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2024年11月10日

2024年9月30〜10月11日◆我動く故に我思う(後編)

これの続きです。

「アフォーダンス理論」なのだが、「環境から影響を受けて人間は人間らしくなったんだ」というこの理屈が何となく武田先生は惹き付けられた。
人間の体もそんなふうにできているそうで、私達はその環境から学んで体を作った。
その体が心を作った、とそう言う。

では「人間の体についてみてみましょう」というワケだが、人間というのは骨というものがあって、その骨に中心棒がない。
中心の棒が無くてバラバラの骨が筋肉・筋(すじ)で結ばれていて

 筋は、−中略−ゴムのように伸び縮みしている。運動に使われる横紋筋も、骨を「引く」ことはできるが、柔らかいので「押す」ことはできない。力を伝えるために弾性素材を用いる場合、引く力は不安定であり、それで骨を特定の軌道上を正確に動かすようなことは困難である。(100頁)

この「引く力」しかないというのが人間に力を出させるパワーというか、技をいくつもこさえた。
この間、YouTubeで格闘技に入ってしまった。
合気道のお手本か何かを見ていたらYouTubeが気を利かせて格闘技ばかり並べる。
その中で沖縄空手とキックボクシングの対戦を見せる。
それの対戦を見ていて沖縄の○○空手を習った人がやたらと強い。
(普通の空手とは)違うように見えた。
動きがブルース・リーっぽいというのか。
詠春拳(えいしゅんけん)とかという中国独特の拳法があるのだが、それに似て。
沖縄空手もいっぱいあるようだ。
だからどれがどれだかわからないが、その中で解説の人が思わず言った「彼のやっている沖縄空手の流派は夫婦(みょうと)手という特有の体の使い方がありましてね」と。
アッパーカットで敵を殴っていると思ってください。
普通ボクシングはアッパーカットと片一方の腕でガーン!とかち揚げる。
その人は丸くかち揚げる。
例えば左右一個一個バラバラにしないで、腕を丸い円にしておいて左右に振っていく。
アッパーカットもそれを縦にしておいて・・・
上からやったら下からもやるという。
常に両腕が円を描いている状態でアッパーとかフックのパンチがあったりする。
その動きが独特で強い。
これが何でかというと左右の両手を同時に動かすことによってパワーアップするそうだ。
皆さんもちょっとやってみて下さい。
武田先生も今ちょっと試していて、左右バラバラに使わない、一緒に使う。
それを「夫婦手」「女房と亭主が一緒に行動している」という。
「何かに似てるな」と思ったらゴルフのスイングに似ている。
「ゴルフは沖縄空手でいうところの夫婦手なのか」と思って。
そういえばそんなふうにも名選手の動きは見える。
体を捻じり上げるアップとダウンからフォロースルーまで一瞬のうちに両手が回転していく。
こうなると力学の世界だと思う水谷譲。
それでアフォーダンス理論というのはそういう力学がある。
今言った「夫婦手」もそうだが「引く力」のパワーアップなのだ。
夫婦手は右手で殴りに行くということは左手が右手を引くということ。
そうすると体にこめられた「引く力」というのを存分に使えるという。
この夫婦手の方法で今度は弓を引く。
弓は右手と左手、別々の動きをする。
右手で引いたら左手は押す。
ここで弓で的を狙う時の初心者と熟練者の違いは何か?

初心者の場合には、一つの関節での動きは、他の関節にそのまま伝わり、結果として全身の動揺を大きくしている。一方、熟練者では、たとえば手首での垂直方向へのぐらつきが肩での拮抗する方向への動きによって相殺されるというように、特定の関節群の動揺が他の多数の関節群の動きに「吸収」され、結果として手首の動揺が小さくなる。(102頁)

これがアフォーダンス能力なのだという。

手先の揺れを少なくするために、もう一つの技を獲得している。それは視覚のスキルである。運動スキルが向上すると周囲の「見え方」が変わる、それが、「視野(注意)が広がる」こととして体験されると述べる熟練者は多い。(106頁)

こういう例え方もある。
これはトランポリンの選手、あれは模様で判断するそうだ。
トランポリンの選手は真っ直ぐにピョンピョン飛び上がる。
あの時は世界全体を縦縞にする。
その縦縞をなぞる。
そうすると真っ直ぐ上昇している。
自分を円筒形の筒の中に入れる。
それから捻りをてっぺんで得て回転して降りてくる。
あの時は世界を横縞にする。
自分の世界を縞模様にしてしまう。
それで回転して世界を作り変えるという。
こういうのは面白い。
円筒形の筒の中にいる。
そこに自分が真ん中に立っていて円筒形の中で上下する。
今度は「右に回転する」「左に回転する」は、らせんで落ちていく。
そういう模様で世界を捉えるという。
こういうふうにして、世界の見え方が変わることによって自分の動きを決めるという。
これは普通の人間にもあって、それが錯覚。
自分が列車に乗って横の列車が動くと自分の列車が動いたように思ってしまう。
洗車をする時に自分の車が動いているように見えるが実は動いていない、プルプルと掃除機の方が動いていると思う水谷譲。
それを支配しているのがまさしくアフォーダンス理論。

壁全体が床から切り離され、前後左右に揺らすことのできる部屋に参加者が入る。参加者が壁を見たときをみはからって、壁をほんのわずか数cm動かす。すると参加者の姿勢が変化する。−中略−参加者の姿勢は壁の微妙な動きに同調するように動く。−中略−壁が遠ざかる方向に動いたとき、乳児は前に倒れ、乳児のほうに迫るように動いたときには後ろに倒れることが多かった。(107〜108頁)

そういうのもいわゆる「アフォードしなければならない」という体の命令に言うことを聞いてしまう。
昔、遊園地にビックリハウスというのがあったと思う水谷譲。
あれもきっとそう。
ここを支配しているのがいわゆる「アフォード」「環境が変わるからオマエは変わる」という。
そして赤ちゃんがハイハイから立ち上がって歩き出す。
この歩き出す時に赤ちゃんには歩く筋肉は一切無い。
この間まで這っていたワケだから。
ところが一回立ち上がると歩こうとする。
それは赤ちゃんに何が起こったかというと、環境が赤ちゃんに対して「歩け」とアフォードして歩行させる。
わかりにくいかも知れないが、例えると操り人形。
これは上から吊られている。
だから操り人形は歩いているように見える。
では赤ちゃんが歩くことはどういうことかというと、下から吊られているという。
重力。
赤ちゃんが立ち上がった。
筋力は何も持っていない。
でも、尻を落とせば座ってしまう。
でも尻を上げている。
そして感じているのは下から引っ張られている。
そして立っている。
歩く。
歩くと出した足の方から急激に重力が彼を引っ張ってくる。
だからそちら側に体重を乗せて次の足を出すという。
操り人形は上から吊られ、赤ちゃんは下から吊られて歩くことを覚える。
こうやって環境の中に適応する自分を見つけてゆくという。
その時に赤ちゃんに何が一体課題として与えられるか?というのを(武田先生は)日付まで書いてある。

2024年6月12日
(武田先生が行っている合気道の道場の)オザキ五段と道場で脱力の話になった。
道場の先輩で段位が上の、技術的に凄いところに行っている人で、師範も勤まるという方がおっしゃった。
「赤ちゃんというのは歩く為の筋肉を持っていないのに、環境にアフォードされて歩こうとするという。この時、赤ちゃんを支配しているのは重力である。重力は命令する。赤ちゃんに何を命令しているかというと『脱力せよ』。全身から脱力する。脱力して次の足を出す。そうすると歩行に向いてくる。そこに力が加わるとすぐに倒れる」

「アフォーダンス理論」なんていうのに触れていると、人間の根本を考える。
この本だが「新版 アフォーダンス」(著者は)佐々木正人さん、岩波(科学)ライブラリー。

新版 アフォーダンス (岩波科学ライブラリー)



この「アフォーダンス理論」というのは面白い本。
そんなことを言うのは何だが、合気道をやっておいてよかった。
いつも叱られる。
「武田さん、ほら、また力入ってますよ。脱力脱力」と。
「脱力」の意味がわからなくて。
「力を抜く」というのは考えたら難しい。
ただ、上手い人を見ていると「あ、脱力してるな、この人」というのはわかる。
ゴルフファンが一人スタジオで退屈そうな顔をしているので、つまんない話ですいませんでした。
ゴルフの話をするとカッと目を開く人なので話してしまうが。
8月ぐらいだったか、本当にこんな、か弱い子が、川崎春花だったか箱根という非常にキツめのゴルフ場で戦っている。
この人がパットが上手い。
カッポンカッポン入れる。
この人のストローク、パターを見ていると力が入っていないのがわかる。
例の夫婦手。
パターのフォームが夫婦手になっている。
右手でも打っていない、左手でも打っていない。
両手で輪をキープしながら打っている。
その時に小さい動作の中に、もの凄い鍛錬とか、もの凄い覚悟とか奥義みたいなものを感じた。
だから「小さい動きって大事だな」と。
でもその小さい動きに関して肩を叩いてくれたのは合気道という武道で。
これは敵がいない武道なのでオリンピックの種目でもないのだが、でも武道が持っている何事かを考えるにはもってこいの武道だな、と。
オザキ五段に「脱力が難しい」と言ったら「一番最初に、でも我々は脱力から始まったんですよ」とオザキ先輩が言ったので「どういう意味ですか?」と言ったら「ハイハイしてた赤ちゃんが立ち上がって歩く筋肉持っていないのに一歩、二歩歩くというのは脱力のパワーですよ」。
下から引く重力に身を任すという、そういうもの凄く大胆不敵なことができるという。
我々は意思を持って歩こうとする。
歩行の一番重大なことは「重力に身を任せる」という。
「その次に大事なことは何でしょうね?」と言ったら「中心線を真っ直ぐ持つことです」。
この中心線がまた西洋の「気を付け」と違う。
「体幹」でもいいかも知れない。
「正中線がしっかりしている」「真っ直ぐ前を向いている」という。
赤ん坊は斜めに歩いたりしない。
一歩、二歩、三歩と上手くいく時は正中線が真ん中で。
武田先生は正中線が歪んでいて真っ直ぐ立てない。
下手くそな柔道をやっていたから、弱いから腰を引いてしまう。
オリンピックでもそう。
真っ直ぐ正中線を広げて相手を取るという人はいない。
みんな横。
外国はもう柔道というのはローマ字の「JUDO」だから真っ直ぐなんて一人もいない。
正面を向いているのは日本選手だけ。
何で横を向くか?
あれは投げられない為。
「そんな度胸ではダメだ」と柔道は言っている。
合気道はそう。
「絶えず相手に対して真っ直ぐ向きなさい」という。
でも真っ直ぐ向くと投げられてしまう。
知っている。
武田先生は何回も投げられた。
「よし、来い」と言って何遍投げられたか。
それで歪む。
斜に構えてしまう。
斜に構えると、うちの指導者は厳しい。
「正中線歪んでます。力入ってますよ」と言う。
「脱力」「正中線」
何だ?
それをバッタリ両方見た。
それが「柔」を歌っている美空ひばりが出てくる。



美空ひばりが姿三四郎の恰好をして歌っている。
姿三四郎の恰好をしているから袴の結び目が分かるのだが、真っ直ぐ前を向いている。
それでマイクが垂直に立っている例の古い時代のヤツ。
それとブレない。
彼女の顔が正中線からわずかに横に振るだけ。
もう一つ、呼吸が違う。
あの袴を履いている帯、これが息をする為に上下しない。
腹式の深いヤツ。
特殊な呼吸法がある。
吸っていないのに吐き続ける。
その時に袴を履いているとその声が出しやすいらしい。
恐らく袴が彼女に特有の呼吸法をさせている。
ベルトではない。
ベルトと帯は違う。
これはやるとわかるが、帯を結ぶと腹が前に出る。
その時に骨盤が少し後ろに反りくり返って腹が付き出る。
優勝した横綱が優勝カップを抱いて記念写真に収まるあのお腹。
この時に美空ひばりは真っ直ぐ正中線を客席に向ける。
袴の帯の結び目が正面のマイクと重なって左右にブレない。

ちょっと話が横道に逸れたが、人間の基本を考えてゆくとアフォーダンス理論というのは大浮上してくる。
脱力の難しさ、そのことを話しているうちに、いつの間にか美空ひばりさんの歌い方みたいなところまで行ってしまったのだが元に戻す。

人間の基本的な動きの中に「体が貯えた知恵」というのがある。
それが我々は思い出せない。
例えば生まれたばかりの赤ちゃんを見てみよう。
これはアフォーダンス。
典型的に環境から学ぼうとしている。

 新生児は誕生後ほどなくミルクを吸い、嚥下(飲みこむ)する。二つの運動リズムは協調している。「吸う」と「飲む」の協調が安全な栄養摂取をもたらしている。(113頁)

ミルクを吸う時、通常は舌の先端が下がり、後端が上がる。舌がちょうどこの「しなるムチ」のような状態の時に、口蓋の奥が広く開き、ミルクが食道へと押し出されるなら誤嚥は起こらない。(113頁)

無意識にそれをやっている。
でも分解するとこれくらい難度が高い。
この「吸う」「飲む」は二拍子である。

このリズムの獲得に問題をもつ一部の早産児や運動障害児では、誤嚥が起こり重篤な肺炎につながることもある。(113頁)

赤ちゃんにとって誤嚥というのは命の危険だが、年寄りにとってもそう。
このへんもパッと頭にひらめいたのだが、赤ちゃんと年寄りは似てくる。
武田先生はそういうふうに読んでしまった。
誤嚥ということを警戒する為に、母親が「吸う」「飲む」の二拍子を体を叩いて赤ちゃんに教えること。
トントン。
あのミルクを飲ませながらトントンと叩くのは「吸う・飲む、吸う・飲む・・・」。
そのリズムに乗って赤ちゃんは「吸う」「飲む」を繰り返す。
だからお母さんの手のひらはそのリズムを知っている。
これぞまさしくアフォーダンス理論。
こういうアフォードされることによって体が学習していく。
そういうふうに考えないと、人間というものは理解できないという。

この本を読みながら「俺が今、脱力に関してこんなに興味を持ったのは何か?」。
年を取ったから。
つまり赤ちゃんと同じ課題を与えられているという。
これから先、きっと「脱力する」という能力が年を取ってからもの凄く重大になる。
それは二拍子で、もう一度ものを噛むとか飲み込むとかやらないと、若い人間をきどって喰いながら喋ったり、言いかけておいて飲み込もうとしたりという二つ動作を重ねようとした時に・・・
飲みながら顔を向けたりするとむせると思う水谷譲。
ということは、これから学ぶべきは「赤ちゃんの時に授けられた、体が覚えた知恵をもう一度なぞらないと年取ってはいけないよ」という。
なぜ躓くかというと力が入っているから。
そうやって考えると「生まれたばかり」と「老い先」というのは非常に形が似てくるるぞ、と。
そんなふうにして自分に言い聞かせるとアフォーダンス理論というのがぐっと身近に迫ってくるような気がする。
そしてこれから先、「脱力する」という能力が年取ってからもの凄く重大になる。
ゴルフにしてもそうだと思う水谷譲。
柔道もそう。
一瞬に脱力をどう使うか?
全部力が入っていたら、相手の技にかかってしまう。
ローマ字の「JUDO」と漢字の「柔道」が今、こんがらがってしまっていて、どうもローマ字のJUDOの方がオリンピックでは武器になり得るのだが、でも私達はオリンピックでメダルを獲る為の柔道を「柔(やわら)」とは呼ばなかった。
「柔」は「柔かい道」。
美空ひばりが「柔」という歌を歌っていた。

勝つと思うな 思えば負けよ(「柔」美空ひばり)

メダルを獲るなんてどこも柔は目指してないぞ。
(この歌の)二番が凄い。
人は人なり、迷いもする。
メダルも欲しくなるだろう。
でも人は人なり、迷いもあるけれども、そんな自分を捨てると自分という限界を超えてゆくことができますよ、という。
ここから学びましょう。

人間の手の骨格は、27本の小さな骨から構成されている。指と手根骨部分(手のひらの骨)だけでも15の関節があり、そこの自由度は20である。−中略−腕には、関節が7、筋が26、各筋ごとに運動ユニットが約100あると言われる。したがって、筋のレベルだけで2600の自由度がある。(99頁)

これに肘、肩が付いているワケだから、動かし方は2600×300で78万通りの動かし方ができる。
これでピアノ演奏なんかをやるから「なるほど」。
考えたら演奏というのがいかに凄いか。
これを動かしているのがアフォーダンス。
「環境から与えられて」という。
ちょっと武田先生も根拠がよくわからないのだが、人間が部分で作られているという。

それで水谷譲に見せたかったもの。
水谷譲の為に組み立てた。
これはテンセグリティ構造。

テンセグリティ テーブル テンセグリティ構造 反重力テーブルモデル テンセグリティモデル 反重力テーブルオーナメント バランスゲーム テンセグリティ テンセグリティ構造 装飾品 物理学 教育玩具 科学実験 テーブル置物 科学教育 室内装飾 卓上装飾



テンセグリメントといって中心の棒がない。
直径10cmぐらいの丸い板が上と下にある。
それを繋いでいるのが四本の鎖と一本のゴム。
上から斜めに出ている柱と下から斜めに出ている柱をゴムが繋いでいる。
これはどういう力加減かというと、下の丸い板に釘付けられた柱は、相棒の木の杭を上げようとしている。
上げようとする柱と、今度は逆に上にくっついていて下げようとする柱がゴムで結ばれている。
そうすると中心の棒はないのに、物を乗せる台ができるという。
柱がない。
これが何を意味しているかというと、さっき言った肩。
肩というのは、背中の骨と繋がってない。
筋肉というゴムで結ばれている。
そのことによって自在に動くことが可能。
だから脱臼すると思う水谷譲。
柱があると固定されてしまって折れてしまったらお終いだが、これで自在に動くことが可能。
不安定に見えるが実は安定している。
これは「テンセグリティ構造」といって近代建築なんかにも今、取り入れられているという。
バラバラな部品を筋肉の筋を思わせる糸で結んでゆく。
そうすると全く違う構造の建物ができる。

一番最後に佐々木さんが面白いロボットの話を。
これは架空ではない。

 1988年の段階で「研究所をうろつき回り、ドアの開いた部屋を見つけて入り、机の上から空き缶を回収し、それを物置場にもって行く」ことを目標とする14層からなるクリーチャーが動いていた。−中略−
 クリーチャーは、
−中略−火星での鉱物探索用ロボットとして開発された。従来型のロボットが、地形や自己位置の同定、目標までの経路プランの計算のために、数時間をかけて1mを進むのがやっとだったのに対して、クリーチャーは人間の歩行とほぼ同じ速度でサンプルの収集を行うことができた。21世紀になって、クリーチャーの開発者らは会社を設立し、家庭用掃除ロボット「ルンバ」を制作した。ルンバでは「壁伝いに動く」、「障害物にぶつかったら移動角度をランダムに変更して、そこから脱する」、「段差を検知して、転倒や落下する前に方向を変える」などの多層モジュールが並列し、競合し、結果として部屋の中を動き回り、ほこりや小さなごみをかき出して吸い込み、一定時間掃除をすると充電器(「ホーム」)を探して戻る。(116〜117頁)

ルンバ コンボ j5 ロボット掃除機 アイロボット(iRobot) 掃除機掛けと水拭き掃除が一度で完了 水拭き 両用 マッピング 薄型&静音設計 強力吸引 自動充電 Wi-Fi接続 Alexa対応 カーペット 畳 j517860 【充電が全自動】



(番組内で話された「NASAの人が定年退職になったので、クリーチャーをお掃除ロボットにした」という話は本の中には出てこない)
そうやって考えると皆さんにお話ししているアフォーダンス理論というのがルンバになったとも思えば「愉快であろうなぁ」というふうに思う。
というワケで語り尽くしたアフォーダンス理論。


2024年9月30〜10月11日◆我動く故に我思う(前編)

(かなり後になるまでネタ元の書籍の紹介をしないが、今回は「新版 アフォーダンス」)

新版 アフォーダンス (岩波科学ライブラリー)



(番組の最初の方は、以前ネタ元に使った「なぜ世界はそう見えるのか」という本に載っている話。
2024年2月19日〜3月1日◆なぜ世界はそう見えるのか

なぜ世界はそう見えるのか:主観と知覚の科学



ちょっと小難しいタイトルを付けてしまったが「我動く故に我思う」。
デカルトの有名なセリフ「我思う故に我在り」。
「人間は考えるんだ」「それ故に私はあるんだ」と。
ところが昨今、この説が揺れ始めた。
いや、「我思う」じゃないんだ、と「我動く」だから「我思う」なんだ。
この説は本能的に正しいと思ってしまった。
これは「アフォーダンス理論」。
「アフォーダンス理論」とかと言うと、何だか阿波踊りの踊り方みたいで。
だがそういう意味ではなくて、どうも人間は頭で考えて世界を見ているのではなくて世界を見ているうちに「私」を思うようになったという。
そんな考え方が武田先生は好きなのだが、「それは科学的に正しいよ」と言ってくださる方がおられて。
その人がJ・ギブソン。
(番組の中で「ギブソン」と言ったり「ギブスン」と言ったりしているようだが、本に従って全て「ギブソン」に統一する)
フォークシンガーだったら(有名なギターブランド名の)「ギブソン」だから好きになる。。
ちょとダジャレだが。
そのギブソン博士の説、アフォーダンス理論に惹かれてしまった。

ギブソン博士の方々が調べた結果。
荷物を友達と二人で上げている。
棚上げしている。
棚上げしている時に二人が話している内容をよく聞くと明るい話題が多い。
仕事は大変なのにも関わらず。
今度は棚下ろしで物をおろしている時。
二人の話しをよく聞いていると暗い話が多い。
「体がそう動く時、心もそう動く」という。
これはピンとくるスポーツのシーン。
サッカー。
先制点を入れられるとキャプテンが絶叫「下向くな!下向くな!」。
「下を向くな」と言う。
「反撃に出る時に下を向くと体が応じない」という。
こういう人間の見方というのは面白い。
人間というのは「体がそう動けば心もそう動く」という。
本能でやっていること。
この「本能」が調べていくと凄い。
このJ・ギブソンという博士は徹底してそのことを調べる。
体がいかに人間を作っていくか。
つまり体が人間を作ったんだ。
人間が体を作ったんじゃない。

二足歩行からして考えてみよう。
赤ちゃんはまず天井を見ているけれど、やがて寝返りを打って今度はハイハイをするようになる。

要は赤ちゃんが端から落ちてしまいそうに見えるテーブルである−中略−。テーブル上に透明で分厚いガラス板を載せるが、テーブルの天板が尽きたあとの空間にも、ガラス板だけが突き出しているようにする。(「なぜ世界はそう見えるのか」35頁)

ジョニー坊や−中略−をテーブルの中央の、断崖のすぐ手前に載せる。ジョニーの両側には深く落ち込んだ視覚的断崖のあるガラス板(深い側)と、残りの天板部分(浅い側)との二つが広がっている。こうしておいて母親が、最初は断崖の向こうの深い側から、次はテーブルの天板がある浅い側からジョニーを呼ぶのである。−中略−二七人の乳児全員が、少なくとも一度は嬉しそうに浅い側を這っていったが、勇気を奮って見かけ上の穴に這い出していったのは、わずか三人にとどまった。(「なぜ世界はそう見えるのか」36〜37頁)

全く教えられていないのに「落ちる」という恐怖感を、生まれながらに持っている。
つまり「体が知っているんだ」と。
やがては掴み立ちして立ち上がる。
立ち上がってよせばいいのに、一歩、歩こうとする。
歴史的な瞬間。
あれはよく考えると凄く不思議。
這えばいい。
立って歩いた練習をしていない。
それが立ち上がった瞬間に歩こうとする。
何でだろう?
これをJ・ギブソンという人が「それは赤ちゃんに何者かが歩かせようとしているんだ」という。
歩かせようとしている者は何者だ?
「地面だ」という。
地面が歩かせようとしている、という。
これがアフォーダンス理論。

「我動く故に我思う」
知能を持ったAIロボットを作ったという例え話から今回は始める。
アフォーダンス理論。

 1台のロボットがいた。仮にロボットTと名づけておこう。ある日ロボットTは、唯一のエネルギー源である予備バッテリーのしまってある部屋に、何者かが時限爆弾を仕掛け、それがまもなく爆発するようにセットされていることを知った。このような危機的状況を知った場合には「部屋からバッテリーを取り出す」ようにプログラムされていたロボットTは、部屋に入り、バッテリーをそれが乗っているワゴンごと持ち出した。ところがなんと、ワゴンの上にはバッテリーとともに爆弾も乗っていた。部屋の外で、ロボットIはバッテリーと一緒に爆発した。−中略−
 最初の失敗を分析した設計者は、
−中略−行為の直接の結果だけでなく、その結果、環境に副次的に起こることについても推論できるように、ロボットTのプログラムを書き換えた。ロボットUが誕生した。
 さて、ロボットUはプログラムに従って「部屋からバッテリーを取り出す」ために、いち早くバッテリーのある部屋に向かい、ワゴンの前で推論をはじめた。
−中略−ワゴンを持ち出すことにともなって環境に起こる副次的結果について考えつづけた。その間に、部屋のどこかで爆弾が破裂した。
 設計者はこの失敗から、行為にともなう副次的な結果のすべてについて推論していると、時間がいくらあっても足りないことに気づいた。そこで一つのアイデアを思い付いた。「そうだ! ロボットに、目的としている行為に関係している結果と、無関係な結果との区別を教えてやり、関係のないことは無視するようにすればよいのだ」と。ロボットVが完成した。
 同じ状況にこの最新のロボットを置いてみた。ところがロボットVは全然動かない。ロボットVに「何をしているのか」と尋ねてみた。ロボットVは答えた。「黙って! ぼくはこれからやろうとしていることに関係のないことを見つけて、それを無視するのにいそがしいんだ。関係のないことは限りなくあるんだ……」。
 最新のロボットVが動きだす前に、部屋のどこかで爆発音がした。
(2〜4頁)

「完璧なロボットを作るということがいかに難しいか」ということは、私達はそんな難しいことを簡単にやっている。
何でそれが簡単にできるかというと、私そのものが考えているのではなくて、環境が私を動かす、と。
その「環境」とは何か?

 たとえば、「2次元の網膜像からなぜ3次元が近くされるのか」という、古くから哲学者たちを悩ませた大問題がある。(8頁)

ところが武田先生は水谷譲を見ると同時に水谷譲の後ろ側の窓の向こう側の景色も一緒に見ている。
つまり奥行がある。
この「奥行」とは一体何だ?

平面上にある2点の距離と、二つの点それぞれから遠くにある対象までの角度を計測し、それらの値を利用して対象である3点目の位置を算定する「幾何計算(三角測量)」をする機構が「こころ」の動きにあるとすれば簡単に説明できるだろう、とデカルトは考えた。(8頁)

「だから心の知性は凄い」と言った。
だから心を作るとすれば膨大なプログラムが必要になる。
私達はそれを楽々やっている。
一体、心は何をどう動かして操っているんだろう?
心を操っているのが実は環境ではないか?という。

ロボットで考えると人間は凄い。
人工知能を仕込んだロボットがある。
そのロボットに「客に向かって紅茶を運べ」と命じる。
「紅茶を運べ」と言うとロボットが一番最初にやったことは(中に入った紅茶から)カップを引き剥がすこと。
だから紅茶をまず捨ててしまうところから始める。
カップをまず切り離さないと紅茶は運べないから。
その上に「カップと紅茶を分けてはいけない」と指示しないとロボットは動かない。
ところがここで困ったことは、それで届けられたとしても飲み終わった後「カップを持ってこい。後片付けするぞ」という「洗う」とかと言わずに「後片付けするから」と入力すると途中でコップを捨てる可能性がある。
だがこれを物心ついた子供は、教えられなくてもちゃんとやる。
「お茶持ってって」と言ったらお茶だけを手のひらに乗せようとする子はいない。
ロボットがやるとすると膨大なプログラムが必要なのに、子供は物心がついたらできる。
それは何でか?
最初の一歩と同じ。
彼女、或いは彼を動かしているのは、彼の意思とかではなくて「環境」。
環境が彼を動かしている、彼女を動かしている。
だからロボットより遥かに賢いことができる。
私達は環境に対してそのように見る本能がある。
そこが人間の知能の面白いところで。
小っちゃな赤ちゃんに向かってママが「あれ取ってちょうだい」と言ったらその子は指を見ないで差したものを見る。
猫は指を見ると思う水谷譲。

武田先生の暮らしの中でそのシーンを見たことがあるが、東京にお住みの方は思い出される方がいらっしゃると思う。
東名高速道路に向かう三軒茶屋手前の道。
首都高速道路というのは不思議なものでアップダウンがわかりにくい。
実はゆったりと登っているのだが、その手前が下っているものだから、傾斜が車で走っているとわからずに、下っているつもりでブレーキを踏まれる。
次々に踏むもので渋滞してしまう。
そこで高速道路を管理する人が何を考えたかというと、その下っているように見えるところに明りの点滅を付けて次々に灯っていく。
そうするとそれは、流れを連想させて思わずアクセルを踏んでしまう。
それで渋滞がなくなるという。
そういう仕掛け。
(「エスコートライト」と呼ばれる誘導灯)
これが何をしろと言われているのか、環境の中から意味を見出していく。
ママがいて赤ちゃんがいて、ママが何かを指差すと小さい頃は指先を見てしまうが、指差すといつの頃か、一年も経たない、何か月かで指差している指の先の方を見るようになる。
これは指示。
凄く面白いことに生き物でできるのは人間とチンパンジー。
もの凄く高等なアフォーダンス。
あらゆる風景の中から「自分はどうすればいいのか」という意味を見つけていく。

 たとえば音のつながりは、一つのメロディーとして聞こえる。−中略−メロディーは、要素である個々の音とは異なるレベルの「秩序」である。(14頁)

「見ることの不思議さ」だが、とにかく人間は意味を見つけようとする。
例えば点がある、線がある。
そういうものを見ると「意味があるんじゃないか」と見てしまう。
そうするとこれが文字になる。
文字とはアフォーダンス。
そして見続けると意味が変わってくる。
「ゲシュタルト崩壊」
じっと見ていると違うものに見えてくるという。
例えば「虎」という漢字を一つか二つだったら「虎」と書ける。
ところがこれを千ぐらい続けて書くと(混乱してくる)。
こういうのを「ゲシュタルト崩壊」と言って。
感覚は目や耳や皮膚が主人公ではなく生き物の感覚であって、生き物の感覚そのものは別のものが操っているという。
見ることが網膜に写った映像では説明できない。
当たり前の視覚。
実はその「当たり前」の中にもの凄く重大な何かが隠れているのではないか?
そのことに気が付いたアメリカの博士がジェームズ・ギブソン。

「こんなことをやられてしまうともう勝てるワケが無ぇな」と思うのだが、このJ・ギブソンという人がどこからこういう研究を始めたかというと、1940年、日本とアメリカが戦争に入った瞬間に優秀なパイロットを作る為の適性テストをやりたい」と空軍が言い出した。
(本によると1942年)

 パイロット、ナヴィゲーター、爆撃手などの候補者となる、すぐれた「空間能力」を持つものを選抜することが、従軍した「ギブソン大尉」に与えられた任務だった。(23頁)

ここからアフォーダンス理論が始まった。

 着陸のときに「どこを見るか」は非常に重要である。着陸時には、滑走路の見えがパイロットに向かって「流れて」くる。流れが湧き出る中心が着陸の「照準」になり、流れの速さやその変化はそこに向かう飛行機の速度と加速度を示している。(33頁)

今度は上昇する時は重要なのは飛んでいる空間の変化から自分は今、空中のどのへんにいるか、見るということは変化する風景を見ている。
変化する風景の中から自分を見る。
風景の中のキメ、勾配、面、配列、光。
そういうものが次々に彼をアフォードしていく。
考えてみると凄いこと。

「奥行」とは何であろうか?

 ギブソンは、薄いプラスティック板を切って大きな正方形にしたプレートをたくさん用意した。板の色は白か黒の2色で、すべての正方形板の中心に直径約30cmの穴をあけた。プラスティック板は、−中略−約5cm間隔で、白と黒の順に交互に置かれた。(39頁)

板の列のまん中の30cmの穴の連なりをのぞきこんでみると、思いがけないものが見えた。−中略−白黒のストライプのある長い「トンネル」が見えたのである(39〜40頁)

でもそれはトンネルではない。
板の穴。
そこにトンネルを見てしまうというのが視覚のアフォード。

トンネルが見えるかどうかは、配列する板の枚数、つまり並べたプレートの密度によっていた。5m間に7枚の板を並べる条件ではただ板が並べて置かれていることが見えるだけで、「トンネル」には見えない。同じ幅に36枚を並べると、だれにでもトンネルが見えた。(40頁)

では他の生き物はどうなっているか?
J・ギブソンさんはすぐに動物を調べた。
動物の目というのは特色がある。

頭の両側にあるウマの目は、それぞれが215度の視野を持ち、視野は両眼で大きく重なっている。ヤギやウサギなどの草食動物でも同じである。この「パノラマ眼」とよばれている眼がとらえている世界は、一つの像には結ばない。(42頁)

これはやはり敏感になる。

各眼に二つずつ、両眼を合わせると四つの「中心窩−中略−」をもつ鳥がいる。さらに、飛行中に水平線の鮮明な視野を得るためなのだろう、両眼を横断する「細長い帯状中心窩」をもつ鳥もいる。(42頁)

「なるほどな」と思う。
だから上手く飛べる。
でも「水平が入って見える」というのは鳥がそう言ったのか?と思う水谷譲。
これは工学的に分析、分解したのだろう。
動物ごとに目ん玉が違うワケだから、トンボなんていうのは目ん玉が飛び出しているワケだから。
だからトンボになったら全然違う世界が見えてくるというふうに思った方がよくて。
ハエは複眼。
あれはマルチキャメラと同じで。
後ろが見えるヤツもいたりんなんかする。

眼の上半分を水面上に出し、水面の上下の両方にいつも注意を向けている「ヨツメウオ」では、眼の解剖学的構造や機能も左右ではなく、上下に分かれている。(43頁)

これは、とどのつまりは進化論。
我々人間というのはどうかというと、目に関して言うと手元を凄く大事にした。
手元をよく見る為に首は上下左右に動くようになるし、光の濃度に過敏で風景の「明るい・暗い」の中から奥行をパッと見つけ出すという能力がある。
見ることは視覚・聴覚・触覚などの情報、これを全部集めて見ているのだという。
このへんが生き物の面白いところ。
そう考えると賢いと思う水谷譲。

もっともっと不思議な話が続くのだが、ちょっと余計なことも書いているので。
6月15日の日付があるが、香川高松で鼎談をして大好きな哲学者の内田(樹)先生と釈(徹宗)先生。
浄土真宗系のお坊さん。
武田先生と三人で。
その時にこぼれ話だが、武田先生は内田先生の理論を聞いていると芸能界で生き抜く知恵を授けられているような。
内田先生は不思議だったらしくて。
「私のどこが芸能人の知恵になるんですか?」
そういうことを言われて
あまり上手い、いい返事ができなかったのだが。
(でも芸能人の知恵に)なる。
こういう「アフォーダンス理論」みたいなことも、教えてもらったのは内田先生。
武田先生がこんなことを自分で見つける能力なんかない。
ただ、新しい理屈として内田先生が「アフォーダンス理論」というのをしきりに本の中に書いておられて、それで「面白いな」と思うようになったのだが。
やはり辿っていくと、アフォーダンス理論というのは本当に面白い。
それは演技などにも関係してくるものなのかと思う水谷譲。

数m先の部屋の壁に鉄棒をスライドで投影して上下に動かした。そして、どの位置なら「脚だけで登れる」段の高さかを観察者に判断させた。平均身長約160cm、190cmの二つのグループで、ぎりぎり「登れる」バーの高さは、観察者の股下長の0.88倍だった。(68頁)

股下の長さが0.88倍以上だと飛びつく、以下だと飛びつかない。
(番組では「飛びつく」か否かという話になっているが本によると「脚だけで登れる」か否か)
(飛びつくことができないので)「凄いんだぜ。体操選手が飛びついて回っちゃうんだぜ」と説明したがる武田先生。
「よくやったよあの子は、金さすが」と言いながら。
股下の長さがたっぷりある、0.88倍以上ある人は飛びつく。
つまり自分の体が何をするかを、その人が思うよりも先に決定してしまう。
例えばトム・クルーズ。
「スパイ大作戦」

ミッション:インポッシブル/ ローグネイション (字幕版)



ビルの谷間に爆発物があって、ファっとトム・クルーズがビルの谷間に身を潜めて爆風を逃れる。
あれも瞬時。
これも実は環境が決定することであって、その隙間に自分の体が入れるかどうか、これはもう本能的に動くそうで

肩幅の1.3倍を境界として、それより狭いすき間は「からだを回さなければ通過できない」ところと知覚されていることがわかった。(69頁)

提示されるバーを「くぐる」か「またぐ」かについて大学生に聞くと、答えは知覚者の脚の長さの1.07倍のところを境界にして変わる。1.07倍よりも低いバーは「またぐ」、それよりも高いバーは「くぐる」行為が妥当だと見える。(69頁)

行為の性質は環境に導かれて行動する。

次の例は皆さんもやってみてください。
武田先生はズバリだったので驚いた。
こういうことがあるから「アフォーダンス理論て面白いな」と。

 頭をこの本から少し上げて、前の机の上を見ていただきたい。机の端にあるペン立てには手先が届くだろうか。そのペン立ては、イスの背もたれに背をつけたままの姿勢では「届かない」と知覚されるかも知れない。しかし腰を曲げて背をイスから離して上体を最大限倒せば「届く」と知覚されるかもしれない。とすればその届くという知覚には、読者の手の長さと腰部の柔軟性を合わせた身体感覚が加味されていることになる。(70頁)

(ここから水谷譲に対して本の上記の箇所を実証する実験が行われるが、本の内容とはかなり異なる)

かくのごとく、人間は殆ど直感に任せて環境からアフォードされているという。

ある種のカエルは、前方のすき間が自身の頭部の幅の1.3倍以上ないと、そこに向かってジャンプしていかない。カマキリは、獲物である他の動物が、自分の前肢の長さとその先端にある鎌状の前肢の幅で捕まえることのできるサイズの範囲内に入るときだけ捕獲動作を開始する。(68頁)

それをカエルもカマキリも一瞬のうちにジャッジしていくという。
ジャッジできなかったカエルはどうなった?
死んでしまった。
広げた以上の獲物を狙ったカマキリは逆に喰い殺された。
こういうふうにして「環境の中の自分」というのを見つけていったものが今のあなたです、と。

体が知っている不思議な知恵、そういうものを勉強していけたら面白いなと思って語っているが、まだまだ話は続いて、この続きはまた来週のまな板の上で。


2024年11月06日

2024年9月2〜13日◆みんな政治でバカになる(後編)

これの続きです。

凄いタイトルだが、これは綿野恵太さんという方がお書きになった「みんな政治でバカになる」という。
この方が元々間違いやすい人間が政治という答えが出しにくい分野で答えを出していくうちに間違えてしまう。
だから「バカの二乗」なんだ
政治というものというのはバカの二乗の人達、そういう人達が語り合っているんだという。
非常に武田先生としても取り上げにくい。
なぜかというともうラジオ番組はことごとくこの政治の話が出て来る。
いろんな方にご迷惑をかけてしまうという。
でもラジオなんか聞いていると、もの凄くファイトを燃やして政治を語る人がいる。
この間も、この放送局(文化放送)で凄い人がいた。
「いろんなところで政治的に正しいことを言うから、いろんな人からいじめられて、私の話を聞いてくれるのは、この局のアナタだけです」なんていうことをおっしゃっていたが。

政治というのが上手くいっていない。
そういうことにしておきましょう。
武田先生はジャッジできない。
そういう知恵がないので。
だが、民主主義というのがちょっとお年を召してきた。
老化した民主主義となっているというのが現状ではなかろうか。
これは皆さん、認めてくださるというふうに思う。
その民主主義を若返らせよう。
どう若返らせるのか?
やっぱり制度をいじる必要がある。
曰く民政議会で両方とも選挙で選ぶ。
これは無理があるんじゃないの?

民主主義の危機を解決するために選挙制議院と抽選制議院という二院制議会を提案している(任期は一〜三年、報酬はなるべく高いのが「ベスト」だという)(136頁)

議員数、或いは議会の日数を短くして効率的に行ないましょう。
そしてその報酬として、抽選で選ばれた人に今と同程度の金額の面倒を見るという。
必ずや職場復帰が叶うような立場で。
そうすると二世議員とかというのがいなくなってしまう。
こっちのほうがよくないですか?
政治家になることを商売にしてしまう人がいるというのがこの国の民主主義を年を取らせてしまったのではないか?
政治家になった瞬間にまた変わってしまう人もいると思う水谷譲。
それが「半分抽選で決まる」というのは、これは「意外と面白いこと起きるんじゃ無ぇの?」と思う。
いい仕事をする人も出て来ると思う水谷譲。
悪い人がたまってしまうか、いい人が出てくるかも知れないという可能性にかけるか。

アテナイの民主主義においても専門性が求められる「財政」と「軍事」の要職は選挙で選ばれたが(137頁)

原子力なんかもそうだが、みなさんももう7月から体験なさっているが、やっぱりクーラーがないとやっていられない。
そういうことは「電力」ということが問題になる。
電力というものは財政の問題と、もう一つ核開発の問題も抱えている。
3分の1くらいは、やはり安定した電力供給というところでは核、原発発電というのはとても大事だ。
それにどうも外交を見ても日本の方が核を持っている。
いつでもアメリカが横にいてくれて核をお借りするというワケにもいかないので。
「核を持て」と言っているのではないのだが。
核という技術に関しては平和利用を含めて「私どもは勉強してますよ」という、そういう態度、そういう静かな脅しは持っていないとダメなのではないか?
そういう意味合いで財政と軍事についてはちゃんとした毎日のお勉強を重ねた人々が選挙によって選ばれるという。

第二次大戦後の自由主義諸国においては多くの人々が経済成長の分け前にあずかったため、「民主制資本主義」が定着した。(138頁)

日本とドイツは戦争が負けた方が景気がよくなってしまった。
どのくらい豊かな財産を民主制資本主義が生みだしたかは、やはり我が身で体験している。
しかし、その民主主義も80年経つと分け前が充分に世界に分配できなくなった。
儲けを貰うんだったら、財を欲しがっている国からすると、専制覇権主義の方がカネがいい。
インドネシアなんかがそう。
デビ夫人がやってきた国だが。
あそこはやはり日本と中国を両天秤にかけて、どちらかに安く新幹線を作らせようとして、結局材料費とか全部持ってくれるという中国に縋り付いた。
それでインドネシアの高速鉄道は中国製になったのだが、これが何だかさっぱりお客が集まらないらしい。
中国の言うことを聞いて作ったのはいいのだが、もの凄く駅が遠い。
駅が遠いから駅まで行くのが大変だから、お客さんが集まらない。
そのへんは日本がちゃんと計算してあげていたのだが、やはりお金をいっぱいくれる中国の方がよかったのでインドネシアはいってしまったのだが、今頃になって中国は急に「カネ返して」と言い始めた。
それで血相を変えているらしいのだが。
やはりそれはちょっと分配率が落ちたことで専制主義の国が作られたのだろうが、このへんがやはり何年か経つとコロッと変わってしまうという。
「バカの二乗」というのは人間に付いて回る。

年を取ってしまった我らが民主主義。
戦後も数十年経つとあの元気のよかった民主主義、パワーダウンはアメリカに始まって日本もそう。
アメリカでは民主主義に関してかなり疑いが出ていて、カリスマを求めてトランプなんていう人が。
このアメリカに対抗する中国、ロシア、或いは北朝鮮等々は専制主義。
だから国民を管理体制に置いて議会をいちいち通しているともうパワーダウンしてしまう。
それでアメリカでポピュリズム、人気者が天下を取るという。
その典型がトランプ元大統領。
この人は何かというと合理的無知と反外国バイアス。
景気のいいことをおっしゃるのだが「アメリカを再び偉大な国に」とおっしゃるのだが「どうやれば偉大になるのか」「偉大とは何か」そんなことは一切喋らない。
ただひたすら「アメリカをもう一度偉大な国にするんだ」と、それしかおっしゃらない。
そして偉大な国にする為にはどうかというと、アメリカの足を引っ張る外国をみんなやっつける。
「どこの国か?」というと、トランプさんは一番最初に中国を挙げるのだが、いつの間にか日本もそれに入るかも知れない。
とにかく「アメリカが苦しんでいるのはみんな外国のせいだ」という論理。
これがもの凄くわかりやすい。
単純なストーリーだからわかりやすい。
それでポピュリズムという人気に訴えることで専制覇権主義の国と対抗していく。
政治的な手腕とか力量ではない。
人気だけ。
この「人気」で我が身を支えて選挙民を自分に惹きつけるという。
これが今、日本にも流行している。
選挙をやるとポピュリズム、メディア受けする人がいる。
胸には缶バッジを付けて決まり文句なんかを胸に刻んで電信柱にベタベタそのステッカーを貼ったり。
誰と言っているワケではない。
それから「私を支持する人は緑を身に着けて」なんか言いながら。
誰と言っているワケではない。
いわゆる主張ではない。
ポピュリズム。
人気のファッションとかマスコットとか、そういうものを動員して人気を集めようとしている。

ポピュリズムが大衆の政治への無力感や疎外感を利用した「部族主義」であることだ。(147頁)

「私を支持するという部族」を作りたい。
とにかく敵を倒すこと。
それが政治的なスローガンで。
日本に於いてもそうだし、アメリカのトランプさんなんかもやり方は同じ。
ポピュリズムの真ん中にあるのは怒り。
「あいつは許せない」それだけ。
貧富の差、所得の高望み、民族、人種、階級対立のように見せかけて、とにかく「許せない」それを政治的なテーマとすり替えてゆくという。
他者の苦しみを語っているのだが、それは自分が正義を叫ぶ為の道具に過ぎないという。
そういう論理ではなかろうか?
このへん、この著者はもの凄くしつこい。
これを分かりやすくすると、これにハマる政治家の人の名前をどんどん挙げていけばいい。
武田先生はちょっと「(今朝の)三枚おろし」には小骨になるので(政治家の名前を)全部抜いてしまった。
だから理屈だけ。
だからRのステッカーを貼るとか緑のマフラーとかも個人で言っているのではない。
「そういう人がいた?いたかな?よく覚えてない」
トランプさんだけはちょっとわかりやすいので。
トランプさんはそういうのを堂々となさっているから、だから取り上げているだけ。
ポピュリズムの代表だから。
だからプーチンや習近平を語るが如くトランプさんも語っているワケで。
この綿野さんが細かいところは全部挙げている。
例えば、もう嘘ばっかりつく経済学者。
でもそれは武田先生は言えない。
それを聞いて本が読みたくなった水谷譲。
これはなかなか見事で。
だから綿野さんはそのへんは正面から木刀を振り下ろしている。
だが、ちょっとそれはこの放送では偏ることもあるので小骨は全部抜いてしまった。
それで綿野さんが凄くおっしゃっているのは、総まとめにそのバカの二乗で政治を語る人達の底の浅さをこういう例で語っておられる。

ナチスの強制収容所の近くに住んでいた女性が、ユダヤ人への残虐行為を目の当たりにして、「そのような非人道的な行為はすぐにやめてください。さもなければ、誰も現場を目にすることのない別の場所でやってください」という抗議の手紙を書いたという(160頁)

綿野さんは「これと同じことが政治を語る人の中にいるのではないか?なぜ勇気を持って最初の一行だけにとどめておかなかったんだ」という、そのこと。

政治を語る時に賢い選択ができない。
綿野恵太さんの「みんな政治でバカになる」晶文社、この本を取り上げている。
「政治を批判する人」も批判しておられる。
とにかくインターネットによって解き放たれた個人のサイト、SNSなど、バカの二乗を振り回している人がいっぱいいる。
このことを著者は子細にあぶりだしている。
これはもう当「(今朝の)三枚おろし」では一切触れない。
申し訳ございません、著者の方。
著者が激しく嫌っているのは、知っているつもりで政治批判をし、政治を批判することで自分をインテリと思い込むというような、そんな人達の有様を。
この、政治を語ることによって「頭のいい私」を表現したがる人、というのはステレオタイプの話をしているんだ、と。
そういう人達が政治を語ることが政治を歪めることになっているんだ、という怒り。
政治を語ることの難しさは政治の世界で起こった出来事を語ればいいというものではない。
それが何を意味しているのかを貫いて教えて欲しいのだが、これはちょっと綿野さんが書いてらっしゃる文章とは違うのかも知れないが、綿野さんの文章を読みながら自分でこう読んでいいのかな?と思って読んでしまったのだが。
政治を語る人で、自分の頭のよさを振り回したがる人達は、一言一言を熟語の意味合いを全く浅く判断するという。
例えば「自己責任」。
自己責任ということに関しては哲学がなければならないが、自分の知恵を振り回している人は浅く解釈する。

俗に「てめえのケツはてめえで拭け」という言い方がよくされる。−中略−「自己責任」を意味する。(36頁)

その解釈は身も蓋も無い。
武田先生は(もっと深い意味があると)思う。
「自己責任」というのは「てめえのケツはてめえで拭け」だけではないと思う。
例えば「自己」これは何であるか?
「自己」は「てめえのケツ」のことではない。
「ケツ」も含まれるかも知れないと思う水谷譲。
だが水谷譲が「自己」と名乗る為にはもう一人、人間が必要。
哲学。
言葉が生まれるというのは、「一義に解釈しない」という意味だから。
一人を語る時でも一人だけで話が済むことではない。
自己は他者がいての「自己」。
自己は他者と知り合うことによって自己を確認する。
水谷譲が「誰かを好きになる」ということは相手が必要なように、自己というのはそういう自己ではないか?
では次に残りの二文字の「責任」とは何だろう?
それも更に深い意味があるのではないか?
それを簡単に一つの意味だけに解釈し、自分の考えを振り回すという。
それを綿野さんは懐かしい言葉だがキツイ言葉で「エセインテリ」。
(本の中には「エセインテリ」という言葉は登場しない。全て「亜インテリ」)
エセインテリは懐かしい。
ここに武田先生の弁。
「このあたり、相当なページを割いてエセインテリを語っておられますが私のバカさについての考察をする為で、ここらあたり相当なページを飛ばしました」
綿野さんごめんなさい。
武田先生も読んだのだが、武田先生の感想。
「長すぎて疲れました」という。
エセインテリのバカな人の例をずっと挙げられると、ごめんなさい綿野さん。
読んでいるだけで疲れてしまう。
それは武田先生の読書の体力なのだが。
武田先生はもの凄く弱い。
水谷譲は言った。
「てめえのケツはてめえで拭け」「ケツは自己の一部分ではないか?」と
鋭いことをおっしゃったのだが、それは水谷譲が言葉に凄く敏感な頭のよさを持ってらっしゃるのだが。
武田先生はこの一言が凄く好きなのだが綿野恵太というちょっと皮肉もいっぱい込められるような文章の書き手の方なのだが、この人が哲学者・千葉雅也さんの指摘を紹介なさっている。
武田先生は自己に関して今、説明をしつこく粘った。
これはただ単に水谷譲から言わせると、話を引っ張っているだけかも知れない。

哲学者の千葉雅也は「深く勉強するというのは、ノリが悪くなること」と指摘している(205頁)

勉強の哲学 来たるべきバカのために 増補版 (文春文庫)



「即答できる人の知恵にあんまりビビらない方がいいよ」という。
武田先生は書いている。
「深く勉強するということはノリが悪くなること、と千葉さんが指摘なさっている。この一言ハッとしますねぇ」
「ノリが悪い」というのは、現代、凄く大事なことで、少し皆さん、自分の意見を早目に言い過ぎるという。

著者だが第六章まで進んだらこのあたりぐらいからグングンと文章は明瞭にスマートになっていく。
著者は言う。
いささか武田先生の意訳、武田先生の訳だから少し言葉の盛り付けが極端かも知れないが。

数多くの社会実験の失敗が示すように、私たちの「遺伝的な傾向」からかけ離れすぎた政治は失敗する可能性が高い。(225頁)

理想が高すぎる政治は失敗する。
「全ての人民を幸せにする為に身分を同じにしよう」という共産主義、これは上手くいかなかった。
第一次世界大戦後、ドイツはワイマールという共和国を作った。
ワイマール憲法は民主度が凄い。
民主主義のお手本みたいな制度で、「LGBTと共に生きていく」というジェンダーフリーを謳ったのも初めてだろう。
だからそういう保証もワイマール憲法で守られた。
騙し合うことのない、或いは競い合うことのない性がそこにあり、「性の快感は全て平等」ということは憲法で保証された。
理想を求めて進み出した。
これが数年でダメになる
このドイツで第一次大戦後にできた人間の自由を求める理想のワイマール憲法が崩れていった。
ヒトラーが登場する。
人々は今まで認められた自由も全部捨てた。
「人種なんか平等」だとあれ程叫んでいたドイツ人が、ゲルマン民族最優秀で劣等民族を殺そうという。
そしてこの時ドイツ人は「自由なんかいらない」と言った。
「ヒトラー総統が喜ぶんだったら、我々は自由はいらない」
そのことを書いた哲学者がいた。

人間社会にとって自由ほど耐えがたいものはない。(101頁)

不自由は気持ちがいいそうだ。
「へぇ」だ。
それは人間につきまとう永遠の歪み。
そういうバイアスが人間にはかかりやすい。
だから政治に託して思わなければならないのは、我々はそれほど立派な生き物ではないんだ。
賢くもないし、はっきり言ってずるいし、だからそのことを踏まえて我々は人間にとって快適な社会を作ろうではないか。
か弱く非力な人間。
それを従えて大きな強い国家を創る英雄とか皇帝とか大統領とかそんな人を求めるのはやめましょうや。
武田先生はそう思う。

この綿野さんというのは微妙な言葉の世界に入って行く。
ここからはもう哲学。

シニカルな政治態度からの「折り返し」がポイントなのである。(225頁)

「皮肉な口調で政治を語るな」という。
もう一つ、「無責任に政治なんて俺達がやる必要無いんだよ。やりたがってる酔狂なヤツに任せておけばいいんだよ」。
そういうことを皮肉っぽく割り切る人がいるが「やはりそれではダメなんだ」という。
私達はおろかであるし、そのおろかである、バカであるが故にちょっと世界をシニカルな目で片頬を上げながら、からかうようにして眺めるという悪いクセがある。
それではダメだ。
政治を語るんだったらシニカルとバカの間を突こう。

 バカの居直りでもなく、シニカルに嗤う冷笑主義でもない。重要なのはその「あいだ」である。その「あいだ」とは「ドヂ」な存在である。(240頁)

さあ考えてみよう。
シニカルとは何か?
これは皮肉屋。
シニカルとは何か?
エセインテリ。
賢いふりをして政治を語れば頭がよくなったと思っている。

「亜インテリ」は「いっぱしのインテリのつもり」だが、「耳学問」なのであやふやな知識しか持たない。政治や経済に「オピニオン」を持つが、知識や生活レベルは「大衆」とあまり変わらない。(179頁)

インテリ気取りで「受け売り」の知識をひけらかし(179頁)

自分でその意見を作ったと思い込んでいる。
野菜とかお米を作ってはいない。
横に移しているだけなのに、自分がさも作ったようにふるまってるだけなんだ。
こういう人は生産者じゃないんだよ、と。
だから人の意見を拾って、人をやっつける為にその人の意見を使っているんだ、という。
シニカルな人達の目的は何か?

「敵」を論破するための「ツール」でしかない。(182頁)

この人達は人をやっつける。
何かこういろんな理屈を言っているが、喰いもので言えばジャンクフードだ。
スピードだけ。
煮込む時間、焼く時間、そんなのちっとも気にしてない。
こんなジャンキーな人と付き合ってはいけない。

今日はバカの説明だが、エセインテリというのは人を論破することが趣味でその為に人の意見をいつも作り直しているという。
だからこの人には自分の意見がない。
「だから人の悪口が言えるんだ」と言っておいた後、著者はバカの説明に入る。
バカとは何か?
バカとは一つしか覚えていない。

「定型化」=「ワンパターン化」した言説を、「バカのひとつ覚え」のように繰り返すのである。(183〜185頁)

「国に帰れよ」「アメリカのポチ」「恥ずかしくないのか?」
こういう人を傷つける言葉を一つ覚えていてそれを繰り返すという。
武田先生はびっくりしたのだが、大谷(翔平)さんの春先の問題が起こった時に、大谷さんを凄く批判したワイドショーの司会者がいた。
この人はこういうことを言うとヤベェなと思ったのだが「人がね、億単位のカネを使い込んでるのに気づかないってあります?私ね、どうもそのあたり信じられない、私的に」と言った人がいた。
この人は「私の感性」で大谷を語っている。
だから「大谷の気持ちはわからない」とおっしゃる。
時々そういう人はいる。
ゴルフの中継とか見ていると「何で左打っちゃったですかねぇ?」
「それ、アンタのレベルでしょ?」
マスターズで戦っていて「何で左へ行っちゃったんでしょう」。
それから大谷の批判も結構だが、「私は理解できないな」。
その人は締め言葉でそうおっしゃった。
「理解でき無ぇよ」なんて「アンタ、バッターボックスに立ったこともないし、何もかも違う」。
やはりバットを握ったことも無いようなヤツが、或いは30台、バーディーを取ったことのないヤツが。
そういうこと。
こういうのは一種「バカの一つ覚え」。
「私には理解できないな」
すぐバカを言ってしまう。
そしてもう一つ、この著者はエセインテリとバカを広く具体的な事例と人物で丁寧に挙げておられるが、ここではそういう骨は全部外している。
美味しいところの肉だけをおろしているので勘弁してください。
このエセインテリとバカの特徴。
「これが世に言うエセインテリか」「あ、コイツバカだ」という時に、尺度がある。
エセインテリとバカの特徴。
共通してたった一つ。
テンポがいい。
これがエセインテリとバカの特徴。
ノリがよいのでポンポン人の悪口が言える人。
悪口がリズムに溢れているので、他の人が割り込もうとしても割り込みにくい。
そしてドヂ。

なぜ知識人は「ドヂ」なのか。それは本来の「テンポ」から「ズレ」た存在だからである。(243頁)

自分で考えるリズムを持っている。
そのリズムを懸命に探す。
だからリズムに乗らない。

私たちには「無意識かつ反射的に相手を模倣してしまう傾向」がある。(230頁)

内田樹さんはそういう「模倣したくなる人」のことを「整った人」と言う。
人間は「整った人」をマネしてしまう。
どういう人が整った人か?
武道に於ける高段者。
その人達は見ていて美しいので、その人のことをマネしたくなる。
偽物はどうかというと、整ったふりをする人。
この人が整っているかどうかは、どうか皆さん、リズムとセンスでわかってください。
世界の指導者を見比べると、リズムとセンス、わかるでしょ?
ちょっとここは(アメリカからは)遠いので悪口を言ってしまう。
トランプさんはリズム感が悪い。
あの爺ちゃんが壇上に登場する時に軽くツイストを踊るが、あれは相当(リズム感は)悪い。
あのトランプさんは。
それと指を立てすぎ。
だがこれだけはどうしようもなく見た目から言ったのだが、武田先生はそう思う。
ドヂな人間になろうということ。
ドヂというのは、今あるリズムに乗らない。
そして確かな文化を手渡そうとする人達。
そういう人達がセンスとリズムを持っている。
ドヂな人達は日本の昔話にはいっぱいいる。
その人達は素敵な仕事を残した人。
どんな人か?
かぐや姫、金太郎、桃太郎のお爺さんとお婆さん。
あの人達がドヂな人の見本。
生活は貧しかったかも知れないが子孫に素敵な文化を残した。

(今回の番組は)よくできた。
自分でうっとりしてしまった。
これから秋口に向かって(10月27日に衆議院議員総選挙があるので)政治の話題が増えていくと思うので、敢えて政治というものを語る意味でこの一冊を取り上げてみた。
(著者は)綿野恵太さん、晶文社「みんな政治でバカになる」。


2024年9月2〜13日◆みんな政治でバカになる(前編)

(番組の冒頭はQloveR(クローバー)の入会キャンペーンの宣伝)

まな板の上はなかなかショッキングなタイトル。
「みんな政治でバカになる」
これは武田先生も「ちょっと酷いタイトルだな」と思ったのだが、読むと著者の方は懸命に政治というもののこれからを悩んでおられる方で、あえて「政治に携わるとバカになるんだ」と。
これはなかなか大変なタイトルで、そんなことを言ったらまたラジオ番組なんか政治を語る人ばっかりだから、その人達に向かって「バカになる」と言っているようで、本当にそのあたり発言に気を付けながら進めたいと思うのだが。
著者の方はというと綿野恵太さんという方。
晶文社から出ている。
「みんな政治でバカになる」

みんな政治でバカになる



私たちには人間本性上「バカ」な言動をとってしまう傾向がある。(4頁)

ほとんどの人が政治について無知=バカであるのは事実である。−中略−私たちは単に愚かなのではない。「環境」によって政治的無知=バカになっている。(12頁)

繰り返しになるが「環境がバカにする」というのは言うことが中途で変わること。
「監視カメラを付ける」と言った時に、当初メディアも含めて一般市民は「監視するとは何事か」と反対議論が浮かび上がった。
「渋谷に監視カメラがあるなんて寒気する」とか「自由の権利は何?」とかと(言って)いた。
ところが(監視カメラを)付けて泥棒が見つかるとみんな「あそこつけなきゃダメよ!監視カメラ!」とかと。
それどころではない。
車に前と後ろに着けているのだから。
「いやぁ保険楽だもん。あれがあるから」とか。
「ほら、ついこの間言っていた自由はどうなんだよ?守らなきゃいけない個人の権利があるんでしょ?」
でもこれだけ変わる。
「環境」によって主張が変わる。
それが無知とドッキングしている。
人間という生き物は認知バイアス、バイアス、歪みを持っている。
言うことが変わる、環境によって変わる。
「自由はどうの」とか「個人的権利は」とか言っておいて、泥棒が捕まると「あそこも付けろよ」という話になる。

 私たちは「人間本性」によるバカ(認知バイアス)と「環境」によるバカ(政治的無知)という「バカの二乗」というべき状態にある。(81頁)

では人間の認知バイアスというものがどのくらいバカかというと「見てくれ世界を」と綿野さんは言う。

 なぜフェイクニュースや陰謀論が後を絶たないのか。それは私たちがバカだからだ。(4頁)

それで「政治のことについて発言する人はみんなバカである」という本だからこの後も、そういう方がいっぱい出て来る。
それで誰がどうのと言わない。
だから武田先生のバカさを。
武田先生は前から言っているように政治的に本当に無知。
何が楽しくてやっているのかもよくわからないし。
もう一回繰り返す。
「私のバカ」
一体このバカさ加減がどこから来ているのかをこの綿野さんの本で追及しよう、と。
だから武田先生個人のバカの二乗にお付き合いください。
決してアナタのことを言っているワケではありませんから。
妙に抗議の手紙をよこしたりするのはやめてください。

二〇二〇年のアメリカ大統領選で民主党のジョー・バイデンが共和党のドナルド・トランプに勝利した。トランプは選挙に不正があったとして票の再集計を求め、その翌年にはトランプの勝利を信じる支持者たちが国会議事堂を襲撃し、多数の死傷者を出した。ドナルド・トランプが小児性愛者の秘密結社と闘うヒーローだという「Qアノン」と呼ばれる陰謀論が流行した。(3〜4頁)

「Qアノン」
これはトランプ支持者の中で信じられていることで、トランプさん以外、アメリカの政治に携わっているのはもうズバリ言うと(仮面ライダーに出て来る)ショッカー。
「イー!」という人間モドキという。
それの代表がバイデンさん。
こういうふうにして自分が正しいという一人の人が出て来ると他がみんな悪い人に見えてしまう。
「認知バイアス」「歪み」、「わたしら」と「あいつら」。
この二つの集団に分けて世界を見る。
その「あいつら」が許せない。
こういうバイアス、心理がある。

このような傾向は「部族主義」と呼ばれる。(10頁)

国民とか市民ではなく「部族」。

昨日お話したのは人間はもともと認知バイアス、何か物事を考えたり決心する時にバイアス、歪みが発生するのだ、と。
その上に政治というのは十年先のことを考える為に今、決断するようなもので、十年先はすっかり答えが入れ替わっているかも知れないという。
今、結論を出すワケだが、元々バイアス、歪みがある考え方しかできない。
人々はみんなバカの二乗で生きているという。
そのバイアスの一つが部族主義。
「あいつら」と「われわれ」と集団の色分けを考えて「われわれ」を増やして「あいつら」を減らそうとするという。
これを著者は「部族主義」と呼んでいる。
「我々のことは知っている。でもあいつらのことは勉強しなくていいんだ」という。
これはアメリカの人、すみません。
でも調査によると、トランプさんの支持者の大半が中国・韓国・日本を(地図上で)指差せる人があまりいないという。
それからこれはかなりの確率らしいのだが、ニューヨークで調査をやったのだが、大半のアメリカ人がイスラエルの場所が指差せない。

ワシントン・ポスト紙の調査によると、ウクライナの位置を地図上で示すことができたのは、六人中一人しかいなかった(10頁)

我々だってウクライナはそんなに知らなかった。
今回のことがあって、どのくらいの大きさでここにあってというふうに改めて思った水谷譲。
世界地図の中で「この国はここだ」と指差しができない。
無知なんだ、と。
でも彼ら曰く「アメリカをもう一度偉大な国にしなければならない」。
ここはもう、トランプ支持者全員共通している。
「偉大な国にする為には中国、韓国、日本がどこにあるか、イスラエルがどこ、ウクライナがどこ、そんなこと知らなくていいんだ。アメリカさえ偉大な国になればいいんだ」
こういうこと。
クリミア半島とかロシア侵攻の前には知らなかった。

二〇一四年にロシアがウクライナのクリミア半島に侵攻した(10頁)

2014年にロシアがクリミア半島を侵略したことさえ武田先生は知らなかった。
ガザ地区。
死者の数がある一定数を超えた時にその悲惨を知るワケで。

つまりそういう意味合いで武田先生の政治的無知は「バカの二乗」である。
著者はここから様々な考え方を重ねていく。
実は綿野さんは哲学者。

戦後日本の中に生まれた「大衆」達がいる。
市民とは呼べない。
「大衆」
政治家さんから「大衆のみなさん!」と言われる。
「大衆と呼ばれる筋合いじゃ無ぇよ」と思う時があるが、とにかく「大衆」。
読むんだったら「週刊大衆」。

週刊大衆 2024年11月11日・18日号[雑誌]



武田先生は仕方がない。
大衆だが。
「大衆」というのは一体何かというと進化の途中で、集団の生存率の高さを知り、文化を遺伝的に受け渡す人々。
それを「大衆」と呼ぶ。
先例としたトランプ支持者。
これは典型的なアメリカの「部族」。
「アメリカ国民」ではない。
アメリカの部族、大衆。
彼らは直感システム、素早い判断とハロー効果、何回も繰り返される言葉で洗脳された、覚え込んだ人達で。
彼らが願っていることは何か?
トランプ支持者が狙っているのはどういうことか?
「世界の平和」「台湾の安全」何にも関係無い。
トランプ支持者は、そんなことは何一つ考えていない。
何を考えているか?
「富の分配が自分のところにいっぱい来るように」
本に書いてあることというよりは武田先生の独自見解。
でも当たり前。
富の分配、分け前が少しでも自分のところに多く来るということを願うことは生き方としては間違っていない。
水谷譲も自分はそうありたいと思う。
だから水谷譲も二乗とまでは言わないがバカの種類。
そのくせ、自分のところの富の分配が少しでも多いことを祈りつつも「ダメよ岸田じゃ。今、日本は」とか「株ばっかり高くなってて実感ないもの」とか。
実は気にしているのは「富の分配が自分のところに来ない」ということに不満を持っているクセに「あの経済学者あてになんない、あの人」とかと・・・
これを綿野さんは「みんな政治を語ることによってバカになってんじゃ無ぇの?」。
「今のこの暮らし向きがよくならないのは政治が悪いんだよ」という人は多いということだと思う水谷譲。
「それで何か変わる?」ということを言っている。
人々はみんな富の分配が自分のところに一円でも多くなることを実は願っているだけ。
では武田先生は何か?
老後のことしか考えていない。
武田先生如きは政治でバカになるどころか、だんだん年を取って自分の老後しか考えないという「老害」というバカになりつつある。
老害は何が老害か?
自分の道徳を無闇に大事にする。
それが文化だと思っている。
故に他者、他の文化と比べてどれほど優れているかを主張したがる。
武田先生達世代がバカなのは他者と向き合う能力が無いくせに、他者に無関心でいられない。
だから排除に結びつく。
今「老害」と言われている老人達のやっかいなところは青春の時はマルクス共産主義を夢見た。
「分配を正しくやろう」とあの時も叫んでいた。
その時は大衆ではなく「階級闘争だ」と言った。
今はこの老人達はどうなったかというと今、お国自慢で戦っている。
「ケンミンSHOW」(秘密のケンミンSHOW極
部族主義。
茨木と栃木、どっちが田舎か?
そんなことはどうでもいい。
だがそれが番組となるほど、いわゆる討論するにはもってこいの面白いところで、あれも一種の政治ミーティングと同じ。
それぞれの群れによって他の集団に打ち勝つこと、それがたまらない喜びとなる。
これは芸能界にもあって「部族主義」。
例えば「たけし軍団」。
あれは(北野)たけしさん中心の部族。
吉本興業。
あれは吉本興業を中心とする吉本部族。
そして今、日の出の勢い、サザンオールスターズのアミューズ部族。
これらはみんな道徳、礼節を持っている。
吉本興業のタレントさんと一緒の時は必ず吉本の人は自分達の文化である楽屋挨拶というのを来る。
アミューズさんもアミューズ部族。
ここは前室の差し入れが豪華。
それからたけし軍団は大将が来た時、たけしさん「殿」が来た時の送り迎えが綺麗に整列して見送るという美徳を持っている。
これは部族主義のよい面で、そういう礼儀作法を持っている。
武田先生は「博多部族」。
博多部族は特徴がある。
これはこの間カンニング竹山とも確認したが、自民党の森さんとか二階さんの悪口は言う。
「森さんがさぁ、オリンピックさぁ・・・」「二階さんもいい加減にしないとさぁ」とかは言うが麻生さんの悪口は言わない。
あれが部族主義。
なぜか?
麻生さんは福岡。
麻生セメント。
巨大な会社をやっておられる。
文化事業なんかよくやっている。
娯楽施設から市民会館からいろんなものを、麻生さんは自分のところのセメントで作っている。
武田先生もこの間、セメント業界からの対談の申し込みがあったが、すぐ引き受けた。
後ろ側に麻生さんの臭いがする。
これはやはり本能的に言いにくい。
これは武田先生の中に飼っているバイアス、歪み。
それは二階さんや森さんの方が悪口がいいやすい。
こんなふうにして大衆というのは歪みを持っているんだ、と。
ところが令和の今、大衆というのはもう好まれない。
令和の今、国民、市民のことを何というか?
「消費者」
大衆も日本に於ける消費者も西洋が持っている「市民」とは違う。
日本の大衆、或いは消費者は部族の人達。
「自分達」「われわれ」という小さな集団の決まり事を持っている。

 さまざまな人々が集まり、自由闊達に意見を交わす。かつてインターネットは、私たちが「他者」と出会い、対話を重ねる場として空想された。−中略−
 しかし、twitterやFacebookなどのSNSを見ればわかるように、私たちは同じ考えを持つもの同士で集まる傾向がある。
−中略−インターネットは私たちが見たいものしか見せないのである。−中略−私たちは同じ価値観を共有する集団=「部族」へとバラバラになる。(72頁)

インターネットが「集団分極化」を引き起こすことを指摘してきた−中略−「集団分極化」とは、同じ考えを持つものが議論すると、極端な考えの方に先鋭化する現象である。(73頁)

「バカの二乗」である私。
功利主義に弱く、部族として道徳的直感を平気で引っ込める。
森元総理や二階議員の悪口は言う。
だが麻生さんの批判はできるだけ避けたい。
なぜならば古里が福岡だから。
中国の管理・監視社会を厳しく批判する。
カメラが人を見張る社会は気味が悪い。
ただ、武田先生なんかはそうだが、世田谷に防犯カメラをもっと付けて欲しい。
水谷譲ももっと付いてもいいなと思う。
最初に抵抗したのは何だったのか?
不思議。
こういう、人間が途中でコロッと変わるというのはあり得ること。
中国はちゃんとそういうことを見越しているから偉い。
敢えて「偉い」と言った方がいい。

 中国のアリババグループが開発した「セサミクレジット」という「信用スコア」が知られている−中略−税金の支払いやSNSの履歴などの個人情報を収集し、AIが信用度を数値化し、スコアが高ければ低金利でローンが組めたりレンタルサービス利用時の前払い金が不要になったりと、さまざまな恩恵を受けられる。中国で進展する管理監視社会化はしばしば中国共産党の独裁体制に結びつけられ、人びとを抑圧するテクノロジーとして描かれる。(87頁)

これはもう誰でも中国人になりたい。
そうやって全部、官民一体の監視体制。
ポイントぐらい付けないと誰が言いたくもないおべんちゃらを言うか。
ポイントがバンバン入ってくるから、そのポイントがたまると喰いものが安くなるわ、とにかく凄く特典が貰える。
それで中国の人達が本当に偉いのは「多少の犠牲があるから私は幸せになれる」という。
これは納得すれば凄くいいこと。
少数の犠牲者はみんなの幸せのタネ。
これが監視体制の・・・
この素晴らしいアリババグループのセサミクレジットが徹底したのは武漢からのパンデミック。
この時に「コロナが広がる」という脅威につけこんで都市封鎖。
「誰が破ったかを密告しなさい」でセサミポイントが貰える。
それは密告をバンバンする。
少数の犠牲者がみんなの幸せのタネになる。
これで習近平・共産党体制は不落の籠城戦を敷いたという。
これは増々ポイントは高くつくような時代になってしまうのではないか。
これはいいこと書いておられる
綿野さんの「みんな政治でバカになる」。
中国では、はっきり言えば自由はいらない。
それよりも物が貰える方がいい。
これはある意味で、もの凄くクールに言えば立派な市民感情だ、と。
「自由なんかいらないよ、そんなの。なんぼでも灯ってればいいんだ監視カメラなんか。監視カメラがいっぱい付いてた方が我々は自由に行動できる。市民的な公共性、そんなものは衰退していいんだ。最大多数が最大の幸せになるべきで少数の犠牲は当然である」という綿野さんの推論。
長い歴史を振り返ってみると、誰か偉い王様がいて、皇帝がいて、主席がいて、大統領がいて、全部決めていくと一個間違った方に行ってしまうと大変なことになってしまうと気づいたイギリス人がいた。
18世紀のこと。
この人達が王様一人よりも集団で賢い選択をした方がいいんじゃないかというので選挙と議会、政党が生まれた。
これはやはりグッドアイディアだった。
でも18世紀、イギリスで生まれた民主主義資本制度というのは採用しなかった国があって、それが中国とロシア。
その二か国をマネしたのが北朝鮮で。
まあそれでもやはり王様がいて命令を出した方が、議会なんか通さなくていいから、何をするにしても早いワケで。
皇帝ではないが、小さな集団で国を作っていく。
こっちの方が国を動かす時、もの凄く便利がいいという。
では民主主義はどうだというと、時間がかかり過ぎる。
だから純益を綺麗に分配できなくなった矛盾が今の議会制民主主義なのだ。
この戦いが今の世界だ、という。
綿野さんはここが鋭い。
ではどうなるんだ?これから我々は。
皇帝とか王様とか、たった一人の大統領とか、一人の頭に任せておくと間違えたらエライことになるぞというので、18世紀、イギリスがシステムを発明した。
それは一人じゃなくて議会で討論して結論を出すという。
時間がかかるのだがここでいろんなアイディアが出てイギリスの成功というのは大きかった。
イギリス議会が次々と新しい制度を出していって、何と19世紀には七つの海を全て支配し、イギリスが世界を牛耳った。
それくらい豊かな富を集めてイギリス国民に分配したという。
ところが時間が経つとこのイギリスのシステムもだんだん上手くいかなくなって、選挙で政治家を選ぶというのもまどろっこしいし、無関心というのが増えて一票がどんどん軽くなっていく。
例えば日本の民主主義で考えましょう。

たとえば、二〇二〇年の東京都知事選挙の有権者数は一一二九万二二九人であった。もし東京都民であれば、あなたの意見は一一二九万二二九分の一に過ぎないわけである。投票しようがしまいが、結果は変わらない。(11頁)

(番組では1129万2290人と言ったが、本によると1129万229人)
この間もそうだが、候補者は何十人もおられたが、どの人が政治家にふさわしいのかなかなか決めるのが難しい。
「こんな人出てきちゃっていいの?」という人もたくさんいたと思う水谷譲。
学祭のイベントみたいだった。
大学のイベントみたいで。
政見放送もとんでもない人が学芸会みたいなことをやっている人もいたが。
一番いいのは全員を集めて討論をやらせること。
討論もできないような人は、もうその人達はどのぐらいの値打ちかわかるワケで。
武田先生の独自見解だが、政治家を誰か「この人がいい」と選ぶ時に、一人の人物がいる。
この人がふさわしいかどうか討論する。
それでその討論を見聞きしているうちに「この人がいいんじゃないか」というのがだんだん決まるのではないだろうか。
誰が政治家にふさわしいか。

「討論型世論調査」は通常の世論調査とおなじく無作為抽出で一〇〇〇〜三〇〇〇人を選び、そのなかから討論の参加者を二〇〇〜四〇〇人選ぶ。テーマについての必要な情報が提供され、参加者は三日間討論をおこなう。(134頁)

選挙管理委員会は、その人達にはちゃんとギャランティを出す。
そうするとある程度の察しはつくのではないだろうか?
私達はとにかく政治的な無知を乗り越える為に政治を中継してくれる何かを作り出さなければならない。
それから日当を払おう。
東京都の都議会の議員さんがいる。
あれも選挙で選んでいた。
選挙と選挙と言っても一票にすると1129万分の1になってしまう。
東京都の議会の人達が小池さんと討論しながら東京の政治を決めていくとする。
この時に半分を抽選。
あまりにも選挙に頼り過ぎるというのが一票をどんどん軽くしている。
抽選で選ばれて東京都議会議員が明日からのアナタの仕事になる。
それをできない人もいる。
水谷譲は毎日の文化放送の仕事があるので。
(都議会議員の数は)127人だそうだ。
その半分、60人を抽選で。
60人の人は結構いい収入になると思う。
多分水谷譲の今の給料よりいいのではないか?
それでそういうことにしておいて上司にかけあう。
「任期の期間中、二年間だけ、私いなくなります」
今、産休等々のシステムを励まそうと言っている時代、或いは女性議員を増やさないといけないと言われているこの国に於いて抽選で議員を選ぶというのはいい。
きちんと生活の面倒を見るということで都議会の議員さん、127人のうちの半分は選挙は関係ない。
議会を開く時間を夕方なら夕方に決めてお昼間お仕事OKとか。
バッチリの副収入。
これが武田先生の意見。
ただし一個だけ問題は少し本式に勉強しないとわからない勉強もあるので、さあそれはどうするか?なのだが、それは来週の続きということにする。

ゆっくりパワーダウンしていく民主主義だが、何とか喝を入れてこの制度を守らねばというアイディア。


2024年10月10日

2024年5月13〜24日◆サルタヒコ(後編)

これの続きです。

古代の神様をまな板の上に乗せている。
サルタヒコ。
これはもちろんネタ元があって戸矢学さんという方で「サルタヒコのゆくえ」。

サルタヒコのゆくえ: 仮面に隠された古代王朝の秘密



(本の中の傍点部はアンダーラインで表記する)
河出書房から出ている。
縄文時代から日本に住んでいたサルタヒコという神様がいた。
それを弥生時代の始まり、天孫族のニニギノミコトという人が遥々日本を訪れて日本の一角に住み着いて日本をまとめてゆくという遠征の旅に出た。
その時にその「こっち側にあなたの住むにはふさわしい場所がありますよ」と教えたのが国つ神、先に住んでいた神様サルタヒコではなかろうかという。
ある意味で侵略戦争の過程ということなのだろうが何か日本の古代史の場合は昔から住んでいた人と新しく住む人の揉み合いというのがあまり殺戮をたくさん残さずに古代史の中でいうところの「国譲り」という。
国を譲ってしまうのだから凄い。
戸矢さんは政治劇としては縄文世界の中に弥生が侵略してくるというタッチだが、武田先生は比較的権力というのが上手いこと解け合ったのではないだろうかと、戸矢さんとはちょっとタッチが違う言い方で述べて行きたいというふうに思う。
とにかくサルタヒコの案内によってアマテラスの二番目の孫、この方は九州の筑紫の日向のクシフルダケにあまふる。
この筑紫と日向というのがこれが福岡と宮崎。
違うのだが日本書紀を書いた人は福岡県と日向の違いがあまりよくわからなかったのだろう。
とにかく九州方面ということで。
ただ、高千穂の峰の「高千穂」が出て来るのだがクシフルダケ。
これが面白い。
クシフルダケというのは福岡にある。
高千穂は宮崎にある。
クシフル山というのが福岡県にある。
福岡の地名というのは古代が匂う。
それは武田先生が大好きな別の古代史作家さんから、研究者から教えてもらったのだが、自分の産まれ古里というのが古代からの地名を未だ持っているという。
それが武田先生が福岡を振り返る大元になった。
とにかくニニギという人は筑紫、或いは日向、それらの国々の後ろ盾を得てそこで住み着き始める。
この後の流れなのだが、天孫族の人々にとっては九州はとても重大な土地であった、と。
やがて日本全国天下を取るニニギだが天孫族ニニギの天下取りはここから始まるワケで。
ちょっと九州はあっちこっち飛ぶが、降り立ったところは福岡県・宮崎県、そのあたりに降り立ってそれでブラブラ、ニニギが道を歩いていたら、鹿児島の笠狹宮(カササノミヤ)という。
これは今でも地名があるが、ここを歩いている時に先住民の神様の娘さんでコノハナサクヤヒメという人にバッタリ出会う。
この人に出会って一目ぼれする。
古代の恋愛はもう今の若者達よりもストレートで、この綺麗なお嬢さんを見た瞬間にニニギノミコトが声をかけた。
何と声をかけたか?
「まぐわいせむ」
ストーレート。
「セックスしよう」という直球を投げた。
「お父様の許可がいりますわ」とかとこの絶世の美女コノハナサクヤヒメに言われて、国つ神、コノハナサクヤヒメのお父さんとお母さんのところに娘貰いに行く。
これが結婚の様相が違って先にこの国に住んでいた神様の社会のルールでは妹と結婚したければ姉さんも一緒に貰うという。
そういうルールがあったらしい。
性的にやはりおおらかだったのだろう。
でもニニギもハッキリした人で「姉ちゃんあんまり器量良くないから要らない」。
これ(姉)はイワナガヒメという。
それでこのイワナガに「アンタとは一緒にならない。このベッピンのコノハナだけを嫁さんにする」と言う。
そうしたらイワナガが呪う。
「オマエは天孫の王子かも知れないがこれで決定した。私を嫁にしておけば永遠の命を貰えたのに。岩のような命を貰えたのに、妹を好んだばっかりにオマエは永遠の命を捨てた」
これがイワナガヒメの呪いで。
これ以降、神の子であるニニギも人間と同じように老いて死んでゆくという宿命を辿るという。
とにかくコノハナサクヤヒメと上手くいったワケで。
その国の神様と天孫、異国からやって来た神がハイブリッドで子供を産む。
その最初に産んだ子供が海彦・山彦。
それで兄と弟が職場を変えようなんて交換なんかして

兄の海幸彦から借りた釣り針をなくしたため無理難題を吹っかけられ、仕方なくそれを探すために海に入った山幸彦は、竜宮で海神や豊玉姫命と出会い(「猿田彦の怨霊」80頁)

今度は海神のお嬢さんトヨタマヒメという方を奥さんにしてしまって、また子供が産まれる。
その子供の後ぐらいが大和へ登っていく神武を産む。
そう繋がる。
このへんが好きな武田先生。
物語の中に何が一体隠れているんだろう?と思う。
いっぱい隠されたものがあるのだが、日本書紀のその神話を辿っていこうと思う。

サルタヒコという奇怪な神様のことを扱っているが、いつの間にか話は横道に逸れて、この神々の交流というのがもの凄く面白い。
日本にはまず縄文の神々が住んでいた。
そこへ弥生の神々、天孫の神々、インドシナ、アラブ、メソポタミアも思わせる神々が住んでいたという。
そういうところが凄く面白いところ。
それらの神々は次々と血を交えながらハイブリッドな民族を形成していく。
そのハイブリッドな民族の呼び名を中国が名付けるが「倭」「倭人」ということにした。
ニニギの家系から神武を産んで、彼は天孫族による神々の統一を企てる。
国を統一するのではなくて、神々の頂点に自分を神としてこの国をまとめていくという。
おそらくニニギが一番最初に国つ神に出会ったサルタヒコ。
そのサルタヒコの胸元には勾玉が輝いていたであろう、と。
海人族の彼は勾玉をいつも首から下げていた。
これが一族の象徴であったという。
神武は日向から攻め上り熊野あたりに上陸するという。
ところが面白いもので、物語は同じパターンを繰り返す。
今度、神武が日本の真ん中を目指して日向から大和に行く。
それで熊野に上陸する。
その時にまたバッタリ道案内の神様に会う。
国つ神。
これがヤタガラス。
ヤタガラスはワリと重大で、今、Jリーグのマークになっている三本足のカラス。
あれがヤタガラス。
これが大和への道を教えてくれるという。
こういう国つ神、国に先に住んでいる先住の神様が後から来た神武に道案内をしてあげるという。
ここでもまた凄い物語。

神武が大和入りした時には、すでにニギヤハヤヒがそこを統治していた。
 神武は当初はそれを知らぬままに闘うが、ニギハヤヒの配下ナガスネヒコらに苦戦、結局戦闘では勝つことができなかった。ところがナガスネヒコが崇めるニギハヤヒが登場し、互いに天神であることを確認すると、なんとニギハヤヒが神武に大和の統治権を譲るのである。これが、大和朝廷の始まりとなる。
(「サルタヒコのゆくえ」140頁)

親戚だから簡単に国を譲ってしまう。
それで天孫族というのは外交戦略で言うと国を譲らせるという「国譲り」という政治的手腕が凄く巧みになってしまう。
その一号がこの大和の地。
その代わりと言っては何だが、ニギハヤが求めるのは「俺をちゃんと神様として祀ってくれる?」という。
それで「神社を作ってくれるんだったらいいよ」というので

 ニギハヤヒは、丹後宮津の籠神社に祀られている。−中略−
 籠神社の神宝は二種の鏡である。
−中略−伝世鏡(発掘ではなく)としては最古のもので、国宝に指定されている。(「サルタヒコのゆくえ」139頁)

よく調べたらメイドイン・ジャパンではなかった。

 昭和六十二年十月三十一日−中略−に二千年の沈黙を破って突如発表されて世に衝撃を与えたこの二鏡は、−中略−日本最古の伝世鏡たる二鏡の内、邊津鏡は前漢時代、今から二〇五〇年位前のものである。(「サルタヒコのゆくえ」141頁)

前漢時代といったら、まだイエス・キリストが産まれていない頃の鏡を持っていたということだから。

本当にいろんな神様がいる。
皆さん方はもう古代史の神様サルタヒコ、ニニギノミコト、ニギハヤノミコト、アマテラスオオミカミ、スサノオ、ツキヨミノミコト「関係ないよ」とかと思ってらっしゃるかも知れないが、この神々の痕跡というのがテレビに映っている。
それに気づくか気づかないかだけ。
では水谷譲にお話しをする。
アナタはテレビでこんな光景を見たことがありませんか?
これは現在の天皇皇后両陛下もそう。
この方々は時折、伊勢神宮にお参りになる。
この伊勢神宮に天皇皇后両陛下が移動なさる時、その後ろに一団がくっ付いていることを見たことはありませんか?
天皇皇后両陛下が伊勢神宮にお参りなさるのは、これは当然で、高祖アマテラスオオミカミ、この方が伊勢におられるので、その方にご挨拶をなさるのだが、天皇皇后両陛下の後ろに長い箱を捧げ持って歩いている姿を見たことがありませんか?
チャンスがあったら探してみてください。
あの箱の中には何が入っているか?
刀。
草薙剣(くさなぎのつるぎ)という銅剣が入っている。
これは片刃ではない。
両刃で本当の所有者はヤマトタケルノミコト。
ヤマトタケルノミコトが草薙剣を名古屋の熱田神宮に預けた。
それ故に天皇の持ち物ということで、草薙剣だけはなぜかわからないが、熱田神宮に預けてあるので「所有者がいらっしゃった」ということで剣が付いていく。
「天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)」
これはどうやって出て来たかということの謂れだが、高天原で成長したスサノオノミコトという人がいるのだが、姉とあんまり関係が上手くいかなくて問題ばかり起こす。
カーッと怒ったアマテラスオオミカミはもうこのスサノオを高天原から追放してしまう。
ショボショボとスサノオは地上に降りて来る。
一回は韓国に寄ったりするのだが「ここじゃ無ぇな」というので出雲の国に降りて。出雲の国でウロウロしていたら出雲の国つ神、先に住んでいる神様、先住の神様の娘が泣いている。
「どうしたの?」と訊いたら、この山奥にヤマタノオロチという八つ又、八つも頭のあるキングギドラが住んでいて「これがアタシを喰うんですよ」という。
そうしたら人のいいスサノオは「いいよいいよ。俺、退治してやらぁ」と言いながら挑んでいくという。
その日本書紀に書いてあるのが、そのオロチ退治の時のことだが、

「かれ、その中の尾を切りたまいし時に、御刀の刃毀けき。しかして、あやしと思ほし、御刀の前もちて刺し割きて見そこなはせば、都牟羽の大刀あり。かれ、この大刀を取り、異しき物と思ほして、天照大神に白し上げたまひき。こは草なぎの大刀ぞ」(『古事記』読み下し文)
 スサノヲがヤマタノオロチの尾を切ったら、スサノヲの刀の刃が欠けたというのだ。
(「サルタヒコのゆくえ」147頁)

「アレレ、欠けちゃったよ」と思いながらよく尻尾の中を見たら何とそこから太刀が出て来た、刀が出て来たという。
「これは不思議な刀だなぁ」
ヤマタノオロチが尻尾に隠していたという。
それを草薙の大刀、剣としてアマテラスオオミカミに差し上げたという。
スサノオの剣は草薙の刀に当たって欠けている。

スサノヲの佩刀よりも草薙剣のほうが硬度が高いと言っているわけである。(「サルタヒコのゆくえ」147頁)

スサノオが振りかざして裂いた刀は銅剣。
ところがオロチが飲んで尻尾に隠していた刀は鉄製。

出雲の玉鋼を日本式に鍛造したものであるだろう。(「サルタヒコのゆくえ」148頁)

これはもの凄く大事なことだが、この日本刀の切れ味、日本で作った、出雲で作った刀の凄いところは朝鮮半島も中国もマネできなかった。
ここらあたりで名前が変わっている。
「草薙剣」だったのだが「天叢雲剣」と別の名前になるが、何かがあったのだろう。
ヤマタノオロチの尻尾から出たという太刀。
玉鋼(たまはがね)と言って独特の鉄を硬くするという技法。
鍛造技術から生まれた名刀。
これが何が重要か?
草薙剣という。
草薙とは何かというと稲刈りの時に便利。
草を薙ぐ(切る)という。
それが武器化して日本刀になっていくのだろうが、それがなぜ熱田神宮にあるかはわからない。
これは戸矢さんの推論だと思うが、尾張族という一族が古代に住んでいて、大和の天皇家に相当いろいろ力を貸してあげたようだ。
そのお礼に「よく貢献した」ということでそれが現代まで続いているという。
サルタヒコを振り出しにして鏡の一族が勾玉や剣の一族を従えている。
これが日本書紀には物語として記録されている。
カラス、サメ、ハヤブサ、オロチ、様々な動物をシンボルとする人達がこの日本という国の山河の中に住んでいたという。
サメの一族。
出雲地方にいた。
出雲の国、ウサギとケンカしていた。
つまりあれはウサギの一族とサメの一族がいた。
それが仲たがいして大国主が止めに入ったという。
いかにも海人族のサメと陸上を移動するウサギという、そういう部族がいたのではないだろうか。
ではハヤブサは?
ハヤブサの一族。
隼人(はやと)。
鹿児島。
隼人族。
「ハヤブサの人」と書いて「隼人」と読む。
あそこはやはりハヤブサを象徴とする部族がいたのだろう。
あとはオロチとか鬼とかそういう人達が日本の山河、浜や浦に住んでいて大和はその首長達を従えつつこの国の支配権を取った。
一番の外交の目的は国譲り。
実際の戦闘ではなくて外交で攻め落とすという。
その代わりきちんと先住の神を認めてあげる。
典型的がやはり出雲。
あんな大きなお宮さんを建てて。
神社のお参りは二礼二拍手一礼。
出雲は四回叩く。
二礼四拍手一礼。
それと梅原さんという人が書いた、本殿から参道までが直角に曲がっている。
(梅原猛氏を指していると思われる)
これはなぜかというと霊が飛び出してこないように。
それから神社の扉が内側から開かないようになっている。
外から内側へは押せるが内から外へは押しても引っ掛かるようになっている。
そんなふうにして各地の神々をちゃんと神様として立てつつも、いわゆる政治権だけは収奪していったという。
このようにして様々な一族を大和王権が従えてゆくという。
国譲りとは徴兵・税を求める律令制度を目指して大和政権が用いた外交手段である。
これは縄文・弥生・古墳時代を通して、この列島に東アジアから渡って住み着いた人々には実に都合がよかった。
あることを我慢すれば、あることは自由にやっていいという。
先住の縄文と渡来の弥生が異民族ではあったが互いに皆殺しのような国盗り戦争にならず「国譲り」ということで異民族同士が仲良く血を交えて大和の国、日本を造った。
そして神様を滅ぼさない、全部生かしたものだから何とヤオヨロズの神という。
何と800万の神々がこの国にはいるというような、いわゆる神で溢れた国々になってしまった。
日本が何でそんなに神様が多いのかというのがわかった水谷譲。
このシステムはよくできている。
では渡来人は中国人。
中国がまだなかった時代の頃の民族の移動なので、そんなふうにして考えるとこの国は・・・
災害ではないがそういう時代になりつつある。
人口減少で他の民族の方に日本に住んでもらって日本人になってもらわなければならないなんていうことを国会で討論し始めたワケで。
いろいろ意見があるかも知れないが、かつて日本に住んでいた人達と、そこにあったヒノモトという政府の人達は実に上手く乗り越えた。
だから何か私達も古代還りした方がいいのではないか?

サルタヒコをお届けした次第。
武田先生が古代のことを考えてみたくなったのは、BSを見ていてここから始まった。
日本人の遺伝子を最新の研究が調べた。
遺伝子の20%が縄文人の遺伝子。
弥生人の遺伝子が20%。
後の60%は世界中の遺伝子。
中国、インドシナ、アラブ、様々な人種の遺伝子が混じり合って出来たのが日本人という血統。
縄文、弥生から始まって古墳時代という「謎の5世紀」と言われる時代を挟んで飛鳥という時代に入っていく。
このあたりから日本はスタートするのだが、このあたりまでの遺伝子を調べると古墳時代に60%の遺伝子が混じり合ったという。
だから自分の体の中には世界のどこかのエリアの遺伝子が混じっている。
それと「大和民族は一種類」とかとんでもない
様々な人種が支えたのが大和民族で、血筋が一筋なんてことを誇る方がいらっしゃるがとんでもない。
世界中のありとあらゆる人々の血が混じって出来たのが日本人であるという。
これから人口減少の日本の中で技能実習生を受け入れようとかとあるが、やはり国民にするというような意識がないとダメ。
元気のいいうちだけ使おうなんてまた文句のネタを作るようなもので、古代還りしちゃいましょうよ、飛鳥時代に戻りましょうよ。
始めの天皇達がやったようにやりましょうよ。
何をやったかはニニギノミコトや神武、それからサルタヒコにも訊きましょうよ。
そうしたらやはり活気に溢れる力が日本にみなぎると思う。
我々は令和の人間ではなくて新しき飛鳥人を目指して。
その「新しき飛鳥人を求める日本」というのが異国の人から見ると凄く面白くて。
だってラーメンを一生懸命喰っているあのヨーロッパの人なんか見ると、あの人達は・・・
天ぷら、寿司、ラーメン。
その天ぷらや寿司やラーメンの中に異国から渡ってきた食物をこの国ふうに変える、この国の不思議の力がある。
そんなふうにして考えると、申し訳ないがアラブの人とかイスラエルの人、ロシアの人。
妙につっぱらかって「そこの土地は俺のもんだ」とかと言わないと、案外人間は上手くいくもの。
国が今、暴れている状況だが、かつて日本は国という輪郭を持たなかったこと、そのへんが日本人のパワーになっているのではないかな?と。

戸矢さんは面白いなと思ったのだが、「サルタヒコのゆくえ」という河出書房から出ている本の中で戸矢さんが日本人に関してこんなことをおっしゃっている。

日本人は哲学や思想に疎遠であるとはしばしば指摘されることであるが、ことを論理的に突き詰めるのが苦手な国民的体質がある。しかし、論理や正義は、突き詰めると血を流す。日本列島は、古来「人種の坩堝」といわれるほどに多種多様な人種が海流に乗って渡来した。それゆえに、対立を回避するための知恵として、突き詰めないという体質ができあがったのかもしれない。(「サルタヒコのゆくえ」37頁)

このあたり、決して混沌を嫌がらないという。
二階さんとか麻生さんとか森さんとかいらっしゃるが「どっちが正しい」とかどうでもいい。
そんなふうに思う。
頭にくることは多いと思う水谷譲。
「オメェもいつか年取るんだよ、バカ野郎!」
でもあれは年寄りは言いたい。
それよりも二階さんにご注意申し上げるのは「転ばないように」。
骨なんか直ぐ折れてしまう。
気を付けてください。
麻生さんも頑張ろう。
大好き、麻生さん。
(麻生さんは)福岡県人。
(武田先生と)同郷。
武田先生は「福岡県で生まれた」というだけで嫌いになれない。
余計なことだが、実は戸矢さんの本ともう一冊「猿田彦の怨霊」という本も合わせて今回三枚におろした。
これは合わせ技だった。
ごめんなさい。
その「猿田彦の怨霊」はなかなか読み応えがあって、ここでは現在の皇室の問題を取り上げていて。
男系男子のみが天皇を継ぐことができるという、解釈というのはよくないんじゃないの?というちょっと面白いアイデアだった。
個人的な思いでこのことはいいと思うが、武田先生は次の天皇は愛子様で十分という気がする。
あんな感じのいいお嬢さん、本当に近頃、見たことが無い。
あれこそ日本人がこの後の世紀で持つべき笑顔ではないだろうか?
お顔を見ていると、もうそれだけで心がのどかになる。
何と申しましても日本ににとっては「頭がシャープ」とか「○○が上手」とか「戦争に強い」とかそういう国ではなくて「感じの良い国」という、それが日本人の目指すところではなかろうか?と思った次第。
上手くまとまらないなと思いつつも、上手くまとめるところが力量。
自画自賛。
「自画自賛」を同級生が「痔を手術しないままそのまま持っている人」と解釈の欄に書いたバカがいたが、元気ですか?イトウ君。


2024年5月13〜24日◆サルタヒコ(前編)

(今回のネタ本は二冊だが、番組の前半では紹介されない)

サルタヒコのゆくえ: 仮面に隠された古代王朝の秘密



猿田彦の怨霊:小余綾俊輔の封印講義



BSなのだが「英雄たちの選択」という武田先生好みで、これを見るのが大好きで。
(番組の司会の)磯田(道史)さん、この方が自分の歴史観を語るのだが、例えば関ヶ原の戦いで小早川秀秋という人がいるのだが、豊臣秀吉に育てられながら天下分け目の戦いでは家康に味方したということで彼は歴史上「裏切者」という。
しかしよくよく調べると「この小早川は決して裏切者ではありませんよ」と。
戦国の武将として全体の戦略を見ればどっちが勝つかはわかり切っているので、武将としては家康に付くのは当然ではないか、という。
後世の、後の世の人達が「裏切り裏切り」と言うけどそんなことはないですよ、という。
歴史というのは常に勝者によって語られるので、その中には敵となった人、関ヶ原では石田三成、そういう悪役が作られる。
それともう一つ、消された人物がいる。
そういう人達のことも調べ上げないと、という。
磯田さんはいいことをおっしゃっている。
歴史上で消された人、最大の消された人。
武田先生流で言えば簡単で「坂本龍馬」。
坂本龍馬は何人かが知っていて他の人は誰も知らなかった。
坂本龍馬は正史に堂々と出て来た、歴史上に堂々と出て来た人ではない。
あれは土佐の若い衆達が「アイツは面白かった」と語り継いでゆくうちに蘇った人。
龍馬がやったと言われる大政奉還案にしろ、あれは歴史の上では後藤象二郎という土佐藩の家老がやったことであって、後藤は「あれは坂本が考えたんですよ」なんて言っているワケがない。
だから坂本龍馬は消えかかった。
若い衆は「坂本ってのは凄かったよ」と言っているうちにそのレジェンドだけが残って、そこから出て来る。
そういうのが面白い。
だから坂本龍馬というのは内田樹さんという哲学者の方が絶妙のことを言っているのだが、龍馬を暗殺した人達は龍馬を歴史から消したかった。
ところが世の中は不思議。
消されることによって名前が残ってしまった。
「消されたことによって名前が残る」というそんな人は本当にいる。
聖徳太子という人がいて、これは一説での説。
いたかいなかったかよくわかっていない。
この人も伝説に残っていて、正史に残っていない。
聖徳太子でいうと一遍に十人の人からの話を聞けたみたいなちょっとドラマみたいなエピソードしか残っていないと思う水谷譲。
お母さんが旅している最中、途中の馬小屋の中で出産しちゃった。
それで「厩戸皇子」とかと聖人化してゆくという。
ただ、正史には残っていない。
正史に残らないという人は、いたかいなかったか本当はわからない。
浄土真宗の親鸞なんかも一時期は「いなかったんじゃないか」。
正式な歴史の本に残っていない。
レジェンドはあったのだが。
こういう不思議な人物が歴史の中に点々といる。
磯田さんの提案は「そういう人達も一回歴史上に上げて、綺麗にさらって泥を落とさないとその人の正体というのがわかりませんぜ」という。
歴史を作ったのは戦いに勝った人。
そしてもう一つの一群の中に歴史上で消されてしまった人達。
それを探し出して見せない限り真相、歴史的な流れを正確に言い当てることはできませんよ、という。

今日まな板の上に置いたのは「サルタヒコ」。
コーヒーショップで「猿田彦」という店があるが、そこからきているのか?と思う水谷譲。
(「ブランド名(屋号)は『みちひらき』の神様・三重県伊勢市の猿田彦大神から拝受しております」とのこと)
それはどうか知らない武田先生。
ただし、水谷譲がコーヒーショップを連想する程、場違いなというか。
舞台で猿田彦が何かで出て来たような気がするが何をやった人かはわからない水谷譲。
ゆっくりご説明しましょう。
日本の初めての歴史の教科書が二冊ある。
一冊が「古事記」もう一冊が「日本書紀」。
古事記と日本書紀の中に登場する神様。

 サルタヒコがどのような容姿であったかは『日本書紀』にのみ記されている。
 その八年前に成立した『古事記』にはそういった記述は一切ない。
(「サルタヒコのゆくえ」13頁)

日本書紀の方ではそうとう妙ちくりんな神様として登場する。
「名前はちょっと聞いたことがある」とか、それから「何かにも出てきましたよね」と水谷譲が言う通りで、サルタヒコの風貌が天狗になってしまう。

やがてそれが天狗のモデルともなっていった。(「猿田彦の怨霊」54頁)

異形の姿として登場する神様。
とてもとても不思議な神様だが、いかな神様か?

