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2026年04月04日

2025年11月3〜14日◆日本語再定義(後編)

これの続きです。

マライ・メントラインさん、この方がお書きになった「日本語再定義」。
日本で使われている言葉をもう一回、ヨーロッパ・ドイツからやってきた人間として再定義、意味を考えてというような本だった。
日本語再定義。
難しい本だが、皆さん、刺激にはなる。
本当に考える。

今日は何をいこうかと思ったのだが、今日はマライさんの本の中で見つけた言葉。
もうすぐに武田先生は反応してしまったが動詞「呪う」。

 オカルト大国といえば−中略−大英帝国(44頁)

「幽霊の出る館」みたいなのが平気で不動産売買で、ちゃんと「幽霊出ます」と書いてある。
アメリカにはスティーヴン・キング。
つまりホラーの大家がいて。
このホラー、そういうものに敏感な国なのだが

日本もなかなかのものだ。実話怪談系が大人向けのコンテンツとして立派に成立している(44頁)

「ホラーもの」というのが書籍から映画まで産業として成立している。
NHKのドラマも小泉八雲、ラフカディオ・ハーンさんの物語。
ばけばけ | NHK
あの人も「ホラー」「怪談」というのが当たった。
日本も負けず劣らず歴史的にもその怪談系が大人のコンテンツとして書籍から映画まで産業として成立しているワケだが、小説を並べた本屋さんの場合、ドイツでは

「ホラー」という棚区分がそもそも存在しないので、作品ごとに「ファンタジー」「サスペンス」「ヴァンパイア」「SF」「ミステリ」「歴史フィクション」に無理やり分散配置していたりする。(45頁)

ドイツではちょっとした事件があったらしいのだが

二十世紀未解決事件トップ10にだいたいランクインする、一九二二年にバイエルンの農場で起きた奇怪な一家殺害事件だ。−中略−ミュンヘン警察は霊能力者を起用する。霊界交信による証言ゲットの試みだ。そのために、遺体から頭部を切り離して霊能者のオフィスに送るという凄いことをやっている。−中略−しかも結果的に成果無し!(46頁)

この「役に立たない」「面目を潰しやすい」という、技能の不確実性に由来する問題点が、どうもドイツ社会でオカルト文化の地位失墜につながったように見受けられる。(46頁)

親衛隊トップのヒムラーがオカルトマニアだったのは考えさせられるが。(47頁)

言われてみればドイツのホラー映画は見たことが無い水谷譲。
日本ではホラーはもの凄く人気のあるジャンル。
しかも年々、「Jホラー」「ジャパニーズホラー」はリアルさを増して、優れた現代的語り手達、作り手達がいて、ネガティブな因果関係を拾い集め、テレビドラマにしたり本にしたり配信映画にするという。
「間取りが変」だとか何かそういうのがあった。

劇場版 ほんとうにあった怖い話〜変な間取り〜


日本人形が動き出したとか。
ああいうのはやはりゾっとする。
これはもう際立っているので、日本の文化としてJホラーというのは特別扱いされるほど、その怖さは世界でも際立っている。
これはマライさんははっきりおっしゃらないのだが、Jホラーは何でこれほど盛んなのか?
不動産屋さんがあまり大きく書かない文字で「事後報告あり」とか、そういうのは要注意。
書いてあるそうだ。
「後で報告することがあります」というのは、物件の中にあるそうだ。
日本の怖さというのはそういうところ。
イギリスだったら幽霊が出るお屋敷というのは「歴史があっていい」というのでもの凄く人気がある。
人気があるのかどうかは知らないが、ツアーを組んで見に行ったりとかというのがあると思う水谷譲。
日本はちょっとやはりそういうのは・・・
これはどうしてかというと、日本はホラーが現実に日常にある。
この間も話を聞いて。
武田先生達はローカルをいろいろうろうろしている。
ご飯を食べるところが駅前の食堂しかない。
そこでみんなで一杯やっていたのだが、土地の人が「いや〜このあたりはもうアンタ、山だらけで木しかないから、小さな村です、町ですよ」という。
「ああ、そうですか」なんてお話をしていて、それで何か料理を持ってくるたびに町の話を
「製材所をやる人もね、エライ大変でね、もうチェックせにゃならんですよ材木を」と言う。
「このあたりの山では何をチェックするんですか?」
「ああ〜ん。製材する時にね、五寸釘刺さってますねん」
これは何かというと藁人形を五寸釘で打つという「呪い」をやっている方が未だいらっしゃる。
それはホラー映画でしか見たことがない水谷譲。
これはゾっとする。
杉なら杉を伐り出していって皮を剥いで製材機の中に押し込んだら突然、火の粉がパーッ!と上がるという。
その五寸釘で打ち込むというのは効果がある・無しは横に置いておいて、誰にも見つからないように人を呪い殺す為に・・・
その心根の恐ろしさ。
Jホラーというのはそういう意味で現役で生きているという。

