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2014年08月18日

発達障害者と達成感とゼロ百思考

記事はコンスタントに毎日少しずつ更新していきたいんで、これも明日ぐらいにゆっくり時間をとってと思っていたんだけど、思いのほか君が僕の息子について教えてくれたことで検索をかけてくる人が多いので、ちょっとそれに関係した話を。
あと、昨日アップしたヤツの下の方に追記しておきました。

この日、ミッチェルさんは直樹さんに向けて、「人生の成功とは何だろう?」と問いかけました。
ミッチェル「私の成功は息子が障害を乗り越えられた時だ。とても誇り高く幸せな気分にしてくれる。例えば息子が『オレンジジュースをください』と言えた時だ。あるいは息子が靴箱に靴をきれいにそろえて入れられた時だ。私はそれを成功だと思う。誇りと喜びが波のように押し寄せるのを感じる。」


これを見て、私は昨日書いたように「健常者がやってるようなことができるようになることなのかねぇ?」って思ったワケだが、定型発達者はそう思わないっぽい。
定型発達者だっていろんな人がいるから、全員がそう思ったってことはないだろうけど。
んで、どうも
「ミッチェルさんはお子さんが『達成感』を持てることを『成功』って言っているのではないか?」
みたいな。
このあたり、私の認識が間違っていたらすみません。
本気でわからないので。

で、「達成感」ってものだけど、私にはない。
感覚的にまったくつかめないし、そういう感覚を持った経験がない。
何の努力もしていなかったワケではなく「達成感」を持つために、無駄な努力をさんざんやって出た結論が「私にはそういうものはないらしい」ってことで。

私たちのように「脳」に障害を持つタイプの障害者じゃなく、例えば先天的にしろ後天的にしろ、手に障害を持つ人がいる。
で、手に障害があるので、足で箸を持ったり車を運転したりなんていうことをしている人がテレビでたまに紹介されている。
ああいう人たちって「足で箸が持てた!」みたいな「達成感」を持つんだろうか?って思ったワケで。
私は障害のせいで、普通の人が何の努力も必要とせずにできることが、無理に無理を重ねて(「努力」をしているという認識はなかった)できるようになったことはいろいろあるが、すでに述べたようにそれらに対して「達成感」は一切持っていない。
「達成感」を持たない私にとってはすべて想像だけど、「達成感」っていうものは、「努力」と「結果」が釣り合わないと持てないんじゃないかと思うけど、違うのかな?
考えたところで、わかるようにはならないんだけど。

発達障害者もピンキリで、直接会ったり、テレビなどのメディアを通したり、ネット上で交流したりした中で、私以上に精神的に欠落している(多分「欠落」ではなく、普通の人にはないものを持っている割合が多いんじゃないかとは思うが)タイプの発達障害者って見たことがない。
だから、むしろ私を「極端な事例」というふうに考えてもらって問題ないと思うのだが、君が僕の息子について教えてくれたことを見て、今まで「自閉症者には定型発達者みたいな心は存在しない」って思っていた人たちが「自分たちとまったく同じ心を持っている!」って思ったとしたら、ちょっと怖いなと。

定型発達者は私たちをよく「ゼロ百思考」であると非難する。
「同じ心を持っていない」or「同じ心を持っている」
っていう二択しかない(ように私には見える)のって、それこそ「ゼロ百思考」なんじゃないのか?って思ったのだ。
多分、大部分の定型発達者は、東田さんほどのレベルではないにしろ(私は東田さんは私とは逆方向の「極端な事例」だと思っている)、普通の人と近い感情(心)を持っている。
でも、中にはそうではない人もいる。
「そうではない人」でも、普通の人と同じように感じることが皆無かというと多分そういうことではなく、私だって美味しいものを食べれば「美味しい!」って思っているし、モテたいとかヤリたいとか、そういうことはむしろ普通の人以上に思っていたりもするので「何もかもが違う」ってことではない。

しかも、こういう「心の中のこと」は実際に目に見える形で比較をすることが不可能に近いので「ここが一緒で、ここが違う」みたいに判別もできない。
私は今まで生きてきた経験や、本やネットの知識から「これは一緒のようだ」「これは違っているようだ」と「予想している」というレベルで、断言できるワケでも証明できるものでもない。

このあたりの「わかりにくさ」が出てきてしまう話なので、まあ、スッキリとした話もできないよねってことで。

マスメディアはどうしても障害者を「魅力的」に取り上げがちだ。
決して東田さんが「魅力的」に装飾されて紹介されたっていう風には思っていない。
そうじゃなく、とても「魅力的」な障害者だったので、マスメディアからすれば「取り上げたい対象」なんじゃないかと。
私のような「魅力的ではない障害者」は、取り上げても喜ばれないだろうなってのもわかる。
障害者について取り上げてもらえるのはいいことだと思うんだけど、こうやって「魅力的」な部分ばかり扱われると、そんなのばっかり見ている人たちが「障害者って魅力的な人ばっかりなんですね!」みたいな誤解をするんじゃないかと・・・。
杞憂だよね。

あの人はなぜ相手の気持ちがわからないのか―もしかしてアスペルガー症候群!? (PHP文庫)



posted by ひと at 19:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 発達障害 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年08月17日

君が僕の息子について教えてくれたこと

昨日テレビでやってたヤツ。
今のところ再放送は予定されていないみたいだけど、反響が大きければやるんだろう。
君が僕の息子について教えてくれたこと - NHK

この番組に登場する東田直樹さんは、以前に「風になる−−自閉症の僕が生きていく風景」の感想を書いたことがあるし、時折購入するビッグイシューにも連載があって読んでいるから知っている。
私だけ知っていても仕方がないので説明しておくと、東田さんは重度の自閉症でありながら本を執筆されている。
で、当時13歳の東田さんが七年前に出版した「自閉症の僕が跳びはねる理由」っていう本が、
世界20カ国以上で翻訳され、ベストセラーになっている。
ってのが、この番組の中心になる話。

自閉症の僕が跳びはねる理由―会話のできない中学生がつづる内なる心



The Reason I Jump: One Boy's Voice from the Silence of Autism



で、この本を最初に翻訳した人は、アイルランド在住の作家デイヴィッド・ミッチェルさんってことで。

ミッチェルさんにも重度の自閉症の息子がいます。
息子が何を考えているのか分からず、どう愛せばいいのか途方に暮れていたミッチェルさんは、ずっと探していた答えをこの本の中に見つけました。
「『自閉症の僕が跳びはねる理由』を読んだ時に、ナオキの言葉を借りて息子が話しかけてくれるのを感じたのです。ナオキは私の感情を揺さぶります。泣かせられるのです。」
ミッチェルさんは、この本は多くの人を救うはずだと考え、すぐさま翻訳に取りかかりました。
そして世界20か国以上で出版される事になったのです。


<自閉症の息子を持つ母親>(海外)
この本を読んで息子の行動、気持ち、夢、すべてがわかったの。
この本はつらかったことも前向きにとらえさせてくれます。


<自閉症の息子を持つ母親>(日本)
理解したい、もっと寄り添いたいという思いがふくらみました。

<自閉症の息子を持つ父親>(海外)
この本のおかげで息子を愛し、受け入れ、より良い親になれました。
幸せをもたらしてくれたのです。

これは、日本の自閉症の若者と外国人作家の出会いから生まれた希望の物語です。


いやぁ・・・感動的ですねぇ・・・。
って言いたいところだけど、私は番組冒頭のこのあたりは頭の中は「?????」って感じだった。
え?自閉症の人って全員同じような精神構造なの?
全員同じことを考えて、同じことを要求して、同じことをしたいと思っている????
この本を読んで、どんなことが書いてあるのかを確認したいと思ったんだけど、残念ながら図書館の予約は数十人待ちで(放送後にそうとう数が延びたんだろうけど)当分読めそうにない。

で、場面は日本。
東田さんは自宅近くに執筆専用の仕事場を1か月前に構えたばかりです。
そういう目で見るべきじゃないんだろうけど「カネあるんだなぁ〜」と。
なかなか小奇麗でステキな仕事場でした。

自閉症を抱える人はアスペルガー症候群など、軽度のものを含めると100人に1人といわれています。
この部分ね。
ちょっと問題になっている。
「軽度」じゃないだろ!っていう反論の声が。
この番組は、アスペルガーなどを「軽度」と言っているシーンが、後からもう一回出てくるんだけど。
私としては「軽度」と呼んでいいのか悪いのかは、よくわからない。
ちなみに「軽度発達障害」ってのは「発達障害が軽い」って意味ではなく、「知能に障害を伴わない」って意味ですのでご注意を。
しかも「アスペルガー症候群」っていう名称は廃止になってんだけどね。
このあたりどうなんでしょうか?

日常会話はできない直樹さんですが、パソコンを使うと自分の考えを存分に表現できるのです。
会話ができないほど重度の自閉症を抱える人が高い表現力を持つのは、世界でも極めてまれな事です。


番組で「月に2度の雑誌の連載エッセー」と紹介されていたのは、先に紹介したビッグイシューのことと思われます。
名前出しちゃあイカンかったの?

直樹さんは、キーボードと同じ配列で並んだ母親手作りの文字盤を使うと他人と会話することが可能になります。
インタビュアー「何で直樹さんは文字盤を使えばコミュニケーションがとれるのですか?」
東田「自分の忘れてしまいそうになる言葉を思い出せるからです。終わり。」
伝えたい言葉の頭文字を常に目で確認しておく事で、頭に浮かんでいた言葉を記憶にとどめられるといいます。
東田「パソコンの変換のように次々と言葉が浮かんでくれるのです。終わり。」


文字を使うと会話がしやすいっていうのは、感覚的にわかる。
私の場合、相手の言葉も文字だとすごくいいんだけど。
聞き取るのは難しい。
普通に会話をしていて、自分で何を言っているんだか途中でわからなくなるんだよね。
その点、チャットみたいに文字だけでやり取りをすると、混乱せずに会話をすることができるんで、普通に対面で会話をするよりも私は「多弁」になる。
そのせいでチャットで先に接触した人に後から会うと「もっとマシンガンみたいによくしゃべる人かと思った」と言われる。

以下、「自閉症の僕が跳びはねる理由」より。

どうしてうまく会話できないのですか?
話したいことは話せず、関係のない言葉はどんどん勝手に口から出てしまうからです。
僕たちは、自分の体さえ自分の思い通りにならなくて、じっとしていることも、言われた通りに動くこともできず、まるで不良品のロボットを運転しているようなものです。

いつも同じことを尋ねるのはなぜですか?
今、言われたこともずっと前に聞いたことも、僕の頭の中の記憶としてはそんなに変わりません。
よく分かりませんがみんなの記憶は、たぶん線のように続いています。
けれども僕の記憶は点の集まりで、僕はいつもその点を拾い集めながら記憶をたどっているのです。


発達障害者が全員ってことではないんだけど、私も自分の体が思うようには動かせなくて、ものすごい違和感みたいなのをずっと感じていた。
自分の障害に気づかずに、周囲からの激しいバッシングを受けて、無理に無理を重ねて普通の人が普通にやれることはたいていできるようにはなったけど。
決して「普通にできる」ようになったわけじゃなく、今でも無理をして「普通であるかのように」やっているだけなんだけど。
そのあたりは理解されない。
「問題なくできているのだから、何の問題もない」みたいに片付けられるのがつらい。
記憶の仕方に関しては、私も普通の人と比べると「そのエピソードが前か後か」みたいな関連性が、かなり曖昧だったりするんで、普通の人はこうじゃないのかも知れない。

ミッチェルさん来日で、感動のご対面!
会見の場に向かう東田さんは、喜びのあまり唸りながら跳びはねまくり。
この人は、私が「風になる」を読んだ感じでは、非常に知的で豊かな人間性を持った人という感じだったけど、唸りながら跳びはねている人を目の前にしたら、通常は誰しもそんな内面を持っている人だとは思わないだろう。
むしろ「池沼かな?」みたいな感想を持つんじゃないかと。

会見の場に到着しても、すぐにはミッチェルさんの方を向かずに、15分間窓の外を見たりしている東田さん。
直樹さんはいつものように、外の景色に目を奪われてしまいます。
「目を奪われている」っていうのとは違うんじゃないかと思うんだけどね。
「儀式」っていうか、気持ちを落ち着けるために必要な手順っていうか。

ミッチェル「怖いものについて聞きたいと思っています。どんなものが怖いですか?」
東田「人の視線が怖いです。人はいつも刺すような視線で見ます。」


そうだねぇ。
跳びはねたりしてる人がいたら、見ちゃうよねぇ。
しかも、普通の人と同じかそれ以上にしっかり「感情がある」人だってのが外見からはわからないもんだから、余計に無思慮な視線を向けてしまうだろうねぇ。
これだけすごく「感情がある」と、相当つらいだろうけど。

ミッチェルさんは、もっとも聞きたかったことを切り出しました。
ミッチェル「お父さんとして、どうやって俺の息子を手伝うことができますか?どうすればいいですか?俺の自閉症の息子に」
東田「僕はそのままで十分だと思います。お子さんもお父さんのことが大好きで、そのままで十分だと思っているはずだからです。終わり。」


そりゃ、親として悩むよねぇ。
どうして欲しいの?とか聞いてもなかなか答えを引き出すこともできないだろうし。
何かもっとやった方がいいことがあるんじゃないか?とか、常に不安になるよねぇ。

(東田さん)
自閉症のお子さんに父親として何をしてあげればいいかと僕に質問されました。
僕はそのままで十分だとお答えしました。
子供が望んでいるのは、親の笑顔だからです。
僕のために誰も犠牲になっていないと子ども時代の僕に思わせてくれたのが、僕の家族のすごいところです。


なぜ、重度の自閉症である直樹さんがこれだけ豊かな表現力を持っているのか研究者も関心を寄せています。
精神科医の杉山登志郎医師登場。
杉山登志郎医は40年近く自閉症の研究に取り組んできました。
実際に直樹さんとコミュニケーションを取り診断します。
その結果、直樹さんは感情は豊かに発達しているものの、何らかの原因でそれが言葉に結びつかない、「言語失行」という状態ではないかと診断しました。
杉山医師は、その原因を探るために脳の状態を調べるMRI検査を行いたいと申し出ました。

で、杉山医師と東田さんがやり取りをして、最終的にはMRIを受けることを決定。
後日MRI検査が行われました。
脳神経の結び付きと、脳の部分ごとの体積を調べます。
密閉した空間に40分間閉じ込められるこの検査は、直樹さんには過酷なものです。
睡眠薬を服用して検査に臨みました。
検査結果から直樹さんの症状を解明する手がかりが得られました。
異常が見られたのは弓状束(きゅうじょうそく)という神経線維の集まりです。
弓状束は言葉を話す役目を担うブローカ野と、言語を理解するウェルニッケ野をつないでいます。
その伝達がうまく機能していない事が会話のできない原因と考えられます。
もう一つ分かったことがあります。
他人の意図を読み取る右脳の一部分の体積が健常者よりも大きかったのです。
直樹さんの豊かな表現力と結びついている可能性があります。
これは自閉症者は、脳のある部分が機能していない分だけ、それを補おうとほかの部分が発達する可能性があることを示していると杉山医師は考えています。
杉山医師「ハンディキャップがあるところには、その代償のための脳をうんと発達させた部分がある訳ですよね。で、我々は今までマイナスの部分に目を留める事が多かったんですね。でもそうじゃなくて、むしろこれだけ自閉症グループというか、自閉症スペクトラム(アスペルガー症候群など症状が軽いものを含めた自閉症の概念)が広がりがあるということが分かっている以上、この代償的に伸びているところはどこなんだろうという、それを注目をすることがこれからの療育の中心になると思います。その子の脳が喜ぶ事をやってやればいいんですね。それが一番、自閉症の子を伸ばしていく道になると思います。」


この後、番組は海外に住んでいる自閉症の人たちや、その家族の話を展開。
本によって救われたっていうことで。

アメリカの医療機関からの講演の依頼に応じて渡米をした東田さん。
講演はあらかじめ作成された文章を東田さんが日本語で読み上げ、それを英訳したものがスクリーンに映し出されるっていう形式で進行するのだが、東田さんの言葉がどうも読み上げるのに追いついていないというか、ちょっと説明がうまくできないんだけど「口が動く速度が、言おうとしている内容(文字数)に全く追いついていない」感じがした。

アイルランドの作家ミッチェルさんは、日本で直樹さんと会った際に、一つの約束をしていました。
自閉症についての本を一緒に書くことでした。
1年間メールを交わしながら、自閉症の直樹さんしか持ちえない感性を引き出し、自分と同じ立場にある人に、希望をもたらす本にするつもりです。
この日、ミッチェルさんは直樹さんに向けて、「人生の成功とは何だろう?」と問いかけました。
ミッチェル「私の成功は息子が障害を乗り越えられた時だ。とても誇り高く幸せな気分にしてくれる。例えば息子が『オレンジジュースをください』と言えた時だ。あるいは息子が靴箱に靴をきれいにそろえて入れられた時だ。私はそれを成功だと思う。誇りと喜びが波のように押し寄せるのを感じる。」
東田「成功からほど遠いように見える人の瞳にもきっと、美しい山が映っています。僕は、自分の言葉を世界中の人に届けられた幸運に感謝し、さらに高い山の頂上を目指すつもりです。」


ミッチェルさんが考える「成功」ってのは、健常者がやってるようなことができるようになることなのかねぇ?

東田「自由の女神を見たときに自分もこんなふうに空に向かってまっすぐに生きて行きたいと思いました。終わり。」

自閉症の君が教えてくれたこと。
それは、世界を見つめる曇りのない目でした。


はいはい。美しいお話でしたねぇ。
別に今回の内容がそんなに悪かったとは思っていないんだけど、「障害者は全員心が美しい」みたいに思っている人たち大喜び!って印象を受けた。

子供が障害者でも、親の側の状況っていろいろなんだよね。
特に発達障害は親自身も同じ障害を持っている可能性が大だったり。
重度の自閉症なんかだと、親がどんなに認めたくない!って思ったところでどうにもならんだろうけど、「自閉スペクトラム症」(今後はこう呼んでください!無意味だけど)なんかだと「障害なんてない!」って言い張ることも可能だからな。
実際、私だって「ガッツリ障害者」っていう結果を前に「それでも健常者として生活していきます」っていう選択肢はあったワケで。
間違いなく生まれつき障害者でしたってことが判明してもなお、障害者じゃないことにして生きることもできるっていうのもどうかって気はするんだけど。
日本の場合は特に「障害者として生きる」ってことに対してデメリットの部分がデカ過ぎるから、受け入れなくても済めば受け入れない方が得じゃん!ってことかな。

子供が自閉症で、東田さんの本を読んで改善をしようとして、っていうのはいいことだと思うけど、親の側に余裕がなくて、それが金銭的なことだったりすることもあるだろうし、夫婦仲がいいとは限らないどころか、障害児が生まれてきた時点で、それ自体が争いの元になりえるワケだし。
障害者に対するサポートだけじゃなく、障害者の親に対するサポートってのも必要だよねぇ。
頑張れ!って言うだけじゃなくてさ。


8月18日 追記

別記事を立てるほどでもないと思うので。
東田さん関連の文章がcakesにも掲載されていたのでリンクを貼っておきます。

「壊れたロボット」のような身体と対峙しながら――二十歳の自閉症作家・東田直樹インタビュー|跳びはねる思考――21歳の自閉症作家が見た世界|東田直樹|cakes(ケイクス)


自閉症者の困難も、家族の愛情も、国が違っても変わらない。――東田直樹特別インタビュー|跳びはねる思考――21歳の自閉症作家が見た世界|東田直樹|cakes(ケイクス)

posted by ひと at 13:34| Comment(4) | TrackBack(0) | 発達障害 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年07月15日

新しい障害者手帳は性別がなくなりました

名古屋あたりで、障害者手帳に性別を抹消するハンコが押されまくっているみたいなウワサは聞いていた。
横浜が行政としてどうするのかっていう話は耳に入ってこなかったし、今、調べてみたけど横浜市からのお知らせみたいなのは発見できなかった(どこかにあるのかも知れないけど)。

「精神障害者手帳」から性別欄削除…厚労省方針

こういう事情だそうですが。
で、私が持っていた障害者手帳には、ガッツリ性別が書いてあった。
んで、先日手帳の更新手続きに行きましたら窓口で「今の手帳を引き継ぐこともできます」って言われた。
で、引き継がずに新規で作ると、写真(私の顔が写ったヤツね)が新しくなって性別が表示されなくなるとのこと。
写真が気に喰わなかったのと、性別が無い方がいい(この件に関してはいずれご紹介することになると思う)ので、新しいのを作っていただくことに。
「それって俺たちの血税を余計に使うってことか!」とお怒りのアナタ!
その通りです!

