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2026年07月09日

2026年1月12〜22日◆すぐに役に立つものは(後編)

これの続きです。

プレジデント社、「すぐ役に立つものはすぐ役に立たなくなる」、 荒俣宏さん。
このワンフレーズに魅せられた武田先生。
「役に立たないことを前提にして勉強しましょう」と。
荒俣先生は博識だから。
いろんなことを知っている。

 ザディグというのは古代バビロニアの青年であり、−中略−そのエピソードの一つはこうだ。−中略−あるとき女王の犬と王の馬が行方不明になり大騒ぎとなった。ところがザディグは犬や馬を見たこともないのに、その行方をピタリと当てた。−中略−
 片方の足跡の付き方が変なので、足が悪い犬、乳房を擦ったような筋もあるのでメス犬だと考えた。
−中略−ザディグはこの特徴ある跡により女王の犬の逃げた道と判断した。馬のほうは、狭い道の両側に木の葉が落ちており、みごとにととのった蹄鉄の跡が残っていたことから、−中略−長い尾を左右に振りまわして走ったために道の両脇に木の葉が落ちたと考えた。(143頁)

この足跡を辿り、ザディグは馬と犬を探し出し、女王を喜ばせたという。
小さな発見。
そういうものから大きなものを見つけてゆくという。
おとぎ話だからワッと驚くようなことは無いのだが、小さな気づきから失せ物を発見するという「知的人間のやり方というのはこれなんですよ」ということ。

これは武田先生は本を読んでいて一番好きなネタなのだが、アルフレッド・ノーベル。

ノーベルは、ニトログリセリンと呼ばれる爆発性物質を綿や珪藻土などの媒質にしみこませて安定化する方法を思いつき、安全に移動などができるダイナマイトを発明した。これが兵器にも使われたため、ノーベル賞を運営するノーベル財団の財源になった(146頁)

もう一つ発見したのを水谷譲は知らないだろう。
これはやはり面白い。

ニトログリセリンには血管拡張作用があって、狭心症の薬に使えたのだ。
 この事実は、ダイナマイト工場に勤める人に心臓病の人がほとんどいないという予想外の知見が出てから、ノーベル自身が服用するような薬剤が生まれた。
(147頁)

(番組ではノーベル自身がニトログリセリンが心臓病に効果があることを発見したような説明をしているが誤り)

(ニトログリセリンを)飲んではダメだと思う水谷譲。
武田先生は知っている。
知り合いの漫画家さんが狭心症の発作を持つ人で、ゴルフをやっている最中に「いけね!ニトロ飲まなきゃ」とかと言いながら。
ニトログリセリンが薬だった。
ノーベルさんなんかそうだが、ニトログリセリンの微粒子、細かい霧を鼻から吸い込むと血管が拡張する。
それで発作を鎮める、もの凄い効果がある、と。
これは心臓病、狭心症の特効薬であることを突き止めた、という。
こんなのは面白い。
武田先生はこういう話が大好き。

「思いがけないものでも大発見に繋がることがあるよ」ということで

ペニシリンの発見者フレミングも、−中略−ある日、病原菌を入れたガラス器を放置したところ、中にカビが生えた。ふつうなら捨てるところ、そのカビのまわりだけ菌が死んでいることに気づいたのだ。(147頁)

アオカビがぐるりと取り巻いていると、病原菌がそこから外に漏れていない。
つまりアオカビが堰き止めている。
これはどういうことかというと、アオカビが細菌の細胞壁を壊して、まるで城壁を壊すようにして広がることを阻止しているワケで。
この発見によって何とペニシリンは肺炎、敗血症、破傷風等の細菌感染症の治療が見つかったという。
ペニシリンというのはやはり・・・
日本に入ってきたのは戦後。
肺結核、肺炎なんていうのは、不治の病だったのが、根絶する勢いで。
付いたあだ名が「奇跡の薬」という。

 人は一途に取り組んでいるとき、意外にもまわりが見えないことがあり、かえって、寄り道、つまりセレンディピティ(偶然)から掘り出しもの≠見いだすほうが、脳の機能が活性化するという。(147頁)

だから「偶然に任せるという、そういう気持ちじゃないと革命的な大発見はできませんぜ」。
だから偶然というのはやはり凄いものを見つけるいいきっかけ。

無駄=非効率だと思われた行動からたくさんの発見、発明が生まれているではないか。(148頁)

思考に「偶然」を招き入れることだ。関心の幅を広げるためには、宝探しをするつもりで、いろいろなことに触れることが大切だ。中でも、誰も手をつけないようなものには、あえて触れてみることをおすすめする。
 なぜなら、そうした不人気なものの中にこそ、大きな宝が隠されているケースが非常に多いからだ。
(149頁)

不人気商品を選ぶと、周囲に理解されないことが往々にしてある。だが、周囲に理解されていないなと感じたときは、逆に「しめた!」と思っていいのだ。(152頁)

理解されれば、ヒットに繋がる商品が生まれるという。
例えば本でもそうで、山積みされているベストセラーに宝はもう無い。
これは武田先生がよくやるヤツで。
平積みしているヤツはだいたい買わない武田先生。
それはもう皆さんご存じだから。
どうするかというと、書棚の端へ端へ向かって歩く時に非常に気になる本にぶつかる時がある。
分厚くて、何となく本全体が不愛想。
そういうタイトルの本を探すと、意外といいヤツが出くわす。
そんなことは何回もあった。

ちょっと無駄な話をしてみる。
この後に壮大な話を繰り広げなければならないので、「日本語はひとりでは生きていけない」という。
(この本は2026年1月26日〜2月6日◆忘却とは忘れ去ることなりの途中から番組で取り上げられたので今回は割愛)

日本語はひとりでは生きていけない


世の中には面白い勉強の仕方がある。
結構不愛想な本だが、何か面白そうな予感のした本の中に「渋滞学」。

渋滞学


これは西成活裕さんという方が研究なさっていて、この方は「なぜ渋滞は起きるのか?」それを調べたという。

 西成さんは渋滞が発生する現場で、さまざまな渋滞回避のアイデアを実行した。−中略−
 その証明を、たとえばアリの行進で示したところがおもしろいのだ。西成さんはアリの行進が渋滞しないことを知り、それはフェロモンの力で等間隔に列をつくらせるためであることに思い至ったという。だとすれば、車の列も同じではないか。そこで西成さんは高速道路に出てみた。
(171頁)

みんな40メートルの車間距離をキープするようになる。その結果、渋滞は解消されるというのだ。(171頁)

これは大発見。

高速道路では車間距離を40メートルキープする決まりだが、それを守っていると「何やってるんだ、詰めろ!」と後ろからクラクションを鳴らす人がかならずいるという。−中略−ヤクザ風の男に殴られたことまであったそうだ。(171頁)

ここで重大なのは「利他主義」。

まさに利己主義の反対、「利他主義」のお手本というべき行動だ。(172頁)

他の人が得するようにと我が身を引くと渋滞は無くなるそうで、渋滞を避ける合言葉はたった一つ「お先にどうぞ」。
これさえ覚えておけば渋滞は無くなる。
「お先にどうぞ」「ありがとう」とよく標語で書いてあると思う水谷譲。
あれが「俺が先」とか「何トロトロ」とかと言い出すと、たちまち渋滞するというワケで。
これ、考えてみてください。

荒俣先生の言葉の中で一番惹き付けられたのが物語の必要性。
今、我々がいるところはラジオもテレビもみんなそう。
スマートフォンなんかもそう。
SNSの世界でもそうだが、情報化社会の中にいる。
人々は情報を取りに行くことに忙しくて。
最近言われているのは他者への心遣い、コンプライアンス。
これを書いた情報に晒されているという。
暗い悪いニュースは緊急性があるから人に伝わり易い。
しかしこれら情報が我々を幸せにするとは思えない。
情報とは朝知ればすぐに役に立つように思えるが、夕方にはもう何の役にも立たない情報ではなかろうか?
朝の情報は、ちょっときつい言い方になるが、夕方にはゴミなっているという。
最近、胸にグサッときた言葉だが、情報として私達を暗くする出来事や困難を思い知る。
そういうことが現実にある。
その情報を知って、気持ちが暗くなることがある。
気分が落ち込む情報はいっぱいある。
しかしそれが人生に結びつくと、その情報が自分の物語の一部になっていく。
そうすると暗い情報であっても、自分の物語にしてゆけば暗いままでは終わらない。
誰かの言葉の中で武田先生が大好きな言葉だが、ハワイに行こうと決心した人が自宅を出て商店街を横目に見て飛行場に向かう。
その商店街でさえもハワイへの道の一歩になりうる。
それが通勤路とか通学路と同じでも。
目的がハワイだったら、全然意味が違う。
もうリムジンに乗っただけで外国であった。
そんな感じがする。
2020年8月31日〜9月4日◆アフォードの中で取り上げた「身体とアフォーダンス」に載っていた話)

身体とアフォーダンス: ギブソン『生態学的知覚システム』から読み解く (新・身体とシステム)


リムジンに乗って成田に向かう時のバスの中はもうリムジンがすでに外国。
しかも空港に着いた時点でと思う水谷譲。
外国。
それから「最後最後」と言いながら、日本食を喰ったりするワケで。
朝の情報が私達の人生と結びつかなければ、それは夕方、全てゴミになる。
ニューメディアなど力むことは無い。
ただの情報の流れであって、人生の中でそこから何を拾うか?
それがメディアなんです、という。
人生を長期戦で捉えて、その流れの一つ。
その流れの一つとして捉えて、人生の手がかりになるかどうか?
それで初めて情報って生きてくるんですよ、という。
メディアで働く時、一番間違った態度が「間違ってはならない」という態度。
これは水谷譲に(向けて)作った。
メディアで働く時、一番間違った態度が「メディアは間違ってはならない」というのと、聞き手は「メディアは間違ったら許さない」という。
そういう専門性に縛られること。
これが一番危険なんですよ、という。
見落とし、ミスや言葉を惜しんだばっかりの誤解で激しく糾弾され炎上する。
そういう体験。
これはありますよ、と。
最近はそんなことばっかりと思う水谷譲。
でもこれで懲りてると発言が縮むんです。
メディアでの発言で間違えることがある。
荒俣先生の最高の美しい言葉。

人間には間違える権利があり(313頁)

では間違えたらどうするか?
すぐに訂正すればいい。
すぐに訂正すること。
それがメディア。
妙に力むんじゃない。
メディアはその一点でメディアであるし、その資格はその一点で「ある・なし」それが決まるんです、と。
武田先生はいいことを言っている。
半分は鉄矢論。
人生の多くのことは案外間違いと結びついていて、間違うところから知ることが始まる。
間違うところから次に進むことができる。
間違いを許さない人があれば、その人はあなたの人生とは何の関係も無い人だと思っていい。
放送でちょっと間違ったことを言うと、すぐX、SNSで「オマエ何言ってんだ」「ものを知らないな」みたいなことを責めてくるので「あ、もう、じゃあ言うのやめようかな」と思ってしまうが、やめたらお終いだと思う水谷譲。
間違ったら「間違いました」と謝ればいい、という。
この荒俣先生の一言。
そして人には間違える権利がある。
それを思うと生きていくということがずいぶん弾んでくる。
タイトルに惹かれた荒俣先生のエッセイ。
励まされた。

(この週の最終日は2026年2月23日〜3月6日◆ジョン・レノンの予告編なので割愛)

ジョン・レノン 運命をたどる ヒーローはなぜ撃たれたのか



2026年1月12〜22日◆すぐに役に立つものは(前編)

(番組冒頭の話からの流れで桜島の話なので割愛)

これはタイトルに惹かれた。
「すぐ役に立つものはすぐ役に立たなくなる」

すぐ役に立つものは すぐ役に立たなくなる


(著者は)荒俣宏さん。
おっとりした、そして静かな、にこやかな荒俣先生の箴言集。
タイトルが抜群にいい。
「すぐ役に立つものはすぐ役に立たなくなる」という考え方が。
荒俣先生の箴言集の中、名言集の中でも、武田先生が気に入ったヤツをこれから毎日並べてみようと思う。

(荒俣)先生は「考え過ぎるなよ」という教えの為に、本の初めの方でクイズを出しておられる。

 かたち
 いたち
 せんち
−中略−
 という三つのことばの中で、一つだけ異なることばがあるが、それはどれか?
(41頁)

 形(かたち)、鼬(いたち)、糎(せんち)???
 図形と動物と尺度の共通点??
(41頁)

正攻法で気がつくのは、「せんち」だけは外来語であるという答えだが、これも「戦地」という日本語にもなるので最適解といい切れない。(41頁)

答えは「せんち」。理由は、ことばの2音目がほかと違うから。(42頁)

一般の人は、ことばの意味や成り立ちを訊かれたものと理解してしまうが、これでは世界をひっくり返せるアイデアはでてこない。(42頁)

「素直に考えた方がいいよ」「この間違えた人の特徴は正解を突き詰めることだ」と。
正解を突き詰めるということ自体が間違いを引く動機に成り得るという。
これは言われるとわかりやすい。
なぜ頭のいい人は気が付かないのか?
それは正解を求めるから。
脳の中にいろんな引き出しがあって、そこにいっぱい知識が入っている。
それを正面玄関から入って受け付けを通る。
その受け付けのことを「海馬」と言う。
そこを通る。
それが受け付けなのだが、受け付けで呼び出す。
「かたち」「いたち」「せんち」どれが正解だろうか?というのを受け付けに出すと、そこの海馬が形に関する思い出とか、知識。
イタチに関する思い出とか知識、センチに関する・・・
もうそれぞれ脳のバラバラのところに収めてある。
それをくっつけて水谷譲は「いたち」というワケだが、それでは新しい発想ができない、という。
頭の中にいっぱい出入口があって、非常口というのもあって。
それは「偏桃体」という。
これは突発的に起こった出来事を覚えておいて「これは絶対忘れちゃダメだ。二度と危ない目に遭いたくないから」という。
強烈過ぎると。
バラバラにならずに塊になって覚えるものだから重たい。
それでそっちばっかりに頭がいってしまうという。
そのことを考えると、全部思い出が出てくるから他の考え事ができなくなってしまう。
もう一つ面白いのが頭の中の入り口とか非常口ではなくて裏口から入るという。
あんまり考えずにいきなり取りに行く。
そこに新しい発想がある。
だから意外な発想とか意外な思いつきというのは脳の入り口を変える、という。
それがいわゆる「才能」と呼ばれるものらしい。
「アンタ上手いこと言うね」というヤツ。
あれは入り口も非常口も通っていない。
裏口から入ってポンと行ったものだから、もの凄く斬新に。
荒俣先生は巧妙なことをおっしゃっていて、裏口から知恵とか思い出を取りに行く為にはどうしたらいいか?
新しいアイデアとか欲しい。
その時、それはどうしたらいいか?
このあたりから凄く先生のご意見は勉強になる。
先生はわかりやすく一言おっしゃる。
「バカになれ」
バカになったら受け付けを通らず非常口を通らず裏口からヒョッコリ入っていくんだ。
このへんは作詞なんかで「面白いこと考えなきゃ」と思う時、いつも思い当たること。
こんなふうふうにして「すぐ役に立つものはすぐ役に立たなくなる」というこの道理を明日から紹介したいと思う。
新年。
手堅いところから「(今朝の)三枚おろし」を始めたいと思う。

荒俣宏先生の箴言集・名言集だが、「すぐ役に立つものはすぐ役に立たなくなる」。
何でこんなフレーズに惹かれたかというと、前に水谷譲に話した。
「情報」と「物語」の差。
(「情報」と「物語」については2025年12月1〜12日◆「話が面白い人」は何をどう読んでいるのかあたりで紹介されている)
「情報」というのはもう今、たちまちのうちに日本中に秘密にしておいても広がっていくのだから凄いもの。
だが、「すぐに役に立つ情報」というのは、すぐに役に立たなくなる。
この発想というのは武田先生は酷く荒俣先生に賛成していたものだから、本屋でこの本をすぐに手に入れた。
荒俣先生は「いろんなところから頭、使わなきゃダメだよ。正面玄関、脇から、裏口から入ったっていいんだ。頭の中には」という。
その方法として荒俣先生が教えておられるのが「バカになれ」。

「バカなこと」が好きな人にこそ、ほんとうのチャンスがめぐってくる(56頁)

要するに「ニッチ」=〈多くの人にはあまり目につかない分野〉であるケースが多いのだ、と。(56頁)

「異質な力」は、あなたの人生のクライマックスにおいてかならずその威力を発揮する。そんなチャンスがめぐってくるのだ。(56頁)

 何か途轍もなくあたらしいものにぶつかったとき、人間は本能的に凍りつく。−中略−この状態を「ワンダー」という。(59頁)

「ワンダー」にぶつかると人は興奮するそうだ。
(このあたりの話は本の内容とは異なる)
ワンダーとはとにかく驚くこと、驚く能力は大事。
人間は驚かなくなったらガクっと年を取ってしまう、老けてしまう。
驚くというのも力。

ワンダーとは、「驚き」とも「フシギ」とも訳されるが、ワンダーがきわまると「ワンダフル(フルはいっぱいにあふれるの意)となってすばらしい≠フ意味になる。(59頁)

物知り先生だけあって上手いことを言う。

さまざまなワンダー情報のさばき方だが、わたしはその真偽というか本質や起源があきらかになることを、最初の身元保証だと考えている。(61頁)

日本の面白さはその身元を調べる手がかりが歴史の中にいっぱい保管されている。
日本はやはりワンダーが非常に多い。

日本語ほど複雑で不思議でワクワクする言語はない(62頁)

 法律の「法」という漢字は、古代では、この字を「灋」と書いた。−中略−法の字に、どういうわけでサンズイがあり、どういうわけで造りが「去る」という字なのか。(62頁)

法律は水物なのかと思う水谷譲。
水物は水商売。
裁判所が水商売とは思えない。
これが面白い。
この漢字の始まりはもの凄く古くて象形文字だったので、三千年以上前からあったそうだ。
象形文字というのは図像情報、つまり絵になる情報を含んでいる。
これはヤマイダレ。
これは建物や特定の場所を示す時に付ける。
サンズイは水谷譲がおっしゃる通り「水」。
川の流れを表している。
カギは鹿のような文字。
これは実は生き物。

中国での本来の意味は「カイチ」と呼ばれた神獣で、竜や法王の仲間なのだ。その姿はなかなかにおそろしく、わりに「麒麟」という神獣に似ていて(63頁)

一番搾り キリン ビール 250ml 24本 生ビール [おいしいとこだけ搾ってます。]


 この神獣は、法の正義を象徴する存在で、人間が法の正義をはっきり判別できない場合に、法廷に呼ばれる。−中略−カイチは両者を見つめたあと、法の正義を犯しているほうに角を突き立て、死罪を与える。(63頁)

「慶応」の「慶」もそう。
動物に「いいこと起こりますように」と祈ったらいい反応があったというのが「慶」という字。
だから「慶応」の「応」は「反応」。
「良い知らせが来ますよ」
この法律の「法」の面白さは、何でサンズイか?何で去か?
これはシーサーとか狛犬もそうだが、

水辺にいて、火を防ぐ獣でもあったからだ。(67頁)

それともう一つ、武田先生は白川(静)先生の説が大好きで。
「オマエは本当は悪いヤツだろう」とカイチが見抜く。
その後、悪いヤツをヒモでグルグル巻きにして水の中に放り込んだようだ。
そいつが流れ去っていくという。
それで「去」。
そこまで全部漢字は原型は持っている。
こんなふうにして善悪のジャッジメントというのはかつてはケモノがやっていた。
では善人はどうなるか?
「善」
動物がいる。
「羊」
善い人はカイチに判断されて「アンタは悪くないよ」と言われたのでカイチに羊を捧げた。
それで「善」という文字には生贄の羊が置いてある。
たかだか漢字だが、面白い。
何を話したかったかというと、荒俣宏先生はワンダーに遭遇したら「なぜそうなのか」を辿っていけ、と。
そうしたら凄く面白い別のものに行き当たるから、という。
こういう先生の発想というのは・・・
結局小さく驚くこと。
今、水谷譲はワンダー状態。
水谷譲の周りにはそういうワンダーがいっぱいある。
そのワンダーにこだわるかどうかだ。
一つワンダーを捕まえたら、そのワンダーからワンダーが広がっていく。
上手く言えないが、荒俣先生はそんなことをおっしゃりたいのではないか?
ヘレン・ケラー。
「目が見えなかった」「耳が聞こなかった」「ものが喋れなかった」という三重苦のあの少女はサリバン先生から言葉を教わる。
ヘレン・ケラーが叫んだ一番最初の言葉。
「Water(ウォーター)」
認識のスタートはそれ。
ヘレン・ケラーは水を浴びせられて「ウォーター」と叫んだ時に「全世界のものに名前がある」と気づいた。
たった一つのものを見つけただけで全世界のものに名前があるという認識を得たこと、がヘレン・ケラーのスタートなのだ。
だから一つの驚き、浴びせられたものを「ウォーター」という、その一つの認識が全世界にヘレン・ケラーを連れていった。
今、武田先生は相当いいことを言っている。
武田先生はこれを歌にしたくなって。
「たった一つ何かを知ると、そこから全世界が君に向かって開いていく瞬間がある」という。
そういう歌を作ったらいいかな、と思って。

