ピーター・ボゴジアンとジェームズ・リンゼイさん、そのお二人がお書きになった晶文社「話が通じない相手と話をする方法」という非常にストレートなタイトルの本。
もうそのまま、まな板の上にのっけているワケで。
話が通じない相手。
もう本当に近頃は多い。
でも「やっぱり話をしないとダメですよ」というピーターさんとジェームズさんの思いの熱さみたいなものに押されて、皆さんに紹介しているワケだが。
知らないいときは「知らない」とはっきり言うこと。
何かを知らないことは恥の印ではない。(72頁)
「分かりません」と言っても大丈夫な雰囲気になる。そしてあなたのパートナーも知らないことを認めてよいのだ、という許可を暗黙裡に伝えられる。(70頁)
相手に話をぼやかされたり回答を拒否されてしまったら、全く同じ質問を自分にするように頼んでみること。−中略−
簡潔な回答をしてみせて(つまり、相手にしてほしいことの手本をしてみせて)、それからすぐに全く同じ質問を相手に投げかけよう。(72頁)
ここで重要なのは知らないことは聞く。
分からないことは説明してもらう。
この態度が大事なんだよ。
当たり前のことなのだが、意外とカッとなるとこういうことを忘れてしまう。
例えば、電気機器の半導体はどのように機能しているのだろうか。(74頁)
そこから聞けという。
やはり安直に我々は「半導体の問題もありますし」とかそう言ってしまうが、電気の機器に半導体は何で必要なのか?
こういうことをちゃんと聞け、という。
業界用語・専門用語は避ける。(74頁)
やたら酔う人がいる。
アルファベットみたいなことばっかり叫んでいる人がいる。
それからこの著者が言っているので、敢えて日本ふうに置き換えるが、私達は語り合う時、用語一つもそれぞれで意味が違うんだ、という。
これはギクッとした。
「経済」という言葉がある。
だが、いわゆる経済評論家、それからその経済のことを勉強なさっている方がいらっしゃるけれども、「経済」といっても「経済」という言葉の意味が違うという。
よく考えてみるとやはり比べると「経済」という言葉、その単語の意味が違う。
更に「政府」という単語も何か使っている単語が違う。
もしこの二人が「政府」についての会話をすることになったら、ほとんどすべての政策について同意している場合でさえ、言い争いになってしまう恐れがある。−中略−事前に言葉を定義し、その定義について同意を得ることでいくらか減らすことができる。(77頁)
石破さんというのは「政府」という言葉に一種メルヘンみたいなものを感じておられて。
山本太郎さんはひたすら邪悪なものとして語っておられる。
それぞれ「政府」という言葉の意味が違うような。
そのために言葉の丈を揃えるという意味で重要なのは質問する力。
質問する力とは一体何か?
「はい」と「いいえ」だけでは済まない。
較正済みの質問。
「較正」とは計器類の狂いや精度を比べて正す標準器のこと。
較正済みの質問は、「どのように」や「なにを」といった内容を訊ねるもので、〔英語だと〕「how」や「what」で始まる疑問文を指す。(81頁)
決して機械の点検のふりをしてハンマーで叩いて音を聞き取るというような、そんな質問の仕方じゃダメなんだという。
何か計器類の点検のふりをして言葉を叩く人がいる。
「今、おっしゃった政府という意味はこういう意味ですか!」とかという、剣呑な言い方で。
だから最近の討論とか対話とかというのは叩き合いになっている。
「今、言った」とか「言わない」とか。
どのように動けばよいのか、何がそれを動かしているのか。
質問は重しを付けて真っすぐ下へ降ろすこと。
重石で鞭みたいにコンコン叩いたりしない。
質問は振り回すものではない。
「無闇に質問を振り回していると、あなた額に当たって怪我しますよ」という。
「下手くそのヌンチャクと同じなんだ」という。
「真っすぐに聞きなさい」という。
では我々はその政府に対してどう動けばよいのか?
そう動いた政府は何をどう動かしてくれるのか?
米問題にしろ何にしろ、そういうところの真っすぐな討論というのが抜けているのではと思うのだが、ちょっと生意気なことを言って申し訳ございません。
「話が通じない相手と話をする方法」
学びが多い。
アメリカ南部の諺で、−中略−こういうものがある。「あなたがどれだけものを知っているかなど誰も気にかけない、あなたがどれだけ気にかける人なのか分かるまでは」。(85頁)
つまり私を気にかけてくれることが分かるまで、あなたの知識やあなたの経験などはどうでもいいんだ、という。
もうそのまま何か投げかけたい人の顔が今、水谷譲の目の前に浮かんでいる。
いっぱい知恵を持っている人がいるのだが、でもよく考えるとその人達の知恵を聞きながら「関係無ぇや」と思っている。
でもその人がほんの僅かでも「あなたのことが気がかりで」というと、もの凄くその人に信頼を寄せてしまうという。
味方でなくてもいい。
でも「あなたに対し、私は敵にはならない」そのことを相手に必ず伝えることですよ。
今、極論が世界中。
だからこのお二人、はピーターさんとジェームズさんは、この本「話が通じない相手と話をする方法」なんてお書きになったのだろうが、もう極論ばっかり。
まずは大きな国であるアメリカという国がある。
ここが「MAGA」「Make America Great Again」という、これが今、アメリカの大メッセージ。
「上段に振りかざす」という。
しかしどこの国だって自分の国を偉大にしたい。
小国であろうがなかろうが。
「MAGA」「Make America Great Again」という発想。
これは極論。
そして中国にもある。
中国の愛国運動「愛国無罪」。
国を愛すればどんな悪いことを他の国でやってもそれは無罪になるんだ、という。
日本も負けていない。
「尊王攘夷」
かなり昔だと思う水谷譲。
そういう極論。
MAGAとか愛国無罪とか尊王攘夷。
それを叫べばあなたはスカッとするかも知れない。
だがあなたは絶対に真似しちゃいけない。
いいですか?
スカッとする他、何も無い。
そのことを知るべき。
大事なことは明日もしたくなるような対話を今日、仲間とすること、という。
そしてその話を将来もしたくなる。
そういう対話の場を持つことじゃないですか?
人類という種である私達は対面での会話ができるように進化した生物。
そのために表情や口調、仕草を持った。
そして時に哲学的言葉を使って語り合わなければならない。
やはり哲学が無いとダメ。
「私は知っている」と主張するならば、その理由があるはず。
●個人的な経験や感情−中略−
●文化−中略−
●定義−中略−
●宗教−中略−
●推論−中略−
●証拠−中略−
まず最初に、彼の認識論の基礎になっている広いカテゴリーはどれかを見分けよう。(112〜113頁)
人のことを誹謗中傷する人を今、「ディスる」と言う。
SNSなんかで大流行。
相手を傷つける。
その言葉が短ければ短いほど「アイツはできる」という評判になる。
何を傷つけるか。
水谷譲もやられていると思うが、水谷譲の努力していることを「無駄だ」と笑う。
それが一番、人間は傷つく。
傷つくしムカつくと思う水谷譲。
でももう一歩考えよう。
これは前、先週言ったように「呪いの言葉」。
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(この本は文庫本と単行本の二種類が発行されているが、ここでの引用として紹介するページ数は全て単行本のもの)
(本の中の傍点部はアンダーラインで表記する)
努力することへのインセンティヴを傷つけるというのが社会的差別のもっとも邪悪かつ効果的な部分なのです。(「呪いの時代」34頁)
何で努力してる人を傷付けるのか?
それはその傷付けている人が努力をしたくないから。
努力してもダメな人だから人の努力を笑う。
僕たちの時代にこれほど利己的で攻撃的なふるまいが増えたのは、人々が−中略−自分を愛するということがどういうことかを忘れてしまったせいです。(「呪いの時代」34頁)
ディスる人のことを考えると、それをやって自分でスカッとしていると思う。
でも違う。
自分で自分をどうしても愛せないから人に「愛するな」と勧める。
でもそれが現代。
そうやって考えると、先週話したが呪いの言葉の恐ろしさ。
他者の努力を認めないということは、努力しても無駄な私を人を使って証明すること。
(番組冒頭の話からの流れで「気」という文字の話なので割愛)
「話が通じない相手と話をする方法」
人は認識について、このうちのどれか、或いはどれか一つによって主張している。
主張や信念というものは身に付けた衣服のようなもの。
それを身に付けて。
自分の考え。
なぜそれなのか?
その主張の何が好きかどこで納得したか?
好奇心いっぱいに尋ねること。
それが大事なことなんだ。
学びモードを採用すれば、ほとんどすべての会話で軟着陸を決められるようになるし(122頁)
ディスったりしないで興味を持って聞きなさい。
あなたはこの途中で決して結論を言うべきではない。
「そういう考えを持つと元気が出るの?」とかと尋ねるべきだ。
例えば「宇宙は神が造った」とか、「イエスは処女マリアから生まれた」など、これを返す言葉として「私は信じられない」と言った瞬間にもう対立しかない。
しかしこの二つを真理として13億の人が認めている。
あなたはシスティーナ礼拝堂のミケランジェロの天井画を見上げながら同じことを言えるか?
「この絵は嘘だ。神が真っ裸のハズが無い」とか「私は信じられない」と言えない。
これは疑うよりもそう信じている人達、その人達が一体何を成そうとしているのか?「これを信じることによってあなたはどう行動したいの?」というそのことを聞くべきじゃないかという。
そうするところからきっと話は絡み始める。
お互いの役に立つ。
ここで最も重要なのは、これはもう繰り返し言っているが
〔あなたが学びモードに入ったことを〕はっきりさせるのである。(127頁)
リ・ラーニング。
再び学んでいる。
その人の認識の過程を知ることは決して無駄ではない。
自分が賢くなりたいと願うんなら相手を賢くすることじゃないか?
強くなりたければあなたの相手をする人、強い人を求めなさい。
あなたが優しくなりたければ優しい人を対話の相手に選びなさい。
求めるものはそれを与えることによってしか手に入らないんですよ。
大好きな言葉。
これは本には書いていなっかった。
このへんのいい言葉は作るのが上手な武田先生。
凄く好きな言葉「あなたが欲望するものはその欲望を相手に与えることによってしか手に入りません」。
これはフランスのレヴィ=ストロース。
「求めるものは与えることによってしか手に入らない」という。
「満腹になりたい」と願うなら子供に自分の食べる分を分けてあげるという。
「子供が満足そうに眠った時に、あなたはちょっと満足していないかも知れないが、もっと深いところで別の意味で満足している」という。
世の中のお母さんはそういう人が多いと思う水谷譲。
武田先生は母が「腹が減っとっとか?」と言いながらうどんを何筋か武田先生の丼に入れてくれて。
それで喰って「美味しかった」と言って母を見上げたら笑った。
それはもう子供の時の思い出。
でも「ああ〜そうか」と言いながら。
その母の充足した笑み、幸せそうな笑みを見て「母親っちゃあ大変だな」と思った。
食べたいだろうに。
でもレヴィ=ストロースのこの心の構造を聞いて初めて分かった。
「与えることによってしか欲しいものは手に入らない」という。
これは重大なこと。
「そして強くなりたければ強い人を求めなさい」
これは合気道の先生から。
「上手になりたかったら上手な人」で、「下手な人に当たったら下手な人から学びなさい」という。
一個反論したい水谷譲。
子供に対してだったら与えることで幸せを感じるが、自分がお腹が空いているのに旦那には与えようと思わない水谷譲。
それの質問は違う番組で使って欲しい武田先生。
相手による。
人の考えを替えさせる会話、このスキル、これを学びましょう。
分かりやすい言葉でこの二人の著者は必死になって書き連ねている。
その情熱はヒタヒタと伝わってくる。
相手を変えさせたい。
そういう会話の技術を持ちたい。
誰でも思うだろうが、でも著者は繰り返し言う。
意見が完全に一致することはないという「問題」にどう対処すべきだろうか? 簡単である。人が間違っていても気にしないことだ。とりわけ、間違っているのが友人ならばなおさらだ。(134頁)
それが専門家の説と違っても否定しないこと。
一番大切なのは間違っていることではなくて、そう考えるに至った彼の考え方を辿ること。
これをわかりやすい例で言うと、プーチンさんがなぜ戦争を始めたか。
そこを辿っていくと、あの人の顔に心細いロシア人の素顔があるような気がして。
違う会話の仕方があるのではないかなというふうに思う。
とにかく「コロナのワクチンは危険だ」と言う人に「それは間違っている」と言って説得することは不可能だ。
「ワクチンは体に危険なものだ」という。
まあ、そう。
弱い菌を入れてしまうワケだから。
医療と言っても100%安全なワケは無いという。
日本の医療というのは正確。
だが死ぬ人が何パーセントかいる。
麻酔をかけられる時、病院の念書を見たのだが、麻酔の安全性が書いてあるのだが、武田先生が貰った麻酔の安全性は99%だった。
でも100人中1人は死んでしまう。
麻酔から覚めない人がいる。
それは誰になるかわからない、という。
「絶対安全」なんていう医療はあり得ない。
ならば「ワクチンは危険ではない」という反論は意味が無い。
ワクチン危険説には「薬品会社の利益追求」「アメリカの陰謀」「中国が人民を支配する為にマイクロチップを体の中に埋め込む為」とかワクチン接種に関してはいろんな噂があった。
ワクチンというものの本質を知る為にはどこまで遡るか?
ジェンナーの種痘まで遡ればいい。
ジェンナーは決してお金儲けの為にワクチンを作ったワケではない。
人体実験をやりたかったワケでもない。
ワクチンの安全性はあの時も確立されていなかった。
日本に紹介されても緒形洪庵は、あの種痘のアレをやる時、やってくれる人にお金を渡した。
「JIN-仁-」で緒形洪庵(役を)やっていた武田先生。
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最後は胸を患って死んでしまうのだが。
彼がワクチン接種に燃えたのは「一人の子供でも救いたい」という。
安全性は確認されていないが、ジェンナー以下、緒形洪庵はなぜ接種に乗り出したのか?
それは100%ではないかも知れないが、今、目の前でのたうち回っている熱のある子に対して、「助けられるんだったらば助けねば」という。
ワクチンというのはそういうものだという。
アメリカ・中国の陰謀説なんかもワクチンにあったが、でも自国民を殺す為にワクチンをアメリカが作ったとは思えないし、人民を支配する為に中国がコロナをばら撒いたとも思えない。
データ改竄等々の悪い噂もあるが、データというのは集まるまで時間がかかる。
「どうもワクチンで死んだらしい」というそれがきちんと証明されるのに数年の時間がかかることは間違いない。
そのワクチンで亡くなったのかどうかというのはわからないと思う水谷譲。
別の病気の原因もあるし。
だから年数がかかる。
確かにそのワクチンによって不調をきたしたこともあるが、ベストの方法が見つからなかった。
だから逆の意味で言うと、「三密禁止」とかということで、看取られることもなく逝った人もたくさんあの時いた。
同業者でもいた。
お葬式も無かったという無残なこともあった。
「ワクチンがあればの死」も、「ワクチンを打ったばっかりの死」もあった。
みんなが間違いなく救われる道はコロナについてはあの時無かった。
これが一番正しいものの言い方であるという。
だからコロナを語る時、私達は「彼ら」や「あなた」という人称で語ってはならない。
「あなたが悪かった」「彼らが悪かった」
そういう語り口ではダメで、コロナの問題の場合は、相手は「コロナ」と呼ぶべきだという。
コロナとどう対処しようかという、そういう問題の提供をするべきですよと教えてくださっている。
ピーターさんとジェームズさんがお書きになった「話が通じない相手と話をする方法」。
晶文社刊。
なかなかの本だが、武田先生はこの方々達の本を読みながら「分断したアメリカを立て直したい」というその思いに駆られているんだなと。
民主主義の国であるアメリカ。
その国で進む分断に耐え切れず、共和党員と民主党員、保守派、リベラル。
「誰とでも話し合わなければならない」という、その思いが伝わってきたので、抽象的な回ではあるが進めてきた今回。
水谷譲は少し褒めてくれた。
「今回はちょっとなぁ」とおっしゃっていたが、面白かったと思う水谷譲。
自分で「面白くできる」というヤツと「どうかな?」と思うヤツがあるのだが、かなり自信がなかった。
「時々こういう苦しいヤツもやりたいな」というふうに思っているので、お付き合いのほど、よろしくお願いします。
行き詰まったら、リフレーミングすること(129頁)
会話のリフレーミング〔捉え直し〕とは、別の表現を用いることで視点を変え(148頁)
例えば「コロナワクチン」と呼ばず、「ジェンナーのやり方」と呼ぶだけで視点は変わる、と。
牛痘法。
そして今、主張している自分の信念について、どれほど確かか自分で自問自答しよう。
「1から10でいいうと、X[と言う考え]が正しいということにどれくらい自信がありますか?」と訊ねてみよう。(154頁)
「10信じている」というのはもう信念。
でもそれをレベルを分けると「それ、5くらいです」とか「6ぐらいです」とか「4ぐらいです」とか。
「その残った部分について、あなたと語り合いたい」と、そんなふうに言えばケンカすること無くなりますよ、と。
その分、対話は精緻になり、その上、「私はそれを変えることが可能です」と対話者、話している相手を励ますことになるじゃありませんか?
プラトンの対話篇『ゴルギアス』の中でソクラテスは言っている−中略−間違った考えを持つのをやめる側になるほうが、人が間違った考えを持つのをやめさせる側になるよりもよいということだ。(167頁)
「考えを改めました」というフレーズは、−中略−力を与えてくれる。−中略−パートナーとの友情をさらに深める可能性も秘めている。(168頁)
著者は言う。
エビデンスや事実を並べ、相手にその信念の変更をさせることはできない。
皆さん「できない」と著者は言っている。
〔相手の信念と〕衝突するような証拠を提示することは、−中略−パートナーがさらに自説に引きこもることにもなりかねない。)(162〜163頁)
まず何よりも大事なこと。
相手と語り合う時に相手を傷付けない。
「どうやら私たち〔の会話〕は行き詰まってしまったみたいですね。いったん、両方が賛成できるような意見/情報/証拠だけを使うことにしませんか?」。(167頁)
そのことがとても大事なのではないだろうか?という。
武田先生の身の中で、ついこの間起こったこと。
もう言ってしまったのだが、ベーヤン(堀内孝雄)とこの間、浜ちゃん(浜田雅功)の番組に出て、浜ちゃんを励まそうと思って。
(5月30日にTBS系で放送された「ハマダ歌謡祭★オオカミ少年」のことだと思われる)
「元気出しなよ」みたいなことを。
もう今、元気だが、あの時は復帰したばかりだったのでその話をした。
その時に浜ちゃんがベーヤンに向かって突然質問した。
「ベーヤン、歌ってる最中、よう言いません?大きい声で『サンキュー』言うて。誰もあの、嫌いな人いませんよ。お礼言うてるワケだから。歌いながら礼言う人ってのはベーヤンしかいませんやん」とかと言ったらベーヤンが「あれ俺がやったんちゃうん。俺、真似しただけや」。
「え?初めてやった人誰ですか?」
「谷村新司やん」
谷村新司は歌ってる最中、突然「サンキューありがとう!」と言うそうだ。
ウワーッと拍手が、という。
それを横で見て「あ、これいいな」と思って、それで真似をして、いつの間にか自分がその担当になったという。
それで「俺ら谷村新司言うと何か音楽家〜ミュージシャン〜っていう感じするんですけど、あの人『サンキュー』とか大声で言う人やったんですか?」と言ったら「そうよ」。
ベーヤンが「気楽なやっちゃん、あいつは」。
その時にバーっと谷村の思い出が頭の中に広がった。
これをリフレーミング、捉え直しということだろう。
ベーヤンが「気楽なヤツやん」と言った時に気楽な谷村をいくつも思い出した。
谷村新司はもの凄く「こいついいヤツだな」と思った瞬間があった。
何かといったらお客さんの入らないコンサートの話を延々としたことがあった。
みんなある。
実はそれを隠している。
悔しい。
同業者の前で入らなかったコンサート。
それを谷村新司は正直に話す人。
谷村さんの「アリス」は関西で凄い人気があったのだが、富士山に近づくとどんどんお客さんが入らなくなるらしい。
それであの人が武田先生に向かって「そっちどう?」というから、「こっちもあんまり入ってないんだ」と正直に言ったら「俺んとこも幕開いてガッカリしたわ」と言いながら。
二人で入らないコンサートのステージの話をした。
その時の谷村の正直さが武田先生は凄く好きだった。
谷村の別の捉え方。
それを彼を送った後、思い出した。
「いいヤツだったなぁ」と。
リフレーミング、捉え直し、その人の違う面、違う考え方を思い付くことがある。