DSCN6734.JPG

左側が今までのヤツ。
右側が新規のヤツ。
性別がサックリ無くなっております。
市営交通のパスもどうにかしてくんないかな〜。
名前が名前だからどうにもならんのだけど。
改名しないとダメかな。

発達障害に気づかない大人たち (祥伝社新書 190)



posted by ひと at 21:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 発達障害 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年07月06日

ADOSの結果

とっくにブログには書いているものと思っていたけど、どうやら忘れていたらしい。

発達障害の検査の種類はいろいろあるのだが、一般的に病院で診断に使うのはWAISと言うヤツ。
それは私も受けて、きっちり「障害者」ってことで診断が出たワケです。
で、それはあくまで「障害があるかどうか」(要するに障害者手帳の交付対象になるかどうか)っていうことの判断の為にやるワケで、他にADOSという検査もあります。
これは普通の病院なんかではまず受けることができないらしい。
それを幸運にも受けることができました。

アメリカから来た検査(鬱病のでもなんでも、この手のやつって基本アメリカのヤツ)なので、絵本などを使いますが、アメリカで使っているヤツをそのまま日本語の紙を貼りつけて流用みたいな。
検査の詳細は書かないでおきます。

結果は数字だけでした。
一応説明はしてくれるけど、よくわかりませんでした。

コミュニケーション 4点
社会的なやりとり 10点
  合計 14点
(想像力1点・こだわりの強さ0点)


記憶が定かじゃないけど、コミュニケーションは定型発達者だと2点ぐらいらしい。
社会的なやりとりは6点ぐらいって言ったかな。
どっちもマトモな人の倍ぐらいだから、とってもいい結果ね♪
想像力ってのが、高いといいのか低いといいのかは不明。
もっと結果の意味みたいなのを詳しく知りたかったんだけど。

posted by ひと at 11:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 発達障害 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年06月29日

ハートネットTV シリーズ 選ばれる命 第3回 誰が決める?命の価値

第3回 誰が決める?命の価値
ハートネットTV:2014年6月5日の放送詳細 - NHK福祉ポータル ハートネット

出生前検査の先進国、アメリカ。
「命の選別」はビジネスとして急成長しています。
この検査会社は、世界60か国にマーケットを広げています。
現在行っている血液検査では、10の染色体の異常の可能性を調べることができます。

この会社のCEOは「早く白黒つくんだからいいだろう?」みたいな感じです。

日本の話。
出生前検査を受けた上で出産をした人。
障害があると分かった場合は、中絶も考えていました。
検査をして「問題ないですよ」ってことだったから産んだワケですが、その「問題ない」ハズの子供が実は自閉症で・・・。
障害を持っている子供を育てるのは自分にとってどうか(精神的なことだけじゃなく、経済的にとか体力的にとかいろいろあると思う)ってことを考えた結果「障害を持った子供は産まない」っていう決断をした人だったワケです。
で、障害のない子供だと思って産んだら実際には障害児だったワケで・・・。
自閉症ってわかって、あ、そういえば検査受けたよなって思いだした時に、ああ、私は何をやってるんだろうっていうのが、強くて。
そりゃあ、そう思うよねぇ・・・。
悩んで決断しただろうに、あんだけ悩んだのって何だったの?だよねぇ。
このように「出生前検査」はどの障害にも万能ってことではなく。
ダウン症の子供を産むことは避けられても、私のような発達障害を持っている子供は生まれてきちゃうんですよ!

一方で、出生前検査を必要とする母親は多いと語るのは、日本で検査の普及に努めてきた第一人者、名古屋市立大学名誉教授の鈴森薫さんです。
鈴森さんは、ダウン症の子どもを産んだ、ある母親のことが忘れられないと言います。

この先生の患者さん。
最初の子供はダウン症。
次の子供は健常児をってことで、検査を受けて、無事に正常な子供を出産。
私も60になりまして、やっとダウン症の子どもが、養護施設、介護施設に入る事になります。
これから、私の人生が始まるような気がしますという手紙が参りました。

このお母さんは60歳になるまで自分の人生が始まってない状態だったってことで。
ダウン症の子供のことで、何十年も大変な苦労をされたんでしょう。
今はどうか知らないけど、昔であればあるほど障害に対するサポートは手薄だしな。

私が子供の頃に住んでいたところにもダウン症の人がいた。
普通の両親、兄、そしてダウン症の女の子。
両親も会ったことがあるけど、まともそうというか普通の感じの人だし、ちゃんとしたところにお勤めで。
お兄さんも社名は伏せておくけど、十分な給料が貰えるだろうなぁ〜って感じのところにお勤めで。
でもね、お兄さんはいつまでたっても独身でした。
本人に訊いたワケじゃないから、本当のことは不明だけど、私を含めて周辺の人はみんな原因は「ダウン症の妹」だと思っていた。
その当時はまだご両親も高齢じゃなかったけど、高齢になったり亡くなったりした後、誰が面倒を見るのか?
普通に考えたら兄弟がいるならそっちに行くよねぇ・・・。
親は「大丈夫だ。施設に入れるとかなんとかする」みたいに言うだろう。
ダウン症だろうがダウン症じゃなかろうが、子供には幸せになって欲しいだろうから。
でも「結婚相手」はそうは考えないからね。
テレビなんかでダウン症の人が出てきて、何か素晴らしい才能を発揮して見せたりして「ほら!ダウン症でもこんなに幸せ!」みたいなのが目につくけど、そういうパターンばっかりじゃないぞと。
それはダウン症に限らず「障害者」っていうもの全般に言えることだけど。

アメリカでは、受精卵の段階で、子どもの性別などを選択する技術も、普及し始めています。
最初は自然に妊娠することが難しい人の為に始まった人工授精が、どんな子供を産むか(性別だの髪の色だの)を選択するっていう目的で盛んにおこなわれるようになりましたとさ。ってことで。
健康で幸せで、自閉症もがんもダウン症もない子どもが持てるとしたら、それを選ばない人がいるでしょうか。
正論ですね。
私も今からでも「健康で幸せで、自閉症もがんもダウン症もない」人間になりたいです。
今は「不健康で不幸で発達障害がある」からな!(激怒

NHK白熱教室でおなじみのハーバード大学、マイケル・サンデル教授。
車を買う時みたいな気分で子供を産むな!
無償の愛が無くなるだろ!
ってことで。
しかし、生まれてくる子どもの特性をコントロールし、選択する事にもし我々が慣れてしまったら、全てを意のままに操作するという傾向に拍車をかける事になります。
そうなれば人と人との連帯感が失われるばかりか、道徳的意識も損なわれてしまいます。
自分とは少しでも異なる人を許容しなくなり、つながりが希薄で生きづらい社会を我々自身が作り出す事になるのです。

そうだねぇ・・・。
障害がある人が更に少数派になったら、今だって大変なのに更に肩身が狭い思いをすることになるだろうねぇ。
で、健常者って生き物は「自分が明日にも障害者になるかも知れない」っていう事実を忘れている生物のようなので、自分で自分の首を絞めかねないことをしようとしているのに気付かないんだよねぇ。


第4回 反響編ってのが放送されたようだが、見ていないので再放送(7月2日)を見てみようと思う。
「番組に寄せられたご意見を受けての反響編」だそうです。

posted by ひと at 14:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 発達障害 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ハートネットTV シリーズ 選ばれる命 第2回 出産・母親たちの苦悩

第2回 出産・母親たちの苦悩
ハートネットTV:2014年6月4日の放送詳細 - NHK福祉ポータル ハートネット

4月、来日したイタリア人女性の話を聞こうと、多くの人々が会場を埋め尽くしました。
シモーナ・スパラコさん。35歳の作家です。3年前、おなかの中の子どもを亡くした経験から、一冊の小説を書き上げました。

誰も知らないわたしたちのこと



出生前検査で胎児に重度の障害があると告げられた主人公が、苦悩の末、人工妊娠中絶を決断。その葛藤と孤独感が綴られています。

日本で地道に活動をしている人が紹介される。
誰にも打ち明けられない会員たちの思いをボランティアで一身に受け止めているのが、藤本佳代子さんです。自らもおなかの子を失った事がきっかけでこのサイトを開設。悩みを抱える女性たちの相談に応じるようになりました。
出生前診断の告知のあり方と自己決定の支援を考える【泣いて笑って】
日本ではこういうのはボランティア頼みってことですね。
で、ボランティアじゃなく、国の制度としてやっているのがドイツ。

ドイツでは妊娠葛藤相談所と呼ばれる相談機関を全国1500か所に設置しています。
ここでは、妊婦とその家族が専門の相談員のカウンセリングを無料で何度でも受ける事ができます。

突然「ダウン症の可能性が〜」とか告知されても、何をどう判断したらいいかなんてわからんし、産んだ場合、どういうサポートが受けられるとか、カネの負担がとか、実際にどういう問題が発生するかとか何の情報もない状況で、しかも堕ろせる期間ってのは限られていて・・・。
かなりのショック状態で冷静に判断して決めろってのは無理な話です。
しかも、ダンナが真剣に考えてくれないって状況もアリアリでしょう。

次に登場するのはアメリカ。
ダウン症協会ってのがあって、医師なんかとも連携していろいろ活動している。
サポート体制としては途上だそうだ。

posted by ひと at 14:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 発達障害 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ハートネットTV シリーズ 選ばれる命 第1回 問われる出生前検査

※内容的に発達障害とは関わり合いがほとんどありませんが、カテゴリは「発達障害」に入れています。

Eテレで「ハートネットTV シリーズ 選ばれる命」っていう番組を何回かに分けて放送していて、たまたまそのうちの何回かをところどころ見たワケです。
ちゃんと全部見たいなぁって思っていたところ、
シリーズ 選ばれる命 (1)、(2)、(3)一挙アンコール放送
ってのがありまして、全部見ることができました。

私は「親」という目線とか立場から見ることはできない。
で、どういう立場で見ているかっていうと「『生まれてくるんじゃなかった』って今でも思っている、障害を持って生まれてきた子供」っていうことで。


第1回 問われる出生前検査
ハートネットTV:2014年6月3日の放送詳細 - NHK福祉ポータル ハートネット

2013年4月から始まった新しい出生前検査。
わずかな血液を採取するだけで、胎児の病気を調べる事ができます。
費用は20万円ほどかかりますが、1年間で8,000人が検査を受けました。


番組ではまずイギリスでの事例を紹介。
イギリスでは、障害のある子供を普通の学校に通学させているようなのだが、各クラスに担任の他に障害児をサポートする専門の教師が配置されている。
そのぐらいのことをせんと、健常児までかき乱されて授業にならないだろうな。
でも予算はかかりそう。
こうして普通学校に通う事で、障害児たちはいち早く社会へ順応できます。
うん。重要だね。
作業所にいた発達障害の人で、頭は悪くなさそうなのに「世間一般のこと」っつーか、普通の人なら知っているような知識が抜けている人がいたんで。
あれは、本人が困るだろうな。って思った。
何でも知ってればいいってもんでもないけど、学校とかで習う以外のことで、別段誰かから教えてもらう経験もなく身に付けていることって、すごく多いと思うんだよね。
どんな障害でもってことではないけど、最終的には社会の中で生きて行かなきゃいけないワケで、その時に「普通のこと」がわかるかわからんかっていうのって、すごく重要かと思う。

こういう支援をやるにはすげーカネがかかるのでイギリスは困っちゃったな〜って状況に。
で、どうしたかっていうと
イギリス政府は、出生前検査を積極的に導入する事にしました。
検査が無料ですよ!
検査の結果を受けて、中絶を選択する人は9割を超えています。
その一方で、胎児に障害があっても産む決断をした人には、手厚い支援を行っています。

検査無料だから障害児は全員殺せ!ってことではなく、よく考えた結果産むっていう決断をしたらしたで、ちゃんとサポートしますよ。ってことですね。

イギリスのダウン症の大人も登場。
この人は週に五日働いているし、一人暮らしをしている。
んで、家賃は全額国の補助金!
日本みたいに障害年金だけっていうようなことじゃないんだな。
どういうシステムなのかがわからんけど。
炊事、洗濯・・・、身の回りの事は一人でこなしています。
最初は何もできませんでしたが、専門のヘルパー(自立支援員)が訪問し、教えてくれました。
今でも週に4回やって来て、苦手な事を克服できるようサポートしています。

身の周りのことができにくいってのはダウン症だけじゃなく、発達障害者でもそういう人が多いみたいだけど、日本ではサポート体制はほとんどないよねぇ・・・。
一応デイケアとやらがあったと思うけど、なかなか使えるもんじゃあないよねぇ。

次に日本の現状。

障害児を親が育てきれなくなって、行き場がなくなった子供は児童養護施設へ。
今までだって児童養護施設って結構運営が大変だったみたいだけど、収容される障害児の数が増えまくりで、更に大変な状況に。

障害児を受け入れている里親。
61歳と65歳の夫婦。
岩木さん夫婦は、ともき君の里親になる前にも障害のある子どもを里子として引き受け、育てた経験がありました。
そんな夫婦のもとに、再び児童相談所から、里親になってほしいという連絡が入りました。
夫婦は悩みました。

健常児だって体力的にも精神的にも育てるのは大変なのに、更に障害を持っているっていうことになると、更に大変。
年齢的に体力とか気力とかどうなんだろう?って考えちゃうよねぇ・・・。


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2014年06月07日

アイデンティティーが崩壊すると夢を見なくなる件

私自身にも何がどうなっているのかがよくわからないし、そもそも自分の感情みたいなものって定型発達者みたいに把握できるもんじゃないから、説明のしようもない感じだけど、とりあえずできる限り説明してみる。

一週間ほどおかしかった。
「オマエは常におかしいだろ?」とお思いかも知れないし、実際そうだけど。
そういう普段のおかしい状態とは違う感じにおかしかったので。

一日中眠いのだ。
まあ、そういうことってたまにあるんだけど、夜も普通に寝て、昼間も眠くて起きていられない(いつも以上に眠気がひどかった)状態で、何時間も寝るんだけど、夜もやっぱり普通に寝る。
一番「おかしい」って感じたのは、夢を見ないこと。
いつもなら朝起きて、内容は覚えていなくても「夢は見たな」っていう記憶は薄っすらあったりするものだ。
昼寝に至っては、夢を見るのが目的か?ってぐらい、夢を見まくるのが私の場合は普通だった。
それが、夜はもちろん、昼も夢を見ない。
それだけ深く寝ていることでは?とお思いかも知れないが、夜も何度も目を覚ましては寝るっていうのを朝まで繰り返しているので、深く寝ているとは思えない。

同時期に更におかしいことが。
喰えないのだ。
正確に言うと「何を喰ったらいいのかを考えることができない」っていう。
食欲がないっていうことは私の場合はまずないし、実際食欲が落ちたということは全くない。
胃が悪いワケでもないし。
でも、何を食べるかを考え切れずに「出かける用事があって忙しいから食事のことは考えなくていいか」みたいな感じになって、一日二食の生活をしているのに、気づくと一日一食になったり。
さすがにちょっとまずいかな?って感じがしたので、それなりに食べるようには心掛けたけど。

私は発達障害の診断が出て以来、アイデンティティーが崩壊したような状態になっている。
今まで土台としてきたものが全部否定されてしまって、新しい土台の上に新しい人格を構築する必要性が発生したが、年齢的なものもあって、それが全くできていない。
このままずっとこういう状態か・・・って思っていたが、私の意志みたいなものとは無関係に、私の脳なのかなんなのかわからんけど、ソイツは新しい人格みたいなものを構築しようとしているらしい。
危機的状況化に於いてはアイデンティティーみたいなものは無い方がいいらしいけど、日常生活ってものはそういうのがないと非常にキビシイ。
自分の現状が「アイデンティティーの崩壊が更に進んでいる途上」なのか「崩壊の底」なのか「再構築の途上」なのかは全くわからなくて、何か変化が起こっているらしいことしかわからん。
今はサナギの中味みたいにドロドロな状態で、時間が経つと中から大きくて美しい蝶が・・・ではなく、貧相な蛾とかが出てくるかな?って思うけど。

人格レベルでは「生まれたて」みたいな状態かと思うけど、オノレの肉体がすでに老いてきている事実に感覚的についていけないっていう変な感じにもなってきている。
もともと今の日本の社会では若ければ若いほど価値が高いっていうイカレた考え方が主流なので、老いを受け入れるっていうのがそもそも困難ではあるが。
アンケートなんかに年齢を入れる時に、一瞬混乱する。
今までこんなことはなかったのに。
自分の年齢は記憶しているが、実際にそれを入力しようとして「あれ?そんなに長いこと生きてたっけ?」みたいな変な感じに。

発達障害の診断って、結果の告知と就労支援(他は二次障害の治療とか)ぐらいで、精神的なサポートってないからな。
実は精神的なサポートが最も必要なんじゃないかと思うけど。
「大人だから放置の方向で」ってことになっているのかも知れないけど、むしろトシを喰っていれば喰っているほどキツイと思うのだ。
それだけ手厚いサポートが必要だろうとは思うけど、こういう状態になっている人の絶対数が少ないだろうから、サポートのやり方みたいなものも用意できないんだろうな。




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2014年05月28日

一緒にいてもひとり―アスペルガーの結婚がうまくいくために

一緒にいてもひとり―アスペルガーの結婚がうまくいくために



以前読んだアスペルガーと定型を共に生きる: 危機から生還した夫婦の対話という本の中で紹介されていたので読んでみた。

外国の人たちの話なので、日本人に当てはまる内容ばかりではないだろうなと思いつつ読んでみたけど、アスペルガーの人を配偶者に持つ人だけでなく、知り合いとか職場にアスペルガーの人がいるっていう人に読んでもらうと、理解を深めるのに役立つ本かな?って思った。
ただ、一部私には理解ができなかった部分と、絶対に許せない部分があったワケだけど。

 今ならギャビン(著者の夫でアスペルガー症候群)は短期記憶より長期記憶のほうが数段優れていると知っています。彼は日常のことより事実や情報を記憶するほうがずっと優れています。これはAS(アスペルガー症候群のこと)の人にはよくあることのようです。株式市場のことなら完璧に頭に入っているのに、スーパーマーケットでの買い物は三つ以上になるとリストが必要というのはこっけいです。(42〜43頁)

私も短期記憶はものすごくダメだね。
特に耳から入った情報は全く記憶しておくことができないから、電話から必要な情報を得るっていうのは絶望的だ。
でも、円周率は何十桁も覚えていたりする。
スーパーで買い物をする時に、私も「三つ以上になるとリストが必要」どころか三つでもあやしいので、毎回メールで自分の携帯にリストを転送しているけど、普通の人って三つ以上でもリストなしでちゃんと買えるのか。
すげぇな!
スーパーマンみたいだね!!!