荒俣先生に返る。
「どんどん遡れば面白いものが見えてくるよ」とおっしゃる。
その面白いものをどうやって探すか?
先生は「ニッチ、隙間を探せ、人が捨ててるそんなもの、人の興味が薄れたもの、それから人気が無いもの、損はしないけどこんなもん覚えたって特もしない。その中に面白いものがある」。

 中国の名著『荘子』という本に、「櫟社の散木」という教訓話がある。−中略−
 ある一人の棟梁大工が、弟子を連れて材木を探す旅に出た。すると、ある村で神木として尊ばれている巨木に出会った。弟子がこの木を使おうといったが、棟梁は反対した。あの木は役に立たなかったからこそ巨木になれたのだ、と。
(97頁)

 使える木はすぐに伐られるが、使えないと判断されて放置された散木は、巨木になるまで育って、神木と呼ばれるようになった。(97頁)

「役に立たないものこそ、永遠に役に立つものになるよ」という。
荒俣先生は言う。
すぐに役に立つ人間にはなるなよ。
それで更に「すぐに役に立つ勉強もするんじゃないよ。そういうのはすぐに役に立たなくなっちゃうよ」。
そのよき例として、かの偉人、福沢諭吉を挙げておられる。

諭吉は、大坂(今の大阪)の緒形洪庵塾(「適塾」ともいう)で暮らしたときの勉強法が今の自分をつくった、と書いている。(100頁)

近代医学で大いに貢献した緒形洪庵の「適塾」。
武田先生が(「JIN-仁-」で)緒形洪庵を演じる、あの塾に福沢諭吉がいた。

JIN-仁- DVD-BOX


面白いのは大坂・淀屋橋に近い緒形洪庵の適塾だが、医学以外の偉人がいっぱい出ている。
オランダ語を学び、そのオランダ語から西洋の思想を学ぶという。
そういうのが適塾にはあったそうで。

同じ塾仲間の武田斐三郎は、−中略−あの五稜郭を建築した。大村益次郎新式の軍隊と武器を研究し、またいっぽうではマンガ家手塚治虫のひいお爺さんにあたる手塚良仙は医師となり、東京大学医学部の前身であるお玉ヶ池種痘所の設立に参加した。(102頁)

「ブラック・ジャック」

ブラック・ジャック 手塚治虫文庫全集(1)


「医学」と言っているが、学ぶと医学以外にもいっぱい応用できるものがある。
福沢諭吉は「天は人の上に人を造らず、人の下に・・・」という。
あれは医学から学んだそうだ。
何で学んだか?
武田先生はこの話が大好き。
福沢が驚いたのは西洋の病院というところに行くと王侯貴族も庶民も待合室は一緒で順番を待つ。
その時に福沢は感動した。
御殿医がいない。
将軍だけ診るお医者さんなんていない。
誰でも診てくれるというのが医学である。
そのことを聞いた時に福沢は「西洋はだから凄いんだ」と思った。
この適塾から同じように卒業していった人達が上野で官軍対幕府軍の戦闘が始まった時に、傷付いたものは誰でも治療に当たった。
その時に「所」を使ったりすると「奉行所」みたいな感じなのでお寺の響きで「医院」。
「平等院」の「院」を持ってきた。
そうするとお寺と同じような響きなので・・・
何でも辿ると面白い。
それが病「院」という言い方になって、「敵味方関係なく治療します」という。
これは別の人も絡んでいるのだが。
つまり緒形洪庵がやったこと、医学を教えたことによって西洋の知識が倍のスピードで日本に浸透していったという。
すぐに役に立つ人材ではなくて、すぐではない人材も育てる学問。
こういう意味合いで勉強するんですよ。
医者になりたいから○○医学部に入る。
「とんでもない」と。
でも結果的にその方たちはみんな役に立つ人になっていると思う水谷譲。
「三枚おろし」はやはり役に立たない勉強を楽しくしている人を応援する番組でありたい。
確かにこの時間に役に立たないことではないが、こういう話題をこの時間(にするのは)珍しいと思う水谷譲。
すぐに役に立つ人間で国家を運営しているという国がある。

 かつて中国には「科挙」という高級官僚選別のきびしい試験があった。この試験に合格すれば、一生が安泰になるため、試験対策につながることしか勉強しなかった。(51頁)

そしてもう一つ「宦官」。
官僚に宦官を強制したという。
若い人はわからないだろうから、これはもう分かりやすく言った方がいい。
タマタマ(睾丸)を抜いてしまう。
そうすると皇帝に仕えていても皇帝が持っている何千人の美女に手を出さない、という。
そのためには睾丸を二つ切り落とすという。
そんなの睾丸を切ってしまったらダメ。
宦官の話を聞いた時「そんなことするんだ」と、子供ながらに結構ショックだった水谷譲。
これは日本は真似をしない。
日本は決して肉体改造を官僚に強制する国家を作らなかった。
このあたりが、いわゆる荒俣先生の「すぐに役に立つものは、役に立たなくなると同時に非常に怖いものである」という学びがあるような・・・

物理という世界が理屈で説明できる。
そんなふうに一時期は信じられたが、そう単純な構造ではないという。

 気象学者エドワード・ローレンツが−中略−(あらゆる存在物は初期値が完全に与えられる限り未来の姿まで予測できてしまうという決定論)を無効にする発表だった。いわく、「もしブラジルで蝶が羽ばたくと、テキサスで竜巻が起こる」という、決定論の有効性を無効にするものだった。
 ローレンツが気象モデルのシミュレーションをおこなったところ、ほんのわずかな初期値の変更がまったく異なる結果を生じさせたことにかんがみ、気象の予測なども少しのし初期値の変更で大きく変化する(つまり予測困難になる)という事情をわかりやすくするために考えた、ある種のキャッチフレーズであった。
−中略−コンピュータを用いて長期の天気予報を計算していたローレンツが、停電によるシステムダウンにみまわれてしまい、あらためて再計算をおこなったら、再計算の際に起きた些細な入力ミスのため、長期予報の結果がぜんぜん異なる大雑把なものになってしまった、という自己体験によっていた。(133〜134頁)

(番組の内容とは多少異なる)
停電というバタフライが僅かに羽ばたいただけで予測は外れていく。
その小さな偶然。
これを見逃さない。
それが実は「知的な生き方」「ワンダー」なのだ。
小さな驚きを発見する能力を持っていないと、出来事を言い当てることは不可能。
去年の暮れぐらいか、隣国との関係が上手くいかないものだから、次々不吉なことが起きる。
旅行客が来なくなったり。
だがこんなことを言っては何だが、いっぱい武器を持っているからといって強いワケではない。
「武力」なんていうのはよくよく見ると正体が知れなくて。
ちっちゃな曲がり角一個で、「強力な武器が何の役にも立たない」という武器になることがある。
「世界」というのはその目で見た方がいい。
どこかの戦争の現場で本当に起こったらしいが、あの小さなドローンが大きな国の原子力潜水艦にぶつかって、潜水艦を一隻ダメにした。
水上を走る「体当たりドローン」というのがあって。
誰も乗っていないヤツがぶつかったらそれが使い物にならなくなる。
これは何が大事かというと、原子力潜水艦一隻作るのにどのくらいのお金がかかったか?
これが動かなくなるぐらいのダメージを受けたという、その水の上を走るミズスマシみたいな体当たりドローンが数万円ぐらいでできるらしい。
億かかる兵器と数万円の兵器が今、互角に成り得る可能性がある。
そうすると「空母を持っている」とか「ジェット機を持っている」とかいっても明日には全く役に立たない道具に成り得るということもある。
何かそんなことを考えると荒俣先生のこの「すぐ役に立つものはすぐ役に立たなくなる」というのは、全世界に鳴り響く、新しい考え方ではなかろうか?と。
これもまた来週続ける。

2026年07月03日

2025年12月1〜12日◆「話が面白い人」は何をどう読んでいるのか(後編)

これの続きです。

「『話が面白い人』は何をどう読んでいるのか」
(著者は)三宅香帆さん、新潮社から出ている。
三宅香帆さんはなかなかの才媛で。
若い女性なのだが、抜群の切れ味という。
ただ、これは三宅さんには申し訳ないのだが、あなたが薦める本というのは武田先生も殆ど読んでいない。
だがあなたの感想文が面白くて。
もちろん「面白い」というのは「同感」というのもあるが、「いや、そうじゃないだろう」と反論したくなる感想文もある。
そういう意味では三宅さんがお書きになった本とは話をしながら読み終わったような一冊。
そういう読書も必要。
意見の違う人の本を読んで「いや、俺はそう思わ無ぇよ」。
そういう反論をしたくなる傾向の本も大事だなと思った。
物語を人生の中に取り込むというのは大賛成だが、「それ取り込んじゃ、おしまいよ」というのもある。

三宅さんが薦めている面白い本なのだろうが、武田先生はその本を内容を聞いただけで大嫌い。
「親ガチャ」
誰の造語か知らないが、親に対しても子に対しても、これほど侮辱した言葉があるだろうか?
ところがこの言葉が令和の世の中、平然と歩いているという。

 津村記久子さんの『水車小屋のネネ』−中略−について語りたい。いわゆる「親ガチャ」に外れた姉妹が、素敵な人生を送るまでの日々を、平成史とともに描く。(120頁)

水車小屋のネネ


これを三宅さんが感想文を書いてらっしゃるということ。

 彼氏を家に連れ込むような母親から逃げ、18歳と8歳の姉妹は家出を敢行する。(120頁)

「親ガチャ」に外れた子らが、親から離れて自立し、やがて幸せを掴むという、ある意味でハッピーエンドだそうだが
何か好かん、この物語の流れが。
方言が出てきてごめんなさいね。
武田先生は「親ガチ」ャという言葉が大嫌い。
水谷譲も好きではない。
我々は古い昭和の人間。
この「親ガチャ」に関する物語があるとすれば、哲学的に洞察した「親ガチャの哲学」という。

親ガチャの哲学(新潮新書)


戸谷洋志『親ガチャの哲学』−中略−自分の生き様や性格、あるいは将来の選択、極端に言えば罪を犯してしまうかどうかという選択にいたるまで、「親から受けた養育の結果である」と考えることが「親ガチャ」の本質なのだ。(121頁)

自分の生き方は自分では変えられない、一度外れを引いてしまったらその後の人生をいい方向に変化させようとしても難しい、という諦念が潜む。(122頁)

そういうほとんどヤケな気分から生まれた言葉ではなかろうか?
確かに子を殺す母とも呼べぬ女が起した事件はある。
或いは親を殺す子、孫、そういうのも世間ではある。
そんな犯罪でさえも「親ガチャ」などという一語で解ける出来事ではない。
著者は言う。

「親ガチャ」に外れても、楽しい人生を、人は送ることができるのだ。当たり前かもしれないけれど、それを思い出させてくれることが、私は嬉しい。(124頁)

武田先生はそうは思わない。
一体に親ガチャに当たった人というのが世間に何人いるのか?
何を以て「外れ」なのか「当たり」なのかというのも曖昧だと思う水谷譲。
この点、著者の文章を読みながら、一人、この書を読みながら反論をつぶやいていた。
親はガチャガチャではない。
親は何者か?
親は「宿命」。
コミックでお話をする。
「あしたのジョー」も「鉄腕アトム」も「星飛雄馬」も「竈門炭治郎」も
もっと平たく言えば「桃太郎」も読みようによっては「親ガチャに外れた人達」。
「あしたのジョー」なんて命がけで闘っているのに。
あしたのジョーの親はどんな人かと思う水谷譲。
出てこない。
鉄腕アトムは(親が)天馬博士。
鉄腕アトムを作った人。
ロボットを作っておいて「成長しないから」といじめる。
星飛雄馬。
まあ嫌。
ちゃぶ台をひっくり返して、暴力しか振るわない。
竈門炭治郎もそう。
妹は鬼になったというのに、あの親は一体何をしているのだろうか?
宿命を受け取りつつ、自分の人生を負っていく。
それが人生ではないか?
親を否定したところに自分は無い。
考えてみましょう。
親ガチャに当たっていれば。
桃太郎は間違いなく鬼退治はしない。
桃太郎は親も酷い。
桃太郎を桃の中に入れて流した。
桃太郎を育てたのは見知らぬお爺さんとお婆さん。
それ(桃太郎が入った桃)を拾ったのがお爺さん、お婆さん。
(実の親は)桃に入れて流した。
本当にあんな狭いところに。
でも平たく言うとそれがある故に桃太郎は鬼退治をした。
桃太郎に鬼退治をさせる為に親は桃の中に入れた。
自分が物語を始める為には親の物語が必要。
「親ガチャ大当たり」で美味しく甘い人生があったとしても、そんなのはタネ無しのシャインマスカット。
美味しいと思う水谷譲。
タネ無しの話は明日また続きをということで。

昨日は親ガチャという言葉に巡る思いを喋らせてもらったのだが、三宅さんほど武田先生は「親ガチャ」という言葉が認められない。
何せ武田先生はデビュー曲が「母に捧げるバラード」だから。

母に捧げるバラード


母親という「外れの親」から物語を繋がないとあの歌はできてこない。
愚かな母だが、その母に向かって「あなたが教えてくれた人生」と歌いあげないとあの歌はできない。
そういう意味では親の捉え方が三宅さんとは違うワケで。

「なるほど。この人は面白いとこ、目ぇ付けるな」という章もあって。

「実は、趣味で短歌にハマって」
 という言葉を聞くことが、増えた。
(181頁)

なぜ今、短歌ブームなのか……?(181頁)

まず指摘したいのが、SNSと短歌の相性の良さである。(181頁)

それに季語等々の縛りが薄いもので、自分の感情みたいなものを五七五七七にしていけばもう短歌と呼べるワケで。

たとえば8刷・累計2万部を超えた『水上バス浅草行き』−中略−。この歌集には「ほんとうにあたしでいいの? ずぼらだし、傘もこんなにたくさんあるし」という短歌が収録されている。(181〜182頁)

水上バス浅草行き


やはりいい。
おそらく求婚された時の嬉しい動揺の中にその女性はいるのだろう。
その動揺を思わずつぶやいた言葉そのものが和歌に姿を変える。
もう分かる。
そんなに綺麗好きでもない部屋か何かだろう。
それにちょっとだらしなくて透明の数百円傘が何本もある。
それだけでその人がどういう人が、生活が全部見える

実はこの歌、Twitter(当時)で拡散されたことがきっかけでたくさんの人に広まったのだ。(182頁)

「わかるな」とかという「イイネ」がいっぱい灯ったという。
Yahoo!にしろGoogleにしろ、速報としてのニュースや知りたい情報について便利ではあるが、長い文章については時に筆者が読ませるだけの力量が無いものが多い、と。
あのタラタラした文章というのはイライラする。
基本はみんな拾い読みである。
客が欲しい故に、「人目を惹きたい」という文章が非常に多い。
SNSは情報制度も完成しているのではない。
悪事にも使えるという。
「悪い者の味方もしちゃう道具なんだ」という。
そういう意味ではあの道具は少しドロが付いている。

SNSと短歌の相性の良さが、若者の短歌ブームを引き起こしていった。(183頁)

その文章の短さ故に印象的な言葉の組み合わせがその作品の深さを伝える「文芸」に変化するという。
短歌とは深さを感じ取れない人には何も伝えない。
ところが深さを探る人には深さを感じさせてくれる文芸であるという。
これは「なるほど」。
それ故に人を立ち止まらせるような短歌というのはもの凄く優れたものがある、ギクッとするという。

老人ホームで死ぬほどモテたい 新鋭短歌シリーズ


(上坂あゆ美)。この歌集にもまたTwitterで人気となった「お父さんお元気ですかフィリピン女の乳首は何色ですか」という一首が収められている。(182頁)

何か凄いがお父さんに対して何かあったのだろうと思う水谷譲。
何だろう?この一首は。
一体にこの娘と父親に何があったのだろう。
なぜフィリピン娘の乳首の色を娘は父に聞くのであろう?
でもユーモアも感じる。
取り方がいろいろできるから面白いと思う水谷譲。
不完全であるが故に何かしらこの手の作品にも惹き付けられてしまう。

お互いの短歌を発表し合う「歌会」は、オンラインでも容易に開くことができる。(183頁)

面白い。
短歌は俳句よりうるさくなく、一首詠みたくなる文芸だ。
作ってみたくなるという。
ある歌会、SNSの歌会でこんなお題が出た。

あなたのための短歌集


 お題:まっすぐ生きたい。それだけを願っているのになかなかそうできません。まっすぐに生きられる短歌をお願いします。−中略−
 短歌:「まっすぐ」の文字のどれもが持っているカーブが日々にあったっていい
                                木下龍也
(184頁)

これはいい短歌。
二度三度、口の中でつぶやきたくなる短歌。
SNSの情報とは違い、わずかな五七五七七ながらこの一首には物語がある。
「まっすぐ」とひらがなで書いてみて、一本もまっすぐの線が無い「まっすぐ」という文字の中に「曲がったっていいや、生きていこう」という。
こういうももの感じ方というのはつくづく「いいな」と思う。

「『話が面白い人』は何をどう読んでいるのか」
三宅香帆さん、新潮社から出ている。
読み甲斐があった。
ただしもう一回繰り返す。
本当に三宅さん、ごめんなさい。
あなたと武田先生は読書の傾向が違うもので、もう昨今の本はさっぱり武田先生は読んでいない。
勘弁してね。
読んでもいない本、見てもいないテレビ、贔屓にもしていない漫画コミック。
それらの感想文、これを読んで今、語っているワケで。
時として反論等々も喋っている。
でも著者の感性には教えられることがたくさんある。
40数歳も違う人だから感性の違いは当たり前だが、いい感性をなさっていると思う。

『「死にたい」とぶつやく 座間9人殺害事件と親密圏の社会学』(185頁)

「死にたい」とつぶやく:座間9人殺害事件と親密圏の社会学


今、こんなタイトルの本があるそうだ。
「三枚おろし」のことを考えると、武田先生は絶対にこの本は取り上げない。
世間の中には現実として生きづらさを訴える人の主張というのはあるワケで。
人間関係の中で繊細さ故に傷付きやすい人、そういう人達の主張も本にすべきということなのだろう。

 最後に紹介したいのが、2022年10月に刊行された『聞く技術 聞いてもらう技術』(東畑開人、ちくま新書)である。(189頁)

聞く技術 聞いてもらう技術 (ちくま新書)


東畑は、コロナ禍によって雑談が失われた、とも述べる。(189頁)

コスパとタイパを重視する社会は、人の孤独を癒す場をなくしやすいのだ。(189頁)

この「雑談」という一語に武田先生などもハッとしたワケで。

 NHKの連続テレビ小説『虎に翼』が面白い。
 1940年に女性で初めて弁護士となった三淵嘉子さんをモデルにした、主人公・猪爪寅子の人生を描いた物語である。
(190頁)

連続テレビ小説 虎に翼 〈第110作〉|番組|NHKアーカイブス

 寅子の「はて?」は、社会に疑問を持つときのお決まりの台詞である。この「はて?」が秀逸だ。(191頁)

『虎に翼』を観たとき、「その手があったか!」と膝を打った。「はて?」という台詞。(191〜192頁)

疑問を外ではなく内に向ける。
疑問符であること。
そういう疑問符をちゃんと持っていること。

「なぜ?」「どうして?」といった言葉は、相手への否定のように受け取られやすい。(191頁)

確かに「はて?」は自分の頭の中に入ってくると思う水谷譲。
「一緒に考えてゆこう」というニュアンスが「はて?」にはある、と。
こんな著者の気付きは本当に武田先生は勉強になる。

