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2025年12月12日

2025年10月20〜31日◆べらぼう(後編)

これの続きです。

吉原というところにあった江戸文化というのを本に、書籍にして残し、大きなムーブメントを起こしたという蔦屋重三郎。
その人物を語っている。
蔦屋重三郎はもちろん、吉原を基盤として浮世絵なんかに当時の人々の暮らしの姿を描いて、それで大ブームを呼んだ人だが。
水谷譲も浮世絵は何枚か知っている。
みんな顔が同じ。
あれはよく考えたらよくできたもので。
プライバシーを守ったのではないか?
浮世絵を人相書きにしない。
野暮天で、わかるように描くバカどこにいるんだ?というようなもので。
その人の持っているファッションセンスだけは着物の柄とか髪の結い方で個性を表して、お顔立ち等々には一切触れないという。
今でいう「個人情報」を保護していたということかと思う水谷譲。
武田先生はそこに、もの凄く気の利いたものを感じる。
その蔦屋重三郎だが、そうやって日本の絵画の文化にも大いに尽くす方なのだが。
また読み物等々もヒットさせるのだが。

彼がやった最大の文芸運動は何かというと狂歌ブーム。
「狂歌」とは何かというと川柳に似ている。

 狂歌は和歌の詩形に即しながら穿ちや滑稽、パロディ、ナンセンスなどのスパイスを効かせ、身近なテーマを詠む。−中略−
「穿ち」は現代において「物事を斜めからみる、疑ってかかる」というニュアンスでとらえられがちだ。
(47頁)

そして真実を見抜き、しかも真実を笑うこと。
「これが真実だ」なんて力まない。
これはもちろん上方の文化圏から興り、大坂「浪花狂歌」というのが大変ヒットしたという。

 ところが、浪花狂歌の熱狂は江戸にまで及んでいない。
 どうやら江戸では浪花狂歌は俗悪だと敬遠されていたようだ。
(48頁)

「下品」「がさつ」「大坂弁嫌い」という、そういう人達が江戸期におられたようで。
狂歌ブーム。
大坂狂歌は何と箱根を超えられず。
大坂狂歌というのは今回は触れないが。
蔦重が集めた人材の中での江戸狂歌の天才を何人か紹介したいなと思って。

 江戸に狂歌ブームを巻き起こしたのは四方赤良よものあからこと大田南畝おおたなんぽ(後には蜀山人)、唐衣橘州からころもきっしゅう−中略−元木網もとのもくあみといった狂歌師たちだった。(49頁)

これは全部ざれ名前。

四方赤良の「四方」は、江戸を代表する地酒「瀧水」を売った酒屋の四方久兵衛にちなんでいる。「赤」はそこに、久兵衛が酒肴として売り出した赤味噌を重ねた。(51頁)

だから「四方赤良」。
「山上憶良(やまのうえのおくら)」に響きも似ているということで。
とにかく彼等は命がけでふざけた。
これは何だろう。
吉原に集まって狂歌を作るのだが、どんちゃん騒ぎ。
集まっていた人達はみな、不思議なペンネームを持っているが、もうみんないい加減な名前。

酒上不埒さけのうえのふらち宿屋飯盛やどやのめしもり−中略−土師掻安はじのかきやす(52頁)

この人達は吉原で女遊びをしている暇はない。
狂歌パーティーを夜毎開いて、作った狂歌に対してみんなで競い合ったという。

重三郎の−中略−狂歌名は本名と屋号の蔦屋にかけて蔦唐丸つたのからまる(87頁)

注目は何といっても大田南畝。
この人はもう狂歌を作らせるとでたらめで、これは後に本になる。
「万載狂歌集」

『絵本江戸すずめ−中略−が開板された。これが歌麿初の絵入狂歌本となる。−中略−絵本絵本吾妻袂えほんあずまからげ(143頁)

 ああうなぎ いづくの山のいもとせを さかれて後に身をこがすとは
(あぁ、つらいことよ。山芋が変化した鰻が背開きの蒲焼にされるように、どこかの男女も仲を裂かれ恋情に身を焦がしているのだろう)
(61頁)