 思いやりのある聞き手であるには、興味をもっていなくてはなりません。言い換えれば、相手の目を見なくてはなりません。話を理解していることを確かめるために私たちは相手の目を見ます。相手がよそ見をしていたら、聴いていないと思います。ASの人は違います。アイコンタクトは気をそらすので、話に集中するためにアイコンタクトを避けようとします。(61頁)

私も長年の学習で、話を聞く時には相手の顔の方に視線を向けなきゃいけないっていうことは理解している。
だから通常、定型発達者と話をする時には意識的に相手の目を見てぇ〜ちょっと視線を下げてぇ〜みたいなのをやっているのだが、これは非常に「無駄にエネルギーを使う」行為なので、話に集中する妨げになる。
つまり、私が相手から見て「すごく熱心に話を聞いている」っていう状態の時っていうのは、実は私は全く熱心に聞いていない(聞くことができない)状態にあるという。
一番話に集中できる聞き方は、相手の方を全く見ないし相槌も打たないみたいなやり方かな。
そんなことをしたら、話をしている人の方は「この人、私の話を聞く気がないのかな?」って思っちゃうだろうけど。

 人の中にいると、ぼくはいつもスペシャルゲストとして招待された観客のような気がする。いつ自分が話せばいいのか、話すことを期待されているのか、まったくわからない。ほかの人はみんなリラックスしてくつろいでいるのに、ぼくは、いつ自分に何か言う番が回ってくるかを考えている。みんなそんなことで悩んでいないようだ。それどころか、安心しきってしゃべっている。会話の流れはリズムにのっている。ちょっとしゃべって、ちょっとクスクス笑って、また話すという具合だ。ぼくにはその流れがつかめない。(71頁)

うん。
そんな感じだね。
他人と一緒にいる時って、常にかなりの緊張状態でいなきゃイカン。
そうじゃないと、とっさに挨拶をするとか礼を言うとかってことも全くできないからね。
優しい人が「無理をしなくていいよ」って言ってくれたことがあるけど、無理をしないと普通に会話が成立しないから!

私と違い、彼は自分の身体に聞いてみるということをしません。言い換えれば、自分の身体がどういっているか聞こえないのです。(115頁)

普通の人みたいに、私も自分の身体の状態に敏感に気付く能力があれば、どんなにいいか!とは思うけど、生まれつきのことだからな・・・。

142ページから、かなり長く「エネルギー理論」というものに関して書かれている。
このあたりは、私にはよくわからなかった。
確かに自分で自分の「エネルギーが少ない状態にある」っていうのは、なんとなく感じ取れたりするけど、それを他人から奪い取るみたいなのが、経験がないのか、意識化できないのか、とにかくわからない。

 人はさまざまなことからエネルギーを得ます。ASの人の場合、誉め言葉、彼らがしてくれた仕事への感謝、特別な関心事についての会話、趣味を楽しむように励まされることが一番効果的なようです。(154〜155頁)

これは国民性なのかな?
単に私が変わっているのか?
後半の「特別な関心事についての会話」「趣味を楽しむように励まされること」に関しては、経験がないのか、それをされていても私が気づく能力に欠けるのか、そうされた記憶がないので何とも言えないんだけど、前半の「誉め言葉」「彼らがしてくれた仕事への感謝」は、私を不快にするだけなんだけどな。
誉められた時、誉められたということをすぐに理解して、その状況にふさわしい応対(愛想笑いをして「ありがとうございます」と言う等)をしなければ、相手を不快にさせると考えているので、必死にそういう状況での「最適解」を求めて頭をフル活動だし、仕事で感謝なんかされても今まで一度もうれしいと思ったことはないので(不快に思ったことはある)、何もよいことはない。

 家族という単位は、自信を得られる場所であり、支援を受けられる場所です。リラックスできて安全を感じられる場所です。(162頁)

これは理想論を言っているのか、一般論なのか?
私は今までそういう内容の「家族」を経験したことはない。
自信を失わされる場所だったし、支援は受けられないし、常にリラックスはできず、不安な場所でしかなかったのだが。

診断を受ける前に、ASであることはけっして不完全を意味しないと肝に銘じておく必要があります。不完全どころか、ASの人の脳は定型発達(普通)の人より進んでいる、進化していることをさまざまな記事が示しています。ベートーベン、モーツァルト、ヴァン・ゴッホ、ミケランジェロ、オーウェル、ダーウィンのような天才たちはASだったらしいという事実を見逃すことはできません。(178頁)

この本は全体によい本だと思うが、この部分だけは許せない。
アスペルガー症候群の中には、ごくまれに天才も存在する。
でも、それは本当に一部だけで、大部分は何の才能もないし、一般に誤解されているように「よく勉強ができる」という人ばかりではない。
この本の中に登場するアスペルガー者は、とても運動神経もいいし、頭もいいようなんだけど、もちろんそういう人ばかりではないので、そのあたりのことを誤解せずに読んでもらいたいなと思う。

この本に登場するアスペルガー者である「ギャビン」は私よりも私の母に近いなと思った。
母は未診断ではあるが、多分発達障害だろう。
私を含めてたいていの発達障害者は運動神経がにぶいのだが、私の母は勉強も運動もよくできたそうだ。
本人がそう言っているだけだから、事実かどうかは不明だが。
母は、私が勉強も運動も全然できないっていうことが、どういうことなのかよく理解できていないようだった。
生まれつきの能力で、できないものはできないのだが。
一番母と似ていると思ったのは「ギャビン」が決して謝るということをしないこと。
母も謝るっていうことができない人だった。
自分には一切非がないっていう態度しか取らなかった。
「ギャビン」は謝るっていうのは自分が負けを認めるっていうことだから、絶対にしたくなかったみたいだけど、母もそうなのかな。
自分は完璧だ!みたいな思い込みで生きているっていうことか。

世の中には「夫がアスペルガー」っていう人は大勢いるようだ。
でも、本人が認めないことには、一方の努力だけでは限界があるし、共に生活していくっていのは難しいだろうな。
でも、自分が困っていなかったり、困っていても「相手に100%非がある」って思っている人に「自分はアスペルガーだ」っていう考えを受け入れてもらうのは難しいだろうな。
この本は、そういう状況の当事者に読ませても、あまり役には立たないかも知れない。
そもそも読もうともしないか。

巻末に「役に立つ情報源」っていうのも掲載されているけど、英語圏のものばかりなので、英語が全く読めない(中学生レベルのものすら無理)なので、私には役に立たない。
まだまだ日本では支援が不十分だし、「空気を読む」ことが必須とされている文化があるので、発達障害者には非常に生きづらい状況だけど、海外ではいろいろと進んでいるようだ。
日本も早くそうなって欲しい・・・って思っていないワケじゃないけど、そうなったところで、すでにかなりの年齢に達している私にとっては手遅れでしかないよな。


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2014年05月11日

アスペルガーと定型を共に生きる: 危機から生還した夫婦の対話

アスペルガーと定型を共に生きる: 危機から生還した夫婦の対話



時々拝見しているブログの主の本のようなので、読んでみた。
アスペルガーの人で結婚している人って、たまにテレビ番組の中でチラリと紹介されたりはするけど、本の内容まるごと一冊!ってのは珍しいなと。
アスペルガーのことに知識の無い人にでも読みやすい内容だと思うし、今結婚している人や、これから結婚を考えている人で、どちらもアスペルガーじゃない人にも、何かと参考になる部分ってあるんじゃないかと思う。

定型発達者で特に女の人は、無意識のうちにかなり遠回しな言い方をしている。
定型発達者同士だと、むしろそういう言い方をしないと「無神経な人」「ずけずけ言う人」みたいなレッテルを貼られかねないので、日常的にそういう状況を回避するような言動をするワケだけど。
そういうのって発達障害者には伝わらないんだよね・・・ってのが、この本には具体的にいろいろな事例が登場する。
定型発達者の側には、ちょっとだけ「自分は日頃、発達障害者には理解しにくい遠回しな言い方をしている」っていう認識を持ってもらえるとありがたいかなと思う。

この本に登場するアスペルガー者であるご主人は子供の頃から非常に勉強ができる方だったというのが読んでいるとわかるが、大丈夫だとは思うけど一応誤解のないように言っておきます。
アスペルガーでも、勉強ができたり知能が高かったりしない人もいます(私みたいに)。
アスペルガーの人は優秀で何か才能があるっていう方向でマスメディアが煽っているので、今後もしつこく、このことは訴えていこうと思います。

1章にまず「離婚をめぐる二人の手紙」が紹介される。
アスペルガーであるご主人が書いた手紙と、定型発達者である奥様が書いた手紙を読み比べると、笑ってはいけない状況だけど(内容は非常に深刻なものなので)ついつい笑ってしまいそうになるぐらいの違いがある。
ご主人の手紙は「いかにもアスペルガーの人が書きそう」な感じで、一方の奥様の手紙は「いかにも定型発達者が書きそう」というふうに感じた。

伸 夫 教員になるんだったら、「あ、なりたい」じゃなくて「なろうかな」って感じなんですよね。すごく失礼な話なんですけれど。特に、国語の教員が中学の時すごいハズレで、ずっと思ってました。「この人が教えるぐらいだったら、教えてもらわない方がいい」と。
パンダ 「国語の先生がとってもすばらしかったから自分も国語の先生になろうと思った話はしばしば聞くと思うんだけれど…。
伸 夫 正反対、正反対。
パンダ あの人がやるぐらいだったら、自分の方がいいということですか?
伸 夫 はい、まさにそうです。
(35〜36頁)

私は以前、簿記の講師になろうかな。と思ったことがあった。
日商二級の授業を担当されていた先生が、商業高校で長年教壇に立たれていた「この道一筋」の大ベテランの先生で、それはそれはすばらしく・・・ヒドい授業で。
「私の方がもっと上手に教えられる」と思った。

大学で産業カウンセラーのコースを受講したのも、自分自身が心療内科のカウンセラーにボロボロにされて「これなら自分でもできるな」と思ったから。

こういう考え方をするのって、アスペルガーにありがちなのか、むしろ少数派なのかは不明だけど、私としては、このあたりの話は非常に共感できた。

一緒にいてもひとり―アスペルガーの結婚がうまくいくために



お二人の関係がかなりこじれていた時に読んだ本だそうで、この本からはかなり得るものがあったようだ。
私はまだ読んでいない本なので、早速読んでみたいと思う。
この本は結婚した相手がアスペルガーだったっていう内容らしい。

(聞き手のパンダさん)が東山ご夫妻と最初に出会ったのは、ネットで見つけた「配偶者の会:井戸端掲示板」という、配偶者がアスペルガーの方たちが情報交換したり、悩みを語り合ったりする場でのことでした。(189頁)

私自身、結婚をしたことはあるけど、すぐにうまくいかなくなってしまったし、最近は定型発達者でさえ結婚ってのが難しいようだから「アスペルガーの人で結婚している人は少数派」みたいな考えを持っていた。
だから、こういう掲示板があるなんて考えてもみなかった。
mixiのコミュでもアスペルガー(未診断)のご主人と子育てでボロボロになっている人の書き込みなんかを見かけたりしたが、こういう掲示板があるって知っていたらよかったんだけど知らなかったからな。

本の中で「聞き手」として登場する「パンダ」さんのブログ(ご自身も配偶者がアスペルガー)アスペと定型も是非読んでみたい。

お互いがお互いの「違い」をしっかり理解すること、そして「違う者どうし」として、あらためてどんな関係を結べるかを考えること、そういうことを考えていきたいブログです。(193頁)

私はこの先、結婚することもないと思うし、年齢的に子供を持つこともあり得ないから、よくも悪くも「結婚生活を続ける上での苦しみ」みたいなものは二度と経験しないと思うけど、それがいいのか悪いのかはよくわからないし、やっぱり発達障害を持っている人が、私のように一生一人で生きていくっていうのはかなり難しいことだから、まだ若い発達障害者には、この本を参考にしつつ結婚には前向きに考えて欲しいかなと思う。

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2014年04月05日

自分以外の障害者に対する認識

数年前、手話の授業で「今まで障害者と関わり合ったことがありますか」みたいな質問があったのだ。
当時、私は自分で自分が障害者じゃないかという疑いは持っていたけど、まだ診断前だったものだから、自分は除外して考えるとして・・・
で、ちょっと考えて「いない」って思ったのだ。
近所に住んでたじゃん!ってのに気付くのには、結構時間がかかった。
記憶力がないとか忘れっぽいからってことも関係があるのかも知れないけど、私はどうやら「障害者」を「障害者」として見ていないらしいってことが判明。
定型発達者にはあって、自分には存在しない感情とか感覚があるけど、これもその一つかも知れない。

近所に何人か住んでいた「障害者」の一人に耳の聞こえない人がいた。
普通に考えれば、この人は「聴覚障害者」なワケです。
でも、どうやら私の中には「障害者」っていう概念がないので(一応どういうものかを言葉で説明したりはできるけど、感覚的に認識できていないらしい)、その人は「耳の聞こえない人」以上でも以下でもないという。
「背の高い人」「走るのが速い人」「手先が器用な人」「勉強ができる人」なんていうのと同列っていうことで。
この説明でわかるかな?
わからんかも知れん。

このように他人の「障害者」に対しても偏見以前の感情が持てていないので、自分が障害者になったところで屁でもないという。
これが、障害者に対する偏見があるってところまで行かないまでも「他とは違う人」ぐらいの感覚を持っている人が、ある日突然「アナタは生まれつき障害者ですよ」なんて言われたら、そのショックで当分立ち直れないだろうなぁ〜と思うのだが。

偏見みたいなものって多分ない方がいいものなんだろうけど、「そんなものはよくない!」とか言ったからって、自分でも「そういうふうに人を見たくない」って思っても、どうにもならんのが人間の感情というものだと思うんだよね。
じゃあ、どうしたらいいんだろう?って考えても、私の悪い頭では何もわからんのだが。

自分がまだ「被差別」みたいなものを経験していないってのも、未知の部分を拡大させちゃってる気もする。
経験しちゃうと、きっと違うと思うんだよね。
もちろん「差別されたぁ〜い♪」なんてことはないんだけど。
ってことで、あくまで想像だけど多分、明確に自分で「差別意識がある」って自覚している人よりも、「自分は差別なんかしない」って思いこんでいて、実際には無自覚な差別意識がある人の方がタチが悪いんじゃないかなと思う。
このあたり、今後いろいろ私も経験していったり、考えが変わったりいろいろあると思うので、そのうち考えてみたいと思う。

posted by ひと at 13:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 発達障害 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

青年期の発達課題と支援のシナリオ

青年期の発達課題と支援のシナリオ



自分が「青年期」どころか「老年期」にさしかかりつつあるのは重々承知だが、子供が対象じゃなさそうだったんで、まあ何か参考になる部分があるかな?と思って読んでみた。
結論から申しますと、何もなかったという。

この本の「青年期」ってのは「高校時代」限定って感じです。
自分が高校生の時だったらどうだったろう?って考えながら読んでみたけど、なんかしっくりこないっていうか、「そうそう!」みたいな部分がなかった。
この本の対象者は当事者ではなく、親とか教師とかっていう周囲の人だな。
当事者が読んでも(高校生ぐらいの年齢だったとしても)参考にはならなさそう。
ましてや、高校生だったのが何十年も前な私が読んでも仕方がない感じで。

内容はあくまで当事者以外の立場から書かれている。
暴力をふるうとか、周囲に暴言を吐くとか、性にだらしない行動を取るとか、いろいろな問題行動をする発達障害者に対してどう対応するかみたいなことが書いてある。
私みたいに高校時代に精神的にボロボロになりながらも周囲に合わせていた(周囲からはそう見えていなかっただろうけど)タイプには、あんまり関係ないっつーか、役には立たない感じ。
実際、問題行動は起こしていなかった(と思う)から。

高校生ぐらいの発達障害者と関わり合うことになった人(親でも教師でも)が、参考程度に読むと少しは意味があるかな?という本でした。


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2014年03月06日

アスペルガーの人はなぜ生きづらいのか? 大人の発達障害を考える

アスペルガーの人はなぜ生きづらいのか? 大人の発達障害を考える (こころライブラリー)



なかなかしっくりくる本ってなかったんで、この本もそうかなと思ってあんまり期待せずに読んだ。
他の本はアスペルガーだけじゃなく、ADHDの要素が強い人のことが書いてある場合が多くて、自分にはさっぱり当てはまらないなぁ。なんてことが多かったのだが、これは割とそういうこともなく。
自分の障害のことを理解してもらうのに、自分で説明するよりも本を読んでもらう方がいいって話も聞くが、私の場合はこの本がいいかな。
他の本では見られなかった内容も結構盛り込まれているし、発達障害者と一緒に働く人の気持ちと、発達障害者本人の気持ちが両方わかりやすく書いてあったりして画期的だなと。
他の本は、どちらか一方だけなんだよね。
ただ、残念なのは(つーか仕方がないけど)男の人のことが書いてあるなって感じ。
女の人の場合は、脳に性差があるせいで、やっぱり出方も違うし、社会的に期待されるものが異なるので、不具合が発生する部分にも違いがあるんだよね。

 たいへん残念なことですが、多くのいわゆる健常者にとって、アスペルガー障害に悩む人々の言動が、しばしば不愉快であることは否定できません。もっと言ってしまえば、アスペルガー障害とは「悪気がないのに他人を不愉快にしてしまう病気」でさえあるかもしれません。(1〜2頁)

その通りだねぇ・・・。
本当に残念だねぇ。
「病気」じゃないけどな!

 まず、シングルフォーカス特性によって、自己モニターの機能が障害される理由は、対象に注意を向けているあいだは、自分の心や体の状態に同時に注意を向けることができないからであると説明できます。(85頁)

軽くパニックを起こして気持ち悪くなったりなんていうことは、よくあるんだけど、自分で自分が気持ち悪くなっているっていうのに気付くのは難しいんだよね。
何かの用事で出かけて「疲れたらちょっと喫茶店で一休みでもするか」なんて感じにできたらいいんだろうけど、自分が疲れているかどうかってのはわからない。
だから、どのタイミングで休憩をしたらいいのかは不明。
で、翌日、疲れすぎて非常に体調が悪いなんてことになる。
困るんだけど、自分ではどうにもできないんだよね。

いわゆるふつうの人にとっては、他者の感情的な同調や共感は、生きる目的と言えるほどの重要性を持っていますが、大半のアスペルガー者にとっては、そうではないのです。(111頁)

ええええええ?
他の人に同調とか共感してもらうのって重要だったのか!
知らなかった。
びっくりです。
アスペルガーだからそういうものが重要じゃないのか?
アスペルガーのせいで同調や共感をしてもらえなかったから、どうでもよくなっちゃったのか?

