これの続きです。
朝日新聞出版、(著者は)永田和宏さん「人生後半にこそ読みたい秀歌」という本を取り上げている。
もう武田先生も「年齢的には和歌の年齢かなぁ。辞世の歌、作って締め括り」みたいな、その学び始めの一冊にしたのがこの一冊だった。
短歌世界、聞けば聞く程面白い。
ありとあらゆることが文芸に成り得るという。
先週お約束した通り、不倫でさえも文芸になるという。
先週も取り上げたが、斎藤茂吉なる歌人がいる。
この方は精神科医として生きているが、短歌を残して、実は大歌人。
斎藤茂吉を習ったのか、詳しくは覚えていない水谷譲。
歌集のタイトルは「赤光(しゃっこう)」というヤツで。
斎藤茂吉の「死にたまふ母」五九首は、−中略−
この一連の挽歌に及ぶものは他にないと言い切ってもいいでしょう。(156頁)
これを武田先生達団塊の世代は国語で教わったような気がして。
覚えている短歌もあって
死に近き母に添寝のしんしんと遠田のかはづ天に聞ゆる(156頁)
もうまんま。
お母さんがだんだん危篤の状態が重くなっていくという。
自分はその横に出て看取ろうとしている息子である。
深夜、目を閉じていると遠くの方、「遠田」遠くの方の田んぼで、「かはづ」カエルが鳴いている。
「天に響き満る声で」という。
そういう和歌を残した人。
息子は同じく精神科医でエッセーの妙手。
モタ先生(齋藤茂太)というので、有名なエッセーを書く人だった。
そして更に次なる息子が小説家の北杜夫さん。
この方は次男。
茂吉さんは実はこういう事情があった。
昭和8年、1933年のこと、奥様の不倫がスキャンダルになって。
若いダンス教師と不倫の関係になったことが、新聞各紙でスクープされ、−中略−
茂吉は激怒し、大きな痛手を受けます。輝子とはその後一二年にわたって別居生活を続けることになりました。(81頁)
それで精神科医として生きておられたのだが、別の方と不倫を始めたという。
非常にドロドロした感じだが。
その、妻の裏切りに遭い、妻をまた更に裏切り返す為に不倫の関係の女性もできたという。
山なかに心かなしみてわが落とす涙を舐むる獅子さへもなし−中略−
箱根強羅の山荘に滞在していたときの歌と思われますが(83頁)
当時評判を呼んだ西洋の名著「ツァラトゥストゥラかく語りき」という、あれの中には横に作家の涙を舐めてくれるライオンがいるけど、私にはそのライオンすらもいない。
これは今までずっと「奥様から裏切られた時の悲しみの歌」ということだったらしいのだが、後にいろいろ物事を突き合わせてみると恋歌だったという。
なぜ恋歌かというと、奥様の不倫を受けて茂吉先生も秘密の恋人がいた。
ふさ子さんという方で。
そのふさ子さんが会いにきてくれないので、寂しくてたまらず「私の涙を舐めてくれるあなたがいない」という。
エロスの歌。
これは何でわかったかというと、ふさ子さんに宛てた手紙が後に(出てきた)。
それでふさ子さんには「君への思いを書いた歌なんだ。本当は。獅子は君なんだ。だけど気づくヤツがいないんでこれ、申し訳ない、今月の短歌として雑誌社に送ってカネ稼ぎますんで」という。
その手紙が出てきた。
文学的才能とは凄いもので、不倫なのだが、歌にしてしまうと文学的に読めてしまうという。
それがお金になるというのは凄いと思う水谷譲。
斎藤茂吉という人は大歌人だから。
時に茂吉五三歳、ふさ子二五歳。−中略−
二八歳という年の差(82頁)
これがうるさい息子たちにも知られることなく、密会を続けるという。
それで歌壇の方ではそのアララギ派の一派の歌人たちの間では気づく弟子達もいて、止めに入ったりなんかしているのだが、先生は言うことを聞かなかったという。
茂吉が永井ふさ子に送った手紙は−中略−
収録されているものだけでも一五七通にのぼります。初期の手紙は、再三にわたる茂吉の強い要請でふさ子が焼いてしまっているので(84頁)