うな重にひっかけた恋の歌。
こういうパロディー。
これは古今和歌集の恋歌をパロっている。
パロってうなぎとか山芋に仕立て上げているという。
これはもうみんな大笑いしたという。
何が言いたいかというと、古今和歌集等々に関する膨大な知識が無ければ笑えない。

江戸に巻き起こった狂歌ブーム。
大変なブームになって、この狂歌のおかしさがもう町中の評判。
その中でもう一歩も二歩も先んじているのが大田南畝、大田蜀山人という皮肉屋さん。
この方のその狂歌のセンスのよさ。
これはある意味で教養の深さなのだが、下ネタ。
この下ネタがタダものではない。

 七へ八へ へをこき井出の山吹の みのひとつだに出ぬぞきよけれ
(七、八発と屁をひっても、山吹に実がならぬよう汚物ひとつさえ出ないのだからいいじゃないか)
 身も蓋もない下ネタだが、本歌は兼明親王の「七重八重花はさけども山吹の実のひとつだになきぞかなしき」(『後拾遺和歌集』)。
(61〜62頁)

「花は絢爛と黄金の色にいくつも咲く山吹の花であるが、何と切ないことに実なんか一つもない」という。

この狂歌ではさらに、太田道灌が雨に降られ農家で蓑を所望したところ、農夫の娘から山吹を差し出され、「実の(蓑)ひとつない」と和歌を添えられた故事を穿っている。(62頁)

「蓑一つお貸しできない、貧しさにおります」という、そういうことを踏まえておいて大田南畝さんが作った歌は「七へ八へ へをこき井出の山吹の みのひとつだに出ぬぞきよけれ」。
これはドラマ(「べらぼう」)の中でみんなで踊る。
みんなで円陣を組んで「屁!屁!」と言いながら。
恐らくそんな大騒ぎをしたのだろう。
でも「ウンコもせずに屁だけこいた」という、優雅な歌をパロるとはいかな凄い歌の力量があったか。
人間らしいと思う水谷譲。
本当に綺麗なままじゃ生きていられない。
下ネタも故事と本歌どりの教養が無くば笑えず、狂歌のうちに潤沢なる古典に対する知識がある。
狂歌サロンは同様の教養人が集まり、江戸の笑いを作っていったという。

 田沼の重商政策でバブル経済は花盛り、庶民にまで奢侈と贅沢の風が吹いた。しかし−中略−天明には−中略−浅間山大噴火が勃発する。みちのくで未曾有の凶作、大飢饉もおこった。打ち毀しや一揆は全国に及んでいる。
 そんな世相を横目に狂歌師たちは酔狂に走った。
(63頁)

世相は暗くなっていくのだが、大田南畝はふざけにふざけ散らかして、狂歌を辞めなかった。

 びんぼうの 神無月こそめでたけれ あらし木がらしふく〵〳として
(神無月は貧乏神も出雲へ出掛けていなくなるんだからめでたいじゃないか。ほら、嵐や木枯しまで福々と吹いているくらいだ)
(62頁)

上手い。
「きっといいことありますぞ」と、こういうことを言いたかった。
「ドカーンと浅間山が噴火した」
大田南畝はこれをふざける。

 浅間さん なぜそのやうにやけなんす いわふいわふがつもりつもりて(63頁)

浅間山、何でそのように噴火する。
「やけなんす」、恋しいから「言い出そう言い出そう」というのが降り積もってしまった。

「いわふ」と「硫黄」を掛けながら、不安な心持を笑いのオブラートに包んだのだろう。(63頁)

ポジティブ。
浅間噴火をパロディにしたという。
今では許されない。
コンプライアンスがうるさいと思う水谷譲。
世の中を暗くするコンプライアンスはあっていいのか?
これをまた横にいて蔦重は次々本にしていく。
そうすると江戸の人は笑いころげた。
でも一番驚かなければいけないのは、笑い転げる江戸の人がいたということは、もの凄い識字率。
本を読んで楽しい人が百万都市の数十%以上いて、蔦重は儲かったというから、何ということでしょうか、この文化の高さは。

暗い時代にあって、蔦重は狂歌歌集を出して、この狂歌集は大ヒットした。
その時に蔦重の凄いところだが、文字だけでは疲れてしまうので、横にその狂歌になぞらえて浮世絵を入れる。
絵入り狂歌集という。
この浮世絵の絵を担当したのが歌麿。