130頁から始まる「二 特性」に、どの特性が高いと(または低いと)どうなるかみたいなことが詳しく載っている。
言語性と動作性ってのは、発達障害者でも高い人もいれば低い人もいる。
一緒くたにされちゃうけど、ずいぶん違うので、これを読んで本人も周囲の人も理解を深めて欲しいなと思う。

163頁から始まる「過剰適応による不適応」は、過剰適応に対する対応策も書いてあるので「画期的」と思ったのだが・・・。
大変期待して読み進んでみたのだが、本人がどうこうするっていうより、周囲にやってもらうって部分がほとんど。
そうじゃなく、自分がどう対応すればいいかを知りたかったのに。
要するに「本人の努力で改善が難しい問題」ってことなんだろうな(鬱

 結論として、一般的な考えと異なり、アスペルガー者の環境調整においては、「対人交流の最小化」という観点が必要になることに注意しなくてはなりません。−中略−実はアスペルガー者たち自身も対人関係の多様さに重きを置くような価値をすり込まれて成長しているため、そう言われると当事者自身も不思議に思うこともあるようです。(228頁)

何かびっくりっつーか、画期的!
アスペルガーだろうが何だろうが、やっぱり友達ができないのって問題だよねぇ。みたいに思っていたけど、むしろそんなのいなけりゃいないほどいい!ってことで。
すばらしい!
ただ、私のように誰とも接触しなくても平気なタイプの人と、定型発達者並みに(あるいはそれ以上に?)誰かと接触していないとつらいっていうタイプの人がいるので、私みたいなのは誰とも接触しなくていいけど、寂しいと思う人はそれはそれでつらいよね?
そういう人でも、たった一人の理解者みたいなのがそばにいればそれでいいんだろうけど、それも難しいのが現状だよな。

 職場の環境調整について重要なことを、最後に一つだけ述べておきます。それは、「働くのをやめる」という環境調整もあるということを、忘れないことです。働くのがうまくいかないのですから、働かないという選択肢もあっていいはずです。(239頁)

これも他の本では見ない話だな。
私は今は諸般の事情で働いていないが、後ろめたいっつーか、私と同じような障害の状態でも自分の意志とは無関係に経済的な事情から、とてもつらい思いをしつつ働いている人が大勢いる。
大勢いるどころか、大部分がそういう状況だと思うのだ。
だからこそ「悪いことをしている」みたいな気で過ごしている。
発達障害者に限らず、普通に会社勤めをするのがつらいっていう人が、働かなくても、最低限人間らしい生活ができるようになっていればいいのになと思うが、実情はブラック企業で過労自殺だからな。

日常生活においては、心に依らずに相互作用の形式に注目することで、社会とのかかわりを適切に制御できる可能性はあります。
 お礼を言わなくてはならない理由がわからなくても、たとえば、「ものをもらったら感謝を伝えねばならない」と知っていれば、「ありがとう」という言葉を口にすることはできます。あまり難しいことを考えずに、単純にそういう社会的な規則性のセットを学習していけば、内容の有無とは関係なく、表面的な感じの良さを獲得することは不可能ではありません。
(247頁)

これの前に「心を探求する」っていう正反対の対応策も示されているのだが、私はこれは無理だった。
んで、自力で編み出したのが、この「心に依らずに相互作用の形式に注目する」ってやり方だったんだな。
実際に「ありがとう」っていう言葉を発するのは「単純にそういう社会的な規則性のセットを学習」するっていうやり方でこなしている。
挨拶なんかもそう。
でも、実際にそれでやると、心はないから、その場に合った声の大きさやタイミングなんかが難しすぎて(毎回、すごく必死に周囲の動きを気にしながらやっているのにも関わらず)、それらが適切ではないらしく(たいていフライング)笑われたり、ご注意を受けたりする。
本当に難しい。
でも、定型発達者ってのは、そういう変なもの(私にとってはそういうふうにしか受け取れない)をものすごく重視するっていうか、それ以外をほとんど見てないだろ?ってレベルなので、練習が必要だけど身に着けられるものなら、身に着けておいて欲しいと思う。
自分自身のために。

 「アスペ力」という言葉があります。当事者が使い始めたと思われますが、「アスペルガーらしさの力」というほどの意味です。−中略−
 「アスペ力」は、際立った論理性や数理的な能力などの特殊な力を指す言葉ではありません。他者の感情よりも客観的な事実を価値の基準として重視する、ある意味で超俗的な生活態度、あるいは実態のない感情や心に左右される社会を相対化する視点とでも考えるのがよいのではないでしょうか。
(251〜252頁)

「アスペ力」(「あすぺりょく」と読むそうです)という言葉は知らなかった。
仕事を辞めて(辞めてっつーかクビだから「辞めさせられて」だけど)人と全く接触がなくなると、自分でも自分の内側が変化していくのは感じていた。
「普通の人間じゃなくなっていく」って感じがしていた。
その当時は自分が生まれつき「普通の人間じゃない」ってことを知らなかったからな。
仕事をしていると、周囲の人に合わせて行動しているが、自分一人だとそういう必要がない。
「このままだと、二度と社会復帰ができないんじゃないか?」っていう感じがしていたものだが、その状態が「アスペ力」全開の、本来の状態なんだな。

この本は、ADHDが強いタイプの人だとあんまり参考にはならないかも知れない。
共通している障害特性もあるから、まったく参考にならないってことはないだろうけど。
アスペルガーの当事者はもちろん、周囲の人が読むといい本かなと思う。

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2014年02月28日

「こころがかぜをひいたとき」〜ご本人に寄りそうご家族のために〜

紹介しようと思って、きれいさっぱり忘れていた。
もう締め切られていたらごめん。

DSCN5303.JPG

3月17日の10時から、保土ヶ谷区役所本館3階の301−302会議室ってところで、ほんごうメンタルクリニックの本郷裕明先生による「こころがかぜをひいたとき」っていう精神保健福祉家族教室とやらがあるそうです。
お申込み・お問い合わせは保土ヶ谷区福祉保健センター障害担当まで。

個人的には鬱病を「こころの風邪」みたいな表現をするのって好きじゃないんだけどな。
風邪みたいに必ず全ての人がなるもんじゃないし、完全に治っちゃうような種類のもんじゃないし。

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2014年02月19日

アスペルガーですが、妻で母で社長です。

アスペルガーですが、 妻で母で社長です。



何か参考になるだろうか?と思ったので、読みたいとは思っていたが、図書館には置いていないし、結構いいお値段だし・・・ってことで、ようやく読んだので感想を。

著者のアズ直子さんは、タイトル通り「アスペルガー」で「妻」で「母」で「社長」ってことで。
自分で発見したルールを紹介してくれるらしいので、何か自分にも使えそうなものもあるだろうか?と思ったのだ。
結論から申しますと・・・全くなかった。
アズ直子さんは「ADD(注意欠陥障害)の傾向の強いアスペルガー症候群」ということなので、私のようにADDがないタイプとは大幅に違うかなという感じ。

「マインドマップ」というものが紹介されているのだが、これも私には合わないかな?
考えが次々に展開していく感じに発想できそうにない。
マインドマップ
本の中で「マインドマップ公式サイト」のURLも紹介されているのだが(http://www.mindmap.or.jp/)ないのだが?
なんでだろう?
そんなに古い本じゃないのにな。

第3章から始まる「宇宙人(アスペルガー)でも生きやすくなる30のルール」。

1 朝8時に“スタバ”に行く

どうやらアズさんは毎朝スターバックスに行っているらしい。
うむ・・・金持ちだな。
社長なんかやってる人は、やっぱり違うな。
歩いて行ける距離にスターバックスがある人ってのも限られるよな。
私もそうだが、発達障害者で、毎朝スターバックスに行けるほどの収入がある人って、滅多にいないと思う。

6 人の顔の見方
相手が何か話をしているときにはその人の顔を見る。
相手の目をじろじろ見ない。目ではなく眉間あたりに視点を置くとよい。

この人はこのやり方でうまくいっているのか。
私は相手の顔を数秒見たら、次の数秒は少し視線を下げて、また視線を上げて・・・ってのを繰り返している。
相手の表情から読み取れないから、顔を見ているというか「あ〜コンタクト入れてる」とか「生え際が白いから、白髪染めで染めているんだな」って思いながら見ている。
相手の眉間あたりを見ると、近くにいる相手だと寄り目になっちゃうと思うんだけどな。
変じゃないのかな?

24 「人にわかりやすい特技」を持とう
孤独を愛し、自分の世界に浸り込むタイプのアスペルガーもいますが、それでも、誰にだって人に愛されたい、好かれたい、友達が欲しい気持ちはあるのではないでしょうか。

まず「孤独」は愛していない。
一人でいたいってのとは違うな。
もちろん人と接したくないけど、説明できないけど、そういうことじゃない感じがする。
「人に愛されたい」ってのは完全に否定もしないけど、それほど重視しない。
「友達が欲しい」も同様。
愛されないより愛された方がいい、友達がいないよりいた方がいい、って思うけど。
で「好かれたい」ってことは全くありませんので!

27 「過集中」で人にはできないことをやり遂げる
アズさんはこの「過集中」によって、いろいろなことを身に着けておられるようだ。
で、私はもともとは過集中をしまくっていたらしいけど「悪いこと」という認識を持ったのでやらんようにしていたらでけんようになったんで、今はやろうと思ってもできない。
他の発達障害者が「過集中」って状態になってんのを職業訓練の時に隣の席でじっくり見学する機会があった。
その時、あるパソコンソフトで図を描くっていうのを過集中になりまくる子に振り分けたんだよね。
で、過集中になりまくって長い時間をかけて仕上げました!
仕上がったものを見ましたら!
なんじゃこりゃ?
私ならもっと短い時間で、もっとマシなものを作れるよな・・・っていう、かなり無残な出来でした。
それまで私は「過集中=高いクオリティのものを生み出す」って思いこんでいたので、思ってもみなかった結果にびっくりだった。
向き不向きとか、そもそもの能力とかに個人差がありすぎるほどあるから、同じように「過集中」をしたからといって、いい成果が出るとは限らないんじゃないのかなぁ・・・ってことで。

156頁
「アズ直子です。アスペルガーという“うそがつけない病気”です。

私はアスペルガーだが、むしろ嘘ばっかりついているがな。
嘘をついているっていう表現はちょっと大げさかも知れないけど、自分の正直な気持ちで受け答えをしたら、すぐに相手が気分を悪くしてしまったり、人間関係がおかしなことになるので、たいてい「心にもないこと」を言っているので。
それと「病気」か?
発達障害を「病気」って表現するのはすごく不快っていうか、事実と異なるのでおかしいんじゃないか?っていつも感じるのだ。
表現をされることはよくあるんだけど。

アズさんは、やたらとフェイスブック押しです。
フェイスブック以外のネット上のコミュニケーションツールみたいなものも、すごく推奨してくる。
私は仕方なく(情報を取るために)Twitterを使っているけど、フェイスブックは使っていないし、今後も使う気はない。
そういうものってあくまで「便利な道具」であって、変に深入りすると「時間を限りなく浪費させられるもの」だと思うのだ。
だから、必要最低限にとどめるべきだと思っている。
アズさんは、こういうツールによって周囲とのつながりを持つことができているっていう考え方のようだが、私は、そんなものがなくても構築できるものが本来の正しい関係のあり方だと思っている。
ネットは、そういうリアルな関係を補助する「道具」として使うべきものだと思うので。

つーことで、私には当てはまらない内容ばかりだったけど、ADDが強いタイプの人で、子育てなんかに困っている人だと、役に立つこともあるのかもしれない。
私みたいにアスペルガーだけみたいな人は読んでもカネと時間の無駄になるかな。

アスペルガーですが、ご理解とご協力をお願いいたします。



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2014年02月13日

ボクの彼女は発達障害 障害者カップルのドタバタ日記

ボクの彼女は発達障害: 障害者カップルのドタバタ日記 (学研のヒューマンケアブックス)



久しぶりに古本や図書館以外の本。
って言っても、やっぱりカネは払っていないワケだが。

この本は「くらげ」さんという聴覚に障害のある男の人が、発達障害者の彼女「あお」さんとのことを書いた本。
発達障害の当事者や、そういう人と関わり合いのある人たちにずいぶん評判がいいようだったので気になっていた。
そして、読んだ人の誰もが、くらげさんに対して「もげろ」と言っていたけど、私の感想もやっぱり「もげろ」かな・・・。
私の場合、くらげさん自身に対してどうとかっていうよりも、あおさんの側に対して、ちょっと何とも表現ができにくい感覚を持ってしまったので。
このあたりについては後述。

50頁にあおさんが飲食店で何を注文するかが、なかなか決められないというシーンが出てくる。
そういえば私もかなり迷う方だなと。
なるべく時間をかけずに決めるようには気を付けているんだけど、実はメニューを見ても「何を頼んだらいいのかわからん!」って状態になっている。
私はかなり喰い意地が張っている方だとは思うのだが「これが食べたい!」っていう感覚はなかなか持ちにくいんだよね。
全くないってことではないんだけど。

私は大きいスーパーマーケットなんかに行くと、事前に何を買うかを決めてから行かないと、何を買っていいのかが全くわからなくてパニックになったりする。
選択肢がある中から選ぶってことが、定型発達者よりも難しいのかもな。
定型発達者って、いろいろなものに「ちょっとずつ順位の高低がある」っていう感じがする。
この商品とあの商品とどっちがいい?っていう時に、私は「どっちも同程度」ってことが頻繁にあるから、レストランでもスーパーでも「選べない」って状況が発生するけど、定型発達者だとあんまりそういうことがなくて「ちょっとだけだけど、こっちの方がいいかな?」ってのがある感じ。
あくまで想像だけど。

あおは怒鳴り声や怒りを含んだ声を聞いてしまうと、自分のことを責められているように感じるのです。(134頁)

えっ?
誰でもそうなのかと思ってた(笑
わざわざ本に書いてあるってことは、定型発達者はそうじゃないってことか?
じゃあ、逆に聞きたいんだけど、近くで自分以外の人を怒鳴っている人がいた時に、どんな感じがするの?
私の場合はあおさんとはちょっと違って「自分のことを責められている」っていうんじゃないと思うけど、ものすごくイヤな気持ちがするし、場合によっては、自分が怒鳴られている方がマシ(気持ちの持っていき場があるので)っていうことも多い。
確かに、定型発達者の中には、びっくりするほど根性の悪い人がいて(発達障害者にももちろん私のように根性の悪い人はいます)、周りの人が困っている時にニタニタ笑っている人もいたりするので、そういう人だったら「楽しい気持ち」になったりするのかも知れないけど、そういう人ってごく一部だろうから、それ以外の「普通の人」ってどんな感じでいるんだろう?

あおさんは自分で料理を作ったりもできないし、デートで出かけても外でかなりひどいパニック状態に陥ってしまったりする。
私と比べたら遥かに障害が重いのかな?っていう感じはする。
多分、障害の程度としては私よりも実際に重いんだろうとは思うんだけど、私の場合は障害に気付くのがとても遅かったり、当時はそんなものがあるとは誰も思っていなかったってこともあって、何か他の人と違う部分があると全部自分に非があるという認識で過ごしてきた。
だから、皮膚の感覚の都合上、とても不快な感じがする衣類はあるのだが、今でも一日中「不快だなぁ〜」と思いつつ着ていたりってことはある。
子供の頃から全てのことに関してそういう感じでやってきたので、だんだん「本当はどう感じているのか」みたいなことが自分でもよくわからない状態で生活している。
自分がパニックを起こして気持ち悪くなっているっていうことに気付いたのって結構最近なんだよね。
多分子供の頃から、頻繁にそういうことってあったんだろうけど「そんなことはない」みたいな思い込みや、たとえ不快さを訴えたところで周囲は聞き入れなかったっていう状況のせいでそうなったんだと思うけど。
だから、私は他の発達障害者よりはいろいろなことができたり、耐えられる範囲が広い感じには仕上がっているけど、それって「障害が軽いから」とは限らないよなってことで。
一見「障害が重い」っていうふうな感じの人の中には(全員がってことではない)、周囲の環境に恵まれて「これはつらい」みたいな主張が受け入れられ続けてきた人もいるんじゃないのかな?と思う。
私みたいに「つらい」「できない」ってのを口にしようもんなら「甘えている」「わがまま」「自分勝手」「みんなだってつらいのは同じ」なんて言われ倒していると、自分でもつらいのがわけわからんようになってくる。
誤解しないでいただきたいが、いろいろできるようになったり、自分のつらさに鈍くなったりしていたら、楽なんじゃないか?って思われるかも知れないけど「常に無理をしている」状態で、しかも自覚なしに無理をしているので、気づくとヤヴァい状況になっていたりするので、決して楽なワケではない。
当然誰にもいたわってもらえもしないし。

ってことで、この本に登場するあおさん。
実際に、とてもつらいだろうとは思う。
日常的にいろいろと困ることは多いだろう。
でも、私にはくらげさんのように自分を理解してくれようとする恋人みたいなものは、絶対に現れないと思うし、こんなに若い時から自覚できていたら、今の私のようにアイデンディディが崩壊した状況で生きているなんていう残酷な状況には陥らないで済むだろう。
うらやましいって思っちゃいけないんだろうし、うらやましいのとは違うけど、同じ「発達障害者」ではあっても、自分とは別の世界の人っていうか、多分会う機会があったとしても仲良くはできないかな?って思う。
決して甘えているワケではなく、本気でパニックになったり、いろいろできないことがあるんだろうなっていうのは頭では理解していても、自分はそういうものが許されずに生きてきたので、そういうものが許されている人に対して私はとても厳しいんだろうな。
「自分が許されなかったから他人に対しても許せない」ってことか。

この本に限らないけど、障害の内容があんまり自分とはかぶらないなぁと思う。
本はともかく、テレビなんかに出ていたり、当事者会に参加するとか、いろんなものに参加するような人たちって、「人と関わりたいタイプ」の人が多いように感じる。
だから、マスメディアが扱うのもそういうタイプの人に偏るよな。
実際には私みたいに「人を人と思わない(正確には「思えない」のだが)タイプ」の人もいるみたいなんだけど。
そういう人たちが、他人との関係をどうしているのかってのを知りたいんだけどね。
いろいろな集まりに出かけて行っても、そういうタイプの人はいないよねぇ・・・。

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2014年02月11日

暖房器具の消し忘れ対策

私は生まれつき脳に障害があって、何か一つのことに気を取られてしまうと、他のことには一切注意がいかなくなるので、朝に出かける支度をしていてバタバタしていたりなんてことがあると、うっかりコタツを切るのを忘れて出かけたりする。
そういうことって脳に障害がない人でもあることだと思うが、普通の人以上にそういう危険性が大きいワケです。
で、一人暮らしなワケなので自力でどうにかするしかないということで。
私が実際にやっている対策をご紹介します。
たいしたことでもないんだけど。

パナソニック WH3101WP ダイヤルタイマー 11時間形 ホワイト



私が使っているのは松下電工って書いてあるけど、多分これと同じヤツだと思う。
もともとは何か別の目的で使うのに買ってきたヤツなんだけど、ここ数年は冬場に暖房設備につなぐのに登場している。

DSCN5212.JPG

私の場合は暖房設備はコタツと電気ストーブの二つを使用。
この装置?は一度に一個しか繋ぐことができないので、タップを買って増設して使っている。
これは「時間が来たら電気が入る」ってのと「時間が来たら電気が切れる」っていう二種類の機能があって、この場合「電気が切れる」方を使います。
で、差込口の「電気が切れる」側にタップ(電化製品が一個だけなら直接電化製品のコンセント)を差し込んで使います。

例えば朝起きて、出かけるまでが2時間だとしたら、このタイマーを2時間のところまで回して、あとは普通に電化製品を使います。
んで、2時間経ったら勝手に通電しなくなるので、外出先で「あ!コタツつけっぱなし!」ってことがないワケです。
寝る時も同じですな。
寝る時間が何時間後だから〜ってタイマーをセットしておけば、ストーブをつけっぱなしで寝ているっていうことが避けられる。

障害の種類や程度によっては、この「○時間後だから〜」って考えるのが難しかったり、そもそも、電源を入れる前にコイツのダイヤルを設定して〜っていうのがかなりの苦痛っていう人もいるかも知れないけど。

正直いって、このタイマーはカチカチ言う音がうるさいです。
あんまり寒く無かったら音がうるさいから切ってしまったりします。
聴覚過敏の人なんかだと、ちょっとキツイかも。
ってことで、今はデジタル式のも売っているそうな。

1回だけ「入・切」デジタルタイマー CT24D



これだと音は気にならないかな?

