もちろん「べらぼう」と名乗っている以上はNHK大河ドラマの「べらぼう」(
大河ドラマ「べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜」の最新情報 - NHK)これを思うところあって取り上げたワケで。
(この大河ドラマは)見ていない水谷譲。
ただ、凄いドラマ。
何ゆえ武田先生が「凄い」と言うかというと、そのワケがある。
そのワケはゆっくり中で説明していく。
蔦屋重三郎は寛延三(一七五〇)年に吉原で生まれた。−中略−
父母が離婚した。重三郎は数えで八つだった。
幼子は親戚に預けられる。−中略−
吉原で「蔦屋」の商号を掲げていた。(16〜17頁)
柯理は諱つまり名乗りなであり、通り名を重三郎という。−中略−
柯理は−中略−
ここは「からまる」と呼びたい。(16頁)
引手茶屋を営む叔父に育てられた。(4頁)
「茶屋」というのも説明しないとわからない。
吉原の引手茶屋とは客と妓楼、遊女を取り持つ中継地点として機能していた。
粋や通を気取る客はいきなり登楼せず、まず茶屋にあがる。茶屋は食事や酒の用意を整え、酒席に幇間や女芸者、芸人を手配した。
だが、引手茶屋は遊女を置かない。客は豪奢な宴席を愉しみながら、好みの遊女を茶屋にリクエストする。茶屋ごとに懇意な有名妓楼があり「この遊女を指名するなら、あの茶屋」という暗黙の了解もあった。(21頁)
とにかく蔦屋なる茶屋を営む店に預けられた蔦屋重三郎。
この人は本で売り出すのだが、本と言っても実はガイドブックのこと。
吉原細見は遊郭の最新データを満載したガイドブックに他ならない−中略−
内容は妓楼や茶屋、船宿などの場所を記したタウンマップであり、遊女たちの名前、揚げ代のほか男女の芸者を網羅したリストでもあった。(20頁)
番組(大河ドラマ「べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜」)の中では「蔦重」と言っている。
24歳の時、色刷り浮世絵、今で言うグラビアで紙面を飾り、ショートストーリー、歌舞伎、浄瑠璃等々の物語まで紹介して、「あそこが上手いぞ」とかそんなふうにして「吉原細見」というガイドブックを出した。
吉原に特化した別冊で「どこのお店にいるあの人」と名前まで書いてあるし、所属プロダクション、それからファンが集まるお店まで全部書いてある。
その花魁さんと一緒にパーティーもできるし、細見にはバンドの紹介、つまり自分の憧れの花魁さんなんかと一杯やる。
仲間を呼んで一緒に飯を喰ったりなんかする。
その後ろ側で演奏するバンド。
と言っても太鼓、三味線とかそのあたりだが。
そういうのを全部、細見には値段表が書いてある。
それ一冊があれば吉原は一目でわかるということで。
(蔦屋重三郎は)もともと吉原で生きている人。
だから詳しい。
それでその別冊を大手出版会社から引き受けた。
「引手茶屋」、何件ものチェーン店を展開する蔦屋グループのバックアップ。
蔦屋グループというのはそういうチェーン店である。
「引手茶屋」とは何か?
ここでもう一回説明しておく。
吉原で遊びたければ、まずその茶屋へ行く。
ここで宴席が用意されて、芸者、お笑いタレント、そういうのを全部揃えられる。
その間に「この子に会いたい」というのを茶屋でお店の人に伝えると、遊女が指名できて、遊女を指名するとその茶屋から連絡が行く。
遊女のなかでも最上級の花魁を呼びつければ、妓楼から茶屋まで迎えにきてくれる。この際、上妓は着飾ったうえ、数々のお供を引き連れて「花魁道中」という最高のパフォーマンスを演じてみせた。(21〜22頁)
「あの野郎!あの花魁揚げやがった」というのが町中の噂になる。
その金の準備のできた男はたまらない。
「どうだ!」という感じだと思う水谷譲。
それで楽しく過ごして今度は引き上げる。
新婚旅行。
つまり、茶屋ではそういうことを一切やってはいけない。
そこから出て、花魁のグループハウスに帰る。
その時に二人一緒に並ぶ。
そうするともう周りが「あの野郎!いいなぁ!」と言いながら。
抜群。
しかもこれが、その人と今夜男女の関係になるならないは花魁が決める。
お客が決めるのではない。
そこが今と違うところだと思う水谷譲。
そこに蔦屋重三郎という出版人が現れるのだがコイツの活躍が痛快無比で。
(大河ドラマの)「べらぼう」は、この吉原というシステムを詳しく説明しないとわかりにくい。
「引手茶屋」というところにまず申し込んで「〇〇さんみたいな花魁さんがいいです」みたいに。
そうしたら連絡をしてくれて、その茶屋の方で料理等々、楽しくやりたければ、三味線・太鼓・ダンサーなんかも用意してくれるという。
それで茶屋まで花魁がやってくる。
その時に見習い少女「禿(かむろ)」という。
「安室」ではない「禿」。
そういう少女を従えて花魁がやってくる。
これが花魁道中。
しかも花魁とすぐにベッドルームへなんていうことは絶対に無かったという。
これを「馴染(なじ)み」と言って二度、三度通わないとダメだという。
そして花魁は昼間何をやっているか?
勉強。
漢字の読み書き当たり前。
日本中の話題から和歌の作り方、筆の練習。
ラブレターを書いたりしなければいけないから。
もう大学出ぐらいの教養を持っていないとダメで。
「男と女だけであればいい」というものでは無い。
吉原が目指したのは、恋愛のような一夜を男性に過ごさせるという。
なぜ男性にかというと、もの凄くその頃、所帯を持つ人が少なかった。
江戸は百万都市だが、男性であふれかえっていた。
だから結婚できる人なんか一握り。
そうやって考えると切ない。
女性という性を見ることができなかった。
吉原はこれを見せてくれる。
それも綺麗にお化粧をして。
そして新婚の模擬までやってくれる。
ケチケチしたり面倒くさがったりした途端に野暮、無粋の烙印を押されてしまう。(22頁)
それから変態で柱に括り付けて鞭を用意したり、そういうことをやると次の朝、江戸中の評判になっているという。
その吉原にとって最高のお客を「ひき」と呼んだ。
失態を重ねると「おいおい!困ったもんだよ。野暮でよ」。
二人はパーティー会場で偶然に出会い、デートを繰り返し結婚、そしてハネムーンの旅に出るという、人生で最も華やかな時間を体験できる異次元こそ吉原である。
しかも巧妙な仕掛けがいくつもあって。
「花魁」というその手の女性は、日常の言葉を一切使わない。
これは花魁言葉と言って、ありんす「そうでありんす」「嫌でありんす」という、言葉自体が変わってしまうから、別の国に来たような興奮が男にはある。
しかも「花魁」は何か?
言葉の出どころは、もの凄く単純で、横に付き従う見習い少女の禿がいる。
あれが花魁のことを「おいらのねえさん」と言った。
あれは当て字。
「おいらのねえさん」が「花魁」になったという。
しかもこれは女の方がやってきて自分の家に男を連れて行くワケだから平安時代の御所あたりでの男女関係の模倣。
とにかく銭を必死に貯めた男は一夜だけ、源氏物語の源氏になったような。
しかも相手の女は短歌は作るわ生け花上手、茶道もできたという。
蔦重の時代だが
江戸の北端に位置する吉原へ赴くには、−中略−
日本堤をいくしか方法がない。日本堤は墨田川の氾濫を防ぐために築かれた。(26頁)
新吉原は縦が京間尺の百三十五間、横百八十間の長方形で敷地面積二万八千五百坪だった。−中略−
東京ドームの二倍にあたる。(26〜27頁)
吉原の出入口は北東に構えた大門しかない。(27頁)
このゲートをくぐってブロードウェイを入っていって、そのブロードウェイの脇にびっしり。
(このゲートは)誰でもくぐれる。
そして決まりがある。
武田先生の記憶に間違いが無いと思うが、お侍さんは大門をくぐるとすぐ刀預け。
野暮なことが起きないように。
言っておくが、ちゃんと吉原の中には交番(面番所)もあったという。
揉め事がちょっとあったりなんかしたら、すぐにお巡りさんが来るという、治安のいい一角。
驚くなかれ、そういう町ではあるのだが、コンビニから医者から、カンファレンスルーム。
(カンファレンスルームは)会議場。
それからコンドミニアム、大宴会があったという。
だからいわゆる女性をメインにしたテーマパーク。
東京ドームの二倍だからガイドブックが無いと「東口Bの3番」とかというのがわからない。
そこにこの蔦重という男が頭がいい。
吉原近辺で紙の再生紙を作る人がいた。
再生紙は一回使った紙をドロドロに溶かして。
浅草海苔なんかが取れるから、簀巻きにする竹の網がある。
あの簀巻きの上に溶けた紙のアレを塗って、乾くのを待って紙に仕立て上げた。
再生紙になる。
徹底したリサイクルの町だから。
その時にお兄ちゃん達5〜6人集まって、簀巻きに並べた紙が乾くまでの間、時間があるもので吉原見物に来る野郎がいる。
吉原をぐるっと見て帰る。
「紙を乾かしている間、見にきやがった」というのでどこかのお女郎さんが「また、ひやかしだよ」。
