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2017年06月01日

ケンタッキーフライドチキン シナモロールのシナモンロール

メニュー|ケンタッキーフライドチキン

シナモロール15周年を記念したコラボだそうな。
5月31日から数量限定発売。
単品250円(税込)。
ドリンクセットは350円(税込)。

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こんな箱に入れてくれる。
で、普通に冷えた状態で売ってんのかと思って、帰って袋から出してみたら温かい。
温かい状態で売っているものらしい。

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デニッシュ生地でシナモンフィリングを巻いたそうな。
シナモンフィリングってのが何かわからんが、普通のシナモンロールだねっていう感じの生地の中に何か入っている。
白あん?って思ったけど白あんがはいっているワケもなく。
結構小さいものなのだが(箱とかにカネかかっちゃってる感じ)それなりにボリュームはある感じ。
味は普通って感じかな。

今ならスマイルセットを買うと、コインを入れると耳が動く「シナモロールてづくり貯金箱」(全2種)が付いてくるそうな。
こちらも数量限定。

posted by ひと at 20:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ヤマザキ 「カルピス」クリームパン(4個入)

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山崎製パン | 「カルピス」シリーズ
白いソフトなパンに「カルピス」を
使用したさわやかなクリームを
包んだミニパンです。


スーパーで130円(税別)で購入。
1個当たり110kcal。

新発売って書いてあったんで買ってみたが、発売日は不明。
袋には「夏期限定」って書いてある。

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パンは柔らかい。
中のクリームはカルピスっぽい味で酸味があって、まあ美味しいっていうか、前にもあったカルピス味のヤツと同じ感じかな。
ヤマザキから毎年カルピスのヤツは何種類か出ている気がするし、同じようなのは以前にも発売されていたっぽい感じ。

posted by ひと at 20:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ハートネットTV シリーズ 罪を犯した発達障害者の”再出発” 第2回 「出所、そして社会へ」

ハートネットTV シリーズ 罪を犯した発達障害者の”再出発” 第1回 少年院の現場から
先日放送された↑の第2回が昨日放送されていたのでご紹介ということで。

シリーズ 罪を犯した発達障害者の”再出発” 第2回 出所、そして社会へ
再放送は
6月7日(水)午後1時05分〜

近年、刑務所や少年院といった現場で「発達障害」が注目されています。発達障害に対する理解や支援が社会の中で不足する中、不適応や"問題行動"を止められず、犯罪に至ってしまう人が多くいることが分かってきたからです。発達障害者の再出発のために何が必要なのか。シリーズ第2回は、刑務所や少年院から出た後、社会へ復帰するための支援について考えます。

前回は少年院ということで未成年だったが今回は長崎刑務所。
つまり成人ってことですね。
今回登場する人たちは当然のことながら何等かの犯罪を犯して刑務所行きになった人たちなワケなのだが、何だろうな・・・一般的な「軽度発達障害」っていう人たちとは違う感じがする。
むしろ知的障害もある「重度発達障害」ではないかって感じの。
犯罪に及ぶかどうか以前に、一人で判断をしたり行動をしたりといったことが身に付けられないような感じの人たちに見える。
周囲の扱いが子供に対するような感じなのは、まあ支援をする仕事の人たちにはありがちなので普通のことではあるけど。
とっくに40歳過ぎている私でさえ20代ぐらいの職員に小学生みたいな扱いを受けるってのも実際にあったことだからな。

長崎県地域生活定着支援センター代表 伊豆丸剛史さん
「犯罪というものを外側から評価するのではなく、犯罪の内側(心)に入っていって。
そのためには、常に寄り添い続ける存在でなければいけなし、その中で見えてきた障害特性とか発達障害の特性を本人が通訳(説明)するのではなく我々が支援者に通訳していくアプローチがとても大切。
本人を孤立させないことと、そこに一番近いところで寄り添っている人を孤立させない。
この二つがとても大切だと思います」


定着支援センターは担当した障害者のその後もフォローします。
この日伊豆丸さんが訪れたのは福祉施設が運営する宅配弁当の工場です。
3年前から支援を続けている吉井雅史さん26歳。
発達障害の一つADHD=注意欠如・多動症と診断されています。
衝動的な行動を自分では抑えられず窃盗などを繰り返してきました。


出所後のサポートをいろいろ連携しつつ進めていて、とても必要なことだなって思ったんだけどさ、この人たちって刑務所行きになる前(学校を卒業した段階)とかに、この手の就労を含めたサポートとか受けてないんだろうね。
逮捕されちゃってから「じゃあ再犯を防ぐために対応しましょうね」ではねぇ・・・。
やらないよりゃあいいけどさ。
犯罪を犯してない段階の発達障害者の受け皿ってのが存在しないのが現状ってことかな。
どの自治体も子供向けは充実の方向だけど、大人向けは生活全般とか精神的なサポートとか無しで、ただ就労支援のみみたいなことになっちゃってるんだろうな。

長崎県雲仙市にある障害者の通所施設です。
利用者は18人。
ほとんどが過去に罪を犯した事があります。
週に1度行われる犯罪防止学習。
どうすれば再び罪を犯さないで済むか職員が教えます。
この日のテーマは「窃盗」。


ここで行われる内容もすごく子供っぽいというか。
単に「犯罪に対しての意識を変えさせる」みたいな種類の話ではなく、それ以前の能力が低いように見える。
ここにいる人たちの詳しい障害の内容とかは説明されないのでわからないけど。