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2014年01月19日

過剰適応が二次障害に関係しているらしい件

発達障害者が二次障害を発症することは珍しくないことですが、その原因として「過剰適応」が影響している場合があります。

私が「過剰適応」という言葉を知ったのが数年前ですし、多くの人がそういうものがあることも知らないという前提で説明します。
実際には、知らなかったのは私ぐらいなのかも知れないけど。

「過剰適応」は字のとおり「過剰」に「適応」することです。
わかりやすい説明のものが見つからなかったのですが、定型発達者の場合は根底に「相手から嫌われたくない」とか「評価して欲しい」といったものがあって、無理をして周囲に合わせるといった行動が見られるもののようです。
発達障害者の場合がどうなのかが不明ですし、あくまで私自身の場合でしか説明することができませんが、私の場合、そういった定型発達者に見られるような「動機」ではないように思います。

私は子供の頃から、とても動作が鈍く、手先も不器用。
もちろん勉強もできないという状況でしたから、周囲からは常に「ちゃんとやれ」「みんなと同じようにやれ」といった圧力を受けていました(周囲の人にそういう意図があったかは不明ですが)。
精一杯やっていても常に非難されます。
どんなに頑張っても、普通の人と同じようにはできませんから。
そういう生活を毎日送っていて、私はどうしたかというと「毎日無理をし続けた」ワケです。
結果的に「どう無理をすれば人と同じ程度(あるいはそれ以上)にできるか」がわかったということです。
もちろん生まれつきの障害があるので、全てのことが、普通の人と同じようにできるということはありませんが。

大人になって、自分に障害があることに気付かずに、健常者として就職しました。
障害のために、マトモな(食べて行けるだけの給料がもらえたり、ボーナスなんかがあったりするような)仕事には就くことができませんでしたが。
私は「無理をしている状態」が「普通の状態」なので、仕事の上でも常に「無理をしている状態」です。
「無理をしている状態」で働いていると、私の場合は(あくまで私の場合であり、障害の程度や種類によってはそうではないかも知れません)普通の人と同じか、それ以上に仕事をこなします。
周囲から見れば「普通に仕事ができている」というふうにしか見えません。
この状況は「過剰適応」なワケです。
常に無理をしていて、精神的に持つワケがありませんし、仕事というものはやればやるほど、大量に押し付けられるものです。
出世の見込みがあるようなマトモな仕事であれば、大量の仕事をこなせば将来的に自分の利益になるのかも知れませんが、所詮は使い捨ての派遣やバイトです。
私の場合「達成感」のような感情が存在しないことも、より状況を悪化させていたように思います。

本も何冊も読みましたし、ネットで調べたり、SSTを受けたりと、できる限りのことをしてみましたが、この「過剰適応」に、どのように対応をすると軽減できるかといったことは、全く糸口もつかめていません。
調べてみても「過剰適応が二次障害に結びつきます」といった程度のことしかありません。
それに対してどうすればいいかといったアドバイスは見つけられませんでした。

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2013年12月30日

障害者の経済学(増補改訂版)

障害者の経済学



ちょっと変わった本だなと思って読んでみた。
実際、他の本には載っていなかったような内容の本だった。
どういう人向けの本なのかはよくわからないけど、障害のある人でもない人でも、一度読んでみるといろいろと勉強になる本かと思う。

第4章 障害者差別を考える(73頁〜)

私自身、障害者なのだが、差別というものがあまりよくわからない。
障害があることがずっとわからなかったから、自分はもちろん他人から見ても「障害者」ではなかったワケで、当然のことながら「障害者差別」のようなことをされるワケもなく。
障害と無関係に(もちろん障害に起因している部分が大きかっただろうが)バカにされたり、非難されたり、からかわれたり、いじめにあったり・・・ってことは多々あった。
でも、それらは「障害者だから」ということではないワケで。

 一九九二年にノーベル経済学賞を受賞したシカゴの大学教授のベッカーは、The Economics of Discrimination(差別の経済学)という著作のなかで、差別に経済学的な定義を与え、その定義に基づいて実際に差別が存在するかどうか検証した。
 ベッカーのいう差別とは、「偏見を満足させるために利益を自発的に放棄すること」を意味する。
(74頁)

トム・ハンクス主演の映画「フィラデルフィア」は、優秀な弁護士なんだけどエイズウイルスに感染しているせいで解雇されてしまう。
事務所は「エイズに対する偏見」を満足させるために、能力のある人をクビにしちゃうんだから、利益が減ってしまうワケです。

(エイズに対する)偏見を満足させるために(優秀な弁護士によって得られる)利益を自発的に放棄すること
ってことですね。

 多くの障害者は自分たちが差別されていると感じている。それはどういうときだろうか。たとえば、障害者が街へ買い物に出かけたとする。そのとき、歩道が傾斜していたり、横断歩道の前に段差があったり、建物の入り口に階段があったりすると車椅子での移動は難しくなる。こんな些細なことでも、障害者にとっては行動の大きな制約となるのだ。(77頁)

私はわりと普通に動き回れるので、こういったことは「差別」とは感じないが、よく考えると、障害者向けの施設やサービスであっても、最初の申込みなどが「必ず電話で」(しかも他の選択肢は与えられていない)ということはよくある。
定型発達者のように、電話で何の問題もなく意志の疎通ができればいいけど、そうじゃないから困ってるんだけどね・・・。
でも、こういったことは、先ほど登場したベッカーが考えているタイプの「差別」には該当しない。
誰かが「利益を放棄している」ワケではないので。

 JR東京駅の丸の内側に身体障害者用待合室というのがある。なぜ待合室が必要かというと、JR東京駅では障害者が一人でホームまで到達できないからだ。たとえば、新幹線に乗る場合、車椅子利用者は出発の三〇分前までに駅に到着し、駅員が来るまでこの待合室で待機していなければならないのである。(77頁)

この例もベッカーが言うところの「差別」ではないけど、差別かどうかを抜きにして、考えただけでうんざりっていうか、遠出を躊躇してしまいそうだ。
私は飛行機に乗る用事があったりするのだが、結構早めに空港に到着しなければならないのが、毎回「面倒くせぇなぁ。もうちょっと何とかしてくれないかな」って思っていた。
それに負けないぐらいの面倒臭さを、JRに乗るってだけで要求されちゃうのって、つらすぎ。

 そしてこうした印象を与える障害者とは、社会における「かわいそうな人々」であり、「助けてあげる対象」つぃての「身分」ができあがっていく。あるいは、障害を抱え、いろいろな意味で「頑張っている人々」であり、いつまでも子どものような「純真な心」を持つ存在でなければならない。
 したがって、障害者にとって分相応の行いというのは、世間の人々にこうした印象を与え続けることなのである。「かわいそうで純真な心を持つ人々」なのだから真面目に慎ましい暮らしをしていなければならない。派手に海外旅行に行ったり、ピアスをはめ、髪を茶色に染めて歓楽街をうろついたりしては困るのである。
 かつては障害者が酒を飲んだりタバコを吸ったりすることも奇異の目で見られたという話を聞く。障害者に関する性的な話題もタブー視されてきた。生きるために「必死で頑張っている人々」というイメージを守るためには、あからさまな性欲などあってはまずいのである。
(86頁)

自分が障害者という立場になるまで(生まれつき障害者ではあったんだけど)、健常者にこういった偏見があるということをよくわかっていなかった。
今は時々、そういう目で見られているんだなってことは感じる。
体に障害がある人はもちろん、善良でまじめじゃないと世間の人は納得しないだろうけど、私のように脳に障害がある人に対しても、純粋さみたいなものを期待しているようだ。
そんなワケないのに。

第6章 養護学校はどこへ行く(119頁〜)

 「学校教育法」第七十一条によれば、(障害児向け)特殊教育の目的は「欠陥を補うために、必要な知識技能を授ける」こととある。すなわち、障害児本人にとって、障害は「欠陥」であり、それを克服することが教育の目的なのである。(123頁)

「障害=欠陥」ですか。
まあ、そうだろうな。
そういうふうに見られるのってつらいけど。
「障害者=どこかに欠陥がある人」ってことだよな。
欠陥がないとは言わないけど、その欠陥を何とかして克服しましょうね。ってのはなぁ・・・。

第7章 障害者は働くべきか(147頁〜)

 それならば障害そのものを仕事のネタにすることはどうだろうか。ご存じの方も多いと思うが、江戸時代、一部の身体障害者は見せ物小屋で常人にできないパフォーマンスを見せることで生計を立てていた。たとえば、両腕のない人が足で食事をしたり、足で文字を書いて見せたりする行為のことだ。
 現在ではこうした仕事をする障害者はいない。しかし、これに準じた手法で活動をしている人たちがいる。その一例が「ドッグレッグス」という名の障害者プロレス興行団である。
(171頁)

客は三千円を支払って観戦をするのだが、カネを取ると「障害を売り物にしている」って非難される。
しかし、料金を取るということによって「障害者はかわいそうな存在」で「純真」で「障害者と接すると癒される」って思っている人たちを排除することができるそうな。


この本を読んでみて、やっぱり自分は働かなきゃイカンのかな?って思った。
自分に障害があることを知らずに、健常者向けの仕事をしてきて、どうしてもうまくいかないってのを繰り返してきた。
だから、今度は障害者枠で働こうって考えて、その為にやりたくもないことを、もう二年近くも、できる限りのことをやり続けてきた。
それなのに、いまだに仕事は決まっていない。
現在のところ、仕事が決まる予定もない。
今の状況がどれほどつらいかってのは定型発達者には想像もつかないだろうけど(先の予定が立たない状況に対するつらさは、おそらく比較できないレベル)、そんなことを言ったって何の解決にもならんしな。
この先も自分一人で生きていくしかないワケで。

障害者雇用というか「障害者が働くこと」って「どんな能力があるか」とか「何に向くか」みたいなことが重視されるけど、私の場合は「感情」とか「感覚」の欠落とか定型発達者とは異なる部分の問題が、かなりでかい気がする。
もちろん「自尊心」とか「自信」がないのも問題だとは思う。
でも「働く」っていう上で、ものすごくまずいなと思うのは「達成感」がないことだな。
「薄い」とか「少ない」とかじゃなく存在しない。
そういう感覚とか感情は、私にはない。
想像してみてください。
あなたが仕事で、とても大きなプロジェクトを任されたとして、大変な苦労をしてようやく成功させて、上司なんかからも「よくやったね」なんて言われたとします。
で、普通の人は「達成感」っていうものがあるので、とてもうれしいと思う。
私は、そういう状況になっても、なんの喜びもない。
褒められても基本うれしくないので、上司のお言葉に対しても実は「ケッ」とか思っていたりする。
そこまで大がかりじゃなくても、細かい日々の仕事の中にも「達成感」はないので、何をやっても砂を噛むようなものだ。
そんな状況で、ずっと仕事をし続けるのが、どれほどつらいことかってのは、少しは想像してもらえるとありがたい。
っていう、本とは無関係な話になっちゃったけど。

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2013年12月26日

感覚過敏は長所になりますか?

発達障害には「感覚過敏」と「感覚鈍麻」というものがつきものだということはわかっている。
でも、これについて詳しく書いてある本があるのかどうかわからんけど、今のところ、巡り合っていないので、私には詳しいことはわからない。
だから、これから書くことは間違っている部分もあると思う。
それでも書く理由ってのは「世間や当事者が言っていることって、本当に正しいんだろうか?」って思ったので。
それに対する反論を書きたいと思うのだ。


いきなり反論に入っても、なんのこっちゃわからんと思うので、まずは「感覚過敏」と「感覚鈍麻」について説明しておこうと思う。

以前にもちょっと触れたように皮膚の感覚が定型発達者よりも敏感というか、特定の感触が非常に不快に感じてしまったりする場合がある。
着られる衣類の素材の種類が限られてしまったり、特定のものが触れなかったりして、いろいろと問題が発生したりする。
水に触れると腫れてしまうという人もいるらしい。

聴覚も定型発達者とは異なることが多くて、多分定型発達者って自動的に雑音をカットして聞いていると思うのだ。
どうもその機能が弱い感じがする。
だから「うるさい」って感じたり、雑音が大きくて、聞き取らなければならない人の声が、とても聞き取りづらかったりする。
子供の声など、高音域の音はとくに頭に響くというか、とてもつらく感じる(個人の感想です)。

味覚がかなり定型発達者とは違っている人がいるそうだけど、たいてい「ひどい偏食をする人」ぐらいに扱われてしまう。
化学調味料の味を全く受け付けないタイプの人もいると聞いたことがあるが、食生活には相当な苦労をするのではないかと思う。

嗅覚は、自分以外の人はどんな感じなのかはわからないけど、私の場合は、他の人に比べて「苦手な臭い」の種類が多い感じがする。
多分、定型発達者にとっては不快ではない感じの香水の臭い(しかも決してその人は臭いがキツイ状態ではなかった)が、どうしてもダメで、その人の隣の席にいなければならなかった数か月間は、非常につらかったことがある。
香水売場で百種類ほどの香水の臭いを嗅いでみたが(自分の好きな香りを探して買おうと思ったのだ)、許せる香りが数種類。
好きな香りは1種類か2種類。
残りは「不快な香り」だった。

視覚が過敏な場合もあるが、これは専用のメガネを使うとずいぶん楽になるものらしい。

ここまで挙げたものは「感覚過敏」で、逆に「感覚鈍麻」というものもある。

私の場合は「痛み」に対して鈍い感じがする。
こういうものって他人と比較するのが難しいことだけど、私がはっきり「痛いな」って感じるぐらいの時って、結構悪化していることが多いので。
逆に「かゆみ」に対しては敏感だと思う。


不完全な説明だったと思うし、ちゃんと系統立てて説明できればよかったんだけど、そういう素材がないもので。
で、ここからいよいよ本題に入ります。

「過敏」な部分というのが「長所」ではないか。という話を見かけるのだ。
たとえば「視覚過敏なので、色の微妙な違いもわかる」とか、「嗅覚過敏だから、いろいろな臭いも嗅ぎ分けられる」とか「味覚過敏だから、ちょっとした味の違いも分かる」みたいな。

そもそも「私が感覚過敏なのか?」ということも、現時点では不明なので、もしかしたら私の反論は見当はずれかも知れないのだが、私が自覚できている範囲では「嗅覚過敏」と「聴覚過敏」「触覚過敏」を持っている。
で、それらの「過敏」な部分が、繊細というか敏感かというと、全くそうではない。
「過敏」と「敏感」って、すごく似ているというか、同じように思うけど、全然違う。

過敏
刺激に対して過度に敏感なこと。また、そのさま。「神経の―な人」

敏感
感覚や感度の鋭いこと。また、そのさま。「―に反応する」「刺激に―な肌」⇔鈍感。


辞書で調べても違いがあんまりようわからんけどな。

私は「ダメな臭い」は多いが、嗅覚はむしろ鈍い。
何の長所にもならんのです。
「音が聞き取りづらい」とか「うるさくてつらい」ってことはあるけど、聴覚検査をしても普通っていう結果しか出ないので、別に微妙な音が聞き分けられたりってこともない。
音感なんかも、長年ピアノをやっていたワリには悪い。
決して「耳がいい」わけではないのだ。

感覚過敏があるってことと、その部分が敏感かってことは、別問題なのではないか?
と私は思うワケです。

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2013年12月21日

大人の発達障害ってそういうことだったのか


大人の発達障害を理解するのに役立つ本かな?と思って読んでみたのだ。
確かに終始、大人の発達障害について書かれている。
対談ということで、話し言葉だから読みづらいってこともない。
でも、一般向けの本じゃないな。
専門用語なのか、横文字がさっぱり意味がわからんし。
医療関係者向けって感じかな。

62頁
 ある大学生の話ですが、大学に入学して学生寮に入ったら洗面台が初めて共用になった。洗面台で歯磨きをして、自分の部屋に戻ってくるでしょう。その歯ブラシを自分のタンスの中のタオルや下着の上にポンと置くんです(笑)。

一度読んで何を言わんとしているのかが全くわからなかった。
最初は「使い終わった歯ブラシは水分がついているから、パンツがカビるから?」って思ったけど、続く文章もよく読んでみると、そういう話じゃないらしい。
洗ったパンツの上に歯ブラシを置くのは「不潔に感じる」みたいなことらしい。
わからん。
さすがアスペルガー。
私は旅行の準備なんかで、使い捨ての歯ブラシなんかを下着類と一緒に袋に詰めたりしていたけど、あれって普通の人はしないのかな?

147頁から女性の発達障害者について書かれている。
この本でも書いてあるけど、今までは発達障害者ってのは圧倒的に男が多いってことになっていた。
でも、実は同数なんじゃないか?ってことが書かれている。
女の人の方が「ノーマルに振る舞えるし、暴力や多動などの問題行動もあまり起こさない」ので、発達障害があっても気づかれにくいんだそうな。

148頁
子どもを自閉症と診断したときに、母親が「私もそうじゃないかしら」と言い始めるというケースが最近、増えてきました。

ネットで見聞きする情報で、上記のようなパターンが確かによくある。
母親世代は、まだあんまり「発達障害」ってものがメジャーじゃあなかった時代に育ったからってことだよな。

151頁
でも、いま先生に聞かれて考えてみると、内省的な苦悩というか、自分が苦悩している度合は、男性より女性のほうが強いかもしれないです。まわりが苦悩する、苦労するのは、男性のほうが圧倒的に多いですけど(笑)。

確かに女の人で、本人はあんまり困ってないけど周囲が大迷惑って人は見たことがないな。
全くいないってこともないかも知れないけど。

210頁
 かえって偏見につながるとの考え方もあるかもしれませんが、アスペルガーは知的レベルは高いけれども、実際には支援の対象者であり、社会がそれぐらいのケアをしなければならない人たちであることを医療者の側が訴えていく必要があるのではないでしょうか。

アスペルガーでも知能が高い人も低い人もいるっていうのが現実なのではなかったっけ?
この文章だと「アスペルガーはみんな知能が高い」っていうふうに読めるが。
私がアスペルガーだからそう読めてしまうだけかな?
因みに私は知能は並みだし、低いって人も少なくないんだけどな。

214頁
 本当はASDの人自身が仕事の内容をよく知って、自分でできそうだ、面白いと思った仕事を選んでもらうのがよいのかもしれません。でも、イマジネーションに障害があるために、多くの可能性のなかから自分に合った仕事を選択することが苦手なことが多いです。

これを読んで、この本を燃やしたいと思った。
そういう人がどの程度いるのかは、私にはわからないけど、少なくとも私はいろいろ検査を受ける前から自分がどういうのが苦手かなんてわかっていたし(検査結果を見て、当たり前の内容だったので腹が立つほどだった)、そういうことがわかっていながらも自分に合わない仕事は確かにしてきた。
でも、障害のせいでそうなったわけではない。
定型発達者でさえ、自分のやりたい仕事なんてなかなかできるものではない。
誰が好き好んでブラック企業で自殺に追い込まれたりするものか?
当然、何のキャリアも積めなかった私は、職業選択の自由なんてものはないワケで、それでも「これは自分には無理だから」なんて言ったら周囲の反応は「何をわがままを言っているんだ」「甘ったれている」なんていうことだからね。
私以外の発達障害者は、自分の得手不得手がまったくわからないでいるんだろうか?
人と話したりするのが苦手だって自覚はある人が多いと思うんだよね?
それで、接客のあるような仕事を、自分で望んで就くと思うか?


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2013年12月17日

マスクをするのがつらいのではないですか?

今、私が毎日通っている某所(明らかにしていいのかどうかがわからんので伏せておく)で、隣の席の人が先週ぐらいから、時々咳をしている。
スタッフからは「咳やくしゃみが出る人はマスクを着用するように」という指示が出ている。
隣の人は、しゃべったこともないから人となりは不明だが、日頃、指示を無視するような態度は見かけない。
だけど、マスクはしていない。
一日目は「今日から咳が出ているのだから、明日からマスクをするのかな?」と思った。
二日目にもマスクをしていないのを見て、ふと思い浮かんだことがあった。
「この人は、マスクの感触がつらいのではないだろうか?」
本当にそうかどうかは不明。
今日は咳をあまりしていないようだったから、風邪(多分)がよくなってきたんだろうから、なによりだが、結局マスクはしてこなかったんだよね。

私はそれほど強く感じる方ではないが、発達障害者のハシクレなので、やはり服の生地によっては非常に着ているのがつらいものもある。
一日中ガマンしながら着ているなんてこともあったり。
とても敏感な人だと、ガマンして着るなんていうこともできず、かなり限られた布の種類の衣類しか着用できないものらしい。
ってことで、当然マスクってものは顔の皮膚に触れるワケだから、マスクの感触がつらかったりしたら、とてもじゃないけどマスクなんかできないよねぇ。って思ったのだ。

で、実際に発達障害者でマスクの感触が苦手っていう人がいることが判明して、さらに「息苦しさ」も感じるとのこと。
実際にマスクをしたことによる息苦しさなのか、顔をふさがれている感覚によって引き起こされる精神的な影響なのかは私にはわからないが、とにかく、発達障害者の中には、マスクを着用することがつらいタイプの人がいるということが判明。

こういうことに気付いてくれる支援者はどれぐらいいるんだろうか?
自分から「マスクをするのはつらいので」って言ってくれればわかりやすいけど、言えない人も多いんじゃないかと思う。
私は子供の頃には服がチクチクするだのと母に言っていたような気もするけど、今は誰にも言わないしねぇ・・・。
下手に「多分、定型発達者には理解できない感覚」について訴えると「神経質」「わがまま」なんていう非難が返ってきて「言わない方がよかったかな」なんていうことにもなりかねないしな。


マスクの話とは関係ないことだけど、私は多分、定型発達者のようには体温を調節できていない。
別に変温動物だってことじゃあないんだけど。
地下鉄の中が暑いのだ。
朝のラッシュ時には、ギュウギュウ詰めだからか暖房は控えめにしてくれているのでつらくないのだが、帰りは暑い。
毎日のことなので、それが事前にわかっているから、私は極限まで薄着で出かけるのだ。
おかげ様で外を歩く時には、激しく寒いが。
それでも、地下鉄の中で汗をかいてしまうことが結構ある。
どう見ても、私以外の人の方が、私よりも遥かに厚着なのだが。
普通の人って、あんなに暑くても汗はかかないのかな?
汗をかくだけでも不快なのだが、私は皮膚が弱いのか、自分の汗でじゃんじゃんただれる。
あせもぐらいだったらいいのだが、皮膚の中に汗がたまったりすると、あせもなんかと比べものにならんぐらいに長引くし、痒くて眠れなくなったり、ひび割れてきて痛かったりっていうシャレならんことに。
明日はかなり寒いらしいけど、やっぱり厚着で出かけるワケにはイカンよなぁ・・・(鬱

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2013年11月15日

障害者就職面接会

ちょっと古い話になるけど「障害者就職面接会」ってのに行った時の話でも。
障害者を採用したい企業が一か所に集まって、一斉に面接をやるっていう。
行ける機会は以前にもあったが、諸般の事情で行かなかった。
当日でも申込みができるみたいだけど、一応、事前にハローワークへ行って手続きをする。
そうするといろいろ書類とか渡される。
それ以外に履歴書だの障害者手帳のコピーだのも、面接を受ける企業分用意せいと。
かなり近くなってから、参加企業全部の求人票が載っている本みたいな分厚くてでかくて重いヤツが、ハローワークに行くと貰える。
それを見て、どの企業の面接を受けるかを決めるワケだ。
時間に限りがあるので、一度に面接を受けるのは3つとか4つぐらいかな。
人気のない企業でよけりゃあ、もっと受けられるだろうけど。

開場は12時なんだけど、その前に開くから10分前には行っとけってハローワークのおっさんに言われて、職業訓練のエライ人から「もっと早く行け」って言われたんだけど、面倒くさいんでかなりギリギリに。
12時ちょっと前には着いたけど、当然もう開場している。
しかもすごい行列で、入れたのは12時をだいぶ経過してからってことで。
車椅子とか、杖ついてるとか、手がないとか、目が悪くて白い杖、とかって人満載かと思ったら、どこに障害があるのか見てわからん感じの人が9割。
私と同じで発達障害とか、鬱病で退職に追い込まれた人とかが大部分だったりしそうな雰囲気だが。
そういうのって企業はあんまり採りたがらないんだよねぇ。
服装は大部分の人がスーツみたいな恰好だけど、少数ながらちょっと場違いな感じの服装の人もいた。
日頃滅多にスーツを着ない人が多いのか、行列にいると防虫剤(ショウノウ)のかほりが・・・。
年齢も、見た目が重役みたに見えるレベルの人までいたり。
本当にトシ喰ってるのか、老け顔なだけなのかは不明だけど。

で、受け付けが終わったけど、まだ面接をして欲しい企業に申込みはできないらしい。
そういうのは13時から。
それまで何をしろと?
どこへ行って何をすればいいのか、つーか早く行け行け言われて、何のためにかわからんので、とりあえず面接する場所の向かいに椅子がずらぁ〜〜〜〜と並んでいたから、自分の第一志望の企業の前の椅子のところに行った。
んで、空いているところに適当に座ろうと思ったら、案内のおねえさんが、面接の順番待ちの札を取るのに、椅子に順番に座れっつーて、なんと二番目。
私は全部で三社回るつもりだったんだけど、最初の企業の札を取ったら、次の企業のところに行って札を取るっていうシステムらしい。
これが結構困るんだよ。
一番じゃなかったからまだいいけど、一番の人は札の解放と同時に面接開始でしょ。
ってことは、第二志望の会社に札を取に行けない。
人気のある企業は定員の30名(一部企業は40名)に達して閉め切ってしまうワケで。

私は札を取ってすぐに第二志望の会社の札を取って、さらに第三希望の会社へ・・・行ったらね・・・
第二志望が7番。
第三志望が9番の表示になっていたんで、面接時間がかぶる危険性が。
ってことで、第一志望の会社の面接が終わってから第三希望の会社に札を取に行った。
16番でした。
終わるの遅くなるけど、面接に遅れたら失格なんで(あとでやってくれるとかないらしい)仕方がない。

今回は、どんな様子なのかとか、段取りを確認とかっていうつもりで行った。
だから、面接を受けた企業はどれも、すごく時給が高かったり条件がよかったりするところばっかり。
どれも誰でも知っているような大企業の系列会社。
当然、相手にはされないだろうと思った。
だってさ、そんな企業なんて一般枠(障害者枠じゃない、健常者の枠ね)で応募したって、履歴書を送っただけで落とされるレベルだからさ。
だから、職業訓練を受けているから家電には出られるワケないんだけど、「残念ながら」って留守電に入れておいてもらえばいいと思って、通知は家電にって言っといたんだよね。
これが間違いだった。
どの企業も留守電に、会社名は入れてくれるんだけど、ナンバーディスプレイじゃないのに電話番号も自分の部署も名前も一切入れてくれない。
こっちから折り返せないじゃん!
ってことで、三社のうち、二社も二次面接に進めたワケだが、一社は話が流れてしまった。
今回はともかく、障害者枠だと、こんなに相手にされるんだぁ〜ってことがわかったんだから、次回に期待。ってことでもいいのかなとも思うけど。

私が面接を受けた企業は条件がよかったから激混みだったけど、スカスカな企業もあった。
そういうところは時給が850円とかのところ。
時給850円の仕事でいいなら、こんなところまで来なくても、ハローワークにだっていくらでも出てるだろうしな。
それと、電話の応対が無いところが人気が高かった。
障害者って言っても、電話で話すのが難しいタイプの発達障害者とか、聴覚や構音に障害がある人とかばっかりじゃないけど、やっぱり「電話の応対がない仕事」を求める人が多い。

今回、二次面接まで進むことができた理由として、支援(どうして「私怨」って出る?)センターの指導の内容がよかったってのがあると思う。
某所での職業訓練の中でも面接練習なんてのはあったんだけど、クソの足しにもならん内容。
雲泥の差です。
履歴書も添削してもらったのだが、なるほどぉ〜〜〜〜!って感じのことが満載。
障害者(しかも発達障害者)が面接で言う内容とか、履歴書に書く内容とかって、やっぱり健常者と同じじゃダメなんだよね。
その上、面接官が「この人を採用したい」って思わせる内容っていう、なかなかスグレモノなご指導でした。

私も支援センターの人に面接に同席してもらったり、してもらわなかったりしたけど、当然同席してもらうことが可能だ。
一人で数撃ちゃ当たる方式よりも、ちゃんとした支援者を付けて臨んだ方がいいかもな。
でも、支援者もピンキリだろうと思う。
アタリが悪いと、逆に足を引っ張られたりしそう。

履歴書に貼る写真が無かったんで、直前に撮りに行ったんだけど、たまたま何だか目を見開いた感じに撮れた。
もちろん違う写真を選択することもできたんだけど、何となく、目を見開いたヤツでいいか。って思ったんで、それを使った。
今まで、そんな写真を使ったことって無かったけど、それがよかったのかも。

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職業訓練のことなど

今も職業訓練に行っている。
もちろん障害者向けのヤツ。
んで、以前行っていた職業訓練のことに関して、いろいろ詳しく書きたいのだ。
書きたいのだが、多分、威力業務妨害になると思うので書けない。
社名を伏せてもダメだろうな。
バレバレになっちゃうだろう。
正直に書くと、ほとんどの内容が悪口と取られても仕方がない内容になっちゃうと思うのだ。
それだけひどいところだったんだけど、それをちゃんと実名を挙げて書いた方が、これからそこへ行こうと思っている人の参考になるだろうなとは思う。
でも、やっぱり無理だよなぁ・・・。

これだけは書いておきたい。
そこに限らず、勝手に作り上げた「障害者像」があって、それにはまった人以外は無駄ってところがある。
私みたいなボンクラ障害者は、その「障害者像」とは違ったので、行くだけ時間とカネの無駄でしたってことだろうな。
普通の障害者は、そういう勝手な障害者像なんて無いところへ行った方が身の為だと思う。
それをどうやって見分けるかってことになると、実際に行った人に聞くのが一番いいんだろうけど、それがなかなか難しいことだよねぇ・・・。

今、行っている職業訓練は、そういう変な「障害者像」がない。
一人一人障害の種類や程度は違うから、押し付けがなければこっちは楽だけど、運営していくのはシャレならんほどキツイだうなぁ・・・と思うが。
変な障害者像は無くても、特定の業種っつーかスキルの人が対象な感じだから、それはそれで利用できるタイプの人ってのは限られるけど。

なんか、具体的な内容が書けないってのは困るな。
あんまり読んでも役に立たない内容になっちゃったかも知れない。

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2013年09月13日

「障害があるように見えない」と言われて、殴り殺したいぐらいに腹が立つ件

たまに私を見て「障害があるように見えない」と言う人がいる。
そう言われると、何がどうハラが立つっていうのは説明できないんだけど、怒りに震えるレベルなのだ。
で、何がイカンのか考えてみたのだが、私の場合、日常的に「普通の人に見える」ように振舞い続けて生活している。
それが成功しているので「障害がない普通の人」に見えるワケで。
よっぽど見抜く目みたいなのがある人でもない限り、まずわからないってことで。
だから「障害があるように見えない」ってのは当たり前って言えば当たり前だな。
その「当たり前」のことを言われてなんでこんなに腹が立つんだろう?ってことで。

私は「普通の人になりたい」と思って行動しているワケではない。
ではどうして、そういう行動をするかっていうと「普通の人」みたいに振舞わないと「わがまま」「自分勝手」「毒舌家」「常識がない」等々、非難される。
今と違って、以前は「非難されるのは100%の非が私にある」と解釈していた。
だから非難されないように、常にものすごく神経を使って行動するというパターンが身に着いた。
これがどれだけしんどいことかってのは、とてもじゃないけど定型発達者には理解できないと思うけど。
理解して欲しいとも思ってないんだけどさ。

つまり私は「普通の人に見える」こと(つまりは「障害があるように見えない」こと)を目指していないってことだな。
むしろ「障害があるから普通の人と同じにはできないんだよね」っていう認識を持って欲しいぐらいに思っているのに、「普通の人と同じにできるんだろ?」っていう、私にとっては無理な要求水準を突き付けられているって解釈しているのかなと。
私は自分の感情とか感覚がとっくにわけがわからなくなっているので、実際にはどういうことなのか、多分永遠にわからないんだけど。


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2013年09月06日

人材紹介のプロが答える発達障害の人が働くためのQ&A


私にはあんまり役に立つ内容じゃなかった。
一番最初のページの「はじめに」に

そのため、本書では発達障害を持つ方の中でも知的に遅れのない、学校の成績は優秀だけれども特性から人間関係などに困難を抱えている方の事例を多く取り上げています。

って書いてあるのを読んだ時点で「ああ・・・」って思った。
私には無縁というか、別世界のみなさんを取り上げているんだなということで。
私は心理検査の結果、IQとしては「並み」っていう結果だったんだけど、もちろん低い人もいれば高い人もいる。
何だか知らないけど、特にアスペルガーなんかは知能が高い人ばっかりみたいな誤解を与えまくるバカが多くて本当に迷惑しているが。
で、私と同様に知能が並みであっても、障害の出方によっては、学校の勉強はよくできたりするっていう人もいるようだ。
残念ながら、私はすごく努力をしても赤点なんていう、悲惨な状況だったので、むしろ学校の勉強はできない方だった。
この本で取り上げられている人たちは、確かに私と同じ「発達障害」ではあっても、真逆の立場の人たちなんだなってことで、読んでも仕方がないかなって気がアリアリでも、一応読んでみた。

前半の内容も私にはあんまり意味がない内容だった。
社会人経験がないとか、乏しい若い人たちに向けた内容かなと思う。
でも87頁の「ちょっと鏡を見てきて」はギョッとしたっつーか「そうか!」って感じ。

顔に何かついていたり、他に身だしなみで気になったりする部分がある場合、鏡を見て直してくるようにと指示をしています。その場を離れ、鏡を見て身だしなみを整えましょう。

定型発達者は「鼻毛が出てるよ」とか「鼻くそがついてるよ」って言わずに「鏡を見てきて」って言うのか!
知らなかった。
アスペルガーだと「鏡を見てきて」って言われると「鏡がどうかしたのかな?」って思って、そのまま鼻くそ満載で戻ってきて「鏡は汚れてたね」とか言いそう。
これって、鼻毛が出ている人を発見したら今度言ってみるかな。
今までは、話をしている相手の顔を一応見る(表情は読み取れないが、表面上普通の人のフリをする為にやっている)ので「コンタクト入れてる」とか「鼻毛出てる」とかはいつも気づいていたのだが、そのまま放置していた。

発達障害者って、自分もそうだけど「どのぐらい体調が悪かったら休んでいいのか」ってのが判断できない。
そういうことについては全く触れられたいなかった。
文章で表現できるような種類のことじゃないのかな?

「考えておきます」っていうのは「お断りします」って意味。なんてことも私たちは知らないので、そういう「言い換え」っていうか「裏表」は載せてくれてもよかったかと思う。

挨拶の言い方なんかも詳しく乗せているけど、そもそも挨拶(挨拶に限らずお礼の言葉とか)なんかは、とっさに出ないし、必死に言っても、すごく小さい声でしか言えないんだよね。
しかもタイミングが全然計れなくて、私なんかは明らかにフライング気味なので笑われる原因になる。
そういうことも文章では説明できない種類のものなのかなぁ?
特に挨拶は言う時にコツがあるのに。
本を書いている人は定型発達者だから「そもそもそういう言葉が出にくい」ってのがわからないのかな?

162頁の「職業選択のポイント」

そこで、仕事の選択肢に、農業などの第1次産業、工場勤務などの第2次産業を入れて見てはどうかと思います。-略-人間関係で苦しむのであれば、農業など第1次産業の体験に一度行ってみることをお勧めします。

畑を掘っくり返すとかは一人で黙々とやってもいいのかも知れないけど、田舎の方がむしろ人間関係は難しいし、うまくやれないと自分の田んぼには水を引いてもらえないなんてことになると思うんだけどね。
農業っていってもすごく種類があるから、全部がダメってことはないと思うけど、大部分が「人間関係がわずらわしい(高度なコミュニケーション能力が必要とされる)田舎」で、「先に農業をやっている人たちと協調して作業をすることが必要」なんじゃないかと思うので、むしろ向かないと思う。

第5章の経験者の話は、あまりにも「成功事例」すぎて、読んでいて殺意が沸くレベル。
177頁の

一方、障害者雇用枠でも一般枠の職種ごとの賃金体系を適用する企業では、例えば簡単な事務で月あたりの賃金は額面17〜20万円くらいからのスタートが多いそうです。もちろん勤務時間や業務内容、地域によりもう少し低い場合もあるそうです。

どこの国の話だろう???
少なくとも日本ではないよな。
そんなに給料が高いなんて、まれにあるのは知っているけど「もう少し低い場合もある」なんていうレベルじゃなく、最適時給額が普通だろ?
この本を書いた人に苦情を言いたいレベル。
これを読んだ何も知らない人が「ええ〜そんなにもらえるんだ」なんて思って、結局どこへ行っても時給850円の仕事しかなくて自殺でもしたら、責任取ってくれるんだろうな!(激怒
この本には「大部分の企業が障害者年金を貰っている前提で給料を設定していて、最低時給額しかくれないのが普通」っていう事実に全く触れていない。
これってすごく罪深いことだと思うのだが。
それとも、この本を書いた人のところに来る人たちは「お勉強がよくできた」人たちばかりだから、私みたいなバカとは状況が違うのか?

とても若い人と、その支援者には、役に立つ部分もあるかも知れないっていう程度の本。
それ以外の人には意味がないと思われ。

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2013年09月01日

特別福祉乗車券を受け取りに郵便局に行ってきた

特別福祉乗車券ですが、受け取ってきたのでご報告を。

もっと簡単に交付されるのかと思ったら、すごく複雑というかなんというか。
私が脳に障害があるからそう感じただけかも知れないけど。

郵便局へ行ったのはいいけど、まずどの窓口へ行ったらいいのかわからん。
郵便物の受け付けとかのとこじゃないよなぁ〜と思って、うろうろしていたら、郵便局員のお兄さんが案内してくださいました。
支払用紙には名前を書いておいたけど、それ以外に紙を渡されて、名前を電話番号を書けと。
それを持って、お兄さんに教えていただいた窓口へ。
窓口で番号を呼ばれたらお姉さんに用紙を渡してカネを払う。
ここからが大変でした。
お姉さんに受け取り場所を口頭で教えていただいたのだが、私にはよく理解できなかった。
ってことで、受け取り場所がわかりません。
間違えて違う窓口に行ったら、そこのお姉さんが教えてくれたけど、それでもわからず、結局受け取り場所の担当のお姉さんに発見してもらって連れて行ってもらいましたとさ。
受け取り場所は考えてみたら期間限定だからそういうことができるんだなと思ったけど、ちっちゃい特設会場みたいなのが作ってあって、そこに椅子なんかも並べてあった。
締め切りが近くなると混みあうんだろうな。
まだガラガラだったけど。

全然無事じゃないけど、一応交付してもらえましたとさ。
で、帰ろうと思って出入り口を見ましたら!

00005.JPG

案内がガッツリ。
場所は入り口を入って、ほぼ真正面にドカンと。
定型発達者だったら、ちゃんと視界に入るんだろうか?
少なくとも私は全く視界に入っていなかった。

郵便局によって対応が違うだろうから(小さい郵便局だったら、窓口は一つだろうし)、とりあえず張り紙なんかがないか、探してみてください。
来年は、もっと小さい郵便局に行くか、よ〜くキョロキョロするかしてみます。

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2013年08月31日

知的障害・発達障害の人たちのための見てわかる社会生活ガイド集

知的障害・発達障害の人たちのための見てわかる社会生活ガイド集



とても評価が高い本だったので読んでみた。
大きい本で、文字も大き目で全部にかなが振ってあるけど、かなり文字でぎっしり。
内容はわかりやすいかとは思うのだが、私にとって役に立ちそうな内容は全くなかった。
知的障害の人にとって役に立つ内容が主な感じがするのだが、私以外の発達障害の人だと役に立つこともあるのかな?
知的障害者本人が読みこなして自分にあてはめてやるのって難しいんじゃないかと思うので、支援者が読むのに向くんじゃないかとは思うが。
いろいろ問題が起こったら、大部分が支援事業所の人なんかに相談して解決するのだが、そういうシステムの中にいない私みたいな人には無関係な話だな。
私は支援を受けていないワケではないけど、この本に書いてあるようなプライベートの細かいことまで全部サポートを受けられるとも思えないし。

発達障害者は詐欺に遭いやすいし(実際に私も何度も詐欺に遭っているし)、お金の使い方とか料理を作ること(っていうか、普通の人みたいにきっちり三食食べること)とか、服装のこととか、健常者とは違う特有の問題ってのがあるので、そういうのを早期に指導を受けるのは、とても重要なことだと思う。
まあ、私の場合は自分が障害者だってのがはっきりしたのは最近だから、そういうことをきっちりサポートしてくれるようなシステムが存在したとしても(ないような気がするけど)、完全に手遅れなワケだが。


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2013年08月25日

特別福祉乗車券の制度改正

横浜市健康福祉局/障害福祉のあんない/外出を支援するサービス/福祉特別乗車券(バス・地下鉄乗車券)の交付

私は障害者なので、横浜市営交通と民営バスが無料になるパス(福祉特別乗車券「福祉パス」)をいただいている。
で、今まではこのパスは無料だったんだけど、今年の10月から制度が改正になるのだ。
んで、詳細は八月に送るっていう通達があったのだが、それがようやく届いたワケです。

今までは無料だったが、利用者負担金(年間1200円、20歳未満は600円)が必要になる。
今までは知能指数50以下の人(愛の手帳A1〜B1)しか対象ではなかったが、知能指数51〜75の人(愛の手帳B2)も対象になる。
有効期間が4月1日〜翌年3月31日だったが、10月1日〜翌年9月30日に変更。


それ以外にも大幅に変わったことが。
受け取り方法も変わったのだ。

今までは役所から郵送されてきていた。
今度からは郵便局(簡易郵便局を除く)に納付書を持って行って窓口で負担金を支払うと、その場でパスがもらえる。
因みにゆうちょ銀行・郵便局の取り扱い時間は午前9時〜午後4時です。
土日祝日はもちろん休みです。

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2013年08月24日

付き合いが長くなると職場にいづらくなる原因

私は生まれつき障害者ではあるが、障害者手帳を交付されて統計上の「障害者」になってから、まだ一年ほど。
で、それまでは「他の人も自分と根本的には変わらない」という過った見方で過ごしてきたので、どうしても理解できないことや、どう努力してもうまくいかないことだらけだった。
じゃあ、今はうまいこといくようになったのか?というと、そんなワケもなく。
ただ、今まで「自分だけが、まったくルールを教えてもらっていないゲームの真っただ中に、突然放り込まれた」ような人生を送っていたのが、「少しだけルールが理解できはじめてきた」というふうに変わってきたと思う。

で、今までいろいろな仕事をした。
どんな仕事に就いても長続きしない。
しかも、最初から適性なんかを調べるまでもなく(適性を調べた結果も同じだったワケだが)、絶対に向かないし絶対にやりたくない接客業なども多くやってきた。
当然、続けられるワケがない。
毎日が針を飲むような気持ちで働いていた。
いつ鬱病が発症してもおかしくない状況だったんだよな。
この先もまた、いつ鬱病が再発してもおかしくないワケだけど。

接客以外の仕事でも、長続きはしなかった。
職場の人とうまくやっていけないのだ。
何十年も試行錯誤を繰り返してきて、うわべだけ「普通の人のふり」をするのがとても上手になったし(それが発達障害を発見してもらえないという悲劇にも結び付くワケだが)、常に無理をしていなければいけないので非常に疲れはするけど、それなりに周りに合わせて行動はできる(したくないけど)。
それなのに、一つの職場で半年とか一年とかが経過すると、だんだんいづらくなるのだ。
毎回そうなんで、自分に原因があるらしいっていうことまではわかるが、どうしてそうなるのかが全くわからなかった。

自分の障害を少しずつ理解できるようになってきて、だんだん「原因」が見えてくるようになった。

たとえば、若い女の人は大部分がブランドものが好きだったり、好きとまでいかなくても「価値があるもの」と考えているだろう。
ブランドものじゃなくても高価な宝石とか。
そういうものを職場の誰かが持って来たり、その場に現物が無かったとしても、そういうものの話題になったとする。
当然私にも話が振られる。
日頃「普通の人のフリ」をし続けて、普通に受け答えをしている私には、当然「普通の受け答え」が期待されているワケだ。
そこで私が「ブランドものは、値段に見合った価値があるとは思えない」とか「同じ柄のバッグを持っている女はバカかと思う」と言い出したり「宝石を買うカネがあったら、美味しいものでも食べた方がいい」なんて言ったら、その人たちはどう思うだろうか?
「本当はルイヴィトンのバッグが欲しいくせに、ひがんでいる」「ダイヤの指輪が欲しいと思っているくせに、わざとひねくれたことを言っている」などという、ありがたくないレッテルを貼っていただくことになる。
決して「そういう考え方の人なんだ」なんて思ってもらえない。
そういうふうに思ってくれる人は、多分百人に一人ぐらいはいると思うけど「いないもの」と思って話をした方が身の為だ。

高級品以外でも「大多数の人が好ましいと思うもの」「大多数の人が価値があると思うもの」に対して、私が「大多数」とは大幅に異なった反応を示すことは「大多数」の人たちは許さない。
「ひねくていて性格の悪い人」ということで処理される。

そうやって、何十年もかかって「本心では全然そういうふうに思っていないけど、本心とは全く違うことを言った方が、この場はいいよな」という判断を瞬時にして会話をする習慣がついた。
確かに、一度しか会わない相手とか、数回会ってその後は会う機会もない相手には非常に有効だ。
その場の雰囲気も悪くならないし、会話もスムーズになる。
ただ、長期間にわたって関わり合う相手にこれをやると、次第にうまくいかなくなるのだ。

最初のうちはそれでもいい。
周囲に合わせて、ひたすら「心にもないこと」を言い続けて「普通の人のフリ」をしていればいい。
でも、時間が経つと「本当はこれイヤなんだけどな」っていうことが、どんどんたまってくる。
でも、いまさらそんなことは言えない状況になっている。
「昨日までみんなと同じでいいって言っていたのに、突然何を言い出すんだ?」みたいなことになる。
どんどん話のつじつまも合わなくなってくる。
というワケで、時間が経てば経つほど、私は職場の人たちに何をどう言えばいいのかがわからなくなる。

最初に本当のことを言えば、後で整合性が取れなくなるっていう心配もないが、すぐに「何この人?」ってことになって、すぐに職場にはいられなくなるだろう。
でも、嘘をつき続ければ、どんどん自分の首が締まる。
嘘を言うこと自体が、非常に負担にもなる。

私にとって「人と会話をする」ということは「心にもないことを、相手の中の常識を読みながらそれに合わせて嘘を言う」ということなのだ。

今までうまくいかなかったカラクリが見えてきても「じゃあ、どうやったら解決するか」が見えないので、まったく救われることはない。

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2013年07月26日

手が早いか 脳が早いか

これから書くことは、何の裏づけもない話で、自分の状態と定型発達者を比較してみて「こういうことなんじゃないか」みたいに思ったことを書きます。

定型発達者は、脳と体がとてもうまく連携しているようなのです。
だから自分の体に違和感も感じないんですね。
私は(すべての発達障害者がそうということでもないかも知れないけど)自分の体にとても違和感があります。
まるで借り物を使っているかのような違和感です。
手だけではなく全身に違和感がありますが、特に手は頻繁に使うせいか、日常的に違和感を感じます。
思うように動かないんですよね。
そのせいで、子供の頃には折り紙も折れないぐらい、とても不器用でした。
リボン結びができるようになったのは高校生になってからです。
単純に「自分は生まれつき不器用なんだ」ぐらいに思っていましたが。

私は脳で考えたことを体に伝えても、なかなか思うようには動いてくれません。
心理検査で、文字や図形などの違いを読み取る速度が、普通の人よりかなり速いという結果が出ました。
脳で素早く認識できても、それを出力するのが難しいのではないかと思います。
出力は「文字を書く」ことであったり「言葉で話す」ことだったりではないかと。

発達障害者は、この
インプットとアウトプットの連携のまずさ
のようなものの為に、定型発達者とまったく同じ学習方法では効果が出ないことがあるのではないか?と考えました。

学校では「書いて覚える」ということをさせられます。
漢字を覚える時に(その前にひらがなを覚える時だって)大きなマス目のノートに何十回とか何百回とか書いて覚えるように指示されます。
私は言われた通りにやっていましたが、何百回書いても覚えることができませんでした。
当時は単純に「自分は頭がとても悪いので覚えることができない」と考えていました。

数年前に漢字検定を受験しました。
その時の学習方法が、これまでのやり方とは全く違うものでした。
覚える時に書くのは、基本的に一回だけ。
それも、とてもゆっくり。
あとは、頭の中に漢字を思い浮かべる。
以上。
次に書くのは、覚えられたかどうかの確認の時だけ。

ピアノを長年習っていましたが、まったく上達しませんでした。
三味線を短い期間やっていますが、異常に上達しています。
やり方を変えたのです。

定型発達者は脳の性質上、
何度も何度も手(場合によっては足など他の部位)を動かすことによって、脳が処理をできるようになる
のではないかと思うのです。
だから、漢字を覚えたければ何度も何度も書きますし、楽器が上達したければ、何度も何度も弾き続けます。
発達障害者は(もちろん全員ではありません)
脳が処理できるようになって初めて、手が思うように動く
のではないかと思います。

発達障害者は、いつもと違う行動を要求されたり、突然予定が変わると混乱をする場合が多いです。
実際に私もそうです。
自分の頭の中に構築できる行動はスムーズにできますが、それができない状況(先が読めない、初めての出来事など)だと、パニックを起こしたり、不安になったり、ものすごく不快な感覚に襲われます。

発達障害者の中に「片づけられない」という人がいることは、比較的知られていると思いますが、「料理を作ることができない」という人もいるようです。
料理って、文字通り「さじ加減」が必要で、毎回同じ火加減で同じ時間煮れば必ず同じ結果というワケにはいきません。

定型発達者はいちいち意識しなくても、体の側からのインプット(「目で見て焼き具合を確認する」といった)と、それを随時アウトプットする(「焼けたと判断したので裏返す」といった)ことが、渾然一体となって、スムーズに進行しているのではないかと思うのです。
料理のできない発達障害者は(私は幸運にも困らない程度には料理ができるので、実際にどうなのかはわかりませんが)、この一連の作業のインプットとアウトプットがスムーズにいかないのではないかと思います。
「頭の中で構築できている事柄」しか手に伝えられませんから、「加減をしつつ」といったことは難しいんですよね。

私は全く療育を受けることがなく、大人になってしまいましたので、今の子供たちがどういった療育を受けているのかは知りません。
ですから、私が心配しなくても障害の種類や程度に応じた「定型発達者とは異なる学習方法」もちゃんと教えてもらえているのかも知れません。
それなら問題がないのですが、私のように努力をいくらしても成果が出なくて、つらい学生時代を送ってしまう発達障害者がいなくなるように、発達障害者本人はもちろん、周囲の大人(親や教師)にも「同じやり方では成果が上がりにくい」ということを周知してもらえたらと思います。
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2013年05月04日

アスペルガー症候群がなくなるらしい

障害が治って健常者になるっていう、うれしい?話ではなく、分類が変更になるっていう話。
単に名称が変更になるっていうぐらいのことなら、たいして実害はないのだが、これまで障害者として認定されている人までが、障害者として認定されなくなるんじゃないかってことで。

消えるアスペルガー症候群 米診断手引19年ぶり改訂で

米国の「精神障害の診断と統計の手引き」(略称は「DSM」)っていうのがあって、アメリカ精神医学会ってところで作っているんだけど、世界中で使われていて、日本でもたいていこれを使っているらしい。
今までの発達障害の分類っていうのは、前に紹介したけど広汎性発達障害(PDD)の中に「アスペルガー症候群」があるっていうことになっていた。
2013年5月(って今じゃないか!)に改訂されるDSM第5版では、重い自閉症からアスペルガー症候群までを連続的に捉える「自閉症スペクトラム(連続体)障害」に一本化されるそうな。
学習障害(LD)や注意欠陥多動性障害(ADHD)の人は今までと一緒なのかな?と思うのだが(このあたりは報道されているのを見かけないのだが)、多くの人がアスペルガーとADHDと両方持っていたりする。
そういう人は障害者のままかなと思うけど、私は自覚できる範囲ではアスペルガーだけかなと思うのだ。
すごく大変な思いをして障害者手帳を取得したけど、ロクに役にも立たないうちに、健常者ってことにされちゃうのかな。

エール大の研究グループのMcPartland, Reichow, Volkmar(2004)とかいう論文(私は英語がわからんので興味のある人は自分で調べてください)で「4分の3の人が診断されなくなる」ってことで騒ぎになったワケです。
でも、これによると「DSM-IV(今までのヤツね)で分析された子どもの89〜93%は、さらにDSM-5(新しいヤツ)の提案された基準を満たしました」って話だ。
これがそのまま日本人にもあてはまるのか?ってのは疑問が残るけど「多少は基準から外れて障害者手帳を取り上げられるとか取得できないっていう人も出てくるけど、大部分は障害者のまま」ってことかな。

アスペルガー=頭がいい
っていう偏見があるみたいだから、それがなくなるってのはいいことかな。


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2013年03月29日

自閉症の子供の世界を体感できるゲームの映像


聴覚過敏症を持つ、自閉症の子どもの世界を体感できるインタラクティブ・ゲーム「Auti-SIM」のプレイ動画です。自閉症への関心と理解を深めるために作られたそう。

これを見て、すごく驚いた。
これって普通じゃん!と思ったのだ。
逆に定型発達者ってこういうふうに聞こえていないの!?
うそぉぉぉん・・・

人の言葉が聞き取りづらいのって、こういうのも関係しているのかな。
言葉を解釈する脳の部分の問題かなと思っていたのだが。
定型発達者と違って、一つの言葉から連想される範囲が極端に狭いらしいので。
そういえば三味線のレッスンを受けている最中に、他の人の三味線の音が混ざっちゃって、自分の三味線のチューニングがでけんことがよくあるのだ。
全部の音がいっぺんに聞こえているんだよね。
普通の人って、そういうことがないのかな。
いいなぁ。
便利そう。

普段の聞こえ方は、だいたいこの動画みたいな感じ。
常にうるさいっつーか聞こえづらいっつーか、子供の声みたいな高い音は耳がどうとかっていうレベルじゃなくアタマに直に響く。
それが普通だけどな!(激怒)
で、それ以上にひどい時もあって、その時はもっと細かい雑音みたいなのも全部拾うので、まともに生活がでけん。
仕方がないから病院に行くんだけど、聴覚検査で異常ナシっていう。
長いことその状態になっていないけど、あれはものすごくつらい。


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2013年03月28日

二次障害について

発達障害者は、生まれつきの脳の障害である発達障害とは別に精神病などの「二次障害」を発症することがあります。
全員がかならずなるということはありません。
幸運にもならずに済む人もいます。

一つ目の二次障害を発症する原因としては、定型発達者と同様にストレスです。
私たちは感覚も習慣も違う宇宙人の中で生活しているようなものですから、通常はものすごいストレス状態に置かれています。
その為、適切な対応を受けられない状況にあると二次障害を発症してしまうことが多いようです。

二次障害で鬱病になったという人がよくいますが(私もそうです)、双極性障害(躁鬱病)や強迫神経症、アルコールなどの依存症なども二次障害とされているようです。
具体的な二次障害とされるもののリストを探してみましたが見つかりませんでした。
ひきこもりなども二次障害として紹介されているものもありましたが。

二つ目の原因は、発達障害者特有のものです。
発達障害者はドーパミン神経系やノルアドレナリン神経系、セロトニン神経系の異常も見られるそうで、そういったものが直接的に発達障害者に特有の言動の原因ともなっているのですが、精神病にも影響するものです。
このあたりは、まだまだ発達障害自体の解明が十分ではないので、メカニズムは不明な部分も多いようですが、発達障害者は生まれつき精神病を発症しやすい脳の障害を持つということのようです。

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2013年03月17日

自立支援医療(精神通院医療)について

精神疾患の治療の為に医療機関に通院する場合に、医療費の自己負担分の一部を公費で負担する制度です。
これは一年更新です。
私は障害者手帳と同時に申請しました。
これも医師に書類を書いてもらわなければならないので、当然お金がかかってしまうのですが、障害者手帳の申請と同時にやると、通常障害者手帳用と自立支援用の二つ分かかるお金が一つ分で済みます。
障害者手帳を取得したら、自立支援も受けなければならないという種類のものではないので、どちらか一方だけを受けることも可能です。
実際に私は、うつ病で通院していた時は自立支援だけを受けていました。
申請は役所の障害者手帳と同じ窓口です。

それがもらえるとどうなるかというと、医療費が安くなります。
ただし、特定の病院の医療費と、特定の薬が対象になるので、ハライタおこして近所の内科で胃薬を貰ったなんていうものは普通の支払になります。
以前、自立支援を受けて心療内科でついでに花粉症の薬を出してもらったことがありますが、抗鬱剤などは安くなりますが、花粉症の薬は対象外になるので安くなりませんでした。
また、収入によっても、どのぐらい安くなるかは変わってきます。


posted by ひと at 19:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 発達障害 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

障害者就労相談センター

私は障害者枠で就労するという目的があったので、発達障害者支援センターから障害者就労相談センターを紹介されました。

「発達障害者支援センター」と違って「障害者」が対象なので、発達障害の人はもちろん、他の障害を持っている人も利用します。

地域によって名称やサポートの内容が異なるようです。
他の地域は「障害者職業センター」というものがあるようですが、それと似たようなものなのか、まったく異なるのかは不明です。

