カテゴリ


2021年05月13日

ヤマザキビスケット チップスターS 香ばしごま油味

DSCN2005.JPG

DSCN2003.JPG

新製品情報 | ヤマザキビスケット
ポテトとごま油の香りがマッチした、風味豊かな優しい味わい!
ポテトと香ばしいごま油の風味がマッチした、香ばしごま油味です。チップスターの特徴である練り込み技術を活用し、生地に“焙煎大麦粉”を練り込むことで香ばしい風味を一層引き立てています。風味豊かなごま油の香りが引き立つ、香ばしく奥深い味わいをお楽しみください。


5月10日発売。
ローソンで117円で購入。
内容量50g。
1パック当たりエネルギー266kcal。

DSCN2007.JPG

ごま油の味っていうから、どうせたいして美味しくないだろうと思ったから買うか買わないかちょっと迷ったけれども。
実際味はごま油だねって感じ。
ポテトチップス これ間違いないやつの味に比べたらまだ味があるっていうか、おやつに食べるのには問題ないレベルの味かな。
不味いってことはないけれども、物足りないっていうか、そもそもごま油の味自体がそんなに美味しいって程のものでもないと思うのだけれども。

ヤマザキビスケット チップスターS香ばしごま油味 50g ×8個



posted by ひと at 20:01| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

クローズアップ現代+「ルポ・少年院〜少年の更生現場で何が?〜」

クローズアップ現代+「ルポ・少年院〜少年の更生現場で何が?〜」
NHK総合 5月12日 (水) 22:00 〜 22:30(30分)
NHKBS1 5月13日 (木) 17:30 〜 18:00 (30分)


昨日の夜に放送されて、今日の夕方にBSで放送されるヤツね。
番組中に画面の左側にQRコードが出ていて、それを読み込むと表示されるのは↓らしい。
石井光太が見た、現代の少年更生の現場(前編) - クロ現プラス 取材ノート - クローズアップ現代+ - NHK
これは今回の番組そのままとか番組のあらすじとかではないけれども、かなり内容がかぶっているので、これを読むだけでもかなり内容がわかると思う。

虐待された少年はなぜ、事件を起こしたのか (平凡社新書)



posted by ひと at 09:29| Comment(0) | 発達障害 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

TOKYO MXで発達障害関連の番組が放送予定です

発達障害なんちゃら月間的なものでもないのに、何だかここのところ続く感じなのだけれども。
何だろうな?
テレビ局もネタが尽きてきた?

田村淳の訊きたい放題! ★デジタル化促進で広がる心の格差 若者の発達障害
TOKYO MX 5月15日 (土) 17:00 〜 17:55 (55分)
田村淳が話題の「ニュースの裏側」を徹底的に訊きたい放題!
ゲスト論客が、鈴木奈々も納得の解説▼デジタル化促進で広がる心の格差…若者に増える発達障害▼自治医科大学教授・高瀬堅吉/都立大学教授・木村草太▼注目のニュースも一気にご紹介!▼田村淳が訊きたい放題!
【MC】 田村淳 【コメンテーター】 鈴木奈々 【アシスタント】 中村仁美 【ゲスト】 高瀬堅吉(自治医科大学教授)、木村草太(都立大学教授)


生放送らしい。
エムキャスというのを使うと全国各地からリアルタイムで視聴できるらしい。

ソーシャルディスタンスでデジタル化する社会の闇 本当の自分がわからない若者、捨てられる50代



posted by ひと at 08:14| Comment(0) | 発達障害 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年05月12日

サンヨー食品 サッポロ一番 旅麺 横浜家系 豚骨醤油ラーメン

DSCN1991.JPG

サッポロ一番 旅麺 横浜家系 豚骨醤油ラーメン | サンヨー食品
横浜家系豚骨醤油ラーメンの味を手軽に楽しめるご当地カップめんです。
もっちりとした粘りと重みのある食感で、スープによく合う存在感のある中太ちぢれめんです。
豚骨の風味豊かなコクに醤油のうまみを合わせ鶏油を加えて仕上げた、横浜家系の豚骨醤油ラーメンスープです。
具材はチャーシュー、ねぎの組み合わせです。


多分3月1日にリニューアル発売。
京急ストアで88円(税別)で購入。
希望小売価格(外税)オープン価格。
内容量(めん重量)75g(60g)。
1食当たり熱量320kcal。

DSCN1997.JPG

小袋は三つ。
「特製スープ」「調味油」「かやく」。
スープとかやくは先に入れてお湯を入れて三分。
油は後で入れろと。

DSCN2000.JPG

横浜家系のラーメンを一度も食べたことがないので、どの程度の再現度なのかはわからない。
でも、今時のラーメン屋のラーメンって高血圧とか高脂血症になりそうな、そのままだとしょっぱすぎて喰えないレベルのものが多いので、そういうタイプかな?と思ったら、全然そんな感じではなく。
横浜家系がこの程度の食べやすい味なのか、カップ麺だからこういう味になっているのか。
普通の醤油味のラーメンぽい味に何かが加わった感じの味。
油の味なのかな?
スープは粉末。
調味油は透明な感じ。
かやくはチャーシューとねぎ。
ねぎはジャリジャリ言うので不快だな。
チャーシューはまあ、肉っぽい味がしなくもないけれども、カップ麺だからこんなもんかなって感じの味。
そんなに奇抜な感じもなく、食べやすい味だと思う。
食べたことはないけれども横浜家系って喰いきれないぐらい上に何か載っている印象があるので、そういうのを期待すると期待外れかな。

サッポロ一番 旅麺 横浜家系 豚骨醤油ラーメン 75g×12食



posted by ひと at 16:46| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年6月1〜12日◆贈り物(後編)

これの続きです。

人はたくさんの贈り物を受け取っているんだ。
その「贈り物に気づく」ということは生きる上でいかに重大であるか。
考えてみればこの命もそう。
武田先生は(2020年)4月につくづく思ったが、不要不急の人が街にいて、不要不急なのに走っている。
それがちょっとおかしかったり悲しかったりした。

