かつて「ジャパン・アズ・ナンバーワン」という「日本こそ一番である」と言われた時代があった。
日本というのは司馬遼太郎曰くだが、各藩が自分のところ、例えば薩摩なら薩摩、長州なら長州で派を競い合った。
その勢いが戦後は各企業に乗り移って各企業の企業精神で日本全体が。
つまり企業が頑張れば日本が膨らんだという。
国家と各企業の足踏みが一緒だった時代が。
特に70年代から日本というのは「一億総中流」と言われるぐらい豊かになっていったワケだが。
当然そういう日本に関して疑問を投げかけるというアンチテーゼが始まる。
『ノストラダムスの大予言』−中略−が1973年に刊行され、あるいは同年刊行の『日本沈没』(小松左京、光文社)といった社会不安を煽るような作品がベストセラーとなる。あるいは認知症を主題にした小説『恍惚の人』(有吉佐和子、新潮社、1972年)も大ヒットする。(137頁)
これは司馬遼ファンにとっては重大だが、この期に司馬遼太郎さんは「坂の上の雲」という小説を書かれて。
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これも長大な小説。
近代国家の中で個人が頑張る。
個人が「滅私奉公」「自分を削ってでも国に奉公するとその分だけ国が豊かになった」という個人と国家というものの、ある意味では幸せな関係があった。
それが日清・日露の戦いであって、日本は奇跡のような数十年間を過ごした。
それは考えてみたら凄いこと。
世界の大国に二連勝した。
一つは中国という国に勝ってしまったワケで。
その次はロシアという国に勝ってしまったワケで。
これはやはり凄い歴史だったろうと思うが、調子に乗って、その連戦連勝に酔って三百万人以上の死者を出すという日本史最大の敗北を経験する大東亜・太平洋戦争に及んだワケで。
司馬遼太郎というのはその糸口となった日清・日露の戦いを描きながら、読者に愛国などという陶酔に誘わないように十分に注意しながら。
「坂の上の雲」に何が秘められているか?
坂の上に雲がある。
明治の若者達はその雲を目指して歩いていった。
登り着いたらそこから先、断崖絶壁であったという。
彼が言いたかったのは、そういう意味。
そこから三百万人もの死者を出す、全く勝てる見込みのない大国・アメリカに向かって戦争を仕掛けてしまったという。
そのあたりのクールさがこの「坂の上の雲」にはある。
司馬遼太郎さんは振り返ってみたら、「ウエスト・サイド・ストーリー」とよく似ている。
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個人の人物を扱うのだが、町の物語。
グループ同士が対決したりするみたいなことかと思う水谷譲。
「竜馬がゆく」を描いた時は土佐の町の若者達のタウンズストーリー。
西南戦争を描いた「翔ぶが如く」は薩摩の小さな町の若者達の物語。
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「世に棲む日日」は長州に住んでいた若者達のタウンストリート。
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そういうこと。
つまり個人ではなく集団が藩を信じた、或いは国家を信じたという。
藩と個人と、そういう大きい組織の幸せな蜜月の時代という。
でもそれも終わりがくるんじゃないだろうか?という「ジャパン・アズ・ナンバーワン」。
日本はNo.1になったが、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」の坂道を登りきったところからみんなの物語が消えていった。
では何の物語が始まったんだ?
80年代の始まりになるのだが、皆さんがそれぞれに「私の物語」を綴り始めた。
『サラダ記念日』は1987年−中略−に刊行され、そして瞬く間に大ベストセラーになった。(143頁)
「嫁さんになれよ」だなんてカンチューハイ二本で言ってしまっていいの
(俵万智『サラダ記念日』)(142頁)
「この味がいいね」と君が言ったから七月六日はサラダ記念日(「サラダ記念日」)
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全く個人の、実に個人的な女性の体験が平安時代からの文芸である短歌というものに結集して女性の感性が表現された。
この俵万智のベストセラーは80年代の結晶であった。
黒柳徹子の私小説『窓ぎわのトットちゃん』−中略−は500万部を突破し、村上春樹の小説『ノルウェイの森』−中略−は上下巻合計350万部、−中略−吉本ばななの小説『TUGUMI』−中略−は140万部を突破した。(144頁)
一方で、長時間労働をしているサラリーマンもまた、右肩上がりで増えていた。(145頁)
女性という新しい顧客を迎えて出版界は大いに賑わったという。
時代背景と売れた本の関係性が面白いと思う水谷譲。
個人の時代が始まってベストセラーも「窓ぎわのトットちゃん「ノルウェイの森」「TUGUMI」「サラダ記念日」等々の書籍が売れてゆくワケだが、この出版ブームは急激に女性の消費行動になだれ込みがあって景気が良くなるのだが、この頃男の子、男性はどうしていたのかというと雑誌に夢中だった。
1980年−中略−に創刊された雑誌「BIG tomorrow」(青春出版社)は、男性向け雑誌のなかで圧倒的な人気を博していた。(147頁)
「BIG tomorrow」は、「職場の処世術」と「女性にモテる術」の2つの軸を中心にハウツーを伝える、若いサラリーマン向け雑誌である。(147頁)
同じビジネス雑誌ジャンルでも当時の「will」や「プレジデント」はエリート層サラリーマン向け雑誌だった(147頁)
これは何を問題にしたかというと「コミュニケーション力」をどうやってつけるかということで、70年代から一転して80年代は国家や集団を離れて
「僕」「私」の物語を貫き通す。(151頁)
それは労働市場において、学歴ではなくコミュニケーション能力が最も重視されるようになった流れと、一致していたのだ。(151頁)
武田先生はその頃は30代だったが。
そして次に90年代。
本はまた日本人の関心を別の世代へといざなっていく。
時は平成に移る。
平成を代表する作家を挙げろと言われたら、私は彼女の名前を出すだろう。さくらももこ。──言わずと知れた国民的アニメ、漫画『ちびまる子ちゃん』の作者だ。(163頁)
この人はある意味では新しい時代の新しい書き手だったという。
妊娠を直感した、その体感をさくらももこさんはエッセーにこう書いたそうだ。
私は尿のしみ込んだテスターを握ったまま、十分余り便器から立ち上がることができなかった。−中略−
この腹の中に、何かがいるのである。大便以外の何かがいる。便座に座り込んでこうしている間も、それは細胞分裂をしているのだ。私のショックとは無関係に、どんどん私の体内の養分を吸収しているのだ。
(さくらももこ『そういうふうにできている』)(163〜164頁)
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それは女性エッセイストの歴史で見ても、真似できる人がほかにいない。(165頁)
実に率直でマンガ、アニメ、主題歌も含めてベストセラーにした方。
出産という非日常体験の記述ではあるのだが、「宇宙」という言葉がさらっと出てくるところに、いささか驚いてしまう。(166頁)
遠い宇宙の彼方から「オギャーオギャー」という声が響いてきた。私は静かに自分の仲間が宇宙を超えて地球にやってきた事を感じていた。生命は宇宙から来るのだとエネルギー全体で感じていた。
(同前)(165頁)
さくらももこのこの文章を今読むと、−中略−どこかスピリチュアルな感性が当然のように挟まってくるところだ。(165頁)
このような傾向は、さくらももこだけに限ったことではない。
たとえば『パラサイト・イヴ』(瀬名英明、−中略−自分の身体や遺伝子が何か変なことを起こすのではないか?という自分の内面への懐疑が主題となっている。さらに『ソフィーの世界─哲学者からの不思議な手紙』−中略−も、同年刊行のベストセラー。内容は哲学史の入門なのだが(166頁)
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これはやはり遺伝子の中に刻み込まれた他者や自分の深い内面の中にある異質な世界、そういう異質な世界を探索するという時代がこの平成ではなかったのだろうか。
「本当の自分とは何か?」とか−中略−「私とは何か?」という問いには魅力があって、人々は外界とはまた別の価値を内面に探し求めた。−中略−
なにより臨床心理士は大人気だった。(162頁)
確かにスピリチュアル系は多かったと思う水谷譲。
1995年、サンマーク出版から『脳内革命』−中略−が刊行される。(168頁)
あれでサンマークが有名になったと思う水谷譲。
自己啓発書である。同書は、一番すごいときは「3、4か月ごとに100万部ずつ重版」という状態だった(168頁)
1970年代のサラリーマンに読まれた司馬遼太郎の小説を紹介した。それらと90年代の自己啓発書と最も異なるのは、−中略−読んだ後、読者が何をすべきなのか、取るべき〈行動〉を明示する。(170頁)
この90年代にスタートしたのがこの番組(「今朝の三枚おろし」)。
「行動を変えよう。あなたが変わるから」というのが時代のテーマの時に、この短い番組の中で武田先生がその手のことを語るという。
武田先生は(番組開始当初)40歳で。
あの頃は頻尿ではなかった。
1989年1月8日から平成が始まった。
そして2019年4月で平成が終わるワケで。
この平成で何が変わったか?
バブル崩壊後、日本は長い不景気に突入するのだ。(172頁)
明治から思えば国家というものの繁栄が個人を豊かにした。
滅私奉公、自ら学び、名を挙げ錦を飾る。
日本国民全体の学び、それが世界での平均点を上げた。
そのことで社会的な階級を駆け上がることができた。
国ではなく個人は企業の為に学び、書籍を企業の理想である学びの為に必要とした。
ここから高度経済成長が始まった。
一億総中流へなった。
そして異様なバブル経済。
その崩壊。
仕事を頑張れば、日本が成長し、社会が変わる──高度経済成長、あるいは司馬遼太郎が描き出した日本の夢とは、このようなモデルだった。(173頁)
90年代以降、−中略−
経済は自分たちの手で変えられるものではなく、紙の手によって大きな流れが生まれるものだ。(174頁)
ドラマがトレンディーなら世界はグローバリズム。
個人がやすやすと個人と結ばれるという全く新しい時代に入っていった。
集団で船を漕ぐという時代が終わり、それぞれやってきた波に個人で乗ってゆくという。
そういう時代の始まり。
これはもうまさしく今。
集団でもう船を漕がなくなった。
武田先生は、ここで考えた。
この「(今朝の)三枚おろし」はとにかく個人の教養・修養そういうものを紹介しているような気がする。
僅かでもお客さんの中で「なるほど」と思ってくれる出来事とかそんな話題が武田先生は個人的に好きだ。
多分武田先生はあの70年代の学生運動のノンポリの立場にいまだにいるんだろうと。
今、批判をする友人もいるのだが、朝の番組に出ているのだが、非常に芸能人の方がポリティカルが好きで、政治のことを語る。
吉本のお笑いの人が政治を語っているのだから。
これはやはりポリティカルというのは一種時代のキーワードだと思う。
本当に申し訳ない。
個人的に70年代は武田先生の青春のあった頃だが、学生運動をやっているヤツと肌が合わなくて。
武田先生の居場所は何かといったら、フォークソングというジャンルというか本当にすみっこ。
同時代の自分達の仲間達が政治を語ったりなんかするのが好きではなくて、武田先生は歌を語っていた。
「関西フォークいいね」とか「(ザ・)フォーク・クルセダーズいいね」とか「吉田拓郎は凄いぜ」とか。
随分バカにされたもの。
ヘルメットをかぶった人から「(「海援隊」という)グループ名が気にいら無ぇ」と言われたことがある。
「君たち右翼っぽいね」と言われて。
武田先生の顔つきからして奇怪な顔をしているから。
そういうフォーク系の人間、政治から離れた片隅のジャンルに生きた人間。
1994年に「三枚おろし」がスタートする。
武田先生は武田先生の傾向を持っている。
この番組を包んでいるのは政治。
いわゆる情報番組。
武田先生は情報はダメ。
扱いきれない。
国家と政治の時代から内面の時代へ。
しかし90年代から経済と行動の時代を迎えて、全て自分へと特化していく。
平成の時代の90年代。
仕組みを知って、行動し、コントロールできるものをコントロールしていくしかない。
「そういうふうにできている」ものを変えることはできない。だからこそ、波の乗り方──つまり〈行動〉を変えるしかない。(175頁)
これが新しくやってきた時代のトレンドなワケで。
その中でヒットした読み物、ベストセラーは何か?
『電車男』(195頁)
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もうこれはズバリ。
「やりたいこと」「自分らしさ」、そして「情報の波を自分で捉えて乗ること」。
それが時代の中で一番大事なことという。
「電車男」「世界の中心で愛をさけぶ」そして「冬のソナタ」。
「やりたいこと」「自分らしさ」「あの人の情報」この三つを結びつけることが自己実現のゲームであったという。
そして本は読まなくても情報を読むことが重大になってくる。
読書はできなくても、インターネットの情報を摂取することはできる、という人は多いだろう。(200頁)
これはまさしく今。
インターネットの上で出会うという。
インターネットの本質は「リンク、シェア、フラット」にある、と語ったのはコピーライターの糸井重里だった(196頁)
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リンクは繋がること、シェアは分かち合うこと、フラットは貸し借り無し。
「フラット」というのはつまり、「それぞれが無名性で情報をやりとりすること」と糸井は説明する。(166〜167頁)
「名無し」でいこう、と。
ハンドルネームで。
流れがちゃんとできていると思う水谷譲。
2000年代に入ってくると、また身につまされる話題が出てくる。
2000年代、自己啓発書は1990年代にも増して売り上げを伸ばしていた。−中略−ベストセラー一覧には『生きかた上手』(日野原重明−中略−、『人は見た目が9割』(竹内一郎−中略−、『夢をかなえるゾウ』(水野敬也−中略−など多数の自己啓発書が入っている。(202頁)
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自分の為だけの情報。
「これはあなたの為に役に立ちますよ」という情報。
勝者たるべき自分を目指す「情報」としての読書。
本を読むのではない。
情報を取りにいく。
過去や歴史とはノイズである。(204頁)
しかし情報は、「今」ここに差し出されるものだ。たとえばインターネットで共有されるマネー情報は、刻一刻と変わっていく。最先端の情報を知っている人が「情報強者」とされ(204頁)
僅かに遅れた情報は、言葉はきついが「一種、ゴミなのである」と。
情報が量産される時代、人々は情報を読む。
著者はここで実に面白いことを述べている。
読書で得られる知識と、インターネットで得られる「情報」と「読書」の最も大きな差異は、−中略−知識のノイズ性である。−中略−情報にはノイズがない。(205頁)
この表現は驚いた。
昔のドラマを見ていると窓を開けると街の雑踏が流れ込んできた。
最近は入れない。
最近、水谷譲の好きなドラマは「VIVANT」。
街のノイズ等々、ノイズが入っていない。
注意して見てください。
昔はノイズだらけだった。
ノイズというのは季節感だった。
山田洋二の「男はつらいよ」を見ると、もの凄くノイジー。
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ご飯をとら屋で食べていると、ゴーンとお寺の鐘が鳴って「ああ、今日も日が暮れたねぇ」なんて。
寅さんが土手の道を歩くと、周りで遊んでいる子供の喧騒な声とか、ボールゲームをやっている少年達の声が響いた。
一切ない。
ドラマからもノイズが消えている。
この「ノイズの除去」というのが今、もの凄く重大なテーマになっている。
知識とは何か?
読書して得る知識にはノイズ──偶然性が含まれる。(205頁)
いつか役に立つかも知れないし、ただのゴミかも知れないというものを持っておくことが「知識」。
これは三宅さんから教えてもらったような気がしたのだが、武田先生はノイズ。
武田先生は今、情報番組に出ている。
(サン!シャイン)
相当、考えこんでいる。
あの番組でも左右に司会者とコメンテーターがいる。
あの人達に勝てない。
情報を持っておられる。
武田先生に情報は無い。
武田先生にあるのはノイズだけ。
武田先生はネットにもあまり触れない方なので、そういうことかと思う水谷譲。
「情報」とは何かというと「生もの」。
今、喰えるかどうか。
足が早いから間違って喰ってしまうと、お腹が痛くなってしまう。
ある意味、この番組は「ノイズでありたい」ということだと思う水谷譲。
ずっと本の流れを考えながら「『三枚おろし』って何かな?」といったら時代の中に於けるノイズ。
この「三枚おろし」が始まる前と「三枚おろし」が終わった後が情報番組になっていて、武田先生は何かというとノイズ。
武田先生はノイズで生きていこうと思って。
そう考えると、政治のことを取り上げることもあるが、取り上げ方がちょっと変わっていると思う水谷譲。
現にフジテレビの司会者の方からも「何を言い出すんだ、この爺さん」という顔をされることがある。
ノイズ。
お気づきの方も多かろうと思うが、武田先生は「生きかた上手」「人は見た目が9割」「夢をかなえるゾウ」等々、2000年代の自己啓発本はこの「三枚おろし」で全く触れていない。
これは恐らくそれらの本が情報だからだろう。
武田先生が触れるのはノイズだから。
物語で皆さんにお伝えしたいな、と。
2000年代からはじまっていた日本社会の「やりたいことを仕事にする」幻想は、2010年代にさらに広まることになる。(217頁)
「フリーランス」といった働き方がもてはやされたのだ。−中略−「ノマド」という言葉も浸透し(217頁)
個人完結型の人生の追求。
どこまでも自分の理想と自分を近づけていくか
これが生き方の大事なところになる。
池井戸潤の小説『下町ロケット』−中略−村田紗耶香『コンビニ人間』−中略−、『舟を編む』(三浦しをん−中略−『半沢直樹』−中略−、『逃げるは恥だが役に立つ』(218〜219頁)
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こういうのは自分の理想に自分を近づけるという生き方。
2010年代、労働と個人の理想のテーマが書籍にもドラマにも溢れていた。
ところがこの「三枚おろし」は本当に申し訳ない。
どの一冊も取り上げていない。
武田先生はその間、何をしていたか。
内田樹さんの行動主義や白川静さんの漢字の話をしていた。
よくぞ2010年代、この番組「三枚おろし」は潰されもせず生き抜いたものだ、と。
これは武田先生が時代の中に潜り込めたのではなくて、違う主語で語っていたからではないだろうか?
武田先生が持っているローカリズムの喋りでラジオ番組の中で小さなまな板を守ってきたような気がするんです、と。
このあたり、著者の指摘と我が身を計りながら本と武田先生の関係を辿ってみた。
2010年代から2020年代にかけて、「オタク」あるいは「推し」という言葉が流行するようになった。
2021年に芥川賞を受賞した、『推し、燃ゆ』(宇佐見りん−中略−は「推し」のアイドルを愛する女性の葛藤を描き(227頁)
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これまで余暇時間に趣味として楽しむものとされてきたアイドルの応援活動に、人生の実存を預けているところにある。(228頁)
「オタク」と呼ばれる人達も同様で、他人の文脈で生きていくという。
これはたじろいだ。
「なるほど。『推し』っていうのはそういうことなのか」と。
他人の文脈に乗ってみるという。
でもこれは、武田先生はあんまり「推し」を遠くに感じなかった。
だって武田先生は自慢ではないが坂本龍馬を何十年も推している。
武田先生はビリを走っているつもりだったが、今、先頭に立った気持ち。
武田先生は申し訳ないが本当に推しだったら負けない。
水谷譲は「何やってんだ、この爺さん。薩長連合を語り始めちゃったよ」と迷惑そうな顔で聞いている。
本物の「推し」。
一番最後にこの頭のいい三宅香帆さんは上手いこと締めくくっていて「二十世紀から私達は外部と戦ってきた」。
凄い言葉。
他国との戦争に生きた。
政府への反抗もあった。
上司或いはライバルへの反発もあった。
反抗、反発、
もうボチボチ疲れてきた。
疲れない為には敵を想定しない。
「全身全霊を求める主張、主義、そういうものはだんだんと疲れ果ててくるんですよ、みなさん」と三宅さんは言っている。
この方はだからこそ全身全霊で働くなと言っている。
この人は「働いたふりをしながら本を読め」という。
三宅さん、ちょっとごめんなさいね。
このあたりのオチところ、ちょっとあなたの文章をよくかみ砕けなかったので粗い感じになったのだが。
でも武田先生はあなたが指摘してくださった中で、もの凄く嬉しかったのは「人間が生きていく中で文章の中のノイズ、これがもの凄く重大なんだ」という。
今、生ものであるところの情報に夢中で情報を握っている人が「情報強者」といって「オマエ知らないの?」という、そんなもんたいしたこっちゃ無ぇや、という。
明日はゴミになる情報じゃ無ぇか。
それよりも私達はノイズいっぱいの知識を手に入れて、それを物語にしていくことなんだ。
ここに情報と物語がある。
人間が何かを記憶する為には情報は覚えられない。
私達は物語が必要。
物語が無いと物事を覚えられない。
武田先生のしつこさは、龍馬を語ったら18の時から76まで語る。
あの南海の快男児は武田先生の胸の中で微動だにしない。
これこそ推しのパワーだ、と。
そしてこの龍馬から教えてもらったのだが「誰もオマエのことを聞きたがらないかも知れないけど、それはオマエのノイズなんだよ」という。
でもそれがこの「三枚おろし」がこれだけ続いている理由かも知れないと思う水谷譲。
今回、こんな本が流行ったというのを見ながら、ベストセラーに武田先生が全く触れていない時代がある。
そういうちょっと傾いているが偏向とは言わない。
傾いているが武田先生にとってはその傾きこそが武田先生のノイズたるゆえんで。
今、テレビで情報番組をやっているが、赤の横に座っているおじさん(カズレーザー)。
あれもノイズ。
時々メインのキャスターの方が「うるせぇなコイツ」という顔で。
ごめんなさい。
というワケで「ノイズでよければ」ということでお付き合いのほど。
これからも雑音として「三枚おろし」頑張ります。













































































































































































