歌麿も狂歌師の群れに身を投じ筆綾丸ふでのあやまると名乗っていた。(53頁)

危ない名前。

「真を写す」こと、卓抜の写生画力をいう。蔦重が与えたモチーフは美人ではなく昆虫や爬虫類、貝、鳥、花。(143頁)

それにしても古典に対する教養、パロディに仕立て上げる筆力、そしてそのブームを生むほどの人々の教養の高さ。
昨日も言ったように驚くべき識字率。
蔦重はここで吉原細見、ガイドブックからポップカルチャー、これを作り出す。

女を描き切る前に、自然の中にいる物いわぬ生物の表情、仕草、動きをリアリティたっぷりに写しとれ。それができれば、絵筆は女の姿形のみならず、内なるものまでとらえることができるはず──。(143頁)

『婦女人相十品』の大判錦絵シリーズ。いずれも観相がテーマで、人相で人を判じる観相は当時の流行でもあった。−中略−「団扇を持つ女」−中略−「ビードロ(ポッピン)を吹く娘」が含まれている。(150頁)

(番組では「婦人人相十品」と言ったが、上記のように「婦女人相十品」。本によると「団扇を持つ女」は「婦女人相十品」ではなく「婦人相学十躰」)
等々でいわゆるグラビア集の洒落たのを出す。
ここに短く注釈を入れて「こういう性格の人ですよ、この人は」みたいな。
更に歌麿と組んで女芸者、茶屋の娘、煎餅屋の町娘等々、市井の女性も描く。
「大首絵」という女性アップ集を出すのだがこれがもう大評判でアイドルブームが出版界に起きる。

モデルはファッションリーダーの役目を担っており、髪型や服飾品、着物の柄などに注目が集まったからだ。美人大首絵は現代のグラビア画像に匹敵するだけでなく、ファッション情報を発信するニュース性の高いメディアでもあった。(151〜152頁)

プライバシーを守る為か前にも言った通り、顔つきは個性なんか一切描かず、個性の気配を消して、ファッションとかそういうもので彼女達を描いたという。

 歌麿の春画第二作は−中略−大作錦絵『歌満うたまくら』、蔦重が版元だった。
 本作は蔦重−歌麿が制作した春画の最高峰というだけでなく、
−中略−確かな画力として開花した時だ。(157頁)

皆さんに説明する。
若い娘の後ろ姿。
その女の子が縁側で大股を開いている。
その後ろ姿。
うなじからして、うぶそうな子なのはわかる。
娘さんが開いた股ぐらの真ん中に男の顔がある。
後はもう想像・妄想の世界だと思う水谷譲。
これは凄いのは娘は後ろ姿で見えない。
女の子の開いた膝の影で男の表情が見えない。
だから本当に上手いのだが、歌麿は二人の表情を見えない構図にしている。
どうもとんでもないところに接吻を受けているような、そういう「あぶな絵」だが、この娘さんがうなじの美しさに気品があって、よい家庭のお嬢さんが体を賭けての恋をなさって、どこかの茶屋の奥で性行為をなさっているのではないだろうか(と妄想する)。
そのうぶなお嬢さんの強烈な意志。
それは何か圧倒されるようなエネルギーを、という。
春画というのは実りの豊かさ、子孫繁栄、寿ぎの絵であったという。
だから新年、明けると同時に春画を交換するということが文化にあったということ。
性の捉え方が現代の世界のコンプライアンスと違う。
とにかく彼の元には凄まじい才能がどんどん集まってくる。
才能というのは集まる。
驚くなかれ、集まった才能は凄い。

曲亭馬琴、葛飾北斎、東洲斎写楽(160頁)

これが集まるのだから。

そして時は過ぎていく。
幕閣・田沼意次の時代だったのだが、田沼はバブルを煽りすぎ、わいろを受け取っているというような影の評判が立って「御政道から彼を追放しよう」。
彼は「米本位の経済では絶対幕府は持たない。だから商売を始めないと日本幕府はダメだ」というので重商主義を取る。

 田沼は商業資本を活用して貿易振興、蝦夷地開拓、専売制など産業拡充を実現させる。(6頁)

ロシアとの開港を北海道で進めようとする。
何のことはない。
この後、幕府がこのことで自らが倒れるという。
田沼が頑張っていたら北方領土はあの国に渡らなかったろうと思う。
北海道開発は彼は燃えていたから。
その彼が追放になったということ。
田沼は開国するつもりだったらしいのだが、これが全部中止になって、江戸は大坂に経済を委ねてしまった。
行政府だけの都市になってしまった。
それに浅間山の大噴火、天候不順の天変地異が起こって。
商売人ばかりを大事にしたという怒りに触れて、激しく田沼は憎まれて遂に失脚。

松平定信が老中首座となった。−中略−「寛政の改革」がスタートした時、定信は三十歳だった。(101頁)

 定信は凶作に喘ぐ領民のため、大坂や江戸から米を買って配った。おかげで白河藩の餓死者はゼロだった。善政の評判は江戸城にも届き、田沼誠二の後事を託されることになる。(102頁)

蔦重38歳。
この定信さんというのは、江戸の粋が嫌いだった。
真面目な方で。
田沼の気風を憎む定信は

定信の指針は質素倹約と綱紀粛正、文武奨励を旨とする。(102頁)

定信は戯作と挿絵、浮世絵など蔦重の大事な商売物を眼の敵にした。(103頁)

 ところが蔦重も蔦重だ。自重するどころか寛政の改革をおちょくってみせる。−中略−この黄表紙は喜三二最大のヒット作といわれている。−中略−ことごとく定信と彼の為政をカリカチュアしていた。(103頁)

 何しろ定信は生真面目だ。改革を歓迎し、褒める戯作ならともかく、おもしろおかしく半畳を入れた作物が市中で大人気……当然、眉を顰めよう。
 案の定、蔦重と喜三二はマークされてしまった。
(106頁)

 喜三二が筆を折ることになってしまった。−中略−主君の秋田藩主佐竹義和から、きついお灸をすえられたうえ、戯作の世界と関わりを絶つよう迫られた。喜三二の本職は江戸留守居役(112頁)

そして大活躍した「七へ八へ」の歌で有名な大田さん。
この人も旗本だった。
(旗本ではなく御家人だったようだ)

南畝は−中略−尻尾を巻くように狂歌、戯作の世界から身を引いていく。(123頁)

「べらぼう」を見ているうちに武田先生は気付いた。
「べらぼう」では(大田南畝の役を)桐谷健太さんが演じておられる。
武田先生はこの役を昔、やったことがある。
36歳の時、NHKスペシャルか何かで。
(1986年放送「ドラマスペシャル 橋の上の霜」)
吉原に出入りする侍の大田南畝、大田蜀山人を演じる。
その武田先生が吉原で入れ込んだお女郎さんが秋吉久美子さん。
奥さんは多岐川裕美さんにやっていただいた。
武田先生をいさめて「吉原通いはやめることだ」と止めてくれる先輩が菅原文太さん。
その菅原さんの奥さん役が新珠三千代さん。
そうとう豪華な配役で。
本当にごめんなさい。
武田先生は36歳。
その時、「Ronin」(映画「幕末青春グラフィティ Ronin 坂本竜馬」)という映画を作っていて、竜馬を演じていたので、この役にさっぱり打ち込めない。
もう幕府を倒すことだけをずっと考えたものだから。
この役をボーッと演じていた。
脚本家の方も申し訳なく思っている。
平岩弓枝先生。
幕府の旗本で退屈で吉原通い。
そこでスラスラスラと歌を作るのだが、これが大評判になって、という。
(ドラマの撮影当時の武田先生は)蔦重とか知らなかったから。
それである出版社から頼まれて皮肉の歌ばかり作ってしまう。
それで落首、いたずら書きの川柳を作ってしまう。
その作った川柳が

 世の中に 蚊ほどうるさきものはなし ぶんぶといふて夜も寝られず(123頁)

これがどうも大田南畝が作ったらしい。
そして決定的なヤツ。
落首、いたずら書きなのだが、江戸中に評判になったヤツ。

 白川の清きに魚も棲みかねてもとの濁りの田沼恋しき(122頁)

これも有名。
これは実は大田南畝だったという。
これが幕閣で大問題になる。
「旗本のくせに老中・松平様の悪口を落首で書いたか」と詮議にあう。
「これは腹切りものかなぁ」と悩むというのが武田先生の役だった。
それで裁きの場に「来い」と言われて行く。
その時に「この歌はお前が作った歌か」「どの歌で」と言うと詠み出される歌が「世の中はわれより先に用のある人のあしあと橋の上の霜」。
「いやぁ。だから忙しいぞと思って朝早く起きてみたんだ。だけど、どんなに早く起きたって私より先に起きて働いている人が世の中にはいるじゃないか。ほらほら見て見ろ。橋の上、二の字二の字の下駄の跡」
「あっ!私が作りました」と頭を下げると裁定が下って「よき歌である。励めよ、大田」と言いながら無実になって胸をなでおろして帰るという。
いいシーン。
「世の中は」で武田先生はある歌を思い付く。

今でも思い出すが平沼弓枝先生の原作で「橋の上の霜」という、江戸期ものをやったのだが、とにかく武田先生は36歳のちょうど坂本竜馬を作っていた時だったもので、さっぱり熱が入らずに。

橋の上の霜 (新潮文庫)


ただ、本読みをやっている最中にもの凄く熱心に大田蜀山人のことを訊く人が共演者でいた。
その共演者が「大田蜀山人てのは面白い人ですなぁ」という。
戯れ歌で「(此の世をは とりやお暇に)線香の 煙とともに 灰さようなら」とかふざけた歌を作ったり。
(大田南畝ではなく十返舎一九の句らしい)
こういうギャグっぽいヤツが、しみじみと五七五七七で「世の中はわれより先に用のある人のあしあと橋の上の霜」。
これは一発で覚えた。
それでバカながら「いい短歌だな、いい一首だな」と思った。
朝早く起きてゴソゴソ仕事に出発する。
「こんなに朝早くから起きてんの俺だけだと思うと何のことはない、通りに出るともういろんな人が働いている時に、身の引き締まるような思いにかられちゃう」という。
この時に金八先生のシリーズの主題歌を作らなければならない。
ずっとこの一首が頭の中に響いていて。
「朝早く目を覚まして自分が町に行くと、もう走っている人がいる」というその情景を大田蜀山人・大田南畝に託してできたのがこの歌。
(ここで本放送では「スタートライン」が流れる)



夜明け前の薄暗い道を
誰かがもう走っている
(海援隊「スタートライン」)

という。
これが「橋の上の霜」と同じ。
「スタートライン」
走ることで自分の体を温めて自分の汗を流しながら走る人がいる。
「僕達の今、必要なのは人から夢や希望を教えてもらうことではなくて、自分で走り出すことじゃないかな」という。
あらためていい歌だと思う水谷譲。
それがずっと大田蜀山人が胸の中にあった。
別の言い方で大田南畝という名前は知らなかったから。
「べらぼう」の中であったときに「これ、俺じゃん」とかと思いながら。
桐谷君の芝居を見ながら遠い昔の自分を思い出したという次第。

蔦重のことを話さなければいけないのだが、蔦重には背負い込んだ背景があるもので、武田先生の役割はその背景を話すことではなかろうかなというふうに思う。

 蔦重は−中略−寛政九年に逝ってしまう。
 享年四十八、江戸患い(脚気)に倒れた。
(7頁)

江戸で白米食の習慣が広まり、玄米を食べなくなったせいで玄米胚芽に多いビタミンB1の摂取量が低下したというわけだ。(233頁)

蔦屋重三郎、蔦重だが、耕書堂という本屋の仕事。
これは自分が48歳で死んでいく時、だんだん気力も体力も無くなるのだが、きちんと女房と別れ杯で別れたという。

 蔦重は「昼どきに私は死ぬだろう」といって−中略−妻女にも別れを告げた。しかし彼の予告どおりに命は尽きなかった。蔦重は「人生の幕引きを知らせる拍子木はまだ鳴らないね」と笑った。−中略−
 蔦重に死が訪れたのは同日夕刻のこと
(234頁)

江戸っ子。
いい。
(NHKの大河ドラマ)「べらぼう」の方は続いている。
こういう名場面が出てくると思うが、もし桐谷君が出てきたら「あっ!武田だ」と思って見ていただくと・・・
全然タイプが違うと思う水谷譲。
それにしてもNHK「べらぼう」、近年稀に見る傑作。



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