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2026年05月23日

2025年7月14〜25日◆話が通じない相手と話をする方法(前編)

何でこういう話題を取り上げたのかというと、もう今、世界が苦しんでいるのはこれ。
話が通じない相手とどうやって話をするか?
諦めてしまったら大変なことになる。
でも、話し合いできないところがいっぱいあると思う水谷譲。
「話が通じない相手と話をする方法」

話が通じない相手と話をする方法――哲学者が教える不可能を可能にする対話術


(本の中の傍点部はアンダーラインで表記する)
半分ぐらい切なくなったのは、この本はもちろんアメリカの本。
アメリカの方がお書きになった本でピーター・ボゴジアンという人と、ジェームズ・リンゼイという方の共著で晶文社から出ている。
「話が通じない相手と話をする方法」
武田先生はこの本を手に取ってしみじみ思ったのは、もうこれを考えないと世界は進まないぞ、という。
2025年、アメリカのトランプ政治が始動したのだが、世界はどうなったかというと混沌を増して。
もう皆さんもご存じの通りアメリカは分断が凄い。
ニュースで知ってらっしゃるだろうと思うが、もうまるで南北戦争のような様相を呈していて。
その中でアメリカの知恵ある人の中で「何とかしないとアメリカ本当にまずいぞ」という。
この「何とかしないと本当にまずいぞ」というのは、実は世界中散らばっている。
戦争を始めたはいいが「どうするんだい?」と言いたくなってしまうロシア。
もちろんウクライナにも言いたいが、まずはロシアに言いたい。
それから中国の動向。
そしてイスラム世界とユダヤ教の争いのあの例の中東の大揉め。
もう「話が合わない」とか「通じない」相手との諍い事。
このアメリカの人が「それでもなお、話していかなければ地球はどうなるんですか?」という、そんなことを叫んでおられるような。
このお二人の著者、ピーターさんとジェームズさんが事細かに「こうやろう、こうやろう」と模索なさっているのだが、具体的な話ではないからもう面白くも何ともない。
「話の通じない相手に対して自分がどう行動すれば」という本。
だから読みながらもの凄いフラストレーションを感じる。
だが論争はいいが、昨今論争の向こう側に行ってしまって、罵り合い。
この間も、お二人とも頭のいい方なので、それぞれお考えがあるのだろうが、山本太郎さんと太田光さんが論争をなさっていた。
政治的な激論だが、激論というよりもケンカ。
EU、G7、ブリックス(BRICS)、それからイスラエル対パレスチナ。
それからアメリカにおいて保守・リベラル。
そういうもう殆ど断絶した関係で、「呪い合うような関係」というのが急速に進んでいると。
この本の著者達は、その分断とかというのは何が問題かというと、両者の会話に於けるスキル、技が下手になっているとおっしゃる。
対立も分断も互いをバカにし合うということで。
「寒くてたまらない」というような罵り方をするのだが、その中に寒ければ自分が上着を取りに帰るとか、そいういう工夫が全くしないのが今の語り合いではないか?という。
譲れるとか譲れないとか、何かそこだけを語りたがっている、という。
「それじゃあダメなんだ」と、この著者は叫んでいるような気がして。
話の通じない相手に対して私達はどう上着を着こむか?着こむことによって寒くない状態をお互いに作ることがいかに大事か。
対立と分断より危険な敵対と戦闘、或いは殺し合いという事態に至らない為に、一体会話する時にどんな心がけが必要なのか?という。
話が通じない人に対しては「もうダメだ」とあきらめる水谷譲。
こんなストレスになるくらいならもうこの人との関係を切ろうと思うが、世界情勢はまた違うと思う水谷譲。
やはり関係を切れない時がある。
ここから二週にわたってしつこい話になるかも知れないが、でもその思い、つまり対立と分断より危険な敵対と戦闘、或いは絶滅、殺し合うか否かという事実が世界中で進んでいる。
その中で一体、我々は何を考えよう?という。

ほんの少ない一例なのだが、1970年代、朝鮮戦争という戦争が起きた。
(亡命者の研究をしたのが1970年代で、朝鮮戦争が1970年代ではない)
こんな奇怪な出来事が起こった。
捕虜の交換に応じるという条約を結んでもアメリカ人捕虜のうち北朝鮮に亡命した者が結構いた。
日本もいた。
日本の学生運動を熱心にやっている人は、ハイジャックしてまで北朝鮮に渡ったということがあった。
そういう人が何で出たか?ということをまず考えてみようという。

朝鮮戦争中にアメリカ人捕虜のうち北朝鮮に亡命した者がいたのはなぜかを調査した。彼の研究によれば、亡命者のほぼ全員が、ある一つの訓練所の出身者だった。そこでは訓練の一環として、北朝鮮人は残忍で冷酷な野蛮人であり、アメリカを軽蔑し、一心不乱にアメリカの破滅を目論んでいると教えられていた。しかしこの捕虜たちが捕獲者〔である北朝鮮人〕の親切さに触れとき、訓練所での洗脳が解けたのである。(25〜26頁)

人間の不思議さだが、信じていたことを全部ひっくり返されると、信じ込ませた人を激しく憎むようになってしまうという。
このへんに洗脳の恐ろしさが両方ともある。
これと同じことで、人を説得することの難しさ、対立やら敵対のもの、そういう人達とどう語り合えばいいのか?
でもこれは難しいかも知れないが、大事なこと。

 会話のパートナーの思考を理解することを、(第一の)目標に捉えよう。(27頁)

会話で相手を打ちのめすこと。
そういうことしちゃダメ。
「理解しよう」という、まずその気持ちになること。

会話でのあなたの目標が「共同作業」と「理解」であることをはっきりさせること。(29頁)

「どうしてこの人はこんなことを信じるようになったのだろうか?」と、相手ではなく自分自身に問うこと。−中略−不信感ではなく好奇心にもとづいて。
 あなたがこの問いに答えようとしている限り、
−中略−攻撃的な雰囲気を避けられる確率はぐっと上がるだろう。(30頁)

これは前にも言ったかも知れないが、最近の批判の言葉が「呪い」の言葉。
打ちのめすことをしきりに考えておられる。
それから今いらっしゃる。
「論破王」とか。
やや上から目線のからかい言葉で相手をイラつかせるとか。
何かそういう「ディベートの上手な方」というのが、論客としてもてはやされている。
でもそれでは話をすることはできないような気がする。
それは本物のディベートではない気がする水谷譲。
相手を打ち負かす、打ちのめすということに目標を置いてしまっているから、おっしゃるように何もそこから生まれない気がする水谷譲。
ここで考えなければならないのは、どうぞおやりになる方は参考にしてください。
一生懸命、武田先生も読み説いた本なので。
まず討論する人に向かってこう言いましょう。
「私と10分ばかりで結構ですから、話してくださいますか?あなたを何と呼べばいいでしょう?実はあなたが主張しておられること、私、興味があります。私はその考えとは全く逆の考えを持っているのですが、あなたがそう考えたこと、どうしてそう考えたか、それを私に話してください。すると私はあなたをほんの少しかも知れませんが、理解することができるかもしれません」
こういう言葉遣いでないと人間は討論しないということ。
水谷譲はたまに放送で、ちょっと尖ったことを言うと一気にXで批判が来たりするのだが、そういう時は「水谷、オマエ何言ってるんだ」という「呪いの言葉」だと思う水谷譲。
だから「あ、私もじゃあ別にお話することはありません」となってしまうが、そういう感じできてくださったら「あ、ちょっと話し合いしよう」とは思う水谷譲。
つまり「呪いの言葉」の危険さを分かっておられないから「水谷オマエ何言ってるんだ」ということが言えると思う。
それは「呪いの言葉」の危険を知らない。
武田先生は内田(樹)さんの文章を読んでいて、この方の文章の中でもう遠い昔に書かれたあの本の中で「呪いの時代」というのがあった。

呪いの時代


(この本は文庫本と単行本の二種類が発行されているが、ここでの引用として紹介するページ数は全て単行本のもの)
人間の話し言葉の中、或いはSNS、他者を非難・批判する時に、人々は呪いの言葉を使うようになった。

 僕たちの時代は「呪い」がかつてなく活発に活動しています。(「呪いの時代」35頁)

ネット上の掲示板に繰り返し「死ね」と書かれて、それに耐えきれず自殺する人が毎年何十人(何百人かも知れません)となくいます。(「呪いの時代」36頁)

昔から「人を呪わば穴二つ」といって、呪ったその人もやがて暗い墓穴に落ちることになる。
「そのことをぜひ自覚してくれ」という。
水谷譲が言ったように、意見が違う人でもその出方によって「この人と10分ぐらいだったら話してみよう」。
「10分」というのはいい時間。
こういう言葉遣いを著者は挙げていて、この言葉だけでも世界で煮詰まった話題は相当進むのではないかなと思う。
延々とこの手の話になってしまうかも知れないが、なるべくわかりやすく進めていこうというふうに思う。

まずは言葉遣い。
この言葉遣いでラポール、心地よさを挟む。

 ラポールとは親近感の一種だ。ラポールを会話のパートナーとの間に築くことができれば、相手に親しみを覚えるようになる。−中略−双方ともに心地よさを感じ(33頁)

「気持ちのいい会話ができそうだ」という。
「ラポール」と言うそうだ。
この時、決して他人を話題にしない。
どこまでも自分の体験を語り相手に渡すこと。
「あなたこうやったでしょう」と言うと日本語でいうところの「角が立つ」。
「私こんな体験したんですけど」
自分の体験を語って相手に渡しなさい。
パラレル・トーク、他人の体験で惹きつけようとする。
「それじゃダメなんだ」とこの著者は言っている。
(「パラレル・トーク」に関する説明は本の内容とは大幅に異なる)
同じ場に立つ為には自分の足でフットワークすること。

「〇〇をすべきだ」とか「〇〇はすべきではない」といったように。−中略−ラポールを損ねる。(38頁)

正義の言葉遣いをすると対話はたちまち、勝か負けるかの試合になってしまう。

 他の人と同時に話し始めてしまった場合、話し続けてはならない。代わりに、「お先にどうぞ」と言おう。(39頁)

たまたま相手と同じタイミングで話し始めてしまい、かつパートナーが話し続ける一方であなたが黙って聴き続けているというような場合、再び話し始めるときに会話がバッティングするきっかけになった語句をまた用いるのはよすこと。
 あなたが誰かと会話していて、その相手と話し始めるタイミングが被ってしまったとしよう。あなたが最後に言いかけの言葉が、「それで彼は私にこう言ったんですよ──」というようなものだったとする。あなたが話す番が再び回ってきたときに、「それで彼は私にこう言ったんですよ──」という〔同じ〕言葉で始めないようにすることだ。そうしてしまうと、その間にパートナーが話したことをなにも聞いていなかったという印象を与えてしまう。
(42頁)

相手と話の切りだしでぶつかる。
相手に譲ってあなたの番。
その時、話しかけて止めたその言葉で始めてはならない。
そんなことをすると譲って聞いていた相手の話をずっとあなたは無視して自分の順番を待っていただけの人になってしまう。

「なるほど、分かります」と言うこと。(43頁)

会話中はスマートフォンをいじらないようにすること。(43頁)

これはもう例として挙げるのは面倒臭いので辞めてしまったのだが、その話っぷりはどうかというので、この著者の二人はいろんな人と対話をやっている。
それでピーターさんという人が短気らしくて、殴り合いのケンカ直前までになっている。
それを全部本に書いてある。
何がまずかったかをピーターさんに後でジェームズさんがお説教するというそういうパターンがある。
やはりどこでも揉める原因は言葉遣い。
相手に向かってピーターさんが「あなた大学で先生やってるんでしょ?」。
「やってますよ」と向こうが言う。
「よく教えられますね」
(本によるとピーターは言われた側)
それはケンカになる。
感じが悪いと思う水谷譲。
それをジェームズさんが切々と説く。
まず相手に対する尊敬の気持ちが無いと思う水谷譲。
それと自分のことを話さなければ。
「あなた大学で何やってんですか?〇〇やってます?よく教えられますね。それで学生に」とか、相手のことを話すべきではない。
そういうこと。
そして大事なのは「あなたと話していると私は変化している」。
「ほんの僅かでもいいから、変化している自分を見せなさい」という。

武田先生なんかも今、ニュース番組に出ている。
「今日はこういう話題です」というのは、知らせがテレビ局から入る。
その時に武田先生もあまり黙っていて出演するのも悪いし、みんな気を張り詰めてやっているから「こんな言葉並べればいいかな」と思って下にノートを置いて書いている。
それが結構役に立つことがある。
だが「話題がこういう話題なので、こんなことを話そうかな」と自分がメモ書きした紙がある。
これの使い道に関してジェームズさんが教えている。
訊きたいこと、伝えたいこと、それを用意してメモ書きしても構いませんよ。
フッと言葉は出なくなることがあるから。
でもそこで約束。
絶対忘れちゃダメよ。
それは「一切使わないという覚悟で書いてないとダメ」という。
書いたばかりにその一言を言おうとする。
そうすると話がグジャグジャになる時がある。
相手と話しをする時、聞きたいこと伝えたいこと色々用意してメモ書きもOK。
でも話の流れによっては一切使わない。
いつでも破り捨てられるという思いを持っていないとダメですよ。
聞きたいこと、伝えたいこと、それを相手にぶつけてしまうと話が通じなくなりますよ、と。
著者は自分が聞きたいこと、伝えたいことを用意しておくという、これを「伝令のメッセージ」と呼んでいる。
(本の内容とは異なる)
武田先生はこんなことを思いついて書いている。
これは武田先生の立場、テレビタレントで、ニュースワイドショーみたいなのに出ている武田先生から言うとテレビスタジオのADさんのカンペ。
番組を進行していて、もう皆さんもよく知っておられると思う。
実はキャメラの方を向いて喋っているが、その下にADさん、アシスタントディレクターという方がいて、「次はこれを聞いてくれ」と時間の計算をしながら出す。
それを今、思いついたようにメインのキャスターさんが語るワケだが。
これが邪魔な時がある。
番組進行上、どうしても触れなければいけないという時もあるのだが。
ADさんはちょっと申し訳ないが、腕前もあって。
下手なADさんは、とんでもないことをカンペに書くことがある。
これはちょっと、また怒られてしまうかも知れないが、カンペを読んで思わず「バカ」と言ったことがある。
言った方がわかりやすいから、もう言ってしまう。
あるヒット曲を生んだ歌手、シンガーの方の「売れた時の喜び」とか「売れることによって生活が一変する」という、そのことをみんなで盛り上がっていた。
水谷譲は体験が無いかも知れないが、芸能の暮らしの中に入るとある。
ある日、突然、道を歩いていて、全部の人が振り返って見ている。
特に昭和なんかは多かった。
武田先生達なんかも売れ出したのはラジオで売れたワケだから。
顔を知られていないが何本かテレビに出ると「あの歌、歌ってるのはアイツだ」とわかると人の視線が集まる。
そのことを話していた。
「帽子を深めに被るようになった」とか「サングラスかけた」とかという。
その時、そのADの人が「(ギャラは)いくらぐらい入ってきた」と書いた。
それはないと思う。
流れとしては「ヒットする」ということで生活がどう変化するかだが、それで給料がどのくらい、いくら現金が入ってきたかを・・・
あんまり品のいい質問じゃないという感じがする水谷譲。
ごめんなさいね。
武田先生はもうちょっとカッとなってしまって。
ADさんの指示は大事かも知れないが、時として全てをブチ壊す可能性がある。
人と人とが話をする。
その話に質問で割り込むことというのは、もの凄く色合いを変えてしまうことがあるという。
そういう世界に武田先生達は生きている。
ちょっと感情的になり過ぎかも知れないが。
二人で話している真ん中に入って「お金の話をいきなりした」というのが、何ともはや、武田先生としては許しがたかった。
やはりADさんは重要だと思う水谷譲。
絶対に重要。
ちょっと武田先生は芸能界が古くてジジイなものでカッとなった。

問答の達人、人と対話することの達人、名人という方が歴史上におられて。
いよいよソクラテスの登場。

 次に紹介する議論は、ソクラテスとメノンの間のもので(47頁)

ソクラテス (……)或る人々は悪いものを欲するが、他の人々はよいものを欲するという意味で言っているのかね? ではきみ、人はそろってよいものを欲していると、きみには思えないのかな?
メ ノ ン たしかに、そうは思えませんね。
ソクラテス 悪いものを欲する人もいる、と言うのだね?
メ ノ ン ええ。
−中略−
ソクラテス 「するときみには、メノン、悪いものが悪いということを知っていながらしかもなお、そうしたものを欲するような人が、現にいると思えるのだね?
−中略−
メ ノ ン 悪いものが有益であると考える人々もいるでしょうし、実は害があると知っている人々もいるでしょうね。
ソクラテス 一体、悪いものが有益であると考える人々が、悪いものが悪いということを知っていると、きみには本当に思えるだろうか?
(48〜49頁)

ソクラテス すると、メノン、少なくとも人が惨めで不幸な者でありたいと思わないなら、誰も悪いものを欲しないことになる。(50頁)

「ならばその人達もよいものを求めている私達と同じ人ではないか?」
そういうこと。
「よいものを求めている」は両者とも変わらない。
「両者とも変わらないところから話し合ったらどうか」という。
そのこと。
だから共通するところまで遡る。
それが話し合いの大事なところではないだろうか?と、ソクラテスはこういうワケで。
「同じ立場のところまで戻ってみる」という。
これは一つの対話の条件ではないか。

話がだんだん難しくなってくる。
目の前にいる相手は決して好きではない。
好きではないどころか悪の塊みたいに思っている。
あなたを邪悪と誤解し、敵意を持つ人があなたの前にいる。

もしパートナーが悪い意図をもっているなと感じ始めたら、好奇心モードに切り替えること。−中略−次のように言ってみよう。「−中略−あなたは私が知らないことを何かご存じなのでしょう。私にも理解できるように、そのような結論に至ったのはどうしてなのか、もう少し詳しくお聞かせいただけないでしょうか?」。(53頁)

「この会話でどうしたいと望んでいますか? この会話から何を得たいと考えていらっしゃいますか?」だ。(54頁)

それでこの人がストックフレーズ、決まり文句のスローガンを言い始めた。
そうすると話題は切り替えた方がいい。
この「ストックフレーズ」というのを覚えておいてください。
決まり文句のスローガン。
これはもう討論会を見ていてもそういう方がいらっしゃる。
「消費税は廃止すべきた」「彼らは賄賂を受け取っている」など、選挙公約のようなことを繰り返すならば。

苛立ちの感情が目立つようであれば、会話をそこで止めること。(59頁)

水谷譲が言っていたのはここ。
だからやめてもいい。

 文字通り、呼吸しよう。(59頁)

相手が会話を終わらせたいようであれば、話してくれたことについて礼儀正しく感謝すること。(60頁)

「あなたが退く場合は、時間を割いてくれたことに礼を言いましょう。そして相手を理解する為には私には時間が欲しい旨を伝えるべきです」という。
決して喧嘩別れで終わらないように。
くれぐれも沈黙で終わるな。
沈黙は良い印象を与えない。
説得や議論が上手な人の条件は聞き上手。
それが条件だ。
聞き上手が一番難しいと思う水谷譲。
でもこのストックフレーズが溢れ始めたらもう、止めた方がいい。
ストックフレーズばっかりの人はいっぱいいると思う水谷譲。
そう。
だからそのことを言っている。
今、あまりにもストックフレーズが多すぎる。
それさえ言ってしまえば、まるで結論のように。
「消費税は廃止すべき」
分かる。
払いたくないのはよくわかるが、消費税には消費税の何か正義があるはず。
本当におっしゃる通りで、話し合いというのは「じゃあ廃止にするんならどうするの?」ということで、それを言わないで「反対反対」というのはもう本当にいわゆるストックフレーズということだと思う水谷譲。
プラス「庶民の気持ちが分かってない」とかいろんなストックフレーズがあるが、このストックフレーズを振り回す人の危険さというのはある。

会話の技術をここからワンステップ高いステージへ。
著者が言っているのは「論破」とか「言い負かした」とか「ディベートの達人」、こういう人達が勝者のような。
これが果たして楽しいだろうか?
勝ったところでまた一人になっただけではないか?と。
目指しているところはどこなんだ?
私は一人ではない。
それを証明したかったんだろ?
そのためにどうして論破して一人になっちゃうんだ?
食事をする時、私達は満腹を目指して食べているワケではない。
分かち合える宴。
誰かと一緒に食べているという喜びを味わいたい。
「論破」とか「言い負かす」とかディベートの達人が目指していることは一人で満腹することじゃないか?
一人で満腹して何が美味しいんだ?という。
ただの自己満だと思う水谷譲。
私達はいつでもそうだが、誰かと分かち合える晩餐を楽しみたいと思う。
私達は笑顔の乾杯を目指している。
私達は飲んで酔いたいワケではない。
乾杯の笑顔を確認したいんだ。
一番大事なこと。
論破とか言い負かしたとかディベートでうっとりなさる方。
はっきりさせておかなければならないのは、あなた方はあなた方自身を知ってください。
そのことが会話の技術を高める技となります。

最近、武田先生もやっとできるようになった。

知らないときは「知らない」とはっきり言うこと。(72頁)

「昨日飲んだでしょう、お酒」
「いや、知らない・・・」
何かそういう。
それはただの嘘で、ちょっと方向性が違うと思う水谷譲。
分からなかったら「分からない」。
「知らない」「分からない」を正直に恥じ入らず、相手に伝えなさい、という。
「アンタやったんでしょ!」
「いや、分からない・・・」
バカ言っている間に時間いっぱいになった。
これでちょっと頑張って、山ほどのネタがあるもので、来週も抽象的な話でまことに申し訳ありません。
時々変なヤツをやるが、それがこの番組のエグミだと思って楽しんでいただければ嬉しい。

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