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2020年06月27日

2020年1月6〜17日◆あわいの時代(後編)

これの続きです。

 『論語』の中でもっとも有名な章句は「四十にして惑わず(四十而不惑)」でしょう。−中略−そんなに有名な「不惑」ですが、孔子が生きていた時代には、不惑の「惑」の字がありませんでした。(8頁)

 孔子は「不或」と言った。それを弟子たちが五〇〇年の間、口承で伝えてきて、文字化するときに、同音の「不惑」にしてしまったのではないか、そう推測ができるのです。−中略−
 つまり孔子は、「四十にして惑わず」ではなく、「四十にして或らず」と言った。
 すなわち、四十歳くらい(現代でいえば五十歳から六十歳くらい)になったら、「自分はこういう人間だ」、「自分ができるのはこれくらいだ」と限定しがちになる。それに気をつけなければならない、そう孔子は言ったのではないか、そう推測ができるのです。
(10頁)

この『論語』はお弟子さんが書いた言行録で。
孔子伝を書いた人が司馬遷という人。
司馬遷の『史記』という中国の人がバイブルのように大事にしている本なのだが、白川(静)先生は「司馬遷だけの作品じゃない」と言っている。
「誰かの作品、こっち側に持ってきて、書き写してる」という。
そういうカラクリも含めて『論語』というのはなかなか謎の多い書物だ、ということは覚えておいてください。

孔子というこの偉人が、心を得るために、つまり立派な君子になるために「六つの学び」を提案している。

六芸というのは「礼・楽・射・馭(御)・書・数」の六つです(『周礼』)。(77頁)

身体拡張装置としての六芸を身につければ、自己の身体の拡張だけでなく、ふつうだったら意思の疎通ができない対象とのコミュニケーションも可能になり(77頁)

礼・楽。
これは何かと言うと「礼」は礼儀、「楽」は音楽。
(本によると「礼」は礼儀とは異なる)

 「御」というのは、言葉が通じない馬を操る技術であり、「射」というのは自分の手を離れた矢を操る技術です。(79頁)

「礼・楽・射・馭(御)・書・数」この六つ。
この六つを学ぶことがコミュニケーションツールである、と。
六つの芸「六芸」と呼ばれていて。
この六つを磨かないと立派な君子にはなれませんよ、という。
それでは「一番大事だ」という「礼」から見ていこう。

 「礼」は旧字体では「禮」と書きます。古い字形では右側の「豊」だけです。−中略−
 この字は、食器である「豆」の上に穀物や草などのお供え物を盛った形です。
(103頁)

 また「禮」の左の「示」偏は甲骨文字では次のように書きます。−中略−
 この文字は、祭卓の上に置かれた生け贄から血がたらたらと滴る形です。
 すなわち「礼(禮)」という字は、生け贄を備え、酒を飲むことによって、神がかりして神霊や祖霊とコミュニケーションをするということが原義であり、そこから神霊とのコミュニケーションの方法を「礼(禮)」というようになりました。
 姿のない神霊という、通常ではコミュニケーションができない相手との交流をするという「礼」の機能は、六芸すべてに通底するものです。
(103〜104頁)

今もオロオロしながら教わっているが、合気道をやる。
道場に入る時に一礼する。
何気ないのだが一礼する。
道場から一旦出る時も必ず一礼。
それから稽古が始まる時も一礼。
終わった時も一礼。
全部「礼」。
師範たちが言うが「やってるうちに何か身に付きますから」という。
決して勇猛果敢な話ではない。

この間、自分でも自分にびっくりしたのだが、行列のできる麺類屋さんで昼間食べようと狭い道に(並んだ)。
人気店なので、ずっと並んでいる。
もう本当に車一台、やっと通れるという。
だから車なんかほとんど通らない。
人がいっぱい並んでいる。
そこで(武田先生は)一人で並んでいた。
そうしたら、ちょっと気の荒い人の運転する車が道ギリギリでやってきて、そのお兄ちゃんが窓を開けて、関東の人だろうと思うのだが、大阪弁で「コラ!どかんかいアホー!」。
ものすごい言い方をなさる。
カチーンとくる。
しかもこの人は関西の人じゃないのはもう気配でわかる。
困ったことに、そういう時だけ関西弁を使いたがる人がいる。
「コラ!どかんかいアホー!」
その言い方が。
その時に武田先生の口から出た言葉。
「あ・・・申し訳ありません」
そうではなくて、武道の練習とかしているワケだから「フッハッハッハッハッ・・・お兄ちゃん、降りてらっしゃい。その今の言い方」とかと出てこない。
逆に礼儀正しく「申し訳ありません」と言われた方が、向こうも何も言えなくなる。
その時に言ったはいいけれど、並んでいる人がずっといる。
曲がり端で「コラ!どかんかい、どアホー!」で、曲がったら並んでいる人が十人ぐらいでその兄ちゃんを見る。
そこから何かその人はわりと早めにスーッと通り過ぎて、そのお店のすぐ隣の駐車場に車を入れた。
それで大回りして違う店に入って行った。
気持ち悪かったのだろう。
武田先生も「よく(そういう言葉が)出たな」と思った。
腹の中でムカーッときたのだが。
でも、それが師匠が言っていたことなのかな?と思った。
自分がその人に向かって失礼なことをした。
バーン!と肩がぶつかった。
その時に何も言わず「フン!」と言いながら通り過ぎるのと「あ〜悪い悪い!」と言いながら通り過ぎるのと、どっちがいいか?
何か一言声をかけたほうがいいかなぁ?と思うだろう。
でも武田先生を教えてくれる若い合気道の先生は「両方ともダメです」と。
黙って行くのもダメ。
ヘラ笑いで「あ〜悪い悪い!」と謝るのもダメ。
謝るんだったらはっきり謝る。
「すいませんでした」
頭を一回、きれいに下げる。
全てそこから始まる。
「私たちは合気道を、そのために練習してるんですよ」というようなことをおっしゃった。
申し訳ないのはそっちだと思う。
あんな細い道に、こすれそうな車を突っ込んできて。
それで「どけどけどけ〜!」という。
それも関東弁じゃなくて、わざわざ大阪の、大阪の人だって聞くと気持ち悪くなるような言葉を。
でも「礼儀」はきっとそういうことなんだなぁと思う。

