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2025年10月03日

2025年9月8〜19日◆なぜ働いていると本が読めなくなるのか(前編)

「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」

なぜ働いていると本が読めなくなるのか (集英社新書)


(著者は)三宅香帆さん。
集英社新書から出している方だが、この方は本の中で「自分は本を読むのが楽しみなんだ。ところが今の時代、一生懸命働けば働くほど読書の時間が無くなるじゃないか」という。
これは視点としては面白い。
この方は1994年生まれで、武田先生との年齢差は45歳。
だから45歳年下の人からその人の読書事情を聞くという。
なぜかというと「本を読む」というのは武田先生はもう半分日常だから。
武田先生はこの番組(「今朝の三枚おろし」)の為にだいたい週に3冊ペースで、(1か月当り約)12冊。
この中で使いものになるのが4〜5冊という。
時々「勿体ないかな」と思うのだが、その時に自分を励ます言葉が「俺は日本国民を代表して本を読んでるんだ」という。
この香帆さんが「偉いなぁ」と思った。
何を「偉い」と思ったかというと、この人は未来を想定する為に過去に遡るという思考パターンの人で。
いろんな人間が未来を思考している。
人間には三種類あって「昔を経由しながら未来を想像する人」そして「今を想いながら未来を想像する人」それから「未来に向かって想像して未来を描き出す」。
この三パターンがある。
武田先生は必ず過去に戻らないと駄目。
武田先生は昔から「まず歴史からだ」とおっしゃっていたと思う水谷譲。
そうすると未来の映像が浮かびやすいのだが、この三宅香帆さんの柄としては武田先生と同じだなと思ったのは、この方はどこまで遡ったかというと明治時代まで遡った。
それで明治時代にもベストセラーがある。
そのベストセラーを時代ごとであぶりだしながら、現代のベストセラーに辿り着くという。
現代は活字離れが進んでいる。
では明治の初め、なぜあんなに日本国民は無我夢中で本を読んだのか?という。
これは発想が面白い。
この三宅さんの視点はまた実に面白くて、江戸期との違いとは何か?
江戸時代の出版人と言えば蔦屋重三郎。
彼らと明治人との読書、本の感覚、センスの違いは一体何か?というと

句読点の使用が急速に増加したのは明治10年代後半〜20年代のことだった。(36頁)

明治時代初期に読書界に起きた革命と言えば、「黙読」が誕生したことだ。
 江戸時代、読書といえば朗読(!)だったのだ。当時、本は個人で読むものではなく、家族で朗読し合いながら楽しむものだった。実際、森鴎外が『舞姫』を書き上げたとき、家族の前で朗読したエピソードが残っているが
(35〜36頁)

あれは本人(森鴎外)の恋の物語。
それを女房と子供の前で、というから、まあそれとこれとは別ということだったのだろう。
こんなふうにして始まった「黙読」と「句読点」。
この二つで日本に「文字を読む」「読書」「本を読む」というのが習慣付いた。
明治期のベストセラー1位は何だったか?
これは面白い。
武田先生は一瞬、「学問のすゝめ」がよぎった。
これは明治期にやはり4〜50万部売れているから。

1871年(明治4年)に刊行された『西国立志編』は、『学問のすゝめ』よりもさらに売れた。(43頁)

(番組内では明治5年に刊行と言っているが、本によると上記の通り明治4年)

明治末までに100万部は売ったらしい。まだ人口5000万人だった日本いおいて、驚異の売り上げだ。(43〜44頁)

内容はというと

 ワット(James Watt)は、最も勉強労苦せる人と称すべし。その生平の行跡を観るときは、絶大のことを成し、絶高の功を収むるものは、天資(生まれつき)、大気力あり(44頁)

と、こういう。
この人はどういう人柄でどういう努力をやって、蒸気機関というワットを発明した、というのを。
だから西洋の成功例の人達の文章。
それを明治五年の若者達は無我夢中で読んだという。
成功者の秘訣を説く偉人伝でサクセスストーリー。

原題はSelf-Help=Aつまり「自助努力」。(45頁)

「自らを救う者は自らを」という。
一種人生のハウツーものだったという。
これが日本の本を読む人達に浸透した。
近代化に舵を切った日本で自己をいかに啓発していくか?
自分を成功者にのし上げていくビジネス書を読むことこそ読書であり、出版界の目指した本の理想とはこのビジネス書と修養を勧める本であるという。
ここから日本の読書が始まったという。
というワケで明治からの読書を振り返ろうと思う。