日本書紀そのものは養老四年(西暦)720年に完成した歴史書。
日本で初めての歴史書。
これは大和政権、大和の天皇家が「俺が昔からの王様なんだぞ」という正当性を叫んだ、天皇家の系譜を歴史に残すという事業で登場した書物ということ。
天孫族、つまり天皇家の始まりの神様が大和の国、日本を目指して天からずーっと天下りしてきた。
その高天原から日本の瑞穂の国、日本に降りて来る途中、天の八衢(あまのやちまた)という何叉路にも分かれたところに来て「あれ?どっち行こうか?」という話になった。
その時にその道脇で待っていた神様がサルタヒコ。
この人の風貌が

▼読み下し
「一人の神あり。天の八達の衢に居りたり。
 その鼻の長さ七咫。背の高さ七尺あまり。七尋という。
 また口尻明かく耀けり。
 眼は八咫鏡の如くにして、赩く輝けること赤酸醬に似る也」
▼口語訳
「ひとりの神が、天の道の交差点にいた。
 その鼻の長さは七咫(約一二六cm)、身長は七尺(約二一〇cm)。巨大である。
 口の端が明るく輝いていた。
 眼は八咫鏡のように大きく、赤く輝いているさまはホオズキ(酸漿・鬼灯)に似ていた」
(「サルタヒコのゆくえ」14頁)

アマテラスの孫であるニニギノミコトは高天原の神々を従えて豊葦原、瑞穂の国、このヒノモトに天下った。
新しく王様になる為の遠征が始まったワケだが、このニニギにはニギハヤというお兄さんがいた。
兄が先に出発した。
ところがその後、音信不通になる。
連絡が来ない。
それでアマテラスオオミカミは「よし、じゃあ弟の今度はアンタが行きなさい」ということで高天原の有力メンバーをこのニニギにくっつけて瑞穂の国に行かせた。
その瑞穂の国に遠征途中でバッタリと遭遇した異人がサルタヒコ。
日本書紀は怪奇な巨人として登場させているが、古事記にはこのようなことは一切書かれていない。
不思議なもの。
この時に、ニニギは不気味な神様が睨んでいるので「いきなり暴れたりするんじゃ無ぇかな」と思って「おい!スタッフ呼んで」。
その呼びつけたスタッフが女性。
アメノウズメノミコト。

天鈿女命は、自分の胸を露わにむき出して、腰紐を臍の下まで押し下げ、嘲笑って猿田彦神と向かい立ち、−中略−この天鈿女命の所作は、天岩戸開きで見せたのと同様の「性的所作」といわれている。天岩戸の際には、この所作によって大勢の神々の笑いを誘い、岩戸にお隠れになっている天照大神を呼び出したのだが、この時も猿田彦神の感心を見事に惹いた。(「猿田彦の怨霊」64頁)

言ったことが不思議な一言。
神様の会話だから。
「私が先に行く?それともあなたが先に行く?どっち?」

天鈿女命が、天孫をどこに連れて行こうとするのかと尋ねると、
「筑紫の日向の高千穂の槵触峯」に、そして自分は「伊勢の狭長田の五十鈴の川上」へ行くのだと答えた。
(「猿田彦の怨霊」93頁)

そのニニギがこの後、どこに行けばいいかというのを指図したという。
「自分は伊勢の方に行くわ」これだけを伝えてサルタヒコは去っていったという。
この時に不思議なことにアメノウズメノミコトも一緒に伊勢へ去ったという。
ニニギは筑紫の日向の高千穂のクシフルダケというところに降りようというところで天からスーッと宮崎の方に降りたという、こういう話。
これは日本書紀の中で何が言いたいかというと、ニニギに一番最初に降り立つべき場所を教えた神様ということで

 この言葉から、猿田彦神が「道開きの神」−中略−と呼ばれるようになった。(「猿田彦の怨霊」93頁)

「道を案内する神様」ということで信仰の対象になっていった。
ニニギがサルタヒコから行けと言われた筑紫の日向の高千穂のクシフルダケ。
これは「筑紫」と「日向」は全然違う。
筑紫は武田先生が生まれたところ(福岡)。
日向は違う。
東国原さんのところ(宮崎)。
何か九州がごちゃごちゃに地名として書いてある。
何でこんなにグジャグジャに・・・
だから変な言い方をすると日本書紀を書いた人は宮崎と福岡の違いがわからかったような人なのかな?と。
「アマ」というのを「海」と読んで、船でやってきた一団が日向の沖で上陸したポイントが宮崎だったという。
そんなふうに読んだらどうだろうか?という。

日本のヤオヨロズの神が住みたもうというこの大八洲(おおやしま)だが、その神の一人、サルタヒコを扱っている。
奇妙な神様。
鼻がもの凄く長くて天狗と同じで顔が真っ赤っ赤。
身長は2mもあるというような大男。
異国から海を渡ってやってきた神様と土着の神様。
そういうものがゆっくり混ざってゆくその過程を歴史で書いたのが日本書紀ではないだろうか?
ことごとく神話。
それで「アンタ方ここ行きなさいよ」とサルタヒコが勧めた。
日本のことをよく知っているということ。
それで「ここに住んだらどう?」と勧めてくれた。
それが日向の国、高千穂のあの一帯。
そこに天孫族の神が降り立ったという。
先住の神、先に住んでいた神が新たにやってきた神へ、開拓すべき土地を教えてあげた。
そしてサルタヒコ自身は自分の本拠地、伊勢へ帰った、というワケ。
その時に交渉係に立ったアメノウズメノミコト、女性の肉体美の神様を誘って一緒に伊勢まで行ったという。
この一組の神様はこの伊勢で夫婦生活を営む。
ところがあっけなく物語は終わってしまう。
本拠地伊勢の狭長田の五十鈴川、今の伊勢神宮の五十鈴川の川上というところが住まいだったらしく、そこに行ったらしい。
今でこそ伊勢だが、昔はサルタヒコが支配する土地だったのではないだろうか?という。
そこでこんなことになった。

アメノウズメは、むすばれてまもなく寡婦となる。
 サルタヒコが漁のために伊勢の阿邪訶(松阪)の海に潜った際に比良夫貝(オオシャコ貝)に手を挟まれて溺死してしまったためである。
(「サルタヒコのゆくえ」4頁)

貝類では世界最大のもので−中略−
 これまでに発見されたもので最大のものは、体長一三五センチメートル、重量二三〇キログラムにも達していたという。
(「サルタヒコのゆくえ」208頁)

これは恐らく今で言うところのシャコ貝ではなかろうか?
パラオで見たことがある武田先生。
シャコ貝が海底にバーッとある。
貝がタンスぐらいの大きさ。
「ビーナス誕生」のあのシャコ貝。

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それはもう重機がないと上がらない。
このあたり、死に様からしてもサルタヒコというのは海にまつわる一族の臭いがする。

猿田彦神は、間違いなく海神たちの主だった。(「猿田彦の怨霊」156頁)

遠い昔、海から日本に辿り着いたという一族の神だったのだろう。
このサルタヒコは海の臭いがする。
何か南海の男子を思わせる、そんな気がする。
それで後にそこにアマテラスオオミカミがやって来る。
伊勢は、最初にサルタヒコの領地だったのではないか?
アメノウズメノミコトとサルタヒコ夫婦。
夫婦でその土地に化身として宿ったのが二見浦の夫婦岩。
あれが実はサルタとアメノウズメの化身、墓標みたいなものじゃないかという。
そして驚くなかれだが、サルタヒコ信仰というのは凄いもので

 サルタヒコを祭神としている神社は、全国に三三〇〇余社鎮座する。(「サルタヒコのゆくえ」84頁)

アマテラスオオミカミが5000、ニニギノミコト、あの皇太子、そこに住み着くことになったニニギ、これが1000。
天つ神の英雄、ヤマトタケルが1009か所だから。
(「サルタヒコのゆくえ」によると1900余社)
第二番目。
いかにも脇役扱いでフイッと消されるのだが、実は脇役ではなかったのではないか?という。
いろんなところに点々とサルタヒコの神社があるので、恐らく日本を縦横に海を利用して移動していた一族ではないだろうか。
それでその風貌が天狗伝説になったりするという。
それは天狗、なまはげ、それから沖縄ではマユンガナシという大男の怪物がいるそうだ。
このマユンガナシの子分がキジムナーだ。
真緑のヤツ。
そういう海からこの国に住み着いて神になったというその系譜がサルタヒコではないだろうか?という。
それでニニギノミコトにちゃんと道を教えてあげたワケだから、繰り返しになるが、長野の信濃路など旅すると道祖神の石仏が立っているが、その石仏の中に男女神が肩を寄せ合って抱き合っている姿が道中安全の守り神になっている。
これは信濃あたりにもどうもサルタヒコの臭いが、という。
信濃は不思議。
御柱というのはまさしく古代。
この不思議な不思議なサルタヒコ。
様々な推論を巡らせてゆこうと思う。

日本書紀に登場するサルタヒコを扱っている。
日本書紀はこの奇怪な神を先住、先に住んでいた神としてなぜ描いたのか?
それはやはりこの神は相当、日本全国で人気があったのではないだろうか?
この日本書紀が書かれた時は万葉仮名の時代で、音読み・訓読みではなく、音読みだけで漢字を読んでいた。
日本書紀というのは仮名が生まれる百年前の書物。
だから日本語の音を漢字の音に当てて作られた、書かれたという書物。
だから日本語読みの時と漢字が出てきてから名前が変わってしまったものとかがある。
富士山。
あれは神社は「センゲン神社」という。
センゲンは何か?
漢字は「浅間」。
あれは大元の名前は「アサマヤマ」だった。
アサマヤマは軽井沢の方にもある。
活火山で煙を吹いている山を縄文の頃の人達はどうも「アサ」という呼び名で呼んだようだ。
だから「アサマ」も「アサ」、「富士山」も「アサマ」、九州にある活火山は「阿曽(アソ)」。
ところが漢字が入ってくると、漢字で山を描くことになって、平仮名ができるギリギリに「竹取物語」という物語が日本で初めて生まれた時に富士山が出て来る。
かぐや姫が不老不死の薬をお爺さんとお婆さんにあげるのだが、お爺さんとお婆さんはかぐや姫がいなくなってしまうので「そんな薬、いらないわ」と言いながら富士山のてっぺんで燃やしてしまう。
その煙が富士山にいつもなびいているもので「アサマ」というのをやめて「死なない山」で永遠の命の薬を焼いてしまったので「不死の山」。
そのあたりから漢字がどんどん転用されていって「不死」から尽きることが無いという意味の「不二家」の「不二」、「この世に二つとない」という「不二」になって、その後「富める士」という。
古代では「アサマ」と呼んでいたものが「不死」から「富士」になったという。
ここではっきりしていることは日本書紀を書いたあたりの人達は漢字に精通している。
だからサルタヒコに「猿」の字を当てている。

あえて「猿」の字を用いて、サルタヒコを貶める意図があったと解釈せざるを得ない。
 記紀を始めとする公文書の執筆や編纂に携わったのは
−中略−母国語である漢字の意味を知らなかったということはあり得ない。つまりこれは、−中略−「卑字」を下賜するという慣習を踏襲したものと考えられる。(「サルタヒコのゆくえ」77頁)

この人達が後に「倭」をやめて「大和」にしたり「日本」にしたりするという。
そういう知恵を持った人達がこの日本書紀をやっている。

これも本来は「サタヒコ」等と表記すべきであるだろう。(「サルタヒコのゆくえ」78頁)

そうすると地方の地名の中にこの「サタ」によく似た響きがある。
「猿投(さなげ)」
名古屋にある。
「猿島(さしま)」
これも「猿の島」と書くのだがサルは関係ない。
こんなふうにしてサルをあてて風貌を連想させて歴史を残したというのが日本書紀の正体ではないだろうか?という。
その風貌「赤ら顔」「巨大な鼻」それから「ホオズキのような赤い目」「2m以上の偉丈夫」。
戸矢学さんという面白い古代史の研究家がいる。
神様をずっと並べていって神社に残っている神様で日本の歴史を見ていくという。
この人が、この風貌はどう見ても海人族だという。
海からやってきた。
赤ら顔、日に焼けている、海人族は全身に入れ墨を入れていたので、あのテラテラ光る頬とかというのは入れ墨ではないだろうか?
そしていつも海に潜っていたから目が真っ赤。
ホオズキのような赤い目という、漁労関係者の風貌を神の風貌にしたのではないだろうか?
そして鼻。
126cmもあったという。
その鼻は一体何だ?
体で126cmほどの大きさになるものは何か?

サルタヒコの特異な造形は「勃起した男根」からの発想であろうと私は考えている。(「サルタヒコのゆくえ」45頁)

体の中でも突き出たものとしては朝から何だが「男性性器があるぞ」と。
しかし身をもってお答えするが、武田先生は15cmが精一杯。
15cmちょっとぐらいか。
「その126cmは無理ですよ」というふうに思ったのだが、何と126cmもの巨根。
はっきり言ってしまえば巨根というものがあった。
これが遺跡から出て来る。
陽根信仰ということで。
「陽根」男性性器のこと。
昔はあった。
そういうのを拝むアレが。
よくご神体でお祭りで見る水谷譲。
朝だからだが、これはもの凄く大事な。
かつての人々は男女の性器そのものに神が宿ると考えていたようだ。
それで人間が増えてゆくからこれは重大な器官。

勃起した男根をかたどった石棒は、縄文時代は言うまでもなく、旧石器時代から信仰されている。(「サルタヒコのゆくえ」61頁)

それが陽根信仰で。
縄文人の集落の跡には必ずこれがあったという。
それから海岸に空いた穴。
あれも神が宿るという。
あれは女性性器。
ああいう海岸に空いた穴にザーッと波を寄せて行ったりなんかすると、海と陸とが抱き合っているように見えるという、そういう縄文人達が拝んだ石の男性性器。
それが丁度126cmぐらい。
ということはサルタヒコというのは縄文から生き残った海人族の神だったのではないだろうか?という。
それでサルタヒコの実態はというと、縄文時代からこの極東の島国に住み着き、生きて来た縄文人、その末裔で彼等の象徴は何かというと勾玉(まがたま)。
勾玉は母の胎内で発生した生命の第一歩の姿。
胎児の恰好をしている。
それと巨根とを抱き合わせて神にしたという。
サルタヒコという神が貝に挟まれたというところもアメノウズメノミコトという母ちゃん(妻)に迎えた女から密やかに殺されたのではないだろうか?という。
そんなふうなことを思わせる。

縄文という時代があった。
そこに後からやって来た弥生の人達の政策の素晴らしさは何かというと、今と違う。
今は困ったことに後からやって来た人というのが前にいた人を皆殺しにしたがる。
中東の方の問題でもそう。
それからヨーロッパの方でロシアとウクライナが争っているのも傲慢。
縄文があって弥生が入ってくる時のスムーズさは一体何かというと、神々が殺し合うことはあっても国民は殲滅したりしなかった。
その為に何をやったかというと神様を認めた。
やってきたニニギノミコトは別のシンボルを神だと思っていたのだが、先の神様が勾玉を拝む人だったら勾玉も自分のところに取り入れようとしたという。
間違いなければ、その前に鏡を神様だとする部族もいた。
それを「剣が神様だ、シンボルだ」と思う弥生の人達がやってきて、三つとも神様にしてしまった。
それで「三種の神器」。
一個にしない。
一個にすると揉める。
今、世界中がそう。
アマテラスオオミカミというのが太陽だったら弟さんはツキヨミノミコト。
そうやって考えるとシンボルまで潰さない。
この渡来人達、或いは新しい大和人達の知恵そのものが日本をまとめていったという。
日本に観光客が多い。
それを見に来ているのではないかと思う。
神様を。
多神世界の面白さ。
いっぱい神様がいる国が、これからの世界のモデルになるかも知れない。
世田谷のある神社。
猫をお祀りしている。
あそこに観光客が行ってしまうという。
どうやってそこを調べて来ているのが不思議だと思う水谷譲。
でもそれが滅茶苦茶面白い。
日本では猫が神様になっているという。
それが豪徳寺というテンプルにあるワケで。
それで近代的なビルに囲まれて、渋谷に行ったら「偉い軍人さんが立っている」「レーニンがある」「マルクスがある金日成の銅像がある」じゃない。
犬が立っている。
あそこで写真を撮っている外国人の方が凄く多いと思う水谷譲。
みんな幸せそうな顔をしている。
それで伏見稲荷に行ったら今度は狐。
鳥取県に行けばウサギ。
因幡の白兎はいるわ。
こんなふうにして「神々とどう人間が折り合うか」という課題に関して、日本はもう既に答えを持っている国。


2024年10月09日

2024年7月8〜19日◆老害(後編)

これの続きです。

お医者さんだが和田秀樹さんの「老害の壁」というのを下敷きに、老いた人が社会全体の害をなすという「老害」を取り上げているワケだが。
「老害」というと、もう平べったく昔のことをしきりに振り回したり語ったりする人のことを「老害」と。
武田先生も若い世代の方からは「昔のことしか話さない老害」と言われている。
老害というのはいろいろ使いやすいらしくて、YouTubeなんかを見ていたら時々武田先生が出て来る。
それでいろんな意見を言ったり他国の悪口を言ったり「武田鉄矢は悪口を言ってるぞ」みたいなのが出て来る。
でも言った覚えが無いことだけは事実。
だからある発言を受けてその人がそういうふうに解釈して「武田鉄矢があの人とあの国の悪口を言ってるぞ」みたいなことに仕立て上げているんだろうと思って。
「切り取り」というのは今、大流行りだから。
「女性の政治家を生まないとあなた方、女性としては・・・」なんていう、そういう発言もいつの間にか「女を『生む生き物だ』というふうに決めつけている」というような・・・
国語的表現でそういうのあるじゃ無ぇか、という。
揚げ足を取り過ぎだなと思う水谷譲。
揚げ足を取り過ぎてまたぐら丸見えみたいな。
何かよくわからないが。
それは発言としてはどうかと思う水谷譲。
こういうのを「老害」と言う。
言葉を知りすぎているものだから使い過ぎるというヤツ。
「いろんな番組に出てベラベラ喋るのよく無いなぁ」とか「それ誤解されるよ」とかと身内からも注意されたり。
そう言われるとガクッときて落ち込むのだが、和田先生は断固たるもので「気にするな」と言う。
「どうせ言葉なんてのは正確に伝わらないんだ」
はっきりおっしゃる。
和田先生がおっしゃっているのは「切り取り等々で発言を曲解する、そういうバカモンというのはいるんだ。放っときゃいいんだ」

自分が思うことを萎縮しないで発信してください。そのほうが、いろんなストレスからも解放されるでしょう。(「老害の壁」100頁)

このあたり見事。
ただし付け足してあった。
「人の名前を使って金儲けに使うというような切り取りに関しては犯罪だから訴えましょう。バンバカ訴えていいんです、そういう輩は」という。

ここからまた、和田先生のお医者さんらしい不満というか怒りが書いてあったのだが。

 今、日本には認知症患者が約600万人いるといわれています。(「老害の壁」122頁)

600万人、大変な数。
これは高齢者では4人に1人か3人に1人かという、かなりの確率になるという。
これを和田先生はワリと怒ってらっしゃる。
「大きな言葉を使い過ぎる」と。
老化現象の一種の物忘れを大きく括って「認知症」という病名を使うな。
病気なのか「もうおじいちゃんおばあちゃんだからしょうがないよね」というものなのかというのがちょっと境目が無くなってきていると思う水谷譲。

毎日徘徊していると言っても、家には帰ってきているわけですから、その老人は毎日散歩しているだけなのかもしれません。(「老害の壁」125頁)

認知症の問題点は何か?基準点はどこか?というと、ご近所に迷惑をかける線路への立ち入り等々、これは認知症だから何とかしなくてはいけない。
だが掃除はするわ、「鉄道は危ないわ」ということはわかるわ、そんなのは認知症でも何でもないんだ。
その他に火の消し忘れとか、近道を忘れてしまって遠回りをした。
こんなのは認知症じゃない。
(このあたりは本の内容とは異なる)
それは和田先生曰く「うっかり」で「ぼんやり」なんだ。
うっかりとぼんやりは順調に年を取っているあかしだ。
大きい言葉ですぐに「認知症の初期症状」とか、そういうふうに決めつけてしまう対応の仕方、呼び方ってまずいんじゃ無ぇの?
しまった!と本人が思ってるんだったら全然認知症じゃない。
うっかり、ぼんやりは水谷譲もある。
それから注意されるが火の消し忘れ等々、これはなかなか怖い。
ただ最近、点けっぱなしでもタイマーで消えるようになっている。
本当に安心・安全になったと思う水谷譲。
それを最初に操作しておけば、無いワケで。
マツコさんなんか、お漏らしの一件とか堂々と言う。
マツコさんはやっぱりお漏らしをしてしまうらしい。
夢の中でおしっこをしながら、ふと「こんなとこでおしっこするハズがない」と思うとだいたいお漏らししているという。
「大きいくくりで病気病気と呼ぶのはやめなさいよ」と先生はおっしゃっている。

そういえばこの間聞いた話で、片頭痛が酷くて脳の先生のところへ行ったそうだ。
そうしたらもの凄い勢いで怒られて。
脳の病気に片頭痛というのは無い。
「片頭痛は無いんだよ。脳の病気には。内科に行って」
内科の先生が見た瞬間「あ、片頭痛ですね」と言ったという。

武田先生なんかも典型的に世に害をなすという意味の「老害」の部分があるのだが、一つは昭和に生きていた時に令和の日本を想像できなかった。
水谷譲なんかは全然ピンとこないかも知れないが、武田先生達団塊の世代で戦後すぐの子。
「この国に生まれたことを恥ずかしく思いましょう」運動というのがあった。
日本は貧しくて、間違った戦争をして、民主主義ができなくて、アメリカに一生懸命教えてもらっている、それが日本という認識。
それで日本の持っている習慣は全て奇習で、外国の非常識だった。
よく言われていたのが「麺類を音させて食べるなんて」。
昭和の頃、よく言われていた。
「下品な!スパゲティをすするんだぜ、日本人は」と。
それで当然、マナーとして蕎麦をすする爺さんがいるんだと言われていた。
何でこんなことを言うかというと、これは武田先生にとってはびっくりするような光景を見た。
令和の方は全然驚かないだろう。
昭和、戦後すぐに育ったこの鉄矢老害が驚く。
羽田の飛行場で見かけた風景。
金髪の綺麗なマダムが、可愛らしいお人形さんみたいな女の子と二人でうどんを喰っている。
マリリンモンローがうどん喰うか?
あれが富士そばか何かに入って、サブウェイの立ち喰いか何かで蕎麦喰うか?
もう武田先生はダメ。
それが箸の使い方が危ういんだったらまだわかる。
日本に来て、あの割り箸のワケのわからないので・・・
それはもの凄い麺類を上下させながらつゆに浸して喰っている。
それで娘と何か「quickley,quickley」と言いながら娘に子供用のボール茶碗でこう麺類を注いで分けてあげて、娘にはフォークで食べさせてあったけれども。
でもあんなに箸で器用にすする人というのが・・・
(外国の方も箸使いが)上手。
それを見た時に「昭和の常識・令和の非常識」と言われるが、武田先生達の頃に非常識だったものが今、常識になっていることへの違和というのが強烈にある。
「武田先生はモロ昭和」だと思う水谷譲。

モロ昭和の話を脱線でする。
武田先生はタイトルを聞いただけで笑った。
何かの番組で昭和の深夜番組のタイトルを挙げていた。
そうしたらもう令和の今、タイトルだけでアウト。
「11PM(イレブンピーエム)」(日本テレビ系)「露天風呂紹介うさぎちゃん」。
これはもう見たことがある。
本当に露天風呂に浸かっておられる「うさぎちゃん」という愛くるしい少女が「効能は〜の〜わせ〜ん」と、そういうのを温泉について語るのだが、誰も温泉なんか見てない。
「露天風呂のうさぎちゃん」
別の深夜番組。
チャンネルを変える。
「(独占!)男の時間」(東京12チャンネル)
司会、山城新伍。
その夜の特集。
「全国素人ストリップ選手権」
どんな番組だよ?
「オールナイトフジ」(フジテレビ系)
司会、とんねるず。
コーナー「あなたのパンツ見せて下さい」。
凄い。
そしてこの深夜番組のアイドル「オナッターズ」。
驚くなかれその中で歌とも踊りともつかないヒット曲があって、そのオナッターズの歌う歌のタイトルが「テンパイポンチン体操」。
そして山本晋也さん司会で有名な、これはテレ朝だったと思う「トゥナイト」「ノーパン喫茶めぐり」。
もうタイトルだけで令和ではありえない。
抗議の電話が凄いだろう。
老若男女見ていた。
その手の大人の世界を、こっそりだが子供も見ていた。
それで「早く大人になりたいな」と思うという。
「昭和の常識・令和の非常識」と言われているが「昭和の非常識・令和の常識」ということもあり得るワケで、大変申し訳ないが、「この手のところからテレビはスタートしたんだよ」という。
そこを誰かが語っていないといけないじゃないかというところに老害と言われる武田先生の意味があるワケで、是非そんなふうに了解していただけないだろうかと。

ここで本を乗り換える。
次なる本は藤井英子さんの本で「ほどよく忘れて生きていく」。

ほどよく忘れて生きていく



サンマーク出版で、何とこの藤井さんは女医さんで、91歳で心療内科を自ら始めた。
知恵に裏打ちされた助言がいっぱい載っている。
紹介する。

人間関係は、考えすぎないほうが
うまくいく気がします。
(「ほどよく忘れて生きていく」24頁)

相手のことを考えない時間を持つこと。(「ほどよく忘れて生きていく」25頁)

これはいい言葉。
誰でもある。

「苦手な人とうまくやろう」なんて
最初から思わないことです。
関わりを絶てないならば、
相手のことを考えない時間を
つくること。
(「ほどよく忘れて生きていく」34頁)

「忘れる練習」を繰り返し行うのです。(「ほどよく忘れて生きていく」35頁)

「これをしながら生きていかなければなりませんよ」
これはハッとする。
「忘れる練習」
練習で忘れられるのか?と思う水谷譲。
それはわからない武田先生。
だが「忘れる練習」が世の中にあるということだけは覚えておきましょう。
(藤井)先生がおっしゃるのだから、あるのだろう。

これはあまり大げさな言葉で言いたくないのだが、年を取ると夜中にフッと目が覚めてちょっと悪い方に悪い方に物事を考えるという、そういう嫌な流れの眠れない夜というのがある。
水谷譲も最近ある。
「遅れる」とか「遅刻する」夢を未だに見る水谷譲。
日本人の殆どが夢はそれ。
「遅れる」というか「間に合わない」というのが日本人の悪夢の典型。
生放送がもう始まっているのに、どこか他の所にいて踏切が開かないという夢を見る水谷譲。
試験会場に間に合わないとか。
それは日本人の殆どがそんな夢を見ていると思ってこれから過ごして下さい。
「みんなが見てるんだ」と思っていれば(遅刻は夢に)出て来なくなる。
「私だけだ」と思うから見る。
遠い昔、日本人に何かあったようだ。
その出来事が夢を見させるようだ。
日本人は時間にもの凄くうるさい。
その性格は進化のどこかの段階で出来事が太古にあったようだ。
それは日本人だけ。
オランダ人は別の悪夢を見る。
これはまた、三枚におろすので待っていて。
水谷譲が夢を見る。
でも夢の方も水谷譲を見ている。
そういうことがあって「これは私だけのことではないんだ」と思った瞬間、そいつが作戦を変えてくる。
これはまたゆっくりやる。

忘れる練習はした方がいい。
長い人生を生きてきて、武田先生も一生懸命生きてきたのだが、時として人生の中で何人か深く傷付けた人の思い出がある。
その人のことを眠れない夜なんかにフッと思い出して「あの人はどうしてるかな?」とか「あんなことをあの時言わなきゃよかった」とかという何人かがいる。
藤井先生はそのことで考え込むのは辞めた方がいいよ、という。
「あなたがその人に対して『悪いなぁ』と思っているかも知れないが、その人、あなたのことをすっかり忘れてるよ。その可能性を全部消して『傷つけた傷つけた』ばっかり思い出しちゃダメ」という。
また水谷譲は関係ないのだが、藤井先生が凄く警戒してらっしゃるのは老いの鬱。
やっぱり危険だそうだ。
(このあたりの話を番組では「ほどよく忘れて生きていく」の内容として紹介されているが「老害の壁」の方)

 うつ病の4割は60歳以上というデータがあります。高齢者がうつ病になりやすい理由の1つに、セロトニンの減少が考えられます。−中略−高齢者の場合はそれに加えて加齢によってもセロトニンが出にくくなります。(「老害の壁」130頁)

 セロトニンは朝、太陽の光を浴びると分泌量が増えます。そして、このセロトニンを材料にして、夜になると「睡眠ホルモン」とも呼ばれるメラトニンがつくられます。−中略−
 朝日を浴びてセロトニンが増えれば、うつ症状も改善され、夜もぐっすり眠れるようになるでしょう。
(「老害の壁」131頁)

(番組の中で「メロトニン」と言っているようだが「メラトニン」)

いいことも悪いことも、
ほどよく「忘れる」ほうが
いい気がします。
(「ほどよく忘れて生きていく」114頁)

これはきっとアレ。
悪いことを思い出すというのはいいことを思い出すから。
水谷譲が昔、酷く傷付けた男がいた。
その男のことを思い出して「あの人傷付けたな」と水谷譲が思っているとする。
それはどこかで「アタシがいい女だから、こういうことになっちゃったのよね」といううぬぼれがある、という。
そんなふうに考えるとやはり武田先生は運がいい。
だから悪いことを思い出す。
だが「いいことはいいことで感謝していいけれども、両方忘れていかないとバランス悪いよ」という。
これは藤井先生、なかなかいい。
いいことも悪いこともほどよく忘れる方がいい。
そんなふうにおっしゃる心療内科の藤井先生。
ふと思ったのだが、プーチン大統領。
第二次世界大戦の戦勝記念日の儀式をやっておられる報道の画面を見た。
プーチン大統領、その後ろ側に二次大戦を生き抜いた兵隊の爺ちゃん達がいっぱい勲章を付けて並んでいるが、向かって右手の方に半分眠っているお爺ちゃんがいる。
この藤井先生の本を読んでいる時にフッと思ったのだがプーチンさんの後ろに並んでいる爺ちゃん達は、戦場のことを忘れない為に勲章を付けているワケで。
まあ勝った戦争だから威張りたいのはよくわかるが、いいことも悪いことも爺ちゃん達は忘れた方がいい。
戦争が心の傷になるが如く、戦場で立てた手柄もこのお爺ちゃんたちに永遠に戦争の傷を残している。
それを胸に付けているということになりはしないか?
このお爺ちゃん達は戦争の記憶と共に、その悲惨、残酷、自分がやった勝利の為の殺害等々に関してずっと忘れずに生きていかねばならないワケで「戦場で貰った勲章というのは間違うと心の傷になりますよ」という。
武田先生がいいことを言っている。
自分で付け足したアレだが。
「プーチン大統領にお願いしたいのはただ一つ、勲章より肩掛けのケープの方が老人達には似合うのではないでしょうか?」
「ほどよく忘れる」とかというと、また怒る人が出てくる。
メディアの口癖だが「忘れてはいけない!あの悲惨さを!風化、止めなければならない!」
そういう言葉遣いで批判するワケだが、しかしこの「忘れてはいけない」というのは「忘れることを禁じている」ことではない。
これは藤井先生がいいことをおっしゃっている。

「そんなこともありましたね」と、ときどき、言われて思い出すくらいがちょうどいい気がします。(「ほどよく忘れて生きていく」115頁)

そのことをいつでも忘れずに覚えているということは、病名で「トラウマ」と言う。
だからメディアの人はトラウマを薦めている。
「ほどよく忘れる」ということの重大さで、その記憶を出し入れできるという。
そんなふうに考えると「藤井先生はいいことをおっしゃっているなぁ」というふうに思う。
それと地震が起こった地域に関してボランティアの集まりが少なかったりなんかすると、「地震が風化しております」とか言うが、

人は何かをしてあげることで、
同時に受け取っています。
励ましているように見えて、
励まされているのは
自分だったりします。
(「ほどよく忘れて生きていく」170頁)

胸に沁みる言葉。
特に日本の場合は天災とか災害が凄く多いお国柄。
それ故に「お陰様」とかという摩訶不思議な宗教用語が生まれて、お互いの親切さを交換するという。
お陰様。
「陰」に「様」を付けているワケだから。
目の前には出てこないということなのだろう。
「利他思想」
他力、人にすがることによって自らも変わるという、そういう他力思想があるが、思想として暮らしの中に根付いている珍しい国ではないだろうか?

ちょっとびっくりしたのだがBBCの放送で自然物を見ていた。
そうしたらインドのコブラをやっていた。
インドの街ではコブラはそこらへんにいっぱいいる。
(コブラには)毒がある。
それで子供が公園で遊んでいる横をコブラがずっと這ったりなんかして、草むらなんかに入っていく。
その横を子供が裸足で走り回っている。
噛まない。
インドのコブラは人間を敵だと思っていない。
それからヒンズー教のサル。
ヒンズー教寺院に住んでいるサルは人間とのエサの交渉を知っている。
ヒンズー教の方、すみません。
BBCのキャメラが見せてくれたが、観光客がウロチョロしていると、ヒンズー教のサルが人間のメガネを取り上げる。
それで人間が追いかけてきて、「返せ」とかと言う。
そのメガネを振り上げて返してくれない。
その時にバナナを一本出すとパン!と(メガネを)捨てる。
交換ということ。
商売を覚えてしまった。
ボスザルは何か?
ボスザルはもっと凄い。
女の人の履物を片一方だけ取る。
それで女の人がキャーッ!と言いながらバナナを一本出すと(履物の)片一方をポーンと返す。
交渉することによってエサを得るという。
人間社会の中でどう野生動物が生きていくか。
彼らも懸命に考えている。
話が脱線したが、人間というのはそんな野生の動物よりも賢い。
だから「助け合うこと」というのがいかに社会にとって大事か。
学びましょう。

ここからは老いを完成させる知恵をご紹介したいと思う。
養生訓。
これは和田先生。
先週紹介した和田先生の「こんな工夫いかがでしょうか?」という提案。

60代、70代にも、若い頃にハマったサブカルがあるものです。(「老害の壁」156頁)

老害と言われようがなんと言われようが、それが好きなら買って集めるのです。(「老害の壁」157頁)

由美かおる、「同棲時代(−今日子と次郎−)」のあのポスター

『あの頃映画 the BEST 松竹ブルーレイ・コレクション 同棲時代─今日子と次郎─』 [Blu-ray]



高橋恵子(当時は関根恵子)、「おさな妻」のあのポスター

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風邪薬の酒井和歌子のあの笑顔

「ローマの休日」のヘップバーン

ローマの休日 製作50周年記念 デジタル・ニューマスター版 (初回生産限定版) [DVD]



若大将シリーズ

レッツゴー!若大将



そういうものの中にアナタを若くさせる不思議なサブカルチャーがある。
若い時は英語の歌、好きだっただろう?
その英語の歌を日本語に訳して、じゃない。
英語で歌えるようにもう一回出会い直そう。
あの時に何言ってるかわからないけれどもフフフフフン♪とかと歌っていたのを、年を取って時間がある。
英語で歌おうじゃないの。
それからA面のヒット曲に縛られず、B面を探そう。
ビートルズ、仲間に書いたポップスがある。
あれが大好きだった。
ピーター&ゴードンの「愛なき世界」。



Please lock me away
And don’t allow the day
Here inside
Where I hide
With my loneliness
(ピーター&ゴードン「愛なき世界」)

そういう「B面ソング」を敢えて口にしてみるという。
今は両A面が多いと思う水谷譲。
昔はB面という・・・
でもB面の中に名曲とこだわりの一曲がある。

和田先生はしきりに薬の危険性を説いておられる。

ワクチンを打ったことが原因で亡くなった可能性がある人が少なからずいますが、全体としてみればリスクよりも利益のほうがはるかに大きいというのがワクチンを推奨する根拠になっています。(「老害の壁」174頁)

 ここで一番言いたいことは、薬には利益もあるけど、害(リスク)も意外に大きいということです。(「老害の壁」174頁)

そのことを覚悟して付き合うべきだよ、と、こんなことをおっしゃっている。

日本の医療が臓器別診療のスタイルをとっているからです。例えば、総合病院へ行くと、血圧が高ければ循環器内科で血圧の薬が出る一方、血糖値も高ければ内分泌代謝内科でも薬が出ます。さらに頻尿の症状があれば泌尿器科でも薬が出ることになるのです。(「老害の壁」177頁)

科が違うと全体を見る先生がいない。
だから前にも言ったように脳の方のお医者さんのところに行って「片頭痛です」と言うと「そんな病気は脳には無い。内科に行きなさい」と(内科に)行ったら「片頭痛ですね」と言われたという。
落語みたいだと思う水谷譲。
そういうことが本当にあるので「全体を自分で押さえておかなければダメですよ」。
こんなことを勘違いする人はいないだろうが「胃がんというものがあれば、それは切れば長生きできるという意味ではありませんよ。外科手術ってそこまで完璧なものではないですよ」という。

先週と今週に亘って使った本が「老害の壁」。
そしてもう一つ、藤井先生の「ほどよく忘れて生きていく」。
両方とも医療に携わるお医者様の本。
共通しているのは「自分の好きな老いの道を選んでください」ということ。
他にも読んだ本があって、これは取り上げなかった。
小説なので皆さんにはピタっとこないかな?と思って取り上げなかった。
小川有里さんの「死んでしまえば最愛の人」。

死んでしまえば最愛の人



「夫は81歳元気。昔から自分勝手で私の人生と体力をさんざ使ってきた。ここにきて私が命令する番よ。喰うか喰われるか、恐竜の世界のようなものよ、老後は」とおっしゃるという。
こういう厳しい老後の世界も事実。
「死んでしまえば最愛の人」。
本当にそうだろうと思う。
これとは対照的に皆様にお薦めしたいのは青木さんの「アローン・アゲイン」。

アローン・アゲイン:最愛の夫ピート・ハミルをなくして



この人はピート・ハミルというニューヨークタイムスで記事を書いていた作家さんの奥さん。
日本人の方で、この方が若い時、日本に音楽雑誌記者としておられて、武田先生達のこともインタビューなさっている。
その方がアメリカに渡って、ピート・ハミルさんという記者さんと結婚して。
ピートさんは亡くなられたのだが、ピートさんとの思い出話をずっとエッセーで書いてある。
これが異国の、ニューヨークの街の出来事だが、何か70年代を思い出して、たまらなく胸がキュンキュンする。
ジョン・レノンとすれ違ったりボブ・ディランとすれ違うというニューヨークの青春。
そして武田先生にとってももの凄く大きいのは、このピート・ハミルさんがニューヨークのエッセーにお書きになったのが「幸せの黄色いリボン」という小話で、それがやがてフォークソングになって



そのフォークソングを気に入って山田洋次監督が映画になさって、若者役を武田先生が務めたという。

幸福の黄色いハンカチ デジタルリマスター2010



不思議なご縁。
ピートさんは「(幸福の)黄色いハンカチ」をご覧になってくださって、笑い転げておられてた。
ちょっと汚いが武田先生が北海道で下痢をして草原をウンコをしながら走るというシーンのところで手を打って・・・
あれは名場面だと思う水谷譲。
因縁浅からぬ方で、この青木さんとこの間一杯呑むことができて。
皆さん因果。
ピートさんの奥さんなんかと、こうやって会うのだから。
三軒茶屋で一杯呑んだ。
これはいっぱい話があるのだが、これはおいおいゆっくり話していきましょう。
というワケで「老害」と題してお送りした。

2024年7月8〜19日◆老害(前編)

(本放送では番組の最初に「鬼の筆」の訂正)

さて、まな板の上には「老害」が乗っている。
「ロウガイ」と言っても血を吐いたりなんかする「労咳」ではなくて、昨今流行の言葉だと思うが、老いたる人の害。
その「老害」を三枚におろそうかなと思って。
武田先生の机の上には三冊ばかりの老いに関する書物があった。
どんな書物かご紹介しましょう。
まずは和田秀樹さん。
大変人気のあるお医者様。
とても乱暴な断定的な医学的立場を取られているのだが、ビシバシいくという和田秀樹さんの「老害の壁」。

老害の壁



そんな壁か知りたくなる。
それから小川有里さんの小説。
タイトルがドキッとする。
「死んでしまえば最愛の人」。

死んでしまえば最愛の人



何かいい。
そしてもう一冊が藤井英子さんの「ほどよく忘れて生きていく」。

ほどよく忘れて生きていく



もう一冊あるのだが、それは後半の方でご紹介する。
(冒頭からこのあたりまでポッドキャストと本放送ではかなり内容が異なる。冒頭部分が本放送では訂正の為に長くなった分の尺合わせかと思われる)
この三冊「老い」「老い」「老い」が並んでいて、どう考えても人生日々を繋いでいくと最後は老いに辿り着くワケで、味気ない言い方だが老いとは人生の出口、exitで、誰にでもやってくるのだが、そのワリにはあまり歓迎されないという。
特に出口に溜まっている武田先生達世代、団塊の世代なんかはまだ出口から遠い真ん中ぐらいの人達から「老害」と言われる。
若い方々には老いた人間というのが非常にうっとうしいというように感じられるのだろう。
ついこの間もこんなことがあった。
国会議員のとある老大物さんがおられて、この方がウンダコンダあって「次の選挙は出ません」と宣言なさった時に、若いと思われる記者さんの方から「年齢のこと考えて出ないのですか?」と年のことを言われた老政治家、カチーン!ときたようで「オマエもいつか年を取るんだ!バカヤロウ!」。
本当に頭にきたのだろう。
もの凄く怒っておられた。
激高おさまらず「バカヤロウ!」と怒鳴っておられた。
85歳二階俊博氏「ばかやろう」年齢に関する質問した記者にすごむ 裏金問題で久々表舞台の皮肉 - 社会 : 日刊スポーツ
「それが老いに対する態度か!」と叱りつけたかったのだろうがしかし、老政治家の方、落ち着いて考えて下さい。
令和。
武田先生もテレビ業界の中ではもう「老害」と言われていて。
老害の部類に入るらしい。
「いつまで先生風吹かせてるんだ」という。
もう何とでもおっしゃってください。
かまいません。
最近の特に若いタレントさんはバラエティーに出ていて思うが、もの凄く嫌う。
感じる。
「我々の頃は視聴率20(%)いかないと『来週ちょっと考えますわ』みたいな、そんな時代あったんですよ」っていう。
今はもうカウントの仕方が違うので何ともいえないが、武田先生達はそういう意味ではもの凄く厳密に視聴率で値打ちを測られた世代なのだが、令和のタレントさんから「そういう昔の視聴率のことなんか言ったりなんかするのは、それ老害ですよ」と言われた。
昔話をしただけで、そんなかな?と思う水谷譲。
水谷譲の世代も「ソフト老害」と言われている。

この「老害」を三枚におろしていきましょう。
武田先生の見解だが「老いた」ということに関しては意味がある。
よくよく考えれば老いには元手がかかっている。
どんな元手か?
歳月が老いにはかかっている。
70歳、80歳の人間ができあがるまでには、当然70年から80年かかるワケで。
製作期間と製作費を考えると、どの老人も安物のドラマには負けないぐらいのドラマチックな人生がそこにあったハズ。
更に申し上げましょう。
世界にはたくさんの問題があるが、この世界が抱えた問題の半分くらいが老害問題。
紛争を起こしている国の政治家は、もう老害の年齢。
ズバリ言うと、秋口、アメリカ大統領選挙もある意味では老害紛争という。
そういう感じで言うと「老害」というのは日本だけの問題ではなくて、国際的な問題で。
「老いというものをちゃんと調べないとまずいんじゃあないの?」という。
なかなかスケールが大きくなる。

手始めに手を付けた本が和田秀樹さん。
エクスナレッジという出版社から出ている「老害の壁」。
は和田先生というのはもの凄く人気があって滅茶苦茶本が売れている。
今、番組をご一緒している水谷譲。
恋せよ!オトナ オトナ世代応援ラジオ
ことごとく売れている。
本はもう900冊ぐらい出されている。
凄い数を出されている。
この和田先生曰くだが、老いに対して人間はどう身構えるか?
「いいんだよ。好きなことやりゃあいんだ」
それがこの和田先生の老いのテーマで。
医療に対しても文句を言うところが痛快。
同じ医療仲間の和田先生が「医者なんていうのは大変なストレスで、だいたいみんな若死にするヤツが多いから、そんなヤツが長寿の指導ができるワケがないじゃないか」という。
もの凄くわかりやすい。
和田先生はいろんなところでバッサバッサ切っているのだが、その中でもパンデミックのことを医者の言葉をワイドショーが大声で叫んだばっかりに、「外に年寄りは出歩くな」と言って、そのことによって老化が進んで何人の老人が死んだか反省しろ!というのが。
まずはとにかく老いの問題だが、明日から早速この和田先生のご意見から伺っていこうと思う。

 高齢になると筋肉量が減って運動機能が低下します。これをサルコペニア(加齢性筋肉減弱減少)といいますが、−中略−運動しなければサルコペニアがどんどん進行し、ほとんど歩けなくなるフレイル(虚弱)の状態に陥ります。
 2020年、新型コロナウイルスの感染対策の名の下に、外出自粛が要請されました。
−中略−これまたワイドショーが、「高齢者が出歩くのは危険」と煽った結果、ほとんどの高齢者は外出自粛の要請におとなしく従いました。その結果、サルコペニアやフレイルになる高齢者が急増しているようなのです。(「老害の壁」15〜16頁)

その責任は誰が取るんだ?
和田先生は烈火の如く怒っておられる。
これは数字は出ていないと思う水谷譲。
武田先生もハッとしたのだが、ニュースメディアの言い方は余りにも高齢者に対して一方的過ぎる。

話を免許返納に戻すと、−中略−ワイドショーで高齢者に街頭インタビューをしていましたが、−中略−
 なんとその場所が東京の巣鴨だったのです。巣鴨は「おばあちゃんの原宿」と呼ばれる場所ですから、高齢者が多いのは確かです。しかし、巣鴨にはJRの駅がありますし、東京のど真ん中に住む高齢者で運転免許を持っている人は少ないでしょう。どうして車しか移動手段がない地方の高齢者にインタビューしないのでしょうか。
(「老害の壁」16〜17頁)

これはわかる。
「そんなところに行って何でインタビューするんだ。免許が必要か必要じゃないかは別の番組『ポツンと一軒家』の主に聞いてこい、という。
「その人に向かって『危ないですよ。免許返納した方がいいです』。オマエ言えるか?」という。
このあたりは凄い説得力がある。
車が無かったら移動できないワケだから。
和田先生も「インタビューするのが面倒臭いから爺さんと婆さんがいっぱいいる町に行ってるだけだろ」と烈火の如く怒っておられる。

もの凄く面白い統計を出しておられる。

「令和3年の交通事故状況」によると、原付以上の免許をもっている人口10万人あたりの年齢別事故件数では、もっとも事故を起こしているのが16〜19歳の1043.6件(「老害の壁」17頁)

75〜79歳が390.7人となっています。続く70〜74歳は336.0人で(「老害の壁」18頁)

十万人あたりで年齢別で見ると最も少ないのは70歳から74歳前後。
(本には30〜34歳が329.1人とあるので、最も少ないということではないようだ)
これを和田先生は「数字を挙げてちゃんと追及しろよ」と言う。
ここから武田先生は和田先生を気に入ってしまった。
「ドライバーは70代が一番事故を起こさない世代として歓迎できる」と言いつつ、この人は2018年に公開されたがクリント・イーストウッド「運び屋」を挙げてらっしゃる。

運び屋 [DVD]



これは武田先生は見ていたので、話が和田先生とビッタビッタ合う。

『ダーティーハリー』シリーズなどで有名なハリウッド映画界の名優にして、映画監督でもあるクリント・イーストウッドをご存知ですか。彼が監督と主演を務めた2018年の『運び屋』という映画があります。18年当時、イーストウッドは88歳、彼が演ずる映画の主人公は90歳という設定でした。
 家族と疎遠になった老人が麻薬の運び屋になってしまうというストーリーですが
(「老害の壁」19頁)

メキシコとアメリカの往復。
最初に見た時は嫌で。
「ダーティーハリー」であのダンディなイーストウッドがメキシコ系マフィアの若造に小突き回される。
そのイーストウッドが「コカインの運び屋になる」というとんでもない物語だが、映画を見て行くうちにさすがにイーストウッド。
もの凄い説得力がある。
というのは、アメリカの国道を走っている。
どこかのドライブインでイーストウッドは車を止める。
後ろのトランクにコカイン。
それを運んでいる。
当然、爺さん一人にさせない。
メキシコのメキシコマフィアが車で追いかけてくる。
監視している。
ドライブインで休んでいたら、オートバイのお巡りさんが、メキシコ人を見た瞬間「手を上げろ!」と。
そう。
前の大統領が「壁作ろう」と言うような人だから。
アメリカの道をメキシコ人が走っているだけでパトカーが追いかけてくる。
「おい!手を降ろすな!撃つぞ」
本当に撃ちそう。
それにイーストウッドが割って入る。
「待ってください。今、私、引っ越しやってて、手伝ってくれるバイトの男達なんです。勘弁してやってくださいよ。ああ・・・私のことを疑われちゃいけない。ほら、免許証持ってますから」という。
そうするとドライバーのライセンスを見ると年齢がわかる。
そうしたらもう白バイのおじさんが「いやいや、あなたには関係ないから」と言う。
その時にイーストウッドが一芝居打って「あ、まずは私のトランク見てくださいよ」と言いながら開けて見せる。
コカインが山ほど入っている。
その上に孫娘に買ったポップコーンの紙バケツがある。
それを一個お巡りさんに押し付けて「買い過ぎたんだ。どうぞ仲間と楽しんでください」と言ったらお巡りさんが「もういいですいいです。もう見せなくて。ハイハイ閉めちゃって。ハイハイお爺さん、ありがとう、ありがとう」と言いながらポップコーンを抱えてオートバイで去っていく。
ここにアメリカ特有のライセンスの意味合いがあって、高齢で免許を持っているということは社会的に凄く安定した人生を過ごしているという証明書でもある。
和田先生は絶賛なさっている。
身分の証明をするのにこれほど便利な証明書があるか。
高齢でまだ運転をやっているというのは元気な証拠じゃないか?
このあたりから老害問題入っていきましょう。
時々「ダーティーハリー」も見る。
ダーティハリーはセリフがカッコいい。
武田先生は「運び屋」というのを見ながら、一回でいいからあんな役をやりたい。
「運び屋」というのは90歳近い爺ちゃんがメキシコギャングのボスのお気に入りになる。
コカインを運ぶ名人になってしまって、もの凄い利益をもたらしたというのでボスの家に呼ばれて。
ボスの家に行くと、ボスも爺さんなのだが半裸の娘達がプールサイドで遊んでいるパーティーに招かれて。
そこで若いメキシコの姉ちゃんのお尻とか見て楽しむのだが、彼の目はずっとボスの子分達を見ていて、自分を一番小突き回すメキシコの下っ端の青年に向かってボソッとつぶやく。
「こんな商売、ずっとやっていちゃダメだ」
クリント・イーストウッドの演じるアールという老人は、ボスの子分達を見ながら「裏切りが発生するんじゃないか」ということをどこかに、そのヤクザ組織がどんなに仁義に満ち溢れていた行動をとっても。
案の定、後ろから撃った若衆頭がいて、映画が急展開していくという。
もうこれから先はネタバレになってしまうので話さないが。
一番最高にまたもの凄く鮮やかなシーンがあるが、それはどうぞご覧になってください。
日本では決して成立しない老人映画。
アメリカはこういう老人映画を作るのが上手い。
免許返納した爺さんが隣の州に住んでいる兄ちゃんが病気で倒れてしまう。
もう会いに行く術がない。
鉄道とか無いから。
それで小さな耕運機(実際には芝刈り機らしい)で兄ちゃん目指して道を真っ直ぐ行くという「ストレイト・ストーリー」という。

ストレイト・ストーリー デヴィッド・リンチ 《スペシャル・プライス》 Blu-ray



それから取った。
「まっすぐの唄」という金八先生の主題歌はこの映画を見て作った。

まっすぐの唄



大草原の一本道を、爺ちゃん一人を乗せた耕運機がずっと走っていく。
凄くよかった。
そういう老人映画を作るのが上手い。
老人なので「その手の映画が一本できないかな」と夢見る武田先生。

話はすっかり横道に逸れてしまった。
でも今日はここから更に脱線する。
アメリカは老人映画は得意なのだが、日本は老人童話が得意で。
「花咲かじいさん」「こぶとりじいさん」他にも「〇〇じいさん」はたくさんいる。
じいさんばっかり。
「桃太郎」もじいさん。
「金太郎」もじいさん?
日本の童話は70%が主役は老人。
こんな国は世界にはない。
「かさじぞう」を筆頭にして、婆さん爺さんが主役。
だからかつての日本はおとぎ話の主人公は爺さんと婆さんだった。
桃太郎、金太郎、かぐや姫を育てたのは爺さんと婆さんで、若い夫婦ではない。
そうやって考えると老人の物語を今、作れなくなっているというのは少しパワーダウンしているのではないか?

和田先生は簡単に若者に主役の座を譲ってしまうお年寄りを激しく叱っておられる。
「老人の静けさに甘えようなんて、そんな老人じゃイカンよ」

イギリスの研究によると、1週間に5〜10杯のアルコール飲料を飲むと、寿命が最大6カ月短くなる可能性があると報告しています。(「老害の壁」32頁)

タバコもそうだ。
一週間にだいたい1箱以上開ける人はだいたい6か月ぐらい寿命が縮む。
(という話は本には無い)

 しかし、6カ月寿命を延ばすためにお酒をやめる必要はあるのでしょうか。これもタバコと同じで、飲まないとストレスを感じるなら飲んでよいと思います。これは自分の快を優先させるべきでしょう。(「老害の壁」32頁)

「一杯だけ飲んで眠ろう」いいじゃないかそれで。
「庭だったらばタバコを一本だけ吸おう」いいじゃないかそれで、という。
それから「若い娘の裸に興味がある」。
だったら「週刊大衆」を買えばいいじゃないか。

週刊大衆 2024年10月21日・28日号[雑誌]



「(これぞ人生!)三枚おろし」というエッセーが載っているのでぜひご贔屓に。
これはまたお医者さんらしくて面白い。
若い娘の水気が多く膨らみの多い体はホルモンが支配している。
これはエストロゲンというホルモンが満ちている。
水谷譲なんかもエストロゲンが・・・今はどんどん無くなっていっている。

 女性と話したいという欲求は、男性ホルモン(テストステロン)を増やします。逆に、男性ホルモンが減ってくると、筋肉がつきにくくなり、サルコペニアやフレイルになるリスクが高まります。−中略−
 男性ホルモンを減らさないために、セクシャルな写真を見ることも効果があります。
(「老害の壁」34頁)

男性ホルモン、女性ホルモン、共に体の中に湧いてできるもので、これは男女というものを意識する性的な興味みたいなものがスイッチを押す。
別に相手が若い女性でなくても、もちろん熟女ではいいのではないかと思う水谷譲。
「そんなふうにして『性の情動』みたいなものがアナタの体の中でホルモンのスイッチを押しますから若い女性に興味があったら見ればいいじゃないですか」
「雀のお宿」なんて援助交際みたいな日本昔話もありますよ、というようなもので。

舌切雀 (新・講談社の絵本 8)



「援助交際」という(表現は)やめた方がいいと思う水谷譲。
好きになったり」「興味持ったり」というのはいいが。
「押し活」はいい。
女性の体の変化というものは当然年を取るとおきる。
男性もそうだが男性の方が惰性で男で生きている。

一般に女性は閉経後に男性ホルモンが増えることがわかっていて、その影響で社交的になっていく人もいます。(「老害の壁」35頁)

決断力が増したり、友情を大事にしたりという。
そういうのがある。
男性はというと逆に女性の部分が花開いてゆくという。
武田先生なんかもそう思う。
だんだん自分がおばさんぽくなっていくのを。

和田先生は厳しく指摘する。

年金生活者は年金のほかに2000万円の貯金が必要だと言われるようになりました。(「老害の壁」36頁)

そんな言い方で意味があるのか?

 日本はバブル経済が弾けてから、30年以上もデフレ不況で、賃金も上がらない状況が続いていますが、いまだ不況を脱却できる見通しが立ちません。(「老害の壁」36頁)

 例えば、保育園の待機児童が3634人(2021年)なのに対し、特別養護老人ホームの入居待機者数は約29.2万人(2019年)もいます。(「老害の壁」43頁)

 よくシルバー民主主義のせいで、若い人や子どものの政策が手薄になっているという批判がありますが、そんなことはありません。(「老害の壁」43頁)

今や全国のあちこちに歩道橋がありますが、高齢者にとって歩道橋の階段を上がるのは大変なことです。(「老害の壁」44頁)

これは歩行障害などを抱えている高齢者に対し、「街を歩くな」と言っているのに等しいと思います。(「老害の壁」44頁)

日本の都市はイスがほとんどないので、歩き疲れた高齢者が、座って休むことができません。(「老害の壁」49〜50頁)

東京駅なんか石段のところに座っておわれる外国人旅行者の方を見かけるが「もうちょっとベンチとか椅子とか作った方がいいんじゃ無ぇかなぁ」と思ったりする。
年寄りをないがしろにしてパワーダウンしてるんだ、ということ。

 日本ではコレステロールが悪者のように思われています。−中略−簡単に言うとコレステロール値が高いと、−中略−心筋梗塞や脳梗塞を起こしやすくなるとされています。(「老害の壁」57頁)

和田先生は「バランスだ」とおっしゃっている。
確かに心筋梗塞とか脳梗塞にコレステロール値が高いというのはまずいのだが、病気にもなっていないのに「コレステロール値は下げておこう」というのが逆にサプリが体に毒だったというような結果を招いたんじゃないか?という
このへんは武田先生もよくわからないが、和田先生がおっしゃっているのはただひたすら「バランスだ」と。
それを厳しく厳しく言っておられる。
この和田先生の物言いの中で一番ホッとできるのは、人間の健康というバランスの中に援助交際ではない「押し活」とかスケベ心とかそういうのも健康のバランスの中に入ってますよ、という。
これは「なるほどなぁ」と今、思う。

 塩分のとりすぎもよくないと言われます。(「老害の壁」62頁)

「でもそれもまたバランスで塩分控えてりゃいいっていうものじゃないよ」
このへんは頷く。
必ず我々の仲間には「サプリ命」みたいな人がいる。
サプリばっかり飲んでいる人がいる。
「ウコン飲んどきゃ大丈夫だって」という。
そんな万能薬じゃあるまいし、一番二日酔いにいいのは「飲み過ぎないこと」。
そういうこと。
これは最初の方に言っておくべきことで。
和田先生というのは非常に断言の多い方で、でも言っておくが武田先生より年若。
武田先生の方が高齢者。
まだ和田先生は60代。
この方の発言というのは、本を読む時にいつも思うのだが、「良薬口に苦し」みたいなところがあって、和田先生の発言をお話するには用法・容量を間違えると危険なことがあるので。
「ラーメン食べなさい」「ウナギどんどん食べなさい」「お肉どんどん食べなさい」みたいな感じだから。
ただ、食べてはまずい人もいる。
武田先生の奥様が昔、言っていたのだが「これさえ食べときゃ大丈夫なんて、そんな食べ物が世の中にあるハズなんか無いよ」。
何かしがみつく。
自分の身になって考えるのだが「健康というのはとっても難しいもんですよ」という。
それは情動、気持ちの動き方なんかもそうなんです、と。
人生「年を取ったらかくあるべし」という人生のまとめ方はしない方がいいです。
人に重大なことだと思うのだが、年を取ってから性格が変わる人はおられて。
良くも悪くも。
でも和田先生の場合は悪くも悪くもだが。

年をとってから、言い方がより激しくなるという人はいます。これは「性格の先鋭化」と言って、元々持っている性格が強くなることを言います。年をとると、この性格の先鋭化が起こりやすいのです。
 性格の先鋭化が起こると、例えば、がんこな性格の人はよりがんこになり、疑り深い人はより疑り深くなります。
 原因は脳の前頭葉という部位の萎縮です。
(「老害の壁」74頁)

年を取ってからワリと短気になったりイライラしたりというような方がおられたら、これは前頭葉の萎縮等々の前兆かも知れないので、しっかり脳の方、MRI等々で。
今は簡単に調べられるので調べてください。
あの方の怒りの顔が残っていて。
新聞記者の方の加齢を指摘する質問に対して二階さんという大物政治家の方が「オマエは年を取るんだ!バカヤロウ!」と怒っておられた。
あの怒りの顔が切なくもあった。
若い頃はあの人は渋い二枚目。
年を取ったらどこか体がいつも震えているようなお爺様になられたが。
我々が二階さんに期待したのはもっといい気の利いた反論。
これが聞きたかった。
でも言っておくが二階さんの年齢を見たらクリント・イーストウッドより三歳も若い。
それにしては(二階さんは)お爺ちゃんっぽい感じがする水谷譲。
何かいろいろご苦労があったのだろう。
日本のメディアの特徴だが、「老害」というのを指摘しておいて高齢者をやっつけるというのが好きなパターンで。
その他にも麻生さん、森さん、こういう人達を矢継ぎ早に上げて。
その三人の名前は必ず上がる。

日本では高齢者に対してははっきり言ってある差別がある。

EU(欧州連合)の国々やアメリカ、あるいはお隣の韓国にも、年齢差別禁止法があります。(「老害の壁」79頁)

クリント・イーストウッドの「ダーティハリー」。
この人のセリフが「運び屋」もそうだが「カッコイイなぁ」と思う時があるのだが、一番わかりやすい例でご説明しましょう。
何が武田先生はうっとりする。
ダーティハリーの三作目か四作目。

ダーティハリー3(字幕版)



新人の女刑事を従えて悪と対決する。
その時の悪は爆弾犯。
そいつらを追いかけ回すダーティハリーなのだが、悪を探す時には悪人に居場所を訊くという彼の方程式があって、どうも臭う犯人がいて、その犯人の現在を知っているのは闇の組織に生きる黒人。
その黒人達は街のダウンタウンか何かに巣喰っている。
それを若い女刑事を連れて一緒に探しに行く。
それでダーティーハリーは向こうの黒人のボスともズバズバやり合う。
それで「そいつの居場所を教えてくれないとなったら、明日にでも警官を連れてきて」と言って悪いヤツを脅す。
その手際の鮮やかさが、その悪党のボスが凄く気に入ってしまって「なあ、アンタほどの切れもんが、何でしょうもないポリ公なんかやってるんだ?」
誘う。
「俺と一緒に別の悪さしねぇか?」という。
そうしたらダーティハリーが帰りながら「何でポリスやってるかって?教えてやってもいいけど、笑うだろう」と言いながら去ってゆく。
これは感動する。
彼は正義の為にお巡りさんをやっている。
「正義の為にやってる」と答えたらオマエ笑うだろう?
感動しない水谷譲。
そういうセリフの切れ味がいい。
何か二階さんにはその手の一言を返していただきたかった。
洒落ている感じの。
例えばたった一言「年齢でおやめになるんですか?今度の選挙」とかと訊いたら「さぁどうだろう?若いアナタでは想像もつかない別の答えが私にはありますよ」という。
怒らないで笑顔で言うとかというのが洒落ていると思う水谷譲。
麻生さんは洒落たことを言うのだが、失言も多い。
結局最後は「バカヤロウ!」になってしまうというワケで。
その他にも諸々、和田先生からのがあって、そのへんはまた、来週ということにする。
とりあえず年齢というものに関するある差別「加齢よってアナタは辞めるんですね?」というのは質問自体が西洋社会では許されない。
差別用語になるので。
そういう意味では、日本では平気でそういう言葉が飛び交うというのは一つ考えなければならない点だというふうに思う。

この続き、また来週じっくりやりたいと思う。
「老害」三枚におろしましょう。

2024年10月06日

2024年7月22〜8月2日◆バイリンガル(前編)

まな板の上、「バイリンガル」が乗っている。
元ネタはある。
「言語の力」、(原題は)「The Power of Language」。
角川書店から出ていて(著者は)ビオリカ・マリアンさん。

言語の力 「思考・価値観・感情」なぜ新しい言語を持つと世界が変わるのか?



この本の腰帯にはこんな宣伝文句が載っている。

「ChatGPTの翻訳はますます巧みになっていくだろう。そんな時代に、外国語を学習する意味は何か」

こういう一文。
もう本当に訳せるようになった。
旅行先で看板とかにスマホを向けただけですぐその文字を訳してくれるから便利は便利だと思う水谷譲。

ではバイリンガル、他の国の言葉が使えるというのは果たしてこれから意味があるのだろうか?という。
武田先生もこの本を読みながらまた、日記を英語で書いていた。
しばらくやめていたのだが、この本を読んでいるうちにやはり老化対策も含めて続けてみようと思って。
それは何でかというと前にお話しした通り。
他愛のない日常生活、同じことの繰り返しなのだが、英語で書くと別の世界の出来事のように思えてくる。
その「バイリンガルの面白さ故に日記は英語で書く」これをもう一回復活させようと思ったワケで。
バイリンガルと言うが、もうバイリンガルだけではなく世界には「マルチリンガル」、三か国語、四か国語を話せるなんていう人がいらっしゃるワケで。
バイリンガル、つまり英語が自由自在に使えたら。
バイリンガルに憧れる水谷譲。
テレビのタレントさんでもいらっしゃる。
外国からお客様が来ても顔色一つ変えずに番組で。
あんなのを横で見ていて「いいな」と思うワケだが
この本を読み始めたら、この作家のビオリカさん。
まずはバイリンガルであること、或いはマルチリンガルであることについては絶賛から始まっている。
やはり言葉、他の国の言葉ができるというのは素晴らしいこと。

例えば文法で言うとそれは代名詞。
「わたし」「あなた」「彼」「彼女」という言葉だが、「橋」という名詞がある。
これは代名詞で日本語だったら「それ」とか「あれ」でいいのだが、異国ではこれを「彼」とか「彼女」とかで言ったりする。
そのこと。
橋の代名詞に性で表現するという。

ドイツ語では、「橋」の代名詞は「彼女」で(14頁)

ルーマニア語では、−中略−単数なら男性で、複数なら女性なのだ。(14頁)

無生物の対象に対し文法で性を与えるという。
そういう言語の中のあるイメージがあるのだろう。
「橋」で思い出したが、青春の頃だが、今、思い出すのは「明日に架ける橋」がある。
あの中に英語の歌詞で

Sail on silver girl,(サイモン&ガーファンクル「明日に架ける橋」)

(本放送ではここで「明日に架ける橋」が流れる)



それは最初の訳文はその通りだった。
「漕ぎ出そう、銀色の少女よ」という。
「何で銀色の少女なんだ」「変だな」と思ったのを覚えている。
何のことはない。
船のことを英語は「girl」「銀色の乙女」。
そういえば船なんかはそう。
「処女航海」と言う。
そうやって考えると言葉の中にある文化というのを覚えないと言葉は喋れないワケだから。
世界を見てみましょう。

ヨーロッパ、アジア、アフリカ、南アメリカの多くの国では、生まれたときから複数の言語に触れながら育ち、−中略−ルクセンブルク、ノルウェー、エストニアでは、人口の90パーセント以上がバイリンガルかマルチリンガルだ。−中略−ヨーロッパ全体で見ると、人口のおよそ3分の2が少なくとも2カ国語を話し−中略−、そしてカナダは人口の約半数がバイリンガルだ。−中略−EUの場合、高等教育を受けた人の80パーセント以上が2つ以上の言語に通じているという。(28頁)

(番組内で言われた数値は本の内容とはかなり異なる)
何かベルギーの人だったか四か国というのがいた。
どんな頭をしているのか本当に不思議。
フランスで知り合いになったパトリックというのが英語と日本語とフランス語だった。
そういう多国籍の人達がゴロゴロいる。
ただ、いくつもの国の言葉が話せるというのは心理実験でもちょっと変わったことがあって。

誰も見ていないところでサイコロを振り(出た数字は本人だけが見ることができる)、その数字を報告する。数字が大きくなるほど、もらえる報酬も増えることになっている。−中略−実際は、母語を使っているときのほうが、外国語を使っているときに比べ、数字の5か6を報告する確率が高くなり、1か2と報告する確率が低くなる。(38〜39頁)

第二言語を話しているときのほうが正直になるとまでいえるかも知れない。(39頁)

これは全然理由は(本には)書いていないのだが
日本語しか話せない人が集まって英語で仕事をやったりする。
それは武田先生も体験したことがあるが、インスタント麺を両手で持つヤツか何かで向こうに行く。
(東洋水産のCM撮影時の話かと思われる)
それでさんざんやる。
それはもう仕出しの人は全部ロスの俳優さんだから。
それで監督さんもアメリカの人で。
そっちの方がキャメラを回しやすいから。
アメリカのコマーシャル監督を雇う。
それでやった。
それで(撮影が)全部終わる。
そうすると日本人だけ深夜に集まる。
それで小さい声で「どうですアイツ?」と言う。
「ハーイ!ハワユー!」「アイムファインセンキュー!」と言っていた広告代理店の人が「笑ゥせぇるすまん」みたいな顔をして

笑ゥせぇるすまん (1) (中公文庫 コミック版 ふ 2-48)



「どうです?今度の監督。武田さんの意見聞きたいなぁ。アタシねぇ、ちょっと今、疑問符」とか、朝、スタッフ全員と会った時のアレと全然違う話を日本語でし始める。

この本は難しい。
この本は一つの単語が英語・スペイン語・ドイツ語・フランス語で次々と音を変えて行くということを紹介しているのだが、武田先生がわかるのが英語がやっとでスペイン語とかドイツ語とか書かれても何を書いているのか全然わからない。
だからその部分は説明できなくてすみません。
著者の方にも悪いと思うが、勘弁していただきたいと思う。

チャットGPTなんかと俳句の「プレバト!!」(夏井)いつき先生と、例えばチャットGPTが俳句を作れるだろう。
でも何が変わってくるか?
圧倒的に夏井先生が上手いことは間違いない。
GPTの最大の欠点は体が無いから。
時々(「プレバト!!」に)出させてもらっているから、下手くそながら一生懸命作るのだが、この(「今朝の三枚おろし」の)勉強をしながら、そっち(「プレバト!!」)の勉強もしていたのだが。
「夏」という季語でどんな句を作るか。
これは日本の素人の方。
海の家で一句作った。
「天丼のかくも雑なり海の家」
これはいい。
「見えてくる」というのはどうしようもない。
見たことはないのだが見えてくるという。
人間の感性というのは凄い。
それから「留守守るタオル一枚砂日傘」。
(正しくは「留守を守る」のようだ)
浜辺にパラソルが。
そこにデッキが置いてあって、何と誰もいない。
海に行ってしまったのだろう。
留守を守っているものがいる。
タオル一枚。
見えて来る。
「留守守るタオル一枚砂日傘」
何か海風の臭いが吹き抜けていくような句。
私達はかくのごとくわずか17文字で夏の情景を次々に歌にできる。
チャットGPTはどんな句を作るかわからないので紹介できないが、これはこれは人間に勝てるワケがないというワケで。

脱線ながら時間の表現。

英語の話者は、時間について話すとき、−中略−「距離」のメタファーのほうをより多く使うようだ。(85頁)

「Long, Long Ago」
距離。
日本人はまた凄いことに時間の表し方で「わび」「さび」というのがある。
「わび」というのは質素なのだが、「さび」というのは物の劣化。
言語で物が劣化していく時間というのを表現するワケだから。
典型は何かというと「金継ぎ」「鋳掛(いかけ)」。
割れた茶碗、穴の空いた鍋等々を修理して使うことなのだが、日本の価値観は「金継ぎ」「鋳掛」こっちの方が新品より値が高い。
それは時間が過ぎているという。
それは消耗しているワケだからボロになっているのだが、それを「美しい」というという。
ここに日本の美意識があるワケで。
これはやっぱり日本語を相当使いこなさないと理解できない。

武田先生が「感性違うなぁ」と思ったのだが、アメリカ育ちの日本人の女の子と一緒に桜を見に行った。
彼女が満開の桜を見て「ポップコーンみたい」と言った。
武田先生はついていけなかった。
桜がポップコーンに見えたことはない。
このあたり、その言葉の中にたくさんの文化というものも住んでいるようで、そのあたり明日から語ってゆきたいと思う。

言葉に関する人間の心理の実例。

「ダブルフラッシュ錯覚」とは、何かが1回出現(フラッシュ)するときに、短い音を2回聞くと、それが2回出現したように見えるという現象だ。(90頁)

(番組内では「ダブルフラッシュ錯覚」を条件反射のような内容で説明しているので本の内容とは異なる)
これが武田先生の勘だが、恐らく一目ぼれの原理。
前に話した。
一目ぼれは二度目が一目惚れ。
一回見た。
「好きなタイプじゃないな」と思った。
それで目をそらしたのだが、目をそらした瞬間に何かの音が聞こえてもう一度見た。
その時に「好きなタイプだ」という。
一度「二重線でその人を消した」ということがその人を際立させるきっかけになる。
水谷譲はこのあたりを相当疑っていると思う。
「その人を見た。その後にその人を誰かが呼ぶというその声を聞いた」ということはその人の名前が分かった、その人がいた。
誰かが「ハナちゃーん」と言ったらその人が「はい」と返事をした。
「あの子の名前はハナコか」
歩き始めて「ハナコ・・・ハナコ・・・ハナコ」と言っているうちに好きにっていく。
これはあり得る。
これが恐らくダブルフラッシュ現象を説明する、最もわかりやすい例え話ではないかなと。
好きだからその人の名をつぶやいたのではない。
つぶやくうちにその人のことが好きになってしまったのだ、と。

錯覚というのは心理の中にいっぱい住んでいて

 共感覚とは、ある知覚による経験が、別の知覚による経験が引き起こすという現象だ。たとえば、ある音を聞くと必ずある色が見えたり、ある生理的な感覚が起こったりするという現象だ。(91頁)

それから音楽を聞くとそれが味になって感じられる。
バイリンガルやマルチリンガルの人も言語と結び付いているある「共感覚」、別の感覚があるのではないか?という。
だから汚い言葉を使うと逆になってしまう。
面白いなと思ったのだが、罵倒しているYouTubeがある。
汚い言葉を使いたがる人というのがある。
「経産省なんていうのはクソなんだよクソ!」とかと。
この人達はなぜ汚い言葉を使うのか?

 言語は痛覚にまで影響を与えることもある。汚い言葉を使うと、冷たい氷水に手を入れていられる時間が長くなる。−中略−汚い言葉を使うことで−中略−痛みを感じる閾値が変化したからだろう。(94頁)

だから人から傷つけられたくないと思うと汚い言葉を使う。
痛みについて怯えている人は汚い言葉を使って自分の感覚を自分で麻痺させる。
水谷譲が今、頭に浮かんでいるコメンテーターの方もそういう感じがある。
汚い言葉を使われて、人が入れないぐらいの言葉数の多さでワーッと言う。
それはもう自分で壁を作ってらっしゃるんだろうなと思う水谷譲。
それは「痛みに鈍感になりたい」という願望が汚い言葉を使わせる。
汚い言葉を使いたがる人は痛みについて怯えている人。
そういう人は世間にいるが「あ、怯えているんだな」という証拠だと思ってください。
自らの怯えが汚い言葉で自分を守るという。
そうやって見方が変わるので。

☆高齢者の方へ
運動は肉体を変えます。
同様に新しい言葉を学び使うと脳の活動を変えることができます。
脳の活動を変えると脳の構造そのものを変える力があるんです。
時々は婆さんのことを「ダーリン」と呼んでみましょうよ。

婆さんは「ハニー」ではないかと思う水谷譲。
爺さんが「ダーリン」。
でも急にそう呼ばれたらちょっと怖いと思う水谷譲。
面白いのではないかと思う武田先生。

バイリンガルの脳は、前頭部の灰白質が普通よりも分厚くなっていることがわかってきた。
 灰白質はニューロンの細胞体が集まる場所であり
(106頁)

 灰白質の量と、白質の統合度は年齢とともに低下するが、複数の言語を話すことによって、その低下を遅らせることができる。私たちの脳は、自らを再組成し、ニューロン同士の新しいつながりを生成するという驚くべき能力を、経験とともに身につけてきた。(107頁)

だから同じ言葉ばかり使うから老害になってしまうのだろう。
斬新な言葉を高齢者の方は武田先生も含めてどんどん使いましょう。
「ダーリン」でも「ハニー」でもいいじゃないですか。
新しい婆さんの呼び方を考えると、その分だけアナタの脳、頭の中には代謝が生まれる。
そういう現象のこと、脳内代謝が盛んになるということは何かというと、脳内の新しいニューロンの流れが作れる。
新しい流れが作れると「エピジェネティクス」という、遺伝子そのものが変わる。
(この後も番組内では遺伝子自体が変化するような表現をしているが、あくまで「遺伝子の発現」が変化する)
新しい言葉の話。

 エピジェネティクスとは、遺伝子そのものの変化ではなく、遺伝子の発現が変化する仕組みを研究する学問分野のことだ。(109頁)

武田先生も「年取ってから遺伝子が変わるなんてあんのかな?」と思っていたのだが、この人の説を読んでいるとありそう。

 エピジェネティクスの変化が変化前の状態に戻るのは、たとえば喫煙者だった人がタバコをやめた場合などだ。喫煙者のDNAは、−中略−ある種の病気の遺伝子が「オン」になる可能性が高くなる。禁煙し、そのままタバコを吸わずにいると、DNAのメチル化レベルが上昇し、いずれ非喫煙者と同等のレベルになる。(110頁)

人間の実験では確認できない。

 母ミジンコが捕食者に襲われた経験があると、その子どもはトゲのヘルメットをかぶって生まれてくる。−中略−母ミジンコの経験によって、子ミジンコが持つ遺伝子の発現が変化する。これがエピジェネティクスの変化であり(110頁)

そしてこの現象が見られるのはミジンコだけではない。自然界に自生するラディッシュも、親となるラッディッシュが蝶の幼虫に葉を食われたかで遺伝子の発現に変化が起こる。(111頁)

植物の毒というのはいっぱい実例がある。
シマウマが草を喰うのでその草が怒ってしまって、毒を持ち始めてしまってシマウマを殆ど殺してしまったとか。

エピジェネティクスの研究者の間では、このような現象は「−中略−(母親を噛むと、娘と戦うことになる)」と呼ばれている。(111頁)

親の代の経験は子供の世代に影響するということで、いくつもの偶然を経て環境に適応するのではなく、一発で適応するという。
そういう非常に直線的な進化の方法もあるという。
ただしエピジェネティクスは今もまだ研究中で、二百年ちょっとということで、まだそれ程の大木には育っていない。
ただし親の環境、体験、食事、言語、これは子供の遺伝子に大きな影響を与える。
マルチリンガルの子は明らかに脳の構造、細胞レベルに於ける化学物質変化、これが親からいろんな形質を貰っているようで、物事をいくつにも種類に分けて考えることができるという。

これは余りピンとこないかも知れないが、日本人の脳がもの凄く独特なのはこれは外国の大学教授、マリアンさんが発見なさったことだが、これは分かりやすく言う。
日本人は西暦で世界史を覚え、日本史は年号で覚える。
そういうところはある。
世界の歴史は西暦で言えるのだが、自分の個人的な思い出は昭和で、年号で語るという。
「昭和30年、お富さん」とか何かそういう。

お富さん



それは西暦に直せない。
「昭和30年・・・俺、6歳。あ、『お富さん』『おーい中村君』」とか出て来る。

おーい中村君



大変申し訳ないが、我々は「昭和何年」と言ってもらうと出てくる。
令和で言われると全然出てこない。
「令和元年」と言われると「え〜?」と4とか5を引いて一生懸命自分で計算しなおさないと思い出さない。

TJは、生みの親と養親の間でほとんど、あるいはまったく情報が共有されない「クローズド・アダプション」というシステムを通して養子になった。3歳で里子に出され、−中略−最終的にあるアメリカ人家族に引き取られて別の州に移った。−中略−
 彼女は英語を話すアメリカ人の女性として成長した。
−中略−自分の言語の歴史を解明し、ルーツについてもっと知りたいと思ったからだ。−中略−昔知っていたが今は忘れてしまった言語を再学習するスピードと、まったく知らない言語を新しく学習するスピードを比較するという形で行われる。習得が早ければ、たとえ本人は覚えていなくても、幼少期にその言語を話していたということがわかる。−中略−その結果、TJが幼いころに話していた言語は、ロシア語かウクライナ語だろうということがわかった。(332〜333頁)

(番組内では生後まもなく養子に出されたような説明をしているが、本によると上記のように3歳)
つまりさっき言った「『親の持っている形質』というのは体の中にきちんと住んでいるんです」という。
(3歳までの言語を探った話なので、当然そういう内容ではない)
このへんは面白いもの。

DCCS課題があげられる。−中略−
 この課題では、さまざまな基準でカードを並び替えることが求められる。たとえば、ボートが描かれたカードと、ウサギが描かれたカードがあるとしよう。カードは赤か青のどちらかに塗られている。このカードを「色」を基準に並び変えるとしたら、赤いボートと赤いウサギが同じグループになり、青いボートと青いウサギが同じグループになる。「何」が描かれているかを基準に並び変えると、赤いボートと青いボートが同じグループになり、赤いウサギと青いウサギが同じグループになる。
「何」を基準に分類するときは「色」は無視しなければならず、反対に「色」を基準に分類するときは「何」を無視することになる。
−中略−バイリンガルの子どもはこの種の切り替えタスクが得意なことが多く(126〜127頁)

 バイリンガルは日常的に言語を切り替え、そのときに使っていない言語からの干渉を無視するという訓練を行っているので、脳が鍛えられ、より効率的なコントロールシステムを発達させることができる。(139頁)

言語処理だけでなく、試行全般にとっても重要な意味を持つ。試行全般に含まれるのは、記憶、意思決定、他者との関係などの能力だ。(142〜143頁)

それもモノリンガルの人よりはバイリンガルの人の方が決断が早い、と。

 H2Oという化学式で表される物質が、温度によって液体の水にも、固体の氷にも、気体の水蒸気にもなるのと同じように、1人の人間も使う言語によって違うバージョンの自分になれるということだ。(146頁)

不思議なバイリンガル、マルチリンガルの人の個性を語りましょう。

 中国語と英語のバイリンガルを対象にした研究では、参加者が中国語で回答すると、自分について語るときにより集団を重視し、−中略−外国語で話すと、社会の規範や迷信からより自由になるとともに(146頁)

中国語で中国のことを言う時は「私達」になる。
英語で中国を語る時は「私は」になるという。
母国語で話す時は個人の表現が小さく抑えられる。

それから英語で街頭インタビューをやっている。
あれは手足を動かしている。
普通に考えて英語を喋る人は身振り手振りは大きいというイメージはある水谷譲。
あれは言語の中にその力がある。
水谷譲は英語はダメだが、たまに面白おかしく「OH!」とかやって肩をすくめたり、手振り身振りは大きくなる。
何かやる時は英語で愚痴を言う時はその仕草が出ている。
「Oh, no!」「Oh, my god!」とか「Oops!」

バイリンガルは言語を切り替えるときに、非言語コミュニケーションやボディランゲージも切り替えているらしいということだ。(149頁)

言葉の中にその人の人格を変える何かがある、と。
これは武田先生が奥様から指摘されたのだが、奥様が武田先生の横にいていつも思っていたのだろう。
「福岡県人というのは福岡人と会った時に、ホント態度違う」と言う。
福岡とわかった瞬間に全部言語は博多弁に切り替える。
「『しぇ』の発音が向こうに戻っているな」と思った瞬間に「オマエどこの生まれや?」という。
これでまた第三者が入ってきたらピタっとやめて標準語に戻るのだが、その切り替えの早さ。
それから福岡県人にしかわからない独特の標準語のフレーズの使い回し。
「と、思うとですよ」とか。
何かある。
タモリさん(の言葉遣いを)聞くともう近所のおじさんを思い出して仕方がないというような、そういう意味で福岡のいわゆる方言というのは身に沁みている。
鹿児島に行くと、あの人達は徹底して鹿児島弁で話す。
仲間内だけで。
全くわからない。
これは関西人になると変わる。
関西弁で話すことを、他の都道府県人がやってきてもやめない。
全てのものを大阪弁で表現しようとする。
関西の方、気を悪くしないでください
ただ、武田先生はそれが面白くて仕方がない。
世界の観光地で関西の人、大阪の人にすれ違うと、その大阪の表現が出て来る。
エッフェル塔を見ながら横で「何や、通天閣の方がマシやん」とか、メコン川を見ながら「大淀川には勝てんがな」とか。
そういう風景も全部大阪に切り替えていくという。
このあたり、言葉というものがその人を変えていくということはおわかりになると思う。


2024年10月02日

2024年8月19〜30日◆ヒト、犬に会う(後編)

これの続きです。

先週に続いて「ヒト、犬に会う」。
人と犬の出会い。
半分ぐらいは想像するしかないが、太古の昔、オオカミであることをやめたイヌという種類、サルであることをやめヒトになった、その人と犬が出会った。
それを語っている。

言っておくが非難とかしているワケではない。
食文化だからいろいろあっていいのだが、インドシナ半島から中国、朝鮮半島に関しては犬を食べるという食習慣があって、それは習慣だからそういうのがある。
不思議なことに日本では極端な飢饉を除いて、食習慣としてこの習慣が定着しなかった。
それどころではない。

犬の眷属が「おおかみ(大神)」と呼ばれて尊ばれていた(49頁)

縄文がまた出て来るが、どうも縄文人は犬に神を感じた。
それも非常に高い次元の神で「大神」という。
考えてみればこの縄文の名残だろうか神社には狛犬というヤツがいて守っているワケで、神の代表者、それが狛犬なワケで。
それから日本の古代史に残っているが青森、亀ヶ岡・三内丸山(遺跡)等々では子供が死ぬと子供が寂しがらないように、或いはあの世への道を間違えないように犬に先導させるという意味合いで子供の亡骸のすぐ横に一体揃った犬の骨があったという。
これは食で食べたのではなくて、犬を番犬代わりにして殺して埋めたのではないだろうか?
埴輪から犬も出ているし。
これはアジアの習慣である。
犬に守ってもらうという。
だから漢字なんかも「家」という字を書く。
うかんむり(宀)の下の「豕」は犬の亡骸。
これは犬を埋めた時の姿。
特に人間の骨と犬を一緒に埋めると悪いものを退けるというパワーになって、にんべん(イ)の横に犬を書くと「伏」。
「そこに伏せて彼等は家を守っている」という一文字。
面白いもの。
犬というのは漢字のあちこちに姿を現している。

 イヌの家畜化過程で食用があったことは確かだが、すぐにイヌの超能力に気がつく人物もいて、防衛と狩猟の両面で使うようになったと考えるほうが合理的である。−中略−犬の持つ超能力を人間がどれほど引き出したかが、家畜化の鍵となる。それは、他の家畜にはまったく見られない犬の特質である。(116頁)

何でそうなったかというと、武田先生は思うのだが、中国大陸を横断してシベリア方面から行っておいて、カムチャッカ半島経由で北からずっと回り込んで住み着いたのが縄文人だとすると、ずっと犬と一緒に旅している。
それで日本列島に住み着いても森が近い、林が近い、山が近いということで鳥獣の被害が昔からあった。
だから食用なんかにはとてもできない。
共生して犬にケモノを早目に探知してもらうというのは命を守る行動の一つだったワケで。

 現在の犬の品種の中でもっとも古い形質をもつのは、コンゴ(アフリカ)のバセンジーなどで(116頁)

オオカミから分かれたばかりの犬。
バセンジーの姿形はオオカミに近いということかと思う水谷譲。
そうかも知れない。

これらに次ぐのがアキタやシバなどの日本固有種(116頁)

だから私達は古代から付き合っていた犬が、今でも世田谷とか杉並を歩いているという。
紀州犬もそう。
あれは古代犬だから。
猟をやる人達が鍛え上げて作った犬種だから。
犬がいなければ日本のように自然が近いところでは生きていけないんだという。
犬の不思議な能力を日本人は頑なに信じている。
これはまた繰り返しになるが、そういうものが今、インバウンドで外国からのお客様を集めているのではないか?
一番繁華街の百万人単位で人が出入りしているような渋谷という街には犬の銅像があるのだから。
あそこで海外の人がみんな写真を撮っている。
犬が銅像になっているなんていうのは、それは考えられないだろう。
犬は歌舞伎にも登場する。
「里見八犬伝」
犬に関してはたくさんの能力を人間は感じている。

彼を「超能力者」と呼びたくなる私の気持ちは分かっていただけるかもしれない。
 その犬の超能力の一端は、よく知られている嗅覚や聴覚、味覚である。
(124頁)

犬の嗅覚の凄いところは、その臭いから恐怖、狂暴、悲しみ、喜び、これも犬は臭いでわかっている。
犬の能力の凄いところは鼻で嗅ぎ当てた恐怖、狂暴、悲しみ、喜び、味覚等々を仲間の犬に伝えることができるという。
仲間の犬に伝えることができるということは、人間に伝えようとしている。
犬は人間と話して生きているつもりでいるもので、オオカミの能力を捨てて人と生きる為に犬になった。
オオカミの能力の代わりを得たのが人を救う能力。

 犬が人を救う能力を持つことは、セントバーナード犬の例でもよく知られている。 スイスとイタリアを結ぶ山道は、モンブランの−中略−救助犬バリーは生涯に四〇人を救った(129〜130頁)

 ある人物が大学への就職挨拶を兼ねて、ジャーナリストで大学教授のジョン・フランクリンの自宅を訪れた時、彼の愛犬スタンダード・プードルのチャーリーはその男が最初の挨拶をするや否や、居間の奥に引き下がって、遠くから油断なくその男をずっと観察しつづけたという。−中略−
 フランクリンは初対面の「気の良い人物」の前でチャーリーのこの行動が理解できず、ばつの悪い思いをしたが、その男は大学に入るや否やフランクリンの敵となり、冷戦を繰りひろげることになった。そうなってからはじめて、フランクリンはチャーリーの最初の出会いの時の行動の意味に気づかされた。そして、フランクリンはひとつの決定的な教訓を得た。
「いつも、犬の意見を聞け」
(142〜143頁)

これは私達が失った能力。
私達はいつの間にか感情よりも理性を優先させる人物になってしまった。
いろんな人生での決断があるけれども、それを全て頭で考えるようになってしまった。

大脳辺縁系の命じることを人間は前脳で理解できなくてはいけない。(143頁)

本能というようなもの、それは情動中枢にあるものであって、そういうもので一切考えない。
私達は命を懸けて戦ったという経験をすっかり忘れて頭で考えるようになった。
知的判断、それが最高の判断だと思っている。
しかしよく考えてみよう。

「知性的判断」は、生死がかかる最後の土壇場で常に「逃げ出す理由」を探すが、「本能」は立ち向かうべき時もあることを示す。(145頁)

「この三行、武田鉄矢ギクリとする」と書いている。
私達はなるほど、最近は本能を殆ど使っていない。

人間はあまりに多数の偏見によって自己の人格を形づくっている(言語、人種、民族、出自、家柄、財産、学歴、社会的地位などなど)ので、そのバイアスからしか事柄を判断できない。(143頁)

そういうものは客観性を持たない妄想なのだ。
犬はそういうものを一切持たない。
その人の体から流れてくる「とてもいい臭い」か「とても嫌な臭い」を嗅ぎ分ける。
犬は本質を見ているということだと思う水谷譲。
犬にはそういう能力があるのではないか?

