プレジデント社、「すぐ役に立つものはすぐ役に立たなくなる」、 荒俣宏さん。
このワンフレーズに魅せられた武田先生。
「役に立たないことを前提にして勉強しましょう」と。
荒俣先生は博識だから。
いろんなことを知っている。
ザディグというのは古代バビロニアの青年であり、−中略−そのエピソードの一つはこうだ。−中略−あるとき女王の犬と王の馬が行方不明になり大騒ぎとなった。ところがザディグは犬や馬を見たこともないのに、その行方をピタリと当てた。−中略−
片方の足跡の付き方が変なので、足が悪い犬、乳房を擦ったような筋もあるのでメス犬だと考えた。−中略−ザディグはこの特徴ある跡により女王の犬の逃げた道と判断した。馬のほうは、狭い道の両側に木の葉が落ちており、みごとにととのった蹄鉄の跡が残っていたことから、−中略−長い尾を左右に振りまわして走ったために道の両脇に木の葉が落ちたと考えた。(143頁)
この足跡を辿り、ザディグは馬と犬を探し出し、女王を喜ばせたという。
小さな発見。
そういうものから大きなものを見つけてゆくという。
おとぎ話だからワッと驚くようなことは無いのだが、小さな気づきから失せ物を発見するという「知的人間のやり方というのはこれなんですよ」ということ。
これは武田先生は本を読んでいて一番好きなネタなのだが、アルフレッド・ノーベル。
ノーベルは、ニトログリセリンと呼ばれる爆発性物質を綿や珪藻土などの媒質にしみこませて安定化する方法を思いつき、安全に移動などができるダイナマイトを発明した。これが兵器にも使われたため、ノーベル賞を運営するノーベル財団の財源になった(146頁)
もう一つ発見したのを水谷譲は知らないだろう。
これはやはり面白い。
ニトログリセリンには血管拡張作用があって、狭心症の薬に使えたのだ。
この事実は、ダイナマイト工場に勤める人に心臓病の人がほとんどいないという予想外の知見が出てから、ノーベル自身が服用するような薬剤が生まれた。(147頁)
(番組ではノーベル自身がニトログリセリンが心臓病に効果があることを発見したような説明をしているが誤り)
(ニトログリセリンを)飲んではダメだと思う水谷譲。
武田先生は知っている。
知り合いの漫画家さんが狭心症の発作を持つ人で、ゴルフをやっている最中に「いけね!ニトロ飲まなきゃ」とかと言いながら。
ニトログリセリンが薬だった。
ノーベルさんなんかそうだが、ニトログリセリンの微粒子、細かい霧を鼻から吸い込むと血管が拡張する。
それで発作を鎮める、もの凄い効果がある、と。
これは心臓病、狭心症の特効薬であることを突き止めた、という。
こんなのは面白い。
武田先生はこういう話が大好き。
「思いがけないものでも大発見に繋がることがあるよ」ということで
ペニシリンの発見者フレミングも、−中略−ある日、病原菌を入れたガラス器を放置したところ、中にカビが生えた。ふつうなら捨てるところ、そのカビのまわりだけ菌が死んでいることに気づいたのだ。(147頁)
アオカビがぐるりと取り巻いていると、病原菌がそこから外に漏れていない。
つまりアオカビが堰き止めている。
これはどういうことかというと、アオカビが細菌の細胞壁を壊して、まるで城壁を壊すようにして広がることを阻止しているワケで。
この発見によって何とペニシリンは肺炎、敗血症、破傷風等の細菌感染症の治療が見つかったという。
ペニシリンというのはやはり・・・
日本に入ってきたのは戦後。
肺結核、肺炎なんていうのは、不治の病だったのが、根絶する勢いで。
付いたあだ名が「奇跡の薬」という。
人は一途に取り組んでいるとき、意外にもまわりが見えないことがあり、かえって、寄り道、つまりセレンディピティ(偶然)から掘り出しもの≠見いだすほうが、脳の機能が活性化するという。(147頁)
だから「偶然に任せるという、そういう気持ちじゃないと革命的な大発見はできませんぜ」。
だから偶然というのはやはり凄いものを見つけるいいきっかけ。
無駄=非効率だと思われた行動からたくさんの発見、発明が生まれているではないか。(148頁)
思考に「偶然」を招き入れることだ。関心の幅を広げるためには、宝探しをするつもりで、いろいろなことに触れることが大切だ。中でも、誰も手をつけないようなものには、あえて触れてみることをおすすめする。
なぜなら、そうした不人気なものの中にこそ、大きな宝が隠されているケースが非常に多いからだ。(149頁)
不人気商品を選ぶと、周囲に理解されないことが往々にしてある。だが、周囲に理解されていないなと感じたときは、逆に「しめた!」と思っていいのだ。(152頁)
理解されれば、ヒットに繋がる商品が生まれるという。
例えば本でもそうで、山積みされているベストセラーに宝はもう無い。
これは武田先生がよくやるヤツで。
平積みしているヤツはだいたい買わない武田先生。
それはもう皆さんご存じだから。
どうするかというと、書棚の端へ端へ向かって歩く時に非常に気になる本にぶつかる時がある。
分厚くて、何となく本全体が不愛想。
そういうタイトルの本を探すと、意外といいヤツが出くわす。
そんなことは何回もあった。
ちょっと無駄な話をしてみる。
この後に壮大な話を繰り広げなければならないので、「日本語はひとりでは生きていけない」という。
(この本は2026年1月26日〜2月6日◆忘却とは忘れ去ることなりの途中から番組で取り上げられたので今回は割愛)
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世の中には面白い勉強の仕方がある。
結構不愛想な本だが、何か面白そうな予感のした本の中に「渋滞学」。
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これは西成活裕さんという方が研究なさっていて、この方は「なぜ渋滞は起きるのか?」それを調べたという。
西成さんは渋滞が発生する現場で、さまざまな渋滞回避のアイデアを実行した。−中略−
その証明を、たとえばアリの行進で示したところがおもしろいのだ。西成さんはアリの行進が渋滞しないことを知り、それはフェロモンの力で等間隔に列をつくらせるためであることに思い至ったという。だとすれば、車の列も同じではないか。そこで西成さんは高速道路に出てみた。(171頁)
みんな40メートルの車間距離をキープするようになる。その結果、渋滞は解消されるというのだ。(171頁)
これは大発見。
高速道路では車間距離を40メートルキープする決まりだが、それを守っていると「何やってるんだ、詰めろ!」と後ろからクラクションを鳴らす人がかならずいるという。−中略−ヤクザ風の男に殴られたことまであったそうだ。(171頁)
ここで重大なのは「利他主義」。
まさに利己主義の反対、「利他主義」のお手本というべき行動だ。(172頁)
他の人が得するようにと我が身を引くと渋滞は無くなるそうで、渋滞を避ける合言葉はたった一つ「お先にどうぞ」。
これさえ覚えておけば渋滞は無くなる。
「お先にどうぞ」「ありがとう」とよく標語で書いてあると思う水谷譲。
あれが「俺が先」とか「何トロトロ」とかと言い出すと、たちまち渋滞するというワケで。
これ、考えてみてください。
荒俣先生の言葉の中で一番惹き付けられたのが物語の必要性。
今、我々がいるところはラジオもテレビもみんなそう。
スマートフォンなんかもそう。
SNSの世界でもそうだが、情報化社会の中にいる。
人々は情報を取りに行くことに忙しくて。
最近言われているのは他者への心遣い、コンプライアンス。
これを書いた情報に晒されているという。
暗い悪いニュースは緊急性があるから人に伝わり易い。
しかしこれら情報が我々を幸せにするとは思えない。
情報とは朝知ればすぐに役に立つように思えるが、夕方にはもう何の役にも立たない情報ではなかろうか?
朝の情報は、ちょっときつい言い方になるが、夕方にはゴミなっているという。
最近、胸にグサッときた言葉だが、情報として私達を暗くする出来事や困難を思い知る。
そういうことが現実にある。
その情報を知って、気持ちが暗くなることがある。
気分が落ち込む情報はいっぱいある。
しかしそれが人生に結びつくと、その情報が自分の物語の一部になっていく。
そうすると暗い情報であっても、自分の物語にしてゆけば暗いままでは終わらない。
誰かの言葉の中で武田先生が大好きな言葉だが、ハワイに行こうと決心した人が自宅を出て商店街を横目に見て飛行場に向かう。
その商店街でさえもハワイへの道の一歩になりうる。
それが通勤路とか通学路と同じでも。
目的がハワイだったら、全然意味が違う。
もうリムジンに乗っただけで外国であった。
そんな感じがする。
(2020年8月31日〜9月4日◆アフォードの中で取り上げた「身体とアフォーダンス」に載っていた話)
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リムジンに乗って成田に向かう時のバスの中はもうリムジンがすでに外国。
しかも空港に着いた時点でと思う水谷譲。
外国。
それから「最後最後」と言いながら、日本食を喰ったりするワケで。
朝の情報が私達の人生と結びつかなければ、それは夕方、全てゴミになる。
ニューメディアなど力むことは無い。
ただの情報の流れであって、人生の中でそこから何を拾うか?
それがメディアなんです、という。
人生を長期戦で捉えて、その流れの一つ。
その流れの一つとして捉えて、人生の手がかりになるかどうか?
それで初めて情報って生きてくるんですよ、という。
メディアで働く時、一番間違った態度が「間違ってはならない」という態度。
これは水谷譲に(向けて)作った。
メディアで働く時、一番間違った態度が「メディアは間違ってはならない」というのと、聞き手は「メディアは間違ったら許さない」という。
そういう専門性に縛られること。
これが一番危険なんですよ、という。
見落とし、ミスや言葉を惜しんだばっかりの誤解で激しく糾弾され炎上する。
そういう体験。
これはありますよ、と。
最近はそんなことばっかりと思う水谷譲。
でもこれで懲りてると発言が縮むんです。
メディアでの発言で間違えることがある。
荒俣先生の最高の美しい言葉。
人間には間違える権利があり(313頁)
では間違えたらどうするか?
すぐに訂正すればいい。
すぐに訂正すること。
それがメディア。
妙に力むんじゃない。
メディアはその一点でメディアであるし、その資格はその一点で「ある・なし」それが決まるんです、と。
武田先生はいいことを言っている。
半分は鉄矢論。
人生の多くのことは案外間違いと結びついていて、間違うところから知ることが始まる。
間違うところから次に進むことができる。
間違いを許さない人があれば、その人はあなたの人生とは何の関係も無い人だと思っていい。
放送でちょっと間違ったことを言うと、すぐX、SNSで「オマエ何言ってんだ」「ものを知らないな」みたいなことを責めてくるので「あ、もう、じゃあ言うのやめようかな」と思ってしまうが、やめたらお終いだと思う水谷譲。
間違ったら「間違いました」と謝ればいい、という。
この荒俣先生の一言。
そして人には間違える権利がある。
それを思うと生きていくということがずいぶん弾んでくる。
タイトルに惹かれた荒俣先生のエッセイ。
励まされた。
(この週の最終日は2026年2月23日〜3月6日◆ジョン・レノンの予告編なので割愛)
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