武田先生がいつも思うこと。
水谷譲も息子さんを合気道をやらせているので思うだろう。
状況が悪くなくても「申し訳ありませんでした」という時に、人間は不思議と攻撃できない、という。
攻撃してくる人がいたら、これはもう相当おかしい人なのでボッコボコにやっつけていい。
そのチョイスの分かれ道が「申し訳ありませんでした」の一礼。
つまりこれを論語にかぶせると、目に見えないもの、コミュニケーションが取れないものに対して、その一礼さえ知っていれば相手を開錠できる、という。
これはとてつもなく深いもので。
「礼儀」というコミュニケーションツールを持って相対すれば、それを追い払うことができる。
孔子というのはそのことが言いたかったのではなかろうか?

『論語』の中にこんな出来事が著してある。
孔子が理想とした人物。
それは魯の周公という方。
これは武田鉄矢が坂本龍馬が大好きなように、孔子というのは500年前の偉人の魯の周公という人が大好き。
この人の夢を見て、この人のファン。
理想の人格。

 魯の周公の霊廟(大廟)に入ったときのことです。孔子は、大廟内の礼儀をひとつひとつ問いました。するとある人が「鄹の役人の子(孔子のこと)が礼を知っているなんて誰が言ったんだ。大廟の中でことごとに問うている」と揶揄しました。それを聞いた孔子は「問うこと、それこそが礼なのです」と答えました【3-15】。(146頁)

これはジンと来るというか、ハッとする。
わからないことがあったら訊くこと。
これはもう人生の基本。
また礼儀の基本。
とくに周公のように偉人で、もう亡くなっているワケで。
この人と繋がるためには絶対に礼が必要。
中国の古典ではお酒と肉を捧げること。
捧げて彼に正しく問う。
それが作法なのである、と。
だから両手を合わせてお祈りをする。
それからお花をあげる、お酒をあげるのも大事だが「問う」。
死者に向かって何かを訊く。
それが礼儀の一つ。

 正しい「問い」を立てる、それが温故知新の最初にすべきことであり、そしてしっかりと時間をかけることなのです。(149頁)

 子曰わく、故きを温めて新しきを知る、以て師となるべし。
 (子曰、温故而知新、可以爲師矣。)【2-11】
(140頁)

真ん中に「而」。
「しかして」あるいは「しこうして」という一文字がある。
だから「温故知新」という四文字ではなく、実は五文字で「温故而知新」。

 さて、「温故而知新」のレシピをまとめておきましょう。「知」の過程です。
 (一)問いを立てる
 (二)さまざまな「識(知識)」を脳内に(鍋、ぬか床)に投げ込む
 (三)「温」をする(ぐつぐつ煮る、かき回す)
 (四)忘れる(煮ること、かき回すことは忘れずに)
 (五)「新(まったく新しい知見)」が突然出現する。
(149頁)

だからデリケートに訳さないとダメ。
古から新を作るためには、新しいものを作るためには時をかけなさい、と。
己の体でしっかり温めて、古から新しいものを作りなさい。
これが孔子の本当に言いたかったことなのです、と。
だから「待つことが大事ですよ」。
「読書量を増やしたい」といたが、そういうこと。
知識を入れておいて、今すぐに役に立つ知識なんて、本当の新しいものを生む知識にはならない。
新しいものを生み出すためには長いこと抱いておいて温めて、発酵させるという時間が必要なので。
ぜひ、そういう本の読み方をなさるといいのではなかと。

「切磋琢磨」
「努力して練習したりお稽古したり、自分を磨いていくことが大切」という意味ではない。

「切磋琢磨」の四文字はすべて、素材を加工して付加価値のある「何か」を作り上げる方法のことですが、素材がそれぞれ違います。「切」は玉を、「磨」は石をみがく方法をいいます。骨・象牙・玉・石を加工するには、おのおのに合った方法があります。その方法を間違うと美しく仕上げることができないどころか材料をダメにしかねません。ダイヤモンドを研磨するもので真珠を磨いたりすると、うまく磨けないどころか下手をすると真珠を壊してしまいます。
 その素材に合った方法を見つけ、それによって素材を磨く、それが「切磋琢磨」です。
(161〜162頁)

「仁」は君子とともに孔子にとってもっとも重要な概念のひとつでした。(vii頁)

あんまりいい響きはないかも知れないが「仁義」とか。
あるいは「仁術」医学のこと。
どういう言葉に「仁」というのは使われるかと言うと人間の関係の理想。
だから人の横に「二」と書く。
これは「人と人」という関係の一文字で、人間関係が一番うまくいっているということを孔子が言いたくて自ら作った造語ではなかろうか?といのだが。
そんな単純なものではないのではないか?というのが安田さんの主張。

「仁というのは人≠ニ二≠ゥら成る文字なんですよ」と話したら、ドミニクさんは即座に「あ、ヒューマン2.0ですね」と言いました。(215頁)

ヒューマン、人間らしさ、人間。
それが「2.0」。
「二倍」とも解すことができるし「二人寄ってる」とも解せる。
この中で出てくるのが「あわい」。
漢字一文字で「間」。
これを「あわい」と読む。
人と人との「あわい」。
その部分のことを実は孔子は「ヒューマン」「人間」と呼んだのではないか?
ここに「あいだ」が出てくる。
人は一人であった場合は「人」という字はそういう字。
立って歩く人間の横から見た。
しかしわざわざ「人間」という文字を作ったのは「人と人とのあいだ」「あわい」。
水谷譲と武田先生は今、人と人。
一文字・一文字。
だが、語り合うと水谷譲と武田先生の真ん中に立つものがある。
それが「人間」。
水谷譲でもなければ武田先生でもない。
しかし武田先生でもありつつ水谷譲でもあるもの。
それを「人間」。
孔子はこの「人間」という言葉の中に人と人とが重なり合う、特異点の存在を予感したのではないだろうか?。
そこにこそ人間がいる、という。
そういうものを直感的に彼は人と人との「あわい」という意味合いで「仁」と呼んだという。
(このあたりの話は本の内容とは異なる)