 (犬は)すべて実際的な目的のために、一瞬から一瞬へと生きているから、彼(チャーリー)は不死なのだ。
(フランクリン原著
(146頁)

「生きるか死ぬか」の内省の果てに「生きるか眠るか」に行き着く。つまり、死ぬのは眠るのと同じだという思想である。(146〜147頁)

『ハムレット』の有名な「生きるか死ぬか」という台詞は−中略−死への恐怖が色濃く表現されている。(146頁)

新訳 ハムレット 増補改訂版 (角川文庫)



犬はハムレットのように悩まない。
犬は死と言うものはわかっていない。
だから眠りと同じ。
現実にそう。
私達は毎晩毎晩「死ぬ練習を」しているようなもので、死とは眠りの延長。
しかも自覚はできない。
犬は「生きる」か「眠る」かだから。
だから犬は生きている限り永遠。
死がない。
これは面白い。
このあたり、ちょっと犬から深い話に入っていきましょう。

人の心の根本にあるもともとの気分とでもいったもので、ヨーロッパ人の場合は「死(gone)」への恐怖」である。(148頁)

だから映画に於いて物語は全部それ。
やっぱり西洋の映画を支配している広がり方は「死ぬことの恐怖」。
武田先生は「人間は初期設定されていて死の恐怖というのが欧米人にはあるんだ」というのは凄く納得したのだが、これは間違いないと思うが、この本の中に犬のことを書きながら日本人の初期設定は何だ?という。
人種によってその初期設定が変わっているのではないだろうか?
死ではないのではないか?
死より怖いものがある。
これは武田先生はギクッとした。

日本人の場合は、「おくれることへの恐怖」だろうか? 子どもなら学校の、大人なら会社での他人との競争、同調その他どんな場面にでも「おくれる」、「遅れる」、「後れる」ことに恐怖を感じる。(148頁)

アメリカンジョークの中で、そういうジョークがあった。
飛行機が墜落してもう飛行機から飛び降りるしか助かる方法がない。
落下傘が開くかどうかわからないが、飛行機のスタッフが次々いろんな人を送りこんで行く。
アメリカ人には「素敵なご婦人がアナタを見てますよ」と言うと(落下傘が)開くかどうかわからなくても飛び降りる。
日本人には何て言うかというと「仲間はみんな行っちゃいましたよ」と言うと飛び降りる。
(「沈没船ジョーク」のことかと思われる。沈没しかけた船に乗り合わせる様々な国の人たちに、海に飛び込むよう船長が説得を行う。アメリカ人に 「飛び込めばあなたはヒーローになれます」日本人に 「皆さん飛び込んでます」)
その民族の違いによってラストの行動の仕方も変わってゆく。
その中で唐突に、島さんが書いた文章だと思うのだが「どうも日本人は遅れることへの恐怖心が死より勝っているんじゃないだろうか?」という。
その今はもう想像しかないが、昔若い人達に特攻隊を命じたりなんかするとみんな競って前に出たという。
あれは「一歩遅れる」ということへの恐怖心が死を急いだのではないだろうかと言われているし、忠臣蔵でも討ち入りをさんざん迷う志士もいる。
結局仲間達は行ってしまって彼は遅れるという。
そこでさめざめと泣く。
ここで武田先生の中年期から今のいわゆる後期高齢者になろうという20〜30年の悪夢を思い出した。
30年間同じ夢を見る。
夢の中身は何かというと全部「遅れる」。
受験場に遅れそうになる。
遅刻。
それから海外旅行をしようとしているのにゲートが見付からず飛行機に遅れる。
水谷譲もよく昼、ニュースを読まなければならないのに、浜松町ではなくて四谷にいて間に合わないとか、そんな(夢)ばかり見る。
遅れる。
死ぬ悪夢なんか見ない。
日本人は「遅れること」に対する恐怖の初期設定がなされているのではないだろうか?という。

人類というのは初期設定がなされているという。
初期設定の中に犬もいるのではないか?とおっしゃっているのが島泰三さん。
だからエイヤワディ川のほとりで子供を守ってくれた犬を抱きしめたアナタ。
それが時を挟んで「今もその犬と暮らしている」という犬との関係が繰り返されているのではないか?という。
もちろん犬の種類も変わって、もう「ケモノから守ってくれる」という犬ではないかも知れないが、朝、犬と散歩をなさっているご婦人を見ると、本当に何か人生の一端を懸けてらっしゃるような。
また飼っている犬を散歩をなさって世間話をしている奥様方がいる。
もう殆ど犬の言葉を自分で喋っている。
知り合いの犬に会ったら犬が思っていることを全部言葉にできる婦人の不思議な力がある。
「チャーちゃん。暑くなりました。ハァハァしちゃうよね〜」とかと言うと「まぁ、は・や・お・き、エ・ラ・い。ママの言うことちゃんと聞いて」とかと犬の気持ちを語る方。
でもあれは逆の目で見ると犬がご婦人を操っている可能性もある。
特に女の人はその能力に長けていて声音を変えてまで犬を演じてらっしゃる方が。
「怒ってるの?」とか(と言っているのを)よく見る水谷譲。
あれは実は日本人の心の中に初期設定された犬との関係が現われているのではないだろうか?
興味深いのは、もし夢を見るのだったらこれから犬に注目。
(夢の中に)犬が出て来る。
その時の犬が助けてくれる役回りに入る。
そういう意味で遠い遠い昔のことだが、犬の残像みたいなものが焼き付いているのではなかろうか?という。

人と犬との歴史、物語。
もう一度整理しましょう。
一万六千年前、シベリアと日本列島は歩いて渡れた。
寒冷期に当たって氷のせいで、ベーリング海峡も津軽海峡も繋がっている。
津軽海峡なんかで歴史に残っているが深さは膝ぐらいまでしかなかった。
だからジャブジャブ歩いて渡れた。
その渡る時に横に柴犬がいたという。
アフリカを出発してズンダランド、そしてインドシナ半島エイヤワディ川の河畔で犬と人は出会った。
ここから人と犬は長い旅に出て、縄文人、その人種はシベリアを経由して北海道から青森に入ったという。
これらの人々は旅の途中で様々な知恵を磨いていて、特に縄文に関しては土器を作って煮炊きした。
縄文人である彼等は栗やヒエ、更には魚、イノシシ、シカなどを調理し、この採取生活に最も協力し、共に戦ってくれたのは犬である。
狩りの協力者として犬というのは人間の仲間であった、という。
犬という種類に進化したイヌはデンプン質も食べることができた。
これはオオカミはできない。
オオカミは消化酵素マルターゼを持っていないので、デンプン質が取れない。
これを犬は獲得しているので人間の喰うものは全部付き合えたという。
日本に残っている犬種、紀州犬にしろ秋田犬にしろ柴犬にしろ、全部これは猟犬、猟の為の犬。
犬が持っている本能とは何かというと、獲物に対して自分の体重を計算する能力。

捕食者側の体重の合計が獲物の体重をこえた時、その大型の草食獣を捕まえることができる。−中略−石井さんのイノシシ犬が体重六〇kgのイノシシを倒すには、五頭以上の犬(体重一五kg程度)が必要となる。(134頁)

相手よりほんの僅かでも体重を重くする頭数が集まらないとチームプレイに打って出ない。
これを一瞬で計算するという。
これはオオカミの本能らしい。
オオカミも「シカを喰おう」と思った瞬間に計算するようだ。
「四頭以上必要だ」とか。

そしてこれは今でも散歩の途中で皆さんお気づきになっていると思うが犬と人が歩いていて、主従の関係が上手くいっている犬と人間の関係が上手くいっているペア共通の行動がある。
それは犬の方に特にあるのだが、歩きながら主人の顔を見上げている。
これが上手くいっている証拠。
一万六千年前から続く犬の習性。
飼い主を引っ張るような感じでグイグイ行く犬は上手く行っていない。
あれはオオカミの性格が強く出ている。
もう犬を飼ってらっしゃる方はお気づきだろうと思うが、犬は家族内に順番を付ける。
それでいつもエサをくれる奥さんがボス犬だとすると、夜遅くしか帰ってこない亭主は三番手か四番手のオオカミの群れで考える。
飼い主を引っ張る犬というのは飼い主を二番手に見ている。
そうすると自分がリーダーなので、一番最初にお話しをした武道を教えてくださる先生が子供の時、シェパードを飼っていて「コイツは犬だからいいよな」と思ってジーッと見ていると犬が切なそうな顔をして「『俺がどれだけオマエの面倒見てるのかまだ気付いてないのか』と、そういう目だったんですよ」という。
それが順位の中で犬は生きているから。
このへんが面白い。
さっきもスタッフと話していて盛り上がったのだが、犬というものは主人が指差すと指を見ないで指差したものを見る。
猫は「あれだよ」と指を指すと指を見るので「バカだねぇ」と思う水谷譲。
これは既にコミュニケーションの成立で会話と同じ。
ご主人がボールを投げる。
投げるところまで犬はご主人を見ている。
それでご主人がボールの方角を指すと「『あれを取ってこい』っておっしゃるんですね」と理解する。
この理解が動物の中で最高に勘がいい。

 チンパンジーたちは、人の視線や指さしの意味をまったく理解できないと言われている(155頁)

だから彼(犬)は言葉を使っていなくても会話している。
それが面白いところ。
だから主従の関係がしっかりしていないとダメで、だから命懸けで戦える。
最も顕著な例が秋田犬で、これは映画にもなったが「HACHI」の中で名場面があって。

HACHI 約束の犬(字幕版)



このあたり犬は目を表情だけで言葉無く会話しているという。

遠い昔、一万五千年も前のことだが、我らはインドシナ半島の川沿いの小さなエリアで人として犬として出会った。
そして一万五千年を旅してきた。
その「旅をした」という体験が犬と人を結んでいる。

ここで著者は「二分心」という脳の仕組みを紹介している。
ウェルニッケという名前の領域が脳の部分であって、このウェルニッケという分野に犬が住んでいる。
そう言ってもいいのではないか?
(本の中では「二分心」と犬とは特に関連付けられて語られない)
何か迷ったりすると話し合う。
そういう構造に人間の頭がなっている。
「二分心」
遠い昔に人間の心の中に住み着いた犬がいるということを忘れないというワケで。

最後の章でこんなことを紹介している。
(最後の章ではなく第四章。この後の話も本の内容とは異なる部分がある)
清水さんという方でイノシシ猟のできる犬を育てることをこの人も目指しておられる。
この人は一切鉄砲は使わない。
犬に頼む。
イノシシの足に噛みつき動きを押さえ、この方は猟銃を持たずにナイフだけで首を斬るという猟をなさっている。
使っている犬は洋犬・ピットブル。
攻撃的でしかも人間には友好、従順、忠実。
そして頑固だそうだ。

「アサキチ」は−中略−生まれて初めて見た親子づれのイノシシの子どもにかみつき、自分とほとんど同じ体重のイノシシを咥えた、という。
 この名犬を群れのリーダー「先犬はないぬ」として、イノシシの単独猟が完成した。
(203頁)

それで数頭で足に噛みつきイノシシを弱らせていくという。
アサキチは仲間さえいれば100kgのイノシシにも向かってゆくという犬らしい。
この清水さんもそうだし、一番最初にお話しした方もそうなのだが、この本の著者の島泰三さんも同じことを言っておられるが、昔の日本の村落、村では村全体で犬を飼っていた。
エサやりは村全体でやって、犬を飼う。
犬は夜間、放つ。
そうするとケモノが近づいてくると吠える。
そのことで村を守っていたのではないだろうか?
今はその犬と一緒に生きてゆくという知恵がちょっと人間の方が衰えてしまって、犬からの厄災を避ける為にも安全が優先されて犬をペット扱いにする。
でも犬はあの野生が生きているという。
それから人間の暮らしを脅かすであろうクマ、シカ、イノシシ、サル、そういうものに対しては彼等は必ず目覚めてくれる。

危険だからダメなのか?
やっぱり武田先生はオオカミだと思う。
オオカミさえいれば、もっとバランスがよくなる。
オオカミを見てごらん。
惚れ惚れする。
オオカミはいい顔をしている。
犬とオオカミのハイブリッドという犬種があって、これがいい顔をしている。
人間にはやっぱりもの凄く従順だそうだ。
それをやっぱり鳥獣被害の点では、村でお飼いになるというのは、もの凄く専守防衛になり得るではないかなと思う。
何か変な言い方だが、こうなったらもう縄文人の知恵を学んで犬に頼むことが一番だと思う。

 日本列島に犬とともにシベリア経由で入ってきたわれらが祖先は、東アジアで最初にオオカミ南下亜種イヌに出会った、アフリカから東進してきたホモ・サピエンスの最初の一員だった。−中略−同伴者として氷期の極大期の過酷な条件を生き抜くためには、犬への淘汰圧は厳しいものだった。(205頁)

犬の直感は襲って来るケモノ、或いは天変地異、そういうものに対して殆ど神のような予感を駆使するという。
オオカミの末裔という位置にいた、決してペットではなかった犬。
その犬を村や町内の公共財、公共のものとして飼うというのは提案としてどうであろうか?
ぜひ都知事にも考えていただきたい。
ぜひ頑張ってください。
緑のたぬき。
ちょっと都知事のことを好きになった武田先生。
揶揄した方がいたらしい。
「今度の選挙は赤いきつねと緑のたぬきの戦いだと言ってる人がいますよ」
そう言われた都知事。
「私、緑のたぬき好きなんです」とおっしゃった。

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「玉子入れると美味しいですよ」とかと武田先生の社長と同じことを言った。
「赤いきつねと緑のたぬき」小池氏が都知事選の対立構図示すフレーズにXで言及「私は卵を…」 - 社会 : 日刊スポーツ
そういう意味合いでは「グリーンのマフラーを巻いているたぬき」の知恵を以て犬を飼う。
そんなので鳥獣被害を退けられれば(「小池」ならぬ)「大きな池」になることができるのではなかろうかと期待したい。



2024年8月19〜30日◆ヒト、犬に会う(前編)

(番組の冒頭はQloveR(クローバー)の入会キャンペーンの宣伝)

まな板の上は「ヒト、犬に会う」。
(「犬と出会う」と言ったが多分「犬に会う」)
今年の夏の初めのことなのだが、合気道を教わっているのだが道場に行って、その合気道の若い指導者を「若先生」と呼んでいる。
若先生が突然思い出話で飼っていたシェパードの話をなさって、若先生が小学生時分、散歩に出た。
くたびれてどこかの川べりの土手の上で犬と一緒に座り込んでぼんやり休んでいた。
飼っていた犬はシェパード。
子供としてとてもその犬を愛しておられたらしいのだが、シェパードの顔を見ながら思ったそうだ。
「オマエは犬だからいいよなぁ。宿題は無ぇし、合気道の練習をお父さんからやれって言われることもなくて、飯ばっかり喰って長いベロ出してりゃ一日が終わるからオマエいいよなぁ」と犬にそう思ったか言葉がこぼれたかも知れない。
その瞬間、そのシェパードが若先生の顔を見つめてベロを横に出したまんま深いため息をついたという。
それが若先生には犬に思えなかったという。
人間の表情そっくりだったという。
その時にそのシェパードがもし言葉が話せたら「だからオマエは子供なんだ。俺が夜中にどんなに苦労してるか知らないだろ?オマエが寝相悪くゴロンゴロンゴロンゴロン転がって寝てる時、俺は物音聞いたら『あっ!不審の者』とかっていってパッと目覚ましたりなんかしてんだぜ。一日だって気を抜いたことは無ぇぜ。だって俺はシェパードだもん」。
それで若先生はそこからちょっといささか強引だったが(話を)合気道に持っていって「ご家族にね『こんな暑いのに何が合気道だ』って言われてる方もいらっしゃるかも知れませんが、いつか役に立つ、いつか家族を守れる手段になるんじゃないかと思って、今日も合気道の練習に励みましょう。まずは押さえ技、一教から」。
そこから(合気道の稽古に)入った。
武田先生はその話が凄く印象に残って。
武田先生自身も犬好きだが、YouTubeなんかでパンチラとか何かそういうのを見るのだが、YouTubeで一番多いのは「飼っていた犬のご報告」というのがある。
不思議なのは「赤ちゃんと犬」「幼児と犬」という組み合わせで、その時に犬の表情を見ていると殆ど人間と変わりない。
散歩を嫌がる柴犬とか、お風呂が嫌らしくてお父さんの声で「おい、入るぞ」と言うと顔をそむける。
台所に立っている奥様の足首のところから鼻と目を出して、お風呂をあきらめるお父さんを待っているという。
可愛い。
その他にも赤ん坊が泣きだすとあやす犬とか。
(赤ん坊が)ワーンと泣くと(犬が)ワォ〜ン!と鳴く。
それで赤ちゃんが泣きやむという。
人間の解釈でそれは「子守をしてくれる」というのだが、本当に子守してるんじゃ無ぇかなと。
それでバッタリ本屋さんで目が合ったのが(著者は)島泰三さん。
講談社選書メチエ「ヒト、犬に会う」。

ヒト、犬に会う 言葉と論理の始原へ (講談社選書メチエ 705)



それはどんな出来事がそこにあったのだろうか?という。
最初の前提を言っておくが、人と犬の関係は利害関係だけではないぞ、と。
もっと深い出来事で人と犬は繋がっているんだ。
というのは、犬は殆ど間違いない定説だがオオカミから犬になったらしい。

イヌが家畜化されて脳容量を二〇%減らし、同時にヒトも脳容量を一〇%減らしたことの意味を問い詰めた。その結果「犬に作用した力が同時に人間に作用しないわけはない。−中略−それぞれが相手を変えたのだ」(4頁)

(番組では犬が20%で人間が10%と言っているが、本によると上記のように逆)
だから犬に出会っていなかったら人はサルから人になれなかった、という。

こんな奇妙な仕事をなさっている人がいる。
著者はその人を紹介しておられる。

 豊後と日向の国境に、その人の終の棲家があった。−中略−
 この人里離れた世界で、石井さんはイノシシ猟用の犬を創ることに専念してきた。
(14頁)

今回出動するのは七頭。うち二頭は一歳少々の見習い犬である。主導する一頭にはGPS発信器の装備をつける。−中略−
 犬の準備をおえてから、銃を取り出す。
−中略−石井さんは短刀でイノシシのトドメを刺してきた。銃でも数十cmの至近距離で撃つ。(16頁)

凄い。
紀州犬。
もの凄く旦那さん思いというか、人間との約束を守る犬で、仕えるご主人は一人という。
それで五頭一組でイノシシを追う。
追う時にリーダーがジャッジするらしい。
何をジャッジするかというと深い谷に逃げ込んだイノシシに関しては、そこでイノシシを倒しても、この後やってきた旦那が谷を降りてとどめを刺すというのも狭い谷間では旦那も大変。
しかもその後担いでイノシシを持って上げなければならない。
どうするかというと、リーダー犬が谷にいるヤツは上に追い上げるそうだ。
それを徹底して仕込む。
そして殺すのにふさわしい広さのあるエリアを選ぶ。
それで何をやるか?
イノシシの前足を噛むそうだ。
前足を噛み砕く。
それで動けなくなったらリーダー犬が人間を呼ぶ。
ウォ〜〜ン!と吠えて旦那がやってきて、犬に当たらない為に30cmの至近距離ぐらいで撃って眉間一発だけ。
或いはもう完璧に動けないとわかったら特性のナイフを出して頸動脈を切るという。
そして血抜きをそこでやって担いで帰る。
ひどい時にはイノシシは100kgを超える。
だからやはり道具が無いとダメなので。
やはり凄いのは、犬が全部そこまでリードしてイノシシを狩る
リーダーにはGPSが付いているので、だいたいわかる。
それから見習い犬が二匹いるワケだが、そいつらは犬笛で呼び集めるという。

『和犬は点で追う』ということです。洋犬は、獲物の臭跡を追跡するので、鼻を地面につけてフンフンいって臭いの痕を線で追うけれど、彼らはそうではない。見ているでしょう。臭いだけでなく、和犬は耳と目も使ってイノシシを点で追う。(18〜19頁)

だからリーダー犬がいて、バーッと下から谷底から捕まえ易い平場の峰の上まで追い上げるとすると、その追い上げているリーダーの犬を見たらどこのポイントかを察して先に噛むヤツが隠れる。
それでイノシシが上がってきたらもういきなり首根っこにという。
首根っこを払おうとしたところに前足を他の犬が噛むという。
調教する人も凄いと思う水谷譲。
これほどの大がかりなアレなのだが、鳥獣被害で困ってらっしゃる方は夢見ることになると思うが、これは本によるとこの難度の高いイノシシ猟を犬達は一時間でやるそうだ。
今、依頼の方が殺到しているという。
この紀州犬をここまで仕込むと何でも使える。
クマ、サル、シカ、そういうものから、今はもう市町村を守る為にこの犬というのはこれから絶大なる力を持つのではなかろうかと。
期待したい。
これは石井さんは頑張っていい犬を育てて欲しい。

犬の歴史にここから入っていく。
犬というヤツがどのようにして人に会ったかという。

 イヌは一万五〇〇〇年前頃に、他の家畜にほとんど五〇〇〇年間も先駆けて家畜化された。(24頁)

人間と共生し始めたのはトップバッター。
犬の起源はオオカミかジャッカルか?と言われていたが、研究が進んでどうも犬というのはオオカミの亜種らしい。
オオカミからの流れの生き物。
オオカミと犬は違う。
どこが違うかはまた後で発表する。
このオオカミと違うところがまた重大。

 オオカミとイヌの共通祖先は一〇〇万年前頃に確立したが、それはネアンデルタールとヒトの共通祖先の時代だった。(〜頁)

オオカミは時速60キロで走れる。
最大、一日70キロ移動できて、10キロ泳ぐことができるという。
これがオオカミ。
ヒトはどうかというと人はオオカミ程の牙というような武器は何も持っていない。
直立歩行で、これはいつ滅んでもいいようなサルだった。
ところがここでサルの特徴を捨ててしまう。
それが脱毛。
「何で毛を捨ててしまったのかな」というのが武田先生の不思議だったのだが。
この本を読んで「この説が正しいんだろうな」と思ったのだが、全身から毛を抜いたのは汗の調節の為のようだ。
毛が生えていると温度を調節するというのは難しい。
それで毛を抜いてしまって汗の調節が可能になったという
この汗の調節が可能になったことによって長距離を歩くこと、或いは走ることができるようになったという。
それで汗の調節ができるので、しつこく獲物をずっと追いかけていく。
それで穴ぼこか何かに落としておいて、みんなで石か何かで殺すというような。
最後はマンモスまで殺してしまうワケだから。
それはやはり毛を抜いたというのは凄い。
サルからヒトに変化した人間と、オオカミから変化したイヌという生き物、共通点は何かというとしつこい狩りをする。
オオカミもそう。
「送りオオカミ」とか。
送りオオカミはずっとくたびれるまで付けていく。
だからその手の男のことを「送りオオカミ」と言うのだが、オオカミはそういう狩りをやる生き物。
それで人になりつつあるヒトとオオカミから犬になりつつあるイヌというのがしつこい狩りをするというので共通項があったのだが、大きな歴史的大事件に巻き込まれてゆく。

地球規模での寒冷気候に突入した。七万年前からの寒冷期はきびしく、−中略−五万年前頃にはユーラシア大陸と北アメリカ大陸を隔てていたベーリング海峡が陸橋になり、−中略−この陸橋は、マンモスやカリブーなど草食獣とそれを追うオオカミたちなどの捕食者も移動するルートとなり(69頁)

ところが寒くて寒くてたまらない。
そこでアフリカからやってきたサルから進んだ人も、ヨーロッパの山脈で生まれたオオカミという種類も寒いものだから、この島泰三という人は面白いことを言う。
だんだん生き物が住めるエリアが狭まってきて、ある一点ぐらいの狭さになったという。
居住空間がない
それで寒いものだから赤道近くに集まる。
そこは一か所だけらしいが、生き物で溢れかえってしまう。
この発想は面白い。
引き金がある。

 この寒冷気候の引き金になったと考えられるのは、七万年前に大爆発を起こしたスマトラ島のトバ火山で(70頁)

イタリア半島中部でカンパニアン・イグニンブライト噴火−中略−と呼ばれる−中略−巨大噴火があった。(70頁)

日本の九州南部で姶良カルデラ大噴火−中略−があり(70頁)

噴煙に覆われて太陽が射さないものだから、また人間の、或いは生き物の住める場所が狭くなってしまった。
だから生き物という生き物は地球上のある一点に集まった。
この発想は面白い。
旧約聖書のいうノアの方舟というのは実在したんじゃないか?という。
地球のとある一点に生命圏があった。
その中に生き物が入ってきた。
その場所を著者である島泰三さんはインドシナ半島に求めた。
ここの一点、その川沿いに生き物が住んだたという。
インドシナ半島が突き出ているのだが、その丁度首根っこのところに川が流れている。
長大な川。
これは中国の奥地の方から流れていて、ここに生き物が終結したという。

オオカミの南下集団(イヌ)は、凍りついたヒマラヤ山脈とチベット高原の外縁を回りこみ、雲南省とシャン高原を経由して、エイヤワディ川流域の草原地帯に狩場を発見した。(76頁)

 同じ頃、ヒトもエイヤワディ川の流域で村を作った。(76頁)

とにかく一本の川のほとりに地球上の全ての生き物が集まったという時代があったことをイメージしてください。

水谷譲がこういう性格の人。
「それは著者の仮説ですよね」
実際どうなのかなと思う水谷譲。
仮説だろう。
でもこの仮説はもの凄くイメージしやすい。
別個の本だったが、人類というのは一番最初に数を減らして、二万人ぐらいの時があった。
人と呼べる生き物が二万人しか生きられなかったという状況が地球上にあったという。
武田先生はそれがここなのではないかと思ったので、この仮説を疑わないでどんどん読んでしまったのだが。
とにかくここ。
エイヤワディ川の流域。
(番組内で「エイヤワディ川」を「ヤワディ川」と言っている箇所があるが、全て「エイヤワディ川」に統一しておく)
この一本だけに生き物がバーッと集まってきた。
これは赤道の近くで他の寒冷地に比べて暖かいというのと、この川の恵み、様々な生き物が生きていることができたという。

 その川岸には、生活に必要なものはすべて揃っていた。イモ類、果樹、イノシシやシカやウサギやサル類、魚もエビやカニも貝類も、きれいな水もあった。(75〜76頁)

だから食物連鎖が成立した。
ここだけで喰っていけたワケで。
特に悪食のサルである人間はデンプン質は摂れるわ、魚は摂れるわ、動物の肉も摂れるワケで。
何冊も本を読んできたので印象的な文章が武田先生の場合は次々と連続発火する。
岡潔という数学者が、シンガポールを旅しているうちに、懐かしさで泣きそうになったという。
(以前この番組で取り上げた「春宵十話」の話だと思われる。武田鉄矢・今朝の三枚おろし(12月1〜10日)◆『春宵十話』『春風夏雨』岡潔

春宵十話 (角川ソフィア文庫)



岡潔の直感。
数学者の人が「俺達は一回ここ通ったな」と言っていて。
南に行くとそういう光景にバッタリ出会う。
例えばハワイで何か息をいっぱい吸い込んで昼寝か何かして昼寝からパッと目が覚めた時にもの凄く懐かしい。
懐かしいというか「ここが私の居場所だ」と思う水谷譲。
恐らくシンガポールのどこかのアレで空とか山を見ているうちに岡さんという数学教師は「俺、一回ここ歩いたことあるわ」「俺は覚えてないけど、俺の遺伝子が覚えている」というような言い方を。
そういうアジア的懐かしさ。
それがこの(エイヤワディ川の)ほとりにあった。
ここではケダモノはケダモノを喰い、ケダモノは魚を喰い、魚はエビを喰い、エビは植物性のプランクトンを喰いという完璧な食物連鎖が成立した。
だから誰も喰い物に困らないという不思議な生命の循環が。
この循環の時にこの島さんのイメージはいい。

 ある日、彼らヒトとイヌが出会った。(76頁)

その出会った時は人はサルに近く、犬はオオカミに近かった。
ところが、何となく惹かれた。
当時は犬とサルだから「犬猿の仲」。
だから出会ったサルとオオカミはそれぞれの特徴を10%ずつ捨てた。
10%をサルが捨てたら人間になった。
オオカミが10%捨てたら犬になった。
捨てたもの同士。
ここでもの凄い進化が起こる。
これは進化というか退化といっていいかわからないが、オオカミは肉しか喰わない。
ところがオオカミを少し捨てたら犬はイモが喰えるようになった。

 イヌのゲノムからオオカミにはないデンプン質の消化能力が発見された(108頁)

 これらの犬の消化能力は、初期のオオカミ亜種のイヌとヒトとの関係が決定的な段階を通り抜けたことを示している。−中略−ヒトが定住して食べるようになったデンプン質の食物を共有できることこそ、イヌがヒト社会の一員となる決定的要件だった。(108頁)

それでサル(恐らく「イヌ」と言いたかったものと思われる)とヒトは出会うのだが、ここが武田先生のイメージ。
最初に穀物が喰えるようになった犬が出会った人はどんな人か?
子供ではないか?
大人の人間に出会わずに、人間の子供に最初の犬が接近した。
その子供はオオカミの亜種とは知らずに犬を呼んだ。
危ない。
ところがどこかのヤツがイモを渡したのではないか?
そうするとそれを喰いながら「コイツ、イモくれるんだ」という。
そこに言葉が両者の間で成立したというところから、犬と人との付き合いが生まれたのではないだろうかという仮説。
オオカミであるところの犬が人間に接近する。
その人間の中でも特に子供とのコミュニケーションの中に犬達は希望を見つけた。
犬はやはり表情がある。
それは犬の方も、人間を見ながら思っているのではないか?
「あらぁ、コイツ表情あるなぁ」という。
武田先生はそう思う。
向こうも向こうで見ている。
一番最初に若先生の話をした。
犬のことをやや上から目線で「オマエはいいなぁ。勉強しなくていいし、合気道の練習も無ぇから」と言ったらシェパードの犬がジーッと横目で見て下を向いたという。
ここで著者の島さんは「犬というものと人というものの共生生活が始まった」という。
長い長い付き合いになった。
犬の起源というのは様々世界中にあって、そういう話、ああいう話があるが、武田先生にとってはこのエイヤワディ川の話のような、このインドシナ半島の一本の川のほとりというのが納得がいく。
このエイヤワディ川のほとりから文明が立ち起こっていく。
それはだんだん天候が治まってくる。
縄文海進とかと言って、氷が溶けてゆっくり海が広がっていくという過程で、地球がだんだん生き物に優しい環境を世界中に広げ始めると、一か所に集中していた人達が次々に旅立って行く。
恐らくこのことも踏まえてこの人はエイヤワディ川が犬と人とを出合わせた場所ではないかとおっしゃっている。
ここには両方ある。
イモの話をしたが、ここはイモだけではない。
サトウキビも原種があった。
ここには小麦の原種がある。
米の原種がある。
デンプン質なんかではもう殆どのタネが。
サトウキビは強烈で「噛めば甘い」というのはもの凄く人類の体格を良くする。
ここから人類は世界に広がっていく。
その時に麦の苗を握りしめて西に行った人達がメソポタミア文明を興す。
米を握りしめて東へ行っていた人達が黄河文明を興す。
これが面白さ。
恐らくこの両方の原種みたいなものがこの川のほとりにはあったのだろう。
というワケで、西に行く人と東へ行く人がこの川のほとりで世界中に広がっていったという。

まずは西へ行った人達、メソポタミア文明を興した人達から話を片付けていく。
この人達は麦の穂から小麦を作り始めた。
乾燥した大地があるので、そこで小麦を。
小麦の一番便利なところは、倉庫に保存できる。
これは文明。
ところが困ったことにこの西へ行った人達、もう犬はいらない。
平野が、広いところが小麦栽培にはもってこいなので。
ケモノに突然森の中で襲われるということがないから、もう暮らしに犬は余り必要としなかった
だが、倉庫を作ったら大変。
ねずみ(の害)。
「参ったなぁ」といったら猫を見つけた。
それでペルシャ猫とかという、倉庫を守る為の猫文化が発達したという。
(元々はペルシャ猫が倉庫を守っていたかどうかは)知らない。
エジプトでもどこでも必ず、犬より猫が神様の顔をして出てくる。
あれはやはり猫文化というのは「小麦の倉庫を守る為」というのがあったのではないか?

今度は東に行った人達はどうしたか?
黄河文明を興す。
この人達は広い水田を見つける。
それでエイヤワディ川のほとりと全く同じように。
稲作は私達はやっているが、あれは古里を思い出させて騙している。
米を作るということは古里を思い出させること。
田植えをする。
あれこそエイヤワディ川の川岸。
「ホラホラホラホラ、エイヤワディ川よ」と言いながら農業をやっている人は植えていく。
そうすると稲の方は「懐かしいな。エイヤワディ川だ」とかと言って大きくなる。
そうすると当然雨期。
どんどん上に伸びないと水に浸かってしまうから、それで背丈を伸ばす。
人間が切りやすいところまで出たら水を抜いてしまう。
そうしたら稲のヤツは「あ!乾期だ」と思って実を実らせようと思ったのがコシヒカリになる。
つまり稲の中の遺伝子がそれを覚えている。
だから日本の稲は茎が短い。
あれがインドに行くと洪水が多いものだから二倍、三倍になってしまう。
その土地の気候。
でも彼等に「エイヤワディ川のほとりに住んでますよ」と夢を見させることが稲作りの基本。
だから季節は二つ。
雨期と乾期。
それを体験させる。

ここから日本で独自に発展した犬文化というのを振り返ってみて。
時間いっぱい。
いいところで終わって申し訳ない。
犬を連れてお散歩をなさっている方も聞いてください。


2024年09月21日

2024年8月12〜16日◆俵星玄蕃

とんでもないものがまな板の上に乗っているのだが、これは今週一週間だけのネタで「俵星玄蕃」。
これは三波春夫さんの長編歌謡浪曲という、赤穂浪士の話を10分間近い歌にまとめたという一篇なのだが、この歌に武田先生がどハマりし始めた。

長編歌謡浪曲 元禄名槍譜 俵星玄蕃



この「俵星玄蕃」を朗々と楽しそうに(過去の番組内でも歌うので)「何がそんなに楽しいんだろう?」と思っていた水谷譲。
こういうことがあった。
それはいつも出てくるが内田樹先生、文藝春秋社刊の本を読んでいた。
「街場の成熟論」

街場の成熟論



(本の中の傍点部はアンダーラインで表記する)
その第一章に「ウクライナ危機と『反抗』」という文章があった。
内田氏は第一章でアルベール・カミュの名作を挙げている。
「反抗的人間」という本があった。
これは何で覚えているかというと武田先生は70年代の学生さん。
福岡みたいな田舎町の本屋にも大江健三郎「芽むしり仔撃ち」とか「見るまえに跳べ」とかいっぱい並んでいて、その端っこにカミュの「反抗的人間」という一冊があった。

芽むしり仔撃ち(新潮文庫)



見るまえに跳べ (新潮文庫)



 アルベール・カミュは『反抗的人間』という長大な哲学書の冒頭に−中略−あるときに「何かがこれまでと違う」と直感すると人間はそれまでにしたことのない行動をすることがあるという話を記している。主人の命令につねに唯々諾々と従ってきた奴隷が、ある日突然「この命令には従えない」と言い出すことがある。−中略−このときに奴隷が抵抗の根拠にした「踏み越えてはいけない一線」(17頁)

人がそれに抵抗するのは、『ものには限度がある』と感じるからである。(18頁)

いわゆる「堪忍袋の緒が切れる」そういう瞬間があるんだ、という。

 カミュはこう続けている。−中略−
「人が死ぬことを受け入れ、時に反抗のうちに死ぬのは、それが自分個人の運命を超える『善きもの』のためだと信じているからである。
(19頁)

「でもそれは許せない」という感情は水谷譲の中には無いか?
内田さんが持って来たのはウクライナ・ロシア戦争。
ウクライナの人が、ロシアのやり口にもう我慢できなくなった。

今ウクライナやロシアで「反抗」の戦いをしている人たちの動機を「愛国心」だとは私は解さない。それより「上位の価値」のために彼らは戦っているのだと思う。(21頁)

それがロシア兵とウクライナ兵の違いだ。
それは「やっていいこと・悪いことには限度があるんだ」という。
これはわかる。
日本人の中にもスズキさん(鈴木宗男氏を指していると思われる)みたいな方がおられて「何言ってるんだ。ウクライナがロシアに勝てるワケないじゃないか」と言ってロシアまでお行きになった。
それは勝てそうに無い。
だが「ウクライナに勝って欲しい」と思う。

 私たちが反抗の戦いをしている人たちから目が離せないのは、彼らがその戦いを通じて、遠く離れた、顔も知らず名前も知らない私たちの権利をも同時に守ってくれていると感じるからである。(21頁)

だから日本人はウクライナに連帯を感じてウクライナを支援している。
これは「思想」ではない。
内田先生は鋭いいいことを言う。
「このウクライナに勝って欲しい」というのは政治でもなければ思想でもない。
これは「気分」だとおっしゃる。
直感がヨーロッパ、EU諸国を動かしている。
遠い遠い昔、学生の頃に武田先生達にも一種その気分があった。
それを思い出した。
それはベトナム反戦。
アジア人をナパーム弾をバカバカ落として焼き殺すというのは、やることに限度がある。
日本もアメリカにヤラれた口。
いつの間にかベトナム人と自分達の父母が重なった。
それが若者達の中で「ベトナム反戦」とか「『米帝国主義』とかという罵り」になって70年の全共闘運動になった。
全共闘運動もそのうちダメになってしまうのだが。
その70年に実はこんなことがあった。

1970年、政治的に日本が揺れた年代だった。
その秋口のことだったが、武田先生達のアマチュアのフォークグループ(海援隊)は九大(九州大学)という国立大学の文化祭に出た。
もう全学封鎖だから一般の学生は来ない、部活の学生だけが来ていて、後は全部ヘルメットの学生が大学を占拠している。
異様な雰囲気だった。
それでも文化祭をやっていた。
お祭は若いヤツは好きだから。
それでその九大の方から依頼があったのは「海援隊出て欲しい。アンタ達人気あるやない?」とかと執行部の人から言われて。
まあ、同級生だけれども。
それで九大の文化祭に出た。
そうしたらもう名前も言ってしまうがヤノというヤツがフォークソングを歌っていた。
世界の平和を歌う。
「♪世界は平和を・・・」とかと歌っていた。
そうしたらヘルメットが2個入ってきて「ナンセンス!」と言い始めた。
会場は階段教室で500名。
2個のヘルメットがコンサートを潰してしまった。
それで壇上に上がって「今からベトナム反戦について討論会やる」と言う。
武田先生達の出番の前。
「コンサート潰し」というのが流行った。
吉田拓郎さんのステージにもコンサート潰しが出たり、岡林(信康)さんにも杉田二郎さんなんかも。
それで「愛は世界を救う」なんて歌を歌っていたヤツに「愛が地球を救ってるっていうのを証明しろよ!」。
剣幕が半端ではないから、ヤノも怖かったのだろう。
一種の狂気だから。
それで皆もじっと下を向いていた。
500人の学生さん達。
「歌なんか聞いてる場合じゃ無ぇよ。ベトナム反戦で討議やろうぜ」と潰れかかった時にちょっとした事件が連続して起こるという。
それで別のヘルメットが入ってきた。
「あれっ?」と思った。
ヘルメットの色が違う。
このへんはなかなか難しくて、ヘルメットの色が違うだけで殺し合うぐらい凄まじいセクト間の抗争があった。
(違う色のヘルメットをかぶった人が)一人入ってきた。
そのヘルメットが突然二人の別の色のヘルメットに向かって「出てけコノヤロウ」が始まった。
「オマエ何だよ!俺らは自己批判求めてるんだ!」
「いいから出てけよ」
その男の剣幕がもの凄い。
右手に鉄パイプを持っている。
黒縁のメガネをかけた、ヘルメットから長髪がはみ出したヤツだったが。
それが「中庭に出ろ!コノヤロウ!」と始まって押し出した。
武田先生達は教室の外で次の出番を待っていた。
そうしたらその追い出した方の違う色のヘルメットが武田先生(の前)を通過する時に「続けていいよ」と言った。
それで二人を中庭に引っ張り出して怒鳴り合う声がしたのだが「続けていいよ」と言われたものだから、武田先生は(ステージに)出た。
それで出て来たものだから500人は大喜び。
ウワーッと。
それでバカの一つ覚え。
歌った歌が「♪辞書とゲバ棒 はかりにかけりゃ ゲバ棒が重たい 学生の世界」という。
「唐獅子牡丹」のパロディーソングで「大学ボタン」という。



今、過激派との抗争があったばかりで「♪辞書と」と出て行くものだから、ヤンヤヤンヤの喝采。
ウケるだけウケる。
言っておくが音楽性でウケたのではない。
何というか場の流れがよかったものだからパロディーソングがピッタリハマった。
二曲目は「ティーチ・ユア・チルドレン」とか吉田拓郎の「マークII」とか、ラブソングを歌って「腰まで泥まみれ」なんていう反戦ソングも歌って最後は武田先生達の郷土ソング「風の福岡」。

腰まで泥まみれ



風の福岡



それで手拍子で締めくくって大盛り上がり。
それで(ステージを)降りたら例の追い出してくれて「続けてくれ」と頼んだ別の色のヘルメットの彼がいた。
黒縁のメガネでヘルメットから長髪が出ている。
それが「ありがとうね」と言った。
「オタクら面白いね。最初のあの俺達からかうヤツ、学生運動やってるヤツをからかう。あれ面白いじゃん。君に質問があるんだけど、『俵星玄蕃』聞いたことある?」
何を思ったか、武田先生にそんなことを訊く。
「俵星玄蕃」というのは三波春夫が武田先生が15歳の時発表した長編歌謡浪曲で話題にはなったが学生に浸透する歌ではないし、何で彼が武田先生にに聞いたのか?
多分武田先生達「海援隊」は演歌をパロディーにした歌を歌ったから「コイツ、演歌知ってんのかな」と思って。
武田先生はポカンとした。
「あ、いや、知らなくていいんだ、知らなくていいんだ」
だってそんなもの、ライバルにチューリップがいて、井上陽水なんかとやっとお付き合いが始まって吉田拓郎の前座をやって、岡林信康をやっている武田先生が何で三波春夫だよ?
音楽的に誰の影響受けましたか?「ジョンレノンです」とかと言えばいい。
三波春夫は嫌だ。
それで彼の前でも「『俵星玄蕃』は知ら無ぇなぁ・・・」という。
でもソイツは一言言った。
「俺、あれ聞くと泣けるんだよ」
一瞬「こいつバカじゃ無ぇか」と思った。
過激派の学生をやりながら「『俵星玄蕃』忠臣蔵聞いて泣く?それこそナンセンスじゃん、保守じゃん」。
でもソイツが言った「俺、何でか泣けるんだよ」というのが武田鉄矢、ニ十歳だった。
ずっと胸の中に残っていた。
歳月は流れる。
その後、武田先生にもいろんなことがあって、東京に出て行ったりして歌謡界の紅白歌合戦の舞台袖でその「俵星玄蕃」の三波春夫さんとすれ違ったこともあったが、「ジョン・レノンの影響受けてるもんで」という顔をして生きてきた。

ところがある日のテレビの中で、その夜のことを思い出した事件が起こる。
これが2024年1月25日。
49年間、逃亡し続けたという「桐島」という元過激派の男が、何と切ないことに「死ぬ時は本名で死にたい」ということで自首して名乗り出た。
桐島聡容疑者と特定、DNA型鑑定で 指名手配犯を名乗り死亡の男性 - BBCニュース
大変申し訳ないが指名手配の桐島に、その「『俵星玄蕃』を聞くと涙が出て来る」というヤツの風貌が似ている。
黒縁のメガネのせいかも知れないが。
ただ皆さん、正直に言うが桐島という男をかばうつもりも何もない。
学生運動をやっているヤツに、ああいう顔をしたヤツがいっぱいいた。
誰でもあの時代、1970年、反米を唱えたりすれば、武装闘争となれば、ああいう顔立ちの男どもが、もう殆ど隣にいた男達が夢中でやっていたということだけは間違い無い。
それで桐島が50年間潜伏した。
その男の情報が入ってくる中で、音楽が好きだったようだ。
それが何となく彼を思い出した。
ダブった。
桐島も恐らく「泣けてくる一曲」があの時代の青年であったのなら、あったのではないだろうか?と。
長編歌謡浪曲ではないかも知れないが。
このあたりから「左翼運動に夢中になりながら何故ゆえに赤穂浪士の一人の人のことを歌った『俵星玄蕃』に泣ける要素があったのかなぁ?」という。
それが内田先生のあの言葉。
アルベールカミュの「反抗的人間」。

「人が死ぬことを受け入れ、時に反抗のうちに死ぬのは、それが自分個人の運命を超える『善きもの』のためだと信じているからである。(19頁)

ある限度を超えた瞬間に人々は反抗の為に命を投げ出すことができる。
そこが重なる
もの凄く飛躍するが「長編歌謡浪曲 元禄名槍譜 俵星玄蕃」。
この中にはアルベール・カミュが言った「限度を超えた非道に対する反抗」があるのではないだろうか?
学生運動、70年代左翼運動をやっていた青年が「なぜか泣けるんだよね」と言ったのは実はここなのではないか?
これは一瞬のうちに武田先生の頭の中で繋がった。

それで「俵星玄蕃」を調べた。
「仮名手本忠臣蔵」という歌舞伎の出し物があるが、仮名手本忠臣蔵は大石内蔵助をセンターにした四十七士の物語。
この「元禄名槍譜 俵星玄蕃」はセンターではない。
端っこにいるヤツを主役に取り上げた。
これが蕎麦屋。
杉野十平次という手槍の名人、短い槍を使うと上手という、それが吉良家の内情を探る為に夜鳴き蕎麦屋の恰好をしている。
その夜鳴き蕎麦屋が、身の動かし方で侍が臭う。
それで吉良の屋敷のすぐそばに俵星玄蕃の槍の道場がある。
そこから槍を稽古する物音を聞くと覗いてしまう。
ある日のこと、蕎麦屋がジーッと見ていることに気付いた俵星がフッと思ったのは「コイツ、蕎麦屋じゃない」。
「赤穂の浪士達が敵討ちに討って出るのではないだろうか?」という噂があって、俵星は直感的に「コイツ、赤穂の侍、浪人者かも知れない」。
それである夜のこと、この夜鳴き蕎麦屋を呼ぶ。
これは講談にあるのだが、俵星玄蕃は弟子なんか殆どいない。
道場はあるのだが教えを乞う人がいないので、何と道場を博打場に改装してレンタル料を取って生きている。
それでヤクザ者が集まって皆でそこで賭場を楽しんでいるのだが、そいつらが「先生、先生!腹減っちゃった」と言うものだから、蕎麦屋を呼んで蕎麦を差し入れさせる。
そうしたら蕎麦屋はかいがいしく蕎麦を用意するのだが俵星はフッと思いが湧いたのだろう。
そのヤクザ者のお客に向かって「オイ!悪いが今日は帰ってくれ。今日は帰ってくれ!」と言いながら追い出してしまう。
それで二人きりになった瞬間に「お前には用の無いことかも知れぬが、いつか役に立つやも知れぬ。見ておれよ」と言いながら俵星流の奥義を見せるという。

三波春夫さんの長編歌謡浪曲「俵星玄蕃」。
これを語っている。
70年代の学生運動から2024年の潜伏し続けた過激派の話まで入り乱れているがこういうこと。
これは内田先生の言葉を借りる。

 すべての人間は不完全であり、邪悪であり、嘘つきであるという命題は原理的には正しい。けれども、人間の不完全さや、邪悪さや、不実には個人差があり、程度の差がある。そして、人間を衝き動かすのは、しばしば「原理の問題」ではなく「程度の問題」なのである。
 私たちは今ウクライナとロシアの戦いにおいて、「程度の問題」がどれほど現実的変成力を持ち得るのかを見つめている。ウクライナがロシアより「政治的により正しい国」であるがゆえにこの戦争に敗けなかったという歴史的事実にできることなら私は立ち会いたいと思っている。
(34頁)

この「程度の問題」という言葉がいい。
まことに申し訳ないが、ロシアは何に見えるか?
弱い者いじめに見える。
それはその中東問題もそう。
いろいろ原理とか政治とか宗教の問題もあるだろう。
しかし内田先生の言う通り「程度の問題」。
あまりにも「程度」がひどすぎる。
それで我々の感情は本当に申し訳ないが「ロシア憎し」「ウクライナ哀れ」。
「ガザの人々の哀れ」「イスラエル憎し」になってしまう。
この精神こそ実は「吉良憎し」「赤穂哀れ」。
これが実は俵星玄蕃の中に通底する音として入っている。
これはやはり将軍綱吉の失政。
片一方の吉良に対してはおかまい無しで、浅野家は切腹で断絶だから、潰したワケだから。
江戸の市民が彼等に喝采を送ったのは「やり過ぎだよ。そりゃあ松の廊下で酷いことしたかも知んないけど、切腹させといて城まで潰すのか。大石っていう家老は必至にあちこち頭下げてお家再興をって願い出るらしいけど、全部足蹴にしてるらしいじゃ無ぇか。それで何人かの赤穂浪士が切り込むらしいぜ。仇討ちするって言ってるらしいぜ」。
そっくり。
つまり我々の遺伝子の中にあるものは俵星玄蕃に反応している。
昨日も言った通り、俵星はその蕎麦屋に甲斐は無いと思いつつも、俵星は俵星流の奥義を見せてやる。
目に浮かぶ。
そうしたら舞台の中にあるのだが、その蕎麦屋が正座して俵星流の槍の動かし方を見ている。
そのフッと俵星が気付くとそのあたり蕎麦屋の十平次(番組で「ジュウスケ」と言っているようだが、おそらく十平次)というのが涙をポロポロ流しながら見ている。
もう間違いない。
蕎麦屋ではない。
それで思わず俵星は「オメェ侍だな」と訊こうとする。
それを三波は浪花節でこう歌う。
(本放送では「俵星玄蕃」の一部が流れるがポッドキャストでは無音なので、何が何だかわからない構成になっている)



涙をためて振り返る
そば屋の姿を呼びとめて
せめて名前を聞かせろよと
口まで出たがそうじゃない云わぬが花よ人生は
逢うて別れる運命とか
思い直して俵星
独りしみじみ呑みながら
時を過ごした真夜中に
心隅田の川風を
流れてひびく勇ましさ
一打ち二打ち三流れ
あれは確かに確かにあれは
山鹿流儀の陣太鼓
(三波春夫「俵星玄蕃」)

泣ける。
俵星玄蕃さんというのは実際にいた人ではない。
全部作り話。
お蕎麦屋さんは、その手の密偵行為はやったらしい。
でも何で泣けるか、何で根も葉もない話をこれほどの熱量を持って三波春夫は演じたか。
それは宿題で置いておく。

無我夢中で話しているが水谷譲に問題。
陣太鼓を聞いただけで俵星が興奮した。
何で太鼓を聞いたら興奮したのか?
太鼓の音で俵星はこの瞬間「命を捨ててもいい」と思った。
太鼓は討ち入りの合図だが、流儀があって「山鹿流儀の陣太鼓」と言っている。
山鹿流じゃないと感動していない。
これは武田先生の考え。
陣太鼓を叩くのは合戦の時の太鼓の音。
進軍ラッパ。
つまり大石は小さなスケールの敵討ちではなくて、赤穂家と吉良家の合戦として討ち入りを強行したという。
これは残っている資料だが、数字にそんなに間違いはないと思うが総勢で47人。
一人抜けてしまった人がいる。
死ななかった人がいるのだが、それはまた隠れた話なので別個に話すが47人で討ち入った。
対する吉良方は用心棒も含めて200人近かったらしい。
これはやっぱり命懸けで。
俵星が飛び込んでゆくのだが、有名な下り。
大石内蔵助を見つけて「命を賭けてもかまわない」と言いながら俵星が申し出ても

されども此処は此のままに、
槍を納めて御引上げ下さるならば有難し、
(「俵星玄蕃」三波春夫)

「サポートは必要無い」と言う。
なぜ断ったか。
大石が覚悟しているのは「全員この後死ぬんだ。この討ち入りを、絶対に江戸幕府が許さない」。
それともう一つ、赤穂浪士だけでやらないと赤穂藩と吉良家の戦いにならない。
「敵討ちじゃないんだ。名誉を賭けた戦いなんだ」
こだわる。
そしてあの名場面。
雪の場面、武田先生がよくやるヤツ。

『先生』『おうッ、そば屋か』(三波春夫「俵星玄蕃」)

いい。
でも反抗的人間、どこかで反抗を開始した人間達。
70年代に評判になったアルベール・カミュが言った「反抗的人間」の中の理屈を日本人は元禄の頃に既に理解していた。
カミュと内田樹さんと赤穂浪士が繋がるというのが凄いなと思う水谷譲。
繋げてしまう。
武田先生の頭は花火みたいに一個火を点けるとブワーッと横に広がっていく。
でも水谷譲は笑うが、赤穂浪士はやはり日本人の心象の中で凄く深く喰い込んでいるように思う。
これは作った方に訊いたことが無いので、あまり自信を持って言えないのだが、水谷譲にも話したことがある。
AKBは48人、乃木坂は46人。
「47」だけ避ける。
これはやはり「赤穂浪士」というタブーがあるからではないか?
そういう意味では現代の芸能界のいわゆる少女アイドルグループの人数を赤穂浪士というものがストッパーでかかっている。
本当はどうなのかを訊いてみたい水谷譲。
想像している方が楽しいので訊かない方がいい武田先生
何か我々は深いところで遠い昔の記憶みたいなものに凄く行動を操られている時がある。
赤穂浪士がこれだけドラマになって歌舞伎になって、本当に日本人は何でこんなに赤穂浪士が好きなんだろう?というのを昔から思っていた水谷譲。
やはり日本人のどこかの心象をしっかりつかまえているところがあって、それは内田さんが近代的な言葉で「それは思想でもなければ哲学でもない。程度の問題だ」。
その「程度」というのが日本人を酷く深く納得させるからではないだろうか?

そして最後に向けてだが、一種異様な三波春夫の俵星玄蕃に寄せる熱量は一体何だろうか?
10分ぐらいある。
見えるが如く彼は語り演ずる。
講談も入っているし浪曲もある、演歌もある。
民謡っぽいところもある。
武田先生が思うのは三波さんは「大きな戦争で日本は負けました。300万人もの死者が出た。それで日本は変わりました。でも変わらないところもあります」。
それが俵星玄蕃をあの熱量で、テンションで語らせた彼の思いがあるのではないか。
そういう意味で三波春夫という人は負けた日本の行く末を見ながら「日本がほんの僅かでも元気になるんだったら音頭でも『(世界の国から)こんにちは』でも何でも歌うぜ」という、そいう歌手の生き方をなさったのではないだろうかな?という。



三波春夫さんの長編歌謡浪曲を聞きながら今の武田説を12月14日、赤穂浪士が討ち入った時間にやろうという(企画を今)進行している。
今回はダイジェストでお送りしたが、凄まじい分量がある。
「俵星玄蕃」、武田先生のアイディアなのだが、日本人の深い心象を捉えて離さないこの物語をもう一度点検してはいかがかな?という提案。


2024年09月12日

2024年6月24日〜7月5日◆富士山(後編)

これの続きです。

先週は引っ張ったワケではないのだが、説明をしておかないとわからないと思ってあれだけのことをお話したのだが、やっと今週から「なぜ『古事記』『日本書紀』に富士山が登場しないか」という。
藤原氏の陰謀がその裏側にあったのではないだろうか?
この藤原不比等・鎌足あたりをからかうようなおとぎ話が生まれた。
紫式部が

まづ、物語の出で来はじめの祖なる竹取のおやなる竹取の翁(「源氏物語」絵合の巻)

源氏物語 文庫 全10巻 完結セット (講談社文庫)



つまり「日本国に物語が生まれた初めての物語は『竹取物語』、かぐや姫の物語だった」と言っている。
これ(「竹取物語」)はご存じかと思うが、作者不詳。
これは当然で権力を握った藤原氏をからかっている。
これは戸矢学さんの説だが、このかぐや姫に求婚して見事にふられる公子、貴族・庫持皇子(くらもちのみこ)こそ藤原不比等ではなかったのだろうか?という。

 この物語の中で五人の貴公子の執拗な求婚に対して、かぐや姫は難題を与えます。(120頁)

A蓬莱山に生えている金銀製の枝木──庫持皇子=藤原不比等(121頁)

だが金と銀で樹木が生えるワケがない。
しかもどうもこの金と銀の木の枝をちょこっと舐めたりなんかすると永遠の命が得られるという。
永遠の命が得られる蓬莱山の山頂に生えた植物。
これをキーワードとしてちょっと覚えておいてください。
そして結末から先に言ってしまうと、かぐや姫は朝廷側がお侍さんを出して懸命に守るのだが、月の軍団のまぶしさに一時的に目が見えなくなって、かぐや姫は月に帰ってゆく。

 かぐや姫は、育ててくれたお礼にと、竹取の翁夫婦に「不老不死の妙薬」を残します。−中略−
 しかし翁も媼も悲しみのあまり、薬など呑む気にならず、それを献上された帝もさらに悲しみ呑むことをせず、結局はその薬を手つかずのまま、天に最も近い駿河の高山の頂に運ばせ、燃やすように命じました。
 その結果、山頂からは煙が絶えることなく立ち昇り続けることになったということです。
 それ以来、山は「不死山」と呼ばれるようになりました。
(119〜120頁)

だから恐らく(富士山は)活火山だった。
それを不老不死の薬を燃やした煙と見立てた。
いっぱい物語の中に意味を込めて語るという手法を紫式部がマネする。
この後に「ある御代の頃、光り輝かんばかりの美しい少年が生まれました」という「源氏物語」、藤原氏の公子の物語になる。
これがどうも「竹取物語」に対抗した物語ではなかろうか?
富士伝説。
不老不死の薬を山のてっぺんで燃やしているので、不老不死、死ぬことがない。
不死(フシ)の山。
「不二家」の不二もまさしく。
不二家はペコちゃん・ポコちゃん。
二つとない。
それで「不二」だから。
このあたりからフシとかフジとかそういう呼び名で、あのアサマの山を呼ぶようになった。

戸矢さん、ここから本当に面白かった。
なぜ不比等は「古事記」「日本書紀」その中で富士山を隠したのか?
しかも富士山の大元の神様はスサノヲノミコトとクシナダヒメ。
これはアマテラス系の神様が宿っている。
それをいつの時代からかコノハナサクヤヒメに変えた。
今、富士山に男の神様がいて、嫁さんに行ったのがコノハナサクヤヒメじゃないかという。
そういう説にもなったりしているのだが、このあたりから戸矢さんも余りにも大胆な説なのではっきり書いていないのだが、ページ数で言うと270ページのある本で、終わりにかけてやっと切り出される。
これは戸矢さんの本を読んだ武田先生の解釈で、間違った解釈だったら申し訳ありません。
(番組内での解釈と本の中の解釈では異なる)
だがそう解釈しないと戸矢さんのこの本は読めない。
なぜ藤原氏は富士山のことを「古事記」「日本書紀」に書かなかったのか?
それは富士山を「神籬(ひもろぎ)」、神の山と崇める別の国が関東にあったから。
別の国のご神体が富士山だったので、奈良に都を持つ藤原氏は触れたくなかった。
「え?関東に?別の国があってそこの神様が富士山だったから?」となるのだが「じゃ、その国って何だよ?」という。
というふうに武田先生は解釈で戸矢さんの本を読んだ。
これは凄い異様なことなので仮説として聞いて下さい。
そうでないと戸矢さんの本が読めないし。
平城京があった時代、関東には平城京の天皇が手を出せない別勢力の大王が住んでいた。
その大王の信仰する山が富士山だったので「敵の山を拝むということは負けたことになっちゃわない?」という。
関東はバカにされていた。
「坂東」といって「野蛮人しか住んで無ぇ」というので。
ところが「それ、変じゃ無い?」という。
関東には宗教・軍事・経済を統括する巨大な大国があった。
「それを藤原氏は歴史から消したんだ」という。
関東は平安期、坂東と呼ばれた荒れた大地、未開発の後進エリアと紹介されているが、とんでもない。
とても豊かな農業国家の大国であった。

 もともと関東地方には縄文時代の早い時期から多くの人々が暮らしていたことは、関東各地に無数に残る「貝塚」によって明らかです。
 縄文時代の貝塚は、日本列島全体で約二五〇〇カ所発見されていますが、その四分の一は東京湾岸一帯に集中しています。
(180〜181頁)

大森の貝塚なんかそう。

 弥生時代に入ると、突然のように巨大古墳が関東各地に築造されるようになります。
 日本屈指の規模である埼玉古墳群は特に有名です。
 その中の一つである稲荷山古墳から出土した「鉄剣」は、一一五文字に及ぶ金象嵌の銘文が発見されたことで大ニュースになりました。
(181頁)

鉄剣が出たということに関して驚きが日本人は少なすぎる。
ヤマト政権、奈良にあった政権は銅剣。
脆い。
鉄剣の方が遥かに強い。
その鉄剣には漢字で文字が書いてある。
文字は115文字。

 金錯銘鉄剣には、−中略−ワカタケル大王(雄略天皇)に仕えたヲワケの功績などが記されており(212頁)

でもそれは違うんじゃない?
戸矢さん、申し訳ございません。
戸矢さんが言ってらっしゃることと違うかも知れないが、武田先生はこう読めた。
続ける。

稲荷山古墳は、−中略−前方後円墳です。
 築造されたのは古墳時代後期、五世紀中頃と考えられています。
−中略−墳丘部の長さだけで一二〇メートルあります。(210頁)

鉄剣の技術、漢字の文字使用、金による装飾、こういうのは600年代、7世紀の中頃のヤマト政権を凌駕する文明があった、という。
それでヤマト政権の藤原氏、不比等を圧倒するような文化、技術、農業、そういうものをこの関東の大王は持っていた。
この関東の大王の神の山が富士山だった。
だから古事記には触れなかったという。
(大王の名前は本の中に)ある。
ここからもの凄い不思議な話になる。
仮説。
今度は稲荷山古墳を見る。
稲荷山古墳の円墳と方墳がある。
前方後円墳。

墳丘の中心軸は真っ直ぐに富士山を向いているのです!(210頁)

富士山を神だと思っていた人が作った。

 方士がおこなっていた地理風水の方法に「天心十字法」というものがあります。(182頁)

偉い人、身分の高い人は北を背にして南を向く。
それで右と左に太陽が昇る沈むの十字。
その真ん中、そこに偉い人は住む。
北を背にして南を向き、東から昇る太陽を西へ見送る。
その十字にランドマークがないとダメなので、探してみましょう。
北、筑波山がある。
南、富士山がある。
東は千葉、海がある。
ここから日が昇ってくる。
千葉には12794基も古墳がある。
だから日の出の方向にここの王国では亡骸を埋めたのだろう。
それで陽が沈む西に浅間山がある。
筑波山を北にして日の出の方角は海の方角で千葉、そして日が沈む方角に浅間山がある。
その十字を結んだところに王の住みたもう皇居があった、という。
十字だからその場所が簡単に出る。
何と大宮。
前に大宮っていう名前は・・・と武田先生がおっしゃっていたと思う水谷譲。
それがそういうこと。
今の時代「翔んで埼玉」とか「ダサい埼玉」とか言って、とんでもない。

翔んで埼玉



あそこに「大きな宮」と書く地名があるということは、とんでもない人が住んでいたという名残りで

 氷川神社の鎮座する地は古来「大宮」と呼ばれてきました。(184頁)

しかもこれは一宮。
一宮というのは「縄文の頃からあった神社」という意味。
非常に古い。
さあここから謎解き。
「翔んで埼玉」なんてバカにしている場合ではない。

(番組冒頭は武田先生がスピルバーグ監督作品のオーディションに落ちた話。恐らく「太陽の帝国」)

太陽の帝国 (字幕版)



戸矢さんはの説は面白い。
戸矢さん、申し訳ありません。
こんな言い方をしては何だが、戸矢さんはもの凄い仮説なので用心深く文章が書いてあるのだが、用心深い分だけはっきり言って面白くない。
ただ、大宮という名前が関東の埼玉にあったのはデカい。
武田先生も一度だけロケで行ったことがあるのだが、あそこの氷川神社、これは氷川神社の総本山だから。
(氷川神社は関東の)いろんなところにあるが。
江戸時代の話だが、大阪の人がバカにして「氷川神社と犬のクソ」と言った。
江戸の町にゴロゴロあるのは犬のクソ。
(徳川)綱吉さんが「犬殺しちゃいけない」と言ったので犬のフンが酷くて。
それで氷川神社が同じぐらいある。
氷川の方、申し訳ありません。
武田先生も毎年拝みに行っているのは氷川神社なのだが、これは農業の神様。
ここの総本山が大宮の氷川神社。
これは一宮だから。
大宮氷川神社の歴史はどのぐらいかというと凄い。
二千年前からあったという。
まだ弥生が始まる前。
これは学識を持った、漢字を持った人、それから陰陽、方学術、風水を知っている人、それから農業を豊かにする技術者が大宮あたりに住んでいた。
「その始まりが大宮の氷川さんですよ」
武田先生も行ったことがあるがデカいお宮さん。

当時の「大宮」はどのような状態にあったのでしょう。−中略−
 二〇〇〇年前のこの地に、「宮居」を構える「王」がいたということなのです。
(204〜205頁)

先進の情報、都市計画、生産・経済力、指導力を持った人がここに二千年前住んでいたという。
まだ弥生がやっと始まって、稲作が始まったばかりの頃。
「そんな(人なんか)いるか?」というので歴史を探ると一人いた。
その人物のことが何と日本の歴史ではない。
中国の歴史書に書いてある。

 二二〇〇年前の歴史書『史記』の一説です。
 秦の始皇帝の時代について司馬遷が公式に記録した記事の中に記されています。
(141頁)

そこにある人物がいる。
それは紀元前91年の記録なのだが、中国はその頃は秦の始皇帝の時代。

秦の始皇帝が徐福に命じたのは「不老不死の薬」を入手することでした。(145頁)

中国の伝説で、ある場所はわかっている。

 古来、霊薬は伝説の神仙の国・蓬莱山において入手できるといわれていました。(145頁)

一番最初に「それが欲しい」と言ったのは秦の始皇帝。
秦の始皇帝は中国で絶大なる力を持っているので「取ってこい!」と言う。
(徐福は)「わかりました。アタシが行ってきましょう。アタシね、実はその山見たことがあるんです。つきましては相当長い航海になりますんで、船、資材、開発者、それとその薬が見付かるまで、その人口を私に預けてください」というので始皇帝は「わかった!オマエが行って探してきてくれるんだったら、探索の船を出そう。船も一艘や二艘じゃダメだ。大船団で行ってこい」。

 始皇帝は、海神への献上として良家の若い男女三〇〇〇人と、あらゆる分野の技術者たちと「五穀の種子」とを徐福に預けて送り出しました。(145頁)

 徐福一行の出航地は、琅邪台が有力です。現在の青島です。(154頁)

 徐福一行の出帆は、紀元前二一九年のことであったと推定されています。(154頁)

そしてどうなったか?

もちろん徐福一行は、あれから二〇〇〇年経ついまもなお帰還していないのですが──。(155頁)

誰一人帰ってこなかったという。
そのうちに始皇帝は死んでしまう。
ところがその後、「史記」を書く時に徐福の噂を聞く。

 しかし徐福は、平坦な平原と広大な湿地を得て彼の地にとどまり、みずから王となって、戻らなかった」(144頁)

「え?どこに辿り着いたんだ、徐福は!?」
様々な説があるのだが、戸矢さんがおっしゃっているのは「埼玉の大宮に着いちゃった」という説。

何が事実で何が物語かわからなくなった水谷譲。
(冒頭で「不思議の国のアリス」の話があった流れで、今回の話はまるで)ルイス・キャロルの「不思議の国のアリス」。

不思議の国のアリス (角川文庫)



でも日本というのはそういう意味で、ある意味で「不思議の国」だったのではないか?
考えてみればそう。
奈良・春日山で人間と鹿が共生しているということの不思議を西洋の人達が凄く驚いている。
あの人達にとってはルイス・キャロルの不思議の国に入ったみたいで。
それと鹿煎餅をあげると、仕込みでそうなってしまったのだろうが、鹿が一礼する。
奈良の鹿は頭を下げる。
ちゃんとバウするという。
何か彼等(インバウンド)はめっちゃ興奮するみたい。
しかも信号機が青になると鹿が渡る。
それから両手を見せたら諦める。
エサを持っていると鹿は寄ってくるが、両手を見せると「あ、そうですか」と言いながら。

ここから。
徐福伝説は残された中国でも大話題になって「喰うに困ったら徐福のマネしようぜ」という一団が秦が倒れ漢が興るまでの春秋戦国時代、長江下流、江蘇省、浙江省、その人達の中にこの伝説が届いて「東海の島に行けば徐福のように喰っていけるんじゃ無ぇか」という。
この人達が陸続と千人単位で集団の移住を始めた。
これが日本の弥生時代とピッタリ重なる。
これは徐福同様、船団で移住した渡来の海人族、間違いなくその中に蘇我、物部、藤原等々もいたワケで。
古墳時代を通して渡来人は日本の権力の中枢として潜り込んだのではないだろうか?
近畿王権、ヤマト王権に紛れ込むのだが、ヤマトの天皇家を倒すぐらいの力はあったにしても、なぜか手を出さなかった。
関東の徐福の流れをくむ渡来人達もいて、そういう人達が日本の弥生時代の幕開けを飾ったのではないだろうか?という。
これははっきりしていることで天皇家もお認めになっている。
天皇家は男系で結ばれていくが女性に関しては例えば、後の時代、桓武天皇の母などは百済の人、朝鮮半島の人。
それから女性の性を器として血の交わりはあるのだが、日本の天皇家はルーツを縄文に持ち、弥生、古墳時代、そして飛鳥、平安と繋がっていくワケで。
この中で重大なのは天皇の持っている風水の術、呪いの力というのは他の貴族達を圧倒したのではないだろうか。
藤原不比等は自分と同じ渡来系である関東の大王を除外した。
神奈備(かんなび)が富士だから富士にまつわる記録に関しては向こうが信仰している山なので、天皇家は「知らないよ」と無視して富士山を「古事記」「日本書紀」に描かなかったという。
ところが怨霊が跋扈したとしか思えない事件が起こる。

 藤原不比等−中略−には四人の息子がありました。(115頁)

 なんと、四兄弟は七三七年に、天然痘の大流行により首を並べて病死してしまうのです。(115頁)

当時の考え方では怨霊の祟り≠ニ信じられたに違いないでしょう。(116頁)

一つ考えられたのは蘇我氏の呪い。
その次に考えられたのが利用するだけ利用して殺しちゃった聖徳太子の呪い。
そして三つ目が富士山を無視した呪い。
その呪いがトリプルで来たのではないか?
それで「富士山ちゃんと入れよう」という。
そのあたりから急激に富士山を歴史の中に登場させて、藤原氏が考えたのが「聖徳太子が馬に乗っかって虚空を飛んで富士山を見物に行く」という。
それで聖徳太子が富士山を拝んだということで、聖徳太子の為にも奈良に例のデカいお寺を作る。
そうするとたちまちのうちに富士山は藤原氏に味方するようになったという。
それで「富士山を称えたらいいことばっかりだよ」というので「四人、呪いで殺されちゃったけどその残っているヤツらが非常に豊かになる」という願いを富士に託した。
それで「富める士(さむらい)達の山」で字を「浅間山」から「富士」にしたという。
これは武田先生の解釈。
でも武田先生は「そんなふうに読みました」ということで。

藤原不比等という権力者が天皇家と婚姻を結ぶこと、娘を天皇と結婚させることによって皇太子の祖父となり権力を掌握するという血統の天下取り。
ところが自分の息子四人が次々に天然痘で死んだ。

「記・紀」に登場しない富士山」と「聖徳太子登山によって聖地化される富士山」とは表裏一体のもので、いずれも藤原氏の都合によるものです。
 藤原不比等は、富士山に関わるある事実を隠蔽したかった。
 しかし、抑えられなくなってオープンになったため、子孫たちは富士山を最高度に聖地化しようとした。
 すなわち、みずからの弱点を、逆に強みに転化させようとしたのです。
(117頁)

これはちょっと戸矢さんの説を離れるが、間違いないと思うのだが、この前後に天照大神の神社を伊勢にしたり。

伊勢から富士を望める場所はすでによく知られていました。−中略−観光景勝地・二見浦です。
 夏至の日には、夫婦岩の真ん中に見える富士山から太陽が昇ります。
(129頁)

だから日本のいわゆる神話、或いは信仰の中に富士山が入ってくる。
不思議なことに藤原氏全盛の時代が・・・
それでこのあたりでどうも関東あたり、つまり大宮にあった別の関東の大王の娘さんなんかを天皇家と結ぼうとして姫君を貰ったようだ。
ところが姫君はその藤原氏が気に入らなかったので帰っちゃったという。
これが「かぐや姫」じゃないかという。
だから「月の国」ではなくて埼玉から来た関東の大王のお姫様だったのではないだろうかと。
これは武田説。
その藤原氏の失策を笑った作品が「竹取物語」ではないか?
でもその関東の権力者、王権はそんな姫様がいたのかなぁ?と思う。
これは大宮の方、埼玉の方見て下さい。
大宮氷川神社には三祭神といって三大神様が祀られているのだが、一人の神様の中に氷川女体神社、女性の神様が祀られている。

氷川女体神社は、−中略−「多氣比賣神社」の論社(該当候補の神社)です。
「多気比売」
−中略−「タケヒメ」とは「竹姫」であり、「かぐや姫」のモデルだともいわれています。(199〜200頁)

これはもちろん埼玉の地方の神様ということなのだが、タケヒメこそ実はかぐや姫ではなかったのかと。
この関東の大王がいつの頃、近畿、ヤマト王権に従い、臣君の立場を逆にしてしまうのか?
それは歴史上では判然としない。
でも藤原氏のことなので婚姻を結ぶことによってゆっくりと浸食していったのではないだろうか?

それからもう一つ、これはそっちから調べると面白いのだが関東はこのあたりぐらいから馬の名産地になる。
馬を飼育するのにもってこいの平野があるというので、それを育てているうちに武士団ができる。
それが関東武士団。
馬移動の戦闘能力を持っている。
馬で移動する戦闘能力を持っている軍団というのは始皇帝が始めた軍団。
これは後に平氏を破って関東武士団が天下を取るのだが、そのあたり、大宮に住んでいた大王の知恵だったのではないだろうか?
古田武彦という人がいて、その人の本を読んだから武田先生の中では繋がった。
(番組中に古田武彦氏の具体的な著書名に言及がなかったので何の本かは不明)
それは古田武彦、この方が「関東に大王あり」と書いてらっしゃる。
昔々、近畿天皇家が「古事記」「日本書紀」を作った頃に、関東には大変な王様がいて、その人が作ったお墓こそが稲荷山古墳だという。
この本も併せて読んだのだが、はっきりまたこの本にも書いて無くて。
ただ「王権というのがそんなに簡単にまとまったんじゃ無いぜ」という。
そうやって考えるとちょっとワクワクする。

(「古事記はなぜ富士を記述しなかったのか」を読むのを)中途で「やめようかな」と思ったのだが。
読んでよかった
戸矢さん、いろいろ言ってごめんなさいね。
また別に神社の本を読んでいる。
これもまたいつか、皆さんにご紹介できると思ったのだが。
かつての人々が渦巻いていたという、それが日本には神社で残っている。
だから近くのお宮さんをお通りになる時に、昔ここでは大変な何かがあったと思って(柏手を打つ)。
「ダサい埼玉」とか「翔んで埼玉」とか小バカにしているととんでもないこと。
「翔んで埼玉」は大ヒットの映画だと思う水谷譲。
それももしかしたら氷川神社の御利益のお陰かも知れない。
「オイオイ!映画関係者、頭だけ下げとけよ、神様には」
というワケでお送りした今週だった。
実は大宮の病院で生まれているので、ちょっと誇らしい感じになった水谷譲。
因みに福岡には「高宮」というお宮があって、「高いお宮」と書く。
何かありそう。
その高宮のお宮さんのすぐ近くで生まれた人はタモリさん。

2024年6月24日〜7月5日◆富士山(前編)

(本題に入る前に6月4日放送の冒頭で話したカニカマに関する内容に誤りがあった件の謝罪他)

まな板の上に「富士山」が乗っている。
世界の観光地として有名だが、ちょっと迷いながら三枚におろしたのが。
いくつかの体験があるのでまずはそこから入る。
武田先生は静岡のテレビ局に知り合いがいて、一回そのテレビ局に招かれて、静岡の街で遊んだことがある。
地元のお料理を食べに行くと同時に「久能山の東照宮に行かないか」とお誘いを受けた。
もちろんこれは家康のお墓。
「せっかくですから久能山東照宮へ登りましょう」ということで車、ロープウェイで乗り継いで、久能山という小高い山の山頂いっぱいに久能山東照宮があって家康が祀ってある。
なかなか壮大なもの。
これはもちろん日光東照宮と対を成している。
久能山東照宮の神主さんから言われたのだが「この東照宮の正面向いてるこっから真っ直ぐ行きますと、日光東照宮があります。家康の霊を弔う為には直線で二つ、お宮を建てたんですよ」という。
でも衛星から撮影するワケでもないのに「こっち側から真っ直ぐで日光東照宮があります」なんて信じられない。
江戸時代、戦国時代。
「そんな時代にそんな科学的な測量ができるワケない」と思っていたのだが、この本を読んだら「そうではないぞ」と。
戸矢学さんという神社に滅茶苦茶詳しい方で、河出書房新社から出ている「古事記はなぜ富士を記述しなかったのか」。

古事記はなぜ富士を記述しなかったのか: 藤原氏の禁忌



(本の中の傍点部はアンダーラインで表記する)
その説明に入る前にこの戸矢学さんという方が江戸の町の都市設計について語っておられる。
そのことをやるような専門家が昔いた。
「陰陽師」
陰陽師というのはこういうことをやる人。
(祈祷だけではなくて)星を観察しながら東西南北をきちんと計算したり、それから春分の日・秋分の日とかというのは農業に関わることなのでそういう天然現象の調査をやるのが陰陽師で官僚だった。
これは有名な話だが徳川家康についていて陰陽師の知恵を授けたのが天台宗の天海僧正。
彼は家康に仕えて徳川政権を陰陽師、方術で支えたという。
家康の静岡の方の墓所から富士を挟んで一直線に結ぶと日光東照宮になる。
確かそんなふうに書いてあったと思う。
久能山─富士─日光東照宮は全部風水による都市計画。
江戸の町というのはちょっと乱暴な言い方だが、富士山に向かって背中を日光東照宮が守っている。
天台宗の天海僧正が作った都市計画だが、久能山─富士山─日光東照宮の直線状に世良田という村があって、ここで徳川家が誕生した。
誕生した土地、家康が死んだ土地、家康が守られている土地、そして真ん中に江戸の町があって、その直線上を真っ直ぐ伸ばしていくと奇怪な話なのだが、明智光秀のお城がある。

光秀と天海を直結させるという説≠ェあります(19頁)

そういう裏解釈というか信用はできないのだが全部因縁がある所が一直線上に結ばれているという。
江戸の町の作りもそういう陰陽。
武田先生はびっくりしたのだが

 目白と目黒−中略−東京には五色の不動尊が設けられています。−中略−
 目白不動尊、目黒不動尊、目赤不動尊、目青不動尊、目黄不動尊の五色不動です。
(31頁)

目黄は三軒茶屋にある。
天海が四方方向に不動明王を置いた。
そういう摩訶不思議な話から富士山の話が出て来る。
風水、いわゆる方術、こういう考え方が昔からあって、都市計画はこれに則って東西南北を決める。
だから江戸の町を守る為には不動明王が置かれて、その不動明王の目の色が変わった。
(本には「実際に目に色があるわけではなく」と書かれている)
それが目が黒いヤツ、目が白いヤツ、目が青いヤツ、目が黄色いヤツ、そして目赤だったか。
それと江戸城の周り、ぐるり内堀が水を巻いている。

 江戸城を取り囲む堀り割りが螺旋形になっているのが、はっきり見て取れます。(24頁)

蚊取り線香みたいに。

 らせん構造は、その中心へ「気」を導き引き込むための呪術手法です。(28頁)

これも風水。
地形を見ると、どこかの何かからエネルギーが湧いてくるというポイントがあって都市がそのエネルギーを吸い込むように町を作っていくという。

富士山からの気の流れを取り込んで江戸城へ集約収斂させるという手法を、水路の建設という大がかりな土木工事によって実現したものです。(29頁)

それをどう我が町に呼び込むかが都市の繁栄を決定付ける。
日本の考え方だろうけれども。

久能山東照宮から真西に約一〇〇キロメートルのところに岡崎城があります。
 言わずと知れた家康の生誕地です。
−中略−
 岡崎からさらに真西へ約一〇〇キロメートルの地には亀岡市・亀山城があります
−中略−。この城は、もともと明智光秀の居城であったものです。(19頁)

「天海こそ実は生き残った明智光秀ではないか?」というちょっと怪しげな歴史説が出て来たりするが。
この他にも天海の施した風水術は江戸のあちこちに残されていて、風水のエネルギー源としての富士。
そういえば縁起のいい夢は「一富士二鷹三なすび」。
「富士山」というのはエネルギーの元だったので家康がとことん愛したという。
やはり今でもそうだが富士は世界遺産になっている。
でもこれは富士山の自然が世界遺産になったのではなくて信仰の対象。
富士山信仰。
「『山そのものを拝む』というのは文化としても凄いんじゃ無ぇの?」という
この富士山に関する信仰というのは縄文時代からあったのではないだろうか?と。
富士は神の化身であって

古神道は−中略−自然崇拝が本質です。
 自然なるものすべてに神の遍在を観るもので、山も海も川も神であり、太陽も月も北極星も神です。風も雷も神であり、季節も時間も神です。
(44頁)

ここからちょっと話がややこしいのだが、日本の神道の中には神様の条件がある。

「かんなび」は神奈備、甘南備、神名火、賀武奈備などとも書きます。−中略−神隠の意味で、神の居る山、すなわち神体山として崇敬、信仰されるものをそう呼びます。
 富士山に代表される左右対称の独立峰が多いのですが
(45頁)

「ひもろぎ」は、神籬、霊諸木などとも書きます。
 神の依り代たる森や樹木をそう呼びます。
−中略−森、または疑似森で、神の住まう場所、降臨する場所、神々の集いたまえる場所のことです。(45〜46頁)

「いわくら」は、磐座、岩倉、岩鞍などとも書きます。−中略−巨石のことで、それ自体が神の依り代です。(47頁)

その石のところに陽が一日カーッと強く当たったりなんかする。
日本中の都市は全部これで出来ている。
人間が住んでいる町は「かんなび」、山がすぐ近くにある。
その山こそは信仰の対象になる山で、関東方面はもちろん富士山が圧倒的だが、その他に福岡には宝満山という山がある。
「宝が満ちている」という。
その宝満山に登る入り口の神社が竈門(かまど)神社。
これが「鬼滅の刃」の炭治郎が生まれたところではないかと、そういう説もあるという。
神話が出て来る。
奈良といえば三輪山とか、京都は比叡山。
あれは北東にあるので魔が入って来る方角に神社を建てた。
京都の駅は陽が通るように真ん中をくりぬいている。
あれは凄いと思う水谷譲。
気というのは龍と同じで蛇の形をしているので「流れを作っておかないとダメですよ」という。
龍は入って来る。
これがエネルギーなのだが、これが溜まっては災いを成す。
ではどうするかというと水を飲ませて帰す。
それが京都の池。
大沢の池とか池にある。
だから比叡山から入って来た龍が街に降りてきて水を飲んで帰ってゆくという。
東北には白山がある。
鳥取には大山。
東北地方には岩木山。
お岩木山(岩木山神社)があったりして。
山というのはとにかく信仰の対象で神のいる場所。
「ひもろぎ」というのは神の依り代で、神がそれを伝って降りて来る。
だから御柱を立てたり。
これが縄文から続く日本人の宗教観の中に沁み込んでくる。

陰陽道。
或いは中国では「方術」と言ったりする。
これは東西南北を四匹の動物に例えて説明している。

▼青龍=神籬──神籬は、清流が走る蒼々たる豊かな森。だから清流である。
▼朱雀=靈──靈は、赤く照り輝く陽光。だから朱雀である。
▼白虎=磐座──磐座は、力強く白き岩山。だから白虎である。
▼玄武=神奈備──神奈備は、玄き武き山、だから玄武である。さらにその真上の玄き空に武き輝きを放つ北極星である。
(48頁)

この四つの神の化身を東西南北に当てて都市計画をしたというのが陰陽道。
これは今でも生きていて、お相撲。
「赤総下」とか「青総下」とか。総が下がっている。
あれが陰陽道。
真ん中中心に穴っぽこが空いていて、土俵の真ん中に埋まっている。
相撲の勝負を動かしているのは実は陰陽道によるエネルギーの交わり。
これを昔の人は例えて運命を占ったのがお相撲。
昔はみんな、お相撲のスポンサーは神社だったというから。
奉納相撲だから。
今でも横綱になると神社に行って・・・
こうやって見ると東西南北、これが都市計画を決定したという。
これは「科学的に見てもそんなに大外れではないな」というのがあって・・・

ここから富士山の話に持っていこうかなと思うのだが、富士山て何でこんなに尊いのか?霊山になったのか?
もの凄い長い歴史がある。
これはジオ(geo)で語れば非常にわかりやすいのだが、日本のいわゆる伊豆半島の付け根あたりぐらいからまっすぐ新潟方面に抜ける道にフォッサマグナという、断絶した中央構造体がある。
これは日本のど真ん中に1000kmに渡って大地のズレがある。
これは遠い昔、一億年前のこと、アジア大陸の一部だった島が二つ日本の方角に流れ着いた。
真ん中は穴が空いていた。
何とこの真ん中は凄いことに6000mの溝だった。
富士山が二つ入る程の深い溝があった。
これがくっついた。
だから電車で松本まで行けるようになった。
両側から土砂が流れ込むのと下に流れているマグマの関係で、その空いた溝の所に点々と活火山があって爆発し続ける。
そうしたら6000mを埋めてしまった。
それは本当。
ジオの話だから。
その埋められた溝には火山がずらりと並んで、この火山帯の噴火でその溝を埋める土を吹き出し続けた。
この日本の東西を繋いだ溝、フォッサマグナの繋ぐ原動力になったのが恐らく富士山の噴火ではなかろうか?という。
もの凄い勢いで噴火した。
それぐらい大地を吐き出して日本を繋いだ。
それが富士山だ。
この頭から火を吐いて、土をばらまいて地面をゆっくり広げてゆくという、そういう山のことを縄文人は「アサマ」と呼んだらしい。

浅間あさま」は火山の古語です。−中略−九州の阿蘇も語源は浅間であろうとされますが(49頁)

「アソ」は火山の代名詞となりました。
 音韻転訛の成り行きから考えて、おろらく「アソ+ヤマ」→「アソヤマ」→「アサマ」となったものでしょう。そして「アサマ」は「火山」の代名詞となりました。
(80頁)

富士山は一番デカい「アサマ」。
形も綺麗だし。
それで縄文の頃から信仰の対象だった。
ところが、問題はここから。
縄文時代からの信仰の対象である富士山を「古事記」と「日本書紀」は一行も書いていない。
それを戸矢さんが「不思議ではないか」とおっしゃっている。

本題の富士山に入った。
これは神としての富士山なので、その点、心にとめてお聞きくださいませ。
神の山として有名な「富士山本宮浅間(せんげん)大社」。
ご神体である富士山。
宿る神はコノハナサクヤヒメ。

コノハナサクヤヒメは日本神話の中で、はっきりと「美人」「美女」であるとして記されています。−中略−
 天孫ニニギは降臨した際に、日向でコノハナサクヤヒメと出会って求婚します。
(72頁)

 コノハナサクヤヒメが浅間神社の祭神とされるのは『竹取物語』以後ということです。
『竹取物語』が成立したのは早くても九世紀前半頃とされていますので、コノハナサクヤヒメが祭神とされたのもそれ以降ということになります。
(73頁)

 ここで祀られてきたのは浅間大神あさまのおおかみです。−中略−
 これこそが富士山の神です。
(74頁)

(コノハナサクヤヒメ以前に祀られてきた神は)男性になっている。
女性ではない。
縄文の頃からこれほど巨大な山様だから「古事記」「日本書紀」に書かれて当然だが、天皇の系譜は「古事記」、天皇の出来事は「日本書紀」のテーマということで書いてあるのだが

 富士山は、実は『古事記』にも『日本書紀』にも、まったく出てきません。(1頁)

公式の史書に初めて「富士山」が登場するのは『続日本紀』(七九七年成立)の天応元年(七八一)の条です。
『日本書紀』成立(七二〇年)から七十七年経っています。
(4頁)

「この七十何年というのは何だったんだろうか?」という。
これが戸矢さんの謎。
遠い昔の77年、どうでもいいような気もするが。
あれ程の山をなぜ書かなかったのか?
ここに戸矢さんという著者が凄い疑問を持ったということ。
そしてもう一つ私達が覚えておかなければならないのは、私達が今、思っている富士山と西暦700年代の富士山はちょっと違う。

「記・紀」と同時代の貴重な古文献である『万葉集』−中略−は、山部赤人の「不盡山を望む歌」を録しています。−中略−
駿河有布士能高嶺乎 天原振放見者 度日之 陰毛隠比 照月乃 光毛不見 白雲母 伊去波伐加利 時自久曾 雪者落家留 語告 言継将徃 不盡能高嶺者
(133〜134頁)

今のイメージの富士山な感じがする水谷譲。
700年代の富士の姿を現代語に置き換える。
「富士山のてっぺん見て見ろよ。太陽も月も見えやしないよ。雲がかかっており、雪が降り続けているんだ」
「雪は降りける」
雪が降っているのが下から見える。

「太陽の光も隠れ、照り輝く月の光も見えず」
 というのは、富士山の噴煙がそれほどにすさまじいという意味です。
(134頁)

噴火している。
噴煙を上げている。
雲がかかって。
しかも時々白いのがパラパラパラと落ちてくる。
噴煙の粒が中腹ぐらいまで降りかかってくる。
それをあえて「雪が降りける」と。
雪ではなくて噴煙。
だからどう考えても天平の時代、奈良・天平の世は山頂から噴煙を富士山は上げていた。
それでその頃から「フジ」というニックネームが付く。
それは裾野が美しいので「布を広げたみたいだ」というので「布士」。
或いは高いものだから「尽きることがない」という。
そんなことで「不尽」とかという漢字を当ててそう呼び始めた。
「アサマフジ」というような呼び方で。
それほと巨大なフジは噴煙を上げているのだが「歴史書である『古事記』と『日本書紀』は富士山について書いてもよかったんじゃないの?」という。
これは戸矢さんが疑問を持ったというのが面白い。
ズバリ言うと富士山を記録することを避けた。
「何でそんなことしたんだ?」という。
例の藤原氏、中臣鎌足(番組では「ナカオミ」と言っているようだが「ナカトミ」)から藤原氏は興るのだが、大化の改新で天皇家の中大兄皇子の腹心として活躍し、ライバルの蘇我氏を暗殺し、天皇家への影響力をどんどん高めていった。
これは藤原氏というのは凄く面白くて武力ではない。
結婚で天皇系にまつわりついていく。
娘が生まれたら天皇の嫁にして、その生まれた皇太子に対しては爺ちゃんポジションをとるという権力の握り方をする。
藤原氏に盾突ける豪族はいなかった。
鎌足の倅が有名な藤原不比等。
これは歴史で習った。
不比等なんて凄い。
「並べるヤツが他にはいないぜ」という、そういう名前だから、横着な名前を付けているが。
このあたりから「古事記」「日本書紀」を作る時に富士山を嫌ったのか?
富士山の謎に迫る。

藤原鎌足は娘を産んでおいて、天皇家に嫁がせて孫の爺さんとして天皇家を乗っ取るという、そんな面倒臭いことをしないで天皇を殺しちゃって自分がなればいい。
そう簡単には殺せないと思う水谷譲。
何で殺せなかったのか?
何かあった。
そうしか言いようがないが、天皇家には中国みたいに皇帝を打倒し、殺して天下を取るというのが無い。
天皇家に何かあった。
藤原氏は皇太子の家の横に自分ちを作っていたようだ。
つまり孫んちの隣に自分ちを作って、孫を連れて天皇のいるところに行くものだから天皇も頭を下げてしまう。
爺ちゃんだから。
そういう回りくどいことをなぜやったかというと、結構早い時期だが「この人は天皇家になれない血統ですよ」という辞書を持っていた。

血統証明書≠ニして作成されるのが『新撰姓氏録』−中略−です。(114頁)

とにかく「この姓、この氏、これは天皇家の血統ではありません」「この人達はどこからか来た人です」と書いてある。
そういうのを一冊持っていたものだから、どう足掻いても天皇にはなれないということはこの新撰姓氏録に記録してあるので。
天皇にまつわりついても天皇そのものには藤原氏はなれなかったという。

 不比等の父・中臣鎌足が生まれた中臣氏は、鹿島の社家の出自と現在では判明していますが(113頁)

この鹿島神宮がいわゆる古里の神社。
鹿島は茨城。
ここから鹿に乗って奈良まで飛んでいった。
だから(奈良では)鹿を飼っている。
そういう神話を勝手に作った。
それで何で富士山を消すのかという。
しかも短い。
「77年間富士を消した」というのは戸矢さんが問題にするほど武田先生は問題にならなかった。
それで、戸矢さんすいません。
「(この本を読むのは)やめようかな」「あんまりいい『(今朝の)三枚おろし』に、なら無ぇな」と思って。
武田先生はここまでは面白く読めたのだが、77年間富士山を消したことが藤原氏にとって何かそうとても重大なこととは思えなかった。
それで「この本、どうしようかな」と思ったら、突然、武田先生のスタッフのサカイ君が「何で消したんですか」。
「いやぁ、オマエ興味あんの?でもたった77年・・・」
「いや、何かあったから消したんでしょうね。よっぽど富士山が嫌いだったのか、富士山嫌う理由がその藤原不比等っていう人にはあったんじゃないんですかねぇ。本には何と書いてありました?」
「いや、捨てたんだ」
戸矢さんすいません。
「捨てた」と悪い意味ではなくて、別の本棚に移しちゃったということ。
別の本を読んでいた。
だがサカイが言うものだから、「そんなに気になるかなぁ」と思って。
ここまで言われたら気になるので言っていただかないとと思う水谷譲。
皆さん、本と付き合うことの難しさ。
それでサカイがしきりに「何で書かないんスかねぇ?『古事記』ともあろうもんが」とかと「古事記」の意味もよくわからないヤツが・・・
その時にフッと「このテーマは何か惹きつけるんだなぁ。こういう世代にも」。
それでまたもう一回倉庫から取り出して読み始めた。
本との出会いというのは面白いもので、丁度読み出したところから面白くなった。
よかった。
危なかった。
ここからはまことに申し訳ない。
戸矢さんの学説を武田先生がわかりやすく説明する。
武田先生がわかりやすく説明した分、武田先生の意見が入っているので、まるまる戸矢さんだとは思わないでください。
戸矢さんは大変な学者さんなので、そこだけは。
はっきり言って戸矢さん、書く順番が悪い。
それで急に面白くなり出したところに置いてあった物語が「かぐや姫」。
これは「かぐや姫」をまず置かなければ。
「かぐや姫」の方がとっつきやすい。

『竹取物語』は、日本最古の物語として有名ですが(89頁)

(最古は)「源氏物語」ではない。
このかぐや姫の中には何とテーマにしている「富士山」が出て来る。
竹から生まれたかぐや姫。
五人の貴公子に向かって無理難題をふっかける。

『竹取物語』で、かぐや姫に求婚する五人の貴公子が登場しますが、その一人である「庫持皇子」は不比等がモデルとされています。(118頁)

では藤原不比等、庫持皇子(くらもちのみこ)が探しに行ったのは何か?というところから・・・
ここから急に面白くなった。



2024年09月04日

2024年6月10〜21日◆街場の米中論(後編)

これの続きです。

「街場の米中論」
いよいよ今週からは中国の方に入ろうかなというふうに思う。
内田先生の「街場の米中論」。
東洋経済新報社から出ていて9章から成る。
245ページの本だがアメリカに費やしたページ数が177ページ。
中国は9章あるうちの1章のみで僅か44ページ。
これはちょっと不公平ではないかとは思うが、そこはそれ内田先生。
そんな不公平を敢えてなさるワケがない。
公平に扱ってもその枚数で収まるところに中国の特徴がある。
建国以来の歴史年数はアメリカが231年、中国75年。
(中国は)武田先生と同じ年。
それが中華人民共和国。
もちろん中国という国は歴史が四千年もあるワケだが、それは中華人民共和国とは違い秦・漢・元・明とか、そういうもの。
たくさんあり過ぎる。
もう思い出せないぐらい。
だから中華人民共和国に関しては、はっきり言って75年しか無い。
アメリカというのは、色紙で鶴を折る。
それを広げてまた一枚の紙に戻しても最初の折り方で鶴を折るという。
ではこの喩え通り中国を色紙、折り紙に喩える。
するとどういう形になるか?
元に戻すこともあるだろう。
時々広げて使わなければいけない時もある。
これは二つに折るだけ。
これが中華人民共和国という折り紙。
簡単。
だから内田先生は44ページで説明なさったのではないか。
その折り紙の中身を見てみましょう。
中華人民共和国というその二つに折った折り紙だが

9割は漢民族ですが、モンゴル族(600万人)、チベット族(550万人)、ウイグル族(1350万人)、満州族(10000万人)、朝鮮族(180万人)、チワン族(1600万人)、回族(1000万人)など55の少数民族がいます。(180頁)

 いまの中国は人口14億人を超えています。(180頁)

 中国における統治モデルは「華夷秩序」です。世界の中心に中華皇帝がいて、そこから「王化の光」が同心円的に放出されている。(181頁)

今でいう北京。
その中華人民共和国の周りに国があるのだが、そこに世界はひれ伏すという。

 中国では王朝の交代は繰り返し行われました。−中略−天子の徳がなくなれば、天命により別姓の天子が代わる。(182頁)

これを四千年繰り返している。
今は中国共産党。
ズバリ言うと習近平。
「習」という名前なのだろう。
「秦」の次は「習」。
一時期「毛」というのがあったのだが、今は「習」さんが皇帝であるという。
中国は王朝成立と王朝が滅びる、これが同じパターンで繰り返されているからとてもわかりやすい。
だから44ページで収まってしまうという。

 中国史ではこのパターンが何度も繰り返されてきました。扮装と舞台装置が変わるだけで、−中略−同一です。(182頁)

いい喩えだと思う水谷譲。
「折り鶴」の次に「山」。
今もそう。
私達は中国という国をどうしても肌で感じることができないのだが、中国が一番警戒しているのは何かというとこの統制、上からの圧力をかけて民を縛るということ。
それが緩むとダメだと。
それから農民、これを生活苦に追い込むと反乱を起こしやすい。
それから流民、戸籍を失った人が国中を流れ歩くとこれが蜂起に繋がって革命が起きる。
これを注意しているという。

 中国では農村と都市で戸籍が分かれており、農村から都市への移動は厳しく制限されています。(183頁)

だから武田先生が福岡県、地方、農村に住んでいる人間だとする。
東京へ来る。
そうすると東京の病院には行けない。
福岡県に帰らないとダメ。
それから帰る時もちゃんと東京の世田谷区に願い出て「福岡に帰ります」と言って許可を貰わないと帰れない。
不自由。
それでも農村で喰えない人は都市部にいるわけだが、扱いは農村労働者ということで買い叩かれる。
習近平主席が都市部、例えば上海なら上海、北京なら北京、香港なら香港で「オリンピックやるぞ」「万博やるぞ」国際的な大事業をやろう」と言うと安い労働力が欲しいのでこの人達は便利に使われる。
そこで上手く乗って大金持ちになる人もいる。
これが「チャイニーズドリーム」「中国の夢」。

「農民工」とは農村部から都市部に出稼ぎのために出て来た人たちのことです。−中略−農民工は2億8171万人。人口の5人に1人が農民工という計算になります。(183頁)

とにかく14億の民がいて3億近くが労働力として都市部に住み着いている。
今、仕事が無くなって大変なようだ。
だから農村部と都市部ではもう生活の格差が酷い。
農業地帯からの労働者。
彼等は年収が約二千元。
三万二千円。
上海でデカいイベントをやる。
そうなると習近平が「こことここ、道路を造れ」と言う。
土地の権利は市民にはないから。
全部中国共産党のものだから。
習近平さんが「ここ」と言うと全部立ち退き。
その時にウヮーっと労働者が必要になって、それで金持ちになったという農民工、最下層の労働者の方もいる。
だからもうみんな、習近平さんの顔色を見ている。
人口増加、これが資本主義にとても有利で、中国は大いに儲かったのだが、これが2015年ぐらいから人口が減り始めた。
(本によると減ったのは人口ではなく生産年齢人口)
しかももう一つの問題は

65歳以上の高齢者人口は2040年までに3億2500万人に増加。(188頁)

繰り返す。
2040年までに老人が三億。
これはデカい。
一人っ子政策の失敗部分かと思う水谷譲。
何の失敗かはわからない。
日本に住んでらっしゃる中国人の方々の中華街で暮らしぶりなんか見ると一家の家族の塊が凄くしっかりしている。
中華料理店とか。
それは「一人目の息子は店を継がせたけど、二人目は〇〇大学にやっております」とかと言って、家族の結集をもの凄く大事にする。
ご本家の中国でこれが無い。
(水谷譲が)「え?」と言うのは当然。

 中国では伝統的に個人の経済リスクは親族ネットワークがセーフティネットとして機能してきましたが、都市部で暮らす若者の中には「2世代続けての一人っ子」がいます。彼らは兄弟姉妹もいないし、おじおばもいとこもいません。(189頁)

ちょっと汚い言い方になるが、(武田先生には)姪とか甥は山ほどいる。
何かみんな集めると頼もしい。
福岡に帰った時に姪の子供、「大姪」というのか知らないが、姪が生んだ子。
(調べてみたが「姪孫(てっそん)」「又姪(まためい)」あたりらしい)
それから兄の子達。
それから甥がそれぞれ子供を産んでいる。
それを集めて飯を喰わせるのだが、その時に「鉄矢おじさま」と呼ばれている。
ウチの広がりを感じて。
自分が一人っ子なので、子供は水谷譲側のおじ・おば・いとこがいないので可哀想だなと思う水谷譲。
中国は水谷譲みたいな子ばっかり。
おじ・おばがいない。
甥・姪がいない。
13億、14億いる中で7億ぐらいは親戚がいないというのは凄い。
申し訳ない。
武田先生は上手いこと水谷譲に答えられなかった。
「それは一人っ子政策のせいですか?」とかと訊かれた時に打てば響くように答えられなかった。
それはなぜか?
その例が世界史にない。
国というものがあったらあるパターンが「どこかに似ている」とか「〇〇時代に似ている」とか言えるのだが、七億の人間がいて、親戚がいない中国人というのは歴史の中にもない。
中国は「さあ、どうする?」。
どこにも手本がない。
これは、もの凄く辛いことだと思う。
権力者という人達はみんなそうだが「何かいいモデルはないか」と考える。
トランプさんが考えたのはアメリカ独立戦争の時。
戦争をイギリスとやるやらないでアメリカが分断された。
「やるヤツだけ集まりゃあいいんだ」という。
それがトランプさん。
初期に返る。
最初の折り紙に。
習さんは折り紙に返るしかない。
最初に中国を山折りにした人。
その人に習うこと。
それは誰か?
毛沢東。
毛沢東さんに還る。
僅か75年前。
その毛沢東のマネをすることが、習さんの「多分救うんじゃないかな」と思われる方法がそこにはある。
とにかく一番大事なのは毛沢東さんもそうだったが中国共産党を守ること。
その為には裏切者は許さない。
とにかく一番国の大事なところは全部、中国共産党で占めてしまう。
これが中国。
わかりやすい。
75年続いている中華人民共和国。
そのトップに今、立っておられる習近平さん。
中国で一番大事なのは中国共産党。
これを守ること。
とにかく中国共産党。
これが習近平さんの夢、中国の夢。
それ故に裏切者は許さない。
これが中国共産党のまとまり。
そして大事な仕事は全部中国共産党の党員の人。
製造業、金融、建設、共産党幹部が社長の条件。
TikTokとかある。
この人達は中国共産党員ではないと思うが。
でも「言うことを訊かないとどんな目に遭わせるかわかんないぞ」という
ビシッと全員、中国共産党の息がかかっているという。
ただ、ちょっとよそ見をするとすぐ賄賂とかを貰ってしまう。
(日本の)自由民主党の方も聞いてください。
組織腐敗が非常に起こりやすい中国。
それ故に厳罰が下る。

 かつて重慶で「独立王国」を築いてのちに失脚した薄熙来という人がいたことをご記憶でしょうか。−中略−外資導入で驚異的な経済成長を成し遂げ(193頁)

薄熙来自身の共産党員としての月給は1万元(当時のレートで13万円)でしたが、逮捕後に判明した薄一族の不正蓄財は60億ドルに達していました。(194頁)

それを黙ってポッケに入れちゃったという。
習近平は彼を逮捕して投獄したという。
この人は今、刑務所に入っておられる。
凄かった。
スラッとした方で身長が高い。
1m80(cm)ぐらいあるスマートな人。
逮捕する時にお巡りさんで2m級を用意したという。
少しでも低く見せる為に。
そこまで習さんというのは演出にこだわる人。
小さい男が引きずり回されているというみっともなさ。
それでこの薄熙来さんを刑務所に放り込んだという。
自民党の方に申し上げたい。
4800億。
「15万とかやめて」という。
せこい。
規模が小さすぎる。
みっともない。

国家というものは三つの要素から国民を鼓舞する。
国家は「中国人でよかった」と満足させなければならない。

フランス革命の標語は「自由−中略−」と「平等−中略−」の他にもう一つ「友愛−中略−」という第三の原理を掲げていたことです。(236頁)

これが国民国家の原動力になったワケだが、なかなか三つは揃わない。
自由・平等・博愛。
国旗にそう刻んだものの、この三つ揃えるというのはもう本当に麻雀の何とかというのと同じぐらい揃わないという。
アメリカはどうか。
これはもう最初に挙げたのだが言った通り。
「自由」は何とかなるのだが「平等」が上手くいかない。
稼ぐヤツの所に自由がいっぱいいって「稼げないヤツは不平等に泣いてもらうしかないよなぁ」という。
では中国はどうか?
毛沢東のあの建国以来、中華人民共和国。
これは同士全て平等
だから平等を実現して中華人民共和国は生まれた。
ただし大事なこと。
習近平の元の平等にする為には自由を認めてはいけない。
自由になろうとすると「その国まで追いかけていって拉致するぞ」みたいな。
中国の方で日本で教育関係に携わっている方が姿を消したりなんかする。
自由は許さない。
習近平の元の平等という。
これは毛沢東が始めたことだが、毛沢東がいろいろ功罪共々ある方なのだが、この人が中国共産党の共産党軍を作った時の軍規、軍の法律を作っている。
この人は農民に対しては平等・博愛。
もの凄く農民を大事にした。
これは習さんも早く見習った方がいい。
これは中国の軍隊の法律の中に書いてある。

(1)人家を離れる時には、すべての戸をもとどおりにすること
(2)自分の寝た藁筵は巻いてかえすこと
(3)人民に対して礼儀を厚くし、丁寧にし、できるだけ彼らを助けること
(4)借りたものはすべて返却すること
(5)こわしたものはすべて弁償すること
(6)農民とのすべての取引にあたって誠実であること
(7)買ったものにはすべて代金を払うこと
(8)衛生を重んじ、特に便所を建てる場合には人家から十分な距離を離すこと
(213〜214頁)

 第1項の「戸を返す」というのは、当時、中国の民家の戸は簡単に外せるので、夜の間それを引き剥がして即席のベッドに使うことが兵士の間でよく行われていたからです。(214頁)

この貧しさを平等に農民と分かち合ったこの友愛から共産党政権というのは農民によって支えられるワケで。

ちょっと断定的な言い方になるが、これは(内田氏の)ご本というよりも武田先生がそう直感しているからで。
習近平さんに残された道は毛沢東になるしかない。
折り紙をやる時にペタッと二つに折って「山」という、そういう折り方の国家だから、それがペターッと広がってきたらもう一回一つ折りの山を作るしかない。
習近平さんが今展開しているのは「友愛」。
これは毛沢東が専門にした。
毛沢東もそうだが習近平さんは当然の如く許さないのが「自由」。
自由だけは与えられないという。
これは平等を与えられないトランプさんも同様で、トランプさんも平等を与えてしまうと彼を支持する人がいなくなってしまう。
全部が両立するということは難しいと思う水谷譲。
武田先生は「折り紙の喩え」はよくできたなと思う。
鶴さえ折れたら何枚でも色紙が貰えるアメリカ。
(中国は)とにかく二つ折りにするしかない毛沢東の折り方で折っていくしか、13億、14億をまとめるにはそれしかないんだな、という習近平さん。
ではロシアはどうか?
これは武田先生が内田先生の本を読みながら作った言葉だが。
ロシア、プーチンという方が今、支配しておられる。
ヨーロッパ、フランスあたりがしきりに胸を張る「自由・平等・博愛」。
これは一つも揃えないのがプーチン。
彼は自由も平等も博愛も認めない。
彼が民を従えるのは「監視・特権・暗殺」と言ってもいいのではないか?
それがロシアを一つにまとめる力だと彼は信じている。
そうやって考えてみると秋口に大統領になるかも知れないトランプさん。
バイデンさんになるかも知れないがいずれにしろ。
それから中国、習近平さんの毛沢東還り。
それと「監視・特権・暗殺」、この三つを生かしてロシアをまとめようとなさるプーチンさんという。

長いことかかって水谷譲をお待たせした。
これが「滅びのスパンに入っているんじゃ無ぇの?国民国家は」という。
その内田先生の発言になるワケで。
17世紀、フランス革命で立ち起こった国民国家という理想は4世紀を経て未だ「自由・平等・博愛」、これが実現できていない。
どこでもそうだが国家というのは国民を兵士にして世界のあっちこっちで大戦を起こしている。
戦争の火種を国民国家がばらまいているではないか?という。
今、世界中の人達が何を考えているか?
それは「人間をまとめる方法としての折り紙の折り方は一体何だ?」。
その模索が始まったのではないかな?という。
ここ。
今日もここ(文化放送)に来る途中、そういう集団(インバウンド)を事務所の社長と目撃したのだが、道路脇にたたずんで中華系の方々が道端で写真を撮ってらっしゃる。
「何が珍しくて道路の脇に立って写真を撮っているのかな?」
東京タワーを撮ってらっしゃる。
あれが面白いのだろう。
ここまできてフッと思ったのは、中華系だけではない。
外国から旅人がやってきているというのは若しかしたら・・・
ここは武田説。
申し訳ありません内田先生。
内田先生は非常に今の日本を不安がっておられる。
武田先生は内田先生の本を読みながら「国民国家というのは戦争ばっかりやってダメだから違う折り方無ぇのかな」と「そのモデル探しが日本旅行じゃないか?」。
そういう気がして仕方がない。
日本はモデルになるのか?と疑問に思う水谷譲。
問題はそれ。
内田先生もご本はそんなふうにおっしゃっている。
だが「人が集まるということは、何だろう?日本の何かが今度人間をまとめる為の重大な要素をどこかに持っているから、日本はたくさんの旅行客がやってくるような国になっちゃったのかな?」と思ったりなんかしている。
日本がモデルになっているというのは悪いことではないと思う水谷譲。
武田先生の飛躍かも知れない。
だが日本という国を振り返ろう。
日本は国民国家を坂本龍馬が活躍した明治維新を通して作った。
それでそれはそれなりに明治の国民国家というのはまとまりがあった。
何せ世界の超大国、清国とロシアに勝っているのだから。
それで大人しくしておけばいいものをアホタレが。
海を挟んで次の相手はアメリカだと言って、そこから・・・
その後日本はバラバラになったのだが、そんな日本が民を治める要素があろうハズがないのだがちょっとクールに。

日本が一番気になる水谷譲。
言っておくが、今日で結論が出ないかも知れない。
「(今朝の)三枚おろし」が続く限り、日本というのをどこかでテーマにしたい。
内田先生はお取り上げになっていないのだが、この間も体験としてあったのだが、世田谷に豪徳寺というお寺さんがあって猫が人を招いたというので「招き猫の発祥の地」と言われる凄い・・・
とにかく土日にかけて数千人単位で異国の人が。
それもヨーロッパ系の方、中華系の方ももちろんいらっしゃるのだが。
そこをこの間、電車に乗ってちょっと覗きに行ったりした。
それで凄く面白い体験が一個だけあって、その豪徳寺に近い駅でのことだが、ヨーロッパから来た4人の旅行客の方がクスクス笑いながら武田先生の方を見ている。
武田先生がどうのこうのではなくて、彼等は日本に来てカルチャーショックを受けたらしくて、そのカルチャーショックを「ちょっとみんなで試してみようや」という。
その4人の異国から来た若者が武田先生とすれ違う時、一斉にバウ、お辞儀する。
武田先生はお辞儀した。
本能。
彼等がもの凄い笑顔で手を叩いて笑っている。
つまり日本人がしきりにバウする、お辞儀をするというのが彼等にとっては凄く奇妙な習慣で、でも悪い習慣ではない。
それが楽しいらしい。
それからちょっと親戚の子がYouTubeで見せてくれたのだが、どこかのヨーロッパのジムがあってバーベルとかを上げているのだが、そのバーベルを動かす手が全員止まっている。
それでその体を鍛えるスタジオの隅っこにある大画面の絵をみんな喰い入るように見ている。
何が映っている?
「ドラゴンボール」が映っている。
親戚の子が教えてくれたのだが、悟空がスーパーサイヤ人になるという。
彼等は何か凄く盛り上がるらしい。
武田先生はよくわからないが、それをみんな喰い入るように見ている。
「ドラゴンボールZ」にもの凄く魅せられている。
そういう日本の惹きつけるものがあるからこそ、彼等は小さな猫寺にやってきたり、それからハチ公と一緒に写真を撮ったり。
それからスカイツリーではダメ、東京と一目でわかる東京タワー。
そこに行きたがる。
それは何事かを探しに来ている。
Looking for Japanese.
日本を探している
富士山でも凄い。
富士山が見える角度というのをコンビニエンスの向こうに綺麗に富士山が見えるところで数百人が写真を撮って。
「コンビニの上に富士山」外国人に人気のスポットに黒幕…「ちょっとさみしい」「良い対策」 : 読売新聞
「あれは何だ?」ということ。
つまり日本が元々持っている「伝統美」というものが、もしかして次の人をまとめる基準、折り紙になるのではないか?
では日本の伝統美で人々をまとめるもの、それは言葉で言えば何だ?
平安時代から営々と続いた日本人の伝統美に関する条件は何だ?
「もののあわれ」
直訳すれば「可愛そうなものが美しい」。
だから桜の価値観はどこにあるかというと風と一緒に散っていくと美しい。
では「あわれ」とは何かというと「かわいそう」。
「かわいそうな」という感情から生まれた言葉が「かわいい」。
ズバリ言うと可愛いものは可哀想じゃないとダメ。
「あわれ」「可哀想なもの」が美しいんだ。
ここに国民国家が主導した「強いもの」が「醜い」。
そして平安時代が見つけた伝統美が「あわれ」だったらば、鎌倉が見つけたよく似た響きの言葉は何だ?
平安が「もののあわれ」だったら「あっぱれ」。
「あっぱれ」は鎌倉時代。
平安の貴族は桜が散っていくところを「あわれ」「美しい」と言った。
鎌倉武士団は何かというと「あっぱれ」。
異国の人、彼等が探しているのは「あわれ」と「あっぱれ」。
「あわれ」「あっぱれ」なものはアメリカにも中国にもない。
これがインバウンドが増えている武田流の解釈なのだが、内田先生の論文を借りて、米中だけでは飽き足らず、最後は日本になってしまったが。
鉄矢論はなかなかよろしいと思う水谷譲。


2024年6月10〜21日◆街場の米中論(前編)

いささか硬いタイトルで申し訳ございません。
ただ、こんなのもやってみたいなと思って繰り広げるワケで。
もちろん仕込みネタがあって、尊敬するフランス哲学と合気道をやっておられる内田樹先生の「街場シリーズ」。
「街場の米中論」

街場の米中論



(本の中の傍点部はアンダーラインで表記する)
アメリカと中国、それについて語ろうと。
東洋経済新報社から出ている。
水谷譲に言いかけて水谷譲から一発で足蹴りされたのだが、この本を読んだ時の思いをポツンとラジオで言ったのだが言い方が悪かったので。
「国家っていう時代が終わりつつあるんじゃないか?」
もちろん水谷譲が言っている方が正しくて。
(水谷譲は)「国家が無くなったら国民がいなくなっちゃいますよ。ワケわかんなくなります」
長い前段があって。
武田先生は上手く答えられなかったのでずっと引っかかっていた。
「人にワケのわかんないこと言った」という記憶はきちんとある。
武田先生がその時に水谷譲に言いかけたのは、夕方のニュース番組とか日曜日の「一週間の出来事を」なんていう、そういうニュース番組のラジオ・テレビがあるが「少し捉え方がおかしいんじゃ無ぇか?」というのがある。
愚痴っぽくなるが。
そのニュースが流れる度に「もういいよ」と思わず自分で。
これはテレビだが、ニュースで思わず言った。
円安で成田空港で訊いている。
これから海外旅行をする人にとって円安、円の値打ちが落ちて海外に行くワケで、それは困るワケで。
でも「円安」というのは国内の出来事なので「わざわざ成田に行って訊かないでナントカ不動尊とかに行って訊いた方がいいんじゃ無ぇか」という。
経済学者で頭のいい人が「日本はアジアの最低国になった」と罵っておられる方も。
こっちはよくわからないから「日本っていうのは最低なんだ」という。
インバウンドのお客はいっぱい来て。
「それは安いから来てるんだよ」
今は海外から来た人は二千円ぐらいの丼ランチとか「安いです。美味しいです」、我々からしたら「いや、高い高い!」と思う水谷譲。
でもよく考えてみたらインバウンドの人がお客として、その二千円の定食を喰ってくれればレストランの人は美味しい。
「円」というものを考える時に儲かっているところと儲かっていないところがある、と。
もう一つ。
とあるお医者さんが「バカヤロー」と言って本の中で怒鳴っておられたが「年寄りのツラ見りゃあ免許返上しろ返上しろって言う。どこで訊いてるんだ?お婆ちゃんの原宿って言われるあそこに行って『免許返上しませんか?』って訊いてる。おいおいおいおい!待て!おんなじ質問を『ポツンと一軒家』の人にしてみろよ」。
つまり人の意見を訊くというのはそういうところで。
どこで訊くかということ。
ほんのちよっと訊く場所を変えると物の見方が変わってくるという。
水谷譲に武田先生が言いかけたのは内田先生が「街場の米中論」の中で

現実のうちには「太古から存在するもの」、「数百年前から存在するもの」、「ごく最近になって登場したもの」などが混在しています。それらは区別しなければいけません。−中略−「太古から存在したもの」はたぶんこのあとも人類が存在する限り存在すると思います。「数世紀前に登場したもの」は数世紀後には存在しなくなるかも知れない。「ちょっと前に登場したもの」は10年後にはもう誰もその名前さえ覚えていないかも知れない。(17〜18頁)

そういう「問題と時間」という消費期限があるんだ。
だから事件の消費期限をそれぞれが知るべきではなかろうか?という。
武田先生があの時言いたかったのは「ニュースを全部、一列に並べちゃイカン」ということ。
例えばイスラエル・アラブ戦争。
これは何千前から続いているのか?
これは簡単に解決しない。
この後百年、二百年続くと思った方がいい。
ウクライナ・ロシア戦争。
これは中世。
ウクライナがロシアの一部であったというのは中世。
信長や秀吉の頃。
そうすると百年かかるかも知れないが百年かからないかも知れない。
この中で一番ドキッとしたのが、このセリフ。
この「街場の米中論」の中で内田先生がおっしゃっている。
17世紀に新しい政治単位として国民国家というものが採用された。
これはフランス。

長いタイムスパンで見れば、いずれ国民国家は消滅するはずです。(19頁)

何でそう言えるのかというと、国家が国民を少しも幸せにしていない。
そういう意味でもう一度、国家というものを考えてみませんか?
若しかしたらこの現代、今という時代は国家が消えてゆく始まりかも知れないという。
そういう意味で言った。
軽々しく水谷譲に訊いて、水谷譲からうっちゃかれたのだが。
実は水谷譲に言いたかったのは、ここから営々と始まる国家論。
ちょっと今週は硬いが(三枚に)おろしたいと思う。

大上段に振りかぶってしまった。
娯楽性から遠くなってしまうかも知れないが「国家というのは何だろう?」ということを考えてみたいなというふうに思う。
内田先生の考え方は昨日お話した通り。
イスラエル・アラブ戦争、ウクライナ・ロシア戦争、台湾・中国紛争等々いろいろあるが、それぞれに問題の質が違っている。
イスラエル・アラブ戦争。
この戦いは神々の戦いである。
ロシア・ウクライナ戦争。
これは国盗り物語である。
そして台湾・中国問題。
これは毛沢東の戦いである、と。
「台湾はウチのもんよ」という。
古代から、近世から、そして現代から「問題の発生の時間のポイントが違いますよ」という。
その中で内田先生がおっしゃっているのが、それぞれみんな国家が戦っている、国家が国民を従えて戦っているという。
こんなことは考えたこともない。

では国民国家から考えていく。
国民国家とは17世紀、フランスの一画で生まれた形。
国民国家は400年を生きている。
大きくなり過ぎた恐竜のように、国家が誰も幸せにしないという。
生命史がそうであるように、巨大になったものというのは滅びる。
これはダーウィンの言っている通り。
巨大な生き物というのは強そうに見えるが、環境が僅かに変化すると滅んでいく。
気候の変化、海水温、海流の変化、植生の変化、そのような変化があると巨大な体を持つ生き物というのは維持できなくなる。
そして全滅。
「カタストロフィ」と言って種全体が滅んでいくということが起きる。
内田氏は現代の恐竜を国家に喩えていて、一番デカいのは米国、アメリカ。
二番目が中国。
この二匹の恐竜を成立から見てみようという。
これは面白い内田先生の見方だと思う。
恐竜に喩える。
この間、皆さんは「たいくつだな。日本はどうなの?」という方もいらっしゃると思うが、これはやがて日本論になっていくので、ちょっと待っていてください。

まずは世界を動かしている二匹の恐竜、米・中という国家を見てゆこうと思う。
米国とは、アメリカとは一体何であるか?