「紙をひやかしている間に見に来る」というので「このひやかしが」。
それで「ひやかす」という言葉が生まれたという。
新しい言葉を生むぐらい流行地だった。
これはしっかりした長方形の区画だった。
東京ドームの二倍。
大門というゲートがあって、
吉原はぐるりと塀と幅五間(約九メートル)の溝で囲ってあった。(27頁)
その中に蔦重の本屋があった。
(本には「重三郎の本屋は大門の外、衣紋坂にあった」とある)
遊女を含めた吉原の人口は一万人近いといわれる。(28頁)
(番組内では「人口一万人以上」と言っているが、本では上記のように「一万人近い」となっている)
テーマパークの中に一万人住んでいたという。
「細見」というのはガイドブックのことで、これが無いとどこに行ったらいいかわからないので、細見を見ながら自分の行きたい店を探したという。
蔦重、蔦屋重三郎の才能は何かというと、一番最初は別冊吉原の編集者。
だから大手が付いていいる。
その大手出版社の名前が鱗形屋という。
日本橋に本店のある本屋さんだった
そこからの依頼で蔦重が一冊本を編集する。
『一目千本花すまい』は重三郎が手掛けた初のオリジナル作品。−中略−
内容は絵本仕立ての遊女評判記、ビジュアル重視の遊女リストといえようか。−中略−
さらに、北尾重政というキャリアに人気、実力とも一、二を争う大物絵師を起用してみせた。(31頁)
『一目千本』では遊女を木蓮や山葵などの挿花に擬して紹介している。(31頁)
だからその遊女本人は出てこない。
今だったら写真を掲載すればいいが、それができないと思う水谷譲。
それで何をやったかというと、花に例えてあって野ばらが描いてある。
それで遊女の名前が下に書いてある。
この謎を解かなければならない。
「野ばら」だから「綺麗だけどちょっとトゲある」。
それから「わさびの花」か何か。
これは「終わった後、鼻にツーンときますよ」という。
それから「山吹の花」「辛抱強いんですよ、この子は」。
そういう謎解き判じ物の花魁紹介雑誌。
ところがこれはカネがかかっている。
花に見立て、花器、どんな器に生けてあるかまで全部謎で、それを見ながら読み解かなければならないという。
花の遊女紹介にしてあるものだから、カネがかかるわかかるわ。
蔦重が何をやったか?
これはドラマの中でも紹介された。
一流の花魁さんばかり。
固定客がいる。
それを遊女の方にお願いして旦那の耳元で「あちきは百冊以上売りたい」とかと言われると
旦那は「いいよ!買っちゃう俺、百冊」。
それを吉原中の花魁さんが「あちきは・・・」と言うものだから売れるの何の。
(本によると「『一目千本』がメガヒットを記録した形跡はない」)
このへんの才覚と洒落心。
この蔦重のセンスの良さ。
この手のことは全てであるが、一冊の本から学んだ。
増田晶文さん、「蔦屋重三郎」新潮選書。

これは一冊読んでおくと本当に勉強になった。
そしてこの蔦重が吉原を足場にしながら、やがで江戸文化まで作り上げてゆく。
あっと驚いたのは、この増田さんの書いた本で知ったのだが、蔦重は吉原専門の別冊の編集長で安く便利に使われていたのだが、ある時、とんでもない事件が起こる。
それまでの細見は江戸屈指の本屋たる鱗形屋が独占していた。
ところが同年の夏、鱗形屋はとんでもない失策をしでかす。大坂の本屋が開板した本を勝手に改題して売り出してしまったのだ。−中略−
犯人は手代の徳兵衛、−中略−
主人の孫兵衛も監督責任を逃れられない。
これを機に老舗本屋の信用はガタ落ちになった。(34頁)
このことを知り、蔦重はタウンガイドを自分のところでやりたくなった。
その蔦重の頭のいいところは吉原の遊女のお店だけではなくて、大見世、中見世、小見世、そういうお店の紹介も全部含めて。
これが出版物として大ヒットしていくというワケなのだが、この蔦重の編集の上手さ。
老舗の出版社の鱗形屋が著作権侵害をやったものだから、商業倫理は江戸期は厳しかった。
それで売れ行き好調な細見、吉原タウンガイド。
これを自社から出しにくくなったという隙をついて蔦屋重三郎、
彼は吉原細見のリニューアルにも乗り出す。−中略−
『籬の花』だ。
この本から重三郎は細見改、取次だけでなく版元の重責を担うようになる。(34頁)
タイトルがいい。
格子の向こうから遊女が声をかけ、客は格子越しに一夜妻を選ぶ−中略−
吉原と遊女のイメージと密接に重なる格子を籬と呼ぶ。(29頁)
これをもの凄く立派な大見世、中見世、小見世、小さなお店まで飾り窓の女達、それをガイドブックに克明に並べていった。
「これは便利だ」ということでヒットしてゆく。
しかもこれは人気のある花魁さんなんかは浮世絵で描いてくれるワケだから、今で言うとグラビア充実。
安くて詳しく、見やすい読みやすい「週刊大衆」のような雑誌、本だった。
更に蔦重は面白いことを考えて連載の読み物でお侍さんの文章とか、面白い小話等々もメンズマガジンとして抱き合わせで売った。
この頃の川柳にこういうのがあって
「足音がすると論語の下へ入れ」(26頁)
論語を読むふりをしていて細見を読んでいる。
足音がする度に論語の下にパッと隠している。
細見の柱は遊女データと妓楼マップだが、重三郎はそこにカルチャーのテイストを吹き込んだ。(36頁)
江戸期に於ける最大の文化人という人を引っ張り込む。
平賀源内は本草学者にして戯作者、科学者と多方面で活躍。(36頁)
何せエレキテルで電気を起こして発明品を売っていたという。
この人のペンネームが最高。
「福内鬼外(ふくちきがい)」というペンネーム。
何のことはない。
「福は内 鬼は外」これを漢字だけにして「福内鬼外」。
『細見鳴呼御江戸』では、平賀源内が福内鬼外のペンネームで序文を寄せている。(36頁)
そしてまた蔦重の凄いところは吉原のイベント「俄(にわか)」祭りを演出した。
これは祭りの名前にしたのだが「人」と「我」。
ニンベンだから。
他人の「人」と「私(我)」が一緒に騒ぐ。
それで俄祭りにしてそれで吉原の大イベントにする。
それはもう普段見られない吉原の花魁なんかが見られるものだから大挙して見物人がやってくるという。
しかもそれだけではない。
腕のいい浮世絵師を呼んでこれを「浮世絵です」と絵で見せた。
その横に平賀源内がしゃれた言葉で祭りを紹介した。
粋な文章で解説を入れるという。
また予告を打ったり。
とにかく文化、イベント、夜のガイドを一挙に掲載するという充実ぶりで。
蔦屋重三郎、29歳の時に「青楼美人合姿鏡(せいろうびじんあわせすがたかがみ)」とかそういうものを出して。
(本によると重三郎は安永七年に29歳なので、「青楼美人合姿鏡」が出版された安永五年には29歳ではない)
彼女たちの艶姿を多色摺りで活写したのは当時の二大絵師だった。ひとりは−中略−
北尾重政、さらに−中略−
勝川春章なのだから(39頁)
彫りや摺りも超一流の職人に発注、豪華な造りが話題になったのは想像に難くない。(40頁)
それから実話記事も交えての、という。
そんな本を作り始める。
これほどの品質は妓楼と遊女達、大金持ち、押しの花魁ファンクラブからの援助が無ければとてもできるものではないという。
振り返るが、ズバリ言うと、吉原だから女性の性で売っている。
そのことを吉原の中で商売をやっている人はみんな自覚している。
これが謎の言葉で、ドラマの中にもよく出てくるのだが「忘八者(ぼうはちもの)」。
吉原で商売をやっている人間のことを「忘八者」という。
「忘八」とは何かというと、人間が生きていく上でとても大事にしなければならない徳目、守るべき道徳、その八つを忘れている。
「仁・義・礼・智・忠・信・孝・ 悌」
この八つを忘れた人間という。
「そんなアウトローが生きているところなんだ」そういうこと。
蔦重が言っている名言があるが「俺らは所詮、女の股ぐらで飯を喰う、腐れ外道の忘八者」。
これが大河ドラマで堂々と出てくる。
「よくNHKで」と思う水谷譲。
凄い覚悟。
力強い言葉。
「女の股ぐらで飯を喰う」という。
横浜流星君が「べらぼう」で蔦重を演じているが、「べらぼう」を見ながら蔦重の度胸の良さというか。
何せ蔦重自ら「女の股ぐらで飯を喰う、腐れ外道の忘八者」。
これを自分の名乗りにする。
「べらぼう」の中で忘れられないシーンがある。
小さな女の子がカネで買われて、花魁になる為の修行を開始する。
その可愛らしい女の子にボーイフレンドがいて、それが小さい蔦重。
それで井戸か何かに女の子が何か物を落としてしまう。
それで蔦重に「おまえ取っておくれ」とかと頼む。
一生懸命頑張って取れない。
「ダメだ〇〇ちゃん、これは取れやしねぇや」と言うと、その女の子がぷーっと膨れて「なんだい、だらしがない。女の股ぐらで生きてるくせに」と言う。
この子供がそれを言ったものだからひっくり返って笑った。
いつも感心しているが、武田先生も大河ドラマに何回か出たことがあるのだが、もう武田先生達が大河ドラマを飾っていた時の俳優さん達は一人も出てこない。
石坂浩二さんが眉毛の長い老人(松平武元)役で出てくるぐらい。
後は全部新規の人。
緒形さんとかいらっしゃるが、新しい俳優さんで見せてくれる大河はなかなかのものだが、ちょっと残念なのは、下調べをしておかないと何をやっているのかわからない。
ずっと前半の方を見ていて、武田先生も結構時間がかかった。
「サイケン、サイケン」と言うから、借金か何かして倒れたところを再び立ち起こす為の「再建」の方法を探っているのかなと思ったら吉原のガイドブックのことを「細見」と言うとかという。
その間、冷たいぐらい説明をしない。
そんなことをしていたらもう時間が無くなってしまうからだろう。
そして蔦重という人物の痛快さ。
吉原という、ズバリ言うと「売春を産業にした」というテーマパークなのだが、でもその中にいわゆるコミック、絵画、文芸、実用、ハウツー、歌舞伎、浄瑠璃の解説、そういうのを一冊でやってしまうという。
もちろんその吉原の存在そのものは世界的なコンプライアンスとは馴染まないものだが、そこにはそこの文化。
だって吉原無くんば今、西洋の方々が大喜びで集めておられる浮世絵は発展しない。
その中には「春画」もある。
男女の交わりのシーンも。
それはもう今や文化になってしまっている。
調べてびっくりしたのだが、何で「春画」と付いたか?
春画は新春にふさわしい寿ぎの絵として年礼の進物にさえなった。(156頁)
性の営みは五穀豊穣、子孫繁栄と密接に結びつく。(156頁)
「春がやってきて、これから増える」という為には男女ともいやらしくならないとダメ。
これはもうやはり見ると凄い。
歌麿。
いやらしい。
でも、いやらしくないと増えていかないというところに人間の・・・
そういう意味合いで使われたという。
その春画の中に歌麿とか北斎とかがいるワケだから、考えたら凄いもの。
だから性の文化に知らん顔をしていたら文化は興らないという。
頑張れ「週刊大衆」。

いいコラムも載っていると思う水谷譲。
武田先生が(「週刊大衆」のコラムに)いいことを書いている。
蔦重なのだが、順調にはいかない。
重三郎は通油町に進出した。−中略−
現在の中央区日本橋大伝馬町あたりだ。(81頁)
そういう成功譚なのだが、江戸期というのが大きく揺れる文明で。
天明三(一七八三)年の浅間山大噴火、−中略−
さらには陸奥や関東を飢饉が襲う。(95頁)
暗い時代になる。
でも皆さん、史実を見ても蔦重は負けない。
彼はその中で暗い世相に向かって、一大文芸運動を興す。
それで月曜日にお話ししたと思うが、武田先生はこの文芸ブームを引き起こした蔦重に絡まれた人物と縁があって、その人のことを語りつつ、もう一週、蔦屋重三郎「べらぼう」の物語を語っていこうと思う。