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2026年01月29日

タカチホ 超電導リニアL0系 ロングバームクーヘン

リニア・鉄道館のミュージアムショップで買ってきたヤツをご紹介する。

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多分770円。
100g当たり熱量447kcal。
販売者オークコーポレーション。
製造所(株)二鶴堂。

外箱の長さは61cmで縦横は4cm弱ぐらい。

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底の面。

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中身は長さが50cmで直径が2.5cmぐらい。

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大昔に水族館で買った「ちんあなごのびのびバウム」と中身は同じでは?と思ったが。
高級なバームクーヘンとは全然違う感じでチープといえばチープだが、なんだかちょっとサクサクしていて、これはこれでいい気がする。

天然生活 ロングバウムクーヘン (バニラ1本・チョコ1本) フリーカット ふんわり スイーツ おやつ お菓子 洋菓子 特大 パーティーやイベントに



posted by ひと at 17:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年7月28日〜8月8日◆人生後半にこそ読みたい和歌(後編)

これの続きです。

朝日新聞出版、(著者は)永田和宏さん「人生後半にこそ読みたい秀歌」という本を取り上げている。
もう武田先生も「年齢的には和歌の年齢かなぁ。辞世の歌、作って締め括り」みたいな、その学び始めの一冊にしたのがこの一冊だった。
短歌世界、聞けば聞く程面白い。
ありとあらゆることが文芸に成り得るという。
先週お約束した通り、不倫でさえも文芸になるという。
先週も取り上げたが、斎藤茂吉なる歌人がいる。
この方は精神科医として生きているが、短歌を残して、実は大歌人。
斎藤茂吉を習ったのか、詳しくは覚えていない水谷譲。
歌集のタイトルは「赤光(しゃっこう)」というヤツで。

赤光(初版・改選版併録) 斎藤茂吉全歌集


斎藤茂吉の「死にたまふ母」五九首は、−中略−この一連の挽歌に及ぶものは他にないと言い切ってもいいでしょう。(156頁)

これを武田先生達団塊の世代は国語で教わったような気がして。
覚えている短歌もあって

 死に近き母に添寝のしんしんと遠田のかはづ天に聞ゆる(156頁)

もうまんま。
お母さんがだんだん危篤の状態が重くなっていくという。
自分はその横に出て看取ろうとしている息子である。
深夜、目を閉じていると遠くの方、「遠田」遠くの方の田んぼで、「かはづ」カエルが鳴いている。
「天に響き満る声で」という。
そういう和歌を残した人。
息子は同じく精神科医でエッセーの妙手。
モタ先生(齋藤茂太)というので、有名なエッセーを書く人だった。
そして更に次なる息子が小説家の北杜夫さん。
この方は次男。
茂吉さんは実はこういう事情があった。

昭和8年、1933年のこと、奥様の不倫がスキャンダルになって。

若いダンス教師と不倫の関係になったことが、新聞各紙でスクープされ、−中略−茂吉は激怒し、大きな痛手を受けます。輝子とはその後一二年にわたって別居生活を続けることになりました。(81頁)

それで精神科医として生きておられたのだが、別の方と不倫を始めたという。
非常にドロドロした感じだが。
その、妻の裏切りに遭い、妻をまた更に裏切り返す為に不倫の関係の女性もできたという。

 山なかに心かなしみてわが落とす涙を舐むる獅子さへもなし−中略−
箱根強羅の山荘に滞在していたときの歌と思われますが
(83頁)

当時評判を呼んだ西洋の名著「ツァラトゥストゥラかく語りき」という、あれの中には横に作家の涙を舐めてくれるライオンがいるけど、私にはそのライオンすらもいない。
これは今までずっと「奥様から裏切られた時の悲しみの歌」ということだったらしいのだが、後にいろいろ物事を突き合わせてみると恋歌だったという。
なぜ恋歌かというと、奥様の不倫を受けて茂吉先生も秘密の恋人がいた。
ふさ子さんという方で。
そのふさ子さんが会いにきてくれないので、寂しくてたまらず「私の涙を舐めてくれるあなたがいない」という。
エロスの歌。
これは何でわかったかというと、ふさ子さんに宛てた手紙が後に(出てきた)。
それでふさ子さんには「君への思いを書いた歌なんだ。本当は。獅子は君なんだ。だけど気づくヤツがいないんでこれ、申し訳ない、今月の短歌として雑誌社に送ってカネ稼ぎますんで」という。
その手紙が出てきた。
文学的才能とは凄いもので、不倫なのだが、歌にしてしまうと文学的に読めてしまうという。
それがお金になるというのは凄いと思う水谷譲。
斎藤茂吉という人は大歌人だから。

 時に茂吉五三歳、ふさ子二五歳。−中略−二八歳という年の差(82頁)

これがうるさい息子たちにも知られることなく、密会を続けるという。
それで歌壇の方ではそのアララギ派の一派の歌人たちの間では気づく弟子達もいて、止めに入ったりなんかしているのだが、先生は言うことを聞かなかったという。

 茂吉が永井ふさ子に送った手紙は−中略−収録されているものだけでも一五七通にのぼります。初期の手紙は、再三にわたる茂吉の強い要請でふさ子が焼いてしまっているので(84頁)

ふさ子さんにも強烈な恋だったらしくて、こっそりとその手紙をふさ子さんは保管し続けたというところから後々の大スキャンダルになる。
斎藤茂吉という歌人であるところのその大先生が60近くなって28歳も年下の若い娘に恋をして不倫を続けたという。
何と送ったラブレターは200通近く。
何個か茂吉さんが「読んだら捨ててね」と言ってあったもので破り捨てたらしいのだが、ふさ子さんの方は忘れられずに大事に取ってあったそうだ。
いつも茂吉は恋文を書いて、その恋文の結び目にも和歌を送っている。

「わが心君に沁みなば文等をば焔のなかにほろぼしたまへ」と歌まで作って、焼却を要請しているところがいかにも茂吉ですが(85頁)

