これの続きです。
加藤登紀子さんを取り巻く男達を話そうかなと。
これはテレビでやったのだが。
恋人となった藤本さんの大好きな「知床旅情」。
これを許可をいただいて歌ったのではなくて、お母様から「自分でいい歌が出来なかったら人のいい歌、歌っちゃえばいいのよ」と言われて、それで藤本が大好きだったということで「知床旅情」を歌った。
おときさんもおときさんで横着。
「叱られるかも知れない」と思いながら別に挨拶に行かなかった。
何と驚くなかれ、森繁さんは「知床旅情」をお聞きになった。
そして何と森繁さんは加藤さんの歌声を絶賛したという。
森繁さんはおっしゃったそうだ。
「私とおんなじだ君は。ツンドラの冷たい風を知っている娘の声だよ。君の声は」
もちろん引き揚げの地獄なんて知ろうハズが無いが、森繁さんは大きく包み込んで「中国・満州国に吹く風、その冷たさを知っている娘の声だ」という。
いいことを言う。
ここも不思議なキーワードだが、
森繁さんも私も同じ時期に満州から引き揚げ、戦後の惨憺たる状況を経験したことがわかった。(62頁)
命からがら遼寧省から葫蘆島の船に乗っかって祖国・日本に帰ってきたという、そういう「引き揚げ者と」いう偶然が二人を結びつけた、という。
そしてキャリアを積んで成長していくおときさんだが、1983年のこと、その前の年ぐらいなのか、そのおときさんにとんでもない仕事があった。
(映画の上映が1983年なので、当然仕事の依頼があったのはそれよりも前)
映画『居酒屋兆治』で高倉健さんの奥さん役のオファーをもらった時は、必死でお断りした。演技の経験もないし、−中略−
もっとふさわしい女優さんが受けるべきだと思って。そしたらプロデューサーの田中寿一さんがわざわざ事務所にいらして、「あなたが女優じゃないからいいんです。加藤登紀子として出てください」って言ってくださり、そこまでおっしゃってくださるならと思って受けた。(169頁)
(番組の内容とは詳細が異なる)
あれがおときさんの女優デビュー作かと思う水谷譲。
まだ話は続く。
加藤さんも一生懸命おやりになる。
だがやはりそれは申し訳ないが、演技に力量の差がある。
あるシーンを撮り終わったら、自分の声の高さが少し高くなってしまって場面に似つかわしくない高い声になってしまった。
だから監督さんに「すいません、もう一度やらせてください」と言ったら健さんが「今のでいいですよ」。
それでOKになった。
この「居酒屋兆治」、遠い昔、恋人だった大原麗子さん(神谷さよ)。
その大原麗子さんのことをどこか諦めきれないという健さん(藤野英治)が、酷いことをするご亭主に仕えている大原さんを守る為に、そのご亭主に向かって暴力事件を起こした。
それで健さんが警察に捕まってしまう。
今の奥さんの加藤登紀子さん(藤野茂子)はショックだったろうと思う。
そこでもの凄く重大なセリフがある。
それは刑務所から出てきて、その兆治(藤野英治を指していると思われる)が頭を下げるらしい。
申し訳なさそうな顔で彼女を見つめると、おときさんのセリフ。
「いいのよ、いいの。人は心に思うことは誰にも止められないもの」
これを加藤さんは思いを込めて言うつもりだった。
リハーサルで軽くやったそうだ。
「いいのよ、いいの。人は心に思うことは誰にも止められないもの」
健さんが「OK」と叫んだ。
もちろん(カメラが)こっそり回っていた。
びっくりして「いや、もう一回やり・・・」「いや、今のでいいです。今のでいいです。軽く言うところがあなたの凄いとこですよ」。
おときさんは嬉しかっただろう。
この前のシーンの撮影がロケであった。
それは拘留所かも知れないが、とにかくその刑務所みたいなところから出てくる居酒屋兆治をおときさんが待っていてスーッと(カメラが)寄って行くという、そこのシーン。
「ヨーイ、ハイ!」で始まった。
スーッと寄って行って二人で歩き出すという。
セリフは録って無いらしかったと思う。
引き絵だったのでセリフも録っていないという。
だから二人が歩いていく姿を遠くの引きの絵で映すという。
その時に健さんの思っていたことが初めてわかったそうだ。
健さんが世間話を加藤さんにした。
「ご主人を迎えに行った時も、今みたいだったんですか?」
しびれてしまう。
高倉健が求めていたのはそこ。
上手い女優さんがいっぱいいる。
でも刑務所から出てくる亭主にフッと寄り添って黙って歩くという女の姿は・・・
映画はもちろん嘘だが、その嘘を一点も嘘もない人に演じて欲しいという。
これが健さん。
物語は嘘を作っていく。
しかしその嘘を演じる時「一点の嘘もあってはならない」という。
この話はいい。
「健さんらしいなぁ」と思って、おときさんの話を聞きながら感動した。
みなさん、こんなふうにして映画という物語は作られていくんです。
武田先生もエキストラでちょこっと出た。
兆治のお店によく来る若い者の(アベックの男役)。
その話を伺って(映画「居酒屋兆治」を)もう一回見たくなった水谷譲。
何かいい。
加藤登紀子さんというのは旦那様も学生運動活動をやっておられたし、凄く今も尚、政治についてはきちっとした批判精神をお持ちの方で。
もうそれは「体に刻まれた反戦の誓い」というか「戦争というものがどれくらい悲惨なものか」とか。それから「アジアの諸国に迷惑をかけた日本人の自覚」みたいなものをこの姉御は持っておられて。
健さんもそういうものがおありで、話が合ったようだ。
健さんも「アジアに対して迷惑をかけた日本」ということに関して。
健さんあたりは戦後世代の長男坊。
そういうことを口になさることもあった。
ただ、高倉という人は昨日言ったとおり、物語は嘘を作っていく。
しかし嘘を演じるのに一点の嘘も無いという。
これが高倉健のイズムで。
このへんはちょっと姉御と武田先生で激しく論争したのだが。
高倉健というのは「思想」ではない。
エモーショナルというか「感情」。
木村大作という名キャメラマンがいて。
健さんに「八甲田山」という名作がある。

これは凄い。
みなさん一回見てください。
高倉健の存在感を。
特にラストシーンに於ける健さんの明治の軍人の描き方。
健さんは、もう本当に男の美意識に満ち溢れた素晴らしい軍人を演じておられる。
これは、木村大作さんが何気なくポロっと言ったのだから「映画の関係者、わかってんだな」と思ったのだが、八甲田山は実際の話があった。
そういう事実としての話があるのだが、健さんがおやりになったあの軍人さん(徳島大尉)は、残っている資料を読むとそんなにいい人ではなかったようだ。
意外と村人をガイドに使っても冷たかったり、「貴様!」とか呼び捨てにしてゲンコを振るったりみたいなことがあったようだ。
でも木村大作さんは「もう、健さんが演じちゃうと健さんなんだ。だから史実とかいくら綺麗に整えてもダメなんだよ。高倉健が演じたらそれは高倉健なんだ」という。
これは武田先生は本当にわかる。
「八甲田山」を撮る時もいっぱい調べたのだろう。
それでそういう事実をわかっていたが、健さんにそのことを言える人はいない。
「本当は悪かったらしいですよ」とか気安く言えない。
健さんはその嘘を一点の嘘もなく演じるワケだから、健さんは神田大尉の亡骸を見て鼻水を垂らして泣く。
それを木村大作が「その健さんが引き受けた役って健さんしかできないんだよ」という。
本当に何かそう。
だからそんなことを思わせる方。
かくのごとくして「居酒屋兆治」は終わるのだが、このあたりもおときさんは傑作を残している。
居酒屋兆治で歌われた歌。
この歌「時代おくれの酒場」。
(ここで本放送では「時代おくれの酒場」が流れる)

この歌も静かでいい。
「時代おくれ」というこの言葉が健さんに無理なくはまっていく感じが。
健さんのバージョンもあるから。
健さんも歌っておられる。

この映画の為に作られた歌。
森繁さんときて次、健さんときた。
その次が凄い。
武田先生も並べて驚いた。
宮崎駿さん。
この方もおときさんに向かって無理を言う。
「声優としてやっていただけませんか」
「いや、声優なら声優さんがいっぱい」と言ったら、宮崎監督の方から「歌う声優でないとダメで、その歌が非常に重大なんですよ」と言われて引き受けた作品が「紅の豚」。
もうよく皆さんご存じの、日本が、或いは世界が絶賛するアニメーター。
おときさんのところに舞い込んだ仕事は「紅の豚」というアニメ作品の声優。

物語はというと、戦闘機乗りのポルコは戦友ベルリーニを戦場で失う。
その戦友を救えなかった無念がポルコを激しく自責の念に、自分を責める念に駆り立てて、ポルコは自らに呪いをかけて豚となったという。
複葉機に乗っているが、真っ赤な複葉機。
それ故に彼は「紅の豚」と呼ばれるようになったという。
この彼が義を通したかった死んだ戦友ベルリーニの恋人ジーナ。
このジーナがおときさん。

ポルコも「紅の豚」である彼もこのジーナにはクラクラしているのだが、かつての戦友の恋人ということで折り目正しく距離を置いて彼女に接するという関係。
この宮崎駿という人も「何でこういう発想ができるのかな」と思ったのだが。
宮崎さんというのは不思議な人。
戦争は大嫌いなのだが、戦闘機は好き。
この方は北関東の方のお生まれらしいのだが、おうちのお仕事は兵器工場をやっておられて、飛行機か何かを作っておられた。
それで宮崎さんの作品によくあるヤツなのだが、敵が襲ってくるともの凄い勢いで逃げたりする。
あれは「幼児体験じゃないか」という人がいて。
彼等が営む兵器工場がこのエリアにあったので、米軍がよく爆弾を落としに来たという。
それで逃げたという体験が宮崎駿さんの体験の中に生きているのではないだろうか
「崖の上のポニョ」でも波から逃れるスピードが半端では無い。

炎の中を逃げたり水の中を逃げたり波の中を逃げたりというのは宮崎さんの戦争体験なんじゃないだろうか。
記憶に間違い無ければ、宇都宮大空襲に巻き込まれたという。
そんなことをちょっと読んだ。
宮崎さんは宮崎さんで戦争に対して強い批判精神を持っておられる方。
加藤おときさんを指名なさったのも事情があった。
水谷譲に紹介する時、「ひとり寝の子守唄」を「敗北の予感の歌」と。
世の中には敗北の歌はある。
武田先生はテレビ番組の中でズバリ「姉御は負けてばっかりですね」と言ったことがある。
歌が敗者の歌。
「姉御、怒るかな?」と思ったら姉御は怒らずに「そう、私負け続けてるの」と。
「知床旅情」も一種、敗者が持っている・・・
そういうふうに思って聞いたことがない水谷譲。
武田先生にとっては、この「敗北」というのがとても大事。
やはり戦後、武田先生達は平和な昭和に生まれたが、戦後・昭和の始まりは何かと言ったら「敗北」から始まっている。
「敗北」と「自由」。
これが戦後の昭和のキーワードだと思う。
何かこう、加藤登紀子を巡る男性達は、みんな敗北の苦みを知っている。
健さんもそう。
健さんも自分でお書きになった少年の頃のエピソードであった。
川で遊んでいたら友人が来て「剛くん、日本は戦争に負けたこだるよ」と言ったという。
敗北から少年時代が始まった。
この宮崎さんも「敗北」というのを大事なテーマになさっている。
加藤さんに頼まれたのはこの「紅の豚」の中で流す「さくらんぼの実る頃」。
これはもちろんフランスの歌、シャンソンなのでおときさんでなければダメ。
「紅の豚」の姉御の声が色っぽいの何の、いい。
「さくらんぼの実る頃」
これも一種「ひとり寝の子守唄」。
1870年、理想の民主主義を目指してフランスで市民が作り上げた政府パリ・コミューンという臨時政府が出来上がった。
ところがこれがドイツ政府の介入によって内部対立を起こし、わずか72日間、2万5千人が血を流すというような大敗北を帰してパリ・コミューンが潰された。
その時にその犠牲者を悼む、そのパリ・コミューンを潰された時の歌が「さくらんぼの実る頃」。
宮崎さんも凄い。
ご存じだったらしくて。
「おときさん」姉御と、それから恋人・藤本さん。
彼等もまた、反米・反戦を訴えたその戦いは敗北に帰したという無念。
宮崎駿は「敗北を歌える人はこの人しかいない」ということで加藤のおときさんを指名したという。
「敗北」というのはとても大事な強いテーマになりうる。
1870年代、理想の民主主義を目指して市民が作り上げたパリ・コミューンという臨時政府。
それが僅か72日間でパリ・コミューンという臨時政府が潰されたというフランスの人々の無念。
それがこの歌「さくらんぼの実る頃」。
(ここで本放送では「さくらんぼの実る頃」が流れる)
流暢なフランス語で姉御は歌っているが、本人に聞いてみると初めてのフランス語。
凄い。
まあ大変な方。
やはり宮崎さんが「君じゃなきゃダメだ」と言ったのは今、聞いただけでもわかる。
何も考えずに映画をぼんやり見ていてはダメだと思う水谷譲。
その背景に一体どういうことがあったのかを知ってから見た方がいろいろと楽しいと思う水谷譲。
「紅の豚」のあのポルコの中に「敗北の悲しみ」みたいなものがいつもある。
ということで考えさせられるという「さくらんぼの実る頃」。
「さくらんぼが実る頃がやってくる度に私はあの日々を思い出す」という。
ある意味「知床旅情」。
敗者の歌。
でも負け続けることによって歌い続けるという。
そういうシンガー。
武田先生がそう形容しても、姉御は怒らなかった
これはご紹介が遅れて話ばっかりしている。
本に書いていないことばかり喋っているが。
本の中、『「さかさ」の学校』の中で姉御が残した名言も紹介したいと思う。
いろんなコンサートをやるのだけれど、毎回、私が決めていることがある。それは、いちばんつらそうな人に寄り添ってうたうこと。−中略−
私はお客さんの中で、とてもつらい思いをしている人、深みにはまっていちばん「底」にいる人に合わせてチューニングする。コンサートに入ってこられるように、つらくて深い歌を一曲はうたうようにしている。深みでその人に触れて、一緒に上がっていければいいなと思って。(97頁)
「一番つらい人のそばにいよう」というのはいい。
見事なシンガーソング魂。
テレビ番組で聞かせていただいた男達を巡る物語で。
一番最後はこの男性。
おときさんを巡る男。
なかにし礼。
なかにし礼さんは凄い才能の方。
また、因縁もあって1966年、23歳でデビューするおときさん、加藤登紀子んさんなのだが、そのデビュー曲が「(誰も)誰も知らない」というなかにし礼さんの作品。
これは申し訳ない。
さっぱり売れない。
三年間待たされて「赤い風船」でやっとヒット。

その間もずっと付き合いはあったらしいが二人の間に大きいヒット曲は無かった。
それから月日が流れて1986年、初めての出会いが1966年。
二十年後の時に「俺の為に一曲、曲付けてくんないか?」ということで、なかにし礼さんから。
「誰の歌?」と聞いたら「石原裕次郎さん」。
「え?裕次郎さんだったらもっと素敵な作曲家いっぱいいるじゃない。私なんかやらなくても」と言ったら「いや、お前でなきゃダメなんだよ」。
その時に、なかにし礼が言った言葉が凄い。
裕次郎さんは御病気で、かなり体が危険な状態。
それでハワイで録音をやるのだが「スタジオには酸素ボンベを持ち込むつもりなんだ。それで本人がどうしても最後に『マイ・ウェイ』のような歌を歌いたいと言っている。この間、裕次郎と打ち合わせをしてきたんだけど詞はこれだ。おまえ曲付けてくれ」。
「え?そんなん責任重すぎるよ」と言ったら、なかにし礼が「俺もおまえも引き揚げ者だ。人間の生き死にを見てきたんだよ。おまえはまだ二歳前後だから覚えてないかも知れないけど、俺達の周りでは生きる死ぬっていうのが平気であったんだ。人の死に付き合う。それは俺達の宿命だよ」
なかにし礼も凄い。
そしておときさんは見抜いておられるのだが、裕次郎に捧げた歌なのだが、その歌の中なかにし礼もこもっているという、そんな歌だったという。
詞を読んでみる。
鏡に映る わが顔に
グラスをあげて 乾杯を
たった一つの 星をたよりに
はるばる遠くへ 来たもんだ
長かろうと 短かろうと
わが人生に 悔いはない
この世に歌が あればこそ
こらえた涙 いくたびか
親にもらった 体一つで
戦い続けた 気持ちよさ
右だろうと 左だろうと
わが人生に 悔いはない
桜の花の 下で見る
夢にも似てる 人生さ
純で行こうぜ 愛で行こうぜ
生きてるかぎりは 青春だ
夢だろうと 現実(うつつ)だろうと
わが人生に 悔いはない
わが人生に 悔いはない(石原裕次郎「わが人生に悔いなし」)
(ここで本放送では「わが人生に悔いなし」が流れる)
もう本当にいい歌。
詞をやる人、思いません?
リズムは七・五で取っているのだが、波長を一瞬だけ七・七でパターンを崩しておいて七・五のサビで締める。
武田先生達はそういう計算をする。
七・五だけだと全部リズムにアレしてしまうから、一回リズムを壊しておいて締めは七・五。
「わが青春に悔いはない」
(「人生」を言い間違えたものと思われる)
七・五になっているから、数えてみてください。
上手い。
この話の何が好きかというと
「鏡に映る わが顔に グラスをあげて 乾杯を」
恰好いい。
裕次郎さんだからブランデーグラスか何かをサイドボードの横に置いて、鏡か何かで映る自分の姿に乾杯!という。
武田先生はそれだと思っていた。
だから「歌うブロマイド」とこの歌を評したのだが。
おときさんから話を聞くとそんなに恰好いい歌ではない。
そこに裕次郎さんの本当の思いが伝わってくる。
生活の臭いのする裕次郎。
「長かろうと 短かろうと わが人生に 悔いはない」
いい歌。
これも一種、死に敗北していく男の物語。
「負ける」ということは重大な歌のテーマ。
勝者ばかりが歌になるのではない。
負ける、負け続ける。
その横に加藤登紀子のギターの音色と歌声がある。
こう思うと彼女の存在価値を深々と身に沁みる。