近代の日本から本の傾向というのを探ってゆこうと思う。

『西国立志編』からはじまり、−中略−欧米の自己啓発思想の輸入は、日本のベストセラーをつくり続けていた。(49頁)

かくのごとくしてビジネス書が読書傾向のスタートだった。
そこに「成功する成功する」ばっかりをささやく本から飽きた人がでてきた。
「成功だけ、何かそれだけが物語じゃ無いんじゃないの?」という。
「失敗する人の物語もあって、失敗する人は失敗したで素敵な失敗の仕方を学ぼうじゃねぇか」
そこに登場したのが夏目漱石。
夏目漱石はビジネスを離れて、修養とか教養を離れて、悩む人間としての物語を文学の中で提案した。
つまりこれが文学のスタートになる。
だから課題図書になるのかと思う水谷譲。
成功ではなく教養を目指すのでもない。
悩むことの重大さを教える文学というジャンルが立ち起こってゆくという。
ビジネスと文学、この二本は若者達がワリと必須の読み物にした。
そこからまた面白いことに、「だったら一冊ずつ勿体ないでしょ」と月刊誌で「両方載せますから読みません?」という。

「中央公論」を代表とする、「総合雑誌」と呼ばれる教養系雑誌のことである。
 大正時代初期から昭和戦前期は「総合雑誌の時代」と呼ばれた。
(77頁)

小説も載ってるわ、ビジネスは載ってるわ、政界の動きは載ってるわという。
これの第一号が「中央公論」。
そうやって考えると面白い。
それで明治から大正にこの中央公論が登場して、これが爆発的に売れた。

明治末の書店数は約3000店だったのに対し、昭和初期には1万店を超えるようになったというのだから驚きだ(57頁)

 当時の日本は、大きな行き詰まり感と社会不安に覆われていた。日露戦争によって巨額の負債を抱えた政府による増税、そして戦後恐慌による不景気が社会を襲う。−中略−日比谷焼き打ち事件や−中略−米騒動といった、都市民衆騒擾も起こった。−中略−暴動が絶えないくらい、若者のストレスは極致に達していた。(59〜60頁)

「大正の大ベストセラー」として挙げるのは、以下の3冊だ。
『出家とその弟子』
(58〜59頁)

出家とその弟子 (岩波文庫)


有名な作品。
親鸞と唯円の物語。
「人生とは何か」とか「生きるとは何か」とか「どうやれば救われるのか」とかというスピリチュアルもの。

『死線を超えて』(59頁)

死線を越えて


「社会主義という理想の考え方もあるぜ」という啓蒙書が売れて、読書人は社会主義を政治体制として憧れ始めたという。
ここに左翼文学が成立した。
これと同時に、大正期だが若者達が文学の中で花開いた。
それが芥川龍之介。
芥川龍之介というのは人間の扱いが生々しい。
「藪の中」

藪の中


貴族の女を強盗が襲って亭主の貴族の前で暴行するとか。
それでこの芥川と同時に名を馳せたのが谷崎潤一郎。

『痴人の愛』を読んだことがあるだろうか?
 谷崎潤一郎が1925年(大正14年)に刊行した小説だ。数え年で15歳の少女ナオミを自分好みの女性に育てあげようとする男性の物語である。この大正末期に世に出た小説の主人公は、実は「サラリーマン」であることをご存じだろうか。
(63頁)

痴人の愛


ネグリジェを着せて、自分がお馬さんになって柔らかい女の尻を背中に感じながら部屋を歩き回るという変態小説。
でも考えてみると人間を生々しく描くということが谷崎の性文化を否定しない。
谷崎潤一郎にそんなのがある。
女性の汚物を飲むという男性の物語とか。
もちろん人形なのだが、人形のお尻にチョコレートを詰めてそれを顔に押し当てて舐めるという。
谷崎というのは凄い。
これに目を付けたのが月刊誌で出てくる。
菊池寛。
菊池寛がこの変態小説と実際にあったスキャンダルを雑誌に載せた。
これが「文藝春秋」。
これは大正期スタート。
主筆・菊池寛という人。
菊池寛の広告にあるのだが文藝春秋社は小説家の人がよく遊びに来る出版社だった。
足繁く通ったのが芥川龍之介で。
芥川は何をしに来たかというと、スキャンダルを聞きに来た。
その「あわや殺し合いになった本妻さんとお妾さんの話」とか、そういうのが芥川は興味津々で。
何か小説のネタにしたいということかと思う水谷譲。
つまり性というものを捕まえて描かない限り、人間というのは捕まえられないんじゃないか?という、そういう思いが芥川にあって。
芥川自身も自殺前後の時に恋をなさったりして、奥様がもの凄く頑張って止められたとかと。

 1923年(大正12年)、関東大震災が日本を襲った。
 それは出版業界にも、当時広がりつつあった民衆の読書文化にも、大打撃を与えた。
(82頁)

 そんな出版界に革命を起こしたのが、「円本」だった。それは、倒産寸前だった改造社の社長がイチかバチかの賭けに出た結果だった。(83頁)

 円本を日本ではじめて売った、改造社の『現代日本文学全集』−中略−はまず全巻一括予約制をとった。つまり「予約した人しか買えない」−中略−「全巻を買うことが必須」(83頁)

1冊1円、という価格設定は、当時において破格の金額だったのだ。
 当時、書籍の単行本は2円〜2円50銭が相場だった。
(84頁)

戦前サラリーマンの給料の目安を「月給100円」だったと解説する。ビール大瓶は35銭、総合雑誌は50銭だった時代のことだ。−中略−円本全集の1冊1円は、現代でいえば1冊2000円ほどである。(89頁)

 出版社側はその安さを、初版部数の多さで補うという大博打を目論んだ。そしてそのバクチは大勝利に終わる。予約読者は23万人を超えた。−中略−改造社は当初全37巻、別冊1巻だった出版計画を変更する。結果的には全62巻、別冊1巻に及び、6年以上かかって刊行は終了した。(84頁)

これも火が点いてしまった。
事業としては大成功。
しかし、買ったところで全巻読んでいる人はいないのではないか?
面白いのもあれば面白く無いのも入っているだろうと思う水谷譲。
読んだことあるヤツと読んだことないヤツが。
これは62巻も揃えられて。
売れた原因は何か?
インテリア。
「そこに置いておくだけで」という。
昔でいったら百科事典みたいなことだと思う水谷譲。
恐らくインテリアとして書斎にバーっと60何巻全集を持っていて、「君、トルストイ読んだ?」とかと何かそういう話のネタに使うインテリア全集物。
これを通称「積読(つんどく)」という
「そこに積んどく」という。
これら文学全集に対して大衆小説「も負けてなるか」と「そっちに行かせるもんか」というのでそこに登場したのが

吉川英治、山本有三といった戦前からのベストセラー作家が次々と小説を刊行し、そして作品は売れていた。(101頁)

『風と共に去りぬ』、エーブ・キュリーの『キュリー夫人伝』などの翻訳書のベストセラーが出た。(101頁)

風と共に去りぬ(第1巻〜第5巻) 合本版


だから「風と共に去りぬ」は日本人も知っている物語だった。
これは小林桂樹さんというベテランの俳優さんから聞いたのだが、アメリカでもめっちゃ評判を呼んだ。
それでハリウッドが映画化に走った。
驚くなかれ太平洋戦争中。
日本軍が97式戦闘機か何かで「トラトラトラ」とかと言いながら真珠湾に攻め込んでいる時にハリウッドでは「よ〜い!ハイ!」とかと言いながら映画を作っていたという。
それで小林桂樹さんは兵隊さんとしてシンガポールに回されて、押収物(として)いわゆる米・英軍が残していった映画のフィルムがあったので、それを見たのが「風と共に去りぬ」だった。
これは絶対負ける。
小林桂樹さんは「風と共に去りぬ」と、ディズニーの「ジャングルブック」を見たそうだ。

ジャングルブック(吹替版)


一番最初の「ジャングルブック」。
あの模型か何か巨大な蛇が池を渡ってくるなんて。
その蛇が作りものに見えないぐらい精巧な
実写版「ジャングルブック」。
今見たいと思う水谷譲。
子供の時に見たことがある武田先生。
息をのむ。
太平洋で戦争をしていても、そんなのを作る力がアメリカ本土にはある。
そして昭和15年あたりから戦時色が強くなって、出版界は完全に軍部の前に膝まづくということになっていったという。

本当のことを言うと、読書の流れを戦後から始めたかった。
昭和戦後がスタートするのだが、滅茶苦茶人々は活字に飢えていて。
ところがだんだん時代が進んでくると読書以外にも娯楽が花を付ける。

サラリーマンや労働者たちが、今はパチンコや競輪に向かっている」と書かれている。−中略−すでに人気になっていた競馬に続く競輪は案の定人気になり(103頁)

 時代はラジオでNHK紅白歌合戦がはじまり、手塚治虫が漫画を描き、テレビ放送がはじまろうとするタイミング。そう、本格的に「余暇」を埋めるエンタメが、「本」以外に増えようとしている時代だった。(108頁)

本の方は読者層であるサラリーマンに照準を合わせる。
だから物語も短く読みやすく、わかりやすい。
サラリーマンものでは源氏鶏太がいた。
それから読み切り連載ものでだいたい通勤時間の往復で読めるもの、これが出版界を引っ張る内容になるワケで。
また高度経済成長が始まると同時に人々の労働時間がどんどん伸びてゆく。
求められたのはビジネスに活かせるハウツー本ということで、その頃ヒットしたのが

『記憶術─心理学が発見した20のルール』(117頁)

『英語に強くなる本』(116頁)

『頭のよくなる本─大脳生理学的管理法』−中略−『日本の会社─伸びる企業をズバリと予言する』−中略−はどれもカッパ・ブックスから刊行されたものだ。(117頁)

1960年代から、圧倒的なサラリーマンたちの支持を受けると同時に、今まで都市部に集中していたサラリーマンの読者層から、今度はローカルの労働者層へも広がっていったという。
働く人の為の教養としての本だった。
ご本人はそんなことをお考えになっていないと思うが、60年代の半ばからのビートルズとズバリ重なっている日本の作家さんが司馬遼太郎。
不思議なもの。
後に彼は国民作家と呼ばれる。
圧倒的支持を受けるという。

 司馬作品にしばしば見られる「乱世に活躍する人物」というヒーロー像への陶酔は存在しなかったのだろうか。(123頁)

それもモロ武田先生が影響されたと思う水谷譲。
ちょっと三宅さんほどクールにはなれない。
武田先生はこの人の代表作品でいう「竜馬がゆく」というのを18(歳)の時に読んだ。
武田先生は本なんか読んだことがない。
柔道部のあんちゃんで脚が短くて何か汚い青年だったのだが。
駅前の本屋さんにあった「竜馬がゆく」の一巻目〈立志篇〉を本当に無我夢中で読んだ。
この「無我夢中で読む」というのが水谷譲にはわからないだろう。
そこまで、はまったものは水谷譲には無い。
何で武田先生は竜馬を読もうと思ったのかと思う水谷譲。
司馬遼太郎の書いた文章というのは「読む」のではない。
もう読み始めて、あるルーティンができると場面が見えてくる。
だから「読む」のではなく「見て」いる。
例えば「竜馬がゆく〈怒涛篇〉」「秘密同盟の書」。

竜馬がゆく〈4 怒涛篇〉


「ば、ばかなっ」
 竜馬は、すさまじい声でいった。
「まだその藩なるものの迷蒙が醒めぬか。薩州がどうした。長州がなんじゃ。要は日本ではないか。小五郎」
 と、竜馬はよびすてにした。
−中略−
「坂本君、きみの提唱する薩長連合が成らざれば、おそらく長州はほろぶであろう」
−中略−
 竜馬はだまっている。
「ほろんでもかまわぬ」
−中略− 
 と、桂は、激昂をおさえつ、小さく叫ぶようにいう。
−中略−
「薩州は皇家のおそばにあって尽している。長州は文久以来、孤軍、藩の存亡を賭けてつくしてきた。もはや、藩の命脈はいくばくもない。しかし薩州が生き残って奮闘してくれる以上、天下のためには幸いである。われわれはいま交渉をうちきって郷国に帰り、幕府の大軍をむかえ討つことになるが、ほろぶとも悔いはない」
−中略−
 この土佐人は、佩刀をとって立ちあがった。

「どこへゆく」
 と桂の声が追っかけてきた。
 竜馬はもう廊下へとびだしていたが、「知れたことだ」と捨てぜりふのようにいった。薩州の二本松屋敷へゆく。
(「竜馬がゆく 怒涛篇」257〜259頁)

(ページは新装版ではない古い方の文藝春秋社刊のもの)
盛り上がっているところを申し訳ないが、そこまで映像化したのは武田先生ぐらいではないかと思う水谷譲。
武田先生は読んだのを覚えている。
18の時にここを一番最初に辿った時の感動を覚えている。
この本の熱というのが70(歳)の半ばを過ぎても・・・
二時間ぐらい喋りたい。

なぜ今まで本を読んだことがなかった鉄矢少年が「竜馬がゆく」を手に取ったのか?という水谷譲からの質問。
柔道部の大きい大会が終わってしまって、今から受験勉強をしても、来年の春までに間に合いそうにない。
今年一浪させてもらうということで、珍しく時間潰しに「本でも読もうかなぁ」という。
その時に本屋さんの棚を見たら「竜馬がゆく」とあった。
例えば時代小説だとフルネームで出てくる。
「宮本武蔵」とか「西郷隆盛伝」とか。
でも「竜馬がゆく」と、こんなタイトルは初めてだった。
未だに覚えているが「こんなの五冊もあんのかよ」とか思いながら、その一巻目の〈立志篇〉を読み始めたら第一章に出てきたのが19歳の坂本龍馬。
その19歳の坂本龍馬は土佐の田舎者で学問も全然ダメで少し体力に自信があるような若者。
茫洋としていて何かこう、胸の中に熱いものはあるのだが、形にならないという19歳。
その時に武田先生は18歳だった。
それを読むうちに五人兄弟の末っ子で子供の時から「ちょっとバカじゃない?この子は」みたいな扱いを受けていたという。
「俺じゃん」とかと思った。
武田先生は五人兄弟の末っ子。
兄ちゃんがいて姉ちゃんが三人。
竜馬も兄ちゃんがいて姉ちゃんが三人。
「俺んちとおんなじじゃん」とかと思った。
でもその文章を読み始めたら端々に何年後かの竜馬のことを伝える文章がある。
「この若者はこの後」「日本を大きく変える英雄に育っていくがこの頃はまだ」とかという表現があって「えっ?コイツが英雄になるの」と伝っていくうちにどんどんなっていく。
もうそれが胸かきむしられるぐらい。
それで自分にも自分を変えていく何かが起きるかも知れない。
司馬さんの上手さは、こういう文章。
これは「新史 太閤記」という信長の家来だった木下藤吉郎、秀吉と参謀になる黒田官兵衛が初めて会った時にこんな会話をする。
黒田官兵衛は頭がよくてクールな人。
(恐らく黒田官兵衛ではなく竹中半兵衛)
ボソッと藤吉郎にこう言う。

「私は上総介殿をきらっている。足下は上総介殿が士を愛するといわれるが、あの態度は愛するというより士を使っているだけのことだ」
「これはしたり、貴殿ほどのお人のお言葉とも思えませぬ。愛するとは使われることではござらぬか」
−中略−
 半兵衛は、あざやかな衝撃をうけた。なるほどそうであろう。士が愛されるということは、寵童のような情愛を受けたり、嬖臣のように酒色の座に同席させられるということではあるまい。自分の能力や誠実を認められることであろう。理解されて酷使されるところに士のよろこびがあるように思われる。
(「新史 太閤記(上)」228頁)

ゾクっとする武田先生とゾクっとしない水谷譲。
「竜馬がゆく」は累計で売れた冊数、2500万部。
司馬遼太郎というのはそれほど日本人を夢中にさせたというワケ。
司馬さんの話が長くなったがこの熱。
「本を読むということで人生が変わる」というのが本の中にあるんだ、という。
そしてこれはご本人もおっしゃっていた

司馬遼太郎の作品もまた、文庫本になってさらに広く受容された。(130頁)

1970年には通勤時間が1時間以下が76%だったのが、1975年には55%となっている。(130頁)

(番組では司馬遼太郎による統計という話になっているが本によると国土交通省作成「大都市交通センサス」)

この70年代の半ばに凄い本が世界で評判になった。
「ジャパン・アズ・ナンバーワン」

新版 ジャパンアズナンバーワン


「世界で一番は日本じゃ無ぇ」かという。
経済に於いて日本は米国を抜くんじゃないかと言われた。
その日本はまるで各企業が戦国大名のように国内で戦っている。
それで足腰を強くして海外に出ていくものだから他の国は勝てない。
この頃のことをよく覚えている。
ハワイのワイキキビーチのビルが見える。
あれの90%が日本企業のものだったという。
ワイキキビーチ。
日本は凄いと思う水谷譲。
「ジャパン・アズ・ナンバーワン」
ここに日本人の強烈な信仰が生まれた。
それはみんなで頑張る。
敗戦からわずか30年でみんなが贅沢できるという日本をつくったということ。
その裏にあったのが歴史から学ぼうという司馬遼太郎だったのではないだろうか?
近代の呼び方では「国家」とか「企業」とか呼ぶが、日本の場合は「徳川」とか「長州」とか「薩摩」とか、そういう藩単位のルールを持った企業が日本をこれだけ強靭な国にしたという。
ところがこれにまた出版界にアンチが生まれてくる。
そのアンチがまた別の出版ブームを起こすワケだが、その続きはまた来週ということで。



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