 仁について辞書を引いてみれば、「儒教における最高の徳」とし、「いつくしみ」や「思いやり」などと書いてあります。しかし、どうもそんなに簡単なものではなさそうです。
 ちなみに『論語』での「仁」の出現回数は一〇九回と非常に多く
(168頁)

(二)仁は非常に重要なものであり、手に入れるのは難しい。しかし、仁を手に入れるのは簡単でもある。
(三)君子は常に仁とともにある。しかし、仁をキープすることは難しい。
(四)仁は自分の内部にある。しかし、仁は選択することが大切。
(五)仁への道は自分の身近なところにある。しかし、仁への道は遠い。
(六)仁の基礎として礼がある。しかし、礼も楽も仁がなければ機能しない。
Aだといえば、非Aがある。なんとも不可解です。
(169頁)

イエスが説いた「天国」のような、そんな言葉に思えた武田先生。
イエスが使う「天国」という言葉は難しい。
「神様の許に行くのは簡単だ」と言いながら「身を尽くし心を尽くし、狭き門より出で」とか。
「汝、子供のごとくならねばパラダイスには行けぬ」とか。
「すぐ行ける」というようなことを言ったかと思ったら「オマエでは行けない」とか。
武田先生にはイエスが言う「天国」という単語に満ち満ちたもの、孔子は「簡単に手に入る人間関係のようなものではない」と論語の中ではしきりに繰り返している。
これはやっぱりすごい文字。
安田さんはものすごく「仁」を深く理解しようとなさっている。

 「依」の甲骨文字は「衣」の中に「人」が入る形で書かれます。−中略−仁に「依」るということも、霊衣をまとうように仁に包まれることを意味し(174頁)

 孔子は「道に志し、徳に據り、仁に依り、藝に游ぶ」といいます【7-6】。(174頁)

この道を行こうと志し、徳目、人間としての徳を十分に発揮し、仁に依る。
仁に依るの「依」がニンベンに「衣」で。
仁を衣服を着るがごとく着なさい。
そして藝に遊べ、と。

 白川静氏によれば、この衣はもともとは受霊に用いる霊衣で、それを身につけることによって、その霊に依り、これを承継することができたといいます。仁に「依」るということも、霊衣をまとうように仁に包まれることを意味し(174頁)

 日本で天皇が即位後最初に行う一世一度の新嘗祭である「大嘗祭」でも、衣は重要な意味を持ちます。−中略−
 また平安朝期の大嘗祭の形態を伝える『儀式 践祚大嘗祭儀』(思文閣出版)によると大嘗祭当日の戌の刻に、天皇は廻立殿で湯浴をされますが、そのときにまず「天の羽衣」を着て背中を流されたあと、その衣を湯殿に置いたまま出て、別の衣に着替えます。
「天の羽衣」は
−中略−これを着ると過去を忘れ、違う人格に変容する、すなわち人間としての天皇から現人神としての天皇に変容するための衣でもあります。(193頁)

だからそのあとの年内のお墓参りもすごかった。
神武天皇から始まって明治維新の時の天皇から明治帝、大正、昭和の天皇まで全部墓参り。
そのようにして天皇霊が彼に宿っていくという。
これが衣の儀式から始まるワケだから。
「仁」もそのようにして新しい人格がその人に乗り移る。
異世界からの新しい人格がその人を変えていくんだ。

 実は「仁」という漢字は孔子の時代にはありませんでした。しかし「仁」ではないかと思われる文字はあります。これです。
0120_01.png
 しかし、この文字を「仁」と読むかどうかは意見が分かれるところです。この字はせむしの人の下半身に二本の線を加えた形です。
(213頁)

武田先生の解釈も入る。
安田さんは慎重に書いてらっしゃるが、ちょっとそれでは(番組の)時間内にしゃべりが追い付かないもので。
「仁」という一文字の中にはまず「二」と書く。
一人は間違いなく「私」なのだ。
もう一人。
それが「死者の国からやってきた誰か」。
その二つを合わせてアナタはアナタになりなさい、というのが実は「仁」という文字であるという。
孔子は周の国の周公という人を理想にした。
その人の霊と自分が重なったのが自分の「理想の私」なのである。
だから「仁」というのは人が二人とか「ヒューマン2.0」で「仁」。
一人の人の中に二人の人間が生きている、という。
そう考えると例えば武田先生は坂本龍馬と、ということ。
自分が実は自分だけでもっていない、という。
自分の中にもう一つ世界があるんじゃないか?と。
その自分の内側にあるもう一つの世界と、今生きているこの世界。
その二つの間にオマエは生きているんだ、という。
この世界に生きている「私」ともう一つ別世界にいる「私」。
その二つが重なりあったところに私が目指すべき「私」がいると言った。
この「もう一つある世界」というのが、物理学で「本当にある」と学者さんたちが言い出した。
それが「マルチバース」という考え方で。
今まで物理学では「ユニバース」だった。
一つの世界。
ところが宇宙論を調べていくうちに「もう一つあるんじゃないか」という。
それがこの安田さんの言う「ヒューマン2.0」というのと、本屋で偶然見つけた「スペース2.0」というのが「2.0」で武田先生の中で重なった。
翌週からの宇宙論と、今言ったこととは結構重なる。


posted by ひと at 10:36| Comment(0) | 武田鉄矢・今朝の三枚おろし | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年1月6〜17日◆あわいの時代(前編)

新春第一発目に持ってきたのは安田登さん。
あのフランス哲学者の内田樹先生が師と仰ぐ能の舞い手。

あわいの時代の『論語』: ヒューマン2.0



変な本のタイトル。
「ヒューマン2.0」
「人間が二つ」という意味で「2.0」。
これと同じタイトルの本を見つけた。
それは『宇宙2.0』。

ユニバース2.0 実験室で宇宙を創造する



全ての始まりはこれ。
タイトルが同じだから何か繋がりが。
著者は全然違う。
安田さんは何でこんな不思議な副題をお付けになったのか?
「ヒューマン2.0」とは何か?
ここを謎としてこの一冊を追いかけていきたいと思う。

著者は孔子の『論語』に挑む。
中国の道徳を作り、神とも中国ではなった人。
習近平さんも大好きな孔子。
その方が人間関係について非常に苦しんだことを材料にして『論語』という本を書いた。
その著作の論語という本を書いた文字が漢字。
そのまず漢字からいく。

紀元前一三〇〇年ごろ、殷の武丁と呼ばれる王の時代の甲骨文です。いまから三三〇〇年ぐらい前の文章です。この文章は牛の肩甲骨に刻まれていますが、亀の甲羅に刻まれたものも多く、甲羅や骨に文字を書いていることから「甲骨文」と呼ばれています。
 甲骨文のほとんどは占いの文章であり、この文も占いの文です。
(37頁)

最初は五千字ばかりが生まれる。
その五千字は神様と王様が会話するという「通信ツール」だった。
王と神様のものだった。
彼らの文明は祈祷、祈りと犠牲に満ちていて。
現在の四川省。
パンダが住んでいる。
ここに羌(きょう)族という一族がいた。
この羌族の人たちが殷の人たちに捕まって生け贄の人間とされた。
だから殷の人たちは羌族の人間を生け贄のために飼育していた。
そういう関係がある。
羊と同じようにこの羌族の人間たちを生きたまま生け贄として神に捧げたという。
中には「サレコウベダン」というのがあって。
羌族の人たちの生首が数十個並んだドクロ棚がある。
この羌族の人たちの生首を持って夜の道を歩くと魔物が逃げていく、という。
ただし、文字に残ってしまう。
道を歩く時、生首を持って歩くと魔物が寄ってこない、というので殷の文化では「道」という字を・・・生首を持っている。
漢字の中にはこういうふうにして、生け贄になった人がそのまま文字になるという。

「燃」
これは生け贄だろう。
下のテンテンが炎。
上の方で焼け焦げているのは「犬」。
犬がいる。
犬を焼いちゃった。
「献」
また「犬」がいる。
かくのごとくして、中国、殷文明は甲骨文字を発明し、漢字の大元を作る。
この安田さんの説というか話だが、では羌族の人たちは何も抵抗しなかったのか?
これが抵抗しなかったようだ。
(本によると戦った人もいたようだ)
生け贄になるということが人生の目標になっているので、死を恐れたり、生きるために反抗するということなどには一切思いがゆかないという「生け贄用人間」だったという。
「飼育された人間」というのはそんなふうになってしまう。
(本によると「時間」の感覚、すなわち「心」の働きが希薄だったのではないかということだが)
中国というのは闇の中でこういう歴史を持っている。
「殷がダメだ」というワケではない。
とにかく殷の文明はここから漢字を生み出していくワケだから。
漢字の一文字の中にはそういう殷の、今ではちょっと理解できない文明、文化があったと思ってください。

これは安田さんの説だが、こういうのを聞くとゾクッとする。
甲骨文字が生まれ、文字がゆっくり広がっていくと反転していく。
羌族の人たちが漢字を知ることによって反抗するようになる。
(ということは本にはない)

 ヘレン・ケラーは生後十九ヶ月のときに高熱にかかり、聴覚・視覚・言葉を失いました。そして七歳のときにサリバン先生と出会い、「W-A-T-E-R」という文字を知り、すべてのものには名前があるということを知ったと自伝には書かれています。そして、そのときヘレンは、それまでに感じたことがなかったふたつの感情を感じたといいます。
 それは「後悔」と「悲しみ」です。
 彼女は、三重苦のつらさと、そして甘やかされて育ったために、毎日、自分の人形を投げつけたり、ちぎったりしてバラバラにしていました。そして、その行為を省みることはありませんでした。しかし、文字を知ったその日、自分の部屋に戻ったヘレンは、自分の人形を、自分がバラバラにしたという事実をはじめて認識しました。
(47頁)

「文字を知ることが感情を作る」ということ。
人間はその「文字の一滴」から大脳新皮質が出来上がり、一滴の文字、それが脳の中になだれこんでいって川の流れのごとく、最初は細く、言葉を溜めることによって感情の大河になっていくという。
文字が感情の川、心の川を作るという。
それが安田さんの説。
全部当たっていないにしても、かなり美しい例え。
(本の中にはこういった表現はないが)

話を甲骨文字を作った殷に戻す。
今から三千年前のこと。
この殷を倒そうということで周という国家が起こる。
この周は単独で殷を倒すほどの国力がない。
そこでまわりの国に声をかけた。

 殷を倒すために集結した周の軍隊は、さまざまな国や民族の人たちの寄せ集めの軍隊でした。少し前の中国ですら、河を挟むと通訳が必要だといわれていました。ましてや紀元前一〇〇〇年、お互いの音声言語はまったく通じなかったでしょう。しかし、文字を使えばコミュニケーションができた。(100〜101頁)

その文字も台湾と北京では変わる。
中国の北京の方は略した文字ばっかり。
台湾の人たちはちゃんと漢字を用いている。
いずれにしろ「殷を滅ぼそう」ということを叫んだ周は他民族を集めて、心を合わせるために必要なコミュニケーションツール、それを殷が作った文字で代用した。
今までは甲骨文字だったが、約束したことを忘れないように金属に鋳込んで「金文」という新しいタイプの文字を作った。
お寺の鐘か何かに漢字が彫り込んである。
あれを契約書にした。
あれは簡単に割れたり千切れたりしないので、一回結んだ契約は固い約束になる。
そんなふうにして青銅器に鋳込む文字。
甲骨から金文へと発展していく。
最初は神と王とのものだったのだが、ついに周が漢字を地上に降ろし、人と人との契約に漢字を使い始めたという。