何とふさ子さんは大事にその恋文をとっていたという。
そしてふさ子さんはそれを全部公表してしまう。
一冊の本にまとめて。
凄い根性をしていると思う水谷譲。
焼き捨てられなかったという。
ふさ子さんは計算高い女かな?と思うのだが、凄い。
ふさ子さんは不倫のことが世に知られて、もう身の置き場所が世間に無い。
だって今でさえもそうじゃないですか
不倫なんかでそういう方がおられたら、もう叩くだけ叩かれてしまって。
それで身の置き場所が無くなるのだが、それでもふさ子さんのことを「嫁に欲しい」という男性が現れて。
その時、もう斎藤茂吉は亡くなった後。
でもふさ子さんは「許す」という男性がいて結婚する段取りになっても直前になってキャンセルしたりして生涯独身で80まで生きられたという。
(このあたりは本の内容とは異なる)
それは斎藤茂吉への愛を貫いたということ。
だから不倫とか何とかいうが、わからない。
でも何でそのラブレターを公にしちゃったんだろうと思う水谷譲。
アララギ派の弟子達は烈火のごとく怒ったらしい。
ただ、ふさ子さんは「斎藤茂吉の本当の素晴らしさを知る為にはこれを公表した方がいいのではないか?この正直さこそが、あの人の短歌なんだ」「私との関係も短歌の一種だった」という。
それで全部公表しちゃったものだからそれは大騒動になってしまうのだが、ただ、不思議なもので、その当時でいう愛欲に満ち溢れた老人の恋。
その老人の恋がだんだん少年のような無邪気さで恋している歌人の姿と重なって許せるようになってくる。
さあ、茂吉がどんなラブレターを書いたのか?
これはもう公表されているので読み上げるが、まるで少年のように赤裸々に若い娘の体を持つふさ子に訴える斎藤茂吉の文章。

 十一月二十六日(手交)
 〇ふさ子さん! ふさ子さんはなぜこんなにいい女体なのですか。何ともいへない、いい女体なのですか。どうか大切にして、無理してはいけないと思います。
−中略−今度の御写真見て、光がさすやうで勿体ないやうにおもひます。近よりがたいやうな美しさです。(90頁)

まもなく60になろるという精神科医、その先生が二十代半ばの娘に手渡した手紙。
それは女としても、そう言われたら嬉しいか、もしくはちょっと気持ち悪いと思うかどちらかだと思う水谷譲。
その時、斎藤茂吉というのはビッグな人だったのかと思う水谷譲。
ビッグなどころではない。
その当時、日本の歌人を代表して。
「こんなにいい女体なのですか」
これを言われたら嬉しいだろう?
嬉しいかも知れないと思う水谷譲。
この膝まづくような賛美の仕方というのは。
よく「叩けば叩いていいんだ」というようなことで浮気とか不倫とか言うが、もうスキャンダルの完成品。
このふさ子さんが亡くなられたのはついこの間。

ふさ子が亡くなったのは一九九三(平成五)年、八二歳であったといいます。(91頁)

どうしても茂吉との再会の思い断ちがたく、−中略−生涯独身をつらぬくことになりました(91頁)

見事な不倫だと思う。
不倫もいろいろあるのではないか?
今、言ったみたいな「見事な不倫」と「見事じゃない不倫」があるのではないか?
この間、(放送作家の)鈴木おさむさんが「『老害』という言葉がよくない」という。
「『老害』の反対の『老人を敬う』というそんな言葉を生まなきゃダメですよ」と言って。
「何て呼べばいいですかね?」とおさむさんに訊いたら「ローソン(老尊)」と答えた。

昨日は茂吉先生の不倫の話だったが、その不倫ゆえに苦しんだという女性の歌もたくさん残っている。

 かたはらにおく幻の椅子一つあくがれて待つ夜もなし今は
            大西民子『まぼろしの椅子』
(92頁)

「私の隣に椅子はあるが、空いたままだ。座ってくれる男はどこか行っちゃった」という。
短歌は正直に淡々としながら強烈なほど個人の苦しみを刻むことができるワケで。

大野誠夫さん。
(番組では「まさお」と読んだが本によると「のぶお」)
離婚を決意した日常をさりげなく詠んだ一首。

 幼子とひそかに写真を撮りしこと別れねばならぬ二日前なりき(96頁)

「離婚の二日前に子供とこっそり写真撮りました」という。
辛いと思う水谷譲。

 ほほゑみし筈が泣顔に撮られたる写真はいまも抽出ひきだしにあり(97頁)

「笑うつもりだったが、いつの間にか泣き顔になっていた」「何だか見る気がせずに、その離婚を決意した写真は引き出しの中に置いたままでございます」という。

ちょっと俳句と比べてみる。
武田先生の好きな俳句。
これは蕪村。
「つまみたる夢見心地の胡蝶かな」
(「うつつなきつまみごゝろの胡蝶かな」を指していると思われる)
蝶々がひらひら飛んでいる。
止まった
指でパッと蝶々を捕まえた。
捕まえたのだが捕まえた蝶々の羽が薄いから、まるで夢の中で蝶を捕まえたような不思議な心地。
「つまみたる夢見心地の胡蝶かな」
上手い。
これは凄いのは、もちろん中国の故事「胡蝶の夢」も引っかけている。
昔々、中国のある旅行家の青年が夢を見た。
その夢が凄い夢で、昼寝している間に蝶々になった。
ひらひらひらひら空中を飛んでいて、まあ楽しいの何の。
「ああ疲れた」と思って蝶々になった私が花に止まって休んでいる時、うとっと眠った。
眠った瞬間にハッと青年は目が覚めて「俺は人なのか蝶々なのか」。
蝶々が夢見ている人の夢なのかも知れないという。
見事な時空の表現。
短歌は、ある動きの連続で、俳句はノイズが入っている。
「ノイズが入っている」という表現が武田先生らしくていい。
これは武田先生の言葉。
この本の中は短歌しか出てこない。
武田先生はそれをちょっと俳句と合わせて語りたかった。
ノイズのある一茶の句を紹介する。
「雪とけて村いっぱいの子どもかな」
これは何で「いいな」と思うかというと音がする。
子供達の声が聞こえてくると思う水谷譲。
一茶はこういうのが上手い。
「雪が溶けて春がやってきた。村いっぱいに子供の声が響く」という、この俳句の持っている音の表現というのが凄い。
「蛙飛びこむ」も一茶だったかと思う水谷譲。
あれは芭蕉。
「古池や蛙飛びこむ水の音」
あの場合は音を言葉で残してあるが「古池や蛙飛びこむ水の音」で目に見える風景は何か?
池とカエル。
飛び込んだ。
どうなる?
肝心なことを忘れてしまっている。
波紋。
あれは音がして絵が見える。
だが、見える波紋のことは一行も触れていない。
それを感じなければ・・・
チャポーン!という小さな音と、広がっていく波紋。
俳句というのは書かれていない文字をどう引っ張り出すか?
だから絶望的なことを言うと、俳句は中国語に訳せない。
今度またチャンスがあったら、白川静の文章で教えてあげるが。
「古池や蛙飛びこむ水の音」を漢文の詩がある。
それは波紋を感じない。
漢字というのはガシーン!ガシーン!ガシーン!とイメージがくっつきあうから揺れる思いというのが無い。
それから川端康成の「雪国」。