仕事を探している障害者は必ずここに行かなければならないということではありません。
ただ、ここでは様々な「職業能力評価」というものをしてくれるので、それによって適性を判断して、仕事を探しやすくなるし、合いそうな仕事も紹介してくれるということなので行きました。
しかし、行ったら必ず仕事が決まるということではありませんし、平日しかやっていないので通うことができるのは「時間とカネに余裕のある人」でないと難しいのではないかと思います。
ですから、考えた結果「行かない」という判断をする人もいます。

これも残念ながら一番最初の申込みは電話のみでした。
電話で「見学」のようなものを申込みます。
いきなり通所の申込みは受け付けないシステムでした。

建物の中を一通り見せてもらって説明を受けます。
それが終わったら「正式に申込みをするかしないか」を聞かれます。
申し込みをする場合は「就労支援申込書」を提出する必要があるので、その用紙を渡されます。
その用紙を持って、病院で記入してもらいます。
病院ではなく発達障害者支援センターでもよかったように記憶していますが、それを書いてもらえなければ申込みはできません。

申し込みをしてからかなり待たされます。
一人に一人ずつ「担当者」がつくそうで、それが決まらないことには始めてもらえません。
病院で書類を書いてもらうのを待って郵送で提出して、受理されましたって連絡が来て、それからさらに一か月以上かかったので、最初の面接までに三か月ほどかかりました。

面接は今までの職歴などを聞かれました。
どういうことが苦手かとか、どういういきさつで自分の発達障害に気付いたかなどを質問されました。
初回はいろいろ質問されて終了。
その次から「職業能力評価」が始まります。

通常、一週間に一度、一回約二時間で二〜三か月かかるそうです。
私は尋常でない早さで進んでしまったようで、あちらの都合で二週間に一度ぐらいになってしまったり、毎回一時間ちょっとぐらいで終わりましたが、三か月以内に終了してしまいました。

一つ一つの「職業能力評価」はさまざまな単調な作業をこなすだけです。

ビニール袋にナスのおもちゃみたいなのを三個入れる。
袋の端を止める。
それを五個作れ。
次はミカン三個。

とか

A4ぐらいの紙一枚に、四角い枠がたくさん書いてある。
その枠からはみ出ないように、白い細長いシールをひたすら貼る。

とか。
毎回数種類の作業をやります。
当然障害の種類によってはできないものもあるので、人によってやるものも変わってきます。
多分私は全部やったんだと思います。

いつもは担当者と一対一でやるのですが、最後だけ大勢でやります。
いつもの担当者とは違う人が指示を出します。

最初に準備運動。
次は握力測定。
別に普段の時でもやれたんじゃないかと思ったり。
若い頃は40kg近くあった握力ではございますが、すっかりトシ喰ってよぼよぼですので20kgぐらいしかありませんでした。
次は反復横跳び。
二回やって、ちょっと気持ち悪くなりました。
次はケースに入った牛乳瓶を紙の箱にうつして、決められた場所に運んで、全部移し終わったら、またケースに移してっていう、非常にむなしさを感じる作業で、ロシアの拷問が想起されました。
次は猫車(知らない人は調べてください)で、ラインの上を走行。
次はボルトだのナットだのをひたすらバラす。
でもこれってテストではなく、この後のテストのための準備なのでは?って思うのだが。
その為だけに午前中から呼ばれた人かわいそうすぎ。
で、昼休み。
午後からは、当然のことながら午前中にバラしたボルトだのナットだのが登場です。
そいつを全員で分担してラインで流して組み立てるという。
全員で相談してくださいって言われたけど、できないよ!
これが一番きつかったな。
協調性とか見るのかな?
手作業の速さとか正確さみたいなのを見るテストじゃないと思われ。
ようやく最後のテストです。
最後はお待ちかね?の木製の箱みたいなのを作るヤツ。
木の板に、場所や順番が指示されているので釘を打っていって組み立てる。
慌てないでゆっくりやっていいような話だったけど、実は時間を計っていた。
をい!速くやった方がよかったのかよ!
出来上がったヤツを持って帰れとか言われた。
邪魔くさいし、こんなのいらねぇ!とは思ったけど、素直に持って帰ってきた。

必死にやって「よい結果」が出ても意味がないし、かといって適当にやってもいけないだろうし、私の障害の特性上「ほどほど」にやるということができないので、どの程度、力を入れてやればいいのかがわからなくて困りました。

全部終わったら、「支援計画書」ってのが送られてきます。
実際の私の「支援計画書」も載せておきます。

002.jpg

因みに

作業速度の評価段階
A 障害のない人と比較して早い方
B 障害のない人に劣らない
C 障害のない人に比較して多少劣る
D 障害のない人に比べかなり劣る
E 作業が困難なレベル

作業精度の評価段階
a 問題がない
b やや問題がある
c かなり問題がある


となっています。
私の結果を見てみます。
速度は全てAかBです。
それは「障害のない普通の人と同じかそれより速い」ということです。
精度もすべてaの「問題がない」なので、何をやっても健常者と同じかそれ以上にできるということです。
一見非常によい結果のように思えますが、考えてみてください。
これは「どんな作業に向いていて、どんな作業だとうまくできないか」みたいなのを絞り込むためなのですよ。
で、その結果を見て「こういう職種だったらいいんじゃないか」みたいな話になるワケです。
全部できちゃったら、何の仕事でもできますってことになっちゃうでしょ?
だったら、今までやったことが全部何の意味もないってことです。

全部終わったので、障害者向けの求人を紹介してもらえることにはなりました。
いくつか紹介はしてもらいましたが、実際に面接まで行けたのは一社だけ。
それも不採用でした。

posted by ひと at 19:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 発達障害 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

障害者手帳を交付してもらう

IQが75以上の場合、交付できる障害者手帳は「精神障害者保健福祉手帳」のみになります。
平成7(1995)年から始まったそうなので、あまり知識のない医師から「発達障害で障害者手帳は取れない」と言われることもあるようです。
実際には、医師から正式に発達障害であるとの診断が出れば障害者手帳の交付は可能です。
手帳を交付されると、さまざまなサポートが受けられたりするのですが、その内容は自治体ごとに異なります。
そういうことに手厚い自治体と、そうでない自治体があるというのが現状です。

私は3級の認定を受けています。
等級が上になるほど(数字が小さくなるほど)受けられるサポートは増えます。
正直3級はあまりサポートがないので、「障害者枠で就業したい」というように考えていない場合は、必ずしも取得した方がいいとも言い切れません。
もちろん障害者枠で就業するためには、必ずこの手帳が必要になりますが。

私が実際に活用できているのは
・市営交通が無料(追記:制度が変更になって負担金が発生することになりました)
・税金の障害者控除
・動物園などの入場料金の減額や免除
・携帯電話の障害者割引
ぐらいです。

市営交通が無料と言っても、JRなどは無料にはなりませんから、住んでいる地域によってはあまり意味がない場合もありますし、税金の控除もそれなりの収入のある人にとっては大きなメリットですが、ほとんど収入のない人にとっては無意味です。
ただ、家族がたくさん稼いでいる場合には意味があるようです。
このあたりは私には家族がいないので、私には詳細はわかりません。

障害者手帳を交付してもらう為には医師に所定の用紙(区役所や地域によっては市役所でもらいます)に記入してもらって役所に提出します。
医師に書いてもらうのに、通常五千円ほどかかります。
しかも、最初に病院へ行ってから半年以上経過しなければ申請をすることができません。
これは他の「治ったり、障害の程度が変化するもの」(事故などで体が不自由になった場合)と一緒くたにした基準なのではないかと思いますが、本当のところはわかりません。
発達障害が治るワケがないので、半年待たなければならないというのは納得は行かないのですが。
申請の時に写真も必要になります。

 通院開始
  ↓半年
 障害者手帳の申請
  ↓約二か月
 障害者手帳の交付


という感じになります。

手帳は二年更新です。
治らないのに更新が必要だというのもどうかとは思いますが。
つまり二年ごとに医師に書類を書いてもらわなければならないのでその為の費用も必要ということです。
しかも通院しつづけなければ次回の更新はできません。
治らないのに?
私のように二次障害が無い場合、投薬も必要がないので行く意味はあまりないと思いますが、手帳を持ち続けたければ通院するしかありません。
この場合通常、一か月に一度程度の通院になるようです。

つまり
「手帳を持っていることによるメリット」
「手帳を持ち続ける為にかかる費用などのデメリット」
を比較して、デメリットの方が大きければ障害者手帳を大変な思いをして取得する必要がなかろうという話になります。

私は障害者手帳の申請と同時に自立支援の申請もしました。

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病院で受けた心理検査のことなど

前述したとおり、心療内科や精神科の一部の病院でやっています。
私の場合は「WAIS-III」というのと、他にいくつか受けました。

WAIS-IIIはだいたい二時間ほどをかけて、臨床心理士と二人っきりで受けます。
いろいろな種類の検査をします。
絵や文字を見て答えるものや、パズルのようなものもあります。
やっていて正直「こんなんで何がわかるんだろう?」という気もしましたが、これでいろいろなことがわかるようです。

実際にどうなのかは専門家でもない私にはわかりませんが、医師がこれらの心理検査の結果や問診、発達障害者支援センターからの「報告書」(私の子供の頃の様子などを聞かれたりしたので、その結果をまとめたものだと思います。できれば母も一緒に来てほしいと言われましたが、それは無理なので、電話や手紙による聞き取りの結果を発達障害者支援センターの相談員に伝えました)の内容などで発達障害者か否か、発達障害であるとしたらどのタイプかなどの判断をするのではないかと思います。

実際の私の「WAIS-III」の結果を載せます。

001.jpg

画像を見られない環境の方もおられると思いますので数値も書いておきます。
携帯からでも見られるブログなんだけど、実際に見ている人がいるのかどうか知らんけど。

全検査IQ 108 言語性IQ 104 動作性IQ 112
言語理解 114 知覚統合 112 作動記憶 85 処理速度 130

定型発達者がこの検査を受けると、私のように数値がバラバラにはならず、全体に高いとか全体に低いというような結果が出るそうです。



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発達障害者支援センターでのやり取り

地域や対応をしてくれた相談員によって、いろいろだと思いますが、私個人の経験を紹介しておきます。
人によって相談の内容が異なりますが、私の場合は主に就職のことでした。

最初に面談の申込みをします。
私の地域の発達障害者支援センターは最初の受け付けは電話のみでした。
発達障害者の多くは私のように電話で会話をすることが難しいと思うので、このあたりは改善して欲しいと思います。
メールでやり取りをできるように配慮をしていただきましたので、発達障害者支援センターへ電話をかける必要があったのは、最初の一回だけでした。

電話で面談の予約を入れてから、約二か月後に一回目の面談でした。

まず若い兄ちゃん(臨床心理士の相談員)登場。
で、記入用紙を三種類渡されました。

一枚目。
自分の住所氏名。
家族の名前とか年齢とか。

二枚目。
ネットなんかでも見かけるような内容の質問紙。
「大勢で集まる席は好きですか」「相手の表情から感情を読み取るのは得意ですか」みたいな。

三枚目。
いろんな質問。
「どんなことで困っているか」とか「ともだちはいるか」「困ったときに相談できる人はいるか」などなど。

で、紙を全部書き終わったら紙を持ってきた若い兄ちゃんと、新手のおっさん登場。

聞かれた内容は、最初は仕事のこと。
いつごろどんな内容の仕事をどのぐらいの期間やったかみたいな。
その次に子供の頃から何があったかみたいな質問。
仕事を転々としているので、仕事の説明だけでかなりの時間がかかりました。

で、私から聞き取った内容を二人で検討して、次に何をどうせぇという指示を下さるということで、ちょっと待たされました。
で、再び二人が登場。

これから私が仕事を探す前に、どんなことが得意で、どんなことが苦手なのかみたいなことを詳しく調べてからの方がいいですみたいな話。
私が以前通院していた心療内科がどうやら発達障害関連の指定医院?みたいなやつらしく、そこでいいので心理検査ってのを受けて来いと。
んで、その結果を持ってまた発達障害者支援センターへ来てくれってことでした。
私の担当医だった先生はその病院にはいないので、別の病院(担当医だった先生のいる病院)の方でいいか?と聞いたのだが、かまわないけど、心理検査とか発達障害関連のことを受け付けられない病院もあるので、問い合わせが必要らしい。
問い合わせた結果、心理検査を受け付けてくれないということで、発達障害者支援センターから紹介してもらった病院へ行くことになりました。

紹介された病院で心理検査を受け、結果を貰って再び発達障害者支援センターへ行きます。
病院でも一応心理検査の結果を教えてはくれるのですが、具体的にどういうことなのかは素人にはよくわかりませんでした。
相談員がその結果から「これはこういうことですよ」という、理解しやすい言葉にして説明してくれました。
それでやっと内容が少し理解できました。
それでもすべてが完全に理解できるということはないですが。
病院で受けた心理検査のことなどに結果を載せましたが、私が出した数値はあまり出ないレベルらしく、相談員は終始半笑いでした。

posted by ひと at 19:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 発達障害 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

発達障害かな?と思ったら

自閉症スペクトラム指数(Autism-Spectrum Quotient: AQ)自己診断

これで自己診断が可能ですが、高い数値が出たからといって必ず発達障害だということではありません。
因みに私は33点でした。
33点が閾値で、33点以上だとアスペルガー症候群、高機能自閉症(PDDのうち知的障害のないもの)の可能性が高いそうです。

発達障害と言っても種類がいろいろとあります
そして、判明した年齢によっても状況が違います。
若ければ若いほど、受けられる行政などのサポートが多いのが現状です。

ここではあくまでも私が経験した内容を主にご紹介するので、成人になってから判明した場合について説明します。
未成年者は別の支援になります。

日本中どこにでも「発達障害者支援センター」というものがあります。
発達障害者支援センター一覧
私はまず、ここへ行きました。
地域によって状況は大幅に異なるのですが、今はどこでも混みあっているようで、私は申し込んでから一回目の面談まで二か月ほどかかりました。

そんなん待ってられっか!という方は、直接病院に行くという手段もあります。
発達障害であるという診断は病院でしかしてもらえません。
ですから発達障害者支援センターに先に行ったとしても、診断を希望しているのであれば、病院へも行く必要があります。
診断には心理検査というものをしなければならないのですが、どの病院でもやってくれるということではないので、それをやってくれる病院を探さなければなりません。
通常、心療内科や精神科の一部の病院でやっています。
自分でかたっぱしからそういう病院に電話をかけて問い合わせても探すことは可能でしょうが、私の場合は発達障害者支援センターに紹介してもらいました。
後々いろいろな書類(障害者手帳障害者就労相談センターに厄介になる時などに)が必要になりましたので、そういうものに詳しい病院を紹介してもらうことができて、結果としてはとてもよかったと思っています。
全然わかっていない医師も少なくないようなので。
わけがわかっていない医師の場合、書類を書いてもらうのもかなり面倒らしいです。

最近、何かと発達障害が取り上げられるので、診断をしてくれる病院はどこも非常に混んでいるようです。
前々から病院は不足している状態だったようで、以前から地域によっては「四年待ちだった」というような話もありました。
幸い私は首都圏なので、すぐにやってもらえましたが。
今後はますます混みあう可能性も大きいと思います。
それと、一部の病院ではあまりにも「思い込みで来る人」が多すぎるので、本物っぽい人が行っても門前払いになることもあるようです。

発達障害について書かれている本もたくさん出ていますが、徐々に解明されていっている所なので、出版年月日があまり古いものは避けたほうがいいと思います。

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発達障害って何?

生まれつきの脳の障害の一種です。
「先天的な様々な要因による発達遅延」っていうことらしいですが、主観的には「遅延」っていうより「種類が違う」っていう感じはします。
まだまだ詳しいことは解明されていません。
治ることはありませんが、一部で「治る」と騙るアヤシゲなものも出回っています。
分類は変更になる予定があるそうですが、現時点では

                   ┌─自閉症
 ・広汎性発達障害(PDD)─┼─アスペルガー症候群
                   └─トゥレット症候群
 ・学習障害(LD)
 ・注意欠陥多動性障害(ADHD)


「アスペルガー症候群の人は学習障害になることがない」というようなことではなく、多くの人が二種類とか三種類を同時に持っているそうです。
「アスペルガー症候群でADHDでもある」というように。
因みに私はこの中の「アスペルガー症候群」というものにあたります。
他のものは指摘されなかったので、私の場合は珍しく一種類だけなのかも知れません。

上記の分類でIQが75以上(70が基準と書いてあるものも見かけますが、私が受けた説明では75が境界でした)あると「軽度発達障害」という名称になります。
あくまでIQだけの問題なので、発達障害自体が重いとか軽いとかということではないです。

発達障害でも種類や、その人自体の障害とは別に「個性」のようなもので、表れ方は変わってきますし、早期に療育を受けると、かなり違うようです。

一般的に多い症状は
他人とコミュニケーションをとることが苦手(空気が読めない・遠回しな表現が理解できない)
「非常識」と思われるような行動ととる
予定が急に変更になるとストレスになったりパニックを起こしたりする
などなど。

子供の頃には「しつけができていない」というふうに誤解されることが多いです。
集団行動が苦手だし、わがまま、自分勝手というふうに見えてしまいます。

発達障害の人は「勉強がよくできるのだが、コミュニケーションがうまくできないので就職につまづく」というふうに誤解されて理解されていることが多いように思います。
実際には「勉強がよくできる」人もいれば、私のように「まったく勉強ができなかった」人も多いですし、「知能は高い」という誤解をしている人もいるようですが、それも全く根拠のないことです。
「天才」と呼ばれるような人たちが発達障害であったという事実を見て「他の人も全員そうなんだ」と思われてしまっているようですが、定型発達者の中に「天才」はごく一部であるのと同様に、発達障害者の中にも「天才」はごく一部です。
ただ、能力にばらつきがあるので、一部の能力が定型発達者から見てずば抜けていたりすることはよくあります。

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これから発達障害のことを語ろうと思う

今でも最終目標(マトモな定職に就く)ってのが達成されていないし、それ以外のことも全然うまくは行っていないんだけど、時間があるうちに今までのことをまとめておこうと思う。
もっと結末が見えてから、データとして有効な形でまとめたいなと思ったけど、中途半端になってしまうけど仕方がない。

で、カテゴリに「発達障害」ってのを追加しました。
今までにも何度か発達障害関連の記事があったけど、それは面倒なのでそのままにしておきます。

発達障害に興味のない人は、別に見なくてかまいません。
見たい人とか、必要のある人だけ見ればいいと思います。
別に「関係の無いヤツは見るな」っていうことでもないので、誰に見てもらってもかまわないですが。

質問のある人はコメント欄に書き込んでいってください。
答えられる範囲で答えます。


・発達障害って何?
・発達障害かな?と思ったら
・発達障害者支援センターでのやり取り
・病院で受けた心理検査のことなど
・障害者手帳を交付してもらう
・障害者就労相談センター
・自立支援医療(精神通院医療)について
・二次障害について



定型発達者という言葉がたびたび出てきます。
これは発達障害者以外の人という意味で使っています。
障害者であっても乙武さんのように発達障害ではない人は「定型発達者」です。
だから「障害者と健常者」という表現を使ってしまうとわかりにくいと思うので、「発達障害者と定型発達者」という表現を使わせてもらいます。

posted by ひと at 19:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 発達障害 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする