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2017年07月26日

モンテール ながーいチョコクレープ

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お知らせ: 土用丑の日 催事商品のお知らせ | 株式会社モンテール
7月22日(土)〜25日(火)までの間、土用丑の日に向けた
「ながーいチョコエクレア」「ながーいチョコクレープ」を発売します。
"うなぎエキス"入りチョコがたっぷりの、まるで"うなぎ"のような見た目のスイーツです。
チョコクリームと自家製ベルギーチョコペーストの2層仕立て。
クリームとペーストには、隠し味にうなぎエキスをブレンドしています。


スーパーで147円(税別)で購入。
熱量216kcal。

今日買ったのだが発売は昨日までか。
昨日入荷したヤツの売れ残りってことかな。
だったらもっと安くしてくれればよかったのに。
「ながーいチョコクレープ」の方を買ったが「ながーいチョコエクレア」も一緒に売っていた。
よっぽど両方買おうかと思ったけど、ちょっといいお値段だったんで一個だけにしといた。

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長い形状はしているけど「うなぎ」のようかと言われると全く。
外側はチョコ生地のクレープ。
中にチョコクリームが入っていて、更にその真ん中に自家製チョコペーストとやら。
で、何と!「うなぎエキス入り」なのだが、別段ウナギっぽい味がするワケでもなく。
味はチョコ味のクレープだねっていう。
クレープだからこんなもんなんだろうけど、長いけど薄くて値段のワリには喰い足りねぇな・・・って感じでした。

以前はコンビニで土用の丑の日向けのウナギの形のパンとか売ってたけど、今年は聞かないねぇ。
やめちゃったのかな。



posted by ひと at 19:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月25日

放送大学で発達障害関連の放送があります

前と同じでカリキュラムに登場するだけなんだけど一応ご紹介。

教育の最新事情 第6回「子どもの発達障害と特別支援教育」 
7月27日 (木) 10:30 〜 11:15
7月28日 (金) 21:30 〜 22:15


posted by ひと at 19:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 発達障害 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

【虫写真】繭が黄色い

終齢になるのがだいぶ遅かったのもいるから、見た目は熟蚕っぽくてもまだ桑の葉を食べているものも何匹かいる。
半数以上はすでに営繭に入ったけど。
ネットごしに見ても繭の色が違うなってのはわかっていたけど、出して見て改めてずいぶん黄色いなと。

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こちらがF2で両親ともに白い繭のカイコのみなさん。
もちろん遺伝的に白い繭しか作らないので、全部真っ白い繭。

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こちらが親の一方が白い繭でもう一方が黄色い繭の一代交雑種のみなさん。
多少、色にばらつきはあるが、かなり黄色い。
一個だけ白っぽいのがあったけど、桑の葉を食べる期間が短かったかも知れず。
終齢になってから桑の葉に切り換えたからね。
もうちょっと早めの方が多分色はしっかり出る。

数日後には繭を切って中のサナギを出さなければなと思うが。
今回は何しろ数が少ないからな。
途中で死ぬのも多かったし。

posted by ひと at 08:47| Comment(0) | TrackBack(0) | カイコ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月24日

NHKあさイチ シリーズ発達障害 “ほかの子と違う?” 子育ての悩み

今朝テレビでやってたヤツ。
では、リクエストにお応えしまして、取り上げることにします。

シリーズ発達障害 “ほかの子と違う?” 子育ての悩み|NHKあさイチ
今回は子育ての話のみ。
私達には何ら参考になるような部分もなく。
まるで「大人の発達障害」である私達が存在していないかのように。

瀬田リポーター「今日はこれまでの放送を通じて特に多くの視聴者の方から寄せられた発達障害の子育ての悩みです。発達障害の子育てをしている親御さんはもちろんのこと、周りの人からそうした子どもが何を悩んでいて困っているのか、どう接したらいいのか助けになりたいという思いから知りたいという声もたくさん寄せられました。今回、発達障害のお子さんを育てているご家族に3日間密着させてもらってありのままの姿を見せていただきました。」

番組では古山(こやま)さん一家を取材。
発達障害と診断されているのは長女の初華(ういか)ちゃん(小学6年)。
そして、長男の朔也君(小学3年)。
2人とも、地元の学校の特別支援学級に通っている。
瀬田「あれですね、こうちょっとしかご一緒してないですけどいわゆる発達障害っていわれる、何かそういうものを感じることはほぼないですね。ちょっと元気な女の子と男の子という感じで」
お邪魔したこの日は、ほかの子と特に違っているようには見えない。


2日目。
午後、母親の真紀子さん(37歳)が子どもたちと帰ってきた。
初華ちゃんは、帰宅後すぐに宿題をやる約束になっていたが、直前に見た友達のゲームが欲しくなりぐずりだしてしまう。
ゲームのことで頭がいっぱいになり、なかなか宿題に取りかからない。
真紀子「『何か願いをかなえてもらわないと』みたいなモードになっていると思うので、自分で切り替えて戻ってくるというのはないですね。」


気持ちの切り替えが苦手
これは、発達障害の人によく見られる特性の1つ。

真紀子さんはひとまず初華ちゃんを落ち着かせようとする。
20分間ゲームをしたら気持ちを切り替えて宿題をやることを約束した。
約束の20分がたったのだが「おなかすいた〜」。
全く宿題をやろうとしない。
それに対して真紀子さんは落ち着いて説得に当たる。
結局、宿題に取りかかるまで50分近くかかった。
初華ちゃんは、勉強だけでなく、ごはんや着替えなど、何をするにも切り替えが苦手で時間がかかってしまう。
さらにこの時、外に遊びに行っていた弟の朔也君がうまく友達の輪に入れず帰ってきた。
朔也君は感情のコントロールが苦手で、よくパニックを起こしてしまう。
真紀子さんは、時間をかけて落ち着かせる。
真紀子「今日はまだ、一回一回のグズグズが浅い方で。毎日この繰り返し」


このお母さんはこうやって、子供がぐずったりするたびにいちいち丁寧に時間をかけて対応されているのだなと。
それは素晴らしいことなのかも知れないが、そんなことをやっている余裕がある母親って世の中に一体どれぐらいいるんだろう?
子供が発達障害だからって理由だけで、それを必ずやらされるのであれば本当に発達障害者なんてこの世からいなくなって欲しいと思われても仕方がないかなと思う。
とても精神的にも経済的にも時間的にも余裕のあるご家庭なのだなという感じ。
見ていて特殊例であると感じる。
(個人の感想です)

3日目の朝。
初華ちゃんは起きてすぐに学校に行きたくないと訴え始めた。
真紀子さんが学校に行くよう何度も説得するが全く聞く耳を持たない。
こうしたことはたびたびある。
結局この日は学校を休み家で勉強することになった。
しかし初華ちゃん大好きなゲームを始めてしまう。
真紀子さんは、「学校を休んでゲームするのはいけない」と厳しく注意する。
真紀子「(学校を)休んでママと勉強するなら何でもしていいというのは違わない?」「初華ちゃんは6年生なんだから」
初華「『初華は6年生だから』っていつもそう。だから嫌なんだよ!」
ギャン泣きする初華ちゃん。
こうなると何を言っても聞いてくれないのでノートにメッセージを書く真紀子さん。
初華ちゃんは部屋を出て行く。
ノートには真紀子さんからのメッセージ。
「ママはういちゃんのことが大好き。いつも味方だよ!落ち着いて戻ってきてくれるのを待っているよ」
真紀子「本当は言いたいことは山ほどあるけど。今多分一人で『この世の終わりだ』ぐらいな気持ちだと思うんですよ。『ママがわかってくれなかった』『ママが私からゲームを取り上げた』『こんなに苦しいのに敵になった』と思っていると思うので『敵ではない』『味方だよ』『大好きなんだよ』『待ってるよ』ということだけを伝えて」
それから数分後、初華ちゃんの部屋から物音が。
メッセージには「うそだ、まってないくせに」と書かれている。
真紀子さん「これがあの子の心の叫びなんだろうなと思うんですけど、今日は返事を書いてきてくれただけハナマル」

発達障害の子どもと向き合う日々。
真紀子さんは毎日が試行錯誤だと言う。
真紀子「普通の6年生の子と比べると『なんで?』と思うこともあるし、周りとやっぱり比べてしまうとしんどくなるし『よし、これで完璧。これで行こう』というのがまだ見いだせていない感じですね」


この子はちゃんとした「療育」を何年も受けている。
にもかかわらずこのレベル。
うん。
本当にこれでいいのか?と見ていて思う。
もしかして、以前は更に重篤な状況だったのかも知れない。
今はとても改善してこのレベルになったのかも知れない。
それは私にはわからないのだが、本当にこれで大丈夫か?と見ていて思った。
この子は私と違って早期に発達障害であることがわかったので、それに対応したサポートを受けているのだろう。
結果私のように「物心ついた時から周り中から非難されまくる」という経験をしていないのだろう。
だからこんなふうになっちゃってんのかな?って感じた。
私は非難しかされないし、味方は一人もいなかった。
だからずっと四十年以上も「自分に非がある」って思いこまされてきた。
だからこそ、無理に無理を重ねて自分を捻じ曲げて「普通の人のように行動する」ということを自分で自分に課してきた。
それがしんどすぎて、現在社会生活を送っていないワケではあるから「それでいいのか?」って訊かれるといいとは答えられないけど、でもこの子のように「自分に非がある」って思わずにいると、自分の行動を捻じ曲げる力はあまり発生しないのかな?という感じがした。

有働アナウンサー「お二人は子育てをしていますが、いかがですか?」
浜島直子「子どもをただ、甘やかしているだけではないのか悩みますよね。これはしつけなのか何なのか境界線が自分の中で分からないからすごく悩むし。だけど今のお母さんが本当に自分の感情よりもきちんとその子の立場に立って物が言えている今の状況にたどりつくまでの苦しみというか悩みというか葛藤が本当に涙が出そうです。」
前川泰之「ちょっと見ていて自分自身を反省してしまうというか子供の程度の差はあれ、気持ちが切り替えられないとか欲しいものが欲しくなったら止まらないというのはうちでもあることだし。そういうときに、きつく叱ってしまうことが多いんです。あのお母さんは、そのときの引き出しというか対応策をすごく持っていらっしゃるからあれだけ寛容に時間をかけて大きく待っていられるというのはすごいなと思います。」
瀬田「すべてが試行錯誤の中でいろいろ試して『これはダメだったけどこれはいいんじゃないか』と試した結果が今なんです。それでも悩むことがあるとおっしゃっていました。同じように悩んで誰にも言えずに苦しんでいるお母さんが1人でもいるのであれば自分を見て同じことで悩んでいる人はたくさんいるということを知ってほしいということで今回、入り込んだ取材にご協力いただきました。ありがとうございます。」


発達障害の家族支援にも詳しい鳥取大学大学院教授・井上雅彦
「すごいと思いました。やっぱり待つということは大変ですよね。つい感情的になってしまうというのが普通の子育てだと思うんですが、よくあそこで字を書いたりして。しかも、言いたいことはいっぱいあると思うんですがシンプルに伝わるように『待っているよ』というメッセージだけを伝えるというのはすごいと思います。」
柳澤「ああいうふうになるまでには相当時間をかけなきゃダメですよね」。
井ノ原「小学校6年生までの12年間、試行錯誤してこられたと思いますよね。お母さんご自身の小学校6年生ぐらいの感情と重ね合わせてもちょっと違ってくるんだと思うんですよね。『私だったら小6のときはこれぐらいのことをしていたな』と思うんでしょうけれど。最初見たときはこれくらいだったら楽しそうにやっているなと思ったんですが、やっぱり外からカメラやスタッフが来たとしても状態が変わらないというか意識はしないじゃないですか。いつものような感じのふるまいだったら。お母さんは相当いろんなことをやってきたんだなと思います。大変だろうなと思いますね。」


発達障害は大きく三つに分かれる。
・ASD(自閉スペクトラム症)
  コミュニケーションが苦手・こだわりが強い
・ADHD(注意欠如・多動症)
  不注意・落ち着きがない
・LD(学習障害)
  読み書きが苦手・計算が苦手

いろんな特性を持っている人もいれば例えば、こだわりが強いという特性と不注意という特性が極めて強かったり出方は人によってさまざま。

瀬田「それを踏まえたうえで子どもの発達障害を考えたときにはどういう特徴があるんでしょうか。」
井上「先ほどのVTRにもありましたが子どもさんなので自分の気持ちをうまく表現できなくて感情や行動でストレートに出てしまうことがあります。それで周りの大人が戸惑ったり対応に困ってしまう。あるいは、わがままというような形で捉えられることも多いと思います。
井ノ原「今まで『あさイチ』やNHKスペシャルで発達障害について伝えてきましたが、何度も言われているのは『人を困らせる子どもたちがいちばん困っている』ということを大前提として話を進めていきたいというかこの子どもたちがいちばん困っている家族たちも大変だということですよね。」
瀬田「出方がさまざまとお伝えしましたが、古山さん以外にも3人のお母さんにお話を伺いました。そこでもさまざま悩みが見えてきました。」


皆さん、実際どんなことに困っていますか?
高1男子の母親 Aさん(40代)
「(小さいときは)とにかくどこか行っちゃうすぐ。ヒモが欲しい。特に怖かったのが駅とか空港。「つかまってなさい」と言ってないとどこかへ行っちゃう」
小3男子の母親 Bさん(30代)
「車が来ていても自分が気になるものがあったら『ワ〜ッ』と行っちゃうし、みんなで外で遊んでいて『もう教室に入る時間です』と言われてもドアを閉められちゃっても一人で砂場で遊んでいたりしている。」
小3男子の母親 Cさん(30代)
「集中度が高いときってすごい」
Aさん「夢中になると何にも入らない。真夏、家に帰ってきて、室温が40℃ぐらいの中、テレビ見てたり。怖かった。『すぐ(窓を)開けて!』みたいな。冷蔵庫がパカーンと全部開けっ放し。全部ダメになったこともありました。」
こうした困ったことを周りの人になかなか理解してもらえない。
それも悩みの1つ。
Cさん「健常のお子さんを持つお母さんと話すと、やっぱり程度が違う。困る程度が」
Bさん「『うちの子の方が困る程度は高いな』と思って話を聞いている」
Aさん「『おもちゃを買って』とだだをこねられて大変だったと話を聞いても『うちの子、床に頭を打ちつけて血を流してますけどお宅あります?そういうことが』」
Cさん「困るレベルが高い」


井ノ原「こういう座談会なんかができる場がないということですね。」
柳澤「現実は孤立しているイメージですかね。」
浜島「SNSを使っていたり、ママたちのネットワークでお互い意見を言う場面がありますが、でも今まで悩みだったことを今のように打ち明け合ったりするだけで軽くなってしまう。お互い言うだけでも救われますよね。」


発達障害 子育ての悩み
・片づけられない
・忘れ物が多い
・じっとしていられない
・宿題をやろうとしない
・学校に行きたがらない


井ノ原「あそこに書いてあることを見て『子供はこれぐらいあるよな』と思ってしまうけれど、程度が違う。しかもそれが毎日となると井上さんもVTR中に言っていましたが毎日だったら大変ですよね。」
有働「質問が来ています。『こうしたこととわがままとの違いは発達障害の場合どう違うんですか』という質問が来ているんですが」
井上「『わがままと障害との線引きはどこでしますか』と聞かれますが厳密に『どこですか?』と聞かれても難しいんです。しなければいけないのはどうやって工夫をすれば、この子どもの努力がちゃんと報われるのか、一生懸命頑張ろうとしているのか周りがどう対応するのか工夫するのか、というところに目を向けるほうがいいと思います。」
有働「わがままかどうかと識別をすることではなくて。」
井上「もちろん程度の問題はありますけどね。」
柳澤「程度というとどういうことですか?」
瀬田「1つ言えるのは具体的に分かりやすいのは程度。「片づけられない」ということです。子供は誰しも苦手とか好きじゃないということがありますが『片づけたい』という意識はあるのに片づけ方が分からなくて、結果的に片づけられないということです。見ているだけでは分からないんですね。起きている現象は一緒ですがプロセスが違うということです。『頻度』ということでいうと忘れ物が多い毎日言っても忘れてしまうということであったり、『学校からあれを持って帰ってくる』ということを直前に先生から言われないと忘れてしまう。そのぐらいの頻度ということです。分かっているけれどできないということですね。そういった状態だからこそ孤立してしまうお母さんたちがいることが分かって、どう私たちが関わっていけばいいのか、実際に発達障害のお子さんを育てていて、『親の会』の会長を務めている上野景子さんに伺っていきます。上野さんは周りのお母さんたちとのかかわり方をどうしてもらえればいいと思いますか?」
上野「私は確かに発達障害の子の親なんですが、皆さんかなり構えて話をされます。距離があって、ここの部分に触れてはいけないとか。そういうのがもっと自然に話してもらえるとうれしいんです。例えば、私がうれしかったのは『今日は暑いね』とか『たまにお茶をしよう』とかそういう会話がすごくうれしくて、常に『発達障害児の親』と見られるのがとても嫌です。『普通に』というのは難しいんですが普通に接してほしいんです。」
有働「逆にこういうことを言われたりされたりすると困ったり嫌だったということはありますか?」
上野「確かに毎日大変な日々を送っているので『大変だね』というねぎらいのことばはうれしいことはうれしいんですが会うたびに『大変だね』『つらいね』『私が上野さんだったら死んじゃう』とか。『じゃあ私は死ななくちゃいけないのかしら?』とか。向こうはよかれと思って言っているんですが否定的なことばかり言われると私もつらい思いをします。どんどん沈んでいきます。」
柳澤「発達障害のことを分からない周辺の人から発達障害はどうなのか、細かく聞かれるというのはどうですか?」
上野「とてもうれしいです。理解してもらえるのはうれしいです。ただいちばん嫌なのは同情で終わってしまうことです。理解してくれるという立場で聞いてくれるんだったら私も『こういうことをしてほしい』『こういうことはやめてほしい』と具体的に話せます。」
瀬田「先ほど座談会でも皆さんに同じことを伺いましたが言われて嫌だったのは『かわいそう』という言葉です。『かわいそうではない、私も子どももかわいそうではない大変さはあるけれども前を向いていることを知ってほしい』ということと『質問はぜひしてほしい』と仰っていました。」
有働「上野さん、周りのお母さんに伝えるときはどういうふうに伝えていますか?どのぐらいの範囲の方に。」
上野「自分からすごく距離がある人には上手に伝えられます。身近になるにしたがって身内にはなかなかうまく伝えられません。やっぱり難しいです。なかなか理解されません。」
前川「近い人のほうが『それはしつけが足りないからじゃないの?』って言いがちかもしれませんね。しかも気になる部分ってどの家庭でもあるから逆にそれが理解につながらないみたいなところがあるような気がします。『うちの子どももそんなところがあるよ』ねって。」
瀬田「座談会でお話を伺っても学校で子供たちの友達の親にどう伝えるかというのは難しいところがあるということでした。もし、子供たちが迷惑をかけているのであれば言わなければいけないけれども、どこまで言うかいろんな線引きが難しいということでした。」
井ノ原「子供たちの親に伝えて親がその子供たちに家庭でどう伝えたらうまくいくのか分からないですもんね。下手に伝えてしまったら子供たちの間だけで何が起こるか分からないですしね。心配があります。」
瀬田「伝えなくても大丈夫な環境で子供が育っているのであれば『伝えない』という選択肢も持っているということを仰っていました。そこはすごく慎重に一番考えなければいけないと仰っていました。」


当事者から。
福井県のお母さん(30代)
「私も小学2年の子どもがいます。ADHDと診断されました。気になるのは学校の先生への理解です。わがままだと言われてなかなか理解されません。何度かお話ししても届かないのが現状です。」


有働「学校側の理解もばらばらですか?」
上野「先生の姿勢が全部出ますからね。私たち親も『発達障害です』とそのひと言で伝えるのではなくて『うちの子どもは興味があることにはとことん熱心に取り組みます』とか『ちょっと落ち着きがない』とか。『でも繊細で優しくて純粋な子どもです』とか具体的に一つ一つの症状を伝えると先生も分かってくれます。『発達障害です』とひと言でくくらないほうがいいかもしれません。」
瀬田「そうなってくると親がわが子が今、『何に困っているのか』『どういう障害なのか』ということを受け入れる必要があります。そこにも大きな深い悩みがありました。先ほどの古山さんにそのあたりを伺ってきました。」


真紀子さんが、初華ちゃんの育てにくさを感じたのは生まれてすぐ。
布団に置くとすぐに泣きだしてしまい一日中だっこしていないといけなかった。
ただ、初めての子育てだったこともありみんなそうなのかなと思っていた。
真紀子「3歳ぐらいにはかんしゃくも激しいし、みんなと同じ感じに遊べないし、同じところにいられない。走って出てばっかり。『私の育て方が悪いのかな?』というふうに(気持ちが)落ちていってて」
そこで、周囲のママ友や夫に相談。
しかし、返ってきたのは「大丈夫だよ」「なんとかなるよ」という言葉ばかり。
真紀子「本当に善意の励ましだった。悪気が全くなく良かれと思って『全然大丈夫だよ』と言ってくれたけど、私の中で全然大丈夫じゃなかったので、そのズレがしんどかったですね」
追い詰められた真紀子さんは4歳になった初華ちゃんを連れ思い切って病院へ行くことにした。
真紀子「『何なんだろう、この育てにくさ』という原因がわかって楽になれたらいいなという感じで受診をして『ああ、障害なんだ』というショックはもちろんありましたけどそれを何十倍も上回るぐらいホッとしたんです。」


一方、夫の丈朗さん(43歳)はその診断を受け入れることがすぐにはできなかった。
丈朗「(娘の)どんなところが?どこがそう診断された原因なのか?どこが違うという感じ。他の子と比べて。」
病院に娘を連れて行ったことは本当によかったのか。
真紀子さんの心の中では新たな葛藤が生まれた。
真紀子「もしかして障害者のレッテルを貼ったのは私なのかなと思って、私が病院に行く、検査を受ける全部私が一人で決めて連れていった。結局私の強い希望で」
最初の診察から2年後、真紀子さんは改めて詳しい検査を受けに行くことにした。
真紀子「もっと細かい数値が出る検査で発達の凸凹がすごくあるという結果が出たんですね。『ああ、そうなんだな』とやっと納得させられることができたというか」
それから6年。
今も、整理しきれない気持ちを抱えながら、夫婦で手探りの子育てが続いている。
丈朗「どこまでが発達障害の特性なのか(本人の)甘えなのか切り分けが難しい。個人によっても個性の部分に入るのかどうかの難しいところがある。このまま先々、『大きな子供』になっちゃいそうな気がして。それはちょっと不安がありますね。」


うん。
私もお父さんの意見に一票。
このままでは非常に先が心配だなと思う。

柳澤「発達障害だと診断されてお母さんは『ほっとした』と。自分に置き換えたら発達障害でなかったと聞いたらほっとするんだけどそれを障害と言われてほっとしたというのはどういうふうに受け止めていいのか。」
浜島「それほど日常がすごく大変だったんだと思います。」
上野「診断を受けるまでは自分を責めてしつけができない親だとか母親失格だと周りからかなり責められました。自分でもそうなのかなと思ったんですけど診断を受けたときに『決して、しつけが原因ではありません。誰が育ててもこういう子になります』と言われてほっとしたんです。」
前川「そこでスタートラインに立てるみたいなことですかね」
上野「そのあとに情報を集めればいいわけなんです。」
井ノ原「それで切り替えていけたんですね。」
柳澤「ここでお話しになって『2年ぐらいかかっていますよね』と言っていましたね。」
井上「いったん受け入れても納得するまで、2年ぐらいかかったとおっしゃっていたと思います。納得して前向きな気持ちになるまで、それぞれ時間が必要な方もいらっしゃると思います。」
浜島「子育てってそれぞれ悩みがあるじゃないですか。どの生活の態度を見て、どのタイミングで病院に連れて行けばいいんですか?」
井上「いろんなきっかけで皆さん専門機関に行かれたり病院に行かれたりだと思います。地域によってもすぐに診てもらえる病院があったり相談できるところが身近にないところがあります。まずは、保育園、幼稚園の先生だったり、学校の先生だったり、とにかく1人で抱え込まずに身近に相談できるところに行っていただきたいと思います。」
有働「質問もきています。『どういう病院でどういうふうに診断を受けるのか。どこに行けばいいですか?』という質問です。」
井上「小児科が小さいお子さんの場合は中心になると思います。その中でも専門医の方がいらっしゃるんですね。ネットで探すとそういう専門医の方が検索できたりするところもあります。まず、そこまでいかなくても身近にあるところで最初に相談していただけるのがいちばんいいと思います。」
柳澤「発達障害は病院に行って治療すれば治るものなんですか?」
井上「障害自体は今の医療とかそういうものでは完全に治すことは難しいといわれていますが、一つ一つの片づけられないとか忘れ物が多いとかじっとしていられないという一つ一つの行動については周りが理解して工夫をしていくことによって改善できたりします。」
柳澤「片づけられないって「程度」とか「頻度」ってありますよね、横に。程度が緩和されたり頻度が減ってくるそういう改善ということは期待できるんですか?」
井上「そうですね。片づける方法を例えばスモールステップで教えるとか、片づけるというのは絵に描いて『こんな感じになったときに片づけるんだよ』とかしまう場所を指定してあげるとか、ちょっとした工夫や支援で片づけ方がスムーズにできるようになるということがあると思います。」
前川「善意の励ましと出てきて、僕も同じことをしてしまったことがあって、友達の家庭の長男が軽度の自閉症で友達よりも対応が遅れちゃうことがあるんです。小学校に入るときに養護学級に行くのか通常の学級に行くのか迷ったときに、すごいかわいいし、見ていても普通だから『全然大丈夫じゃない?』と言ったときに『それは一緒に住んでいる私たちじゃないと分からない』と言われたんです。そこで『軽はずみなことを言っちゃったかな』と思って周りから見ている人たちも『困っている家族がある』ということを、柔軟に受け止めるものを持っていないといけないなとすごく感じます。」
井ノ原「みんながこれを考えていってだからといってことばを選びながら話すのはすごく大変じゃないですか。『どうやったら普通に会話できるのかな』と考えるときなのかなと思います。」


瀬田「取材させていただいた古山さんなんですが下ばかり向いているわけではなくむしろ前を向いています。
それは子供たちの将来を考えてのことなんですが、実際に困っていることにどう手助けしているのか、最新の古山さんの工夫をご覧いただきます。」


発達障害の子を育てる真紀子さん。
子供たちのためにさまざまな工夫をしている。

持ちものボード
子どもたちが持っていくものを自分でチェックできるようにしている。
真紀子「将来一人で生きていくためのステップアップになったらいいなという感じですね」
真紀子さんが手作りした生活をサポートするグッズはほかにも。

スケジュールボード
ごはんや着替えなど、一日の流れを目で見えるようにしたもの。
先の見通しを立てるのが苦手な子どもたちでも、これを見ると次に何をしたらいいのか迷わずに済む。

自由時間ボード
自由時間の過ごし方はこのボードで考える。
何分間、どんなことをするのか自分で決めて気持ちを切り替えやすくする。


しかし、それでもうまくいかずパニックを起こしてしまうこともしばしば。
真紀子「切り替えてほしいんでしょ?だっこしてって素直に言ったらいいのに。(娘が)『今日は私は私なりに頑張ったのにそこをもっと認めて欲しい』というか」
真紀子さんは子どもたちがうまくできなかったときも努力したことを認め、抱きしめることにしている。
真紀子「失敗したり、しんどくなったりする経験はいっぱいあるけれど、でも『君は生きてるだけですばらしい』『別に何もしなくても生きてるだけでいいよ』という土台さえ作れていれば自己否定に繋がらないと思う。多少周りの目は気になりますけど、それが私があの子にしてあげられることだと思うので。」


私はそういう経験がないので全くわからない。
母親にこういう対応をしてもらえば、私と違って「自己肯定感」とか持つことができるのかな?とも思うが、この子の現状を考えると、これで「自己肯定感」を持っても仕方ないんじゃないか?って思ってしまうのだが。
やたらと定型発達者たちは「自尊心が低い」とか言って私達を叩きまくるけど、それってそんなに大切なものなのかな?
持ったことがないからそれの重要性が全くわからない。

浜島「すばらしい。誰よりも何よりもお母さんからの承認欲求、認めてもらいたいですよね。」
瀬田「紹介しただけじゃなく至る所に工夫があって、すべてお母さんの手作りなんです。お子さんたちは、そこにも今も気付いているでしょうし、今後も感じるものがあるんじゃないかなとお会いして思いました。」
柳澤「発達障害だけに限らず、普通の子どもの向き合い方の大切なものが全部あるような気がします。」


「承認欲求」も私にないものの一つだな。
あった方がいいの?
でもやたらと承認欲求ばかりの人も叩くでしょ?

視聴者からのFAX
「古山さんご家族の日常を見させていただきありがたく思いました。発達障害が話題になることが増えてどの親も自分の子どもはどうなのか発達障害とはどういうことなのか知りたいことだらけでした。胸がギュッとしましたありがとうございます。」

質問
「中1の息子が発達障害の診断を受ける予定です。症状も軽いので今まで普通学級できましたが大きくなるにつれて周りとの差など困ることが増えてきて学校から診断を勧められました。本人は思春期で難しいときなので自分は発達障害じゃないから病院に行かないと言っています。自分では診断を受けてほしいんですがどう説得すればいいでしょうか」


上野「難しいですね。うちの息子は小学校1年のときに行ったので親が連れて行ったんですが思春期になるとなかなか難しくて。ただ周囲と自分とのずれが生じて本人が苦しんでいるようだったら、ずれが楽になるんじゃないかということで病院に、行ってみようかとそういう働きかけがいいのかなと思いますがいろいろケースがあるので難しいです。」
井上「本人が自分の困ったところしんどさをお父さんお母さんと話し合って納得して病院に行ったほうがいいのかなと思います。」


視聴者からのメッセージ
「このような子育ての悩みはお父さんも同じようにあります。お母さん前提での話は同じ子育てをしている親としてお父さんはより孤立します。」
「今日初めて知って、隣の家がそうなんだけど、やっと理解しました」


今回の内容、ネット上ではあまり評判が芳しくなく。
「普通の子供だってこんなことあるだろ!」的な。
そしてそういう意見を目にして、更に追い詰められる発達障害者とその親。
今回の内容は私には無関係な内容だったんで、私には何とも言えないけど、多少理解が深まった(定型発達者の子育てよりも大変そうだといった理解)という人もいるだろうし「これが発達障害ならかなりの割合の子供が発達障害だ」みたいな見方もあるようだし。
個人的には、主に取り上げられていた小学校六年生の女の子の将来が非常に心配だなと。
これだと中学校でも特別支援学級だろうし、そうなるともう普通の学校に上がって普通に就職してみたいな道は絶たれるのではないかとか。
そういうのが一切絶たれなければ幸せかというと、絶たれなかった自分が今現在、全く救われていないので、「その子にとってどういう状況が最もよいか」ってのはわからんワケで。
健常者と変わらない生活を送れるようになるのが、その子にとって幸せとは限らないのでね。
難しすぎる問題で。

posted by ひと at 21:14| Comment(2) | TrackBack(0) | 発達障害 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年2月13〜24日◆心はすべて数学である(後編)

これの続きです。

全文表示 | 将棋スマホ不正指摘に「待った」 「出場停止」三浦九段は疑惑を否定 : J-CASTニュース
スマホとナビというものは「すごいなぁ」と思う武田先生。
感動する武田先生。
誰かが一回やっておくと「それは全ての人に使い回しができる知識となって残る」ということ。

現代数学は今、カオスの問題に直面し、数学者はこのカオスと格闘している。
カオスとは何か?
それは「要素」は二つの軌道がまじりあっていること。

 このカオス的な軌道の集合がもっている意味とは、その集合の中に加算無限個の周期解(周期的な運動)と非加算無限個の非周期解(非周期的な運動)があるということです。(70頁)

何か「バカじゃ使え無い」みたいな感じがしていい。
「それはいわゆる加算無限個の問題でしょ?」とかって東大の学生さんで話しているような感じがする。

このカオスの問題は最近、脳と心の関係にそっくりであるということが発見されたという。
ニューロンというものの集合体が脳。
ゼロか1かでこの脳の複雑な動きをしている。
計算機もそう。
コンピューターも基本は「0」「1」。
「ある」か「ない」か、それだけ。
ところが、その「脳に心が宿っている」ということは「脳も実は心があるゆえにカオスなんだ」と。
数学的には脳が心を表現していると同時に、心が脳を表現しているという等式の定理が発見された。
「逆もまた真」だったのだ。

 心が脳を表現している──。そう考える立場から行われている実験の一つにバイオフィードバック(生体自己制御)があります。−中略−例えば血圧を下げることを考えてみましょう。血圧を意識的に下げたいと考えたとき、「血圧よ、下がれ!」と思っただけでは血圧は下がりません。−中略−ところが、血圧計で測って現在の血圧の状態が絶えずモニターできるようにしておくと、血圧を上げたり下げたりできるようになるのです。意識で血圧をコントロールできる、これをバイオフィードバックといいます。(81頁)

これをやってみている武田先生。
人間ドッグでお医者さんに迷惑をかけている。
白衣高血圧。
白衣を見ると血圧が上がる。
この間先生から「もういい加減あたしたちに慣れて下さいよ」と言われた。
血圧を測って持っていく数値と、病院で測るのとでは50以上違う。
やっぱり(白衣を)見ただけで緊張する。
入るだけで嫌だ。
ずっと「また高く出るんじゃないかなぁ。また高く出るんじゃないかなぁ」。
武田先生は慌てるタイプなので「ちょっとシャツをめくって下さい」と言われるとジジイなので厚着している。
全部脱いで裸の腕を出すだけで「ハァハァハァ・・・」となっている。
先生も時間がないだろうから、ちょっと急がないと悪いと思ってしまう。
その病院のせいではないのだろうが椅子(のキャスター)が固い。
椅子のコロコロの滑りが悪くて、前に行かないからケツで押しながら行くので「ハァハァハァ・・・」ともう(息が)はずんでしまう。
それで(血圧計を測る時の)「シュッシュッシュッ・・・」という音がダメ。
先生が心配そうに「低く出るといけどね」とか言うと「高くなるんじゃないかなぁ」と「ええ?180!!」とかって言われるともうダメ。
この間やっぱり先生から「慣れて欲しいな、私たちに」と言われて「先生のこと俺、好きなんですけどね」とカラッカラの声で言ったのだが「まあ、冗談はそのくらいにしときましょう」と言われてしまった。
本当に何もうまくいかない。

はっきりしていることは、血圧は「意識」によってコントロールできる。
これは血圧だけではなくて、血流というものが目に見えるんだったらば意識下でコントロールできる。
心拍数とか血圧とか血流とか。
これはなぜかというと心を動かす「非加算無限個」で変えることができる。
つまり「心で脳を変えることができる」。
このことが発見された故にこの本のタイトルが「心は数学である」という。

「1」という単位のニューロンで、その集合体でできた「脳」というものはこれは「加算無限個」なわけだから「非加算無限個」の心で動かすことができる。
これは今、始まったばかりの研究分野であり、本人が一所懸命祈るワリには武田先生の血圧も下がっていない。
しかし科学として「それは可能である」ということは「定理が発見された」ということ。
「希望そのものが病を」という可能性が科学あるいは医学の中にちゃんとあるそうだ。

 ノーベル賞(物理学賞と科学賞)のメダルの裏には二人の女神が刻印されています。自然の女神はベールをかぶっていて顔が見えない、科学の女神、スキエンティアはそのベールをあげて自然の女神をのぞき見ている。つまり自然の女神のベールをはがそうとするのが、自然の理を解き明かそうとするのが自然科学者だというわけですが、朝永振一郎さんは、「そういうぶきっちょなことをしてはいけない」「ベールの上からでも素顔がわかる科学というものがあるのではないか」と考え続けました。そして彼は亡くなる前に「今でいえば、地球物理のようなものがそうだろう」と言った。地球物理学は、地震にしても火山にしても厳密な意味で予測可能なモデルが作れないという難しさをはらんだ学問なのです。(94〜95頁)

日本は全世界の地震と火山の被害の数十パーセントを引き受けているようだ。
去年の10月ぐらいだったか釜山で地震があった。
<韓半島最大規模地震>慶州で地震、ソウルも揺れた | Joongang Ilbo | 中央日報
大陸に住んでらっしゃる方は「地面は揺れない」と思ってらっしゃるからパニックの度合いがひどい。

著者はここから脳の数学的解釈を始める。
「脳は複雑系である」と「カオス的臓器である」。
脳は自分で自分を自己組織化する。
私達は成長する一年ごとに記憶と組み上げていく。
自己組織化には秩序が必要である。
そしてその秩序のためには非平衡状態、つまり絶えず外部とのエネルギーのやり取りがなければならない。
これは難しいことを言っているようではあるが「絶えずオープンマインドで心を開いて他と情報をグルグル交換していないと、人間というのは自分で自分を支えることが出来なくなりますよ」ということ。
「孤立主義はありえない」ということ。
それから「一国だけの正義」というのは、それがもうすでに悪である。
「正義」とか「善」とか「価値」とかっていうものは絶えず他人と交換しながら値打ちが決まっていくものであるという。
絶えず外部とのエネルギーのやり取りがなければ「自分である」というそういう自己組織化ができない。

脳の単位はニューロン。
それを繋げば脳のネットワークができると思われがちだが、そこには定理がなくニューロンは外からの情報エネルギーが入ってこなければ組織化されない。
脳にはネットワークがある。
そのネットワークというのは外から情報が入ってくるとネットになっていくのだが、入ってこないとただの棒になる。
もっと平たく言うと「他者によって自己ができる」というふうに脳はできている。
「私は『私』から生まれるのでなく、外にいるものから生まれてくる」という。
(水谷)加奈さんは「加奈」と名乗るから「加奈さん」ではなく、「加奈さん」と呼ばれることによって「加奈」になっていった。
「ママの自分」を想定すると分かる。
妊娠して子を産んだからママになったんじゃなくて、生まれてきた子が「ママ」と呼ぶからママになる。
この人はそういうことを言っている。
「私はアナタから生まれてくる」というのは実に哲学的でもある。

 そもそも、なぜ神経系は記憶という装置を作ってしまったのか? これは大きな神秘であり、問いです。環境が完全にランダムで予測できないものだとすると、記憶はそもそも役に立ちません。−中略−一方で、予測可能なことだけが起きているとすると、これもまた記憶は必要ないことになる。例えば一定の間隔で太陽が昇り沈むという周期運動は記憶する意味がないわけです。まったく同じことが繰り返し起きるだけですから。(124頁)

つまり「必然」と「偶然」。
これが大きく波打って訪れるからこそ、脳は記憶を作り知覚を使って、更に幻覚まで作ったという。
何気ない物が人間の顔に見えたりする。
木の茂みが人の顔に見えたり。
それはちゃんとした脳の活動。
幻覚活動。
それはアナタが最もその事を気にしていることの象徴。
記憶を進化させるためにそういう幻覚も含めて一定の「ゆらぎ」或いは「のりしろ」が必要。
「記憶する、しない」で絶えず「捨てる、拾う」で選別する。

 記憶という高度な心の働きのみならず、脳のゆらぎが持つ知性を説明する上で、現象学のフッサール(1859−1938)による「宙づりにする」という概念が関係するように思われるのです。それは勝手に解釈すると「不定性」と言い換えられるかもしれません。不確定ではなくて「不定」にする、つまり判断をいったん停止させるということです。(140頁)

脳における「保留」はすごく大事らしい。
「保留」がなくなると人間はどんどん考え方が狭くなっていく。
これは脳とか心の話をしているが「対外関係」とかもそう。
なんでも正体を射止めようとギラギラしている人は付き合っていて息苦しくなる。
やっぱり保留できない人というのは側にいるだけで息苦しい。
「Get out!」って叫ぶ人はあまり好きじゃない。
「尊米攘夷!」「天誅!」
そういう人はきつい。
5万人しかいないのに「50万人いた!」と断定するな。
この「ジャッジしない」「保留しておく」そういう能力というのが次に起こった事態に対処する時のアクションの起こし方に関係してくるという。

判断を保留すると「大脳をジャッジに使わない」ということ。
大脳の他に考える脳がもう一つある。
これが小脳。
小脳が担当する。
大脳でなく小脳が担当すると直接考えずに手足を動かすことになるワケで、ニューロンを伝う時間をショートカットしてアクションが決定する。
これはいわゆる「心の自動操縦化」に移る。
こういうことが人間の脳にはある。
それがわかりやすく言うと「ピアニストの手と指」。
あれは自動操縦。
大脳を経由していないから小脳だけで反応しているという。
オリンピック選手の競技中の動き。
これも安定と不安定の中間にあえて自分を宙づりにすることによって脳の中の有り方、心が最もフレキシブル。
大脳を関与させないことによって別の能力がアナタを動かし解決策を見つけることがある。
そうすると人は最も身体の感覚、体の感覚が非常に高い状態が可能になる。

内田(樹)先生の言葉の中で本当にわからない言葉があった。
「身体感度を上げる」という。
「心の感性みたいなものの感度を高くする」という、その言葉の意味がわからなかった。
それは「安定と不安定の真ん中に自分をあえて置く」ということ。
「わかったような、わからないような、それでいいんだ」という。
ヘタくそながら合気道の練習をしている武田先生。
ミラー細胞を試すような練習。
見取り稽古。
師範(館長)が出てきて一番弟子と一緒に技を見せてくださる。
「ほら、こんなふうにすると人間は」みたいなことで関節技をかける。
それを数度見せておいて「やってごらん」と言う。
我々は「写し」のコピー機となってそれをやるのだが、これが動くとなると、小さな技でも分からない。
「若先生」という高段者の方がいらっしゃって「武田さん来て下さい」と技にかかってくださるのだが、どちらからかけていいか分からなくなる時がある。
「えーと・・・右の足から動くんだっけ?左の足から動くんだっけ?」という。
その右か左かで迷った時にもう若先生が容赦なく逆襲してくる。
その時に若先生の腕を振りほどこうとして手を動かすと、若先生が「それ!」と言う。
つまり「脳を経由させるな」という。
若先生というその高段者の人曰く「とにかく動く」という。
左右を考えないで、もうとにかく動いてみる。
「そこから技の型に入ることがあるんだから」という。
そういうことというのが人間関係でも恋愛関係でもあるのではないか?というのが言いたいこと。
「全部頭で考えない」ということがやっとわかってきた武田先生。

でもそれは今までちゃんと大脳で考えて考えて、考えてきたからこそ「小脳だけで動くことができる」ということではないか。
最初から大脳で考えない人はダメではないかと思う水谷譲。

現代社会の中で脳の問題が出てくるという。
テレビなんかでこの間騒いでいる人がいた。
「人工知能がいわゆる労働力削減に役に立つのはいいけれども労働者の敵になるんじゃないか?」みたいなことを言う方がいらっしゃった。
それ以前の問題でこういう問題が起こっている。

2000年のシドニーオリンピック、陸上の金メダリストで、ジョン・ドラモンドというスタートダッシュの速さで有名な選手がいました。−中略−2003年のパリの世界選手権で、彼は優勝候補と目されていながらフライングをして失格になってしまったんですね。2003年以前は、フライングを二度すると失格であったのが、2003年以降、そのレースで二度目にフライングした者が失格になるというようにルールが変更されました。ピストルの音が鳴ってから100ミリ秒(0.1秒)以内でスタートしてしまうと失格です。−中略−スタート地点とピストルの位置は、およそ10メートル離れていて、だいたい1秒あたり330メートルの速度で音が伝わることからすると、ピストルの音は30ミリ秒で選手のもとに届きます。さらにそこから脳に入って手足にその情報が伝わるのに、合計で100ミリ秒はかかるだろうという計算だと思うのです。つまり、音が鳴ってから100ミリ秒経つよりも前にスタートしたら、それはスタート音を聞くよりも前に動いているからフライングだ、と判断するのでしょう。
 ところが、そのときドラモンドは「絶対に自分は正しくスタートしている」と言い張って、トラックの上に大の字に寝てしまったんですね。
−中略−私は、このドラモンドの失格の判定は間違っていたのではないかと思ってきたのです。
 その後、スターティング・ブロックにかかった圧力の解析結果からは、ドラモンドは0.052秒で反応したことになって失格になりましたが、それはピストルが鳴る前から、彼の足が完全には静止していなかったため検知器が敏感に反応してしまった結果のようです。しかしこの時、彼の足は次に説明するような理由で反応≠オたのではないか。
−中略−ピストルで合図の音が鳴ったら、普通はその音波が耳にくると同時に、足にもくるでしょう。仮に足にも体を通る弾性波に反応するように脊髄反射をうまく訓練してエフェランス・コピーができるようなトレーニングをしていれば、最速で30ミリ秒でスタートしていたっておかしくないと思うんですね。(145〜147頁)

「居合抜刀術」というものがある。
あんなので「目にもとまらぬ」というのがある。
そういう「武術的動き」というのが存在する。
それをスポーツは許さない。
でも武道ではある。
座頭市さんみたいにパッ!と斬ると、斬られた人が「斬られた」と気づかないということがある。
斬られていることに気付かないほどの速さの剣の動きというのは存在するという。
そういう「戦い」みたいなのが今、実はスポーツの最前線で起こっているという。

心でも脳でも判断できない時、人間は何をするか。
それが人間の面白さ。
サイコロを振る。
どうしてもジャッジしなければならない時はサイコロで振って決めてもいいんだという。

2017年2月13〜24日◆心はすべて数学である(前編)

心はすべて数学である



小学校三年生で「数学」につまづいてしまった武田先生。
分数の掛け算や割り算に納得がいっていない。
「リンゴ半分と4分の1を割ると『ひっくりかえして掛ける』」というのが分からないヤツが、何で『心』になるんだよ!」という反発から買い求めた本。

 数学の天才、ガウス(1777−1855)が小学生のとき、「1+2+3+……+100を求めなさい」と学校の教師に課題を出され、即座に(100+1)(100/2)=5050と答えた、というエピソードが残っています。これは、n=100の場合ですね。ガウスは1から100までを一直線に並べて、その下にもう一列、今度は逆に100から1までを並べて上下の項をそれぞれ足せばすべてが101になる、だから101×100÷2の計算で答えが出ることを瞬時にやって見せた。(16頁)

(番組の中で、このエピソードは「1ページ目」と言っているが16ページ目。この時のガウスを「小学校三年の時」と言っているが、調べてみたが「低学年」といった記述しか見つからず、何年生かは特定できなかった)
これは100の場合OKだが、101の場合は、奇数になった場合は変わるのではないか?
最後の数が「n」。
だから「n(n+1)/2」。
それが「定理」。
最後の数字が「n」。
でも、この場合は偶数の100だから割り切れるのではないか?
101でいってみる。
次は102になる、その次も・・・。
偶数とか奇数にしたところで、この定理は成り立つ。

(ここから野球の「総当たりリーグ戦」の話が出てくるが、3月13日の放送内で訂正があった。以下の話は全て「トーナメント戦(勝ち抜き戦)」のことを間違えて「総当たりリーグ戦」と言っているようだ)
11チームの野球チームが総当たりリーグ戦で戦って優勝を決定する。
一体、優勝が決まるまでに何試合必要でしょうか?
何試合が行われるでしょうか?
これを一瞬で解けるコツがある。
試合総数は11チームが相戦う場合、何試合になるか?
ややこしいので、一回スケールを小さくしてみて、そのスケールから物事の共通項を探してみよう。
「2チームが戦って優勝が決まる」という試合があるとすると試合数は1個。
「3チームが戦って優勝が決まる」と試合数は2個。
 ・
 ・
 ・
11チームがリーグ戦で戦った場合、優勝が決まるまでの総試合数は10回。
99チームが戦って優勝が決まるまでの総試合数は98回。
スケールを小さくして物事を考えて、それからその中に潜んでいる公理・定式を見つけるという。
これが数学的頭。
私達は「足せ」と言われれば足す。
「10チームで戦う」というと「ABCD」まで考えると「1、2・・・」といく。
そうではなくて、スケールを小さくしてその中に潜んでいる定理を見つけるという。
これには武田先生はビックリした。

ピタゴラスの定理。

 直角三角形の斜辺の2乗は、他の二辺の2乗に等しいという有名な定理ですね。(17頁)

図1.png

直角三角形ABCの直角をはさむ2辺の長さをa、b、斜辺の長さをcとすると、
 c2=a2+b2
(18頁)

「ピタゴラスの定理を知ることによって何か得する?」
数学が嫌いなヤツがいつもいう一言。
「足し算、引き算の他、割り算掛け算ないねん!世の中には!!」と、なにわ弁で怒鳴った漫才師がいるが違う。

図2.png

ピタゴラスが言いたかったことは「この正方形2つを合わせたのがcの正方形だ」ということ。
「斜辺を一辺にする正方形と面積が同じだ」とピタゴラスは言っている。
でも、(水谷)加奈さんには不満がある。
「何で同じ面積になるのかが分かりません」
どうやってそれが確かめられるの?

図3.png

直角三角形を二辺延長して広げる。
縦a辺の長さの2分の1を足し、横b辺の長さを3倍になるように延長すると正三角形に包まれる。
ここで大きな四角形と小さな四角形が出来るが、大きな四角形の中の4つの直角三角形は小さな四角形の中に4つに畳める。
(この部分の意味がよく理解できない。本の中にはこの説明に合うような箇所が見つからない)
ピタゴラスの定理というのは面積の問題。
「不動産屋さん」に使う。
不動産屋さんがとあるマンションの説明をする時に「ほら、見て下さい。実はね、これピタゴラスの定理なんですよ」と言う。
「収納とテラスと廊下とこの居間。おんなじ面積なんですよ。いわゆる『a2+b2=c2』になってるんです」なんて言うと「そうか、ピタゴラスか!」みたいな感じで「へぇ〜、ピタゴラス使ってるんすか、この部屋」みたいな。
そんなことで心がグラッと動いて「借ります!」なんていうことになると、まさにこの本が言っている「心はすべて数学である」という。
一見狭そうに見えるが「収納と廊下を合わせると居間とおんなじ面積なんです」って言われると「へぇ、デザイナーやりますね」とかって思わず言ってしまう。
結局ピタゴラスが言いたかったことは「ピタゴラスの定理は面積の問題だ」ということ。
だから「数式で面積を表現した」という。
あのけつまづいた東京オリンピックのマーク。
市松模様じゃないヤツ。
彼が発想したのはTという字を元に「組み合わせによって立体にもなる」というオリンピックマークだった。
あれはバラバラにできる。
だから「立方体にもできる」というような強み。
平面に収まっているけれども「旗にもなるけど置物にもなる」という。
だからオリンピックマークは旗にされがちだが、一番最初のあの盗作の騒ぎを起こした人のヤツをオリンピックマークにしておくと置ける。
だからピタゴラスの定理というのも数式なのだが、実は面積を表している。
「間取り」を表している。

とにかく「心」。
現代医学では「脳に宿っている」というふうに言われている。
その心、脳について考えていこう。

今ここに、柱時計があるとします。秒針が連続的に動いているとしましょう。ずっと秒針を眺めているとスムーズな運動です。ところが部屋の壁など、どこか違うところを見ていて、次の瞬間に、いきなり秒針に目を向けたとします。すると秒針は不思議なことに、一瞬止まって見えるのです。−中略−
 その瞬間は止まっているようにしか見えない。だけど普段ずっと見ていると、連続的に見える。これは脳が勝手に予測して、時間の隙間を補完しているからなんですね。予測能力があるから補完できて、離散化された脳の処理を連続的に、滑らかに復元しているわけです。
(44〜45頁)

さらに「海馬」という脳の部位は200分ほどの出来事を1分間に圧縮して思い出させるように時間を畳む。
脳は絶えず編集あるいは改ざんしながら出来事を記録していく。
「見たまま」「起こったまま」ではない。
脳はそれほど実は完全な臓器ではない。

眼で見て何かがあるかどうか分かることと、あると分かった時にそこに何があったのかが分かることの二つの間には、さらに時間の開きがある。「見る」という行為一つとってみても、一様ではない。あるかないかがわかるのは0.03秒くらい、何があったかが分かるのには0.3秒くらいかかる。つまり、「赤い風船を見た」とき、何かがあると分かるのには0.03秒かかり、その「何か」が「赤い風船」であることが分かるのにはさらに時間がかかる。(31頁)

脳はそのかかった時間を全部忘れさせて「今見たかのように」錯覚させる臓器。
これは脳がニューロンという神経線維を繋ぎ合わせてそこに電気を走らせ、神経回路のネットワークが発火して働くものであるから。
そのゆえに、振り子のように動くものでも、ストロボを焚くと全部一瞬一瞬止まって見える。
「それが心だ」と言う。
だから「脳と心は違う」と言う。
心が関係してくると脳はとたんに複雑になる。
ここに数学的には「カオス問題」という問題が発生する。
これは今、世の中まさしく「カオス」。

例えば振り子。
左右の繰り返しだが、その振り子の先にもう一つ振り子を付けると、その動きは複雑系、非周期的となるのでこれを「三体問題」と呼ぶ。

この地球と太陽の運動のように二つの天体の間の運動方程式を計算(積分)すると、安定な周期解をとることがわかりました。−中略−ところが、地球と太陽に、例えば木星が加わって、天体が三つになるとどうでしょう。すると、地球は初期のエネルギーの値によっては周期的な起動を描くことができずに、複雑な運動をします。この時の運動は本質的にはカオスのようなものになるのです。(67〜68頁)

紅茶に砂糖を入れて放置すると、ゆっくり全体に広がって、やがて溶ける。−中略−しかし、スプーンでくるくると2、3回混ぜてやれば、カオスが発生して、あっという間に砂糖を溶かすことができるのです。(69頁)

これは今、全世界がそう。
メディアは最近すごくシンプルに「二体」で考え過ぎ。
「アメリカファースト」とか。
「アメリカが一番」とトランプさんは仰りたいのだろう。
でも世界はアメリカだけの問題ではない。
外交とか貿易に関して、一国のみ「国民と私のみで考える」ということはありえない。
武田先生の事務所の社長のイトウさんと世間話をするが「アメリカファーストって言うけど、その言葉はないよな?」という話を車の中で「何と言いますか?」と問われたので、武田先生が答えたのはトランプさんの考え方は「尊米攘夷」。
「そんべーいじょういー!」っていう。
それが「Get out!」になる。
でも「尊王攘夷運動」なんて日本もあった。
同じような「トランプ運動」が。
でももう数年で文明開化に変わったのだから。

日清 カップヌードル 汁なしシーフード



カップヌードル 汁なしシーフード | 日清食品グループ
お馴染みのシーフードヌードルが汁なしで味わえる、暑い夏にぴったりの商品。具材は、イカ揚げ玉、イカ、キャベツ、カニ風味カマボコ、たまご。

7月17日発売。
イオンで129円(税込)で購入。
内容量95g(麺80g)。

DSCN2827.JPG

液体ソースとふりかけの小袋が入っている。

DSCN2830.JPG

お湯を入れて三分。
三分経ったらお湯を切る。

DSCN2832.JPG

これにソースを入れ、混ぜたのちにふりかけを。

DSCN2834.JPG

こんな感じになる。
カップタイプなので若干かき混ぜづらい感じが。
具みたいのは全部底へ移動。
味はシーフードの焼きそばだねっていう感じ。
割と薄い感じの味かな。
まあまあかな。

posted by ひと at 14:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

プリングルズ ハラペーニョ&オニオン 限定デザイン

DSCN2837.JPG

イオンで181円(税込)で購入。
内容量110g。
熱量100g当たり526kcal。

普通のパッケージのヤツは3月14日発売だが、この限定デザインのヤツがいつからかは不明。


普通のパッケージのはこういうのね。

違うのはパッケージだけなんだろうから味は普通の「ハラペーニョ&オニオン」。
一口食べてお口に広がるピーマンの味・・・。
で、辛い。
辛くてピーマン。
辛いのが苦手な人とピーマンが苦手な人にはオススメできない感じの味。
それ以外の人だとそれなりに喰えるかなとは思うが、別段美味しいってほどでもない感じ。

でですね、このパッケージデザイン

DSCN2839.JPG

このようになっておりまして。
ハラペーニョとオニオンはいいとして、三味線みたいなヤツ。
何だろう?
三線?
駒が装着されていないので、この状態では音は出ないと思われます。

posted by ひと at 14:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月23日

エミューズ ペンジェルネイル

三味線の爪対策に便利かな?って思って買ってみたけど、どうもダメっぽい。
ジェルネイルなのだが、ペンタイプだし、普通のジェルネイルみたいにはがすのが面倒ではないということだったので。
で、別に爪にオシャレをしたいワケではないので、ベースとトップのみ使用してみた。



まずはベースコートから。
説明に書いてあるとおりにまずはよく振る。
でキャップを取ってケツのダイヤルを少しずつ回す。
回す。
回す。
回す・・・。
全然出ない。
思い切ってたくさん回したら、ドバッと出てきた。
何だよこれ。
初回だからなのか私が不器用だからなのか、うまいこと使え無い。
で、塗ってLED発光ダイオードを照射して固める。



次にトップコートね。
同様に塗って固める。

DSCN2825.JPG

右が通常のジェルネイル。
左がペンタイプのジェルネイル。

塗った直後はどちらも変わらない感じだった。
これで固さ的に三味線の糸に耐えうるかっていうのを確認して、大丈夫そうだったらこっちの方が楽かな?なんて思っていたのだが・・・。
掃除してたら引っかかって、その日のうちにペロリと剥がれました。
私の塗り方が悪かったのか、こういうものなのか。
簡単にはがれすぎてダメだな。

posted by ひと at 19:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月22日

【虫写真】営繭開始

予定通り昨日ぐらいからボチボチ繭を作り始めたヤツが。

DSCN2823.JPG

ネットごしなのでどの程度の色なのかはあんまりよくわからないのだが、両親ともに白い繭のヤツは真っ白い繭を作っているのだが、片方の親が黄色い繭のヤツは真っ白ではない繭を作っている。
まだ、はっきり色が分かるレベルの繭に仕上げたヤツが一匹だけなので、全部が同じような色かどうかは不明なのだが。
一代交雑だと全部同じようなのになって、F2種になったら(つまり今のヤツの子供の代ね)色とかバラけるのかな?

育ちが悪いっていうか、ずいぶん小さいヤツも何匹かいたのだが、ここ数日、そういうのがどんどん死んでいって、大きいのが殆どになった。
両親が黄色い繭のヤツは三匹しかいないのだが、二匹は巨大化して近々繭を作り始めそうな感じだけど、一匹だけものすごく小さい。
三匹しかいない上に小さいのがいるから管理が面倒なので、桑の葉を与えないと黄色い繭にはならないってのを承知の上で、この三匹だけ人工飼料で育てている。

(昆虫)蚕 飼育セット 絹糸作出キット 自由研究 説明書付き 本州・四国限定[生体]



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