贈り物。
その贈り物が、「贈ってもらった贈り物なんだ」と気づかない限り永遠に贈り物に気が付かないという構造をしている。
気づくためには何が必要かというと、あったものがなくなった瞬間、どのくらい困るかで「あっ!」と思い知るワケで。
そういうことをSF小説にしたのが小松左京という天才で、世界の消滅を描いた『復活の日』。
これは軍事目的のウイルスが世界に流れ出して全世界がたった三か月で滅んでしまう、人類が滅んでしまうという物語。
だが、普段あるものがなくなって初めて「あったんだ」と気づくという。
今度のコロナ禍も本当にそういうのを思い知った。
コロナで無くなって初めて気づいたもの。
今まで自由に飲食店で騒いで飲んでいたのにそれができなくなって、本当に自分のお財布の中のお金が減らなかった水谷譲。
「こんなちっちゃいところでも経済回ってないんだ」と思った。
マスクを取り合いした。
そしてプラス「作っていたのは中国なんだ」。
武田先生はそれしきのものは日本人がとっても上手に作っていると思っていたら、何の中国に抱きつき縋り付いていたのだ。
そんなことも無くなって初めて気が付いた。
そしてこの『復活の日』。
今度の出来事を言い当てたような映画。

『復活の日』の後半部に、大学で文明史を教えるスミルノフ教授という人物が登場します。彼が最期の力を振り絞り、もはやほぼすべての人類が滅亡した世界に向けて、ラジオを通して最後のレクチャーを発信する長いシーンがあります。(199〜200頁)

スタッフが全部死に絶えたラジオ局に一人でやってくる。
そしてスイッチを入れて全世界に向かってスミルノフ教授が人類が滅亡したその日、「何でこんな目になったのか」を演説する。
その教授のひと言の中に「何もかにも経済にしてしまった。その愚かさが世界を滅ぼした。全世界を経済にし、何でもお金で交換するというシステム自体がこの人類滅亡を招いたんだ。私もそうだ。私はどんなにお金が貰えなくても贈り物として哲学の神髄を説くべきであった。哲学の神髄とは何か?それは金銭を求めない、贈与する、贈り物を知らない人に贈るという行為がどれほど人類を発展させたか。そのことに気が付くべきであった。哲学が贈与の重大さに気づいていれば、人類は滅亡を免れた。全てを経済に任せたことが滅亡の始まりであった」。
(番組では上記のようにこの本に書いてあったと言っているが少なくとも本の中にはない)
これはショック。
これを読みながらフッと頭の中をよぎった。
たった一人で『(今朝の)三枚おろし』をやっている武田先生が。
(野村)邦丸なんかも放送中に死んでしまったらしく銀バエがたかって倒れている。
その死骸だらけの文化放送でたった一人で武田先生が『三枚おろし』をやりながら「この続きは○○〜!」とかと言いながら包丁を叩き続けるという。
その音がいつの間にか包丁を落とす音に変わるというような・・・
悲しい話。
だが、一瞬よぎる。
ラストシーンがラジオ局で終わるという。
(実際の映画のラストシーンはラジオ局ではないようだ)
テレビで終わらないというところが衝撃的。
逆の意味で今度はラジオを聞いた人が多かったようだ。
(この番組に)来るメールの数が尋常ではないぐらい、いただく。
いつか(この番組で)やろう。
「何で人はテレビを見ずにラジオを聞いたのか?」

そんな中『復活の日』では実に不気味なラストだったが、明るい映画の話をする。
これは実は見た。
名作。
『ペイ・フォワード』

ペイ・フォワード(字幕版)



清掃車の存在とか、清掃車を支えてくださるスタッフの方々の労力というのは凄い。
片付けるということ。
もの凄く重大な社会的貢献。

この若き哲学者、近内悠太さんの本の中で勧められ、見てつくづくと武田先生も考えた一作。

「ペイ・フォワード」というアメリカ映画(ミミ・レダー監督、2000年)を観ることにしましょう。(33〜34頁)

原題は「Pay It Forward」。
「次に回せ」という、こんなタイトルの映画。
主演はかの有名な少年子役ハーレイ・ジョエル・オスメント。
『シックス・センス』に出ていた、アメリカの「フクちゃん」。

シックス・センス (字幕版)



この子が主役を務めたという映画。
この『 Pay It Forward 』「次に渡せ」「次に回せ」という映画。
これは面白かった。
そんなにビッグヒットはしていないと思うが、いい映画。

 物語の狂言回しである新聞記者クリスが、とある事件現場に駆けつける場面で、この映画は幕を開けます。逃走する犯人の車にぶつけられ、クリスの車は大破してしまいます。
 呆然としているクリスに、一人の紳士が声をかけます。彼はいきなりクリスに向かって車の鍵を投げて渡します。
 それは、路肩に停められていた、紳士が所有する新車のジャガーの鍵でした。
「赤の他人からの善意だ」
 それから数日後。クリスは紳士のもとを訪ね、記者の性分も手伝って、真意を聞き出そうとします。
(34頁)

この不思議なジェントルマンを追いかけるところから映画は始まる。
信じられないその紳士の行為。

 紳士が語ったのはこんな過去でした。娘が喘息の発作を起こし、救命救急に連れていったものの、一向に処置の順番が回ってきません。症状が悪化する娘のかたわらで苛立ちと不安を募らせていると、腕に怪我をしていたひとりの男性患者が、「自分の処置はいいからこの娘さんを先に見てやれ」と順番を譲ってくれたといいます。(35頁)

(番組ではお腹にナイフが刺さっていると言っているが、本によると腕の怪我)

 お礼がしたいと言う紳士に、男性はこう告げます。
「お礼はいいから、次へ渡しなさい( Pay It Forward )」
 自分ではなく誰か別の3人に「善い行い」をすることで恩を返すように。そう伝えたというのです。
 紳士からこの話を聞いたクリスは、次にその順番を譲った男性患者を訪ねます。
(35頁)

「俺がラスベガスで盗みをやった時に俺をかくまってくれた女のホームレスがいたんだ。そいつは俺をかくまってくれて逃がしてくれて最後に言ったんだ。『3人の人に一つずつ親切なことをしてやんな。それがお礼さ。いいかい?アンタに言っておく。Pay It Forward.次に回せ」
新聞記者は俄然興味が出て、その女ホームレス(グレイス)を探し求めてラスベガスに飛ぶ。
そして懸命に調べる。
話は数か月に戻って11歳の少年トレバーが出てくる。
シングルマザー。
ラスベガスでちょっとバニーガールみたいなことをやっている母親。
アル中の子。
いじけた子で、母親はアル中で負い目があるし、父親は出て行って帰ってこないという。
そのトレバーという少年の新任になった小学校6年生(実際には日本の中学1年生に相当するアメリカの7年生らしい)の先生が子供たちに宿題を出す。
どんな宿題か?
「君たちが大人になって出て行く社会はなってねぇ。どうやれば一人で社会を変えることができるか?」
これが先生からの宿題。
トレバーは一生懸命考える。