雪国(新潮文庫)


「国境の長いトンネルを抜けると、雪国であった。」と、これは英語にできない。
英語にすると日本語の意味を離れてしまう。
「国境の長いトンネルを抜けると、雪国であった。」というのは列車を映してはいけない。
でも英語は「ロングロングトンネルをトレインが抜けたらスノーワールド」となってしまう。
でもこれは違う。
「真っ暗いガラス窓の中から突然白が広がった」という、それを感じないと川端が描きたかった雪国には入れない。

和歌というのは非常にストレートに人間の光の部分も影の部分も描くことができる文芸だということで。
ギクリとするような短歌世界をご紹介したいと思う。
大西民子さん。
大西民子さんは旦那様との結婚の失敗か何かで深く心に傷を負われた方なのだろう。
非常に事実の見方が厳しいというか、はっきり言って暗い。
そんな方の一首。

 亡き人をあしざまに言ふを聞きをればわが死のあとのはかり知られず(105頁)

亡き人をあげつらうような口ぶりに、私なども死んでしまえばきっとこんな風に「あしざまに」言われるのだろうと、いま自分の前で故人について言い募っている人を、距離を置いて嫌悪感とともに見やっているという歌です。(106頁)

これはドキッとする。
大西の歌は何やら短歌において文学の太宰治を思わせる、人間の本性を見抜く目の鋭さみたいなものがあるような気がする。

誰ひとり身寄りのいない大西であってみれば、なおさらそんな心の傾き方をしたのかもしれません。(106頁)

この心の傾きは人を思わず引き付けてしまうという。
そんな大西の歌。

 ねんごろの見舞ひなりしが去りぎはに人のいのちを測る目をせり(106頁)

嫌な短歌。
ちょっと怖い。
これは入院の体験がある人はちょっと刺さって。

懇ろな見舞いをしてくれた友人でしょうか。しかし去り際に一瞬だけれども、確かに自分の命があとどれだけもつものかと「測る目」をしたと見破った、あるいは気づいたというものです。(106頁)

こういうのはある。
このあたり、人生の後半になってくると命が次々とテーマを与えてくれる。
これは皆さん、暗い歌とか言わずに命の素直な叫びだと思って聞きましょうね。
そうやってくると衰えてゆく命というものも歌の材料を与えてくれるという。
衰えてゆく命に敏感になり、介護の現場でも命というものを生々しく歌うことができるようになるという。
有様を五七五七七に託してゆくワケで、まずは介護にある大変さ。

 ああ重たいああ重たいといふ声のいづくより湧く私の声か(123頁)

 川野里子は新幹線で遠距離介護を長く続けてきた作者ですが、そのような過酷な日常のなかで「ああ重たいああ重たい」という声が無意識のままに自分から漏れていることに不意に気づいたのでしょうか。「私の声か」には、現実が如何に自分の体を縛っているのかに気づいて、愕然としている作者が見えてきます。(124頁)

 死を願う心起こりしことなきや母看る我に問いし人あり
            島村久夫 朝日歌壇2019.4.14
(124頁)

あなたはそんなに一生懸命お母さんの面倒を見ているけれど、いっそ死んでくれたらと思ったことはないのかと、人に聞かれたというのです。(124頁)

 「空きを待つ」その空きの意味思いけり特別養護老人ホーム
            小山年男 朝日歌壇2008.3.10
(127頁)

ここで言う「空き」とは何を意味するのか、「その空きの意味」とは何なのか。
「特養」で「空き」が出るとは、誰かが亡くなること以外ではありません。
(127頁)

決して明るい歌ではないが、しかし「命を見届ける」ということは、このほの暗いまなざしを持たねばならんのであって。
私達の命は上へ伸びる、葉を茂らすと同時に、地面の下、暗がりへ根を伸ばさねば倒れてしまう。
いいことを言った。
これは武田先生が考えた。
すいません永田先生。
大事な書き物に上から字を書くような真似をして。
ちょっと、朝に出る番組によく人生相談が舞い込むような。
テレビのわがまま。
あんまり重たいヤツは朝から紹介するのが大変なので、ちょっと今、休んでいるのだが相談したがる方がいらっしゃるみたいで番組宛てに重たい相談が来る。
考えてみたら今言ったことと同じで「恋人を作って出て行った娘を引き戻したいけども、友達みたいに仲のいい母子だったんですが今、私を捨てた娘を憎みます」とか。
「それはあるって、お母さん。人間、子供を憎むことなんてあるんだよ。暗い方にだって根は伸びていきますよ」
そういうことが命にはある。
どっちの番組をやっているのかわからなくなった。
ごめんなさいね。
これは「(今朝の)三枚おろし」でした。

和歌を扱っている。
最後の方で、この著者の永田さんは死にまつわる和歌の方も紹介しておられる。
武田先生なんぞは他人事ではなくて噛みしめつつ読み進んだ。
ただ、青春時代から石川啄木が好きで。
その啄木の死の歌をご紹介しましょう。
啄木が、生まれて間もなく死んでしまった自分の子に対する哀惜というか悲しみを詠った歌で。
「元気いっぱい泣いていた子が死んでいる」という事実を突きつけられた時に、石川啄木が詠んだ歌。

 底知れぬ謎に対ひてあるごとし
 死児のひたひに
 またも手をやる
(162頁)

冷たい感触が伝わってくる感じがする水谷譲。
理不尽。
幼くてその子が死んでしまったという報告を聞いて信じられずに「またも手をやる」。
ひたいに手を当ててしまうという。
子供の死を「大いなる謎」「底知れぬ謎」と啄木は詠んだワケで。
だんだん武田先生も死に近づいてきた。
死はそんなに遠い出来事ではなくなったワケで、友らが次々と鬼籍に入るという知らせが届く昨今。
「底知れぬ謎」
これが武田先生のそばにやってくるワケで、もう人生の当然として死を考えなければならないという。
そういう意味で、今回はちょっと重たかったかも知れないが。

 死の二日前に書きくれし手紙には一杯やりましょうとインク青かりき
            永田 淳『竜骨もて』
(177頁)

(番組で「じゅんいち」と言っているようだが、上記のように「淳」)

 どっちみちどちらかひとりがのこるけどどちらにしてもひとりはひとり
            夏秋淳子 朝日歌壇2023.12.10
(183頁)

これもクールな歌。
厳しいがこういうもの。
もう「好き」とか「嫌い」とか言っている場合ではない。
本当にそうだ。
ここから人生を考えると人生は全て幸せなのだが。
今日やった夫婦喧嘩も全部幸せだった思い出なのだ。
だから死というのを考えると人生の見え方が変わってくるという。

寂しい歌にいく。
でも誰もがこの淋しさを引き受けなければなりません、ということでまいりましょう。

 わが胸にさぶしきすきまあるゆゑにすきま灯せりひとかげを立て
            渡辺松男『雨る』
(189頁)

「心にある隙間。その隙間に明かりをともして思い出の人をそこに呼びましょう」という。

もの凄くクールな永田さんの一首があるのだが、ちょっとやはり考えた。

 人の死はいつも人の死 いつの日ぞ人の死としてわが悲しまる(144頁)

死は全て自分で捉えることはできない。

真に申し訳ございません。
時々こういう重たいヤツもやらねばと、そんなふうに思っている。
今、「終活」なんていう。
それがやはり死を引き付けて、死を考えようというのだが無理。
それほど人間はタフではないし、死んだ後の自分を想像することができない。
命ある限り、らしく明るくあればいいのではないかなぁと思ったりする。
でもちょっと正直に言うと、(この回の原稿は)ワリと落ち込んだ時に作ったヤツ。
それで、始まる前に「今回あんまりおもしろくないぞ」と言った。
やはり老人性の何かがあって、気持ちに波がある。
それがフッとこんなふうにして、暗い「三枚おろし」になることもある。
この暗さも生きている時の暗さだから。
命の不思議さというのは、そんなもの。

この間、こんなことがあった。
友達の霊園の話から思い出が谷村新司になった。
谷村新司という友達ができた時に、もの凄く心が通じたのは何かというと、谷村の持っている正直な明るさが、もの凄く気に入った。
武田先生達はお客さんが入らなくて本当に辛くて、その話をしたら谷村がのってきて「俺も入らない」と言い出した。
それで「本当にこの人と気が合うなぁ」と思った。
その時の谷村は「昴 -すばる-」を歌う谷村ではなかった。
スマートさの全くない、ざらついたシンガーソングライターだった。
「もうあんな歌聞きとう無いんよ」と上ずった声で言う。
その時に人物の残した人生の思い出というのは、こんなふうにしてどんどん変わる。
そういうことも含めて今、この年齢になって、何人もの死者を送ったが「死んでいく友らに何を語ろうか」と思った時、ちょっと暗めだが短歌に於ける死というものも話題に成り得るということで語ってみた「三枚おろし」だった。




2025年7月28日〜8月8日◆人生後半にこそ読みたい和歌(前編)

今回は短歌を取り上げてみた。
五七五七七の世界。
これは「人生後半にこそ読みたい秀歌」ということで(著者は)永田和宏さん、朝日新聞出版。

人生後半にこそ読みたい秀歌


(紹介されている和歌が、番組内では内容や読みが異なる箇所があるが、本からの引用を紹介するだけにしておく)

短歌と俳句はどう違うか?
字数が違う、短歌の方が恋の歌が多いと思う水谷譲。
そうでもない。
辞世の歌は皆、和歌。
五七五七七で詠むので、恋の歌とは限らない。
決定的な違いは俳句は季語があるが短歌は入れなくてもいい。
俳句はある場面に関してシャッターを押す。
短歌というのは何かというと動画。
「動く絵」として
TikTok。
それにふさわしいような。
YouTube。

その名句をご紹介する。
武田先生はこの句が大好き。
こんな歌。

 おそるべき君等きみらの乳房夏来る
            西東三鬼『夜の桃』
(17頁)

これは見事だと思った。
これはもう男はすぐにわかる。
これは映像がパッと浮かぶ。
お母さんが夏だから堂々と(乳房を)出して赤ちゃんに吸わせていると思う水谷譲。

若い女性たちの、夏が来て薄着になって嫌でも目立ってくる溌剌とした乳房に圧倒されている男がいる。(17頁)

今だったらコンプライアンス違反の歌だと思う水谷譲。
俳句。
これはいい。
夏服のボタンをはじくような乙女たちの若き乳房のふくらみ、弾む足音が揺れているという。
その生命の躍動に対し、中年男はまぶしくたじろぐような思いで眺めている。
季語はもちろん「夏」。
これがやはり見事という他無い。
この句はやはり上手い。
活き活きしていると思う水谷譲。
これで真似をした句を作ったが、鼻もひっかけてもらえなかった。
夏井(いつき)先生に出したヤツで。
「ひざうらの Hのくぼみ 夏来る」
たいしたことがない。
ただのスケベという感じがする水谷譲。

短歌の方。
三鬼さんの句が「おそるべき君等きみらの乳房夏来る」というショットだが、短歌ではどんなふうになるのか?という。

 ありふれし中年われは靴の紐ほどけしままに駅に来てをり
            小池 光『草の庭』
(22頁)

「靴のヒモがほどけたまま駅にきてしまっている」と思う水谷譲。
そのまま言われても短歌の味わいは無い。
これは、営業か何かで歩きまわって疲れたサラリーマンがいる。
営業のことばかり一生懸命考えた。
帰り支度をして駅から家へ、或いは会社に帰ろうかと、その瞬間にフッと足元を見たら靴の紐がほどけていた。
「危ないぜ俺は」という。
靴の紐は危ない。
あれは皆さんもしっかり注意してください。
ほどけていると自分の足で自分の靴紐を踏んだりなんかすると転び方が、階段等々で起きると転落の危険性もあるという。
この「ありふれし中年われは靴の紐ほどけしままに駅に来てをり」そこに自分に向かって小さく舌打ちをする、無念のため息。
ここには中年の疲れとむなしさ、ため息があって、その「中年のわれ」が歩いていて、「靴の紐がほどけしままに駅にきていた」というそのことに気づくというところまでの一連の動画が目に浮かぶ。

そしてもう一つだが、写真と動画の差の他にも俳句は引き絵、引いていく。
大きな画面の中の私。
短歌は逆。
最初に大きな画面が映っているのだが、最後はシュッと寄りカットで終わるという。
「ありふれし中年われは靴の紐ほどけしままに駅に来てをり」
駅の雑踏の中から、靴のクローズアップで終わるという。
こういう短歌の面白さを今回、ご紹介できれば、お楽しみいただければというふうに思う。

この「和歌」というと俵万智さん。
大ブームになった。
「サラダ記念日」

サラダ記念日 (河出文庫 227A BUNGEI Collection)



「あなたがこの味がいいよと言ったから今日は二人のサラダ記念日」という、そんな感じ。
正しくは「『この味がいいね』と君が言ったから7月6日はサラダ記念日」)
これも一見すると「何てことない」という。
でも「これも短歌なんだ」と思わせてもらった水谷譲。

著者の理説を聞いてみる。
永田和宏はこの和歌に関してこんなことをおっしゃっている。
著者は言う。
年を取るというのはどういうことか?

「老化は病気である」という概念でした。老化は誰にでも等しく訪れる避けがたいプロセスではなく、病気の一つなのだ、だからそれは治療できる。(9頁)

老いに対する科学の戦い、医学の戦いは続いている。
しかし著者は言う。
ここが気に入ったのでこの本を最後まで読んでしまった。

長い老後と言う時間、それにいたる中高年という人生の充実期、これらが歌の素材、テーマとしておもしろくないはずがない。(11頁)

そんな短歌を紹介する。

 いかがなる晩年来ると思ひしが至りてみればごく当たり前
            齋藤 史『風翩翻以後』
(24頁)

これは水谷譲にはわからない。
これは納得する。
もうだいたい武田先生は60(歳)を過ぎたら「人生っていうのはねぇ、そんなもんだよ」なんて、そんなこと言うのかなぁとかと思っていたが、60では言わない。
昔はもう60を過ぎたらお爺さんだったが、今は全然違うと思う水谷譲。
童謡でも

今年六十のお爺さん−中略−
それ ぎつちら
(船頭さん)

船頭さん




とかという歌があった。
今、60なんてとんでもない。
武田先生も60の頃は体育ジムというか原宿にあるジムに通っていたが、青山にあるジムにも通っていたが。
なってみると「なんだこんなもんか」という。
これは昔、ある大監督が言った。
「君はまだ若いから、80幾つなんていうのはもうヨボヨボのジジイと思って、『死への覚悟ができている』とか思うだろ?なんにもないよ、そんなのは。明日はどこいって何喰うか?そんなことばっかり頭かすめるんだ」という。
その時は「お元気なお爺様」という感じで武田先生も応答していたが、今、自分が70の半ばを過ぎると「ただそれだけのことか」という。
つまりきてみれば「なんだ、ただの今までとおんなじじゃ無ぇか」というような。
年を取ってあたりを見回したところで。
武田先生が言いたいのは、この永田さんの主張の好きなところは「こんなばかばかしいほどの当たり前を歌にできるのは、世界の文化・文芸の中でも短歌にしかできませんよ」。
本当にきてみると晩年というのはそんなもので、決して拗ねて言っているワケでも何でも無くて、人生をそこまで行ってみると深々とした思いではなくて、振り返ったら「昨日があるばっかり」「明日の予定があるばかり」というので、「人生が俯瞰で見えたりするというような年の取り方はしておりませんぜ」という。
そして年を取ることの面白さを、そういうことも歌にできるのは短歌ですよ、という。

大先生を挙げてみる。
斎藤茂吉。
精神科のお医者さんでもあった斎藤茂吉だが、この人は本当に正直な人。
何回でも歌が出てくるから覚えておいてね。
斎藤茂吉。
息子さんが作家の北杜夫さん。
「どくとるマンボウ」の。

どくとるマンボウ医局記 新版 (中公文庫)


斎藤茂吉は、一九二三(大正一二)年から一年間、ミュンヘンのドイツ精神病学研究所に留学しました。−中略−留学当初はストレスの多い日々でありました。(30頁)

 Münchenにわが居りしとき夜ふけて陰の白毛を切りて棄てにき
            斎藤茂吉『ともしび』
(30頁)

どういう歌かというと、

留学時の茂吉は四一歳。−中略−ある夜、ふと「陰の白髪」に気づく。歌にしているのは、初めてそれに気づいたショックからでもあるでしょう。たぶんほんの一本か二本の白髪であったはずですが、「切りて棄てにき」という口調には、どこかいまいましさも感じられますね。それとともに、俺もそんな齢になったのかと(30〜31頁)

それはミュンヘンとどういう関係があるのかと思う水谷譲。
何の関係も無い。
ただ「ミュンヘンで下の白髪を抜いている」というのが何ともはや、ユーモア。

また、こういうズバリのヤツもある。
永田和宏さん(の句)。
同じく下の毛を歌っている。

 恥毛までロマンスグレイになつたぜと告げたき人もいまはをらねば(31頁)

これこそちょっと老いの臭いがするが。
そんなことを冗談半分に言っていたという。
これは、お若いまだ60前の水谷譲はピンとこないだろうが、やはり下に白髪が出るというのは結構、男は気持ちが折れる。
あえて「陰」と読ませてもらった。
品の無い言葉でも短歌では堂々と使えるところが愉快。

斎藤茂吉、もう一ついってみる。

 俗にいふ睾丸火鉢もせずなりてはや三十年になりにけるはや(33頁)

「睾丸火鉢」俗にいう「股火鉢」。
モモヒキを履いたまま、火鉢にまたがる。
そうすると暖かい。
体の芯が温まる。
その若き日の行儀の悪さを茂吉はユーモラスに歌にした。
「俗にいふ睾丸火鉢もせずなりてはや三十年になりにけるはや」
何か、小倉百人一首のように「ハイッ!」と取りたくなる。

「老いてゆく」ということ自体を歌った永田(和宏)さんの歌。

 忘れたのではない最初の一字が出ないだけあの人あの人 えーとあの人(35頁)

こういう思い出せないという老いの初期症状だが、これでさえも短歌になるという。
日常の愚痴、それをそのまま歌にできるという。
このへんが面白いもの。

それからちょっと身につまされたヤツ。
齋藤史さんが歌にしておられる。
五七五七七。

 疲労つもりて引出ししヘルペスなりといふ八十年生きれば そりゃぁあなた−中略−
疲労が積もり積もったのでしょうか、
−中略−重いヘルペスに罹り、−中略−「八十年生きれば そりゃぁあなた」と笑いとばす。(36頁)

「そりゃぁあなた」というのがいい。
これは武田先生も(ヘルペスを)やったがよくわかる。
認めたがらない。
「ここのところ痒い?痛いですか?」「いや、痛みはそうないんですよ」「じゃあ違うと思うけど」と言ってパッとお医者さんが声をひそめて「武田さん、ヘルペスかもしんないですね。そうしますとお薬が全部変わっちゃうんで。お元気いいからね、そんなことないと思います。ヘルペスかと思います」という。
今、帯状疱疹が流行っていると思う水谷譲。
もうただ仕方がない。
加齢と共に生命力が落ちてくると、隠れていた帯状疱疹というヤツがポコッと出てくるという。
だから何もかも衰えているということなのだろう。
だがこの方は「80年生きてりゃヘルペスの一つや二つ出てきますよ」というところに、老人の強がりみたいなのがある。
武田先生の場合は「顔にできた吹き出物」というので、ずっと痛かったのだがドーランを塗ってごまかした。
でも「ヘルペス」というと凄く年寄臭いので、それでメークさんに「これ吹き出物」とかと言いながら。
叩かれても痛いのだが、歯を喰いしばって痛みをこらえていた。
このあたり、思わず引き込まれてしまったという。

和歌のすばらしさ。
五七五七七。
どんなことでも題材になるという。

近代短歌から綿々と続いてきた大きなテーマに「貧しさ」ということがあったということができます。(41頁)

貧乏なんてなかなか文芸とは関係無く、歌になりにくいと思うが、短歌の中には貧しさの名句は多い。

 はたらけど
 はたらけど猶わが生活楽にならざり
 ぢつと手を見る
            石川啄木『一握の砂』
(42頁)

 おそらくこの歌を知らない日本人は皆無でしょう。−中略−近代から現代にかけての歌には、貧しさを詠った歌は枚挙にいとまがありません。(42頁)

かくのごとく「『貧しさ』というもので和歌を作ってみましょう」という。

 銀行の監視カメラに御辞儀して嬉しく下ろす初の年金
            三ツ松秀夫 朝日歌壇2006.5.8
(46〜47頁)

いい。
続いて浅上薫さんの貧しきながらのプライド。

 中学を出て働きしご褒美にこの頃年金友より多し(47頁)

「アンタはエライ!」というヤツ。
ひそかなるプライドを年金の額で知るという。
人には誇れないが短歌にしてしたためて己を褒めることはできるという。
「私を褒めてやりたい。それができるのが短歌である」という。

辞世の歌。
間もなく死んでゆこうとする時に和歌を残すという。
これは昔のお侍さん達は習慣で持っていた。
そのお侍さん達とは違って女性の中でも死んでいく時は一首歌を作ってどこかに入れていたようだ。
有名なヤツをご紹介する。
細川ガラシャ。
戦国の世に生まれた、明智光秀さんの娘さんで旦那さんが細川忠興という方。
もの凄いベッピンさんだったらしいのだが、権謀術数に巻き込まれて彼女自身は自害して果てるのだが、クリスチャンだったものだから自殺が禁止なので、使っていた老武士になぎなたで首を切ってもらった。
凄いエピソード。
旦那さん、忠興さんが凄いやきもち焼きで、男性が部屋に入ってきても激怒する。
入った使いの人間がいると忠興さんが切り殺したらしい。
それで死んでいく時も夫にそういうやきもちを焼かせてはいけないというので、自分は座敷の内側で正座して、廊下からなぎなたを持たせた老武将に首の血管を切らせたという。
首筋に、恐らくガラシャ夫人が刃を当てたのだろう。
それで曳かせた。
凄い話。
これは戦国時代。
その時に彼女の衣服の中、袖、或いは懐に辞世の歌が入っていたという。
それが残っている。
「ちりぬべき 時しりてこそ 世の中の 花も花なれ 人も人なれ」
散る時を知っているからこそ花は美しい。
人もそうでありたい。
これはいい。

次にいく。
今度は男性。
吉田松陰。
安政の大獄で江戸で処刑される。
浦賀・ペリー来航の折、黒船に密航してまで世界を学びたかったという勉学の人、松陰。
囚われて東京・伝馬町で切腹を命じられる。
その時の一首。
「身はたとえ 武蔵の野辺に朽ちるとも 残らざらまし 大和魂」
(実際の句とは異なる)
力強いと思う水谷譲。
これもいろんな人が真似をしたのだが。
もう一首、切ない歌。
「親思う 心にまさる 親心 今日のおとずれ 何ときくらん」
「私がお父さんとお母さんのこと心配で心配でしょうがないんだけど、ああいけね。むこうの方がもっと俺のこと心配してらぁ。腹切って死んだって聞いたら悲しむだろうなぁ」という。
これもいい。
しかしやはり真似したくなるのは「残らざらまし 大和魂」
今でも世田谷線にお墓があるのでよければぜひ豪徳寺の隣なので。



「人生後半にこそ読みたい和歌」
これは何を考えたかというと、武田先生ももうその年齢だなと思って、和歌を開始しようかなと。
だからもちろん辞世の歌として。
どこかでポックり逝ったりした時に「内ポケットからお父様の和歌が出てきたわ」とかと、何かいい。
「終活」とかというけども、「昔の人って見事だな」と思うのはやはりみんな下々の人までその手の洒落っ気があって。
作れと言われてもできないが、よく昔の方はみんな作っていたと思う水谷譲。
幕末の争乱の時に戦場に行った勤王の志士がいる。
いつ死ぬかわからないからいつも辞世の歌を懐に入れているとか財布の中に入れているとか、そういう美意識があったようで。
坂本龍馬みたいな、あんな文芸に関係の無いような人でも、死ぬつもりが無かったみたいだから作っていなかったようだが、作る練習はしていたようだ。
どれもこれも若さがはじける歌だが。
「世の中の人は 何とも云わばいへ 我が成すことは 我のみぞ知る」という。
彼らしい生き方の一首だが。
日本の文化の中にはそういう辞世の歌文化というのがあったのではないか。

短歌のいいところは淡々と事実をリズムに乗せるだけで何やら言葉が陰影を帯びてできてしまうという。
ちょっと二、三、現代の辞世の歌をご披露する。
これはもちろん永田さんの紹介によるが。

 わが死後に葬式代など要る金を置きたる場所を子に伝へおく
            岡田独甫 朝日歌壇2017.9.18
(48頁)

非常にストレートな。
「わが死後に葬式代など要る金を置きたる場所を子に伝へおく」という。
今、年寄りで問題になっている。
郵便貯金の暗証番号とか、貯金の暗証番号とか、何にも言わずに死んじゃったもんだから、後で大変だそうだ。
それからズバリ朝の番組に出ていたらそんなことを言っている人がいたが「一人暮らしのご老人は暗証番号を冷蔵庫に貼っとけ」と書いてあった。
安全ではないのだが、「後の迷惑を考えたらこれぐらいやっておかないとダメですぜ」という。
どんな複雑な思いでも事実を述べてその感想で結べばサマになるというのが和歌。

吉川(宏志)さん(の句)。

 書類すべてシュレッダーに呑ませたりこんなに軽くなるか、抽斗ひきだし(52頁)

これは水谷譲なんかも働いているから思うだろう。
書類の全てをシュレッダーに全部。
そうしたら今まで重たかった引き出しが軽くなったという。
会社を去る思い、退職の様子もまたある意味では辞世の歌に成り得るのであるという。

 階段を踏みくだりつつ中間の踊り場暗しつとめを今日去る
            宮柊二『多くの夜の歌』
(54頁)

そしてさらに著者はもっと生々しくお金と定年の句を紹介する。
小さな出来事が五七五七七に掬い取られていくという、そんな妙を味わっていただければ。

 月一度「給料」とある入金はこれが最後と記帳して気づく
            上野智子 朝日歌壇2021.4.18
(59頁)

「そういう日がきっとくるんだろうなぁ」と思う水谷譲。
「誰にでもやってくる」という日のことで、この「誰にでもやってくる」というところに辞世の歌のすばらしさがある。
「給料が今月から無いんだ」と不安。
その不安を文芸・文学にするという。
これは皆さんやりましょうよ。
美しいリズムにのっけて我が切ない暮らしを語りましょうよ。
当たり前の情景だが、これが和歌になるとこうなる。

 定年のわが給料を仏壇に供えて妻の祈りのながし
            小林 昇 朝日歌壇2000.10.8
(59頁)

いい。
不思議な瞬間。
これは歌で気が付いた。
一番最後のお給料を仏壇に置く。
もう一つ給料を仏壇に置いた体験は水谷譲には無いか。
(家に)仏壇は無いからわからない水谷譲。
母親が兄の給料が時に仏壇に置いたのを覚えている武田先生。
昔は現金支給でいただいたが、今は振り込みになっていると思う水谷譲。

来週は不倫の短歌を紹介したいと思う。



2026年01月26日

スイートバジルも終了

レタスと一緒に植えていたスイートバジル。

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明らかに花芽ですね。
ってことで全部切ってしまうことに。

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結構伸びた。

で、根本からバッサリ切ってしまってから気づいたのだけれども、ひょっとして下の方は残して置いたらそこからまた生えた?
切ってしまったからダメかも知れないが、水に漬けてみた。

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生えるかな?

萩の調 チョコレート6個入り ギフト 萩の月チョコ



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花が咲いた青じそは終了

もうとっくに花が咲いてダメになっていた青じそ。
今更ながら処分することに。

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このように花が咲きまくっております。

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いくら根がしっかり伸びていても、青じそは花が咲いたら終了だからな。

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根本の方の葉っぱがまだ大丈夫っぽいヤツがあったんで、これ一本だけ残してみたが、他のヤツの根本の方の部分も花が咲いてしまっているので、これも花が咲いてしまうかも知れず。
そうなったら改めて捨てるということで。

アリ先生、おしゃべりなアリの世界をのぞく (扶桑社BOOKS)



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BS-TBS「ドキュメントJ」に本田秀夫先生が登場します

BSだから私は見られないけれども、一応ご紹介。
【制作】SBC信越放送(2025年2月26日放送)
って書いてあるから、過去にSBC信越放送で放送したヤツらしい。
最近テレビにやたらと本田先生が出てくるな。

ドキュメントJ▼本田先生のこころ診察室〜発達障害のこどもたち〜
BS-TBS 2月1日(日)10:00 〜 11:00 (60分)
番組概要
信州大学医学部附属病院子どものこころ診療部。発達障害を専門に診る本田秀夫先生の元には、多くの子どもたちが訪れる。発達障害の子どもへの接し方などのヒントを探る。
番組詳細
【ナレーター】宮入千洋
信州大学医学部附属病院子どものこころ診療部。 発達障害を専門に診る本田秀夫先生の診察室には、子どもたちがこころの内を吐き出しに訪れる。 長野市に住む大井さん兄弟は、2人とも発達障害と診断されているが、タイプや特徴が違う。兄はASD・自閉スペクトラム症。弟はASDに加えADHD・注意欠如多動症もあるが、言語理解に優れた特性があり、学校の成績も上位。
その特性ゆえに、クラスメイトから「いじり」を受けることがあると訴える。 一方、長野市内の小学校で、暴力を伴ういじめに遭い、PTSDを発症したことをきっかけに、診察室に来るようになった男児がいる。両親は、いじめの重大事案として扱うよう市教委に要望書を提出するが、出された調査報告書には「発達障害だから比較的軽度ないじめでPTSDを発症した」と取れる内容が記されていた。
本田先生の診察と活動を追いながら、発達障害の子どもへの接し方などのヒントを探る。


マンガでわかる 発達障害の子どもたち 自閉スペクトラムの不可解な行動には理由がある



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2026年01月25日

不二家 ミルキーロール

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発売日不明。
アピタで700円(税別)で購入。
内容量1個。
1個当たりエネルギー1132kcal。
製造者株式会社不二家。
販売者山崎製パン株式会社。

不二家のサイトにもヤマザキのサイトにも情報が発見できないのだけれども、不二家の旧Twitterに2025年の12月12日に新発売ということで紹介されているので、多分去年の12月発売。
※不二家洋菓子店の「ミルキークリームロール」とは異なる商品です。
とのことだが、「ミルキークリームロール」を食べたのって何年も前だと思うので、とっくにどんな味だったかは記憶に無いのだけれども。
定価1500円って書いて安売りしていた。

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中身の長さは14.5cmぐらい。

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これで約1/3。
味はミルキーっぽいといえばミルキーっぽいけれども、クリームの割合が激しく多いワリにはあっさりした感じ。
甘さがちょうどよくなるぐらいにしてあるんだろうな。
もちろんスポンジの部分も柔らかいし、美味しいロールケーキ。

不二家 公式 プレミアムミルキークリームシフォン お祝い ご褒美 ペコちゃん ぺこちゃん 冷凍 スイーツ シフォンケーキ ミルキー クリーム たっぷり ふんわり しっとり お取り寄せ お取り寄せスイーツ 大人 女性



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テレビ朝日の「テレメンタリー2026」で発達障害の話が出るようです

テレメンタリー2026「異才と呼ばれて」
テレビ朝日 1月31日 (土) 4:50 〜 5:20 (30分)
番組概要
12年前、東京大学の「異才発掘プロジェクト」によって集められた子どもたちは、今どんなオトナになったのか?「不登校の少年画家」の苦悩の日々を追いました。
番組詳細
2014年、小学6年生の濱口瑛士くんと出会った。彼は発達障害などがありいじめを受け不登校だった。彼が逃げたのは絵の世界。ある時、瑛士くんが東京大学発の「異才発掘プロジェクト」に選抜される。そこに集まったのは、芸術や生物、プログラミングなど、特定の分野で突き抜けた才能を持ちながらも学校には居場所を見つけられない子どもたち。彼らの才能を潰さずに、世界のトップランナーを育てようという試みだった。
あれから12年。彼らはどんなオトナになったのだろうか。また、瑛士くんと共に選抜された15人の「今」も追跡。中には、業界を震撼させるトップランナーになった少年もいた。 一方、取材を続けていくと「異才発掘プロジェクト」は5年前にひっそりと幕を下ろしていたことが分かる。なぜ、プロジェクトは終わらなければならなかったのか。 瑛士くんの生き様を軸に、「異才発掘」のもたらした功罪を考える。
ナレーター:木村多江
テレビ朝日 【プロデューサー】佐々木毅・須田光樹 【ディレクター】後藤那穂子


2014年にどうとかって書いてあるので、この番組で同じ人を取り上げたのかも知れないが、調べてみたが私はチェックしていなかったようだ。
で、今回登場する人は以前、NHKに出ている。

発達障害キャンペーン “普通”って何だろう?「LD“読み書きが苦手”少年編」
初回放送日 NHK総合テレビジョン 2020年2月27日(木)午後3:50


当時のことが何も記憶にないのでわからんけど、どうも内容を書き起こしたっぽい。
発達障害キャンペーン “普通”って何だろう?「LD“読み書きが苦手”少年編」(9月2日修正)

今回の番組では東京大学発の「異才発掘プロジェクト」っていうのに絡んだ内容のようだが、あれも何度か他の番組で見かけたけれども、ギフテッドの発達障害者っていうレアな人にカネと手間をかけるっていう、そういうことも必要なんだろうけど、何の才能もない大部分の発達障害者のサポートは?って感じがしないでもなかったが。
で、番組詳細に衝撃の一言が!
取材を続けていくと「異才発掘プロジェクト」は5年前にひっそりと幕を下ろしていたことが分かる
とっくに辞めちゃってんだ!!!!
びっくりだね。
何で辞めちゃったかとか、そのあたりのことも番組で扱うんだろうから、ちょっと楽しみにして見てみようと思う。

10歳までに発達障害とギフテッドの子はよくなる



posted by ひと at 08:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 発達障害 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2026年01月24日

ハウス食品 フルーチェ 夢のスペシャル3MIX! <イチゴ×ピーチ×オレンジ>

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フルーチェ 夢のスペシャル3MIX! <イチゴ×ピーチ×オレンジ> | 商品カタログトップ | ハウス食品
イチゴ果肉、白桃果肉、オレンジ果汁、みかんさのうが入った、1976年発売当初の3フレーバー(イチゴ・ピーチ・オレンジ)のおいしさを一度に楽しめる、50周年だけの特別なフルーチェです。

1月12日発売。
3月31日までの期間・数量限定発売。
クリエイトSDで169円(税別)で購入。
希望小売価格236円(税別)。
内容量150g。
発売地区全国。
製品1人分(50g)当たりエネルギー42kcal。
出来上がり1人分(乳脂肪分3.8%の牛乳使用)当たりエネルギー74kcal。

箱の大きさは縦が16cmで横が12cmで高さが2cm。

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箱の裏側はこんなん。
まあ、普通のと作り方は同じなワケだが。

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中の袋。

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中身。
コイツに牛乳を150ml入れてかき混ぜるワケですね。

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入れた容器が小さかったから上手くかき混ぜられないなぁと思ったが、フタを閉じてしまって振ったらどうだろう?と思ったらちゃんと固まった。

で、肝心の味だが・・・。
いろんなのが入っているので、混ざり合ってしまって何が何だか。
もちろんいつも通り美味しいフルーチェではあるが、普通に一種類ずつ入っているヤツの方がいいな。

ハウス フルーチェ 夢のスペシャル3MIX! イチゴ×ピーチ×オレンジ 150g ×5個



posted by ひと at 19:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

東ハト ビーノ・梅味

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ビーノ・梅味 東ハト
しその風味、梅の爽やかな香りと酸味が楽しめる味わいです。
生地に使用している穀物はえんどう豆100%です。


1月12日発売。
期間限定発売。
クリエイトSDで79円(税別)で購入。
オープン価格。
参考小売価格153円(税込)。
内容量51g。
1袋当たりエネルギー318kcal。
南高梅パウダー使用。

袋の大きさは縦が23cmで横が17cmぐらい。
袋には「しそ香る梅味」って書いてあるから、てっきり商品名が「しそ香る梅味」なんだろうと思ったら単に「梅味」らしい。

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一本の大きさは長さが7cmで太さが1cmぐらい。

袋を開けると梅の香りがする。
味は梅じそだなぁ〜って感じで酸味もある。
これはこれで美味しいとは思うが、この商品のえんどう豆の素材の味を生かしました的なのにはあんまり合わないかなぁ。
ありがちだけれども、普通のヤツの方が美味しいと思う。
何でもかんでも梅の味を付ければいいってもんじゃないよな。

東ハト ビーノ梅味 51g×12袋



posted by ひと at 11:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする