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2016年02月12日

2015年6月29〜7月8日◆『感情的にならない本』和田秀樹(後編)

これの続きです。

武田先生はキレたりはしないが「どうして俺が」「なんで俺はこんな目に…」。
意外とウジウジしている。
奥様からもザックリ傷つけられる。
お嬢さんの一言にも深く傷ついて、蹴られたお宮(金色夜叉)のようにうずくまって動けなくなる時がある。
感情的になっている。

常日頃からいい加減さの足りない人にはまず少し距離を置くこと。

 つまり80パーセントの成功率なら、20パーセントのリスクを覚悟するこということです。(136頁)

生体肝移植で揉めている。
移植したのはいいけど、10人中○人亡くなられたというので手抜かりがあったのではないかということがある。
あれも成功率のパーセンテージで「60%、70%大丈夫」という一言で皆さん決意なさるが、30〜40%の失敗というのを外して考えてしまうところに、医者側と患者さん側の喰い違いが生まれたりしてしまうのではないか。
数字で分けてしまうと、実は違うということは多い。
確率は確率、わたしはわたし。
聴取率は聴取率、わたしはわたし。
そういう腹をくくっていないと。
天気予報もそうだが、視聴率、聴取率、手術の成功率まで、パーセンテージで伝えられているが、しかしそれはただ単に数字の確率にしか過ぎない。
そのことを絶対に忘れてはならない。

 感情的にならないためにはどうすればいいか、あなたはいま、短く答えることができますか?
 いちばん有効な方法は「動くこと」でした。
(142頁)

ムカッとくることはある。
家にいて「クサっ」と言われるとカチンとくることがある。
臭いというのはそういうので事件も多い。
息子・娘に、あるいは親が子をというのは、全部やっぱり、つい感情的になってしまったという犯罪ではなかろうかと思う。

先のことに関しては細やかな予定やシミュレーションを考えない方がいい。
「想定内です」と言った人で想定内に収まっている人は一人もいない。
想定内というのを世間に流行らせた人で、その人たちは今、想定外の人生を歩いていらっしゃる。
だから人間はみんな想定外を生きて行く。

5月に芝居で関西方面をうろうろしていた武田先生。
大阪都構想はダメだった。
街の雰囲気は一種の険しさがあった。
あの市長さんに対する評価が年齢層で真っ二つになる。
お年を召した方はタクシーで二人っきりになると運転手さんがボソッと「今度の市長たら言う人は」とかっていう。
街角に行くと若い事業主が「もうね、頼るしかないんですわ。あんな革命児に」。
そういう評価の割れ方の大きさが。

「癖が付けば」でかまいませんが、こんなふうに考えましょう。

 感情コントロールの大切な技術に、「考えても始まらないことは考えない」というのがあります。(147頁)

 スパッと答を出してすぐに行動に移す人は、根本的な解決なんか求めていません。
 とにかくいま出せる答を出して、それを実行していくだけです。
 そのときの根拠が、「やらないよりまし」という判断です。
(152頁)

根本的な解決など、目指さなくていい。
やらないより、全てやった方がマシ。
結論は全て一つのステップでしかない。
あるトラブルがある。
感情的になって怒る人がいる。
しかし当方に非があるか否か。
とりあえず一回謝ろう。
「待ってくれ、そのことは」とか棚上げしないで、非がある無いは置いておいてまず謝る。
それが次からの交渉のワンステップになればいいのだ。

武田先生の体験。
例えばジムに通う。
モチベーション維持のために目標を定める。
体脂肪減、体重減、一か月で何キロ行こう。
そのペースで血糖値、あるいは血圧が絶対にいい数字になるはずだ。
そして、数値を細やかに記録する。
半年経った。
何一つ変わっていなかった。
本当にある。
その時、めまいがするぐらい腹が立つ。
われとわが身。

舞台公演で一か月間やると3〜4kg落ちた。
最近は500g。
喰ってる。
「こんなに俺は疲れたのに」と思う時がある。
自信を持って体重計に乗って、2週間前と200gも変わっていない。
腹が立つ。
そういう時につくづく思う。
決めつけの目標は持つとダメだ。
自分の体に腹が立つから。
体を動かすのに頭を使って計算すると、体はやっぱり言うことをきいてくれない。
己の体への改善、そういうことを数値化して目指すというのは逆効果になることがある。
目標の曖昧さが実は逆にモチベーションになるのではないだろうか?
「いつのまにかそんなふうになっている」というのが人間にとって一番いいのではないか?
いつのまにかできるようになっている。
例えば、ケンカに強くなりたくてある少年が空手を勉強し始める。
何か必死になって相手をノックアウトできる技を一生懸命師匠から習おうとする。
一生懸命その技を伝授されて一生懸命やっているうちに、実は彼がもう強いとか弱いとかどうでもよくなった時に、彼は強くなっている。
ケンカが強くなりたくて柔道をやり始めた武田先生。
柔道をやってわかったことは「自分より強いヤツはなんぼでもいる」ということ。
試合に行くとつくづくわかる。
強さを求めるというのは自分の弱さの発見。

目標は目標を忘れてしまわない限り達成できない。
そういうパラドクスの中にあるのではないだろうか?
自転車に乗れるようになりたくて必死になって練習をする。
でも、必死になって乗りたいと思ったのに、どうでもよくなった頃にきれいに乗れるようになっている。
大人とか先輩たちから教わった自転車の乗り方、倒れる方角にハンドルを…。
いちいち頭の中で唱えているうちは倒れている。
何も考えずに倒れる方角にハンドルを切るようになった時に、くねくね曲がりながらも倒れない。

6月の最初に仕事でダンスをしなければいけなくなった水谷譲。
いろんな形を「こうだこうだ」とやっているうちは全然動けない。
それが無意識に動けるようになって初めてダンスの形になる。
柔道にしろ空手にしろカンフーにしろ、ユニフォームを着て、妙に似合うようになった頃、会得している。
ユニフォームを着て興奮しているようではダメ。

三角乗り。
子供用自転車を買ってもらえる子供はいなかったので、全員大人用自転車。
三角のスポークの中に足をつっこんで曲乗り。
自転車を横に倒しながら、背が届かないからペダルをこぐ。
もっとすごいヤツはスタンドで自転車を立てておいて、まず自転車に乗る。
パン!とケツで押して短い足で一個ずつペダルを蹴り送りながら、水車を漕ぐようにして前進する。
そういうヤツがいた。
ハッと気づくといつのまにか自転車に乗れるようになっていた。
だんだん身長が伸びてくるから。
無理をしなくても足がペダルに届くようになっていた。

感情的にならない人は仮面のような人ではない。
喜怒哀楽を上手に人に伝える人であり、つまり豊かな感情の人なのである。
他者の感情を動かしたり支配することはできない。
しかし、いつでも私は笑顔を浮かべることができる。
そういう気持ちで生きている人が感情というものを上手に回転させるのではなかろうか。
いずれにしても笑顔というのはすごいもので、自分のためであっただけではなくて、その笑顔が他の人をほっとさせたりするわけだから、笑顔というのは重大なもの。

何気なく見かけた光景。
喫茶店でお茶を飲もうとしていたら、店員の女の子が「ホットドッグ注文の方〜」とかっていう表情でお客さんを探している。
ジェントルマンが手を上げた瞬間、丸い顔でその子が「お客さんが見つかった」とニカッと笑って「お待たせしました」と駆け込む。
そんな笑顔でさえ、人間って「いいな」と思う。
ジェントルマンも嬉しそうに「こっちこっち」と言いながら受け取るのだが、そういう何気ない会話の中に感情的にならない人の存在感をつくづく眺めたような、そんな気がする。

病院へ行ってチェックしなければならなかった武田先生。
待合室に中華系の方が大量におられた。
日本の医療に対して信頼度が高いのだろう。
中華の方は緊張もあるのだろうが笑わない。
不安そうな顔をしている。
台湾か香港の方だろう。
その中で通訳の男性が武田先生の顔を見た瞬間、多分子供の時に武田先生のテレビドラマを香港か台湾のチャンネルで見たことがあって、それをふと思い出されたのだろう。
その瞬間座がなごんだ。
笑顔というのは本当に浮かべるだけで、すっと気持ちが通じる。

週の途中だが、ここでこの本は終了。

2015年6月29〜7月8日◆『感情的にならない本』和田秀樹(前編)

いかにポジティブな思考に持って行くかみたいなことが書いてある本なのだが、発達障害者は読んでも役には立たない可能性大かなと思う。
障害特性もピンキリなので、絶対に役に立つ部分がないとかってことじゃないんだけど、障害特性上、そういうのは無理かなって感じの内容が多い。

感情的にならない本 (WIDE SHINSHO203) (ワイド新書) (新講社ワイド新書)



感情的な結論を党首が出されたということで「エモーショナル」という表現が春先(2015年)に流行りそうになった。
人間が理性よりも感情に振り回されるということはある。
特に我が身を振り返ると66歳の武田先生は自分の心境、心理、心というものが20代30代40代とは全然違う別の状態になりつつある。
老いの弱り目。
道端で変なおっさんにあって「武田さんいくつですか?」というから「俺は60過ぎたばっかりで」「ああ、まだ若いね。でも言っとくけどね、65過ぎると重たくなるよ、人生は」と言われてから妙にその言葉がひっかかったから、人の呪いの言葉に乗ってはイカンと思いつつ、時々「夜半の寝覚め」というか深夜に目が覚めると次の眠りになかなか落ちない。
グズグズ考えるようになる。
何年も生きて来て、覚悟が定まらないっていうのは情けない。
どうしようもない不安とか考えても仕方のない愚痴のような感情、そういうものがふっと心の中に墨を垂らしたみたいに広がり始めると、全然薄まることなくどんどん濃く広がる。
これがなかなか手ごわい。
どこか病的で、いささか我ながら強迫観念めいて、相手にすまいと思っても絡みついてくるイヤな予感めいた感情。

「女房に隠れてやる喜び」が人生を支配してきた。
奥様から禁止されたことがいくつもある。
「他に行ってチョロチョロやっちゃダメよ」とか言われた。
「やっちゃいけないんだな」ということをやると楽しい。
最近でも奥様の目を盗んで、東京駅に一杯分というのが売っているワインの小瓶を、本の隙間のうしろに隠す。
でっかいのを買ってくると瓶の処置がまた大変なので小瓶が便利。
あれを隠しておいて、紙コップ半分ぐらいを飲んで、一週間前に買った傷みかけたチーズをちょっとかじったりするとたまらなく美味い。
奥様に隠れて何かすることの喜びというのが長い夫婦生活の中で身に付いている。
その時にふっとこの年齢になって「じゃあ女房が先に死んだらオマエどうする?」っていうことを考えると、「おおっぴらにできるんだ」というのがちっとも喜びじゃなくなる。
自由を手に入れた瞬間自由じゃなくなる。
ヨーロッパの偉い哲学者の人が書いた「自由からの脱走」。
人間は自由というのを求めるけれど、いざ自由になるとすっごい不安になる。
そこにヒトラーがつけこんだんだという近代恐怖みたいなものが。
ちょっと感情的になっちゃう。

年齢というのはなかなか手ごわい。
武田先生に残っている唯一の親。
奥様の80歳のお母さん。
熊本でお元気。
80歳を超えてから心配ばかりなさる。
テレビに武田先生の姿がないと「鉄矢さんの仕事が減っとちゃなかとか」。
テレビに出たら「今日見たばってん顔色悪かばい。アンタいつまで働かせるとな」っていう、どうしようもない心配をなさる。
なぜ人はこうも感傷的になるのか?
そういうことを、つくづくこだわるようになってきた。
和田秀樹さんという方は、その感傷的になる心に関していろいろ処方を説いてらっしゃる。
おっしゃりたいことはどういうことかというと、感傷的な、感情的な人は同じパターン、同じ人にひっかかりやすく、同じ人について感傷的になり、いつも同じイヤな感情にとらわれてしまう。

感情の法則を思い出そうと和田さんはおっしゃっている。

「感情は放っておけばだんだん収まってくる」という法則です。(20頁)

ふっと振り返ると、何で感情的になったのか覚えていない。
ニュース番組に顔を出している武田先生。
何番目かのニュースで「トイレが臭いと言って女房亭主に切りつける」という事件があった。
【衝撃事件の核心】「トイレが臭い」「汚い手で触るな」「ぶっ殺すぞテメー!」…3歳長男の目の前で繰り広げられた夫婦喧嘩“刃傷沙汰”の結末(1/3ページ) - 産経ニュース
武田先生の家でもあった。
トイレを終えて表の扉を開けたら奥様が廊下の奥の方に立っていて掃除機をじっと持って「くさぁ〜い・・・」。
その言い方がカチンと来た。
その話を奥様にした武田先生。
「どこかのあれでトイレが臭いって女房が亭主をののしっているうちに女房が切りつけたらしいぜ」
「それはオマエのことだ」というのも込みで言ったら奥様が
「ひどいこと言うねぇ。そんなの夫婦じゃないじゃない。」
だから忘れている。
つまり忘れるほどのことを、こっち側がカチンと来たり感情的になっている。
基本的には「言えば収まる」「放っておけば収まる」というのが感情の法則。

どうも苦手な人物に逃げ腰だからこそ悪い感情が立ち起こってしまう。
ある日に限って、苦手な人にべったりくっついてみろ。
その人から逃げようとすると、その人がイヤでも追っかけてくる。
その人が変わらないんだったら自分の変えられるところをちょこっと変えてみて、感情がどう変化するかまず試してみよう。
例えば言い訳の多い部下がいる。
「おい、それは言い訳だよ」と叱るのは理屈としてまことに正しい

 理屈として正しいことが、そのままいい結果を生むとはかぎらないからです。(40頁)

それが世間である。

もう一つ冷静に考えてみましょう。
つい感情的にさせられる相手に共通点はありませんか?
例えば自分の優位なその一点に拘る人。
こういう人を相手にする時、感情は一種単純な力学に支配されます。

 押されれば押し返すのが感情の法則なようなものですから(49頁)

 そういうときでも、自分の意見に固執しないのがあなたをリラックスさせる人です。
「それもそうだね」とか、「なるほどなあ」「そういう考え方もあるね」といった柔らかい受け止め方をします。
(47頁)

 自分の意見はあくまで1つの見方。他人の意見もまた1つの見方。(47頁)

それが世間の事実なのであります。

武道の達人が言うことと同じ。
押してくる相手を返そうとするから闘いになる。
柳のように押してくれば揺れなさい。

武田先生の実例。
去年のクリスマスプレゼントに「あったかいんだから〜」というのがやたらと受けているので、奥様に暖かいスリッパをプレゼントした。
毛がふかふかして。
痩せていて寒そうなので。
クマさんの絵がついた可愛らしい暖かいスリッパ。
大晦日にはもう脱ぎ捨ててあった。
カチンと来た武田先生。
「オマエ使わないのか」とちょっと硬い声で言った。
奥様が「え?」と「見つかった」みたいな声を出したので「いいよ。オマエが使わないんだったら俺が履く」。
昨年のクリスマスのプレゼントだったのだが今年(2015年)の二月、そのスリッパを結局捨てた。
足を三度捻挫した。
暖かいが履きにくい。
スリッパの底がカマボコ状になっていて階段を登る時に足がクリンクリンひっくり返る。
ちょっと力むとスポンと取れる。
あれは危ない。
あげればいいというものではない。
危ないものをあげてはいけない。
ちょっと見方を変えると、また別の真実が現れてくる。

引くことは簡単なのだ。
引けば疲れないし、痛い目にも、事故にも遭わない。

自分の悪感情、不機嫌、仕事仲間への八つ当たり、水を差されたり、だんだん腹が立ってくる。
悪い感情と不機嫌というのはうつる。
自分の感情のコンディション、あるいは感情のパターンをしっかりつかんでおきましょう。
そしていかなる不安があっても、考えて答えが出ることとそうでないことをしっかり分けて考えましょう。
その内向きな感情と向き合わないコンディションをパターンにすること。
その基本は、悪い感情にとらわれる。
それを忘れる、振り切るためには何をするか?
とにかくすぐに動くこと。
外向きにまず動くことを自分のパターンにしましょう。
ためらいが生まれたらとにかくスイッチを切り換える。
どんな結果が出ても、それを「ひとまずここまでは来たんだから」と「ひとまず」という答えでもなければ問題でもないという、問題からちょっと先の「ひとまず」まで行こう。
全ては「ひとまず」なのである。

これをまとめていたらテレビでドキュメンタリー番組が始まった。
その時にレスリングに励む島の女子高校生がドキュメンタリーの主人公だった。
その子は「勝つという答えが欲しい」とドキュメンタリーの中で繰り返しつぶやいていた。
「勝たなければ島へ帰れない。だから優勝という答えが全てだ」と女子高校生はつぶやいた。
ふと思った武田先生。
実はその「勝つことが全てだ」と言う答えは全てではない。
数年、数十年すると、その「勝つ」という答えは人生の中で、その日々の「ひとまず」の答えであった。
その答えは、人生の別の地点で全く別の答えになるということを見つけることになる。
高校の時に柔道をやっていた武田先生。
人を投げ飛ばして勝ちたかった。
でも周りにいっぱい強いヤツがいたから、試合に行っても勝てなかった。
その時に「答えが出なかった」と思ったが、答えが出ないと思ってやり続けた柔道はその後芸能生活に入って、タフな体はもたらしてくれた。
『金八先生』がハードスケジュールの中で中高、大学の前半二年で柔道をやっておいてよかったと思った。
60代を過ぎてから思うが、こけ方が上手。
こけることに抵抗がない。
それが実は人生の答え。
あの時勝てなかったというのは答えではない。
勝てなくてもやり続けた柔道の答えが、年とってもそう簡単に骨を折らない老人になっていたという別の答えになっている。
だから人生には答えがない。

最近テレビに出て、ほとんど呼ばれるのはバラエティー。
バラエティーは職業違いの人の人種のるつぼ。
お笑いの人もいればドラマに出る人もいれば、ファッションモデルの人もいる。
ファッションモデルの人で今、十代二十代の若いきれいな人は今、自分が美しくて可愛いいっていう答えを持っている人というのは、その答えが十年後には全然違うものになってしまう。
芸能にいると「花の命は短い」と思う。
お肌がすべすべしている時期なんて、男女とも十年ちょっとの盛り。
今、「勝った」という答えを持っている人の不幸というのは66歳の老人になるとモロに感じる。

難波のエリカ様(上西議員)はアイラインを上下に入れる。
水谷譲曰く、メイクに特徴があり真似をしやすい。
彼女に似た化粧の仕方はできる。
昔の化粧法だが、わりと今やっている若い子は出てきた。
武田先生曰く、取るとびっくりするほど目が小さく見える。

暮らしについてあんまりきっちりシナリオを描かないこと。
そして、人の言葉について深読みしないこと。
追いかけてくる言葉がある。
嫌味とか悪意を感じる言葉、チクチク刺してくる言葉に対しては、反応せず、前向きな一番単純な次の行動で応じればいい。
とにかくその人と対面しないこと。
ぶつかり合うのではなく、まず流す。
柔らかく受け流して、感情のブレを判断に入れない。
我々は正しく判断することや完成した結論を望まれているのではない。
みんなが求めているのは成熟した判断なのである。
「おとなの」ということ。

「成熟」という言葉にすごく惹かれる武田先生。
成熟の反対語「稚拙」「ガキっぽい」。
なんで人はガキっぽくてはいけないのか?
内田樹氏の説。
ガキは必ず無理を言います。
世の中をよくしたい。
そのためにはどうするか?
ガキはこう考える「悪い人を皆殺しにする」。
そうすると世の中は正しいだけになる。
でもそれは成熟していない。
そんな乱暴な考え方がこの世の中で通じるわけがない。
現実に悪い人をみんな殺してしまって、よい世界を作ろうとした人は何人もいる。
例えばヒトラー。
ポルポト、毛沢東。
反対するものを皆殺しにして賛成するものだけを集めよう。
それが「ガキっぽい」。
成熟とは何か?
正しい正しくないに答えを求めない。
そこが「成熟」。
成熟した人がいないと、世の中は本当に殺戮だらけになってしまう。

 認知的成熟度の低い人は、相手を敵か味方かのどちらかに分けてしまう傾向があって、いったん敵とみなしてしまうと、その人がなにをいっても反対するし無視します。(91頁)

そういう人はカリカリしている幼稚さの中にいる。
未熟な人は曖昧への耐性がない。
曖昧というのが我慢できない。
曖昧だとすごく怒る人がいる。
曖昧とは重大な決断である。

 自然界には少しなら薬になるけれど、大量に食べると毒になるような植物があります。−中略−毒だって少量なら薬になるとわかれば、白か黒かという区分は極端すぎるということもわかるのです。(93頁)

それは「いい加減」と「適当」という曖昧なラインが決定するのである。
曖昧というのは重大な決断である。
何でもそうだけど、毒というのは量によって薬にもなることができる。
だから、「毒だ」っていうものの中に薬があるのだったら毒だと名指しできないはずだ。
捨てる必要はない。
量を間違えるまいというのが曖昧への耐性ということではないか。

「○○でなければならない」とか「○○すべきだ」といった決めつける考え方を「should思考」といいますが、感情的になっているときはしばしばこういった思考法に陥っていることがあります。(94〜95頁)

正しいとか完璧を目指す人は、もうそれだけで正しくも完璧でもない。
「世の中にはグレーゾーンもあるんだよ」と言われてしまう水谷譲。
「もうこれはYESかNOでしょ」と言ってしまうタイプ。

曖昧さに対する耐性とは白黒ではなく世界を薄いから濃いグレーの世界であると見る事。

政治を語る人は人相が怖くなると思う武田先生。
「人間の存在というものは怖ろしいものですよ」(というような物言いをするような)そういう感じがする。
たまたま古館氏と古賀氏の言い争いを見てしまった。
非常に感情的な言葉の応酬だった。
古賀氏「本当のこと言いますよ」
古館氏「だったら私、あのこと言いますよ」
という、あのクールなお二人が子供のケンカみたいな。
子供が向かい合って、つねり合って、どっち側が痛いかというのを比べあうような、そういう応酬になっていた。
二人とも正義をジャッジする方だからああいうことになったのだろうか。
古賀茂明氏は白黒はっきりさせないと気が済まない方なのだろう。
持っているプラカードが「I am not ABE」。
あれはわかります。
あなたは安倍さんじゃない。
でもあれを自分の叫びたい言葉になさっているところが白黒はっきりさせないと・・・。

 ◎他人のことばにイライラしたり、
 ◎仕事の遅れや小さなミスが気になったり、
 ◎悪い想像ばかりが頭に浮かんできたり、
 ……このようなときは、「ちょっと待って、『曖昧さ耐性』が弱くなってないかな」と自分をチェックしてみてください。
(110頁)

曖昧をキープするためには100%を求めないこと。
オールオアナッシング。
そういう点数の付け方はやめること。
とにかく感情的にパニックにならないこと。
パニックはいきなりこない。
前兆として小さなパニック、ヒステリック、「ダメだ!」そういう言葉が連続して出てきたその後に現れる。

 高校野球でもプロ野球でも、それまではすごくいいピッチングをしていたのに、ホームラン1本打たれてガタガタに崩れるピッチャーがいます。−中略−
 けれども立ち直るピッチャーもいます。
(120〜121頁)

崩れるピッチャーというのは答えを早く出す。
「ダメだ!今日は速球が走らねぇや!」
立ち直れるピッチャーは答えをなかなか出さない。
「次の回まで何とか投げれば」「もしかすると球の勢いも」みたいなそういう思いを持っている人、「もう駄目」ではなく「どうすればいいのか」を絶えず自分に突き付けて行く。
自分を動かすのが感情的にならない唯一のコツ。
(この本は「すぐに気持ちを切り換えられるかどうか」という話になっている)

ゴルフ。
この前も60叩いた。
きっかけははっきりしている。
左足下がりの100ヤードをボールが左に行き、アゴの高いバンカーに入れた。
雑誌に書いてあった「アゴの高いバンカーから出すサンドエッジの使い方」というのをやってみた。
頭の中でその手の雑誌を広げた瞬間に終わっている。
出るわけがない。
二回出なくて、三度目にヤケになって普通通りにやってみたらキレイに出てピッタリ寄る。
それを外して11。
あの時つくづく思ったのは、どこかで「もう駄目だ」とか言っている。
自分を動かしていくのではなく、アタマの中で何かにすがりついたりして、自分が動かなくなる。
そうするとパニックになる。
「今はとにかくこういう状況だが」という励ましを自分に与えてパニックを防ごう。
知り合いや仕事仲間の中に必ずパニックを起こす人がいる。
その人は一度パニックを起こすと周囲の者にパニックを伝染させる。

2016年02月06日

2016年1月4〜15日◆『1行バカ売れ』川上徹也(後編)

これの続きです。

1行バカ売れのための10H
@ターゲットを限定する
A問いかける
B圧縮して言い切る
C対比&本歌取り
D誇張をエンタメ化
E重要な情報を隠す
F数字やランキングを使う
G比喩でひきつける
H常識の逆を言う
I本気でお願いする
(196〜197頁)

 島根県雲南市吉田町に、株式会社ふるさと村という会社があります。−中略−
 2002年、吉田ふるさと村は、用途をおもいきいり絞ることで大ヒット商品を誕生させました。その商品名は、
 卵かけご飯専用醤油 おたまはん
 でした。
 約1年半、幾度となく試作と試食を繰り返し誕生した商品で、地元でつくられた木桶でじっくり熟成させた醤油をベースに、鹿児島産のかつおだし、三州三河の本味醂で旨味を出しています。
−中略−
 2013年12月28日には、何と累計出荷本数300万本を達成しました。
(200〜201頁)

これはヒットのパターン。
ターゲット限定、問いかける、言い切る。
「卵かけごはん用」と銘打ったところが、頭に卵かけごはんが浮かぶ。
「一回でいいからこの醤油で卵かけご飯を」という気になるところが、うまい。

対比とユーモアの傑作。

 インタビューに答えた鳥取県知事の平井伸治さんのひと言がのちに鳥取に大きな経済効果をもたらす1行になりました。
 それは、
 鳥取はスタバはないけど、日本一のスナバがある。
−中略−
 知事のその発言を受け、2014年4月には鳥取駅近くに「すなば珈琲」ができ、またも話題になりました。
 そして2015年5月、とうとう本物のスターバックスが鳥取駅近くにできることになりました。以前からの知事の「スナバ発言」という前フリもあり、ものすごい盛り上がりになったのです。
 シャミネ鳥取店には、開店前から1000人を超える行列ができました。これは国内のスターバックス史上はじめての事態で、東京からレポーターが数多くかけつけ全国的にも大きなニュースになりました。
 一方、すなば珈琲も「大ピンチキャンペーン」を実施。「スタバのレシート持参でコーヒー半額」「まずかったら無料」などを掲げ、こちらも早朝から行列ができました。
(211〜212頁)

ただいま入っている情報によると、両店は本日も元気に熾烈な販売合戦、サービス合戦を展開中。

米子の隣の境港市にある「さかな工房」という店でランチを食べました。
 その店の名物カニかけご飯には、以下のようなキャッチコピーがつけられていたのです。
 たまごかけご飯があるんだから、
 カニかけご飯があってもいいじゃないか
(213頁)

(番組の中ではカニかけご飯の件は、鳥取に対抗してというような紹介のされ方だったが、本の中にはそのようなことは書かれていない)

「ああ言えばこういう」というのは大事。

福岡のローカルアイドル−中略−橋本環奈さん−中略−そしてこの記事のタイトルの冒頭に書かれていたフレーズはとてもインパクトがありました。
 それが、
 千年に一人の逸材
 です。
 1000年前というと平安時代です。当然かなり誇張が入った表現ですが、逆にそこまでいくとエンターテインメントとして成立しています。
(218〜219頁)

100年としなかったところがうまい。
「100年に一人だ」というと嫌味になる。

セーラー服と機関銃(通常盤Type-A)



橋本環奈さんと映画『セーラー服と機関銃』で共演した武田先生。
リメイクではなく前の方(薬師丸ひろこさん)がおやりになった『セーラー服と機関銃』は高校二年生で、橋本さんの方は、その彼女が三年生になって高校を卒業してゆくという物語。
武田先生が老やくざ。
時代が変わった。
橋本さんは上京する気がないらしい。
飛行機がぶんぶん飛んでいるのだから仕事の時だけ行けば、上京はしなくていい。

月に二回ばかり博多の街に帰って夕方ローカル番組に出演されている武田先生。
「博多はいい」と思う。
車で市内ロケか何かやっていると
「あそこの四階に帰ってきとうですよ」
同じころ、武田先生と一緒に上京した一人だったりするので「あいつ、ここで朝を迎えているのか」と思う。
吉竹という女子アナ(吉竹史さんのことを言っていると思われる)と組んで博多の街をうろうろしている。
この子は東京とも往復している。
東京の民放とかNHKに出ながら博多でレギュラーを持っている。
久留米出身の子。
平気で博多弁を使う。
そのことにショックを受ける武田先生。
女子アナを志して福岡を離れた人というのは、遮二無二アナウンサー標準語にしがみつく人がいた。
とある有名な女子アナが故郷の人に東京でばったり会った瞬間に思わず「わたしくさ」と方言が出た。
「私、恥ずかしくてその時」とおしゃる。
その話を聞きながら、やっぱり方言が出るのは恥ずかしいんだなと思っていた。
吉竹さんに至っては綺麗に使い分けができて、番組の間は「女子アナ標準語」で語るが、私的な話は全部博多弁、それも久留米訛で話す。
「こいつら、いい時代に生きてるな」と思って。
何のコンプレックスも持っていない。
江戸と地方というところが、落差を全然感じない。
橋本さんも普通は福岡の自宅を言いたがらないのに「今、アンタどこにおると?」と問うと「私は早良(さわら)です」と普通に。
別の福岡出身の今は60近くなったアイドルに「福岡ですよね」というと「ええ、僕は南部の方で」と「南部」になってしまう。
いわゆる農業地帯なので、それを言わない。
橋本さんははっきり言う。
そういうのに接すると新旧を感じてしまう。
博多ローカルアイドルと思わず呼んでしまったが、この子たちはそれがちっとも恥ずかしくない。
くまモンみたいになりたかった武田先生。

 2009年9月の発売以来、大ヒットしているインスタント味噌汁があります。
 それが永谷園の「1杯でしじみ70個分のちから」です。
 商品自体がキャッチフレーズになっています。商品発売の約2年前、永谷園はアミノ酸の一種「オルニチン」を生み出す植物性乳酸菌をキャベツの葉から偶然に発見しました。それをきっかけにオルニチン味噌汁の開発がスタートします。試行錯誤の末、1食あたりオルニチン含有量25ミリグラムの機能性味噌汁が生まれました。
 オルニチンは肝臓に働くといわれているアミノ酸の一種です。ただオルニチンといわれてもピンとこない人が多いことから、わかりやすい「しじみ」に換算しました。ちょうどオルニチン含有老がしじみ汁2杯分だったということです。お椀にしじみを多めに盛ると35個程度。「1杯でしじみ70個分のちから」という商品はそこに由来しています。
「しじみ汁」からの連想で何となく二日酔いなどに効きそうなイメージです。
(227〜228頁)

(番組では「キャッチコピー」と言っていたが、実際には商品名そのもの)

 2014年9月、サガミオリジナルのブランドで知られる相模ゴム工業(本社神奈川県厚木市)から画期的な商品が全国発売されました。厚さが0.01ミリのコンドームです−中略−
 その商品名は、
 サガミオリジナル001(ゼロゼロワン)
 と厚さの数字がそのまま使われたものでした。
 箱に書かれたキャッチコピーも「幸福の0.01ミリ」とそのままの数字が使われています。
 この薄さを前面に出したわかりやすい商品名とキャッチコピーは効果抜群でした。
(228〜229頁)

 一方、業界最大手のオカモトも負けていません。
 2015年4月に「オカモト ゼロワン」というこちらも数字を商品名に使ったコンドームを発売し対抗。この商品もかなり売れています。
−中略−
「96.8%の人がもう一度使いたいと答えました」(ゼロワン オカモト)
(230頁)

 日本旅行の社員である平田信也さんをご存じでしょうか?
 サラリーマンなのに、約2万人いるファンクラブを持つ「ナニワのカリスマ添乗員」として
−中略−
 平田さんは年間数多くのツアーを企画していますが、その中でも人気だったツアーがあります。それが「4時間の家出 仇討ちツアー」です。
−中略−
 内容は、いつも夜遅くまで帰ってこない夫に対抗して、妻が「家出」「仇討ち」と称して自分たちも夜遊びを体験させてもらうという趣旨で始まった企画です。
 約20人の妻たちが、大阪の北新地で、高級クラブ、高級レストラン、ニューハーフショーをはしごして飲み歩きます。
 夕方早めに集合し、まずは高級クラブで乾杯。店側もまだお客さんが来る前なので、女性客の団体でも安く受け入れてくれます。そのあとは高級レストランでフルコースの食事。そしてニューハーフショーも早めの時間に楽しみます。これで1万8000円。
 普通に行くと何倍かの料金になるところですが、開店直前や直後の客入りの少ない時間帯なので、店にもメリットがあり安くあげられるというわけです。
(239〜240頁)

4時間という安心感があるから、「ちょっとうちの亭主が遊んでいるところへ」というのは興味もあるだろう。
平田さんは大人の旅もの、企画ツアーのことを「大人の修学旅行」と題して、修学旅行だから、例えば奥様方を奈良へご案内する時は、万葉集がお話できる大学の先生あたりをゲストに迎えて「山上憶良がここでこんな歌を」なんて言うと奥様方はちょっと目を走らせて女学生気分でいい気分になっちゃうという。
インテリジェンスを旅で買うという。
旅はコンダクター、コピーは1行。

ほんの小さな言葉使いでピンチをチャンスに変えられる。
売れなかった商品が急に売れ始めたり、ささやかだった商品が光り輝くヒット商品に変わったり。
それも一言のキャッチコピーが。

 しかし実はどんな型よりも強力な一手があります。
 それは「心の底から本気でお願いすること」です。
(242頁)

 2012年11月、京都市にある京都教育大学の生協で大きな事件が起きました。購買部の女性担当者が、森永乳業の焼プリンを20個発注しようとしたところ、機械入力のミスで4000個発注してしまったのです。
 近隣の京都大学など3府県5大学の売店計20店舗に引き取ってもらうとともに
−中略−その棚に生協職員が書いたキャッチピーが以下のようなものでした。
 大変な発注ミスをしてしまいました。
 心やさしい京教生の皆さまご協力お願いします。
 お願い! 森永の焼プリンを買ってください。

 学生たちがその棚を写真にとり、ツイッターで広めました。するとあっという間に噂は拡散していきました。「プリン好きな人は3つ以上買ってあげて!!」などとツイートする学生もいました。その結果、204個の焼プリンはなんと展開した日の昼休みまでに完売してしまったのです。
(242〜243頁)

手紙に弱い武田先生。
ぼちぼちステージでも「老眼鏡かけちゃおうかな」と思う武田先生。
老眼鏡というのは困ったことに近いところはよく見えるのだが、度が違うので目を上げて遠くを見ると立ちくらみをする。
自動車の運転をする時はもちろんはずす。
眼鏡屋さんに相談したら「近いところはややぼやけるかも知れないけれども、ちゃんと読めるぐらい。遠くをわりと普通にしませんか?二種類持ったらどうですか?」
近くがよく見える老眼鏡と、遠くに立ちくらみしない老眼鏡と。
あれこれ眼鏡のフチを選んでいた。
気に入ったフチがあったんで「これいいんだけれどももうちょっと濃いヤツがいいな」。
内心では「もったいないからもういいや」と思った。
帰ってきたら、前に老眼鏡を作ったところだから住所を知ってらして「サンプル取り寄せましたのでもう一度見に来ていただけませんか」と自筆の手紙を頂いて。
「懸命に探した結果」と書いてあると、やっぱり行っちゃう。
結構値段取られそう。
無料サンプルには弱い。
ああいうのを送ってくると半分ぐらい買う気になっている。
「サンプルありません?」って言った段階で。
お店で直接試しただけで、買おうかなという感じになっている。
消費マインドに火がつくというのはそういうことも込みになっている。
そういう接触というのは商売の上ではとても大事なのだろう。

 確かに人間には「損失回避」「損失嫌悪」という性質があります。「得したい」という欲求よりも、「損したくない」「現状の苦痛や不安から逃れたい」という欲求の方がはるかに強いのです。これはいろいろな研究や実験から証明されています。(146頁)
「恐怖」「不安」で売るためには、受け手に「問題意識」を持ってもらうところから始める必要があります。
 たとえば、
 ・太っていると健康に悪い
 ・薄毛はカッコ悪い
 ・日本人の死因の○割がガンである
 ・口臭はまわりの迷惑だ
 ・歯が白くないと印象がよくない
 ・布団にはダニがいっぱいいる
 ・浴槽にはバイキンがいっぱいだ
(147頁)

こういうのをちょっと突かれると「そうか」と。
口臭とか体臭というのには弱い。

武田先生のお嬢さんたちが出雲大社へ旅行した。
昨日、ご飯を食べながら話をしたのだが、話をやめない。
出雲大社の何がいいかというと、「縁結び」というロマンチックなそれに、現地の人たちがいっぱいしかけている。
大国主にひっかけて、大国主が本妻さんと出会ったところの池にお願いごとを書いた紙を置いておいて、その上にお賽銭を乗せる。
そうすると沈む速度で「よき縁がある」とか。
神主さんが説明がうまい。
武田先生のお嬢さん(の賽銭)が沈むのが速かった。
「これは良縁に恵まれますなぁ」
それだけじゃない。
「もっと不幸な人はですね、破けてお金だけスーッと落ちて、願い事の紙が何日も浮かんでいるという。私ども神主をやっておりますけれども、何人か見かけて、声をかけることができません」

 20世紀半ばのアメリカで、販売アドバイザーとして活躍していたエルマー・ホイラーは、10万5000もの売り言葉を分析し、それを基に1900万人に実験しました。
 その結果、「この視点でフレーズを書けば多くの人が買う」というものを発見し、それを法則化しました。
−中略−
 ステーキを売るな、シズルを売れ!
  Don't Sell the steak−sell the Sizzle!
 この場合のシズルとは、ステーキを焼いた時のジュージューという音のことです。
 ステーキの場合、お客さんは肉そのものにひかれて食べたくなるのではなく、焼いた時のジュージューという音にひかれて食べたくなる。
(138〜139頁)

 諸説ありますが、長崎で手に入れたエレキテルを修理・模造したことで有名な幕末の天才学者平賀源内がこのコピーを書いたとする説がよく知られています。−中略−
 源内はある日、うなぎ屋の店頭に「本日、土用の丑の日」という貼り紙を出しました。すると、お客さんが押し寄せ、驚くほどに繁盛しました。
−中略−丑の日には「うの付くもの」を食べると病気にならないという迷信もありました。−中略−
 このキャッチコピーのいいところは、「本日、土用の丑の日」で留めているところです。「だから、うなぎを食べましょう」なんて余計なことは書いていない。
 (81〜82頁)

そのキャッチコピーの看板の下でうなぎを焼く。
だからシズル。

インパクトのある一行はその効果が強いだけに、その強さとは短いのである。

1963年に実施された、エイビスレンタカーのナンバー2キャンペーンです。−中略−
 1962年に巨大な赤字を出したエイビスは、経営陣を一新するとともに、新しい広告会社にDDB(ドイル・デーン・バーンバック)を選びました。
−中略−
 DDBによって制作されたエイビスの広告キャンペーンは大きな成果を生み出しました。
−中略−
 そんな伝説的な広告のキャッチコピーは次の通りです。
 エイビスはレンタカー業界で2位にすぎません。
 なのになぜ利用する理由があるのでしょう?
(172〜173頁)

お客さん考えてくれ。
二位なのは何かいいところがあるからじゃないですか?
この正直な1行でお客さんを引きつけておいて続いて打ち出したキャッチコピー。
(続けて出したものではなく、一緒に出したもののようだが)

最後には「うちの店のうカウンターは他より空いてますしね(173頁)

並ばせたりしませんから、来てください。
これが大爆笑を誘ったらしい。
アメリカ人はこういうジョークが好きなんだろう。
(番組ではこれで業界一位になったと言っているが、それだとこの後の話と整合性がtれないし、本にはそんなことは書いていない)

 ナンバー2宣言で業績が大いに伸びたエイビスは、調子にのって大きな間違いをおかしてしまいました。
「エイビスはナンバー1を目指します」と強気なキャッチコピーに戦略を切り換えたのです。すると、お客さんはあっという間に離れてしまいました。
 お客さんはナンバー2だから一所懸命にがんばるというエイビスの「物語」を支持したのであって、別にナンバー1を目指してほしかったわけではないのです。
(250〜251頁)

その物語が消え失せると、バカ売れはたちまち止まってしまう。
そういう運命にあるのが「一行バカ売れ」の世界ですよ。
皮肉な落ちではあるが、思い知らねばならぬところ。

武田先生が考えた『三枚おろし』のキャッチコピー
刺身から煮物、兜煮、揚げ物まで、いろいろ出します『三枚おろし』
出前おろしもやってます



2016年1月4〜15日◆『1行バカ売れ』川上徹也(前編)

1行バカ売れ (角川新書)



キャッチコピーの1行で消費者の欲望のスイッチをいかに刺激するか。
気の利いた一言でお客は乗る。
靴下で「通勤快足」とか言われると、足元がスース―して蒸れた足にピッタリとか、そういうのがある。

レナウン 【通勤快足】平無地 ビジネス ソックス 25cm ブラウン ※価格は1足あたりです。



「たかが1行の言葉で果たして」と思う方も多かろうと思うが、買う時の決心は短い。

武田先生の持論。
私服は比較的パパスを着ている。
テレビに出る時は別のメーカーだが、私服は奥様の命令でパパス。
理由はダボダボで着やすいから。
ラーメン屋は早くなければダメ(鉄則)。
趣味の渓流釣りのキャッチコピーは「深い」。
好みというものは、長々と理屈を説明してはいけない。
好みいに長い理屈がつくのは、その好みを捨てる時。
恋に似ていて人は惚れる時短く、別れる時長い理屈をつける。
気に入った時は一言。
「優しいのよあの人」
別れる時はウダウダウダウダ言う。
「12月のことだったかしら。夜遅く帰ってきて私に何て言ったと思う?」と延々と始まる。
「好み」は短く「嫌い」は長く。

 木村秋則さんの「奇跡のリンゴ」もそうです。これがもし、「無肥料無農薬リンゴ」だったらどうでしょう? そんなに欲しいとは思わないのではないでしょうか?(9〜10頁)

「奇跡のリンゴ」と言うと「何でリンゴが奇跡なんだ」と思う。
ここに刺激する一点がある。
こちらもリンゴの話dが、川上氏はうまいエピソードを紹介している。

 今から24年前。1991年9月28日朝、台風19号が青森県を直撃しました。
 観測史上最高の最大瞬間風速53.9メートルを記録。特に津軽地方には甚大な被害をもたらしました。津軽といえばリンゴ。ちょうどまさにこれから収穫を迎えるという時期でした。ほとんどのリンゴは風の影響で枝から落ちてしまったのです。
 落ちたリンゴはもちろん商品としては売れません。枝にわずかに残ったリンゴも傷ついていたので通常より商品価値が下がってしまいます。壊滅的な被害です。被害はリンゴ畑の全体の90%もの面積に及び、県全体の被害額は741億円にもなったのです。
−中略−
 そんな中、ある町のリンゴ生産者から1つのアイデアが出ました。「この落下しなかったリンゴに別の名前をつけそれを付加価値にして売れないか?」というものです。
 その町の生産者は、ワラにもすがる思いで、そのアイデアにかけました。そうして残ったリンゴにつけられた名前とは以下のようなものです。
 落ちないリンゴ
 実際それらのリンゴは風速50メートルの強風にたえて枝から落ちなかったリンゴです。
 落ちないことを喜ぶのは誰だろう?
 そう、受験生です。全国の神社で受験生向けの縁起物として販売したら、というアイデアだったのです。
 化粧箱に入れ「合格」という朱印を押し、協力してくれた全国の神社でご祈祷してもらい、1個1000円で販売しました。受験生やその親に大人気で、用意した落ちないリンゴはあっという間に完売したといいます。結果としてその町のリンゴ出荷量は大きく減ったものの、販売額ではそれほど落ち込まずにすみました。
−中略−
 しかし黙って何もしなければ、ただの「傷もののリンゴ」です。
 その価値を大きく変えたのは「1行の言葉」でした。
(30〜32頁)

言葉には力がある。
リンゴを買う方もこのリンゴの言われを知っている。
多少傷がついているけれども買ってあげたい。

 ニューヨークマンハッタンの高級住宅街ウェストビレッジに1軒の博多料理専門店があります。それがHAKATA TONTON(博多トントン)です。
 オーナーのヒミ*オカジマさんは、もともと福岡で飲食店を経営していましたが、2006年、金もコネもない中で渡米。2007年に「博多トントン」をオープンさせると、瞬く間に繁盛店へと成長させました。
「博多トントン」の売りは「豚足(トンソク)」です。もちろんアメリカではトンソクを食べる習慣はありません。それまで捨てられていた食材を使って、繁盛店にしたのですからすごいですね。
−中略−
 そんな博多トントンで、メニューの名前を変えただけでバカ売れした食材があります。
 それが博多名物の明太子です。
 最初は、そのまま「タラのたまご(cod roe)」とメニューに載せていました。すると、注文もしていないお客さんから3件同時に苦情が入ったといいいます。
「タラの卵なんて気持ち悪いメニューを載せるな」と。
−中略− 
 そして翌日、メニューを書き換えたのです。
 それが、
 博多スパイシーキャビア
  HAKATA Spicy caviar
 でした。
 すると途端に、どんどん注文が入ってバカ売れ。アメリカ人は「うまい。これはシャンパンに合う」と言って食べるようになったのです。
(32〜34頁)

「えっ?」と思うような奇怪さから耳に馴染みはじめるとやたら頷いてしまう。
奇怪なネーミング。
「なぜそんな名前がついたのか」と謎を感じ、それで訳を聞き、知ることでその商品の魅力に惹かれてしまうという好例。
近大マグロ。

 あなたが、魚がおいしい居酒屋に行って、刺身を注文する時のことを想像してみてください。
「天然」と書かれた魚と、「養殖」と書かれた魚、どちらの方に価値を感じますか?
 多くの人は「天然」の方だと思います。
 一般的には養殖モノは、天然モノに比べて味が落ちるというのが定説でした。
−中略−近大マグロとは、和歌山にある近畿大学水産研究所が開発に成功した完全養殖のクロマグロ(本マグロ)のことです。1970年、水産庁の要請を受け、他大学も含めた8つの機関でマグロの養殖研究はスタートしました。しかし3年たってもほとんど成果が出ないまま、他の機関は撤退しました。ですが近代だけは研究を続け、32年の歳月をかけてやっと成功にこぎつけたのです。
 実現が困難をきわめたのは、クロマグロがデリケートな魚であり、生態もよく知られていなかったためだといいます。研究当初は人工孵化した稚魚が大量死するなどということが繰り返されました。
−中略−
 そして2013年4月、サントリー系列の飲食会社や和歌山県と連携し、大阪・梅田のグランフロント大阪に養殖魚専門料理店「近大卒の魚と紀州の恵み 近畿大学水産研究所」をオープン。同年12月には東京・銀座コリドー街に2号店をオープン。どちらも予約が取れないくらいの大繁盛店になります。
−中略−
 もちろん、32年の苦闘の末に開発したという、人が誰しも感動を覚える「黄金律に沿ったストーリー」があることが価値を生み出しているのは確かです。
−中略−
 しかしながら「近大マグロ」が「完全養殖マグロ」というネーミングではここまで浸透はしなかったでしょう。「大学名(近大)」と「魚の名前(マグロ)」を組み合わせたネーミングは斬新でとてもインパクトがあったのです。
(35〜26頁)

(番組では「2006年に成功した」と言っているが、成功は2002年。2006年は商標登録した年)

このほかにも「大学」とつく商品。
大学いも。
早稲田大学の近くの総菜屋さんが発明したらしい。
(調べてみたが諸説あるらしい)
焼きいもとか蒸した芋ではダメなので、飴か何かを絡めて新しい味わいなので、大学生に売りたいのであえて「大学いも」と名付けて売ったら大当たり。
こういう「アカデミーに弱い」日本人の弱点をツボとしてキュッと押さえる。

 では、どうすれば、あなたの文章は発言は、スルーされないようになるのでしょう?−中略−
 受け手に「自分と関係がある」と思ってもらう
 ということです。
(52頁)

 相手に自分に関係があると思わせるために必要なのが、「はじめに」でご紹介した「キャッチコピー力」です。−中略−
 日本語で簡単に言うと「何を言うか」と「どう言うか」ということです。
(53頁)

バレンタインデー。

 そもそもバレンタインとは、3世紀頃にローマにいたキリスト教の司祭の名前・聖ウァレンティヌスの英語読みです。
 当時の皇帝が兵士の士気が下がるという理由で、2月14日に開かれていた男女が出会うお祭りを禁止しました。聖ウァレンティヌスはそれに逆らって男女の出逢いを演出したと言われています。しかしそのせいで、彼は処刑され殉死してしまいました。
 これがバレンタインデーの発祥だといわれています。
 現在でも欧米諸国では「恋人たちの日」ということでカードを贈りあう習慣があります。ただし、女性からの告白の日という訳ではなく、チョコレートも本来関係なかったのです。
 日本におけるバレンタインデーの起源は諸説あります。その中でも、女性から男性へのプレゼントを最初に打ち出したのはメリーチョコレート(本社東京都大田区)だと言われています。
 メリーチョコレートのサイトによると、1958年にヨーロッパのバレンタインデーの習慣を知り、デパートで初めてのバレンタインセールを行いました。しかし結果は散々。3日間で50円の板チョコレートが3枚と20円のメッセージカードが1枚、たった170円の売上げだったといいます。
 しかしメリーチョコレートは、翌年もめげずに再び挑戦します。
 愛の日ということから、チョコレートをハート形にして、その上に贈る人と相手の名前を入れられるサービスを実施しました。
 さらに、
 年に一度、女性から男性へ愛の告白を!
 というキャッチコピーを付けたのです。
 女性から男性に告白するのがまだ珍しかった時代、この1行はセンセーショナルでした。
(83〜84頁)

 ブラックサンダーというお菓子をご存じでしょうか?
 有楽製菓(本社東京都小平市)が1994年から発売しているココア風味のクランチをチョコレートで固めた商品です。
−中略−
 もともと大学生協を中心に売られてきたこともあり、学生たちを中心に口コミで人気が広がっていました。
−中略−北京オリンピックがあった2008年には、体操の内村航平選手の大好物として知られるようになり、売上が急上昇しました。
 そんなブラックサンダーが、2013年からバレンタインで展開しているキャンペーンがネットを中心に話題を呼んでいます。
 そのキャッチコピーが以下のものです。
 一目で義理とわかるチョコ
−中略−
 チョコ自体のおいしさやクオリティなどにはまったく触れず、この情緒的なベネフィットを提供することに集中しつづける有楽製菓の戦略は大ヒットします。
(104〜105頁)

キャッチコピーのうまさは売り手の正直さ、信用を何より大事にする基本姿勢がなければダメ。
安いチョコレートでそれを遮二無二「男性の贈り物に」とかしない。
一目で義理チョコとわかるというのを逆にコピーにしたというところがエライ。

 個人対個人であれば、「約束を守る」「結果を出す」「嘘をつかない」「専門知識がある」「実績がある」などといった当たり前のことが重要になってきます。
 企業や店など販売側とお客さんという立場になっても基本的には同じです。
(169頁)

営業マンが商品についてメリットばっかり強調すると、聞き手、お客としては「こいつ何か隠してるな」というような気になる。

 多くの方はあえてデメリットを語る営業マンの方を信用するでしょう。
 販売側からわざわざデメリットやマイナスの部分を言うことはそれだけ自信があるのだろうと、逆に信用されます。
 先日、ある地方都市に出張した時のことです。地元でとても繁盛しているという国道沿いの回転すし屋で食事をしたのですが「桜鯛のかぶと揚げ」というメニューに書かれていたキャッチコピーが目をひきました。
 言っておきますが、骨だらけです。
(170頁)

この正直さがお客さんの消費マインドを刺激する。

「ジャパネットたかた」の高田社長はうまい。
(正確には「元」社長。社長だったのは2015年1月16日まで)
時々感心する時がある。
武田先生と同い年。
社長からスカウトされたことがある武田先生。
教育用品。
机とか蛍光灯が武田先生が売ると売れそうだということで。
お断りをしたが、同じ喋り手としてお元気な姿を見ながら「うまいな」。
一番大事なことは、あの人は売ることに興奮している。
自分のやっている仕事に嬉しそうに興奮しているというのは惹きつける。

正直というのが、いかに商売にとって大事か。

「正直にデメリットを語る」ということをチェーンで実践してそれが売りにつながっているスーパーマーケットがあります。
 それが関東にチェーン展開している「オーケー」です。
 オーケーは、マイナスな情報も正直に伝えるという手法をとっています。
 たとえば、以下のような言葉が書かれたPOPを商品につけているのです。
「只今販売しておりますグレープフルーツは、南アフリカ産で酸味が強い品種です。
 フロリダ産の美味しいグレープフルーツは12月に入荷予定です」
「長雨の影響で、レタスの品質が普段に比べ悪く、値段も高騰しています。
 暫くの間、他の商品で代替されることをお薦めします」
 オーケーでは、このようなお知らせを『オネスト(正直)カード』と呼んでいます。本来ならば、隠したいであろう情報を正直に語ることで逆に信用を得ているのです。
(171頁)

 たとえば、東京神田のとあるバル(西洋風居酒屋)は、ぱっと見は非常に高級層な店構えで、常連以外はなかなか来てくれないという悩みがありました。そこで店頭に「入りづらい? 大丈夫だよ、たいした店じゃないから」というキャッチコピーを書いた垂れ幕を置いてみました。するとそれを見てフリーのお客さんがどんどん来てくれるようになったといいます。(175頁)

 2007年、発売から20年以上たっていた文庫本がいきなり売れだすという「事件」がありました。−中略−
 それが『思考の生理学』という本です。
−中略−
 そんな1冊をミリオンセラーに導いたきっかけは、岩手県盛岡市にある「さわや書店」の書店員松本大介さんが作った1枚の手書きPOPでした。
 そこに抱えれていたキャッチコピーは以下の通りです。
“もっと若い時に読んでいれば…”
 そう思わずにはいられませんでした。
−中略−
 すると全国的に爆発的に売れはじめました。1年半あまりの期間に、発行累計部数は50万部を超えるまでになったのです。
(175〜176頁)

本は買う時の偶然みたいなものがある。
「終わらない殺人事件」「ハラハラドキドキのジェットコースター」
血なまぐさい事件でもいかにもどこかのテーマパークの呼び込み文句みたいなものを付けることによって、戯画化するうまさ。

 時間や場所を限定していかに「今だけ」「ここだけ」で「あなただけ」に語っていると思わせるかが何よりも大切だということです。(182頁)


2016年02月02日

2015年9月28日〜10月9日◆正義という幻(後編)

これの続きです。

 つまりメディアが(今の方向に)発達すればするほど、皮肉なことに、世界はより単純化され、そして矮小化される。(164頁)

それゆえにイメージする力を我々は失ってはならない。

原子力安全神話。
大学で教えている森氏。
学生とやり取りする中で学生から質問をされる。

先生はスサノオノミコトがヤマタノオロチを退治したと思いますか」−中略−
「スサノオノミコトです。古事記です。じゃあハデスでもいいです。ギリシャ神話の冥府の神。彼が地下に本当にいると先生は思いますか」
 やっぱり意味がわからない。次の授業の準備がある。いつまでも相手をしているわけにはゆかない。
「確認はしていないけれど、ハデスは実在しないと思います」
「スサノオノミコトは?」
「やっぱり伝説だと思うけれど」
「そうですよね」
 言いながら学生は、こくりとうなずいた。
「僕もそう思います。古事記やギリシャ神話を疑いなく信じる人は、ほとんどいないと思います。だって神話ですから。ならばお訊きします。原発の安全神話です。これを信じていた人は本当にいるのですか」
 ああ、なるほど。そういうことか。
「不思議なんです。日本社会は原発安全神話を信じてしまったとみんなは言うけれど、神話だと知りながら、その幻想をなぜ信じることができたのでしょうか」
「事故前に神話、つまり幻想だと思っていた人は、この社会では少数派だったということではないかな」
「多くの人は事故後に神話だったと気づいたということですか」
「そういうことです」
「ならば、三・一一前の日本人は、スサノオノミコトが実際にヤマタノオロチを退治したと信じていたということですか」
「喩えとしてはそうなるね」
(201〜202頁)

メディアの言葉使いで「安全神話は崩れた」というが、考えてみたら当たり前のこと。
神話はもともと事実ではないわけだから、そういう奇妙な言葉使い。

2011年の前に書かれた文だと思うが(この章は2010年10月27日に掲載されたものらしい)日本というのは面白いことに、広島長崎からわずか九年後に原子力の安全利用、安全使用というのを夢見て原発の調査に乗り出している。
そこから民間の間で原爆等々の兵器としては反対するのだが、いわゆる原子による平和利用っていうのは支持されて、安全神話がそこから。

この時代に生まれた鉄腕アトムやエイトマンは、小型原子炉を内蔵していました。エイトマンは疲れるとよくタバコのようなものを口にくわえていた。あれは原子炉の冷却剤だったとの説もある」(205頁)

そういうことで、原子力発電に関してはかくのごとく平和の象徴として、核兵器に対する怨念を忘れるために平和利用というものをやたら神話化してしまった。
原発の本当の恐ろしさというものを日本人はよく理解できていなかったのではないだろうか。
原発事故の中で凄まじいのがあった。
バケツか何かで作業をやった。
東海村JCO臨界事故 - Wikipedia
原発関係者が後で聞いてあきれ返ったという。
恐れるべきものを恐れずに、まるで腕白小僧が蛇の尾を素手で握りしめて振り回して遊んでいて、手が止まった瞬間に蛇がガッと襲ってくるということを考えていないというような。
それが実は原子力の安全神話、原発の安全神話ではなかったのだろうか?

この章の締めくくり方は美しかった。

「でも先生、……安全神話が形成されようとしていた時代に、僕たちは存在していません。−中略−確かにそのとおりだ。言えるとしたら「ごめんなさい」しかない。本当に申し訳ない。今のこの状況は、言うべきことを言わなかった(僕も含めての)世代の責任だ。−中略−
「だからこそできる。だってあなたたたちは、僕たちの過ちを知ったのだから」
(209頁)

世界が刑事罰厳罰化の方向に進んでいる。

 アメリカほどでもないにしても、日本も確実に厳罰化の道を歩んでいる。この二〇年(要するにオウム以降だ)で受刑者の総数は、ほぼ二倍に増加した。死刑判決や執行数も急増している。
 世界的なこの傾向とは逆の方向に進んでいるのが北欧だ。つまり厳罰化ではなく寛容化。その先端を走るノルウェーにおいて、ニルス・クリスティの存在は大きい。
(254頁)

日本でも「死刑がはたして犯罪の抑止になっているか」に関しては疑いが。
死刑がどんどん世界中で廃止になっている。

特に九・一一以降、過剰なセキュリティ状態に陥った世界は、全般的に強い厳罰化の傾向にある。アメリカではこの四〇年で、刑務所に拘禁される囚人の数が約六倍に増大した。−中略−国民の一〇〇人に一人が囚人ということになる。(253頁)

ワシントン州やカリフォルニア州を含めて半数近くの州では、重罪の前科が二つ以上あって更に三度目の有罪判決を受けた場合、それがどんなに微罪であっても終身刑を科せられるという三振(スリーストライクス・アンド・ユー・アー・アウト)法を導入している。−中略−でもその結果として、ズボンを一枚盗難しただけで終身刑を言い渡される状況が現出した。(254頁)

日本でも受刑者は最近の統計によると前時代の二倍に膨れ上がり、高齢者にも犯罪者が増加している。
70、80で人をあやめたりという人生を歩く人も日本は増えている。
中国、ロシアになると、これに政治犯が入ってくるので、もっとすごい。
中国なんてちょっと刑務所の世界がちょっとSFっぽい。

(以下、この本は「ノルウェー」の「エ」が大きかったり小さかったり混在しているが、極力原文に忠実にと思ったけど違っている箇所があるかも知れない)

 ノルウエー国内の年間の殺人事件は総数で三〇件前後。ただしそのほとんどは過失や傷害致死で、殺意ありきの殺人事件(つまり故殺)は、確かに年間に一件あるかないかだった。
 このときはさすがに驚いた。だって国全体なのだ。でも後から思いついた。日本とノルウエーとでは分母が違う。ノルウエーの人口は約五〇〇万人だ。国土面積がほぼ等しい日本のおよそ二五分の一。日本の殺人事件は年間で一〇〇〇件強(二〇一三年は一〇三〇件)だけどこの数値には、未遂や予備容疑まで含まれているから、実質的な殺人事件はこの半分強と推測されている。
 計算すればわかるけれど、ノルウエーと日本とでは、殺人事件の人口比はほぼ同じくらいと考えることができる
(255頁)

日本も森氏が憧れた天国に近かった。
でも森氏も意地にいなる。
そんなこと言ったってノルウェーいいもん!
著者はそれでもやっぱりノルウェーは天国のような気配があるのだと。
往来には監視カメラがない。
監視カメラ等々は個人のもので、宝石店とかそういうところにあるのみ。
大通を歩いていて、警官の姿をほとんど見かけない。
見かけてもノルウェーの警官は銃を携帯していない。
それぐらい民度が高い。

 ノルウエーには死刑も終身刑も無期懲役もない。刑罰の最高刑は禁固二一年。どんなに凶悪な事件の加害者だとしても、これ以上は休憩されない。ただし出所の際には、住いと仕事があることが条件になる。この二つが決まっていなければ出所できない。でも長期受刑者の場合、住いや仕事は失っていて当たり前だ。ならばどうするか。その場合には国が、住いと仕事を斡旋する。だから再犯率はとても低い。−中略−
「もしも望めば刑務所で大学教育までも受けることができる。仕事のための技術も身に付けることができる。
(260〜261頁)

受刑者たちの個室にはテレビが置かれていて、共同のキッチンには包丁もあった。家族に電話することもできる。刑務所内には学校や職業訓練校が併設されていて、受刑者たちはここで仕事の技術を身につける。(261〜262頁)

ここに修復的資本の発展系、日本とは比べようもない明るい人間の希望の未来形を筆者は見る。
やっぱり寛容化の方がいいんだ。
死刑なんか無い方がいいんだ。
筆者森達也氏はそれを学んで帰ってくる。
ところが2011年7月、大変な事件が起きる。

 二〇一一年七月二二日、ノルウェーの首都オスロで政府庁舎が爆破されて八名が死亡し、さらに同日、オスロ近郊の湖に浮かぶウトヤ島で銃乱射事件が発生して六九名が死亡した。(269頁)

ノルウェー連続テロ事件 - Wikipedia
これはノルウェー社会に増える移民、異教徒を呪うブライヴィーク(アンネシュ・ブレイヴィーク)という青年の犯行である。
凄まじい殺戮の現場だった。
ノルウェーオスロの人たちは、祈りと冷静さと民主主義の三つでテロに立ち向かおうということで、非常に静かにその事件を受け入れた。

 事件翌日の二三日、ウトヤ島の殺戮現場に、犯人であるブライヴィークの母親が花を捧げに来ました。遺族たちは静かに母親の献花を見守ったようです。(271頁)

森氏はノルウェーは希望の未来形を語り続けている国だと断じる。

 一方、同容疑者が犯行直前にインターネット上に掲載した約一五〇〇ページの文書「マニフェスト」の中で、学ぶべき国として日本を挙げていたことが二五日わかった。同容疑者は、日本は多文化主義を取っておらずイスラム系移民が少ないなどと高く評価。会ってみたい人物の一人として、麻生太郎元首相(七〇)の名前も挙げていた。(276頁)

ブライヴィーク曰く
ノルウェーはどんどんダメになって行く。
キリスト教以外の宗教の人間が入って来て、ノルウェーの持っている最も素晴らしいものを、政府は簡単に売り渡してしまって多民族国家にしている。
世界で最も美しい国はどこだ?
日本だ。
日本は自分たちの文化を守るべく、移民の少ない単一民族で理想国家を作り上げている。
私の希望の国は日本である。

彼はノルウェーは絶対に憧れの国だと文章を結んでいる。
(そんなことは書いていないが)
理想ということ、真に語りがたいというか難しいものだと痛感する武田先生。

北朝鮮。

 今のあの国は、周囲からの脅威や制裁に脅えて、困窮して、不安と恐怖に煽られながら、歯を剥きだして必死に吼えるばかりの犬だ。その犬に石を投げつけてどうするのだろう。(342頁)

ここまでで本の内容は終了。

新聞の切り抜きを丁寧に集めている武田先生。
読売新聞が多いが、毎日新聞などの気になる切り抜きをノートに集めている。

2015年1月15日の毎日新聞のコラム。
 安政5カ国条約で神奈川宿に領事館が置かれることになった時、各国はそれぞれ選んだ寺を借り上げた。幕府の仲介とあらば寺も拒めまいが、この時米国の長老派教会宣教師として来日したヘボン式ローマ字の創始者ヘボンは成仏寺(じょうぶつじ)に住んだ
 彼の書簡によれば本堂の仏像を取り払い、そこで安息日の礼拝をとり行ったという。異教の伝道所にされた寺側だったが、十分な家賃を受け取り満足だったらしい。来日したキリスト教徒の外国人を驚かせたのは、実に寛容で融通無碍(ゆうずうむげ)な当時の日本人の宗教意識だった
 ご先祖はそんなだった日本人だが、今日では信ずる宗教も人それぞれ、心の中に譲り渡せない聖堂を秘めた方もおられよう。新聞社襲撃テロによってひびの入った欧米社会の自由と寛容との断裂は日本社会にも無縁でない
−中略−
 昔の日本人の融通無碍とは違い、悲惨な宗教戦争をくぐり抜けて欧州文明が手にした宗教的寛容と信教や思想の自由である。お互い譲れぬ聖堂の尊重と暴力の封じ込めはその一部だったろうに。

胡蝶の夢〈第1巻〉 (新潮文庫)



ヘボン氏はホウ酸を持ってきている。
「尊王攘夷!」と言いながら襲ってくる。
ところが、その一人を捕まえたらトラホーム(目の病気)だった。
ヘボン氏はホウ酸で治してあげた。
目に関する病気に関して、日本は最低の野蛮国で、たかだかトラホームが治せなかった。
眼科医はなかった。
それを一発で治した。
西洋医学は効くという宣伝は眼科から始まった。
そのトップバッターにヘボン氏がいた。
住職が自ら引っ越しを手伝ってくださった。

2015年2月の読売新聞のエッセー(編集手帳)。
(該当する記事を発見したが「見出し、記事、写真の無断転用を禁止します。」とのことな上にプレミアムとやらに登録をしないと見ることができないようなのでURLだけ貼っておく。https://premium.yomiuri.co.jp/pc/#!/news_20150210-118-OYTPT50189
石屋の大将は焼き海苔が好物らしい。
「海苔と梅干がすたれるようじゃ、日本もおしまいだよ」。
往年のテレビドラマ『寺内貫太郎一家』の食事場面を向田邦子さんのシナリオから引いた食卓には、きっとあの小さな醤油びんが置かれていた。
焼き海苔や納豆、目玉焼き、めざしなど、昭和のごちそうをつつましく彩った名わき役である。
キッコーマンの醤油卓上びん。
スパッと頭が平面で赤いキャップに黄色いロゴで知られるキッコーマンの醤油卓上びん。
これは工業デザイナーである榮久庵憲司(えくあんけんじ)さんが考案なさった。
この方は実家は広島の爆心地から500mほどの距離にあり、原爆でお父様と妹様を失くされているという。
終戦を迎えて海軍兵学校から戻ってみると、広島の風景が実に無惨であった。
「美しい秩序のあるものを作りたい」ということで工業デザインの道に入った。
赤いキャップの醤油びんはそういう広島を知る人が、家庭の幸せ、卓上の上に平和の火をともしたいと思って作った象徴的なびんであった。

キッコーマン 特選丸大豆しょうゆ 卓上 150ml×6個



手からもストンと落ちずにちゃんと引っかかるし、カーブの線が優しくて、そういう民芸とも言える家庭用品のデザインに、憲司さんは85歳まで様々なものを考案しつつお亡くなりになられたという、その一文。

「盗むなよデザイン」
(オリンピックのことを言っているかと思う)
広告業界というのは人間の種類が二つで、ものすごくわかりやすくざっくばらんに言う人と、ものすごく勿体付けて話を盛る人と二通りいる。
かます人がいる。
「トレース」なんて言葉を使わずに「盗みました」と言え。
スポンサーさんも考えましょう。
子供にやらせたらどうなの?
もし採用になったら。お金なんているなんていうヤツはいない。
結局「東京オリンピックのエンブレムを作った」という名前が欲しいのだろう。
名前にすがりつくのはやめようよ。

読売新聞『編集手帳』のコラム。
(調べてみたけど、原文を発見できませんでした)
大正9年生まれの阿川弘之さん。
鋳型にはめられた人物像の対極にあったのびやかな人であった。
同世代の学徒兵、思いは深く幾多の犠牲を「犬死に」なんていう一言で片づける人たちがどうしても許せなかった。
ただし戦中を美化する勢力とは一切組せず、本紙の取材にも「問答無用が大嫌いだ」と一言おっしゃったと言う方。
旧制高校の自由に海軍の合理性を持ち合わせた作家さん。
娘さんは佐和子さん。
若い日を過ごした場所の伝統が文章や発言に息づいていた。
70回目を迎えた原爆忌の前夜、広島生まれのこの作家の訃報に接する。
復員して焼野原になった広島の町に一本だけ小麦がスッと伸びていた。
それを見た阿川青年は「広島の町も日本の国も、案外大丈夫じゃないかなと少し明るい気持ちになりました」。
そう文章にしたためている。
この精神。
焼野原の一本の小麦の穂を見て「未来はある」って予感のできるようなそんな爺さんになりたい武田先生。
「昭和という時代の真実を突き止めるにはまだまだ100年単位の年月が必要です」
そう阿川さんはおっしゃったそうだ。
まだまだ正義の答えは出ない。


2015年9月28日〜10月9日◆正義という幻(前編)

以前取り上げられた『たったひとつの「真実」なんてない メディアは何を伝えているのか?』という本と同じ森達也氏の著書。
内容も前の本とかぶる部分もある。
番組では途中まで本を取り上げるのだが、最後の方は引き続き「正義という幻」というお題のままで、本からは離れた話に移る。
番組の中では本の一部しか取り上げないのだが、取り上げない章などにも、とてもためになる内容がたくさんあると思う。

「自分の子どもが殺されても同じことが言えるのか」と叫ぶ人に訊きたい―――正義という共同幻想がもたらす本当の危機



とても洒落た前書きに魅せられた武田先生。
小学生の息子と遊んでいる筆者。
遊んでいるうちに蜂に襲われそうになる。
体が大きくて真っ黒い毛に覆われた大型の蜜蜂。
凄まじい羽音を立ててこちらに向かってくる。
大スズメバチか?
いや、クマバチであった。
息子と「刺され無くてよかったよかった」と幸運を喜び合うという「夏の思い出」みたいなことから話が振り出される。
「絡まれたクマバチはそんなに恐ろしいのか」という息子の疑問に著者はひたすら自分たちが遭遇した蜂を調べる。

 体が大きく、羽音の印象が強烈なために獰猛な種類として扱われることが多いが、性質はきわめて温厚である。ひたすら花を求めて飛び回り、人間にはほとんど関心を示さない。オスは比較的行動的であるが、針が無いため刺すことはない。毒針を持つのはメスのみであり、メスは巣があることを知らずに巣に近づいたり、固体を脅かしたりすると刺すことがあるが、たとえ刺されても重傷に至ることは少ない(アナフィラキシーショックは別)。
 本種は大型であるためにしばしば危険なハチだと解されることがあり、スズメバチとの混同がさらなる誤解を招いている。スズメバチのことを一名として「クマンバチ(熊蜂)」と呼ぶことがあり、これが誤解の原因のひとつと考えられる。
(8〜9頁)

 人から見た虫の世界は、かなりの誤解と偏見に満ちている。(9頁)

平和な蜂なのに、それを悪漢のように思ってしまう。
世界全体をしっかり見つめないとだめだなということ。
ムカデ、ゴキブリ、ゲジゲジ。
よく調べてみると、非常に危険なヤツと全く危険じゃないヤツがいる。
それを私たちは余りにも、いとも簡単にいっしょくたんに悪者とまとめているんじゃないだろうか?
筆者はそれを前書きでこんなことを言う。

 ほんの少し視点を変えるだけで、たぶんこの世界は相当に違って見えるはずだ。それほどに世界は多重で他面で多層的だ。(11頁)

意見というのは様々あっていいと思う。
様々ないとダメ。
意見が「一つしかない、二つしかない」それじゃあダメ。
突拍子もないことも含めて、いろいろないと世論というのはまとまらない。
まとまるためには最初から一つを目指すのではなく様々が混じるところから一つが目指される。
森氏は自分が書いた社会派エッセーの「加熱する領土問題の章」というところで、一つの提案として自分の考えをおっしゃっている。
それはどういうことかというと、竹島にしろ尖閣列島にしろ、譲渡、中国や韓国に譲るというのも一つの選択肢として考えられないか?という提案。
一体、領土、土地についての国家間の争いがどれだけの人たちを不幸にしただろうか?
大東亜戦争、中国との大戦争にのめり込んでいくのは満州の利権問題なので、日本は異国に土地を広げて持って、300万人を超える戦死者を出す大戦争に巻き込まれていく。
それもたかだか領土問題。

 インドとパキスタンのカシミール紛争。イギリスとアルゼンチンのフォークランド戦争。朝鮮戦争やノモンハン事件。イラクがクウェートに侵攻したことで始まった湾岸戦争もあれば、第二次世界大戦だってきっかけはドイツによるポーランドの侵攻だ。−中略−
 歴史の縦軸を見ても現在の世界情勢の横軸を見ても、テリトリー(領土)をめぐる問題で多くの人が争い、多くの命が犠牲になってきたことは明らかだ。
(38頁)

領土問題で人間が幸せになったことが一回もない。
必ず殺し合いで泥沼化する。
日本はその中でも、とんでもない不幸を抱えている。
ロシア、韓国、中国、台湾。
全ての隣国と領土問題を抱えている。
そういう国の地勢的な位置にあって、せめぎ合うだけ、主張するだけではなくて、様々な提案が領土問題になされて当然ではないか?

 ならば「譲渡する」ことも一つの選択だと僕は思う。−中略−
 もちろんタダとは言わない。漁業権やレアメタルなどの海洋資源、天然ガスや排他的経済水域などの問題については、譲渡のバーターとして、今後見込まれる利益を分配するとか契約を交わすとか交渉を継続し続けることが、それこそ大人の知恵と分別が必要だ。
 あまり知られていないことだけど、国土面積において世界第六一位の日本は、排他的経済水域の面積については世界第六位にランクしている。
(39〜40頁)

竹島や尖閣諸島をめぐる問題が大きくなった九月上旬、この連載で書いた『過熱する領土問題 譲渡することも一つの選択肢だ』がネットにアップされて数日後に、「2ちゃんねる」などの匿名掲示板を中心に、すさまじい反応が沸きあがった。−中略−
 「生粋の非国民・売国奴」
−中略−
 「誰かこのバカの家に押しかけていってやれ。土地をくれるってよ」
(46〜47頁)

あまりにも正義が大声すぎるのではないか?
他の人の意見を聞かないぐらい大きくなっている。
彼を罵倒する声の中で、中国のチベット、ウイグルを奪い取ったことを大別すべきという若者がいた。
彼が街を歩いていて、そういう若者に詰め寄られた。
著者は1949年に成立した中国が1950年に侵攻したのがチベット、ウイグル。
国が出来立ての時に半分脅えながら、中国が自分のところに侵略されたくないというので先に侵略し返した。

でも六〇年も前の史実を前提にして、だから今も同じことが起こるとの主張は、あまりにも短絡的だと思いませんか。(50頁)

中国も国際社会の目があるから、そんなことできないから、あんまりムキになって「中国が侵略するぞ侵略するぞ」と一方的な正義ばかり叫ばない方がいいのではないか?
そういうこともおっしゃる。

非国民で売国奴で平和ボケのうえにお花畑全開である森達也は、ますますこの国で居場所を失くしているはずだ。(53頁)

尖閣の問題が本当に燃え上がったのは、例の乱暴者の中国人船長による体当たり事件。
尖閣諸島中国漁船衝突事件 - Wikipedia
日本の船から撮った体当たりなので、体当たり風に見えるとおっしゃる方もいると思うが、やっぱりあれは中国人船長のマナーが悪いような気がする。
森氏の本には時間のズレがあるので気を付けなければならない気がする。
基本的に中国と日本の領土感がかなり違うようだ。
中国の方というのは領土というものを非常に固定的に考えられる。
NHKの東の島の調査。
日本というのは東の方の島で国土が広がりつつあって、活火山がどんどん島を広げる。
領土というのは非常に不安定なものであるというのを、私たちは自然観の中に持っている。
中国の方たちは「不動」産。
「動かないもの」という思いがあるようだ。

 例えば二〇〇七年の春に公開された映画『俺は、君のためにこそ死にに行く』。石原東京都知事が脚本と製作総指揮を手がけたこの作品のタイトルは、「俺と君」とのあいだの純然たる対幻想が、いつのまにか戦争という最悪の共同幻想の場に誘引される構造を、とても明確に露呈している(65頁)

メイキング・俺は、君のためにこそ死ににいく [DVD]



この映画に関して森氏は石原都知事の危なさを文章の中でおっしゃっている。
このあたりもズレがある。
この映画ははっきり言って、何にも話題にならなかった。
公開日数もそうとう短くて、ほとんど打ち切り状態だったのではないか。
映画屋さんが拗ねて言う「構想三年、撮影三ヵ月、公開三日」。
政治家がタイトルを聞いただけで察しがつくような政治的宣伝を含めたような映画を製作指揮するのはいかがなものか、というのはよくわかるがしかし、結論として何の効果も、ある意味でなかった。

日本の問題点。
処分される犬猫の殺傷処分の方法。
改憲を目指す自民、安倍首相への異議、違和。
森氏は、それなどを激しくプロテストしておられる。

 小学五年生の長男が熱を出した。咳も止まらない。近くの小児科医院に連れてゆく。−中略−
 靴を脱いだ僕は、玄関の横の靴箱に入っているスリッパに履き替える。
−中略−
 受診料を払い、小さな紙袋に入った薬を手渡される。長男の手を引きながら玄関へと向かう。
−中略−
 あわててスリッパを脱いだ僕は、長男が履いていたスリッパと合わせて手に持った。でもどうしよう。いくつもの正方形に区切られた靴箱に入れるためには、今脱いだばかりのスリッパを重ねなくてはいけない。
−中略−
 そもそもなぜ、待合室でスリッパに履き替えねばならないのか、その理由がよくわからない。履物の意味は、足の裏を床や路上と遮断すること。どう考えてもおかしい。だって重ねるときにスリッパの底面がもう一つのスリッパの内側の箇所に付く。付くどころかべったりと付着する。つまりその瞬間、床と足裏とを遮断することが目的のはずのスリッパは、本質を失っていることになる。
(142〜144頁)

「利便性に隠れた日本人の不潔さ」と指摘する。
スリッパを発明した国はどこでしょう?
日本。
メイドインジャパンのスリッパは左右対称。

最も大きな違いは、欧米のスリッパの場合は、日本のスリッパとは異なる左右非対称であることだ。(146頁)

なんでスリッパが日本で生まれたか?

日本型のスリッパが考案されたのは江戸時代の終わりから明治時代の初めにかけて。鎖国体制が終了するとともに来日するようになった外国人たちが旅籠や寺社に泊まる際、どうしても靴を脱がずに部屋に上がってしまうため、靴を履いたまま履く屋内用の上履きとして、東京八重洲に在住していた仕立て職人の徳野利三郎が考案して作成した。このときの基本形は左右同型で底は平面。そしてこれが、その後の日本におけるスリッパのスタンダードとなった。(145頁)

 一九九八年、僕は『A』というタイトルの自主製作ドキュメンタリー映画を発表した。撮影開始時には、テレビで放送されることを前提にしていた作品だった。でもオウムを絶対悪として描こうとしていないとの理由で、所属していた番組制作会社から撮影中止を言い渡され、やむなく休日を使って一人で撮影を続けていたら、今度は契約を解除され(つまりクビ)、最終的には制作も配給もすべて自前でやる自主制作映画になった。(158頁)

A [DVD]



 社会の異物であるオウムを撮ることで、僕自身もこの社会の異物となった。(159頁)

 海外のメディア関係者が来日して日本の夕方のニュースを見たとき、誰もがまず、「なぜ報道番組で行列のできるラーメン屋や回転寿司店のランクなどを放送するのだ」とびっくりする。(161頁)

 彼らが口にする違和感はもう一つある。モザイクやテロップだ。「あまりに多すぎる」と嘆息される。(162頁)

 テレビ番組で朝鮮(韓国)語の翻訳を仕事の一つにしていた知人(在日韓国人)にしばらくぶりに会ったとき、「ここ数年の北朝鮮については、翻訳の方向性が変わってしまった」と言われたことがある。
「変わったってどんなふうに?」
「例えば北朝鮮の一般国民が金正日について語るとき、普通に『首領さま』とか『将軍さま』と言っているのにディレクターやプロデューサーから、『偉大なる首領さまである金正日同士』にしてもらえないかと要求される。
−中略−
「だからボイス・オーバー(吹き替え)だよ。もとの音声は声優さんの声でつぶして消してしまう」
 こうして異常で危険な国だとのイメージが強調され、敵視感情が高揚する。
(319〜320頁)

音も聞かせないし訳文をかぶせる。
ワイプで抜いて不愉快そうなコメンテーターの顔を映す。
一つの画面の中に、盛るだけ盛っている。
その上、雨がちょっと降れば「どことかに警戒が出ました」とか、上も下も横も、日本のテレビぐらい汚いテレビはない。
テレビ画面というものが最近は情報が溢れすぎている。
その上、現場の風景を撮るとモザイク等々がバーッと入ったり、音声の変換というのが、わからせたくない時はなおさら声をいじる。
極端すぎて、事件の何か持っているものが歪んで聞こえる。
「その男が殺人に加わったとして、あなたその男とお会いになったのは何時ごろなんですか?」
殺人事件をずっと報道している時に突然
「(音声をいじった変に高い声で)ええ私は・・・」
殺人事件なのにドナルドダックみたいな声が出てきたりして「真面目にやれよ」と言いたくなる時がある。
モザイクをかけるのはいいのだが、モザイクを全部にかける。
「そこまでモザイクをかけるなら、もう映すなよ」と言いたくなる。

ニュースメディアにとって足すもの(いろんなものを伝えたいという情報)はわかるけれども、足すものが多ければ多いほど、ニュースメディアはパワーを失う。

 ベトナム戦争当時の人たちは、一秒の何百分の一。しかもモノクロがほとんどだ。つまり欠落したメディアだ。ところが今の戦争報道の主流はビデオ。情報量はスティール写真とはくらべものにならないくらいに増大したのに、人の心は喚起されない。−中略−
 表現の本質は欠落にある。つまり引き算。
(164頁)

そのスチール写真で全米にベトナム反戦の渦が巻き起こった。
湾岸戦争の時、砂漠の戦場からCNNが中継放送をやった。
海兵隊が上陸してくる。
それを逆打ち。
CNNが浜辺に待っていて報道する。
コメディーを見ているみたいで、上陸してくる兵士たちが拍子抜けしているのと、不愉快そうな顔をしている。
彼らは戦場に行くって言われて上陸用舟艇から降りてくるのだが、CNNのキャメラが正面から撮る。
戦場に報道キャメラが正面からいるっていうことのばかばかしさ。
かつてノルマンディーということでブレにブレた写真一枚で、ノルマンディー上陸作戦の緊迫度を捕まえたあの報道写真の神聖な緊迫感というのがテレビの動く方、ムービーには全くない。
CNNが湾岸戦争を報道すればするほど、「ゲームじゃないか」という、イメージする自らの力をテレビが枯渇させた。

もしもこのままメディアが進化し続けるなら、環境破壊や核戦争や宇宙人の襲来などではなく、メディアによってこの世界は滅ぶだろう。(165頁)

明らかに私たちが戦争報道に関してものすごく想像力を失っているのことは事実。

今年(2015年)の8月、NHKの報道の仕方で武田先生が「偉いな」と思ったこと。
8月7日に、たまたま広島で見ていた。
(南)こうせつさんから原爆反対のコンサートをやろうと言われて、ゲストで出演された武田先生。
NHK広島放送局 | ヒロシマから全国へ、世界へ
この時にNHKがすごい番組をやっていた。
原爆が落ちてから二時間後の写真が広島に二枚残っている。
それをNHKのCG班が動かす。
「人間はこう動くであろう」という人体の動き予想図をアレして15秒間ぐらいその映像がその後どう動くかというのをCGで合成して色をつけてやって見せる。
女学生が背中を向けていて、シャツが裂けて肉が出ているのだが、そこに原爆の火傷の色を込める。
髪の毛がドリフのコントみたい。
二時間前に2000℃の熱を髪の毛が浴びたので、チリッチリに盛り上がっている。
奥の方に両手を前に突き出したお婆さんが手袋を半分脱ぎかけて歩いてらっしゃる。
それは手のひらの肉が焼け落ちて下がっている。
その奥の方のお婆さんを5・6歩歩かせる。
一枚の写真が動き出すあの恐怖感はすごい。
NHKは素晴らしい原爆特番だった。
是非アメリカの方に展示して欲しい。
涙を誘うのは、赤ん坊の頭がちょっと見えるお母さんがいる。
2000〜3000℃の熱を浴びて、赤ん坊が泣いているんだろう。
そのお母さんの静止画が揺らす。
そのお母さんの手が動き出した時、号泣以外の何物でもない。
たった一枚の写真が最新のCG映像で30秒間動くという、そのイマジネーションの刺激の仕方が素晴らしい。
(武田先生が見たものと同じものかは不明だが、ここから動く写真を見ることができるNHKスペシャル きのこ雲の下で何が起きていたか
戦争の伝え方というのは、これからもっと工夫できる。
そんなことを考えていただくと、森氏が今批判してらっしゃる「テレビメディアが世界を滅ぼす」から、逆にテレビ世界が遠くにあった戦争を間近に見せてくれるすばらしいメディアになる可能性があることは事実。


2016年01月26日

2015年3月30日〜4月10日◆『たったひとつの「真実」なんてない メディアは何を伝えているのか?』森達也(後編)

の続きです。

 2005年度にフランスで発表された統計によると、日本人が一日にテレビを観る時間は5時間1分で、世界で最もテレビを見る時間が長いらしい。世界の平均は3時間とちょっと。ちなみにこのときの二位はアメリカで4時間46分だ。(99頁)
 
例えば視聴率1%は、関東地区において16万7600世帯が見たという計算になる。これは個人視聴率では、39万7940人を意味する。−中略−ならば全国ネットの番組で視聴率20%は、日本全体で2400万人の人が見たという計算になる(100頁)

視聴率のベストテンに二つ入っている武田先生。
『金八先生』の最高視聴率39%
『101回目のプロポーズ』36%
(調べてみた限りでは全番組のベストテンにはいずれも入っておらず、金八先生のみドラマ部門の6位(『3年B組金八先生』最終回39.9%)。『101回目のプロポーズ』は12位で最終回36.7%)

書籍で100万部、大ベストセラーと言うが、視聴率に換算すると3%ぐらいになる。

新聞と比べれば、世界一の発行部数といわれる読売新聞でも、部数は1000万部だから、2400万人の半分以下だ。(101頁)

テレビメディアが暴走すると、ほとんどの事件の印象はテレビの画面が決定する。
ニュースの順番、トップニュースが何か。
これはテレビによる再構成がニュースの印象を決定する。
続いて感情とか主観。
これは人気キャスター、そういう人たちの人柄が影響を及ぼす。
出来事は情報として飾られ、ある意味でニュースに作り直される。

 要するに「何かを撮る」という行為は、「何かを消してしまう」行為と同じことなのだ。(121頁)

事件現場でテレビキャメラが何かを捉えてフォーカス、焦点を合わせる時、それはその風景の中の何パーセントかを映すことになり、後は消してしまうことになる。

 2014年7月24日にフジテレビ「ニュースJAPAN」で、「JAPAN EXPOの実態」とのタイトルのニュースが放送された。「ジャパンエキスポ」とは、1999年にフランスで始まった日本のアニメや漫画を外国で紹介するフェスティバルだ。(127頁)

日本の文化を紹介するため、演出方法も、回転寿司レーンを使うなど、日本一色のはずだが、一部のブースでは、異様な光景が見られた。
 ジャパンエキスポの会場にある店に、「K−POP」の商品が並んでいた。
 そこには、韓国のアイドルグループ「少女時代」のCDや、ハングルが書かれたブレスレットが並んでいた。
(127〜128頁)

ところがこの放送から三週間が過ぎた8月15日、軍事ジャーナリストの清谷信一が、東洋経済ONLINEに、この報道に対して、「フジテレビ、愛国報道の「異常な光景」〜ジャパンエキスポは排他的なイベントではない〜」とのタイトルで以下のような反論を寄稿した。(128〜129頁)

フジテレビ、愛国報道の「異様な光景」 | テレビ | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準

ジャパンエキスポにはフランスのマンガのブースもあった。
「このテレビ局の態度は偏狭な愛国主義」と、この番組を批判した。
いろいろあるブースのうち、韓国を問題にしたわけだが、それは全部ではない。
つまり、たった一つの真実なんかやっぱりない。
「何が正義か」ということではなく、「何を問題にするか」ということで全体像が歪む。

 あなたもスーザン・ボイルの名前は聞いたことがあると思う。イギリスの女性歌手だ。−中略−
 スーザンは2009年4月11日に放送されたイギリスの素人オーディション番組「ブリテンズ・ゴット・タレント」第3シーズンの初回に出場した。舞台に現れた彼女の垢抜けない外見や、審査員の質問につっかえながら答える姿はいかにも素人くさく、
−中略−彼女の歌声が会場に響くと審査員は目を丸くし、観客は一瞬息を呑んでから総立ちになり、彼女に割れるような喝采を送った。(148〜149頁)

これは番組に密かな演出があった。

 確かに彼女が歌う前、審査員たちは「やれやれ」「何だこのおばさん」的な表情を何度も浮かべていたし、会場では多くの観客が失笑していた。だからこそ歌い始めると同時に審査員は目を丸くし、観客は一瞬息を呑んでから総立ちになり、映像を観る側はその場に自分がいるかのような臨場感に浸って感情移入するのだ。(150〜151頁)

全体の演出が細かくなされていた。
これは明らかに密やかなる打ち合わせと進行があったことは間違いない。
つまりメディアリテラシー、読む力とはこういうこと。
なぜならば、少なくともスーザン・ボイルが天才的歌唱力があることは、予選の段階でスタッフに十分承知されていたわけで、予選もやっているし音合わせも照明も全部合わせている。
そこで彼女をより劇的に登場させるために演出として「醜いアヒルの子の美しい歌声作戦」というのが準備された。
そう読んでいい。

メディアリテラシーとは公平中立のありえないこと。
両論併記などと言う人がいるが、対立した二つの意見は、すでに並べた段階で、その並べた方で印象を変えることができる。
朝まで生テレビなどの討論番組では、CMに入る直前に断固たる意見を言う人の意見が印象に残りやすく、またエンディング直前でコメントを残す人が殺到してしまうのは、しめくくりの意見が印象を残しやすいからだ。
コマーシャルが入る直前にバーっと言う人がいる。
小泉首相が忙しくてスタジオに行けない。
小泉首相と誰かが討論する。
その時に首相の方からのアイディアで「画面をワイプで割ってくれ」。
画面を二つに切って討論をするというのを撮ってくれと。
その時に出た注文が「ワイプは縦に切らず横に切ってくれ」。
見下し視線。
下に小泉さんに逆らう野党の人がいて、その上に首相がいる。
そこまで徹底して小泉という人はメディアをいじれた。
小泉という人はアドリブも含めて役者だった。
煙に巻くというのが堂々たる態度で。
小泉さんという人を政治家としてはわからないが、俳優としてはずっと尊敬している武田先生。
郵政解散をする時に、雨が降る中を傘をさしかけるのをやめさせ、濡れながら演説をする。
メディアはそれを撮らざるを得ない。
あの人はライブは雨が降ると盛り上がるというのを知っている。
あの人の威勢のよさというのは、そういうところがあった。
その時に肌寒いのに上着を脱ぐとか袖をまくる。
「小泉にたてつくものはみな、反対勢力です!」といった断片的な用語で、一切本質を騙らない。
やっぱりそれに対抗するためには、その芝居を見抜く力を我々が持たないとニュースの本質は掴めない。

『朝まで生テレビ』等の討論番組ではコマーシャルに入る直前に、断固たる意見を言い置く人がいる。
その方が印象が強くの残るからだ。

反日運動が巻き起こった中国で、反日大暴動に全く気付かず旅行を続けた日本人がいるというのは事実である。
反日運動が広がると「全中国が」と思うが観光を続けた観光客もいる。

韓国の中には反日を唱えることで、自分の政治的な失敗をごまかすという韓国政治家が多い。
そう批判する韓国の政治家の方もいらっしゃる。
テレビキャメラは軽量化が進みすぎて、広角には撮れなくなってきている。
またスマホ、携帯映像が増えてきて、フレームの枠がどんどん狭くなっている。
広い世界を撮っていない。
テロリストの集団か何かが機関銃か何かを持って「エイエイオー」という画面がよく流れる。
端が写っていない。
画面いっぱいに人が並んでいる。
ちょっと引けば彼らの人数がわかる。
それを見せない。
人間がいっぱいいるみたいに見えるが、ちょっと引けば、大した人数ではない。
いかにも寄り寄りで、アップアップで撮るものだから、ものすごくインパクトがあるが、実は全体像が見えなくて、このあたりプロパガンダ、政治宣伝のための映像作りというのがテレビ報道の中には溢れている。

「森さんはヤラセをやったことはありますか?」と時おり訊ねられる。−中略−
 ヤラセと演出のあいだには、とても曖昧で微妙な領域がある。そんなに単純な問題じゃない。でも報道したりドキュメンタリーを撮ったりする側についてひとつだけ言えることは、自分が現場で感じとった真実は、絶対に曲げてはならないということだ。そして同時に、この真実はあくまでも自分の真実なのだと意識することも大切だ。同じ現場にいたとしても、感じることは人によって違う。
 つまり胸を張らないこと。負い目を持つこと。
−中略−
 たった一つの真実を追求します。
 こんな台詞を口にするメディア関係者がもしいたら、あまりその人の言うことは信用しないほうがいい。
(181〜182頁)

教室の風景。
金八先生の黒板の側から撮った映像。
金八先生の説得がだんだん効いてきて、先生の言葉が教室中に行きわたっているという印象を与える。
そういう印象をキャメラの置き場所でいとも簡単に作れるということ。
真後ろから金八先生込みで教室全体を捉えておいて、次のカットで短く、小さくうなづく生徒の一人の顔を入れると言葉の説得力で「雪乃が笑った」「優が先生のことをだんだん好きになった」というテレビ演出に成り得る。

 動物のドキュメンタリーを例に挙げよう。アフリカのサバンナで、子供を3匹産んだばかりの母ライオンがいる。ところがその年のアフリカは記録的な干ばつに襲われていて、ライオンのエサである草食動物がとても少ない。−中略−
もしも今日も獲物を発見できなければ、子供たちはみんな死んでしまうかもしれない。そのとき母ライオンは2匹のトムソンガゼルを発見した。大きなほうは無理でも小さなほうならば、弱った自分の足でも捕まえることができるかもしれない。
 母ライオンはじりじりと、2匹のトムソンガゼルににじり寄ってゆく。その場面を観ながらあなたは、何を思うだろう。きっと手に汗握りながら、がんばれと思うはずだ。がんばってあのトムソンガゼルを仕留めて、巣で待つ3匹の子ライオンにお乳を飲ませてやってくれ。命を救ってくれ。
 ここで場面は変わる。今度は群れから離れてしまったトムソンガゼルのドキュメンタリーだ。干ばつで草が殆どない。母親と生まれたばかりのトムソンガゼルは、サバンナを長くさまよいながら、必死に草を探し求める。
−中略−その時カメラのレンズが、遠くからじりじりと近づいてくる痩せ細った雌ライオンの姿を捉える。その視線は明らかに、子供のトムソンガゼルを狙っている。
 この場面を観ながら、あなたはきっと、早く逃げろと思うはずだ。
(183〜184頁)

 これが視点だ。どちらも嘘ではない。でも視点をどこに置くかで、世界はこれほどに違って見える。(185頁)

 切り上げと切り下げの話を思いだしてほしい。現実はとても微妙だ。敢えて数値化すれば、小数点以下の数字ばかりになる。それではわかりづらい。だから四捨五入する。1.5以上は2.0。1.4は1.0。
 切り上げや切り下げは、メディアの宿命でもある。
−中略−
 ところが実のところ、7.6でも7にしてしまう場合がある。あるいは5.3でも6にしてしまう場合がある。
−中略−
 なぜ四捨五入の法則が働かないときがあるのだろう。
−中略−でも最大の理由は、無理な切り上げや切り下げをしたほうが、視聴率や部数が上がる場合があるからだ。これを市場原理という。(188〜189頁)

 だから考えてほしい。その市場原理を作っている要素はなんなのか。
 それは僕であり、あなたである。
(190頁)

 もう一度書く。僕たちはメディアから情報を受け取る。そして世界観を作る。でもそのメディアの情報に、大きな影響力を与えているのも僕たちだ。メディアが何でもかんでも四捨五入してしまうのも、その四捨五入がときには歪むのも、実際の物事を誇張するのも、ときには隠してしまうのも、(すべてとは言わないけれど)僕たち一人ひとりの無意識な欲望や、すっきりしたという衝動や、誰か答えを教えてくれという願望に、忠実に応えようとしているからなのだ。(191〜192頁)

「スッキリしたい衝動」とか「誰かに答えを教えてくれ」という願望は自分で全部引き受けないと世界はわからない。
そういう心のタフネスさを持ってくれ。
日本がうまくいかないとか、そういう時に安直に「他国のせいで日本は」みたいな論理で全て片付けてはいけない。
「あの国は悪い人がいっぱいいるぞ」とかっていう報道番組に接して、その次のニュースが「オレオレ詐欺」のニュースになったりするわけで、「何だよ、悪いヤツは日本にもいるじゃないか」ということだ。
年寄りを騙すというのは極悪非道なヤツ。
そういう結論を急ぎたがるという衝動をどこかでこらえないといけないのではないか。

実にわかりやすく、真摯に若い世代に向かって言っている。

 20世紀前半、メディアは大きな間違いの潤滑油となった。(192頁)

戦争を引き寄せたり、拡大したりしたのは相当にメディアの影響があるぞという。

 時おり僕は、人類は何で滅ぶのだろうかと考える。
 @宇宙人の襲来
 A隕石の落下
 B氷河期
−中略−僕は時々、人類は進化しすぎたメディアによって滅ぶのじゃないかと考えている。(193頁)

メディアの間違った見解で滅びへの潤滑油が流される可能性が今、一番高くなっているのではないか?
何より我々がリテラシーを身に着ける他ないのである。
誰のせいにもしてはいけない。
ラジオ、テレビ、インターネットを活用・使用するならば、私たちは私たちの読み方を高めなければならない。

メディアはすべて、事実と嘘の境界線の上にいる。−中略−NHKのニュースや新聞は間違えないというレベルの思い込みは捨てよう。でも、メディアは嘘ばかりついているとの思い込みもちょっと違う。−中略−人が人に伝達する。その段階でどうしても嘘は混じる。
 でもこの嘘の集積が、真実になることもある。
−中略−
 世界は多面体であること。とても複雑であること。そんな簡単に伝えられないものであること。でもだからこそ、豊かなのだということ。それらを知ること。気づくこと。それがリテラシーだ。
(194〜195頁)

先日人間ドックへ行った武田先生。
体重が少し減ったので痩せたつもりでいた。
メタボの基準である85cmを超えていたので、自分に以内に潜っているつもりでお腹をバッと出した。
女医さんがメジャーをヘソの上に置いて、突然笑い出して「ひっこめちゃダメよ」。
「お腹力入れちゃダメですよ武田さん」と言ってくすくす笑っている。
でも人に腹を見せる時には、無意識のうちに腹に力を入れる。
白衣を着た女医さんの前で腹に力が入らない男がいたとしたら、それこそ病だ。

 特に二十世紀以降、メディアは水や空気のようなものになってしまった。これなしで人は生きてゆけない。−中略−
 組成が違ったり不純物が混じったりした水や空気は、身体に害を与える可能性がある。メディアも同じ。組成を知る。影響を学ぶ。働きを学ぶ。汚れたらきれいにする。当たり前のこと。でもその当たり前のことを、当たり前のようにやっているとは言い難い。
(200頁)

名探偵コナンに言います。
「真実は一つではない!」

2015年3月30日〜4月10日◆『たったひとつの「真実」なんてない メディアは何を伝えているのか?』森達也(前編)

たったひとつの「真実」なんてない: メディアは何を伝えているのか? (ちくまプリマー新書)



テレビディレクターをやっていた森氏がオウム信者を取材した時のこと。
余りに強くトップの制作サイドの方からいろいろ命令を受けた。
「もっと気持ち悪く描け」とか「擬音強めに入れろよ」とか。
そういう干渉されるテレビ界を去って、自主製作で現役信者を描き続けた『A』というドキュメンタリー作品を撮って注目を浴びた作家。

A [DVD]



報道メディアについて、ものすごく悩み続けた人。
そういうところにメディアマンの魂を感じる。
メディアは全て事実と嘘の境界線上にいる。
公平な報道というのはものすごく難しい。
真実・事実を伝えるというのと、それが誤報であったというギリギリの線上をいつもメディアマンは歩いている。
そういう自覚を持っていなければいけない。
ニュースというのは「間違いない」と思ったら大間違いである。
全部ウソではない。
ウソが混じることがある。
どこらへんが正しいのかはメディアに対する読み方を視聴者、聴取者、読者が自らの手で自分を鍛えるしかない。

一つの例。
北朝鮮のテレビを自分の目で見た著者。
日本との差を感じる。

 テレビやラジオでは、ニュース番組の生放送もできないらしい。全部放送前に収録している。(35頁)

この一点に著者は北朝鮮の異常をふと感じた。
(本の内容を読んだ限りでは、そういう論調ではないが)

メディアを支配すれば一党独裁体制は実に簡単だと思い知る。
中国でもライブ放送はほとんどない。
チェックを入れるためになるべくVTR。
北朝鮮と中国の共通点は、選挙を経験したことが全くない。
そういう違いみたいなものを感じて欲しい。

森氏はまず、メディアの闇を語る。
己が権力にうぬぼれを持って、己が信じた正義をつらぬいて、たくさんの人を傷つけた過去があるのだ。

 第二次世界大戦が始まる前、つまり最初に日本の軍隊が中国大陸に侵攻したころは、インターネットはもちろん、テレビもまだ誕生していない。当時のマスメディアの代表は新聞だ。
 この時代の大手新聞は、朝日新聞と東京日日(今の毎日)新聞だった。両紙とも最初は、軍部の大陸進出や拡大方針に対して、どちらかといえば反対の姿勢を示していた。でもそんな報道を続けるうちに、部数がだんだん下がってきた。そこで日日新聞が少しだけ路線を変えて、ちょっとだけ勇ましい記事を書いた。そうしたら部数は急激に上昇した。あわてたのは朝日新聞だ。こちらも少しだけ路線を変えた。中国で戦う兵士たちの勇ましい様子を記事にした。そうしたらまた部数が上がった。これはまずいと日日はあわてた。ならばもっと勇ましい記事を書け。
(45〜46頁)

内田樹氏曰く、ニューヨークタイムズも戦争報道から大新聞になっている。
これは日本だけではなく、アメリカもイギリスも同様で、メディアリテラシーに則って言えばメディアというのは戦争を取り上げたがる傾向にある。

メディアの方が中東に行かれて人質になるという悲惨な事件(ISILによる日本人拘束事件 - Wikipedia)があったが、あの時に新潟かどこかの市役所の人が村が孤立しないように見守りに出かけられて、二名の方が土崩れに巻き込まれて亡くなった。
浜松市で土砂崩れ 橋ごと崩落して市職員2名死亡 | ハザードラボこの件かと思われる)
だが、そのニュースは数秒しか捉えない。
二人の地方公務員が死んだという事実よりも、きな臭い戦場での人質事件の方に90%以上の時間を割く。
人の死に関してもランク付けをする。
メディアは必ずニュース報道についてランク付けをする。
トップラインとヘッドライン。
「今週の10位!」と言ってドラムロールで順番を付けるという番組構成をやっているところもある。
同じ「死」の問題。
そういうところは、私たちは非常にクールにメディアマンの騒ぎ方というのを見ておかなければならない。

「自分」の壁 (新潮新書)



養老孟司氏はこの本の中で同じことをおっしゃっている。
「一生懸命ニュース番組に耳や目を持っていかれない方がいいよ。何でかっていうと、それは既に加工してある。」
キャメラが戦場のどこかにフォーカスを合わせた瞬間、他のものは一切目に入らないように撮影していることは事実。
養老氏は「顕微鏡の性能が上がれば上がるほど、だんだん全体像がわからなくなる」。

なぜメディアは間違うのか。
そこをまず、読み方「リテラシー」として学びましょう。
新聞メディアは発行部数を伸ばしたいという大前提の上に立っている。
これはテレビもラジオもネットも全く同じで「なるべく多くの人の関心を」という、そこに実は盲点がある。
そのためにメディアは情報を選択する。
なるべく共通する話題を取り上げることが生き残りと成功につながる。
メディアには息苦しい量的限界があるのだ。

 なぜメディアは情報を選択するのか。すべてを伝えないのか。理由は単純だ。メディアには量的に限界がある。新聞ならば文字数。テレビのニュースならば時間。ツイッターなら文字数140字。(57頁)

例えば、アフリカを報道する時、それが都市のど真ん中でもゾウから入るとか砂漠から入るとか、サバンナの風景を合間合間に差し込むとかっていう。
アメリカは、のどかにしているアメリカはアメリカらしくない。
切迫感がアメリカ報道に。

 だからメディアは要約する。あるいは視点を選ぶ。そしてこのときに、メディアはまず、「わかりやすさ」を基準に情報を要約し、視点を選ぶ。
 要約とは何か。要するに四捨五入だ。0.5以上は切り上げる。0.5未満は切り下げる。
(58頁)

メディアの要約は、「わかりやすさ」だけを最優先するわけではない。特にテレビや新聞など商業メディアの場合、情報をわかりやすく要約するときに、より「刺激的」で多くの人が好む情報に加工する場合がある。(61〜62頁)

ニュース全体が、やや上から目線の方が数字が取りやすい。
「ほら、知らないでしょう?」という。

先日大阪へ行っていた武田先生。
大阪ローカルのワイドショー番組。
誰かの悪口を言っているらしく、バンバカ音消し音(ピー)が入る。
それが入るのがその番組のウリ。
メディアにいる人たちの展開の仕方というのはギョっとすることをいう。
関西の人たちはスタジオでのケンカが好き。
クロストーキングが多い。
クロストーキングはほとんど何を言っているのかわからないが、その騒がしさからチャンネルを切り替えられなくなる。
「そんなことはちっとも重要じゃないんですよ!私が言っているのはね!本当はね!(何かを叩く音)」
人間というのは、その「本当は」の後の言葉を待つからチャンネルを替えずに聞いてしまう。

不安になった武田先生。
「隣国のある国がこんなふうにして日本を攻めてきていますよ」とおっしゃる。
あまりにも具体的におっしゃるので、怖くなる。
一番確かなバランスは何かというと、中韓に関しては、もちろん悪い人もいる。
日本にいるように中国にも韓国にも悪い人はいる。
いい人もいる。
それが普通の感覚。

武田先生が新幹線に乗った時、観光客用の新幹線のチケットを持って、号車のわからない東洋人がいた。
武田先生は「後ろの方じゃないの」と指を指したら、真面目そうな青年が頭を下げて「シェイシェイ」と言って去っていった。
彼は多分中国の方だろう。
感じのいい人だった。
つまりいい人もいれば悪い人もいるという言い方では客は集まらないので「たくらんでいるんだ!あいつらは!」っていうような言葉使いの方が、というここにメディアは非常な危険性があるということを森氏は言っている。

商業メディアは「わかりやすさ」「刺激的であること」。
「知らないでしょう。実は」という枕詞を使うものだ。
耳や目を集める最も効果的な優先順位からいくと「危機」。
危機を感じさせる。
中国で反日運動があったらそれを大きく報じるが、「僕たち日本人好きですよ」という運動があってもそれを日本では報じない。
殺人事件があればそれがトップニュースになる。
しかし、一件も殺人事件がなかったというその日の夕方のニュースは「本日日本国で一件も殺人事件はありませんでした」というのは絶対に報道しない。
「犯人はあなたの横にいます」というような報道の仕方が今でいうところのメディアの常識。

1991年に起きた湾岸戦争の際に、真っ黒な重油で全身をおおわれた水鳥が黒い波打ち際に立っている映像が、世界中で大きな話題になった。このときはフセイン政権率いるイラク軍がクウェートの石油施設を爆撃したことで、深刻な環境破壊問題が生じているとメディアは伝え、多くの人はイラク軍のこの蛮行に怒り、攻撃もやむなしと考えた。−中略−でもその後、重油が海に流出した理由は、イラクではなくアメリカの爆撃が原因であることが明らかになった。つまりアメリカ政府の情報操作にメディアが使われたのだ。(63〜64頁)

私たちはそれゆえにメディア・リテラシー、読解力が絶対に必要だ。
文字メディアの歴史は紀元前。
新聞みたいなヤツは紀元前からあった。
問題はテレビ、ラジオといった視聴メディア。
これは1920年に生まれて、急速に全世界を覆ったもの。
この新しい視聴メディアを最も効果的に歴史上コントロールしたのがナチス・ドイツ。
ナチスが「ラジオとニュース映像が政治に使える」。
子供まで、いや、子供こそ簡単に取り込めた。
見せる、聞かせればいいだけ。
第二次世界大戦で全土を破壊され、死者は兵士のみならず市民にも及び、日本では死者だけで300万人以上に及んだ。
世界では6000万人が死んだ。
人類史上最大の犠牲者を出した。
この最大の犠牲者を出した戦争というのは、ある意味でメディアが広げたと言っても過言ではない。
でもメディアもその後も営々と生き続ける。
今度は逆に軍部を呪う論調で生き残り、経済復興と共にテレビメディアとなって、ますます肥え太っていく。

 メディアは、僕らが間違った世界観を持ってしまう危険性を持っている。新聞も書籍もテレビも、その可能性がある。
−中略−これはあなたも知っているかも知れない。袴田事件だ。
 事件の発端は今からおよそ50年近く前の1966年だ。静岡県清水市(現静岡市清水区)にあった味噌製造会社専務の自宅が放火され、さらにその焼跡から、専務の家族4人の他殺体が発見された。静岡県警はこの会社の従業員で元プロボクサーだった袴田巌さんを逮捕して、袴田さんは裁判で死刑が確定した。でも袴田さんは、自分は犯人ではないとずっと冤罪を訴え続けていた。
(82頁)

M新聞は袴田さんのことを「異常性格者」と書いている。
(本によると毎日新聞)
この記事はしきりに警察の努力に拍手を送っている。

 あるいは9月8日付けの紙面では、「袴田を追って70日 人情刑事に降参 事情引き出す森田デカ長」の見出しで、この取材に関わった記者たちの座談会が大きく掲載されている。(86頁)

あとで調べると、この「人情刑事」が最も暴力をふるった人。
正義というものは本当に注意深くペンを走らせなければいけない。

 例えば袴田さんが任意同行で取り調べを受けたことを報じた1966年8月18日付けの毎日新聞紙面は、記事の見出しがいきなり「不敵なうす笑い」で始まっている。(84頁)

1994年、オウム真理教による松本サリン事件が起きたときは、よりによって被害者である河野義行さんが犯人とされかけた。
−中略−でもこれを聞いたテレビや新聞は一斉に、河野さんが犯人であるかのような報道を始めた。たとえば6月29日の朝日新聞の見出しには、「松本のガス中毒 会社員宅から薬品押収 農薬調合に失敗か」と書かれている。そして同日の毎日新聞は、「第一通報者宅を捜索 薬品類を押収 調合『間違えた』」などが見出しになっている。(93〜94頁)

ほとんど犯人扱い同然の誤報を新聞で扱っている。
私たちが肝に命じなければならないのは、新聞は、メディアは間違えることがある。
そのことを決して忘れてはならない。
メタ情報といって、そのニュースを伝えることによって違うものが伝わる。
新聞の一面でドカーン!とその記事を大きく扱うと、それが日本の最も重大な関心事と受け止めてしまう。
そういう人間の心を操るというのがニュース番組では簡単にできる。
そうとう際どいラインにメディアは立っているものだと、そんなふうに思って付き合った方がいいのではないか。

街頭インタビューなんかで、テレビ局にもその思いがあるのだろうが「こんなに日本社会が格差に満ち溢れ貧富の差が」「老人たちは明日の不安におびえ」それは「やっぱりアベノミクスの失敗だ」と政治家の名前を上げてボロクソに言う人を取り上げる。
今、メディアで平気で言っているが「貧しい家庭の子は学力が伸びない」。
【3/23~3/29】親の年収多いほど子は高学力!文科省が初の全国調査-教員採用試験対策/教師・教職の募集情報|教員ステーション
貧しい家庭の子は学業成績が低いというが「本当かいな?」と思う武田先生。
「テレビで戦争ゲームばっかりやっているから少年犯罪が増えている」というような因果関係の見つけ方とよく似ていて、「お勉強」は貧富の差を逆転させる唯一の道だった。
何で二宮金次郎が小学校の校庭に立っていたのか。
「お金持ちの子は薪を拾いに行かないから薪拾いの後に本なんか読まない。だからダメなんだ。二宮金次郎は貧しかったから勉強したんだよ」という銅像があの二宮金次郎なのではないか。
薪を背負うぐらい貧しくないと本は読まない。

かくのごとく真実は一つではなく、いかようにも読みようがある。

2016年01月11日

2015年11月5〜13日◆『ヒトはなぜ協力するのか』マイケル・トマセロ(後編)

これの続きです。

 類人猿的な集団からヒト的な協働にいたるには、それぞれが複数のプロセスからなる三つの基本的なセットが必要です。最初に、かつ最も重要なこととして、初期人類は、目標を共有することや、複数の役割同士が互いに協調して労働を分担することを含めて、他者と複雑に協調・コミュニケートする本格的な社会・認知的スキルとモティベーション−中略−を進化させる必要がありました。第二にこれらの複雑な協働行動を開始するにあたって、初期人類はまず−−おそらくは、特に食物を巡る文脈において−−現生類人猿よりも互いに寛容になり、信頼し合わなくてはなりませんでした。第三にこのように更に寛容で協働的になったヒトは、公的社会規範や、制度における役割を義務的なものとみなすことを含む、集団レベルの制度的慣習を発達させなければなりませんでした。(50頁)

「わたし」という存在は「わたしたち」を発見し、進化させたのである。
協力行為、共有。
これが利他性という進化のタネである。
こういう人間の新しい見方というのがボンボン育っている。

四つんばいのサルが立ち上がって、その次にそれがいかついゴリラみたいなサルになって、それが直立する類人猿になって現生人類になるっていう進化論がある。
あれは間違い。
少しずつゆっくり変わってきたのではない。
突然ポン!と。
四つんばいのサルが立ち上がってゆっくり姿勢がよくなったというような変化ではなくて、あれた一辺にドン!と発達してきた。
四つんばいのサルもいれば、背中を丸めたサルもいれば、ごついゴリラもいれば、私たち人類のような背筋を伸ばしたサルもバン!と出てきた。
それでゆっくり滅んでゆく。
生き残ったのが人間という背筋を伸ばしたサルではなかろうか。
ダーウィンが言うように少しずつ改良されたんじゃなくて、ある日突然出てきた。
新しい科学の波が起こっている。
トマセロという人はそういう意味で新しい見方で、「道具を使うサル」とか人間を規定する用語はいっぱいあった。
トマセロ氏曰く「協力するサル、それが人間である」。

確かにチンパンジーもオオカミもライオンも実にたくみに狩りをおこなう。

狩りの参加者たちが獲物を取り囲むにあたって、仲間のポジションに互いに敏感であることは間違いありません。しかし、非常によく似たことはオオカミやライオンもおこなっており、かれらがなんらかのゴールやプランを共有していると考える研究者はほとんどいません。チンパンジーたちは、「わたしたち」モードでなく、「わたし」モードで集団行動に参加しているのです。
 チンパンジーにおける「わたし」モードでの集団行為とは対照的に、ヒトの子どもは、一歳の誕生日の直後から「わたしたち」モードで物事に取り組み、パートナーとゴールを共有するようになります。
(56頁)

男でも女でも、協力するサルの形質がある。
プレゼントをする。
プレゼントの前提は「返礼するな」と思ったらプレゼントをする。
こういうものを人間というのは一瞬のうちに見抜く。
(内田樹説)
返礼義務を感じやすい人は人相も変わってくる。
返礼義務を感じるヤツ(返さなければと思っている人)というのはたくさん贈り物を貰える。
なんでそういうことがわかるかというと人相に現れるから。
協力的であるということがヒトの表情まで発達させた。

ヒトを除く二〇〇種以上の霊長類の目は基本的に暗色であり、強膜(一般的には白目と呼ばれる)があまり露出していません。ヒトの強膜はかれらとくらべて三倍程度大きく露出しており、視線方向が他者に検出されやすくなっています。(66頁)

ラクダは返礼しない。
水を持ってきても「あの時はお世話になりました」ということは一切しない。
それは何でか?
目でわかる。
鶴居村の人によると鶴も恩返しをしない。

人間は協力することによって目が変わった。
それは白目が他のサルより三倍以上広くなった。
これは何かというと、白目があることで黒目が右左上下、どっちを見ているか、その動くことで何を見ているかがわかる。
そうすると視線の先というコミュニケーション「あ!あれを見てるな。欲しいんじゃぁないかな」っていう表情になる。
これが蛇にないから、どこを見ているかわからない。
白目を発達させたことによって、、目そのものが「私の注意はここに向いています」ということを他者にサインとして送る。
それを見ていた別の「協力するサル」の「私」は「あ!この子あれが欲しいんじゃあない?」という表情になりうる。

目の下に白いアイラインが若い子で流行っているが、それは白目をはっきり見せるため。
涙袋を強調するようなメイク用品とか。
(水谷譲説)

目は欲望を表象するというか、表現することが可能。

常に競合し合う動物の世界にあって人類は洗練された共同的スキルへの強力な選択圧が我々の祖先の集団内に生じている。
国としては別の集団で、別の集団であることを政治的指導者は叫ぶ。
韓国の女性大統領も、中国の共産党の一番偉い方も「日本人とは違うんだ!」と言うが、女性という単位の集団ではお互いに協力しあえる。

頭のいい人というのは、本当にたった一言でいろんなことが見抜ける。
文化とは何か?
太宰治という作家は
「文化と書いてハニカミと読みましょう」
恥ずかしがること、それが文化である。
司馬遼太郎はもっとダイナミック。
「文化とはメシの喰い方である」
中国の文化、韓国の文化、日本の文化。
司馬遼太郎風に従うと、なるほどメシの喰い方が違う。
武田先生がアッ!と驚いたこと。
韓国の方は茶碗を持たない。
ものすごく食べにくいのと、茶碗を持たないで食べるのは汚く感じてしまうる。
でも、韓国の人から見ると茶碗を持って食べるのはすごくいやしい。
韓国の人から日本の女の子が茶碗を持ってメシを喰っているのを見ると「あんな可愛い顔して、ねぇ?」ということになるだろう。
日本人は「もったいない」。
残すのは・・・。
これは中国になると、残さないとなると大問題で、家柄まで疑われてしまう。
「こんなにたくさん食べきれません」という意思を台所に伝えるためには、きちんとどの皿も残してあるという。
日本は出されたものをちょっとずつ残すと・・・。
こういう「メシの喰い方」というのは言い得て妙。
そういう文化の対立が私たち同士の、ある意味ではぶつかりあいというか違うアレになって。
これが宗教なんかになると、激しく人間の集団が協力し合うため、協力のために生まれた協力するという心が、他の集団とは違うぞということを示すためのエネルギーが、他の集団と比べられた時には憎しみにもなる。
他の一族に対する激しい憎悪にもなってしまう。
そういう意味では、新たなる集団の定義みたいなものが、私たちに求められているのかも知れない。
しかし、間違いなく言えることは様々なサルの中で人間の最大の特徴は協力し合うということ。

 進化的な成功を集団サイズで測るなら、ヒトが他の大型類人猿に比べて特に成功したのは、ごく最近になってからのことです。具体的には、ヒトの個体数が劇的に増加したのはたかだか一万年ほど前、農業と都市が成立してからのことなのです。(85頁)

一回人類は滅びかける。
数千人になったのではないかと言われるぐらい絶滅危惧種の代表が人類だった。
盛り返したのところが人類の面白いところ。
なぜ人間が盛り返したのかというと、協力し合うことで盛り返した。
協力しあうことの成果が農業と都市化。
農業を始めたということと村を作っていく、町を作っていくということを二本柱として人数を増やしていった。
よく使われる言葉で互恵関係と言われているが、互恵関係というのはチンパンジーでもある。
チンパンジーは一本のバナナが引き寄せられない時、二頭で手を伸ばしあいをすればそれに届くとなると協力する。
でも、バナナが手に入った瞬間争う。

 エイブラハム・リンカーンは「良いことをすると気分が良いものだ」と言いましたし、神経生物学における最近の研究でも、博愛的な行為はそれ自体がもともと報酬的であることが確認されています。(99頁)

かつて我々がサルの群れから抜け出して人類という地上のトップリーダーになれたのは、協力するという形質を持ったからである。
ところがその協力するという結果、集団ができ、部族ができ、それが一族になり村になり町になり国家になりという。
そうすると、今度は協力するというのが他の集団に対しては敵とみなすという。
だんだん集団が大きくなるとナチュラルではなくなる。

農業という問題。
農業はとても大事なものには違いない。
東南アジアに行くと象に土木工事をさせている。
あの風景は中国にもあった。
遠い遠い昔、中国の古代国家というのは土木工事をやる時に象を使っていたんじゃないか。
「為」という字。
斜めの棒(ノ)は象の鼻。
「灬」は四つ足。
象が材木を持ち上げて何かを為そうとしているという象形文字が「為」。
(白川静説)
そういう風景が、かつて黄河流域に広がっていた。
北京の脇を流れている河あたりにの象がいて、あのあたりは全部ジャングルだった。
気温も高かったのだろう。
今は北京の郊外は砂漠。
つまり全部切ってしまった。
そうやって考えると、農業と都市というのはどんどん複雑さを増していった。
この複雑さの中から、経済とか法律とか社会的な階層、宗教、儀式等々が生まれて行って、ますます集団は複雑化していった。
複雑化することにより、ゴールというものが集団ごとに複雑化してしまった。
少し今は、巨大になりすぎて協力する人間の意味合いを変えようとしている。
今一度、私たちは立ち返って、古代から持っていた協力するという美しい形質を思い出さなければいけないのではないか?

人類はなぜ生き残れたのか?
なぜ発展できたのか?
何とか喰えるようになったのか?
それは共有、寛容、そういう形質を持ったからこそなのではないか。
完璧にダーウィンの進化論に任せてはいけない。
人間というのものの捉え方とか進化というものの捉え方の語り口調がどんどん変わっている。
ダーウィンは自然淘汰ということで人間の由来を語ったが、その中から優生思想「民族の血の優れたものが世界を取っていいんだ」というような極端なナチズムが生まれたりした。
そのことで人類は大きな戦争を体験したりした。
少し人間の捉え方を変えた方がいいのではないか?
イギリスのドーキンス博士は「利己的な遺伝子」と言って「遺伝子は自分のことしか考えてないんだ」というような。
トマセロ氏みたいな方は「競い合うことで、人間が進化したというような説というのは見方が狭いんじゃないか」。
人間というのは逆の意味でいうと、サルにない形質として協力し合うという、その形質に注目して新しい進化論を今、始めたばかり。
トマセロ博士の説はまだ反論も多い。

虐待を受けた子どもたちの中には、共感的な関心を示す子はひとりもいなかったのです。(106頁)

だから「そんなに深く埋め込まれたものではない」という否定をする人もいる。
トマセロ氏の説が世界の科学的正論にはなっていない。
足元が脆弱。
なぜかというと乳児を実験に使うワケにはいかない。
パッチンパッチン物差しで叩いてどんな人間になるかという実験はできないので、マメに集めていくしかできない。

人間は本能的に走りたがるという説が出た。
人類は走ることで人間になったんじゃないかというという説が出てきた。
それも人間の新しい捉え方。
面白い科学者がいて、北米にいるやたら走り回るシカがいる。
それを運動靴を履いて一週間追いかけ回して捕まえた。
シカは瞬発力がすごい。
だが、以外と持続力はない。
人間はずっと走れる。
人間の狩りというのは、走る事から始まった。
最低限の栄養素で人間をはワイルドに、野生に戻すと、みんなアフリカのマサイ族みたいな体の特徴になる。
手足が長くなってジャンプ力がつく。
人間の野生に持っている持続力がすごい。

日本人の顔は割とみんな似ている。
なぜかと言うとマンモスやナウマンゾウを襲う時に「今こいつが俺にヤリ投げたな」とか
顔を覚えられないように似たような顔になった。
西洋人は彫が深くて個性的。
あれは獲物はシカなど小さいから「俺が獲った」って言うために彫が深く個性的になった。
(武田論)

2015年11月5〜13日◆『ヒトはなぜ協力するのか』マイケル・トマセロ(前編)

ヒトはなぜ協力するのか



自然界において生物は利己的であるがゆえに生存、健康、安全を手に入れる。
しかし実に不思議なことに、霊長類の中のヒトという種においては、利他性を形質として存在する。
ヒトが類人猿などと決定的に違う点。
それはどこか?
生まれながらにして「援助する」という本能を持っていることである。

生後一四カ月および一八カ月の幼児が、さっきはじめて会ったばかりの、血縁のないおとなに対面したとしましょう。そのおとながちょっとした問題に遭遇していると、幼児は、そのおとなの問題解決を援助してくれます−中略−先の研究では子どもたちは、おとなが四つの異なる課題を解決するのを援助しました−−手の届かないものを取る、障害物をどける、おとなの間違いを正す、課題の正しい解き方を選択する(14頁)

ヴァルネケンと私は、ヒトに育てられた三頭のチンパンジーに、ヒトの子どもの研究でもちいた、一〇課題からなるテスト・バッテリーを実施しました。チンパンジーたちは、その他の課題では援助行動を示さなかったものの、「手の届かないものを取ってきてあげる」課題では援助をおこないました−中略−あるチンパンジーが部屋のドアを開けようと苦労しているのを、別のチンパンジーが観察します。観察していた固体は、そのドアがピンを抜くことで開くことをそれまでの経験から知っていたのですが、驚くべきことに、その場面でピンを抜き、同じ群れの仲間が部屋に入るのを助けたのです。−中略−ここで重要なのは、わたしたちに最も近縁な霊長類が−−ヒトとの接触が最小限である固体も含めて−−わたしたちのものとよく似た援助行動を示すなら、それは「ヒトにおける援助行動はヒト的な文化環境によって生み出されたわけではない」ことの証拠になる、ということです。(17〜18頁)

本能として植えつけられている。
そしてすごいのは、ヒトの子はチンパンジーよりももっと複雑な援助の形質を持っていることである。

あるおとなが描いている最中のお絵描きを他のおとながひったくって故意に破り捨てるのを、一八カ月および二四カ月齢の子どもに脇で見せたところ、これが起こった途端に子どもは被害者(情動は表出していない)へと視線を向け、盲検手続き下でも一貫して「気遣っている」とコードされる表情を示しました。(18〜19頁)

 ある研究では、「紙をホチキスで留める」といった、子どもとは無縁そうな課題をおとながこなしているのを生後一二か月の前言語期の子どもが見ている、という状況を設けてみました。−中略−その後彼女が部屋を出て行くと別のおとなが入ってきて、ふたつの道具をそれぞれ棚にしまってしまう。そこへ最初のおとなが、紙の束を抱えて、ホチキス留めを続けるつもりで戻ってくる。しかしテーブルにはホチキスが見当たらないので、まごついたそぶりを見せながら無言のままでそれを探す。直接的援助に関する研究の場合と同様に、子どもたちはおとなが抱えている問題を理解し、彼女を援助しようとしました。ほとんどの子どもが、探しているホチキスの場所を指したのです。(20〜21頁)

 ヒトの乳幼児が情報伝達的指さしの理解を一貫して示す一方で、チンパンジーではそんなことはありません。−中略−実際、チンパンジーが、ヒトに対して指さしをおこなった観察事例ではすべて、その動機は指示的(命令的)なものでした。(21頁)

類人猿では、情報伝達的に使用された指さしを理解することすらありません。(23頁)

自分が「あれが欲しい」というものを指さすのはチンパンジーもやる。
他者に向かって「あなたが探しているのはあれですよ」という指さし行動はできない。
逆に幼児は他者からの指さしにも反応する。
「あれ見てごらん」と言うとスッと見る。
赤ん坊は指をさすと指をさした方を見る。
考えてみたらものすごく高度なこと。

幼児後期(三歳児)とチンパンジーは同じ程度の知能とみられるが、この年齢で決定的な違いが生じる。

研究者たちは、提案者(提案する立場になる固体)が、それぞれに自分自身とパートナーの分とにあらかじめ配分された食物を載せた二枚のトレーに対面する、ミニ最後通牒ゲームを組み上げました。たとえばある条件では、「自分の分はブドウ八粒、君の分は二粒」対「お互い五粒ずつ」間の選択です。−中略−ヒトならば、「お互い五粒ずつ」が選択肢にある場合には、「自分の分はブドウ八粒、君の分は二粒」というアンフェアな申し出をふつう拒否します。しかし、チンパンジーは違っていました。チンパンジーの提案者はほとんどいつも利己的な申し出をおこなうのに、応答者はほとんどいつも−−自分の取り分がゼロの場合を除いて−中略−申し出を受け入れたのです。(36頁)

(番組では「大人が八粒で三歳児が二粒でも三歳児は納得する」と言っているが、本の内容は上記のようなものになっている)
私の方が少ないが、何か理由があるのだろうということで、承認してしまう。
チンパンジーは絶対に承認しない。
(本の内容的にはむしろ逆に思えるが)

ある研究では、ひとり遊び用ゲームの遊び方を三歳児が教わりました。その後パペットがやってきて「僕もゲームがやりたい」と言うのですが、子どもが教わったのとは違うやり方で遊ぶ。すると子どもの多くはそれを−−場合によっては声高に−−拒否するのです。(38頁)

ルールが先に決まっている時に、ルールを大人たちが勝手に変えることに従わない。
教えてもらったルールで遊ぼうとする。
児童心理のピアジェによれば、子供が社会的規範に従うために権威と互恵性が必要であるとした。
子供が社会的に道徳に従うためには、大人のやや上から目線が必要であるとした。
しかし、いくつかの実験で、権威と互恵性でふるまいを取り引きするのではなく、三歳児は他者に触れると、まずどうふるまうかを探す傾向にある。
以前はピアジェが世界中で「間違いない」と言われてきたが、最近は「間違っているんじゃないか」と言われはじめた。
道徳を教える時には大人たちの強い命令とか権威みたいなもので子供を引っ張っていくのがいいというが、そうじゃないんじゃないか?
大人がどうふるまうかを子供たちの方が見つけてるんだ。
大人の権威や、その権威との損得勘定ではなく、いかにゲームすべきかを子供は懸命に探している。
つまり子供は生まれながらにして「わたしたち」を志向する、そういう形質を持っている。
子どもたちは「わたし」を志向しない。
客観性を生まれながらに持っている。
ヒトの子はサルとは違い、生まれながらの利他性を持ちり「人の役に立ちたい」という感情を持っている。
その利他性から自己の存在証明は「あの人を喜ばせた私」が存在証明。
私個人ではなく「わたしたち」という公的な存在に進みたいという、公的な評判を個として気にしているのだ。
社会規範に従い、罪悪や恥の感情を育てる。
それは集団への同調の度合いを測る導ともなり、わたしたち性というものをだんだん人間の中で培っていことになる。
なぜ、ヒトの子ははサルと別れて利他性をこれほど進化させたのであろうか?
形質として、生まれながらの遺伝として、ヒトの中で生きて行くということ、そういう感覚をなぜ持っているのであろうか?

初期人類はまず−−おそらくは、特に食物を巡る文脈において−−現生類人猿よりも互いに寛容になり、信頼し合わなくてはならなり(原文ママ)ませんでした。(50頁)

独占しないということ。

ヒトの子は初期人類としてまず目標を共有した。

我々の現在のストーリーでは食物を巡って−−寛容と信頼が生まれる必要がありました。(67頁)

ヒト以外の霊長類社会の大部分が、血縁とネポティズム(縁者びいき)−−そしてたいていの場合、かなり強力な優劣関係も−−から成り立つことを知っています。(49頁)

人類は共有と寛容と信頼という生存のための技を見つけて、その技術を磨いたのだ。
それは火の発見よりも重大で強力であった。


2016年01月06日

2015年10月12〜23日◆『体にいい食べ物はなぜコロコロと変わるのか』畑中三応子(後編)

これの続きです。

異常ともいえる米好き、白飯好きの日本人に転機が訪れたのは敗戦による食糧難、そこから日本人の食物に対する大きな革命的な事件が起きる。
飢餓という問題が絶対的にあったので、占領米国軍から供給されるもので乗り切るしかないという、小麦の供給が始まる。
その時はアメリカ国内は小麦が余っていたので供給された。
このことを含めてアメリカによる食糧支配の始まりである。
これはアメリカの陰謀なんだ。
ふんどしをやめてパンツを履かせたのもアメリカ軍の陰謀。
ブラジャーをしろも陰謀。
いろんな陰謀説があるが、食物に関しては「小麦支配がアメリカの陰謀である」。
戦後すぐの食糧難の厳しさは「おそらく餓死者が万単位で出る」と言われていた。
だが、万単位で出なかった。
これは基本的に日本人が食物を分け合ったから。
しかし悲しい話はいくらでもある。
小学校に弁当泥棒が多発した。

武田先生の胸がキュンとなった話。
給食に移行する時に脱脂粉乳と一緒にコッペパンが出される。
ところが、コッペパンというのは冷えると固くなる。
給食時に食べる時は柔らかい。
休んだ人にハンカチに包んで持って行く。
届ける頃にはもう固くなっている。
固くなるという特性をなんとかしてやりたいと思って、給食のおばさんが考えたのが「揚げパン」。
あれは、すぐに固くなってしまうパンを子供たちが喜んで食べるパンに変えたいという、給食のおばさんたちの工夫から生まれた。

こうやって小麦支配はある意味ではずっと続いている。

 ところが二〇一三年七月、日本人の主食をパンに変えようと「策謀」したはずのアメリカから、小麦有害論を説く書が届いた。そのものズバリの『小麦は食べるな!』(ウイリアム・デイビス、日本文芸社)である。(43頁)

小麦は食べるな!




@ 小麦でんぷんは、もっとも消化されやすく劇的に血糖値を上げる「スーパー糖質」。小麦の歴史は糖尿病の歴史でもある。
A 小麦にはヘロイン同様の依存性があり、中毒症状を引き起こす。また、食べるとますますほしくなる最強の「食欲増進剤」である。
B 小麦グルテンにアレルギー反応を示し、小腸上皮組織に炎症を起こしてときには死にいたらしめるセリアック病患者が、矮性小麦が広まってから年々増え続けている。
−中略−
D 小麦は老化を早める。各種の病気はもちろん、皮膚のしわやたるみの原因になる。
(44頁)

 牛乳およびバター、コンデンスミルクなどの乳製品も肉と同じように、明治維新の欧化政策で導入・奨励された食品の代表格。当初は牛肉以上に、滋養強壮効果があると信じられていた。(46頁)

 しかし、七〇年代になると牛乳の完全栄養食神話に陰りが見え始めた。−中略−八四年には『牛乳を飲むとガンになる!?』(ペガサス)という過激なタイトルの本を出した。(47頁)

しかし小麦は、パン、パスタ、お菓子、牛乳もバター、チーズ、クリームと利用されるわけで、お怒りはよくわかるが現状食生活からこの二つのフードを追放するのは、ほとんど困難ではないかというのが現実論。

 食品添加物の害を書いた先駆的な本が、『五色の毒−−主婦の食品手帳』(真生活協会、一九五四)、『おそるべき食物』(筑摩書房、一九五六)の二冊。−中略−
 六〇年代になると、食品添加物有害論を支柱にする「食べてはいけない」系ジャーナリストの元祖、「食品Gメン」と渾名された郡司篤孝が活躍し
(60頁)

昔、タクアンは真っ黄色だった。
それは美味しそうに見えるから
武田先生の中学校の遠藤先生が「色鮮やかなものは、喰うんじゃ無ぇ」と言ったのを覚えている。
それがおそらく1954年の『五色の毒』からだろう。

六九年、人工甘味料チクロがガンを引き起こす恐れありと、アメリカ政府が一〇月一八日に全面使用禁止を発表。−中略−
 七四年には豆腐、魚肉練り製品、ハム・ソーセージ類に多様されていた合成殺菌剤AF2が、発がん性、催奇性から使用禁止になった。
(61〜62頁)

食品告発が続く。

有吉佐和子が七四年一〇月から朝日新聞に連載した『複合汚染』の反響はすごかった。−中略−農地は化学肥料と除草剤、作物は農薬、河川は工場廃液や合成洗剤、加工食品は有害な食品添加物でそれぞれ汚染され、これらが体内で複合し、毒性が相乗する危険性を突きつけるというこわーい小説である。(62頁)

 七〇年代の食品添加物有害論者は口を揃えて「公害時代に成長期を過ごした日本人は確実に寿命が短縮するだろう」といっているが、その結果はまだ出ていない。エッセイストとしても人気があった食生態学者の西丸震哉は「七〇歳まで生きられることはまずないでしょう」(『週刊現代』一九七三年八月九日号)と断言している。と、すると、該当世代(私もそう)の余命はいまやそれほど長くないわけだ。なんだか実験動物になった気分である。(64頁)

 一九〇八年(明治四一)、池田菊苗博士が昆布のうま味成分はグルタミン酸ナトリウムであると発見し、製品化されたのが「味の素」である。−中略−
 ところが味の素神話が、崩壊した。六八年(昭和四三)、世界でもっとも権威のある医学雑誌の『ニュー・イングランド・ジャーナル・オブ・メディシン』に「チャイニーズ・レストラン・シンドローム(中華料理症候群)」が発表されたのである。中華料理を食べたあとに襲われる顔面紅潮、胸の痛みや圧迫感、頭痛、しびれ、激しい口の渇き、発汗などの原因はグルタミン酸ナトリウムの可能性がある、という内容だった。
(64〜65頁)

(番組では「サイエンスで発表した」と言っているが、上記のように『ニュー・イングランド・ジャーナル・オブ・メディシン』)

 根拠になったのはワシントン大学・オルニー博士によるマウスを使った実験で(65頁)

 当時の味の素社長は、二七日に素早く記者会見を開いて反論。「実験は通常の一五倍から一二〇倍という大量をマウスに注射で与えたもので、この結果を調味料に適用するのは間違っている。一日に二グラム程度を摂っても問題にならない」と一蹴し、厚生省も「化学調味料は安全」という見解を出した。だが、一度広まった波紋はおさまらなかった。(66頁)

 一九七一年(昭和四六)三月、東京都内の保健所に「酢昆布を食べたら手足がしびれた」という訴えが寄せられたのを皮切りに、一年足らずのあいだに五〇件以上の、酢昆布または中華料理を食べたあとに手足や後頭部のしびれ、顔面の圧迫感に襲われたとの届け出があった。都立衛生研究所が原因究明に乗り出した結果、くだんの酢昆布は通常の四・五倍量ものグルタミン酸ナトリウムを含有していたことがわかり、「ついに日本でも中華料理症候群が発生」と大騒ぎになった。
 おりしも、「食べてはいけない」急先鋒の郡司篤孝が、化学調味料の危険性を告発する『“味の素”を診断する』(一九七二、ビジネス社)を刊行した。
 郡司は本を書いた動機を週刊誌でこう語っている。
−中略−
「石油を原料にしたグルタミン酸ソーダの不純物のなかにはナフセサンという発ガン性のタール物質が含まれている。全体の〇・〇三五%という微量だが、その危険性は大いに問題にしなければなりませんね」(『週間ポスト』一九七二年八月一八日号)
(67頁)

当時の「味の素」は石油を原料に作っていた。
だから「化学調味料」と言っていた。
だけど、石油という響きがすごく悪い。
それで「化学調味料」とちゃんと言っているのだが主婦たちに「食品に石油の一部が入っている」というイメージになり、大騒動で滅茶苦茶叩かれる。

 企業存亡の危機に瀕した味の素は、七三年に石油合成法を全面停止。パッケージには適量を記載し、原料は石油ではないとアピールする「麦からビール、さとうきびから味の素」−中略−
 そのかいもあって、FDA(アメリカ食品医薬品局)は八〇年五月に「グルタミン酸ナトリウムは現行使用レベルで食品添加物として安全」との結論を出した。また、「化学調味料」という名前が抱かせる人工的なマイナスイメージを払拭すべく、業界団体は八五年から「うま味調味料」に名称変更し、料理レシピなどでの使用を提唱した。
(68頁)

これら人工の調味料、添加物に批判、非難というのは非常に集中しやすい。
今もそうだが、化学系のものには非難が集中しやすい。
反面、玄米に関しては、いささか宗教めいて信奉者が根強い。
玄米というのは完全食品として神のように讃える一群がいて、伝統的自然食に盲信するという方が多いようだ。
やっぱり盲信は危険。

ファストフードではハンバーガーが糾弾される。

 英語に「ジャンクフード」という言葉がある。ジャンクはゴミ、屑という意味。(74頁)

 ところで日本で体に悪いとされるファストフードといえば、インスタントラーメン。これには有名なエピソードがある。連合赤軍事件の原因がインスタントラーメンというのだ。
 唱えたのは酸アルカリ説の川島四郎博士。連合赤軍が妙義山中のアジトに隠れていた「一〇〇日近い長い間は、彼らはいわゆる『まともな食物』を食べていない。この不自然、不合理な食物の連食が、彼らの心身に影響して、あのような異常な凶器にまで導くにいたった一つの理由であると、私は私なりに考えている」と、『間違い栄養学』(毎日新聞社、一九七三)でこう推論している。
 アジトの食事は、麦を混ぜて煮たインスタントラーメンに缶詰。青野菜をまったく食べていない。そのため起こるカルシウムの極端な欠乏が、精神を異常興奮させ、あのような殺戮にいたらせた。
−中略−東大安田講堂事件でも建物内に大量の空き袋が散乱していて話題になったように、学生運動の活動家の主食=インスタントラーメンというイメージができあがって、精神過激化の原因にされたのかも。それならば、浅間山荘事件でカップヌードルをすすっていた自衛隊員はどうよ、と突っこみを入れたくなる。(77〜78頁)

食品非難はこの手。
片一方サイドから見せておいて「ほら、こんなもの喰うから」。
機動隊員も自衛隊員もみなさん、インスタントラーメンを食べて作業にあたったわけである。
そのへんのあたりは偏った見方にならないように気を付けてください。
私たちが食品について語った時、必ずこうした矛盾を少しづつ含みながら話てしまう傾向にある。
これはいつも意識しなければならないこと。

テレビのある健康情報番組(データが間違っていたらしく消えた番組)で言っていたこと。
ニッキをかじると血圧がスッと下がる。
それを聞いたので、血圧が高い武田先生はニッキをかじっていた。
紀伊国屋に買いに行った武田先生。
高級なヤツをかじっていた。
臭いで奥様にバレる武田先生。
「ニッキをかじると高血圧が下がるんだ」と奥様に言ってしまった武田先生。
「バカか?それで下げた血圧が何の意味があるんだ?」と言われ、考えてみたらニッキをかじって下がったにしても、そんな血圧。
数値をごまかすための技術だったのだろうが、それを健康と勘違いしやすい。

コラーゲンを食べると肌がツヤツヤ。
コラーゲンは食べても意味がない。

私たちは食品について語る時、必ず矛盾をつい含んでしまう。
いつも意識せねばならないのは、その矛盾のみを捉えて「体に悪い」って言いきってしまうところの怖さ。
これほど戦後からずっと続く食品告発の歴史に囲まれながらも、平均寿命が男女ともグングン延び続けるという、この矛盾。

 四七年(昭和二二)、日本人の平均寿命は男性五〇・〇六歳、女性五三・九六歳。−中略−まさに「人生五〇年」だった。ところが四年後の五一年(昭和二六)には男女ともに六〇歳を超え、六〇年(昭和三五)は男性六五・三二歳、女性七〇・一九歳、以降はうなぎ上りに長生きの階段を駆け上がっていったのは周知の通りである。(137〜138頁)

昭和60年(1985)男性74.78歳、女性80.48歳。
2015年、長寿世界一。
(番組では「男性は5位」と言っていたが、実際には3位。2015年に発表されたものはデータとしては2014年のものかと思われるが)
日本が今、頭を抱えているのは、あれほど「早死にする」と言われたのだが、出現した社会は超高齢化社会という呼び名で別問題になっている。

戦後の健康への関心の最大の特徴。
太っているというのは不健康。

六七年(昭和四二)一〇月に売れっ子ファッションモデル、ツイッギーが来日し、小枝のような細い脚と骨張った膝が若い女の子の羨望の的になった。ミニ・スカートとツイッギーの登場が、女性の体形の理想をグラマーから「ヤセ」に変えたのである。(91頁)

「タレント・ダイエット本」の元祖、弘田三枝子はカリスマ・ダイエッターの第一号である。(91頁)

 畠山みどり(わたしダイエット、ポカポカダイエット)、マッハ文朱(ハトムギダイエット)、キャシー中島・林寛子(月見草ダイエット)、うつみ宮土理(カチンカチン体操ダイエット)、瀬川瑛子(酢大豆ダイエット)、海老名美どり(3分間体操ダイエット)(94頁)

ダイエットは続々と続く。
更にダイエットは教祖として企業家も産む。

 一九八〇年に『やせたい人は食べなさい』(祥伝社)でデビューし、急死する二〇〇〇年一二月まで、ダイエットの伝道者としてだけでなく「白肌」ブームの火付け役として、ワイドショーやバラエティ番組にひっぱりだこの人気者だったのが、鈴木その子である。(97頁)

総著書の累計部数は四〇〇万部を超え、熱烈信者の芸能人・財界などの著名人が広告塔になった。(98頁)

「栄養学者は料理ができず、料理のできる人は栄養学のことを知らない。医者は医学的な側面からのみ食べ物をとらえて」木を見て森を見ていないのに対し、料理のプロであり、栄養学と生化学、生理学の研究をした自分は「食生活と肥満に関する大きな森が見渡せるっようになりました」と豪語する鈴木式に対する専門家からの批判の声と、ダイエット食品を高額で販売する「トキノ商法」へのバッシングは激しかった。(100頁)

断食ダイエット。

 当時も現在も、断食で重視されるのは、肥満や病気を引き起こす毒素とされる「腸壁に長年こびりついている宿便」の除去。−中略−
 実際にそんな便は存在しないようだが、健康・ダイエット業界では現在も信じられていて、宿便除去をうたう健康食品や健康茶は星の数ほど、腸内洗浄を行う施設も数多い。
(102頁)

一一年六月放送のNHKスペシャル『あなたの寿命は伸ばせる〜発見!長寿遺伝子〜』だった。
「老化を遅らせ、寿命を延ばす遺伝子が見つかった。サーチュインと呼ばれるその長生き遺伝子は、普段は休眠状態にあるが、空腹状態になると働きはじめ、老化要因を抑えて器官を若く保ち、寿命が延びる」という内容だった。
−中略−
 一日一食ダイエットの実践で、実年齢より二〇歳は若く見える顔と体形で売れっ子になった南雲吉則医師は『「空腹」が人を健康にする』(サンマーク出版、二〇一二)で全面的にこの説を採用。
−中略−サーチュイン遺伝子は飢餓のときにしか発現せず、「人間の体内に存在している50兆の細胞の中にある遺伝子をすべてスキャンして、壊れたり傷ついたりしている遺伝子を修復してくれる、ということが明らか」になったからである。−中略−そのうえ「やせホルモン」のレプチンによる食欲抑制が働くという。(107〜108頁)

 番組がNHKで放映されたわずか三ヵ月後に科学雑誌『ネイチャー』で、サーチュインを活性化しても寿命は延びないという否定論文が掲載されたのである。(108頁)

この件でまだ南雲氏は闘っている。
南雲氏に続き登場したのがレコーディングダイエット。

 二〇〇七年夏、まったく想定外の人物が書いたダイエット本が発売された。岡田斗司夫の『いつまでもデブと思うなよ』(新潮新書)である。(109頁)

いつまでもデブと思うなよ (新潮新書)



 その「レコーディング・ダイエット」とは、食べたものを記録して、自己管理するだけで達成できるのがウリ。(110頁)

C 毎日、水を二リットル飲む。(111頁)

(番組ではずっと毎日2リットルを飲むかのように紹介されたが、これは「第三段階」の期間)
ゼロカロリーの水の安心感を体に覚えさせられるといい。

 それまでのダイエット本は、もっぱら女の子が努力して美しくやせる、自分磨きの物語だった。−中略−実際にこれ以降、ダイエットは男性主導型に変わっていくのである。(112頁)

 現在、糖尿病とその予備軍は二〇五〇万人、なんと国民の五人に一人が該当し(113頁)

そして糖質、いわゆる炭水化物を制限するダイエット。

糖質制限論者はまず前提として、人間の体は穀物食には適していないという説をとる。人類の七〇〇万年の歴史で穀物を食べるようになったのは農耕の誕生以降の約一万年にすぎず、それまでの狩猟採集生活では動物性タンパク質を中心に木の実や野菜、果実を食べて、血糖値の上昇とは無縁に暮らしていた。すなわち糖質制限食こそ、人類本来の食生活だというわけだ。−中略−この風潮に、粗食派は「農耕が始まる以前は、肥満も糖尿病も少なかった可能性が高いと思います。なぜなら、糖尿病にかかるほど長生きした人が少なかったから」(幕内秀夫『「健康食」のウソ』PHP新書、二〇一一)と反論している。(118〜119頁)

縄文時代は平均寿命が30歳ぐらい。
30歳で死ねば・・・。
武田先生も30歳の頃は糖尿病ではなかったのだ。

極端に糖質を制限すると筋肉量が落ちるので、糖質(炭水化物)を制限するダイエットを日本糖尿病学会は否定的。

 ところが糖尿病の専門医のなかから、糖質制限を提唱する医師が現れた。−中略−
 一食の糖質摂取量は二〇〜四〇グラム、一日一三〇グラム以下にすればいいので、少な目ならご飯やパンも食べられるのが特徴だ。
(121頁)

時代が戦後から進んでいくうちに、ある意味で健康がどんどん難しくなっている。
かつてどこも痛くない、思い通りに動ける、今日支障なく気持ち良く過ごせる、こういう主観が健康の目安だった。
ところが最近は、血糖、血圧、尿酸値、タンパク質・・・健康を規定する項目が何十項目もある。
だから難しくなってきている。

九六年から「成人病」が「生活習慣病」と呼ばれるようになったことだ。(150頁)

健康のために、生活の全てに注意を向けなければならなくなった。

成人病とはそれ以前「老人病」と呼ばれていた疾病群を、五七年(昭和三二)に厚生省が名称変更して以来の呼び名。(150頁)

適正体重、脂肪エネルギー、野菜摂取量、同じ時間に三食食べる。
(本には「同じ時間に三食食べる」はないが「朝食を食べる」はある)
食べ物についてうるさく高い目標がどんどん重なって行く。
ここから更に健康を目指してクロレラ、ポリフェノール、セサミン、コンドロイチン、グルコサミン等々サプリブーム。
よき食品を求めての平成の歴史が書いてある。

(この本はまだ続くが、このあたりで番組で扱うのは終了)

健康とは何と難しいものかとつくづく思う。
完璧な健康を求めると少し不健康になるなという気がしてくる。

2015年10月12〜23日◆『体にいい食べ物はなぜコロコロと変わるのか』畑中三応子(前編)

体にいい食べ物はなぜコロコロと変わるのか (ベスト新書)



この本の腰巻の宣伝文句。
今日の「食べるな!」明日の「食べよう!」「健康」「美容」に支配されたヘルシー・ファッションフードの“根拠”なき戦い。
(番組では「多分根拠なき戦い」と紹介されたが「多分」の文字は見つからない。)

振り返ると、ファッション以上の変遷が食べ物にもある。
紅茶キノコで大騒ぎをした。
武田先生のお父様が蛇を捕まえて作っていたマムシ酒。
あれも一種、戦後のファッションフードの一環。
マムシ酒から振り返ると、すっぽんとかいろいろあった。

 科学的・医学的にどれが正しくて間違っているかを審判するのは目的ではないし、私にはその能力もない。それを期待してこの本を読まれる方には、あしからずご了承ください。(4頁)

 このところグルメな人々のあいだでは、「熟成肉」や「ドライエイジングビーフ」が注目の的だ。−中略−
 こうして「肉をがっつり食べたい」欲望がますます高まりを見せるなか、二〇一三年の前半に「肉論争」が起こった。一月に『長生きしたけりゃ肉は食べるな』(若杉友子、幻冬舎)と、『肉を食べる人は長生きする』(柴田博、PHP研究所)が発売され、真っ向から対立したのである。
 食べるな派の著者は、「正しい」食生活の実践で「白髪なし! 老眼なし! 病院に行ったこともない!」の当時七八歳。《農耕民族である日本人は腸が長く、消化に時間がかかるため、肉のカスが腸内に長く残って腐敗し、毒素が発生する。それで血液が汚された結果、内臓や細胞が炎症を起こし、ガンをはじめ、さまざまな病気を引き起こす》と主張する。
 対して、食べよう派の著者は高齢者医療と老化が専門の医学博士。
−中略−
 体タンパク(体を構成しているタンパク質)は二〇種類のアミノ酸から形成されている。そのうち九種は体内で豪勢することができず、食事で摂取することが不可欠だ。この九種が、よく耳にする「必須アミノ酸」。肉は牛乳、卵、魚と同じく、必須アミノ酸をすべて備え、WHO(世界保健機関)が定めたアミノ酸スコアでも百点満点なのは、栄養学の基礎知識である。
(14〜15頁)

一九一一年(明治四四)生まれの現役医師、日野原重明・聖路加国際病院名誉院長が週に二、三回は牛ヒレステーキを食べている事実も大きかった。粗食ブームの火付け役だった幕内秀夫はそれに対し、肉が長寿食だというのは大いなる誤解で「日野原先生は、ステーキを食べているから百歳でも元気なのではなく、百歳になってもステーキを食べられるほど元気で、消化機能が優れているのです」(『「健康食」のウソ』)と反論しているが、さて、この先どうなっていくだろう。(17〜18頁)

(番組ではこの反論は若杉氏と言っているが幕内氏)

「これが正しい食物の食べ方だ」と言うと極端になってしまう。
そのコロコロ変わりようを歴史的に考えてみましょう。
ここから本当に食べなければならないもの、本当は必要ないもの、それを皆さん自身で考えて割り出すというのが一番いい「食欲の秋」の迎え方ではないか。

粗食やダイエットの流行もあって八〇年代以降はむしろ低栄養化が進んでいる。いま日本人のエネルギー摂取量は開発途上国の平均に近く、敗戦直後の一九四六年(昭和二一)の一九〇三キロカロリーを下回り、タンパク質の摂取量も減っている。(15〜16頁)

 肉食に本格的に目覚めたのは幕末だ。欧米人とはじめて接した幕末のサムライや公家たちは、あんまり体格が違うのでさぞやショックを受けたに違いない。
 なにしろ江戸時代の日本人の平均身長が、成人男性で一五五〜一五六センチ、女性は一四三〜一四五センチの範囲内だったといわれる。黒船で来航したペリー提督は一九〇センチもある大男だったから、頭ひとつ小さい。
(19頁)

この差というのは、日本人にストレートに何かを考えさせ「攘夷などかなうはずはない、このままだと負ける。だから開国しよう」。
その意味で富国強兵のために彼らのごとき身体を持たなければ攘夷は不可能ということで、攘夷のためにも日本人は肉に傾斜していった。
早くも明治5年か6年に牛丼屋ができる。

 食の西洋化のシンボルになったのが、明治天皇である。肉食奨励のため、一八七二年(明治五)一月に肉を食べたことが、実質的な日本人の肉食解禁とされている。(19頁)

その時に驚くなかれ、牛乳も朝から飲んだ。
青年天皇自らが日本人の体格を向上させるために、徳川時代に禁じられていた牛を食べ、牛の乳を飲んだというのは、マッカーサーと明治天皇が並んで写っている写真(このことを言っていると思われる)ぐらいの衝撃が日本中に広がって、日本人にとって肉は体によい食べ物という近代史の夜明けがここで訪れた。

 かくして庶民の間では牛鍋がブームになり、やがて西洋料理がクレオール化した養殖が普及しつつあった一九世紀末、当時の肉食礼賛の風潮に異論を突きつけた医者がいた。マクロビオティックの元祖、「食養」の創始者の石塚左玄である。−中略−一八九六年(明治二九)に出した『科学的食養長寿論』で、人類はもともと穀物食だったという説を展開し、肉は食べる必要がないと断言。−中略−
 大正時代になると、肉食否定のように極端ではないが、西洋医学や栄養学の学識者からも《タンパク質の過食は内臓を過労させ、消化吸収に漏れた過剰の食物残滓が腸管内に停滞して異常の分解、発酵、腐敗などを起こす》(佐伯矩「保健上の榮養問題」『太陽』一九一七年九月号)《肉食には考えるほどの効力はなく、肉のみによって偉大な体格が造れると思うのは誤り。肉食が過ぎると抵抗力を減じ、腎臓病やガンが起こりやすい》(井上正賀「食糧問題と榮養の観念」『中央公論一九二四年九月号)などの意見が出されるようになった。
(19〜21頁)

(番組の中では後半の内容もすべて明治時代に石塚氏が発表したものとして紹介されているが誤り)

この論争はずっと結論がつかず、今も続いている。
しかしその中であやふやな化学用語が根拠として度々使用されている。
例えば「肉は血液を酸化させる」。

 この頃の食べるな派の論拠に多かったのは、「肉は酸性食品なので体に悪い」とする説。−中略−
 実は血液のpH値は、食物によって変動することはない。腎臓障害などの病気がないかぎり、酸性食品ばかり食べ続けても、つねにpH七・四前後の弱アルカリ性に保たれることは、疑う余地のない医学的事実だそうだ。にもかかわらず、いまだに酸性食品を忌み嫌う人は多い。
 ところで酸性食品、アルカリ性食品という場合、それ自体が酸性かアルカリ性かを示すわけではなく、体内に吸収されてから、そのどちらかの作用を示すことを意味する。たとえば梅干しや酢は酸っぱいから酸性食品と思いきや、アルカリ性食品に分類されるのだ。
(21〜22頁)

アルミの弁当に梅干しを入れておくと梅干しの酸でアルミの弁当箱に穴が空いた。
だからご飯にちゃんとうずめろとか言っていた。
梅干しはアルカリ性なのに。
(調べてみたが、どうやら梅干し自体は酸性らしい。本に書いてある通り「体内に吸収されてから」はアルカリ性)
食品一個一個に関する思い込みというか伝説がちょっとありすぎるような気がする。

幕末の男子の身長は155センチぐらい。
中岡慎太郎は152〜153センチ。
坂本竜馬は172センチ(調べてみたがこれには諸説あり)。

胡蝶の夢〈第1巻〉 (新潮文庫)



前半の方は、長崎にポンぺ(オランダ人医師)がやってきて江戸期幕末の日本の若者たち40名ぐらいに西洋医学を教えるという話。
その彼らが一番最初にやることは、ひたすら肉を喰うこと。
丸山「花月」とかに行って肉を喰う。
ヨーロッパ人と付き合う内に目覚める。
頑張って肉を喰おうと言って肉を喰う宴会ばっかりやり続ける。
そのあたり、医学を学びつつも入ってきた食物文化というのに彼らは早々と目覚める。
その中で一番読んでいてイラつくのが、最後の将軍徳川慶喜の前の将軍で家茂というのがいるが死ぬ。
家茂が死ぬ臨終の医者がいて、それが『胡蝶の夢』の主人公の松本良順。
その時に松本良順が何の病気かというのを必死に考えるがわからない。
家茂の寿命が更に短くなるのは、御典医が悪い。
患者は将軍だけ。
将軍の脈を診るだけが生涯の仕事。
その脈も手に触れるのが恐れ多いから、糸を巻いてそれで脈をとる。
百数十年前、それが日本の医療の最前線だった。
それがいかにバカなことかというのを松本良順はポンぺから学ぶ。
心臓の存在を知った限りは、糸で脈を診るなんて。
良順が一生懸命将軍を治そうとするのだが、ことごとく御典医に邪魔される。
その家茂の病気は「かっけ」。
玄米さえ喰えば一発で直る。
それがわからない。
だから元気がなくなると漢方医が「メシ喰わせなきゃ」ということで遮二無二白米を喰わせる。
それもなるべく白米だけを。
どんどん重篤になっていく。

 脚気はビタミンB1の不足で起こる栄養障害病である。初期は食欲がなくなって全身がだるく、とくに下半身に倦怠感が生まれる。次第に足のしびれやむくみ、動悸、息切れに襲われて感覚が麻痺し、さらに進行すると歩けなくなり、ついには心不全で死に至る。一九四〇年(昭和一五)までは年間一〜二万人の死者をコンスタントに出し、特効薬のビタミンB1誘導体製剤「アリナミン」一九五四年発売、武田製薬)の普及によってほぼ根絶したが(27頁)

「かっけ」というキーワードから日本の食物医学みたいなものが花開く。

 米の生産量が増えた江戸時代には、都市部で下級武士や富裕な町人にまでは白米食が普及した。食事は一日二回から三回に変わったが、あいかわらず副食は少なく、「白米大食」が脚気を流行させた。江戸や大坂に出てきて白米ばかり食べて脚気にかかり、田舎に戻ったら自然に治るので、「江戸患い」や「大阪腫れ」と呼ばれた贅沢病だったのである。−中略−もともと玄米には一〇〇グラム中〇・四ミリグラムのビタミンB1が含まれ、蕎麦や小麦と比べても遜色ないが、精米→洗米→炊飯と減り続けて、白いご飯になると〇・〇〇二ミリグラム以下(28頁)

 問題だったのは、とりわけ兵隊に患者が急増したことだ。兵一人に支給された白米は、一日六合(一食あたり茶碗六杯)。「腹いっぱい白いご飯が食べられる」のを目当てに入隊するものも多く、戦場は脚気患者だらけになった。日清戦争での戦傷死者数が四五三人に対し、脚気患者数は四万八〇〇〇人、うち死亡者二四一〇人。日露戦争では動員された兵の四分の一、なんと二五万人が罹患し、うち二万八〇〇〇人が死亡したという。
 なぜこれほど多くの患者を出したかといえば、原因がなかなか判明しなかったからである。「伝染病説」「タンパク質不足説」「白米食原因説」「黴米中毒説」などが入り乱れた「脚気論争」が繰り広げられ、「タンパク質不足説」を主張して食事に麦飯と洋食を採用した海軍では患者が激減したのに対し、「伝染病説」を強硬に信じる陸軍はあくまで白米主義を貫いて、多大な犠牲を払うことになった。
(28〜29頁)

(番組では海軍が脚気が少ないのは「船に乗って闘わなければならないから、いちいち炊飯をしていると危険もあるのでパンにしたから」と言っているが、本の内容とは異なる)

海軍のメシを否定した陸軍の軍医が森鴎外。
この人が大反対をしたので、死者が増えた。
森鴎外は罪作りな人。

 脚気がビタミンB1欠乏症と最終的に結論づけられたのは一九三四年(昭和九)だが、一九一〇年(明治四三)に鈴木梅太郎博士がはじめて米糠からビタミンB1を抽出し、原因がほぼ判明した。(30〜31頁)

(番組では脚気の正体をつきとめたのは佐伯矩さんと鈴木梅太郎さんというふうに紹介されているが、本によると鈴木氏)

これでもまだかっけが収まらない。
これで日本はようやくビタミンB不足、かっけの軍隊での危機を乗り越えることができたのだが、玄米が完全食品かというと、これはまた難しい。

玄米は−中略−消化吸収率が非常に悪く、栄養分が糞便に出てしまうのでもっとも不経済な食べ方であると批判。(31頁)

 玄米は炊飯に白米の二倍以上の時間がかかり、よく噛んで食べないと下痢をしやすい。国家総動員、危急存亡の時節、燃料も悠長に食事をしている時間もあるはずなく−中略−ゆっくり炊いてゆっくり食べる玄米は、平和な時代と時間がある人向けの健康食なのである。(32頁)

「何分搗きがよいか」という論争になったが、いまだに結論は出ていない。

胚芽だけでなく栄養豊富な糠も残した「七分搗き米」が消化吸収率も高く、最上の食べ方と結論づけた。(31頁)

極端な例。

『地上』一九五八年一一月号に掲載された「米の大食は短命のもと」によると、長寿率(七〇歳以上の長寿者の人口に対する率)が低い村は例外なく白米をもりもり食べる。全国平均の成就率は二・六五%だが、一%前後の短命村が多い秋田・青森・山形県の米作地帯では、農閑期で一人一日六〜七合、農繁期になれば一升の白米を食べる。(36〜37頁)

宮澤賢治『雨ニモマケズ』
一日ニ玄米四合ト
味噌ト少シノ野菜ヲタベ


(番組では「五合」と言っているが「四合」)
戦争中に多すぎるということで軍部の命令で二合に改変させられている。
(調べてみたが、戦時中という説もあったようだが実際には戦後にGHQによる指示で改変させられたらしい。ちなみに「三合」に)

今は米の消費が落ちていると懸念される方もおられるが、主食である米には極端な論が出る。

「御用学者」による「反米理論」の象徴とされるのが、慶応大学医学部教授の大脳生理学者、林髞博士の「米食低能論」である。−中略−一言でいうと「米を食べるとバカになる」という本である。(39頁)

米擁護派の人からは「日本人がどんどん米を食べなくなった」とか言われる。
まことしやかに言う人がいる。
「マッカーサーが日本を支配するために、米を喰わせるとコイツら元気づくんで、パン食に切り替えさせて日本人の活力を奪おうというので『朝食はパンを食べよう』というので小麦粉をタダで喰わせておいて、アメリカの奴隷国にした。」という陰謀説を唱える人がいる。

戦前は一人当たり年間一五〇キロくらい、戦後のピークで約一二〇キロもの米を食べていたのに、現在では六〇キロ前後と激減したが(41〜42頁)

米に何の罪もないとは思うが、一人当たり150キロはすごすぎる。

2015年12月27日

2015年12月7〜18日◆『父という病』岡田尊司(後編)

これの続きです。

戦後は大蔵官僚となり、官僚として成功しそうになるが、ふと自分に限界を感じた彼は作家への道を歩き出す。
歩き始めると同時に、今まで逃げて通った道を引き返していくという中年期を迎える。
痩せ細った文士然とした自分の体を憎み、剣道を始め、ボディービルを始める。
みるみる筋肉をつけ、最後は徴兵忌避で逃げ回っていた彼が、自ら私立の軍隊のような組織を作り、その制服を着て割腹自殺をするという人生の終わり方。
益荒男というか侍を演じたという、そういう最期を彼は迎えた。

 後に三島が自決したとき、梓は、わが子の振る舞いが理解できずに、困惑したという。(93頁)

人生の不思議なところで、父や母たちと逃げ回ったところで、最後は一人で出向くというのが人生の不思議なところ。

ライ麦畑でつかまえて (白水Uブックス)



J・D・サリンジャー。

母親のミリアムは、息子を甘やかした。一家を牛耳っているのは母親のミリアムだった。ミリアムには過敏で傷つきやすいところがあり、思い通りにならないと激しいヒステリーを起こすので、ソロモンは妻に逆らえなかった。(97頁)

成績は不振で注意散漫のサリンジャー。

 こうして十六歳のサリンジャーは、ヴァレーフォージ軍学校という士官養成学校に送り込まれることとなった。軍隊式というより、文字通り軍隊の訓練を行う学校であり、生徒は連隊に所属する学生士官として扱われた。もちろん完全寄宿制で、母親に助けを求めることもできなかった。(99頁)

父母と離れ、ここで俄然、作家に目覚める。
彼は懸命に自分の中に男を作ろうとする。
このあたりコンプレックス、一種父母のうまくいかなさの中から、見つかった才能。

父と息子の関係の破綻というのは昔からある。

実際、古代ローマ時代には、父親は法的にも子供の殺生与奪の権利を有していた。今日では、父親が少し手を上げただけでも虐待とされて通報されるかもしれないが、古代ローマ時代には、親に歯向かう子どもを殺しても罪に問われなかった。(74頁)

父・息子というのも血をみるというような関係もある。
血を見ないまでも親子関係を辞めてしまう勘当というのが戦前まで日本社会には現実にあった。
父子の縁は切れた。
「関係を切る」というのも一種の関係。
勘当されてから忽然と息子に才能が芽生えるというのがある。

二葉亭四迷。
文学に生きると言われたら父がカッとなって勘当した。
出て行く二葉亭四迷に向かって叫んだ言葉が「くたばってしめぇ」。
(ウィキペディアによると筆名の由来は、処女作『浮雲』に対する卑下、特に坪内逍遥の名を借りて出版したことに対して、自身を「くたばって仕舞(め)え」と罵ったことによる。文学に理解のなかった父に言われたというのは俗説である)

金色夜叉 (新潮文庫)



勘当が生んだ文学者。
尾崎紅葉。
この人も勘当されている。
遠藤周作も親から勘当されて作家になっている。
父と息子の間で縁を切るというのは別の縁に結ばれるきっかけにもなる。
母親は「包む」という原理なら、父親は「切る」という原理。
切るということによって別の縁が生まれるということがある。

 インドを独立へと導いたマハトマ・ガンジーの父親カラムチャンド・ガンジー−中略−
 父親は誰からも尊敬される偉大な存在であり、息子に対しても、寛大で優しい父親だった。
−中略−マハトマがイギリスに留学し、恵まれた教育を受けることができたのは、言うまでもなく、父親の社会的地位と経済力があったからだ。(128〜129頁)

 その父親は、マハトマが高等学校の上級になった頃には、病みつくようになっていた。マハトマは、父親の看病をするため、学校が終わるとすぐに家に帰った。父親は痔疾に苦しんでいたが、その手当をするのもマハトマの仕事だった。毎日足をマッサージして、父の苦しみを少しでもほぐそうと努めた。−中略−
 マハトマが心に抱き続けた罪悪感と禁欲的態度は、父親の死にまつわる不幸な出来事によって決定的となる。マハトマは十六歳になっていた。父親の容体は、手当の甲斐なく悪化の一途をたどっていた。
 その日も、父親につきっきりで看病をし、父親の足をさすっていたが、叔父が交代してくれるというので、少し休もうと自室に下がった。
 実は、マハトマにはすでに妻がいた。当時のインドの風習に従って、十三歳で結婚し、妻はすでに身重となっていた。部屋に戻ると、妻は眠っていたが、マハトマは若い欲望を抑えることができず、妻を揺り起こし、看病疲れで高ぶっていた神経を鎮めるように妻の体を求めた。ところが、行為の最中に、下僕が激しくドアを叩いた。父親の病状が急変したのだ。駆けつけたが、父親はすでに行きをひきとっていた。
 自分が欲望に溺れているときに、父親は断末魔の苦しみを味わっていたという思いが、マハトマを苛んだ。彼が後年、過酷なまでに自らに禁欲を強いるようになるのも、このつらい体験によるところが大きかった。父親に対して罪を犯したという罪悪感は、父親が偉大で、清廉な人物であったため、いっそう強まることとなった。
(131〜132頁)

 ガンジーは、子どもたちにイギリスから押し付けられた英語を学ばせたり高等教育を受けさせるよりも、農作業や人格教育を優先すべきだと考えた。ガンジー自身はイギリスに留学したにもかかわらず、息子たちには学校にさえ通わせず、英語に触れさせまいと土着の言語であるグジャラート語で話した。−中略−
 最たる犠牲者は長男のハリラールだった。ハリラールは向学心に溢れる子どもで、学校に通いたいと父親に訴えたが、父親は頑として許さなかった。
(134〜135頁)

 しかし、それでも、ハリラールは誰よりも父に認められたかった。そのため、父親の反政府運動に進んで参加し、何度も逮捕された。にもかかわらず、ハリラールが抗議運動のために違法行為をしたかどで訴追されると、ガンジーは弁護士として息子を弁護するどころか、厳しく罰すようにと裁判所で証言したのだ。(135〜136頁)

(番組では「ガンジーが弁護士を雇って銭を払って出す」と言っているが、本によると状況は違うようだ)

 ハリラールは人生の敗残者の道を歩んだ。女とアルコールに溺れ、父親の名を騙って犯罪行為も働いた。それは父に対する“抵抗運動”だったに違いない。その極めつきは、イスラム教に改宗したことだ。(136頁)

武田先生が沢木耕太郎さんから聞いたインドの夕べ。
インド女性の美しさがすごいらしい。
夕方、電燈も灯っていないようなほの暗い村にランプが2〜3個灯る。
そこをインドの女の人が歩く。
沢木氏がうたたねをしていて、やっと涼しくなって目が覚めたのだろう。
夕暮れの風がザーッと吹いて、その風の中を17〜18歳のインドの女性が白いサリーで歩いて行く時、沢木氏曰く「死んだかと思った」。
観音様が迎えにきたような美しさ。
南国だからガチッと服を着ていない。
夢を見ているみたい。
『踊るマハラジャ』の主役の女優さんもきれい。

あんまり立派な方をお父さんに持つと息子が苦しむ。
これとは真逆に、娘との関係でも父親と強く結ばれた娘というのも独特の人生を歩く。
サッチャーとヒラリー。
彼女たちはお父さんが好き。
お父さんに己を重ねたい。
(番組ではサッチャーやヒラリーは母親を見下した発言が多いと言っているが、本の中では「サッチャーは、母親を軽視するとともに」と書いてあるのみ)

クリントン大統領夫妻が、故郷、アーカンソーの田舎町をドライブしていて、とあるひなびたガソリンスタンドに立ち寄った。そこで働いていたのは、ヒラリーの昔のボーイフレンドだった。
クリントン大統領が言った。
「ヒラリー、僕と結婚してよかったね。もし彼と結婚していれば、今頃君は、田舎のガソリンスタンドのおカミさんだ。」
それを聞いたヒラリー女史は何の迷いもなく答えた。
「何を言うの、ビル! もし私が彼と結婚していたら、彼がアメリカ合衆国の大統領になっていたはずよ」

(有名なアメリカのジョークらしい。番組の中で言っていた内容とは多少異なるが、こちらの方が元ネタらしい。出展は調べてみたがわからなかった)

父は立派であれ、だらしなくであれ、その生き方において子供たちにその成長後、影を強く残すものである。

団塊世代の写真を一生懸命とっている写真家の方から、武田先生が団塊の世代の典型だということで招かれた。
「武田さん。団塊の世代について、どんなふうな印象を持っていますか?」という問いに対してその方が深くうなづいてくださった言葉。
「私は団塊の世代は父を追放した世代、そんなふうに思っております」
団塊の世代でお父さんのことを褒める人はほとんどいない。
戦争で負けたお父さんだから。
学校でも先生からそう教えられた。
日本はアジアに対してひどいことをしたんだ。
それは日本が戦争をしたからです。
中国で乱暴し、朝鮮や韓国の人たちにご迷惑をかけた。
それは日本の兵隊です。
つまりあなた方のお父さんです。
今、日中韓で揉めていることは、全部、私たち団塊の世代の父がしでかしたことであります。
やっぱり暗にあるのは、戦争を遂行した世代に対する憎悪。
仲が悪かった武田先生の父と兄。
ある意味ではそういう兄も父も嫌いだった武田先生。
ただただ母がかわいそうで。
だからあの歌(『母に捧げるバラード』のことを指すと思われる)には父がいない。
父という病にかかりたくなかった世代。
でも、よく考えてみると、父を追放した世代なのだが、父を追放したゆえに、この世代はひどい犯罪を起こす。
政治運動では連合赤軍。
自分の父を捨てて他に理想の父親を求めた。
連合赤軍の諸君はマルクスやレーニンに父親を求め、実在の父親を踏みにじった。
そうやって考えていると、この年齢になってつくづく思うのは「父にひどいことをした」。
戦争に行って大日本帝国のために尽くして、ボロボロに負けて、三百万人もの死者がいて、国土は真っ平らに焼かれて、帰ってきてから何の保証もない。
「さあ、復興だ働け」というので鉄工所で油まみれになって働き、長男や次男からは小馬鹿にされ、テレビではアメリカ軍のテレビドラマが大人気で、子供たちは『コンバット』とか夢中で見ているんだから、身の置き場がなくつらかっただろう。
親父が一年に何回か給料をくすねて「軍国酒場」へ行く。
そこには自分の部下のフリをしてくれる酒場の従業員の人がいる。
ホステスさんは看護婦さんの恰好をして「武田上等兵、しっかりしてください」。
そんなところでカネを使う父を本当に軽蔑した。
しかし、そこにしかなかったのだろう。
昔の軍隊の同窓会があって、そこで自分の所属していた連隊の連隊長が「武田、貴様の息子は芸能界で活躍している鉄也君か」と言われた時に「そうであります!」と言ったら「よか息子産んだじゃなかとか」と言われた時に父親は泣いたらしい。
帰ってきた武田先生に向かって「連隊長が褒めてくれたぞ、お前のことを」。
連隊長から褒められたことを喜ぶ父が大嫌いだったが、「それはよかった」と一緒に笑ってあげられなかったかと思うと父にむごいことをした罪を自分はこれから受けるのだろう。

内田樹氏の「我々団塊の世代、父親にはひどいことをしたものです」という一行が気になっていた。
戦争からやっとの思いで生きて帰ってきた父親。
彼に安住の地はなく、焼野原で彼は復興のために働き始め、油臭くて最低限の労働環境の中で働きつつ、子を大きくし、その子供たちからは何一つ感謝されない。
子供たちは民主主義という新しい制度を学校で学んで帰って来るが、それが父親たち世代、戦争を起こした世代というのが日本をこんな目に遭わせたんだと、学校の先生もそんなことをおっしゃる。
父を追放し、民主的親子関係を目指す。
自分が家庭を持ったら、俺はこんな親父じゃなくて、友達のような、アメリカ人の親子みたいに「お父さん」じゃなく「タカシ」みたいに名前で娘に呼ばせたりなんかするという、そんな親子になるんだと思っていた。
友達のような親子関係になろう。
そんなふうにつとめてみたが、その結果はどうであったか。
世間にはニート、引きこもり、結婚に興味を目指さないという若者たちが。
自分たちが夢見たものとは全く違うものしか夢見ないという子供たちで溢れている。

著者は終章で、父親を求め続ける子供として母と父に聖邪の価値を付けない方がいい。
「こういうお母さんはいいんだ」「こういうお父さんは悪いんだ」
そういう○×で父と母をつけない方がいい。
なぜなら聖者はするどい理由で全面の否定、邪を塗りつぶし、聖を疑うことなく信じてしまうからである。
○×で父母を見ぬ方がいい。
振り返ってみると、武田先生の出世作『母に捧げるバラード』は母ちゃん○、父ちゃん×。

母に捧げるバラード(海援隊)



著者は聖邪・○×ではなく、損得ではなく、父との関係というものを統合してもらえないか、内に含んでもらえないか。
理想でもなく、否定でもなく、憧れ、支配、そういうものではなく父というものを統合してください。

 父親に関する客観的な事実やエピソードを集めて、その人生を再構成してみるのもよいだろう。父親も一人の人間で、あなたと同じように、孤独や辛さや苦しみを抱えながら生きていたはずだ。(326〜327頁)

「父」というと酒を飲んで暴れることしか思い出せない武田先生。
でも、楽しいことが全くなかったかというとわずかにある。
思い出の始まりが海。
四歳ぐらいの頃、生まれて初めて海を見せてくれたのが父。
その海岸がちゃんとある。
四歳の武田先生は、海を見てあまりの広さに「なんてとこだ」と思った。
志賀島というというところに父と二人で海を眺めに行った。
海を見せてくれたのは父だった。
酒を飲んで暴れたのも父、東京へ行くと決心した武田先生にものすごい形相で「おまえ家出を計画しとらんか」と疑ったのも父。

あの頃映画 幸福の黄色いハンカチ デジタルリマスター2010 [DVD]



『幸せの黄色いハンカチ』が大ヒットした時、ガンの徴候があった父が気弱に武田先生の前にハガキを一枚ポロンと置いて「鉄矢、もうリクエストカードは書かんでよかろう」。
母からノルマでハガキを50枚書かなければならかった父。
そうしないと母から物差しで手を叩かれる。
「動いとらんばい、手が!」
リクエストカードに書く人生に疲れたのだろう。
それも父。
悪い父の思い出と、悲しげな父の思い出と、やさしい父の思い出を一緒に思い出すべきです。
そのことを「父を統合する」という。
子供は父を必要としている。
その当たり前をかみしめるべきであります。
思い出すとよい。
父も悲しい人でありました。
また、愛すべき人でもありました。
そう思いかえせる時、心がとっても静かになる。
父の悪口を言う人の心は荒れている。
しかし「父は父でつらかったんじゃないかな」そんなふうに父を語ると心が静かになる。
父を語る口調、それが心を静かにさせる唯一の道ではないか?

2015年12月7〜18日◆『父という病』岡田尊司(前編)

時々「家族にとって必要ではないのではないか」と自分のことを思ってしまう武田先生。
ヘンリー・フォンダの『黄昏』をDVDで見て泣けた武田先生。

黄昏 [DVD]



ヘンリー・フォンダが役立たずのくせに頑固で、娘のジェーン・フォンダが帰ってくるんだけど、命令ばっかりする父親に反発して、再婚相手の血のつながらない孫がいて「そうとうおじいちゃんなんでしょ?あなた」「死ぬの怖い?」と訊く孫で、フェンリー・フォンダがオタオタしながら再び人間の関係を。
おばあちゃん役のキャサリーン・ヘップバーンがいい。
『黄昏』のフェンリー・フォンダを見ていると老いが他人事じゃないと感じ、考え込んでしまう。

(051)父という病 (ポプラ新書)



(私は新書の方を読んだのだが、新書じゃない方も出ているので、番組で扱っているものとはページ数などが違っているかも知れない)
本の腰帯の大文字「父親って必要ですか」。

夏場のこと、喉が渇いていたのでガリガリ君のブルーがどうしても食べたくなって三軒茶屋のコンビニに入った武田先生。
血糖値が高くて本当は食べてはいけないのだが。
そのコンビニで見かけた二十代後半のお母さん。
66歳の武田先生が見て、かぶりつきたくなるようないい女。
ノースリーブの太い二の腕。
男の子のお母さん。
肩に乗せんばかりの肩幅。
全盛期の小谷実可子のよう。
肌は小麦色で、口紅は真っ赤。
小さな男の子にキリンさんのお母さんのように覗きこむようにして「アイス食べる?」。
思わず「食べる!」と答えそうになる武田先生。
母でもないのに、なついていきたくなるぐらい。
後ろからみているとフトモモにすがりつきたくなるぐらい。
そういう圧倒すべき肉体を持った女性を見た後、先日の秋口にたくましいお母さんを見て、近くの公園を走っている足が止まって、見とれて動けなかった。
ガッチリとした輪郭、シルエットをお持ちの女性がノックバットをやってらっしゃる。
この方のノックバットの振り方。
運動をやっていた武田先生が肩から腰を見ると、相当若い頃、運動をやっていた体形なのがわかる。
44〜46歳ぐらい。
男の子三人相手にノックバットで野球のキャッチの指導をなさっている。
男の子三人は小学校の低学年、中学年、高学年。
2、3、6というような男の子三人が低学年から手前に三人縦に並べてゴロからフライまでやる。
その時のお母さんのノックバットしながらの檄にうっとりとする。
コンビニで出会ったお母さんも、何に圧倒されるかというと、この方々は子供らを自分の体から産んだこと。
女性の力、あの雄姿というのは、男親にはありえないのだ。
男親は王(貞治)であろうが長嶋(茂雄)であろうが高橋由伸であろうが、てめぇで子供を産んでジャイアンツの選手にして鍛えることはできない。
このお母さん方みたいな方々を見ているうちに「男親って本当に必要なのか?世の中、女だけで充分回るんじゃないか」という自信のなさがこの本を手に取らせた。

果たして「父は病」なのか?

母が男たちを産み、男としての命を与えている。
男としての力を母が授けている。
今でもかろうじて父である武田先生。
その光景に圧倒された。

生物学の定説。
「男」という種はすでに絶滅にさしかかっている。
Y染色体はどんどん小さくなっていっている。
遠い将来、男はいなくなる。

 母親役の存在がいなければ、子どもはまともに育たないどころか、成長さえも止まってしまい、生命さえも危険になるということは、夥しいデータが裏付けた揺るぎない事実だ。このことは、人間だけでなく、すべての哺乳類に当てはまる生物学的な事実でもある。これは、すべての哺乳類が、オキシトシン・システムという同じ愛着の仕組みを共有するためだ。
 では、父親についてはどうか。
 まず、生物学的な観点から言うと、母子と生活を共にし、子育てに父親がかかわる種は、哺乳類全体の三%程度とされ
(12頁)

イクメンが当たり前だと思ったら大間違い。
哺乳類の世界にイクメンなんていない。
「おしめは私が替えましょう」とか「お風呂は私が入れております」というシロナガスクジラはいない。

 採取狩猟生活では、母子だけで暮らすことにあまり不都合はないが、農耕生活になると、高度の組織化された社会的協力や蓄積された富をめぐる集団間の組織的な戦闘が起きるようになり、社会の掟やルールに沿った行動様式を身に着ける必要が強まった。(13頁)

農耕によって父は「家」という単位のリーダーで、教育者で精神的支柱だった。
その象徴が今は変わりつつある。
今はますます男はいらなくなった。

 平成二二年の犯罪統計から、少年犯罪のピークである十五歳で見ると、実父母がそろっている家庭が約六割だったのに対し、実母だけの家庭は三割を占めた。−中略−父親のみの家庭の占める割合は、母親のみの家庭の約四分の一で、それを考慮すると、そのリスクは、さらに二・五倍程度の上昇を示すと推測される。(16頁)

そういう意味では(父親は)やや役に立つ。
父親というのは象徴的な存在。

 二十世紀の初め、フロイトが精神分析を創始してから半世紀近く、その中心にあったのは父親だった。フロイトがエディプス・コンプレックスを発見したのは、フロイト自身の自己分析によってだ。(17頁)

エディプス・コンプレックスというものが、全ての男の子の中にあるのではないか?
それは父に対する一種反抗心という無意識を持っている。
フロイトは激しい言葉で「男の子は成長するにしたがって母親を取られまいとして、夢の中で、あるいは譬えとして一回父親を殺さなければならない」。

「お父さん」というのが西洋のシンボルでは「ドラゴン」になる。
向こうの騎士は龍退治をやる。
あれはお父さんをやっつけて嫁さんを手に入れる。
子供は龍をやっつける物語が好き。
テレビゲームの『ドラゴンクエスト』。
あのドラゴンの後ろ側には父親がかくれている。
父親はやっつけなければならない敵なのだが、やっつけた後に父親の象徴であるドラゴンを子分にしたら少年たちは遥かな旅に出る。
ドラゴン、龍というのはとても大事なシンボル。
父親の象徴でもあるが、男の子が一人前に育つために、寄り添うべき存在でもある。

父という存在が人間の中で複雑なものになっていく。
そのなる過程としてフロイトという心理学者が言ったようにエディプス・コンプレックス。
子供というのは、特に男の子は一旦父親を殺して、しのいで、乗り越えて自分の中にある「男」というものを確立しなければならない。
一度父を倒さなければならない。
男の子は必ず通過する。
現実にぶつかる場合もある。
酔っぱらった武田先生のお父様が「柔道を教えてやる」と軍隊で習った柔道で。
当時柔道部だった武田先生。
酔っぱらった親父など簡単。
投げ飛ばした。
「抑え込んでみろ」というから抑え込んだら一歩も動けなくなった。
父が「まいった」をした。
次の日から父がものすごくおとなしくなった。
アメリカで言うところのキャッチボール。
息子のボールが取れなくなった父親。
そういうものの中にフロイトが言うところの「父親殺し」。
そういうものが誰の人生の中にもある。
個人によってはものすごく大きくなることがある。

フロイトへの回帰を主張したフランスの精神分析医ジャック・ラカンだった。ラカンは枠組みを与える父親の機能を「父の名」と読んだ。−中略−「父の名」とは、象徴的な意味での掟であり法だ。(20頁)

そういうふうに解すると、あるわけのわからない物語がパッとわかったりする。

進撃の巨人(18) (講談社コミックス)



あの城壁の向こう側に立っている巨人は「父」。
少年たちが戦いを挑んでいる。
そうやって考えるとあの物語も非常にシュールな物語。

『アナと雪の女王』
姿を現すことはないが、女王が使う、何でも凍らせるという魔法は「父」。
父親的なものがああいう魔法を彼女に。
彼女はそれを乗り越えなければ、あの魔法の力から逃れることができない。
人生の障害の障害になったり。
障害は壁にはなっているが守られている。
私を守ってくれるのだが、娘が外に出ていこうとする時には最大の障害になる。

父親としては自動扉だった武田先生。

フューリー [DVD]



ブラッド・ピットの傑作。
これは戦車一台の五人の戦士が三百人のドイツ兵と戦闘を開始して一人だけ助かって四人死んだ。
倫理もなく正義も何もない。
そこにある五人の男たちの掟。
その掟とは何か?
父を守る。
そんなふうにして物語の中にあるものを置きかえていくと・・・。

父とは母とは全く異質なもので、母と比べると貧弱なものである。

フランスでの調査では、労働者の父親が子どもの世話にかける時間は、一日平均六分だった。アメリカでも、母親の四分の一か五分の一の時間しか、父親は子どもにかかわっていなかった。(22〜23頁)

父と母は役割が違う。
子供の側にいるのは母親がいい。
誕生時から三年間はお母さんと一緒にいるという環境が一番いいのであって、会社にそのまま連れて行ってもOKというような環境がいいと武田先生は思う。
「三年間抱っこし放題」は言葉づかいが問題になったが、間違ってはいない。

父親は、何でも遊びにして面白がろうとした。一方、母親は何でもルーチンワークにして、それに根気よく取り組み、また、取り組ませようとした。−中略−母親は型通りの遊びやおもちゃを使った遊びを好み、父親は体を使った遊びや型にはまらない、独自の遊びを好んだ。(23頁)

 いずれにしても、量においても質においても、父親が母親の代わりをすることは、そう容易なことではなさそうだった。(24頁)

「父親とは、外界から子どものもとにやってくる最初の他者」と言ったのは、あるイタリアの精神分析医だ。その言葉通り、母親と半ば融合した乳飲み子にとって、父の登場かなりだしぬけで、脈絡のないものだ。(28頁)

父は母と子の関係の中にある、価値や意味とは全く違う世界観をもたらすものでなければならない。

奥様と一緒になって子育てをしていると、子育ての時にお父さんとお母さんの意見が一致するのはあまりよくないような気がする武田先生。
迷いながらしか大人になれないんだから、なるべく迷うようにしてあげるのが父母の違いのつとめではないか?
子供から訊かれたら違うことを教えてやろうと思っていたのだが、母親の言うことを聞いてしまって訊いてこなかった。

父親の存在そのものというのは、やっぱり母とは全然違うもことを持ってくる。
ここに宗教がある。
「お母さん」から宗教は生まれていない。
仏教にしても、イスラム教にしても、キリスト教にしてもユダヤ教にしても、神道における神話にしても、女性世界の理屈ではない。
マリアがあんなに我が子イエスを心配しているのに、振り切ってイエスは十字架に行ってしまう。
ブッダだってお母さんが泣きながら「出家やめて!」と止める。
女のルールに従わないで出家してしまう。
男の間のルールみたいなもの、掟みたいなものを「神」と読んだりしている。
名画にもなっている旧約聖書アブラハムの書。


(同じお題でいろんな画家が描いているが、これかな?)

[まことの]神はアブラハムを試みられた。そして彼に,「アブラハムよ」と言われた。それに対し彼は,「はい,私はここにおります!」と言った。すると,続いてこう言われた。「どうか,あなたの子,あなたの深く愛するひとり子イサクを連れてモリヤの地に旅をし,そこにおいて,わたしがあなたに指定する一つの山の上で,これを焼燔の捧げ物としてささげるように」。それでアブラハムは朝早く起き,自分のろばに鞍を置き,従者二人と息子のイサクを伴った。−中略−ついに彼らは[まことの]神が指定された場所に着いた。それでアブラハムはそこに祭壇を築き,まきを並べ,息子イサクの手と足を縛って,祭壇の上,そのまきの上に寝かせた。次いでアブラハムは手を伸ばし,屠殺用の短刀を取り,自分の子を殺そうとした。ところが,エホバのみ使いが天から彼に呼びかけて,「アブラハム,アブラハムよ!」と言った。それに対して彼は,「はい,私はここにおります!」と答えた。すると[み使い]はさらに言った,「あなたの手をその少年に下してはならない。これに何を行なってもならない。わたしは今,あなたが自分の子,あなたのひとり子をさえわたしに与えることを差し控えなかったので,あなたが神を恐れる者であることをよく知った」。(旧約聖書:創世記22章)

男の理屈。
その神様の試しによって旧約の神はアブラハムを認めてあげる。
女の理屈ではない。

ウツの地にヨブという名の人がいた。その人はとがめがなく,廉直で,神を恐れ,悪から離れていた。−中略−そして,使者がヨブのところに来て,言った,「牛がすき返し,雌ろばはその傍らで草を食べていましたが,そのとき,シバ人が襲ってきて,これを奪い,従者たちを剣の刃に掛けて討ち倒しました。−中略−「あなたのご子息や娘さんたちは,長子であるそのご兄弟の家で食べたり,ぶどう酒を飲んだりしておられました。すると,どうでしょう,荒野の地方から大風が吹いて来て,家の四隅を打ったため,それが若い人たちの上に倒れて,皆さまは死なれました。−中略−そこでサタンはエホバのみ前から出て行き,ヨブの足の裏から頭のてっぺんまで悪性のはれ物で彼を打った。それで彼は自分のために土器のかけらを取り,それで身をかいた。そして彼は灰の中に座っていた。ついに,その妻は彼に言った,「あなたはなおも自分の忠誠を堅く保っているのですか。神をのろって死になさい!」 −中略−そこでエホバは風あらしの中からヨブに答えて言われた,「 −中略−わたしが地の基を置いたとき,あなたはどこにいたのか。 −中略−だれがその度量衡を定めたのか。もしあなたが知っているのなら。 あるいは,だれが測り綱をその上に張り伸ばしたのか。その受け台は何の中に埋められたのか。 あるいは,だれがその隅石を据えたのか。明けの星が共々に喜びにあふれて叫び, 神の子たちがみな称賛の叫びを上げはじめたときに。 また,[だれが]扉で海をふさいだのか。 (旧約聖書:ヨブ記)

「生まれて無いヤツがガタガタ言うな!」
(聖書の中にはそんなことは書いていないが)
つまりここにあるルールというのは「父の名において」。
男は自分たちのルールを作っていかなければ気が済まない。
人間の脳内ホルモンの中にはバソプレシン(アルギニン・バソプレシン)とかオキシトシンというものがある。
そういう脳内ホルモンで父親らしく、母親らしくできる。
女性、男性というのは決定的な違いが老いになると現れる。
いかに男性、女性が老いで変化していくか。

男はお父さんになっておじいちゃんになって縮んでいくのだが、これは動物で例えると不完全変態。
例えばヤゴがトンボになるようなもので、トンボとヤゴの口のところは同じ。
ところが娘から母になって母からおばあちゃんになるが完全変態でイモムシが蝶々になるように全部変わる。
おじいちゃんは縮んでおじいちゃんになるが、おばあちゃんは時としておじいちゃんになる。

子供を育てるのは難しい。

 二十世紀最大の画家のひとりパブロ・ピカソの父親ホセは、息子同様、絵画に熱い情熱を捧げ−中略−出生時の仮死状態が影響したのか、甘やかされ過ぎたことが拍車をかけたのか、その点は不明だが、パブロは成長するにつれ、行動や学習の問題を顕著に表し始めた。まったく落ち着きがなく、衝動的で、やりたいことだけをやり、わがままの言い放題だった。ただ、唯一の例外は絵を描くことで、まだ言葉も喋れないうちから、それとわかる絵を描き、切り絵を作った。
 三歳のとき、妹が生まれ、母親の愛情を奪われてから、パブロは父親にべったりになった。
(57〜59頁)

(番組では父親にべったりになった理由は「母親が嫌っていたから」というような説明だったが、本にはそのようには書いていない)

それ以外の憂さ晴らしといえば、闘牛ごっこと称して、野良猫を追いかけ、やっつけることだった。ときには、殺してしまうこともあったという。(61頁)

もしピカソほどの才能がなければ、彼は間違いなく深刻な社会不適応を起こしていただろう。(63頁)

ピカソにとっては父なくばピカソはなかった。

『金閣寺』などで知られる作家の三島由紀夫、本名平岡公威の父親は平岡梓といい、農商務省(現在の農林水産省)の官僚だった。−中略−その梓が見合結婚したのが、開成中学の校長の娘で、三島の母となる倭文重だった。−中略−その家では、すべてが姑の夏子を中心に回っていただけでなく、わが子さえも、夏子に取り上げられてしまった。生まれてきた孫公威を溺愛した夏子は、「二階で赤ん坊を育てるのは危険」という口実により、母親の手から奪い取り、自分の部屋で育てようとした。倭文重は、三時間おきに母乳を与えるときだけ、“面会”を許された。夏子は、孫の遊び相手選びにまで口をだし、男の子は危ないと言って、年上の女の子だけと遊ばせた。後に男性的なものに強く固執することになる三島は、幼少期まるで女の子のように育てられたのだ。(68〜90頁)

 幼い頃からずっと母親に甘え損なった三島は、成人してからも、母親にべったりだったという。(91頁)

(番組では祖母の他界で母親にべったりになったと言っているが、本によると引っ越しなどによるらしい)

梓は梓なりに、一人しかいないわが子を愛していた。若い頃の三島は、青白く、とてもひ弱だった。徴兵検査を東京ではなく、わざわざ本籍地の兵庫県志方村で受けさせたのは、わが子の弱々しさが余計に際立ち、検査に不合格になるとの思惑からだった。田舎の若者が、米俵を軽々担ぎ上げて、甲種合格となる中、三島が抱えようとした米俵は、微動だにせず、周囲の失笑をかったが、案に相違して、検査の結果は、第二乙種合格だった。兵隊がそれほど不足していたのだ。
 いよいよ三島にも召集令状が下って、入隊検査を受けるべく、本籍地に向かった。このときは、梓が付き添った。折から三島は発熱し、検査のため裸になると、余計に具合が悪くなった。ゼーゼー荒い息をついているのを、診察した医者が、結核の初期である肺浸潤と誤診した。間一髪、入隊を免れた三島と父梓は、小躍りするように連隊の弊社から、駅まで駆け続けたという。
(91〜92頁)

(番組では「肺に影があるという誤診で」と言ってるが、上記のようにそうではない)

2015年12月21日

2015年8月24日〜9月4日◆『紋切型社会』武田砂鉄(後編)

これの続きです。

E・H・カーは「歴史とは何か」と問われて、現代の光を過去にあて、過去の光で現代を見ることだ、と語っているし(62頁)

戦争を語るには語る資格があり、それを現代にいかに重ね、いかに連続しているもの、していないものをきちんと抽出できるか否か。
体験の有無だけで歴史を語る身分資格を決定してちっとも検証しないジジイやババアの昔話に嫌気がさしてくる。
(と砂鉄氏が書いていると番組では言っているが、そういう過激な書き方はしていない)
戦争を語り継ごうとか言う人がいる。
それはきちんと戦争を語るには現代に重ねて現代にその戦争の影響が連続しているものと連続していないものをきちんとわけられる人、体験を知っている知らないだけではなくて
歴史を語る検証するという力があるのかどうかを持っているかどうかが大事で、ジジババの昔話で戦争の話をすんじゃ無ぇ。
紋切型の強制では戦争を語り継げないのではないか?

老いの才覚 (ベスト新書)




「日本人は、被災したその日から、すぐに菓子パンを食べることができるのに、『三日間パンばかり配られて飽き飽きした』などと文句を言っている。それほどに贅沢なのです。これは若者も同じですが、原初的な不幸の姿が見えなくなった分、ありがたみもわからなくなった」(66頁)

「うるせえババア」
(62ページに「うるせえジジイ(ババア)」とは書いてあるのだが、文章の前後を読むと、番組の取り上げ方はちょっと著者の意図とはズレている感じがする)

 曾野綾子は産經新聞の連載「透明な歳月の光」(二〇一四年五月一四日)に「韓国船沈没事故に思う」という原稿を寄せた。−中略−
「どうしてここまで、船客たちは逃げてこなかったのかと思う。そうすれば、この船長のように、数人に抱きかかえられるようにして救出されたのである。(中略)船内に浸水してきそうになったら、本能的に上へ逃げ出すという行動が、なぜ高校生にもみられなかったのか」と書く。
−中略−
「決して韓国の高校生だけに欠落した本能ではない。最近の文化に守られた日本人の大人にも子供にも欠けているのが、自分で判断するという自己制御の力である」と続く。
(68〜69頁)

その言い方が、砂鉄氏は「私は知っている。でもあなたは知らないでしょ?」という文章の流れを、気配を感じて、ここでも異議を提案している。

 歴史が旧世代の安堵のためばかりに使われている。でも歴史は現在を見るために使われるべきなのだ。「若い人は、本当の貧しさを知らない」は、その現在から猛ダッシュで逃げている。結果として、歴史を知ることからも逃げている。歴史は、今に体を預けている人だけが使うべきだ。(72頁)

武田先生は砂鉄氏とは意見を異にする。
船が傾きかけてきて、船内放送を信じて動かなかったセウォル号の韓国高校生の行動というのは、ちょっと疑問に思ったことがある。
韓国社会の中は紋切型になるかも知れないが、儒教の浸透度が日本よりも遥かに深い。
韓国のセウォル号の高校生たちになかったものは何かというと、旧世代に対して「クソババア」と呼び捨てにする、そういう気持ちがなかったと言える。

「そうは言っても男は」
これは性発言に関する失言。
この失言は橋本徹氏の発言。

 沖縄の海兵隊、普天間に行った時に、司令官の方に、もっと風俗業を活用してほしいと言ったんですよ。(中略)性的なエネルギーを合法的に解消できる場所というのが日本にはあるんですから(239〜240頁)

この人の世界観を一言で表現した失言だ。

「(女性を)強姦する体力がないのは男として恥ずべき」と愚かすぎる発言を残したのは文化庁長官だった時の三浦朱門(妻は曾野綾子)だが(243頁)

 二〇一三年末自民党議員で組織される「婚活・街コン推進議連」が、−中略−この議連の会長・小池百合子は街コンの意義を「少子化対策と地域活性化という二つの国家的課題をいっぺんに片付けてしまう」と高らかに宣言し、「片付ける」というデリカシーに欠けるフレーズに本音を託した。(243頁)

「世界男女格差報告」で上位に位置するスウェーデンでは、公開される映画が男女平等に配慮しているかどうかを示す「A指定」が導入され始めているという。その条件とは「役名のある女性が二名以上登場すること、そして二人の会話の内容が『オトコ以外の話題』に及ぶこと」だという(『クーリエ・ジャポン』二〇一四年一月号)。『ロード・オブ・ザ・リング』三部作、『ハリー・ポッター』の一作を除く全作がNGと聞けばやりすぎのような気もするが(247頁)

日本では婚外子、いわゆる「お妾さん」の子とか不倫でこの世に誕生してきた子供たちに対する冷遇という問題がずっとあった。
昔武田先生が聞いた話。
昔は血液型とかうるさくない時は、産婆さんが不倫のお子さんでもきちんと引き取る。
お子さんのない家庭に。
ある意味闇の人間関係があった。
今は、赤ちゃんポストとか名前だけでもめたり。
さじ加減だけで世の中を通っていた。
産婆さん曰く「男たちは戦場に出て行ったきり帰ってこない。それでもねぇ女たちは妊娠するんですよ」。
お子さんのないご家庭に連絡が行き、そこの奥様がそこの町にやってくる。
それで生まれたお子さんを持って自分の町にお帰りになる。
それで、その方は「里まで子供を産みに帰っていました」ということで何の支障もなく。
大人のさじ加減の知恵みたいなものが脈打っていたというのを訊いて。

田中角栄氏。
現役の時、ロッキード事件に引っかかってからは「目黒の闇将軍」とか罵倒された方。
すぐそばで番記者をしてらっしゃった方がおっしゃった話。
初恋の相手が故郷で生活に苦しんでいる。
どこかから聞いて、お金を贈られた。
聞くとジンとする話をいっぱいもってらしゃつというのが田中角栄氏。
角栄氏の政敵が亡くなられた時、葬儀屋もかけつけて来ていない時に枕元に正座していたのが角栄氏。
奥様が慌てて亡くなられた死者の枕元に座っている角栄氏に駆け寄った瞬間、角栄氏は札束をドサッと置いて「とりあえずこれで」。
三百万円あった。
なんでかというと、政治家というのは現金がそう簡単に引っ張り出せないシステムで、葬式の最初のお金としてこれぐらい必要だというので置いていった。
角栄氏の悪いところは、そういうふうにしてお金にしちゃうところかも知れないけど、人間の一番苦しい時にはお金の問題ってある。
もう一つ、長岡で聞いた伝説。
角栄氏は自分が選挙で協力してくれた人にものすごく手厚い。
協力してくれた人が亡くなった。
墓場にお花が飾ってあり、いろんな人の花が次々枯れて行く中で、田中角栄の花だけが枯れない。
枯れたら入れ替えるようにという指示が花屋さんに届けてある。
そういう細やかさ。
お妾さんもいらっしゃった。
そういう性的なものに関しても旧世代。
それが田中角栄という人物のマイナスになっていないと番記者の方がおっしゃった。

性に関する失言の多い人は性を「性行為」で考えている。
性行為はあっても愛撫がない。
愛撫から性行為を語った方がいいんじゃないか。
最も性について語るのにおすすめの女性。
五月みどりさん。
性を語るうまさ。
充実した性を体験なさっているから、と武田先生は思う。
昔、芸能界の移動はほとんど夜行列車。
長期公演の時などに、好きな男性ができる。
夜行列車で他のバンドマンがいるとか、他の棚に寝ているのにその人の寝台まで行く。
「開けてびっくり。違う人だったりするんですよぉ」

「誰がハッピーになるのですか?」という章の中で砂鉄氏が好きだと言っているジャーナリストは本田靖春氏と竹中労氏。

自らを「由緒正しい貧乏人」と名乗ったのはジャーナリストの本田靖春だ。(269頁)

 本田は七一年に読売新聞を辞める。社主の正力松太郎、彼の意向に沿うことばかりを紙面に反映させる「正力コーナー」の存在を許すことができなかった。−中略−本田は、四〇歳前にして、とっとと新聞社を出て行く。(270頁)

血を売るという人が、昔いっぱいいた。
その人たちのドキュメンタリー「黄色い血」。

 本田の、東京五輪開催を前に起きた吉展ちゃん誘拐事件を追った『誘拐』(ちくま文庫)はノンフィクション史に残る傑作だ。(270頁)

 静岡の寸又峡温泉で発生した立てこもり事件、金嬉老事件を追った『私戦』(河出文庫)は、犯人の金嬉老がぶつかった在日朝鮮人に対する差別意識に寄り添いながら劇場型犯罪を見つめた一冊だ。(271頁)

竹中労。
芸能ジャーナリストで、芸能界の裏事情を暴き続けた人。
暴力団と関係のある演歌歌手や国民歌手を次々に告発した。

 宮崎勤に向かう竹中労の次の言葉は、イレギュラー認定で処理しまくる現在にはどう響くだろう。
「宮崎勤の犯罪は、実に人間的である。彼をけだものでも悪魔でもなく、一個の人間として捉えれば、犯罪の深層は見えてくる。
(277〜278頁)

「臭いものにフタ」をして無視するマスコミに異を唱えたジャーナリスト。
砂鉄氏は「この世にあるものにやすやすとつながるのではない。沙弥無二ないものとつながるものがジャーナリストだ。加害者被害者のどちらかだけに繋がって安堵しているメディアが大嫌い」。

森達也が、『「自分の子どもが殺されても同じことが言えるのか」と叫ぶ人に訊きたい 正義という共同幻想がもたらす本当の危機』(ダイヤモンド社)と長い長いタイトルで主張したように、当事者に感情を委ねる以外の選択肢を示した途端に叩かれる社会にある。(279〜280頁)

特に紋切型を大事にしているメディアというのは、どっち側かに偏る。
そのことに対する彼の違和。

ジャーナリストにはある程度の貧しさがないといけないように感じる武田先生。
あまり儲かっているジャーナリストが好きじゃない。

社会正義は難しい。
何が正しいかどうか。

(ここから司馬遼太郎著『胡蝶の夢』の話に入るが割愛する。この本は10月26日から番組で改めて紹介されるが、それに関してもこのブログでは取り上げない予定)

2015年8月24日〜9月4日◆『紋切型社会』武田砂鉄(前編)

紋切型社会――言葉で固まる現代を解きほぐす



決まりフレーズの連発で世の中をうまくまとめているつもりの文化人に対する痛烈な批判本。
表表紙のサブタイトル「言葉で固まる現代を解きほぐす」。
腰帯推薦文に重松清さん、池澤夏樹さん。
両者とも文壇の大御所。
池澤さんの絶賛「読後感は正に痛快。」。

武田砂鉄
1982年生まれ。ライター。
本書が初の著作となる。

一言で世の中をまとめたり、世相を切ったりする人をあまり好きではない武田先生。
即答の15秒コメンテーターがワイドショーやニュース番組にたくさん出ている。
一言で言える人たちに対するコンプレックスがある。
若い頃はこの手の人たちに憧れた。
わかりやすい四文字熟語のスローガンで「絶対反対!」。
年をとると「絶対反対とか言っていいのかな?」とか、「絶対反対っていう言葉はないんじゃないか?」とか。
ニュースショーをすっかり変えたという革命児、久米宏さん。
コマーシャル直前に鉛筆をくるくるっと回しながら憮然と与党、自民党を罵倒して「コマーシャル」と言い捨てる。
爽快感があったり。
「お金に色はついてないんですよ」というホリエモン。
ああいうギクッとする一言のうまさ。
オウムの広報官をやってらした上祐さん。
パネルか何かを出してパン!と投げて、ああいうのは見事だった。
今は橋本徹さん。
クソ教育委員会。
「クソ」ともう一度言い直す。
爆笑問題の太田(光)さん。
このあたりが短いコメントのコメンテーターとしては名人だということだろう。
現代の、ある意味でヒーローだと思う。

今、急激に田中角栄を見直そうっていう流れがあるらしい。
「本当はすごい政治家だった」とか、「ロッキード事件には冤罪の臭いがする」とか、「角栄追放は早かったのではないか?」「日本の政界が今一番身もだえして求めているのは実は角栄ではないか?」「安倍政権の地方を作ろうとか地方創世とか言っているけど、それに一番最初に着手したのは角栄ではないか?」「角栄は本当はエネルギー問題を考えていた」「角栄ありせばかくのごとき日中関係にはならず」とか、えらく持ち直しているらしい。
「田中角栄っていう人に情的に賛同することは知的ではない」と新聞社がボロクソに言った。
角栄金券問題が出た時「やっぱり一国の総理ともあろうものが」とか「総理の犯罪」とかいうのでボッコボコに叩いた。
当時尻馬に乗って「この人は悪い人だ」と思った武田先生。
「本当はいい人だったんじゃないか」と急に言われても困る。
20〜30年経つと、人間を見る目が白から黒になるという。

最近武田先生が聞いた話。
「森(喜朗)さんの悪口を書いておくともつ」
あの方はオリンピックの一件でも、コメントとしては冴えている。
「私は始めからあんな形は嫌いだったんだよ」
メディアに「失言」で貢献なさる。
ナベツネ(渡邉恒雄)さん。
失言で必ず次の日新聞を売ってくれるという新聞王。
「この人さえ叩いておけば」とか「正義のこういう構え方でいっとけば」というような紋切型に対してまだ30代の武田砂鉄君という文化批評者。

砂鉄氏が嫌いな言葉「育ててくれてありがとう」。
こういう決まり文句に砂鉄氏は深い深い疑念を抱く。

「ゼクシィ」のサイトに「花嫁の手紙」のサンプル文が掲載されている。(23頁)

書き出し、エピソード、結びの段落に分けられて締めの言葉はどれがいいかというアンケートに一位だったのが「育ててくれてありがとう」。

 二〇一二年に自民党がまとめた日本国憲法改正草案にはこんな記載がある。家族の助け合いが「なければならない」と強制されている。体じゅうをタバコの焼印だらけにされたトラウマを持つ息子も、母親の過干渉からようやく独り立ちした娘も、再三注意を促すも悪事に手を染め続けてきた息子を持つ親も、家族であるのだから互いに助け合わ「なければならない」のである。第二四条の「家族、婚姻等に関する基本原則」の冒頭に唐突に加わるこの一文と、ゼクシィのサンプル文「今まで私を育てていただいて本当にありがとうございました」はスタンスを共有している。法規と模範解答とが同化している。(27〜28頁)

 田房永子はコミックエッセイ『ママだって、人間』(河出書房新刊)の中で、−中略−目の前にいる子どもを無事に育て上げることが母親の既定路線としてそびえたつ世の中では、ママだって人間ですとは言わせてくれない。はいはいはい、と一回でいい「はい」を連発して、あんたのことを考えている場合ではないでしょう、この子のことを第一に考えなさい、あんただって、あんたよりこの子が大事でしょう、と小さな違和がたちまち踏み潰される。(30頁)

ママだって、人間



おおよその場合、親は子を育てるが、育てないこともある。−中略−明子さんの言葉は、大抵の場合、お母様に届くけれど、届かないこともある。届かせるべきではないこともある。この当たり前を獲得しなければならない。(31頁)

一言でまとめてしまわずに、ぐずぐず考え込んだ方がいいんだ。
親子関係ってそんなに単純なものじゃなねぇよ。
紋切型の中にある「子は親の背中を見て育つ」。
武田先生は親の背中を結構見ていたが、見ていない子もいる。
親の背中を見ない子もいるという、そのリアルを私たちは忘れてはいけない。
家族とか親子というのは、もともとぐずぐずした関係である。
「てめぇそれでも親か!」と親に向かって叫びたくなることもあった。
でも親になると「てめぇそれでも俺の子か!」と叫びたくなる時もある。
そんなのがぐずぐずぐずぐず続いて腹も立ったり、我が子に絶望したり、我が親に絶望しながらも、晩飯は家族で食べている。
それでもぐずぐずやっている。
ふっといいところを見つけると「アイツもだいぶん大人になったな」とかっていう結論が出ないぐずぐずした関係。
「ありがとう」では済まされない宿命というか宿怨というか。
夫婦もそう。
所詮他人と拗ねた先輩もいた。
夫婦というのは中島みゆきさんの言う「縦糸」とか「横糸」ではなく「絡んだ糸」。


武田先生の友人の話。
ふっと夫婦で旅をしている時に、断崖絶壁から背中を向けた女房をポンと押してみたくなる。
そんな瞬間があって、二〜三歩歩いて「何てバカなことを考えたんだ」と思って女房を見たら女房が押そうとしていた、というぐずぐずしたもの。

 選挙が行なわれる度に選挙ポスターを舐めまわすように凝視しているが、若手候補の売り出し方の近似が気になってしまう。−中略−「新進気鋭」と同様に、賛意を促す文言があまりにも類似していて歯がゆい。「若さで改革!」「フレッシュ革命!」「日本のために汗をかきます!」(77〜78頁)

たまに水谷譲が化粧をしてお洒落をしてワンピースを着ると「なにそれ?どうしたの」と不安がる小学校三年生のお子さん。
母親が女の部分を持っているということに対して落ち込む男の子。
「母親」というのは女という性でありながら、女という性でないところがある。
姿見の前で口紅を塗る母親を見て嫌だった武田先生。
夫婦仲があまりよくなく、給料の件で掴み合いをする両親。
喧嘩をした翌朝、三面鏡で口紅を塗る母。
近所のおばさんからからかわれると母が「夫婦だから、紅の一本もささんと男も帰ってきにくかろうと思うてですね」という変な言い訳をする。
そこに父母の男女の臭いがするとすごく不安になる。
男の子は母親が持っているエロスを自分に向けられるといいのだが、他者に向けられると怖い。
子供の時に母親のフトモモに脚をつっこんで寝るのが大好きだった武田先生。
母親の匂いいっぱいに眠る幸せは忘れないが、その母親の柔らかさみたいなものが、父親も含めての異性に向けられると子供としてすごく不安になった。
親子におけるエロスの関係ももちろんあるだろう。
児童文学の作家、灰谷健次郎のエッセイにドキッとさせられる武田先生。
「父母が離婚したばっかりに不幸になる子供がいる。逆に両親が離婚しないから不幸になる子もいる。」
離婚した方がいいっていう父母も世の中にはいる。
砂鉄氏が言っていることを暗く言ってしまうと、子供を殺す親が現実にいる。
親を殺す子供もいる。
一言で、その絆というのを紋切型でできないのが「親と子」「子と親」という関係なのではないか?
怖ろしくぐずぐずした関係で、死ぬまで戸惑いながら関係を探っていくしかないのではないか。

次に砂鉄氏が紋切型で問題にした一言「全米が泣いた」。
映画宣伝の紋切の傑作「全米が泣いた」。
これは前提として「南米はどうなの?」それは訊くな。
「アジアではどう?」となどど一切訊いてはいけない。

 七年間ほど編集者をやっていたが、ある時「これは、誰が待望しているの?」と上司に冷たくあしらわれたことがある。ある本の文庫化の帯文言を「待望の文庫化」で締めたのである。一体、誰が待望しているというのか、と問われ、返答に窮する。(74頁)

 批判する方法を比べて、褒め讃える方法は本当に手持ちの駒が少ないのだろうか。−中略−それは、発せられた言葉のバラエティや精度の問題ではなく、ただただ、言葉を受け取る側の問題、懐のサイズに起因しているのではないか。(76頁)

(番組では「日本語の中に褒めるというパターンが非常に少ない」と言っているので本の内容を曲解しているようだ)

「あなたにとって、演じるとは?」「音楽とはなんでしょう?」
大仰なインタビューがまるでオーガニックを強制的に喰わせるレストランに入ったような。
砂鉄氏は『情熱大陸』『プロジェクトX』『サラリーマン金太郎』が大嫌い。
どれも団塊を生きた人たちの物語。
「この社会とこのシステムは俺たちが作った」といううぬぼれに満ち溢れたものが反映されたテレビ番組が『情熱大陸』『プロジェクトX』『サラリーマン金太郎』。
彼らは成功者がどのようにして成功したのか、それを伝えたいと思っている。
見てる方としては、そんなことを知りたくもない。
砂鉄氏がまあまあ好きなのは『タモリ倶楽部』『半沢直樹』の「倍返しだ!」。

 フジテレビ系列で日曜の十四時から放送される『ザ・ノンフィクション』は大好物番組だ。(91頁)

見ていて武田先生は「ものすごく居心地が悪い」と感じる番組。

『1億人の大質問!?笑ってコラえて!』(日本テレビ)などでも吹奏楽部を取り上げることがある。
そうすると、必ずベスト3に入るところが最初から選んである。
優勝すれば、今まで撮った分が努力していた「あの子とあの子の頑張りが優勝に」。
惜しくも2位になれば「泣いて再起を近く彼らたちの青春」みたいな落とし方をする。
『ザ・ノンフィクション』は箸にも棒にもかからないようなブラスバンドを取り上げる。
先生から「バカ!ダメだオマエら!」と言われて、本当にダメになっていくのをじっと撮っている。
サクセスなんかない。
空中分解。
木端微塵に砕けて行くというのをノンフィクションでとらえる。

武田先生が見ていてゴルフの打ちっぱなしに行く予定を取りやめたほどの回。
舞妓さんに憧れた沖縄の少女。
舞妓さんに精進する姿を撮る。
ところが、しきたりの世界なのでついていけない。
それで、舞妓さんの世界に絶望する。
沖縄に戻って友達に励まされて、また舞妓になりに行く。
やっぱりダメ。
お茶屋さんのおかみさんなんかと合わない。
一番最後はお茶屋さんを辞めて出ていく後姿でおしまい。
「これからどうするの?」と言ったら「東京に行って夜の世界で働こうかな」。
そういう、気持ちの悪い、座りの悪い人生。

 ある放送回。愛妻に先立たれ、田舎の豪邸に一人で住む社長さんが「男はこの年になってくると金と土地だ」と強気に言い放ちながら、ロシア娘とのお見合いサービスに入会、ロシア娘を呼び寄せて豪邸に住まわせる。一定期間同居してもらい(性交は禁止、同室で寝ることも禁止)、フィーリングを確かめてから婚姻するかどうかの判断をするという。
 ロシア娘を日本に呼ぶための高額費用を負担しているものだから、会員の多くは、やって来たロシア娘と謙虚に向き合おうとするのだけれど、この社長は一切の謙虚さを持たない。呼び寄せる前、カビの生えた食器、書類や半端に残った食事などが山積みになったテーブルを取材陣が指摘すると、「いいのいいの、今度来てもらうロシアの娘に片付けてもらおうと思ってるから」。
−中略−お見合いの仲介業者がやって来ると彼女の不満は爆発し、「私は日本に掃除しに来たのか!」とロシア語でぶちまける。−中略− 
 ロシア娘は故郷へ戻ってから、社長に断りのメッセージを送る。
(91〜92頁)

その社長さんが一番最後に「やっぱり金目当てだった」と言う。
日曜の午後、見た後に全てのやる気が失せる。
その紋切型で解決しないぞという恐ろしさを教えてくれるには、この『ザ・ノンフィクション』は最高の番組だ。

(6月21日放送「AKB48と日本人」と思われる)
AKBの指原とかセンターの子は相手にしない、端っこにいる子をいかにして、真ん中に持って行くかで金を数千万突っ込んでいる50代の男たちの集団にピントが合っている。
肉体労働をやってぼろきれの働いてCDを数百・数千枚買って投票用紙で一番端っこにいる子を48人の中に入れるという情熱に取りつかれた。
その子(CDを買っている男)の親御さんが経営している旅館か何かに行って、例のAKBの総選挙を見る。
テレビではその子の部分は放送していないのでインターネットで見る。
それで(当選者に)入っていたら60近いおっさんが嬉しさ余って号泣する。
「生きがいをくれた」
片一方の方は漏れて、また「漏れた」と言って泣いている。
「明日から黙って俺は働くんだ」っていうノンフィクション。
一番最後に入った子(AKB)がお母さんと一緒に食事をしている。
その子は「芸能界でカネ貯めて、ママにマンション買ってあげる」と張り切っている。
横におばあちゃんがいて、おばあちゃんは乗っていないようだ。
AKBを辞めて欲しい様子。
女の子が金切声で「マンション買ってあげるから張り切ってんじゃん!応援してくれてもいいじゃん!」。
どこに着地するのか全く予想ができない。

『ザ・ノンフィクション』が放つ言葉は、野ざらしの言葉だ。−中略−カロリーを調整してこない。咀嚼しやすいようには整えない。でも、相手と懸命に向き合って、ようやく向こう岸まで泳ぎ渡った言葉って、振り返ってみればそういう言葉ばかりではなかったか。(96頁)

人は多様性があっていいのだ。
泳ぎ渡った人だけが吐ける人間の本性のようなことが、いい意味でも悪い意味でもぞっとする人間が人間を見るというドキュメンタリーの確信部分になっている。
泳ぎ渡った人の本音の言葉。
泳ぎ渡って気持ち悪くて言葉がゲロっぽい人もいる。
「野ざらしの言葉」というのは「野に吐き出された言葉」だから拾って食べる言葉としては危険なところある。
砂鉄氏の言葉は万人向けではない。

「若い人は、本当の貧しさを知らない」
よくベテランの人が使う言葉。
(本の中で著名人たちをものすごい言葉で罵倒しているように番組では紹介しているが、読んだ限りではそういう過激な書き方はしていない)

 昨今の新書市場は、年老いた大家の人生指南本と近隣諸国を無節操に殴打する本に溢れているが、この二つは「歴史を修正する」という点で密接に絡み合っている。(65頁)

その手の本の主役が曾野綾子で、説教臭い新書ブームのヒロインだ。
曾野綾子の決まり文句が「私は戦争と本当の貧しさを知っているのよ」から話を起こし、「だから聞きなさい」という文章の展開に著者は激しく異議を唱える。

2015年12月14日

2015年3月16〜27日◆『現象学という思考 <自明なもの>の知へ』田口茂(後編)

これの続きです。

「確かである」とはどういうことなのか?
確かさを背後から自明なもの(あたりまえのもの)が支えている。
その「あたりまえ」に謎がある。

ここに一つのサイコロを置いてみよう。
サイコロというものはその全ての面を一度に見ることはできない。
むろん、展開図にすれば全面を見ることができるが、それはサイコロではない。
そのサイコロをやや斜め上から見た時、1と2とその上に4の面が見えている。
見えていない部分はどんな数字なのか?
表と裏を合わせると7になる。
1の真裏は6、2の真裏は5、4の真下にあるのは3。
私たちは絶えず見えている面と見えていない面を表裏合わせれば7になるという構造で見る。
一瞬も疑わない。
1の裏には必ず6があるとみる。

われわれが「物」という名のもとにつかんでいるのは、個々の面でもなく、それらを寄せ集めた全体(展開図)でもなく、絶えず流動する経験のなかで、その経験プロセスが示す確固たる規則性のことなのである。(70頁)

何か不自然な、何かヘマをした時に「私」が現れる。
そしてヘマをしたことに関していくつもの私を裏表で思い出す。
つまり「私」とはヘマした時に現れる現象。

内田樹氏の構造学の哲学の本(何冊か出版されているので、どの本かの特定ができず)。
「人間は間違った時のみ個性的です」という言葉を見つけた。
人間は間違っていない時には個性がない。
人間は間違うことによって個性をつくってゆく。
正しい答えでは個性は作れない。
間違ったからこそ個性が生まれる。

フッサールの現象学も同じことを言っている。
私たちは流れの中で現れてくる、そういう現象なのだ。
私たちは流れていく構造をつかむこと。

例えば映画を見に行く。
最近一発でわかる。
「あ、CG!」
本物そっくりな映像にするためにCG(コンピュータグラフィックス)がある。
平面を三次元画像で描けてCGっていう映画作りが始まった。

アナと雪の女王 (吹替版)



あんなに本物そっくりに動く「アナと雪の女王」だが、なんであんなに小顔の頭でっかちのお人形さんにしちゃったのか?
そこが不思議。

最近では私たちはそれがCGかどうか一発でわかる。
CGだと何が起きてもあまり迫力を感じない。
人間がすっ飛ぼうが潰されようが空中を飛んでいこうが、ハラハラもドキドキもしない。
でもそれは、逆の意味で言うとCGの本意じゃない。
本物そっくりに見せておいてハラハラドキドキさせるために生まれたのがCGなのに、目はすぐに見抜く。
そしてちっともハラハラドキドキしない。

アナと雪の女王。
人間の動きそのもの。
ドレスの裾のひらひらとかの変化とか、数秒のうちに凍りゆく床面とか、その後の『ベイマックス』というのも大ヒット。
ロボットの動きから少年の動きは人間そっくり。
それほど人間そっくりなのに、私たちは「あ、CG」。
この矛盾は一体何なのか?
例えば、雪の女王が歌いながら氷の城を歩く時、女王の姿はカメラに対して見え隠れの流れのうちに動くのである。
回転したりすると顔が隠れてまた出てくる。
CGはその女王の動きが転がるサイコロのように数式に変換されて動画化されている。
つまりあの動きは数式が支配しているのである。
私たちはあの本物そっくりの動きをすぐにCGと見抜くことができる。
なぜだろう?
あまりにも矛盾がない。
CGの動きには裏が感じられない。
サイコロの1が見えた時に裏は6、2が見えた時に裏は5・・・CGにはそれが感じられない。
裏を感じない。
だからこそ、どこかで「あ、CGか」と思ってしまう。

確かさを支えるこの「あたりまえ」には現れていないものが広がっている。
家一軒を見る時、家がハリボテだとは思わない。
ちゃんと裏口があると私たちは思う。
現れていないものがあると思う。
CGが本物そっくりであっても、逆にそのそっくりが「本物でないな」と直観してしまうのは、これには「裏がない」とどこかで思ってしまう。
例えばCGで海が登場する。
魚が泳いでなさそうな気がする。
生き物の臭いとか気配とか。
CG画面には臭いがない。
『アナと雪の女王』も氷の世界があっておうちの中に入っていくと暖炉で火が燃えているが熱を感じない。
つまりCGの世界は、あてが外れるという可能性がほとんどない。
きちんと全部計算されている。
あの画面を見ている限り、何も考えなくていい。
サイコロの1の裏は6・・・そんなことがない。
裏を考えなくていい。
表だけを見ている。
その「確かさ」の違いが、私たちの中で世界が広がって見えない。
のりしろを感じない。
CGは見えている人だけが人。
その違いを私たちは肌で感じてしまう。

世界は相関関係で動いている。

 たとえば、列車に乗っていて、自分の乗っている列車が動き始めたと思ったら、実は窓外に見える隣の列車が動き出していたことに気づく、といった経験をすることがある。この場合、隣の列車の窓を通して向こうに透かして見えている駅舎などの風景に注目すれば、その風景に対して自分の身体が止まっていることから、自分の乗っている列車が止まっていることに気付くことができる。(89頁)

動くっていうことを実感するためには、動くものと動かないものがない限り、動いていることを確認できない。
そういう相関で世界構造が見えているのだが、CGにはそれがない。
CGは一つの窓からの世界を描くことはできるが、二つの窓から描くことはできない。
CG画面というものは、ものの現れ方が規則的に描くことで表現される世界である。
規則正しく動くが、しばらく見ていると私たちはそれがすぐに人によって計算され、CG画面で描かれた絵だと気づく。
そうするとたちまちリアルさを感じなくなる。
リアルを追求したCG画面は、なぜリアルさを失うのだろうか?
例えばハリウッドのゴジラ。
ものすごくリアル。
でも、飽きてしまう。
なぜ飽きるのか?
どちらかといえば私たちは、円谷のゴジラにリアルさを感じる。
ハリウッド版CGゴジラはゴジラ以外の何者でもない。
でもゴジラ以外の何者でもないゴジラを見ていても、私たちはゴジラを感じない。
人間の感性は不思議。
CG画面のゴジラは、三角形が伸び縮みして動いている像と同じ。
「立体はこう動く」という数式だから。
一方円谷のゴジラは着ぐるみ。
中に人が入っている。
ゴジラを演じている。
その中身は人だから、時としてゴジラの動きのあてがはずれて、ゴジラが人間みたいに動く。
私たちは人間みたいな動きをした時に、ゴジラに修正して見る。
無意識のうちに「今のコケ方、人間に近いな。本物のゴジラはこんなふうに転ぶんじゃねぇの?ゴジラだったら」って修正して見る時にゴジラ像が出てくる。
ゴジラの動きが様々な人を含む動物、ゴリラとか象とかワニのように動く。
いろんなものの共通性を持っているがゆえに着ぐるみのゴジラは「どこにでもあってどこにもない」ゴジラという現象で見えてくる。
どこにでもあってどこにもないという現象に見えてくる時に、私たちはゴジラに見えてくる。
我々は現象の中に見い出される多様な結びつきの現象そのものの重なり合いを本質として取り出す。
CG画面のゴジラが一歩歩く。
人間にも似てない。
ゴリラにも似てない。
ゴジラだから。
でも着ぐるみのゴジラは人間にも見えるし猿にも見えるしゴリラにも見える。
我々は修正しつつそれをゴジラだと思おうと努力する。
そのことによってイメージができる。
ゴジラというのはシリーズを重ねつつ、時代の変化等々で形が変わってきている。
それを込みで見ている。
CGのゴジラは一回作ってしまうと何も変わらない。
着ぐるみのゴジラは何かに結びつく。
ゴジラが吠えた時に「怒った時の私に似ている」とか。
CGのゴジラは何にも結びつかない。
CG画面はなぜ私たちにリアルさを感じさせないのか?
着ぐるみのゴジラの方が遥かに私たちはついリアルを感じさせる。
着ぐるみのゴジラはどこにでもあってどこにもないゴジラ。
CGの方はどこにもなくてそこにしかないというゴジラだからリアルさを感じない。

なぜコロッケさんのモノマネでみんなが笑うのか?
コロッケのデフォルメとは何ぞや?
それは様々な結びつき。
だからおかしい。
例えば森進一さんのモノマネ。
恐竜森進一。
五木ひろしさんのモノマネの時にロボット仕掛けひろしをやる。
あれはコロッケさんのモノマネが様々なものに結びついているから本質を感じる。
「そういえば森進一さんは一番もっともうなった時、何となく恐竜っぽいな」とかっていう「結ばれたもの」のおかしさが私たちに笑いを誘う。
間違いないことは、森さんが現れて「おふくろさん」を歌う時、もう笑わない。
それは森さん本人だから。
何にも結びつかない森さんだから。
コロッケが芸として見せるのは「これにもこれにもこれにも結びつく」というのを見せた時に、私たちはその人の本質を想像しておかしくなる。
「笑う」というのは実に哲学的。
結びつきが愉快。
まさか森さんが卵から生まれた恐竜になるとは思わなかったというおかしさ。
北島三郎という演歌界の重鎮をコロッケさんは「お猿のかごや」みたいにやる。
「お猿のかごや」と結びついたという、結びつきがおかしい。
本質と呼ばれているものは、多様な契機の間の結びつきの現象である。
結びつきを持たないものは本質から遠くなる。

武田鉄也がモノマネにもってこいなのは、結びつけやすいから。
くどさといい、言っていることのわからなさ、力技で人をうなづかせようとするどこかに潜んでいる無理。
そういうものがいくつも重なった時に武田というのがおかしくなる。
そこが現象として現れる。
1の裏に6が隠れている、2の裏に5が隠れているという、そういう結び付きが本質を感じさせる。

 そして何より、どこまでも流れゆく生のなかで、そのほかならぬわれわれの生が、いかに深く「同一性」に魅了されているかを、再び驚きをもって眺めるということは(132頁)

 私は通常、ほとんど自動化された経験のなかで生きている。−中略−
 しかし、この滑らかな、ほとんど自動的に展開していく経験の流れが、何らかの事情で妨げられるとき、通常は自明性のなかに沈んでいる経験の各パーツが、はっきりとした姿をとって浮上してくる。
−中略−
 そしてそこでは、「私」もまた浮上してくる。滑らかな経験の展開が妨げられたとき、「私」が呼び出され
(178〜179頁)

私たちは生きていることも忘れないと、生きてゆくということができない。
毎日「俺は生きてるぞ」って思っていると生きているのが重荷になる。
フッサールさんが言っている、否定的経験に直面したとき「私」はやっと「私」を思い出す。
うまくいっている人は「私」なんて全然思い出さない。

 ここで、「自我は実体ではなく媒介である」という言い方が、一つの助けになるかもしれない。(191頁)

私が「私」と言う時、それは私を統一し、まるで実体的につかみうるように思えるが、出来事が流れ去ると、自我はそういう形を失うのである。
悩む時「私」は出てくるんだけど、何にも悩まない時「私」は出て来ない。
メシ喰って幸せな時「私」はいない。
「私」というのは現象である。

自我とは出来事によって再構成されたもので、最初から自我はいると自我は主張するが、自我などというものは出来事が流れる去ると形を失うのである。
私は首尾一貫「私」として生きていると主張するが、実は「私」というのは時々思い出される私であって、うまくいっている時は私は「私」を忘れている。

 路上で道を訊かれ、「ほら、あの道ですよ」と指さす。他人は指された方向に顔を向け、頷く。(240頁)

その瞬間にその人と私の間に生じる現象が「間主観性」と呼ばれるらしい。
「ほら、あの道ですよ」と指差した瞬間の出来事のことを「間主観性」。
他人と共有される「主観性」という。

道を尋ねる。
親切な人が「あの道ですよ」と指さしてくれる。
私が「あの道」を見て「あ!あの道ですね」と言う、この瞬間に私はその人が見ているものを見ているということになっている。
その道がわからない時には「え?」って言いながら教えてくれる人を見る。
その人を見る限りその道がわかっていない。
その人から目を放した瞬間に、その道がわかったという合図になる。

この間主観は日常では例えばドラマ、映画を見たり、誰かの歌声につられたり、スポーツに興奮したり、恋をしたり、その人と愛し合っている時に立ち起こる哲学的体験で、私たちの自我は他人に憑りつかれる体験を日々繰り返している。

「確かさ」はものすごく難しい。
確かさを確かさとして成り立たせているその「あたりまえ」を見つける考え方が現象学である。


2015年3月16〜27日◆『現象学という思考 <自明なもの>の知へ』田口茂(前編)

現象学という思考: 〈自明なもの〉の知へ (筑摩選書)



フッサールはレビナスが批判した、同じくヨーロッパの構造主義の哲学者。
エトムント・グスタフ・アルブレヒト・フッサール
オーストリアの哲学者
(番組では「フランス」と紹介していたが、違うようだ)
哲学というとドイツ・フランスが大活躍をしていたが、最近はずっと途切れている。
経済学者のピケティみたいなのが大当たりをとる。
電話帳みたいな経済学の本。
「キャピタル、資本主義っていうのが限界が見えたぞ」みたいな、どう進んだところで資本主義というのが中間層から貧しい人たちのために味方することはないんだ、と。
アメリカの富の70%を10%の人が握っている。
それで、中間層以下の人は全体の富の5%ぐらいしか握っていない。
これはどんどん開いて、中間層が持っている20%を、70%を持っていた人が75、80にするぞ、という。
混迷をますます増す社会。

ちょっと立ち戻ってフランス構造主義。
この構造主義の先輩であるフッサールの現象学という考え方をやってみよう。

わたくしといふ現象は
假定された有機交流電燈の
ひとつの青い照明です
心象スケッチ 春と修羅「序」

宮澤賢治の詩に出てくる「現象」。

内田樹氏曰く「不思議というのは、UFOとか幽霊というけれども、そんなことよりも、もっと手前のほうにあるんだ」。
なぜ女の人は唇を赤くぬるんだ?とか。
あたりまえのところに実は深い謎がある。

あたりまえに潜む謎を追及していこうじゃないかって声を出したのがフッサールという人。

 「これは真実だと主張するのが、いまや、あらゆる架空の物語の慣例である。しかしながら、わたしの話は、本当に本当なのである。」(ボルヘス『砂の本』)
 ボルヘスはこう言って、無限のページをもつありえない本の話を語り出す。彼一流のとぼけた書き出しだが、そこに、ある皮肉な真理を読み取ることも不可能ではない。つまり、架空の話をするときこそ、人はそれがいかに本当であるかを強調するのが常なのである。
 これは以外にも、われわれ自身がよく知っている日常の真理かもしれない。「確実に金儲けができます!」「絶対確実に幸せになれます!」こうしたキャッチフレーズほど、疑わしさを醸し出すものはあるまい。
(12頁)

「絶対に間違いありません!」「必ず○○します!」「確実に○○です」というのは危ない話、あまり信用できない話の枕詞なのだ。
じゃあ、本当に確かな話は、絶対に「確かな」という形容詞を必要としない。
「危なくない」とか「信用できる」とか「確かだ」と思った瞬間にその言葉を使わないのがあたりまえ。
「本当の」「確かな」「確実に」「必ず」という語には、「確か」ではない不安が潜んでいる。

だからわれわれは、本当に確かなことは、わざわざ確かだと強調したりはしない。確かであるかどうか不安が生じたとき、はじめて「確かさ」を意識的に追及する動きが生じるのである。(13〜14頁)

それが実は日常における、証明なんかいらない「自明」の真理なのである。

本当に何の疑いもなく「確か」だと思われていることは、かえってことさらに「確か」だと言われることはなく、あまりにも確かなことは、語られることさえなく、沈黙のうちに沈んでいるのではないか、というのがその考えである。(14頁)

それゆえフッサールは、現象学を「自明なものの学」と呼ぶ。ある入門講義の中で、彼はみずからの考える哲学を次のように特徴づけている。−中略−自然的な人間にとって(また自然的な態度にとどまる学者にとっても)自明であるような一切のことが、最も深い謎に纏い付かれていることが反省のなかで明らかになる。(14頁)

哲学は「とても難しいことをわかろうとする学問」じゃなくて、「あたりまえのことに潜んでいる謎を解く」学問。

内田樹氏曰く
高価なバカラの脚高のワイングラスを二客を貰ったとする。
それをガラスケースのどこに飾るか?
「真ん中の一番よく見えるところに飾る」という水谷譲。
しかし、その場所は地震の多い日本では、もっともガラス容器が割れやすい場所でもある。
なぜそこに置くのか?
本当に不思議なのだが、どこの飲み屋に行っても一番高いガラス食器は一番高いところに置きたがる。
なぜ壊れやすいものを壊れやすい場所に置くのだろう?
つまり、壊れるものが値打ちがある。
壊れないものには値打ちを認めない。
割れないガラス食器は値段が安い。
花でも生花がなぜ高いかというと、何日かすると枯れていくから。
いかによくできているとはいえ、ビニールの枯れない花は値段が高くならない。
壊れるものに値段が置くというところが、実はあたりまえなんだけれども、この中に巨大な謎があって、人間は壊れるもの、枯れていくもの、やがて消え失せるものに関して美しさを感じる。
友人の家に行った時に高いガラスケースを指差して「あれはバカラ」と言われて「おお!」と思うけど、見えやすいそこに置いたということは、一番壊れるところに置く。
つまり壊れることを前提にしてガラス食器を見るところに値段がある。
永遠に壊れないものというのは、ひどく値段が安くなる。
人間はそういう「あたりまえ」のところに、実は謎を感じない。

リンゴが木から落ちるのは「あたりまえ」である。そんなことは誰でも知っている。だがこの「あたりまえ」の事実を「重力」という力によって説明するということは、決して自明ではない。生物が成長するのは「あたりまえ」だが、それが遺伝子によって制御されていることは、「あたりまえ」ではない。科学は、自明なことには手をつけない。それを事実として前提した上で、そこに潜んでいる驚くべき新たな事柄を明るみに出す。(15〜16頁)

「あたりまえ」の中に、実は大きい謎が渦巻いているのではないだろうか?
そういう「現象学」という考え方。

現象学は、むしろ「あたりまえ」ゆえに通常は素通りされてしまっているもの、それゆえ何かをテーマとして追及するような思考にとっては、ほとんど意識に上らないような次元を問題にする。(16頁)

噴出しようとする問いに蓋をして無視するのでもなく、不安と派手に一戦交えるのでもなく−−不安に呑み込まれずに、冷静にこの問いへと「一歩一歩、徒歩で」近づいてゆく道を、現象学は指し示しているように思われるのである(19頁)

自明性、「あたりまえ」へと問いを向けることは我々の経験、我々の生がどのように成り立ち営まれているか問うことになる。
これはまた、謎への壮大な挑戦でもある。

50代の初めの方で、レビナスを説明してくださる内田氏の言葉使いに強く惹かれていった武田先生。
「あたりまえ」に深い謎を感じたから。
現象学の裾野は広い。

たとえば認知科学、神経科学、ロボット工学などの分野で、現象学は新たに注目を集めているし、−中略−看護や介護など、「ケア」という言葉で包括されうるような人間への関わりを考えるために、現象学を援用しようとする働きもある(20頁)

人間的経験や人間の生をある程度の包括的な見通しをもって論じうる研究のプラットフォームが必要になるが、おそらく現象学は、長年にわたってそのような議論のプラットフォームを提供し続けてきた。(21頁)

特権的有識、専門家は必要ない。
哲学的成果や真理も求められない。
他の人と「あたりまえ」の背後にあるものを探索しつつ、対照し訂正しつつ完全にする。
それが現象学のルールである。
真理はいつも運動の中に出現するのであって、黄金の鉱脈のように横たわり眠っているものではない。
真理とは穀物のように実り、泉のごとくに湧くものなのである。
「あたりまえの謎」とは50代の時、人生で体験したいくつものことが実は、謎だらけであるとハタと気づいた。

西の窓辺へお行きなさい 「折り返す」という技術



私(武田先生)の謎。
なぜ結婚したのだろう?
50代頃から急にわからなくなった。
「壊れるもの」だから。
「これは壊れるな」と奥様のことを誤解した。
私は25歳で結婚したが、なぜナザレの大工の息子の像の前で永遠の愛を誓ったのだろう?
25歳の時に教会で式を挙げたのだが「ちょっとこれはどうかな?自信ないな」と思ったのは「とわの愛を誓うや」と博多なまりの牧師さん、神父さんからそう訊かれた。
25歳で「永遠」という言葉は、何かものすごくうなづきにくかった。
自信がなかった。
でも「はい、誓います」と言わない限り、儀式が進行しない。
もう一つ思ったのは、なぜ「永遠」の意味もわかっていない若造に向かって「永遠」なんていうことを誓わせるんだろう?
次々「とわ」を誓ってカップルが生まれて、次々「とわ」に守れず男女がちぎれていく。
なんでわざわざ「とわ」を使うんだろう?
それはもしかすると、一回嘘をつかせるためなのではないか?
「ある一定の期間」とか「三年以内までは」とか。
そこに永遠という言葉の意味があるのではないか?
できもしないことを「できる」と言い切るところに結婚の意味があるのではないか?
土台無理がある。

男女の愛撫は、なぜ食べることの動作に関係した言葉が多いんだろう?
舐める、噛む、すする。
男女はなぜ、最高の快感の時に最も苦しい表情をするのだろう?

なぜ人は認知症に陥った場合、徘徊するのか?
病態として同じように現れる。
あの病の何かの目的があるはず。
そんなふうにして考えていくと、病気一つでさえ、ものすごく不思議になってくる。

「絶対に確かである」と言われて、決してそれが絶対確かであるとは人は信じない。
しかし、その疑いを向けて杞憂の愚を私たちは犯さない。
永遠の愛を誓った後、永遠が終わるまでドキドキしながら「守れるかなぁ?」とはしない。
「誓っちゃったな」とか言いながら生きて行く。

 われわれは通常、何の疑問もなく、椅子に自分の身体を預ける。イスが壊れていて、座った途端に自分の身体は後ろへ投げ出され、強く頭を打つかもしれない。−中略−
 いずれの場合も、「絶対に確かか?」と言われれば、そうではない、と答えざるをえない。だが、このような疑いをあらゆるものに向け続けていれば、われわれの生活は成り立たない。「杞憂」の故事にあるとおりである。
 つまりわれわれは、「絶対に確かだ」と信じているわけではないことを、とりあえず「確かだろう」と見なして、行為し、生活しているのである。絶対に確かではなくても、われわれは何かを信じることができる。そして生活していく上では、絶対的な確かさを求めるよりも、ある程度の確かさを信じられることの方が、むしろ重要である。逆に、「絶対的な確かさ」をどこまでも追及していこうとすると、このような日常生活の確かさが崩壊の危機に瀕する。「この食品は絶対に安全なのだろうか。見えない雑菌や農薬で汚染されているのではないか。」このように疑い始めれば、何一つ安心して食べることもできなくなる。
「疑い始めたらきりがないから、疑うのをやめて鈍感に生きよう」などと言いたいのではない。ここに考えるべき「哲学的」問題があると言いたいのである。
(31頁)

人間は「確かさ」を一回カッコの中に入れておいて、意識されないようにして日常をスムーズに生きている。
あまりにも「確かさ」「絶対」を追い求めると、逆に息苦しくなる。
「あなたの心臓おかしいですよ」って言われると、ずっと耳の中で心臓の音が鳴り始めて、息苦しくなる。

「絶対的な確かさ」というのは逆の意味で、生きて行くことの進行を妨げる。

 先行きの見えない状況に置かれたとき、「確かなのか?」という問いは、切実な問いとしてわれわれに迫ってくる。だが、この問いを、それが指し示す方向に向かって際限なく問い続けるなら、その試みは容易に挫折し、問いそのものが意味を失ってしまうように見える。確かさを問うことは、通常は、不安な生が安心や安定を求める動きであるはずだが、むやみに確かさを問い続けると、生の不安はかえって多いようのないものとなってしまう。なぜなら、そのような「絶対的な確かさ」など、どこにもないように思えるからである。(33頁)

「絶対」からわずかに距離を置いて、忘れてしまうということが「確か」になる。

現代社会で不安なもの。
 旅の安全
 チキンナゲット
 原発
 JRが雪で止まる
 マイカーのエアバッグ
 毎日飲んでいる糖尿病、血圧の薬
 人間ドッグの医師が信用できるかどうか
 今度やってくるM8〜M9の地震、津波
その安全を確かに確かめるものは、残念なことにすべて他人を経由しなければ手に入らない。
自分では確かめようがない。
その他人、メディア、専門家、大学教授、研究者、その仕事に従事している者の確かさを信用できないから「絶対に確かか?」と疑い続けると私たちは生きていけなくなる。
「薬を飲むバカがあるか」とか「薬ほど危ないものはない」とかって本を書く、大きな病院の先生がいる。

だから医者は薬を飲まない (SB新書)



あんなのを見るとガックリくる。
あんなのを持って行って人間ドックのお医者さんに「こんなのありますよ」とは言えない。
医療に関して揺さぶるお医者さんがお医者さんの中にいる。
逆説を言われる。
「本当は血圧は少し高めじゃないとダメなんだ」
そんなことを言う人がいると「健康って何だろう?」と、健康について考えるたびに不健康になっていく。

私たちは日常の暮らしの中で「確かさ」を求める。
だが、その確かさを私たちは疑いながら、しかしその確かさを私たちは私たち自身で確かめることはできない。
そういう現代社会を私たちは生きているのだ。
その矛盾を解決し、消し去ることは現実にできない。
矛盾を矛盾としてその矛盾を経験しながらそれを「非主題化」、テーマにしない。
それを当たり前にして生きている。

とりあえず自転車のペダルをこぎましょう。
ハンドルを左右に振りながら、この矛盾という自転車で走りましょう。
自転車を非主題として、前方に広がる風景、車や歩行者、そして目指す地点に向かっていることを主題にしましょう。
それが、自転車に乗っていることを最も確かにするコツなのです。
(自転車の話は50ページに出てくるが、番組で言っているのとは内容がだいぶ違う感じがする)

最近よく忘れ物をする武田先生。
忘れ物というのは「あたりまえ」の中に自分が埋もれている。
車のキーを何回無くしたか?
魔法のように消え失せる。
かぶっていたハンチングがないということで店を探したり、行きつけの場所に行って従業員の人に「落ちてませんでしたか」とか言って。
家に帰ってイスの後ろにあった。
自分が日常で取っている行動の何かがそこに置かしたんだろうけどあたりまえすぎて忘れている。

「自明なもの」は、ことさらに主題化されないときにのみ、本来の「自明なもの」として作動しうる。だから、それが通常は見えてこないのは当然である。−中略−
 だから、「自明なもの」は、ただ自然な仕方で経験に身を任せていても見えてこない。「いつも通り」の認識や経験の仕方では、見えてこないのである。ここでは、ある意味で「不自然な」考察が必要になる。
−中略−
 それゆえ、現象学の営みがもつ「不自然さ」をいつも意識しておくために、「現象学的還元」という特別の方法が必要になるとフッサールは考えた。
(53〜54頁)

身近であるにも関わらず通常気づくこともない豊かな現象と経験の世界の広がりがそこにあるのである。
一体「あたりまえ」とはどのような現象なのであろうか。

不自然な時だけ思い出すものというのがある。
それをフッサールは「現象学的還元」という。
不自然な時だけ「私」を思い出す。
ものを忘れた時。
「あ!ハンチング無ぇ!バカだなぁ〜俺」って言った時だけ「俺」が出てくる。
「俺」がうまくいっている時は俺は「俺」を全く忘れている。
へまをやった時とか、バカをやった時、失敗した時とか、そんな時だけ不思議なことに一人称の「私」が出てくる。

類型的予科が機能不全を起こした瞬間、私の意識は、過去へと遡り、空想の世界を駆けめぐり、未来を先取りしている。(175頁)

ものを無くした時「バッカだなぁ〜、何で俺帽子・・・帽子を無くしたのは一回や二回じゃない。俺が生まれて帽子を始めて無くしたのは、小学校のあの遠足に行く直前だったよ」。
「私」がかけめぐる。
つまり「私」は現象学的現象である。

2015年12月07日

2015年3月11〜13日◆『認知症 「不可解な行動」には理由がある』佐藤眞一

本はここで変わりましたが、番組的にはこれの続きです。

認知症 「不可解な行動」には理由がある (ソフトバンク新書)



 あなたは、認知症の人が日本にどれくらいいるか、ご存じでしょうか?−中略−厚生労働省の推計によれば、2010年の時点ですでに226万人(65歳以上人口の8.1%)、2015年には262万人(同8.4%)2020年には292万人(同8.9%)に達するとされているのです。大雑把にいって、65歳以上の人の10人に1人くらい、ということです。
 ただし、これらはどちらかといえば少ない見方で、研究者によっては2011年の時点で65歳以上のなんと15.7%、450万人としている人もいます。
 また65歳未満で発症する若年性認知症の人も、2011年の時点で3万7000人以上と推計されています。
 いずれにせよ、認知症の最大の危険因子は加齢です。
(3頁)

我ら団塊にとってもまことに手ごわい相手。
佐藤(眞一)さんの報告を読んでいても、目の前が少し薄暗くなる。

まずは興味、関心、感動の感性がぐんぐん低下し、意欲が低下し、作動記憶の注意とかつての記憶との照合能力が低下してゆく。
やがて認知症へと進行すると、妄想や作話、異常な不可解行動が増え、最近もっとも問題になっているのが徘徊による行方不明。
自分の親がなっても連れ合いがなっても、認知症というのは本当につらいもの。

Jさん(85歳、女性)は−中略−
 長女(60歳、専業主婦)の一家と同居した当初は、物忘れが目立つ程度でしたが、しだいに症状が顕著になってきました。夕方になるとそわそわしだし、「お世話になりました。家に帰ります」と言っては、枕や菓子皿、ティッシュペーパーの箱などを風呂敷に包み、家を出て行こうとします。
(183頁)

 認知症の人は、短期記憶は急速に低下するが長期記憶は比較的良好に保たれる、と先に述べました。しかし、症状が進行すれば、長期記憶もやはり失われていきます。
−中略−Jさんの頭の中にある家とは、今住んでいる長女一家の家ではなく、引っ越す前に夫と住んでいた家かもしれませんし、もっと若い頃に住んでいた家かも知れませんし(186頁)

「徘徊」というのは実はぴったりとした的確な言葉ではない。
Jさん(番組の中ではAさん)は混乱でさまよっているのではない。
60年前の「あの家」を目指している。
その家がみつからないので更に探し続けている。
他人が見ると全く意味がないように見えるがJさんにとっては大変に意味がある。
Jさんが最もJさんらしく、若く元気溌剌と生きた日々へJさんは帰ろうとしている。
自分自身が何者か、このように生きてゆこうと強く決心した頃へ帰ろうとしているのであって、認知症による徘徊を「あてどなく」とかすると胸がふさがるけど、この人は一番自分が活き活きしていた時間、その時を目指して帰ろうとしているんだと思うと、少し理解を深めてあげないといけないのではないか?

徘徊であろうが、認知症であろうが、「私」というものがいよいよ最終段階で終わろうとする時、生きてきた人生のどこかの私が最晩年に、にじみ出てくる。
そこの自分というのを持っておかないと。
充実している自分が出る。
空想の中でもいいから不幸をやりなおそうとする。
不注意で子供を流産し、欲しかった女性は90歳の高齢になると、その子を無事にお腹で育てて出産する。
92歳で「私妊娠してますから」と言い始めた。
認知症というのは、活き活きした自分というのを最晩年にもう一回なぞるのではないか。
個人史というものを、医療であろうともきちんとつかんでいないと医療にはならないぞということをこの本の著者は言っている。
認知症というのはまだ症例としてそれほど持っていない。
日本は高齢社会になるトップバッター。
最晩年にそんなふうにして、自分の個人というものの本当の何かが出るんだったら、重大な行動に結びつくんであるならば、やっぱりしっかりした自分を持っておかないとダメですよ。
自分が優越感に浸りたいから物の中に針を入れたり爪楊枝を入れたりというつまんないいたずらをやったりとか思っていると、最晩年でみんなから迷惑される老人になっちゃいますよ。
スーパーマーケットに行くたびに「おじいちゃん、来ないで!」って、出入り禁止のお年寄りになっちゃいますよ。
そういうことにならないように、しっかりした個人史を持っておきましょう。

500万人単位の認知症の老人が50万の単位で徘徊を始めれば、国を揺るがす重大な問題になる。
そういう意味で自分をどう作っていくか。
これが私たち世代の最大の課題。

どこを徘徊するだろうか?と考えてみる武田先生。
フォークシンガーとして旅に出るのではないか?
地方都市の楽屋の裏口に立ち「急いで開けて。リハ始めるから」。
一番幸せだった時は旅の途中だったんじゃないかと思うと、最近あだやおろそかに地方都市への旅をしていない。

南こうせつ氏が感動した話。
「改」という字。
ここに出てくる話と同じなので割愛します)

2015年12月03日

武田鉄矢・今朝の三枚おろし(4月13〜24日)◆『人間はいろいろな問題についてどう考えていけば良いのか』森博嗣(後編)

これの続きです。

発想の手法。

・なにげない普通のことを疑う。
・なにげない普通のことを少し変えてみる。
・なるほどな、となにかで感じたら、似たような状況がほかにもないか想像する。
・いつも、似ているもの、喩えられるものを連想する。
・ジャンルや目的に拘らず、なるべく創造的なものに触れる機会を持つ。
・できれば、自分でも創作してみる。
(109〜110頁)

白川静氏の漢字。
「初」はどうして横が刀なのか?
親を切ってなんで「親切」なのか?
こういうのを答えを出さずにためておくと、ひらめきが、考えが湧くことがある。

放射能は怖い。
何故怖いのか?
これを飲み込むためには、私たちは本当に怖いのは一体何だろうという抽象的な考えを持たなければならない。
そうしないと本当に怖いものが見えてこないのだ。

大人は時として不思議な矛盾を言葉にする。
目に見えない運命の糸のことを「赤い糸」と言う。
どうして目に見えないのになぜ「赤い糸」なのか。
目に見えないけど「赤い色をしている」というのはなんとなく理解できる。
矛盾を平気で口にする時、そっちの方がわかりやすい時がある。

 子供の頃に、「ハサミは切るものなのに、どうしてハサミというのか」と大人に尋ねたことがある。挟むためのものなら、ペンチやピンセットがあって、こちらの方がハサミという名称には相応しい。−中略−
 秋になると葉が赤くなったり黄色くなったりする。あれをほとんどの人は「紅葉」と言っている。
(111〜112頁)

感じたものを言葉にするのは一面の具体化で全体のイメージではない。
言葉で表したものを言葉で理解することは実は不可能なのだ。
「わかりやすい」「具体的だな」は実はわかっていない。
私たちはラジオ・テレビに言葉を求める。
不可解な言葉があれば、解釈や理屈を専門家とかコメンテーターに訊きたがる。

言葉で表されていても、それを言葉で理解することは、僕は間違っていると思う。しかし、いわゆる評論家というのは、これを無理にしている人たちである。間違っているとはいっても、間違ったものが欲しい一般大衆がかなりいる。なんでも良いから具体的な解釈や理解が欲しい、「わからないよりはましだ」と考える人たちがいる以上、需要があるということだろう。
 しかし、繰り返すが、「わからないよりはまし」ではなく、「わかるより、わからない方がまし」なのである。抽象的にものを見ることができない人が、言葉に頼る。
(123頁)

わかったら人はもう考えない。
(123ページに「『わかってしまえば、もう考えなくても良い』という、思考停止の安定状態を本能的に求めているわけで」とある)

なんで奥さんと結婚したか?
よく相手の気持ちがわからなかったから。
男女というのは面白いもので、「わかった」というのはほとんど別れの言葉。
「わかったわ、あなたのこと」
わからないからグジグジ一生付き合う。
「わかんないわ〜、何考えてんのか。気持ちわかんない」と言ったら安心。
わかると大変。

学校では読書感想文なんてものを子供に書かせているが、そのような言語化をさせることに意味はない(124頁)

坂本龍馬が好きな武田先生。
龍馬をいじめた上司の山内容堂と龍馬の友達を切り殺した新選組は大嫌い。
NHKの大河ドラマで香取慎吾主演のものを一度も見なかった。

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この中で土方をやった山本(耕史)氏と後にドラマで共演した武田先生。
会うなり言った言葉。
「新選組は一回も見なかった。私はあなたがやった役が嫌いです。」

新選組が好きな武田先生のお嬢さん。
非常に危険だなと思っていた。
やっぱり気になったので土方の物語を読んでみた。
司馬遼太郎というのは武田先生にとって困った人で、『竜馬がゆく』を書きながら、もう一方で書いたものが新撰組の『燃えよ剣』。

燃えよ剣



「龍馬を書きながら土方を書くなよ」というのが武田先生の中にあった。
『燃えよ剣』を読んでみた。
読んでいたら、行間から血しぶきが湧いてくる。
それぐらい土方という人の青春は凄まじい。
600頁ある単行本。
面白くない。
1ページ目から始まって、土方の青春が血まみれで犯罪少年の白書を読んでいるみたい。
ケンカと人殺しばっかり。
京都に入って、龍馬の友人北添(佶摩)を殺す。
望月を殺し、宮部鼎蔵を殺したりする。
そこのところは怒りに震える。
沖田、近藤も大嫌い。
650ページあって500ページまでは全く面白くない。
501ページから急に面白くなる。
嫌いだった土方が輝く。
どこで土方の人生が面白くなったかというと、肺結核で沖田は血を吐き、近藤はとんちんかんなことばかりやる。
新選組を横に置いておいて、勝海舟と後藤象二郎の話に行って「あれ?」みたいな。
その近藤のバカさ加減。
時代を読めていない人間のあわれさ。
近藤が慌てる。
「どうも時代がおかしい。このままだと新選組は時代の孤児になる。俺たちが知らないところで時代は動いている。俺たちはどうも将軍様からも会津様からも嫌われているらしい」
近藤が気づく。
その時に土方が「いいじゃねぇか。俺たちは幕末に湧いて出た喧嘩屋さ。人を何人殺せるか。その毎日毎日で勝負しようぜ」。
その時に土方が輝く。

会津を訪れた武田先生。
近藤勇の墓があるというので、お嬢さんが行きたがった。
車で行ったのだが、陽はぐんぐん暮れてくるので、途中山道に突っ込んで「私、登るのイヤよ」という奥様を一人お寺の駐車場に残し、誰もいない坂道をお嬢さん二人を率いて、モノに憑かれたように夕暮れの会津の山の中を走り回る。
自分で坂本龍馬の墓に行ったときはちっとも怖くないが、人の後ろからついていくと気持ち悪い。
初めて自分の気持ち悪さに気付いた武田先生。
納骨はされていないらしい。
本を読んでわかったことだが、それは土方が作った墓。
会津戦争を八重なんかと一緒に土方は闘っている。
その時に捕らえられて、京都に首を晒されたという報を受け哀れに思った土方は招魂だが墓をちゃんと「ここはお前には相応しい」と言って近藤の墓を作った。
新選組もいろいろあったんだな。
好きと嫌い、賛成と反対で考えちゃいかんなと。

土方は函館まで行って官軍と戦争をする。
一人で10人、20人率いて毎日突撃する。
毎日命がけの喧嘩をしている。
ある日帰ってきて溜息をついたら、新選組の友達が幽霊になって立っている。
幽霊の近藤とか沖田とずっと話し込む。
「もういいんじゃないんですか?そこまで喧嘩をすれば」
そう慰める沖田総司の亡霊に向かって「沖田、お前相変わらず顔色悪いな」。
そうすると沖田が「死んでもまだ疲れが残ってるんですよね」。
司馬氏の筆が「死してもなお、霊になってもなお、今世の疲労は残るらしい」。
「司馬さんって戦争体験者だ」と思って、言葉にはならないがものすごく大きく気持ちが動いた武田先生。

人間というのはYES・NO、好き・嫌い、賛成・反対で分けて行かない方がいいよ、という森さんの考え方、ご提案が近ごろの自分にはまっているような気がする武田先生。

『燃えよ剣』を読みながら「人生を選びそこなった人たちの物語」。
自分の青春は1970年代。
人生は面白くて、その生き方を選んだばっかりにという生き方も青春時代にはある。
青春は一つ間違えるとそっちへ行く。
日本赤軍の城崎容疑者、きょう逮捕へ 米国から帰国予定:朝日新聞デジタ
彼とは一歳しか年が違わない武田先生。
そんなことを考えると『燃えよ剣』の体験は大きかったし、坂本が好きでよかったと思う。
最後は土方が哀れで、新選組というのはテロリスト集団だが、最後に司馬氏の書き方がうまい。
どんどん一人で敵陣に行く。
あんまりどうどうと近づいて行くので官軍が味方かと思って「あなた誰?」と聞く。
その時に最期に発声する土方の名乗りは「新選組副長、土方歳三である」と言った瞬間に弾丸が彼を貫いた。
このあたり、司馬氏がいう「青春ですよ」という重い言葉が未だに耳朶にある。

中国の人たちが春節を利用して買い物にいらっしゃった。
対中感情がよくない評論家の方が出てきて血相を変えて罵倒なさる。
「中国人民の上澄みを盗むようにして集めた富裕者層が日本ににやってきて電気釜を十個買ってる。電気釜が売れるからって売りゃあいいってもんじゃないんですよ!」
非常に険しい自分の意見をおっしゃるのだが、お顔を見ていると厳しすぎて。

意見が対立して喧嘩をしている二人を観察しても、どちらも自分の利益を求めて譲らず、それが争いの元になっている。違っているから喧嘩になるのではなく、同じことを考えているから喧嘩になるのだ。(153頁)

愛国ゆえに韓国を非難する日本の人と、日本を非難する韓国の人っていうのは同じ考えなので仲が悪い。

 頭の中に作る場は、たとえばドーム球場でも良いし高層ビルでもピラミッドでも良いではないか、と思われたかもしれない。人間の頭脳が考えるものは、そういう「人工的」なものである。実は、「論理」というものも人工的なもので、計算も推論も人工だ。これらは人間が考えるとおりになる。つまり理想を追求できる。
 ところが、その当の人間の頭脳は、まちがいなく自然なのだ。頭は、人工物ではない。したがって、自分の思うとおりにはならない部分がどうしてもある。なんども取り上げている「発想」は、そういう「自然」から生まれるものだからままならない。
−中略−したがって、まさにガーデニングや農業と同じで、抽象的思考の畑のようなものを耕し、そこに種を蒔くしかない。発想とは、そうやって収穫するものなのである。(179〜180頁)

 考えることは、息を止めるのと同じで、苦しいことだけれど、息を止めているからこそ発揮できる力がある。百メートル走の選手たちは、スタートからゴールまで呼吸を止めている。だから、あの速さが引き出せるのだ。(184頁)

苦しいことの大事さがある。

 なにに対しても、もうちょっと考えてほしいのである。なにしろ、全然考えていない人が多すぎるからだ。みんな周りを見回して、自分がどうすれば良いのかを「選んで」いるだけで、考えているとは思えない。選択肢が簡単に見つからないような、少し難しい問題に直面すると、どうすれば良いかを、「人にきく」人、「調べる」人が多くなる。でも、なかなか自分では考えない。−中略−
 たしかに、知識を問われた場合に、答を思いつかなければ、「わかりません」と答える。「知りません」と言う人は少数だ。
(186〜187頁)

「知らないこと」はたくさんある。

 冷静になって考えてみてほしい。みんなが知らなかったのは、津波が来るまえのこと、原発の事故が起こるまえのことである。災害と事故のあと、みんなは「知った」のだ。−中略−
 ここで、問題はどこにあるのかといえば、みんなが事前に「気づかなかった」ことにある。つまり津波や原発は大丈夫なのか、という「発想」をそれまで持たなかった。ここに一番の問題がある。
 危険は、知ることによって防げる。知ったから危険になるのではない。
(188頁)

「絶対に安全だ」という言葉を信じてしまったのである。「もう信じられない」と今は考えている人が多い。だから、原発反対の声が大きくなった。
「信じられない」ということを学んだのは、それだけでも一歩安全に近づいたことになる。だから、なんでも疑って、ちゃんと考えるようにしなければならない。原発の反対をするだけではなく、火力発電も、太陽光発電も、風力発電も、信じてはいけない。
(189頁)

専門家は、比較的詳しいというだけだ。−中略−それなのに、「教えてくれ」「きちんと説明してほしい」と詰め寄ろうとする。これも、考えることをせず、ただ知ろうとしている姿だ。−中略−感情的な行動が、事態を改善することはない。(190〜191頁)

 情報は、それを発信した人の主観が基本になっている。自分に有利になることを書いている場合がほとんどだ。(191〜192頁)

自分に不利になる情報は少し低くするのは、実は世の中では当然のことである。
メディアも近ごろは情報の引用が多すぎる。

 問題だと思うのは、自分に都合の良いものだけを引用して自分の意見を主張し、それに反対する意見に対しては、「なにも知らない奴」として、情報不足だと処理する人である。(192〜193頁)

うぬぼれた人がメディアの中には多すぎる。
少し目立ち過ぎるように感じます。
「決められない」というのはある意味で正しいの証しではないのか?

 慌ててどちらかに決める必要などない。ぼんやりとしたままの状態で良いではないか。(195頁)

保留という答えもこの世の中にあっていいのではないかと思う。
きっとこれらの問題にも草が生えたり、枝が枯れたり、花が咲いたり散ったり、野ざらしの変化が出てくる。
「決められない」というのは抽象的思考の賢さでもあると私は思う。
人の心、人の脳の中に広がる森や川、波や風の力を信じようではないか。

いつも、農林大臣が「カネもらってるぞ」とかうゎ〜と問題になる。
農林大臣は数奇な運命がある方が多い。
民主党から突き上げられて自殺なさった方がいる。
(松岡利勝氏の件かと思われる)
「ナントカ環元水」と言って一世を風靡したが、還元水に何万、何十万はよくないだろうが、あの農林大臣に思い出がある武田先生。
武田先生のお母様の骨が熊本の山奥に分骨されている。
そこまではものすごい山道で、とても行きにくかった。
ところが自殺なさった農林水産大臣が一番最後にやった仕事は、武田先生のお母様の墓の横に道を作ること。
だから墓参りに行くたびにあの人のことを思い出す。
「あなたもよいことをなさいましたよ」とその道をタクシーで行きながらつぶやくことがある。
「良い」「悪い」って個人もそうだけれど、本当にたやすく決められることではない。
決められない問題は決められない問題で、絶対に悪くない。
せかしちゃいけない。
やがて風雨にさらされて別の面が出てくる。
その、待てることの考え方が抽象的思考に繋がっているのではないか?

「〜のようなもの」という表現を多用し、問題を固く固定化しない。
この表面にだけで問題の本質が広がる。
「普天間基地のような問題」「原発再稼働のような問題」「安倍政権のような問題」
○と×だけでなく、問題がいくつもの画面に分かれていく。
「〜のような問題」をいくつも並べてみると、別の側面も見えてくるのではないか。
複眼的な眼を持っていないと、レーザー光線でじーっと物を焼き切るように見つめるというのは、いい問題の見方ではない。
答えをかえって狭めてしまうのではないか。

好きと嫌いで世界を見てしまうと、世界は「正しい」と「間違い」に分かれてしまう。
敵と味方に割れてしまう。
「〜のようなもの」にして、今はとりあえず決めないこと。
敵にも味方にも、必ずそのうち変化がやってくる。
他者にいつもひとつの正しい意見しか言わない人は既に間違っている。
なぜならこの人たちには、「それは正しくない」という反対意見の正しい人がいるから。
答えが一つしかないというのは、そのことだけで、実は間違ってるんじゃないか?

この本は具体的が全くなく結論がなく、見事な名言もない。
ただ、何か心に引くものがある。

武田鉄矢・今朝の三枚おろし(4月13〜24日)◆『人間はいろいろな問題についてどう考えていけば良いのか』森博嗣(前編)

人間はいろいろな問題についてどう考えていけば良いのか (新潮新書)



森博嗣
1957年生まれ。
作家。
工学博士。
某国立大学助教授。

「抽象的」とは、曖昧でわかりにくいもの、まだきちんとまとまっていない考え、実現が遠いもの、単なる絵空事、とイメージする人が多く−中略−「もっと具体的に説明してくれ」と要求されることは多いのに(23頁)

この典型的な例が一方の雄である池上彰さん。
あの方は「具体的でわかりやすい」というので、「現役東大生に聞いた頭の良いと思う有名人」No.1は池上氏。
この番組で合っていると思うが、ラジオで紹介されたものと実際の順位は異なっている)
1位 池上彰
2位 林修
3位 ビル・ゲイツ
4位 北野武
5位 上田晋也
  ・
  ・
  ・
50位 武田鉄矢


具体的に話せる人、わかりやすく話せる人、そういう人たちに私たちは「あっ、この人、頭いいんだな」と考えてしまうのだが、武田先生が森さんの説に惹かれてしまったのは「そうか?」と。
ラジオでもテレビでもニュース解説でもハウツー本でも、「具体的にわかりやすく」というのは人々の耳目を引くための大切な条件ではあるが、「しかし」と言い返しているのがこの著者の一冊。
「具体的にわかりやすく」はなかなかできない武田先生。
喋っていて自分でもわからなくなり、喋り続けて自分でも意外な答えにたどり着くと、自分で感動する。
「俺今、そうとういいこと言ってる!」

抽象とは何か?

 辞書を引いてみよう。「抽象」というのは、「事物または表象のある側面・性質を抽き離して把握すること」とある。このとき、大部分の具体的な情報が捨てられるので、「捨象」という行為が伴う。中身の食べられるとこだけを抜き出して、外側の皮の部分を捨てる、と考えるとわかりやすいだろう。(25〜26頁)

「抽象する」とは定義してはいけない。
イメージしてはいけない。
ぼんやり見ることが抽象性の大事なところなんだ。
問題を置いて答えを探すのではなく、問題のない時も使えそうなものをストックする、そういう備えの習慣を持つ。
それが抽象的思考に繋がる。

養老孟司先生のたとえ話。
何で自分のツバは飲むくせに、人のツバがかかると「汚い」と言うか?
内側にある時は綺麗で平気で飲めるのに、外に出た瞬間に汚いとジャッジするおまえは何者だ?
それを養老先生は「自分の壁」と言っている。
人間は自分の周りに壁を作っている。
身のうちにある時は綺麗とも汚いとも言わないけど、トイレに行ってで出した瞬間「汚い」と思う。
でも、入っている時は何にも思わない。
そうやって考えると人間の持っている「綺麗」「汚い」というのは実に浅はかな考え方だぞと。
それをジャッジしている自分というもとんでもないものではないか。

「わかりやすく具体的に」というのが、日本人全体の頭の中をちょっと、深く考える力をなくしているのではないか?

業績が悪化したときに、新しいアイデアを考えろと言うことの理不尽さも、なんとなく予感できる。新しいアイデアは、もっと早く業績が良いときにこそ出すべきだったのである。忙しくて儲かっているときに、次の手を打てたビジネスが生き残る。(49頁)
 
この時に「具体的にどうするか」というのは役に立たない。
抽象的だからこそアイディアは出る。

 大事故があったせいで、原発反対の声が大きくなっている。事故があって初めて危険性を知った人が多いわけだが、こういう経験をしたのなら、この経験を抽象化して、「事故が起こる以前から、もう少しなにごとも心配をした方が良い」という展開をしたいものである。そうでないと、今回の教訓を活かせないことになる。太陽光発電や風力発電や、新しい技術には危険はないのか、心配はないのか、とどうして今疑わないのだろうか?(53頁)

地方ですごいことになっている太陽光発電。
山の斜面全部を切り崩して金色に輝いている。
ちょっと並べ過ぎだと感じる武田先生。
山を全部突き崩してソーラーパネルを並べている。
しかも、それに覆いかぶさるように樹木が生えてくると太陽光の役目を果たさないので、付近は全部木を切ってしまう。
枝が伸びてきて陰になると出力が落ちてしまうから。
太陽光発電は、山をはげ山にすること。
異様。
急斜面にバーッと並べてあるが、あれはもしかしたら土砂崩れとか土石流の可能性が出てくるのではないか?
太陽のエネルギーは安全というわけではなく、ある採算ベースに乗るためには巨大にパネルを並べなければならない。

風力発電の風車は人家の近くには作れない。
重低音が発声して、すごく身体に悪い。
一年中鳴り響くのは、かつて農村にあった水車とは全く違う。
台風襲来のたびに根本から折れるという事故も多発している。

原発を疑う同じ力で私たちは太陽光発電、風力発電、地熱発電等々も疑わなければいけない。

 活断層の上に原発があるとたしかに危険な感じがする。であれば、活断層の上を新幹線は走っていないだろうか、と何故心配しないのか。(53頁)

心配するんだったらキリがないところまで心配しないと、安心・安全というのは出てこない。
「これは良い」「これは悪い」というのを口にするのはやめよう。
とりあえずその結論を口にするのはやめよう。
よい悪いでわかりやすく分けていくと、ますます問題の本質から離れていく。
「こっちは良い」「こっちは悪い」というYES・NOのわかりやすさは、ますます問題を複雑にする。
あまりにもはっきりと「これは正しい」「これは悪い」、そういうわかりやすい具体的な意見、考え方を持たない方がいい。
もっと人間は曖昧に考えてもいいんじゃないか?
具体的に賛成・反対だけで世界を割り切ると、たちまち世界は剣呑に殺気立つ。

なんでもみんなで多数決を取る、というのは考えもので、すれぞれその専門家が考える方が間違いがない。原発反対の人が多いから原発は廃止すべきだ、という数の理論は成り立たない。それが成り立つなら、税金は安い方が良いということになるし、領土は、人口の多い国のものになるだろう。(57頁)

一つ確実に言えるのは、「大きい声が、必ずしも正しい意見ではない」ということである。(58頁)

様々な意見の中に正しい意見は必ず隠れている。
世の中に様々な意見があるというシステムにしておかないと、「よい」「悪い」の二つだけに分けてしまうと、正しい意見というのは消えてしまう。
私たちは様々な意見の為に抽象的に物事を考えなければならない。

自由気ままというのは、つまり嫌な思いをしない状態のことであるから、「楽しい思いだけをして過ごしたい」というほぼ一致した願望になるだろう。
 しかし、いろいろな現実を経験するうちに、この「楽しい思い」というのは、ある程度の苦労のさきにあるものだということがわかってくる。
(60頁)

私たちは「楽しい」「嬉しい」「豊か」の前に、まず、つらく苦しいことを探した方がいい。
その真後ろにあるんだから。

年寄りが囚われてしまう。
それは経験値から年寄りが具体的に考えすぎるからだ。
「次は何をするのか」「明日は何をするのか」そんなふうに具体的に、年寄りはすぐに空いた何かを埋めようとしてしまう。
洗濯を、掃除を、ゴルフを、釣りを、墓参りを。
「三越へ行きたい。いや、明日は歌舞伎見物よ」
具体的だからこそはっきりとして、それ以上広がらない。
だから「歌舞伎座へ行けない」「三越へ行けない」となると真剣に怒る。
本当はサミットでもオオゼキでもいいのに。
三越と思ったばっかりに近くの同じものが買えるところを全部捨ててしまう。
楽しさばかりで少しも楽しくならない。

著者が「抽象的」を進めるのは「ぼんやり考える」という「ぼんやり」がいかに大事かということ。

 大事なことは、もともとの思考が抽象的であれば、「結果を具体的に限定しない」という有利さがあるという点だ。つまり、「楽しいもの」というのは、具体的にこれと決まったものではないから、それを実現していくプロセスで、予想外のものに出会うことだってある。そのとき、柔軟に進路を変更することも簡単だ。
 一方、具体的に凝り固まった目標を持つと、実現のプロセスで少なからず自分を縛るため、ストレスになる。「自分のやりたいものはこれだ。これ以外にない」という固い決心は、もちろん立派なことだけれど、それでも、もし「楽しさ」を求めているならば、無理に自分を縛る必要もないのではないか。
(85〜86頁)

近ごろの子どもたちにはこの能力がないから苦しんでいるのではないか?
「ぼんやりする能力」というのは人間の中で一番大事な能力だ。

抽象的がいかに人を楽しくするか。

 子供や若者の中には、「友達ができない」という悩みを抱えている人が多い。その種の相談を受けることも実際に頻繁である。そういう人には、「どうして、友達がほしいの?」と尋ねることにしている。「友達がいないと寂しいから」と答える人がほとんどであるが、「では、どうして寂しい状態がいけないの?」と問うと、これにちゃんと答えられる人はまずいない。(87頁)

友達を抽象的に考えていったら、友達ができないということはそんなに重大な悩みではないことがわかる。
友達という枠を作ることが友達という悩みを作っている。
友達という枠を作らなければ、人はいくらでも友達を作れる。
植物や動物を友達にできる。
本を友達にできる。
悩んでいるうちに抽象的思考は世界を広げてくれるのだ。

「便所飯」というような極端な「友達できない症候群」「友達とうまく付き合えない症候群」。
大変な友達を友達にしてしまったばっかりの犯罪等々。

友人が多かった武田先生。
毎日家に遊びに来る友人がいて(友人が重荷になり)肩に喰い込んだことがあった。
だから夢想癖ができた。
現実の友達がウザいから、坂本竜馬みたいな本を読んだらカーッとなった。

森や浜辺に子供を放すと一人で歩いているのだが誰かと話す。
絶対に触ってはいけない。
「何独り言言ってるの、気持ち悪い」と絶対に言ってはいけない。
大人のマナー。
独り言を言いながら誰かの気配をまとわりつけながら森の道を歩いている子、夕日をじっと見つめている人には声をかけてはいけないというのが「人類のマナー」。
祈りごとをしている人を回り込んで顔を見てはいけない。
しかし、最近は祈っている人の正面に回り込みすぎる。
巨人軍の優勝祈願も含めて、背中からのショットであって前に回り込んではいけない。
祈りというのはそういうもの。
祈っている顔を覗きたがるという「わかりやすさ」「具体的」が、人間を底の浅い生き物に見せてしまうのではないか?
勉強部屋を開ける時にも絶対に手前で一声。

抽象的な思考を身につけましょう。
「よい・悪い」「はい・いいえ」その二つだけで物事を選択的にマークシート方式で世界を見るのではなくて、わからないものは「わからない」。
ぼんやりと「これ大事になるかも知れないな」「覚えておこう」という習慣。
そういう抽象的な思考から実は人間を豊かにする考え方が身につくのではないか?
抽象的思考を身につける具体的な方法というのは言えないけれども、生活習慣の中に案外あるのではないか。
ハウツー本で創造力や思考力、好奇心を育てようと呼びかける本があるが、全部ウソだ。

 教育というのは、結局のところ、具体的な知識を詰め込むことしかできていない。「才能を育てる」とは、もともとあった才能が活かされる場を用意するだけのことだ。(99頁)

「考える」というのは体験のことで、全て個人に託されたものである。
その考えはひらめきがあるからで、ひらめきは発想。
発想には手段がない。方法がない。
ただし何となくコツのようなものはある。
普通のことを疑う。
それが新しい発想を生む、唯一のコツなのではないだろうか。

「自分」の壁 (新潮新書)



養老先生がこの本の中で書いている話。
アンケートを取ると、98%ぐらいのお医者さんが「医者とは科学者である」と答えている。
養老先生は「そこに医者の勘違いがあるのではないか?」と言っている。
医学に於いて大半のことは理屈がわかっていない。
理屈がきちんと通っているのは物理学。
原子力というのは理屈。
養老先生曰く医学は理屈じゃない。

医学的に人間はなぜ酒を飲むと酔っぱらうのかがわかっていない。
漢方と同じで、そういうことが経験的に多いということ。

別の人から聞いた話。
心臓がなぜ動いているかというのもわかっていない。
医学会ではどう考えているかというと「そういうものだ」。

麻酔がなんで効くのかわからない。
ヘリウムっていうヤツのちょっとややこしいヤツが麻酔薬には抜群で、分量で深く、あるいは浅く麻酔が自在に。
でも何で効くのかはわかっていない。
亜硝酸なんとかでやると、時間経過とともに99.9%の割合で意識が元に戻る。
その経験があるだけで、何で麻酔が効くのかというのはわかっていない。
逆の意味で言うと麻酔でも0.1%はそのまま帰ってこないという危険性がある。
テレビ番組収録中、12歳アイドルが意識失い救急搬送 ヘリウムガスが原因か(1/2ページ) - 産経ニュース
ヘリウムが麻酔薬として効いてしまった。
医学というのは理屈がわかっていないので、必ず何パーセントかそうならないということが必ずある。
「100%」という言葉を絶対に使わないのが医学。
原子力を支える物理学というのは100%。
でないと物理学ではない。
医学というのはそういうもの。

私たちはそういう意味で抽象的に物事を考える、曖昧に物事を考える、ぼんやり物事を考える癖を、実はもっと持っていてもいいのではないか?

2015年11月26日

武田鉄矢・今朝の三枚おろし(3月2〜10日)◆『アドラー心理学入門』 岸見一郎(後編)

これの続きです。

 責任という言葉を英語ではresponsibilityといいます。これは応答する能力と言う意味です。傘を渡してやれ、といわれたときに、その課題から逃げることなく、はい、私はここにいます、私のすべきことはします、と応答することが責任を果たすということです。自分の人生の課題は自分の力で解決することである、ともいうことができます。(160頁)

 聖書を見ると、アブラハムは神から呼びかけられたら必ず、はい私はここにいます、と答えています。(160頁)

ヨブも同じように旧約の神に呼びかけられるが、ヨブは「私を呼ぶものは誰だ」と聞きかえした。
それで神が怒ってヨブはひどい目に遭う。
(「ヨブ記」を見てみたが、最初の方に神がヨブに呼びかける場面が見つからない)
難問から呼びつけられた時、私たちは「なんで私がこんな目に遭わないけないのか」と怒る前に「はい、私はここにいます」と答えなさい。
旧約聖書を読んでいて、なんでヨブだけがこんなにひどい目に遭うのかわからなくて、ある哲学者が「それは返事が悪かったからだ」。
神様と人間とはどういう関係かというと、神様というのは声を発して人間にその声が届いた瞬間に、振り返った人間は「神様だ」と思わないと神様ではない。
「誰だ!」と言われて「私は神様よ」とは言えない。
ヨブはそういう恥をかかせた。
(エホバの証人の解釈によると、ヨブがひどい目に遭わされたのは全て取り上げても神に対して忠節でい続ける人間がいるということを証明するためだったかと思う)

 他方、神がモーセに人々をエジプトから脱出させるように命じたとき、モーセはとても、私のようなものが、人々をエジプトから導きだすなどということはできない、とためらいます(161頁)

難問がやってきた時に逃げないで「私はここにいます」とはっきり。
これをちゃんと自分で習慣にすると、奥さんとの関係がうまくいき始めた。
奥さんに呼ばれる。
「はい、私はここにいます」
どんな無理難題を言われても奥様に仕える武田先生。

日本人の意識というのは「察し」と「思いやり」でできている。
うまくかみ合えば最上級なのだが、ズレると最悪になる。

 ある大学を定年退官した先生の話です。大学の教授が定年するときには定年退官記念講演会やパーティを開くことが慣例になっています。その先生のところにも助手の先生が記念パーティ、講演会の日取りを決めに行きました。
「先生、この度、退官されるのでつきましては私たち弟子たちが退官記念講演とパーティを企画したいと思います。いつがよろしいでしょうか」
 それに対して、「めっそうもない、私ごときもののためにめっそうもない」
 と丁重にその申し出を断りました。
 普通こういう場合は、いえ、先生、そうおっしゃらずに、といって、ぜひ開かせてほしいというようなことをいい、先生のほうも、そこまでいうのなら、と引き受けるということになるのでしょうが、幸か不幸かその助手の先生は海外で教育を受けていた人でした。教授の言葉をそのまま受け取り、「そうですか、わかりました」と引き下がりました。その年教授は一人寂しく大学を去っていったのでした。
(168頁)

 男性は火星人で女性は金星人であったという寓話があります。
−中略−この頃、二人は互いの考え方、感じ方に自分とは異なるものがあるのに気付きます。それはすぐには受け入れることのできないものですが、それでも二人は相手は異星人なのだから、こんなことがあって当然、と許しあうことができました。
 やがて惑星空間内でのデートにも飽き、そろそろ落ち着きたいと考えた男性は女性にプロポーズし、めでたく結婚して地球に新居を構えます。
 子どもが生まれます。実はこのころから二人のコミュニケーションはギクシャクし始めます。生まれた子どもは何人でしょうか。そう、地球人ですね。そして自分たちも地球人だと思い始めるようになります。するとそれまで相手の考え方、感じ方に違和感があっても、相手は自分とは違う異星人だからと許せていたのに、同じ地球人なのになぜ同じように考えないのだろう、感じないのだろう、許せない、ということになるのです。
(170頁)

 嫌だと思っている人と付き合うときに、この人のこと嫌な人だ、と思って付き合い始めると、その人との付き合いはそういう付き合いにしかなりません。
−中略−まだ何も起こっていないうちから、嫌だなというように感じてしまいます。そのように思ったらそのようになります。たとえそうでないことが起こっても、先の例と同じで、例外と片付けられてしまうことになります。
 ですから、一度、これまでのことはすべて水に流して、今日私はこの人と初めて会うのだ、と思ってみるのです。
(172〜173頁)

私たちは可能性について楽観主義であるべきです。

楽天主義は、何が起こっても大丈夫、何が起こっても悪いことは起こらない、失敗するはずがない、と思うことです。大丈夫だと思って何もしません(176頁)

現実をありのままに見て、そこを出発点にする。
降り出す朝の雨。
すぐに止むだろうと思って傘を持たずに出るのが楽天主義。
夕方まで止まない可能性もあるかも知れない。
私にとっては嫌な雨だが、この雨を待っていた人もいるんだな。
農業関係の人で今日の雨でほっとしている人もいるんだなと思えるのが楽観主義。
私たちは人生について楽観主義でいきましょう。

 二匹の蛙の話があります。二匹の蛙がミルクの入った壺のふちのところで飛び跳ねていました。突然、ミルク壺に落ちてしまいました。一匹の蛙は、ああもう駄目だ、と叫んで諦めてしまいました。そしてガーガー泣いて何もしないでじっとしているうちに結局溺れて死んでしまいました。
 もう一匹の蛙も同じように落ちたのですが、しかし何とかしようと思ってもがいて足を蹴って一生懸命泳ぎました。すると足の下が固まりました。ミルクがチーズになったのです。それでピョンとその上に乗って外に飛び出せました。
(175〜176頁)

英語の勉強を始めたり、突然釣りを始めたり、もがきまくっている武田先生。
もがきの中で年を取っていくというテーマで歌を作ったり。
一人舞台でもいいから、自分で主役の物語をやろうと決心をした。
ずっと材料を集めていて台本になっていないが、そういうあがきが、その形にはならなくても、テレビ局の人が特番でやらせてあげようかとか。ミルクがちょっとチーズになりかけている。
私たちは奇跡を目指すのではない。
できることを繰り返すのだ。
ミルクに落ちた蛙に神様の手は差し伸べられなかった。
ただ、自分ができることを一生懸命繰り返しやり続けることなのだ。
そこに必ず希望が芽生えます。

ナチスの党員でもあるオスカー・シンドラーが自分の工場に雇い入れたユダヤ人は収容所に行くことを免れて、命が助かりました。(178頁)

数百万人のユダヤ人は殺されたが、数千人のユダヤ人をシンドラーは助けられた。

彼に雇われていたユダヤ人の一人が自分の金歯を加工して指環を作り、シンドラーにプレゼントします。その指輪(「指環」と「指輪」が出てくるが原文ママ)の裏に刻まれた文字−中略−「一人の生命を救う者が全世界を救う」という意味の言葉でした(179頁)

(ユダヤ人全員から金歯を集めたかのように番組では言っているが、本には「一人」と書いてある)

アドラーの個人心理学は、世界を意味づけしているのは個人であり、決して世界が個人を意味づけしているのではないと言います。
その点、アウシュビッツに入れられた心理学者V.E.フランクル(ヴィクトール・フランクル)。
『夜と霧』

夜と霧 新版



フランクルさんがアウシュビッツで死んでいくレディーを看取る。
その時レディーが「私、アドルフに感謝したいわ。私はアウシュビッツに来ず、あの町(パリ)で生きていたら贅沢三昧で何者も感謝せずに、ずいぶん傲慢な人間として一生を終わったでしょう。私はアウシュビッツに連れて来られて今、みじめに死のうとする時、全てに感謝したい。ねぇ、フランクル。あの木は見える?」と言ってアウシュビッツの中庭にある一本の木を指差す。
「あの木が私に呼びかける。『さあ、私の中においで』と木が私を呼ぶの。」
何日か後に死ぬ。
「『私はここにいます。永遠に』って木が私をそう呼ぶ。」
東京ディズニーランドの白雪姫がエレクトリックパレードで同じことを言っている。
「I'm here forever」
私はここにいる、永遠に。
白雪姫についていって生涯ディズニーランドで暮らしたいと思った武田先生。
「アナと雪の女王」のパレードをやっている。
あのお姉さんたちの美しさ。
アニメから抜け出たようなアナとエルザ、オラフ。
パレードの山車の上で二人がアニメさながらの動きを。
金髪のきれいな外国の人。
歌は口パクできれいに日本語に合っている。
感動して行きたくなって、季節がよくなったら初老のためのディズニーランドというクーポンを使って行きたいと思う武田先生。

政治経済は政治家、経済学者が動かす。
病の完治や治癒は医師、医学が、夫婦生活はパートナーが、家庭生活は子どもたちがと思いがちですが、しかしあなたの価値やあなたの意味を作っているのは実はそれらではありません。
あなた自身です。
さあ、「あなた」を始めてください。

武田鉄矢・今朝の三枚おろし(3月2〜10日)◆『アドラー心理学入門』 岸見一郎(前編)

いつものように図書館で借りたんだけど、今売っているものとは表紙のデザインが違うのでページ数などにズレがあるかも知れず。

アドラー心理学入門―よりよい人間関係のために (ベスト新書)



大学生の頃にフロイト心理学に触れ「面白い」と思った武田先生。
幼児、思春期、青年期の心に「性」が食い込んでいるというのを見抜くためにフロイト心理学というのはなかなか衝撃的だった。
フロイトが言うには人間の心は「二重底」「地下がある」。
ある貴族のご婦人が雨に打たれる夢を見る。
フロイトが夢判断で性的な欲望が・・・というような、フロイトはおどろおどろしい。
人の心のしかけの怪しさや深さには驚いたのだが、フロイトから入ったのだが四十代ぐらいになるとちょっとフロイトがきつくなってくる。
全部「性」だから。
息子は全部お母さんを恋人にしようとしているとか。
そういうのを「オイディプスコンプレックス」と名前をつけたりする。
だんだんバテてくる。
それで目が行ったのがC.G.ユング。
この人は「普遍的無意識」。
人間の無意識というのは全部人間に共通している。
この人の心理学の面白いところは「幼児期だけでなく中年期にも『心理』というのはあるんだ」。
心は一生変化し続ける。
人生は中年期から折り返し地点を通過したマラソンランナーのように全てが真逆になる。
中間地点を過ぎると、風向き日射し風景がガラッと変わるように、中年期を過ぎると今までの目標はもう目標にはならないんだ。
山へ登ったという事実を完成させるために、我々は山へ登って降りなければならない。
登り続けることは遭難することである。
登って降りてきたという事実が「山へ登った」という言葉を完成させるのである。

四十代後半の時、この言葉がやたらと身に染みた武田先生。
「降りてゆく」という自主映画に出た時にピッタリこの言葉にはまったので「俺にも降りてゆくということを完成させなければ」

(この映画の話かと思われる。降りてゆく生き方 | 映画&総合情報 公式サイト

この言葉が金八先生なんかでも役に立った。
降りる芝居をしようと。
最後の方、金八先生の仕上げの方は降りる芝居。
生徒を指導していた金八先生が生徒に指導される。
最後はひっぱたいて人生を教えた優(加藤優)が、新潟の海岸ぺりで立派な中小企業の社長さんをやっている。
「俺を助けてくれないか」と言うと「俺が知っている金八さんはそんな弱い人じゃなかった」って言うと金八が自己嫌悪で「バカだな。何をやってるんだ俺は」という。
また新たなるエネルギーを、教えていた子供たちに教えられるという。
それも人生である。
ユングの言葉が役に立つ。

このまま無事に人生が暮れるかなと油断していた武田先生。
六十代半ば、春先からどうにもダメだった。
元気がなかった。
考え込んでしまって眠れ無い。
そういう時もあるかなと思ったが、いざそういう目に遭ってしまうと・・・。
病というほどのこともない。
睡眠がとれないのも病気かと思ったら「それだけ寝れば大丈夫ですよ」と睡眠科の先生に言われた。
六十代真ん中は不安がよぎる。
下を見ることの恐ろしさ。
今までてっぺん目指して登って行けばよかった。
てっぺんは一点しかない。
降りると谷底が目に入る。
今までしっかり結び合っていた夫婦の絆も何かうまくいかない。
その辺からフッと「絆をほどいたほうがいいんじゃないかな」という名言に繋がった。
降りていく時に絆でひっぱりあっこしていると二人同時に落ちることになる。
年を取るということに関して、不安というものが、あるいは無気力というものがだんだん忍び寄ってくる。
このあたりからたどり着いたアドラー。

テレビの報道番組。
ニュースを見ると引っ張られるようになってきた武田先生。
暗部をえぐる人がいて、報道の人で顔つきがすっごい暗い人がいる。
顔を見ているだけでこっちが移ってくる。
身に染みるようになった。
昔、シャープな切れ味の報道マンがズバッと「この政権はダメです!」。
久米さん(久米宏)がパーンと鉛筆を投げながら「このままで日本はいいんでしょうか!?コマーシャル」と言うと、かっこいいとか思っていた。
それくらい心理がへたってくる。
限界集落を過ぎ、消滅都市が日本に出始めた。
村落の平均の年齢が73歳。
「その消滅の村へルポルタージュのカメラが入ります」
そんなものは見たくない。
出てくるおじいさんたちは元気いっぱい。
「こんなじじいばっかりになったけど、それは俺たちが元気で生きてるからこういうことになったんだから、別に不満はないよ」
スタジオに戻ると暗い顔をした人が「安倍政権はこういう実情を見ていないんでしょうか」
人の暗い言葉とか呪いの言葉使いがすごく堪える。
不安になってくる。

誰とは言いにくいけれど、仲間でコンサートをやる。
会って「こいつ変わらないなぁ」と思うのと「コイツ老けたなぁ」と思うのと六十代の同窓生に会うと二通りいる。
何かあったらしくて、自分もあんなふうになっちゃうんじゃないかとか。

キーがちょっと下がっている人がいて、紅白を見ながらそればっかりに耳が行く。
とある演歌歌手のキーがふっと低かったりすると「そうか五十過ぎたんだ、この人」。
同業でわかる武田先生。
艶がスッと消えて。
そういうもの。
今度は逆に年を取ったということをやたらと誇示して歌う人がいる。
それで昔歌っていた若いころの勇ましい歌を歌うのだが「そこまで老いを演出するなよ」。
老いを不自然にしか演じられない。
自分が老いをどう迎えれば?
一つだけ思ったのは「決して老いを演出に使うのはやめよう」。

飲むと元気になる若返りの薬(サプリメント)で「ゴマから○ミリグラムしか取れない」。
そういう老いの年の引き寄せ方のそれぞれの違い、老いの背負い方のそれぞれの違いを見ると、上手に年を取ることは難度が高い。

楽屋にいるとノックして入ってくると思うと、パッと紙切れを渡されて広げると病院の電話番号が書いてある。
武田先生の髪の毛を心配してくれている友人。
大きい声で言えばいいのに「心配しなくてもいい!まだ間に合う!」。
テレビの番組で入場行進をする時、指を握られて「後ろ来てないから大丈夫!薬もあるし手術もあるって!」。
言われると「そんなに俺、抜けちゃったかな」と思う。
「髪の毛、俺なんかこんな白髪になっちゃった」という武田先生に対して「いいじゃん、あるだけ。俺なんか見ろよ」と分けて見せてくれる。
華やかな芸能界もそんなもの。
老いを演じたり飾り立てたり。
そういうちぐはぐなものを見ると年齢というものをどうひきつけるかが難しいと重い気持ちを抱えて本屋に本を探しに行く武田先生。
そんな迷いの中、本棚を探していると目に入った文庫本の腰帯。
「第三の心理学者アドラーの言葉 普通であることの勇気」
この短い言葉にすごく魅せられた。

 アドラー心理学では「普通であることの勇気」という表現をしますが、普通でいる勇気がないので最初は特別よくなろうとし、次いでもしこれが果たせない場合は、特別に悪くなろうとするのです。そうすることによって安直に「成功と優越性」を手に入れることができる、と考えます。(63頁)

「普通でいる」っていうことがいかに勇気がいるか。
普通とは実はそんなに簡単なことではない。
実は最も勇気がいる生き方なのだ。

ことさらに他の人よりも優れていなければならないと考える優越性の追求を優越コンプレックス、そしてこれの対となるのが劣等コンプレックスで、優越コンプレックスがこれを隠していることがある、と考えます。(65頁)

ではいったい人はどうしたら「普通」に気付けるのだろう?
他人からの言葉に耳を澄ませとよくアドラーは言う。

当たり前だと思って見逃しがちな行為に対して「ありがとう」とか、「うれしい」とか「助かった」といってみます。(70頁)

(本の中では「普通に気づくための手段」ということではなく「勇気づけ」のための話)

若い人の活躍に最近、極端な褒め言葉が多すぎる。
「すごい!」とか。
「すごい若者」「世界のどこにだしても息をのむような若者」「若者の鏡」
世界全体が待ち望んでいる称賛の言葉は「ありがとう」と「助かったよ」。
そういう声に包まれる。
普通を注目するという本は初めて。
アドラーというのはこのあたりからそっと引かれていく。
心理学としては、この人はそんなにものすごい理屈を持っているわけではない。
非常におとなしい日常の心理。
そういうことは今の時代に必要なんじゃないか。

ともすれば子どもたちやまわりの人について理想を頭に描いてしまいます。たとえば、親のいうことには一切口答えをしない理想的に従順な子どもを考えます。そうなると現実の目の前にいる子どもはその理想から引き算することになります。(72頁)

 地元の小学校の子どもが焼却炉に転落して焼死するという痛ましい事件がありました。当時PTAの学級委員をしていたので、教頭先生から電話があり、クラスの子どもの家庭に電話をかけて、子どもたちが無事帰宅しているか確認することになりました。
「あのう、今日は子どもさん、帰ってられるでしょうか?」
 とたずねるのは、勇気がいりました。普通はこんなふうにたずねることはないからです。
−中略−
 そこで、「実は」と、焼却炉で子どもの焼死体が見つかったこと、まだ身元が確認できてないので、電話をかけ無事を確認していることを説明しました。電話ですから向こう側の表情は見えませんが、説明を聞いて動揺されているのが電話を通してもよくわかりました。常日頃は、朝起きるのが遅いとか、宿題をしないとか、忘れ物が多いとか、乱暴だとか、子どもたちについていろいろな不平をいってしまいがちですが、このときだけは、「うちの子どもは生きている、よかった」と思われたのではないか、と思うのです。
(72〜73頁)

「親と子の課題がそれぞれ違うことを自覚してくださいね」とアドラーは言っている。

勉強が子どもの課題であるとすれば、いきなり「勉強しなさい」と親がいうことは、子どもの課題に踏み込んだことになり、子どもとの衝突は避けることはできません。(75頁)

(番組の中では「親に言われて子どもの成績が上がってもそれは子どもの力にはならない。親の助言がよかったからという評価になってしまう」という話になっている)

では、どうするか。
勉強せず成績が下がる子には親として提案する。
「何か私にできることはない?」
そう尋ねることである。
お互いの課題をはっきりさせましょう。
例えばいじめでも、いじめられているか否かを問い詰めるのではなくて「何か私にできることはないか?」ということを訊きましょう。
そうするといじめにそれぞれの課題を持って親子が当たる。
本当に強いとはどういうことなのか?
お互いの課題をお互いの立場からはっきりさせましょう。
アドラーは実戦向きでハッとさせられる。

あなたの奥さんが家に帰って不快そうな顔をしているのはあなたのせいではありません。
それは奥さんの課題だ。
だから不機嫌だったら一切相手をしなくて結構です。
お互いの課題が違うんだっていうことをはっきりさせましょう。

アドラーを読んでいると気が楽になる。

アドラーは「親子で罰したり、叱ったり命じたり、問い詰めたりせず、上から下というそんな親子関係、そんな絆で結ばずに横で結び合うという絆の結び方をしましょう」。
だから「褒めたりするのもやめましょう」。
褒めるのは中毒になってしまう。
「もっと褒めて欲しい」「褒めてくれないんだったやらない」という理屈を与えてしまう。
それだったら感謝した方がいい。
勉強して「ありがとう」っていうのは変な言い方だが、静かにして欲しい時に「二階であなた静かにしてくれたからありがとう」。
褒めると褒められ方に中毒になってしまう。
「自分は役に立っている」とか、そういうことで自分の課題をきちんと見つけるように。

アドラーは「幼児に対しても高齢者に対しても上下での関係は決してその人を成熟させない。成長させない。上下で人を見てはいけない。」

テレビドラマの撮影現場に行く武田先生。
大半が若い二十代のスタッフ。
昨日の現場でも、むやみに親切にされるとだんだん腹が立ってくる。
スタジオに入ってくると「そこ、コードがあります!」。
わかってるよ、そんなの。
そのテレビのスタジオは四十年前から出入りしている。
それをセットの出入り口のところに「ベニヤ板が出ています」とか「段差があります」とか。
いちいち振り返って言われたり、前に回り込んで言われたり。
やたらと「寒くないですか?寒くないですか?」。
こういうあたりが人間の心理の面白いところ。

 チェリストのヨーヨー・マがインタビューに答えてこんなことをいっていました。本番の演奏の前にこんなふうにリラックスできるのは、もう十分年がいっていて自分が優れていることを証明しなくてもよくなったからだ、と。(99頁)

自分が優秀なチェリストになった時に、やっと客席を見下さなくなった。
(本の内容とは食い違っているように思うが)

教育の機能は、君たちが子どもの時から誰の模倣もせずに、いつのときにも君自身でいるように助けることなのです」(『子どもたちとの対話』平河出版社)(103頁)

子供たちとの対話―考えてごらん (mind books)



「自分自身でいること」を困難にするのが自分自身の課題から逃げようとする心理。
アドラーはフロイトが言っているトラウマ、精神的外傷という考えを激しく否定している。
そんなものはない。

 アドラーは車にはねられた犬の例をあげています−中略−この場合、この犬がはねられたのは、不注意によるものだった、と考えられます。しかし犬はそのようには考えません。「この場所」が怖い、というのです。−中略−面目を失いたくはないがためにある出来事を自分が人生の課題に直面できないことの原因とするのです。(139頁)

アドラーはいかなる経験もそれ自身では成功の、あるいは失敗の原因ではなく経験からショックを受けることもない、私たちは経験によって決定されるのではなく経験に与えた意味によって自分を決めるのである、といっています。
 ですからある経験をトラウマであるとみなせばその経験がトラウマになるというにすぎないのです。
(141頁)

 全体としての「私」があることをする、と決めたり、また、しない、と決めたりするのですから、心のある部分はしたい、と思っているが、別の部分はしたくないというような乖離はいっさいありえないのです。わかっているができないというとき、実は、できない(cannot)のではなく、したくない(will not)のです。(144頁)

老い。
自分の課題をぼんやり察しているところに不安がカビみたいにくっついた。
去年の「眠れ無いんだ」と言っていた頃、人任せのネタにしないで、自分で本を書いて自分で舞台に立つぐらいのガッツを持たなければと思った武田先生。
自分が責任を全部追うのがしんどくなってきたから人任せにすると、任せた分だけ不安が入り込む。
去年の七月ぐらいから次々に新しいことをやり始めている武田先生。
それはそのことに対する反省。
成果というのはおかしいが、年が明けてから去年半年間やりはじめた新しいことみたいなのが少しついてきた。
「ありのままの姿見せるのよ」
自分の課題を背負って、人に自分の課題を背負わせておいて人のせいにするのはcannotって言いながら実はwill notであったという、アドラーの心理学のシンプルだけどその率直さというのはギクッとする。

日本社会が実につまらなく自分を受け入れてもらえなから、面白いことがさっぱりない。
これは全部社会のせいなんだ。
じゃあ一つコンビニに行っていたずらをしてやろう。
そこを撮影してとか。
実にくだらないcannotと言いながら実はwill notの人たちが世の中にあふれている。
受け入れてもらえない。
賛成を得られない。
反対するものが多い。
だからこそあなたは「こう生きたい」と決断できるチャンスなのに、そのことを理由に決意を先延ばしにしたり、決意することを避けたりしている。
よく考えなさい。

 鳩は何もない真空の中で飛んでいるのではなく、鳩が飛ぶのを妨げるかのように見える空気は実は鳩が飛ぶのを支えているのです。何もないところには自由はなく、抵抗があるからこそ自由であることができます。(158頁)

2015年11月11日

武田鉄矢・今朝の三枚おろし(5月4〜15日)◆『肝をゆるめる身体作法』 安田登(後編)

これの続きです。

 孔子の「改める」も、私たちがふだん使う「改める」とはちょっと違います。
「改める」の「改」という字は、「己」と「攵」とからなっています。
「改」という漢字の左側は「おのれ(己)」、自分です。右側の「攵」は「ぼくにょう」という部首で、「手(又)」に鞭や棍棒を持って、何かを打つことをいう文字です。
−中略−
 最古の漢字である甲骨文字の「改」を見ると次のようになっています。

     攵(鞭を持つ手)
改 <
     己(蛇=過ちの象徴)

 左にあるのは「己」ではなく「巳(蛇)」です。すなわち「改」の元の意味は己を打つのではなく、蛇(巳)を打つという意味だったのです。
(167〜168頁)

この「蛇」はどこにいたかというと「私の中」にいた。
自分にとりついていた蛇を追い返すとか叩き出している。
それが「改」。
蛇はいつか自分に取りついて自分の身の内に棲んでいたヤツだろう。
間違いなく蛇であるところを見ると邪な霊であることに間違いない。
これは一体どういうことなのかというと、時として今までの自分というのを全部一回捨てないといけない時期がくる。
それが「改むる」ということなんだ。

「自己イメージ」とは、自分が「自分はこういう人間だ」と思っているものです。(168頁)

人は他人が思うイメージを装ってそれが自分だと信じている生き物で、どちらかというと他人のイメージの中の自分を生きようとする。

若いころに一緒に恋愛の芝居をやったことがある仮面ライダー二号(俳優の佐々木剛氏のことかと思われる)に会った武田先生。
武田先生と同い年で65歳(佐々木剛氏は68歳なので違う人の話か?)。
仮面ライダー二号は「鉄矢、お前大変だよな。先生のイメージが強いから、やっぱりあれだろう。信号なんか赤信号で渡りにくいだろう。」
「それはそうだよなぁ」と言う武田先生。
仮面ライダー二号が「俺もそうなんだよ。どうもさぁ、悪に弱くてさぁ。闘わなきゃって思っちゃうんだよなぁ。仮面ライダーがあるから。時々酔っぱらうと『とぅ!』って飛びあがるんだよなぁ。たいして飛んでないのに。」
これは一種「自己イメージ」、己に取りついたあるイメージ。
身のうちに棲んでいるある種の蛇だと言っていいのかも知れない。
一回その手の自己イメージというのは捨てなきゃならない時期がくる。
能楽師の安田さん、あるいは孔子がそう言っている。
「私」というものは、もしかすると着たら脱ぎ捨てるものかも知れない。
脱ぎ捨てるからこそ新しい衣裳が着られて新しいキャラクター、新しい自己イメージを装うことができるんじゃないか、そういういことってあるんじゃないか、という思いで「己」というものをもう一回見つめてみませんか?

「自己イメージ」に縛られているのも実は「自己」。
テレビを見ていると昔アイドルで、50歳を過ぎてもまだアイドルの気分が直らない人がいると、すごい人生の「無情」を感じる武田先生。
自分に取りついた蛇を叩き出している「改」。
かつて持っていた自己イメージのまま生きている方が実は楽。
でも楽なことというのはやっぱり、あえて言うとそこに何か必ずや問題を含む。

 かつては通過儀礼という社会システムが自己イメージの変革を行ってくれました。また、能などの古典芸能には「披(ひら)き」という制度があります。何年かに一度、いままでやったことのない難曲を演じるように師匠からいわれます。それは、いままでの方法で稽古していてはできないような演目なのです。その演目をするためには過去の自分を捨てる「初心」が絶対に必要です。この披きは半ば強制的に自己イメージを変革するようなシステムです。(181頁)

歌舞伎や古典落語をやっている人でも、真打で名前が変わったりすると、かなりの大作に挑戦しなければいけなくなる。

宇宙飛行士の公募の時に、それを一発やれば死ぬまで講演で喰えるって言ったヤツがいたが、それこそ「改」がピッタリの一文字。
そんなことがありうるワケがない。
どんどんロケットが打ちあがる時代に、一つ冒険をやればそれで一生喰えるなんていうことはない。
いずれにしても人間というのはかつて得た「自己イメージ」でメシが喰っていけたり楽ができるんだったら、そこを動こうとしない。
でも、それじゃあダメなんだ。
披くんだ、己を。
そのためには「改」。
「内に住んでいる蛇を攵を持って打つ」という気持ちにならないといけませんよ。

親や先生から褒められて、よい子は思春期、反抗期を経て「よい子」から一度、「悪い子」にならなければならない。
この世の中の必然。
子供のままのよい子はこのままでは窒息してしまう。
一度反抗期を経て一端悪い子にならなければならない。
悪い子になったからといって、悪い子にずっとなりっぱなしだと大変なことになってしまう。
悪い子になることによって独立した自己を歩き出さなければなければならない。
他の人の評価や指示を待つということを離れ、悪のエネルギー(悪い子のエネルギー)で単独の独り歩きを開始することによって人間はパーソナリティをやっと自分で作るようになっていく。
この中で傷ついたりおびえたりしながら、本当の自分というものを作っていくのが人間の暮らしではないだろうか?
必要以上の用心深さは失敗を恐れるよい子のおびえになりがち。
何回でも繰り返せば実力が付くという反省のない思い込みになりがち。
人間というのは手ひどい失敗とか「あんなに努力したのに実らなかった」とかっていう苦い目に遭いながら自己をゆっくり育てていかなければならない。

女子中学生のようなおばさんがいる。
人間はどんどん自己のイメージを脱いでいかなければならない。
何でかというと自分自身の中に成長も含めて自分は変わっていっているんだから。
自分が変わっていくっていうものの最大のものが「老い」。
老いというものは「かつての自分」ではもう役に立たない。
昔に似合っていたあのセーターが似合わない。
「似合っていた私」を捨てない限り、自分に似合うセーターは着られないのだが、ずっと頑張って「お帰りなさいご主人様」みたいなもの(メイド服?)を着こむ人がいる。
ある年齢を過ぎると一種、妖怪みたいになる。
女の人はシワ一本入るだけで全部消える。
男は何本か入ってもいいが、女の人は一本入るだけで様が全部変わる。
無理をすると痛々しい。
その時に老いというものの手ごわさ。
昔、美しさを誇っていればいるほど、その人の頬とか目尻に一本のシワが入るだけで、前が美しければ美しいほど残酷なほど、後ずさりする自分がいる。
これからこれが二本になり三本になるのか・・・と。

南こうせつさんとジョイントコンサートをやる武田先生。
歌い分けで「神田川」を歌うことになった。
「鉄也、ここんとこ歌ってくれる?『洗い髪が芯まで冷えて』。あっ、鉄也は大丈夫だね・・・」
やたらと独り言が多いので「何かあったの?」と問う武田先生。
「ここのところを千春(松山千春)に歌えって言ったら、アイツ怒っちゃってさ。」
数十年前に何の抵抗もなく歌えたのに、千春さんは小っちゃい声で「何それ?こうせつ、パワハラ?」。
あのパワハラの元祖みたいな人がそれだけで傷つく。
「改むる」なのだ。
そういうところが人間というのは同じ自己イメージでは生きられない。
歌声は半音低くなる。
歌の印象が変わる。
そういう「やってくる老い」に関する、改め方。

 ちょっと大雑把な分類なのですが、私たちはその成長の過程で「身体」、「感情」、「知性」のどれかの側面が優位になっていることが多く、自分のパーソナリティをこれらの側面のうちのどれかと同一化しています。(202頁)

身体がいばると知性を忘れる。
感情が優位になると身体を見下す。
中年にあった「悟ってないな、お前は」と友人に平気で言ったものだ。
知性にうぬぼれると感情を無視するようになる。
知性優位の気の利かなさ。

 世阿弥は「花は心、種は態(わざ)なるべし」といっています。−中略−
 世阿弥は、大事なのは「心」ではなく、「態=技」が大事だといっているのです。それが「種」、すなわち基本なのです。「態=技」とは服装や、話し方や動作です。古典芸能の用語を使えば「型」といってもいいでしょう。「型」をちゃんと行うと、そこに「心」という花が咲く、そう世阿弥はいいます。
(205頁)

型を若い頃はバカにする。
「型なんて」って言うのだが、違う。
型が技を作っていく。
まずは型をしっかり学ぼう。
型を学ぶためには一体どうすればいいのか?

 その型は「稽古」を通じて学びます。
「稽古」の「稽」は、その古い字形を見てみ
(「る」が抜けている?)と深く頭を垂れる」ことをいう文字であることがわかります。(205頁)

頭を下げるという習慣を持っておくと、だいたい殴られない。
65年の人生で武田先生が見てきた中で、後ろに反るヤツと前に垂れるヤツがいるが、垂れるヤツは大きな事故に遭わない。
頭を下げるというのを習慣にしておくと、最高の護身。
頭を下げている人は殴りにくい。
そっくり返るヤツは殴りやすい。
深く頭を下げるだけ、その型を学んだだけでもアナタの中に何かが宿る。

「私」には様々な私の「型」があり、その型を様々に着て、あるいは脱いで私は生きている。
そう思うことである。
人生にはいろんな「私」がいる。

技を極める。
そこから体へ。
そして心をコントロールする。
それが能の作法である。

 アウトプットの方法としての世阿弥の言葉で紹介したいのは「序破急」です。
「序破急」は、能の構造の基本です。
(220頁)

なぜ世阿弥は、つかみに行っておいて、そのつかみがバラッとひっくり返ってそこから急テンポでストーンと落ちて行くっていうテンポを好んだかというと「終わったらさっさと引き上げろ」という。
昔、落語家さんから「序破急」のことを聞いたことがある武田先生。
下手であればあるほど落語の落ちを粘る。
「芝浜」という落語の演目。
「夢になるといけねぇ」が一番最後。
それをずっと頭から話を聞いていると心地いい。
名人とか上手とか言われる人ほど、つまらなそうに一言言い終えてスッと引き上げていく。
「何であんなにそっけないんですか?」
「妙に粘ると粋じゃあ無ぇ」
これとは逆で、さっぱりと粘るというやり方も一度、名人芸で見たことがある。
猿之助(初代)の72回忌(か36回忌)の法要興業。
その時に猿之助が弁慶をやった。
それは先々代のお得意狂言だったらしく、最後に六方を踏んで消えていく。
先代、先々代も得意としていた演目だから、大向こうから「たっぷりと!たっぷりと!」がかかった。
「一番そこを見たいと思ってるんでゆっくりやってくれ」という掛け声がかかった時に、見栄を切り終わっている。
また木の打ち直しが始まった。
それでもう一回、見栄を切ったら「うわー」って館内が沸いた。

能の素晴らしさは古典の物語の視覚化・立体化にある。

 能の出現によって、いままで視覚化なんて考えてもいなかった人たちに、現存としての古典世界がそこに出現してしまったのです。
 これはびっくりです。
 まさか『源氏物語』や『平家物語』の世界が目の前で繰り広げられるなんて思ってもいなかった。
(244頁)

文字を絵にした。
文字を生きた体に移し替えた。
それで技を作った。
しかも能のすごいところは、それを最小の人数で演劇化する。
その時に型が生まれた。

頭にある思いを身を使い演劇化する時、私たちの命というのは肝が躍動するということがあり得るのだろう。

 『詩経』の序が教えてくれることをまとめてみましょう。
1 まずはその素材を心の中で温めることから始めます
2 それが心の中がうごめいてくるのを待ちます
3 うごめいてきたならば、それを言葉にします
4 それが言葉になったら、それに「情」の部分を付け加えます。絵を加え、音を加えます。
5 それをわかりやすく並べ換えます
  こういう作業の間、わくわく(詩心)をずっとキープしておくことが大切です
6 そしてプレゼンに臨めば、自然に手も動き、足も動き、歌うような滑らかなプレゼンが可能になるのです
(253〜254頁)

 プレゼンの本番でもうひとつ意識しておきたいのは「心は細やかにして身は鷹揚にすべし」です。(255頁)

これが芸能の始まりのエネルギー。
これは表現者だけの心得だけでなく、日常を生きる人の生き方の知恵になるのではないだろうか?
たとえば私たちは高齢者の世代に属している。
世間、あるいは世界に対して少し文字で考えすぎているのではないだろうか?
政治に若い世代にしあわせに、己の人生に「かくあるべき」という箇条書きで思い込んでいるのではないだろうか。
そうではなくて身を使い、とにかくこの文字を立体化しよう。
箇条書きの世界から脱出して、そこに結ばれそこに生きて行こう。

世阿弥は「離見の見」という言葉を残しています。「見所同心の見」ともいいます。「見所」とは観客席です。−中略−
 自分の視点を観客席に置く、それが「見所同心の見」です。
(258頁)

うまくいく舞台は時々魂が客席に回り込んで己を見ている時がある。
観客席から観客と同じ心で演じている我を見る。
そういう気持ちになる時がある。

世阿弥は「目前心後」ということも言っています。自分の視点を観客席に置くだけではなく、自分の後ろにも置くといっています。(260頁)

世阿弥は「進むべき時」「守るべき時」を「男時」「女時」という言葉で表現している。
それは人生のバイオリズム。
世阿弥は己の運よりも人生の季節「男時・女時」を大切にと言っているようだ。
何か不運が続くとそれを突破したくなるが、しかしそれは「人生の冬」なんだと思えばどうだろう。

「ふゆ」とは「増ゆ」です。アウトプットの春は夏で消費してしまったエネルギーを、再び増加させるのが「ふゆ(冬)」の役割です。雪に囲まれた家の中で静かに英気を養う。そうすると体中にエネルギーが満ちてきて、春になるとまた外で活動をすることができます。(261〜262頁)

武田鉄矢・今朝の三枚おろし(5月4〜15日)◆『肝をゆるめる身体作法』 安田登(前編)

肝をゆるめる身体作法



能楽師である著者。
その人の体の使い方、鍛え方、考え方は能世界から学んだもの。

戦国の世「尾張のうつけ」と言われた織田信長。
今川義元の軍勢が攻め込んでくる中、後手後手て次々に失敗を重ねていった。
どんどん砦が落とされていく。
打つ手打つ手全部失敗する。
籠城すべく砦が次々に攻め落とされていく報告をただ丁寧に聞くばかりであったという。
著者はその無策の信長を、もしかすると意図的に無策にしたのではないだろうか?

 信長は敵が目前に迫ってくるまで、その不安や恐怖心を深く内部に溜めます。不安をどんどん募らせて、それが大爆発を起こす沸騰点である「怒り」へと変換されるのを待ちます。なぜなら、行動エネルギーを大きくしようとするならば、不安や恐怖、すなわちストレスは大きい方がいいからです。(40頁)

ストレスが大きいということは、それだけ大きな行動エネルギーになる。
ストレスがないというのはエネルギーにはならない。

体操選手の内村航平さんと小一時間ほど話をした武田先生。
明日がゴルフとか釣りだとわくわくして眠れなくなる武田先生。
わくわくがストレスになって眠れない。
早起きして仕事に出かけなきゃいけないというのもハラハラのストレスで眠れない。
何でも眠れなくなる武田先生。
「金メダルがかかった一戦の前日とか全然眠れないとかあるんじゃないのか?」と内村さんに問う武田先生。
たちまち帰ってきた一言。
「ない」
内村さん曰く「緊張とか明日大きな試合があって眠れないという人は、まず、オリンピックに出られない。地区大会で落ちる」。
「眠れるんですか?」と問う武田先生に内村さんは「眠れる」。
夜寝る前に「これとこれをやっておく」と決めている内村さん。
明かりを消すともう寝ている。
一端寝たらぐっすり八時間。
体操を始めた小学校の時からのくせ。
「つらくないですか?」
「つらいと思ったことは一回もありません。練習ほど楽しいものはありません。練習をさんざんやってきたわけですから、それを発表できるとなると、うれしさはあっても不安はありません」
心の繋ぎ目が違う。
「スポーツ選手の中には、苦しそうにやっているプロのスポーツ選手なんかもいるわけじゃないですか?」
「何かが間違っているのでしょう」
ご自宅もスポーツ教室をやっていらした内村さん。
「ベッドはトランポリンの上」だった。
ずっと遊んでいる。
お母様が「航平!いい加減にしろよ」。
それでもやめない。
それでいつの間にか寝ている。
そういうもの。
結果と直結するような運動の仕方では・・・。

 信長は、なぜストレスや不安を行動エネルギーに変えることができたのか。それこそが強い呼吸を伴った歌、すなわち「謡」の力なのです。現代的な言い方をすれば呼吸法です。(41頁)

丹田で強く息を整え反復律動、小呼吸を繰り返す。
体の中心から声を出す。

『信長公記』によれば、この舞は桶狭間の戦いの前に舞われた、とあります。
−中略−信長はその報せを静かに聞くと、ひとり奥に入り、そこで『敦盛』を舞ったのです。
 そしてそのあと、具足をすばやく身につけ、立ったまま食事をすると、兜を被って馬にまたがり、城門を駆け抜けた。そのあまりの速さに、後に従うことができたのはわずかに五騎であったと伝えられています。
(36〜37頁)

確信に満ち満ちた行動だった。
千ぐらいの単位で万の今川勢に奇襲をかけるわけで「死ぬことはとっくに覚悟の上よ」という、そういう行動エネルギーの結晶だっただろう。

 そしてそれが飽和状態になったときに、信長は『敦盛』を謡い舞うことによって、その不安や恐怖を「怒りのエネルギー」、すなわち「行動エネルギー」へと変換させていきました。(40頁)

実際に、不意の襲撃にあたって、被害を最小限にするための冷静な状況判断や逃走、戦闘のために必要とする筋力発揮には、安静時の50倍以上にもおよぶ酸素需要を要するといいます。(44頁)

そのためには「歌」というのが一番いい。
歌というのはものすごい勢いで体の中に酸素を取り込む。
それがエネルギーになってゆく。

新選組をまとめて読んだ武田先生。
「竜馬がゆく」と同時期に司馬遼太郎さんは新選組の副長、土方歳三の物語を書いていて「燃えよ剣」を読んだ。

燃えよ剣



龍馬が大好きな武田先生。
土方の物語が面白くない。
ずっと読んでいて、急に面白くなる。
土方には思想はない。
土方はただの喧嘩士である。
一戦一戦の喧嘩に全ての情熱を。
やってもやっても勝てない。
勝てない土方の行動を見ていると、美しく見えてくる。
そんなことはないだろうとは思うが池田屋騒動なんかは日本刀の切合い。
それから数年後の鳥羽・伏見の戦いになると銃弾が飛び交う。
その時もケンカのやり方としては土方は自分の喧嘩のやり方を徹底して守る。
わざと鉄砲の玉の当たりそうなところに我が身を置く。
それで「オレには当たらない」と信じられるかどうかが境目。
本当に当たらない。
この後、土方の行くところは血の戦場。
同じやり方。
その時にふっとよぎったのが安田さんの『肝をゆるめる身体作法』。
腹のくくりかた一つで物理、物事を動かすエネルギーみたいなものが何か体から、というそういう神秘的な力が。

秀吉に続く徳川家康も、秀吉らとともに一緒に能や狂言をしたという記録があるくらいに、能・狂言好きでした。二代将軍秀忠以降も徳川将軍は能が好きで、−中略−すべての武士には能が舞えること、能の歌謡である「謡」が謡えることが求められるようになり(30〜31頁)

 能が武士に愛された理由のひとつに、能の身体作法が武士のそれと相性がよかったからではないでしょうか。
 特に「謡」による呼吸法、そして「舞」による深層筋の活性化、そのふたつが武士と相性がよかったと思われます。
(32頁)

能の舞台では、能楽師は正座や下居など据わった状態から立ち上がり、「すり足」で移動して、「カケル」や「ネジル」などの方法で向きを変えます。また、足拍子を打ったり、「サシ込ミ(シカケ)」や「開キ」といった「型」と呼ばれる動作を行います。(48頁)

意識できない腰の深層筋を鍛える最善の方法だったと思われる。
武道における心・肝を「丹田」に置いたのは日本の身体操作の特徴であり、日本人による発見でもありました。

「腰腰」とよく言われる。
何でも「腰」。
麺類でも「腰がある」。
外国の方にはほとんど理解できないだろう。
体の中心を腰に置いたのが日本の武道の始まりではないか?
また、柔よく剛を制す、大よりも小の強さを感性とする武道は身体の最強を鍛えることではなく、緩めるという方法で求める。
武道の構えで姿勢の美しさを繰り返し指導される。
剣であれ空手であれ合気道であれ「背筋を伸ばせ」。
こういう競技というのは珍しいらしい。
例えば、レスリング、ボクシング、フェンシング。
前傾を伴っているので、すべて構えは猫背となる。
かつて柔道も前傾は醜いとされていた。
国際柔道となった瞬間、レスリングと同じ構えになった。
胸を張ったのでは、今の柔道は金を取れない。
金どころかメダルに届かない。
姿勢の美しい柔道選手というのは何人もいない。
みんな吉田沙織みたいな感じ、レスリングになっている。

武道の方から見ると、なぜ背筋を伸ばすか?
それは筋肉を固めないため。
筋肉を固めると、その姿勢は長時間続かないから。
今の柔道は長時間続かないという競技だから。
今の試合時間を10分にするとコロッと変わる。
体を棒にすること、塊にすること、そういうことが最強となる。
ところが武道というのは時間制限がないので体を割って、きめを細やかにして、それが強さとなる。
武道は身体を野生に帰すことで時間の外へ出ることである。
脳に考え方を経由させずに体が動くというような体を作らなければなりません。

内田樹氏の合気道の本によく書いてある。
「考えるな!考えるから動かないんだ!」
脳を経由させないということがいかに身体操作として大事か。

津軽三味線をやっている武田先生。
津軽じょんがら節の練習をする。
時々じっと、自分の動く左手を見る。
人の手を見ているような気分になる。
約十年。
全く脳を経由していない。
それでも指がそのフレーズが終わった後はそう動く、それは現実にありうる。
その時に明らかに手首が柔らかくなっている。
緩めるというのが最強への道。

自分で自分の声を「臭い声」だと思う武田先生。
北海道へ行った時、目の見えないマッサージの方。
「おたくの声、どっかで聞いたことあるんだけど」
「ああそうですか」と言って揉まれていた。
「なんかキザな声だね。あれに似てる。あれ、あの人なんじゃないの?旦那さん本当は。いるじゃない。キザなあれ・・・」

呼吸を乱す心理にどう対処していくか。
乱れた心、あるいは乱れた心理は心では対処しがたい。
体で整えていくのが一番の道。
そのエクササイズの第一が姿勢。

身体の無駄な緊張を取り除き、あとは天の力に任せる。それが、頭の上にフックがあって、天から吊り下げられているという「スカイフック」という立ち方です。(89頁)

(番組では触れられないが「スカイフック」というのは「ロルフィング」の用語)
無駄な力を抜くこと。
足裏に意識を移し、そこから重心の位置を確かめる。
丹田へ重心をゆっくり移す。
呼吸法は三呼一吸。
三回吐いて一回吸う。
吐く息に注意を向けて、一度吸うと、三度に分けてストローで吐くように細長く吐く。
(このあたりは第二章の一部分がところどころ登場しているので、本を読んでもこういう流れにはなっていない感じ)

 首の支点には2種類あり、一つは後頭部。うなじの辺りです。首の小さな動きはここを支点に使うように意識しましょう。
 もう一つは、背中です。肩甲骨の間くらいを意識します。
−中略−首の大きな動きはここが支点だとイメージすると、首を楽に動かすことができるのです。(130〜132頁)

能を大成させた世阿弥はしきりに「花」という言葉を使っている。
その人を輝かせるのは、その人の気配に込められた「花」というオーラです。
彼は「時分の花」と呼び、その人の人柄に花がなければ、いかな若さ、いかな技、いかな美貌があろうともその人は咲かぬといいます。
その花を咲かせるのは心の持ち方。

三代目市川猿之助(二代目市川猿翁)が若手に稽古をつけている。
微妙なことを言う。
若手の歌舞伎役者がポンと袖に引っ込んで早変わりして出てくる。
それを猿之助氏がすごい勢いで叱る。
「アンタサぁ、早変わりしたんだろ?早変わりしたなら早変わりした顔で出ておいでよ。本当に早変わりしてどうすんだい?早変わりしたけども『早変わりしません』ってちゃんと表現しないと、何のための早変わりなんだい?『アタシゃ早変わりしましたが、早変わりしてないような顔をしてます』っていうのを何気なく言えるのが『花』ってんだい。別人が出てきたような芝居したんじゃ、何のための早変わりなんだかわかりゃしない!」
ミリ単位の芸の話。
「花」というものの重さ。

世阿弥の『花伝書』。

花伝書(風姿花伝) (講談社文庫)



これは能狂言の俳優さんに言い残した芸の真髄みたいなもの。
武田先生が『花伝書』の中で一番影響を受けた一言。
お客さんが見たがっていたら演じろ。見せるために演じるな。
俳優さんは見せたがる。
仕込んだことを全部見せたがる。
それを世阿弥が戒めて、望んでいないお客さんの前で持っている芸は全部広げちゃいけない。
どうあがこうと「時分の花」には勝てませんよ。
若い花は若い花が演じた時に最も若さを輝かしく見せる。
ずっと芸を重ねていくうちに「老いの花」が開く時がある。
万に一つ、億に一つ。
それが開いた時というのは、至芸。
『花伝書』の中で世阿弥が言っている言葉が「初心忘るべからず」。

 世阿弥と、父の観阿弥は、この言葉をさまざまな意味に使っていますが、しかし現在私たちが使っているような意味、すなわち「何かを始めた頃の新鮮な気持ちを忘れてはいけない」という意味で使っているところはほとんどありません。(154頁)

     刀(かたな)
初 <
     衤(ころも)

 この文字は「衣」に「刀」でできています。この感じのもともとの意味は「布地にはじめて鋏を入れる」ことです。
 美しく織られた布を見ると、そこに鋏を入れるのはなんとも痛々しく、躊躇されるものです。しかし着物を作るときには、それがどんなに美しい布地でもざっくりと鋏を入れなければなりません。
「初」が必要なのです。
 これは人間も同じです。
(155頁)

白川静氏によると、甲骨・金文に「初」が出てくる。
衣を作る時、ハサミを構えて布の前に立つ心境のことが「初心」。
布にハサミを入れて、しっかりと切り分けてゆけ。
間違うことは許されない。
「初」は「思案しつつハサミを使う」という迷いとか思案というものがあると手が委縮して美しい衣が作れなくなるよ。
一族に待ちかねた子供が生まれた。
その子供がこの世界で初めて着る産着を一族の長がハサミで作る。
その時の風景が「初」。
祝福してあげたいとか世界で一番美しい産着を作ってあげたいとかっていう他者への思いというのが溢れる。
そういうものも含んで世阿弥は「初心忘るべからず」。

 人が次のステージに移るべきときに、いつまでも過去の実績や記憶にすがっていると、次に進むことはできない。いままでの自分をバッサリ斬り捨てる。それが「初心、忘るべからず」の基本の意味です。(155〜156頁)

変わらないただ一つの方法に、ブレない恰好良さを求めて、必死になって成功体験を追体験しようとする。
「今のままでいたい」「あんまり自分は変わりたくない」
そういうことじゃないんだ。
バッサリいらないところは捨てて行け。
変化する。
そのためには痛みが伴う。
それもあえて引き受けよう。
それが「初心」なんだ。
そういうことを実は世阿弥は言いたかったんじゃないか。

孔子は「初心」を忘れて、いつまでも過去にこだわっている状態を「過ち」と呼びました。
「過ちてはすなわち改むるに憚ることなかれ」
(162〜163頁)

孔子自身が言っている言葉。
失敗したら、すぐに全部自分を変えてもいいという決心が「初心」なんだ。

2015年10月29日

武田鉄矢・今朝の三枚おろし(9月7〜18日)◆『弓と禅』オイゲン・ヘリゲル(後編)

これの続きです。

「今晩お出なさい」といった。−中略−道場には明々と電燈がついていた。師範は私に命じて縫針のように細長い蚊取線香を的の前の砂地にさし込ませたが、垜の輪郭すら見分けがつかなかった。そしてもしも蚊取線香のちっぽけな火玉がそのありかを示さなかったとしたら、私は的の立っている場所を、あるいはぼんやり感づいていたかも知れないが、はっきり見定めることはできなかったであろう。師範は礼法を“舞った”。彼の甲矢は皓々と輝く明るみから真っ暗い闇の中へと飛んでいった。炸裂音で私はその矢が的にあたったことを知った。乙矢もまたあたった。垜の電燈をつけた時、甲矢が黒点の中央に当り、また乙矢は甲矢の筈を砕いてその軸を少しばかり裂き割って、甲矢と並んで黒点に突き刺さっているのを見出して私は呆然とした。−中略−師範はそれをしげしげてとみつめていた。やがて彼はいった。「甲矢の方は別に大した離れ技でなかったとあなたはお考えになるでしょう。何しろ私はこの?とは数十年来なじんできているので、真暗闇の時ですら的がどこに在るか知っているに違いないというわけでね。−中略−しかし甲矢にあたった乙矢−−これをどう考えられますか。−中略−“それ”が射たのです。(104〜105頁)

ヘリゲルはこの武道に圧倒される。
そして、それを受け入れようとしてそこから無我夢中で練習し続ける。

私が引き続いて射損ねると、彼は私の弓で二、三回射放したのである。すると弓はてきめんに良くなった。あたかも弓が、前と違って物分りがよくなり、自ら進んで自分を引かせるかのようであった。(106〜107頁)

 ある日のこと、私の射が自ら放れていった瞬間に師範は叫んだ、「それが現れました、お辞儀しなさい」と。頭を下げた後私が的の方を見ると−中略−矢はただ的の端をかすったに過ぎないことが分った。(107〜108)

「悪い射に腹を立ててはならないということは、あなたはもうとっくに御存じのはずです。善い射に喜ばないことを付け足しなさい。快と不快との間を右往左往することからあなたは離脱せねばなりません。(108頁)

当たった!はずれた!で大騒ぎしていると心が千切れてしまう。
ゴルフが上達しない武田先生。
ゴルフはどこまでも欲張る。
五回で入れたらパーという名誉がいただけるのに、それを四回で入れたいと思う。
三度目で入ればもっといいなと思う。
案外まぐれで二度目で入らないかな・・・。
欲望の際限がない。
いいショット悪いショットで大喜びする人はバラバラになる。
八月のテレビ番組で丸山茂樹氏が語っていた。
入らないとムカっ腹が立って罵詈雑言を浴びせる。
アメリカでは汚い言葉を使った場合はペナルティー。
タイガー・ウッズも思わずひどいことを言ってしまう。
当たる、当たらないという欲望で分けていくと人間はだんだんひずんでくる。
マスターズでのマナー違反にはならなかったが有名な雄叫び。
トレビノ(リー・トレビノ)がロングパットで入れれば「明日は」みたいなパットがある。
それを打ってみんなが固唾をのんで、ほんの何センチかではずれてしまう。
はずれた瞬間にトレビノが叫んだ言葉は、カップに向かって「Don't move(動くな)!」。
動いたように見える。
そういう師、言うところの「悪い射に腹を立ててはなりません。良い射に喜びをあらわにしてはいけません。よいことも悪いことも他の人がやったようにクールに待ちなさい」。

ヘリゲル氏は5〜6年経った時、師範に突如として突然免許皆伝を言い渡される。
(本の中では「免許皆伝」という表現はされていない)

あなた方は、教師と弟子とがもはや二人でなく、ひとつになっている段階に到達しているのです。すなわちいつでも私から別れてよいのです。(113頁)

 別れ−−ではない別れ−−に際して、師範は私に彼の最もよい弓を手渡してくれた。「あなたがこの弓で射る時には、名人の精神が現在していることを感じられるでしょう。この弓を決して物好きな人の手に渡さないで下さい。そしてこの弓を引きこなしてしまわれても、それを記念に保存しないで下さい。ひとかたまりの灰の外は何も残らないようにそれを葬って下さい。」(115頁)

師匠が言っているのは「残すな」ということ。
(本の中には直接的にそういうことは書かれていないので、このあたりの話は武田先生の解釈と思われる)
残そうとする人は絶対に残らない。
残さなくていいと思った人だけが残る。
イエス・キリストもブッダも自分で自分のことを書いていない。
弟子が書いている。
親鸞の思想を一番よくあらわした『歎異抄』は弟子が、あまりにもいいことを言うので筆を走らせた。
法然(多分)。
「南無阿弥陀仏を唱えれば極楽往生できる」と言った人がいた。
その人は死の床について、息が切れるまで南無阿弥陀仏を唱え続ける。
弟子共が安心して生きてらっしゃると思っていたが、ある日のこと、ふすまを開けてみたら死んでいた。
声だけが虚空に浮かんで漂っていた。

「残そうとする人は残らない」ということをヘリゲルは師から言われる(という武田先生の解釈)。
自分が与えた弓をステイタスにするな。
ここからヘリゲル自身が免許皆伝という心境を理解した。
日本の武道はこれゆえに、かなり宗教に近くなってしまう。
宗教と武道をくっつけたというのは、日本国だけ。
騎士道はマナー。
日本の場合は宗教。
武道とは何かというと基本的には殺人の訓練。
人を殺す訓練をしていることが、いつのまにかどこからか転じて「人を活かすための剣にならなければダメだ」という大変態を起こす。
こんなのは世界中探しても日本しかない。

ブルース・リーもスピリッツを語るには日本の武道を経由しないと語れないから『燃えよドラゴン』の最後の方に日本の鎧とか刀剣がちらっと出てきた。
阿波という師匠の面白さは「全部当たったら弓じゃない。それは曲芸だ。外れるから武道なんだ。」
これをコロッケに話したら「ギャクの精神です」。
百発百中で笑わせると、笑いというのはダレてくる。
アタリとハズレがあるから笑う。
モノマネは似ているところと似ていないところがないと似ていることにならない。

ヘリゲル氏のその後。
六年の修行でヘリゲル氏は弓道五段を取得した。
1924〜1929年、東北帝国大学(現在の東北大)で哲学の講師として教鞭を執り、弓道を学び、
その後はエアランゲン大学の教授となり、カント派哲学のトップ集団に属した人。
(武田先生はドイツ帰国後「ハイデルベルグ」とおっしゃったが、ハイデルベルグは来日前)
1955年、肺がんのため逝去。

この本には一行も書かれていないが、彼が日本で弓道を学び、ドイツに帰ってカント派の哲学を大学で教えるが、それがちょうどナチスドイツの勃興期に当たった。
そればかりか晩年は世界大戦に巻き込まれ、ドイツも戦争に負けたので、日本同様、惨憺たる老後を過ごした。
彼自身が惨憺たる人生だと嘆いたということは記録としては残っていない。
マイペースで、先生からいただいた弓を大事に抱きしめていたという姿を夫人が目撃されていたという。

ヘリゲル氏はカントについての哲学というので、膨大な哲学の本が書ける原稿を持っていた。
東洋における武道とブッダと関係みたいなものも膨大に持っていたが、亡くなられる直前、全部火をつけて燃やした。
その中には戦後のドイツ哲学の発展にものすごく寄与するような素晴らしい著作があったのではないかと無念がる人もいる。
それぐらい師匠の言葉「自分の持っているものに関して残そうと努力してはいけません。段位をステイタスにしてはいけません。シンボルにしてはいけません。記念として残してはいけません。」
大事にしていた師匠の弓は灰にはしなかったが、彼が住んでいた自宅そのものが米軍に接収されてしまった。
奥様が何度も弓だけは返して欲しいと米軍に交渉なさったらしいが、今はどうなっているかわからない。
そのことをヘリゲルが呪ったということは一回もない。
宿命として全部受け入れた。
あれだけ素晴らしい著作を原稿を全部焼いて、彼が元気がよかった頃に書いた講演集の下書きの『弓と禅』だけは出版され、世界中に翻訳されて日本の武道の案内本として、今もどこかの書店にこっそりと残っている。
師が言ったように、残そうと思わないものだけが残っていく。
ヘリゲルの『弓と禅』というのは戦前にちょっとブームを呼ぶ。
戦後もブームが来るが『菊と刀』と比べられても非常に内容が深いという人もいる。

菊と刀 (講談社学術文庫)



この本を有名にしたのがスティーブ・ジョブズ。
そのことでまた注目を集めて2015年、日本で再販された。
1930年代半ばから2015年。
この間、ヘリゲルは「この本が私の代表作だ」とか「この本だけは読んでくれ」とは一言も言わないが、日本で再販が決定したりしている。
彼が戦後の混乱の中で敗戦国ドイツで、米軍から自宅まで接収され、やがて接収された部屋も返されて戻るが、何一つ残っていなかった。
永遠に残る、そういう本。

『燃えよドラゴン』の中でブルース・リーが監督を振り切ってまでも無理やり挿入したというシーンがある。

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カンフーの達人のところにCIAの偉い人が訪ねて来て「ハンという悪いやつがいて、ハンの島っていう島で悪いことをやっているんで、あなたは潜入して彼の悪事を砕いてくれないか」と依頼を受ける。
ブルース・リーはその話を聞きながら「ちょっと待ってください。稽古の時間です」。
少年がやってくる。
ブルース・リーが彼の前に立って「Kick me(蹴ってみろ)」と言う。
蹴りを受ける。
「気合が入っていない。人間を蹴るんじゃなく、人間の向こう側を、物事の真理を見つめろ」
と言いながらブルース・リーがパッと指を止める。
少年がブルース・リーの指先を見る。
その瞬間にブルース・リーが「私の指を見るな!指を指すものを見よ。私の指を見る限り、おまえは私が指す美しいものを永遠に見ることができない」。

これが弓と禅の「禅」の方のエピソードで出てくる。
これは禅宗のお話。
このへんの武道と禅の悟りみたいなものをくっつけた話題というのが日本の武道の歴史の一側面。

例として『葉隠』。
柳生但馬守宗矩のエピソード。
弱々しい武士が柳生但馬守のところにやってきて教えを乞う。
「私は全然弱いんで、先生、教えてください」
柳生但馬守は剣の名人なので、道場で木刀で向き合う。
柳生但馬守が剣が弱くて仕方がないと嘆いているその侍の構えた只者ではない凄みを感じてしりぞく。
テレビドラマで言うと「おぬしできるな!」。
柳生但馬守は「あなたの構えは尋常ではない、いずれの流派を学ばれたか正直におっしゃい」。
「いえいえ。木刀を持ったのが今日が初めてみたいなもんで」
「そんなはずは絶対にない。あなたの構えのその隙のなさ。私は構えを見ただけでどれぐらいできるかわかる。あなたには寸分の隙もない。あなたは相当な練達の段位あるいは境地に達しているはずだ。何流を学んだかおっしゃい」
「何も学んでないんですよ。私は天性の臆病者で怖くて怖くて仕方がない。侍に生まれていつか切り殺されるんじゃないかとドキドキして子供の時から恐ろしくて夜も眠れ無い。どうしたらぐっすり眠れるだろうかと子供の頃から一生懸命思案した。私は『もういい、殺して』」
非常に前向きのあきらめを毎日やった。
「真っ二つにして。きれいに真ん中からお願いします。」
そんなのを毎日覚悟していたら、そのうちにぐっすり眠れるようになった。
柳生但馬守は「死ぬ覚悟のある人には付け入る隙がない。生きようともがく、そこを打つのが剣だ。『死んでも何の後悔もない。真っ二つよろしく!』それをやられちゃうと剣というのは付け入る隙がない。あなたには何一つ教えるべき剣がない」と言って静かに一礼をしたという。
最弱の構えが最強であった。
(この話は130ページから紹介されているが、武田先生によって少々話が盛られている)

武道は弟子入りするのはなぜか?
弟子になってべったりくっつく。
何かを熟達してうまくなろうと思ったら近道はない。
ショートカットの熟達はありえない。
弟子入りが一番いいのは師匠の真似をしているうちに師匠が全部こっち側に乗り移る。
ヘリゲルが「以心伝心」。
言葉を全く使わない技術の伝え方というのが日本には生きているぞという。

武田鉄矢・今朝の三枚おろし(9月7〜18日)◆『弓と禅』オイゲン・ヘリゲル(前編)

弓と禅



内田樹氏かゼンキ(甲野善紀?)氏のいずれかの武道家の言葉。
(調べてみましたが、どなたの言葉かはわかりませんでした)
ある極意を会得すれば、あの街角を曲がった向こう側に「好みの女よ出でよ!」と言えば本当に出てくるようになる。
そういう文字に遭遇すると、その言葉はずっと引っかかる。
まだその言葉に引っかかっている武田先生。
「思いのままに自分の運を」という。
そういう運の研究をしたいなと思っている時に、時々出てくるのがこの、ヘリゲル氏の「弓と禅」。

著者はオイゲン・ヘリゲル。
1955年没。
カント派のドイツの哲学者。
1924年、東北帝国大学で哲学を教えるために来日した。

日本で「禅を勉強したいな」と思ったヘリゲル氏。
ところが、禅宗のお坊さんのところに行ったら「大学の先生で言葉も通じないのに教える余裕はない」と言われて、仕方なく何かドイツ人でも勉強できるものはないかといったら、奥様が「私、日本の華道をやってみたいわ」とおっしゃる。
お花の勉強をしに行ったらば、日本の芸事の中で禅に通じるものがいくらでもあるということにヘリゲル氏は気づく。

いったい日本のいろいろな芸術が、その内面的形式からいって、結局ひとつの共通な根源すなわち仏教を指し示しているということは、我々ヨーロッパ人にすらかなり前からもはや何の秘密でもなくなっている。このことは、墨絵や歌舞伎、同じく茶道や花道及び剣道に対して当てはまると同じ意味と度合とで、弓道にも当てはまるのである。(21頁)

剣道にしろ弓道にしろ、基本的に殺人の技術。
剣道は人を切るため。
弓道は人を弓でい殺す、あるいは獲物を矢で撃つ。
それに仏教が絡んでいるということが、ヘリゲル氏は不思議で仕方がない。
私たちにとって、どうということはないが、西洋人にとって武道はすごく不思議らしい。
そんな国はないから。
フェンシングにはナイトや騎士道はあるが、キリストの教えは入っていない。
フェンシングを一生懸命やったらキリストに近づくという悟りの道はない。
日本の武道は、武道を一生懸命やったら、人を殺す練習をしながら、仏に近づいていこうとする。
武道書の中に、柳生但馬守は人を殺す剣術の技を殺人剣と言って軽蔑する。
それは鬼の技であって、人間を活かす剣術があるはずだ。
そのへんに魅了されて、ヘリゲル氏が弓と禅の世界に入っていくという読み物。
ヘリゲル氏が日本で弓道を学んだ六年間の体験記が『弓と禅』という一冊にまとめられ、戦前からずっと売れ続けている。

 一九三六年雑誌“日本”に、弓道(弓を射る騎士的技術)という題で、私がベルリンの日独協会で行った講演が掲載された。(13頁)

後に単行本化され、日本では昭和15年に訳されて評判を呼んだ。
この本はある方の書棚にあってものすごく熱心に読んでいたことから、今、注目を集めている。
スティーブ・ジョブズ。
彼は晩年、非常に禅にのめりこんだらしい。
座禅などをよく組んでいたらしいし、著作物に禅宗に関するものが多かったらしい。
ジョブズはこの本から何を学んだのか?
一体、なぜ彼はこの本に惹きつけられたのか?

ヘリゲル氏は、最初は何度も断られつつも、阿波研造という弓道の師につく。

 私は私の同僚の一人、法律学の教授、小町谷操三氏−中略−に、彼の師で、有名な阿波研造師範の所に私の弟子入りを願い出てくれるように頼んだ。師範は私の願いを最初断った。それは彼は前に一度、誤ってある外国人に教えたことがあるが、その際不愉快な目に合ったとの理由によるものである。(36〜37頁)

阿波氏は「『なぜですか』ばかり言わずに、私の言うとおりにやってください。そうでないと、弓道のすばらしいものはあなたに伝えることはできない」。
それをドイツ人のヘリゲル氏は守った。

ヘリゲル氏は弓道の中の「禅」に興味を持った。
しかしそれは、氏が今まで体験したものと弓道を重ねていた。

他方私には弓道がより適していたのであった。私の小銃とピストル射撃の経験がこの際役に立つだろうという−−後から分かったことであるが−−全く誤った推測から。(36頁)

仙台市内にある弓の道場へ行っただけで驚く。
戦前の日本なので、男女を厳しく分けられた世界であっただろうに、弓道場は女性も自由に参加できた。
(本には奥様も同時に弟子入りしたとの記述はあるが、別段驚いたというような話は出てきていない)

師範の阿波研造氏は美しい手本を見せ、不思議なことを伝える。

「あなた方も同じようにして下さい。しかしその際、弓を射ることは、筋肉を強めるためのものではいということに注意して下さい。弓の弦を引っ張るのに全身の力を働かせてはなりません。そうではなくて両手だけにその仕事をまかせ、他方腕と肩の筋肉はどこまでも力を抜いて、まるで関わりのないようにじっと見ているのだということを学ばねばなりません。これができて初めてあなた方は、引き絞って射るということが“精神的に”なるための条件のひとつを満たすことになるのです。」(40頁)

私たちでさえも理解することができない、体の武道的な使い方をヘリゲル氏は最初から命じられた。

一番最初に彼が徹底して教えられたのが「息を吸う・吐く」という呼吸法。
(本によると最初には教えてもらえていない)

「息を吸い込んでから腹壁が適度に張るように、息をゆるかやに圧し下げなさい。そこでしばらくの間息をぐっと止めるのです。それからできるだけゆっくりと一様に息を吐きなさい。そして少し休んだ後、急に一息でまた空気を吸うのです(42〜43頁)

基本的に武道の息遣いは素早く吸ってゆっくり吐く。
この息を吸うという単純な呼吸法から弓の奥義へ彼は歩き出す。
しかし、彼にすぐに混乱がやってくる。
絶えず体から力を抜けと命じられて、彼は必死になって師匠に弁解する。

「それでも私は力を抜いたままでいるよう誠心誠意苦心しているのです」といったことがある。すると彼は答えていった。「まさしくそのことがいけないのです。あなたがそのために骨折ったり、それについて考えたりすることが。一切を忘れてもっぱら呼吸に集中しなさい。ちょうどほかには何一つなすべきことがないかのように」と。(46頁)

それでも理解できずに過ちを繰り返す氏を師範はただ、じっと見つめているだけ。
ヘリゲル氏は思わず尋ねる。

師範は何ゆえ、私が弓を“精神的に”引こうと無駄な骨折りをしていたのを、あんなに長い間じっと見ていたのか。すなわちなにゆえ彼は、稽古始めから早速正しい呼吸法に向かって突き進ませなかったのかと。(48頁)

通訳もしてくれている小町谷氏が答える。

もし師範が呼吸の練習でもって稽古を始めたとすれば、あなたが決定的なものを獲たのは呼吸法のお陰であるということを、彼は決してあなたに確信せしめ得なかったでしょう。あなたはまず第一にあなた自身の工夫でもって難破の苦渋をなめねばならなかったのです。師範があなたに向かって投げ与える救命の浮環(ブイ)を掴む準備ができる前に。(48頁)

日本の武道において、無意識というのがものすごく重大。
意識してやるということに対しては否定的。
このへんは西洋の人には難しいだろう。

呼吸法は難度が高そうだが、考えれば泳げばいいのである。
武田先生は武道においての呼吸法を「泳ぎと同じだ」。
水の中で私たちは武道の呼吸法を当然行っている。
泳ぐときに急いで息を吸ってゆっくり吐く。
素人は胸に溜めた息を肺で大事にかかえる。
オリンピック選手を水中カメラのスローモーションで見ると、息を吸った後に、水にもぐりこんだ瞬間、あぶくにしてきれいに銀の玉をヒゲの字で出していく。
師範の言ったことはそれなのではないか?
「今、呼吸法をやっている」ということを忘れない限り、呼吸法はあなたのものにならない。

ゴルフでもカンフーでもいつも言われる武田先生。
肩から力を抜くことの難しさ。
脱力の難しさはまさにスポーツの重大な課題で、それにもまして「脱力の意識からも抜け出せ」と武道は要求する。
力を抜くことの難しさにヘリゲル氏はさんざん苦労する。

西洋人であるところのヘリゲル氏が自分に思えてくる武田先生。
西洋合理主義というか、我々の方がかつて戦前の日本にとって外人になってしまっている。
師範が言っていることが無茶苦茶みたいに聞こえる。

ヘリゲル氏が師範から言われていることは「意識するな」。
意識しないということをどう意識すればいいんだ?と彼は問いたい。
弓の弦を引っ張る時に、人差し指中指薬指の三本で引っ張る。
それを一杯に引っ張っておいて、放つ瞬間がくる。
放つのに「意思を持つな」と言う。
彼はすごく苦しむ。

あなたは引き絞った弦を、いわば幼児がさし出された指を握るように抑えねばなりません。(56〜57頁)

熟した果物の皮がはじけるように開かれないのです。(58頁)

積もった雪が竹の笹から落ちるように、射は射手がそうと考えぬうちに自ら落ちて来なければならないのです。(86頁)

氏が理解できないぐらい、武道は哲学的。

射手は弓の上端で天を突き刺し、下端には絹糸で縛った大地を吊るしていると。(59頁)

だからあなたが引くんじゃない。
天と地が弓を引いている。
どんどんわからなくなっていく。
「自分自身から離脱しなさい」とか。
そんなことを言われれば言われるほどわからなくなる。

 そこである日私は師範に尋ねた、「いったい射というのはどうして放されることができましょうか、もし“私が”しなければ」と。
 「“それ”が射るのです」と彼は答えた。
−中略−
 「ではこの“それ”とは誰ですか。何ですか。」
 「ひとたびこれがお分りになった暁には、あなたはもはや私を必要としません。そしてもし私が、あなた自身の経験を省いて、これを探り出す助けを仕様と思うならば、私はあらゆる教師の中で最悪のものとなり、教師仲間から追放されるに価するでしょう。ですからもうその話はやめて、稽古しましょう。」
(92〜93頁)

ヘリゲル氏はもう師に問うことはやめて、その日その日をせいいっぱい稽古し続ける。
師にその努力を交渉して稽古を認めてくれということを一切やめる。
何年か後に、突然別のシーンがやってくる。

 その頃ある日のこと、私が一射すると、師範は丁重にお辞儀をして稽古を中断させた。私が面食らって彼をまじまじと見ていると、「今し方“それ”が射ました」と彼は叫んだのであった。(94頁)

私は漸次、少なくとも正射を失射から自分で区別できるところにまでは漕ぎつけた。(95頁)

その技は手でつかむのではなく、その技術は私の手に降りてきた。
それはたどり着くのではなく、それが訪ねてきた。
それを待てるか否か。
それがきちんと降りてきているんだという時に、それに任せたか。
それとも待てずに放したかの違いがはっきりわかるようになった。
「私が」ではなく「私に」射の瞬間が訪ねてくるのである。

ここで一番重要なことは、何が変化したかというと正しい礼儀作法の射が完成したのではなく、「私」が変化した。
日本における武道というのは「私」の変換から始まる。
私をいかに書き換えるかというのが日本の武道である。

弓の放つとか射とか「それ」が射るということがわかったところから、やっと日本の弓道は的を与える。

 今までは木の台の上の巻藁が、標的であると同時に、矢留めの役もつとめていた。−中略−的はこれに反して約五十メートルの距離をとって、高い、幅広く築かれた垜は三方の壁を援護物にしており、射手の経つ射場と同様、美しい波形をした瓦の屋根で風雨を防いでいる。(97頁)

全ての動作ができない限り、的に向かっては射させてくれない。
的と遭遇するまでに何年か経っている。

TBSの芸能人がスポーツの名人に挑む番組(調べてみたけど何という番組かわかりませんでした)で弓道を見た武田先生。
今は女子の世界かも知れないが、的は25m。
男子、しかも戦前の弓道の的は50m先。
(ウィキペディアによると近的場は「射位(射手)から的までの距離が28m」、遠的場は「射位から的までの距離が60m」)

ところでこの精神的覚醒の最高の緊張を解き放すためには、あなた方は礼法を今までとは違った仕方で行じなくてはなりません。そうですね、上手な舞手が舞うように。−中略−するとあなた方は礼法を、暗記したもののように繰り広げるのではなくて、あたかもその瞬間の霊感によって創造するかのようになり、かくて舞と舞手が一体になるのです。すなわちあなた方は礼法を神楽舞のように行ずることによって、あなた方の精神的覚醒が最高の力を得るようになるのです」と。(98頁)

(武田先生はこの部分を「日本の武道は一切のアドリブを認めない」というように説明しているが、本の内容によると、むしろその逆のように思える)

ヘリゲルは的に当てるための技術を尋ねる。
いかに図星に当てるか。

しかしそうやってあなたのほとんどすべての射が的にあたるならば、あなたは自分を見世物にしてもよいという曲芸射手に外ならぬのです。自分の中りを数える功名心の強い人には、的は彼がずたずたに穴をあける一片の反故紙にすぎないのです。弓道の“奥義”はこれを全くの邪道と考えます。(99頁)

的に全部当たるんだったら、それは弓道ではなくて見世物だ。

あなたの念頭から中りを追い出しなさい!(101頁)


2015年09月06日

武田鉄矢・今朝の三枚おろし(8月10〜24日)◆Can you speak Japanese?(後編)

これの続きです。
引用している本は番組内で使っている講談社学術文庫ではなく中央公論新社の方です。

「愛我中華」は「I Love New York」のシャレ。
私たちは漢字で書いてあるとスローガンと読み取ってしまう。
漢字というのは非常に強い言葉。
その中でも巧みな例は「コカコーラ」。

 たとえば、日本に初めてコカコーラが入ってくれば−中略−とりあえず「コカコーラ」と片仮名で置いておけば、これで音写的にいったんは受け止められるのです。
 ところが中国ではこれができないのです。中国でこれをやるためには、「コカコーラ」を漢字に直さなくてはいけない。
−中略−中国の場合にはどうなるかというと、結果的に「可口可楽」となるのです。(172頁)

保留するのは大事。
パソコンでいうとホルダーに入れておく。
内田樹氏曰く「浮き輪」。
漁師さんたちが網を仕掛けたところに浮き輪のブイを立てて行く。
そういう役割が片仮名の「保留」。
気になるけどよくわからないけど何かあるぞという目印。
これができないと息苦しくなる。

日本の白川博士(白川静)が漢字学において中華研究者を圧倒している。
白川博士の漢字学というのは、中国の漢字を研究している人よりも遥かに深いところを突いている。
どうしてかというと、中華が古典を通してしか漢字を考えられないのに対して、白川博士は日本語で漢字を研究できる。
中国の古典を通さずとも古代中国を体系的に分析できる。
白川博士は西洋の言語学からフランスの構造主義から全部持ってきて漢字世界を分析している。
ところが中華の学者さんたちはフランスの考え方を持ってくるにしても一回漢字世界に置き換えないといけないので、世界の学問との差が出てしまう。
中華は中華の言葉でしか中華を語れない。
それに比べて白川博士はフランスの考え方、アメリカの考え方、ドイツの考え方、イギリスの考え方で中華を分析できる。
それが白川博士の漢字学の圧倒だと思う。

「マイケル・ジャクソン」を漢字で書くとどうなるのか?
中国語の場合は、それに似た漢字でマイケル・ジャクソンを象徴するような漢字を、なるべく選ばなければならない。
「踊」というそれに近い文字とか、「雀男」で「ジャクソン」とかっていうので豪華な舞い手であったというのを入れないと。
(実際には「迈克尔・杰克逊」)

ケンタッキー・フライド・チキンはカーネル・サンダースの容貌が入っている。
「作り手翁」みたいな。
(実際には「肯コ基」。一つも入っていない)

日本では、ワープロ、パソコンができて、子供から老人までみんな簡単にパソコンが使えるようになった。これは平仮名あるいは片仮名があるからです。平仮名を打てばそれがそこに文として出てくる。ところが中国ではどうかというと、中国は「ピンイン」(拼音)と呼ぶ標準語の発音記号で打つのが普通です。ピンインを知るためには、まず文字を知っていなければならない。しかも文字を知ったうえで、その標準語の読み方を知って、それをピンインつまり中国式ローマ字で打ち込まないと文字や文章は出てこないのです。(183頁)

中国は省ごとで発音が違うので単語も違う。
だから文字が書けても標準語とピンインを知らないとパソコンは使えない。
棟方志功の「わだば日本のゴッホになる」をワープロで打ってもはじく。
東北弁では絶対に何語にも訳さずにはじく。
きちんと標準語とピンインを書かないと文字が書けてもパソコンは使えない。

日本のように子供から老人までだれでもパソコンが簡単に使えるということには決してならず、使えるのは限られた識字層と重なっています。通訳の話では、中国人十三億人のうち識字層は四割、非識字層は六割ということでしたが、私はもう少し識字層が少ないのではないかと思っています。(184頁)

ネットが世論と言われて大騒ぎしているが、ネットは十三億の中の四億だと思え。
全部じゃない。
四割の人しかパソコンを扱えない。
そのことを憶えて中国ということを認識しておかないと理解できない。

「風車」の場合、これだけでルビがないと、「フウシャ」と「かざぐるま」とではいまの日本だと指す対象が違ってきます。「フウシャ」というと発電用のスケールの大きなものになるし、「かざぐるま」というと子供の玩具になるので、本当はこれだけではわからない。(196頁)

同じ文字でも読みで意味が変化するというのが日本語の特徴。
日本語というのは実に珍しい言語である。

日本語は動詞がすごく少ない。
小鳥・虫・犬・羊・カエル・カラス
動詞で「なく」場合をどう表現するか?
全部「なく」。
イギリスに帰ってしまった武田先生の英語の先生がびっくりした。
英語では
小鳥・虫:chirp
犬:bark
羊・子牛:bleat
カエル・カラス:croak

全部使い分けなければならない。
その代り、日本語の動物たちは全部副詞で「なく」。
小鳥:チュンチュン
犬:ワンワン
猫:ニャーニャー
ヤギ:メエメエ
カエル:ゲロゲロ
カラス:カアカア

「〜となく」
動詞は変わらず、副詞で、擬音で表現する。
なぜ動詞が発展しなかったか?

 日本語の場合には「なく」というこの和語が「なく」のままでそれ以上発達せず、「なく」で固定されました。どんな力がそこに働いているかというと、それはやはり文字化です。動詞は漢字によって固定されたのです。漢字は重いですから、漢字でいちど書かれると固定されるのです。
 たとえば「泣く」でも、「鳴く」あるいは「啼く」でも、あるいは「哭く」でも、「なく」に漢字を当て嵌めると、漢字に依存しますから「なく」という和語が発展的に変化しなくなるのです。
(209頁)

「ゆく」
明日鹿児島に「往く」
お嫁に「行く」
あの世に「逝く」
全部漢字で書きかえることができる。
そういうのが日本語の特徴。

英語との違い。

 平仮名は、アルファベットよりも音標性の高い文字です。ただしこれは、生きた言葉の現場においてはという意味です。というのは「発音しない平仮名はない」からです。「ん」というのも一応発音します。そうすると、文字が全部発音をもっていることになります。ところが、たとえば英語の「know」や「knife」などの「k」は発音しないのですね。(212頁)

日本語は「あ」という文字が出てくれば「あ」と読める。
ところが英語は全部そろわないと発音できない。
同じ「a」でも「あ」と読むか「い」と読むか「え」と読むか断定できない。

しめくくりに
現在、西洋文明の限界から底力を持つ中国が台頭し、日本のアジアでの先駆的領導の時代は終わりつつある。
やがて中国は世界のトップに立つであろう。

そういうことがあとがきに書いてある。
(私が読んだのは違う本なので当然書いていないけど)

時代の流れは激しい。
中国がトップに立つことはないと断言する中国研究家がいる。

武田先生がギクッとした話。
「失われた十年」「失われた二十年」と呼ばれるバブル崩壊以降。
メディアは間違った日本語の使い方をしているのではないか?
「失われた二十年」というが、日本はずっと経済力は世界第二位。
どこが「失われた」なのか?
そういう時代を話すキャッチコピーというのは非常に危険。
世界は武田先生の血圧と同じで捉えどころがない。
三回測ると三回とも違う。
女医さんから「ゆたっとした性格じゃないからよ」。
女優の秋野暢子さんは健康オタク。
メーカーの名前を言いながら血圧計の傾向を言う。
「○○っていうメーカー、あそこは10〜15高めに出るの」
「××の使ってごらんなさい。あそこは20ぐらい低く出るのよ」

日本語の平仮名。
平仮名は「音」である。
出てきたらすぐ読める。
「あ」「い」「う」「え」「お」。
ところが英語の場合は「a」が出てきても「えー」と読むか「あー」と読むかわからない。
文字が全部出ないとわからない。
英語の名前は読めない。
ローマ字読みできない。
あれはその読み方を耳で一回聞かない限り、そう読むっていうのはわからない。
英語圏では、ある程度の認知力がないと、その言葉はつかえない。
「マッキントッシュ」という言葉があるとすると、ある程度の方がその言葉を知らない限り使えない。
「音」と「文字」がある。
その文字をそう読むということは、先行できない。
テニスの錦織選手。
本能的に「にしきおり」と読んでしまう。
それを漢字ではなく平仮名で書いてくれれば「にしこりくん」と読める。
英語の場合はそれをアルファベットで書いた場合には、そう発音する人がいない限り読めない。
「JEFERNY」を「ジェファニー」と発音してくれないとそう読めない。
ところが日本語の場合は平仮名だからそう読めばいい。
何も混乱することはない。
そういう日本語の言葉世界に住んでいる。

ゴルフのマキロイ(ローリー・マキロイ)。
McIlroy。
本当は音を正確に言うと「マックロイ」。
「Mc」が付く人。
マクドナルド(McDonald)。
マックイーン(McQueen)。
「Mc」は「息子」という意味。
McIlroyは「Ilroyの息子」。
McDonaldは「Donaldの息子」。
McQueenは「Queen(女王)の息子」。

日本語は漢字の読みについて驚くべきことに、白川博士も言っているが、渡来した時の時代の音はそのまま残している。
これは現代中国語が元の時代(鎌倉時代)以降は支配者のモンゴル人の訛を受け、音については古音(古い時代の発音)が今の中国の人はできない。
北の方の支配者が漢字を読み始めたので中国語全体が元の時代以降、日本語で言うと「ズーズー弁」になってしまった。
今、中国の人たちが発音している、特に北京や上海の中国語の発音は北の方の発音になってしまっている。
「人民解放軍」というのを中国語(上海語)では「カキクケコ」の発音ができないので「レンミンチェンホンファン」。

日本人はその中国の支配者が支配している時の漢字の読み方を取り入れ、そのまま残している。
中国の古い漢字の読み方は全部日本にある。

たとえば、「行列」という場合の「ギョウ」は呉音であり、「行進」という場合の「コウ」は漢音で、「行灯」という場合の「アン」は唐音です。これはいずれも「行」という字に対する音ですが、それぞれ入ってきた時代が違うのです。(223頁)

日本語の源流はもちろん中国である。
でも、中国語と日本語では、日本の方が変わらなかった。
中国の方が大きく変わってしまって、中国人がその時代の読み方を変化させてしまった。

中国はひと塊だといっていますが、いつもその中では分離独立とかいろいろな問題が起こっていますし、言葉も違う。しかし、その違う言葉が漢字・漢字文によって統一されているから、中国というひと塊になっている。これに対してヨーロッパは、声中心の言葉になりましたから、いまだに言(はなしことば)の違いによって無数の民族紛争をやっています。中国のようにひと塊になることができないのです言によって、小さく小さく分かれている。その小さいものがある程度まとまって、いまでいうドイツ語であるとかフランス語であるとか、あるいはイギリス語であるというようなかたちにまとめあげられていくのが十五世紀の半ば、あるいはその前後からというふうに考えていけばいいわけです。(264頁)

日本語とは真名・仮名、アルファベットまで含んだ書き言葉、そして話し言葉がものすごくたくさんある多重言語の世界で、おそらくこれほど複雑な言語世界は日本だけであろう。
そういう複雑なところに我々は生きておりますということを自覚してください。

武田鉄矢・今朝の三枚おろし(8月10〜24日)◆Can you speak Japanese?(前編)

日本語とはどういう言語か (講談社学術文庫)



今回取り上げられている本は石川九楊(いしかわきゅうよう)著『日本語とはどういう言語か』。
番組内では講談社学術文庫のものを使っているのだが、私が読んだのは中央公論新社の方。
ということで、ページ数は当然異なってしまうので載せなくてもいいかな?と思ったけど、出典は明らかにした方がいいよなと思ったので、いつも通りにページ数なんかも入れておく。

日本語とはどういう言語か



この日本、近ごろの世相、よくよく問題となるのが「言葉」。
朝はラジオ派な武田先生。
ことごとく「ああ言った」「こう言った」の問題。
それにコメンテーターという言葉を使う方が、言葉に対して言葉で批判していく。
たった一言が世間のウルサガタを騒がせ、ブログ炎上、抗議デモ、テレビ出演忌避などのはめに陥る芸能人、姿を消すタレント。
タレントのコンサートでの一言が大問題となって騒がせる。
ずっと続いている。
マスコミ対応で一言間違えたばっかりに、あるいは言葉使いが上から目線だった、上から発言だったということで、消えた社長、倒産した老舗、追いやられた女将。
こないだまでベストセラーをバンバン飛ばしてらした、ある意味言葉のプロの作家さんが言葉を扱うニュースペーパーを何とかということでマスコミが大騒ぎ。
隣国との問題で「そういう言葉は盛り込んで欲しい」「いや盛り込めない」と歴史認識問題という言葉の問題。
関係国、有力者の親日・半日・侮日。
そういう発言等々が毎日続いている。
口は災いの元でありながら、言葉で語り出さなければ何も始まらないというのが、この世である。
しかし、よくよく皆さん考えてみましょう。
そもそも、その問題になっている日本語とはどんな言葉なのか?

日本語というのは世界に類例を見ない不思議な言葉。
言葉とは実に哲学的。

言葉とは「文(かきことば」と「言(はなしことば)」がある。
声と文章に於ける言葉。
それが対立したり絡み合ったりする。
しかし、言葉というのは実に複雑なものである。
その辺が物議を醸しだす。

言葉とは言葉の通りではないところが言葉なのである。

 たとえば「ありがとう」と丁寧に言えば感謝の意味であり、遠くに去って行く相手に「ありがとう」と大声で叫べば、感謝に加えて、「さようなら」の意味をも盛る。厄介そうに「ありがとう」と言えば、感謝ではなく、逆に「迷惑だ」の意味と化す。−中略−
 この逆説性は文(かきことば)の文字の書きぶり(筆蝕)においても同様である。丁寧に心をこめて書かれた「ありがとう」は感謝の意味だが、走り書かれていれば、別段有難いわけでもないが、形式上、一応礼を言っておくという意味に終わる。なぐり書かれていれば、「迷惑だ」という意味にすぎない。
(11〜12頁)

パソコンで「ありがとう」を百以上並べると、これは明らかに「脅迫」。
書き文字にしても用途によってはそれが脅しになったり、「迷惑」の荒々しい投げつけになったりする。
この複雑さに加えて、書き言葉には漢字、平仮名、片仮名、その上にアルファベットもある。
この問題が日本では大きい。

紋切型社会――言葉で固まる現代を解きほぐす



武田砂鉄氏が取り上げていた話。
「今、ニッポンにはこの夢の力が必要だ。」
(東京2020オリンピック・パラリンピック招致の国内向けスローガン)
この時の「日本」は漢字では書かない。
片仮名。
つまりここには漢字の「日本」とは違う意味が込められている。
そうやって考えるとJapaneseは、なかなか複雑。
これほど複雑な書き言葉を持つ言葉は世界で唯一。
そういう国に生きていることを思い知りましょう。

「Why Japanese People!」(厚切りジェイソン)
彼は鋭いことを言った。
「『服を着る』というのがなぜ悪い言葉なのか?」
着服。
「親を切ってどうして『親切』なの〜!?」

「ヤバイ」は囚人用語。
「厄場」から来ている。
おまわりさんの「デカ」というのもヤクザ言葉。
「ぼんくら」もヤクザ言葉。
博徒(ツボ振りの人)が陽気ではないと場が盛り上がらない。
場が暗くなるので「盆暗」。

私たちは実に複雑な言文世界に生きている。
私たちは本音と建前、あるいは言葉に多重性を求める。
多重性の中を本気で生きて行く。
プライベートでは本音を好む。
でも、建前で語らなければならぬ話題もあり、政治的意見や批判、タブーの部分は地雷を踏まないように建前用語を使わなければならない。
慣れている人はよいが、慣れていない人は日本語を非常に息苦しく感じるであろう。
それでも重大なことは日本語は元来、世界一複雑な言葉を持つ世界であることを自覚すること。
こうなったら私どもは日本語を懸命に勉強するしかないのだ。
空気を読む、読まない。
日本は空気をそろえたがる。

「今、ニッポンにはこの夢の力が必要だ。」
漢字ではなく片仮名にした理由。
「どなたでも読める片仮名で書いておりますよ」と一般民衆を集める力が日本にはある。
そういう見た目の問題があるのではないだろうか?

なぜ日本人は建前と本音を使うようになったのか?
それは言葉の中に漢詩、漢文体、平仮名、片仮名、和歌、和文の訓語を持つからで、例えばパーティーで「乾杯!」。
「乾杯」というのは名詞。
ところが名詞を聞くと動詞として受け止める。
名詞のくせに動詞の役割を果たす。
これは漢文体だから。
「委細面談」「若干名募集」。
名詞が並んでいるが、日本人はこれを文体として受け止める。
「委細面談」と聞くと「会っていろいろ語り合うんだな」と思うし、「若干名募集」と言うと「わずかな人数を募集するんだ」と「文章」で感じてしまう。
そういう名詞の集まりを文章で感じたり動詞で感じたりする。

 音語と漢詩、漢文とそれらの訓読体は、日本語史における歴史的役割(棲み分け)から、政治的、思想的、抽象的表現を担う。(17頁)

和文体(本の中ではこういう表現は使っていないが)は主として感情表現、思い、絵画的な表現を担う。
その上に五・七・五・七・七などの音数が言文に影響を持ち、いわゆる「語呂の良い言葉」が好まれる。
こういう五・七・五・七・七が巧みなのがサザンオールスターズ。
この人たちは会話文の作詞のうまさ。
「ムナサワギノコシツキ」「アメマジリノチガサキ」
しかも日本語は三つから四つがむやみに好まれる。
日本語のはずみがいいのは三つから四つの音。
これがむやみに好まれる。
三か四にまとめるとはずみがよくなる。
 テレビジョン→テレビ(三つ)
 パーソナルコンピュータ→パソコン(四つ)
サザンオールスターズは三・四・五・七。
 イトシノ エリー(四・三)
そういうものの使い方の巧みさとサザンの歌曲というのは一致する。

平仮名というのは書くとわかるが上から下に書きやすい。
何となく続けて書きたくなる。
「あ」「す」「お」「の」
上から下に流れるように書ける。
片仮名は自然と右から左に寄ってくる。
「ノ」「ナ」「ク」「タ」

日本語は中国語と対極をなす。

別段中国大陸に統一した中国語があったわけではないことは、現在においても、少数民族語は別にしても、北京語、上海語(呉語)、広東語(粤語)、福建語(?語)、客家語等の違い(もともとは違った言葉)があることからも明らかであろう。もとより無文字の大陸の言語がこの程度の数であったはずはなく、その数十倍の族語があったことは言うまでもなかろう。しかも、北京、上海、広東、福建各地語(ヨーロッパで言えば、二十〜三十箇国に相当する)の言語がもともと単音節孤立語であったと言うよりも−中略−中国語とは、単音節孤立語である漢語によって吸収され、統合された言語を指す。中国語とは、単音節孤立語の成立後に生まれた漢字のみを使用する漢字語の別称である。(31頁)

話し言葉を漢字が羽交い絞めにしている。
あの国は漢字でまとまっている。
中国語は歴史的に断言性を増していったので、周辺国は「断言性」に異和を感じる。

 ここで接辞たる助詞が、中国語の断言性への異和の表出語として、採用、あるいは新造される。(32頁)

中国語は煉瓦を積むような漢字の世界。
言葉でニュアンスが出ない。

武田砂鉄氏の言葉。
英語もそうだけど中国語も言葉尻がない。
例えば(原語の)「アナと雪の女王」の中で使う言葉(歌詞)は女言葉でもなければ、男言葉でもない。
ところが日本語に訳す時に「私でいるのよ」(実際にはそういう歌詞はないが)。
「のよ」を使うのは女性に決まっている。
語尾で「性」がにじむ。
英語にはない。
たけしさんと所さんがやっている番組
世界まる見え!テレビ特捜部|日本テレビのことかと思われる)
UFOを目撃したミネソタのおじさん。
かぶせる声が必ず決まっている。
「おら、おどろいただよ。あの時、真っ赤な火の玉がでてきてさ」
あれは、勝手に日本人がそんなふうに言っている。
語尾を飾っているのは日本人。
つまり日本語は豊かな話し言葉がある。
話し言葉で意味が変わる。

ずっと好きだった



「ホント好きだったんだぜ」
何度も同じことを繰り返す。
英語で言えば「ホントは好きだった」。
そこに「ぜ」を付けることによって、ちょっとヤンキーっぽい子が真面目な純情な子に好きだと言えなかったという思いを後に伝えているというようなニュアンスいっぱいが日本語の中に込められている。

「愛我中華」と書いてあったのです。日本語に訳せば「我が中華を愛そう」とか「我が中華を愛す」ということになると思うのですが、注目してほしいのは「愛」のところです。日本語の場合は「愛す」とか「愛そう」とか「愛します」とか「愛しちゃう」とかいうことで、全部意味が少しずつ違ってきます。先ほどいった微妙なニュアンスの違いが助辞の部分で表現されますね。
 ところが、中国ではこのニュアンスはほとんど消えてしまって、あえて訳すとすれば「我が中華を愛そう」というようなことになる。細かな意味は限定されることなく、漠然とした表現になっているのです。
(176〜177頁)

周辺国家はちょっとそれでは俺っち達の言葉には向いていないなということでベトナム、朝鮮半島、日本がやったことは、一部を取り入れるが全てを中国語にしなかった。
その辺の歴史が東アジア、アジアを支配している。
周辺国家は一部を取り入れているのだが、中国語全部は取り入れなかった。
太古、古代縄文のころ、おそらくアジアはほとんど同じ言葉を使っていたのではないか?
無文字の時代は同一の言葉があったんだけど、文字ができるとどんどん言葉が離れていった。

このあたりは白川静氏が言っていることと一致。
三千三百年前、アジアはアジアという文明(殷の文明)があった。
殷の文明は漢字を作るエネルギーになった。
でも、肝心の中国がアジアを忘れていく。

日本語起源説とその独自性をむやみに強調するのは不毛の論議である。
日本語もアジアから発生してきた言葉である。

あくまでも推定であるが、土地空間と食物、そのエネルギー摂取量等々を考えて、縄文時代に日本の人口はどのぐらいだったか。
日本列島に住んでいた人間は75800人ぐらい。
古墳時代が540万人。
その間に渡来人(大陸から渡ってきた人)が150万人ほどいたはずである。
(このあたりの話は44ページに載っているが、文章が大幅に異なるので、武田先生の創作か、こっちじゃない方の本には載っているのか)
これらの人たちの言葉がまじりあって、ゆっくり日本という国が出来上がったのではないだろうか。
特に西暦57年、後漢の時代(光武帝の時代)その頃、九州に初めて国家らしいものが芽生えていた。
このあたりから漢字の支配権がゆっくり日本に入ってきたけれども、日本人はどうがんばっても漢字のみでは自分たちの言葉を全部は補えなかった。
それで朝鮮半島、ハングルとは別の流れの平仮名片仮名文字が発達したのではないだろうか。
(ハングル文字は歴史が新しいものなので、どうしてここで登場するのかは不明)
平安から江戸にかけて日本人は、中国から入ってきた漢字をまた別の方法で組み合わせて、日本人の手による新作漢字を作り始める。

 日本で生まれた漢字である国字は−中略−俤(おもかげ)、働(はたらく)、凧(たこ)、峠(とうげ)、椙(すぎ)、榊(さかき)、畑(はたけ)、笹(ささ)、糀(こうじ)、辻(つじ)、込(こむ)、鰯(いわし)、鱈(たら)、麿(まろ)などが挙げられている。(53頁)

 さらに、文字との関係は親密で、音訓入り交じった、音+訓の重箱よみ、訓+音の湯桶よみを通して、日本語は音と訓との馴染み合った日本語を形成した。
 重箱よみ−−楽屋、雑木、台所、蜜蜂、楽書、御台場
 湯桶よみ−−相性、大勢、黒幕、荷物、身分、湯湯婆
(53頁)

音訓で国学儒学を巧みにこなした日本は近代になって、中韓が欧米列強に飲み込まれていくのに対して、その文明を取り入れる。
この文明を取り入れた一因が片仮名ではないか?
中国の漢字と韓国のハングルは保留できない。
「とりあえず」ということでその言葉を置いておけない。
例えば「book」。
聞いて意味が分からないと片仮名で「ブック」と書いておいて、意味が分かったら今度は漢字で「本」と書く。
この片仮名の「ブック」がむこうにはない。
意味が分からないので、とりあえずカッコの中に入れておく。
オランダ語を聞いたら仮名で書いておく。
後で意味が分かったら書き入れることができる。
ところが、漢字は意味がないことには音で当てることができない。
中国世界にそのものがないと訳せない。
聞いているんだけど書けないというのは足踏みをしてしまう。
日本人というのは、この片仮名のおかげでとりあえず片仮名で書いておいて後で訳語を探した。

「liberty」を訳した福沢諭吉。
「リバティー」と書いておいて、あとで中国の古代の本から何かいい文字が当てられないかというので最初は「御免」。
それは切り捨て御免に繋がるから、老子の言葉か何かで「自由」と当てる。
ウィキペディアによるとマーケティングコンサルタントの西川りゅうじんによると、日本語に訳したのは福沢諭吉であり、仏教用語の「自ずからに由る」(おのずからによる)からきているが、実は「天下御免」というもう一つ訳の候補があった、とする。なお、この説の信憑性は現在確認できていないことには注意されたい。
その訳語というのは大変だったろう。
保留できる言葉を持っていたというのは、楽々と西洋文明に対して勉強を開始することができた。

日本語は実に意訳に適している。
例えば、春風。
「シュンプウ」と「はるかぜ」では印象が違う。
風速がちょっと違うような気がする。
「シュンプウ」はちょっと強めを意識する。
「はるかぜ」というと、袖を一瞬揺らすが、揺らし続けない。

勧君金屈巵
満酌不須辞
花発多風雨
人生足別離

(于武陵の『勧酒』)   

人生足別離
人生すなわち別れである。
ところが、武田泰淳という作家が大和言葉で訳す。
「サヨナラ」ダケガ人生だ
この「人生足別離」と「『サヨナラ』ダケガ人生だ」。
訳した瞬間に私たちには皮膚で鍛えた別れの涙の臭いが伝わってくる。
中国語での語りと、日本語ではニュアンスがあまりにも違いすぎる。
(調べてみたが、武田泰淳ではなく井伏鱒二の漢詩訳「勧酒」の中にあるらしい)

2015年08月27日

武田鉄矢・今朝の三枚おろし(1月5〜16日)◆『なぜ妻は、夫のやることなすこと気に食わないのか エイリアン妻と共生するための15の戦略』石蔵文信(後編)

これの続きです。

奥様に叱られてばかりの武田先生。
クローゼットにハンガーをかける。
奥様はそのハンガーを一定方向にしておきたいのだが、武田先生が逆方向にかける。
ハンガーを上げても取れない方向にしてしまうので怒られる。
三日連続で外回りの仕事をして帰ってきたのが八時半。
新幹線で岡山から帰ってきたので駅弁を食べてきてしまった武田先生。
デブになるので夕飯はいらないと奥様に言ったら、奥様から約15分間に渡って叱責される。
「今、作ったのよこれ。今、今!新幹線の中から電話する時間がなかったの!?」
時折洗濯もご自分でされる武田先生。
「要領が悪い」と怒られる。
トイレの使い方。
奥様からは「座ってしろ」と言われるが、座ってすると体を折る関係上、残尿感がひどい。
座ってして、もう一回立ってすると出る。
台所に立っても怒られる。
洗い方が雑、器は同じ大きさのものから伏せて欲しい。
ソーサーを使うのが嫌いで、あっちこっちに置くものだからコーヒーカップの輪じみが付く。

 時には、妻の家事のアラや手抜きが目についてしまうこともあるだろう。
−中略−ここはぐっとこらえて、何も言わないでおくのが得策だ。−中略−
女性にとっての美容院やマッサージ、エステやネイルなどは、男性にとってのゴルフや飲み会などと同じ。男性から見れば単なる時間とお金の無駄遣いにしか思えないが、彼女たちにとっては貴重なリフレッシュの機会であり、英気を養うために必要な充電時間なのだ。
(108〜109頁)

 家事は「家事道」と心得よう。(111頁)

家事は妻のマイルールによるスポーツで、神事でもある。
ルールとタブーが家事にはあるのだ。
夫は修行、特訓と思え。
命じられた家事は滝行、火渡りだと思ってやり抜くこと。

プライドは捨てて、手柄はすべて妻に譲ろう。(115頁)

プライドを守ろうとせずに、踏みにじられるように提出するのがいい。
男はプライドが高い人が多い。
妻と子に認めてもらおうとするプライド。
夫の努力や家族への貢献を、妻子に認めてもらおうと思うな。

 以前、ある雑誌の記事で70代ご夫婦の興味深い実例を目にした。
 彼らはリタイア後に田舎暮らしを夢見て、東京の自宅を売却してリゾートの高齢者向け住宅に移り住んだ。ここまでならよくある話だが、その高齢者向け住宅には夫婦二人暮らし向けの間取りの住戸が用意されているにもかかわらず、彼らはワンルームの住まいを2戸購入し、別々に暮らしているのだ。
(153頁)

いわゆる「卒婚」というやつで、結婚を卒業して向こう側に行ってしまおうと。
ワンルームを別々にシェアすることによってかえって語り合うことが増えた。
何も二人でムキになって遮二無二「老人夫婦」を演じることはない。
お互いを杖替わりにする覚悟の年齢になった時、より沿えばよくて、老いをきどって老夫婦の真似を前期高齢者から真似をするものではない。
妻とは別の趣味、別の居場所があってこそお互いに語り合うべきこと、報告し合うことがあるのではないか。

年を取ったら二人でヨーロッパあたりに行ってのんびり歩いて、美味しいものを食べたいねとご主人と語り合う水谷譲。
今はムキになって奥様と温泉旅行に行かれている武田先生。

夫婦というのは「婚姻関係」「絆」「紙切れ一枚」「所詮は他人よ」とかいろいろ言う人がいるけれども、一種の「宿命」。
運命の向こう側。
よく考えたら夫婦というのは変。
もともと他人。
うまくいくはずがないのに、一応勘違いしてうまくいくと思ってしまった。
それで一緒にいる。
同じ間違いを二人いっぺんに同時にしたのは「宿命」。
お互いがお互いに全く同じ間違いをしている。
手形の上に手形を押したらきれいにピッタリ合ったというような。
でないと子供なんか作れない。

 定年後うつ病の男性患者さんからよく聞くのが、「朝起きて『今日は何をしてすごそうか……』と考えるのが一番つらい」という声だ。何も予定がない、やることがない、生きがいが感じられないことが心の重荷になり、気分が落ち込んでうつ状態になってしまうのだ。(161頁)

 定年後の男性の自殺は意外に多い。−中略−女性の年間自殺者数は30〜80代までいずれも1000人台であまり大きな差はないが、男性では40代の年間自殺者数が3500人、50代が3508人、60代が3067人と、40〜60代の中高年世代が突出している。(161〜162頁)

「家庭問題」は第三位。
妻との関係ゆえの自殺。
これはやっぱり男の方が油断をしている。
妻を身内とか思って、すっかり甘えて「コイツだけは俺の味方だ」とか「俺の砦だ」とか。
そんなふうなうぬぼれが「裏切られた」というような自死に繋がる。

妻に対して「やっておいたか」「おい、まだか」「オマエも来いよ」。
そんな言葉使いの夫は、後ろからバッサリ斬られる時がやってくる。
やっぱり妻は他人なのである。
「一番コイツがわかっている」
「コイツ」などど思わないことが夫婦関係にとっては大事なのである。
まず夫婦の絆を解くこと。

京都の女性の事件。
芸能楽屋でももちきり。
あの女性は何であんなに?という。
逆の意味でいうと男たちの弱みを捕まえるのがうまいのだろう。
青酸カリで夫を殺害? 殺人容疑で67歳妻を逮捕 結婚と死別4回(1/2ページ) - 産経WEST
http://www.sankei.com/west/news/141119/wst1411190013-n1.html

60を過ぎたら愛など探してはいけません。
愛は季節もので旬の季節以外、口に入れると当たります。
愛は生もの。
11月に桜を見たがるような愚を繰り返してはいけません。
人生の11月に「桜が見たい」と泣いたところで、そんなもの。
60を過ぎた夫婦は「明日までなら一緒に暮らしてもいい」と思え。
2割いいところがあったら100点の妻と思い知れ。
松井だって修身打率は三割何分。
それでメジャーリーガーになれるワケだから、一般の夫婦で2割いいところがあれば立派な戦績。

男は50代からおばちゃんになれ。
女は逆におじさんにならないと旦那さんとうまくいかなくなる。

 なぜ、おばちゃんは元気なのか。それは、女性には家事や、家族や周囲の人のお世話をするという役割があり、これらは一生の仕事で定年とは無縁だからだ。(184頁)

毎日誰かに「ありがとう」と言ってもらえる役割なのだ。
このおばちゃん化と同時に「死ぬまで何かで働く」、この二つを目標にすればきっと連れ合いとの共生はうまくいくのだ。
老後は明るくなる。

妻がいなくても食事、片付け、預金、印鑑、不動産契約、保険証等々の保管場所等々をだいたい知っているという自分を50代から作っていかないとおばちゃんにはなれない。
おばちゃんになるための先生は妻。
妻から学べばいい。
特に最低限のこととして、自分で料理ができるか否か。
「男の料理の学び」を始めなさい。
「ええ加減料理」でいいじゃないか。

調味料は原則1種類しか使わない。うどんつゆやすき焼きのたれ、中華スープの素、シチューやカレーのルーなど、しっかり味の決まった便利な調味料がいろいろと市販されているので、これらを活用すれば迷わずに済む。
 こんな「ええ加減料理」でも、パエリヤや鯛めし、豚の角煮や煮魚、肉じゃが、アサリの酒蒸しし、ロールキャベツなど、けっこうなレパートリーの料理が作れる。
(190頁)

妻からの支配を逃れたかったら、まずは自立の為の料理を学び取れ。

テレビで50代後半から60代の人間に毎週料理を教える番組をやりたい武田先生。
今、一番みんなが国中で勘違いをしているのは「老人は人の手を借りなければ生きていけない」という決めつけが何もかもを息苦しくしている。

「金庫の開け方を最低限教えておいてくれないか」といった武田先生に対して奥様が「いいわよ。教えるわよ。知りたいなら」。

かつては「この人は私がいなければ」ということでその幻覚を信じ続けてきた。
今わかった。
俺がいなくても大丈夫。
「私がいなくても大丈夫」というふうにこれからなる。

イクメンが若き夫の理想ならば、60代は「育G(イクジー)」。
自分の孫を懸命に育てるとか、近所の子に対しても育てる爺さん。

 孫がいない場合や、孫が遠方に住んでいて世話ができない場合は地域の子どもたちの面倒をみるのも一つの手だ。最近は物騒なので子どもの登下校時、信号のない交差点など危ない場所に立って子どもたちを見守る通学路の見守りボランティアは子どものいる人にとってありがたいだろう。学童保育の活動などに参加することで地域とのつながりができ、交友関係が広がって充実した日々を過ごせるきっかけになるかも知れない。(198〜199頁)

日本昔話のお爺さんは、孤独に耐えられるような仕事を黙々とやっている。
趣味のような仕事を黙々とやっているお爺さんが非常に多い。
老後の趣味について注意すべきこと。
趣味を見つけることに関して無理はタブー。
趣味というのはどこまでも遊びであることがものすごく大事。
一番大事なことは一人で遊べるかどうか。
一人で遊んでいて一日を過ごせるかどうか。
それの積み重ねがやがて一生をかけてもいいような趣味との出会いになる。

フライフィッシングを楽しむ武田先生。
ハッと気づくと一日遊んでいる。
釣れなくても一生懸命投げている。
川面に疑似餌を落としている。

おばちゃんたちの井戸端会議に違和感なく交ぜてもらえて、無駄話を楽しめるようになったら一人前だ。(210頁)

定年後は、やっていた仕事の話題は全て使うな。
かつての自分がやっていた仕事をグズグズご近所には話すな。
全ての話題を日常から自分で拾え。
「今日天気がよかった」とか「○○公園は××の花が見事ですよ」「夜、ライトアップをやっていますよ」。
そんなことを並べられる爺さんになりなさい。

「モテじい」(モテる爺さん)を目指せ。
こここそが人生の全てをかけて咲かせるべき花(老いの花)がある場所である。

 女性に好感を抱いてもらうには、さまざまな要素が必要だ。まず重要なのは、清潔感と身だしなみだ。若々しさ(これは実年齢には関係ない)、メタボとは無縁のスリムな体型、明るく親しみやすい性格、ユーモア、相手に対する思いやり、そしてできれば年齢相応の教養も身につけておきたいところだ。これらの要素を身につける努力を通じて、実は女性からモテるだけでなく、生きがいや自信、人生に対する前向きな姿勢、健康などがおのずと手に入るのだ。(214頁)

20代、30代はジーンズでいい。
それで「お洒落」と言えた。
60も半ばを過ぎるとジーンズ一点ではお洒落が持たない。
わざと破く。
70歳を過ぎてダメージジーンズなんかやったら「お爺さん大丈夫かな?」「転んじゃったの?怪我してない?」。
難度が高くなった分だけお洒落。

加齢臭対策として香水を使う武田先生。

妻を妻だと思って油断してはいけない。
妻こそは男の人生の最後に花を咲かせるか否かの試しの成長の証しの目盛である。
白目をむいて怒る老妻をそれでもなお、愛そうとあなたが決意した瞬間、あなたの愛は真の愛に成り得るのである。
実はここからが愛という言葉にふさわしい時間の始まりなのである。

武田鉄矢・今朝の三枚おろし(1月5〜16日)◆『なぜ妻は、夫のやることなすこと気に食わないのか エイリアン妻と共生するための15の戦略』石蔵文信(前編)

なぜ妻は、夫のやることなすこと気に食わないのか エイリアン妻と共生するための15の戦略 (幻冬舎新書)


 こうして、性ホルモンのシャワーを浴びて色気づいた年頃の男女をさらに後押しするのが、恋愛中に脳内で多量に分泌されるさまざまな神経伝達物質だ。
 たとえば、人は恋に落ちると、脳内で「PEA(フェニルエチルアミン)」という興奮性の神経伝達物質が多量に分泌される。PEAは別名「恋愛ホルモン」「天然の惚れ薬」とも呼ばれ、PEAが脳内で多量に分泌されると、激しく高揚した気分になり、食欲が落ちて、寝ても覚めても相手のことを思ってドキドキするような、恋に溺れた状態になる。
 PEAには、同じく興奮性の神経伝達物質である「ドーパミン」の分泌を誘発する作用もある。ドーパミンは「脳内麻薬」と呼ばれるほど強い快楽と多幸感をもたらす。
(17頁)

中高年以降になると脳内麻薬が切れてくる。
六十代からの中高年、更年期にさしかかると脳内麻薬が切れて不定愁訴といって、自分ではそのつもりはないのだが、何となく息をしているつもりでも、それがうめき声みたいになる。
定年後の夫を迎えた家庭でイライラと、奥様も大変で病気になる。

 最近では、夫源病よりもさらに深刻な「復讐うつ」とでも呼ぶべき症状が散見される。主な患者さんは、定年後の男性を夫に持つ高齢の妻たちだ。症状は、いわゆる原因不明の神経障害で、体の痛みやしびれ、頭痛、めまい、耳鳴り、動悸など人によってさまざまな不調が現れて、起きているのもつらくて寝込んでしまう。(30〜31頁)

綾小路きみまろ氏曰く、若いうちは「しびれる」とか「めまい」とかっていうのはいい意味で使っているが、これも六十代を過ぎるとただの病気の名前になる。

夫の顔を見ると体調がおかしくなるというのを「夫源病」という。
それゆえに離婚に進むという最悪もあれば、ここからさらに認知障害などに悪化する。
(本の中に認知障害になるというような内容は発見できず)
大半は女性の場合は「復讐うつ」。

奥様の何気ない言葉に一種復讐の響きを感じることがある武田先生。
自宅に帰り「ただいま」と言う武田先生。
奥様は「おかえり」とはおっしゃっているのだろうが、返事が聞こえないので突然帰って驚かせても悪いと思って何度も「ただいま」を繰り返す武田先生。
それに対して奥様が矢のように鋭い声で「わかったって!何度も何度も!(怒)」。
「行ってきます」なんて元気な方がいいかなと思って元気よく言った武田先生に対して
「大きい声で言わないの!泥棒とか聞いてるかもしんないから」
泥棒に気をつかって小さい声で「行ってきます」とか言うか?
間違いなく彼女は武田先生ゆえにイライラしている。

男と女はお互いに違う。
違うからこそ惹かれあった。
奥様と会った時に「この人は違う」と思った。
自分とも男と女で違う。
女同士の中でも奥様はやっぱり違う女の人。
その違いを何十年も乗り越えて埋め合わせしながら日々を楽しんできたわけだが、だんだん高齢者になると、この違いというのにいらだちが。
その全ての始まりが「家事ハラ」。

エプロンをかけた中高年の男女がニコニコと台所に立ち、共同作業でホームパーティーの準備をしている。
あるいは青空の下、ニコニコと洗濯物を取り込む妻がいて、陽のあたる居間で乾いた洗濯物を妙に律儀に畳む夫を妻が愛らしげに眺めている風景。
コマーシャルにはよくある風景ではあるが、両方とも現実には
ありえません!!!!!

多分料理の共同作業とか洗濯物の畳みという時には、夫婦の間でケンカじみた言葉が飛び交う。
台所やリビングで家事を手伝う初老の男を見ている妻の言葉。
「違〜う!やり直し」「何でこう切った?」「これじゃあ収納で引き出しに・・・ほら!開かないでしょ!」「何で私がやってるようにできないんだろう」
等々、罵倒、ののしり、そういう声で日常が満たされる。
しかし家事ハラに苦しむ男性の方々。
だからといってこれを不幸だと思ってはいけないんです。
これが普通なんです。
この不幸こそ普通なんです。
この不幸は不幸じゃないんです。
ちょっと幸せかも知れない不幸だと思いながら貴男は耐えるんです。

前期高齢者のうちに、たそがれの男女はお互いに男と女の谷というのをもう一度学び直さなければならない。

男女の違い。

男は目的がないと行動できない。
対して女性はブラブラ歩きで楽しい。
女性は目的が無い方が楽しい。

他人に弱みを見せられない男。
悩み事を共有したがる女。

 アメリカ、メリーランド大学の研究によると、男性が1日に発する単語数は平均7000語なのに対し、女性は平均2万語。女性は男性の3倍近くもおしゃべりなのだ。−中略−
 また、女性はおしゃべりに夢中になっている時、快楽をもたらす脳内の神経伝達物質であるドーパミンが盛んに分泌されているとの報告もある。
(45頁)

趣味、遊びについて、男は「オタク」に、女は「ファン」になる。

 モノを収集するということも、男性がはまりやすい趣味だ。−中略−大人になってからも、フィギュア収集や腕時計収拾など、モノ集めの趣味に夢中になる男性は多い。
 男には、自分なりに対象を網羅的に理解・体系化して、自分だけの世界観を作り上げたいという欲求がある。
(49頁)

女性は共感。
これが趣味、遊びの中心。
同じ柄、同じ色が好きなのである。
好きな食べ物は例えば無農薬野菜。
だったらば、一筋に無農薬野菜を好む。
ひたすら農薬を使った野菜とかを悪役として寄せ付けない。
ここに理屈はなく、ひたすら農薬を憎む。
私だけの感動が全てなのである。
寒天ばっかり食べている。
それ以外のものを食べると自分が穢れた気になる時期があった水谷譲。
「○○ダイエット」なんて耐えられるのは女性だから。
豆腐ダイエット、バナナダイエット、リンゴダイエット。
それしか喰わないという。

遊びについて、男は道具を欲しがる。
ゴルフをやるといったらゴルフの道具、釣りをやるといったら釣りの道具。
道具が変わっただけで世界が広がる。

女は同じ道具を持っている友達を欲しがる。

 こうした男女の脳の違いは、男性が狩りに出て獲物を捕らえ、女性はコミュニティに留まって住まいを守りながら育児や木の実・果物の採集をする、という原始の狩猟採集時代の役割分担に適応して発達した特性だと推測される。
 人類の歴史を振り返ると、現代人の直接の人類の祖先と考えられているアウストラロピテクスが出現したのが約400万〜200万年前で
−中略−約400万年もの間、人類は狩猟採集の生活を送ってきた。(54〜55頁)

男は集中の脳、女は分散の脳。
その脳の違いをまず知ろう。

武田先生はいろいろなことをやっているが「一つこと」のいろいろなこと。
食べることに関しても女の人はちょっとずついろいろなものを食べたい。

ホステスとホストの違い。
男性は女性に「母性」を求める。
お店の経営者を「ママさん」と呼んだりする。
女性は一人の男性に複数の男の要素を求める傾向がある。

 ニューミュージックの男性グループ、チューリップのヒット曲『虹とスニーカーの頃』に「わがままは 男の罪 それを許さないのは 女の罪 若かった 何もかもが あのスニーカーは もう捨てたかい」という歌詞がある。別れた恋人に向けて、つき合っていた頃にはいていたスニーカーはもう捨てたのかと問いかけているのだが、これは極めて男性的な発想である。
 彼女はおそらく、別れた途端に思い出のスニーカーを躊躇なく捨てているはずだ。
(61頁)

虹とスニーカーの頃



男性が注意すべきは、女性も自分と同じように「長く一緒に暮らしていれば、自然に空いてへの愛着や愛情が深まる」とは限らない、ということだ。女性の場合、一緒に過ごした時間が長かろうが短かろうが、あまり関係ない。何かがきっかけて相手のことを決定的に嫌いになってしまえば、その気持ちがくつがえることはめったになく、時間とともに嫌悪感を増大させていく傾向にある。(63頁)

 たとえば、ある50代夫婦の場合、口げんかのたびに妻から「初めてのお産の時、あなたは飲みに出歩いていて連絡が取れなかった。私一人で大変な思いをして出産した」と文句を言われるという。(67頁)

妻の怒りには期限がない。
利子を付けてその恨みを繰り返しゆっくり膨らませるのが女性の恨み方。

2014年6月、女性のポイントカードは正真正銘の無期限だったと思わざるをえないショッキングな事件が起きた。神奈川県に住む79歳のおばあちゃんが、40年くらい前の夫の女性問題が原因で夫を殺害してしまったのだ。(68頁)

この事件かと思われる。

夫の怒りはペナルティカード制、妻の怒りはポイントカード。
夫の過失、失態をしっかりため込んで根に持つ。
これは妻の生存戦略で、生物学上の女性の特徴である。

生命の基本仕様はメスであり、オスは、優れた子孫を残すために生まれた「遺伝子を運ぶ使い走り」に過ぎないのかも知れない。(72頁)

 人類が誕生した時、Y染色体とX染色体は同じくらいの大きさと長さだったと考えられるが、現在ではX染色体には約1098の遺伝子があるのに対し、Y染色体の遺伝子は約78と、14分の1にまで減少してしまった。
 オーストラリア国立大学のジェニファー・グレイヴス教授の説によると、あと500万年も経つと、Y染色体はなくなり、男性はいなくなるというが、実際にはもっと早いのではないかという説もある。
(74頁)

内田樹先生の言葉の中で、武田先生が一番身につまされた言葉。
妻は不快を取引する生き物
妻は家庭生活は夫と暮らす不快に耐えることを基本としていると信じている。
ゆえに一日夫と過ごせば、一日の不快に耐えた分だけ彼女は偉業を積み上げたことになる。

夫婦円満とは万人の手にできるささやかな幸せなどではない。
酸素マスクなしでヒマラヤ登坂並び、四大陸最高峰登頂に成功する難度に匹敵するのが夫婦生活である。
中高年は冒険者であり哲学者、修行者でなければならない。
それが、興奮性ホルモンを無くしたオスの宿命だ。
中高年よ肝に銘じよ。
正月の数だけで、じいさんになれると思ったら大間違いだ。
では、その雪を頂く未踏峰にいかにして挑むか。
夫婦としての五合目はとっくに過ぎた。
七合目から八合目あたり。
夫婦の関係も寒く、空気も薄くなってきた。
一歩一歩大切に、しっかりと踏みしめるのだ。
憶えておけ

「記念日当日に贈る一輪の花は、3日後のダイヤにも勝る」(99頁)

もう俺たちは裾野の夫婦ではない。
てっぺんまで行ったら降りる。
その時に一番大事なのは、てっぺんから夫婦で降りるときは、今まで結んでいたロープをほどく。
夫婦の絆を解かないと、登る時はいい。
ただ、今度は降りているわけだから絆で結んでいると、私が落ちると妻も落ちる。
だから絆をはずす。
二人いっぺんに滑落して死亡するよりも、そっちの方がどっちか助かる。
その方が降りやすい。

何かの時にふっと思った武田先生。
やたらテレビなんかで持ち上げる、いわゆる家事ハラのない夫婦関係というのがコマーシャルに出てくる。
仲良く寄り添いながら、老夫婦を。
二人で手をつなぎ合ってとかっていう。
やっぱりそれは人生で無い。
夫婦が老いれば老いるほど、きれいに足並みがそろって同じタイミングでゴールに飛び込むなんてことは、万に一つもあり得ない。
どっちかが途中でこけたり、どっちかがゴールするんだけど、片一方がゴールできないとか、互い違いにゴールを切るとか、人生はそれ。
遮二無二足並みをそろえている夫婦を見ると無理してるなと思う時がある。
ちょっと時々ニセ良好夫婦を演じている夫婦がいる。
新幹線に乗る時、必ず亭主の方がソフト帽をかぶっている夫婦。
それはやっぱりありえない。
ありえないものを求めてはいけない。
どっちかがゴールにたどり着けば夫婦というのは上出来。
奥様にゴールして欲しいと思う武田先生。
自分はゴールできなくていい。
一種野垂れ死に。
もしかしたらこれを愛というのかも知れない。
別の言い方で「あきらめ」という言い方もできるかも知れない。

阪大の先生が書いた認知症の病例。
徘徊とか認知症における諸症状とかっていうのも、その人の人生のある部分。
徘徊にしても認知症にしても単なる病とは捨てがたい。
その人を知れば、その人がなぜそんな行動に出たのか理解できないはずはない。

2015年08月12日

武田鉄矢・今朝の三枚おろし(5月18〜29日)◆『「自分」の壁』養老孟司(後編)

これの続きです。

武田先生の意見。
個人というものを大事にする国というのが世界の大国であるわけだが、ロシアの人たちとか、アメリカの人たちっていうのはすごく攻撃性が高い。
それを食事のバランスが大丈夫だろうか?という見地からプーチンさんは野菜を摂っていない気がする。
日本にとって重大な隣国である中国の指導者、北朝鮮の指導者に言えることが一つだけあるのは、成人病の定期健診は両国の指導者ともやった方がいい。

日本における格差と貧困と自殺者の関係。
近年その数を増している自殺者数。
これはやや下り気味ではあるが、自殺者の数は今でもすごく問題。
それを格差と貧困を原因とする人たちがいる。
政治家、政治評論家の中にもいる。
貧困、自殺の関係というのは果たして、社会制度、経済、すなわち政治の問題なのか?
逆の数字を探そうということで、養老先生が「だったら自殺者ゼロの国を探してみよう」。
一位エジプト。
年間の自殺者ゼロ。
(本には「自殺はほぼゼロ」と書いてある)

一つだけはっきりしている数学的な相関関係。

一人当たりのGDPと自殺率は比例することがわかっています。(101頁)

自殺は経済発展と共に増加する傾向にある。
これは間違いがないこと。
格差が意識され、日本は自殺者が増えたかというとそうではない。

むしろこれまでの日本は世界的に見た場合、高いGDPに比して自殺が少なかった、という見方が成り立ちます。人口やGDPの高さから考えると、もっと自殺者が多くても不思議はなかったのが、どこかで歯止めが効いていた。ところが、それがだんだん「世界標準」に追いついてきた、と捉えるほうが正しいように思えます。(103頁)

日本は経済成長の割合からみると、もっと自殺者が多くないとおかしい。
それが、思っているほど多くない。
何が抑止のストッパーとして働いているのかというのは、誰も現段階ではわかっていない。
いとも簡単に格差と自殺数が結びついているというのは問題の本質をはずしてしまう。
自殺抑止のストッパーとは何なのか、みんなで考えましょう。

その逆に日本は、いじめによる自殺が発生しやすい国。
世界ではいじめによる他殺が圧倒的なので、この差も日本の特徴である。
世界はいじめられると相手を殺す。
日本はいじめられるとその人が死んでしまうという、世界でも一番変わった国である。
(本の中にはこのあたりの文章は見つけられませんでした)
原因は「自分」の扱いが問題なのではないか。

「個人として自分を大切にしよう」あるいは「自分の個性を育てよう、大事にしよう」というが、
その個人主義、個人を大事にするという考え方が業績成果主義になった時、日本人はものすごくストレスを感じる。

自分を大切にすると他人をあまり信じないという風潮になってしまう。
そうすると個人はひどく、もろい存在になってしまう。

自分を信じて、他人を信じないという世界はどういう世界になるかというとコストが高くなる。
自分しか信じられない。
信じているのは自分というところから発想するとら、自分を信じるには他人をあまり信用しないということ。
他人をあまり信用しないというのはコストが高くつく。
個人で一生懸命ガードマンをいっぱい雇わないといけなくなる。
自分を守るというのはカネがかかる。
「すみませんシャッター押してもらえますか」
とんでもない。
そのまま持って行かれたらどうするんだ?
キャメラ(「カメラ」じゃないんだねぇ)とかいろんなものを預けるのは日本人だけらしい。
数か月前、ブラジルでテレビキャメラが回っているところに強盗がやってきてレポーターをぼこぼこに殴って財布を持って逃げた。
(ブラジルじゃないけどタイミング的にこれかと思われる)
自分を信じて他人を信じない世界というのは、どんどん物の値段が高くなる。

ラジオ局で仕事をしている武田先生が信じなくなると、毎週契約書。
時間が延長した分はそれなりにお金をいただかないと。
振り込んでいただけないということになると問題なので。
事務所の人、奥様。
弁護士だって信じられなくなると、どんどんお金がかさむ。
そこで日本に出現したのが信用社会。
一切契約書を交わさずに、口約束で動く。
日本はとにかく信じやすい国。
コストが非常に安い。
それが証拠にだいだい言われた時間に来る武田先生。
お金が安くつく。
こういうのを日本社会における商習慣。
いわゆる経済的な習慣の基礎を作ったのが近江商人。

 近江商人が、「店よし、客よし、世間よし」といっていたのも、そのことです。関係者全体とよい関係を築いていたほうが、結果的には誰もが得をするのです。(117頁)

口約束が契約として平然と通用する。
若いころに武田先生がアメリカ映画に出演した時はサインが大変だった。
保険もあるし身体検査。
ハリウッドの映画なんかに出た日本の俳優さんは契約書が電話帳の厚さだった。
そういう意味でアメリカはコストがかかる。
日本では商習慣で近江商人が江戸時代から口にした「店よし、客よし、世間よし」は「三方両得」と言って「三つ全部喜ばないと、それは商売じゃないんだ」という発想がある。
こんなモラルが生きている国は珍しい。

難しい名前のフランスの経済学者の人が来て資本独占の経済学を発表したが、あまり日本にはピタッとはまらない。

日立の社長。
社長の割にはマルクスが言う資本家とは違う。
ビル・ゲイツさんと日立の社長さんは違う。

今年の旧正月で大騒ぎになった中国・韓国の方。
家電やパソコン等の爆買い。
一番重大なことは不信にコストがかからないこと。
買いにいって「電気釜」と言ったら電気釜が買える。
秋葉原の店員さんが一番困るのは、中国のお客さんが電気釜を十個買うと、全部開けて見る。
何のチェックか?
電気釜が入っているかどうかを確認するため。
本国で十個買うと五個ぐらい入っていないのがあるから、不信というのはものすごくコストがかかる。
日本ではそれはない。
指差したものは、事件じゃないかぎりはちゃんとある。
このあたり、不信コストがかからないという、その安心感というのは絶大。
これは日本のいい側面として日本人がちゃんと守っていかなければならないことではないか?

外国の方が驚くのは落とした現金が三十三億。
返ってくる。
日本では財布を落としたらとりあえず交番に行く。
交番に行くというのが諸外国から見ると「あっ!」と驚くらしい。
諸外国では落としたらあきらめる。
日本ではだいたい返ってくる。
出てくる忘れ物というのは、アメリカは傘が多いが、現金は絶対返ってこない。
日本は傘は返ってこないが、現金は返って来る。
高額になればなるほど、落し物に関しては返ってくる。
こういう日本だけの事情。

ガラパゴス化というのも日本らしさ、個性なのではないか?
日本人というのはそういう意味で、少し考え方を変えないと間違えるような気がする。

政治は言葉だけで、現実を動かす力がない。
そう思い知れ。
マニフェストとは何か?
日本の訳で言うと、マニフェストとは「ホラ」のことである。
選挙はほとんど占いである。
政治家の運がいい悪いを見分けるには選挙が一番。
だから選挙が必要だ。
政治家に必要なのは何か?
運である。
運がいいか悪いかを国民が決める、選ぶんだ。
一回か二回当選すれば「そんなヤツは政治家に向いていない」。
五回ぐらい当選するヤツが運がいい。
そういうヤツが政治家に向いている。
(このあたりの話は118ページぐらいから書いてはあるが、内容的に本からは離れている感じがする)

私たちに必要なのは運のいい人を代表に選ぶことだ。
歴史を振り返ると、日露戦争の時に、山本権兵衛という人が、もうあとちょっとで引退しちゃうっていうおじいちゃんを連合艦隊の総司令官に選ぶ。
「なんで東郷平八郎を選んだんだ?」と明治帝が訊く。
山本は「東郷は運のいいヤツでございまして」。
東郷平八郎は何か知らないが、ひそやかに運がいいヤツとウワサされる人だった。
面白い例だが、日本での海戦では一番最初、官軍と幕府軍の間で行われ、幕艦「開陽」、榎本武揚
が指揮し、薩摩艦の春日で阿波沖で海戦があった。
これが日本で初めての海戦。
どう考えても幕府軍艦開陽の方が、薩摩の軍艦春日より、ものすごい性能が優っている。
一番最初に幕艦が春日に向かって1200mの距離で13文の右舷砲を100発撃つ。
これが薩摩艦の春日に一発も当たらなかった。
この春日の左舷甲板にいて三等士官だった23歳の東郷平八郎が「左舷砲で撃て」と命令したら一発目から全弾当たった。
それを山本が覚えていて、日本で一番最初に海軍同士の戦いで一発目から弾を当てたというので、もう来年引退しちゃう東郷平八郎をわざわざ連合艦隊総司令長官に任命して、対ロシア戦の司令官に使った。

運がいい悪いっていうのは政治家にとっては重大な徳目ではなかろうか。

幕艦「開陽」、指揮は榎本武揚だが乗っていた陸軍の幕府方の司令官が土方。
土方はある意味で最もついていない侍。
この後彼はものすごく奮戦するが、全ての戦場で敗北する。
それが新撰組の土方歳三。

ゆえに、政治に何ができるか?
それは「そこは危ないからあんまり住まない方がいいですよ」というリスク、そういう対策を選考する。
それが政治の役割ではないか?

政治は言葉だけで、現実を動かす力がない。
日本に今、必要なのは内需拡大でしょ?

 私がずっと繰り返し主張している「参勤交代」は、ビッグピクチャーの一つです。都市に住む人に、年間数か月は田舎に住むことを義務付ける。まずは官僚から実践させる。−中略−
たとえば国民に、一年のうち一か月は田舎で暮らすことを義務にしてしまう。企業は強制的に社員を一か月休ませて、田舎で農作業をやらせる。
(127〜128頁)

六十歳以上の年寄りは年間二か月、住民票を移して他の地方にボランティア活動に行き、ボランティアの手間賃を税金から引いてもらえ。
とにかく日本国内を日本人がうろうろすることだ。
そうすると循環がよくなる。
ラジオ体操をしているような、そんな日本国になって、血の巡り、人間の巡りがよくなる。
そうすると地方消失なんて言っているけれども、そこにもちゃんと人間が通過していくんで、全ての成人国民に義務として年間1000キロ移動。
これを義務だから、そのためにはJRの切符なんかも義務用にちょっと安くするとか。

政治家は「政治は天下を動かしている」「領土問題なんかに触れられるのは政治だ」なんて言うけど、尖閣、竹島は何で必要か?
それは彼らにとって隣の国との揉め事が必要だ。
揉め事があるといかにも「政治家が働いておりますよ」と自分の職業が安定する。
自分の立場を固めるようなものだ。

 ずいぶん前の話ですが、川崎の市長選挙で投票率が二〇パーセント台ということがありました。その時、私は「川崎市民は別に市長なんか要らないと考えているのだろう」と書きました。七割以上が投票に行かないのならば、そう考えるほうが自然でしょう。(145頁)

川崎市はそれほどうまくいっている。
こんな国は日本だけだぞ。
世界の大国、それに付き合って日本も「個人を大事にしよう」「自分を大事にしよう」「自己責任だ」そんなことに付き合う必要はない。
日本というのは、大元、個を消す文化だった。
旧態然、滅私奉公の復活ということではない。
日本というのはもともと強い個を持つということに関してあまり気が乗らなかった。
それがいい証拠に俳句にほとんど主語は出てこない。
我ときて遊べや親のない雀(小林一茶)
とかあのへんぐらいで。
「わたし」「あなた」「われわれ」とかっていうのを詩の中に用いないのが日本の。
主語とか認証を持たないからこそ胸にしみるんだ。
日本というのはそういう国ではなかったのか?

顕微鏡の精度が上がれば上がるほどいいじゃないか、というのは実際に虫を見ていない人の考えです。精度がどんどん上がると、要らない情報も見えてくるようになります。(199頁)

 なにかにぶつかり、迷い、挑戦し、失敗し、ということを繰り返すことになります。
 しかし、そうやって自分で育ててきた感覚のことを、「自信」というのです。
(221頁)

「失敗はできない」「迷ってはいけない」そんなことではないんだ。
「迷ってもいいんだ」「間違ってもいいんだ」「また挑戦すればいいんだ」「失敗してもいいんだ」と思うのが、やがて自信になる。


武田鉄矢・今朝の三枚おろし(5月18〜29日)◆『「自分」の壁』養老孟司(前編)

「自分」の壁 (新潮新書)



この本に対する武田先生の読後感想文。
ちんぷんかんぷんで本当はさっぱりわからなかった「バカの壁」から幾星霜。
時は流れ、今度の養老先生の理路はわかりやすくサラサラと読めた。
よほどテーマがよかったか、それとも博士がわかりやすい人になった、その進化の形跡か?
本年上半期の傑作である。

バカの壁 (新潮新書)



この本のテーマはずばり「自分」。
養老先生はこんなことを言っている。
東大の医学部を出て医師免許を取るが、まずもってさっぱり自分に自信が持てなかった。
世間の期待に多分答えられないという自分に壁を感じていた。
その壁が自分を形作る大切な壁だということを知る。
つまり、自信がないという壁も自分の壁なんだ。
壁があるから自分なんだ。
壁を壊してはいけない。
(直接的に上記のようなことを書いている箇所は発見できませんでした)。

 有名なのは、アメリカで脳神経解剖を研究している女性の学者ジル・ボルト・テイラーさんの例でしょう。彼女は三七歳のときに、脳卒中を起こして左脳の機能を破損してしまいました。−中略−
 しかし、彼女は専門家なので、出血した際に「ああ、これは脳の出血かなにかをおこしたな」ということが、すぐにわかったそうです。そして、これから自分の身に何が起こるのかを憶えておこう、と意識したのです。
−中略−
 そこには空間定位の領野が壊れたらどうなるかが、見事に描かれています。
 まず何が起こったか。彼女は自分が液体になったようだったと書いています。
「からだは浴室の壁で支えられていましたが、どこで自分が始まって終わっているのか、というからだの境界すらはっきりわからない。なんとも奇妙な感覚。からだが、固体ではなくて流体であるかのような感じ。まわりの空間や空気の流れに溶け込んでしまい、もうからだと他のものの区別がつかない」
(17〜18頁)

奇跡の脳―脳科学者の脳が壊れたとき (新潮文庫)



養老先生はこの脳卒中の病態が一種の「臨死体験」ではないかと言う。
幽体離脱あるいは自分を天井から俯瞰したなどという体外脱出体験というのはかなりいろんな症例で見受けられるが、これは一種左脳の空間を認知する領域に障害が起こって自分の壁を失った瞬間、人間は自分を液体のように感じる。

壁が守っている自分とは、守るほど重大なものなのか?
ツバ、便、尿。
これは体内にある時には、きれいともきたないとも、そんなこと自分では判断ができない。
外に出たとたんに
「きたね〜!」
自分というのは現在位置であって、ここを歩き出せば、また違う自分になってしまう。
(体外に出たとたんにきたないと感じる理由は、本の中では「自分をえこひいきしている」という話になっている。現在位置の話は16ページに出てくるが、このあたりは話が混ざっている)

養老先生曰く自分というものは守るほど大切なものか?
所詮自分などというものは現在位置を示す矢印に過ぎない。
「自分らしく」とか「個性を出せよ、君自身の」とか、しきりに「自分というものを大切にせよ」と言うけれども、それほど大切なものとは思えない。
自分というものを世間と対立してまで守るべきと主張する人がいるがどうかと思うな。

脳というそのものは、世間の顔色をうかがうべくできている。

 もともと、人の脳は他人の行動を理解できるようにできています。そのことは、さまざまな形でわかってきています。−中略−
 錘状体細胞の研究からもおもしろいことがわかっています。人間が色彩を判別する際に使う、網膜にある細胞の研究です。この細胞には、赤、青、緑の三種類があります。
−中略−
 錘状対細胞を三種類持っているのは、ヒトやサルなどの特徴です。イヌやネコは二種類しか持っていない。
−中略−実は二種類でも十分、色はわかるのだそうです。−中略−
 ヒトやサルなどの霊長類が、なぜ三種類の錘状体細胞を持っているか。以前は次のような説明がなされていました。木の実などを採取して生きていくうえで、実の熟し具合などを知るには、細かい色の違いが判別できたほうがいいのだ、と。
 ところが、よく調べてみると、それ以上のことがわかってきました。赤と青の錘状体細胞が感じる光の波長のピークは、変化する人間の顔色のピークと合致していた。つまり、人の顔色の細かいところまで判別するために、他の哺乳類とは別の細胞を持っているというのです。
(43〜44頁)

三原色を見るところに欠陥があると、人の顔色がわからない。
人の顔色がわからない個性の持ち主は、ズバリ言うと脳の一部が壊れている可能性がある。
顔色を見ない人というのは、脳の一部が壊れているという可能性がある。
(養老先生がおっしゃっているとのことだが、本にはそんなことは書いていない)
最近の突出した人を傷つける事件などは、脳の障害と考えた方がいいのではないか?
少年法でいじめっ子の方を守ったりしているが、病態に関してはきちんと調べて世間全体に発表した方がいいのではないか。
逃げ口になるといけないが。
(武田先生は昔から結構な割合で色盲の方がいることをご存じないらしい。色盲に犯罪者が多いという統計は見たことがないが)

聖典としてダーウィンの進化論は揺るがぬ真理とされてきたが、最近、いろんな研究が進んでいく中で、どうも少し流れが変わってきた。
ダーウィンの進化論では生き物の説明がつかない。

 クビの短いキリンと長いキリンがいて、長いほうが高いところの葉っぱを食べるのに有利だから生き残った。生き残るのに有利な特徴、遺伝子を持つ個体が生き残っていくのだ、という説です。
 よくできた、わかりやすいストーリーですし、ある程度はこれで説明がつくように見えます。ところが、実際の生物を見ていくと、どうも自然選択説だけでは説明がつかないことが、とても多い。
(47頁)

人体は約六〇兆の細胞から成っている、とされています。この細胞の中を見ると、変なことに気付きます。−中略−
 問題は、細胞の中には別の変なものが入っているという点です。
 ミトコンドリアです。
−中略−
 ミトコンドリアを調べると、細胞本体とは別に、自前の遺伝子を持っている、ということがわかってきました。
−中略−
 ミトコンドリアの遺伝子は細菌のほうの遺伝子でした。つまり、私たちのものとはまったく別物だったのです。
(48〜49頁)

 リン・マーギュリスというアメリカの女性生物学者は、次のような仮説を立てました。
「自前の遺伝子を持つものは、全部、外部から生物の体内に住みついた生物である」
 ミトコンドリアは外部からやってきて人体に住みついたものだ、というのです。
−中略−
発表当初、彼女の論文はなんと一七回も否定されたといいます。
(50頁)

 進化論を説明する時に、よく系統樹というものが用いられます。根本は一つで、どんどん枝分かれしていって、一番上に現在の地球上にいるいろんな生物が並んでいるやつです。下のほうをたどっていくと、別々の生きものがくっついている。(50頁)

系統樹にはある法則があって、逆には辿れない。
人はもう二度と枝分かれしたサルになることはできないし、トカゲになることはできないし、そのトカゲが海に戻って魚になることはない。
一度別れたら、もう二度とその分かれ道には行けない。
なぜ戻れないのか、誰も説明ができない。

虫好きな養老先生。

 虫は成長する際に、変態をします。ごく簡単に言えば、幼虫と成虫で姿が変わってしまうということです。人間のような哺乳類は、変態をしません。−中略−
この変態は、不完全変態と完全変態とに分けられます。
 たとえば、トンボは前者にあたります。ヤゴがトンボに変わる際、基本的にヤゴのパーツはトンボにそのまま生きている。
−中略−
 一方でチョウは後者の完全変態です。モンシロチョウの幼虫が、キャベツなどの葉っぱをかじっているのを見たことがあるでしょう。幼虫の時には、かじるためのアゴを持っているわけです。ところが、チョウになったら葉っぱをかじったりはしません。ストローのような口で蜜を吸います。
−中略−
 家にたとえていうならば、不完全変態はリフォームです。
−中略−一方、完全変態は新築です。−中略−
 もともと、チョウの幼虫と成虫は別々の生き物だった。
(51〜52頁)

セミ。
土の中で三年ぐらい生きていて、透明の羽が生えると一週間ぐらいで死んでしまう。
ある意味、姿形からして、別の生き方、生き物。

 ヒトデは星型をしています−中略−
 では、その幼生はどうか。こちらはエビのような、他の生物でもよくみられる左右対称の形になっています。
 なぜふつうの形のものが、五軸対称の形になるのか。途中で別の生き物に乗っ取られた。
(53頁)

 ヒトゲノムの研究が進んだ、という話題を目にされたことがある方は多いかと思います。人間の遺伝子の並びを全部解読することが終わったわけです。
 かなり大ざっぱに説明すれば、人間の遺伝子というものは、A、T、G、Cという四種類の塩基が三〇億並んでできています。これが、どんなふうに並んでいるかの解読が終わったのです。
−中略−
 ところが解読が終わってわかったのは、遺伝子イコール人体の設計図ではない、ということでした。たんぱく質の設計にかかわっているのはせいぜい遺伝子の中の一・五パーセントで残りの九八・五パーセントは、そんなことにかかわっていないのです。
 では、何をしているのか。実はまだ、よくわかっていません。しかし三〇パーセントほどの遺伝子は、もともとは外部のウイルスだったらし、ということもわかってきました。
(54〜55頁)

「ウイルス=病」ではなくて、脊椎動物誕生五億年、体内で共生してしまったウイルスたちが人間の体内にいる。
人間そのものも我々の細胞そのもの、外来の原核生物が住み着いてできあがったものではないか?
こういう説が今、注目されている。
逆にものすごく否定する人もいる。
アダムとイブの神話が続く神の手で創造されたという旧約聖書、聖書世界を信仰する地域ではこの女性生物学者マーギュリスさんの説はものすごく激しく。
どう考えても、私たちの体の中に私たちとは無関係な生物がかなりたくさん住んでいる。

「共生」というのは生命の重大な強みである。

台風で木が倒れないようにするには、一本に当たる風を弱める必要がある。三本ひとまとめにしていると、どこから風が吹いても、どれかが風上に位置することになって、全体への風が弱まるそうです。三本が一緒に立っているから、木が、そして森林全体が保たれる。三本がいわば共生していることが強みにつながっているわけです。(58頁)

土砂崩れや集中豪雨に強い山は秋の紅葉が美しい山である。
日本人が紅葉を愛でたりする。
小豆色、赤、黄色、金色、そういう秋の紅葉が色とりどりで美しい山というのは、すごく土砂崩れが少ない。
人体そのものが強靭であるためには、人間のためだけの細胞ではだめで、雑菌とかウイルスとか、一本にまとめてはだめ。
人間というのはさまざまなご意見がないと、生きて行けない森のような生き物ではないだろうか?

シロアリは木材を食べるが、木材のセルロースを分解できる酵素は持っていない。

 なぜシロアリは木材を食べることができるのか。それは胃の中にセルロースを分解できるアメーバを持っているからです。(59頁)

(武田先生は「セルロース」というのを木材を分解するアメーバの名称だと思っているようだが、木材に含まれていてアメーバが分解するのが「セルロース」)

 面白い実験があります。このアメーバはシロアリよりも熱に弱いことがわかっていて、温度を上げていくと、アメーバだけが死んで、シロアリは生きているという状態になる。ところが、そうなると食べた木材を消化できなくなるので、結局すぐにシロアリも死んでしまうのです。(59頁)

人間も間違いなく「共生」の生き物である。
例えば経済優先と環境保全を二つ同時に達成することはできない。
そう養老先生は言っている。
(そういう箇所は発見できなかったが)
少子高齢化、原発エネルギー、経済成長、アベノミクス、景気浮揚。
今、重大な問題とされているが、それを全部いっぺんに解決することはできない。

今、日本が抱える問題は30年後には問題ではなくなる。
人口が全然違う。
30年後、日本の人口は七千万人ぐらい。
エネルギー、経済、環境保全問題は今の側面とは違うことが問題になることはあっても、今の問題ではもうない。
30年経って日本が六〜七千万人ぐらいのスリムな細い国になる。
(本には国土面積を考えると六〜七千万人ぐらいが適正ではないかという話が書いてあるだけで、決して30年後の人口が六〜七千万人と言っているわけではない。現在の統計的な予測では30年後の日本の人口は一億人程度)
問題は全部変わってくる。
領土問題などがあるかも知れないが、30年後、中国の60歳以上が一億人以上。
30年後には全く違う問題がやってくる。
今、頭を悩ます問題というのは違う問題になるということを考えて、その時その人たちがエネルギー消費も含めて、どう生きていけばいいのかを今から考えていった方がいい。
その人たちのために、何をどう節約していくか、そういう目標を持った方がいい。
少子高齢化の人口構成の重大問題をトップで背負って、世界で一番早く抜け出るのも日本。
アメリカなんかは老齢の人口がすごい。
いわゆる働く世代が少なくなる。
ロシアなんかガタガタになる。
その代りベトナムなんかがすごく人口バランスがよくなる。
40代50代の働き盛りのベテランを一番たくさん抱える労働者の質のいいところが、今、貧しさで苦しんだり、職がなくて苦しんだりしているところが、一番いい人口を持ちうる。
日々、問題の側面が変わりつつあるということがすごく大事なのではないか?

養老先生はいろんなものをダウンサイジング、縮小していくという記述を日本がしっかり持てば30年後十分やっていける。
だから今からしっかり勉強しておこうよ。
そのためにも原発反対ばっかり言っていないで、どうきれいに始末するか、どうきれいに燃やすか、どう安全に燃やすかということを考えましょうというのが養老先生の提案。

日本の原発問題の最大の問題点は何だったのかというと、津波に油断したからではない。
何がダメだったのか?
それは非常用の電源が防水加工ではなかったからだ。
防水にしておけば、もっと別の側面で私たちは案外うまく・・・の可能性が50以上立ち上がった。
だから、その前の段階で原発は
「絶対安全だ」「本当だろうな」「工事をします」「なんで工事をするんだ。絶対安全って言ったじゃないか」
そんな問答をしているうちに防水加工をすることを忘れたんだったら、今何が問題だったのかをきれいにあげておくと、私たちが死に絶えた後の人たちの重大なデータになりうる。


2015年08月05日

武田鉄矢・今朝の三枚おろし(3月2〜13日)◆『韓中衰栄と武士道』 黒鉄ヒロシ(後編)

これの続きです。

韓国の秀吉の時代の反日英雄、李舜臣。
黒鉄氏の説によると、休戦協定を結んだ瞬間に協定を破ってしかけてくる。
黒鉄さんは李舜臣は果して英雄かということをおっしゃっている。
李舜臣にとどめを差したのが島津義弘。

 文禄三(一五九四)年になって、日本軍と明軍は休戦交渉に入るが、李舜臣は交渉の間隙を縫って巨済島を攻撃。−中略−
 秀吉が死ぬと退却命令が出され、日本軍は名軍と講和。
 停戦協定に従って、粛々と日本軍が海路を交代しようとすると、突如、明、朝鮮水軍は会場を封鎖。
 日本軍の条約違反との抗議に明水軍は応じたが、李は無視して攻撃。
 日本軍は急遽島津義弘等が水軍を編成。ここに露梁海戦勃発。
 この海戦で李は落命。
(134頁)

この時に明の連合軍がいたが、あまりにも卑怯なので、明軍が李さんを捨てたらしい。
(明軍が捨てたという話は調べてもわからなかったし、本の中にも登場しない)
それで残された李舜臣が島津の攻撃に遭って戦士した。
李舜臣さんのことを黒鉄さんは「どさくさにつけこむ英雄」と言っている。
(この文章は本の中にみつかりませんでした)

島津の戦いっぷりというのは、韓国の歴史の方にも載っている。
島津は強烈だったようだ。
李氏朝鮮が島津の恐ろしさを記録にとどめた。
全く死を恐れない。
号令がかかるとわれ先に戦いを挑んでくる。
朝鮮発音では島津のことを「シーマンズ」。
日本の南部にいる一族だけれども「ここは裁判所があって刑務所がない」という書き方で記録している。
侍が卑怯なことをして裁判所が死刑と言うと切腹する。
禁固五年というと、自分の家に竹やりをバッテンにかけて一歩も出て来ない。
謹慎蟄居を自分でやるから、そういう一種のおびえをシーマンズについて感じたらしい。
後の話で、どさくさの英雄と黒鉄さんが呼び捨てる李舜臣を英雄として韓国中に銅像を建てたのが
今の大統領のお父さんの朴(朴正煕)さん。
反日を盛り上げようということで、李舜臣を英雄にして各所に銅像を建てた。
娘さんが李舜臣と違うパターンで反日の少女の像をアメリカも含めて各地に建てられている。

事実というのは誠に不思議なもので、李舜臣に続く韓国の反日英雄が安重根。
日本の初代総理大臣、伊藤博文を暗殺した青年なのだが、今、クエスチョンマークがいっぱい付く。
謎だらけ。

 日本初代韓国総統、伊藤博文の暗殺犯である安重根の銅像を中国の許可と協力で現場である中国黒竜江省のハルビン駅に韓国が建てた。−中略−
 まずもって、犯人とされる安重根自体に疑問符がつく。
 明治四十二(一九〇九)年十月二十六日、午前九時。
 暗殺現場となったハルビン駅で取り押さえられた安重根が伊藤に対して発砲したことは事実だが、あとの調べは杜撰極まりない。
 まずは凶器とされた安重根が使用した銃であるが、ベルギーFN社製、七連発ブローニング拳銃である。
 安重根はこれに六発を装弾し、一発は自殺用として残し、五発を伊藤に向けて撃った。
 その後、殺傷能力を高めるべく弾頭に十字の刻みを入れている。
 伊藤の被弾数は三発だから、五発中の三と考えれば何の不思議もない。
 しかし、被弾したのが伊藤だけではなかったから、百年前の硝煙の中にクエスチョンマークが立ち現れる。
 紙幅の関係上、当時の役職とフルネームは省き、姓の下に被弾数を数える。
 まず、伊藤の三、続いて室田五、中村二、森一、川上
(武田先生は「上川」と仰せでしたが調べてみてもやっぱり「川上」でした)一、田中一。−中略− 
 次に、合計十三個の数を見て、犯人は安重根の単独ではないことくらい、生まれたばかりの赤ん坊を除けば判るだろう。
 更に、森の被弾した弾の先端には十字の形が刻まれていた。実行犯全員が同様な細工をした可能性もあるから、今となっては特定は難しいが、貫通した一発を除き、伊藤の体内には二発が残っていた。この二発はフランス騎兵銃の弾丸であることが判明している。
 安重根を犯人とする可能性は貫通した一発にのみかかる。
 先の二発は伊藤の上腕部の骨を砕いて下腿部に達して止まっていたとの医師の所見は、上方からの狙撃を証明している。
(127頁)

安重根は伊藤の顔を知らなかったという可能性もある。
室田には五発も当たっている。
弾数から言って、室田を伊藤と勘違いしたという説もある。

安重根は伊藤を殺したのではないのではないか?
現場からはそんなふうにも思える。
ハルビン駅には平べったいところに安重根の銅像が建っていて、安重根は平地から駆け寄ってきたことになっているので、JFKとそっくりで、その角度からでは伊藤の体内に入らない。

もう一つ日本側から付け足したいことがある。
韓国を日本とドッキングさせるという韓国の人がおぞましくて首を振るという日韓併合に最も反対していた政治家が、今、資料ではっきりわかっているのだが伊藤博文。
伊藤博文は韓国をあくまでも独立させようと努力していた政治家。
伊藤博文が当時動いていたのは韓国人による政府を構想し、韓国独立を推進しようとしていた。
日本には別の一派がいて、その一派が韓国併合に動いていた。
そうしないとロシアから勢力が降りてくる。
山形有朋あたりが、日英同盟を進めるためにも韓国を併合しようとしていた。
日本の中では伊藤は朝鮮寄りだった。
安重根さんはそのあたりを知らなかったか、あるいは誰かから吹き込まれていた。
「伊藤博文をやれ」「伊藤博文が悪いんだぞ」
もう一人、実は後ろに幕があるんじゃないか?

日本側の取り調べ資料に残っているのだが、安重根さんが最期に残した言葉。

「吾の罪は、弱い韓国の民たるが罪なり」(128頁)

私の罪は弱い韓国の人間に生まれたが故の罪である。
弱き韓国の人間に生まれさえしなければ暗殺事件なんか起こさなかった。
何で俺の国はこんなに弱いんだ。
弱き韓国への一種悔い、怒りみたいなものを安重根は最期の言葉とした。
資料を持っているのは日本側だろうから、韓国側に渡しても「ねつ造」と言われるか。
安重根という青年は芯から韓国の未来を案じた。

黒鉄さんの韓中衰栄はここで終わらない。
ここから不思議なことを言い始める。

第一次世界大戦の原因となったオーストリア・ハンガリー二重帝国のフランツ・フェルディナント皇太子がサラエボで妻と共に暗殺されるのは、伊藤の死の五年後。皇太子暗殺に使用された凶器は、奇しくも安重根所持と同型のベルギーFN社製ブローニング拳銃であった。−中略− 
 クンフト社から銃はロシア陸軍へ。
 ロシア陸軍から安重根へ−−。
 オーストリア皇太子暗殺犯もまた、セルビア民族主義者の若者とされているが、背後にはレーニンが、つまりロシアがいた。
(131〜132頁)

伊藤博文暗殺事件の裏側にいたのは、もしかするとレーニンかも知れない。
伊藤は何をやろうとしていたかというと、日露戦争の後の話。
日露戦争でボロボロになったロシア。
伊藤はある思いがあって、そのロシアを立て直すべく、貿易協定をロシアと結ぼうとしていた。
ロシアをある意味では復権させて、日本と平和友好条約を結ぼうとしていた。
そのロシアが元気になられると一番困るのはソビエトを作ろうとしていたレーニンだった。
ヨーロッパ全体を大混乱に陥れるために、イギリス・フランスも巻き込む大戦に巻き込むために
暗躍したレーニン。
ヨーロッパの列強が介入できない大混乱をどうしてももう一方で起こしたかった。
その間にロシアに革命を起こし、ソビエトを作る。
ソビエトを夢見るレーニンには伊藤は邪魔者であった。
日英同盟を主張する山形有朋と伊藤は激しく対立していたから、ブローニング拳銃の謎は国際政治の複雑さと見るべきで、世界史という高いところから俯瞰してみると別の大きな政治的潮流が、そこに見えてくるのではないか?
有名な話で、レーニンのカバンの内側には明治天皇の写真が貼ってあった。
ロシアをやっつけてくれれば革命が起こしやすいから。
ところが、日露戦争から数年後、伊藤はそのロシアを立て直すべく、商売の協定を結ぼうとしたのが「裏切ったな、伊藤」。
そうやって考えると、黒幕というのは案外・・・。

歴史認識の違いということで、日中韓がギクシャクしているのならば、いっそのこと、この150年間を被害を被ったということの他に、もう一つ高い次元で見ないと見えてこないのではないか?

韓国をどう思う、中国をどう思うということに関しては、明治からずっと揺れている。
勝海舟と福沢諭吉から揉めている。
海舟は幕末期、欧米列強に反撃するためには、どうしても日本、朝鮮、清朝、この三国が同盟で結ばれるべきだ。
この説を勝海舟は言っている。
勝が言っているのは日本、朝鮮、清朝、この三カ国がアジア同盟を結んでインドを救うんだ。
アジアをそのようにして守らなければならない。
そのために勝が具体的に出したのは海軍力を結集し、この他の二か国にも協力してもらって、それぞれアジア艦隊をそこに浮かべよう。
アジア艦隊の寄港地は神戸、津島、釜山、天津。
ここにアジア連合艦隊を浮かべるんだ。
ところがこれに対して「そんなことは勝のホラだ」と言い捨てたのが福沢諭吉。
朝鮮と清朝の能力に福沢は絶望している。
「もうこの国は何を言ってもダメなんだ」と言っている。
福沢が一番絶望しているのは「朝鮮と清朝にインドを救う気なんてさらさらない」。
「もう日本はアジアの仲間を求めるのはやめよう」と脱亜論を発表する。
亜はアジアではなく清朝の中華思想が元凶である。
対して海舟は「朝鮮は古代、日本のお師匠さんである」と書いている。
悪いのは李氏朝鮮だ。
悪いのは清という国ではなくて、社会なんだ。
悪いのは国家ではない。
李氏と清さえ滅べば、必ずインドを共に救おうというアジアの獅子がこの両国から出現するはずだと勝は説いた。
インドを救って初めて、アジアというのは一つに結束できる。

ところが福沢は納得しない。
両国を頑迷野蛮と切り捨て、「この両国には抵抗精神がない」「、両国を頼りにするのはやめよう」と言い続ける。
今、福沢さんは両国から侵略主義の右翼という扱いになっているが、両国の方に言いたい。
特に、朝鮮、韓国の方に聞いて欲しい。
福沢は脱亜論を唱えながら、李氏朝鮮に絶望しながらも、最も朝鮮からの留学生を慶応に多く黙って引き受けた。
福沢のことはあまり嫌いにならないで下さい。
勝は生涯、清と朝鮮からアジアを救う獅子が現れると信じ続ける。
晩年の口癖。
「遅ぇなぁ」
今、韓中でいろいろ悩んでいるが、この悩みは近年のことではない。
福沢と勝海舟の頃からずっと思案し続けている。
勝と福沢の悩みを受け継いで、悩み続けるというのが日本の使命、仕事ではないか?

武田鉄矢・今朝の三枚おろし(3月2〜13日)◆『韓中衰栄と武士道』 黒鉄ヒロシ(前編)

中国・韓国と日本の好感度がよくない。
隣国二国と日本はうまくいっていない。
今までもいろいろあったのだろうが、うまくいきそうになって壊れる。
そういう隣国との歴史の繰り返し。
この韓中に関して、交際が衰えたり栄えたりという問題点を踏まえて、面白い方が論説文を書いている。

韓中衰栄と武士道



隣国と日本の関係に関する一論を建ててらっしゃる。
びっくりするほど博学で、中国韓国との外交関係回顧録。
漫画家、作画家で、コメンテーターなどをされている。
歴史に対する造詣がものすごく深くて、なまなかな歴史小説家に負けない。
その歴史から未来を予見し、明日の知恵にするというこの人のインテリジェンスは、国際政治学者などの屁理屈を凌駕するほどの知的な有段者、黒帯の持ち主ではなかろうか。

中国韓国の見方はいろいろあると思う。
どういう国なのかということを、あまり日本人ははっきり意識していない。

中国と言えば?
中国四千年の歴史。
黒鉄氏はこう説かれている。

 一口に中国とまとめてしまうが、夏−殷−周−秦−漢−普−隋−唐−宋−元−明−清−中華民国−中華人民共和国と、現在まで十四も国名を替えている。
 その間、四千年という。
(13頁)

日本の政治権力とは異なり、様変わりする。
前の時代のことは、全部チャラッコにして「御破算に願いまして〜」と言いながら新しい国家ができていく。
日本は引きずる。
日本は横に平べったく、儲かったら次の間を建てて行く旅館みたいな感じがある。
中国は完璧に切れてしまう。

 十四代目にあたる中華人民共和国なる共産党王朝は、一九四九年十月一日の時点で生まれた、生後六十五年の、国としてはまだ若者なのだ。(15頁)

毛沢東という偉大な政治指導者がいて、わずか30〜40年前のこと。
中国四千年の歴史を激しく否定した人。
最も毛沢東さんが憎んだ中国の偉人は孔子。
「孔子のようなヤツが中国人を古い価値観に縛り付けてボンクラにした」
毛沢東さんがやった文化運動は孔子の廟、孔子を称える学び舎を叩っ壊せ。
孔子廟は紅衛兵(毛沢東の子分)の青年部によって破壊された。
その次に憎んだのが先行王朝の清。
中国の老朽ぶりを晒して西洋から日本にまで舐められた屈辱の始まりは清である。
論語、老子、荘子、孫子、水滸伝、西遊記等々の古典の上に中国の文化が続いていると思ってはいけない。
否定されるものがいくつもある。
共産党が全ての価値を決める。

中国という国はつい30〜40年前までは激しく孔子を憎んだり、中国の古典を否定したりということだったのだが、オリンピック(北京)でコロッと変わった。
孔子を称える大デモンストレーションがあった。
何万人もで論語を読むというのをやっている。
北京五輪開会式で声高らかに「ともあり遠方より来る」 2008/08/08(金) 23:35:57 [繧オ繝シ繝√リ]l
毛沢東の時はあそこまでバカにしたのに。
毛沢東さんは清朝という前王朝を激しく嫌っていたが、習近平さんは違う。
清朝のことを日本によって潰されたというようなことで激しく日本叩きの材料に清朝の崩壊のことをおっしゃっている。
このへんがガラッと変わる。
中国のこういう大きな考え方の違いはどのあたりから始まったかというと、四代目の江沢民。
この人あたりから大幅に変わった。
この人が毛さんと180度発言を変えた。
江沢民さんが「清こそ我が先代師匠」と、前の代の師匠であると呼び始めた。
江沢民さんはおそらく、政権がどうやったらうまくいくかを考える時に、「中国はずっと続いてるんだ」っていうふうに思われた。

中華人民共和国、今の中国共産党の中国の前に非常に短命ではあるが、中華民国という国があった。
日本と現実に戦争をした国。
中華の「華」。
真ん中に華がある、自分たちが真ん中だ。

「中華民国」、そして「中華人民共和国」と国家が変わる前は「清」。中国古代王朝は「夏」から始まるが、「夏」と音が重なる「華」を宛てて「中華」となった。(39頁)

そこから続いてきたんだということで、中国という国は連綿と続いてきた。
なぜ古代と現代を一夜にしてチャンネルを切り替えるように結びつけたのか?
どこかの国の真似かも知れない。
日本。
明治維新の革命をやり遂げた人たちがスローガンにしたのは「王政復古」。
昔の政治に戻ろうと言った。
だからといって戻ったわけではない。
戻ったということにしたということが、うまくいった。
「人間て面白いな」と思うのはこのあたりで、初めての道は怖いし遠く感じる。
「一回この道は通ったことがあるぞ」と思うとそんなに怖くなくなる。
そういうことが心理的にあって、日本人は王政復古ということにしたのだろう。

江沢民は日本が小面憎くて仕方がない。
清の国力をそいだ日清戦争から国民党との戦いをやった日本(日中戦争)、その後日本を小馬鹿にするというのが文化の一つになっている。
日本のことをバカにする時、「小日」と言う。

明治四(一八七一)年。
 宮古島の漁師が時化に遭い、台湾に漂着した。上陸した漁師たちは現地人によって、そのほとんどが殺害された。
 この処置の為に、時の明治政府の大久保利通は清国に対して補償交渉を開始するが、彼の国はこれを拒否。理由は、台湾は中国の支配の及ばぬ「化外の地」であるからという意外なものであった。
 ならばと、日本は独自で事件を処理せざるを得ない。
 明治七(一八七四)年、日本は出兵した。
 いわゆる「台湾出兵」である。
 これを中国は、日本の「侵略戦争」のスタートだと言うのである。
(59〜60頁)

尖閣問題はこのあたりにある。
「清国から掠め取った」と江沢民さんの弟子である習近平さんの主張。
このあたり、意見がギクシャクしている。

中国は指導者によって意見が大きく変わる。
香港で学生さんたちの運動がつぶされた。
(このことかと思われる 2014年香港反政府デモ
英国が中国に返還する時に50年間自治権を認めるようにという約束をした。
問い合わせたら中国政府は「約束は消えた」と言った。
きちんと書いて調印をしている。
それが中国という国は通る。
ケ小平さん。
1970年代中華の指導者。

 ケ小平の言葉で有名なものに「白い猫でも黒い猫でもネズミを獲るのが良い猫だ」がある。(94頁)

儲ける意欲のあるものから儲けていいという許可を出した人で、今の中国の経済発展のスタートを
号砲一発合図した人。
日本をかなりコピーした。
日本の新幹線を見て腰を抜かす。
余りの速さとか、あまりの性能の良さに。
すごく感動をしたらしい。
新幹線の真似というのはここから始まっている。
この時、帰国後にこう言った。

 曰く、「日本でさえ、あれ程の経済大国になれたのだから、まして社会主義国である中国にできないことがあろうか」(94頁)

ケ小平から四代経ての習近平まで、日本への小面憎さ外交はずっと続き、今や共産党政権の伝統敵な技となっている。
小日、小面憎い、日本へのいやがらせ外交は今後も変わらないのではないか、と黒鉄氏は言っている(と武田先生が言っている)。

中国から日本の観光客が増えている。
渋谷の大きい雑貨屋(東急ハンズ?ロフト?)の四階で相手をしてくれた店員が台湾の人。
中国からのお客さんの為のアルバイト要因。
台湾の方も多いが、それにしても前年比30%プラスといった勢い。
そういう人の中から日本に関する考え方とか見方がゆっくりチェンジするかも知れないので地道に積み上げていきましょう。

韓国。
日本が嫌いな方がたくさんいらっしゃる。
日本が嫌いというのが70%を超えているぐらい。
日本も同じぐらいなので、どっちもどっち。

 眼を充血させた集団の一人が口角泡をとばす。曰く、「日本に文化なるものを教えてやったのに、その恩人である我々を植民地支配した。西洋のイギリスなる国も世界各地を植民地にしたが、ギリシャには手出ししなかったではないか!」(116頁)

(この言葉は「ソウルの反日運動化」と武田先生は仰せだが、本にはそのように書いていない。裏を取ろうと思って調べてみたが発見できず)

戦前とか戦後すぐに、朝鮮半島の言葉が日本語を作ったという説が流布した。
優秀な朝鮮民族がヤマトに移り住んで王朝を作ったとかという説がまかり通ったが、全部否定された。
証拠が全然見つからない。
韓国の方から言わせると、「高い文明の我等を侮辱した」という。

 一九六二年に「日韓請求権・経済協力協定」が締結され、この条約で「両国および国民間の請求権問題は完全かつ最終的に解決された」と明記されているにも拘わらずである。
 さすがの彼の国も国際条約には従ってきたが、ここへ来て、韓国は「三権分立」で「司法の独立」を尊重するから政府は知らんと言い出した。
「個人の請求権は別である」と言うのである。
−中略−
 先の条約で日本が無償供与した額は三億ドル、経済協力としての有償供与二億どる、この合計五億ドルがいかに巨額であったかは、当時の韓国の国家予算の三・五億ドルと比較すれば判る。
(117〜118頁)

中韓の両国は今も越えることなき優位優越の歴史観がある。
日本を歴史上、下に見る。
「文明を教えてやった」というプライドが強烈にある。
韓国・朝鮮の人たちは私たちを「ウェノム(倭奴)」という。
これは「倭」という野蛮人というあざけり。
これもまたピサリと来ない一種あざけりの言葉。
「倭」はよく見るといい字。
「匈奴」「韃靼」、中国の人が周囲の国の人間を野蛮人扱いする時には必ず、獣とか虫偏を付けた。
(匈奴も韃靼も獣編も虫偏も付いていないように思うが?)
ところが「倭」は人偏。
人間である。
旁も「稲束を背負って踊る巫女の姿」。
だから「米を作る人たち」という意味。
あまり侮辱の言葉にはなっていない。

 譬えば、我が国の“前方後円墳”である。
 永く日本固有の“カタチ”と考えられ、さすがに思い込みの激しい韓国と雖も黙らざるを得なかったが、一九八〇年代の発見でやにわに騒ぎ出した。
 発見とは、朝鮮半島南西部の十四墓の前方後円墳の出土を指す。
 韓国の学者たちは元よりの思い込みに、この発見を重ねた。
 曰く、「ホーレ、ホレホレ、前方後円墳の発祥は韓国であって倭国へと伝えられたのじゃあ!」
 よく調べもせず発表してしまうから大恥をかく。
 韓国の十四墓に比べ、我国の前方後円墳は東北から九州にかけての広範囲に及び、造営年代も圧倒的に古いのだ。
 韓国の主張とは逆に、発見は日本から朝鮮半島へと様式が伝わったことを立証した。
(123〜124頁)

武田先生が調べたこと。
朝鮮半島の各所から日本の遺跡が見つかっている。
前方後円墳という古墳が見つかっている。
最初は日本の学者さんも多分その形が日本にやってきたんだろうと言っていたが、最近その定説が全部崩れた。
韓国にある前方後円墳から日本のものとして断定できる品物が見つかり始めた。
日本の木材とか石材が韓国で見つかっている。
それは追跡できる。
だから、ずばり言うと、かつての古代に朝鮮半島には日本の勢力が生活していた。
それが韓国の学者の方、あるいは反日の方は許せない。
前方後円墳を壊して違う形にしている。
歴史は歴史として、あまりあるものにスコップとかブルドーザーはかけない方がいいような気がする。

 十四墓のひとつの松鶴洞古墳に手が加えられた。
 前方後円墳のカタチの前と後とを二分し、その間に小山を造り、三つの円墳に姿を変えた。
(125頁)

こういう改ざんの土木工事はやめた方がいいのではないか。

慰安婦問題等々もあるので、歴史を両国で考えようということで、古代史から共同で勉強をしませんかという会がある。
それに向こうの方は参加してこない。
歴史認識というのが、いわゆる戦争中だけにとどまっている。
もっと深くまで行ってもいいのではないかと思うが、あまり積極的ではない。
韓国そのものが、意外と大学ごとで歴史学会がバラバラに説を出していて、統一的な見解がない。
統一的な古代史がない。
それだったら、東洋のギリシャは気取れない。
ギリシャである為にも、このあたりをしっかり、もう一度調べてはいかがか。

内田先生の日本辺境論。

日本辺境論 (新潮新書)



日本はアジアの片隅、端っこで、中華の文明とか韓国、あるいは朝鮮半島がたっぷりたくわえた文明、文化というのを学びつつ生きてきたと思う。
その事実は絶対に動かない。
日本の一番いいところは何かというと、外国からやってきたものを無駄にしていない。
それが日本の文明のいいところだと思う。
中国文明、それから朝鮮文化というものの影響を多大に受けているということは誰も否定しないので、アジア的な見地でもう一回古代史から中世史等々進むといい。

韓国に行くとわかるが、韓国には反日の英雄の銅像がいろんな町に立っている。
李舜臣。
1594〜1597年、日本軍との戦闘で闘い続けた韓国の英雄。
黒鉄氏調べによると李さんの戦いぶりというのはあまりよくない。
李さんは絶えず休戦を結んで攻撃を仕掛けてくるという、奇襲の名人だったらしい。
休戦時に協定を守らず、奇襲をかけるという。
このあたり英雄観の違い等々もある。


2015年06月13日

武田鉄矢・今朝の三枚おろし(10月20〜31日)◆『しらずしらず あなたの9割を支配する「無意識」を科学する』 レナード・ムロディナウ(後編)

これの続きです。

人間の意識は生涯を通じて一定不変、一貫している真理というのが信じられてきたけれども、深層の心理は人をダイナミックに内から動かす。
認知心理学、実験心理学等々で確認されたこと。
真理地動説。
心は一定不変ではない。
無意識によって実は心というのは、大きく動いている。
人間とは首尾一貫したものではない。

心と体は意識で結ばれるほど単純なものではないのだ。
医学でよく言われるプラシーボ。

 プラシーボ効果と聞いて思い浮かべるのは、何の効能もない砂糖の錠剤を本物と信じて飲めば、軽い頭痛ならタイレノールと同じぐらい効くという話かも知れない。しかしプラシーボ効果はもっとずっと強力にもなる。例として狭心症を挙げよう。心臓壁の筋肉に血液が十分に流れないことで起こる慢性疾患の狭心症は、ときにきわめて激しい痛みを伴う。−中略−
 1950年代、激しい痛みを伴う狭心症の治療法としては、手術によって胸腔内の何本かの動脈をしばるのが一般的だった。それによって、その近くにある心筋のなかに新しい血管が生まれ、血液循環がよくなると考えられていた。
(269頁)

1958年、興味を持った心臓外科医たちが、現在では倫理的理由から認められないであろう実験をおこなった。みせかけの手術をおこなったのだ。5人の患者に対し、皮膚を切開して例の動脈を露出させたものの、それをしばることなく再び皮膚を縫合した。また、ほかの13人の患者には実際に手術をおこなった。−中略−本当の手術を受けた患者では、76パーセントが狭心症の痛みの改善を示した。ところが、みせかけの手術を受けたグループでは5人全員が改善したのだ。(269〜270頁)

(ここで老人ホームでの実験の話が出てくるが、『脳科学は人格を変えられるか?』の中に出てくるアーデンハウスの実験のことかと思われる)

頭の低すぎるお医者さんは、あんまり効かない。
大先生が来てくれた方が安心感、信頼感が芽生える。
呼び名として「患者様」に抵抗がある武田先生と水谷譲。
あそこで「様」を付けられても困る。

すべての被験者に、「酸化してもらう実験の目的は、『スプロキシン』というビタミンを注射すると視覚の能力がどのような影響を受けるかを見極めることである」と伝えた。しかし実際に注射したのはアドレナリンで、この薬は心拍数と血圧を上げ、顔の紅潮を感じさせ、呼吸を速くする−−いずれも感情喚起の徴候である。−中略−
 実験者は、注射をすると部屋から出て、それぞれの被験者をもう一人の自称被験者−−実際には実験協力者−−と20分間二人きりにした。いわゆる「幸せ」のシナリオでは、この協力者が、実験に参加できたことを妙に喜ぶことで、恣意的な社会的状況をつくりだした。シャクターとシンガーは「怒り」のシナリオも考え、この場合は、被験者と一緒に残された協力者が、実験とその進め方について不満を言いつづけた。
(276〜277頁)

知らされていない被験者は、同室者を観察し、その人が実験に対して幸せと怒りのどちらを表しているように見えるかに応じて、自分自身が経験している身体的感覚は幸せまたは怒りによるものだという結論に至った。要するに、彼らは「感情の錯覚」の罠に落ち、自分は偽の被験者が経験しているのと同じ「感情」を抱いてこの状況に反応しているのだ、と誤って信じてしまったのだ。(277〜278頁)
 
アドレナリンでただドキドキカッカしているだけなのを、気分がいいとか悪いとかっていうジャッジに用いると、カッカをイライラ、ドキドキをウキウキに脳が勝手にジャッジしてしまう。
人間というのはあくまで気分の生き物なのだ。

吊り橋効果。
吊り橋のカップル。
橋を揺らすと、橋が揺れるというドキドキを恋のドキドキに人間は勘違いをしてしまう。
その逆のことも言える。
ドキドキを怒りに。
感情というのは後の問題であって、整理がまずある。
考えると無意識というのはとても重大なもの。
脳と言うのは、とにかくこじつける。
若いと身と体と心がしっかり重なるが、年を取ると乖離していく。
そうすると身が引っ張られていくのが、自分で最近わかるようになってきた武田先生。

「幸せだから笑う」んじゃない。
そうじゃなくて反対。
「笑っているから幸せ」なんだ。
感情というのは、実は反転していて、世の中をひっくり返して見るという習慣を自分につけようとしている武田先生。

武田先生が最近出会った中で一番ショックだった言葉。
私などというのは一個の道具に過ぎない。
この生命活動の中心にあるのは「生きのびる力」である。
私が生きのびる力があって、私の命がイキイキしているかどうかが一番重大であって「これは正しいです。これは正しくありません」そんなものごとの判断が世界を動かしているのではない。

世の中は非常にシンプルに見えるが、わけのわからない力が動いている。
それを無意識と呼んでいいかどうかはわからない。

奇跡のりんご。
木村さん(世界で初めて無農薬・無施肥のリンゴの栽培に成功した木村秋則氏)家のりんご園へ行った武田先生。
木村さんがトンチンカンなことを言う。
お岩木山の裾野に木村さんのリンゴ園があって、そのお岩木山の向こうから「命のエネルギーがドーンと流れてきているわけ」などと言う。
自分の赤くなりかけたリンゴを前にして語り始めると説得力がある。
リンゴ園に入ると、喜び過ぎて裸足で歩きだしてしまった武田先生の奥様。
北国のブルースカイ。
お岩木山がくっきり見える。
同行していた数人の友人。
お岩木山の向こう側が八甲田が続く広大な北の山脈がある。
そこから命の波動が降り降りてきてここの畑に流れ込んでいる。
足元を見たら虫が飛んでるわ跳ねてるわ。
土が指を入れると入っていく。
武田先生たちが遊んでいると、弘前大学と横浜国大の研究班の人たちが木村さん家の1平方メートル30センチの深さに何匹のミミズがいるかという調査中。
農薬を使っていない。
世間話をしていたら、水谷譲の小指ぐらいのミミズがいる。
生命がみなぎっている。
それで、木村さんがリンゴをもいで「皮ごと食べられるから」。
家族で食べた武田先生。
うまいのなんの。

弘前へ行って木村さん家で大歓迎を受けて、武田先生の家族のためにりんごをもいで食べさせたいというので「好きなだけ持って行って」と、カゴ一杯にいただいた。
忘れられないぐらいいい景色。
神がかっていた。
前日まですごい雨で心配したのだが、武田先生が飛行機で着いた瞬間からお岩木山から雲が消えて無くなって、すごくきれいな青空になった。
木村さんが神がかった人。
UFOを見たり、龍とばったり会って龍に「こんにちは」とあいさつをしたとか。
その後、木村さん家を離れてから、縄文の遺跡を見に三内丸山へ行った。
青森県を転々とした。
それから奥入瀬という渓流で有名な場所へ行って、そこの星野ホテルに宿泊。
星野ホテルがステキで大きい暖炉があって、暖炉の煙突が巨大な銅鐸のような釣鐘のようなものが吊るしてあって、下で火を焚いても煙を全部巨大な銅鐸が吸いこむ。
巨大な銅鐸を見ているうちに、武田先生のお嬢さんが「太郎さんよ!」。
巨大な釣鐘状の銅鐸をデザインしたのが岡本太郎氏。
だから太陽の塔のようなレリーフがたくさん刻んである。
お茶を飲んでいたら、気の利いた人たちがいて「自分でコーヒー豆を挽いてお茶を飲むことができますよ」と言って、コーヒーを飲みながら森の中を見ると岡本作品が見える。
次の日、おいらせの渓流を堪能して、最後は棟方志功。
棟方志功が自分が感動すると、お礼を言わないと気が済まない人。
有名な話。
風景画を描いて、いい風景画を描かせてもらうと全風景に向かって「ありがとうございました」と言う。
その棟方志功。
青森の旅を堪能して新幹線で帰路に着いた武田先生一向。
振り返ってみると、一本につながっている。
棟方志功と木村秋則氏は雰囲気が似ている。
棟方志功と岡本太郎は芸術家として共通点がある。
二人とも縄文時代に対する永遠の憧れがある。
岡本太郎は縄文時代が好きで仕方がない。
あの人は火焔土器を見てひっくり返る。
結局縄文という景色を見に行ったのではないか?
しらずしらずのうちに選択をしていて、ある日、でたらめにやったことが、ある年齢になって振り返ると、きれいにたどっていたという体験があるのではないか?
この不思議な不思議な、実は一つのテーマを追いかけているんじゃないかということに、ふっと気づく。

棟方志功の逸話。
志功が若かった頃、青森出身の若者ばかり集まって、期待される若者を励ます会というのがあった。
その中に津島家の坊ちゃんがいた。
津島家の坊ちゃんは、東京で太宰治という名前で小説を書きはじめて注目をされていて、青森に帰った時に太宰が挨拶をする。
太宰は、はにかみをポーズとする人。
小さい声でペンネームで名乗った。
「太宰です」
奥の方から牛乳瓶の底みたいなメガネをかけた青年が手を上げて「すみません!聞こえません!」。
頭にきたらしく、その時のことを太宰が書いている。
「私を侮辱する田舎者がいた」
それが棟方志功。
何十年かして、太宰が芥川賞の候補になった「人間失格」という作品の表紙に志功を指名している。
そういう無意識のめぐり合わせが大好きな武田先生。

一見自分はランダムに自由に動いているつもりだが、実は一本何か。

スティーヴ・ジョブズは言っている。「先を見越して点と点をつないでおくことはできない。過去を振り返ってつなぐことしかできない。だから、いつか何らかの形でつなげられるのだと、信じていなければならない」。(325頁)

人生の中で一見無関係に起こった点がある。
それをしっかり結んでいけ。
そこから新しい発明とかイノベーション、リノベーションが起こるのだ。
「点をつなげ」「ドットを結べ」と言った。
ジョブズは天ぷら学生(もぐりで授業だけこっそり受ける)としてカリグラフィーを受講。
それが運命を変えた。
「あれは最高に僕を変えたドット(点)であった」
『日本霊性論』の中に詳しく出てきた話。ジョブズは、マッキントッシュのコンピュータでは、フォントを選択できるだけでなく、字間も自動調整できて、文字がきれいに見えるようにした。)
天ぷら学生だった時には、なぜ自分がカリグラフィーに興味を持ったのかがわからない。
自分の未来に何が待ち受けているのかがわからないが、とにかく興味があった。
その興味が後の商売でドンピタ最高のアイディアを提供してくれる。
しらずしらずの無意識が彼になせた事業。

今年(これが放送されたのは昨年なので「今年」というのは2014年のこと)は天変地異、山が崩れ、山が火を噴き煙を上げということが非常に多かった年。
台風で集中豪雨があったり。
あの台風だって人間を苦しめるために生まれて、日本を直撃したり、アジアの国々を襲ってきているのではなくて、何かのバランスのための渦巻。
あれぐらい強いものが海水をかき回さないと。

人間というのは五万年前、アフリカから北ヨーロッパへやってきて人類というのは絶滅してもいいぐらい数を少なくしたという歴史を持っている。
絶滅してもいい生き物だった。
ところが、その間に脳に不思議が生まれた。

 世の中と向かい合うとき、非現実的な楽観主義は、いわば溺れないための「救命胴衣」になってくれる。(327頁)

その不思議こそが無意識ではなかろうか。
(本の中ではあくまで「無意識」のことではなく「楽観主義」について書かれているようだが)

研究によれば、きわめて正確な自己像を持っている人は、形動の鬱に陥っているか、自己評価の低さに悩んでいるか、またはその両方であることが多い。(326頁)

 心理学の文献には、自分自身に対する前向きな「錯覚」を持つことが、個人と社会の両面で利点となることを実証した研究があふれている。研究によれば、しゅだんはどうあれ前向きな気分へ促されると、人は他人とより多く交流し、他人をより多く助けるようになる。自分自身に対してよい感情を抱いている人は、交渉の場面でより協調的になり、対立を解消する建設的な方法を見つけられることが多い。また、問題をよりうまく解決し、成功したいとより強く思い、難題に直面したときにより粘り強さを見せる。(326頁)

自分にとって正確な暗い事実をつかむということは、自分と社会全体を暗くしてしまう。
自分に関してうぬぼれていないと、人間は弱くてもろい生き物。
「小さなラジオ番組を聞いて下さる方がいる」とか、「オレの言葉を待っててくれる人がいるんだ」といった、そういうささやかなうぬぼれが自分を更なる勉強に。
使命感のない命は悲しい。

脳というのは錯覚し、どの人も失敗する。
一番大事なことは正しく錯覚し、正しく失敗すること。
そうすることが命を元気にしていく。
想定外の出来事のみが人間を成長させる。
世の中というのは一週間先の天気はわからない「想定外」。
想定内なんていうことは世の中に一つもない。
私たちはあまりにも想定内を振り回しすぎているのではないだろうか?

メディアは今も科学の手順を信じて、評論家は日本国の政府を激しく叱り、経済学者たちは「アメリカはいつか危ないことになるぞ」と不安を煽り、軍事専門家は「中国はこのままいくと危険だぞ」と言っている。
しかし、どうも世界はその逆で動くんじゃないだろうか?
逆の想定もしておかなければならないんじゃないか?

人間というのは失敗からたくさん学ぶ。
意識は人を一割しか動かさない。
人は九割の無意識で動いている。
実験心理学が出した結論は、それが人間という生き物に対する見方である。
世界を見る時も想定内で見るよりも、想定外の出来事が世界を動かすということで見た方が正しいのではないだろうか?
世界を動かしているのは九割の無意識。

武田先生の次の課題。
アフリカを出て生き残ったサル。
それが私たち人間である。
では、アフリカに残ったサルはなぜサルのままで人類になれなかったのか?

武田鉄矢・今朝の三枚おろし(10月20〜31日)◆『しらずしらず あなたの9割を支配する「無意識」を科学する』 レナード・ムロディナウ(前編)

昨年の10月放送分なので、かなり時間が経ってしまっているけど。

しらずしらず――あなたの9割を支配する「無意識」を科学する



バース(アメリカ人哲学者で科学者のチャールズ・サンダースバース)が「内なる光」と呼んだもの。
それが「無意識」。
その働きがなければ、私たち人類は、とうの昔、アフリカで絶滅していること間違いなし。
私たちを絶滅から救い出したのは、実は無意識なのだ。
無意識というのは、フロイト、ユング、こういう人たちが作り出した心理学、あるいは深層心理学で明らかになった世界。
現在はMRI、それもfMRIといって脳の活動が視覚化できるようになった。
一発で見えるようになった。
最新医学で無意識というものの存在がありありと確かめられるようになった。

 カール・ユングは、人間の経験について知るには夢や神話を研究することが重要だと考えた。−中略−文明によって覆い隠され見えなくなるはるか以前に人間の行動を支配していた、無意識の本能から生まれたものであり、そのため夢や神話は、人間であるとはどういう意味なのかをもっと深いレベルで物語っている。(プロローグx)

古事記。
一番最初にイザナギとイザナミっていう男女神が生まれて、神話の中でセックスをして生まれた子供がヒルコという。
それを葦船に乗せて流している。
川(島から流したので川ではなく海ではないかと思うが)に流して捨てたと書いてある。
「ヒルコ」というぐらいだから、そういうことだったらしい。
ヒルコの伝説が延々とつながる。
そのヒルコが別の神話でたどり着いたところが神戸の生田神社。
生田神社ではヒルコのことを別名「えべっさん」。
「えびすさん」というのは「ヒルコ」のこと。
俵の上に座って足をちょっとあげている。
両足を垂らしていない。
お足が悪い。
そういうことで流された。
それで、西の宮の神戸の浜辺にたどり着いてヒルコがえびすさんになる。
四国の反対側から来たんだろうっていうことで蛭子姓が多い。
長崎の蛭子さん(蛭子能収氏のことを言っていると思われる)は四国のそこの人。
こんな風にして、神様により近い人は葦船で流された。
ユングが言っているように、夢や神話を研究する方が文明によって覆い隠されてた真実があらわになる。
人間の意識的なふるまいよりも実はサブリミナルな隠された無意識の動きの方が実は人間を動かしているんだ。
何につけしらずしらずのうちにそうしている。
「そうしている」というのが人を動かすエンジンになっているのではないだろうか。
私たちはいつも心の中に二つの領域を持っている。
意識的な領域と無意識的な領域。
「俺のことは俺が一番よく知っているんだ。」と思ってらっしゃるだろうが、実は人間は自分のことを知ることができない。

 実際には研究者たちは、次のような疑問について調べていた。あなたが食べるポップコーンの量に、より大きな影響を与えるのは、ポップコーンの味とサイズのどちらだろうか?−中略−つまり、小さな容器に入ったおいしいポップコーン、大きな容器に入ったおいしいポップコーン、小さな容器に入ったまずいポップコーン、大きな容器に入ったまずいポップコーンのいずれかだ。
 結果はどうなったのか。どうやら被験者たちは、食べる量を、味と同程度に容器の大きさにも基づいて「決めた」らしい。別の研究でもこの結果は裏付けられ、スナック菓子の容器の大きさを2倍にすると消費量が30から45パーセント増えることが示された。
(19頁)

(番組の中ではまずい方のポップコーンを「全部食べた」と言っているが、そういう話は本の中にはない。この実験では単に「まずくても容器が大きい方をたくさん食べている」という話でしかないかと思われる)

無意識にまずい方を食べている。
「私は味にうるさい」とか言っているが、それはとんでもなくて、所詮、器に支配されている。
人間というのはなかなか自分の本性というのを知らない。

 たとえば洗剤を使った実験では、3種類の箱に入った洗剤を渡して数週間試してもらい、どれが一番気に入ったかとその理由を報告してもらった。一つの箱はほとんどが黄色、もう一つの箱は青色、三番目の箱は青字に黄色がちりばめられていた。報告では、2色の混ざった箱に入った洗剤が圧倒的に好まれた。−中略−しかし実際には、違っているのは箱だけで、なかに入っている洗剤はすべてまったく同じだったのだ。(23頁)

洗剤の箱は割と派手な色で鉢巻をしている。
これも人間はいかにも知恵深くいわゆる効果で選んでいるみたいだけど、パッケージの色みたいなものに支配されている。

(24ページにストッキングの比較実験の話が出てくるが、本の内容は匂いに左右されたという結果が紹介されている。)
ストッキングを選ぶ時にパッケージの写真のモデルに左右されるという水谷譲。
有名なセレブの名前が入った「○○プロデュース」のストッキングを「絶対いいものだ」と思ってしまう。

テレビのBSの話。
ストッキングというのは歴史のあるもの。
パンティーストッキングは日本人の発明。
パンティーストッキングの発明でミニスカートがますます日本に浸透していった。
ガーターとかがいらないから。
高校三年生の頃の武田先生。
商品名だけでうつ伏せに寝られなかった。
「パンティー」でもドキドキするし「ストッキング」だけでもドキドキするのに、新製品「パンティーストッキング」なんて、ダブルのいやらしい響きがある。

福助の方による昨今のストッキングの話。
割と短いスカートを高い年齢の方も履かれる時代になった。
ばあちゃんのふくらはぎは青い血管が浮く。
あれを消すためのストッキングがある。
蚊を寄せ付けないストッキング。
去年発売して売れなかったのであきらめたが、今年急に注文が来たので、今、パニックになっている(放送は昨年なので、この「去年」は一昨年)。
繊維に蚊の嫌いな成分を織り込む。

奈美悦子さん曰く「男を騙すには網目模様」。
ストッキングを二枚履く。
一枚履いておいて、その上から網を履く。
そうするとものすごくきれいに見える。
網目ストッキング用の下に履くストッキングもすでに開発済みで、それを履くと色っぽく見える。
履くだけでシェーディング効果があって脚が細く見える商品もある。

そんなささいなことで、人間は消費意欲を反転させる。
文化・ファッション・政治・経済はもう、一つでは解ける時代ではない。

ブランドに関してだけがだが、「コーラ戦争」でも証明されている。かなり以前に「ペプシパラドックス」と名付けられたその効果は、ブラインドテストではつねにペプシがコカ・コーラに勝つのに、何を飲んでいるかがわかっている場合にはコカ・コーラ―のほうが好まれるという事実を指している。(26頁)

つまり「味で」と言いつつも、コーラについて人は先入観とかその手の広告の刷り込みによって美味い・不味いを選んでいる。
コマーシャルというのは好意を最初から持っていてそれを操るというものでありましたということ。

人間の感覚系は脳に毎秒およそ1100万ビットの情報を伝えているという。−中略−人間が扱うことのできる実際の情報量は、毎秒16から50ビットと見積もられている。−中略−
 進化によって人間が無意識の心を獲得したのは、これほど膨大な情報を取り込んで処理する必要のある世界のなかでも、無意識のおかげで生き延びることができるからだ。
(41〜42頁)

心は生存のための重大な進化であった。
目の前に見えていても必要ないと思うと、見えているのに見ないという選択が無意識によって
行われた。

 コッホのグループが発見した手法では、「視野闘争」と呼ばれる視覚現象を利用する。適切な条件下で、ある映像を左目に、別の映像を右目に同時に見せられると、その両方を何らかの重なり合った形で見ることはなく、一方の映像だけが知覚される。−中略−
 しかしコッホのグループは、片方の目に変化する映像を、もう片方の目に静止した映像を見せられると、変化する映像のほうだけが見え、静止した映像はけっして見えないことを発見した
(55頁)

武田先生の体験。
『金八先生』のロケの時のこと。
荒川の土手で撮影をしていた。
ずっと撮影をしていたらメインのロケのカメラが急に、向こう側の方に救急車が来たので場面にふさわしくないので「救急車が去ってからやります」。
去っていくのを待っていた。
荒川の土手の列車が走る鉄橋に自殺者が下がっていた。
その向こう側で武田先生たちはロケをやっていたのだが、全く見えなかった。
警察とか救急車の人がその人を救護に来て初めて気づいた。
朝一番に来てそこで撮影をやって、ある意味目の前にずっとあったはずなのに、全く見えない。

人間は「見えているものを見る」のではない。
「見たいものを見る」のである。
それが「心」である。
漁労、鳥の捕獲、大型動物、狩猟をはじめ、同時に絵を描き、祈るもの(神)を必要とした。
あるいはお墓、神話、儀式、それが中心に座った。
この生活の中心に座ったというのが、心に無意識が生まれた瞬間なのである。

漢字。
「心」というのは最近できた字。

 幼児を対象とした研究によれば、生後6か月の赤ん坊でさえ、観察した社会行動に関して何らかの判断を下すという。ある実験では、「登山者」と名づけた、円形の「顔」に大きな目を貼っただけの単なる木の板が、山の麓から出発して、長城にたどり着こうと何度も挑戦するが失敗する様を、幼児に見せた。しばらくすると、同じような目を貼り付けた三角形の「助っ人」がときどき下のほうから近づいてきて、登山者を押して手助けしてあげる。また別のときには、四角形の「妨害者」が上から近づいてきて、円形の板を麓のほうへ押し戻す。−中略−幼児たちは、人形に手を伸ばして触る機会を与えられると、妨害者の四角形に対しては、助っ人の三角形と比べて明らかに手を伸ばしたがらなかった。(114〜115頁)

人間の心を大きく操っているのは「無意識」である。
人類の脳というのは、爬虫類の脳とか、哺乳類の脳とか、それから人間らしい新哺乳類の脳の三層からなっている。
人類というのは20万年前突如として心を持つようになった。
心を確かに機能させるようになったのは、わずか5万年前。
ここから表情を持つようになった。
表情というのは複雑だ。

喜び、恐れ、怒り、嫌悪、悲しみ、驚きといった基本的な感情を表現する方法の多くは、さまざまな文化の人間に共通しているはずだと、ダーウィンは考えた。−中略−「同じ心の状態が世界中で驚くほど画一的に表現される」と結論づけた。(170頁)

どんな赤ん坊もそうだが、優しくて親しげな言葉をつぶやいていても、その人の目つきがちょっと怖いと「あ、嘘ついてる」。
人間というのは表情と言葉というのが重ならない限り、絶対に信用しない。
重大なことは、いかな文化に住もうが、いかな人種もその表情の中で作り笑顔を見抜く。
心は裏表を持つ証拠。
そして時折、無意識は意識と真逆の動きをさせる。

例えばアメリカの国立公園で看板とメディアの公共放送の両方で「勝手に花を摘むな」「ゴミ捨て禁止」を訴えて、特にひどい場所を映像で訴えた。
「こんな汚いことしてるんですよ」
ところがその場所はそれから以降、もっと人がゴミを捨てるようになった。
あたりの木を切り出してもち出すものまでが現れてしまった。
(この話は253ページあたりからのことを言っているのだと思うが、このコマーシャル自体の効果は不明だったとのこと。木を持ち去る話は最初の「ゴミを捨てる」話とはまた別のエピソードに含まれているので、武田先生は複数の話をまぜて語っている。)

看板がない場合には、10時間で木材のおよそ3パーセントが土産として盗まれた一方、警告の看板を設置すると、逆にその数が3倍近い8パーセントに増えてしまった。(254頁)

「ここはこんなにひどいことをしていますよ!勝手に木を切ったり花を摘んだり。ほら!ゴミ捨ててますよ」と報道したら、なおさらひどいことになった。
これは訴えと逆で人間を「みんながやっているんだから私もやろう」というやる気にさせる。
意識への呼びかけは、時として無意識を呼び覚ますことがあるのである。

「脱法ハーブはやめましょう」と言ったら急に増えた。
「もうすぐ売れなくなっちゃうんで値段を安くしてばらまき始めた」など諸説ある。
何にしても、一つの報道をきっかけに逆に収まるどころか広がる傾向というのが事件の性質として持っている。

その点うまいのがコンビニのトイレ。
用を足して出口に出かかる扉のところに「きれいに使ってくださってありがとうございます」と書いてあると「いやいや、それほどでもないよ。人間として当たり前のことをしただけさ」と思わせる。
先にお礼を言ってしまうというのは、うまい。

「やってはいけませんよ」という呼びかけが、「やってもいいんですよ」と聞き間違えられることがある。
そういう意味では報道というのは難しい。

旦那さんの不機嫌がすぐにわかる水谷譲。
奥様の不機嫌がすぐにわかる武田先生。
夫婦の無意識の共有。
奥様の殺気を感じる武田先生。
鍋の取り上げ方と落とし方だけでもわかる。
台所から聞こえてくる音。
不機嫌な時には絶対にリズムに乗っていない。
機嫌がいい時にはリズムがある。
人間というのは無意識を全開にして生きているのではないか?

武田先生のライブステージでの出来事。
母親の思い出話をしていた時、落語の話と同じなので「ここで笑い」というのが決まっている。
「母親は子だくさんだったもんで、一人一人の子どもをあまり可愛がる余裕がなかった。六歳の時の思い出で、我が母は私の頭をなでながら小さい声でこう言ったものです『鉄矢、母ちゃんはお前を生むつもりじゃなかった』。それをカラカラカラと笑うところに戦後の母親のたくましさがあるんです」
と言うとドッカーンと受ける。
これが何でかというと、団塊の世代のお客さんにとって、この母親たちのストレートなハッピーエンドではない子づくりというのが日常茶飯事で、子だくさんだったから兄、姉から「ひろった子だ」とか「じゃがいもを入れる箱の中に入れてお前は川上から流れてきた」という奇譚話をさんざんからかいでされる。
ところが今の世相は変わって若い方だとノー反応。
団塊に人口問題を触れると笑う。
真夏のディナーショー。
突然ジェントルマンが叫びだした。
他のお客さんが笑った瞬間に、突然その人が「苦しかったんだ!」
「母親は母親で苦しかったんだよ!」という声が尋常じゃなかった。
思わず、ちょっと触れないとまずいので「お宅様は大事にされた家庭にお生まれになったんですね」という言葉を投げたら「オレは大事に育てられた」と言いながら、ちょっとホテルの人の動きが慌ただしかったが、それから二度と発言なさらず。
打ちそこなった釘のように首をうなだれて、じっと40分動かなかった。
何かきっと別の思い出と語り合っておられただろう。

2015年06月03日

武田鉄矢・今朝の三枚おろし(12月1〜10日)◆『春宵十話』『春風夏雨』岡潔(後編)

これの続きです。

ここから別の本。
同じく岡潔氏の二冊目のエッセー。

春風夏雨 (角川ソフィア文庫)



戦中のみならず、戦後の日本にも愛想が尽きたらしい岡先生。

 人が普通自分と思っているものは何であるかということ、このからだ、この感情、意欲といえばすむところを、自分のこのからだ、自分のこの感情、意欲といっているのである。つまり、自分のという形容詞を一つ余分につけ加えているのである。この自分のという言葉の内容を文章で書き表してごらんなさい。
 自分のという言葉の中に、怪しい響きがこもっていることに気付くと思う。
(57頁)

岡先生はどうも、戦後の日本人というのが、「自分」という言葉にこだわりすぎるということを叱ってらっしゃる。
戦中、戦後を生き抜いた人だから戦前の日本に否定の感情が強いかと思われるが、平和主義の日本にも何だか肌が合わなかったようで、「自分」と言い立てる個人主義の戦後の怪しさを「なじまないな」と違和感を感じてらっしゃる。
「個人」をしきりに口にしたがる日本国憲法前文を、ものすごく疑ってらっしゃる。

法律家は法律をどう思っているのだろうかと思って、日本国憲法前文を読んでみた。
「これは人類普遍の原理であり」「人間相互の関係を支配する崇高な理想」「政治道徳の法則は普遍的なものであり」
 こういったことばが目につく。彼らは果たして自分とは何か、を考えてみたことがないのである。
(184〜185頁)

日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたって自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。(日本国憲法「前文」の一部) 

主権は国民にある。
政府ではなく国民の自由意思こそが戦争の惨禍を防ぐ、そう決意した、あるいは決意しようと憲法は言っているが、岡先生はこの言葉使いが嫌いらしい。
憲法が言うところの「自由意思」は初めからあるのではない。

 この意志力は使われることによってのみ発育して強くなる。(187頁)

何度も決意することで意志は強くなるのであって、決して憲法で宣言したから強くなるのではない。
では、個人をどう考えるか?

言葉の使い方が憲法前文は少し変ではないか?
「意志」というのは使えば使うほど強くなるのであって、使ってから強くなる。

 フランスの国是は、自由、平等、博愛である。ところが、日本の新憲法のは自由、平等は十二分に取り入れられているが、博愛ははいっていない。(185頁)

「自由」と「平等」のための条件は「博愛」。
日本の学生でイスラム国に行って戦争をしたかったという若者がいた。
もう一人、アラブの方で実戦に参加したという若者が出た。
その人がインタビューに答えていて「日本社会が不満だ」「自分は大学も出て、ちゃんと勉強もしてるのに、自分の才能を活かす場所がないし、自分を誰も雇おうとしない。そういう社会に対して怒りがこみあげてきて、生きているっていう実感を確認するために、一回戦場に行きたかった」。
まさしく人間の「自由」だからかまわない。
「博愛」を忘れている。
「自由」と「平等」の他に、もう一つ三本柱で「博愛」、「愛する」ということを身に付けない限り「自由」と「平等」は与えられない。

 自由、平等は自己主張であって、博愛は自己犠牲である。博愛を欠いては、人は集団生活を営み得ないこと、始めから明らかである。−中略−
 自分の感情をおさえなければ他人の感情はわからない。(186頁)

自我の抑制こそ教育のつとめ。
憲法で言うところの「基本的人権」と、この「博愛」は完全に矛盾している。
(と本に書いてあるとの武田先生の主張だが、発見できず)

自分を犠牲にしようとしない限り、人は愛せない。
武田先生が25歳、奥様が21歳の頃「この人のためだったら」と妻が言った瞬間、武田先生も「この子のためだったら」という、そのこと。
これだけいいことを言っても幸せではない武田先生。

そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基づくものである。(日本国憲法「前文」の一部) 

「国民こそ国家である」と言いたいのだろうが、これはまだ、人類普遍の原理となっていない。
国によっては「国民を殺す国家」というのもある。

ノーベル物理学賞を受賞した中村修二さん。
会社と折り合いが悪く、大ゲンカをなさったが、顔がすっかり優しくなってしまい、ポソッと新聞でおっしゃったのは
「ケンカした会社に恨みがあるワケじゃない。なんとか仲直りしたいなぁ」
「私がノーベル賞でもらったお金、半分、徳島の大学にあげるんだ」
あの人の中に何が吹き抜けたのか?
天皇陛下から勲章を貰って何かジンと来たのだろう。

そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基づくものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。(日本国憲法「前文」の一部)

国民の福利にならないような、憲法とか法令とか、全部排除する。
戦中の思いがあるからこそ。
「『天皇のために死のう』なんていう不届きなことを国民に命令する権利は天皇にも政府にもないのだ!」という雄叫びがこの憲法に込められている。
戦後を振り返っても、天皇と国民の関係というので、国民が不愉快になったということは戦後一件もないのではないか?

美智子様のお誕生日特集のテレビ番組を見ていた武田先生。
岩手県に行かれて、震災と津波の被害に遭った方の体育館に天皇皇后両陛下が上がっていく。
その時に、案内の人が体育館に上がった瞬間に、いつもの習慣でビニールシートの手前でスリッパを脱いだ。
それを皇后さまがチラっとご覧になってスリッパをお脱ぎになる。
その人が後でテレビの前で語っていた話。
習慣で自分たちは世話をする人間として、体育館に行った時に、ビニールシートなんだけど被災者の人が暮らしているわけだから「畳だ」と。
それで自分はスリッパを脱いだ。
でも、自分たちはそこに長時間いない。
連絡事項を伝えたらまたすぐ、スリッパのところに戻って履いて事務室に戻るので、その習慣で思わず脱いだ。
美智子皇后はスリッパを脱がれて、一時間以上、ずっとお声をおかけになって、その人が涙ぐんで、
「さぞかし足が冷たかっただろうと思うと、まことに皇后さまには気の毒なことをした。」

日本国民の平和を祈ってということに関して、天皇皇后両陛下がどれほど思いつめて、日々行動してらっしゃるかと思うと、この日本国憲法の前文の「詔勅を排除する」というような過激な表現は、もうちょっと温和な言い方はないだろうかと思う武田先生。
(武田先生は「詔勅」を何か変な読み方をしているようだが読みは「しょうちょく」)

日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであって、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。
日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。
(日本国憲法「前文」の一部) 

まるで甲子園の球児のような日本国憲法の誓いの前文。
しかし日本国憲法の前文はどう考えても、戦争に苦しんだ国民のための前文で、あの惨憺たる負け戦、三百万人もの無辜の民が戦で亡くなられたという、そのことに関する痛切な反省の前の文章。

日本国新憲法の前文は、明らかに小我を自分だと思っている。しかもそれを万代不易の心理であるかのごとくいい、その上に永遠のの理想を打ち立てることができるとたたえている。−中略−
 しかるに社会は、この法律体系に同調しているように見える。何よりも恐ろしいことは、教育が全面的にこれを賛成して、お前の小我はお前だから、これに基本人権を与えて、大切にせよ、と教えたことである。(202頁)

「基本的人権というのは自分で作っていく。与えられるものではない」これがこの先生の言い分。
岡先生が何より気に入らないのは、基本的人権の設定。
「日本に生まれてきたから、お前は恒久平和を願い、世界中の人から好かれているんだから、みんないい人だと思わなければならないよ」と遮二無二宣言しているところにある。

「自分」というものは本能で迷いだから、法律で自分を決めてはいけない。
教育もそう。
「まず自分を作ろう」と。

 教育は農耕にたとえるとわかりやすいように思う。
 一つの作物を作ろうとすると、まずその作物と雑草との区別をよく知らなければならない。
−中略−
 つぎに、水や肥料をそそがなければならない。−中略−
 最後に、土をたがやさなければならない。
 この除草、施肥、鋤耕の三点に相当するものが教育について大切なのである。
(182〜183頁)

どれが雑草か、どれが蒔いた種の葉っぱなのかもわからないうちに「育てよ育てよ」「伸びろ伸びろ」は無理があるのではないか。

日本国憲法是か非かという論議ではなくて、武田先生のアイディア。
日本国憲法というのはわかりやすい文章で書かれているので、かえってわかりづらい。
「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して〜」
だったら、もっと難しい文語体か何かで語ってもらった方がいい。
固い表現の方がいい。
妙にわかりやすい文章にしてあるから、かえってわかりにくい。
聖書の文章。
難しい文章の書き方の方がジンと来る。

空飛ぶ鳥を見よ、播まかず、刈らず、倉に収めず。
野の百合の花を思え、労せず、紡がざるなり、
きょう野にありて明日、炉に投げ入れらるる野の百合をも、神はかく美しく装い給えば、まして汝ら人間をや。
汝ら、之よりも遥かに優るる者ならずや。
(マタイ6章)

現代語訳で読むとつまらない
「空飛ぶカラスをごらんなさい。種を蒔いたりしないでしょう?草を刈ったりしないでしょう?収穫したりしないでしょう?
野原に咲いてるユリの花を見てごらん。今日は刈られて明日、火の中に投げ入れられるかも知れないけれども、咲いてる。
あなたがたはこんなものより、もっといいんじゃない?」
有難みがない。

武田先生が一番好きな聖書の箇所。
人間が「あいつが憎いから復讐してやろう」とイライラとしている。
「俺が復讐するんだ」と言った時に、旧約の神が現れて人間に向かって叫ぶ。
「復讐するは我にあり」(新約「ローマ人への手紙」12章19節)
復讐はお前がするもんじゃない、私がするものだ。
現代語訳で読むとつまらない。
「復讐するのは私のつとめ」

立派な文章や崇高な理念は、わかりやすい言葉で言われた方がわかりにくくなる。
わかりにくい表現の方が、わかろうとする意欲が沸く。
神主さんの祝詞。
現代語訳でやられると有難みも何にもない。
「高天原っていう高い広っぱに神様がおったけど」
「きれいに洗わなつまらんよ」

「真善美の本質は懐かしさにある」という。
憲法前文にも「懐かしさ」が欲しい。
それが真理であるならば。

武田鉄矢・今朝の三枚おろし(12月1〜10日)◆『春宵十話』『春風夏雨』岡潔(前編)

去年のなのでちょっと古いけど。

春宵十話 (角川ソフィア文庫)



同じタイトルの本が他の出版社からも発行されているけど、今回使っているのは角川ソフィア文庫のヤツ。

岡潔(おか きよし)
日本を代表する数学者。
大阪生まれ。
京都帝国大学理学部卒業。
多変数解析関数の難題(三大問題)を解いた。
湯川秀樹などと並ぶ、戦後、日本の知の頂の一人である。
1901年(明治34年)4月19日、日露大戦開戦の年に生まれた。
1978年(昭和53年)3月1日没。

 理想はおそろしくひきつける力を持っており、見たことがないのに知っているような気持ちになる。それは、見たことのない母を探し求めている子が、他の人を見てもこれは違うとすぐ気が付くのに似ている。だから基調になっているのは「なつかしい」という情操だといえよう。(42頁)

理想の本性は「なつかしい」という感情の手触りなのである。
つまり、理想は「なつかしい」のである。

自分の父親にどこか似ている人を好きになるという水谷譲。
女の子は本能的に、いざ結婚となると父親のような、とあるものを感じさせてくれる男性に惹かれる。
これは男も一緒。
奥様と巡り合った時に、ふっと「なつかしさ」を感じた武田先生。

美はいま眼前にある。しかしどんなものかはいえない。「ことばではいえないが知っている」ともいえない。真善美は、求めれば求めるほどわからなくなるものだと思う。わからないものだということを一般の人たちがわかってくれれば、それだけでも文化の水準はかなり上るに違いない。(42頁)

美しいものというのをちゃんと知っていて「どんな物だ?オマエが言うように作ってあげようじゃねぇの」と言われると、どんなものか言えない。
ところが見ると「あっ!これは美だ。私が知っている美だ!」と感じる。

例えばピカソのゲルニカを見て、ピカソが何も説明していなくて、大人が誰もわからない時、ある美術館で子供が泣き出したというエピソード。
ピカソが感動して「この子は私の絵の一番深いところを世界でただ一人理解してくれた」。
恐怖を描いているが大人にはわからない。
子供にはわかった。

わからないながらも、何か「ひっかかる」授業をする先生。

水谷譲の古文の先生。
授業中に突然、古文を詠ずる。
生徒たちは知らないうちにそれを覚えてしまう。
肝心の五段活用などは忘れてしまうのだが、その部分だけをみんなが覚えていて、卒業の時にみんながそれをネタにしてお祝いをした。

学校の生徒と先生の関係はすごく変で、先生が教える気がないことについて話している時、子供はその話を全部覚える。
それで、先生が「ここはテストに出ます」と何遍も黒板を叩いたところは真っ先に忘れていく。

武田先生が国語の授業で、太宰治の富嶽百景か何かを学んでいる時に、太宰が好きな先生が滔々と太宰論を語る。
全然試験には出ないが、その部分だけは覚えている。
「俗なものが嫌いという、この太宰の近代精神が・・・」という鼻に抜ける声。
それを修学旅行の時にバスの中でやった武田先生。
そのモノマネが評判を呼び、校長室に呼び出された。
校長先生から「君は○○先生の得意だそうで、ちょっとやって見せてくれる?」。
「太宰のその〜」とやったら校長が笑い転げて「ありがとう。学校は楽しいところです」と言いながら握手された思い出。

教育というのはそういうところがある。
だから難しい。

 智力に二種類の垢がまつわりついている。外側のものを邪智、または世間智、内側のものを盲智、または分別智といい、これに対して智自身を真智という(66頁)

物事を学んで知っているということ「俺はこれには強いよ」なんて思っていると、内側と外側に垢が付きやすい。
自分が知っていて人が知らないと、つい人の前で披露した時には、威張りたいという垢が付いているし、人には喋らなくても「俺は知っている」という時、知の内側には「俺の方が賢い」という誇り・自慢が垢として付く。

ところが、この計算も論理もみな盲智なのである。−中略− この垢が取れていくと、こころは軽々ひろびろとなり、何ともしれずすがすがしくなる。(67〜68頁)

岡潔先生の戦後の日本についての叱りごと。

 敬虔ということで気になるのは、最近「人づくり」という言葉があることである。人の子を育てるのは大自然なのであって、人はその手助けをするにすぎない。「人づくり」などというのは思い上がりもはなはだしいと思う。(72頁)

時折子供というものは、足し算引き算の練習よりも、夕焼けを見ていた方が頭がよくなったりする。

いまの学生で目につくことは、非常におごりたかぶっているということである。もう少し頭が低くならなければ人のいうことはわかるまいと思う。謙虚でなければ自分より高い水準のものは決してわからない。せいぜい同じ水準か、多分それより下のものしかわからない。それは教育の根本原理の一つである。(91頁)

アナウンサーの吉田照美氏。
武田先生のテレビ番組にいらっしゃって、ラジオについて語った言葉。
「ラジオっていう仕事に対して、どんなことに注意してらっしゃいます?」
という武田先生の問いに対して
「俺が喋っているラジオの向こう側に、頭のいい人が何人もいて聞いてるって思ってます」
そういうことを自分の喋りの基調、スタンダードにしている。
昔、ラジオで喋り出したばかりの頃、喋り方を教えてくれるディレクターから真逆のことを言われた武田先生。
当時、使ってはいけない言葉などを使ってしまって、抗議の電話が何本か来ていた。
そのことを励ますつもりでおっしゃったと思われる。
それを「この人の言うことは真に受けない方がいいな」と思った武田先生。
「俺が喋ったこのラジオ番組を頭の悪いバカしか聞いていない」と思うと、俺自身がダメになっていく。
勉強をしなくなる。
賢い人が聞いていると思うから朝五時に目が覚める。
自分が活き活きすかどうかで考えても、頭を少し低くして世の中を見ていないと本当に自分より高い水準のものに巡り合えない。

ラジオで間違ったことを言うと、すぐに教えてくれる。
水谷譲の番組で喋っているアナウンサー(『福井謙二グッモニ』での福井謙二氏のことを言っている)。
間違っている情報に対して聴取者が「違うよ」とメールやFAXですぐに連絡をくれる。
その時に武田先生が福井氏を「偉いな」と思うのは、すぐに謝ること。
ものすごく動揺しながら謝ってらっしゃるのが手に取るようにわかる。

 近ごろは集団として考え、また行動するようしつけているらしいが、これこそ頭をだめにしてしまう近道だと思う。人の基本的なアビリティーである他人の感情がわかるということ、物を判断するということ、これは個人の持っているアビリティーであって、決して集団に与えられたアビリティーではない。学生たちに最初から集団について教え、集団的に行動する習慣をつけさせれば、数人寄ってディスカッションをしないとモノを考えられなくなる。しかしそれでは少なくとも深いことは何一つわからないのだ。(92頁)

アビリティー【ability】 能力。技量。(goo辞書)

 隣国で「大徳は生死を生死にまかす」といっているのも同じところを指したものである。(64頁)

基本的に生き物として、生きる死ぬは生きる死ぬに任せておきましょうよ。

 ところで、私は日本人の起源というものに私なりの想像を持っている。神話や伝説の時代についてまだはっきりしたことは現在でもわかっていないから、どんなふうに想像するのも勝手だろう。その想像の一つが本になって出版され、これに対する批評が新聞に出ているのを読むと、天ノ岩戸の神話は持統天皇のころ作ったもので、持統天皇が女帝だったので主人公が女神になっているのだという。批評ではほめてあったが、また好んで小さく想像したものだと思う。
 人類の歴史は五十万年以上も前のペキン原人やジャワ原人に始まるといわれるが、たとえ火を使っていたにしても、これがいまの人類と同じものかどうかはわからない。
−中略−そうして人間らしい感情が初めて生まれたのは一万年ぐらい前らしい。−中略−思い切って大きく想像の羽をひろげれば、日本民族は一万年くらい前は黄河の上流に位置していたのではないかという気がする。それはシナ上代の情操がわれわれに実にぴったりくるからである。(171〜172頁)

(本の引用部分を番組より多く入れておいた。武田先生は変な部分を削除してしまって文意を変えてしまっている。岡先生は「女帝だったから主人公が女神」と考えているのではなく、それを否定している)

中国史における古代と、日本人が今持っている習慣が妙に似ている。
今の中国の人にちっとも似ていない人間が中華の歴史の中にいる。

黄河の中流域から下流に下れば、まっすぐ日本に来られたのに、何かの事情があって川に沿って降りてこず、逆さに回って日本にたどり着いたが日本人ではないか。

 ペルシャ湾からこんどは海へ出てシンガポールを回って北上したのではないか。(173頁)

 一九二九年洋行のさい、シンガポールで船を降りたところ、砂浜のような浜辺が長くのび、ごくわずかな本数の、先だけに葉のあるヤシの木があった。また日本の神社の原形のような民家が少し並んでおり、この景色を見ているうちにひどくなつかしい気がした。それはただのなつかしさではなく、異常な、程度の強いなつかしさであった。その時以来私は、日本民族が南方から来たものであることを疑わない。(171頁)

ハワイを「なつかしい」と感じる水谷譲と武田先生。
ハワイ、グァム、サイパンの夕暮れ時の突き上げるようななつかしさ。
真理の手触りは「なつかしさ」である。

2015年05月16日

武田鉄矢・今朝の三枚おろし(1月19〜30日)◆『私を通りすぎた政治家たち』佐々淳行(後編)

これの続きです。

 一九八一年(昭和五十六年)冬、統合幕僚会議議長を務める竹田五郎氏が、雑誌『月刊宝石』に寄稿した記事で大騒動が持ち上がった。
「徴兵制は違憲だという政府統一見解」と「防衛費GNP一%枠」に異を唱え、専守防衛ではどうにもならないと真っ向から批判したのである。
 衆議院予算委員会が止まってしまったため、官邸の鈴木善幸総理から、早く審議を再開できるよう防衛庁で、即刻この問題を片付けるように求められたのだが、当時の大村襄治防衛庁長官と、大蔵省から来ていた防衛次官はどこかに雲隠れしてしまった。
 衆議院予算委員会でこの問題に噛みついていたのは、社会党の大出俊氏と川崎寛治氏だった。
−中略−
 当時、防衛庁官房長だった私が、この二人のところに出向いたところ「懲戒免職にしない限り社会党は審議に応じない!」と強硬である。
 私は「大出先生、学徒動員の陸軍少尉でいらっしゃいますよね。たしか高射砲隊にいらしたとうかがっていますが」と切り出した。
「そうだ。オレは帝都防衛の高射砲隊にいた」
大出氏は、何を言い出すんだと怪訝な顔をしている。
「一生懸命B29を落とそうとして戦っておられたと承知しておりますけれど」
「そうだよ。首都防衛でB29を撃ち落そうとしていたんだ」
「先生が懲戒免職にせよとおっしゃっている竹田五郎さんは、実は陸軍航空隊の大尉でございまして、四式戦の疾風に乗っておりました」
疾風は大戦後半に投入された陸軍の最新鋭戦闘機で、最優秀とも評価される高性能機である。
「竹田さんは疾風の搭乗員として、東京でB29の邀撃戦をやって一機撃墜してるんでるよ。でも自分も被弾して、三鷹あたりの桑畑に不時着して助かってるんです」
「ああ、そうか」
「大出先生、一機でも落としました?」
「いや、当たらないもんなんだよな、あれは。一機も落としていない」
(160〜161頁)

質問をもう二度と繰り返さなかった。
その時に会場内が大いに沸いた。
自民と社会党という相反する党であっても、与党・野党の関係というのがただの足の引っ張り合いではなくて、国に関する思いが同士的なものがあった。
そこには少なくともユーモアと余裕が政治家にはあったのですよ、という。

団扇問題の時に
「あなた笑いごとじゃありませんよ」
という
“うちわもめ”蓮舫氏 松島法相追及「公選法違反じゃないんですか」 ― スポニチ Sponichi Annex 社会←この件かと思われる)
言葉が、みだらな名刺が女房に見つかった時の声に似ている。
「どうしたの、この名刺」
「え?それ?」
「笑いごとじゃないわよ!」
テンションが一緒。
それで好感を持てなかった武田先生。

政治家たる人たちが与党・野党で命がけの討論をしながらも、きちんとユーモアと余裕があったという例。

 一九六四年(昭和三十九年)三月二十四日、アメリカ大使館に侵入した暴漢によってライシャワー大使が刺されるという事件が発生した。(203頁)

ライシャワー駐日大使は柔らかい人で、奥さんが日本人。
発言がすっごく日本寄り。
暴漢に襲われて重傷になる。
そのニュースで子供心に「申し訳ないことをした」と感じた武田先生。

輸血で意識を回復なさったライシャワー氏の第一声は
「関係者は一切処分しないでください。護衛にあたった警視庁の人間に関しましては、一切処分しないでください」とマスコミにコメントした。
(この話はこの本の中にはなさそう)

「これで私は本当の駐日アメリカ大使になりました。なぜなら、私の体の中で日本人の血とアメリカ人の血が混じったからだ」と言葉をかけられて、私は震えるほど感動したのである。(204頁)

(番組では佐々氏が号泣したと言っていたが、そのような記述はない)

 二〇〇一年(平成十三年)二月一〇日、ハワイ沖で愛媛県立宇和島水産高等学校の練習船「えひめ丸」が、浮上してきたアメリカ海軍の原子力潜水艦「グリーンビル」と衝突し沈没した「えひめ丸事故」である。乗り組んでいた三五名のうち教員五名、高校生四名の九名が死亡した。(221頁)

 一方、アメリカ海軍の態度は当初、非常に悪かった。原潜の訓練海域に入ってきた方が悪い、立ち入り禁止区域だなどと主張して、謝罪や損害賠償など考えてもいないように振る舞った。(222頁)

そのアメリカ海軍の主張に対して「黙れ!」と叫んだ人がいた。
それがアーミテージ国務副長官。
ごっつい体の人で、三好清海入道(みよしせいかいにゅうどう)みたいな。
その人が振り返ってアメリカの主張を怒鳴りつけ、佐々さんに連絡を取った。
(本にはアーミテージが叫んだとか怒鳴ったとは書いていないが)

アーミテージ氏は、非常にタフだが柔軟な人物である。この事件が日米関係悪化のきっかけになりそうだといち早く察知して、日本の国民感情についての情報と危機管理上のアドバイスを求めてきたのだ。(222頁)

佐々さんは遠慮なくアーミテージに要求をした。
「損害賠償交渉をすぐ始めなさい」

・遺体収容に当たっては機械を使ってはいけない。人間の手で丁重に扱うこと。(223頁)

遺体の考え方がおたくらと私たちとでは違うと。
それが死に対する日本人のつぐないなんだ、という。

 任期の終わりまで一か月というフォーリー大使だったが、愛媛県を訪れて、大きな体を九〇度曲げて謝って歩いていた。もちろん大使には責任のないことなのだが、真摯に謝罪していた。これはなかなかできることではない。(224頁)

グリーンビルの艦長、スコット・ワドル海軍中佐の遺族に対する直接の陳謝も非常に早かった。
おそらく一週間経っていない。
3日か4日。
亡くなった方が蘇るわけでもなんでもない。
佐々さんがおっしゃっているようにアーミテージさんの奮闘が寄与するところが大きかった。
あの事故は、日米安保も含めて相当な危機になりえたはず。
九人の死者は大きい。
海に生きようという、前途ある高校生。
そのことに関して、アーミテージが何でもすると佐々さんに言ったらしい。

佐々さんは現在のキャロライン・ケネディ大使に対して

積極的なマイナスはないだろうが、「えひめ丸」のような大事件が起こったとき、彼女がどう対応するのか、日本人の立場を理解して見方になるのかどうか想像がつかないのである。(228頁)

(武田先生はこのあたりの文章を「キャロラインにはアーミテージを見習ってほしい」と言っているという風に解釈しているようだ)

駐日大使は優秀な人が多い。と佐々さん。
キャロラインもこまめ。
千葉の高校へ行って「アメリカに行って勉強をしませんか」というお誘い。
あの人のまなざしを見ていると、日本人に対するまなざしが暖かい。
キャロラインの父(ジョン・F・ケネディ)が殺された時に東京などの幼稚園の子供たちがキャロラインに手紙を書いている。
「泣かないで」
遠い遠い異国の子が自分を励ましてくれているということに、後に歌にもなった「スイート・キャロライン」は涙をいっぱいためて遠い国からの励ましの手紙を抱きしめていた。

 二〇〇一年(平成十三年)十二月、奄美大島の西方で北朝鮮の工作船と見られる不審船が発見され、捕物劇の幕が開いた。海上保安庁の巡視船と航空機が不審船を追尾、停船命令を出すも無視、逃走を続けたため、射撃警告の後、巡視船「いなさ」「みずき」が二〇ミリ機関砲による上空・海面への威嚇射撃、さらに威嚇のための戦隊射撃を行った。
 波が高くても自動的に目標修正するRFS付き機関砲なので、波荒い東シナ海でもきわめて正確に射撃ができる。船体射撃は全弾命中だったといわれる。
 巡視船で挟みこむようにして停戦させようとしたところ、不審船はそれでも逃走を図り、自動小銃とロケットランチャーによる攻撃をしてきたのだ。ここにいたって巡視船による正当防衛射撃が行われ、不審船は自爆と思われる爆発を起こして沈没したのだった。中華人民共和国のEEZ(排他的経済水域)内でのことだった。
(218頁)

国土交通大臣の扇千景氏には逡巡がなかった。
「ただちに反撃を開始せよ」だった。
「いなさ」「みずき」は敵に向かってむやみに撃ったのではない。
20ミリ機関砲を見えないスクリューに向かって集中発砲している。
「いなさ」「みずき」の射撃訓練がどれほど徹底しているか。
(上の引用からもわかるように、射撃の腕ではなくRFS付き機関砲であったためと思われるが)

 以前なら、中国や北朝鮮に配慮して、沈んだら沈んだで一件落着、そのままにしておいたところだが、このときは違った。
「証拠として回収すべきだ」と、断固として筋を通したのが扇氏だった。
(248〜249頁)

曽根綾子さんが当時トップを務めていた日本船舶振興会(現・日本財団)が費用を負担し、東京へ移送して臨海副都心の「船の科学館」で展示したのだ。(249頁)

扇大臣の一歩も引かず、引き上げて見せるということに関して曽根綾子という日本財団のトップの決断が寸分もブレなかった。
それが一言も文句を相手国、関係国に言わせなかった。

二〇〇三年(平成十五年)五月、公開初日は雨だった。(249頁)

北朝鮮の武装工作船であったということは明らかで、日本人の北朝鮮に対する思いを一変させた。

 翌年二月までの期間に、全国から見学に訪れた人は一〇〇万人に達した。(250頁)

(番組とは関係ないけど、この不審船は今でも展示されていて見ることができます。
詳しくは海上保安資料館横浜館-Japan Coast Guard Museum YOKOHAMA-

凄まじき女子どもの決意によりまして、ということで。

 一九九七年七月、夏休みに入ってほぼ満席、乗員乗客五一七人が乗った羽田発新千歳行き全日空六一便ボーイング747型機が、「自分で操縦してみたかった」という男にハイジャックされた。−中略−
 副操縦士らを追い出してコックピット内で貴重と二人だけになった犯人は、自分に操縦させるよう要求したものの拒否されて激怒、機長殺害に及ぶ。操縦席に座った犯人によって、機体は東京・八王子の市街地に墜落寸前になったが、すんでのところで飛び込んできた副操縦士や同乗していた非番のパイロットたちが取り押さえ、機を立てなおして羽田空港に着陸できたのだった。
(251〜252頁)

佐々さんはハイジャック犯の弱点を一つだけ見つけている。
(番組内では佐々さんの発案のように紹介されているが、本によると航空自衛隊幕僚長だった源田実空将の具申)
ハイジャック犯はシートベルトをしていない。
シートベルトをしていないんだったら、キャビンアテンダントと機長が息を合わせて、機長が急降下、急上昇、左右急旋回をやれば、ハイジャックはできないはずだ。
それで佐々さんは、昔国会議員で若いころは真珠湾まで攻撃に行った源田実さんを部屋の中に閉じ込めて、急上昇、急降下、急旋回のテクニックを何とかできないかと書かせた。
そのほかにも、キャビンアテンダントが何人かいるのでハイジャック犯のケツにスタンガンを当てるとか、そういうことをいくつも考えた。
ところが、運輸省から航空経営者までが大反対。
「キャビンアテンダントにそんな危ないことはさせられない」「ハイジャック犯の言うことを聞くしかないんじゃないんですか」と。
ナッツ一個で引き返したのもあったが「暴れそうな人の言うことは聞いた方がいいんじゃないんですか」ということだったが、

 そんな中で、声を上げた女性がいた。彼女は日航スチュワーデス第一期生だった。
「男の方は女は弱いものと決め込んでいらっしゃいますが、スチュワーデスは保安要員です。弱虫じゃありません。スタンガンを渡してもらえば、隙を見て犯人に電気ショックを喰らわせてやりますよ」
 この懇談会の帰趨は『後藤田正晴と十二人の総理たち』(文春文庫)で書いたことでもあり、ハイジャック犯に手の内を明かすことになるので詳述は避ける。
 ただ、女性の方がハイジャック対策に果敢であったことは、はっきりと記しておきたい。男たちの腰の引け方に比べて、女性はずっと腹が据わっていると思ったものだ。
(256頁)

クルー以下、キャビンアテンダントがそういう技術を持つべきだということで、もう訓練に入っているそうだ。
キャビンアテンダントになる人には、反撃する術が全部マニュアルとして仕込んである。
ハイジャックをやる人には不幸がある。
1997年のハイジャック犯はナイフ一本ぐらいしか持っていなかった。
大の男が後ろからケツでも蹴れば一発で制圧できたのに、そういうマニュアルがなかったがゆえに、機長という被害者を出してしまった。
機長は頑張ってくれたのに、メディアはボロクソに叩いた。
それで佐々さんはカチンと来た。

 今、私が見ていて、ステーツマンであると考えている政治家と言えば、やはり現内閣総理大臣・安倍晋三氏である。彼に“私利私欲”はない。(262頁)

祖父が岸信介という家系であるということは非常に重大で、日本の将来のためだったら日本中の反対者を敵に回してもやり抜くんだという覚悟が安倍にはある。
これは「アベノミクス賛成」とかそういうことではなくて、覚悟として。

歴史上「満場一致」で国家の運営を進めるべき時代と、「少数」の独断専行で突破せねばならぬ時代と、政治家が担わなければならない時代は二つある。
満場一致で「こっちの方が明るいぞ。みんなついてこい」と、モーゼがエジプトの民を率いるがごとく「出エジプト」という時もあれば、ルビコン川のシーザーのごとく「賽は投げられた」と言いながら一部の味方を引き連れて敵陣に突入しなければならない時もある。

 歴史上、重大な政治決断は独断専行か、それに近い「少数決」で決められてきた。ルビコン川越えを決断したシーザー、桶狭間決戦を決断した織田信長、昭和二十年八月十五日、終戦の聖断を下した昭和天皇は、「満場一致」はおろか少数決ですらない「独断専行」だった。(265頁)

安倍というのは少なくとも、そういう政治のきわどさを知っているのではなかろうか。
多数決が解決策になる時もあれば、破滅のスタートになる時もある。
国民が正しい時もあれば、国民が間違っている時もある。
政治とはそういうものなのだ。

消費税に関しても、各内閣が首を括って通り抜けてきた。
安倍晋三という総理は日本国内で20%近い支持率を落としてでも、バチッと締めたいという思いがあったのではないか。
それぐらいの覚悟が安倍さんにはある。
「オレはこうである」という志。
安倍さんは「自分探し」を一回もやったことがない。
小さい時から「お前は総理になれ」。
その違いは決定的。

 次世代の政治家として、私が着目しているのは小泉進次郎氏である。(282頁)

郵政見直しを民主が天下を取った時に、自民でさえ同調の動きがあったのに断固反対をしたのが進次郎氏。
簡単に見直す自民に逆らった。
「お父さんが決めたから」じゃない。
「やっといて見直そうか」そんなバカなことはあるか!と啖呵を切った。

最後まで舛添要一擁立に反対した進次郎氏。

二〇一四年二月の東京都知事選挙に立候補した舛添要一氏について、「野党になって一番苦しかったときに『自民党の歴史的使命は終わった』と言って出て行った人だ」と手厳しく批判し、自民党が支援することに不快感を隠さなかった。(283頁)

武田鉄矢・今朝の三枚おろし(1月19〜30日)◆『私を通りすぎた政治家たち』佐々淳行(前編)

私を通りすぎた政治家たち



この本にはカッコをして「最後の手記」と書いてある。
(私が借りた本には書いていないので本の帯にでもあったかと思われる。)
佐々さんはいろいろ思いがあって、この本を最後にされるということで取り上げた武田先生。
(因みにこの本の303ページに「これが私の最後の著作となるかもしれないが」という一文はある。)

佐々淳行氏。
1930年生まれ。
団塊の世代との縁が深い人。
70年代の安田講堂突入、連合赤軍、あさま山荘事件等で指揮棒を振った警察官僚。
後、防衛庁に入り、危機管理に当たる。
有名な仕事としては昭和天皇大喪の礼の警備を担う。
ある意味では団塊の世代である武田先生たちを権力の対岸から睨み続けた警察官僚の方。
その後は防衛の指揮官にもなった。

実際に会うまで苦手意識を持っていた武田先生。
数年前に仕事で会った時に「いい人だな」と思った。
実に涼やかな人柄で、ベタベタしていない。
間近で身辺護衛や政策の施策等々で首相・各大臣にも仕えたことがあって、そういう人への人間評というのをしっかり持っている。
いわゆる権力者を神輿に乗せて下から担いだ人だが、担ぎ上げる時にズバリ「コイツは本物か本物じゃないか」「本音でものを言っているかどうか」というものを一瞬にして見抜くという慧眼をお持ちの方。

先祖は侍。
戦国時代を経て武田から細川忠興に仕える。
佐々家は、そのあとずっと肥後細川藩。

「武田君。君は熊本だったね。肥後だったね。」
と言われるとズキンと来る武田先生。
武田先生の出身は福岡だが、ご両親は熊本だということを佐々さんはご存じ。
もしかすると武田先生のお母様がご存命の時にどこかの後援会(講演会?)ですれ違っているかも知れない。

肥後では有名な血統の方。
明治維新の頃は祖父が政界入りをして、父も政界入り。
佐々さんのお父様は反ナチス、日中戦争反対でものすごく頑張った方。
そのために軍部から命を狙われた。
東京大学法学部に学び、祖父・父からの人脈等々が後押しをしたことで桜田門に入所。
昭和史を動かした政治家たちとの出会いが佐々さんの青春から始まっている。
大学時代から自民とかの大物たちと会っていた。
はっきり言ってエリート。
この人の「血の良さ」に圧倒される武田先生。

昔、不動産屋で一儲けした会社の社長と一杯飲みながらグチを聞いた話。
「武田君。人間は品と格だよ。格っていうのはカネで買えるんだよ。」
札束を積めば、人間は結構高い座敷にも上がれる。
「品だけは買えない。」

この本の中で佐々さんが誉めている人だけ番組で取り上げる。
佐々さんがボロクソに言っている人は、この方にはこ方人の反論もあるだろうし、違う意見もあるだろうから、佐々さんが書いた閻魔帳のバッテンの方には触れない。

佐々さん曰く「凄みのある政治家がかつていたんだ」。
かつて日本には命をかけるという政治家がいた。
佐々さんがペンの書き出しで戦後最大の政治家とおっしゃっている政治家。
岸信介(56〜58ページ)。
1960年(昭和35年)、米軍に基地を提供するという日米安保条約を結び、この安保条約に国中が反対して一人で安保条約を米と結んだということて、ある意味では国賊呼ばわりされた人。
暗殺の危機にも晒され、足を刺される。
戦後の政治家は、そういう刃物三昧の下を潜り抜けた。
人間が渦を巻いて国会に詰めかけ、デモ隊が国会のみか自宅まで押しかけて、シュプレヒコールに取り囲まれても断固、岸信介は日米安保条約を結んだ。

当時の流行語。
「安保反対 岸を倒せ 国会解散」
これは新聞からラジオから聞こえてくる国民の地鳴りのようなシュプレヒコール。
ところが岸という宰相は一歩も譲らない。
「日本はとにかく防衛に関してはアメリカの懐に守られるんだ、それしか手がないんだ。その防衛に回すべき予算を経済の方に突っ込んで、日本は戦後復興から立ち直るべきだ。」
「何を言うか!アメリカに守ってもらって日本は独立国家か」というような罵倒が飛び交い、国会にデモ隊は押しかけるわ、日本中の学生は岸信介を裏切り者と呼び続け、新聞は罵倒した。
その時に自宅の中にいた幼児が現総理の安倍晋三。
押しかけてきたデモ隊の叫び声、おじいちゃんの悪口を書き続ける新聞に対して晋三君は何か思うところがあっただろう。
武田先生は安倍という宰相に、シュプレヒコールに囲まれ、日本中から罵倒されるおじいちゃんを持った政治家の孫という何事かを感じる。

武田先生が他のところから拾ったエピソード(出所はわかりませんでした)。
「安保反対 岸を倒せ 国会解散」の波は当然、教育界にも打ち寄せて、晋三君が小学校に行くと、クラスの先生がそのことに触れた。
晋三君がいる前で「安保には反対すべきです」「今の総理大臣の岸は間違っている」「安保を吐き捨て、日本は独立国家になるべきだ」「国会はただちに解散、岸は宰相の器なし」。
その時に忽然とただ一人、まっすぐに手を挙げて「僕は先生は間違っていると思います」と言った晋三少年。
そんな小さい時にメディアで攻撃される痛みとか、シュプレヒコールに取り囲まれて国民から罵倒されるという圧力みたいなものをありありと感じ、それでも黙して安保を強行したおじいちゃんに関して、とある思いがあったのではないか。
政治家とはこういうものである。
だからメディアに対しても、国民の声に対しても、ものすごく頑固な時は頑固。
晋三少年はこの後、日本人の変節を見る。
岸信介は国会に押し寄せたデモ隊の中から死者が出たということで、怨嗟の声は頂点に達し、マスコミは「人殺し」ということで引き摺り下ろし、宰相の座に背を向ける。
その後、池田隼人が総理の座に就く。
安保の問題をずっと、メディアは引っ張ろうとした。
「自民というのに任せておいたら日本はアメリカの奴隷国になるぞ」というのを各マスコミはやった。
出てきた池田隼人が何をやったかというと政治から離れて経済で行くために「所得倍増」を唱えた。

武田先生のお母様が池田隼人のだみ声で「所得倍増論」を聞いた時に、泣きながら怒った。
「今朝喰う麦飯がない国民に向かって、何が倍増か。倍増できるワケがなかろうが!」
ところが、本当に倍増に向かって歩き出す。
お父様の勤務先は吹けば飛ぶような渡邊鉄工所という福岡の下町の鉄工所。
それが二年後ぐらいにボーナスが出た。
高度経済成長なんてそんなことありえないと思ったが歩き出す。
すると、メディアは何をやったかというと、安保に一切触れない。

朝日新聞に載った記事を子供ながらにまだ覚えている武田先生。
池田隼人が経済人を連れて、ヨーロッパを旅して日本製品を売り込む。
その時に池田隼人の後ろにくっついていった電機メーカーにソニーがいる。
ソニーがヨーロッパにトランジスタラジオを売り込む。
これが高性能で売れ始める。
ホンダのオートバイ。
日本の高度成長がその辺の電気製品・オートバイみたいなものから歩き始めた。
池田隼人に対して「意外と腕のいいセールスマンだったね」というギャグが新聞に載る。
それを朝のホームルームの時間に発表した小学校四年生の武田少年。
世界で一番高いタワーである東京タワーを建てるというのと、皇太子殿下が美智子様という一般の中から皇太子妃を迎えるというのと、数年後に東京オリンピックを開催する。
その時に安保を完全に捨てて、日本はそっちの道を歩き始めた。
その時、小学生ながら「日本は意外と明るい方角に向かって歩き出したんじゃないか」と思った冬を忘れない武田先生。
当時、貧しさから学校の上履きを持っていなかった。
寒いので冬になると小学校の床を足を横にして八の字に歩いた。
お母様が「三年になったら上履きを買ってやる」。
上履きを買ってもらえるというのと、池田隼人の「所得倍増」というのが今でもリンクしている武田先生。

日本は安保を結んでも高度経済成長に歩き出すという政策は少なくとも間違っていなかったかと振り返る。

羽田空港の変貌ぶり。
40年前にフォークシンガーを始めた武田先生。
当時の羽田空港は駐車場があって鳥居が真ん中にあって、そこに車を止めて五分ぐらいで飛行機に乗れた。
今でいったら石垣の飛行場より貧弱。
飛行機に乗る人も少ない。
その羽田飛行場が最近、どんどん広がっている。
ANAとJALが分かれたり、外国便が羽田から飛び立ったり。
遠い千葉、成田になぜあれほど無理して飛行場を作ったか。
どんどん羽田を拡張すればよかったのではないか?
ここに安保問題があった。
羽田空港を拡張できないのは、実は日米安保条約があった。
日米安保条約を動かした人は石原慎太郎。

石原慎太郎は中国嫌いの過激な方。
尖閣問題の火付け役と言ってもいい。
この方はアメリカ嫌いでも有名。
大戦中、小学生ぐらいの時にグラマンの艦上機に狙われている。
それを救ってくれたのがゼロ戦。
自分の横を通り過ぎたゼロ戦のパイロットの手を振ってくれたあの勇士を忘れない。
そういう方。

東京都知事をなさっている2001年、アメリカの副大統領、国防省の長官等々を紹介してくれと佐々さんに頼んだ。

 首都・東京の米空軍基地(横田基地)は、占領時代以来広大な空域を支配していて、羽田空港の機能に大きな障害を与えている。(65頁)

 この日の横田基地返還交渉の席上、石原氏は、アクリル樹脂製の東京都空域の立体模型を持参していた。「羽田空域」を中央に置くと、それに「成田空域」の模型をかぶせ、さらに「厚木」「三沢」と透明な模型を重ねていった。横田基地があるがために、いかに首都東京の空域が狭く、複雑かを示した上で、「いかがです? 一目瞭然でしょうと、フォォルフォヴィッツ国防副長官に問うたのだ。
−中略−
 この交渉によって、アメリカ政府は二〇〇八年に横田の空域を二〇%返還する。二〇%とはいえ羽田の空域が大きく広がったおかげで、第三、第四滑走路の建設が可能になったのだ。
(67〜68頁)

石原慎太郎という人が日本の防衛庁も手が出せないものを、ペンタゴンに乗り込んでいって「日本の事を考えてくれよ」という発言があった。
その辺のところを褒めてあげないと「この人の発言にも困ったものだ」というだけでは批判にならない。

 いい政治家・人柄だったのに、首相在任中の病死・早世が惜しまれるのが小渕恵三氏である。−中略−
 ニューヨーク・タイムズには「冷めたピザ」とまで書かれたが
(71〜72頁)

この人は「冷めたピザ」どころではなかった。
いいか悪いかはともかく、小渕さんが辺野古移設を発案した総理。
普天間というのが市街地になって非常に危険なので、辺野古に移そうということを閣議で決めたのが小渕さん。
辺野古移設に関して完全にストップしている状態。
この時、沖縄サイドも日本国内も小渕さんに関しては賛成したのだが、その後政治の変転があり、今は辺野古移設反対というのが沖縄の意見になった。

「冷めたピザ」と言われた小渕さんは振り返ってみると凄みがある方。

 一九九八年(平成十年)十一月、江沢民中国国家主席が来日して「日本政府による歴史教育が不十分だ」と言って、日本の教育を非難し、天皇と総理からの謝罪を要求したときには、これをはねつけている。(73頁)

すごく変な来日だった。
政府の役人に一切合わず、仙台に中国革命の先人の跡があるので、直に仙台に旅行した。
県知事とも会ったが、総理とは会わない。
その後、江沢民氏はトヨタ工場を見学し、トヨタに「工場を作ってね」とお願いした。
日本で揺れに揺れて、小渕さんを各メディアが批判した。
歓迎の式典などを用意していたが、向こうからじゃんじゃんキャンセルされた。
小渕さんは中国の外交姿勢を「失礼だ」と言い捨てた。
メディアは「とにかく中国に謝れ」。
小渕さんは絶対に謝らなかった。
その後の日本の中国に対する外交姿勢を決めたのはこの時の小渕さんの姿勢。
彼のジャッジが正しかったのかどうかは、まだわからない。
頑固であったのは間違いない。
とても「冷めたピザ」なんていうニックネームを付けられる人ではなく、燃え上がるような姿勢を持った人だった。
これらの姿勢が全部一変したのが鳩山首相。
鳩山さんはこの小渕さんを非難して全部ひっくり返した。
対中姿勢や基地問題に関して鳩山さんが正しかったのか小渕さんが正しかったのかのジャッジには、まだ時間がかかる。
とにかく鳩山、小渕というのは対極の姿勢で対中問題を考えた。
佐々さんはその意味では小渕さんをすごく買ってらっしゃる。
「小渕には骨があった」
佐々さんは志もなく、己の身体、身の安全、体面ばかりを気にする政治家が大嫌い。
この、自分の体面ばかりを言っている政治家をこの本の中で次々と挙げている。

 先ず、世上、毀誉褒貶があるが、ハマコーこと浜田幸一氏(自民党)は実に面白い人だった。(144頁)

向こうから浜田氏が歩いてきて言った。
「佐々さん、通産省の役人は腐っている。話なんてしない方がいいよ。うつるよ。僕は通産の役人と話した後は、家に帰って睾丸を粗塩で揉んで清めるんだ」
(149頁)

2015年04月23日

武田鉄矢・今朝の三枚おろし(11月17〜28日)◆闘え!ナウシカじいさん(後編)

これの続きです。

人と話したり番組で話したりしている時に、話が時々「老人問題」になったりする。
「じいさん世代」と思われる悔しさがいつも渦巻く武田先生。
テレビ番組の中で「この国の老人問題は」と言うとおしぼりをなげつけたくなる。
失礼な言い方。
その他の名詞の後に全部「問題」を付ければ全部問題になるのか?と言いたくなる。
「女問題」「少女問題」とか。

武田先生に関する誤報が秋口に流れた。
「武田さんは元気でいいですね」
と言うから
「そんなことはない。俺だって鬱っぽくなる時があるよ」
と言ったら
「え?鬱病ですか?」
と言われた。
鬱っぽいことを話したつもりだった。

陽気に楽しく生きてきた武田先生。
だが、65歳になると、ちょっと滅入ると深々と滅入る。
ジムに行っても若いインストラクターから「武田さん、肩落ちちゃってる」と言われたり。
老いが顔ににじんだ時、それが病っぽく見えることがある。

仲間(海援隊の皆さん)と旅をする時、若いころは「フォーク界の城みちる」と言われていた千葉和臣さんがしわだらけになっている。
老けたのは中牟田俊男さん。
武田先生が時々、中牟田さんを逆光の中で見る時、黒い髪が白くなってしまったので、全部ハレーションで飛ぶ時があって、阿弥陀様のように全身から光を放つようになった。
みんな老いる。
その時に、ふっと先行き不安になる時がある。
老いというのは思っていたよりも手ごわい。
老いに対して「闘わねば」と思った武田先生。
それは老いの共通「お前も老けた、俺も老けた」に入るよりも、個性的に老いると自分に言い聞かせないとバラバラになりそうな時がある。
老いというのは簡単なものではない。
機嫌のいいおじいさんとかおばあさんになることは大変。
不機嫌なおじいさんとかおばあさんにはすぐになれる。
機嫌のいいおじいさんとかおばあさんになるというのは、よっぽど訓練してこないとできない。
目指さないとなれない。
電車に乗っていても不機嫌に見える人が多いと思う水谷譲。
ただ単に、普通にしていて力を抜くと不機嫌に見える。
「この人は機嫌のよさそうなおじいさんだな」「この人は明るそうなおばあさんだな」と思わせるためには、力を抜いてはダメ。
別種のあるエネルギーを身に付けないとそのオーラは出ない。
ジャッキー・チェンの映画「酔拳」に出てきた酔拳を教えるおじいさんとか、猿飛佐助に忍術を教えた塚原卜伝とか。
神がかっている。
仏がかってはだめ。
仏をカッコに入れておいて神に近づく。
そのためには「闘うナウシカじいさん」。

新しいタイプの老人を目指す。
武田先生の提案。
歩哨、センチネル、共同体を守る点検して歩く、見張る、そういう自覚を持つ老人、そういうものが増えると日本という社会はもっとうまくいくのではないか?
老人になっても、なお若い世代に貢献できる老人。
どういう老人が具体的にいるのか?
内田樹氏はその具体例として村上春樹氏を挙げる。
世界全体のセンチネル。
彼が持っている世界の問題点の取り上げ方が、武田先生と同い年だが、スケールが全然違う。

もう一人。
老いて行く身でありながら、世界全体を歩哨して歩く、見守り続ける。
そして邪悪が入り込むのを懸命に防いでいる。
宮崎駿氏。

宮崎駿論―神々と子どもたちの物語 (NHKブックス No.1215)



40歳になったばかりの杉田俊介氏の著作。
文化文明批評家。
若い方で宮崎駿のアニメを見て分析している。

以前、宮崎氏と楽屋で話し込んだことがある武田先生。
『魔女の宅急便』の時に、お嬢さんが見たがったので行ったら会ってくれた。
低次元の質問をして叱られた武田先生。
「宮崎さん、ナウシカパンツ履いてないでしょ?」
「履いてますよ!(怒)」
ピタッとしたスパッツを履いているそう。

宮崎駿
1941年生まれ。
戦中派。
四人兄弟の次男。
墨田区に生まれて、ご実家は『宮崎航空機製作所』。
『紅の豚』
変なアニメ。
女の人たちが寄ってたかって飛行機を作る。
宮崎氏の秘密は『宮崎航空機製作所』にあった。

先にふれた栃木県の「宮崎飛行機」は、末端の軍需産業であり、叔父が社長、宮崎の父が工場長だった(病弱な叔父を父親が手伝った)。零戦の防風と、夜間戦闘機・月光の翼の先の部分を組み立てた。戦争のさなか、千数百人の工員たちが、腹をへらしながら作業していた。(38頁)

『紅の豚』の奇妙なシーン。
豚が戦闘機を頼みに行くと、女どもが一斉に戦う戦闘機を製作している。
なぜ彼は豚になったのか?
最後まで明かさない。

『宮崎航空機製作所』は大戦が始まった時は工場は宇都宮にあった。
宇都宮大空襲。

 敗戦間際の一九四五年七月、疎開先の宇都宮が大規模な空襲に見舞われた。父に背負われ、家族で東武鉄道の土手の上へと逃げた。当時四歳半の宮崎は、土手の上から、宇都宮の町が燃えるのを見た。(22頁)

(武田先生は「お母さんに抱かれて」と語っているが、本によれば「父に背負われ」)

 疎開先の宇都宮が敗戦間際に空襲にあった時の、戦争の原体験を宮崎は、次のように思い出している。布団の中で目を覚ましたら、空襲がはじまっていた。−中略−そこも危なそうなので、叔父がトラック(ダットサン)を取りに家に戻った。そのトラックに乗って、町の外まで逃げた。−中略−
 そしたらそのガードのところに他にも何人か避難していまして、僕はその辺の記憶はもう定かじゃないんですけども、確かに「乗せてください」っていう女の人の声を聞いたんです。
−中略−とにかく女の子を一人抱いているおばさん、顔見知りの近所の人が「乗せてください」って駆け寄って来たんです。でも、そのまま車は走ってしまったんです。(41頁)

「自分が生きているのは、たくさんの人を犠牲にしたのではないか」というような、おびえがいつも宮崎氏の中にあったのではないかという杉田説。

トラックに乗っていたお兄さんたちは、そういう人とはすれ違わなかったと言っている。
(42ページにこのあたりの話が出ているが、武田先生の話を聞くと「そういう声は聞いていない」っていう感じの印象だけど、本によると「男性の声」だったという話)
アニメを見て「ギクッ」とするのは、『となりのトトロ』『千と千尋の神隠し』『崖の上のポニョ』興業的に大当たりをとった作品ばかりだが、全て冒頭は家族を乗せた車の疾走シーン。
やたらとカーブで、不安定な走り。
いずれも全部小さい車。
そのあたりはもしかすると、五歳か六歳の(実際には四歳半)宮崎氏の思い出が「助けてください」「乗せてください」という声を振り切って自分はダットサンで燃える宇都宮の町から逃げたことが、アニメのそういうところに結びついているのではないか?
実はあの対戦と結ばれていて、あの時トラックに拾って乗せてあげられなかった子供たちを、アニメの中で懸命に収容し続けているのではないか?

老いてますます「子供たちだけは救いたい」。

宮崎映画は難しい。
考え込むと「何を言いたいんだろうか?」「何を意味しているんだろうか?」。
宮崎氏は「楽しんでください」と言うのだが、楽しむ前に考えてしまう。
子供が見て「ポニョ可愛い!」で済めば面白いんだろうけど「何を言いたいんだろう」と考えてしまうと、ドツボにはまる。

『崖の上のポニョ』の母親。リサ。
「肝心なもの」がないと感じる武田先生。
船乗りの亭主(耕一)はツバメ?
宗介(少年)はリサの子かも知れないが、船長とは血のつながりがないのではないかと感じる武田先生。
お母さんがポニョをすぐに受け入れたことが「自分にはできない」「このお母さんすごいな」と感じる水谷譲。

 特に、すべてが海に沈んだあと、崇介とポニョが、ボートに乗った若い夫婦とその赤ん坊に向き合うシーンには、戦慄的な凄みがあった。この赤ん坊は、おそらく、自分が死んだことにまだ気づいていない。ポニョは赤ん坊に、しきりに食べ物を食べさせたがる。−中略−
 たぶんポニョは、食べさせることでこの赤ん坊に、そのことを教えてあげたかった。お前はもう死んでしまったけど、元気でやれよ、と。
(250頁)

 宮崎は言っている。「目的的な生態系なんてあるはずがない」、と。「意図するものと、もたらされるものとは違うんです。だから腐海は人工的に仕組まれた生態系として発動したけれども、それがこの世界で、時間の中で違うものになっていく。人が植えた木だから自然の木じゃない、原生林にならないから大事にしてもしょうがないんだと言ってるよりも、人がつくった森でも、森としてちゃんと機能して、想像もつかない複雑な生態系になったりするんだと思うほうが、僕の気持ちに合います」(62頁)

 だいたい、自然というものがやさしくて、人間が汚染した環境を回復しようとして腐海を生み出すとか、何とかしてくれてるなんていうのはよっぽど嘘でね。そういう甘ったれた地球観とかいうのにしがみついているのは問題じゃないか。−中略−
自然は時には残忍なものです。不条理なのです。
−中略−自然は個体の善悪などに全く頓着していません。(82頁)

この国に生きる人間として、「自然は時に残忍なもの」であるというのは深々とうなづけるリアルな言葉。

 たとえば宮崎は、大切なのは「人間の目で自然を見ない」ことだ、と言っている−中略−
 これは何を意味するのか。
 かつて宮崎は、小学六年生の子どもたちに向けて、こんなふうに話しかけたことがある(「こんな映画を作りたい」、一九九二年六月一九日、仙台八幡小学校六年三組にて)。
 −−ねえ君たち、考えてみてごらん。
 僕はずっと、こんなことを感じてきたんだ。昆虫や動物にとっては、そもそも、時間の流れ方が、私たち人間とは違うのではないか。たとえば、ミツバチには自分の羽の羽ばたきや雨粒が見えているとしたら、どうだろう。鳥には、僕らの目には見えないはずの風の動きが見えている、としたら。あるいは二〇〇年以上も生きたゾウガメから見れば、人間が歩くのは、ものすごく速く見えるのではないか。
 僕はそう思うんだけど、君たちは、どう思う。
 この宇宙に存在するものたちは、時間の感覚が違うだけで、じつは、「ものすごく大きなものも、ものすごく小さなものも、みんな同じように動く」のではないか。(
83〜84)

(「アニメで面白い映画が作れる」みたいな文章がこの部分には発見できなかったので、そのあたりは武田先生の創作かと思われる)

時間が違う。
このあたりに新しい世界の見え方があるのではないだろうか?と思う武田先生。

 花や木や森だけが美しいのではない。鉄やセラミックや資本や廃棄物や放射性物質をも内包していく重層的で異種混交的な生態系として、私たちの身の周りの〈自然〉は存在している。(89頁)

「時間が違う」からこそ問題があるのだが、まず「時間が違う」ということをきちんと受け入れよう。

宮崎アニメの世界は全然別の生き物が別の時間で生きているということを森で象徴している。
「ナウシカ」の腐海、「天空の城ラピュタ」のラピュタ城の庭、「となりのトトロ」のトトロの森、「もののけ姫」のサンとオオカミの住む山岳の樹林。
時間の違うものの棲み分けは森ごと
森というものが時間の違いを全部表現する。
そういう森のセンスを持っているのは老いたるものの特徴ではないだろうか?

テレビで武田先生が見かけた話。
今、評判になっている樹林葬。
このあたりかと思われる)
千人の募集に対して万人の応募があったという。
東京都下の記念公園の一角に森を作る。
その森の根本に人骨を収める。
森そのものをお墓にして、お参りにくる人は、森の入口で手を合わせてくれれば、森そのものがその人の墓標。
ミュージシャン仲間を集めて墓が作れないかと夢想する武田先生。
自分たちでお金を出し合って「団塊の森」というのを作る。
千人単位。
武田先生の世代は人口が多いのでいちいちお墓を建てていたのでは、後で生活する人に迷惑をかける。
「闘うナウシカじいさん」の最後の守るべきお城。
ナウシカじいさんの最後の森にして、1000年か2000年経つといい感じの森になるのではないか。
やがて原始の森に帰った時に、美しい原生林のエリアになるのではないか?
もしかするとその森は、逆の意味でこの国の宝になるかも知れない。
私たちは生きる時間ともう一つ、死んでからの時間を今、作らなければならない。


武田鉄矢・今朝の三枚おろし(11月17〜28日)◆闘え!ナウシカじいさん(前編)

昨年の11月に放送されたものなので今更ではあるけど。
で、二週にわたって一つのお題で放送されたのだが、本は二冊。
まずは一冊目。

日本霊性論 (NHK出版新書 442)



最初は武田先生が見つけた、2014年8月26日の読売新聞のコラム欄「よみうり寸評」の切り抜きから。
(古いからか該当記事はネット上では発見できず)

昔話である。
山に住む大蛇が里に降りてきては人々に害を与えた。
これを一人の若武者が見事に退治する。
大蛇は首を刎ねられ、自分の流した血でできた沼に深く沈んでいった。
里の人々はそこを蛇王池と呼び、供養塔を立てた。


これが広島の例の山崩れの伝説。
平成26年8月豪雨による広島市の土砂災害
だから、昔から蛇・大蛇が出てくるぞというような、森から魔物が飛び出してくるような伝説があった。
そこに一人の若武者がいて退治したということが、散策のマップに記載されているそうだ。
昔話というのはバカにできない。

それにつけても、大地は物語を持っている。
人と関わりのある山河は必ず、先行する人と関わりのあった物語を残している。
これは名前に現れている。
「蛇崩れ」というような「蛇」のつく地名のところはだいたい地面が安定していない、非常に土砂が崩れたりすることが多いぞという。
そういうことが地名に残されてる。
だから土地の名前というのは大事。
土砂災害のあった広島市の地区に大蛇伝説がやっぱりあった。
山河はやっぱりだまし討ちはしなかった。
2011年3月11日以来、私たちは海洋、海、山が、私たちとは違う物語を持つことを思い知った。
この後に御嶽山もある。
とにかく火山の突然の目覚めにしても、土石流、土の蛇と化して山が崩れるという土砂災害に関しても、山、火山に問題があるというよりも彼らは別の時間で生きている。
千年に一度目を覚ますとか百年に一度大きく暴れるとか、時間の感覚が違う。
そういう生き物ではなかろうか?
日本人は太古より、その別の時間で生きているものに「○○神」という名前を与えたのではなかろうか。

切り抜きのコラム(先ほどの「よみうり寸評」)はハザードマップへの注意喚起、砂防ダムの必要などをこの後に書き添えている。
武田先生がこの記事を読んで最も思ったのは「若武者が一人いれば」。
若武者が一人あの夜、太刀を持って雨の中に立っていて、大蛇が暴れそうになった時に「あぶない!みんな逃げてくれ!俺が退治する!」というファンタジーを思わず夢見てしまう。

そこで今週の提案「老人よ大志を抱けシリーズ第一弾」。
「闘え!ナウシカじいさん」
65歳以上の高齢者が、自ら蛇王池のナウシカとなって大蛇と戦うというファンタジーを追及しようではないかと夢見る武田先生。

夜回り、センチネル、歩哨で立っているおじいさんがおったばっかりに、大きな犯罪が防げた。
東京で変なヤツを交通安全の旗でおじいさんが撃退した。
練馬・小学生切りつけ!現場の交通誘導員「車下りたときから顔つき異常」 : J-CASTテレビウォッチ←この事件のことを言っていると思われる)
どんなに恐ろしいヤツだって、見守る人、歩哨の人、センチネル、そういう人がいてくれれば。
あれが私のナウシカじいさん。

子供たちの事故は時間帯が決まっている。
夕方の4時から6時まで。
ちょうど子供たちの下校時刻に魔物が出やすい。
だから、全国のじいさんがその時間、全部そいういうところに立っていると犯罪が防げる。
そのじいさんたちの呼び名が「ナウシカじいさん」。
団塊の世代が「ナウシカじいさん」にいかにしてなるか。

団塊の世代。
巨大な老人の人口を抱えている日本。
その老人世代の新しい生き方として、武田先生からの提案。
「ナウシカじいさん」
地域社会に貢献し、地域社会の安全を守る「老いたるサムライたち」。
そういう「じいさんサムライ」を作ろうという提案。
境界線と境界線の間には必ず昔はセンチネル(歩哨)が立っていて、敵が攻めてきたり魔物が忍び込んでくると、その歩哨たちが騒いで全員でやっつけた。
その歩哨にこそ我々団塊の世代が、高齢者がなるべきではないだろうか?

ご近所にいっぱいいらっしゃって、子供たちが帰ってくるところに道に出ていてくだされば安心という水谷譲。

今は警察だけでなく、お年寄りが何人かで車に乗ってパトロールをするというのが、本当に効果がある。
街歩きで同じような法被を着て5〜6人でというのでも効果がある。
魔物が出ることに対して、警戒している、見張っている、歩哨に立っているという、そういう人たちが街の中にいるだけで、魔物はなかなか街に入って来られない。それには団塊の世代がぴったりであるという武田先生の提案。

七人の侍(2枚組) [東宝DVDシネマファンクラブ]



志村(志村喬)、稲葉(稲葉義男)。
戦に明け暮れた、一国一城の夢を捨てた、いわば定年退職したサムライが、ある村を守るというのが「七人の侍」。
志村「若いうちは夢を見ろ。だがな、戦に出て手柄を立て、やがては一国一城の主に。そんな夢を見ているうちに、ハッハッハッ。頭もこのように白うなった」
志村が一番最初にやるのが、誘拐された子供を助けて、誘拐犯を刺殺する。
そういうシーンから始まるのが「七人の侍」。



内田樹著(釈徹宗と共著)。
内田氏の言葉は全て体を通して得たもの。
頭から考えたことが指に出た言葉ではない。
体から吸い上げた言葉が、頭でろ過されて言葉になったというのが内田氏の本の特徴。

お気づきだと思うが、我等団塊には年金や医療控除など、ご隠居のための福祉の余りの長寿、そして頭数の多さゆえに、前の老人ほどもらえそうにないぞと。
我等日本人、いままでの老人とは違うタイプの老後のスタイルを作らなければならないのではないだろうか?
その一つが「サムライのすすめ」である。

松下幸之助がすぐれた経営者の条件を三つ挙げたことがあった。ひとつめは、愛嬌があること。ふたつめは、運がよさそうに見えること。三つ目が後ろ姿っていうんです。(38頁)

 二〇一一年に亡くなったアップルの創業者のスティーブ・ジョブズという人がいます。−略−
 その中でジョブズが非常に大事なことをふたつ言っています。ひとつは、「点をつなぐ」(connecting the dots)ということです。彼はリード大学という私立大学に入ったけれど、半年でドロップアウトしてしまった。退学したけれど、することがないので、大学近くの友人の家に居候して、授業をもぐりで聴講していた。
 そのとき彼が何気なく選んだのがカリグラフィーの授業でした。
−略−
 自分がどうして大学をドロップアウトした後カリグラフィーの授業にもぐっていたのか、ジョブズがわかったのは、それから十何年した後です。最初のマッキントッシュのパソコンを作ったときに、ジョブズは「フォントを選択できる」ことを標準装備にしました。それまでパソコンの文字の書体はひとつしかありませんでした。でも、ジョブズは、マッキントッシュのコンピュータでは、フォントを選択できるだけでなく、字間も自動調整できて、文字がきれいに見えるようにした。
(47〜48頁)

想定内で一生懸命生きている人は新しい考えは出てこない。
新しい考えというのは全部、想定外。
「あの時に妙なことを勉強したけど、あ!これは役に立つな」という、想定外の自分が想定外の出来事に役に立つ。

スティーブ・ジョブズは禅宗に興味を持っていた。
人生に「ここまでが俺の働き盛りだった」と線を引いてしまうとつまらない。
ジョブズが言っているのは「点をつなげ」。
人生に点々と打ってある、点を結ぶことによって新しい星座を作っていくということが大事なんじゃないか?
それが「connecting the dots」という名言になったのではないか。

なぜ歩哨に立つ老サムライを提案するのか。
なぜ私はナウシカじいさんを提案するのか。
その答えを内田氏が語る。

 集団を存続させようと思っていたら、成員中のもっとも弱い者でも支援できるという制度にする必要がある。人間というのは、幼児のときは自分では栄養補給もできないし、歩けもしない。狩猟も濃厚も漁撈もできない。老人になれば、手足が不自由になって、やはり周りの人間から支援介護されなければ生きてゆけなくなる。健康なつもりでいても、不意に病気に罹るし、けがをして思い障害を負うこともある。そういう社会的弱者は僕たち全員にとって「かつてそうであった自分」「いずれそうなる自分」「高い確率でそうなったかもしれない自分」であるわけです。(80頁)

もし、病気の者、怪我人、障害者、幼児、老人など生産性や機動性が低い個体は「要らない」から棄てるということをルールにする集団があったとしたら、その集団は一世代後には消滅しているでしょう。(79〜80頁)

老人と幼児が絶望すれば、集団は維持されない。
これが現代の鉄則である。
ゆえに社会的弱者は守らなければならない。

「そんなに子供を叱るなよ。昔、通った道ではないか。そんなに年寄り嫌うなよ。これから通る道ではないか。」というどどいつにある通り。

弱者とは何か?
それは「私」の変容体。
「私」が変化したものである。
時間の違う「私」を生きている私が弱者なのである。
そのゆえに我らはこれから、老いたサムライの自覚があるものが蛇王池のほとりに立たねばならないのだ。
この時代は若者が少ない、いびつな人口構成の時代なのである。
先の時代の老人の特権を一部の老人はカッコに入れて保留すべきである。
老人大国日本のそれが宿命である。
暗く語っているのではない。
これは希望を語っているのだ。
めざそうナウシカじいさん。

現実問題として、老人の力というのは絶対に課すべき。
すれ違うトラックを高齢の方が運転している。
そういう意味では労働力としてかなりまだ使えると思う。
老人一人が若者一人分の働きをするというのは無理かも知れない。
しかし、若者一人分の肉体労働力を老人四人で補うことは可能。
そういう意味でこの国の老人たちは他の国の老人たちより仕事がある。
こんな幸せな老人たちは日本史上に初めて出現した。
ただし、その仕事(ナウシカじいさん)は世間一般の仕事とは一点のみ違う。
無給を目指すこと。

内田氏はこの本の中で「時間の問題」をしきりに言っておられる。
この時間の問題の中で原発の問題にも触れている。

 人間が集団として生きていく上で必要不可欠な制度のうちには決して政治と市場が関与してはならないものがある。そのことを忘れてはならないと思います。別に僕は政治家は全員邪悪であるとか、ビジネスマンは全員強欲であるとか、そんなことを申し上げているのではありません。そうではなくて政治と市場は「変化が速い」ということが問題なのです。(98頁)

ところが原子力というのはものすごく時間が長い。
事故が起こった場合の収束の時間が○千年○万年単位になったりする。
時間の単位が違うものは、時間の単位が違う人が当たるべきである。
それは武田先生が読んでいて「俺たちじゃないか」。

この世の中に存在しないもの、超越的なもの、神様でもいいし、生身の人間が直に手で触れることができないもの。
世の中というのはいろんな時間のものがいっしょくたに住んでいる。
それを人間の人生だけで割り切る、あるいは人間の都合、効率、利益、そういうもので割り切ると、たちまちいびつになってしまう。

内田氏曰く、邪悪なものはこの世に紛れ込む時に、必ず侵入する回路がある。
それは人間の心の中の隙につけこんでくる。
だから警戒しよう。
人間の心。
つまり傲慢、嫉妬、むやみな怒り、貪欲、色欲、怠惰、憂鬱。
こういうものを通して、魔物がやってくる。

 危険なものが何で危険であるかというと、「危険なもの」と「大切なもの」が外形的には酷似しているからです。(107頁)

「貪欲が悪い」と言っても貪欲がなければ新しい食物は探せない。
「嫉妬」がなければやる気にならない。
「傲慢」がなければ人間というのは安定しない。
すこしうぬぼれがないと。
このあたりが世界の難しいところ。

魔物は我が人間社会にどんどん入ってくる。
何でこんなことが起きるのか?
一体、我々は何を見落としたのか?
ここにも、歩哨のサムライ、ナウシカじいさんを立てるべき。
ナウシカじいさんの底力さえあればと思う武田先生。

内田氏は何より、この世の中を守るのは「共身体」を持つものと言う。
邪悪は人に忍び込むと自己肥大を引き起こさせる。
たった一つ自分の時間だけで生きて行こうとする。
その邪悪に飲み込まれた人をこの世に引き戻せるのはセンチネルのサムライ、共身体を持つもの。
人の体を我が体と思える、そういう性格の人々は老人しかいない。
若者ではダメ。

新しい考え方が必要だと最近思う武田先生。
ラジオの世界は年寄りが役に立っている産業。
聞き手も喋り手も。
ラジオの喋り手は、これから仕事にとりかかるよりも、一仕事終えた人たちの方がいい。
若けりゃいいっていう世界ではない。

大沢悠里さんの番組に出演された時、大沢さんが武田先生が今度出したアルバムの老人の歌みたいなのを本当に喜んでくれる。

武田鉄矢 & 海援隊-REUNION WORKS



(多分このアルバム)
それを聞いていた外回りの毒蝮(毒蝮三太夫)さん。
ゲストの武田先生に絡みたいが話題がない。
武田先生の出身が福岡だということをご存じなので
「まあしかしさ、福岡の人も博多の人も蒙古襲来の時は大変だったろうね」

内田氏がいうところの「共身体」、つまり老いた人間というのは、話を合わせるために、たっぷりついた自分の時間を持っていて語りかけることが可能。
今の話題じゃなくて話ができる。
そういう意味では、日本の社会全体の守り役としては老人がこれから役に立つのではないか。

いくつもの物語を持っている。
物語にいい悪いはない。
これが正しいものがたりとか、そんな物語があるはずがない。
物語は物語として。

何よりも子供を守ろうとする意識。
初老の武田先生でもある。
若い時は傲慢なもので、自分の家の子供しかかわいくなかった。
年をとって「いいな」と思うのは人の家の子供がかわいいこと。
生命力に溢れて、何も知らない子のかわいらしさ。
本当にこの子のためだったら死んであげてもいいと思うぐらい、人の家の子でも。
世界を敵と味方で分けないという考え方ができるのは老人の特権ではないか?
昔は政治的に失政をした人を許せない気がしたが、今は平気で許せる。

ナウシカの不思議なシーン。
腐海でマスクを外すナウシカ。
変な虫が空中を飛んだり、カビみたいなヤツが胞子を吐いたりしているが、ナウシカはそれを「きたない!」とか言わない。
じーっと見ていて「きれい」って言う。
みんながすごくののしる魔界をあえてナウシカは「きれい」と思わずつぶやく。
気持ちの悪い虫なんかも、いとおしくてたまらなくなる。
そいうあらゆるものにアクセスできるというような魂を持つ、そういう体を持つというのはすごく大事。
世界を敵味方で分けない静けさを持つのが「ナウシカじいさん」


2015年03月11日

武田鉄矢・今朝の三枚おろし(2月16〜27日)◆『白川文字学 サイの人』(後編)

これの続きです。

清朝末期、1899年に大量に甲骨文字を発見。
河南省安陽小屯村の殷墟(殷の遺跡)から大量に見つかる。
それまで甲骨文字が研究されたことがないので、発見も古代の遺物として発見されたのではなく、カンサイシュさん(国子監祭酒であった王懿栄のことか?)と劉鶚さんの二人の方が殷墟から亀の甲羅を発見した。
発見した動機が古代史でもなんでもなく、漢方薬の材料で掘り出した。
甲骨文字の亀の甲羅を粉にして飲むとマラリアに効くという薬として見つかった。
細やかに文字が書いてあるので、そこから研究が始まる。
そのため、1899年まで「甲骨文字」というものはなかった。
「そんなものは学問の足しにはならんよ」とあざ笑う人が中国にはたくさんいて、真面目に勉強する人がいない。
それがただ一人、我が国で白川静は二十代の時に甲骨文字に会い、甲骨文字の数万編を全部トレースで写し取る。
その写し取る中で群れに分けて、それでゆっくりと漢字の字源に近づいていくという学問の方法を取った。
この人が甲骨文字を研究し始めたのは二十代後半ぐらい。
ずっと研究して研究論文として発表し始めたのが六十歳を過ぎてから。
孤独だったろうと思う。
異端扱いをする人がすごく多い。

漢字の辞書に「士」は「オチンチンが立っている姿」。
横にするとオチンチンが立っている。
「牡」「牝」だから「士」は性器を意味している。
それが正解とされていて学会の中央にあった。
それを白川氏が「そんなわけがない」。
「士」を調べていくとだんだんと小さい斧の字になっていく。
「王」はまさかり。
「士」は小さなまさかり。
それを甲骨文字の中に見つけて「これは刃物だ。力の象徴なんだ」。

私たちは漢字をあまりにもイメージで語りすぎる。
漢字というのをちゃんと追求するために大事なのは、漢字を産んだ人が、どんな思いでその一文字を作っていったか
そういうことがわからない限り、漢字にはたどり着けないぞ!

 身体装飾、刺青のこと。

「彦」の彡も刺青のこと。
こういう刺青を男子は入れていた。

「胸」の×。
胸あたりに×の刺青を入れていたから。

漢字を作った人たちというのはイニシエーションとかで身体装飾で刺青を入れていた人々であった。
そういう漢字を作った人々の暮らし、文化みたいなものをきちんとわからないと漢字は理解できない。

四つんばいの象を立ち上がらせたところが「象」。
中国の人が字にしたぐらいだから象が身近にいた。
黄河とか揚子江に象がいた。
そのぐらいあのあたりは大密林地帯だった。

白川博士が甲骨文字に「為」を見つける。
象の頭に人が乗って材木を運んでいる。
甲骨文字を見るとちゃんと象に見える。
黄河のすぐ近くか揚子江あたりで木材を象に拾わせて、象を使う人たちがいた。
象で巨大な建物を為した。

私たちが思っている「漢字」というイメージと漢字を作った人たちというのはイメージが違う。
「漢」は中国の人たちの人種の呼び方。
漢字の大元を作った人たちは少しも中国人に似ていない。

漢字は三千三百年前、殷の武帝という人が王様だった時に生まれたとされている。
どのようにして生まれたかというと、占い。
武帝が神様に何かお祈りをする時とか願い事をする時に、牛の骨とか亀の甲羅に記号を刻んで火で焼いて、吉凶を占った。
当たったりすると、その刻んだところに朱色の赤いもので埋めて記録で取ってある。
その神との交信を記録する係りの人たちがいて、文字というのが数千年にわたって蓄積していく。
殷が周という国家に負けて滅ぼされる。
漢字を作る能力というのを殷の人たちはものすごく持っていたものだから、周という国になっても漢字を作る人たちは、職業として漢字を担当した。
そのうちに周が滅んで春秋、あるいは戦国時代があって、秦という国が中国を統一する。
その後は漢。
漢が生まれたのが紀元後。
この時に一回、地方にいっぱいあった漢字をわかりやすくするために、漢の人以外がわからない漢字を捨ててしまう。
選ばれた漢字が生き残る。
殷の人が作った漢字と、漢の人が整備した漢字では意味が断絶していまう。
それでも万に近い漢字が生き残って、三千三百年の時を挟んで我々の手元にある。
文字がどうやって生まれたかを追求するためには、殷の人たちの暮らしをきちんと見ないとダメだ。
殷の人たちは、私たちがイメージしている中国の人とは違うんだ。
その一つの証拠が「貝」が出てくる。
高価な物とか宝物には全部「貝」が付いている。
これは文字が生まれた時に貝が宝物として扱われている。
この「貝」は遺跡からも出ていて「子安貝」。
これが殷の人たちが言う「宝物」。
子安貝は中国の沿岸部では捕れない。
中国の一番近いところで子安外が取れるポイントはどこか?
沖縄。
ということは、漢字を作った殷の人々は中国内陸の人というより東南アジア一帯の諸島を含む沿海族、海沿いに生きる人々が中国の地に行って作った王朝が殷だった。
ということは漢字の中にはアジアの風俗が流れ込んでいる。
中国の風俗ではないんだ。
漢字が中国化するのは殷が滅んだ後の周から。
なんでそうわかるるかというと価値が変わるから。
周の人たちは中国内陸部で牧畜で生きていた人たちなので、貝に重きを置かず、羊に重きを置いた。
羊にまつわる文字が増えていく。
その典型例が「善」という字。

金文では羊があってサボテンの鉢みたいなのが二つ並んでいる。
これは裁判の模様が漢字になったのではないか?
神様の前に生贄を置いている。
そして検察と弁護側が左右に分かれてどっちが正しいか、神様に訊いている。
それで正しかった方が「善」。
裁判がある時は必ず、生贄を神様にささげて、どっちが正しいかを神様に、つまり生贄の動物にさせた。

ここからしばらくスケートの話。
荒川静香さんがフィギュアスケートを始めた理由。
「世の中でフィギュアスケートぐらいスカートの裾がきれいに舞い上がるスポーツを見たことがない。きれいにスカートの裾を舞い上げたい」

浅田真央さんが何か勝負をする時には伊藤みどりさんの衣裳をいただいて作り直していた。
伊藤みどりさんがあこがれの人なので、寸を詰めたり広げたりして着ていた。
そして必ず優勝していた。
伊藤みどりの魂が載り移る。
ソチの時に何か思うところがあって、伊藤さんの衣裳を身に付けずに。
コスチュームのエネルギー。
衣には霊力が宿る。
「哀」は下に「衣」
横にりっしんべんを立てて、目ん玉を横に並べると「懐」。
「あの人も遠い思い出だなぁ」と思ったりすると「遠」。
もどってきて欲しいなぁと思って、目ん玉横に置いて衣「還」。
古代人、つまり文字を作った人たちが衣に関して霊力をいつも感じていた。
衣に霊力が宿るというのは、文字を生んだ殷の人たちにもあるが、日本人にも多分に残っている。


甲骨文字だと「リ」が骨付きカルビみたいな。
その横にあるのが箒みたいな。
骨付きカルビを左に書いて、右側に箒を置くとなんで「帰」になるのか?
戦いの行きと帰りの様子を描いたのが「帰」。
戦いに出かける時、お墓詣りをしてお肉を添える。
無事に帰ってこれますように。
無事に帰ってくると、そのお墓を箒で掃除をする。
それで「帰」。
横に「女」を置くと「婦」。
「先祖代々のお墓を守る女」という意味合いで「婦」。
手偏を置くと「掃」。

漢字は「漢」という時代名がついているので、時代が限られてしまう。
白川博士はそれよりも更に一千年以上遡る字源、文字が生まれたその母体まで遡ろうという文字学の人なので、あえて「白川文字学」。

六十歳から書かれて九十歳まで分厚い辞書を三冊出されて漢字の字源に関しては徹底して研究した成果を発表なさった。
褒める言葉に追いつかなくて寿命を急がれた方。

白川氏の娘さんと会った武田先生。
一生懸命研究なさっていたのだが、九十歳を超えた頃から
「体はいらないから私の脳みそだけ何とか取っといてもらえないかな」
と娘さんに愚痴られた。
「脳だけ取っといてどうすんの?」
と言うと白川博士は
「ずっと勉強したいんだ」

九十年の生涯の中で、いろんな論客と戦いながら、無視されたり、「とんでもないヤツだ」と東京の学閥の方から罵倒されたり。
それでも地味に甲骨文字数万点をトレースしながら。

私は数万点の甲骨資料を全て写し、これほど地味で孤独な作業の中で私は間違いなくある確信を得たのです。
一片ずつトレースしておくと、主題による分類がいくらでも可能で、事項別に分類することができ、事項の系統化ができます。
原始の文字を分類し系統化していく、すると字源、文字が生まれたその最初の母体、マトリクスにたどり着き、その母体から逆に文字の今日までの旅の過程を知ることができるのです。
私はそうやって一文字を、三千三百年の時を挟んで追いかけたのであります。


そういう過程の中で私が写し続けた文字はみな、自らの素性を明らかにしてくれました。
手で甲骨文字を写すという手の作業が、その手のひら、指、筆先に古代人を、文字を作った人たちを憑依させたのであります。


博士は断固として言う。

ものに部分というものはありません。
部分は全体に対して、全体の中に置いてある。
わかる時は全部わかるはずです。
全部わかるということはその体系がやっと把握されたということです。


博士の九十年の人生。
老いたからどうのじゃなく、老いたからこそできた仕事だと思うと、すごく学ばねば。

私たちは漢の時代、あるいは唐の時代からの漢字の読み方をそのまま漢字の読み方として文化に持っている。
中国の偉人を呼ぶ時、我々は「シュウキンペイ(宗金平)」でいいのではないか?
中国読みしなくても。
私たちの方が漢字の読み方の音としては古い。
古い読み方をきちんと維持し、保護し持っているというのは立派な文化。
中国は漢字の読み方は方言がたくさんあるので北京で使われている言葉が一番正しい発音だとは限らない。
私共の漢字の読み方は、マルコポーロが東方見聞録に書いた漢字の読み方と一緒。
つまり、私たちはそれほど古い歴史の漢字の発音ができる唯一の民族。

常用字解 第二版



武田鉄矢・今朝の三枚おろし(2月16〜27日)◆『白川文字学 サイの人』(前編)

今回は「この本」という一冊は特にないようだが、武田先生が大量に読んでおられる白川静氏の本からのネタ。
以前にも白川静氏については紹介されているのでそちらとも重複する内容。
ということで、本がないので、武田先生が伝えようとしている内容を正確には捉えられていないかも知れないけど、とりあえずいつものようにご紹介。

今回取り上げられる「サイ」。
これは白川静氏が命名した甲骨文字。
三枚おろし01_01.gif
これは後に「口」という文字になったということは歴史的に間違いない。
白川氏は「この文字は口も意味しているが、口だけを意味していない。もっと深い意味があるんだ。」と言い出した。
三千三百年前の中国の古墳から見つかった「サイ」の一文字。
キリストが生まれて百年後の漢の時代に許慎(きょしん)という漢字博士が中国にいた。
すごい文明国である中国で、許慎さんは説文解字(せつもんかいじ)という漢字字典を作った。

許慎の説明
 人間の口である。
 牛がいて、物が言えないので、何か牛が一生懸命口を動かしている。何か訴えようとしている。告げてるように見えない?
 夕方になると口で名前を言わないと顔が見えないので、「名前」と言う。

中国で決まっていた。
それを突然白川博士が「許慎さん、あんたは間違っとるぞ」と言い出した。

白川の説明
 「祈りごとをいれるカゴ」である。
 「タ」は「肉月(ニクヅキ)」。肉を祈りの箱の横に置いている。子供が生まれてその子に名前がついた時に、「この子によいことがあるように」と神様に祈る時に横に肉を置いて神様に祈ったということが「名」の字になった。

なぜ「サイ」なのか?

載 栽 裁 哉
右にあるのは何か?
ホコ。
祇園祭などで山車のてっぺんにあるなぎなたみたいな「悪魔を切りつけるぞ」みたいなヤツで刃物が乗っかっている、あの「ホコ」。
十字架が一本立っている。
甲骨文字に出てくるが「サイ」の真ん中に十字が切ってある。
外側が途中でなくなってしまったが、かつてはそこに木に結んだ「サイ」が乗っていた。
三枚おろし01_02.gif
神様の祈りを入れた器がある。
それを神様にちゃんと届くように「ホコ」で守っている。

 車(戦車)を清める意味で「ホコ」と祈りの器を置いた。
 衣に悪霊が取りつかないように「ホコ」と祈りの箱を置いた。
 この木に良き物がつくように、それを神様にちゃんと届くように「ホコ」と祈りの箱を置いた。

白川氏の説。

これは口ではなくて「サイ」である。
祈りごとを入れた箱、器、カゴである。
上の「士」は刃物。
悪魔を寄せ付けないための刃物が祈りの箱の上に置いてある。
神様への祈りごとがしっかりと守られているので、「いいことあるぞ!」っていうことで「吉」。
昔の人たちは刃物が邪霊が寄り付かないという守りのツールであると考えていたようで、小さな刃物の他に大きな斧のようなもの、マサカリのようなものに邪霊を寄せ付けないパワーがあると信じたらしい。


一番下に「祈りの器」、口。
祈りの箱を三重に守ろうとした。
それを誰かが針で突きさしている。
神様にその祈りごとを届けられると困るので、邪魔しようとする人がいる。
うかんむりがあるところを見ると、よほど重大な祈りだと見えて屋根までつけている。
でも誰かが一本針をズブっと刺して「サイ」を割ろうとしている。
今は三本線のところで止まっているが、古い時代の字を見ると突き通っている。
敵側のヤツが祈りが届かないようにサイに込められた祈りごとを邪魔する。


「サイ」の中に入れた願い事が、神様に聞き届けられないように誰かが足で踏んづけて水をかけた。
そうすると願い事の箱が横から真っ二つに割れてしまった。


ムチを振り上げている人の姿。
この人は強烈な願いをこのサイの箱の中に込めた。
神様が言うことを聞かなかったら「神様、アンタを叩くよ」って言いながらムチを振り上げている。
それぐらい強い思いがあるので「可能性があるぞ」という。

「矢」はいろんなところに隠れている。
「族」。
なぜ弓矢が出てくるか?
攻撃するための武器としての弓矢の矢ではなくて、一族を結ぶ印という意味の「矢」。
「矢」は一族をまとめたり、お互いに深く知り合う、とても仲がよいという意味合いにもなる。


矢をビューンと討ったら矢が地面に刺さった。
矢は邪霊をどける。
地に潜んでいる悪いやつをおっぱらってくれるので、矢を突き刺して邪霊を払うとそこに安心して住める。


そこにテントを張った。



矢はただの武器としてあるのでなはなく、誓いの器「誓器」である。
そういう古代のくらしがあった。
そういうことがわかっていなければ漢字は解読できない。
漢字というのは、わかる時は全部いっぺんにわかる。
この字はわかってこの字はわからないということはない。

武田先生がショックを受ける。
「人という字はお互いが支え合って生きているんだね」(金八先生の有名なせりふ)
白川氏の本の一文。
「人とという字は支え合っておりません」

横から見ると「人」。
正面に回り込むと「大」になる。
だから支え合っているワケがない。
「大」と「犬」を間違えないように犬には点が打ってあって「耳」を表している。


人が立ち止まってつま先立ちしている。
何か遠くを見るために。
何か遠くを計画するために。

「企」の上の傘は一人の人なので、支え合っていない。
一人の人の両足が上がっている。


金八説:子供の帰りが遅いと、親は木の上に立って子供の帰りを見つめています。
白川説:そんな字じゃない。位牌のこと。それを見つめている。古代は親の位牌を年ごとに新しい木に切り替えていた。
だから「親」の「見」を「斧」に変えると「新」になる。

中国の人は許慎の漢字字典を聖典にしてしまって、後から出てきた甲骨文字や金文を「そんなものはニセモノだ」と全部無視してしまっていた。
タネを明かしてしまうと、甲骨文字が見つかったのが1899年のこと。
漢字は二千年近く間違った解釈の元に生きていたという不思議な文字。

2015年02月05日

武田鉄矢・今朝の三枚おろし(9月15〜26日)◆『脳科学は人格を変えられるか?』エレーヌ・フォックス(後編)

これの続きです。

「花咲か爺さん」や「コブ取り爺さん」という機嫌のいい人は、どんな悪いことが起こっても、どんな悪い情報が入ってきても楽観的に考えて、絶対に最後は自分自身をハッピーにしてしまう。
では、いじわる爺さんや「舌切り雀」に出てくる欲張り婆さんの脳の回路はどうなっているか。
被害に遭いやすい人はどうなのか?

 快楽をつかさどる領域と同じく、緊急事態に対処する脳の領域は、個々に分かれた−−しかし強く関連しあう−−多くの組織から成り立っている。これらの組織の大半は皮質下の奥深くに埋め込まれており、たがいに密な関係を持つと同時に、上にある大脳皮質とも強く結ばれている。これらはどれも恐怖反応において重要な役割を果たすが、一番中心にあるのは〈扁桃体〉と呼ばれる組織だ。扁桃体はアーモンドのような形で、大きさは親指の爪くらい。(113頁)

蛇のようなものに出会った時に危険というシグナルを出す信号が扁桃体。

 社会的な生き物であるわたしたち人間には、他者の感情を即座にすくいあげる強烈な力が備わっている。そして、他者の恐怖の表情は、近くに危険が潜むことを知る有力な手がかりになる。そうした潜在的な危険に気づくのを助けるのは、恐怖の回路の奥にあるこの扁桃体の反応であることが、複数の調査から確認された。(116頁)

「様子がおかしいな」と感じるアナタは扁桃体が反応している。
これは人間になったサルの特性。
人の表情を見ても危機をスキャンできる。
この扁桃体のおかげで人類はいくつもの危機を乗り切った。

扁桃体から大脳皮質の各部に向かう経路が、大脳皮質から扁桃体へと戻る経路よりずっと数が多いことは、恐怖を科学的に解き明かすうえで大きな鍵になる。(122頁)

 恐怖の中枢はすべての情報を平等には扱わず、危険にかかわる情報を優先的に処理する。−中略−中心にある警報機能があまりに頻繁に活性化されていると、レイニーブレイン全体が過敏になったりバランスを崩したりするのだ。(127頁)

現代社会は危険の情報を最優先にメディアは流す。
そういう社会の構造になっている。

今までは側坐核といい扁桃体といい、性格に関する脳内ホルモンから遺伝子まで、とにかく脳は一度形成されると変わらないと言われてきた。
ところが、昨今の最新科学で脳はいくつになっても変わる。
fMRIで見ると、脳はたちまち変化する。

月曜から金曜の晩までの五日間、ずっと目隠しをしたまま生活することを了解してもらった。−中略−だが一週間後、事態は変わっていた。被験者がふたつの音を聞き分けようとしたときや、何かに触れたりしたとき、視覚野に反応があらわれたのだ。たった五日間、目の見えない生活をしただけで、脳の配線にはもう影響が生じたわけだ。(210頁)

 エリクソンは−中略−サールグレンスカ大学病院で、脳腫瘍の末期患者の多数についてこの研究について説明を行い、そのうちの何人かから、万一亡くなったときには研究のために脳を献体してもらう了承を得た。−中略−顕微鏡の下で輝く緑の蛍光色は、患者の脳内で新しく細胞が誕生していた事実をはっきりと示していた。−中略−
 五人の患者のうち何人かは七〇歳を超えていた。そして彼らはがんを患っていたにもかかわらず、その脳内ではまだ、新しい脳細胞がせっせと生産されていたのだ。これはつまり、脳は変化したり反応したりするのを命のあるかぎり止めないということだ。
(213〜214)

人間は数十日の努力で自分を変えることが可能だ。

巷の自己啓発本によくある表層的な「ポジティブのすすめ」や「ハッピーな思考がすべてを解決する」の類とはちがう。(252頁)

こういうハウツーではなくて、正しく恐怖や不安から身を守る技術、そういうことを脳の回路に持つ、そうすることが脳を変えることなんだ。
遮二無二ハッピー思考とかではない。

恐怖や不安を解除する新しい術がどんどん開発されつつある。

 アフガニスタン戦争やイラク戦争の帰還兵の多くに見られるように、深刻なトラウマは消しがたい記憶をつくり、その記憶はたえずトラウマを再燃させる。−中略−科学的な研究の結果、恐怖の解除方法はすでにいくつか確立されてきている。(233頁)

アメリカが作った「暴露療法」が明らかに効果をあげた。
本には薬に関することも書かれているが、番組では割愛。
心理療法としての暴露療法。
不安とか近寄りたくない思い出に時間を決めて繰り返し思い出すこと。
逃げるのではなく、あえて嫌な思い出に自分で近寄っていく。

武田先生の友人の話。
浮気をしたので奥様がその友人を責めて毎日同じことを言われる。
責められるのがつらいので逃げていたが、暴露療法で毎朝奥さんと朝の会話で浮気の話を蒸し返す。
「浮気がばれた時に、君は起こったもんね」という話をする。
そうするとだんだん触れなくなる。
これを「クローゼットのドクロ」と言う。
毎日クローゼットを開けて二人で見る。
するとただのアクセサリーになる。
シャツのマークもドクロ、靴下もドクロのマーク、まあ楽しいドクロだわ♪
そういう療法で暴露療法。
何が面白いかというと、人間が思い出を思い出すという構造そのものが皆さんが思っているのとは違う。
どうしても私たちは思い出(メモリー)というのはどこかの棚の上に「あいうえお順」に並んでいると思う。
これは嘘。
思い出というのは脳科学で言うと仕掛け花火と同じで火をつけていちいち作っている。
嫌な思い出があるとすると、嫌な思い出を思い出すというのは、毎回嫌な花火を火を点けて夜空にあげているようなものだ。
悪い思い出をあえて自分で作っている。
暴露療法は自分で打ち上げる。

記憶は−−とりわけ感情にまつわる記憶は−−人がそれを思い出すときに再活性化され、一時的にではあるが変化を受けやすい柔軟な状態になる。(256頁)

嫌な思い出がパーン!と打ち上げ状態になる。
嫌な思い出が花火のように広がる。
その時がもっとも変化を受け入れやすい柔軟な状態にある。
オリジナル版はない。
いちいち自分で残像が残っている間にあたらしい版を作らなければならない。
打ち上げ花火の残像が脳の夜空に広がってぼんやりとあるのは六時間。
六時間の間にその打ち上げ花火の色形を変えてしまう。
憎悪からゆっくり形を変えていく。
この暴露の六時間の不安の中から一つでも嫌な思い出の中で楽しかったことや美しかったその時の別の側面を思い出して、嫌な思い出に足していく。
そうすると嫌な思い出から離れる時、感謝しよう。
嫌なことを思い出させるほど今は安全なのだということを別な立場で考えていくと嫌な思い出そのものが、別な思い出になっていく。
これを「ラベルづけ」という心理療法がある。
「ラベル」を変えてしまう。

泣きながら別れた女の人がいて、ひどく恨みの言葉などを浴びせられて、その女の人に数十年ぶりに再会する。
何か恨んでるだろうなと思ってさぐりを入れるように「怒ってないのか?」と聞くと、キョトンとした顔をしている。
思い出の色合いがその人の中で変わったんだろうなとしみじみ。
男は最後の顔を覚えている。
ラストシーンの顔を結論にする。
泣きながら俺を振り切って遠くへ走って行ったとか。

嫌な思い出との付き合い方がうまくなっていくと、嫌な思い出に楽しかった思い出を足す技ができる。
これができるようになると脳の回路が変化する。
つまりうまく切り抜けられるようになる。
これを「ラベルづけ」という。
オレオレ詐欺とか成りすまし詐欺などでアナタに不安を与える。
アナタはパニックになる。
この時に落ち着いてください。

 心に浮かんだ考えや映像にラベルを貼るだけで、前頭前野の抑制中枢を活性化させ、それによって扁桃体の反応をしずめることができる。デューク大学の神経科学者アフマド・ハリーリーは、脳スキャナーに横になった一一人の健康な被験者に、二枚一組であらわれるたくさんの画像を見せ、その間の脳の状態を調べた。画像はたとえば蛇とこちらを向いてた銃などで一組になっており、被験者はそのどちらかを、もうひとつ別にあらわれる画像とペアにするよう求められる。被験者は必然的に、画像の認識に集中していなくてはならない。画像はどれもすべて恐怖を感じさせる内容なので、課題をこなすうちに被験者の恐怖の中枢が作用し、警戒モードに入るはずだ。
 ハリーリーはもうひとつ、より興味深い内容の実験を行った。今度は画像と画像をペアにするのではなく、画像と同時にあらわれるふたつの言葉のうち、画像が「自然」のものか「人工」のものか、正しくあらわすほうを選びとらなくてはいけない
−中略−
 実験の結果、脳の活性化のパターンはふたつのケースで大きく異なることがわかった。研究チームの予想通り、前者の〈ペアづくり〉の課題のときには扁桃体に強い反応があらわれたが、後者の〈ラベルづけ〉の課題のときには、前頭前野が強く活性化し、それとともに扁桃体の反応が抑制されるという、たいへん興味深い結果が出た。
(260〜261頁)

同じものを見ても問いが変わると、脳は全く違う回路を使うのである。
不安に対して前頭前野が参加すると不安が消えて解決のための回路にパッと光が入る。
この「問いを変える」ことが感情を変える技になるのだ。

ニュースはいい時間帯に実に恐ろしい風景が晩飯時に流れる。
これが日本の現状。
夕方時に流れたり、災害で泣いてらっしゃる方が映ったりする。
その時に暗く落ち込まないで、別の評価をしながらニュース報道を見て欲しい。
別の何かが見えてくる。

水の災害のニュースを見ながら武田先生がふと思ったこと。
各局が報道の人たちを現場に送り込んでいる。
地方の坂道に住む人たちが嫌がりもせず答えていた。
そこはいい人が多い。
報道にいた方々は避難所に水の一本も、即席麺のひと箱も置いてきたんだろうか?
「それが人間としての礼儀だぞ」とそれだけは心の中で一視聴者として言わせていただいた。
必ず何かその手の報道に接した時、もう一つの問いを心の中に持つように。

あるラジオ番組での八月の暑かった頃の出来事。
あるラジオ司会者が「2020年の東京オリンピックを八月にやるのは非常識だ」という話をしている。
相手の人もそれに乗っちゃって「こんな時にマラソンやったんじゃあ、八月の終わりぐらいにマラソンの日程になると思うけど倒れちゃうよ」とか。
「2020年に四十度ぐらいあるんでしょう」とか。
その話を聞いて納得するし「こんな暑い中でオリンピックできるのかな?」と思うけれども、よく考えると、何年も先のこと。
天気予報の情報は重大だしテレビもラジオも天気予報を何回も流す。
天気予報に関して、注意を呼びかける言葉がだんだん凄みを増してきた。
「観測史上初めて」とか、ものすごく表現が難しい。
「六時間に降った雨量は例年八月の二倍の雨量が三時間に降りましたって」いうのが説明してくれるのはいいのだが、かえってわかりにくい。
情報を絶えず我々に教えてくれるのだが、「避難しなさい」という命令にしても、今避難するのが安全かどうかというのは、各人で全然違う。
そういうわからない未来に向かって私たちは、情報を聞き取り行動をしているのだという回路を断ち切ってはいけないのではないか。
ジャッジの仕方をあまりにも一つにしてしまうとかえって危険。
メディアの伝え方としては安心させるよりも、不安をちゃんと伝えた方がいいという流れになっている。
オレオレ詐欺なんかも「オレオレ詐欺の手口に引っかからないで」と克明に対処を教えれば教えるほど、オレオレ詐欺の犯人たちの方が、手口をほんのわずか軌道修正しながら被害者を増やしている。
オレオレ詐欺への対処方法を身に着ける意味で、メディアとの付き合い方に関しても、メディアをよいトレーニングの材料にしてください。
メディアは言っていることが間違っていることがある。
しっかりと見極めてください。
一週間先の天気はわからない。
月間はやわらかく言ってもいいが、一週間までしか出してはいけない。
突発的な何かが起きるわけで、わからない明日に向かって人間は生きているんだという注意深さがあれば、足腰がもっと強くなるような気がする。

「ゴジラがこっちに向かってくる。背を向けて逃げるという方法と、もう一つ、ゴジラのまたぐらに入るという、そういう逃げ方もある」
そうおっしゃった内田先生(多分内田樹氏)の言葉が好きな武田先生。

日々の出来事を感情を結論にしない。
なぜなら感情を結論にしてしまうと答えが一つしか出なくなる。
答えはいくつもある。
解釈はいろんな解釈ができるんだということで、「解決方法がいくつもある」と思うことで、トラブルそのものが質が変わってしまう。
そう思うことが大事。

武田先生が本で見つけた内村鑑三氏の言葉。
「あなたにトラブルが襲ってくるのはあなたに解決策があるからです」

何かトラブルが起こった時に、パニックになるのではなく「この問題が起きたということは、オレに既に解決する力があるからだ」とまずうぬぼれる。

自分の中に陽性の、楽観の、「トラブルがあっても何とかしてみせる」という一点の自信を持つだけで、この手の詐欺には引っかからない。

昔、寅さんの撮影中に渥美清さんが「ゆすりたかりという言葉、そういう悪党の呼び方っていうのはうまいよね」。
何か落ちてこないかと「ゆする」。
意味もなく周りを取り囲み「たかる」。
実に卑怯なことで、成りすまし詐欺というのはとんでもない輩だが、私たちの心の持ちようで彼らを撃退できるから、私たちが世の中の、あるいは世界の見方を変えましょうよというのがテーマ。

まず犬を実験用の小部屋に入れる。小部屋の内部は、低い敷居でふたつに分けられている。床にはときどき、肉体には無害な電気ショックが流れるが、敷居を飛び越えて反対側に飛び移れば、電気ショックを避けることはできる。
 一部の犬は実験用の小部屋に入れられる前に、逃れることのできない電気ショックを経験している。手順は次の通りだ。二匹の犬をペアにし、弱い電気ショックを双方に与える。片方の犬は鼻でレバーを押せば電気ショックを止めることができるが、もう一匹の犬はレバーを押しても電気ショックを止められない。ここでのポイントは、どちらの犬もまったく同じ回数の電気ショックを受けるが、片方の犬だけが状況を自分でコントロールできるという点だ。
 実験用の小部屋に移され、床に電流が流れたとき、電気ショックを避けようとためらわずに低い敷居を飛び越えたのは、前の実験でコントロールを手にしていた犬たちだった。逆にコントロールを与えられていなかった犬は、電気ショックから逃れようと試みすらしなかった。
(281〜282頁)

あきらめるようになると、人間は不愉快に耐えるようになりますよ、という実験。

アーデンハウスの中のふたつの階がランダムに選ばれ(二階と四階)、これらの階の住民はすべて、植物の鉢をひとつと、週に一度映画を見に行くチャンスを与えられた。状況をコントロールする自由がどれだけ与えられるかという点を除いては、ふたつの階の状況はできるかぎり同一にされた。四階の住民は自分の好きな植物を選び、好きな時間に水をやることができる。何曜日の晩に映画を見に行くかも自由に選ぶことができる。対照的に、二階の住民は決められた植物を与えられ、水やりもスタッフが行う。映画を見に行く曜日もスタッフが決定し、住民に伝えた。
 一八カ月後にローディンとランガーはふたたび施設を訪れた。結果は驚くべきものだった。四階の住民が二階に比べて幸福度や健康度が高かったのはともかく、両階の差は死亡率にまで及んでいたのだ。二階の住民の死亡者数は四階の住民のじつに二倍にのぼった。
(283頁)

最も大事なことは、自分の人生の舵は自分で握っている、そう思っていることが生きる力を左右している。
たくさん興味を持ったり、積極的に好きなものに好きな時間、好きなだけ接しているというイキイキさが、老人たちの命を励まして、健康面でも大いにプラスがあった。

武田先生のメモ。
「ここでTOKIOの『宙船』を流して欲しい」
船を漕がないやつに おまえのオールをまかせるな
(調べてみたがそのような歌詞が見つからなくて「おまえが消えて喜ぶ者におまえのオールをまかせるな」という部分のことかと思われる)

生きる力をいつでも自分で作り出すということが、この犯罪をはじき出す最短最良の道ではないか。

武田鉄矢・今朝の三枚おろし(9月15〜26日)◆『脳科学は人格を変えられるか?』エレーヌ・フォックス(前編)

ちょっと古いね・・・。
この本は外国の人が書いているし、海外での研究結果が書かれているから内容的に「日本人に聞いたらそういう結果にはならないんじゃないかなぁ」って部分もあったけど。

脳科学は人格を変えられるか?



以前番組で「成りすまし詐欺」(「オレオレ詐欺」「母さん助けて詐欺」)について三枚におろした時、ある方面からお褒めの言葉をいただいたのでもう一度取り上げるのだが、今回の本は「成りすまし詐欺」とは関係がない。
しかし、読んでいるうちに「成りすまし詐欺」の予防策として「あっ!これは使える」と思った武田先生。
老人たちに息子と言い、警察のものと言い、同僚と言い、弁護士と言い、言い偽って人生の先輩を欺く輩。
そういう輩が世にあふれている。
手口は変わらないが巧妙になってきていて、出演者が多くなってきている。
最近のテレビドラマとよく似ている。
まず脇から固める。
そういう出演者の演技派を増やしてストーリーを複雑にして老人たちを混乱させる。
これが官民あげて繰り返し注意喚起に訴えても犯罪件数は減るどころか被害金額は億の単位を記録し続ける。
それで「何でこんなふうに被害者が減らないんだろうか?」と考えた武田先生。
予防方法が違うんじゃないか?
心の護身術。

老人性の鬱が出た武田先生。
65歳に到達するとわかる。
不安に動揺しやすくなる。
例えば夜中にトイレに立つ。
トイレを済ませ、ベッドに戻るとストーンともう一回眠ったものだ。
それが夜中にグズグズグズグズ考える。
ある年齢に達すると、心配事をあえて夜中に探す。
トイレに行ってまた寝ようとすると「出し切ってないんじゃないか」。
何でもいいから心配事を探して勝手に心配する。
女房のなにげないうめき声に不吉を感じる。
「朝、目が覚めたらこいつ死んでんじゃないか」
悪い方に悪い方に考える。
そうやって一日を振り返ると、どんどん不安になる。
「あの人があそこで俺に挨拶してくれなかったのは、何か俺を恨むようなことでも俺がしてたんじゃないか?」とか。
元気な人だった博多の母が、時々むやみに心配をして電話をしてくる時があったり、女房のお母さんが、武田先生の心配をなさる。
「もういいですよ」っていうようなことを心配なさる。
「体調が悪いんじゃないか」とか「日テレの番組に出てたけど、漫才師の方が出演場面が長かった。鉄矢さんが冷遇されているんじゃないか」。
あんなに可愛がっていただいている日テレに。
「大丈夫ですよ。日テレにはそんな人はいませんよ」とあえて言うが、「そういえば最近TBSが少ないですね」と来る。
「あんなに先生もので尽くしたのに、使い捨てにしとるっちゃないかいなと心配しとります」とか。
そんなふうな心配をしている。
自分がある年齢に達すると、前途をやたらと暗く考えるようになる。
そのへんでピンときたのが、これが成りすまし詐欺に引っかかる老人の気持ちなんだと思った瞬間に、これは実は敵は外じゃなく我が内にいるんじゃないかということで三枚におろす。

心の護身術というか、向こうが仕掛けてきた時、仕掛けたその手を逆手に取って関節技を決めるような、心の騙されないテクニックができないだろうか。
「成りすまし詐欺」(「オレオレ詐欺」「母さん助けて詐欺」)は、一番ありふれたヤツは「あなたの身内がおこした不始末」あるいは「あなたにやってきた何か」、例えば「税金の還付金があります」とか。
今のままではまずいので行動ををあなたがおこしてくださいという依頼が向こうから仕掛けられるのだが、まず、「身内のおこした不始末を電話で連絡して」ということに例えると、向こうが狙っているのは「あなたを激しく動揺させること」。
それが向こうの手。
あなたの冷静な判断を奪う。
そういうものが電話で告げられる。
この時まず、あなたに仕掛けられた罠は間違いなく「悲観」。
「悪いことが起こった」あるいは「悪いことが起こりつつある」。
不安と解決への焦り、解決を急ぐという、それが向こうのしかけ。
まずあなたの心に起こった悲観の心、解決への焦りが実はあなたを騙すのである。
ということは、その悲観、解決への焦り、その不安、あなた自身の心におこったそれから、あなたは身を守るために、心の筋トレを普段からやった方がいい。
不安に絡め取られず、あなたが楽観であれば、あなたは動揺しない。

例えば自分の知り合いの子、孫が痴漢とか盗みとか悪さをした。
ある親切な人がいて「今、お金を出せば揉み消せますよ」と誘う。
あなたが動揺していること、あなたが悲観的であること、解決を急いでいること、それが問題。
あなたが楽観的でありさえすれば、あなたは悲観から逃げられる。
『脳科学は人格を変えられるか?』という本を書いたオックスフォード大学のエレーヌ・フォックスは、「脳科学を使ってあなたの性格を変えよう」とおっしゃっている。
この本では薬の話もたくさん出てくるが、武田先生はそのあたりは読み飛ばして、番組では薬を使わないことについて「あなたを楽観的に変える」という護身術をどうやったら鍛えられるかというのを本の中から吸い続けた。

60歳をとうにすぎているのに性格を変えられるか?
つまり、脳は変えられるか?
性格以前に脳はいくつになっても変えられる。
ついちょっと前までは脳細胞は壊れていくだけで変わらないというのが定説だった。
昨今、それが理論的に否定された。
脳が変えられる以上は、性格も変えられる。
事実としてオプティシズムという楽観で物事を考える。
悲観の「ペティシズム」に対立し、成りすまし詐欺に対抗する絶対の関節技だ。
普段から自分を楽観に持って行く。
エレーヌ女史が言っていることだが、一番のわかりやすい例。
自分が楽観主義者か悲観主義者かをどうやって判断するか?
新聞を開いた時にどっちの記事に目が行くか。
明るいニュースと暗いニュースの二つに分けて、どっちか?
(30頁あたりに新聞の話は出てくるが、番組で言っているような感じでは書かれていない)
明るい記事しか読まないという武田先生。
テレビとラジオはどこにチャンネルを合わせるか?
局ではっきりしている。
色がある。
ラジオは非常に暗くニュースを伝える方の「重厚な報道番組風」か、「朝から陽気に行こうぜ」娯楽タイプの二つ。
この小さな朝の選択、新聞を明るいニュースをチョイスするか、暗いニュースをチョイスするか。
ラジオ番組のどこにダイヤルを合わせるか。
そういうことが結構自分の性格を作っていく。
ささやかなことで、性格は偏りを現す。
そして偏りを強める。

 では、認知の偏りはそもそもどのようにして生じるのだろうか? この問題に答えるには、瞬間ごとに目と耳を襲う情報の嵐から「何に注目すべきか」を人間がどのように選びとるかを考えてみるといい。現代社会の情報の洪水の中で何に注目するかは非常に重要で、この選択を行う能力は、心の安定のためにも非常に重い意味をもつ。認知心理学者は、この「何に注目するか」を選ぶ力を「選択的注意」と呼ぶ。(34頁)

新聞にしろラジオにしろテレビにしろ、人の注目を集めるのになるべく緊急度の高いものに注意を集中させるのが目標なので、メディアというのはギョッとするようなニュースを伝えて注目度を集める。
しかし、いつも緊急のニュースで緊張していると心はそれ以外の世界からの認識を全て遮断してしまう。
より緊急度の高い情報を得るためにそっちの方に耳が傾いてしまうと、それ以外に耳が行かなくなる。
脳にはそういう習性がある。
緊急度の高い、非常に緊張するニュースのみ聞いているとものすごく狭い範囲でニュースを選択するようになって、それを世界だと思ってしまう。
分かりやすい例。
メディアはガソリンの値段が上がっている時にニュースにして特集を組む。
安くなると一切ニュースにしない。
水不足。
ダムの底の方に泥水がチョコッチョコッと貯まっている時にはニュース特集番組を組むが、いっぱいの時は報道しない。ニュースにしない。特集を組まない。
溢れて水が今度は厄災になった時にニュースにする。
ニュースというのはそんなふうにして悲観が真ん中に立っているもの。
どんなニュースを見てもクールさをいつも持っていることが、ニュースというものにひっぱりまわされない。

外国で行われている反日デモ。
その国に行っていた武田先生。
ホテルに着いたら奥様から電話。
「あなたが行っている東アジアの半島の○○シティ、首都圏ではものすごいのよ、反日デモが。あなた大丈夫?」
さんざん焼き肉とかを喰っているが一回も遭遇していない。
つまり、デモの起こっているところに深く焦点を合わせて、焼かれている日の丸にフォーカスするのが報道。
「世界は広い」ということ、「悲観があれば楽観もある」ということを覚えていないと、あなたの脳そのもの、性格が悲観が世界の全てだと思ってしまう。
暗い報道にばかり耳が行ってしまうと、世界は暗いんだと結論付けてしまう習慣が脳にはあるので気を付けてください。

 緊急度の高いものに注意を集中させ、残りは認識から遮断する脳の習性は、きわめて重要だ。それがなかったら、人はあふれる情報に押しつぶされ、身動きがとれなくなってしまう。だがこの選択的注意はいっぽうで、脳が重要でないと判断したものをすべて認識からふるい落とす作用ももつ。「アフェクティブ・マインドセット」(心の姿勢)のいちばん土台の部分にはこの選択的注意が存在し、人が何に注目し、何を無視するかに影響を与えている。(35頁)

世間の注目を集める事件があった時こそクールに「これはもしかしてもっと大事な大きな出来事が別のところで起こっているのではないかな」と想像力を、人が「絶望だ」と言った瞬間に、「私は希望を知ってるもん」というクセを付けていただきたい。

心配性の人や悲観的な人はまず、ネガティブなものに引き寄せられる。
これは典型的に成りすまし詐欺に引っかかる被害者が出来上がってしまう。
心配している、あるいは悲観的な人。
そういう人はネガティブなものにパッと引き寄せられる。
そしてポジティブなものを遠ざけてしまう。

永六輔さんの話。
電車の中でメイクする女の子に腹が立って、ラジオで怒りをぶつけておられた。
それに一回腹が立つと、どの電車に乗ってもメイクをしている女の子に出会う。
そこに目が行ってしまう。
それを心理学をやっている北山修先生が「それはあなたが無意識に探している」。
人間はそれに腹が立ったり、それに注意が行ったりしていると、あえてそれを探す。
その横にはきちんと老人に席を譲る、いい青年がいたり、眠っているご老人がいたので静かにする小学生がいたにしても、全部無視してメイクしている女子高校生と若い女を探すようになってしまう。
そして「今日も見かけた」なんていうことをついつい、自分の目撃例でしゃべってしまう。
これはみんなにあること。

どんなに呼びかけても、成りすましに引っかかった被害者が、銀行員や警察の方を振り切り、あるいは隠してまで、その泥棒にカネを渡してしまう、喜劇のような悲劇が日本で進行している。
武田鉄矢は被害者の脳、あるいは心にそういうバイアスがあるのではないか?
「気を付けてくださいね、おじいちゃん、おばあちゃん」という言い方の中に、実はわざとそっちの方に引きずり込むような逆の作用が起こっているのではないか?

エレーヌ女史がえれぇことを言っている。
どんなことかというと「思い込みというのがいかに罪作りか、恐ろしいか」。
脳のバイアスのしわざの極端な例。

一九九六年にレベッカ・フェルカーが『ジャーナル・オブ・アメリカン・メディカル・アソシエーション』誌に発表した報告書によれば、肥満や高いコレステロール値や高血圧など、心臓病の危険因子として知られるあらゆる要素を考慮したうえで、「自分は心臓病にかかりやすい」と信じている女性の死亡率は、そう信じていない女性の四倍にのぼったという。(57頁)

「心臓病にかかりやすいですよ」という医者の注意が危険因子。
ネガティブがどれほど健康を追い詰めるか。

最新脳科学で悲観と楽観は脳の深いところ「側坐核」と、おでこの奥の前頭前野で情報のやり取りのバランスで決まるそうだ。
側坐核というのは子供のように楽しいこと、快楽に人間を駆り立てる、そのための非常ベルを打ち鳴らすという部位。
この鳴り響くベルは前頭前野に伝わり、楽しいことへという快楽へと人をせかす。
踏み分け道と同じで頻繁に使うことで回路が広く太くなる。
ここを年がら年中使うと、そういうクセがつく。
これが性格になる。
脳の話をしつつ性格の話になるのは、そういうこと。

 静かに座っているときでさえ、楽観的な人と悲観的な人の脳には根本的な差がある。安静にした状態でも、楽観的な人の脳の左半分は右半分よりもかなり活発にはたらいているが、悲観的な人の脳の左半分の活動度は楽観的な人と比べてずっと低いのだ。(78頁)

(番組の中で「不安な人は右脳が活発」と言っていたが、右脳が活発というより左脳が不活発)
悲観的な人は悲観しなくてもいい時でも、一日ずっと悲観的なことを探し続ける。
楽観的な人はじっとしていても楽しいことを探そうとしている。
そういう回路ができてしまう。

楽観とはいつもただ上機嫌でいるだけではなく、意義深い生活に積極的にかかわり、打たれ強い心を育み、「自分で状況をコントロールできる」という気持ちを持ちつづけることだ。これは、「良いことも悪いことも受け入れる能力があってこそ、楽観はプラスに作用する」という、心理学の研究結果とも符合する。(82頁)

実はいつもよいことばかりを妄想する人こそが悲観的な人なのである。
「何とかなる」それを信じられる人こそが楽観的で、すぐに「何ともならない」と判断してしまう人が悲観的な人。

楽天的な思考形式にはすくなくとも三つの利益があることがわかる。健康と幸福度の向上がそのひとつ。危機のあとでも元気を取り戻す能力がひとつ。さらにもうひとつが、成功する可能性が増すことだ。(93頁)

「オレオレ詐欺」への護身術は、引っかからないことだけではなく、あなた自身を「花咲か爺さん」や「コブ取り爺さん」にしてくれる可能性もある。
日本の成功したおじいさんは楽観的。
横の悲観的なじいさんから犬は殺されるわ、いろいろされるんだけどやっぱり楽観。
コブ取り爺さんに至っては、コブのままで鬼と一緒に踊る。
普通、鬼と遭遇しただけで悲観的になる。
鬼の真ん中で楽しくダンスを踊るというコブ取り爺さんには、命が助かっただけでなく、コブまで治療してもらえるという薬効がある。
「オレオレ詐欺」に対する心の護身術を身に付ければ、あなたは引っかからないだけでなくて、「花咲か爺」や「コブ取り爺」、若い娘と付き合える「舌切り雀」のおじいさん。
竹藪のところに行ったら「おじいさん、寄ってらっしゃいよ」。
集団でパフォーマンスを見せる。
おばあさんがエラい目にあう。
オバケのつづらを貰う。
おばあさんがおじいさんを叱った理由。
おじいさんが貢いじゃって舐めに来る糊をあげちゃう。
あの家は貧しいので、おばあさんが全体の食費のことを心配して「やめなさい」と言っちゃう。
そして遊びに来る雀の舌を切ってしまう。
若い娘の舌を切るということで、おばあさんがコミュニケーションを断絶した。

2015年01月11日

武田鉄矢・今朝の三枚おろし(2月24〜3月7日)◆『統計学が最強の学問である』西内啓(後編)

これの続きです。

 余談だが、婦人がなぜミルクティを識別できたのかという問いに対する答えは、英国王立科学協会が2003年に発表した「1杯の完璧な紅茶の淹れ方」というウィットに富んだプレスリリースの中にある。
 牛乳は紅茶の前に注がれるべきである。なぜなら牛乳蛋白の変性(変質)は、牛乳が摂氏75度になると生じることが確かだからである。もし牛乳がお湯の中に注がれると、それぞれの牛乳滴は牛乳としてのまとまりから外れ、確実に変性が生じるだけの時間を紅茶の高温に取り囲まれる。もしお湯が冷たい牛乳に注がれるならば、このような状況ははるかに起こりにくい。
(106頁)

焼酎も「お湯が先」。
(番組内では「どっちだ?」と言っていたけど、これが正解らしい)

コンチネンタル航空では、飛行機が遅延したりダブルブッキングでキャンセルさせられたときのアフターケアをどうするか、という問題に対してランダム化実験を行ったことがあるそうだ。
 彼らはこうしたトラブルが起きた客をランダムに3グループに分けた。@「ただ正式な謝罪のレターを送る」か、A「謝罪レターに加えプレミアムクラブへのお試し無料入会期間を与える」か、そして比較対象としてB「特に何もしない」というのがその内訳だ。
−中略−
 その後の調査の結果、詫び状のなかった人たちは何カ月か経った後でもまだ怒っていた。一方で詫び状を受け取った2グループは翌年コンチネンタル航空へ費やすお金が8%も増えていたらしい。
さらにはプレミアムクラブ無料入会期間を与えてもらった顧客の3割ほどは、無料期間が終わった後も自腹で会費を払い、コンチネンタル航空はさらに追加の収入を得ている。
−中略−その結果、1億5000万ドル以上の売上増加が得られたそうだ。(122頁)

一見して「一方のグループにとってよいこと」であっても統計学的実証が不十分で「実際のところどっちがよいのだかわからない」という状況であれば、ランダム化比較実験は正当化されうる。
 実際にアメリカで行われた事例として、ランダム化のもと、
・一部の貧困家庭のみに家賃の補助券を配る
・一部の失業者のみに仕事の探し方と面接の受け方を指導する
・一部の低所得者のみにベーシックインカムを保証(所得が一定水準を下回ったらその水準に足りなかった額を支給)する
 といった実証実験が行われている。
−中略−
 その結果、たとえば家賃補助を出すことで貧困家庭環境の悪いスラムから脱出させても、子どもの学業や犯罪率が改善したわけではなく、むしろ男の子において悪影響すら見られた、という結果が示されたりもした。
(130〜131頁)

家賃の補助券を配ると、もっと高いところに住めるので、スラム街から脱出して親は別のエリアに住んだ。
移ったら移ったで、子どもは更にグレた。
スラムの子供たちの仲間のほうが楽しかった。
善意が善意のまま伝わるというわけにはいかないのが社会の面白さ。

福祉は難しい。
物とかお金の形で人をサポートするというのは本当に難しいこと。
問題は、ランダム化の実験を心理的に運任せのように見えてしまうので、感情的に非常に嫌う人が多い。
こういう実験はやめようという動きがアメリカではある。

ランダム化が有効であることは間違いない。
ランダム化が一番、私たちの中で直接形となっている実験の成果は、タバコと肺がんのつながり。
医学的にはまだはっきり「タバコは悪い」とわかっていないらしい。
でも、どう考えても統計学的に疫学上「あまりいい影響はないぞ」ということがわかったので、ああいう但し書きがある。
(このあたりの話は136ページあたりから)

武田先生の個人的な意見。
世論調査。
ものはききようで、データは問いを間違ってしまうと、全部クズになってしまう。
極端な例かも知れないが、新橋の駅前、水戸の駅前、福島の駅前、岩手の駅前。
かなり地域で数字が変わる。
ましてプラスここに「原発問題等」という問題が出てくると、新橋、水戸、福島、岩手ではかなり数値の差が出てくる。
そういう意味では、新橋駅前だけで「庶民の声を」というのはちょっと無理なような気がする。

データというのは勝手な思いから、ものすごい巨大な悲劇を引き起こすということも現実にある。
その実例。
ダーウィンの進化論。
イギリスの人だが功罪がある。

・生存や繁殖に有利な特徴を持った個体は世代を経るごとに増加する(逆に不利なものは淘汰される)
・ただしどのような特徴が繁殖や生存に有利なのかは環境によって異なる
 かくして生物は世代を経るごとに環境に適した特徴を持つに至るのである。
(149頁)

このダーウィンの進化論を熱烈に支持した人に従兄弟のフランシス・ゴルトンという人がいる。

 ゴルトンが思いついたのは、この進化論の人間への応用である。彼は1883年に著した『人間の知性とその発達』において、「より環境に適した人種や血統を優先して、より多くの機会を与える」、という優生学の考え方を提示した。
 優生学とはすなわち、人間の知性は遺伝によって決定されるのだから、積極的に知性の低い人間は淘汰し、知性の高い人間ができるだけ多くの子孫を残すようにすれば人類の知性はどんどん向上していくから、これが人類の目指すべき正義ではないかというのだ。
−中略−既得権益を守りたかった貴族たちにとって、ゴルトンの優生学というアイディアはとても都合がよかった。−中略−
 優生学の考え方が現在タブーとされているのはナチスが本気でこの思想を信じ、あるいは利用し、「劣等人種」の虐殺に繋がったからだと言われている。
(150〜151頁)

これもある意味、統計学の統計のデータの取り間違えがこういう悲劇を生んだ。

この優生学は本当に根深くて、ナチスの後はアメリカに飛び火して、戦後アメリカに性犯罪者の「断種」というのが法的に認められた。
ものすごい犯罪を逆に生んだ。
二件か三件続けて性犯罪を犯した男性がいる。
睾丸を切ってしまう。
睾丸さえ切ってしまえば暴行事件できないだろうと。
できない性犯罪を犯してしまう。
性の発散では済まなくて、女性性器に対する憎悪みたいなものになってしまって切り裂くといった、どんどん暗い方になっていってしまう。
(このあたりのことを調べてみたが「断種」なのであくまで「子孫を残させない」という方向性で、別にチ○コを切ってしまうということではないので、犯罪の種類が変化するというような話は出てこなかった)

ダーウィンの優生学は「血統ってあるんじゃないか」とか、まだ私たちの中にある。
ローザンヌ国際バレエコンクールで一位を取った長野の二山治雄二さんと、スケートの浅田真央さんを掛け合わせたらスゴイのが出来るんじゃないか。
それは否定されている。
ゴルトンは罪作りな人で、優生学を発表しておいて、ナチスとかアメリカの性犯罪者、知的障害者の人に優生学の間違った方法で影響を与えるのだが、彼自身、更に優生学を進めるうちに遂に優生学というのが成立しないことを自分で確かめる。

ゴルトンが統計学を使って優生学が成立するかどうかを研究した結果。

ゴルゴンが知性を統計解析しようにも、そのデータ自体が当時は得られない。だから、代わりにゴルトンは、約1000組の親子の身長を測定し「優秀な親から優秀な子どもが生まれる」という現象を実証しようと試みた。−中略−
 横軸に両親の身長の平均値、縦軸にその子どもの身長がそれぞれインチ単位でとられ
(152頁)

両親の背が高くなれば比例して子どもの身長も右肩上がりで伸びるはず。
ところが、実際に統計をとって見ると右肩上がりの直線にはならず、やや右肩上ではあるが、子どもの身長で一番多いのはちょうど真ん中に集中する。

 こうした現象のことをゴルトンは「平凡への回帰」と呼び、後に彼の弟子や影響を受けた統計学者たちによって「平均値への回帰」と呼ばれるようになった。実際のデータは、理論上の推測よりも「平均値に近づく」という意味である。(154頁)

平均に向かって種は前進してゆく。

子どもの身長(cm)=74.7(cm)+0.57×両親の身長の平均値(cm)(154頁)

優性遺伝子の組み合わせが生き物を作っているのではない。
「なんでこんなお父さんとこのお母さんがこんな子が生まれたんだろう」とびっくりすることがある。
「トンビがタカを産む」ことがあって「タカがトンビを産む」こともあって、お互い鳥類だからいいだろうというまとめ方の方が生き物というものは考えやすい。

西内氏は
平均値への回帰というのは統計学が見つけた神の姿である。
神は平均が好きだ。
神様はアベレージが大好きだ。
スペシャルがあまり好きではない。
(本の中にこの文章を見つけられなかった)

世界記録を持つ人がオリンピックの選手になるのではない。
平均値の高い人がオリンピックの選手になる。
(このあたり、本の内容とは異なる気がする)
ソチオリンピックを見ていてもやっぱり平均が高い。
奇跡のまぐれは起きない。

 一般に、科学的推論の形式には大きく分けて帰納と演繹がある。
 おおまかに言えば、帰納とは個別の事例を集めて一般的な法則を導こうというやり方、演繹とはある事実や仮定に基づいて、論理的推論により結論を導こうという方法である。
−中略−データとはすなわち個別の事例をわかりやすくまとめあげたものであり、統計学の目的は帰納的推論である。(259頁)

 経済学者はニュートンが「すべての物体は外部から力を加えられない限り速度は変わらない」と仮定したのと同様に、「あらゆる経済活動は物々交換にすぎない」とか、「消費者は期待される効用(満足感のようなもの)を最大化する行動を選ぶ」といった仮定から、価格や支出、貯蓄といったものの関係性を記述した連立方程式による演繹を繰り返すことで、個人や社会の均衡状態を説明しようとするのだ。(261頁)

全てを揺るがしたSTAP細胞。
「そんなバカなことがあるか」「生物学の歴史全てを愚弄するのか」と叩かれた。
父と母の間の真ん中から子どもが生まれてくるということだったのだが、それを支配するのは遺伝子であるということで、ずっと縛ってきた。
遺伝子が生物を支配していると言われてきた。
ちょっとした刺激を与えると細胞が若返る。後戻りする。
「生命は遺伝子を超えてもっと自由な生き物なんだという」哲学みたいなものがこれから生まれてくる。

DNA検査。
遺伝子で何の病気で死ぬかがわかる。
あれも揺らぐ。
細胞そのものが突然、遺伝子から自由になるという可能性を秘めている。

山中教授のiPS細胞。
呼び名が「万能細胞」。
ある人がラジオで言っていた話。
「万能っていうのは安っぽいな」
何にでも入れられるから「万能ネギ」。
出刃から中華包丁からなんでも使えるから「万能包丁」。
もうちょっと地味な名前でいいのではないか?
最近はものすごく極端。
西内氏の考え方に沿って言うと、昨今の人たちというのは突然バンと真理を言う。
例えば「努力する人が報われるような世界にしましょうよ!」。
そう言われても、どこから手をつけていいかわからない。
「原発は安全と安心が両立しなければ、直ちに中止すべきである」
これは100点満点の答えである。
「中韓とは領土問題と同時に歴史認識、あるいは靖国問題もあわせもって、納得し決着をつけない限り、真の友好は対中韓に関してはありえない」というようなことがメディア用語として飛び交っているが、「完璧」「万能」という言葉を使いすぎるのではないか。
西内氏が言うのは「みんな統計学的に生きようよ」「統計学的でOKじゃん」。
人々は全力で「最善」を求め、徹底して失敗を非難する。
しかし「全力」「最善」「失敗がない」三つそろって成功することなど統計学的にはありえない。
(本の中では「全力」と「最善」は違いますよっていう話をしているようだが)

 私たちが一番簡単に目にすることができる明らかな失敗は、プロスポーツ選手によるものだろう。−中略−だが全盛期のイチローでさえ打席に立てば半数以上アウトになるし、滅私やクリスティアーノ・ロナウドでさえシーズンを通して7割以上のシュートを外している。(299頁)

ものごとを帰納的なところまで落としませんか?
あまりにもみんな、十の十を求めすぎるのではないか。

アメリカの医療においてこうした「最善」が大きな成功を収めた事例である、100K Livesキャンペーンの中に存在しているかもしれない。10万人の命と名付けられたこのキャンペーンは、2004年から2006年にかけてアメリカ全体の入院死亡率を5%低下させ、年間12万人も死亡を減らした。
 そのために行ったことはごくシンプルなものである。心停止/呼吸停止のリスクのある患者に緊急対応チームの派遣、急性心筋梗塞に対するエビデンスに基づいた治療の徹底、投薬内容確認の徹底、手洗いの徹底による院内感染の防止といった「やるべきだとわかりきった目標」を全米の病院で徹底するようにしただけだ。
(299〜300頁)

病の人を全員いっぺんに助けようじゃなくて、統計学的にできることから、まず三つだけやってみようよっていうだけで年間12万人、二年間だから24万人の人命が救えた。
(調べてみたが、実際には2005年1月〜2006年6月実施、これにより助かった人は122,300人。ということで「24万人」というのは誤り)
こういう帰納的行動。
構想が最初にあるんじゃなくて、できることを徹底してやってみる。
そういうところに、実は、ここからの明るい未来があるんじゃないか。

武田鉄矢・今朝の三枚おろし(2月24〜3月7日)◆『統計学が最強の学問である』西内啓(前編)

去年だけどね・・・。

統計学が最強の学問である



この本の内容は後半は難しい数学の話なので、武田先生は番組で取り上げない。
ってことで、私もそのあたりは流し読み。

統計学や統計。
テレビなら視聴率、ラジオなら聴取率。
そういうものが果たして、当たっているのか?
何にしろそれは、統計学からはじき出された人気度をさぐるためのもの。
アンケートもそうで、アンケートの風景というのは、我々の目に入ってくる。
幹線道路の脇に座り込んで、車種を懸命にカウンターで押す寒そうな青年やおばさんを見かける。
福祉、車販売店からのアンケート。
病院も後でアンケートを取る。
消費動向、消費意欲、どんなテレビを見ている、どんなラジオを聞いている。
そういうものは、全部数字に置き換えられて、カウントされている。
我々はそれを人気とか傾向とか未来予測とかそういうことで、自分の暮らしに生かしている。
その数字が全体を変えるほどの、果たしてデータとなりえるかどうか?
それを疑った武田先生。

どんな分野の議論においても、データを集めて分析することで最速で最善の答えを出すことができる(8頁)

 判断を誤れば10万人の命が失われる意思決定、という状況はまるでSF映画の中の出来事のように感じられるかもしれない。だが、医療、なかでも私が専門とする「公衆衛生」や「社会医学」「保健行政」といった領域においては、今この瞬間にも慎重な議論を経てそういった決定を下している真っ最中なのである。
 たとえば日本では毎年35万人ほどががんで亡くなり、19万人ほどが心臓病で亡くなり、3万人ほどが自殺している。適切な予防は治療の方策さえ取れれば、このうち何万人もの命が救われるはずなのだ。
(9〜10頁)

病気の本当の原因は何だったのか、統計である程度予測がつく。
ローカルのニュースでやっていた話。
宮崎でバードウォッチングの人たちがずっと川を見ている。
鳥インフルエンザ。
統計によれば飛来した雁による広がりは間違いがない。
統計から判明した病気を運ぶ鳥としての渡り鳥。
統計を取ると、ある程度の病気を防ぐことができる。
もしかすると最強の学問かも知れない。

「疫学の父」ジョン・スノウという人の活躍。

世界で最初の疫学研究は19世紀のロンドンで、コレラという疫病に対して行われた。−中略−ある医者が提案したのは、彼の調合した特別な消臭剤によってこれらが減らせるというものだった。
 当時のロンドンは産業革命の真っ最中で、農業で食べていけなくなった人々が都会へ押し寄せ、工場で労働者として働くようになりはじめた時期であった。
−中略−下水道も整備されないためにゴミや排泄物が庭や地下室、道端といったそこらじゅうに貯めこまれていた。当然その悪臭たるや悲惨なものだっただろうが、そうした「臭い地域」に住む臭い労働者たちの多くがコレラで死亡していたため、悪臭を取り除きさえすればコレラもなくなるのではないかと考えたのだ。
 さらには、もっと果敢にこの汚物を取り除こうとした役人もいた。彼は街中の汚物を片っ端から清掃し、下水を整備し汚物を川へ流せるようにする、という政策を取った。
−中略−彼らの努力にかかわらず、二度目の大流行時(死亡者約7万人)は、むしろ最初の大流行時(死亡者約2万人)よりも大量の死亡者を出している。(10〜11頁)

外科医のジョン・スノウがデータのサンプルの集め方が間違えているということで、統計をもう一回取りなおす。

・コレラで亡くなった人の家を訪れ、話を聞いたり付近の環境をよく観察する。
・同じような状況下でコレラにかかった人とかかっていない人の違いを比べる。
・仮説が得られたら大規模にデータを集め、コレラの発症/非発症と関連していると考えられる「違い」について、どの程度確からしいか検証する。
(12頁)

そこで判明したのが「水道」。

            家屋の数 コレラによる死亡者 一万軒あたりの死亡者数
水道会社Aを利用 40046      1263          315
水道会社Bを利用 26107       98            37

(13頁)

この統計が指し示すところは、コレラの原因は水道水である。
後からわかったことは、水道会社Aは汚物処理場の下流にあった。
統計を取ることによって本当の原因が疫学的にわかってくる。

教育に統計学が用いられるようになった。
一見、教育のためによかれと思われる施策も、統計を取ってみると全くの愚策であると判明する。

大阪府・市をあげて、英語教育に熱心。
ニュースで、すごい怖い顔をした大阪市の役員が出てきて「英語でアメリカ人とケンカができるぐらいの英語力が」。
その言い方がすごくトゲのある言い方。
「そこまでの英語力が身に着かないと日本人は国際人になれないんです」という。
英語でケンカができるほどの英語力とは何か。
「英語でケンカと交渉ができれば英語力は一流だ」という人と人格的に友達になりたくない。
世田谷の英語塾のビラのキャッチコピー「ああ、英語で冗談が言いたい」。
仲がよくなることが大事。
英語で冗談を言ったから仲良くなるワケではない。
仲良くなったから英語で冗談が言えて受けたので英語力の前の問題。

教育に関する施策。

・教師に生徒の成績に基づいた競争をさせて、ボーナスの査定にも反映させればいい
・子どもは諸学校入学前から英才教育を施すことで天才に育つはずだ
・数学教育にもっとコンピュータを取り入れて効率化をはかるべきだ
−中略− ちなみに「教師に競争をさせてボーナス査定をする」というアイディアについては、2006年から2009年にかけてナッシュビル・パブリックスクールで延べ2万4000人の生徒と300人の教師を対象に実験が行われた。そして「統計学的に何の改善も見られないか、むしろ悪影響」という結果が得られている。(20〜21頁)

(ここで武田先生は「かえってクラスが荒れ放題になった」という話をしているが、この本にはそのような言及はなし)

 2番目の早期教育については、4700名の3歳から4歳までの子どもに読み書きと算数の早期教育を行った結果、確かに3歳あるいは4歳の時点では、同年代の他の子どもと比べて読み書きや算数の成績が明確に高かったものの、小学1年生になった頃に追跡調査を行ってみると両者の差は消失してしまった、という統計解析の結果が得られている。
 コンピュータを使った教育は、この3つのアイディアの中では唯一有望で、伝統的な授業を行われた生徒と比べ、統計学的に明らかと言えるレベルで数学の成績が上昇していたというI CAN Learnプログラムと呼ばれる取り組みも存在している。
(21頁)

文化放送で最高聴取率を持つ武田先生。
狂喜乱舞された遠い思い出が。
でも、当時は文句ばかり言われてイヤだった。

人間ドックに行く武田先生。
タンパク質a1c(「HbA1c」のことを言っていると思われる)。
「あと二つ上げないとダメ!アナタ7でしょ。平均値5.4なんだから」
などといろいろ先生に言われる。

このようにして、データ・数字に掻き回される我々。
西内氏はそういう統計、あるいはデータの取り方に関して「何を問うのか」というものがしっかりしていないと「クズデータになりますよ」。
例えば「タレントの好感度」などは己の印象のみであるから、統計に意味があるわけではない。
その他「アクセス数」とか「延べ視聴者数」などで騒ぐ人もいるが、はっきりした問いがない以上、データとしてはクズに近いデータではないか?

具体的な行動を引き出すためには、少なくとも以下の「3つの問い」に対して答えられなければいけない。
【問1】何かの要因が変化すれば利益は向上するのか?
【問2】そうした変化を起こすような行動は実際に可能なのか?
【問3】変化を起こす行動が可能だとしてそのコストは利益を上回るのか?
(59頁)

問いを間違えればデータは全く意味がなくなるという一例。

〈次の食べ物を禁止すべきかどうか考えてみましょう〉
・心筋梗塞で死亡した日本人の95%以上が生前ずっとこの食べ物を食べていた。
・強盗や殺人などの凶悪犯の70%以上が犯行前24時間以内にこの食べ物を口にしている。
・日本人に摂取を禁止すると、精神的なストレス状態が見られることもある。
・江戸時代以降日本で起こった暴動のほとんどは、この食べ物が原因である。
 ちなみにこの食べ物とは「ごはん」だ。
(71頁)

米を禁止すれば日本は安全、安心な国になる。
つまりこれがクズデータ。
問いの立て方が間違っている。

・にわか雨が降っているときに外出先で傘を買うと、たいていその直後に晴れる。
・トーストを落とすと、いつもバターを塗った側が地面につく。
・たまたま遅刻しそうなときに限って、いつも電車が遅れる。
 だがじつは、こうした「あるある」の多くが、「記憶の偏り」によって左右されているものだということは、心理学者あるいは認知科学者たちによってすでに実証されている。少し考えてみればわかるはずだ。人間はこれまでの人生で何十回以上も経験した、にわか雨がふって傘を買ったという経験のうち、「何事もなく傘をさして帰宅した記憶」と「その直後に晴れて舌打ちした記憶」のどちらをその後より強く思い出すだろうか?
(73〜74頁)

因果関係をいとも簡単に結びつけてしまうことが人間にはある。
そういう因果を取り間違えないための方法を発見したイギリス人。
ロナルド・A・フィッシャー。
「ランダム化」という統計学の取り方を実験した。

 1920年代末のイギリスにて、陽射しの強いある夏の午後、何人かの英国紳士と婦人たちが屋外のテーブルで紅茶を楽しんでいたときのことだった。その場にいたある婦人はミルクティについて「紅茶を先に入れたミルクティ」か「ミルクを先に入れたミルクティ」か、味が全然違うからすぐにわかると言ったらしい。−中略−
 その場にいた紳士たちのほとんどは、婦人の主張を笑い飛ばした。
−中略−
 だが、その場にいた1人の小柄で、分厚い眼鏡をかけ髭を生やした男だけが、婦人の説明を面白がって「その命題をテストしてみようじゃないか」と提案したそうだ。この男こそが、現代統計学の父、ロナルド・A・フィッシャーである。
 彼はさっそくティカップをずらりと並べ、婦人に見えない場所で2種類の違った淹れ方のミルクティを用意した。そしてランダムな順番で婦人にミルクティを飲ませ、婦人の答えを書き溜めた後でちょっとした確率の計算をする、という実験を行った。これが世界で最初に行われたランダム化実験だと言われている。
(102〜103頁)

彼女がランダムな5杯のミルクティを飲んでいたとすれば、偶然すべて当てる確率は2の5乗分の1、すなわち32分の1(約3.1%)、もし10杯すべてを当てていたのならば1024分の1(約0.1%)ということになる。(106頁)

偶然さえ排除できれば彼女が本当に当てているかどうかがわかる。
10杯飲んでもらえて全部当ててもらえれば、あるいはそれに近い数字を出してもらえれば、彼女が明らかに統計学的に味の違いがわかっているということ。
彼女は全部当てた。
ということは味が変わる。

2014年12月30日

武田鉄矢・今朝の三枚おろし(12月11〜19日)◆『月の裏側 日本文化への視覚』 クロード・レヴィ・ストロース(後編)

これの続きです。

レヴィ・ストロースの父は浮世絵の収集家だった。
博士はジャポニスム(ジャポンニズム?)の象徴である浮世絵を勉強部屋に飾っている時が一番幸せで、浮世絵の世界に行くというのが自分の永久の夢だった。
それが老年に達してやっとかなって、日本について興奮がある。

日本人は「逆さ使い」をする。

中国生まれの汎用鋸やさまざまな型の鉋にしても、六、七世紀に日本に取り入れられると、使い方が逆になりました。職人は、道具を前に向かって押すかわりに自分の方へ引くのです。(38〜39頁)

包丁も同様。
これに対して川田氏は注釈で以下のように指摘している。

 歯列の形状からも日本では一貫して引き使いだったと思われるが、鉄器時代以後は押し使いが多いユーラシア大陸でも、ギリシャ、トルコからインド北部、ネパール中国南部にいたる地域では、引き使い鋸が使われている。(42頁)

だから日本独自ではない。

日本に対する興奮というのは、歴史にも及んでいる。
東洋において日本は中国文明に光を受け、その文明の下で育った。
文明としての明かりを中国、あるいは韓国から受けたことは間違いがない。
そんなことは恥ずかしいことでもなんでもない。
レヴィ・ストロース博士の驚きは、中国、韓国の文明の影響をこれほど受けながら、なぜ決して中国的ではないのか?
なぜ韓国的にならなかったのか?
不思議でならない。
日本は明治維新以降、近代化を急ぐ。
今度はヨーロッパの真似をする。
憲法もドイツの憲法の真似をする。
ところが、ヨーロッパのどこの国にも日本は似ていない。
戦後、アメリカの影響を受けた。
ほとんどアメリカの属国。
基地問題などを見るとアメリカの一州になったといってもいい。
ちっともアメリカに似ていない。
そこをレヴィ・ストロース博士は「世界で最も個性的な国」だとおっしゃる。
日本は「真似する真似する」と言われて批判された。
でも、真似してるんだけど似ていない。
これが日本の面白いところ。

明治維新の近代化のスローガンは王政復古。
古代への回帰のために、欧州の文物を取り入れた。
日本の独特の考え方。
明治維新とは一体どういう革命かというと、近代化するために王政復古、新しくなるために古さに戻ろうとした。
そのために欧州の文物を取り入れた。
(このあたりの話は56ページあたり。「自分に戻る」っていうあたりが「古さに戻ろうとした」という話になっているのかと)
後に日本は道を誤る。
対米戦争を開始してしまって、敵国アメリカによって全て破壊される。
戦後は憲法も含めてアメリカ化されたいと願う。
アメリカの一州と呼んでもいいぐらい、国防予算なんて「思いやり予算」といって米軍にいてもらっている。
とろこが、アメリカのどの州にも似ていない。
中国にも欧州にもアメリカにも似ていない。
それが日本なのである。
そしてそのくせ、中国的なもの、ヨーロッパ的なもの、アメリカ的なものはきちんと残っている。

「岡」という字。
今、中国では「冈」と書く。
簡素化しすぎる。
「岡」という字に関しては、日本の方が中国より正確にとっている。
アメリカだって、佐世保バーガーの方が美味い。

やがてアメリカがアメリカを忘れた時、アメリカを教えるのは世界でただ一つ日本であろう。
中国が中国を忘れた時、中国がこんな国であったと教えてくれるのは、おそらく日本だろう。
日本は人の真似をしたりするんだけど、いかなる文明の影響をも拒絶するという部分をいくつか持っている。
それがこの国の特徴。
(本の中にこのあたりの話を探してみたが発見できず)

浮世絵。
日本の版画は線描の大胆さが中国の毛筆などを圧倒している。
構図の大胆さにおいても、中国の人物画、山水画を凌駕し、東海道や富士の風景、美人画など、日本の浮世絵の方が圧倒している。
浮世絵は西洋絵画をも圧倒した。
浮世絵は版画なので色を混ぜない。

この何かは、中国のものでは決してなく、線描と色彩とが独立していること、つまり表現力豊かな線と平面的に塗られた色彩が特徴です。−中略−この独立性すなわちデッサンと色彩が互いに依存していない特性が、印象派の画家たちを熱狂させました。(53頁)

ゴッホの「何とかおじさん」(「タンギー爺さん」のことかと思われる)も、色が全部一個一個違う。

ゴッホ・「タンギー爺さん」 プリキャンバス複製画・ 【立体仕上げ】(6号サイズ)



普通、西洋絵画はグラデーションでゆっくりしているが、それがくっきりしている。
その色のくっきりさにゴッホは逆に圧倒された。
後に自画像などを描くのだが、あのブルーはすごい。
浮世絵の富嶽百景の後ろ側のブルーに似ている。

 美術と料理のあいだに、少なくとも二つの変わらぬ特徴を認めることができるように思います。−中略−純粋な日本の伝統的グラフィック・アートも純粋な日本料理も、混ぜ合わせることを拒否し、基本的な要素を強調するのです。(54頁)

日本の料理は絵画的ではある。
皿を小さな額縁にして季節を描く。
アユをわざわざ串を刺していかにも泳いでいるという風情に曲げる。
そして紅葉を置いたりする。
一枚の絵画。

日本料理は色を混ぜない。
寿司の並べ方。
マグロとイカを一緒に混ぜ合わせたりしない。
パッチワークのごとく並べる。
赤は赤、黄色は黄色、白は白。

それをどう混ぜ合わせるかは食べる人の選択と主体性にまかされています。(54頁)

(武田先生はレヴィ・ストロースはこのあたりを「たまごかけごはん」によって発想したと言っている)

混ぜ合わせないのが宗教にも及んでいる。

中国の仏教と日本の仏教の違いの一つは、中国では同じ寺院のなかに異なる宗派が共存しているのに対して、日本では九世紀から、ある寺院は天台宗だけ、ある寺院は真言宗だけという具合になりました。(54頁)

日本人は遊びをとても大切にしている。

 しばしば、日本で私は、ひどく真面目そうな銀行家や実業家までが、たわいない玩具に魅了されていることに驚いた。ヨーロッパで同じような立場の人は、そういうものに無関心か、無関心を装うだろう。(92頁)

ゴルフはある年齢になると離脱して、別の遊びに移行する。
レヴィ・ストロース博士の驚きは、日本人が「遊び」を死ぬまで続けていくことへの驚き。
俳句も遊びの一種。
お茶を飲む「茶の湯」というのも一種の遊び。
それを遊芸、遊ぶ芸として高める。

 グラフィック・アートの領域で、この遊びへの嗜好は極めて早い時代、十二世紀の画家でもあった僧侶鳥羽僧正〔作ともいわれる〕の有名な絵巻〔鳥獣人物戯画〕に現れている。(92頁)

鳥獣戯画 対訳 (新・おはなし名画シリーズ)



鳥獣戯画がマンガとかアニメの源流になったとすると、マンガというのは大人の遊びから流れ出た遊びである。
「遊」びというのと「芸術」ということを対立させずに遊芸という。洗練した遊びにしているのが日本人のすごいこと。

日本人は完成を目指さない。
不完全・不完成を美と見る。
京都の寺は、庭でいいお寺があると、お寺の一角が壊れている。
石組みがあって「天国に通じる橋を現しています」という橋が途中で切れている。
「切れてますね。じゃ、向こうへ渡れないという教えですか?」と訊くと「いえいえ、全部作ってしまうとみっともない」。
日光東照宮日暮門。
ものすごく西洋人に人気がある。
完璧に左右対称に見える。
一か所だけ違う。
絶対に左右対称に作らない。
左右対称は決して美しくない。
どこか一か所を傷つけて、完成という不完全にして美を楽しむということが暮らしに浸透している。

レヴィ・ストロース博士は来日のたびにいろいろな人に会う。

どんな辺鄙なところでもかまわないから、町や村の職人の方々にお会いできるように計らっていただいたのです。奈良の数々の博物館や寺社、伊勢神宮の思い出は無論忘れられないものではありますが、私の大部分の時間は、キモノの機織師、染師、絵師や、陶芸師、鍛冶師、木地師、金細工師、漆芸師、木工師、漁師、杜師、板前、菓子杜師、それに文楽の人形遣いや邦楽の奏者の方々とお会いすることに割かれました。
 そこから私は「はたらく」ということを日本人がどのように考えているかについて、貴重な教示を得ました。
(125頁)

レヴィ・ストロース博士は全部それぞれに「神様を持っている」ことに驚いた。
(このあたりの話は本の中に見つけられなかった)
全部神様が違う。

板前さんは包丁に神を見る。
赤坂に包丁塚。
着物を縫うお針子。
針一本に神が宿っているといって針供養がある。
漁師町には恵比寿さんという独特の神を持っている。
料理、着物、漁師が釣り上げた魚。
それは神との間によって結ばれた関係であり、決して経済、お金稼ぎの為の「経済」とはみなさない。
これをレヴィ・ストロースは資本論では掬えない別個の日本人らしい労働観がある。
日本人は働く向こう側に神様がいないと落ち着かない。
ただ単に儲かればいいというものではない労働観を持っていると感じる武田先生。

栃木の小さな居酒屋が英語版のガイドブックに紹介されて、観光客が押し寄せている。
(調べてみましたが、居酒屋かやぶきのようです)
世界から人が訪れるという居酒屋。
サルの親子が和服の着物を着ておしぼりやビールを持ってくる。
機嫌がいい時は親の方のサルが酌をしてくれる。
それを「一枚写真撮る」というので、ずっと粘り続ける外国人がいる。
「珍しくて仕方がない」という。
「何が珍しいんですか」と言うと「サルが労働している」。
彼らが住んでいる世界の労働観というのは、労働現場は資本家と労働者の関係。
資本家がいて労働者がいるという使役の関係。
サルがお酌をする居酒屋では、誰が資本家なのか、誰が労働者なのかがよくわからない。
そのことが面白くてたまらない。
老夫婦とサルの母子が寄り添いながら一軒のジャパニーズレストランを経営しているというのが、おとぎ話のように見える。

ここからレヴィ・ストロース博士が勘違いをしている話。
能の演目「高砂」。
松林の精霊である翁と媼が出てきて、若い二人の船出を祝ってあげるという演目。
この「高砂」に出てくる翁と媼という白髪の老夫婦は、熊手と箒を持って登場する。
そして高砂を舞う。
松の精霊なのだが、この能狂言を見たレヴィ・ストロースが腰を抜かす。
日本の伝統である能のステージで、箒を持った年寄りが現れて、そこらへんを掃除しているっていう。
それが芸術になっているというので、レヴィ・ストロースは「なんとすごい国だ!」「掃除するというのを芸術にしたのは日本だけだ」。
それが国立劇場の一番の演劇として演じられている。
(このあたりの話は45ページあたりにわずかに出てくる。番組で続いて触れる翻訳者の川田氏の注釈は次のとおり)

 能や世阿弥への強い関心にもかかわらず、著者レヴィ=ストロースが能演を実際に観たのは初来日の一九七七年、東京に到着した直後、すでに手配されていた世阿弥作『高砂』(観世流)の一回、一曲だけである。「労働の概念とその表象」がこの訪日の主な関心だったので、老いた男女が熊手と箒を持って登場し、掃除をしたことに衝撃を受け、能が労働を表象するという性急に一般化された印象を抱き、同行した渡邊守章氏に同意を求めた。限定つきだったその時の渡邊氏の説明を、このシンポジウムの講演では、拡大解釈して援用している気味がある。(58頁)

スピリチュアルな妖精が翁と媼。
年取った老人夫婦が、箒を持って掃除をし続けるということで、ことほぐ、祝う、清めるというのは日本人独特。

本の一番最後は同じく文化人類学を研究している川田氏とレヴィ・ストロースとの対談。

 この対話の第一部で、あなたはブラジルに関してこの質問をなさいました。そのとき私は、第一のもの、第一印象、それは自然だ、とお答えしました。日本についてはといえば、第一印象、最も強い印象は、人間、人々です。−中略−日本の自然は貧しく、反対に人間性において非常に豊かです。(136頁)

富士山。
日本の美しい山の一つ。
西洋が買ったのは、富士山ではなく富士山を信仰する日本人で世界遺産になった。
日本ほど人間というものについて豊かな国は見当たらない。

日本人の中には、古代や中世から連綿と続く歴史、あるいは縄文時代の野生のようなものがきちんと個人の中に残っているんです。
例えば中世から残った習慣として、趣味で乗馬をやっている人がいるが、私は日本人が馬に乗る姿を見て驚きました。
皆さん右側から乗ってらっしゃる。
(この本の中でレヴィ・ストロースが上記のように書いているという話をしているが、このあたりの話は143〜144ページに登場はするが、このような文章はない)

旧世界では轆轤(ろくろ)は片方の足で押すのに、日本では他の足を使って、一方では時計の針の方向に、他方では時計の針とは逆向きに回すとか(144頁)

そういうささやかなしぐさとか体づかいが、日本人の場合は千年単位の時の流れを感じさせる何か(古代とか中世)からの影響。
その一つの中に洗面所に水をためて手を洗う人がほとんどいないという、縄文からの流水による洗い方。
そういうものに、日本人独特の古代からの連続性を博士は感じてしまう。
(このあたりも武田先生の脚色部分が多いように思う)

 言うまでもなく、日本は多くの影響を受けてきました。とくに中国と朝鮮からの影響、ついでヨーロッパと北アメリカからの影響です。けれども、日本が私に驚異的に思われるのは、日本はそれらをきわめてよく同化したために、そこから別のものを作り出したことです。さらに、私が何としても忘れたくないもう一つの麺は、これらのどの影響も受ける前に、あなたがたは縄文文明という一つの文明をもっていたことです。−中略−他所から受け入れた要素を洗練し、それをつねに何かしら独自のものにしてゆく力を具えていたのです。(147頁)

(武田先生はこれを「文明から文明を掬う文明を持っている」と表現した)
日本人はこのことを、さして意識していない。
しかし、レヴィ・ストロースその一点を理解しない限り、日本を理解できないと言っている。
(本には書いていないけど)

日本は世界の一番隅っこで、中国語とも韓国・朝鮮語とも違う独特の言語を持つ。
日本の独自性。
イギリス、フランス、ドイツ、イタリア。
言葉が全部違うようだが、基本はラテン語。
だからものすごく変わることはない。
ところが日本語は不思議なことに朝鮮語、いわゆる韓国のハングルの言葉とも中国語にも似ていない。
隣国とこんなに似ていない国というのは、世界でも珍しい。
しかも、日本人は異国の言葉を話すのが下手。
隣国に中国というあれほどの大国がありながら、これほど日常、中国語を理解しない人間というのは珍しい。
今も日本人は中国語が苦手。
六年間英語を学んで、これほど英語が話せないというのは日本のみである。

もし、中国、韓国、あるいはアメリカなどが過去の己の自分というのを求めたい、探したいと思ったならば、日本を訪れるといい。
かつて中国人がどのような人々であったかを勉強したい、知りたければ、中国人は日本へ行くべきだ。
韓国もアメリカもそうした方がいい。
なぜならそこには、日本人がきちんと覚えている、中国、韓国、アメリカがあるからだ。
過去についてこれほど豊かな国を持っている国は日本の他ない。
(このあたりの話も本の中で発見できず)