「あわい」というのは隙間とか間とか。
漢字一文字で言うと「間(ま)」と書く。
それで「あわい」と読み仮名を打つ。
(本には「あわい」は「あいだ(間)」と似た意味だが、ちょっと違うと書いてある)

殷から周へ変わって、今度は春秋戦国の世となる。
まずは春秋なのだが、紀元前五世紀ごろ。
千々に千切れた中国。
それが相争う。
そういう時代に道徳の孔子が現れる。
彼はどういうタイプの人だったかと言うと「圜冠句履(えんかんこうり)緩く玦を帯び絃歌講誦(げんかこうしょう)」。
丸い冠を被り、先の曲がった履物を履き、美しい玉(ぎょく)を身に付けていた。
そして琴に合わせて詩を吟ずるという、いわゆる「流し」みたいな人か。
カッコイイ言葉を、フレーズを並べながら吟ずる人だったという。
最初から道徳だけじゃなかったと思う。
でもできたばっかりの漢字を並べて歌を作るから「ハイクラスな」ということだったのだろう。
儒教という理想を掲げて。
母親の存在というのは大きい。
孔子がこれ。

孔子伝 (中公文庫BIBLIO)



三千年ぐらい前の人だが、白川静先生が書くと目の前に出てくる。
どんな人かというと、孔子はどうもシングルマザーだったようだ。
お父さんは逃げてしまったようだ。
中国の本には一切書いていないのだが、白川先生はズバッとおっしゃっている。
母親の手、一つで育てられた。
そのお母さんの仕事がまた複雑。
女占い師だったらしい。
つまりお母さんは何をやっていたかといったら「雨を降らせる」というお祈りが得意だった。
雨は大事。
それで一生懸命雨乞いのお祈りをしていた。
孔子が教える「儒教」にはお母さんの形見が文字になっている。
「儒」は「雨」の一文字が隠れている。
これがお母さんの形見。
武田先生は小学校5年から何で「儒教」に「雨」が入っているのかわからなかった。
謎が解けたのは60いくつ。
白川先生の本を読んで夜中に正座した。
儒教の「儒」というのはもともと雨を乞う教え。
だから横にニンベンが立っている。
それから雨の下に(而)。
昔の武田先生。
長髪。
儒教の人はみんなロン毛。
「(金八先生の口調で)あぁ、いぃですかぁ〜?」と言っていた頃の武田先生。

3年B組金八先生 第2シリーズ昭和55年版 初回生産限定BOX [DVD]



漢字一文字の中に人間が潜んでいる。
変わった風体をして歌を歌って歩く孔子。
理想とすることを歌にする。
フォークソング。
「遠い〜世界に〜旅に〜出ようか〜・・・お空の〜♪」と孔子は歌っていた。
そういう人だった。
彼は説くところは人をまず二つに分けた。
「小人」と「君子」。
(番組の中では「小人」を「しょうにん」と言っているが本によると「しょうじん」)
(「小人」は)今ではあまりいい意味に使わない。
「不出来な人」という意味で。
君子は「上出来な人」という。
そういう分け方をした。
彼が弟子に説いたのは君子と「仁(じん)」の人。
この「仁」を目指す人。
「仁」とは何か?
「医は仁術」とかいう。
「優しい」ということ。
つまり「優しくあらねば」ということを言った。
(本によると「仁」とはもっと複雑なことらしい)

『論語』の中での「君子」の出現回数は一〇九回、「仁」は一一〇回。(52頁)

つまり孔子にとって一番大事だったのは「仁」。
この「仁」を繰り返し説明している。
ところがこの「仁」というのは孔子のほとんど造語。
だから意味は孔子しか知らない。

「仁というのは人≠ニ二≠ゥら成る文字なんですよ」と話したら、ドミニクさんは即座に「あ、ヒューマン2.0ですね」と言いました。(215頁)

安田さんというのはなかなか面白い方で、独特の論語の読み方をなさる方。
今、お聞きの中には中国や韓国の方がいらっしゃって「そんな読み方しないよ、論語は!」とかとおっしゃる方もいらっしゃるかも知れないが、これは安田さんの読み方。
安田さんはもうズバり「論語の中にいる孔子は、決して高潔な聖人ではない」。
吟遊詩人というか。
彼は自分のことをこう言っている。

 孔子は「生まれつきは、みなほとんど同じだ。ただ、学びによって違ってくるのだ(性、相近し、習えば、相遠し【17-2】と言っています。孔子自身も「自分も生まれながらにして知恵を持った人間ではなかった。ただ、古代のことが大好きで、そしてがむしゃらにそれを探求した人間なんだよ(我は生まれながらにしてこれを知る者に非ず。古を好み、敏にしてこれを求めたる者なり【7-19】)」と言うのです。
 生まれつきは、みなほとんど同じ。だからこそ、誰でもが君子にもなり得るし、小人にもなり得るのです。
(52〜53頁)

(【】が付いている箇所は『論語』からの引用)
彼は「不出来な人間」という意味で小人と言ったのではない。
「勉強しない人」を小人と言った。
決して「つまらない人」という意味ではなく。
一つの考え方だけで生きている人、それを小人と言った。
これに対して特別な人、あるいは色々考え、先を読む人のことを「君子」。
そういう言い方をした。

 孔子曰わく、君子に九思有り(56頁)

『論語』の中の君子の「九思」について書かれている章句を読んでみましょう。「九思」というのは、九つの状況において、君子は「思」をする、ということが書いてある章句です。
 「思」というのは、現代的な意味の「思う」とはちょっと違います。すなわち「思」とは網の目のように細かく思慮すること、注意深く考えることをいいます。
(56頁)