善い行いを受けたら3人にパスをするという「ペイ・フォワード運動」を思いつき、それを実行したのでした。(35頁)

TSUTAYAに行ったら(この映画が)あった。
TSUTAYAはやっぱり持っている。
あそこの棚の一番奥手の古い映画の中からこの映画を見つけた時、嬉しかった。
その横にあったのが『座頭市物語』。

座頭市物語



TSUTAYAはたいしたものだ。

『ペイ・フォワード』
非常に魅力的な美人のお母さん。
だが若いツバメみたいなお父さん。
それに振り回されて、殴られたり蹴られたりという。
その母親がトレバーという11歳の少年は心配でたまらない。
それで、新しくトレバーのクラスの担任でやってきた(担任ではなく社会科のクラスを担当)シモネット先生。
トレバーはだんだん、この顔にひどいやけどのあるシモネット先生が好きになってくる。
言葉遣いも哲学的だし。
それで、先生から出された宿題「3人の人に一つずついいことをしてあげる」という難題に挑戦する。
その一つ目がラスベガスの街を歩いてアル中のメキシカンのホームレス(ジェリー)に、家に連れて行って食事を与える。
彼はトレバーが差し出してくれた食事を美味そうに食べる。
それで、車庫に入れてある車の中で寝てもいいという許可も与える。
ところが、その男が発見されて「何を子供に教えたんだ」とシモネット先生のところにお母さんがねじ込みに行くというような事件もあって、ひるむのだが、トレバーはやめない。
彼が二つ目に挑戦したのは、いつもクラスでいじめられている男の子(アダム)をかばうということ。
それを目指すのだが、いじめっ子が凄く怖くて、いじめられっ子をかばうということができない。
そして三つ目に思いついたのが、お母さんに素敵な恋人を見つけたい。
父ではなくて。
お母さんを大事にしてくれて育ててくれるような人を。
それでトレバーが夢見たのがシモネット先生。
そしてシモネット先生に母親を紹介しながら、二人が恋人になるようにトレバーが仕掛けてゆくというのが一種映画のユーモラスなシーンになる。
そのトレバーの優しい少年らしい心にシモネット先生もだんだん心が揺れ始めて、お母さんもだんだん揺れ始めるという。
その揺れていく中でお母さんは絶縁していた自分の母親(グレイス)、トレバーのお婆ちゃんのところにいって「お母さん。アンタを許す」と言う。
アル中でホームレスの。
そのトレバーの提案を知っているものだから、お母さんに「お母さんも3つだけいいことをしてあげて。人に」。
それで逃げている黒人を逃がしてあげるという、一種仏教の因縁の物語。
だが、子供の発案だけあってうまくいかない。
せっかく助けてあげたメキシカンなのだが、小銭が入って来るとまた薬物でラリってしまう。
彼はガッカリして善意というもの、善意の贈り物というのがいかにうまく伝わらないかに肩を落とすのだが、シモネット先生は励ます。
「それでもやり続けるんだよ」と言いながら。
このへんがなかなかいいところ。
少年は夢見ている。
1人の人が3人の人に親切という贈り物を渡す。
その3人が3人に渡すと9人になり、9人が3人に渡すと27人。
その27人が次の3人に渡すと243人。
243人が3人に渡していくと、たちまち世界は優しさという贈り物で満ちるんじゃないか?
子供の夢なのだが、何回も挫折しながらトレバーは一生懸命、自分たった一人で「3つの親切運動」を続ける。
ヤク中に戻ったあのメキシカンも別の町に行こうとする時、橋から飛び込もうとする白人女性を止める。
その女性が「何でアタシに生きろっていうの!」と言うと「贈り物を貰ったんだ!だからアンタにその贈り物をあげる!生きてくれ!」という。
みんなが親切になっていく過程はトレバーが知らないところで実はゆっくり。
そしてもう一つ、あのシモネット先生がトレバーの励ましもあってお母さんにプロポーズをするという。
年下の若いツバメのお父さんが帰って来てもシモネット先生が断固として「出て行け!トレバーは俺の子だ!」と叫ぶというような、何ともはや、情景が実に美しいのだが。
これがその結末が深々と私たちの心に・・・

 トレバーは、社会科教師シモネットの授業で与えられた、「世界を変える方法を考え、それを実行してみよう」という課題に対して、善い行いを受けたら3人にパスをするという「ペイ・フォワード運動」を思いつき、それを実行したのでした。(35頁)

一つは喰うに困っているメキシコの青年を救うこと。
食事を与えること、寝床を与えること。
メキシカンの男は途中でヤク中にまた戻ったりするのだが、それでも少年から貰った贈り物が忘れられずに、トレバーが知らないところで自殺する白人女性を助けたりはしている。
そしてアル中のお母さんに立派な男性を見つけてあげること。
自分のクラスの受け持ちのシモネット先生を紹介する。
そして12歳。
中学生になるトレバーを祝ってケーキを用意して、ということでにぎわっている。
ちょうどその時にロスで車を貰ったということからこの「次に回せ運動」を記事にしたいという新聞記者がインタビューに来る。
そして「君のことを全米に紹介するから、君の運動がもっともっと世界中に広がるように」とするのだが、帰り道のこと、トレバーは自分が果たしていない3つ目の親切を目撃する。

その直後、トレバーは友人が同級生からいじめられているのを止めに入ろうとして、加害者生徒のナイフがはずみで刺さってしまい、命を落とすのです。(36頁)

 なぜトレバーは殺されなくてはならなかったのか。
 それは、彼が贈与を受け取ることなく贈与を開始してしまったからです。
(38頁)

水谷譲の直感が正しくて、少年トレバーはナイフに刺されて死んでしまうのだがそれが、映画では完璧な悲劇には終わっていない。

 トレバーの家で悲しみにくれる母親とシモネット先生。彼らがふと窓の外を見やると、そこにはろうそくに火をともし、トレバーの死を悼むために家の前に集まった大勢の群衆──おそらくペイ・フォワードを受け取ったであろう人びと──の姿がありました。そんなシーンで映画は幕を閉じます。(36頁)

ゆっくりキャメラが引くのだが、引けば引くほどろうそくを持った人々の灯りが満ちる潮のごとく、トレバーの死を悼んで囲んでいる。
いい映画。
そのろうそくの小さな灯の中に間違いなく「あのメキシカンがいますよ」「あの黒人がいますよ」。
アメリカ社会の中でゴミのように扱われている人々がトレバーから始まった贈り物を受け取って灯りを持ち、円を描くのですというラストシーン。
それを暗いと思うか明るいと思うか。
恐らく監督はそこに贈り主が消えた瞬間に急速に、それは強さとなって現れる。
つまり一番最初にお話しした宮沢賢治の『虔十公園林』のあの物語、虔十が死んだ後、育つ杉の木。
それが返礼として人々に贈られる。
贈り物が我々の物語になるという。
贈与というものはそのようにして完成するのです、という。
この「贈与を始めたものは死ななければならない」というのを近内さんは説いているのだが、近内さんの哲学の理論が何を言っているのかわからない。
それは別に「死ななければならない」というような結びではなくて、贈り主は贈り物を貰った人が「あの人は」と探した時に後ろ姿でなければならないというのが、つまり「知られない」ということが大事なのではないか?
それが「贈り物」を完成させるという。
「これではないかなぁ」と思ったりなんかする。
『虔十公園林』と『ペイ・フォワード』。
いかに締めくくるか。

贈与について、贈り物について、哲学的な思考を広げた二週。
コロナ禍、コロナの大騒ぎの中で日本人もそう、世界もそうだと思うが、世界中が一つの国を中心に結ばれてゆくというのは限界があるのではなかろうかという気がする。
それと資本主義経済。
それだけでは世界はもたないのではないか?
その隙間に何かを入れなければ。
その隙間に入れるものの一つに「贈与」「贈り物」という。
この贈与については内田樹という方が別の本で書いておられる。

 しかし、内田の贈与論は、特に次の点において、勇み足なのです。−中略−
 何かを贈与されたとき「返礼せねば」という反対給付義務を感じるもののことを「人間」と呼ぶわけですから。贈与されても反対給付義務を感じない人は、人類学的な定義に従えば、「人間ではない」。
(230〜231頁)

近内さんはあくまでも「渡した人がその場にいてはならない」、あるいは「後ろ姿で遠く去らなければならない」。
「それが贈与だ」とおっしゃっている。
これは好き嫌いの問題。
道端でお財布とかを拾った時に交番に届けるが「お返しはいりません」と言うと、こっちも気持ちがいいと思う水谷譲。
これは内田樹という人の中に高倉健がそうとう強く生きている。
内田さんがおっしゃっているのは「義理」のこと。

昭和残侠伝 唐獅子牡丹 



義理と人情を 秤にかけりゃ
義理が重たい
(唐獅子牡丹)

高倉健が恩人に向かって言う。
「生涯この人には、義理を返さねば」
そこ。
これは「人間ではない」ということではなくて、内田さんがおっしゃりたかったのは「男ではない」という。
返礼義務。
「これを感じなければ男ではないぞ」という。
哲学ではなくて内田先生は「美学の問題だ」とおっしゃっているのではないか。
内田先生のこの贈与論は触発され、ずいぶん物事を深く。
若き近内さんが「勇み足だ」。
近内さんのおっしゃっていることもハッとする。
贈り物を贈った人というのは後ろ姿で去らなければならない。
その通り。
贈与者、贈った人は後ろ姿。
我々の暮らしの中で贈与者、物を贈ってくれた人の姿を探そう。
まずイメージとしてあるのは「あしながおじさん」。

あしながおじさん (新潮文庫)



後ろ姿。
顔が見えない。
長いシルエットで「脚が長い」という影を残して去っていたあのおじさん。
そして「月光仮面」。

月光仮面



助けてくれたのに去って行く。
マスクをはずしたりしない。
『キャンディ・キャンディ』の大おじさまも最後まで誰だかわからなかった。
今でもまだ生きているが伊達直人「タイガーマスク」。
後ろ姿どころか誰も見たことがないが、新しく小学校に行く親御さんと離れた子供たちにランドセルを置いて消えてなくなるという。
そして『虔十公園林』の虔十もトレバーも贈与を開始したものは後ろ姿で去ってゆく、姿を見せない。
これが贈る者の資格。
そして、人はいつか贈らねばならない。
それが武田先生のこれからの問題。
生きていた時の証として誰かに贈り物を一つ置いて去ってゆく。
そうすると去った後も誰かが思い出して生き続けることができる。
贈り物を置かなかったおじいさんは忘れられてしまう。
誰かに顔を知られず贈り物をこの世に置いていく。
それが実はこの世に生きたという唯一の証。
この世に生まれた意味。
それは与えることによって与えられる。
そういう意味でこの二週、完璧に武田先生は与えた。
ちょっと後ろ姿で言うが、結構カネを使った。

posted by ひと at 10:58| Comment(0) | 武田鉄矢・今朝の三枚おろし | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年6月1〜12日◆贈り物(前編)

「贈り物」という奇怪なものを置いてみた。
欲しくなかった「贈り物」だが、中国から始まった贈り物だが、世界中に新型のコロナ禍、ウイルスが世界の回転を止めたと言っても過言ではない。
歴史をこの間、武田先生もチラチラ調べた。
1918年、第一次世界大戦が終わった年、スペイン風邪というインフルエンザが世界中に蔓延して死者は五千万人いるのではなかろうか?と。
何で死者の数がはっきりしないかというと、世界大戦中だったので、どこの国も死者の数をごまかしたという。
だが実態は五千万人の死者が出たというワケで。
その1918年のその時代を生きて、このスペイン風邪のインフルエンザの大流行、パンデミックに苦しんだ人の一人に宮沢賢治。
宮沢賢治23歳。
彼は花巻にいて、その時の岩手県の罹患した人、患者数が二万人。
もの凄い大流行だった。
死者もどんどん出ている。
その当時、スペイン風邪の場合は子供がいっぱい死んでいる。
「打撃激甚なり」岩手日報がそういう報告をしているという。
その岩手、花巻という地方都市に23歳の宮沢賢治がいる。
宮沢賢治がこのスペイン風邪前後に摩訶不思議な童話を書いている。
あまり賢治の中では有名ではないのだが。
武田先生は好き。
『虔十公園林(けんじゅうこうえんりん)』

 虔十はいつも繩の帯をしめてわらって杜の中や畑の間をゆっくりあるいてゐるのでした。
 雨の中の青い藪を見てはよろこんで目をパチパチさせ青ぞらをどこまでも翔けて行く鷹を見付けてははねあがって手をたゝいてみんなに知らせました。
−中略−
 風がどうと吹いてぶなの葉がチラチラ光るときなどは虔十はもううれしくてうれしくて
−中略−いつまでもそのぶなの木を見上げて立ってゐるのでした。宮沢賢治『虔十公園林』

この「虔十」というのは人の名前。
おそらく自分の「賢治」という名前にひっかけたのだろう。
この虔十くんは、ちょっとあからさまな言い方で申し訳ないが、知的障害があるようで、彼は大自然の美しさを見つけるともう、もの凄く敏感に。
だが、近所の人からは「バカ」というニックネームを貰っているという。
その虔十くんがある日のことお母さんに

「お母、おらさ杉苗七百本、買って呉ろ。」(宮沢賢治『虔十公園林』)

と頼んで700本の杉の木を植える。
それをもう毎日、こういう言い方をして申し訳ないが、バカなものだから一生懸命育てるとぐんぐん700本の杉の木が育って、並木道で綺麗なものだから、西洋の絵画のようになってくる。
ところがいじわるな人がいるもので

虔十は萱場で平二といきなり行き会ひました。
 平二はまはりをよく見まはしてからまるで狼のやうないやな顔をしてどなりました。
「虔十、貴さんどごの杉伐れ。」
「何してな。」
「おらの畑ぁ日かげにならな。」
 虔十はだまって下を向きました。
−中略−
「伐れ、伐れ。伐らなぃが。」
「伐らなぃ。」
−中略−
 ところが平二は人のいゝ虔十などにばかにされたと思ったので急に怒り出して肩を張ったと思ふといきなり虔十の頬をなぐりつけました。どしりどしりとなぐりつけました。
 虔十は手を頬にあてながら黙ってなぐられてゐましたがたうとうまはりがみんなまっ青に見えてよろよろしてしまひました。
(宮沢賢治『虔十公園林』)

ここから不思議。

 さて虔十はその秋チブスにかかって死にました。平二も丁度その十日ばかり前にやっぱりその病気で死んでゐました。(宮沢賢治『虔十公園林』)

不思議な物語。
主人公がいなくなってしまう。
その後、残ったのは虔十が植えた700本の杉の木。
これのみがすくすくと育つ。
それが息をのむほど美しい林になった。
それで子供の頃、その村に育った少年がアメリカに渡って大博士になって戻って来る。
そうするとあまりの杉の林の美しさに「ここを公園にしましょう」と県に訴えて名前はというと少年だった大博士になったその人が「虔十さんという人が植えたので『虔十公園林』という公園にしましょう」という。
それを宮沢賢治が虔十が植えたのだが、完成させた、その林を完成させたのは別の力。
それは何の力か?
賢治が一番最後に「これぞまさしく仏の十徳」。
(テキストの中には上記の文章はないが「たゞどこまでも十力の作用は不思議です」とある)
仏教の教えの不思議なパワーがこの美しい森を完成させた、という。
宮沢賢治という人は凄く面白い人で、近代自我「私」これが大嫌いで。
近代自我を否定した。
この虔十が植えたその森のことを武田先生は思うが、誰かから人間に与えられた「贈り物」。
この世の中に存在する不思議な贈り物を考えてゆこうという掴み。

賢治が言いたいのは「私」というものが消えて「私たち」が出現する。
「私たち」を出現させるために「私」は消えなければならない、という。
ちょっと今、哲学的に語っているが、仕掛けは後々話す。
宮沢賢治のとっても素敵なところは、「私たち」が美しいと思う全ての風景、あるいは出来事は、この世にはもういない誰からかの「贈り物」である、と。
贈り物。
贈り物だと気づかないとどういうことになるかというと、サンタクロースが見つけられない人。
見つけられる人というのは贈り物に気づいた人だけ。
そして、その上にサンタクロースはなぜ老人なのか?
若いサンタクロースはいない。
この歌はちょっと間違えてしまった。
松任谷由実さんの『恋人がサンタクロース』。

恋人がサンタクロース



これは見間違えたのだ。
サンタクロースは全部年寄り。
なぜ老人なのか?
贈り物ができる人は老人しかいない。
武田先生も歳を取ってきた。
武田先生もいつかはサンタクロースにならなければいけない。
人が老いるのはサンタクロースになるため。
このへんもまた後でゆっくり。

『虔十公園林』は賢治の死後をまるで言い当てたような作品で、これは(宮沢賢治が)生きているうちに書いた。
虔十というバカがいていっぱい美しい林を。
それが宮沢賢治とぴったり重なる。
美しい童話をいっぱい書いて彼は死んで行く。
だから賢治の書いた童話は「贈り物」。
そういう意味で私たちは皆、歳を取らなければならない。
そんなことを考えていたらまた、いい本に出合った。
近内悠太さん。
まだ三十代の若い哲学者。
この方がドキリとする本をお書きになった。

世界は贈与でできている??資本主義の「すきま」を埋める倫理学 (NewsPicksパブリッシング)



(本の中に傍点が付けられている箇所があるが、当ブログではその箇所には下線を入れておく)
贈与。
ちょっと難しい言葉だが「贈り物」ということ。
人に何かを贈ることの重大さを、この著者は懸命に説いている。
これは資産を親族に残すという「遺産相続」の「贈与」ではない。
またチャリティーとも意味が違う。
違いは「自分の全く関係ない人に与える」だと思う水谷譲。
これは人類の特徴。
著者曰く、贈与とは人類が進化に関わる重大な出来事で、この番組では繰り返し言っているが、人類は二足歩行のサルであった。
水谷譲もお母さんだが、頭の巨大な子供を産まなければならない。

自然選択によって人間は早期の出産をするようになりました。
 このようにして、人間は未熟な状態で産まれてくることになったわけです。
(17頁)

キリンの子は産まれたら歩く。
人間の子はグズグズ泣いてばかりいやがって何年もかかる。
本当に無力。
ほったらかされると死んでしまう。
その生まれ落ちた子はどうするかというと、人の手によって助けられないと成長することができない。
つまり、「私を育ててくれる人がいる」という「贈与」を受けないと死んでしまう。
未熟だった私を育ててくれた誰かがいる。
母かも知れないし、とにかく育ててくれた人はみんな「母」。

人類の黎明期の一番初めから、「他者からの贈与」「他者への贈与」を前提として生きてゆくことを運命づけられてしまったのです。(18頁)

その贈与がなければ、もうとっくに滅んでいる。
IT長者で青年実業家の方、堀江(貴文)さんが資本主義社会の中にいることで、若い時、元気のいい時におっしゃった名言が「お金で買えないものはないんですよ」。
堀江さんはちょっと若かった。
「お金で買えないもの」があった。
何か?
「愛」は買える時がある。
今、お金で買っている人がいる。
お金で買えないもの。
贈り物。
お金で買うと贈り物ではなくなる。
「贈り物」とはお金では買えない。
このあたりにその近内さんの哲学の根本がある。
お金で買えない「贈り物」。
それによって人類は社会を作ってきたという。

「自分へのご褒美」という言葉の空虚さの理由がここにあります。
 ご褒美は本来、誰かから与えられるものです。だからそれは買うことのできないもの、すなわち贈与なのです
(22頁)

奥様!お聞きですか?この放送を。
欲しいものから手を放しなさい!

 マイケル・サンデルは「経済学者は−中略−合理的な社会的慣行としての贈り物の意味を理解するのに苦労している」と述べています(23頁)

経済学者は贈り物を理解できない。

 経済学的視点に立てば、プレゼントを買ってはならない、現金を渡すべきだと結論づけられてしまいます。(23頁)

彼らは「贈与の哲学」がない。
というのは、彼らがやっている経済学というは資本主義経済がベーシックにあるので「贈与する」「贈る」ということに関しては理解できない。
彼らが説く経済学というのは全部欲望を中心に数量化できるものでないと解けない。

当番組(『今朝の三枚おろし』)は「日本一変わったラジオ番組」を目指しているので、その経済学者の方が語らない「贈与」を今週「三枚おろしに」という。
人が「生きているか」の証。
それが「贈与」である。
著者、近内さんはそうおっしゃっている。
誕生日の嬉しさは「人の誕生日を祝う」から「祝ってもらう」その交換だから嬉しい。
両者にある。
誕生日というのは人に贈り物をする。
そうすると不思議なことに、また自分の誕生日の時に贈り返してもらえるという交換がうれしい。
返礼というものが続くために贈与は喜びに打ち震えて「あ〜げる!」と言わないと「「お〜かえし!」という声が聞こえてこない、という。
武田先生はこのパンデミックの中で何で『虔十公園林』を連想したかというと、これはやっぱり贈与の物語の本質ではなかろうか?と。
虔十は知的障害を持ち、花巻の片隅にいる主人公。
寒村である岩手県花巻のその郊外、その田舎の村が美しい理想郷イーハトーブに見えた。
というのは、まず主人公の虔十は自然そのものが誰かからの贈り物だと思った。
その美しい自然に彼は杉の苗数百本を植えてお返しをするという交換の物語になっている。
そこに「木々の影が畑を暗くする」「切れ」と命じる平二という人物が登場するが、これは虔十をいじめる資本主義。
贈与と資本主義の対立として、ひそやかに宮沢賢治がストーリーの中に仕込んだのではなか?
この二人ともその当時流行りのチフスで死んでいく。
時は流れて美しい森になった。
主人公が消えた中で、やがて贈り物に気づかせるというワケで。

武田先生のような年寄りには、ややこしすぎてわからなかったのだが

前前前世 (movie ver.)



水谷譲は若い頃はそれほどの美しさであろうから、恋をなさっただろうが。
恋をする男女は面白い。
共通項がある。
必ず「前世」と言い出す。
「あなたとは」「生まれる前から」
言わないにしても思う。
つまり、もの凄くその人のことが大好きになってしまうと、我々はつい「前世」と口走る。
これは『虔十公園林』と一緒。
つまり「私たち」というものを意識した時に、「私」の物語ではなくて「私たち」を探すから「前世」と言い出す。
私があなたに惹かれたのは、今惹かれたのではなくて、「昔、惹かれて今、実った」という「贈り物」としての愛情を受け取る。
そういうこと。
それからまた、コロナ禍、新型コロナウイルスという悪夢だが、我々に何をつきつけたかということを考えていくと、このこと。
「○○してあげるが通用しない」という状況がコロナによってもたらされた。

贈与の話をしている。
今度のコロナの騒ぎ。
「騒ぎ」ではなくて本当に「コロナ禍」というか「コロナ事変」というか、本当に地球の回転を止めるような世紀の出来事。
今度のコロナが突き付けたものは、つまり人から仕事を奪うこと。
「働くな」「動くな」それを英語で言うと「stay home(ステイホーム)」ということになる。
人から仕事を取り上げるというのは、現代社会に於いて「オマエに価値がない」。
それと同意義。
「オマエは働かなくてもいい」「家にいろ」と。
テレワークとかというのは立派な労働。
だが「家にいろ」と一言だけ相手に対して言うのは「動くな」だからそれは「オマエはいてもいなくてもいいんだ」。
だから「気の毒だな」と思うのは武漢の人たち。
習近平という一番偉い人から「動くな」と言われたきりだから。
「オマエたちは必要ない」と言われたのも同じ。
それに比べて日本の安倍さんの中に「日本は道徳を守る国ですから」という淡い日本人に関する何か期待があったのではないか?
というのは、日本の社会の中に於いて「人様に迷惑をかける」というのはもの凄く厳しい。
その日本人に対する期待が安倍さんにはあったのではないか?
そういう意味では、いい方なのではないか?
日本人が持っている「人様に迷惑をかけられない」は強いと思う。
「都市封鎖」とか、そういう政治からの強い命令というのは・・・
そういう人たちを中国風に「制裁してしまえ」と。
中国みたいな国だと制裁してしまえる。
罰金を科したり、あるいは禁固刑。
時によっては死刑。
どこかの国ではあったらしい。
「言うこと聞かないヤツは殺しちまえ」という。
著者の人が書いていることを武田先生も「いいな」と思うのだが、水谷譲は自分の声をお金に換えているワケだが、おそらくそれがお金にならなくても結構綺麗な声で好きな人には話す。

天職は英語では「calling」です。
 誰かから呼ばれること。誰かの声を聴くこと。これが天職の原義です。
−中略−西洋の考えでは、その声の主は神です。(62頁)

「アンタ、パン屋」という。
その人はもう、全然苦にならず四時か五時ぐらいから小麦粉をこねて美味しいパンを、という。
もちろん対価でお金は貰うのだが、彼にとっての最大の喜びは貨幣と共にお客さんが残していく「いやぁ〜あのパン美味しかったよ」。
それが「嬉しくてたまらない」と思った時に彼は「calling」「神から呼ばれている」という。
世界はわずかながら交換ではない無償での行為が実は支えている。
その無償の行為のことを何と呼ぶか?
「贈与」「贈り物」という。
そして、その贈り物の絶対条件が「贈る相手を決めてはならない」。
もう一つ「感謝を求めてはならない」。
その次に「私が贈ったと贈り物に自分の名前を書いてはならない」。
これが贈り物の条件で、この三つを守らなければそれは「交換」になってしまう。
この三つが破られると「贈り物」は「呪い」になる。
この「してやったのに恩を忘れた」というのはダブルパインドで相手を縛ること。
だから日本の昔話がある。

 だから、民話の「鶴の恩返し」では部屋を覗いてはならないのです。(92頁)

「贈り物」を作っているところを見てはならない。
何もかも無くすことになる。
贈り物を作っているところを見せたがる人は多い。

 その男性の母親は認知症を患い、毎日16時になると外へ出て行ってしまうという。(97頁)

(番組では「お昼の2時」と言っているが本によると「16時」)

 男性は、必死になってその外出を止めようとすると、母親はわめき、暴力をふるう日々が続いた。−中略−
 どうすることもできなくなり、彼はベテランの介護職員に相談した。
 すると介護職員は何を思ったか、母親の兄に連絡を取った。そして「16時」というキーワードで何かヒントは無いかと尋ねる。すると伯父は、「16時」とは幼かったころの息子が幼稚園からバスで帰ってくる時間でないかと言う。
(97〜98頁)

(番組では「息子の兄」というような説明になっているが、本によると「母の兄」)
つまり認知症のお母さんは「子供を迎えに行かなければ」ということで2時に家を出る、という。

 その話を聞いた介護職員は、母親にこう告げた。「今日は息子さん、幼稚園のお泊り会で、帰ってきませんよ。−中略−
 するとどうだろう、母親は、「そうだったかね?」と言って部屋に戻っていった。
(98頁)

この時に母は若き日のあの日の自分に帰って「幼い俺たち兄弟を迎えに行っているんだ」ということに気づいた息子さんとお兄さんはその場で号泣なさった(とは本には書いていない)。
このことを、近内さんはうまい。
「贈り物」と言っている。
それは病だったかも知れないが、2時に家を飛び出すというのは深い愛情の贈り物を自分たちは母から貰った「贈り物に気づいた」という。
繰り返すが、贈り物は受け取ったことに気づかない限り贈り物とはならない。
今のエピソードもそう。
「愛を貰ったんだ、俺たちは」という。

では、我々はどうやったら贈り物に気づくことができるだろうか?
著者は「アノマリー」という言葉を使ってらっしゃる。
この「アノマリー」というのは、「いつもと違う」とか「いつものことではない」とか「ん?何かこのへんちょっと」という、そういう変則性に気づいた時、贈り物に気が付く、という。
ガリレオ、ダーウィン、アインシュタイン。
この人たちは世界の変則性に気が付いてパラダイム変換、大発見をした。

 逆説的なことに、現代に生きる僕らは、何かが「無い」ことには気づくことができますが(183頁)

「あれとあれがないから私は不幸よ」というという。

何かが「ある」ことには気づけません(183頁)

これはやっぱり身につまされる。
正確に言えば「あることさえ忘れてしまう」という。
「そんなことばかり」だと思う水谷譲。
もう当たり前のように思っている、という。

 小松左京のSFには、共通のテーマを持つ作品群があります。
 そのテーマとは、日常の中で当たり前に存在しているもの、当然のように成立していたがゆえに僕らの意識に上らず透明になっていたものが遮断され、停止し、喪失したとき、僕らはどれほどの混乱と破局と恐怖を引き受けることになるのかという主題です。
(194頁)

『日本沈没』

日本沈没



日本があることは当たり前。
小松左京は日本がある「当たり前」を日本列島を海に沈める。
そして世界を放浪する民になった瞬間「当たり前」にあった日本を恋しがるという。
もう一つが『首都消失』。

首都消失 (徳間文庫)



東京が謎のドームに覆われて多摩川から内側から入れなくなってしまうという。
入ろうとすると電磁波に弾き飛ばされて、首都が消滅するという『首都消失』。
電磁波のバリアが東京を覆うという。
そして一番おっかないのが『復活の日』。

復活の日



これが気持ち悪い。

軍事用に開発されたウイルスの蔓延により、南極大陸に残る人間を残して、地球上すべての人類が死に至るさまを描いた物語です。(196頁)

わずか三か月で全世界が滅びるという。
この滅びる過程が生々しい。
その不思議な病原体のお陰で、スポーツの大会がどんどん延期になる。

「映画製作中止続出、大スターの急死の痛手、急場の埋め合わせ間に合わず」
「生鮮食品高騰つづく。
(197頁)

そのうちに山手線でマスクをしないで咳をした人がリンチに遭って殺されるという。
そして二か月後、全人類が滅びて死んでしまう。
怖い。
生き残ったのは南極越冬隊の日本人だけ、という。

我々の上を通過しつつあるコロナという嵐。
一体我々に何を・・・という六月にしたいと思う。


posted by ひと at 10:46| Comment(0) | 武田鉄矢・今朝の三枚おろし | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「クローズアップ現代+」で発達障害の話も出るようです

今日の夜の放送なのだけれども、情報が入ってきていなかった。
以前も少年院の話は放送されていたから、それと同じヤツかな?と思ったけれども、また新しく作られたものっぽい。
以前のはこういうヤツ。

クローズアップ現代+「ルポ・少年院〜少年の更生現場で何が?〜」
NHK総合 5月12日 (水) 22:00 〜 22:30(30分)
NHKBS1 5月13日 (木) 17:30 〜 18:00 (30分)

20歳未満で罪を犯した少年が矯正教育を受ける少年院。最近では虐待を受けたり、発達障害に対する周囲の無理解などから社会に適応しづらい少年が多く入所する。課題は再犯の防止。退院後の更生支援は薄く、NPOなど民間の協力団体も出てきているが、コロナの影響で運営が壁にぶつかっている。18歳と19歳に対して、強盗などの罪によっては少年審判ではなく、検察官に送致できるようにする少年法の改正案が今、国会で審議されている。少年の更生に今何が必要なのか考える。

どうしても頑張れない人たち?ケーキの切れない非行少年たち2?(新潮新書)



posted by ひと at 07:43| Comment(0) | 発達障害 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年05月09日

ジェイアール東海パッセンジャーズ CLASS923×N700S ロングパイ

既に売っていない、ずいぶん前に買ったものではあるけれども。
誰かにあげるかなと思って買ったんだけど、もう期限も近づいてきたから自分で食べてしまうということでご紹介。

DSCN1976.JPG

東海道新幹線の弁当を売っている店などで売っていたヤツ。
チョコレート味のロングパイを新幹線に見立てたもので、食べた後も入れ物は缶ペンケースとして使える。
2020年12月17日発売。
定価900円(税込)。
1缶あたり推定値熱量228kcal。
販売者株式会社メリーチョコレートカムパニー 。
製造所若尾製菓株式会社。

DSCN1978.JPG

透明な袋の方に「923」とかいろいろ書いてある。

DSCN1982.JPG

フタの上にドクターイエローのマグネット。

DSCN1979.JPG

裏側はこんな感じ。

DSCN1984.JPG

DSCN1986.JPG

中身は三本。
袋の表側はN700S。
裏側はドクターイエロー。

DSCN1989.JPG

チョコレート味のパイだねってことで。
美味しいけれども、あんまり喰った気がしないので、一度に全部食べてしまった。

西川リビング プラレール 抱き枕 923形 ドクターイエロー (1580-78006)



posted by ひと at 17:26| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年05月07日

森永製菓 大玉チョコボール<ピーナッツ>クラフト珈琲風

DSCN1968.JPG

大玉チョコボール<ピーナッツ>クラフト珈琲風 | チョコレート | 菓子 | 商品情報 | 森永製菓株式会社
キャラクター「キョロちゃん」がワクワク、楽しい気分にしてくれる、複数の味わいと食感が1粒に詰まった一口サイズのチョコレートボールです。
ピーナッツとクリスプ層を、複雑な香りと苦みがありながら、すっきりと食べやすい珈琲チョコレートで包みました。通常の2.5倍サイズなので、勉強仕事中に1粒でも満足できるチョコボールです。便利なパウチ形態。金のチョコ玉が入っていたら超ラッキー企画付き。


3月2日発売。
京急ストアで138円(税別)で購入。
内容量56g。
1袋装当たりエネルギー319kcal。

三月発売だから新発売ってほどではないけれども、初めて見たので新発売かな〜と思って買ったのだ。
袋はいらないって言ったら、知らないうちにシール(テープ?)が貼られていて、写真を撮ってから気づいたので、写真はシールが貼ったまま。

DSCN1972.JPG

金色のが入っているとか入っていないとかっていう話だったけれども、残念ながら入っていなかった。

DSCN1969.JPG

このように外側は「クラフト珈琲風チョコレート」、その内側に「クリスプ層」、真ん中が「香ばしピーナッツ」ということで。
コーヒーを飲みながら食べたんで何とも言えないけれども、薄っすらコーヒー味な気はする。
全体としてちょっとコーヒー味のサクサクしたチョコボールって感じ。
美味しいと思う。
内容量がそんなに多くもないので一度に喰えないこともない量ではあるけれども、チャック付きで食べかけを閉じて保存できるようになっている。

コンビニー限定 2021年3月 森永製菓 MORINAGA 大玉チョコボール CHOCOBALL ピーナッツ 大きさ約2.5倍! クラフト珈琲風 澄みわたる 珈琲の香りとコク キョロちゃん 菓子 56gx3袋 食べ試しセット



posted by ひと at 20:07| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ヤマザキ カントリーマアムパン

DSCN1958.JPG

山崎製パン | 今月のおすすめ&新商品
チョコ風味のパン生地に、チョコチップ入りのビスケット生地をかぶせて焼き上げ、チョコチップ入りのチョコクリームをサンドしました。
おすすめポイント
ビスケット生地にカントリーマアムを砕いたものと不二家のチョコチップを、チョコクリームに不二家のハイカカオ入りチョコをそれぞれ使用しています。


5月1日発売。
京急ストアで98円(税別)で購入。
1包装当たり熱量395kcal。

去年も同じようなものが売っていたようだけれども、それは買っていないので味の比較はできない。
去年買っていたとしても味なんか記憶にないだろうけれども。

DSCN1966.JPG

DSCN1964.JPG

わりと大きめかな。
買って帰ってくるまでに押されてしまったらしく、ちょっとひしゃげた感じだけれども。
表面は「チョコチップ入りのビスケット生地」らしいんだけど、あんまりビスケット感がないな。
ビスケット生地ってのはメロンパンみたいな表面が固い感じのヤツのことだろうけど、そこまで固さがない。
間に入っているチョコは量が少なめな感じがしたから、ちょっと物足りない味かな?と思ったけれども、表面にもチョコチップもあるしパン生地自体にもかなり甘さとか味が付いているので、物足りなさは感じなかった。
カントリーマアムっぽいかっていうと、どうだろうな。
チョコ味の美味しいパンって感じかな。

不二家 カントリーマアム(贅沢チョコ) 16枚



posted by ひと at 19:48| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする