
読んだので感想を。
この本は何がきっかけで読もうと思ったのか忘れてしまった。
著者がラジオ番組に出て話していたか、旧Twitterあたりで流れてきたかあたりだろうけれども。
読もうと思ってから実際に読むまでに数か月とか一年とか経過してしまうもので。
結構文字数多めの本。
内容がまとまっていないというか、前後したり重複したりみたいな感じで、すっきりしないけれども、そのすっきりしなさごと表現するっていう感じなんだろうな。
著者はADHDということで、私とは障害特性がかなり違うので、共感できる部分は少ない。
障害特性はピンキリなので一概には言えないけれども、ザックリした印象ではADHDの人は何か見たり聞いたりした瞬間に、果てしなくイマジネーションが展開されてっちゃって、そのせいで会話の最中に話が飛んでしまうみたいなイメージ。
一方ASDは定型発達者よりもイマジネーションが狭くて、一つのキーワードに対してほんの僅かの発想しか無いので、(特に女の)定型発達者定が関連した発想を前提に会話しているのについていききれないみたいな。
この本を読んでいて、著者の頭の中で、もの凄い勢いでいろんなことが展開されていっちゃってんだなという感じがする。
発達障害以外の要因や症状も調べるための検査は多岐にわたり、紙に書かれた問や問題に一人で答えていくタイプのものだけでも数種類あった。−中略−
逡巡しつつ、冊子ごとの検査に回答していく中で、あれ? と思うものがあった。
ある形式の問題だけがまったく回答できず、これはなにかあるようだ、と思ったのだった。−中略−
日常生活で遭遇しそうな場面がイラストで描いてあり、状況の短い説明が添えてある、フキダシが空白になっていて、この人物がなんて言うか、書き込んでください、というものだった。−中略−
あまりにもわからなすぎて、まず冊子を読み直した、そもそも問題の意味がつかみきれない、と思った。「この場面ではどういう回答が標準的か」と聞いているのか、「この場面ではあなた(つまり私)はなんて言いますか」と聞いているのか、前者ならいくらでも書けるが、後者ならなにも書けない。(34〜35頁)
私も同じようなヤツをやらされたことがあるが、あれって本当に何を書けといっているのか全くわからん。
私も「この場面ではどういう回答が標準的か」はだいたいわかるのだが、自分がこの場面では何を思うかって言われると全て「うっさいハゲ」だったのだ。
私が受けた時には発達障害の診断の為ではなかったし、それを受けさせるスタッフが激しく障害者を舐めきった感じの人だったから、真剣にやる必然性も無いし、これまでの人生で「自分が思った通り正直に」ってのは「ふざけている」と受け取られる可能性大ってのも知っていたので「この場面ではどういう回答が標準的か」で全部埋めた。
定型発達者は多分「この場面ではどういう回答が標準的か」と「自分がどう思うか」みたいなことがかけ離れていないんだろうなと思うのだけれども、実際のところはどうなんだろう。
ADHDに関する本や当事者の人のあいだでは、ドーパミンが働かない現象は「脳の報酬系がうまく働かない」と表現されている。早起きしたり片づけたりするとすっきりするので次もがんばってやろう、とよいサイクルができるのが「報酬系が働いている」状態なのだが、ADHDの場合、早起きしたり片づけたりしてもそんなにすっきり感もなければ、次回やろうとしたときに前回のすっきり感を脳が思い出してがんばる、ということが難しいらしいのだ。(84頁)
早起きすること(4時ぐらいに起きること)が結構あるけれども、すっきりする感覚は皆無だな。
もちろん片づけだって、すっきりするなんて感じはしない。
定型発達者って、そんなことぐらいですっきりするのか。
びっくりだな。
会社で働いていて、自分以外の人達はどうやらちょっとしたことでも「達成感」があるようだと思った。
私は何をやっても達成感みたいな感覚が無いけれども、発達障害者は程度の差こそあれ、全体にその手のものが弱いってことかな。
ADHDの人の中にはこの本を読んで凄く共感できてうれしい!みたいな感じになる人もいるかも知れないが、ASDの人が読んでも「へ〜そうなんだ」程度じゃないかと思う。
ASDにしろ定型発達者にしろ、この本を読んだらADHDの人のことが理解しやすくなるかなという感じがしないでもないが、何しろ文字数が多いので「ちょっと理解の助けに」程度に思って読むのはハードルが高いかな。