ふさ子さんにも強烈な恋だったらしくて、こっそりとその手紙をふさ子さんは保管し続けたというところから後々の大スキャンダルになる。
斎藤茂吉という歌人であるところのその大先生が60近くなって28歳も年下の若い娘に恋をして不倫を続けたという。
何と送ったラブレターは200通近く。
何個か茂吉さんが「読んだら捨ててね」と言ってあったもので破り捨てたらしいのだが、ふさ子さんの方は忘れられずに大事に取ってあったそうだ。
いつも茂吉は恋文を書いて、その恋文の結び目にも和歌を送っている。
「わが心君に沁みなば文等をば焔のなかにほろぼしたまへ」と歌まで作って、焼却を要請しているところがいかにも茂吉ですが(85頁)
何とふさ子さんは大事にその恋文をとっていたという。
そしてふさ子さんはそれを全部公表してしまう。
一冊の本にまとめて。
凄い根性をしていると思う水谷譲。
焼き捨てられなかったという。
ふさ子さんは計算高い女かな?と思うのだが、凄い。
ふさ子さんは不倫のことが世に知られて、もう身の置き場所が世間に無い。
だって今でさえもそうじゃないですか
不倫なんかでそういう方がおられたら、もう叩くだけ叩かれてしまって。
それで身の置き場所が無くなるのだが、それでもふさ子さんのことを「嫁に欲しい」という男性が現れて。
その時、もう斎藤茂吉は亡くなった後。
でもふさ子さんは「許す」という男性がいて結婚する段取りになっても直前になってキャンセルしたりして生涯独身で80まで生きられたという。
(このあたりは本の内容とは異なる)
それは斎藤茂吉への愛を貫いたということ。
だから不倫とか何とかいうが、わからない。
でも何でそのラブレターを公にしちゃったんだろうと思う水谷譲。
アララギ派の弟子達は烈火のごとく怒ったらしい。
ただ、ふさ子さんは「斎藤茂吉の本当の素晴らしさを知る為にはこれを公表した方がいいのではないか?この正直さこそが、あの人の短歌なんだ」「私との関係も短歌の一種だった」という。
それで全部公表しちゃったものだからそれは大騒動になってしまうのだが、ただ、不思議なもので、その当時でいう愛欲に満ち溢れた老人の恋。
その老人の恋がだんだん少年のような無邪気さで恋している歌人の姿と重なって許せるようになってくる。
さあ、茂吉がどんなラブレターを書いたのか?
これはもう公表されているので読み上げるが、まるで少年のように赤裸々に若い娘の体を持つふさ子に訴える斎藤茂吉の文章。
十一月二十六日(手交)
〇ふさ子さん! ふさ子さんはなぜこんなにいい女体なのですか。何ともいへない、いい女体なのですか。どうか大切にして、無理してはいけないと思います。−中略−
今度の御写真見て、光がさすやうで勿体ないやうにおもひます。近よりがたいやうな美しさです。(90頁)
まもなく60になろるという精神科医、その先生が二十代半ばの娘に手渡した手紙。
それは女としても、そう言われたら嬉しいか、もしくはちょっと気持ち悪いと思うかどちらかだと思う水谷譲。
その時、斎藤茂吉というのはビッグな人だったのかと思う水谷譲。
ビッグなどころではない。
その当時、日本の歌人を代表して。
「こんなにいい女体なのですか」
これを言われたら嬉しいだろう?
嬉しいかも知れないと思う水谷譲。
この膝まづくような賛美の仕方というのは。
よく「叩けば叩いていいんだ」というようなことで浮気とか不倫とか言うが、もうスキャンダルの完成品。
このふさ子さんが亡くなられたのはついこの間。
ふさ子が亡くなったのは一九九三(平成五)年、八二歳であったといいます。(91頁)
どうしても茂吉との再会の思い断ちがたく、−中略−
生涯独身をつらぬくことになりました(91頁)
見事な不倫だと思う。
不倫もいろいろあるのではないか?
今、言ったみたいな「見事な不倫」と「見事じゃない不倫」があるのではないか?
この間、(放送作家の)鈴木おさむさんが「『老害』という言葉がよくない」という。
「『老害』の反対の『老人を敬う』というそんな言葉を生まなきゃダメですよ」と言って。
「何て呼べばいいですかね?」とおさむさんに訊いたら「ローソン(老尊)」と答えた。
昨日は茂吉先生の不倫の話だったが、その不倫ゆえに苦しんだという女性の歌もたくさん残っている。
かたはらにおく幻の椅子一つあくがれて待つ夜もなし今は
大西民子『まぼろしの椅子』(92頁)
「私の隣に椅子はあるが、空いたままだ。座ってくれる男はどこか行っちゃった」という。
短歌は正直に淡々としながら強烈なほど個人の苦しみを刻むことができるワケで。
大野誠夫さん。
(番組では「まさお」と読んだが本によると「のぶお」)
離婚を決意した日常をさりげなく詠んだ一首。
幼子とひそかに写真を撮りしこと別れねばならぬ二日前なりき(96頁)
「離婚の二日前に子供とこっそり写真撮りました」という。
辛いと思う水谷譲。
ほほゑみし筈が泣顔に撮られたる写真はいまも抽出にあり(97頁)
「笑うつもりだったが、いつの間にか泣き顔になっていた」「何だか見る気がせずに、その離婚を決意した写真は引き出しの中に置いたままでございます」という。
ちょっと俳句と比べてみる。
武田先生の好きな俳句。
これは蕪村。
「つまみたる夢見心地の胡蝶かな」
(「うつつなきつまみごゝろの胡蝶かな」を指していると思われる)
蝶々がひらひら飛んでいる。
止まった
指でパッと蝶々を捕まえた。
捕まえたのだが捕まえた蝶々の羽が薄いから、まるで夢の中で蝶を捕まえたような不思議な心地。
「つまみたる夢見心地の胡蝶かな」
上手い。
これは凄いのは、もちろん中国の故事「胡蝶の夢」も引っかけている。
昔々、中国のある旅行家の青年が夢を見た。
その夢が凄い夢で、昼寝している間に蝶々になった。
ひらひらひらひら空中を飛んでいて、まあ楽しいの何の。
「ああ疲れた」と思って蝶々になった私が花に止まって休んでいる時、うとっと眠った。
眠った瞬間にハッと青年は目が覚めて「俺は人なのか蝶々なのか」。
蝶々が夢見ている人の夢なのかも知れないという。
見事な時空の表現。
短歌は、ある動きの連続で、俳句はノイズが入っている。
「ノイズが入っている」という表現が武田先生らしくていい。
これは武田先生の言葉。
この本の中は短歌しか出てこない。
武田先生はそれをちょっと俳句と合わせて語りたかった。
ノイズのある一茶の句を紹介する。
「雪とけて村いっぱいの子どもかな」
これは何で「いいな」と思うかというと音がする。
子供達の声が聞こえてくると思う水谷譲。
一茶はこういうのが上手い。
「雪が溶けて春がやってきた。村いっぱいに子供の声が響く」という、この俳句の持っている音の表現というのが凄い。
「蛙飛びこむ」も一茶だったかと思う水谷譲。
あれは芭蕉。
「古池や蛙飛びこむ水の音」
あの場合は音を言葉で残してあるが「古池や蛙飛びこむ水の音」で目に見える風景は何か?
池とカエル。
飛び込んだ。
どうなる?
肝心なことを忘れてしまっている。
波紋。
あれは音がして絵が見える。
だが、見える波紋のことは一行も触れていない。
それを感じなければ・・・
チャポーン!という小さな音と、広がっていく波紋。
俳句というのは書かれていない文字をどう引っ張り出すか?