「アメリカというのは一つのアイディアなんだ」というアメリカ人作家の言葉をどこかで柴田元幸さんが紹介していましたけれど、本当にそういうものだと思うんです。アメリカというのは一つのアイディアであって、アメリカ人というのも一つのアイディアである。(58頁)

つまり国の形の理想を求めて提案された一つの実験。
上手くいくかどうかまだ確認されていない。
どんな実験かというと、アメリカは何かで迷うと最初に戻る。
アメリカというのは何かで問題が起きると「アメリカはどうやってできたか?」に戻る。
これは武田先生が上手いことを言っている。
紙で鶴を一回折る。
その鶴を折った紙を広げてまた平べったくする。
そうするとなんとなく折り目が付いていて折り鶴になろうとする。
アメリカという折り鶴はいつできたかというと、これはアメリカ独立戦争。
新大陸にはネイティブ・アメリカンの人を除いてイギリスの他スペイン、フランス等々様々な国がバラバラに国を作っていた。
宗主国イギリスに対しての反乱で。
もの凄く大事なアメリカの本質。
徴兵でもなく常備された軍隊でもなく、アメリカ独立の為に闘った兵士達は仕事着のまま来た。
軍服を持っていなかった。
だから土仕事をやっている人はニッカポッカとか、牛を飼っている人はカウボーイスタイルで。
それでアメリカ独立運動を起こした。
それがアメリカ人のプライド。

誰にも命令されず、自分の意思で、自分で調達した武器を手に、自分で組織した兵士たちを引き連れて戦いに来たわけですから、帰るのも自由。(34頁)

仕事現場から手の空いた市民が駆け付けてイギリス軍をやっつけようと。
他にはスペインからやってきたとかフランスからやってきたとか、イギリスばかりではない。
だからスペインとかフランスの人もいるので、その人達はイギリスからやってきたヤツがコテンパンにやっつけられると結構喜んでいた。
北部の人達はイギリス系の人が多かったのだが南の人達はフランス系が多かった。
そうすると北部のイギリス系のアメリカ人の人達がやっつけられると南部は大喜び。
みんな手を叩いていた。
バージニア州が米国軍にコテンパンにやっつけられるとコネチカット州は大喜びした。
それくらいバラバラだった。
そんなことを繰り返すうちに「これじゃイカン」というので13の州が力を合わせてイギリスに勝ちえたのがアメリカ。
この仕事の合間に兵士だった人達が興した国がアメリカ。
ここから話しが始まる。
アメリカは確かにいろんな国が集まっているような大国だが、元々がそういう始まりだったというのが習っていなかったと思う水谷譲。
武器を持つにしてもそれは自分の私物。
私物で兵隊さんの服を着ないで作業着で戦った。
ある意味ではバラバラの植民地、イギリスの植民地の部分、スペインの植民地、フランスの植民地、バラバラだった。
余りにもイギリスが無理難題を言うものだからある州が戦争を始めた。
その戦火がゆっくり広がって13州が集まってイギリスに対抗し、独立戦争を起こした。
そうしたら何と驚くなかれ、イギリスに勝ってしまった。
全ての始まりはここ。
「やった〜!俺達凄いじゃん!」と「じゃあバイバイな」と13州がまたバラバラになればいいのだが、誰かが「何かあったらまた集まんない?」と言った。
「でも何かない時にはそれぞれ自由にやろうよ」
まとまることを嫌がった州もあったのだが13州は懸命に語り合った。
それで「何かあった時は力を併せるが、普段は13州バラバラでいこう」。
危機に対しては平等に力を出し合う、貸し合うが普段はそれぞれに自由であるという。
アメリカで一番大事なのは「自由」。
この後に憲法を作ったりしていくうちに「平等」というのが出て来るのだが、これはどう考えても欲張り過ぎ。

自由と平等は食い合わせが悪い(91頁)

自由である、そしてみんな平等というのは裏腹なもの。
平等である為には少し自由を我慢しないと。
一番大事なことは「自由」で、「平等」は後回しにしてそのうちできるようになんじゃ無ぇの?と
それで軍隊の一件にも話が及んで「国家が軍隊を持つ?やめようやめよう」。
必要な時、市民が武装して招集に応じる。
それで市民に認めたのが

 独立宣言には武装権・抵抗権・革命権が明記されています。(101頁)

これも市民にある。
だから大統領が気に入らなかったら撃っていい。
憲法でもう認められている。
「銃で武装してよい」「政府が気に入らなかったら倒していい」
そういう自由が認められている以上、大統領を殺す権利が国民にある。
何人殺されたか?
自由が一番大事ということ。
凄い国家観。

 アメリカの独立は常備軍によってではなく、自発的に銃を執った市民たちによって勝ち取られました。だから、国を守るのは行政府に属する軍隊ではなく、「武装した市民」でなければならないというのはアメリカの揺るがすことのできない国是です。(34頁)

だからもし侵略を受けた場合は市民に武装させて闘うかどうかは市民の代表の議会で決定する。
そういうこと。
ここからアメリカがスタートした。
これが凄い。
アメリカが出来たのは1783年、今から240年前のこと。
日本はというと徳川、天明三年の年で浅間山が噴火した、その年にアメリカができたという。
この自由と平等「そのうちにみんな平等になるんじゃ無ぇの」というのがなかなか平等にならない。
今もまだ苦しんでいる。
「平等が実現できない!」と苦しむと「最初に戻ろう」という。
ここまで話すと現代史がわかる。
トランプさん。
「13州バラバラになってもいい」というその自由がアメリカ人にはある。
だから日本の新聞社の人が深刻な顔をして「トランプ元大統領のお陰でアメリカはすっかり分断されました」。
(アメリカは)最初から分断されている。
最初に戻って、最初の折り紙をトランプさんは折っている。
それが何か恥ずかしくて言えないような「アメリカをもう一度偉大な国にする」という。
でもあれは「もう一回折り鶴を折ろう」ということで。
わかりやすい。
もう一回折り鶴を折ろうと言っている。
だからあの人にとっては「自由」と「平等」なんて両立させる気なんかさらさら無い。
平等を成立させようとすると自由が制限を受ける。
だからトランプを支持する。
それは自由。
人からガタガタ言われる必要はない、という。
これでわかる。
それがアメリカ人達は無意識のうちに元に戻ろうとしているということ。
当たり前。
トランプさんが大好きな人がいる。
そうすると国家がトランプさんを大統領にしない。
それは議会に詰めかけてトランプ支持派は議会を壊す。
だって革命権を認められているから。
だからトランプさんは平等になると困る。
「私を応援してくれる人だけが生き残ればいい。後はどんな目に遭おうと」
それがトランプさん
だからああいうことになるという。
そうやって考えるとストーンと落ちる。
でもこのアメリカはやっぱりトランプさんになってもまだ魅力がある。
その魅力とは何か?

アメリカは一番大事なのは「自由」である。
そしてアメリカ市民には銃を持って自分の自由を確保する為に闘うことができる。
それがアメリカを作ったエネルギー。
だからトランプ人気というのはそういうこと。
トランプさんははっきり言って自由を絶対的に信奉している人で、この人にとって「平等」なんかどうでもいい。
だから彼の暴徒と言われている支持者は今でも裁判になっているが、連邦議会におし寄せた。
そして滅茶苦茶にここを壊したトランプ支持派。
銃はスーパーマーケットに売っているから、お金を出せば買える。

銃犯罪の多発によって繰り返し法規制が求められていながら、憲法修正第二条が認める武装携行の権利がいまだに抑制されないのは、「市民の武装権」を否定するということは、国家の本義を否定することだという考えをする人たちがそれだけ多く存在するからです。(34頁)

銃の乱射事件や黒人差別に関しても「そりゃあやめた方がいいんじゃない?」「よした方がいいんじゃない?」「平等の方がいいんじゃない?」と言うが「自由」と「平等」が相戦うようにできているのがアメリカ。
トランプさんの実例を挙げる。
これは内田先生が書き抜いておられて、このままとは言えないかも知れないが。
内田先生はトランプさんをこんなふうに非難しておられる。
2019年から続いたコロナ・パンデミックでの死者はアメリカで120万近くいる。

感染拡大が始まったときの大統領はドナルド・トランプでした。彼は「コロナはたいした病気ではない。すぐに治まる」と何の根拠もなく言い張り、まともな危機管理をしませんでした。そのせいでアメリカは初期に感染爆発を招き、−中略−世界最悪の感染者数・死者数を記録しました。(32頁)

それで自分が罹ったら(ワクチンを)すぐ打った。
それは自由。

コロナ対策でも、反マスク、反ワクチンを主張する市民たちが依拠するのは「自由」です。(160頁)

アメリカでコロナパンデミックで120万の人が亡くなった。
これは世界で最大の死者。

第二次世界大戦の死者40万人(161頁)

それでも「トランプさんの失政による死者だ」と誰も責めない。
アメリカは自由。
この百万人を超えるコロナパンデミックによる死者の殆どは病院に行くことのできない無保険者、保険証を持たない人達。
アメリカでは4600万人いる。
人口の15.4%。
このうちの100万人がコロナで死亡した。
病院に行かない人がコロナで死んだ。
誰の責任でもない。
アメリカはそんなふうに折られた国家。
「独立戦争で自分のお金で銃を手にしてイギリスと戦った」人達には、アメリカ市民としての保護が与えられる。
でも「銃を買わなかった、イギリスと戦わなかった」人達は除外される。
保険、或いは教育、福祉、そこから全部弾かれる。
それは最初に作った時にそうだった。
ではアメリカの自由と平等を理解して「あ、アメリカそういう国なんだ」と納得して折り鶴が折れたらアメリカの特典は何か?
「私は折り紙折れますよ」と言ってちゃんと鶴を折った。
そうしたらアメリカ社会ではどうなるか?
ここがアメリカの実はやはり素晴らしいところ。
別の色紙を貰える。
鶴じゃなくていい。
何を折ってもいい。
奴さんを折ってもいいし、兜を折ってもいいし、船を折ってもいい。
そういう国造りは楽しい。
最初に鶴さえ折れたら新しい色紙を貰える。
そこがアメリカに勝てない。
大谷翔平君。
どんどん折り紙が貰える。
あの子はメジャー・リーグというところで持ってらっしゃる。
奥様からハワイの別荘から、もう保険から外車から、もらった色紙で何でも折れる。
これはやはり申し訳ない。
「平等」ではない。
一選手に対して天文学的な数字で。
大谷さんは偉い。
偉いがあの大盤振る舞いの色紙。
本当に大谷というのはアメリカン・ドリーム。
しかもこの間、菊池雄星と大谷がピッチャーマウンドとバッターボックスで戦う。
あの時に向こうのアナウンサーも言っていた。
「ハナマキヒガシ」
花巻東(花巻東高校)の野球部の二人が。
二人とも東京出身ではない。
あの巨漢の二人が大喝采。
あれはアメリカの人は色紙を投げつける。
「持ってけ!」
飼っている犬の似顔絵をシャツに付けただけで1ドルのシャツが50ドルで売れる。
これは色紙をくれる。

アメリカの始まりを語っている。
知ると違ったアングルでニュースを見られるかなという気がする水谷譲。
ちょっとそれで「(今朝の)三枚おろし」が役に立てばなと思っている。
「三枚おろし」を聞いていると常時流れて来るニュースに関して感じ方が変わってくるかも知れない。

アメリカが生んだ人物の中で理想の人物とは誰か?
例えばジョン・F・ケネディ。
凄く面白いのだが、(学業の)成績が抜群という程ではない。
アメリカの大統領はそういう人が多い。
そのくせケネディさんは「犬に追いかけられて100m9秒で走った」とか。
都市伝説。
そういうのがある。
アメリカの人は頭のいい人があんまり好きじゃない。
日本人はとにかく丸くて温厚な人が好きなのだが。
アメリカは尖っていて頭で物事を考えない人というのが好き。
ここからはちょっと古い時代のアメリカかも知れないが、アメリカ人が大変好むので映画にした「アラモ」。

デイヴィー・クロケット−中略−がいます。映画『アラモ』でジョン・ウェインが演じていました。(60頁)

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アラモの砦の中にアメリカ人がこもってアメリカのプライドを守ったという。
一種の伝説。
この中でジョン・ウェインが演じたのがデイヴィー・クロケット。
日本語で言うと「源の金太郎」みたいな。
名前からして英雄。
デイヴィー・クロケット。

テネシー生まれの 快男児
その名はデビイ・クロケット
わずか三つで 熊退治
その名を西部に轟かす
デビイ デビイ・クロケット
(「Ballad Of Davy Crockett(デビィ・クロケットの唄) 」)

(番組内では「テキサス生まれ」と歌っているが、正しくは「テネシー」のようだ)



テネシー生まれの猟師で、−中略−インディアン相手の戦闘で軍功を重ねて、−中略−その民衆的な人気を背景に1821年、35歳でテネシー州議会の議員に選ばれ、のち連邦下院議員に当選し、33年には大統領選出馬の可能性さえ噂されました。−中略−テキサス独立戦争のアラモの戦い(1836年)に参加し、圧倒的多数のメキシコ軍と戦って死に、死後国民的英雄となりました。(60頁)

(番組では32年と言っているが、本によると33年)

あの日の山 あの日の雲(「The Green Leaves of Summer(遥かなるアラモ) 」)

デイヴィー・クロケットはどんな人か?
伝説だけではなくて、ちゃんと残っている。

 クロケットは自ら「無学な野人」ぶりを強調しました。−中略−
 彼はまたインディアンや黒人奴隷に対する激しい人種的偏見を隠しませんでした。
(60〜61頁)

 無教養、豪胆、暴力性、東部のエスタブリッシュメントに対する激しい不信、剥き出しの人種差別、性差別、そしてある種のイノセンスとおおらかな人柄……これがデイヴィー・クロケットの伝説的な人気をかたちづくりました。(61頁)

差別主義者。
でもアメリカ人は好き。
アメリカ人の根本の生理の中にあるのはカウボーイが好き。
そういう男達の持っている荒々しさがアメリカ国民の理想像。
それに似通った人を大統領にしたがる。
この原型は今もアメリカ国民の深層心理を支配していて、そのデイビー・クロケットに似ている、何となくアメリカ人の心を支配しているのが秋口に大統領選に名を挙げられるトランプ大統領候補。
デイヴィー・クロケットというのはそういうタイプの人。
欠点がある。
アメリカの偉人というのは探っていくと、もの凄い差別主義者だったり。
でもそういう臭いの人をアメリカ人は凄く好きになってしまうというか、英雄に祭り上げる。

アメリカは「自由」と「平等」の根源的葛藤を抱え込んでいます。この二つはアメリカの統治理念の根本をなす原理なのですが、自由と平等は食い合わせが悪い
(91頁)

これはどういうことかというと氷の天ぷらを作るようなもので、実現していないという。
その葛藤を国が生まれた時からずっと繰り返している。
とにかくまずは鶴を折ること。
鶴さえ折れたら後はどんどん折り紙は貰えるという。
これが今、世界を支配している国だと思うと、皆さん方の見方も変わるんではなかろうかと。

では日本はどうしたらいいのか?
ちょっと待ってください。
それよりももう一匹の恐竜を語りましょう。
その恐竜こそが「街場の米中論」中国、中華人民共和国。
これは正直に言うが、この内田樹先生の「街場の米中論」。
これは9つの章、245ページから成る本だがアメリカについては177ページを費やし、中国については9章のうちの1章のみの44ページ。
「米」「中」論なのに。
アメリカは8章に渡って語って中国に対しては1章のみ。
これは余りにもページ数が違い過ぎる。
でも内田先生はそれしか書きようがなかったのだろう。
中国はシンプル。
建国から今までの年数。
アメリカが231年。
ところが中国、中華人民共和国は75年。
「中国○千年の歴史」は中国ではない。
あれは「秦(しん)」とか「漢(かん)」とか。
中華人民共和国は75年で武田先生と同じ年。
武田先生が生まれた年にできたのが中華人民共和国。
だから75年だとさすがに話すことがない。
この中華人民共和国とはいかなる国かというと、75年前に毛沢東が「中国共産党、一党独裁」これを宣言してできた国。
簡単に辿ることができる。
来週いよいよ中国について語りたいというふうに思う。

2024年08月21日

2024年4月29日〜5月10日◆Why Study Japan?(後編)

これの続きです。

「アメリカは非常に男性的価値観の強い国である」ということで先週は終わった。
だからスラングみたいなものもいわゆる「男の子用」にできているという。
例えば「ギャングスター」というような意味は「カッコいいヤツ」だ。

スポーツチームの名前としては、「戦闘士」を意味するFighters、Chargers、Knights−中略−だけでなく、「強盗団・襲撃隊」などの犯罪集団を指す−中略−Vikingsなどもよく使われる。(131頁)

考えてみれば「ニューヨーク・ヤンキース」と言う。
「ヤンキース」だから大変アメリカの方に失礼だが「アメ公」とかという意味。
何せ「ヤンキー」だから。
日本で言うと「ジャップ」という。
「日本ハムファイターズジャップ」とかとそういうのと同じだから。
それで水谷譲が「ウソ!」と叫んだのが大谷のいる「ドジャース」。
スラングで「いかさま野郎」という。
いい意味ではないということ。
だからいい意味なんか付けてはいけない。
そういうのはシャレっ気がない。
疑う方がいらっしゃると思うので、繰り返し言っておくが「ドジャー」はスラングで「いかさま野郎」。
これはどういうアレかというと「dodge」。
これが別の競技で言うと「ドッジボール(dodgeball)」。
飛んでくるボールを避ける・よけるという「ドッジ」。
この「避ける・よける」が「言い逃れする」というスラングに転じて、ごまかすという「いかさま野郎」という。
それが「ドジャース」という。
こういうアメリカ、男性社会に対して日本文学はまことに女性的。
日本は「困った時の女頼み」というか。
揉めたら揉めたで卑弥呼を持ち出して連合国家を造ったりするし。
アメリカというのは男性社会なのだが、アメリカのちょっとしたアキレス腱があるのだがそれは何か?
異文化を必要としている。
アメリカという国はよその国から流れ込んでくる文化がないと呼吸できない。
そういう国だと思う。
アメリカのハリウッドで西部劇もので大ヒットした「荒野の七人」

荒野の七人



ユル・ブリンナー主演で、ティーブ・マックイーンとかが出て来る。
もうそれは錚々たるガンマン、いわゆるドラマの主役たちが七人出て来る。
日本の「七人の侍」のアメリカ版。

七人の侍



「セブンス・サムライ」という異文化が流れてこないと西部劇の「荒野の七人」ができなかった。
「スター・ウォーズ」もそう。
チャンバラだから
チャンバラの後、スター・ウォーズは何になったかというと「ドラゴンボールZ」になる。
そういう流れ。
最後の方は手から光線ばかり出している。
あれは「かめはめ波」。
あの大作家がお作りになった「かめはめ波」というのは流行る。
日本人は手から光線を出すのは好き。
ウルトラマンも「シュワッチ!」と言いながら出してしまう。
あれは何かというと「気を出す」という。
気で相手をやっつける。
それの視覚版が「かめはめ波」だったり「スペシウム光線」だったりするという。
そういうものをアメリカは異国から貰ってアメリカ化するところにアメリカが・・・
その典型例がゴジラ。
ゴジラはアメリカで当たった。
でも結局、その成功の全てを横からかっさらったのが「ゴジラ-1.0」。

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ゴジラが登場するその前の物語、エピソード1をゴジラでやった。
フェイク、デマ、偏見、差別、そういうものを避ける為に必要なのは一貫した物語、ストーリー。
ストーリーという文化。
歴史も神話も宗教も政治も音楽も実はこれは全てストーリー。
人間が深く記憶する為に脳は「エピソード記憶」といって物語だったらよく覚えるという。
その為に人間にはどうしても物語が必要なのだが、この21世紀に入ってからの世界は何かというと各国バラバラの物語が暴れ回っている。
まずはロシアの物語。
とにかく「ウクライナは自分のもんだ」と言い張るというロシア主義の物語。
プーチンは凄いことを言う。
「世界にロシアがある。ということはロシアのいない世界に何の意味もない」
だから世界は、ロシアが無ければ原爆で滅んでもいいんだ。
「ここまで言うか」という。
それからアメリカ、トランプさん。
「もう一度偉大な国へ」
充分偉大だよ、知ってるよ、そんなことは教わらなくても。
それからアジアの屈指の大国・中国。
「台湾私のものです」「南シナのあの海、あれ全部私どものもんです」
それからイスラエル
「三千年前からここはウチのもんでした」
これは物語なのだが、この彼等の持っている物語は現代社会に合わなくなってきている。
今、世界は何を求めているか?
新しい物語。
それはどこにあるか?
もしかすると、この国(日本)にあるかも知れないというのがインバウンドが増えている理由ではないかと思ったりする。

反面教師で、いい人が見つかった。
この方もアメリカの方。
クリストファー・ローウィという方でカーネギーメロン大学。
金持ちでメロン喰ってる人がいるというような大学。
カーネギーメロン大学で教鞭を執っておられる方。
(カーネギーメロン大学現代語学部助教授)
この方も日本に猛烈な面白さを感じたという。
この方は非常にマニアック。
日本文学を研究する彼、エッセーで日本のことに関してこんなことを言っている。

 身も蓋もない言い方だけれども、日本の表記体系は、変だ。3つの異なる文字体系(漢字・平仮名・片仮名)が常に同時に使われているだけでなく−中略−もう1つのすごい特色は、−中略−「行間注釈」と呼ばれるもののおかげで、頭注や脚注に頼らずに、同じ文の中で言葉に注釈をつけることができるという点だ。(107頁)

あれは世界にないのか?
でも海外の文献にもある気がする水谷譲。
これをクリストファーさんは「変だ」とおっしゃる。
だからもしかしたら司馬遼太郎の時代小説なんかを挙げておられるのかなと。
この行間注釈、司馬遼太郎の作品では違う言い方をしていて「閑話休題」と言って登場人物の話をしていたら別の話を入れたりする。
そのことを言っているんじゃないかな?と思って。
(本の中に登場する「行間注釈」は漢字や熟語に標準的ではない振り仮名を付ける行為のみを指しているようだ)
例えば今でも覚えているが「竜馬がゆく」。

竜馬がゆく(一) (文春文庫)



岩崎弥太郎という土佐・高知の低い身分の侍が出て来る。
それが竜馬と絡む。
それでいつも兄貴分の竜馬にコテンパンにやられている憎めない岩崎弥太郎なのだが竜馬が「土佐を愛する、愛さない」の論争をしている時に岩崎に「おまん、土佐の為に死ねるがか?」と言う。
「死ねるワケないだろう」という意味で訊いたら、岩崎が「いや、俺は死ねる!土佐藩の為にビョウドウ号の為にいつでも死ねる。ハクショウキの為ならば命を懸けるが土佐武士よ」という。
(このあたり、正確な音とか表記がわかりませんでした)
ハクショウキというのは土佐藩の柏の葉っぱが三枚に連なっているのがハクショウキと言って土佐藩、山内家の家紋。
その「柏の葉っぱ三枚の為に死ねる」といった岩崎なのだが、突然司馬さんが話をポンと横道に逸れて「実はこのハクショウキの紋所こそ後に岩崎が起こす大きな海上貿易会社の三菱のマークになった原案である。山内家の紋章が三菱のマークになった」。
それをポコンと入れてくる。
もう「これが三菱?」みたいな。
横にある電化製品のそのマークの始まりが「竜馬がゆく」の中に出て来る。
司馬さんの文章は現代とジョイントする。
それがもう胸がワクワクする。
そういう突然物語を中断してまで現代の痕跡をまぜたりするという、そういうことをやることが著者に許されているという。
このクリストファーさんは日本の小説の異様さを挙げてゆかれる。
これは司馬作品に於いてちょっと話が出たので続けてゆくが、司馬さんがよくおやりになる文章の書き方で「おまんそれでも武士おとこか」。
日本ではそういうことをやる。
北島三郎さんが歌った「函館の女」と書いて「ひと」と読ませる。
作者の意図で漢字の読み方を変えるという。
「本気」と書いて「マジ」と読むと思う水谷譲。
「そういうのは世界にありませんぜ」という。
その面白さというか、このクリストファーさんは書き方が上手。
「それを何で日本の人は当たり前だと思ってんの?そんな文学を持ってる国は無いですよ」という。
彼、クリスは世界の表記・文字について関心が高い才能の人で、難解な文章を解き明かしていくのがゲームのように楽しかった。
(この後の話は本の内容とはかなり異なる)
だからこの人は暇な時はエジプトのヒエログリフを解いて遊んでいた。
ヒエログリフより面白かったのが日本の文学作品。
それでこの人は早稲田とか仙台の教育大学なんかで学ぶうちに「やってみろよ」と言われたのが中学校に於ける漢文の先生。
僅か二年程の日本の留学で日本の近代文学を楽しむ程の語学力を獲得したクリスは日本語を学びつつも中国の唐の時代の詩を学んだという。
クリストファーさんは漢詩は楽勝。
この人は語学の天才なので。
漢字の意味なんてたちまち理解できたのだろう。
もう一つ漢文が楽勝だったのは英語の並びが同じ。
ところが彼が日本の書き下し文を見た時に引っ繰り返る。
(番組中に何度か「読み下し文」と言っているが、本に従って全て「書き下し文」に統一しておく)
どう引っ繰り返ったか。
この人が一番びっくりしたのは何かというと日本の書き下し文。
何で驚くかというと奇妙な記号を用いて、原文を読まない。
漢文を中国語で読まなかった。
レ点とか、記号で「これは先に読む」とか「ここはひっくり返す」とか、よくもまあそんなことをやったもんだ」というのが・・・
あんなことをやっているのは日本だけ。
一番の不思議は「何で日本語で中国語を読んだのか?」。
しかも奇妙な記号を作って。
レ点、一点、二点、上点、下点。
これだけある。
このクリスさんが驚いたのは「これじゃあ曲芸じゃないか?」と
クルクル回して。
大事なことはその本文のテキストを書き直すとかということではなくて、そのものを日本の国語にしたことだという。

書き下し分は、しばしば書き下す人の主観に左右されるため、同一の白文から、複数の正しい書き下し文が生まれることがある、ということ。(109〜110頁)

例えばわかりやすいヤツを持って来たのだが
「少年老い易く学成り難し」
勉強した。
これは漢字の順番で言うと「少年易老難學難成」。
これを入れ替えて「少年老い易く学成り難し」と、こう読む。
ここからある意味で漢字解釈というのは本家の中国から離れてしまう。
つまり漢文を書き下すことに於いてはもの凄い自由が認められるワケだから
例えばこれは唐の詩人が読んだ名句だが「人生足別離」(唐代の詩人于武陵の「勧酒」)この五文字の一行がある。
「別離は人生の常である」という淋しさ、やりきれなさを詠っているのだが、これを昭和の作家井伏鱒二は何と書き下したか?
「サヨナラだけが人生だ」
これは漢文から。
こんなふうに読み下し、書き下ろしたワケで。
「別離は人生の常である」というのと「サヨナラだけが人生だ」。
まるでシャンソンのようなタッチになる。
こういう書き下す読み方の自由度が文学の中にある。
「それも正解、これも正解」という
漢詩を日本人独特の工夫で日本の文芸に改編した。
それでクリスさんが最も驚いたのが

ある日、腹ペコの僕は、東京にいて、まあまあ有名なラーメン・チェーンの、−中略−季節限定メニューを見ていた。−中略−僕の目が釘付けになったのは、−中略−カウンターの後ろに貼られたポスターの紙幅一杯に書かれた文字の列だった:「旬を!〈˄˄〉たの!しむ。こころ温まる」。
−中略−絵文字に平仮名の注釈をつけるという技は、それまで見たことが無いものだったからだが(110頁)

日本人は漢字、平仮名、片仮名、アルファベット、絵文字まで使うのか!?という。
(海外にはそういうのが)あるワケがない。
矢印等々、一方通行等々は国際基準で決まっているが、トイレのマークから何から。
(絵文字を読ませるとしたら)日本人のマネをしている。
たまに「あなた」という「you」をただのアルファベットの「U」とかそういうのはあるが、絵文字を(読ませるというのは)無いと思う水谷譲。
それが彼にとっての驚きは中華屋さんのメニューで壁に貼ってあったという。
それを我々はみんな読んでいる。
「あ〜じゃあ冷やし中華いこうかな〜」「冷麺いこうかな」なんて見ている。
この絵文字でさえもいわゆる言語習慣の中に取り込んでしまうというところに、彼はピーンときて「これか!日本の漫画文化は」と。
漫画文化というのはこの絵文字を使った物語の描き方なんだという。
これを言われてみると確かにそう。
やはり「鬼滅の刃」とかを見ていると鬼のヤツらは只者ではない。
悪そうな顔をしている。
漫画文化の底辺にあるのは平仮名・片仮名・絵文字文化の並んだ漫画表現。
そういうものが日本人のいわゆる「読み」のセンスの中、「リーディング」の中にあるという。
これほど幅広い読書世界を持っている国はザラには無い
不思議な国、日本の旅、続けましょう。

異国の人の目になって日本を眺めてみる。
自分が当たり前のように触れて来たことが「そうか凄いこと我々はやってるんだなぁ」と今、思っている水谷譲。
四つぐらいの言語を自在に織り交ぜて伝言を残したりメッセージを送ったりしているワケで。
クリスさんの驚きはそればかりではない。
この人は井上ひさしさんの「吉里吉里人」。

吉里吉里人(上中下) 合本版



同書は、−中略−吉里吉里と呼ばれる架空の村に住む、貧しい住民たちの生活と、吉里吉里人による日本からの独立宣言を描いた小説だ。(117頁)

これは東京の文化を日本の文化と同一している日本人に対する反論で。
「『日本の文化は東京の文化』違うよ」
井上さんはそれを言いたかった
井上さんは日本というのと東京というのを全然別物。
日本には田舎がある。
武田先生もそう。
田舎者。
でもそのことが日本の証。
それで中央集権化に抗う井上さんの想いがこの中にあって。
周辺を「田舎」としてそういう風潮に反論を申しているという。
東北弁を公用語として標準語へ反論するという手法が取られている。
この井上さんの文章がクリスさんはラーメン屋で見たメニューほど仰天という。
物語の中で吉里吉里国へやってくる東京人を何と表現したか。

吉里吉里人としとば識別するんでがすと。(115頁)

これは方言。
漢字を書いておいて、それをわざわざ方言のルビを打って「そであるもの」と「そでないもの」という。
それで吉里吉里人と東京人を分けた。
井上さんが言いたかったのは「地方と東京って別世界なんだ」「別個の言語世界を持ってるんだ」。
武田先生は断固博多。
「それを主張するところに日本の面白さがある」という
これはクリスさんよく気が付いた。
日本人が作った漢字というのは中国では通用しない。
「飛行場」のことを日本では「空港」。
いい響き。
空の港。
中国では「飛行場」のことは何と言うかというと「机场」。
「机」の「場」所。
日本は「空」の「港」。
中国は内陸部が深いので港を見たことのない人がいる。
故に飛行場で一番先にやることは搭乗手続きなので、「カウンターでチケットやります」というので机の場所。
(6月24日の番組内で「搭乗手続きに必要な机という意味ではない」という訂正があった)
「手紙」というのは日本では「レター」だが、中国ではトイレの紙のことを「手紙」と書く。
手で扱うから。
かくのごとく全然違ってきてしまった。
「漢字を生んだと称する中国と、この距離の遠さが」という。
横山悠太さん(の小説を)ちょっと読んだ。
あまり深くご説明できないのだが、この横山悠太という方は中国の血も入っておられる方らしくて、この方が「吾輩ハ猫ニナル」という作品を書いておられて、この方の文章が最高。

吾輩ハ猫ニナル



漢字の書き方が日本と中国の使い方で書かれている。
まあ読みにくいの何の。
それぐらい小説世界を描く時に漢字を用いて、それも中国の書き方の漢字で書くと、もうワケわかんなくなる。
中国で使う漢字と、日本で使う漢字はそれほど距離が離れてしまったぞという。
その面白さがある。
日本の漢字の読み方は漢字が入って来た時の中国の人の読み方、あるいは唐の時代の漢字の読み方。
それをまだちゃんとやる。
「生」という字も「生(い)きる」、から「福生(ふっさ)」から「ふ」(「芝生」など)から「羽生(はにゅう)」から「羽生(はぶ)」まで一文字の読み方が200通りぐらいあると言っていた。
つまり全部読み方を取っている。
「日本には首都圏がある。でもそれと同時に地方があるぞ」ということに最近のインバウンドの異国の人が気付いた。
その「日本の地方」に最初に気付いた人は誰か?
もう一回繰り返す
やっぱりこの人。
ドナルド・キーン。
ドナルド・キーンにまつわる施設がある
彼の記念館がある
新潟・柏崎市にドナルド・キーンがアメリカで使っていた書斎がそのままある。
ドナルド・キーンがニューヨーク・マンハッタン、アッパー・イースト・サイドのアパートに住んでいた時の書斎、それがそのまま長岡、柏崎にあるそうだ。

2007年、柏崎の海岸17キロ沖で発生した、マグニチュード6.6の中越沖地震である。−中略−1000人以上の怪我人と−中略−惨事となった。そして、その数週間後、柏崎市役所の−中略−電話が鳴った。−中略−電話をかけてきたのは、米国コロンビア大学名誉教授・日本文学の大権威のドナルド・キーン博士で、そのキーン博士が14世紀に即身仏となった、弘知法印という巧妙なお坊さんの伝記を基にした、江戸時代の説教浄瑠璃の復活上演を柏崎で行いたい、と申し出てきたのだから。その『弘知法印御伝記』という古浄瑠璃は、1685年(貞享2)以来上演されていない幻の作品で、しかも弘知法印のミイラ化した遺体が、柏崎から車で40分の新潟県長岡市の寺に安置されているというのが、柏崎での復活上演という提案の説明だった。(137頁)

長年行方不明だった、『弘知法印御伝記』の絵入り浄瑠璃本が、大英博物館で発見された(138頁)

誰も知らなかった。
「ミイラがある」ぐらいはぼんやり知っていたので、どんな坊さんか浄瑠璃になったかとか全く知らない。
ところが、米コロンビア大学の大学教授が「素晴らしい人です」と言うから、しかもイギリスから台本を取り寄せて日本で上演する浄瑠璃の一派はキーンさんの知り合いでいるからという。
誰も知らなかったことをキーンさんが知っていたという。
これはロバート・ケネディを思い出す。
ロバート・ケネディというアメリカの大統領の弟がやってきて訊かれる
「日本で何か尊敬する人がいますか?」と言ったらロバート・ケネディが「米沢藩の上杉鷹山です。彼は素晴らしい言葉残しました。『為せば成る、為さねば成らぬ何事も』」。
そうしたら国会議員が終わったら一斉に勉強に走ったという。
ロバート・ケネディさんが知っていたので上杉鷹山はいきなり値打ちが上がる。
同じこと。
「外国人が騒ぐぐらい凄い人なんだ」というので

上演会は現実のものとなった。この、被災2年目を迎えようとしていた柏崎での大イベントは、地方メディアだけでなく、全国の新聞・テレビ・雑誌などで絶賛された。(138頁)

地元柏崎に本社を置くお菓子会社がもの凄く感謝した。
ドナルド・キーンさんがやってくれたのでそのお菓子会社が凄く感動してドナルド・キーンさんを文化的に懸賞したいというので

キーンのアパートをニューヨークから柏崎へ移築する計画が、着々と進んでいた。−中略−総計2500点以上のアイテムが柏崎に空輸され、それらがひとつひとつ、マンハッタンのキーン宅を厳密に再現すべく、「新居」に再配置されたのだ。(138頁)

(番組ではキーンが亡くなってから移築と言っているが、「ドナルド・キーン・センター柏崎」の開館は2013年でキーンは2019年没)
いい話。

この一大事業に要する莫大な費用は、スーパーのお菓子売り場でおなじみの、ブルボン社の寄付によって賄われた。柏崎に本社を置くブルボンは、1923年の関東大震災直後に設立された製菓会社で、その使命は、自然災害などの非常時に非常食として活躍する、高栄養・高品質のビスケットを製造することであった。関東大震災という、近代日本でも異例の大災害を背景とした同社の成り立ちを考えると、キーンが中部沖地震・東北大震災という、2つの天災を契機として起こした行動と文化的貢献に、彼らが賛同し、援助を買って出てくれたのも、納得がいくことかもしれない。(138頁)

今でも「ドナルド・キーン・センター柏崎」はやっているので是非覗きに行ってください。
ドナルド・キーン・センター柏崎 | ドナルド・キーン・センター柏崎の公式サイトです
これは恐らくキーンさんがアメリカの学生達に教えた言葉ではないかと思うのだが、この著者も書いておられるが「雨足」。
「伊豆の踊り子」なんかであった。

伊豆の踊子 (角川文庫)



道がつづら折りになって、いよいよ天城峠に近づいたと思うころ、雨足が杉の密林を白く染めながら、すさまじい早さで麓から私を追って来た。(川端康成「伊豆の踊子」)

こんな言葉を持っているのは日本のローカルだけだ。
(本によると古典中国語から派生した言葉とのことなので日本限定ではないと思われる)
だって雨に足がある。
それが自分のところに近寄ってくる音が聞こえるので「雨足」。
そうやって考えるとこれは江戸で生まれた言葉ではない。
峠道のある田舎で生まれた言葉。
つまりキーンさんが夢中になったのはローカルが持っている豊かな日本言語の世界。

『枕草子』と言えば、−中略−フィンランド出身のミア・カンキマキ氏が『清少納言を求めて、フィンランドから京都へ』を日本で刊行し、話題となった。この本には、−中略−清少納言という人物を、親しみを込めて「セイ」と呼び、深く理解しようとする著者の姿が描かれている。(103頁)

清少納言を求めて、フィンランドから京都へ



これは本当にこぼれ話。

上半身が馬の姿をした馬人の島、女性ばかりの女護島、小人の住む小さ子島など、様々な島を旅するという話である。『ガリバー旅行記』との類似性は以前から注目されていたが、スウィフトが日本の絵入り本を目にしていた可能性があることから、『御曹司嶋渡り』から『ガリバー旅行記』への、より直接的な影響が検討されはじめているのだ。(104頁)

世界の物語は影響し合う。

2024年4月29日〜5月10日◆Why Study Japan?(前編)

まな板の上は「Why Study Japan?」。
「なんで日本なんか勉強すんの?」
そういう意味。
「WHY JAPANESE」というのがあったが。
あれと同じ。
「Why Study Japan?」

なんで日本研究するの?



これは新聞の書評欄に載っていた本で文学通信という出版社から出ている。
まあ、読み出すと一気。
理由は簡単。
これは「最近インバウンドのお客さんが何でこんなに日本、増えてんのか?」。
日本は「極東」。
「東の果て」という意味で。
武田先生の大好きな哲学者、フランス哲学の内田樹先生はこの日本のことを論ずる本のタイトルを「日本辺境論」とした。

日本辺境論 (新潮新書 336)



ここは辺境。
しかも世界史に登場したのは明治維新から40年ぐらいかかって、その後はもう惨憺たる戦争で大日本帝国という看板を降ろした国。
「そんな国に何で来るんだ?君たちは」と。
見どころはいっぱいあると思う水谷譲。
京都、清水寺、広島、秋の宮島、見に行きたいのではないかと思う。
水谷譲が新しいからそんなことを言う。
「二百三高地」という映画。

二百三高地



さだまさし君が主題歌を歌って

海は死にますか 山は死にますか(さだまさし「防人の詩」)

山も海も死なない。
あのラストシーンで夏目雅子が明治の女を演じていて、小学校の生徒に(先生役の)夏目雅子が教えた言葉が「美しい日本」。
それを書いた夏目雅子を見ながら吹き出しそうになった武田先生。
「どこが美しいんだ?肥溜めだらけの日本」
そんなふうに思った。
世代間。
ここから話さなければならないのでなるべく早く話すがお付き合いのほど。

この本を何で読みたかったのか?
「Why Study Japan?」
「何で日本、アナタ研究すんの?そんな面白い?この国が。面白いもんなんか無いよ」というのが武田先生の少年期・青年期・中年期にあった思い。
ところが昨今、水谷譲が言う通り、日本が変わった。
三月中旬だったが、ちょっと大阪の外れの町で歌を歌うことになって、そこまで行った。
奈良に近いその街へ。
帰ってくる新幹線、何と大阪の駅で柿の葉弁当を買うのに三十分並ぶ。
もう満杯。
その半分が驚くなかれインバウンド、外国の方。
武田先生達世代は戦後っ子として「民主主義の子」ということで育てられた団塊の世代。
だからやたら学校に話し合いが多かった。
クラス会とか朝の学級会、それから夕方、お別れの学級会等でお互いに討論するというのが流行った。
民主主義のルール、議長の元に話し合いをするというのは、父母がやったことが無い。
武田先生達が教えられたのは「思想的に正しいことは生きて行く上でとても大事なことだ」という。
「日本は間違った戦争から大敗北を経験したんだ。だから親の世代からすると敗北の無念を埋める為には勝者アメリカをマネすること」
そこから日本は始まった。
1950年代に子供時代を迎える。
武田先生達はどんな教育を受けたかというと豊かで景気がいいのはアメリカ。
思想的に正しい考えで国創りが行なわれているのがソ連、今でいうロシア、そして北朝鮮。
知的で政治制度がとっても優れているのはヨーロッパ。
それが教科書に書かれている内容で、基本的にはそういう教育。
北朝鮮映画とかを見ていた。
学校で見せる「北朝鮮がどんなに素晴らしい国か」。
「チョンリマ」
(1964年8月末に封切りされた『チョンリマ(千里馬) 社会主義朝鮮の記録』のことを指していると思われる)
タイトルも覚えている。
北朝鮮の政治情勢を描いている。
凄くみんなまとまっていてニコニコ笑っていて。
マスゲームをする人達の。
赤いマフラーをなびかせて北朝鮮の小学生達が元気いっぱい、金様の歌を歌いながら学校に行くという登校風景を描いたり、私有財産が無いからみんな争わない。
ニコニコ笑っている。
日本の外交官が書いた本で小学校時代にベストセラーになった本で「醜い日本人」

新版 醜い日本人 日本の沖縄意識 (岩波現代文庫 社会 14)



そういう思春期や青年期を体験していたら、アメリカがベトナムで凄い戦争を始めているという映像が流れ始める。
それが70年代。
日本は経済で見ると「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と言われた。
ところがジャパン・アズ・ナンバーワンと言われながら「エコノミックアニマル」
「カネ儲けする為には24時間戦うジャパニーズ」とか「奴らはウサギ小屋に住んでいる」とか。
世界からまた見下される日本で。
ずっとそれで生きてきたら、これほどのお客さんが外国からやってきて「これは一体何なんだ?」という。

「Why Study Japan?/なんで日本研究するの?」
その一冊に出会ってもう無我夢中で読んだ次第。
これはもうひとえにインバウンドのお客さんの多さ。
外国のお客さんは本当にそこらじゅうにいる。
よっぽど来たくて来ておられるのだろう。
「インバウンド」と称する異国の旅人。
日本に溢れている。
「何でこんなにお客さんが増えたんです?」
誰も教えてくれない。
メディアも追いかけている人はいないだろう。
何でか?
「お土産は何買った」とか「何食べたか」とか、そればっかり訊いて回って根本のことを訊いていない。
時々変わったインバウンドの人に遭遇する。
大阪・堺の街でで遭遇した。
包丁を買いに来ている。
「堺でいい包丁売ってる」なんて誰が広めたのか?
それと泉岳寺に中東の人が来ている。
赤穂浪士の墓参り。
「赤穂浪士は侍のお手本だ」というので見に来たがる人がいるという。
他にも北海道には「雪質がいい」というスイスの人とかがいる。
(雪質は)スイスの方がいい。
何で武田先生が憧れたのか?
トニー・ザイラーとかというので。
「白銀は招くよ」
何で今、北海道が招いているのか?
北陸まで新幹線が走った。
どっと行っている。
季節もいいし。
神宮外苑の銀杏並木が色付いた時に外国の方ばかりだったと思う水谷譲。
そんなものは(日本でなくても)いくらでもある。
映画で「第三の男」で最後、ポプラ並木を女が・・・

第三の男(日本語吹替版)



あれは武田先生は憧れた。
それでダダダダダ〜ンダダ〜ン♪という。



神宮外苑はマネ。
それを見に来る人がいるという。
それから大阪城で巡り合った、葉っぱを落とす銀杏を見ながら感動しているインド人。
親子連れが嬉しそうに銀杏を見ている
子供がテンションが上がってしまっている。
何が珍しい?
でもふと考えたら「本国に帰って葉っぱを落とす木なんかないんだ」と思って。
ドイツ人で遭遇したのは信州のサルが入る温泉。
あそこにフランクフルトから来たドイツ人が、風呂に入っているサルを見ている。
サルが風呂に入っているだけ。

この本に遭遇して驚いたのはヨーロッパだけを取り上げるが、ヨーロッパ全体でアジアのことを研究しているという国があるんだそうだ。
中国、韓国を研究すべき機関を持っている。
20か所ある。
日本の勉強をしている国。
120か所。
大変申し訳ない。
嫌味な言い方になるが、中国や韓国を勉強したいという人よりも、六倍も多いということ。
「Why Study Japan?」
観光もあるだろうが、どうも観光だけでは来ていないという。
武田先生はこの本を読みながら日本を勉強しておれられる方を知った。

一番最初の方をご紹介しましょう。
シュミット堀佐知さん。
長い名前だが

 私は1997年にアメリカに移住し、2000年に帰化した「アメリカ人」で(14頁)

この方は結構アメリカ文化に馴染めずに苦しまれた、鬱病になった。
この方は興味あることは何かというと日本の古典文学。
源氏物語にも言えることだが、平安期の日本の文学はアメリカでは全く役に立たない。
アメリカから見れば平安の日本文学の作品なんていうのは全く理解できない世界を描いた文学。
アメリカの特徴。
アメリカの言葉はインド・ヨーロッパ語族で、キリスト教であって、それもプロテスタントで異性、男女間で家庭を持つ。
そして社会の中心は白人男性。
それから外れた人は、はじいてしまうのがアメリカ文化。
憲法の中で武装することが認められている。
コロナ・パンデミックに対してもマスク、ワクチン等は個人の自由。
したくなければしないでいい。
「選択の自由がある」というのがアメリカ。
アメリカという国というのは、全て正義も含めて個人に任されているという。
そんな国の中でこのシュミットさんは得意分野が平安のいわゆる文学である。
紫式部、清少納言。
それでシュミットさんはアメリカの大学で教え始める。
一体このシュミットさんはどうやって平安期の文学をアメリカの若い男女に伝えようとしたのか?
このあたりから日本研究「Why Study Japan?」続けていきたいと思う。

アメリカというこの国は自由と平等が売り物だが平等はあまり得意ではなくて人種による差別があるので、平等はなかなか難しい。
ただし自由であるというのはアメリカのやはり大事な看板。
だから犯人もやはり逃げる。
車でよく逃げ回っている。
「バカなヤツだなぁ」と思うが必死になって逃げている。
「犯罪者にも自由がある」という、そういうのが徹底しているのだろう。
そして白人の男性でプロテスタント。
そういうことがアメリカ人の中枢・真ん中を成している。
もう一つアメリカの特徴は、俗っぽい言葉だがアメリカは敵がいないとまとまらない国。
今、アメリカ人が好む敵は中国。
このあたりはトランプさんの報道を見ているとよくわかる。
この人はもう典型的で「とにかく敵を作る」という。
選挙に勝つ為だったらば共和党・民主党で敵対するし、マイノリティ・白人という対立。
労働者とエリート、都市と地方という対立を激化させて人数の多い方に味方するというのがトランプさんのやり方。
対立、それがトランプさんの一番好むところだろう。
こういうアメリカに対して、このシュミットさんが教える古典の中の日本はというと異世界。
まずは一夫多妻。
奥さんが何人いてもいい。
それから夫の通い婚。
夫が通って来る。
男女に関してはもの凄くルーズ。
これは本当に日本の文化の特徴で、性にルーズ。
古典の中にある。
「とりかへばや物語」

とりかへばや物語 ビギナーズ・クラシックス 日本の古典 (角川ソフィア文庫 A 3-3 ビギナーズ・クラシックス 日本の古典)



女の子を男の子として育て、男の子を女の子として育てるという物語が平安時代にある。
持っている子供の特性、その子がやりたいことをやらせていくうちに女の子が男の子になりたがって、男の子が女の子になりたがるという。
アメリカから見るとルーズということなのだろう。
平安が一番特徴的なのは、強いというのは野蛮。
弱い事、悲しいこと、これが美しい。
「いとをかし」
正しいかどうかは重大ではない。
潔いかどうか?
それを「美」としたという。
美的でなければならない。
こういう日本独特の平安の文学の文化をどうやってアメリカの若い子に教えるかという。
これをシュミット堀佐知さんというのは頑張られた。
特別講師という職を得て日本の古典を教えるという仕事をするのだが、この方は日本の古典を「What」な情報ではなく、「How」これで教えていく。

『蜻蛉日記』の中で、道綱母−中略−が、夫・兼家に「病気で心細いからお見舞いに来て」という内容の手紙をもらうシーンである。平安貴族の夫婦は基本的に別居しており、夫が複数の妻のもとに通って来ていた。妻が夫に呼ばれたからと言って、のこのこ出かけて行くと、「召人」という「お手つきの女房」並みの扱いになってしまう。だから道綱母の女房たちは「奥様、だめです!」と諭すのである。−中略−道綱母は女房たちの制止を振り切って、兼家のもとに駆け付ける。(127頁)

「この物語から何を学びますか?」という。
そうしたらジョンとかラリーは「アメリカとは全然違う」という。
そのことだけでもシュミット堀佐知さんは「いい勉強じゃないか」。
世界はアメリカが持っている道理・理屈・倫理、この一尋ではないんだ。
自分達の持っている「What」な情報よりも「How」いかに受け止めるか、それが重大なんだ。
そうやってみると日本って面白いんじゃないの?という
このシュミットさんというのはいいことを言う。
「人間の理想はわかってるんだ。清く正しく美しく生きることでしょ?でも清く正しく美しくは世の中変える力は無い」
これは名言。
インバウンド、なぜ日本にやってくるのか?
その奥の奥にある何かを三枚おろしで訪ね歩きましょう。

文学は清く正しく美しいものを教える芸術ではない。
文学というのは清くなく正しくなく美しくない。
それを描く。
それに耐えること。
それを許すこと。
それで真理・正義を教えていくんだという。
その通り。

最近また歎異抄を読んでいて、親鸞が言った「善人なおもて往生す、いわんや悪人をや」と。
「善人?極楽行けますよ。いや、悪人こそ行けるんですよ」
人間は間違うんだ。
間違うから人間なんだよ。
それで、このシュミット堀さんが担当している学生さん達から見れば、(日本人は)「よくあんなとこ住んでるな」というようなものだろう。
周りを見ると隣はロシア。
その隣は中国。
その隣は北朝鮮。
最も危険な国で、それにすぐ近く。
横でボンボンロケットを撃っている。
日本は多少ボーッとしていないと生きられない。
あんまり気を張り詰めていると。
向こうから見ると「危ねぇとこ住んでんな」というようなもの。
アメリカなんていうものは、嫌な国の中国とは遠いし、爆弾を撃ってきたにしても、ロケットを撃ってきたにしても撃ち返せる時間が(ある)。
日本は無い。
撃たれたらもうみんなで死ぬしかない。
そのどっちが撃ってくるかわからない。
ロシアが撃ってくるかも知れないし、北朝鮮が撃って来るかも中国が撃ってくるかも。
そんなところに住んでいる。
こんなに幸せに。
「平和ボケ」と言われるが、ちょっとそのぐらいじゃないと毎日過ごしていけないかも知れないと思う水谷譲。
アメリカはというと、敵の国から遠くて観光に来いと言ったらいっぱい名所がある。
ニューヨーク、それからワシントンだけではない。
ロスもあればサンフランシスコ、フロリダ、ボストン、ニューヨーク。
大西洋を渡れば世界の文明ヨーロッパ。
西ヨーロッパが広がっている。
そんないいとこに住んでいる方達が日本にやってきて長期滞在している。
これは一体何なのか?
普通ヨーロッパを旅したらパリ、ロンドン、イタリア・ミラノ・ローマと行く。
お決まり。
日本は違う。
日本は狭いエリア。
何でこんな狭いところに来るのか?
昨今のインバウンドの方達の最大の特徴はローカルに出ていくこと。
一番最初に申し上げたが、大阪の堺の町に包丁を買いにきたヨーロッパ人がいるのだから。
ちょっとした温泉街にも(インバウンドが)いると思う水谷譲。
彼等はローカルを発見して「日本は面白い」と言っている。
日本のローカルは面白いらしい。
最近の流行りで体験型の旅行が多い。
農業を体験したり何だりしているが、それもローカル。
日本は都会の首都圏みたいなところともう一個、千差万別のローカルを持っているというところが、彼等異国の人達を惹きつける。

さあここで考えよう。
日本のインバウンドの旅人の第一号。
ドナルド・キーンさん。
(ドナルド・キーンに関しては以前、この番組で詳しく紹介されている。2024年2月5〜16日◆ドナルド・キーン
あの方はもちろん東京を知っておられたのだが、京都で日本を勉強する。
もう一回繰り返すが、ドナルド・キーンさんの一番最初の驚きは「源氏物語」。
平安の文学の最高峰、源氏物語を読んでドナルド・キーンという青年は引っ繰り返る。
光源氏というのがヒーローでありつつ、戦闘シーンが物語に一か所も出てこない。
ただひたすらに恋をして別れる度に泣いている。
確かに「何でそんなにモテるの?」という男の人のタイプだと思う水谷譲。
そのくせ、ちっとも恋をエンジョイしない。
それに源氏物語の中に小さな引っ掛けがある
源氏物語には地名が出て来る。
その地名と物語の流れがシンクロしている。
光源氏が恋に悩む。
悩んでいるその町は「宇治」。
ウジウジ悩んでいる。
希望を見つけるのは「明石」。
光が見えた「あかし」。
それで旅をするのだが、そこから心機一転頑張ろうと思う地名は「吉野」。
運が「よしの」。
こんなふうにして地名を引っ掛けつつ物語の舞台にしてゆく。
ドナルド・キーンは膝を打って「何て巧妙なんだ!日本は」という。
だから「うし」「鬱陶しい」。
こんなふうにして日本はローカルに目を向けると物語の奥行がいっぺんに深くなるという。
ドナルド・キーンというのは巨人。
また来週、キーンさんの話が出て来る。
裏話にびっくりする。
ドナルド・キーンは日本のローカルに眠っている文化の深さに驚いた。
この人は何せニューヨークと京都を往復なさっている。
だから文明の差を体感なさったのではないだろうか?
キーンさんはそういう言葉では残してはおられないが、シュミットさん、アメリカの国籍の方なのだが、結婚なさってアメリカ人になったという方。
この方が平安の古典文学が好きで、それを大学で講師として教えてゆく。
そのうちに生徒達が日本文化に興味を持つようになった。
「アメリカの仕方とは全く違う世界の割り切り方を日本は持っているのではないだろうか?」という。
アメリカというのは一体何かというと、これはシュミット堀佐知さんが感じられたアメリカ。
まずはアメリカは性に対して革新的でオープンである。
ジメジメと隠したりしない。
特にニューヨーカー、ニューヨークに住んでいる人間は、性のオープンに対して胸を張って。
武田先生もニューヨークでロケをやったことがある。
エッチな話を聞いたことがある。
「美女のいけす」という。
どこかで食事をしていると窓が開くので見ると向こうが水槽。
そこに綺麗なお姉さんが泳いでいる。
それを値段を付けて買うというようなお店があるとか。
そういうのを聞いたことがある。
武田先生は「不適切な時代」を生きていた。
一つだけはっきりしていることは、ニューヨーカーの性に関してもアメリカ全土もそうだが男性的。
性の割り切りは男性。
性を支配するのは男性であり、性に積極的な女性をもの凄く卑しく見下ろすという。

アメリカ社会は暴力という、男性性を付与された反社会行為に対して、概ね寛容であり、しばしばそれを「勇敢さ」「正義」「強さ」「カッコよさ」などと関連付け、美化する。(130頁)

映画・テレビ番組・ビデオゲームなどでは、戦闘・爆発・爆破シーンは「カッコいいもの」として描かれ(130頁)

バーン!と何かガスタンクみたいなものが爆発して、その前をシルエットが飛んでいるという、よくありがちな。
必ずあれをやりたがる。
つまり破壊というのはアメリカにとってはクライマックスの象徴。
面白いことに本当にそうなのだろう。

赤ちゃんの裸体も、アメリカではタブーである。(130頁)

日本はゴロゴロ出て来る。
パンツ一枚でも「全裸」。
日本ではオムツだけとかがある。
それが赤ちゃんの証拠。
アメリカは
ヒヨコを乗っけて
「お母さんから生まれてきたの」というのがある。



あれはアメリカではダメ。
家族そろってテレビを見る日曜夜八時。
ここはアメリカでは明るく楽しいホームドラマ。
夜八時は戦争、流血等々は描かない。
日本は逆。
これだけ平和な国で大河ドラマではだいたい夜の八時は戦国ドラマ。
大阪城は燃えるわ淀君は死んでいくわという。
今回の光の君(「光る君へ」
これは無いか。
NHKのもの凄く変わったドラマ。
でもこのドラマでも物語は殺されたお母さんのところから始まった。
武田先生もそんなに詳しく見ているワケではないが、でも殺人から物語を始めないと歴史物語にならないというのが日本のドラマの面白いところ。

アメリカ英語の全語彙の中で最も侮辱的な罵倒語は、女性器を指す言葉の1つである。(130頁)

これは映画でさんざんやっているから皆さんもご存じだろうと思う。

くだけた会話の中で、「殺す・殴る・蹴る・破壊する・虐殺する」などの動詞は「大成功する」を意味する。面接の感触がよかったらI killed that interview!≠ネどと表現するのである。「暴力団員」を指すgangsterは「めちゃくちゃカッコいい人」。(130頁)


2024年06月21日

2024年5月27〜6月7日◆鬼の筆〈後〉(後編)(7月12日追記)

これの続きです。

先週は松竹作品の「ゼロの焦点」まで話をした。
「ゼロの焦点」
松本清張さんの原作なのだが、橋本忍はこれを映画化するにあたって、後半の方は全く変えてしまう。
かつて売春をやっていた女性が過去を知っている人間を殺してゆくという。
サリーという元売春婦の仲間だった女性を殺す時は吊り橋から突き落として殺すのだが、これを橋本忍はやめてサリーが佐知子に同情を寄せると佐知子の中から悪で染まっていた心が晴れて泣き出してしまう。
「あんたも苦労したんだねえ。過去を隠す為にどのくらい苦労したか、ホント可哀想だよアンタ。よくわかるよ」と言われると泣き崩れるという。
それで「もう人は殺さない。あたしこれから警察に自首して出る」と言って警察に向かう途中、前の男を殺した毒入りウイスキーを後ろの座席でサリーが飲んでバックミラーで見た瞬間「あっ!」と声を上げて急ブレーキを踏むとサリーはその毒で倒れてしまう。
殺す気は全く無く、ここから善を始めようと思っていたという。
それが善を掴み損ねるというその悲劇。
急停車の車、中から「ウワーッ!」と女の泣き声が聞こえてくる悲劇。
このへんはやはり映画にする時にワクワクする。
やはりワクワクするようなストーリーを作らなければならない。

橋本忍というのは上手いこと言っている。

「小國さんの言うことにはね。シナリオライターというのは指先で書く奴と、手のひら全体で書く奴がいる。でも橋本お前はどちらでもない。腕で書いている。(252頁)

橋本は腕力を使う。その腕力による圧倒的な筆致により登場人物をねじ伏せて意のままに動かし、同時に観客の心をもねじ伏せる。(252頁)

佐知子がサリーを吊り橋から突き落とす。
「簡単だよ印象は。これじゃあ映画にはならない。なぜならば観客は悪に慣れるんだよ。慣れてしまうと悪に退屈する。そうするともう悪なんて描きようはないんだ。だから一端悪から抜け出してもう一度悪に落ちるというところを悲劇にする。これが映画なんだよ」
原作と違う。
ところが松本清張という人はわかっていたのだろう。
橋本忍にどんどん頼んでくる。
これは付け足しておくが、原作はまた、原作ということで売れる。
それは事実。
映画の方はというと、これはロケーションをやったのだが、石川県の東尋坊での犯人を追及する人妻との対決シーンで断崖絶壁で女二人が対決するという。
(追記:7月8日放送分の中で訂正。「東尋坊」ではなく「ヤセの断崖」。「東尋坊」は福井県)
この「断崖絶壁で語り合う」というのがサスペンスの定番になるというワケで、このあたりもやっぱり橋本の知恵。
「断崖絶壁で対決する」という。

清張は橋本や野村を招いて食事会を開いていた。そしてある時、橋本にこう語りかけてきたという。
「橋本さん、
−中略−これをぜひ映画にしてください。−中略−
 この時の新聞連載こそ、『砂の器』だった。
(215頁)

砂の器 デジタルリマスター版



この時も橋本忍さんは「変えますよ」ということはおっしゃっている。
砂の器も変えていきますよということを前提にして作品を読みだす。
ところが三分の一もいかないうちに橋本のつぶやき「(映画としては)全く面白くない」。
松竹が乗り出してきた。
東宝もヒットメーカーの橋本を手放すということはできなくて「いやいや!ウチでやろうよ!『砂の器』はウチでやろうよぉ」と誘う。
松竹の方はもうカッカ燃えているので「放すもんか」。
「松本清張・橋本忍・松竹」これをやりたかった。
それで松竹はとっておきを出した。
「アンタも一人で脚本大変でしょ。助手付けるから、アシスタント。コイツもね、ホン書けるの。まだ若いんだけど、これから伸びるヤツだから、ねぇ橋本さん。アンタんとこでシナリオの勉強させて伸ばしてやってくれよコイツを。山田洋次っていうんだ」
山田洋次監督。
フウテンの寅「男はつらいよ」で喜劇作品を手掛けているのだが、その喜劇を書いてるヤツは腕がいい。
喜劇というのは巧妙に仕掛けないと笑わないから。
作品の方はどういうことかというと、高名なクラシックの指揮者がいる。
その男には隠さなければならない過去がある。

 ハンセン病を患ってしまったために理不尽な差別を受け、お遍路姿で流浪することになった本浦千代吉(加藤嘉)と、それについていく幼い息子。行く先々で邪険に扱う人々と、それにめげない父子の触れ合い(212頁)

高名な指揮者がいる。
その男の父は皮膚病で村を追われた人。
息子と二人で日本を放浪の旅をしているワケだが伝染性ではない。
だが伝染するということでもの凄く激しい患者差別が日本にはあった。
この皮膚病に罹ると徹底した隔離が行なわれ、その人は一生涯人里離れた療養所でただ死を待つのみの暮らしを強制されたという。
その死んだお父さんのことを隠したい。
ところが有名な指揮者・ピアニストになった後に、そのことを知っている彼等を保護した正義感溢れる田舎の村の巡査さんが現われて「お前は息子だろ!」と言う。
「俺の過去を知っている」ということでその男を殺してしまった。
そういう物語。
これは松本清張さんが病に関する偏見がどれほど日本社会にはびこり、どれほど人を苦しめたかを小説で訴えた作品。
それが「砂の器」。
ところが読んでも読んでも橋本はちっとも感動しない。
まず泣けない。
若い演出家である山田洋次という青年も「病に関する偏見に対する怒りというのは映画で一時間以上訴え続けて物語にするのは難しいなぁ」というふうに思うようになった。
それで二人とも音を上げて「映画化不可能」ということで一回引く。

 六三年になり、事態が動く。橋本の父・徳治が死の病に倒れたのだ。故郷の鶴居に見舞いに行くと、その枕元には二冊の台本が置いてあったという。−中略−もう一冊が『砂の器』だった。
 病床の父は、橋本にこう語りかける。
−中略−『砂の器』のほうが好きだ」と。そして最後にこう付け加えた。
「忍よ、これは当たるよ」
 橋本は、父の博才に惚れ込んでおり、特に「当たる興行」を見抜く目を信頼していた。
(219頁)

お父さんは凄く面白い人で、どこの一座も12月は「忠臣蔵」をやりたがる。
武田先生も(「忠臣蔵」は)好き。

考え込んだ末に徳治の出した答えは、意外なものだった。−中略−
「『忠臣蔵』はやっぱりやめとくわ」
−中略−「一人が四十七人斬った話なら面白いけど、四十七人かかって一人のジジイを斬って、どこが面白いんだ」(220頁)

『砂の器』は当たる──。そんな父の言葉を受けた橋本は、東京に戻るとすぐに『砂の器』の脚本を読み返す。(222頁)

ここからが橋本忍の才能。

橋本はあるアイデアを思いつく。
「そういえば、小説にはあの父子の旅について二十行くらいで書かれていたよな。《その旅がどのようなものだったか、彼ら二人しか知らない》って」
(217頁)

これを橋本が読んだ瞬間「これだ!」と。
この一行だけ。
「その旅がどのようなものだったか、彼ら二人しか知らない」
これは丹波哲郎がセリフで言う。
それで回想に入っていく。
橋本の頭の中にブァーッと浮かんだ。
これをメインにする。
そしてこの間、原作に親子の会話なんか何も書いていないから無言劇にする。
無言劇にしておいて旅しているだけの二人を追う。
しかもワンシーズンじゃダメだ
「その旅がどのようなものだったか、(彼ら)二人しか知らない」それを日本の四季で描いてゆく。
「砂の器」といったらそのシーンがまず思い浮かぶ水谷譲。
それでそこを丁寧に描いていったら映画になるかも知れない。
「これは無言劇だが泣ける」という。
橋本忍はもっと凄いことを考える。
無言劇だからセリフがない。
どうするか。

『砂の器』の構成について考える上で、橋本が重要視していたものがもう一つある。それが文楽だ。−中略−
 文楽はまたの名を人形浄瑠璃ともいう。
−中略−この構図を「父子の旅」で使えないか──と橋本は考えた。つまり、人形遣いの操る人形が「旅をする父と子」、三味線が主題曲「宿命」、そして義太夫が捜査会議の今西。これにより、文楽のような荘厳で情感あふれる表現ができる。それが橋本の考えだった。(262頁)

一点突破するとブレイクスルー。
そうすると橋本の悲劇の予感が震え始める。
これに更に悲劇を盛り付ける。
悲劇をどう盛り付けるか?

この「父子の旅」の中で橋本が施した、ある脚色である。それは、幼き和賀と旅を続けた父・本浦千代吉の扱いだ。
 今西が捜査を始めた時点で、原作での千代吉は既に死亡している。が、橋本はそこを変える。千代吉は生きていた──という設定にして、今西と対面させているのである。
(263頁)

生かしてさらにお客を泣かせる要素を持ってくるという。
「砂の器」製作の裏側。
「その旅がどのようなものだったか、彼ら二人しか知らない」
この一行二十字からあの巡礼姿で四季を歩き続ける名場面が生まれる。

橋本はそこでのセリフを全てカットした。(234頁)

「砂の器」の原作を読んでいない水谷譲。
(武田先生は原作を読んで)頭を読んで一番ケツにもう行ってしまた。
もう退屈で。
(映画の内容とは)全く違う。
武田先生は一生懸命巡礼のところを探した。
巡礼は出てこない。
巡礼のイメージしかない水谷譲。
巡礼じゃないとダメ。
あれを考えたのは橋本忍。
恐らく兵庫の人なので、四国の八十八ヶ所に渡ってゆくお遍路さんの残像が橋本さんにあったのではないか?
それともう一つ、この春日さんの本には直接書いていなかったのだが、八十八ヶ所巡礼の歴史を訪ねると「裏遍路」という別道があったようだ。
それがどうやらその手の方達の為の道だったようだ。
哀れに思う人はそこにそっと喰いものを置いてあげて、お接待としたというということで成立させる。
橋本は昨日言った通り、仕掛けの為に原作では死んでいる父を殺さない。
これはまた後でお話しする。
まずは巡礼の親子二人が日本中を歩く、四季を歩くというシーンの撮影に入る。
ところがここ。
映画は大変。
四季・一年間を通して親子の道歩きを撮ると言った瞬間、松竹の会長さんが激怒。
「バカか?オマエらは。そんな撮影ができるワケないだろ〜!」
それはそうで、映画の撮影部隊となると50人から100人ぐらい。
しかも4シーズン。
日本のいいところを点々と狙う。
はっきりいって「製作費いくらかかると思ってんだ」という。
今だったらCGで何でもできるが、当時は現実に春なら春まで待って夏には一番暑い夏を待って戦前の日本の風景を探さなければらない。
それだけで大変。
それで製作中止になる。
そうしたら東宝さんがやってきて「ウチ、頂戴よ」と言うのだが、四季を狙うとなったら東宝さんも「黒澤だって二つしかシーズン撮ったことないのに、橋本さんの本で四つは・・・」という。
それともう一つ、橋本忍さんの憂鬱は監督さんも野村芳太郎と決まっているので、もし東宝で強行するならば松竹の野村芳太郎が会社を辞めて東宝に入らなければならないと思って。
ここからが橋本忍という人の執念深さ。
もう正しく鬼。
そして何と四季を撮る。
松竹も東宝も諦めて橋本プロという映画製作会社を興す。
カネがないと人間、考えるもの。
何を考えたか?
撮影スタッフは普通50人から100人がかかるのだが、撮影スタッフを10人にした。
10人で撮影している。
出演者二人。
それも巡礼姿で引き絵が多いから本人を連れていかなくても子供とそれなりの大人がいればどこでも回せる。
そのかわり、徹底して風景にこだわる。
戦前の日本の農村の風景。
それでこのあたりを考え始めると若き監督の山田洋次が燃えて、いい候補地を挙げる。
彼は別の映画で日本中のいい景色を知っている。
寅さんがフラフラ歩く道で。
「菜の花畑はあそこですよ」とか「満開の頃はいつだ」とか。
それで10人でOK。
ロケバス一台で間に合う。
それで4シーズン撮り切る。
それがかなってカネがかからないとわかったら松竹は「いや、ウチがやるよ。ウチがやるよ」と出て来たという。
ここは凄く面白いのだが、山田洋次監督もリアルなのがお好きな方なので橋本忍さんに「放浪の旅をする人の特徴で橋本先生。あの、こういう放浪の旅をする人は寒い時は暖かい所に行く。暑くなってきたら涼しい所に行くのが、だいたいこの手の旅のパターンですよ」と教える。
橋本さんも何か直感があったのだろう。
本には(山田洋次監督のことは)「洋ちゃん」と書いてあった。
「なあ洋ちゃん。一か所だけ裏切っていいか?寒い時に寒い所を歩かしたいんだ。一か所だけでいいんだよ」
山田監督がまだ若いから「ああ、そうですか?」とかと言って乗らない。
横に置かれてその撮影が強硬された。
いい。
親子が北陸の海岸を歩いている。
タイトルに「砂の器」と入れると・・・それがポスターになる。
象徴になる。
映画というのはわからない。
こういう偶然の中から中止を命じられた作品が人数を絞ることで回転し始めた。
いい話。
ここから橋本忍は仕上げにかかる。
春日太一さんの「鬼の筆」橋本忍伝ということでお送りした「砂の器」
感想から言うと巡礼の親子二人が旅する日本の四季の美しさ。
菜の花畑のシーン。
一本道いを歩いていると村の子が石をバーッと投げつける。
それを黙々と二人は歩いてゆく。
そして寒い冬、神社の床下か何かで親子が抱き合って眠っている。
泣ける。
この描き方は凄い
脚本ばかりではない。
監督の野村芳太郎さん、共同脚本の山田洋次さんの才能も込みで素晴らしい。
本当に泣けた。
何でお父さんを殺さなかったか?
橋本忍に言わせると「悲劇が足りない」。

 捜査の末に療養所にいる千代吉にたどり着いた今西は、千代吉に音楽家として活躍する和賀の写真を見せる。(263頁)

五体を震わせ、波打たせ、激しく慟哭する。そして声を振り絞って叫ぶ。
千代吉「シ、シ、知らん! 知らん、ヒ、ヒ、人だァッ!!」
(265頁)

あの加藤(嘉)さんの熱演。
「知らん」と言う度にどれほど知っているかという父親の情愛。
森田健作(吉村弘)と丹波哲郎(今西栄太郎)が逮捕に行く。
彼は「宿命」という曲を演奏している。
森田さんが「何を考えてんですかね、あいつ」と言ったら丹波さんが「今、父親と会っている」。
銀座(の映画館)で見て泣けた武田先生。
丁度武田先生も子供を持ったばかりだった。
感情移入してしまう。
「親になるっていうのはこういうことなのか」とか。
泣けた。
もう一回繰り返す。
原作では父親は死んでいる。
しかし映画では死んでいない。
なぜならば悲劇性。
腕力で観客をねじ伏せる。
その橋本脚本の妙というのがこの映画の中で生きている。
もう一回繰り返すが原作の「砂の器」と映画「砂の器」は違う。
でも映画にするというのはそういうこと。
何回もアンコール上映がされたし、皆さんもご存じだろうがこの作品はTBSの福澤(克雄)さんの手で原田芳雄さんがお父さん役をやって中居君主演で連続テレビドラマになった。

砂の器 DVD-BOX



この「砂の器」の成功を受けて映画会社が橋本忍のところに寄って来る。
「砂の器」が終わると同時に「先生!こっち」と言って橋本忍をかっさらった映画会社が東宝。
大変な作品。

八甲田山 <4Kリマスターブルーレイ> [Blu-ray]



「八甲田山」に取り掛かる。
タフな人。
橋本忍という人は肺結核で死にかかった人。
その方が高齢になって引き受けた作品が「八甲田山」。
「八甲田山」のキャスティングはもちろんだがロケにも付き合うという。
これはもう喋っても大丈夫だと思うところだけ喋るが、主演・高倉健というのは決まっていた。
「相方の神田大尉を誰にするか」というので、なかなかキャスティングが決まらずに最後は健さんが決めたようだ。
「誰がいいですか?」と訊かれて、ご指名なさったのが北大路欣也。
それで決まったという。
凄い撮影。
八甲田山。
寒かったろう。
ここでも橋本忍は工夫を繰り返す。
これは現地に行った人でないとわからない
「八甲田山」
ストーリーを今日は説明しておく。

陸軍第八師団は青森県の八甲田山系での雪中行軍を実施する。だが、雪の八甲田に突入した青森歩兵第五連隊は大雪と猛吹雪の中で道を失い遭難、最終的には参加二百十名のうち百九十九名が死亡するという悲惨な結果になってしまう。−中略−新田次郎が『八甲田山死の彷徨』として小説化し(332頁)

八甲田山死の彷徨(新潮文庫)



橋本という脚本家はいろんな工夫をして、軍隊の集団が片一方は全滅に近い遭難事故を引き起こし、片一方は上手く八甲田を下山してきたという対比をもって描こうとした。
事実はそうではない。
事実はいろいろ解釈があって事実と違うのだが。
どうやって大遭難が起こったかというのを克明に描く。
ただ橋本は気づいている。
これが面白い。
雪の中で撮影をやるのはいい。
ただし、考えたらそう。

映像はひたすら真っ白な雪に囲まれてしまうことが想定された。(337頁)

(普通は)そんな心配なんかしない。
考えたこともなかった。
それで橋本が思ったのは、時々回想を入れて白のに脅威を増すように前の回想は緑の山を描いておいて真っ白にするという。
「それを繰り返さないと、この映画はもたない」という。
このへんは凄い。
だから小説の文字と違って、映像化というのはこういうことがある。

映画「八甲田山」、脚本・橋本忍。
遭難していく悲劇を描くのだが。
八甲田山の山のふもとか何かに神田大尉ら遭難した兵士達の死体がずらっと並んで棺桶の中に神田大尉は入っている。
そこへ健さん・徳島大尉がやってきて棺桶のすぐそばに栗原小巻さんの奥さんが立っている。

徳島へはつ子がしみじみと
はつ子(※神田の妻)「八甲田では三十一連隊の徳島様に逢える……それだけが、今度の雪中行軍の楽しみだと申しておりましたのに」
徳島「いや、雪の八甲田で逢った! 自分は間違いなく神田大尉に!!」
  同時に両眼からどっと涙が噴き出してくる。
  涙はあとからあとから噴き出してとまらない。
(343頁)

隠れた話だが、棺の中を見て健さんがパッと寄りに行って泣くのだが、あの映らない棺の中に北大路さんがいた。
顔をちゃんと白く塗って死体として。
そこにかかるまで何時間かかかっている。
それを北大路さんは健さんの為にジーッと待っていたという。
健さんは棺の蓋を開けた瞬間に北大路さんがいるので「俺の為に死体を演じてくれてるんだ」と思う。
もうそれだけでこみ上げてきた。
(それは映像には)映っていない。
でも北大路さんが死体を演じてくれたというところに「俺はあいつを共演者に選んでよかった」という。
それぐらい過酷なロケだった。
それでここから話を手短にする為にバッサリ切ってしまうが、この八甲田山が終わった後の健さんの次の仕事「幸福の黄色いハンカチ」の撮影現場。

幸福の黄色いハンカチ デジタルリマスター2010



健さんは例のマツダの赤い車(4代目のFRファミリア)の中でこんなことをおっしゃっていた。
「監督っていうのは凄いもんだなぁ。この山田監督も凄いけど、前の監督さん、台本にないシーンが入っててびっくりしたんだ」
「何ですか?」
「俺の少年時代の回想が入ってくるんだよ。俺が吹雪道でボーッとしてる時にポーンと子供に戻った俺の思い出は父ちゃんと母ちゃんが田植えしてるところなんだ。青森の夏の日照りの中で。俺は汗を拭いて働く父と母を見てるんだ。そこをポーンとなんだけど、何だか泣けてさぁ」
「へぇ〜」と思って「監督さんというのはポンと入れたりするんだ」とかと・・・
ところが、この春日さんの本を読んだら違った。
台本にあった。
これは健さんは忘れているとしか言いようがない。
そこは重大なシーン。
どうして重大かというと、そこのシーンが強烈に訴えられていなかったということが橋本さんは生涯の後悔。

八甲田へ進む前。神田大尉が青森から、弘前の徳島大尉を訪ねる場面なんだ。神田は『雪中行軍の辛い時には、子どもの時を思い出す』っていう話をする。それに対して徳島は『俺はそんなこと、思わんな』と言う。(344頁)

健さんはやったのを忘れている。
でもこれは脚本家の橋本忍にとってはもの凄く大事なシーン。
昨日言った。
白い雪山が続くので緑を時々混ぜ込まないと白の恐怖が伝わらない。
橋本はそこをちゃんと計算した。
ところが監督さんとキャメラマンは何気ない会話で終わっている。
橋本忍は割って欲しかった。
北大路がポツンとつぶやく「寒さで辛い時は、子どもの時を思い出して耐えましょうよ」。
そうしたら健さんが「俺はそんなことは思わんよ。そんな子どもの時の思い出なんかにすがらないよ」。
でも死の彷徨の最中、徳島を救ったのは「神田の言った通り子供の時のあの夏の思い出が吹雪の中で俺を救ってくれた」という。
その目で神田を見た時に「済まなかった・・・お前の言う通りだ」。

ここでの二人の交流により、終盤の「泣かせ」の芝居に繋がってくると計算したのだ。
 だが この出発前の場面が想定より印象の薄いものになったため、終盤の「泣かせ」が弱くなってしまった。それが橋本の見解だった。
(345頁)

橋本さんが証言で残されている無念さというのもこの本、春日さんがタイトルを付けた通りだが「鬼の筆」。
話はこの後もまだまだ続いて、この八甲田山が成功したことにより今度は「砂の器」で成功した松竹は「橋本さん、こっちに来てよ」で引っ張られて行く。
次の作品は「八つ墓村」

八つ墓村



それにしても凄いもの。
「羅生門」から始まって、日本映画のヒット作の殆どに携わったという大脚本家。

2024年5月27〜6月7日◆鬼の筆〈後〉(前編)

これの続きです。
(一冊の本を二週ずつ二回に分けて取り上げていて、どちらも「鬼の筆」というタイトルだったので、一回目を「鬼の筆〈前〉」二回目を「鬼の筆〈後〉」としておく)
(番組の冒頭はQloveR(クローバー)の宣伝)

まな板の上、「鬼の筆」が乗っている。
丁度一か月前ぐらいだが「鬼の筆」橋本忍伝ということでお送りした。

鬼の筆 戦後最大の脚本家・橋本忍の栄光と挫折



(今回もいつも以上に番組内で本の内容と大幅に違うことを言っているが、個別に指摘しないことにする)
(この本は「橋本へのインタビューによる証言と、創作ノートからの引用箇所は全て太字」ということなので、引用箇所も同様に表記する)

春日太一さんの大著。
本当に面白かった。
取れ高が余りにも素晴らしいもので後編に行くのだが、後編でもこの一冊を全部お話しできない。
珍しくこんな弱音を吐くが、後は読んでください。
何となくこの本を読んで思ったのだが、春日さんにも申し訳なくて。
武田先生の場合は(著書の)ネタばらしをやってしまうワケだがから。
とにかくこの本、「鬼の筆」を店頭で取ったのはもう数か月前のことで、読み出した理由はというと漫画原作の方とテレビ脚本家の方がテレビドラマを作るにあたって脚本をいじりすぎるとか、原作者の思う通りに行かないということで漫画原作者とテレビ制作者の揉め合いみたいなのがあったもので。

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武田先生も先生もので結構変えている。
ワリとよく変えてしまうタイプだと思う水谷譲。
(水谷譲の評価に対して)「うるせぇ」と言ってはいけないのだが。
それは脚本家としては原作者としてはお怒りの(方が)いらっしゃったのではないか。
「白夜行」とかあのへんも・・・

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「白夜行」では親鸞の「歎異抄」をつぶやく。
あんなのは脚本に一行もない。
「ここ俺こうやるから」と高圧的に出ないと。
監督さんは横を向いて「あ・・・はい・・・」と言いながら目を合わせようとしないという。
山田(孝之)君は寄ってこないし、綾瀬(はるか)も来ないし、監督も知らん顔をしているから。
でもドラマ自体がそういう設定。
向こうは犯罪を犯して逃げていく犯人で(刑事役の)武田先生が追いかけるから。
でも高く評価してくださった。
お世辞ではなく本当にドラマは面白かったと思う水谷譲。
(原作者の)東野圭吾さんには打ち上げの時にちゃんと詫びた。

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(原作では)武田先生は中途で殺されている刑事。
それをずっと生かした。
そこがもう(原作との)決定的な違い。
前のあの時も言ったが、漫画をドラマ化する場合は漫画そのものがもう視覚情報になっているので、ドラマ化した場合、ドラマと余りにも違うとファンの方は怒る。
文字で書かれた原作の場合は、映像化する為に工夫しないと原作をそのままできない。
これはちょっと武田先生が言うのは不適当かも知れないが、そのあたり、橋本忍というこの巨大な脚本家は原作を変える変える。
橋本忍という脚本家としてのスタートは、映画監督の中に黒澤明さんという天才的な方がいる。
この方から共同脚本を申し入れられて「羅生門」「生きる」「七人の侍」、戦後邦画の最高傑作を三本渡り歩いている。
本当のことを言うと、もう一本だけでも凄い。
黒澤明という天才的な監督さんとくっついてそのままずっと・・・という生き方もできるのだが、橋本さんの大胆不敵なところは「俺は台本工夫してもトロフィーみんな黒澤さんが持っていくな」ということに気付く。
単独で自分の作品で自分の存在みたいなものを世の中に訴えたい。
この人は大胆不敵な方。
そして橋本忍という人は文学が嫌い。
この人は何が好きかというと大衆演劇が好き。
村芝居が。
それで戦後日本の映像芸術に乗り出していくワケだが。
ちょっと言葉が悪くてごめんなさい。
非常に下世話。
だけど下世話というのはパワー。
この人は「羅生門」「生きる」「七人の侍」を作った後、自分で企画に乗り出す。
橋本忍氏が手掛けた作品のスタート「私は貝になりたい」。
この人は映画を作りたかったのだが、映画になっていない。
この「私は貝になりたい」を映画にしたのはTBS・福澤克雄氏の手により中居正広君主演で映画化した。
映画の為に作った脚本をなぜ映画にしないで、今頃になってSMAPの中居さんが演じているんだろう?という謎。

昨日の謎だが、スタジオでもグシャグシャな話になって。
「『私は貝になりたい』ってあれは中居正広主演のテレビでしょ」
「いや、違う。それは『砂の器』」
これは解きほぐしてゆくので「え?違うんじゃないの」と思わず、まずは聞いてください。
橋本忍という脚本家は黒澤明の手を離れて一人独歩で生きて行こうと思う。
あれほどの名作を残したけれども「何だ。栄光は全部黒澤にいっちゃうんじゃ無ぇか。俺の苦労は何だ」。
そういう大胆不敵な方。

 実は、『私は貝になりたい』には原型となる脚本があった−中略−
 戦時中に書いた脚本の題名は、『三郎床』という。
(157頁)

「三郎床」を書いて伊丹万作先生に賞められた。実に人のいゝ散髪屋が応召して戦死する話である。十数年来、常にこれを何らかの形で発表したいと念願にしていた。(161頁)

ある記事と出会う。それは、『週刊朝日』の五八年八月十七日号の終戦記念特集に掲載されていた記事だった。そこには、処刑された戦犯の遺書として、次のような文章が掲載されていた。
「どうしても生まれかわらねばならないのなら、私は貝になりたいと思います」
−中略−
 これを読んで、橋本は閃く。この処刑された戦犯と、床屋の三郎を繋げれば、一つの物語になるのではないか──と。
(161頁)

それは田舎の小さな三郎という名の床屋さん、或いは床屋の経営者が、戦争に駆り出されて、ただ隊長から命令されて米軍捕虜を殺したのに、戦後絞死刑になるという。
それで脚本を書く。
「三郎床」と「私は貝になりたい」のその遺書をくっつけて。
それで映画化の話がトントン進む。
ところがここで大きなミスが。

『私は貝になりたい』には「原作者」がいた。それが加藤哲太郎だ。(163頁)

「八月終戦号の『週刊朝日』でね、ある戦犯の手記として書かれていたんだ。−中略−『週刊朝日』が出典を明記してないから、わからなかったんだ。だから、本当にそういう戦犯の人がいたと思った。ところが後になって、それを実際に書いた人が出て来たということなんだよね」(164〜165頁)

これが事実のB級戦犯のつぶやきだったらば脚本のセリフはOK。
ところがこれが「作ったものを取って作った」となると盗作になる。
この「B級戦犯の遺書」というのは加藤哲太郎という方の体験を踏まえた創作作品で小説の中の文章。
それを橋本忍はニュースのネタだと思ったのだが、週刊朝日も悪くて。
ごめんなさいね、週刊朝日の方。

たしかにその記事には出典の明示はなく、記者が「加藤の創作」ではなく「本当の戦犯の遺書」だと勘違いして記事にしてしまったとある。(165頁)

「こんな悲しいセリフがあった」みたいなことを書いたものだから。

 加藤は−中略−「狂える戦犯死刑囚」を執筆、それが−中略−『あれから七年──学徒戦犯の獄中からの手紙』に収録された。その「狂える〜」には、次のような文章が記されている。
「どうしても生まれかわらねばならないのなら、私は貝になりたいと思います。
(163〜164頁)

そうつぶやいた人は、はっきり言えば世の中にいない。
そんな人はいなかった。
それを事実として拾った橋本は盗作で作者の加藤さんに訴えられる。
「知らなかった」では済まされないということ。
それでもう土下座せんばかりに詫びを入れて

以降は、『私は貝になりたい』の「題名・遺書」として加藤の名前がクレジットされることになった。(166頁)

それで汚名をそそぐ為にもいい脚本にしたのだが映画会社が「ミソ付けちゃったからぁ〜。裁判で揉めたヤツを映画にするのはぁ〜先生、難しいっスよ」ということになった。
そうしたら東京のテレビ局が「テレビでやりましょうよ。カネ出しますよ、ウチ」という。
これも橋本さんの知恵だろう。
それで主役を細やかなリズミカルな演技で有名な元ドラマーの俳優・フランキー堺に頼む。

私は貝になりたい



それでフランキーに命じられたのは「手錠で縛られて演技しろ」。
その時に動きを封じられたフランキーさんが実に深い心情芝居をやる。
これはもう皆さんもご存じだと思うがTBSテレビのドラマ史上、テレビドラマ史上を歴史に残る傑作となったという。
この話をずっと後まで引っ張っていくと橋本さんの胸の疼きの中に「映画化したかったなぁ」という。
そうしたらそこに2mもあるような福澤さんというTBSの社員さん、ディレクターさんがやってきて「中居正広君でドラマ化したい」という。
それが映画化になったという。

私は貝になりたい



その時は新しいメディアだから、テレビはやっぱり凄かった。
ドァ〜ッと流れ込むように橋本忍のところに脚本の依頼が集中するという。

今日の橋本作品は1960年代、今井正監督による「真昼の暗黒」という東映作品に乗り出す。

真昼の暗黒 [DVD]



これは武田先生も見たことがない。
ただこれは、本当に春日太一さんの本を読んでいて面白かった。

 一九五一年に山口県で実際に起きた強盗殺人事件を題材にした裁判劇だ。−中略−四名は無実を訴えるも、高裁で有罪判決を受けてしまう。映画は最高裁の公判の最中に製作された。
 そして驚くことに、まだ最高裁の係争中であるにもかかわらず、本作の製作陣は四人を「冤罪」と断定して描いているのだ。
−中略−
 身に覚えのない罪状により逮捕され、警察や検察の立証の甘さを弁護士が突くも裁判官に採用されない──。そうした中で苦しむ容疑者やその家族の悲劇が、法廷ドラマとしてのミステリー性を交えて描かれた。
(129〜130頁)

これは橋本さんというのはそのへんは凄く大胆。
これはもう、今で言うところの「昭和の人」。
「昭和の常識・令和の非常識」と言われる、そのパターン。
今井正はそれで描いていく。
民間人が無実の罪に落とされて、どのくらい苦しんでいるかというのを。
これは裁判は係争中なのだが、映画は「無罪に間違いない」ということで封切ってしまう。

そのため最高裁や映倫から製作中止の圧力がかかり、公開前から大きな話題を呼んだ。(130頁)

『真昼の暗黒』『私は貝になりたい』と、橋本は司法や国家権力の横暴を暴く作品で名を馳せた。
 そのため、左翼的なイデオロギーの持ち主、あるいは共産党系──と思われがちだ。
(172頁)

それはちょっと共産党の方に悪いが、この当時の60年代の言い方。
共産主義を酷く日本が嫌っていて、宗教団体が「共産主義は間違っている」なんていうのをしきりに街角で喧伝していた時代。
「橋本は社会正義の為にこういう裁判告発ものを作ったんだ」「今井もそうだが橋本も共産主義者」という。

『真昼の暗黒』に臨んだスタンスについて改めて尋ねた際、橋本から発せられたのは、あまりに思わぬ言葉だった。−中略−
「国の裁判制度を批判しようとか、そんなことを狙って書いたものじゃないんだ。
(146頁)

橋本は何を狙ったか?
「泣ける」

 それを踏まえると、ラストシーンの見え方も変わってくる。高裁でも有罪判決が出て、容疑者の一人・植村を母・つなが拘置所に訪ねる場面だ。
 面会室で言葉もなく、ただ涙を流しながら向き合う母子。そして、母は去る。その背中に向かって、植村は叫ぶ。
「おっかさん! おっかさん!」
「おっかさん、まだ最高裁判所があるんだ! まだ最高裁判所があるんだ!」
 必死にそう叫ぶ植村を看守たちが押さえつけながら、映画は終盤を迎える。
(149頁)

これはもう裁判所とか警察の大反感を買う。
過去の出来事を解釈を変えて今の映画やドラマにするというのだったらわかるが当時、起こっていた出来事を平行して(映画化するのは)凄いことだと思う水谷譲。
それで橋本がはっきり言っているのは「社会正義なんかじゃ無ぇ。泣けるからいいんだ」。
橋本は断固として言う。
「泣けないと映画なんか見に来るヤツは居無ぇぞ」
冤罪事件を泣けるエンターテインメントとしてとらえているということ。
物語というのは、彼にとってはそういうもの。
橋本は何よりも「何が当たるか」を考える。
この「真昼の暗黒」をシナリオで書いた時代はというと大栄映画が当たっていた。

 母もの映画とは、大映が三益愛子を主演に作った「母」がタイトルにつく一連の映画を指す。−中略−「お涙頂戴もの」として人気を博していた。
 橋本は、『真昼の暗黒』でそれを狙ったというのだ。
(148頁)

『今度の『裁判官』というのは、無実の罪になってる人が四人いるんだ。それにみんな母親や恋人がいる。つまり、四倍泣けます、母もの映画だ』と言ったら、ワーッと飛び上がって、『すぐやれ!』ってことになったわけ。(148頁)

裁判の結果がどうなったかが一行も書いていない。
でも橋本忍はそういう人。
それはそれで見事な生き方。

人間は案外他人の不幸を一番喜ぶものである」(182頁)

認めましょう。
スキャンダルはお金になる。
そのことは絶対。
売り上げが伸びるのだから。

映画が興行的に当たるか、外れるか。内容的に名作となるか、駄作となるか──。その見通しが立たないスリリングさに身を投じることに、橋本はギャンブル的な刺激を求めていた。(302頁)

当たる作品に敏感だったらば当たらない作品にも敏感。
試写室で作品を見て小さい声で「これダメだ」「外れた」とつぶやくような。
その代表作が1967年に公開された「日本のいちばん長い日」。

日本のいちばん長い日



映画以上にこの方自体が面白い。
(映画の内容は)昭和最大の不幸。

 日本がポツダム宣言を受諾してから玉音放送が流れるまでの、一九四五年八月十四日と十五日の内閣や軍部の動きを追った作品である。(189頁)

徹底したリアリズムで、暗い映画。
記録映画という感じ。

『日本のいちばん長い日』を僕のところに持って来たのは東宝の田中友幸プロデューサー。(192頁)

この人は何で名を馳せたかというと、東宝の栄光に寄与している人だがゴジラの発案者。
田中友幸さんが考えた。
黒澤さんが東宝の撮影所のセットを全部使ってしまうものだから、空いていた一個だけを使ってゴジラを・・・
「日本のいちばん長い日」の監督はというとアクションものが得意な岡本喜八監督。
出演は三船敏郎さん等。
東宝としてはオールスターの配役で準備して、敗戦処理に向けての戦いを描くサスペンスタッチ。
まさに日本人の不幸を若い世代に伝える為の映画であったという。
しかしオールラッシュで出来上がりを見て橋本忍さんが思ったことはたった一つ「暗い」。
もっと泣き場が欲しかったのに泣かない。
一種の「狂気ののたうち」みたいな。
しかも各俳優張り切り過ぎ。
黒沢年男さんも凄い。
狂気の青年将校。
「日本が負けるワケない!」とか何か言う。
それからもの凄く立派にやってしまった三船さんの陸軍大将の割腹シーン。
あそこなんかもセンチにやって悲し気にやってくれればいいのだが、三船さんは凄い。
昭和天皇からいただいたワイシャツ。
それをはだけて「一死、大罪を謝す」と言いながら、侍。
それでお腹を切っていく。
見事な最期だと思う水谷譲。
後ろから若いのが「介錯を介錯を」。
「まだまだ!まだまだ!」と言う。
それが涙を誘わない。
水谷譲が言う通りカッコいい。
そんなふうに橋本さんもシナリオに書いているのだが、涙を誘うと思ったところで全然涙が出てこない。
それで思わずつぶやいた反省が「やり過ぎた」。

『こういう映画は当たり外れがあって、外れるかもしれないけれども、国民の一人としてこういう戦争意識とか何とか持たなきゃいけないから、作るのに意義があるから──』とか何とか、もう外れたときの言い訳というのがちゃんとできている。上から下まで、全部外れると思っているんだ。僕も外れると思っていたんだけれども。(197頁)

「公開日はズバリ8月15日敗戦の日にしてください」そういうことで橋本さんの心中のつぶやきを知らないものだからどんどんやっていって。
宣伝会議に橋本忍もいて、腹の中では「外れた、外れた」と思っているのだが

八月十五日の封切の始まる二、三日前──宣伝部の林というのが担当だったんだけど──その林が、『橋本さんね、ちょっとおかしい』と言うんだ。『『いちばん長い日』だけど、あれ入るんじゃないか』って言い出したの。−中略−僕は『ええ? そうかな──』と疑っていたんだけれど、−中略−営業が言うには『東映のファンが来ました』と。『なんでわかるんだ』と聞いたら、『何十%かゲタ履きのお客だった』という。当時の東映はヤクザ映画をやっていたから、そういう客ばかりだったんだよ。(198頁)

東映の任侠ものと勘違いをして。
任侠ものの悲劇「総長の首」とか「○○組三代目」とか「親分さんがそこまでおっしゃるんだったら・・・」とかとそれの勢いで(「日本のいちばん長い日」に客が)来ているんだという。
一種のアウトロー映画、そのヤクザ映画で8月15日の軍人さんを見るという目で見るとこれはなかなか面白い作品で、ヤクザ映画のある組織の壊滅ストーリ。
それを楽しみにみんな見に来ているみたいで「東映のお客、喰ってますぜ」という話。
この林部長が武田先生にとっては懐かしい方。
この後、林さんもずっと偉くなってしまうのだが「刑事物語」の宣伝をやってくれた方。

刑事物語



「無茶苦茶で面白いですよ。あの映画は」と言いながら。
いいおじいちゃんで、ゴルフをやる時は必ず日本酒を呑んでいるから、なかなかボールに当たらない。
武田先生はこの本を読みながら「林さん!」と声を上げて本の中に向かって呼んだ。
この人が大好き。

昨日は個人的な出来事も込みで懐かしい林部長の話なんかを交えてお送りした橋本忍伝だが、この「日本のいちばん長い日」の成功によって田中友幸さんは橋本忍をめっちゃ買う。
一種、組織が壊滅していく物語。
「その最大のものを作ってくれ」と言って、これは六年後、70年代に入ってすぐだが1972年に頼んだ作品が「日本沈没」。
これは面白い。
これも大ヒット。
この春日さんの調べ方が細かいので、山ほどネタがある。
戦後最も文芸界で映画になった小説家。
この人が一番多い方。
サスペンスと言えばこの人しかいない。
松本清張。
橋本という脚本家は、はっきり言ってしまうとびっくりするくらい原作を変える癖がある。
やはり令和で仕事をやらずによかった。
昭和だったからよかった。
ある意味で完璧に原作を離れて映画作品として価値を持つという。
そこまで高めないと文章は映像にならないと頑なに信じた方。
橋本さんはこの「鬼の筆」の中でこんなことを春日太一・インタビュアーに語っている。

「原作の中にいい素材があれば、あとは殺して捨ててしまう。血だけ欲しいんだよ。(239頁)

「原作を映像する」とは整形や移植ではない。
血を原作から抜き出して別の作品に輸血してゆく。
それが映画作品なんだ。

「牛が一頭いるんです」−中略−一撃で殺してしまうんです」
「もし、殺し損ねると牛が暴れ出して手がつけられなくなる。一撃で殺さないといけないんです。そして鋭利な刃物で頸動脈を切り、流れ出す血をバケツに受け、それを持って帰り、仕事をするんです。原作の姿や形はどうでもいい、欲しいのは生血だけなんです」
(238〜239頁)

清張原作を映画化した六一年の『ゼロの焦点』−中略−が、まさにそうだ。
 主人公の偵子はお見合いを経て結婚するが、新婚早々に夫は赴任先の金沢で疾走する。偵子は金沢で夫の行方を追う。そうしているうちに、関係者が次々と殺されていく。
(244頁)

ゼロの焦点



偵子−中略−は全てを理解した状況で犯人の前に現れる。そして断崖絶壁に真犯人を呼び出すと、これまでの自らの捜査と推理で得た犯人と夫との過去の物語を語っていく。−中略−その模様が回想シーンを通して綴られる。(245頁)

金沢だから断崖絶壁がどこかわかる。
これをやったのがこの「ゼロの焦点」。
偵子は、次々と殺されていく人間達に共通点があるのがわかった。

 戦後すぐの米軍基地のある立川で「エミー」と名乗って米兵相手に売春をしていた佐知子−中略−は、過去を隠して金沢で有数の大会社の社長夫人に収まった。そして、過去を隠すために、罪を重ねる。最後には売春仲間だった「サリー」−中略−も手にかける。(248頁)

原作は吊り橋からサリーを突き落とす。
ところが映画はそうしていない。

久子「でもねえ。エミー、お前も可哀想だね」
佐知子「え?」
久子「(しんみり)あたいはよく分かるよ……今までにいろいろ苦労したろうねえ」
−中略−
 こうした久子の言葉を受け、佐知子は思わぬ行動に出るのだ。
−中略−
  「サリー! そ、その通りよ!
−中略−(ボロボロ涙が流れだす)(249〜250頁)

原作は突き落とすのだが、殺せずにサリーに抱き付いて泣いてしまう。
ここからが凄い。
「あたし自首する」と言い出す。
それで車にサリーを乗せて警察署に向かう。

 運転を続ける佐知子。
 久子、唄いながらウイスキーの蓋を廻して開ける。運転を続ける佐知子。
 久子の唄が途切れる。
 「エミー、遠慮なくご馳走になるよ!」
 佐知子、ハッと振返える。
 途端に「アッ!」と叫んでブレーキを踏む。
 キキキ……軋って停る車。
 だが、久子、もうウイスキーを呑んで、座席へ横様に倒れている。その凄まじい断末魔の有様。
 佐知子、呆然とその有様を見ている。
 やがて、久子絶命する──。
−中略−
 ウイスキー瓶には、これまで何人もの命を奪ってきた毒が盛ってあったのだ。そうとは知らず、久子はそれを呑んでしまった
−中略−
 この一連の場面では、佐知子が口封じのために久子をすんなり殺せば、それで終わる話だ。
(251頁)

橋本忍は「それじゃあつまんない」と言う。
一回善人に戻して結果的には殺すという悲劇。
その悲しみがないとお客は泣かない。
この「ゼロの焦点」はこれでバカ当たり。
それで「これは面白い」と言って松本清張さんの「ゼロの焦点」を読んだ人は「あれ?」。
この後、さんざん橋本さんがやる手段で。



2024年4月15〜26日◆鬼の筆〈前〉(後編)

これの続きです。

脚本家・橋本忍を語っている。
「鬼の筆」という春日太一さんの著作。
今、語っているのはデビュー。
何せ橋本忍はデビューが凄い。
「羅生門」
あれの台本を27(歳)の若さで書けた。
洛中の入り口である荒れ果てた羅生門。
流れて来る音楽
皆さん、ボレロ。
(ここで本放送では「羅生門」のサウンドトラックが流れる)
この羅生門は始まる。
その羅生門に三人の人物が雨宿りしている。
死体から衣服を剥ぎ取る盗人、薪を売る木樵、そして旅の僧。
その三人が武士と盗賊と美しい貴族の妻の三人の間で起こった殺人事件の真相を語り合う。
しかし事の真相は藪の中。
人間の心の中などはわかるものではない。
そう人間への不信を、戦後の日本は戦争に負けて四年か五年の日本だから「それを三人が語り合うということで終わろうかな」と思ったのだが、共同脚本で黒澤か橋本どちらかが「やっぱり希望も語りましょう」ということになったらしい。
これは真相が全然わからない。
とにかくどちらかが思いついた。

羅生門には赤ん坊が捨てられており、下人はその赤ん坊から着物を奪い取ると去っていく。肌着だけになった赤ん坊に木樵が手をのばす。−中略−木樵は「俺には子供が六人いる。六人育てるのも七人育てるのも同じだ」として、赤ん坊を抱いて去っていく(81頁)

真っ暗闇の人間の世界なのだが、そこに「善意の小さな明りはあるんだ」ということを最後のメッセージにするという。
いいオチ。
それでお二人のお書きになった後のエッセーを読むと両方とも「私が考えた」とおっしゃっているという。
真相は「藪の中」という。
二人ともそのことでケンカすることはなかった。
何でか?
この「羅生門」の評判が凄かった。
ヨーロッパに出品したら、戦争に負けて5年。

『羅生門』はヴェネチア国際映画祭でグランプリを受賞した。−中略−この受賞により黒澤明は「世界のクロサワ」と称されるようになる。(86頁)

ご本人も「俺は世界のクロサワかも知んない」とかと・・・
でもこの人のこの思い上がりというか熱くなるところが作品にマイナスしない。
外国で平安の時代劇が受けた。
「よし、勝負しよう。戦後の日本に主人公持ってこよう」
「橋本!」
呼びつけられた。
黒澤から提案があった。
「次の映画はな、もう来年取り掛かるぞ」

 黒澤からの指示は、以下の三点だった。−中略−
・あと七十五日しか生きられない男
・男の職業はなんでもいいが、ヤクザは駄目
・ペラ二枚か三枚で簡単なストーリーだけを書く
(97頁)

黒澤は「羅生門」でウケたヒューマンな映画、それを現代の日本に置き直して描きたかった。
頭の中にあった。
文学青年の三十代の黒澤はロシアのトルストイに憧れていた。

トルストイの『イワン・イリッチの死』をやるから(96頁)

イワン・イリッチの死 (岩波文庫 赤 619-3)



貴族で高級官僚の男が何か月かのうちに死んでしまうという業病を背負って一生を振り返るという。
これを意識した。
だから設定としては70日しか生きられない男、高級官僚の男がしみじみ人生を振り返って「俺の人生は何だったんだ」という。
これが面白い。
橋本忍はロシア文学が大嫌い。
橋本は黒澤が持っている文学青年の臭いが嫌い。
「高級官僚が悩む?悩むか?」という。
「俺ぁ結核の病棟で見て来たよ。寿命何年て言われて生きていかなきゃいけない。それは身分の低い兵隊達の苦悩に落とした方がいいんだ。何が高級官僚だよ。いっそのことさ、市役所の地味な仕事してるジジイがいいよ。主人公は」
そこで考えた。
70日しか生きられない男。
それが「胃癌だ」ということが病院での立ち聞きでわかるという。
そしてあてにしている一人息子、一生懸命育てた息子にも言おうと思うのだが、父親の話を聞いてくれないという孤独の中で「一体私は何の為に生きてきたんだ」。
「生きる」そのことを真剣に考え始めるという。
さあ、ここから台本作りが始まったが、これが壮絶なケンカで。
何でケンカになったか?
もう一人脚本家が入る。
黒澤は世界的評価を狙っていた。
(脚本家が)三人になってしまう。
だからケンカが凄い。
その凄いケンカがいかなるケンカか。

というワケで70日しか生きられない男の物語が始まる。
ロシア文学の影響を受けている黒澤はトルストイの短編をベースにしているのだが、相対したのは橋本忍で「そんな気取ったものを描いてどうすんだ」という。
それで黒澤がもう一人脚本家を呼んだ。
この黒澤という人は凄い。
だから「世界のクロサワ」なのだが。
「橋本もそうだし自分もそうだけれども、つい物語の流れに流されてしまう。監督の私は画面に惚れてストーリーをゆがめる可能性がある。国際的評価を得られるような映画を作る為にはそれに真理がちゃんと語れる才能が必要だ」というのでもう一人、小國(英雄)を入れる。
三人での共同脚本なのだが、何と一日に七時間書く。
橋本と黒澤がストーリーを練る。
夕方、小國はやってくる。
それで矛盾点を突く。
最初の設定が70日しか生きられない男で、生きがいを見つけて一生懸命打ち込む。
だが、生きがいを達成した後、死んでしまう。
葬式で終わってしまう。
「後はどうすんだ?」
黒澤曰く「いや、それは息子がさ、日記を見るんだよ。日記を」。
日記に「癌だった」というのが書いてある。
三分の二で主人公が死んでしまう映画の三分の一。
小國は「どうやって主人公の心中を描けばいいんだ」と言う。

 小國の指摘を受けた黒澤は「憤怒で真っ赤」になり、これまで書かれた原稿用紙をびりびりに引き裂いてしまったのだ。(107頁)

ここがまた偉い。
引き破った後、橋本の肩を叩いて「初めっからやり直しだ」。
大変。
人から否定されるというのも頭にくる。
しょうもない映画しか作っていないが。
でもわかる。
この我慢強さがあるか無いか。
そこでまた橋本。
物語がある。
それを別の物語の中にはめ込む。
同じ手を使う。
男は癌で死んでしまう。
最後はブランコに揺られながら雪の日に死ぬ。
死んだ後、葬式が始まる。
あれが額縁。
そして男の回想シーンが始まる。
回想で男の心理を解き明かしていくという。
一本の映画で主人公が途中で死ぬ。
それでもう映画は完了してしまう。
日記で息子がその日記を知って読むとか、遺書で死の真相を知る。
そんな陳腐な結末なんかダメなんだ。
それで書き直してやったのが映画の途中で「主人公は死んでいる」ということを前提に、その主人公の心の内をみんなで語り合ううちに「男が命をかけてあの小さな小さな公園を作った」という、あの葬式の名場面。
今でこそ、そういう構成はあるが当時はそんなものはなかったと思う水谷譲。
黒澤は凄く用心深くて「回想は危険だ」と知っている。
映画は縦に時間が流れていく。
それが「昔に戻りました」というのは絶対説明になるから。
それを橋本がブチ破る。
「絶対いける」と。
「羅生門」と同じ。
物語を物語で包む。
ラスト、事の真相がわかる。
それは夜回りのお巡りさんが目撃したシーンで志村(喬)の名演技。
雪が降る中歌う。

いのち短し(「ゴンドラの唄」)

(本放送ではここで「ゴンドラの唄」が流れる)



渡辺を演じる志村さんのセリフが聞き取りにくい。
「(かすれた声で)私は、そんなつもりで言ったんじゃないんです。ただ・・・」
あれは病院の先生から聞いた話。
胃癌をやられてしまうと、声帯がいきなり弱くなるので。
あの人は、それでガリガリに痩せている。
黒澤から「太り過ぎだよ」と言われて。
飯を喰わなくて。
それで一番最後は晴れやかな表情でブランコに揺られて。
これが大評判。
「生きる」は傑作。
もう見事。
もう本当に工夫している。
男が「何で君はそんなに生き生きしてるんだ」。
喫茶店で話す。
そうしたら小田切みきの若い女が「何か生きがいのあること探してご覧よ、課長さんも」と言って。
志村が歩き出す。
階段を降りてゆく。
そうしたら反対側の喫茶店に若い娘がバースデーケーキを抱えながら「ハッピバースデートゥーユー♪」で昇っていく。
降りる男と昇る若者達。
「生きる」
語っていても志村喬さんの名演技が見えてきて
一番最後、白黒映画だが夕焼けの中を小さな公園を渡辺を思い出した部下が見下ろしているという、あそこはいい。
黒澤の映画というのは、もの凄い情報量だし、もの凄い熱演を蓄えているので、一度や二度で通過できない。
それぐらい凄い作品。
癌進行の志村が演じた演技のリアルさ。
実存主義。
「人間は何に命を使うか」ということを求め続けるサルトルが言った言葉なのだが、そんなのはもう黒澤が「生きる」の中で描いている。
小さな町の公園を作る為に彼は進行癌でありつつも、遂に成し遂げるという人間の尊厳。
それは「誰も見てなかったけど確かにあった話です」という。
これはもう世界的に大評判なのだが、黒澤さんにとっては外国での評判が今一つだったのだろう
武田先生はそう思う。
黒澤さんはウケた理由はわかっている。
志村に命じたあのリアルな演技。
リアルに人間を描き出す。
リアルが根本じゃないと。
それと頭をかすめるのが「羅生門」の成功。
やはり時代劇の恰好をすると「サムライ!サムライ」と言いながら外国人が見る。
「侍、バッと出すか」
それで「橋本!橋本!」。
また呼ばれてしまう。
「何でしょう?」
「もう一本作るぞ。来年作るぞ。これから脚本書くからオマエ叩き台だけ作れ」
「どんな物語にしましょうか?」
「『生きる』で受けたから、リアルで行こう、リアルで。例えばさぁ、侍の一日。ある侍が朝起きて、朝飯喰ってお城行って、昔の侍、三時ぐらいに家に帰ってきたらしいから。日のあるうちに。とにかく侍の一日っての調べろ。一番の謎で調べても俺も調べたけどよくわからないのが昼飯なんだよ。侍、あれは昼飯どうしてんだ?侍っていうのは。弁当持って行くのか、家から。それとも出前取るのかなぁ?」
「お城で出前は取らない・・・」
「あっ!そうだ。『侍食堂』とかっていうのはあるのかな?とにかくオマエはさぁ、資料を読むだけ読んで侍の一日、特に昼飯はどうしているかっていうのを調べろ」
これで橋本は調べる。
東宝の文芸部も手伝って国立図書館から何から一生懸命、侍の一日を調べる。
ところが昼飯をどうしてるのかわからない。

 だが、東宝の文芸部員の調べでは、時代背景として設定した江戸初期には「侍は一日三食ではなく二食」だったというのだ。三食になったのは文化文政以降だ。つまり、この物語の時点では昼食はとらない。(113頁)

「時代劇作りたくても、それを守らないとリアルさは無くなりますよ。『何年ぐらいの物語です』って言わないと」
グズグズ黒澤が「昼飯、どうしてるのかな」とまだ言うものだから橋本青年は怒ってしまう。

「我が国には事件の歴史はある。しかし、生活の歴史はないんです!」(115頁)

実は橋本の中にムラムラするものがあって、それは「この人はどこまでも文学で人間を考えてる。日本人が好きなのは講談だよ」

時に元禄十五年十二月十四日、
江戸の夜風をふるわせて響くは山鹿流儀の陣太鼓、
しかも一打ち二打ち三流れ、思わずハッと立ち上がり、
耳を澄ませて太鼓を数え「おう、正しく赤穂浪士の討ち入りじゃ」
(三波春夫「俵星玄蕃」)

長編歌謡浪曲 元禄名槍譜 俵星玄蕃



これを全部覚えた武田先生。
「映画にするんだったら講談の要素がないとダメなんだ」
黒澤さんとは口もきかない。
人間は戦い。
物事を作る。
何日かして昼飯がどうたったかわからないという黒澤が突然「おい、橋本。弁当の話はやめた」。

黒澤は「ところで橋本君……武者修行って、いったいなんだったんだろうね」と問いかける。全国を武者修行の旅に出ていた兵法者たちは、その旅費をいかにして稼いでいたのか──。−中略−「行く先々の道場で手合わせをすれば、晩飯を食べさせてくれるし、出立する際には乾飯を一握りくれる。−中略−道場も寺もなければ、百姓が夜盗の番として雇ってくれる」ということが分かった。
 百姓が侍を雇う──。その視点に黒澤も橋本も興味を示し、それが『七人の侍』に繋がっていった。
(114〜115頁)

七人の侍



侍というのは武者修行がある。
その武者修行の間、時々は治安の悪い町なんかでは腕を買われてそこでガードしていたとかまた農村部に行くと盗賊なんかがやってくる。
そこでガードマンをしながら侍たちはご飯を食べるという。
それをある小説家から聞いた。
黒澤は「百姓に雇われる」というこの一行が気に入って

橋本「できました。百姓が雇う侍の数は何人にします」
黒澤「三、四人は少なすぎる。五、六人から七、八人……いや、八人は多い、七人、ぐらいだな」
橋本「じゃ、侍は七人ですね」
黒澤「そう、七人の侍だ!」
(119頁)

そうすると橋本が設定を考えた。
毎年秋になると盗賊に襲われる山辺の小さな村。
その村の長老が百姓を送り出して「侍を雇ってこい」という。
そして七人侍を雇って盗賊対七人の侍、村人、この三者がぶつかり合うというストーリー。
黒澤はこのストーリーにまたリアルを求めた。
よくできている。
これは(武田先生が)昔、台本を書いている時に映画の関係者の方がいっぱいいて教えてくれたのだが、これはまた小國も入れて書くのだが、それぞれ三人別の部屋に旅館をとって、別の部屋で書く。
その時に決める。
「今日、オマエ侍な」
「じゃ、今日俺百姓側書くわ」
橋本が「じゃあ、私野伏せり、盗賊書きます」。
それでざっとの打ち合わせで村の絵図面を広げておいて「野武士がこことここにいて、七人の侍はここ。合戦の開始が七時としてどう守る?」。
それで三人部屋に分かれてそれで台本を書いて夕方合わせる。
(合わなかったら)またやる。
「やり直そう」というヤツ。
凄い。
この話はよく聞いた。
「俺達はこう攻める」というと、七人の侍と百姓は「じゃあ俺達はこことここを防いでこっちの道から入れよう」とかと。
そうやって台本を作るのは楽しいだろう。
上手くいかないと映像が見えてこないが、上手くいった時に映像が見えてくる。
その映像の作り方の中にも橋本さんも同じことを言っているのだが、シナリオに三つの書き方がある。
「指で書く」「手で書く」三番目が「腕で書く」。
こだわる瞬間と、流れを気にする手の時間と、「力で押していけ」という、そういう物語全体に向かってタクトを振る瞬間。
もういっぱいエピソードがあるのだが、そのへんは飛ばす。
何とこのシナリオ、何か月かかったか?

『七人の侍』のシナリオの執筆は計八カ月を要した。(122頁)

八か月間旅館に泊まっていた。
そしてこの後、撮影に一年。

完成作品の総上映時間は約三時間半。(122頁)

年始めに撮影に入り、秋公開だった。
できるワケがない。
それで公開が延期になったという。
時間もあったしお金もあったと思う水谷譲。
ここもまた戦い。
黒澤がやっている「七人の侍」はさっぱりできてこない。
「公開だ」というのに「できてません」とそれしかない。
東宝の社長さんは頭にきて「じゃやめろ、もう撮影は。カネばっかり喰いやがって。一体いくらかかってんだ?撮影中止。黒澤来い」。
試写室に呼びつけられた。
「出来てるところまで見せろ」
黒澤が粗編で粗く繋いで、できているところまで見せた。
これはもう間違いないと思うのだが、映画に詳しい方から聞いた話。
志村喬が「決戦は明日だ」。
三船敏郎がヒヤーと飛び上がって「きたきたきたきた!来やがった!」とバーッと指さすので、そこから真っ白になってザーッと白い・・・
「黒澤、この先は!?」
「これからなんですよ」
コントみたいだと思う水谷譲。
昔の人は命懸け。
それで社長は立ち上がって「撮影続けろ!」。
いい話ばっかり。
これはこぼれ話であった。
シナリオが出来上がるのに八か月かかった。
その時に三人で乾杯をやっている。
橋本も「やっと完成しましたね!おうちに帰れるわ」と言ったら黒澤が寂しそうに「俺はこれからこれを撮影するんだよ」と言った。
大変。

大脚本家である橋本忍さん。
その方の作品を辿っている。
初期作品で昭和20年代、三本の傑作をこの方はシナリオを書いておられる。
「羅生門」「生きる」そして「七人の侍」。
七人のキャラクターがある。
男はどれか一つやりたい。
7パターンの侍のうち一つ憧れる役がある。
(武田先生が憧れるのは)志村さん(島田勘兵衛)。
野武せりが襲ってくる。
そうするとちょっと今の国際情勢に似ているが、川向うと川のこっち側があって、川向うの三軒というのが、本体の方の村がある人達と折り合いが悪くなって。
何故かというと侍がその川を掘り代わりに使って野武せりを防ぐという。
そうすると三軒は捨てるということが決定するワケで、怒って去っていく。
「守ってもらえ無ぇのに竹槍持たされて戦うことは無ぇ。川向うの者はこれじゃあグルだ!」と行って竹槍を捨てて去ってゆこうとすると志村が抜刀する。
腰低く走って早坂(文雄)のトランペットをパンパンパパ〜ン♪パンパンパ〜ン♪パパパ〜ン♪
(ここで本放送では「七人の侍」のサウンドトラックが流れる)
「列に戻れ!三軒を守る為に50軒を焼くワケにはいかん。戦とはそういうものだ」
もうたまらない。
もう好きだった。
あの志村の役を坂本龍馬でやりたかった武田先生。
七人の侍のような「龍馬伝」を作りたかった。
長州の奇兵隊という百姓上がりの侍達を坂本が率いて闘うという。
その時に志村けん(志村喬の誤りか)のような芝居を
「七人の侍」七人いるが(好みが)各国によって違う。
志村喬の侍大将。
あれはイギリスで一番ウケる。
それから剣術の強いヤツ、最初に決闘か何かやって「おう、残念。相打ちだったな」「いや、お主の負けだ」。
あの侍。
あれはフランスで(ウケる)。
それで三船敏郎さん(菊千代)はアメリカでめっちゃウケるという。
各国によって侍の・・・
加東(大介)さんの役(七郎次)もいいし・・・
千秋実さんのあのとぼけた侍(林田平八)もいい。
あの旗を作るヤツ。
セリフがいい。
「何を作ってるんだい、オメぇ」「旗だよ旗。戦の最中はなぁ気が塞ぐでな。何か翻るものが欲しい」
何回見たか忘れるぐらい何回も見ている武田先生。
というワケで、この「七人の侍」はもうご存じの方も多いのだが、追伸で伝えておく。
これがハリウッドに渡って「荒野の七人」になる。

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西部劇の傑作と言われている「荒野の七人」はこの「七人の侍」のガンマン版。
おかしい話が残っていて、七人の侍に感動したハリウッドのプロデューサーがユル・ブリンナー以下、スティーブ・マックイーンを呼んで、それで「七人の侍」を見せる。
ユル・ブリンナーなんかカーッと燃えてスティーブ・マックイーンだけ何か怪訝そうな顔をしている。
プロデューサーが「この『七人の侍』を西部劇にするぞ」と言ったらスティーブ・マックイーンが「俺、ちょんまげは嫌だな」と言った。
これは何か笑い話であった。
それにしても脚本作りに八か月、宿に泊まり込んでの執筆。
橋本はこの間、僅か三年、四年の間に鍛え上げられる。
ドラマを作る為の脚本とは大変な作業で、映画でもテレビでも人と人、ドラマを作る為に連動する。
連動するとは、チームワークよろしく製作者、原作者、脚本、監督、役者、これが一本に揃って撮影作業をやる。
そんなものではない。
各現場でケンカ。
だから「七人の侍」も現場は相当揉めたようだ。
「ズビズバー♪」のお百姓さんがいた。



左卜全さんはずっと黒澤さんの悪口を言い続けた。
「何だ。人に何させるんだ。『走れ無ぇ』ってるじゃ無ぇか」
だから皆さんもお分かりだろうと思うが、どんなドラマも対立・葛藤が生じる。
それでもその一本の糸が切れないところに物語作りの躍動がある。
「天才的な誰かがいて一本が完成」なんて無い。
戦後最大の脚本家、橋本忍にして激しく黒澤明と対立している。
この人は何を面白いと思ったかというと最初に話した。
お父さんが旅の一座を呼んで芝居をやらせる。
大衆演劇が持っている大衆性こそが日本人の感動を揺さぶるエキスを持ってるんだ。
まだ(映画を)三本しか語っていない。
この人はヒットした作品だけであと20本ぐらいある。
これは前編ということで後編、外堀が冷めましたらお送りしたいと思う。




2024年4月15〜26日◆鬼の筆〈前〉(前編)

(一冊の本を二週ずつ二回に分けて取り上げていて、どちらも「鬼の筆」というタイトルだったので、一回目を「鬼の筆〈前〉」二回目を「鬼の筆〈後〉」としておく)
(番組の最初に以前の放送の訂正)

さてまな板の上「鬼の筆」。

鬼の筆 戦後最大の脚本家・橋本忍の栄光と挫折



(今回はいつも以上に番組内で本の内容と大幅に違うことを言っているが、個別に指摘しないことにする)
(この本は「橋本へのインタビューによる証言と、創作ノートからの引用箇所は全て太字」ということなので、引用箇所も同様に表記する)

鬼が筆を握っているという。
いかな鬼か?
著者は春日太一。
しばしば当番組で彼の作品を取り上げているが、映画製作現場のルポルタージュ。
この方の筆はたいしたもので、この本は抜群に面白い。
相当飛ばす。
相当飛ばさないと、全部話していると二か月ぐらいかかる。
何の話をしているのかわからなくなるかも知れないがそのあたり、どっしり構えて聞いていただければと。
ズバリ申しまして平成の方、あまり面白くないかも知れない。
というのは、この橋本作品というのをたくさんご覧になった方なんていうのも少ないと思うので。
ただし、昭和の方、それも団塊の世代。
まあ付き合っちゃってよ。
橋本忍が携わった脚本の作品。
ザッと触れてみる。
黒澤作品「羅生門」「生きる」「七人の侍」、その上に「日本沈没」「白い巨塔」「私は貝になりたい」「砂の器」、松本作品でいうと「黒い画集(あるサラリーマンの証言)」「霧の旗」、そして「八つ墓村」「八甲田山」も・・・
とにかく必聴の「(今朝の)三枚おろし」になる。
前期三枚おろし、多分最高傑作。
これは何で「やってみようかな」と思ったのかというと、折も折だがテレビ連続ドラマで地味な女事務員さんがちょっと怪しげな衣装を着てアラブ風の踊りをやるという作品があって、それが原作・脚本・撮影・俳優さんとのコミュニケーションがちょっと上手くいかなかったようで大きな事故が起きてしまった。

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そうしたら続いて「これ言われちゃったらキツイだろうなぁ」と思ったのだが、救急出動して人を救うコミックが映画化された時に、その原作の方が現場に行ったら主役の男がケンモホロロな対応をしたので出来上がった作品に対して原作者の漫画家の方がもう言いたくもないが「クソ映画」とおっしゃった。

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とにかく原作者の考えたストーリー、或いはセリフを勝手に変えるというのが令和の世の中で大きく揺れていて「原作者とか脚本家が書いたセリフを勝手に変えちゃイカンよ」と言いかけたのだが、「セリフを変える」といえば武田先生。
結構お叱りを受けている。

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40分間一人で(セリフを)言う。
(刑事役の時に親鸞の言葉をアドリブで入れて)嫌われた武田先生。
あの監督さんは武田先生をほったらかしだった。
「そこらへんでやってください」みたいなもので。
だから脚本を勝手に変えるとか原作を変えるとかというのは本当にスネにいくらでも傷がある。
武田先生の場合は文春ネタとかにならなかったから・・・
でも「鬼の筆」をやってみようと思ったのは、ラジオをお聞きの皆さんに映画の脚本というのはどんなふうにして生まれてくるのかというのをお話すると面白いかなと思った。
ここは勘違いなさらないでください。
テレビの映像化、コミックの映像化の方で問題になっているのと、映画では違う。
映画の方は原作というのがあって、それを脚本化する。
だがコミック、或いは漫画というのは既に映像化されている。
映像化されてファンを惹きつけたものを実写化した場合、余りにも違うと見ている人が怒るという。
既に絵コンテが出来ているものと文字を絵コンテにしていくものとでは違うので、同列に並べることは不可能。
でも台本を変えた人間としては、言い訳をしているワケではない。
脚本作りは半分ケンカ。
「いい・悪い」は作ってみないとわからない。
例えば小さい作品。
武田鉄矢がハンガーを振り回す「刑事物語」。

刑事物語



あれは武田先生の脚本。
もう渡辺祐介監督とケンカ。
渡辺さんがラストが気に入らない。
耳の聞こえない娘さん(三沢ひさ子)と片山(武田先生の演じる主人公の片山刑事)が最後は事件が終わって仲良く違う街へ二人で流れてゆくという結末だった。
そうしたら祐介監督が「結末がこれじゃ、何の為の苦労かわかんない」と言う。
「どうするんですか」と言ったら「別れなきゃダメですよ」。
それで耳の聞こえないお嬢さんは耳の聞こえない男に恋をして片山刑事は捨てられる。
「それを耐えて一人で歩き出すところに武田さんが描きたい男があるんですよ」
「いや、それじゃあ・・・」とかと言って・・・
でも結局、祐介さんの言うことを聞いてそのラストにしたからパート5までできた。
そういう「脚本のせめぎ合い」というのをちょっと折も折ではあるが、橋本忍という脚本家の妙というか。

ドラマの制作現場。
そこではどんなことが起こっているのか?
春日太一の「鬼の筆」。
この本の中には橋本忍の制作現場がびっしり詰まっている。
春日さんが

計九回、総インタビュー時間は二十時間を超えた。(17頁)

それで本になった。
読んでいると時々知り合いが出て来る。
橋本忍は脚本家。
いかな人生を歩かれた方なのか?
ここからちょっと脚本から離れる。
橋本忍、その人生の始まりから振り出す。

 一九一八(大正七)年四月十八日、脚本家・橋本忍はこの鶴居の町で生まれ、そして育った。(20頁)

 橋本が生まれた際、−中略−鶴居駅前に職住兼備の家を建て、そこで小料理屋を営むことにした。(21頁)

お父さん・徳治という方はちょっと変わった方で小料理屋を営みながらも

 徳治は毎年、お盆の季節になると、自腹で旅回りの大衆演劇の一座を呼び、独自に芝居の興行を開くようになる。(21頁)

資金が必要で芝居小屋の設置から演目の決定、興行中の一座のあご・あし・寝床までの面倒を見なければならない。

入れば大儲けできるし、外れれば財産を失う。それが興行だ。(21頁)

しかし興行に熱中している父親を見るのが忍少年は大好きだったという。

 向かう先は、芝居小屋の楽屋だ。−中略−そこで二十人ほどの役者たちが筵の上に座り込んで向かい合い、化粧をしていた。(24頁)

そういう楽屋裏を覗くともう異世界で、橋本少年は演劇の持つ異世界に胸をときめかせ眺めていた。
でも何せ中央から遠い田舎町。
劇的なことなど起こらないという非常にのどかな村だったのだが、江戸から明治に変わったばかりの頃、姫路の山奥の村でも近代化というか現金で税金を払わなければいけないのが凄く負担だった。
それまではお米でよかった。
ところが現金なのでお百姓さんが扱ったことがないので、それでこの鶴居の村で税の重たさに耐えかねて百姓一揆が起きたという。
それで鶴居一帯、生野の百姓が一揆を起した。
ところがたちまち警察に取り囲まれて首謀者は官憲に逮捕、そして処刑されたそうだ。

 首謀者たちの処刑は、早朝から生野峠で執り行われることになった。−中略−村人たちの斬首は粛々と進行していく。−中略−
 その中から一人飛び出したのは、鶴居に住む若い女性・いさ。いさは斬り飛ばされた結婚間もない夫の首を抱き上げ、胴体に駆け寄る。そして、予め用意していた両端の尖った木を胴体の切り口に突き入れ、その先端に首を差し込み、首と胴を繋いでしまうのだ。周囲が唖然とする中、いさは棺桶を持ってこさせ、そこに死骸を入れると男たちに担がせて峠を去っていった。
(27〜28頁)

あまりの異様さに首を落とした官憲も後ずさりして息を飲んだという。
その棺桶に収めて帰って行ったという。

 橋本はこの血なまぐさい物語を、−中略−毎日のように祖母の家の縁側に通い、せっついた。(28頁)

この時に忍少年は「この世の中には鬼のようなものたちがいるんだ。鬼というのは実在するんだ。その鬼のしうちに血まみれになりながら耐えている。そこに人間の美しさがあるんだ」。
涙を流しながら杭で自分の亭主の首と胴体を繋いで遺体を大八車に載せて帰る娘・若妻。
「これは凄いなぁ」と無意識の中に溶け込んだのだろう。
「生きていく」ということが。
この話から忍少年は鬼に歯向かう反逆の人生、「そういうものが人生にはあるんだ」と。
ここから橋本忍少年、或いは青年と鬼との対決が始まる。

 一九三七年、日本は中国との戦争を始める。(33頁)

鳥取歩兵四十連隊は初年兵として、二千人の若者を現役招集した。その若者たちの中に、当時二十歳で国鉄竹田駅に勤務していた橋本もいた。三カ月の訓練を終えたら、橋本も連隊の一員として中国戦線に向かうことになっていた。(33頁)

 出征の直前、−中略−即日入院となったのだ。三日後の検査で結核菌が検出、「肺結核」と診断された。(34頁)

戦場で死のうかと思っている時に「オマエは結核なんで、軍隊には入れない。すぐに荷物を畳んで療養所に行け」というお国の命令で、この方は結核患者として別の戦いの道に・・・
召集令状が来て鳥取の連隊、陸軍に入るのだが、「これから出征するぞ」と思った矢先、最後の健康診断に彼の肺の中から結核菌が見付かって除隊命令が下る。
これはおうちにも帰れない。
感染症だから

 疾病軍人岡山療養所は、瀬戸内海に突き出た児島半島の付け根にあり(34頁)

粟粒結核だったんだ。それは、当時の医学では絶対に治らないという病名だった。
 大きな結核菌の巣ではなくて、蜂の巣みたいな小さな傷がいっぱいある結核菌なの。
−中略−病巣の菌が一つ動き出したら全部が一斉に動くから、もう派手に血を吐いて三日ほどで死ぬというんだよ。(37〜38頁)

これはやっぱり死亡宣言が出たようなもの。
お医者さんの診立てだが余命二年。
はっきり言われたという。
ここからこの人の人生は二年どころではない。
70年、80年続く。
とにかく彼は二十歳の若さで余命が二年と決まった絶望の命を生きる。
しかし絶望の命も二年生きなければならない。
死ぬまで生きていなければならない。
療養所というところで暮らすワケだが、ここの暮らしがいいワケがない。

 療養所に行ったときにはもう愕然とした。食事の粗末さにね。(39頁)

とにかく寝ていること。
寝てばかりいる。
医療処置というのも殆ど無い。
ほったらかしの状態という。
横でも結核の戦友がいる。
戦友達は看守の看護婦さんもいないので、療養所を抜け出してしまう。
それで街まで行って食堂で飯を喰っている。
感染源になるのでは?と思う水谷譲。
「黙っときゃわかんない。わかんない」で。
それでカネのないヤツは野辺だから畑はいくらでもあるから果物とか野菜とかを盗みに行ってしまう。
ここの療養所の中で青年橋本は命の矛盾をいくつも目撃する。
何も治療法がない。
だから医者の言う通り、とにかく寝ている。
ところが体験から得た知識だろう。

『治らない』と言われた奴でも治ってるの。大人しく寝てた奴は、みんな死んだ。(39頁)

このへんは何が正しいとかわからない。
これに対して脱走して街の食堂で飯を喰ったり、畑に入って果物でマスカットを喰うヤツがいる。

 山を下りて山一つ離れた集落を見たらさ、温室があるの。何だろうと行ってみたら、マスカット。(41頁)

中には凄い奴もいたよ。そいつは『〈出征兵士遺族慰問〉をやってる』というんだ。
 旦那が出征して奥さんが一人住まいの家を訪ねて、その奥さんを落とす。狙ったら、必ず関係するの。
(39頁)

タチが悪い。
戦争未亡人を口説いて「可愛そうに」とか言うと奥さんもコロッ。
そいつらが結構回復する。
橋本もそういうのを見ると「何だい!鬼は俺の命、もて遊んでるんだ。だったら俺も楽しくやろう」というので仲間と一緒に飯を喰いに行ったり、畑に入って果物を盗んだりという。
見つかったら酷い目に遭うのだが、あと二年の命だからどうなろうとかまわないから怖いものは何もない。
だが橋本というのはもともとそういう人だったのだろう。

それは分厚い雑誌で、表紙には『日本映画』とある。−中略−巻末に掲載されたシナリオが目に止まる。
 これが橋本が初めて目にした、映画のシナリオである。
−中略−
「これが映画のシナリオというものですか」
−中略−
「実に簡単なものですね──この程度なら、自分でも書けそうな気がする」
−中略−
「いや、この程度なら、自分のほうがうまく書ける……これを書く人で、日本で一番偉い人はなんという人ですか?」
−中略−
成田伊介は躊躇うことなく答えた。
「伊丹万作という人です」
−中略−
名作時代劇を撮った監督で、
−中略−『無法松の一生』−中略−にはシナリオを提供するなど、脚本家としても高い評判を得ていた。(36頁)

ご存じの方はおわかりだが(伊丹万作は)伊丹(十三)さんのお父さん。
天才と言われた方。

 その名前を聞いた橋本は、少し勢いこんでこう言い放ったという。
「では、私は自分でシナリオを書いて、その伊丹万作という人に見てもらいます」
(37頁)

とにかく橋本は暇なのでコツコツと脚本を書き始める。
ネタはある。
何のネタか?
この肺病兵士達の絶望、運命に翻弄される命と、それを操っている鬼を書いてみようというので

橋本の人生初のシナリオが『山の兵隊』だった。(54頁)

戦地・戦場や海戦の海では戦わず、田舎の山の隔離病棟で肺病と戦う兵士の物語、という。
「出来上がったよ」と言って同病の成田に報告すると、成田は「伊丹万作っていうのはよ、ワリと岡山に近くの京都にいるらしいんだ。だから送ったら何とかなるんじゃ無ぇの?」と言って住所を探してくれて。
その当時はワリと個人情報がモロに漏れるという時代だから、そこに送ってしまう。

 そして橋本は、成田伊介との約束通り、伊丹万作にそのシナリオを送った。(54頁)

(普通は伊丹万作は)読む筈がない。
大脚本家だから。
何故か読んでくれる。
この「何でか読んでくれる」がまた鬼の仕業。
ところが本当にこういうことがある。
奇蹟のようなことが起きる。
送ってから数日すると、返事が来た。
そしてびっしりボロカスに書いてあった。
伊丹万作の評は「エピソードが多すぎる。書き方が粗雑だよ」「人に読んでもらおうというのに、君、誤字が多すぎるよ」。
とにかくびっしり細かい注文が。
だが、橋本の喜びはそれどころではない。
伊丹万作が返事をくれたという。
これはそうだろう。
高名な小説家の方に素人が何か小説を書いて出しても読んではいただけない。
ここから面白い。

なぜ返信をくれたのか−中略−伊丹さんにあのシナリオを読ませる気持ちをおこさせたものは、その内容が療養所に材をとったからではなかったろうか」
「新しい療養のやり方などに、興味を持たれたのではないかと思われる」
−中略−
 伊丹も同じ結核患者であるため、『山の兵隊』に記された結核治療の実態や、病状の具体的な描写に関心を抱いたのではないか
(56〜57頁)

鬼に憑りつかれた橋本なのだが、伊丹も肺病だったということで、同じく鬼に憑りつかれた伊丹万作を引き合わせるという、どこの馬の骨ともわからない橋本の脚本を読んでくれた。
だが「シナリオというのは甘くないぞ」。
橋本はこのことを励みにしてまたシナリオを書く。
伊丹とのやり取りが続く。
橋本はこの頃になると死ぬということが横を通り過ぎて二年過ぎてしまう。
その二年が経ったら、橋本の肺から結核菌が出なくなってしまった。
それで1941年に12月になって橋本は「療養所から出てよい」ということになったのだが

四一年十二月八日の真珠湾攻撃を皮切りに、日本は太平洋戦争へ突入する。(51頁)

 当時の橋本は軍需徴用により、姫路にある海軍の管理工場・中尾工業に勤めていた。本社で経理を担当した(52頁)

仕事の関係で京都や大阪の出張というのもあったから、そのときに時間を繰り合わせて行っていたんだ。大阪の仕事を済ませちゃって、そのまま京都の伊丹さんのお宅へ行くということはあった。(69頁)

 これまで脚本家としての弟子を持たなかった伊丹が、橋本を弟子として迎え入れた。(67頁)

シナリオを書いては、それを伊丹に送っていた。伊丹もまた橋本に必ず返信を送っていた。そこには、必ず先に挙げたような具体的なアドバイスが記されており(68頁)

そうするとやはり腕は上がっていくのだが、映画化はされない。
映画化されなくても伊丹を独占できたという喜び。
橋本と伊丹。
師弟関係になってしまう。
皮肉というのは凄いもので、鬼のからかいというか、何と三年も過ぎた。
まだ生きている。
「俺、死な無ぇじゃん」と思う。

 一九四五年八月十五日、戦争が終わる。そして日本はアメリカを中心とした連合国軍の占領下に入るのだが(70頁)

敗戦から約一年が経った四六年九月、長く療養生活を送っていた師、伊丹万作が死去したのだ。(70頁)

「何ということだ」と。
戦争には負けるわ、師は亡くすわ。
ところがまた不思議なことに、姫路に帰った。

「軍需会社だから、二年ごとに検診があるんだよ。−中略−レントゲン撮るたびにやっぱり引っかかってた。医官に言われた三年はもったけど、いつ死ぬかわからない状況には変わりなかった。
 でも戦争に負けて、アメリカからストレプトマイシンが入ってきたんだよ。それで、いっぺんに治ってしまった」
(70頁)

伊丹さんには間に合わなかったが、田舎にいたお陰で橋本には間に合った。
それで病院に通って治療を受けると胸の肺病が消える。
何だよこの人生は?
戦場で死なず、300万人の死者を巻き込んだ世界大戦に敗北すると、運命の鬼が橋本だけには70年の寿命をくれた。
さあ、数奇な数奇な人生は続く。

この人は肺病から救われた。
だがもう先生はいないから。

 この頃、西播磨地区にある企業を対象にした実業団野球大会が開催され、橋本の勤める中尾工業もこれに参戦。橋本もチームの一員として出場することになる。ランナーとして塁に出た際、ホーム突入時に捕手と激突、椎間板ヘルニアの大けがを負ってしまったのだ。(71頁)

 会社も欠勤せざるをえなくなった橋本は、自宅療養のため空いた時間に再びシナリオを書き進めることにした。そして、原作になりそうな小説を求めているうちに、書店で芥川龍之介の全集を目にする。(71〜72頁)

芥川龍之介の「藪の中」。

藪の中



「真実なんか誰もわかりゃしねぇや」という芥川の平安を舞台にした時代劇。

『藪の中』と題された小説に、橋本は心惹かれた。(72頁)

 これを脚本にしようと思い立った橋本は、一気呵成に書き始める(72頁)

盗賊と武士とその妻。
武士が殺されて事の真相を語り合うのだが、三人三様でどれが真相かわからないという「藪の中」。
「真実なんて誰もわかりゃしねぇや」という作品。

(二百字詰めの原稿用紙)で九十三枚(73頁)

京都の仁和寺で伊丹万作の一周忌の法要が執り行われる。これには橋本も出席していた。法要が終わると、伊丹夫人が橋本を呼び止め、一人の男を紹介する。
 佐伯清。助監督時代に伊丹に師事し、当時は東宝を経て新興の新東宝で監督として活躍していた。
(73頁)

約一年の間に橋本は十本近い脚本を書きあげたという。(73頁)

「『藪の中』っていうの面白いね。今、うちで伸び盛りの若い監督いるんだよ。そいつにね、コレちょっと読ませて映画にしねぇか」という。
何と伊丹の死の縁。
思わず橋本は気を付け。
「あの、若い監督っていう方は何というお名前で?」
「ああ、いろいろワガママを言うんだけど面白いヤツでね。黒澤明っていうんだ」
その頃、黒澤は頭角をグングン表していた。
「虎の尾を踏む(男達)」、戦前は「姿三四郎」なんかの独特の画風で、それから「わが青春に悔いなし」なんていうのがあって。
「あの黒澤が、まさかなぁ?俺なんて相手にするワケないよなぁ」とかと思っていたら電報。
黒澤明から「急ぎ上京せよ。シナリオの件」。
「ええ?」というようなもの。
会社に事情を説明して東京に行った。
いた。
黒澤明。
とにかく礼儀とか無い。
いきなりドーンと映画の話。
「ねぇねえ。この『藪の中』っての面白いんだけどさ、200字詰めの原稿用紙で93枚。これアンタ映画にしたら40分でお終いだよ。どうするんだい?」
初めて会ったのに不機嫌そうに怒るという。
「ああ・・・すみません。じゃあちょっと考えさせてください」
それで橋本は考える。
その時に橋本は絶妙なことを考える。

橋本が考えたのは、『羅生門』の下人のエピソードを『藪の中』の盗賊・多襄丸の前日譚とすることだった。(80頁)

(本放送ではここで「羅生門」のサウンドトラックが流れる)

 原作の『羅生門』は、飢餓と疫病で荒廃した平安京が舞台。盗賊の住処となった羅生門の楼内には捨て場のない死骸が投げ込まれていた。そこに、奉公先を解雇された下人がやってくる。彼は楼で女の死骸の頭から髪の毛を抜く老婆を見つける。−中略−下人はその老婆から着衣を奪い取り、羅生門を去る。(77〜78頁)

子沢山の木樵(きこり)と、世の中をすっかり絶望しきった僧が羅生門で雨宿りをする。
そこにズバリ、藪の中の話を三人でするという。
「彼はこう言ってた」「彼はこう言ってた」というのを三人で絶望を語り合う。
まだ戦争に負けてまだ四年か五年ぐらい。
もう世の中は暗い話ばかり。
人殺しだとか子供は捨てるとか米兵が婦女子を暴行する。
暴行されても誰も助けない。
そんな殺伐たる戦後。
殺伐たる作品「羅生門」。
荒れ果てた日本。
「これ行こう!」
ここからが大事なことで、ここからが春日太一という人が立派な方で、これはいろいろ調べた。
橋本先生は「私が考えた」と言う。
「『藪の中』と『羅生門』をくっ付けよう」
黒澤は「あれは私が考えた」。
共同脚本をやると必ずこれが出て来る。
スフィンクスみたいに下半身ライオン、頭は人間みたいな感じでいわゆる共同脚本というのは二匹のケモノが一匹になっているワケで「どっちが考えた」なんてわからない。
春日さんは非常にクールな方で、どっちがこれをくっつけようと言って見事くっつけたのかは、結果的には

『藪の中』の映画化をめぐる顛末もまた、「藪の中」を地でいく話だったのだ。(79頁)

これで「羅生門」の中に「藪の中」が入るという、「藪の中」の額縁が「羅生門」という全く新しい映画の手法を橋本は脚本として考える。
撮影はというと黒澤が抜群のアイディア。
三船敏郎が「暑い暑い!全く」と言ってパッと空を見上げると(映画のカット割りに)太陽が入る。
映画の世界で太陽を撮ったのは黒澤が初めて。
あのカット。
それで暑さを表現する。
それで今でも砂漠を歩いて水が切れてハーッと空を見上げるとカッと一発だけ太陽を入れるというのはその「羅生門」から始まる。
しかも「羅生門」はアメリカでバカ当たりをする。
さあ、いよいよ始まった橋本忍の脚本の修行の旅。

羅生門 デジタル完全版







2024年05月22日

2024年2月19日〜3月1日◆なぜ世界はそう見えるのか(後編)

これの続きです。

人間というのは実に複雑な動きをしている。
これもJ・ギブソンの説だが、生まれてからまだ一年経っていない乳幼児がいる。
そのママが「違う違う、あそこよ」と指をさす。
生まれて数か月だと、赤ちゃんはその「あそこよ」という指さす指を見る。
ところがこれが一年にも満たないうちに「指がさしているものを見るんだ」という、その指が示唆しているということを理解するという。
考えたらもの凄く抽象的な体の動きを理解するようになる。
このあたりから爆発的に知識が増えるという。
例えば時間。

「時間」という抽象概念の場合は、豊富な経験のある「距離」の概念に似たものとみなしている。−中略−残り時間が「短くなる」、−中略−話すのに「長い」時間がかかる、といったように。(174頁)

そういうのをたちまち理解するようになる。
また他の表現だが「見え透いたお世辞」これを英語で言うと「レフトハンディッド」「左手でやりやがって」という。
日本では役に立つ人物のことを「右腕」とか言ったりするし、侮辱されたことを「顔を潰された」とか「泥、塗りやがった」とか、「アイツ手、汚しやがった」とか「もう俺ぁきっぱり足洗いたいんだよ」とかという身体動作、そういう表現になっていく。
だから「人間というのはあらゆる発想が体と関わっているんですよ」という。
体を使った慣用句が本当に多いと思う水谷譲。
これは大変お隣の国は盛んなのだが、皮膚に施す美容施術・美容整形、ボトックス。

ボトックス製剤は、ボツリヌス菌が作り出す毒素からできている。−中略−ボツリヌス毒素によって皮膚の下の表情筋を事実上麻痺させるというのが、しわ取りの仕組みだ。(176〜177頁)

はっきり申し上げて今、結構な人がこれをやっている
(やっている人は)わかる。
武田先生はやっていない。
これはやってらっしゃる方からも・・・
女優さんは平気で言う方がいらっしゃる。
何も言わなくてもやってらっしゃる方はわかる。
これは「ああ、この人はそういう施術をやっておられるんだなぁ」というのが本当にわかる。
「凄いな」と思うのだが、これは本に書いてあったのだが
こんなふうにして美容整形でボトックスをやってもいいのだが、そうすると

 ボトックス利用者に関する別の研究では、大げさではないかすかな情動を示す顔写真を見せられた利用者は、表情の読み取りにより時間がかかることがわかった。(176〜178頁)

このあたり皆さん、「我思うゆえに我あり」ではない。
「我行動すゆえに我あり」。
「自分がどう動いたか」ということが今の私の根拠なんだという。

ここから凄まじく理屈っぽい文章に入る。
これは本の中に書いてあったのだが、180ページにこんな例題が書いてあって。
これは物理法則。

「等速円運動する物体に作用している力を向心力といい、物体の質量をm、速度をv、円の半径をr、求める向心力の大きさをFとしたとき、Fmv2rで表される」(180頁)

これは理解するのは無理。
「これを体が動く」というその体の動きに合わせたことで物理法則をもう一回解き直そう、と。

想像してみてほしい。あなたはローラースケートをはいて、駐車場で滑っているところだ。支柱をつかんで止まろうとすると、まだ止まりきらないうちに、あなたの体は支柱の周りを回りはじめる。この回転が等速円運動だ。つかんだ腕に感じる力が向心力で、要は等速円運動を引き起こしている力のことである。支柱をつかむ前に滑っていた速度(v)が、あなたが腕に感じる向心力に影響を与える。滑るスピードが速いと、遅いときに比べ、支柱をつかんだときによりぐいっと勢いよく引っ張られる。これが方程式にある「v2」の意味だ。速く滑っていればいるほど、支柱をつかんだときの向心力が大きくなるのである(そしてそれだけ腕も痛くなる)。(180〜181頁)

こんなふうにどんな法則も「いったん体に喩え直してみるとわかりやすくなりますよ」と。
この等速円運動というのを体で考えてみよう、という。
この等速円運動が支配しているスポーツ。
ゴルフ、フィギュア、野球、スキー、ボード、武道も実はこの等速円運動であるという。
これがFmv2rとどう結びつくか?
合気道の場合で言うと相手を崩す為に入り身転換と言って、相手が手なんかを握ってこようとすると相手の方に踏み込んで回転する。
この入り身転換の回転の時、相手の後ろに回り込むほど大きく回れと指導される。
これがズバリ言うとローラースケートで滑っていて道路標識にしがみつく自分というのと同じ。
そのスピードが速ければ速いほど生まれる向心力が強くなる。
回る時に先生が「腰で回れ」と言われる。
これが手で回ってしまう。
何で「腰で回れ」かというと腰が円の中心。
それから手を伸ばしている。
これが半径のrだから中心と半径のrをしっかり持つ。
そうしないと円運動は完成しませんよ、という。
これはやっぱり考えさせられる。
いっぱい面白いことをこの本の解説者の方が考えておられて、ローラースケートで滑っていてスピードを出し過ぎてもう止まろうと思って電柱に掴まるという状況設定で言うと

今度はあなたが重いバックパックを背負っているとしよう−中略−バックパックを背負って質量が大きくなると、背負っていないときに比べ、支柱をつかんだときに腕がより痛むのである。最後に、支柱をじかに手でつかむのではなく、先に輪がついた投げ縄を支柱に投げ、縄のもう一方の端を手でつかんでいるとしよう。投げ縄が短ければ、あなたは小さな円を描いて支柱の周りをすばやく回るだろうし、投げ縄が長ければ、もっと大きな円を描いて、ゆったりと回ることになるだろう。(181頁)

一見難しそうな物理方程式でも体を通すとわかりやすくなる。
体で考えてみるということがとても大事なことなんですよ、という、この本デニス・プロフィットさんとドレイク・ベアーさん。
「なぜ世界はそう見えるのか」白揚社から出ているが、この著者はあらゆる事体を体を通して考えなさい、と。

「仮にライオンが話せたとしても、われわれにはライオンの言うことが理解できないだろう」と述べている。−中略−ライオンと人間の身体、生態環境、関心事はあまりにも違いすぎ、両者の近く世界は種の違いを超えて経験の共有を伝達し合う場とはなり得ないとヴィトゲンシュタインは考えたのだ。(183頁)

身体化、体に喩えてものを言える人が素晴らしいのは何かというと、一番わかりやすいのは文章力。
体を使って説明する人の文章は凄く納得がいく。
それで別の本で司馬遼太郎さんの文章で身に沁みた文章があって、その文章を持って来た。
司馬さんというのはこういう文章を書けるからボンクラな武田先生にでもわかる。
司馬遼太郎「新史 太閤記」。

新史 太閤記(上)(新潮文庫)



豊臣秀吉の物語。
豊臣秀吉が諸国を点々と歩くうちに頭のいい参謀を見つける。
これが黒田官兵衛という人。
黒田官兵衛は凄くクールな頭の人。
信長の子分だった秀吉が「織田家にいらっしゃい、織田家にいらっしゃい」と誘う。
ところが信長と接して官兵衛はこの人はちょっとむごすぎる、
藤吉郎(秀吉)に対して凄く冷たい当たり方をする。
殴ったり蹴ったりも平気でするし。
大の大人をつかまえて「猿」と呼び方を侍がするか?
そんな主人の為に何でこの人は命をかけて働いているんだと不思議で仕方がない。
体を使ったいい文章。
そして黒田官兵衛は誘いに来た秀吉に向かってこう言い返す。
(恐らく黒田官兵衛ではなく竹中半兵衛)

「私は上総介殿をきらっている。足下は上総介殿が士を愛するといわれるが、あの態度は愛するというより士を使っているだけのことだ」
「これはしたり、貴殿ほどのお人のお言葉とも思えませぬ。愛するとは使われることではござらぬか」
−中略−
 半兵衛は、あざやかな衝撃をうけた。なるほどそうであろう。士が愛されるということは、寵童のような情愛を受けたり、嬖臣のように酒色の座に同席させられるということではあるまい。
−中略−酷使されるところに士のよろこびがあるように思われる。(「新史 太閤記(上)」228頁)

見事。

 激動の嵐が吹き荒れた二十世紀前半、アメリカおよびヨーロッパ全土で、なぜか乳児が次々と謎の死を遂げるという危機的状況が生じていた。二つの世界大戦と大恐慌の煽りを食い、児童養護施設に収容される子どもの数は激増した。−中略−二歳になるまでの乳幼児死亡率が三一%から七五%にも上った。(187頁)

可能な介入として「ケア、食事、空気」を勧めた。(188頁)

これは第一なのだが、もう一つある。
それを見落とすと子供は40%近い確率で死んでしまうという。
それは一体何か?
九年に亘る調査でようやく「ケア、食事、空気」その他、もう一つそれを見つけた。
「寂しくない」
流れてきた。
(本放送ではここで「誰もいない海」が流れる)
トワ・エ・モワで「誰もいない海」。

トワ・エ・モワ 12CD-1065A



トワ・エ・モワさんが歌っている。

淋しくても 淋しくても
死にはしないと
(「誰もいない海」)

この歌は間違っている。
死ぬ。
人間というものは淋しいと死んでしまう。
イギリスで孤独担当大臣が「え〜?」と思ったがそういうことかと思う水谷譲。
「淋しくない」これが人間が生きている「環世界」「ウンヴェルト」。
人間はここで生きていくしかない。
人間は社会で生きている
社会という環境の中で生きている。
皮膚というのは、社会的触覚で撫でてくれる人がいないと淋しくて死んでしまうという生き物が人間。

箱を一人で持ち上げるときと二人で持ち上げるときとで箱の知覚重量がどう変わるかを探った研究によって、実証されている。−中略−持ち上げる前の重量推定の際、一人で持ち上げると思っている場合には、手伝う人がいるとわかっている場合に比べ、推定重量が重くなることがわかった。(201頁)

今、避難所生活なんかでもいろいろトラブルがあるかも知れない。
でも、大変かも知れないがそこは力を合わせて皆さん、乗り切りましょう。
そんなことしか言えなくてまことに申し訳ございません。
本当にぬくぬくとした正月を送ってしまって、おたくらが厳しい環境の中で戦っている時に。
でも決しておたくらのことを忘れたワケではございません。
同じく日本人としてあなたが今苦しんでおられるその街を旅したことのあるフォークシンガーとしてあなた方の淋しさというのを重々推し量ることが、一歩でもいいから昨日と違う今日を作っていくというその一歩が人間の命を支えるものになりますので、そのことは是非、忘れないでいただきたいなというふうに思う。
環世界、周りの環境なんだ。
例えば重たく陰気な顔をして「認知症」とつぶやくのと、「お母さんの物忘れの凄さ!」とケラケラと笑う明るい嫁や娘や息子がいると、どんどん軽度になっていく。
アフォードする力というのは凄いものがある。
もちろんいいことばかりではなく、同一化という問題もあり、同じ意見で凝り固まっていると同じ人の意見しか聞かなくなるという。
これは凄い実験を行っている。

生後三か月の白人の乳児は黒人、白人、中国人の顔をどれも同じように判別できたが、同じ乳児が生後九か月になると、白人の顔しか判別できなくなくなっていた。(231頁)

これは同一化と言って、環世界、環境が人間を作るのだが、一方的な環境の中に沈んでいると、だんだんそのセンスが狭くなっていくという。
国際社会を見てみましょう。
ウクライナ人とロシア人、イスラエル人とアラブ人。
これは本当に両国に悪いが私達日本人から見るとどっちがどっちかわからない。
ただ、よく見ているとわかる。
それはそれぞれにウンヴェルト、環世界、取り囲んでいる環境が表情に映し出されているような気がする。
そんなふうにして我々を取り囲むウンヴェルト、環世界、これを見詰め直して、自分をもう一度折り畳んでいこうではないかというふうに提案している。

「なぜ世界はそう見えるのか」
この本をお書きになった方はやはりアメリカの方なのでアメリカの物の考え方というかアメリカという環世界、環境がやはり本の中に反映している。
アメリカというのは州ごとにもの凄く違うんだ、と。
著者はアメリカ南部、ディープサウスと呼ばれるエリアの文化について報告している。
テキサス、ここはアメリカでは他の州に比べて圧倒的に殺人事件の多い州で三倍。
なぜここだけこんなに殺人事件が多いのか?

極西部と南部に入植したスコットランド系アイルランド人である。−中略−故郷−中略−では牧畜に従事していた。牧夫は農夫に比べ、極めて窃盗の被害に遭いやすい。(248〜249頁)

土地が広いので泥棒がいてもすぐに駆け付けられない。
そこで銃で牛泥棒を撃ち殺してしまう。
それが文化になって根付いてしまったという。
(テキサスは)荒そう。
これは司馬遼太郎さんから教えてもらって本当に感動したのだが、ダーティハリーがこれ。

ダーティハリー(字幕版)



アイルランド系の刑事さん。
ダーティハリーは短気。
ダーティハリーは徹底しているのだが、一人も友達がいない。
何か彼は友達を持たないように努力している。
でも、それ故に汚い仕事を一手に引き受けるダーティハリー。
「汚れ屋ハリー」というニックネームがいかにもアイルランド系という。
アイルランド系で更に思い出す人。
スカーレット。

風と共に去りぬ (字幕版)



アイルランド系。
彼女はイギリス男にもアメリカ男にも寄りかからず「明日は明日の風が吹く」と傲然と胸を張る。
あれがアイリッシュのプライド。
このへんが凄く面白いところで文化というのは人間をアフォードしていく。

被験者(大半は大学生)に「手、手袋、マフラー」の絵が提示された。ペアになるのはどの二つだろうか。手とマフラー? 手と手袋?(253頁)

ペアになるのは「手と手袋」だと思う水谷譲。

大多数の欧米人は、手袋とマフラーをペアにする。どちらも冬物の衣類だからだ。−中略−だが東洋人は、手と手袋を組み合わせる。手袋は手を保護するもので、手は手袋にぴったり収まるものだ。(253頁)

東洋人と西洋人ではこの結び付け方が違うという。
このあたりはアニメなんかにももの凄く影響しているのだが、

日本人大学生とヨーロッパ系アメリカ人大学生の被験者に水中を模したリアルなアニメーションを見せ、内容を説明してもらう実験を行った。すると、アメリカ人学生はまず魚について報告することが多かったのに対し、日本人学生は場面の状況説明から入った。(256〜257頁)

ディズニーアニメは一点を見せる為のアニメ。
日本の宮崎アニメは違う。
全体を見せる。
日本の観客も全体を見ようとする。
役者が動いている。
その全体はどういう世界か?
「ニモ」というアニメがあると魚の動きをじっと見て「ナチュラルだな〜」と惚れ惚れ見ているのはアメリカ人。

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日本人はどこを見ているかというと「いやぁ〜、海が深く描けてるなぁ」
そのアニメの見方も西洋と東洋では違って、東洋では情景全体を見ようとする。
アメリカ人は部分を見ようとする。
そんなふうにして文化の状況によって最後の絵、一枚が違う。
更に東洋では中国と日本も違うし、日本と朝鮮半島も違う。
朝鮮半島と台湾も違う。
それぞれ環世界、地形、気候、そういう世界が人々をアフォードしている、そういう人達を作っているんだ、と。
このへんがやっぱり面白いところ。

よく「面白いから笑うんじゃなくて笑っているから面白い・楽しくなってくるんだ」と言う。
それに繋がるかなと思って聞いていた水谷譲。
そういうことらしい。
武田先生は年を取ってから武道を始めたりして、この手の本を読んで「やっぱり間違ってはいなかったんだ」と。
やはり行動しないとダメ。
ゴルフなんかもさっぱり上達しないし、合気道の方もさっぱりなのだが、でも「そう動いている」ということが武田先生にとっては大事なことなのではないだろうかな?と思う。
何をやっても本当に下手。
でも「何もやらないよりは」という。
だから皆さんを励ます言葉にはならないかも知れない。
特に北陸の方なんかも本当に大変だろうと思う。
でもとにかく昨日よりほんのちょっと片付けただけでも自分の中で凱歌を上げましょうよ。
それは人間にとって凄いこと。

この本はテーマがしっかりしている。
「なぜ世界はそう見えるのか:主観と知覚の科学」
デニス・プロフィットさんとドレイク・ベアーさん。
「HOW OUR BODIES SHAPE OUR MINDS」「体はいかに心を作ったか」という、これが原題。
それで最後に凄く面白いことが書いてあるので

現在使われているVRのヘッドセットは、−中略−NASAエイムズ研究センターで開発された装置のデザインがもとになっている。(273頁)

長編アニメ『アラジン』が再現された仮想空間で魔法の絨毯に乗った。魔法の絨毯で空を飛ぶなど、五〇年前には到底味わえなかった知覚経験だ。(274頁)

アラジン (吹替版)



 VRを使うと想像上のバーチャル世界に降り立てるだけでなく、想像上のバーチャル身体を手に入れることも可能だ。これをアバターという。(274頁)

バーチャルアバターへの身体化によって生じる知覚の変化に、「プロテウス効果」というぴったりの名を付けた。(275頁)

どういうことが言いたいかというと、アバターがもの凄く勇猛果敢で困難に向かっていくとそのアバターを動かしているその人がだんだん元気な人になってゆく。
何かの病で体が不自由な場所があって、そこが痛みを持っている。
その人にVRで「スパイダーマン」を体験させる。

スパイダーマン:スパイダーバース (吹替版)



手のひらから糸を出しながらビルを自在に・・・
そうやっていくと四肢の痛みが少し和らぐそうだ。
物語にはそういう力がある。
笑っているうちに、今ある不幸から少し心が丈夫になって立ち直ることがあるという。

被験者は白髪のアルバート・アインシュタインか無名の人物か、どちらかのバーチャル身体に入り込むことができた。「アインシュタインになった」人々は認知課題の成績がよく(276頁)

アバター同士交流できるVR世界で、肌の色の薄い人が浅黒い肌のアバターを使うと、人種に関する潜在的偏見が軽減されるのだ。(276頁)

これがVR世界であっても、人がそう動けば人はそういう人になるという。
これは人間に関する大発見。
もともと人間はそういうもので、ここに物語の意味があった。
まとめのしめくくりでこんなことを書いている。

病んだり老いたりした人も、他人にあまりにも生活をコントロールされそうになると、拒否感を示す。どんなに些細で、一見重要ではないように思える事柄であっても、患者に自主性を発揮する機会を与えると、患者の健康は向上する。健康を維持し、知性を高め、自己実現による充足感を得るためには、行為主体性が不可欠なのである。
 本書でみなさんにお伝えしたいのは、「知る」ためには、その前に「行う」こと──自分の身体を用いて、意図的に行動すること──が必要だという点である。
(279頁)

「元気になりたい」と思った人は昨日より一歩多めに歩けばいい。
ただそれだけでアナタは変わる。
環境がアナタを変えてくれる。
当然のことだが、そのことをもう一度、という。
そしてこの作家曰くだが、あらゆるところにAIの出現があって、AIの活躍によって未来に今、影を落としている。
しかしAIの持っている知識が不完全であることは間違いない。
理由はAIは体を持っていない。
人間のように「体にある知識」というものを使うことができない。
私達は環境にアフォードされて人間になった。
AIにはアフォードすべき環境がない。
AIの持っている知は知ではない。
今うっとりしてしまった。
これは半分ぐらい武田先生の言葉。
本当に最近、いいことを作る。

2024年2月19日〜3月1日◆なぜ世界はそう見えるのか(前編)

変わったタイトルで本のタイトルをそのまま「(今朝の)三枚おろし」の題にした。
「なぜ世界はそう見えるのか」

なぜ世界はそう見えるのか:主観と知覚の科学



これはデニス・プロフィットさんとドレイク・ベアーさんという科学者の方がお書きになった本で原題は「体はいかにして心を作ったか」。
今、進んでいる認知心理学の方面では「体が心を作った」という。
この考え方が武田先生は非常に好き。
前々から凄く興味があった、J・ギブソンのアフォーダンス理論
(番組の中で「J・ギブスン」と発音しているようだが、今回の本の中でも「ギブソン」となっているので、ここでは「J・ギブソン」に統一しておく)
2020年8月31日〜9月4日◆アフォード
アフォーダンス理論というのはなかなか掴みにくかったのだが、それを補うというか説明してくれる理屈。
「体が心を作る」という。
認知心理学のこの手の本を読むと面白いもの。
J・ギブソンさんのアフォーダンス理論、この行動認知学というのは若い時に福岡教育大学に行っていた時に幼児心理学で教わった。
それがもの凄く心惹かれた。
大学で教わったのはこのJ・ギブソンさんの実験の一部なのだが

要は赤ちゃんが端から落ちてしまいそうに見えるテーブルである−中略−。テーブル上に透明で分厚いガラス板を載せるが、テーブルの天板が尽きたあとの空間にも、ガラス板だけが突き出しているようにする。(35頁)

ジョニー坊や−中略−をテーブルの中央の、断崖のすぐ手前に載せる。ジョニーの両側には深く落ち込んだ視覚的断崖のあるガラス板(深い側)と、残りの天板部分(浅い側)との二つが広がっている。こうしておいて母親が、最初は断崖の向こうの深い側から、次はテーブルの天板がある浅い側からジョニーを呼ぶのである。−中略−二七人の乳児全員が、少なくとも一度は嬉しそうに浅い側を這っていったが、勇気を奮って見かけ上の穴に這い出していったのは、わずか三人にとどまった。(36〜37頁)

赤ん坊は行かない。
彼等の体験の中で「落ちる」という体験をしたことがあるような赤ちゃんはいない。
でも人生がまだ始まって七か月しか経っていない赤ちゃんは、落ちる危険性を察してガラス板に乗らない。
これは凄く面白い。
これを(武田先生は大学で)教わった。
これが「アフォーダンス理論」。
つまり「何事かを体は知っているぞ」と。
落ちるということは危険だということ。
いつ知ってるんだ?
人間は時として習ってもいないことを知っていることがある。
あなたはわかっていないが、体はわかっていることがある、という。
それを「面白いなぁ」とバカな大学生だったが授業を受けながら「人間ってそういうところあるんだ」とその授業を聞いた。
ここから研究は進んでいないと思っていたら、このアフォーダンス理論、認知行動学の研究が進んできていて、いろんな実験結果を揃え始めた。
さっき言った赤ちゃんは何でママに近寄らず27人中24人の赤ちゃんが一斉に泣きだしたのか?
これは人間でそのまま実験できない。
一番いいのは本物の赤ちゃんを崖に向かって走らせて、それで落ちるか落ちないか試すといいのだが、そんな非人間的な実験はできない。
それでJ・ギブソンがやったのは猫でやった。
(この実験をやったのはギブソンではなくリチャード・ヘルド。番組中で語られた実験の内容も本の内容とは大幅に異なる)
ギブソンは暗闇で猫を育てて、同じテーブルに載せた。
子猫全員が平気でガラス板を渡った。
条件は暗闇で育てた子猫、明るいところで育てた子猫はガラス板に乗らない。
見るというのは見えているから見えるのではなくて、見る練習をしてから見えるようになる。
視覚体験というのが学習として積み重ねられないと見えない。
人間の赤ちゃんの方に話が戻るが、赤ちゃんはその手で床を這い、手から伝わってくる触覚、そして視覚、その両方で認識する脳の技術を学んでいるんだという。

「自分が何かをすると、世界が応えてくれる」ことに気付く(行為主体性だ)。(46頁)

重大なのは「世界がそう見えたから私が何かをした」のではない。
つまり環境が私達をアフォードしてくれる。
落ちるのは危険ということを私が知っているのではない。
環境が「危険だ落ちるぞ」と伝えてくれるからガラスの向こう側には行かない。
J・ギブソンはこの推論を元にして生態学的アプローチと題して環境が提供する情報、そこから人間は賢くなっていったという。
「私は窓から湖を見る」
J・ギブソンのアフォーダンス理論を使うと「その窓は私に湖を見せてくれた」。
人間の認識の問題。

アフォーダンス理論のJ・ギブソンが行なったアフォーダンス理論に基づく実験。
(恐らくギブソンではなくデニス・プロフィット)
坂道の傾斜はどのように知覚されるか?

バージニア大学敷地内にある坂の傾斜を、被験者に推定してもらうのである。被験者は、三種類の方法で傾きを推定するよう指示された。一つ目は、研究助手とともに坂のふもとに立ち、助手に促されたら、自分の思う斜度を声に出して言うという方法だ。知覚された傾きを査定する二つ目の方法は、視覚マッチングである。全円分度器の上に半円を重ねたような装置を用い、対象の坂の横断面の傾きを推定するというものだ。三つ目は、坂の傾きに合わせて手を傾けるという方法である。−中略−板と平行になると思えるところまで板を傾けるのである。(57頁)

見た目、分度器、水平の板との傾斜。
これを利用して何度か?という。

傾斜五度の坂を見た被験者は、口頭と視覚マッチングでは傾きを約二〇度と見積もった。一方、手の平を載せた板を坂と平行になるように傾けるという方法では、被験者の推定は正確だった。(57頁)

(番組では二つ目の方法のものも正確だったように説明しているが誤り)
たった5度しかないのに何で20度に見えるのだろう?という。
目がそんなふうに見てしまった。
ところが本当に面白いことに見た目で見た人に「アンタ20度あると思う?」と言って「20度の坂を走って登ってくれる?」という。
そうしたら20度だからつま先は20度上がらなければいけないのだが、5度しか上がらない。
(坂はの傾斜は)度しかないのだから当たり前。
ここで重大なのは、頭が20度と見ても足の裏は5度しか上げない。
つまり体の方が正確に角度を見出す。
そしてもう一つ実験をやった。

中央値七三歳の高齢者を被験者とする実験を行った。−中略−被験者が高齢で不健康であればあるほど、知覚された坂の傾斜はきつくなった。要するに、すべての実験結果が、坂の傾斜は、実験時の知覚者の身体能力に関連して知覚されていることを示していたのである。(60頁)

一番最初に言った「心が体を作るのではなくて体が心を作っている」という、この当たり前が実は凄く生き物にとっては重大なことなのではないだろうか?
この理屈を読みながら武田先生は何を思ったかというと今年も生まれたが、箱根の駅伝。
5区、或いは下りの6区。
箱根の坂。
5区と6区に上りの山の神と下りの山の神が出る。
前から不思議だった。
坂道が得意な選手というのがいる。
それも上りに強い人と下りに強い人がいる。
みんな速い。
それで不思議でしょうがないのが、山の神は何人も伝説のランナーがいる。
あの人達は元旦にやっている平べったい会社対抗の駅伝大会に出ると平凡な記録に終わる。
山の神と言われて上りであの人(柏原竜二)は6分も縮めた。
あの時は大記録だった
でも新春の元旦にやる方の社会人大会では平べったいところを走ると平凡な記録。
坂道が得意なアフリカの選手はいない。
アフォーダンス理論は面白い。
ここで何が問題かというと、
柏原君、あの山の神が坂道を見る時と、アフリカから来た選手が坂道を見る時、角度が違う。
アフリカから来たとか、平べったい2区なんかで区間新記録を作る人が坂道を見ると見た目で角度が高い。
ところが、柏原君は坂道が平地に見える。
それは持っていく足の角度が違う。
だからあの子は抜いていく時に、大変申し訳ないが、笑顔で抜いていった。
それは坂道に対するアフォードする力、適応する力が才能として違うという。
そしてこれが不思議なことに平べったいところでは発揮できないという。
これが面白いなと思った。
体が心を励ます。
その事実の証明が山の神である。
つまりあの坂道を上り始めた瞬間、彼はワクワクした。
そんなふうにして彼の体の中には正確に坂道を上ってゆく才能がある。
もの凄くわかりやすい例があってそれが正月二日・三日の箱根の駅伝。
5区が問題で、やはり青学はいいのを5区に持ってきていた。
下りもそう。
上りと下りは同じように思うが全然違う。
ちょっと横道にそれるが、下りの方がしんどいそうだ。
だから実は階段は降りる方でお年寄りの方は運動した方が・・・
つまり全体重を片足ずつに載せなければならないので。
箱根の5区、上りというのは標高が874m。
凄い。
東京タワー2台半ぐらいを上っていく。
ここを「山の神」と称する選りすぐりの上りのランナー達が駆け上っていく。
一番大事なことは彼の足は坂道の持っている斜度、傾きを正確に捉えることができる。
彼の足の裏が彼を励ます。
そしてタイムを縮める。
そういう足を持った才能のランナー達。
体が心を励ます。
その証明が山の神。
山の神の生まれたところから遡ると、我々もみんな人類そうだが、J・ギブソンはハイハイから人間を考える。
ハイハイから立ち上がり、歩行が始まる。
歩行と同時に赤ちゃんは急速に心を作ってゆく。
水谷譲も子育てをおやりになっただろうが、とにかく歩きたがる。
バタバタバタバタ・・・
そのうちに壁が現われる。
赤ちゃんは何を考えるかというと「壁も登ろう」と思う。
それで手を使って登り始めるのだが、それがいつの間にかタッチになっている。
それで立ち上がってしまった。
横を見るとまた壁がある。
もう一回しゃがみこんでハイハイをすればいいのだが、立ったまま移動するところから歩行が始まるという。
これは今、子育て中の方とかおられたら、赤ちゃんをよく見てください。
これは人類史。
アフリカのジャングルに生まれて、四つん這いのサルだったものが、草原で背伸びしてタッチしたという。
次に何を目指したかというと二足歩行。
歩くこと。
300万年前の人骨が見つかっている。

骨格を「ルーシー」と呼ぶようになっていた。−中略−ルーシーは明らかに直立二足歩行をしていた。(63頁)

これはアフリカで見つかった。
1m12cmの初期の人類だったそうだ。

 二足歩行によって長距離移動ができるようになった(64頁)

何と驚くなかれ、このルーシーさんもそうだが一日に30km歩けるようになったという。
これがサルと人間を分ける。
チンパンジーは移動しても1日に3kmが限界。
それに比べて人間は30km。
30kmを歩くと汗をかいてしまう。
それで何をあきらめたかというと毛をあきらめた。
汗を出すことによって温度調節をやろう、と。6
長く歩くという持久力を手にする為に毛を脱ぎ捨てたという。
爪も持っていないし牙も持っていないサルなのだが、とにかく持久力があるので

持久狩猟で食物を得るようになる。−中略−数人の狩人が何時間も走ってレイヨウなどの有蹄動物を追い詰め、獲物が疲れきったところで先の尖った枝を刺して殺す狩猟方法で(71頁)

それが人間を益々歩かせることになる。
そのうちに腹が減ったので海に浸かって貝か何かを拾っている。
火を使うことを覚えたばかりで。
アサリの蒸したヤツなんか喰いたくなってしまって。
そうすると海の中にジャボジャボ浸かっていると益々歩くのが達者になる。
海が歩行器になる。
これをJ・ギブソンは「環境と一緒に作った才能なんだ」という。
二本の手が自由になり

その場で経験する世界「環世界(ウンヴェルト)」(16頁)

そこからアフォードされるもの、環境から引っ張り出せるものを能力としたという。
ここで忘れてならないのが環世界、つまり環境が変わるとその能力も変化するということ。
これを忘れちゃダメなんだという。
手ごろな例。
日本は小さい島国で物凄い起伏の激しい地形。
日本人は基本的に平べったい道でも坂道を歩いているような歩き方をする。
中国の人は一歩一歩が全部脱力している。
そっちの方が平べったいところはポーンと足を投げ出した方が重力で落ちてくる。
ところが日本は地面を踏みしめる。
これを集団で見ると一発でわかる。
何百mか離れると「あ、中国人の観光客の人だな」「あ、こっちは日本の修学旅行の子だな」。
もう上海でありありと見た。
そういうのは滅茶苦茶面白いと思う武田先生。
韓国で人気者の踊りの人達。
BTSと箱根で優勝した駅伝のランナーと顔つきが違う。
ここ。
環境が変わると男子の風貌も変わってくる
このあたりアフォーダンス理論の面白いところ。

「運動習慣を身につければ世界が変わる」−中略−あなたの世界の見方は運動習慣で変化するのだ。−中略−自分は世界をありのままに見ているというのが私たちの共通感覚だ。だがそうではなく、私たちは「自分が世界にどのように適応しているか」を見ているのである。古代ギリシャの哲学者プロタゴラスの言葉をもじるなら、「身体は万物の尺度である」。(77頁)

(この本の)第三章へ行く。
人間の本性。
心理と行動の警句だが

 金槌を握れば、何でも釘に見えてくる。(78頁)

金槌を持っていると何かを叩きたくなる。
かくのごとく人間というのは道具に縛られやすいという。
だから銃、ピストルというものが自由に持てる国では銃にまつわる犯罪が増えてしまうというのは仕方がないということである、という。
手に関する不思議な症例をこの本は紹介している。

 一九八八年−中略−若いスコットランド人女性が悲惨な事故に遭ったという。−中略−女性は一酸化炭素中毒で失神し、昏睡状態に陥った。なんとか生き延びたものの、脳が一時的に酸素不足となる低酸素症になったことが原因で、珍しい視覚障害が残ることとなった。−中略−目の前の相手がペンを持っていても、女性にはその手とペンのどちらも形のないぼんやりした塊にしか見えない−中略−母親が目の前にいても見分けることもできなかった(80〜81頁)

リンゴを渡されてもどうしていいかわからない。
ところが困ったことに「ペンを絵で描いてみてください」といったら描ける。
「お母さんを絵で描いて」といったらお母さんが描ける。
「リンゴを絵で描きなさい」と言ったら描くことができる。

驚いたことに地面にある物をよけながら、つまずかずに歩いて移動することができた。(81頁)

視覚障害なのだが、こんな奇妙な障害者がいるという。
渡されたものに関してはボーっとしか見えない。
しかし思い出の中にはそれがはっきりある。
そういう視覚障害。
この症例は、病例は一体何を示しているのか?

視覚には二つの機能がある。(82頁)

一つ目の視覚の経路は、目の前にあるものの自覚的な気づきを提供する「なに系」だ。(82頁)

「これはペンである」「これは母である」「これはリンゴである」という「What」を解釈する視覚。

二つ目の視覚処理の経路が、行為の視覚的誘導を司る「いかに系」だ。(82頁)

「ペンで字を書く」「お母さんには甘えてみる」「リンゴ、剥いて食べる」
そんなふうにして「What」と「How」、「これは何?」と「これでどうする」、この二つを重ねて「見ている」という。
だから喉がもの凄く乾くと水を入れる器を(無意識に)探している。
それが「水が飲みたい」という欲求に応じる為の脳の動き。
こんなふうにして「What」と「How」、これが二つ重なって「見る」という行為が行われている。
優先順位で言うと「What」よりも「How」を優先させるという。
「これが何者であるか」を横に置いておいて、「どうすればいいのか?」そっちの方が先に来る。
「What」は錯覚しやすい。

その際に使われた錯視の一つが、−中略−エビングハウス錯視である。
 円の右側の中心にある円は、明らかに左側の中心にある円より大きい。だが、実際には、二つの円の大きさは同じである。
(85頁)

親指の先と他の指の先を接触させられるのは、霊長類の中でも人類だけだ。(89頁)

ゴリラ、チンパンジーはできない。
できないものはしょうがない。
我々はそんなふうにして環境に適応した。
手にまつわる不思議。
手のひらというのが人間にとってはいろんな感情を作る元になったという。
これは武田先生が若い時に見つけて一人で興奮していたのだがアダムとイブを描いた作品があるのだが共通している。
これは殆どのアダムとイブを描いた絵画に言えること。
チャンスがあったらイブが出て来る絵を見てください。
リンゴを盗むイブの手は左手。
そのリンゴを受け取ろうとするアダムの手は右手。
何かそれがすごく不思議で。
英語の方が遥かにわかりやすいのだが右は英語で「right」、左は英語で「left」。
別の言い方にすると「right」「権利」。
自由の女神は右手で松明を持っている。
「left」これは何か?
「残ったもの」
あまりいい響きではない。

大多数の人──全体の約九〇%前後──が右利きだからだ。(100頁)

そんな行動によって感情が作られたのではないだろうか?という。
その意味で「心が動きを作っているのではない。動いているうちに心が作られたんだ」という。
本当こんなことがあるんだなと思うが、これもアフォーダンス理論で研究した結果だが

被験者の前にビー玉が入った二つの箱を、一つは高い位置に、もう一つは低い位置に置いた。実験のうち何度かの施行では、被験者にビー玉を低い箱から高い箱へ、その他の施行では高い箱から低い箱へ移してもらった。この縦方向の移動を行なっている最中に、被験者には「小学生のときの話をしてください」「去年の夏は何をしましたか?」など、自分自身にまつわる単純な体験談を語るようにとの指示が出される。−中略−ビー玉を上に移していた被験者にはポジティブな自伝的エピソードを語る傾向が見られ、ビー玉を下に移していた被験者には、不運な出来事や連絡先を聞きそびれた経験などのネガティブな話をする傾向が見られた。上または下方向への動作が、自分でも気づかないうちに、気分が上向く話か、落ち込む話かという体験談の情緒的な方向性を導き出していたのである。(97〜98頁)

だからサッカーの試合の時に点数を敵側に入れられたらキャプテンマークが絶叫する。
「下を向くな!下を向くな!」
あれはそういうこと。
一月の仕事始めに(南)こうせつさんと名古屋で歌うたいがあって、フォークソングの集いがあって。
お客さんも大勢来られて、本当に名古屋の方に感謝している。
ベーヤン(堀内孝雄)がゲストでみんなで歌っていた。
太田裕美さんもいた。
こうせつさんがやはりきちんとした人で、坊主の息子だから「能登半島の方でお亡くなりになった方の為の黙祷から始めよう」という。
それで黙祷から始めてこうせつさんがいいことを言う。
「辛く悲しい時期だけど、我々はとにかくこの中で精一杯明るく歌を歌いましょうや」と言いながら会場と一体になって「上を向いて歩こう」を歌う。
そうしたら涙を拭いておられたご老人の方がおられて「上を向いて歩こう」というのは名ポップスというのもあるが、「上を向く」というのが泣きながら上を向いているというのが何ともはや・・・

話が横道に逸れたが戻る。
右と左というのが、ちゃんと人間はその仕草、動きの中で使い分けているのだ、と。
もう一つなのだが、もの凄くシンプルに人間を解説した文章があった。
歩き始めた人間は手が自由になったので、両手で、右手左手で物を持つようになった。
でもまだ持ちたい時がある。

 あなたがヒトで、すでに両手が持ち物でふさがっているとしたら、さらにものを運ぶにはどうしたらいいだろうか。可能であれば口でくわえるはずだ。(160頁)

あれも発音を作っている。

「大きい」どんぐりを運ぶのに口を開ける必要があったことで、いまの私たちも、大きなサイズを言い表すのに口を大きく開けないとならないのだ。(164頁)

「large(ラージ)」−中略−が開いた口の形で発音されるのも、単なる偶然ではない。(163頁)

「small」
口が小さい。
かくのごとくして口を開く、或いは口をすぼめるというのが言葉を作っていったのではないだろうか?という。
このへんは面白い。
来週は更に奥深くこの人間の行動というものを訪ねていきたいというふうに思う。


2024年05月08日

2024年3月4〜15日◆万葉集・古今集・加齢臭(後編)

これの続きです。

我々はあんまり敏感に感じていないかも知れないが、人間の感情の半分以上は匂いが動かしているのではないか?という、これはアメリカのビル・S・ハンソン博士。
人間学というか行動学の本。
匂いが人間を動かす、という。
それから武田先生は現実に悩んでいるが、自分の体内から発する加齢臭。
もう加齢臭を気にする年になった。
「そんな酷い臭いはしてないハズだ」と思ったのだが、ちゃんと臭いようだ。
奥様から叱られた。
自分でやはり何とかしなくちゃならんなと思って。
気を付けることがまず大切だと思う水谷譲。
奥様から指導を受けているのは食べ物。
そこから加齢臭の原因のナントカカントカ(「2-ノネナール」を指していると思われる)が出てくるというので、そこを一生懸命洗った方がいいと言われるので、耳の後ろをよく洗うといいと思う水谷譲。
いろいろ手はあると思うが、何ゆえの加齢臭か?というのは今週の大まとめで、このハンソン博士の独自の考えを皆さんにお伝えしたいと思うから、何等かのお役に立てばというふうに思う。

匂いというのに随分人間が動かされているという証しとして、よくテレビ番組、テレビバラエティー等で味覚を刺激する番組というのがあるが、味覚というのはたった五種類しかない。
匂いというのは驚くなかれ、人間で500種類あるそうだ。
だから味覚よりも嗅覚の方があてになるのではないか?という。
ちょっとその実験をやってみたいと思う。

目隠しをし、鼻から息を吸えないようにノーズ・クリップをつけた学生のグループに、ケチャップとマスタードのちがいを言い当ててもらう。しかし誰も正解できない。(74頁)

簡単にケチャップとマスタードを言い当ててしまう水谷譲。
ハンソン博士、当てられましたよ。
被験者はアメリカ人。
(フリードリッヒシラー大学の学生が対象のようなので、被験者はドイツ人だと思われる)
アメリカの方は鼻がワリと日本人よりも敏感ではないと思う水谷譲。
大味なものを食べたりする。
日本人の方が旨味を感じるというか。
これはアメリカの本なので、アメリカの人で試したらしいのだが、誰も当てられなかった。
この博士が言いたいのは「私達が『味』と呼んでいるのは殆ど『匂い』ですよ」という。
味覚と嗅覚、どっちが優勢かという。
残念ながらすっかり水谷譲に見破られてしまって実験としては大失敗に終わった。

先週もお話したがコロナが匂いと味覚については過敏なウイルスであるという。
だからコロナに罹ってしまうと匂いがダメになる。
次に味覚がダメになるという。
彼等の進入路が匂いを嗅ぐという細胞を占拠することで、コロナというのは匂いについて酷く警戒心を持っている。
つまり匂いがバレたらコロナというのは正体が見破られるということを知っていてあの形になったのだ、と。
「匂いの能力については大きな希望があるぞ」と、この著者が。
アルツハイマー等も、匂いに敏感な嗅覚細胞、匂いを嗅ぐという細胞、これを維持すれば予防になるのではないか?
(このあたりは本の内容とは異なる)
水谷譲の母が凄く気にしていて、「何かの本でラベンダーの香りを嗅ぐといいと言われた」と。
水谷譲はアロマを買って母にプレゼントをしたら、それをずっとアロマを嗅いで「予防だわ」と言ってやっている。

パーキンソン病とアルツハイマー病に関しては、嗅覚の低下がこの病気のごく初期の患者に表れる症状の一つであることがわかっている。(303頁)

だから「いい匂い」とか「ああ、クサいわ」とかと言っているとこれが嗅細胞が保たれてこれがアルツハイマー等の認知症の予防になるという。
だから老人方に対して、そういう意味で鼻を鍛えましょう、と。
匂いに敏感であるというのは、認知症予防には強力な助っ人らしい。

ここから話を広げていくが、確かな数値が決まっているワケではないし、だから「その証拠だ」と言えないところが辛いのだが。
水谷譲の母は一人暮らしでネコを飼いたがっている。
犬がいい。

今はやりのトイプードルはどうか? チワワは? じつはDNA艦艇の結果、すべての飼い犬が共通の祖先をもつことがわかっている。彼らはみな、ハイイロオオカミの子孫が飼い慣らされたものなのだ。(88頁)

 犬が欲しがりそうな情報のほとんどは、犬の肛門嚢とその近くの皮脂腺から分泌される分泌物質の中にある。(87頁)

どうやら犬は、人間に近寄ってきた最初の動機も匂いを目当てに来たんじゃないか?
人間の匂いがオオカミにはいい匂いがしたらしい。
その匂いとは何かというのが最近の研究ではっきりしてきたのがオキシトシン。

オキシトシンは母親と赤ん坊の心のつながりや、その他の信頼関係を深めるホルモンだ。オキシトシンは、人と人が、とくに母親と赤ん坊が見つめ合ったときに分泌されると考えられている。そしてある研究によって、犬がこのメカニズムを利用して人との心の結びつきや深い愛着関係を作りだしている可能性が示唆された。(89頁)

犬はこれで人間の生活に役に立つ動物となり、彼等は飼い主に頭を撫でられると穏やかな表情になるという。
これはオオカミだった時の直感でオキシトシンの匂いに反応していて、飼い主がオキシトシンの匂いを出すもので彼等もリラックスして穏やかな表情になるそうで。

鳥は無嗅覚で、匂いがわからないと考えられていた。鳥は視覚と聴覚に頼って生きている、というのが科学界全体の合意だった。(94頁)

ところが解剖してみると立派な嗅覚のエリアを脳に持っている。
面白い実験をした人がいて

ヒメコンドルが好む狩り場で、豚の死骸を使った実験を行なった彼は、死骸が不快や部の中に隠されていて目に見えない場合、コンドルは死骸の在りかを見つけられなかったと報告した。−中略−一方、死骸が開けた場所に置かれているときはそれをめざして急降下してきた。というわけで、ヒメコンドルは視覚だけを頼りに狩りをする、と結論づけるのが適切だと思われた。え、本当に?(95頁)

鳥についての実験だが、タカ、ハヤブサ、コンドル。
豚の死骸を開けた草むらにポンと置く。
もう一方はゴチャゴチャっとした藪の中に置いておく。
どっちに寄って来るかというのを実験したという。
これは1980年代のことらしいのだが。
(本によるとこの実験は1820年代)
そうするとタカ、ハヤブサ、コンドルなどはやはり開けた草地に置いてある方がバーッ・・・
あれは隠すとダメで、目で見てやってきてるんだということで「目を中心に彼等は獲物を獲っているんだ」ということになったのだが、この実験は間違えたみたいで

ヒメコンドルは死骸が間違いなく「賞味期限」を過ぎていることに気付いて、無視することにしたのだ。(97頁)

隠した方の肉が古かったようで

ヒメコンドルが食にうるさく、その鋭い嗅覚が選んだ美味しいごちそうしか狙わないことを示していたに過ぎなかった。(97頁)

ハイエナとかもみんなそうだが、ちゃんと匂いでジャッジしているらしいのだが、死後一日しか食べない。
直感であるらしい。
そして繰り返しになるが海鳥などもそうで、アホウドリ等を観察するとあの広大な海原で視覚で魚群を探知する、これはもう不可能に近いという。
何で探知するかというと匂い。

植物プランクトンをオキアミが食べること、そしてその際にDMSが大気中に放出されることを知っていた。彼女はまた、オキアミがアホウドリの好物であることも知っていた。−中略−DMSは、間違いなくアホウドリを餌へと導く手助けをしていた。(99頁)

 地球の磁場が彼等を導いているのだろうか? ある種の鳥はたしかに磁場を手がかりに進む方向を決めているが、いくつかの研究から、ミズナギドリ目の鳥は少なくとも磁場だけに頼っているわけではないことがわかっている。−中略−アホウドリが進路を知る際には嗅覚が大きな役割を果たしており、(100頁)

これらの鳥は、陸標の不足を補うために、海の上を行ったり来たりして海の匂いの地図を描き出し、それを頼りに海から立ち上がる匂いの移ろいをたどって、次の夕飯を見つけられるのかもしれない。あるいは営巣地へ戻れるのかもしれない。(101頁)

海なんか私達は潮の匂いしか感じないが、鳥から言わせるといろんな匂いがある。
鳥と魚は嗅覚がないと思っていた水谷譲。

 魚の嗅覚についての最近の研究から、−中略−別個の三つの神経経路があることが確認できた。−中略−一つ目の神経経路は社会的行動を誘発する信号(捕食者の接近についての警告を含む)を運び、二つ目は性ホルモン、三つ目は食物の匂いを伝える。(123頁)

排卵後のメスのキンギョのフェロモンの匂いを嗅いだオスのキンギョは、自動的に魚精の量(精子の放出量)を増やす。(123頁)

魚類にとって海は広大で深さもそれぞれ違う。
その深さの違いが魚にそれぞれ独特の嗅覚を敏感にしているという。
これは想像がつかないのだがこんなヤツが魚の中にいる。

 深く暗い深海でパートナーを見つけるのは容易なことではない。だからこそ、小さな体のアンコウのオスは、匂いでメスを嗅ぎ当てる(125頁)

オスは凄く小さい。
キャラメルコーンの袋がメス。
オスは確かキャラメルコーン一個か二個ぐらい。

東ハト キャラメルコーン 70g×12個入



ここから凄い。
オスは小さくメスは何倍も大きい。

小さな体のアンコウのオスは、匂いでメスを嗅ぎ当てると、その身体に強く噛みついてけっして離すまいとする。−中略−
 深海に棲むアンコウのオスがメスの身体に噛みつくと、二つの身体は徐々に溶け合い
−中略−その間にオスは両目を失い、精巣以外の嗅覚を含む体内のすべての器官が退化していく。(125〜126頁)

昨日は鳥の話、それから魚類の話もしたが、もう少し魚の方での匂いの話も続けてみたいと思う。
帰巣本能。
(番組では「きすう」と言っているようだが多分「帰巣(きそう)」)
これもまた匂い。
サケ。

彼らがはじめて塩辛い海に下ってきたときから二年〜八年くらい過ぎた頃で、−中略−故郷から何百キロメートル、あるいは何千キロメートルも離れた場所にいる。−中略−
 科学の世界では、サケは地球の磁場を羅針盤代わりにして生まれた川に帰るのではないか、と考えられている。
−中略−サケはまた視覚的な目印も確認できるにちがいない。ひょっとすると時間の流れも追えるのかもしれない。しかし自分が生まれたその川床を探し当てる際には、サケは嗅覚に頼っている。−中略−おそらく彼らは1ppm(一〇〇〇万分の一)の濃度でも、あるいは1ppt(一兆分の一)の濃度でさえも、匂い分子を検知できるだろう(129〜130頁)

生物はこれほど左様に匂いを嗅いでいる。
「匂いというのは命を動かしているんだなぁ」と。

まことにプライベートなことだが、一月に博多の街に帰った。
それはお喋りのお仕事があって、もう一本歌歌いがあって。
武田先生の古里・博多だが、風景が変わってしまった。
もう博多は大都市になってしまって。
武田先生の友人が、地名の名前は凄くいいのだが桜坂というところにいて、彼のお店の二階が空いているのでそこをちょっと宿泊所に使った。
武田先生も博多でホテル以外に泊まるのは本当に珍しい。
奥さんがアラジンの石油ストーブを一月だったから点けてくれて、窓も少し換気の為に開けてくれて。
ヤツのお店の二階でちょっと一杯呑んでいた。
もう泣きそうなぐらい懐かしい。
特に一月から関東地方は乾燥が続いていたものでカラカラという時に、博多に帰ったら雨だった。
そうしたら瓦屋根にサーッと冬の博多の雨が通り過ぎてゆくと香りが立つ。
何か街の匂いが・・・
もう全身脱力。
何か持ち上げる杯すらも重たくなって、そのまま動かない70半ばの爺さんという感じになってしまって。
もう一つ、まだ終わらなくて、ちゃんとやらなきゃと思うのだが。
実家に帰って、今は親戚の子が住んでいて、武田先生が大きくなったあの例のタバコ屋。
イク(母)と嘉元(父)に育ててもらった実家だが、そこの掃除をやらないと。
というのは姉がしっかりやってくれればいいのに、母の服とか全部処分しきれずに置いてある。
その長女も逝ってしまったものだから、長女の着ているものも全部あるし、これを片付けきれない。
姪っ子の子供なのだが、祖父母の大事なものだから勝手に手をつけてはいけないと言うのだが、そんなもの祖父母のものを取っておけない。
引き出しを開けて見たらもう凄い。
武田鉄矢の切り抜き。
ジンとはもちろんくるが。
それとか姉達の通信簿、武田先生の通信簿、卒業アルバム。
何と福岡教育大学に合格した時に大学から届いた合格通知書。
取ってある。
申し訳ないが数葉の写真を抜いて全部捨てた。
それでその時に片付けでホコリが凄くて。
奥様も一生懸命やっている。
でもそれは昭和からたまったホコリだから「触るな触るな」ばかり言い続けてこのザマ。
それで二階の窓を開いた。
風がその窓から入って来る。
実家の縁側の匂い。
あの時にサケの気持ちになって。
何か「俺の源流だ」と思って。
匂いというのが人間を操るというのはしみじみわかった。

仮説ではあるがビル・S・ハンソン博士はこんなことを言っておられる。
地中海に咲く怪しげな花だが「デッドホースアラム」という花がある。

見た目は、巨大な肉色をしたカラーの花だったが、腐りかけた死骸を思わせるとてつもなく嫌な匂いがした。(274頁)

 この花の苞の入り口は、匂いだけでなく感触も腐った肉のようだったのだ。苞から突き出したしっぽのようなものは温かく−中略−苞の奥に入ったハエたちはしばらくそこに閉じ込められ、身体中花粉まみれにしてから外部に出ていく。その後次の花まで移動した彼らは、意図せずして受粉を完了させることになるのだ。(276頁)

この嫌な臭いこそ、子孫を残すこの花の適応の術。

健康なハエは少量の非常に誘引性の高い性フェロモンを放出していた。病気のハエの匂いを分析してみたところ、彼らが同じ性フェロモンを、健康なハエの二〇から三〇倍多く生成していることがわかった。(281頁)

健康なハエたちは、明らかに病気のハエに強く誘引され、次々と病気に感染していった。つまり病原菌がハエのフェロモン生成システムを「ハイジャック」してフェロモンの生成量を増やし、そのハエの集団内で自らが増殖できるようにしていたのだ。(282頁)

(番組ではこの病気になっているハエが高齢であるような説明をしているが、本の中にはそのような記述はない)
みんな「ウイルスとか頭がない」と言うが頭がいい。
もしかするとだが、ここから寄り道をするが
あのコロナもこの病原菌と同じで、もしかするとそうかも知れない。
インフルエンザもそうだが、ウイルスがちょっと弱っていた老人にとりつく。
そうすると凄く侵入しやすい。
臭いにも鈍感だし。
それで更にウイルスを広げる。

それでここから加齢臭の問題。
この手のヤツを相手にする為にはどうするか?
年を取っても「コロナに反応するぞ」「インフルエンザに反応するぞ」と思うのであるならば、嗅覚の低下を何としても防ぐ。
それが実は健康な老人の施策の一つではないだろうか?
恐らく人の鼻は脳の異常について真っ先に本人に連絡をしてくれる感覚かも知れない。
これから先、我々の一番恐ろしいのは認知症。
そういうことでは加齢臭に敏感で、己の体臭に悩むという老人は認知症からより安全な道を見つけるという。
だから「臭いを指摘されたから侮辱され」たとか、最初に武田先生が言ったような怒り方はしないで、「ああ、俺が臭いのか」という。
その臭いを「あ、やっぱ俺臭いわ」と気づくうち、アナタは認知症から遠ざかっておりますよという。
そういう意味で決して暗い話題ではないという。

「万葉集・古今集・加齢臭」
いろいろ。
万葉集は半分ぐらい女性の香りの歌。
そういうこと。
「たらちねの…」で始まる五七五七七。
日本には今、大河ドラマでもやっているが香道。
お香を嗅ぐ香道。
これは意外と武田先生もお使いでお香を買いにやらされるのだが、並んで買う人がいる。
人気。
そういうことを考えると加齢臭は確かに嫌なものだが、一種老いの目覚めとしては一つの目印になるのではないかなと思う。
世界を見る為には「目」だけでなく嗅ぐという「鼻」も大事ではなかろうか?

ささやかなミニミニ知識だが、

香水産業は−中略−二〇二五年には年間売上高五〇〇億から九〇〇億ドルにも達すると考えられている。(295頁)

だいたい約13兆円の香水が売れているそうで、巨大な費用を世界は臭いに使っているという。
「自分の臭いに敏感でありましょう」というお誘いだった。



2024年3月4〜15日◆万葉集・古今集・加齢臭(前編)

「万葉集・古今集・加齢臭」
ただ単にひっかけているだけだが、「匂い」を三枚におろそうかなと。
ビル・S・ハンソンさんというアメリカの方。
(本によるとスウェーデン生まれで、ドイツの研究所の所長)
その方が亜紀書房からお出しになった。
武田先生達団塊の世代、70(歳)を超えた世代にとって気になる臭いといえば「加齢臭」。
ついひと昔前は老人のこの特有の臭いに、武田先生自身が若かったので眉をひそめていたが、しかし今、その年になってその臭いに対しては当事者となった。
全部話すが、「いい番組を作っている人だ」というのでテレビで賞を貰って新聞社に呼ばれて。
新聞社に集まって賞を貰うような人はみんなご高齢の方が多い。
「万葉集の研究〇十年」とか。
そういう人に並んで若い四十代半ばぐらいの武田先生が席に着くと、やはり臭いがする。
その時に「ああ〜これが老人の臭いだなぁ」と思っていた。
さあ、年が巡ってその年になる。
(武田先生が自宅にいると)突然悲鳴が風呂場から上がる宵の口。
「出歯亀でも出たのか」と思って駆け下りて「どうした?」と言ったら奥様が「何、この臭い。ここで腐ったものでも洗った?」。
厳しい表情。
「いや、そんな変なもの、洗ってないよ」
自分ではわからない。
奥様が「何よ、わかんない?この臭い」とかと言ってフっと武田先生に向かって質問。
「さっきまで風呂に入ってた人誰?」
「誰?」と言われても、(家には)二人しかいないから武田先生に決まっている。
そうしたら奥様は冷たい視線を武田先生に向けて「よく、洗って」。
困ったことにその現場でいくら空気を吸い込んでも申し訳ないが、武田先生は武田先生から腐ったような臭いを感じない。
不思議な臭い。
武田先生にも小さな事務所だがスタッフが数名いて、車で移動中になにげなく「俺、臭いか?」と訊いた。
そうしたらスタッフが「そんなことはないですよ」「自信を持ってください」と言われて。
奥様に反抗の材料として「俺、スタッフに訊いたけど俺のこと『臭くない』って言ってるよ」とかと言ったら「まだ気づかないの?忖度よ」と声をねじって言われて。
それで戦い。
やはり奥様を責めるワケではないが「アナタ臭〜い」と言うのは差別用語。
男でも傷付く。
それはもう家族だから指摘できるというのもあると思う水谷譲。
「臭い」というのは家族でもキツイ。
長年、武田先生と狭いスタジオで仕事をご一緒しているが、一度も(臭いとは)感じたことがない水谷譲。
「あ、この人はきっと小綺麗にされてるんだろうな」と思っていた。
だからちょっと武田先生も油断していたが、ある日突然やってきた。
それが何か?
和室で寝ている武田先生。
朝、起きてコーヒーを点てて「布団ぐらい畳もうかな」と思って再度、日本間の扉を開けた瞬間「クサい」。
機械油みたいな
思春期の脂とは違う。
武田先生は長いこと先生役をやっていたから、学生服の男共は臭い。
特有の思春期の臭いがある。
それとは違う。
もっと機械臭くさい臭い。
「これか!」「なるほどこれは臭いなぁ」と思った。
その日にまた凄いもので、本屋さんで見つけた本がこのビル・S・ハンソンさんの「匂いが命を決める」というタイトルの本。

匂いが命を決める──ヒト・昆虫・動植物を誘う嗅覚



この人は生物行動学の方で「匂いによって生き物の神経がいかに進化したか」これを追うという。

 人は非常に視覚的な存在なので、ほかの感覚を忘れがちだ。なかでも嗅覚はとくに忘れられやすい。(4頁)

人の生活の重要な場面の多くが、嗅覚に大きく頼っている。(4頁)

何で匂いが生き物にとって重大かという。
鼻はどこにあるか?
顔の真ん中。
それぐらい大事だということ。
「匂い」というのが実は感性の主役なんだ、という。

人が、自分が放つごく自然な匂いを隠したがり(4頁)

珍しい生き物らしい。
自分の痕跡である臭いを消そうとする生き物は生物の世界で人間だけだという。

匂いについて。
これはちょっと回りくどいがワリと遠回りしながらいく。
人間に関する匂いだけではなくて、生き物全体にとって「匂いとは何か?」という。
ここからいきたいというふうに思う。
取り上げるのはまずは蛾。

フランスの昆虫学者ジャン・アンリ・ファーブルは、自宅のカゴに入れていたメスの蛾に多数のオスの蛾が引き寄せられているのに気づき、そこに匂いが関わっているのではないかと考えた。(4頁)

 蛾のオスはフェロモンを−中略−ほぼ触角だけで感知する。(167頁)

蛾のオスは、もっとも感知しやすい匂いに対する人の感受性の少なくとも一〇〇万倍の感受性で、メスの香りを検知することができる。(168頁)

犬のオスは盛りのついたメスにはとくに追従的だ。発情期のメスの匂いを嗅ぎつけたオスは、その匂いをずいぶん遠くまで追っていく。(87頁)

ある種の化合物に対する犬の閾値は、人の閾値のおよそ一〇〇〇倍から一万倍近いと予測している。(82頁)

 サケが、自分が生まれた川の支流に産卵のために戻ってくるときには、匂いを頼りに帰路を探し当てる。(5頁)

 鳥は嗅覚をもたないか、もっていても非常にお粗末なものだと長いあいだ考えられてきた。しかし現在では、そうではないことがわかっている。ハゲワシは、はるか彼方の動物の死骸が放つ特徴的な匂い分子を嗅ぎ取ることができる。一方、アホウドリなどの海鳥は、匂いを手がかりにプランクトンが豊富な場所、つまり彼らにとって良い漁場を探し当てる。(5頁)

海表に生息する微小な植物プランクトンが放出するガス、ジメチルサルファイド(DMS)の調査を行なっていた。−中略−この植物プランクトンをオキアミが食べること、そしてその際にDMSが大気中に放出されることを知っていた。−中略−DMSは、間違いなくアホウドリを餌へと導く手助けをしていた。(99頁)

不思議だと思った。
広い広い海でバーっと飛んでいた魚(「鳥」と言いたかったものと思われる)が魚めがけてファーッと降りてゆく。
海面にいる魚が「上から見ればわかるか」とかと思うのだが、海は広いから。
だから匂いの探知で餌場を探すという。

植物も匂いを感知でき、匂いのメッセージを送り合っているという事実かもしれない。−中略−蛾の幼虫に攻撃された植物は、放出する揮発性物質を変化させる。あらたに放出された匂い分子は、−中略−食害されていることを近くにいる同種の仲間に知らせて、その草食動物が彼らのところに向かう前に防御態勢を整えられるようにすることだ。もう一つは、攻撃者の天敵を呼び寄せて「助けを求める」ことである。(6〜7頁)

(番組では植物を食べている虫の天敵を鳥と明言しているが、本にはそういった記述はない)
では加齢臭の謎だが、なぜ武田先生は自分の加齢臭に気が付かないのか?
こんなことを言っては何だが、そういう時もあった。
若い時は武田先生の胸に顔をうずめて奥様が「はあっ」と言いながら深いため息を。
あれから50年、胸(に顔)をうずめるどころか近くに来たら「クっさ〜い」。
この変化は一体何であろうか?

匂いと味は、どちらも化学的情報でできている。−中略−空中の分子は匂いを感じさせる。何かが匂いを発するためには、空中に浮遊できるほど軽い分子を放出する必要がある。砂糖の粒が匂わないのは、分子が重すぎて舞い上がれないからだ。一方、レモンが放つ分子−中略−空中に漂って簡単にわたしたちの鼻まで届く。(6〜7頁)

人の嗅覚受容体が、−中略−四〇〇種類近くある(8頁)

ここが匂いを受け取って脳に送り、「よい」「悪い」或いは「この匂いは思い出のあの匂い」とか「嬉しかったあの匂い」「悲しかったあの匂い」等々過去の記憶と匂いが結びついているという。
これはわかる。
冷房の利いた新幹線の中の匂いとか「家族で夏、旅行に行ったな」みたいなことに繋がってちょっと嬉しくなる水谷譲。
運動会の昼近く、父兄が弁当を用意しているテントの下で湯がいた栗の匂いがする。
「ああ…栗、誰か持ってきとうばい。団地の子やねぇ」とか。
商店街の子は栗なんか母はやってくれない。
(昼食は)握り飯だけで。
だからプーンと栗の匂いがすると「秋口の運動会の匂い」として・・・
こういう「匂い」と「思い出」が結び付いているという。
動物も同じ。
人間が400個だがネズミは1000個、カブトムシは500持っている。
「あ!スイカの匂い」とかと。
生き物の体の中には匂いで情報を伝えようとする生き物の知恵が隠れているワケで。

匂いが生物の世界にどのくらい影響を与えるかというのをこのアメリカの研究者、ハンソン博士が本の中に書いてある。

プラスチックの生産量は増加の一途をたどった。今では、世界全体の年間生産量は三億六〇〇〇万トンと推定される。それがなぜ、嗅覚にとって問題なのか?(29頁)

外洋鳥の場合、彼らの嗅覚の重要な特徴はジメチルサルファイド(DMS)の匂いを嗅ぎ取れることだ。これは、植物プランクトンが動物プランクトンに食べられるときにしばしば放出される。押しつぶされた植物プランクトンから出る物質だ。つまり鳥たちにとって、この硫黄ガスの存在は、付近に大量の食べ物があることを示す証拠なのだ(29頁)

プラスチックは、海に漂ってから数ヵ月もするとDMSを放出するようになる。そして自然界の生物たちに、これは食べられる物質だと誤解させてしまう。人類は年間およそ八〇〇万トンのプラスチックを海に流しており(30頁)

 大海原で、DMSの匂いを手がかりに食料を探し当てる能力を発達させてきたのは鳥だけではない。アザラシやクジラも同じ方法で食糧を見つけており−中略−同様のプラスチックによる被害にさらされている可能性が高い。赤ちゃんガメについてのある調査では、この小さな生物のお腹の中にプラスチックがある割合が一〇〇パーセントだった。(30頁)

とにかく海に生きる全ての生き物にプラスチックの匂いが大変大きな危険を与えているんだ、と。
「匂いが生き物の行動に間接的ながらも、もの凄く大きな危険を及ぼしているんですよ」という。

次に、人の匂いも人の行動に大きな影響を与える。

わたしたち自身の匂いについて考えてみよう。−中略−世界最大の産業の一つは、人々が「自分は生まれつき嫌な匂いがする」と信じていることによって利益を得ている。香水や調香師は、今から何千年も前から−中略−存在していたが(33頁)

これは何で自分の臭いが嫌いなのか謎だそうだ。
臭いといえば何かひっかかる。
私達が三年以上に亘って苦しんだあのパンデミック。

 Covid-19感染症に罹患した患者の多くに見られる症状の一つが、味覚と嗅覚の消失だ。(36頁)

もしかしたらコロナというヤツは特有の匂いがあって、それで鼻をやっつけるのではないだろうか?という。

匂いというものの謎に挑みましょう。
この本は320ページある。
今まで水谷譲にお話ししたが、これが37ページ。
もう拾うのが大変。
とにかく鼻、匂いというのは私達が思っている以上に巧妙に私達を動かしている。
味覚は私達の重要な話題。

味覚は五種類の食味−中略−からできていて、−中略−一方の嗅覚は四〇〇種あまりの受容体によって化学的な情報を詳細に分析し、適切な食べ物や飲み物、その他の価値あるものに近付いていいと判断したり、逆によくないものに近付くのを思いとどまらせたりする。(42頁)

匂いがわからなければ食事や飲酒を、あるいは生活全般を楽しめなくなるからだ。嗅覚を失った人々はしばしば、自分の衛生についてひっきりなしに心配するようになったり、恋人の官能的な匂いを感じられなくなったりする。(42頁)

そうやって考えると実は嗅覚が人間を動かしているという。

これは武田先生の余談。
前にお話したこと。
2019年から世界の動きをピタっと止めて政治経済等にもの凄い重大な影響を与えたコロナ、Covid-19。
匂いと味がわからなくなると有名。
武田先生は(ワクチンの)注射を打った時にもの凄い吐き気を感じた。
そうやって考えるとコロナも実は後ろ側に匂いがある。
とすれば、先に結論を言ってしまうが、PCR検査なんかやめて成田の探知犬みたいなもので犬の方がわかるんじゃないか?
それでコロナの匂いでワンワンワンワン!と吠えるとコロナなんか一発。
コロナが一番恐れているのは犬なのかも知れない。
もの凄い結論になった。

コロナウイルスは−中略−嗅覚はやがて戻ってくる。しかし患者のなかには、病状が回復してから何ヵ月過ぎても嗅覚が戻らない人たちがいる。(45頁)

つい最近、イスラエルで興味深い事例が公表された。あるウイルスに感染後、一二年間完全に嗅覚消失状態にあった女性が、Covid-19に感染後、嗅覚を取り戻したというのだ。この事例については記録が不十分だったため、さらなる研究を進めることはできなかったが(46頁)

とにかくこの著者の方、ビル・S・ハンソンさんは鼻の奥にある匂いのセンサー、これを取り上げていて

 人以外の哺乳類では、フェロモンは主に鋤鼻器(VNO)、−中略−特殊な嗅覚器官で検知される。犬も豚も、馬もネズミも、みな高性能の鋤鼻器をもっている。(49頁)

昔、人間も相当匂いに力を注いでいたのだが、だんだん使わないものだから退化しつつあるという。
ちょっと視覚に頼りすぎている。

エストロゲン様物質(女性の尿に排出されるエストロゲンに似た物質)の匂い、あるいは化合物アンドロステノン(豚の主要な交配フェロモンであり、人の汗に分泌されるテストステロンの派生物でもある。男性の腋汗に含まれることでよく知られる)(51頁)

男性では視床下部がエストロゲン様物質に反応し、女性の場合はアンドロステノンの匂いを嗅いだときにより活性化することがわかっている。−中略−人のフェロモンだと推定される同一の物質が、レズビアンの女性と異性愛者の女性では異なる性的興奮を誘発し、同性愛者の男性と異性愛者の男性についても同様のことが認められる。(51頁)

赤ん坊には母乳をあたえている母親の乳首の周囲の皮膚から分泌される匂いが、新生児の生存本能を──吸飲反射を誘発しているのではないかと考えられる。−中略−乳首の周囲の匂いは一般的なフェロモンであると考えられる。(53頁)

赤ん坊の頭の匂いは、母親の脳内に報酬回路を作り出す(54頁)

これが「ネコ吸い」。
ネコを大好きな人が「安らぐ」といってネコの腹に顔をうずめる。
あれが赤ちゃんの頭から出てくる匂いと同じ。
だからほっとする。
それで男は女の乳から出る匂いと、赤ん坊の頭から出る匂い、これが混じった匂いが好き。
こんなのは面白い。
DNAでずっと繋がっている。

匂いというのは実に微妙なもので、Tシャツの匂いで80%の確率で男女を嗅ぎ分けられる。
(Tシャツを使用した実験は別のもの。男女を嗅ぎ分ける実験はTシャツではなく両腋に付けたガーゼ)

女性被験者が、男性たちが身に着けていたシャツの匂いを嗅ぎ、付き合いたいと思う男性のシャツを一枚選ぶように求められた。すると女性たちは自分のMHC遺伝子とは異なるMHC遺伝をもつ男性のシャツを選ぶ傾向があった。しかし経口避妊薬を服用中の女性たちは正反対の反応を示し、自分と似たMHC遺伝子をもつ男性のシャツを好んだ。これはおそらく、経口避妊薬が女性の身体を妊娠中と同様のホルモンの状態にしたせいで、そのような状態のときには、女性は自分を支援してくれそうな、自分に似た近縁者にそばに居てほしいと考えるのだろう、と研究者は推測した。(63頁)

匂いを巡る長い旅。

武田先生は昭和に生まれた世代だが、女の子で近寄っていくと石鹸の匂いがしたりすると、もの凄くホッとしたことがあるし
もう名前を言ってしまっても大丈夫だと思うが小学校の同級生で、オオガ君という頭のいい子がいた。
オオガ君のお母さんは綺麗で、武田先生の家とは違う。
武田先生の家は野生の王国みたいな「狼少年ケン」みたいな家庭だったのだが。

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オオガ君ちは凄く静かでお母さんは京マチ子さんみたいな、お父さんは大学教授で。
そのオオガ君の家に遊びに行って台所からオオガ君を呼ぶ。
貧乏人の子、鉄矢は玄関は悪いと思って、勝手口に行って「オオガ君遊ばんね」とかと声を。
そうすると「はいはい」。
オオガ君ちのお台所の匂いがファ〜っと表にこぼれてくる。
これがいい匂いで。
果物の匂いがする。
もう、オオガ君ちがめっちゃうらやましかった。
武田先生の家は茶の間にミカンでも2、3個置いておけばもう何分かで無くなる。
オオガ君の家は果物入れがあって、そこにブドウ、リンゴ、バナナ、ミカンが盛ってある。
セザンヌの絵みたいに。

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それがうらやましくて。
石炭を燃やす匂いというのがある。
給食を作るところの匂い。
あれはいいと思う武田先生とそうでもないと思う水谷譲。
武田先生達は夕方の冬場、5時とか6時になるとお風呂を沸かす家庭があって、そこの煙突から煙が出て、それが石炭だった。
だから学校帰りの石炭の匂いは何か切なく思い出す。
それから何十年かして石炭の匂いがしなくなった日本から中国・北京に行った時に石炭の匂いがして「懐かしいなぁ」と思ったことがあった。
灯油の匂いは今でも好きな水谷譲。
アラジンのストーブか何かを使っていた時の懐かしい・・・

アラジン (Aladdin) 石油ストーブ ブルーフレーム ブラック BF3912-K



その匂いを嗅ぐだけでちょっと暖かくなってくる水谷譲。
魔法のランプみたいな形をしている。
灯油よりも武田先生は石炭。
石炭よりも練炭、豆炭というのがあって。
あれもいい匂いだった。
餅を強火で練炭、豆炭で焼くとこれが美味かったという思い出がある。

決して正確な実験として報告されているワケではないが、匂いというものが男・女、お互いに恋をして惹き合う時にとてつもなく大きな影響力を持って。
細かなデータは無いが。
匂いというのが感情にも大きな影響を持っていて「この匂いだったら近くに行け」「この匂いだったら逃げよ」という。

人が匂いをどのように分類するかを調べた。−中略−心地よい匂いか不快な匂いか──だった。(69頁)

これは人類共通のしくみとして人間の体の中に残っている。
だから匂いについては言語表現が多い。
「あいつクサいぞ」「何か臭うな」「あの野郎、俺のこと鼻であしらいやがった」
日本人にはちょっとわかりにくい。
だが慣れるとそうなってしまうのか?
カビの匂いをわざわざチーズに付けるワケだから。
それで「美味い」という人がいるワケだから。
匂いというのは人によって地域によって千差万別
「いい匂い」「悪い匂い」というのはそう簡単に線が引けないという。

それからこのビル・S・ハンソン博士が驚いて書いておられるが、アジア、特にインドシナ半島、インドにかけてはトラの匂いがわかるという人がいる。
(本には「トラを引き寄せる血の匂いを言い表す言葉がある」と書いてあるが、それを曲解したものと思われる)
これはやっぱりトラに危険な目に遭う可能性があるというエリアではトラの匂いは過敏な人が「トラが来てる」と叫んだりするらしい。

よい匂いや、どちらともいえない匂いのほとんどに対しては、慣れて反応しなくなるものなのだが。(68頁)

ちょっと面白いことをやってみようと思うのだが、これは時間がかかるので来週のことになると思うが、月曜日、実験でやりたいと思って。
味を決定しているのは、実は味ではなくて匂いではないか?実験をやってみたいと思う。


2024年05月04日

2024年4月1〜12日◆イスラエル(後編)

これの続きです。

いろいろ中東問題の主役であるイスラエルという国、その建国史。
この国はいかにして興ったのかという。
ニュース等を見ていて理不尽だなと思うのだが、よくわからないがイスラエルの右の凄くイスラエルに自信満々の方が出てきて、「アラブ人の住人を認めない」と言う人がいる。
「あそこは全部イスラエルのものだ。ガザからも出ていけ。ヨルダン川西岸からも出ていけ。もともと俺達のものだった」という。
その言いっぷりがちょっと武田先生はひっかかった。
あの人のおっしゃる満々たる自負は一体何だろう?と。
それは何と3400年前、旧約の神ヤハウェがユダヤの民と約束したエリアが今、3400年後に彼等の主張になっている、という。
それで申し訳ないが神様から約束された土地をザッと計算するが2000年、捨てたというか空き家にしている。
そこにアラブの人が住み着いた。
それを「出てけ」と言っている。
そして「3400年前にしろ」と言っているワケで「それを言い出すと『アメリカ人も出てけよ』『オーストラリア人もオーストラリアから出てゆけよ』それと同じだよ」。
3400年前の主張を今、繰り返していいのか?というような問題もあるかもしれない。
そんなことも込みでこの旧約聖書の世界を。
一体、神とイスラエルの民は何があったのか?という話をしている。
繰り返すが武田先生は政治的批判をする力はない。
経済を語る力はない。
その方は他にミヤザキさんとか何とかザキさんとかがいらっしゃるので、どうぞそちらの方へ。
本当に武田先生には(政治を語る)力がない。
時々YouTubeを見ていると「武田鉄矢が政治的発言をした」と結構書く人がいるが、信用しないでください。
だからアラブ・中東問題といっても武田先生が語れるというか、興味があるのは3400年前。
それで先週からずっとユダヤの四代の跡目相続の話をしてきたが、何でもそうだが三代目ぐらいから組織というのは揺れる。
そっちの方が面白い。
四代目からワリと散り散りになってしまう。
イスラエルもそう。
三代目までワリと手堅くいって四代目からヤハウェの神をないがしろにしてエジプトに出稼ぎに行って。
みんな居着いてしまって神様がくれたカナンの地に戻らなくなったという。
そういう話ではないか?
それですっかりエジプトで定着したユダヤの民。

どんどんと人口を増やして、あなどりがたい勢力となった。その数、男だけで六十万人……。ちょっと多すぎる。−中略−実数はせいぜい一万人程度だったろう。(59頁)

 こうなると、エジプト王は不安におびやかされる。−中略−
「そうか。男の子を殺せばいいんだ。
−中略−
 王の命令が下って、イスラエルの新生児は、男ならば、生まれてすぐにナイル川に捨てられることとなった
(59〜60頁)

 モーセが生まれたのは、こんなときである。−中略−母はモーセを殺すことができず、一計を案じ、かごに入れて葦の茂みに置く。そこはエジプト王の娘が水浴びに来るところであった。−中略−
 王女はかごの中の赤ん坊を見つけ、
−中略−拾って育てる。(60頁)

この人はエジプトの王様の娘に育てられたユダヤ人。
だから自分がイスラエルの民であるということを知って、もの凄いショックを受けたのだろう。
「俺、ユダヤ人なの?」ということで。
それでどうしていいかわからないので、とにかく山籠もりでもしようかということでシナイ山という山まで登り
(このあたりの説明は聖書の内容とは異なる)

モーセが羊を養いながらシナイ山まで来ると、不思議な光景を目撃する。(61頁)

ばったり旧約の神に出会う。

 どうやら神の命令は、あの権力絶大なエジプト王に交渉して大勢のイスラエル人を解放し、エジプトで貯えた財産ともどもカナンの地へ移り行け、と、そういうことらしい。(62頁)

こう言われてモーゼさんが「これ、やっぱり帰った方がいいな、一回」と。

 こうしてモーセは大勢のイスラエル人と一緒にエジプトを出て、カナンの地へと向かった。ヤコブがエジプトに移り住んでから四百三十年の歳月が流れていた。(64頁)

「十戒」の旅が始まる。
それで旧約聖書の中でも特別の章として「出エジプト」という章があり、モーゼがイスラエルの民を従えてエジプトを捨ててカナンの地、約束の地へ戻ってゆくという「出エジプト」という映画にもなった神話がここから始まる。
これはもうお年を召した方はことごとく見ておられると思うが、この「出エジプト」の旅は映画になった。
ハリウッド映画。

〈十戒〉という映画があって、−中略−モーセを演ずるのはチャールトン・ヘストンである。(66頁)

十戒 (字幕版)



もう切羽詰まったと思われたそのとき、モーセが海に向かって手を差しのべた。
 ゴオーッ。
 なんと! 海が割れた。
−中略−イスラエル人は、なんなくその道を通って対岸へ渡った(65〜66頁)

(「十戒」の映画のこのシーンは)今、考えたら意外とチンケ。
だがあの頃はあれで十分驚いていた。
このあたりの旧約のダイナミックさ。
矛盾もいっぱい、ワケのわからないところもあるのだが、モーゼあたりが出てくるとやはりハリウッド映画になってしまう。
黒雲が這い出した空に向かってモーゼ(役のチャールトン・ヘストン)が叫ぶ。
「神よ!」と言うとブワァ〜と海が割れてゆくという。
また面白いことを言う人がいて「海が本当に割れたんじゃ無ぇか」という人が。
隕石落下とか、潮流の関係で本当に一瞬だけ海が割れたんじゃないかという人がいて。
この映画の中ではあまり取り上げてはいなかったと思うが、何万人かを率いてエジプトからイスラエルまで歩いて帰っているワケだが、準備が万端とは言えない。
それで旧約に書いてあるのは食糧がすぐに尽きた。
どうしたか?
食糧問題はデカい。
これはモーゼが神様に直に頼む。
この時のモーゼが頼んだ神様は凄くサービスがよくて、空の上から食物を落としてくれる。

マナは神が約束して与えてくれたパンであり、朝、起きると白い露のように一面に散っている。薄い花びらのような形状で、かすかに甘い。保存はきかず、一日の糧は一日で足りるという教えにも敵っている。(70頁)

下で受けていたユダヤの民は大きいカメでそれを貯め込んだという。
そうしたら何日間かもったという。
その天から降って来る食糧がの名前が「マナ」。
旧約の神がユダヤの民の為に天から降らせた食糧、それが「マナ」。
これは薄く蜜を塗ったパンのような食べ物で、それをイスラエルの民は感謝しながら食べたという。
それで神から貰った食べ物「マナ」を食べているので食事の作法がうるさい。
神様にまず感謝しないといけない。
それで食事に関する礼儀作法というので「マナー」。
非常に貴重なもので言葉が転じて「貴重な物」で「マネー」。
だからイスラエルの民は今でもそうだが、ユダヤ教の人達は食事の礼儀作法ということでマナーを身に着けるらしいので、幼い時にしつけが始まるらしい。
そこでまた最大の出来事は何かといったら、モーゼの「出エジプト」の中では凄く映画のせいもあるのだろうがわかりやすい。
それはモーゼが一人になってシナイ山に登る。
それで「どうやったらいいでしょうか」と神様に個人的に相談する。
その時に神様が「これから十個命令するんで、これを守っときゃ大丈夫」という。

稲妻が光り、火柱が立ち、あたりは煙に包まれていた。(71頁)

大きな石板に十個の命令を書く。
これが有名な「ten commandments」で、石板をモーゼに与えて「十戒」となる。
そのモーゼは石板を抱えてみんなが待っているキャンプ地まで帰る。

 モーセがシナイ山の山頂で、長い、長い集中講義を受けているとき、麓のイスラエル人たちは、−中略−
 相談がまとまって、金の雄牛を作り、
−中略−
「これが俺たちの神様だあ」
−中略−
 像を囲んで歌い踊り始めた。
(73〜74頁)

 偶像を拝んではならない。儀式そのものが異教徒的である。−中略−
 烈火のごとく怒り、神の教えを記した石板を投げつける。
(74頁)

 モーセは、ふたたびシナイ山頂で神の戒めを聞き、あらたに十戒≠刻んだ石板を与えられる。(74頁)

今度は間違いないように石板を箱に入れて持っていく。
それで、チャールトン・ヘストンが演じていたモーゼがカナンの地に辿り着いてイスラエル、国創りが始まる。
このカナンの地に戻ったモーゼあたりぐらいから「神の国イスラエル」というのを打ち立てていく。

 ローマ市内の名所サン・ピエトリ・イン・ツィンコリ聖堂に行くと、ミケランジェロ作のモーセ像がある。−中略−
「あら、モーセって、角が生えてるの?」
 なるほど、額の上に角らしいものが二本突き立っている。
−中略−
 種を明かせば、これは製作者ミケランジェロのまちがい。神との交わりで、モーセの顔は光を放っていた。この顔が光る≠ニ角≠ニがヘブライ語でよく似ているらしく、まちがったラテン語訳が流布していたせいである。
(75頁)

そしてイスラエルはゆっくり強くなる。
ここに英雄ダビデ登場。
ダビデも有名。
この人が王となってイスラエルを軍事的にも強国にしてゆく。
このダビデの血統からソロモン王が出る。

 ダビデ王からソロモン王までの八十年間が古代イスラエル王国の黄金時代であり(165頁)

ソロモンというのはもの凄い宝を持っていて、航海の途中で宝を隠したという。
それが「ソロモン諸島」という
何かそんな伝説も聞いたことがある。
この黄金時代が紀元前千年というあたりで神はイスラエルに実に幸運を運んでいる。
一番幸せだった。

ちょっと話を脱線させるが、私達日本人は旧約よりも新約にパッと惹かれて。
そもそも旧(約)と新(約)の違いが分からない水谷譲。
乱暴に言うと旧約のセンターはモーゼ。
モーゼに続く血統。
新約は何かというと大工さんの息子のイエスから始まるものが新約。
とにかく主人公、センターはイエス・キリスト。
それが新約聖書。
イエスは旧約とは全く違う。
怒りの神でヨブなんかをあれだけ試した旧約の神だけれども、イエスは「愛の神である」と言う。
彼は「苦しむ人とか悩む人の為に存在してるんだ」という。
心の充足が大事なことで。
明治期に新約を訳した人が日本におられて、その文語体が綺麗。

野に咲く百合の花を思え
労せず紡がざるなり
かつて栄華を誇りしソロモンだに、その装いこの花の一片にしかず
今日野にありて明日爐に投げ入れらるる野の百合をも神はかく美しく装い給えば、汝らこれよりも遥かにすぐるるものにあらずや
(マタイによる福音書 第6章)

武田先生が女に振られた時、呪文のようにつぶやいた言葉がこれだった。
(武田先生が聖書の言葉を暗唱して)前川清さんが一番驚いていた。
「何です!?何で何も見らんで読めると?何ば読みようと???」
(武田先生の頭は)好きなことはいくらでも入るという、そういう頭。
そのイエスさえも喩えたソロモンというのは・・・
イエスが出てきてからが新約。
旧約はまだ続く。

宗教なので武田先生の解釈が間違っているとおっしゃりたい方もいると思うが、宗教関係の方はお許しいただきたいというふうに思っている。
阿刀田高さん、新潮社から出ている1991年に書かれた本で「旧約聖書を知っていますか」という。
本自体は古い本なのだが、あくまでも武田先生の知恵で読んだという。

栄光の時代。
ダビデからソロモンのお話をした。
このイスラエルというのは丁度ヨーロッパ文明の舞台袖にあたっていて、主役が幕内に控えていてセンター目指して舞台中央に向かって見得を切って飛び出すという、その丁度花道。
そんな国だった。
そして二度にわたってエルサレムは大炎上。
この大きい勢力が通り過ぎて町に火を点けた。
当たり前だが、何とモーゼの石板がエルサレムにちゃんとあった残っていた。

南王国はバビロニアに攻められ−中略−二度にわたってエルサレムは炎上し、神殿は崩壊する。−中略−大勢のイスラエル人がバビロンに連れて行かれた。いわゆるバビロン捕囚である。(165頁)

彼等は流浪の民となって国を失う。
イスラエルは国として消えてしまう。

 ふたたび彼等が国を持つまでには、一九四八年のイスラエル国の建国を待たなければいけなかった。つまりイスラエル人は第二神殿の崩壊以降、ほぼ二千年の長きに渡って世界の各地に散り、それぞれの土地で血筋を連綿と残し続けた。−中略−この地域にはアラブ系の住民も多い。千数百年間、イスラエル人の国は存在せず、ここには多くのイスラム教徒が住み着いていた。−中略−
 一方、イスラエル人にしてみれば、
「うんにゃ。二、三千年前は、たしかに俺たちのものだった。聖書にちゃんと書いてある」
(165〜166頁)

その無理がこの中東紛争。
二千年住んでいた人達をどうするかというのはイスラエルの人達はもう少し悩んでもいいと思うのだが、悩まずにただただ言い張るというところに今の問題がある。
ただ皆さん、希望はあります。
それを捨ててはいけない。
それは国を創るから問題が大きくなる。
武田先生は凄く納得したのだが、内田(樹)先生が「もしかしたら国家の時代というのは終わりつつあるのかも知れない」とおっしゃっていた。
国を創って「国をみんなで守り合おうぜ」と言ったのはフランス。
フランスの革命。
あそこあたりぐらいから「国民国家」というのが。
どうも21世紀ぐらいから国家はだんだん形が薄れていくのではないか?
つまりもう人間の幸せに国が役に立たないという。
国家があるからこそ争いがある方が大きいと思う。
国家があるばかりに戦争が起こるという。
「もしかしたら国家という形そのものが賞味期限が切れたのかも知れない」という内田先生の文章を読んでギクッとした。

このあたりから変な話にいく。
ユダヤの民は欧州・露そして米などもその血を引く人々が世界中に散って、それが戦後に集まってイスラエルを建国した。
もうヒトラーあたりから相当いじめられた。
ロシアもユダヤの人達を散々いじめているから。
それで「国を持ってなきゃダメだ」という。
国を創った。
今度ははっきり言ってガザの虐殺とかを見ていると、しでかしているのは国家。
つまり「国家というのは結局人間を幸せにしないじゃん」ということに気付いてもいいのではないだろうか?

今、ハマスと戦うイスラエル。
人口的には936万人の人々がいる。
日本の四国くらいの大きさがイスラエル。
いかに優秀な人が多いかというとノーベル賞受賞者800人のうち200人がユダヤの人。
やはり無理難題を言う神様だからみんな考え込む。
ユダヤにはのんびりした神様なんかいない。
「ホント信じなかったら殺すよ」とか「息子殺すよ」とかと言ってしまう。
日本みたいに「よきかな〜」とかと言いながら打ち出の小づちを振ったりするような人は一人もいない。
世界人口の0.2%以下の人口でこれ程のノーベル賞受賞者が多いという。
日本もノーベル賞受賞者は多い。
28人。
ところがイスラエルの200人には比べようがない。
人口が936万人
東京都よりやや小さな国が、ノーベル賞が200人いる。
そうやって考えるといかに優秀かわかるが。
優秀な故に「何か考えろよ」と。
その一番の手立ては「国家」というものをほどくというような理屈を持った人がユダヤから出てこないかなぁなんて期待している。

イスラエルを主人公に旧約の世界から語ってみた。
宗教なもので、旧約聖書を読みながらイスラエルの歴史を辿るワケだが非常に失礼な言葉遣いがあったこと等々は本当に申し訳なく思うが。

ユダヤの人達というのは国を持たないばっかりに、本当に辛い目に遭っている。
虫のように殺されたりケモノのように扱われたりという。
それでやっと戦後につくったのがイスラエル。
旧約の神々から指名された土地に住んで建国して、今は強い国の国民になったのだが、強い国になった瞬間にガザ地区等々での問題になっているが虐殺があったのではないだろうか?という。
つまり国家というのは国家を守る為に虐殺する、そういうシステムのことではないだろうか?と。
全然理由はわからないのだが、アメリカでもいじめられ、ロシアでもいじめられ、ヨーロッパでもいじめられたユダヤの民なのだが、世界中でたった一か所だけこのユダヤの民に同情した国が一つあった。
日本。
ユダヤの人達に日本人は本当に同情する。
ロシアなんかもあの頃から酷いことをしている。
その人達がシベリア鉄道で神戸に辿り着いた時に新聞がキャンペーンを打って「哀れ流浪の民」といって食料品をあげたりしている。
それで「ユダヤ人を守ってあげましょうよ」と言った人が東条英機。
日本の戦争遂行者の悪玉の一人だが。
そして計画だけに終わってしまったのだが、中国に侵略して満州国を創るがその満州国を創った一画にイスラエルを創ろうという運動が当時の日本の軍隊の中にあった。
「ユダヤの人はそこに集まりなさい」という。
そういうキャンペーンを日本の軍人・陸軍が世界に流したり。
そういう日本を頼りにして満州にやってきたユダヤの人がいた。

もの凄く面白いのは「俺達は昔、ユダヤ人だったかも知れない」という「日ユ同祖論」という論文を発表している。
これは「ヤマト民族の血はもともと、ユダヤの一部族の血が東洋までやってきて日本に辿り着いた。その一族がヤマト民族なんだ」。
ダビデ・ソロモンの時、マナセ族という一派が消えている。
1994年のことだが、そのマナセ族の末裔がミャンマーに住んでいるということで国民として受け入れている。
三千年前の神話。
もう一つ消えたユダヤ人の一族がいる。
それが日本人じゃないか?
そういう話がある。
もう一つ旧約の聖書の中でノアの方舟。
このノアの方舟のノアさんの息子の一派が日本に旅してきたのではないか?という説がある。
ノアの方舟のノアさんには三人の息子がいて長男・次男・三男なのだが長男がセム、次男がハム、そして三男がヤフェト。
この「ヤフェト」というのをイスラエルの人が発音すると「ヤマト」になる。
ヤマト民族は、日本人は、ノアの子ではないか?
こういう日ユ同祖論というのを研究する学者さんが戦前いた。
このへんが面白い
面白いのはその日ユ同祖論を発展した形の中であるのだが民謡の掛け声。
これが古代ヘブライ語ではないか?というのがある。
例えば「木曽節」。

木曽のナー 中乗りさん
木曽の御嶽さんは ナンチャラホイ
(木曽節)

(ここで本放送では「木曽節」が流れる)

木曽節(長野県民謡)



この木曽節の「ナンチャラホイ」という掛け声が。
これは「ナンジャラホイ」という人がいるが違う。
「ナンチャラホイ」
これが古代ヘブライ語「この地に栄あれ」。
ソーラン節。

ヤーレン ソーラン ソーラン
ソーラン ソーラン ソーラン ハイハイ
−中略−
ヤサエー エンヤサノ ドッコイショ
(ソーラン節)

(ここで本放送では「ソーラン節」が流れる)

ソーラン節



これ(ヤーレン)は古代ヘブライ語で言うと「神を喜び歌え」。
「ドッコイショ」は「押せ押せ。神が守ってくださるから勇気を振り絞って前進、進め」。
だから「あ〜あドッコイショ〜ドッコイショ〜♪」と言いながら前進したという。
日本の民謡の掛け声の中に点々と古代ヘブライ語がある。
それも空耳のとんでもない話としてしか思えないかも知れないが、現実にユダヤの学者さんでそのことを調べている人がいる。
どうも日本の言葉遣いの中に古代ヘブライ語があるという。
このあたり民族の流れの面白さ。
ハァ〜ドッコイショ!ドッコイショ!


2024年4月1〜12日◆イスラエル(前編)

(今回の本は単行本と文庫本があるが、番組の中で「1991年発行」という話が出たので恐らく単行本。記事内のページ数などは全て単行本のもの)
まな板の上にはかなり大きいものが載っている。
イスラエル。
鳴り続ける警報としてのアラブ問題の地。
そこに一体何でこうややこしい事件が起きるのかという。
ガザの問題とかイスラエルの問題とかアラブの問題とかというのを日本人としてどう考えていいのか?
大きく含めると中東問題だが。
憎悪の応酬が続いているが、あの恨みの深さというのは凄いものだなと思う。
ウクライナの方はというと、これは17世紀ピョートル大帝、そして18世紀エカテリーナ女帝、この方の主張なのだが「ウクライナはロシアのものだ」という。
それをプーチンという方が「昔から」とおっしゃるものだから「いや、そうじゃない」という争いが血を見ているというのがロシア-ウクライナ戦争。
そしてアラブの方はというとこれはハマス対イスラエル。
これはどのくらい古いかというと凄い。
紀元前1400年前から。
紀元前1400年頃にこの神様を信仰するその宗教絡みの政治問題なワケで。
このイスラエルとアラブの憎悪関係というのは我々が簡単に入れないのは当然で、三千年を超えている。
あの憎悪の深さはちょっと手が出せないところがある。
我らヤマト民族には「やめてください」とも言い難いような長い長い歴史がある。
皆さん、最後まで聞いてください。
(日本と)ちょっと関係がある。
このあたりに歴史という物語の面白さがあるので、完璧に人ごとの出来事ではなくて、日本人の目から見たアラブ問題、イスラエル問題というのは何者かというと、旧約(聖書)の神様。
この人(神)の言ったことで揉めているワケで
どうにもそういう意味では理解し難い戦争なのだが、「死んだ人というのは祟ると恐ろしいことになりますよ」という。
これは若い方は「そんなアンタ、迷信めいた話は朝からやめてくれ」とおっしゃりたいかも知れないが、武田先生は呪いとか祟りとかがあるような気がして仕方がない。
少しカルトっぽいかも知れないが、どうやったらこの呪いというものが発動、スイッチが入って今、生きている人にその呪いがかかるのかというのを三枚におろしたい。
このあたりは相当濃厚に武田先生は、文字学で世に知られたる白川静先生の漢字解説を何となく・・・
「死者をきちんと弔いなさい。でないと死者は祟るよ」というのはもう漢字文化のアジアの中に、三千年前からあった。
それが西洋版としてイスラエル-ハマス問題として今になっているということを思うと。
武田先生は「きちんと弔っていない」と思う。
では一体どういう問題があったのか?ということを考えてみましょう。
「どんなことがあったか」というのは旧約聖書に書いてあるから。

まずはユダヤの民の事情からご説明する。
(番組中、古代イスラエルの一神教を信仰していた民族を一貫して「ユダヤの民」と言っているが正確には同一ではない)
彼等ユダヤの民は「ヤハウェ」神様を信仰している。
この神様なのだが、面白い神様で日本の神様とちょっと違う。
神様自らが人間の世界に降りてきて自ら布教活動をしたという。
これが旧約の神様。
神様が直に。
普通は伝道師がいたりするのだが、そうではない。
いきなり出てくる。
神様が「私を信じなさい」。
そんなふうにして人間の前に登場した。
一番最初、誰のところに現れたかというと、ユーフラテス川の源流ハランという地にその旧約の神様が現われて「私、信用しなさい。私神様よ」と言った相手がアブラハム。
奥さんはサラという方。

大勢の下僕をかかえ草原に天幕を張って遊牧を営んでいた。裕福な一族であったことは疑いない。
 ある日、アブラハムは神の啓示を受ける。おごそかな声が聞こえた。
(10〜11頁)

 目ざすところは、カナンの地。(12頁)

この声で3400年前、中東問題が始まる。
ここから始まる。
ユダヤの宗教を信じるアブラハム。
ユダヤの民だから、その声を聞いてその声を信じた。

「国を離れ、父の家を離れて、私の示す地へ行きなさい。私はあなたを祝福し、おおいなる国民としよう」(10〜11頁)

何と「今、住んでいる土地から旅立ってここに行け」と。
チグリス-ユーフラテス川のほとり、メソポタミア文明が花開いたエリアだが

 ユーフラテス川周辺の地では、人々は太陽や月や、さまざまな偶像を拝んでいたが、アブラハムの心には昔からそれとはちがった信仰が宿っていた。民族の繁栄を約束する唯一全能の神……。(11頁)

たった一つの唯一の人種、ユダヤの民を選んで「私が神様」、こんなふうに自らおっしゃったという。
神が「私のとこ来い」「私を信じなさい」と。
これは仏教なんかのたおやかさが無い。
砂漠の神様は性格がきつい。
このあたりから3400年前から始まった格闘。
それがどう展開するのか。

あくまでも宗教なので武田先生の講釈師風喋りで「解釈が間違っている」とおっしゃりたい方もいると思うが、「講談風にやっております」ということで宗教関係の方はお許しいただきたいというふうに思っている。
あくまでも武田先生の知恵で読んだという。
「こういう武田の解釈で」ということでご容赦ください。
ネタはというと新潮社から出ている、本屋を探すとあると思うが 阿刀田高さんの「旧約聖書を知っていますか」という

旧約聖書を知っていますか(新潮文庫)



旧約聖書を分かりやすく面白く説明した。
だから阿刀田さんの説明も込みで味わっているという旧約の解釈なので、その辺のところはなにとぞ勘弁していただきたいと思う。
とにかくヤハウェの神がユダヤの民の前に現れて「私を信じなさい」。
凄いのは神様が自ら「アンタね、あっち行け」。
行くべき土地を教えたという。
カナンという土地へ行けという。
それはどういう土地かというと、神様の宣伝文句としか言いようがないのだが、神様の説明によると、そのカナンという神様がすすめる土地こそ

乳と蜜の流れる地(27頁)

「そこに神の国を創る為、アブラハムはカナンへ行け。そこで頑張れ」と、こう励まされた。
カナンは今もある。
これはどういうところかというと地中海の沿岸に。
皆さんも最近の戦争の説明なんかでご存じだろうと思うが、地中海が左側にあって、その沿岸にイスラエルがあって、あのガザなんていう地区が。
上の方にはレバノンという国があって右にシリア、ヨルダン。
下の方にぐっと下がってエジプトがあるという。
そこの北の方。
地中海上の北の方にカナンというところがあって、そのカナンという地に行けと神様が命令した。
何せ不動産の勧め方の宣伝文句が凄い。
「ミルクと蜜が流れている」
これは行きたくなる。
ところがはっきり言って、そんなによくない。
カナンというのは、もの成りの悪い国で、。
アブラハムも信用して行くのだが、もの成りが悪くて結構苦労している。
小麦とかが育たないのだろう。
それで何をやったかというと、南に景気のいいエジプトという国があって、そこに出稼ぎに行く。
季節労働者みたいな感じで働きに。
このユダヤの民は面白いことに、申し訳ないが言い方は悪いが、潜り込んでエジプトでの出稼ぎで稼いで生き延びている。
あんまりいい地ではないが、アブラハムはとにかく一途に仲間のユダヤ人がいると声をかけて「神を信じましょうよ」と言いながら信者をゆっくり増やしていくという。
一番いいのはユダヤの民だからアブラハムが子供を作ってそのユダヤの民を信者にしていけばヤハウェの神の信者が増える。
ところが、アブラハムも奥さんのサラも年を取ってしまって。
切ない。

サラは、自分の召使いのハガルを差し出す。サラ自身子どもを生めないものなら、ハガルによってアブラハムの血筋を残そうという計画であった。−中略−
 ハガルはエジプト女であり、生まれた子どもの半分は異教徒の血である。
(16頁)

 ハガルは身籠ってイシュマエルを生む。(16頁)

ところが旧約は何でこんなことが起こるのか?

 アブラハムはヘブロンにいた。(17頁)

 ──神様かもしれない──−中略−
 アブラハムの判断は的中していた。
−中略−一年後にサラが男の子を生むことを予告する。聖書の記述によれば、アブラハム百歳、サラ九十歳……。−中略−
 サラは「無理よ」と笑ったが、
「神にはできないことがないのです」
と咎められてしまう。
(17頁)

サラは神の予告通りに懐妊して、男の子を生む。イサクと名づけられた。(20頁)

何が問題かと言うと、これは九十数歳でサラが産んだ子供なワケで。
だから純粋にユダヤの血を持っている。
(サラは)エジプト娘ではないから。
それでやはり、アブラハムみたいな立派な人もグラッと気持ちが揺れてしまうという。
かなりの高齢出産ということだが、ユダヤの血を受けたイサクという男の子が産まれるとエジプト娘との間に生まれた長男よりも次男の方が可愛くなってしまう。
生々しい旧約聖書の世界。
ここでまた面白いことだが、これも聖書に書いてある。

 割礼の習慣は、−中略−
 ペニスの包皮を切り取る
−中略−アブラハムの血を受け継ぐイスラエルの民にとっては、神との契約のしるしである。(20〜21頁)

ユダヤの民であるというしるしを体に刻む為に、神の命令によってチンチンの皮を切ってしまう「割礼」という儀式がある。
これなんかも施してあった。
イスラエルの純度からいうとやはりイシュマエルよりもイサクの方が濃厚に。
父と母の子なのでエジプトの血が、アラブの血が混じっていない。
そのサラさんもいい人なのだが、どうしてもこの次男のイサクが可愛くて仕方がない。

サラにせがまれ、アブラハムは神の意向を確かめたうえで、ハガル母子を砂漠に追いやる、ほんのわずかな食料と革袋一ぱいの水を与えて……。(21頁)

荒野にこの母子を捨てる。
ユダヤとアラブ、エジプトの血を受けたイシュマエル。
旧約の神は「哀れだな」と思ったのだろう

神の恵みが下り、母子は命を長らえる。イシュマエルは荒野に住んで弓を射るものとなった。これがアラブ人の祖先であり、マホメッドはその末裔とされている。マホメッドが、自分の宗祖としてアブラハムを置くのはこのゆえである。(21頁)

これでおわかりだろうと思うが、イスラム対ユダヤ教は激しく戦っているが、何のことはない、長男と次男のケンカ。
どうにも割って入りにくくて。
申し訳ないけれどもヤマト民族から言わせてもらうと「よく話し合えよ」と言いたくなってしまう。
考えてみたらイスラエル・米・欧州・露・イラン・サウジ・エジプト、いろんな国がケンカしているが、争いの大元はとどのつまりここ。
ややこしい。
とにかくこのイサクがユダヤの民の跡取りとなって、二代目を襲名させたいアブラハムだが、神様は命じる。
ワケのわからないことを突然言い出す。
やっと次男坊に二代目を襲名させるつもりでいるアブラハムに向かって

また神の声が聞こえた。
「イサクを連れ、モリヤの地に行きなさい。そこで私の命じる山に登り、イサクをいけにえに捧げなさい」
(22頁)

「全焼」丸焼きにして。
豚とか羊ではないのだから父親に向かって「息子を丸焼きに、バーベキューにして私に捧げろ」と言う。
無体なことを言うが、旧約の神というのはかくのごとく人間を試す。
またアブラハムがいい人だったのだろう。
この神の声に従う。
距離を計算して敢えて言っているのだが、アブラハムがいるところと神が行けと言ったモリヤという地までは距離数にして世田谷から成田。
それぐらいの距離の山がある。

 山の山頂に到着し、祭壇を作って、たきぎを並べた。イサクを縛り、刃物を取り……(23頁)

神様は人を助ける存在ではないのか?と疑問に思う水谷譲。
理不尽。

そのとき天からの声が呼んだ。
「アブラハム、手を放せ。あなたの心はわかった」
−中略−
 ──試されたのだ──
(23頁)

「神様、試さんといて欲しい」
そのユダヤの神というのは強烈なもの。
このようにしてユダヤの民の血統は守られたというワケで。
しかしこんな事件が起きる。
この二代目のイサクは大人になる。
ユダヤの民を増やさなければならない。
ちょっとあからさまな言い方で申し訳ないが、若い娘とセックスして子供をいっぱい増やすというのが旧約の神の求めておられることで、それで

 娘の名はリベカと言い、アブラハムの弟ナホルの孫であった。イサクにとっては従兄弟の娘となる。(25頁)

このイサクとレベッカからイスラエル建国史となる。
(聖書の種類によっては「レベッカ」だったり「リベカ」だったりするのだが、「旧約聖書を知っていますか」の中では「リベカ」、番組内では「レベッカ」と言っている)

リベカを娶り、リベカは双生児を生んだ。−中略−兄、エサウと名付けられた。−中略−次に現われた子は−中略−ヤコブ(33頁)

また生々しい。
長男ではない。
また弟。
目の悪くなったエサウ(おそらくイサクの誤り)。
視力が衰えているので弟のヤコブを跡取りにする為にお兄さんのふりをさせて父への口づけで跡継ぎとなるワケだが、それはエサウは怒る。
ヤコブはレベッカの勧めもありレベッカの実家に兄の怒りを避ける為に身を隠すのだが、今度はヤコブの物語が始まる。

本当に理不尽だが、理不尽ゆえに人は考えるという。
このワケのわからない、この不思議な旧約聖書の世界。

 エサウの怒りは当然のことだ。
 ──ヤコブのやつ、汚い手を使いやがって。勘弁できん。殺してやる──
(38頁)

 母のリベカはエサウの殺意を察知し、そっとヤコブに伝えた。−中略−
 一族の故郷であり、リベカが生まれ育った、あのハランである。
「私の兄のラバンがいるわ。あなたの伯父さんよ。あそこに身を寄せて、エサウの気持ちが収まるのを待ちなさいな」
(39頁)

 ハランまでは長く苦しい旅路である。旅の途中、ヤコブは不思議な夢を見た。−中略−気がつくと、神がヤコブのかたわらに立っていた。
「私はあなたの父祖アブラハム、あなたの父イサクの神である。
−中略−あなたの子孫は大地にある砂粒のように増え、西へ東へ、北へ南へと広がって行くだろう。世界の民はあなたとあなたの子孫のおかげで神の祝福を受けるであろう。私はあなたとともにいる。けっして見捨てはしない」(40頁)

「よし!神の赦しを得たんだ」ということでヤコブはすっかり自信を持つ。
そしてレベッカの実家の地方、ハランへ行く。
ヤコブは自信に満ち溢れた逞しい男に。
そして嫁が欲しい。

 ハランに住む伯父ラバンには二人の娘があった。姉のレアに、妹のラケル……。(41頁)

レアは優しい目をしていたが、ラケルは顔も美しく、容姿も優れていた(42頁)

 ヤコブは妹が好きになり、すっかり惚れ込み、七年間伯父のもとで働くことを条件にラケルをもらい受ける約束を取り結ぶ。(42頁)

 約束の七年が過ぎ、婚礼の日が来た。(42頁)

そこで突然結婚のルールを聞かされる。

「いや、いや、ここじゃあ妹のほうを先に嫁がせるわけにはいかんのじゃて。一週間だけレアと寝てくれ。そのあとで妹のラケルもあんたにあげるから。ただし、もう七年間働いてくれよ」−中略−七日目からは二人妻である。(43頁)

ラバンの娘たちはなかなか身籠らず、
「じゃあ、私の召使いと寝てよ」
−中略−
 実質的には四人妻の状態。
(43頁)

堰を切ったように次々と妻たちが妊娠して

四人の母体から生まれた子どもは、男十一人、女一人。(〜頁)

ヤコブは殆ど種馬と化したという。
更に別の娘にも手をかけて男を12人生んだという。

旧約聖書は男尊女卑の世界である。−中略−生まれないと同等の扱いしか受けない。ゆえに女子の出生が少なく見えるのである。(44頁)

ヤコブには−中略−ベニヤミンを含めて男子十二人、これがやがてイスラエル十二部族の祖となる(44頁)

イスラエルでもエリートの貴族になってしまう。
宗教的貴族。

ヤコブは伯父のもとで合計十四年あまりの労務を終えて、父母の住むカナンの地へと帰る。−中略−
 二人の妻と大勢の子どもたち、それに下僕、婢女、ハランで育てた家畜を引き連れ、ハランで作りあげた財産を積み、長い列を作って岩砂漠の道を戻った。
(44頁)

 その夜、突然、何者かがヤコブに襲いかかって来る。(45頁)

兄さんだと思ったのだが、兄さんではなかった。
神様だった。
このへんは武田先生もよく意味がわからない。
大きな羽の生えた天使。

「あなたは今日からヤコブではなく、イスラエルと名のりなさい。神と戦って勝ったのだから、もうなにものも恐れる必要はない」
イスラ・エル≠ニいうのは、神と戦って不屈なる者≠フ意味である。
(46頁)

神様の根回しが効いていたのかどうかわからないが、兄さんと再会する。
ところがもの凄くわかりよくてエサウは「お前がイスラエルっていう名前だろ?そのイスラエルっていう国を創ってここで頑張ってくれな」。
弟に全てを譲るという。
それで兄との関係は良好に。
アブラハム、イサク、ヤコブ、そして四代目がヨセフ。
継承、跡目は弟が継いでしまう。
どこかの神話に似ている。
海彦山彦。
弟と兄ちゃんのケンカ。
でも結局は跡目相続の特権を持っている兄ちゃんの海彦は身を引いて山彦に譲るところからヤマト民族の長い長い物語が始まるワケで。

旧約聖書というのは生々しい。
とにかく今も揉めている中東イスラエル・ガザ等々の紛争の地になっているが、ここで3400年前に展開した神と人間の物語。
イスラエルの側から言うとアブラハム、イサク、ヤコブ、そしてヨセフ。
この四代に関する物語がややこしい
神からの贈り物「カナンの地」というところで頑張るユダヤの民。
この神が約束した「乳と蜜が流れる豊かな地」だというのだがそうではない。
イスラエルの民は四代頑張る。
ところが豊作だと思ったら凶作が連続してやって来るとか、暮らしがさっぱり安定しない。
考えてみたらもう3400年前から非常に暮らしが安定しないエリア。
周りの国はと見ると一番安定しているのがエジプト。
それでヨセフはエジプト王朝の王族に取り入って凶作の度に出稼ぎに出る。
(ヨセフはエジプトへ売り飛ばされているので出稼ぎではない)

ヤコブは一族もろともエジプトへ移り、エジプト王の許しを得て、ナイルのほとりゴシェンの地に住むようになる。−中略−そしてその四代あとに生まれたのがモーセである。(56頁)

ここまで見てわかるとおりユダヤの民とはナイルのエジプト・アッシリア・バビロニアという大国に挟まれて小さな細い川、ヨルダン川のほとりカナンの地でかろうじて人口を増やしている小国だった。
出稼ぎは宿命で、凶作の度にエジプトに出稼ぎに行くという。

もともと旧約聖書がよくわかっていないので名前とか、ついていくのが精一杯な水谷譲。
旧約聖書を知っている方は「なるほど」と繋がっているのかも知れない。
出てくる神様が水谷譲がイメージしている神様と違うので。
人を試したり丸焼けにしたりしようとしたり、水谷譲にとってはそれは神様ではない。
我々ヤマト民族には非常にわかりにくい。
だから神様はワリと無理難題をおっしゃって、旧約でどうしても解けない章がある。
神様から試される人(ヨブ)。
とにかく神様が無理難題を言うという。
それから一生懸命神様を信仰しているのだが、神様から試されてボロボロにされた人とか出てくる。
なにかしら意味がある。
それが正解がないところを考えなければいけない。
神様が何でそんなことを言うのか考えなければいけないというのが。
哲学というのはそういうこと。
内田樹さんの本の中で凄く感動した言葉だったのだが「神が人間社会の中で正義を行なうようになったら誰も人間は正義について考えなくなる」という。
「人間の中にある正義とは何かを考える為には神は見ているだけなんだ」
そういう意味で旧約というのは「考えろ!」という問題がどんどこ起きる。

神様から試された人の代表でヨブ、「ヨブ記」というのがある。
これはもう読んでいてヨブがかわいそう。
持っている財産は無くなってしまうわ、買っていた羊がみんな死んじゃうわ、子供は死んじゃうとロクなことが起きない。
ずっとヨブは我慢するのだが、一番最後にポロっと言ってしまう。
「何の為に生まれてきたんだ。何の為に俺は信仰したんだ。何もいいこと無ぇじゃん。俺は生まれてこなかった方がよかったよ」
言った瞬間に神様が出てくる。
「今言った?何っつた?オマエ」
そこからヨブと神様の一対一の問答が始まる。
この時の旧約の神様の言い方が恐ろしい。
「悪いね。俺、宇宙創ったんだけどオマエその時どこいた?陸地創って海はこっち側にしようとか設計やって苦しんでる時、オマエどこいた?北斗七星が並んでるだろ?あれオマエあんなふうに並べたの俺よ。オマエそん時何やった?オマエはなんにもやってないんだ。そのくせに私の仕事にケチをつけるのか?」と、こうくる。
ぐうの音も出ない。
それでヨブがロレロレになって「おお神よ」と言う。
そんなふうにして神の出す難問にどう答えて行くかという、このあたりが旧約の面白さ。
今は一旦エジプトのイスラエル村でみんな生きている。
その何代目かにいよいよモーゼが生まれたという。
(聖書の種類によっては「モーセ」だったり「モーゼ」だったりするのだが、「旧約聖書を知っていますか」の中では「モーセ」、番組内では「モーゼ」と言っている)
このまたモーゼが神様から凄いことを言われてしまうという物語。
それはまた来週の続き。


2024年04月13日

2023年4月24日〜5月5日◆アオハルとカレイ(後編)

これの続きです。

二冊の本を三枚おろしに乗せている。
一冊は外山滋比古さん。
「知の巨人」と言われた方だが、この方の「老いの整理学」から。
そしてもう一冊が20代の方の為に書かれた「20代で得た知見」という、 Fと名乗る覆面作家の方。

Fという作家さんがお書きになった、若い方、20代の方に対する箴言、知恵ある言葉。
これは名言だけでなくショートエッセー、ページがあって、その中で武田先生が気に入った話。
Fという覆面作家がお書きになったショートエッセイ。
「あながたいなくなった後の椅子」というショートエッセイ。

齢五歳の彼の息子が、最近好きなアニメの話やキャラクターのことを熱心に私に話してくれました。うんうん頷きながらその話を聞いていた時、この言葉を思い出しました。−中略−
「架空の生き物が心底いると信じること。それが子供の心に椅子を作る。子供は、その架空の生き物を椅子に座らせる。やがて大人になって、そんな生き物は存在しないと知り、その椅子から彼らが去る。今度は本当に大切な人を、私たちはその椅子に座らせてあげることができる」。
(「20代で得た知見」80頁)

でもその人もいつかこの世から消えていってしまう。
そうするとまた次の人が座りやすい椅子を作る。
やがてその人も去っていくと、その椅子に最後は自分が座る。
この椅子は子供の頃の正義と愛と哲学とこの世にはいない架空の生き物達を材料にして椅子はできている。
いい言葉。
どんなものの為に心の中に椅子を作ったか?
(武田先生の場合は)鉄腕アトム。
これはもう椅子があるぐらい大好きなキャラクター。
そして「鉄人28号」。
そして「コンバット!」サンダース軍曹。

コンバット!DVD-BOX5



武田先生はサンダース軍曹が好き。
「コンバット!」はアメリカの戦争映画。
ドイツを目指して戦い続けるアメリカの一軍曹。
「リトルジョン、援護しろ」というのを覚えている。
だから今でもリュックサックが好き。
アメリカの兵隊さんは戦闘中にリュックサックを背負っている。
あれの影響。
どこかサンダース軍曹の名残があって。
それから幻の椅子に座った女性としてはヘップバーン。
何遍考えても好き。
武田先生の椅子の特徴は背もたれは全部、坂本龍馬。
(水谷譲の椅子は)「キャンディ♡キャンディ」「マリー・アントワネット」。
「ベルサイユのばら」でやっぱり憧れのマリー・アントワネットが座っていた。

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ヘップバーンは一瞬座った。
やはり皆、座るのではないかと思う水谷譲。
それを椅子に喩えているところが凄い。
最後は自分が座るんだという。
だからお年寄りの方、これは若い人の言葉だが「架空の幻想を座らせる椅子を心の中に持ってないとダメだよ」ということ。
どこかやはり無邪気じゃないとダメ。
考えてみたら子供の時の椅子をずっと幻想を座らせる宮崎駿みたいな人がいる。
あの人はそういう才能。
トトロが座っているのだろう。

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彼が考えたキャラクターというのは本当に強力。

 イギリスの二十世紀最大の女流作家ヴァージニア・ウルフは六十歳を前に自殺してしまうが、老いに向かっているときに縮み=ishrinkage=シュリンケージ)を、嘆いていた。年を取ると、世間が、心の世界も、縮んで小さくなるというのである。(「老いの整理学」104頁)

 縮小は防ごうとしても、限界があって、防ぎきれるものではない。もっともいいシュリンケージ(縮小)予防法は、拡大である。−中略−まず新聞を本気になって読む。(「老いの整理学」105頁)

精神の老化はこのようにして日々の努力で防ぐ。
経済面も三面もよく読みましょう。
それで少しずつ世界がわかってくる。

 テレビ、ラジオも新聞と同じようにマス・コミといわれているが、はっきり娯楽であるから、おもしろさが浅い。(「老いの整理学」109頁)

 しかし、ラジオ、テレビによって、われわれは−中略−自分の世界を押し広げることはできる。(「老いの整理学」110頁)

「しかし面白がるだけじゃダメだよ。心の糧になるものをいつも探そうや」という。
「糧になれば」と思ってお送りしている今週。

80代を楽しく生きる為の老教授の箴言、名言。
外山滋比古さん。
教授はシェイクスピアの言葉を送っている。
(本の中にはシェイクスピアとは書いていない)
本を読むことは良いことだ。

 うまく本を読むのは、仕事として読むのではなく、スポーツ、遊びとして読むのである。(「老いの整理学」113頁)

ここからがもの凄く気に入った武田先生。
老教授曰く本を読むことに関して

わからぬところは飛ばす。気に入らないところも飛ばす。これはと思ったところでひと休み。そこで、本に書いていないことを考える。(「老いの整理学」113頁)

典型的に武田先生。
すると次の興味が湧いてくる。

 もちろん、最後まで、読み切る必要はない。(「老いの整理学」113頁)

風のように、さらりと読んでいても、自分の波長にあったメッセージに出会えば共鳴≠ニいう発見がある。(「老いの整理学」114頁)

この共鳴こそが日々、老人を賢くするのだ。

ものごとというのは表現が矛盾する。
例えば「ゆっくり急げ」「よく遊びよく学べ」。

緩急のメリハリをつけるのが望ましいと教えたことばである。
 言い換えると、リズムをもって生きよ、と言っているのである。
(「老いの整理学」146頁)

緩急つけるのは大事なこと。
武田先生はだいたい6時起きで、お勉強をだいたい9時半ぐらいまでやるが、勉強をあんまり(長時間続けて)やらないようにしている。
三時間ぐらい勉強をしたら一時間以上歩きに行っている。
歩いた後、本を読む。
でも、読んだ後は公園に行く。
互い違いになるようにしているようだ。
根を詰めすぎると疲れ方が倍になる。
だからどんなに追い込まれても緩急をなるべく付けるように。
「やっぱり疲れるんだ」と思う水谷譲。
お爺さんはクタクタ。
毎回いつも丁寧にやってらっしゃるなと感心している水谷譲。
丁寧さはちょっといろいろ考えるところがあって「丁寧にやんないとダメだな」というふうに思っている。
本の読み方という意味では、武田先生の読み方は正しいと思う水谷譲。
ワリと「ダメだ」と思ったところは飛ばしている。
番組の中でも言っている。
「もっと書いてあるんですが、もう触れません」とか「読解力がありませんでした」とか。
だが、武田先生はよく続く。
尽きない。
でも、きっとそれは強弱のリズムがあるからではないか?
「(今朝の)三枚おろし」のネタが切れそうな時、凄く不安になる。
夢に出てくる。
何でも眠れなくなる武田先生。
何かバズったりすると結構落ち込んだり。
ワリと取り上げられる武田先生の発言。
やっつけると快感になるような人物に見えるのだろう。
この間、クイズ番組に出たら武田先生は脳トレのクイズがわからなくて。
あの人がボロクソに言う。
くりぃむしちゅーの相方のシワの多い人(上田晋也を指していると思われる)が武田先生のことを罵倒する。
「金八先生を叱っていると思うと快感だ」と言う。
やっつけたくなる個性をしている。
見ている方も「もっとやれ」と思いたくなる感じはあると思う水谷譲。
それはやはり自分のキャラで引き受けるしかない。
そんなこんななのだが、東大脳トレの本をまた本屋で買った。

東大ナゾトレ NEW GAME 第1巻



もう七冊目。
発明小僧のあの青年が考えたあのクイズ。
七冊練習をやって、まだできない。
そこまでやろうとするやる気が凄いと思う水谷譲。
負けず嫌いでもあるのか?
それと俳句を作る番組がある。
あれは結構必死。
先生(夏井いつき)はボロクソに言う。
だから、枕元は最近は全部俳句の本。
朝、起きてコーヒーを飲みながら頭を回転させるのは東大脳トレ。
武田先生のことはどうでもいい。
でも緩急みたいなものが老いにはいいようで、武田先生は70代半ばだがいいようだ。

今度は若い方に行く。
Fさん。
20代の若者に「20代で得た知見」でこんなことをおっしゃっている。
「初心者であることを恥ちゃいけないよ」
「下手ね」「何でできないの?」「頭使えよ」と叱られるのは辛い。
でもこの時。心で湧く感情を自分の内面だと思っちゃいけない。

けど、淡々と、粛々と続けるしかないのです。
一番不要なものは感情です。もう淡々と続けるしかないのです。
(「20代で得た知見」96頁)

一番必要ないものは感情だ。
年を取るとその傾向は特に強くなるのだが、心の中のつぶやきで「何だ、そのものの言い方は」。
これが出るようだと「アナタ老いてますよ」という。
これは特に身内、家族のものから何かで叱られると「何だ、そのものの言い方は」とすぐに心の中でつぶやいている。
それをこの20歳に向かって説くFさんは「必要ない」。
ちゃんと感情抜きで聞かないとダメだ。

このFさんがおっしゃっているのは「体が感じる違和感を大事にしなさい」。
「醜い」「不快」「役立たず」
そういうふうにして人が捨てていくものがある。

 醜いとされているもの、不快と感じられるもの、一見役に立たぬように見えるもの、歪と感じるものを、「なぜそうなのか」「なぜそこにあるのか」−中略−という考察とともに不断且つ客観的に見つめなければならないのです。
 豊かさとはつまり、目の前の貧しさから、どれだけの教訓を雑巾絞りのように搾り出すか。その錬金術のように思えます。
(「20代で得た知見」99頁)

これはいい指摘。

ちょっと凄い話になってしまうが、新選組が嫌い。
坂本龍馬の敵だから。
一回だけその手の依頼が来た。
「テレビドラマでやってもらえませんか?」という。
お断りした。
武田先生にとってはそれくらい真剣。
「まだそんなこと言ってんのか」とおっしゃる方もいらっしゃるかも知れないが。
やはり幕末で龍馬の敵になったヤツはちょっと。
ただ、ちょっと新選組に関して揺れ始めたところがあって。
これは書き手の問題。
自分でもびっくりしたのだが「燃えよ剣」を読んでいて。

燃えよ剣(上)



土方歳三いう人物はずっと嫌い。
「新選組」という組織が嫌いだから。
本当に血の臭いがするようなグループで。
土方というのは不思議な人で、とにかく勇猛果敢なのだが参加する戦は全部負け戦という「負け戦の神様」みたいな人。
その人が函館まで行って、またそこでも負け戦を引き受ける。
面白いことに土方という人は負け戦になればなるほど輝く人。
そういう運命を生きなければいけない時もある。
司馬さんの書き方が上手い。
その土方がある日、戦に疲れて宿舎で幻を見る。
それが死んでしまった近藤と沖田。
その描き方が凄い。
近藤も疲れている。
沖田も寝そべって話しかけてくる。
その時に土方が「現世で疲れるとあの世に行っても疲れが取れない」。
その書き方の生々しさが何か司馬さんは「不思議な作家だな」というのと「もの凄い作家だなぁ」と思って。
凄い。
そういうのを凄く感じる。

もっと現実の生々しい話にいきましょう。
これはFさん。
この方が言っている中で「凄く面白いな」と思った。
これは何かというと、つい三月までやっていたドラマにも関わってくるのだが

残念ながら、
この世に運というものは
厳として存在する
(「20代で得た知見」100頁)

ちょっとした運をネタにして武田先生もドラマをやっていたので、ちょっと運について考え込んだ。
今、話した土方さんは何かといったら「負け運」の人。
やっぱり負け運の人はいる
「勝ち運」の人もいるんだろうけれども、「負け運」の人というのもいて、このFさんの体験は20歳の頃のこと。
Fさんはだから今、(20歳よりは)年上になっておられる。
この方が雪山で遭難しかかったそうだ。

 六月の深夜、友人Kと車で富士山に向かった時のことだ。−中略−「七合目まで歩いて、すぐに帰ろう」となった。私たちの行く先、来た後、すべては闇。−中略−
 封鎖線を私たちはほぼ無装備で乗り越えた。
(「20代で得た知見」100頁)

 ものの数秒で、私たちは完璧に遭難した。−中略−元の場所に戻ろう、とKは迷いなく言う。
 でもどうやって、と訊ねる間もなく、なにも見えないその濃霧の中を、彼は猛然と突き進み始めた。慌てて追尾する。一歩間違えれば、滑落する。
−中略−道を数回間違えれば、さらなる遭難である。にもかかわらず、純白の闇をKは左右左と突き進む。「もう覚えてへんけど、たぶんこっちや」と言いながら。「死ぬかもしれへんな」と私は言った。(「20代で得た知見」101頁)

 奇跡的にもKは、元いた五合目まで私を導いた。−中略−
「どうして道が分かった」とKに訊ねた。「知らん。本能や」と彼は首を振った。
(「20代で得た知見」102頁)

Kは一回も自分に死の恐怖を感じたことがなかった、という。
その時にFさんは運を感じた、運を見た。
能力とか努力とか、実はギリギリのところでは何の役にも立たない。
運だけが全てを支配するという時が人生にはある。

 その後Kは知り合いのツテで恋愛リアリティ番組に出演し、ほとんどアイドルのようになるも、それにも飽きて一流企業に就職し、順風満帆の人生である。(「20代で得た知見」103頁)

 この運の采配を仰ぐ時、努力でもって戦っても勝てない。(「20代で得た知見」103頁)

ただそれだけのことなのだが、「運」はある。
今年(2023年)、始まってからすぐに「ダ・カーポしませんか?」という、毎週一人ずつ死んでいくというドラマで。
それでちょっと台本の都合で次の週、誰が死ぬのかギリギリまで教えてもらえない。
最初七人ぐらいで始まって、突然一人やってきて「今週で死にますんで、どうもありがとうございました」とかと・・・
現場がちょっと暗くなってしまって。
それでも黙ってやっていたが。
ただ、運はあるような気がする。
土方歳三の話をしたのだが、土方は負け運の人。
その負け運に抗わない。
きちんと負けていくという。
でも、そういう人がいるから何かこう、世の中は動いていくのではないか?
だから負けたからどうのではない。
土方のことを今、話しているのはそこなのではないか?
もう負けた人はみんな消えていくというのだったら、とっくに忘れられている。
負けても尚、忘れられないヤツがいるから、こうやって語っているのではないか。
面白い。
鳥羽伏見の戦いで総崩れになって江戸に逃げる。
船長が榎本武揚という人で、この人が大坂から船出した。
それで江戸まで行く。
その時に土方もその船に乗っている。
それで紀州の沖の方まで来たら、小さな船、ナントカ丸という小さな船、薩摩船と遭遇する。
海戦が行なわれる。
幕軍対薩摩軍。
その時に船長はヨーロッパから帰ってきた榎本武揚。
操船、黒船を動かすのに知識満々の人。
片一方はもうヨタヨタ走る薩摩のイモ侍が運転する黒船。
それでその幕府の軍艦から榎本の命令一下、百発撃った。
一発も当たらない。
ところが小さな鰹船ぐらいのスケールしかない薩摩船の左舷に22歳の東郷平八郎という若者がいた。
コイツがバンバン水柱が上る中で反撃で大砲を撃つ。
全弾着弾。
凄い。
今度は琵琶湖沖海戦という海戦があって、その時の切り込み隊長が土方。
土方は凄く巧妙で国旗をアメリカの国旗にして薩摩軍の艦船が休んでいるところに突っ込んでいく。
オブザーバーで見ている艦だと思って敬礼をしていたらしい。
何のことはない。
(薩摩艦に)横付けしたと思ったら、土方を先頭に飛び乗ってくる。
「カリブの海賊」みたいなもので
それでアメリカ艦だと思っていたから薩摩軍の艦隊はグシャグシャで。
それでもう大混乱に陥る。
その時にその土方が乗った船のドテっ腹に東郷平八郎の船があった。
それがストレートで見渡せる位置にいた。
そうしたら東郷平八郎がまたその直線の隙間に砲を入れて、全部甲板を吹っ飛ばす。
これが22歳の時の出来事。
この青年は後に海軍に入って、何と「バルチック艦隊を相手にしろ」と60歳の時に命令が下る。
何で東郷平八郎に行ったかといったら、山本(権兵衛)さんという上司がいて、この人が明治帝に訊かれる。
「日本の艦艇の司令長官は誰にするんですか?」「東郷平八郎にします」
明治帝がさすがに「だってあれ、来年定年退職でしょ?」。
60歳。
そうしたら山本権兵衛が「才能のあるヤツが4〜5人おります。しかし東郷は運が強うございます」。
東郷の運に賭けたという。
いい話。
一か八か。
人間にコントロールできない運命の流れみたいなものがあって。
でも、東郷にはあった。
それでバルチック艦隊がやってくるという時にもの凄く不思議なことが起きる。
それは天気がよくて波が荒い。
その時に「勝つんじゃないか」と海軍の本部で皆が胸をときめかせた。
それは東郷が打った電文。

敵艦隊見ゆとの警報に接し、連合艦隊は直ちに出動、之を撃滅せんとす。本日天気晴朗なれども波高し。

遠くが見えて波は荒い。
「向こうはクタクタだ。こっち側は見えるから砲撃できますぜ」と言いながら。
つまり、一国が東郷の運に賭けたという。
賭けた側の運もあると思う水谷譲。
結局運が重なっている感じ。

この間「ダ・カーポしませんか?」の中で脚本家の方が面白い運の話を書いてこられて。
アマゾンかどこかのジャングルの中に不思議なアリがいて、そのアリはジャングルの中のある樹木の葉っぱが好物。
その樹木とアリの関係なのだが、アリが落ちてくる葉っぱを待っているんだそうだ。
そこからが不思議。
このアリは葉っぱの形で隊列を組む。
それで葉っぱが落ちてくる。
綺麗にアリに乗る。
風力、重力、葉っぱの大きさ、重さ、それらを予知しながら下で葉っぱの形でアリが待っている。

第10話



つまり、動物の中には不思議な能力を持った生き物がいるのではないか?という。
アリの話は「ちょっとそれは」と思うのだが、でも、何か自然界の中に何となくありそう。
武田先生は絶対「運が悪い」とか言わない。
運はよかった。
もう今までで十分よかった。
本当に思う。
何でこんな話を夢中でし始めたかというと、やっている合気道場の先生に「何の為に私達は遠い昔のこんな武道を練習してんですかね?」。
その時に管長先生がポツっとおっしゃった。
「運を磨く為ですよ」
武田先生はどこかでこの言葉を信じている。
「運を磨く」という、そういう作業というのもやらなければならないのではないか?
合気をやっていると運が磨ける。
それはよくわからないが、何か思い当たったら言う。
(武田先生の道場の)管長先生はそういうのが抜群。
よく聞いていて「なるほど、凄いな」とかと思うのだが、噛み締めると非常に当たり前のことをおっしゃっているという不思議な管長先生で。
「合気道の真ん中にあるのは何かわかりますか?皆さん。合気道の真ん中にあるのは『気』です」と言われて。
「なるほど『気』だ」と思ったのだが、よく考えると「合道」の真ん中には確かに「気」がある。
先生すみません。
使わせてもらいました。

ご本の方にいく。
これは武田先生が凄く役に立ったと思った言葉。
外山老教授はこんなことをおっしゃる。

 横臥第一、睡眠第二。(「老いの整理学」155頁)

年を取ると「眠れない眠れない」ばっかりおっしゃる方がいるが、70代、80代になる人、よく覚えておきなさいよ。
アンタ方にはね、10代の頃のあの眠りの深さはもう二度と戻ってこない。
あれはやっぱり10代でしか体験できない眠りの深さ。
あった。
ちょっと風邪ぎみでも一晩経ったら、魔法のように治っていた。
70代、80代はそういうのは無い。
ではどうするか?
横になれ。
一日のうち何度でも横になりなさい。
横になれば体力が回復する。

 老人はまた幼児に帰ったようなもの。うつ伏せに寝るのがよいのではないか。(「老いの整理学」157頁)

上手くいったらストーンと眠れるし、眠れなかったら眠れなかったで名案がパッとその時湧いたりなんかする。

中国の昔、欧陽脩という人が、妙想、妙案を得やすい場所として、枕上、馬上、厠上の三つをあげた。(「老いの整理学」158頁)

ベッドの上、馬に乗って、トイレの便器の上。
これがアイデアを得る最高のポイントだそうだ。

それから老教授曰く、歳を取ると咳き込む。
これは飲み込む力が衰えるからだ。
誤嚥。

食べたものが気管支へまぎれ込むリスクが高い。(「老いの整理学」161頁)

これは死に至る
ですからお気をつけください。
武田先生もむせたことがあるが、凄い。
ではどうするか?

