カテゴリ

2025年11月13日

2025年9月22日〜10月3日◆日本語教師、外国人に日本語を学ぶ(後編)

これの続きです。

我々が知っている日本語なのだが、しかし立場を変えて異国の人が学んだ日本語を我々は逆に教えてもらおうという。
日本語を日本人が学ぶ。
異国の人がもちろん先生としてだが。

 今回お話を聞かせてくれた、西アフリカ、ベナン共和国出身のアイエドゥン・エマヌエルさん(エマさん)(151〜152頁)

ガーナやナイジェリアに囲まれた1300万ほどの小さな国だそうだ。
(ガーナには接していないようだ)

 ゾマホンさんというタレントさんがいますよね。彼はベナン出身なんですが、父が日本にいた時『息子さんを留学させたらどう?』とゾマホンさんに勧められたことがきっかけで、日本へ行くことになりました。(153〜154頁)

祖国はフランス語が公用語で

私はヨルバ民族で、−中略−ヨルバ語と日本語の音はすごく似てるな、親しみやすいなとまず思いました。(154頁)

特に漢字に興味津々でした。(154頁)

漢字はエマさんが言うように絵にも記号にも見えるだろう。(155頁)

一文字ずつ全部意味を持っている。
それで文法的に彼がもの凄く異様だと思ったのが自動詞と他動詞の違い。

「電気がついています」「電気をつけておきます」という文が初級レベルの中盤あたりに出てくる。「ついて」と「つけて」の違いを、普段わたしたちは気にしない。が、前者は自動詞、後者は他動詞で、この区別はとても大事な文法項目だ。(158頁)

我々は普通にやっているが外国の方は難しいと思う水谷譲。
難しいだろう。

留学はお金もかかるし、−中略−
 留学生活2年目からは深夜のアルバイト
(160頁)

日本語学校で過ごし、エマさんは大阪府立大学へ進む。(161頁)

エマさんは目標が高い。

「この店、おいしくない」を「この店、おいしいじゃない」と言ったり、「昨日は暑かったです」を「天気が暑いでした」と言ったりする人もいる。そのような日本語で生きるのは決して悪いことではない。−中略−
 日本の大学院で学びたいという目標を持っていたエマさんは「生活の日本語」のさらに上を目指して言葉を磨いた。
(164頁)

英語、フランス語、当然ながら彼は堪能。

英語の文章を翻訳しなさいと指示されたら、前は一旦フランス語に訳して意味を把握していたんですけど、今は日本語で理解しながら読んでいますね。日本語のほうが先に出てくる。(169頁)

凄い頭。
今、言葉コミュニケーション、言語コミュニケーションの研究者として関西大学で教え、しかもまだ学んでいるエマさん。
日本にアニメや漫画を通して興味を持つ留学生たちに楽しんで学んでもらう
日本語のシステム化を目指したいという。
(アニメや漫画の話はエマヌエルさんの話とは別件)
しかしここでもまた、アニメや漫画が出てくる。
彼の指摘の通り、アニメとか漫画とかというのは日本の文化のよほど深いところから出てきているという、そんな気がする。
こんなエマさんのような人から私達は今、日本を探す時代にきている。
「漫画って何か」「アニメって何か」というのは考える。
「アニメとか漫画は日本文化だ」と言われるとちょっと照れくさくて「そうじゃ無ぇよ」と拗ねたくなる時もあるが、鳥獣戯画から始まってずっと漫画の歴史はある。
(鳥獣戯画は)漫画。
ウサギとカエルさんとか、タヌキさんとかキツネさんが楽しく絡み合うというのは一種漫画の技法だし。
そういう意味で実は深いところに漫画やアニメの源泉みたいなものが、日本文化そのものにあるのではないか?

次の方にいく。
この方は面白い。
こんな人がいる。
異国の方。

工藤ディマ(くどう・ディマ)
2000年生まれ、ウクライナ・キーウ出身。
(174頁)

日本で声優デビューを果たしたのだという。(171頁)

日本で公開されたウクライナ発のアニメーション映画『ストールンプリンセス:キーウの女王とルスラン』でデビューを飾った。もちろん日本語での吹き替えだ。
 活躍されている外国出身の声優さんと言えば、中国人の劉セイラさんをはじめ何人かの名前が思い浮かぶ。
(175頁)

【Amazon.co.jp限定】ストールンプリンセス:キーウの王女とルスラン Blu-ray豪華版(特典DVD付)(アクリルキーホルダー付き)


こういう存在を知って驚くのだが

 10代の頃から、日本のアニメや漫画を見たり読んだりしていて、日本語に興味はありました。−中略−でも、日本語の音は好きでした。響きが好きだったというか。(176頁)

キーウにいる時からコツコツと日本語の響きを学んだ。
同じような音が並んではいるが、その言葉の並べ方が面白い。
(この後の話は本には無い)
「私は酒を飲んだ」「私は酒を飲まされた」の受動・能動の違いなどから「は」や「が」の助詞の変化、周りに一人も日本人がいないウクライナで我流で勉強したという。
助詞をいいだすと日本語は難しい。
でも、そこに日本語の深みみたいなものがある。
「思えば遠くきたもんだ」「思えば遠くきたもんだ」
このへん。
やはり助詞まで出てくると日本語というのは際限も無く・・・
この方はそのウクライナで一人で日本語が面白くて一生懸命勉強していたという。
でも時たま日本人がやってくると無我夢中で話しかけて彼との会話、彼女との会話を全部録音して日本人が話す言葉を勉強し続けたという。
やっと22歳の時に来日がかなうという。
一年後にウクライナアニメの日本語声優としてデビューという幸運を掴んだ。
ディマさんは生まれつき耳がもの凄くいい方で、耳のカンがいい。
この方の発言だが、言葉としてロシア語とウクライナ語は結びつきが非常に大きい言葉である。
日本語とは大きな差がある。
ロシア・ウクライナ語は長く長くうねらせて喋る。
日本は違う。
平べったく喋る。
音を繋ぐロシア語・ウクライナ語と違って、声を響かせようとする。
そうかも知れない。
特に自分の主張や訴えのところを響かせる。
武田先生も時々思うが、アメリカの大統領は自分が残す名言みたいなのをサラッと言う。
ジョン・F・ケネディ「Together」と言う。
「共に」「一緒に」という「Together」。
それが凄く軽い。
そういう意味では、日本人は響かせる。
「共にやろうではございませんか!」
こう言う。
(バラク・)オバマさんみたいな人は珍しかったのかと思う水谷譲。
「Yes We Can!Yes We Can!」みたいな。
でも言い方としては軽い。
やはり「響かせ方」というのは日本人が響かせる。
それからこの人は面白い指摘をしている。

 例えば、「にほんご」の発音は、「に」が低く「ほ」で上がり、その次の「んご」は「ほ」と同じ高さだ。(186頁)

これが異国の人が聞くと波打っている。
「に」が低く「ほ」で上がり「んご」は「に」と同じ音。
頭の音と同じ音にする。
(「んご」の高さは頭の音ではなく「ほ」と同じ音)

「うつくしい」は「う」が低く「つ」で上がって「くし」は「つ」と同じ高さだが「い」で下がる。「いつも」は、最初の「い」が高く「つも」は低い。(186頁)

小さく上げて下げながら言葉を響かせるという。
こんなのを一つ一つ彼は聞いていた。
当たり前のようにやっていたからわからない水谷譲。

日本語のリズムをトントントンだとすると、ウクライナ語やロシア語はトゥルルルルって感じで、一つの文章の中にポーズ(間)がほとんどない。文字ひとつひとつをちゃんと言わないで、つなげて言う。日本語は文字をはっきり発音するから(187頁)

日本語は『声の芝居』の自由さが、ウクライナ語やロシア語より圧倒的にある。声の演技の自由度で言ったら、日本語を10割とすると、ウクライナ語が3、4割で、ロシア語は2割くらい。(188頁)

これが「響かせる」という意味ではないかと思う。
プーチンさんはそんな感じがする。
「(ロシア語っぽい言葉)」と言いながら何かトゥルトゥルトゥルトゥル言っているような気がして。
もちろん日本の政治家も政治家によっていろいろ格があるので。
いろんな方がいらっしゃると思う水谷譲。
でも何かそういう決定的な違いを彼は体験したようだ。
多分アニメになった場合、日本語では十秒のセリフで表現できる。
ロシア語の場合は同じ意味のセリフは五十秒から一分もかかる。
5〜6倍かかるのかと思う水谷譲。
彼の感想は、日本は感情をもの凄く短くできるということ。
そんなふうにとにかくディマさんは感じている。
(という話は本の中には無い)
日本語ではディマさん曰く「好きです」「おいしい」「かわいい」はそのものに接した時、まるで息を吐くように日本の娘達はその言葉をつぶやく。
そう。
「ああ美味しい!」「かわい〜!」息を吐くように。
しかしロシア語はそのような表現を好まない。
そのような感想はじっくり感じて言うものであって、それ故に表情がいちいち遅れるのである。
息と一緒に感想は言わない。
一回飲んでから言うという。
日本語の難しさもあるだろうが、これは一番、武田先生がハッとした言葉だが、この表現はやはり難しいのではないか。
このディマさんがある日本の監督さんからこんな演出を受けた。

「驚いているんだけど驚いていない感じを出してくださいって言われて、オーケーが出るまで時間がかかったセリフがありました。(190頁)

こういうのはどうか?
これはある。
特に声優という仕事の場合は声に頼る分があるので、声に頼るとこういう複雑な表現というのが難度がいきなり上がってしまう。
これは表情があると何とかやりようがあるのだが「驚いているんだけど驚いていない感じ」という。
難しそうだと思う水谷譲。
つまり「ああ!びっくりした!」ではなく違う表現だと思う水谷譲。
でも驚かなくてはいけないと思う水谷譲。
ディマさんはこの時に自分が試されているということをもの凄く感じて、必死でやったという。
だがディマさん。
日本人がお芝居を作っていく時は、これは必ずある。
この手のお芝居は「うらはら」というお芝居なのだが、上手な人が昔いた。
我々にはお手本がいくらでもあって。
渥美清さん。

男はつらいよ・望郷篇 [DVD]


この人が寅さんを演じている時、女性を会話をしていて。
長山さんが演じたその女の子が、寅さんはてっきり自分に恋をしていると女の人を誤解している。
その人が別の恋人のことを思いながら涙を拭いたりなんかして、寅さんに聞く。
「ねぇ寅さん。寅さんは何で結婚しないの?」
彼はびっくりしている。
つまりラブコールだと思ってしまう。
「愛を打ち明けられた」という。
その驚いていることを隠す。
その演技が、近くにあった水草の葉っぱか何かで水面を軽く撫でながら「ん?ああ、俺?んん。いろいろあったしな〜」。
もうこれが上手い。
ディマさんにも見て欲しいのだが。
それはディマさんが命じられたこと。
「驚いているんだけど驚いていない感じ」を渥美清という俳優さんは見事に演じてみせてくれるワケで。
「全く驚いていない」という感じだと「驚いているんだけど」は表現できない。
これが演技力の難しいところで。
この表現は日本人の暮らしの中にはあること。
「時として我等は真反対のことを言いつつ、本当のことを言うことがあるのです」と。
武田先生はそんなふうに書いている。
武田先生も演技論になってしまったから、山田洋次さんのところに初めて映画に出た時に仕込まれた。
言葉と裏腹のことを言っている。
「オマエなんか大っ嫌いだ!」という「大好き」な言い方。
これはある。
「オメェみたいなバカなツラは見たく無ぇや!」と言いながら「出ていくなよ」という、そういう親子の情愛。
人間の暮らしの中には、こういう真反対の用語を使うというのがある。
ディマさんが声優さんとして成功されることを祈っております。
声優というのは難しい商売だろうから。
本当に本当に凄い。
想像力とか微細な声の変化とか。
そういう演じ方だから。

次の方にいく。
最後に取り上げる人はジョージア。
アゼルバイジャンとロシアに挟まれた、黒海を挟んでウクライナ、その反対はカスピ海というあの辺の今、戦争をやっているあたりの。
申し訳ない。
グジャグジャとしたエリアにあるジョージアという国。
昔はグルジアと言ったのだが、今はジョージア。
東ヨーロッパの小国のジョージア。

ティムラズ・レジャバ−中略−
1992年に来日、
−中略−早稲田大学国際教養学部を卒業し、2012年4月キッコーマン株式会社に入社。−中略−2018年ジョージア外務省に入省。(226頁)

相当日本語が達者な方。
彼の日本論、日本人論というのはXのアカウントで35万人のフォロワーを持っているという。

Xのアカウントには35万人以上のフォロワーがおり(227頁)

日本語の理解力は抜群。
しかも指摘なさることが実に鋭いという。
本か何かお書きになって大注目を浴びた方。

ジョージア大使のつぶや記


まずそのレジャバさんがおっしゃるのは同じこと。
日本語に汚い言葉が少ない。

ジョージア人にも『日本語の汚い言葉って何?』と聞かれることがあるんですが、『うーん……バカ≠ュらいかな』と答えると『え、それだけ?』と結構がっかりされます(234頁)

日本語は、汚い言葉も少ないけれども褒め言葉も少ない。(234頁)

合格祝い、結婚祝い、金婚式、優勝、誕生日、出産、昇給。
全部同じ「おめでとう」。
お互いの健康を祝したり、愛情、友情、気遣い、お世話への感謝、そういうことを褒める時、「おめでとう」そういう言葉遣いしかない。
「おめでとう」というのはサイズとして大きい言葉なので、適切な褒め言葉みたいなものが無い。
励ます言葉も少ないと言う。
「頑張って」になってしまうのだが何か「頑張って」とあまり言いたくないなという人も多いと思う水谷譲。
「頑張って」とその手の言葉「大丈夫だよ」とか。
でもそれは危ない時にも使う。
「ダメかな、この人?」という時も「頑張って」「大丈夫」と言ってしまうという。
そういう意味では励ます言葉は少ない。
レジャバさんの日本人観察から、それ故にであろうか、日本人は褒め言葉を補う為に贈り物が多いという。
お歳暮とかお中元かと思う水谷譲。

「だからこそ日本には、いろんな場面で物が登場するんです」−中略−
「手土産や差し入れ、手紙、季節ごとの贈り物、そういう物で日本人は想いを相手に伝えますよね」
(236頁)

「おすそわけ」とかと思う水谷譲。
日本独特なのかと思う水谷譲。
複雑なヤツがある。
「到来物で申し訳ありませんが」とか。
「人からいただいたものをまたあなたに回す」という。
内祝いとかも面倒臭いと思う水谷譲。
新渡戸稲造の武士道という本の中に書いてあって「そうだな」と思ったのは

武士道 (岩波文庫 青118-1)


日傘をさしている。
それで、あるご婦人が町を歩いている。
向こう側から日傘をささない人がやってくる。
その時に二人の婦人は足を止めて挨拶をし、世間話を始めるのだが、この時のマナーが日傘をさしている人が閉じる。
これが日本人のマナー。
「同じ直射日光の下にいる」ということが日本人のマナーで、日本人は「同一である」「同じ思いをしている」ということが全てのマナーの原点らしい。
「朝早いですね」が「おはよう」だから。
向こうも「おはよう」と言う。
西洋の場合は宗教が後ろにあるので「よき朝を」という意味で「Good morning」「神のご加護がありますように」。

ここから一番、武田先生が面白かったというか、「なるほど」と思ったのだが、レジャバさんはジョージアという国で、前にはウクライナの人の話もしたが大相撲の力士がウクライナから来ている。
安青錦(あおにしき)。
強い。

多くの日本人に名を知られていたジョージア人と言えば大相撲の力士たちだろう。−中略−臥牙丸、栃ノ心。(327頁)

漢字文化圏の中からお相撲さんが出てくるのはわかるのだが、この北村さんが「よく東ヨーロッパの人が相撲の世界になじめましたねぇ」という。
そうしたらレジャバさんは面白いことを言っている。

「相撲の動きと言葉が一体化しているからじゃないかなあ。例えば、押し出そう、という時に、この動作を言葉にすると押し出しだ、ということが頭に刻まれて、体の動きと合致する。−中略−『右四つを狙う』とか『はたき込む』とか、勝つための思考が言葉と結びついているんですよね。(238頁)

だから東ヨーロッパから来ている人も一つわかると体の動きで全部わかる。
それがいわゆる相撲界に東ヨーロッパの人が活躍できる源ではないのか、という。
「なるほど」と思う。
でも逆に教えてもらうとわかりやすい。
こうやって考えると面白いもの。
彼は東ヨーロッパの小国、小さい国であるジョージアを心から愛しておられる。

大国が世界を仕切る時代になっている。
関税大国アメリカ。
そしてもう一国の大国が一帯一路の中国。
プーチンさんもそう。
ロシアも大国。
そういう大国がそれぞれ自国主義に陥っているという現状なのではないだろうか?
だから小国のジョージアにこそ心のよりどころがあると彼は言う。
水谷譲と先週話したのは「何でこんなにインバウンドの人が日本にやってくるんだろう?」という。
つい何年か前まで凄くバカにされていたことが一転してしまったワケで。
魚なんかも「気持ち悪い」ばかり言われていた。
生の魚を・・・
ずっと日本の食事は軽蔑されていたのだが、ある日突然。
それから「本家は俺だ」と言いたくなるだろうと思うがラーメン。
ラーメンというのは中国の人が発明したのであって、それを日本人が特化させたワケで。
日本独特のラーメン文化があると思う水谷譲。
その通り。
独特。
ジョージアのレジャバさんがおっしゃりたいのはそのことではないか?
小国は小国として、もう少し自己主張してもいいのではないだろうか?という。
私達は確かに大国からいろんな影響を受けているが、でも小国はそれに磨きをかけて作り直しているワケで。
日本というのは大国から流れてきたものに磨きをかけて日本化していくということに関しては殆ど天才的ではないかなと思ったりする。
そういうことをわかって考えた上での「日本人ファースト」ということなのかと思う水谷譲。
水谷譲は鋭い。
そういうこと。
「日本人が一番だ」という意味ではなくて、ということだと思う水谷譲。
「非常に日本人は独特なんだ」という。
私達はすぐにわかる。
ニューヨークや北京でラーメンを食べたことが無い水谷譲。
(海外でラーメンを)喰いながら「これは違うな」と言う。
やはり日本人の日本のラーメンが一番美味しいと思う水谷譲。
「これは違うな」という、それを持っていることが日本人。
ニューヨークの天ぷらとか寿司とかも全然違うので「これ違うよ」と思う水谷譲。

今度紹介する。
もう予告編で。
これを言ってしまうのだが、同じテーマを走っていくつもりでいるので、きっとわかっていただけるだろうと思うのだが。
バルセロナで豆腐屋さんをやっている人。

バルセロナで豆腐屋になった──定年後の「一身二生」奮闘記 (岩波新書 新赤版 2051)


この人は正直に文章に書いてらっしゃるだけなのだが、バルセロナでこの人が作った豆腐を食べた人というのは他の店に行って他のお客さんに薦める。
「この豆腐不味いよ。あそこに美味しい豆腐屋ができた」と。
日本の豆腐。
この時に水谷譲が言った「日本の」なのだ。
これは悪いことではない。
そんなことは全然やっていいのだから。
バルセロナに日本料理店が例えば80軒あったとすると60軒は中華系の人が経営なさっている。
だから「寿司」という看板を見ても日本人が望んでいる「寿司」ではない。
それで武田先生は「なるほど」と思ったのだが、一発で「あ!これは俺が求めてる日本の寿司じゃない」とわかるメニューがある。
メニューをバーっと開いて餃子をやっていたら(店から)出た方がいいという。
あり得ないワケで。
日本の寿司屋さんでマグロを握った後で餃子を焼いてくれる店というのは無い。
最近は日本の回転寿司でも餃子が乗っているお寿司とかハンバーグが乗っているお寿司は出てきているから「広がっては来てしまっているのかな」「それはそれでありか」と思う水谷譲。
好みでいろいろ。
でも「オマエが食べたかった寿司か?」ということ。

もう一つ話題があって、これは内田樹さんがそう指摘なさっていて武田先生はめっちゃ深く頷いたのだが、日本の寿司屋さんは寿司をお客さんが褒めると自分の手柄にしない。
例えばマグロ二貫がポーンと出てきた。
口に入れた。
美味い。
「美味いねぇ、マグロ」と、こう褒めると、日本の寿司屋さんは自分の腕前とか一切話さずに「いやぁ今日は大間産がいいマグロが入ったんですよ。あのあたりは海流が激しゅうございましてね、マグロが一生懸命泳ぐんで、身がピシっと」という。
味の手柄を漁師さんと自然に託すという。
それが寿司職人のマナーだ、という。
他のものを絶賛するという、日本人の何かがあるという。


この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:


この記事へのトラックバック