マライさんは日本の「呪う」を懸命に調べたのだろう。

「満たされない者の怨念」であり「道理の破壊」の切望であり、そしてその実行手段としての「呪い」である。(49頁)

遠き昔、おそらく縄文や弥生の頃から卑弥呼の時代まで「呪う」は政治的な手段であった。

既得権層−中略−に対する怨念の具体化こそが目的となり(49頁)

2016年の出来事だが、「呪い」という言葉に相応しい一言をインターネットの中に見つけて大騒ぎになったという。
凄い言葉。
「保育園、子供落ちた。日本死ね」
これはもちろん国会で取り上げられて、野党系の女性の方がこの呪いの言葉を国会で取り上げて、母達がいかに保育園の少なさを激しく憎んでいるか、恨んでいるかという。
しかし自分の子供が保育園に落ちたから、ある意味で「日本人全員死んでしまえ」という。
この母親の気持ちは怨念として「呪う」に値するホラー。
かくのごとく「Jホラー」は現役であると、マライさんはそんなふうにおっしゃっている。
武田先生も同感。
呪いは日本では現実なのではないか?
それにしても、あの日本を呪った母子は今頃、どうしているのだろう。
お子さんは中学か高校生になっておられる。
「保育園に落ちた」ということは中学いなっているぐらいかも知れないと思う水谷譲。
その間、落ちる度にあの方は呪っておられるのか。
そんなことを考えると呪いの恐ろしさについて、やはり考え込んでしまう。
武田先生のお勉強が凄いのだが、「呪いの時代」という本を読んでいた。

呪いの時代


(この本は文庫本と単行本の二種類が発行されているが、ここでの引用として紹介するページ数は全て単行本のもの)
ここ(「今朝の三枚おろし」)で取り上げたと思う水谷譲。
皆さん、「三枚おろし」を聞こう。
内田樹さんがお書きになった「呪いの時代」というのは、凄い衝撃を持って読んだ。
この方はフランス構造主義の哲学者の先生なのだから。
その先生が「日本っていうのは今や呪いの時代に入った」とおっしゃった。
ここから内田先生に乗り換える。

「呪い」の言説が際だってきたのは、1980年代半ば、ニュー・アカデミズムの切れ味のいい批評的知性が登場してきた頃からでした。この頃から「知性の冴え」がほとんど「攻撃性」と同義になり、「辛口」や「毒舌」という言葉がコラムのタイトルに頻出するようになります。(「呪いの時代」16頁)

テレビで痛快な攻撃手段としてディベートの相手をとにかく急所を突いて攻める。
相手の言葉の関節を砕くような論破の言葉遣いが知性の冴えとされた。
ネット上では相手を最も少ない言葉で効果的に深く傷つける能力が英雄視された。
これは今も変わらない。
「論破」というのは一種、大流行りのアレ。
でも内田先生はもう「1980年代から人々は論破する為に呪いの言葉を好んで用いるようになった」と。
その「呪いの時代」はすでに40年も前から始まっている。
2025年、マライさんはそのことをどこかでお感じになったのだろう。
日本の呪いは今も脈々とネット論壇で「呪怨」「呪い恨む」というマインドが強まっている、という。

呪い系の怪談が、−中略−現実の似姿なのは、−中略−理不尽なネットリンチに遭って自死に追い込まれる」事例を見ればよくわかるだろう。(52頁)

認めなければいけないのは呪いには効果がある。
しかもみんな匿名で呪いの言葉を発しているから本当に恐ろしいと思う水谷譲。
ネットリンチに於ける呪いから他国を非難する時の呪いの言葉まで含めて呪いこそ今、全世界を包んでいる、とこう考えられる。
希望のない言葉でごめんなさいね。
明日から希望を語りますから。

(番組冒頭の話からの流れで)
ちょっと今、水谷譲と世間話で愛子様の話。
愛子様のファンな武田先生。
水谷譲も大好き。
あのお嬢さんは何て感じのいいお嬢さんなのだろう。
全国の若者と会った時に、若者の一人が愛子様から「悩みとかありますか?」とか何かこう。
一人の学生さんが「自分達はボランティアで一生懸命尽くしているんだけど、意味があるんでしょうか?そいういう迷いが生じる時があります」とかと言ったら愛子様があの笑顔で「迷ってらっしゃること自体があなたの優しさではないですか?」。
学生さんが、その答えがもの凄く嬉しかったらしい。
それで思わず「超やばい」と。
何かそんな言葉を使ったらしい。
「しまった」と思ったらしい。
周りの人達も血相が変わってしまって「愛子様に向かって」みたいな。
これが何かYouTubeに上がっていて、涙ぐんでしまった武田先生。
これはちょっと話が間違っているかも知れない。
またそれはお手紙で指摘してください。

昨日言った。
「呪い」というものの恐ろしさ。
今はネットリンチ。
人を責める時とか、メディアを小バカにする時とか。
ことごとく使われる言葉が呪いの言葉。
酷い言葉がある。
「クソ官僚」という人がいた。
「クソ官僚」は無い。
それは大人の使う言葉ではない。
かくの如くネットリンチから国際情勢、「私は正しい、オマエは間違ってる」という理屈で他国を責める。
そういう支配者が今や権力者になっている。
非常に言葉遣いも含めて恐ろしいもの。
これはマライさんが書いていることではなくて、武田先生が引き寄せた言葉だが、マライさんに教えてあげたい。
日本には呪いについて凄く強力な呪い返しの術がある。
日本人の方は知っていると思うが「人を呪わば穴二つ」。
これはやはり日本人が呪いに寄せる思い。
「他者に向けた怨念、憎しみ。そういうものを人に向けると、同じ力でその力は自分にも向かってきますよ」という意味合いで「人を呪わば穴二つ」「人を呪う時は墓穴を自分の為も含めて二つ用意しなさい」。
この「呪い」というものがいかに自らを傷つけるものか。
これは日本人が世界に発信すべき言葉ではないか。
遠い昔の本だが、内田樹氏は2011年、自書でこう説く。

「呪い」は今や僕たちの社会では批評的な言葉づかいをするときの公用語になりつつあります。
「弱者」たちは救済を求めて呪いの言葉を吐き、「被害者」たちは償いを求めて呪いの言葉を吐き、「正義の人」たちは公正な社会の実現を求めて呪いの言葉を吐く。けれども、彼らはそれらの言葉が他者のみならず、おのれ自身へ向かう呪いとしても機能していることにあまりに無自覚なように思われます。
(「呪いの時代」11頁)

(本の中の傍点部はアンダーラインで表記する)
呪いを解除する。
水谷譲が誰かから恨まれる。
解除する方法がある。
内田先生。
ちょっと難しい。
これはできそうにない。

 呪いを解除する方法は祝福しかありません。(「呪いの時代」36頁)

これは難しい。
具体的にどうすればいいのか。
例えばその事実として全く見知らぬ人がYouTubeとかショート動画で激しく武田先生を憎み。
憎んでらっしゃる方がいらっしゃるようで、そういう時、武田先生の悪口も並んでいる。
それから自国民を戦場に送り出しても、兵器とお金が手に入れたいというような政治家の方も世界にはいらっしゃる。
彼等が世界に呪いをかけている。
その呪いを説く為に祝福はちょっと・・・
呪われた人が呪った人を祝福するのかと思う水谷譲。
どうすりゃいいのかと思う水谷譲。
この時にこの内田師匠がこの祝福の言葉の他に、別の言葉でこんなことを言っておられる。

多くの人が誤解していることですが、僕たちの時代にこれほど利己的で攻撃的なふるまいが増えたのは、人々が「自分をあまりに愛している」からではありません。逆です。自分を愛するということがどういうことかを忘れてしまったせいです。(「呪いの時代」36〜37頁)

凄くいい言葉。
つまり「人を呪う人」というのは自分を愛せない人。
YouTubeで匿名で人の悪口を一生懸命書き込む人は自分のことが嫌いで嫌いで仕方がない。
自分を愛せない。
自分の人生を愛せない。
これらの人達の特徴、人を呪うという人達の特徴は「自分を愛する」ということがどういうことか忘れてしまった人。
ならば我々はどうするか。

僕たちはまず「自分を愛する」というのがどういうことかを思い出すところからもう一度始めるしかないと僕は思います。(「呪いの時代」37頁)

自分を愛するということは難しいこと。
人を愛する方が遥かに簡単。
自分を許し、自分を愛する。
そうするとたちまち呪いは解ける。
呪いをかけられたら自分を愛しましょう。
水谷譲が武田先生を両手を合わせて拝んでいる。

理屈っぽい話で朝からごめんなさいね。
でも情報に溢れたこの時代、情報以外の物語を持った言葉を扱うっていうのはとても大事なことのような気がするので。

マライさんが見つけた日本語。

 ワンチャンとは−中略−「ワンチャンス」の略であり、用法としては「ワンチャンいけるっしょ」などが一般的といえる。論理的に考えれば「あわよくば」と完全互換できそうな語にも見えるが、実際の使用状況を観察すると両者には微妙かつ文化的に興味深いニュアンスの相違があり(106頁)

 言い換えれば「もし、すべてのプロセスでこちらの狙いどおりにコトが進めば」いけるっしょ、という感じだろうか。(106頁)

「行きましょうよ。ワンチャン。ワンチャン賭けましょう」
こういうふうに。
この「ワンチャン」というのは歴史的な情景としては、どこの国にもある。

たとえば、
 真珠湾奇襲作戦を検討している真っ最中の大日本帝国海軍首脳部
 が挙げられるだろう。
(106頁)

あれはワンチャンに賭けた。
帝国海軍で山本五十六という人が立てた作戦だが、隙をついて太平洋を横断し、北から回り込んでハワイの真珠湾という軍事施設をいきなり攻撃するという。
あんなことをよくやった。
これこそがワンチャン。

 また、二〇一四年のクリミア併合で「ワンチャンいけた」ことに味をしめて(109頁)

これはもうロシア。
ここにいきなり軍事力を集中してクリミア半島を取ってしまった。
これがワンチャン。
ところがこのワンチャンの難しさだが、真珠湾攻撃から始まったワンチャンに賭ける戦争はその後、四年、もう日本はこの戦争で60%焼かれてしまう。
ロシアはというと、ワンチャンに賭けてこれもいよいよ今年で四年目。
ロシアの優勢は続いているのだろうが、四年経っても終わらない戦争というのは、ロシアの方はどう思ってらっしゃるか知らないが。
最初は三カ月で終わらせるなんて言っていたと思う水谷譲。
最初のプーチンさんがアレしたのは三日(で終わらせると言っていた)。
キーウまで攻め込むのが三か月で。
「三日でカタを付ける」という。
ワンチャンに酔ったばかりに戦後、その後のチャンスの後の戦後の苦しみというのはもの凄いものだ。
そのことを忘れてはならない、ということ。
ロシアの皆さん、考えましょうよ。
北朝鮮中国がロシアを助けるとは思えない。
両国とも自腹を切ってロシアを救おうという、そういう思いは無いような気がして仕方がない。
著者マライさんは歴史上の戦争から、いくつものワンチャンの悲惨を挙げている。

第二次世界大戦終盤のドイツ軍の「ルントシュテット攻勢」(いわゆるバルジの戦い)や、日本軍の「あ号作戦」(いわゆるマリアナ沖海戦)の内情もまさにそんな感じで(110頁)

ナポレオン・ボナパルト。(111頁)

アルプスを越えてイタリアに攻め込んだイタリア侵攻。
全部その後、負けている。
ワンチャンなんてありえない。
ワンチャンに賭けたばかりに、他の戦線で敗北のつまづき。
そのつまづきが連続で大きな敗北で終わるという。
「ワンチャン」とはまさしく「ワン」であって「ツーチャン」「スリーチャン」は無いんだ、と。

これはマライさんではなくて武田先生(の考え)だが、ロシアも中国も北朝鮮もアメリカも、そういう意味ではもうとっくにワンチャンを使った国である。
では日本はでどうでしょう?
日本が持っているワンチャンを戦争の為とかそういうのではなくて、違うものに使うと日本はワンチャンの後、ツーチャン・スリーチャンを手にすることができるという。
武田先生がこんなことを言うのは、そのせいなのだが、インバウンドの人達の増加というのは何があるんだろうか?と不思議で仕方がない。
小さいことだが、朝の散歩に行った後、時々水を買うコンビニがあると思ってください。
そのコンビニが、近頃インバウンドに大ウケしている神社の近くなものだから、もうそこのお客さんの3分の1は外国の人。
もちろん東洋系の人達ははっきりしないのだが、白人のそれもヨーロッパ系の人達は何かを日本に探しに来ている。
この間も2mぐらいある大男のおじさんがいて、武田先生が水を買う為にそのコンビニに入ろうとしたら先に入った時に扉を開けて待ってくれている。
そのおじさんに、武田先生は日本人だから「あ、ありがとうございます」と言いながら頭を下げた。
そうしたらそのおじさんが同じ角度で頭を下げて「アリガトウゴザイマス」と言う。
つまり彼はバウという習慣が面白くてたまらない。
彼は一生懸命、日本から何事かを探しに来ている。
その「何事か」がまだある国という。
インバウンドもいろんなところで問題になっているが、彼らが探すもの、その中に実は日本と日本人があるのではないか?と。

一番最後に武田先生にふさわしい言葉を選んだ。
「隠居」

 いまどきの社会構造からみて、老いてもリタイア後に隠居して悠々自適に暮らすという目はもうありません。なので、体を壊さず死ぬまで働き続けるにはどうすべきかを考えましょう!(152頁)

そんなことを知り合いのサラリーマンが言っていたそうだ。
かつては人生の総まとめの期間として、マイペースでたとえ貧しくあっても、のどかに自分らしく生きる時間として「隠居」という言葉があったのだが、世界の中には、特にドイツなんかではマライさんがおっしゃっているが、優雅な隠居生活に入る方がたくさんいらっしゃるそうではある。
しかし日本では隠居が今は難しくなっている。
日本では死ぬまで労働。
その為に死ぬまで健康維持。
これが大事だという。

「どこかで体を壊し、労働できない状態になり、医療費が底をつき、誰も助けてくれない」という究極の生殺し状態に陥ることだろう。(154頁)

この隠居の言葉を扱いながら、マライさんが心配なさっているとか主張なさっているのが医療費が高騰しているので、これが高くて恐ろしいというのもあるのだが、もう一つ、技術産業構造そのものが近頃、高齢者を切り捨てる準備をしているという。
これは武田先生はわかる。
情報技術、そういうものがお年寄りを切り捨てるという。
それは例えばスマホとかパソコンとかAIとかと思う水谷譲。
もうわけがわからない。
ついていくのが精一杯な水谷譲。
コンビニに入ると最近やはり人員削減の意味合いも込めて、セルフレジとかバーコードの付いたあれでピッと当てるという。
年寄はそんなもの。
技術は年寄りなんぞを切り捨てて、どんどん進んでいく。
武田先生も思い知っているが、夏場にちょっと働き過ぎて、両肩がおかしくて。
今はもうかなり回復したのだが、四十肩みたいなのがやってきて。
「遅まき」のということかと思う水谷譲。
70半ばの四十肩でずいぶん若返ったのだが。
痛かった。
腕が上がらないというのが一か月ぐらいあって。
それから上手く歩けないというのがあって。
それから指先が力が入らない、曲がらない。
もうちょっとで回復だと思う。
これで、何て人差し指と親指を使う仕草が、動作が、生きていく中で多いのだろう。
ビニールのフタを剥がすとか、キーを差し込んで回すとか、ノブを回すとか。
それから車の運転も、人差し指が使えないと、車庫入れする時に切り返しが多くなる。
だから二回切り返したら車庫入れできるのに五回ぐらい切り返さないと。
それから切り返しのタイミングも遅れてゆくという。
マライさんがおっしゃっているのは、現代のお年寄りというのは何かというと、

隠居できず引退できず、さりとてアップデートもできない層(158頁)

そのことについて、多分マライさんは「年寄りは声を上げるべきだ」「そうしないと技術とか産業とか情報技術というのは年寄りを捨てていきますよ」という。
(コンビニで売っているような)おにぎり。
(セロファンを剥がす)手順がある。
ちゃんと1・2・3がある。
あれは上手く海苔を巻けないイギリスの女性が言った不満をコンビニが吸い上げた。
やはり企業は凄いなと思うが、その不満を聞いて「1・2・3の手順でやれば大丈夫」という。
よくできている。
そういう不満を年寄は上げるべきだ。
そのことが日本の技術を豊かにしていくんだ。
だから沈黙しちゃダメだ、という。
何かそれは凄くマライさんの励ましの言葉に武田先生は取れた。
薬にしても切れ目の入れていない袋は腹が立つぐらい開けにくい。
それと切れ目が入っているところを教えてくれるデザインをしていないとか、丁寧に色分けしていないとか。
それを探してあっちこっち・・・
やはり老眼で見えないのはメッチャ腹が立つ。
細かい字はもう難しくなっているのでわかる水谷譲。
マライさんがおっしゃっている、そんなことを絶対に沈黙しないで「おたくの商品ではそれはできません」と声を上げないと産業や技術は間違った方角に行きますよ。
スマートホンで燃え出すヤツ。
「バッテリーのリチウム電池が発火して」ということだと思う水谷譲。
そんなものを売ってはいけない。
あれはそのメーカーにもよると思う水谷譲。
でも火を噴く。
「目を離さないでください」と、そんなバカな道具が世界中どこにある。
リチウム電池。

と、言うワケでお届けしたという今回だが、マライさんが非常に高尚な文章でなかなか手強い本だったのだが、武田先生なりにということでやってみた。
間違ったところがあったらマライさん勘弁ね。


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