この施設で支援を受けてきた黒田祐一さん(31歳)。
中学生の頃から窃盗を繰り返してきました。
黒田さんは発達障害の一つアスペルガー症候群と診断されています。
先の見通しを立てて行動する事やコミュニケーションをとる事が苦手です。
子どもの頃から電車が大好きで思いつくまま飛び乗ると当てもなく何か月も放浪したといいます。
お金が無くなっても誰かに助けを求める事ができず、さい銭泥棒を繰り返しました。
悪い事だと知りながらもほかの方法が思いつきませんでした。
何度も警察に捕まり少年院や刑務所に入った事もあります。
黒田さんの行動を家族も理解する事ができませんでした。


家族はそりゃあ理解できないだろうけど、もっと早い段階で何か手を打てなかったのかなって思うのだが。
結局、そういう「受け皿」が存在しないとか、存在したとしてもそこに結びつけることができずに、周囲もどうにもできず、本人もどうしたらいいのかわからない状態で、結果として「犯罪」ということになるのかな。
で、犯罪を犯して初めてサポートが受けられるっていう。
やっぱり何だかなぁ・・・って感じだな。

コロニー雲仙 愛隣 宇野さん
「発達障害の方にかかわらず、どう寄り添えるかなと考えています。
単に『仕事やりましょう』とか『基本的な訓練やりましょう』『特別訓練やりましょう』ではなかなか分からない。
本人なりの伝え方で(やりたいことを)伝えてくるので『ここなんだな』というところが見えてきて初めて本当の支援が始まるかなとは思います。
相手の人に心を開いていただかないと我々の気持ちばっかりを押すとか、目的ばっかりを押し付けても効果はないと思います。」


ここからスタジオ。
藤川洋子さん(京都工芸繊維大学 特定教授)
「得意な事を伸ばす得意な事を手がかりにしてその方のやる気とか成功体験を作っていくのは本当にコツだと思いますね。
得意な事も生かして仕事もできる。
社会に居場所が出来るっていう事ですよね。
彼ら能力がある訳ですよ。
VTRに出てきたとおりそうめん工場だったり会社の中で本当にこれは自分の役割でこれをしてたら毎日がつつがなく過ごせるんだとお金ももらえてこれでもって旅行もできる1人旅ができるんだっていうような事がだんだん経験を重ねるとつながっていく訳ですよね」


成功体験。
うん。
全然ピンとこないけど。
どういうのが「成功体験」なんだろう。
多分私にはそんなものないな。

posted by ひと at 08:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 発達障害 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月31日

差別されてる自覚はあるか 横田弘と青い芝の会「行動綱領」

差別されてる自覚はあるか: 横田弘と青い芝の会「行動綱領」



神奈川県立津久井やまゆり園での事件に関連して紹介されていた本だったので、読みたいなと思っていた。
読んでみてとても難しい内容だなと。
著者の荒井裕樹さんが、かつてかなり過激な感じに障害者運動をやっていた横田弘さんに話を聞いたり、当時のことをいろいろと調べたりしてまとめた本。
数十年前、今とはくらべものにならないぐらい障害者に対するサポート体制が脆弱で、ボランティア頼りぐらいの状況があった。
そういう状況から、徹底的に闘って自分たちをとりまく状況を変えようとした障害者たち。
特に過激派と見られていた「青い芝の会」。
その中心にいた重度の脳性マヒの横田弘。
こういった「障害者をとりまく経緯」みたいなものって、何も知らなかったなと。
私は自分が「障害者」でなければ、一生そういうことには無縁なまま生きていたんだろうと思う。
私は生まれつき障害者ではあるけれども「統計上」の障害者ではなかった。
障害は常にある。
生まれた時から多分死ぬまで。
今は障害者だが、ずっと障害者とは認定されていなかった。
そういう意味では「統計上」の健常者(この本の中では「健全者」という表現が一貫して使われている)だった。
そういう「中途半端」な状態の私と、重度の脳性マヒの横田さんとでは置かれた状況は全く違う。
私は今からでも障害者手帳の交付を受けずに「健常者です」と言い張って生きることも可能なのだ。
そのことに対して非常に釈然としないものを常に感じているワケだが。
ってことで、本の内容を追うっていうより、かなり私見みたいな内容になります。
まあ、他のものもそんなんだけどさ。

 一九七〇年五月二十九日、横浜市金沢区内で、重度の脳性マヒをもつ二歳半の女児が実母に絞殺されるという事件が起きた。この母親には三人の子どもがいて、そのうち二人に障害があった。−中略−横田弘という人間を、障害者運動に駆り立てた原点となった事件だった。(98〜99頁)

この「子殺し」に対して、町内会の人たちが母親への減刑嘆願のための署名集めを始めたり、障害児を抱える親たちの会が横浜市長に抗議文を提出したり。
でも、このことに対して横田さんは怒りを覚える。
地域社会に追い込まれて子供を殺したのに、その地域社会が安易に減刑嘆願をする。
この事件に横田さんは「殺される者」としての恐怖感を肌で感じていた。
そのあたりが、同じ脳性マヒであっても、より軽度の人たちはあまりピンときていない感じで、温度差が生じてしまうワケだが。
私は「恐怖感」こそ感じなかったけど、やまゆり園の事件の時に自分が「殺される者」であると感じていた。
殺すという直接的な行為に及んだのはたった一人だけだったけど、頻繁に「障害者は存在してはいけない」というメッセージを受け取っていた。
障害者は福祉を喰い潰す存在。
自分たちの年金が、医療費が、障害者によって搾取されている。
世の中の役には立たない障害者。
障害者の存在そのものに嫌悪感を持つ人。
等々。
「生きているべきではないんだな」と思うのには十分なメッセージに溢れていた。
そしてやまゆり園の事件が起こった。
そうなんだ。
やっぱり私たちは「殺される者」なんだ。
そして「殺される者」ではない人たちからマスメディアに向けて発信されたメッセージ
自分は健常者のくせに「『障害者』って書くのは失礼でしょ!『障がい者』って書きましょうね!」なんていう無意味な「配慮」をしてくれようとするクソみたいな人に対して感じる時のような違和感。

 人は、いろいろと理由や理屈をこねて、規律やルールのようなものをつくり出す。「働かざる者、喰うべからず」とか、「他人様に迷惑をかけてはいけない」とか、「経済的に自立してこそ一人前だ」とか。
 でも、働けない人や、どうしても他人の手を借りなきゃいけない人や、経済的に自立できない人は、本当に生きてちゃいけないのか? そういった規律やルールをつくったのは、もちろん障害者ではない。むしろ、健康でキビキビ動けてバリバリ働ける人たちが、障害者のように他人の手を借りなければ生きていけない人たちを排除するためにつくったルールじゃないのか?
(105頁)

 横田は「障害も個性」という言い方が好きじゃなかった。この言い方だと「障害」というものが「ついていてもよいオプション」、もしくは「ついていても仕方がない付属品」みたいに聞こえなくもない。
 でも、横田にとっての障害=脳性マヒは、横田弘という存在そのものだった。脳性マヒを抜きに横田弘という人間は存在し得ないのだから、脳性マヒという障害を否定することは、横田弘という存在そのものを否定することだし、横田以外の脳性マヒ者を否定することは、そのまま横田弘を否定することでもあった。
(116〜117頁)

この本を読んで初めて、発達障害以外の障害者に対しても「障害は個性」といった言い方をされていたことを知った。
発達障害者は当事者自身までが「障害は個性」と言う人がいる。
私は「個性」だとは思っていない。
障害を持っている自分が「自分」であり、障害がもし無くなったらそれは「自分」ではない。
自分そっくりの外見であっても、五感もそれを処理する脳のシステムも違うのだから、私の主観ではそれは私ではない。
そういう、自分とは切り離すことができない(というか切り離せば「私」ではないものしか残らない)種類のものが「個性」であり得るはずはないと思っている。

 「がんばる健気な障害者」というイメージに合わせて振る舞っていれば、社会の人は応援してくれる。「明るくて愛想の良い障害者」というイメージを受け入れてさえいれば、社会の人は構ってくれる。「不幸で可哀想な障害者」というイメージからはみ出さずにいれば、社会の人は同情してくれる。
 でも、「相手の気分が良いときだけ仲間に入れてもらえる」というのも、本当の「福祉」じゃない(ちなみに横田は、「福祉は思いやり」という言葉が大嫌いだった。もし「福祉」が「思いやり」だとしたら、社会が変化して「誰かを思いやれる余裕」がなくなったら、障害者は生きていけなくなる)。
(129頁)

まさに今が「社会が変化して『誰かを思いやれる余裕』がなくなった」時かなって思う。
このままでは障害者は生きていけない。
つまりは、横田さんたちが徹底的に闘い続けてきたというのに、今も当時と「世間の意識」みたいなものは変わっていないということなんだろう。

 〈妥協〉というのは、弱い立場の者がしぶしぶ折れる(折られる)ことになる。しかも「健全者」vs「障害者」という構図では、前者が「社会を支えている立場」にある(とされる)。だとしたら、「世間」や「社会」といったものは、どうしたって障害者側に折れることを求めてくる。しかも、その圧力は往々にして〈愛と正義〉という言葉によって包まれている。(139頁)

「愛」と「正義」。
どっちも某宗教の人たちが大好きなものだねぇ。
そんなものは誰も救わないのに。
追い詰めたり不幸にしたりするだけなのに。

 弱い立場に置かれていて、苦しい思いをしている人が、「こんな思いはもうイヤだ!」と叫んだとき、「じゃあ、どうすればいいのか」を考えるべきは誰なのだろう? 「もうイヤだ!」と叫んだ人が対案なり代替案なりを示さなければならないのだろうか? その人が示した対案や代替案が実現性に乏しいものだったとしたら、その人が苦しまなければならない現状は「仕方がないもの」として正当化されてしまうのではないか?
 そもそも、苦しい思いをして「もうイヤだ!」と叫ばなければならないところまで追い込まれている人に、対案や代替案を構想する余裕なんてあるのだろうか? それに対案や代替案が示せない人は、「もうイヤだ!」と叫ぶことさえ許されないのだろうか?
(139〜140頁)

特に発達障害者は自分で自分の障害特性を正確に把握し、周囲に対して具体的に「こういう配慮をしてください」と伝えろって要求される。
生まれた時から障害があるので、健常者がどういう感覚なのかは全くわからない。
あくまで想像するしかない。
全てが手探りだ。
その上、自分で自分の体や心に対する「セルフモニタリング力」が乏しい。
そんな状態で「対案や代替案」を提示するっていうのは本当に難しいことだ。
でも、それは常に障害者に要求される。

 「健全者幻想」というのは、一言でいえば「健全者に憧れる気持ち」「健全者こそ正しい存在だと思う気持ち」のことだ。「青い芝の会」の人たちは、この「健全者幻想」をものすごく敵視していた。
 この社会の中には、障害や障害者を否定する価値観があふれ、それが常識になっている。そんな社会の中で、障害者である自分は差別され、排除されている。それが嫌だからといって、「健全者に近づこう」と考えてはならない。いくら「健全者」に近づいたところで、社会は「健全者」に近い障害者としてしか見てくれないし、そもそも、「健全者」に近づくことさえできない障害者だっている。
(161頁)

 自分の中に少しでも「健全者に近づきたい」という気持ちがあると、こういった社会の常識が心を切り刻んでくる。そうしている以上、障害者は「ありのままの自分」を肯定することなんてできない。
 「青い芝の会」の人たちが使う「健常者幻想」という言葉は、往々にして、同じ障害者に向けて発せられている。「こんな身体で産まれてこなければよかった」「少しでも健全者に近づきたい」といったかたちで「障害者である自分を否定すること」を戒める文脈で使われるのだ。
(162頁)

五体満足であることが「正義」なのだ。
障害者たちは「自分を健全者化すること」を目指している。
ってのは「健全者」たちが思い描く幻想。
その幻想に取り込まれてしまって、自分で自分を否定するだけの障害者たち。
そうなっちゃいけない。

 「青い芝の会」の発想の基盤は、障害があるなら障害があるままで、「できない」ならば「できない」ままで、ありのままの自分で生きていく、という点にある。だから、「治療」や「リハビリテーション」という概念にも否定的な人が多い。(183頁)

私達も常に定型発達者の考え方ややり方に無理やりにでも合わせることを要求されている。
子供の頃から「療育」の名のもとに「健常者モドキ」になるべく教育される。
それでいいのか?
かといって、それを拒否して私のように「人生が積む」という結末しかない状況を受け入れることができるのか?

 「できることが良いことだ」というのは「健全者」がつくり出してきた常識なのであって、それを障害者に当てはめれば、結局、障害者は「できなくて悪い自分=健全者になれない自分」を責め苛むことになる。(183〜184頁)

 文明機器が発展すれば、身体の動かない障害者だって「できる」ことが増える。それはきっと便利なことなんだろうけれど、でも、文明機器がどこまで障害者の味方をしてくれるのかは不明だ。少なくとも、機器を開発するのが「健全者」であることを考えれば、それは本当に障害者のための機器なのか、という危機感をもった人もいたのだろう。(184頁)

障害者と機器(道具)っていう観点では、よくメガネのことが引きあいに出される。
とても視力の悪い人って大勢いるけど、その人たちはメガネがあるのでかなりの部分まで日常生活には支障がない。
もしメガネというものがこの世に存在しなければ、その人たちは本を読むのも一苦労、店に入ってもメニューの文字が読めない。
とても不便だ。
だから新しい機器が発明されるのって、むしろ歓迎されることかなって思っていた。
私にはあまり役に立たなかったけど、デジタル耳栓が非常に役に立つというタイプの人もいる。
それで楽になった人がいるのは事実。
私もデジタルデバイスによってかなり助けられている。
自分がやらなきゃいけないことを管理するのって、そういうものがないと私にはどうにもできない。
「文明機器がどこまで障害者の味方をしてくれるのかは不明」という発想はなかった。
一つ間違えれば「厄介者を封じ込める」という方向性にもなり得るということか。

 ハンセン病の人も、水俣病の人も、結核患者も、環境が良ければ健全者だったわけでしょう。こういう言い方すると申し訳ないけど。でも、そのように考えると、脳性マヒの青い芝の運動とは違うということですよ。(230〜231頁)

脳性マヒの人から「オマエと一緒にするな!」って言われそうだけど、私がたびたび「精神病と一緒にするな」と言っているのと同一線上の話のように感じる。
決して「精神病なんて軽い」みたいに思っているワケではない。
私自身、精神病にも罹患しているのだから。
「両方を経験している」上で、やっぱり「分けて考えてもらえませんか?」と思うのだ。
ハンセン病の人、水俣病の人、結核患者、鬱病の人、統合失調症の人。
彼らには「本来戻るべき(以前は所有していた)健全な心身」が存在している。
横田さんや私にはそれはない。

 横田弘は生まれたときから脳性マヒ者だった。つまり、横田弘は人生の中で「障害者でない自分」を経験してはいないのだ。(240頁)

「健全こそだ善で、障害は悪だ」という考え方自体を批判しないと、「健全」であったことのない自分たちの存在が危うくなるからだ。(240頁)

今、私達はとても厳しい状況におかれている。
かつての横田さんたちや他の団体によって行われてきた活動によって、数十年前よりは遥かに福祉は充実してきた。
重度の障害者であっても働いたり、ヘルパーを頼んで一人暮らしをしている人もいる。
そうやって、なかなか進まないながらも、少しずつこの国の障害者を取り巻く環境は改善されていっていた。かに見えた。
長引く不景気からか、健常者たちにどんどん余裕がなくなっていく。
「自分たちだってこんなに大変な状態なのに、障害者のことなんか考えていられるか!」
その気持ちが分からないではなかったりするけれども。
「福祉目的に使う」という大嘘を繰り返しながら消費税は引き上げられ、徐々に斬り捨てられる年金や補助金。
このまま物理的にか精神的にか両方か、ただ殺されるのを待っているワケにもいかないと思っているけど、「じゃあ私にできることって何だろう?」って考えても答えは見つからない。
私にとって目先のカネ、目先の生活、そんなものしかない。
「よい方向」っていうものがどこかに存在するとしても、ヨーロッパのどこかの国みたいに「え?そんなのまで国が面倒見るの?」みたいなのまで全部福祉で面倒を見るっていうんじゃないと思うんだけど。
「じゃあどういうのがよい方向なの?」っていうのは、やっぱり考えてもわからない。
ただ、私にこれ以上「健常者モドキ」になることを求めないで欲しい。
まずいことに、私は無理をすればいくらでもできてしまう。
まるで障害がないかのように振る舞うことができる。
でもそれは「無理」の上に成立している。
死ぬまで無理をさせられるのは御免だ。
「無理」をして見せると「普通にできるんだろ」と言われ、際限なく「無理」を求められる。
もうそこからは降りることにした。
二度とそんなことはしたくない。

posted by ひと at 19:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 発達障害 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

きょうの健康 ADHD 注意欠如・多動症を知る「大人のADHD」

これも昨日やってたヤツね。

ADHD 注意欠如・多動症を知る「大人のADHD」|きょうの健康
前日のは子供のだったけどこれは「大人の」ってことで。
再放送は
6月6日午後1時35〜1時50分
これはNHKのサイトの方にも結構詳しく番組の内容も紹介されているし、テキストの方にもいろいろ書いてあるようだ。


以前はADHDは子ども特有のもので、大人になれば改善すると考えられていました。ところが大人になっても改善せず、職場などでその症状に悩まされている人が多くいます。特に「就職したばかりの20代」や「管理職になった40代以上」の人などです。ストレスや仕事量が増えることで、ADHDの症状が目立つようになり、トラブルをきっかけに受診する方が増えています。

増えているっていうより、そういう人がいるっていうのが判明したのと、そういう人を周囲が受けいられれない状態になってきているのかなと思うけど。

ADHD 注意欠陥・多動症
注意欠陥の特徴

・集中できず不注意によるミスが多い
・物をなくしたり置き忘れたりする
・片付けが苦手
・段取りが下手で先延ばしする
・約束を守れない


多動性・衝動性の特徴
・落ち着きがない そわそわする
・一方的なおしゃべりや不用意な発言
・感情が高ぶりやすくいらいらしやすい
・衝動買い 金銭管理が苦手


感情面ではアスペルガーよりも定型発達者に近いものを持っている感じかな。
でも「内側からのエネルギー」みたいなのが強すぎて、噛み合わなくなったりする。

岩波明さん(昭和大学 教授)
「マイナス面もある一方でよい結果につながる場合もあるという事です。
例えばADHDの方は周囲の思惑を気にしないで目的に向かって突進するようなところがあります。
そういった方は…さまざまな事業などで成功してる方も少なくありません。
例えばデザイナーの方だとかあるいはコピーライターの方。
そういった一人で行う仕事で成功してる方が多数、私は経験しております。」


何だかすごく納得がいかない話だな。
これではまるでADHDの人たちはデザイナーとかコピーライターみたいなので成功できるような「才能」がある人ばっかりみたいじゃないか。
ADHDの人の中に、たまたまごくまれにそういう才能を持った人がいて、才能を活かして成功している人がいないこともないって話ではないかと思うんだけどな。
それともADHDの人たちってそういう才能が全員にあるの?
もしそうじゃないとしたら、才能に恵まれなかった大部分の人たちはどうすれば?

現在大人のADHDを専門に診ている専門家はとても少ないのが現状。
まずお住まいの地域で受診する前に「ADHDを診療しているかどうか」を尋ねるとよい。
これまでADHDは主に小児科で診てきた経緯があるので、小児科の先生が成人のADHDも診ている場合もある。

ADHDの症状は脳の一部の働きが十分でないことから生じている。
特に順序立てて行動したりとか行動を抑制するような脳の機能が関係している。


大人のADHD 治療法
・薬による治療
・心理社会的治療


薬による治療
・メチルフェニデート徐放錠 コンサータ
 脳の神経を刺激する薬で即効性があり、半日程度効果が続くのが特徴
・アトモキセチン ストラテラ
 効果が現れるのに1週間以上かかる

心理社会的治療
 「心理教育」ではADHDの特性を理解して自分自身のコントロール方法を学びます。医師やカウンセラーの指導のもとでADHDの特性を理解し、生活環境や人間関係を改善する工夫を行います。
 「行動療法」とはまわりの環境を整えることで問題となる行動を修正・改善する方法です。社会で快く受け入れられる行動や態度とはどのようなものかを理解し、適切な行動をとることができるように、対人関係の技能や社会のルール、マナーを学ぶトレーニングなどを行います。


私は何度もSSTなども受けたけど、あれは「定型発達者モドキ」になるための訓練でしかなかった。
ADHDの人たちにとっては違うんだろうか。
会話の練習のシーンなどを他の番組で見たことがあるけど、あれは確かに重要というか、テクニックとして身に付けることが可能なら身に付けた方が自分のためではあるけれども。

今回の番組はあんまりしっくりこなかったな。
何だろうな。
理解する気の無い人から見たら全部「なまけている」「たるんでいる」「自分が気を付けて入れば何とかできるだろう」みたいな内容の障害だからな。
そういう人たちに対して「障害だから本当に無理」みたいなのって伝わらないよねぇ。
伝わったところで今回の番組は「じゃあそれに対して周囲はどうすれば?」ってのもないな。
まあ「自分はADHDかも」と思っている人に対して、どうすればいいかっていう話としてはよかったのかなとは思う。

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ハートネットTV シリーズ 罪を犯した発達障害者の”再出発” 第1回 少年院の現場から

昨日やってたヤツね。
今回もちょっと感想ぐらいの感じで。

シリーズ 罪を犯した発達障害者の”再出発” 第1回 少年院の現場から

見逃した方は再放送もあります。
6月6日(火)午後1時05分〜

前から発達障害があると非行に走りやすいみたいな話はあった。
パーセンテージとか知りたくて以前調べてみたけど、明確な数値などは発見できなかったが。

15〜20歳の少年約90人が集団生活を送っている少年院。
一昨年から発達障害のある少年に対応した新たな教育に取り組み始めた。

加藤さん(仮名・19歳)
自閉スペクトラム症と注意欠如・多動症があると診断されている。
加藤さんは去年特別支援学校を卒業後、仕事を探したが人と関わる事が苦手で働き先を見つけられなかった。
財布などを盗み今回2度目の少年院。


特別支援学校を卒業しても、結局仕事に就くこともできない。
だったら特別支援学校って何だったんだろう?
特別支援学校で「明らかに社会性が身についていない」みたいな子も当然出てくるだろうけど、そういう子たちの受け皿はないんだろうな。
今はまともな学歴がないと接客業ぐらいしかない。
発達障害は全部じゃないけど、この子みたいに自閉スペクトラムがあると接客が非常に難しいことが多い。
すごく勉強ができるみたいな種類だと、それなりのどうにかできる可能性もあるけど(あくまで可能性だけであって、結局ダメってのもあるけど)並みとか並み以下とかだともう身の振りようがないから、結局親に面倒を見てもらうしかなかったり。

加藤さんは頻繁に体のだるさを訴えるのだが、指導教官の南雲さんはそれをどこまで受け入れたらいいのかに苦悩する。
加藤さんは聴覚過敏があるので、音によるストレスを非常に強く感じているようだ。
この少年院では去年から発達障害の専門家にもアドバイスをもらうようにしている。
法務省のガイドラインを作成した高橋智さん。
加藤さんと南雲さんの双方から話を聞く。
加藤「周りは自分の訴えを信じていないのではないか」
南雲「彼が発達上抱えているストレスのせいで、頭が痛くなるというのは分からない話じゃないんですが、かといって好きな事だけやっていのか。それは少年院としてはあまり許せないというか」
集団の維持と加藤さんへの配慮の間で悩む南雲さん。
高橋「受容されていないと、そこから先に進んでいかないので、信頼されれば、認めてくれればもう一歩進んで行けるんだという思いを持っていたのではないかと思いますね。自分自身の回復力というか、修復力というか、それで変わっていくという感じなんですよ。」


難しいよねぇ。
実際さぁ、なまけたくてやたらと不調を訴える人っているんだよね。
本当につらいのかつらくないのかって他人からはわからないんで、うっかりなまけているのを受け入れまくったりしちゃうと、それはそれで後々面倒なことになりかねないかなと。
じゃあ、どう見極めればいいのかとかわからんけど。

茨城農芸学院では発達障害の診断を受けている少年がおよそ3割を占めている。
4つある寮のうち1つは特に集団生活が難しい少年が暮らす個人寮。
この日個人寮から集団寮に一人の少年が移ってきた。
吉田さん(仮名・18歳)
長年ここで発達障害のある少年も多く見てきた小島教官は、吉田さんにあえて苦手な集団寮で人との距離感を学ばせようと考えていた。


日課のグラウンドの整備をする吉田さんたち。
吉田さんは他の人と離れて一人で作業を続ける。
小島さんは吉田さんと二人きりになり、その理由を尋ねる。
吉田さんはふざけている人たちを避けるようにしたとのこと。
そのことを褒める小島さん。


気になることがあると、時と場所に関係なく南雲さんに訊きに行ってしまう加藤さん。
そこでは訊きに行っていい時間とかダメな時間とか日課表で決まっている。
加藤さんは規律を守るよう何度も指導されているのだが、同じ事を繰り返している。
そんな加藤さんに小島さんはルールを守れるようになるための具体的な方法を伝えた。
小島さんは「書類もらいに行きたいな」と思った時に「生活のしおり」(これに日課表が書いてあるらしい)を開いて、「この時間はOK」「この時間はダメだ」と指さし確認をしろと。
加藤さんに伝えるだけでなく南雲さんにも伝える。
小島「もしも日課表を持って聞きにきたら、ちょっとほめてあげてもいいと思うんですよ」


茨城農芸学院 菅谷裕さん
「これまではどちらかというと教官の職人芸というか、こういう少年はこの教官が対応すると非常にうなくいくとか、なかなか体系的にやるのが難しかった。少年院法が変わって枠組みがはっきりしたことで矯正教育が体系的にできるようになったということは言えると思う」


ここからスタジオ。
発達障害のある少年が犯罪に至ってしまうのはなぜなのか?
藤川洋子さん(京都工芸繊維大学 特定教授)
「少年院でトレーニングを受けなくちゃならないようなレベルの犯罪少年たちは、やはりそういう脳科学的な特性っていうのをちっちゃい時に見つけてもらえなくて、それが原因で環境側からやはり不適切な関わり、虐待とか、あるいはいじめといったような経験をすごく受けていて。それでもう社会に対して不信感とかですね。その中で自分はこれをやりたいんだこれしかないんだというような形で行った行為が結果的に犯罪とか非行とかって呼ばれるっていう事になってるんじゃないかなっていうふうに今、思っていますけれど」


そうなのかなぁ?
でも療育を受けている子も少年院にいるよね?
療育を受けてもやっぱりカバーしきれない?

加藤さんの感覚過敏がチェックリストで明らかになった件について。
藤川「感覚過敏の問題っていうのは一般のものからするとどういう事なのか非常に分かりにくいっていうのと普通に生活してたら彼は言わないので自分から。分からなかったと思うんですね。そういう意味でとても有意義だとは思います。」


自分から言わないっていうかさ、他人がどういうふうに音が聞こえているかなんてわからないでしょ?
だから「自分は人と違ってこう聞こえるので、こういう状況だと聞き取りづらいですよ」なんて説明できないんだよ。
何か、そういうことって定型発達者の側は一貫して見落としている感じがする。
感覚過敏全般に対してそう。
私達は生まれてから一日も定型発達者だった経験がない。
だから、他の人はどういう感じなのかなんで全然わからないし、生まれた時からずっとそのままなんだから「そういうものなんだ」みたいな認知しかできない。
それがどんなに大幅に「普通の人」とは違っていたとしても。

藤川「やはり褒められるっていう事の全然なかった人が褒められた時の喜びっていうのはもう一般の人間からすると本当想像つかないような大きなものがあると思うんですね」

少年院にいる子たちはまだ十代だからそれが通用するのかな?
私は歳を取りすぎてからだったからか全く通用しなかった。
今でも褒められても特に仕事の上でのことなんかだと「ケッ!」としか思わないし、私のことを理解しようとしてくれていて、私に少しでも「自己肯定感」のようなものを持って欲しいと思って、何かと褒めてくれる人なんかもいたけど、そういう人に対しても「褒められたことを全く嬉しいとか、自己肯定感につながるような感覚を持てなくて本当に申し訳ない」ってずっと思っていた。
若いうちならまだ取り返しがつくのかな。
私みたいに褒められたことのないというか、否定しかされた経験がなく生きてきたってのは、やっぱりそれだけで社会に適応しづらいよなとは思うから、少年院を出て社会生活を営むためには、ちょっとでも「褒められる」っていうことで「定型発達者みたいな感覚」を持てればいいのかなとは思うんだけど。

今回のシリーズの第2回は本日放送。
5月31日(水)Eテレ 午後8時00分〜8時29分(再放送:6月7日午後1時05分〜1時34分)
ハートネットTV

シリーズ 罪を犯した発達障害者の”再出発” 第2回 「出所、そして社会へ」


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2017年05月30日

日清 カップヌードル XO醤海鮮味



カップヌードル XO醤海鮮味 | 日清食品グループ
「世界のカップヌードルサミット2017」と題し、海外現地のカップヌードル3品を同時発売。香港代表の「XO醤海鮮味」は、高級調味料XO醤をイメージした数種類の海鮮素材と豚のうまみがたっぷり詰まった贅沢な仕上がりです。

5月22日から期間限定発売。
スーパーで138円(税別)で購入。
内容量73g(麺60g)。

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前に紹介したヤツと同じシリーズのヤツで一種類だけ買っていなかったヤツね。
今日、店に行ったら売っていたので買ってみた。

DSCN2529.JPG

何度撮っても照明の具合なのかうまく撮れないな・・・。
普通にお湯を入れて三分っていう。

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麺は柔らかめというか細めな感じ。
スープの味は濃い味だなって感じだけどしょっぱいっていう感じではなく。
出汁がきいてるって感じかな。
三種類の中では一番美味しいと思う。

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2017年05月28日

NHK ETV特集“いるんだよ”って伝えたい〜横浜・特別支援学級の子どもたち〜

今日やってたヤツね。
まあ、自分とは無関係な内容だから取り上げなくてもいいやとは思ったけど、ちょっと見ていて思ったこととか。

ETV特集「“いるんだよ”って伝えたい〜横浜・特別支援学級の子どもたち〜」 - NHK

これはあくまで横浜の小学校でやっていることなので、他の地域はどういう様子なのかは知らない。
私は療育どころか発達障害なんていうものを誰も知らないぐらいの時代に育ったものだから、こういうのをやっているっていうのは全く知らなかった。
おそらく、私も今なら特別支援学級(横浜では「個別支援学級」と呼ぶらしい)行きだろうな。
そうなったら、私の母にも障害があるのが早い段階で判明して、今とは全く違う状況になっていただろうか。
今となっては何一つ取り返しのつくことはないので、考えるだけ時間の無駄なのだが。

小学校の卒業を目前に控えた、きよらさん。
前から聞いていたけど、個別支援学級にいると高校や大学への進路が絶たれるみたいなことがあるらしい。
番組では
内申点につなげる事が難しく高校に進学するのはおよそ3割
と言っていた。
まだまだ周囲との交流がスムーズにいかない子なので、中学校でも個別支援学級に・・・ということだったのだが、将来を考えるとねぇ・・・。
それで中学を卒業してもロクにカネにならん作業所と障害年金でみたいな?
それじゃあねぇ・・・。
未だに発達障害関連の番組で作業所のことを扱わないけど、いいかげんやってくんないかな?
きよらさんの母(ひろみさん)「しかもあの子たちは年より幼い。早くそんなに将来を選択するっていう事がそんなにたやすいのだったらそれは支援は必要ないと思うんですね。もっと成長したあとでなければきっと選択できっこない事を今本当は迫られている。もうあの迫られているといっても誰が悪いのかって誰も悪くないんですけれども。」

小学校3年生の勇一郎くん。
この子はすごくおとなしくて、周囲と揉めたりしない感じのタイプ。
だから別段問題なさそうに周囲からは見えてしまうけど、内心、すっごくつらく感じているらしい。
言葉にして伝えるのが苦手なようで、ノートに書いて自分の気持ちなどを母に伝える。
勇一郎くんはその夜ノートに書きました。
「今日の出来事です。
中休みに一人でトイレに行くと後から入ってきた高学年の子が『個別級の子だよね?』ぼくが『そうだけど』と答えると『個別の子トイレ長いね』と言われました。
ニヤニヤしながら言われたのでとても嫌な気持ちになりました。
偏見ではないでしょうか。」

学校の先生たちはこのことを重く受け止め、学年主任を集めた緊急会議を開く。
そして、他のクラスの子供たちにもこの件について考えてもらう時間を設ける。
それに先立って、個別支援学級の子供たちにも「日頃どんな不安を抱えているか」を聞く時間を設けたり。
結局、他の子たちにもいろいろ深く考えてもらえてよい方向に〜っていう感じの流れだったんだけど、勇一郎くんに対してもうちょっと違うアプローチが欲しかったなと思った。
要するに上級生が勇一郎くんをバカにして、からかったワケです。
こういうことって初めてだったそうだけど、この子にはザンコクではあるけど現実には「今後もそういうことはずっとある」ってことは伝えて欲しかった。
世の中には障害者を見下すヤツもいるし、障害者じゃなくても自分より立場が弱い相手だと思うと、バカにするようなヤツがいる。
この子はすごく繊細なタイプのようだから、とても深く傷ついてしまったようだし、繊細なのを「強くなれ!」とか言って強くなれたら苦労し無ぇよ!と思うので、そういう気もないけど「そういう人間のクズは大勢いる」ってことは理解して、そういうのに自分が傷つけられてボロボロにされないように防衛できるような能力を身に付けていって欲しいなと。
そういう人に遭遇するたびに傷つけられるのではなく「どうしようも無ぇカスだなぁ〜♪」みたいに思えるようにっていう。

今回、主に取り上げられた子供は二人ともが「他の子とうまくやっていきたい」「輪に入りたい」っていうタイプの子だった。
でも実際にはそういうタイプの子ばかりではないので、この番組を見て「すべての発達障害児は内心では他の子と仲良くしたいと思っているんだな」という誤解をして接したりしないようにお願いします。
変に他人と関わり合いになりたくないタイプの子もいるので。
そういうタイプの子であっても、本人のためには「他人とうまく接するスキル」は身に付いた方がいいのは間違いないだろうけど。

posted by ひと at 20:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 発達障害 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

今年も桑の実は豊作

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最初は「懐かしいなぁ」と思って喜んで喰ってたんだけどね・・・。
毎年成るし、どんどん成る数は増えるし。
正直もう飽きてしまったワケだが、放置するとベランダにボロボロ落ちて汚いしね。
喰うしかないよねぇ・・・。

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posted by ひと at 19:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ヘンケル ジャパン シュワルツコフ カラースペシャリストで染めてみた

白髪染め第何段だかもうわからんけど。
今回はこれね。


色はいつもは真っ黒いのを使っていたけど、今回はちょっと明るめというか、地毛の色と近いのにしようと思ってこれを買ってみた。
でも、実際に染めてみると地毛の色より明るい感じ。
「やや暗めのナチュラルブラウン」ってことだったが、女性向けの「やや暗め」ってのは結構明るめの色なんだなと。

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中はいつも使っているのよりも入っているものの種類が多いなっていう感じ。
二種類のチューブを使うっていうのは何度もあったけど、これはそれに加えて小さいチューブのヤツ(コハク酸)ってのがあって、それも混ぜる。
つまり三種類を混ぜて使う。
そして更にトリートメントが二種類入っている。
一つは染めた直後に使うヤツ。
これは過去にもあったんで、まあ普通。
この商品の変わっている点はもう一種類のトリートメント。
3週間後に使用する「メンテナンストリートメント」っていうヤツ。
これを使うことによって、髪色が長持ちするっていう。
私は変に白髪が伸びるのが早いから3週間後なんてもう根本の白髪がかなり目立つ状態になっちゃってるから、あんまり意味ないかなとは思う。

では実際に染めてみましょう。
箱に手袋とブラシが入っている。
それを使って普通に染める。
臭いはあんまりしないけど、滲みて痛い。
皮膚が弱い人には向かないかな。
染まりづらい髪質なので書いてあるより長めに置く。
置く間にシャワーキャップをかぶれという指示はないがかぶる。
その方が温度が上がって染まりやすいので。
で、よく洗ってシャンプーして、染めた後に使うトリートメントを使ってみる。
うん。
このトリートメントすごく臭いが強い。
乾かしてからも結構臭いがするので、強い臭いがダメな人にも向かないかな。
それと、たまたまかも知れないけど、このトリートメントの袋が全然開かなくてすごく困った。
切り口みたいなのがあるんだけど、そこから全然切れない。
髪の毛びっちゃびちゃだからハサミを取りに行くのもな・・・と思って歯で噛んだりして、それでも端の方が少ししか開かなかったんで、そこから無理やり全部ひねり出して使ったけど。
事前にハサミなどで切り込みを入れてから使うといいんじゃないかと思った。

何枚も写真を撮ったけどうまく撮れ無くて分かりづらいけど一応載せておく。

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↑染める前

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↑染めた後

染まり具合はまあまあかな。
女性向けのオシャレ白髪染めみたいなのを長いこと使わなかった理由は「すぐに落ちて、しかも白髪の部分が変な色なるから」なワケですが、これはどうかってのはもうちょっと時間が経たないとわからないので、多分追記していくと思う。

この商品ですごくいいと思った点は、洗面所に付着したヤツが後からでも問題なく落ちた点。
いつも使っている男性用のヤツって、発色してきて気付いた時にはもう手遅れで、浸み込んじゃって後が大変っていう。


posted by ひと at 11:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする