ」。
小さな感情でも言葉で表現できる。
そのせいか日本語はあまりジェスチャーが必要ではないという。
だから身振りが凄く大きい
そういう言語というのは表現が少ない
わりと西欧の方は身振りがあると思う水谷譲。
日本語は全く動かなくてもできるという。
それはオノマトペもあるのではないか?
「ドカーン!と破裂しまして」とか、そういう言葉を持っているというのが日本語の特徴ではないか?

「さっき高校時代の日本語の先生の話をしましたけど、先生、こう言ったんですよ。『ラウラ、〈やばい〉〈超〉〈めっちゃ〉。この3つの言葉は絶対使っちゃいけないよ。−中略−
 先生がこの3つを禁止したのは多分、カジュアルすぎるし万能だからだと思うんです。表現力が育たなくなるって、先生は思ったんじゃないかな。今はふざけて友達に『私、〈やばい〉は使っちゃいけないんだよね』って言って、その次に冗談で『めっちゃやばい』って言うとみんな笑う
(137頁)

確かに手足をむやみに振らなくても言葉でできやすというか。
そんなこんなでこの先、やってゆこうと思うのだが、日本を探そうかなというのを「(今朝の)三枚おろし」のテーマにしようかなと。
「日本語のことを外国人の人に聞く」という、それも一つの手だがこれはすぐにやるから楽しみにしていてね。
結構面白い本が見つかって、どんな本かというと、バルセロナで豆腐屋さんを開いた(日本人)男性の体験記があって

バルセロナで豆腐屋になった──定年後の「一身二生」奮闘記 (岩波新書 新赤版 2051)


ちょっと前まで朝日新聞の記者だった。
ニュースステーションなんかにもコメンテーターで出たことがある。
この人が何を思ったか
定年になったらバルセロナで豆腐屋をやるのが夢だった。
何でバルセロナ?何で豆腐と思う水谷譲。
そこにまず謎があるのだが。
彼の本を読んでいる時に謎の人物が出てきた。
この女性が面白くて。
品川駅がすぐ近く。
貧血で倒れた。
誰一人彼女を助けてくれなかった。
日本人の人だが、もう日本がいっぺんに嫌いになった。
それで「こんな国に住んでいること自体がバカだ」と言ってスペイン・バルセロナに行ってしまう。
まあそういう人がいてもいい。
ところがバルセロナにアジア市場という、アジアのものだったら何でも売っているというスーパーマーケットがあって、そこに大福が売っていた。
日本が大嫌いのその日本人の女の人が大福を喰った。
不味くて。
「こんなものを日本の大福だと思われたら国辱もんだ」というのでバルセロナで大福屋を始めたという。
この話は面白い。
「ジャパンファースト」或いは「ジャパニーズファースト」と言ってもいいが、それは相当難しいこと。
何をもって「ジャパン」と言うか、どこから「ジャパニーズ」と言うか。
これをちょっと今、真剣に。
この間、一例で見つけた。
これは「ジャパンファースト」「ジャパニーズファースト」。
卵かけご飯を間違いなく作れる人。
あれは凄い技術。
技術なんかいるか?と思う水谷譲。
それが「ジャパンファースト」ではない。
ただ割って醤油をかければいいだけだと思う水谷譲。
醤油を使うのは一回だけ。
あの卵一個とご飯の比率。
卵にかける醤油も上手な人は一回だけ。
下手くそなヤツがチビチビチビチビかけながら何回も(醤油を)使う。
そうやって考えると「ジャパン」は結構難しい。
それが「アメリカンファースト」とは違うところ。
お椀にカーン!と割って醤油を適量バーッと、カッカッカッカッと掻き回してスルッと。
ベトベトでもないサラサラでもない「卵かけ」ご飯という、あの見事な比率。
「TKG」だと思う水谷譲。

この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:


この記事へのトラックバック