だから絶望的なことを言うと、俳句は中国語に訳せない。
今度またチャンスがあったら、白川静の文章で教えてあげるが。
「古池や蛙飛びこむ水の音」を漢文の詩がある。
それは波紋を感じない。
漢字というのはガシーン!ガシーン!ガシーン!とイメージがくっつきあうから揺れる思いというのが無い。
それから川端康成の「雪国」。

「国境の長いトンネルを抜けると、雪国であった。」と、これは英語にできない。
英語にすると日本語の意味を離れてしまう。
「国境の長いトンネルを抜けると、雪国であった。」というのは列車を映してはいけない。
でも英語は「ロングロングトンネルをトレインが抜けたらスノーワールド」となってしまう。
でもこれは違う。
「真っ暗いガラス窓の中から突然白が広がった」という、それを感じないと川端が描きたかった雪国には入れない。
和歌というのは非常にストレートに人間の光の部分も影の部分も描くことができる文芸だということで。
ギクリとするような短歌世界をご紹介したいと思う。
大西民子さん。
大西民子さんは旦那様との結婚の失敗か何かで深く心に傷を負われた方なのだろう。
非常に事実の見方が厳しいというか、はっきり言って暗い。
そんな方の一首。
亡き人をあしざまに言ふを聞きをればわが死のあとのはかり知られず(105頁)
亡き人をあげつらうような口ぶりに、私なども死んでしまえばきっとこんな風に「あしざまに」言われるのだろうと、いま自分の前で故人について言い募っている人を、距離を置いて嫌悪感とともに見やっているという歌です。(106頁)
これはドキッとする。
大西の歌は何やら短歌において文学の太宰治を思わせる、人間の本性を見抜く目の鋭さみたいなものがあるような気がする。
誰ひとり身寄りのいない大西であってみれば、なおさらそんな心の傾き方をしたのかもしれません。(106頁)
この心の傾きは人を思わず引き付けてしまうという。
そんな大西の歌。
ねんごろの見舞ひなりしが去りぎはに人のいのちを測る目をせり(106頁)
嫌な短歌。
ちょっと怖い。
これは入院の体験がある人はちょっと刺さって。
懇ろな見舞いをしてくれた友人でしょうか。しかし去り際に一瞬だけれども、確かに自分の命があとどれだけもつものかと「測る目」をしたと見破った、あるいは気づいたというものです。(106頁)
こういうのはある。
このあたり、人生の後半になってくると命が次々とテーマを与えてくれる。
これは皆さん、暗い歌とか言わずに命の素直な叫びだと思って聞きましょうね。
そうやってくると衰えてゆく命というものも歌の材料を与えてくれるという。
衰えてゆく命に敏感になり、介護の現場でも命というものを生々しく歌うことができるようになるという。
有様を五七五七七に託してゆくワケで、まずは介護にある大変さ。
ああ重たいああ重たいといふ声のいづくより湧く私の声か(123頁)
川野里子は新幹線で遠距離介護を長く続けてきた作者ですが、そのような過酷な日常のなかで「ああ重たいああ重たい」という声が無意識のままに自分から漏れていることに不意に気づいたのでしょうか。「私の声か」には、現実が如何に自分の体を縛っているのかに気づいて、愕然としている作者が見えてきます。(124頁)
死を願う心起こりしことなきや母看る我に問いし人あり
島村久夫 朝日歌壇2019.4.14(124頁)
あなたはそんなに一生懸命お母さんの面倒を見ているけれど、いっそ死んでくれたらと思ったことはないのかと、人に聞かれたというのです。(124頁)
「空きを待つ」その空きの意味思いけり特別養護老人ホーム
小山年男 朝日歌壇2008.3.10(127頁)
ここで言う「空き」とは何を意味するのか、「その空きの意味」とは何なのか。
「特養」で「空き」が出るとは、誰かが亡くなること以外ではありません。(127頁)
決して明るい歌ではないが、しかし「命を見届ける」ということは、このほの暗いまなざしを持たねばならんのであって。
私達の命は上へ伸びる、葉を茂らすと同時に、地面の下、暗がりへ根を伸ばさねば倒れてしまう。
いいことを言った。
これは武田先生が考えた。
すいません永田先生。
大事な書き物に上から字を書くような真似をして。
ちょっと、朝に出る番組によく人生相談が舞い込むような。
テレビのわがまま。
あんまり重たいヤツは朝から紹介するのが大変なので、ちょっと今、休んでいるのだが相談したがる方がいらっしゃるみたいで番組宛てに重たい相談が来る。
考えてみたら今言ったことと同じで「恋人を作って出て行った娘を引き戻したいけども、友達みたいに仲のいい母子だったんですが今、私を捨てた娘を憎みます」とか。
「それはあるって、お母さん。人間、子供を憎むことなんてあるんだよ。暗い方にだって根は伸びていきますよ」
そういうことが命にはある。
どっちの番組をやっているのかわからなくなった。
ごめんなさいね。
これは「(今朝の)三枚おろし」でした。
和歌を扱っている。
最後の方で、この著者の永田さんは死にまつわる和歌の方も紹介しておられる。
武田先生なんぞは他人事ではなくて噛みしめつつ読み進んだ。
ただ、青春時代から石川啄木が好きで。
その啄木の死の歌をご紹介しましょう。
啄木が、生まれて間もなく死んでしまった自分の子に対する哀惜というか悲しみを詠った歌で。
「元気いっぱい泣いていた子が死んでいる」という事実を突きつけられた時に、石川啄木が詠んだ歌。
底知れぬ謎に対ひてあるごとし
死児のひたひに
またも手をやる(162頁)
冷たい感触が伝わってくる感じがする水谷譲。
理不尽。
幼くてその子が死んでしまったという報告を聞いて信じられずに「またも手をやる」。
ひたいに手を当ててしまうという。
子供の死を「大いなる謎」「底知れぬ謎」と啄木は詠んだワケで。
だんだん武田先生も死に近づいてきた。
死はそんなに遠い出来事ではなくなったワケで、友らが次々と鬼籍に入るという知らせが届く昨今。
「底知れぬ謎」
これが武田先生のそばにやってくるワケで、もう人生の当然として死を考えなければならないという。
そういう意味で、今回はちょっと重たかったかも知れないが。
死の二日前に書きくれし手紙には一杯やりましょうとインク青かりき
永田 淳『竜骨もて』(177頁)
(番組で「じゅんいち」と言っているようだが、上記のように「淳」)
どっちみちどちらかひとりがのこるけどどちらにしてもひとりはひとり
夏秋淳子 朝日歌壇2023.12.10(183頁)
これもクールな歌。
厳しいがこういうもの。
もう「好き」とか「嫌い」とか言っている場合ではない。
本当にそうだ。
ここから人生を考えると人生は全て幸せなのだが。
今日やった夫婦喧嘩も全部幸せだった思い出なのだ。
だから死というのを考えると人生の見え方が変わってくるという。
寂しい歌にいく。
でも誰もがこの淋しさを引き受けなければなりません、ということでまいりましょう。
わが胸にさぶしきすきまあるゆゑにすきま灯せりひとかげを立て
渡辺松男『雨る』(189頁)
「心にある隙間。その隙間に明かりをともして思い出の人をそこに呼びましょう」という。
もの凄くクールな永田さんの一首があるのだが、ちょっとやはり考えた。
人の死はいつも人の死 いつの日ぞ人の死としてわが悲しまる(144頁)
死は全て自分で捉えることはできない。
真に申し訳ございません。
時々こういう重たいヤツもやらねばと、そんなふうに思っている。
今、「終活」なんていう。
それがやはり死を引き付けて、死を考えようというのだが無理。
それほど人間はタフではないし、死んだ後の自分を想像することができない。
命ある限り、らしく明るくあればいいのではないかなぁと思ったりする。
でもちょっと正直に言うと、(この回の原稿は)ワリと落ち込んだ時に作ったヤツ。
それで、始まる前に「今回あんまりおもしろくないぞ」と言った。
やはり老人性の何かがあって、気持ちに波がある。
それがフッとこんなふうにして、暗い「三枚おろし」になることもある。
この暗さも生きている時の暗さだから。
命の不思議さというのは、そんなもの。
この間、こんなことがあった。
友達の霊園の話から思い出が谷村新司になった。
谷村新司という友達ができた時に、もの凄く心が通じたのは何かというと、谷村の持っている正直な明るさが、もの凄く気に入った。
武田先生達はお客さんが入らなくて本当に辛くて、その話をしたら谷村がのってきて「俺も入らない」と言い出した。
それで「本当にこの人と気が合うなぁ」と思った。
その時の谷村は「昴 -すばる-」を歌う谷村ではなかった。
スマートさの全くない、ざらついたシンガーソングライターだった。
「もうあんな歌聞きとう無いんよ」と上ずった声で言う。
その時に人物の残した人生の思い出というのは、こんなふうにしてどんどん変わる。
そういうことも含めて今、この年齢になって、何人もの死者を送ったが「死んでいく友らに何を語ろうか」と思った時、ちょっと暗めだが短歌に於ける死というものも話題に成り得るということで語ってみた「三枚おろし」だった。