首を下げて、皿に顔をつけるようにしてものを食べるようにしたい。−中略−ものを食べながら、ものを言うのはたいへん危険である。おしゃべりをしながらものを食べてはいけない。(「老いの整理学」162頁)

若い時みたいに恰好付けて肉を喰いながら「あの件、どうなった?」とかと言うからむせてしまう。
それからもう一つ。
「上を向いて歩こう」は歌だけだ。

上を向いて歩こう



中年から老人にかけては下を向いて歩け。
太陽から目を守り、しかも下を向けば転ぶことも防げる。

禅家のことばに、脚下照顧というのがある。人のことをあれこれ言うまえに、自分を反省するのが賢人である、というのである。表面的に見れば、足下を注意せよ、転ぶな、の意味になるが(「老いの整理学」165頁)

これが老いを生きる知恵だ。

そしてFさんは言っている。

冬に聴く夏の曲。−中略−
夏に聴く冬の曲、
−中略−
一番遠いものが一番美しく見える。
(「20代で得た知見」176頁)

何か美しいものが見たいと思うんだったら、一番遠いものを見ろ。
そしてFさんは、若者に注意すべき日常の暮らしとしてこんなことをおっしゃっている。

本当に儲かるなら、その儲け話を人にはしません。だって損になるから。
本当に悲しい人は、そんな話を誰にもしません。だって悲しくなるだけ。
本当に愛し合ってるなら、愛し合ってる話は誰にもしません。だって崇高だから。
すべては言葉になると純度を失うとして。
(「20代で得た知見」198頁)

この後もいくつも老いと、そして若さをよりよく過ごす為の小さな知恵がこの二冊の方、Fという作家さんと外山教授の本にはあったので、箴言を欲しい方は是非。
今回の企画は二冊まとめての小さいヤツ。
あっと言う間だったが、新しい試みで「アオハル」青春と、年を取る「カレイ」。
二冊一遍にお届けした。



2023年4月24日〜5月5日◆アオハルとカレイ(前編)

(この週はところどころポッドキャストの方ではカットされている箇所がある)
今週は「アオハルとカレイ」。
書店の棚には、様々な年齢に分けて生き方を問い、どうこの人生を生きるかの賢者、或いは成功者、そういうインフルエンサー達の人生読本のヒット作品がズラーッと並んでいる。
いろんなことで成功なさった方達。
その中で「(今朝の)三枚おろし」にするには誰がいいかな?と迷ったのだが、まずは近い年齢の方の本を探してみたら「老いの整理学」という(著者は)外山滋比古さん。


(この本は文庫と新書があるが番組で取り上げたのがどちらなのかが不明だったので、本文中のページ数等は全て文庫のものとする)
この方は前昭和大学教授で文学博士、「知の巨人」というあだ名をお持ちの教授。
この方は「思考の整理学」という大ヒットを飛ばした方。

思考の整理学 (ちくま文庫)



何と263万部を売ったという。
この方の「老いの整理学」。
その老いをどう整理するか?
「80代からを楽しく生きていく為の方法」とあるので、これは自分が目指すべき年齢、行くべき年齢だと思って、これを読んでみよう、と。
この方は1923年生まれ、2020年、97歳の長寿で世を去られるまで「高齢者はいかに老い、その老いを完成させるか」を本になさった。
自分も高齢者なので、高齢者の先輩に学ぼうと思った武田先生。
これだけではやはり面白くない。
何でかというと若い方もこの番組を聞いて欲しいから。
それでもう一冊本を探したのだが、その本が「20代で得た知見」。

20代で得た知見



それを本になさった。
アルファベットの「F」と書いて著者名は書いていない。
(「F」は著者名)
いわゆる覆面作家。
ピタリ「20代」と言い切っているところと、80代から楽しくという、対照的な本二冊を同時進行。
両方を読んで80代の知恵のある言葉と20代の知恵のある言葉を三枚おろしで食べ比べてみようと。
人生の味は20代と80代でどれほど違うのか?
こんな指向。
三枚おろしで刺身か煮魚か?サラダか漬物か?
こういうので皆さんに活字の味を楽しんでいただければというふうに思う。

タイトルをどうしようかと思った。
「アオハル」だから「青春」、「カレイ」は年を取ったことの「加齢」、というタイトルでお送りしたいというふうに思う。
「青春」のことは「アオハル」と言うそうだ。
とにかく武田先生なりで青春と年を取っていくという意味合いの加齢。
「アオハル」と「カレイ」。
それぞれの世代の名言を食べ比べてみようではないかという今週。

外山教授の本はもの凄くわかりやすい。
「老いの整理学」とは命の始末のつけ方だとおっしゃる。
日常の暮らしの中でどう年齢と折り合うか?
教授は言う。
まず歳を取ったらやること。

招待を断るな−中略−
どんどん人をもてなせ
−中略−
なにがなんでも恋をせよ
(「老いの整理学」18〜19頁)

よく「歳だから」と言って朝からウォーキングを意識して小走りに歩く人、走る人がいるが、教授は

ただの散歩ではおもしろくなくなり、足のほか、手、口、耳目、頭の五つのすべてを動かす五体の散歩(「老いの整理学」21頁)

散歩、ランニングで足を鍛えつつ「あの花が咲いている頃だからこっちの道を行こう」とか、或いは「こっちの道を今日行ったら知り合いのあの犬と会うかも知れない」という犬の散歩コース、それから誰か話し相手がその先に待っているんだったらそこを通ろう。
ご老人で自炊なさっているというようなその孤独な方もおられるだろう。
そうしたら思い切って散歩コースに商店街を入れましょうよ。
そこで安いいいものを買えばいいじゃないですか。
しっかり頭使って値切るところは値切って。
(武田先生の意見)で流行を学ぶ気持ちで歩け。
ユニクロを覗きなさい。
ユニクロはやっぱり値段は相当廉価。
聞いたことがあるが、もの凄く豊かな気分になる
「気に入ったシャツがあると色違いで何着も買えるから」とおっしゃっていた。
そういうことで自分を着飾る、流行を学ぶ気持ちで歩け、と。
高い店の前をウロウロする、ウインドウショッピングなんてやめてしまってユニクロの方が遥かにいい。
とにかく五体を使うこと。
小さな知恵なのだろうが、これはとても大事なことだという。
これは80代を目指してのことで「どうぞ60代、70代の方、華麗なる加齢を目指して準備しましょう」と教授はそう呼びかけている。

これは冗談ではなくて武田先生もちょっとズキッときた。
教授は老いの支度、年を取ることの準備として「物忘れ」。
これが重要だとおっしゃる。
武田先生はちょっと最近時々コタツを点けっぱなしとかがあるので。
水谷譲もある。
三月のことで、エラい怒られたり。
れから常夜灯を消すのを忘れたり。
ところが、その外山教授はいい意味で「それはもの凄く大事だ」とおっしゃる。
外山教授が老いの支度の中で「物忘れは重要だということを知りなさい」。
物忘れの日本の名言がある。
忘れるということの価値。

「知らぬがホトケ、忘れるがカチ」(「老いの整理学」47頁)

「知らぬがホトケ」というのはあまりいい意味では使わない。
だが、実は忘れたものが勝ちである。
これはジンとくる。
「上手いこと言う」と思う。
覚えているばっかりにずっと引きずる。
覚えていると囚われる。
(ゴルフで)ダボとかトリプルを打っておいて、次のホールに行くとすっかり忘れる、明るくやるヤツがいる。
引きずらないヤツ。
引きずらない為には何かというと「忘れる」。
日常生きていて、人がこすれ合う場では毎日いいことはない。
こっそり陰で悪口を言われてカチンときたりとかとある。
でも、それを家に帰ったら忘れるという人は強い。
外山教授はおっしゃる。
人は年と共に物忘れが多くなる。
それを恐れてはいけない。
確かに仏壇のロウソクの始末、コタツの始末等々、度忘れ物忘れで危険なことは多い。
でもそれは暮らしの中で工夫しなさい
直火全部辞め。
元から絶つ。
仏壇のロウソクの始末なんていうのはもうロウソクを辞めて、カメヤマさんには悪いけれど。
今は何かいいのが売っている。
電気でずっと、炎が揺れ続けているヤツが。

ファイン 電気ローソク 仏壇 リモコン式 ローソク ゆらゆら 火を使わない 安心 安全 FIN-806BK ABS



コタツの始末ももう今は暖かいから大丈夫だが、冬場コタツを使わないように努力しろ、とか。
「物忘れを恐れずに」と言われると嬉しい。

人間は、年とともに、忘れっぽくなる。そして、それが正常なのかもしれない。(「老いの整理学」50〜51頁)

命としての人間は、忘れられるから覚えるんだ。
これは武田先生は本当に身に覚えがある。
何でこの言葉がハッとしたかというと、よく奥様にも叱られるのだが「あれほど『(今朝の)三枚おろし』でいいことを言いながらなぜできない?」。
それははっきり言って全部忘れる。
だから時々ノートにとっている時がある。
三枚おろしのネタで「これ、結構長いこと使える」。
それを読み返す。
自分であまりの人間としての完成ぶりに驚くことがある。
でもここで完成しては来週のネタができない。
「完成しない」ということが努力の原動力になっている。
これは「なるほど」。
命としての人間は忘れられるから次のことを覚えようとするのだ。
そこで忘れる技をちゃんと使わなきゃダメだ。
忘れる為に何をするか?
驚くなかれ、堂々巡りかも知れないが教授が言うのは「新しいことを知りたいという意欲を持つこと」。
そうすると忘れる。
武田先生は本当に忘れる。
「本書きませんか?」と一年がかりでずっと書いている。
今日の朝もそう。
読んでいて感動してしまった。
本当にいいことを書いている。
武田先生は六か月前に(自分で)書いた文章に励まされる。
「頑張ろう」とかと思う。
この「忘れる」というのは新しいことを取り込める条件。
だから「明日はアレをしよう」とか「これが終わったら今度はアレをしよう」とかと思うことが忘れる為の技である。
嫌なことを忘れる為には何をすればいいか?
それは楽しそうで新しいことを目指すこと。
これはもの凄く当たり前のことを老教授は書いておられるが、加齢、自分達のように年の階段を登っていく人間にとっては凄くいい言葉。
考えてみたら昔から大好きだった宮沢賢治が同じことを言っている。
「未完、それこそ完成」
(「農民芸術概論綱要」の中に「永久の未完成これ完成である」という詩句があるらしい)

農民芸術概論綱要


     
「自分は出来ていないと思う。出来てるじゃないか。完成しないことが完成なんだ」という。
でもそんな宮沢賢治から教わったことも忘れて今、老教授の言葉に感動しているワケだからいかに人間、忘れるか。

「アオハル」の方の為に知恵の言葉を。
「20代で得た知見」の本をお書きのFさんという方なのだが、この方が20代の方々に対してこんなことをおっしゃっている。
「それが人であれ、異性であれ、食べ物であれ『好き』って黙りこんだ時にやってくるもの」
武田先生が一番オススメしたいのは異性。
自分が後に考えたら奥さんにしていた女性というのは初対面の時、それほど強い印象を持っていない。
「時と場合による」と思う水谷譲。
「フッと黙り込んだ時に人間の心というのは決まるんだ」と。
食べ物もそう。
だから「食レポ」というのは皆ウソつき。
食レポで生きている芸人さんもいるかも知れないが。
でも、一噛みか二噛みぐらいですぐに「美味い!」とかと言う。
あの人は言い方が早い。
やはり美味い時は黙り込んでしまう。
それから、本当にビール会社の方、申し訳ない。
言い過ぎ。
ビールを飲んですぐに「ハーッ」とかと言う。
あれは無い。
ビールは沈黙させる。
兄さんとかオジさんあたりが一杯飲み屋で呑んでいる。
しばらく両こぶしをテーブルについて沈黙している。
「く〜ックェォ!」といながら。
ビールというのはそういう時がある。
「クエ」がコマーシャルほど早くない。
これはいい言葉。
Fさん「本当に好きなものは黙り込んだ時、やってくる」。

そしてこんなドジでも20代に送ったFさんの言葉が身に沁みたのは

 恋愛の目的とは、お相手に最高のトラウマを与えることだと思う。(「20代で得た知見」41頁)

(番組では相手ではなく自分がトラウマを負う話になっている)
上手くいった恋なんて退屈なんだよ。
心が激しく動く、それが恋なんだよ。
傷を作る為に恋を、トラウマを作る為に。
これはちょっとわかりにくいだろうが武田先生の意訳。
泥で汚れたラグビー選手、或いはサッカーの選手、そして9回、大谷のユニホーム、あのユニホームが汚れているということに対する神話。
カッコいい。
つまりユニホームを汚す。
恋も同じなんだ。
自分を汚す。
その為に恋をしたんだ。
そういう思いで相手のことを見てごらん。
ちょっと意訳過ぎる気がする水谷譲。

そんな清潔な目的ばかりでは我々は退屈で息苦しいのです。(「20代で得た知見」41頁)

「泥まみれになる。それが恋の基本です」
これも武田先生の意訳。
Fさんがおっしゃっているのはとにかく一生の傷がつくような美しいトラウマを求めて恋をせよ。
(Fさんは)どうも(本を)読んでいる感じは30を超えている。
(「1989年11月生まれ」とあるので恐らく現在33歳)
その方が年上なので20代の方に「こんなふうにして過ごせよ」という。
やはり恋の思い出はトラウマ。
よく武田先生がライブでお話になることも、あれもトラウマの恋のお話。
同じ話ばかりしている。
福岡で十人ぐらいの女の人から嫌われて、何か武田先生のことが気持ち悪かったのだろう。
それは気持ち悪いような顔をしている。
よくわかる。
いろんな女の人に振られた。
全部歌になった。
その「上手くいかなかった恋」というのは歌になる。
上手くいった恋は歌にならない。
恋の思い出は傷になる。
そして思い出の中ではその人は一歳も年を取らず、こっち側を振り返ってじっと見ている。
男の人の方が女の人よりもそういうことを美化すると思う水谷譲。
武田先生が言っているのは青あざではない。
内出血とかはダメ。
福岡に帰ると「ここで振られたなぁ」というのは全部覚えている。
未練がましいと思う水谷譲。
それと恋した人の古里の近くを通った時に「フッとその人のことが」とか。

これも本当に頷ける。
Fさんは女性の理想像についてこんなことを言っている。

 私が唯一女に求めるのは、綺麗でも可愛いでもありません。−中略−
 綺麗な女も可愛い女もたくさんいる。でも、度胸を持った女は珍しい。
(「20代で得た知見」56頁)

「度胸のいい女は男にとって心揺さぶる存在です」
これは70代の武田先生もハッとした。
武田先生は何で奥さんが好きになったか?
度胸がよかった。
女は度胸。
美貌でも愛嬌でもない。

外山教授は実は97歳、2020年にお亡くなりになったのだが、わかりやすい文章をお書きの方。

 日本人はほかの国の人に比べて元気がないらしい。−中略−
「自分に満足している」と答えた若者は45%で、米、英、独、仏、韓、スウェーデンと日本の七ヵ国中、最低である。トップはアメリカで86%。「自分に長所がある」と答えた日本人は68%だったが、最高のアメリカは93%である。日本はビリ。
(「老いの整理学」30頁)

 なぜだろうか。−中略−
 端的に言えば、日本人はひとをホメないからであるように思われる。
(「老いの整理学」30〜31頁)

 学校でも、教師は叱ってばかり。−中略−八〇点くらいの答案によくできた≠ネどと書き添えた教師がいれば変人扱いされる、一〇〇点満点だった、よくやったなどと言うことはない。−中略−そういう学校に長くいれば、たいていのものが、自信を失い、消極的になるのは是非もないことである。(「老いの整理学」31頁)

ここから先は生存術だ。
生きていく為の技術。
褒めてくれる人間関係を作ること。
褒めてくれる人間関係を外にお持ちなさい。
家族、これはもうあきらめよう。
褒めることがない。
ドキッとした。
相手にしてくれるだけで家族というのは有難いもので。
妻や子、相手にしてくれる。
それだけでもういいじゃないか。
「褒め」まで期待しちゃダメ。
褒めてもらう為には新しい友達をみつけるしかない。
褒められる時、老人というのは不思議な力が湧いてくる。
自分のことを褒めてくれるお喋り仲間を持つことが重大になってくる、という。
武田先生もいろいろ悩むこともある。
だが、褒めてくださる方が時々おられて、それで何となくもっているようなものなのだろう。
まだ褒められると、こそばゆい感じがするが、親を見ていると歳を重ねる毎に褒めてあげた方が生き生きしてくるのが凄くわかる水谷譲。

 イギリスのよく知られたコトワザに、
「心配ごとはネコでも殺す」
−中略−というのがある。−中略−
 そういう強いネコでさえ、心配ごとには勝てないで、命を落とす、というのが、はじめの「心配ごとはネコでも殺す」の意味で
(「老いの整理学」58〜59頁)

ところが今は心配事が商売になる。
ニュースに並んでいるが、殆どが心配事。
ニュースは心配事の順番。
捕まった犯人よりも逃走中の犯人の方がトップニュースに近付くし、心配事というのが現代では商売になる。
大変失礼するが語らせていただく。
人間ドックがそう。
とにかく心配事を必死になって探す。
これが現代医療。
武田先生も素敵な先生にお世話になっている。
こんな偉そうなことは言えない。
これは武田先生が言っているのではない。
この外山教授がこんな皮肉をおっしゃっている。
人間ドックの先生、気にしないでください。

医者にかかると、病気になりやすいことを暗示する調査が、北欧のある国で行われた。
 条件の同じような勤労者を千名集め、A、B二組、五〇〇名ずつのグループを作る。Aグループには、医師がついて、定期的に健康状態をチェックした。片やBグループはなにもしないで放置した。
−中略−実際は何もされないで、放っておかれたBグループのほうが病人が少ない、という皮肉な結果が出て(「老いの整理学」68頁)

これはコロナの大流行の時、皆さんもお感じになっただろうが、病院もはっきり言って患者を引き受けられない疲労困憊という状態が続いた。
コロナの中で言えることは、病院はもの凄くよく奮闘したのだが、それでコロナが減っていったワケではない。
日本からコロナの数がグッと今、少なくなっている。
これは何かというと我々の努力。
やはり「手洗い」「マスク」「ディスタンス」。
これがコロナの実態。

 現在の日本には、四、五十代の女性中心に二千八百万人が腰痛に苦しんでいるそうである。−中略−治療の方法が確立していない。(「老いの整理学」65頁)

もっとも大きな原因はストレスである、ということが、ようやく、近ごろわかってきた。心因性である。物療などで治そうとしていたのは時代おくれであったのである。(「老いの整理学」66頁)

ただ、ストレスをなくするのではない。ストレスゼロでは生きることが難しいのである。ストレスは必要である。(「老いの整理学」66頁)

ストレスは生きていく為に必要な進化の原動力だ。

「よく笑う医者はよく治す」ということわざ(「老いの整理学」65頁)

これは上手いことをおっしゃる。
あんまりスパスパ、メスみたいに切れる「私、失敗しませんから」とかというのはダメ。

ドクターX ~外科医・大門未知子~ DVD-BOX



大門未知子がいたら心強いと思う水谷譲。
でも「よく笑う医者はよく治す」というのはハッとする。

ストレスは新陳代謝しているのが望ましい。溜まったら、発散、放出して、ストレス・フリーの状態にする。そこで、新しいこと、別の活動をして新しいストレスを溜める。減らして、溜めて、という交代を繰り返していて、心身の生活リズムが生まれ、それにともなって、元気、活気のエネルギーも生まれる。(「老いの整理学」70頁)

水谷譲は正直に言って「20代で得た知見」(という本)はどこかで「何を言うんだろうな」みたいな感じで斜に構えていたのだが「結構いいことを言っているな」と。
このFさんというのは非常にバランスのいいセンスをお持ちで。
もの凄くこの人は人気があるらしい。
この覆面作家・Fさんの方の考え方の中に老いを意識した一言を感じる。

武田先生は「浮浪雲」が好き。

浮浪雲(はぐれぐも)(1) (ビッグコミックス)



「浮浪雲」はビックコミック系列の漫画。
ため息が出る時があった。
自分に心配事、ストレスがあって、人に解決策を聞いて回る町人の男がいる。
「先のこと考えるとオイラ不安になっていけねぇんだ」と絶えず自分のことでいつも心配している男。
それがある日、浮浪雲という侍くずれというか、摩訶不思議な人物に会う。
そうすると目と目が合ったら何となく相談ばっかりしている男がしにくい。
それで目を背けるとその浮浪雲が「アンタ、また人に相談ですか?そんなこっちゃぁ犬一匹飼えませんよ。自分の心配しかできないヤツは犬も猫も飼えませんよ」。
「そんなことすらできないんだ」という。

70年代を青春で過ごした人が解けなかった謎がいくつかある。
武田先生達世代は、三島由紀夫の謎は解いていない。
三島由紀夫は謎。
なぜ彼があれほど天皇制にこだわったのかとかというのは、はやり私達は考えなくてはならない。
でないと昭和という時代は解けない。
三島は私達の体の奥にあるそこに訴えかけたかったのではないか?
東大全共闘と結託する時に「君達がひと言、天皇という言葉を挙げたら、私は君達と共闘する。共に戦おう」と。
それは内田樹先生みたいな方もまだ首をひねってらっしゃるが。
もう一つ、三波春夫を解き切らないとか。
三島由紀夫と三波春夫は・・・
(三波春夫を)「『こんにちはこんにちは』だろ?」とかと小バカにしながら言っているのだが、もの凄く魅力的。

世界の国からこんにちは



でもそのことは友達の前では言えない。
ファッションとして「ビートルズ聞いた?」とかそんな洒落た言葉を言いたくて。
だが三波春夫が語る浪曲歌謡「一本刀土俵入り」とか



それから「俵星玄蕃」



あれを聞くとゾクッとする。
なぜ自分がゾクッとするかわからない。
例えば「一本刀土俵入り」の駒形茂兵衛。
相撲取りでお腹をすかせて、とっても優しい宿場のお姉さんがいて、財布とかんざしと全部彼にあげる。
そうしたら両手を合わせる茂兵衛がいて、二番目のコーラスの後はヤクザになった駒形茂兵衛が出てきて、全く人格の違う二人を三波春夫が演じ分ける。
たったワンコーラス歌が進んで、十何年時が流れたという
それから目に見えて仕方がないのは「俵星玄蕃」で討ち入りのところまで行った俵星玄蕃が大石内蔵助に「助太刀をさせてくれ」と言ったら「どうぞここは私達だけに任せてください」と言ったら、蕎麦屋の恰好をしていた若者が「先生〜!」と言いながら俵星玄蕃に近寄ってくる。
その時に雪を蹴立てて来る語りを三波春夫が「サク、あサク、サクサクサクサク、先生!」と言う。
「おお〜蕎麦屋かぁ!」
胸のときめきがもうたまらない。
何でときめくかわからない。
話がバラバラに、何かノイズが入ったような放送になったが今週はこれでお終い。


2024年04月05日

2024年2月5〜16日◆ドナルド・キーン(後編)(8月9日追記)

これの続きです。

ドナルド・キーンさん。
日本文学の研究者。
角地幸男さんが書いた「私説ドナルド・キーン」。
角地さんとドナルド・キーンさんがどういう知り合いかというと、ドナルド・キーンさんはエッセー等々はもちろん自分で日本語でお書きになるのだが、文学論に関しては英語。
英語で書いておいて、それを日本語に訳した人がこの本の著者、角地幸男さん。
それで日本語に訳したのをキーンさんにもう一回チェックしてもらう。

ドナルド・キーンの仕事の本質とは何か? 日本語がわからない外国人に英語で日本のことを伝えること。(194頁)

「西洋の人が読むんだ」ということを前提に書かないと論理というか、そういうものがロジックが一本通らないという。
だからキーンさんに関してはかなり誤解しているところがあって、西洋人による日本の発見、発見された日本について日本人自身が驚くということがキーンさんの場合は多々あった。
三島由紀夫は早々とそのキーンさんを見つけて絶賛した。
この三島由紀夫さんによってドナルド・キーンさんは大手出版社に紹介される書き手となった。
でもそのキーンさんについてはジャポニズムとかエキゾチック、そういうものの日本文学だという誤解をする人があって、まさかキーンさんが原書の古今和歌集を読んでいるとか、古文で源氏物語を読んだとか能狂言にも精通しているとかというのをご存じない方が多かった。
日本の有名なある作家さんがニューヨークでキーンさんと対談することになった。
コロンビア大学にお戻りになった時だろう。
日米間を忙しく往復するキーンさんだが。
その日本の作家さんは「しっかりした通訳が欲しい」ということで英語の達者なお嬢さんを雇って通訳にした。
日本の文学者の方が語るのはもうキーンさんはわかる。
だが、通訳の女子学生の人のメンツを潰さない為に、その人が英語で訳すのを待って英語で話したという。
もうキーンさんの方が遥かにわかっているのだが。
そのその通訳の若い女性は、いいところのお嬢さんらしい。
ニューヨークで美術の勉強をなさっているという。
そのお嬢さんの顔を立てる為にも「日本語のできない日本文学研究者」の顔をし続けたという。
この通訳の若いお嬢さんこそがオノ・ヨーコさんだった。
まあ不思議な引き。

それにつけても日本の理解に関して、キーンさんの持っている感性は実に深い。
こんなことをおっしゃっている。
著述の中で芭蕉のセンスに関してキーンさんが絶賛する一文があった。
それは江戸期に生まれた芭蕉は、「奥の細道」の中でこれは松島か何かの章だが、こんなことを芭蕉が言っている。

山崩川流て道あらたまり、石は埋て土にかくれ、木は老て若木にかはれば、時移り代変じて、其跡たしかならぬ事のみを、爰に至りて疑なき千歳の記念、今眼前に古人の心を閲す。行脚の一徳、存命の悦び、羇旅の労をわすれて泪も落るばかり也。(90頁)

山河もまた国とともに滅びる宿命を担ったものである。……それが芭蕉の言いたいことであった。だが、山が崩れ、川の流れが改まっても、詩歌だけは変わらない。詩歌に詠まれた歌枕は、その土地の自然よりも長生きをする。奈良時代の古碑を見た芭蕉は、「書かれた言葉」の永遠性への確信を新たにした。(90頁)

芭蕉は多賀城趾を訪れ、はるか七六二年、奈良時代に建てられた城修復の碑を見ている。(90頁)

これはキーンさんはこんなふうに感じた。

「国破レテ山河ハ在リ」と吟じた杜甫は間違っていた。山河もまた国とともに滅びる宿命を担ったものである。……それが芭蕉の言いたいことであった。(90頁)

そこで歌われた歌のみが変わらない。
歌というのはそういう意味では山河に勝る時の流れを刻む碑(いしぶみ)なのであるという。
これは深い。

ドナルド・キーンさんは、日本の独自性に関しては非常に感受性が高い。
昭和の時代を代表した国民作家で司馬遼太郎という方がおられるが、司馬遼太郎さんは何ゆえのペンネームかというと、「中国の史家・司馬遷に遠く及ばず」と遠慮をなさって「司馬遼太郎」になさったワケだが、キーンさんは中国の文明・文化に対しての遠慮というのをあまりなさらない。
はっきりおっしゃる。
そういう遠慮を不要としたという。
ここにキーンさんの本領があるワケで。
キーンさんはこんなことをおっしゃっている。

日本が中国の強い影響下にあったことを認めながら、「中国と日本の文学がそれほど違っているのは当然であって、それは中国語と日本語が全く異質の国語だからである」−中略−と、端的に言語そのものの違いについて述べ(112頁)

日本語は主語を置かない。
その上に己の主張、訴えたい心情は巧妙に隠す。
詩歌、俳句、短歌に於いては、その句の出来栄えは詠んだ人よりも読者によって完成される。
句の詠み手とその句を受け取るものがその句を完成させる。
それは作ったものがその歌を支配するのではなくて、その歌を作ったものとその歌を歌うものがいて初めて歌が完成する。
「そこが日本文学の面白いところです」
信州に一茶という俳人がいて、お正月がやってくると「めでたさも中くらいなりおらが春」。
「正月がやってきて目出度いのだが、まあ真ん中ぐらいかな。めでたさも」というのは日本の庶民はわかる。
「決して自分が強いものではない。何の権力も持っていない」という。
思わず一茶が歌った「やせ蛙まけるな一茶これにあり」。
日常の会話の中でも数百年前の俳人の歌を思わず口ずさんでしまうという、この日本人の巧妙さは一体何であろうか?という。
考えてみたら主語なんかない。
「雀の子そこのけそこのけお馬が通る」
誰が言っているのかわからない。
でも詠み手の心の中にそのシーンが広がるか否か。
そこで完成していない。
ちょっと極端な言い方だがお寿司がある。
握って出してくれる。
あの時にお寿司は完成していない。
あれを口の中に入れてご飯と(醤油とわさびと)一緒にマグロを噛んだ瞬間に「ああ〜美味いねぇ」。
未完成で客が受け取って味わう時に味が完成するという。
もちろんそれはハンバーガーもそう。
「お寿司は昔はファストフードだ」と思う水谷譲。
ハンバーガーでやたらとぶ厚いヤツがある。
もうあんなのは口の中でコントロールできない。
自分の部分入れ歯がどこにあるかわからなくなる。
口を開けるだけ開けておいて噛むものだから、部分入れ歯が取れてしまって「部分入れ歯噛んでんじゃ無ぇか」という恐怖心が蘇ったり、そういう混乱というのがある。
歯が丈夫な人しか食べられない。
それに比べてお寿司は猶予がある。
それで内田(樹)先生が指摘なさったのだが「なるほど」と思った。
寿司屋のいい職人は腕を強調しない。
出す握りを客が喰う。
「美味いねぇ。身が締まって美味いよ」と言うと「選んだ私が上手だから」とか言わない。
「このあたりの海はねぇ潮流が速うございまして懸命に鯛も泳ぐんで身が張って」
自分を料理に介入させない。
それが料理人の腕。
「美味しいのは魚なんだよ」ということ。
それでそれを獲ってきた漁師が偉いといって「潮の臭いがするでしょう」とか海を絶賛する。
美味しい野菜が入った。
土を絶賛する。
自分の腕を出さない。
歌舞伎の黒子のように自分を消す。
それが日本料理の楽しみ方。
どう味わうかは受け手が決定することであって、受け手に解釈をまかせてしまうという粋のよさ。
それが日本文学の中にあるのではないだろうか?
小林一茶の句の中でキーンさんが取り上げている一句がある。
キーンさんがよっぽど気に入ったのだろう。
この感性の日本文学者は。
一茶の句集を読むとわかるが、お子さんが三人か四人。
これが本当にお気の毒。
全部病気で死んでしまう。
その時の句が

 露の世は露の世ながらさりながら(113頁)

子供を次々失い、最後に生き残った子を大事に育てていた一茶だが、

それは彼の最後に生き残った子供の死に際して一茶が作った句で(112頁)

奥さんも死んでしまう。
もう殆ど老年、老境で絶望を感じた一茶だが、その絶望を絶望で歌わない。
詠んだ句が

 露の世は露の世ながらさりながら(113頁)

この場合は「露」というのが秋の季語。
芋の葉っぱの上か何かに輝く露。
キラキラと朝日に輝いたりなんかする。
だけど日が昇り切ればたちまち乾いて消えてしまう露のはかなさ。
これを人間の命に喩えている。
「人間の命なんてのは芋の葉っぱの上に乗っかった露みたいなもんですよ」
仏教がそう教える。
一茶はその仏教の教えに対して「わかってます。わかってますよ。人間の命なんぞは本当に露みたいなもんですよ。『露の世は露の世ながら』わかってるんです。露の世っていうことは。でもねぇ・・・」という。
そこで終わっている。
「露の世は露の世ながらさりながら」という。
言葉をいいかけて、言葉が詰まっている。
そこを歌にしたという。
絶望ではあるが一茶が歌うとその絶望が軽やかに、。
よっぽど感動したのかキーンさんはそれを英語に訳している。

 この一茶の句を、キーンは−中略−
 The world of dew
 Is a world of dew and yet,
 And yet.
−中略−
 と、「僅かな言葉数」の英語で詠んでいる。
(113頁)

「dew」というのが「露」。
だから「The world of dew」「露の世だ」、「Is a world of dew」「確かに露の世界なんだよ、俺達の世界なんて。だけどなぁ」、「さりながら」が「and yet」「And yet」二回繰り返している。
シェイクスピアの「リア王」のセリフのようだ。
主語を消して、誰が何を誰につぶやいたのか、一切描かれていない。
この曖昧な詠嘆に俳句の巧妙がある。
主語がないから「誰が誰に何をつぶやいたか?」それを一切語らないから実は誰にも当てはまる普遍的人間の「あはれ」がここにある。
テーマを語らない時などヨーロッパの言語ではありえない。
テーマを言わないなんてありえない。
俳句というのが日本語に於ける離れ業だ。
キーンは恐らく戦場で日本兵の話を聞き、彼等が残した日記を読み重ねるうちに、日本人の重大なそして歴史的特徴を語る。
俳句、短歌、文学に於いてもテーマは語らない。
そんなふうに考えると武田仮説だが歴史小説とか国民作家と呼ばれた司馬遼太郎でさえも、テーマそのものを語ることはない。
幕末ものの「竜馬がゆく」、続く明治ものの「坂の上の雲」。

竜馬がゆく(一) (文春文庫)



坂の上の雲(一) (文春文庫)



テーマそのものには触れていない。
何が言いたいかというと「竜馬がゆく」「坂の上の雲」。
これは徳川幕府が倒された後、天皇が時代の中心になるのだが、司馬遼太郎さんの「竜馬がゆく」「坂の上の雲」は天皇があまり出てこない。
でも本当は天皇の世紀が始まった。
でも真ん中のテーマを語らずに、その周辺にいた龍馬を語ることで、或いは秋山兄弟を語ること、(正岡)子規を語ることで明治の真ん中にいた天皇の持っている風景というのを想像して欲しいという。
そんなふうに思われたのではないか?
天皇は日本文化の中で大きい。
天皇についてあまり語りたがらないところが日本の文学者。
司馬さんなんかも昭和天皇のことはあまり書いておられない。
これは司馬さんも「あんまり天皇のことは触れない方がいいな」というのはどこかで心の中に・・・
申し訳ありません、司馬遼太郎ファンの方。
武田先生はそう思う。
やはり天皇という主語を外しておいて、尊王攘夷に生きた志士である龍馬を語る。
或いは富国強兵を目指した軍人、秋山なんかを語る。
それはやはりあくまでも天皇を真ん中にした若者達の動きなので主語を外してある。
その分だけ我々は存分に司馬文学が楽しめるのだが、キーンさんは容赦ない。
ドナルド・キーンさんが真ん中を。
「明治天皇」という作品がある。
この時のキーンさんが凄い。

『明治天皇』の本の巻末に、日本語の資料だけで三〇〇ほど参考文献が挙げられています。さらに、英語とフランス語の文献も一〇〇ほど挙げてあります。(195頁)

それは「明治天皇がどういう方だったのか」という評論。
事実をずっと書いている。
そうすると司馬さんから伝え聞いた明治天皇ではない。
それが興味津々。
晩年のことだが、何と日本の作家さんが殆ど手を出さない天皇そのものにキーンさんはもの凄く興味を持って、特に明治天皇のことを詳しく書く。
明治天皇のお父さんが孝明天皇。
「尊王攘夷」とか言っているが、全て孝明天皇。

若い頃から極度の「外国人嫌い」だった孝明天皇は(220頁)

それで長州系の武士とか薩摩系の武士を呼んでは「討ち払え」と宣うものだから、ここから幕末の大騒乱が起きて、徳川は懸命になだめようとするのだが、天皇に歯向かう賊として徳川は倒されたという。
ところがこの孝明天皇が若い時にお亡くなりになって、まだ少年の年齢なのだが、後を継がれたのが明治帝。
明治時代という日本の近代が始まる。
ドナルド・キーンさんは徹底して調べている。
キーンさんは徹底して明治天皇を探索した。
もしかすると明治天皇に関する描写に関しては司馬遼太郎さんを凌駕しているかも知れない。
キーンさんの視点は広々としている。
ドナルド・キーンさんは明治天皇を世界史に於いてこう語った。
35歳で亡くなってしまった父、孝明天皇。

 ビクトリア女王は十八歳で即位したが、明治天皇は即位のとき十五歳にすぎなかった。しかも、当時の日本の置かれた状況は、ビクトリア朝初頭のそれに比べると、まさに狂瀾怒濤だった。(227頁)

明治帝は様々な思いをしたに違いない。
住む場所も京都から突然東京に代わり、若い頃、明治帝は沈黙の多い青年であった。
でも明治帝は操り人形ではない。
この人は青年の時代に側近を頼りになるヤツとならないヤツをちゃんと分けているという、人物眼に関して力を持っていた、眼力を持っておられたという。

キーンは、天皇が語ったという数少ない「人物評」を資料の中から拾い出す。たとえば日露戦争時の乃木希典について、侍従日野西資博の回想から引いて次のように述べる。−中略−
 ……日露戦争の間、天皇は部屋に暖房を入れることを許さなかった。
(224頁)

「兵士が203高地で戦っておるんだ。日本海海戦で戦っておるんだ。天皇である私がぬくぬくと過ごしていい日は一日もない」と言いながら、自分の執務室に暖房を一切入れなかった。
そして定時、戦況を聞くという仕事を一年間続けられたという。
彼が一番心配なさったのは、この侍従の人の日記によると

特に天皇の心を悩ました出来事は旅順の包囲だった。天皇は、「旅順はいつか陥落するにちがひないが、あの通り兵を殺しては困った。乃木も宜いけれども、ああ兵を殺すやうでは実に困るな」と述懐したという。(224頁)

もう乃木批判をやってらっしゃる。
司馬さんが後に書いて大問題になるが、明治帝自らが乃木に関して戦略・戦術の才を疑っておられるという。
それが侍従の日記に残っていたという。
そしてこの後、戦後東京凱旋をしてくる。
これは遂に旅順を落とすワケだが、203高地を終えて勝利を上げて国際世論の「待った」が入る。
アメリカのルーズベルトさんが間に入ってくれて止める。
この時は四分六。
日本は完全な勝利ではなく六分の勝利、四分の負け。
これでまあ一応日露戦争は「勝った」ということになったのだが

 すでに日露戦争後の東京凱旋の日、乃木は自分が命じた旅順攻撃で死んだ多くの将校の犠牲を償うため割腹して詫びたい旨、天皇に申し述べた。天皇は、最初は何も言わなかった。しかし乃木が退出しようとした時、呼び止めて次のように沙汰した。「卿が割腹して朕に謝せんとの衷情は朕能く之を知れり。然れども今は卿の死すべき秋に非ず。卿若し強いて死せんならば宜しく朕が世を去りたる後に於てせよ」と。(225頁)

(追記:8月6日放送分の中で訂正。番組内で「死すべき秋に非ず」の「秋」を「あき」と読んだが、正しくは「とき」)
これはキーンさんもおっしゃっておられるが、明治帝は自分の言葉を持っておられた。
そしてただの操り人形ではなくて、軍人の才能に関しても堂々と批判するだけの能力をお持ちであったという。
こうやって考えると明治という時代がいかに凄かったか。
日本は天皇について書くことに関してはちょっと忖度が働く。
それに関してキーンさんは・・・
ラストサムライなんかにも出てくる。
あれは明治帝がモデル。
アメリカの軍人さんが、明治帝の雰囲気に関して「好もしい青年である」と書いている。
乃木批判に関しては司馬さんが書いている。
それに関して司馬さんがあくまでもおっしゃったのは「近代という時代を生きている時に乃木の天皇の前に於ける行動が、まるで鎌倉時代の武士ではないか?」という。
そのことに関する司馬さんの違和。
でも我々は明治帝というと思わず「沈黙の象徴」ということで片づけてしまうが、やはりハッキリと意思を持った若者であった。
更にこの明治帝には人物の好みもあった。

 天皇が大好きだった西郷隆盛(229頁)

西郷というのはいいヤツだったのだろう。
明治帝が話すだけで楽しかったようだ。
上野に銅像を建てたのは提案者は明治帝。
あれは逆賊。
西南戦争を起こして。
でも明治帝が「懐かしい」とおっしゃる。
それで「軍人の服は着せずに散歩している西郷さんでいこう」。
明治帝は西郷隆盛の他にも木戸孝允、桂小五郎とか大久保利通なんかとも語り合ったという。
そういう人達の力量をちゃんと握っていたという。
明治14年・1881年、維新のリーダーたちが次々と死んでゆく。
政府の人物がどんどん小粒になる。

天皇の次の人物評。−中略−
「黒田(清隆)参議は何かというと大臣に強要し、望みのものが手に入るまで執拗に迫る癖がある、実に厭な男である。西郷(従道)参議はいつも酒気を帯びていて、何を問われても訳のわからないことを言う。川村(純義)参議は数年前、英国議会のリード議員が来日した際に接待役を務めたが、朕の意にそぐわぬことばかりした。
(229頁)

陛下が信用なさっていたのは、伊藤(博文)参議だけだった」と語る。(229〜230頁)

帝国主義とか言うが、日本で初めての総理で明治帝は頼りになさっていたという。
我々は天皇というと沈黙、それが一番の像だとしてしまうが、そんなことはない。
ちゃんと人間を見る目があったのだ、ということ。
ある意味では本当にドナルド・キーンさんは明治天皇に感動なさっている。
そういうワケで日本人に日本のことを教えてくれるという、ことでドナルド・キーンさんを取り上げて。
キーンさん自身はあまり克明に書いていないのだが、司馬遼太郎さんとの友情が素敵。
これは戦争をして敵味方。
でも司馬遼太郎さんはずっとドナルド・キーンさんのことを「戦友」と呼び続けたという。
それからドナルド・キーンさんは物を書くという仕事が無くなると出版社のあたりで司馬さんが絡んだという。
「ドナルド・キーンさんにもっと仕事やらせるべきだ」とかという話が残っている。
やはりキーンさんの性格を察してだろうか、日米で戦った兵士同士だが、それが戦後昭和の中では戦友と呼び合えるような友情を感じていたという。
ここに何か戦後昭和の素晴らしさがある。
なかなか言いにくいことだが、ロシア・ウクライナ、そしてハマス・イスラエル。
この両軍にとってもそのような友情が後々、芽生えることを心より祈るワケだが。

日本人より日本のことをよくわかってらっしゃると思う水谷譲。
ご存じの方も多かろうと思うが、補足だが最後は帰化なさって、ドナルド・キーンさんは日本人として亡くなっておられる。
本屋さんにはキーンさんの本が並んでいるので、皆さん一度お読みになればいいだろうなと思う。
武田先生も棚に置いてある石川啄木。
あれを読まない。
ドナルド・キーンさんは石川啄木についても書いている。
面白い。
それと啄木の句を英訳したヤツもあるらしい。
句の英訳は面白いと思う水谷譲。
「そうくるか」みたいな。

 The world of dew−中略−and yet,
 And yet.
(113頁)

 露の世は露の世ながらさりながら(113頁)

一茶。
それからドナルド・キーンさんがはっきりおっしゃっているのだが、英訳しかかって絶対無理だと思った句も挙げてある。

 古池や蛙飛びこむ水の音(117頁)

「全く説明できない」という。
あれは何かというと静けさ。
「静けさを歌にしたい」なんていうのは俳句でしかできないという。
古池があって蛙が飛び込む。
チャッポ〜ン!という音がし終わった後の静けさ。


2024年2月5〜16日◆ドナルド・キーン(前編)

今週のまな板の上は一度語り尽くした人ながら、それでもまだこの人に関しては語り伝えられていないところもあるかと思ってもう一度まな板の上に置いた。
(以前のものは2020年9月7〜18日◆ドナルド・キーン
ドナルド・キーンさん。
漢字で「鬼怒鳴門」と名乗っておられたらしいのだが。
(番組では「院」の文字に言及しているが、「キーン」を「奇院」と書くこともあったようだ。日本に帰化した時の名前は「院」の字が入らない「鬼怒鳴門」)
この方はご存じの方は多かろうと思うが、日本文学に魅了された、惹かれたという方で、アメリカの方なのだが、何故これほど惹きつけられたか?

文藝春秋、角地幸男さんが書いた「私説ドナルド・キーン」。

私説ドナルド・キーン



(本の中の傍点部はアンダーラインで表記する)
これを読んで「(ドナルド・キーンを)もう一回取り上げよう」と思った。

新年あたりもそうだが、ヨーロッパあたりから正月京都で過ごすという外国の人が多い。
この間、京都に行ってきたばかりの水谷譲。
もう外国の方ばっかりで本当にびっくりした。
異国の方、インバウンドで遠い異国からやってきて日本の旅を楽しんでらっしゃる方。
一体彼等は日本に何を探しているのか?
武田先生はそこのところが気になって気になって仕方がない。
そのインバウンド、日本を訪れたいと願う外国人のトップバッターがドナルド・キーンさん。

一九二二年六月十八日、−中略−ニューヨーク市ブルックリンに生まれた。日本の年号では大正十一年にあたる(10頁)

キーンさんは子供の時から相当に頭がよくて

十六歳でコロンビア大学に入学。(12頁)

日本でいう高校一年生で大学生になっていて、アメリカの進んでいるところだが飛び級があって、それでフランス語、スペイン語に堪能。
もうたちまち出来たという。
この人は特に言語に関する能力が高かったらしいが、そのコロンビア大学に通っている時に二つか三つ上のお兄さんに

Leeという名の中国人だった。親しくなった李から、世の中に「漢字」という文字があることを初めて知る。−中略−たとえば横に一本の棒を引いただけでone、二本引くとtwoを表す表意文字との出会いは衝撃的であったらしい。(13頁)

李さんという中国系のアメリカ人のお兄さんに漢字をいくつも教えてもらっているうちに「東洋って面白いな」と思った。

キーンの将来を予見させる新たな決定的瞬間が、一九四〇年秋に訪れる。ニューヨークのタイムズ・スクエアにある売れ残ったぞっき本ばかり扱う本屋、そこで四十九セントで買ったアーサー・ウエーリ訳The Tale of Genji(『源氏物語』)の二冊本、キーン十八歳。(14頁)

外国の人で「源氏物語」に惹かれる人は凄く多い。
前にロシアの人で「『源氏物語』を読んで腰が抜けた」という人に会ったことがある。
あれだけ英雄の多い国で何で腰を抜かすのだろう?
これはドナルド・キーンさんから話を聞いたら、なるほどわかる。
源氏物語の何に惹かれたか?
こんな物語は世界のどこにもない。
「源氏物語」は「昔々のこと、光り輝くばかりの男の子が産まれました」から始まる古文。
ヒーローなのは光源氏(光る君)という人。
キーンさん達は「主人公が男というのは英雄に違いない」。
ところがこの人は何と、サムソンとダビデのような怪力もないしナポレオンのような軍人でもない。

また源氏は多くの情事を重ねるが、それはなにも(ドン・ファンのように)自分が征服した女たちのリストに新たに名前を書き加えることに興味があるからではなかった。(14〜15頁)

「こんな男を主人公に物語ができるハズがないのに源氏物語は成立している」というところが強烈なショックを受けるという。
ドナルド・キーンは18歳の時に「(The)Tale of Genji」英訳で「源氏物語」を買ってこれを読んで源氏の世界に魅了されたという。
恋をするという、ただそれだけの男を主人公にするという日本の文学というのがたまらなく面白くなったドナルド・キーン少年は大学の日本文学の教授のところに行って、一対一で授業を受けるようになる。
その時のコロンビア大学の先生で角田柳作さんという方がおられて、日本語を教えてくれたそうだ。
ドナルド・キーンさんは見たことも聞いたことも無いその国、日本に憧れ

 一九四一年十二月七日(日本時間では八日)、日本軍がハワイの真珠湾を奇襲、太平洋戦争の火蓋が切られた。(16頁)

キーンさんは日本に憧れていたが、その国とアメリカが戦争をすることになった。
悩みも深かっただろうが、ドナルド・キーンは若さもあって何を思ったか?
「もっと日本語を勉強できるところがあるぞ」

「海軍日本語学校」−中略−での特訓の日々が始まる。(16頁)

敵国日本の情報を探るという。
その為に日本語を勉強させられるという情報兵士、情報の為、インテリジェンスの為のソルジャーとなって、ここではもう凄まじい勉強で日本のお勉強をする。
日本語がわかる、読解、会話、書き取り、こんなのは当たり前。
日本人の会話はもの凄く複雑で例えば口語体があれば文語体がある。
文語体、古文も読めないとダメだ。
今度は文字がある。

楷書のみならず行書、草書も読めるようになった。(17頁)

なぜならばこの楷書、行書、草書、そこまで読めないと一般兵士の手紙を読んだりするというスパイ行為ができない。
それでミッドウェー海戦で海軍が持ち込んだ情報があった。
軍人さんが書いた草書の手紙。
それを英語にサーッと訳したのがキーンさん。

「手書きのくずし文字」の解読で、のちにキーンは海軍のニミッツ提督から表彰されている。(18頁)

 一九四三年一月、卒業と同時に海軍中尉に昇格したキーンが最初に派遣されたのは、ハワイの真珠湾にある海軍情報局。そこでキーンは、ガダルカナル島で採集された日本人兵士の手帳と運命的な出会いをする。(18頁)

ドナルド・キーンさんは情報兵士なので、日本軍が立ち去った後に残した書類等々を英語に訳す。
その一環で日本兵が打ち捨てた、或いは死んだ日本兵の日記をハワイに送る。
それを読んで戦況を診断していく。
「日本兵の日記帳を解読せよ」という命令が出て、解読し始めた。
弾薬も食糧もなく戦友はどんどんジャングルで死んでゆく日本兵の苦悩が書いてあった。
「天皇陛下バンザイ」と叫んで死んでゆく兵士が、日記の中では切なく泣いているというその文章に接したキーンさんは思わずもらい泣きしてしまう。

聞いた説明によれば、小さな手帳は日本兵の死体から抜き取ったか、あるいは海に漂っているところを発見された日記だった。異臭は、乾いた血痕から出ていた。(18頁)

さらに、『自伝』は言う。−中略−
 日本人兵士の日記には、時たま最後のページに英語で伝言が記してあることがあった。伝言は日記を発見したアメリカ人に宛てたもので、戦争が終わったら自分の日記を家族に届けてほしいと頼んでいた。禁じられていたことだが、私は兵士の家族に手渡そうと思い、これらの日記を自分の机の中に隠した。しかし机は調べられ、日記は没収された。
−中略−私が本当に知り合った最初の日本人は、これらの日記の筆者たちだったのだ。もっとも、出会った時にはすでに皆死んでいたわけだが。(19頁)

キーンさんはここで日本人の「日記を書く」という能力に感動する。
「日本人は誰も読んではくれないだろうという日記にこれほど美しい文章を書くのか?」という驚きがドナルド・キーンさんは日本の日記文学に傾いてゆくという。

玉砕した日本兵の日記。
その日記を読むうちに日記というものの中に於ける日本人というのが「天皇陛下バンザイ」を叫びながら死んでいく狂気の軍人とか、体当たり攻撃繰り返すとかというそういう日本兵とは全然違う。
キーンさんが感じたのは「あはれ」。
源氏物語の中核を成すのは何かというと「あはれ」。
「もののあはれ」
咲いて満開になる桜を美しいと言わずに、散る桜に涙するという。
散ってゆくという、それが美しいんだという。
キーンさんはその日記を読みながら悲惨な戦争で死んでいきながらもそれでもなお美しい「もののあはれ」というのを感じたのではないかなと。
日本人は大きな席で自己を主張したりするということは殆どできないが、何でこんなに日記の中では実に赤裸々に自己を主張できるのだろう?
しかもこれは検閲が入らない。
多分戦場では日記には検閲が無い。
手紙は検閲がある。
キーンさんはこの後のことであるが、集められた様々な軍部の資料、或いは死んでいった兵士の日記なんかを訳しながら、もう一つ重大な仕事で日本人捕虜の尋問が仕事だったらしい。
口の重い日本人将校を「あんた方の軍隊は何人だったですか?命令したのは誰ですか?」と尋問する。
それがキーンさんの仕事だったのだが、若い若いキーンさん。
それが一回り上ぐらいの将校さんを相手にして型どおり取り調べをやった後、夏目漱石とか芥川龍之介の名前を挙げて「何読んだ?」と将校さん達に聞いたという。
その時に将校さんに向かってこう言った。
「あなたの名前は決して口外しません。日本軍の中に『生きて俘虜の辱めを受くることなかれ』というのがあるので、絶対に名前は生涯誰にも口外しませんから私と文学の話をしません?」と言いながら二人で「芥川はあれが面白かったなぁ。『河童』なんて読んだ時は面白かったですよ」とか「死ぬ直前の短編で『蜜柑』ていうのがあって、これがいいんだ」とか、そういうのを語り合っていた。
後のことだが、キーンさんは日本文学の研究者となって日本にいる時に、語り合った捕虜の将校さんと再会している。
その方は立派な作家さんになられていた。
その人は懐かしくて「あ!キーンさん!」と言いそうになったのだが、キーンさんはマナーのいい人だから人差し指を唇に置かれたらしい。
「私が抱き付くに行くと尋問の時にした約束を破ることになる」と。
だからその作家さんの名前はわかっていない。
びっくりするぐらい有名な人がいたらしい。

こんなふうにして日本の将校さんあたりと日本文学の話をしている時、日本という国に益々惹かれてゆく。
「行ってみたいなぁ、日本に」という気持ちになったという。

 キーンの戦時の履歴は、−中略−ハワイ・真珠湾、アッツ島、−中略−フィリピン、沖縄、グアム、中国・青島(20頁)

 アッツ島で実際に日本軍の「玉砕」を目の当たりにしたキーンにとって(23頁)

武田先生の勘だが、恐らく沖縄守備隊の情報なんてダダ漏れに漏れていたと思う。
だから打電文なんて情報網に引っ掛かって傍受していたと思う。
それの英訳なんかの仕事もキーンさんはなさっただろう。
だから打電文の中のあの一文章、大田実海軍中将が自決前、切腹なさる前に打電文としたあの文章なんかもキーンさんは御覧になったのだろう。
この文章はいい。

 一木一草焦土ト化セン 糧食六月一杯ヲ支フルノミナリト謂フ 沖縄県民斯ク戦ヘリ
 県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ 賜ランコトヲ
(海軍司令官 大田実少将の最後の電文)

「草も木も枯れ果てて全部焦土と化しました。食糧はもう六月何とか持つのが精一杯です。(沖縄)県民も全員戦った。歴史の中で後世、平和な時代がやって来たら沖縄にだけはどうぞ特別な配慮をしてやってください」という。
キーンさんは感動しただろう。
滅びるにしても負けるにしてもこの敗北の文章の美しさは何だろう。
ここにも源氏物語に流れている「もののあはれ」この美意識があったのではなかろうか。
益々日本文学に傾斜していくドナルド・キーンさん。

「私説ドナルド・キーン」
これはいい本。
うめくが如く読んでしまった。
昨日話した沖縄県民等々は武田先生の付け足し。
こういうのは本には無いのだが、何か読んでいるうちにきっとこの打電文も英語に訳したのはキーンさんではなかろうかと思ってしまう。

キーンは鉄兜もかぶらず、ライフルどころかサイド・アーム(ピストル)も持たずに戦場を歩き回るのである。(21頁)

 一九四五年八月、グアムで終戦の「玉音放送」を聞いたキーンは−中略−同年十二月、−中略−日本の厚木に降り立ったキーンは、ハワイの原隊復帰を横須賀と偽って、そのまま東京に滞在。(23頁)

(番組ではすぐにハワイに行くように命令が出ていたような説明をしているが、本によると軍へ嘘の報告をして一週間日本を満喫)

東京湾の木更津からホノルル生きの帰還の船に乗る。−中略− 船は一向に出航する気配を見せなかったが、ついに真っ暗な湾へと動き出した。デッキに立って、湾内を見渡していた時だった。目の前に突然、朝日を浴びてピンク色に染まった雪の富士が姿を現した。それは日本と別れを告げるにあたって、あまりに完璧すぎる光景だった。−中略−かつて誰かが、言ったことがあった。日本を去る間際に富士を見た者は、必ずまた戻ってくる、と。それが本当であってほしいと思った。(23頁)

(このジンクスを番組では赤富士限定のように語っているが、本にはその記述はない)

 キーンがふたたび日本の土を踏んだのは、約八年後の一九五三年だった。(23頁)

コロンビア大学等で日本文学を教えて研究する教授をやっていたのだが1953年8月、日本から招かれている。
彼は日本文学の神髄を語れる読解力を手にしている。
コロンビア大学の学生さん達が記憶に残る講義として「古今和歌集」序文を説くドナルド・キーンを本で書いてらっしゃる。
ドナルド・キーンさんの忘れられない日本語の授業で。
日本文学が面白いというので、コロンビア大学にも何人かいたらしい。

日本語を初めて学ぶ入門クラスでキーンが使ったのは『古今和歌集』の仮名序だった。(29頁)

(本によると「古今和歌集」の仮名序を使った授業が行われたのはケンブリッジ)

『古今和歌集』仮名序、冒頭の有名な一節。−中略−
 やまと歌は、人の心を種として、万の言の葉とぞ成れりける。
−中略−天地を動かし、目に見えぬ鬼神をも哀れと思はせ、男女の仲をも和らげ、猛き武人の心をも慰むるは、歌なり。(『新日本古典文学大系5 古今和歌集』岩波書店より)(30頁)

五七五七七。
あれだけの中で日本人はあらゆることを歌にしますよ、という。
この和歌に寄せる思いを学生に教えつつキーンさんは日本兵を思い出したに違いない。
どんな兵士も五七五七七で一番最後の歌というのを作って逝くのが日本人の教養だった。
五七五七七という短い歌の中に「あはれ」を表現できれば日本人にとって生涯を生き切った証であった。
教養というのはこういうことなのだろう。
「日本人と死」ということに関してキーンさんは格別に鋭いアンテナを持っていた。
それは「玉砕の島」とか「体当たり攻撃」を見たせいだろうか。
どうも日本人は死に関する感覚が国際基準ではないぞ、という。
よくよく見ると日本の文学、例えば近松なんていうのも結局「死の文学ではないか?」という。

「近松とシェイクスピア」でキーンは近松浄瑠璃研究史上に輝く次の有名な一節を書く。−中略−
 『曽根崎心中』の徳兵衛は、道行に出かけるまでは、絶対に優れた人物ではないが、
−中略−寂滅為楽を悟った徳兵衛は歩きながら背が高くなる(32頁)

キーンさんは日本人の死生観みたいなものに触れて、短歌を詠んだり近松門左衛門の「曽根崎心中」。
徳兵衛さんと恋した女性が曽根崎という大阪の外れの森で死んでゆく。
曽根崎はどんなに深い森のところかと思って歩いたことがある。
渋谷。
昔はあそこは森が一面あったのだろうが。
武田先生もガックリきた。
曽根崎は何か森が深くのいいところかなと思ったら「何言ってんねん」「へぇ」と関西弁で・・・
そんなところだった。
とにかくキーンさんは絶妙の近松の一文章に解説を加える。
それは女性と自殺を決意した徳兵衛は優れた人物ではない。
ところが不思議なことに一歩ずつ死に近付いてゆく

「此の世のなごり、夜もなごり、死に行く身をたとふれば、あだしが原の道の霜、−中略−道行までの徳兵衛はみじめであって、われわれの尊敬を買わないが、−中略−寂滅為楽を悟った徳兵衛は歩きながら背が高くなる(32頁)

(番組では「道の露」と言っているようだが「道の霜」)
死に向かって歩みを始めたとたんに人間的に急激に成熟してゆく。

 それまで近松研究家の間でまったく無視されてきた「道行」の劇的重要性を、「歩きながら背が高くなる」という絶妙な一句で示したキーンの評言を、日本語版の解説を担当した三島由紀夫は「こうした重要な機能を発見したのは『日本の詩』−中略−を書いたキーン氏の詩人的洞察に依るもので、この発見を、氏は美しい表現で語る」と書く。(32頁)

キーンは西欧社会に対して日本のその感性を紹介する為に「『死」というものの感性。これがもの凄く日本人にとって大事なんですよ」ということを世界中に向かって言いたかった。
それで死の勉強の為に「死の芸術」と呼ばれる「能」を勉強し始めた。
この人は能をやる。
それはそう。
旅の行者か何かが出てきて老婆がいたりなんかして。
それでここであった悲しい物語か何かを語る。
そうするとその橋が架けてあって、その橋の向こうからここで死んだその人の霊が出てくるという。
幽霊と旅の行者の語り合い。
これは死の文学。
その能から動きの所作を学ぶ。
ドナルド・キーンさんは狂言を学び始めた。
それで真剣に打ち込むものだから狂言ではそこそこ務まるようになって、

稽古に励んだ狂言は、−中略−東京・品川の喜多能楽堂で自ら演じた「千鳥」の太郎冠者として実を結ぶ。(37頁)

「やるまいぞやるまいぞ」と言いながら出てくる。
大喝采だったらしい。

観客の顔ぶれである。谷崎潤一郎、川端康成、三島由紀夫、松本幸四郎(八代目)をはじめとする著名な人々が居並んでいる。(37頁)

一九五三年十月、キーンは伊勢神宮式年遷宮に参列した。(37頁)

「遷宮」諸体験を、のちにキーンは次のように書く。−中略−
 ……唯一の明りである松明が神秘に明滅しながらあたりを照らしていた。
−中略−神官たちに運ばれる絹垣には絹の覆いがかけられ、神はその中にいて、新しいおくつきへと導かれていくのだ。−中略− 参拝者たちが打つかしわ手は、ほのかな喝采にさえ似て、しかもそれは向こうで鎮まったかと思うとやや近くで高まり、−中略−私は絹の覆いの中にはっきりと神の存在を感じていた。たとえそれがなにかの間違いで地に落ち、中が空っぽなことがわかっても、そんなことは問題ではなかった。絹垣の中には、何世紀にもわたる日本人の信仰が宿ってい、それは目に見えるものよりもかえって強力な実体だったのである。(38頁)

このあたりが魅了するというか。
日本ではは神がそこらへんにいる。
招き猫の話。
2023年12月11〜22日◆かんぴょうにスイカ(豪徳寺のドイツ人)の時に出た話)
あそこに井伊家代々のお墓がある。
お殿様がやってきて豪徳寺を訪れた。
先祖に手を合わせる為にそこまでやってきた。
馬を降りたのだが、山門を見ると白猫が一匹いて招く。
それで中に入った瞬間に雷が落ちた。
それで「私の命の恩人はこの白い猫」とやる。
その山門がそのままある。
つまり数百年前の話がそのまま生きていて、一人の人間を救った「猫の手招き」という。
世界中探してもそんなところは無い。
「猫がお殿様を助けたので神様になった」という。

2024年03月27日

2024年1月22日〜2月2日◆謝罪論(後編)

これの続きです。

古田徹也さん(著)「謝るとは何をすることなのか」という「謝罪論」。
「謝る、謝罪とは一体どういう意味があるのか?」「謝罪は何を目的としてやらねばならないことなのか?」という謝罪の根本について。
本当に謝罪は昨年もそうだが、日本では大流行で、あっちこっち謝罪会見が行われて、それでかえってまた騒ぎが大きくなる、と。
謝罪しているのに「あの謝罪はなってない。謝罪しろ」と謝罪を重ねたりするということが多発しているが、謝罪、その本質が失われているのではなかろうか?
理由は簡単で、謝罪というのがどんどん複雑になってきている。
その複雑な謝罪のいい例を挙げる。
もちろん近々の日本の謝罪を取り上げない。
世界的な規模で見て「この謝罪を」ということで例に持ってくるのが、親が起こした不祥事、或いは犯罪に対し、他人が激しく謝罪等を求める。
その時にその子供達が謝罪を代わるという。
親はもう死んでしまっていない。
そのケースの場合の謝罪とは一体何か?という。
例えば、父は生前、ドイツ・ナチスに協力した。
その為にユダヤの人々は彼の死後も彼を赦さない。
死者の謝罪をどのようにして成立させるか?という問題が戦後やはり相当繰り広げられたようだ。
政治学者・デイヴィッド・ミラーはここでも、国家の間の謝罪を成立させると同様の条件を提唱している。

自分がまさに父に代わって謝るためには、父の立場に立って、もし機会があれば父はきっと謝りたいと考えるだろうと想像できなければならない、というのである。つまり、ある意味で自分と父を一体のものと見なす−中略−必要があるということだ。(210頁)

 逆に、自分を父と一体のものとは全く見なさず、父の生き方に全く賛同できない場合、私はそれでも父の行動について謝ることはできるが(210頁)

自分の信念や価値観と親のそれをと同一視しつつ(=同一化)、同時に親が起こした不祥事に関しては自分の信念や価値観と反するものとして非難する(=非同一化)、という態度である。(212頁)

これは大変に難しいことではあるかも知れないが、そうやって謝罪を成立させなければならないのですよ、という。
これは実例がある。

作家ロアルド・ダール−中略−は、生前、ユダヤ人への偏見を語ったり、反ユダヤ主義者であることを公言するなどしていた。(216頁)

ナチスのその時代、このロアルド・ダールさんは作家として大変な人気者で。
その反ユダヤ主義なんか関係なくしても彼の作品は文芸作品として、凄く人気があって今も人気がある。
ところが彼は反ユダヤ主義で「ユダヤ人を差別した」ということがナチスがいなくなった後もの凄い評判になって、ユダヤの人達も彼を責めて彼が亡くなった後、孫達が彼に変わって謝罪した。
これはどうやってやったかというと、謝罪を決心した孫達は彼の人気のある著作の前書き、或いはウェブサイト、或いはインタビューで孫達が彼に代わって謝罪をし続けた。
お金の話になってしまうが、孫達は謝罪を続ける意味で祖父の印税の一部がユダヤの人達に行くような基金になったという。
それは周りからしても印象はいいと思う水谷譲。
謝罪というものの在り方はそれ。

この謝罪に対して、反ユダヤ主義に対するある抗議団体は、ダール一族が謝罪するのに三十年もかかったのは残念なことだとコメントしている。(216頁)

祖父はともかくも、その孫達に対しては明らかに分けて考えるのが当然ではないか?
そして世間そのものは謝罪は十分に成立していると認めた。
世論。
遠い道のりかも知れないが、きちんとした謝罪が成立した後は、絶対に謝罪した人の権利は守られるべきだ。
日本にもいい例があったと思うが、自分がしていないことに関して他人に謝罪しなければならないというのは非常に難しいことではあるが、このような例が世界にあることを踏まえて国内の謝罪問題も考えていけばと思って語っている。

 実際、我々はときに、自分がしていないことについて責任を負い、謝罪を行なうことがある。たとえば、ある企業A社の経営する工場で爆発事故が起き、周辺の住居や自然環境などのに被害が生じたとしよう。(218頁)

謝罪は、少なくとも謝罪相手と何らかのコミュニケーションをとる意思を示す行為であり−中略−互いの関係を修復し、新たな友好関係を築くきっかけにもなりうるのである。(231頁)

だったらば何にも公害の罪なんか犯していない新入社員も謝るべきだ。

ダールの遺族が、正の遺産を受け継いでいるならば負の遺産も一緒に受け継ぐべきだと見なされうるのと同様に、ある企業から利益を得ている者は、その企業が負っている責めも引き受けなければならない、という考え方もありうるだろう。(219頁)

これは納得がいく。
祖父がしでかした人種差別、工場が公害を引き起こしていた、それはその財産を継ぐものはその批判を受けて当然なのである。
そういう道理で謝罪というのを考えたらどうでしょうか?と。

謝罪という行為は、それをする側とされる側のコミュニケーションの起点として機能する。−中略−両者すでに人間関係が存在したのであれば、そこに新たな接点を付け加える。(187頁)

これはわかりやすいなと思った。
「謝罪しろ」と要求する。
「謝罪しろ」と要求する被害者の人達は、謝罪してくれたら新しい関係をつくろうと被害者が努力する。
でないと「謝罪しろ」と言うな、と。
「謝罪しろ」と言うなら、謝罪が成立したら「新しい関係で」と握手する気がない限り謝罪を要求する資格はない、権利はないという。
こんなふうに謝罪を考えましょうや、という。
「いや、まだ恨む」というのだったら、それは謝罪を要求するのではなく「復讐をします」と言いなさい。
復讐は警察沙汰の方になると思いなさい。
被害者もまた、謝罪を要求する場合「新しい関係を結ぼう」という意欲が無ければ謝罪を要求する資格がないという。
謝罪を受け入れることによって前向きになれると思う水谷譲。
これはややこしいが。
どの世界でも、会社でもそうだと思う水谷譲。
この「当たり前」というのが世界中の大事な起点になるのではないかなぁというふうに思う。
これに当てはめてゆくと、ややこしい問題もワリと解決しそうな気がする。
反対意見の方はごめんなさい。
またご批判のお手紙とか、お待ちしているので。
国際法というのはそういうものだそうで、つまり財産等々を受け継ぐという利潤みたいなものが、受け取るという資格を持った人がいるならば、利潤を受け取る限りは、いなくなったその人が犯した罪に関しては謝罪しなければならない。
放棄したらしなくていい。
これが国際法。
「相手との謝罪が成立した場合は、新しい関係でやりましょう」と握手する決心をしていないと「謝罪しろ」と要求する資格はない。
こんなふうにして考えると、ややこしい日韓問題なんかも少し光明が見えてくるのでそのへん、ちょっと大きい問題から触れてみる。

繰り返しになるが「謝罪論」古田徹也さん。
これはいろんなことが思い当たる本だった
謝るとは何をすることなのか?という謝罪の大前提。
謝罪とは新しい関係づくり、それの起点が謝罪なのである、と。
だから加害者の立場の人がきちんと謝罪をするならば、それを受ける被害者の人達も新しい関係を作るという意味合いでその謝罪を受け入れなければならない。
国際法的には謝罪する人、それはたとえ本人の罪でなくても先代のその罪を全社員の方が謝る場合も「その会社から給料を貰っている人」であるならばやってもいない罪に関しても被害者に謝るべきだ。
被害者は「謝罪しろ」と言うのだったらば、新しい関係を作りたいから謝罪を求めているという立場を離れてはいけない。
「決して許さない」そういう立場は謝罪を要求している人には認められない。
これが国際法の謝罪の条件。
そうすると集合的責任、ある国民がある国家に対して非常に迷惑なことをした。
酷い労働に付けたり、強制労働を命じたりなんかした。
そのことについてその国家の人達は謝罪しなければならない。
わかりやすく言う。
大日本帝国に対して慰安婦問題とか強制労働等々で朝鮮半島の人々が謝罪を要求することは可能。
ただし国際法では条件がある。
どういう条件かというと大日本帝国国民として大日本帝国から利益をまだ貰っているという国民だけは謝罪しなければならないが、大日本帝国からいわゆる利益を受けていない人は謝罪をする必要はない。
それが国際法の解釈。
このへん「何を以て利益とするか」というジャッジが難しいのだが、こういう問題は世界中にあるそうだ。

オーストラリアでは、十九世紀後半から−中略−先住民アボリジニやトレス海峡諸島の混血の子どもたち−中略−強制収容所や孤児院や白人家庭の養家などに送られていた。(233頁)

ケヴィン・ラッドは翌二〇〇八年、−中略−議会を代表して初めての公式謝罪を行った。(234頁)

誇り高き人々と誇り高き文化を侮辱し、貶めたことについて、おわびします。(235頁)

さっき「何を利益とするかわからない」と言ったが、この例だとわかりやすい。
アボリジニの人達がオーストラリアに生きていた。
それを後から入って来た人達が押しのけてオーストラリアという国をつくった。
オーストラリアという国の利益を自分達で受け取るようになった。
押しのけた人達に対して文化的侮辱と彼等の文化を貶めたという、そのことに関して謝罪をする。
それはオーストラリア人として生きていく為にアボリジニの人達にお詫びをしたという。
「利益」というのはそういうことなのではないか。
謝罪をした後に、次のステップとしてお金の問題が発生したりするとまた難しいと思う水谷譲。
どこに要求するか?いくら要求するか?
あらゆる謝罪の場でその問題は出てくる。

ちょっと先にいく。
このような著述は本には無い。
しかしこの本を読んでゆくとそう読める。
「皆が許しても私は許さない」という立場はそれこそ許されない。
そのことを著者はクールな言葉でこう著述している。

寛容性は道徳性の一部であり、多くの文化において寛容性を高尚な人格の一部とみなしています。それ故、被害者には、謝罪した加害者を赦すようにという社会的圧力が働くわけです。(239頁)

寛容性、「きちんとお詫びしているな」ということを世界が了解した場合、非難する被害者の人達が世界中から「もうアナタは赦すべきだ」という社会的な圧力が入ってきますよ、という。

〔ヒトラー政権がユダヤ人にしたことについて、戦後に少なからぬドイツ人が発した〕「私たちの誰にも罪がある」という叫びは、一見した限り、とても高貴で魅力的なものに聞こえた。しかし実際には、罪を負うべき人々の罪をかなりの程度軽くする役割を果たすだけだった。私たち皆に罪があるのだとしたら、誰にも罪はないということになってしまうからだ。(241頁)

 重要なのは、「私たち」を主語にした国家の代表者による謝罪が、個人個人の因果関係を有耶無耶にする隠れ蓑になってはならないということだ。具体的な出来事に関して誰にどのような責任があり、どう罪を償うべきなのかは、それ自体として追及されるべき事柄なのである。(241頁)

これが国際的な考え方である。

卑近な例で「あの謝罪」とか「この謝罪」とかという方がわかりやすいのだが、それはやっぱり個人の情報で、それを面白がってはいけないということで、この古田さんが非常に工夫をなさって国際政治の中とかに謝罪というのを高い見地で語っておられる。
それ故に回りくどい言い方になるのだが。
ただ、この人の本の導こうとするのは凄くわかる。
謝罪は人間が生きてゆく中でとても大事な行為だ、という。
どう謝れるかでその人がわかると思う水谷譲。
道場で若い指導者について合気道、武道の練習をしているのだが、若先生と呼ばれる道場の人がいて、その人が技を教えながら武田先生達に言った言葉なのだが「きちんと謝らなかったら謝らなくていいですよ」。
「ボーンとぶつかって『ああ、すいません』と言うんだったらもう謝るな」と。
「謝るんだったらきちんと謝れ」という。
道場だからいろいろ約束事があって、入る時一は礼、出る時一礼とかとある。
そうやって毎日毎日頭を下げていると、最近、すぐに頭が下がる。
武道で「礼に始まって」と言うが、あれがずっと身についてしまってすぐに謝るもので、あんまり極端なトラブルに巻き込まれないというか。
水谷譲の息子も合気道をやっていたせいなのか、ちょっとした時に会釈とか頭を下げる習慣が付いている。
なので「ああ。いい習慣付いたな」と思って凄く大切だと思う水谷譲。
「相手が衿を取ってくるとこう攻める」とかよりも「取り敢えず一回頭を下げる」というのは何よりの護身術。

謝罪論に戻る。
謝罪とは未来への約束なのである。
被害者と加害者、その両者の関係修復を目指すものでなければならない。
これが国際的な解釈。

謝罪の要求もそれ自体が不当な圧力や脅し、あるいは暴力になりかねないのである。(243頁)

それは新たなる問題として謝罪は意味を変える。
これは犯罪なのである。
復讐という犯罪であるから、その人は被害者から立場を変えて加害者になりますよ、と。
謝罪要求はそのことを前提にしていることを忘れてはなりません。
謝罪について絶対に必要なのが十分な真相究明で被害者・加害者両方にその出来事の認識が共通していなければならない。
やはりその同じ理解が被害者・加害者の間で成立していなければならないという。
「すみません」「申し訳ない」「I'm sorry」「I regret」は共感の表明であり「力及ばずすみません」や「気が付かず申し訳ない」という、そのようなことでは成立しない。
はっきりお互いの間で被害・加害その意識が認識された時に謝罪は成立する。
今、問題なのは、どっちが「すいません」と言ったかで被害と加害を断定するマニュアルが進んでいる。
「『すいません』と言ったヤツが加害者」という。
でも果たしてそんな雑な言い方でいいのかな?思う昨今。
「『すいません』と言った方が悪いのである」というそういう単純な考え方というのは思考停止で、これでは世界は「白か黒か」というオセロゲームになってしまう。
今日、隣人トラブル、生活・交通トラブル、パワハラ、セクハラ、性加害、医療事故、通信事故。
こういうところで謝罪が次々に立ち起こるワケで。
でも謝罪の本質はコミュニケーションの再開であるという。
「そこを忘れちゃダメですよ」という。
水谷譲は仕事でミスをした時に、100%自分が悪いと思ったら「ごめんなさい。私が120%悪かったです。申し訳ない」と謝る。
そうするともう「大丈夫だよ」と殆どの人が言ってくれる。
そういうのを昔、武田先生も言ったことがある。
「俺が悪い。もう俺が悪い」
情けない謝罪だった。

「謝罪」をまな板に載せた。
ちょっと抽象的な、もっと実例でポンポン「あの謝罪は」とかと点数を付けたりなんかした方が分かりやすいのだが、それだと謝罪の本質を見失うことになると思って著者の古田徹也さんがやってらっしゃる通り、国際的な問題とか大きな問題を取り上げつつ「謝罪」「謝る」ということの本当の意味を考えてみよう。
謝罪は大きく取り上げられるという時代。
それ故に私達は謝罪の本質を見失ってはいけないのではないか?とお送りしたワケで。
最後の日はどう行くか?
これもまとめている時も、テレビのワイドショーでいろんな謝罪が行なわれていた。

ご不快な思いをさせて申し訳ございません」や、「ご心配をおかけして申し訳ございません」「お騒がせして申し訳ありません」といった、非常によく使われる言い方について考えてみよう。(271頁)

責任はあくまで自分にあるということを同時に強調するなどして、弁解・正当化との区別を明確にする必要がある。(275頁)

謝罪は基本的に、できるかぎり迅速に行う方がよいということだ。(275〜276頁)

明らかに無理な約束をすれば謝罪自体の誠意を疑われる(276〜277頁)

主体をはっきりさせて

必要に応じて第三者を立てる(278頁)

謝罪というのは複雑な行為なのである。
そのことを覚悟して一分も「私の都合」とか「私の努力」とか「私の誠意で」とかそういう言葉で謝罪を飾ってはならない。
「自分のことを守ろうとしてるんじゃないか」とかというのは会見を見ながら疑ってしまう。
私達は考えてみれば親から育てられつつまず教えられたのは「ごめんなさい」この言い方。
謝罪から社会の中で生きる術を学び始めた。
それはやはり「ごめんなさい」の言い方。
そこから謝罪を繰り返しつつ、私達はその謝罪の本質をしっかりと学び続けねばならないという生涯。
それはメディアから伝えられる謝罪の事件と場面を学びの材として、「謝るとは何をすることなのか」を考え続ける。
もし謝罪する立場に立った時、「私ならこうしたい」という想定を持ってないとダメですよ、という。
常套句の中に「ご迷惑とご心配をおかけしまして」とよく言う方がおられる。
でもこっちとしては「迷惑はかけたかも知れないが、心配なんかしてない」。
常套句はやっぱり使わない方がいいと思う水谷譲。
だからそういう意味で国語力は大事。
これは何というのか、武田先生も自分で非常用として謝罪の態度をどこかで訓練しておかなきゃ、と。
まだ何年か生きるつもりでいるので、その中で謝罪しなければならないということもあるだろうが。
昨今は何があるかわからない。
人間は生きている間、何をしでかすかわからない生き物だから、絶えず謝罪の準備だけはしておこう、と。
「誤解を招いたとしたら謝りたいと思います」という表現がひっかかる水谷譲。
誤解ではないし「謝りたいと思います」は「思っただけじゃダメだろ!」というツッコミが…
武田先生はこの本を読みながら、その謝罪会見をしている時に「じゃあ、俺だったらどうしようか?」。
今までいろんな謝罪会見を見ながら思ったのは「スマートにやろうとする人は失敗する」。
「自分が深く考えている」とかという「私」をほんのちょっとでも見せようとする。
それは謝罪の態度では通用しないような。
武田先生が謝罪する場合、第一条件「取り乱す」。
それが絶対の謝罪の条件。
マイクを押し倒したり。
「この人、本当に謝りたいんだろうなぁ」
でも役者さんの場合は取り乱す演技ができると思う水谷譲。
「これ演技じゃないの?」と
その時に演技と疑われない取り乱しの仕方もできる。
それは体中の神経が死んだような顔をする。
時間なんかを決めたり「質問は一つでお願いします」とかと言うとロクなことはない。
本当に申し訳ないが「何時間でも責めてください」という「まな板鯉」の覚悟が無ければ謝罪会見なんかやるものではない。
本当にまな板。
すがり付く、取り乱す、そんなふうにしないと謝罪の真意が伝わらないと思う。
謝罪会見でやっている人でそういう人がいた。
上手いことおっしゃるのだが、上手いことなんか言わなくていい。
もっとみっともないことでいい。
手を叩き続ける人がいた。
「この手が!この手が!この手が!」
武田鉄矢曰くの謝罪だが、謝罪する時はバカではダメ。
謝罪の態度はアホ。
これは関西人の名言だが「アホになれんヤツはバカ」。


2024年1月22日〜2月2日◆謝罪論(前編)

この本は実は去年の秋口ぐらいの頃に見つけて読んだという一冊。
本のタイトルは「謝罪論」

謝罪論 謝るとは何をすることなのか



(本の中の傍点部はアンダーラインで表記する)
テレビで連日、謝罪するというシーンがやたらワイドショーなんぞで取り上げられたという時期もあったものだから、そのワイドショーのシーンなんかを見ていた時に本屋で見つけた本。
「謝罪論」柏書房で古田徹也さんという方の著。
タイトルを使わせてもらう。
「謝罪論 謝るとは何をすることなのか」
謝り方が上手い人と下手な人がいると思う水谷譲。
壇上に数名の人が並び「申し訳ありませんでした!」深々と頭を下げる。
すると凄まじい数のフラッシュが焚かれて壇上の謝罪者全員が引き絵の中に納まる。
歴史に残る謝罪会見のシーンというのもあって。
水谷譲が覚えているのは「ささやき女将」。
昭和・平成・令和というのはこの「謝罪」というのがワイドショーの中心的な話題。
繰り返される謝罪だが、一体「謝罪」とは何なのか?
何をすれば謝ったことになるのか?
今週もまた意欲作。
「三枚おろし」だから、いとも簡単に「あの謝罪会見は…」なんてそんなことは言わない。
謝罪とは一体何か?
アナタの人生に於ける初めての謝罪。
生まれて初めての謝罪。
本当に小さい頃に親に怒られて「ごめんなさい」と何かあったのは覚えている水谷譲。
これはちょうど裏表。
人生の中で「はじめてのおつかい」をする頃に、初めての謝罪をしている筈。
謝罪を親からしつけられたワケで。
何かしでかした、やらかした。
ケーキを床へ落とした、ジュースをテーブルに広げた。
そういう過失があって親から「『ごめんなさい』は!?『ごめんなさい』は!?」。
ここから謝罪人生が始まる。
ここで親たちが謝罪に関してしつけることは何かというと言い方「『ごめんなさい』は!?」と言われて「ごめんなさい」。
「『ごめんなさい』って言えば『ごめんなさい』したことにはならないのよ!心から『ごめんなさい』って言いなさい」と「心」が出てくる。
「『ごめんなさい』は!?」「ごめんなさい」「違うでしょ!」「ごめんなさい」「違うでしょ!」
考えてみたらこの初めての謝罪から「ごめんなさい」の言い方というのを一つ間違えると大変なことになるということを学ぶ。
振り返ると謝罪というのが人生でアナタを鍛えてゆく。

話が脱線するが、子供の絵本で今「ピンチ」が絵本になっている。
(「大ピンチずかん」のことだと思われる)

大ピンチずかん



子供がいわゆる「ごめんなさい」をしなければならないという、そういうシーンだけを取り上げた絵本がある。
その絵本はいい絵本。
それはテーブルの上に牛乳をこぼしてしまう。
それでその男の子がこぼしたから「飲めばいいんだ」というので、そのこぼした牛乳を口で吸おうとする。
その瞬間にコップに入れた牛乳を倒してしまうという。
その一枚の絵が何かジンとくる。

とにかく我が人生をこうやって振り返ると、いろんな皆さん「ごめんなさい」があったと思うが人生は「ごめんなさい」と共に…
非常に興味深いと思うのだが、日本社会でいわゆる社会人になってからだが、謝罪は半分「男の仕事」とされているようなところがあって。
日本社会は性差別等々、いろいろ問題があるようだが謝罪に関しては、ひたすら男が出てきて謝らない限り…
問題になったのは、あの料亭の食材事件の時でも社長さんたるべき息子さんが謝っておられる最中に女将がささやいた、と。
「頭ン中真っ白、頭ン中真っ白になった、頭ン中真っ白になったと言わんかい」
船場吉兆偽装問題 「マザコン会見」の一部始終: J-CAST ニュース【全文表示】
懐かしい。

謝罪というのはいくつかの体裁を重ねなければならない。
謝罪の体裁。
まず気落ちしている。
思い煩っている。
そして顔を上げた瞬間、心細い表情。
困り抜き、立ち居振る舞いが自信なさげにふるまう。
こういういくつかの態度を取らないと謝罪にはならない。
これがちょっとでも自信ありげなふるまいになると「違うでしょ」というのがもう矢玉のように世間のあちこちから飛んでくる。
更に糾弾されることになる。
謝罪の基本はある意味で被害者、更に告発者の赦しの下に身を置くことであり、どうやれば完成するのか?終了するのか?

「謝罪」というのは人間を作る重大なきっかけになる。
それでは「謝罪とは何か?」を考えていきましょう。
「申し訳ありません」「お詫びします」という謝罪。
これは「事実確認的発話」というそうだ。

自分の認識や心境についての事実確認的な発話であることもありうるのだ。(17頁)

それはその事実を認めるという行為。
「申し訳ありません。お詫びします」と言うと「私は何かをしでかした、やらかしてしまった」という事実を認める発言行為になる。
この事実を認めることによって、行為遂行「この後に埋め合わせをする行動を私は起こします」と宣誓することが謝罪のスタート。
この「謝罪論」(という本、著者は)古田徹也さんという方だが、本当に細かく攻めてこられる。
これも言われてハッと気が付く。
「世の中には軽い謝罪と重い謝罪があるぞ」と。
「軽い謝罪」とは

混み合う電車のなかで、−中略−電車が揺れて、私は思わずよろめき、隣に立っている人の足を軽く踏んでしまう。(23頁)

この時に用いられる謝罪の言葉「失礼」「ああ、どうもすみません」、それから短く「どうも」という言葉で済むもので、謝罪の言葉そのものが日常会話に溢れている。
「すみません」これは人を呼ぶ時も使う。
その人を呼ぶ時の「すみません」もあるが、人から何かお土産を貰った瞬間も「すみません」。

人に多少なりとも負担などをかけること(あるいは、すでにかけてしまったこと)の認識を含み、相手に対して恐縮する思いや、相手を気遣う思いを示す言葉として、呼びかけや感謝の場面においても「すみません」が使用されるようになったと思われる。(41頁)

外国の人がもの凄く不思議がるのが「どうも」。
「どうも」は凄く不思議に聞こえるようだ。
「どうも」は感謝の時も使う。
何にでも使う。
ビールを注がれて「ああ!どうもどうもどうも」。
こんなふうにして日本の日常会話の中では軽い謝罪の言葉が儀礼的に使われるという。
これが重い謝罪になるともう「失礼」「どうも」「すみません」では済まなくなる。
重い謝罪の場合、人間関係に於いて人は社会に一定の持ち場を持っている。
社会人、学生、子供、独身、男性、女性、芸能人、プロスポーツ選手等がその時、過失によって誰かに謝罪せねばならない時、重い謝罪の場合は「すみません」では済まない。
なぜならその「お詫びします」の一言で責任、誠意、赦しを被害者に宣誓することで「『すいません』ではすみません」という。
ここに言葉遣いの難しさがある。

謝罪は、被害者の精神的な損害を修復するだけではなく、加害者と被害者の間の人間関係を修復ないしメンテナンスする、という機能も果たしうると言える。(71頁)

何の為に謝罪するかというと「この後、あなたとの関係を回復したい」その為の謝罪。
一番重大なことは被害者の尊厳、自尊心、そういうものを回復すること。
自己の存在の価値を肯定する、その肯定を回復するところまでお詫びし続けなければならない。
相手が無くした自分に対する肯定感を回復する。
その回復する力を持っている人は誰か?
それは謝っている人しかいない。
「俺が悪かった」というヤツ。
浮気をした時の謝罪とか。
「俺が悪かった」
「悪かった」では済まないと思う水谷譲。
謝ればいいというものではない。
「警察はいらない」とか、いろんなけなし方がある。

被害者の尊厳や自尊心の回復に資することがありうる。(96頁)

難しいもの。

 自然災害であれ、過失による事故や意図的な犯罪であれ、突然の災難に巻き込まれて重大な損失を被った当事者は、往々にして、なぜ自分がこんな目に遭わなければならないのかと問う。(84頁)

これはよく裁判なんかでも被害者の方がおっしゃる。
「何でそんな目に遭ったのか?」という理由が欲しいという。
加害者に求められる。
それは「意味が知りたい」とかではなくて、自分の中でその不幸になった理由を自分に納得させない限り自分を回復できない。

これは皆さん申し訳ない。
いろんな謝罪の例があるのだが、生々しいのは(この「今朝の三枚おろし」は)朝の番組なので取り上げない。
抽象論でいくと思うが勘弁してください。
「ああ、そういえば」と皆さんの頭の中であの謝罪、この謝罪をいろいろ重ねながら聞いていただくと、「謝罪の本質」みたいなのが見えてくると思う。
そのへん、お付き合い願いたいと思う。

「責任」にあたる英語の言葉が、応答や説明の可能性ないし能力を原義とするresponsibiliryやaccountabilityであることを思い出すまでもなく、自分が被害を与えた相手を気遣い、相手のために何かをしようとするのであれば、相手が知りたいと切に願うことに極力応答しようとする意志を人は働かせるはずである。(85〜86頁)

世の中には「報復」「制裁」「処罰」としての謝罪もある。
つまり「やり返す」という。
そうしないと「謝罪していると認めないぞ」という。
この報復や制裁や処罰という謝罪を要求する。
その中で一番多いのが「土下座の要求」。
これは日本社会の中では往々にしてある。

テレビドラマ『半沢直樹』の最終話−中略−において、主人公の半沢は、−中略−その場で土下座をするように迫る。(92頁)

この場合はもう「謝罪」というのが完璧に「制裁」「報復」「復讐」になっている。
現実として土下座で済む謝罪はない。
土下座したからといって謝罪したことにはならない。
謝罪とは赦しか刑罰を終止符にする。
「もうあなたは許してあげよう」というのでエンド。
或いは「あなたは禁固百年」とかという刑罰になった場合はそれで謝罪は成立して終止符が打たれる。

応報刑論の−中略−悪行(=犯罪という作用)に対して悪果(=刑罰という反作用)を返すことで、犯罪により生じた不均衡を正し、正義を修復する(100頁)

(番組では「ホウフク刑」と言っているように聞こえたが、本によると「応報刑」)
「社会に対してこのようなことをやってはならない」「こんな目に遭うぞ」という警告の為にこういう刑罰。
実はこれが「謝罪」。

被害者と加害者をはじめとする当事者が直接会って和解−中略−を目指すメディエーション(madiation:調停、仲裁)のプロセスを重視している。(112頁)

外国との揉めも事や何かで、全然動かないという問題もある。
日韓問題がそう。
一番問題なのは何かというと、日韓の間にメディエーター、仲介者がいない。
感情的に納得のいかない人が韓国サイドの方におられて、なかなか和解が成立しない。
一番の問題は日韓共通の仲介者の不在。
原発事故や公害問題等が長引くのは、謝罪はあっても「こういうふうに原発事故に対処したんですけど」と言うが「だったらその前に何で原発をここに作ったんだ」とかということになると立場が違うと謝罪の意味がなくなる。
このあたりが難しい。

この「謝罪論」をまとめている時にテレビで見たニュースでちょっと気になったもので、それを走り書きしている。
これは昨年の暮れのこと、アメ横に立ち飲み酒場があって、そこに何台か監視カメラが付いている。
それで非常に自由なアメ横の立ち飲み酒場で、店員の方はお金を徴収するレジの方にしかいない。
後、みんなお酒を貰ったら各所のテーブルに散らばって呑んでいる。
ところが、出口に近いものだからカネを払わずに、人混みに紛れて逃げたヤツがいる。
それを今、監視カメラがあるので、それで映っている。
それでテレビ局が取り上げて「こんなセコい犯罪やってるヤツがいますよ」というのを夕方のニュースで流した。
昨今、皆さんもお気づきだろうと思うが、あちこちに監視のカメラがあるので、この手の犯人の行動が報道で流れやすくなっている。
よく無人の野菜売り場から持っていってしまう人とかも全部撮られたりして流されている。
テレビ時代というのは目に映るものがあればネタになるので。
これは武田先生がもの凄く記憶に残ったのは無銭飲食をしてスッと逃げたヤツがいる。
態度も堂々としているので、何というか横着な若者二人。
テレビメディアの人が経営者、若旦那に「腹立つでしょう」か何か言ったら、旦那がゲタゲタ笑いながら「警察に訴えたりなんかし無ぇからよ、早く払いに来い」と、それでお終い。
その「謝罪を求める」という気持ちがもの凄く太っ腹な人で。
余りにもセコい話なので。
何百円の話。
それを大事にしないでアメ横の下町らしく「警察に言ったりしねぇから、早く払いに来い」と。
恐らく顔もしっかりわかっていて、もしかしたら逃げた二人は常連さんかも知れないという。
「謝罪が無言のうちに成立する社会というのはいいな」と思ってパッと貼り付けた。
謝罪というのはかくのごとく、求める人の態度如何にとっては本当に軽く明るい話題になったりする。

理屈っぽくいく。
謝罪論。
哲学者ウィトゲンシュタインは「謝罪というものはゲームに似ている」とその書にかいている。
(このあたりの説明は本の内容とは異なる)

「ゲーム」と呼ばれるものすべてに共通する特徴(=ゲームの本質と呼びうるようなもの)を見出すことはできない。にもかかわらず、−中略−「ゲーム」という言葉で括られる一個のまとまりを見て取ることができるのである。(137頁)

種々の事物同士の家族的類似性によって緩やかに重なり合い、輪郭づけられる。そしてそれは、謝罪という概念についても同様である。(138頁)

「謝罪は、−中略−人間関係を修復するという目的を達成するための行為である」(148頁)

武田先生はアメ横の飲み屋さんの話をしたが、その人はこの「人間関係の修復」を信じておられる。
「謝りに来りゃぁ許してやるよ」と「云百円のことだよ、云百円払えよ。それで何も無ぇからよ」みたいな。
謝罪というものがそこに成立する為には「この関係を修復したい」という強い情熱がなければならない。
謝罪だけをうまくやって切り抜けようとしたり、解決しようとする。
そうすると打算とか戦略はすぐに見透かされてバレてしまう。

英語の「regret」という言葉は、−中略−(1)ある出来事について残念に思うという意味と、(2)その出来事の生起に深くかかわる自分の行為を後悔するという意味の、二種類の意味をもちうる。(174頁)

ある男性が、仕事でトラックを走らせているとしよう。彼はずっと完璧な安全運転をしていたのだが、道路脇の茂みから急に飛び出してきた子どもと衝突してしまう。−中略−その子どもは数時間後に病院でなくなってしまった。−中略−子どもが飛び出すことをトラック運転手が予見することは不可能だったし、衝突を回避することも不可能だった。それゆえ、彼は誰にも非難されず、罪にも問われなかった。(170〜171頁)

ドライバーは、「自分がもっと注意して運転していれば、事故を避けることができたのに……」という風に後悔する。(175頁)

これを「regret」という。
(本によるとこれは「agent-regret」として「regret」とは区別している)
ここで重大なのは例えばこの子が死亡した場合、ドライバーは法的な罪を負わず許されたにしても、彼はその子の親立に謝罪をする、赦しを請う。
この場合、最も重大なのは「心情を伝えたか伝えなかったか」という。

ここから話はどんどんまた難しい方に行ってしまう。
謝罪というのは千変万化。
いろんなケースがある。
イスラエルとパレスチナの場合、これは本当に困ったことだが「先祖が被った損害を子孫が負え」といわれていること。
「三千年前ぐらいはここは俺ん家だった。ちょっと留守してる間に土地取られたんだから返せ!」という。
そういう先祖の被った損害とか、そういうものが21世紀に問題になっている。
これが意外と世界で今、頻発している。
だから物事を今日という次元だけで解決できない。
問題にも時間的な深さがあるという。
その中で、どこかで世界基準を作らないとダメだという、そういう動きが今、あるそうだ。

歴史的補償の要求を、以下の四種類に大別している
 (1)過去のある時点で不正に奪われた土地、貴重な芸術作品、神聖な事物について、その所有者の子孫が返還を要求すること。
 (2)奴隷や植民地の住民といった搾取の被害者の子孫が、祖先の手から奪われたのと同様の価値を有するものを要求すること。
 (3)暴力や拘束など、被害者に危害を加える行為がなされたことに対して、被害者当人やその子孫に対し、金銭等の物質的な補償を行うよう要求すること。
 (4)不正を犯した者に対して歴史をありのままに記録し、歴史的な不正の責任を認めるよう要求すること。
(203〜204頁)

(番組では国際法で定められているような説明をしているが、デイヴィッド・ミラーによる分類。この後も「国際法」という言葉が番組内で何度も使われるが、本の中にはそういった言及はない)
この四つの、時間がすっかり経ってしまった謝罪問題について求められるのは難度が高い。
徴用工問題が韓国でまた問題になっているようだ。
また日本の責任を裁判所が認めたようだ。
国と国の(謝罪は)難しいと思う水谷譲。
でも、ここで少しスッキリする意味で、「国際的にどうなのか」という引き絵の中でこの国際的な問題を、様々な紛争地での問題を考えていこうというふうに思う。
浅くて深い、深くて浅いという当番組。

懸命に語っていたが、だんだん水谷譲から目の輝きが失われていって「…んだ屁理屈かよ」みたいな。
この本は「何とか面白はもの凄く丁寧に謝罪を哲学的に分析なさっているので。
本当に申し訳ない。
ずっと読んでいるのだが話が展開しない。
ワリと吹雪道みたいにグルグル同じところを回る。
だからなるべく一周したら別のところに行くようにしてアレしている。
そうすると謝罪の難度、難しさというのが…
(本には具体例は)無い。
それは真似しようと思った。
それで皆さんにちょっとお願いして、いろんな会見を、或いは国際問題を連想しながら聞いていただければ。
日韓というのが非常にわかりやすいので敢えて。
ちょっとそこの浅い喋りっぷりでまことに申し訳ないが。
歴史認識問題とか、ウクライナもそう。
あれは歴史問題。
もうプーチンさんはきかない。
「うちのもんだ。うちのもんだ」と言って。
それからどこかでやるつもりでいるのだがパレスチナ問題もそうで。
ちょっと今回は話を脱線させるが、あそこは国際的な紛争がもの凄く多いところで。
問題の始まりは三千年前。
旧約聖書に書かれている、あそこに昔ユダヤの人達の王国があった。
それがイスラエルの民が世界中に飛び散った後にアラブ系の人が住み付いたという、三千年の時を超えてなので大変。
それはイスラエルの人からすると「いや、もともとここは俺のもんだ」というのがあるだろうが、アラブの人にとっては「何百年もここに住んでいて突然『出ていけ』というのは何だ?」という。
それに割って入れる国なんてそんなにない。
イスラエル問題、中東問題は遠い問題。
でもこれは昔、そのユダヤの人達の王国があって、浮沈を繰り返している。
消えて無くなったりまた生まれたりという。
それで十ぐらいの部族がいて、それが世界中に散ってしまうのだが、東の方に行ったきり帰ってこない部族が一つあって、それが日本人じゃないかという説があって。
そういうことも込みで何かこうアラブ問題、イスラエル問題をこの「(今朝の)三枚おろし」でやってみようかと思って。
三千年前の話を一回してみようかなと思う。
何回説明を聞いてもなかなか理解ができない水谷譲。
だから宗教とか歴史、そういうものが絡むと人類というのはもの凄くややこしくて謝罪が成立しない。
「謝罪が成立しない」ということがいかに大変かというのを、その戦争が未だに謝罪が成立せずに戦争が続いているワケで実に重大。
領土、歴史、宗教、差別。
これが絡むと人類は謝罪によって解決しようなどという知恵が全く無くなるようで、仲介者がいないと話し合いすらないという。
謝罪というのは決してこれは恥ずかしいことではない。
ただしそれはやはり苦しいこと。
「謝罪する」ということ、それが人間が賢くなるたった一つの道のような気がする。
やはりそれは人生で体験しなければならない学び。
それが謝罪。
イスラエルの人もガザの人も聞いてください。
プーチンさんも聞いてください。
「謝らないことが強いことではない。強いとは自分が弱いということを認めていることなんだ」という。
よく「謝ったら負けだからね」みたいに言うことがあるが、それは間違い。
それは間違った教育。
弱さを認めるところに強さがある。
弱さを認めない人。
それは強情なだけ。
もう絶対謝らない人に「何で謝らないんだろう」といつも不思議に思う水谷譲。
その人達は「謝ることが弱いことだ」と思っている。
違う。
「謝ること」というのはやはり強いこと。
謝罪。
その一点を考えて来週もまたご披露したいと思う。
繰り返すが、日本での謝罪会見等々の例は挙げない。
あくまでも広い見地で「謝罪」という行為というのを考えていこうと思う。


2024年03月20日

2023年12月11〜22日◆かんぴょうにスイカ(豪徳寺のドイツ人)(後編)

これの続きです。

「かんぴょうにスイカ」
もちろん元ネタがあって 内田樹先生と釈徹宗さんが対談なさっている、ミシマ社から出ている「日本宗教のクセ」。
でも相当、武田先生の自説も入っている。
取り交ぜてお送りしている感じ。
内田先生の言に救われながら生きている。
日本習合論。
接ぎ木して文化が繋がってゆくというような、それを「習合」というのだが。
内田先生は「ここで必要なのはレンマの知恵である、直感である」とおっしゃっている。
この「レンマの知恵」というか「直感」「身体的知」というようなことをおっしゃるが「これからは世界を支配するのは頭の知ではないんだ」と。
体の知識なんだという。

内田先生の言葉の中で「いい言葉だなぁ」と思ってノートに抜き書きした言葉。
「頭がいい」とか「頭が切れる」とかそういうロゴス的能力、言葉を操る能力、そういうものがゆっくり時代として終わりつつあるのではないか?
「頭がいい」とか「頭が切れる」とか、皆さん、やがてそういう時代終わるんじゃないか?と非常に直感が鋭い内田先生がおっしゃっている。
ではこれからどういう時代になるかというと

「頭がいい」ことじゃなくて、「頭が大きい」とか「頭が丈夫」というほうが大事になるんじゃないでしょうか。(55頁)

芸能人でも、だいたい仕事を選ぶところから芸能人は落ちてゆく。
選ぶとダメ。
何かの能力が落ちる。

釈先生。
浄土真宗のお坊さんだが、この方はこのお二人の対談の中でこういうところになるとグッと力が入るのだが「芸能の中に宗教を感じる」とおっしゃっている。
「その一番が能である」と。
「能というのは芸能というより宗教ですよ」
能の芸能とはどういう世界かというと

芸能が力を汲み出すのは「外部」「異界」「他者」からですから。芸能は人間的な価値体系の「外」から滋養を得て、それによって例外的な魅力を発揮している。芸能民というのは、「内」と「外」を架橋する異能者。(98頁)

この能力は武道も同じである。

野生の巨大なエネルギーが、僕の身体の歪みやこわばりのせいで、遮断されたり、滅殺されたりしないように、自分の身体を抵抗の少ない「良導体」に仕上げてゆく。武道の修行はまさにそういうものなんです。−中略−「自分をなくす」「自分を消す」ということなんです。(99頁)

「自分をなくす」「自分を消す」それができない。
それは何かというと、自分を表現するのに忙しいから。
自分を表現することに忙しい人は他の人にとっては迷惑。
ドラマをやっていて自分を消さないとその役は出てこない。
渥美清という人は寅さんみたいな人ではない。
人間の心理、それも生々しい手触りの人間を演じられる。
その為には渥美清を消す。
だから寅さんがやってくる。
それから犯人を最後に指差すと「フフフフフ…犯人はアナタだ」みたいな。
あの方は名優だと思う。
あの人も一人芝居っぽく見えるが、あれは犯人に合わせて芝居をやっておられる。
「古畑(任三郎)」はそう。
高慢ちきな犯人に対しては高慢ちきに演じ、理屈ばっかり言う犯人には理屈で言い返す。
プライドの高い犯人にはプライドで返す。
それがあの古畑任三郎という名演技になる。
加藤治子さんとの回(1996年2月7日放送「偽善の報酬」)。

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同業の売れっ子作家。
ちょうどそういう構図の真ん中にいたので、あれを見ながらちょっとドキドキしたのだが。
一番最後に古畑が「先生。アナタがおやりになったんですね?」とくると加藤治子さんが妙にフワッとした顔をして「ねえぇ。皆に黙っててくれないかな、このこと。決してアナタにも損はさせないわ」と古畑を誘惑する。
そうしたら古畑が「私が知ってる先生はとても気が強くて、そう、一本筋の通った方でした。最後までそうであって欲しい…」と言いながら背中を向けると加藤さんがその背中をジッと見て「いきましょ」と言いながら二人が歩く。
サンザンズッタンズッタンザン♪という。
つまり「プライドにはプライドで」という
その変幻自在が。
そのくせ爆弾犯の木村拓哉には、あの人はビンタを張った。
(1996年1月31日放送「赤か、青か」)

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裏拳でビンタを張る。
時計台の時計が見えにくいからその手前の観覧車を爆破するという、遊びみたいな殺人で。
「あの観覧車が回ってる限り、どうも時計が見にくいんだよね」と言った瞬間、バ〜ン!と張る。
これは受けた木村拓哉も見事だったけれど、あの裏拳での古畑任三郎のビンタというのは・・・
自分を消す。
だから役が立ち現れる。
このあたり、ちょっと宗教論と絡めながら話を進めたいと思う。

昨日の繰り返しではあるが釈さんというお坊さんがおっしゃっていることに「エネルギーはいっぱいあります。でもそれを取り込むだけの野生のエネルギー、そのつまりアンテナというかそれがない。だから自分の体を改編するんだ。何が必要か?『良導体』よくものの通りがよくなる、そういうアンテナを持っている。その為には自分を考えちゃダメなんだよ。よき良導体・伝導体になるには。じゃぁどうするんだ?と言ったら自分を無くすんです。自分を消すんです。そのことができるようになった時に外部からのエネルギーを受信する、それができるようになる。自分を消さない限り外部からエネルギーを受信することはできませんよ」という。
(番組では釈氏の発言であるように説明しているが、本の中で「良導体」について語っているのは内田氏)
「自分を消す」というのは難しい。
でもそれを目指さない限り人間は成熟しないというか。
「異界」この現実の世界とは違う世界、アナザーワールド。
そういうものがあるんだ。
この世界ではない世界がこの世界と重なってるんだという。
そういう発想は太古に人々にもう既にあった。
人々はそれ故に異界・別のアナザーワールドと現世・現実の世界に境界線を引いた。
その境界線の場所とかが古墳とか、今でいうところの霊園、死者を弔う場所などになったという。
その異界は古墳、或いは霊園、貝塚。
そういうところに死者が眠っている。
それはやっぱりその別世界から何かを感じる。
死者の声を聞くとか、隠された知恵を直感で思いつくとか、そういう外部からのエネルギーを受信する。
それが生きていく人間の目指すべきところであるという。
環状列石というお墓。
真ん中に一本棒が立っていて、その周りをぐるっと長い石、短い石が円陣を描いている。
あの環状列石というのはいわゆる異界、違う世界。
大気の中に潜む何事かを受信するマークではないかと思うと面白い。
そして内田樹先生がそんなことをおっしゃっているので、面白くて思わず抜き書きしたところ。
現代社会では昔と地形が変わっている。
「縄文海進」等といって海が陸地に攻めてきたので東京湾というのはグッと広くなるのだが、いろいろ地形が変わる。
柴又という(地域は)海の中だったらしい。
だから島がいっぱいあるので「嶋俣(しままた)」、それで「柴又」。
(番組では「しままたしま」と言ったが「しま」が一個多いと思う)
東京タワーのあの崖の下は波が打っていたワケだから。
文化放送がある浜松町も昔は浜。
「浜松町」だから浜辺と松の木があったのだろう。
それが地形がすっかり変わってしまった。
或いは河川が土砂を埋めることによって、それが地面になった。
そんなふうにしてあるのだが、縄文時代の岬というところが現代でも確認できるのだが、面白いことに縄文時代の岬には貝塚と墓があるそうだ。

かつての岬には、神社仏閣、墓地、病院、大学、そしてラブホテルがあるんだそうです(笑)。−中略−墓地は異界に去った死者たちを供養する場、−中略−ラブホテルは性行為のための場ですからね。(146〜147頁)

やはり「死」と結びついて「生」を生み出す場所ということで異界と結びつきやすい。
そんなふうにして考えると、古代の幻影みたいなものが現世に重なっているという。
これは何か面白いとなと思う。

話を大きくまいりましょう。
お墓というのが境界線上に配置されて生の世界と区分された、分けられた。
ここは死のゾーン、こっち側から生のゾーン。
私達は生活圏を維持して現世とこの異界を分けている。
それはまさしく結界で、ちょっと硬い言葉を使うと「日本は結界に満ち溢れた文化である」という。
これは聞いたことがある。
都会で赤坂を歩くと近代的なビルばかり。
ひょっこりデカい神社(日枝神社)がある。
あれがビルの隙間に見えると外国人が不思議な気になるらしい。
アメリカの女の子が言った名言だったが「赤坂歩くとハリウッドのセットみたいだ。こっち側がバック・トゥ・ザ・フューチャーやってこっちは西部劇撮ってるっていうような」。
そう言われてみるとそう。

今、お話をしているのは、我々は毎日の日常生活圏の世界ともう一つ異界、お墓とか神社仏閣とかそんな異世界、死者がいるというそういう世界を重ねて持っている。
異世界というのは現世と分ける意味合いで必ず結界がある。
日本の面白さは街中に結界が溢れている。
神社、神域には鳥居、狛犬、神南備(かんなび)の森、石等々があってその結界を注連縄(しめなわ)で示す。
仏教もそうで境内、境外があって、必ず結界がある。
結界のスポーツと言われるのが「相撲」。
丸い土俵。
それが結界。
先に出た方が負け。
これは丸い結界というのが日本文化の面白さ。
西洋では結界は真四角。
ボクシング、ラグビー、サッカー、全部。
円の結界というのは珍しい。
日本だけではないか?
相撲。
この円の中に入ると、とても面白いことに体力差とか体の大きさの大小等々が意味をなさない。
だから円の中は無差別級。
時々お相撲さんで「惨いな」と思う時がある。
それでも大きい人が勝つとは限らないのは、それは結界が円だから。
回り込まれて強い人がワーッと行ったらそのまま出ちゃったので「負け」となってしまう。
(四角だったら)違う。
だから丸いということが特殊な結界だということがよくわかるし、逆転劇「うっちゃり」というのは円だから起きる。
内田氏はとても面白いことに、ここでラグビーの平尾(剛)さんの言葉を紹介している。

ラグビーの試合の最中だと、タッチラインもフィジカルな触感があるんだという話を聞きました。平尾さんはウイングですから、パスを受け取って走るとき、ディフェンスに走路を塞がれて、外へ外へと追い込まれる。そうするとタッチラインを踏みそうになることがある。−中略−でも、タッチラインを踏みそうになると、ラインの上の空間がそっと押し戻してくれるんだそうです。(147頁)

プレイヤー自身は必至で走ってますから足元のラインなんか見ていないんです。でも、タッチライン上の空間には物質的な手触りがある。そこにラインがあることが触覚的にわかる。(148頁)

だから「タッチダウン!」とかとなった時に割れる音とかが聞こえるのだろう。
もの凄い勢いで飛び込んでいくから。
そういう境界、結界をスポーツ選手は持っているという。
境界線という結界のラインにはそういうエネルギーがこもっている。
ただの白線ではない。
墓や霊園という結界、そこには死者儀礼というエネルギー、「ちゃんと死者に対して挨拶しないとダメですよ」というエネルギーが満ち溢れて、作法を忘れてはならないという。
お二人はしきりにそのことをおっしゃっている。
つまり宗教とは何かというと「結界を持っているんだ」。
日本でも大きい問題になっているが「政治と宗教は分離しなきゃダメだ」。
理由は簡単で「結界が違うから」。
票が欲しいからと言ってお願いをしてはダメ。
非常にわかりやすい理屈。
宗教が一番重大なことにしているのは異界、違う世界。
死者達の想像性を受信すること。
それはラグビーに似ていてサイドラインを感じる人じゃないとダメなんだ。
それからお相撲さんの土俵のギリギリを壁として感じる人じゃないと技なんか打てないんだ。
だから宗教はラインを感じてラインの外から何かを受け取ることを目指している。
釈さんの言葉の中にある。
これはもう大賛成。
日本宗教の面白さ。
それは何か?

ひとつ大きな特徴として「古いものもずっと残る」ということがあると思うんですよ。
 世界を見渡しますと、たとえば仏教でいうと、密教が勃興すると、それ以前の仏教が密教に追いやられてしまって密教一色になったりします。
−中略−
 でも日本は、ひとつの宗教がものすごく拡大して力を持っていても、今までのものも消えずにある。
(206〜207頁)

小乗仏教、大乗仏教、華厳、真言、天台、鎌倉仏教。
それが陳列棚に並べられたように残っているというところが日本の面白いところで。
普通は残っていない。
空海さんが中国まで勉強に行った。
日本に持って帰って、その時、真言密教が残してくれた経典等々は空海さんが自分のお寺、高野山に収めた。
では中国はどうなったか?
殆ど無い。
だから中国の人がたまらないのは、その時の中国の資料を持っている。
例えば「生」。
読み方はいくつあるか?
「人生」の「せい」、「一生」の「しょう」、「なま」、「福生(ふっさ)」。
これは入って来た時代ごとに呼び変えている。
つまりそう読んだ中国の人達の記憶を日本人はクイズ番組でやらされている。
我々が普段何気なく使っている漢字は殆ど唐の時代の漢字の発音。
そういう意味で古いものがずっと残っているという面白さが面白いところは、そのあたりが興味津々なのではないかなと思ったりしている。
中国から伝わった漢字、絵画、陶器。
それから漢字の読み。
伝わったまま発音として残っているという。
宗教だけではなくて、日本文化の世界に無い特徴であろう、その文化が生まれたところではその文化は消え失せているのだが、日本には残っているという。
民主主義。
もう今、アメリカ民主主義の素晴らしさは、トランプさんでガタガタになっている。
なぜ日本でそんなことが起こったのかその理由も考えていこうということ。
日本の太古に何か強烈なモデル的体験があるのではないか?
思えば日本神話はイザナギ、イザナミ、海彦、山彦、アマテラス、スサノオ、ヤマト、イズモ等々、対立する集団がいつもあった。
それが習合、まるでスイカのツルをかんぴょうに繋ぐようにして、スイカは生き生きと実を太らせるというような。
最少の犠牲でハイブリットしていく。
それが日本文化の特徴ではないだろうか?とおっしゃっている。

 −中略−シリアスに突き詰めれば、どうしても譲れない一線へと行きついてしまいます。ですから異宗教同士が共存する場合などは、条件を棚上げにしたり、課題を先送りにしたりして、押したり引いたりのやり取りが必要なんですよね。(208頁)

共生という生き方を日本人は選択しているのではないだろうか?

内田 −中略−現代日本人のDNAには三種類の別の集団のものが混じっているそうなんです。大陸から来たのとか、半島から来たのと、南方からのと、かな。日本列島への集団的な移住の波は三回あった。ふつうなら後からやってきた集団と先住民が戦って、どちらかを殲滅したり、負けた方は奴隷にされたり、あるいは遠くへ逃げたりするわけですけれども、日本列島の場合は、三つのDMAが混ざった。ということは一緒に暮らしたということですよね。(208頁)

もちろん皆無では無かったかも知れないが、歴史に残すほど大きな対立は繰り返されていない、という。

言語も人種も宗教も生活文化も違う集団が出会ったけれど、それが暴力的な対立関係にならずに、なんとなく共生して、そのうち血が混じり合った。それって日本列島民のひとつの生存戦略だったんじゃないかなと思うんです。(208頁)

生存する為の戦略というのは、計算してやったものではなくて、本能でやったと思う。
でもそのような文化が日本にあって、それが上手く現代まで伝わっているという。
もちろん諸問題はあるかも知れないが。
ここで武田先生は武田先生らしい思案を考えたのだが、縄文人と弥生人は対立があったことは事実なのだが、皆殺し合いがない。
前に話したと思うが、それどころか折り合って稲作を弥生人が縄文人に教えたりしている。
共通の言語なんかあったのか?とか共通の神とかあったのか?とかいうのだが、それを武田先生が「あった」と言ってしまった。
それが先々週お詫びした「めのう」と「ヒスイ」を間違えちゃった。
つまりヒスイで勾玉を作る。
勾玉信仰というのが、縄文人と弥生人が共通していたのではないか?
それで大雑把に「俺達は同じ神様、拝んでるよね」というような緩い宗教観によって混血していった。
それが「倭人」と呼ばれる人達ではなかったか?という。
内田氏は「日本人は途切れずに融合を繰り返してきた」と。
遺伝子をずっと日本人は捨てずに持ってきて現代に至っているのではないだろうか?
内田先生は面白い先生だからゾクッとするようなこともおっしゃる。
(この後の話は本の内容とは少々異なる)
ある政治的な権力と対立した場合、その権力に耐えに耐えるのだが、習合できない場合は、倭人は相手も含めて自分達も皆殺しにしたんじゃないか?
そういう我慢に我慢を重ねるが、最後にどうしても相手の言うことを聞かなくなった時に相手も殺すがこっちも全員死のうという。
それが侍の文化として残ったのではないか?
なるほど気持ちとしてはわかる。
よく考えてみたら武田先生の大好きな忠臣蔵がそう。

時に元禄十五年十二月十四日、
江戸の夜風をふるわせて響くは山鹿流儀の陣太鼓、
−中略−
かかる折りも一人の浪士が雪をけたてて
サク、サク、
(三波春夫「俵星玄蕃」)

長編歌謡浪曲 元禄名槍譜 俵星玄蕃



もう(武田先生は)興奮する。
好き。
どうしようもない。
目に見えて仕方がない。
討ち入りで47人で行くのだが全員切腹。
それが何か「日本的美意識」、共生がかなわなかった時は両グループとも滅びてしまうという、
「それぐらい戦いに責任を持て」というのが侍の武士道。

興奮しやすい武田先生なのだが、武田先生達は青春時代は70年安保だからもう全共闘運動の真っ最中。
高倉健の「唐獅子牡丹」は学生の中で大ヒットした。
セクトにいろいろ分かれて殴り合いのケンカをしているのだが、健さんが名ゼリフを決めたりなんかすると、観客である学生共が「意義な〜し!」と叫んだ。
そんな時代を覚えている。

昭和残侠伝 唐獅子牡丹 [DVD]



その団塊の世代が青春時代を生きていた時に「俵星玄蕃」に興奮した。
何であんなに興奮しているのかわからない。
でも俵星玄蕃、三波春夫の浪曲語りを聞くうちに、そのシーンが見えてくる。
なぜ見えるのか説明できない。
それが武田先生が言うところの「日本文化というかんぴょう」に接がれる「俵星玄蕃」。
つまりこれは赤穂浪士を扱っているワケだが、赤穂浪士の全滅する美学というか。
全員死んでいく。
その美しさみたいなのに感動する血脈みたいなものがこの物語の中にある。
あたりをよく見まわすと四十七士、47人なのだが、現代のアイドルは「AKB48」「SKE48」「HKT48」「乃木坂(46)」「櫻坂(46)」。
これをよく数字を並べてみてチェックすると、何のことはない47に一個足すか一個引くかという、そういうグループの組み方をしている。
つまり「全員死んじゃう」というのを避ける為には47は忌むべき数字であるという。
こんなふうにして人間は意外と古いものに接がれている、習合されているものではないだろうか?
これは前にも話した。
「ミトロジー」の回で話している)
武田先生はもの凄く感動したのだが、韓国のアイドルグループBTS。
名前が「防弾少年団」。
これは「どうしてかな?」と思ったが、かつて王族、貴族出身の青少年が武術、芸術、思想などの教育を受けながら共同生活を送った「花郎(ファラン)」という教育制度、朝鮮6世紀半ばのグループのこと。
日本で言えば薩摩の西郷組。
西郷隆盛を大好きな若者達。
それから新選組。
それから会津の白虎隊。
そして土佐の海援隊
だからキレキレのダンスと歌でお馴染みの人気グループ、アイドルが誕生したというとアイドルも実は古いかんぴょうに接がれたスイカである、watermelonであるという。

内田樹先生と釈徹宗さんが対談なさっているミシマ社から出ている「日本宗教のクセ」。
この本の両者は実に面白い指摘をいっぱいなさっている。

人間知性の限界に対する諦めというか。人間が知り得ることにはおのずから限界があって、「人知の及ばぬ領域」には人知は及ばない。(225頁)

 宗教的成熟の第一歩目は「この世には人知の及ばぬ境位が存在する」という事実の前に戦慄することなんですけれど(227頁)

そういう意味では「日本宗教のクセ」というのは面白かった。
結局武道の方だけで結論を言うと「武道を修練すればケンカに強くなる。そんなのは幼稚なんだ」。

内田先生がしばしば、「武道を修練すればするほど、だんだん危ない場面に遭わなくなる。たとえば、よくケンカを売られるんで、ケンカに強くなってやろうと懸命に武道を学んでいくうちに、そもそもケンカに巻き込まれなくなった」といお話をされますが(239頁)

前を見て後ろへ下がれる人、そういう人が達人なんだ。
そういう皮膚感覚、センサーを持った人が達人なんだ。
その為に日本人は武道の中に宗教を求めた。

これはちょっとしょうもないことだが言っておく。
この二人は頭がいい。
こんなのがあった。

 そしたらお母さんが「死んだおじいちゃんはクラウドに保存されていて、お墓がデスクトップで、仏壇がモバイルなんや」と説明したそうです。だから、ときどき訪れてアップデートしないといけないんだ、って(笑)。(144頁)

これは意味がわからない。
難しい。
つまりお二人とも凄く頭がよくて、現世の生活圏と「異界」いわゆる死者が住む世界を現代語で説明してある。
誹謗中傷する人とか覚えておいてください。
これはお二人が警告なさっているが、あれはアナタ、空間に書き込んだつもりかも知れないが全部記憶されている。
「それを辿れば書いたアナタは見つかるから匿名はもうないんですよ」
そのことが宗教の中にもあって、アナタが一生を生きる、一生を記録される。
「そんな場所ないじゃん」と言うけれども、昭和の歴史なんか全部入っている。
「だからアンタが生きた70年、80年の人生なんて全部どこかでデータとしてアナタは残るんだ」
でも凄い説得力。
それをお二人は説明なさるのだが。
「クラウドサービスとおんなじさ。データソフトウェアを提供するサービスのベンダーという問屋があり、デスクトップ卓上システムのモバイル携帯電話にアップライト(「アップデート」のことだと思われる)されて更新されるんだよ」と。
すいませんお二人。
でもわかるところだけわかったふりをして皆さんにご報告、三枚におろしている
武田先生は何でもわかっていると思ったら大間違いで、是非使用方法を間違えないようによろしくお願いします。



2023年12月11〜22日◆かんぴょうにスイカ(豪徳寺のドイツ人)(前編)(8月9日追記)

「かんぴょうにスイカ」
これは番組が進んでいけばわかる。
もう一つタイトルを考えた。
「豪徳寺のドイツ人」
だから今週のテーマは二つあって、「かんぴょうにスイカ」「豪徳寺のドイツ人」。

「日本宗教のクセ」

日本宗教のクセ



これはいただいた本。
何と著者の方からいただいた。
内田樹先生。
ミシマ社から出ている。
日本の宗教というのが「変わっている」ということで、日本の宗教の「クセ」みたいな
「クセ」という名前の付け方が内田博士らしい。
「習合文化」
武田先生もそんなことは気にしたこともないのだが

 日本宗教文化が「習合」をひとつの得意技にしている、ひとつのスタイルとなっているのは、間違いありません。(12頁)

異国からやってきた神様がいるのだが、この神様が日本にやってくると、日本の神様と結びつけられて、いつの間にか一体化してしまうという。
日本はこのようにして外からやってきた仏教を受け入れている。

たとえば、ヒンドゥーの神であるシヴァ神は、仏教の大黒天と習合して日本へやってきます。そして日本では大国主命と習合するんです。(44頁)

大黒天は袋を背負っている。
大国主命(オオクニヌシノミコト)もウサギさんと再会する時に袋。
あれはもの凄い発想。
ちょっと乱暴な言い方をする。
大黒様が出雲にいたのだが、船に乗って修行して大黒天になって帰って来たという。
日本人はそういうふうに理解してしまう。
とにかく大黒が似ているから、大黒がインドへ行きヒンドゥーのシヴァ神になり、仏教世界の大黒様になって日本に帰って来たという。
そういう物語にしてしまって、いわゆる日本的衣装を着ないと日本人はその人を神様として拝まない。
そんなふうにして日本人は変えてしまう。

羽生結弦選手と結弦羽神社がくっついたりしていますでしょう。(44頁)

それは(ファンが)「羽生結弦の為の神様だ」というので。
(アイドルグループの)嵐のチケットを取る為に福岡にある(櫻井翔さんの苗字と同じ表記の)櫻井神社というところにファンの人が「当たりますように」とお祈りに行く。
そんなふうにして日本人の面白いところはスイカとよく似ている。
スイカはツルで育つ。
あのツルはかんぴょうのツル。
挿し木してある。
スイカのツルはスイカのツルではなくてかんぴょうのツル。
そっちの方が成長がいい。
有名な話。
かんぴょうのツルは凄く丈夫で、水分量が多いからそれにスイカを接ぐとスイカが丸々大きくなる。
(かんぴょうの成り方は)スイカによく似ている。
(追記:8月6日放送分の中で訂正。かんぴょうのツルにはスイカは成らない。根の部分がかんぴょう)
その次の副題で付けた「豪徳寺のドイツ人」。
(武田先生の)散歩コースに豪徳寺が(あるので)毎日見ているのだが、そこにヨーロッパ系の人がいっぱい観光客で歩いている。
何を拝みに行くのか?
招き猫。
豪徳寺はお寺さんなのだが、そこの一画に招き猫の神社がある。
そこに行く。
そこには何百もの白いネコの飾り物が飾ってある。
ご近所の人はよくご存じだが、毎年白いネコの人形を買って、持っていた猫をそこに帰す。
ヨーロッパ系の人達はこれが珍しくて仕方がない。
教会ではありえない。
豪徳寺が何で猫で有名になったか?
何で招き猫が出来たか?
江戸の初期の頃に井伊家の人があの辺をうろうろしていた。
そうしたら天候が怪しくなってきて雷がゴロゴロ鳴ってきた。
そのお侍さんが馬を降りて「天気悪くなるなぁ」と思ったら丁度、豪徳寺の山門に白いネコがいて招いた。
それで「ああ、猫が招く」と中に入ったら、今いたところに雷が落ちた。
それを感謝して井伊家がその猫のことを大事にしてあげたという。
そこから「招き猫」という。
まるでスイカを太らせる為にかんぴょうに継いだような日本の文化、仏教文化。
こういうふうにして「何かに継ぐ」という発想を「習合」という。
この習合が意外や意外、日本人の心の中に深く根ざしているという今週。

神様や仏様、それが挿し木のように接ぎ木のように習合していく、挿されてゆくという、その面白さ、それが日本にはあるということ。
何でも接ぐ。
例えばこんなことがあった。
奈良の時代のこと、万葉集という歌集ができて、歌作りの名人・柿本人麻呂という方がいた。
この方が天気のいい冬の日、若き皇太子と一緒に狩りに出かける。
朝になったので「皇太子様、起きてください。猟に出かけましょう」というので奈良の大地を二人で疾走した。
明け方前の出来事だったのだが時刻がよかった。
その皇太子殿下と馬を走らせた瞬間に太陽がバーッと東の空から昇ってきたという。
「何か元気出るな」と言いながら柿本人麻呂が後ろをちょっと振り返った。
真後ろは月がゆっくりと西の空に沈んでいたという。
情景としていい。
それで彼は思わず歌を詠んだ。

東の野にかぎろひの立つ見えてかへり見すれば月かたぶきぬ(「万葉集」第1巻48番歌)(〜頁)

新版 万葉集 現代語訳付き【全四巻 合本版】 (角川ソフィア文庫)



(番組内では少し元の歌とは違っている)
東の野に太陽が昇ってくる。
陽炎が揺れている。
「ああ〜!太陽が昇った!」
反対側を見ると西の空に月がゆっくりと沈んでゆく。
「東の野にかぎろひの立つ見えてかへり見すれば月かたぶきぬ」
この歌を接ぐ。
これは奈良時代の歌だが、江戸時代にこの歌を接いだ人がいた。
(与謝)蕪村という俳句の人。
この蕪村が作った歌が「菜の花や月は東に日は西に」。

蕪村句集 現代語訳付き (角川ソフィア文庫)



季節は違うが今度は朝日ではなくて夕焼けにして全く同じ情景。
真ん中に菜の花があって、月は東から昇ってきて西には太陽が今、沈もうとしているというから、真逆の春の歌になる。
面白い。
その時に「菜の花や月は東に日は西に」と言うと「なるほど。蕪村という人は万葉集を読んでいて本歌からこの歌を取ってこの句を詠んだ」と。
これが「俳句的教養」。
夏井(いつき)先生はこの点がうるさい。
だからその歌は何かの伝統に沿って自分のところに来たという。
これがいわゆる「習合論」「接ぐ」にそっくり。

戦後、まだ治安が安定しなかった
これは昭和の話。
それで作詞の先生(井田誠一)が「コミックソングで何か面白いの作りましょうよ」とレコード会社の人から乗せられて「じゃあ面白いの作ろう。どうだろう?公園か何かでアベックがいちゃいちゃしてる。それを若いお巡りさんがいて『早くお帰んなさい』という」。
(ここで本放送では「若いお巡りさん」が流れる)

若いお巡りさん



もしもし ベンチでささやく お二人さん(曽根史朗「若いお巡りさん」)

若いお巡りさんがいさめて

早くお帰り 夜が更ける
野暮な説教 するんじゃないが
(「曽根史朗「若いお巡りさん」)

と言いながら「日のあるうちにおうちに帰りなさい」。
これが戦後すぐヒットする。
この歌に対して接ぐ。
接いだ人が阿久悠という、これがもう戦後昭和史に残る大詩人。
この人は愛らしい若いお嬢さん二人に
(ここで本放送では「ペッパー警部」が流れる)

ペッパー警部 邪魔をしないで(ピンク・レディー「ペッパー警部」)

ペッパー警部



ということで反対。
若い恋人同士が「早く帰れ」というお巡りさんに反抗するという歌を作った。
これが「接ぐ」。
そうすると日本人はこの歌に声援・喝采を送る。
恐らく無意識だろう、と。
阿久悠というのはこういう「本歌取り」「歌を接ぐ」ということの名人だった。
久我美子さんと岡田英次さん、1950年・昭和25年。
戦争に負けて5年経ったというその時代に、若い男女がガラス越しにキスをするという大問題シーンを映画の中に展開した。
戦争に引っ張られていく哀れな若き学生の別れを映画にした。
その歌のタイトルが「また逢う日まで」。

また逢う日まで



阿久悠はそこに戦中の古いタイプの恋を見て、それを接いだ。
全く新しい恋人は笑いながら別れていく。
ダンダンダダーダダン♪ジョン♪という。
(ここで本放送では「また逢う日まで」が流れる)

また逢う日まで



そう考えると凄い。
原爆の悲惨さを歌った「長崎の鐘」。
(ここで本放送では「長崎の鐘」が流れる)

長崎の鐘



ああ 長崎の(藤山一郎「長崎の鐘」)

それを阿久悠は反戦運動があまり盛り上がらないというので和田アキ子を呼んで

あの鐘を鳴らすのはあなた(和田アキ子「あの鐘を鳴らすのはあなた」)

(ここで本放送では「あの鐘を鳴らすのはあなた」が流れる)

あの鐘を鳴らすのはあなた



という。
こういうふうにして「接ぎ木文化」。
こういうことが日本人は非常に巧み。
こういうところが日本人の面白さ。
この「本歌取り」というのはなかなか面白い。
これは内田先生の本なのだが、ここまで内田先生が書いてあることを一行も触れていない。
(この本には)「本歌取り」は書いていない。
阿久悠さんの歌というのも、我々は全然事情を知らないけれども、ヒットするというのはそういうことだと思う水谷譲。
接ぐとビッグヒットになり得る。
どこか一度耳の中を過ぎていった言葉がヒットの要因になり得るという。
よく聞くと「ちょっとパクってんじゃない?」みたいなのがある。
これは「パクってる」という意味で言っているのではない。
その典型がサザンオールスターズ。
一番最初のヒット曲が「勝手にシンドバッド」。

勝手にシンドバッド



「勝手に」も「シンドバッド」も阿久悠さんのヒット曲のタイトルの半分。

勝手にしやがれ



渚のシンドバッド



それに桑田(佳祐)君が習合した。
こうやって見ると日本文化は面白い。

ここからは内田先生が登場。
内田先生の発言を取り上げてゆこうというふうに思う。
日本宗教。
宗教のクセとして内田氏は「行(ぎょう)」を挙げる。

内田 もうひとつの日本宗教の特徴は、「行」を重んじるということではないかと思います。(40頁)

 カトリックの場合、体を鞭で売ったり、飢餓状態になったりとか、無言の行をするとか、ファナティックな行はありますけど、「カジュアルな行」ってあまり見かけないでしょ。日本は、行の種類が多いし、難易度もピンからキリまである。千日回峰行から朝のお勤めまで幅があるけれど、−中略−日本の場合、聖地巡礼は必ず観光とセットになっていますね。(41頁)

四国八十八か所とか、ちょっと見方を変えるとあれは観光。
観光の要素がある。
日本は宗教の中に観光を取り込んでいるという。
日本人は浄土宗だろうが浄土真宗だろうが禅宗だろうが、全部行ってしまう。
何の宗派か考えていない。
それでだいたいお寺さんの前には門前がある。
そこでお祭りをやったりなんかする。
お祭りは宗教行事なのだが、一種のカーニバル。
それでその宗教行事が終わった後、博多なんかは典型的で山笠という行事が終わったら「直会(なおらい)」がある。
何のことはない「一杯やる会」。
それを直会という。
それから「精進落とし」と言って、ここも一杯やる。
こんなふうにして日本は宗教のクセとして行の種類がもの凄く多い。
どこかエンターテインメントがかっている。
「打ち上げ」みたいな感じ。
祭りの要素とか気分転換の要素とか禁じていたものを一斉に食べていいとか。

伝統的な日本宗教文化から見れば、「信じる宗教」だけじゃなくて、「行う宗教」とか「感じる宗教」みたいな文脈も、とても豊かに息づいているわけです。(42頁)

これは釈(撤宗)さんがおっしゃっている。
更に内田氏はかぶせて

それこそ薄皮を一枚一枚剥ぐうちに、毎日毎日、淡々と「行」を行なってゆくうちに、次第に心身が宗教的に熟していって、その熟成度に見合ったかたちで、霊的感受性が深まり、世界の捉え方が宗教的になってゆく。それが「日本宗教のクセ」といったらクセなんじゃないですかね。(43頁)

入ったからバッと変わるんじゃない。
そういうことをおっしゃる。
何でこんなに外国の人が日本に増えたか?
これは若い皆さんはピンとこないかも知れないが、武田先生が少年や少女と呼ばれた頃、日本は「極東」と呼ばれていた。
世界の果て。
そして学校の先生からは「日本のことなんか知りませんよ。ハンガリーの教科書に載っているのは『フジヤマ』『ニンジャ』『ゲイシャ』です」とか。
「いつの時代?」という。
それがこの数十年で猫の神社を見に豪徳寺にドイツ人がいる。
京都とかだったらわかるが。

面白いことを娘から教わったので武田先生もちょっと調べてみて驚いたのだが、これは間違いなくいるらしい。
青森の恐山。
本当に地獄の風景。
真ん中に湖があって三途の河原というのがあって石がいっぱい積んである。
武田先生は3〜4人で行ったことがあるが、幼くして死んだ子供の為に「賽の河原」という河原があって、そこにいっぱい風車がびっちり。
そこをコンサートに行ったついでに男3〜4人で歩いていたら風が吹くたびに風車がカタカタカタカタ…と回る。
それは本当に「あの世か」と思わんばかり。
人影が薄い季節だったのでそれだったが、夏になると恐山祭りというのがあって、名前が違うかも知れない(恐らく「恐山大祭」)が、とにかくお盆の頃、そこに外国人観光客がいっぱい行っている。
あの恐山に何をしに行くか?
体験型観光だから。
初夏の頃らしいが、7月、8月ぐらいに恐山祭りというようなお祭りがあるのだが、そこにイタリア人の観光客が集団でやってきて「もうすぐバズるんじゃないか」という評判で。
一体恐山で何がバズるんだ?
イタコ、口寄せ。
それも理解できない。
それを体験する。
これは団体のお客さんがいて、それはイタリアのお客さんなのだが、恐山の魅力にハマってしまって集団で行っている。
それで東北弁の理解できる日本語話者が一人付いていて、口寄せ名人で有名な人がいるらしい。
その人がイタリアのお客さんのリクエストに答える。
例えばイタリアのお婆ちゃんがいて「父親のマルコに会いたい。ボンジョールノ!ボンジョールノ!マル〜コ!マル〜コ!」という。
「マルコさんに会いたがっておられます」と言うと「ああ〜あぁぁ〜〜〜!」。
イタリア人は日本の地に降りてきてくれる。
恐山イタコをバカにしてはいけません。
凄いパワーでマルコを降ろす。
娘に東北弁でマルコが語る。
「元気にしてっか?ああ」とかと言いながら。
それを聞きながら青森弁話者がイタリア語で伝える。
(通訳としては「青森弁→日本の標準語→イタリア語」かと思われるが)
そうしたら泣くそうだ。
マルガリータというお婆ちゃんが「マル〜コ!マル〜コ!」と言いながら。
本当にあるらしい。
それでこの方が今、ひっぱりだこ。
これはイタリアの方に申し訳ないし、イタコの方にも申し訳ないが「ルール破りじゃないか?」と。
やはり恐山といえば寺院だから。
そこにキリスト教系の方が来て死者を呼び降ろすという。
「大丈夫かいな?」と。
でもイタリアの人は「だから日本は素敵なんだ」と言った。
「そんなことやってくれるところ、イタリアにある?ローマ法王(正確には「教皇」)にマルコ呼び降ろしてとか言っても『ノン』とかって言うのよ。それに比べて日本はイタコの婆さんが『マルガリータ!マルガリータ!せばよ〜!たすけまいね〜!』」
日本は柔軟だと思う水谷譲。
イタリア人の人にとって驚愕すべきは宗教というものをここまでエンターテインメント、「死者に会わせてくれるなんていうエンターテインメントが世界のどこにあるんだ?」という。
「宗教はエンターテイメントにしてはダメだ」という人もいるかも知れない。
しかし、この国では現実にイタコというお仕事が青森にある。
この人達はもの凄く厳しい修行をして、いわゆる「行」を積み重ねて宗教的感度、感受性を上げた人。
その人達が「神様が違うからといって呼び降ろせないということはない」という確信。
凄い文化。
このあたり、日本の面白さというのを日本人自身が今、探すべき時に来ているんじゃないかなというふうに思ったりしたので今回、この内田先生に再登場願ったのだが。
その大きな原因として、これはまた日本人が自ら考えるしかないのだが「何で日本がこういう人間を縛らない宗教観を持つようになったか?」

内田−中略− 日本宗教の一番根っこにあるのは「天皇制」」ですよね。(50頁)

戦国時代、激しく領土を争った、武力で人を倒すといういわゆる「武」の人達がいた。
領地以外の街道、海、浜、河川敷。
そういうのは山・川もそうだが「神が住む場所」として支配権が武の人達に握られなかった。
誰が握ったかというと「天皇」。
天皇は身分を持たない人達のバックアップで、その人達の通行を可能にした。
そういう社会のどこにも縁のない「無縁」の人達の自由を担保した。

海民、山民、鍛治、楽人、−中略−歌人、−中略−などなどが、それぞれの職能を生業として広範囲を移動したわけです。その際に、−中略−自由通行の権利を彼らに保証していたのは原理的には天皇だったんです。(50頁)

そうやって考えると使い道がある。
「使い道ある」というのは失礼な言い方だが。
そういう裏側の力が天皇家によって支えられているという、これが実は日本の習合という文化に根差しているのではないだろうか?

(「日本宗教のクセ」を)読みながらいろんなことを考えた。
日本というのは独特の国ではなかろうか?
鍛冶屋さんとか宮大工さんとか庭を作る人とか、そういう方達も全部天皇の権威を背にしているので、独特の形を作った。
京都のお寺なんかに行くが、あれは庭師の人が作ったワケで抽象的。
砂を海に見立てたり、ああいう文化を作った人達はやはり天皇の権威というのを背にしていたから、今までちゃんと残ったのだということ。
そして明治維新だが、下級武士が引き起こした明治維新。
これは天皇を担いで「王政復古」という先祖返りを革命にした。
この先祖返りで巨大な大国、中国の清、或いはユーラシア大陸の覇者ロシアにとりあえずは勝利し、或いは引き分けに何とか持ち込んだ。
だから天皇という権威というのがもの凄く近代化には役に立った。
しかしその後はどうかというと、その勢いでうぬぼれていて世界に挑んでアメリカ民主主義に惨敗した。
コテンパンにやられた。
ところが日本は凄いことにそのアメリカへ習合、これをかんぴょうとしてスイカの日本が接がれた。
資本主義、これを学んで経済を営んでいる。
天皇というのは何者なのだ?
武力を持っていない。
昔は「近衛兵」という天皇の軍隊があったのだが、今はそんな存在ではない。
プーチンとは違う、習近平とは違う。
でも力を持っている。

これは門脇佳吉や河合隼雄氏が言っていた「中空構造」の問題ですね。(30頁)

「中身が空っぽだ」「だから上手くいくんだ」と。
ところが「中空構造」、中身が無いからイライラした頭のいい人がいて大江健三郎という方。
「あいまいな国、日本」とか。

あいまいな日本の私 (岩波新書 新赤版 375)



三島由紀夫さん。
左に傾く日本のことをもの凄く苛立って、ああいう最期を遂げられたワケだが。
内田樹先生と釈さんは面白い人で、三島も大江健三郎もロゴス的である。
ロゴス、言語的である言葉的である。
だからあいまいとか矛盾とかを許せない。
でも天皇というのはどう考えても矛盾なのだ。
非常に聖なる存在でありつつも卑しいものと最も接近しておられる。
「事実であり事実ではない」という矛盾を天皇は平気で認めるという。
内田氏は「ロゴスで築いてきた人間の文明が、今、ピークアウトしている、終わりつつあるのではないか?世界を見回すと、戦争がもうロゴス、言葉では治まらない。とにかくロゴスで築いた民主主義、或いは共産主義、そういうものが崩れつつあるんじゃないか?」という。
武田先生も「そうかも知れないな」と思う。
では次はどんな時代が来るかというとロゴスではなくて「レンマ」の時代。
レンマとは何かというと直感の時代。
感覚や原始的な判断。
そういうものが人間に求められるという時代が来るのではないだろうか?
凄く面白い例え。

 孟嘗君は「食客三千人」と言われましたけれど、その中には「泥棒の名人」とか「鶏の鳴きまね名人」というような何の役に立つのかわからない食客もいました。でも、後にこの泥棒が盗み出した宝物のおかげで王の怒りをとりなし、鳴きまね名人のおかげで、まだ夜なのに函谷関の門番に「もう夜が明けた」と思わせて、追手から逃れることができた。これが「鶏鳴狗盗」という故事ですけれども、まさに「そのうち何かの役に立つかもしれない」と思って徒食させていた食客たちが孟嘗君の危機を救った。(56頁)

これが「習合」と「レンマ」「直感」の知恵。


2024年03月09日

2023年8月14〜16日◆〔夏休みの宿題〕ひとりあそび

(二週間で三冊を取り上げたのだが、その中の一冊目の本の箇所に該当する三日間の部分だけを抜き出した形で掲載する。二冊目は「放っておく力」三冊目は「極意を目指して」

(これが放送された当時)夏休みの最中ということで、もしお聞きの若い方がおられたらこれから二週間、君達の為の「(今朝の)三枚おろし」にするので是非聞いていただきたいというふうに思う。
この本、面白いなと思った。
「ひとりあそびの教科書」河出書房新社、(著者は)宇野常寛さん。

ひとりあそびの教科書 (14歳の世渡り術)



副題は「14歳の世渡り術」。
(副題ではなく、この本を含むシリーズの名称)
この宇野さんという方が14歳の少年や少女の為に書いた一冊。
武田先生は70(歳)を超えているから、そういうのに比べると、非常に若い方が少年と少女に特化して世渡り術を教えるという。
14歳というと中学校二年生ぐらい。
「この世代に向かって言いたいことがある」と。
この宇野さんがおっしゃりたいのは「世界のしくみがもの凄い勢いで今、変わりつつありますよ」という。

 いまの世の中を一番強い力で動かしているのは、このグローバリゼーションとコンピューターの発達が組み合わさった分野の産業だ。(17頁)

携帯電話は2000年には世界人口のうち約12.1%しか普及していなかった。しかし2013年の普及率は90%を超えていて、さらにその10年後の現代(2023年)で人々に使われているのは、そのほとんどがスマートフォンだ。(18頁)

道具に関してこれほど変わり身の早いサルは、サルの中でも人間のみ。
ここで一番大事なことで、武田先生が余計なことを付け足すが、このグローバリズムとコンピューター、そして情報機材の発達。
これが中国、或いはインド、アジアの後進国、これを急速に発展させた。
日本は文明開化をやっている。
それでどこから通信が始まったかというと、電信柱から始まった。
狭い国土の中、一本一本電話線を引いて、電気の線と電話線と引いて、受け付けのお嬢さんが線を繋ぎ合わせて声を届けたという。
それがもう今や・・・
中国は電信柱の苦労を一切していない。
武田先生が言いたいのはそれ。
(中国にも電信柱は)あるが、街ができていくたびに電信柱が伸びたという電信柱ではない。
圧倒的に中国を支配したのはスマートホン、携帯電話の系列。
つまり、どこか基地局が一局あって。
だから国民一人一人に目が届く。
日本は一本一本電信柱を立てるところから通信事業・電気事業が始まったという。
そういう苦労を一切せずに成功させたのが中国だが、これもやはりコンピューターとグローバリズム。
「世界の知恵を集めた」という、いいとこ取りだったという、それが強みに今、なっているワケだが
ところがこの宇野さんがおっしゃっているし武田先生も同感なのだが、このグローバリズムというのがつまづいた。
何でつまづいたか?
一つはコロナウイルス。
つまり「あまり互いに個人が国をフラフラ旅をして歩けるようでは、あっという間に感染症は広がりますよ」という。
昔は数か月かかった感染症のスピードが最近は一週間、十日で世界を一周できる。
こういうウイルスの感染の度合いも速くなった。
そしてもう一つはウクライナ・ロシア戦争。
ロシアの人達が始めたものだから。
世界は二つに今、分かれている。
それは個人を大事にするか、全体を大事にするか、その戦い。
個人を大事にするのは、我々、日本も属しているが民主主義。
そして「全体を大事にしよう」というのが専制主義の中国とロシアになるワケで、ウクライナの人々が一番欲しいのは「個人の自由」。
今、いろんなことがあふれ出していて、「何が正しい」とか「こっちがいいぞ」とかというのは言えなくなった。
「みんなが言う方がいいんだ」という人がいる。
「いいや。ひとりを大事にしない限り何の為のみんなだ」という、そういう考え方。
それが今、ぶつかっている。
今、世界の問題を煮詰めると、宇野さん曰く「ひとり」というのをどう意味づけるか?「ひとり」というのをどういう価値を置くか?
「ひとり」って一体何だ?
どうすれば「ひとり」ということができるんだろう?
宇野さんは若い14歳の少年や少女達におっしゃっているのは、人間の「ひとり」の一番重要なことは

 このあたらしい世界では、人間の仕事は「コンピューターにはできないこと」になる。(20頁)

「ではひとりでできることとって何?」と訊いたら宇野さんは「ひとりあそびできるかどうかだよ」。
「なるほど。『ひとりあそび』か」とこの方の本を読み続けたワケで。

宇野常寛さんがお書きになった「ひとりあそびの教科書」、副題「14歳の世渡り術」。
河出書房新社の一冊。
非常にわかりやすい本で。
写真も多いし。
読みやすかった。
それと、こういう方に自由に本を書かせる河出書房は素晴らしい出版社。

この宇野さんのおっしゃっていることは何か?
人間というのはどういう価値があるんだ?どういう意味があるんだ?
コンピューター時代だけれども、コンピューターにできないことをできるのが人間だとすれば、人間にできることは何?
宇野さんは「それはあそびだよ。ひとりあそびができるかどうかが人間の基準なんだ」。
私達の基本は「ひとりあそびできるかどうか」。
ひとりあそびができる人のトップバッターで「この人は偉いな」と宇野さんが褒めてらっしゃるのがスティーブ・ジョブズ。
この人はあまり周りの人と上手くできなかったようだ。
何で遊んでいたかといったらコンピューターで遊んでいた。
つまり「コンピューターで遊んでいる」という「ひとりあそび」ができた。
そういう人だからコンピューターの開発ができたのではないか?
何かそういう発想が面白いなと思って。
では「ひとりあそびができない人」はどんな人になるかというと、やたらと人を使う。
ひとりあそびをやることが、実は今、私達がこれから人生を生きていく中での基本なのではないか?
この宇野のお兄さんが14歳の少年や少女に「いいこと言うな」と思うのは

 そもそも「あそび」とは「何か」のためにやることじゃない。それ自体が「おもしろい」「楽しい」からやるものだ。何か目的をもってしまった時点でそれは「あそび」じゃない。(47頁)

それをやっていると何かが上達するとか、「あの人が凄いって褒めてくれる」とか、その為に遊ぶんだったらそれは「あそび」ではない。
自分が楽しいかどうか。
それだけが大事なんだという。
周りの評価が欲しいんだったらば、それはもう遊びではない。
練習。
この宇野さんのシンプルさで「じゃあ、ひとりあそびってどうやればばいいんですか?」「自分でどうやって楽しめばいいんですか?」と訊いてきた14歳の少年や少女に宇野さんが本の中で勧めていることが非常にシンプル。
走ること。

 僕は30歳になったばかりのとき、自分でも気がつかないあいだにとても太ってしまっていて、あわててダイエットしたことがある。(45頁)

ダイエットで走り始めた。
ところが走っているうちにもうダイエットなんかどうでもよくなった。
走っていると街の様子が分かるし、上り下りがわかるし、季節の変化がわかるし、風の吹き方がわかるし。

最初は3キロメートルでもつらいと思うかもしれないけれど、週に1度か2度のペースで2、3か月くらい続けると、5キロメートルや7キロメートルを走っても平気になっていく。1年もすればたいていの人は10キロメートルくらいは知らないと物足りなくなるだろう。(76頁)

 走る時間は、やはり朝がオススメだ。(77頁)

(これ以降は本の内容とはかなり異なる)
この方は「ただ走ってるだけじゃつまん無ぇだろ?」。
何せ14歳の少年や少女達に言っている生きる術、生存術を説いておられるから。
走りながら虫を探せ。
一人でグルグル走っていると、カブトムシがいる森とか林、公園が必ずある。
それを探していくだけで会話がなくても、もの凄く楽しくなる。
それが自然の世界の素晴らしさで「つまらない」なんて思うことは絶対にないから。
それから物の収集。
「どんなにつまらないものでもとりあえず集めてみようよ」
この人がやり始めたのが仮面ライダーのグッズ。
この人はどんどんいろんな方向に行く。
仮面ライダーは凄く長い物語で、この著者の宇野さんでさえ、仮面ライダーの歴史の真ん中ぐらいに生まれた人。
水谷譲はワリと初期の仮面ライダー。
武田先生達は仮面ライダーは思い出がある。
好きだった。
「バッタの顔をしている」というのが何ともはや、好きだった。
やはりヒーローだから男の子も女の子も好きだったと思う水谷譲。
その仮面ライダーの歴史をずっと辿りながら「小さなグッズでいいから集めてごらん」という。
オダギリジョー、佐藤健、藤岡弘、竹内涼真。
だから「つまらないことでいいから無我夢中で何かを追いかけてごらんよ」という。
スタートは善と悪とが闘うヒーローものだが

『仮面ライダーアギト』という作品が−中略−サイコサスペンスと呼ばれるドラマ−中略−の物語の要素を取り入れたものだとわかった。(132頁)

「話の持っていく先がわからない」と言って水谷譲がしきりに首をひねっている。
とにかく「ひとりあぞび」。
何でかというと、ちょうど夏休みの最中。
だから夏休みの最中に早起きしてラジオ体操帰りの少年や少女達に聞いていただければいいなと思ってこういう話を。
何か上手く言えないが、この著者、宇野さんがおっしゃる「ひとりあそびできないとダメだよ」というのはもの凄く大事なことだと思う。
「ひとりであそぶ」
では何をして遊ぶか?
「走ればいいじゃん。走るのに飽きたら虫探せばいいじゃん。それから走りながら駄菓子屋さんに寄ってガチャポンでもいいから小さな安いものをたくさん集めるという収集を一人で楽しめばいいじゃん。その中で仮面ライダーなんか面白いよ。あれは『200円で買えるアート』なんだ」
水谷譲も(仮面ライダーは)小さい頃見ていた。
(原作者は)石ノ森章太郎。
石ノ森章太郎は何であんなに漫画の絵が魅力的なのか?
石ノ森章太郎は陰影がはっきりしている。
漫画の中に光と影がある。
「佐武と市(捕物控)とか、「サイボーグ009」でも明るい部分と暗い部分がある。

佐武と市捕物控(1) (石ノ森章太郎デジタル大全)



サイボーグ009(1) (石ノ森章太郎デジタル大全)



武田先生は石ノ森章太郎が描く入道雲が好き。
明暗が凄くあって「もうすぐ雷が鳴って、雨が降り出すぞ」という入道雲を描く。
「何でかな?」と思ったらあの人は東北の人。
だから夏を描く時に明るさと暗さで描く。
武田先生はそのセンスが凄く好きで。
昔、石ノ森章太郎の記念館があってそこに一回遊びに行ったことがあって。
一生懸命石ノ森記念館を盛り立てようする人達がいて、そこをプラッと寄っていたら会館の人に「あっ、武田鉄矢だ」と気付かれて、気付かれないようにそこを見て表を歩き出した。
石巻の町に出た。
そうしたら後ろから(会館のスタッフの)女の子が追いかけてきて。
そのお嬢さんが「サイボーグ009」と同じ格好をしている。
それでちょっと北の訛りで「お茶でもいかがかと思って。館長がお茶でもどうぞと言ってますから、ちょっと寄ってみてください」とかと言われると何か泣けてきてしまって。
その時に石ノ森章太郎さんが北で体感した風とか日差しとか、そういうのをもの凄く感じた。
石ノ森章太郎という人も、ひとりあそびでバッタを捕まえて遊ぶうちに、あのデザインを思いついたのだろう。
「変身!」と言いながらバッタに自分がなって空中を飛ぶというのは素敵なイメージ。

夏休みにゴロゴロしている少年や少女がいるのではないかと思ってこんなテーマを取り上げてみた。
少年や少女達の先輩である著者は、ひとりあそびを次々と提案する。

『三国志Z』というコンピューターゲームだ。−中略−
 プレイヤーは、その時代を生きた武将たちからひとりを選んでプレイする。劉備や曹操や諸葛孔明といった有名な武将を選ぶこともできれば
(173頁)

「テツヤ」というキャラクターを作って曹操の子分にして潜り込ませる。
ロールプレイングゲーム。
そのテツヤの働きがいいと、曹操が褒めてくれて、部隊をたくさん任せたりしてくれるという、そういう展開ができる。
これは頑張ってやると中国の歴史をひっくり返してテツヤが三国志の天下統一をやる、そういう流れも作れる。
天下がとれたらもう一回またオリジナルの武将をつくって、このゲームに参加させる。
するとガラリと変わった中国の歴史が、自分なりの中国の歴史ができる。
このゲームを見たら習近平は怒るだろう。

「機動戦士ガンダム ギレンの野望」というシリーズがある。これは先ほど説明した「三国志」シリーズのようなゲームが、アニメ『機動戦士ガンダム』シリーズを舞台に展開するものだと考えればいい。(178頁)

「信長の野望」「ギレンの野望」「アクシズの脅威V」
これもゲームのストーリーから自分の作ったキャラをゲームそのものに潜り込ませて違うゲームに作り替えることができる。
本当に申し訳ないのだが、ここに上げられたゲームは武田先生は何一つ知らない。
仮面ライダーで終わってしまっている。
「私が知っているのはインベーダーゲームとストリートファイトだけです」と(武田先生のノートに)書いてある。
このお兄さんが言っているのは「そこまであそぶんだ」という。
「何をするにも群れるのではなくて、ひとりでとりあえずやってみな」ということ。
そのことはちょっと遊びの常識としてとても大事なのではないかと思って、あえて紹介してみた次第。


2024年03月05日

2024年1月8〜19日◆ストーカー(後編)

これの続きです。

(著者は)ブラン・ニコルさん、青土社から出ている「ストーカーの時代」。
これを三枚におろしている。
大変申し訳ないが、このブランさんがアメリカに於けるストーカーのことを語っておられて、アメリカでのストーカー映画の紹介をしているのだが、そのうちの50本話しているとすると3、4本しか見ていないものだから、何が書いてあるのか全然わからない。
だからストーカーを事細かく分析した映画のところは説明する能力がないのでスッ飛ばしている。
ただ、この方がストーカーの本質について語り出したところから急激に面白くなる。
このブランさんは、現代のショービジネス、日本の芸能界でもそうだが、実はストーカーというのを人気の牽引力にしているのではないか?という。
ストーカーみたいな人というのを作っていかないとアイドル戦線というのは盛り上がらない。
だからストーカーとアイドルの関係というのは表裏一体ではないか?
昔でいったら「親衛隊」とか「おっかけ」だと思う水谷譲。
ストーカーの特徴の「おっかけ」を日常の行動としてやるワケで。
それからもうテレビでも言ってしまっているから言ってしまっていいのか。
武田先生が「モーニング娘、じっとして歌え」という、そういう歌を作ったことがあるが、
(海援隊「ダメージの詩」の「茶髪の娘が踊りながら テレビで歌っている あまりの動きの素早さに 見ていて疲れるじっとして歌え」を指していると思われる)
モーニング娘の人と話していたら、ゴミなんかが凄い。
(熱狂的なファンが)ゴミを持っていく。
ストロー、使ったティッシュから何から持っていく。
三文字のアルファベットのアイドル達なんかはストッキングは捨てられないわ何は捨てられないわ。
そういう生活を送ってらっしゃるのだろうが、大変申し訳ないがそういう人達が彼女達の人気を牽引しているワケで、一人でCD・レコードを50枚、100枚買ったとか、投票権を何枚持っているというのがステータス。
握手券とか。
武田先生達のような先発の芸能人にはよくわかりかねるような、そういう人達との結び付き。
このブラン・ニコルさんの説の中で実は現代のショービジネス・芸能界に於いて短時間で成功するコツは他人の幻想を助長し妄想の対象になること、つまりそういうストーカーのファンを増やすことが必要なのである、と。
つまり何十人もの無我夢中のおっかけを持っているということが人気があるんだとか、テレビ業界も全部それで動く。
作品の内容よりも、その子が出ていればそれでチャンネルを合わせてくれるという。
そういうファン層とか固定層を持っているというのは現代の視聴率で競う世界では力になるワケで、テレビ局が高い評価を与えるのは当たり前。
その人の本当の姿などよりも、その人のイメージ、或いはその人のキャラ、容姿へのこだわり、そのようなポップカルチャーが繁盛する為にはストーカーが必要なのであるという。
そのあたりから武田先生は考え込む。
もしかするとストーカーは芸能界が作っているのではないか?という。
境目はわからないが紙一重なところはあると思う水谷譲。
それで武田先生にはわかりかねると思うのだが、逃げられない。
「オマエもそういうものにあやかって生きてきたんじゃないの?」或いは「今、生きているんじゃないの?」「その反省はオマエもしてた方がいいよ」。
ストーカーの人の立場に立ってみれば

「どのようなものでも得る資格がある世界で、私はなぜあなたを得ることができないのか?」に従った結果だと考えられるだろう。(102頁)

コーラ、マシュマロ、ファストフード。
それと同じようにアイドル、タレント。
ここにストーカーの本質があるのではないか?
何が言いたいかというと、ストーカーが出てくるには出てくる基盤が必要で、これが都市生活者。
吉幾三を追っかけ回すストーカーは見たことが無い。
わからないがいるかも知れないと思う水谷譲。
あの人が「ストーカーに自宅をいたずらされた」というのは聞かなかったもので、使ってしまったが。
一発当てた吉幾三。
自分の古里に大理石の御殿を建てて、ご近所のお百姓さんの方が吉のところの豪邸のことを「ホワイトハウス」という名前を付けた。
立派な石造りの白い石。
彼も「千昌夫の跡継ぎだ」とかと胸を張りたかったのだろう。
冬場、家に帰ったら家が見つからない。
雪に埋もれて。
全部真っ白なので自分の家が見えない。
「俺この辺りに家建てたんだよ!」と言いながら。
多分ネタ。
その話が武田先生は大好きだった。
「見つから無ぇんだよ。ホワイトハウスが雪に埋もれてよ!」
面白いことがいっぱいある。
アイツが「島、買わ無ぇか」と武田先生に話しかけてきて「おい、鉄っちゃんよ、島買えよ。いいとこ。ハワイ押さえたんだよ!俺が」。
「どんな島だ?」「子供喜ぶよ。後ろ火山だよ」「裏庭に火山がある」と言って。
「マグマが吹いてんだよぉ」
誰が買うか。

ブラン・ニコルさんがお書きになった「ストーカーの時代」なのだが、ニコルさんは、ストーカーは発生条件として都市生活者である。
これはちょっと武田先生が日本風に意訳したのだが、ストーカーを発生させる為にはコンビニがないとダメで。
コンビニは必ず週刊誌が売っていて、「文春」「新潮」「FLASH」そういうものが並んでいないとストーカーは出現しにくい。
何故かというとニュースメディア、或いはスキャンダル雑誌、或いは私立探偵等々の仕事、尾行、絵を撮るヤツと録音するヤツの隠し撮り、それから盗み撮り、そういうことで職業としてその人を尾行して、その人の素行を洗うとかそういう仕事が仕事としてあるところにストーカーは発生しやすい、という。
津軽平野で電信柱の陰に隠れてずーっと見張っているということはもう雪が降り出したら不可能。
雪男とか雪女になってしまう。

これは本当に余計な話だが武田先生は思っている。
今「文春砲」というのがある。
これは一発当たると個人の生活は粉々に砕け散る。
ニュースメディア、或いはスキャンダル雑誌という。
「何であんなにスキャンダルを好むんだろう?」と思う。
あれはやはり一発のスキャンダルを掴む為に取材費は相当カネがかかるようだ。
相当の取材力もある。
あの執拗さは一体何だろう?
これは文藝春秋の歴史を調べていて思ったのだが、あれを始めた人はご存じの如く菊池寛という作家さん。
菊池寛の友達が芥川龍之介だったりする。
菊池寛というのは何で月刊誌の中にスキャンダルを盛り込んだのか?
文学者。
菊池寛という人の物語を読みながら思ったのだが、菊池寛がスキャンダルで暴くというともう創刊号からやっている。
それで評判を呼ぶ。
「もっと違うスキャンダル知ら無ぇか?」と尋ねてくるのが芥川龍之介。
つまり、菊池寛も芥川龍之介も何を思ったかというと「スキャンダルの中に見る人間の手触り」みたいなもの。
そういうものを文学作品に生かす為には、ネタとして人間のスキャンダルが必要だった。
芥川なんか、もの凄く「あのスキャンダルどうなった?」と言いながら訊いたらしい。
だから芥川の作品で、時代が置き換わっているが「羅生門」とか「藪の中」とかというのはスキャンダル。

藪の中・将軍 (角川文庫)



強盗が貴族のお姫様を暴行してしまう。
或いはみんな嘘をついていてどれが本当かわからないというのを「藪の中」という、それを映画化したのが 黒澤(明)で、「羅生門」というタイトルを付けたら嘘ばっかりついていてどれが本当かわからないのを英語で「rashomon」と言う。

羅生門 デジタル完全版



つまり、スキャンダルの中には文学が目指す人間の手触りがある。
そうやって考えると文春さんが凄く頑張られるのも、新潮さんがスキャンダルに関して頑張られるのもその文学というものを一番奥底に秘めているのはスキャンダルだからではないか?という。
「映画もまたしかり」で、ストーカーは映画の格好の素材になり得た。
これは一番最初にお話しをした1971年、スティーヴン・スピルバーグ、これは映画デビュー作。
これは若い人に見て(欲しい)。
面白い。
スピルバーグの「激突!」。
スピルバーグの才能。
田舎町を走る車がある。
これが中央車線をのろのろと走って行くディーゼルトラック、コンボイが邪魔でパッパー!とクラクションを鳴らして追い越す。
この追い越した瞬間から恐怖が始まる。
それはコンボイがずっとこの車をいわゆる「煽り運転」だけではない。
鉄道が走るので遮断機の前で止めている。
そうしたらコンボイが列車通行中にも関わらず後ろから押す。
あれは怖かった。
それで最後が凄い。
この車対車といってもコンボイという巨大なトラックと乗用車の対決があって、最後にコンボイは千尋の谷に落ちてゆく。
一体何ゆえの憎悪だったのか全くわからないという。
これがまさしく現代の恐怖。
人から憎まれる理由がわからない。
その真ん中に実は「ストーカーの憎悪」というのがあるのではないか?と。
この、いわれのない全く身に覚えのない憎悪を突然人から受けてしまうという「煽り運転の恐ろしさ」みたいな映画だったのだが、この全く逆というのがあって、昨日の「激突!」は「いわれの無い憎悪」だったが、今度は「いわれのない愛情」を受けることがある。
見知らぬ人から動機もなくとにかく愛されてしまうという。
これは怖い。

エロトマニア(恋愛妄想)がそうで、これは逆の全ての証拠があるにもかかわらず、患者が誰かが自分に恋していると完全に確信している状態である。(140頁)

エロトマニアたちは−中略−「私の愛する人は、私を憎み傷つけたいと思っているように見えるかもしれないが、本当は私を愛している」。(142頁)

それは性的欲望以上のものである。同時にまたそれは性的な愛や「プラトニック・ラブ」以上のものである。(146頁)

何というか、ほとんど狂気であるという。
「エロトマニア」、動機もなく人のことを好きになり恋の相手にしてしまうという。
これをブランさんは「これこそポップソングの原点ではないだろうか?」。

一九八三年のポリスのレコード「見つめていたい」は、よく美しいハートフルなラブソングと誤解される。−中略−この歌が多くのストーキング・スリラーやストーキング研究のタイトルとして使われる理由である。(147〜148頁)

(ここで本放送ではポリスの「見つめていたい」が流れる)

見つめていたい



そうやって考えると、今流行っている日本のJ-POPもストーカーの心情ではなかろうか?という。
ずっと後ろから女の子を付けていくような歌。
女の子が男の人を待ち伏せしている(ような歌が)あると思う水谷譲。
抗議が来るのであまり具体的に言うのは辞めた方がいい。
これが面白くて著者はこれもまかり間違えばストーカーであるという映画がある。
有名な映画。
(ここで本放送ではサイモン&ガーファンクルの「サウンド・オブ・サイレンス」が流れる)

「卒業」である。(149頁)

卒業 [DVD]



「卒業」という映画はストーカーの映画ではないだろうか?
ベンジャミン・ブラドックが実家に帰ると、そこで青年ベンジャミンを誘惑する熟女がいる。
ミセス・ロビンソンという人がいて、この人と肉体関係を持ってしまう。
それに困ったことにこの不倫相手、ミセス・ロビンソンが自分の娘のエレーンを紹介してくれる。
ベンジャミン・ブラドックがエレーンに一目惚れしてしまう
それでその母親との関係もありながら、エレーンが諦めきれずに彼女のことを追いかける。
エレーンはベンジャミンと母親の関係を知っているので、別に男の人を好きになって、その人と結婚をする為に遠くの町に去ってしまう。
それをベンジャミン・ブラドックが追いかけていく。
それで彼女が生活しているのを花壇の向こう側から眺めている。
彼女が何気なく歩いているのをジーっと(ブラドック役の)ダスティン・ホフマンが見つめていて
(ここで本放送ではサイモン&ガーファンクルの「スカボロー・フェア」が流れる)

Are you going to Scarborough Fair?(サイモン&ガーファンクル「スカボロー・フェア」)

という。
でも、あの流れてくる歌を「スカボロー・フェア」にせずに「ジョンジョンジョンジョンジョンジョン・・・♪」とかという「ジョーズ」にしたら完璧なストーカー。



この映画の有名な結末は、ブラドックがエレーンとカールの結婚式を中断し、式場で半狂乱になって彼女を略奪し、ふたりで駆け落ちするシーンである。(150頁)

旦那さんは止めるわ、ミセス・ロビンソンも止めているのに、十字架を振り回す。
それを錠前にして出られないようにして逃げる。
花嫁と奪った男、という。
それで夕暮れのバスに二人で乗り込んで夕闇に向かって去ってゆくバスをラストにして
(ここで本放送ではサイモン&ガーファンクルの「サウンド・オブ・サイレンス」が流れる)

Hello darkness, my old friend(サイモン&ガーファンクル「サウンド・オブ・サイレンス」)

という詞が流れる。

サウンド・オブ・サイレンス



単なるハッピーエンドではないところが深いところ。
でもあれは最後がなければ本当にストーカー。
最後にエレーンが「警察を呼んで!」とか言われれば、あれはストーカーで終わっている。
「なるほど。『卒業』はまかり間違うとストーカーの映画か」と思い当たった時、(武田先生の)頭の中に稲妻が走った。
「あっ!俺がやったあの作品も、あれもストーカーの物語じゃないか!」
「101回目のプロポーズ」

101回目のプロポーズ [DVD]



前の死んでしまった恋人のことが忘れられないという女性(矢吹薫)につきまとって武田先生(星野達郎)はトラックの前に飛び出すわ何するわ。
「僕は死にません」なんて言いながらトラックの前に飛び出すなんていうのは。
(ここで本放送ではCHAGE and ASKAの「SAY YES」が流れる)
もう、ストーカーとあまり変わらないじゃないか?
しかもタイトル曲がもうストーカー。
ドラマの合間に流れたあの主題歌。
「SAY YES」

SAY YES



だって「SAY YES」は日本語で訳せば「はいと言え」。
脅迫的、暴力的な主題歌だった。
愛というのはどう見てもストーカー行為でできているという。
この解釈。
この本に書いてあった、このブランさんの指摘だが、私達はストカーの文化の中に実は生きているのだ。
このブランさんのご意見にちょっと武田先生も思うところがあって、恋愛はストーカーまで行かない、ただ一点の自分を持っていないといけない。
それは恋している自分を笑えるか否か。
その人に振り回されている自分を「バカだなぁ」と大人の笑いを浮かべられるかどうかがストーカーに行くか行かないか。
エレーンを求めたベンジャミンも薫さんに恋をした星野達郎、それもどこかで自分をどこかで自分を笑っていた。
ダスティン・ホフマンのあのラストシーンの絶妙な笑顔。
ただ単に「恋を必死に貫いた男」というよりも、「ここまで好きになってしまった自分がおかしい」という。
それを自覚できるという。
自分のバカさ加減をきちんと認識できる。
それが苦笑いの自嘲となって「一歩踏み出さない自分」という自分というのの確認のポイントではないだろうか?
だから一番最初に申し上げたように、女の人が去っていく、追わない、後ろ姿を見ている。
そこに歌が生まれてくる。
ストーカーとは何かというと

 私はコントロールを断念する
 私は私をコントロールする必要がない
 私は他者に依存するようになる 私はその他者が必要だ
 その他者は私を必要としない
(191頁)

一歩下がって「私は私をコントロールできる。私はあの人を必要とする。あの人は私を必要としていない」。
そのことをちゃんと認識できる。
ここに大人があるのではないか?
今はネットの世界だから、例えば昔付き合った人とかちょっと今気になっている人を普通の人でも名前を検索するとその人のブログとかが出てくる。
誰かを調べたりするというのはストーカーの最初の部分だと思う水谷譲。
本当に微妙な部分だが、ここに大人と子供の差がある。
去年の暮れぐらいか大騒ぎになった男のホステスさんに借金しても新宿でちょっと言葉は悪いが「たちんぼ」をやったり、海外まで行って体を売るみたいな犯罪に巻き込まれていく女性のことがあるのだが、この彼女達には自嘲がない。
「自分のバカさを笑う」というのは大事な大人達の流儀。
そんな気がして。

 私たちが「正常な」愛と考えるものにすら、妄想的な何かがあることは事実である。(162頁)

愛とは偏執的思考により立ち起こり、現実を誤って認識しなければならない。
そういうことにスイッチが入ってしまう。
「全ての恋愛は誤りである」
これは武田先生の言葉。
ブラン・ニコルさんからは離れてしまった。
これはもう武田先生がブラン・ニコルさんのストーカーの本を読みながら思ったこと。
やはり「恋愛というのは非常に危険だ」とおっしゃるのだが、でもみんなする。
この方の説に従って言えば、全ての恋愛は誤り・間違い。
なぜ「間違い」かというとお互いを誤解することによって恋愛はスイッチが入ってしまった。
これが恋愛として上手に一生貫くものとして成立する為には何かというと、お互いが誤解しているのだが、誤解の分量がピッタリ同じだと一生持つ。
同じじゃないとダメ。
だから年取って離婚する人がいるが、もったいない。
せかっく誤解したので、間違えたんだから最後まで間違いを貫きましょう。
ちょっと自分に言い聞かせているようなところもあるのだが。

今お話しした話(この日の冒頭で、先生に「自画自賛」の意味を問われて友人が「痔を持っていて手術をしない人」と答えた話のことだと思われる)はコンサートで使おうと思っているネタで。
とんでもない四文字熟語の理解の仕方をするヤツがいる。
それが武田先生は凄く好きで。
リードギターの千葉(「海援隊」の千葉和臣)が武田先生に教えてくれたのだが、「『暗中模索』とはどういう意味か!」と言ったらあんまり頭のよくない同じクラスの子が手を挙げて「はい!『モサクではありませんか?』」と。
「Aren't you Mosaku?」「あなたはモサクではありませんか?」
先生が「バカ!」と言ったらしい。
とにかくこれはコンサートで使うので皆さん一回忘れてください。
コンサートで使ったら笑ってください。

というワケでストーカー。
これは本当にブラン・ニコルの本を読みながら「恋愛というのは一種、過ちである」と「愛とは偏執狂的思考によって立ち起こり、現実を誤って認識している」と。
現実を誤って認識しなければ恋愛なんかしない。
ということは全ての恋愛は誤りである。
ただし男女でこれが恋愛として成立する為にはお互いの誤解が全く同じ分量である。
だから女の人が80%誤解して男が20%だと悲劇になってしまうが5:5だと同じぐらい間違いだということで、これは立派な恋愛・愛であると。
いずれにしろ私達が異性に関して恋愛なんかしてしまうのは、どこかストーカー的なのである。
その人を空想し、その空想を作ることが喜びになった時、もう誤解は始まっている。
「愛とは誤解であること」を知りつつ、その人に与えることにより与えられているという現実が愛なのである。
このへん、ワケのわからないことを言っているが、「寅さん」も一種妄想。
寅さんもあれも妄想の恋愛。
その妄想とか誤解の分量がピッタリ同じだった時に・・・
山田洋次という人は上手い。



あの(寅さんの妹の)さくらがドキドキしながら(リリーさんに)訊く。
「うちのお兄ちゃんと結婚してくれたらって。アタシそんなこと妄想しちゃった」みたいな。
そうしたらリリーさんが「いいよ。一緒になっても」みたいなことを言う。
そうしたらもう、とらやの連中がワーッと喜ぶ。
そこへ寅さんが帰ってきて、さくらが嬉しくてたまらず寅さんに報告する。
「リリーさんね、お兄ちゃんと結婚していいって言ったのよ」という涙が出るような一言。
だが寅さんは誤解の分量がピッタり、リリーと一緒ではなくてリリーを叱る。
「なぁ、リリー。ここにいるのはカタギの衆でな、冗談がわかんねぇんだよ。オマエもからかっちゃダメだよ」と言うとプっとリリーがふくれる。
恋愛というのは同じ分量間違えないと・・・
「間違え続けよう」という決意が夫婦である。
「間違えてしまった」という若き日の恋心を苦笑いと照れ笑いの中で結婚という事実を、事業を完結するのである、と。
いいことを言う。
これこそ自画自賛。
痔でありながら手術をしない人。
「ジガジサン」(「痔が治さん」あたりかと思う)
「あの人を恋して幸せになろうというのはストーカーだぞ。あの人となら不幸せでもかまわないと決意することが恋愛なんだよ」
これはいい。
これは今度本に書こう。

この「ストーカーの時代」をお書きになったブラン・ニコルさんだが、この一冊に関しては文学、映画、ポップス、エンターテインメントの中に潜むストーカー的なものを探り出している、と。
アメリカの作品ばかりを例に挙げている為、武田先生が知っている作品が非常に少なく、強く頷けるところは無かったけれども、読みながら武田先生はこんなふうに読み解いた、三枚におろしたということ。
ストーカー事件、或いは性暴行、少年少女に対する破廉恥な異常性愛等々、多発するのはなぜでしょうか?
それは「誘惑するという行為が恋愛ではなくエンターテインメントとして公認されているからでしょう。ポップカルチャーの中、エンターテインメントの中にそういう要素ないですか?」という。
正義も倫理も自分の身の内からもう一回語り直そうとする努力をしないと、性犯罪というのは頻発するのではないだろうか?
時代そのものから事件を探ってみる。
そういう意味に於いて、武田先生はこの「ストーカーの時代」というものを読みました、という。
ちょっと屁理屈が長かったが。
多分きっと誰の心の中にもストーカーの気持ちは何かしらあると思う水谷譲。
そこから恋愛が始まるワケだから。
それをどう常識的に抑えるかということだと思う水谷譲。
その手練手管をニュース番組も語ってくださいよ、そんなふうに(思う)。
今はテレビは時間もないのか。
じゃあラジオで語りますか。
こんな時間から、朝っぱらから。
でも「(今朝の)三枚おろし」は何かそこを目指していきたいという。
ほんの僅かでもいい。
「起こった事件を人ごとにしない」というこのポジションを高く高く志に抱いて番組を続けていきたいと思う。
自画自賛が続いたが、来週はまた自画自賛できる三枚おろしをまな板に乗せたいと思う。


2024年1月8〜19日◆ストーカー(前編)

まな板の上は「ストーカー」だが、昨年あたりも皆さんはどこかでお思いになったと思う。
「理解できない犯罪」というのがニュースで流れている。
ワケのわからないニュースがある。
水谷譲は子供をいじめて親が殺してしまうとかは全く理解できない。
それから少年達が2、3人集まってトンカチを持って盗みに入って盗もうとしたらお店の人が叩き出したので慌てて逃げるみたいなのがある。
あの少年達は盗みに入ったそのお店の人が反撃しないとでも思っているのか?
羅列されてゆくニュース。
よく出てきそうなのがストーカー、児童虐待、そして少年、或いは少女に対する異常性愛。
これも先生が、或いは芸能界で、というようなことがある。
後はDV。
性的関係を続け、別れ際に相手を殺害するというような「なんじゃオマエは?」と。
それから国際的にはテロリズム。
世界のあっちこっちでテロのような戦争が始まっている。
その他には暴露系ユーチューバー、或いは迷惑系ユーチューバー。
強盗、或いは、おっかないのが殺人とか痴漢、恐喝。
この人達が起こした犯罪。
その手の犯人達が引かれて出てくる。
警察署の裏口から護送車へ乗り込むまでの数十歩。
それをずっとニュースは映していて、日本ではフードをかぶせたりという体で、あまり顔がはっきりわからない(状態で)、護送車に乗るまでの数十歩をキャメラが映すワケで。
そのキャメラの存在に気が付いて慌てて下を向くもの、それから憮然と睨む者、中にはニタッと笑うヤツまでいる。
それをニュースメディア・テレビメディアが伝えるワケだが、そこまで彼等をキャメラで映しておいて、ある意味で晒しておいて、触れられないのが「何でその犯罪を犯したのか?」という。
それが前から不思議で。
「何でその犯罪に走ったのか」というのがニュースメディアが伝えなければならない一番の理由なのではないか?
理由がわからないからではないかと思う水谷譲。
でもその「わからないところ」を伝えるのがニュースではないか?
だいたいその態度とかを言った後、「街で評判のあのお店」みたいなコーナーに入る。
「そこに入らなくてもいいんじゃ無ぇかな?」
或いは天気予報に入ったりするのだが「天気言ってる場合じゃ無ぇよ」という。
昔はちょこっと頑張って言うところがあった。
どこかテレビ局の人だった。
その人が痴漢行為をやって突き出されたという。
「何でやったんだ」という理由について「好きなタイプだったから」というのがあった。
「時間が無いし」なのだが、やはり見ている者としてはちょっと、ニュースに対する消化不良を起こしてしまう。
最初にそのニュースが報道されてから時間が経っているから、最初の報道では「何でか」というのを言ったかも知れないが、時間が経ってからはもうその「何でか」というのはもう割愛してしまっていることだと思う水谷譲。
それでその中でも最もテレビメディアが語らない、ニュースで理由が語られないのが「ストーカー」。
ストーカーという犯罪。
これがなかなか語りにくいらしくて語らない。
その不満がずっとあった。
何でストーカーになっちゃったのか?という。
だいたいストーカーは、その人のことが好き過ぎて干渉したり束縛したりしたくて追い回してしまうということ。
でも考えてみたら最初の段階は犯罪に入らない「恋心」から始まっている。
「どこからその人に対する思いがストーカーになったのか?」と知りたい。
「相手がヤダと思った瞬間から」と思う水谷譲。
武田先生は「去ってゆこうとする女の人を二歩以上追いかけたヤツにはみんなストーカーの資格がある」と思う。
やはり振られたらそこの場所で泣かないと。
だから歌ができる。
二歩追いかけた段階でもうダメ。
それはもうストーカー。
武田先生は、去ってゆく人の背中が消えるまでその場で泣いている歌。
歌というのはそう。
そんなふうにして痛々しい失恋を歌にした。
最近、追いかけてゆくから非常に危険。
敢えて「誰の歌が危険か」とは言わないが最近の恋の歌というのはストーカーを助長しているのではないか?
そのあたりで、数ある犯罪の中でも今週・来週に亘ってストーカーについて三枚におろしてみたいのだ!というワケで。

武田先生はこの本を本屋で見つけた時に凄く気に入った。
(著者は)ブラン・ニコルさん。
アメリカの方。
(調べてみたがアメリカ人かどうかは不明。「イギリス、サリー大学教授」とのこと)
青土社から出している「ストーカーの時代」。

ストーカーの時代



(本の中の傍点部はアンダーラインで表記する)
この人の本「ストーカーの時代」と面白いなと思ったし読みだした。
ところがこのブラン・ニコルさんはアメリカの映画でストーカーの物語を教材として取り上げておられる。
申し訳ない。
昨今のストーカー映画は殆ど見ていない。
(武田先生がわかるのは)「氷の微笑」ぐらい。

氷の微笑 (字幕版)



女ストーカー。
「危険な情事」

危険な情事 (字幕版)



ストーカーの道路版で「激突!」。

激突! (字幕版)



あれはストーカーだと思う。
煽り運転のハリウッド映画。
一回だけ追い越したらそれを怨んでずっと追いかけてトラック、コンボイの方に殺意が芽生えてくるという。
あれは怖かった。
最新の映画は全部横に置いておいて、武田先生の知っている範囲内の映画の中で映画がどのようにしてストーカーを取り上げたかという。
ストーカー犯罪というのを考えてみようと思った次第。
このストーカーという犯罪は地球温暖化とか、今でいうと地球灼熱化とか同様に人類全体にかかってくる問題で、ストーカーを追求していくうちに今の文明そのものに隠された毒みたいものが暴かれるのではないか?という。

ストーキングは新しくて古い現象である。(8頁)

皆様も日本で起こったストーカー事件、いくつもご存じだろうと思うが、ストーカー事件というのは追いかけ付け回す、気味悪くその人物のことを知りたがる犯罪。
そして遂に殺人事件になってしまう。
この十年ばかりで一体何件このストーカーがニュースになっただろうか?
日本もそうだが、とにかくこの本の舞台はアメリカで、アメリカは実はストーカー犯罪が頻発している。
「なるほど」と思ってこのへんから必死になって読んだのだが、著者の主張はこの犯罪が詐欺などに比べて

「ストーキング」は文学、映画、美術、ニュース報道、テレビ番組、コミックス、ポップソングなどの表現に見られるように(8頁)

「深く結びついているのではないか?」という仮説が面白い。
つまりストーカーというのは皆さんが本を読まれたり映画を見たり、美術を鑑賞、ニュース番組を見る、或いは漫画、ポップな歌、その中に既にストーカーの要素がある。
特に映画等ではストーカーが一種、ジャンルになっている。
そして傑作も多い。

「ストーキング」や「ストーカー」が日常語になったのは、−中略−二〇〇〇年から二〇〇五年のことである。一九九〇年代の初めまで、私たちはこういった言葉を全く使っていなかった。(8頁)

追跡、尾行、監視、それから盗み見というのはある人達にとっては当然な行動であった。
特定の職業の人達にとってそれは当たり前の行動であった。
それがより個人に向けられて犯罪となったので別の言い方で「ストーカー」と呼ぶようになった。
歪んだ恋物語がいつの間にかホラー映画になってしまったというその典型が

クリント・イーストウッドが主演・監督した一九七一年の映画「恐怖のメロディ」で、最も純粋に現れている。−中略−「危険な情事」(一九八七年)−中略−のようなストーキング映画の青写真として役立っている。(15頁)

「危険な情事」は−中略−自立した「キャリア・ウーマン」であるアレックス・フォレストの意図的な試みを物語っている。アレックスは自分から関係を始め、最初に肉体関係をもち、一夜限りだと約束したにもかかわらず、短い情事の相手だった男ドン・ギャラガーを台無しにしてしまう。(68頁)

怖かった。
これは当時、二本とも話題になった。
武田先生は「危険な情事」が何か怖かった。
あれを見ると「絶対浮気はやめよう」と言う人が結構いた。
見に行った人が同じことを言ったので、それで(武田先生は)「見るのやめよう」と思った。
それで武田先生はこの「恐怖のメロディ」も「危険な情事」も見ていない。
でも、何でこれが話題になったかというと、異常なつきまとい、そして女性から性的に迫られるという、そういうストーリー立てが武田先生には信じ難かった。
女性から迫られたことはない。
それは非常に贅沢なことで、武田先生にとっては人生で一回も無かったこと。
「そんなSFみたいな映画を見てたまるか」というのがあった。
この二本の映画の特徴は「女性からのストーカー行為」。
つまり時代の中に女性からストーカー行為を受けるであろうという要素が世界ににじみ出始めたという。
そういう意味でストーカーというのが社会の何かをバックにして映画になったのではないか?という。

70年代からストーカーという言葉が生まれるのだが

 一九六〇年代の初期、新しい種類のフォトジャーナリストが確認された。それはパパラッチである(22頁)

「有名人はその手の暴露系メディアに耐えなければならない」というのが世の中の常識。

ストーカーとしてのパパラッチの最もひどい例は、−中略−引退していた有名な女優グレタ・ガルボの絶え間ない追跡だろう。レイソンが撮った一九八九年に八四歳の誕生日をむかえた老女優の写真は、本当に残酷だった。(23頁)

そのシワだらけの顔が騒ぎになった。
このパパラッチの存在によって日本で花開いたのがフォトジャーナリスト。
ここから「FOCUS」と「FRIDAY」がスタートするという。
「FOCUS」「FRIDAY」はやはり怖かった。
写真週刊誌。
今でも強力だが。
今は「文春砲」というのがある。

週刊文春 2024年2月29日号[雑誌]



武田先生達芸能界の内側にいるものは、そういうものを晒されるとたまらなく不愉快なのだが、しかし一般の方はどう思ったかというと「それは有名税だよ」という。
「いい思いしてっじゃん」「それぐらい我慢しろよ」
だからアメリカなんかではパパラッチも堂々たるもので、尾行・盗み撮りというのが流行った。
ところが80年代になると有名税では済まなくなってきた。

一九八九年のロバート・ジョン・バードによるテレビ女優レベッカ・シェーファーの殺人だろう。(25頁)

バードはシェーファーが出演している映画−中略−を見た。その中でシェーファーの扮する人物は、ある男優とベッドの中にいた。バードは仰天した。これはシェーファーが「ハリウッドのもう一匹の牝犬」になったことの証しで、そのゆるんだモラルのために彼女は罰せられなければならないとバードは思った。(26頁)

(番組では「ドラマ」と言っているが本によると上記のように「映画」)

一九八〇年−中略−のマーク・チャップマンによるジョン・レノン殺害(27頁)

「You are a liar(あなたは嘘つき)」と言いながら拳銃で殺した。
しかもジョン・レノンさんは凄くいい人で、このチャップマンにサインまでしてあげている。
サインまでしてあげて「Good Luck」か何か言いかけたところを拳銃で撃たれている。
更に有名税では済まない事件が続く。

ジョディ・フォスターの気を引くために一九八一年三月にレーガン大統領を暗殺しようとしたジョン・ヒンクリーの企て(26頁)

「僕は君の為だったらどんな犯罪だって犯せるよ。怖いもの何もないんだ。僕が君を愛している証拠に僕ね、今からレーガン大統領殺すから」
フォスターの気を引く為にアメリカの大統領を暗殺しようとしたという。
このような事件を経てストーカー犯罪が「有名税」どころの話ではなくなった。
それでストーカーという犯罪に関してどのような心理が働くのかというのをアメリカは真剣に考えざるを得なくなった。

なぜストーキングという行為を始めるのだろうか?
 この疑問に答える最良の方法は、精神科医に教わり、特に三つの基本的な心理現象である「欲望」「空想」「兆候」が、いかに内的に関係しているかを理解することだろう。
(37頁)

 空想が欲望を「演出する」ものであるならば、心理的疾患の外部の現れである兆候は、空想を演出するものである。−中略−ストーキング事件において、その底にある欲望は、愛されたい受け入れられたいということである。(38頁)

そういうものが絡まってストーカーという、それも人を殺害するという犯罪まで繋がってしまう。
「私はあの人のことを愛しているのに、私は大事にされていない」という、そういう怒り。
自己陶酔型の幻想。
芸能人というのはその標的にされやすくて「握手をしてくれなかった」「サインを振り切った」、そういうことで好きな芸能人を激しく憎む人達が出てくるようになってしまったという。
恨み。
フロイトという心理学者がいるが、夢が心の中の本当の欲望、或いは不安を教えてくれる。
夢が私達の願望もそうだが、私達の欲望、ドロドロしたものも教えてくれるという。
現代は、フロイトの言を借りれば「夢の時代」。
アニメが受けるのもそう。
現実世界ではなくてアニメ世界の中に於いて現実世界の夢がかなう。
魔法を覚えると万能になったりと、
それからポップス。
あれが歌っているのも「夢」だ。
夢はよいものと恐ろしいものがある。
ユーチューバーみたいな人達が登場すると、夢を逆手にとって悪夢に変える。
芸能人がいる。
ユーチューバーの人が「オマエの素顔は俺、知ってるんだぜ」と言うと振り向いてもくれないその有名人が彼をみつめる。
その時に対等の関係になる。
ここに「暴露系ユーチューバー」の存在の理由がある。
かくのごとく「夢を見る」というのはいいことだったのだが、今、いとも簡単にその夢からストーカーになるんだ、という。

昨日ちょっと言い方が変だというか上手にできなくてもう一回。
フロイトという深層心理学の大学者さんが言っているのは「夢はみんなが持っているんだけれども、その夢はこれから目指すべき目標としての夢というのもあるかも知れないけれども、赤裸々な人間の欲望も夢である」と。
だから「夢というのを人にすすめるというのはなかなか難しいことですよ。個人の「夢」というものがある。その時に目指すべきものではなくて欲望としての夢を抱いた人、それは犯罪に繋がりやすくなりますよ」。
綺麗な女優さんがいたら「触ってみたい」と思う。
それを夢で語っているうちはいいのだが、触りたいという思いが高じると、ストーカーになる恐れがある。
「お付き合いしたい」とかそういうこと。
そういうのを考えるとストーカーというのは「夢を大切にしよう」なんていう文化の中から出て来たのではないか?という。
これはアメリカ版のこと。
この本「ストーカーの時代」お書きになったブラン・ニコルさんの分析だが、ストーカーはよくペンネームに映画の主人公の名前等を使うという。

「ダーティ・ハリー・ジャラバン」、「ジェイムズ・ボンド」などの映画の主人公の名前をペンネームとして使っていた。(64頁)

日本では「月光仮面」とかと名乗る人がいたし、「夢には表と裏があるよ」というのがブランさんの説。

ストーキングしていたジョディ・フォスターの気を引くために、一九八一年に大統領のドナルド・レーガンを暗殺しようと企てたジョン・ヒンクリー−中略−裁判で認めているように、ヒンクリーは大統領を暗殺するために出発したとき、「映画館に入っていく」ように感じていたのは不思議ではない。(66頁)

あの大統領さえ殺せばジョディ・フォスターが自分の方を振り返ってくれる。
「映画館の中に入っていくようだ」というところに彼の犯罪心理がある。

ちょっと話が変わる。

「危険な情事」の迫力の背後にも存在する。この映画は一九八〇年代後半、すなわちエイズ・パニック−中略−に対する反動の時代に社会を襲った両性の関係を取り巻いている不安の表現である。そのメッセージは、セックスは危険だということは明らかで、ストーキングは性的に伝わる病気に等しいものの一種、明らかに軽薄な出会いの長引く影響として提示されている。(72頁)

なかなか考えさせる。
年末、そういうのを語り合ったテレビ番組があった。
(1月2日に放送された大河ドラマ名場面スペシャル〜歴史に名を刻む女性たち〜の件だと思われる)
今年の大河ドラマは紫式部(「光る君へ」)。
NHKの大河ドラマの中で女性が主人公になるというのは以外と珍しい。
NHKの番組で、高橋英樹さんとかモノマネ上手な松ちゃん(松村邦洋)なんかもいて大河ドラマをみんなで語り合った。
女性が主役だった時の回を見たのだが、一番最初が岩下志麻(北条政子役)の「草燃える」。
あれははっきり言って政子が主役だった。
あれが初めて。
だから岩下さんは十分間ぐらいの一人ゼリフを言っていた。
それがまた、デビューしたての武田鉄矢が松明を持って出てくる。
(武田先生の役は)頼朝の子分の安達藤九郎盛長。
それで殿(石坂浩二)がどうも政子が好きになったみたいなので政子のところに夜、こっそり行ってそこまで手を引いて「こちらにおじゃれ!」とかと言いながら案内するのが武田先生。
頼朝の馬をいつも牽いているのが安達藤九郎盛長。
もう1900何十年代、もう随分昔のこと。
当時小学校5年ぐらいだった水谷譲。
45年ぐらい前。
(「草燃える」の放送期間は1979年1月7日〜12月23日)
そこから始まって今度の「紫式部」なので、女性という時代がやってきたのではないか?
日本は困ったら女の人にすがる。
国がまとまらなかった時は卑弥呼。
神様のケンカがあんまり激しい時はアマテラスが登場する。
何か大きい国難が襲ってくるとスーパーヒロインを出して来る。
(武田先生の)地元の福岡には蒙古襲来があった。
蒙古襲来の時に、懸命に奮闘する鎌倉武士に交じって女鎧の武者が出た。
常盤御膳のような人がモンゴル軍に向かって一人で進んでゆく姿を見たという目撃者がいる。
いわゆる「勝利の女神」。
だからもしかすると今年は政治の流れも日本憲政史上始まって以来、女性首相が誕生する準備段階に行くのかも知れない。
いろいろ幅広く予想している。

ストーカー犯罪、このブラン・ニコルさんはアメリカの映画でストーカーの物語を取り上げておられる。
ちょっとアメリカの話題なので、アメリカのことばかり書いてあるので、皆さんには・・・
でも今週は頑張ってこの著書から離れて日本版に武田先生が懸命に言葉を足してみるので、とりあえずはアメリカのストーカーの話題から始めたいと思う。
「ストーカーの時代」、ブラン・ニコルさん、青土社。
これをテクストにしている。

ハリウッド映画というのは70年代から、しばしばストーカーを主人公にしてきた。

私たちは深い無意識のレベルで、犠牲者よりもストーカーに同化する。(76頁)

何となくストーカーの気持ちを観客は考えてしまう、という。

 なぜ人々は有名人をつけ狙うのか? その最も明らかな理由は、ストーカーたちは自分に名声が「伝わる」可能性に惹かれるということである。(86頁)

「例え短くても傷つけている間は主役になれる」という心理。

ロバート・ホスキンズの裁判の間、マドンナは「私は彼の前に座り、そしてこれは彼が望んでいることなので、裁判が彼の空想を現実化した」という事実によって、「信じられないほど動揺させられている」と感じたと抗議した。(86頁)

(ロバート・ホスキンズは)嬉々としてマドンナを傷つけることの楽しさを裁判で語り続けた。
それは夢をかなえた人物に見えた、という。
だから「逮捕」「裁判」。
これが彼にとっては空想を実現させるショータイムだった。
そしてジョン・レノンを射殺したチャップマン。
彼はポケットの中にサリンジャーの「ライ麦畑で捕まえて」を入れていたそうだ。

ライ麦畑でつかまえて (白水Uブックス 51)



そして脇に抱えていたのが何とジョン・レノンの「ダブル・ファンタジー」。

ダブル・ファンタジー 〜ミレニアム・エディション〜



彼はジョン・レノンを殺すことによって、憧れの全てを自分の手の中に収めたのではないか?という。
それから暴露系ユーチューバー。
飛行場に辿り着いてパトカーに乗り込む時、もの凄い勢いでメディアが来ていたのだろう。
フラッシュを焚かれるのだが、この容疑者も笑った。
にやけた顔で。
でも、犯罪をやった当初は一種の興奮があって、何か偉そうに理屈を並べているが、だんだん人間らしい言葉遣いに。
やはり犯罪を反省する意味では時間が必要で。

ここからがちょっとややこしい話だが、現代のショービジネス、武田先生が住んでいる芸能界という世界がある。
これは短時間で成功するコツというのがあって、他人の幻想を助長し、妄想の対象になることでファンの一部にストーカーのような人々がどうしても必要なのである、という。
これはもちろん武田先生なんて年寄り芸能人で、もう「後書き」に入っている芸能人だからたいしたことはないのだが、これからアイドルの階段を登っていこうという少女達が夢見るのは取り巻きというか熱烈な「オタク」のファンを抱え込む。
「オタク」とは何かというと自分の全てのプライベートな時間をその人の為に使えるという、それが「オタク」のパターン。
こんなことを言うのは何だが「大ヒットする」というのはそういうこと。
欲しくも無い人達も寄って来るというぐらいの人気、あんまり好きじゃない人達も寄って来るという人気があるということが条件。
(武田先生が仕事で)舞台をやっていると、嫌がらせに一番前に座って見る人というのがいる。
こっち側は観客席に向かってお芝居をしているのだが、自分がフッと目線を降ろした瞬間に一番前に座っている人が目を逸らす。
そういう人がいる。
それと皆が楽しそうにワーッと笑っている時に、ジーッと睨んでいる人が。
そういう正体不明の観客がいる。
その存在に対して動揺したりする。
それは華やかなレビューの世界にもあるそうだ。
ドレスを来て踊っている綺麗な女性がいる。
そのタレントさんのライバルのことをファンとする人は、その人が出てくるたびに全部下を向く。
武田先生もやられたことがある。
コンサートに行って誰かさんとのジョイントをやっている時に、武田先生達が歌っている時に三人でずっと下を向いて話を続ける人がいた。
それで彼女達が支持する人が出てくると(拍手をする)コレもんで。
そういう人達までやってくる時に申し訳ないが、満員。
満員というのはそういう性質のもの。
だからある意味で恐ろしいもの。
世の中、一つの理屈だけでは割り切れない。


2024年02月15日

2023年8月22〜25日◆〔夏休みの宿題〕極意を目指して

(二週間で三冊を取り上げたのだが、その中の三冊目の本の箇所に該当する四日間弱の部分だけを抜き出した形で掲載する。二冊目は「放っておく力」
三冊目。
これは同じく少年や少女の為に書かれた一冊だろうが「(古武術に学ぶ)子どものこころとからだの育てかた」。

古武術に学ぶ 子どものこころとからだの育てかた



(著者は)甲野善紀さん。
時々番組で取り上げるが武術研究家。
古武道、古武術から学びの作法を説く甲野師範の理説。
違う意見の方は勘弁してください。
甲野先生という武道家の方がおっしゃっている。
コロナ禍進行中に書かれたこの本は、感染対策に汲々とする医療や学校の慌てぶりを武道家は激しく叱るというところから始まっている。

この感染症は、若い人たちがバタバタと死んでいくわけではなく、体力のない高齢者のほうが、重症化したり死んだりするリスクは高いようです。−中略−身体の機能が衰えてやがて病気に抗えなくなって死んでいくのは、自然の摂理です。ですから、「罹る人は罹り、死ぬ人は死ぬ」とシンプルに受け止めることが、後世に余計な影響を残さない、いちばんの方法だと私は思います。(35〜36頁)

なぜ、「高齢者のほうが罹りやすいのなら、タチのいい感染症だね。私たちはもう十分に生きたから、順番からいって自然なことだね」と言える高齢者が少なかったのでしょうか。(37頁)

だから年寄りの人達で「ワクチンを先に打ちたい」とか順番ばっかり言うヤツがいる、という。
それが武道家として甲野先生は許せない。
我々が考えなければならないのは「どうあるべきか」。
それを問うところに武道の精神があるという。
武田先生が言うのも何だが、武道家の方なので言葉がスパーン!と切り過ぎるところがあるようだが、この方らしい理説・理屈だというふうにしてお聞きください。

アメリカのイエローストーン国立公園の狼の話です。家畜の牛を捕食するからという理由で、この地で食物連鎖のトップにいた狼がどんどん殺され、−中略−イエローストーン国立公園では一時、狼が絶滅しました。−中略−牛は殺されなくなりましたが天敵の狼がいなくなったことで草食動物の鹿が増えすぎて、その鹿が草木を食い荒らし、自然の植生を滅茶苦茶にしてしまったのです。そうして鳥や両生類、川魚といった野生動物が激減していきました。
 そのため結局は、カナダから狼の群れを移入することになったのです。狼の群れを放したところ、四半世紀ほどかかりましたが、荒れていた植生も戻ってきたということです。
(58〜59頁)

かくのごとく、自然というものは自らバランスを取るという傾向を持っていて、人間が至らぬことをするとおかしくなるのだ、という。
この「鹿が増える」ということの問題。
これは日本も今、起きている。
狼が消えると鹿は子供を産み続ける。
そうすると生態系が全部狂う。
鹿は木の葉っぱを喰うから、全山を枯らすなんていうことがある。
そういうことがあるので、人間が自然にそういうことを手を加えるとたちまちバランスが悪くなるという。

それともう一つ、やはり武道家。
厳しく国際情勢のことをこうおっしゃる。
ウクライナ・ロシア戦争が起こった。
「戦争は悪いことだ」「犯罪だ」と叫び続けて日本は平和というものを子供達に植え付けてきた。
ところがよく見てごらん。
どんなに叫んだところで殺し合いは収まらないじゃないか?
人間の心の中には隣の人間を殺そうとするような野蛮なケモノの心がある。
人間の心そのものの中に森があって、その森の中には狼が住んでいるんだ。
その森を枯らしてしまうことはできない。
「やめましょう」なんていう言葉を聞くハズがない。
ではどうするか?
野生としての少年と少女、その野生を自覚させることなんだ。
「自分の心の中には森があってそこにはケモノが住んでいる」ということを自覚して生きていくのだ。
「その森と付き合おう」という。
狼を否定するのではなくて、そこに野生のケモノが住んでいるということで、その森と一緒に生きてゆくのだ、という。
この甲野さんは面白いことを言う。
その「人間の悪」というものを善と対比させて「滅ぼしてしまえ」と言ってはダメなんだ。
イエローストーンでやったようにある程度の狼がイエローストーンで生きているということが全体のバランスを保っているワケだから。
それで甲野さんがおっしゃっているのは「宗教についてが特にそうだ」という。
これは面白い。

今の日本史の勉強は「空海は延暦二三(八〇四)年に最澄とともに唐に行って、二年後に帰国し、真言宗を開いた」−中略−などと、単に年表のように歴史を暗記させるのみに終始しています。(72頁)

意味がわかるか?
「天台宗って何だ?」「真言宗って何だ?」
宗教はもの凄く大事なものだ。
真言がわからない、天台がわからない。
だったら、学校の先生が忙しかったら坊さん呼んでこいよ。
つまり宗教教育を避けてきた。
教師に負担が多ければ、学校に天台のお坊さんを、或いは真言のお坊さんを呼んで話してもらえ。
真言が、或いは天台が、どう仏を説くか。
「いろんな宗教をみんな学校に招待すればいいじゃないか」と。
村・町があれば必ずお寺はあるワケだから、学校まで出張で授業してもらえ。
親鸞はこう言った、法然はこう言った。
「教会だってあるでしょう?」という。
教会の牧師さんに来てもらって「イエスっていうのは何だ?」「カソリックてのは何だ?」「プロテスタントとは何だ?」みんな話してもらえばいいじゃないか?
これはちょっと面白い。
子供達はどうその宗教を受け取るか、またどう質問するかなんていうのは凄く興味がある主題。
厳しいが面白い手だなとは思う。
なぜかと言えば「内なる野生」というか、心の中にいるケモノに対して「宗教ってとっても大きな力を持っているんだ」という。
でももの凄い数の宗教だから大変だが、子供達に目隠しをするような教育というのは効果がないのではないかという鉄矢論。
甲野善紀さんが言う「人間の内側には野生、ケモノが住んでいるエリアがある。そのケモノと付き合う為には避けては通れぬものがあるぞ」という言葉はやはり偉大だなと思う。

当然の如くだが少年や少女達に「侍を目指せ」という。
言葉そのものズバリではないが「武道というのが子供達に対して凄くいいのではないだろうか?」という。

少し前に『鬼滅の刃』という漫画が、アニメ化も映画化もされ、大ヒットしました。(183頁)

これは武田先生の説。
やはり日本の子供達の内側にサムライスピリッツに対する憧れがあるのではないだろうか?
「平和に暮らす人々を守らなければ」という、そういうものに対する憧れが「鬼滅の刃」のヒットになっているのではないだろうか?
「鬼滅の刃」
注連縄(しめなわ)を巻いた巨石があって、それが刀で断ち切れたら鬼殺隊に入れるという。
あれはやはり「石」。
「その石を刀で割る力があれば鬼を退治できる」という、そういう考え方が武田先生に縄文時代を連想させる。
日本人の心の中に魂の試練として石というのがあるような気がして。
C・G・ユングという深層心理学の人が晩年になって石の夢ばかり見ている。
彼は一番最後に石で自分のおうちを作る。
それでおうちが完成した時に死んでゆく。
それから明恵という「夢記」を書いた鎌倉時代のお坊さんがいて、この人は自分の夢を日記に書いてあった。

明恵上人夢記 訳注




この人も「石」。
石の夢を見て、それで「ああ、間も無く死ぬな」という。
石は何か?
もの凄く抽象的になるのだが、深いところに石があるというところが私達日本人の面白い面白いところで、恐らくそれは甲野さんがおっしゃっている心の中にある森、野生のケモノが住んでいる心理の森の中に「大きな石」があるのだろう。
「鬼滅の刃」でさえも立派な教材で、幼稚園に行く子で(禰豆子の真似をして)竹を咥えている女の子がいる。
それからマスクをしたがらない子にマスクに竹の絵を描いてあげると嫌がらずにマスクをする。
「禰豆子に似てるから」と言いながら。
彼等が「鬼滅の刃」に傾倒する。
それから煉獄さん。
鬼と戦いながら死んでいく一人の侍がいるが、生きている人間みたいに語る。
煉獄さんは先月ぐらいまで羽田の飛行場に絵の看板が立っていた。
(「鬼滅の刃 キャラクター等身大パネル」がANA FESTA羽田店に設置。期間は2022年12月23日〜2023年1月15日)
みんな写真を撮っている。
日本の子だけではない。
煉獄さんと一緒に肩を組んで写真を撮っている。
それはもちろんアニメのことなのだが、あのアニメの中には日本の文化みたいなものを伝え聞くという子供達の直感があるような気がする。
あれでさえ、立派な教材である、と。
どこか日本人の深いところに触れたというのがあるのだろう。

「(古武術に学ぶ)子どものこころとからだの育てかた」
この本もただ単に理屈だけでは終わらない。
小さな小さな武道的極意を最後に授けるという。
まずは「旋段の手」。
(番組では「施段(しだん)の手」と言っているが、本によると「旋段(せんだん)の手」)

 親指以外の四本の指を、側面からみると「Y字」−中略−に見えるぐらい内側に折り込みます。次に人差し指はその指の付け根が直角になるくらい深く折り込み、小指は逆に付け根から手の甲側に反らします。そして親指の爪の人差し指側の生え際の先端−中略−を、深く折り込んだ人差し指でつくったY字の親指側の先端−中略−にくっつかないギリギリまで近づけます。すると、四本の指がらせん階段のような形になります(101頁)

 この「旋段の手」を利き手でつくったまま、座っている子が両手を組んでいる間に手を入れるか、つかんでもらいます−中略−。そして、その状態のまま、相手につかまれている利き手を自分のほうへ引き寄せながらゆっくりと後ろに下がると相手は自然と起き上がり、−中略−大人さえも起こせるようになるのです。(102頁)

腕に最強の力が宿るという。
このように武道的知恵を紹介しておられる。
それからこんな知恵もある。
次に行く。

 危機を回避する術として私がよくいろいろな講座でも紹介しているのが「三脈探知法」です。−中略−修験者や一部の武術家の間に伝わっていたもので、−中略−左手の親指と人差し指で喉の横を通っている左右の頸動脈を押さえ、脈拍を感じたら、左手はそのままに、右手の手のひらを左手の甲側に重ねるようにして、右手の中指で左手の手首の脈を押さえます。そうしたときに、ふだんは同時に打っている三か所の脈がもしずれていたら、それは身体が危険を察知しているのです。(199〜200頁)

(本の中では上記のように「脈がずれる」という話だが、番組では「脈が速くなる」という解釈をしている)
体の方が野生が宿っているので敏感に頭で考えるよりも察知能力が高いのだ。

身体の操作によって心を整える方法も知っておくといいでしょう。(201頁)

冷静である為