例えば疑えば「どう訊けばいいのかな?」。
カーッと腹が立つ相手と出会った時は「どうやれば仲良くなれるかなぁ?」。
何が正しいか?
それを言う時には「正しい」。
本当にそれが正しい判断かどうか?
相手のことを考え、これからのことを予測し、決してその場だけの一つ、そのことだけを考えているのではない。
いつも一つから九つのことを引っ張り出す、という。
そういう自分でいられる人が「君子」なんだ、という。

 孔子は、生国である魯の国を追われるようにして出国したあと十三年にも及ぶ諸国遍歴の旅をすることになります。旅の間ではさまざまな苦難に見舞われましたが、その中でも最大の苦難のひとつが陳の国でのできごとです。−中略−
 陳に在りて糧を断つ、従者病みて能く興つ莫し、子路慍って見えて曰わく、「君子も亦た窮するあるか」と、子曰わく、「君子、固より窮す、小人窮すれば斯に濫る」と。【15-1】
 放浪の旅の途中、陳の国に至った孔子ら一行は、食糧すらも尽きてしまいました。悪いときには悪いことが重なるもので、従者もみな病気になって立ち上がることもできません。まさに窮地。そんなときに弟子のひとりである子路が怒りもあらわに孔子に向かっていいます。
「君子でも、こんな窮地に陥ることがあるのですか」
(60〜61頁)

「そりゃあ君子だって困窮するよ(君子、固より窮す)。ただ、ふつうの人(小人)は窮地に陥ると濫れてしまうけどね」と。(62頁)

この「やせ我慢」が生々しい。
弟子に謀反を起こすというか、文句を言うヤツがいた、という。
これはおかしい。
「君子もまた窮するか!」というのはもう本当に腹の底から腹が立ったのだろう。
「いいことばっかりやっているのに、なんでこんなつらいの?俺たちは」というのは、いつの世にもつぶやきたくなるような愚痴ではないか?

 孔子に文句をいったこの子路という弟子は、弟子たちの中でも直情径行、曲がったことが大嫌いで、歯に衣を着せぬ言い様をすることで知られています。(61頁)

孔子の答えが弟子によって変わる。
それが論語を読む時の面白さ。
この二人の出会いはいつかと言うと、孔子がまだ中年だった頃、子路が先生ぶっている孔子をへこませてやろうと「南山の竹、揉す。自らただし、斬って用うらば犀革の厚きを通す」。
(子路曰:「南山有竹、不揉自直、斬而用之、達于犀革、何學之有?」)
「アンタ『勉強しなさい勉強しなさい』『学べ学べ』なんて偉そうなこと言ってるけども、見てご覧。竹、真っ直ぐ出てくるでしょ?南山の竹。アンタ、切って使うだけで革、突き通しますよ? 人間はね、素材じゃないの?素材。」
孔子曰く「その南山の竹に羽を付け、ヤジリを付ければ、革を貫くだけではない。」
(孔子曰:「括而羽之。鏃而礪之。其入之不亦深乎?」)
「素材だけではダメなんだ。それを磨いてとがらせる」という。

これはもう聖書と同じ。
いろんな弟子の性格があって。
子路はずっと孔子に楯突きながら人間的に成長していく。
最後は子路は先生を離れて衛という国の官僚になる。
それで出世してそのまま終わればいいのだが、やっぱり春秋時代。
世が乱れていた。

 衛の国でクーデターが起こったことを知った子路は、君主を助けるために死地に飛び込んで行き、戦闘の最中に、冠の紐の切れたのを嫌い「君子は死ぬときも冠を外さない」と冠の紐を結びなおしているうちに殺されてしまうのです(『史記』「仲尼弟子列伝」)。(61頁)

子路の亡骸は「見せしめのために」ということで塩漬けにされて都に晒された。
その噂を聞いた高齢の孔子は死ぬまで塩漬けのものを口にしなかった。
これは司馬遷の『史記』が伝えているエピソード。

現代語訳 史記 (ちくま新書)



おそらくかなりの誇張が入っているのだろうが。
しかし今から二千年以上前、「仁」という境地を求め、それを中国社会に説いたという孔子の行動録。

「君子」の「君」は、古くは「尹」と書かれていました。この「尹」という文字は杖(棒)を手で持つ形がそのもともとの形です。(55頁)

その下に「口」を書く。
それこそが祈りを入れる箱の「サイ」。
君子という「君」の字は「杖を握りしめた人」ということで、杖が必要な、あるいは脚に少しハンディキャップを抱えているかも知れない人。
そういう人たちが祈りの箱と共に立っている。
それが君子の「君」。
「杖を握り、祈りの箱を引き寄せている人」ということ。
これは本当に不思議なのだが、中国の文明というのは脚にハンディを抱えている人を「聖人」と見る。
だから「君子」の「君」は杖を握りしめた人の姿。

 伊尹の「尹」は、杖を持つ手だと書きましたが、その本字は、同音の「充」だという説もあります。現代では「まこと」と読む「充」ですが、殷の時代の文字ではこう書きます。
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 この字は佝僂の人の姿だと加藤常賢氏はいいます(『漢字の起源』)。
−中略−背骨が屈曲し、背中にこぶのようなものができた姿がせむしであり、佝僂です。(68頁)

 そして孔子も「頭の真ん中がくぼんでいる(反羽)」。(70頁)

それで「孔丘」というあだ名が。
「頭が丘みたいだ」というニックネームが付いている。
沖縄に最後、カチャーシーを踊りながら一升瓶を頭に載せるおじさんがいる。
ああいう頭をしていたのだろう。

posted by ひと at 10:19| Comment(0) | 武田鉄矢・今朝の三枚おろし | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年06月26日

IKEA ベーカリーコーナー


IKEAにパンが売っているコーナーができたじゃん。
できてからもう何年も経っているように思うけど。
見たりはするけど、実際に買ったりはしていなかった気がするけど、覗いてみたら安くなっているのがあったんで買ってみた。
サイトを見たら
ベーカリーコーナー
一部商品
50%OFF
2020年6月25日〜2020年7月26日

って書いてあった。
私が行ったのは午後からだったんだけど、もう安いヤツはかなり売り切れている商品があって、売り切れていないヤツの中から二個購入してみた。

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丸い方はレシートに
人参とヨーグルトのテーブルパン
と書いてあった。
普段79円のヤツを40円引きの39円で売っていた模様。
細長い方はレシートには「ドックパン」と書いてあるけど、もっと長い名前だった気がする。
抹茶がどうとかっていうのだった気がするけど、記憶が定かじゃない。
普段100円のヤツを50円引きで50円で売っていた。

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人参が入っているのは見てわかるけど、それほど人参臭いみたいな感じでもなく。
でもヨーグルトは感じないな。
クルミか何か入っている。
すごく甘い味がする系ではなく、ほのかな甘み的な。
悪くはない感じだけど、すごく小さいし普通の値段では買わないな。

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寸法的には普段ビストロで売っているホットドッグ用のパンと同じかな。
小さめのパン。
真ん中に切れ込みがあるから、当然クリームみたいなのが入っているものと思って買った。
最初から袋に入れられた状態で売られていたから外側からしか見ていないし。
中には何も入っていない。
抹茶っていうより草っぽい味。
あんまり甘味がない。
クリームかアンコみたいなのが入ってちょうどいいかなって感じの味。
当然、これだけ喰ってもなぁ・・・って感じの味。


posted by ひと at 20:49| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

IKEA プラントベースソフトアイス(ストロベリー味)

久しぶりのIKEA。
で、今日ってさ、新横浜駅からの無料シャトルバスは走ってないってことだったから市営バスで行ったんだけど、買ったソフトクリームを食べていたら目の前をIKEAのバスが。
シャトルバスの再開は明日からではなかったのか?
ってことで、サイトによると明日から無料シャトルバスが再開らしいのだけれども。

いろいろと新手の物も登場していたけど、貧しいのと時間がないのとでソフトクリームだけ食べた。
カネと時間があればレストランの方にでも行くんだけど、ビストロの食べ物って、ペラペラで異常に不安定な紙のトレイみたいなのに乗せられるから危険なんだよね。
しかも、結構席は埋まっちゃってて、結局私は建物の外で食べたぐらいだし。
ってことでうろうろしていたらどんどん溶けていってしまいましたとさ。

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植物由来の原料で作られたソフトアイス。ベジタリアンの方でも食べられます。
¥ 50


一階のビストロとやらで券売機で券を買うスタイル。
券を渡すカウンターの上に、いろんなメニューが掲示されていたのに、今日行ったらそういうのが一切なく。
コロナと何か関係が?

ソフトクリームって普通はコーンの部分に紙が巻いてあるものだから、当然そうだろうと思ったら剥き身だったからちょっと驚いたけど、どうやらずっとIKEAはこのスタイルだったらしい。
ベジタリアンでも食べられるってことは乳製品は入ってないってこと?
ベジタリアンは乳製品はOKだったっけ?
植物由来の原料ってことは、何等かの植物性油脂を中心にして作ってるってことかな。
味は濃厚さ的なものはなく。
イチゴ味だね〜って程度の。
小さいっていうか少ないけどさ。
50円だし、まあ、こんなんで十分かなって感じはしたけど。

サーブソフトアイス(リッチストロベリー)(ブルーベリーヨーグルト)お得2箱セット



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2020年06月25日

TOPVALU(トップバリュ) そうめんチャンプルー

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そうめんチャンプルー -イオンのプライベートブランド TOPVALU(トップバリュ) - イオンのプライベートブランド TOPVALU(トップバリュ)
豚とかつおの重ねだしで仕上げた汁なし麺 数量限定。

6月16日発売。
内容量105g(めん90g)。
本体価格88円(税込価格95.04円)。
1食当たりエネルギー499kcal。
製造所西日本明星株式会社。

イオンで買ったヤツね。

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小袋は二つ。
ふりかけと液体ソース。

まず普通にお湯を入れて三分。
で、カップ焼きそばみたいにお湯を捨てる。
液体ソースを入れてまぜて、ふりかけをかけるってことで。

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麺はすごく細くて素麺みたいな。
「そうめん」チャンプルーだから素麺みたいで合ってるのか。
チャンプルーってのが何かようわからんけど、味は塩焼きそばみたいな感じがした。
ふりかけがちょっと辛いのか、何か辛い味が多少する。
キャベツが少々入っている。
安いし、そう変わった味でもないからいいんじゃないかと思うけど、味がそんなに濃い感じでもないワリには結構なカロリーだな。

らくちんちゃんぷるー そうめん 使いきりタイプ15g×5袋入り×6袋 赤マルソウ 沖縄の県民食 ちゃんぷるー料理や炒め物の味付けが決まる調味料



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2020年06月24日

ファミリーマート たい焼きみたいなデニッシュ(つぶあん)

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たい焼きみたいなデニッシュ(つぶあん) |商品情報|ファミリーマート
つぶあんを包んで焼き上げた、たい焼きの形のデニッシュです。

6月16日発売。
ファミリーマート通常価格128円(税込138円)。
1包装当たり熱量389kcal。
製造者山崎製パン株式会社。

店頭にあったヤツはパッケージが二種類あったんで、中身が片方がつぶあんでもう一方がこしあんか?ぐらいに思ったけど、中身は同じだったらしい。


ってことで、どうやらパッケージは全部で四種類あったらしい。
パッケージはtwitterで紹介されている通り、目の部分がそれぞれ違っている。

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こっちがいいかなと思って、おめめキラキラなヤツにした。

ずいぶん前にも似たようなヤツは売っていた。
ファミリーマート限定商品じゃなかったけど。
それと見た目も味も似たようなもんかな。
作っている会社も同じだし。
外側はデニッシュってことで、クロワッサンみたいな甘味のあるパン。
中はしっぽの方には全然入っていないけど、つぶあんが入っているっていう。
まあ、美味しいかなと思う。

ニチレイ)たいやき 約80g×10個入



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2020年06月21日

スギヨ とにかくでっかいかにかま

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発売日不明。
イオンで398円(税別)で購入。
内容量3本。
1本標準70g。
1本当たりエネルギー66kcal。

スギヨのサイトの中を探してみたのだけど発見できず。
5月に買ったという人がいるようなので、少なくとも5月には発売されていた模様。
まあ、見るからにデカいよね。
名前も「とにかくでっかい」だし。
同社の「大人のカニカマ」は5本入りで全部で66gほど。
この商品は1本で5本入り1パック分以上の70gってことで。
つまり普通の大きさのものの3倍以上の量が入っているワケです。
味は当然かなり本物に近いクオリティーの美味しいカニカマなんだけど、何しろ量が多いじゃん。
一人で全部そのまま食べたけど、これは焼くとか揚げるとか、何か料理に使った方がよかったかなと思った。

新 シーサイド レッグ ロング ( かにかま ) 1kg×10P(P20本) 冷凍 業務用 蒲鉾



posted by ひと at 19:15| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年06月20日

宝くじの当選を騙るスパムメール

差出人: ハッピーナンバー
件名: 重要なお知らせ 【★宝くじ☆当★選☆通★知☆】#
三桁の数字

★祝!☆ご当選おめでとうございます!!


提携銀行に普通口座をお持ちの方を対象に無料エントリーキャンペーンとしてご登録いただいたメールアドレス宛にお一人様2口のナンバーを無料配布させて頂きました!

【あなたの番号】

|7|5|7|2|6|0|
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【当選金額】$1,100,000
(日本円換算:115,356,340.00円)

※詳細は当選ページよりご確認ください。
https://
割愛させていただきます


件名の数字は三桁じゃなく二桁の人もいたりで、いろんな数字だったようだけど、「あなたの番号」ってのはなぜかどれも同じ番号。
「無料エントリーキャンペーン」なんて言われると「そういうのもあったかなぁ?」なんて思っちゃう人もいるのかな。
これは詐欺なので絶対に引っかからないように!

posted by ひと at 20:27| Comment(0) | スパムなんか送るヤツは馬鹿 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

相模屋食料 ザクとうふ改

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商品情報|相模屋食料株式会社|とうふは相模屋

6月3日発売。
イオンで78円(税別)で購入。
希望小売価格138円。
関東地区を中心に全国のスーパーマーケット、コンビニエンスストア、楽天(相模屋おとうふSHOP)等で販売。
内容量200g。
1機あたりエネルギー122kcal。

『機動戦士ガンダムシリーズ』とのコラボレーション商品第1弾として人気を博した「ザクとうふ」を、「機動戦士ガンダム」40周年を記念して新たに発売いたします。2012年発売当初の「ザクとうふ」をさらにリアルな形状に進化させ、人気の枝豆風味のコク味をアップした改良版“リアルタイプ ザクとうふ”です。40周年にふさわしく、コラボレーションとうふシリーズの始まりである量産型「ザクとうふ」を性能アップさせ、「ザクとうふ改」として出撃します。
ってことで、同じ日に「百式とうふ」っていうのも発売になっているそうだけど、店頭にはこっちしかなかった。
ずいぶん前にもザクの豆腐が売っていたけど、その時にものすごくいいお値段だった記憶があったんで、店頭で見る前に発売されていることは知っていたけど、どうせ高いだろうから買えないよな・・・なんて思っていたら、そもそもの希望小売価格もそれほどバカ高くもないし、その上イオンでの売価がさらにとてもお求めやすいお値段で。

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裏側はこんな感じ。

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容器からなかなか出てきてくれなくて、ぐにゃぐにゃ押しまくっていたからちょっと崩れてしまった。
前よりも枝豆風味がアップらしいけど、前のがどんな味だったかとっくに記憶がない。
枝豆の風味がする豆腐だねって感じの味。
口当たりはとてもなめらか。
枝豆の味と豆腐の味しかしないんで、しっかり味が付いているっていうことではないし、一人で一度に食べるにはとても量が多いから、途中で醤油とか麺つゆみたいなものをかけた方がいいかなぁ?なんて思いつつ、結局何もかけずに全部食べた。
量が多くてちょっと厳しい感じはしないでもなかったけど、それなりに完食できた。

「ザクとうふ」の哲学 相模屋食料はいかにして業界No.1となったか



posted by ひと at 20:12| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

TOPVALU(トップバリュ) わさび味 ピーナッツ揚げせん

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わさび味 ピーナッツ揚げせん -イオンのプライベートブランド TOPVALU(トップバリュ) - イオンのプライベートブランド TOPVALU(トップバリュ)
ピーナッツを練り込んだ香ばしい揚げせんをわさび味に仕上げました。

6月16日発売。
内容量60g。
本体価格90円(税込価格97.20円)。
1袋当たりエネルギー335kcal。
製造所阿部幸製菓株式会社。

イオンで買った。
最近は値段の割に内容量が少ない菓子が多いので、このぐらいだとありがたいなと。

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見た感じは普通のピーナッツ揚げ。
袋に
辛いので
ご注意ください。

と書いてあるし、思ったよりもしっかりワサビだなって感じの味がする。
私は寿司を食べる時なんかも普通にワサビをつける方だけど、そういうのも苦手で食べられないみたいなタイプの人だとちょっとつらいかも知れない。
普通にワサビを食べる人にとってはそれほど食べづらいレベルではないと思うけど。
ワサビの味がすることを除けば、普通のピーナッツ揚げの味だな。

みんなのおやつ ピーナツ揚 68g×12袋



posted by ひと at 19:44| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする