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2017年03月28日

2017年2月27日〜3月10日◆その島のひとたちは、ひとの話をきかない(後編)

これの続きです。

武田先生がちょっとうれしかった話。
何週間か前に京都に行った。
京都の裏側で「歌うたい」があった。
京都の町を通過したらちょうど中国の春節とぶつかった。
京都はもう中国の方があふれていた。
日本に興味があって来てくださる。
新幹線に乗っかって東京まで戻ってくる仕事の帰りの旅なのだが、品川を過ぎて降りる準備をスタッフがしていた。
西洋の老夫婦が武田先生の後ろにいた。
何気なく世間話で「Where are you come from to Japan?」「From New York」。
「いかがですか?日本は」と聞いたら、やっぱり「京都が良い、京都が良い」と仰っていて、お金持ちなのだろう。
ご夫婦で、シンガポール行って、マレーシア行って、上海行って日本。
京都はもう特に「good impression」としきりに繰り返されていた。
何てことないのだが、ちょっと話すと、何か話したかったのだろう。
京都の素晴らしさを一生懸命ご夫婦そろって話される。
競い合うようにして。
話しやすさ。
「そういうのがコミュニケーション能力って言うんじゃないかなぁ」と思って。
コミュニケーション能力というのは「異国の言葉ができる」とかっていうことをしきりに言う人がいるが、コミュニケーション能力というのは、そこで話題を作れる人のことが「コミュニケーション能力が高い」ということ。
「スピークイングリッシュ」はそんなに重大な要件ではないんだ、と。
人間は身ぶりや手振りだけでも十分にコミュニケーションは結べるんだ、という。

 青森県の中で統計的にも自殺で亡くなるひとの数がかなり少ない地域のひとつが旧平舘村だ。−中略−
 旧平舘村も平成の大合併にによって町(外ヶ浜町)になっている。
(90頁)

「この町は、バスはバス停以外にも止まる。としよりが乗ることが多いから。としよりはバス停まで来られない」(105頁)

 バスはゆっくりと走っていた。それはバスを待つ老人を見つけるためである。老人を見つけて、ゆっくり乗せて、ゆっくりと動いて、ゆっくりと目的地にたどり着く。誰のためのバスかをよくわかっている。(105頁)

「この地域のひとは、困っているひとを放っておけないかもしれないね」
私たちはヒッチハイクに応じてくれた男性の次のことばを待った。
「困っているひとがいたら、できることはするかな」
と言った。私はそこで、できないことだったら?と聞いた。男性は少し間を置いて、
「ほかのひとに相談するかな」
と言った。
(98頁)

このあたり、やっぱり「人間の受け入れ方が広いなぁ」というふうに思う。

著者は都市と町との比較をしている。
体の不自由な方のためにバリアフリーを望む声というのがたくさんある。
歩行に障害のある人はバリアフリーの設備がないから出歩かないのではない。
出歩いてしまうと一人になる。
人の目が気になるから出歩かない。
その問題がまずあるんじゃないか、という。
だからやっぱり「簡単に人に頼めるエリア」というところがあれば。
バリアフリーという設備が優先するんじゃないんだ、という。
東京新聞:盲導犬男性が転落、死亡 JR蕨駅 ホームドアなし:社会(TOKYO Web)
目の悪い方がやっぱりSOSを非常に出しにくい。
だからやっぱりバリアフリーよりも、SOSを出しやすい環境みたいなもの、そういう関係みたいなものがあれば。
それから駅に別の施設を作るよりも、もっと人間だけの関係で転落事故等々防げるのではないか。
そして、そういう人間関係がいとも簡単にパッと結べるところは、一つまた町の特徴が大きくある。
そのことに気付いた著者は、本の中でそのことを報告している。
その自殺希少地帯の研究をするフィールドワークで歩き回っていると、ひと目で「あ、ここは人間との関係が結びやすいな」と思う特徴が見つかる。

 旧村と町の間で一番感じた違いは、トイレの借りやすさかもしれない。(107頁)

トイレが借りやすいエリアというのは、本当に自殺が少ないそうだ。
「トイレちょっと貸していただけますか?」と言うと、いかな家の戸口も通過できるという。
今、コンビニでトイレが助かる。
この森川さんがおっしゃっているのだが「人助け」というのも「求められて」ではない。
転落事故等々もそうだが「自発的である」という。
もう「こっち側から声を掛ける」という。
「手、引きましょうか?」とか「ご案内しましょうか?」とか「方角一緒ですから。これ私の手です」とか。
そんな声を自ら掛ける。
それは「あなた自身が人助けに慣れることだ」。
この「人助けに慣れる」というのはすごく重大な条件。
やっぱりみんな慣れていない。
だから慣れさえすれば簡単にできることが、ちょっと言えなかったりする。
武田先生が今、個人的にやっている人助けは「泣きわめく子を泣きやまさせる」という。
ちょっと言葉の分かる子じゃないとダメ。
ちょっと失敗した例もある。
子供から怒られたのは「あっちいけ!」と言われたこともある。
すっごい声で泣いている子がいる。
その時には寄っていってお母様に「お手伝いしましょうか?」と先に声を掛ける。
その許可を頂いてから、その子に声を掛ける。
「何で泣いてらっしゃるんですか?おたくは」っていうのを聞く。
「理由があったら私に教えていただけますか?警察でも呼びましょうか?」とかっていろいろ言っているうちに子供がふっと泣きやむ。
泣いている子供は母親と自分の関係だけで泣いている。
そこにおじさんが割り込んでくると「自分の泣き声は社会的信号として受け取る人がいるんだ」と。
その人が全然とんちんかんなことで「警察を呼びましょうか?それとも救急車ですか?」とかって聞いてくるっていう。
そういう「社会を発見させる」という意味合いで、通りすがりのおじさんはむやみに子供に絡むっていう。
そういう「むやみに絡んでくるおじさん」って昔いた。
よく福岡で冗談で言うのだが、昔のおじさん(九州のおじさん)はちょっと体格のいい子を見ると口癖「相撲取りにでもなるとか!?得意技は何か?下手投げやろ?」と大きい声で。
今はもう、お母さんが嫌な顔をするし「ちょっと怪しいんじゃない?」って思ったりされる。
ちっちゃいおじさんで女の子に向かって「おっきいねぇ。牛乳飲んだの?おっきいねぇ」。
これはだからそういう者に対する「慣れ」。
その「慣れ」っていうのがちょっと尋常じゃない人を見分けるための触覚でもある。
昔のお侍さんは帰り道を変えなかった。
いつも同じ道をお侍さんが通って帰った。
それでそこにちょっとでも妙な気配があると「あ、この人危ない」とかってわかったという。
だからやっぱり「気配から人を見抜く」という能力が必要なのではないかなぁという。

先に書いたお好み焼き屋さんでのことである。−中略−
 あまりにも親切だったから、私は、お店の売り上げupに貢献できたらと思って、お好み焼き屋さんの暖簾を写真に撮ってツイートしようとした。それで写真撮っていいですか?と聞いたところ、お店から店員さんが出てきて暖簾の前でピースをした。暖簾を獲りたかったんだけどなと思ったのだが、それはそれでとてもいい写真になった。
(144〜145頁)

 ああ、ひとが、中心なのだ、と。
 ひとが、大事なのだ、と。
 写真を撮るにおいて、ひとが入るのがこの地域ではおそらく常識なのである。
(145〜146頁)

森川すいめいさんの文章の中で、ちょっと気になったというか惹きつけられたのは、老人施設がある、あるいは役場。
そこには行政の職員たちがいるわけだが、この本で探っている自殺希少地域にはそういうところの共通点があって「公」の立場にある人、例えば施設の職員さん、あるいは役場の職員さんたち。
みんな楽しそう。
そこがやっぱり自殺が多いところと全然比較にならない。
なぜなら住民と対話している。
その施設の役員の方とか行政の職員の方が。
対話そのものが無茶苦茶長い。
行政、あるいは住民サービスの成果というものがすぐ数字で求められる。
そうではなくて、このエリアは住人と話していること自体が成果。
もう話しているだけで。
一番重大なことは「住民を幸せにすることが行政の務めであるならば、その行政を支えているスタッフたちも幸せでなければならない」。
行政に対する不満で一番多いのは一体何かというと「役所は説明はするけど、相談には乗ってくれない」。
解決しなくてもいい。
相談に乗ってくれるだけで、もうそれは行政の成果。
(本によると「行政が相談に乗ってくれない」ということではなく「行政が相談をしてくれない」)
だから小池さん(小池百合子都知事)にも本当に早く幸せになっていただきたい。
小池さんがまず幸せにならない限り、東京都民は幸せにはなれない。
そう発想したらどうか?
現代というのは自分が幸せになるっていうことを横に置いておいて、他人を幸せにしようとする無理が全体を暗くしているのではないか。
トランプさんも大統領になったばっかりに自分を犠牲にして人を幸せにしようとするから・・・。
バロン君(バロン・ウィリアム・トランプ)が心配な武田先生。
あの子は何となくあの『ホーム・アローン』の主人公(マコーレ・カルキン)に似ている。

ホーム・アローン (字幕版)



何か線の細さが似ている。
バロン君は本当にお金はある。
あの子は心配。
トランプさん以上にバロン君が心配。
大理石とガラスで作ったおうちに住んでいる。
底冷えする。
コタツもないのに、バロン君は震えると思う。
広い部屋なんか住むもんじゃない。
暖房入れたところで全体が暖まるのにどれだけ時間がかかる?
バロン君のおうちは窓が開かない。
周り全部防弾ガラス。
それはやっぱり不幸。
地上階に住んでいるから開けっ放しでOK。
だからやっぱりバロン君の環境はこの本でいうところの自殺多頻発地帯の真ん中に住んでいるような少年期。
トランプさんはもうそんな、この倍生きるワケじゃないんだから、働けるにしたって4年が限度。
早死にする典型の体型。
インドに生まれていたら罰金を取られる体型。
「肥満税」の導入検討 ジャンクフードの普及でインド政府
歳を取ってタンパク質を摂るバカがどこにいるか。
武田先生だったら物差しで叩かれてしまう。
「どの手だ、どの手だ!肉を食べたのはどの手だ!」って言いながら。

フィンランドで成果を収めた精神の病気の回復法。
お薬とかそういうのは全部やめて人間関係、そういう「人との会話の中で病気を治していく」という。
そっちの方が回復というのが可能性が高い。

「ひととひとの関係の中で病は発症する」(159頁)

回復するためにはやっぱり人との関係が大事であるという。

伊豆七島の船がたどり着く最終地に神津島(神津島村)がある。(154頁)

 人口約二〇〇〇人の島なのだが、住む集落はひとつで、そこにひとが密集している。(155頁)

ここはもう自殺希少地帯、非常に自殺者が少ない島。

「この島のひとたちは、ひとの話をきかない」(162頁)

もちろん陰口、それから噂話もある。
そういうことはちゃんと世間にはあることはある。
ただ、人に引きずられ同調するということがこの島の人たちにはない。
二千の島人は生きやすい環境について同じ目標を持っている。
母子家庭が多い。
東京に出て行った娘たちは離婚すると必ずと言っていいほど神津島に帰ってくる。
何でかっていうと東京なんかより遥かに神津島の方が子どもが育てやすい。

「この島では、子どもを外に出しておけば誰かが面倒をみてくれる」(166頁)

精神病の回復訓練でもそうだが、グローバリズムになると「世界的に競う」という時代。
必死になって人が競争するという時代。
この競争がはたして人間のためにいいのかどうか。

 神津島のそのカフェはNPO法人が運営していた。
「おとしよりの会話をする場になればと思って」
(167頁)

 特養と障がいをもつ施設は隣り合わせだった。(168頁)

「特養でひとが死ぬことになったとしても、それをほかのおとしよりに隠すことはしません。みんなで見送ります」(171頁)

だからやっぱり人を迎えて、知り合って、見送る、ということを島全体でやっているもので「死別の悲しみ、それはとにかく島全員で共有しよう」という。
厳しい自然に対して生きてきた島人たちは、はっきり考えを持っている。
それはどんな考えかというと

「なるようにしかならない」(175頁)

投げやりにも無力にも聞こえるかも知れないけれども「なるようにしかならない」というのはある意味見事な覚悟ではなかろうかと森川さんはおっしゃる。

武田先生の考え方。
この時代、人を苦しめているのは全てある一つの出来事、その「一瞬で世界を変えよう」という、そういう人間の野望、それが人間を苦しめているのではなかろうか?
それから最近思うのが、強力なリーダーが国を引っ張っていくっていう「トップオブリーダー」。
一人のリーダーがいて、モーゼのごとく民を率いるっていう、そういう集団の有り方がパワーをなくしている。
それのいい例がアメリカのトランプさんじゃないか?
トランプさんはトップオブリーダーではない。
では彼は何者か?というと「フォロワーズリーダー」。
ビリッケツの人たちを後ろでまとめている人。
しんがりっていうのは戦国時代の退却戦の物語で、軍勢のビリッケツを追いかけてくる敵と戦いながら逃げる。
「しんがり」っていうのが実は今、時代のトップではないか?
それがトランプさん。
つまり、もうアメリカの時代は終わった。
退却戦が始まっている。
その退却戦のリーダーがトランプさんなのではないか?
『三枚おろし』で武田先生がいいことを言っていて、自分で自分に感動して「うまいこと言うなぁ、この人は」と思った。
トランプさんの顔は「根性の悪いサンタクロース」。
今までプレゼントを世界中にばらまいていて、景気のいいサンタクロースが、何か人の家に寄って「ギフトを奪っていく」みたいな。
「逆の構造のサンタクロース」がトランプさんなのではないか。
つまり「アメリカの退却が始まった」ということで。

神津島の人たちのつぶやき。
「なるようにしかならないのだ」
これは決して絶望の言葉ではないような気もする。
それは立派な覚悟だ。
自分の思うようになそうとする人っていうのはどこか無理がある。

今、中国がサンゴ礁を埋め立てて飛行場を作ったりしている。
本当にあれは、軽い津波でも起これば全部消えてなくなる。
そんなに簡単に飛行場にはならないような気がする。

著者は自殺希少地帯を歩きながら対話する「オープン・ダイアローグ」こそが人を自殺から救う、ただ一つの道であると、そう発見する。
やっぱり「会話する」ということがいかに大事か。
八割の方が他人との対話で精神の病が治るそうだ。

 呼吸しなければ、ひとは死んでしまう。
 この呼吸と同じように、ひとは対話をする。
(179頁)

 しかし、ひとは対話しなければ死んでしまう。(180頁)

「対話というのは、自転車に乗るようなものだ」
と言ったひとがいた。自転車に乗れるようになったときに自転車の乗り方をことばで教えることはできない。対話も、どうしたら対話になるのかをことばで説明したとしても、対話できるようにはならない。
(180頁)

「相手は変えられない、変えられるのは自分」(181頁)

できることは助ける。
できないことは相談する。
そしてその人に関わり続ける勇気を持つこと。
それが人を心の病から救う道。
つまり自殺者を少なくする一本道なのだ、と。
これは当たり前のことなのだが大事。
内田樹さんの本を読んでいても、何かそのことがしきりに書いてある。
「人と人とが助け合う」という共同体を戦後日本はずっと壊してきた。
それがいかに人間にとって必要なものかっていうのを、もう一回考え直すべきだというのを本で読んで深く考え込んだ。
この精神科医の先生がやってらっしゃるのは、これもやっぱり新しい世界の見方。

ありものの世間の知恵をどう組み合わせて生きづらさを削っていくか。
それが人間の暮らしにとって、ものすごく重大なことである。
あえて申し上げることは、指摘することは失礼にあたるのでしないが、やっぱり日本には自殺が非常に少ないエリアと、自殺が非常に多い地域がくっきりとあるという。
それを「そこは多い、ここは少ない」そんな比べ方じゃなくて、少ないところを見つめて「一体何がうまくいっているから、自殺者が少ないのか」っていう。
そういう町の見つけ方、見分け方というのを身につけるべきだっていう。
前から武田先生が思っているのは、お祭りを持っているとか花火大会があるとか、そういう町というのは共同体の「帯」みたいな「絆」みたいなものを持っているような気がする。
水谷譲のご主人の出身地は神奈川県の三浦。
お祭りがあって、若衆がみんな「木遣り」を歌う。
みんなができる。
お祭りの時は歩いている子供に普通に「はい」ってお小遣いをあげる。
それをみてちょっとびっくりして「都会と全然違う」と思った。
「コミュニケーション力が全然違うな」とその時思った水谷譲。

武田先生が弘兼憲史さんや別の人からも教わった話。
新潟の長岡の名物は花火大会。
ものすごくデッケェ花火を打ち上げる。
ここの若い人たちがあることを思いついた。
何を思いついたかというと「この花火をハワイ真珠湾で上げたい」。
それで苦労して花火を運んでハワイで上げている。
何年か前(調べてみたら2012年かららしい)。
キー局は報道してくれない。
こんな素晴らしいローカルニュース。
それを映画で記録にした人もいる。
「長岡の大花火が真珠湾で上がった」っていう。

この空の花 -長岡花火物語 (DVDプレミアBOX版)



何で上げたか?
それは若い人のアイデアだが、真珠湾攻撃を指揮した軍人さんが長岡出身だったから山本五十六の生まれた町。
それゆえにかえって真珠湾で上げた。
首相が行く前にローカルはそれくらい歴史にきちんと向き合った行動をとっている。
「花火一つが世界を結ぶ糸口を見つける」という。
そういう意味で、自殺者に限ってはいるが、この方がやってらっしゃるフィールドワーク。
新しい人間関係、新しい共同体の関係づくり、そういうものになるのではないかなぁと思って紹介した武田先生。

2017年2月27日〜3月10日◆その島のひとたちは、ひとの話をきかない(前編)

その島のひとたちは、ひとの話をきかない――精神科医、「自殺希少地域」を行く――



この本の副題にギクリとして手を伸ばした武田先生。
精神科医、「自殺希少地域」を行く
いろいろ地域社会の探り方があると思うが、自殺が多発するエリアと自殺が少ないエリアが日本にある。
多発するところはちょっと発表しにくいし言いにくい。
だったら逆に自殺が非常に少ないところを実際歩いてみよう、と。
案外そこに地域コミュニティ、共同体の何か秘密があるのかもしんない、と。
一カ月ぐらい前にこの本を読売新聞がコラムでほめていた。

こういう研究をなさっている方がまた他に精神科医で岡檀(おかまゆみ)さんという方が調査をなさって「自殺希少地帯」というのをピックアップしてある。
それに精神科医の森川すいめいさんが、現実に足を運んで「希少地帯とはどんなところなのか」ということを調べてらっしゃる。
自殺の問題は人を鬱陶しくさせるが、森川さんあたりはもう一歩突っ込んで「多いところと少ないところがある。多いところは横、置いといて、少ないところはとにかく一回行ってみよう」と「何かあるかもしんない」という。
「自殺」に「地域差がある」。
「南の島は少ないんじゃないかな」というイメージを持つ水谷譲。
「気分に希少が影響する」ということもあるだろうが、結論から言うと森川さんがその自殺希少地域を歩くと「共通点」があったという。
その自殺希少地域の共通点は何かというと「人の話を聞かない」。

 私は生きやすさとは何かを知りたかった。(9頁)

自殺者が少ない。
そういう島とか村とか浦とか字には多発地帯が見逃した何かがありそうな気がする。
自殺を予防する因子とは何なのか?
頭をよぎるのは、やっぱり共同体として相互扶助の繋がりが非常に強いんじゃないか。
助け合いが。
しかし事実はそう簡単ではない。

 岡さんの、近所付き合いの意識に関する調査項目では、希少地域では、隣近所との付き合い方は「立ち話程度」「あいさつ程度」と回答するひとたちが八割を超えていて、「緊密(日常的に生活面で協力)」だと回答するひとたちは六パーセント程度だった。一方で、自殺で亡くなるひとの多い地域は「緊密」と回答するひとが約四割だった(23頁)

つまり、ここに私達が見落としている何かがあるのではないか?
「浅い付き合いしかしないですよ」というところの方が自殺が少ないという。
著者はフィールドワークとしてその地域へ歩く。

 徳島県に自殺で亡くなる人が少ない地域(以下、自殺希少地域)があると聞いて、私はいてもたってもいられなくなって現地の旧海部町(二〇〇六年に合併し現在は海陽町)に行った。(16頁)

旅館でお茶とお茶菓子の接待を受ける。

 用意されたお菓子に、まだ癒しを期待して、それを食べようと思って手にした。
 ただ、なんとなく雑な感じがしたからか無意識にお菓子の裏側をみたところ賞味期限が切れていた。
「すみません、なんか、賞味期限が切れているみたいで」
と聞いてみた。ところが職員さんの反応は予想を大きく外れたものだった。
「へっ?」
と、びっくりしていた。私はてっきり期限が切れていることにびっくりしたのだろうと思ったわけだが、そうではないとすぐに気付かされた。
「ほお。ほうかほうか。さすが若いひとやね。若いひとは、そういうの気にすんのやね。ほうかほうか」
−中略−
 ちなみに後でもってきたお菓子は、職員さんがたぶん家からもってきたものだと思う。
(17〜18頁)

「おおらかなものだなぁ」と思いながら、森川すいめいさんの自殺希少地帯の旅が始まる。

自殺対策を予防と防止に分けて考えるのだ。
 防止というのは、自殺の具体的な手段から遠ざかる方法である。例えば、ビル屋上のフェンスの高さを何メートル以上にすると飛び降りるひとがいないとか、地下鉄などでホームドアなどがあげられる。
−中略−
 予防は……これはさまざまだ。例えば、飲酒は、一日四〇グラム以上のアルコール(日本酒で二合程度)を毎日摂取すると、そうではないひとに比べて自殺で亡くなるひとの割合がぐっと増えるといった研究は予防につながっていく。
(25〜26頁)

著者は「自殺者を減らしたい」という社会的願望を解決を急ぐあまり、この「予防」と「防止」をかえって混乱させているんじゃないか?と。
大きな声で叫ぶ人の意見にどうも世論というのはミスリードされている。
声の大きな人に任せではいけない。
声の大きい人が、今なんかもう「勝つ」世の中。
何かいろいろ政府の方針に文句があってもいいのだが「死ね日本」とかっていうのを世論として取り上げていいのかどうか。

2016年11月初め、大きな広告代理店で新入社員の若い娘さんが荷重の労働で自殺をなさった。
上司への恨みを書いた電子メモを画面にいくつも残していたという。
社長さんが交代した。
電通の石井直社長が辞任表明 高橋まつりさんの過労自殺問題の責任を取る【ライブ中継】
そこの巨大なビルは何と、夜の10時から以降は働けないようにビルの明かりを全部消したという。
電通、10時に消灯 深夜残業を防止  :日本経済新聞
それが解決策になるのだろうか?
いかにも「働いてません」のアピールの方が強いのではないだろうか?

著者は自殺予備の観点からとりあえず四つの点を予防因子としてあげてみたい。

A 疲労が蓄積している
B 孤立している
C 気分転換がない
D やり方がわからないで悩んでいる
(29頁)

(番組では自殺の予防因子と言っているが、本によると「こころが疲れた支援者のタイプ」)
その因子の分析は静かな声でやったほうがいいと。

著者の自殺希少地域の旅は続く。
その海部町で町を歩きながら、町を観察する。
そうすると、治安がよくてどの家もカギをかけていない。
そういうところが今でも日本ではある。
ただし、この旧海部町「泊まりでどっか遠くへ出かける時は、必ずカギをかける」。
なぜか?

「外泊するときは鍵を閉めたほうがいい。数日後に帰ってきたら、部屋の中に腐った魚があって、においがとれなくて大変なことになったなんてことがある」
 釣れた魚はみんなでおすそ分けする。もらう側の意向は関係ないから、あげたいと思ったひとがあげたいひとに魚を届ける。そのひとが、家のひとが不在だと知らなければそうなる。
(32〜33頁)

(番組では「魚の水揚げの何%かは必ず町全体に配られる」と言っているが、そういう事情ではない)
だからこの自殺希少地帯というのは「裏切る何か」がある。

「赤い羽根共同募金の寄付率はとても低い」
といった紹介もあった。自分が寄付したいと思うところにする。みんなが寄付するからするといった思考にはならない
(33頁)

プライバシーの概念が低く、互いの家族の不幸なども町中の人が知っている。
これはちょっとギクッとする。

 個人情報を保護しなくてもよい地域が生きやすいということなのかもしれない。(34頁)

習慣として「個人情報は町中が共有する」という。

希少地帯のもう一つの特徴。
ベンチの数が多い。
バス停等々、ちょっと見晴しのいいところに必ず小さな屋根付きのベンチが置いてある。
バス停にも屋根付きの小さなベンチが置いてあるが、ほとんどバス利用者じゃない。
近所の老人がそこに、年がら年中座っているという。
バスが止まると「行っていい、行っていい」という。

世田谷に住んでいる武田先生。
武田先生が歩く遊歩道は寄付金でベンチができるようで、例えば定年退職のお祝いとか孫が生まれた記念とかで自分の気に入った場所にベンチを。
背中のところにちっちゃく「寄贈」と書いてある。
そのベンチを寄贈した人が座りたかった場所だから、何かいい風景がある。
だから何気なくても春先、その周りに沈丁花の花がバーっと咲くとか、そういうのを見るとベンチ一つ残してこの世を去っていくというのは小粋。
武田先生が約束しているのは大船渡の知り合い。
今、一生懸命公園を作っているのだが、この公園ができたらベンチを一個寄付しようと思っている。
この「ベンチの効用」というのはどうもあるようだ。

この自殺希少地帯、非常に自殺が少ないエリア。
そのバス停なんかに座っている老人と話す。
そうすると、とにかくその老人たち、おじいちゃんおばあちゃんたちが嘆く。
娘の心配、息子の心配。
それから人口がドンドン減っていって、村が町が浦が痩せていくという心配。
をれをバーっと嘆く。
それでさんざん嘆いて「じゃ、時間になったから私帰るけ」って言いながらスッと帰る。

「病、市に出せ」
 この地域には昔から大事にされているこのことばがあると事前に聞かされていたから、私はなるほどと納得した。
 内にためず、どんどん市、自分の住む空間に出しなさいという教訓。
(42頁)

言うだけで楽になるというのはある。
それは気分転換、ストレス発散になる。
嫌な事を全部友達に話してスッキリさせるという水谷譲。
その手のものは一種、女の人の強み。
男はできない。
男性の方も溜めこまずにこの老人たちを見習って、とにかく「市」に並べた方がいい。
武田先生は九州の田舎、町の外れのタバコ屋の小倅。
本当に嫌になるぐらいおばさんが集まる家。
そのおばさんたちが大きな声で、もうありとあらゆる不幸を語っていく。
「父ちゃんが浮気した」とか何とか。
それを母親が縫い物をしながら聞いている。
でも、それは考えてみたらいわゆる「病は市へ出せ」という、そういう姿があった。
武田先生がおばさん臭いのはそういう生まれた環境。
おばさんたちは「自分の不幸をいかに飾り立てて人に報告するか」だから、火事に遭って家が全焼したっていう非常に不幸なおばさんがいた。
そのおばさんが自分の不幸を語る時の名言が「下駄の片一方も残らんかった」っていう。
何もかも焼けてしまって下駄の片方だけ、それも残らなかったという。
そういう表現の比べあいっこになる。
武田先生が芸能人でそこそこ喰えるようになった時に「よかったね、鉄ちゃんが大当たりで」と言った時に母親が言った名言。
「あんたも子供だけはいっぱい産んどきなっせい」と若い奥さんに。
「五人産んどきゃ、どれか当たりますばい」という。
この何か「パチンコの台」みたいな言い方。
そういう言い方の中で、子育てが思い通りにいかない不幸を母親は笑ったのではないかなと思う武田先生。

私は親不知を抜いたばかりで糸がまだ口に残っていた。そして痛みを感じ始めていた。(43頁)

2006年のこと(「2006年」というのがどこから出てきたのか不明)だが、歯医者は遠くて82km先。
(この後、ちょっと本とは内容が異なる説明が続く。番組では「歯医者の元看護婦さん」が歯医者の小道具が入ったカバンを貸してくれたということになっているが、本によると「元看護師さん」から道具を借りた)
この著者はまた町をブラブラ歩いて「自殺の少ないこの町の特徴は何だろうか?」と探している最中、町ですれ違うほとんどの人から「痛みは治まったかね?」。
(本によると、声をかけられまくったのは、歯の処置をする前)
つまり中居さんが人を探す時に、町中の人に症状とか痛みの具合とかを全部話しているものだから「あの旅館に泊まっている旅人のあの人」ということで、町中の人がもう全部知っていた。
「プライバシーの保護」というのがこの町では全く意味をなさないという。
私共は「プライバシー保護」っていう名目で意外と「苦しみ」とか「痛み」みたいなものを人に伝えきれないでいるのではないだろうか?
これは面白い。
物事の「価値観」なのだろう。
徳島県の旧海部町なのだが、ここに「特別支援学級を作ろう」という行政からの提案があった。
支援の必要な子供たちがいるので特別支援学級を作ろうとした。
ところが反対が多く成立しなかった。
(本には反対が多かったことは書いてあるが「成立しなかった」とは書いていない)

 障がいをもつひととそうでないひとを子どものころから分けると、お互いにお互いのことがよくわからなくなってしまう。どういうった場面でどういった助けが必要なのか、それを自然にできるようになるためには日常の中にお互いがいなければならない。(50頁)

自分家の子が帰ってきて「今日、二回も転んだけど、ちゃんと自分で立ったよ」とかって言うとその子に会うたんびに「今日立ったんだって?偉かったね」って言いながら褒めてあげられるし、転んだら「あの子だ」というのでコミュニケーションがとれるから学級を分けるのはやめてくれっていう。
これが本来の「姿」であって。
ここでは心理的に緊密ではないが、お互いに近い関係を保っている。
人間関係は深くなくとも軽く。
しかも彼らはコミュニケーションに慣れている。
「コミュニケーション能力」というのはこういうこと。
英語が話せることでもなんでもない。
これはよく調べると「歴史」がある。
ここは小さな町で400年も前に互助、「お互い助け合う」という組織がある。
「朋輩組」と呼ばれている組織が生きている。
冠婚葬祭などの助け合い、金銭、離婚、病の相談まで、困りごとについては町中で語り合うという。

「問題が起こらないように監視するのではなく、問題が起こるもんだと思って起こった問題をいっしょに考えて解決するために組織がある」(62頁)

人生はしばしば困ったことが起きる。
このことを前提にして近所がいつでも薄くお互いに結び合っているという。
弱い繋がりからお互い助け合う。
「お互い助け合う」というのは、この日本では生きていく技術の一つ。
地震は多いし、夏は夏で台風が来る、冬は冬で雪に苦しむ。
そういう自然の災厄から逃れるためには結びつくしかなかったという。

 海部町の駅のそばに、山がのっかっていないトンネルが立っている。(66頁)

「山があったから行政が、まあトンネルを作ろうってことになったわけですわ」
 税金が動くことだから町民全員にかかわる問題である。そしてトンネルができた。
「ところが、じきに、嵐が来て山がもってかれたんですわ」
 そこに在ることを教えてもらうまで気づかなかった「トンネル」を見ると、確かにそれはトンネルだけしかなくて上になにもないことにびっくりする。
「ふつうは、行政何やってんだって、怒ったりもするんだと思うんですわ」
 しかし町民は怒らなかったという。
「それどころか、トンネルの上に植物植えるひとまで現れた」
(67〜68頁)

今、「政治の責任」とか何とかってしきりに言う。
武田先生がすごく好きだった、人がお書きになった文章。
本の中で一番ショッキングだったのは「国民の義務」という。
「納税」と「勤労」という「税金を納めてしっかり働く」という。
「この二つをこなさない限り、おまえは国民ではない」ということを書いた本があって、結構シャキッとしたのを覚えている。
「仕事うんと楽にやってエンジョイする暇なんか作っちゃって、税金はわりと納めないぞ」っていう「そういうヤツは国民じゃねぇ」という。
アメリカ大統領も税金は納めなきゃダメ。

(ここから本とは無関係な話になるので割愛)

2017年03月23日

2016年10月24日〜11月4日◆実技、嫁に来ないか(後編)

これの続きです。

内田樹先生は前の奥様と離婚なさって、赤ちゃんを引き取って自分で育てたという。
合気道をやりながらフランス哲学を研究して、子育てをやってらしたというのが何かいいと感じる武田先生。
華麗なばかりでなく、悲哀も感じるという師の前半生。
そこで実に不思議な体験をなさる。

レヴィナスというフランスの哲学者の研究が僕の専門で、子どもが小さい頃はずっとレヴィナスの『困難な自由』という本の翻訳をしていました。レヴィナスというのは難解で知られた哲学者で、読んでもさっぱりわからない。−中略−
 それをそのまま押し入れにしまって、2年間ほど寝かしておきました。
−中略−
 そして、ずいぶん経ってから出版社の編集者に「あれ、どうなりました?」と訊かれて、「あ、そうだ」と押し入れから引っ張り出してみてぱらぱら読んでんみたら、今度はわかったんです。「わかった」というより「わかるところがいくつかあった」くらいですけれど、それでも「まったくわからない」ところから「少しはわかる」というレベルになった。僕自身が変化したのです。
 この変化に一番大きな影響を与えたのは育児の経験だったと思います。
(147〜148頁)

困難な自由―ユダヤ教についての試論




このことに関して師ははっきり文章の中ではおっしゃっていない。
しかしわが子を「私がいなければ死んでしまう」という存在。
それを懸命に育てているうちに、自分の心の内に、このやっかいな生き物、面倒臭くて、突然泣いたり熱を出したり、他者を振り回すしかない「赤子」という生き物を愛せるようになっていた。
愛せるような「技」をいつの間にか習得していた。
「愛」というものはかくのごとく他者を経由しないと手に入らないものである。
赤ん坊が「他者」。
水谷譲は「ひどい」と言っていたが、母ちゃん(奥様)の顔を見た瞬間に「これでもいいか」。
「これでもいいか」というのは、ものすごく身にピッタリくる言葉。
「これでもいいか」というのは「これでいいんだ」ということだし「これしかない」ということ。
「君しかいない」といういい方を「これでいいか」という言い方にしている。
極寒の吹雪の中でオーバーを着て「これでいいんだ」と思って立っているのと同じ。
柄とかデザインとか一切気にせず「もういいじゃん、これで」とか「暖かいんだし」とか。
それをあえて言うと「愛」と呼べるのではないか。

二人の間には千里の隔たりがある、それを一生かかって七〇〇里までに縮めたいな、と。(166頁)

この夫と妻というのは、愛していなくても、もう平気で「愛してる」と言えるようになっている。
平気で抱き付いたりなんかする。
そういうことが「技」としてできるようになっている。
若い時は「何すんの」「大きい声だすよ」とかって言われたことがある武田先生。
ところがそれが平気になっている。
「それが夫婦ではなかろうか」というのが内田師範曰く。
「他者」として遠くに置きながら、それでも触れている関係。
この矛盾を達成した夫婦こそ夫婦なのではあるまいか?
私共は不思議なことに、その手の夫婦を街に日常いっぱい見つける。
「支え合わないとどっちかが倒れる」という夫婦は、本当に後姿を見ると「愛の形」に見える。

人気のない観光地。
静かな夕暮れの湖があって、何だか夕日がとても綺麗に見える断崖絶壁。
そこに妻を立たせて「もう少し下がってごらん、もう少し下がってごらん」と言っているうちに妻が静かに笑いながら言った一言。
「あ、殺そうとしてる」という。
殺意をもジョークで言い合うという。
それが夫婦ではなかろうか?
君が毎日飲ませてくれるサプリを飲むと、何だか最近胸が息苦しくて。
いつも奥様が出してくれたサプリを飲む武田先生。
これが実は夫婦なのではなかろうか。

武田先生が感動した私的な体験。
伊勢神宮の参道を杖をついておじいちゃんとおばあちゃんが手を繋ぎ合って、本殿を目指している。
あれを見た時に何か「じいさんとばあさんっていいなぁ」と思った。
つまり愛し合った時に繋ぎ合った手ではない。
「どっちかが離すと倒れる」という関係で繋ぎ合っている、おじいちゃんとおばあちゃんの手繋ぎ姿。
それから車いすの女房を黙って押している、白髪のおじいちゃんの機嫌のよさそうな顔。

 結婚生活にかぎらず他者との共同生活を適切に営む上でいちばんたいせつなことは「機嫌がよい」ということです。(168頁)

「機嫌がよい」というのは大事。
逆の意味で言うと、機嫌の悪い人は不幸な人。

 「エコロジカル・ニッチ」という生物学の概念があります。一定の自然環境の中で複数の動植物が共生するためには、生活のかたちを変えるしかない。夜行性と昼行性、肉食と草食、地下生活と樹上生活、そういうふうにライフスタイルを「ずらす」。相手がいないときに、相手がいない場所で、相手がしないことをする。それが生物に備わった共生の知恵です。結婚生活も基本はそれと同じだと思います。(175〜176頁)

奥様がいる時は奥様の邪魔をしないようにじっと家の隅でおとなしく。
出ていったらやりたいことを全部やる。
これが野生の知恵「エコロジカル・ニッチ」。
お互い、どっちかが出かけていった時の解放感を家の中で感じるという水谷譲。
「やったー!」「自由だ!」「バンザーイ、バンザーイ!」
それからもう一つ。
奥様の目を逃れて隠れて何かやる喜びはすごい。
ガレージで車を入れて「食べちゃいけない」って言われている揚げイカ。
揚げイカ一枚とビール一缶を四分ちょっとで両方胃の中に入れる。
「カッ!ペロペロペロペロ・・・」って言いながら。
ガレージで明かりを消して。
この時の、夏場の暑い時なんかタイミングがいいと、もうビールが吼えるほど美味い。
揚げイカが美味い時がある。

なとり ジャストパック いかフライ 6枚入×10袋



つまりこの前提になっているのはエコロジカル・ニッチ。
「女房の目が届いていない」という喜び。
水谷譲も「亭主が出て行った瞬間、万歳したくなる時がある」。
でも亭主が死んでしまうとその解放感が無くなる。
本当に「女房いてこそ」だ。
このエコロジカル・ニッチなんていうのは、生き物にとってものすごい喜びを与える。
直訳すれば「ずらす」。

起きるのが大体6時前後の武田先生。
時として5時半ぐらい。
バテた時は7時まで寝ている。
その5時半〜8時、奥様は絶対に寝室から出てこない。
「起きているんじゃないかなぁ」とは思っている。
本能的にずらしているのだろう。
その間に武田先生がいろんなものに触って汚したりするのだが「それは後で叱るとして」ということで。
それで武田先生が勉強部屋に行くと、奥様が階下から上がってくる。
ものの見事にすれ違うようにアレする。
武田先生夫婦がやっと茶の間に揃った時は、子供たちが起き出してくる。
子供たちもそれまで来ない。
やっぱり「ずらしあい」。
よく離婚の理由として「すれ違い」と言うがあれは嘘。
「すれ違い」は楽しい。

「俺が出て行く時に、女房が帰ってくる」という道で、あの時の夫婦の機嫌のよさはたまらない。
「よぉ!」なんて。
「今から行ってくらぁ」「じゃあ気をつけて!」とかって言いながら。
近所の目を意識して、うまくいっている夫婦を演じているのだが、何か妙な「はずみ」がある。
あれは「すれ違いの躍動感」みたいなのに溢れている。

一緒にいるときはできるだけ相手の邪魔にならないようにする。(176頁)

家族というものは一日に一回、一時間ほど集まって何もせず、その時間がやってくるとやがてバラバラに部屋に散る。
それぞれに家族は口では言えぬ秘密を持ち、またその秘密を薄々知りながら口に出さない。
それで立派な家族なのだ。

本の中に「問題のある家庭」のチェックポイントがあり、そこに「家族の間に秘密がある」という項目がありました。僕はそれを読んで、どういう人間がこんな質問票を作ったのか考え込みました。
 家族の間に秘密があるなんて当たり前じゃないですか。
(178頁)

(番組では「役所からの手紙のアンケート」と言っているが、本によるとアダルトチルドレン関連の本の質問票)
武田先生はこれに対して「本当、先生その通りです。私は『本当のことを言って』と妻にせがまれ、つい告白し、二度地獄をみたことがあります」。
本当に大変だった。
本当のことを言っちゃダメ。
大変なことになっちゃう。

 これから結婚生活を始めるお二人に私が申し上げたいのは、「結婚生活を愛情と理解の上に構築してはならない」ということです。(206頁)

「結婚っていうのをそんなに難しく語るから、しなくなる人がいるんだ」と。
結婚というのは誰でも手軽に参加できて、決心さえすればすぐに誰でも結婚できる。
これが結婚という制度なんだ。
「制度」というのはそういうものなんだ。

結婚というのは本来「配偶者に対する愛も理解もそれほどなくても十分維持できるし、愉快に過ごせる」ということをデフォルトして制度設計されたものです。(207頁)

「この人でよかった」など初期設定を振り返る。
そういう愚かなことをしてはいけません。
「この人かなぁ」と思ったらもう「していいんだ」「それで上手くいくんだ」と。
確かにその通り。
昔の人って見合いなんか滅茶苦茶。
全然会わずに結婚した人なんて山ほどいた。
それで全員が離婚したワケじゃない。
殆どの人がちゃんと最後まで結婚し続けて相手を送っている。
あんまり結婚というのを難しく「愛と理解」とか「永遠の愛を誓えるか」とか。
そんな厳密なものではないんだと。
グシャグシャになりながらも、何となくできるという。

武田先生の意見。
出会いの時、とても素敵に見えた。
「この人しかいない」と私は思った。
でも、この人はどこにでもいるタイプの人だった。
だけど、この人は積極的に私を裏切ったワケではない。
私の方がそう思ったのだから仕方がないだろうと。
そんな勘違いをした後、勘違いをする人がもう現れなくなった。
その人は最後の勘違いの人だった。
それだけで結婚するに値するのではないだろうかという。

10年前に結婚した水谷譲。
当時、ご主人は二人の子供を連れて『クレイマー、クレイマー』状態だった。

クレイマー、クレイマー (字幕版)



それを見て「私が何とかせねばならん!」という責任感が湧いてきたのがきっかけだった。
若い人、結婚前の人に伝えたいが「私がいないと、この人はもっと不幸になる」というような不幸を予感させる人じゃないと結婚する気にならない。
博多の公園で泣いて武田先生を見つめる奥様を見て憐れで。
「おらぁ不幸になってもいいから、この人を幸せにしたいなぁ」と思った。
でも今わかった。
この人はちっともかわいそうな人じゃなかった。
強い人だった。
大事な「勘違い」。
一度だけの勘違いというのが結婚の決め手になる。

男性はわりとものを置くときに記号的に配列する。−中略−でも、女性は、そのものが「何であるか」よりも「どれくらいの頻度で使うか」を基準にものを配列する傾向がある。(224〜225頁)

「自分の生理的利便性」が女を支配している。
武田先生の家の例。
居間にでっかいアラビア文字の数字の時計を奥様が掛けた。
もう、大きすぎる。
丸い時計で、お盆で。
アラビア文字で読みにくい。
普通の数字買ってこい!
(おそらくローマ数字の時計のことを言っているのだと思われる。アラビア数字は普通の算用数字だから)
それをボン!と置く。
でっけぇ時計が引っ掛けてあると、こっちも落ち着かない。
それで武田先生の家でもあるから「ちょっと時計、大きすぎんじゃないの」と一応言わせてもらった。
返ってきた言葉の鋭さがすごい。
「見にくいのよ!台所から」
台所から見るためにでっかいのを掛けている。
「リビングに来ればいいじゃん」と思う。
かくのごとく、女性というのは生理的利便性に従って物を並べる。
男は趣味に従って並べる。
大体ミニカーとか並べているのは男の人。
「そんな場所取るようなもの、何で買って集めるの?」というのが女の言い分。

お正月のおモチ。
当然だが、神様に近いところがいいから、なるべく高いところに置きたがる。
丸モチ。
神棚とかそのへんに置く。
そこに置こうとすると女は低い方の棚に置きたがる。
「棚じゃありがたみが無いだろう」「片づけにくいのよ!高いところ置いとくと」
「片付けることを考えて物を置く」という。
それはよくわからない武田先生。
女の方が実利的、実用的、現実的。

涙が滲みそうになりながら読んだ一行。
女房に逆らうな。
彼女の主観的秩序が我が家を支配しているのだ。
逆らわず、女房を鑑賞しなさい。
(本の中では女の人が物を置く秩序を「鑑賞」しなさい」という話になっている)
「(拍手をして)へぇ、お見事」って言いながら眺める。
「逆らわれると、どんな小さなことでもイラッとする」という水谷譲。

結婚すると人は変わる。
これは結婚40年50年のベテランだったらば身に染みて理解なさっているはず。
結婚して大いに人は変わる。
まず結婚すると、あなたの体の中に激変が起きる。
どういう激変か?
高嶺の花が少しもうらやましくない。

自家用ジェット機に乗ってる超富裕層の人なんか全然羨ましくないし、ドバイの超高層マンションのペントハウスで美女を侍らせたジャグジーでシャンペン飲んでるアラブの石油王なんかマンガにしか見えない。そういうのは羨望の対象にならない。(234頁)

結婚すると一体何がうらやましくなるか。
結婚をすると「ちょっと上」のヤツがうらやましくなる。

 家賃3万円の風呂なしアパートに住んでいるときには隣の家賃4万5千円の風呂付きアパートに住んでいる人が切実に羨ましい。(234頁)

イタメシ屋で妻と外食。
本日のサービス定食「サラダ付きトマトソース海鮮スパゲッティ」を頼んでいる。
これで充分、デートの時憧れた定食なのに、結婚したら横に座った夫婦者が定食に付いているサラダをわざわざ断って「気まぐれサラダ」を注文し、ピザをプラスした。
その時に「あ、こいつ『気まぐれ』頼んだ」っていう。
これが結婚しての変化。
やろうとすれば自分も手が届く範囲。
イタメシ屋なんかで二人で飯を喰う時に両方サラダ。
これはシェアするとして、ピザをもう一枚追加する。
絶対分量的にはピザを残す。
残すことを前提に頼むヤツにムカッとくる。
それだったらばドバイの空をヘリコプターで自分の運転で飛んで、まぐれで降りてシャンパン飲んでるヤツの方が許せるようになってくる。
バイキングでもそう。
山ほど取って残してるヤツを見るとムカッとくる。
(自分よりちょっと上をうらましく思ってしまう話は、本の中では「結婚をしたから」という内容ではない)

妻の理由の分からない不機嫌。
配偶者の不機嫌は夫婦にわずかなズレを感じさせる時、妻側から発せられる信号です。
ある意味ズレを修正させるべく取引のサインです。
「不快を耐えてオマエと一緒にいてやってるんだ。私の忍耐を、バッグを買うことで補え」という。
これは妻の不快。
女の人は不快を取引の材料に使う。

 配偶者との関係を穏やかで健全な状態に保とうと思ったら、まず「自分はどうすれば機嫌がよくなるのか?」について考える。
 この場合、配偶者のことは忘れてください。配偶者がどうあれば私は上機嫌になるのか、というふうに問題を立ててはいけません。
(239頁)

 倦怠というのは、申し訳ないけれど、自分で自分の人生に飽きている人間が感じることです。自分で自分の人生に飽きているのだけれど、それを認めてしまうと「後がない」ので、倦怠の原因を外部化して、「誰かのせいで人生に飽きている」というストーリーを作って、それにすがりついているのです。(242頁)

この倦怠は実は自分自身に飽き飽きしているもので、実は配偶者は何の関係もない。
ですから自分にもっと好奇心を呼び込みましょう。

自分の中にどんな「未知の資質」が眠っているのか、「未開発の資源」が埋蔵されているのか、それに対して真剣な好奇心を抱いている人は、まわりの人に「飽きたり」しません。(243頁)

「機嫌いい」ってものすごくいい言葉。
機嫌よく生きていきましょう。
最近「不機嫌を売り物にする」とかっていう人が多い。
視覚文化である代表のテレビはそう。
不機嫌な人を主人公に据えたがる。
それで飯を喰えている芸人さんなんかがいる。
でも、絶対にダメ。
あれは一生のマイナス。
とにかく「機嫌よく」。
あなたの機嫌よさを引き出してくれたのは誰か?
そうです。
「不機嫌な配偶者」です。
「ありがとう奥さん。本当にいい人生になっちゃった」
一生に一度そう思えただけで、その結婚は成功なのです。
そして「良かった」と思ったあなたは、この人類史の中で成熟を達成した成人として、そう、若き頃、押さえつけて遮二無二神前で誓わされたあの言葉「一生愛します」を成し遂げた奇跡の人になるわけです。
アナタは気づかないでしょうが、アナタの頭上には神からオリーブの冠が贈られるのです。

ご主人と結婚して「ま、こんなもんだろう」と感じる水谷譲。
やっぱり吹雪の中に立った時、毛布をかぶっていたら、その毛布の柄に文句を言っている暇はない。
「橙色が好きなのに群青色。嫌〜い」とかって、そんなことを言っている場合じゃない。
必死になって我が身に巻き付けておくという。
「とりあえず、これでいっか」ということ。
だから結婚はそういうことをつくづく教えてくれる。

2016年10月24日〜11月4日◆実技、嫁に来ないか(前編)

いつもは内田樹氏の文章には納得が行く部分が多いが、今回の本はちょっとな・・・って思いつつ読んだ。
結婚は自分次第で相手の資質をあまり問わない感じの内容だけど、この人は世の中には本気でクソな人がいるってのをご存じないのかな?って感じで。
まあ、そういうクソな相手しか選べないような人はそれ以前の問題だろって仰せなのかも知れないけど。

困難な結婚



高齢者の爆増とそれから少子。
そういうことで大変大きく揺れている日本。
「子供を増やさなければ」と叫ばれる政治のトップの方が、お子さんがいらっしゃらない。
それから東京の方で一生懸命仕切ってらっしゃる方も結婚は眼中にないという。
子が生まれないどうのこのうのは横に置いておいて、とにかく嫁に行かない、嫁を貰わないという男女がものすごい勢いで増えているという。
そいう時局にあって、武田先生が心より尊敬する哲学者の武道家、内田樹先生が『困難な結婚』という本をお書きになった。
内田先生お得意の「困難シリーズ」。
なぜ結婚は困難になったのか?
これを内田先生が口述筆記ぽく、ざっくばらんな言葉使いで「結婚という制度」を実に哲学的に、しかもわかりやすく説明して下さるという。
若い方への結婚をすすめつつ、倦怠期のご夫婦のためにも「なぜ夫婦であらねばならないのか」というのを懇々と説くという。

結婚のベテランのうちに入った武田先生。
ついこの間、奥様と喧嘩をした。
ムカッ腹が立っていろいろやっている。
でも、それもこれも込みでやっぱり「結婚」なのだ。
まずは結婚しない若い人へ。
この内田先生の御神託。
つづめて言うと「御託」をお聞きいただこうと思う。
内田師範曰く「『もっといい人』というのは、結婚を願う時、絶対にあなたの前に現れません」。
「もっといい人」
誰でも願う。
これは絶対に「もっといい人」は現れない。
このことをまず結婚前の方、結婚をまだ体験なさっていない方は考えて下さい。
時折芸能人でタレントさんあたりが「ビビッときたんです」っておっしゃる方もいらっしゃるがビビッとこない。
また逆の意味で言うと、ビビッとくる人と結婚してはいけない。
結婚とはそんなビビッという電気的なものではない。
これは武田先生が言っているのだが、内田先生も同じようなことをことをおっしゃっている。

結婚の実相、実態について最も正確に娘に伝えられる能力を持っているのは母親だ。
母親が背中越しに娘にボソッと言った言葉こそ結婚の実態だ。
「男なんてね・・・みんな同じよ」
これが最も男の本質を言い当てている言葉だと。

昨日の夜、帰りに渋滞だった武田先生。
もう本当にくたびれた。
富士山の見える湖あたりから車で、中央、東名両方とも混雑の中で、もうラジオばっかり聞いていた。
そうしたらNHKで結構いいのがやっていて、ホイットニー・ヒューストンの一代記をやっていた。
ジャズシンガーの人が彼女の一生を彼女のヒット曲と語りでずーっと。
大変な歌姫で。
でも本当に不幸。
本当に憐れなぐらい不幸な人で。
なぜホイットニー・ヒューストンという人は不幸になったのかというと、やっぱり結婚というものをあまりにも魔法のように考え過ぎた。
内田先生は何と言っているか。

「男なんてみんな同じよ」と言って結婚をせっついたものなんです。
 これはたしかに一理ある発言であって、男はもちろんピンキリなんですけれど、それはあくまで社会生活において際立つところの差異であって、家庭生活においてはそれほど劇的な差異は見られないのであります。
 だって、外ではけっこうややこしいネゴをまとめたり、てきぱきと会議を仕切ったり、複雑なアルゴリズムを解析したり、5ヵ国語を駆使して談笑できたりできるおじさんたちだって、いったん家に帰って、風呂上りにジャージなんか着て「げふ」とか言いながらビール飲んでると、外形的にはピンもキリもあまり変わらないでしょ。外で発揮していたような圧倒的な社会的能力の差異は家庭内では誇示されようがない。
(19〜20頁)

この意見には賛同できず、福山雅治さんとスギちゃんでは家に帰ったら違うと主張する水谷譲。
カッコイイかも知れないが、男は実態において家庭で見せる顔はだいたい同じだと絶対に思う武田先生。
でないと不幸。
福山くんが女性が憧れるような姿勢であの奥さんの前にいるのだったらば、不幸な結婚をしている。
能力がある、セレブであり会議を取り仕切り、5ヵ国語をゆうに使うことができる。
そういう男が家でその能力を発揮した時、その男は女房にとって暴力になる。
飯を喰った瞬間にフランス語で感想を言う。
能力のある男がその能力を家庭で表現しようとする時、女の人はものすごく不幸になる。

結婚とは一体何なのか?
何のためにやるのか?

結婚は「病気ベース・貧乏ベース」(22頁)

貧乏と病気に耐えるため、そのために二人は結婚する。
だから結婚というのは幸せを目指して歩くのではない。
結婚は病気になった時と、けつまづいて貧乏になった時のために結婚する。
病気の時、貧乏な時、人は一人では生きていけない。
病気の時がわかりやすいのだが、貧乏の時もそう。
これが男女というワンペアになると、意外と耐える、看病する。
遮二無二働くようになる。
だから「結婚というのは病気と貧乏という目標に向かってするものだ」という。
危機耐性。
危機に対する我慢強さみたいなもの、それが結婚に男女を誘導する。

では、どうすれば「この人はアンハッピーな時に私を助けてくれる人か」それがわかるのか。
簡単。
それは二人で比較的貧しい旅をすればすぐにわかる。
(本の中では「貧しい旅」ではなく「海外旅行」)
貧しい旅をすると、その男の貧乏くさいところと病気臭いところと両方ちゃんと見抜くことができる。
ハワイとかではなく、もっと貧乏旅行。
その時にそいつが「寒い?」と女の子が寒がっていたら「じゃ新聞紙破ってセーターの間に挟みな」とかって言って。
あれはけっこう暖かい。
破ってセーターの間に入れたりすると、十分な暖房になる。
やたら毛布を買って来たりセーター探してきてとか、そんな贅沢じゃない。
その時にその男に新聞紙を破る知恵があるかどうか。
新聞紙がうまく使える男の人を「この人、生きる力あるな」と思う水谷譲。
野菜を包んだりとか。
「こうすると腐らないよ」みたいな「キャベツ長持ちするよ」みたいな。
そんなことをいっぱい知っているヤツがいる。
そういうのが実は結婚にはもってこいの能力。
何も5ヵ国語とか必要ない。

そしてもう一つが「私にふさわしい相手だったらば、本当の私らしさを引き出してくれるはず」。
こんなふうに夢見ている人がいるかも知れないが、結婚してそんなことは人生に絶対起こらない。
「その人が私にふさわしい相手だったらば、私はもっと自分らしさを発揮できる。もっと元気になれる。もっと自己実現できる」
そういうことは人生には起こりません。
内田先生の説明が単純明快でわかりやすい。
栄養補助薬や薬を飲んで、健康を私は保っている。
「実はその薬のお陰だ」と信じている人はいませんか?
でも、その薬が効いているかどうかは確かめようがありません。
この世の中に「サプリを飲んでいないアナタ」はどこにもいない。
比較できない。
「確認しようがない」ということ。

 結婚が適切であったかどうかは、「この人と結婚しなかった自分」を連れてきて、それと比べるしかないんえすけれど、そんな人はどこにも存在しないんですから。(40頁)

内田師範曰く「コミュニケーション感度」。
アンテナみたいなもの。
そういう言葉を文章の中にポンと置いて。
他者の呼びかけに応答する能力。
これを塞いで自分の受け持つ仕事のみの効率を急ぐ時、自分の体が発信してくるシグナルを聞き逃す。
そういう構造になりえると先生はおっしゃる。
つまりこういうこと。
「誰を結婚すべきか」という問題に自分だけの正解を求めないでください。

「どういう仕事をすべきか」「誰を結婚すべきか」みたいな本質的な問いにシンプルな一般解なんかありません。そのつど唯一無二の特殊なケースなんですから、真剣に葛藤しないといけない。(51頁)

葛藤を経由しないと自分の身体が発するシグナルに鈍感になる。
その矛盾に耐えられないと免疫不全になってしまう。
一つの正解にとらわれてしまっていると自分の体の声を忘れてしまう。
この内田先生の言っている「自分の体のシグナルにもっと私達は敏感でなければならない」。
「誰と結婚したらいいんだろうか」というのではなく、体が発するシグナルに耳を向けて「何かアイツといるとホッとすんなー」とかっていう。
そういう「身体ベース」「体ベース」で結婚というのを考えたらいかがか。

内田師範曰く「他者の呼びかけに応答する能力、これを塞いで自分の受け持つ仕事のみの効率を急ぐ時、自分の体が発信してくるシグナルを聞き逃す構造になりえます」。
つまりこういうこと。
自分の体が発するシグナルに耳を塞いで、自分がやらなければならない仕事に追われるという性格にしてしまうと、過労死の危険性が出てくる。
この「過労死する人」というのは、その仕事を嫌っている体のシグナルを無視して「やらなければならない」と思うモチベーション、動機に引きずり回されてしまうという。
「給料はいいから頑張らないとダメだ」「バイトから一生懸命我慢してやっと正社員にしてもらったからここで頑張ろう」「立派な会社に入ったんだから、私には辞めることはできない」「何が何でも頑張るんだ」
一つの正解にとらわれてしまっていると、その仕事を嫌っている自分の体の声を忘れてしまう。
これは何でここで持ち出したかというと先月だったかにあった。
「死んでしまいたい」 過労自殺の電通社員、悲痛な叫び:朝日新聞デジタルこの件かと思われる)
ものすごく切なくて。
「何日もお風呂に入っていない」と。
女子社員なのに。
目が真っ赤に充血して会社に出て行ったら上司から「目なんか充血させるな」と言われて。
「私には目を充血させる自由すらないのか」とかという。
全身で仕事を拒否しているのだが、結局この女性は自殺に追い込まれてしまう。
ちょっとおじさんとしていらだつのは「辞めりゃいいじゃん」と思う。
内田先生の言っている「自分の体のシグナルに、もっと私達は敏感でなければならない」。
この時にこの手のことに関して内田樹先生が「体が嫌がっているという、もうどうしようもないことを頭でねじ伏せようとするから、体に矛盾が起きるのじゃないか」。
「そのためにみなさん、結婚って便利ですよ」と言う。
(そいう記述は本の中には見つからず)
内田先生は「体が葛藤している時にパートナーがいると実に便利です。妻が頭で一生懸命、自分の体の悩みを押しつぶしている時に、気付くのは夫です」という。
「張り切っているわりに君、会社に行く足取りが重そうだね」とかっていうことを指摘してくれるのはパートナーです。
(このあたりも本の中には見つからず)

総合診療医 ドクターG - NHK
この番組を見ていて武田先生がハッとしたこと。
心臓病なのだが「手術をしたらどうすればいい?」とか。
それを役者さんが再現ビデオに出てきて語り始める。
「胸の苦しさはいかがです?」と訊く。
そうすると旦那さんの方は「いや、そうでもないんだけど」と言ったら奥さんが「いえ、この人、秋口ぐらいからちょっと様子がおかしかったんです。階段を上る時、この人何度も足を止めたんです。そんなこの人を見たのは私、初めてでした」。
パートナーの方が相手の異変に気付きやすい。
旦那は乗り切れると思っているし「そんな大したことじゃない」と思う。
やっぱりお医者さんに行く時に足を向けるのは女房の一言。
朝に機嫌よくメシか何か喰っている時に、ボソッと「変な咳してたよ」とかって言われるとゾクッとする。
ああいう医者にも勝る言い方をしてくれるのはやっぱり・・・。
ということは、悩んだり心配事を揺さぶってくれる「元」。
それが夫であり妻。
それがいないと人間って自分の体のことに関して全く気付かずに、ずっと遊びまくっている。
「顔色悪いよ」とかって奥様から言われるとギクッとする。
他にもいろいろギクッとすることはあるが。
「どうしたの、この下着」とか。
そういう「女房がギクッとすること言うぞ」という。
他人は絶対言ってくれないようなことを言う。
結婚していなければ自分の体というものに関して、ほとんど人間は悩まずに自分の体を黙らしてしまうという。

武田先生の独り言。
人が人を好きになるというのは、本当に傲慢なものです。
たくさん異性がある中で「あの人でなければダメ」と泣きじゃくるわけですから。
相手と不釣り合いで、相手が既婚者であろうが、言葉が違おうが、別の宗教の人であろうが、貧乏であろうが。
希望が細ければ細いほど、恋は真っ赤に燃え上がるという。
恋に希望があるとつまらない。
「デートしよう」と言ってデートできない事情が複雑であればあるほどデートしたくなる。
何か障害とかがあった方が燃える。

人を好きになる、一緒にいたくなるという心情そのものの起源を誰も知らないからです。それは神さまの領域の出来事なんです。だから、結婚式では人間の人間性の起源について、人間は何も知らないという事実をもう一度思い出すために神さまを呼び出すのです。(97頁)

 われわれは誰もでもが「母語の習得」という仕方で、自分が「この世にそんなものがあるとは知らなかった秩序」のうちに参入しています。−中略−
 人間は成熟するために「いま・ここ・わたし」という閉域から外へ踏み出さなければなりません。
(100〜101頁)

この手順で人間は人生を積み上げていく。
私達は「私の価値観」や「倫理観」とは別の物差しで生きている、何か「大いなるもの」に向かって歩き出す時に何事かを誓う。
「神がかったもの」に向かって自分の成長とか成熟を誓う。
高校、大学、社会へと歩き出す時、私達は合格祈願などと言って神社に立ち寄ったり、あるいは無事に就職が決まると親子そろって墓参りをしたり、父母がしていたように花や水を石の墓碑に供し、手を合わせ、祈り誓う。
「この世ではないもの」そのものを呼び出す。
結婚も同じ。
「私」の理解も共感も絶した「他者」と一緒に暮らそうと決意した時、私達は神を呼び出して誓う。
嫁とは何か?
武田先生の立場から言うと「他者」。
本当にこれはいい言葉。
あれは「他者」。
だから「他者」嫁と結婚する時は武田先生も神を呼び出して誓った。
その「誓い」とは一体何かというと、結婚という出来事を「私」のことにしないで「公」のものにするということで誓った。
誓いはもう子供の時の誓いと同じ。
「嘘ついたら針千本飲〜ます♪」
教会で式を挙げた武田先生。
「富める時も貧しい時も病める時も愛を誓うや?」と言われた時に、本当は「ちょっと自信ないんですけど」と言いたかった。
それを押さえつけて「誓います」って言う。
むりくり言わせているからこそ、あの呼び出したものへの「誓約」というのは生きてくる。
あれが本音で「ちょっと今んとこ、自信ないんですけど」とかっていうと、あれは誓うことにならない。
「これは無理かもしんないな」と思うと、ずっと心の中にわだかまりができる。
それがずっと何十年かやっていくうちにフッと「守ろう」という気になっていく。
結婚の「三年目の浮気ぐらい〜♪」の時はダメ。
あの時は「あれ?こんな・・・チッ!もっといいやついたじゃん!」とか、いろんな素材がある。
互いにジジイとババアになると本当に。
奥様と喧嘩をする。
でも時折あの顔を見て「もうこれでいいか」と思う。
向こうもそう思っている。
こっち側だって睾丸は下がるだけ下がっている。
お互い重力で下がるものは下がっちゃって。
それが見つめ合った時にお互いに「これでいいか」とつぶやいた時、それは少なくとも「愛」と呼べるのではないか。

結婚をしたらどうするか?
ひたすら愛と共感に基づいて行動してください。
一番大事なことは「結婚は契約ではありません」。
契約行為ではありません。
あれは何せ神様を呼び出して誓ったわけだから「担保」とかもないし「月々いくら払う」とかそんなものも何も決まっていない。
だからいわゆる「契約」ではない。
連れ合いの欠点をいくつ見つけるか。
それが結婚生活。
それをあえてマイナスとしてカウントしてはいけません。
相手の欠点をマイナスでカウントせずに、逆に相手の優しくされたりなんかするという長所をプラスとして足すだけ。
そういう採点方法でパートナーを審査しなければなりません。
絶対に減点法はいけません。

モリタさんという歯医者さんから言われた名言。
車を初めて買う時、知ったかぶりの先輩は必ずアナタにこう言います。
「どうせ免許取り立てでさ、どっかぶつけるからさ、買う車はさ、中古でいいよ中古。少しバンパーぶつけたりなんかでへこんでるヤツ買った方が、もう安心してぶつけられるから」
このアドバイスを真に受けてはなりません。
世の中で一番恐ろしい言葉は「どうせ、ぶつける」。
これは呪いの言葉と同じです。
「どうせぶつける」という言葉を信じてしまうと、どこかにぶつけて「あ、やっぱぶつけた」とあなたはぶつけることに安心してしまう。
これが実は結婚と同じ。
結婚とは一生を賭けての大事業。
自身はバツイチである内田師範は、ゆえにストーンと胸に落ちるその言葉で私達に教えて下さる。
ぶつけないために全力を尽くす。
そのためにはどうしたらいいか?

だから初心者はぴかぴかの新車を買った方がいい。かすり傷ひとつつけちゃいけないという気持ちで運転するのが一番安全なんだ(120頁)

それが、水谷譲は人前で誓った、武田先生は神前で誓った、あの誓いの言葉。
あのむりくり言わされた「生涯愛します」という。
本当は全く自信もないくせに。
それは「絶対にぶつけるなよ」という。
ここで日本の素晴らしさは「結婚に契約を持ち込まない」こと。
アメリカの不幸は何かというと結婚に契約を持ち込む。
いい例がブラット・ピットとアンジェリーナ・ジョリー。
あれはもう結婚する時に決めている。
「遺産はどのようにして分ける」とか。
アメリカは合理の国だから。
でも結婚は合理じゃない。
神秘主義の人じゃないと結婚できない。
だから自信が全くないくせに「絶対ぶつけません」とかって言う。
そう言わないとぶつける。
これは本当に名言。
「むりくり言っておいてよかったなぁ」と思う武田先生。

 結局は結婚関係っていうのは、ある意味で「権力関係」なんだということをそのとき学習しましたね。どっちかが「ボス」なんですよ。そうじゃないと安定しない。(136頁)

 向こうが「ボス」で、僕が「手下」という関係のときは、それなりに安定していたんですけれど−中略−
 食わせてもらっていたときは何を言われても「はいはい」と従っていて、それで何の屈託もなかったけれど、こちらの方が家計の支え手になると、今度は妻にあれこれ指図されるのが「かちん」と来るようになる。
(135〜136頁)

離婚の果て、内田師範は赤子を一人背負い生きてゆかなければならなくなる。
彼はここで実に不思議な体験をする。
不思議な体験というのはやっぱり「愛」。

2017年03月16日

2016年11月28〜12月9日◆オオカミがいないとウサギが滅びる(後編)

これの続きです。

「生態系というピラミッドごと考えよう」と。
「その考え方の中に農業の革新というか、やらなければならないことがたくさんあるのではないか」というのが著者からの提案になっている。
農業のあり方、やり方。
この方はとにかく「田んぼというのを生態系が循環する歯車の一つにしよう」と、そんなふうにおっしゃっている。
例えば「冬水田んぼ」といって「冬でも田んぼには水をひこう」と。
そうすると田んぼの泥水の浅瀬にプランクトンが発生し、そこからミミズとかユスリカとか。
さらに脇にはドジョウ、フナ、そういうものが棲み付き、それを目当てにしてシラサギ、カワセミが田んぼにやってくるようになる。
そんなふううにしてピラミッドを下から丁寧に、土から丁寧に作ることを繰り返せば、日本の農業、日本の自然というものは必ず元気になる。

 田植えは、大きく育った成苗を、できれば一本ずつ、多くても三本を限度に植えていく。
 近年の田植えでは、まだ小さな稚苗を五、六本ずつ植える傾向があって、むしろそれあ常識のようになっているけれど
(127頁)

 一方、大きく育てた丈夫な成苗は、健康で病気にもかかりにくい。その上、分ゲツの数が多くなる。多い場合には一株が二五本以上に分ゲツする。しかも一本の穂につくモミの数も圧倒的に多い。慣行栽培が七〇粒程度なのに対して、一二〇粒を超えることも珍しくない。(128頁)

 除草のいらない有機で、大規模栽培するアイディアを提案していのは、前述した九州大学の金澤先生である。−中略−代掻き後の田の表面を、竹繊維を原料にしたマルチング素材で覆ってから田植えをする。−中略−竹繊維の表面では光合成細菌が繁殖して−中略−病害虫からの免疫力を高めてくれるのだという。(133〜134頁)
 
熊本県の益城あたりでその実験が今、行われているという。
例の地震の被害が多かったところだが、地震にもめげず、頑張って日本の農業のために発見をしていただければと心から祈っている次第。

この間も朝のラジオ番組を聞いていたらやりあっていた。
番組のディレクターさんが「近代農業を開発する」という大学の先生を呼んできて未来の農業を語らせる。
そうしたら各地のお百姓さんから「科学的に農業をやるのはどうかと思う」とかっていう反論がどんどん入ってくる。
そういうのはバランスが難しい。
その中でも有名だったのは水耕栽培。
オランダがやっている「水で野菜を作る」というのが日本の農家の方は納得しないようだ。
オランダは巨大な金属のタンスみたいなところにバーっと脱脂綿か何かで野菜を植えていって、水の中に栄養素を流し込んでニョキニョキ伸ばすという。
それをやると、表に出さないから農薬が少なくて済む。
太陽も人口灯を当てて、例の青白い光。
だけどやっぱり日本の農家の方は頑固で「そんなものは野菜じゃない」とかっておっしゃる方が。

一個だけ武田先生も納得したのだが、ものが「美味しい」「美味しくない」というのは「雑味」。
まじりこんだものが美味しい。
だからピュアなものは美味くないという。
「雑味が味を決定する」という考え方がすごく好きな武田先生。
雑味に関係しているらしいが、今、日本各地で伝統野菜が次々に復活している。
これは大手の種苗会社があって、全国統一の「F1品種」。
これは種を残さない。
種を残さずに実だけに集中する、葉っぱだけに集中するという一代限りの野菜。
そういうものがだんだん嫌われ始めた。
個性派の野菜。
「京野菜」とかある。
あの手のものが復活しているらしい。
山形、福岡、熊本、そして東京あたりでは檜原村。
このあたりで伝統のジャガイモ作りなんかが行われているということだ。
そして常識を覆す。
なかなかやる人がいないようだが、水田の「不耕起」。
例の田起こしとか一切やらないっていう。
水を張ったまんま稲を育てるという。
それで水田に黒いビニールを張って、光を跳ね返して雑草を枯らすとかっていう、そういう農業があるのだが、あまり評判がよくない。
何か一つよい知恵がないかというふうに思う。

本の後半は全部農業の方に傾いていく。
農業の上手くいった例なんかを挙げつつ。
山田さんが懸命におっしゃっているのは、農家の方々に分かって欲しいのは「省力化は必ずできる」という。
田舎から江戸にやってきた人間にとっては農業というのは遠い世界の産業ではない。
何とかしなければいけないが切実な問題。
熊本にとっくに80代半ばを過ぎた義理の母がいる武田先生。
それで土地を持っている。
今、貸したりしているのだが、貸しても貸してもまだある。
それぐらい、なかなか土地持ち。
見渡す限り持っていたらしいが「戦後の農地解放で取られて」と義理の父が舌打ちをしていた。
ところが、もうそれが母親としては手放すのは嫌だが、草が生えてくると、もうものすごく身が縮むような思いがするという。
それを何とかしなければいけないのだが・・・。
武田先生の奥様も農家を継ぐというのはないし、お兄さんも商社マンなので「どうすべぇか」ということなので。
義理のお母さんが時々「百姓はよかことはなかですばい」と言うと、何かジーンときて励ましようがなくなる。
奥様もそう。
奥様も眉間に縦じジワを寄せて怒る。
「小さい田んぼでもやろう」「そんな甘いもんじゃないのよ!」って言いながら。
父母の苦労を見たのだろう。
武田先生が「趣味でやろうか」と言っても激怒するように、非常に沸点の低い話題。
山田さんみたいなこういう大学の教授さんたちは(著者の山田さんは大学の教授ではないようだが)「そんなにつらくないはずだ」と。
農業において「省力化はきっとできる」と。
農薬、化学肥料、除草化、機械化。
これで、まあ何とか戦後農業は生き残ったけれども、省力化は絶対間違ってない。
農業というのが今まで少なくとも日本の地面、土を守ってきたんだ。
これからはその土を財産として活かそうではないか。
こんなことをおっしゃっている。
有機栽培と省力化。
これは必ずできるはずだという。
今年(2016年)、野菜が不出来で高騰が続いた。
あれは一つは「F1種のせいだ」ということも言われている。
F1種というのは「種をうんと小さくする」とか「種をなくする」。
それから葉っぱに関しても硬いじゃなく「柔らかいものができるように」と。
消費に向けて作られた野菜というのは、どこかワイルドではない。
ワイルドだとどうなるかというと、雨が多かったら耐える。
野菜自身が「今年は雨、多いなぁ。ちょっと葉っぱ広げるのやめとこう」って言いながら、自分で環境に合せる体力を持っている。
ところが今は雨が多かったら、もうすぐ葉が腐っちゃうっていう、野生種のガッツを持っていない。
確かに採れる量は少ないかもしれないが、ちょっと聞いたところによると、今年は有機の方の野菜の方は順調らしい。
ちゃんと雨が降りやんでから葉っぱを出すそうだ。
だから、普段は高いって言われている有機の方が値段が安定しているという評判だ。
こういうこともあるので、一側面だけで農業みたいなことを考えないでください。
農業の方に「知恵を貸そう」という大学の先生方がたくさんいらっしゃるのだが、山田教授が(多分教授ではないと思うのだが)こんなことを言っている。
有機をやるんだったら畑だけ有機とか稲作だけ有機とかそんなんじゃダメだ。
野菜、養鶏、牧畜、稲作を有機にしておいて、その真ん中に「不耕起」耕す心配のない栽培でぶどう畑を作って観光ぶどう園にしておいて、お客に来てもらうと同時にそこにワイナリーを置く。
それでぶどう酒を造りながら畑に行って養鶏をやって牧畜をやって稲作をやって野菜を作ろう。
これが「できる」とおっしゃる。
それから「お客様を迎えられる農村をみんなで作りましょう」と。
そうすると「全然違う農業が姿を現すはずです」という。
(このあたりの話は本の中には見つけられませんでした)
この辺はちょっと未来の話。
野菜、養鶏、牧畜、稲作、ワイン造り。
著者の山田さんは「もう専業農家ではダメなんだ」と。
兼業農家、それもマルチ。
「それこそがこの農業を、あるいは地方の農業を切り開くキーワードである」と。
農業、あるいは川での川漁師、ワイナリー、それから蕎麦屋の店主。
こういうことを自らで兼業にすれば生活は必ず楽になると。
そういう知恵を今こそ持つべきで。

最近武田先生がすごく気に入っている言葉。
「スペシャリストがヒーローの労働者であるという時代は終わった」
兼業。
もう島から村から浦(?)から、何かいろんなことをやる「ジェネラリスト」「分業で生きていく人」そういう人が主役の時代がやってきた。

最近、山の様々な木の個性を生かして物づくりをする職人さんたちが、現れ始めている。
 山の木は、種類によって、色合いも木目もまったく違う。箱根細工という伝統工芸は、そういした木々の色合いを様々に組み合わせた「寄せ木」の技法で作られたものだが、最近の潮流は、そうした「寄せ木」とは別の発想で「木の個性」を生かした家具である。
 たとえば「引出しの鏡板がすべて別々の木でできているタンス」「天板がたくさんの木の集成材でできているテーブル」などである。
(161頁)

一種類の木から家具を作るため、一つの木を同じ山に植えて埋め尽くすということは、もう「おかしいんだ」と。
「自然に反しているんだ」と。
それだったらさまざまな落葉樹林帯を作って、そこからウッディなものを作るという。
こういう「ジェネラリスト」「分業者」っていう人たちが時代の真ん中に飛び出してきてもいい時代ではなだろうかというふうにおっしゃっている。

もう一回繰り返すが「日本の山谷にもう一度オオカミを放つ。そのことによって食物連鎖のピラミッドの頂点を作りさえすれば」というのを著者の山田さんは「現実的ではない」と。
「オオカミが今、厄介な鹿を捕えるとは決まっていない」と。
オオカミはもっと小さな小型のウサギやネズミに向かって安全に生きていくという、そういう道を選ぶ可能性も大だから。
「オオカミさえ放てば鹿はいなくなる」というのは「あまりにも現実的ではない」と。
それよりも逆に「絶滅危惧種と言われている若い猟師さんを育てた方が早い」という。
どこか東京とかにいたマタギの若い女性。
骨でボタンを作ったり細工物を作って鹿は飾り物にして。
皮は全部別のものにして肉は全部食べるという。
ああいう女性たち、あるいは若い男性を育てた方が「農村のためには実に現実的だ」という。
そういう意味で、その手の「ナチュラリスト」っていう人たちが増えている。
「マリファナは体にいい」という人たちよりは「鹿をみんなで食べましょう」「一発で仕留めないと肉がダメになります」という方が好きな武田先生。
こういう若い人たちに林業に参加してもらう。
林業の他に若い猟師として、マタギとして。
ジビエ料理、あるいはジビエレストラン。
それからソーセージ業界に売り込む。
絶対いける。
乗ってくれる。
つまり「エリア全体のためになる」と思えば。
シカ肉をソーセージにするとかっていう新しい調理方法があれば。
それからもう一つはペットフード。
ペットフードに鹿さんを、あるいはイノシシさんを。
そうすると、ちょっと違う価値観で農村の鹿対策ができるのではないかという。

関東近郊で人口減の市町村の「過疎」。
この過疎の市町村、そこではいわゆる農地が放られっぱなしになっている。

 余った土地を、とりあえず農地に戻していってはどうだろう。(170頁)

「土壌流失とはそれほど深刻なのである」と著者は訴えている。
土がどんどん無くなっている。
これを何とかキープするために家庭菜園として都市部の人に貸し出すという、そんなことをやっていただけませんかという提案。
わずか20〜30坪でいい。
それが万単位になれば立派な農業足りうる。
「素人農業エリア」というような。
これはもう乗り出しているところがあるのではないか。
なるべく頑張って有機。
いわゆる農薬、それから除草の無い、水管理のみの農業にすれば。
「そういう方策をこれからいくらでも考えましょうや」という。

小学校でヤギを飼い、それで除草業を始めた学校がある。
これはよくニュースになっている。
ヤギを飼ってヤギを貸し出す。
それで繋いでおくところをきれいに。
世田谷なんかも業者の人が草を刈ってある。
あれを世田谷区がヤギを飼うことでヤギをずーっと。
このヤギのミルクから給食のチーズを作る。
そういうところまで役に立っているそうだ。
食料自給率というところを小さいところから積み上げていくという。

沖縄にはヤギ料理がある。
ヤギ料理は臭みがあるので素材つくりが難しい。
ヤギは男(オス)の方が美味い。
男も年齢があって、歳取ったヤツは肉が硬くてダメ。
若い男。
もっと厳しく厳選すると若い男でも女(メス)を知らない方がいい。
「女を知らない」と言っても子供過ぎると美味しくない。
パッと色気が出て「今晩ヤリたい」ってヤギが思っている。
そう思った若い発情したヤギの・・・。
だからメスで判断するそうだ。
その肉とそのあたりが最も美味いというので。
ただの伝説だと思うが、それをしきりに言う人がいた。

東京と言うのはそういう意味では、あの問題が提案してある。
アスファルトで土がない。
東京は下水へ流れ込むシステムで水害を起こしている。

 要は、いまある庭の雑草を抜くのをやめ、定期的に刈り払う方式に切り換えよう、という運動である。(180頁)

だからヤギは便利なんだ。
でも人間と言うか管理の方もそうやってらっしゃる。
雑草の根は抜いちゃいけない。
そのまま残しておく。
梅雨時、雨が降った時にその根が水を吸うと、すっごい量吸える。
これはすごい知恵。
それに雑草もよくしたもので時期をずらしたりするらしい。
雑草は一斉にバッと育ったりしないで、花が咲く順番に散らばりがある。
ああやって種を守る。
向こうもさるものなので「根は抜かずにそのままに」という。
だから刈る手間というのを残しておくと、梅雨時に雨が降ると根から吸うことによって伸びる。
伸びることによって水を処分していくという。
これはなかなかすごい知恵。
かくのごとく、著者は様々な知恵を自然界であてはめて、人間の都合だけで自然を見ないように。
「鹿が増えた。ならばオオカミを放て」そうすると「オオカミが鹿を喰う」。
そんな図式ではなくて生態系のピラミッド全体を眺めるという。
そういうところから自然を考え、自然の横にある農業というものを考えない限り、やっぱり「オオカミがいないと、ウサギは滅んでしまう」のだ。
何かそういう「全体」を考えないと。

『三枚おろし』は今日の朝刊に載っている時事を一切扱わない。
大昔に戻ったり、何年か先、何十年か先のことを語ったりという。
時制としては「ナウ」「今」が無いという。
ナウくない番組。
いろんな問題があると思う。
対ロシアの問題にしてもそうだし、新生アメリカにしてもそうだし、中国に関してもあるが、いつも武田先生が空想することが一つある。
中国のガス田開発というのが日本の海域に迫ってきて、手を突っ込んで日本の海域からガス田のガスを引き抜いてるんじゃないかと疑いが持たれたりする。
でもあのガス田の立坑でパイプを入れているところは、どう考えても台風の通り道。
「あんなところで本当にガス採れるのかな?」と思うのが一つ。
それからガサーッと魚を獲っていくので困るが、例えばサバなんかをガバガバ獲っているという中国の漁船がいる。
この間ドキュメンタリーで見ていて、中国の漁船はものすごく大型化して、もう韓国なんて機関銃で撃っている。
それぐらい横着。
人の領域に潜り込んできて魚を獲って、大国中国をバックにして逃げない。
だから先月韓国の警備隊が撃った。
(ネタ元が既に削除されてしまっているようだが2016年11月に報道された韓国の海洋警備当局が、違法操業をしていたとしてだ捕した中国漁船をえい航していたところほかの中国漁船が多数集まって妨害しようとしたため、機関銃をおよそ600発撃ち、中国漁船の違法操業に対し従来より厳しく取り締まる姿勢を示しました。という件かと思われる)
でも一つだけ中国の漁船に関して思うが、掃除していない。
船体の汚れがすごい。
船体の白いところに水垢の茶色がバーっと。
汚い昔のおトイレのおしっこの跡みたいなのが。
というのは、何が言いたいかというと中国の漁民の方で「好きで魚獲ってる人」が少ない。
日本の漁船と比べてみると、やっぱり手入れをしている。
中国は漁船としてはデカいかも知れないが、やっぱり手入れしていない。
雑。
やっぱり好きでやっている方が少ない。
そのへん、やっぱり休みの日は船を洗った方がいいと思う。
喰い物を獲るわけだから。
そんなふうにしてコマメなことを考えると、尖閣問題とか南の方のフィリピンの漁場の問題に関しても、別種の角度で見た方がいいんじゃないかと。
武田先生がちょっと心配しているのは、とにかく中国という国に関しては「食糧輸入国」になったということ。
もう小麦ができない、足りない。
小麦って、麺で生きている国。
余計な世話だが、やっぱり中国には農業大国であって欲しかったと思う武田先生。
中国から農業を引いてしまうと中国じゃないような気がする。
絶えず10億以上の人口を養う立国の条件として農業を持っている。
非常に熱心な大地を耕す中国人民がいるという。
何かそれが中国の大地のような気がする。
今、その中国は軽工業で稼いでいる。
「加工」で。
でも「加工で稼ぐ」というのがそう続くだろうか?
間違いなく言えることは、福岡に行くとわかる。
福岡のビルの窓を見てください。
もう全部、土埃。
中国からやってきたPM2.5に混じって中国の地面の土が福岡のビルの窓に張り付いている。
飛行場でタクシーに乗っても、窓がちょっとでも汚れていたらそれは絶対に昨日か一昨日に付いた中国の土埃。
それぐらいものすごい勢いで日本海と九州の上空に砂粒を落としている。
ここはもう、もしかすると農業に戻れないかも知れない。
とにかく今、中国共産党を含めて北京政府が身を焦がすぐらい一生懸命やっているのは「海に境界線を引いて国境を広げる」という。
海に関してはすごい信仰が今、中国にある。
「海は豊かさの源泉」みたいな。
「海に興味を持った中国人」というのは中国の歴史始まって以来だから「このへん大丈夫なのかなぁ」というふうに懸念している武田先生。
それからアメリカについてもそう。
米国のかなりの人数の方が「トランプ手品をやるような方が大好きだ」という国になっちゃってる。
彼の仕事は不動産屋さん。
土から離れた人。
数代前の大統領、例えばカーターさんは農園の経営者だった。
それよりもやっぱり不動産屋さんが人気を集めるというようなのは土に関する生態系が中米ともに少し歪んできているのではないだろうかという。
そういう意味で日本の農業を何とか頑張っていきたいというふうに思う。

2016年11月28〜12月9日◆オオカミがいないとウサギが滅びる(前編)

番組の中で著者の山田健さんの名前を「けん」さんと言ったりしていることが何度かあるが、本によると「たけし」さん。

オオカミがいないと、なぜウサギが滅びるのか (知のトレッキング叢書)



オオカミファンで「オオカミを放てばよいことあるぞ」みたいなことを語っている本を『三枚おろし』で好んで次々と取り上げている武田先生。
犬好きが高じてオオカミのツラつきが気に入ってそんなことを言っているのだが、山田さんは逆の意見。
「そんな簡単じゃないよ、自然は」という。
だから反対意見の方も取り上げてみようと思って。
山田さんというこの博士(調べてみたけど、著者が「博士」であるというデータは出てこない)はどこから話を説くかというと、土から話し始めるという。
土というのがすごく重大で、動植物が分解されて、土砂が接着して生成された団粒構造の土壌というのがある。
土が何でできているか?
岩石なのだが、ミミズが喰うことによって土になる。
全ての土を作ったのはミミズ。
ミミズは土を食べて、お尻から出した時にウンコが土になる。
だから「大地作ったのはミミズだ」という説もあるぐらい。
ミミズの力によってあの土の一粒にレンコンのように細かい穴が開いている。
それが自然の一番底辺。
自然の一番底辺はこの土だということ。
ここから自然界が始まる。

こうして「団粒化」した土壌の上に雨が降ると、相当激しい豪雨でも、ほとんどの水はスッと浸み込んでしまう。−中略−団粒化した土壌の深さが一メートルあれば、五〇〇ミリの豪雨でも簡単に浸み込んでしまう。スポンジ状の空間に蓄えられた雨水は、さらに深いところに浸み込んで地下水になったり、斜面方向に地下を流れて谷にゆっくりと浸み出し、清冽な渓流水になったりする。(14頁)

だから「土こそが全ての自然界の土台なんだ」と。

 地球上で無機物から有機物を生産できるのは植物だけと言われている。−中略−
 植物は、太陽エネルギーを使って二酸化炭素から糖を合成し、それを元にして、あらゆる有機物を合成していく。
(17頁)

その植物を食物とする動物と、その食物を食べた動物を食べる動物。
それによって自然界の「食物連鎖」というピラミッドが形成されている。
このピラミッドこそが重大である。
ピラミッドの構成全体が大事。

 ただし、アンブレラ種の「子育て支援」のためには、とんでもなく広い行動圏を環境的に守っていく必要がある。イヌワシでは、最低でも一万ヘクタール。クマタカで五〇〇〜一〇〇〇ヘクタールというから大変だ。
 ちなみに、東京ディズニーランドが約五〇ヘクタールだから、クマタカでもディズニーランドの十数個分が必要で、山手線の内側、約六三〇〇ヘクタールのすべてを立派な森に再生しても、わずか一〇つがい程度しか棲めないという計算になる。
(23頁)

(番組の中ではこのあたりの説明で「タカとか熊」と言ったりして混乱があるが、本によると「クマタカ」)

『ザ!鉄腕!DASH!!』(日本テレビ系)
あれは本当にすごい。
彼らのプロジェクトの中で、東京のど真ん中で「生態系を自分たちで作ろう」という試みをやっていて、東京のど真ん中のある学校の屋上を借りて、そこに草花を咲かせて「自然を」という。
このあたりかと思われる)
よく調べると新宿でタヌキがいる。
あれはビックリする。
リーダーの城島(茂)君がこの間、秋のシリーズか何かで稲刈りをやっていたのだが、後ろから見ると完璧に「福島のお百姓さん」。
カマで刈って、腰が入っていて見事。
藁を抜いてクルクルっとまとめて束にしていくというのが。
ああいう彼らのテレビ番組を見ていると自然というのが本当にわかる。
「島で生きていく」とか。
それからもう一つ、横浜の海岸に「ダッシュ海岸」を作って魚を呼ぶヤツ。
DASH海岸
あのシリーズが面白いと思う武田先生。
やっぱり自然のバランスというのは本当に難しい。

自然の一番の重要なポイントだが、頂点をなくすと、たちまちピラミッドが崩れる。
そういう意味で武田先生がオススメの日本の山谷にかつて頂点としていたオオカミ。
これは70年前、戦後日本でニホンオオカミが絶滅するのだが、そこからそのオオカミを狙う猟師さんという天敵も消えた。
非常に日本の自然というのは頂点をなくしているという。

日本の山谷の頂点にはかつて戦前までオオカミがいた。
70年前、戦後日本でニホンオオカミは奈良を最後に絶滅した。
それで山の環境も変わって、「マタギ」猟師の人たちもたちまち商売にならず消え失せて、日本の自然界は頂点の獣をなくす。

 二〇一三年の環境省の発表によると、一九八九年に全国で三五万頭ほどだった鹿が、二〇一〇年の段階でおそらく三二五万頭に増えているという(26頁)

滅茶苦茶増えている。
10倍。
もう鹿はヤリっぱなし。
セックス大好き。
2016年では一千万頭いくのではないかと。
最近はすごい。
「鹿の体当たり」があるとか。
今年(2016年)の秋口は、しかも街の真ん中まで来ている。
まずは鹿の害から言うと、鹿の害がクマの被害を呼んでいるところもある。
鹿というのは背の届くすべての草木を喰い尽くす。
それで、その喰い物を探しに猪とか熊が街まで降りてくるというワケだ。
武田先生は「オオカミを日本の山谷に放てば」ということをこの番組(『今朝の三枚おろし』)でその手の本を取り上げた(こういうのとか)のだが、山田さんはこの考え方には大反対。

「だったらオオカミを導入すればいいじゃないか」
 なんていう素晴らしいアイディアを思いつく人が、必ずいる。
 バカなことを言ってはいけない。
−中略−
 その上、オオカミの主食は、通常、もっと小型の動物なのだ。
 オオカミなんかを放ったら、鹿のおかげでそれでなくとも激減しているウサギやネズミが、真っ先にトドメを刺されてしまう。
(30〜32頁)

ハブが増えたのでマングースを放したら、マングースがハブと闘わないでニワトリばっかり喰って歩いたという。
それで害獣になっちゃったという。
なかなか自然というのは。
だからマングースもやっぱりハブとは闘いたくない。
危ないから。
「鹿を害獣と考えてオオカミを導入する」という発想こそ、ピラミッドを消してしまうことになるのだ。
害獣を産んだのはあくまでも人間であって、勝手に決めてはいけない。
その一例として著者は別の例を挙げてある。

 カシノナガキクイムシ(以後、面倒くさいのでカシナガと省略する)というのは、体調四〜五ミリの小さなキクイムシで、いま、日本中のブナ科の植物を枯らして回って、世間の注目を集めている虫である。(36頁)

(番組の中で、この虫のことを「毛だらけ」と言っているが、実際には毛虫ではないようだ)

 しかし、この虫も、本来はいい子だったはずなのだ。彼らは、若くて成長のいい木は絶対に喰わない。山の中で、「そろそろ枯れることにしませんか」というようなコナラやクヌギの老木を見つけては引導を渡し、森の若返りに貢献してきたのである。(37頁)

コナラやクヌギは炭にするための木。
炭にするために昔の人が里の近くに植えている。
これはすごく便利な木で、ある太さになったら根っ子を残して切ってしまっていい。
切ると脇からまた出てくる。
10年以上ぐらいで前に切ったヤツと同じ太さになる。
だから10年ローテーションで切り続ける。
(本によると15〜20年)
そうしたら安定した炭がずっと生産できる。
本当に便利な木なのだが、ただ一つ、これが大木になるとキクイムシっていう虫を山から呼び下ろす。
里近くに降りてくるとこのキクイムシはコナラ、クヌギで太って、他の木に取り付く。
だから炭作りをずっとやらない限り、コナラ、クヌギはもう枯らしたほうがいい。
これが今、全然できていないから日本の里山の雑木林がガタガタになっちゃったという。
里山とか雑木林というのは、手入れしない限り、ものすごく悪いものを山から呼び寄せる。

日本中のマツが喰われて大騒ぎになったという事件があった。
武田先生は旅をしていると危機感を感じる。
中国地方、広島とか岡山の高速道路を走っていると、松という松が赤く枯れている。
今から2〜30年前。
それでゴルフ場の松も危なくて、注射が10数本打ってあった。
虫が寄ってこないように。
「日本の松が全滅するんじゃないか」と叫ばれたぐらい。
実はこれも人間が呼び寄せた松枯らしの虫のせい。

この間、写真家の加納典明に会って話した武田先生。
加納典明が東京の街角で無邪気に遊ぶ子供の写真を撮っていたら、親がバーッとやってきて「個人情報の流出だ」というので訴えられて。
加納典明がプリプリ怒って「平成の時代は『個人』っていう顔が無いバケモンしかいねえのか」という。
そういう事があるので難しいこと。
水谷譲もこの話にはビックリだが、そういう親御さんは増えている。
「うちの子は撮らないでください」とか。
学校でも最初にプリントが配られて「これから運動会とか文化祭の時に『自分の子供が写って欲しくない』という人は前もって言ってください」というお手紙が配られる。
面倒臭いというか「そんななっちゃったのかなぁ」と思う水谷譲。
あそこの学校(水谷譲のお子さんが通われている学校のことかと思われる)は連絡帳がある。
連絡帳一冊100万円単位で売り買いされているらしい。
ダイレクトメールにもってこいだから。
難しい時代だが、そこのところがちょっといびつ。
昭和の写真集とか見ると「路地で遊ぶ子供たち」。
もう涙が出るぐらいいい顔をしている。

外国からいろんなものが入ってくるといろんな便利さもあるのだが、プラスマイナスもある。
これが「松枯らし虫」。
「マツノザイセンチュウ」という。
外国からの輸入材木の中に紛れ込んでいた。
それで日本の松が美味くて美味くてたまらないからバリバリ喰いだして「日本の山谷が全部枯らされるんじゃないか」。
ということは何かというと、一斉に薬を撒けばいいのだが、日本の松林は防風林みたいなヤツもあるが、マツタケが出てくる松林もある。
高価な○万円のマツタケのところに農薬を撒かれたのではつまらないというので、地域によって「ここだけは撒くな」というエリアがあって農薬散布が効かなかった。
これは昔、本当に大騒ぎした。
これは何で収まったか?
こいつが取り付いても喰われないという松が日本で出始めた。
強くなった。

雑草のセイタカアワダチソウ。
キリンソウ。
ちょっと郊外に行くと黄色い三角形の花を付けた、昔、荒地なんかにいっぱい咲いていたヤツ。
あれは「闘い中」。
箱根なんかもあれがバーッと出てきて、ススキが全滅させられる可能性があった。
セイタカアワダチソウは困ったことにアメリカの材木に紛れ込んで日本にやってきたのだが、根っ子から毒を出す。
それで他のヤツを毒殺して自分が広がる。
ところが今、奈良から始まったらしいがススキの反逆が始まって「毒を撒かれても死なない」というヤツが増え始めた。
今度は白いススキか黄色いセイタカアワダチソウか。
郊外にちょっと出た時に高速道路の土手とか田んぼを見てください。
懸命に二者が闘っている。
そんなふうにして毒に自らが強くなるという。
だから人間がやることなんて、やっぱりほんの一部。

例えばダムを考えた場合。
「ダム」というのは基本的に「河川の首を絞める」という考え方がピッタリなのではないか。

 ナイル川流域では、氾濫原による持続可能な農業が、ファラオの時代から現代にいたるまで、実に数千年にわたって営々と続けられてきた。その伝統が、ナセル大統領による一九七〇年のアスワン・ハイ・ダム建設で、あっけなく崩れた。
 ダム建設の主要目的は、氾濫の終息と農業用水の安定確保により、農業の一層の振興を図ることだったのだけれど、あにはからんや、かつての氾濫原では土壌が痩せて生産力が激減し、ダム湖からは大量の水が蒸発し、灌漑用水として供給されるはずだった水量は、当初の目論見に、はるかに及ばなかった。
(57頁)

ナイル川はクレオパトラの頃が豊かだったらしい。
クレオパトラの頃は、あのピラミッドの脇まで川が来ていた。
あそこは沼地があって農業用水で結構小麦とか採れたらしい。
それが今、砂漠になっちゃってどんどん、という。
だから「ダム作りゃいい」というものじゃなく、今はアスワン・ハイ・ダムがエジプトを苦しめているという。
政治的な動きがいろいろあると思うが、この「ダムが首を絞めた」というのがエジプト経済にとっては非常に大きなことではなかろうかと。
これが、アメリカなんかにも共通したことが言えて、トランプさん(第45代アメリカ合衆国大統領ドナルド・ジョン・トランプ)なんかが登場するのが当たり前という裏事情がある。

バック・トゥ・ザ・フューチャー (字幕版)



あの中でジャイアン(のようなビフ・ タネン)が出てきて(主人公のマーティ・マクフライを)いじめ抜く。
あれがトランプさん。
髪の毛が無暗にボワーっとしたり太っていて。
それが、アメリカの三流紙で話題になっているのは『バック・トゥ・ザ・フューチャー』の最後版(バック・トゥ・ザ・フューチャー PART3)が今年。
(PART3は1955年に飛ぶようなので、これらの話はPART2ではないかと思われる。PART2は2015年に飛ぶ)
あの中でアッと驚くのだが、電光掲示板にニュースが映るのだが108年ぶりにシカゴ・カブスが優勝している。
それが『バック・トゥ・ザ・フューチャー』の街角の速報で流れる。
あれは前から言われていたが、監督さんが凝り手なので起こる可能性は全部あげたみたい。
「新製品で何ができるか」とかというので。
靴のヒモを自動で結ぶのはできた。
反重力で浮かぶスケートボードはできていない。
それで、あの、いじめていじめていじめ抜くいじめっ子が、トランプさんをモデルにしている。
もう、あの映画を作る時から不動産王の跡取りで有名だった。
あれ(映画の中で)は不動産王。

アメリカも我々が知っているすごく強大な力とか素晴らしい個人主義とか、そういう面と、基本のところで上手くいかなくなりつつあるものがある。

 たとえば、アメリカの大穀倉地帯では、一トンのトウモロコシを得るために、毎年一〜二トンもの土壌を失っているという話がある。−中略−トウモロコシ一種類だけを育てていると、作付け初期や収穫後に剥き出しになった土が、風で飛ばされたり、雨で流されたりする量が、半端ではないのだという。(59頁)

汲むだけ水を地面の下から汲み上げるが、スカスカになってきている。
上空から見るとわかるが、皮膚病みたいに点々と「何を植えても育たない」という枯れた土、砂漠化した土がアメリカの穀倉地帯に広がっている。
これはロシアも中国もそう。
「とにかく化学肥料で何とかしよう」という。
とにかくたくさん作らないと儲からないワケだから、収穫量でとにかく補っていく。
ドンドン肥料を与えるのだが、肥料を与えることによって大地そのものの酸性化が進む。
そうするとミミズなんかが死んじゃう。
「地面を作る」「土を作る」という生き物がいなくなる。
生態系、ピラミッドのてっぺんから殺していく。
だから強い生き物がいると、我々がやってきたのは、まずはオオカミならオオカミを撃ち殺して「牧草地帯の安全を図る」とか。
その、とどのつまりの行先がアメリカ、ロシア、中国の大規模農業なので、支えきれない農業の現状が出現しつつあるんじゃないか。
だから「私さえ選べばいいことある」という「叫んじゃう」という現象がおこるようだ。

二〇五〇年に予測される人口九〇億人の時代を支えるためには、現状の耕作地を維持しつつ(地球上には、もはやこれ以上耕作地を増やす余地はほとんどない)、単位面積あたりの収穫量を六〇%増やす必要があると語っているのだけれど(66頁)

一番手っ取り早い方法は「肉を減らして穀物を食べる」。
そういう食習慣を復活させないと、もう肉に特化しているような食事をする国はまず滅びるという。
だから早い話が「肉喰うな」と武田先生の奥様が言うとおり「喰わなくていいのよ」と「レンコンを喰えばいいのよ」と。
「食事を変えないと持たないぞ」と。
著者の山田さんは今、生態系のピラミッドを世界で見る。

人類が七〇億人なのに対して、人類以外で、人類を超える人口を誇っているのは、ニワトリの二〇四億羽だけ。それに次ぐ牛でさえ、一五億頭しかいないのである。
 牛、豚、羊、馬などの大型家畜を全部あわせても、三五億
(73〜74頁)

現在、人類は生態系のピラミッドの頂点にいるのだが、本当におっしゃるとおり、人間には天敵がいない。
だから、これら下位の家畜のために牧草地を広げ、森林面積を急速に失いつつある。
人類は今、何よりも問題なのは「土を失いつつある」という。
この問題をどうやって解決するか?

山田さんの提案は「土がなくなりつつあるんだ」と。
だから「土をいかに回復すべきかが何よりも大事な農業の問題である」と。
でも逆の発想ではオランダみたいに「土に頼らない農業をやろう」というような農業の発想もある。
ただし、これはやっぱり大手の巨大な会社が資本金を出さないと育たないだろう。
ありものでやるとすれ、ば山田さんは「土を取り戻すために絶対必要なのが広葉樹林帯である」と。
日本の山谷はクシャミばっかりする花粉症で有名なスギ、ヒノキが多いが、そればかりじゃなくてカエデ、桜、カツラ、ケヤキ、トチ、これらの広葉樹の落ち葉がものすごく大事で、この落ち葉が溜まっていく。
大地の上に積もることによって落ち葉から滲み出た栄養素が地面に染みていって虫を呼び寄せる


だから虫を嫌いかも知れないが、土を作るためにはものすごく「虫の力」が。
虫が集まってくると必ずケモノが集まる。
豊かな川があって、豊かな川が出来ればかならず豊かな海ができる。
日本の沿岸で非常に「豊かな海を作る」っていう運動さえしっかりやっておけば何とか。

常葉樹林帯。
いつも緑の山は実は土壌流失をおこしやすく、大雨で崩れやすい。
一番強いのは落葉広葉樹林帯。
様々な樹木、低木、草が生えるという「明るい森」だという。
常葉樹林帯はやっぱり鬱蒼としてる。
暗い森じゃダメなんだ。
明るい森だ。
生態系ピラミッドは森であっても多様さを慕い、独占を激しく憎む。
やっぱり「多様さ」は大事。
コナラ、クヌギが林を独占すると必ず「キクイムシ」っていう虫が大量発生する。
そういうものにブレーキをかけるためには生態系には多様さが必要である。
「意見なんかいっぺんにまとまった方がいいのかなぁ」と思う武田先生だが、自然も人間も「多様さ」が大事なのだ。
最近そういうことをやたら感じる。
だから変わった意見の人がいても、そう簡単に潰してはいけないような気がする。
この間入ったら、まだ「大麻を使いましょう運動」のパンフレットが置いてあって。
「麻布」っていう地名があるぐらいだからあそこで大麻が栽培されていた。
それから世田谷の「砧」。
あれは麻で作った繊維をほぐす音。
「砧」という石鎚で麻の繊維を打って柔らかくする。
だからその麻を利用していろいろというのは・・・。
麻の利用方法なんて昔の人はいくらでも知っていたし「幻覚が起きる」なんてことはもう知っていたと思う。
それを「アメリカでは治療に使っている」とか「アメリカではガンの患者さんに使われています」とか。
「私は知っているのよ」という態度が嫌いな武田先生。

多様性は認める。
その多様性をいかにお金のかからない知恵にしていくかということ。

 たとえば、九州の水田では、植えたばかりの苗を喰ってしまうジャンボタニシ(スクミリンゴガイ)という外来種に、長年悩まされてきた。もともとは食料として一部の養殖場に導入されたのだけれど、これが環境中に逃げ出てしまい、いまでは、水田だろうが行けだろうが、川だろうが、いたるところに生息して縄張りを広げている。−中略−
 ところがある時、田植え直後の田んぼに野菜クズを撒いた農家が現れたのだ。
 すると、どうだ。
 ジャンボタニシは、野菜クズに群がって、稲苗には見向きもしないではないか。そうこうするうちに、稲苗はジャンボタニシが食べられないくらいにまで硬く大きく成長してくれる。
(125頁)

 その段階で野菜クズの投入をやめると、喰うものがなくなったジャンボタニシは、稲以外の雑草を片っ端から食べるしかなくなる。(126頁)

だからよく観察して「いかに利用するか」ということ。
人間が勝手に「これは、こんなふうな使い道があるから便利だ」とかって叫ばないで「便利と不便っていうのをちゃんと使い分けて」という。
その観察力がないと、うまく自然と折り合っていけないような気がする。

2017年02月22日

2016年10月10〜21日◆『ことばの起源』ロビン・ダンバー(後編)

これの続きです。

ロビン・ダンバーが言葉の起源を考えた。
言葉はどうして生まれたのか?
言葉は草原に迷い出た類人猿のサルが集団を形成するために、毛づくろいの代わりに言葉を交わすことで集団の「紐帯」。
この輪をしっかり締めたというか、絆を保ったというか。
そんなふうにして言葉はドンドン複雑な技術になったということ。
この言葉を膨らましたのは何と驚くなかれ、仲間内のゴシップによってという。
だから仲間の噂話等々無責任に語り合うということは、意外と集団にとっては重大なことであり、それを語り合うことによって集団の目に見えない掟を確認し合うことになるという。
このあたりを読んでいて「あっ!」と気がついた武田先生。
最近テレビの地上波に出演すると、芸能ネタということで芸能人が芸能人について語るという番組が昼の12時を挟んである。
在京テレビ局三局が同じような内容で迫っている。
でも、それは実はそういう噂話というのが集団の掟を確認するための遠回しの儀式であると。
なるほど。
人の浮気なんざ別にガタガタ言う必要は無いと思うが「ガタガタ言わなくてもいいんじゃないの?」と言うと大変非難が集まったりするというのは、非難する人が集団全体の掟を確認するためにという。
だからドンドン掟が一般化していく。
スペシャルを絶対認めないという「ジェネラル」「オール一般」ということだが、気の毒だと思う武田先生。
『五体不満足』の乙武さんの離婚は胸が痛かった。
テレビの番組なんかで「バレなきゃよかったのにね」と言った武田先生。

五体不満足 完全版 (講談社文庫)



言葉による心の理論が類人猿を人に育てていった。
言い間違えて何度も炎上しながらだんだん皆、言葉使いが上手くなっていったのだろう。
今の社会は炎上社会だから、やたらいろんなところが炎上しているが、言葉というのは実に複雑なもので「俺のこと好きか?」「うん、大好きよ」っていう断り方がある。
そういうお付き合いの断り方があるし「アンタなんか大嫌いよ」という「愛してる」という表現がある。
それがやはり人間の言葉の複雑さなのだ。
今、問題になっているのは言葉が一種の裏切り者をあぶりだす手段として用いられるという。
ゴシップを語り合って、そのゴシップのやり取りの中で「あれ?コイツこんなこと考えてんのか。群れ全体にふさわしくないなぁ」という、あぶり出しの「センサー」として言葉が使われているという。
現代社会では、そこまで言葉が複雑になったということなのだろう。
この毛づくろいの代わりに集団形成、そして維持のために「コンタクトコール」から発達した言葉は、人間の集団を驚くべきスピードで言葉そのものが発達していく。
言葉というのはすごく面白いことに、ある集団の中で発達していく。
だからブログ炎上等々も含めて、ある言葉に対して反応する人たちがいて。
だから違う集団では全く理解できない言葉というのも、ある集団からは育っていく。

フランス語とイタリア語が共通祖先のラテン語より分かれてわずか二〇〇〇年であるが、関係の深いこの二つの言語を母国語とする大半の人々は、ラテン語も理解できないし、互いの言語も理解できないでいる。(214頁)

イタリア語は日本人にすごくなじみやすい。
ローマ字が読めればいいのだから。
フランスに行った後にイタリアに行ったらすごく目が楽になった武田先生。
フランスに行ってレストランのメニューが出てくると恐怖。
よく似た綴りを探すのだが、アルファベットでも全然読めない。
もう皆さんもお分かりだと思うが、イタリアのレストランに座ってバッとメニューを開いてみると読める自分に驚く。
「ペペロンチーニ」とかザッと読める。
「ズッパ(zuppa)」は「スープ(soup)」。
「エアポート(airport)」は「エアロポルト(aeroporto)」。
そんなに外れない。
とにかくフランス語は分かりにくい。
たった二千年であれぐらい違っちゃったっていうところが言葉の面白さ。

デンマーク語とスウェーデン語は、それぞれスカンジナビア語の異なる方言に由来しているが、わずか一〇〇〇年で、ほとんど互いに理解できなくなっている。(214頁)

言葉というのは、かくの如く枝分かれしていく。
枝分かれと言えば、思い出すのが『旧約聖書』に出てくる「バベルの塔」。
かつて世界の人々は同じ言葉を使っていたけれども、だんだん高邁になり、神を凌ごうと自分の力にうぬぼれ始め、怒った旧約の神は言葉を変えてしまってお互いの意思疎通が簡単にできないようにしてしまったという。

バベルの塔はただの神話ではなく、本当に存在していた。−中略−紀元前七〜八世紀の、バビロニア王国が第二の隆盛期にあった時期のどこかで建設された。七段のジッグラドつまり階段状のピラミッドになっていて(215頁)

「インド=ヨーロッパ語族」という分類のように人類を「語族」という分け方もできる。
「インド=ヨーロッパ語族」は昔、同じ言葉を使っていてそれが千切れていったという。

 今日の世界には、方言と考えるか完全に一つの言語と考えるかに左右されはするものの、一般に話されている言語がおよそ六〇〇〇ある。−中略−言語学者は、今後半世紀以内にこれらの言語のうち半数以上が、母国語として話す者がいなくなるという意味で消えていくだろうと考えている。(220頁)

(番組では「国家による国語教育のために消滅する」と言っているが、本にはそういうことは書いていない。この後の中国の話も書いていない)
一番言葉が消えているのが中国。
中国は様々な民族がいるのだが、北京政府の強力な指導により、北京語が中国語として統一されていったという。
時々問題を起こすが、新疆ウイグル自治区なんていうのは「ウイグル語族」という、別の東洋人とトルコ系の人たちが住んでいる。
新疆ウイグル自治区は「いいとこだった」と思う武田先生。
おじいちゃんが東洋人なのだが、お顔を見ると目がブルー。
ものすごくエキゾチック。
『孫悟空』の火焔山。
山で炎が燃えているという。
北京からウルムチに入り、車で行って正面にタクラマカンの大砂漠を超えて火焔山が表れた時に胸がキュンとなった。
丘が鳥取砂丘みたいにずっと連なっている。
その岩に年に何回か降った雨の跡が彫刻刀で彫ったみたいに走っている。
それが岩肌に「火」という字を百も二百も書いたみたいに「火」という字に読める。
それで火焔山。
孫悟空が芭蕉扇を持って来て扇いだという。
(番組では「芭蕉フ」(芭蕉布?)と言っているが、多分芭蕉扇のことを言っているんだと思う)
あそこを車で走っている時に、幻でゴダイゴの『ガンダーラ』が流れる。
堺正章さんがサルの恰好をして、夏目雅子さんが白い馬に乗って「そこ〜へ行けば〜どんな夢も〜♪」という。
(お若い読者には何のことか分からないかと思うので説明しておくと、大昔に堺正章さんが孫悟空、夏目雅子さんが三蔵法師で、エンディングがゴダイゴの『ガンダーラ』というドラマ『西遊記』が放送されていた)

西遊記 DVD-BOX 1



あそこで知り合いになった「ロシタン」というウイグルの青年がいたが、元気で暮らしているだろうか。
今、強烈に「北京化」があの辺りも進んでいると聞いた。

英語の威力はすごい。
今はもうカリブ諸島あたりも全部。
南米も英語になりつつある。
ブラジルあたりはまたちょっとラテン語が強いが。
中南米とかカリブはもう英語。
「英語はどこまでいっても通じる言語になるのかな」とみんな思っていたらならない。
何でならないか。
集団の中で英語が全然違う言語になっていく。
カリブ諸島にはもう正式名称で「クレオール語」と言うそうだが、これは英語のカリブ訛り。
ところが文法はまあまあ似ているが、英語から千切れつつある。
あと千年待てば、もう完璧に英語から離脱する。
だからまとめようとしても千切れていく。
世界語と言える言葉がバーッと躍進するが、世界語が浸透した瞬間からそれはまた地方の言葉になっていくという。
こういう言葉というのは、伸び縮みを繰り返すという。

方言は「変わらぬもの」というイメージがあるが、これもやっぱりゆっくり変わりつつある。
故郷を離れて40年の武田先生は、福岡博多の街には知らない博多弁が増えつつある。
そのNo.1で「バリ」。
「バリうま」とかっていう。
「どげんやっとや?」「いや、バリ美味かった」と言う。
「ものすごい」というのは「バリバリ」。
これを調べた武田先生。
どうも宮之城という鹿児島と宮崎の県境ぐらいにある鹿児島県の非常に狭いエリアの言葉。
向こうの人は「みやのじょう」と回りくどく言わずに「みやんじょう」と言うが、これが宮崎の小林という町があって、そのあたりと方言を共有しているらしいのだが、この「バリ」というのは宮之城・小林あたりでは段階がいくつもあって「グッド」「エクセレント」という表現があるが、一番言う「グッド」で「バリ」を使う。
「イイネ!」という。
「バリ」よりもっとよい「ベリーグッド」。
これを「ボリ」という。
それよりもっとよい、もう一段上は「ジョン」。
バリ・ボリ・ジョン。
「ジョンよか」という。
「スーパーエキセレント」「最高に良い」は「ジョジョン」。
これを天文館(鹿児島県鹿児島市にある繁華街)でそこ出身のホステスさんから聞いた時に立ちくらみがした武田先生。

宮崎の田舎町で聞くとフランス語に聞こえるという宮崎弁。
もう、本当にフランス語に聞こえる。
「そがよがまちきんしゃい。きんさいとバリジョンよかたぁい。おかさいささないちゅうよぉ」
ずっとフランス語だと思って聞いていると、何のことはない、その小林の方言。
それで「小林にいらっしゃい。素晴らしいとこです」と言う。
「こばやしこんで、ジョンよかぁ」という。
この時に初めて「ジョン」というのを聞いた武田先生。
バリ・ボリ・ジョン・ジョジョン。
その一番下の「グッド」の意味の「バリ」が、福岡に学びに来た学生さんあたりで鹿児島系の人がいて、博多ラーメンを喰って「あ、バリうま!」とかって言ううちに、だんだん横浸透したという。
「チョー」は「ジョジョン」。
「バリ」というのは「感じいいんじゃない」みたいな「すごくいい人」みたいな。
「激ウマ」は「ジョン」。
だから四つランクがある。
博多は「よか」しか褒め言葉がなかった。
だから他県の方言を取り込んでくっつけたのだろう。
LINEのスタンプで「バリよか」と仰っている武田先生。

武田先生はわかっても、博多の若い人は「そげなことは言わんですよ」と否定される博多弁もある。
その一つ「バサラカ」。
「ものすごく」という意味。
だから「ジョジョン」に近い。
味には使わない。
商品とか映画の鑑賞の時に「どげんやっとや『ベン・ハー』は?」「バサラカよかった」と言う。
この「バサラ」というのは室町時代の「婆娑羅大名」。
そのバサラそのものは「バサラ神」という神様の名前。

イスム 伐折羅(バサラ)



だから何のことはない、インド語。
それが博多弁になった。
博多弁は「休み」のことを「ドンタク」と言う。
「zondag」だから。
それを博多の人がまねて、半分に切っちゃって土曜のことは「半ドン」。
このあたり、言葉は転々と旅するもので、何かの言語で統一されるという、そういうものではない。
これは福岡帰り、博多帰りが最近多いので、ちょっとわかるようになった武田先生。
東京の皆さん方が見かけるよりも、福岡はおそらく台湾、中国の方とすれ違うことが多い街。
そうするとホテルのロビーなんかでもありありとわかる。
それは台湾の方と中国の方はわかる。
だから(福原)愛ちゃんで一時期噂が上がった。
愛ちゃんは中国の卓球チームで鍛えた中国語だが、発音が変わったと思ったら、何のことはない。
「恋人が台湾の人になってた」と噂が一時期。

博多の街に帰っていて、アジアからのお客様でも同じ言葉、例えば中国語。
上海からいらっしゃった中国の方の声と、台湾からいらっしゃったお客様の声が「違う」というのは感じるようになった武田先生。

方言というのは集団内で守られてきた文化であると。
だから方言の中にはものすごく貴重な遠い昔が生きていたりする。

一部のオーストラリア原住民族の創造物語が、オーストラリア南海岸沖のタスマン海海底の地形や、海が押し寄せてきてオーストラリア北部および南部の海岸のたくさんの島々と本土との陸のつながりが絶たれた経緯を、驚くほど正確に描写していることである。以前の氷河期の間、この地域の海底は陸地として現れていたのだろう。原住民の祖先たちが最後にそこを歩けたのはおよそ一万年前のことであり(237頁)

そういうのを聞くとワクワクする武田先生。
九州福岡はそういうことを刺激するものがいっぱいあるので、その手の番組を地元に帰ってやりがいのだが、誰も話を聞いてくれない。
ある神社に行ったら、隣の有名な神社の悪口を言う神社の神主さんがいて「あそこは裏切りもんですたい」とか言う。
「ひどい言葉使うな」と思ったが、祀っている神様同士で昔、何か争いがあったようだ。
九州博多はいわゆる「海人(あま)族」の基地が点々とある。
大和側についた海人族と、九州の王様を最後まで守ろうとした海人族がいて、今でも低い声で「裏切りもんですたい」と。
だから私達に見せられない「何か」で、そういうのが神主さんに伝わっているのだろう。
そういう不思議な古い話はいっぱいある。
(武田先生のご家族が)三人いるのだが神社にものすごく熱心になってしまって、最初に出雲に行った。
その次に伊勢に行った。
そうしたら「出雲が落ち着く」と言う。
奥様は境内に入った瞬間「きた」と言う。
そうしたらお嬢さんも「アタシもきた」とかって。
そうしたら奥様が突然「アタシの子だからよ」とか。
母子というのは、何かワケのわからないことで急に仲良くなったりする。
お伊勢さんには何の罪もない。
ただツイてなかったらしい。
行ったのだが鳥居をくぐったら土砂降りの雨で、それで「拒否されたね」って下のお嬢さんが言うと、奥様が「アタシも拒否を感じたわ」とか。
「あたしたちの故郷は出雲よ!」とか急に叫び始めて。
住吉の神様。
「住吉神社」がいくらでもある。
あそこは不思議で「住吉三神」といって神様が三ついるのだが、その三つの神様が一つの海の断面図。
海上の神様、海の真ん中ぐらいの神様、海底の神様。
何で「断面」なのだろう?
そういうのは不思議で仕方がない。

『ことばの起源』のロビン・ダンバーによれば、人間の言葉そのものを遡ったり神話を辿っていくと、人が残した言葉の中には約500万年の人間の長い歴史が隠れているという。

現代は発達して言葉を巧みに使う人間。
ブログやLINE、SNSというものもあるが、これも一種の毛づくろい。
多くの仲間と交信しているという。
これはもうたまらない動物の快感。
そしてこのような毛づくろいは仲間に対する自己宣伝でもあるし、露出によって「俺はたくさんの人に知られているんだ」という快感。
これは自己肥大させたり。
また、ブログ炎上等々の個人攻撃も、一種、毛づくろいの快感の名残り。

著者は繰り返し言う。
進化とは、何か大きい目標に向かって生命が大躍進を遂げたような響きがあるが、そうではない。

 進化というのは基本的には「やりくり」である。(290頁)

先のことを考えたのではないのだ。
「今日どうする?」という「やりくり」から工夫していったものが進化になったという。
「毛がなくなった。じゃあどうするか?」というと「泣き声でお互い鳴いてみよう」という。
鳴いているうちにだんだん安らぎが生まれて、それが言語になっていったという。
何も高い次元みたいなことで言葉を覚えたのではないと。
お母さんの顔を見たら、お母さんが「マンマー」と言う。
自分が「マンマー」と言うと、お母さんがにっこり笑ったような気がするんで「マンマ」を繰り返すうちに彼女の呼び方をその「マンマ」という言葉を使ったというような。
そういう小さなやりくりから進化というものが始まるんだ。
言葉というのはものすごく精巧なものであるけれども、一対一でしか交換できない.

一つの会話に関わりうる人数には、およそ四人という、厳然たる上限があるようだ。(171頁)

しかも男女にも差があって、グループで会話する場合、女性は全体の25%しか話をせず、70%は男のもの。
つまり、男女で話をする時、女の人は黙り込んでしまうという。
男がメインをとる。
でも、話さなくても女性に関しては話さない方が男性はたくさんのことが分かってくれるという。
更に言葉は重大な瞬間、全く役に立たない。
言い訳や弁解がスラスラ言葉として語られると、その言い訳や弁解は言葉としての信用を失う。
この辺は言葉の難しいところ。
また、相手が目の前にいないネットでの会話、交信は車運転のドライバーの言葉と同様「ロードレイジ」と言う。
これは「運転時激怒」に似て「罵り言葉が常軌を逸したものになります」という。
相手が見えていないと罵る言葉が極端に汚くなるという。
言葉の生まれた理由。
それは群れでしか生きられない毛のないサルの必死のやりくりであった。
そして毛づくろいの安らぎの代理が言葉であり、その中身はほとんどゴシップであったと著者は言う。

彼女が働いていた制作部隊は、あるテレビ局の教育作品をすべて制作していた。たまたまそうだったのか意図されていたのか、とにかくその部隊にはほぼ一五〇人がいた。長い間、すべてが一つの組織として非常にうまく機能していたが、あるとき、制作のためにとくに建てられた新しい施設に移った。するとはっきりした理由のないまま、すべてが崩壊しはじめた。−中略−
 しばらくたってようやく、何が問題であるかわかった。建築家が新しい建物を設計した際、昼食時にみんながサンドウィッチを食べている休憩室は不必要なぜいたく品だから、なくしてしまおうと決断したことが判明したのだ。
−中略−
どうやら以前は、人々が休憩室でサンドウィッチを食べながら気楽に集まっているときに、役に立つ情報の断片が何気なく交換されていたらしい。
(286頁)

これが「無駄話の効用」。
無駄話をすればするほど新企画というのは生まれて、会議室を立派にすればするほど新企画は生まれなくなった。

バリ・ボリ・ジョン・ジョジョン。
鹿児島の天文館のホステスさんが話すのが上手で笑い転げた武田先生。
宮之城(みやんじょう)という鹿児島の小さな町の女性と夜を共にすると、それを連発するという。
これはものすごく男性陣をワクワクさせる。
ちょっとお布団を一緒にしたりなんかすると、そこのエリアに生まれた人が大声で叫ぶ。
それが「バリ・ボリ・ジョン・ジョジョン」って言う、と。

2016年10月10〜21日◆『ことばの起源』ロビン・ダンバー(前編)

今回の本の中に自閉症のことなども書かれているが、情報は少々古い。
番組ではこれに関して全く取り上げない。

ことばの起源 -猿の毛づくろい、人のゴシップ-



出版されてから20年の本。
進化生物学の先駆けを成す名著の再販。
だから20年間売れ続けている。
20年間生き残った本。
ロビン・ダンバー。
その集団に何人の人間がいればその集団は落ち着くか?
「安定的なダンバー」集団の数は150人。
でも200人になると意思疎通がうまくいかなくなるという。
そういう数値のことを「ダンバー」(ダンバー数)という。
その「ダンバー」の名付け親がこのロビン・ダンバーさん。
この人が言葉の起源を考えた。
「言葉ってどうして生まれたのか」という。
辿り着いた起源は、あっけないほど平凡。
言葉の起源。
毛づくろいの代わり。

サルが毛づくろいをする。
「虫を取ってやる」とか毛づくろいをよく見かける。
あれをしようにも、人類はいろいろ事情があって、2〜3か所だけを残して毛を脱ぎ捨てた。
それで毛づくろいが出来なくなったので、毛づくろいの代わりにやったのが「喋る」「世間話」。
それが「言葉」というものを産んでいったという。
実にあっけない結論。
言葉というのは初め「遊具」「おもちゃ」であったという結論。
この「遊具であった」という結論を先に言っておいて、それからダンバーさんはそのことをずっと類証、例証を集めながら説明していく。
だから言葉というのは危機を知らせるアラームでもなく、もっと卑俗なゴシップを話すための道具だったという。
力むタイプの武田先生は「言葉の力」とかといって力む。
でもダンバーさん曰く、言葉ってのは所詮、仲間内の噂話をするための道具だという。
「聞いた?あいつさ、女をさ・・・」とかって。
それを聞くとホッとする。

悪気のある人は一人もいないと思うが、最近、芸能人がニュースについて語り過ぎる。
何かゴシップが起きると「あなたはどう思いますか?」で朗々と芸能人同士で批判を求める。
「いや、あの人はさー」とかと言いながら非難したり。
政治についても爆笑問題の太田さんは安倍首相に向かってラジオを通して「バカ!」と言った。
漫才のボケの人が一国の宰相に向かって「バカ!」と言った。
相手の方は「受け」に困っていたが。
そういう政治批判とか、そういうのもやっぱりやらざるを得ないところにきている。
関東エリアの人は、最近はお昼はすごい。
芸能人全部並べておいて、芸能人の悪口を並べるという。
松ちゃん(ダウンタウンの松本人志)と引っ張り出された武田先生。
すごく評判が良くて。
この間も蓮舫さんの悪口なんか言ったら、街行く方から「あれはひどい」から始まって「いいこと言った」とか。
でも、あれはもう追い詰められて言っている。
やっぱり
「言葉というのは慎重に」とか思っていた時に、このロビン・ダンバーさんが「いやいや、言葉っちゃぁね、仲間内のゴシップを語り合うための道具から生まれてきたんだ」という。
これはちょっとホッとした。
言葉の起源そのものはゴシップを語り合うための道具として、言葉というのは複雑化してきたという。
しかも結論を出してはけない。
コミュニケーションとはそういうこと。
内田樹さんの名言だと思うが、コミュニケーションというのは二人で語り合って何か結論を出すために語り合うのではない。
コミュニケーションというのは、ずっと話し続けるために語り始めるという。
それがコミュニケーション。
結論が出たらそこで終わり。
「君の言うことはわかった」
あれはわかっていない。
「君と話したくない」という代わりに「君の言うことはわかった」と。

 人間の赤ん坊はだいたい生後一八か月で、初めて本当の言葉を話す。二歳ごろにはかなりよくしゃべるようになり、語彙も五〇ほどになる。次の一年で日々新しい語を学び、三歳になる頃には一〇〇〇の語になる。そして、単語をつなげて二、三語からなる短い文を作り−中略−六歳になる頃には、普通の子供はおよそ一万三〇〇〇語を使ったり理解したりするようになる。そして、一八歳頃には、使える語彙が六万語ほどになる。つまり、最初の誕生日から毎日平均一〇の単語を憶えているということであり、起きている間、九〇分に一つの新しい単語を憶えていることになる。(10〜11頁)

間もなく70歳になろうという武田先生でも、いまだに新しい単語は増えていく。
「こんな言葉知らないよ」というのは案外ある。
人間というのは言葉を死ぬまで覚えていくのだろう。

ここに、昨日の新聞の二紙、高級紙の『ロンドンタイムズ』紙と、イギリスの大衆向けタブロイド紙『サン』の数字を挙げてみる。大衆向けの『サン』の本文−中略−七八%が「人物系」の記事、つまり読者に他人の個人的な生活を覗かせることだけを目的とするような記事にあてられている。政治・経済時事、スポーツの結果、近日公開される文化イベントその他のために残されているのは、わずか二二%である。権威ある『タイムズ』紙ですら、一九九三インチコラムの本文のうち、主なニュースおよび、政治的・専門的ニュースに対する論評に割かれているのは、五七%だけである。四三パーセントが人物系の記事(インタビュー、もっと雑多な類のニュース記事といったもの)に費やされているのだ。(14〜15頁)

「豪栄道優勝」っていうよりも「どのくらい今までダメだったか」「お母さんが応援している」「決定戦の夜は眠れなかった」とか、そういう「まつわる情報」を知りたがる。
新幹線の車内に流れる電光ニュースを見てイライラする。
「今月7月は降雨量が先年の50%しかなかった」とか、それを読んで「だから何が言いたいんだ、オマエは!」みたいな。
「裏」を知らないと我々は何も楽しめない。
ということは、やっぱり後ろから支えるものとか、物陰で動くものとかっていう、そういう事情、状況が言葉として伝わってこないと、私達は情報だけでは耐えられない。
やっぱりゴシップ好き。

松ちゃんの番組でちょっと蓮舫さんの表情なんかが「この人は主役が出来るお芝居ではない」と思う武田先生。
政治家の人の表情は分かりにくければ分かりにくいほど考える。
あんまり明るい顔で全部言われてしまうと「何考えてんだ」って話になるし、あんまり苦しそうに語られると希望を感じなくなる。
つい憶測したくなる表情というのが、こちら側が言葉を感じるためには絶対必要。

言葉を話す人間を三千万年まで遡る。
目の前にいる(水谷)加奈さん。
加奈さんのお母さん、そのお母さん、お母さん、お母さん・・・。
三千万年遡ると、どのくらいの人数に達するかというと400万人。
400万人のお母さんが加奈さんには必要。
これは数字的には大したことがなく、オリンピックをやったリオの1/4程度。
その頃、アフリカの太古の森を跳ねまわっていたサルがいて、類人猿という種になって、大方のサルと別れた。
このアフリカの地というのは、振り返っても振り返っても不思議。

 およそ一〇〇〇万年前頃、気候が乾燥しはじめて気温がまた下がるにつれて、旧世界の森林が後退していった。地球上の海洋の水面温度は、さらに一〇度ほど下がった。−中略−
 問題の一つは、類人猿が猿とは異なり、熟していない果物のタンニンを解毒する能力を持っていなかったことらしい。
(24〜25頁)

 我々も類人猿と同様、熟していない果物を消化できない。タンニンを分解する酵素がないため、食べ過ぎると腹痛や、最悪の場合、下痢をおこすのだ。−中略−七〇〇万年前に森林の暮らしが厳しくなりはじめると、ひひやマカクなどの猿は熟していない果物を食べられるおかげで、当然ながら類人猿の系統よりも有利になった。−中略−生き残った少数種の類人猿は、森林の地面やはずれなど、猿がめったに足を踏み入れない周縁の居住環境にどんどん追いやられた。(26頁)

アフリカの正面から見て右側の草原、マダガスカル方面に出た。
売れた実を探すサルの一団になったのだが、草原に立つと恐ろしいことが次々と起こる。
草原には剣の歯を持ったトラ、ライオン、ヒョウ、ハイエナ、リカオン等々、恐ろしい肉食獣たちが待ち構えていた。
おそらく人類はワシなどからも襲われたはずだ。
そして群れ全体の20〜40%が襲われて死亡。
絶滅の危機に瀕する。
この絶望に類人猿は二つの偶然を生かす。
一つは体を食べられにくくするために、とりあえずデカくした。
ワシ等が襲ってくると、小さいと捕らわれる。
それで、わりと体を大きくして掴まれても浮き上がらないようなサイズになるように。
また、そのサイズのものしか生き残れなかった。
そしてもう一つが、遠くを見ないとエライことになるので草原の中で立ちあがった。
安定がすごく悪いが、四足を前二本を諦めて立ち上がって背伸びをして遠くを見る。
四本の方が速いので、スピードがガクンと落ちるが二本の足で移動した。
移動する時に群れで生活をし始めた。

 捕食者はそれぞれ、攻撃のスピードや方法に応じて、固有の攻撃距離を持っている。チータは助走なしのスタートから数秒以内に時速一〇〇キロに達することができるため、攻撃距離は六〇メートルである。もっと遅くて体の重いライオンでは三〇メートル弱で、それより軽い豹ではたった一〇メートルほどか、それ以下の場合も多い。もし獲物が、捕食者が攻撃距離内に入らないうちにこれを発見できるなら、必ず捕食者から逃れられるだろう。(30頁)

その上に群れで行動していれば、誰か一匹が見つめれば「危ない」というのがすぐに伝わる。
その群れをつくる時に最も重大だったのが「毛づくろい」。
これはやっぱりコミュニケーション。
この毛づくろいのコミュニケーションには原則があって、それは「やってくれたらやってあげるから」「私の背中を掻いてくれたなら、あなたの背中を私は掻きましょう」。
これが毛づくろいの鉄則。
もちろんその中身はというと、虫・汚れの除去等々。
毛づくろいの間は「敵が来たら私が教えてあげるから」という約束事が含まれているので、ものすごくリラックスできる。
リラックスした瞬間にエンドルフィンという脳内合成麻薬がバーっと出て、その間はストレスが激減する。
一回エンドルフィンが出ると、次の日になったら「またエンドルフィン出したいなぁ」というようなもので次々に。
水谷譲のジムを支えているのはエンドルフィン。
またやりたくなる。
ハッと気がつくと、苦しいことをいつの間にか平気で求めるようになる。
これが快感・快楽。
エンドルフィンの凄まじい力。
この「快感の交換」。
これこそが群れを作るという動機を励まして類人猿の生き残りの協力者となった。

森へ出て草原へ。
草原を生きぬくために群れを作り、その群れが大きくなった故に多くを食べねばならず、そのためには遠くまで歩きはじめる。
これが類人猿なんだ。
これはドンドン距離が伸びて行く。
他のサルたちは同じところをウロウロしている。
類人猿、人間になる一派だけはやたら遠くまで行く。
そのために、やっぱり独特の偏った進化の道を歩きはじめる。

言葉の起源を求めて長い長い旅をしている。
話は進化の話から始まって、アフリカのジャングル、森から出て、やがて草原へ立った類人猿、やがて人類になるサルども。
彼らは草原で生き抜くために群れを作って、その群れが大きくなったが故に多くを食べねばならず、そのためには遠くまで歩きはじめた。
その生き残りのために「毛づくろい」というコミュニケーションを始める。
この毛づくろいというコミュニケーションが仲間をまとめた。
「紐帯を成す」というような古い言い方があるが、まさに「毛づくろい」が帯やヒモになった。
人間が最も安定した集団を組みやすいのが150。
150人というのが一番まとまった集団の数。
200人になるとちょっと阻害が起きるというか、意思疎通がうまくいかなくなる。
これが始めのアダムとイブの夫婦から四世代の子孫で、ちょうど150人。
私達がここまで生き延びたのはやっぱり偶然がある。
偶然がドミノ式に起きるというところが、たまらなく面白いと思う武田先生。
例えばアマゾン(本には「アフリカのサバンナ」と書いてある)に住んでいるベルベットモンキー。

たとえばベルベットモンキーは、異なる型の捕食者をはっきりと区別しており、その正体を知らせるために異なるコールを利用している。豹のような地上の捕食者と、鷲のような空中の捕食者とを区別しているし、この両方と、蛇のような這いまわる生き物とを区別している。捕食者のそれぞれの型に応じて、異なる型のコールが出される。(71頁)

「地を見ろ」「木を見ろ」「空を見ろ」
「大地を見なさい、ヒョウが近寄ってる」「木を見ろ!ヘビは上から狙ってる」「もっと頭上を見ろよ!ワシが狙ってる、オマエを」と言って「地」「木々」「空」。
これで泣き声を変えて、それぞれ見る場所の注意、警報が異なるというから、やっぱりコールを聞き分ける耳を持たねばならなかったという。
そして、その次に人類に訪れたのが熟れた果実しか消化できないから、採取する季節を記憶しなければならない。
やっぱり一番デカかったのは「色」だろう。
人間は熟れたた実だけしか食べられないから「熟した」っていう色を見分けないとダメらしい。
色を見分けるとか泣き声を聞き分けるとか、そういう情報を入れる度に脳の進化が始まったのだろう。
草原でサルが生き残った。
そのサルに更に重大な淘汰圧がかかった。
遠くまで移動しないと食物が手にできない。
体が大きいからたくさん食べないといけない。
それで熟れたものしか食べられない。
移動を長くやっているうちに汗をかく。
汗をかくと、着ている毛が邪魔になってくる。
毛を捨ててしまった。
人類というのは「裸のサル」。
その上にマダガスカル方面に向かって歩き続けた草原のサルは、ついに海に達する。
海に入って、逃げて行かない貝などを食べ始める。
貝というのはやっぱりいい。
貝塚というのはどこにもある。
それからうまいこと追い込んで魚等々を食べ始めた。
そうすると、ますます濡れた毛が邪魔になる。
武田先生が好きな説。
海の中に腰まで浸かってジャブジャブ歩くうちに歩き方がドンドン上手になったという説がある。
浮力で浮くので海が歩行器代わりになり、直立歩行を助けた。
集団としては150頭前後いる。
だけど毛が無くなった。
毛づくろいをやることができない。
その「毛づくろいの代用」となったのが言葉の誕生であるという説。
言葉の誕生は様々な事をおそらく語り合ったかもしれないが、一番最初は150人。
その集団の間違いなくゴシップだったはずだと。
「あの男には気を付けるのよ」「ちょっかい出してくんだからね、アイツ。嫌いよ!」等々。
それから当然、その獲物が住む川とか危険な野原とか、そういう仲間たちに伝える集団共有の掟、出来事の報告等々。
そして下世話な話題。
そういうものがコミュニケーションに使われていって、言葉はゆっくり膨らんでいったという。

水谷譲の噂が別の時間帯のラジオ番組から流れてくるのを聞いた武田先生。
放送局(文化放送)でもベテランの女子(アナウンサー)だから、みんな怯えながら「加奈さん」と呼んでいる。
そうしたら誰かが「いや、一本だけね、加奈さんのこと呼び捨てにする番組がある」。
それがこの番組(『武田鉄矢・今朝の三枚おろし』)。
両刀使いで、武田さんが話にあまり熱心に耳を傾けない時には「加奈」って呼び捨てにして、イイコによく聞いている時は「加奈さん」と呼んでいるという。
だからやっぱり言葉はみんなその裏を取りたがる。
民進党の蓮舫さんのことを武田先生も言って、いろいろいいにつけ悪いにつけあったが、蓮舫さんはあいかわらず分かりやすい。
言葉が顔に書いてあるという方。
最近、小池(都知事)の顔が読みにくい。
選挙戦で戦っている時は非常にわかりやすい。
顔に「もちろん、当選するのは私です」と書いてあった。
都知事になって、いろいろ問題が。
そうするとドンドン表情が難しいと言うか、読みにくくなってくる。
言葉というのはそういうもの。

毛づくろいの代用を果たすために言葉は生まれたのだ。
そして発達したのだ。
発達していくうちに、人の脳はその人が話す言葉の意味よりも、その言葉の裏側に隠していることを知ろうとする。

「彼は何が言いたいのか」
それを懸命に探すようになる。
会話というのはドンドン複雑になってゆく。

だいたい三歳になるまで、子供たちは嘘をつけない−中略−子供たちはだいたい三歳ごろには、チョコレートを食べたことをそれなりに強く否定すれば、信じてくれることが多いだろうと気づくくらいの理解力はある。しかし、この年の子供は、自分の口のまわりについたチョコレートが秘密を漏らしていることに気付くほどの理解力は持っていない。(123頁)

嘘をつくことによって言葉というのはドンドン複雑になってゆくのだろう。
人間は嘘を考える時に複雑に考えすぎて、かえって罠に落ちることがある。

これら言葉の複雑な技術を今でも人の子はわずか四歳からたくましく学び始める。
つまり「他人は私と違う考えを持つ」という集団の特性からそのことに気付き、学び成長していくのである。

挽いたコーヒー豆をコーヒー沸かし器のフィルターの中に入れてフタを閉める武田先生。
奥様からやかましいぐらい「コーヒーの粉をこぼすな」と言われる。
その言い方が怖いから慎重にやるのだが、慎重すぎて逆にこぼす。
「あ!」とか。
それで挽いた豆をフチにぶつけながら、フィルターの中に綺麗に落とすのは難しい。
外側の沸かす水のところにちょっとでもコーヒー粉が落ちたら、大きく「あ!」とか言われる。
奥様が違うところを見ていたので「こぼしてないでしょうね」と言われて「こぼしてない、こぼしてない」とかと言う。
何であんな悲しい嘘をつくのか?
そうしたらもうバレる。
それでチェックされてティッシュペーパーでコーヒーのお湯を入れるところを拭いたら、やっぱりコーヒーの粉が落ちているのが分かる。
「もう!」と言われて。
その時に、フィルターだけ外して流しのところで入れてはめれば何にもフチに落とすことはないのだが、叱られると脳はフリーズして、フリーズしたおかげで「嘘をつこう」というふうなところに努力が行って、よい方法を考えられなくなる。
それぐらい嘘をつくというのは難しい。
奥様とも共有できるものは、意外とゴシップがかったところからフッと仲良くなる。
夫婦なんてのもそんなもの。
人の悪口を言う時「そうでしょ?私もあの人はそういう人だと思った」とかっていうそういうアレ。
「よかったよなー。ロシアと上手くいって」とか「TPPは」とか話さない。
「アイツさ、危ないらしいよ」「やっぱりね」とかって。

2017年01月18日

2016年3月14〜25日◆『しんがりの思想 反リーダーシップ論』鷲田清一(後編)

これの続きです。

鷲田清一さんがお書きになった反リーダーシップ論。
「世の中を引っ張る、そういう英雄が出て来い」
その考え方は間違っている。
世の中を進めるのは実はリーダーではなくて、ビリっけつを走っている人。
その人たちが平均値を上げる。
そのことが全体がよくなる唯一の道なのだという鷲田さんの『しんがりの思想』。
少し社会全体がプロフェッショナルに頼りすぎているんじゃないだろうかという。
それよりも私達は市民として、一人間として、自分たち自らでしっかり勉強しないとダメなんじゃないかと。
そういう個人の人民の努力が世の中全体をよくするのではなかろうか。
そういう考え方の方。

学校で何か事件が起きたときにまずいちばんにカウンセラーを呼ぶという、もう学校現場のモードのようになっている動きがある。(118頁)

両者は気前よく己の時間をこの問題にあててその原因を探るが、知性の肺活量と呼ぶものが少なすぎる。
「なぜそういう問題に陥ったのか」というのをまず自分たちで考えてみよう。
専門家の知識とか専門用語にすがらないで。
要は「誰かが答えを握って正しく、市民はそれを受け取るとよいことがある」という方程式は世の中にないのだ。
スクールカウンセラーなんか置かなくて、その非行に走る少年たちの予兆みたいなものを、今の人たちは捉えきれない。
これは一体何なのだろうか?という。
それは私達の力が少しダウンしているんじゃないか。
生きていく力。

リーダー、つまり人の世のトップに立ちたがる人間、そういうものが子どもたちにパーッとあふれると世の中そのものが脆くなっていく。
たとえば私達は○十年前、失敗の世界大戦を引き起こした歴史を持っている。
なぜあんな馬鹿や戦争をやったのかを探らなければならない。
その一つに戦前の日本の大半の少年たちが夢見たもの。
「君は将来何になりたい?」
日本全国の少年に聞くとだいたい同じ答えが返ってきた。
それは「陸海軍の大将になりたい」。
少年たちがみんな軍人さんの大将になる夢を持ったという社会は非常にもろかったではないかと仰っている。
(本の中にはそういう話は見つけられなかった)

深い味わいを感じつつ耳を傾けた、松下幸之助の、意表をつくようなリーダー論である。−中略−彼があげたのは、まずは「愛嬌」、次に「運が強そうなこと」、最後が「後ろ姿」である。(149〜150頁)

愛嬌のあるひとにはスキがある。−中略−「わたしがしっかり見守っていないと」という思いにさせる。(150〜151頁)

人がこう思うと、その人の周りにはすごい強いチームができる。
才能は人を呼ぶのである。

 次に「運が強そうなこと」。ここで注意しておくべきは、松下がけっして「運が強いこと」とは言っていないことだ。−中略−そういう「運の強そうな」ひとのそばにいるとなんでもうまくいきそうな気になる。(151頁)

「後ろ姿」は無言の言葉である。
その人の後ろ姿を見ると付いて行きたくなるというような後ろ姿。
懸命に説明したがる人は意外と脆い。
後ろ姿で人を惹き付ける人、無防備で緩んだところがあるが、その緩んだ無防備の後ろ姿に余韻がある。
「そういう人が人を引っ張っていくのにはもってこいなんだ」という。
よくリーダー論で言われる「軸がぶれない」「統率力」「聞く耳を持っている」そんなものは三の四の次だ。

とある武道家の方から「あなた運強いでしょ」と言われた武田先生。
「やっぱ運いいんですよ」と言ったら「それは、まぐれじゃなくて運が強いんだ」と言われて何かギクッとしたことがある。
面白いなぁと思う。

精神科医の中井久夫は−中略−サルの集団になぞらえてこう言っている──
 お猿の実験では、ナンバー2の性格がその集団を決めるんです。ナンバー1をたとえロボトミーにしても、ナンバー2が権力欲をもたずに、しかも集団を余裕とユーモアをもってまとめていく能力があったら、その集団は決して崩れないんです。
(153頁)

これから長らく続くであろう「右肩下がり」の時代は「我慢」と工夫の時代であろう。ここでは、だれかに、あるいは特定の世代や社会層に、どこか特定の地域に、はたまた何か特定の業種に、ダメージが集中しないように、負担とリスクの分散をさせること、それらを均等に担うことが求められる。(153〜154頁)

政治という術があるが、それがこの「揚げ足を取ったり」的のエラーを哄笑する、あざ笑う、そういうことではなくて「条理を尽くして説得していく」という。
鷲田さんはそういう意味で現安倍政権に非常に強い疑念を持ってらっしゃる方。

「条理を尽くす」には、理路を説く前にまず「相手の立場や心情を十分に顧慮」することが肝要だ。(157頁)

安倍さんにはそういう「条理を尽くす」というのはちょっとできてないんじゃないかという批判があった。

「何を言っているかではなく、その人間が何を聞き取る人間であるのかを注視していれば間違う確率は少ない」とは平川克美の言葉(157頁)

最近武田先生が魅せられているのは「ワイルド」。
自分の中でそういう「野生」みたいなものがどんどん薄れていくからだろう。
自分に何がないのかというと、やっぱり明らかに野生がない。
どんどん野生が落ちているので、個人的に野生の研究に入っている武田先生。
野生の研究の本に「裸足で走れ」と書いてあった。
それで暇な時に、とある公園を裸足で走っている武田先生。
それと靴を変えて袋状の靴下をやめ、五本指靴下にした。
そうしたら足の形が変わり始めた。

平田オリザさんは劇団を主宰してらっしゃって、その劇団の採用面接での基準を話してらっしゃる。

彼は劇団員の採用面接をするときに、入団希望者の話を聞きながら、コンテクストの近いひと、コンテクストを広げられるひと、独特のコンテクストをもったひとに分類し、もっとも遠いひとから順に選んでゆくというのだ。(158頁)

(番組では「最も自分に遠い人」と言っているが、本の中では「自分に」という表現はないので、その解釈でいいのかよくわからない)

二〇一〇年、NHKのドキュメンタリー番組「無縁社会」が放映された。−中略−高齢の親の死亡を届けずに年金等を受給し続けていた一家族の「事件」に、「無縁社会」というこの番組の残像を重ねたひとも少なくなかっただろう。これに家庭内の幼児虐待がそのまま死につながった事件や、いじめのはての小学生の自殺の報道なども続き−中略−
 地縁も血縁も社縁もやせ細ってしまったこの「無縁社会」についてのドキュメンタリー番組の残像がいまなお色濃いのは
(164頁)

鷲田さんは現代社会という中で、若者がいかに縁というものを見つけにくい時代になったかというのをものすごく丁寧に分析してあった。
自立の概念が自己決定、自己責任と同じものにされている時代、縁に希望を見つけることは人間にとって困難なようである。

著者はようやく「しんがり」にふさわしい現代語に辿り着く。
「ボランティア」
自分をさて置いておいて「あなたを助けることによって、私は私を確認している」という。
ボランティアに関しては、最近の若い人を尊敬している武田先生。
もうサラッと言う。
武田先生が大学生の頃にボランティアというので大学で授業があって、いかにヨーロッパでボランティアが当たり前で、日本社会は全然それに追いついていないというのを教壇の上から嘆くだけ嘆いていた教授の顔を覚えている。
スウェーデンだったかの例を出して、ボランティアを何年やったかというのは嫁入り道具になる。
技術があってボランティアの何々とかっていう技術を取得すると、ものすごく姑さんから喜ばれる。
だから介護力、介護術みたいなのも一緒に教えられるらしい。

阪神・淡路大震災からまる二十年。そのあいだに培われ、根付いてきた文化の一つに、ボランティアがある。そしてそれがその後起こった新潟の、そして東北の震災時にもさまざまな救援のかたちで働いたのは、記憶にあたらしい。(187頁)

このボランティア技術こそズバリ「しんがりの思想」と呼べるものではないだろうかと鷲田さんは仰る。
(本の中にはそういうふうには書いていない)

哲学者である著者は言う。
私が自由であるためには自由を他者に要求すると共に、同等の自由を他者に送らなければ自由は獲得できない。

内田樹さんがよく言う。
「私という存在を確認するためには、あなたを経由しないかぎり、私は私を獲得できない」
私は私の名前をつぶやくことによって、私は返事しない。
私は私の名を他人から呼ばれて返事することで私を確認する。
だから他者がいない限り、私は私を確認できない。
これは哲学。

 数年に一度、投票というかたちで関与するのが精一杯の民主主義、そこにおいて「主権者とおだてられながら、なんと空しい存在でしょう」とみずからを自嘲したあと−中略−
 そんなある日、近所のおしゃれな雑貨店でこんな貼り紙を見たのです。
「お買いものとは、どんな社会に一票を投じるかということ。」
(198頁)

ずっと前にニベアを絶賛していた水谷譲。
ああいう女性の感性に驚かされる武田先生。
男はそういう依存度がすごく低い。
「ニベア」「クリーム」とやったら男は「クリーム」の方だけを見て「これ、肌につけるやつだな」とか。
上の方のメーカーはわりと無視するというのがあるので、女性のそういう製造会社に対する依存、女性の持っている感性はすごい。
奥様にもそういうところがあると感じる武田先生。

DVDのレンタル店が殺伐としている。
武田先生が行った店がそうだっただけかもしれないが、ソファが置いてある。
近所の団地の子が5〜6人くらいで靴を脱いで裸足で、丸い玉を並べるスマートフォンのゲームをやっている。
そして借りに来た人たちはカゴを提げてボンボコボンボコカゴの中に。
夢もカケラもない。
荒涼としているようにしか思えない。
面白くなければ早回しをして見てしまうという水谷譲。
指を指して「これ!」みたいなのが店内に漂っていない。
「これを見るぞ」みたいな意欲が全く無くて、ダーンとカゴの中に入れる。
商品の扱いも乱暴だし、手にとった商品に、商品の重みがない。
万引き用で中身が抜いてあるのでパッケージだけというような。
昔、レコード屋さんで視聴をお願いすると、塩化ビニールの黒い盤をものすごく大事そうにテーブルの上に置く。
それで慎重に針を置く。
LPの12曲の中で1曲だけ聞いていいとかっていう。
その時のLPの扱い方の指先が、その塩化ビニールの盤がいかに貴重かみたいなのが伝わる。
それで1200円くらいだったかの当時のLPを買った時というのは、そのレコード屋さんの手つきを真似して、自分もターンテーブルに置く。
そうするとビートルズが流れ始める。
それはもう、ただの消費行動ではなく「彼らとつながった」とか「文化的に全世界とつながった」とかという、そんなアレがあったのだが、今は扱われ方が乱暴。

 レヴィナスの哲学の基本概念に「有責性」(resuponsabilité)というものがあります。(202頁)

「責任」は英語にリスポンシビリティ(responsibility)の訳語として使われている。この語はrespondとabilityの合成語で、要は、何かに応じることができるということである。「助けて」という他人の声、もしくは訴えや呼びかけにきちんと応える用意があること、そういう意味がこの語の芯をなしている。(201頁)

誰かが絶叫している。
「Help me!」
それに対して私達は応答しなければならない。
その時の応答の声は英語で言うと
「Can I help you?」
これはやっぱり英語というものの明快さ。
「Can I help you?」これを日本語に訳すと「いいえ、お互い様ですよ」という。
こういうのを歌にしたいと思う武田先生。
「お陰様」「お互い様」そういう言葉で一曲作りたいなと思う。
誰に命令されるわけではない、己に命じる行為。
その自由さを担保する。
そのために私はあなたに「Can I help you?」「できることありますか?」「お互い様ですよ」という、そういう言葉「responsibility」反応しなければならない。
それが「しんがりの思想」の一番深いところにある芯なのであるという。

コメディアンの財津一郎さん。
財津さんが『金八先生』の時に武田先生に教えてくれたこと。
「サービス精神というのはね、武田君。サービスをする時、もったいぶって『サービスをしますよ』じゃない。サービスに入った瞬間『喜んで、喜んで〜』って言いながらその行為に入るんだ。それが芸だし、それが芸人のサービス精神なんだ。出し惜しみしちゃいかん」
せっかく何かを自分が思い立って「お手伝いしましょうか?」って言うんだったら、その表情に満面の「喜んで〜」っていう、そういう表情がなければ一文の値打ちもないという。

武田先生がずっと読んでいてまだ終わらない『菜の花の沖』

菜の花の沖〈1〉 (文春文庫)



あの中で日露史が出てくる。
司馬遼太郎という人が歴史を辿りながら、日露史の齟齬というか、うまくいかないところをずっと書いてらっしゃる。
徳川時代から日本国とロシア国って何もうまくいっていない。
もうギスギスした関係。
ロシアが江戸時代の真ん中くらいに「貿易したい」と申し込むと、日本の横着な長崎の役人は「お白洲に正座して上奏しろ、伝えろ」と言いながらロシアの提督に正座を命じる。
そういう西洋文明に対する嫌味のようなことをやったばっかりに、ロシアの軍人さんたちが怒って、北海道の樺太の方で幕府が立てた番屋小屋を襲うという事件が起こった。
それは単なる私情、「ワタクシ」の感情だった。
それをロシアの態度だと勘違いした幕府は、次にやってきたロシアの軍人さんのゴローニンというキャプテンを捕虜にしてしまう。
そういう国家を名乗っているばかりにうまくいかない。
ところが感動するのは、個人としてロシア人と日本人はすごくうまくいっている。
ゴローニンという人は高田屋嘉兵衛(番組内で「高島屋」と言ったようだが、多分「高田屋」)という淡路島生まれの商人と言葉もあまりできないのだが何カ月か過ごして「すごいいい人」とお互いに認め合う。
ゴローニンという人はすごくいいロシア人で、アイヌの人たちの暮らしぶりにものすごく同情して「この人たちが幸せになるように、もう少し考えてあげようよ」なんていうことをちゃんと文面で残されているし、高田屋嘉兵衛はアイヌの人たちと遭遇すると白いご飯を握り飯にしてプレゼントした。
つまり個人としては非常にうまくいくロシア人と日本人だけど、国家を名乗るとケンカばかりしてしまうという。
「日本」は国家を名乗るとロクなことがない。

この間、爆買いにやってきた中国の青年がtwitterに書いた。
日本で買った爆買いの土産物を失くした。
置き忘れたのだろう。
「すげえぜみんな聞けよ。必ず戻ってくるんだ」
そのことを中国の青年はものすごく感動しているのだが、その手の青年が一人、中国の上海に理解者としているということを喜べばトップが世界を変えるんじゃなくて、しんがりが世界を変えていく。

2016年3月14〜25日◆『しんがりの思想 反リーダーシップ論』鷲田清一(前編)

しんがりの思想 ―反リーダーシップ論― (角川新書)



関西方面にいらっしゃる哲学者の先生。
武田先生と年齢が同じ(お二方とも1949年生まれ)。

「しんがり」という言葉が好きな武田先生。
「どべ」「ビリ」ということ。
鷲田さんは心構えのことを仰っているので、具体例は本の中にはない。
「リーダーシップ論」があるが、鷲田さんの発想は「そうじゃないんじゃないか」。
武田先生が好きな考え方「反リーダーシップ論」。
世の中を決定しているのはリーダーじゃなくて、優秀なビリの人を持っている社会が良い社会なのだ。
「しんがり」の人、最後尾を歩いている人、走っている人。

「しんがり」という言葉そのものは、日本史の戦国期、合戦で用いられる軍事用語。
詳しく言うと、隊列や陣、序列の最後、最下位を示す言葉ではあるのだが、この「しんがり」というのは合戦や戦闘になった時、最も勇敢な軍人が担当する戦闘場所。
だからしんがりというのは、いざ戦闘となった場合は意味がコロッと変わる。
具体例で言うと、例えば織田信長の軍勢が武田軍と激突する。
織田信長はコテンパンにやられる。
武田軍は圧倒的に勇猛果敢で強い。
それで信長は何と、ほとんどの兵隊さんを全部捨てて、まず自分がトップバッターで逃げる。
退却戦になるのだが、その退却戦になった瞬間にリーダーの信長は一番最初に逃げながら言い置いた命令が「しんがりは秀吉」。
「退却戦のビリは秀吉が担当しろ」
これは何を意味するかというと、最も優秀な信頼できる兵士であるということ。
秀吉は何をやるかと言うと、退却戦の最後尾について味方を逃しつつ、敵と戦い自分も逃げる。
これをやらなければならない。
だからしんがりを担当するというのは、知恵があって戦争に強くて度胸満点。
三拍子も四拍子もそろわないと退却戦においては、しんがりは任せてもらえない。

幕末に薩長軍と幕府軍が鳥羽伏見で激突する。
時の勢い等々があって、幕府軍は総崩れになる。
退却戦に入る。
その時に大阪までの退却戦のしんがりは誰か?
新撰組、土方歳三。
その全体の軍隊の中で最も勇猛果敢な人間がしんがりを担う。
数千の薩長軍に対して、新選組は土方をトップにして数十人の単位で、千の軍勢を止めたというので武名がものすごく上がる。
「さすが土方」と。
そのしんがりの意味合いが変わるというのは、このへんのこと。
普段は「最後」という意味を示すのだが、戦闘になって退却戦になった場合、しんがりといのは最も勇猛果敢な、リーダー以上に優秀な人でないと担当できないという。

前に『三枚おろし』で日立の社長さんのをやった。
あの人は「しんがり」のことを「ラストマン」とおっしゃった。
船が傾いて沈んでいく時に、全員避難したかどうかを全部チェックして最後に船を脱出する人。
この「ラストマン」と同異義語が日本には古くからあって、それが「しんがり」ということ。

 リーダー論、リーダーシップ論がとかく賑やかである。(2頁)

 そもそも、みながリーダーになりたがる社会はすぐに潰れるということがある。(6頁)

リーダー論に素直に従うようなひとほどリーダーにふさわしくない者はいないという、語るに落ちる事実がある。(6頁)

それよりはしんがりの人、これこそが本当の勇者ではないか?

民俗学者の宮本常一。
『三枚おろし』でも取り上げた方。
(このブログでは取り上げていない)

庶民の発見 (講談社学術文庫)



ある石工の言葉として、宮本が『庶民の発見』(一九六一年)のなかで記録しているものである。「ほめられなくても自分の気のすむような仕事はしたいものだ」とも、この職人は語っている。−中略−
 石工は、田舎を歩いていて見事な石の積み方に心打たれ、将来、おなじ職工の眼にふれたときに恥ずかしくないような仕事をしておきたいとおもった。
(9頁)

黙々と田舎の河原の土手あたりにしっかりした石を組んでいる、あるいはその石組を見て感動している石工さん。
「実はこの手の人たちが世の中を作っているんだ」と仰っている。



寂しい浜辺を遠くの方で一人、走っている。
そうするとナレーションか文字か何かで「もうオリンピックは始まっている」
長距離ランナーらしきその青年は、オリンピックを目指して練習している。
それをそのコマーシャルは「もうオリンピックは始まっている」という。
ジーンとくる。
影で努力しているその影の人。
鷲田氏はそういう「影」とは言わないまでも、そういう人たちが大事なんじゃないか。
リーダーよりも最後尾のしんがりの人たちが大事なのではないか。
なぜ、その人たちが大事か。
それは日本が縮小社会に入ったから。
日本は縮んできている。
年間で25万人のスケールで人口が減っている。
だから4〜5年で百万都市が一つ消える。
そういう激変が日本には訪れつつある。
1970年代、人口は一億を突破し、30歳以下の若者人口は国民の49%。
そういう世相が変わって日本という国は老いに入った。
2008年、1億3千万を超えた人口はついに減少に転じ、出生数は減少。
もはや4人家族、子供が2人の家族、こういう家族がもう珍しくなった。
これは間違いなく縮小社会であって、2011年の大震災と原発事故が追い打ちをかけ、地方消滅というような危機が今、進行している。
これからも果てしなく日本の縮小は続くであろう。

 この国は本気で「退却戦」を考えなければならない時代に入りつつある。(144頁)

「負けた」というのではない。
やっぱり国にも攻め込んでいく時と、退却する時と二つあっていいのではないか。

震災の半年後にNHKの朝の連続テレビ小説「カーネーション」の放送が始まった。(39〜40頁)

カーネーション 完全版 DVD-BOX1【DVD】



岸和田に生まれた女三人姉妹(コシノ3姉妹)がファッションの道を歩くという。

 番組の折り返し点は敗戦の日。その玉音放送のシーンだった。玉音放送を聴いたあと、洋服店を営む糸子がすっくと立ち上がり、家族や従業員たちに言う──
「さ、お昼にしょうけ」
(40頁)

つまりこれじゃないかと。
このエネルギー。
これこそ「しんがりの哲学」ではないだろうか、というのが鷲田さん。

このあたりから大阪NHKは続々とヒットが朝ドラで出る。
今はまた『あさが来た』か何かで大人気。

連続テレビ小説 あさが来た 完全版 ブルーレイBOX1 [Blu-ray]



福沢先生も活躍なさった。
(武田先生が演じられたらしい)

何故、人はリーダーを探すのか?

 だれもみずから責任をとらないで、他者に「押しつけ」るという責任放棄の構造。これに合わせ鏡のように対応するもう一つの責任放棄の構造があるようにおもう。「おまかせ」の構造である。(47頁)

近代国家の成立したばかりの日本で、そのことをまずトップバッターで嘆いたのが、何と今、話に出た福沢諭吉という先生。

「人民はこれを一国文明の徴として誇るべきはずなるに、かへつてこれを政府の私恩に帰し、ますますその賜に依頼するの心を増すのみ。〔中略〕人民に独立の気力あらざれば文明の形を作るもただに無用の長物のみならず、かへつて民心を退縮せしむるの具となるべきなり」と、福澤はいう。(50頁)

政府が頑張って鉄道を引いた、政府が頑張って家を庶民のためにいっぱい建ててくれた。
「あー政府っちゃありがたいありがたい」
「そんな情けない国民を作ってしまった」と仰っている。
「何を言っとるんだ」と。
「なぜ自分が時代の主人公であると胸を張らんのか。鉄道を作ったのは政府にあらず国民なり!」
福沢先生はこの時代からこのことをおっしゃっている。
「一番重要なのは政府ではないんだ。国民の質なのである」と。
「国民の質こそが全てではないか」と仰っている。

メディアによって編集された情報をそのまま反復して、まるでニュースキャスターが言っていることをなぞるようなことを持論になさっている方がいらっしゃる。
それではつまらない。
「時たま違うことを言ってもいいのではないか」と思う武田先生。
それから、いろいろ政治を批判なさる、憤る方、ものすごく怒りながら国民を叩く人がいらっしゃるが、あの人の叩き方は「映りの悪いテレビの横っ面はたく」ようなもの。
昔、父ちゃんがよく叩いていた。
叩けば時々目が覚めたように映り始める。
でも、叩くことで映りがよくなるテレビと違って、社会・世間というのはよくならないのではないだろうか。
巨大規模で人口減少に入った現在、サービスのための政治とか市民を持ち上げてくれる行政サービス、そういうのは時代としてもう終わったんじゃないか。
それなのに「市民がバカになっている」と。

今年(2016年)「真田ブーム」。

真田丸 完全版 第壱集 [Blu-ray]



真田っていう人もよくよく考えてみると「しんがり」の人。
家康に勝ったところで「天下を取る」という、そこまでの野望は持っていなかった人。
「一泡吹かせてやりたかった」という。
草刈(正男)さんがやっている幸村の父(真田昌幸)。
あの人の気持ちがわかる。
真田幸村は最後まで家康に抵抗して大坂城での戦いではものすごい勇猛ぶりを見せる。
でも絶望的。
勝てるわけがないのだから。
何でそんなファイトが燃えたのかといったら、真田は家康と3回戦って1回も負けたことがない。
平べったく言うと、4回目をやってみたくなる。
何かその痛快さ。
六文銭なんていう発想そのものがまさに「しんがりの思想」。

武田先生がちょっとジーンときたこと。
清原事件の時の桑田(真澄)さんの登場。
彼は清原について語ったことがあって「いつまでも4番打者であるってことが忘れられなかったのかな」と言った後「僕たちは『見せる野球』。何万人のお客さんに来てもらって『見せる野球』というのに憧れて生きてきた。その『見せる野球』というのが終わるんだ。そしたら今度は自分が支える野球というのをやらなければならない。一番最後はどこかで静かに野球を見ているという、そういう人間にならなければならないけど、最後まで清原は見せる野球っていうので支える野球ができなかったんじゃないかな」という。
これは芸能人にもピッタリ。
視聴率戦争の中で戦いつつ、必死になって順位を争ってきた。
「今週○%」とか。
やっぱり「数字じゃない」なんてことは主役をやめないと言えない。
主役一はやっぱり数字と一緒に背負う。
その後、桑田さんが言った「支える野球」という。
だから武田先生も「支える芸能人」。
一番最後は「芸能を見る人」あるいは「楽しめる人」に自らならないといけないなと思う武田先生。

 こういう仕組みが完備してゆくことで、市民生活において逆にクオリティを大きく損なったものがある。いうまでもなく、《いのちの世話》を自力でおこなう能力の喪失である。いまこの国で、赤ちゃんを取り上げる腕前をもつひとは専門職を除きほぼゼロである。遺体の清拭や死化粧をするひと、できるひともほぼゼロである。調理において魚を捌けるひとも、家人の病や傷の応急手当ができるひとも格段に減った。(62頁)

この間、地方のテレビ番組で盛り上がったこと。
食中毒の話になったのだが、昔の母親は鼻一つだった。
ご飯か何か、夕方にカゴの中に入れたものを母がクンクンと鼻で嗅いで「喰える」と言うと、うわーってみんな家族でご飯を食べたというのがある。
保健所の仕事みたいなものもお母さんが鼻一つでやっていた。
ジャッジメント。
「消費期限、賞味期限なんか袋に書かなくても結構だ。そんなものは私が判断しますわ」という。
震災時「どこへ逃げるか」「どうやって逃げるか」「何を持って逃げるか」みんな自分で判断していた。
あるいは最低限の排泄物の処理。
もう「自分のところの排泄物は自分の畑へ」なんていう。
完全エコの三角マークみたいな人がいた。
あるいは降ってくる雨を自らの工夫で飲料水に変える等々。
そういう「命の世話」というような最低限の能力がもう全くできない。
すぐにプロを呼ばないと気がすまないという市民に成り下がっているのではないかという鷲田さんのお叱り。

むかしの庶民の家にあっていまはないものに話が及んだ。で、とっさに浮かんだのが、わたしは救急箱、お相手は大工箱、この二つだった。(63頁)

どんな家庭でもカンナ、トンカチ、ノコギリ、糸のこ。
そのへんで箱を組み立てるぐらいの道具は。
台風がやってきたら家の修繕。
武田先生の家はプロでもあったのだが、ミシンがあった。
これらのことを実は全部今、プロに任せて甘えきっているのではないかというのがこの作者からの声。

「しんがり」を漢字で書くと「殿軍」。
(「殿」だけで「しんがり」と読むようだが、小説で使われているのは「殿軍」らしい)
別名はこの通り「でんぐん」と呼ぶ。
これに初めて接したのは『竜馬がゆく』。
司馬(遼太郎)さんの本に出てきて、一発で好きになった言葉。
龍馬の友達の土佐勤王党の誰かが新撰組に追われる。
四、五人いて、一人、腕は大したことがなが度胸が抜群のヤツがいて、トップバッターで沖田と土方が追ってくる。
その時に友達の四人を逃がしておいて、ブワーッと抜刀して四人の仲間に絶叫した言葉が「おいが殿軍(でんぐん)!おいが殿軍!」と言う。
「俺がしんがり!俺がしんがり!」という。
つまり「俺が新撰組と格闘している間にお前らは逃げろ」という。
その時に覚えたその「殿軍」と書いて、司馬さんがそこに「しんがり」というルビを打つ。
「しんがりを務めた○○は」と書いてあって「沖田、土方になますのように斬られた。が、血しぶきを浴びつつなお、その頬に笑顔が残っていたという」とか。
何かもうゾクッとするような表現がたまらなく好きな武田先生。

ちなみに「しんがり」を「殿」と書くのは「殿」の展(屍)がひとが几(牀几)に腰掛けている姿で、「殿」が「天子の御所」や「政務を執る所」を意味する一方で、それが「臀」に通じるところから「尻」、さらには「しんがり」を意味するようになったからだといわれる(145頁)

私達は何か問題があると、強いリーダーあるいは専門家にすがりつく。
しかしプロの専門家というのは話を聞けば聞くほど、ますます全体が見えなくなるのではないか。
北朝鮮がロケットを打ち上げた。
ロケットの専門家がスタジオにいるのだが、話を聞いていてもよくわらかない。
「だから何だ」と言いたくなる。
最近、専門家が多ければ多いほど全体像はわかりにくくなっている。
やはり世の中は複雑。

「どんな専門家がいい専門家ですか?」
 返ってきた答えはごくシンプルで高度な知識を持っているひとでも、責任をとってくれるひとでもなく、「いっしょに考えてくれるひと」というものだった。
(104頁)

複雑性の増大にしっかり耐えうるような知性の肺活量が必要となる。(107頁)

個人の自由を大切にすることは社会の多様性のため、自然界と同様、様々な人が生きているということは、社会を活性化する意味でとても大事なことである。
社会が全部均一になってしまうと、これはあきらかに退化の徴候である。

英語のリベラル(liberal)の第一の意味は「気前がよい」だということ、このリベラルの名詞には二つ、「自由」を意味するリバティと「気前のよさ」と「寛容」を意味するリベラリティとがあることをここで思い出したい(110頁)

「フリー」というのは「自由」という意味もあるが「タダ」「無料」という意味がある。
ケチな人というのは心に自由がない人。
そうやって考えると英語というのは「本質を示そう」という。
この発想は面白い。
だから一発回答ではなくて、いくつもの意味を引っ張り出していくという。
そういう知恵が今「しんがりの思想」として大事なのではないかと思ったりする。

2017年01月06日

「武田鉄矢今朝の三枚おろし」の本が発売されています

このブログでもたびたび取り上げている「武田鉄矢今朝の三枚おろし」というラジオ番組の本が先月から発売になっていました。

人間力を高める読書法



ラジオ文化放送の大人気番組「武田鉄矢今朝の三枚おろし」を書籍化!
『失敗の本質』『ザ・ラストマン』『1行バカ売れ』『修業論』『持丸長者「幕末・維新篇」』などを紹介。


2017年01月05日

2016年11月7〜17日◆『日本人と漢字』笹原宏之(後編)

これの続きです。

漢字の用法については、中国では読みは一対一用法だが、日本人は一つの漢字をいくらでも読み方を替えて読んでいくという。
例えば「生」という字。
「せい」「しょう」「福生(ふっさ)」「羽生(はぶ)」「羽生(はにゅう)」
フィギュア(スケート)は「ハニュウ」で将棋にいくと「ハブ」になる。
これを私達は間違えずに。
この上にアルファベットまで書き文字にするわけなので、大変な量。

国は戦前、そして戦後は当用漢字あるいは常用漢字として、漢字は1850あるいは1945を使用する文字として制限しようとした。
昨今では日本人はこの制限を嫌って「思う」は「憶う」と書いてもいいし、「想う」も。
特にJ-POPなんていうのは漢字の読み替えの天国。
人名などにも自由自在に漢字を使うという。
流行なども漢字に影響を与える。

 たとえば私の世代には、「翔」君という同級生は存在しませんでした。なぜなら法務省が認めていなかったからです。やがて司馬遼太郎が『翔ぶが如く』という小説を書いた。−中略−急に人々がこの字を好むようになってカッコイイな、自分の子供の名前に使いたいなという人が増えてきます。(101頁)

翔ぶが如く 全10巻 完結セット (文春文庫)



男の子の名前で「翔くん」。
「中田翔」とかっていうのが流行って「翔」の字が歩き出すという。
しかも驚くなかれ。
「月」と書いて「ルナ」と読ませるという。
こんな民族は世界中どこにもいない。
キラキラネーム。
日本は実にユニークな周辺国家。
真ん中ではない。
中華文明の外側にいる国。
それ故に面白い。
「日本というのは、永遠のガラパゴスでいいんじゃないかなぁ」と思う武田先生。

字種には出自から分けると「漢字」と「国字」があります。漢字とは、中国人がつくった字ですが、それに対して国字とは、日本人がつくった漢字風の字を指します。−中略−
「笹」が中国にないはずがない、と思われるかも知れません。中国から来たパンダが食べています。ですが中国では、パンダが食べているあれは「竹葉(ジューイエ)」といいます。日本人も初め『古事記』などで「小竹」と書いて「ささ」と読ませていたのですが一文字で書きたいと思ったのでしょう。
−中略−
 また、「竹」と「葉」をくっつけると、縦に長すぎる文字になる。ではどうしょうか。竹かんむりが付けば、草かんむりはいらないだろうから取り去ろう。ササは木ではないから木もいらないだろう。そうして上下を取ってしまって、残ったのが「笹」だったという話があります。
(111〜112頁)

「畑」も国字です。中国語では通常「田」一つで、田んぼも畑も指しました。しかし日本には「た(んぼ)」と「はたけ」という二つの言葉があり−中略−草を焼いて開いた「焼きはた」の「はた」は、同じく漢語「火田」をふまえて火と田をくっつけて「畑」としました。(113頁)

 他によく知られている国字には「峠」があります。(112頁)

平安からある文字で「(アケビ)」。
「山」の「女」で・・・。
(番組中では「そういうことだよ」で言葉を濁しているが、調べてみたら女性器関連の話のようだ)

 日本の漢字は音読みにも多様性があります。「行」を例にとってみていきましょう。「行」は「ギョウ」とも「コウ」とも「アン」とも読みます。「行灯」などというときに、「アン」と読みますね。
「ギョウ」という読み方は「呉音」といいます。古くに伝わった音読みで、おおよそギヤン、ギヤウ、ギョウと変わってきたものです。魏・呉・蜀の呉の国から伝わったという説もありますが、実際には呉以外の国からも、また朝鮮半島をも経由して伝わった雑多な音だというのが実態のようで、仏教用語に多く残っています。
「コウ」は「漢音」といい、唐の時代の都・長安(いまの西安)から伝わったとされています。唐に渡った遣唐使たちが、いま唐の人は「行」を「ギヤン」と発音してない、「カン」のように言っていると気づいて、日本に持ち帰ってきた。
−中略−
 最後の「アン」は、唐音または唐唐音といって、宋代以降、一一世紀以降に伝わった比較的新しい発音です。
(117〜118頁)

漢字の遺跡というか土偶の欠片というか、何かそういうものを感じる。
これをややこしいとか言わずに「そんな行状でどうする」とかっていう場合は「ギョウ」と読むし「銀行」と言われれば「コウ」と読むし。
「行灯」と読めば「アン」と読むわけだからすごい。

日本には漢字方向、つまり文字を書き進める方向が縦書き、横書きと複数あります。一つの文字体系にこういう状態を保つ国は、いまや世界で日本だけといえるでしょう。−中略−
 いまや中国は古典を含めてほぼすべて横書きとなっています。
(119頁)

武田先生の調べによると、中国は今、共産党の指導により全て横。
台湾は横が主流だが、縦も許している。
書字方向に関しても党の方針によって全て横。
韓国は書字方向については縦横があるが、これらの国はとにかく様々な文化について「上書き保存」。
以前の文化は全て消滅する傾向にあり、一番上を保存するのだが、その上にもう一枚出てくると下を全部消してしまうという。
日本はその中で変わっていて、二千年の歴史を全て断層として留めているという。
漢字読みについても多様性を広げ、書字方向さえ多様なのは日本だけ。

日本人の不思議さで「マンガ」というのがある。
あれは読み間違えない。
二人でケンカをしている。
吹き出しで書いてある。
「オマエが○○したって、そんなことを言っては無理だぞ」
「そんなことを言うな」
必ず「オマエが」の方から読む。
あの順番をテレコにしたりしない。
自然にやっている。
一切混乱しない。
コマの見方もそう。
2ページ見開きで描いてあって、飛んだりなんかしてもちゃんと飛ぶ方角に日本人は読む。
ああいう独特の本能を持っている。
(実際にはマンガを読むのにも一定のルールの理解が必要で、マンガを読めない人もいるぐらいなのだが)

 これまで、日本人は漢字から意味を読み取るのが得意だし、好きだということを何度も述べてきました。漢字をただ使うだけでなく、微妙なニュアンスによる使い分けさえも行っているのです。このニュアンスのことを、「コノテーション」と呼ぶこともできます。(122頁)

 たとえば「たまご」という語で、「卵」と「玉子」を、どのように使い分けているでしょうか?−中略−
 まず「産みたてたまご」と書く場合は、ほとんどの人が「卵」を使います。「溶きたまご」も九割以上が「卵」を使うと答えます。
 では、「たまごかけご飯」はどうでしょう。
−中略−学生に聞くとまだ「卵」が多数です。
「半熟たまご」では「卵」がまだ過半数ですが、「ゆでたまご」で「玉子」が逆転し始めます。
 さらに、「たまご焼き」になると、今度は「玉子」が九割を超え、圧倒的多数を占めるようになる。
−中略−原形やもとの色をとどめているか、味付けはまだか、といった要素も大切なようで、調理の進行につれて生々しさの感じられる「卵」を避けていくようです。(122〜123頁)

笹原先生は「庶民、使い分けてる」という。
(本の中にそういう文章は発見できず)

 こうした書き分けを行っているのは日本人だけで、中国人にとってはたまごを意味する「タン」に対する漢字はたった一つしかありません。中国語のたまごは「蛋」で、常に同じ漢字を書きます。生だろうが煮ようが焼こうが何をしようが「蛋」のみです。−中略−英語も常に「egg」ですよね。(123頁)

やきとり屋は、チェーン店であってもそうでなくても「焼鳥」「焼き鳥」と「鳥」を使っている店が多い。−中略−
 それに対して、豚肉、牛肉などのように肉の種類をいうときは「とりにく」を「鶏肉」と表記することが多いのです。
(124〜125頁)

魚偏に春で「鰆」、魚偏に雪で「鱈」だけれども−中略−魚偏に夏で「鰒」は「ふぐ」、魚偏に秋「鰍」で「かじか」、魚偏に冬「鮗」で「このしろ」といったところでしょう。「鰒」には「はえ」「はや」「はまち」「ふくべ」「ふくらぎ」「かつお」「わかし」などいろいろな読みが与えられてきましたが、江戸時代にはフグと読ませることがありました。(142頁)

一番新しくできて多くの辞書に載った国字は、明治時代につくられたものです。たとえば「竏」「竓」という字で、キロリットル、ミリリットルを表します。「立」をリットルに当て、応用したものです。「竡(ヘクト〈百〉リットル)」、「粍(ミリメートル)」などはそれに先立って一八九一年に中央気象台(現在の気象庁)によってつくられました。(157頁)

このあたりも、単位まで自分たちで作っちゃうという。

いささかやりすぎの「キラキラネーム」。

「一二三」と書いて何と読むか。「ひふみ」ちゃん。−中略−
 ところが最近、「わるつ」と読ませる人が増えてきています。
(161頁)

「幹益(ミッキーマウス)」「今鹿(なうしか)」「光宙(ぴかちゅう)」と読ませる名もあります。(162頁)

 たとえば「憎い」という言葉があります。−中略−
 ところが我々は、面白いことを言った人や、上手いことを言った人などに対して、褒め言葉として「にくいね」と言うこともあり
−中略−そうした「にくいね」を表記するときに、「憎いね」ではどうもしっくりこない。よって漢字を回避して「ニクイね」とカタカナで書くことが小説やCMなどであります。
 こうした表記を、私は「当て字」の逆のものとみて、「抜き字」「抜き漢字」と名付けました。適当な漢字がない、あるいは、漢字はあるが、その意味やニュアンスにはどうもぴったりこないときに、漢字を回避するということを、我々は無意識にやっているのです。
 他にも、「彼はてきとうなやつだ」と、いい加減という意味を込めて使うときに、「適当」と書くのは、少し違和感がありますよね。だから「テキトー」とカタカナで書き分けることが多いのです。「テキトー男」として大人気の高田純次にも、ほとんどカタカナが使われています。
(164頁)

このようにあらゆる可能性に日本における漢字は、多様性を今、広げるだけ広げている。
でも、そこにあるのは漢字文化に対する日本人の尊敬ではあるまいか。
漢字文化に対する尊敬は絶対にある。
漢字を「真名」と呼び自国で作った字を「仮名」と呼ぶという。
己をこんなふうに見下して漢字を崇める国というのは、申し訳ないが「日本独自文化」ではないかと思う武田先生。
「学びの第一歩は実は無暗に尊敬する姿勢から始まる」という。
このあたり、ぜひ今後の日本に期待していただきたいと思う。
中華を取り巻く周辺国の中で「上書き保存」の単一方向へ行く中で、日本のみが「別名保存」して、きちんと今までの漢字の歴史を文化文明の中に取り入れている。

前から武田先生が言っていること。
「金正男」
「キムジョンナム」という読み方をするが、あれは「キンショウオン」でいいのではないか。
「キンマサオ」さんとかでいいのではないか。
韓国に関しては「朴槿恵(パククネ)」さんとか。
昔は「ボク」と読んでいた。
我々はそんなふうに読む文化。
興味深いのは「習近平(シュウキンペイ)」は日本人の読み方。
中国語読みで言うと「シーチンピン」なのだが。
日本人は不思議なことに「シュウキンペイ」と言う。
そのほかにも「毛沢東(モウタクトウ)」さんとか「温家宝(オンカホウ)」さんとか。
中国の指導者は我々の読み方で読んでいる。

中国は「音」から漢字名を作っていく傾向が強い。
でも「意味も考慮したい」という強い情熱があるらしい。
「熱狗(ルーゴウ)」は「ホットドッグ」。
「寵物小精霊(チョンウーシアオジリン)」は「ポケモン」。
「楽天小熊餅(ラーティエンマーチ)」は「コアラのマーチ」。

(本についてはここまでで終了。この週の最後の日は本とは関係のない内容なので割愛)

2016年11月7〜17日◆『日本人と漢字』笹原宏之(前編)

日本人と漢字 (知のトレッキング叢書)



笹原宏之さん。
早稲田大学の教授。
漢字の変遷を歴史的に見つめるというポイントで漢字を見つめる方。
武田先生の大好きな白川静先生に対しても、やや批判的。
「白川説」というのは「ちょっと断定すぎる」ということでいろいろあるらしい。
大ファンなので言い返すことはあるが、批判的な人の本もちゃんと読むべきだと思う武田先生。

 概して日本人はエビが大好きです。−中略−そんなエビを表す漢字は複雑な変化を遂げてきました。
 古代の中国では、エビは日本語に直していうと「カ」のように発音され、「鰕」という字が使われていました。右側の旁(つくり)の部分が「カ」と発音する漢字です。
−中略−
 今、中華料理のエビのチリソースを表記する際などに、魚偏が虫偏に変化した「蝦」が使われています。そして現代の中国では、エビの漢字は「虾」になっています。
−中略−
 では日本において「エビ」の漢字は、どのような変化を遂げてきたのでしょうか。
 奈良時代に編纂された『出雲国風土記』に、この「鰕」が登場します。
(7〜8頁)

 平安時代になると、エビは一つの単語なのだから、二文字ではなく、一文字で書きたいという意識が強く芽生えてきたようです。そして、エビはお腹の部分が長い生き物だと感じられたことから、「」という字が一部で流行りました。(9〜10頁)

 日本人は奈良時代以前から、エビに対して、あるイメージを抱いていたようです。それは「海の翁」──海のおじいさんです。−中略−このイメージをもとにつくった漢字表記が、現在まで使われている「海老」です。(9頁)

 江戸時代につくられた「蛯」ですが、この漢字は主に、東日本で使われてきました。−中略−
 つまり、方言のように、特定の地域だけで使われる地方漢字、つまり「方言漢字」とよびうる漢字があります。
 面白いことに、北海道では現在でも、この「蛯」を、地名のみならず、ボタンエビやシマエビなど、普通名詞のエビを表記する際にも使うことがあるのです。
(11頁)

読み方を知った主なきっかけは、人気モデルの蛯原友里さんだったのです。(12頁)

 ちなみに蛯原さんは、宮崎県のご出身です。関東一帯で使われていたという「蛯」が、なぜ遠く九州は宮崎県の名字になっているのか、疑問に思われた方もいるかもしれません。実は江戸時代に東日本から宮崎の地に移住した人々に、「蛯原(海老原)」氏がいて、宮崎で庄屋になったことが歴史的に明らかになっています。(13頁)

白川説では三千年ほど前、呪術から発生した「漢字」。
呪術から発生した漢字が殷で発生して周へ移り、篆書から楷書へと時代に受け渡されていくうちにゆっくり漢字が変化する。
その変化していく様を研究してらっしゃる。
漢字が変遷していろいろ変わっていくのだが、これは筆記用具の変化で、文字そのものに大改良が加えられたという。
白川先生が研究対象にしてらっしゃるのは、この漢字発生の大元なのだが、これは殷の時代の骨に刻んでいた「甲骨文字」。

殷代にも鼎(かなえ)に鋳込んだ金文などもあったのですが、周代には甲骨文字が早くに廃れ、金文が多く生み出されました。(30頁)

さらに戦国春秋時代(「春秋・戦国時代」のことか)になると、さらに筆記用具の変化で漢字は変化していくという。
戦国春秋時代に「竹簡(ちくかん)」。
竹の細いものに縦書きで筆で書くという。
やがて秦に統一されて、これで紙に書くようになって漢字はまた大きく形を変えて変化したという。
この秦あたりになると、アジアにおいて中国文明は周辺にワーッと広がっていく。
朝鮮あるいはベトナム、そして日本へと漢字は広がっていく。
この漢字を受け取った日本人はまた面白いことに、この漢字を自分たちの手で自らいじくりまわして「国字」などと言って、自分たちで自分たちの漢字を作っていった。
それでずっと長いこときていた。

武田先生もドラマで演じたことがあるが、戦前はベトナムの人と日本の人が漢字で会話した。
犬養さんとベトナムで独立を目指す革命の志士が日本に訪ねてきて、その時の共通の会話、コミュニケーション手段は漢字で「文字で筆談した」という。
「我問」とか「日本我等に助成するや否や」とかっていう。
それから高杉晋作あたりも上海に行っている。
上海の街をブラブラしながら、買い物とか中国の実情を訊ねる時はサラサラと筆で書いて筆談したという。
それぐらい日本人の漢字力はすごかったし、アジア全体でも漢字というのは世界文字だった。
ところが20世紀、戦後になるとこの漢字から離れる国が出てきた。
朝鮮半島はハングルに切り換えて、漢字をやめてしまう。
それからベトナムも漢字をやめてしまう。

「ハノイ」という街があるが、漢字で書くと「河内」。
河の内側にあるから。
それをベトナムの音では「ハノイ」と読む。
漢字で書くとベトナム語はほとんど理解できる。
だからもう一回復活したほうが良いのではないかと思う。
朝鮮半島のエリアは「ハングル」になる。
「ハングル」というのは「偉大な文字」という意味。

韓国では、一九四八年にハングル専用を定めた法律ができ、一九七〇年から漢字廃止政策が強化され、学校教育から漢字がほぼ消えました。(34頁)

 韓国では、「放水」も「防水」も──意味は全く違うにもかかわらず──、どちらも「パンス」と発音します。そのため、表音文字であるハングル表記では、同じ表記になります。放水するのか、あるいは逆に水を入らなくするのか、前後の文脈で判断することはできたとしても、単語を見ただけでは判断がつかないのです。「水」を「火」に代えても同じことがいえます。「防火」と「放火」は同じ発音、「パンファ」です。(35頁)

非常にある意味では不便だとは思う。
やっぱり「かなりまずいぞ」と思う人たちも国内にゆっくり増えてきたようだ。

二〇一四年、韓国で漢字復活の検討が報道されて話題となりました。二〇一八年から、小学三年生以降の国語の教科書には漢字を併用する可能性が出てきたそうです。(34頁)

見逃せないのが後漢以降の西方からの仏教の伝来です。(49頁)

後漢の時代は西暦で言うと25〜220年。
これはサンスクリット語、パーリ語。
(番組では「ーリー語」と言っているように聞こえるけど、この本の中では「ーリ語」。「ーリ語」というのでも間違いではないらしいけど)
このサンスクリット語で書かれた経典を漢訳する「漢字に直す」という大事業が漢の世の中で渦を巻く。
儒教が国の掟だった前漢から外来の思想「仏教」を取り入れる、初めての挑戦を漢はやった。
漢字での初めての試みで、もう一文字一文字このサンスクリット語を訳すために、ものすごく苦労している。

 まず中国人は、仏教を開いたとされる人がゴータマ・シッダールタとかブッダと呼ばれていることを知って、いろいろな当て字を考えます。−中略−その後、「佛陀」も現れ、定着していきます。
「佛」は当時すでに、ぼんやりしているものを意味する熟語として使われていました。「彷彿」の彿に通じたのです。
−中略−後代に「仏」という異体字も生まれます。(49〜50頁)

(番組では「佛」という字を仏を表すために新規に作ったような話になっているが、本の中では上記のような話になっている)

 それからお坊さんのことを「僧侶」といいます。元はサンスクリット語の「サンガ」で、集合、共同体を意味する言葉でした。このサンガに当てられたのが「僧伽」で(50頁)

たとえば「パンニャー」という言葉が入ってきます。知恵(智慧)という意味のパーリ語(サンスクリット語の俗語)です。これを漢訳するにあたって訳経僧の間で意見が分かれました。音で当てたい人は「般若」がいいだろうと言う。一方で、それでは意味がわからないではないかという意見も出ました。発音は全く変わってしまうけど「智慧」と訳すべきだという主張もあったのです。−中略−結果的にどちらも残ることになり、日本にもその両方が入ってきました。(50頁)

適切な意訳が見つからない場合には、新たに漢字をつくることさえもありました。
 たとえば「マーラ」という、釈迦の悟りを妨げる魔神がいます。さてどうするか。ラには「羅」が当てられました。「マ」には、悪いことを意味する文字を使いたい。発音では「麻」がぴったりなのですが、その意味を表すには弱い。そこで「麻」の下に亡霊の類を表す「鬼」を加えて、「魔」をつくってしまいました。
(51〜52頁)

 次の「ダーナ(dana)」は、面白い展開を見せました。
「ダーナ」とはサンスクリット語で「施す」「与える」「贈る」という意味です。インドのサンスクリット語やパーリ語は、インド・ヨーロッパ語族に属していて、元を辿ると英語やドイツ語、フランス語と同じ言語(祖語)だったと考えられています。よって単語によっては英語との類似性が残っているのです。「ダーナ」と共通の語源をもつ英語は、「ドナー(donor)」で、提供者の意ですね。
−中略−
 では中国人は「ダーナ」にどんな漢字を当てたか、といえば「檀那」の二文字です。
−中略−
 しかし、この檀那が日本に入ってくると、意味合いが変化していきます。檀那は檀那でも「うちのだんな」とか「そこのだんな」とか、さほど施しをしないような一般の男性をも指す言葉に変化していったのです。「檀」の字が面倒だと、「旦」だけを書くことも増えていきました。かくして、現在は常用漢字にも入っている「旦」を用いた「旦那」がすっかり定着するに至りました。
(52〜53頁)

日本にも漢字は入ってくるわけだが、入ってくると同時に、日本人はこの漢字を更に工夫していく。
日本人の最大の特徴は、筆記用具が発達して筆となっていって、漢字が楷書から草書になっていく。
その草書が略字化されていく。
そこからヒントを得て音のみのカタカナ、ひらがなが生まれる。

 カタカナとひらがなは、いずれも「仮名」という漢字が付いていることが示す通り、仮の文字です。名は字を指しました。では本当の文字は何かといえば、それは漢字でした。当時の日本人は、漢字こそが「真名」であるという意識を持っていたからこそ、仮名(かりのな→かんな→かな)と名付けたのです。(56頁)

漢字の面白いところは「漢民族以外の人たちも新しい漢字を創造してもいい」という、そんな伸びやかさがある。
昔は違う読み方をしていたのだが、中国は読み方は日本に習った。
「経済省」とか。
「経済」という言葉を作ったのは幕末から維新の人たち。
四文字熟語の真ん中を取って「経済」にしちゃって「エコノミック」に「経済」を当てた。
その当て方が日本人は抜群。
日本人は「西洋の言葉に漢字を当てていく」ということをやった時に。
それですごく分かりやすく理にも適っているので、中国はそういう官庁関係の名前は日本に習った。
日本だと「海上保安庁」というのを語感から向こうは「海警(かいけい)」と。
海警局の「海警」。
あの辺も日本の漢字の使い方をまねて「海警」として、「海軍」と分けたのだろう。
その辺のところは合理的。

漢民族以外の人たちも「法則を持って新しい漢字を作る」ということがもう発生当時からあった。
漢滅亡後、魏・呉・蜀が覇権を競うという三国志時代。

 たとえば北方には、鮮卑と呼ばれるアルタイ系の言語を使う騎馬民族が勃興します。−中略−この鮮卑族は、くつのことを「クヮ」のように発音していたそうです。一方、漢民族では「リ」(履)のようにいっていました。発音が全然違う。それでも漢字を使いたかった。ではどうするか。−中略−騎馬民族の鮮卑は革でできたくつを履いている。革を部首にして、旁を「化」とすれば表せるぞ。これらを組み合わせて「靴」として、「クヮ」と読ませればいいじゃないかと。(63頁)

もしかすると漢字という文明は、こんなふうにして周辺から流れ込むという、そういう創造的なエネルギーを刺激するという文明だったのかもしれない。
新しいものがドンドンできていくという構造を持っていたのかも知れない。

中国語には声調がある、ということでした。中国語を習ったことのある方は、四音の発生練習を何度も繰り返したことと思います。−中略−第一声がまっすぐで、第二声は右上がり、第三声は一度下がって上がる、第四声は下がる。(69頁)

四声は地方によって変わる。
だからものすごくややこしい。
故に「音」というのは中国人にとってはものすごく重大。
発音辞典も作られているぐらいこの「四声」に関してはうるさいのだが、これに方言が加わって地方によって全くまた発音が変わるので中国では言語・文字の統一がなかなかできない。
その上に発音は権力者の出身地に頼ることが多く、なおさらまた、まとめるのが困難。

愛ちゃん(福原愛)が結婚した時に、敏感な中国の卓球ファンの子なんかが「愛ちゃんの中国語の発音がちょっと台湾ぽくなった」と言った。
台湾の恋人と付き合っているので、中国で修行した時の発音と変わったそうだ。
彼とは台湾の発音で付き合っているから、やはり影響されたのではないか。
日本で言えば東北出身の愛ちゃんが「堪忍どすぇ」とかって言い始めたみたいな。
「あれ?関西なまり?」みたいな。
「ようわかれへんのんですぅ」みたいな。
(それは関西弁ではなく、舞妓さんあたりが使う言葉のような気がするけど)
「ええやん、そんなん」とかってポンって出る時がある。
それが中国語において愛ちゃんに現れたんじゃないか。
それぐらいやっぱりあそこは大変。
だから中国は漢字でまとまっている国で、発音ではまとまらない。

 日本は二千年ほど前まで、文字を持たない無文字社会でした。(80頁)

西暦100年あたりぐらいから漢字の有用性に気付いた日本人は漢字を学び始める。
その学び方は独特で漢字の「音」と大和言葉の「意味」を両方覚えちゃうという。
中国の人はその一文字を「サン」と読んでいる。
私達はその「サン」って言われているものは何かと指差してもらうと「あ、それは『山』だ。じゃあ『ヤマ』と『サン』をいっぺんに覚えちゃおう」というので音訓を併記していく。
両方とも覚えちゃう。
「富士の山(ヤマ)」と言う時と「富士山(サン)」と言うのを両方できるようになっちゃった。
この複雑さに日本人はよくぞ耐えたという。
考えたらやっぱりこれは大変なこと。
その上にどんどんややこしくする。

どんな「くま」をイメージするかによって、表現方法が変わってきます。(78頁)

熊が人を襲った場合、新聞に載る時の表記は漢字で「熊」。
地震から立ち直っていく熊本を報告するために人気キャラクターが登場する時はひらがなで「くまモン」。
(「くまモン」はクマではないらしいけど)
山にいる熊の頭数や食物の傾向を客観的に語る時はカタカナで「クマ」と表記する。
文脈、コンテンツによって漢字・ひらがな・カタカナをそれぞれ表記の表法を変えるという。
世界の歴史の中でこんな人類は珍しい。

漢字が入ってきた時代の発音をそのまま残している。
「呉音」とか「唐音」「漢音」。
つまり中国でその漢字を使っていた時代がある。
例えば「漢の時代」とか「唐の時代」とか「宋の時代」とか、これを全部そのまま残してある。
だからその漢字が日本に入ってきた時代の読み方を、そのまま遺跡のように残している。

大人(おとな)
ものすごい当て字。
どこを「な」と読むかと言われても困る。
小人(こども)
「ど」はどこにあるのかって言われても困る。
そんなことを言われると「そういう習慣なんだよ!」という。
そういう習慣を持っているというところが独特で面白い民族。

2016年12月31日

2016年9月19〜30日◆『面白くて眠れなくなる植物学』稲垣栄洋(後編)

これの続きです。

植物が持つクロロフィル(葉緑素)は、私たちの血液の赤血球に含まれるヘモグロビンとよく似ています。(112頁)

 また、人間には血液型がありますが、植物の中には、血液型の検査をすると、人間の血液と同じような反応をする物質を持つものがあることが知られています。(113頁)

たとえば、ダイコンやキャベツはO型、ソバはAB型になります。(113頁)

マメ科植物は根粒菌と共生している。
空気中の窒素を固定し、マメ科の酸素と交換。
この酸素を運ぶためにヘモグロビンを用いている。

 マメ科植物の新鮮な根粒を切ると、血がにじんだようにうす赤色に染まります。これがマメ科植物の血液、レグヘモグロビンなのです。(115頁)

玄米はイネの種子なのです。
 玄米には、胚という植物の芽になる部分と、胚乳という胚が成長するための栄養になる部分とがあります。胚が植物の芽生えになる赤ちゃんで、胚乳は文字通り赤ちゃんのためのミルクということになるでしょうか。
 玄米は、米のまわりに「ぬか」がついています。
(121頁)

 イネの胚乳の成分は主に炭水化物です。(122頁)

大豆の豆は、炭水化物に加えてタンパク質も持っています。(125頁)

 また、大豆には脂質を含みます。−中略−
 他にも食用油の原料を見ると、トウモロコシやヒマワリ、ナタネ、ゴマなどが用いられます。
(126頁)

これはたちまち世界に広がる力を持った植物であった。

 野生のムギは、子孫を残すために、種子をばらまきます。しかし、栽培されているムギは種子が落ちると収穫することができないのです。(151頁)

 種子が落ちる性質を「脱粒性」と言います。野生の植物はすべて脱粒性があります。しかし、少ない確率で、種子の落ちない突然変異が起こることがあります。−中略−
 種子が熟しても地面に落ちないと自然界では子孫を残すことができません。そのため、種子が落ちない性質は、致命的な欠陥です。
−中略−
 種子の落ちない「非脱粒性」の突然変異の発見。これこそが、人類の農業の始まりです。まさにそれは人類の歴史にとて、革命的な出来事でした。
(152頁)

 エジプト文明やメソポタミア文明の発祥地はムギ類の起源地でもあります。インダス文明の発祥地はイネの起源地です。また、中国文明の発祥地はダイズの起源地です。中米のマヤ文明やアステカ文明にはトウモロコシがありますし、南米のインカ文明にはジャガイモがあります。(153頁)

イネはインドにいるつもりで生きている。
芽を出して伸びている時は「ここはインドだ」という風景。
インダス川のほとりか何かのつもりで水っぽくしてあげると「あ、なんだインダスだ」とかって。
イネが育つ風景というのはインド的風景。

アニメに出てくるでっかい犬。
首にウイスキーの小瓶みたいなのをぶら下げた『フランダースの犬』みたいな。
(おそらくセントバーナードのことを言っているのだと思われるが、『フランダースの犬』は原作ではブービエ・デ・フランダース)
すごくでっかくなって成犬で80kgくらいになる。
それとチワワというのが同じ犬種なので、人間は際限なくいろんな種類を作りたがる。

受粉しなくてもそこのところを遺伝子操作で除いちゃって、生育と同時に身を付けてしまうトマトというのが四国の大学で発明された。
「遺伝子操作」というと「ちょっと気味悪い」というのが反応だが、遺伝子操作はもう避けて通れない。
人間は作ってしまったもので、そこの道をあきらめるというのは原子爆弾もそうだが、いかに難しいか。
トマトも受粉もしないのに実をつけるというのが「ちょっと気持ち悪いですね」とかって言っていたが、考えてみれば実に愚かな発言で、例えばバナナも種で育っているのではない。
果肉はもちろん、種を喰ってもらうための引き寄せの材料。
それで種を育てる分だけ実に回してしまうから、あのバナナの実が太くて美味しい。

フィリピンのバナナが全滅の危機にあって、中米ものが今、バナナの大半を占めている。

植物の体は、オスの精核とメスの卵子から一つずつゲノムを譲り受けて、二つのゲノムを持っています。これが二倍体です。−中略−
 ところが種なしのバナナはどういうわけか、ゲノムが三つになってしまいました。つまり、三倍体です。二倍体は二つのゲノムを半分に分けることができますが、三倍体は、三つのゲノムをうまく半分に分けることができません。そのため、種子が正常にできないのです。
(164〜165頁)

フィリピンのバナナは三倍体。
同じもので育ったので、滅びる時は全部同じなので、一人の人が風邪にかかったのと同じで、フィリピン中のバナナがそういうことになってしまう。
受精しなくても実をつけるトマトなんて気味悪いが、これでものすごく生産性が上がるかもしれない。
受粉はすごい。
あのちっちゃな花に腰をかがめて一つ一つ花粉を付けていかないと実が成らない。
あれをビニールハウスの中でやると、腰にものすごい負担のかかる重労働。
今、農村を支える年齢は滅茶苦茶上がっている。
60代。
その人たちにとってはものすごい朗報。
だからそういう植物の改変というのがあって、私達は植物の実を手に入れているわけで、簡単に「気持ち悪いよ」とか「天然が一番だよ」とかって言えないところに文明全体が来てしまっている。
その辺はやっぱり、毛嫌いせずに生きていかないといけないと思う武田先生。

世田谷のある一画に住んでいる武田先生。
数か月に一軒の割合でそこの家が突然消えて、空き地になって、フッと気が付くと別の家が建つという。
そういうサイクルに入っている。
武田先生の観察によると、とある一軒の家がなくなると、まずやってくる雑草がネコジャラシ。
人類が滅亡しても、日本はすぐ雑草だらけになる。
だから雑草にとってはすごく天国みたいなところ。

 ねこじゃらしは、正式名はエノコログサと言います。暑い夏の日、毎日水をあげている花壇の花や畑の野菜が萎れているのに、道ばたに生えているエノコログサは、誰も水をあげないのに元気に育っています。
 じつはエノコログサは特別な光合成の仕組みを持っているのです。それがC4回路という高性能な光合成システムです。
(168頁)

 C4回路は、自動車のターボエンジンに似ています。
 ターボエンジンは、ターボチャージャーで空気を圧縮して、大量の空気をエンジンに送り込んで出力を上げます。光合成のC4回路は、取り込んだ二酸化炭素を炭素が四つついたリンゴ酸などのC4の化合物にします。そして、それをC3回路に送り込むのです。つまり、炭素を圧縮しているのです。そして、そのためC4植物は、C3植物よりも高い光合成能力を発揮することができるのです。
(169頁)

 光合成をするためには、気孔を開いて二酸化炭素を取り入れなければなりません。しかし、気孔を開くと水分もそこから逃げ出してしまいます。一方、C4植物は、気孔を開いたときに取り入れた二酸化炭素を濃縮させるので、一度に、たくさんの二酸化炭素を取り入れることができます。そのため、気孔を開く回数を減らすことができるのです。(170〜172頁)

口を開けておくと口が乾くのだが、その口の開け方を工夫するのだろう。
肺活量がやたらデカいっていう。
加山雄三さんみたいなもの。
加山さんは若い頃、肺活量が4000以上あった。
3分間歌うのに1回吸い込んで「たったひとりの日昏に♪見あげる空の星くず♪君と僕の〜」という。
(正しくは「僕と君の」)

蒼い星くず



加山さんの真似をしても絶対に歌えない。
ベスト時の肺活量が4000真ん中くらい。
それでプールだったらだいたい3分間息継ぎなし。
その代り「泳がない」。
若大将は正直だから。
沈むだけ。
昔は武田先生も長かったのだが、今はもう3400くらいしかない。
昔、息が続いたので川に潜っていて「鉄ちゃんがおらん、鉄ちゃんがおらん!」とみんなが騒いだ頃、バーッと浮かぶと「死んど!」。
騒ぎを川でよく起こしていた。
でも、それでも全然加山さんには勝てない。
この加山さんの肺活量と同じように、ネコジャラシは肺活量があって、口を開けなくてもフワーッと吸い込む。

Hero



安室奈美恵さんはデリケートな花。
ブレスが多い。
「キャンユーセレブレート(ハアッ)」というのはやっぱり。
すごく動くせいか、ダンス踊りながらやっているせいか。
加山さんは動かない。
「たったひとりの日昏に♪見あげる空の〜」

シンクロ(シンクロナイズドスイミング)の鬼コーチ、鬼監督の檄。
日本代表の女の子たちを叱りつける。
競技が終わって尿検査がある。
終わったら同時に尿を調べる。
ちょっと品がないが、おしっこに行かなければいけない。
提出する。
それで結果を待つのだが、尿検査の結果が出た瞬間にあの監督さんが怒鳴った言葉が「何だ!一人も血尿出てねぇか!」と言ったという。
本文(本番?)の試合では、血尿を出すぐらいやらなきゃダメだ。
「練習量が足りないからこんなことでバテてるんだよ!」って言ったら、とある選手がカーッとなって「私達死ぬ気でやってます!監督」と言ったら、あの監督さんが「死んでねぇじゃねぇか!」と言ったという。
でも、それで銅(メダル)。
金を獲ったロシアは才能で獲っているのか?
そうではない。
本当にロシアは練習が極限までいっている。
日本代表の選手は12時間練習する時に、水中で飯を喰わせる。
プールサイドまで持ってこさせる。
水から上がらせない。
ロシアは日本が12時間だったら、公開していないが、あの監督さん曰く「24時間漬けてる」。

ロシアのシンクロの選手たちは練習に関してはもうほとんど魚扱いで、とにかく滅茶苦茶やらされているんじゃないかという。
NHKのオリンピック特番で観たのだが、もうロシアのシンクロの女子たちの体は体が違う。
練習によって内蔵が変わっている。
多分脾臓だったと思う。
脾臓という臓器がある。
そこが息をしているという話。
肺に息を吸い込む。
その酸素でしばらく水中で泳いでいる。
それを出し切る。
その後、出し切るっていう肺に負荷をかけると「死んじゃう」と思った瞬間に緊急用として酸素ボンベとして脾臓を使う。
だから水中でロシアの選手は長く活動できるそうだ。
そうじゃないとあの技はできない。
そこをあの監督さん(日本の監督)は狙ってらして、練習でくたびれたどころじゃない。
「この人は殺す気か!殺されてたまるか」の向こう側まで行かないとロシアに金(メダル)で臨むことは不可能だそうだ。

オリンピック特番は民法がNHKとは違う角度で、バラエティタレントさんとオリンピック選手を並べておいて娯楽で見せてくれる。
あの時に柔道で金メダルを獲った○十キロ級の選手を吉田沙保里が半分体を動かした。
一本とかではない。
でも体を返すということに関しては吉田沙保里は可能なのだ。
柔道の金メダルの選手の体が動くくらいひっくり返せる。
オリンピックの選手の持っているのが「スーパー」じゃなく「ハイパー」。

卓球。
あんなちっちゃいピンポン玉が見えるわけがない。
「生存の向こう側」まで行っちゃったら、ああいうことに適応する。

サボテンというのは何者かというと、植物の中でも、もうすっかり「限界の向こう側」に行っちゃって、砂漠というところに適応するためにアイツは昼間眠っている。
それで炭素を蓄えて夜、光合成という、そういう仕事をするという。
いわゆる「ラクダ型」の植物。
何気ないのだが、植物も様々生存のために進化を考えている。
光合成というのはあの薄い葉っぱの中で糖を作る。
私共人間はできない。
糖を取り入れないと生きていけないのだが植物というのは独自で、何も食べなくても自分の体の中で太陽と水と二酸化炭素で糖を作っていって、それで食事をしている。
やっぱりすごいなと思う。
何かを捨て、捨てた代わりに何かを拾う。
それを戦略にしたのが植物。

ツル科。
これは根をあきらめて他に絡むことで上を目指す。
例えばブドウ科の蔦も、朝顔、ニガウリ。

このらせんをよく見ると、途中で向きが反転しています。ひっぱられた場合も、この形であれば、ねじれてちぎれにくくなっているのです。(180頁)

植物は生物を呼びつけた生き物。
一番最初に地球上に適応した生き物というのは植物。
もちろん海ができて陸が出来た後。
まず植物たちがゆっくり占領していって、その準備ができて酸素だらけにしておいて、酸素で呼び寄せたのが植物。
「準備ができたよ」と海の中の生き物を呼んだのだろう。
そして仕事を与えた。
それは「これからはアンタ、二酸化炭素を吐きな。俺、酸素吐くから」っていう交換条件で、地球っていう環境を整えたのだろう。

台風が来るともちろん台風で死者も出るワケだから。
武田先生がいつも思うのは上陸台風が今年頻発した。
死者も出たし本当に甚大な被害をもたらしたが、やっぱり何か理由があって台風が巻いているんだろう。
あれくらい海を混ぜないと、海水温が上がりすぎるということに関して「とにかく混ぜるんだ」という。
そうやって考えると台風にも役割があって、そんな気がする。
「仕事をヤツもしてるんだ」と思いつつ「付き合って行こう」という。

 キウイフルーツにはメスの木とオスの木とがあります。−中略−
 イチョウにもメスの木とオスの木とがあります。
(182頁)

一つの花の中に雌しべと雄しべがあると、自分の花粉で受精してしまう危険性があります。そのため植物は、自分の花粉では受精しないような仕組みを持っています。−中略−
 植物の花は、雄しべよりも雌しべの方が長いものが多くあります。
−中略−
 また、雄しべと雌しべが熟す時期がずれているものもあります。
(184頁)

これとは違ってイネなどはたくさんの花粉を作るよりもたくさんの実を作ることに特化した植物で、自家受粉によって全ての実をたくさんつけることを選んだ食物。
これはいろんな多種多様な生き残り方を目指したという。

植物はセルロースというブドウ糖の細胞壁で身を守る。

 セルロースは強靱なので、哺乳動物は植物繊維を食べても分解することができません。−中略−
 残念ながら、人間は牛や馬のようにセルロースを体内で分解して利用することができません。しかし、植物が持つ繊維は人間の健康にも良いと言われています。
−中略−
 人間が食物繊維を食べると、それを餌とする乳酸菌やビフィズス菌などの腸内の善玉菌が増加し、腸の調子を整えます。
(196頁)

食物の重大さは作られた物が土に戻ってゆくこと。
つまり植物が「エライなぁ」と思うのは、植物が作った物は全部土に還る。
太陽とエネルギーの化身で、地球への負担を植物はかけない。
それに比べて人間というのは生存のためにすごい地球に負荷をかける。
だからこの著者が仰っているが「自然の本当の支配者は植物なんだ」という。
(本の中にこの表現を発見できませんでした)
人間というのは、そういう意味では非常にゴミを多く出し過ぎる。
だから「植物を見習うことなんだ」という。
こういうことで文章が締められてゆくワケだが、ちょっと武田先生が一つ言い返している。
「でも先生、花が美しいと思った生物は人間だけです」

(ぽかんと花を眺めながら、人間も、本当に良い所があると思った。花の美しさを見つけたのは、人間だし、花を愛するのも人間だもの─太宰治)

女生徒 (デカ文字文庫)



太宰治。
学生の頃「うまいこと言うな」と思った武田先生。

 美しいチョウチョウを見ても、中には気持ち悪いという人もいますし、また、可愛い子犬を見ても怖がる人もいます。しかし、植物の花が嫌いだという人は、あまりいないのではないでしょうか。(203〜204頁)

花というのは、そういう意味では人間の深いところに根差した何かを持っているのだろう。
「癒しの力」みたいなのを。
この「花」という漢字を作った人もうまい。
「草」が「化けた」という。
昨日まで草かと思っていたヤツにパッと花が咲くと「あ、草が化けた」っていう、そう叫びたかったのだろう。
この「花」という字は武田先生が非常に好きな字。
素朴だが実直に花の形を見事に文字にしているような気がする。

2016年9月19〜30日◆『面白くて眠れなくなる植物学』稲垣栄洋(前編)

果物というのも見つめるとなかなか面白いもので、彼らもやっぱり必死になって生き残っている。
木村秋則さんが『奇跡のリンゴ』の中でしきりに仰っていて、リンゴというのは本当に変わっている。

奇跡のリンゴ―「絶対不可能」を覆した農家 木村秋則の記録 (幻冬舎文庫)



今週まな板の上に置いたのは『面白くて眠れなくなる植物学』。
いろんな果物、果実、それから作物。
そういうものの特色が書いてある。

面白くて眠れなくなる植物学



一週間くらい前にものすごいニュースをやっていた。
「受粉しなくていいトマト」という。
研究の現場から:ゲノム編集で農家の負担減 /四国 - 毎日新聞 この件かと思われる)
トマトは手間がかかる。
ビニールハウスで雌しべ雄しべで粉を振っていかなければいけないのだが、それで四国の大学が考えたのは遺伝子の中で、そこのところを切ってしまって、受粉しなくても実が成るようなトマトというのが実験の結果できた。
そういうDNA配列をいじる。
それからフグもやっていた。
2倍速で育つトラフグ ゲノム編集で | NHK「かぶん」ブログ:NHK
京都大学が近大マグロに対抗して、養殖物のフグなのだが、太るのが倍のスピード。
人間もそうで「メタボ遺伝子」というのがあって、それがある故にたくさん喰っちゃうという。
食欲中枢のストッパーが緩い人がいて、放っておくとずっと喰い続ける。
そういう人たちに食欲ストッパーのきつい遺伝子を入れると、ピタッとご飯を食べるのをやめちゃって肥満が治まる。
その逆をフグにやって、食欲を抑えるという遺伝子を遺伝の段階から切ってしまう。
そうしたら一年か二年かかるのが半年でその倍ぐらいに大きくなるので、フグがものすごく安くなる。

柿の実は大きな種を包むように果肉がある。
ミカンも袋には分かれているけが、袋ごとにミカンの果肉がある。
この柿やミカンは種を包む子房を果肉にして動物を誘う。
喰われて種を運ばせる。
ところがリンゴは違う。

 じつは、リンゴは子房が肥大してできた果実ではありません。リンゴの果実は、花の付け根の花托と呼ばれる部分が、子房を包み込むように肥大してできているのです。−中略−
 じつは、私たちが食べ残す芯の部分がリンゴの子房が変化したものです。もともとは子房を守るためのものでしたが、やがて、食べられて種子を拡散させるための果実として発達させました。しかし、種子を守るはずの子房を食べさせるは、リスクもあります。そのため、リンゴは、花の台を食べさせる果実に変化させて、子房は再び種子を守るようになったのです。
(48〜50頁)

リンゴは「運ばれてから喰われる」ことを目指した。

イチゴもよくよく見ると奇妙な果実です。イチゴのつぶつぶは、イチゴの種子です。(50頁)

これはサクランボも同じ。
かくのごとく、喰われることにおいてもいろんな喰われ方をして種を運ばせるという工夫を果物はしていると思うと、やっぱり秋の果物を眺めつつも「生存戦略」という、そんなものを果物が持っているのだと思えばちょっと見方も変わる。

 植物の茎につく葉の位置は、このフィボナッチ数列に従っています。
 植物の茎は、光が満遍なく当たるように、少しずつ葉の位置をずらしながらつけていきます。葉のつき方は「葉序」と呼ばれます。どの程度の角度でずれるかは植物の種類によって決まっています。
 たとえば三六〇度の1/2の一八〇度ずつずれるものがあります。あるいは、1/3の一二〇度ずつずれるものもあります。これは、葉っぱを下から三枚数えると、一周回って元の位置に戻ってくることになります。次に2/5の一四四度ずつずれるものもあります。
−中略−他にも3/8の一三五度ずれるものもあります。(18〜20頁)

「1、1、2、3、5、8、13、21」という数列には、前の二つの数値を足した数が並んでいくという規則性があります。−中略−
 この数列は、フィボナッチ数列と呼ばれています。
 何ともひねくれた数列のように思われますが、じつは自然界には、この数列に従っているものが、たくさんあります。
(17頁)

 じつは植物の花びらも、一六頁で紹介したフィボナッチ数列に従っているのです。(25頁)

 ユリの花びらは六枚あるように見えます。ところが、実際にはユリの花びらは三枚です。ユリは内側の三枚が花びらで、外側の三枚は、ガクが変化したものなのです。花びらの枚数は、ユリが三枚、サクラが五枚、コスモスが八枚、マリーゴールドが一三枚、マーガレットが二一枚、デージーが三四枚(24頁)

植物は自然界の中で、その姿形を数学に従って作り上げていくという。
だから花と葉は太陽に対して最も効率のよい姿。
ただの造形ではない。
太陽の光線に関して最も敏感に反応できる姿形があの花の形なのだ。
太陽光発電のパネル板を横に並べるのが苦手な武田先生。
横に並べずに花のような形にならないものか。
花びらも含めて、花こそまさしく太陽光パネル。
ひまわりなんか太陽の方角を目指して動く。

武田先生の家の真ん前のモテギさんがお庭に月見草を植えてらっしゃる。
この人は近所でも「花咲か婆さん」と有名で、もう大輪。
月見草は普通は2〜3cmと小さい。
モテギさんはカップのフチ。
6cm。
普通の倍以上。
モテギさんに「何でお宅だけ月見草、こんなに大きく育つんですか?」「知らな〜い」。
月見草に間違いない。
(単に「オオマツヨイグサ」っていう大きい種類のヤツが生えているだけなのではないかと思うのだが)
もうファンが通りにいる。
夜になると枯れちゃうんで、それを引っ張って落としておくとまた新芽が出てくる。
明日も見たいから、そこを散歩する人でちぎってくれる人がいる。
ご本人もやってらっしゃる。
それはやっぱり月の光に反応するための造形、フォルム。
ひまわりにしても朝顔にしても、みんなそれぞれ。
太陽光パネルを横に並べるだけって、そんな。
樹木の形をした太陽光パネル。
一枚がちっちゃなメンコ位の大きさなんだけど、それがポプラの木のように立っているとか。
中央のセンターにエネルギーが落ちていくとか、蓄電できるとか。
何かそういう工夫はできないか。

花に様々な色がある。
しかし花の色は全て「受粉」、いかに虫を呼び寄せるかの繁殖戦略のための色。
それ以外に「思い」で花に色がついているわけではない。

 たとえば、春先にはナノハナやタンポポなど、黄色い花がよく目立ちます。黄色い花はアブが好む色です。アブは、まだ気温が低い春先に、最初に活動を始める虫です。そのため、春先の花はアブを呼び寄せるために、黄色い色をしているのです。
 ただし、アブには問題があります。
 ミツバチのようなハチは、同じ種類の花々を飛んで回ります。ところが、アブはあまり頭の良い昆虫ではないので、花の種類を識別することなく、さまざまな花を飛び回ってしまうのです。これは植物にとっては、都合の悪いことです。
 ナノハナの花粉がタンポポに運ばれても、種子はできません。
(29頁)

 春先に咲く花は、まとまって咲く性質(群生)があります。集まって咲いていれば、アブは遠くへ行くことなく近くにある花を飛んで回ります。(30頁)

 ミツバチなどのハチは、植物にとっては、もっとも望ましいパートナーです。(30頁)

 蜜をたくさん用意してしまうと、他の虫も集まってきてしまうのです。せっかくハチのために奮発して用意した蜜を他の虫に奪われたのではかないません。(31頁)

 一方、ミツバチは紫色を好みます。(30頁)

 古い花の形を残しているのが、モクレンの仲間と言われています。−中略−モクレンの仲間は、上向きに咲いて、雄しべや雌しべがごちゃごちゃと無数に配置されています。そしてコガネムシが動きやすいようになっているのです。(40頁)

花びらの先が紫という「紫モクレン」。
(番組では「ムラサキモクレン」と言っているが、調べてみたら「シモクレン」のようだ)
これはモクレンの中でも「ハチに仕事をして欲しいなぁ」とパートナーを変えた花が紫モクレン。
これも綺麗。
北国の人から聞くと、この手のモクレン系の花に対する思いはすごく深い。
千昌夫さん。
「はるかぜ〜やま〜♪」
(『北国の春』の一節かとも思ったが歌詞が違うので不明)
あの歌を作った作詞家さんと話している時に、彼が自分の故郷である北国の情景を語っていくのだが、その中で「いいなぁ」と思ったのは「黒い土が僕たちにとっては春でした」という。
庭に降りていって長靴を履いて雪を蹴っ飛ばして丸く円を描く。
黒い地面が最初、長靴の子供の足ぐらいなんだけど、次の朝起きるとそれが倍に広がっているという。
その黒が広がっていく庭の地面というのが「僕にとっては春でした」と聞いて、こういう北国の人たちのハクモクレンとかコブシの花に寄せる思いというのは、そうなんだろうなぁと。
青空を背に白が咲くと、胸がはずんだのだろう。

 恐竜が繁栄したジュラ紀の地球には、巨大な裸子植物が森を作っていました。ところが恐竜時代の最後の時代である白亜紀になると、きれいな花を咲かせる草花が進化を遂げていました。これが被子植物です。(42頁)

裸子植物は「胚珠がむき出しになっている」のに対して、被子植物は「胚珠が子房に包まれ、むき出しになっていない」と説明されています。(43頁)

胚珠がむき出しで、これは今でいうと松の木のようなもの。
松ぼっくりがある。
そこからいきなり種を蒔いてしまう。

 たとえば裸子植物のマツは、花粉が到達してから受精までに一年もの期間を必要とします。これに対して、被子植物は花粉が雌しべについてから、早いもので数時間、遅くとも数日中には受精が完了します。(44頁)

 受精が早く進むということは、それだけ世代を早く更新することができます。そして世代更新が進むことによって、進化のスピードが速まったのです。(45頁)

 被子植物は世代更新をしながら、さまざまな進化を遂げていきました。そして、食害を防ぐためにアルカロイドという毒成分を身につけたのです。トリケラトプスなどの恐竜はそれらの物質を消化できずに中毒死を起こしたのではないかと推察されています。(46頁)

ジュラシック・パーク(字幕版)



一番最初に公園でお腹を壊して唸っていて「こいつが俺の子供時代の一番の憧れの恐竜なんだ」と博士が近づいて行く恐竜がトリケラトプス。
これは巨大な星が落ちてきて滅んだという説と、もう一つ説があって、被子植物がバーッと増えることによってアルカロイドの中毒で草食系の恐竜が全滅したんじゃないかという。
(番組中「アルカイド」と言っていたりするが、多分「アルカロイド」)
草食系の恐竜が絶滅すると肉食系はエサが無くなって自然と自滅した。
隕石がぶつかったという説の方がかなり今、有力視されているが、かつては「糞づまり」で全部死んじゃったっていう。
ある意味で植物によって全滅させられたという説もあった。
植物は毒を持つということだが、毒に適応する、それが生き物に必要だった。

人間は凄まじい。
いろんなヤツに喰われながら、タフに生きていって、やがて尻尾を落としてサル系になってという。
サル系からやがて類人猿になって、類人猿からヒトになっていく。
ヒトになったサルの凄まじさ。
人間は最初を辿ると「憐れ」。
最初は森で暮らしているのだが、偏食のサルでどうしようもなくて、すぐに滅びるために生まれてきたようなサルが人間。
他のサルは葉っぱを喰えるのだが、セルロースって葉っぱを喰えないので。
セルロースは植物の中にある繊維。
それで他の植物を喰わなきゃ仕方がないというので、木の実か何かやっていくうちに別の能力で草原で生き残っていったというのが我等人間。
人間が人間になって、セルロースは喰えないのだが、毒を持った植物と付き合う。
毒を持った植物を飲んだり食ったりしはじめる。
それを薄めるという知恵がついちゃう。
トリケラトプスというサイに似た恐竜を中毒死させたアルカロイド。

 カフェインは、アルカロイドという毒性物質の一種で、もともとは植物が昆虫や動物の食害を防ぐための忌避物質です。(74頁)

このカフェインか何かいっぱい含んだ豆を挽いてスターバックスを作ってみんなで飲んでいるというから、トリケラトプスからすると無念。
「何で俺たちゃスターバックス作らなかったんだろう」という。
「お持ち帰りにしますか?」とかって。
薄めてうまく利用すれば・・・。
「興奮」という毒を調理で工夫して弱めて目覚めのランクに。
そういうランクにとどめて飲むことを人間というサルは利用して飲むことを覚えた。
トリケラトプスにとっては中毒死させる毒の一種であるカフェイン。
それを男女で「夜明けのコーヒー二人で飲もうぞ」と言いながら「ズンタタ♪ズンタンタン♪」とか言っているワケだからとんでもないサル。

ハーブティや香辛料、薬草などに含まれる成分の多くは、もともとは植物にとっては身を守るための毒性成分です。(75頁)

ココアと同じカカオの実から作られるチョコレートにもカフェインは含まれています。また、カカオと同じアオギリ科にはコーラと呼ばれる植物がありますが、このコーラの実がコーラ飲料の原料です。(75頁)

トウガラシの辛味成分であるカプサイシンや、ラン科植物であるバニラの実に含まれるバニリンも、人間を魅了する植物の毒性物質です。(75頁)

お茶も毒。
毒なのだが、クサカンムリ(艹)を乗っけて「薬」にしたという。
毒の部分も相変わらず植物にある。
それが芸能界を騒がしている、いわゆる「アッチ系」のオクスリになる。
この辺はやっぱりトリケラトプスからすると無念だったろうと思う。

 地球に生命が誕生した三十八億年前には、動物と植物の違いはありませんでした。(105頁)

共に小さな核を持つ生物だったが、植物はその真核生物がシアノバクテリアを喰い、葉緑体を形成する。
葉緑体を体の中に。
それで自ら糖を作り出す能力を持つ。
葉緑体は細胞のDNAと違い、自ら増える能力を持った。
これはやはり葉緑体というのは強力な生命。
もう人間も植物みたいになるといい。
皮膚の中に葉緑体があって、太陽を浴びるとお腹がいっぱいなっちゃうという。
「うわー、喰った喰った」とかって言いながら。
その代り全身は真緑になっちゃうのだろう。
でもそういうSFがあった。
半村良の著書で人間がゆっくり植物になっていくという。
(『妖星伝』かと思われる)
性格もすごくおとなしくなっちゃう。
それで皮膚の中に葉緑体「クロロフィル」があって、太陽を浴びると食べていけるから働かないし、戦いが無くなる。
それでみんなでゴルフ場の離れに住んでいるという。

葉緑素は光合成をするために、主に波長の短い青色と波長の長い赤色や黄色の光を利用します。そのため、これらの色の光は、葉緑素に吸収されてしまいます。そして、その中間の緑色の光は、光合成にはあまり利用されないので、吸収されずに反射するのです。−中略−
 葉緑素は青色と赤色、黄色を吸収して利用し、緑色の光は反射します。そのため、私たちの目には緑色に見えるのです。
(109頁)

2016年12月05日

2016年5月30日〜6月10日◆『すべてのJ-POPはパクリである 現代ポップス論考』マキタスポーツ(後編)

これの続きです。

「J-POPは工業製品である」と言い切るマキタ氏。
ヒットの要因としては「カノン進行」他、「クリシェ」というような技法も使われている。

ここでは「クリシェ」という音楽の編曲技法を使っています。これは同じコードが続いているときに単調なコード進行のパターンを避けるため、和音の構成音の一部を規則的に変化させていく方法です。−中略−この後のサビに向かって「翼が広がる」わけです。(55頁)

コール&レスポンスを必ずとあるブロックに差し入れる。
J-POPが、もう今滅びてしまったフォークの連中から学んだこと。
(という記述は本の中には発見できず)
その滅び去ったフォークから盗んだ技法として「シンプルフレーズ」をしつこく繰り返す。
そして会場一体感。
とあるフレーズを印象づけて、ライブでコール&レスポンス。
武田先生たちは必ず10曲歌うと1曲だけ「コール&レスポンス」とは言わないが「シングアウト」と言っていた。
「遠い〜世界に(遠い世界に)旅に(旅に)出ようよ〜」という。
これが「売れる一つの要素になりうる」。
だから曲の中にコール&レスポンスを必ず入れておけと。
フォークの連中はしつこく「人間なんてララーラーララララーラー」。
「『人間なんて』とかっていうシャウトはダッせぇ、ダッせぇ。もっとクールにコール&レスポンス」
そのためには重要な歌詞「日本語」なんて入れる必要はない。
「スキャット」でいいのだ。
「ララーラララーラララーハイ!ラララー」
これを繰り返すことによって一体感を会場に与えつつ、とあるフレーズを印象づける。
このためには「コール&レスポンス絶対必要な要素だぜ」。

「グッズを売りたいから」。つまり物販対策です。−中略−
 コール&レスポンスでボーカルに観客が煽られ、皆で肩を組んで大合唱すれば汗もかいてタオルも必要だし、一緒に同じ歌を歌っていればメンバーが着ているのと同じTシャツを着たくもなるでしょう。バンドの大ファンであれば、このパートを予想してライブ前にタオルやTシャツを購入しているし、そうでなかった客も終演後、ライブの一体感の余韻を家に持ち帰るためにグッズを買ってくれるはずです。
(59頁)

コード進行・歌詞・楽曲構成。
ヒット曲っぽい曲はできる。
ここまで「製品」で、ここから「営業」の技術が必要になる。
それが製品の「オリジナリティ」。
何も「アーティスト」というような才能を誇ることではなくて、例えばこの歌。

トイレの神様(DVD付)



 植村花菜さんの大ヒット曲『トイレの神様』は、彼女の個人的なおばあさんとの思い出を歌ったものです。(65頁)

 つまり、「超個人的なことが意外に普遍性を獲得する」ということを私は言いたいのです。別にトイレに神様がいようがいまいが関係なく、リスナーは『トイレの神様』の歌詞世界を、自分のおじいさんやおばあさんとの過去の思い出に置き換えて共感することができるわけです。(66頁)

オリジナリティっていうのは、何も才能じゃないんだ。
私の事情。
「今、バラドルと恋をしてます」とか、そういうことをあえて歌の中に短く「ラララ」で入れる。
そういうことが観客を盛り上げるという。
それから今で言うと「サンキュー、スプリングセンテンス(文春)」。
そういうことをパッと言ったりすると、聞き手の方にとってはそこに個人の事情を受け取るという「とある感動」。

その中でうまく先人の知恵や情報を編集し、さらにオリジナリティー成分を入れれば、他人に有無を言わさぬような素晴らしい作品世界だってできるわけです。(71頁)

 オリコンの集計は1968年に始まりましたが、オリコンが刊行するチャートブックや白書などの書籍を調べてみたところ、これまでに売り上げ100万枚を記録したヒット曲は2013年12月17日現在で258曲ありました。−中略−なんと259曲のうち173曲が1990年代にミリオンセラーを達成しているのです。割合にすれば、66.8%に上り、異常にヒット曲が多いことは一目瞭然です。(75頁)

いかにミリオンセラーが昔、多かったか。
今は100万枚は大変。
武田先生のミリオンセラーの思い出は二つ持っている。
そういう意味で幸せな人生を歩いている。
わかりやすい例で言うと『贈る言葉』がオリコンも含めて10週連続でトップを取った。

贈る言葉



前後がすごい。
化け物みたいなヒット曲が上下にあった。
特にもう一曲のミリオンセラー『母に捧げるバラード』はミリオンを行っているのだが1位ではない。

母に捧げるバラード(海援隊)



宮史郎全曲集 女のみち



こっちが100万枚を超えて「やった!」と握りこぶしを上げても向こうが200万枚を超えている。

CDが生産されるようになったのは1982年ですが、その当時のCDプレーヤーは16万円や18万円もするものでした。同時に発売されたソフトも全メーカー合せて60タイトルほどしかなく、1枚の価格も3500円から3800円だったそうです。(77頁)

CDは恰好をつけるためのアイテムだった。
音楽メディアはレコードが王道だった。
それは大人の趣味の頂点だった。
日曜日にレコードを聴くというのが娯楽の1位になったことがある。
紅茶を飲みながらフォークソングを聴いたりすると「俺って贅沢してるなぁ」と思ったものだ。
そこから80年代にCDが登場して、もうCDにブワーッと傾斜していく。
CDが登場して、若い女の子がCDに飛びつく。
そこからCDは急速に成長し始める。
音楽の多様化によって、ここからサザンを先頭にJ-POPが。
忘れもしないがサザンというのは「やった!若いヤツもこういうヤツも出てきたんだ」。
最初はコミックバンドだった。
これは阿久悠の歌の歌詞をはっきり言ってかっぱらったような『勝手にシンドバッド』という。

勝手にシンドバッド



『勝手にしやがれ』と『渚のシンドバッド』を二つ抱き合わせしたような。
「へぇ、面白いヤツ出てきたな」「コイツら面白いなぁ」と思ったら『いとしのエリー』。

いとしのエリー



このサザンがJ-POPの王者の道を登り始めると同時に、日本の演歌、歌謡曲界はゆっくりと斜陽に入って行く。
武田先生達フォークも「滅びた世代」、シングアウトをやっていた世代。
「あの素晴らしい(あの素晴らしい)愛を(愛を)」という。

この過程の中でJ-POPというのはマニア化、インディーズ化していく。
マキタ氏は「そこからJ-POPは小粒化した」と言っている。
ポピュラー化するよりも先鋭的なファンを求めての音楽活動。
「先鋭化した」と言った方がいいと思うが、マキタ氏は「小粒化した」。
あれほど浸透し皆の憧れだったCDだったが、あまりの丈夫さゆえに「レコードほど大事に扱わなくていい」ということで、だんだんとCDそのものが「廉価」安物扱いされるようになった。
レコードはすごく大事に扱った。
日曜日の午前中なんかにスプレーをかけて、それを磨いたりするのが「俺って贅沢」と思っていた。
紅茶を飲みながら。
紅茶にレコードにかけるスプレーの霧が浮かぶぐらいたっぷりかけていた。
それでも「俺って贅沢してる」と思った。
CDは普及が急速に進み、その値段をものすごい勢いで下げていく。
CDは何とエロ本の付録に付いてくるようになる。
付録でパンティーと一緒に入っている。
パンティーの横にくっついているオマケになってしまった。
このあたりからJ-POPそのものが変質した。

音楽の番組そのものがテレビから消えていく。
そうすると一斉にインディーズ化する。
マニア化していく。
小粒化した。
「いろんな人にうけなくて、もういいんだ」「俺たちの音楽は俺たちが好きな人だけ聞いてくれればいいんです」「爺さん婆さん聞かなくていいよ、あっち行けよ」という。
こういう先鋭化が始まった。
CDそのもの。
あれほど売り上げ、弱電メーカーが必死になって一つの世界を形成していた音楽業界。
音楽というものがシーンそのものを作れなくなる。
そこでCDを売るための方法というのが、アイドルイベントという一本道になってしまう。
そこに全てのグループが参入していく。
「アイドル」「ジャニーズ」「アニメ」「ビジュアル」に集中していく。
つまりそれはどういうことかというと「アイドルになるか」「ジャニーズに入るか」「アニメで生きていくか」「ビジュアル系になるか」この四つの道しかなくなったという。
で、主流は何か?

上位のほとんどがAKB48関連、あるいはジャニーズ関連で占められています。(89頁)

 ところが、2008年にperfumeがシングル、アルバム、DVDでオリコンチャート1位を記録−中略−音楽不況の時代に、彼女らがスターダムになっていく様子は世の中をも巻き込んで「perfume現象」とまで呼ばれました。−中略−
 perfumeが「音楽的に面白い」のは、彼女らは歌手にもかかわらず「生の声を届ける」ことをしなかったことです。歌声が「素材」として加工されたものが音源化され、ダンスパフォーマンスを重視するために口パクでライブを行いました。
(92〜93頁)

AKBはイベント化した。
CDはそのイベント参加のチケット、つまりチラシになった。
イベントに参加するためにはCDを「チケット」で買う。
そうするとこのチラシそのものが有料で、それを買わない限りイベントに参加できない。
そのCDというチケット「有料チラシ」を買うと、メンバーのセンターを選べたり握手会で握手ができたりするという。
マキタ氏はAKBに関して欠かせないのが「卒業である」と。
「絶対に卒業しないとダメなんだ」「ずっといると人気がどんどん落ちていくんだ」と。
そういう意味で今までのアイドルとは全く違う。
つまり彼女たちは終わることを前提にして、終わることを目指してアイドルを演じている。
「終わることを目指す処女集団、それがAKB」

これに対してジャニーズはAKBとは違って一つの事務所「ジャニーズ」に所属することが特徴。
AKBはいろんな所属だが、ジャニーズは「ジャニーズ系」と言われるところはジャニーズに所属することが特徴で、この集団は売り方がディズニーランドと同じ。

ジャニーズの場合は各グループの「ジャニーズっぽさ」という統一感をもたらしているのは、ジャニー喜多川さんの「審美眼」なのだと思います。ディズニーランドもジャニーズもこういったカリスマの存在により、一つの世界観がつくり出され、そしてそのブランドイメージが守られていっているのです。(108頁)

「疑似愛のカタログ化」がジャニーズ。
だから「ジャニーズ」というパンフレットを広げるとお好みのタレントさんたちがパーッと並んでらして、自分の好きなアトラクションの主人公「これが私のミッキーよ」「ミニーよ」という子を選べるという。
それがジャニーズによる「ジャニーズランド」。
考えてみたらジャニーズってかぶらない。
結構武田先生の(『金八先生』内での)教え子がいる。
時々会うと話すのだが、農村に出て行ってダイコンを抜いたりなんかしている人たちとか、いろんな食堂に行って余り物を貰って飯を作るとかというグループもいれば、舞台を懸命にやっているグループもいれば、テレビで番組のバラエティ転がしをやっているグループもいれば、本当に皆がジャニーズという「ランド」の中で「自分」というキャラクターをいかに作るかという。

アニメの基本は「懐メロ感」。
味付けが懐メロ感。

残酷な天使のテーゼ/FLY ME TO THE MOON



『エヴァンゲリオン』のテーマ『残酷な天使のテーゼ』。
この大仰な始まりは子供の頃に聞いた『月光仮面』に似ているような気もする。

月光仮面 [DVD]



歌詞もカッ飛んでいる。
どこの誰かは知らないけれど
誰もがみんな知っている

ものすごく難しい文法で始まる。

次の3つの要素を持っているのがビジュアル系だ、と定義しています。
・キメ(音楽的アトラクション)
・カオ(ファッション性)
・ヒモ(経営の特徴)
(122頁)

歌いながら「クレナイのぉ〜」と言いながら最高音を歌いながらキメる。
もう一つが「ヒモ」。
ヒモ感覚を刺激しないとダメ。
「ボトル、やっぱ入れよう」とかっていう気にさせないとダメ。

 あるビジュアル系バンドのツアーに帯同したときのことです。そのバンドは個人事務所を構えていて、事務所の社長は女性の方でした。そして会場でバンドのケアをしているスタッフもすべて女性だったのです。−中略−
 彼女たちが入ってきたのをきっかけに、地味な男たちの一人がものも言わずに鏡の前にちょこんと座ります。すると、女性スタッフたちがバーッと彼に寄ってきて、髪を整え、メイクを施し始めたのです。
−中略−
 その後、彼女たちは流れ作業のようにメンバーたちを次々とビジュアル系に仕立て上げていきました。
(128〜129頁)

物販で何が売れるかまで全部彼女たちの裁量に従うバンドじゃないとビジュアル系は務まらない。
目指しているものは「非日常」。

象徴的なのが、LUNA SEAがファンのことを「スレイブ(奴隷)」と呼んでいたことでしょう。客なのに「奴隷」と呼ばれる。この倒錯したSM的世界観。それに喜ぶファン心理は、まさにSMの世界と同じといえるでしょう。(131頁)

どのくらいファンと特別に結びついているかというのが彼らの世界。
みんなに受けようなんて誰も思わないという。
そのためにははっきりした傾向を持たなければならない。

大きく注目するべき点は「手癖」「メロ癖」「のど癖」「歌詞癖」の4つになります。(149頁)

 桑田佳祐さんがよく使うコード進行に「Am−F−G−C」というものがあります−中略−
 桑田さんの作品では、『チャコの海岸物語』、『ミス・ブランニューデイ』、『希望の轍』、『勝手にシンドバッド』、『愛と欲望の日々』も、ほぼこのコード進行でメロディーが取れます
(150頁)

「切ない泣き」と「過激な脅かし」が同居する、心中物のようなはかなげなものに引かれる日本人の感性をくすぐる響きがある、と私は思っています。(151頁)

(本の中では「Am−F−G−C」と「Em−D−C−B7」の二つのコード進行によってという話になっているが、番組の中では後者のコードに関しては触れられない)

 この醤油くさいコード進行を多用する、というのが実に桑田さんの性格を表していると私は思います。桑田さんが日本のポップミュージックの中で果たした役割というのは非常に大きく、例えるならば「音楽における和風パスタの発明者」ではないか、と勝手に提唱しています。(151頁)

「歌詞癖」が語尾に出てくる個性の持ち主、長渕剛さん。
マキタ氏がすごく尊敬するシンガー。

 長渕さんは「〜ちまった」という語尾をよく使います。−中略−
 この「〜ちまった」というのは自ら望んでそうなったわけではなく、巻き込まれたり、結果的にそうなってしまったという受動的なニュアンスが強い表現といえるでしょう。ここに長渕さんの作品から読み取れる性格が強く表れていて、言葉は悪いですが「田舎者の被害者意識」というものが基礎にある、と私は考えています。
(167頁)

最後の章はマキタ氏の大きな音楽への分析がある。
「ヒットする曲には全て同じタレがかかっている」
様々なヒット曲があるが、それはまるで鰻屋の秘伝のタレのように「継ぎ足し継ぎ足し」である。

本から刺激を受け、武田先生が「自分もJ-POPに挑戦してみよう」と思って作った歌。
『ババーズトーク・フォーエバー』
近所の神社の鳥居をくぐり
大きなイチョウの木の下で
ばあちゃん二人 笑って話す
ベンチの右と左に座り
変わりばんこに大笑い
女はみんな娘のうちは
違う顔してすましているが
年取りゃだいたい同じ顔
粒のそろった梅干しになる
アッハッハッハー
ばあちゃん笑う
昔々は私も若く
赤き唇 玉の肌
黒髪撫でた白魚の指
失くしたものはみな美しい
生理痛さえ ああ懐かしい


2016年5月30日〜6月10日◆『すべてのJ-POPはパクリである 現代ポップス論考』マキタスポーツ(前編)

文化放送の「武田鉄矢・今朝の三枚おろし」の紹介書籍では「すべてのJ・POPはパクリである。」ってなっているんだけど、書名としては「・」じゃなくて「-」、最後に丸はつかないっぽい。
表紙には明らかに丸はあるんだけど。

すべてのJ-POPはパクリである (~現代ポップス論考)



待ち時間に文化放送のロビーで五木ひろしさんが「鉄ちゃん」と言いながら寄ってきた。
五木さんは圧倒的な芸能界の先輩だが、NHK総合などでもギャグをやっている。
昔はコロッケから突っ込まれる人だったのだが、今は自分で番組を回している。
「ボケ」をやっている。
エグザイルの踊りなんかもやる。
それで笑いを取りつつ「1曲聞いてもらう」という。
彼も良い意味で「必死」なのだろうと思う。
由紀さおりさんは今でも楽屋にノックして入ってきて必ずテスト版を一枚くださる。
「番組持ってらっしゃるんでしょ?かけてください」って言いながら。
「もう新人じゃない。大ベテランじゃないですか」と、そこのあたりをつっこむと「いいえ、もう今必死、私も」という。
そう言いながら帰る由紀さんが美しい。
同じニューミュージック、フォークの世界では武田先生の(楽屋の)部屋をノックする人は一人もいない。

演歌の方とか歌謡曲の方のあの「執念深さ」を見習うべく、取り上げた一冊。
J-POPの如きヒット曲を連続では出せないが「パクリだったら」と思った。
「とにかくこれを千葉(「海援隊」作曲担当の千葉和臣氏)に読ませよう」と考えた。
彼(マキタスポーツ)の「現代」に対する物の見方が私達とは圧倒的に違う。

 今の世の中は、「ツッコミ」が溢れ過ぎています。−中略−SNSなどの発展によりごく普通の生活を送っている人々が社会問題からタレントのスキャンダルまで、極めて他罰的に他人に対して「ツッコむ」さまが可視化されることも当たり前の状況になっています。(12〜13頁)

「他罰的」つまりその人を責めるがごとく。
「やっちゃったじゃん、オマエ」というヤツ。
「すげぇ!やっちゃったじゃん。炎上だぜ、炎上!」というヤツがいるが、この「ツッコミとはいかなるものか」というのをマキタ氏は「もともとはツッコミはお笑いの技でした
」と言っている。
「皆さん、よう見てや。ツッコむとそれなりに笑いが取れますねん。これ、私らの『技』。お笑いが見つけた技であります」という。
これが他の芸能界にも転じて、人々はツッコむようになった。
その「ツッコミ」も世間では上から目線のツッコミが多い。
上から目線のツッコミというのは、対象をザックリ傷つける。
「え?あのアイドルが?え?この国会議員が?そんなことやっていいのぉ?やっちゃったやっちゃった。でっかい騒ぎになっちゃうよぉ」と言ってとにかくツッコむ。
手も足も出せない、向こうから攻撃してくることの少ない芸能人に対して、上から目線でツッコむ。
そうすると「ドカーン」とそれが「ウケる」。
それで「わー」と喝采が巻き起こり「ヒーロー」が決定する。
こういう「歯向かってこないヤツにツッコみを入れる」というヒーローを「文春ヒーロー」という。
これが世の中に溢れている。

もうひとつの土曜日(1985 single)



浜田省吾はかつてはJ-POPのトップだった。
このあたりから変わった。
『もうひとつの土曜日』を聞いた時にぶっ飛ばされた武田先生。
コード進行を聞いただけで「コイツ行く」とわかる。
浜田省吾の特徴は何か?
どこかで聞いたようなメロディーだが、初めて聞くメロディー。
そのギリギリをいく。
それがたまらない。
昔、広島市内からすぐ近くの「がんね」という海水浴場で、そこの海のイベントか何かで呼ばれて行った武田先生。
その時の前座がハマショー。
まだその頃は彼はギター一本で『路地裏の少年』を歌っていた。

路地裏の少年



聞く人は誰もいなかった。
「浜田省吾 海援隊」だったのだが、タトゥを入れたお客さんが多い海水浴場だったらしいのだが、すごくやりにくかったのを覚えている。

今、J-POPを深く眺める男、マキタスポーツ。
実家がスポーツ店をやっているので「スポーツ」という名前を付けたという。
日本が「メタ視線」「上からツッコミ時代」に突入したのは1985年。

この年の1月、ソニーが8ミリビデオの1号機を発売します。−中略−例えばテレビの世界では、その少し前からマンザイブームの渦中で、今で言う「あるあるネタ」が爆発していたのです。(14頁)

ビートたけし等が激しくツッコんだ「あるあるネタ」。
ビートさんというのは「ツッコミ」で名を売った人だった。
「赤信号みんなで渡れば怖くない」なんていうのはまさしくツッコミ。
しかもドラマ、ワイドショー、あるいは演歌。
こういうのでビートたけしという人は滅茶苦茶にツッコミを入れた。

青春ドラマでの「あの夕陽に向かってダッシュだ!」という青臭いシーンや、ワイドショーでリポーターが「事件現場に来ています」というような、ありがちなシーンをネタにした漫才やコントが多く見受けられました。(14頁)

また演歌なんていうものもツッコミを入れた。
村田英雄さんなんかを、さんざんビートたけしはからかった。
つまり芸能界の「ありがちなパターン」にツッコミを入れて笑いを取るという手法を確立した芸人でもあるビートたけし。
この「メタ視線」は秋元(康)さんによってアイドルがアイドルにツッコみを入れるという新しいパターンを産んだ。

そこへ、同じく1985年に秋元康さんが小泉今日子さんに『なんてったってアイドル』という、ある意味「メタ的な歌謡曲」を提供したのです。−中略−
 また、久留米の不良だったチェッカーズが、わざとチェック柄の衣裳を着こんで「俺たちはアイドルやってま〜す」と、「アイドルを演じる自分たち」というメタ視点を感じさせるようなことを言いながら『ザ・ベストテン』などの歌番組に登場し
(15頁)

「チェッカーズは何でこんなに人気者になったんでしょう?」と言ったら(藤井)フミヤが思わず言った「軽薄短小ですよ」。
「軽薄短小」つまり「俺たちは軽いから売れたんだ」という。
「ガツガツ」「お涙ちょうだい」「必死に熱演」
こういうありがちな傾向に「クール」で「すかし」ツッコミを入れるという、そういうタレントの一群を産んだ。
そして「感動」というカテゴラリーも非常に安価、安値となって「コンパクトなお手軽な感動が求められる」という時代になった。
もうみんな長編に耐えられなくなった。
このあたりからドラマというのがかなり苦しくなってきたのだろう。
日本の消費は情報をしっかり咀嚼できるわずかな「層」。
そしてふわふわした「浮動層」に大別できるが、感動なるものにはまりつつ、ちょっとバカにして大多数に身を寄せる「受動層」が大半。
(本によると最も多いのは「浮動層」。番組内では「受動層」と「浮動層」を取り違えて説明していうようだ)
この「上から目線のツッコミ」に対していかにヒットを放つか。
実はそれこそが「パクリの法則」。
感動なるものにはまりつつ、ちょっとバカにするという、そういう人たちに「ウケる」という。

パクリの法則その一「カノン進行」。

ずばり、これさえ覚えれば、ヒット曲っぽい感じになるというコード進行が存在します。その名は「カノン進行」。
 というのも、日本のポップスのヒット曲で使われているコード進行にはカノン進行をベースにしたものが多いのです。
 カノン進行とは17世紀のドイツ人オルガン奏者のヨハン・パッヘルベルが作曲した『パッヘルベルのカノン』という楽曲で使われているコード進行で
(27〜28頁)

パッヘルベルのカノン [パッヘルベル]



どういう手法かというと「循環」「回りコード」。
これを使うと不思議なことに手頃に感動を味わえて、パパッとハートを掴める。
例えばこの歌。

クリスマス・イブ(30th ANNIVERSARY EDITION)(通常盤)



負けないで



愛は勝つ



それぞれに時代を代表しているヒット曲だが、実は歌詞を全部ひっぺがしてしまうと「カノン進行」で作られている。

TRUE LOVE



 私は「カノン進行がヒットを狙って意図的に使われているのではないか」と薄々感じていたのですが、そのことが確信に変わったのは、1993年に発表された藤井フミヤさんの『TRUE LOVE』という曲を聞いた時でした。−中略−当時、私は「フミヤ、ヒットを狙ってきたな!?」と思ったものでした。(33〜34頁)

「ヒット曲に共通する要素」とはコード進行が似ているだけではなかったのです。実は歌詞にも似たフレーズが頻出している、ということも発見しました。(35頁)

マキタ氏曰く「だいたい180フレーズ」。
(この180という数字は本の中には発見できず)
歌詞の中に必要な「売れフレーズ」。
「翼」「扉」「桜」「奇跡」「永遠」「エール」「大丈夫」「受け止める」「ありがとう」「歩き出そう」
こういう言葉を次々にはめ込んでいけば「ヒットする」。

 このように実際にデータを集めてみると、「もしかしてJ-POPは工業製品なのではないか」という仮説が私の中に芽生えてきました。コードも歌詞も、J-POPという製品を組み立てるための部品であり、これだけ部品があれば、あたかも毎週『デアゴスティーニ』が自宅に送られてきてお城や船が完成するかのように、もしくは接着剤のいらないプラモデルを組み立てるがごとく、J-POP頻出ワードを継ぎはぎするだけで、「ヒット曲っぽい歌詞」が書けてしまうのではないでしょうか。(38頁)

さくら



森山直太郎さんが『さくら』で日本中で大ヒットした。
あれは世代を貫いたヒット曲。
若い人のヒット曲は最近は武田先生たち60半ばを過ぎた人間にはもう入ってこない、届いてこない。
街にも流れていない。
ところが森山直太郎さんの『さくら』は本当に久々に世代を貫通して鳴り響いたヒット曲。
傑作。
マキタスポーツ風に言うと、ウワーッと皆「桜」に寄ってたかった。

早春譜



武田先生もそれに乗った。
あれは中年の「桜観」を出したかった。
武田先生のところには桜ブームはやってこなかった。
森山直太郎さんの「桜ブーム」を見つけて寄っていった人に河口恭吾さんがいる。
この人は「桜は当たる」と踏んだ。



これはもともとは違う歌だった。
違う歌にサビのところを遮二無二「桜」を持っていってアルバムの一曲に入れたら売れ始めた。

僕がそばにいるよ
君を笑わせるから


これは河口さんによるとアニメのエンディングテーマに選んでもらえればと思って作った曲。
『ドラえもん』
あれを歌にするために作ったのがこのメロディ。
「桜」にヒットの匂いを感じた彼は、遮二無二「桜」をねじ込むことによってタイトルも『桜』に変えた。
そうしたらこれがバカ売れ。
マキタ氏言うところの「パクリ法則」に則って「桜」を放り込み、これで大ヒット。
でも、彼がテレビ番組で言っていたのは「これ以降全く売れなくなる」。
だから「カノンの呪いはある」というのは、このへんマキタ氏のなかなかの慧眼。

1971年の日本レコード大賞を受賞した尾崎紀世彦さんの『また逢う日まで』を、「それ以前の歌謡曲には存在しなかった三つの異なる楽節によってはじめて成立する楽曲である」と記しています。具体的に3つの楽節に分けるとすれば、「また逢う日まで〜」がAメロで、「なぜかさみしいだけ〜」というBメロを経て、「ふたりでドアをしめて〜」というCメロへと展開しています。この「Cメロ」に当たる部分が、コーラスも入って高揚感が増す「サビ」に当たるのではないでしょうか。(41頁)

また逢う日まで



これが今までのパターンを全部打ち壊した。
偉大な作曲家。
J-POPの原形は『また逢う日まで』なのだ。
この原形に育てられた天才児が桑田・サザン、そして小室哲哉。
ここらまで来ると、このCへの飛躍を強調する、ドラマチックに展開するために特に極端でわかりやすいのは小室哲哉。
これはCに突入させるために女性ボーカリストは最高音を要求される。
この小室氏でヒットを飛ばした女性ボーカリストは「懐かしのメロディ」には出て来ないと思う。
もう60代であの声は絶対に出ない。

CAN YOU CELEBRATE?



これはglobeなども全部共通しているが、金切声スレスレが小室氏のパターンだった。
そしてABCの流れそのものは「合体ロボット型」になる。
無理やりバーンと爆発させるためにラップを入れるのが流行る。
「俺たちそんな中じゃなかった二人で歩いた、OH!・・・」

キリキリマイ



ORANGE RANGEは頭のところにラップを入れておいてサビに持って行く。
だから火薬の量さえ増えれば、いくらでもCバージョンは爆発する。

2016年11月18日

2016年9月5〜16日◆流れは次第に(後編)

これの続きです。

都市部「大東京」。
東京というものと地方のズレがあって地方消失、消滅という「田舎は消えていくんじゃないだろうか?」という不安があった。
それは「限界集落」とか過疎の問題がある。
それからもう人口減に入った日本では百万都市が何年かに一度で一つ消えていくような減少傾向にあるわけだから、日本の国力そのものが急速に落ちていくのではないだろうかという不安が。
だけど、その手の見方だけでいいのだろうか?
東京一極集中。
前からちょっと思っていたが「東京の時代」というのも、もしかしたらゆっくり終わりつつあるんじゃないかというふうに思うところもある。
日本というのは様々な町が、村があって、浦がある。
そういう総合力で持っているところで、明治以来ずっと、東京が司馬遼太郎さんが言うところの「電気を各地方都市に送る」ということで日本というのは回っていたのだが「配電盤としての東京」というのが実は終わりつつあるのではないだろうかと、そういう考え方。
東京オリンピックを4年後に控えている。
あれはもしかしたら地方の方がよかったかも知れない。
いろんな考え方があると思うが、何も東京が独り占めすることはないと思う。
会場を分けてしまっても、日本みたいな小さいエリアだったらいいんじゃないかなぁと思う武田先生。
「聖火が灯っているところが東京」ということでもいいような気がする。
多分ゴルフもあるだろうが、ゴルフの競技会場も軽井沢あたりでいい。
あんまりガチガチに東京メインに考えるというのが「力み」みたいなのに繋がっているのではないか。
もう、今から言っても遅いかも知れないが。
しかしちょっとショックなのが一つだけある。
これはどことは言わないが地方が地方だけで作っている番組というのが全国でゆっくり増えつつある。
東京には「キー局」という局があって、それがローカル局に電波を送っている。
ところが昨今、東京からやってくる番組で数字が取れなくなっている。
ローカルはローカルのためだけの番組が結構数字がいい。
ということは、やっぱり東京の「とあるセンス」がもうローカルでは受けないと言うか。
それが先週(「前編」の方に入れた分)の「都知事選の情報を何で何時間もやるんだ」「俺ら関係ねぇよ、ローカルは」という感覚。
福岡オンリーの番組を博多華丸・大吉が。
そういうローカルのためのタレントさんというのが今、続々生まれている。
それは今のところ小さいが、もしかするとこれからものすごく大きな溝を地方と東京の間に作っていくのではないかという予感がしている武田先生。

過疎に指定されている市町村は全国は797あり、全市町村に対する割合は46.4%です。すなわち、全国市町村の半数に近い自治体が、過疎地域を抱えているということです。また、こうした過疎の地域に住んでいる人口は1100万人を超えており、総人口に占める割合はおよそ9%です(2010年国勢調査)。
 これだけの規模の市町村で民間ビジネスが衰退し、総人口の1割近い人口を支えるのが国や地方自治体の財源に依存した公共丸抱えのサービスのみになってしまうというのは、日本全体で考えたときに極めて非効率的であると言えるでしょう。
(126頁)

多角経営で企業全体のコストが圧縮。
規模の小ささの苦しさを超えて、「範囲の経済」を実らせている。
「巨大な範囲ではとても通用しないけど、この範囲だったら充分生きていける」という。
だから「おじいちゃん、おばあちゃんの買い物の手伝いをします。電話で呼んでくだされば、おじいちゃんとおばあちゃんをどこどこまで運ぶタクシーの代わりをしましょう」「ここからここまで荷物を運ぶ業務も私共がやります」「農家さんがこういう物を出荷なさった時は、この出荷物をここへ運ぶ業務も私がやりましょう」。
その出荷物の中から名物を作る会社を立ち上げて「味噌を作った」「醤油を作った」。
「その会社もやります」
六つ位を兼務すると喰っていけるようになる。
そういうところにゆっくり若者が今、流入しつつあるという、いわゆる地方の小さな村、町の出来事。

つい一年前まで大阪で大論議となった「大阪都構想」。
橋本徹市長で大きく揺れた。
この橋本市長の主張と言うのは「大阪は東京の代わりになりうるんだ」。
だから町の行政の構造そのものを東京と同じようにして「第二の首都を目指そう」という。
でも、この藤波さんの分析を読むと、大阪は橋本元市長が言っていることは景気がよかったのだが、厳しく現状を分析していないような気がしてきた。
大阪の苦境をやっぱりキッチリもう一回分析し直した方がいいのではないか。
ここも人口が減りつつある。
特に大阪圏では大問題だと思うのだが、実は神戸が福岡に抜かれてしまった。
人口流入で福岡が神戸を抜いた。
武田先生が学生の頃に広島が都会だった。
西日本で最大の都会、神戸を離れて。
それが広島だった。
そこで「広島商科大学四年 吉田拓郎」という名前を聞いた時に、きらびやかに思った。
山陽道に「吉田拓郎」という、大学四年生でオリジナル200曲持っているという評判が強烈だった。
「やっぱり広島はマツダとか大久があるからいいよな。それに比べて福岡はちょっとパッとしねぇよな」
神戸となるともう「花の都」。
(番組内では「サンフラワー通り」だの「フラワー通り」だのと仰せだが、どうやら「フラワーロード」)
しかも、そこを宝塚のスターたちが日曜に素敵な散歩をして、イタリア靴店で革靴を買っているというのがたまらない。
小鹿のようなお尻をしたタカラジェンヌが。
それに比べて博多は「にわか煎餅」みたいな。

【九州銘菓】東雲堂 にわか煎餅 16枚入り



そんな差があった。
ところが福岡が抜いた。
もう本当に福岡は名古屋、大阪の後ろに回り始めた。
福岡の人はそれほど興奮していないのだが。
とにかく大阪の苦境に関して分析してみよう。

 東証1部に上場している企業の時価総額をみると、大阪圏に本社を置く企業で最も大きいのは18位に位置する武田薬品工業です。−中略−1位のトヨタ自動車や14位のデンソーを抱える名古屋圏からみても見劣りする状況です。(136頁)

「大阪は今、地方都市なのであります」と。
京都に比べても大阪は本社の数が少ない。
「村田製作所」は「島津製作所」と共に本社が京都。
それに京都は「京セラ」「任天堂」。
これを聞くとちょっと「大阪は京都に負けるんじゃないか」という勢いの差というのは事実としてある。
行政面に関しては地域産業活性化を励まし続けた京都と大阪が大きく溝があるとことは、もう事実としてある。
必死になって大阪も頑張っているのだが、やっぱり今、近畿圏で一番勢いのある都市というのは実は京都。
しかもここは観光客もすごい。
京都にホテルが取れないから大阪に行っている。

それにつけても官主導ではなく、独自で地域産業を支援する取り組みが民間でものすごく頑張っているのが実は福岡。

福岡地域戦略推進会議(FDC)は、9市8町で構成される福岡都市圏の成長戦略を構築、実践することを目的として、産業界、大学、金融機関、行政の参画により2011年に創設されました。−中略−アジアの中核的なビジネス拠点として成長するべきであるとの結論に至り、MICEを柱に据えた成長戦略を打ち出しました。(149頁)

「アジアの臭いのする福岡」というのは、子供の時は全然予想もつかなかったが今、福岡を励ます最大の利点。

2020年の目標として、FDCが存在しない場合に比べ、雇用6万人、域内総生産2.8兆円、人口7万人を増やすことが設定されています。(151頁)

行けば本当に分かるが福岡という町は中国、上海、香港、台湾の観光客が溢れている。
それからもう一つ、イスラム圏の人が多い。
西鉄バスに乗っている例のネッカチーフを頭に巻いた方、感じのよいアジアの「インドネシアからやってきました」みたいな若者が着実に増えている。

これは本に書いていなくて、武田先生が体験したこと。
九州大学という九州圏内ではものすごい名門の大学「九大」。
箱崎にいたのだが、市内を捨てて引き払って糸島半島のミカン畑に広大な敷地面積で移転した。
九州大学糸島キャンパス。
学生さんと大学職員が三万人。
風景が一変した。
武田先生たちの頃は糸島を小馬鹿にして、糸島の街灯を「湾に火の玉が並んどる」。
そんなことばっかり言っていた。
有名だったのは糸島というのはいわゆる郊外地域からお百姓さんたちが野菜をリヤカーに突っ込んで朝、天神まで売りに来る。ずらーっと大通に並べて売る。
たくましき農家のおばさんたち。
それを武田先生たちは少し小馬鹿にしながら「糸島のリヤカー部隊」といっていたようなところ。
それが今は農業はもちろん中核なのだが、福岡という巨大消費地があるので、農業生産はものすごく元気がいい。
そこにプラス、若くて喰い盛りの三万人がやってきた。
箱崎キャンパスの近くでスナックをやっていたのが武田先生のお姉さん。
そこに九大の学長さんなんかが飲みに来ていた。
「武田タバコ店のお姉さんがやってる」というので。
そこの常連でよく酒を飲んでいたのが心理学の北山教授。
(北山修名誉教授のことか?)
飲むと必ず『あの素晴らしい愛をもう一度』を歌って帰るという変な教授がいて、それが結構名物だった。
(北山修氏が作詞した歌らしい)
ここにテレビの取材で訪れた時に教務課の人が小声で「お姉さん、もう一回店やってください」と頼まれた。
つまり糸島キャンパスに全員で引っ越したものだから、いわゆる「遊興地区」が何もない。
糸島にはこれから若い経営者たちがドーッと流れ込んでいくと思う。
洒落た喫茶店なんかができたり。
糸島半島を本当に小馬鹿にしていた。
それがサンタモニカ風になっている。
ハンバーガーショップが点々とあって、若い女の子たちがキャッキャキャッキャ言いながら白浜で遊んでいたりする。
昔は行きもしなかった。
でも今、ガイドを見ると「福岡からちょっと足を延ばして糸島へ」と、女の子たちがすごく行きたそうな感じの写真が載っている。
もう、武田先生たちの頃はボロクソだった。
「糸島行ってステッキと思うて踏んだら、全部蛇やった」とか、そんなことばっかり。
「あそこは蛇がウロコ干ししようもん」とか。
それがこの間行ったら本当にもうキャリホルニア。
もうガックリ。
そして九州大学の中身を見せてもらったのだが、言い方を忘れてしまったが学生食堂にはイスラム食のコーナーがある。
教務課が武田先生に向かってハッキリ言ったが「ドバイまで睨んでいる」。
ドバイの学生が来ても困らないような、いわゆる「キャンパスライフ」が楽しめるような設備を九大は準備しているという。
大講義室の脇にメッカの方角を指す矢印があって、お祈りできるボックスがある。
中東近辺の学生さんたちがすごく過ごしやすい空間であるように工夫している。
その他、風力発電、水素自動車、新電力に関して、産業界を惹き付ける工学部が九州大学にある。
その辺、やっぱりワクワクしてくる。

仙台の「けやき通り」。
奥様と二人でドライブをした武田先生。
山奥の温泉に行ったのだが、レンタカーで駅前から出て走っていると「広瀬川〜」。

青葉城恋唄/岩尾別旅情



みんな「さとう(宗幸)さんのモノマネ」になってしまう。
それから金沢は本当にいい町。
富山はいい。

福岡に話を戻す。
とにかく七千人以上の転入者、若い転入者で膨らむ福岡。
福岡は今、大学都市としても注目を浴びている。
東京あたりで学ぶんだったらば、あえて福岡のほうがいいのだと、あえて福岡の大学に行く女子が増えている。
何でかというと、東京より安い。
家賃は安いわ、喰い物は安いわ。
それで福岡はものすごい勢いで、女の子の洋服系列のデパートが次々に。
九州圏内から集まってきて、西日本からも集まってくる。
東京に行かせないで「福岡に行って来い」という。
「西南女子」とか。
それと、武田先生の奥様がボソッと言っていたが、結構イケメンが多い。
武田先生のお嬢さんも博多座に遊びに来て、喫茶店で1500円のコーヒーを飲んでいた。
かっこいいお兄さんが勧めたそうで。
それで「味はどうだった?」「う〜ん、普通やった」とかって博多訛で言っていた。
こういうふうにして魅力のある地方都市というのが若い人は敏感。
だから福岡以外でも若い人で膨らんでいる地方都市はある。
更に福岡というところの面白いところは、福岡本社が増えている。
新しい地方の形が福岡にはある。
何せ『妖怪ウォッチ』は福岡。
『妖怪ウォッチ』のあの妖怪どもは西鉄電車に本当に乗っている。
「東京一極集中」という言葉使いは、やっぱり事実を少し歪んで見ている言葉なのである。
「地方消滅」や「限界集落」なども事実を歪ませている。
藤波匠さんは面白い統計を出している。

 2006年の調査で「10年以内に消滅する」とされた集落は423(調査エリアの全集落の0.7%)あり、このうち4年後の再調査で本当に消滅していたのは35集落でした。これは、「10年以内に消滅する」とされた集落の8.3%に過ぎません。−中略−1999年の段階で10年以内に消滅すると予想された集落のうち、2006年までの7年間に消滅した集落は14.6%でした。関連資料では、「予想よりも消滅していない」と結論づけています。(179頁)

同期間に新規に誕生した集落は、消滅集落の10倍に相当する928もあります。(180頁)

つまり消えるよりも増える方が多い。
集落はどんどん生まれている。
これも、いとも簡単に四文字で、ある現象を表現できなくなってきているという。
山梨県甲府などは、消滅31に対して新規誕生した集落は351。
甲府あたりでは、別荘みたいな家が1軒できると、その周りに5〜6軒家ができて、小さな集落をつくるというのが多い。
今は電気に関しても移動に関しても便利になっている。
これはもう物流が抜群に飛躍している。
物流革命。
それからインフラの整備。
それから光ファイバー、インターネット。
こういうものが人の暮らしをものすごい勢いで簡単に成立させることができる。
だからそこに若い世代が生きていく仕事さえあれば、いともたやすく集落というのは形成できる。

人口減少が進む日本において、人口を奪い合うこと自体、意味のないことであると考えるべきです。(204頁)

人口が減少することで消滅するのは自治体という枠であり、地域ではありません。(204頁)

行政機関で目指すべきは住民の経済も含めての豊かさである。
著者は「付加価値の高い仕事に就けるか否かが地方の命運を握っており、政治制度、行政支援では地方は創生できない」「政治にたよるな」と。
(上記の文章は本の中に発見できませんでした)
やっぱり住民自身が自分たちの「暮らし」「幸せ」というものを真剣に考えていくと、そっちの方が地方を遥かに、いとも簡単に励ますことになるのである。

「時代」というか、そういうものが全体的に「回り舞台」のようにガラッと回転しながら変わっちゃうという、そういう時代を生きているんじゃないだろうかなぁと思う、そんな思いを込めて『流れは次第に』。
地方と首都圏という対立構造で、首都圏が真ん中にあって文化の配信を。
ところが『福井モデル』という大変売れた本があるが、どうもそうではなくて、人間が快適に幸せに暮らすというのは、地方にもいくつもの理想のモデルがあるっていう。
更にそれを推し進める意味で、藤波匠さんという方が『人口減が地方を強くする』という本を書かれて。

ちょうど福岡にレギュラーがあって、月に二回帰るようになった武田先生。
自分の故郷の福岡が急激にアジアに渡っていくための橋として重大な都市に成長しつつあるという。
何かそんなことを感じるようになった。
だからこの『人口減が地方を強くする』という本が目についた。

福岡は空港から繁華街まで地下鉄で二駅ぐらい。
飛行場から地下鉄に乗ると10〜15分。
階段を登って上にあがると屋台が並ぶ長浜ラーメンが喰える。
7月、二十日間以上、福岡の町に住むことになった武田先生。
共演者が柴田理恵さんと中村玉緒さん。
中村玉緒さんはパチンコに行く。
「玉緒、玉を打ちに行ってまいります」って言いながらゆっくり楽屋の入り口から出ていく。
柴田さんは武田先生と一緒にお芝居をやりたかったらしい。
休演日が二日もあった。
その二日は実は柴田さんのスケジュールが埋まっていて休みとなった日で、つまり武田先生たちが休んでいる時、柴田さんは中京あたりで「ワハハ本舗」の全体公演、ライブがあった。
もう一日も東京のレギュラーが溜まるだけ溜まっていて、東京に戻り、ものすごい勢いで。
昼の部は11〜3時。
休憩時間が15分ぐらいしかない。
4時から夜の部は8時にはねる。
そこで柴田さんはリュックサックを背負って飛び出していく。
「すまないねぇ」と言うが、柴田さんは階段を降りながら「楽勝〜!」と言いながら飛び降りて行く。
8時の舞台を終えて飛行場まで15分。
そうするともう8時半に間に合う。
博多だと飛行機に乗れる。
8時半だと10時に東京に着けるので、翌日、朝7時からのラジオをこなして、テレビのレギュラーをこなして朝一で戻ってくる。
7時半の飛行機に乗ると10時に着くので、10時半にはもう入れる。
それで11時の回に備えるという。
それが福岡は可能。
だから足は便利がいい。

福岡の町はアジアに開いている町。
上海からやってくる船の便は1隻で5千人乗っているという船があるのだが、福岡へやってくる回数が1年間で430回。
釜山まで船で3時間くらいで行き来しているので、大陸と結ばれている都市として活き活きと呼吸している。

地方の生き方というのが、かつてはずいぶん東京流入が続いたが、そういう戦後のパラダイムが全部崩れていって、別種の可能性を感じさせる。

(後は本とは無関係なネタ帳の話などなので割愛)

2016年9月5〜16日◆流れは次第に(前編)

「海援隊」のデビューアルバムの中の一曲『流れは次第に』というフォークソング。

海援隊がゆく (紙ジャケット仕様)



川の流れに世の中を喩えるなら
あなたは流れに浮かんだ船
私はその下を流れる流れ
川の流れを操っているつもりでいるなら
それは思い違いというものだろう
実は小舟を操っているだけなのだ
うまくおやりなさいやれるあいだに
いつまでも流れは同じではないだろう
うまくおやりなさいやれるあいだに 流れは次第に


あなたはその川のおもてばっかりを見ているけれども、でも川底ではもう変化が起こっていて、実はあなたのイカダを動かしているのは表面の水じゃなくて、川底の水なんだ。
何が言いたかったかというと「東京みたいな大きい流れを突き動かしているのは地方の流れだぜ」という。

七月の博多座。
その中でちょっと「いたらん」ことをポロっと喋った武田先生。
ある回でお客さんに向かって「福岡県はライバルが多くてね、僕らもう大変でした。井上陽水はいるわチューリップ、財津さんっていうメロディーメーカー、天才的な人がいるしね。本当に僕ら、どこで個性を発揮していいか。でも僕、いつも思ってた。井上陽水さんは福岡県に生まれなくても『夢の中へ』を作ってる。それから財津さんは福岡県に生まれなくても『心の旅』は作ってる。彼らはそういうシンガーなんだ。でも、私は福岡県に生まれてなかったらここに立ってない。『母に捧げるバラード』は福岡県の下町に生まれないと作れない歌です。」
歳をとるとだんだん見る目が変わってくる。
自分が墓を作りたい、そこの地面の方から全体を見てしまうのか。
七月だったのでことさら思ったのは、だんだん地方で東京のテレビを見ていると、腹が立ってくる。
小池だろうが誰だろうが、都知事を決めるのに全国放送を大いばりで流すというのは東京の思い上がりではないか?
申し訳ないが、少し「都知事都知事」と騒ぎすぎ。
それを福岡で見ているとだんだん腹が立ってくる。
それから、平然と東京の天気を話題にする。
「赤坂は今」と。
「うるせぇ!博多だよ、俺は」
自分は東京で生活しているくせに、地方に長期出張に行っているから「急にお前、博多帰りしたのか」と言われるかもしれないが、あんまり「東京東京」と言うのが。
最近ちょっと福岡の方にレギュラーが出来たりしたものだから、福岡帰りがしばしば重なるようになって今回の『三枚おろし』のネタに大きく影響している。
ということで藤波さんの一冊。

人口減が地方を強くする (日経プレミアシリーズ)



これは福井モデルに続く、いささか硬めの「地方論」ではないか。
福井モデルがショックだった武田先生。
「日本で一番幸せな県は?」「福井です」という。
これはたじろぐ。
福井県は「幸せ度」が高い。

『人口減が地方を強くする』の腰帯の宣伝文句が本屋さんで目に刺さった武田先生。
腰帯は「福岡は東京よりも若者が多い」。
トンチンカンに聞こえるが、福岡に行くと福岡の町の特に盛り場は若者が圧倒的に多い。
若者の「鮮度」が東京の若者よりいい。
「年齢」ではない「鮮度」。
かつては小さな支店ばかりが多かった武田先生の故郷、福岡。
武田先生が全く知らない別の風が福岡で立ち起こっているような気がしてページを開いたのが『人口減が地方を強くする』。
つまり「流れがゆっくり変わりつつあるのではないか?」という提案。

「地方消滅」は流行りの四文字熟語にもなったが「地方が滅びつつある」と。
だが「本当だろうか?」という意見がこの藤波匠さんの『人口減が地方を強くする』という一冊。
地方については「違う見方もある」と著者が言っている。
細やかに見れば今、地方の郡部、田園の若者たちは県庁所在地の都市部へ流れ込んでいる。
この流入の最も激しい地方都市の代表が仙台と福岡。
東京が地方の若者を吸い上げて「一極集中」が問題にされているが、東京ほどではないにしろ、若者流入は金沢、甲府でも起こっている。
だから仙台、福岡、金沢、甲府。
こういうところはどんどん若い人が今、増えていっている。

金沢が「チャーム」。
昔の赤レンガの市役所か何かがレストランになっていて、それが金沢城の近くにある。
そこにフッと入ると「兼六園」と込みでいい。

地方創生論は、なるべく高齢者に対して地方移住を促している。
「年寄りは田舎行け」
「60歳前後でUターン、郡部へ」という人も確かにある。

 しかし、高齢者の移動は若い世代に比べ圧倒的に少なく、県内、県外を問わず、世代別の人口に対する割合は若い世代の10分の1以下です。(33頁)

 しかも、75歳を上回る後期高齢者では、逆に大都市への移動が増えます。その理由は、主として健康面に起因するもので、都市部に住む子どもとの同居や近居、施設への入所が中心となります。(33頁)

例外は沖縄県のみ。

一般に女性のほうが移住に対する希望は低く、家族との兼ね合いなどもあり、男性も移住適齢期である60歳くらいになると、移住希望者は急減するのが常です。(35頁)

父ちゃんは田舎へ行きたがる。
母ちゃんは街へ行きたがる。
武田先生の家も同様。
この件で大ゲンカになる。
ちょっと里心がついてきている武田先生。
福岡に帰る度に「このあたりに『南の国から』みたいな住み方ができないか」。
憧れがある。
福岡には、つい住みたくなるようないいところがある。
奥様は何で武田先生を「男として選んだか?」
それは「この田舎から救ってくれるのはあなたしかいなかった」。
奥様は熊本のスイカ畑しか広がっていないようなところなので、そこを行き来するうちに、ものすごく激しく都会への憧れが。
そこに長髪の武田先生が「節子さ〜ん!」と言いながら現れた。
まんまと罠に引っかかった。

 三大都市圏に多くの人口が流入した高度成長期がオイルショックをきっかけに終焉を迎えると、名古屋圏や大阪圏で流入が停滞し、東京と地方の中枢・中核都市への流入が目につくようになりました。1972年から東日本大震災の前年である2010年までの人口移動をみると、福岡市は多い年で1.7万人、平均で7000人の転入超過でした。札幌市は同期間、年平均で1.3万人の転入超過です。(44頁)

これは福岡に帰ると本当にわかる。
もう昔の「福岡の外れ」と思ったところが巨大な商業地になったり巨大な住宅地になったりしている。

 仙台市はデータが整った1989年以降をみると、年平均2800人の転入超過でした。(44頁)

10万人の東京に比べようもないが、これら中小都市は膨らみ続けている。
政治は東京の過剰を均すべく、政策として「地方創生」をしきりに言い、戦略を打ち出している。
「お金あげるから地方に住みな」みたいなことを言い始めている。

 移住者を呼び込もうとする地方自治体では、低所得でも暮らしていけることを売りにしている例が散見されます。(53頁)

 全農家の12%に過ぎない主業農家であれば、年間500万円以上の農業所得を得ていますが、農家全体の平均的な農業所得は132万円に過ぎません。(55頁)

しかし地方は低所得とは限らないのも事実。

前に三枚におろしたが、総務省によれば北陸地方の世帯所得は軒並み高く、特に福井は所得で東京を上回っている。
これは「爺ちゃんも働く、父ちゃんも働く」ということ。
三世代同居だから。
だから、そういう意味で「豊かさ」ということを考えると、政治を待たずして独自の幸せを目指す市町村が日本にポツリポツリと灯り始めているという。

自分が思っていた枠組みと違うパラダイムが日本の中で進行しつつあるのではないかと思う武田先生。
テレビ番組も今、地方へ移住する物語で『イチから住』とか。
イチから住(いちからじゅう) 〜前略、移住しました〜|テレビ朝日
『人生の楽園』
人生の楽園|テレビ朝日
(番組中では『二人の楽園』と言っているが、内容的にこの番組かと思われる)
といって、定年退職後のご夫婦が『黄昏流星群』ではないけれど、地方へ行って小さな喫茶店を始めるとかという西田(敏行)さんの番組なんかがわりと視聴率がいい。
そんなことを考えると、ちょっと人間の暮らしの見方が。

 まず、移住者の経済的な自立に向けて、受け入れ地域が可能限り移住者を支援している例です。福島県二本松市の東和地区は以前から有機農業が盛んで、移住希望者が絶えない地域です。−中略−
 まず、農業初心者のIターン者は、およそ1年間、農業研修を受けることになります。
−中略−
 2年目以降は自力で生産活動に入ることになりますが、協議会では収穫物の販路についても紹介しています。それでも移住者の農業による年収は100万円に満たず、それだけで生活を維持していくことは難しいのが現状です。そのため、協議会では、建設業や造り酒屋など農閑期の就労先を紹介し、移住者の経済的な補填を図っています。
(60〜61頁)

 Iターン者の経済的な自立に向けた受け入れ地域の取り組みということでは、徳島県美波町の伊座利漁港の取り組みも注目されます。伊座利地区では、地域の学校を存続させるため、親子一緒の漁村留学を推進しています。取り組みは功を奏し、周辺の沿岸地区では唯一学校を残すことに成功し、人口わずか100人程度の狭い集落には子どもの姿が絶えません。−中略−漁師になることを希望するIターン者のために、漁船の乗組員としての就労の機会を提供するほか、古くから地域の中心的な漁法であるアワビや伊勢海老の素潜り漁で生計を立てようという新人漁師にも漁業権を解放しています。
 一見、当たり前のことのように感じられるかもしれませんが、漁師にとって漁業権は不可侵的な飯の種であり、その開放に対して抵抗感を持たれることが多いのが実情です。
(61〜62頁)

流入者が数人いたおかげで、町立の小学校は維持できている。
だから移住流入のために必要なものは、実は補助金ではなくて「仕事」なのである。

博多祇園山笠 - Wikipedia
十何日か(調べて見たところ7月15日早朝とのこと)に「追い山」競争をする日なのだが、それまで一週間くらい男たちは締め込み(ふんどし)一つでお尻丸出しで毎日駆けて足腰を慣らしていく。
その中で、山の担ぎの練習日がある。
昼間にそれをやるのだが、ジーンときたのは、その山笠の祭りをものすごく大事にしていた「とある方」が亡くなられたのだろう。
練習している山が止まる。
その亡くなった人の家の前で。
それで、山が一旦置かれると台の上の人、山の上に乗っかっている長老が『祝いめでた』を歌う。
『祝いめでた』というめでたい時にしか歌ってはいけない歌。
祝い目出度の若松様よ
枝も栄ゆりゃ葉もしゅげる
エーイーショウエ エーイショウエー

山が左右に若い人が揺らしながら霊を弔う。
500人ぐらいの人がビルの谷間で『祝いめでた』を歌うと、古代の人の弔いシーンを見ているよう。
それで「手締め」をやる。
「よーっ!パンパン。もひとつ!パンパン」
博多一本締め。
それで、その亡くなられた黒縁の写真に、今年の夏の山笠の山を見せてあげて、突然「やー!」と担ぎ上げて嵐のように去っていく。
博多の(武田先生の)後輩が小さい声で「武田さん。よかろうが?俺たちゃ死んでもこげんしてもらえるとよ」。
「あれが楽しみ」って言いながら、何人も爺さんや婆さんが死んでいったという。
供養のお経もありがたいだろうが、死して聞く「祝いめでたの若松様よ」というのは値打ちがある。

東京の他に「二大都市」が日本にはある。
大阪圏と名古屋圏。
これは「大阪」「名古屋」ということではない。
「大阪」というエリア。
だから奈良とか和歌山も入っているという「大阪圏」。
そして「名古屋圏」。
岐阜とか三重とかも入っている「名古屋圏」という。
ここも遂に人口減少。

大阪圏の総人口は21世紀に入っておおむね1850万人で推移してきましたが、2010年以降減少が顕著となり、2014年までにピークからおよそ13万人の減少となっています。(91頁)

 名古屋圏も同様です。2008年の1140万人をピークに、2014年までにおよそ5万人減少しています。(92頁)

「地方消滅」という危機感は地方の問題ではなく、実はこういう大阪や名古屋という都市部へも迫りつつあるという。
ここで何が問題かというと、両都市とも人口減少に対して「機械化」を図っているため、人件費が安くなりつつあるものの「機械化」は業種を限定するため、ものづくりの応用力がぐんぐん落ちていく。
そういう危険性が大阪・名古屋圏では出てきている。
高い技術を持つ高齢者も追われるように去っていく。
ここでの「道」は、この人たちを他の地方で活用する流動性、移住の拡大こそ求められる。
人口が減少するならば、人が二つ三つの町に住むライフスタイルもあるだろう。
確かに新幹線が縦横に行き交う日本ではこのライフスタイルは可能かも知れない。
だから名古屋限定とか大阪限定の「その県内に留まらないと仕事が無くなる」と思うと、ものづくりのパワーそのものが落ちていく。
新幹線がこれだけ便利になったわけだから、この手の技術者たちがプールできる別個の町、あるいは「二つか三つくらいの町を行き来する」というような、そういう通勤が可能になればもうちょっと日本でその技術を生かすことができるのではないか。
白物家電の中国への流出。
これはほとんど日本人の技術者が支えている。
それから大阪はやっぱり「シャープ」。
まことにもったいなくはある。
変化はとにかくゆっくり始まっている。
例えば農業。
決して助成金にすがりつく滅びゆく産業ではなくて、また後継者の無い産業でもない。

 農地集約という発想は、必要迫られているということもあり、すでにかなり根付いてきています。過去10年で、1経営体あたりの水田面積は1.5倍になりました。もちろんこれは、農家1軒あたりの農地面積を積極的に拡大しようという動きによりもたらされたとばかりは言いきれず、小規模農家が離農したことによる効果も含まれています。(104頁)

明治以来、人口と逆に減り続けている農業人だったが、ここに至り、人口が減ると農業人が増え始めたのである。

農林水産省のまとめによれば、農業への年間新規参入者は、過去4年間で1730人から3660人に倍増しています。(106頁)

だから「農業に魅せられる人」はゆっくり増えている。
このへんはやっぱりTOKIOの力などもあるのだろう。
ジャニーズも有能な人材が育っている。

 徳島県上勝町には、地域作りとして日本で最も有名と言っても過言ではない「葉っぱビジネス」があります。地元のおばあちゃんたちが、携帯情報端末を駆使して、日本料理でつまものとして利用される葉っぱを売っています。多い人は年間1000万円以上売り上げるという触れ込みで(112頁)

特にポイントとなるのは、320種におよぶ多品種の生産、直販、即日発送など市場のニーズに確実に対応するシステムを構築している点です。(113頁)

上勝町の市場シェアは70%に及び、他の追随を許さない状況です。(113頁)

第三セクター「いろどり」がこのばあちゃんたちを引き連れて研修し、市況情報の提供なども担っている。
しかも上勝は若い移住者も今、受け入れているそうだ。
いろどりでは従業員「事務方」として若い人を入れて、ばあちゃんたちが事務でメシが喰える反面、やがてばあちゃんたちが亡くなった場合は、その後の技術者として若い人たちを補填していくという。
そういう定住化が推進されている。
横石さん(いろどりの横石知二社長のことだと思われる)は「絶対に町が生き残るために、よそ者は必要です。よそ者がいないと町というのは滅びていくんです」。

武田先生が大学生の頃、福岡で「こんな田舎町にいたんじゃ、俺はダメになる」とどこかで思ったところがある。
それが、もう今は全く別の町。
いろいろな思いがあって、博多座の成功を祈ってお祈りをした神社がある。
何か知らないが、神がかってうまくいったものだから、最後の日にそこにお礼参に行った。
そうしたら階段の途中で、その神社で映画の撮影をやっていて、撮影が邪魔をしていて拝みに行けない。
でも、こちらは同業なのであまり無碍にもできない。
止める人が「ちょっと待って下さい」とかと言うから「はいはい。いいよ」といってしばらく止められていた。
リリー・フランキーさんがいた。
青春映画を撮ってらしたのだろう。
溜まるだけ溜まった参拝帰りのお客が撮影で止められている。
やっと撮影がちょっとワンカット終わったようで「どうぞ急いでください」とか言われているのだが、そこを武田先生が通りがかかったものだから「ちょっと写真一枚、よかですか」が始まった。
それで肩を組んで写真を撮っていた。
それが、そういうのを撮りたくなるポイント。
例の嵐が行って大騒ぎになった「鳥居の向こう側に夕日が沈む」という「光の道」という神社(嵐が出演するJALのCM「旅の出会い編」に登場する宮地嶽神社のことらしい)。
これは今、大ブームになっている。
春分・秋分の日は鳥居の向こう側に夕日が沈む。
そこで参道が太陽の一直線で、みんな夕暮れぐらいにそこへ行きたがる。
そこで「一枚写真撮ってくれ」と、こっちの撮影が始まってしまった。
あまり迷惑をかけてはいけないので早めに。
だけど、地方の名所みたいなのが、いとも簡単にブームになる。

岡山県笠岡の笠岡諸島。
これは瀬戸内海にいくつもの島が並んでいる。

岡山県笠岡市の笠岡諸島には、かさおか島づくり海社というNPO法人があります。笠岡諸島は、諸島を構成する7つの有人の島を合わせても人口は1954人しかおらず、高齢化率は66%に達します−中略−
 島づくり海社の活動は、デイサービス、コミュニティバス運行、島のきずな便(買い物支援)、特産品開発、保育園運営、空き家対策、笠岡諸島のプロモーションなど、書ききれないほど多岐にわたります。
(121〜122頁)

それを数人の中年のオッサンたちが一手に担ったら結構うまいこと回転し始めて「ゆっくり人口も」という。
小さい試みではあるが、小さいところから大きな流れが、もしかすると始まるのかも知れないというふうに思う。

四国の四万十市は本当に四国の果ての果て。
ここはガソリンスタンドが無い。
ガソリンスタンド経営が上手くいかずに撤退した。
何をやったかというと、全住民が自分で出資して会社を作った。
それでやったのがガソリンスタンドの経営から始めた。
これが上手くいった。
つまり行政にすがりついて「助けて」じゃなくて「住んでいる住民自らが立ち上がると上手くゆくんだ」という、そういう例を残してくれている。
日本の町のささやかな運動、そういうものが「町づくり」「村づくり」、あるいは市、県の単位でうまく回転し始めたというところがある。

2016年11月11日

2016年2月15〜25日◆『困難な成熟』内田樹(後編)

これの続きです。


ドラマ『白夜行』の中で演じた笹垣(潤三)を自画自賛する武田先生。
何がよかったかというと十数年ぶりに自分のアドリブを見て「外れてねぇな」と思う。
それは母親を殺した少女が去っていくのだが、それをじっと見送る刑事が武田先生の役。
彼女が去っていく後姿に向かってアドリブで親鸞の歎異抄をつぶやく武田先生。
「心が良くて人を殺さないんじゃない。人間はある状況に追い込まれたら人を千人殺すことだってあるんだ。それが人間なんだ」という親鸞の言葉を、その少女のランドセルの後ろ姿に向かって「人を千人ころしてや、極楽往生間違いなし」とつぶやく。
可能な限りはもらった役に関しては盛り込みたいと思う武田先生。
その台詞から派生する何かが自分をせっかく撮ってくれるんだったら、絶対に唇だけは動かしておきたい。
「撮らなくてもいい」とあの時言った。
でも唇が動くとオーディオさんはやっぱり録る方に走っちゃう。
それが私達の仕事。
だから「台本になかったから」とか「そんなこと思いつかないよ」とか「演出家言わなかったよ」それじゃあダメ。

「誰のせいだ!」という他責の言葉使いは、場の主催権「俺がこの場を何とかしなければという生きる力」を消してしまう。
自分を放棄してしまう。
武道で言えば「先手を取られた」という失敗の言葉使いになってしまう。
ここでは先手を取られても、あえて「取らせてやったよ、君に」とつぶやくことによって武道家は次の技を思いつく。
次の技を思いつくか否かが成熟への階段。

今の若者は「やるべきこと」「やりたいこと」に関心があるが、自分が「やれること」には関心がない、という対比における助動詞の使い方でした。−中略−
 英語で書いたらshouldとwould likeとcanですね。「ねばならぬ」「したい」と「できる」の対比です。ちょっと古めかしい文法用語で言うと、「当為」「願望」と「可能」です。
−中略−
 動詞に「当為」と「願望」の助動詞をつけて話すのが「子ども」で、動詞に「可能」の助動詞をつけて話すのが「大人」である。
(138〜139頁)

あえて哲学者内田樹さんは、この手の言葉使いの人のことを「ガキ」と呼び捨てている。
(本の中では「子ども」という表現しか使われていない)
「しなくては」「したい」は子供の喋り言葉。
「○○がしたい」とかというのはだいたい子供の喋り言葉。
では、大人は何と言うか?
「可能」つまり「できる」と話すこと。

「自分がやらねばならぬこと」「自分がしたいこと」というのは個人的なことがらです。それに対して「自分にできること」は公共的なことがらです。「個人的なことがら」というのは、ひとことで言えば、他人の同意や参与ぬきで自己決定できることです。「公共的なことがら」というのは、他人の同意や承認ぬきでは決定できないことです。(139〜140頁)

それは他者からの要請の返答で、まず他者がいて、それは他者からの要請への返答なのでそれを修正しようと助けを求める状況であり、その応答に対してそれを満たすことが私には「できる」と、こう提案すること。
これが大人の言葉使い。
一番分かりやすいのは「セックス」。
ガキの言葉使い「おぁ〜君とやりたい。したい。快楽に満足したい。俺、俺、俺は〜!」
これがガキの言葉使い。
大人はどう言うか?
絶世の美女がいる時に大人はこういう。
「僕は君を満足させることができる」
「私はあなたが欲しい」とか「あなたを○○したい」とかそんな「should」「would」じゃなく「can」で話す。
他者に対して自分の欲求を向けるのではない。
他者の欲求に対して自分はどう応答できるかを可能性として話す。

「教育格差」と言われる言葉がどうしてもわからない武田先生。
これは今、よくメディアで取り上げる。
親が高学歴で高収入の子供のみが高い得点を得て優秀であり、収入が低くてろくに学校も出ていない親から生まれた子は成績も低く、その学力差はぐんぐん開きつつあるという。
そのことを「教育格差」という四文字熟語で語っている。
これがよくわからない武田先生。
これは「氏か育ちか」「遺伝か生活習慣か」あるいは「運か努力か」ということだろう。
単純に言えば「高収入のおうちはそれだけ塾にも行かせられるから、学校以外の塾での勉強でどんどん頭が良くなっていく」というのが主な理由だとは思う。
これは言葉で言うと「トンビがトンビを産んだ」ということだろう。
教育の面白さは何かというと「トンビがタカを産む」ということ。
だから「トンビがタカを産む」ということが教育の成果。
内田師範がそのことを「運と努力の間で」という章(158頁〜)で非常に魅力的な理説で説いてくださっている。
内田先生は言う。
「運か努力かと考えると、運の良い人は努力をしなくていいわけですよね。だから努力に気付きません。運の悪い人だけが努力に気が付くのです。」
「裕福な子は家庭教師が雇えますので、それは親が用意したただの道具です。でも貧しい子は塾へ行けませんので、本を開くたびに『あ、俺今、努力してる』と思うんです。そして貧しいので親の手伝いもあり、やがて本を開いて努力するたびに『ああ、今日は運よく勉強できた』と努力する自分に感謝するわけです。」
「努力できる幸運を持っているのは、貧しい環境にいる子どもたちだけなんです。」
「これに対して『教育格差』と言い立てる人は、貧しくボンクラの親から生まれたので勉強しても仕方がないのです。逆に豊かな頭の良い親から生まれた子は頭が良いのは当然ですので、本人の努力など何の意味もなく、努力できる幸運を手にすることはできないのです。」
(本を読んだかぎりでは、むしろ内田氏が言っているのは真逆で、勉強ができる資質や、勉強ができる環境があることを「幸運」と言っているようだ)
生き延びるための技術の永遠の欠落。
例えば『プロジェクトX』魂。
これが「ええところ」の環境に生まれて教育格差なく上位で育った子には『プロジェクトX』はちっとも面白くない。
ところが貧しい家庭で何とかのし上がって勉強して、ある弱電メーカーに入った子は、研究費がなくても何がなくても努力することに喜びがあるわけだから『プロジェクトX』が始まる。
『プロジェクトX』が理解できるできないというのは、つまり努力できる幸運の差だという。
この努力できる幸運の味を知る人は、際限もなく努力することが楽しい。
それこそ最高の教育。
危機的な時、自分の不幸を嘆くのに「格差」という言葉使いで与党や政権を罵倒し、文科省ステムを批判するうちに、己の置かれた状況を忘れ果て、泥沼に沈む能力しかなくなるという。
危機の時、生き延びる技とは、いかに楽観的になれるかどうかなんだ。
「それを本当の強さだと思いませんか?」というのが内田先生の提案。

武田先生のメモ。
「教育格差」というのはある意味ではひどい差別用語ではないだろうか。
「苦学生」とか「夜間に通う」というような昭和の言葉使いの逆転の温もりが「教育格差」という言葉には少しもない。
教育格差とは何か?
これは「バカは死ななきゃ治らない」ってのと同じことだ。
「そんな無体な言い方があるか」という。

この間のこうせつ(南こうせつ)さんとのイベントだったかでの話。
こうせつさんのところは下のお坊ちゃんが実はものすごい頭がいい子。
今、医学部に行っている。
こうせつさんは言わないが、防衛大学の医学部は給料も貰える。
だからめっちゃ頭のいいヤツが行く。
「頭がいいからあの子は給料貰いながら医学部にいる」とかというと興奮する武田先生。
「あの子、おめぇすげぇよ。防衛大学の医学部だよ」っていう。
「給料貰いながらおめぇ医学部行ってるよ」というのは。
本当に「トンビがタカを産む」というのはこういうことだ。
それで医学部に入ってもガリ勉じゃなくて、1日40km走らなければいけない日がある。
防衛大だから。
丼物は三杯続けて喰わなきゃいけないとか。
(という武田先生のイメージ)

「三大嘘」と「結局嘘になっちゃった」ということなのだが、現代のベートーベンと言われた方がいらっしゃった。
それからSTAP細胞で大きく揺れた。
それからオリンピック・エンブレム。
あえてお名前をお出しすると、佐村河内さん、小保方さん、佐野さん。
こういう方がいらっしゃった。
(本の中では佐野さんではなく「野党党首の献金疑惑」)
無論、この三人をウソつきと呼び捨てるにはあまりにもお気の毒のような気がする。
ただ「嘘をつかれて私は傷つけられた」という被害者が三人ともそれぞれに登場した。
この三人によって傷つけられたという被害者が出たので大きなスキャンダルになった。
例えば佐村河内さんにはゴーストライターをやらされたという方(新垣隆氏)がいらっしゃって、今、人気者だが。
それから小保方さんもやっぱり共同研究者の先生方がいらっしゃって、自死なさった方がいらっしゃるので。
佐野さんには盗作されたとされるデザイナーたち、被害者がいるという。
その三人の特徴は、その被害者たちはそれぞれ、彼らの住む専門職の世界の仲間。
佐村河内さんはクラシック畑の仲間がいて、小保方さんには同じ医学会の同じ研究をなさっている方がいて、佐野さんには同じように商業デザインをやってらっしゃる方がいらっしゃったという。
この三人の蹉跌、つまづきは何かというと「できの悪い嘘でした」という。
ゴーストライター、コピペ、トレース。
そういうことが嘘になってしまった。

 問題は「寿命」です。もし、ある人が寿命100年の生物としてふるまうとしたら、「今は良い思いができるけれど、10年後には手痛いしっぺ返しを受けることが確実」であるようなことはしません。「間尺に合わない」からです。でも、寿命1年の生物としてふるまうならば、「10年後に受けるであろうペナルティ」は「ない」のと同じです。それなら「すぐばれる嘘」をついても、今いい思いをするほうが「間尺に合う」わけです。
 なぜ、人々が「すぐばれる嘘」をつくようになったのか。私の仮説は「それは寿命の設定が短縮されたからだ」というものです。
(268頁)

メダルの数を増やせるか否かの成果を激しく競争させる個人の時代が到来している。
考えてみれば、一から十まで自分の手柄を激しく主張する主体の時代である。
「私がいたから成功したんだ」と言わなくてはいけない。
人が邪悪になったわけでもなく、愚鈍になったわけでもなく、己のオリジナリティを己だけで独占しようとした人たちの失言。
この三人に共通しているのはどこか個性的で知的で誠実そうな風貌の方。
三人とも意外と悪者の顔をなさってらっしゃらない。
三人ともやっぱりどこか誠実だし、人間として愛すべき風貌をお持ちだ。
ところがもう一つ別の言い方をすると友達が少なそうな、寂しげな風貌が表情に宿っているという。
ということは、この三人は「うそつき」というよりも「仲間づくりに失敗した」人たち。

内田師範曰く「この三人には『しみじみさ』がない」。
(こういう表現は本の中にはみつけられませんでした)
「しみじみさ」というのは、一種人間に宿った迫力。
どんな人気者でもこの「しみじみさ」がないと、とある人間の迫力が出て来ない。
福井謙二さん。
「小さな巨人」と言われた方。
福井さんの喋りには「しみじみさ」がある。
哀れさ、ペーソス。
屋台であの方が飲んでらして、武田先生が酔っぱらって入ってきて「おい、詰めろよ!」と言いにくい。
言った瞬間に詰めるために努力しようとして屋台ごと倒れちゃうという「しみじみさ」の危険がある。
「しみじみさ」が無い人がいる。
「しみじみさ」が無くて、コーン!とスネなんか蹴って「おい、詰めろよ!」と言いたくなるような。
でも、福井さんにはそれがない。
スネを蹴ろうとしてもきちんとエックス脚で閉じてらっしゃるような気がして。
「コイツ、ここまで自分を畳んで飲んでいるんだ」と思うと。
何で人は人の言うことを聞くか?
それはその人が醸し出す「しみじみさ」に「私がいなくなったら、そんなことを言うのは誰もいなくなっちゃいますよ」という一種の迫力があるからこそ、人は思わず聞いてしまう。
「私の代わりをする者はこの世の中に誰もいません」
そう、しみじみと雰囲気で伝えられる人。
「その人には成熟の技が宿っている」と。
民放でブイブイ言わせている報道番組のキャスターの人ではなくて、律儀に今日も報道してらっしゃる方の急に増えた白髪頭なんか眺める時に。
この人がもし屋台で飲んでいたら「詰めろよ」とは言いにくい、という。
そういう人はいる。
同じ10時台のニュース番組でもしみじみと「今日も素敵な週末でありますことを」なんていう。
それで天気予報に渡していく人。
しみじみさ。
屋台で飲んでいる時に「詰めろよ」って言われる人と言われない人の差。
それが実は大きな人生の曲がり角の、はじき返す力か何か。
それを内田先生はどうも「成熟」と言っているのではないだろうか。
何となくどこか雰囲気の中で「しみじみさ」を持っている人というのは、たとえ一杯の酒でも「う、うまい」というように、なんでも美味くする不思議な雰囲気を持っている、という。
おでんか何か喰っていて、つまんないものを喰っているんだけど、その人が「おやっさん、これ美味しいね」と言うと本当に美味しく感じる人がいる。
安酒を飲んでいても「あ、なんか飲みたいな。この同じ酒」と思わせるような飲み方の人がいる。
そういう一種、人間の迫力というものを内田樹さんは「人間の成熟」と捉えてらっしゃる。
人間が持っている「しみじみさ」という。

(この週は最後の一日は無関係な話題に入るので、このブログでは取り上げない)

2016年2月15〜25日◆『困難な成熟』内田樹(前編)

困難な成熟



武田先生の哲学の師匠である内田先生の著書。
何をもって成熟か?
何をもって大人とするか?
「荒れる」と言われる「成人の日」。
「成人式」という成熟のスタートの記念日なのだが、各地で起こった成人式は実に子供っぽい乱痴気騒ぎという。
ところが成人の数がやっと100万人を超えたぐらい。
日本国民が1億2千万人。
それを100人とすると、その中に1人も二十歳の人がいない。
120〜130人集まってやっと1人いるかいないかという。
メディアは「荒れる成人式」と騒ぐが「120人中1人いるかいないかの何人かが騒いだ」ということぐらい。
武田先生の頃の成人式とは意味合いが違う。
1970年代に成人式を迎えた武田先生。
1975年、人口の49.4%が30歳以下。
ヤング・ジャパン。

内田樹氏はエマニュエル・レヴィナスというフランスのユダヤ人の血を引く哲学者が大好き。
この方はかつてナチズムと命をかけて戦った方。
しかしこの人は、ナチス崩壊後、「ユダヤ人を虐殺した」と告発し続けるユダヤ人の怒りを鎮めた。
本当はもっと多いのだが、あの段階でナチスの犯罪の中では600万人ものユダヤ人が平然と虐殺された。
なぜ、そんなことになったんだろうか?
ユダヤ教を信じ、ひたすら神の救援を待ち続けた600万人の同胞、ユダヤ人の死は、一体何の意味があるのだろうか?
レヴィナスはその死を懸命に考え続け、その死に意味を見出そうとした。
そういう「哲学的な考え方」を積み上げた人。
彼が言ったのは「成熟」。
人間はどんなことがあっても成熟しなければならない。
その故にナチスを告発するのではなくて、あの600万人のユダヤ人の死を「人類の成熟のための踏切板」。
そういう考え方で考えていこうという。
そのレヴィナスの名著が『困難な自由』。

困難な自由―ユダヤ教についての試論



 タイトルは「困難な成熟」としました。我が師エマニュエル・レヴィナス先生の『困難な自由』から拝借しました。全体を貫く主題は「いかにして市民的成熟を達成するのか」というただひとつの問に集約されるように思ったからです。(2頁)

日本社会ではなかなか成熟について教えて下さる方は少ない。
その難しい成熟に向かって哲学者内田樹さんがお考えになったという。

成熟というプロセスは「それまでそんなふうに見たことのない仕方でものごとをを見るようになった」「それまで、そんなものがこの世に存在するとは知らなかったものを認識した」というかたちをとるからです。(4頁)

だから年齢に任せたり「あー、もう俺は場数踏んできたからよ」「修羅場生きたよ」こういうことで達しうる境地ではない。
そんな単純なものではないのだ。
達成目標に掲げても、そこに行けるかどうかわからない。
自己の点検で、自分でこう考えて「あ、俺は成熟した」。
そんなもんじゃない。
いつの間にか身についてしまっている「技術」「能力」。
それを「『成熟』と呼ぼう」と。
この「いつの間にか身に付いてしまっている『技術』『能力』の凄み」というのは本物の技術。
そういうものを若いながら持ってらっしゃる方もやっぱりいる。
羽生結弦は成熟している。
みなさんが満点を出しても彼は舌打ちをする時がある。
それでうつむいて。
つまり「他者に自分の採点を任せない能力」を持ってらっしゃる。
自己で自己をきちんと、自分の成熟をチェックできるという。
あれは「身に付いてしまった彼の『能力』『技術』」なのではないか。
その他にもいっぱいいらっしゃる。
そういう意味合いでの成熟、自分に身に付いてしまった技術を持ってらっしゃるという。

内田樹先生は実に巧みに少年や少女にもわかるように成熟を説明してくださる。
例えば内田先生はこうおっしゃる。
これは哲学の基本的な技。
例えば「君たちの学校に校則はありますか?」。

「スカート丈はひざ下5センチ」というような一見するとナンセンスな校則にも人類学的叡智の断片が生き残っていることがわかります。
 制服の「真実」は、「集団構成員を外形的には差別化しない」ということです。できるだけ強弱の差や貧富の差や美的センスの差を顕在化させない。そのために制服がある。
(51頁)

集団は時として弱肉強食というゲームが頻発しやすい。
成熟していない少年や少女たちだけになってしまうと、弱肉強食というゲームが始まってしまう。
特に少年というのは、放っておくと弱肉強食をやりたがる。
そういう事故は2015年から多い。
喰うか喰われるかのゲームというのは、やると楽しい。
だけどこれは喰うか喰われるかのゲームはもうやらなくてもわかっている。
つまり弱いものが喰われる。
ただそれだけの結論しかないのだが、強いものはそのゲームをやりたがる。
集団というのはそういう弱肉強食のゲームに陥りやすい。

集団として生き延びることを目的とした場合には、「誰も見捨てない」ということと、「どうやって集団全体の生命力を高めるか」を考える。(51頁)

そのためには集団の外側、外形を差別化させない。
強い子は学生服の袖に二本線が入って、弱い子は線が入っていない。
そういうことを差別化してしまうと集団全体のパワーが落ちてしまう。
強い子数人だけが強くなって、弱い塊が生まれてしまう。
だからとにかく学校という集団の場合は美的なセンス、恰好いいとか恰好悪い、あの子は足が長い、あの子は足が短い、そういうことを顕在化させない。
そのための知恵が制服でがんじがらめにするということなのだ。

池に浮かんでいる鴨。
鴨はタスキをかけて「リーダー!」とかということがない。
王冠を被っているとかペンダントを下げているということをしない。
なぜかというと、そういうのが狙われる。
他の集団から狙われると一発で滅びる。
つまり強弱を外形化させない。
だから制服が必要なんだ。

同じ制服を着ていると集団としてのパワーが上がる。
皆さん方は、一月に高校生のスポーツをよく観ていた。
サッカーとかラグビー。
ユニフォームがバラバラというのはいない。
みんな同じユニフォーム。
女子のサッカーでもラグビーでも男子の方のサッカーでも。
学校のユニフォームを着る。
あれは学校のチーム全体のパワーがそれで増す。

 不良高校生たちが学ラン着て殴り合うマンガって山のようにありますけれど(『ビーバップ・ハイスクール』とか)、あれは学生服着用が基本ですね。制服だけが他校との識別指標ですから。生徒たちが私服だと物語が始まらない。あれも一応制服を着ることによって集団のパフォーマンスは向上するという人類学的叡智の断片を今に伝えているんだと思います。(53頁)

制服の時代を通過して、いよいよ私どもは私服の社会人になる。
そこで集団化、社会全体の成員となる。
ここには社会的ルールが支配している。
あなたが出てきたこの社会というところにはルールが厳然としてある。

「フェア」の反対語は「ファウル」。野球の用語です。ダイヤモンドの中は「フェア(美しい)」フィールド、その外は「ファウル(穢れた)」フィールドです。
 野球やサッカーやラグビーのようなボールゲームはこれらの遊戯の太古的な本質をかなり正確に今に伝えてくれています。
−中略−
子どもたちはこの遊戯を通じて、世界は「敵と味方」「戦争と平和」「生と死」「清浄と汚濁」といった二項対立を積み重ねて構造化されているという基本的な世界認識の「仕方」を学びます。
(56〜57頁)

ラジオ・テレビでは全ての朝番組がこの同じ時間帯(「三枚おろし」が放送されている朝の時間帯)に様々な我が国日本の政治について語っている時分だ。
「国家」について語り続けているわけだが、その「国家」とは何か?
この「国家」こそがそもそも二項対立だ。
国家というのはつまりゲームでできたもの。
そんなものは本当はない。
でも、あることにしておいてフェアとファウルを競い合う。
これが政治。
国境というものはない。
国境を見た人は一人もない。
ただある。
それで国同士が命をかけてケンカをするというようなこともある。
「尖閣は俺のものだ」とか。
尖閣諸島あたりの海の上に引かれている国境とかというものも見た人はいない。
だから見たこともないもので国家はケンカができる。

福沢諭吉はその『痩我慢の説』の冒頭にこう書いています。
「立国は私なり、公に非ざるなり」
(57〜58頁)

国というものはプライベートなものだ。
そんなのはパブリックなものではないという。
国家とは「私」である。
「公」、パブリックなものではない。

「なんぞ必ずしも区々たる人為の国を分て人為の境界を定むることを須いんや。いはんやその国を分て隣国と境界を争うにおいてをや。いはんやその国に一個の首領を立て、これを君として仰ぎこれを主として事え、その君主のために衆人の生命財産を空うするがごときにおいてをや。」
 国境線を引いて「こっちからこっちは日本だ」というようなことを言う必然性があるのか。隣国とこの土地はどっちのものだとがみがみ言い争う必然性があるのか。うちさえよければそれでいい、隣国の奴らなんか飢え死にしても知るかというような考え方をする必然性があるのか。ましてや誰かを担ぎ上げて君主だと仰ぎ、この君のためには命も財産も惜しくないとのぼせ上がる必然性がどこにある。福沢はそう言っているのです。明治24年に。国民国家なんかただの幻想に過ぎないと言い切っているのです。
(58頁)

 国家はもともとは人間が創り出した政治的な装置に過ぎないが、それをあたかも海や山のように遠い昔からずっとそこにあった自然物のように見なすのが「当今の世界の事相」である。−中略−
 それは野球のチームが「敵と味方」に別れて「勝負」をするのと同じです。
(59頁)

福沢諭吉の言葉にドキッとする。
国家なんてそんなものは幻想に過ぎない。
そんなことを実は言っている人。
でも、この人は大日本帝国ができるところをその両のマナコで見た人だから、国の本質みたいなものをしっかり見つめたんじゃないか?
福沢は言っている。
「総理とか国会議員がいるが、そういうものは仮の装置であって実態じゃない」んだと。
彼らにとって一番重大なことは一体何か?
その政治的な装置としての政治家さん。
これは対立すべきグループがいるか否か。
それがいないと彼らは存在する意味がない。
だから世界を恣意的に彼らのやり方で切り分ける。
そしてゲームを活性化させることが彼らにとっては生きがい。
では、何のためのゲームなのか?
それは所属する人たちの幸福や成熟を高める、または生き延びるためのゲーム。
ロシアが今、燃えている。
プーチンという人はこのゲームがうまい。
ロシアの人たちはゲームがこう盛り上がってきている。
プーチンは煽り方が上手。
啖呵みたいなのがプーチンは上手。
「ウクライナは俺のもの、俺のものは俺のもの」みたいな。
同じことは経済活動も同様で、実は経済というのは成熟のための活動でなければならない。
これらのゲームを通して私達は生きのびる力を得る。
武田先生の意見。
もし政治的活動や経済活動であなたが生きていく力が「ハーッ」と衰えていくようだったらば、急いでこのゲームから離れるべきだ。
経済も政治もゲームだ。
自身の中でゲームが楽しくなければ、すぐにこの賭場からあなたは出ていくべきだ。
出ていく場所はある。
これは武田先生が内田師範から受け取った思い。

内田氏はこんなことを言っている。
「100%正しい世界を構築していこうという人たちを僕はどうも共感することができない。100%正しい世界を創りたいと叫ぶ人、何かそういう人たちを僕は信用できないんです。彼らが仕込んだ切れ味の良いストックフレーズを複製して、しゃべり方も推論の仕方も、論拠とする事例まで出来合いの型にはまってしまう、何かそういうの僕、全然よくないぜと思うんですよ。みんな同じような言葉使い、同じような表情、同じような話っぷりになってしまいます。そんなのが正しいわけがない」
「ある種の言説がロジカルに正しいということは、それが生きる力を高めるということだったらいいけれども、生きる力がなくなるんだったら人間は正しさから離れるべきだ。正しいことは人の心の病の元だ」
(このあたりの文章は本の中にはみつけられなかった)
正しいことを言い続ける人は顔を見ていると病的な顔になっている。
「自分なりに何か正義は貫きたい」という思いがある水谷譲。
「君にとっては正義だけれども、僕にとっては迷惑なんだよね。」
二人とも活き活きしているかどうかが一番すばらしいことで、片一方が暗い顔になって片一方が正しいことをやり抜いているんだったら、その「正しいこと」は絶対に正しくない。
内田氏曰く「政治にしろ経済にしろ、これは一種ゲームフィールド、ゲームの場の出来事なんであるから、絶対にどんなことがあっても対戦相手に呪いの言葉を投げつけてはいけない」。
これが「マナー」。
反対運動をやる人たちは、あるラインを超えると全部呪いになってしまう。
同じことを連呼し続けて「絶対反対絶対反対・・・」。
だんだん呪いのリズムに。
そういうのは内田先生は「不健康じゃないか」。
ズバリ言うと「『絶対反対』っていう言い方そのものが病的ではないか」。
「絶対反対」は一種狂気を秘めた相手への罵り。
「とりあえずあなたの意見を聞いてみましょう」という態度からは遠い。
「一切聞かない」という態度。

とにかく社会というそのゲームフィールドにおいて、その時にその呪いの言葉使いを絶対に避けるべきである。
ゲームに疲れたりゲームが無為に見えたらすぐゲームから退室しなさい。
その資格、権利はあなたにあるんだ。
それが基本的人権なんだ。

その次に師範がおっしゃっているのは「取り越し苦労を禁じる」。
「想定内」というのをしきりに振り回した若き大金持ちがいた。
今、クイズ番組なんかにたくさん出てらっしゃっている。
ホリエモン。
絶えず「このことは予想してた」みたいな。
「最悪の事態をたえず予想して私は動いております」なんて言う。
その「最悪の事態を予想する」というあなたの考え方そのものは、あなたに呪いをかけている。

「最悪の事態」に備えた人は無意識のうちに「最悪の事態」の到来を願うようになる。(71頁)

この人はあちこちで鳴る危険のアラーム信号を無視するようになる。
「最悪の事態を想定するんだろ?」と。
最悪でないことでポツ、ポツとアラームが鳴る。
ところが「まだ最悪じゃない」と最悪をじっと待つようになってしまう。
その「最悪の事態」がやって来るまで一切動かなくなってしまう。
結婚する時に最悪の事態を想定して離婚の取り決めなんかやっちゃうとだいたい離婚する。
ハリウッドの大スターなんかで「財産の○%は分ける」とかっていう人がいるが、だいたいその通りになる。
それで「うちの宿六は」とかって罵り合いながら「別れろ切れろ」ばっかり語り合っている夫婦で、ずっと続く夫婦っていうのが巧みに離婚の危機を乗り越えていく。
なぜならば「最悪」を想定していないから。
これは内田先生の知見だと思う。

 なにしろ生き死ににかかわる危機的状況に立ち入ったわけですから、心身のパフォーマンスを最大化しなければとてもじゃないけど生き延びられない。
 恐怖、不安、後悔といった感情が心身の働きを高めることはありません。絶対にありません。
 だから、どんなことがあっても、こういうネガティヴな感情がのさばり出ることを抑止しなければならない。
 そのためには「場を主催しているのは私だ」という話にしなければならない。私がこのイベント全体の「プロデューサー」なのであるという気構えで場に処さないといけない。
(76〜77頁)

 さて、プロデューサーが現場でする仕事とは何でしょう?−中略−
「床のゴミを拾うことだよ」
(77頁)

普段から足元のゴミを拾う人というのは、その「場」を主催しているプロデューサーの自覚を持つことができる。

レジ袋が武田先生の家の前に落ちていたので、朝に散歩に行く時にそれを拾い上げて歩いていた。
ハッと気が付いたらずっとゴミを拾っている。
犬のウンコまで。
人の家の犬に餌をやる趣味の武田先生。
だから遊歩道で始末の悪い人がいて、犬のウンコが落ちているが、拾っておけば犬も責められない。
それで落ちていたミカンの皮でウンコをつかんで、レジ袋に貯めて燃えるゴミのところに捨てていった。
それがよいことかどうかはよくわからないが、その時にこの言葉に。
つまり「自分の人生に責任を持って生きていこうと思うと、目の前のゴミを拾うことです」という。
そういうことを内田先生は言いたいのではないか。
目の前のゴミを拾うということが成熟への次のステップである。

2016年10月27日

2016年7月18〜29日◆『土の学校』木村秋則(後編)

これの続きです。

無農薬栽培のリンゴから学んだことがここ(土の学校)には書いてあるのだが、自然から学んだことというのが私達の持っている考え方を揺さぶる野生に満ちている。

 私が農薬の使用をやめた直後、リンゴ畑で猛威をふるったもうひとつの病気に、黒星病というのがあります。これは黒っぽいススのようなカビが、リンゴの葉や実の表面につく厄介な病気です。(92頁)

木村さんはあえて農薬を振りかけたりしない。
これは本当に不思議なのだが、そうすると農薬を振りまかないでもう「罹ったヤツはしょうがねぇな」とあきらめることにすると、全体に広がらないそうだ。
とにかく農薬を振りかけて病原菌を皆殺しにすると、耐性を上げる。
抵抗力をつけて、その薬が更に濃く振りかけないと消えないというようなタフさを持ってしまう。

 つまりリンゴの内生菌が活発に働くようになったおかげで、今まで悪さばかりしていた病原菌が、おとなしい常在菌のようになってしまったに違いありません。(93頁)

リンゴの木は人間が実を取りやすいように剪定をする。
あれは剪定が半分命。
だから青森とか弘前というのは剪定技術がすごく発達しているので桜も綺麗。
ハサミで切るところが上手い人が、そこらへんにいっぱいいる。
剪定するのは冬がいい。

 なぜそんな時期にやると思いますか。
 それは、この時期がいちばんノコが切れるからです。ちなみにノコとはノコギリのことです。
 他の季節だと、リンゴの枝を切っていると、だんだんノコギリが重くなって、切るのが大変になります。樹液に含まれるタンニンが、ノコギリにこびりついて切れ味が鈍るのです。ところが冬のこの時期は、リンゴの成長が止まっていて、樹液の移動がほとんどありません。
(120〜121頁)

いろんな物が生きているということが、全ての原則の真ん中に置いておかないといけない。
すごく強い国とか強力な国がある。
そういうふうにいっぺんにまとめてしまうと「自然も人間の社会も非常にもろいものになりますよ」という木村さんの教えみたいなものがすごくうなづける。

石川さん(この本にまとめた人)が木村さんのことを「実際家」と呼んでらっしゃる。
木村さんというのは数字から物事を作っていくんじゃなくて、物事から数字を取り上げるという方。
そういう人の態度というのが実は一番科学という呼び名に近いのではないだろうか。

(ここから本の内容から離れて映画の話に変わるので、割愛しようかとも思ったが一応載せておく)

五月の中旬に、奥様に誘われてドキュメンタリー映画を一本観に行った武田先生。
「ポレポレ東中野」という、非常にマイナードキュメンタリー映画を上映する本当に小さな映画館がある。
奥様が「観に行こう」と言った映画は当たりがいい。
その前に観に行ったのは山田洋次監督の家族はつらいよという。
このマイナードキュメンタリーの『ふたりの桃源郷』というのが圧巻のドキュメンタリー映画。
田中寅夫さんとフサコさんという、このご夫婦を26年間に渡って撮ったという。
この二人がまさに土に生きる人。
映画館は満員。
もちろん大きな劇場ではない。
100人ちょっとくらいかと思われるが、若い方もいっぱい来てらっしゃる。

山口県岩国市美和町の山奥で暮らす田中寅夫さん・フサコさん夫妻。二人が、電気も電話も水道も通っていないこの山で暮らすのには、ある理由がありました。山は、戦後まもなく一からやり直そうと自分たちの手で切り開いた大切な場所。高度経済成長期に大阪へ移住し、三人の子供たちを育て上げた寅夫さんとフサコさんでしたが、夫婦で還暦を過ぎた時、「残りの人生は夫婦で、あの山で過ごそう」と、思い出の山に戻り、第二の人生を生きる道を選んだのでした。
畑でとれる季節の野菜、湧き水で沸かした風呂、窯で炊くご飯…かけがえのない二人の時間に、やがて「老い」が静かに訪れます。山のふもとの老人ホームに生活の拠点を移した後も、山のことが心から離れない二人。離れて暮らす家族の葛藤と模索。そして夫婦亡き後、残された家族に〈芽生えた〉ものとは――?そこには、現代における“幸せの形”のヒントがありました。


暖房等々はどうするかと言うと、山の雑木を切って薪にして。
「年金でお米は買う。だけど他の物は全部自分たちで作ろう」と決心なさる。
その暮らしぶりをいきなり見せられる。
最初に写真か何かで二人を紹介するのだが、動き始めるのはもう70代になった時の二人。
お耳が両者とも遠い。
老人夫婦70代の二人が語り合うと吠えるような大声に。
それでその声の荒さというか大きさに驚いて息を呑む。
ところが叫んだ後、二人とも笑い転げる。
「あ、機嫌がいいんだ」というのがそれでやっとわかったという。
寅夫さんの方は上半身裸になって、筋肉隆々たる体で薪を真っ二つに割っていかれるのだが、あげられる声がほとんどうめき声。
「ああああああー」とか。
フサコさんは話し相手がまるで目の前にいるかのごとく、ずっと独り言を大声で言ってらっしゃる。
イモ、豆、ゴボウ、ダイコン、そしてコンニャクイモを作ってらっしゃって、そのコンニャクイモを剥いて、それをコンニャクにする。
コンニャクにする煮詰めの作業は寅夫さんの割った薪を火にくべて。
コンニャクができるとお二人は晩御飯になさっている。
その鍋から掬った瞬間にフサコばあちゃんが大きい声(聞き取りづらい発音)で「味はどうだ?味はどうだ?おじいさん。味はどうだ?」
そうしたら78歳の寅夫さん「まあまあ。まあだ。タハハハハハ」というような。
それで我々がすーっと惹きこまれるのは二人で一杯ずつビールを、コンニャクを肴に飲む。
飲んでで食べている時だけ二人がうめくように「なぁぁぁぁ!」と言う。
幼児に帰ったようなおじいちゃんとおばあちゃん。
二人はずっと笑顔。
そして二人の寝間は中古バスの中。
家はあるのだが、トタン屋根でほとんど作業所になっているので、廃車を買ってきて置いて、そこにベッドを一台放り込んで。
ベッドが高すぎる。
フサコばあちゃんが2〜3回ジャンプしないと、ベッドの上に上がれない。
それで楽しそうに笑って「おじいさん。手、貸して!」。
そこから二人のドキュメンタリーが始まる。

二人の農作業は自然の中ドップリで、米は作らず、二人で食べる野菜を二人で作るという作業。
春先の映像なのだろう。
寅夫おじいちゃんが山中に山菜採りに出かけたようだ。
ところが待てど暮らせど帰ってこない。
それで70代のフサコばあちゃんは心配になったらしくて。
もうそうなればドキュメンタリーもクソもない。
カメラマンに向かって「どないしよ。帰ってこんね、じいちゃんが」と言いながらカメラマンに相談なさっている。
「倒れとるんじゃないかね?山の中で」と言いながら。
それで山に向かって「おじいさーん」と呼ぶ。
3度か4度呼んでいるうちに山の彼方の方から「おぉーい!」という。
そうしたらもうフサコばあちゃんは段取りをすっかり忘れてしまって、カメラを意識しないでくれとかを忘れてしまってカメラの方を向いて「よかった。生きとるわ」と言いながら、いそいそと晩飯作りに入るという。
フサコさんは腰が曲がって背筋が伸びない。
寅夫じいちゃんはハンサムな方で、背筋が凛としたおじいちゃんなのだが。
二人は中古バスの中にベッドを置いて二人で抱き合って寝ている。
水もなければガスもない、電気もないという生活。
水は山から湧いてくる水を取ってくる。
山口県の岩国とは言っているが、山中は冬場は雪に覆われるという寒さ。
だから最初にドキュメンタリーを観るとその生活の荒々しさから山中に置き去りにされたおじいさんとおばあさんのような気もして胸が痛くなる。
「かわいそうだな。このおじいさんとおばあさんは」と言うのだが、二人は農作業に追われに追われて、懸命に働いてらっしゃる。
「しかしこんな中で70代のご老人が二人が」という。
「お子さんなんかいらっしゃらないのか?亡くしてしまわれたのか」と思っていると、とんでもない。
とてつもなく幸せな家族を持ってらして、娘さんが三人、近畿圏に住んでらっしゃって、大阪で夫婦で商売をやって孫もいる。
その娘たちが心配して、夫婦で近畿圏にじいちゃんとばあちゃんを招待する。
旦那さん方も、もう三組の夫婦ともみんないい。
それで伊勢神宮にお参りに行った旅館のカラオケ大会で、とうとう長女が切り出す。
「いつまでやりおるんね。ええかげんにしんさい。もう歳やけ」と言いながら。
広島弁に近いような山口弁で娘三人がおじいちゃんとおばあちゃんを叱る。
ところが寅夫さんはカラオケのマイクを握りしめて「御心配かけて申し訳ありませんが、私共はやっぱり山へ帰ります」と言いながら引かない。
それを娘三人が泣いて「もう〜!」と言いながら地団駄を踏む。
なにせ70代の両親だから。
ところが山に戻った70代のお年寄り二人は暮らしぶりをまたドキュメンタリーカメラが追い始めると楽しそう。
乱暴な料理で、ちょっと栄養学にうるさい武田先生の奥様が低い声で「あ、それはよくないなぁ」と言いながら。
煤けた鍋でフサコばあちゃんがインスタントラーメンを昼飯で作っている。
それで二玉入れて、ざく切りの魚肉ソーセージをバーン!と入れて、バーッと箸でかき回して「おじいさんできたわよ」と言いながら。
奥様が小さい声で「あ、そういうのはよくないなぁ。自然の物をお摂りになればいいのに」とか何かいいながら。
逆におかしい(面白い)と思う武田先生。
健康体の人は何を食べてもきっと健康なのだろう。
70代のお二人が袋麺のインスタントラーメン二玉と魚肉ソーセージの叩き切ったヤツを湯気を上げながら美味しそうに食べる。
二人はそこで楽しそうに明日の農作業の予定の打ち合わせをインスタントラーメンを喰いながらやってらっしゃる。
聞こえるのは風雨の音だけ。

26年間に渡るドキュメンタリーなので刻々と時が流れてゆく。
だから最初に登場した時に娘さんたちは黒髪で若かったのだが、我々と同じような年齢になる。
おじいちゃんとおばあちゃんが農作業を懸命に二人でやっているのだが、年齢がだんだん迫ってくる。
山中の過酷な農作業は二人の体を責め立てるようになる。
そしてせつないことに、寅夫さんは喘息の病が出て、とうとう山の下の老人ホームの方に二人ともお入りになる。
でも、ここからがすごい。
寅夫さんは調子が上がらずにグターッとしていて、フサコばあちゃんが心配そうにおじいさんの手を撫でている。
「手、冷とうなっとるがなぁ」と言いながら泣きそうな声で。
そうしたら寅夫さんがガバッと起きて「これじゃ、ボケてしまう」。
軽のちっちゃい車で畑へ戻る。
娘たちの言うことを半分聞いて、夜は老人ホームで二人で寝る。
だけど「昼間は畑で働かせてくれ」と言う。
この時の二人の年齢は88歳と83歳。
喘息の発作が出て、かなり体力を消耗なさっているが、寅夫さんは畑に水を撒くために、木桶を肩に担いで歩く。
もうそれは足元が危なくて、農作業ではなくて刑罰のように見える。
それでも腰がくの字に曲がったフサコばあちゃんも地を這うようにして雑草を取る。
その土にしがみつく二人に、とうとう三女の恵子さんが大阪のお寿司屋さんを引き払って旦那様と一緒に帰ってくる。
「気のすむまでやんなさい、そんなに畑がやりたかったら。その代り私たちも手伝うから」
その娘さんとお婿さんの力を借りて、二人の畑はキープされるのだが、今度は寅夫おじいさんに前立腺のガンが発見され、喘息が肺炎、肺気腫の併発へとなって、病が89歳の寅夫さんをさらに苛むという。
一カ月間の入院生活を終えて、寅夫さんが出てくる。
その時にやっぱり三女の恵子さんがよくできた方で「一番最初に見たいだろう」というので、車いすに寅夫さんを乗せてフサコばあちゃんの手を引いて二人の畑を旦那さんと一緒に見せてあげる。
そうしたらこれは観る人によって感想は様々かと思うが、その自分の畑を見た寅夫さんのつぶやいた言葉。
「なあ。来年稲作やろう。米作ろう」と言い出す。
もう話すのもやっとということなのだが。
「来年からは米作りを始めよう」と、来年の農作業の計画を娘たちに伝えるという寅夫さん。
この映画を観ていて圧倒される武田先生。
ここには、今語られている老人問題というのが全く無い。
私達が老人を語る時に、絶えず「福祉」とか「介護」とかっていうことを主語にしてしまいがちなのだが、この二人には無い。
この二人にあるのは山の畑と土。
これが観る者を圧倒していく。
寅夫おじいさんは病をかかえたまま。
本当に立てない。
四つんばいになったまま、草むしりをする。
圧倒的な存在感。
そして次の春、寅夫さんは田植えを開始する。
その年、93歳で寅夫さんは逝かれる。
このドキュメンタリーがすごいのは、この間の寅夫さんが逝く事情に関しては一切、我々に見せてくれない。
ナレーションだけ。
「おじいちゃんは逝きました」
その一言で畑しか映さないという。
しかしまだここではドキュメンタリーが終わらない。
もう一つ、最後のフサコさんの最期の姿を映しだす。

89歳という高齢のおばあちゃんになっておられる。
三女の恵子さん。
そして旦那さんの安政さん。
この二人はおじいちゃんとおばあちゃんの畑を守るために、農作業をちゃんと受け継いでらっしゃる。
安政さんがおばあちゃんをおんぶしてその畑まで連れてきて座らせる。
フサコばあちゃんは認知症が進んでいて、魂が少女のようなところに帰られたようでじーつと畑を眺めている。
ところが時々思い出したように娘の恵子さんに向かって「おじいさんどこ行ったんね?おじいさんどこいったんね?」と訊く。
恵子さんがよくできたお嬢さんで「呼んでごらん。山、行っとるんじゃろ」という。
フサコばあちゃんが両手でメガホンを作って「おじいさーん」と叫ぶという。
武田先生の真後ろにいた20代の青年が映画館の暗闇で「ううう・・・」と言いながらここで泣いていた。
我々は涙が出るが、画面の中に涙がない。
もう恵子さんも慣れた感じで。
安政さんは本当に仏様みたいな優しい地蔵様みたいな顔でジーッと笑顔で見てらっしゃる。
ここには今語られる老人問題という問題がない。
実に静かな老いの風景がそこにある。
そして我々はハッと気がつく。
あのおじいちゃんとおばあちゃんはものすごく苦行で畑を耕してらしたが、案外この畑は桃源郷なのかも知れないと。
ユートピアと言われるところ、そこは神話世界だったり宗教の力を借りなければ行けない高邁な理想郷だったりするわけだが、宗教にもよらず、神にもすがらず、あのおじいちゃんとおばあちゃんは「耕す」という実に単純な人の手作業によって桃源郷、ユートピアと呼ばれる風景を自分たちで作った人たちではないだろうか?
そんな思いが込み上げてくる。
ドキュメンタリーはまだこのフサコおばあちゃんを追いかけていく。
だんだんフサコばあちゃんは記憶の扉が閉じて、もう何もかも忘れたような。
ゆっくりと唇が動くが、その唇は歌を歌っている。
大声で話していた唇がやがてウツロになり動かなくなり、声が全く聞こえなくなったところでおじいちゃんと同年の93歳で「おばあちゃんは死去」というナレーションが語られる。

最後、ドキュメンタリーは何を映し出すかというと、耕している。
三女のご夫婦が懸命に。
それがいつかのおじいちゃんとおばあちゃんと全く同じ背格好というか。
100人ばかりの観客が、スクリーンによほど見入ったのだろう。
全然動かなかった。
館内、誰一人動く気配はなく、山の気配を映し出す画面をまだ去りがたくじーっと見つめているという。
ここにはほの暗い老人問題の湿りっ気が全くない。
終戦直後、国家消滅の中で「食べていくものだけは自分たちで作ろう」と若い夫婦はそう決断したのだろう。
その決断を60代半ばでもう一度思い出し、そしてその気付きに生涯を託したという。
それがいかなる人生であろうと、一つを貫いた人生の断面は実に美しい年輪を残すものだ。
豊かで静かで多くの人たちの支えを持ち、映画はやがて閉じる。

映画はまだ感動の場面がいっぱいある。
おじいちゃんがアカマツを植えてらっしゃる。
その根っこにマツタケが生える。
そのマツタケを求めて腰がくの字に曲がったフサコばあちゃんがマツタケ探しに行く。
カメラマンが後ろから付いていくのだが、ものすごい急斜面。
ところが腰の曲がったフサコばあちゃんにとっては急傾斜が角度で合っているらしくて、ピタッと張り付く。
それで山の傾斜をツツツツツと登っていく。
これが圧巻の体力。
それで(マツタケを)一本見つける。
そのシーンなんかもいい。

2016年7月18〜29日◆『土の学校』木村秋則(前編)

今回は前半は『土の学校』という本の話だが、後半はもっぱら別の映画の話。

奇跡のリンゴ―「絶対不可能」を覆した農家 木村秋則の記録 (幻冬舎文庫)



木村秋則さんがリンゴを離れて自分の農業全体を見渡すというようなことで書いた本。
絶対不可能と言われたリンゴの無農薬栽培を成し遂げた木村秋則さん。
その苦闘の記録を以前『三枚おろし』でも取り上げた。
(私のブログでは扱っていない)
今回は木村さんが土について語ったという、エッセイ風なおしゃべりが非常に読みやすい本。

土の学校 (幻冬舎文庫)



武田先生が、残りの人生でやりたい役があるのだが、その一人がこの木村秋則さん。
以前、阿部サダヲさんで映画化されたが、あれは「愛妻家・木村秋則」という人にフォーカスがあててある映画だった。
木村さんは、そういう面もあるがもう一つ、宇宙観とか生命観みたいなものを描かないとこの人を描きつくせないと思う武田先生。
木村さんは「宇宙人と会った」というようなトンチンカンなことをスポーンと言う人。
「一昨日歩いてたら田んぼの真ん中に龍がいましてね。まぁ竹で追っ払いました」とか。
そういう話がポンと出てくるという方。
幻覚と言っては悪いのだが、宇宙人が出てきたり龍が出てきたりする。
それも何かこの人の、言葉では言い表せない生命観、宇宙観みたいなものがそういうものになっているのではないか?
リンゴ農家の専業農家人が土から学んだことが書いてあるのがこの『土の学校』という本。
武田先生が急にこの話にしてみようかと思ったきっかけはNNNというニュースネットワークが作ったドキュメンタリー。
ふたりの桃源郷という記録映画がある。



26年間、おじいちゃんとおばあちゃんの農業のその姿を描いた。
(番組中、一貫して「26年間」と仰せだが映画の公式サイトによると25年)
山口放送局のものだが「テレビに捨て置くのはもったいない」というので映画サイズになって、今、100人位の小さなドキュメンタリー専門映画館で上映されている。
お二人が亡くなるまで追う。
65歳から93歳までの年数のドキュメンタリー。
これは一種「凄み」がある。
『ふたりの桃源郷』と『土の学校』を重ねてみると、我々が見逃していたようなものが見つかってくるような。

青森弘前市郊外、岩木山の山麓のリンゴ園で10年無農薬栽培に挑む。
花が咲かず、実一つ成らず。
この人(木村秋則さん)は何年目かに自殺するところまで追いつめられる。
それで服毒自殺をしようと思って、ある夜、納屋に入って農薬を探すのだが農薬がない。
無農薬リンゴに挑んでいたから、農薬を買っていなかった。
それでこの人は泣く。
「こんな時のために、せめて一袋、農薬を買っておけばよかったんですが、わたくしあまりにも打ち込みすぎて農薬を買うのを忘れ、服毒自殺が出来ずに。わたくしロープで死のうと思い、岩木山に登ったんです。ある程度の高さがないと首はくくれませんのでですね、高い枝を探していたんですが、真暗い深夜のこと、闇に向かってロープ投げるんですが、かかるのかかかったのかがわからないんですよ。一応首巻いて締めたんでございますが、高さがないと苦しいんですね、首絞めると」っていう話ぶりの。
ロープがろくに太い木にかかっていないのでドスーンと落ちる。
それで何回か落ちている時に、木村さんがフッと岩木山麓の土の柔らかさに気が付く。
「ここの土は柔らかいな」という。
それでフッと手を差し込んでみたら、深夜にも関わらず温かい。
「この土だったらばリンゴが上手く育つかもしれない」というので、再起して無農薬のリンゴに挑むという。

ひとつかみのよく肥えた土には、なんと1000億という単位の細菌が生息していると書いてありました。(21頁)

 その小さな生き物たちにとって、ひと握りの土はまさしく自分たちの生きる世界であり、宇宙であったわけです。(22頁)

もちろん傷口が化膿する破傷風菌やボツリヌス菌等、非常に危険な細菌もいる。
しかし、その一千億の細菌と共にリンゴの木は生きているのだ。
だからやっぱり役に立つ菌もいる。
木村さんの学びの第一章「山の土とリンゴ園の土の差は一体何か?」。
岩木山麓の山の土で育つ野草と、リンゴ園の足元の雑草を比べてみる。

山のタンポポの方が、私の畑のタンポポよりもずっと大きいのです。私はふと思いついて、かわいそうだけれど、その根っ子を引き抜いて比べてみました。
 山のタンポポの根っ子は太く、長く、そしてひげ根もたくさん張っていました。それに比べると、私の畑のタンポポの根っ子はかわいそうなくらい貧弱でした。
 その頃はまだ私は自分の畑に、鶏糞から作った堆肥をたっぷりと与えていました。弱ったリンゴの木になんとか養分を送りたかったからです。
 ところが、肥料をたぷり与えた私の畑のタンポポは貧弱で、肥料なんて誰も与えていない山のタンポポは立派に育っているわけです。
(49〜50頁)

このことで、現代の農業にものすごい疑問を持つ。
理科の授業で習った植物の肥料の三大要素。
窒素、リン酸、カリ(カリウム)。
木村さんはこれに疑問を持つ。
リンゴ園の土は窒素、リン酸、カリをたっぷり含んでいる。
それでタンポポが上手く育たない。
ところが山のは窒素、リン酸、カリなんて全然なのだがタンポポはデカデカと育っている。
木村さんは「土の豊かさは肥料分ではなくて、土の中で活動している微生物と植物の一対一の関係がうまくいくかいかないかなのではないか?」と。
腸内フローラ。
腸内の細菌のことなのだが、これがすごい。
フローラっていうぐらいだからお花畑みたいにいる。
何百種類と腸内細菌がいて、その中には良いものもいれば悪いものもいる。
たくさんびっしり「お花畑」が広がっていることが大事。
そういう腸内フローラとか自然とか、そういうものと生き物の一対一の関係が、植物を、あるいは生物を丈夫に育てるということで、木村さんはリンゴ園の中にリンゴが元気づくような土の中の細菌作りをやる。
その糸口として、リンゴ園の草刈りをやめてしまった。

 草刈りを一切やめた私のリンゴ畑は、それこそ瞬く間にジャングルのようになってしまいました。一時は草が私の肩の高さまで伸びて、自分の畑の中を移動するにも苦労したくらいです。(64頁)

ところが木村さんのリンゴ園はほったらかしで雑草とかあまり刈ってらっしゃらないはずなのだが、雑草はそんなに長く伸びていない。
雑草の方が変化する。
毎年、年ごとに雑草も劇的に変化する。
雑草は土の中の温度を保つ力も持っている。
だから、リンゴにふさわしい土の温度を保つ雑草の伸び方というのを、彼がここでトライしていく。

東京の歩道は業者の人が草を刈ってらっしゃる。
でも考えてみると不思議だ。
刈っても刈っても雑草ってキチンと伸びてくる。
武田先生が調べたところによると、あれは時間差攻撃。
雑草は芽を出すヤツと「眠っとこう」というヤツがいる。
芽を出したヤツは刈られる。
眠ったヤツは眠り続けて、次のチャンスを待つ。
だから毎年伸びてくる。
だからヤツラも生きていくために、一斉開花なんかしない。
時間差で「今年咲くのやめた」とか、そういうヤツもいる。
「俺、伸びちゃうね」みたいなのと、横に「俺、眠っとく」みたいな、そういうのがある。

木村さんのリンゴ園の雑草は
10年間で7回、様変わりした。
ある種類がバーッと咲いて、全部覆い尽くしたと思ったら、次の年は全くそいつが咲かなかったり。
戦後増えた雑草でセイタカアワダチソウというのがある。
それが箱根あたりでは、やられていたススキが盛り返しつつある。
やられて、セイタカアワダチソウで全滅しそうだった。
ところが最近は押し返し始めて、セイタカアワダチソウの黄色い花がだんだん小さくなってきた。
これは「野草戦争」といってススキとセイタカアワダチソウの戦い。
セイタカアワダチソウが何であんなに強いかというと、根っこから毒を出す。
それでススキを一掃した。
ところがススキもさるもので、毒に強いヤツが出てきた。
それで押し返し始めた。

 草刈りをやめてから最初の5年間は、リンゴ畑に大豆を播きました。
 古くなった安い大豆を大量に買い込んできて、畑中に播きました。
 雑草のかわりにしようと思ったのと、大豆の根っ子につく根粒菌が土に養分を供給してくれる効果を狙ったのです。
 毎年播いていたら、そのうち大豆を狙って、どこからかたくさんの鳩が畑にやってくるようになりました。大豆を播いても、播いても鳩に食べられてしまって、畑に大豆を播いているのか、鳩に餌やりしているんだかわからないような時期もあったくらいです。
 それでも毎年大豆を播き続けました。弱っていたリンゴの木が、少しずつ元気になっていったからです。
(67頁)

 私の場合は最初の5年間だけ大豆を播きました。5年目に播いた大豆の根っ子を見ると、根粒菌の粒がほとんどついていなかったからです。窒素がもう土中に行き渡ったサインだと解釈して、それ以降は大豆を播くのをやめました。(68頁)

毎年、同じ肥料を播いてはいけない。
土は必ずバランスを求めて、突出した栄養を嫌う。
リン酸が不足すれば、リン酸を集めるアーバスキュラー菌という菌を土が呼ぶ。
だから毎年「窒素、リン酸、カリの三大栄養素を与える」という農業指導が逆に土を腐らせる。
それで不必要な雑草を呼んだりする。
バランスが取れれば、土自身がゆっくり自分で成長して、辺りの木に栄養を施す。
そういうサイクルに土全体を持っていく。

農業における科学を追求して「植物には窒素、リン酸、カリが必要だ」というので窒素工場なんかが農業圏に出来た。
ところが、その窒素を水銀で作る。
それで水銀中毒っていう公害が起こったりした。
あれも、あまりにも農業が「待つ」ということが出来なかった。
窒素がそんなに欲しいんだったら大豆で充分だ。

レンゲが根粒菌を呼ぶ。
武田先生が子供の頃、稲刈りが済んだり畑が終わると、ビッシリとレンゲの花が咲いていた。
そうすると農薬なんか使わなくてもいい。
だから「栄養を与えすぎると土が腐り始める」という木村さんの土から学んだことというのは大きい出来事だった。

木村さんは「農業とは、生態系の中で生きていく仕事だ」と思い至る。
そういう自覚のもと、無農薬、自然栽培のリンゴに彼は挑戦していく。
していくうちにだんだん気づきはじめる。
肥料をリンゴの木に与えないと、リンゴの木は自分でなんとか頑張ろうとやる気になる。
数年で根っこが20m伸びた。

 私は来る日も来る日も、左手の手首にビニールの買い物袋の輪っかを片方だけかけて、猿がノミ取りをするみたいに両手でリンゴの葉についた憎い害虫を、片っ端からつまんでは買い物袋の中に落としていきました。1本の木から、買い物袋3袋分の虫が取れたこともあります。(104頁)

リンゴに付く虫はハマキムシという虫で、この人は逆の発想を持つ。
「ハマキムシを全滅させるのはやめよう」と。

 害虫をすべて滅ぼして益虫もいなくなった畑に、どこからか何かの拍子にその害虫がちょっとでも舞い戻ったらどうなるでしょう。
 なにしろ天敵の益虫はいません。害虫はどんどん繁殖して、あっという間に畑中のリンゴの木にとりついてしまうでしょう。
(110頁)

ものすごいのは、抵抗力がリンゴの木にもついていくらしい。

『奇跡のリンゴ』で読んだ話。
リンゴの木の状態で、集まってくる虫が変わって、ひどい時はスズメバチが大量に押しかけてきたりしたこともあった。
だから木村さんは散々ハチには刺されている。
木村さんは一軒だけ殺虫剤を使用しないということで、周りのリンゴ園の経営者から激しく非難されるという日々があったそうだ。
木村さんの畑から害虫が湧き、そこから広がるというふうにして嫌われた。
じーっと彼が観察していると、彼の畑から害虫が湧くのではない。
周りのリンゴ園で殺虫剤が撒かれると、害虫も益虫もみんな木村さんのところに集まる。
雲霞のごとく、益虫も害虫も木村さんのリンゴ園にバーッと集まってくる。
とにかく農業において、敵と味方を作らない。
虫の大発生は、その理由、原因を教えてくれる一つの症状であって、どんな虫が今、湧いているかでリンゴ園の状態を学ぶ。
一種遠回りなのだが、賢い方法だった。
例えば、栄養の窒素がリンゴ園の土に過多になるとアブラムシが湧く。
アブラムシは植物のために撒いた窒素を喰いにやってくる。
だから本当に当たり前だが、雑草にアブラムシはつかない。
「だったらその状態にリンゴを持っていけば」というのが木村さんの考え。

 同じ畑で、同じ作物を毎年育てていると、作物の生育が悪くなり、収穫量ががた落ちします。これを連作障害と言います。−中略− 
 そして連作障害が起きると、薬を使って土壌消毒をします。
−中略−良い菌も悪い菌も、とにかくそこの土壌にいるバクテリアは皆殺しにしてしまう。(118頁)

消毒した土は雑草に栄養をやらないような管理をしないと、ものすごい勢いで土は痩せていく。
やがて土を入れ替えなければならないというところまで土は追い詰められて、痩せていくという。
トラックで別のところから土を持って来て撒くのだろう。
そんなことをやっていると、農業はどんどんお金がかかってしまうので「農家っていうのが非常に経営が」という。
そういう農家の経営に木村さんはものすごい疑問を持ってらっしゃる。
この連作障害を避けるために、土壌消毒、殺菌、それから除草剤による農地の経営というのは、アメリカで主流を占めていて、穀倉地帯でも障害が起こっている。
ロッキー山脈の麓の小麦がいっぱい採れる穀倉地帯。
そこで地面から塩が湧いてきた。
水っけを引っ張り上げすぎてしまって、作物を育てる土が飛んでしまって岩盤が出てきて、岩盤の塩が滲んできているという。
トランプ氏なんかで大騒ぎだが、もっと騒がなければいけない問題点はいっぱいあるようだ。
そういう意味で木村さんが試されている、時間がかかるかもしれないけれども「土そのものを健康にするんだ。健康の土から健康な農作物が生まれるんだ」という。
この発想というのは、とにかく日本でしっかり技術を磨いておこう。

土の中に、耕して酸素を増やしてやる。
そうすると放線菌という菌がやってきて、これが植物の根っこに取り付いて、木そのものを元気にしてくれる。
だから春耕す時は土を荒く、窒素が必要な時は大豆を播いて木が元気になると葉っぱに免疫力が付く。

リンゴの木には、葉をおかす斑点落葉病という病気があります。この病気におかされると、葉に茶色の斑点のような病巣ができます。そのまま放置すれば、普通はその斑点がどんどん広がって、葉を枯れさせ、落葉させてしまいます。−中略−
 ところが今の私の畑では、1枚のリンゴの葉にこの病気が出ても、不思議なことにそれ以上は広まらないのです。斑点落葉病特有の茶色いスポットが葉にできると、葉のその部分だけが乾燥し、病巣ごと落ちてしまうからです。まるでリンゴの木が、病気におかされた部分だけを切り取って落としているように見えました。
(89〜90頁)

以前、木村さんちのリンゴ園へ行った武田先生。
本当に「almost heaven(ほとんど天国)」という感じ。
岩木山が真裏にあって、その岩木山の連峰の向こう側に白神の山地があって、そこは落葉樹で有名なところで、そこから風がビューっと吹き下ろしてくる。
これが気持ちいい。
武田先生の奥様が裸足になって走り回っていた。
娘二人も裸足にして「あんたたち裸足で歩くのよ。下から栄養が湧いてくるから」と。
1本ごとリンゴをもらった武田先生。
「好きなだけ積んで、持って帰って」と言われて。
レンタカーだったので欲張るだけ欲張って、木村さんちのリンゴを荷台に突っ込んで旅館まで行った武田先生一家。
旅館に行ったらそこで荷造りをして送ろうと思っていたのだが、奥入瀬まで行く道中、車の中でリンゴの香りがした。
「今、俺は奇跡のリンゴの匂い嗅いでるんだ」と思った。
結局荷造りして早く送ればいいのに「もったいない」というので、車に積んでおくのがもったいないので、リンゴを車から降ろしてホテルの部屋に運び込んで二晩、一緒に寝た。
本当に香りがいい。
奥入瀬の温泉に入って、奥入瀬渓谷を眺めた後、メシを喰ってアップルワインか何かを飲んでひっくり返って寝る時にリンゴの匂いがすると本当に・・・。

2016年10月01日

2016年8月15〜26日◆ネアンデルタール人は私たちの先祖か(後編)

これの続きです。

今、犯罪捜査でDNA捜査が科学力をぐんぐんあげている。
それは、このペーボ博士の基本的な研究姿勢が世界に広まったから。
どんなふうにして研究材料を洗うかとか、研究者はどの薬品で洗うとよい、使ったその薬品をさらに薬品で洗う時はこの薬品がよいとか、そういう何十年もかかって基礎を作った。
そういうのを読んでいると「あ、この人は信用していいなあ」と思う武田先生。
このペーボさんがしっかりした研究をしてらっしゃるということがだんだん世界で知られるようになって、ものすごい死体が彼のところに持ち込まれる。
DNA研究は死体研究。
1993年、彼のところにある遭難者の死体のDNAがオーストリア政府から依頼される。

 1991年9月にふたりのドイツ人ハイカーが、アルプス山脈の、オーストリア・イタリア国境のハウスラプヨッホに程近いエッツ渓谷の氷河で、溶けかかった雪の下にミイラ化した男性の死体があるのを発見した。当初、ハイカーたちも、その話を聞いた専門家も、現代人の遺体だと思った。戦死者か、吹雪で道に迷った気の毒なハイカーだろう、と。しかし、遺体を氷河から取り出し、衣服や装備を調べてみると、そのどちらでもないことが明らかになった。彼が亡くなったのは5300年前の青銅器時代だったのだ。(97頁)

1993年にインスブルック大学の教授から連絡があり、アイスマン──またの名をエッツィ(発見場所に因んでつけられた)──のDNAを分析してみないかと尋ねられた時には、ずいぶん驚いた。(97〜98頁)

アイスマンは服も着ているしブーツも履いている。
エジプト文明がどうのこうのという時代に、もうドイツ・イタリア国境付近でこれくらいちゃんと人類はもう生活をしていた。
それで腹の中を断ち割ったら、パンは出てくるは何は出てくるわ。
これが有名なアイスマン。
でもちゃんとした人類の顔をしている。
5300年間冷凍保存。
オーストラリア政府から頼まれて(本には「政府から頼まれた」とは書いていないが)その人のDNAを解読する。

現地では、わたしたちのために病理学者がアイスマンの左の腰から8個の小さな標本を採取した。−中略−8つの標本には由来の異なる配列が混入していて、しかもそれぞれ内容が違っていた。実に苛立たしい結果だった。混入したDNAのすべてではないとしても、大半は発見時にアイスマンに触れた人々のものだろう。(98頁)

オリヴァはついに、アイスマンのものと思われるmtDNA配列を再構築した。増幅した断片に重複から、300ヌクレオチドよりも少し長い配列を決定することができたのだ。その配列は、現代ヨーロッパ人のmtDNAの参照配列との違いが2か所だけで、現代ヨーロッパでもそれほど珍しくない配列だった。寿命が80歳から90歳である人類にとって、5300年というのは長い年月であり、およそ250世代に相当する。−中略−実際、わたしたちの予測では、青銅器時代以来、対象とするセグメントでは、変異は多くてもひとつしか起きないはずだった。(100頁)

この研究を踏まえて、ペーボ博士はアイスマンを通してもっと配列に変化のある研究をしたくてたまらない。
その時に彼の頭にひらめいたのが五千年とかそんなのではなくて万単位。
三万年前まで人類を遡って2000世代まで遡るネアンデルタール人の遺伝子配列を調べたいなぁという気になってきたというところで。
ついこの間のことかも知れないが、1999年、彼のところにこれも遺跡、遺物でクロアチアで発見された800個以上のネアンデルタール人の骨の一つが持ち込まれる。
一体何に彼は惹かれたのか?
例えば現代人のmtDNA(ミトコンドリアDNA)は種類、バリエーションが非常に少ない。
その意味するところは「現生人類は一度激減してまた増えた」という歴史を持つ。
mtDNAは母系のDNA。
これは変わらないが、男の方は変わってしまう。
男の方は精子と卵子がくっついた段階で精子のほうが自分のところの系統を消してしまう。
ところが卵子の方は消されないのでそのまま残る。
mtDNAのバリエーションが現生人類はものすごく少ない。
これはどういうことを意味するか?
これは「オッカサン」はどうも一人じゃないか?という。
つまりアフリカにいた頃、人類のDNAを持った女性が数少なくいて、その数少ない女性を経由して人類が生まれたんじゃないか?
これが例の「ミトコンドリア・イブ」というヤツ。
人類なんて今60億いるが、どうもオッカサンは一人じゃないかというので、旧約聖書がピッタリ当てはまる。

かなり前、今の人類は一回だけ絶滅寸前までいったらしい。
二〜三万人の小さい集団だった。
基本線は人類は同じ。
言語でもそういうところがある。
太陽の光が降り注ぐことを日本人は「さんさん」と言うが、アメリカ人は太陽のことを「SUN(サン)」と呼ぶ。
「一本道が出来上がった。あー、立派な道路ができたねぇ」と言うと、アメリカ人は「オー!ビューティフルロード」って言ったりなんかするという。
人類というのは何かしら強烈な共通項を持っているという。
「一回人類は減ってそこから増えたから似ているんだ」と。
そういうのもmtDNAで分かる。
ではネアンデルタール人はどうか。

わたしたちは、全体像を見るために、それを人間および類人猿の配列のバリエーションと比べることにした。まず他のグループによってすでに配列決定されていた、世界各地の現代人、5530人のmtDNAの同じ部分と比べてみた。条件をネアンデルタール人と同じにするために、ランダムに3人を選んで配列の違いを数え、それを繰り返して平均値を出した。結果は3.4パーセントで、ネアンデルタール人の数値に非常に近かった。チンパンジーでは、入手可能な359頭分の同じセグメントを同様の方法で調べたところ、違いは平均で14.8パーセント、ゴリラ28頭では18.6パーセントだった。つまりネアンデルタール人はmtDNAのバリエーションがきわめて少ないという点で、現代人に似ており、類人猿とは異なっていたのだ。(113頁)

(番組で「ネアンデルタール人とヒトとのmtDNAの違いが3.7%」と言っているが、本によるとネアンデルタール人同士のヌクレオチドの3.7%が異なるということらしい)
全体が教えることは、人類とネアンデルタール人は非常に似ている。
チンパンジーよりもゴリラよりも、ネアンデルタール人と人間は似ていた。
これは間違いなく共通の先祖から系統図で別れて別の種になったのではないか。
ここでまた謎が。
ではなぜ彼らは絶滅し、私達は生き残ったのか?
そのことは何を意味するのか?
ネアンデルタール人と現生人類は実は故郷が同じだったのだ。

系統で言うと、人類とネアンデルタール人というのは別れて日の浅い、同じ種であったということ。
お互いの故郷はアフリカ東部の海岸に沿う草原地帯。
大地の関係でキリマンジャロみたいな高い山は今、ギューッとプレートが押している。
東側の方に高い山脈があって、片一方は窪地になってどんどんへこんでいって、いつか裂ける。
一番最初、大陸はゴンドワナで一つだった。
それが千切れてこんなふうになった。
今、ゆっくり千切れかかっているのはアフリカの東側。
そんなふうに下のプレートが動いていて、そこがボコっとへこんで大密林だったものがへこんじゃったので、そこが草原になった。
木の上が安全だから「サル」だった。
私達は指紋を持つ。
手のひらも汗をかく。
それはすべらないように、木の上で生きていた証拠。
ところがその密林が無くなってしまう。
それで「どうしようかなぁ」と思ったサルの一群が木の上を降りる。
降りた瞬間に「もう足、歩く専門にしちゃおう」と立ち上がって歩きはじめたという。
これが直立歩行で、人類が生まれるという起源。
この直立歩行がやっぱり『2001年宇宙の旅』じゃないけど決定的に人間を変えていく。
ペーボ博士は「ネアンデルタール人と現生人類はそこなんだ」と。
「同じポイントで生まれた」
このことを発表した段階でものすごく彼は非難される。
人類はバラバラに産まれたという説「多地域進化論」があって、これは1990年の段階だが多地域進化論はまだ生きていた。
彼は否定した。
「人類はアフリカ東部の海岸線の一か所から生まれた」
それで彼の研究、mtDNAの解読だけでは決定できないということで激しく論破された。
何でかというとmtDNAはその母が娘を産んだ場合は残されるが男を産んだ場合は消えていく。
だから事実の半分しか語っていないのが『ミトコンドリア・イブ』である。
完全には証明できなかったということ。
ペーボ博士は復元の難しい母と父の遺伝子を収めた「核DNA」を解読しなければこの主張は認められないと気づき、DNAの研究をするのだが、今でもそうだがDNAは大ブームを巻き起こしてライバルたちが次々の登場、出現、世界を驚かすDNA解読がどんどん発表されるが、かなりいい加減なものもある。
とにかく他のライバルたちがバンバカバンバカDNA解読をやる。
そしてすぐ『ネイチャー』などに発表する。
もうどんどん発表する。
それでも『ネイチャー』はもう「驚異の発見」ばっかりに連続する。
でもペーボさんはじっと我慢する。
ペーボさんは他の方たちの研究発表を全部横において一つの仮説を立てる。
それはどんな仮説かというと「現生人類」(今の人類)がヨーロッパにやってきて、ネアンデルタール人と出会った。
それで彼らと共に一緒に暮らして、恋もしたのではないだろうか。
人類はそれで集団を巨大にして、さらにアジア、アメリカ、オーストラリアまでの旅に出かけて行ったという。
旅をしなかったネアンデルタール人は絶滅したのではないか。
そういう仮説を立てて、そこから更に調べる。

ネアンデルタール人の男性と現生人類の女性の場合、mtDNAはこの遺伝子プールには残らない。
とにかく困難な「核DNA」を解読するしかない。
ペーボさんは一番難しいネアンデルタール人の骨から「核」、真ん中のDNAを一個取りだして、お父さんとお母さんの両方の遺伝子の入っている「核DNA」を解読するしかない。
ペーボの入念さというのは「核DNA」の解読のトレーニング練習をする。
mtDNAは捕まえやすい。
複製も作りやすい。
ところがこれは母と娘に残ったDANなので「オッカサン由来」しかない。
オトッツアンをとにかく探さなきゃいけないので、DNAの中の「核DNA」を取りだすという。
これはものすごく困難なことらしい。
この「核DNA」にはお父さんとお母さんから貰った遺伝子が入っている。
それを取りだす。
この「核DNA」解読の練習として、この人はシベリア永久凍土で見つかったマンモスのDNAで練習する。

アジアゾウの配列はマンモスと同じだったが、アフリカゾウの配列は2か所が違っており、マンモスがアフリカゾウよりもアジアゾウと近い関係にあることを示唆していた。(145頁)

マンモスは毛の生えたアジアゾウと同じだった。
だから「斎藤さんだぞ」とだいたい同じようなヤツ。
あの人(トレンディエンジェルの斎藤司)はカツラをかぶると全然わからない。
毛であれぐらい変わる。
でも所詮、毛の違いだったという。
苦労したワリにはたいしたことはわからなかった。
毛の抜けきった「斎藤さん」か、毛の生えた「斎藤さん」か。
正体は吉本のお笑い芸人という、それぐらいの差しかなかった。

お父さんとお母さんの両方の染色体を持った、遺伝子を持った「核DNA」を解読したということでペーボ博士は「よし!この方法で間違いない」。
この人は慎重。
ここからペーボ博士のチームは、正確だからかどんどん仲間が増える。
大きい研究をするためには仲間が必要。
2000年、彼はDNA増幅チームでドイツ・ライプチヒで進化人類学研究所に集い、新しい解読方法を次々と作り出していく。
とにかく彼はひたすらマンモス同様、ネアンデルタール人の新鮮な核DNAを求めて世界中を走り回った。
その核DNAを持った骨があるかどうかが大変。
これが見つかるからすごい。
2006年5月、ドイツ・ザグレブのヴィンディヤ洞窟(本によるとクロアチア北部)で30人あまりの男女・子供のバラバラの骨が見つかった。
(骨が見つかったのはもっと前で、2006年5月は「先方から、試料の採取は許可できそうにないというメールが届いた」時)

ネアンデルタール人にとって、互いを殺し食べるのがどれくらい一般的だったのか、あるいは、弔いの儀式の一環として死者を解体し、食べていたのか、確かなことを知るすべはない。だが、他のばあ所ではネアンデルタール人の骸骨が無傷で見つかっており、時には、意図的に体位を整えて埋葬したように見えるものも発見されていることから、ヴィンディヤ洞窟のネアンデルタール人はたまたま運悪く、腹をすかせた隣人に出くわした可能性が高い。(189〜190頁)

(番組では骨に肉がついていたので核DNAを見つけることができたという話になっているが、本によると肉を切り取られたのでバクテリアの影響が抑えられてDNAが多く残ったという真逆の話になっている)

エル・シドロン洞窟は、スペイン北西部のアストゥリアス州にある。−中略−これまでに彼らは、ネアンデルタール人の赤ん坊ひとり、幼児ひとり、成年ふたり、若いおとな4人の骨を発見した。(197頁)

それらの素材の中から一斉に「核DNA」を探査すべく研究が開始され、グループはいくつもに分かれて新しい方法と探査、そして確認が行われた。
苦闘は続いた。
DNAの二重の鎖を解くためのアルカリ溶液で苦労して集めた60%が消えた。
薬品をちょっと間違えたりなんかすると、全部消えてしまう。
バクテリアが固まり、97%が汚れてしまったとか、これを洗うために六千回、例のDNAの鎖を洗った。
(該当する数値は本の中にも出てくるが、内容的にかなり違う)

2009年、三年でまず比較的扱いやすいmtDNAから1万6565ヌクレオチドを複製配列。
これでいよいよ10億以上のDNA配列を複製した。
それらを解読して「マッピング」、地図を作る。
何を意味しているのか、どこから来たのか、何が起こり、どこへ行くのか。
そういう遺伝子の旅を明らかにする研究が始まる。

いよいよネアンデルタール人の「核」を取り出して、お父さんとお母さんの両方を持った遺伝子の研究が始まるという。
遺伝子の「帯」それを複製する。
それが一体何を意味するのか?
「サルからいつ分かれて」とかというのをそれでわかるという。
「歴史がわかる」というのはすごい。
その研究結果。

まず、ネアンデルタール人の祖先がアフリカのどこかで生まれ、やがてアフリカを出て、およそ40万年前から30万年前に西ユーラシアでネアンデルタール人へと進化する。(273頁)

DNAが物語るのは、中東のどこかで一緒に暮らしたらしい。
現生人類とネアンデルタール人が「両種は同じ時代を生きた」という。
どんな顔をして見つめ合ったのだろう。
ネアンデルタール人と「現生人類」クロマニヨン人たちが見つめ合っている情景が。
DNAが物語るのは、人類は五万年前、アフリカを出て中東に足場を築き、ここからわずか数千年でアジアからオーストラリアまで旅をする。
日本にもこの頃来たのだろう。
その人類の中に知性が宿った一群がいた。
槍、弓矢を持ち、絵を描き、仏像や銅像を作ることを覚えて「祈る」というような精神世界を持った我等が先祖。
そして、この集団はすでにネアンデルタール人のDNAを2〜5%の割合で持った人々であったという。
もう、そうに違いない。
DNAを調べた結果、この中東を足場にしている時に「現生人類」我々とネアンデルタール人は「嫁、婿の行き来があった」という。
それでこの時に我々の遺伝子の中に2〜5%「ネアンデルタール人」が入ってきた。
洞窟や炎が上がっている夢を見る武田先生。
あれがネアンデルタール人の部分なのではないかと思う。
しかし、それでもなお、謎が残る。
どんな謎か?
現生人類が広がるにつれ、一体なぜそれと交代するようにネアンデルタール人は地上から消えていったのか?
この謎はやっぱり深い謎。
ゲノム解読と共にわかったことだが、ネアンデルタール人は40〜30万年前に出現し、およそ3万年前に「消えてしまった」という。
その間、人類と一緒に、ほぼ同じ道具を作り続け、同じようなところに。
彼らは西アジアからヨーロッパを居住地に広げたが、海を渡ってまで未知の世界へ乗り出そうとはしなかったという。
人類は何が特徴かというと、とにかく歩く。
ネアンデルタール人はヨーロッパエリアから出ない。
でも現生人類はずっと歩いて北に上っていってロシア人になって、下ってインドに渡ってインド人になって、島伝いに渡ってオーストラリアに渡って、最長の旅をしたのが日本人になった一派。
大変だったろう。
武田先生の感では「よく歩く」ということと「あまり歩かなかった」ということが「滅び」の二つの種類になったのではないか。

今、確かに言えることは、これが「最新」。
このペーボ博士のネアンデルタール人の遺伝子解読というのが行われて「アフリカ単一故郷説」が確立されて、これは何年か前の本を買うと違うことが書いてある。
「今が最新」ということはこれが古くなる可能性もある。


2016年8月15〜26日◆ネアンデルタール人は私たちの先祖か(前編)

以前から縄文人、弥生人が好きで、アフリカからサルが出て行ってゆっくり世界中に・・・というルーツ系の話が好きな武田先生。
ネアンデルタール人も前から好きだった。
ネアンデルタール人というのは、現代のクロマニヨン人の前のサルに近い人間みたいなヤツで、半分ゴリラ系の人間ぽいヤツだと見られていた。
よく調べたらドンドン変わっていく。
考古学が何が面白いかというと、骨が一個見つかるたびに前の説が全部崩れる。
一番最初にネアンデルタール人は、マンガに出てくる「原始人」だった。
「ウッホウッホ」というような。
ところが別の骨が見つかると「これは違うぞ」と。
「頭の大きさなんか、今の人類より遥かに大きい」と。
そうしたら今度、また別の骨が見つかったら「いやいや、とんでもない」と。
二足歩行がやっとできるぐらいで、歩き方もフラフラ歩いていて、ゴリラ以下みたいな「走れなかったんだ」という説が出た。

「ゴリラ以下の類人猿だ」と言っていたのだが、よく調べてみたらそのネアンデルタール人の骨から分かったことなのだが関節炎のネアンデルタール人だった。
年齢が46歳。
関節炎が死因だった。

ということは「この人は病気だったのでこういう脚になっただけで、全然ネアンデルタール人の本当の姿とは違う」という説が出てきた。
でも46歳まで生きたということは、ものすごい長寿。
足が生まれつき不自由だったそうなので「助け合いで生き残ったんじゃないの?」という話になって、それで「違うぞ」という話になったらまた別個のネアンデルタール人の骨が見つかった。

それがどんな骨かというと胎児の恰好をして収められた亡骸で、よく調べていたらその骨の上に植物のタネがあった。
これが大騒ぎになった。
つまり埋葬される時に「屈葬」で、ちゃんと「死者の形」というものがあって、その上に誰かが花を置いたという。
死者に花を手向けたということになって「情緒とか宗教心があったんじゃないか」といって大騒ぎになったという。
その次に出たのは「じゃあこのネアンデルタール人が何で滅びたんだ?」。
我々の先祖であるクロマニヨン人がコイツ(ネアンデルタール人)をコーンと石斧で頭を叩いて喰っちゃったんじゃないか。
でないと、短い期間に消えていくはずがないという話になったのだが、別の説では「違う」と。
クロマニヨン人の女の子の骨が見つかると、その女の子はネアンデルタール人の骨の中から見つかったので「ネアンデルタール人が我々の赤ちゃんを育てたという証拠じゃないか」という。
骨が見つかるたびにものすごく大きく揺れた。

ネアンデルタール人は私たちと交配した



今回取り上げた本はものすごい説で、私達の体の中にネアンデルタール人の遺伝子があるという話。
つまり、われわれの先祖の中でネアンデルタール人と、嫁さんに貰ったヤツがいる、あるいは嫁に行った女がいるという。
何でこんなふうにして古代史が今、大きく傾き始めているのかというと、全てはDNAの研究。
遺伝子を解読するという新しい進化の調べ方というのが発見されると、ものの見方が全部変わってくる。
DNAを勉強しないとこの本の意味がわからない。
そのために大枚(数千円)を出してDNAの勉強をしばらくやった武田先生。
DNAは難しい。

人の体というのは数十兆個の細胞の集合体である。
その一つの細胞の中に細胞核があり、その核の中にデオキシリボ核酸(DNA)という物質がある。
これは生き物の設計情報で、ここに音楽の楽譜が入っている。
そして「人間」という交響楽の音楽が聞こえてくるという仕掛けになっている。
この楽譜は四つの音符でできている。
アデニン(A)・チミン(T)・グアニン(G)・シトシン(C)が並んでいる。
卵子と精子から生まれた一つの細胞は、その核の中のDNAがほどけて、メッセンジャーリボ核酸(RNA)が片一方を書き写す。
そして片一方を作る。
とにかく書き写す。
そして意味を持ち、アミノ酸を作る。
そのアミノ酸がタンパク質を作り、アミノ酸が20種類。
様々なたんぱく質を作っていく。
このDNAのテープはグルグル巻きで22本が対になっていて、プラス2本でこれが「性染色体」。
合計46本の染色体に巻きつけられ、核の中に収まっている。

何故か知らないが男性を決める「Y」の染色体がどんどん小さくなっていっている。
もうすぐY染色体が消えてなくなるのではないかという話。
女だらけになる。
「男いらない」という生き物に、やがて人類はなってしまうのではないかという。
もちろん時間がかかるのでずっと先のこと。

このDNA複製作りの作業中に、放射線というようなヤツがこのテープをパーッと通過すると、このテープに書き込まれた「A・T・C・G」の一文字が壊れてしまう。
これがいわゆる「染色体異常」を招くという、例の放射線、放射能の恐怖。
一本の放射線の矢で、その「A・T・C・G」の一個が壊れることを「1ミリシーベルト」と言う。
生命なのでたくましく、壊れてもすぐに修復酵素が手当に向かう。
ところが、この時に間違って修復されることがあり、これがガン細胞になる。
このことによって「突然変異」というラック(luck)の方に行った場合は新種が生まれる可能性がこれで宿る。
つまり「突然変異でサルが人になった」というのもこのことが起因しているという。
だから新しい適者を生むという可能性もあるということ。
人類の進化というのは丁半博打みたいなところがある。
まだ研究途中らしい。
ただ、自然から湧いてくる放射線というのがそういう突然変異を引き起こすという理屈は間違いないらしい。
この放射線というのが地下からバーッと吹きだしているところが地球上にはいっぱいある。
「マントル」といって地球の中で炎が燃えている。
あれは目には見えないが、地面の下から放射線を出すらしい。
その真上で生きてる生き物は、特に突然変異が出現しやすいというところが地球のあちこちにある。
その、一番突然変異がポコポコポコポコ出てくるところが、アフリカの東海岸。
サルが人間になったところ。
このマグマの放射線が吹きだしているところは、地震大国日本にもあるらしい。

放射線は宇宙から降り注ぐ太陽と共に降り注ぐ放射線もあるし、地面の下から「マグマ放射線」と言って、マグマも放射線を持っていて、それを地上にバーッと吹きだしたりしている。
目に見えないらしいが。
とにかく放射線とは波長の短い電磁波のことで、物質の構造を変えるという作用がある。
とある科学者の方がおっしゃっている事実だが、99%の放射線の死亡量は5千ミリシーベルト。
5千ミリシーベルトを浴びると、人間はDNA、遺伝子がズタズタにされて即、死亡してしまう。
自然界では高いところがいっぱいあって、地面から湧いてきている。
ブラジルのガラパリというところでは10ミリシーベルト。
自然界に10ミリシーベルトの自然放射線量が湧きだすところがある。

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冒頭シーンでモニュメントが立っている。
もう弱り切って殺されるだけの類人猿が、そのモニュメントのピーという金属音を浴びると「ダンダンダンダン♪」と知恵がついて二足歩行を始める。
その仲間の骨を取ってバーンと敵の頭を殴って道具を使うという知識が灯ったという。
あのモニュメントと同じように、宇宙線というのは生き物を変えていく原動力である、あの『2001年宇宙の旅』で言うところの「モニュメントではないか」と思うと・・・。

DNAの話はもっと現代に絡んでいる。
犯人を断定するDNA鑑定などは犯罪捜査になっている。
個人特定の証拠としてDNAは欠かせないところまできている。
だから遺伝情報というのはどこか一つ特徴があって、父・母が分かる。
そうやって考えると犯人捜査から芸能界のスキャンダルから、DNAは今、裏の裏から社会を突き動かしている科学であることには間違いない。

このDNAを使って、犯人特定、父親捜しではないが、人類の歴史を辿った、探ったという科学者の物語がやっとここから始まる。
「ネアンデルタール人は私たちの先祖か」という、古代史における巨大な謎に挑んだドイツ人の科学者スヴァンテ・ペーボ博士。
1996年、ドイツ・ミュンヘン大学のスヴァンテ・ペーボ博士。
この方はネアンデルタール人の骨から失われたはずのミトコンドリアDNA(母系のDNA)を取りだし復元したという情報が研究室から入る。
もしかしたら絶滅した人類から初めて抽出したDNAの可能性が高く「最も最近絶滅した人類と私達現生人類はゲノムが近いはずだ」ということで研究に入ったという。
この人類の先祖だが、これは160万年前のトゥルカナ・ボーイ。
それから320万年前のルーシー。
レディ・ルーシー。
320万年前の人類の女の骨が見つかる。
それが見つかった時に学者さんがビートルズを聞いていた。
『ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ダイアモンズ』という。
あれを聞いていたので、その骨に「ルーシー」という渾名を付けたという。
それから50万年前の北京原人。
そしてネアンデルタール人。
これらの差異は、ゲノムのわずかな塩基配列の違いが進化の差をもたらした。
DNAからいうと、ほんのちょっとの差。
チンパンジーと人間なんて1%しか遺伝情報は違わない。
その差を比較できれば、私達の正体を遺伝子の中にありありと見つける可能性がある。
一体人類が持っている、芸術、文化、言語を産んだ遺伝子、それはDNAのどこにあるのか?
『志村動物園』に出てくるあのチンパンジーと自分のどこが違うのか?
たった1%の違いで志村けんさんになって、片一方のあのチンパンジーになるとすれば、その差は知りたい。
逆の意味で言うと一番近く滅びた人類であるネアンデルタール人を知ることにより、私達のDNAの中を調べればその差異がわかるのではないかということ。

ネアンデルタール人は枝分かれしてとっくに滅んでしまった人類ではあるが、私達の先祖であるかどうかという。
これは、ものすごくネアンデルタール人に関しては揉めたらしい。
見つかったのはいつかというと、1856年に骨が見つかっている。
デュッセルドルフという、ドイツから10km位のネアンデルタルという谷があった。
そこから見つかった旧人類の骨ということでネアンデルタール人という約4万年前に絶滅した人類。
最も最近に絶滅した人類。
昔、人類は一種類ではなかった。
結構いろいろいた。
そういうのが何故か滅んでしまって、今はもう一種類になってしまった。
一番大事なことは「人類」と呼ぶ以上は、男女が夫婦になったら赤ちゃんが生まれるということが「種」なので、これが人類。
遺伝子が違うとできないので。

細胞一つに細胞核が収まり、ここに父と母から貰った遺伝子「DNA」のテープがグルグル巻きで収まっている。
DNAのテープの一本の長さは何と、その人の身長ほど。
驚くなかれ、64億の対で128億の文字が書き込んである。
あなたの中に一冊の本がある。
文字はわずか四種類「A」「T」「C」「G」。
これを音符に例える。
三つで一つの音になり、その三つでオルゴールの回転するドラムの爪一本だとする。
その爪がドレミで並べられた金属板に引っかかって、一音「ピーン」と出る。
一文字が鳴るのが一音だとする。
その一音がアミノ酸で、いくつかにまとまると和音になる。
これがタンパク質。
一個の「ド」がアミノ酸。
だから「ド・ファ・レ」とか「ソ・シ・ラ」など20種類の和音が鳴って、これが体中で鳴って「(水谷)加奈」という交響楽が遺伝子によって今、奏でられ水谷譲は生存している。

DNAテープは二重らせんのヒモ。
ここにある酵素を熱すると2本は解けて1本になる。
それを冷ますとまた二本になって絡まろうとする。
この時に酵素を取り込んで新たなるDNAの鎖が合成されて4本のヒモが誕生する。
これを8、16、32と増幅を繰り返すと完全なテープを復元できる。
何と40回で1兆個。
この研究で3万5千年から3万年前のいずれの時点で、ネアンデルタール人からヨーロッパの現生人類が受け渡された遺伝子がある可能性が出てきた。
このペーボ博士の結論は「アフリカ単一起源説」。
これは学会は、ついこの間まで揺れていた。
「人類はアフリカのある地点の一か所から生まれた」というのと、「世界中に散らばったサル(北京原人とかジャワ原人)がゆっくりと人間になっていった」という「多地域新仮説」とに揺れる。
「多地域進化説」をペーボ博士はひっくり返した。
アフリカにその「スポット」がある。
NHKの教育番組を聞いていた武田先生。
そのアフリカの一か所の湖では進化のスピードが速い。
「アフリカ起源説」をペーボ博士がネアンデルタール人から取り出したDNAを増幅させて読み取ることによって断定したという。
だから最新の生物遺伝学、進化学。

ペーボ博士の面白いところは、1981年、まだ医学生だった頃、この人はエジプトのミイラの大ファンだった。
この人はエジプトのミイラのことを勉強するのが好きで、分子と生物学を合体してミイラからDNAを取りだして、このミイラを調べたら面白いんじゃないかということで、ミイラの一体からDNAの複製を作ったという人。

DNAは温めると分裂して、メッセンジャーRNAが細部を作っていく。
だからDNAは再現できる。
この辺が『ジュラシック・パーク』の元になったり。

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一個のDNAさえあれば生命全体の設計図を取りだし、その生物を再現できるという。
ペーボ博士はミイラのDNA複製にチャレンジした。
これはものすごく大変。
何でかというとミスをものすごく犯しやすい。
手垢が付いただけで人間のDNAになってしまう。
彼はそんな苦労をさんざんするのだが、一応複製を作って『ネイチャー』に発表する。
それで80年代の大発見者として大注目を浴びる。
しかし彼は、ミイラのDNAを復元したところでちっとも面白くない。
何でかというと、ミイラのDNA配列を取りだしたところで、たかだか2400年前。
現代人とほとんど変わらない。
もっと決定的にDNA配列の違う、進化の差を産んだようなDNAの現行犯を捕まえないとという。
古代の遺骨等々からDNAを抽出することがいかに難しか。
博物館に標本などがあるが、これはもう発見者からさんざん手で触りまくっているので汚れて(DNAが)取りだせない。
ぞっとする報せが届く。
彼の名を注目させた古代ミイラDNA抽出に、あまりにも長いDANのテープの一本が見つかり、その一本がよく調べたら助手のものだった。
(本によると助手のものではなく「移植抗原遺伝子」)
だから『ネイチャー』で大注目されたのだが彼の研究はミスだったのだ。
ちょっと触った人間の何かが付くと、そのDNAが。

クリーンルームにアクセスできるのは、実験に携わる人──具体的にはふたりの大学院生、オリヴァとヘスに限るとした。彼らはその部屋に入る前に、特別な白衣、ヘアネット、特別な靴、手袋、マスクを装着した。(78頁)

新たなる化学薬品を開発して、その薬品で洗う。
洗った薬品を薬品で洗う。
とにかく徹底して洗浄をしないと、チリやホコリ、フケ一個でもう駄目になってしまう。
こういう努力をして、ミイラの轍を踏むまいと、何年もかけてまずオノレの手を徹底的に洗って作業に没頭する。
もう一回このミイラのDNAを突き止め直していく。

DNAというのは、ものすごい注目の科学分野。
アメリカではDNA研究で「DNA長者」みたいなのができている。
版権が発生して金持ちになれる。
「このDNA見っけたの俺だから触んないでね」とか。
今、DNAにカネの亡者が集まっているのだが、博士の頃はまだのどかで、このDNA研究に人間が熱心になっていく。
そして1990年代になると、すごい情報がペーボ博士を驚かせる。

1993年に、カリフォルニア理工州立大学のラウル・カーノ率いる研究者らが、レバノンの琥珀に閉じ込められていた1億3500万年前から1億2000万年前までのゾウムシから得たDNAについての論文と、その琥珀をもたらした4000万年から3500万年前のドミニカの木の葉に関する論文を発表した。−中略−閉じ込められていたミツバチの腹から9種類の古代イースト株を抽出し、培養に成功したと主張している。(84〜85頁)

1994年、ついに起こるべきことが起きた。ユタ州のブリガム・ヤング大学のスコット・ウッドワードが8000万年前の骨の断片──一頭、あるいは複数の恐竜のものかも知れない骨──から抽出したDNA配列を公表したのだ。−中略−『サイエンス』に掲載された。(86頁)

まさに『ジュラシック・パーク』の世界。

ジュラシック・パーク〈上〉 (ハヤカワ文庫NV)



何と驚くなかれ、コハクの中の蚊、そのお腹から吸った恐竜の血の一滴を取りだして、クローンの恐竜、これが可能なのではないかという小説、『ジュラシック・パーク』というSF小説が生まれ、例のスティーブン・スピルバーグがハリウッドで映画化。
これでペーボ博士ががっかりするのだが、その後、この『ジュラシック・パーク』のオチがどうなったか?
発見された恐竜の遺伝子で生き物を作ってみた。
人間ができた。
助手の人のフケが落ちたらしく、恐竜はできていない。
(本によると生き物を作ったのではなく、ペーボ博士の研究室で解析した人間のDNAと「恐竜の配列」を比較した結果、ほぼ同じ配列が発見された)
つまり『ジュラシック・パーク』という映画そのものが嘘である。

2016年09月19日

2016年7月4〜15日◆『月と蛇と縄文人』大島直行(後編)

これの続きです。

テレビ番組の話の続きから。
宇梶(宇梶剛士)さんが番組を案内するという、北海道で見つかった縄文遺跡。
函館で見つかったヤツは木の丸太に土の仮面が括り付けてあったというお墓。
その木の下を探ってみると、黒曜石が何本も出てきた。
その黒曜石は、そこから採れる黒曜石ではなくて、200kmも離れた遠軽町でしか採れないという黒曜石であった。
矢じりなんかに使う。
この黒曜石は何と、海を越えて三内丸山からも全く同質のものが出土している。
千歳の方の墓の主は、おそらく遠軽と山内丸山、海峡を越えて数百キロの旅をする流通人、黒曜石を運ぶ旅人だったのではないかという。
函館のすぐそばの丘の上の村で、この人が倒れちゃって、そこの村人たちが遺品として、この人の運んでいた黒曜石をお墓に埋めて弔ったのではないかという。
そういう説が成り立つという。
だから、私共が思ってるより縄文というのはものすごくダイナミックに動いていたという。
それは、もう前々から言われていること。
ちなみに青森の三内丸山からは新潟姫川の流域でしか採れないヒスイ、岩手のコハクも発見されている。
だから、そこに千キロを越えて物々交換の交易圏があったという。
縄文というのは、それほど豊かな時代であったという。
縄文時代というのは1万年続いたと言われている。
しかも驚くなかれ、新潟(糸魚川)のヒスイは出雲、九州まで広がっていたという。

ヒスイの色は、白や灰、青、桃、紫、黒などさまざまあるようですが、縄文人が好んだのは何といっても「緑」でした。(127頁)

何で緑に拘ったのか?

つまり木の芽を連想するような、そんなやたらに濃い緑ではない、淡い緑色である。ですからまさに“淳名川の底なる玉”(『万葉集』第十三)というのも、不老長寿の霊力をもつといういわば“生命力”を表わす色の玉である」(128〜129頁)

武田先生は三内丸山で若い研究者の方に特別に見せてもらった事があるのだが、三内丸山にはつるで編んだバスケットがある。
中に木の実が入っていた。
留めるボタンまであって、木の実のボタンがすごく洒落ている。
武田先生の胸を一番強く打ったのが、お子さんが死んだ亡骸のすぐそばに柴犬の骨が出る。
それは縄文時代、犬は神獣だったらしい。
神様の使い。
お子さんが死ぬと、黄泉の国の道を歩く時に道に迷わないように、子犬を殺してそばに埋めたという。
犬というのは人を守ってくれるケモノであるという。
神社で神様がいるところを守っている犬は「狛犬」。
「家」という漢字は、ウカンムリの中にクシャクシャしている。
犬を地面に横に埋めて土を被せた後の骨の形が、あのウカンムリの中のクシャクシャクシャ。
つまり、犬の霊が家を守る。
それから漢字を作った人たちも犬を神獣として扱った民族。
この辺りがアジアの一角にそういう一族がいたということだろう。
縄文系の人たちが。

勾玉は古代人たちが胸辺りに下げて飾っているアクセサリーだが、これは体に身に付けるために、勾玉にはヒモを通す穴が開けられる。
これを木のキリを回しながら開けるのだが、1時間に1ミリというスピード。
そういう仕事を黙々とやるという専門職の人が、もうすでにいたんだろうと。
という「勾玉を作ってた一族が住んでいた」という事で付いた地名らしいのだが、出雲に「玉造(たまつくり)」という地名が残っている。
だから縄文というのはきちんと職業が分けられた時代なのではないだろうか。

北海道で今、続々と縄文遺跡が見つかっている。
函館、千歳にほど近い、有珠山近くの「伊達」。
武田先生は伊達にコンサートで行ったことがあるが、いい所。
「日本史で初めて縄文の心を発見した」という大発見が伊達市近郊であったという。
伊達市郊外で、丘と見違えるほどの「貝塚」が発見された。
有珠モシリ遺跡。
貝塚は今まで貝殻の捨て場だとされていたが、それがどうも間違いであったようだと。
一般に貝塚からは食料の貝の他、アカガイ・バイガイ・タカラガイ等の大型の貝殻で貝輪 (貝殻で作ったブレスレット)のための貝も捨てられている。
このモシリ遺跡の圧巻は、この貝塚の下から14人分の骨が発見された。
これで伊達市のモシリ遺跡の貝塚は大騒ぎになった。
貝殻を捨てたのではなくて、集落全体の共同墓地が貝塚だったのではないかという。
驚くべきは、女性が屈葬(膝頭を抱えるような形)で埋められていたという。

 私は、二〇年ほど前、北海道伊達市の有珠モシリ遺跡から、南海産の貝で作られた貝輪を装着した人骨を二体発掘しました。縄文時代の終わり頃に生きた二〇歳の女性二人のお墓でした。それぞれ左腕にベンケイガイとオオツタノハガイの貝輪がはめられていました。(134頁)

奄美諸島以南が棲息圏である大形のイモガイで作られた貝輪が出てきて全国的な話題となりました。それまで南海産イモガイの貝輪の出土例は島根県が北限でした。それが一気に北海道にまで分布が広がったということで大騒ぎとなったのです。(134頁)

縄文時代のクール宅急便みたいな人たちが一群にいて遠い南の島から、喜ばれる貝を、それこそ黒曜石と交換にやってきたりしていたのではないか。
この14人分の骨発見からすごいことがわかる。
この14人分の骨の中に60歳の人の骨が見つかった。
三千数百年前の平均の年齢(寿命?)がおそらく30歳前後であったと言われるから、60歳の女性の骨というのはもう驚異的な長寿の婦人であった。
しかもこの婦人、当然といえば当然だが、歯のほとんどを失っていたという。
驚くのはここからで、つまりきちんと柔らかいものを食べさせる食文化があったということだ。
歯が無くても生きていける、柔らかい食べ物を彼女には特別に与えたという。
それからこの14体の骨の中に、いささか骨に異常のある、肢体不自由の人の遺骨が見つかった。
これが18歳前後の娘さんだったそうだ。
これは間違いなく、生まれつき骨の変形した人なので、18歳までずっと村全体で介護し続けたという。
彼らは老いた人とか体が生まれつき不自由な人たちを排除しないという、人間観を持っていた。

貝塚の他にもゴミ捨て場だと思われていた、それが宗教の場所だったのではないかという遺跡がまた見つかった。
「水場」と呼ばれる場所があって、「ゴミ捨て場ではないか」と言われていた。
そこから土を焼いた板状のもの(土板)が見つかる。
今までは何を意味してるのかわからなかったが、この新しく北海道で見つかった遺跡の土板には赤ん坊の手型・足型が押してあって、それが焼き物で焼いてある。
不思議なことに、その土板の上のほうには穴が開いていて、ヒモで吊るせるようになっている。
これがはっきり子供の手型や足型だということがわかって、大島さんたちが研究した結果、「死んだ子供の手型じゃないか、足型じゃないか」。
いわゆる墓標として、そういうものを残しておいて家に吊るしていたのではないか。
親心だろう。
ある一定の時間が経つと、その土板も水場というところに砕いて、水が流れている場所なので、それを割って流して「また循環して戻ってこい」という再生の儀式のために割ったのではないか。
土偶などもことごとく割られているという。
あれはおそらく子供を亡くしたという親たちがせつなくて土偶を作って「再度めぐり産まれてこい」という意味で、作ったものを祈って割って捨てることによって、循環の大自然の中に置いたという。
この「帰ってくるんだ」「死に別れた人がまた別の命を得て戻ってくる」という大きな宗教観を縄文人たちは持っていたのではないだろうか。
昔の侍とか、例えば古代人たちは何を思ったかというと「ここで自分の分は終わるけど、また生まれ変わってもう1回ここに来るかもしれない」という設定のもとで生きているという。
岡潔という人が「人間の思いとか人間の願いっていうものが、たかだか60年70年の人生で完成できるはずがない。ということは、また戻ってくると思いながら生きたほうがいいぜ」という。
「でないとやっぱり60、70になるとやたら焦るから、そんな簡単に人間て出来上がるもんじゃねえぜ」という。
時々つまらないことで落ち込む。
これが「老いる」ということ。
打っても打ってもゴルフボールが曲がる。
上手になりたいから練習する。
しかし、千発打って「まだ目標までいかない」という己というのを引きずって家に帰る時に「もう一生上手くならないんじゃねぇか」と思うと、もうゴルフができるという年月がそんなにないから落ち込む。
そのゴルフ一個でも夜半に目覚める。
昔だったら「まあ、まだ先がある」と思えるのだが。
「明日があるさ 明日がある」
短い脚でブロードウェイみたいに踊っていた。
だけど60も真ん中を過ぎたわけで、そんなにたくさん明日もない。
「何だまだ完成しないの俺。たかだか遊びのゴルフが」と思うと、何もかも完成しない。
ふっと滅入る時がある。
その時に岡潔が言った「ここで終わると思うからさ」という。
次の生の流れに、循環に入るかも知れないから「昔の人たちはそれを思ったから死に際が見事だったんじゃねぇの」と岡潔という数学者がポツンと言った時に、どう考えるかの問題だったらば、上手くいかないことを今、箇条書きにしておいて、しっかり歳をとったら覚えておこう。
それが次に生まれてくる時の己のテーマだと。

北海道伊達あたりで見つかった土板の遺跡、縄文遺跡の土の板に死んだ赤ん坊の手型とか足型を焼き物にして、家の中に置いた。
その死んだ赤ん坊、子供のその手型足型を縄文の親たちは見つめて、切なくなっていたのだろうと思う武田先生。

黄河流域に「殷」という古代文明が今から3千年ほど前に興った。
この殷という文化文明のすごい所は「甲骨文字」。
亀の甲羅に刻んだ絵文字から漢字という大文明を興す。
金八先生は「親」という字は「子供の帰りが遅いと親は心配し、木の上に立って見る」と「だから『親』って言うんだ」と。
金八先生は嘘を言っていた。
白川静先生が言っているが「じゃあ、なんで『新』という文字は木の上に立って斧を持っているのだ」という。
これはちょっともう言い訳ができない。
これは横の「木の上に立つ」という字が、なんとなく「辛」に見える。
これはどういうことかというと実は「針」。
手で持つところ、取っ手のある針、それを木に向かって投げつける。
その針が木に刺さる。
それが「親」という字の左側。
その針を投げつけた木を持って帰って、そこに死んだ人の名前を書く。
それを家の中に置いてじっと見ているという。
つまり位牌を作る。
子にとって親の位牌が多い。
それ故に「親」という字になったのではないかという。
では「新」というのは何かというと、その木を斧で切る。
そうすると木の新しい匂いがするので「新」。
武田先生がハッとしたのは「土板に子供の手型足型を付けて墓標とした」というのと「木に親の名を書いて懐かしんだ」という、その二つの文明が、この木と土の違いさえあれ、重なるような気がした。
このあたり、縄文はもっと大きな思想でアジアから東アジアを語れるテーマを持っているような気がする。

ドイツのナウマンさんは「日本縄文学」という学問を新しく興した人なのだが、振り返ると巨大な学問であろうかと思う。

この本の中で大島直行さんが「縄文というのは粗末に扱われたんだ」と。
今、歴史の本でも縄文は乱暴。
先生たちは見下した見方。
「中国では三国志か何かが・・・」とか「秦の始皇帝が生まれている頃、日本人は猪の皮を被ってキャッキャキャッキャやっとりました」とか。
とんでもない。
文明として縄文というのは相当優秀な・・・という。
この本の著者の大島さんは「縄文の存在のすごさというのを発見したのは、真に残念なことに考古学の先生ではなくて前衛芸術家の岡本太郎だ」という。
岡本さんは縄文がすごく好き。
その縄文の土器に込められている生命観や躍動感、心、あるいは縄文の情緒を発見したのは考古学者ではなくて、前衛芸術家岡本太郎だという。
「そのことに関して、やはり我々考古学者はもっと恥いて、岡本さんに負けないように縄文を研究すべきである」と。
狩猟の民という自覚を持つ彼らは、狩る獲物である動物を敵であると同時に糧として生きなければならないという命の矛盾をちゃんと知っていた。
その中で彼らはその矛盾を「神の支配ゆえ」という宗教にしたのである。
明朗で屈託のない生き方、それが縄文土器ににじみ出ている。
こう折り紙を付けたのは考古学者ではなくて岡本太郎なのだ。

大島直行さんのこの本の締めくくりの言葉。
(このままの文章は本の中に発見できませんでした)
自分の神様を自分で勝手に解釈して、自分の意味・価値を決める。
そういうものが今、世界に戦いを起こしている。
また日本史・世界史共に、戦いを記録する歴史になっている。
弥生時代の前の縄文時代が歴史年表で隙間が多いのは、あるべき戦いの痕跡がないからである。
つまり歴史解釈そのものが戦争を解釈すること、そのことにあまりにも重きを置きすぎているのである。
戦争と技術、生産力の発展、制度の複雑化の過程。
これに対して縄文はまったく違う。
美と神を自ら作らねばならないという、そういうエネルギーに満ち溢れた1万年の王国。
それが縄文時代だったのである。


本当に昨今の歴史解釈というのは、戦争をどう解釈するかである。
そのことにずいぶん、私共は無駄なエネルギーを・・・という。
縄文のほうがはるかに文明としては純粋で澄み切っているのではないか。

ちょっと神話的ではあるが、熊本のエリアで大きな地震があって武田先生がすごく感動したのだが、阿蘇神社という神社の山門が崩れ落ちてしまった。
ところが門前の町の人々は、自分たちに被害が少なかったことに寄せて「あれは阿蘇神社が自分たちのために犠牲になってくれたんだ」と言いながら皆、手を合わせているらしい。
「美しい発想だなぁ」というふうに思う。
そう考えると瓦屋根をいっぱい落とした熊本城も、懸命に熊本市民の命を守るべく立ち尽くして地震と戦ったのではないかと思うと、あれも一種神話の象徴ではないかと思えたりする。
そういう縄文的エネルギーが熊本にはあるような気がする。

福岡の優秀な国立大学である九州大学。
それが全部移転して「糸島」という半島の真ん中にミカン畑を潰して三万人の学園都市が今、福岡に出来上がりつつある。
そこをこの間、テレビのあれ(「あれ」が何かは不明)で行った。
そうするとボロボロ遺跡が出てくる。
前方後円墳とか。
糸島のエリアは邪馬台国の伊都国の後。
九州大学の校内を歩いていて一番驚いたのは、イスラム圏の学生さんがいっぱいいる。
食堂に行くとイスラム圏の方々は豚肉等々とか、とんこつラーメンとかがダメなので、イスラム圏の人たちの食事の列がある。
そこはちゃんとイスラム教で許された食物を、食堂のおばちゃんたちが作る。
だからマレーシア等々の東南アジア、アジア圏のイスラム教の人と、中東からも続々と九州大学に集まってきている。
あっと驚いたのは、講義をやっている最中、時間になったらお祈りにいってもいい。
それで大教室の脇にメッカの方角を向いたお祈り場が用意してある。
イスラムには深い理解を。
「イスラムの人たちも、この九州大学をすごく大事に思ってくれてます」と教務課の人が胸を張った。
これもはやりある意味で九州、福岡が持つ、あの伊都国からの伝統で、縄文のエネルギー渦巻く邪馬台国の流れがあるような気がする。
そう考えると、我々の体内に残っている、あるエネルギーが何か縄文に繋がるとすごく落ち着くような気がする。
自分の人生観・生命観も含めて、縄文という時代からもっとたくさんの汲み上げができるんじゃないかなと思う。
九州大学は今、水素で車を走らせるという、水素エネルギーの車のトップバッター。
例の有名な日本の自動車メーカーがばっちりついていて、アジア圏の学生がバッと集まっていて、最も熱心なのは中国の学生さんで、感動するくらいすごく真面目に勉強している。
武田先生がうれしくなったのは、東京にわざわざ勉強に来なくても、九州大学あたりに行くと世界最先端の勉強ができるのと安いこと。
食べ物が安い。
そういう意味で学生さんたちの良い環境が。
熊本にもある。

2016年7月4〜15日◆『月と蛇と縄文人』大島直行(前編)

月と蛇と縄文人



縄文という時代に関しては色々言われている。
日本の縄文時代というのは実は世界の四大文明にも匹敵する文明がそこにあった。
だから世界にあった文明は実は四大ではなくて五大文明だったんじゃないか。
日本、黄河文明、インダス、メソポタミア、エジプト。
この5つが実は先行する世界の五大文明だったのではないか?
2万年くらい続く縄文時代(番組内で「1万年でした」という訂正が入るので実際には1万年)。

縄文土器が一体何を意味してるのかというのはわからない。
武田先生は、ゾーッと背筋に寒いモノが走ったりする。
縄文土偶というのはことごとく女性で、男性は全く出てこないと言っていい。
そしてなぜか叩き割られている。
「意図的に割ったんだ」という。
日本にある「ストーン・サークル」。
これは「サークル」というだけあって丸い。
イギリスにあるヤツも丸い。
何で丸いのかというのはわからない。
新潟、糸魚川・姫川、この流域。
ヒスイが7千年前から全国へ広がっているのだが、どのようにして広がっていったのかがわからない。
縄文というのはあったことはあったのだろうが、私たちはその縄文が残した遺物、遺跡というのが、一体何を意味し、一体縄文人は何を考え何を思ってその形にしたのかは、実は何も知らない。
その縄文というものが、日本は普段の暮らしの中に無闇に残っている怪文明。
注連縄(しめなわ)が何であの形なのかわからない。
しかもあれは藁で作っている。
あれは縄文土器の藁と同じ、縄。
縄文の時から縄を土偶にくっつけて型をとっている。
何でゴロゴロやったのか?

 縄文土器・土偶を見た誰もが不思議に思うはずです。縄文土器の縄の模様(縄文)の意味するところは何なのか、−中略−たとえば縄の模様は「すべり止め」、尖り底の土器は「煮炊きをするのに効率的な形だから」ということになります。しかし本当にそうでしょうか。すべての土器に縄模様があるわけではなく、すべり止めにはならないような縦方向の縄模様の土器も多いのです。(4頁)

本当に「してやられたり」なのだが、この縄文文明というのが「ただ者じゃないぞ」と騒ぎ始めたのは、実はヨーロッパの人。
ドイツに生まれたネリー・ナウマンさんという方がいて、この人は「日本学」という新しい学問をヨーロッパで起こして縄文を調べている。
この方は中国の古代文明、中東、あるいは南米と比較しながら日本の縄文を調べている。

日本の地名で「貝塚」というのがいくらでもある。
縄文の人たちが食べた貝殻を捨てた大森貝塚とか。
あれはは縄文の名残。
何百年にも渡って捨てている。
それはゴミ捨て場とは考えにくい。
その貝塚から貝の殻以外のものも見つかる。
それが割れた縄文土器だったりする。
ネリー・ナウマンさんの指摘で、どうも貝塚というのは「祈りの塚」だったのではないかという新説。

キリスト教は「十字架」、イスラム教は「三日月」。
宗教はシンボルを持っている。
今年の初期辺りに大揉めにヨーロッパで揉めたのは三日月と十字架の戦いだと言っても過言ではない。
それから5月、日本で伊勢志摩でサミットをやった。
伊勢といえば伊勢神宮、何と言っても日本の神道の発祥地。
神道というのは非常に特異な宗教で、神道の驚くべき所は何か?
「聖典」が無い。
神道は何かというと「木」と「岩」と「水」。
それが三日月を象徴とする宗教、十字架を象徴とする宗教と違う。
その神道というものをジーッと睨んでいくと、その奥に見え隠れするのが実は縄文時代。
古事記とか日本書紀を見ても非常に縄文的。

 とくにナウマンが力を入れて読み解いたのが土偶です。ことさら強く表現される両の乳房とヘソに見られる象徴性、多くの土偶の顔に見られる盆の形状に込められた象徴性、また、少なからず描かれる涙、鼻水、よだれ様の表現の象徴性(28頁)

縄文土器の目の下からスジが2本スーッと。
刺青と言われていたが、あれは涙を表しているんじゃないか?
別の土偶で鼻水垂らしている、それからヨダレを垂らす。
そういう表現が縄文土偶にある。
どうしてそういうものを描いたのだろうか?
古事記にも出てくるが、アマテラスの弟さんのスサノオノミコトは泣く。
神が子供みたいに泣く。
「お母さんに会いたい」と。
そういう直情傾向のところが涙を流す縄文土偶と相まって、いわゆる人間の体から溢れ出るもの「鼻水」「ヨダレ」「涙」を含めて、そういうものに一種信仰心と言うか、そういうものを込めたという。

 ナウマンは、縄文人の象徴の中核にあったものの一つが「月」であることを突きとめました。−中略−
 ナウマンは直接触れていませんが、女性の生理周期の二九・五日が月の運行周期とまったく同じであることを太古の人間が知っていた例としては、たとえばフランスの旧石器時代の女神像ドルドーニュの「ローセルの女神」があります。女神が右腕に掲げる一三の刻みの入れられたバイソンの角は、満月などの月相の数と月経の回数を象徴しているとされています
(28頁)

月と同調して女性の体が巡っていく、そのことに対する直感が女性と月を結びつけて、しかも体液、人間の体から出る液体で次の生命が生まれていったり、新しい生命が宿ったりするという、その不思議を縄文人たちはあの土偶に託したのではないか?
ならば「何で打ち壊すんだ」っていう話だが、これも何か宗教的にあったのだろう。

また縄文の土偶の中に絶えず書かれ、描かれる動物がいる。
これが蛇と蛙。
これはどう考えても「脱皮」「変態」。
尾っぽがあるくせに、やがて手足が伸びて、という。

勾玉(まがたま)を「胎児じゃないか」と言った人がいた。
お母さんの中に芽生えたばっかりの命の形、それを形にしたのが勾玉ではないか?
でも、「お母さんのお腹の中を見ることなんて出来ないわけだから」と思っていた武田先生。
昔の人は生き物の腹を割いて中を見るということは頻繁にあった。
サメなんかのお腹を割くと、胎児の形をしている。
人間の赤ん坊は、生命の記憶を女性のお腹の中で全部辿る。
だから人間の赤ん坊も魚類として生まれて、尾っぽがへっこんで手が・・・。
大体生き物の歴史を全部辿るから、その一番始まりは何かといったら、あの胎児の格好になる。
それを生魚を割いたり生き物の腹を割いたりするうちに、縄文人は私達よりもたくさん目撃している。
だから勾玉がああいう形になったのではないかということ。

注連縄を武田先生は「縄文的だ」と言ったが、これも諸説ある。
出雲大社の注連縄。
武田先生はあれをパッと見た時に、ヤマタノオロチが絡まっているように見えた。
まさしく3匹の蛇が絡まってるように見えた。
蛇の普遍性だが、脱皮を繰り返し冬眠しという。
だから縄文人たちが「この蛇という生き物は不死なのではないだろうか、死なないのではないだろうか」と夢見、それが実は「縄信仰」になったという。
それで土器の中にその蛇のエネルギーが宿るように編み目を転がして入れたというのが縄文土器ではないのかという。
蛇を基本的に気味悪がるくせに「積極的に殺せ」と昔の教えは言わない。
家を守っているということがあるし「豊作の神」だとか、西洋においては「知恵の神」だとか言う。
またエデンの園では、人間をたぶらかした知恵ものもまた蛇。
神話に登場して人間と関わりをもつという生き物としては、最古の歴史を持っている。

縄文土器の編み目模様が無く、貝殻模様があったりする。
鹿児島県の上野原遺跡には貝殻紋土器というのが出ている。
貝殻の模様がいっぱい貼り付けて焼いてある。
ということは、貝殻を守り神とするような部族が住んでいたのだろう。

昔、武田先生がNHKローカルの「邪馬台国を探そう」という番組で、そこら辺の古墳を歩いたという思い出がある。
福岡の郷土史家に会いに行って「邪馬台国はどこだろうか」ということで尋ねるというのがあったのだが、その方がものすごく怖い人で、自分が「ここだ」って言ってる以外の地名を挙げると怒る人。
「先生が仰っている邪馬台国は、伊都国じゃなくてこっち側にあるんじゃないですか?」と武田先生が全然違う所を言ったら「帰れ!」って始まって。
その時に何気なくその人がおっしゃったのだが、尖底土器っていうのが問題になっていて、尖底土器は円錐の形をしている。
その尖底土器っていうのは置けない。
転がってしまう。
その怖い古代史の先生は「それぐらい古代人ってバカだったんだ」と言う。
「そんなのがものすごく複雑な国家を作れるわけがないし、机の上に立たないようなコップしか作れない人間が、歴史に謎なんか残すはずがない」と言うので「帰れ!」と言われて叱られたので、その尖底土器のことがすごく心に残っていた武田先生。
置けない物を何で作ったのだろう?
地面の上(土)に挿せば安定することに気付く武田先生。
そうすればこれぐらい安定した器はない。
そうしたらこの先生は結構いい加減だなと思う。
この座りの悪い尖底土器は今でも謎なのだが、大島直行さんは、夜露を集めるための神器だったのではないか?
地面に挿しておいて満月の晩にそのままにしておく。
そうするとつゆが底に垂れて、いくぶん器の中に溜まる。
その夜露を月からのなまの水というか、生きる水として、月が流した水として、人々はおまじないで飲んだんじゃないかという。

 面白いのは、こうして作られた自立型の土偶の顔がことごとく上を向いていることです。上といっても真上ではありません。心持ち上です。しっかり斜め前方を向くものも少なくありません。また、この頃から顔や頭のてっぺんがお盆状や皿状に作られるようになるのです。(78頁)

 さて、ではこうしたお盆状・皿状の顔や頭の土偶が、なぜ上方を見据えるようにして作られているのでしょうか。それは見上げる顔の先に月があるから、と見て間違いありません。−中略−土偶が月の水を集めるという呪術宗教的な役割を担っているからに他なりません。(80頁)

そうすると「水で清める」というのは、まさしく神道。
そんなことを考えると、縄文というのが霞の向こうから、ハッとこちら側に向かって来るような・・・。

縄文人とは月信仰だったのではないか。
三日月ではなく、満月への信仰があったのではないか。
その満月の夜に土偶を並べて、土器の中に夜露か何かを溜めて、溜まった水を飲むことによって、それを「月からの贈り物」と称し、穢(けがれ)を祓う液体としたのではないか。
そうやって考えると、縄文人の思考・思想というのに惹かれていくような気がする。

数々残ってる遺跡の中でも、とんでもない物がまた続々と発見されつつある。
ここから話はテレビ番組のことに移る。
武田先生がこの本を三枚におろしている時、面白い番組をやっていた。
函館新幹線を作るために北海道のどこかを掘っていたら、縄文の遺跡が見つかって騒ぎになった。
「北海道土偶の謎を追う」という番組が面白かった。
NHKネットクラブ 番組詳細(超古代からの挑戦状!2「行き倒れ“縄文・仮面男”の謎」)この番組かと思われるのだが、タイトルなどが異なる)
新幹線の通った函館、南茅部(みなみかやべ)という所で40年前に1体の土偶が発見された。
新幹線着工のための基礎工事で、30cm大の土偶が発見された。
その土偶は中空構造で、CTスキャンで厚さを測ってみるとわずか3mmしかないという。
滅茶苦茶精巧なもの。
足元、くるぶしに一つ穴が開けられ、頭部にも穴が。
足元から水が流れ落ちるという構造を持っている。
検査の結果、これが作られたのは3500年前、色もわずかに残っていた。
この色というのが漆だそうだ。
日本人はすごい。
3500年前に漆塗りの土器を作っていた。
色は何と赤と黒。
この赤と黒は何かというと、世界の色彩感覚から見て赤は生命・出産を象徴する色、黒は今もそうだが、葬儀・死を意味する色。
その二色で塗られてるので、その土偶は命と死を象徴する土偶だったのだろう。
この発見に次いで今度は飛行場のあるあの千歳。
ここで小ぶりの、うちわ大の土の仮面が発見されている。
見るとまた武田先生は胸がときめくが、これが2300年前。
仮面は左右にヒモを通す穴があり、人が顔面に付けられる構造。
しかも、その仮面が発見された場所から人骨が見つかり、仮面と全く同じ場所から同時代の丸太の柱が発見された。
土で作った人間のお面は拙いものなのだが、見ると迫力がある。
それはどうも丸太の木に括りつけられていた墓標だったらしい。
仮面を付けた墓標というのが2300年前、お墓としてあったという。
この墓標の下に黒曜石が何枚も埋められていた。
黒曜石が出てくる場所は北海道では一か所しかない。
これが千歳から200kmも離れた遠軽町の白滝という町。
ここから持ってきたらしい。
この遠軽地方の黒曜石と全く同じ物が、青森の三内丸山遺跡から出土している。
ということは、遠軽の黒曜石は、かつて3000年ほど前、縄文人で船で渡ったヤツがいる。
それで仮面の墓標の主というのは、黒曜石の関係者じゃないかという。

2016年07月15日

2016年5月2〜27日◆『狼の群れと暮らした男』ショーン・エリス ペニー・ジューノ(4)

これの続きです。

イギリスの青年ショーン・エリス。
彼は「オオカミの群れと暮らした」という、そのキャリアが買われて軍用犬の調教師として雇われたりするが、他の方面からも声が掛かる。
それは、やっぱりオオカミ関係の仕事が入ってくる。
ポーランドから仕事が舞い込む。
2002年の事。
ポーランド・ロシアの国境沿いのロミンカの森。
その田園地帯からショーンに助けを求める声があがった。
それはどういうことかというと、野生のオオカミが家畜、牛を襲うというのが多発、頻発してる。
困り果てた政府農林省の対策本部が、イギリスのショーンのところに連絡してきて「何かいい知恵はないか」ということで、相談が持ちかけられる。
ここには、オオカミの豊かな食料、ヘラジカ、イノシシ、アカジカ、アカキツネ、ヤマネコ等々がいる。
これらを襲って食料として、野生のオオカミは生きている。
人間の方に接近してくるはずはないのにオオカミたちが牧場の牛を襲っている。
なんでショーンのところに来たかというと「銃による駆除」というのは、この農家の人たちが望んでいない。
オオカミと共生したいので「なんで急に牛を襲うのか。そこのところを調べてもらえないだろうか」。
ショーンは彼らに深く同情した。
ショーンはここで、その被害を被った農家へ訪ねて行き、襲われた家畜を見て回る。
そして襲われた牛を見て、奇妙なことに気づく。

 オオカミが殺した家畜の死骸を見て私が興味を引かれたのは、オオカミが仕留めた家畜の体で食べられた部分が実に少ないことだった。私がオオカミと一緒にいたときの経験では、彼らが腹をすかしていたときは死骸をあっという間に喰い尽くしていた。−中略−私が調べたほとんどの例では、太ももや肩の肉が一筋ちぎられているか、胸部が切開され内臓が食われているが、胃袋が開けられ内部を掃除して最高の肉の部分をいくつか食われているだけで、肢は全部手つかずで、死体の大部分が残されていた。(202〜203頁)

オオカミは「簡単だから襲う」というような理由で獲物は狙わない。
「家畜は、逃げることが苦手で足が遅いから、オオカミが襲ったんだろう」と考えるのは「素人考え」。
ショーンは「オオカミは絶対にそんなことはしない」。
オオカミは「健康のため」に獲物を襲って喰う。

私は彼らがほとんど液化して腐ったすごい状態の死骸さえ食うのを見たことがあるが、彼らの体には寄生虫がおり、腐った餌を食べれば虫が体の中から洗い流されることを本能的に知っていた。(203〜204頁)

 私はデボン州の私の群れが(彼らについては後で詳しく述べる)、私がエサとして与える雄牛やヒツジの脂肪分の多い胃壁にほとんどとり憑かれたことがあるのを見ている。彼らは突然肉よりそれを好みだした。私には何故かわからなかったので、私も四か月そこを食べてみた。それでわかったのだが、その期間私は前よりずっと寒さに対する抵抗力が出てきた。(204頁)

彼らは、本能によって食べねばならないものを食べる。
決して好みで食べない。
ショーンは考えた。
「彼らオオカミは何か理由があって牛を襲っている」

その1

狩猟家たちはオオカミをおびき出し見つけて撃ちやすいようによく家畜の死体を持ち込んでいた。オオカミ狩猟が禁止されてからは、エコツーリズムが取って代わったのだが、観光客が宣伝通り必ずオオカミを見て写真が撮れるように、この習慣が続いた。餌によるおびき出しが禁止されたのは、ポーランドがEUに加盟した二〇〇四年になってからだった。(204頁)

その2

もし農家の家畜が予防接種を受けていれば、答えは病気に対する免疫かもしれず、あるいはもっと単純に農家が家畜に施す除虫剤のようなものかもしれないと私は思っている。(204頁)

ショーンは「この1か2だろう」と。

次に私に必要なことは、どこかのオオカミの群れに紛れ込み、森にこんなにたくさん食べるものがありそうなのに、なぜ彼らは家畜を襲うのか、他に説明できる何かがあるのかどうかを知ることだった。(206頁)

炭水化物等を一切とらず、水と野菜のみ。
甘い物もダメ。
人間の匂いを消して、ゆっくり野生の動物となってショーンは森を彷徨うこと数ヶ月。
その数ヶ月で、彼の報告によれば森の中である美しいオオカミの群れ集団に接近したという。
その群れをひと目見て、彼は「非常に栄養状態が良い」と。
これは「もう間違いなく牛を襲うオオカミたちとは違う集団である」と。
「別の集団が、襲っている」
そう直感した彼は、手軽で最も効果的な対策をそこで思いつく。
彼らが縄張りを主張する遠吠えをテープで録音する。
この美しいオオカミの群れ集団は、牛を襲う群れとは違う群れなので、何をするかというと、この美しい群れのオオカミの集団の遠吠えを録音しておいて、被害農場にオオカミの遠吠えを夜中に何度かスピーカーで放送した。
順位2番目(ベータ)の、例の用心棒で群れのまとめ役の、オスの太い声を録音しておいて、その遠吠えを夜になったら牧場から森に向かって流す。
そうしたらピタッと止まったという。
こっちの群れのほうが強いから、牛を襲う群れに向かって「オレたちの縄張りだ」っていう声を聞かせる。
そうしたら、その牛を襲う群れがもうやって来なくなる。
ショーンの考えでは牛を襲ったオオカミの集団というのは、もしかするとリーダーがいないのかもしれない。
何でリーダーがいないと牛を襲うのかというと、闇雲に襲い始める。
リーダーが「コレを食おうぜ」って決めないから「ならず者化」してしまう。
群れ全体が「何を食べるか」それを決定するのは「アルファ」である。
アルファを失うと、オオカミというのは悪食になる。
そういう群れは滅びやすい。

この本『狼の群れと暮らした男』の中にはショーンの「オオカミ目線でモノを考える」姿勢がずっと書いてある。
それが読んでいてすごく面白い。

例えば、こんな事件があったそうだ。

サスカチュワンの森を一人でハイキングしていた男子学生がオオカミに襲われ半分食べられたのだ。(220頁)

 ひょっとしたら彼らは私たちをもはや同士の捕食動物として認識していないのかもしれない、というのが私の考えである。現代の食事のため−純粋にベジタリアンである人はいわずもがな、炭水化物やジャンクフードが多い−人間の臭いがだんだん被食者となる動物に近くなってきているという説はありえる。(223頁)

(番組では人間がシカの肉を食べているとシカの臭いがするから襲ってくると言っているが、上記のようにそういうことではないようだ)

「気配を見抜く」というか、そういう「直感」を磨いていきたいと思う武田先生。
そういう「センサー」の磨き方を、どうすればいいのかっていうのは、具体的に考えたり行動し始めたほうがいいのではないか?
「お侍さん」で、時々道を歩いてて「ムムッ!殺気」とかって。
アレは(実際に)ある。
そのためには条件がある。
それぐらいの感覚を持つためには、毎日そこの道を通ってないとダメ。
そのことがすごく大事。

(番組では北海道まで行く新幹線の中で「ストレンジ・アイテム」が発見されて止まったという話が出るが、調べてみてもそれらしい内容が発見できず。おそらく新幹線ではなくカシオペア “不審物”は乗客のボイスレコーダーの件ではないかと思われる)
誰かさんが「列車の音を全部あそこに着くまで録音しよう」と思って、テープを置いておいたら同じ乗客の人が「変なモノが置いてある」「爆弾かもしれない!」と大騒ぎになった。
あれは「こんな所に、こんなモノがあるはずがない」っていう「乗り鉄」の人が、ちゃんと居たから。
そういう「感覚を研ぐ」っていう。
そういう意味で野生動物というのは考えさせてくれる。
「いかに感覚を磨くか」という。

オオカミが、ある若い男性を襲った。
これは、もちろんオオカミにボスが居なかったせいで、人間を襲ったということがあるらしいのだが、その青年が、例えば羊の肉を食べた直後だったりすると、その青年から発する匂いは羊と同じなのでオオカミは「羊だ」と思って、人を襲うということがある。
(このあたりは本の内容とは異なる)

「クマは悪食で平気で人間を襲ったりする」とある本に書いてあったがやはり違う。
このショーン・エリスという人は言ってるが「クマも、まず人を襲うことはない」。
「いやいや、そんなことはない。あるじゃねえか!北海道なんかでも、年間に何人か必ず」
それは「出会い頭にクマもビックリして護身のために暴れた」っていう。
クマは毎日、同じ道を通っている。
そこに「異様な生き物がいたから」という。
クマはクマの、そういう考えがある。
もう一つ、基本的にクマは人を襲うことがないが、例えば人が出したゴミがある。
そのゴミを漁って食べて、生ゴミがすごくおいしいものがいっぱいあったとする。
この生ゴミの匂いと、生ゴミの味を知ったクマは、人間を襲う。
なぜなら人間は、クマからすると生ゴミと同じ匂いがする。
よく北の街なんかで「生ゴミの処理」がものすごく厳重な所がある。
それから、アメリカの公園なんかも生ゴミを表に絶対出しちゃいけない。
あれは何でかというと、その匂いで人間も襲うようになっちゃうから。
「生ゴミは、絶対に街角に溢れさせてはいけない」というのは、倫理道徳だけの問題ではなくて護身のためでもある。
これは、ものすごく納得がいく。

『狼の群れと暮らした男』という、この本の中には、ショーンさん自身の「生活の変化」「結婚」それから「お母さんとの和解」等、オオカミと共に彼自身のことも、たくさん描かれている。
この人はお父さんがいなくて、お母さんとも仲があんまり良くないんだけど、オオカミを見ていく内にゆっくり母性みたいなものに気づいていくということが延々と書いてある。

ショーンは本の最後の章で自分の夢を語っている。

私の長期的な計画はオオカミの居住スペースを持った敷地を買い−理想的には一匹のオオカミに対し一エーカー(約四千u)の自然林−そこで教育研究センターを経営することである。−中略−環境がどう変わったかを明らかにしてもらいたいと思っている。(307頁)

ショーンは「オオカミが森を健康に変える」ということを、その目で見た。
ロッキーの谷間でヘラジカが増えすぎて、ヘラジカが増えると同時にネズミが増え、ネズミが増えると奇妙な伝染病が流行したという平野があったそうだ。
その地のインディアンは、オオカミが他のエリアから入って来て、その大地を旅してくれれば「森は、平和になる」と祈った。
本当に彼らの願いが叶い、流浪のオオカミがやって来てその森に住み着いた。
そうすると、その谷の自然のバランスが数年で美しい谷に変えた。
だからヘラジカを「エサ」として食べていくうちに「ネズミが減って」ということなのだろう。

イヌイットの伝説。
オオカミはまず、年をとったり病気やケガをしたヘラジカを食べてしまう。
そうすると(ヘラジカの)オス・メスの交尾が、緊張でピーンと張り詰めて無闇に子供を産まなくなるオオカミの存在が交尾に緊張を与える。
これはやっぱり『週刊文春』。
適度な緊張感。
半端な気持ちがなくなるから、みんな緊張を持って不倫をするようになるからダラダラしないんじゃないか。
非常に短時間で「効率よく」みたいな。
やっぱり週刊文春が「ある」と「ない」とでは随分違う。
文春の生け贄になるかならないかというのは、ものすごく大事なことだから身が引き締まるだろう。

このショーン・エリスが「一つの方策」として言っている。
日本みたいなところでオオカミそのもの「タイリクオオカミ」をダン!と北海道に放ったりなんかするというのはちょっと危険かも知れないので、何をやったらいいかというと、オオカミの血を引く犬を作ること。
オオカミの血を半分だけ引く犬というのは本当にいる。
半分入っただけで、野生のオオカミの本能は宿るらしい。

シベリアンハスキーは見た目よりはおっとりしている。
武田先生の知り合いのシベリアンハスキー。
奥さんが一生懸命頑張って育ててらっしゃるのだが、動く方に気持ちが行ってしまう。
奥さん引っ張っているのに、両足で立って武田先生に接近してくる。
エサの喰い方が下手くそで、硬い肉が好きだから馬の腱なんかをあげる武田先生。
馬の腱は噛みごたえあるので喜ぶ。
歯の健康にも良さそうでやるのだが、やると武田先生の指五本全部を咬む。
「エサだけ上手に取れ!」と言いたくなる。

オオカミの血を引く犬を、例えば北海道のシカ被害に遭っているとろこなんかに放つ。
捕まえた獲物に関しては、全部彼に「あげる」とか。

イントロダクションの前に私はいつも、誰か慢性の病気を持っている人はいますか、妊娠している女性はいますか、生理中の人はいますかと聞くことにしている。これらの状態はオオカミに大きな影響を与えるからだ。もしあるボランティアが風邪とか傷を負って柵に入ると、オオカミはすぐに察知し、彼らの行動は普通以上に挑戦的になる。−中略−オオカミはどんなことでも弱点を持った人間はたちどころに選び出す。(310頁)

病によって打ちひしがれた人を見ると、励ますように舐める。
そういう力がある。

スパークウエルのオオカミの柵に背の高い体格のがっしりした男が来たことがある。−中略−私が彼らに話しかけている間、彼は皆から遠く離れていたが、彼とメスオオカミのダコタがつながったことに私は気づいた。彼女はフェンス越しに彼を見つめており、男がする仕草のすべてをダコタは真似した。−中略−家族が互いにハグして涙を流していた。あとでわかったのだが、健康なアスリートのラグビー選手だったのだが、最近背中に怪我を負い、二度と走れない体になった。−中略−その日の午後彼とダコタの間に何が通じたのかわからないが、そのオオカミは彼を蘇らせた。(309〜310頁)

(上記の模様を「アニマル・プラネット」でも報告されたと番組では言っているが、この話が掲載されている箇所はアニマル・プラネットの話より後の章にある)

ショーン・エリスは「己の都合で、自然を整理整頓するのを止めて自然の持つ流れというのを、自然に返したほうがいいのではないか。そのためには、オオカミとも共生できる自然環境を人間が作るべきではないだろうか」と言っている。

「野生」というものにすごく惹かれる武田先生。
人間が野生を失うことによって、大事なものを次々失っていくという気がする。
今年一年、野生というものに注目して色んな「三枚おろし」を作っていこうかなぁと思っている。

格闘術を身につけようと思い内田(内田樹)先生を見習って、合気道の道場に通っている。
野生を合気道に感じる。
面白い出会いも沢山ある。
この番組で「合気道は何かいいらしいぜ」と武田先生が喋ったことがある。
内田先生の(時の)その放送を聞いてた若者が小田急沿線にいた。
その青年が合気道場を見つけて行ったら「本人がいるんで驚きました」と言われた。
30歳になるかならないかの青年。
その彼とは仲良くなったが、向こうは若いからグングン伸びる。
教えて下さる館長は75歳。
でも全然、そんな年に見えない。
シンノスケ君という中学校1年生の子と仲良くなった。
シンノスケ君は(武田先生から見ると)先輩で「せんぱい」と呼んでいるのだが可愛い。
それから女の人もいる。
そこで教わる野生と言うか、館長(師範)が言った言葉。
「人間というのは、出来ることだけやってると終わってしまうんじゃないか。出来ないことにチャレンジしているうちは、人間というのは体が弾むんじゃないか」
時々涙が出てくる時がある。
何気なくおっしゃるのだが、師範が言った言葉の中で「上手になろうと思ったらねえ、武田くん。バカになることよ〜。賢い人は伸びないねぇ」。
賢い人は「頭で考えちゃう」ってことなのだろう。
「野生のエネルギー」というのは、そういうところにあるような気がする。

2016年5月2〜27日◆『狼の群れと暮らした男』ショーン・エリス ペニー・ジューノ(3)

これの続きです。

ショーンはオオカミの群れと約2年間ロッキー山脈の山中でオオカミの群れと過ごすが、この2年の間、一回も風呂に入ってない。
どこかで限界を感じたようだ。
子供のオオカミを育てるという役目をオオカミのボスから依頼されたのだが、その子オオカミの成長を確認して、彼はオオカミの集団から離れて1週間かけてキャンプ地、人間の生活圏に帰還する。
生々しい話としては、人間界に戻った彼は、何と一晩の内に蜂蜜の瓶を一息に、半分まで食べたという。
生肉ばっかりを食べていたわけで。
グループの中に入るとオオカミが肉をくれる。
ちゃんと、別オオカミが食事で生肉を運んでくる。
それを喰っていた。
そして、故郷のイギリスに帰るのだが、イギリスの軍隊の方から彼に、リクルートの声がかかる。
(本によるとそういう流れではない)
陸軍の軍用犬調教師という役職で彼は雇われる。
なぜ、イギリスは彼のオオカミへの知識を買ったかというと、オオカミの知識が軍用犬を育てる事に役に立つのではないかということ。

武田先生はご近所の犬に飼い主の方の許可を得てエサを配って歩く。
エサをあげた場合は、ドッグフード店で買った「何々です」とちゃんと言う。
犬はチーズ系のおやつをやたら好む。
ところがこれは結構保存が難しくて、すぐにカビが生える。
(犬が)お腹を壊すと悪いので、事前に軽く自分で食べてみる。
味付けは薄味。
彼らは、塩分に関しては非常に脆い。

犬は日本の小学生より、たくさん日本に生活している。
日本の小学○年生よりも、犬のほうが多い。
それくらい人間の暮らしの中に溶け込んでいる動物。
猫はもっと、これよりも多くなる。
しかも少子化はない 。
犬とオオカミのDNAの差は0.2%。
数千年の選択的交配の結果、オオカミから犬が生まれた。
セントバーナードからチワワまで様々な犬を人間が作り出した。
しかし犬を支配してる本能そのものは、オオカミと0.2%しか変わらない。
犬の中に眠っているオオカミを無視してしまうと犬を誤解してしまう。
だから、チワワでも何でもいいので「こいつは、オオカミだ」と思ってください。
例えばペットショップに行って、人に寄ってくる子犬を「懐いてる」と思ってらっしゃる方がいるかも知れない。
これが誤解の始まり。
そんな意味では、けっして犬は近づいては来ない。
このあたりがショーンの観察眼の面白いところ。

実はこのオオカミ、犬の中に眠っている本能を見分けるという意味では、オオカミから学んだことというのは、犬にきれいに当てはまるということ。
ショーンが言ってる中ですごくおもしろかったのは、彼はイギリスの軍隊に行ってオオカミの知識を活かしながら軍用犬の調教にあたる。
警察犬が訓練でバーッと飛びかかって襲ったりなんかする。
あれはショーン曰く「攻撃する」というのはオオカミの本能に頼っている。

犬が偽装犯人の腕を口で捕まえたときに、調教師は犬に放せと命令して「そこまで」と叫ぶが、犬が従わないと猛烈に怒りだしていた。誰も理解していないようだったが、これは犬の本能に反することである。野生のオオカミは捕食者が死ぬまで食いつき続けて放さない。そうやって彼らは生きのび、群れを養うのだ。犬の訓練では、獲物がまだはっきり生きて暴れているのがわかっているのに放せと命令されるので犬は当然混乱し、むしろ怒鳴り声を群れからの応援と聞いただろう。(156頁)

盲導犬は向いているのは30%ぐらいしかいない。
あれは、実は「群れの中の役割を果たしていると思ってほしい」とショーンは言う。
例えばペットショップに行って、すぐに子犬がバッと寄ってくる。
「あ、この子アタシに懐こうとしてる」と思うかも知れないが、実は、犬の立場に立って言うとベータという順位に属する犬の性格を持っている犬かもしれない。
犬はある程度生まれつき役割が決まっている。
この「人に、まず寄って来る犬」というのは、エンフォーサーというベータに属する犬の性格かも知れない。
何か脅威を感じるとこの犬は攻撃に転じる性格。
オオカミの群れでいうと、この「人に寄ってくる」というタイプの犬は「用心棒」であり「しつけ係」であり「あたりを警戒し、怪しい物がいれば攻撃する」。
仲間の内で「ルールを守らないもの 」がいると「風紀委員となって、噛み付いて懲罰を加える」。
そういう性格の犬の可能性がある。
「この犬、私に寄ってきて懐いてる」と思って飼い始めると餌をあげる時間が遅くなると、吠えて威嚇するようになる可能性がある。
群れ全体のルールを守ろうとするので、成犬になって飼い主がルールを守らないと「ルールを守れ!」というので攻撃してくる可能性がある。
犬はどうして、自分の仕事とか役割みたいなものが、生まれつき分かるのか不思議。
お母さんの、おっぱいの場所の順番で決まる。

子オオカミが大きくなったときに占める順位が生まれつきなのか、この世の最初の何週間に獲得するのか、すなわち、地位が生得なものか育てによるのか誰もまだわかっていないが、子どもが母親のどの乳房を吸うのかが大事なことは間違いなく、それを決定するのに母が何らかの影響を与えることができる。真ん中に一番近い乳首をくわえる−子どもは外側で授乳される子どもより生育がよいはずだ。中央の乳は質が良く、そこで授乳される子どもはその脇で授乳される兄弟が近くにいるので保温状態が良い。これらのオオカミは端に追いやられるものより高い地位を占め、その結果彼らはより濃厚な匂いを身につけるだろう。(168〜169頁)

いっぱい出る場所を、他の犬を蹴っ飛ばしてでも「やってきた」ということだ。
そして、そこを自分の定位置にして、絶対に他のオオカミに譲らない。
そうすると母親は「こいつはリーダーに向いてる」。
エネルギッシュで野性味がある。
おとなしいやつは、だんだん端っこに行っちゃう。
「ベータ犬」というのは、真ん中ではないけどその隣。
これは、ボスに仕えつつ参謀として群を形成するという性格になる。
ベータ犬は好奇心いっぱいだから「こいつ何者だ」って思いながらチェックに来る。
それが人懐っこく見える。
群れを守るために、何か奇妙なもの見つけたら「攻撃するか、攻撃しないか」っていうのを自分の体を張って確認に来る。
「犬は、たとえ1匹でも、群れで生活しているという思いで生きている生き物だ 」と
彼は言う。

犬のおっぱいの数を(この番組の)スタッフに調べてもたったところ、だいたい9個から10個。
犬種によって、おっぱいの数が違ったりする。
人間の場合は「ボイン」とか「ナイン」とか色々。
「モロ平野」などと言う。
(初めて聞いた)
その、いっぱいあるおっぱいが、センターであればあるほどお乳の量が多い。
だから真ん中に吸い付いたヤツというのは、成長が早くてリーダーになるという。
端っこにいけばいくほど、群れの中ではやや低めの役割になってしまうという。
ところがケンネルで買うとどの性格かわからない。

 私たちはおうおうにして、アルファの犬を選びたいと考え、同じ母から生まれた子犬たちの中から一匹を選びに行ったとき、挨拶に近づいてくる勇敢な子がアルファの犬だと信じがちだ。これは事実ではない。アルファは自衛本能が強いので犬舎の奥にじっとしている。彼らは決して危険な状況には入らない。もし、危険な状況になったときは、つまりオオカミの例でいえばクマが巣穴の周りを襲撃したようなときは、アルファはそれにかかわらず、自分の命を危険にさらさずに群れの他のメンバーが殺されるのを見ているだろう。アルファは繁殖ペアの片方であり、その子孫を残すことが至上命令である。
 もしアルファの子を家に持ち帰ったら、その子は覚えが早く、訓練しやすいのでいつの日か、時が来たと思ったら彼は群れのリーダーになろうとする。そして彼はその日を待ちながら、この飼い主にはもはや群れをリードする能力がないと示す弱みの徴候を探す。
−中略−飼い主はいつも彼より一歩先んじていないと、あんなにかわいくて素直だった犬がわがままなヤツに変身し、飼い主が何を言っても言うことを聞かなくなるだろう。
 そんな彼は、家の外に出たとき全く「耳が聞こえなく」なることがある。
−中略−彼は私たちよりはるかに遠くを見渡せ、私たちが聞こえない音を危機、昨日その方向に流れてきたすべての臭いを嗅ぐことができるから、公園にどんな犬がいるか、どんな人間がいるか全部お見通しである。だから彼は、この飼い主はもはや自分と飼い主の安全を守れないと知っているので、彼がリードするのである。(227〜228頁)

一番飼い犬に向いているタイプは「センサー」というタイプ。
これは何か危険を感じると吠えて知らせる。
性格は従順でエサも少しで満足し、自分を売り込まない。
ペットとしては、もってこい。
ただし、一つやっかいなのは「よく吠える」。
その他にはアルファを守るベータのタイプもいる。
これは、ケンカしている犬を見ると仲裁に入り、従わないとその両方を攻撃するという。
実に頼もしい犬なのだが、飼い主は常にこのベータに対してリーダーとして君臨しなければ群れを追放しようとする。
だから主人のことが信用できなくなると、犬は「主人を追い出そうとする」という。
そういうこともあるので、ぜひよく見極めてから。
一番良いのはやっぱり、おっぱいを飲んでるところを見ることだろう。

犬は決して、人と暮らしているのではない。
彼は幻の群れの中にいて、群れの人間という仲間と生きているんである。
ショーンは言う。
タイプとは、彼らの仕事。
タイプが違うというのは、彼らの仕事が違うからなので、その仕事を理解してあげないと、犬というのは上手く付き合えませんよと。
犬が気の毒なのは、例えば食事である。
オオカミの場合、タイプで食事は異なる。

 アルファのペアは、肢や尻などの動きのある肉もいくらか食べるが、地位を守るために、食事の大部分を内臓で賄わねばならない。健康維持のため少量の植物類も食べるが、彼らの被食者となるのは常に草食性動物だから、それは胃の中にある。ベータの位、エンフォーサーはもっぱら運動する肉と若干の植物を食べる。中位から上位の動物、つまりテスターは、ある割合の首や背骨の肉と、約二五パーセントは胃袋の中身をたべ、中位のオオカミは肉と胃袋の中身を五〇対五〇で食べ、下位のオオカミは七五パーセントは胃袋の植物分を、二五パーセントは肉を食べる。(238頁)

1匹の獲物にオオカミの群れは、その仕事によって食べる部位を食べ分ける。
犬は本当に気の毒に「ドッグフード」。

近所の犬にちょっと高いものをあげている武田先生。
飼い主ではないから、時々ご褒美であげる。
ダチョウのアキレス腱。
噛みごたえがあるらしくて。
秋田犬はやっぱり、鮭の干したヤツが好き。
鮭の干したヤツを、こいつが「ふうぇあ〜」って顔をして美味そうに喰う。
すぐ隣に「ラック」という犬が。
武田先生が通りかかると吠える。
武田先生が散歩に出る時間になると、窓辺に手足を伸ばして(部屋の中から)外を見ている。
それで武田先生が通りかかると、もう後ろにいる奥さんに向かって「ワンワンワンワ〜ン!」という。
「武田来た!武田来た!武田来た!武田・・・おい!武田行っちゃう。武田あ!」って言いながら。
奥さんは「はいはい。わかったー」って言いながら、ガラガラーって開けると、ずーっと2階のベランダから・・・。
コイツ(多分ラックという犬)は小型犬なので「ボーロ」をあげている。
ちょっと植物系の。
小型犬なので内臓を壊すとよくないので。
このボーロも必ず1回口の中に入れて「大丈夫かどうか」を確認してから与える。

オオカミの「性格」とか持っている「本能」みたいなものは実は我々の一番身近な「犬」にそのまま当てはめることができるという。
いかに人間との暮らしが長くなろうとも、犬はオオカミであったことをけっして忘れることはない。
その証拠として例えば「吠える」ということだ。
犬が吠えるのは仲間に言葉で何かを伝えるためで、けっして自己表現のために吠えている犬はいない。
例えば「唸る」、ワンワンワンワンと「吠えつく」というのは「なんだ!このやろう」と言ってるのではない。
仲間に何かを伝えるために吠えているんであって、自分が怖かったり、怒りを感じるから吠えているのではない。
どんなに小さくても犬の吠え方は、オオカミの時のまま。

犬が家にいるとき誰かが歩いてくる音を聞くと、彼は低い声で唸り、その後に一度だけ吠え、また低く唸る。それは誰かが近づいて来ているが、まだある程度離れているので、狼狽する必要はないよと、知らせているのだ。その人がさらに進んでくると、彼は最新情報を与える−三度吠え、それから長く唸る。そのとき飼い主が何もせず、その人が敷地内の車道に入り縄張りに侵入すると、機銃掃射の洗礼を受ける。しかし、飼い主が窓辺に行って誰が来ているのか確かめ、犬にしかるべき命令を与えると、犬は落ち着く。(235〜236頁)

もし、それでも犬が吠え続けるなら「その犬は、飼い主をリーダーだと思っていない 」。
リーダーだと思えば、吠えるのはやめる。
とにかく、犬の仕事位置。
「この犬は、どんな仕事を血統の中でしていたのか?」という「それを見極めると、犬ともっとうまく付き合えますよ」という。

武田先生の引っ越してしまった隣の犬「ソラくん」(小柴)。
誰にも懐かない。
隣の奥さんが喜ぶように、こっそり訓練をした武田先生。
「来い!」と言うとガードレールかなんかをポーンと飛び越えて往復するように。
そうするとソラくんは、ザッとガードレールに手をついて飛ぼうとしない。
「お前の言うことだけは聞くもんか」という顔をする。
柴(柴犬)は可愛い。
縄文時代から、営々と日本で暮らしている犬なので歴史を持っている。
今、サルが暴れたりイノシシが暴れたりという事件がよく山村で起こっている。
アレなんかも、やっぱり昔は犬が担当していた。
今は繋がないとダメ。
昔は、村には共同で飼ってる犬がいて「寝ずの番」をやってくれる。
だからサルが夜中に侵入してくると、ブァーッと追いかけていた。
そういうことができなくなって「サル被害」「シカ被害」みたいなのが出るようになったのではないか。
前に『狼を放て』(これのことか)の時に「ここにオオカミがいたら、またさらに良いことが」と言ったのだが、この間、上野動物園の元園長さんとテレビの番組で話をした武田先生。
上野の動物園ではタイリクオオカミを飼育している。
時々秩父の山奥の方から上野の動物園にオオカミの糞を貰いに来る人たちがいる。
オオカミの糞をちょっと置いておくだけでもう一発で、一切サルは寄ってこないそうだ。
(サルは)見たこともないだろうけども「ライオンの糞」なんかも抜群の効果がある。だからやっぱり「野生」っていうのはすごい。

(ここで「海援隊トーク&ライブ2016」のお知らせがありましたが、すでに終了しているので割愛します)

2016年5月2〜27日◆『狼の群れと暮らした男』ショーン・エリス ペニー・ジューノ(2)

これの続きです。

ショーンはついにアメリカに渡り、ロッキー山脈、九州の1.5倍(実際には1.4倍)あるという自然公園の中の野生のシンリンオオカミと暮らしたいと願うようになった。
ついに彼は「狼が生きている」というエリア内に入り、野生の群れを探す。

 私は万全の準備を整えていた。体調は文句なし−中略−リュックサックは持っていったが、それには水のボトル、水清浄錠剤、ナイフ、罠を作るための針金と紐、誰かに居場所を知らせる必要がある場合の火炎信号装置、方位磁石、地図、ノートとペン、それに食糧が見つからなかった場合のすごく塩辛いビーフジャーキーを入れた。(102〜103頁)

 ある秋の日の朝、太陽が上がるとすぐ私はキャンプを出発して、サーモンリバーに沿った古い踏み分け道を歩き始めた。(103頁)

火を使うとオオカミが寄りつかない。
食糧としてショーンが牛肉を食べると、牛の味を知っているオオカミには、ショーンが牛に見える。
それで一回全部、現代の食べ物を出さなければいけない。
敵は匂いに関しては天才的だから。
(このあたりの話は本には出て来ないし、この時点でショーンは持ってきたビーフジャーキーを食べている)

ショーンは用を足しても紙で拭かない。
やっぱり出すものの匂いは「重大な匂い」だから。
ワイルドに近づけるためには紙で拭いたりしないで、そのままにしておく。
ワイルドというのは「不潔に耐える」ということ。

私はオオカミのように量ではなく質重視の食事をしていて、生肉を一回食べればエネルギーはゆっくり解放され一日半から二日は体がもった。(106頁)

私は主として昼間にうたたねや仮眠を取り始めた。−中略−私の用意したビーフジャーキーが切れる前に最初のアナウサギを捕まえた。私はそいつの皮を剥き、ハラワタを出し、脚の部分だけ食べた。−中略−他に鳥や齧歯類や、その他リスなどの小さな哺乳類を補った。(106頁)

私はレビと接触ポイントについては合意しており、そこに私のリュックサックを残し、彼かキャンプの誰かが二日おきに車で登坂し私が大丈夫なことを確かめることになっていた。(105頁)

4週間探しても、オオカミとの接触はない。
やがて冬がきた。
初雪と吹雪が4日間続き、彼はなんと土を掘って夜を過ごした。
(本には「常緑樹の茂みの下に非難した」となっている)
昼間なるべくウトウト眠るようにして、夜は寒さに耐えた。
彼自身が野生の生き物になっていった。

ほとんどの人間は愛玩動物を自分に似せようとしたがる。わたしは自分が大好きな動物のようになりたいといつも思った。(107頁)

彼は毎日20kmを限界として山中を歩き、オオカミの群れを探し続ける。
そして8週間目の深夜、ついに狼の声を聞いた。
(本によると二か月半経って更にその三週間後のようなので、多分三か月以上経ってから)
そして11週目。
(本によると、先ほどから更に三週間後ということなので、四か月後ぐらいかと思われる)

ある昼下がり、小道を歩いていると、私の目の前約一五〇メートルのところを一匹の大きな黒オオカミが道を横切った。そいつはわずかの間立ち止まり、差すような黄色い目で私をまともに見て、それから森に消えた。(109頁)

ロッキー山脈はクマが多のだが、クマさんには悪いがクマは悪食だ。

 クマは何しろ突然出てくるから私は一番怖かった。(111頁)

彼はオオカミの遠吠えを毎夜聞くうちに、その声がオスかメスか判断できるようになった。

次の三晩か四晩、彼らは遠吠えをした。それはまだいなくなった家族のためだろうと考えたが、どこからも返事はなかった。ある晩、私は勇気を出して代わりに吠え返してみた−ちょうどどこかの群れに欠員があると一匹オオカミが感づいたときにやる吠え方で−ら、なんと群れの全部が私に応えたのだ。(119頁)

(番組ではこの後、30週目に野生の群れを呼び寄せて、気付くと5匹のオオカミに囲まれたというような話になっているが、本の内容とは異なる)

ショーンは9か月近くかかって、野生のオオカミの群れに接近し続けた。
ある日の午後、黒いオオカミが近づいてきて側まで来るとゆっくりと膝の下を前歯で咬んだ。
そのオスは、仲間をすぐに呼んだ。
接近は頻繁となり、オオカミの咬みはだんだん強くなり、触れても反撃されなくなった。
(番組ではオオカミが「ついて来い」と言ったというような話になっているが、それらしい話は本の中には発見できず)

ショーンはついに、メスのアルファボスであるトップに紹介された。

彼女は敵愾心むき出しで、二〇メートルか三〇メートル以上、私が近づくのを許す気にならず、みるからに極めて神経質になっていた。(123頁)

それでも他の3匹の仲介で、彼はゆっくりと新入りとしての待遇を受けるようになる。
オオカミの待遇とは、オオカミとして鍛えられることで、とにかく咬む。
そして咬まれながら、仲間のオオカミに自分の匂いを一生懸命伝えているらしい。

 あまりに痛みが激しいときは、彼らに放してもらうため私は金切り声で悲鳴をあげざるを得なかったが(126頁)

 ある朝早く私が空地にいると彼ら四匹がずいぶん久しぶりに現れた。−中略−今度はメスまでも挨拶するかのようにして近づいてきた。彼女は私から約一〇メートルのところに座り、オスが私の体に接触するのを眺めていた。(127頁)

気がついてみると、メスがオスと交代し、それまで三〇メートル向こうで唸り喚いていたのが、私の顔から三インチしか離れていないところで咆哮しているのだった。私の顔に彼女の生暖かい息がかかった。(127頁)

(番組ではこのメスがショーンの唇を咬んだと言っているが、そのような記述はない)

ショーンは、殺そうと思えば殺される体勢だったが、覚悟を決めて唇を咬まれながらなるべく首を彼女に見せた。

 彼女が私の上に乗っていたのは二分か三分だろうが生涯で最も長い時間だった。彼女は私に何の危害も加えなかった。(127頁)

離れたということは、その瞬間に狼の仲間入りが許された瞬間だったという。
その日からショーンは、遠吠えで仲間を呼ぶ事が可能になった。
(本によると呼べるようになったということではなく、ショーンに対して吠え返しているだけのようだ)

若いメスが私に食べ物を持って来てくれた。アカシカの足だった。彼女はちょっとだけそれと戯れたが、ほらと言わんばかりに私のそばに落としていった。私がそれを食べ始めると彼女は座って見ていた−ということは私の行動は適切だったのだろう。−中略−彼らは私に狩りをしてほしくないが、喜んで私をそばにおき食べ物をもってきてあげようと思っているらしいことは明らかだった。(129頁)

(番組では、食べるまでアルファのメスが見ていると言っているが、実際には見ていない。シカを食べた時にオオカミがショーンの顔を舐めまくったように番組では言っているが、これは別の時の話)

この本の内容を「話を盛ってる」と言う水谷譲。
目撃者が一人もいないので疑われても仕方がない。

 私は日記をつけたことがないし、手紙を書く人間でもなく、何かに頼ることがなかった。−中略−そんなわけで、私の生涯に起きたいろいろな出来事が実際はいつだったのか記憶を呼び起こすものが全くない。ある出来事が起きた年を間違っているかもしれないが、どうぞご容赦願いたい。(XIV頁)

とうとう本物の野生のオオカミと接触して、彼はこの時にメスボスのオオカミから存在を認められて、下位のオオカミからシカの足のエサをもらって喰った。
その時に、正式にちゃんと仲間に入ったんで「自分の仕事はなんだろう?」と考えた。
「なぜ自分は、この群れにリクルートされたか」すぐにわかった。
ボスであるアルファメスが交尾期に入ったので、彼に乳母を頼んだ。

オオカミの妊娠期間は六三日であるが、二か月目の終わりになると彼女が赤ちゃんを身ごもっていることは明らかになった。(137頁)

(この後、番組ではショーンが乳母役としてやった内容が語られるが、武田先生の創作と思われる)

獲ってきた獲物はメスのボスから食べる。
獲物を食べる場所(部位)は決まっている。
オオカミのボスは内臓から食べる。
シカの胃袋を食べると一緒に植物系まで摂れる。
主に運動をやるヤツは筋肉系の腿を食べる。
だから食べる場所で、自分の群れ全体の中での仕事の役割が決まっている。
「センサーオオカミ」というのがいる。
遠くまで行って珍しいものを見つけると、匂いをすりつけて持って来て「こんな珍しいものがありましたぜ」とみんなに嗅がせるという役割のオオカミがいる。
群れを組んで生きている時に、いわゆる情報収集みたいに、エサとは関係ないけれども、何か変わった出来事が起こるといちいち匂いで報せに戻ってくるといういわゆるメディア関係みたいなヤツがいる。
こいつが胸の肉を食べる。

2年で、鍛えに鍛えたショーンの体力も限界になった。

 午後遅い時間だったが、私はまたしてもどうしようもなく水が飲みたくなった。私は立ち上がり谷間に向かっていつもの道を下りはじめた。そのとき巣穴の反対側から若いオスが私に飛びかかり、私を地面に叩きつけた。若いといってもなりはでかく力が強かったので、ちょうどラグビーで三人の選手に同時にタックルされたような感じだった。−中略−
 何が起きているのか、彼をこんなに怒らせることを何かしたか、私は思いつかなかった。
(142〜143頁)

 突如、すべてがはっきりしてきた。若いオスは私を殺そうとしたのではない。それどころか、私が四五分前にこの道を通っていたら、クマに襲われただろう。このオオカミは私を確実な死から救い、同時にクマが巣穴とチビたちの存在に気付かないように守ったのだ。(144頁)

オオカミの群れの感動は、すべて彼らが「家族のために命をかける」ところ。
これを何回も、彼は目撃している。
オオカミは群れで行動する。
一番大事なのは群れ。
群れの中にいる1頭ずつにはそれぞれに仕事があり、その仕事をそれぞれが命をかけてやる。
やらなければ群れ全体が死んでしまう。
仕事が無くなれば、その1頭は容赦なく群れから追放される。
抵抗や言い訳は一切できないし、彼らもまたしない。
追われれば、まっすぐに群れを離れる。
「離れオオカミ」として森の中で一人で生きていく。
一人というのはオオカミにとっては野生で、ほとんど死ぬことと同じ。
だけども、それに逆らおうとするものはいない。
彼らは実に素直に、その死の命令に従う。
ショーンはオオカミの子供たちが大きくなって一人前になったことを確認すると「やがて自分の仕事が無くなる」と。
(このあたり「ショーンは乳母役」という誤った認識で話が進んでいる)
ということは、その時点で群れを追われるということがわかったのだろう。
そして去った。

その間になんと、カレンダーは2年が過ぎていた。
それで体重は22kg減。

彼は巣穴を出て実に感動的だったのは、あれほど懐いていたチビが、まったく彼について来ない。
巣穴から顔を出してるが、彼についてこようとしない。
その顔を振り返って見た時に、ショーンは「こいつ、この群れを出ようとしてる」と思った。
オオカミは別れに反応しない。ワイルドとは野生とは、そういうことなんだ。
ショーンは「子オオカミにさえ、教えられた」ということで、オオカミの群れを離れたという。

落合場所に着くまでにはたっぷり一週間はかかった(145頁)

何か欲しいものがあるかと聞かれたので、私が「ハチミツ」と言ったら、誰かがうぐ持ってきてくれ、レビと周りに集まった皆が立ってみているなか、私は一気にビンの半分まで食べた。(147頁)

(番組ではハチミツが冷蔵庫の中にあったように言っているが、本にはそういう記述はないし、冷蔵庫に入れたら固まってしまうだろう)

私は川の流れにひざまずき顔に水をかけていたとき、たまたま水面に映る自分の顔を見た。私は自分の顔を何か月も見ていなかったので、私を見返している顔が誰かわからなかった。やせてやつれ、目は黒く窪んでおり、髪は長く伸びてもつれ、ひげは伸び放題だった。センターを二年前に出たときの艶のある若々しい顔をした若者とは似ても似つかなかった。(144頁)

彼はアメリカのキャンプ地での暮らしの中で、また再びオオカミへの夢が膨らみ始める。
それはイギリスに、自分の生まれた故郷に戻って、その中で「狼と一緒に生きていく環境」というものをイギリスに作りたいと夢見た。

 私はまっすぐプリマスにいるジャンに会いに行った。−中略−いくつかの照会をしたが、結局軍隊のコネを使ってレスターシャー州メルトン・モーブリーの陸軍が経営している軍用犬管理のコースに住み込みで入学した。(151頁)

(番組では軍隊の方からアプローチがあったかのように言っているが誤り)

ロシアがイルカを軍事用に使おうということもあった。
野生動物のこういう能力は戦場なんかではすごい。
戦争に役に立つ軍用犬を育てる調教師たれということで、彼にお呼びがかかった。
(そうではないのだが)
彼は、オオカミで身につけた知識を軍用犬にという。
ところが軍用犬を育てながらも、彼の所には普通の犬の相談も持ち込まれるようになる。
彼の生活はオオカミから犬になる。

オオカミと犬のDNAの違いは〇・二パーセントしかない。数千年に及ぶ選択的交配の結果、私たちはセントバーナードからチワワまで、人間が欲しがるあらゆる形、大きさ、色の犬を作り出してきた。−中略−現在の犬はもちろん家畜化されているのだが、基本的に彼らの本能はオオカミと同じである。(227頁)

だから「オオカミを知っていれば、犬が理解できる」ということで、彼の知識が犬の役に立つ。
色んな所で鹿が増えすぎるっていう国があったり、今度は逆に野生のオオカミが羊を食べたっていう。
そういうオオカミ絡みの事件に彼が巻き込まれていって、オオカミと暮らした知恵がヨーロッパ世界の中で、彼を通して解決されていく。
「妄想」でも「盛り」でもないという「彼の知識」が、ここでまた発揮される。

2016年5月2〜27日◆『狼の群れと暮らした男』ショーン・エリス ペニー・ジューノ(1)

今回は何と四週にわたっているので、いつもの「前編・後編」ではなく数字にしておく。
今回も「本の中にそんなことは書いていないのでは?」みたいな部分もある。
っていうか悪化している感じがする。

狼の群れと暮らした男



ショーン・エリス氏の体験をペニー・ジューノ氏が聞き取ってまとめた本。
イギリスの青年であるショーン・エリス。
話はタイトルの通り。
ショーン・エリスの体験記。
英国ノーフォーク州の農家に生まれた青年。
のどかな農村に生まれたショーンは、野生動物に囲まれながら育つ。
しかし思春期を迎えると心から愛したおじいちゃんと死別し、少しずつ反抗が始まり荒れ始める。
母は離婚し女手一つで育ててくれたが、ショーン自身が青年らしい反抗期が続き、自立の暮らしをしたいということで、22歳で英国砲兵隊のコマンド部隊に入隊する。
このへんは農家の次男坊にあるタイプの体験記。
(一人っ子なので次男ではないのが)
コマンド部隊で雪中行軍や戦闘訓練を受ける。
イギリスのグリーン・ベレーのような部隊に入るのだが、そのグリーン・ベレーで戦闘訓練を受けるのだが、習ったことが後にオオカミと接触する時の知恵になる。
グリーン・ベレーの生存術は面白い。
極寒の中、48kmを8時間以内に走破する。
(この訓練は本によるとグリーン・ベレーに入るためのテストの中の一つであるが、番組ではこのような訓練を受けていたように言っている)

 そんな温度のもとで長距離を徒歩で踏破しようとしている場合は、先導者は決して長い間その任にあってはいけない。彼はだいたい五百メートルぐらい先導したら、速度を緩め後ろに下がり、列の次の人がさらに五百メートル先頭に立つなど順番に交代する。−中略−
 私は人間がどうやってこのことを発見したのかいつも不思議に思っていたが、何年もあとになって中央アイダホの山中で野生のオオカミと暮らして初めて、オオカミが雪の中で全く同じ方法を使っているのを知った。しばらくするとリーダーが離れて隊列の後尾につくのだが、これは狩猟のときすべてのオオカミが十分なエネルギーを残してすばやく戦闘につけるようにするためだった。
(49頁)

戦闘では、不意に先手を打て、知悉した環境で敵と戦え(何故なら戦況支配の確率が自分に有利に働くから)、と教わった。敵地で一人で十二人と戦えば勝つチャンスはないが、その十二人を知りぬいた環境で迎え撃てば、生きのびるチャンスはずっと高まる。
 オオカミが全くそのとおりのことを実行しているのをのちに私は発見した。彼らは敵を襲う前には常に勝算があがるように必ず状況を変える。
(49〜50頁)

敵に向かった場合、一人に対して、三人で囲む。
そうすると三人の負傷度がものすごく低くなる。
実はこれをオオカミがやっている。
ライオンもこれ。
獲物を真ん中にして三頭で襲う。
(三匹のオオカミが巨大なクマを仕留めた話は出てくるのだが、そういう内容ではない)

プリマスの近くのスパークウエル村にダートムア野生動物パークがあるが、そこにオオカミの群れが飼われていることを発見し、何はともあれそこへ出かけ、飼育係たちとしゃべった。私は連隊の休日にはいつも繰り返しそこへ通い、ときに人手不足のおりは手伝いを申し出た。(54頁)

ボスオオカミが息を飲むほどきれい。
目がコトブキ色(調べてみたが「コトブキ色」という色は存在しないようで、本の中にも何度か登場するが「山吹色」の間違いではないかと思われる)。
目が金色。
フェンス越しのオオカミとの遭遇なのだが、ショーンはフェンスから動かないという見物人の一人になっていくのだが、ここから彼の人生はオオカミに傾いていく。

オオカミにどんなイメージがあるか?
「怖い」
虎や狼 恐くはないのよ(銀座カンカン娘)
しかし「オオカミ」だから「大きい神様」。
日本人はオオカミに関しては「自然を代表する神」ということで「大神(オオカミ)」。
ローマ神話にローマを建設した双子の英雄(ロームルスとレムス)を川のほとりで育てた。
インドで発見されたオオカミに育てられた少年(オオカミ少年)。
アニメでは『狼少年ケン』。

テレビまんが放送開始50周年記念企画第1弾 想い出のアニメライブラリー 第7集 狼少年ケン DVD-BOX1 デジタルリマスター版



オオカミが人を育てるというのはあちこちの神話で残っている。
ところが近代化が始まるとヨーロッパからオオカミは悪魔であるというような考え方が流れ込む。
童話の中でも赤ずきんちゃんを食べたり、ディズニーのアニメでは必ずオオカミは悪役。
特にヨーロッパ圏に於いては家畜を襲うということで毛嫌いされた。

「送りオオカミ」の語源。
オオカミというのはずっと後をつけてくる。
旅人が歩き疲れるのを待って襲ってくる。
獲物を何日にもわたって追い続けるというような習性を持っている。
頭がいいので、頭のよさをひどく憎んで西洋社会はオオカミを悪魔のごとく扱ったのだろう。

パークの所有者でその真ん中の堂々たる家に住んでいたエリス・ドーと知り合いになって、私はまもなくクリスマスや常勤の飼育係が休みを取る他の休暇シーズンには代わりに仕事をしたいと申し出るようになった。(54頁)

(番組ではここで軍隊を辞めたという話になっているが、本によると軍を辞めたのはそれより後)

ショーンはフェンスを乗り越えて、オオカミと一緒に暮らしたいと思うようになる。
オオカミと仲良くなれる方法があるんじゃないかと夢を見る。
どうやったかというと、オオカミゾーンのフェンスの中に毎晩入った。
彼らはやはり警戒して近づいてこない。
フェンスの中で生きているとはいえ、オオカミ。
匂いにものすごく敏感。

 次の晩、ルーベンという一匹のオオカミ(今になればこれがベータのオオカミだったとわかる)が勇敢にも私のそばにやってきて、私の体の周りを嗅ぎ、空中を嗅ぎ始めた。−中略−同じオオカミがやってきて、その前の二晩と全く同じ行動を取った。私の匂いを嗅ぎ、空中を嗅ぎ、脚を嗅ぎ、それから突然予告なしに私に突っ込んできて、あっという間に門歯で私の膝の肉片を激しく咬みとった。(58頁)

(このあたりの咬まれた箇所などは、番組での話とはかなり異なる)

私は全くどうすればいいかわからず、そこに座ったまま、ああ、これでおしまいだ、やられた、と考えていた。
 しかし、オオカミは後退した、そして私の反応を測るかのように、「どうした?」という目で見ながらそこに立っていた。それから彼は向きを変え暗闇に消えたが、彼を次に見たのは翌日の晩で、彼はまた来て全く同じことをした。
(58頁)

私は彼が本気で私に危害を加えるつもりでないことはわかっていた。その気になれば、一平方インチ当たり千五百ポンド(約六八〇kg)の圧力を加えられるその上下顎骨で、私の膝の皿などあっという間に食いちぎることができるのだ。(59頁)

 あとで理解するようになったのだが、オオカミが最初にすることは、新入りが信頼できるかどうかを見極めることである。どうやってそれを見極めるかというと、咬まれたことに新入りがどう反応するかを見るのである。群れに加わる新入りのオオカミは自分の一番攻撃されやすい喉をすぐ差し出して喧嘩に来たのではないことを示すが、受け入れ側のオオカミは脅威がないと納得するまで新入りに圧力を加える。もし私が力ずくで抵抗したり悲鳴をあげたりしていたら、たちまち一巻の終わりだったかもしれない。(59頁)

彼がやっていることはテストだということを私は理解した。(60頁)

 二週間の咬みが終わると、ルーベンは私の体全体に匂いづけをし始めた。(59頁)

匂いづけをしていることの重大さは、この匂いを仲間のところに持って帰って「仲間だ」ということを教える。
そのためにはショーンの体の匂いが必要。
五週間目にルーベンはついに順位一位のボスをショーンのところに連れてきて会わせる。
その時にボスが3頭から4頭の仲間を引き連れている。
「新しく入った仲間です」と全員に知らせる。

一番下っ端の新入りオオカミとして、ショーンはついにフェンスの中だけとはいえ、オオカミの群れに認められ、王(アルファオス)と女王(アルファメス)に首筋を咬まれるという儀式を経て仲間入りができた。
(本には首筋を咬まれたという話は出て来ない)
仲間たちはショーンを群れの一頭と認識すると静かに闇の中に消えていった。
ショーンは、オオカミの仲間入りができた初めての現代人になった。

猿にはボスとかサブボスがいる。
オオカミの場合はボスはボスなのだが、威張っているボスではなく仕事でアルファ順位、ベータ順位、シータ順位が決まる。
偉いということではなく、王と女王は子づくりするためにボスになった群れのトップ。

仕事分担で群れが形成されている。
ショーンはやっと人間としてオオカミの群れの最下位の仲間として受け入れられる。
ショーンはリクルートされ、何を任されているかにやがて気づく。
乳母役。
(この後もショーンが乳母としての任に就いているような話が続くが、本ではそのような内容にはなっていない)

 狩猟期になると地元の猟友会が鳥を届ける習わしがあって、ある日オオカミの柵に彼らがカモを三羽届けてくれた。当時まだ私はオオカミが食べる食べ物の種類とか彼らが何を大事にしているかをあまり知らなかった。−中略−アルファのペアが最初の二羽のカモを取ったので、私は食べたくはなかったのだが、自分の分け前を守ったほうがよいと考え、ベータがその周りに彼の匂いをまき散らしていたのを知らずに、三羽目を取り上げた。
 あっという間に、私は地上に叩きつけられた。ルーベンが約十メートル先から猛烈な勢いで私に突進してきたので、私はまるで汽車にはねられたかのようだった。カモは空中にあがり、私は仰向けに横たわったままだったが、彼が私の顔を上下の顎骨の中にはさみ締め付ける間、私は全く息ができなかった。
−中略−すると彼はまだ唸りながら顔から喉に締め付けを移動させた。彼はあと何秒か万力のように私を締め付けていたが、それから私を解放し、歯をむき出しにしてまだ唸りながら、後ろに下がった。(64〜65頁)

殺す気だったら喉を噛めば一発でいったのに、それをしなかったということは罰を与えた。
その時にショーンは学ぶ。
ルーベンがショーンに何を教えたかったかというと「触っちゃいけない」。
エサを他のオオカミが触っちゃいけない。
ベータ順位(二番目)のルーベンは、群れのアルファ(一番目)のペアの食事を担当しているオオカミ。
ベータ順位のルーベンが匂い付をしたものはアルファペアのためだけにあるので、子供のオオカミでさえ触っただけでも同じことを二位のオオカミから罰として、その辺は容赦がない。

オオカミは群れの中で担当する役割があって、その仕事をしつつ群れ全体を守る。
これがオオカミ。
だから自分一頭だけで生きようとするオオカミは殺される。
一匹狼は「失業中」。
群れは一頭ずつに仕事があり、仕事がダブるとダメ。
仕事がダブると役に立たない方から追放される。
そいつはどうするかというと、リクルートして歩く。
自分の仕事がないか尋ね歩かなければならない。
その時に「仕事を下さい」という叫びが例のオオカミの遠吠え。
群れを守ることがオオカミの絶対。

 アルファは意思決定者で彼らがいないと群れにはリーダーがいなくなるから、彼らが一番重要なメンバーである。だから、彼らが生き残ることが何より優先される。食べ物が少ないときは、彼らがまず食べ、彼らしか食べないこともある。他のメンバーは、子オオカミさえも、空腹になり、必要なら餓死する。(64頁)

(番組ではアルファを生かすために他のオオカミを殺すというような話になっているが、上記のように殺すのではなく死ぬようだ)

オオカミと付き合えば付き合うほど、ショーンは本物のワイルドオオカミの仲間になりたくなる。
彼はオオカミを尊敬してしまう。
そんな時に彼は、アメリカから野生の本物のオオカミの話が入ってくる。
どういうことかというと、アメリカのネイティブインディアン、ネズパース族の中のアイダホ州ウィンチェスターに住んでいるネズパース族の酋長が全米で「オオカミと話ができる男」ということで雑誌とかテレビで取り上げられるのを見て、ここに行きたくなってしまう。
(本によるとテレビに取り上げられていたのはネズパース族ではなくジムとダッチャーというアメリカ人夫妻。武田先生は「ネズパーズ」と発音しているが「ネズパース」)
ネズパース族というのは特にオオカミと関係が深かったらしく信仰の対象にしているらしい。
アメリカ政府もここにオオカミ研究センターを置いて、野生のオオカミを大事に保護している。
ショーンはその保護地の中にもぐりこみたくなる。
ネズパース族の保護地区を決める時に、アメリカ政府と話し合いがあったのだが、契約が保留されている。
なぜ、いい条件なのにネズパース族は保留したか?
それは「話し合いの席にオオカミが出席していないからつり合いが取れない」ということで。
(本にはそういことは書いていないし、調べてみたがオオカミのことが原因ではないようだ。この後に続く「オオカミの代表が来ていないから」みたいな話は割愛する)

ついに、なけなしのカネを全部はたいて渡米する。
目的はロッキー山脈の(オオカミの)保護区。

カナダのシンリンオオカミ一五匹がロッキー山脈の国有林約千三百万エーカー(訳注:約五万三千㎢で九州の約一.四倍の広さ)に放たれた。(71〜72頁)

(番組では「三万五千㎢」「九州の1.5倍」と言っているが本では上記のとおり)

もう彼はアメリカのシンリンオオカミの群れにどうしても仲間入りしたい。
もちろん柵を巡らせた保護区もあり、ここには11匹のシンリンオオカミが飼育されている。
動物学者もいるのだが、ショーンは動物学者と合わないらしい。
彼はとにかくネイティブアメリカンのインディアンの人たちと一緒になって、オオカミのために働きたいと思う。

ある夜、ボスのネイティブアメリカン、レビ(レビ・ホルト)の許可を得て、フェンスの中の狼と一緒に暮らす。
(本によるとレビの許可ではなく「私はマネジャーたちを説得して」となっている)

 私は毎晩出かけたが、その後の経過は私がイギリスで経験したのと似ていた。オオカミは私に興味を持ったが最初は距離を保ちながら、しだいに近づき最終的には私に歯咬みでテストし始めた。(86頁)

この接触で、彼はますます己のやり方に自信を深め、ネイティブインディアンの酋長からも「お前、できる」と絶賛される。
彼はオオカミを学びながら、更に高い目標を持つ。

野生のオオカミは彼らとどう違うのか、果たして今まで人間に会ったこともないオオカミの群れに私は受け入れられるだろうかという思いに取り憑かれ始めた。(101頁)

2016年06月24日

2015年7月20〜31日◆『福井モデル 未来は地方から始まる』藤吉雅春(後編)

これの続きです。

東京の放送局ではほとんど放送されない。
在京ということで喋っているが、いろんなすくい漏れがある。
それを藤吉氏のような方が全部拾い上げてくれる。

二〇一二年、OECDがまとめた『コンパクトシティ政策報告書』で、富山市が、メルボルン、バンクーバー、パリ、ポートランドと並んで、世界の先進五都市として評価されたからだ。この五つの都市の中で、人口減少と少子化・超高齢化にあるのは、富山市だけだ。(51頁)

行政面での国際評価は高く、続々と外国からここの町の市政を見学に来る。

マレーシアの第二の都市、ジョホーバル市があるジョホール州にいたっては、ジャングルを切り開き、富山モデルの都市を建設するという。(51頁)

かつて「人口密度の高い、ギュウギュウ詰めで人間がいっぱい住んでいるところは住環境がひどいんだ」これが基本であった。
豊かな人はハリウッドの高級住宅街もそうだが、ゆったり広々と暮らしていること、これが人間の豊かさというものだ。
それゆえに全ての市町村は外へ外へと拡大していった。
長崎なども丘の上丘の上と、「高ければ高いほどお金持ちだ」とさだ(さだまさし)君は言う。
しかし今、長崎を見たらわかる。
高いところは大変。
あの階段を登れない。
だから高齢化によって町の基準というか、住みやすさというのもひっくり返る。
行政は道路・橋・交通など維持費がかさみ、特に雪などで管理の難しい拡大山間部へのコスト大に悩んでいる。
電車・バス・市電などのアクセスが不便になると、過疎は高齢者にとって生死にかかわる重大問題となる。
もう拡散する都市づくりの時代は終わった。
これを別の人の言い方で言うと「地方消滅」という方もいらっしゃるが富山市は「違うんだ」と。
「コンパクトシティ」
住環境のいいところをギュッと一か所に集中して、小さな町で快適に過ごすというエリアを率先して作らなければダメなんだということでもう、乗り出している。
富山市がまずやったことは路面電車の充実に着手した。
町の中心部に人、カネ、モノの機能を集約し、そこに都心地区を作る。
人を集める滑車がそこだ。

「人を動かす要素は三つあります。楽しいか、おいしいか、おしゃれか、です。おいしいにはお得感も含まれます。(57頁)

都心を地盤沈下させない。
これが税金の無駄遣いにならないということ。

 富山市の税収は約七百億円。そのうちの半分近い四五・一%が、都市計画税と固定資産税である。この二つの税収はどこからもたらされているか。七四%が市街化区域からである。市街化区域は、市の面積のたった五・八%にすぎない。−中略−
 中心市街地が地盤沈下すれば、地価が下がり、市全体の地価も下がっていく。
(63頁)

富山市の中心部をシャッター通りにしないこと。
政治がやったことは、なるべく人を真ん中に集める。

 スーパーに徒歩で行ける。病院や診療所にも徒歩で行ける。公園、図書館、地域包括支援センター。歩いてどのくらいの距離なのか、が便利さのポイントである。住民基本台帳に記載された人が住んでいる住所を、何丁目何番地といった表記ではなく、緯度と経度で表して、地図上に六十五歳以上が住む住宅分布図をつくった。この地図からは、スーパーまでどのくらい時間がかかるかがわかる。スーパーまで五百メートル圏内、病院や診療所まで五百メートル圏内など、「居住推進地区」をあぶり出す。(66頁)

その人たちの住むべき環境を市電を串として居住区のゾーンを三つ連ねて、団子を刺すように並べた。
(「団子」という言葉のイメージから「三つ」と番組の中では言ったようだが、本の中の地図などを見た限りでは三つということではないようだ)

 ここで使ったのが、「まちなか居住推進事業」による助成金である。
 たとえば、ライトレールの駅から五百メートル圏内に共同住宅を建てれば、その建設事業者には一戸あたり百万円の助成金が与えられたり、リフォーム補助も業者に支給される。市民にも同様に助成金がある。駅やバス停からの距離が一定圏内であれば、三年間毎月一万円の家賃補助があったり、住宅を購入する場合も一戸につき五十万円の補助がつく。
(68頁)

 富山市は「おでかけ定期券事業」なるものを始めた。六十五歳以上の高齢者は、路線バス、ライトレール、地電などの交通機関を使用する際、市内各地から中心市街地まで出かけたら、一回の交通費が百円になる。事業のポイントは、ゴールが中心市街地でないといけない点だ。中心地まで行かず、途中で降りれば、利用者負担額は通常通りの料金になってしまう。たとえば、岐阜との県境など遠方から中心地まで通常の路線バスであれば、千百六十円から二千六百円がかかる。だが、「おでかけ定期」を使って中心市街地に行けば、百円だ。(73頁)

これが成功した。
そうすると都心で飲み食いする。
経済効果が回り始める。
飲酒をするので、帰りも車ではダメ。

「孫をお出かけ支援事業」とは、市内にあるファミリーパーク(バーベキューもできる動物園)、博物館、科学館、民俗資料館、立山のアドベンチャー施設などの市の施設は、祖父母と孫やひ孫が同伴すれば、入園料が全額無料となる一年間限定のサービスである。(52頁)

この孫は孫の証明書はいらない。
65歳以上の証明書を持っていて、子供と手をつないでいれば全部タダで入れる。
そういう施設。
ぐんぐん上がる。
エリア内での消費行動が活発になる。

面白いことを考える市長。

指定の花屋で花束を購入してライトレールに乗れば、運賃は無料という「花トラムモデル事業」である。市内の景観を花で埋め尽くす演出策だったが、市民いはいまひとつ受けなかった。
 ところが、東京のテレビ局が次から次に取材にやってきて、脚光を浴びた。さらに、ある企業の女性役員が市長室にやってきて、「まいりました。こんなオシャレなことをやっている町で、うちの社員を働かせたい」と支店の設置を決めたのだ。
(78頁)

(番組の中では東京の花屋ができたという話になっているが、本によると違うようだ)

 富山市内にある主要な五つのホテルに宿泊した、毎年四月の外国人客数の推移を示したグラフがある。四月は立山の室堂で、高さ二十メートルの雪の壁を間近に見る「雪の大谷ウォーク」があるため、もっとも観光客が多い。−中略−全体の数が意外と少ないのは、ほとんどの観光客が市内を素通りして別の観光地に移動するためだ。−中略−
 たった三年で、なぜ宿泊客が十九倍にも増えたのか。
−中略−
 答えは、意外にもホテルに置かれたライトレールの無料券だった。市は、外国人旅行客に対して、一回二百円のチケットを無料にして乗り放題にしたのだ。この無料チケット効果で、旅行者は富山市内を素通りするのをやめて、一泊増やして市内観光を始めたのである。
(72〜73頁)

この「損して得とれ」が医療費効果にまで波及する。
この交通機関の大盤振る舞いがものすごい都心での消費、飲食好調等々で、税収を持ち上げた。
車から解放されたこともあり、アルコールも気兼ねなく飲めるので酒税が上がった。
富山市内の老人の年間の医療費が目に見えて下がり始めた。
100円にしたお蔭で、爺さん婆さんがウロウロ歩く。
足腰が元気になる。
病院に来なくなってしまった。
藤吉氏が調べた結果。

「おでかけ定期券」を利用した六十五歳以上の平均歩数は、定期券を利用した日は七千十九歩。定期券を利用しなかった日の平均歩数が一日五千七百十歩だから、一人あたり千三百九歩増えた。市は筑波大学の専門家による試算を利用して、その効果をこうはじき出す。
「一歩追加して歩くことによる医療費の削減効果は、(健康効果で一歩あたり)〇・六十一円。定期券による一日当たりの増加歩数が前述したように一日一三〇九歩だから、これは一日あたり約八〇円の医療費削減になる。おでかけ定期券利用者全体でみると、一日平均二五九一人が利用しているので、全体で一日あたり二〇万七二八〇円の医療費削減となり、年間で約七五六〇万円の削減になります」(富山市)
(74〜76頁)

ちょうどこの本を読んでいる時に大阪にいた武田先生。
大阪都構想でもめた時。
たかだか一万票差で大阪都構想は否決される。
あの中で大阪の町が二分されていた。
若い方は橋下さんが大好き。
お年寄りは意外と支持されないという方が多かった。
老人たちは「橋下にまかせておくと、バスの割引券が取り上げられる」そういうささやかなことだった。
富山の市長さんは冴えている。
この市長さんの様々な冒険に関して、「不公平」と叫ぶ方とか「市民に媚びてるんじゃないか」とののしる方もたくさんいらっしゃった。
その「不公平」と叫ぶ、「媚びてる」と批判する声を一つ一つ潰していかなければいけない。
それをおやりになった。

 こんな事例がある。水害により富山市の山間部の橋が流されてしまった。税金で橋をかけようとしたところ、市長は「待った」をかけた。橋の奥には老夫婦が住む一軒家しかない。その老夫婦の息子夫婦は山を下りたところに家を建てて暮らしている。「だったら巨額な公費を使って橋をかけるより、老夫婦の家を買う立ち退き交渉をすべきだ」と命じたのだ。
 だが、老夫婦はどうしても昔から住んでいる家を出たく無いと言う。立ち退け、立ち退かない、橋をかけろ、税金の無駄だ、という堂々巡りの議論になりがちな話だが、ここで大事なのは発想を変えることだ。森はこう提案した。
「流された橋と同じ大きさの橋をかけようとするから税金の無駄遣いになる。老夫婦は軽トラに乗っているんだから、軽トラが通れるコンパクトな幅の橋にすればいい」
(68〜69頁)

(番組では老夫婦の息子の車といっているが、本にはそうは書いていない)

山小屋のトイレをバイオ化するために補助金を出すという施策である。
「個人の所有である山小屋に税金を使っていいのか」と、市議が不公平さを問題視した。
−中略−山小屋のトイレを使いやすくしたら、若い女性の“山ガール”が増えて市のためになるじゃないですか。(69頁)

トイレをきれいにしたら山ガールが来始めて、山小屋が稼ぐのでバイオトイレの分を税収で稼ぎかえした。
それを取り返ししてまた、稼ぎが積み重なっていく。
この市長さんの考え方は、それが私か公か、どっちの為になるかということを考えてジャッジしていく。

たとえば市長は、65歳以上の住民を住民基本台帳で拾い、ゾーンを作って居住区を移す。

 こうした説得と誘導策によって、二〇〇五年に公共交通沿線居住推進ゾーンに住む人口は全体の二八%だったが、八年後の二〇一三年に三二・二%にまで増えた。人数にして、一万七千七百三十六人の増加である。これを二〇二五年には約四二%まで引き上げる予定だ。(70頁)

このエリアを緑化運動の中心にして、ますます綺麗な道に磨いている。

あっちこっちにレンタル自転車が置いてある。
市電に沿って花がブワーと咲いている。
外国の観光客もすごい勢いで増えている。
愛していなかった町を深く愛する市民が生まれ変わらせた。

行政のあり方を問うという藤吉氏の作品なのだが、読んでいると生き方とか価値観とかそういうものが実はものすごく大きな力を持っているのだなという気がして仕方がない武田先生。

富山市は様々な面で自らで富山という地方を作ろうと決心し、今作りつつある。
大阪は大阪を作らない。
東京は東京を、福岡は福岡を。
それが本当の地方創世という意味ではないか?

 町づくりを成功させる要素として、必ず語られるのが、「若者」「よそ者」「バカ者」がいるかどうか、だ。(84頁)

「よそ者」は今までジモティーの人が気づかない別の目でその町を眺めることができる。
だからよそ者に冷たい町というのは発展しない。
活力は「若者」から。
やっぱり若者のエネルギーがその地方に宿ること。
そして斬新なアイディアに満ち溢れた「バカ者」。
この三タイプがいないとダメだ。

さびれた祭りを復活させたエピソード。
「よそ者」の女性(トムスマさん)がやってきて祭りの曳山を自分たちで新しくデザインし直した。
それが変わっていて面白いので、調子者が集まって曳山を轢きだしているうちに型破りな新しい祭りになって、ドーッと見物人が集まり始めたので、また名物が一つできたという。

「万有引力の法則だね。誇りや愛といったエネルギーが高ければ、質量に比例して引力が働き、人は集まるよ」(97〜98頁)

その町への一種誇りと、一種愛情があれば人を引き付ける力がワーっと溢れてくる。
石川・福井・富山には、やっぱりそういうものがあったのだ。

(番組ではここで石川県での武田先生のライブのお知らせが入るが、何しろ去年の放送の内容なのでここでは割愛)

福井へ行った時に武田先生が目撃した光景。
大通りにコタツが並べてあって、みんなで焼いた鯖を食べている。

天王寺区のホテルの一室。
橋下市長が大阪都構想なる構想をぶちあげ、有権者150万人を二分して選挙をやったその日に、この本を読み終わった。
テレビを付けたら市長が出ていらして、サバサバした様子で政界引退を発表していた。
己が仕掛けた自民党票に破れるということで引き揚げていくという、その後ろ姿は一見、勇ましく見えた。
なぜ大阪都構想はうまくいかなかったのか?
例え一万票で敗れたとはいえ、敗れ去ったワケだから。
制度をいじくれば新しい街ができるという政治的な図面では人は動かないのではないか?
大阪というのはどういう町か?
大阪というのは反中央。
「東京ではない」ということを発想にエネルギーが町に溢れている。
その大阪を、「大阪都」と名乗るといいうのは、もうすでにその・・・という。
もう一つ言えることは、未来を始めた福井モデルという本には福井と石川と富山の連携が書いてある。
北陸三県しっかりと手をつないでいる。
そして住みやすい環境を作っている。
『福井モデル』という本のタイトルなのだが、番組は富山で終わる。
本の内容の三分の一しか語っていない。
ここから藤吉氏の本は面白くなるのでぜひ、買って読んでください。

2015年7月20〜31日◆『福井モデル 未来は地方から始まる』藤吉雅春(前編)

一年近く前のなのでこれも古いけど。

福井モデル 未来は地方から始まる



新しい人による、全く新しい未来への提言。
別角度の、しかも足でしっかり集めたという。
着目、視点、構想、はつらつとした新しい着想に溢れている。
地方からの改革が一種の「建前スローガン」として今、叫ばれている。
この地方創世など地方の変革が政治的流行になっている。
しかし、その裏をかくような実に見事な藤吉レポートである。
40代後半の方で、すごくいい意見を言っている。

ショックを受けた武田先生。
腰帯つかみの一行は「未来は地方から」と謳っている。
「もうとっくに未来を始めている地方があるのだ」と。
それが大阪でもなければ名古屋でもない。
福岡などといった大都市でもなくて、実は福井。
ここは日本の未来を先取りして、もう未来を生きている。
それが福井だ。

地味な印象がある福井。
芸能人といえば五木ひろし。
武田先生が好きな白川静先生。
一度行ってみたい町ではあった。
冬先から引き受けた仕事が天皇の料理番をやった人の物語で、その人の出身地が福井だった。

天皇の料理番 [Blu-ray]



「何か福井づいているな」と思っていたところへ『福井モデル』。
日本はもう福井をモデルにすべきだという。
福井は未来を歩いております。
こんな謳い文句なので思わず一冊の新しい提言にクギヅケになった。

テレビやラジオを批判するワケではないが、コメンテーターの方がショッキングなことを言われるが「外れたら責任を取れよ」と言いたくなることがある。
ラジオであるコメンテーターが「北陸新幹線の経済効果は全く一時的なもので、YKKみたいな大きな会社が本社を置いたところで、石川、福井、富山、このあたりの不景気は救いようがありませんよ」とおっしゃっていた。
本当かいな?

奥様と温泉へ行くために長野経由で北陸新幹線に乗った武田先生。
金沢まで行くヤツは満席でダメだった。
平日の木曜日なのに。
そのへんの経済評論家の人たちが言い当てられない時代に突入したのではないか?

富山の市長は路面電車をいっぱい工夫する。

 富山市は「おでかけ定期券事業」なるものを始めた。六十五歳以上の高齢者は、路線バス、ライトレール、地電などの交通機関を使用する際、市内各地から中心市街地まで出かけたら、一回の交通費が百円になる。事業のポイントは、ゴールが中心市街地でないといけない点だ。中心地まで行かず、途中で降りれば、利用者負担額は通常通りの料金になってしまう。たとえば、岐阜との県境など遠方から中心地まで通常の路線バスであれば、千百六十円から二千六百円がかかる。だが、「おでかけ定期」を使って中心市街地に行けば、百円だ。(73頁)

「おでかけ定期券」を利用した六十五歳以上の平均歩数は、定期券を利用した日は七千十九歩。定期券を利用しなかった日の平均歩数が一日五千七百十歩だから、一人あたり千三百九歩増えた。市は筑波大学の専門家による試算を利用して、その効果をこうはじき出す。
「一歩追加して歩くことによる医療費の削減効果は、(健康効果で一歩あたり)〇・六十一円。定期券による一日当たりの増加歩数が前述したように一日一三〇九歩だから、これは一日あたり約八〇円の医療費削減になる。おでかけ定期券利用者全体でみると、一日平均二五九一人が利用しているので、全体で一日あたり二〇万七二八〇円の医療費削減となり、年間で約七五六〇万円の削減になります」(富山市)
(74〜76頁)

地方は今、小さく縮みつつある。
問題の起点は少子高齢化。
人口が減っていくわけだから。
それはどこまでも移行期の過程で、その先をぼちぼち見るべきではないか?と筆者は言う。
事実を見て嘆く。
それは子供でもできることで、今起こっているその事実の向こう側、そこから何が見えるのか、何を見なければならないのかという提言がこの藤吉氏。
若き藤吉レポートは地方消滅の真逆を提言している。
日本の未来は地方にしかない。
日本の未来は東京、大阪ではない。

著者は、驚くべきランキングからこのルポを始めている。

 二〇一一年に法政大学大学院の坂本光司教授と「幸福度指数研究会」が発表した、四十七都道府県幸福度ランキングでは、一位・福井県、二位・富山県、三位・石川県と、北陸三県がトップスリーを占める。(2頁)

以前は国もやっていたのだが、一部の県からクレームが来てやめてしまった。
この「幸福度」という設定が曖昧なチェックではなく、実に細かく厳しいチェック項目。
どんなふうにして調べたかというと、例えば生活保護者受給者が人口に対して何人いるか?

勤労者世帯の実収入(二〇一〇年)では一位が福井県で二位の東京を引き離している。(2〜3頁)

勤労者世帯。
東京ではお父さんが○○という大会社に勤めています。
福井ではおじいちゃんとおばあちゃんとお母さんとお父さん四人が頑張って働いています。
ということで収入を比べると福井が一位。
生々しいが実に的確。
稼ぎ頭の男のみで比較しない。
家庭に入ってくる世帯収入ということで。

小学校学力テスト、体力テスト、東大・京大の合格者数、離婚率の低さ、大学生の就職率、保育園の収容、図書館の設備、病院数、共稼ぎ率、持ち家、同居率、障害者雇用比率、こういうものをいっぱい。
その中でも面白いのが人口十万人あたりの社長輩出力。
一位二位三位が福井・富山・石川。

東大京大合格者数。
塾に通わず、公立高校から東大・京大に入った人の合格率。
高いカネを払って塾へ行く子は除外している。
(本の中では「公立校の健闘が光っている」というぐらいの書き方になっていて、実際に調査から除外しているかどうかは不明)
「カネをかければ誰でも入れるじゃねぇか」ということで、公立高校から東大・京大に生徒が合格した比率は一位からベスト5に北陸三県が入っていて、他のエリアを圧倒している。
塾に通わせなくて東大・京大に入れたければ、福井・富山・石川のどこかに住むことだ。
公立高校の先生方の教え方が抜群にランクが高いのだろう。
安くて入れるとなると・・・。
この北陸三県が今、注目されるのは「都市ではなく地方にこそ幸せがある」などという、「青い鳥の住む森はどこ?」というようなおとぎ話の為ではない。

二〇一〇年から四〇年にかけての三十年間で、その数が五割以下に減少する自治体を「消滅可能性都市」とした。推計の結果、全体の四九・八%にあたる八百九十六自治体が消滅可能性都市になり、その中には東京都豊島区も含まれていた。(4頁)

人口減少、少子化、超高齢化、税収入激減。
日本の区、市町村に打ち寄せる危機。
北陸三県はこの危機をとっくに先に体験し、この三県は今、脱出しつつある。
「これから来るぞ」と言っている時に、この三県は半分抜けかかっている。
この三県に注目しているのは日本のインテリジェンスのみだけではない。
今、世界中がこの三県に注目していて、富山県は海外からの視察がNO.1。
なぜかというと、少子化高齢化に最もたくましくうまく切り抜けようとしている都道府県。

 局面が転換したのは、二〇〇五年。出生者数と死亡者数が逆転し、この年以降、世に新しく生まれてくる人は死ぬ人よりも減り続けている。(24頁)

日本は2005年から有史始まって以来、人口減少に入った。
遠い遠い昔、1200年、日本の人口は約800万人。
ひたすら人口はそこから増加していって、江戸時代には1000万人を超える。
明治維新の頃で3000万人。
終戦の頃で7199万人。
2004年12月で、日本の歴史が始まって以来の1億2784万人。
約1億3000万人の日本人がいた。
高齢化率は19.6%。

東京に至っては東京オリンピック後の二〇二五年に団塊の世代がすべて後期高齢者になるため、人口の半分が高齢者になるというシナリオである。(24頁)

だから東京都が音を上げた。
「とてもとても老人介護をやっているベッド数が現実に用意できません」というのは舛添さんがはっきりおっしゃった。

2030年には人口1億1525万人の見込み。
高齢化率31.8%。
2050年には人口が9500万人になる。
日本の高齢者問題の中心にいるのが団塊の世代。
一番の問題は高齢化のスピード。
倍加年数。
高齢化の何が問題か。
高齢化も悪くはない。
スピードが問題。
フランスなどではもう200年前から高齢化社会。

六十五歳以上の高齢者人口が総人口に占める「高齢化率」が、七%から倍の一四%に到達する年数が「倍加年数」である。すなわち高齢化のスピードを表す数字だ。
 日本の高齢化率が七%になったのは、一九七〇(昭和四十五)年。倍になったのが九四(平成六)年。わずか二十四年のスピードである。一方欧米諸国が高齢化率七%に突入したのは戦前である。特にフランスは、日本の江戸時代にはすでに高齢化社会に入っている。
−中略−そこから倍の一四%になるまで、フランスは百二十六年、アメリカは七十二年、オランダは六十五年、イギリスは四十六年かかっている。(31頁)

ただし、世界一は韓国。
たった18年で老人が倍になっている。
二位はシンガポール、三位は日本、四位は中国の25年。
我々は三千万人のアレで苦しんでいるが、中国は桁が違う。
一億を超えている。
これが2億とか3億の70代以上を抱えるとなると、介護・病院も(老人が)独占する可能性がある。
中国は間違いない。
韓国もまもなく。
例の「たいしたことない」と言われている中東からの風邪が全土に広がるのも、このあたり、老人たちの病院通いというのがうまく回転しないということで。
ただし、同世代がなるべく同世代に声をかけてコミュニティーをしっかり持つ。
町内会、自治会、あるいはボランティアの組織ができる。
そういうものができて、同じ年代の人が同じ年代を支えるということになれば、倍加年数の醸し出す問題点はわずかながらも減る。
一番の問題は老人たちが年金・介護・病院を「せーの」で独占すること。
そうすると国の機能は回転しなくなる。
武田先生たち60代、団塊の世代。
我々にはまだ、わずかながら時間がある。
だからこそ、福井モデルを学びましょう。
福井モデルはこれをちゃんと乗り越えようとしている。

武田先生のまとめ
短く私風に言えば、私たちがほとんど消え去る20年後まで、私たち団塊世代がいかに成熟するか、いかに連帯するか、いかに連携して死ぬか。
私たち団塊はその「死に方」によって人類史において巨大な未来へのしるべを残すことができる。


どうすればいいのか?
例えば、イギリスやフランスのような老人大国の成熟を見てみよう。
むこうは爺さんの使い方がうまい。
「アクティブ・シニア」というボランティア団体が組織されていて、高齢者が高齢者を支えるというしくみが社会の中にある。
60代高齢者が75歳以上に寄り添い、60代を20代前半の学生ボランティアが支える。
そういうのをやると(ボランティア)単位を貰えるらしい。
20代前半の高校・大学生はこの時、60代になれば何をどうすればよきボランティア活動になるかというのを既に学んでいる。
日本はというと、これは無い。
オレオレ詐欺とかマゴマゴ詐欺とかに引っかかるのは、こういう組織がないから。
爺さんも婆さんも三人まとめて置いておけば間違いない。
爺さんと婆さんというのは、バラバラにしておくと脆い。
ただし、日本には一つだけ希望がある。
それはボランティアをやる人の質がそもそも高い。
これはイギリス人どころじゃない。
東日本大震災でも、日本のボランティアは要領を覚えて行動するのがすごい。
だから今からアクティブ・シニア。
爺さん婆さんが寄り添って生きるという。細やかなボランティア組織ができればいいなと思う。

驚くべき数字を藤吉氏が語る。
地域扶助力。

 阪神・淡路大震災の時、警察・消防・自衛隊に救出された人は、全体の二三%にすぎない。七七%が近隣住民によって救出されている。(26頁)

(番組内では22%と言っているが本によると23%)
まだ統計はとっていないと思うが、東日本大震災でも言える。
いわゆるポテンシャルとしてそれぐらい近所のパワーはあるということを考えると、爺さんでも婆さんでもその力を仇やおろそかにはできない。
ここが着目点。
福井モデルの面白いところ。
地域力というのがいかに潜在的に強力かというのが分かる。
自然災害が多発する日本ではこういう力が、逆にいっぱい宿っている。
自然災害が多い不幸の多い地域なのだが、それゆえに我々には他国にはない力がついている。

 豪雨や地震などの自然災害が発生した場合、若い人と同居している高齢者は、避難に一時間半を要している。だが、高齢者のみの世帯になると、避難に二時間半かかっている。一時間の差が生死を分けることになる。(26〜27頁)

いかに結び付きが国・自治体の組織よりも、近所の結び付きの方がすごいかと言うのが身に染みてわかる。
地方の自立で成功例は大阪・名古屋などの地方都市ではなくて、日本の辺境と呼ばれるような地域であると著者は言う。
なぜならば危機に対して己をどう組織化していくか、信長型のヒーローを待望して担ぎ上げるというような政治的な手段には限界があるのだ。
危機こそ進化のプロセスで、これはヒーローなくて人間が人間同士、どうやって組織を作っていくか。
ヒーローが組織を作るのではない。
組織を作るのは「シビック・プライド」だ。
愛郷精神。
安倍でなく、橋下でなく。
ヒーローを待望するな。
東京でなく大阪でなく「美しい街である」そういうプライドを持っている地方が東京・大阪をしのぐのだ。

郷土の名前を背負った会社の名前がシビック・プライドを指し示す指標だ。
例えば焼酎でいうと「黒霧島」。
それがプライド。
商品名に自分のところの郷里の名前がついているというのはプライド。
練馬大根もプライド。
深谷ネギだってまんまんたる生産者のプライドがブランド化した。
それを藤吉氏はシビック・プライドと呼んでいる。
それは強烈にふるさとを背負う。
京セラ。
最新企業なのだが、京都に生まれているから「京セラ」とつけるところが、京都人のプライドを感じる。
「京」なんてカチカチのシビック・プライド。
あの近郊で取れた野菜だけ「京野菜」。
大根が威張る。
ニンジンなんかが「何言うてやりおす。千枚漬けですえ」と言いながら。
だから、今一番大事なことはシビック・プライドなのだ。
「東京○○」もたくさんある。
「銀座」でいばる。
シビック・プライドというのを一つのキーワードにしているところがすごい。

2016年06月13日

2015年9月21〜25日◆運という技術

去年のなのでかなり古いけど。

運を支配する (幻冬舎新書)



筆者は、雀鬼「麻雀の鬼」と呼ばれる稀代の勝負師、桜井章一さん。
この人の愛弟子でサイバーエージェント代表取締役社長、藤田晋さん。
今、日本の企業のトップを走ってらっしゃる方。
こういう異色の組み合わせで、この二人が運というものをリアルに感じて「運とはいかなるものか」「はたして、運というのを技術にできるのか」ということで書き下ろした本。
これは名言集で、二人が様々に運の側面を語り合っている。

まずは桜井氏の語りからご紹介。

 負けの99%は自滅。このことは麻雀に限らず、スポーツでもビジネスでも、あらゆる世界で繰り広げられている勝負をつぶさに見ていくと、自滅で「負け」を引き寄せているパターンが圧倒的に多いことに気付く。
 わざわざ自ら負けようと思う人はいないのに、なぜ自滅してしまうのか。それは「勝ち」を求める思考や行動のあり方にすでに自滅の要素が含まれているから、としかいいようがない。「勝ち」に囚われるあまり、おろそかになってしまうのがどれほどあることか。
(33頁)

若い頃は意味わからなかったが、年を取ってから最近つくづく思うようになった。
美空ひばりさんの『柔』という歌は真理。

柔/残侠子守唄



勝つと思うな 思えば負けよ
あれは本当。
武田先生も勝ちを急いだことがあるが、ろくなことはない。

 人間の能力を100%引き出せるのは、残念ながら、夢や希望に燃えているときではありません。むしろその逆で、危機的な状況に追い込まれているときに100%の力が出せるのです。(40頁)

(番組では上記の文章は39ページと言っているが40ページにあった)

若い人とか若い頃は、夢や希望に満ち溢れている時に自分で努力して前向きに、そこに「運が寄ってくるんだ」と信じている。
それは信じいていていい。
夢や希望に燃えていることは、もちろん絶対、悪いことではない。
武田先生にとって大勝負を打ったのは「東京に出てくる」という「フォークシンガーになる、ならない」というのがあった。
それから次に、今度は映画界の門をくぐる時も『幸福の黄色いハンカチ』で。

幸福の黄色いハンカチ デジタルリマスター2010



それは本当にチャンスだったが「これを失くせば、元も子もなくなるだろう」ってことは、どこかで思っていた。
どこか危機意識があった。
「逃してなるものか!」という。
『黄色いハンカチ』の時でもそう思うが「握力」が尋常ではなかった。
「ラッキー」とか「チャンス」とか「運」というのは「握力の問題」のような気がして、「何秒間、掴まっていられるか」という。

桜井氏の名言。

チャンスと勝負所はまるっきり違う。本当の勝負所というのは、ピンチの中のピンチ、圧倒的に不利な状況のときにこそ訪れる。(66頁)

武田先生の心に何となく引っかかった桜井氏の言葉。
「例えば勝つことは、限られた土俵の中での相対的な一つの評価に過ぎない。本当の強さとは関係がない。強さの答えが勝つことではないのだ。この世に答えはないのだ」
(本の36ページの桜井氏の言葉ということで紹介されたが、36ページは藤田氏な上に、上記の文章は見つからず)
勝つことを答えだって言う人がいるけれども、勝つことは桜井氏がおっしゃるとおり、答えではないのかもしれない。
例えば「勝つことは、限られた土俵の中で」に「土俵」という言葉が使われているが、相撲を観ていると分かるが「勝ち」「負け」は際どいことがある。
特に切ないのは「勇み足」なんて、完璧に勝っているが足だけが先に出ちゃったという。
そういう「勝負のあや」みたいなものの中で「強さ」と「勝つこと」が、同一ではないというのは肝に命じておくといいんじゃないんかなと思う。
それから藤田氏は、面白いことを言っている。

 僕は経営では直観を信じると同時に、「迷ったら決断しない」というふうに決めています。(106頁)

邪念のない直感は正しく、迷ったら決断しない。
この歳になって「面白い」っていう仕事をやっていきたいと思う武田先生。

武田先生が夏場の自分を励まし続けた言葉。
「仕事に大小をつけるなよ」

雑用だからといって「雑」に扱っていいものではない。
 なぜなら雑用とは仕事の「基礎」であり、「現場」のことを指すからだ。だから仕事から雑用を弾いてしまえば、仕事は成り立たなくなってしまう。運からも見放されることは間違いない。
(119〜120頁)

「話題がない」つまり「勉強してない」ということは、どの位みじめなことか思い知りなさいという。
だからコツコツやることを覚えた武田先生。

桜井氏がギクリとする一言を書いている。
「努力にこだわると成長は止まる」
わかりやすい例で言うと「よし!俺、1ヶ月で3キロ痩せよう」と思う。
汗を流して夏場歩いたりして体重計に乗る。
1gも減っていない。
その時に、とても腹が立つ。
「努力にこだわると成長は止まる」とはこういうこと。
自分の努力を取り引きしてはいけない。
「俺はこれだけやったんだから、これぐらいいいことがないと困るよ?」みたいなことを言うと人間というのは本当によくない。
見返りを求めてはいけない。

決して幸せに生きているワケではない武田先生。
結構つらいこともある。
快活に喋っているから「こいつ、楽しい思いしてる」と思わないで欲しい。
暗くなる時だってある。
奥さんから「汚い」て罵られる。
夏場に体を焼いたので、今頃、皮が剥けたりする。
そしたら「何の皮?何の皮?」って、ずーっと皮の話ばっかり。
そんな時に限って、ポロポロポロポロまた落ちる。
奥さんから怒られて、夜中によせばいいのにこっそりビール飲もうと思って冷蔵庫を開けて、そーっと抜いて飲み始めた時に「うわー!」と。
女の声。
「ごめん!ごめん!ごめーん!」と謝ったら冷蔵庫の声だった。
「トビラガアイテイマス」
その声に向かって「ごめん!」と謝った武田先生。
その時に「あー、自分は不幸なんだな」と思ったのだが、深く人生を考えるようになったのは家庭で幸せでないから。
これで家庭で幸せだったら何も考えない。
はやり人間というのは、不幸だから考える。
だから取り引きしない。
「自分が努力している」っていう事と、「自分の成長」とか「自分の幸せ」とかが直結すると思ったらダメ。

武田先生の言葉。
努力の分量を計り始めると、必ず己の努力を過大評価するようになる。
その評価は他者を見下すようになる。

このへんは、努力との相関関係。
運を逃さないために覚えましょう、この技術。

一番努力したものが、何かの一番を約束されているわけではない。
若い時、青春の時に「一番努力したものが金メダル」みたいな、そんな事を言う選手がいたが、そうではない。
一番努力しても銅も取れない人がいるというのが勝負である。
所詮、評価であって、それが結果ではないというところが、運と言うか人生である。

藤田氏の言葉。
「努力は勝率は上げるが、成功を保証しない」

 個人的にも親しくさせてもらっている歌手のGACKTさんは、相当な努力家です。ボーカル以外にもギター、ドラム、キーボードといった楽器も全部完璧に演奏できるし、5カ国語を話せる。体のコンディションを考えてお酒はほとんど飲まず、肉も食べない。それほど努力している彼が「自分は本当にストイックだと思う。でも女やドラッグに溺れているようなやつがさらっと名曲をつくることがあるんだよね」と冗談めかしていっていました。(137頁)

「いい歌作りたい」ってあがく時は、本当に一生懸命やるのだが、さっぱりヒット曲が出ずに、その横をサラッと連続ヒットで、有名なグループが、あるいはコンビが「名曲出した」とか。
武田先生が一生懸命、命がけでトラックの前に飛び出した(ドラマ『101回目のプロポーズ』)のを、スルッと大ヒットの主題歌(CHAGE&ASKAの『SAY YES』)が300万枚、チャートを上っていった。
GACKTさんの告白は絶対間違いないのだが、結末から考えると全部パーになっている。
女もドラッグも結構だが、結末としてはドラッグだと確実にしっぺ返しがくる。
そのことだけは、忘れてはいけないと思う。

この『運を支配する』というのは、細かい技術に関してはいっぱいあるが、武田先生が本当に求めているのはこれではない。
「運」という言葉が不思議で仕方なくて、ずっと昔から考えている武田先生。
運という言葉を考えさせたのは、歴史小説家の司馬遼太郎さんの本。
この人の『坂の上の雲』という、例の日露戦争を扱った大河小説の中で、運の話が出てくる。
本当にすごいことに、日本が運にかけたという戦争がある。
戦争はみんな運なのだが。
でも極端な運にかけたという、その戦争が日露戦争。
その最大のものが日本海海戦。
バルチック艦隊という当時、世界最大の船が攻めてくる。
300隻だったかで日本を攻めてくる。
それを1セットしかない大日本帝国の海軍が、運にかけちゃった。
その時に連合艦隊の司令長官に、東郷平八郎という老人を司令長官にしちゃう。
東郷平八郎はあと1年か2年で引退だった。
そんな老人に大日本帝国海軍、連合艦隊の命運を預けた。
そのことを不安だったのだろう。
さすがに明治天皇が不審がられて「なぜ東郷だ?」と聞く。
これは小笠原長生という方が紹介している本なのだが、山本権兵衛という海軍大臣に明治帝が「なぜ彼が連合艦隊司令長官なのだ」と、「任命したんだ」という理由を聞く。
そうすると山本海相は、その選考理由をこう答えた。
「ここに幾人かの司令長官の候補者がおりますが、技術は甲乙できません。それくらい拮抗しております。ただ、東郷を選びましたのは、東郷が運のツキがよろしい男でございまして」
この「運のツキがよろしい」って「運が良さそうだっていうんで、司令長官に選んだのかな?」と思うと「戦というのは、博打なのかなぁ」とずっと思っていたが、この「運」という一言の中に、実は別の意味があるような気がして、気になっていた武田先生。

「東郷は、運で選ばれたんだ」というふうに思っていたが、司馬さんがお使いになった「運」という言葉が、実はもっと深かった。
つまり山本権兵衛という海軍大臣、日露戦争直前の海軍大臣が使った「運」というのは私たちが思っているような、浅い運ではなく、もっと深い。

日本で初めて海戦が行われたっていう戦いは、倒幕戦。
いわゆる、薩摩の船と幕府の軍艦が大砲を撃ちあって、日本人同士で海戦が行われた。
その時にいるのが東郷。
東郷は生まれて初めて海戦を体験する。
慶応4年正月、鳥羽伏見の戦いの真っ最中の出来事。
春日(春日丸)という船が兵庫にいた。
この春日というのは薩摩藩の船。
この春日の左の甲板に乗っていたのが、若き東郷平八郎。
(番組では「23歳だったかな?」と仰せだが、調べてみたらこの時東郷は22歳らしい)
記憶に間違いなければ、東郷平八郎が海軍を学んだ一番最初は、坂本龍馬のいた神戸海軍塾。
とにかく、この若者はそれから何年か経って、いよいよ倒幕のための船、春日に乗る。
ところが四国のわき、阿波沖まで差し掛かった時に、バリバリの海軍技術をオランダで身につけた日本最大の軍艦、開陽(開陽丸)に乗った榎本(榎本武揚)艦と遭遇する。
大きさに違いがあり、体力の差がある軍艦。
春日は一生懸命逃げる。
それを榎本が追いかける。
それで1km位まで近づいた時に巨大な軍艦、開陽が13門ある右舷砲を全部春日に向けて一斉射撃をやる。
これは後々、正確にカウントした人はいないだろうが、撃った弾数は約100発。
ここからは不思議としか言いようがないが1発も当たらない。
撃たれた方の春日の左甲板に乗っていたのが若き東郷平八郎。
東郷が自分で大砲を撃ち返す。
この開陽に向かって3発撃ち、全部当たる。
1200mの近距離で撃って、100発撃って1発も当たらず、3発撃って3発とも当たるっていうのは、もう何かとにかく、常識では考えられない。
この榎本艦に対しては、司馬さんは、たった一言「運が悪いとしか言いようがない」。
この時から「東郷は運がいい」と言われた。
そのまま今度は別の海戦になって、今度は「宮古沖海戦」(宮古湾海戦のことか?)という海戦が始まる。
この時は、もっと怖ろしい。
この官軍の鋼鉄船に乗っていたのが土方歳三。
回天という船に乗っていたキャプテン。
(調べてみたが、土方歳三は戦闘隊長だったようだ)
それに乗っかって、土方の回天が体当たり攻撃を仕掛ける。
8隻の官軍の船がいたが、角度が悪いから発射できない。
たまたま、春日の左甲板に乗ってた東郷平八郎が、この回天に向かって一斉射撃すると全弾命中した。
それで、あの新選組の土方が、回天の甲板で叫んだのは「引けーっ!」。
とにかく、運が良いという事に関しては、才能としか言いようがないという。
いったい東郷は、この運の良さをどのようにして磨いたのか?

雀鬼の方とか、IT産業「サイバーエージェント」の社長さんとか、東郷平八郎という海軍史上最も運がいいと言われた男という。
そこで「運というのは、不思議なもんだなぁ」と思っていたところにもう一つ話が加わってきたのが合気道の先生。
武田先生とちょっとお付き合いがあった清水健二さんという館長さん。
この方が色々と合気道の開祖、植芝盛平の話を聴かせて下さる。
明治生まれの、和歌山の出身の方。
柔術から剣術を学び、それを合わせて「合気」という武道を自分で創設したという方。
この方が、今で言うと身長1m60cmやっとぐらいの方。
(ウィキペディアによると156cm)
小柄な方。
だから合気道という、護身術に長けた関節技のみの武道。
古武術である。
写真も残っているが、もう目が爛々と輝くおじいちゃんで「ただ者ではない」という気配が伝わってくるという。
清水健二さんから聞いた植芝盛平のエピソードが、すごく面白かった。
どんな話をなさったかというと、戦前の話。
まだ柔道も、柔術の名残りがあり、関節技とか絞め技とかを大量に含んでいて、武道として非常に荒々しかった時代。
そんな時代に名乗りを上げて合気道を始めた植芝盛平だが、やっぱり戦前のことなので死闘を挑む者が多かった。
つまり決闘をどんどん申し込んでくる。
空手から剣道から、他流試合を申し込む人が多かった。
その中に、柔道日本一に輝いて、それも「柔術を修めた」という、関節技等々でも殺人技級の技を持っていたという木村政彦がいた。
この方は後に力道山とタッグを組んで、日本のプロレスを興した。
この人がブラジルに行って、この人が蒔いたタネで育ったのグレイシー柔術。
すごくグレイシーが木村を尊敬する。
とにかく木村というのはもう、筋肉隆々。
なぜか知らないけど、小柄な植芝盛平との道場での対決となった。
だけど試合をやるといっても、血の匂いのするような、どちらかが本当に体を壊すような、二度と立ち上がれなくなるような、激しい決着をつけようという。
すごいことに、植芝盛平が「やりましょう」と言ってOKを出す。
それで彼は道場で待っている。
ところが、何でか理由がわからない。
永遠の謎なのだろうが木村が来ない。
それで、その試合は流れる。
別に植芝は、そのことを得意げに語ったりしなかったので、木村の方のサイドとしても感情的になることもなく、いつの間にか流れたということで忘れ去られる。
清水館長から聞いた話によると、弟子たちが師匠である植芝盛平にもし決行されていた場合の植芝盛平の腹積もりを色々聞いたら、植芝盛平がたった一言「私は運が強い」と言ったという。
これは「運」というのが「ラッキー」とか「まぐれで当たる」とか「幸運」とかっていう意味じゃなくて、武道の練習によって磨かれ、修行で獲得された「運という技術」を持っているので、負けるはずがないと。
あの試合が流れたのも「私が運を持っていて、その運を動かしたから彼は来なかったんだ」という。
その時に清水館長が、また面白い言い方をなさった。
「運というのはおそらく、メンタルという技術としっかり結びついてるのではなかろうか。武道というのは、もしかすると運を磨くための、運を強くするための修行なのかもしれない」
この清水館長から教えてもらった植芝盛平の話と、東郷平八郎、そして麻雀「雀鬼」の王と言われる、桜井さんあたりの話を総合すると短く言うと運を強くするために一番大事なものは「ルーティン」。
これは東郷平八郎がそうだったらしいが、東郷平八郎は「帰り道を変えない」ことで有名な人だった。
それで犬でも馬でも獣に遭遇すると、通り過ぎるまで待つ、あるいは大回りをして避けるという。
「お前、それでも軍人か」と笑った同級生に対して、東郷が言った言葉が「そのようなことで、運は使いとうない」。
清水館長がおっしゃる「繰り返しで、何度も何度も練習していくうちに、磨かれていくものがある」という。
このルーティンの繰り返しが「運気を強くする」「運を引き寄せる」「運を作っていく」「運をメンタルの技術とする」という。

2016年06月05日

2015年6月1〜12日◆『捏造の科学者 STAP細胞事件』須田桃子(後編)

これの続きです。

小保方さんがいかに優秀だったか。
彼女はもともと医学畑の人ではない。
小保方氏は2008年夏、早稲田大学大学院から東京女子医大に通いつつ、再生医療を学ぶという人生の行路を選んだ方。
その年にハーバード大医学部へ留学が決定している。
ここで例のハーバード大で再生医療の研究をなさっているバカンティ氏の助手となった。
ここで彼女の発揮した能力がすごい。

小保方氏は二〇〇八年夏、早大の奨学金でハーバード大学医学部への留学を果たす。−中略−
 小島氏によると、ボストンでの生活が始まって一カ月ほど経った頃、バカンティ氏が小保方氏を高く評価する出来事があった。骨髄を使う再生医学などの最新の論文をまとめ、研究室内のミーティングで発表するように、という指示を受けた小保方氏が、「一週間で二百本以上」の論文を読み込み、見事なプレゼンをしたという。
(101頁)

ハーバード大医学部でみんな「すげぇインテリジェンスだ」ということで大評判を読んだ。
東洋的な神秘的な美貌の人であった。

研究室には当時、同年代の女性が小保方氏を含め四人いて、米映画「チャーリーズ・エンジェル」をもじって「ドクター・バカンティズ・エンジェル」と呼ばれていた。(102頁)

白衣を翻して颯爽と、ほとんど眠らなくてもパチッと開いたお目々で圧倒的理系女子の才能と魅力を発揮していた。
ハーバード大の名物だった。
ハーバード大で、マウスの細胞が小保方氏の実験で高い頻度で初期化するという大手柄を立てている。
植物を細かく切っていって、それを弱酸性の溶液に漬けると初期化して、芽にも葉にも花にもなる。
それと同じように細かくマウスの細胞をみじん切りにしておいて、弱酸性ではなくバカンティ氏のアイディアでガラスの管を通すと初期化するという偶然が結構高い頻度で起きる。
この時に小保方氏がやったのは、ガラスの管を滅茶苦茶細くした。
滅茶苦茶細いガラス管を通すことによって、圧倒的に高い頻度で初期化した。
これはもう、ハーバード大で大騒ぎになった。
細いガラス管を通すと初期化を起こすのではないかという巨大な予感が注目された。
医学の話をしているのだが、ほとんど料理と同じ。
細かく切って管を通すと初期化した。
なぜ細い管にしたら初期化したのかというのは、ここでは追及されない。
「高い頻度で」ということが重要。
ハーバード大は小保方さんのガラスの管を細くしたという発想がすごいということで、研究者として月二万ドルの給与でポスドク(博士研究員)に留まるように打診した。
(本によると「月二万ドル」というのは小保方さんが冗談で言った言葉のようだ)
「小保方がすごい発見をしたので、バカンティ氏が白衣の裾を掴んで離さないぞ」という噂が早稲田大学の大学院の方から東京女子医大の方まで逆輸入して広がってきた。
「これ、相当できるぜ」というので、東京女子医大、早稲田も「小保方コール」が立ち起こった。
密かに日本の研究所でも「ハーバード大でもあれだけ話題になっている小保方欲しい」。
中身がよくわからずに「小保方欲しい」だけがコダマした。

よく考えてみるとガラスの管を細くしただけ。
そのことで医学会では優秀と言われる。
そうとしか思えない。

博士となった小保方氏は、二〇一一年四月、ハーバード大学にポスドクとして籍を置きながら、若山研の客員研究員として本格的な共同研究を開始し、時にボストンと神戸を往復しながら研究を続けた。小島氏によれば、渡航費や神戸で滞在する際のホテル代などの費用は、ハーバード大のブリガム病院から支出されていたという。(105頁)

つまり離したくないから往復の旅費とか宿泊費は全てハーバード大が払った。
だからこそ、なおさら神戸が彼女を求めた。
評判が評判を呼んだ。

困ったことに、これをオープンにしなかった。
再生医療に使う初期化した細胞の作り方に関しては特許権等々の利権が渦巻いているので、グッドアイディアを持っている人は秘密の箱の中に入れて、誰でもが受け取りたがる。
秘密の箱の中に入れられたのが小保方さんだった。
ガラス管を細くしたというのは、たいしたアイディアではないと思う武田先生。
ほとんど偶然が支配したのではないか?
小保方氏は非常に確率の高い動物性の体細胞の初期化のアイディアを持っているといいう。
それがバーッと広がる。
実はガラスの管を細くしただけなのだが、それは確かに頻度が。
もう一つ小保方氏が秘密のうちに評判を広めたのは、細いガラスの管を通すより弱酸性の溶液に浸した方がもっと初期化の確率が高くなるという方法論を持っていた。
この弱酸性の溶液をどうやって作るのかがみんなわからないから、成功している上に、さらにその成功を高めている方法を知っているということで、理研が彼女に恋をした。
もう一人恋をしたのが山梨大教授の若山照彦教授。
この方は再生医療のトップオブリーダー。
この方も恋をした。
小保方氏と共にキメラマウスの作成に入った。
若山氏はキメラを作るのが抜群に上手い。
万能細胞特有のOct4が働くと緑に光るマウスというのを使って、赤ちゃんマウスは作るは何は作るわ、何は作るわ、全部緑色にネズミを光らせてしまう。
STAP細胞由来のキメラマウスが完成したということなのだが。
これで若山氏がSTAP細胞からマウスを作ったと広がるのだが、最初の一粒目のSTAP細胞は実は若山氏が作ったのではなく、小保方氏から貰ったものだった。
その話は伏せられた。
若山氏も小保方さんほどの人が「これを使ってください」と言ったから使ったワケで、それで上手くいったから上手くいったと発表しただけなのだが。
同時に不幸なことは、小保方さんはハーバード大のバカンティ氏からの貴重な借り物だから、彼女が次々発明していくすごいアイディアに関しては、神戸理研は特許の出願の要請を行っていた。
利権関係でも揉めないように。
つまり宝物はないのだが、見つかった時の分け方はみんなで決め手おこうというようなことが広まっていった。
(本によると特許はハーバード大学が中心となっていたようだ)
特許の奮戦に笹井氏も努力していたという。

なぜSTAP細胞は出現するのか?
キメラマウスで万能性を証明すること。
それは新しく生まれた幹細胞であるという証明。
STAP細胞はただの偶然ではないという証明。
次々問題は出てくるのだが、笹井氏が横にいるので、みんなが信用してしまったという。
そのことでどんどん巨大な発見だというふうに話が進行していった。
そして無名のまま、まだ大学院生。
ノーベル賞候補までということで広がっていった。
これでだいたい話は尽きる。
周りのバックアップしていた人もすごかった。
盗まれちゃいけないということで外ばっかり研究していて、みんな小保方氏の研究内容を見ていなかった。
噂が先行して「すごい人だ」。
後で問題になるが、若山氏や笹井副センター長が彼女の実験ノートを見てびっくりする。
ハートマークは出てくるわ、全然書き込みが足りないわ、実験の回数が少ないわ。
だから小保方さんもうまくいってびっくりしてしまった。
みんなびっくりしているうちに、なぜびっくりするようなことが起こったのかを誰も手元を見つめていなかったという。

若山氏がなぜキメラマウスを成功できたのか?
小保方氏からもらったSTAP細胞だったのだが、STAP細胞ではなかったのではないか?
同じ現象が起きるという細胞がある。
ES細胞。
それが一個混じると同じ結果になる。
STAP細胞はどこにもない。
ES細胞という細胞が起こした現象が、STAP細胞が起こしたという騒ぎだった。
ES細胞でも簡単に同じ結果になる。
誰も捏造をしようと思ったわけではない。
何かの原因でES細胞が小保方さんのシャーレの中に迷い込んだ。
それを小保方さんがわざと意図的にやったということを証明するのは絶対にできない。
だから小保方さんもうまくいってびっくりしちゃった。
悪意は全くない。
おそらく捏造の意図もなかったのではないか?
小さな偶然が起こった。
その偶然は「もしかすると全世界を揺るがす大発見かも知れない」と思った時、みんなは起こった事実の手元よりも、他の人に見つからないためにスクラムを組んでしまった。
ここから先は笑い話としか言いようがない。
とにかくキメラで成功したという。
これは成功していない。

本の中に書いてあるのは、亡くなった笹井副センター長は必死になって四つ条件を付けられた。
それは小保方氏に対して。
なぜSTAP細胞は発生するのか?
キメラマウスで万能性を証明すること。
新しく生まれた幹細胞であるという。
幹細胞というのは応用が効く細胞になりうるかどうかということ。
STAP細胞がただの偶然ではない、それを証明せよ。
絶えず求め続けたのだが、若山氏がキメラマウスに成功したということが笹井副センター長が「これはいけた」と全部信じてしまった。
どんどんSTAP細胞が発見されたということで、特許を盗まれないように隠そうということに夢中になっている時、ものすごく重大なことが一つだけ見逃された。
誰も小保方氏がSTAP細胞を作るところを見ていなかった。
ただそれだけ。
(見ていなかった理由は番組では「秘密の研究だから」という話になっているが、本によると使う実験スペースが違ったことと、研究室に通う時間が他の人とはズレていたこと)
その誰もSTAP細胞という肝心要の最初の一株、種が生まれるところを見ていなかったばかりに、企業秘密とかノーベル賞を取れるとかっていう方向に話が膨らんで、その準備をしいるうちに捏造という事態がワーっと広がっていった。
小保方さんは理研の中で秘密の研究をこっそりやっている人なので声を上げてはいけなかった。
小保方さんが理研にいることを、ほとんど周りの研究員は知らなかった。
すぐ近くにあったES細胞の容器を、よく洗わずにやっちゃったみたいなことでできたのかも知れない。
それで秘密の研究をやっていて、見せるたびに笹井副センター長が「すごい」と褒めてくれる。
若山氏も山梨の大学教授になられたばかりだったので研究室の不備等々もあって、できる実験とできない実験があったらしく、マウスの方の実験はすぐにできたが、STAP細胞を作るという実験は転任したばっかりでうまくできなかったというような。
もっとバカみたいな話。

ネイチャーに発表された論文で、わずか二週間で「うまくいかない」という疑問の声が上がったという論文は非常に珍しい。
問題はネイチャー。
何で載せたのか?
追試を何でしないのかというと「共同研究者は若山さんと笹井さんだよ?」という。
笹井さんと若山さんが論文を持って来て読んでというのだから読む前に載せないと失礼だろうという。
若山さんはノーベル賞候補になるような人。
善意が渦巻いちゃって。
むなしい。
それで、ネイチャーで論文に書いてある通りできるかどうかという追試を研究者の人に頼む。
世界中の研究者がたまたま忙しかった。。
(このあたりの事情も本で説明されている内容とは異なる)
追試をやる試験官の人たちはあまりお金を貰わないらしい。
好意でやる。
ボランティアだから「やってくれませんか」と言われて「誰が書いたの」「笹井と若山」「すごい!」みたいな。
その勢いだから悪意は一片もない。
(本によるとその論文の研究分野で実績のある研究者2〜3人にその論文の査読を依頼するという形式)
小保方さんも無邪気な方だから「あ!光った緑色に。大声で叫びたいけど我慢しとこう」みたいな。
ただ、本当にSTAP細胞の大事件から死者も出ているので、笑えない。

 査読資料の精査を依頼したある専門家は、辛辣な口調でこう語った。−中略−
くさった丸太を皆で渡って、たまたま折れずに渡り切れてしまったということでしょう」。
(323頁)

STAP細胞はある。
しかしそれは、小保方氏の手のひらの内側のみの出来事であった。
これが事件の真相ではあるが、断言できない。
まだSTAP細胞がないとは断定できない。
あるかも知れない。
ただ、今の段階では小保方さんの手のうちでは起きたということ。
世界でただ一人の現象なので、万人の真理とはなり得ないが、全く起きないとは言えない。
この辺が実は医学のわからないところ。
STAP細胞をやってみようと思ったのは養老先生のこの一言。
医学は自然科学だと九割の医者が信じている。
また患者もそうである。
しかし医学は科学的に説明できないことで成立しているのである。

この言葉は解剖学のひねくれオッサンの養老先生にぴったり。
やっぱり医学は科学ではない。
経験の蓄積の上に成り立った確率の学問。

2011年10月に手術で入院した武田先生。
あの入院していた病院のすぐ近くにちょうど小保方さんも通われていた。
そういうのを考えると、武田先生が散歩をしてウロウロする時に、この女性とすれ違ったのかも知れないなと思った。
決して小保方さんをからかうつもりも何もないが、養老先生の「医学は自然科学ではない。だから全部説明できないんだ」そんなことを考えるとこの事件は納得がいくような気がする。

番組では本の内容についてはここまで。

赤ひげ <普及版> [DVD]



江戸時代のオランダ医学を学んだ医師。
赤ひげ(三船敏郎)が保本登(加山雄三)に向かって、説教するくだりがある。
「医者は患者を助けるという。
だがな、医者というものは、ただの一度も患者を助けたことはない。
患者が助かったのは患者自らが生きのびようと思った時のみだ。」
つまりお医者さんの手のうちに命があると思ったら大間違いで、語りかけ合い、呼び合いである。

2015年3月5日 読売新聞 編集手帳
医者は往診から帰ると、いつも薬を調合する商売道具の匙を神棚に供えて拝む。
「何故に拝みなさる」
訊ねた女房に医者曰く
「これがなきゃ、わしゃ下手人じゃ」


薬の調合を間違えて、とか思慮が足りずに思わずとか、大変な仕事。

執刀医と患者の関係というのは微妙。
所詮人間関係。
5月に紹介されて執刀医に会いにいった。
顔を見ただけで「この人いいや」と思った。
静かな顔をした先生。
言葉に一つもとがったところがない。
何か説明なさる時には全部数字でおっしゃる。
数字で言われるというのはあまり好きではない武田先生。
「心臓の弁が動いていないパーセンテージがここまできておりますんで、やっぱり手術をお薦めします」というその顔つき。
先生の実に誠実な。
何を感動したかというと、その人が説明をやめようとしない。
手術前日の説明に関してもそうだった。
死ぬ危険に関して、ずっと説明をする。
いろんなケースが上がっていて、途中で停電になった場合。
そういうのも説明なさる。
「先生、聞いてもわからないからいいや」と言ったのだが、先生が「そう言わず聞いて下さい」。
その遮二無二の誠意というか、誠実というか「この人であればたとえ手術が失敗しても」と思わせる、とある誠実さが武田先生を納得させ観念させた。

編集手帳の続き。
その人が匙ならぬメスを拝んでいたかどうかは知らない。
杜撰な肝臓手術と死因の因果関係は未だ不明であるものの、術後に死亡した患者が4〜5年で18人と聞けば、小話のやぶ医者に連想が及ぶのも致し方ない。
群馬大学病院である。
問題の医師には、執刀した患者の死亡診断書に偽名の病名を書いた行為も明るみに出た。


深々と頭を下げるのがそのお医者さんの一日のしめくくり。
「助かってくれ」と願う気持ちがあってこその医師のであって、「腕で何とかなる」とか「こうやればこの患者は助かる」なんて思い上がっていると「俺はただの下手人になる」とつぶやいたという。
祈りなくんば医術にあらず。
そういう意味でSTAP細胞は誰一人として私欲の人はいない。
みんなが人類の大きな医学的進歩の第一歩を期して夢見た出来事。
今のところSTAP細胞はサイエンスではなくファンタジーであった。
いつの日かSTAP細胞が発見されることを心から祈る武田先生。

葛西臨海水族園でカツオとマグロが次々と死んでいく。
折り紙で千羽鶴ならぬ千尾マグロを折って、手紙が葛西の水族園にどんどん舞い込んだ。
「マグロさんマグロさん。ボクも頑張るからマグロさんもがんばってください」
他にもいっぱい来たという。
(該当する読売新聞の記事は発見できなかったが、この件かと思われる
「おさかなさん がんばれ」 葛西臨海水族園、生き残りクロマグロに激励の手紙(1/2ページ) - 産経ニュース

2015年6月1〜12日◆『捏造の科学者 STAP細胞事件』須田桃子(前編)

約一年前のなので大変古いネタなのだが、やっと読んだので。

最初に養老孟司氏の著書の一節を紹介するところから番組は始まる。

「自分」の壁 (新潮新書)



この本については以前とりあげている

医学は自然科学だと九割の医者が信じている。
また患者もそうである。
しかし実は医学は科学的に説明できないことで成立しているのである。
例えば、外科の麻酔がなぜ効くのかは実はわからないのである。
麻酔薬はその成分が亜酸化窒素。
実に簡単な化合物であるのに、脳の意識が失われ、またその意識がしばらく時間が経つと戻る。
なぜ戻るのか、その理屈はわかっていない。
しかし99.9%の確率で亜酸化窒素の眠りは目覚める。
しかし0.1%は戻らず、それは死に至る可能性があるのである。
実はなぜ麻酔が効くのかは科学的にわかっていない。
物理は全て方程式で綺麗に説明できるが、医学は実は経験の確率の蓄積なのである。


これを聞いて「これだ!」と思う武田先生。
例の「STAP細胞」に結びつく。
私たちは「医学は科学」だと思っている。
それを養老先生はSTAP細胞の一件を言っているのではないのだが、そのことなのだ。
医学は科学ではないのだ。
「桔梗の根っ子はなぜか咳に効く」とかそういうこと。
武田先生もかけられたことがあるが、麻酔はなぜ効くのか実はわからない。
わかっているのは99.9%の確率でその眠りは目覚める。
しかし0.1%は死ぬ人がいる。

テレビ番組収録中、12歳アイドルが意識失い救急搬送 ヘリウムガスが原因か(1/2ページ) - 産経ニュース
番組中ヘリウムガスと窒素ガスが同じものと言っているがもちろん別のもの)
亜酸化窒素をヘリウムガスみたいなヤツで変な声になる。
それでみんなでパーティーで使ったり、バラエティ番組で使ったらアイドルが倒れて眠りから覚めなかった。
0.1%の人にとっては眠りから目が覚めない、死に至る劇薬になりうる。
なぜそうなるのかわからない。
何で酔っぱらうのかわからない。
何で脳に行ってよっぱらって呂律が回らないとか、酔いの現象になるのかは、実はわからない。
結局、医学というのはそういうものではないかと言われた時に、本屋に行った時に武田先生と目が合った本。

捏造の科学者 STAP細胞事件


あんなに頭のいい人たちが集まって、最後は「間違えちゃった。ムーミン」みたいな。
何でこんなことになったのか全然わからない。
あそこの一番偉い人が、あのことが原因ではなく「高齢で」ということでお辞めになったが、大激震が走ったワケだが、あの女子は何者だったのか?
忘れてはいけないのは、一人の死者が出ている悲劇だということも込みで。

2014年1月、日本中は仰天した。
仰天の中央に一人の女性がいた。
その女性が発表したことが最新最先端の頭脳が圧倒されるほどの大実験であった。
誰もが一瞬にしてあのニュースを見た瞬間に「また日本はノーベル賞かい?」。
怖いぐらいだった。
iPS細胞であれほど世界を揺るがした日本の医学会が、それを上回るすばらしい別種の万能細胞を発見したという。

どうも記者会見の様子から見て、ノーベル医学賞に輝くこと間違いないという大騒ぎだった。
メディアの興奮があれほどありありと伝わってくる報道の仕方はなかった。
一番の驚きはノーベル賞をもらう人であんなにシワの少ない人は見たことがない。
若き女性科学者、小保方さん。

どこか不二家のペコちゃんに似た愛嬌と、理系女子らしい清楚を兼ね備えた才女の印象。
それがオーラのごとくこちらに伝わってくる。
周りには全部ムーミンのステッカーが貼ってあって、まるで彼女の魔法の小部屋のような研究室。
「30歳」というよりも年齢が29歳からやっと1歳年を取ったという印象。
肌がまだ成人式のなごりが残っている。
あのお目々。
氷川きよしの「黒あめ」を思い出す。

春日井黒あめ 150g×12袋



真っ黒い、「舐めたら甘いんじゃないか」っていうようなクリンクリンした目。

我々が次に驚いたのは小保方さんの脇にいる二人の男性。
彼らが研究者としていかに優秀かは、その雰囲気でこちら側に伝わってくる。
メガネをかけた実に誠実そうな笹井芳樹・CDB副センター長。
頭のよさそうな方だった。
学歴というのが顔に出るというのはこういうこと。
さらにその横にいらっしゃるのが額の広い方。
忍耐力でこうなったのだというような風貌。
そのまなざしの深さは只者ではない。
この方が若山照彦・山梨大学教授。
日本の再生医療の最先端がここに並んでいるという。
こんなにも頭のいいオーラのある、そんな方たちが、なぜあんな馬鹿な捏造という茶番の舞台の幕が開く。
STAP細胞事件。
あれは一体何だったのだろう?
何故だったのだろう?
そういう謎に須田さんという毎日新聞の科学環境部の記者が挑戦する。

関係者はみんないい人。
読んでいて、不快に思う人は一人も出て来ない。
事件の核心にいる人たちは、燃えたぎらんばかりの人類の使命を背負って医学に邁進なさっている。

内容がまったく書かれていない奇妙な記者会見の案内が理研から届いた。笹井氏に問い合わせをすると「須田さんの場合は『絶対に来るべき』」とのメールが。(8頁)

 会場は神戸市にある理研発生・再生科学総合研究センター(CDB)。(8頁)

 神戸市のポートアイランドにあるCDBで翌二十八日に開かれた記者会見には、−中略−小保方氏を初めて目にし、「可愛らしい人だな」と思った。(17頁)

29歳から1歳年を取っただけという驚嘆すべき若さの主役。
左右の脇役もすごい。
この脇役の二人は日本のトップオブリーダーのサイエンティスト。
そのサイエンティストに挟まれて

丸襟の白いブラウスに黒のカーディガンという姿は、個性的と言うよりも清楚な印象だ。(18頁)

ここで驚くべき発表が「STAP細胞」だった。

 ヒトを含む動物の体は、血液や筋肉、神経など、さまざまな種類の細胞で構成されている。少し発生が進んだ受精卵(受精胚)の中の細胞は、体をつくるすべての種類の細胞に分化する、多能性(万能性)という能力を持っている。しかし、生まれた後の動物の体細胞は、すでに血液や神経、筋肉など、一定の役割を持った細胞に分化していて、全く異なる種類の細胞に勝手に変化することはない。体細胞の時計の針を巻き戻し、受精卵に近い状態に逆戻りさせることを「初期化」と言う。
「動物の分化しきった体細胞は初期化できない」という常識を打ち破ったのが、英国のジョン・ガードン博士だ。ガードン博士は一九六二年、アフリカツメガエルのオタマジャクシの体細胞から核を取り出し、核を除いた卵に移植して、元の体細胞と全く同じ遺伝情報を持つクローンオタマジャクシを作ることに成功した。つまり、卵子を使えば、体細胞の核を初期化し、体のあらゆる細胞に変化する能力を取り戻せることを示したのだ。
 一九九六年には、英国で体細胞クローン羊のドリーが生まれ、哺乳類の体細胞も同様に初期化できることが証明された。
(18頁)

細胞がちょこっと残っていると、そのものも再現できるということで、クローンというのがすごく大流行りで、人間は細胞一個だけあって核さえ取り出せれば、そいつをもう一回作ることができるという。
ロジック的にそのものも作ることができるぞということで、クローンというのが世界を支配していた。
イギリスの研究者なのだが、ちょっとイギリス流の口も入っているので遮二無二初期化ということを言ったのだが、このイギリスのハッタリを叩き壊したのが山中伸弥教授。

 さらに、山中伸弥・京都大学教授が二〇〇六年、卵子を使わずに体細胞そのものを初期化することに成功したと発表した。たった四つの遺伝子をマウスの皮膚細胞に組み込んで初期化し、iPS細胞を作り出したのだ。(18頁)

細胞が分化して足なら足になろうとしている。
それをもう一回最初の状態にまで戻すという。
本当の初期化をやった。
イギリスの卵子を使うというやり方ではなく、細胞そのものを初期化し、iPS細胞を作り出した。

がん細胞というのは、iPS細胞に一番よく似ていて、がん細胞はどんどん勝手に増えていって、人間を病にしてしまうが、iPS細胞は増えるが止まるということができるので、がん細胞と同じシステムなのだが増え続けないところに人類の役に立つ部分ができてきた。
2007年にはヒトiPS細胞の開発へということが始まって、医学会が根底から揺れた。
今までは切るばっかりだった。
それがあの京都大学の山中教授の出現で切るのではなく、その人の細胞から取り出した、そこの部分を人造的に作り出してはめ込むという。
目の角膜が病気の人にはその人の細胞を初期化して角膜を作らせてそこに埋め込むという画期的な医学の一歩が始まった。
これはすごい。
2012年、ノーベル生理学 ・医学賞受賞。
このiPS細胞に対抗できる細胞の作り方が発見されたという。

ここでも大事なことは、何で四つ入れたら初期化したかというのは多分わからない。

ニューヒロインの小保方さんは、この遺伝子を操作しない方法で万能細胞を作った。
誰もが息を呑んで彼女を見つめた。
その実験方法、つまりSTAP細胞の作り方。

 ニンジンや大根などの植物では、細胞をバラバラにし、特殊な培養液を使って培養すると初期化に似た現象が起き、根や茎、葉など植物の全体の構造を作る「カルス」と呼ばれる細胞に変化する。STAP細胞はいわば、動物版のカルスと言えよう−中略−
 実験に使われたのは、万能性に関わるOct4という遺伝子が働くと緑色の蛍光を発するように遺伝子操作したマウスだ。
 生後一週間の赤ちゃんマウスのリンパ球を三十分間ほど、弱酸性の溶液に浸して刺激を与え、培養を続けると、生き残った細胞の中に緑色の蛍光を発する細胞が二日後から現れ始める。その細胞は元のリンパ球の二分の一程度と小さく、互いにくっつきながら、七日目には数十から数千個の塊をつくる。
−中略−
 試験管の中で環境を整えて培養すると、神経や筋肉、腸管上皮など、さまざまな組織の細胞に分化した。生きたマウスに移植すると、さまざまな組織の細胞が入り混じった「テラトーマ」と呼ばれる良性の腫瘍ができた。また、マウスの受精卵に注入し、仮親マウスの子宮に戻すと、STAP細胞由来の細胞が全身に散らばった「キメラマウス」が生まれた。
(19〜20頁)

細かく切るのと溶液に浸すだけだから医学というより料理みたいなもの。

 ただし、STAP細胞には多能性はあるものの、iPS細胞やES細胞のようにほぼ無限に増え続ける能力(自己増殖能)はない。(22頁)

これは一種のガン化なのだが、STAP細胞はそれがない。

 作製にかかる日数はSTAP細胞が二〜三日、効率も生き残った細胞の三十%以上と高いのに対し、iPS細胞は二〜三習慣、効率も〇・一%ほどと記されていた。(24頁)

これをドカンと発表した。
いかにiPS細胞が優れているかという。
これは後に山中教授がちょっとご機嫌。
iPS細胞はガン化するというのはクリアしていた。
それをわざわざガン化の危険性がiPS細胞はあると言ったものだから、後に強く京大関係者の反感を買うことになる。

何で細かくみじん切りにして弱酸性にすると万能細胞ができるのかはわからない。
これは須田氏も書いていないが、なぜそうなるのかはわからないがそうなるというのが医学会における発見。
「誰が何と言おうとそうなったんです」と言われると全部引っ込まなければいけない。
小保方氏がSTAP細胞を説明する。

研究室の撮影の機会が設けられた。−中略−中に入ると、まず黄色やピンク色の壁が目に付いた。小保方氏の趣味なのか、ところどころ、「ムーミン」のキャラクターのステッカーが貼られている。−中略− 実験風景の撮影を求められると、小保方氏は戸棚からおもむろに、母方の祖母から譲り受けたという割烹着を取りだした。(28頁)

そして瞬きの少ないあのまなざし。
黒あめのような大きいお目々で、じっと顕微鏡を両目を開けてご覧になる。
それが圧倒的な理系女子のオーラを発揮した。
iPSを圧倒するSTAP細胞はネイチャー誌にその論文が掲載された。

 三十日付朝刊で、毎日新聞を含む全国紙三紙は、STAP細胞の作製成功を一面トップで報じた。(30頁)

この発表に引き続き、気のよさそうな小柄な米ハーバード大バカンティ教授が小保方氏に向かって優しく「ノーベル賞を先にもらいなさい」。

 翌週の二月五日、海の向こうからは論文の共著者のバカンティ米ハーバード大学教授らが、ヒトの新生児の皮膚細胞から作った「STAP細胞の可能性がある細胞」の顕微鏡写真を報道陣に公開した、という驚きのニュースが飛び込んできた。(34頁)

ハーバード大は言うわ、理研は言うわ、神戸の方の研究所は「間違いない」って言うわ、それは信用する。
ところがわずか二週間でこれが次々と疑問が。
ここからSTAP細胞の悲劇が始まる。

一挙にSTAP細胞は日本中に知れ渡り、この時に「特許を取ろう」という話になった。
ただ、やっぱりクールな人がいて、京都大学の中辻憲夫教授は「発表のみでなく論文で示さなければ評価できない」とはっきり言う。
笹井CDB副センター長も
「技術的にSTAP細胞は100点満点のまだ20点。iPSは発表時点で80点なのに比べてSTAP細胞はまだまだですが、ヒトの細胞にイモリの再生能力を与えることができる唯一の方法なのであります」
という熱い思いを込めていた。
京都大学と一種CDBとの質の戦いというのが密やかにあったようだ。
京都大学は名門。
圧倒的な頭脳を揃えての京大。
若き研究者を少ないメンター(コーチ役)が育てていくCDB。
再生細胞に関しては、この二つの組織が激しく争っていた。

小保方氏とはいったい何者か?
2012年、わずか二年前に新雇用研究者で、ほとんど隠し玉としてひっそりCDBに入ってきた人。
神戸理研の研究者の中には、小保方氏の存在すら知らぬものがあった。
調べてみるとキャリアがすごい。

STAP細胞の論文が発表されて二週間、世界中から不満の声が上がる。
それは「再現実験が全部うまくいかない」という。
しかし山梨大の若山氏がSTAP細胞由来のキメラマウス作製に成功している。
若山氏はものすごい実力派の研究者で、世界に右に出るものはいない。
そんな人が成功しているワケだから、文句は言えないのだが、同じやり方でやってもうまくいかない。
一方で肝心の小保方氏だが、才女という評判と、密かに別の噂もあった。
論文の無断引用が多かったり、コピー&ペースト。
割と平気でおやりになる。
割と不慣れなところがあって、画像にしても上下反転などの初々しいミスがあまりにも多い方。

「あれが本当なら、小保方さんは相当、何でもやってしまう人ですよ。無断引用もね、きっとスキャナーで読み取った文章をそのままコピペしたもんだから、単語のスペルが間違っていた。(55頁)

須田記者はSTAP細胞の支えは若山氏だと見て、インタビューをする。
STAP細胞を若山氏が作りそれを受精卵に注入してキメラマウスが出来たという。
全部若山氏がSTAP細胞を成功させたと思っていたワケだが、話にちょっとヒビが入ってくる。
STAP細胞を若山氏は作っていない。
小保方さんから貰ったSTAP細胞を使ったら緑色に輝くキメラマウスができた。

STAP細胞そのものが何かというとハーバード大のバカンティ教授の論文が原点。

 バカンティ氏は同大学の関連病院、ブリガム・アンド・ウィメンズ病院の麻酔科長。一九八〇年代後半から、麻酔医としての仕事の傍ら、組織工学(ティッシュ・エンジニアリング)の研究を始めた。組織工学とは、細胞と、細胞が育つ足場、成長を促すたんぱく質の三つを組み合わせて、組織の再生を試みる学問だ。バカンティ氏は軟骨を思い通りの形に培養することに成功し、一九九五年、英BBC放送の番組でマウスの背中にヒトの耳の形の軟骨をはやした通称「バカンティ・マウス」が紹介されると、一躍世界の注目を集めた。(98〜99頁)

STAP細胞教授の研究「恐すぎ」と話題 背中に人間の耳があるネズミを育成 - エキサイトニュース
再生医療で、新しい万能細胞を作るというのがバカンティ氏の見果てぬ夢だった。

 小保方氏は二〇〇六年に早稲田大学理工学部の応用化学科を卒業後、早大大学院に進学。大学の卒業論文で取り組んだテーマは微生物の分離培養方法の開発だったが、進学時に再生医療を希望し、東京女子医大の岡野光男教授、大和教授の門をたたいた。早大大学院に所属しながら、東京女子医大先端生命医学研究所で修士課程の研究を勧め、ちょうどオープンした早大と東大女子医大の連携研究教育施設で博士課程の研究を進めることが決まっていた。(101頁)


2016年05月30日

2016年2月29日〜3月11日◆日本の正義はなぜ通用しないのか(後編)

これの続きです。

ヨーロッパは、お互いにしっかり決めたので戦争がなくなる。
それでヨーロッパはそのことによって平和に満ち満ちて、文明国として豊かに実り、その間、経済的な力を蓄える。
世界を支配する力を持った欧州が戦争をしないわけだから。
そのヨーロッパの繁栄にヨーロッパ人たちは誇りと確信をもって40年間の平和を貪った。
ところが人間は切ない。

 今から一世紀ほど時代をさかのぼった一九一四年、六月に起きたオーストリア皇位継承者の暗殺事件を契機として、ヨーロッパの大国は総動員体制に入り、長い平和の時代が幕を閉じる。(81頁)

ヨーロッパ世界はこの第一次世界大戦を重大な転機として、その後着実に没落していった。四年間の戦争の間に、膨大な数の才能あふれる若者たちが戦場に送られて、屍と化した。イギリスからは六一〇万人が戦争に動員され、七五万人ほどが戦死した。イギリスの自治領および植民地からは二八〇万人が動員され一八万人が戦死した。ヨーロッパ大陸諸国からは、よりいっそう多くの犠牲が生まれた。ドイツでは一三二〇万人が動員され、戦死者は二九三万人。フランスでは八一〇万人が動員され、戦死者は一三二万人。フランスでは八一〇万人が動員され、戦死者は一三二万人。さらにロシアは一五八〇万人が動員され、一八〇万人の戦死者が出ている。−中略−あわせて主要国の軍人の戦死者だけでも、一〇〇〇万人以上が戦争で屍となった。それに非戦闘員の死者などを加えれば、その数ははるかに大きく膨れあがる。(81〜82頁)

日本は、八〇万人ほどを戦争に動員したが、しかしながらそこでの戦死者は一〇〇〇人程度であった。(83頁)

その4年間の間に何が日本で起こったかというと、軽工業、繊維業で儲かってかろうじて外貨を稼いでいた日本は、軍服を作れば売れるわ石炭を掘り出せば売れるわ。
戦争をやっているヨーロッパの戦場へ物を売れば売れるという。
経済的に発展して軽工業から重工業に切り替えられるという。
ひとの家の不幸で、経済の構造そのものを転換する。
この時に日本人は何を思ったか?
「戦争は儲かる」
繊維業をやっていて、ドイツの軍服もイギリスの軍服もみんな日本が作った。
みんな工場が焼けてしまっているので、一番安全なのは戦争に全く国土を焼いていない日本ということになる。
この時は何でも売れた。
綿を作れば綿が売れる。
この第一次世界大戦でブワーっと経済の構造まで変えて急成長したのが極東の島国日本とアメリカ。
この「戦争は儲かる」という考え方、経済が活況になったというのが、日本をものすごく大きな過ちに向かわせてしまう。
「戦争ぐらいありがたいものはない」という、他人の血を流す戦いのうまみみたいなものを知ってしまった。
日本はその間に国力を温存しているので世界のNo.5に入る大国になる。
全ては第一次世界大戦を対岸から眺めていた日本。
この事の迂闊さがあって、近代の戦争というのがいかに恐ろしいかを全く勉強しなかった。
飛行機、戦車、毒ガス。
これは全部、第一次世界大戦の時に発明された兵器。
これは一部ロボットまで。
人殺しはもう人間がやらないでロボットにやらせようというような発想。
そのアイディアもこの期に発明されている。
それから第一次世界大戦はロケット、潜水艦。
その設計図も第一次世界大戦中に考えられた。
原子兵器。
原子爆弾等々に関しても、もうアイディアはこの間にできあがっていたという。
我が大日本帝国の陸海軍は近代戦がいかに凄まじいかを、全く勉強しない。
日露のままの軍備で最強の軍隊を持っていると自惚れた。
そして日露戦時の日本兵の愛国心で大国を打ち負かしたという信仰のようなものが軍隊を支配していた。
その軍隊を更に酔わせるように国民も「日本の兵隊さんは世界最強なんだ」という民族主義の自惚れを持った。
これが巨大な不幸を日本に招く大元となった。
何だかんだ言いつつ「軍部に騙された」とか言っているけれど民間も相当悪い。
誰もが次の戦争を待ちわびているという。
芥川龍之介の小説の中にも、わくわくするような文章で「さあ次の戦争はアメリカとだなぁ」などというのがポコっと出てくる。
「アメリカに勝ちさえすればもう天下獲ったてなもん。世界はオレのもん」みたいなのがあった。

本当の世界の流れはどこにあったか?
第一次世界大戦後、この欧州大戦以降、ヨーロッパには切実に平和を求める運動が巻き起こる。
欧州の大国は「間違ってた」と。
アジアにおける植民地を自らの力で押さえ込む力が無くなってしまう。
イギリスなんかもインドあたりでくたびれてしまって、抑えられなくなった
1919年、第一次大戦の戦後処理を平和裏に行おうということでパリ講和会議が開かれる。
これは大きな会議。
この時に軍縮の問題が出る。
それから「民族というものはやっぱり民族単位でそれぞれ自分たちの国を切り盛りした方がいいよね」なんていう今に繋がる発想がこの段階で次々に出る。
そして国際平和組織を作ろうという提案がなされる。
日本はこの時にドイツからしっかりと中国山東省、南洋諸島の委任統治権を獲得している。
このパリ会議には西園寺公望さん、元外相の牧野伸顕さんも参加する。
この方々は国際外交の流れを見誤っていて、日本の主張をするだけで、そこで語り合われる軍縮とかっていう会議の本当のテーマはあまり興味がなかったようだ。
それと語学の問題もあり、他の大国からは日本のことを「サイレント・パートナー」といわれる。
「無口な相棒」っていうようなことを言われた。
このあたりから世界の大きな潮流を見逃すという悲劇に日本が歩み出す。

第一次世界大戦後のヨーロッパは戦争にくたびれ果ててフラフラ。
日本はその第一次大戦でしっかり儲かった。
アジアでの権益は拡大し、どんどん日本の植民地支配が広くなる。
これは日本が獲ったというよりも、戦争をやりすぎてヨーロッパの国々が経営する力が無くなったということ。
日本はそのくたびれ果てたヨーロッパを見て、千載一遇のチャンスとみる。
「彼らはもうアジアを抑えこむ力がない。だったら最も力があるのはアジア人の中でも我らジャパンだ!」
日本は国際社会に対して「アジアの国々はアジア人の手でちゃんと切り盛りすべきだ」と言った。
その第一条件として、アメリカでの人種差別をあげた。
黒人差別もあったらしいが、この時は日系人差別がひどかった。
それで日本は頭にきていた。
「世界五大強国であるところの日本人を差別するとは何事だ」という怒りが日本の中に渦巻いていた。
もちろん「人種差別撤廃」これは正義。
正義なのだが、日本はこの正義を国際会議が開かれる度に欧米指導者に強く求める。
でもこの正義を承認する国は残念ながら無い。
「人種差別はいかん」と良いことは言っている。
この間の中心になったのがあの近衛文麿さん。
近衛さんは大上段に拳を振り上げて「肌の色で人間を決めるのか!」みたいな立派なことを言う。
そうするともう日本国内は「うわー」と拍手拍手。
さらに若き外交官、重光葵は「欧州は平和を主張しながら東洋においてはフランス、オランダ、イギリスそれらの国々はアジア同胞を支配して差別しとるじゃないか」「正義はフランス、オランダ、イギリスには無い」と強く主張。
あくまでも日本を中心としてアジアを開放しようという運動を起こそうとアジア諸国に呼びかけた。
正義なのだが、正義はつまづきやすい。
「日本が先頭に立ってアジアを!」
「いやいや俺達のところには俺達の大将がおりますんで。その人と一緒に私たちはやりたいと思って・・・」
「何?お前俺の言うこと聞けないの?俺が開放してやるって言ってるのに!」
これが始まっちゃった。
この日本人が叫びだしたスローガン「アジアは一つ」。
一つじゃない。
アジアはバラバラ。
アジアは一つという理想を主張しすぎると、そこの国々で抗日運動が巻き起こる。
特に最も激しかったのがやっぱり中国だろう。
プライドが高いのだから当たり前。
第一、ついこの間までは遣唐使、遣隋使でお勉強しに行っていた国が「いいから俺の言う事聞け」と。
「かつて英米と連携しつつ戦争と外交を実に巧みに使い分けて日清日露の戦いを勝利の形で終わらせた日本の外交。そういう技術の巧みさがすっかりこの機は消え失せて日本は正義のみで突っ走るという外交になってしまった」という。

そして1931年。
「アジアは一つ」のスローガンを一生懸命叫んでいる日本だが、その日本に対して中国全土では抗日運動が激しくなる。
錦州という中国の一州で、すごく激しい反日運動、抗日運動が起きる。
この時に本当によせばいいのに、陸軍がこの錦州という中国の街を爆撃機で攻撃している。
戦略爆撃機でこの錦州を攻撃して反日、抗日運動を抑えこもうとした。
これをジーっと見ていたのがヨーロッパ。
「次の戦争に勝ってやる」と若き企みをもつアドルフ・ヒトラーという人が日本の陸軍が普通の街に爆弾を落としたのを見てこう思った。
「俺もやろう、おんなじことを」
ヒントは日本だった。
そこの責任はやっぱり重い。

「アジアは一つ」というスローガンのもとにアジアをまとめようとした正義の日本。
しかし「アジアは一つ」というスローガンそのものが反発を買う。
「一つではない。我々には我々の歴史がある」と叫び返したのが中国。
蒋介石は激しく日本に対して抗日戦線を拡大する。
その軍事行動を抑えこむために帝国陸軍は錦州爆撃。
一般市民を巻き込んで攻撃してしまう。
これを見ていたドイツに新しく育ちつつある愛国運動家アドルフ・ヒトラーは敵国の都市そのものを爆撃するという日本の戦闘を真似する。
そのアドルフ・ヒトラーのやり口を見て「それもこれも悪いのは日本だ。日本があんなことやったから」ということで大戦の一番最後。
とうとう日本は原爆投下。
だがその始まりは錦州爆撃。
「被害幅が違う」とか言っているが、やっぱり一般市民の上に爆弾を投下するというのを軍事作戦としてやったのは日本陸軍。
日本は一次大戦を知らずに、しかしそれでも空母と戦闘機を組み合わせた機動部隊による海戦等々。
そんなことはアメリカなんかできないだろうと。
真珠湾で成功するがミッドウェーでは失敗する。
もう、すぐ真似られてしまう。
戦争なんてそんなもの。
そしてこの中で、細谷氏が調べて懸命に主張なさっているのは、こういう国全体、民間も浮かれて戦争で景気の良い国になろうとする中で、この国の天皇の裕仁天皇(昭和天皇)は陸軍に対して何度も注意を呼びかけている。
でも陸軍は全然コントロールが効かなくなる。
勝手に戦線を拡大して、「勝った勝った」で騒ぐうちに新聞も全部「勝った勝った」と書くので国民たちは「もうちょっと経てば景気が良くなる。もっと景気が良くなる」という負のスパイラルに入った。
その間、若き天皇裕仁はひたすらに日本の前途を心配していた。
その間の日記等々が残っており、一部の資料が示されているが、読んでいて胸が痛くなるほどだ。
「欧州世界の平和への流れ、それがあることを国際会議で見抜けなかった。」
人種平等は確かに正義だが、その人種平等という正義を求めて、それが日本のみの民族主義になってしまった。
「日本人が一番良いんだ」「賢いんだ」「立派なんだ」そういう愛国主義になってしまった。
アメリカの力をなめきったことが、あの巨大な戦火に国民を巻き込んだ引き金となってしまったのだ。
その犠牲の凄まじさはもう本当に胸が痛むほどの人数。
どんどん日本が悪い方に傾いていくのだが、良い人はいる。
世界を相手に戦争しながら日本が「いかん!間違った方角に行ってる」と反抗する人々がちゃんといて、その人達が必死に生きていた。

 一九四〇年当時、ドイツと提携する危機に警鐘を鳴らす数少ない外交評論家がいた。先に触れた清沢洌である。清沢はこの年、慶応義塾大宅で行っていた講義をまとめた著書、『第二次欧州大戦の研究』のなかで、このヨーロッパの戦争では最終的にドイツが敗北して、イギリスが勝利するという見通しを、次のように説明していた。「ドイツ戦闘(バツトル)には勝つ見込みはあるが、戦争(ワー)に勝つ見込みが少ないことを認めざるをえない」。(163頁)

ちょうどこれはナチスがドーバー海峡を越えてイギリスに攻め込もうとしているのだが、清沢氏が失敗すると言っていて、案の定失敗している。
それを見ながら日本は三国同盟を結ぶ。
やっぱり外交の失敗。

もちろん日本国民も勉強不足だと思う。
「仲良し三国同盟」などと言って提灯行列をやっている。

年間九〇〇〇万トンもの鉄を生産している英米両国に対して、年間七〇〇万トンの日本が一体どうやって戦うのでしょう」。(168頁)

(番組では上記は清沢氏の言葉としているが違うようだ)
「鉄の生産力がこんだけ違う。勝てるわけがないじゃないか!」と。
こんな人がちゃんといた。

何度もイギリスは日本に外交上の妥協を呼びかけている。
チャーチルは日本のことをなかなか見捨てずに「冷静に対応してくれ」と何回も日本に日英同盟のよしみで声をかけている。
明治期外交を担当した人たちの柔らかい発想。
だんだん硬直してきて大和魂みたいなことばっかり言い始めた日本の外交。
同じ国の人間かと言いたくなるような気もする。
戦争中、日本はどうであったか。
とにかく陸海軍はひたすらアメリカをなめたとしか言いようがない。
今もそうだが、現代社会もアメリカの悪口さえ言っていれば何でも説明がつくと思ってらっしゃる方もいらっしゃるようだが。
そんな簡単なものであろうはずがない。
日本はそういうイギリスの呼びかけにも全て拒否して戦争を断行し、戦争を続行する。
膨大な敗戦の記録、負け戦の記録があるがここではあえて触れない。
日本がいよいよ追い詰められたのが1945年のこと。
これはもう沖縄に米軍上陸ということで。
今も基地問題で揺れているが。

 一九四五年四月に、小磯国昭陸軍大将を首相とする内閣が総辞職して、鈴木貫太郎海軍大将が組閣することになった。すでに七七歳の高齢であったが、この危機に向き合うのには彼以外には指導者が見当たらなかった。それは、天皇の強い意向でもあった。(249頁)

彼が日本の敗戦処理にあたる。
そしてポツダム宣言受諾等々の決断をしていく。
陸海軍は情けないことに、原爆を2個落とされても日本国民に竹槍を持たせて戦えというようなナンセンスなことを言っている。
ポツダム宣言受諾ということで着々と事を進めるのだが、そのことが陸海軍の軍人にバレるとどんな謀反を起こすかわからない。
そういう動きを台無しにする可能性があったので、鈴木貫太郎という人はとぼけながらもそれを密かに進めるという。

首相就任間もない鈴木は、四月中旬のアメリカ大統領死去に際して、「ルーズヴェルト大統領の死去がアメリカ国民にとって大いなる損失であることを思い、深甚なる弔意」を表したのである。このメッセージは、四月一五日の「ニューヨーク・タイムズ」の三面に掲載されることになった。(250頁)

その時にナチスドイツはヒトラーを先頭にしてこの不幸を大いに喜んだ。
「神の罰がアメリカに下った!」と喜んだらしい。
鈴木は違った。
鈴木は弔電を打っている。

鈴木が一九一八年に、練習艦隊司令官として遠洋航海でアメリカを訪問したことに触れている。サンフランシスコでたまたま鈴木は、テーブルスピーチをしなければならなくなった。この頃アメリカでは、将来アメリカが日本と戦争をするのではないかという憶測が語られていた。それについて、鈴木は次のように語る。
「この日米戦争はアメリカでも日本でもしばしば耳にする、しかしこれはやつてはならぬ」。
(250頁)

「日本がアメリカを占領できるわけがない」ということを言った人。
もうちょっと早かったら原爆投下というのは避けられたかもしれない。
戦後史については、いまだに新資料などが発見されている。
歴史としていまだに、まだ二次大戦というのは生乾きで固まっていない。
歴史といえるほど事実が定まってはいない。
だからといってあの戦略なき日本軍の戦いをいまさら「あれは正義だったんだ」と主張できるはずもない。
この大混乱の敗戦前後でも、わずかながら実にクールにクレバーに、アメリカ・イギリスと交渉しあった一群の人たちがいた。

2016年2月29日〜3月11日◆日本の正義はなぜ通用しないのか(前編)

戦後史の解放I 歴史認識とは何か: 日露戦争からアジア太平洋戦争まで (新潮選書)



武田先生がこの本を選んだ理由の一つは従軍慰安婦の件。
昨年慰安婦問題が日本政府と韓国の政府との間でとりあえず、あるラインが見えてきた。
でもその後の報道を聞くと、慰安婦だった人たちが激しく日韓の歩み寄りを罵ってらっしゃる。
あのおばあちゃんたちの日本に対する罵倒を聞いてるともう、耳をふさぎたくなる。
「結局何をやっても、もうやっぱり許してもらえないんじゃないか」という絶望感に囚われて。

もう一つの理由。
九州でテレビのレギュラーをやっているので月に1〜2回帰る。
博多の街をぶらぶら歩くみたいなコーナーを担当している武田先生。
もう見渡す限り韓国と中国の観光客の方。
テレビの女性アナウンサーと2月の上旬に太宰府天満宮へ行った。
テレビも話題が欲しいので受験にはもってこいだということで。
その時に太宰府天満宮の参道に日本人はいない。
武田先生と彼女だけ。
正面からはあきらかに中国の言葉、後ろからは韓国の言葉。
あんなに東京で日中韓がうまくいっていないという頭があるのだが、地方都市福岡、いわゆるアジアの玄関口の福岡に行くと観光親善が進んでいる。
太宰府天満宮は武田先生の高校から近いので、参道には結構後輩がいる。
梅ヶ枝餅という餅を焼きながら「武田さん!」「生徒会長!」と言う。
生徒会長を二年生の時にやって名物男だった武田先生。
「どげんね景気は?」と訊くと「よかよか。大宰府は儲かってしょうがなかもん」と言う。
切れ間が無い。
中韓の観光客に混じって、また2月後半から始まる受験に、センター試験終わってどっとやって来るわけで。
その時に太宰府の後輩と話したのだが、武田先生たちが高校生の頃、太宰府は「町」で人口7千。
今は名前が変わって別の「市」という名前を持っているのだが、7千の町が今や大宰府を中心として7万の市になっている。
この2〜30年で。
普通は田舎だったら寂れていく一方というが。
それも中韓のいわゆるお客様の支えみたいなものが。

よく韓国の方、中国の方もおっしゃる。
政治的な話。
「歴史認識が違う」
ではその歴史認識って一体何だろう?と思った頃に、この本を読んだのだろう。
新潮選書だが細谷雄一氏が「日本の正義はなぜ通用しないんだ」というその問題点を。
かなり硬めの本。
この本が気に入ったのは、一番最初のつかみの章にJ-POPキングの桑田佳祐さんの詩が出てくる。

 二〇一四年一二月三一日の大晦日恒例のNHK紅白歌合戦で、サザンオールスターズのボーカルである桑田圭祐が、付けひげをして画面に登場し、この「ピースとハイライト」の曲を歌った。これがヒトラーに扮して、安倍晋三首相を揶揄しているのではないかという憶測がインターネットで流れたのだ。これに対して桑田と彼の所属する事務所の株式会社アミューズは、このパフォーマンスが「特定の思想・団体に賛同、反対あるいは貶めるなどといった意図は全くない」と弁明した。また、デモやニュースの映像を演出のために用いたのは、あくまでも「緊張が高まる世界の現状を憂い、平和を希望する意図で仕様したもの」だと説明した。−中略−その三日前に横浜で行われたサザンオールスターズのコンサートを、安倍晋三首相は昭恵夫人と一緒に聴きに行っている。そこでも桑田は即興で「衆院解散はむちゃくちゃ」と歌ったが(3〜4頁)

その後も点々と桑田さんの政治的発言と言うか、いわゆる日本の現体制を批判する発言が一部物議を醸した。

 気になったのが、この「ピースとハイライト」という曲の歌詞である。この歌の途中で、次のような歌詞が流れてくる。
  教科書は現代史を
  やる前に時間切れ
  そこが一番知りたいのに
  何でそうなっちゃうの?
(4頁)

現行の教育に対する桑田さんの批判の一文がある。
現代史の不勉強が歴史認識のズレを産んでいるのではないかということで。
では、桑田さんがそこまでおっしゃるんなら、というような気分になって企画したのが「日本の正義はなぜ通用しないのか」。

 二〇一五年五月二〇日の国会での党首討論では、共産党の志位和夫委員長が、ポツダム宣言についての認識を安倍晋三首相に質し、次のように訊いた。−中略−これに対して安倍首相は、「その部分をつまびらかに読んでいないので、直ちに論評することは差し控えたい。先の大戦の痛切な反省によって今日の歩みがある」と答えた。(5頁)

かつて首相を務めた鳩山由紀夫は、香港のフェニックステレビの取材に対して、このカイロ宣言を前提にして、尖閣諸島について「中国側から見れば、盗んだというふうに思われても仕方がない」とコメントしている。
 この鳩山の軽率な発言に怒り心頭の菅義偉内閣官房長官は、次のように記者会見で述べた。「その発言を聞いてですね、わたしは絶句しました。開いた口がふさがらないという言葉がありますけれども、まさにこのようなことだろうというふうに思います」と論評している。
(5〜6頁)

これはもう、「辞めたんだからウロウロ歩くな、外国を」という悲鳴が上がった。
ここにも現代史の不勉強がある。
カイロ宣言を読めば「尖閣は日本のものだ」ということがわかる。
カイロ宣言は中国の蒋介石、アメリカのルーズベルト、そして英国のチャーチルとの間で語り合っている。
この時に中国東北部の4省、台湾、澎湖島返還が条件だった。
ここに尖閣がないからカイロ宣言は触れていない。
だから盗んだというのは全然当たっていないわけで、つまり要求を何もされていない。

 本書では、桑田が自らの歌詞の中で、学校教育では「やる前に時間切れ」になってしまうという「現代史」を、国際社会の中での日本、という視点から概観することにしたい。(8頁)

日本という国というのはいろいろと考え方はあるだろうが、ざっくり考えて、あれほどの戦争の犠牲を払いつつ戦後、あの短期間でオリンピックをやるだけの国に成り上がる。
それはどういうことかというのも謎。
なんであんな馬鹿な戦争をやったかというのも謎。
あんな馬鹿な戦争からなんでこんなに立ち直りができるようになったのか。
そこもぜひ疑問に思って欲しい。
戦後、アメリカに次いでドイツを抜いた。
つまりアメリカの後ろ側に来るぐらいの経済力をつけた。
この細谷氏の世界史の見方がすごくおもしろいのは「現代史をもう一回広い視野で見てみよう」と。

中韓とのズレはいつから始まったか?

 戦後五〇周年を迎えた一九九五年八月一五日午前一〇時。−中略−前年の一九九四年六月三〇日以降、政権を担っていたには自民党と新党さきがけ、そして首相である村山富市を擁する社会党であった。(21頁)

 この談話の文書についての閣議決定がなされ、閣議終了後の午前一一時から記者会見が行われた。そこに村山首相が現れた。いわゆる「村山談話」の誕生である。(22頁)

村山首相の言葉のなかには、「植民地支配と侵略」によって多くの悲劇をもたらしたことへの「痛切な反省」と「心からのお詫び」という言葉が含まれている。(22頁)

村山さんは陸軍で軍曹をやっていた。
己の良心に従ってこの反省とお詫びの歴史認識を内外に発表したのだが、これは社会党がリードした反省文であったという。
村山さんサイドの人脈が作った反省文。
ここからもう日本国内にズレがあった。
村山談話というのは、確かにご迷惑をかけたんだからとりあえず謝っておこうという。
そうしたら、謝った瞬間に急に向こうが「やっぱ悪いことしたんだ!」「非を認めたな!」みたいな流れになった。
村山さんは談話を発表するので、結構無理なさっている。
何でかというと、この村山談話に賛成した国会議員230名。
「こんなのダメだよ」と反対したのが241名。
だから村山談話は、発表した段階で国会全体をまとめうる納得いく談話ではなかった。
この亀裂のまま国会決議を通したために、かえって中韓から「謝り方が半端だ」という口実を与えてしまった。
「何だその態度」と結局、村山さんの良心が中韓に激怒のきっかけを与えた。
これを機にどうも中国は反日教育に乗り出したようだ。
悪いことは全部日本。
これもやった人の名前もわかっているが。
あの人が反日教育。
向こうも必死で、やらざるを得なかった。
それでもう、謝ってくれた村山はもってこいだった。
韓国も同じ。
この村山談話のこの反省を聞いて「みろ!」と「悪いのは全部日本じゃないか!」と。
そこで韓国の中にいらっしゃる婦人に自立を促すというような組織団体がこれを慰安婦問題という新たな問題が立ち起こった。
ご存知の方も多かろうと思うが、はげしく朴政権の政治決定に抗う、その朝鮮人慰安婦問題をふりかざすグループ。
こういう方々は皆「女性権利向上」そして「民主化運動の正義」、そういうのも同時に叫んでらっしゃる。
だから彼らのテーマは慰安婦問題だけではない。
自らの運動のためには村山談話は格好の的になり得た、お神輿になり得た、弱点になり得た。
つまり歴史認識をはっきりさせた村山談話のせいで、中韓は「天皇陛下が土下座しろ」とまで言い始めるという。
これで外交が一層混乱してしまった。
大戦中は現役の兵士として実戦戦闘に参加した村山さんの、実に人間として美しい反省。
ところが村山さんの正義がかえって歴史認識を混乱させたという。

ここで間違ってはいけないことは「歴史認識とは何か?」。

 ミシェル・フーコーの思想が歴史学にも大きな影響を及ぼし、−中略−それによって、「歴史叙述による史的現実の把握は不可能だ」という認識(43頁)

歴史なんていうのは、捕まえようと思って捕まえられるもんじゃないんだ。
非常にミッシェル・フーコーはクールに歴史認識については書いてる。

「意識的にせよ、無意識的にせよ、われわれは過去に関する知識を自分たちの現在の目的に利用したいとも思っている。」(44頁)

(番組ではフーコーの言葉として紹介されているが、リチャード・エヴァンズの言葉)

また、現代の問題を全て歴史の中にあるとする「あそこの歴史が間違ったからこんなことになった」と乱暴に分析する主観の人がいる。
歴史認識で快刀乱麻にそういう分析をする、そういう主観の持ち主がいる。
『戦後史の正体』という本をお書きになった元外交官の孫崎享さん。

戦後史の正体 (「戦後再発見」双書)



この方の主観はアメリカ陰謀主観。
「アメリカが全部裏でやっているからこんなことになった」という。
裏で操っているのは全てアメリカ。
こういうのは、よく週刊誌に載っている。
アメリカの圧力の強弱で日本は路線を選択。
「日本の戦後史というのは全部動かしているのはアメリカなんだ」
元外交官のこの方は「まったくアメリカから自立していない日本。それが戦後の闇なのである」ということで。
しきりにナショナル・セキュリティ・アーカイブ(NSA)と言う。
アメリカが発表して良いと許可を出した資料を日本の政治を語る人がちっとも読んでいないから、そういうことで非難していらっしゃる。
細谷氏はそういう孫崎氏の意見には反発してらっしゃる。
「敵はここだ」とか「あの歴史のあそこから間違えた」とかいうのは、極端な考え方なのではなかろうかなという。
やっぱり「もっと広い目で」ということである。

 日本における歴史教育は、通常「日本史」と「世界史」に分かれている。(60頁)

世界史と日本史、その両方をきちんと勉強しなきゃいけないんだと一生懸命叫んでらっしゃる。
著者は「世界史との連続で見るべきであって、一点からの見方だけではなくて日本史と世界史をくっつけてみるという勉強の仕方をしないかぎり歴史認識というのは持てないんじゃないか」という。
やっぱり現代史というか明治維新以降は、くっつけて勉強した方がいいと思う武田先生。
第2回のパリ万博か何かの会場にロンドン留学の時、夏目漱石が遊びに行っている。
その時、その会場にピカソが居た。
『龍馬伝』の時に一生懸命スタッフを口説いた武田先生。

NHK大河ドラマ 龍馬伝 完全版 Blu-ray BOX-1(season1) [Blu-ray]



龍馬と海舟はアメリカの南北戦争を知っていたという。
ペリーがやって来て何年後かにアメリカは南北にちぎれて国内戦争に入る。
その南北戦争で余った武器が明治維新の時に龍馬が輸入して長州に渡した銃。
だから『風と共に去りぬ』で使われた銃が高杉晋作が握った銃。

風と共に去りぬ [DVD]



そういうのを知ると胸がときめくくらいうれしくなる。
そういう世界史と日本史というのを絶対横で見ないとダメなんじゃないかなという気がする。
そういう歴史の見方をする人がやっぱりいる。
例えば、国家間の戦争のみを戦争と捉えるのではなくて、国内が分裂して戦うことも戦争だと認めたほうがいいんじゃないか。

 ハーバード大学歴史学部教授のニーアル・ファガーソンは、その著書『憎悪の世紀』において、二〇世紀の残酷な虐殺の歴史を振り返っている。−中略−ファガーソンによれば、このユダヤ人のホロコーストを含めて、「一九二八年から五二年までの間に、政治的な暴力によって少なくとも二一〇〇万人が死んだ」という。−中略−ファガーソンは、日露戦争が始まった一九〇四年から朝鮮戦争が休戦する一九五三年までの半世紀に大量殺戮が集中していたことから、これを「五〇年戦争」と呼ぶ。(70〜71頁)

ファガーソンは一九〇四年から一九五三年までの半世紀を、「憎悪の世紀」と呼んでいる。(72頁)

ファガーソンの言葉を借りれば、「第三次世界大戦(The Third World War)」の代わりに、「第三世界の戦争(The Therd World's War)」となったのだ。(72頁)

今も世界戦争の真っただ中。
今は宗教戦争。

「平和」というのは最近できた言葉。
平和とはつい最近の19世紀半ば、ヨーロッパで発明された考え方。
それが平和。
桑田氏言うところの「ピース」というフレーズはどのようにして生まれたのか。
これはナポレオンの後に生まれた言葉。
ナポレオンがヨーロッパを荒らしまくって、その後、国家間の戦争で疲れたヨーロッパの人々がウィーンに集まった。
欧州政治家が「法律をもって戦争を何とか避けるような努力をしよう」「その方法を模索しよう」ということで集まった。
1814年のその会議、ヨーロッパでの会議で発明された言葉がピース。
それまで戦争は認められていた。
戦争というのは国のやらなければいけない政策の一つ。
一番重大なことは、それまでの戦争は兵隊さんがやった。
兵隊さんが違う国の兵隊さんと比較的広い所で、邪魔の入らない所で戦争したのが戦争だった。
街の真ん中でやるなんて誰も考えなかった。
ワーテルローの戦いや関ヶ原の合戦。
広い所でがっちりぶつかり合うのが戦争で、戦争するのは兵隊さん。
だから戦争は国の政策の一つだった。
それが変わってしまった。
その国に所属している人たちは「あーうちの兵隊さんが勝った」とか。
その土地に住んでいる人たちにはあまり被害が及ばないから。
「兵隊さん頑張って」といったものだろう。
全部様子を変えたのはナポレオン。
ナポレオンが「兵隊さんは国民がなる」という国民皆兵制度をとる。
そうするとその国に生まれた人が兵隊さんになるので、戦争が兵隊さんだけのものではなくて国民のものになってしまった。
そうするとものすごく戦争の被害が大きくなってくる。
このままだったらもう共倒れになるということで1814年からヨーロッパが全員集まって、戦争を避けるための会議が行われた。

一八九九年にオランダのハーグで開かれた、万国平和会議であった。−中略−この会議の開催を提唱して、二六カ国の政府代表がハーグに集まった。このハーグ平和会議では、戦争においても一定の法規をつくる必要が議論された。−中略−日本もまた、この会議に参加していた。(77頁)

 一九〇四年に始まった日露戦争において、日本は「文明国」として国際法を順守して戦った。とりわけロシア人の戦争捕虜への国際法に基づいた丁寧な対応が、国際社会を驚かせた。日本は世界に向けて、自らが国際法を順守する「文明国」であるというイメージを植え付けることに、見事に成功したのである。−中略−捕虜収容所におけるロシア人捕虜の死亡率は、わずかに〇・五%であり、これは驚くほど低い数字であった。
 日本が、ハーグ陸戦規則が規定する以上の待遇を行ったことに対して、敵国ロシアからも謝意が表せられるほどであった。さらには、この頃の日本の軍部では、国際法教育が徹底していた。
−中略−下士官兵も初年兵教育や市販の軍務参考書でハーグ陸戦規則やジュネーヴ条約の知識を得ていた」という。(78頁)

敵国のトルストイが滅茶苦茶エッセイで褒めている。
「日本人偉い。兵隊さんは強いし、みんなマナー良いし」
ロシアの将校の中には捕虜なのだが街を歩く自由が認められているので、金沢なんかでは芸者さんとデキちゃって、国際結婚みたいなことした人もいたっていう。
一部のロシアの兵隊さんたちが神戸に抑留される。
捕虜となって収容所に入れられるが街を歩くのはOK。
ごはんじゃかわいそうだということで、日本の職人さんがロシアの兵隊さんのためにパンを焼いてあげたという。
それがかの有名な神戸パンの始まり。
そんな国はどこにもない。
敵国の食糧事情に合わせて一生懸命パンを焼いてあげて。
大半のロシア兵が帰りたがらなかった。
帰ったら捕虜になった屈辱で殺された人がいる。
「国に帰るよりここのほうが豊かで安全だ」と言った兵隊さんたちがいたという。

この時に「日本の正義」は世界で通用した。
みんな絶賛した。
これによってジャポニズムが起きる。
フランスあたりで日本人の真似をしようということでゴッホさんが浮世絵を持ってきて絵を描いたりなんかするのは、この手の評判があったから。
この素晴らしい国が数十年後に「鬼畜米英」と言い出す。
何でそんな国になっちゃったのか?

2016年05月29日

2016年3月28日〜4月8日◆『タモリと戦後ニッポン』近藤正高(後編)

これの続きです。

その辺りでグングンと、ということで何とフジテレビの看板番組になって視聴率も4〜5%から5か月後は24%。
「テレフォンショッキングに出ないと芸能人じゃない」という時代があった。
武田先生も「いつ電話かかってくんだろうか?」と思っていた。

フジテレビはここから笑いのテレビ局になる。
昼間は『笑っていいとも!』で楽勝パターン。
夜は夜でその『笑っていいとも!』にゲスト出演したお笑いの傭兵たちを使って『オレたちひょうきん族』。
この2本で50%近い視聴率を取り続けるという。
フジテレビは人気テレビ局となった。
これに『月9』が加わるので80年代から90年代、フジテレビが席巻する。
そこから10年、『笑っていいとも!』に登場するタモリにゆっくりと毒が薄れていって、『笑っていいとも!』とはおばさんと女の子にウケるという揶揄、批判が襲う。
しかしもう、この段階で10年経っている。
非常に酷いことを言うが、これは武田先生も同じ運命にある。
実は大橋巨泉さん、萩本欽一さん、この人たちがテレビで絶頂期っていうのはだいたい10年周期。
そうすると人気は下る。
タモリもパワーダウンの危機がやって来る、。
タモリと一緒に80年代、90年代の時代を作り覇を競い合ったさんま、たけし共に若手の台頭でゆっくりと人気がダウンする。

日本テレビで同じ正午の生番組としてみのもんた司会の『午後は○○おもいっきりテレビ』の放送が始まり、やがて視聴率トップの座を争うようになる。(266頁)

タモリがホストを務めた『今夜は最高!』は、その裏番組でとんねるず司会の『ねるとん紅鯨団』(関西テレビ・フジテレビ系、一九八七〜九四年)が高視聴率を記録したことから、スポンサー側が「タモリひとりだけでは心もとない」と発言、それがきっかけで八九年に終了したともいわれている。(267〜268頁)

 さらにダウンタウンやウッチャンナンチャン、またヒロミを中心とするB21スペシャルが「お笑い第三世代」ともてはやされ始めたのもこのころだ。前出のフジテレビのプロデューサーの佐藤義和は、『いいとも!』に続いて深夜番組『夢で逢えたら』(一九八八〜九一年)を手がけ、ダウンタウンとウッチャンナンチャンに加えて清水ミチコと野沢直子を起用している。女性タレントではまた山田邦子がこの時期、『邦ちゃんのやまだかつてないテレビ』(フジテレビ、一九八九〜九二年)など多くのレギュラー番組を持ち、好感度調査では連年トップを独占していた。
 他方、マンザイブームで台頭した島田紳助、あるいは同時期に頭角を現した所ジョージやラサール石井といったタレントたちも報道番組やクイズ番組などへの出演を通じて知性派タレントへとイメージを変えていく。二度目の東京進出で成功した笑福亭鶴瓶や
(267〜268頁)

 ビートたけしもほぼ同時期、九四年にバイク事故で瀕死の重傷を負うという危機に陥った。(270頁)

(ここで番組ではたけしのフライデー襲撃事件も同時期であるかのように説明しているが、調べてみると1986年のことなのでかなり前)

さんまは大演技派女優の大竹しのぶさんとの結婚で今で言う「お笑いビッグ3」それぞれに危機がやって来る。
(本によると結婚で危機が来たのではなく離婚で)

九三年には総選挙で躍進した非自民勢力が集結して細川護熙(日本新党)を首相とする連立政権が発足(272頁)

95年には「阪神淡路大震災」、そして「地下鉄サリン事件」「オウム真理教テロ事件」。
世相が大きく揺れる中で『笑っていいとも!』はすでにお昼の風景となって、苦しいことは苦しかった。

みんなピンチを迎えるが、たけしは映画製作で乗り切る。
さんまはちょっと人気が落ち始める時に離婚をお笑いのネタにした。

タモリは『笑っていいとも!』をどの手の方法で守りぬいたか?
たけしには「たけし軍団」がいた。
さんまもジミー大西等々、吉本の若手で自分の周りを固める。
タモリは何をやったかというと、そういう取り巻きは作らない。
だけど台頭する若手を選ばずに番組にボンボン出す。
アイドルから少女モデル、歌手。
異種業種の人を番組にどんどんレギュラーで入れていく。
そしてこんな新人をレギュラーに入れた。
それがSMAP。
アイドルを番組の中のレギュラー陣に迎えた。

『笑っていいとも!』には、たけしも顔を出す。
『笑っていいとも!』の中には「たけし軍団」がいた。
そのまんま(そのまんま東)さんとか、らっきょ(井出らっきょ)さんがいたから、たけし軍団が気を利かせてたけしを説得して『笑っていいとも!』のテレフォンショッキングに出す。

九二年に女優の大竹しのぶと離婚した際には、額に油性ペンで×印を描いて記者会見にのぞんだ。さらに会見の翌々日(九月一一日)には『いいとも!』のタモリとのトークコーナーでも離婚をネタに笑いを誘った。−中略−
 たしかにこのときの二人の会話の書き起こしを読むと、タモリのツッコミや茶々の入れ方は絶妙だ。たとえば話の途中、さんまのシャツに×印のデザインが入っているのに気付いたタモリは「あれっ、これはバツイチ?」と唐突に訊く。するとさんまは「これはバツイチではない。あんた腫れ物に触るのが好きだな」と返す。だがタモリは懲りずに、今度はシャツにプリントされた文字を指し「これ、Cっていうのは離婚のコン?」と畳みかける。いかにも無理やりなツッコミだが、これに「違う。シーちゃんのC」と、さらりと別れた妻のニックネームを出してボケてみせたあたり、さすがさんまである。
(269〜270)

九四年四月に中居正広と香取慎吾が、さらに九五年一〇月には草g剛が新たにレギュラーに加わった。三人とも男性アイドルSMAPのメンバーだ。(277頁)

レギュラー化しなかったのは木村拓哉さん。
とにかくSMAPの4人が顔を揃える。
これはどうしてかと言うと、91年のこと、デビュー当時のSMAPは、歌番組が激減して出る番組が無かった。
ジャニーズ全体もすごく悩んでいた。

そこでSMAPの所属するジャニーズ事務所の社長・ジャニー喜多川は彼らをバラエティ路線で売り出すことを決意する。(278頁)

この体験を踏まえて特に才能を急速に伸ばしたのは中居くん。
中居くんはやっぱりここから番組を回すまでに成長する。
しかも彼は、自分が踊りはともかくも歌は上手じゃないっていうアイドルとしては致命的なことをギャグにする。
SMAPで歌っていると木村くんが嫌な顔をして「俺の側には来ないで、つり込まれるから」とか、「中居くんが叫んでもモニターに一切自分の声が聞こえてこない」とか。
それをあえて出すという。
このあたりは傍目から見るとタモリという人のおかげ。
ジャニーさんの期待通り、タモリはSMAPを育てたと言っても過言ではないと思う。

この辺りからさらに新しいタレント発掘をタモリがシラッとした顔をしながらやる。
タモリはSMAP中居くんあたりを育てるが、それと共にもう一人育てたのが鶴瓶(笑福亭鶴瓶)。
当然だが吸収が早い。
しかもこの人は素人いじりがとてつもなく上手で、その素人いじりの技術をもってして今NHKに。
このあたり、どうもタモリの匂いがするような気がする。
この時代、タモリは真ん中に立たない。
任せられる所は全部若手に任せる。
若手のヤツが笑いを取りにいっても全然怒らない。
それで結局、笑いが取れない時は若手がタモリにすがると、タモリがそこそこの打率にしてそいつに渡す。
この辺はもう、全然肩に力を入れなくなる。
『笑っていいとも!』司会者交代の噂が何度も飛び交うが実現しない。
タモリのその構えこそがまさしくあの番組の本質だったわけで、やる気を振り回さない。
肩の力をいかに抜くか。
その代表者がやっぱりタモリだった。
やがて2010年代、次々と終了の噂が飛び交うようになる。
しかし32年間続いた番組を終わらせる力は、はっきり言ってフジテレビ内にはなかった。
番組を終わらせたのはやはり、32年間番組を一人仕切ってきたタモリ本人のみであったという。

『いいとも!』の終了が発表された二〇一三年一〇月二二日(火曜日)の放送にも、木曜レギュラーだった鶴瓶が急遽登場、そこで「『いいとも!』終わるってホンマ?」と質問して、タモリから「来年の三月で終わる」との言葉を引き出した。鶴瓶がのちに語ったところによれば、じつはこれは事前にタモリから電話で頼まれていたことだったという。しかも放送当日にはレギュラーとして中居正広が出ていた。タモリはレギュラーのなかでもとくに信頼する二人を立ち会わせる形で番組終了を発表したのだった(279頁)

 一四年三月三一日、最終回が放送された当日の夜には特別番組としてグランドフィナーレが同じくスタジオアルタから放送されている。そこでは『いいとも!』のレギュラー出演経験者が一堂に会した。ダウンタウンの松本人志は、自分たちと不仲が噂されていたとんねるずや爆笑問題と同じ場に居合わせていることを「ネットが荒れる」とネタにして笑いをとった。
 当のネット上では、そうしたお祭り騒ぎに「テレビの葬式のようだ」という書きこみも散見された。
(299〜300頁)

この後もタモリは続いていく。
『笑っていいとも!』の後も新たなるスタートを切る。
タモリの指向はどこへ向かうのか。
著者はジャズ評論家で散策好きだった植草甚一さんと重ねている。

武田先生も『金八先生』をやっていた。
だがタモリに勝てないなと思うのは、9シリーズまでやって30年間『金八先生』を演じたが、タモリはやっぱりすごい。
武田先生には隙間があった。
『刑事物語』もやったし『織部金次郎』もやったし「僕は死にましぇん」(101回目のプロポーズ)もやったし大河ドラマもやった。
だがシリーズが終了すれば1年のうちの半年間は別の仕事ができた。
タモリ違う。
月〜金なのだ。

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月〜金を32年間、あのお昼の時間帯『笑っていいとも!』をやった。
その他、夜は空いてるとはいえ、この人は32年間2泊3日の旅ができなかった。
過酷といえばこれほど過酷なスケジュールを平然とサングラスの内側に瞳を隠してできたというのはこの人がよほど真面目な性格でなければ。
番組が流れたのは何日かしかない。
昭和から平成に代わるとかサリン事件、震災報道等々ぐらいで数日。
2泊3日の旅を堪えて月〜金のお昼間、太陽の一番照ってる時間は全部あのアルタというスタジオの中に彼は・・・。
どう考えても2泊3日の旅はできない。
金曜日が終わって、月曜日には絶対9時過ぎぐらいには新宿に戻ってこないといけないのだ。

1995年、タモリは一級小型船舶免許取得のため番組をサボっている。
(番組では「トップシークレットだったのではないか」と言っているが、翌日の『笑っていいとも!』で試験のことを詳しく語っているようだ。)
この人はある意味で地上、陸地に飛び交ってる電波から離れたかったのだろう。
(本によるとそれ以前から船が好きだったようだ)
それでグングン実は腕を上げて海に出る。
加山(加山雄三)さんみたいな側面がタモリにはあった。

 船が好きなタモリは、一九九五年には一級小型船舶操縦士免許を『いいとも!』出演を休んでまで受験して取得、自分のヨットを静岡県沼津市に保有し、さらに二〇〇九年から「タモリカップ」というヨットレースを沼津ほか各地で開催している。(320頁)

もう一つ、タモリの遊びが「時刻表」。
どこも旅ができないから『笑っていいとも!』の楽屋でペラペラペラーと時刻表を見て
「『笑っていいとも!』終わって1時半のやつで新幹線で行くと・・・滋賀で乗り換えると夕方は金沢か・・・」っていうようなことを。
それだけではつまらないから自分のあこがれの街に時刻表で行く。
そのあこがれの街の5万分の1の地図を見ながら、山に登ったり降りたりで時刻表を読み、地図を眺めて架空の旅を楽しんだという。
ここから武田先生も見習わなきゃと思う。
『笑っていいとも!』が終わったので架空の旅ではなくて、時刻表を持ってその地図の街へ出向いて、あの高低差を楽しむという『ブラタモリ』。
そこにつながる。
タモリは高低差好き。
そのあこがれの街に行って、上りの坂があったり下りの坂があると「あ!高低差」って言いながら。
その上り下りを「あ!この高低か・・・」と。
その高低があるのがたまらない。
それは、地図で平べったいところを歩いていたから。
そうするとタモリは今、『ブラタモリ』とか『ヨルタモリ』等々で、そのタモリを楽しんでらっしゃる。

2015年、NHKが『ブラタモリ』を再開する。
『笑っていいとも!』は無くなったので『ブラタモリ』は遠出するようになった。
タモリは喜々として女の子と道を歩いているところである。
スケジュールの都合で今まで行けなかった地方を歩くタモリ。
旅への翼、新たなる羽ばたきを繰り返している。
だが『ブラタモリ』はお笑い番組としてはおもしろくない。
タモリの興味も、お笑いよりもその風景の地形、あるいは遺構、歴史、そこに住む人たちの暮らしっぷり、それに触れて楽しむ。
そういう意味では『笑っていいとも!』、四ヵ国語麻雀、あるいはイグアナのものまね、宇宙空間におけるターザンみたいなそういうギャグ性はない。
今タモリは、さんま、たけしという、あのライバルたちとは全く違う道を歩いている。
二人はスタジオで照明を浴び、懸命にテレビの世界で戦っている。
タモリは何処に居るか?
彼は田舎町の路地、風に吹かれ雨に濡れながら街角を歩いている。
タモリはもう、笑いを取りにいかない。
振り返るとタモリにはいつも主張があった。
どんな主張か?
タモリは、タモリを目指す。
今、「おもしろくないタモリ」を目指してらっしゃるという気がする武田先生。
タモリは70年代、タレントの先陣を切って笑いに突っ込んでいった。
今、ある意味でタモリは今までのタモリを卒業したのではないか。
しかしそれでも尚、タモリはタモリ。

ちゃんと遊んだことが無い武田先生。
遊びを練習して遊んだことが無い。
普通の人は遊ぶ時に練習する。
小型船舶などの免許を取りに行く。
武田先生はそういうのが無い。
ゴルフで遊ぶが、すぐにゴルフ場を出てしまう。
だから武田先生のゴルフはシッチャカメッチャカ。
今、ゴルフのスクールレッスンに通っている。
スクリーンに向かってボールを打っている。
いかに自分がひどいかよくわかる。
遊びについて何のライセンスも持たず、真剣に遊んだことが1回も無い。
そういう意味でタモリを少し見習って何ヶ月間かこの世界を離れて『ブラテツヤ』をしようかと。
日本中をコンサートで歩いているのだが。
このあいだ福岡の柳川へ行った。
そこの会館で歌を歌ったことがあるが、水郷柳川のお堀を歩いたことが無い。
店屋物で柳川でチャンポン喰ったことがあるのだが、どこかで物を食べる時も、「早い」というのが条件。
名物を喰ったことがない。
ちゃんと「遊び」というのをやった方がいいのかもしれないと思う武田先生。

かつてポストモダンの旗手であったタモリ。
今や歴史や文化、民族というものを歩いて眺めてらっしゃる。
タモリの主張はなんだったか?
それはジーッとそれをやっているうち、見ているうち、観察してるうちに、「意外とおもしろいよ?」という、そういう提案をなさるタレントさんではなかろうか。
そういう意味で笑いの先の最先端という時代を今、たった一人でまず歩かれているのではなかろうか。

2016年3月28日〜4月8日◆『タモリと戦後ニッポン』近藤正高(前編)

これの続きです。

九州福岡の面白い30代の青年であったタモリ上京し、そこからテレビ界へ入っていく。
現代テレビの縮図がタモリの周りで渦巻き始める。
その中でタモリはまた、新たなるムーブメントを起こす。
タモリがまだメインではなくテレビへ出始めた頃、面白いヤツでイグアナとか四ヵ国語麻雀とかをやるお笑いタレントとしてデビューした頃、ちょうど起こっていたのが第一次漫才ブーム。
おぼん・こぼんの活躍とか。
その第一次漫才ブームがゆっくり傾きかける。
その傾いた所にタモリたちがバーっと出てくる。
(調べてみたが漫才ブームは80〜82年らしいので、時系列的には合わないと思う)
60年代後半から70年代初め、テレビのお笑いを独占したのがフジテレビ正午の生番組の『お昼のゴールデンショー』。
司会はマエタケ(前田武彦)さん。
マエタケさんのほんとに間つなぎで、とんでもないコントのコンビが出てくる。
これがおかしいのなんの。
これがコント55号。
衝撃的だった。
「この人たち、映る気がないのかな?」と思うくらい動きが早い。
それまでお笑いの人は、センターの床から上ってくるマイクに向かって立ったまんま。
コント55号はコントをやるのだが、左右に振るがカメラが追いつかない。
オーバーな言い方になるかも知れないが、当時のカメラは大きくてタンスを半分に切ったくらいの大型カメラだったので振れない。
それを苦しめるように振るから、この二人はいつも画面の端にいる。
それで飛ぶ。
「なんでそうーなるの」とかって。
それがもうお腹を抱えるくらいおかしい。
それでネタがすごい生々しい。
萩本欽一さん称するサラリーマンが、とあるラーメン屋さんにふらっと入ると上京して来たばっかりの東北訛りのお下げ髪の坂上二郎さん、女の子がラーメンを運んで来てテーブルに置くのだが、その二郎さんの北国からやって来た少女の親指がどんぶりに入っている。
それを萩本さんがツッコむと、もう遮二無二坂上さんが「今度の『若い根っこの会』の研究発表会で嫌なお客であなたの事を言います」。
それを東北訛りでやり返す。
非常に生々しい人間カタログ風にやる。
これが面白い。
この注目されたコント55号の萩本欽一、坂上二郎はフジテレビの大躍進のトップバッター。
人気が出ると飛びつくという勢いが昔のフジテレビはすごかった。
すぐに土曜夜8時に持ってくる。
『コント55号の世界が笑う』というのをやる。
これがおかしいのなんの。
フジテレビは土曜の夜8時をお笑い番組にする。
このままじゃ天下を獲られると思ったのがTBS。
「この二人を潰しておかないと大変なことになるぞ」というので、TBSは命をかけて銭を集めてドリフターズというグループに遮二無二カネを突っ込んで、セットをめちゃくちゃ豪華にしたドリフターズの『8時だョ!全員集合』を始める。
このコント55号とドリフの一騎打ちは本当に命をかけた戦いだった。
萩本さんはこれを見てどう出るかというと、ぶつけない。
フジテレビは「カネ出しましょうか」と言うのだが「いらない」と言う。
萩本さんは笑いの方向を変える。
このドリフ対コント55号のお笑いが、その後大きくテレビ番組を変える一種、お笑いの大競争の導火線になっていく。
お笑いの天才萩本欽一はドリフにどう対抗したか?
今にも繋がるというテレビ界の革命がここから始まる。

萩本欽一というこの人とドリフターズの一騎打ちが民放ゴールデンタイムで戦われるようになった。
ここからお笑いがゴールデンタイムに登場した。
ドリフが大掛かりな仕掛け物でコントをやるのに対抗して、萩本さんは全く別種の笑いの形をつくる。
それはもう本当に萩本革命と言っていいくらい。

最終的にたどり着いたのが、自分でテレビ番組をつくるということだった。先述の林家三平のブレーンシステムをさらに進化させ、出演する側が番組のキャスティングボートを握るのだ。そんなことは日本ではまだ前例がなかった。
 その第一歩として萩本は、自分と一緒に企画を考えたりコント台本を書いたりする作家を自前で育てることにし、テレビ局でバイトなどをしていた二〇代の若者たちを集めた。こうして結成されたのがパジャマ党で
(174頁)

それを抱えて、全く新しい形のテレビ番組を作り始める。
みんながびっくり仰天した。
何をやったか?
萩本さんはラジオ番組を持っていた。
そのラジオ番組の構成をパジャマ党と一緒に膨らませて、1975年土曜7時半から90分番組のお笑い番組、バラエティ番組をつくる。
これが『欽ちゃんのドンとやってみよう!』(欽ドン!)。
(番組では『欽ちゃんのドンといってみよう!』と言っているようだが、こちらはラジオ番組の方のタイトル)
何が画期的かというと、「ややウケ」とか「バカウケ」とか、つまりお笑いを素人が作ってくる。
その場でライブでやる。
しかも演じるのはほとんど素人の子。
萩本欽一が日本で初めてやったお笑いの手法「素人いじり」。
少し萩本さんに嫌味を言うとすれば、結構これでお笑いを辞めた人がいる。
「素人の方がウケるんだったら何のために浅草で俺たちは苦労してるんだ」
ガックリきて「もう辞めるわ」という。
一種浅草の衰退にもつながったという。
ちょっと極端な話で萩本さんのせいではないのだが。
それで萩本さんのイジりがうまいから、下手であればあるほどウケる。
お笑いの間も完璧に外す人がいた。
宮城県から連れてきたほっぺたの赤い女の子「気仙沼ちゃん」。
それから素人同然の新人さんを三人並べて「良い子・悪い子・普通の子」。
お笑いが全くできない演歌歌手みたいな人を欽ちゃんが素人いじりの対象にした。
このあたりでクール・ファイブの前川(前川清)さんあたりが登場。
つまりセンスが無い故のいじりのボケで大笑いをとるという。
これは今でも素人いじりは同じ。

 相手をいじることで笑いをとる手法は、現在のいわゆる「ひな壇番組」にも脈々と受け継がれている。萩本以後ではとくに明石家さんまと島田紳助が、この手法を武器に多くの番組を切り回すようになった。(176頁)

『お昼のゴールデンショー』は後に『笑っていいとも!』になる。
萩本の抜けた穴をタモリが埋めていくという。
萩本の欽ドン革命というのはやっぱりすごいことだった。
そして萩本欽一は何をやったか?
まさに革命。
公開収録でお客さんを入れた。
それであろうことかテレビカメラをセットの一番後ろに置いた。
お客さんが前だった。
このために萩本はカメラに注文をつけた。
「望遠レンズを用意してくれ」と言った。
これで望遠がついた。
お客さんの頭を越えてアップにするために。
そしてこの後、萩本さんは俳優勝新太郎がテレビに持ち込んだ初めての手法「ピンマイク」をハリウッドから取り寄せた。
動きが早いから。
ピンマイクで、オーディオの人が竿で追っかけなくてもピンで拾えるという。
そしてその後、テレビのスタジオの舞台そのものを浅くした。
舞台の奥行がなくなることでフォーカスが合いやすい。
だからライブ感が一層盛り上がる。
全く新しいお笑いの革命を萩本欽一は次々とやる。
このあたりから今に繋がるバラエティ番組の源流が始まる。

60年代後半から70年代、萩本欽一という一人の天才児が今までとはまったく違うテレビの笑いを続々と作っていく。
ピンマイクの使用、テレビカメラについた望遠、客を舞台に近づけてその後ろにカメラがいるという舞台中継を思わせるようなライブ感。
そういうお笑いを作ると、今度は新しいタイプのお笑いタレントを必要とした。
だから素人をボケにしてお笑いまで引っ張り出せるという話術を持っていないとバラエティが回せなくなる。
この傾向に乗っかって出てきたトップバッターがタモリ。
タモリに続いてすぐ出てきたのがたけし。
負けじと出てきたのがさんま。
今でいう「お笑いビッグ3」の中でタモリに目をつけたのも実は萩本さん。
萩本さんはすぐにタモリに声をかけて「ちょっと一緒にやらない?」とおっしゃっている。
(本ではそういう話の流れにはなっていない)
ちょっと嫌な言い方だが萩本はタモリをすぐに拾う。

 テレビバラエティで次々と新しい試みを展開した萩本は、こんなことも考えていた。
《あのね、テレビ欄、こう線が引いてあるでしょ。あの八時の線と九時の線が、とれたらいいと思うのね。
(176頁)

 もっとも日本テレビでは、フジテレビより約一〇年も早く、七八年からチャリティ番組『24時間テレビ 愛は地球を救う』の放送が始まっていた。萩本は同番組の初年度から三年間、総合司会を務めた。じつはタモリもこの番組の第一回に出演しており−中略−
 八〇年の『愛は地球を救う』では、タモリは番組宣伝のCMに出演している。その一バージョンでは、「いま、地球上に何百万という飢えた人たちがいるのです。この人たちに君たちは何かをしてあげようという気持ちはないのか」とのセリフに、タモリが「私にはありません」と答えるのだが、当時の彼のポジションがうかがえよう
(177〜178頁)

バラエティ形式とはいえチャリティ番組なのだが、タモリにあえてそのポジションをとらせる。
ここまで不埒なギャグをタモリにやらせる。
賛否両論が日テレの中でもあった。
それを萩本さんは一切聞かなかった。
「いーんじゃないの?」って言いながら。
このギャグがタモリだったらいけると、そのポジションも良いんだと。
決してその「良いことやってるぞ俺たちは」みたいな事を大上段にかざさなくて「この番組興味ありません」とか「愛は地球を救うんですかぁ?」とか平気で言うという。
そのキャパシティのでかさが番組に柔軟性を持たせてやる。
この辺りからタモリという人は急速に自分の居場所を見つけていく。
その知的インテリジェンスの評論家のような人たちに向かって牙をむくお笑いタレント。
この居場所を見つけたタモリはこの芸、つまり文化人をからかうという、ここに一点突破のお笑いエネルギーを持っていく。
タモリが一番最初にギャグにしたのが「僕なんかね、これだけですよこれだけ」。
評論家の竹村健一さんをターゲットにする。
そしてテレビに溢れている文化人たち、つまりインスタントコーヒーの「違いの分かる男」、あるいは「ソ・ソ・ソクラテスかプラトンか」と踊っていた小説家・野坂昭如、中年御三家として注目される永六輔、小沢昭一氏、等々。
あるいは学習院の篠沢教授らインテリ芸能人の出現に対して、タモリは絶好のお笑いターゲットとしてお笑いのレパートリーにする。
とくに秀逸だったのは野坂昭如と寺山修司。
この辺りからタモリは急速に誰よりも早くお笑いの最前線に躍り出る。

タモリは芸の中にはげしく毒を盛り込んでいく。
それはいわゆるインテリ芸能人その人たちを揶揄するという。
萩本さんの影響か、彼はすぐに「オールナイトニッポン」を担当してラジオで自分のしゃべりを作り上げていく。
ラジオというのは、この手の人たちはものすごく大事にした。
やっぱり「ラジオでしゃべれないと」ということで。

 七六年から八三年まで七年間続いたラジオの深夜番組『タモリのオールナイトニッポン』(ニッポン放送)は、デビューからブレイクにいたる時期のタモリにとって、きわめて重要な番組でもあった。(185頁)

そしてこの中でタモリは毒を振りまいていく。
文化人をお笑いのレパートリーにしていたが、この番組の中ではミュージシャンを次々となぎ倒していく。
トップバッターさだまさし、アリス、オフコース。
これらミュージシャンを次々となぎ倒していく。
このさだまさし、アリス、オフコース等をケチョンパンにやるのだが、お笑いのネタでありつつもタモリはここではっきりと自分の主張を聞き手に訴える。
なぜ自分はこれらの人たちが嫌いなのか。
それは彼らが装うからだ。
彼らは裸でやっていない。
明るさを装い、暗さを装う。
そういうものへの激しいレジスタンスなのだ、と彼は言う。
タモリは番組の中でこんなことを言っている。
(本によると「番組の中」ではく『プレイボーイ・インタビュー セレクテッド』)

《重いもの、暗いものでも、自分の根っ子までつながっているならいいんですよ。そうじゃく、重そうなムード、暗そうなポーズだけでしょう。(188頁)

だからただ単にお笑いのネタだけではなくて一種、文明批判と言いうか文化批判があったのだろう。
フォークもお嫌いだったようで『金八』が好きじゃないタモリから結構血祭りにあげられた武田先生。
小説家・五木寛之辺りをラジオ電波にのせて揶揄する。

これに続いたのがたけし。
「村田英雄さんがとっくりのセーターをかぶろうとしたら頭が大きすぎて入らなかった」とか。
飲み屋に行ってボトルを入れるのだが、ボトルという単語を忘れて出てこないので「ボルトを入れてくれ」と頼んだとか。
ありもしないネタを次々と並べてからかう。

タモリはやっぱり直感の人。
これはもう、認めざるを得ない。
頑張って自分の放送で彼の歌をかけ続けたという新人歌手がいる。
(本には歌をかけたという話は出て来ない)

「音楽は意味がないから好き」と言ってはばからないタモリにとって、そんなサザンの登場は頼もしく思われたに違いない。事実、タモリは「勝手にシンドバッド」のリリース前にデモテープを聴かされて、そのメロディにも歌詞にも驚いたという。−中略−桑田圭祐がゲスト出演したときには直接、《歌詞はわかんない、わかんないからこういうのがいいなあっって思ったね》と最初の印象を伝えた。(190〜191頁)

まさしくタモリは意味が無いものを好むという。
毒を吐き続けるのだが、名古屋を笑うという、「地方文化も笑う」というギャグをかまして、名古屋から結構反発を受ける。
タモリは、さだ(さだまさし)さんとかアリス、五木作品を罵倒していて、かなりの反発があったことは事実で、所属のプロダクションの方にも各プロダクションから激しく苦情や反発が舞い込んだ。
タモリは絶対に従わなかった。
この人の頑固さが逆に毒舌の時代を作っていく。
この毒舌の時代に導かれて新しいタレント、ビートたけしという人も急速に伸びていく。
いよいよ彼らが作り始めた新しいお笑いがテレビの真ん中にやってくる。

 漫才ブームは一九八〇年一月に『花王名人劇場』(関西テレビ・フジテレビ系)の枠で第一弾が放送された「激突!漫才新幹線」と、そして同年四月に初回が放送されたTHE MANZAI』(フジテレビ)によって火がついたとされる。(205〜206頁)

ここから第二次の漫才ブームがやってくる。
(番組中で「第一次・第二次漫才ブーム」と言っているのは「お笑い第一世代・第二世代」を指しているようだ)
トップバッターに「やすきよ」(横山やすし・西川きよし)が登場する。
やっさん(横山やすし)はすごかった。
きよしさんがやっと抑えているという。
東京では、これも一種の毒舌でセントルイス(星セント・ルイス)「田園調布に家が建つ」。
そしてツービート。
(「B&B」の誤り)
「モミジまんじゅう」に火が付く。
お笑いのテレビは毒舌ブームの到来であり、ここの若手として紳助・竜介(島田紳助・松本竜介)が加わって、毒舌とヤンチャの時代がやって来る。

タモリの毒舌は一種のスタイルとして後続の目指すべき知的なもの。
タモリはやっぱりどこか知的だった。
タモリの毒は「薬にもなる毒にもなる」という毒だった。
そこが萩本さんを惹きつけたように、もう一つタモリはNHKに目をつけられる。
これがおもしろいところ。
NHKの進出を果たす。

七五年から始まったNHK総合の『ばらえてい テレビファソラシド』(〜一九八二年)にも、当初は単発で、やがてレギュラー出演するようになっていた。(210頁)

(番組では永六輔の力で出演したという内容で紹介されているが、本の中では永六輔は共演者としてしか登場しない)

タモリがサングラスをかけて出演することに対しては当初、視聴者からのクレームが絶えなかった。これについて同番組で共演した永六輔は、タモリにとってサングラスは不可欠なものだと弁護している。(210頁)

 一九八〇年にはNHK特集の『石油・知られざる技術帝国』に出演した。−中略−
 その後もNHKスペシャル『驚異の小宇宙 人体』(一九八九年)でナビゲーター役を務めたほか
(211頁)

そしてタモリはバラエティのトップタレントになる。
日テレで1981年『今夜は最高!』が始まる。
1982年『笑っていいとも!』がスタート。
そして『タモリ倶楽部』が秋10月からスタートする。
夜やると必ず昼もやるという、昼やると必ず夜もやるという、昼・夜を使い分ける。
特に『笑っていいとも!』のプロデューサー(横澤彪)は、ドキュメント風でコントや会話が噛み合わないライブの勢いで中継する。
フジテレビの上層部の中に「昼間のタモリ」というのは相当反対があったようだ。
そして『笑っていいとも!』のスタート時の関東の視聴率が4.5%。
これはちょっと前の『お昼のゴールデンショー』が良かったからちょっと厳しかった。
今は4.5取れれば立派なものなのだが。
タモリはしかし、番組で起こった偶然を実に巧みに番組の中に取り込んでいく。
この人はインスパイアされる。
TBSのラジオ番組を聞いていて萩本さんの良いところを見ているのだろう。
ラジオ番組で、誰かがゲストに出たら電話を入れといて次に来てもらうっていうのを、テレビでやろうという。
「テレフォンショッキング」
(本によると萩本ではなく『小島一慶の耳コミラインチタイムぴいぷる』の「テレフォン交遊録」)

 初期の同コーナーの合言葉「友達の輪」も番組開始の翌月、一一月一七日にミュージシャンの坂本龍一がゲスト出演した際に偶然生まれたものだった。このとき坂本は日本航空の赤い鶴のマーク(鶴丸)について「あれは『世界に広げよう、友達の輪』という意味なんだね」と言いながら、自ら両腕を使って輪を作ってみせた。これに合わせてタモリも同じポーズをとったところ、観客席から「輪!」という声が一斉に上がる。−中略−ここから毎日、タモリと観客のあいだでは「輪!」というフレーズとポーズがお約束のようにやりとりされるようになる(『犬も歩けばプロデューサー』)。(232〜233頁)

(初期はともかく、客は自発的にやっているのではなくリハーサル時に練習させられるのだが)

 番組名である「いいとも!」も番組内の合言葉として浸透していく。これはタモリと旧知の仲であるテナーサックス奏者の中村誠一の口癖がもとになっている。一説には、何を頼んでも中村が快く「いいとも!」と受けてくれるのをタモリが面白がり、自分でもコンサートツアーで使ってみたら大ウケだったため番組名に採用したのだという。(233〜234頁)

アイドル時代の松本伊代が出演した回では、翌日のゲストの歌手・泰葉に電話をつなげるつもりが間違って一般人宅にかけてしまい、その相手がタモリの本名と同じ「森田さん」であったことからひとしきり盛り上がるということもあった。(233頁)

そのハラハラ・ドキドキ感で、今日はつながるかどうかで、数字がゆっくり上がり始めた。
この辺りはもう、みなさんも観たり観なかったりだろうが、ここからタモリの「笑っていいとも!」のレジェンドが始まる。

2016年05月28日

2016年2月1〜12日◆『タモリと戦後ニッポン』近藤正高(後編)

これの続きです。

 早稲田大学を除籍になったあとも、モダンジャズ研究会で司会者兼マネージャーとして多忙な日々を送っていた彼は、あまりのカネ回りのよさを不審がられ、親戚のあいだでは「あいつはヤクザになってしまった」などといった噂も流れていたという。父親が亡くなったときも演奏旅行に出かけていて居所がわからず、親戚中から怒られた。あげく、東京にいるとろくな者にならないと福岡に“強制送還”され、そのまま朝日生命に入社させられてしまったと本人は振り返る(91〜92頁)

タモリは保険外交員、ボーリング場の支配人と、職を転々としながら福岡で生活し始める。
呼び戻されてから、この間のタモリの評判がいい。
一日も休まない。
真面目に仕事に取り組む。

早稲田というのは人脈がある。

 ボウリング場で支配人の仕事を立派に務め上げていたタモリだが、日田に赴任して一年半ほど経ったころ、福岡に戻り今度はフルーツパーラーのバーテンダーに転身している。これは高山三夫の長男・博光の頼みを受けてのことだった。
 高山博光も早大OBだが
(99〜100頁)

タモリは中洲のフルーツパーラーを任される。
(番組では「店長」と言っているが本によると「バーテンダー」。しかし店自体を任されているようなので実質店長のような立場だったかと思われる)
そのフルーツパーラーを評判よく店長をおやりになる。
中洲にはある種の音楽の渦巻があった。
夜のネオン街にラテン系の飲み屋では洒落たバンドが歌を歌ってラテンの演奏をやる。
そのラテンのバンドがペドロ&カプリシャス。
高橋(高橋まり)さんはこの後。
ペドロ&カプリシャスがラテンに乗せて着々と実力を。
エレキグループでハプニングス・フォーなどのそうそうたるグループサウンズのトップ・オブ・リーダーになる人たち。
(調べてみたがタモリがフルーツパーラーを任されたのが1973年。ハプニングス・フォーは1972年に解散していることから、年代的には大幅に異なるし、本にはペドロ&カプリシャスもハプニングス・フォー登場しない)

この頃の話を前川清さんから聞いた武田先生。
1970年代、内山田洋とクール・ファイブは博多の飲み屋にオーディションを受けに来た。
しっぽを巻いて帰った。
博多じゃ通用しない。
それぐらい博多のグループはうまかった。
その中でもトップを行っていたのがペドロ&カプリシャス。
こういうラテン系のグループで実力を蓄えたところがあったかと思えば、タモリのフルーツパーラーからバス停にして三つも離れていないもう一つの盛り場、天神。
ここにできた小さなフォーク喫茶「昭和」。
ここにも若造がいっぱい集まってくる。
その若造の中にチューリップ、海援隊、再起を期して立ち上がってオリジナルづくりに励み始めた井上陽水がいる。
お客さんでは予備校生の伊勢正三さんがいて、虎視眈々と「俺もあんなことをやってみたい」と言っているうちに東京にいる南こうせつから「一緒にやらないか」という電報がきて、伊勢正三は夜汽車に乗った。
その頃、鹿児島から出てきた少年、長渕剛も「このままじゃ青春はつまらない。何かやりたい」と言いながら昭和の客席に座っていた。
小学校六年生のチェッカーズのフミヤ(藤井フミヤ)は「一度でいいからお兄さんたちの音楽が聞きたい」と言って昭和のマネージャーから「小学生は来たらつまらんと」と追い返された。
片一方の天神という町にも青春のジャズとは違う新しい音楽の胎動があった。

タモリはこのままフルーツパーラーで収まっておけば、静かないい人生だったのだが、タモリの運命が突然変わる。

 一九七二年の某日、演奏旅行で福岡を訪れた山下洋輔(一九四二〜)と中村誠一(テナーサックス。一九四七〜)・森山威男(ドラムス。一九四五〜)のトリオは、公演が終わったあと、真夜中すぎまで宿泊先のホテル(タカクラホテル福岡)の一室で大騒ぎをしていた。やがて山下がベッドに正座しながら、でたらめな長唄を歌い出す。それにあわせて浴衣姿の中村が籐椅子を鼓のように抱え、ヨォーッカッポンカッポンと言いながら踊り始めた。だがそのうちに籐椅子の底が抜けてしまう。中村はすかさずそれを、虚無僧の編み笠のごとく頭からかぶった。そうやってなおも唄い踊っていると、部屋のドアが開き、知らない男が中腰で踊りながら入ってきたのである。
 男はときどきヨォーなどと言いながら中村のそばまでやってくると、彼の頭から籐椅子を奪い取り、自分がかぶって踊り続けた。我に返った中村は、踊りをやめ、ものすごい勢いでまくしたてる。それも日本語ではなく、得意としていたデタラメな朝鮮語で。だが信じがたいことに、男は中村の三倍の勢いで同じ言葉を返してくるではないか。びっくりした中村はそれならと中国語に切り換えた。しかし相手はその五倍の速さでついてくる。
(110〜111頁)

(番組では、去り際に山下氏がタモリに名を訊ねたと言っているが、本によると訊ねたのは中村氏)
その男は浴衣を脱ぎ、黒縁メガネをかけ、背広を着こみ深々と頭を下げ、一言「タモリです」と言いながら去って行った。
三人にとって強烈な衝撃を与えた。
「ホテルまでなぜあいつは来たのか」と関係者にふったらしい。

渡辺貞夫のバンドにはそのころ、タモリの早稲田大学モダンジャズ研究会の同期でギタリストの増尾好秋、一年先輩でベーシストの鈴木良雄がいたこともあって、タモリはバンドが九州で公演を行うたび顔を出していたという(114頁)

 タモリの芸能界デビューへの道を拓いた伝説のスナック「ジャックの豆の木」は店舗としては二代目にあたる。(121頁)

 当時の山下トリオは毎週、新宿の「ピットイン」に出演しており、それを聴きに来た客が、そのままメンバーと一緒に歌舞伎町の「ジャックの豆の木」に流れるということも起きていた。(122頁)

 タモリと福岡で遭遇したのち、山下たちは「ジャックの豆の木」で会う人ごとに、この“九州の天才”のことを吹聴した。(123頁)

 こうして客から新幹線代を集めて、タモリを福岡から呼び出すことになる。一九七五年の夏のこと。−中略−当時の博多〜東京間の所要時間は最速で六時間五六分、料金は普通車で八七一〇円かかった。(123頁)

(番組ではここからタモリを探し始めた話になっているが、この時点ではすでに連絡がつく状態になっている)

 初めて「ジャック」にやって来たタモリは背広姿でパッとしないサラリーマンのような出で立ちであったという。約束より早く着いてしまった彼は、しばらく一人でカウンターにぽつんと座りながら、黙ってビールを飲んでいたらしい。ママのA子はまさかそれが噂の“九州の天才”だとは気づかなかった。(124頁)

(番組ではこの日に大勢が集ったような説明になっているが、それは後日のタモリの独演会でのこと)

やがてタモリの噂を聞きつけた神戸在住の筒井康隆が上京し、「ジャック」で本格的な独演会が催されることになった。会が開かれたのは、長谷邦夫の著書では七月三〇日とある。
 独演会当日、店内には山下洋輔をはじめ、詩人の奥成達、マンガ家の上村一夫や高信太郎、それから長谷に同伴して赤塚不二夫も顔をそろえていた。
(126頁)

 会が進行するうちに筒井から、中国人のターザンをやってくれとのリクエストも飛び出し、タモリはこれに見事に応じてみせた。しかし筒井の要望はとどまることを知らない。さらに「大河内伝次郎(映画俳優)の中国人ターザンが、宇宙船のなかで酸素漏れに苦しんでいるところをやってくれ」とむちゃくちゃな設定が与えられる。だがこれにもタモリは一瞬たじろぎながらも挑んでみせ、《「およ。うよ。すうしよ。ごよごよごよ」などといいながらノドをカキムシリ、苦悶の表情ものすごく−中略−こうしてリクエストに応えるがままに即興で演じるなかから、「四ヵ国語麻雀」など、のちに「密室芸」と呼ばれることになる初期タモリのレパートリーができあがっていったという。その様子を目の当たりにして、店に来るまでは渋っていた赤塚もいつしか惹きこまれていた。
 すっかりタモリに惚れこんだ赤塚不二夫は、目白にある自分のマンションの部屋に泊まっていけと申し出た。
(126頁)

すっかり人気漫画家赤塚不二夫に気に入られたタモリ。
赤塚はタモリを九州に帰さないために、自分のマンション「カーサ目白」を提供した。
1975年、時代的には戦後30年。
人口の49.4%が30歳以下。
あの頃は若者だらけだった。
エネルギーあふれる日本だった。
ズバリそこに30歳のタモリはいた。
当時、東京に出てきた武田先生は24歳。
タモリは早速この赤塚の好意に甘える。

 赤塚不二夫が上京まもないタモリに貸し与えたカーサ目白は、ひと月の家賃が七五年当時で一七万円という高級マンションだった。(140頁)

現在で換算すると50万円以上。
ここに一人で赤塚は住んでいたが、5〜6本、『天才バカボン』から『おそ松くん』から抱えていた大人気ナンセンス漫画家なので帰る暇がなく、カーサ目白はタモリの独占だった。
当時の赤塚は滅茶苦茶カネを持っていた。
カーサ目白の方にはベンツの450SLCというスポーツタイプが置いてあったが、これもタモリにキーごとプレゼント。

 部屋にはもちろん洋服ダンスもある。そこから赤塚の服を拝借して、何気なく着てみると、サイズがぴったりだった。(141頁)

(番組では赤塚から「服をどれでも着ていいよ」と言われたと言っているが、本によると勝手に着たらしい)

 赤塚には小遣いももらっていた。月に一度は電話があり、「カネあるの?」と訊かれる。そこで「カネないよ」と答えると、「じゃあ取りに来い」と言われ、下落合のフジオ・プロダクションまで受け取りに行くのだ。(140頁)

赤塚は忙しいので、タモリを呼んで「やれ」と言ったらイグアナから何から全部やっていた。
それがタモリの業務だった。
常識では測れない二人の関係が愉快。

(番組ではタモリはこのマンションに妻と暮らしていたという話に入るが、本にはそのような記述はない)

武田先生が驚いた話。
赤塚はサブカルチャーのパトロンだった。
アングラをやっている唐十郎劇団に資金援助をし続けている。
唐十郎や寺山修二は赤塚が来ると「今度の公演には500万円ぐらい出してもらわなきゃできないよ!」と突然言って、赤塚は用意した。
赤塚は徹底して面倒を見ている。
驚くべき人で、70年代のいわゆる新宿サブカルチャーの闇のパトロンは赤塚不二夫で、『天才バカボン』や『おそ松くん』で得たお金はサブカルチャーの文化的同志に全部注ぎ込んだ。
本当にいい人だった。

お嬢さんから聞くところによると、赤塚不二夫は滅茶苦茶な人で、出版社の人と水鉄砲の撃ち合いをする。
パンツ一枚でやる。
忘年会は赤塚は稼ぎ手なので、出版社の偉いさんがくる。
出版社の編集か何かの偉い人を上座に据えておいて、出版社の一番ペーペーの人に真後ろからスリッパで頭を叩かせる。
それで怒ったら赤塚がその偉い人をクビにする。
「ギャグでやってるんだから、わからない人はボク、やりたくない」
赤塚は満州から引き揚げてくる時に引き揚げ船の地獄を見ている。
餓死していく妹をじっと眺めた人。
(調べてみたが、亡くなったのは日本に着いてからのようだ)
あのバカボンのいう「これでいいのだ」は本当に悲痛な時代に抗せず死んでいった人間たちを弔うナンセンス。
意味ばっかりつけられたから、意味のあることが大嫌い。
そういう無念が、こういうタモリみたいな人を愛してしまうという。

 ちょうど夏休みの終わりで、赤塚のもとにはNET(現・テレビ朝日)から子供向けの番組の企画が持ちこまれていた。長谷の前掲書によれば、それは俳優の高島忠夫が司会する番組を「赤塚版の子供向けにして放映したい」との注文で、構成も自由にしてよいとディレクターから一任されていたという。筆者が調べてみたところ、NETではこのころ毎週土曜の正午から一時間、『土曜ショー』という番組が放送され、高島はその司会を務めていた。−中略−『土曜ショー』で「マンガ大行進!赤塚不二夫ショー」という企画が組まれていたことが確認できる。
 長谷はこの番組の冒頭でタモリを出してしまうことにした。赤塚マンガの人気キャラクターを使ってデタラメな場面を七、八枚描き、それを紙芝居仕立てで、完全なアドリブで演じる、というのがタモリの役回りだった。
−中略−
 番組は生放送、しかもリハーサルなしのぶっつけ本番。だがタモリは真骨頂であるアドリブを発揮し、その紙芝居口演にスタッフ一同はすっかり聞き惚れ、司会の高島にも驚きが走った。
 高島はタモリを高く評価し、当初流す予定だった赤塚のアシスタント総出演のVTRを自らの判断でとりやめ、タモリにほかにも芸を演ってみせてほしいと頼んだ。
(131〜132頁)

 テレビでタモリの芸を初めて見たタレントの黒柳徹子が、すぐさまテレビ局の受付に電話をかけて赤塚を呼び出し「あの人は誰!?」と訊ねたという話は、彼女が司会する『徹子の部屋』(テレビ朝日)でもたびたび語られている。(132〜133頁)

30歳にして、ミスター・タモリは自分の場所をテレビスタジオに見つけた瞬間。
ここに昭和史において「タモリ」が出現する。
この一点から戦後の笑を変えるお笑い現代史のニューエポックが始まる。
それにつけても赤塚不二夫は只者ではない。
この人の身の上は満州からの引き揚げで戦争を背負った人。
『鉄腕アトム』の手塚治虫も累々と焼死体がある大阪の野っぱらを歩いた人。
ちばてつやは中国から引き揚げてくる時に中国の人から石や刃物を投げつけられた。
怖ろしいような戦争の状況を見た人たち。
その人たちが日本に帰ってくると、ものすごい日本の希望の漫画をそれぞれに描き出した。
間違った戦争が間違わなかった人たちを生み出した。
そこの昭和史の底流というのを見つめていくと面白い。
タモリも間違うことを間違わなかった人。

 赤塚にさんざん世話になりながら、タモリはその後も礼を言うことはなかった。−中略−お礼を言ったり言われたりするのを拒んだ、二人の真意はどこにあったのか? そのことは二〇〇八年八月になってようやく、タモリの口から明かされる。それも、赤塚への弔辞という形で。
《私はあなたに生前お世話になりながら、一言もお礼を言ったことがありません。それは肉親以上の関係であるあなたとの間に、お礼を言う時に漂う他人行儀な雰囲気がたまらなかったのです。あなたも同じ考えだということを、他人を通じて知りました。しかし、いま、お礼を言わさせていただきます。赤塚先生、本当にお世話になりました。ありがとうございました。私もあなたの数多くの作品の一つです》
(147〜148頁)

 結果的にこの居候時代は、《俺の人生の中で一番楽しかった、あの一年くらい》と後年タモリに語らしめることになる(140頁)

現代タモリ史はこれでは終わらない。この後様々なライバルたちとのお笑いの葛藤が、そして、「視聴率」という数字で人間の価値を決めてしまうというテレビメディア媒体との激しい戦いが待っている。

2016年2月1〜12日◆『タモリと戦後ニッポン』近藤正高(前編)

今回の本は二回に分けて全部で四週にわたって取り上げられている。

タモリと戦後ニッポン (講談社現代新書)



 本書はタモリの足跡を通して戦後ニッポンの歩みを振り返るというものである。なぜ、タモリを軸としたのか。それはまず何より、彼が一九四五年八月二二日と終戦のちょうど一週間後に生まれ、その半生は戦後史と軌を一にしているからである。(6頁)

十月十日遡ると、父母は日本が大変な時にできちゃった。
その時に父母がいた場所は日本ではなかった。
満州。

森田一義というタモリの本名の由来からもうかがえる。「一義」とは祖父の命名で、日露戦争時には満州軍参謀を務め、のちに陸軍大臣や首相を歴任した田中義一にあやかったものだという。(20頁)

タモリ本人も「いささか母が盛り付けて俺に戦前の話をしてくれた」というようなエクスキューズが入っている。
著者は不思議なタモリの血脈に圧倒される。
森田一族はかつての日本の植民地、中国東北部満州国に家族の根を張っていた。
祖父は鉄道エリート。
満州鉄道のお偉いさん。
満州国は幻の帝国であるが、現代史ではあまりこのあたりは深く教えてくれないが、それだけではない。
森田さんがお勤めの「満鉄」のエリート幹部の中に、かつて武田先生が師とあがめ、頭が上がらない山田洋次監督がいらっしゃる。
それだけではなく、この後に運命的な出会いになる赤塚不二夫さん。
『あしたのジョー』で有名なちばてつやさん。
朝鮮半島の方も日本が侵略して、日本国が占領していたのだが、その朝鮮半島の方には五木寛之さん。

辛子明太子を考案した「ふくや」の創業者・川原俊夫もまた大陸からの引揚者だった。川原は自分の生まれ育った韓国・釜山の市場でよく売られていたメンタイという食品に改良を加えながら辛子明太子をつくりあげたという。(28頁)

博多名物から『青春の門』から『寅さん』から『あしたのジョー』『おそ松くん』、そしてタモリまで、だいたいの根っこがこの幻の植民地、大日本帝国満州国にいたという。
タモリは大戦が終わってから一週間後に生まれたので満州国を知らない。
森田一族の不思議なところ。

タモリの祖父母と両親は《昭和一三年か一四年か、太平洋戦争前に日本に帰ってきてますから、引き揚げ船には乗らないし、一切の苦しい思い出がないんですよ。−中略−神道を信仰していたタモリの祖母がある日拝んでいたら、この満州の地はいまに火の柱が立つとお告げがあり、それで家族を説得して一九三九〜四〇年ぐらいに日本に帰ってきたのだという(19頁)

グズグスいれば、ソ連の侵攻があったので、タモリはこの世に影も形もなくなったという可能性もあるのだが、そのへんの直観に支配され、森田一家は一年前に満州から帰ってきて、福岡の高宮という町に住んで事なきを得た。

かつての幻の帝国、満州国。
そこにたくさんの日本人が住んでいて森田一族も住んでいた。
そこではどんな生活が営まれていたか。
首都が長春。
山田洋次監督が武田先生に語ったところによると、ベッドに入るまで靴を脱いだことがない。
革靴をずっと履いていて、ベッドに入る時にようやく脱ぐ。
レンガ造りの洋館に住み、寒く長い冬にはペチカが赤々と燃えていて、コックが中国人、家庭教師がフランス人、馬蹄がドイツ人。
満鉄の高級幹部の暮らしはすごい。
土曜日になると舞踏会があるので父母は出かけ、自分だけベッドに寝るのですごくさびしかった。
山田監督が夕日を眺めると、線を一本引いただけの地平線に日が沈んでゆく。
赤い夕陽の満州。
教科書を開くと、お寺の鐘がゴーンと鳴って、カラスが鳴いていて、下町があって、電燈に明かりが入るみたいなのがあった。
それを見て「何てちっちゃな風景だろう」と思った。
外国の風景を見たような驚きがあった。
日本に帰ってきてびっくりしたのは「教科書と同じだった」。
山田監督が『寅さん』の中で使うシーンは一種異国の風景だった。
「驚いたことにね、武田くん。5時になったりすると本当に鳴ったんだよ、お寺の鐘がゴーンって。僕はなんだかおとぎ話に帰ってきたみたいでさ」
山田監督の子守のお手伝いさんが日本から来たお嬢さんで、そのお嬢さんに時々父母から許可が出て映画を見に行くのだが、田舎の子守の少女だから幼い山田監督の手を引いて外国映画を見ずに阪東妻三郎やエノケンを見る。
『エノケンの愉快な兵隊さん』といったものを見ながらその人(子守の少女)が笑って、悲しい母子ものがあると涙をポロポロ流す。
山田監督は小さい時から映画を見るより、そのお手伝いさんの泣いている顔、笑っている顔を下からじーっと見ていた。
それがあの人の中のキネマへの旅立ち。
満州育ちの人というのは、そういう子供の頃の環境だった。

戦争に負けた日本で生まれたこのタモリなる少年は福岡の町に育つのだが、何ゆえに悠然とした生活ができたのかは本の中には説明がない。
(と番組では言ってるが、本の中には引き揚げ時に処分した財産で福岡に借家や山林を買って収入を得ていたとある)
タモリはそうとういいところのボン。
福岡はだいたい住んでいるエリアで収入がわかる。
高宮。
名前からして神々しい。
丘の上にある、いわゆる坂の町。
坂に豪邸が点々と並んでいて、○○電力会社の社長とか、今でも有名なサスペンス女流作家がいる。
そこに住んでいたというから相当なおぼっちゃん。
高級住宅街。
一方武田先生は雑餉隈(ざっしょのくま)。
典型的な下町。
高宮は響きとしては「ビバリーヒルズ」。
そういう感じ。
彼はその区画の高宮中学(福岡市立高宮中学校)、高校は筑紫丘(福岡県立筑紫丘高等学校)。
これは福岡の人なら知っているが「バカでは行けない」。
タモリはここから早稲田大学に行くのだから福岡の私学のエリートコース。
国立のエリートコースは福高修猷(福岡県立修猷館高等学校)から京大。

タモリの母親は二人の子供(姉とタモリ)を儲けながらもタモリが幼い頃に離婚し、実家から離れて暮らすようになったからだ。−中略−
 離婚後は父親も家を出たため、タモリら姉弟は祖父母に育てられる。
(30頁)

祖父母も変わった人で、孫である一義に教えたのは勉強ではなく麻雀とゴルフ。
子供の時から遊ぶことをずっと教わっていた。
このあたりから、この人の中に「遊び」というのが一種人生の目標になっていくのだろう。

総理大臣の「田中義一」の名前をひっくり返して「一義」。
この人は運命的に名前をひっくり返す。

早稲田大学の哲学科に入る。
ところが哲学科に入りつつも、森田君はどうしても遊びの方が先行してしまってモダンジャズ研究会に入る。
森田君がゆっくりと「タモリ」という名前になっていく。

 一九六五年三月に筑紫丘高校を卒業後、大学受験に失敗して浪人中だったタモリは、東京オリンピックを福岡の実家で祖父と一緒にテレビで見ていた。(54頁)

 同じ年に早稲田大学の第二文学部史学科に入学したのが女優の吉永小百合である。(55頁)

あるときなど学生食堂でラーメンを食べていたところ、たまたま前の席に吉永が座り、トーストを食べ残して立ち去った。それを持って帰ろうか迷っているうちに食堂のおばさんが片づけてしまったと、タモリはたびたび照れながら語っている。(56頁)

(番組内で食堂のおばさんに追い返されたという話になっているが、本の中にはそのような記述はない。この出来事でファンになったような話もしているが、本によると「きっかけは14歳の時」)

 なお、作家・三島由紀夫が結成していた民兵組織「楯の会」のメンバーだった森田必勝もやはり同い年で、タモリや吉永小百合と同時期に早稲田大学に通っていた。
 森田は六六年に早稲田大学教育学部に入学、その四年後に陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地にて三島とともに自決を遂げた。太平洋戦争末期の四五年七月に生まれた森田の「必勝」という名は、この戦争には勝つべしという願いをこめて父親がつけたものだった。じつは森田の父はもうひとつ、早く平和が戻ることを願って「平和」という名前も考えていたという
(58頁)

 六五年から翌年にかけての早稲田大学での紛争は、このあと全国で巻き起こった学園紛争の端緒とも位置つけられる。その発端は六五年一二月、竣工したばかりの第二学生会館の管理・運営権を求めて一部の学生が運動を起こし、大学当局と対立したことだ。(59頁)

学生の自治を求める運動がキャンパス内に渦巻いていた。
いわゆる70年安保の先駆けとなる私学の学生運動家たちの渦がどこの大学よりも早く渦巻き始めていた。
学費を上げる、上げないという問題もあった。
大学側と学生が激しく対立して、このころはまだまだ火の手としては高くはないが、いわゆる早稲田の全共闘の渦が早くもここで。
この全共闘の渦が始まったキャンパスなのだが、この中に、ものすごくアジ演説がうまい人がいた。

 あるとき、学内の劇団に所属する男子学生が登壇して演説を行った。活動家連中の聞き取れないダミ声とは違い、さすがに発声もちゃんとしており、そのスマートで物馴れたさまに運動組織の幹部が「達者なもんだな。あいつにずっとアジらせろ」と感心するほどだった。その劇団の学生とは誰あろう、のちのニュースキャスター・久米宏である。タモリや宮崎学よりひとつ年上の彼は、当時大学三年生だった。
 ただし、久米自身がのちに語ったところによれば、大学時代は学生運動にはまったくノータッチ
(60頁)

 本名の森田をひっくり返して「タモリ」と呼ばれるようになったのも、モダンジャズ研究会に入ってまもなくのころだ。−中略−モダンジャズ研究会も「ダンモ研」と通称された。−中略−将来はジャズ・ミュージシャンになるつもりでいたが、大学生になりダンモ研に入ってすぐ断念したという。−中略−
 トランペットはダンモ研に入っても一年ぐらい続けていたものの、結局レギュラーにはなれなかった。
−中略−結局タモリは、司会、さらにはマネージャーを兼務することになる。その手腕は主に、全国各地を演奏でまわる度、「ビータ」で発揮された。(73〜74頁)

 ビートたけしは一九六五年に明治大学に入ったものの、二年生になったころから大学にはほとんど行かなくなる。それからというもの新宿界隈ですごすことが多くなり、「びさーる」「ヴィレッジ・ゲート」「ヴィレッジ・ヴァンガード」といったジャズ喫茶でバイトもした。このうちヴィレッジ・ヴァンガードでは早番のボーイとして働いていたが、たけしと入れ違いで遅番勤務していた青年が永山則夫(一九四九〜九七)だったという。それが六七年頃というから、永山が東京はじめ日本各地で一ヵ月足らずのあいだに計四人をピストルで射殺した「一〇八号事件」を起こす一年ほど前のことだ。(84頁)

(番組ではたけしが働いていた店にタモリも行ったように話しているが、たけしが働いていた店に行ったという話はない。番組中「ヴィレッジ・ゲート」と「ヴィレッジ・ヴァンガード」も取り違えて説明している)

 横山やすし(一九四四〜九六)とのコンビで一時代を築いた漫才師の西川きよしも四六年生まれで二人とは同世代にあたる。(63頁)

(西川きよしがこの地域いにいたような話が番組でされているが、年代的に関西にいたものと思われる)

寺山修二らが広げるサブカルチャー、アングラ、演劇、映画はタモリは苦手。
タモリは「無意味ほど価値のあるものはない」ということを言う人だった。
彼はモダンジャズ研究会のマネージャーとなり、先輩の部員を率いてコンサートツアーに出かける。
早稲田は卒業生が主催する地方コンサートの演奏旅行が年に二回あった。

 演奏旅行は夏に二ヵ月、春に一ヵ月という長丁場で、年間を通じて約三〇〇ステージをこなした。移動はもっぱら夜行の鈍行列車。旅行中は列車のなかで寝起きする日々が続く。鈍行には寝台がないので、網棚の上で何度寝たかわからないという−中略−車中で洗濯をして、荷台から荷台にロープを吊るして干すこともよくあった。見かねた車掌から、「通路のとこだけは空けてください。パンツが乗客の顔にあたりますから」と注意されたりもしたとか。(75〜76頁)

この時に退屈でたまらない。
それで何かやれと言われて(本によると自発的にやったようだが)タモリがいたずらを乗ってくる乗客に仕掛けるという「いたずらライブ」が車内で大流行。
その中で一番受けたのが「一人旅する中国人旅行客」。

 やはり初期タモリのレパートリーだった「四ヵ国語麻雀」をはじめとするインチキ外国語芸も、福岡という土地柄から生まれたともいえる。というのも、福岡では地理的な位置から韓国のラジオ放送などが日本のほかの地域以上にクリアな音で受信できたからだ。(39頁)

一人で車両の端のボックスシートに移動し、誰かが来るまで待っている。そのうち向いの席に二人ぐらい座るが、しばらくはじっとしていて、そのあといきなり「ウーチャ シーチェン ターパイヤア」とでたらめな中国語でしゃべり出す。そのときの相手の反応を楽しむのだ。(76頁)

 ステージでも、たまにでたらめな言葉で「イパネマの娘」なんかを歌うことがあった。客にウケるだろうと思ってやったのだが、誰もデタラメだと気づかなかったという。(77頁)

無意味を自分の旗印にし「意味の無いことをやらせたらタモリは面白い」。
しかし、音楽の変化というのは確実にタモリの身辺も波打ちはじめる。

六九年のアメリカ・ウッドストックでの野外ロックフェスティバルの影響から、日本でもロックやフォークのフェスが盛んに行われるようになった。そのなかにあって、ジャズ喫茶という密室で聴くジャズが若者のあいだで魅力を失っていったのは当然かもしれない。(90頁)

ロックが世界の音楽を揺るがすその後に、フォークソングが出てくる。
これもジャズを脇道へ押しやっていく。

2016年04月14日

2016年1月18〜29日◆『女が女になること』三砂ちづる(後編)

これの続きです。

去年の12月の頭ぐらいのこと。
福岡でレギュラーを持っているので隔週で福岡に帰っている武田先生。
「メシを喰おう」ということになって、友達がやっている飲み屋さんがあるので、兄の子(40歳)を呼んだ。
誰かが集合をかけたらしく、脅かす意味なのか、店には昔のフォーク仲間がいっぱい集まっていた。
もうじいさんばあさん。
かつては財津和夫とを組んでいたヤツなんかもいる。
順当にいっていればチューリップの一員になっていた人。
歌もギターもうまい。
座って飲んでいると、頭の禿げたお爺さん。
昔、武田先生が恋をして、別のところに嫁いでいった女の子。
今は中年のおばさんになってしまった。
憧れた先輩もおばあさんになった。
そこに行くと武田先生は、呼び名が「タケダくん」になる。
事務所の社長が「タケダくん」と呼ばれる武田先生を見たことがないから笑う。
みんなで歌うかというと、誰でもギターがうまい。
そこでみんなが『カントリーロード』を合唱する。
みんなウエスタンをやっていたヤツだからギターとかうまい。
さっきまでただのお爺さんお婆さんだと思っていたのがタンバリンを振ったりする。
「カモン」「OKベイビー」と言いながら。
『夕焼けニャンニャン』で育った世代の子だから、お爺さんとお婆さんが『カントリーロード』を歌っていることに甥っ子が呆然としている。
石川という頭の禿げたお爺さん。
『思い出のグリーングラス』がうまい。
頭が禿げても声は二十代の頃。
(甥が)「てっちゃんたちは変わっとう」と言う。
色気ざかりから色気がすっかりなくなるまで、まだ付き合っている。
気持ちのいい仲間たちで。
帰りがけに武田先生の事務所の社長がポツンと「うらやましいです」。
六十半ば過ぎて、「ちゃん」付けで呼ばれる喜び。

やっぱり長いこと女性という性に引きずり回された青春と人生。
三砂氏の本を読んで女性というものに対する勉強の足りなさをつくづく思い知る武田先生。
生殖のことばかり考えていた。
「生殖したい」「子孫を残したい」
それで追われた二十代だった。
今はすっかり嵐のように過ぎて行って、女先輩たちと顔を合わせ、女という幻想を与えてくれた諸先輩の女性たちと一杯飲む時に「あれは何だったんだろう」と思う。

著者は言う。
正しく女であれ。
そんなふうに命じているんじゃないんです。
いきいきと女でありたい。
ワタクシはそう思うからこそ、こんなことを考え続けているんです。

倫理で女性というものを測るのではなく、性を存分に楽しみ、激しく男を交わり、子供を自信を持って産み、そして育てられる、そういうことを「OK」という社会にならない限り、女性というのはのびのびと子供を産むということはできないのではないか。
女たちが子供を産まなくなったのは、家事という重労働が待っているから。
それで育児を重ねられるのは嫌だとか苦痛だとか、そういうのとすぐ連携して考えられがちだけれども、本当にそうだろうか?

かつては三歳くらいまでは母親が子育てに専念しないと子供の情緒が安定しないということを、国が認めていた。
ところが、これが三歳児神話と呼び捨てにされて、激しく否定されている。

 昭和三十三(一九五八)年度版『厚生白書』では、「すべての自動が、両親の温かい愛情に包まれた家庭の中で健やかに育てられることが望ましい」とされ、保育所の目的は、「保育に欠ける恵まれない児童」を保育することであると記されていた。−中略−「児童はそこであは親を中心とした家族との人間関係を通じて健全に育っていくもの」。−中略−平成十(一九九八)年度版では、専業主婦の育児不安やノイローゼが指摘され、三歳児神話には科学的根拠がなく、子どもにとっては、「愛情をもって子育てする者の存在が必要なのであって、それは母親以外の者もあり得る」として、多くの人の手によって子どもを育てること、社会全体で子育てすることの重要性が述べられはじめるのである。(174〜175頁)

三歳児神話には、少なくとも合理的な根拠は認められない。(176頁)

こうやって、保育所は子育てに必要で保育所があればこそ、そのことで女性が働くことができ、子供を安心して産み、豊かで自己実現する生き方が選択できるのである。
こんなふうに今、決めつけている。
そんな単純なものなのかな?というのが三砂氏の思い。

六年間子供を保育園に入れていた水谷譲は保育園に感謝しているし、保育園に入れてよかったと思っている。
安心して仕事ができるし、その分ストレスなく子供と向き合える。
子供とずっと向き合っちゃってると、それがストレスになる人も出てくる。
子育てが楽しかった。
社交性に関してはあまり関係ないように思う水谷譲。


『刑事物語2 りんごの詩』の時に、殺陣師が武田先生のところにやってきてラストシーン
「武田さん、子供をマジでひっぱたきますか」
小学校五年の子。
本番でいきなりビンタかまして、わんわん泣く。
その時に覚えているのは、続けて二発殴られないコツを知っている。
ビンタを入れたら倒れて泣き始めた。
泣いて何をやったかというと、二発目を殴られないようにディフェンスに入った。
そのディフェンスこそまさしく本能で、武田先生の足に取りすがって泣く。
近すぎて殴れない。
酒井和歌子さんが泣きだすところでカットがかかった。
監督は「バッチグー」の丸を出していた。
たけし(室伏たけし)という子。
子役をスッパリやめたようだ。
時々このたけしのことを「すまないな」と思い出す。

育てられた子供として、母と過ごした時間は格別色濃く残っている。
あまり母親と遊んでもらったことはないのだが、色鮮やかにくっきり。
死んで19年になる母と一緒に過ごした時間のことを思い出す。
母と一緒に過ごした時間の記憶の根深さというのは、植物のタネみたいに落ちたらそこに根付いて育って、幹、枝を伸ばすように思い出の中で巨大になっていくような気がする。

面白い一言。
三歳児の感性という一文。
懐かしい言葉でその感性というのを表現してらっしゃる。
「軒遊び」

 柳田国男が分類した子どもの遊びのひとつに「軒遊び」がある。ずっと母親のそばにいた乳児が少しずつ外の世界に目を向けていくとき、まだ、外には出ていないけれども、親の目の届く軒先で遊んでいる、という感じ、とでもいおうか。
 軒遊びという語は私の新たに設けた名称であるが
−中略−一言でいえば、次の外遊びと対立し、また親の傍らでの生活と外の生活との、ちょうど中間にあるものともみられる。(184頁)

母さん お肩をたたきましょう
タントン タントン タントントン
母さん 白髪がありますね
タントン タントン タントントン
お縁側には日がいっぱい
タントン タントン タントントン

(童謡『肩たたき』)

あの世界。
縁側という領域が持っている世界の豊かさを著者は「軒遊び」と言っている。
偉大な哲学者であり吉本ばなな氏の父である吉本隆明氏は、この「軒遊び」に触発された。

 わたしにとって「軒遊び」の年齢にふさわしい一番あざやかな情景は、素通しの硝子障子で戸外と区切られた玄関の土間に、どっかり据わり込んで、ぼんやり外の方を眺めたり、兄と姉が小学校へ出かけてしまった留守に、母親と二人だけで静かなあまり、こっくりこっくりとそのまま居眠りしていた記憶だった。−中略−わたしは軒よりも少々内側で硝子障子の内側から、外にみえる鳩の群や、割堀を隔てた向こう岸の小学校の建て物や、道路を隔てた鉄材置き場を、ぼんやり眺めている。(185頁)

縁側から見た情景。
今は縁側がない。
縁側は微妙な空間。
外と内の間。
戸を閉めないと雨が降り込むという危険性をはらみつつ、塩梅がいいと、そこに朝日が射したり、夕日が射しこんできた時に縁側が最高のポジションになる。
あるいは、そこの縁側に腰を下ろして、小さな私が足をプランプランさせながら、貰ったスイカを食べるのだが、種は外に捨てていいというたまらない解放感を味わえる場所。
時として、トイレが間に合わない時にはお母さんが持ち上げて「しーこいこいこいこい」。

水谷譲はマンションの高層階に住んでいたので、風の音が好き。
子どもの時の体験。
その風に何か母との思い出が混じっている。
必ず母が「レモンパイ焼けたわよ」。

雨が降り出す物音が好きな武田先生。
細い雨が庭の地面にあたったり、窓、屋根を叩いて降りしきる音がものすごく好き。
ものすごく落ち着く。
なぜその音が好きなのか?
65歳を過ぎてやっと思い出した。
庭や窓を叩くあの音は母が踏むミシンの音に似ている。
プロだったので一度ミシンを踏み出すと速い。
シャーと延々と布地を操りながら縫い上げていく。
そのミシンを踏む音を障子一枚隔てた縁側で聞いている。
その音がする限り、母はそばにいる。
それが雨の音に似ているから、今でも雨の音を聞くと安堵感がある武田先生。
「母ちゃんはどこにも行っとらん」とサツマイモを咥えたまま縁側で寝る。
これが武田先生の「軒遊び」の時代。

また文明史がそれを認めるか認めない方向に向かうかは別として、この中間を持つことは人間力の特性につながっていると思える。(187頁)

「家事労働は女性を抑圧するもので、これが無償だから女性は抑圧されたままである」と言っていると、家事労働はできるだけしないほうがいいものということになってしまう。(224頁)

「無償だから女性は抑圧されたままなのだ」
この家事への敵視、女性の職場進出、未婚、妊娠・出産のリスクカウント、セックスレス、少子化、自己実現と進んできた女性の文明史。
しかし苦痛だから福祉を求め、イクメンなる家事を好む男を理想とすることで果たしてよいのであろうか?
家事を分担すると、主婦は夫が分担分をちゃんとできてないと管理者として激しく怒るようになる。

 “家事”は、まず、家の女に引き受けられるのがよかろう。−中略−家の女が家庭という人間の最小単位を穏やかなものとする。それを誰も評価しないとしても。それを誰も誉むべきこととしなくても。それを了解した上で、「家の女」がいないのならば、「男」が肩代わりするしかないが、それはあくまで「女の肩代わり」であろう。(231〜232頁)

家の女が触ったものは何でもパーフェクト。
トイレの使い方から風呂の使い方、箸の持ち方、食べた茶碗の置き方をいろいろ教えていただいて、分担しようとしているが、分担しても怒られる。
時々頭にくることもあるが、やっぱり上手。
洗濯物一個たたみ方、洗濯するものの段取りとか家の女には勝てない。

わずか二世代前の女たちは家をきれいにし、ご飯を作り、子どもを産み、姑の面倒をみつつ、死ぬときは看取り、その上家族の幸せを祈り、働き生きていたのである。
その暮らしを決して女たちは不幸せとは言わなかった。
かつての女どもは赤ん坊を背負って洗濯板で洗濯をしていた。
それで忙しいとも言わない。
武田先生のお母様もミシンを踏んでいたし、朝、豆腐売りに行っていくらか稼いでいたり、進駐軍のメイドでベビーシッターをやっていたこともあるし、タバコを毎日売っていたり。
それで白菜の漬物とか漬けていた。
春分の日はぼたもちを喰わせてくれた。
五月五日は、貧乏だったから近くの公園から抜いてきた菖蒲の花を浮かべて「いいんだよ、そんなものは。税金払ってるんだから」というお母様の口癖。
こいのぼりはなかったが、風呂に入ると菖蒲の花が浮かんでいたのが子どもの日のすべて。
それで歳時記をきちんと持ってやっていた。

社長と麻布の蕎麦屋で蕎麦をすすっている時に遭遇した人。
ファッションモデルのような、きれいな人だった。
どこかのセールスの人と奥さん然とした人が話している。
男は一生懸命何かを売り込もうとしているらしい。
それをチェックしながら、買うか買わないか迷ってらっしゃるのだが、物言いがすごく冷たい。
おそらく30歳をやっと過ぎたぐらいの女盛りの方。
尻の谷間がくっきり出るようなピシッとしたジーンズ。

ここからは本とは無関係な話に入る。

2015年11月11日、読売新聞で見つけた記事。
障害あるチンパンジー 母姉が2年間育てる 社会性を裏付け | ハザードラボ
この件らしいが、YOMIURI ONLINE内の該当記事はすでに削除された模様)

重度の先天性障害を持つ野生のチンパンジーに対し、母親と姉が約2年間、介護とみられる行動を取ったことが確認されたと、京都大大学院生の松本卓也さんらの研究グループが発表した。障害のあるチンパンジーを介護する様子が見られたのは世界で初めてという。障害があったのは、タンザニアの国立公園で2011年1月に生まれた雌。生後1〜2か月でも寝たきり状態が続き、先天性の遺伝子疾患があったとみられる。観察を続けたところ、母親は、自力でしがみつけない娘を左腕で抱きかかえるなど、通常の子育てでは見られない方法で移動。母親が食事をする際などは、姉が世話をするようになった。母親は、姉以外には触れさせなかったという。

今までは、このような子は「捨てるんだ」というのがチンパンジー世界の当たり前だと思っていたのだが、これで定説が崩れて、障害のあるチンパンジーを母とその家族が面倒を見続けて二年以上の余命を持ったという。
重大なのは人間の進化の過程でもこれがあったのではないか?
障害を持つ他者に、どう接してきたか。
こういう人類史にまつわる進化の道筋の中に重大な参考資料となる。
だから、協力しないサルは死んでいく。
喩え障害があろうとも、面倒を見るということろからチンパンジーの進化に大きい力があった。
我々もこの手のサルを経由してヒトになったということを忘れてはイカンなと思う。

2015年10月1日、読売新聞の編集手帳、コラム欄のジョーク。

銭形平次と女房お静はフランス語が話せた。
落語家の三遊亭歌之介さんによれば、である。
出かける平次親分を、お静が送る。
おまえさん、大切な商売道具は持ったでしょうね。
「ジュテモタ?」
「マダモトラン」
爆笑の高座をいつぞや、東京・銀座の落語会で聴いたことがある。
そのときは確か、お静は韓国語も話した。
針仕事をしていて、ハサミの切れ味に驚いて言う。
ヨーチョンギレルハサミダ!


最後の方は『タモリと戦後日本』という本の中の話に移るがこのあたりも割愛。
この本については別の時に番組でも取り上げられているので、いずれ紹介する。


2016年1月18〜29日◆『女が女になること』三砂ちづる(前編)

この著者の別の本は以前取り上げたことがあるのだが、その時には結構納得した内容だったけど、主張に極端な部分もある方のようで、賛否あるようだ。
特に今回の『女が女になること』という本を読んでみると、確かに過激というか「そういうことを言われると迷惑」っていう人も多そうだなと。
番組の中では、本の一部分しか取り上げられていない感じ。

番組は以前取り上げた

オニババ化する女たち 女性の身体性を取り戻す (光文社新書)



この本の話から入る。

女の人はオニババ化する。
「オニ」という言葉は女性にしか使っていない。
「オニジジイ」はない。
言うなら「ヒヒジジイ」。
(ここで私は「鬼教官」ってのもあるけど?と思ったが)
それを女性の立場で「なぜ女だけがオニババ化するのか」というのをこの本で謎が解けたという武田先生。
名前は言えないが、武田先生の目の前に本当にオニババ化した人がいた。
「なんであんないい人だったのに」
若いころは美しくインテリで、いちずでブレていない。
それがとある年齢を超えた瞬間から、非常に窮屈で頑固で融通が利かず、暴力的。
おばあさんも暴力をふるうようになる。
七十過ぎた人が杖を振り上げる恐怖感には圧倒される。
ジジイだとわかるが、お婆さんが怒りのあまり、孫ぐらいの年齢の子に杖を振り上げているというのは一種真昼の怪談のよう。
そういうこともあって、なぜそうなったかというのを三砂ちづるという方がとくとくと書かれたのが『オニババ化する女たち』。
それから何冊もお書きになって、今回番組で取り上げる本

女が女になること



三砂ちづる氏は疫学教授。
つまりたくさんの人から話を聞いてそれを健康に活かすとか。
「肺がんになる人をずっと調べていたらタバコを吸う人が多かった」というのは疫学調査の結果。
そういう研究をなさっている教授。
人間を保健衛生というような面で見ていく。
この人の本には、うならせるような爽快な一言はない。
ことの本質について、いくつもの事柄を重ねて迫っていく人。

本の帯。

「仕事と家事・育児の両立」が喧しいが、問題は両立や経済だけではなく、男に抱きとめられ、子どもを産み育て、性と生殖を担う女のからだの喜びが見失われていることではないか。

子育ての困難さ、少子化、保育園不足等々、社会・行政の問題等々あるが、これらすべてことの本質は「女がからだの喜びを忘れたから」だ。
この人は女性の権利の問題を扱う時も、女の体から問いただすという手順の人なので、男どもを納得させる力を持っている。
例えば『オニババ化する女たち』には、卑俗な表現ながら男が男に責任を問う表現に
「貴様、それでも○○○○ついてんのか!」という言い方がある。
そういう叱責がある。
男が男を罵倒する時に「○○○○(四文字ということなので「キンタマ」か)ついてんのか」と叫ぶ。
人間というのは非常に面白いことに、このほかにも腹、キモ、首、コシなど肉体の一部を心理表現に使う。
これが日本語の特徴。
女性にはその手の言葉がないのか?

京都の日本舞踊の伝授の現場。
芸妓さんや舞妓さんに舞を教えるお師匠さんの言葉で「おひしが歪みますえ」。
「菱」が女性器を表している。
「おひし」を歪ませてはいけない。
日本舞踊の藤娘などを連想すると「おひしが歪んでいない」のが伝わってくる。
菱型のまま腰が回転する。
腰が入っている。
「腰を入れる」「腰が砕ける」「腰が抜ける」とかというのは日本語にしかない表現。
おひしを歪ませるな。
それが身体の中心を作る、武道で言うところの「丹田」になる。
女の子の成長を願うおひなさまの横に飾るのは「菱餅」。
あそこが順調に生育することを願うという。
つまり非常にストレートなお祭り。
ある意味で「おひし」が子孫繁栄の人類を支えている。
そういうことを三砂氏がおっしゃる。

三砂氏は絶えず、身体に即して、性に即して女と母を説くという方。
第一章で著者は出産を問うている。

 子どもにとって親は宿命である。−中略−親は宿命、さらにまた、母親はとりわけ宿命である。胎児のうちは母親と文字通り一体であり、生まれてからは、なつかしい匂いと声をもつおかあさん。その人が自分に対してどのようにふるまっているか、ということが人間の基本的な対人態度の基礎を作る。こういったことに、いわゆる「科学的根拠」をあげることはできているが、あげるまでもない、ということもまた、多くの人に感知されている。(13頁)

安倍さん(安倍総理)は言い方はまずかったが、まんざら間違いではない。
2013年の「3年間抱っこし放題」の件かと思われる)
基本は母親との接触。
これが人間を作るということを保育園の前に語らなければならないと三砂氏はおっしゃる。
幸せな母の声掛けにより言葉は人に芽生えていく。
三歳までの母親の存在はとにかく大きいのだ。
いっそのこと出産から考えてみましょう。
はたして出産は医療の問題かどうか疑問に思う。
出産については、母体へいくつものリスクが想定されている。
それは苦しく危険なものである。
その想定で医療が関与し、医療のもとで出産は支配されている。
痛くない出産は医療で可能になった。

 彼らが二〇一二年に四万ドルの寄付を得てつくった“Freedom for birth”(「出産の自由を求めて』)は、自宅出産を介助していたために逮捕されたハンガリーの助産婦、アグネス・ゲレブをとりあげ、欧州人権裁判所に「女性はどこで、だれと、どのように出産するかを求める自由を持つ」ことをみとめさせたことを題材としている。(56頁)

帝王切開は各国で上昇しつづけ、アメリカ、ヨーロッパでは三割を超えており、日本でも一九八〇年には七%程度だった帝王切開率は二〇一〇年には二〇%に近づこうとしている。(57頁)

産道を通って赤ちゃんが生まれてくるということには生物学的なワケがある。

母親の産道を通らずに生まれてくる、ということは、人生唯一のチャンスである母親の産道における細菌叢への曝露を出生時に経験しないということになり、生涯にわたってさまざまな疾病に対して脆弱な状態になりうるのではないかという。−中略−微生物学の研究者たちの仮説のひとつは「産道を通った自然な出産を経験していないと、その後さまざまな疾病にかかりやすい」ということであり、だから、「帝王切開で生まれてきた子どもに、母親の産道からの採取物を塗布して、細菌叢への曝露を促進する」ような研究を推進したりしている。(57頁)

(番組ではすでに確定した事実で、採取物を塗布する方法も既に一般的に行われているかのように言っているが、本によるとそこまでの内容ではなさそう)

出産は医療が築かれる遥か以前からあった。
医者がいない時から、出産は人類の命をつないできた。
完全性、快適性を追求する方がおかしいのではないか。

出産は女の体の母性のスイッチを入れるための経験なのだ。
産婦人科での出産体験ではなく、いわゆる助産婦院の助産所で出産した女性たちを調査した結果、赤ちゃんを産むという重大さを女の人は自動的にたくさん学んでいる。
ここに一片の詩がある。
助産所で出産したある女性が書いた詩。

  「わたしのお産」
 繰り返し襲う、いきみの波。
 膣からのぞき始めた卵膜に触れる。
 わたしは、“生き物”だ。
 いつまで続くのだろう。いつまでも続くのか。
 彼の潤んだ目が見える。
 卵膜が破裂し、羊水が流れ出る。
 少しずつ、少しずつ、ゆっくりと赤ちゃんの頭を感じ出すに連れ、わたしのからだは、ふわーっと軽く持ち上がり、どこか宇宙をひとり、ただよっているようだ。
 頭からつまさきまでわたしの全身が希望に包まれる。
 「いい顔してはるねえ」遠くで声が聞こえる。
 この感覚はなんだろう。
 ただ希望の光だけがわたしをおおう……。
 このあとの一週間は、まるで母の子宮に戻っているような、不思議な心地よい時間だった。羊水のにおいとピンクのベールにつつまれ。
(29〜30頁)

ここにあるのは分娩についての苦痛、リスクではない。
男には全く不可能な体験の報告である。
ここには女性の能力の賛歌がある。
命を自分の体で生んでいるという体感は男が絶対体験できない本能と野生に支えられている。

(ここで番組では武田先生が過去に遭遇したたくましいお母さんたちの話になるが、2015年12月7〜18日◆『父という病』岡田尊司(前編)とかぶるので割愛)

家庭、あるいは助産院で子供を産むことは、人生の中で、ものすごく強い体験になる。
強烈な体験を心地よい体験に導くのが助産師。
ここで自分の力で生んだ方というのは、自分の力で、自分のホルモンだけで生んだという自信と決意が母性のスイッチを入れる。
医療を介入させず、己の体力のみで出産したという体験は生の大元の原理を獲得することになる。

 分娩中に女性は周囲に気を使わなくなったり、自然に出てくる声や感情を出せるようになったりする。(49頁)

これは性行為、脱糞にも勝る快感に違いない。
(と本に書いてあると番組では言っているが、見つからない)

近年、増加傾向にあると言われる虐待や育児不安といったトラブルに対して、育児期の女性に対するサポートだけでなく、妊娠・出産時からの関わりも重要である可能性を示している。(49頁)

「子供を産んだ」という手ごたえなしに子供が出現したことへの戸惑いみたいな。

自分は動物なのだという実感を出産体験で楽しんで欲しい。
子を産むという力は女性の体の中にたくわえられている。
その力を存分に出しきる。
そうすると母の自覚が宿る。
女の体には生殖という野生が宿っている。
そのことを女性自身は気づいて欲しい。
私たちは生まれて育てて死ぬ。
この基本の形そのものに喜びと満足がある。
生きる事自体がリスクに満ち溢れている。
妊娠出産というリスクは、実はそんなに大きなリスクではないはずだ。
近代医学が全力をあげて精緻に作り上げられてから、妊娠出産はいつのまにか女性のリスクになってしまった。
近代医学の前から妊娠出産はあったワケで、医学ができてから母体への危険ということで妊娠出産が取り上げられるのはおかしいのではないか。

子猫を取り上げられた母猫はものすごく怒る。
猫が六匹ぐらい子供を産む。
残酷な話だが武田先生のお母様が何匹飼うか決めてあるので、生まれた先から捨てに行く。
取り上げると、おとなしかった母猫がものすごく怒る。
ずっと恨むように夜中じゅう探す。
子供を取り上げれた母猫の怒りはすごい。
絶対に人間にもある。
山口百恵さんが子どもを保健所に連れて行こうとして、芸能誌に追いかけられて取り囲まれた時に暴れた。

被写体



(この本に詳しく書かれているようだが、保健所ではなく入園式でのことらしい)
子供を産んでいる緊張感と、守って育てなきゃという緊張感が女性に宿ると、そういう母親の「母性」というのは凄みがある。

医療が介入するとすぐに母親から離して新生児室に集める。
ここで粉ミルクが給餌されるため、母乳保育があまり重大視されていないという指摘が三砂氏にある。

 低体重児であったり、なにか異常がない限り、元気な赤ん坊を「新生児室」に全員隔離する必要は全くないし、−中略−医療関係者に「休んでください、赤ちゃんは預かります」と言われると、そういうものかな、と思うのである。(86頁)

 「カンガルーケア」は、もともと南米のコロンビアで、低体重児に対する処置として行われていたものだった。低体重の赤ちゃんは、哺育器が十分にはない開発途上国では別の方法で保温しなければならない。そこで赤ちゃんとお母さんの肌を触れ合わせることによって、低体重の赤ちゃんの体温低下を防ぐという発想が生まれたのである。−中略−
 親しくしている現在六十代の日本の開業助産師の方は、自分自身が低体重で生まれたため、お産婆さんが自分のふところにはだかでいれて、育てられたのだ、とおっしゃっていた。
(97頁)

 コロンビアやボリビアは高地にあって気温も低い。−中略−まさにカンガルーのように、お母さんの胸に赤ちゃんをずっと入れたままにして保温するのである。ラテンアメリカでは一九九〇年代に盛んに行われるようになり、ブラジルの病院では、−中略−文字通り寝ても覚めても赤ちゃんを懐の中に入れていた。(98頁)

いわゆる「医療」というのは西洋から入ってきたものだから、西洋システムをとる。
子供の育て方にしても、わりと早い段階から子ども部屋を作る。
ベッドルームに行かせて一人で寝かせる。
日本ではかつての時代は親子というのは川の字になって寝るというのが妥当だった。
それが教育的に非常に子供の自立心を奪うということで真似をしたのだが、あまり関係ないのではないか?

戦前の日本を見た多くの西洋人が書き残した伝聞の多くが「幸せな日本の子供の笑顔」。
明治期に西洋からやって来た人が大森あたりの海岸をブラブラしながら、日本人の子供の表情を見ていて「これくらいニコニコ笑って近寄ってくるていう子供を世界中で見たことがない」。
その人が言っているのは、小さな子供を叱る大人を見た事がない。
日本の大人たちは穏やかに子供を見る。
しつけはもうちょっと大きくなってから、ものすごく厳しくなるが、幼児に関してこれほど優しげな国民を見たことがない。
そういうことを書き残した方がいらっしゃる。
(調べてみたがエドワード・モースという人の文章ではないかと思われる。ただ、この時期は「叱らない子育てブーム」のようなものが日本にあったようで、昔の日本はずっとそうだったのか?となると疑問。その上、欧米人から見たら日本人の顔は笑っていなくても笑っているように見えているものらしいので、そのあたりも鵜呑みにしていい話ではないように思える)

ここから少し武田先生のお母様との思い出話。
前にも似たような話があったと思うので割愛。

 ここでは、多くの女性がその生殖年齢期間ずっと経験する「月経」をとりあげてみよう。−中略−
現在の日本には安価で品質のよい生理用ナプキンが存在するから、この質のよい生理用ナプキンをあてておいて、トイレにいくたびに交換するものである、と考えている。
(138頁)

用具を使わずに本能で対処できるのではないだろうかというような指摘をなさっている。
そういうも能力本能というものが、現代女性は低下しているのではないか。


2016年03月07日

2015年11月23日〜12月4日◆『教誨師』堀川惠子(後編)

これの続きです。

 この数年間で一番、注目を浴びたのは、久しぶりに女性死刑囚となった小林カウだろう。−中略−すさまじい物欲と色仕掛けで男を次々と手に掛ける稀代の悪女。カネのためなら男の命を奪うことすら躊躇わない冷酷な女。四舎二階でその顔を見たものはまだおらず、「かなりの美女らしい」とい噂がまことしやかに流れた。(67頁)

(番組では「美人説」をそのままにしているが、渡邉氏曰く「『かなりの美女』はさすがに男たちの妄想の産物」)

後に吉永小百合が主演する映画(『天国の駅』東映・一九八四)になるほど世間の耳目を集めた小林カウの事件は、「ホテル日本閣殺人事件」と呼ばれている。(68頁)

天国の駅 [DVD]



カウは、自分は絶対に死刑にはならないと信じ込んでいたと渡邉の日誌にはある。
「先生、私は女だから死刑執行はないんです。これまで女で死刑になった者はいないでしょう?
(73頁)

自分が拘置所から釈放された後の生活設計について真剣に考え始めた。−中略−だから老人を集めて住まわせる家、つまり養老院を作れば儲かるはずだ(74頁)

(番組では、女は死刑囚にならないと信じて、最後まで渡邉氏に「確認取って」と言っていたという話になっているが、本の中にはない)

死刑の執行について話が及んだ時、山浦が言った。
「先生、あのタナカとかいう大臣はとんでもない男ですね。いくら死刑囚だって、虫ケラを殺すんじゃあるまいし、次から次へと幾ら何でもやりすぎです」
 渡邉は机の上にノートを広げ、山浦の前に面接した死刑囚の記録を忘れぬうちにと書き付けながら、軽い気持ちで返した。
「ま、法務大臣もそれが仕事だからな、職務熱心なんだろうよ」
(227頁)

その日から、山浦は面接に来なくなった。(228頁)

死刑囚の人が「会いたい」という指名制度。
死刑囚の方、自らが手を伸ばさない限り、話を聞くことができない。
死刑制度は現行、社会を支える制度。
それを支える人たちの苦しい胸の内を我々も知るべきだ。

 昭和四二年(一九六七)の日めくり暦も残り一センチほどになった一〇月二三日(月曜日)、夕刻。−中略−
 管理部長が手元の書類を読み上げた。
「昨日、法務大臣より当拘に勾留中の山本勝美、桜井孝也(仮名)の両名に、執行命令が下されました。
(187〜188頁)

 七時四〇分、山本・桜井両名(※仮名に変更)を車両にて刑場(※小菅刑務所)へ。桜井車には篠田が、山本車には渡邉が同乗して移動。
 東京拘置所から囚人移送用の小型バスのバスに乗り込んだ。
−中略−格子越しの窓の外を見つめる山本にも、言葉はなかった。車窓には、死刑囚に対しても、いささかの分けへだてなく穏やかな日常生活が広がっている。身体からはみだしそうな大きな赤いランドセルを背負った子どもたち、その傍らで花壇に水をやる主婦の姿、信号が変わる度、目の前をどっと横切るサラリーマンの一群。山本は今生最後の風景をじっと目に焼き付けているようだった。−中略−右前方に国鉄王子駅を見た時、山本がいきなり声をあげた。
「先生、あれ! あの店です!」
 山本が指差した先には、小さな赤提灯。
−中略−
「私、刑務所を脱走した時、あそこで酒を飲んだんです」
−中略−
「待ちに待った酒だったんですがね、実はあんまり咽喉を通らなくて……」
「山本さん、どのくらい飲んだんですか」
「先生、一合ですよ」
 たった、一合──。
「ああ、そうかあ、一合だったのか。たった一合のために死刑かよ! ああ、わっし、どうにもやれん。なあ山本さん、いっそ一升ぐらい飲んだらよかったなあ!」
 思わず本音が口をついて出た。山本がふふふ、と小さな笑い声を漏らした。一文字に口を結んでいた刑務官の口元にも遠慮がちな笑みがこぼれる。
(190〜192頁)

白木死刑囚も、両親から棄てられるとか、養父母から棄てられるとか、木賃宿で商売女のマゾ的なセックスのシーンを十いくつかで目撃することではなくて、赤い夕焼けとか両親の両手にぶら下がった花火大会とか、そういうものを見ておくと女が憎くて殺すというような罪は・・・。
そう考えると、これは親鸞が言っている通り、人間と罪というのは心の良き様ではなく、分もその手の道に歩み出してしまうかも知れない。
親鸞はそういうことを言っている。
歎異抄の中でピッタリの台詞がある。
阿弥陀様は悪い人間を一生懸命救ってくださろうとなさっているから、唯円という弟子に向かって親鸞は「人を千人殺してごらん。そしたら極楽浄土間違いなし」
唯円が油断して「お師匠さん。私は度胸がないんで千人どころか一人も殺せないかも知れません」と言った時に親鸞がすかさず
「ホレ見ろ。人が心がよくて人を殺さないのではない。殺さなければならないという定めに落ちた人は人を殺してしまうんだ」
心の良し悪し故に殺人を犯さないんじゃないんだ。

山本は実に落ち着いて死刑執行を受けられた。

 山本は、最後に渡邉の前に進み出ると、こう言った。
「渡邉先生には本当にお世話になりました。先生、私の部屋に『仏説阿弥陀経』の写本が何十も溜まっております。集合教誨の度に教本が足りぬと仰っておられましたから、この春からずっと作っておきました。どうかみんなのために使ってやって下さい」
(197頁)

山本は渡邉の朗々たる読経の中絞首の刑を受けられた。

「罪を犯した人は罰さなくてはならない」と思うので、被害者の方に感情移入をしてしまうという水谷譲。
親鸞は犯罪を犯した者だけしか見ていないと思う。

山本と同日に死刑を執行される桜井(執行の順番としては桜井が先)。
目の前にロープがあって、自分で震えのために歩いていけなくなった。
死刑執行に関して、渡邉氏の先輩の篠田氏もいらした。
絞首のロープを前にした時に足が全く動かなくなった。
(このあたり、本にはそういうことは書いていないので武田先生の脚色と思われる。全体に桜井死刑囚の話は盛ってある感じ)

 青白い顔をした桜井がクルッと上半身だけをねじるようにして身体をこちら側に反転させ、必死の形相で篠田に向かって叫んだ。
「先生! 私に引導を渡して下さい!」
 刑務官たちの手が止まった。みなが篠田の顔一点を凝視した。渡邉は焦った。浄土真宗に「引導」などない、どうする。すると篠田は迷いなくスッと前に進み出た。
−中略−
「よおっし! 桜井さん、いきますぞ! 死ぬるんじゃないぞ、生まれ変わるのだぞ! 喝ーっ!」
 桜井の蒼白な顔から、スッと恐怖の色だけが抜けたように見えた。
「そうかっ、先生、死ぬんじゃなくて、お浄土に生まれ変わるんですね」
「そうだ、桜井君! あんたが少し先に行くけれど、わしも後から行きますぞ!」
 潤んだ両の目に、ほんの少しだけ笑みが浮かんだと思った途端、その笑みは白い布で隠された。
(195〜196頁)

死刑囚と一生懸命話しながら、本当に罪を後悔する人とか、全然後悔しない、かえって「早く死刑にしてくれ。殺さないとわからないヤツもいるのよ」という死刑囚もいる。
最後の最後まで人間への目覚めを拒んだ死刑囚の中に、大久保清という連続女性殺人鬼がいる。
大久保清は最後まで教誨を断り続けた死刑囚。
渡邉氏はほとんど強引に頼み込んで大久保清の前に行っていた。
だが絶対に会おうとしなかった。
(番組では渡邉氏が教誨を勧めたように言っているが、本によると担当の刑務官による)
犯罪の重たさもあるだろう。
彼は拒否したのだろう。
全くの異例であるが大久保清は最後まで教誨を断り続けたので、刑が執行されるその時まで教誨師の立ち会いがなかった。
渡邉氏はそれを許さなかった。
大久保清は拒絶しているので、刑務官たちの罪ではない。
大久保清自身が拒否しているので遮二無二というのはありえない。
渡邉氏は刑務官たちを怒鳴り付けた。
(怒鳴り付けたという話も本にはない)

 死刑が執行されたのは、昭和五一年一月二二日の朝である。−中略−渡邉は法衣にコートを羽織り拘置所へと車を走らせていた。数日前、教誨を受けていない大久保にいよいよ死刑が執行されるという情報を知り、「空振りになってもいいから」と、とにかく執行に間に合うように拘置所に出向くことにした。(240頁)

拘置所っていうのは「人殺し」がついているんですから。その人殺しをね、宗教者も誰も外部の人間抜きでやったら、それこそ本当に人殺しの現場になってしまいますよ。(241頁)

「大久保よ、最後くらいは坊さんに立ち会ってもらったらどうか」
 大久保は答えない。
「お経をあげてもらうだけでも、どうだ?」
 大久保は少し考えてから、ようやく小さな声で答えた。
「そこまで言われるなら、お願いします」
 そうして渡邉が執行に立ち会うことになった。
−中略−刑務官に反抗したり暴れたりすることもなく、無論、引きずられて連行された事実もない。大久保の死刑執行も、一連の儀式の中で滞りなく終わった。(242頁)

大久保への死刑が執行されたという情報がどこかから漏れ、そのニュースが新聞の一面を飾ると、地元の人たちは「大久保の骨を町に戻してなるものか」と、一夜にして大久保家の墓を暴いてしまった。墓石は根こそぎ倒されて滅茶苦茶に壊され、先祖代々の遺骨や骨壺もすべて掘り出され、あたりに投げ出されたという。(243頁)

 加害者と被害者の遺族が共に暮らす田舎町に、重ねて鞭をふるったのは、事件後のマスコミだった。−中略−町には大久保事件の現場を巡る観光客が押しかけ、あちこちで写真撮影する姿まで目につくようになった。
 この上、大久保清の墓まで出来たとなれば、それこそ新たな“観光スポット”にされかねない。
(244頁)

渡邉氏は大久保清の骨を引き取り、東京拘置所の共同墓地に葬った。
刑務官と死刑囚だけだと殺人になる。
「一人の坊主が立ち会ってこそ死刑制度は支えられているのだ」という渡邉普相氏の信念はすごいものがある。

 死刑執行の時、死刑囚を吊るすロープをかける金具、そこに製造した会社の名前が刻印されているのを見つけた。住所を調べ、社長に面会を申し出た。
「あんたたち、死刑囚を殺すことで金を儲けておるなら、せめて彼らに靴下のひとつでも買うてやったらどうかね」
 わざと乱暴な言葉を吐いて半ば脅すようにして、わずかな靴下代を出させた。
(234頁)

(番組内では金具ではなく「ロープ」、靴下ではなく「足袋」としているが誤り)

 それは一九九〇年代に執行に立ち会った、ある死刑囚とのことだった。−中略−
 この男について語るには、死刑執行の「告知」の方法について触れておかなくてはならない。全国の拘置所では一九七〇年代後半から、死刑執行を前日に本人に通知することを止めた。告知は執行の日の朝、つまり執行の直前に変えられたのだ。変更の理由は、執行を告知された死刑囚が前夜に独房で自殺してしまい、死刑を執行できない事態が起きたからだ。
−中略−
 そんな事情もあって、その男は面接の度に渡邉にこう頼んできた。
「先生、私の時は、どうか前日にこっそり教えて下さい。私は絶対に騒ぎませんし自殺もしません。もう覚悟は決めています。ただ一晩、家族への遺書を落ち着いた気持ちで、ゆっくりと書き残したいのです」
−中略−
 前日の面接では黙っておいた。
−中略−
 翌朝、刑務官に囲まれて刑場にやってきた男が、控室で渡邉の姿を見た時の表情は今も忘れられない。その眼は怒りではなく、ただ深い哀しみに満ちていた。
「先生、あれほど頼んでおいたのに……残念でございます」
(255〜257頁)

 渡邉普相が息をひきとったのは二〇一二年一二月一日、午後八時過ぎ。八二歳の誕生日を翌月に控えた師走の夜だった。(272頁)

(番組では亡くなったのは82歳と言っているが、誕生日の前月に亡くなったのだから81歳)

晩年もっとも愛されたのは親鸞の言葉「倶会一処」。
「行きつくところは一緒である」という一言だった。

 渡邉の死を知らされた東京拘置所の九〇歳を超える死刑囚は、「私よりも若いのに……」と涙したということを、後日、関係者から聞いた。(272頁)

ここで再び司馬遼太郎『菜の花の沖』の話。

菜の花の沖〈1〉 (文春文庫)



嘉兵衛をさんざんいじめた幸蔵と大人になってからばったり会う。
そのさんざんいじめた幸蔵はこう言う。
「水に流れた」
「水に流した」ではなく、自然現象でも語るように「流れた」と幸蔵は言うのである。
二百十日過ぎの野分。
冬の悪いあなじの風と同じように、あれは流れたのかな。
この「二百十日の野分」というのが宮沢賢二の『風の又三郎』の冒頭に出てくる。
二百十日の風に乗ってやって来た転校生の名前が高田三郎。
どっどど どどうど どどうど どどう・・・
未成熟なりんごを吹き飛ばすと、あんないじめの歌を歌いながらやってきた不思議な転校生、高田三郎。
こっちは高田屋嘉兵衛。
こういうのにふっと遭遇すると面白くなる武田先生。

2015年11月23日〜12月4日◆『教誨師』堀川惠子(前編)

今回、どうも本の内容を盛って話している感じの部分が多い。
広島と無関係な登場人物の口調まで広島弁風に語ったりもしている。
脚色部分を全部指摘していると、それだけで結構な量になってしまうので、全部は指摘しない。

教誨師



渡邉普相(ふそう)さんというお坊さんのお話。
半世紀に渡り、死刑囚の教誨(きょうかい)に携わった。
この世間というのは、死刑制度を前提にした社会で私たちは生きている。
死刑制度に対する是非論はいろいろある。
現行として死刑制度を認めている日本では、誰かがその死刑制度を支えなければならない。
それを「死刑制度はいかん」「死刑はやめるべき」「外国ではね」という話は全部横へ置いておいて、その死刑制度を支えている人たちの出来事、日常をありのまま記した本。

教誨師とはどういう仕事かというと、死刑執行までの時間、被害者への供養に替えて宗教の教えを死刑囚に学んでもらい、彼らの中にある人間性への目覚めをわずかでもいいから促したいという、最後の更生のチャンス。
それを導く人。
全国に死刑囚の方に死刑執行されるまでの間に説くというボランティアをやってらっしゃる方は1800人。
様々な宗派の人たちがいる。
死刑囚の方から「この教えを学びたい」というのがあれば、この1800人の中からその人たちが出かけていって宗教の話をする。
渡邉さんが今まで出会われた死刑囚、残された日誌等々で堀川惠子さんという作家さんがインタビュー構成で二重に織り上げられている。

渡邉普相というお坊さんが絶対の条件になさったのは死刑を執行された人たちのみ実名で書いていい(刑期を終えたわけだから)、自分が死んでからなら本にしていいということで、渡邉氏の死を確認してから本が発売された。

渡邉氏は巨大な死を目撃することにより生に目覚めた人である。
昭和20年8月6日、14歳の思春期。
広島市内の爆心地で、一般市民が原子爆弾というとんでもない兵器によって殺されていったという、死を目撃した。
渡邉氏は浄土真宗のお寺の子として生まれた。
跡継ぎには出来のいい兄がいて、彼自身は宗教に何の興味もなかったけれども、将来を考えて中国山脈の飛騨に埋もれるような故郷を出て、広島市内で勉強することにした。
戦時下で学校は軍事訓練とか、学徒動員の勤労作業ばかりであった。
その日彼は、荷運び作業員として広島駅前で陸軍のトラックを待っていた。
見慣れたトラックの姿にほっとした瞬間、

 ──真っ青な空でね、東の空の方でキーンッ! って、ものすごい飛行機の旋回いする音が聞こえたんです。B29が旋回するんです、真っ白い飛行機雲を引きながら。真っ青な空ですから飛行機雲がきれいでね。それを見た瞬間ですよ、ババババッババッバッバーンッてね、光の雨! よく「ピカドン」って言いますけどね、ピカだけじゃない、光の雨が降ってきた。(106頁)

その十秒後に爆風が来た。
人間が新聞紙のように横を飛んで行った。
全ての建物が海藻のように横に揺れた。
次の瞬間に渡邉氏は気を失い、気を取り戻した時には真っ黒な雨が降っていた。
彼は市内へ歩き出し、その市内の歩く途中で地獄絵図のような市民たちの姿を見る。
これが渡邉氏の死に対する考え方のスタートになった。

B29が旋回する音に少しだけふり返ったため、メガネはふり返った角度の分だけフレームが溶け、顔の右半分と左手はひどいヤケドを追った。しかし爆心から一・九キロメートルの地点にいたにもかかわらず旅館の影に助けられ、原爆の熱線によるヤケドは最小限に抑えられた。もちろん、それでも重傷の部類に入るのは間違いないのだが。
 片や、同級生の半分以上は普相の向かい側、つまり爆心に向かって座っていて、原爆の熱線を真正面から浴びた。メガネのガラスがグニャグニャに溶けた者、全身ヤケドで死んだ者、倒壊した旅館の下敷きになって焼け死んだ者、何とか逃げ出したが数日後に亡くなった者も大勢いた。生死を分けたのは、ほんの僅かな差だった。
(109頁)

(番組では人が溶けていたかのように言っているが、そのようには書いていない)

渡邉氏はこの出来事ゆえ「なぜ自分は死ななかったのか?」それをずっと考え続ける生涯を送る。
死に対する考えを自分の家である浄土真宗の教えに従って、彼は一生懸命考え続ける。

 昭和三二年(一九五七)、渡邉普相は二六歳で単身、大都会・東京へとやってきた。
 広島の山深い村にある渡邉の実家は、戦国時代から続く由緒ある寺だった。しかし寺の住職は長男の兄が継いでいて
(19頁)

 新天地・東京での忘れもしないその出逢いは、教誨師になる一年前。當光寺の副住職となって間もない初夏の頃だったと彼は記憶している。
 その日、ぶらりと寺にやってきた初老の僧侶は、それにしても奇妙ないでたちだった。
−中略−
 僧侶は、篠田龍雄と名乗った。
 当時二七際の渡邉に対して篠田は六一歳、親子ほどの年齢差だ。この篠田こそ、後に渡邉を自らの後任として死刑囚の教誨師に据えることになる人である。
 篠田は、渡邉の義父、つまり當光寺の住職の古くからの知人で、寺で開かれる法座で話をするよう頼まれてやってきた。
(19〜20頁)

 一方で、渡邉を「死刑囚の教誨師」という世界へ誘うことになる篠田龍雄とはどのような人物だったのか。−中略−
 篠田は明治二九年(一八九六)福岡・直方の浄土真宗・西徳寺の長男に生まれている。
(33頁)

ひと月に何度も上京して、話をする。
若い頃の渡邉氏は篠田氏に問う。
「なんでそんな苦労を引き受けられたんですか?」
篠田氏曰く
「だれかせにゃあならんだろう」
(本の内容とはかなり異なる。)

 突き詰めて考えておったりしたら、自分自身がおかしゅうなります……。(41頁)

(番組ではこの言葉は篠田氏のものとして紹介しているが、実際には渡邉氏)
「考えない」「突き詰めない」という突き詰め方をして、やる。
自分たちの宗祖は誰だ?
親鸞。
親鸞という宗祖の考え方が好きで浄土真宗のお坊さんをやっているが、宗祖が言っている。

 ──善人なほもて往生をとぐ、いはんや悪人をや−中略−
「世の中、善人が救われるのであるから、悪人であればなおさらだ」という逆説的なフレーズ
(21頁)

浄土真宗は悪人を導くんだ。
悪人を救ってこその阿弥陀様じゃないかという宗祖の教えに従えば、我々は死刑囚の人たちに寄り添わなければならん。
その迫力に押されたのだろう。
(このあたりも武田先生の脚色が入る)
戦争による無用の死、たくさんの広島の人たちの無惨な死に方を目撃した渡邉氏は自分でもやってみようということで篠田氏に申し出て篠田氏の跡を継ぐ。
自分も西巣鴨の東京拘置所に通い始める。
ここから渡邉氏と死刑囚の付き合いが始まる。

 昭和四一年(一九六六)早春。東京・西巣鴨(現・東池袋)にある東京拘置所の一室である。
 灰色の三階建ての建物の一階にある六畳ほどの小さな部屋は、死刑囚が宗教の教えを聞くための面接室で「教誨室」と呼ばれている。
(43〜44頁) 

(番組では教誨室が「四舎二階」にあるように説明しているが、この場所は教誨室ではなく判決が確定した死刑囚の独居房)

 この日、最初に看守に連れられてやってきたのは、山本勝美(仮名)。(44頁)

罪名「強盗殺人」。
被害者が一人だったので死刑囚にならなくてもよかったのだが、刑務所に入ったときに看守を殺害して脱走。
500円を盗んでい、王子駅前で無銭飲食で酒を飲み、やがて駅前で観念して自首している。
それで死刑判決が下された。
彼自身が上告をせずに死刑確定。
後にとても熱心な真宗門徒になり歎異抄を読んだ。
(番組では当時の渡邉氏を「二十代」と言っているが、実際には35歳)

 山本は親鸞の教えの中でも、特に「自利と利他」という言葉を好んで使った。「自利」は、自らの悟りのために修行し努力すること、「利他」は他の人の救済に尽くす事だ。−中略−しかし、この点についてだけは山本は異論を唱えた。
「先生、刑務所は更生する場じゃありません。
−中略−〈自利と利他〉も大切でしょうが、私はやはり〈自利〉によってからしか、真の人の姿は見えてこないと思います」(53頁)

死刑囚の立場から教誨師の指導をした。

 次に教誨室に入ってきたのは、四舎二階の住人の中でも大ベテラン。「三鷹事件」の竹内景助(四五歳)といえば、ここでその名を知らぬ者はいない。(55頁)

 竹内の犯行とされた「三鷹事件」は、日本がまだ連合国の占領下にあった昭和二四年(一九四九)、国鉄三鷹駅で起きた。
 七両編成の無人電車が暴走して脱線・転覆し、線路脇で六名が電車の下敷きとなって死亡、負傷者も二〇名にのぼる大惨事だった。
(57頁)

 当時の世相は、内戦が続く中国で共産党の勝利が濃厚となり、朝鮮半島では共産政権と親米政権が緊張を高めていた。日本でも共産党が議席を増やしており、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)は反共の姿勢を明確に打ち出していた。共産党員が幅をきかせていた国鉄の大量人員整理が進められる、そんな最中に三鷹事件は起きた。事件は、「人員整理に反対する国鉄労組の犯行」という筋書きで捜査が進められ、共産党員九名と非共産党員の竹内が逮捕された。竹内は国鉄を解雇されたばかりで共産党シンパだったことから嫌疑がかけられた。−中略−最終的に一審は共産党員を嫌疑不十分で全員無罪にし、竹内だけを無期懲役、二審では死刑とした。後の上級審では、電車をひとりで暴走させる「単独犯行説」には技術的に相当な無理があることも分かってきた。(57頁)

歴代の法務大臣は、彼の死刑執行命令書にだけは決してサインしようとしなかった。明らかな特別待遇の背景には、法曹関係者の間で「占領下という特殊な世情の下での事件であり、真相は闇の中」という共通認識があるからと噂された。
 東京拘置所でこれだけ長く勾留されたのは、この当時、竹内ともうひとり、やはり冤罪濃厚と噂されていた帝銀事件の平沢貞通(昭和六二年に獄中で病死)だけである。
(58〜59頁)

(番組では「事件の真相については何も語らなかった」と言っているが、それに該当する記述が発見できず)

竹内が語った言葉を次のように紹介している。
 〈おれは弱い人間なんですね。弱いからすぐ信用してしまう。
−中略−しかし、考えてみればだまされた自分も悪い、その点ではもうジタバタはしないつもりです〉(58頁)

 竹内は面接が続く渡邉を気遣って、自分のために差し入れられた貴重な食料をちょくちょく持参した。(59頁)

東京・下町の洋服店に勤める真面目な縫製職人、白木雄一が逮捕されたのは二八歳の時だった。
 容疑は、よりによって連続殺人。七ヶ月の間に、売春を生業にしていた飲食店の女二人を次々と殺害し、三人目に重傷を負わせたところで捕まった。被害者はみな鋭いナイフでひどく切り付けられていて、逮捕されるまで犯人は“東京の切り裂きジャック”と恐れられた。
 白木には一歳年上の婚約者もいて、つきあいも円満だった。
(129頁)

遺体はナイフで一〇〇ヶ所近くも傷つけられ、腹部は十字に切り裂かれて、引きずりだされた内臓はさらに切り刻まれ、唇と胸、局部はことごとく抉り取られていた。殺人事件というよりも猟奇事件という方がしっくりくる現場だ。(134頁)

 そうしてそこまでやったのかと刑事に問われた白木は−中略−十六歳の時に女の子を殺した時も「なんとなく殺した」と奇妙な供述をしていた。(134頁)

 白木は昭和一五年(一九四〇)、かつて日本領だった樺太南部で生まれていた。三歳で両親に捨てられて養父母に預けられるが、養父母もまた五歳の時に離婚。養母は去り、白木は養父に育てられた。しかし「育てられる」という言葉は形式的な表現に過ぎない。養父はヤミ市の仕事に忙しく、白木のことは捨てこそしなかったが、ほったらかしだった。
 養父は戦後の混乱の中で、樺太から稚内、旭川、留萌、青森と職を求めては転々とした。それに同行するしかない白木は、学校にはほとんど通っていない。移動する度に旅館に置かれ、長居させてもらう代わりに旅館の手伝いをして過ごした。
(131頁)

十六歳の時、滞留していた青森県弘前市の旅館で、遊びに来た女の子(七歳)の首を絞めて殺していた。−中略−
 この事件で白木は懲役一五年の判決を下され、少年刑務所に服役した。受刑態度は極めて良好で、七年間ずっと無事故無違反で表彰されるほど模範囚だったと記録にはあった。
 上京したのは少年刑務所を出てからだ。文京区の洋服店に弟子入りし、縫製職人の下で働き始めた。元来手先が器用だったようで、すぐに腕をあげた。
(131頁)

誰もが連続殺人犯だとは信じなかった。

「先生、私が死刑になったのは東京で女二人を殺したことだけですが、実はまだ殺しているんです」
 白木は眉をピクリとも動かさず、間違いなくそう言った。
「あと三人……殺っております。最初のは、旅館で快感を覚えたすぐ後の中学一年の時です。それは事故死になっております。それから後の二件は、別の人間が捕まっています。
(135頁)

 結局、白木が語り尽くしたところによると、これまで表に出ていない三件の殺人の現場は、白木が小学校から中学校時代を過ごした旭川市内で、被害者はいずれも女性だった。(136頁)

 確かその日は、群馬県で発覚した大久保清の事件で、ついに六人目か七人目の遺体を山中から発見したというニュースが報道された時だった、と渡邉は記憶している。白木はその事件によほど触発されたようで、こちらから聞きもしないのに進んで語り出した。
「マスコミは最近、大久保保清でもちきりですがね、あの事件を正しく伝えている者はひとりもおりません。私には分かるんです。大久保清は私と同じ種類の人間です。時々、強姦もしているけど、本当の目的は強姦なんかじゃありません。いわば強姦は前戯です。本当の目的は、殺しです。女を殺すのが気持ち良くてたまらないんですよ
−中略−私はにもう二度と外に出てはいけない人間なんです。外に出たら、私は必ず、また殺ります。自分の腹の奥から衝き上げてくる衝動を抑えられないんです。だから、私のような人間は死刑になるより道はないんです」(133〜134頁)

(番組では渡邉氏の側から問いかけたように言っているが誤り。「早く死刑にしないとかわいそう」と言ったと話しているが、それも脚色か)

歴史上、広く実名が知られている人物以外は全て仮名としました。(279頁)

ここで少し話は本から離れる。

いじめの問題。
一生懸命やっている。
いじめも制度でやろうっていう人がいるが、制度の問題ではないのではないかと思う武田先生。
司馬遼太郎を読みたくなる。

菜の花の沖〈1〉 (文春文庫)



高田屋嘉兵衛。
北前船に乗って商売をやった江戸後半期の庶民の代表。
この人が何で海に出たかというと、淡路島の出身なのだが、都志本村で滅茶苦茶いじめられる。
士農工商という身分制度が厳しかった中、自分が身を置く階層がない。
それで海に出た。
海に出たら、海との相性がよかった。
後に、漂流でロシアまで行くのだが、戻ってきて大活躍する。
北前船で成功して船持ちになり、いじめた都志本村に凱旋する。
その時に、さんざんいじめたヤツが彼の前をおろおろと目を合わせずに逃げ回ろうとする。
嘉兵衛がいじめを組織したボスに「何でいじめたんだ」と聞く。
大将格のヤツが「よくわからんのじゃ」と言った。
その時に、謎の言葉を使う。
いじめた大将が「順送りだ」。
人をいじめるというのは嵐、台風がやってくるようなどうしようもない季節の災害みたいなのが心で起きるのがいじめじゃないかと言う。

2016年02月18日

2015年7月9〜17日◆『ザ・ラストマン 日立グループのV字回復を導いた「やり抜く力」』川村隆(後編)

これの続きです。

 最終的な調達額は三四九二億円。これで予定通り五社の子会社を完全子会社化し、次の成長へのスタートを切ることができました。(61頁)

彼がまずやったのが、日立は決断が遅いので「もっと決断を速くしようぜ」ということで

日常の部下とのミーティングなどは一五分もあれば充分です。(72頁)

 きちんと稼ごうという意識を持たなければならないのは、経営者だけではありません。一般社員もすべからくそうです。−中略−
 私は課長レベルが対象の研修では、「お金の匂いがするかどうかを見極めなさい」という話をしています。
「稼ぐ」よりも、もっと露骨な表現かもしれませんが、わかりやすく、意識しやすい言葉をあえて使っています。
(74頁)

世界シェアで一〜二位を争える分野なら、文句なしの勝てる事業です。三〜四位なら五〜六位と合併して狙うという方法を視野に入れます。五〜六位ぐらいになると、ちょっと怪しい。その事業はやがて遠ざける決断が必要になるかもしれません。(77〜78頁)

大胆かつ冷酷な経営方針だった。
川村氏の考え方は凡人には考えが及ばない、カリスマ性に満ちた経営者のものかと思いがちだが、よく読むと、彼の考え方は実にまっとうな正直な地味なものである。
一番会社が危険な時なので、一を足し続ける。
絶対に再建する時に、飛躍の掛け算とか、人員削減の割り算を使わない。
この日立のやり方は、ビルゲイツ、サムスンなんかとも違う。
やっぱり日立の社長さん。

 ただ、「鉄道車両を販売する」ように製品を売るだけでは、「世界で勝てる事業」とまではいかないかもしれません。(78頁)

日立はイギリスなんかでも鉄道車両を作って売る。
新幹線など。
いろいろ分業があるだろうからダン!とは言えないだろうが、鉄道車両に関しては日立がものすごい技術を持っている。

 たとえばシンガポールの交通局に、バスと電車の車両を売るだけではなく、ビッグデータを使って運転の組み合わせ方までアドバイスすることもできるでしょう。
「鉄道のどこかで事故が起きた時には、バスでバックアップするのがいいですよ。コンピュータを使えば、迅速に振り替え輸送ができます」
 このような提案までができれば喜ばれます。
(79頁)

メイドイン日立は、商品以外のそういう付加価値まで展開して、相手の要望に応える。
「それが俺たちメイドイン日立のプライドなんだ」っていう。
このあたりがすごい。

 二〇一二年、日立は薄型テレビの自社生産から撤退すると決断しました。
 昔はキドカラ―という名前のブラウン管テレビで一世を風靡し、プラズマテレビに進出してからは、日立のコア事業の一つになっていました。
−中略−
 当時は薄型テレビの市場ではプラズマテレビの市場ではプラズマテレビと液晶テレビの主導権争いが続き、大型テレビはプラズマのほうが技術的に優れていると言われていました。ところが、液晶テレビが大型化に成功すると、プラズマテレビは高精細であるけれども消費電力が大きいところがネックとなり、最終的には液晶テレビに軍配が上がったのです。
−中略−
 それはやはり、現場から激しい抵抗があったからです。
(109〜110頁)

攻めると引くというのが難しいのだろう。

その後も先の先を読む。
(ここからフィリピンとインドネシアの道路建設の話になるのだが、本の中ではあくまで「たとえ話」のようで、ちょっと話がズレている。102〜103頁あたり)

「情」より「理」をとれ(132頁)

相手を納得させるところまで言葉を取れ。
理屈にちゃんと芯を持て。

日立の電力事業は創業事業。
日立はモーターで最初、会社を興した。

東日本大震災後、電力事業を取り巻く環境は大きく変わりました。電力会社もコストを強く意識するようになったので、今までのような条件で受注するのは難しい状況です。電力会社が海外の割安のメーカーに発注するようになる可能性もあります。(133頁)

ならば、中・韓・米に負けない値段を提案できるメーカーに日立もなるべしと主張。
そういう会社になるべく、ライバルである三菱重工と手を組んだ。
それで火力発電事を立ち上げた。
「日立三菱重工」
(調べてみたが社名は「三菱日立パワーシステムズ株式会社」)
これはものすごく社長としては悩むだろうが、合弁で会社をやるということで、日立の工場を三菱に明け渡す。

火力発電事業を三菱重工と合弁企業を立ち上げてやっていくと決めたときも、OBから「何たることが」と非難が集中しました。−中略−非難するOBには「海外に生産を任せているテレビ事業とは違い、三菱重工と手を組んで世界で戦える事業となって生き残ることをめざすのですから、日立の火力の歴史が途絶えるわけではないんです」と伝えました。(133〜134頁)

(番組では「このままでは火力発電技術が消える可能性がある」と説得したと言っているが、本の内容とは趣が異なる)

 日本人はチェック(C)と改善(A)は得意ですが、プラン(P)と実行(D)は弱い気がします。(136頁)

これはハッとする一言。
何でこれを思ったかというと、舞台の時の五月の大阪。
橋本市長が何をやったかというのを地元のテレビがしきりに言う。
橋本徹という市長さんのすばらしさは、チェックと改善が抜群。
市の予算をチェックする。
そして厳しく市の職員を改善していく。
その後、プランと実行がある意味でなかったのではないか?
プランと実行のむずかしさ。
チェックと改善。
あそこが悪い、ここが悪い。
ここはこうすればいいんだ。
ここはこう改善しよう。
これは日本人は得意だが、どうプラン立てて、どう実行していくかに関しては・・・。
プランと実行ということに関して最近見つけた本の中で、アッ!と驚いたのが『福井モデル』。

福井モデル 未来は地方から始まる



街を作っていくので最もうまくいっているの県はどこかと日本で探していくと、東京でも大阪でもない。
富山、石川、福井。
これが何故かというのがピッタリの本がある。
ここはプランと実行がうまくいっている。
「こういうプランでこう実行すれば」という。
チェックと改善だけではダメなんだ。

「人がもっとも成長するのはどんなときですか」
 そう尋ねられたら、私は「しんどい思いをしたとき」と答えます。
−中略−
 そういった「修羅場体験」が何より人を成長させるのだと、泥臭いかもしれませんが、私は実感しています。
(138頁)

ある能力を身に付けたらぞんぶんにミッションを与えて、難度の高い仕事に向かわないと人間は成長しない。
「しんどい仕事」というのを体験して、人変わりした社員を川村会長は何人も見た。

「二度と新興国には行きたくない」と思う社員もいるかもしれませんが、「インドの貧しい地域の人々の生活を救いたい」と自分なりのミッションを見つける社員もいるかもしれません
そういう想いがビジネスのアイディアに結びつくこともあるでしょう。
 しんどい体験は、人のさまざまな能力を覚醒させるきっかけにもなるのです。
(146頁)

修羅場というのが人間を成長させる。
「売上を伸ばせ」
それだけでは人間は絶対に成長しない。

芸能をやっているとわかるが、突破したり一皮むけた人はヒラキの仕事をしている。
できる仕事をできるようにやったというような、そんなことではその人は伸びない。

川村元会長曰く、失敗したら必ず始末書を丁寧に書かせる。
この小さな反省の繰り返しが、辛抱強さを身に着けさせる。
小さな失敗を恐れないものは、大きな失敗をしない。

 私流のリスクヘッジの仕方の一つが、「早く、小さく失敗する」という方法です。(158頁)

小さい失敗でガタガタ文句ばっかり言うところは、大事故に結びつく。

「山より大きいイノシシは出ない」と言われるように、物事にはおのずと決まっている上限が存在するものです。心配すればするほど不安が大きくなりますが、心の持ちようで小さくすることもできるのです。
 そして、逃げずに立ち向かうと、意外と問題は小さかったと気づく場合もあります。あれこれ考えすぎるより、行動に移してみるのが一番の解決策なのです。
(157〜158頁)

一〇〇点満点をめざすのは悪いことではありませんが、実社会では一〇〇点が必要ではないことも多いのです。−中略−
「五一点でいい」という心構えが、多くの場面で自分を助けてくれるはずです。
(160頁)

(番組では「51点でいい」というのは自分で自分に対する評価という話になっているが、本の中では部下などに対してのことのようだ)

 ある部下は、海外の商談で金額の提示を迫られたときに、その場で「七〇〇〇万ドル」と言えばローターの注文が取れたところを、「東京へ持ち帰ります」と言ったがために失注したこともありました。結局競合していた他者が七二〇〇万ドルで受注したので、約七二億円の失注でした。
 このときは「なんで金額をその場で言わなかったんだ!」と、かなりキツく叱ったことを覚えています。
−中略−
 しかし、この件に関しては、実は私のほうに落ち度がありました。
 後からよく考えてみると、部下を商談に行かせる前に、「七〇〇〇万ドルまでの権限をお前に与える」と伝えていなかったことに気付いたのです。
(165〜166頁)

「彼に責任を負わせず、余計なものを背負わさず、身軽にしてやっていればあの仕事は撮れたんだ」、そう彼は後悔した。

 トラックも、空荷なら楽々カーブを曲がれますが、重い荷物を積みすぎて過積載の状態になれば、簡単なカーブも曲がりきれなくなってしまいます。ラストマンも、余計なものは背負いすぎず、いつでも身軽でいるべきなのです。(170頁)

(番組の中では、トラックの例は叱られた部下に関して言っているようだが、本の中ではラストマンに関して言っているようだ)

夢の扉+|TBSテレビ
自分が賭けた起業や発明に一生懸命打ち込んで、世の中をちょっとでも明るくしようとする人たちの活動ぶりを描いた番組。
時々感動することがある。
タイの洪水を見ていて、タイの人たちに沈まない車を作ってあげよう。
2015年6月7日:過去の放送|TBSテレビ:夢の扉+この放送かと思われる)
あそこの洪水はだんだん川から溢れて水浸しになる。
自動車の電気系統は全部ダメになる。
浮く自動車。
ゆっくりだけど進むこともできる。
そういう自動車の発明をした人のことをやっていた。

『福井モデル』
富山、石川へ奥様と遊びに行ったことがある武田先生。
情景が見えてくる。
富山はハッとするぐらいキレイ。
『福井モデル』の最初の章が富山。
市の財政が圧迫する。
その時に、富山はコンパクトシティといって整備された町区画というのを『団子3兄弟』みたいに、串は鉄道でむやみに広げない。
コンパクトにまとめていく。
人間の心理の面白さ。
富山の市長さんは路面電車をいっぱい工夫する。
どこから乗っても、街の中心部まで入ってくると100円。
でも、中心部の手前で降りたりすると距離分払ってください。
みんな必ず街の中心部に集まるように。
そうすると、そこの地価が値下がりしない。
商店がそこに進出してくるので、そこだけ税収の高い店がぎっしりコンパクトに生まれてゆく。
こういうのがムードに流されやすい政治とか会社の経営なんかを非常にわかりやすいものにしてくれる。

『ザ・ラストマン』の本の中にもそういう話が出てくる。
著者、川村氏は、日立のV字回復を成し遂げると2014年、五年間で過去最高益を出したところで会長職に身を引く。
(実際には会長兼務で社長は一年間。その後は会長のみ。五年間で「黒字化の目処を立てた」)
ラストマンこそラストが大事。
彼の組織論というのは「機能体、活き活きと生き物として企業は動いていなければならないのだ」という。

日立パワーアフリカ(現・三菱日立パワーシステムズアフリカ)という会社があります。−中略−
 電力事業を手掛けていて、発電所のボイラーの設計や据え付け、試運転を行うほか、ボイラーの据え付け関係部品も現地で製造しています。アフリカで雇用を生み出すのに貢献しているのです。
 ここでは、面白い取り組みをしています。そこで働いている社員達がお金を出し合って基金をつくり、その地域の住民たちにお金を貸しているのです。お金を借りた人の中には、発電所の社員などに弁当を販売する仕事を立ち上げた人もいます。
(228頁)

(番組の中では「弁当を売るおばさんの笑顔がよくて」というような話をしているが、そういうことは、この本の中には出て来ない)

自分たちの稼いだ利益を、地域に還元する。企業はそういう存在であるべきなのだと、この取り組みを通して改めて認識させられました。(228〜229頁)

アフリカのおばさんにも仕事を増やしていく。
そういう中に日立っていう企業の名があることが大事なんだ。
現地の人へいくらお金が落ちるか。
中国と韓国に関して、日本の企業は失敗している。
韓国にも子会社を作って、昔下請けばっかりが韓国にあった。
感謝の言葉って一言ももらっていない。
中国でも同じことを展開したが、中国からも決して感謝されなかった。
安く使われたという怒りみたいなものを、今日本はぶつけられている。
一緒に栄えていこうというような想いがないと、事業というのは「安く使って」というのではうまくいかない。
そういう意味で中国と韓国でうまくいかなかったところを、東南アジアとか中東とかアフリカでは絶対に繰り返してはいけない。
日本という国はそういう意味で、働く人に報いる国であって欲しい。

組織とは共同体と機能体がある。
企業の本質は利益のための機能体なのだ。
そのためには共同体のチームワーク、結束力が必要なのだ。
そのチームワークは、下が上の顔色をうかがうような関係にしてはならない。
生き物のように活動するという、そんな企業に。

 内閣府が報告した「平成26年度版 子ども・若者白書」によると、日本の若者は諸外国と比べて自己を肯定的にとらえている者の割合が低く、自分の将来に明るい希望を持っていないことがわかりました。
「自分の将来について明るい希望を持っているか」との問いに、「希望がある」「どちらかというと希望がある」と答えた日本の若者は六一・六%。アメリカやスウェーデンは九〇%を超え、お隣の韓国でも八〇%を超えているのに、日本は最下位です。
 そして、「四〇歳になったときに幸せになっている」と答えた割合は六六・二%。他の国はすべて八〇%を超えているなか、やはり最下位です。
(217〜218頁)

 それでも私は、日本の未来について楽観的にとらえています。
−中略−そして、東日本大震災のときに世界が驚嘆したモラルの高さと、団結力。(218頁)

日本の滅茶苦茶強い技術への憧れ、日本人って本当に技術が好き。
これらの可能性が日本の資源であり、日本の強みなんだ。
世界で熾烈な価格競争に破れ、日本は家電やスマートフォンで中韓に圧倒され、今も破れ続けている。
しかし、皆さんも薄々お気づきだろうが、アジアでゆっくり品質重視の傾向が出始めた。
中国資本のラオックス。
日本にあるラオックスの店が「メイドインジャパン」を第一看板に上げ始めた。
台湾や中国の今、世界で一番買い物に熱心な人たちが「メイドインジャパン」というのは品質、メンテナンス、信頼性、付加価値について日本は非常に優れたものを持っているということで、安さで負け続けたが、その他のものではゆっくり勝ち始めた。

日本は納期を守る、時間を守るといった精神面でもすぐれていますし(219頁)

海外進出が進んでも、本社や研究所、マザー工場は日本におくべきだと私は考えています。(219頁)

川村氏は日立の社長室を出る時、社員にメッセージを贈る。

 Remember, the best is yet to come !
「覚えておきなさい、最良のときはこれから来ることを」という意味です。
(222頁)

もはや利益のみ追及の大企業時代は成立しない。
大企業は社会問題、環境等ソーシャルビジネスの貢献は絶対に必須なのである。
そういうことを忘れてはいけない。
どこか企業体として回転しながら、人々を励ます、暮らしを励ます、働く人の幸せに貢献する、そういうことに貢献しないかぎり、これからの大企業はやっていけない。
日本型資本家というのは、欧米の資本家と本質的に違うような気がする。
ビル・ゲイツという人も意外といい人なのかも知れない。
あの人は日本が好きで軽井沢に隠し別荘を持っている。
ジョブズに驚いた武田先生。
禅宗が好きで禅宗の本を読んでいた。
若いワリに悪性のガンでお気の毒だったが、その人の精神の真ん中に日本の「禅」があったという。

(ここから『弓と禅』という本の話になる。この回よりも後にこの本が主題のものが放送されたが、順不同になっているので当ブログでは既に紹介済みなので割愛)

弓と禅




武道とは運を強くするためにやる修行だ。


2015年7月9〜17日◆『ザ・ラストマン 日立グループのV字回復を導いた「やり抜く力」』川村隆(前編)

これが週の途中で終わって、次のお題。

ザ・ラストマン 日立グループのV字回復を導いた「やり抜く力」



日立製作所の元会長・川村隆氏の著書。

2014〜2015年、フランスの経済学者ピケティ(トマ・ピケティ)なる人が、「もはや世界の資本主義経済がかつての柔軟さを失い、動脈硬化状態にある」と訴えた問題の書が世界で評判を呼んだ。
資本主義はもう社会を構造化しており、資本家と労働者の関係は封建領主と農奴と同様に普遍の身分制度となり、この身分制度は世界中で常態化している。
その資本主義が人を縛っているんだという近未来経済論。
この新マルクス主義ともいえる経済論は日本でも多くの読者を獲得し、本の売れ行きを重ねている。

ピケティのガイドブックのようなものを読んで、いいことが書いてあるのかも知れないのだが、違和感を感じてしまう武田先生。
フランス・パリの資本家と、日本の社長さんというのは違うような気がする。
ピケティが言う資本家と、私たちが知る社長さんとは何か違うような。
マルクス資本論と同様、訳された単語一つ一つが、日本人の武田先生にはピッタリこない。
ヨーロッパの資本家といえば封建領主。
お城を持っていて荘園を持っていて農奴を支配するというイメージ。
日本の社長さんといえば、荘園を持っていてお城を持っていてという感じがしない。
どうも日本は、ある異国で解ける国柄ではないような気がする。
日立製作所の元社長の川村隆氏の『ザ・ラストマン』という本を読むと、ピケティが言っている資本家とは違うような気がする。

 私が人生の大きな岐路に立ったのは、六九歳のときでした。七〇歳を目前にして、日立製作所の社長への就任を要請されたのです。
 正直、当初は迷いました。なぜなら当時の日立製作所は、七〇〇〇億円を超える赤字を抱えている状態。いまでは総合電機メーカーの代表の位置にあり、海外へ売って出て行ける日本のリーディングカンパニーと目されていますが、じつは数年前まではうまくいっていなかったのです。
(3頁)

とても迷われた川村氏。
その時、ふっとあの事件が頭をよぎる。

 忘れもしない、一九九九年七月二三日。
 その日、私は北海道へ出張に行くために羽田発・新千歳行きの全日空の飛行機に乗っていました。日立製作所の副社長になり、間もないころです。
 私は仕事に備えて資料でも読んでいたのだと思います。房総半島のあたりで飛行機が急にUターンをしたので、「おや?」と思いました。
−中略−
 どれぐらいの時間が過ぎたでしょう。突然ビープ音が鳴り響き、「この機はハイジャックされています。シートベルトをしっかりつけ、立ち上がらないようにしてください」と緊迫した女性の声でアナウンスが流れたのです。
−中略−
 途端にエンジン音が高まり、機体が急降下を始めました。
−中略−
 全日空61便ハイジャック事件−−機長は犯人に首を刺されて亡くなっていたという痛ましい事件です。
−中略−
 メディアが伝えたことによれば、二階のコックピットに刃物を持った青年が押し入ったことから事件は始まりました。その後、副操縦士は追い出されてしまい、なかは機長と犯人の二人きり。一部始終を見ていた二階の乗客たちが何とかしようとコックピットのまわりに集まっても、CA(キャビンアテンダント)たちは、「マニュアルにのっとって対処していますから、大丈夫です」と席に戻るように促したといいます。
 そこにパイロット服を着た初老の男性が現れ、「おまえたち、何やってるんだ!」と怒鳴り付ける。CAたちが「マニュアルが……」と答えると、「マニュアルなんて関係ないだろ!」と一喝したということです。
 その男性は非番のパイロットの山内純二さん。新千歳発の飛行機を担当するために、たまたまその便に乗り合わせていたのです。
 山内さんは、追い出された副操縦士とそばにいた乗客たちに、「操縦桿はどうも犯人が握っているらしい。機長は怪我をしているのか、操縦桿を握れないようだ。横田基地に着陸しようとしているらしいが、このままでは墜落する恐れがあるので、自分たちが突入しようと思う。自分を信頼して協力してほしい」と、反対するCAを制止し、要請しました。
 その後、山内さんがコックピットの扉を蹴破って、副操縦士と共になだれこみ、操縦桿を奪い返し、何とか機体を立て直したのです。
(16〜19頁)

全日空61便ハイジャック事件 - Wikipedia

その飛行機に乗り合わせた川村氏は「『全ての責任は俺がとるから』とおっしゃった非番のパイロット、山内純二さんの勇気に自分は助けられたんだ。彼のごとく自分もありたい。」と、危機に際して真っ先に逃げ出すような責任者でありたくないというのがよぎった。

「ラストマンになれ」
 私がこの言葉を聞いたのは、三〇代のころです。
 当時の私は日立工場に勤めていて、たしか設計課長に昇進したときのことだったと思います。日立工場長だった綿森力さんが、工場の執務室の窓の前でこう言いました。
「この工場が沈むときが来たら、君たちは先に船を降りろ。それを見届けてから、オレはこの窓を蹴破って飛び降りる。それがラストマンだ」
(14頁)

この一言が川村氏を震わせる。
7000億円で傾いている日立だけれども、ここのラストマンになろう。
全ての日立の乗組員を、俺は救うんだ。
沈むかこのまま運行する会社に立て直すことができるか、そこに自分の命をかけよう。
川村氏は決断を下して、傾いた日立という巨船の社長という職分を引き受ける。
このあたりがピケティの資本家と違う。
読むとすごい。
日本の社長さんは寅さんの印刷工場のタコ社長みたいな、そんな人が重なる。
とても西洋風の「資本家」とは言い難い。
川村氏もラストマンたることを目指していく。
厳しい現実が待っている。
舵取りの原則を決める。

・キャッシュを生む事業を見つける(37頁)

 私はこれを、「近づける事業と遠ざける事業を決める」と表現していました。
 近づける事業とは、これから注力していく事業。遠ざける事業とは撤退や縮小の対象にする事業のことです。
(37頁)

 株価二二七円。
 その数値を見たときの衝撃は忘れられません。私は思わず頭を抱えそうになりました。株価二〇四〇円だったこともある日立
(55頁)

 そこで浮上したのが公募増資です。−中略−業績が悪いときに行うと現在の株主が反発する可能性もあります。株を増やしたら、一株当たりの利益が希薄化するからです。(56頁)

 日立の株主は、約三五%が外国人株主でした(二〇一四年三月現在約四六%)。
 そこで経営陣と財務担当者などでいくつかのチームをつくり、アメリカやヨーロッパ、アジアを手分けして回ることになりました。私が担当したのは北米の東海岸。ニューヨークやボストン、ニュージャージーなどを一〇日間かけて飛び回ったのです。
(57頁)


2016年02月12日

2015年6月29〜7月8日◆『感情的にならない本』和田秀樹(後編)

これの続きです。

武田先生はキレたりはしないが「どうして俺が」「なんで俺はこんな目に…」。
意外とウジウジしている。
奥様からもザックリ傷つけられる。
お嬢さんの一言にも深く傷ついて、蹴られたお宮(金色夜叉)のようにうずくまって動けなくなる時がある。
感情的になっている。

常日頃からいい加減さの足りない人にはまず少し距離を置くこと。

 つまり80パーセントの成功率なら、20パーセントのリスクを覚悟するこということです。(136頁)

生体肝移植で揉めている。
移植したのはいいけど、10人中○人亡くなられたというので手抜かりがあったのではないかということがある。
あれも成功率のパーセンテージで「60%、70%大丈夫」という一言で皆さん決意なさるが、30〜40%の失敗というのを外して考えてしまうところに、医者側と患者さん側の喰い違いが生まれたりしてしまうのではないか。
数字で分けてしまうと、実は違うということは多い。
確率は確率、わたしはわたし。
聴取率は聴取率、わたしはわたし。
そういう腹をくくっていないと。
天気予報もそうだが、視聴率、聴取率、手術の成功率まで、パーセンテージで伝えられているが、しかしそれはただ単に数字の確率にしか過ぎない。
そのことを絶対に忘れてはならない。

 感情的にならないためにはどうすればいいか、あなたはいま、短く答えることができますか?
 いちばん有効な方法は「動くこと」でした。
(142頁)

ムカッとくることはある。
家にいて「クサっ」と言われるとカチンとくることがある。
臭いというのはそういうので事件も多い。
息子・娘に、あるいは親が子をというのは、全部やっぱり、つい感情的になってしまったという犯罪ではなかろうかと思う。

先のことに関しては細やかな予定やシミュレーションを考えない方がいい。
「想定内です」と言った人で想定内に収まっている人は一人もいない。
想定内というのを世間に流行らせた人で、その人たちは今、想定外の人生を歩いていらっしゃる。
だから人間はみんな想定外を生きて行く。

5月に芝居で関西方面をうろうろしていた武田先生。
大阪都構想はダメだった。
街の雰囲気は一種の険しさがあった。
あの市長さんに対する評価が年齢層で真っ二つになる。
お年を召した方はタクシーで二人っきりになると運転手さんがボソッと「今度の市長たら言う人は」とかっていう。
街角に行くと若い事業主が「もうね、頼るしかないんですわ。あんな革命児に」。
そういう評価の割れ方の大きさが。

「癖が付けば」でかまいませんが、こんなふうに考えましょう。

 感情コントロールの大切な技術に、「考えても始まらないことは考えない」というのがあります。(147頁)

 スパッと答を出してすぐに行動に移す人は、根本的な解決なんか求めていません。
 とにかくいま出せる答を出して、それを実行していくだけです。
 そのときの根拠が、「やらないよりまし」という判断です。
(152頁)

根本的な解決など、目指さなくていい。
やらないより、全てやった方がマシ。
結論は全て一つのステップでしかない。
あるトラブルがある。
感情的になって怒る人がいる。
しかし当方に非があるか否か。
とりあえず一回謝ろう。
「待ってくれ、そのことは」とか棚上げしないで、非がある無いは置いておいてまず謝る。
それが次からの交渉のワンステップになればいいのだ。

武田先生の体験。
例えばジムに通う。
モチベーション維持のために目標を定める。
体脂肪減、体重減、一か月で何キロ行こう。
そのペースで血糖値、あるいは血圧が絶対にいい数字になるはずだ。
そして、数値を細やかに記録する。
半年経った。
何一つ変わっていなかった。
本当にある。
その時、めまいがするぐらい腹が立つ。
われとわが身。

舞台公演で一か月間やると3〜4kg落ちた。
最近は500g。
喰ってる。
「こんなに俺は疲れたのに」と思う時がある。
自信を持って体重計に乗って、2週間前と200gも変わっていない。
腹が立つ。
そういう時につくづく思う。
決めつけの目標は持つとダメだ。
自分の体に腹が立つから。
体を動かすのに頭を使って計算すると、体はやっぱり言うことをきいてくれない。
己の体への改善、そういうことを数値化して目指すというのは逆効果になることがある。
目標の曖昧さが実は逆にモチベーションになるのではないだろうか?
「いつのまにかそんなふうになっている」というのが人間にとって一番いいのではないか?
いつのまにかできるようになっている。
例えば、ケンカに強くなりたくてある少年が空手を勉強し始める。
何か必死になって相手をノックアウトできる技を一生懸命師匠から習おうとする。
一生懸命その技を伝授されて一生懸命やっているうちに、実は彼がもう強いとか弱いとかどうでもよくなった時に、彼は強くなっている。
ケンカが強くなりたくて柔道をやり始めた武田先生。
柔道をやってわかったことは「自分より強いヤツはなんぼでもいる」ということ。
試合に行くとつくづくわかる。
強さを求めるというのは自分の弱さの発見。

目標は目標を忘れてしまわない限り達成できない。
そういうパラドクスの中にあるのではないだろうか?
自転車に乗れるようになりたくて必死になって練習をする。
でも、必死になって乗りたいと思ったのに、どうでもよくなった頃にきれいに乗れるようになっている。
大人とか先輩たちから教わった自転車の乗り方、倒れる方角にハンドルを…。
いちいち頭の中で唱えているうちは倒れている。
何も考えずに倒れる方角にハンドルを切るようになった時に、くねくね曲がりながらも倒れない。

6月の最初に仕事でダンスをしなければいけなくなった水谷譲。
いろんな形を「こうだこうだ」とやっているうちは全然動けない。
それが無意識に動けるようになって初めてダンスの形になる。
柔道にしろ空手にしろカンフーにしろ、ユニフォームを着て、妙に似合うようになった頃、会得している。
ユニフォームを着て興奮しているようではダメ。

三角乗り。
子供用自転車を買ってもらえる子供はいなかったので、全員大人用自転車。
三角のスポークの中に足をつっこんで曲乗り。
自転車を横に倒しながら、背が届かないからペダルをこぐ。
もっとすごいヤツはスタンドで自転車を立てておいて、まず自転車に乗る。
パン!とケツで押して短い足で一個ずつペダルを蹴り送りながら、水車を漕ぐようにして前進する。
そういうヤツがいた。
ハッと気づくといつのまにか自転車に乗れるようになっていた。
だんだん身長が伸びてくるから。
無理をしなくても足がペダルに届くようになっていた。

感情的にならない人は仮面のような人ではない。
喜怒哀楽を上手に人に伝える人であり、つまり豊かな感情の人なのである。
他者の感情を動かしたり支配することはできない。
しかし、いつでも私は笑顔を浮かべることができる。
そういう気持ちで生きている人が感情というものを上手に回転させるのではなかろうか。
いずれにしても笑顔というのはすごいもので、自分のためであっただけではなくて、その笑顔が他の人をほっとさせたりするわけだから、笑顔というのは重大なもの。

何気なく見かけた光景。
喫茶店でお茶を飲もうとしていたら、店員の女の子が「ホットドッグ注文の方〜」とかっていう表情でお客さんを探している。
ジェントルマンが手を上げた瞬間、丸い顔でその子が「お客さんが見つかった」とニカッと笑って「お待たせしました」と駆け込む。
そんな笑顔でさえ、人間って「いいな」と思う。
ジェントルマンも嬉しそうに「こっちこっち」と言いながら受け取るのだが、そういう何気ない会話の中に感情的にならない人の存在感をつくづく眺めたような、そんな気がする。

病院へ行ってチェックしなければならなかった武田先生。
待合室に中華系の方が大量におられた。
日本の医療に対して信頼度が高いのだろう。
中華の方は緊張もあるのだろうが笑わない。
不安そうな顔をしている。
台湾か香港の方だろう。
その中で通訳の男性が武田先生の顔を見た瞬間、多分子供の時に武田先生のテレビドラマを香港か台湾のチャンネルで見たことがあって、それをふと思い出されたのだろう。
その瞬間座がなごんだ。
笑顔というのは本当に浮かべるだけで、すっと気持ちが通じる。

週の途中だが、ここでこの本は終了。

2015年6月29〜7月8日◆『感情的にならない本』和田秀樹(前編)

いかにポジティブな思考に持って行くかみたいなことが書いてある本なのだが、発達障害者は読んでも役には立たない可能性大かなと思う。
障害特性もピンキリなので、絶対に役に立つ部分がないとかってことじゃないんだけど、障害特性上、そういうのは無理かなって感じの内容が多い。

感情的にならない本 (WIDE SHINSHO203) (ワイド新書) (新講社ワイド新書)



感情的な結論を党首が出されたということで「エモーショナル」という表現が春先(2015年)に流行りそうになった。
人間が理性よりも感情に振り回されるということはある。
特に我が身を振り返ると66歳の武田先生は自分の心境、心理、心というものが20代30代40代とは全然違う別の状態になりつつある。
老いの弱り目。
道端で変なおっさんにあって「武田さんいくつですか?」というから「俺は60過ぎたばっかりで」「ああ、まだ若いね。でも言っとくけどね、65過ぎると重たくなるよ、人生は」と言われてから妙にその言葉がひっかかったから、人の呪いの言葉に乗ってはイカンと思いつつ、時々「夜半の寝覚め」というか深夜に目が覚めると次の眠りになかなか落ちない。
グズグズ考えるようになる。
何年も生きて来て、覚悟が定まらないっていうのは情けない。
どうしようもない不安とか考えても仕方のない愚痴のような感情、そういうものがふっと心の中に墨を垂らしたみたいに広がり始めると、全然薄まることなくどんどん濃く広がる。
これがなかなか手ごわい。
どこか病的で、いささか我ながら強迫観念めいて、相手にすまいと思っても絡みついてくるイヤな予感めいた感情。

「女房に隠れてやる喜び」が人生を支配してきた。
奥様から禁止されたことがいくつもある。
「他に行ってチョロチョロやっちゃダメよ」とか言われた。
「やっちゃいけないんだな」ということをやると楽しい。
最近でも奥様の目を盗んで、東京駅に一杯分というのが売っているワインの小瓶を、本の隙間のうしろに隠す。
でっかいのを買ってくると瓶の処置がまた大変なので小瓶が便利。
あれを隠しておいて、紙コップ半分ぐらいを飲んで、一週間前に買った傷みかけたチーズをちょっとかじったりするとたまらなく美味い。
奥様に隠れて何かすることの喜びというのが長い夫婦生活の中で身に付いている。
その時にふっとこの年齢になって「じゃあ女房が先に死んだらオマエどうする?」っていうことを考えると、「おおっぴらにできるんだ」というのがちっとも喜びじゃなくなる。
自由を手に入れた瞬間自由じゃなくなる。
ヨーロッパの偉い哲学者の人が書いた「自由からの脱走」。
人間は自由というのを求めるけれど、いざ自由になるとすっごい不安になる。
そこにヒトラーがつけこんだんだという近代恐怖みたいなものが。
ちょっと感情的になっちゃう。

年齢というのはなかなか手ごわい。
武田先生に残っている唯一の親。
奥様の80歳のお母さん。
熊本でお元気。
80歳を超えてから心配ばかりなさる。
テレビに武田先生の姿がないと「鉄矢さんの仕事が減っとちゃなかとか」。
テレビに出たら「今日見たばってん顔色悪かばい。アンタいつまで働かせるとな」っていう、どうしようもない心配をなさる。
なぜ人はこうも感傷的になるのか?
そういうことを、つくづくこだわるようになってきた。
和田秀樹さんという方は、その感傷的になる心に関していろいろ処方を説いてらっしゃる。
おっしゃりたいことはどういうことかというと、感傷的な、感情的な人は同じパターン、同じ人にひっかかりやすく、同じ人について感傷的になり、いつも同じイヤな感情にとらわれてしまう。

感情の法則を思い出そうと和田さんはおっしゃっている。

「感情は放っておけばだんだん収まってくる」という法則です。(20頁)

ふっと振り返ると、何で感情的になったのか覚えていない。
ニュース番組に顔を出している武田先生。
何番目かのニュースで「トイレが臭いと言って女房亭主に切りつける」という事件があった。
【衝撃事件の核心】「トイレが臭い」「汚い手で触るな」「ぶっ殺すぞテメー!」…3歳長男の目の前で繰り広げられた夫婦喧嘩“刃傷沙汰”の結末(1/3ページ) - 産経ニュース
武田先生の家でもあった。
トイレを終えて表の扉を開けたら奥様が廊下の奥の方に立っていて掃除機をじっと持って「くさぁ〜い・・・」。
その言い方がカチンと来た。
その話を奥様にした武田先生。
「どこかのあれでトイレが臭いって女房が亭主をののしっているうちに女房が切りつけたらしいぜ」
「それはオマエのことだ」というのも込みで言ったら奥様が
「ひどいこと言うねぇ。そんなの夫婦じゃないじゃない。」
だから忘れている。
つまり忘れるほどのことを、こっち側がカチンと来たり感情的になっている。
基本的には「言えば収まる」「放っておけば収まる」というのが感情の法則。

どうも苦手な人物に逃げ腰だからこそ悪い感情が立ち起こってしまう。
ある日に限って、苦手な人にべったりくっついてみろ。
その人から逃げようとすると、その人がイヤでも追っかけてくる。
その人が変わらないんだったら自分の変えられるところをちょこっと変えてみて、感情がどう変化するかまず試してみよう。
例えば言い訳の多い部下がいる。
「おい、それは言い訳だよ」と叱るのは理屈としてまことに正しい

 理屈として正しいことが、そのままいい結果を生むとはかぎらないからです。(40頁)

それが世間である。

もう一つ冷静に考えてみましょう。
つい感情的にさせられる相手に共通点はありませんか?
例えば自分の優位なその一点に拘る人。
こういう人を相手にする時、感情は一種単純な力学に支配されます。

 押されれば押し返すのが感情の法則なようなものですから(49頁)

 そういうときでも、自分の意見に固執しないのがあなたをリラックスさせる人です。
「それもそうだね」とか、「なるほどなあ」「そういう考え方もあるね」といった柔らかい受け止め方をします。
(47頁)

 自分の意見はあくまで1つの見方。他人の意見もまた1つの見方。(47頁)

それが世間の事実なのであります。

武道の達人が言うことと同じ。
押してくる相手を返そうとするから闘いになる。
柳のように押してくれば揺れなさい。

武田先生の実例。
去年のクリスマスプレゼントに「あったかいんだから〜」というのがやたらと受けているので、奥様に暖かいスリッパをプレゼントした。
毛がふかふかして。
痩せていて寒そうなので。
クマさんの絵がついた可愛らしい暖かいスリッパ。
大晦日にはもう脱ぎ捨ててあった。
カチンと来た武田先生。
「オマエ使わないのか」とちょっと硬い声で言った。
奥様が「え?」と「見つかった」みたいな声を出したので「いいよ。オマエが使わないんだったら俺が履く」。
昨年のクリスマスのプレゼントだったのだが今年(2015年)の二月、そのスリッパを結局捨てた。
足を三度捻挫した。
暖かいが履きにくい。
スリッパの底がカマボコ状になっていて階段を登る時に足がクリンクリンひっくり返る。
ちょっと力むとスポンと取れる。
あれは危ない。
あげればいいというものではない。
危ないものをあげてはいけない。
ちょっと見方を変えると、また別の真実が現れてくる。

引くことは簡単なのだ。
引けば疲れないし、痛い目にも、事故にも遭わない。

自分の悪感情、不機嫌、仕事仲間への八つ当たり、水を差されたり、だんだん腹が立ってくる。
悪い感情と不機嫌というのはうつる。
自分の感情のコンディション、あるいは感情のパターンをしっかりつかんでおきましょう。
そしていかなる不安があっても、考えて答えが出ることとそうでないことをしっかり分けて考えましょう。
その内向きな感情と向き合わないコンディションをパターンにすること。
その基本は、悪い感情にとらわれる。
それを忘れる、振り切るためには何をするか?
とにかくすぐに動くこと。
外向きにまず動くことを自分のパターンにしましょう。
ためらいが生まれたらとにかくスイッチを切り換える。
どんな結果が出ても、それを「ひとまずここまでは来たんだから」と「ひとまず」という答えでもなければ問題でもないという、問題からちょっと先の「ひとまず」まで行こう。
全ては「ひとまず」なのである。

これをまとめていたらテレビでドキュメンタリー番組が始まった。
その時にレスリングに励む島の女子高校生がドキュメンタリーの主人公だった。
その子は「勝つという答えが欲しい」とドキュメンタリーの中で繰り返しつぶやいていた。
「勝たなければ島へ帰れない。だから優勝という答えが全てだ」と女子高校生はつぶやいた。
ふと思った武田先生。
実はその「勝つことが全てだ」と言う答えは全てではない。
数年、数十年すると、その「勝つ」という答えは人生の中で、その日々の「ひとまず」の答えであった。
その答えは、人生の別の地点で全く別の答えになるということを見つけることになる。
高校の時に柔道をやっていた武田先生。
人を投げ飛ばして勝ちたかった。
でも周りにいっぱい強いヤツがいたから、試合に行っても勝てなかった。
その時に「答えが出なかった」と思ったが、答えが出ないと思ってやり続けた柔道はその後芸能生活に入って、タフな体はもたらしてくれた。
『金八先生』がハードスケジュールの中で中高、大学の前半二年で柔道をやっておいてよかったと思った。
60代を過ぎてから思うが、こけ方が上手。
こけることに抵抗がない。
それが実は人生の答え。
あの時勝てなかったというのは答えではない。
勝てなくてもやり続けた柔道の答えが、年とってもそう簡単に骨を折らない老人になっていたという別の答えになっている。
だから人生には答えがない。

最近テレビに出て、ほとんど呼ばれるのはバラエティー。
バラエティーは職業違いの人の人種のるつぼ。
お笑いの人もいればドラマに出る人もいれば、ファッションモデルの人もいる。
ファッションモデルの人で今、十代二十代の若いきれいな人は今、自分が美しくて可愛いいっていう答えを持っている人というのは、その答えが十年後には全然違うものになってしまう。
芸能にいると「花の命は短い」と思う。
お肌がすべすべしている時期なんて、男女とも十年ちょっとの盛り。
今、「勝った」という答えを持っている人の不幸というのは66歳の老人になるとモロに感じる。

難波のエリカ様(上西議員)はアイラインを上下に入れる。
水谷譲曰く、メイクに特徴があり真似をしやすい。
彼女に似た化粧の仕方はできる。
昔の化粧法だが、わりと今やっている若い子は出てきた。
武田先生曰く、取るとびっくりするほど目が小さく見える。

暮らしについてあんまりきっちりシナリオを描かないこと。
そして、人の言葉について深読みしないこと。
追いかけてくる言葉がある。
嫌味とか悪意を感じる言葉、チクチク刺してくる言葉に対しては、反応せず、前向きな一番単純な次の行動で応じればいい。
とにかくその人と対面しないこと。
ぶつかり合うのではなく、まず流す。
柔らかく受け流して、感情のブレを判断に入れない。
我々は正しく判断することや完成した結論を望まれているのではない。
みんなが求めているのは成熟した判断なのである。
「おとなの」ということ。

「成熟」という言葉にすごく惹かれる武田先生。
成熟の反対語「稚拙」「ガキっぽい」。
なんで人はガキっぽくてはいけないのか?
内田樹氏の説。
ガキは必ず無理を言います。
世の中をよくしたい。
そのためにはどうするか?
ガキはこう考える「悪い人を皆殺しにする」。
そうすると世の中は正しいだけになる。
でもそれは成熟していない。
そんな乱暴な考え方がこの世の中で通じるわけがない。
現実に悪い人をみんな殺してしまって、よい世界を作ろうとした人は何人もいる。
例えばヒトラー。
ポルポト、毛沢東。
反対するものを皆殺しにして賛成するものだけを集めよう。
それが「ガキっぽい」。
成熟とは何か?
正しい正しくないに答えを求めない。
そこが「成熟」。
成熟した人がいないと、世の中は本当に殺戮だらけになってしまう。

 認知的成熟度の低い人は、相手を敵か味方かのどちらかに分けてしまう傾向があって、いったん敵とみなしてしまうと、その人がなにをいっても反対するし無視します。(91頁)

そういう人はカリカリしている幼稚さの中にいる。
未熟な人は曖昧への耐性がない。
曖昧というのが我慢できない。
曖昧だとすごく怒る人がいる。
曖昧とは重大な決断である。

 自然界には少しなら薬になるけれど、大量に食べると毒になるような植物があります。−中略−毒だって少量なら薬になるとわかれば、白か黒かという区分は極端すぎるということもわかるのです。(93頁)

それは「いい加減」と「適当」という曖昧なラインが決定するのである。
曖昧というのは重大な決断である。
何でもそうだけど、毒というのは量によって薬にもなることができる。
だから、「毒だ」っていうものの中に薬があるのだったら毒だと名指しできないはずだ。
捨てる必要はない。
量を間違えるまいというのが曖昧への耐性ということではないか。

「○○でなければならない」とか「○○すべきだ」といった決めつける考え方を「should思考」といいますが、感情的になっているときはしばしばこういった思考法に陥っていることがあります。(94〜95頁)

正しいとか完璧を目指す人は、もうそれだけで正しくも完璧でもない。
「世の中にはグレーゾーンもあるんだよ」と言われてしまう水谷譲。
「もうこれはYESかNOでしょ」と言ってしまうタイプ。

曖昧さに対する耐性とは白黒ではなく世界を薄いから濃いグレーの世界であると見る事。

政治を語る人は人相が怖くなると思う武田先生。
「人間の存在というものは怖ろしいものですよ」(というような物言いをするような)そういう感じがする。
たまたま古館氏と古賀氏の言い争いを見てしまった。
非常に感情的な言葉の応酬だった。
古賀氏「本当のこと言いますよ」
古館氏「だったら私、あのこと言いますよ」
という、あのクールなお二人が子供のケンカみたいな。
子供が向かい合って、つねり合って、どっち側が痛いかというのを比べあうような、そういう応酬になっていた。
二人とも正義をジャッジする方だからああいうことになったのだろうか。
古賀茂明氏は白黒はっきりさせないと気が済まない方なのだろう。
持っているプラカードが「I am not ABE」。
あれはわかります。
あなたは安倍さんじゃない。
でもあれを自分の叫びたい言葉になさっているところが白黒はっきりさせないと・・・。

 ◎他人のことばにイライラしたり、
 ◎仕事の遅れや小さなミスが気になったり、
 ◎悪い想像ばかりが頭に浮かんできたり、
 ……このようなときは、「ちょっと待って、『曖昧さ耐性』が弱くなってないかな」と自分をチェックしてみてください。
(110頁)

曖昧をキープするためには100%を求めないこと。
オールオアナッシング。
そういう点数の付け方はやめること。
とにかく感情的にパニックにならないこと。
パニックはいきなりこない。
前兆として小さなパニック、ヒステリック、「ダメだ!」そういう言葉が連続して出てきたその後に現れる。

 高校野球でもプロ野球でも、それまではすごくいいピッチングをしていたのに、ホームラン1本打たれてガタガタに崩れるピッチャーがいます。−中略−
 けれども立ち直るピッチャーもいます。
(120〜121頁)

崩れるピッチャーというのは答えを早く出す。
「ダメだ!今日は速球が走らねぇや!」
立ち直れるピッチャーは答えをなかなか出さない。
「次の回まで何とか投げれば」「もしかすると球の勢いも」みたいなそういう思いを持っている人、「もう駄目」ではなく「どうすればいいのか」を絶えず自分に突き付けて行く。
自分を動かすのが感情的にならない唯一のコツ。
(この本は「すぐに気持ちを切り換えられるかどうか」という話になっている)

ゴルフ。
この前も60叩いた。
きっかけははっきりしている。
左足下がりの100ヤードをボールが左に行き、アゴの高いバンカーに入れた。
雑誌に書いてあった「アゴの高いバンカーから出すサンドエッジの使い方」というのをやってみた。
頭の中でその手の雑誌を広げた瞬間に終わっている。
出るわけがない。
二回出なくて、三度目にヤケになって普通通りにやってみたらキレイに出てピッタリ寄る。
それを外して11。
あの時つくづく思ったのは、どこかで「もう駄目だ」とか言っている。
自分を動かしていくのではなく、アタマの中で何かにすがりついたりして、自分が動かなくなる。
そうするとパニックになる。
「今はとにかくこういう状況だが」という励ましを自分に与えてパニックを防ごう。
知り合いや仕事仲間の中に必ずパニックを起こす人がいる。
その人は一度パニックを起こすと周囲の者にパニックを伝染させる。