襟裳岬の根本の町、浦河の町・東町に診療所ができる。
精神医療の為の診療所。
ここに川村先生という名物先生がいて、この先生が往診はやるのだが入院は無い。
「自宅で治しなさい。それが一番いいことなんだよ」という。
分別し隔離するという精神医療、「そんな時代は終わったんだ」ということ。
その代わり訪問診療をしてくれる。
しかも北海道は広いから先生の往診は
一日の走行距離が百キロを超えることもあり(131頁)
北海道は老々介護の農家が多いそうで、川村先生の診察は先生が来てくれるのでもう有難くてたまらない。
訪問先の一軒は兼業農家だった。−中略−車から降りてまず裏のビニールハウスに向かっている。−中略−
この家の八十代の「父さん」は、認知症でもう働けない。けれど「母さん」はしっかり家を切り盛りしている。ビニールハウスを見ればそれがわかる。(131〜132頁)
台所から今に来て座った母さんが、そうそうとうなずく。−中略−
「やっぱり寝れるからでない? 夜」
「なんで寝れるようになったんだろ」
「この人が寝れるから」
父さんが寝てくれるので、母さんも寝られるようになった。(133頁)
父さんはいつしか畳の上に寝そべっていた。その顔を見ながら、先生が誰にともなくいう。
「我が家にいるって顔してるね。穏やかだもん」(134頁)
ということで、本日の診療お終い。
別な日、先生たちは−中略−八木国男さんの家に往診に行った。
統合失調症の八木さんは、数年前、自宅の敷地内に自分で小屋を建て、そこに立てこもったことがある。母屋にいると幻聴が聞こえるからだ。いっしょに暮らしている兄の車を壊すなどのトラブルを起こすようになり、一時は駐在所の警察官のお世話になった。(135頁)
母屋の裏手に八木さんが自分で建てた小屋がある。−中略−その小屋を指さしながら先生がいう。
「これ自分でつくったって、自作でしょ。そこにわたしたちはまず感動したんですよ」(138頁)
塚田さんはこの前の年、八木家の空いている畑に先輩看護師の竹越さんとトウモロコシを植えた。(139頁)
それを芽が出たらヤギさんも人の撒いた種なのでちょっと責任感を感じて面倒を見ているうちにすくすく育って、まあそのトウモロコシのその年の出来がいいこと。
(このあたりは本の内容とは異なる)
これが先例になって統合失調症の八木さんも先生がやってくると野菜の出来をまず見せて、症状を見てもらうという。
ある意味、それはモチベーションになっていると思う水谷譲。
だから「今日は大丈夫だ」と言ってもらう為にとにかく頑張って野菜を作るようになったら統合失調症の幻覚・幻聴が静まっていったという。
今度は南の方に回って道南の海辺沿いには漁師さんで統合失調症の方、或いは認知症の方がおられる。
先生は訪問診療についてこういっていた。
「訪問に歩いているのは、安心を配達しに歩いているだけなんですわ。(137頁)
こういう往診の風景。
この著作はこのように筆の運びで川村先生の診療を記録している。
往診に出かけては患者と話し込む川村先生。
そうすると患者さんの内側にあるものが見えてくるという。
こんな婆さんがいたそうだ。
この方は認知症かもしかすると統合失調症もちょっとあるのかも知れない。
(本によるとクマの話をした人は認知症でも統合失調症でも無いようだ)
「浜にクマが来たの? 昆布拾いに?」
「来た、採りに来たの。それ、おれのだからよこせ、って」−中略−
クマが浜に来て昆布を拾っていった。いや人間から取っていった。
ある日、往診に出かけた先生がソファに寝そべっているばあちゃん相手にバカ話を楽しんでいる。(141頁)
これはクマを害獣として扱うのではなくて「隣人としてクマを感じる」という婆ちゃん。
その自然に対する感性。
「狂っている」と言うかも知れないが、クマの声が聞こえるというのは、まるで宮沢賢治のような。
もう一人の患者さんを説明する。
じいちゃんは長年漁師として暮らしてきた。八十歳を超え認知症を病んでも(142頁)
船に乗っているとき、腹のぐあいが悪くなり薬を飲んだ、でもよくならない、そこまではわかる。しかしつづいてこういうのである。(143頁)
病院に行ったら盲腸だといわれた。ところがそこから話は飛んで、船長が「おまえ、どうした」と尋ねてくる。(143〜144頁)
「すろうと」の「船の親方」に、盲腸を「しゃあねえ、やってもらうよ」と「切ったぎった」されたのか。(144頁)
そこでようやく概要が見える。じいちゃんは船の上で腹が痛くなった、船長が盲腸じゃないか、といったけれど、医者でもない「すろうと」のいうことで「切ったぎった」になるのはかなわない。おびえながらも陸に上がり、結局病院で医者に手術してもらった。そういう経過が飛び飛びに、前後を入れ替えながら語られている。(145頁)
先生はじっと話を聞くそうだ。
そして先生は思う。
病の深さっていうのを知ってるんだよね。(151頁)
この言葉がなかなか意味深でいい言葉。
北海道・浦河にある精神医療の先生の話をしている。
精神障害にしろ認知症にしろ、病には深さがある。
と、こんなことをおっしゃる。
脳の部位、いろんな部分があるが、そこが幻覚・幻聴を引き起こす。
或いは認知症の場合だと時間の消失、それから人間関係の図式の記録、そういうものを失う。
それは確かに正常ではない。
「狂気」と呼んでいるワケだが、だからといって正気に戻るのがよいことなのか?
精神障害の場合はそう簡単にその答えが出せない。
川村先生は「狂気の中に人間の心の力学が狂気の中にあるのではないだろうか?」「心理の深いところにある原始の未分化の命を励ますものが心の奥底に実は眠っているのではないか?」という。
「狂気を防ぐ」とか「狂気が表に出てこないように抑え込む」とかそんなことはできないという。
今年の正月・元旦に「ヘビの記憶」というのをやっていた。
子供に9九枚組の写真を(見せる)。
その9枚の写真の中に花とか木とかがあるのだが、ヘビが一匹混じっている。
その「9枚の写真の中のヘビを当てなさい」という。
そうすると幼稚園の子でもヘビを見抜く。
そんなに難しいヤツじゃない。
今度は逆にすると8枚がヘビの絵で1枚だけ花がある。
その中で「花を見つけなさい」と言うと時間がかかる。
9枚の写真のうち1枚だけがヘビということになると、すぐに小さい子供でも見つける。
これはなぜゆえか?という。
番組でちょっとお叱りを受けたけれども、木の上に人間がサル然として生きていた頃、襲われたのがヘビ。
だからヘビに対する警戒心、「すぐにヘビを見つける」という能力は遺伝子であるということ。
白川(静)博士。
武田先生が大好きな漢字の博士が「中国人を動かしている民族のエネルギーは何だろうか?」。
その質問に対して「狂」と言っている。
毛沢東みたいな英雄が、秦の始皇帝みたいな英雄が現れると中華民族というのはその英雄の足元にひれ伏す。
一種「狂」である。
韓国はどうか?
ここは「恨(ハン)」の文化。
恨みを民族のエネルギーにしている。
日本は何だろうか?
何かもっと穏やかなものだと思う水谷譲。
違う。
日本人も凄いのが。
武田先生は「悪」だと思う。
悪のエネルギー。
生きる為に悪を敢えて選ぶということ。
それを日本人は決して否定しない。
川村先生の言葉に戻る。
「自分のなかから思わず行動が引き出されるから、誰が何をしたっていう感覚が、した、されたっていう関係がないんですよね。(そこで)思わずおもしろいものが見える」(164頁)
「目指さない。その面白いものとは出会うんですよ。期待したものとは違う。違うものと出会う。だからそれを面白がるか否かなんですよ」
正しい答があってそこに進めばいいのではないから、迷い悩み、考える。考えながらなお、目の前に起きている事象にいまこの時点での対応をする。(165頁)
「それが生きていくことですよ。答えなんか探しちゃダメなんですよ。そしてその出くわした事象、出来事に対してそれが決定打ではなくて、それもまた流れている。そういう状況を面白がることなんですよ」
答えをきちんと持たない。
「答えも流れているということが難問に遭遇した時の心がけですよ」とおっしゃっている。
このへんからかなり先生の話は文学みを帯びてくるが、それゆえに武田先生は面白くて仕方がない。
昨日は川村先生の哲学的な「求めてはいけない。答えには出会うんだ」と。
難しい表現になるが、でもこの先生も精神の病の人達にと対峙するうちにいろんなことを考えたのだろう。
答えを固定化してはいけない。
「流れている状況というものを答えにしましょう」
そして流れてまたその答えは変わってゆく。
そんなふうにして我々の日々、人生というのは日常を作ってゆくのではないだろうか。
価値は、力のある人が力を発揮して何事かを成しとげるところにあるのではない。−中略−人びとのなかに入り、自分の力を抑えることで人びとを生かし、人びととともにいること。そこで生まれることにこそ「うんと」価値がある。(168頁)
たった一人のトランプ大統領の出現で世界が変わるとは思えない。
この後、彼もいろんなことをやっていくだろうが。
そこで患者は「ある種、こっちに合わせてくれる」ようなことがなくなり、患者も医療者も、精神科とは何かを考えることがそれまでより自由にできるようになる。(168〜169頁)
こんなことをおっしゃっている。
「物語は精神障害を持った人の病態に似ている」
そう。
おどろおどろしい物語が多い。
特にアメリカ映画はピンチに次ぐピンチ。
「まあよくもここまで考えたな」というぐらいピンチが続く。
バイアスがあり飛躍があり敵がある。
そして意外な展開が用意されて物語ができていく。
自分の内側に狂気というものがあるとすれば向き合いたいなと思う。
自分の狂気は見てみたいと思う水谷譲。
昔、70年代だが読もうと思って買わなかった本に「われらの狂気を生き延びる道を教えよ」というのがあって、タイトルが武田先生は凄く好きで。
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これをいつか歌にしたかった。
他には「されどわれらが日々」とか。
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そういう文学作品があった。
フォークシンガーで吉田拓郎さんが歌っていた。
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されど私の人生は(吉田拓郎「されど私の人生」)
そんなフォークソング。
「軍旗はためく下に」というのを泉谷しげるさんが「国旗はためく下に」という一字しか変えなかったという。
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そういうのもあった。
ごめんなさい。
しょうもない話。
都市部をうろついていても、時々妙チクリンな人と出会うことがある。
それは「ふてほど(不適切にもほどがある!)」なんかにも出てくるが、ある日のこと、バス停を降りたらお姉ちゃんがずっとかまぼこ板にずっと話をしているという。
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するとあのオッサンが「どうしたんだい?耳ん中にうどん入れて」とかと。
でも知らない人にとって、やはり狂気。
かまぼこ板に向かってずっと話している人というのは、どこから見ても。
「スマートホンを持たずに話をしている人を「あれ?この人大丈夫かな?と一瞬思う水谷譲」。
「独り言・・・?ああ違う電話してんだ」みたいに思う水谷譲。
随分デカい独り言の人もいるし、我々は「スマートホン持ってるか持ってないか」でジャッジしている。
やはり「人を見る目」というのがいろんなところに拡散してしまっているものだから、その人の狂気というのが非常に危険であるという、それを確認できない。
そんなことを考えてみると、やはり小さな田舎町のこのトライ、挑戦というのがいかに素晴らしいことか本当にわかる。
ここでわかりやすくいく。
診療所の薪ストーブの前で、早坂潔さんと川村先生が話をしている。
早坂さんは自称「精神バラバラ状態」、−中略− 先生は、早坂さんとは三十年以上のつきあいだ。(180頁)
(番組では「ハヤカワキヨシ」と言っているようだが、本によると「早坂潔」。この後も番組内では「ハヤカワ」と言っているが本に従って全て「早坂」にしておく)
「先生はね、潔どんたちといっしょにいい精神科をつくりたいなって。−中略−
ちょっと頭のおかしい人でも、暮らしやすい「いい精神科」をつくりたい。(182頁)
早坂さんが、間髪を入れずに答える。
「いや、そんなに治さなくてもいい、っていった」
「そうだ、ほんとに、ははは。すっかり病気なくなったらおれ困るなあって」
「困るなって、いったわ」
「川村先生くらいでいい、すっかり治されても困るものぉ、っていったんだよ。(183頁)
実は本のタイトル「治したくない」はここから来ていること。
早坂さんの顔を見ながらふっと、ことばが川村先生の口をついた。
「半分治したから、あとの半分はみんなに治してもらえ」(183頁)
この「半分治す」というところが。
潔さんと語り合ううちに思わず出てしまった言葉ということなのだが、川村先生は「完治を目指すことが精神障害者にとっては本当によいことなのか?」。
潔さんは「医者に任せっきりにした自分は楽しくない」。
精神病の経験から早坂さんが学んだことは、自分自身で「考えたり悩んだり」することだった。(190頁)
その弱さについて仲間と語り合う。
「それが凄く楽しいんだ」という。
そして一人の女性の話になる。
「名古屋から来た患者さんが、ある日救急外来に来て。日赤時代。なんか幻聴も聞こえると不調を訴えて、精神的余裕なっくなってきて」−中略−
「苦しくなって、休みの日にやっぱり救急外来に「注射してください」って来たんです。で、ぼく「注射しないよ」っていったんですよ。彼女も一生懸命粘って、「病院なのにどうして注射してくれないんですか、わたしは名古屋でこういうときはいつも注射してもらったんです」と、けっこう粘るわけです」
くり返し自分のつらさを訴え、強硬に彼女は注射を求めた。先生は答えた。
「ここで名古屋とおなじことしたいんだったら、名古屋に帰んなさいっていったんです。(212〜213頁)
浦河では有名な林園子さんのエピソードである。林さんはその後、統合失調症という自分の病気を仲間とともに考え、話し、克明なメモを取りながら注射に変わる対処法を編みだしていった。(213頁)
ところが不思議なことに、このノートが他の患者さん、仲間達にも役に立つようになったという。(213頁)
彼女の苦労はやがて浦河で、「当事者研究」と呼ばれる病気とのかかわり方に発展していった。(213頁)
そしてついに「もうこれ以上、わたしの病気を治さないでください」というまでになる。(213頁)
その数年後、彼女は自室で倒れ、そのまま帰らぬ人となった。生きていればさらに多くどれほどのことばを残してくれたかと思うと、彼女の不在は埋めようのない空洞になったというほかはない。(213頁)
「悩むこと、考えることは生きていく上で重大なことである」「苦労するということが命にとってはとても大事なことだ」という。
これは武田先生はギクッとしたが、これはV.E.フランクル。
V.E.フランクルというのは深層心理学の方に出てくる方。
「夜と霧」
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アウシュビッツで次々処刑になる同胞を見守りつつも「人間の精神の支えになるのは何か?」そのことを突き止めようとした心理学者。
このV.E.フランクルの名言の中にあるのは「人間は苦悩する才能がある」という。
人間だけだと思う水谷譲。
「苦悩とは生きていく条件だ」と言っている。
潔さんという方、精神に疾患のある方でこの方はもうこの病にかかって50年以上。
向き合えることが凄い、向き合って名前まで付けるほど自覚ができるということが凄いと思う水谷譲。
武田先生がべてるの家の文化祭で「自分に精神的な病があるとして名前は何にしますか?」と(問われた)時に「過剰適応症です」と言ったら、もっとも同情してくれたのが潔さんだった。
「鉄ちゃんも大変だ」と言われた。
狂気というのは遠いものではない。
斉藤道雄さん「治したくない ひがし町診療所の日々」、みすず書房の一冊。
斉藤道雄さんこの方が本の終わりの方で、難解極まりないフランスの哲学者を取り上げて。
レヴィナス。
レヴィナスは武田先生が勝手に師と仰ぐ、内田樹先生が師と仰ぐフランスの哲学者がレヴィナス。
このレヴィナスがこんなことを言っている。
これは難解な言葉なので気持ちが半分逃げているが。
〈他者〉を打つ力に対抗することが可能であるのは、抵抗の力によってではない。対抗が可能であるのは、〈他者〉の反応が予見不可能であるからにほかならない。(237頁)
わけがわからない。
〈他者〉に対抗する力がある。
それは抵抗することによってではない。
対抗が可能であるのは〈他者〉の反応が予見不可能であるからである。
この言葉をレヴィナスはどこで言っているかというと、ナチス時代のアウシュビッツを取り上げて言っている。
ナチスによる弾圧によってアウシュビッツで殺されたユダヤ人が何百万人といる。
その事実を見たユダヤ人の中で「神はいない」と言い切る人が出てきて、ユダヤ教を離れる人がいっぱい出た。
それに対してレヴィナスは「違う」と言う。
「神は一人も救ってくれなかった。だけど、そのいわゆる予見不可能な神の態度こそが我々が神を考える為の最高の材料じゃないか」という。
「神が何もしないことによって神たるべき」という。
向谷地さん、それから川村先生。
この人達は実は解決しない。
精神障害が何であるか、精神障害者とは誰なのか、それは「無限なもの」のなかにあって見通すことはできない。精神障害にどう応じればいいのか正しい答はないし(240頁)
「無限なもの」を考えつづけること、人間を、また人間と人間のあいだを見つめることだったのだと思う。(238頁)
無限なものとは「捉え難く、絶対に思いどおりにはなりません」ともいっている。(239頁)
「でもその無限に耐えて人間は迂回しながら考えるんだ」
こういうこと。
難しいように聞こえて、川村先生や向谷地さんがやっていることはまさにそれだと思う水谷譲。
そう。
「真っすぐ解決に行くな。遠回りしろ、迂回しろ。その迂回から見えてくることがある」
向谷地さんと話していて、武田先生は「面白い言葉遣いするな」と思うのだが、この人は精神障害を持つ人に殴られたり蹴られたりしている。
でも殴られたり蹴られたりしながらじっと耐えながら、自分の中の何事かを伝えようとする。
向谷地さんの苦労話の中で本当に目も当てられない惨憺たる人はいる。
その人の思い出を語る時に向谷地さんの使う不思議な言葉遣いで「いやぁ〜あの人には鍛えられた」。
「あの人に迷惑を被った」と言わない。
そこにもの凄い彼のスピリッツを感じる。
川村先生もそう。
人口1万2千ばかりの浦河から、日本どころか世界を変える力を持つ。
小さな町の精神科の診療所が、いくつもいくつも探り当てているこの現状を皆さん方に伝えたくて無我夢中の喋りとなったが。
べてるの家はこれからどうなっていくのかと思う水谷譲。
日赤で精神科がどんどん縮んでいく。
ところが面白いことに縮んでいくとそこで鍛えられた人、精神障害を持つ人達に鍛えられた人達が職を求めてよその町に行く。
そうしたらべてるのメソッドがよその町に広がってゆくという。
つまり「一面で不幸を見ちゃダメだよ」という
川村先生は子供が野球ができる球場を作ったり。
浦河の町は町としては縮んでいる。
だが川村先生のところにはいろんな人が集まってきて「これはいいですね」とか。
一番当たったのはあの統合失調症の女性の為に作った墓地。
あれは「私も入りたい。私も入りたい」で、べてる経営の霊園墓地ができそうで。
ある意味経営も強化されている。
それで潔さんに「武田さんもこっち来て入ればいいじゃん」と言われて、武田先生はその墓地を見に行った。
いい環境。
つまり希望と絶望は同時進行。
折に触れて、また新しい便りがあったら必ずお伝えしたいと思う。