更に興味深い本を紹介しておられる。

『〈公正(フェアネス)〉を乗りこなす』『訂正可能性の哲学』(194頁)

〈公正(フェアネス)〉を乗りこなす


訂正可能性の哲学


そういう本がある。
両方ともいい。
こういう本も、いつか取り上げてみたいと思う武田先生。

著者の読書感想文。
これを山程読んだのだが、あまりにも読んでいない本は飛ばした。
でも若い感性で惹きつけられる文章。
読んだことのない本の感想文で「方舟を燃やす」とか「女の国会」。

方舟を燃やす


昔に書かれた本で「女の国会」があるそうだ。
(2024年に出版されているようなので「昔」でもないと思う)

女の国会 (幻冬舎単行本)


「一番の恋人」

一番の恋人 (角川書店単行本)


この三冊を取り上げ、「今、読書界に起こっている現象がある」と。

たとえば村上春樹『1Q84』をはじめとして、平成以降の日本において「物語は陰謀論に対抗し得るのか?」という主題は脈々と受け継がれてきたのだ。(207頁)

1Q84(BOOK1〜3)合本版(新潮文庫)


難しい世相の割り方だ。
しかし「物語と陰謀論がケンカしている」というこの見方はギクリとする。
武田先生はこの見方を実にわかりやすく割り切った。
テレビ界に置き換えて、物語とはドラマ、陰謀論とはニュース、そういう割り切りではないだろうかという。

陰謀論は時代によって姿を変える。たとえばオウム真理教の言説や、ノストラダムスの大予言、反ワク……さまざまな現象の中で、手を替え品を変え「この世界を悪化させている巨大な敵をつくる論理」を社会は探し続けている。(207頁)

日々のニュースは、或いはニュースワイドショーが取り上げている話題こそ、様々な陰謀を暴き伝えることにある。

 戦争が起きれば、黒幕は誰か、と犯人探しを始める。選挙があれば、政策内容よりも候補者の人柄──特にその悪い側面にスポットライトを当ててしまう。(208頁)

そういうことが情報番組で少し張り切り過ぎているのではないだろうか?
やはり「繋がる物語を私達は作っていかなきゃなりません」という。
悪者を指さすことではなくて、その悪の生まれた原因を物語の中に落とし込んで、そこから考えるという。
ごめんなさい。
ちょっと上手く言葉にならないが、そんなことを彼女の文章を読みながら考えたワケで。

「話をもっと面白くしたいから」と思って本のタイトルそのものに引っかかって。
武田先生の仕事の神髄、それもそういうこと。
話をどう面白く聞かせるか?
話をどう面白く演ずるか?
勉強の意味でこの本を手に入れて読み下したワケだが。
「『話が面白い人』は何をどう読んでいるのか」
三宅香帆さん、新潮社から出ている。
この著者はもちろん平成生まれ。
武田先生より何と45歳年下で。
昨日ちょっと説明が上手くいかなくてごめんなさい。
水谷譲から指摘されたのだが「それは本に書いてあることですか?鉄矢さんが考えたことですか?」。
昨日だいたい喋ったことは武田先生が考えたことで。
いつもは印を付けるのだが、ここのところ印を付けていないものだから、まるで著者が言っているように言ってしまったのだが、あれは武田先生が言っていること。

まとめるとこういうこと。
昨今、「戦っているもの」の中だが、テレビでいえば情報番組とドラマ番組。
この両者が今、戦っているのではないだろうか?
吉本の芸人の方が中心になったバラエティーはというと、やはり情報番組。
「オモロいアイツ」とか「美味い町中華」とか「やっちまった芸能人」とか、これはやはりみんな個人情報。
バラエティーの楽しさは何かというと意図的個人情報流出。
「ヘマ」「トンマ」で。
ズバリ言い切ってしまうが、その話が面白いから笑っているのではない。
みんなで笑っているうちに面白くなる。
どんな話も笑い声から始まるようになっているので。
つまり聞いて笑ったのではない。
笑っているうちに話が始まるという。
情報番組等やバラエティーに独占されて、もう物語は今、もの凄く苦戦している。
一番いいのは有料配信チャンネルに参戦して、そこで新しいドラマを作ること。
武田先生も見るのだが(有料配信のドラマの内容は)あまりにも数奇過ぎる。
日常が全くない。
有料配信ドラマでゆっくり飯を喰っているシーンなんか見たことがない。
陰謀ばかり巡らせて裏側を描くことに邁進していて、それは物語ではないのではないか?という。
物語は出来事の仕掛けを情報化しているだけで、物語とは出来事の情報ではない。
物語とは物語についてゆこうとする決心を、見ている人にしてもらうという。
一緒に旅をする。
物語の創作された人物に自分を似せて作ろうとする決心。
何かそういう思いが物語ではないか?

この著者の(話に)ここから乗る。
だから武田先生はこの三宅さんという若い人にハッと教えられる気がしたが、こういう物語が非常に弱くなった時代故に、若い人が推しに夢中になる。

 宇佐美りんの『推し、燃ゆ』−中略−は芥川賞を受賞した。(213頁)

推し、燃ゆ (河出文庫)


自分に物語が無い故に人の物語に賛同し、その人の物語にどこまでもついてゆこうとする決意。
それが彼女、或いは彼の物語になっているという。
そうやって考えるとこの三宅さんの指摘、「推し、燃ゆ」を絶賛なさったのだが、武田先生は「推し」がわからなかったから。
「何かそういうことんじゃないかな」と思う。
つまり物語を辿るという人間の好奇心を刺激すること、それが物語に課せられた使命でははなかろうか。
情報と物語が今、戦っている。

 私たちの社会の景気と「推し」は相関する。今、あなたの「推し」がしんどいとすれば、「推し」自体の問題ではなく、それは社会の問題かもしれない。(215頁)

そこまで物語を大きくしている。
何かそういう「情報ではない物語に対する飢え」みたいなものがあるのではないだろうか?という。
これはちょっと武田先生は言い方が難しかったかも知れないが、これは前にこの番組で紹介したのだが「『象徴』のいる国で」というので菊地(史彦)さんという方の、もの凄く優れた「象徴」というものの捉え方があった。
2022年7月18〜29日◆ラジオ版 昭和は輝いていた

「象徴」のいる国で


これ(「象徴」)は天皇のこと。
ところが天皇の象徴ということを言っているうちにいつの間にかその象徴が歌謡界に移り込んで象徴を美空ひばりさんに托す。
それ故に彼女は「歌謡界の女王」と呼ばれた。
つまり何か物語が時代の中に移り込んでゆくという。
こういうのがいい。
芥川賞を取った「推し、燃ゆ」あたりぐらいまで話が分かったが、その先、天皇のどうのこうのとかという話から美空ひばりの話まで、何を言っているかちょっとよくわからなかった水谷譲。
これはちょっと武田先生も申し訳けない。
これはまた別の本を持ってきたからなおさら混乱したのだが。

びっくりしたのだが最近、自分のことを「アイドル」と言う子がいる。
これはおかしいと思う。
アイドルは人が呼ぶ時にアイドルと呼んで自称するものではない。
アイドルというのは物語を感じさせてくれる芸能人のこと。

いよいよ最後だが、終わりの章に近いところで、この著者の三宅香帆さんはこんな文章を書いておられる。

 2023年は、ひとことで言えば、リバイバルブームの年だった。(223頁)

昔やった作品の続きを書いてしまう。
これはハッとする指摘。

 たとえば村上春樹の新作『街とその不確かな壁』は−中略−彼自身の初期中編小説−中略−をセルフリメイクした作品だった。(223頁)

街とその不確かな壁(上下)合本版(新潮文庫)


『SLAM DANK』を作者井上雄彦自らメガホンを取り、リバイバルしたことで成功した一本だった。(223頁)

 また映画でいえば『鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎』『ゴジラ-1.0』が流行するなど、既にあるコンテンツを元に制作しヒットした作品が目立った。
 宮崎駿監督の最新作『君たちはどう生きるか』もまた、これまでのジブリ作品のセルフオマージュのような場面がちりばめられ、やはりリバイバルブームの文脈に配置できるだろう。
(223頁)

君たちはどう生きるか [DVD]


著者は「今、物語に飢えた人達によってリバイバルブームが続いている」。
ドキッとした。
皆さん、来年期待してください。
新年明けから始まります。
チャンネルは8(フジテレビ)を中心に「102回目のプロポーズ

102回目のプロポーズ 完全版全話收?ボックスセット


(今回の本放送の収録は昨年末なので、このドラマは既に終了)

余計な物など(CHAGE and ASKA「SAY YES」)

SAY YES


あれ(「101回目のプロポーズ」)のリバイバルが立ち興る。
あそこで終わった物語、そこから数十年の時を経てその後、彼らはどうなったのであろうという物語を継ぐ物語が2023年から考えられるようになってきた。
これが長寿高齢化社会を迎えて待望されているのではないか?
だからもう年取った人は新規の物語についていけない。
この三宅さんみたいな頭のいい人が読んだ物語も、こんなお爺さんになると「そういうもものの言い方は無ぇよ」とかになってしまうが、三宅さんがおっしゃる「この物語の続き」とかいうと「ゴジラ-1.0」とか見てしまう。
武田先生も「ゴジラ-1.0」を見た。

 だが私が読みたいのは、村上春樹の初期三部作、とくに『羊をめぐる冒険』の登場人物たちが果たしてどのような老後を迎えているか、である。(225頁)

羊をめぐる冒険 (講談社文庫)


そして三宅さん、ごめん。
自分の都合のいいところだけで興奮するこのお爺さんを許して。
あなたが終章でお書きになったその文章の中にこれがあった。

A司馬遼太郎アベンジャーズ(226頁)

やはり司馬遼太郎先生の小説の登場人物を一気に出すしかない……!「坂本龍馬VS.秋山兄弟VS.土方歳三VS.斎藤道三」、夢の競演。−中略−ともかく、私は小説でもアベンジャーズ企画をもっと読みたい派なのである。(226頁)

これは三宅さん、武田先生は乗る。
これは大賛成。
司馬遼太郎というのは日本史の中にヒーローを見つけて再発見した歴史小説家。
彼は敗戦後の日本、300万人以上の死者を生んだあの太平洋戦争の一兵士として戦ったことのある司馬遼太郎は無残に敗れた祖国に愛想が尽きた。
「何もかにも」の日本に嫌気がさした。
でもフッと「昔はこんな日本じゃなかった」と思った時に、次々と日本史の中にヒーローが出てきたという。
「推し」が。
その「推し」の一人に南国の英雄、土佐の坂本龍馬がいるわ、勝海舟がいるわ、空海はいるわ。
そういうアベンジャーズ勢揃いの新奇な物語。
これはごめんなさい、三宅さん。
武田先生はできている。
武田先生はこの手の物語をもう構想している。
シノプスをもう持っている。
タイトルは何というか?
「遼太郎の夢」
日本が戦争に負けてヤケクソな福田青年。
(司馬遼太郎の)本名は福田という方。
この人がヤケクソで戦後の日本を生きている。
「何だこの!バカじゃ無ぇか。負けるような戦争しやがって」
腹が立って仕方がない。
でも喰っていく為に仕方がないので新聞記者を始めた。
それもペーペーの。
彼が一番最初にやった仕事は寺社巡り。
京都のお寺をグルグル回って、四季折々の行事事を新聞の片隅に載せる。
それが司馬さんの仕事だった。
それで京都の東寺でこれは本当にあった話。
よく昼寝していたそうだ。
その昼寝した隙に彼の枕元に歴史上の主人公達が時空の穴を通り抜けて次々とやってくるという。
そして司馬遼太郎が歴史上の人物に取材を開始するという。
素敵だと思うのは武田先生だけか?
面白いんじゃないかと思う水谷譲。
年を取っての夢だが、武田先生の推し活はまだ続いている。


2025年12月1〜12日◆「話が面白い人」は何をどう読んでいるのか(前編)

これはズバリ、この方の本のタイトル。
「『話が面白い人』は何をどう読んでいるのか」

「話が面白い人」は何をどう読んでいるのか (新潮新書 1101)


まるで武田先生に注文を付けるような本のタイトルで。
興味深いと思う水谷譲。
前にこの「(今朝の)三枚おろし」でもご紹介した三宅香帆さん。
2025年9月8〜19日◆なぜ働いていると本が読めなくなるのか
新潮社から出ている。
これは本屋に結構山積みの本。
やはり勉強の意味で「話をもっと面白くしたいから」と思って学びの意味合いでこの本を手に入れて読み下した。
武田先生の仕事の神髄、それもそういうこと。
話をどう面白く聞かせるか?演ずるか?という。
特にこの番組はラジオのお喋り、それも本を面白く語ることを仕事としているので、これはもう日々武田先生が思案していること、そこでこの若いこの方から学んでみようと。
彼女はこんなふうに切りだしている。

『千夜一夜物語』という、古代から中世のイスラーム世界のさまざまな物語を集めた説話集です。(20頁)

 あるところに、ペルシャの王様がいました。
 彼は妻に浮気されて以来、女性不信に。街中の娘を寝床に呼び出してはクビを刎ねる、という残虐な王様となり果てていました。
−中略−
 そんな王様のもとに、ひとりの娘がやってきました。
 彼女の名はシェヘラザード。
 ──シェヘラザードは、王様から寝床に呼び出されると、
 「王様、こんな話、知っていますか?」
 と、自分の知っているさまざまな話を語り始めました。
 シェヘラザードの語る物語は、それはもう面白かった。面白すぎて、王様は彼女を殺すことを忘れていました。
 夜が明けます。すると王様は。
 「早く続きを聞かせてよ」
 とせがみました。
 シェヘラザードは囁きます。
 「この後はもっと面白いけれど、続きはまた明日」と。
 こうして毎夜シェヘラザードは、王様の寝床で話をするようになりました。
 あくる日も、あくる日も。面白い話をし続けたのです。
 千夜明けたころ、王様は彼女を正妻に迎え、ついに暴虐は止められていました。
(20頁)

このことに感動した三宅さんはおっしゃる。

ここでシェヘラザードが語っていた話のひとつが、ディズニー映画で有名なアラジンの物語、あるいはシンドバッドの物語だったりします。(21〜22頁)

「話が面白い」とは、暴力にも権力にも財産にも負けない、身を助ける技術なのだ、と。(22頁)

 話が面白いって、最強じゃないですか?(23頁)

 昨今「論破」という言葉が流行っていたりしますが、私はあれはちょっと嘘だと思うんです。(23頁)

三宅さんはサラリと「これは最強ではない」と「論破には強い、弱いがあるかも知れないが、論破に『面白い』が無い」「面白い話が最強なのである」と。
(このあたりは本の内容とは異なる)

この「面白い話」をどうするか?
これは武田先生の日々の命題と同じ。
具体的なアドバイスがあるということかと思う水谷譲。
著者は言う。
面白いネタの為に話を作る為にはどうするか?
硬い方の話からいく。

 @〈比較〉ほかの作品と比べる
 A〈抽象〉テーマを言葉にする
 B〈発見〉書かれていないものを見つける
(26頁)

武田先生はこれをやっている。
書かれていないことを見つけるのは大得意で、著者からもお手紙をいただいたことがある。
「そんなことは書いてはいない」

 C〈流行〉時代の共通点として語る
 D〈不易〉普遍的なテーマとして語る
(26〜27頁)

この若い人は本当にいいことを言う。
勉強になりました、三宅さん。
三宅さんはおっしゃる。
本という素材を見つけ、その本を観賞・解釈する。
これが料理である。

 人に出すときは、料理したくらいの方がいいかもしれない。(28頁)

まさに「三枚おろし」だと思う水谷譲。
そんなにうぬぼれてはいない。
ここから著者は実践の技術を披露する。

「『話が面白い人』は何をどう読んでいるのか」
その素材として三宅さんが出した二本の映画がある。
「となりのトトロ」そして「ハリー・ポッター」。

となりのトトロ [DVD]


ハリー・ポッター シリーズ DVD8枚組 SET-27-HARRY-HPM


「トトロ」はこの世ともう一つ、妖怪の住む世界があるという。
「ハリー」は魔法の世界が別個にもう一つあるという、そういうファンタジー。
日本の物語の中で「トトロ」に最も近い作品は何か?
こういうことを考える。
そうするといろいろ面白いことが分かってくる。
妖怪、或いは妖精だと思ってください。
ある日、突然小学校にやってきた妖精のような少年の物語。
「風の又三郎」

風の又三郎


似ている。
両者のテーマは同じく、「トトロ」も、風の妖精である「風の又三郎」も、子供達が成長していく物語なのだが異世界。

『となりのトトロ』のテーマは「子供は、大人に隠れて、成長する」ではないか。サツキやメイが成長する場面は、いつも父母には見えない。(33頁)

或いは又三郎がガラスのマントを翻しながら空を飛んでも見えない。
そして著者はこのトトロの中に「描かれていないもの」を見つける。
これは武田先生も「なるほど」と思った。
田舎に引っ越してくる車の走りから始まって、ボロっちい森の中のおうちに「お母さんの病院が近い」というので父親とサツキとメイが越してくる。
それで家の中にススのお化けがいたりいろいろする。

totoro003.jpg

『となりのトトロ』には、電化製品がほぼ登場しない。(35頁)

テレビも無ければラジオも無い。
もちろん電灯はあるとする。
炊飯器は無い、冷蔵庫は無い。
それからガスでおこすお風呂も無い。

この映画で宮崎駿監督が描きたかったのは、単なる自然と子どもの交流だけでなく、テレビや冷蔵庫などの電化製品が奪ってしまったものなのかも……?(35頁)

それでは「ハリー・ポッター」はどうか?
この作品は思えば全て遡る物語。
因果の物語。
だからハリー・ポッターの存在そのものも、あの子が生まれることでさえも一種因果。
ひたいの傷とか、そういう細かい因果物語。
それで善悪の業の葛藤から様々な結果が生起し、新しい因果が立ち興ってくるという。
だからハリー・ポッターは何やら日本の古典に似ている。
物語で一番ハリー・ポッターに近い物語は?というと「今昔物語」。

今昔物語集 本朝世俗篇 合本版 全現代語訳 (講談社学術文庫)


「今昔物語」は因果もの。
仏教因果。
「昔、ある男がある女に何々したのでこういうことになりました」という。
だからハリー・ポッターは何か説話に似ている。
つまり過去に遡り、過去を知ることで現在の苦境が読み説ける。
過去はやがて未来に繋がることとなり、少年が成長していくという。
ファンタジーを支えるものとしては面白いことに、同じようなキャラが両作品には仕組んである。

『となりのトトロ』のトトロ、『ベイマックス』のベイマックス、『ハリー・ポッター』のはハグリッド。どれもぬいぐるみが大きくなったようなパートナーが、子どもたちを守ってくれる。「ライナスの毛布」という言葉もあるけれど、包み込んでくれる毛布のようなものが子どもたちの成長のそばには欠かせないのかも?(37頁)

これは子供の成長にはそういう「フカフカした大きなもの」というのが必要だぞ、という。
これはもう古代から営々と続くという話をしていたら、水谷譲が(前日分の収録が)終わった後でフッと思い出して「そういえばスター・ウォーズにもそういうのいますね」というので。
ハリソン・フォードと一緒にいるチューバッカがいるとちょっと安心感があると思う水谷譲。
「オォオォ〜!」と言いながら。
「言葉とは思えない鳴き声で」という。
こんなふうにして世界中のファンタジーの中には「共通するキャラ」というのがある。
ファンタジー世界の中にはこういうふうにして遍く西洋東洋問わず共通のファンタジーキャラというのがいるというワケで。
その典型が「竜」「ドラゴン」。
もちろん東洋、特に日本では竜はやはり神の使いだが、西洋では何か悪さもするという。
でも結果として竜というのは子供と接する時はよい生き物。
フォークソングで「パフ」

Puff, The Magic Dragon(「Puff, The Magic Dragon」)

(ここで本放送では「Puff, The Magic Dragon」が流れる)



「パフは魔法の竜」という。
少年と一緒に長い旅に出る。
そういう民話がイギリスにあって、「パフ」という歌になったという。
まんが日本昔話でも子供と竜が一緒にいるような絵で始まったと思う水谷譲。



ねんねしな(「まんが日本昔ばなし」OP)

そこしか覚えていない。
それからもう一つ、水谷譲がアッ!と思い出す「ネバーエンディング・ストーリー」。
「ネバーエンディング・ストーリー」で「ラッキードラゴン」(ファルコン)という。
何でも子供の言うことを聞いて「ワッハッハッハハ」と言いながら・・・
あれはいい。
竜が雲の中を飛んでいくと飛行感というのはいい。
あれは「竜」なのか?と思う水谷譲。
ラッキー「ドラゴン」だから。
「名前は?」と聞いたら「ラッキードラゴン」と言う。
それだけではない。
子供と仲良しになったドラゴンは子供の成長を助ける。
成長して立派な大人になる為に、「ドラゴン」というファンタジーの動物が必要。
現代にも通じるドラゴンがいる。
思いつくと「なるほど」と思う。
水谷譲も知っている。
「ドラゴンクエスト」「ドラクエ」

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もう一ついく。
「ドラゴンボールZ」

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少年の成長に竜が絡む。
そして後に気が付いたことだが「そうか、ドラゴンには、竜には少年を育てる力があるんだ」と思って我が人生を振り返ったら・・・・
坂本龍馬。
これは面白い。
小さなことかも知れないが、ファンタジーで人間が育っていく時、国とか世界を越えて一匹の竜が飛んでいるという。
この物語の中にいる一匹の竜が、いかに人生の中で強い影響を与えるのか思い知るという次第。

読書というものが一生に亘ってどれほど強く影響するか?
「物語を読む」というのはもしかすると食育同然に人は本を喰わねば成長しない生き物ではないだろうか?
著者はそれを物語にこだわっていて、物語とは人生にとって生存の重大な要素である、という。
ここから著者は更に具体的に現代の物語を語る。
まだ本にいかない。
三宅さんはネット配信ドラマに関しても具体例を挙げておられて。
「国宝」「地面師たち」
ただこの三宅さんはワリとクールで「国宝」にしろ「地面師」にしろ、「地面師たち」も配信ドラマで大当たりを取ったのだが、「お客を選ぶ物語」という。
「地面師たち」をワクワクしながら見た水谷譲。
武田先生は一回で(見るのを)やめてしまった。
あんな面白いのに、その違いが不思議だと思う水谷譲。
主人公が老人をダンプで轢き殺したところから見るのをやめた。
これは許せない。
ドラマだと思う水谷譲。
そのあたり、ジャンル分けが必要だという、この方のセンスは説得力があるなと思った次第。
映像作品はここにして明日は小説世界に入っていきたいと思う。

ここからは三宅さんが青春小説を取り上げておられる。
これは本当に迷ったのだが、ここからは読書感想文になる。
三宅さんが読んだ本を感想文を書きながら、どう話を味付けしていくか、になるのだが。

『成瀬は天下をとりにいく』(宮島未奈)と、その続編−中略−「成瀬」シリーズの魅力を解説したい。(53頁)

成瀬は天下を取りにいく(新潮文庫) (「成瀬」シリーズ)


水谷譲は「ふぅん」と言うが、(書店に)山積みしてある。
表紙が漫画っぽいヤツ。
最近の本。
武田先生は「読もうかな」と思ったが、読む勇気が無い。
「今更、青春小説」というのがあって。
とにかく三宅さんの指示に従ってこの物語、どういう物語か見ていく。

「成瀬」シリーズの主人公・成瀬あかりは、滋賀に住む学生である。(53頁)

 彼女のやりたいことはかなり明確である。たとえば「大津市の魅力を発信する」という目標をもって観光大使になったり(53頁)

かつての青春小説は「脱出」、これがテーマだった。
尾崎豊の歌もそう。
脱出を図るのが青春だったワケで。

「ここではないどこかへ」という願望−中略−それがいままでの青春小説だった。(55〜56頁)

そこを更新したのが「成瀬」シリーズだ。
 なぜなら成瀬あかりは「ここ(教室)」を肯定するからだ。
(56頁)

武田先生達団塊にあった「東京に行かねば」「古里に背を向けて」とかという、そいういうのが無い。
私見、武田先生の考えだが「東京へ行かねば済まなかった」そういうのが完全に物語として終了している。
これはとても重大な気がして。
そう。
東京を経験しない。
これが、何だかスポーツ界も影響していて、イチローを筆頭にして大谷や佐々木など、東京を経由せず、中京地区からシアトルに飛んだり、岩手・花巻から札幌へ飛んでロスへ渡ってゆくという。
東京にじっくり居座ったことがないということかと思う水谷譲。
最近の若者達は地元から世界に行く。
そのパターンを踏んだのがこの成瀬シリーズで、つまり東京はいつの間にか飛躍の為の踏切板の効力を失っている。
踏切板は、今は生まれたその町。
そこでジャンプしないと跳び箱は越せない。
これは武田先生達との大違い。
1970年に始まった青春だが、武田先生達は全員東京を目指した。
「憧れの東京」だと思う水谷譲。
武田先生の立場でいうと、小さなライブハウスで歌っていた武田先生達だが、横にいた友達の「チューリップ」が東京へ行ったと思ったら、それよりも先行して隣町に生まれた井上陽水が東京へ行った。
何のことはない。
中州の喫茶店のマスターのタモリさんが東京へ行ったとか、皆、一斉に東を目指して走り出した、と。
それは自分を天下に押し出す為には「東京」という踏切版が欲しかった。
それが今や、まさしくイソップの寓話に匹敵するように「飛ぶんならその場で飛べ」という。
イソップの中にあるそうだ。
それはとあるホラ吹き男が「俺は空を飛ぶことができる」とかそんなホラを吹いたようだ。
「やってみせろよ」と言ったらそいつが「いや、悪い悪い。俺、それできんのロドス島なんだ。ロドス島っていう島ではね、凄い俺、飛べたんだ。ここではできない」
そうしたら見物人の一人が「ここがロドスだ」。
「飛べ。ここがロドスだ」というのは武田先生達の青春にはよくつぶやかれた言葉で。
武田先生は成瀬シリーズを読んでいない。
だが正しい手続きではないが、この著者の書評、読書感想文を読んで考えてみよう、と。
本当にごめんなさいね。
本当は読まなければいけないのだが、人の読書感想文を読んで、その読んでもいない本の物語を勉強したいなという。
でも「成瀬は天下を取りにいく」なんかもそうだが、新しい青春像が日本中に今、渦巻いているのだろいう。
全く新しい青春が、いろんなローカル、地方の中で育っているだろう。
今の若者達の飛躍力は、ちょっとやはり考えられない
東京は情報量が多い分、何かギュっと狭い世界になっている気がする水谷譲。
そうかも知れない。
気を付けましょう。
肝に命じつつ物語を進めたいと思う。

 平井大橋『ダイヤモンドの功罪』が面白い。これを書いている2024年時点で、第五巻まで出ている野球漫画である。(67頁)

ダイヤモンドの功罪 コミック 1-9巻セット (集英社)


これがスポーツものなのだが、武田先生達のスポーツものと全く違う。
昨日の成瀬もそうだが、
「ダイヤモンド」は野球のダイヤモンド。

 主人公は、小学生の、綾瀬川次郎(通称ジロー)。彼は−中略−スポーツの天才だった。
 彼の不幸は、「どのスポーツをしても、抜群にできてしまうがために、友達ができない」こと。
(67頁)

こんな主人公に武田先生は出会ったことが無い。
この手の天才過ぎる万能の才能を令和の今では英語で「ギフテッド」「才能を贈られた」という。

ギフテッドという言葉が使われる時はむしろその負の面が注目されるようである。−中略−実は学校になじめなかったり社会に出てから人とは異なる苦労があったりするのだ、と。『ダイヤモンドの功罪』の主人公ジローもまた、スポーツ分野のギフテッドといってよいだろう。(69頁)

『ダイヤモンドの功罪』が広く読まれる背景のひとつに、昨今の「才能は努力や運ではなく環境によるものだ」という言説がある。
 マイケル・サンデルが出した本『実力も運のうち 能力主義は正義か?』
−中略−がその言説の一旦を担っている。
 本書は、エリートたちに向けて「君たちの成功は、君たちが頑張ったからだと思っているかもしれないが、君たちの運(環境)が良かったからに過ぎないのだ」と説いた本である。
(70頁)

実力も運のうち 能力主義は正義か? (ハヤカワ文庫NF)


つまり「教育格差」の問題で、今、話題になっている。
つまりお父様とお母様が教育熱心できちんとした収入がたくさんあって、教育費をたくさんかけっると優秀な子ができるという。
こういうことだそうで、アメリカなんかもそうで、やはり金持ちの子には勝てない。
そういうことをサンデルさんもおっしゃっているそうで、「ダイヤモンドの功罪」というのは、そういうことのコミック化なのだろう。
とにかくギフテッド、才能を神様から貰うだけ貰うと、その分、もの凄く深い孤独に陥ったり仲間外れになったりなんかするという。
そういうことを描いてあるという。
これはごめんなさい、三宅さん。
ついていけない。
この「ダイヤモンドの功罪」の主人公ジロー。
好きになれない。
こういうギフテッドという天才のスポーツマンとかというのにはついていけない。
ついていけないというか、興味が無い。
昭和にもスポーツの天才はいっぱいいる。
挙げてみる。
ちばてつや「おれは鉄平」「ハリスの旋風」。

おれは鉄兵 (1) (コルク)


ハリスの旋風 (1) (コルク)


面白かった。
決定的な違いは何かというと、主人公が嫌われるということは無かった
親がお金持ちで例えば「頭がいい」とか「スポーツがよくできる」というのは昭和の時代は恥ずかしいことだった。
と、言った方がいいのではないか?
なぜかというと、それは本人が作った才能ではないから。
例えば「巨人の星」という野球漫画がある。

巨人の星(1) (週刊少年マガジンコミックス)


これは天才ではない。
小さい時から必死になって己をとがらせてライバル達と戦うのだが、我々が劇画の中で星飛雄馬にぞっこんだったのは、彼が貧しく、子供の時からいわゆる「根性を試される」というので「大リーグ養成ギプス」とかと言いながら金具でぐるぐる巻きにされて、体を作っていく。
そこに我々はもの凄く感動して。
水谷譲は笑うが、泣きながら見るヤツがいたのだから。
努力と修行の成果でその才能を手に入れた主人公達。
才能がある人はいるが、だが嫌われない。
大谷翔平、藤井聡太。
嫌われない。
ギフテッド。
ごめんなさい。
この漫画についていけない。
三宅さん、申し訳ない。
武田先生が言いたいのは、ギフテッドの野球と将棋の彼らがどう努力したか、「努力の天才」というところが我々が感動するところであって、「努力しない天才」というのはそんなものは物語ではない。
でもそれを聞いて逆にちょっと読みたくなった水谷譲。
このコミックはまだ結末が出ていないそうで。
大きい躓きがこの後、あるのかも知れない。


2026年06月20日

2026年5月18〜29日◆みんな政治でバカになる(後編)

これの続きです。

(著者は)綿野恵太さん、晶文社から出ている「みんな政治でバカになる」。
この「バカになる」という「バカ」というのは失礼だとは思うのだが、政治にまつわる様々な人の群れの解説という先週・今週。

保守という政治的な集団がいて、それから「時代は進んでいるぞ」というのがリベラル「改革派」の方。
先週、水谷譲が言っていたが「リベラルも昔とちょっと違うんじゃないですか」と言うのだが、リベラルも枝分かれしてしまって「左のリベラル」と「右のリベラル」がいる。
「もう全部、日本をやめてしまおう」という左派と、「一部改良しつつ保守を打倒していこう」という右のリベラルがいるという。
政治にまつわる集団の説明。
これはあくまでも説明だから「誰が誰々」とかと言っているワケではない。
この保守に関してリベラルが攻めていく。
攻めてくるリベラルに対して、「俺達が盾だ!」というので保守を守りに行く一団がいる。
ここにまた、「政治に絡むバカ」として存在する。
右翼の方を「バカ」と言っているのではない。
そういう種類の呼び名で語らせていただいている。
この右翼の人達に更に加えて、「政治ファン」という、「楽しむ」という。

政治的知識の獲得に熱心な人々がいると指摘している。しかし、それは自らが所属する集団や党派(われわれ)を応援し、対立する党派(あいつら)を嘲笑うためだという。つまり、阪神タイガースや浦和レッズを応援するスポーツファンのように、「政治ファン」なのである。(176頁)

ここからは「政治ファン」を「亜インテリ」と呼んで考察していく。(176頁)

「亜インテリ」というべき「ネット右翼」(179頁)

いつの時代、いつの世にもいる人達。
こういう人は本当にいる。
先月のことなんかグズグズ言いたくないが、一か月前にテレビを見ていて、番組名とか言わないが、一番頭にきたものを言わせてもらう。
岩手県の山奥が燃えていた。
何日も何日も。
雨が降らずに。
もうみんな必死になって雨を待っている。
それで、天気予報がゴールデンウィークの天気を予報し始めた。
「ここは雨降る」「こっちは晴れ」とかして、山火事で燃えている岩手県の話をしない。
あの段階で一番雨が欲しいと思っている人は、あの山火事の真下に住んでいる人達。
「こどもの日はちょっと要警戒ですね」「小さな雨傘お忘れなく」とか、そんなのではない。
もう悲しくて、武田先生は泣きそうになったのだが、山火事が何ミリかの雨が降って収まった。
あの一発目の雨で。
そうしたら山を見ているご婦人が涙ぐんで「雨がこんなにありがたいと思ったことはありませんでした」と言う。
山火事で悩んでいるところがあるのだから、一言でいい。
たった一言で。
本当に素敵なニュースで、その一番最初の雨から次の次の日には、もっと大量な雨が降った。
その時にニュース番組の難しさ。
ニュースというのを一回「人肌」というか、人間のぬくもりまで落とさないと。
もう理屈ばっかり言っている人達の意見というのを紹介していることに関して、ちょっと日本の年寄として凄く疲れてきてしまった。
「正体がバレてきた」というか「だんだん正体が分かってきた」という、そういう集団もいて。
これが現在の流れ。
「みんな政治でバカになる」だが、いよいよ「ポピュリズム」について語ってみたいと思う。
(この日の最後は武田先生の著書の宣伝)

現在の政治の世界で最も力を持っているのがポピュリズムということ。

 二〇一九年の参議院議員選挙では「れいわ新選組」や「NHKから国民を守る党」(当時)が議席を獲得し、「ポピュリズム」という言葉が広く知られた。また、西欧ではEUが求める緊縮財政に対して財政出動や社会福祉の充実を訴える左派ポピュリズム−中略−や、移民の制限やEUからの脱退を唱える右派ポピュリズム−中略−が躍進した。(144頁)

ポピュリズムはパターンがあって、日本もこれに習っている。
ポピュリズムというのは「部族主義」。

さまざまな政治的立場の人を「動員」するために、政治争点をひとつに絞った「シングル・イシュー」型の運動であった。(147頁)

歴史でいえば、幕末。
ワンイシューを叫んだ人達。
「尊王攘夷」「朝敵に天誅」
ポピュリズムの人はこういうスローガンが多い。
「MAGA(マガ)」とか

共通の「敵」を指し示し、−中略−「脱原発」や「反安倍」という「われわれ」=新しい部族の団結力を高めるための道具だった。(147頁)

このポピュリズムにとって、最も大事なのが敵。

左派ポピュリズムにおいて「感情」を「動員」することの重要性を語っている−中略−そのなかでも最も利用される「感情」が「怒り」である。私たちはまず「感情」や「直観」によって道徳的判断をおこなう。(151頁)

シングル・イシュー。
維新さんはシングルでもなくなった。
大阪都構想だけではなくなった。
今は「首都移転構想」というのか。
はっきりいって武田先生は古里は福岡だから「福岡に大蔵省を置くとかいいじゃんな」とかと思ったりなんかする。
分散するといいんじゃないか。
省によっては東京じゃなくてもいい省があると思う水谷譲。
そういうふうにすることというのは大事なのではないか?
とにかく用心しなければならないのは敵を作ることで感情を作ってしまうという。
そういう人の動かし方というのは嫌で仕方がない。
この本に書いてあったことで「今、世界的な流れはそうなんだな」と思ったが、ヨーロッパを中心にして、リベラルは相対的にパワーダウンしているそうだ。
リベラルのパワーダウン。
日本もそういう意味ではパワーダウンだろう。
リベラルの立場がやはり難しい。

二〇二一年に東京オリンピック・パラリンピック組織委員会の森喜朗会長(当時)が「女性がたくさん入っている理事会の会議は時間がかかります」という女性差別的な発言をした際には、日本のリベラル派だけではなく海外メディアからも厳しい批判を寄せられた。(157頁)

森さんは途中でお辞めになった。

なかには「老害」と罵る言説が見られた。反差別の立場で抗議するならば、「老害」という高齢者へのステレオタイプを表したネットスラングの使用は慎むべきだろう。(170〜171頁)

リベラルの考えを持っている方の前で何も言えなくなってしまう水谷譲。
それで一言、話を間違えると一回転して真後ろ、自分の後頭部にブーメランが当たるということがある。
このへんがリベラルがもの凄い勢いで苦しくなってくるところ。
人の非難というのは難しい。

遠い遠い昔の話。
分かりやすい昔の話をする。

ナチスの強制収容所の近くに住んでいた女性が、ユダヤ人への残虐行為を目の当たりにして、「そのような非人道的な行為はすぐにやめてください。さもなければ、誰も現場を目にすることのない別の場所でやってください」という抗議の手紙を書いたという(160頁)

ここに「政治的無知」というか「バカ」さというか。
こういうブーメラン発言は多い。
やはり他者を非難することの難しさをつくづく感じる昨今。

「みんな政治でバカになる」
「俺は知ってるぞ」というところがバカ。
これは武田先生が言っているのではない。
綿野恵太さんという方がおっしゃっておられて、晶文社から出ている「みんな政治でバカになる」。
こんなふうにして現状を振り返るのも面白い。
今までのお話を元に、またテレビなど見ると面白いかなという気がする水谷譲。
ズバリ言うと、政治的に人を批判するということが凄く難しい時代に入った。
それくらい情報というのが飛び交って、トランプさんが夜書いた日記が、朝一番の日本のニュースで流れる。
もの凄いテンポの速い時代にきている。
昨日話した話は、人を批判することの難しさだが、ナチスの強制収容所近くの東ヨーロッパのご婦人がナチスのユダヤ人への残虐行為を目撃した、と。
そこで「非人道的行為は辞めなさい」と訴えた。
そしてその後で「さもなくば別の場所でやってください」と手紙を綴って締めたという。
つまり「他者を非難して自分はどこに立つか」という、それが非常に難しい。
批判するその人よりも「俺は苦しみを知っているぞ」という批判そのものが非常にしにくいと言うか。
とにかく政治的な主張というのは簡単にやらない方がいいんだ、と。
簡単にやってしまうと「あいつら」「我々」「かっこいい」「みっともない」「間違ってるぞ」「正しいのは俺だよ」。
つまりハッシュタグで「あの人達の苦しみ」みたいな、そういう人の集め方をすると、必ずその物事の見方に歪みが生まれる。
この歪みが生まれることをこの著者・綿野恵太さんはこんなふうに形容なさっている。
勇ましいシュプレヒコールというのを仲間と一緒だと大きい声で叫びたくなって同じリズムで叫ぶのだが、でもそれじゃダメなんです、と。
仲間と一緒に何か叫んでいるというのは。
これは別の本の人。
これは武田先生は読んだことがあるのだが、この本の著者、綿野恵太さんも書いてらっしゃるのだが、この「三枚おろし」でも取り上げたと思うが、千葉雅也さんという人の本を取り上げた時に、千葉雅也さんがこんなことをおっしゃっている。
(千葉氏の著書を取り上げた回は2017年9月4〜15日◆来たるべきバカ

勉強の哲学 来たるべきバカのために 増補版 (文春文庫 ち 9-1)


哲学者の千葉雅也は「深く勉強するというのは、ノリが悪くなること」と指摘している(205頁)

これは名言。
ノリのいい言葉とかノリのいいスローガンに乗ってはダメなのだ。
ノリが悪くなるということが、物事を深く考える為の最初の態度。

 千葉は「ノリ」から自由になるためには「アイロニー」=「ツッコミ」と「ユーモア」=「ボケ」という二つのスキルが必要だと述べている。(205頁)

武田先生にツッコむ人がいて、すごく生涯大事にして、死んでしまったが。
年齢もあって別れたのだが。
武田先生が何かウンチクを垂れる。
その度に、もの凄い疑いっぽい声で「本当だろうね」と言う。
これが武田先生は凄く勉強になった。
何か自分が知っていて他者に教えるつもりで喋る。
それを疑われるということは、ノリが悪くなる。
つまり「おっしゃるとおり」というのはノリがよすぎる。
メインの司会者の人がいて、コメンテーター、或いは専門家がいて何か喋る。
その人が不機嫌そうに「本当ですか?」と疑った方がいいのではないか?
「おっしゃるとおり」と言われたら嬉しくなると思う水谷譲。
リズムが付いてしまう。
「リズムが付くと危険だ」というのを千葉さんがおっしゃっている。
本当にそう。
いわゆるツッコミというユーモアは彼にはあって、武田先生が何かを言うたびにツッコミで「本当だろうね」と激しく疑う時に「いや、だってさ」とまた次の理屈を言う。
それをどんなに言っても彼は簡単に頷かずに「何か信じられねぇな」と言う。
でも、それがやはり深く勉強する為の他者からの反応の一番大事なところ。
「おっしゃるとおり」と言うと、もうそれ以上勉強しなくなる。
その勉強しなくなるところにブーメランの発言があるのではないか。
そうやって考えてみると政治的な発言をする時「ノリが悪い」。
これがいかに大事かということで、このあたりにバカから脱出する何か手がかりが。

この本、(著者は)綿野恵太さん。
本当に綿野さんすいません。
これは意訳も相当入っているし、あなたがおっしゃっていることを理解する意味で、自分で付け足した(部分が)たくさんあって。
綿野さんの主張通りをなぞっているワケではない。
だがあなたの本のタイトル「みんな政治でバカになる」というのは、ひどく武田先生の心を捉えた。
この本で印象だけ語っておくが、著者の綿野さんは輪島塗の漆塗りのように、もう何度も何度も同じところを塗り固めておられる。
その丁寧な作業が「これは三度目の塗りだな」とかというのが分かればいいのだが。
この方は「政治を語りたがる」あるいは「政治に夢中な人達」のタイプを取り上げて古今東西の思想家の意見と重ね合わせて「バカの二乗になる」という、そういう論調。
綿野さんが書いておられる政治にまつわるバカな人達。
「大衆」「部族主義」「リベラル」「保守」「エセインテリ」「亜インテリ」「ネット右翼」こういう現代語で政治を語る人達の様々な、いわゆる種類別カタログみたいな感じで。
綿野さんごめんなさい。
あなたの本を必死に探したのだが「あ!これだ」という「バカからどう脱出するか」というのは最後まで当たらなかったような気がする。
綿野さん、分かってくださいね。
これは後半の方をもう一回読み返した。
それで何とかあなたの文脈から「政治を語る態度はどういう態度がいいのかな」という、それを探した。
水谷譲に「あ、なるほど」とかと言わせたくて。
これが当たっているかどうかわからない。
「政治を語ることの難しさ」というのは綿野さんのご指摘の通りだというふうに思う。
水谷譲にも話したと思うが、寿司屋さんと同じで我々はあの手のひらに絶大の信頼を寄せるという文化圏の中に住んでいる。
だからニュースを扱う時も寿司屋の職人さんのように、その手のひらが美しいという。

著者の話に戻る。

 進化生物学者のリチャード・ドーキンスが「利己的な遺伝子」と表現したように、私たちは遺伝子が自己複製するための「乗り物」である。(225頁)

遺伝子が人間を操縦している。
子供から大人へ、大人から恋をして夫婦となり、子を持ち育て、中年から老人になり、やがて死んでゆく。
成長の変化から性の目覚め、性の目覚めから恋、異性を求める。
娘を知り、やがてその娘の中から妻を選び、子を育てていくうちにまた違う怪しげな女性に惑わされたりする。
そういうバカなことを繰り返す「体」という遺伝子に乗っかっているのが俺達なんだ、という。
遺伝子は生命に対して事細かに「ああしろ」「こうしろ」と命じてくる、と。
政治についてバカなのも「賢くなりたい」とかと無闇に憧れたり、それからリベラルというグループを作ったり、それも多分、遺伝子からの操作からであって、本人が考えたことではない、と著者はこんなことをおっしゃっている。
ドーキンスはこれを「ショートリーシュ」と言っている。

細かな動作を逐一指示して制御する「ショートリーシュ」(短い引き綱)型(226頁)

ところが長く生きていくうちに、短い手綱では生きられない場面が出て来る。

火星探査機の例でよく説明される。地球上の操縦者との距離が遠ざかると、探査機を直接操縦することが難しくなる。−中略−そのためNASAの技術者たちは、−中略−「ロングリーシュ」(長い引き綱)型に移行せざるをえなかった。(226頁)

生きていくということはどういうことかというと、短い手綱と長い手綱、二本を持っていないと命はコントロールできませんぜ、と。
もの凄くわかりやすい例。
ちょっと朝から本当に申し訳ない。
でもわかりやすいのはこれ。
コンドーム。
遺伝子そのものは拡散を命じて「たくさん精子ばら撒け」と命令する。
ところがこれはショートの命令で、こんなこと、いうことを全部聞いていたら大変なことになってしまう。
そこでロングリーシュが必要になる。
そのロングリーシュが避妊具。
つまり快感の為だけの性行為。
それを人間は作った。
つまりショートとロングリーシュ。

避妊手段を講じたセックスも「文化」のひとつである。(230頁)

文化と進化。
この両輪で人間というのを回さないとダメだ。

人間の「長寿」はこのような「文化」の重要性を物語っている。−中略−高齢個体(祖母)が蓄積した「文化」的情報を若い親族に伝えることで、孫(子孫)の生存率を高めるからだと考えられている。(231頁)

こんなふうにして考えるとわかりやすい。
ちょっとまた寄り道してしまったが、とにかく頑張ってまとめる。

しかし苦戦した。
「みんな政治でバカになる」
結構深いというか難しいテーマだと思う水谷譲。
でもやはり、これからこういうのをやろう。
こういうご時世だからこそと思う水谷譲。
この綿野恵太さんの「みんな政治でバカになる」。
締めにいきたいと思う。
これはもう繰り返し言うが綿野さん、なかなか武田先生にとっては頭が悪いので難解で。
自分で例えを用意して一生懸命、綿野さんの文章を解説しているが、綿野さんがお書きになった文章、読み違いがあるかも知れない。
でも、そんなふうに武田先生には読めたということでご勘弁願えればというふうに思う。
この本を読みながら「どうすれば私は政治についてバカにならずに済むんだろう」という。
綿野さんは様々な知識人の様々な知恵を次々と紹介しながら、政治を語るということに批判を加えつつ語っておられて。
申し訳ない。
「これだ!」という結論に至らない。
でも、実に政治とは語り難い厄介なもの。
著者は「大衆とはバカなもので、その大衆をバカにするリベラルもまたバカだ」と主張するという。
大衆はいつも「分け前の多い・少ない」と考えて、多い分け前を夢見、リベラルは分け方、正しい分け方を見つめている。
しかし世の中には彼らの思い通りにはいかない。
文化を知っているものが分け方と分け前の充分さを知っている。
これらのバカな人々を笑い、バカに居直る人や、シニカルな冷笑で政治を語る人もいるが、これは際立った個性の人であって、政治的にこれらの人は何の力も無い。
綿野さんは現代の政治勢力を紹介してくださるが、「政治についてバカにならない方法」というのを武田先生は一生懸命探したのだが見つからなかった。
ごめんなさい。
でも「見つからない」ということも一つの答えかも知れない。
ただ一つだけ、こんな文章を見つけた。
これは評論家の呉智英さん。
この方を紹介しつつ、「バカ」という言い方は知識人から大衆に向けた侮蔑、侮辱の言葉である。
頭のいい人が大衆、武田先生とか水谷譲に向かって「バカ」と言う。
ところが大衆は大衆で、武田先生とか水谷譲は頭のいいヤツに向かって叫び返す侮辱の言葉がある。
「ドヂ」

なぜ知識人は「ドヂ」なのか。それは本来の「テンポ」から「ズレ」た存在だからである。(243頁)

そういえばリベラルな人はなんとなく服装がナウく無い。
「ナウ」はもう死語だと思う水谷譲。
何となくズレている人が多い。
洒落た方というのはあまりお見受けしないという。
それを言うとまた「武田さんルッキズムですよ」と怒られると思う水谷譲。
頭のいい人はテンポからずれる。
ところがしっかり勉強する為にはノリの悪い、テンポからずれた、ドヂな人間になること。
そうなることが政治を語る資格を手にすることではなかろうか?
これは武田先生の考え。
何かテンポの悪い、ノリの悪いヤツだったら水谷譲も武田先生もなれそう。
ルッキズムで。
武田先生は「ズレる」というのはとても上手。
海援隊の真ん中でタンバリンを叩いていて中牟田(俊男)から「ずれるからやめて」と言われた。
つまり「政治を語る」ということは、これくらい難しいこと。
水谷譲に向かって言いたかったのは、こういう分類で政治を見てみるという。
「こいつ典型的な偽インテリ」とか。
何か「分類する目を持っている」ということがとても大事なことだなと思って、武田先生はこの「みんな政治でバカになる」を必死になってバカの分類をやってみた。
ここでもう一つだけ、最後に繋がりを強調する意味で、つまり水谷譲と武田先生は自分のことを自称「大衆」と呼んだ。
「大衆」が実は今、大変な仕事をしているというのを、この次に語るので。
これは楽しみにしていてください。
ちょっと複雑な話っぷりでちょっと皆さんも混乱なさったかも知れないが、「あの一言はよかったな」というそんな記憶さえ残せれば十分なので。
(この日の最後は武田先生の著書の宣伝)

花咲けじいさん 人生後半の教科書


2026年5月18〜29日◆みんな政治でバカになる(前編)

(2024年にも同じ本、同じタイトルで取り上げている。2024年9月2〜13日◆みんな政治でバカになる

ショッキングなタイトルで「みんな政治でバカになる」という。
「政治について語ったりなんかすると、みんなバカになっちゃうよ」という、凄いストレートなタイトルで。
「この言い方は失礼だな」と思いながら、ほっと気が付くと騒ぎが多い。
漫才のボケをやってらっしゃる方が選挙特番か何かで総理に言った一言で大炎上が始まって大騒ぎになって。
そういう意味で、この「政治的発言」というのが非常に火が点きやすい状態。
その後も続々とテレビメディアの政治的発言というのが炎上しているのは御存じか?
色々ありすぎてわからない水谷譲。
この間も見ていたらびっくりしたが、朝の有名な政治を語る番組でゲストにお迎えした方がその番組の有名コメンテーターにつっかかり始めて。
そのゲストコメンテーターの人が番組に出ている女子のアナウンサーに向かって「あなた、真っ当な仕事やってると思います?」。
つまり「その番組自体が非常に偏向した報道やってるんじゃないか?それに関して内部にいる人間として自分が大人の仕事をやってると思うかどうか」という。
それをメインの司会者と、レギュラーコメンテーターが「それを彼女に聞くのは失礼だろう!」と言って、もうほとんど放送事故みたいな。
そのテレビ、あるいはラジオのある番組の中ではメインの司会者の方がそういうお考えをお持ちなので、ゲストを招いても全員司会者の意に沿うように忖度して番組の流れが決まっているというような。
テレビ等ではよく見受けられる。
そのことに関して、今度はまたもの凄い叩き方でソーシャルネット、SNSで叩きが始まる。
政治について、なぜかくも感情的に人間はなるのだろうか?
この壮大なるテーマをやってみようかなと思って。
いい本を見つけたと思った。
(著者は)綿野恵太さん、晶文社から出ている「みんな政治でバカになる」。

みんな政治でバカになる


この「バカになる」という「バカ」というのは失礼だとは思うが、しかし前後の見境も無くカッとなることは事実。
テレビメディアのニュース番組というのは、今や「オールドメディア」と呼び捨てにされていて、SNSのネット世界に繋がる人達から「オマエ達は古いんだ」。
そしてSNSの方は自称を「ニューメディア」と名乗っていて。
でもこれは正確にいうと「マス」に対抗する「パーソナルメディア」「個人のメディア」と、それが正しい呼び方だと思うのだが、彼らはしきりに「ニューメディア」というふうに。
このニューメディアの方々、YouTubeなんかで番組を作っておられる方、ショート動画を作っておられる方は芸能人が嫌いなのだろう。
ボロクソに書いてあって。
その中に武田先生も時々、混じっている。
もう武田先生の場合は叩くというよりも「前にこんなヤツもいたな」というような・・・
「言われてなんぼ」「話題にのってなんぼ」だと思う水谷譲。
彼らニューメディアは芸人がニュースという事実に侵入してくることが許せないという感情があるのだろう。
この「許せない」という感情。

「許せない!」という「道徳感情」は「直観システム」に当てはまる。「直観システム」は非常に重要な認知機能である。(5頁)

強い行動を支える。
「自分の信念を裏付ける情報だけを集める」という「確証バイアス」があるが、

情報を合理化して都合の良いように解釈する能力も高くなり、ひいては自分の意見に合わせて巧みにデータを歪めてしまう」ことが指摘されている(8頁)

一定の間違いのパターン=認知バイアスがある。(5頁)

「俺は知っているぞ、本性を」「真実は一つ」とかと言う。
でも真実は一つとは限らないのが現代。
こういう「物事を知っている」、そして知っていることによってこみ上げてくる感情で「許せない」とかと思い詰めてしまうという。
こういう感情のあるものを綿野さんは「バカ」とおっしゃっている。
正確につかんでないのに許せないなんていう、もの凄い感情が沸き起こる。
「そのこと自体がオマエバカだよ」という。
だとしたらバカがいっぱいいると思う水谷譲。
(その言い方は)きついと思う武田先生。
でも今回、そのいっぱいいるバカを並べてみる。
日本にどれほどのバカがいるか。
大体匿名で皆さんSNSで発信してらっしゃると思う水谷譲。
だからこの「(今朝の)三枚おろし」では「あの番組のあの司会者」とか「お笑い界のあのボケの人」とかと指差しはできない。
それは失礼だし、それも一種、認知バイアス。
違う側面がその人にあるかも知れないので。
だから例え話が非常に少ないので、その分わかり難い。
今日、お話した話は何かというと、アメリカの話でどんなに世界が騒ごうがトランプさんが大好きだという方がいらっしゃる。
その人達はトランプを支持する為にはどんな嘘ニュースも信じるという方達。
彼らの真ん中に燃えている「許せない」という感情は何かというと、バイデンが許せない。
そういう感情。
「バイデンが許せない感情」がトランプを支持させるのだが、綿野さんはその感情そのものを「バカ」とおっしゃっているのだが。
どんな種類のバカがいるのか、探っていこうというふうに思う。

「みんな政治でバカになる」だが、どういうバカかというと、「俺は知ってるぞ」とすぐうぬぼれる。

ほとんどの人が政治について無知=バカである。いわば、「人間本性」によるバカ(認知バイアス)と「環境」によるバカ(政治的無知)とがかけ合わさった「バカの二乗」である。(12頁)

申し訳ない。
これは武田先生が言っているのではない。
全部罪を着せてしまうが。
綿野恵太さんという方がおっしゃっていて、バカにならない為にはどうしたらいいのか?
興味がある。
(バカには)なりたくない水谷譲。
だからこの方のおっしゃる「バカ」というものをいろいろ考えてみようと思う。
特に政治を語る時、人間は間違いやすい、物事を歪んで見やすい。
しかも政治というものは真実が実に掴みにくいんだ、と。
政治に於いては、本質を取り逃がしやすいという。
実に面倒臭いが「政治的なバカ」というものに向かい合って「バカではない自分」というのをどこかで発見したい。
奥様からは「分かり難い」と酷評だったのだが「庭の話」。
2026年4月20日〜5月1日◆庭の話
実はこの「みんな政治でバカになる」は「庭の話」の続編。

庭の話


「庭の話」の中に、もの凄く心に引っかかる文章が一行あった。
三枚おろしのネタはこんなふうにして見つけていく。
その前作で語った「庭の話」に関して武田先生が引っかかった文章はどんな文章かというと

「意識の低すぎる」選挙と、「意識の高すぎる」デモ(「庭の話」340頁)

武田先生はこの一行が凄く気になった。
皆さん、ちょっと言葉を荒々しく語ってしまうが、勘弁してください。
「愚かな選挙」というのは選挙というのはバカがやっているという。
投票する方が、印象で勝手に票を入れているだけだ。
そして「賢すぎる反対運動」。
反対運動をやっている人はみんな賢すぎて、あれこれ推論を立てて、「こうすればこうなる、こうすればこうなる」その理屈で反対運動をやっている。
「愚かな選挙、賢すぎる反対運動」
こういうふうに言われるとギクッとする。
そしてここでまたキーワードが出て来る。
このキーワードは「大衆」。
これはもうはっきり綿野さんもおっしゃっているが「大衆」。
水谷譲は「何衆」か?
この間、武田先生に向かって「私は大衆」と言った。
武田先生も「大衆」。
武田先生と水谷譲は「大衆」。
バカ。
何でバカかというと

「大衆」は自らの「生活」にしか興味がなく、政治に関心がない。(27頁)

「大衆でいいじゃないか」と断定した思想家がいる。
吉本隆明。
吉本ばななさんのお父さん。
この人は「大衆でいいんだ」と言った。
「頭がいいフリをしてるヤツなんかロクなヤツいない。エリートぶりやがって」
つまり「そういう人達こそバカだ!大衆が偉いんだ!」と言って。
これは忘れもしない。
吉本さんが70年代に発表したのが70年の学生運動の中でもの凄く揺らした言葉がある。
それは「共同幻想論」という。
武田先生はこの言葉を聞くとギクッとする。
「学生運動やってるヤツってのは、共同で集団で幻想を見てるんだ。その幻想から目覚めない限りダメなんだ」という。
彼はエリートが見ている、つまり学生運動をやったヤツはみんな頭がいいヤツばっかりだった。
それを「共同幻想見てる」と否定した。
これは凄くショックな一言だった。
それで吉本隆明が言ったのは「共同幻想に溺れるぐらいだったら対幻想に溺れろ」。
「ペア幻想」
「『我々』っていうのは幻想なんだ。『私とあなた』」
ピンとこないかも知れないが、フォークソングは「我々」を歌った。

私たちの望むものは(岡林信康「私たちの望むものは」)

私たちの望むものは


こういう「私達」を歌った。
ところが学生運動が行き詰まって、1975年で「私達」は全滅していく。
そこでポーン!と出てきたのが「対幻想」。
「ペアの出来事」を歌にする。

あのひとの ママに会うために(松任谷由実「ルージュの伝言」)

ルージュの伝言


これは「ペア」。
そして80年の一番最後に「自己幻想」というのが出て来る。
自分の心境だけを歌う。

砂まじりの茅ヶ崎−中略−
俺の家も
−中略−
今 何時?
(サザンオールスターズ「勝手にシンドバッド」)

勝手にシンドバッド


つまり共同幻想、対幻想、自己幻想。
全部幻想。
幻想を見ていないのは誰だ?
「大衆」
吉本は途中で変えて「大衆」と呼んでいたものを80年代に入ると別の呼び方をした。
何と呼んだか?
「消費者」
そこから糸井重里のパルコのコマーシャルなんかが始まる。
「おいしい生活」

(この日の冒頭は武田先生の著書の宣伝)

花咲けじいさん 人生後半の教科書


本題に入る。
(昨日までの話は)流れが面白く「そういう繋がりなんだ」と思った水谷譲。
若い時に全然気付かなかった。
年を取ったら「それでこうなったんだ」というのが思い当たる。
このへんに老化していく意味合いがあるような気がして。
昨日お話したのは吉本隆明というこの思想家が60年代、70年代、学生で広がったのだが「共同幻想論」。
これはやはりハッとした。
「俺達が見ている『俺達』というのは幻想なのか?」という。
よしもとは「大衆」に何でここまで味方をしたか。

一九六〇年の安保闘争で国会を包囲するデモ隊にアンパンを売る「アンパン屋」がある(27頁)

「安保反対」で安倍(晋三)さんの祖父(である)「岸(信夫)を倒せ」というので国会を取り囲んだ。
頭のいい反対派の人達が何重にも取り囲んで国会が揺れるぐらいの大騒ぎになった。
その時に、吉本隆明は雷に打たれたような衝撃をデモ隊の中に見つけてしまう。
それが国会に押し寄せた安保反対のデモ隊に向かってリヤカーを曳いてアンパンを売っているヤツがいた。
これに吉本は感動する。
「あれこそ大衆だ」「そういうバイタリティこそ大衆なんじゃないか?」「こういう人達が時代を作っていくんだ」という。
面白い見方。

安保闘争において全学連を支持した吉本は、既成左翼=共産党を商売のためにアンパンを売っている男よりも「愚劣」だと罵倒した(27頁)

こんなふうにして彼は「大衆の中にこそ国の未来がある」と。
この大衆を嫌悪したのが60年代、70年代政治学者の丸山真男さん。
この方は知識人で、

丸山にあるのは「大衆嫌悪」である。(29頁)

「大衆じゃダメなんだ。市民がいて、市民の理性を呼び集めて理屈を作って、その理屈から政治的決定を下していくんだ」という。
どちらも正しい気はする水谷譲。
ここから日本のリベラルが始まる。
この丸山さんと吉本さんが仲が悪いの何の。
吉本さんは「大衆が世界を動かす」。
丸山さんは「優れたエリート集団が世の中を動かす」。
大衆というのは何かというと直観システム。
リベラルはというと市民が考えた仮説「こうやればこうなる」という「推論システム」で世界が動いて行くんだ、という。
当初のリベラルは、今言っているリベラルともちょっと違う意味合いがあるような気がする水谷譲。
このリベラルはどこから誕生したかというと

一七世紀に新聞や雑誌といったジャーナリズムが発達し、カフェやサロンで「論議する公衆」(ブルジョワ)が理性的な討議をおこなった−中略−しかし、このような「市民的公共性」はジャーナリズムが商業化し、テレビやラジオといったマスメディアが発達するについれて失われた。−中略−「討論そのものもショーとして定型化され」た(35頁)

これにまず飛びついたのはお笑いの人で、昔、政治漫談があった。
政治を語る漫才。
コロムビアトップ・ライトという人達がやっていた。
政治家のことをボロカスに言うのが可笑しい。
まだ覚えているネタがあった。
気候がよくなると人間は頭がポーッとしてくる。
そういうことを捉まえたコロムビア・トップさんが「気候がよくなると頭がポーッとしてくる。少しこう、バカになってくる」という。
「頭がいい人が春先になるとポーッとバカになっちゃう」という。
そうするとライトさんが手を叩いて「え!?マズイよ。今の総理大臣、東大だよ」。
それで笑いを取るという。
その政治を語り始めるということは丸山さんがおっしゃったようにエリートしかできない。
だから大衆に対して「俺達はエリート」そういう自覚がある。
17世紀にブルジョアを育てたサロンやカフェが、現代というところではニュースショーとか政治討論番組になったりしている。
ずっと尋ねていくと面白い。
水谷譲の疑問は「リベラルの意味合いが違う」という。
生まれた当時のリベラルと今、我々が言っているリベラルは何となくニュアンスが違ってきたのかな?という気がしている水谷譲。
ちょっと覚えておく。

昨日の水谷譲の質問も含めて水谷譲と語り合いながら話していこうと思う。
お互いに確認した通り、武田先生と水谷譲は「大衆」。
直観で生きていて政治のこともよく分かっていない。
その中でも賢い芸能人の方で、みんな強い。
武田先生も春先までテレビ番組をやっていたが、最近の芸人さん達は政治に対する認識の深さが凄い。
勉強されているのだろうと思う水谷譲。
武田先生は「円安・円高」なんかもよくわからない。
水谷譲も何回聞いても仕組みがよくわからない。
全然わからない。
何で安くなることを高くなると言うのか?
高くなることを安くなると言う。
そんなのをトントン話す。
羽鳥さんやああいう人達。
それから日テレの武田さんとか。
全然わからない。
頭がいいのだろう。
これぐらいの差がある。
それはもうなぜかというと、武田先生も水谷譲も「大衆」だから。
彼らは何かというと「リベラル」というのはふさわしくないかも知れないが、政治が理解できるというのは、やはり一種エリート。
でもこの綿野さんは本を読んでいても、そのエリートである人達に関しても表現が非常にきつい。
これは何でかと言うと「エリートの人達は大衆をバカにすることによって仲間と結びついている」とおっしゃる。
つまりエリートの人達というのはやはり頭がよくて先が読める推論パターンを持ってらっしゃる。

 私たちは自分の仲間かどうかを直観的に区別し、仲間だと認めたものをひいきする。このような傾向は「部族主義」と呼ばれている。一八〇万年前から一万年前に人類は狩猟採集をおこなう小さな群れで生活していた。「部族主義」は、自分たちの群れが他の群れにつけ込まれ、搾取されることを防ぐために、進化の過程で獲得された、と考えられている。(57頁)

「あいつら」(外集団、他集団)よりも、「われわれ」(内集団、自集団)のメンバーに無意識的な選好を持つ傾向である。(57頁)

DNAに組み込まれているのだと思う水谷譲。
だからそれに縋りついていること自体がバカだとおっしゃる。
このへんはどうか?
でもDNAだからしょうがないと思う水谷譲。
大衆のバカさもそう。
それはやはり人出がいっぱいあったら、知恵としては「アンパンでも売りに行こうか」という気になる。
それがどういう人出であろうとも「人が多いところでは商売が成り立つぞ」と思ってしまう。
その大衆の直観というのはまさに生きていくエネルギー。
このリベラル、エリートの人達は群れ易く、一度群れると自分達の道徳で集団をつくる。
群れ易い、環境を作るという。
「そこには誰も入れないぞ」という。
非常に自己の、自分の集団を大事にするという、そういう環境を作ってしまう。
これが彼らの、「部族主義」の人達の最大の欠点である。
リベラルな人達が求めているのは何かというと、自律的にふるまうということ。
自分で考えて自分で行動しているという。
それは自分の理屈に合っている、合理性と自律性。
この二つを自分の真ん中にしている。
人間にとって一番大事なことは自律的であるということ、合理的であるということ。
そういうふうに彼らは信じ切っている。
ところが大衆の中には自律的には生きられない人達がいる。
その手の精神の病を持っている人達にとっては合理、理屈に合う世界というのは非常に息苦しい。
そういう人達もいる。
これは「三枚おろし」で扱っているが、やはりあの「(浦河)べてるの家」とかというところで集団で生活する人達は自立できないからこそ集団をという。
これが合理と自律的にふるまうと対決してしまう。
そこで彼らは「こんなことじゃいけない」というので、ここで新しい言葉で「ケア」という言葉を使う。
(このあたりの説明は本の内容とは異なる)
社会がそのような傷つきやすい人達への配慮を忘れている。
ケアが足りないんだ。
寄り添うとかそういうことだと思う水谷譲。
それは武田先生は何か、そういうふうにコマーシャルで叫んだことがあった。
それは別仕立てにしてある。
根本的に水谷譲が言っている「リベラルな人」とか、この「エリートの人達」は何が違うか?
これは綿野さんすみません。
綿野さんの書いた通り武田先生は喋っていないかも知れない。
だが綿野さんの文章を必死になって自分で読み説いていっている。
綿野さん、そのへんすみません。
話がややこしくなってきた。
でも時々ワケのわからない日もあるが勘弁してください。

60年代に登場した思想家・吉本隆明は「大衆」に注目した。
彼はリベラルを憎んだ。
共同幻想論をふりかざし、理性や自立を振り回す社会運動家を嫌った。
大衆こそ世界を動かす、世論を動かすものなんだ。
彼らは後に「消費者」と呼ばれるようになり、消費者となってからは経済を回しながら国家を動かしているのだ。
だから現在いるのは「消費者」。
だからものすごく過敏。
政府も「米が高い」と言ってこれだけ騒ぐようになったのだから。
「消費者」というのはイコール「大衆」。

「大衆」はどうのように政治を判断しているのか。多くの人は−中略−「道徳感情」によって判断している。(46頁)

道徳とは何か?
この著者の方がおっしゃっている。
これも考えた。
著者の方がおっしゃっている大衆の道徳。
これは衣食と礼節。

「衣食足りて礼節を知る」という言葉がある。(47頁)

「衣食」=「取り分」(49頁)

自分の分け前のこと。
社会全体からの自分の分け前。
「給料」といってもいいだろうが、もっと生々しくこれは「分け前」と呼んでおく。
これは武田先生のアレ。
この方、綿野さんの文章を読み説く為の例えで使っている。
「大衆」というのはいつも自分の分け前を気にしているという。
ではリベラル、エリートな人は何を気にしているのか?
この方々が注目しているのは「分け方」。
だから分け方はどうやって決めているかというと、今はやはり真ん中に政治家、保守。
保守の方がおられて、高市さんがおられてこの方が分け方に関しては決めておられる。
大衆というのは「分け前」を気にしている。
ところがこの「分け方」を気にしている人達がリベラル。
「公平じゃないよ!今の公平じゃないよ!」
この方がリベラルであるエリート。
エリートの人達は大衆がバカに見える。
「誰かを信じて任せているからバカなんだ」
これが主張。
「分けるヤツはズルするに決まってるんだ。大衆ってのはそういうことはわからない」
エリートの人達はそのことを指摘する。
大衆は感情で考える。
大衆というのはどのくらいバカか?
この方が書いておられる。
綿野さんの中で武田先生が頷いたところだが。

 たとえば、大谷翔平や本田圭佑といったスポーツ選手がお酒や保険のCMによく登場する。しかし、よく考えてみてほしい。彼らの競技と商品には何の関係もない。好感度の高い有名人がCMに登場すると、私たちはその商品に対しても良い印象を持ってしまう。(46頁)

分け方は決まっている。
それが保守の主張で、選挙によって選ばれて分配という仕事をやっている。
それが時の政権中枢、内閣スタッフ、参与、総理大臣である。
大衆が「それだったらいいよいいよ。それだったら許す」「いや、それは許せないよ」という感情が世論を形成している。
これはそのまま書いてあることではないのかと思う水谷譲。
もう本当にごめんなさい。
かなり意訳してあるかも知れないが「こんなふうなことが書いてあるんじゃないかな」という。

アメリカ独立戦争における有名な言葉「自由か、さもなくば死か」(87頁)

リベラル。
自由が大事。
「自由が手に入らないようになったら死んだ方がマシだ」という。

中国の管理監視社会化−中略−「自由」と引き換えに「幸福」を享受するのである。(87頁)

「分け方」は信用してくれというのが日本の保守系の叫び。
さっきちょっと中国の話をしたが、今、少し問題が中国も出てきているのだが、監視を強めにやって、これを分配に社会に繋げているワケだが、監視のないところで道徳が落ちていく。
そういう現象がみられてしまう。
こういう「道徳」とか「昔からのやり方」とかというのは「文化」というもので、これは自分達の国で育てるしかない。
道徳・文化というのは、その国の大衆が自前で作るしかない。
東ヨーロッパからやってきたサッカーの選手がいた。
一回目の東京オリンピックの時、確かオシムさんのエピソードだったと思う。
オシムさんは早朝、街へ走りに出た。
その時に感動する。
それは誰もいない信号機の前で、一人の着物姿のご婦人が青になるのをジーッと待ってらっしゃる。
誰一人通っていないし、車も無いのに、なぜ立ってるんだろう?
それは見ていなくても信号を守る。
これは文化なんだ
オシムさんはこのご婦人に感動して誓った言葉が「いつかサッカー選手として名を挙げたら、この国のサッカーチームの監督さんになりたい」。
夢が叶ったということだと思う水谷譲。
彼が言っていたのは「この国にはルールを守る習慣が日常の婦人にもある」。
こういう文化を持っているということが大事。
申し訳ない。
まだオチがついていないので。
いろんなバカがこの後も出て来るので。
「政治に触ると人はバカになる」という。




2026年4月20日〜5月1日◆庭の話(後編)

これの続きです。

SNSの世界、サイバー空間だが、そのサイバー空間にプラットフォームというのがあって、ある議題で「みんなで語り合おうぜ」みたいな場所があるのだが、そこに参加すると敵と味方のゲームのような感じで善悪が語り合われる。
「そんなふうにゲーム化するのはおかしいのではないのか?」というのがこの宇野常寛さんという哲学者の方の考え方。
世界は今、変質し続けている、マトリックスの世界なんである。
戦場に於ける攻防も経済も情報になった。
フェイクニュースなどがそうだが、その情報から脱出して私達はその手触りのある世界を確実に持っていないとダメなのであるという。
その「手触りのある世界」のことを著者・宇野さんは「庭」と名付けた。
そしてサイバー空間に於けるプラットフォームに「庭」を造らなければならない。
武田先生もこのあたりから必死になって読んだ。
宇野さんが出されている庭の定義というのは実に哲学的で難しい。
ただわかりやすいのは「あの人の家は」と言った場合は「3LDK」とか「1K」とか記号化できるが、「あの人の家庭は」と言った場合は旦那さんとの関係、子供の教育、しつけ。
だから全ての個人は「庭」を持たないとダメなのである、と。
居住空間だけではない別空間「庭」を持たなければならない。
水谷譲もちゃんとベランダ、テラスという「庭」を持っておられる。
それで鉢のお花をやっている水谷譲。
さあ、ここから。
なぜ鉢か?
何か緑があった、花があった方がいいかなと思った水谷譲。
それは「自然」。

「庭」のように「かかわる」ことはできても、「支配する」ことはできない場所でなくてはいけない。(105頁)

水谷譲がどんなに「あの色の花を咲かせよう」といっても庭木は絶対に言うことを聞かない。
水谷譲は庭に対して触れることはできるが、支配することはできない。
これがプラットフォームとの違い。
「触ることはできるが支配できないものを人間は持っとかないとダメなんですよ」という。
「庭」には条件がある。

 私たちが庭の花に手を入れたとき、たしかにその場所に関与し、変化を与えることができる。しかし私たちはその場所を、完全に支配することはできない。(103頁)

庭を作り上げてゆくのは人間の関与もあるが、支配しているのは自然なのである。
コントロールはできない。
故にここにはグッドとかライクとかそんなマークなんか無いんだ。

敗者も、勝者もいない場所であるべきなのだ。(105頁)

第一、庭には完成が無い。
庭はあなたが作ろうとするシナリオを拒否している。
さらに四季を写して生態系と繋がっている。
そこにやってくる鳥がいると、それは生態系と繋がる。
(鳥が)「来ないかな」と思って、たまにベランダの手すりにパンを置く水谷譲。
それはある意味では生態系と繋がり、その花を観賞する場所であったり、時には旦那様とそこでコーヒーを洒落た感じで飲んだり、お酒を呑んだりする場所でもあるという。

「庭」は−中略−仏事、神事をおこなう祭祀の場でもあった。(99頁)

そこでお祈りしたそうだ。
それからある人にとっては神の声を聞く場所でもあった。
キリストもそう。
最後の方は庭で神と話をする。

ときに「庭」とは聖俗の混在する場所として機能した。(99頁)

そういうところを人間は持っていないとダメなのであるという。
さっき言った神の声を聞くというので、「審神者(さにわ)」と言った。
これは古代文字。
これは古事記なんかに出て来る。
武内宿禰(たけのうちのすくね)という。
これはとある女性天皇に仕えていた付き添いの人なのだが、この人は天皇が迷われると庭に出て祈り事をして、天啓、天からの指図を受けて天皇に伝えるという。
そういう人だった。
別の字で「清庭(さにわ)」。
つまり清らかに掃除をしておかないと神様は降りてこない。
これを守っているのが神社。
よくホウキで掃除しているおじいちゃんがいる。
こんなふうにして私達は自分の中にもサイバー空間だけではなくて、自然と繋がっている「庭」を持たなければダメなのである、と。

この宇野さんの凄いところは、これで自分の気に入った庭をずっと書いてらっしゃる。
本当の庭を調べ出して。
「どこどこの庭が素晴らしい」とか「どこどこの庭が考えごとするにはもってこいだ」とか。
つまり現実にそういう庭をを持ってらっしゃる。
武田先生はこれを言われてハッと気が付く。
武田先生はある。
場所は言えない。
「俺の庭」だから人には教えたくない。
公園の一角。
行きつけの公園。
それが「庭」。
そいうことでいい。
この庭からどんどん話が深くなっていくので、こうご期待の明日。

宇野常寛さんの「庭の話」。
この本は結構難しい。
宇野さん、申し訳ないが、あなたが思ってらっしゃることを武田先生が言えているとは思っていない。
あなたの能力に遥かに及ばないので。
ただ、この方のお書きになっていることとというのはやはりハッとすることが多くて。
庭を持っていることがいかに大事か。
庭を持っていると物事の考え方が変わる。
「その典型的な実践団体が日本にある。非常に興味深い団体だ」というので武田先生は思わずページに向かって挨拶してしまったが「浦河べてるの家」を挙げている。
(本の中には「浦河べてるの家」は出てこない)
旧知の友とバッタリ出会ったようで、読みつつ、その一行に向かって「ヨッ!」と挨拶をした次第。
彼らは「庭」を持っている。
確かにそう。

宇野さんが挙げられたのがまたハッとする事例。

二〇二〇年までNetflix、フジテレビほかで放送・配信されていたリアリティー・ショー『TERRACE HOUSE』に起きた事件だ。これは見知らぬ若い男女六人が共同生活を送り、そこでくりひろげられる人間模様がドキュメント的に放送・配信されるというテレビ番組だ。−中略−番組の視聴者が出演者を主にSNSで激しく中傷することが常態化してしまい、番組の演出もその出演者への非難をも視聴者に提供する娯楽の一要素として、はっきり言ってしまえば「煽って」いるように思えたからだ。(162〜163頁)

こういうサイバー空間に入った人間というのは止めようが無い。

出演者が番組内で、他の出演者の「やらせ」を暴露しはじめた。(163頁)

このような出演者間の「やらせ」暴露による相互批判は常態化し、番組の盛り上がりに大きく貢献した。この展開はすでに番組の主戦場がSNS上の好感度獲得競争に、相互評価のゲームに移行していたことを明確化するものだった。(163頁)

この評価ゲームになったら人間関係はダメ。
宇野さんの言い方。
「スレた視聴者」
(という表現は本の中には無い)
いる。
スレた視聴者。
このテレビ局の意図を「俺は読んでるぜ」というような人。
それから裏読みのファンが集って、これによせばいいのにスタッフが悪乗りして仇役にそのタレントさんを使って、盛り上げていくちに誹謗中傷が彼女一身に。

このタレントたちがある出演者を「売名目的で出演している」と批判したことだ。(164頁)

これはバカじゃ無ぇか。
声を枯らせて言うが。
これはスレた視聴者。
「売名目的で番組に出演してる」
売名に決まっている。
自分の顔も体も晒しながら画面に映っているワケだから。

出演者の一人である木村花が死亡した。これは『TERRACE HOUSE』の視聴者による誹謗中傷が原因の自殺だと考えられている。(164頁)

これはもう犯人ははっきりしている。
SNSに中傷を送り続けたユーザー。
そして演出したテレビスタッフ。
そしてそのことで収益を上げたプラットフォームにも責任がある。
しかし悪の責任が無自覚となり、その人を捕まえても、その人はその「イイネ」のマークを送っただけなので人を傷つけたという手触りは無い。
そんなことを平気で言い訳するようになった。
自己弁護というものを頻りに繰り返す光景があちこちに。
これくらいSNSの世界では手触りが無い。
だから何とかして責任を作らなければならない。
この責任をどうやって作るか?
このことで突拍子もないと思えるのだが、著者はこんなことを紹介しておられる。

「多飲症」の治療の例を取り上げる。これは精神疾患により、水を飲むことをやめられず水の「中毒」になる現象だが(178頁)

治しようが無い。
体を壊すほど飲んでしまう。
これをどうやって治すか?
治す方法が見つかった。

病棟において水を飲むことを事前申告制にして治療することができる。−中略−重要なのはこの治療が、医師や看護師、同じ病棟の入院患者など他の人と一緒に水を飲むことで、つまり周囲の人間からの承認によって水自体を「味わっている」ことをその人に確信させていることだろう。(178頁)

水を飲む回数というのが、実は水の味について私と周りの人達と語り合ううちに、水そのものに味を感じるようになる。
味を感じれば自然と飲む量が治まる。
そう言われてみると、水に関しては妙に思い出がある。
水谷譲が言ったのは部活が終わってから汗をかいた後に飲んだお水が美味しかった。
大学の時。
その味を忘れない水谷譲。
これが面白い。
水に味があって思い出になる。
武田先生が覚えているのは61歳の時の集中治療室で。
手術し終わった後。
あの時、ICUに入っている。
麻酔から覚めて「何か欲しいものありますか?」「水」と言って、やや冷ための水をくださった。
美味かった。
飲み終わった後、「美味い」といったらその人が「命の水ですから」と言った。
「そうか。水って命なんだ」と思って。
まだあの水の冷たさと味は忘れない。
つまりそういうこと。
「べてるの家」というのを思わず口走ってしまったのはそう。
「べてる」はそういう感触というか手触りを大事にする。
水谷譲に言った。
狂気の末に空飛ぶ円盤が見える。
その「べてるの家」は精神に病、障害を持った方がいっぱいいるので円盤に乗った人なんかゴロゴロいる。
それから円盤から誘われたら、その手の先輩がいて、円盤のライセンスがあるらしい。
これを持っていないと墜落したりなんかして大変だそうだ。
だから「ライセンスを確かめた方がいい」とか。
その後も円盤にまつわる様々な対処の仕方を「べてるの家で」は同じ病の人が大いに語っていくうちに円盤の方からゆっくりと遠ざかっていくらしい。
そんなふうにして各個人が持っている何かの手触りを語り合うということが狂気の世界ではもの凄く大事な、回復させる道を見つける方法になるそうだ。
水谷譲に話した。
VRのゲーム機を作る若い人達がいて。
その人達のゲームの始まりが空飛ぶ円盤が目の前に降りて来るところから始まる。
ところが空飛ぶ円盤をみんな知らないから、彼らが作る円盤に手触りが無い。
それで「べてる」の人に円盤を聞きに来た。
円盤をみんな見ている。
その彼らの話を参考にして円盤を作ったら大好評。
もう「本物みたい」と。
それはそう。
本当に見た人達。
彼らにとってはもう本当にリアルだと思う水谷譲。
つまりリアルというのはそんなふうにして幻覚や幻聴の中にも住んでいるということが分かると描き方が変わる。
これを向谷地という責任者の人がいいことを言って「もしかしたら狂気というものは命を支えている柱かもしんない」。
この狂気というのを「庭」と呼んでもいい。
触れるが支配することができない。
幻覚とか幻聴のように。
心の中の内側にある「庭」、一種狂気とも付き合ってみよう。

宇野さんはここからどんどん庭の話に入っていく。
宇野さんは人間が心の中に庭を持つ為の道具として基本的なこと、食事するとか何かとかそういうことも大事なことですよ、という。

山岡士郎(『美味しんぼ』)と井之頭五郎(『孤独のグルメ』)という、日本を代表するふたつの「グルメ漫画」(208頁)

美味しんぼ(1) (ビッグコミックス)


孤独のグルメ【新装版】 (SPA!コミックス)


「美味しんぼ」というのは美味しさを競い合う。
でも「それは味わいじゃない」と言う。
美味しくものを食べる為の絶対条件は何か?
好きな人と食べるとかかと思う水谷譲。
味わう為には一番大事なこと。
健康であることかと思う水谷譲。
もう一つ。
一人であること。
日本人は孤食を凄く低く見ている、という。

事物と純粋に接触するために、それを正しく受け止めるためには人間を「孤独」にする場所でなくてはいけないのだ。(208〜209頁)

好きな人と一緒にいたら、何でも美味しく思えてしまうが、本当に味わう為には自分一人で孤独に食べないと味はわからないということかと思う水谷譲。
「あの人といたら何でも美味しい」というのはズバリ言うと一種の狂気。
恋愛というのはやはり、狂気発動の瞬間だから。
味わう為にはまず孤独になること。
ものを味わう為に一人でなければならない、と。
これはいろんな考え方があると思う。
宇野さんがおっしゃっているのだが、食べ物というのを「宴食」とか「飲みニケーション」とか飲み喰いするというのをさも美徳のごとく語る人がいるが、そんなのは私は違うと思う、と。

人間とのコミュニケーションを一時的にでもシャットダウンすること──これが目の前の料理という「事物」とのコミュニケーションに集中する唯一の方法なのだ。(208頁)

「残すことを許さない」といったイデオロギーのもとに児童の管理の手段として用いられる学校給食(213頁)

最近ダメになってしまった。
残したい。
だんだん(加齢と共に)小食になってくると思う水谷譲。
こんなになると思わなかったが、無理して喰えない。

「家族と食卓を囲むこと」が栄養学的に充実した食につながるという前提で啓蒙活動をおこなってきた。しかし−中略−この孤食/共食という図式を提示したことを「反省している」と述べているのだ。(212頁)

 必要なのは「共食」でも「縁食」でもなく、むしろ「孤食」なのだ。(215頁)

最も真剣に食べる為には孤食こそベストなのである、という。
我々は孤独をあまりにも躓きの原因と結びつけているのではないだろうか?という。
だから「孤独のグルメ」はヒットしたのかと思う水谷譲。
あの「孤独のグルメ」というのは、あの中にはやはりものを喰う本当の意味があったのだろう。

その孤独からの事件で古い事件を探ってみる。
これは凄く面白い、ハッとした指摘。

 二〇〇八年六月八日に起きた秋葉原無差別殺傷事件は、−中略−加藤智大の人となりが大きな衝撃をもって受け止められた。(216頁)

「加藤の凶行というのは孤独から始まったのではないか?」だったのだが、著者は「No!」「私は調べた」とおっしゃっているが、

加藤の人間関係は一概に希薄だとは言えなかったのではないか、と指摘する。−中略−俗に言う「兄貴分」的な関係を結んだ年長の同僚がいた。(217頁)

なのに彼はあれほど恐ろしい連続殺人事件をなぜ起こしたんだろうか?と。

実際に彼はインターネットの掲示板を通じて獲得した、ある意味においては濃密な人間関係に行き詰まり、それが暴走の大きな原因になっている。(221頁)

そのインターネットの中で彼をからかうものとか騙すものがいて、インターネットに安心して居座ることができずに、彼は怒りに震えて、そこにいるものが許せないという動機を覚えた。
その代理として普通に歩いている人達を自らの怒りの生贄にしたのではなかったか?
加藤は決して孤独ではなかった。
だから犯行に及んだのだ。
私達はまず、孤独でなければ。
それが生きていく上での一番最初の条件だと思い知るべき。
つまり一人から「私」は始まるんだ。
学ぶ、暮らす、恋する、考える、表現する、食べる、批判する。
それは全て前提として一人、孤独でなければならないんだ。
これはハッとする。
「なぜ秋葉原か?」というのは秋葉原の通りが彼がいるインターネットのサイバー空間にそっくりだったという。
自分がサイバー空間の居場所を失ったことの怒りをぶつけたのではないだろうか?という。

では孤独の行為とは、食べること以外にどんなことがあるか?
この著者は面白いことを言い出す。
孤独を大いに励ましてくれる場所をちゃんと挙げておられる。
じゃんじゃん言ってしまう。
銭湯。
銭湯は人がいっぱいいると思う水谷譲。

銭湯のような、−中略−そこにいる誰からも程よく「気にされない」場所なのではないか。(238頁)

これはハッとする。
そして孤独を励まし、孤独を磨いてくれる場所。
コインランドリー。
今、いろんなコインランドリーがあって、お茶が飲めたりすると思う水谷譲。
そう。

「喫茶ランドリー」(244頁)

孤独を最も充実させるいい場所だそうだ。
一人でも寂しくない場所。
周りが「あの人、一人なんだわ」と思うことが無いということだと思う水谷譲。
その孤独の場所というのは競争する材料が全くない。
つまりここにはゲームが無い。
そういう居場所としてリラックスできるという場所で、銭湯とコインランドリーを挙げておられる。
これは武田先生は考えた。
スリーセブン、喜寿の年齢。
(「喜寿」は「77」なので「スリーセブン」では無いと思う)
これはご同輩。
やろう。
今、お年寄りに呼びかけた。
やはり武田先生達老人はこの「一人呑み」「一人喰い」、後は「銭湯」と「コインランドリー」。
これを自らやりましょう。
これが老人を磨く最高の技術。
武田先生の新しい提案。

「『庭』ってそうなんだ」と考えた水谷譲。
そういえば昔は行水を浴びるにしても、洗濯をするにしても庭だった。
その世代ではない水谷譲。
何か近所の婆さんと話すような気分になってしまった。
とにかくサイバー空間に今、世界全体が巻き込まれている。
とにかくこの本は凄く気になる本で、著者の言葉。

本当に「弱い」状態にある人間にとって必要なのは「ひとり」でいても寂しくない場所なのだ。(222頁)

「ひとりあそび」を覚えたとき人間は孤独であるからこそ開く扉を通じて世界に関与できるのだ。−中略−
 つまり、ひとりあそびのコツは「目的」を持たないことだ。言い換えればその事物をゲームとして「攻略」しなことだ。
−中略−まだまだタイムが落ちないと誇る高齢のランナーたちの目の輝きが周囲の人びとを疲れさせる−中略−このようなゲームの「攻略」を手放したとき、はじめて人間は事物そのものと対峙できる。(223〜224頁)

他者との交流は暴力的に「ゲーム」を発生させ、「目的」を付与してしまう。(224頁)

 人間を「孤独」にすること──それがもっとも重要な「庭の条件」なのだ。(224頁)

孤独でありましょう。
このあたりが面白い。
そして水谷譲が質問してくるかな?と思って身構えたが質問は無かった。
「銭湯が孤独によければサウナはどうですか?」
サウナもいいんじゃないかと思う水谷譲。
ダメ。

「ととのう/ととのわない」の勝負になってしまっていて、サウナがSNS的なゲームの場になっている気がするんです。(239頁)

「そんなことじゃダメなんだ。そんなことじゃ一人になれないんだ」と。

 銭湯が提供しているのは「ととのう」ではなくて、むしろ逆の「ゆるまる」こと。(239頁)

全身が緩まってしまってダラーとしてしまう。

そしてこの著者の指摘。
思わず武田先生に贈る言葉かと思った。

 銭湯のピークは夕方だという。そこは昼間に働く時間と夜の働かない時間の結節点にある。その中間の時間が「夕方」なのだ。−中略−おそらく今私たちには「夕方」が足りていない。−中略−常に共同幻想か対幻想、どちらかを獲得するための対人のゲームに参加している状態になっていて、ゲームから脱し「ありのままの自分」になる時間をみずから放棄しつつある。−中略−この時間に、ただ弛緩して、「ゆるまって」、ゲームから完全に離脱することこそが、もっとも必要なのではないか。(241頁)

著者は繰り返す。

SNSプラットフォームの与えるものは、この「承認」や「評価」に先鋭化している。しかし人間はその反面、何者でもない(裸の)存在として肯定、いや、肯定未満の「許容」こそを必要としているのではないか。銭湯「的な」場所の与える安心感とはそのようなもののはずで(242頁)

「ゆるまる」はいい言葉なので、何かのキャッチコピーになりそうだが、キャッチコピーにすると「ととのう」ことになってしまうのでダメなのだと思う水谷譲。
その頭の使い方が緩まっていない。
この「私達に足りないのは夕方」。
武田先生の歌は夕方。

暮れなずむ町の
光と影の中
(海援隊「贈る言葉」)

贈る言葉


それから

列車が走り過ぎる コスモスを揺らして
夕陽に消えてゆく

(歌詞が多少異なるが恐らく海援隊「思えば遠くへ来たもんだ」)

思えば遠くへ来たもんだ


武田先生の歌のメイン舞台は夕方。
武田先生は福岡市の夕方が好き。
九州なので。
本当に「暮れなずむ町」
なかなか暮れきらない。
その夕方に対する憧れがある。

ここからまたぐっと難しくなる。
この方がおっしゃっているのは「エンパワー」といって、一番人生にとって大事なパワーはエンパワー。
自分の力で自分の持っている力を引き出す方法。
これをエンパワーと言う。
承認評価というのを激しく彼が否定しているのは、他者が経由している。
人がいないと承認も評価も無い。
でもそれに頼っていると人間は本当に緩まらない。
それじゃダメだという。
そして最後におっしゃっているのは何かを作りなさい。
それがあなたを励ますことになる。
もうこのへん、武田先生も哲学が深すぎてよく意味が分からない。
でも武田先生にとって「作る」というのは「私自身を作る」ことかも知れない。
私を作らなければいけない。
もう作られたのではないかと思う水谷譲。
一番最後にこんなことを書いている。
「分からない」が一生懸命「分かろう」とすること。
それが武田先生にとって作ることなのかも知れない。



2026年4月20日〜5月1日◆庭の話(前編)

これはどの部類かよくわからないが、(著者は)宇野常寛さん、講談社から出ている、もの凄い分厚い本。
タイトルは「庭の話」と言うのだが。

庭の話


水谷譲はどういうところにお住まいか?
つまり住居の在り方。
3LDKのマンション。
それは居住空間だから「家」。
でも水谷譲がご主人とか、お子さんを育てることを「家庭」と言う。
つまり3LDKは「家」なのだが、ご主人とかお子さんと上手くやっていくそのことは「家庭」と言って。
何で「庭」が入るのか?
武田先生は昔から不思議だった。
「庭」の起源を武田先生の大好きな白川静という人が「占いをやる場所なんだ」と。
お祈りをする場所が「庭」。
穀雨の時季がやってくると「稲が順調に」とかというお祈りをする場所が「庭」。
庭にいて、神様の霊感か何かをパッと感じる人。
そういう人のことを「審神者(さにわ)」と言う。
だから庭はそういう場所だった。

ここしばらく、人類は「家」のことばかりを考えすぎてきたのではないか。(60頁)

もう最初にタネを言ってしまうとそいういう話。
お庭が無い家が今はいっぱいあると思う水谷譲。
最近、庭の重要性を説く人がいなくなってしまった。
この書き手の、宇野さんは、武田先生よりはもうずっと若い方。
この方は「庭の話」をするのだが、変な庭の話から始める。

ロシアがウクライナに侵攻を開始した日、つまり開戦の翌日に当たる二〇二二年二月二十五日のことだった。−中略−ある噂がネットを通じて拡散していった。それはウクライナのMiG-29戦闘機を操縦するあるエースパイロットが、開戦から三十時間のあいだロシアの戦闘機を六機撃墜したというものだった。−中略−このエースパイロットは「キーウの幽霊」と呼ばれ、瞬く間にロシアの侵略に対する抵抗のシンボルの位置を獲得していった。(13頁)

ニュースで一切取り上げない。
ところがことの真相というのは、そういうところに本質が潜んでいるのではないか?というのが武田先生の考え。

「一人のウクライナのMiG-2ジェット戦闘機パイロットが、ロシア人との空中戦で一日で六回の勝利を収めました。彼は「キーウの幽霊」と呼ばれています」とその存在を讃えた。
 すでに広く知られているように、この噂は事実無根のデマにすぎない。そのようなエースパイロットは存在せず
(13〜14頁)

しかしウクライナはこの小さな嘘を最大限に利用した。「英雄」の物語によって自国の、そして西側諸国の市民の戦意高揚をおそるべき低コストで実現したのだ。−中略−この「噂」の拡散が、西側諸国においてウクライナ支持の世論が開戦直後に急速に醸成されたことに少なからず貢献したことは疑いようがない。(14頁)

ズバリ言うと、情報が世界を動かした。
情報というのは皆さんご存じのように嘘が混じる。
だから汚れた手で触ってはダメ。
だから情報というのはナマモノで手の綺麗な人が扱わないと、とんでもない食中毒事件を起こすこともあるということをお忘れなく。
「情報はナマモノです」という。
そういう別の言葉遣いで付き合わないと現代が理解できなくなってしまう。
武田先生は「サン!シャイン」で学んだのだが、70(歳)半ばをもう過ぎた。
出演者と同じように話していても、半分以上使っている言葉がわからない。
もう戦後生まれの団塊はそれぐらいのところまで来ている。
岩田(明子)さんという凄く頭のいい政治スタッフというようなキャリアをお持ちの人。
この方が、ある日突然怒り始めて「プラットフォームをちゃんと管理しないから」とおっしゃるのだが、何で都電のホームが管理されなければならないのか?
岩田さんの使われた「プラットフォーム」というのと、武田先生が知っている「プラットホーム」は違う意味。
そのことを理解しない限り、岩田さんが理解できない。
かくのごとく古い言葉でも食い違いがある。
今まで私共が知っている言葉遣いでは、この世界は割り切れないということで、そのことを「庭」に例えて話を進めてみようと思う。
面白くなければ二週で終わるので、二週まで是非お付き合いのほど。

昨日ちょっと回りくどい言い方をしたが、ウクライナ戦争が始まったその開始直前に、これはフェイクだったのだがウクライナの戦闘機がロシアの戦闘機6機を撃墜した。
目撃者が多くて、みんな喝采を上げ、長期戦を覚悟したという。
これはフェイクだったのだが、もの凄い勢いで伝わって戦争に入ったという。
この「キーウの幽霊」は21世紀の戦場には存在しているのである、と。
つまりSNSの世界で流した情報というのが、ある国民を励ませば、それはフェイクではなくて本当の情報なんだ、という。

情報技術に基づいたグローバルなプロパガンダが、それもトップダウンではなくボトムアップに構成されるものがもっとも強い力で状況を決定するきわめて二十一世紀的な戦争なのだ。(17頁)

 この新しい戦争のかたちが証明するように、今日の人類社会はインターネット上で、Facebookの、Instagramの、X(Twitter)のプラットフォーム上で展開されているユーザー間の情報発信による相互評価の連鎖(19〜20頁)

重大なことは20世紀には距離に意味があった。
遠い国があったし、近い国があった。
ところが今「遠いから安心」「近いから危険」そういうことはもうない。
テレビとラジオが持っていた大衆を動員した放送と映像の世紀は終わった。
今は情報発信と評価の形成が世界を支配している。
それがフェイクであっても情報として共有されて評価された。
そうするとそれはもう実在する。
縮めて言えば「国家」というものが影が薄くなって、経済というものも人間のやり取りではない。

その象徴が二〇十六年のふたつの事件──トランプとブレグジット──だった。(22頁)

トランプさんはもちろんあのアメリカの大統領。
「ブレグジット」というのはイギリスのEU離脱のこと。
現代の象徴なのである、と。
人々の呼び方を変えた方がいいよ、というのがこの宇野さんの哲学らしいので、武田先生は凄く納得してしまって。
国民とか民族とか言う。
国民とか民族はもういない。
何がいるんだ?といったら宇野さんが「世界の人々は二つの種類に分けられた」。

「Anywhere」な人びとと「Somewhere」な人びとに二分されていると。Anywhereな人びと、つまり「どこでも」生きていくことができる人びと(22〜23頁)

 これに対してSomewhereな、つまり「どこかで」しか生きられない人びと(23頁)

面白い見方をする。
これはハッとする。
水谷譲はSomewhere。
武田先生も一緒。
日本でしか生きていけないと思う水谷譲。
この番組はSomewhereな人がやっている番組だと思ってください。
これはどういう意味かというと、もの凄い例え。
アメリカでトランプさんを圧倒的に支持する人はSomewhereな人々。
この人達はアメリカのその田舎のその工業地帯でしか生きていけない。
だから「アメリカンファースト」と言っているワケだと思う水谷譲。
この人達が圧倒的にトランプさんを支持する。
アメリカは経済においてAnywhereな人々が稼ぎ出している国。
Anywhereな人がいる。
トランプさんと仲がよくて、中途で仲が悪くなった方とか。
リンゴマークでお馴染みのあの会社とか。

トランプの述べる排外主義は−中略−「壁をつくれ」というアジテーションは−中略−Somewhereな人びとを惹きつけているのだ。(26頁)

他から入ってこないから安心する。
ではAnywhereな人達の為にはどうするか?
奇襲攻撃。
国境という壁を平気ですり抜けていく。
これでAnywhereな人がトランプさんのことを好きになる。
トランプさんはどこから学んだか?
ライバルのバラク・オバマから学んだ。

彼はインターネットを通じて国民一人ひとりに呼びかけた。−中略−オバマの集めた献金のうち五億ドルがインターネットを介した個人による小口献金だ。(26頁)

「私を大統領にしてください」と。
これは有名なプラットフォームで「#バラクオバマ」と呼ばれて、それで彼は大統領になれた。
それをトランプさんは学んだ。
つまりSNS上で選挙をゲームにする。
そうするとアメリカでは(大統領に)なれる。
いや、もしかしたら日本でもなれるかも知れない。
つまりインターネットに於いて、選挙をゲームにしてしまう。
そうするとグッドマークを集めた人が一番高い得票率を集めることができるワケで。
小口献金の人達の為には「壁を作ろう。アンタを壁で守ってあげるよ」と叫ぶという。
大口献金の人には「壁、ブッ壊してやるよ。ああ、アメリカの言うこと聞かないヤツは税金だ」。
Anywhere、Somewhere、両方で、この人達をトランプの虜にする為に必要なものが一つだけある。

「敵」を批判することで、−中略−その発言は「味方」から一定の承認を獲得することができる。(25頁)

フェイクでもいい。
いっぱい幽霊の敵を作る。
それが情報の技術ということになる。
「敵を作ることがなぜメリットになるか」というのを考えて「敵がいるということは味方もいる」ということでいいのかと思う水谷譲。
或いは「味方になってくれ」というふうに頼む時にはどうしても敵が必要。
だからトランプさんにはたくさんの敵がいる。
その中でも「Qアノン」とかという陰謀説。
アメリカの後ろ側に悪の結社があって。
「子供を性の道具で使うような悪いショッカーがいてこれと戦う為にトランプは」という。
とにかく陰謀論が必要。
それからYouTubeの語り手達は敵を語る。
プライベートメディア、個人の人がやってやってらっしゃるので、武田先生達のような放送局に属した人間を「マスゴミ」「オールドメディア」とかというふうに。
それは「敵」。
敵にしておくと、彼らにグッドマークをくれる人が増えてゆく。
その人達を逆なでするようで申し訳ないが、真偽は関係無い。
ゲームとして成立。
これはゲーム。
面白いゲームはみんなそう。
敵がいる。
だから選挙というゲーム。
支持率というゲーム。
それを後押ししているのが情報社会で世界を結ぶ。
ここには壁が無い。
プラットフォームには壁が無い。
そこにSomewhereな人達、そこにしか住めない人達をハッシュタグで集合させる。
この時に、これはゲームなので個人は関係無い。
何個グッドのマークを獲ったかが、そのハッシュタグのパワーになる。
プラットフォームに集まる人達というのは自分で「イイネ」を押したかもしれないが、ゲームはその個人を一粒としてカウントする。
つまりSomewhereな人達は、自分の物語をやっているつもりなのだ。
ところがゲームそのものは他人の物語への感情移入にすり替えられてゆく。
これが現代。
重大なことが世界の文明の中で起こっている。

SNSのプラットフォームとは情報技術を用いて人間間の社会関係「のみ」を抽出する装置だと考えてよい。(50頁)

「アンタ、トランプ指示する?リベラル?それともウォルシュ?」とかという言葉で人間をえり分けていく。
情報が、網として人間にかけていく。
トランプは情報で圧倒する。
それが正解か何か全然関係無く。
毎日Xに登場する。
どんどん情報を。
しかもトランプさん自身が嘘もいっぱい情報で流すと思う水谷譲。
とにかく凄いことは、日本のマスコミ・メディアというのが、その前日に書いたトランプさんの情報を全部ニュースとして載せる。
こんな日記帳を公開する大統領なんて史上初めて。
だからもう本当に牛耳っている。
世界との関係、いろんな国にはいろんな事情があるのだろうが、トランプさんはアメリカとの関係だけをSNSで相手に送り続ける。
アメリカが全てジャッジする情報を流し続けているという。
そう考えるとアメリカの大統領が決めたことをX(旧Twitter)でつぶやくというのは考えられない、こんな大切なことをこんな方法でみんなに知らせるんだみたいなのは当初違和感があったが、今は普通になってしまった水谷譲。
今は普通。
それが新聞の朝のトップニュースになるのだから。
つまりこんなことをしながらもトランプさんの策略は何かというと、アメリカとの関係の中に全世界を閉じ込めてしまう。
「アメリカとの関係が上手くいけば上手くいく」という。
だから日本の宰相が言ったことはまさしく正解。
「世界の平和も繁栄も全てトランプさんにかかっている」というのは、もう本当に卓見。
あれはある意味皮肉だと思う水谷譲。
皮肉に決まっている。
でも現実にそう。
どんな一流新聞だって、さっき呟いたことがニュースになるワケだから。
そんな大統領の出現は初めて。

武田先生が朝の情報番組をやっていて、ちょっとした小さい矛盾を感じた。
つまり今、話したようにトランプさんが持っている「世界を自分の情報で檻に閉じ込める」そういう作戦というのが「なかなか厳しいですよ」というか「それじゃあ正しい判断はできないんじゃないかな?」という。
ここから別の説なのだが、でも今はやはりプラットフォームを含めて、もう世界、人間の生活を動かしている。

哲学的な話をしている。
非常に複雑な話。
この本をお書きになった宇野常寛さん。
この方は頭のいい方なのだろう。
この人の本を読みながら、フッとこんなことを思った。
世界を支配する情報。
朝の番組をやっていたら、こんな問題が取り上げられた。
とある地方の中学校で少年が少年を殴っているという動画が上げられた。
ツッパリ少年がゲンコで気弱そうな少年のアゴを殴り、ヘラリと笑って右足のハイキックで気弱な少年の顔を蹴っている。
それを撮影していた子がいて、その子が動画で上げた。
顔はもう丸見えだから。
もの凄い大炎上だったらしい。
たちまちそれは警察が見るところにもなって、教育委員会も含めて暴力事案としてツッパリのその少年は警察から取り調べを受け、そういう顛末。
このツッパリは「何しやがるんだ、人間に向かって」とかということで大非難を。
でもその非難しているのもリンチのような非難で。
このへんはまた難しい。
二人の少年の顔がはっきり映っているワケで、加害、被害、これはもう一目見ただけでどっちが悪いかわかる。
それが小さな田舎町で起こっているから、町中挙げての「殴った子、あの子よ」になるワケで。
この殴った子の周りから振るわれた暴力というのも凄いもので、この子は半べそかいて謝っている。
「悪いことした」と。
でも全然収まる気配が無いという。
これは放っておくと、この子が自殺するまでやり続ける。
誰かが止めないと。
繰り返し言うが情報はナマモノなので、手が綺麗な人が扱わないと、本当に死者が出るということがあり得る。
一番の問題は何かというと、この殴った少年をやっつける為にその炎上騒ぎを起こした群れた人々。
絶対に忘れてはいけないのは、群れた人々、「あの暴力少年をやっつけろ、みんなで」と言った人は顔が無い。
グッドのサインだけだから。
つまりハッシュタグの元に集まるという時、集まったその人達は顔と体を置いている。
顔と体を置いてゆけば、どんな惨いことだってできる。
ズバリ言うと、トランプさんみたいに壁を作ることもできる。
こんなふうにして考えると、今のSNSの世界で一番問題なのは顔と体が無いことじゃないか?という。
おっしゃるとおりだと思う水谷譲。
第三者の人達が、全く関係ない人達が、匿名で「あれやこれや」意見してくる、それに動かされてしまうというのは危険だと思う水谷譲。
これはちゃんと裁判で決めること。
顔も体も無いのに「オマエなんか死んじまえ」とか「この暴力少年」とか「あの町で生きていく資格は無ぇ」とか、そう言う資格は無い。
つまり情報社会がもたらしているのは、かくのごとく顔と体が個人に無い。
あるのは何かというと、グッドの印の親指を立てたあのマークの一つだけのこと。
ここから武田先生がもの凄いことを言う。
つまりグッドとか、賛辞を寄せる時、それはゲーム化。
暴力のゲーム化がそういうこと。
武田先生は(問題になっている少年の動画を)見たのだが、おかしなことに気づかないか?
あの動画を顔と体で見てみる。
あのツッパリがビンタをかます。
その後、アゴに蹴りを入れる。
殴られてひっぱたかれて蹴りを入れれらた少年はあんまり体がぐらついていない。
あれはきちんとした、つまり武道とかボクシングをやった連中だったら、殴ったら相手はもう少し揺れる。
あれは二発とも効いていない。
武田先生もアクションシーンでやったことがあるから。
あれはやった方も痛い。
パンチとか蹴りというのは、同様の痛みを自分も負うということ。
特に人の頭なんかを回し蹴りで蹴ると、次の日足の甲が腫れた。
「刑事物語」で。

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だからやった方も「相手はこんな痛いんだ」というのを体感することを、彼はできていないということかと思う水谷譲。
つまりあの子は「暴力を振るうだけの力も持っていない」ということ。
つまりあの子には体力が無い。
技術はもちろん無いが。
殴られている子がいた。
変なことを言うが、ちょっと誰かが技を教えてあげたらいつでも復讐できる。
つまりそういう危ないところに人を殴ったり蹴ったりするという行為があることを、あのツッパリ少年はこれから学ぶべきなのだ。
体を通して物事を考えると、別の側面が見えて来る。
武田先生が言ったのはどうも振るわれている暴力に威力が無い。
「体を通してみると別の側面が見えてきますよ」ということが言いたいばかりに、そういう言い方をした。
ノーグッドの審判は社会参加の自分の物語への体験として多くの人達がそこに参加しているワケだが、所詮は他人の物語への感情移入であって、どうなるかというとプラットフォームの経営者に収益を捧げるという。
それが結果なんだ、と。
相互評価のゲームとしてプレイヤーは満足しているかも知れないが、その評価で自分が悦に入るということはどうだろうか?
満足してはいけないのではないか?
そのゲームに参加したという、その満足には中毒性があり、ゲームプレイヤーに敵を提供し続ける。
つまり次なる動画がまたあなたに敵を見させてくれるという。
あなたはそこにバーっと走っていって、親指を立てたマークをそこに残すのだが「それは所詮ゲームなんだよ」という。
あなたは顔のある、或いは肉体を持つ人間に触ってないんだよ、という。
「触っている」ということがもの凄く大事な、これからの感性ではなかろうか。
今週のスタートでトランプさんの話を。
日本の人達が驚くのは、世界に対してあれほど傲慢に振舞っても支持者がゼロになるワケがない。
このトランプの人気は何か?
これは、この本の作家の宇野さんは本当に鋭いと思った。
トランプには手触りがある。
どんな手触りか?
「世界を触っている」という手触りがある。
彼の言い分だが「アメリカの国内の若者達をだらしなくさせる為に麻薬ばっか作りやがって。そいうのバンバンバンバン売っといて偉そうに〇〇っていう東洋の大国とは仲良くして、原油をそっちに輸出する?俺が許すワケ無ぇ!」。
その瞬間にSomewhereな人達は世界を動かしているという手触りが。
その手触りがたまらない。
つまり私達が政治家に求めているのはその手触り。
手触りのない人はやはり票を集められない。
行動力と言ったらまた違うのかも知れないが、口では言っているけれども何も行動しない人は手触りが無いがトランプさんはよくも悪くも行動に移すから手触りは感じるということだと思う水谷譲。
ベネズエラが終わったら次はイランかとかと、世界に明らかに触っている。
この「手触り」という、つまり「体で感じるものがある人」というのはサイバー空間でも強い。
世界を動かしているのはここ。
全て手触りのある世界に人間は覚醒すべきである。
つまりトランプさん以外の手触りを感じさせてくれる人、そういう人達が次に出てくればいいという。
今週分だけのまとめなのだが、この宇野さんという作者の方は、その手触りのことを「庭」と呼んだ。

 世界に素手で触れていること、その手触りを人間間の相互評価のゲームではなく、開かれた事物の生態系に関与できることで得られる場所であること、それが「庭」の条件として必要になる。(103頁)

ではその「庭」とは一体何だ?
私達は私達の暮らしの中に「庭」をどうやって作ればいいのか?
気になる。
我々がいつも住んでいるサイバー空間というのは空間のことで、SNSで結ばれた世界。
ここにはまず大事なことに手触りが無い。
グッドのマークだけだから。
では手触りとは何か?
人間を深く語る時に、そういう言い方をする。
つまり普段使いの言葉の中でも「加奈さんち、何LDK?」と言う時は「家」だけの話。
でも「水谷さんの家庭ってどういう家庭?」と言われると、話がバッと深くなる。
つまり出自、家庭環境、代々の先祖の話、家柄、素性、血統、それが「庭」に托されている。
つまりその人個人ではいじれないその人の系統が「庭」で伝わるというワケで
庭はそういうことを伝える為の一種、キーワードであるという。
「家庭」となると話がグッと深くなるというところがこの話の面白いところ。
では「庭」とは何なのか?
さらに「庭」をどう作ればいいのか?
さあ、来週が楽しみになってきた。



2026年05月28日

2026年3月23〜27日◆さいごにきみと笑うのだ

「さいごにきみと笑うのだ」

さいごにきみと笑うのだ: ふうかと紡ぐふつうの日々とふつうじゃない幸せ


著者は星野真里。
著者の星野真里は女優。
武田先生と「3年B組金八先生」で共演していて、金八先生の娘「乙女」という役で。

3年B組金八先生第2シリーズ DVD-BOX [DVD]


20年、30年、同じシリーズを勤めたという。
もう今や中堅の立派な女優さんになっていて、その後、TBS男子アナと結婚。
様々に活躍しながら母となった、ということは聞いていて。
しかしそれでも深く知ることは無かったのだが、ひょんなことで、これも金八先生の縁だが、金八の息子役を演じていた幸作(佐野泰臣)が結婚することになって「お姉ちゃんとお父ちゃんには来て欲しい」という新郎からの頼みで父親役と娘役で祝いに駆け付けた。
そのテーブルで乙女の星野真里の方から実に明るく率直に「授かった子供に障害がある」と。
「それでもとても利発な子で、この子に励まされるようにして子育てができている」と。
その時にTBSのアナウンサーだった亭主だがTBSを辞めてしまったそうだ。
選挙に出られたと思う水谷譲。
それで娘の将来を考えて「福祉の方に打ち込む政治の側の人間になって娘を育てた」いと言って。
そこで別れた。
そうしたら選挙の季節が巡ってきて。
この間の選挙ではなくて、その一つ前の都議会選挙。
そこで一生懸命演説する人がいた。
武田先生は毎朝散歩に出るのだが、武田先生が住んでいるあたりの世田谷は電車が走ったりなんかしているのだが無人駅で。
ホームしかない。
そこで「ご通行中の皆さん!」と選挙演説をしている若者がいて、一生懸命演説をしている。
その彼をチラッと見ながらと「議会選が始まるのか」とかと(思って)いたら、その若き候補者が「私にも障害を持った子供がおります。私、ちょっと前まではとあるテレビ局の男子アナを勤めておりましたが、その職を投げ打ってでも娘の為に議員となりたい・・・」
何のことは無い。
(星野真里さんの)ご亭主。
彼は誰もいない無人駅で演説をしている。
やはり横を通り過ぎるのも何だと思って引き返して、思わず「アンタ乙女のご亭主かい」と声を掛けた。
そうしたらご亭主の方は跳ね上がって驚いて、「先生!」と言いながら。
「アンタ乙女のご亭主かい」と言ったものだから、すっかり先生に戻ってしまった。
それでちょっと立ち話をしたのだが。
「先日、乙女の方からアンタのことは聞いとったよ」婿殿にそのことを伝えた。
このご亭主も、やはりその自分の嫁さんの先生に会ったような気持ちになってしまったらしくて「いやぁ、先生!良いところにお住まいですね」とかと言う。
良いも悪いも、本当に無人駅のプラットフォームの横。
電車しか来ないという。
そんな風景の中で立ち話をしてすれ違ったのだが、実に正直そうな、実直な青年の印象で「ああ、この人が婿さんだったらきっと、乙女が言う通り明るい子育てができているんだろうな」と思って。
それで消息をお互いに知れたワケだが。
その女優の星野真里が本を出したということで、事務所に本を送ってきてくれた。
いいタイトル。
「さいごにきみと笑うのだ」
障害を持った子供を育てるというその若い夫婦が、そのことを書き記しながら、書き残しながら、「さいごにきみと笑うのだ」というタイトルはいい。
そんなことなので、決して宣伝ではないのだが、その星野真里という女優さんが、いかに子育てをしているかという、その本のタイトルに沿って、その本を読んでみようかなというふうに思って。
一週間だけ語ってみようかなと、そんなふうに思った。
おそらく大変だろうとは思うが、当事者となって子育てに当たることで、星野真里。
元々頭のいい子。
きっと素晴らしい感性でいろんなものを学びながら子育てを続けているんだろうなと。
そのご報告をということで一週間お付き合いくださいませ。

 2014年の終わり頃、私たちは新しい命を授かっていることを知りました。(13頁)

出生前診断の一つ、クアトロテストというものだけは受けることにしました。(13頁)

結果は大過無く。

 2015年7月30日未明、私は母になりました。(28頁)

(母になることに対する)怯えは無く、嬉しい気持ちしか無かった水谷譲。
でもある人もいる。
それが男だからわからない。
出産した後、星野さんはもの凄い何か息苦しい日々があったらしい。
女の子だったので「ふうか」と名づけて母親が身の回りの世話をしてくれるという実家暮らしでお母さんとしてのスタートをするワケだが。

そろそろ自宅に戻る準備をしようかというとき、私は急激な不安に襲われました。(30頁)

この感じ方がもの凄く生々しいのだが。

 家に帰ることが怖い。
 ふうかと二人っきりになることが怖い。
 かわいいと思えない瞬間があることが怖い。
(30頁)

そんな母性が私の中にあるのだろうか?
時々子供のことが嫌いになったり、いや、もっとよく酷く言うとあんまり泣くんで憎くなったりすること。
やはりそう感じる方もいらっしゃると思う水谷譲。

 おそらく、軽い産後うつになっていたのだと思います。(31頁)

(番組では医師から産後うつの診断を受けたように説明しているが本によると上記の通り)

母はこんな言葉をくれました。
「年がら年中、24時間ずっと子どものことがかわいい親なんていない。そもそも愛情って一緒に過ごした時間が育んでくれるものだから」
(31頁)

そのことでもの凄く自分は安心したという。
子育てが楽しくてしょうがなかったので、いろんなパターンの方がいらっしゃると思う水谷譲。
でもこれは絶対に否定しちゃいけないこと。
やはり武田先生も母親を知っているが、実の母親にはっきり言われたことがある。
小学校1、2年か、もっと小さかったかも知れない。
「鉄矢、かあちゃんはね、オマエを産むつもりはなかった」
それをどういう気持ちでお母様はおっしゃったんだろうと思う水谷譲。
母がいつも話していたのは、武田先生は6番目か7番目の子で、女の子が続いた。
兄が生まれた後、三人女の子が続いて「今度も女じゃないかな」となったらやはり女の子だったのだが、産後の肥立ちが悪くてシノブちゃんとかという武田先生の姉になる子が死んでしまったそうだ。
それでも父親が子育て下手の子作り上手だから、母親は妊娠に気が付いた時に「また多分女だろうから、もういらんな」と思ったそうだ。
それで「病院行こうかな」と思ってそのつもりでいたそうだ。
「午後病院行こう」
父が朝、弁当を持っていくのを忘れて、弁当を取りに帰って来たそうだ。
それで「オマエ、出かける仕度しとうが。どこ行くつもりか?」と言ったら「父ちゃん。〇〇〇。ちょっと病院行ってくてん」とかと。
そうしたら親父が不思議な直感で「いや、待っとけ。これもしかしたら男かも知れんぞ、今度は。産むだけ産んでみろ。四人も五人も変わりなかろうが」という。
母の口癖はもう小学校の時からずっと言われた。
武田先生は弁当一つで生まれた。
「父ちゃんが朝、弁当を忘れんかったらオマエはこの世におらんたい」
小学生の武田先生にする。
でも、小学校の時にいつも思っていた。
「俺の命は弁当一つ」と。
不思議なもの。
弁当の代わりに生まれた子が、こんな立派な親孝行息子になるのだから。

著者は星野真里で「さいごにきみと笑うのだ」という障害を持ったお子さん、そのお子さんの子育てを記したという本だった。
お子さんの名はふうかちゃん。
その子育てがいよいよ始まるワケで。
三カ月から四カ月頃、異変に気付く。
ふうかちゃんが同じ病院で出産したママ友の赤ちゃんと比べても成長がちょっと遅いように感じた。
こういうことがある。
出生前の診断で見つかっていない。

●首がすわる気配がほとんどありません
●体重もグラフの枠から出たままですし、ミルクの飲みもそれほどよくなく心配です
(35頁)

ふうかには生まれつき歯が生えていて(それを魔歯と呼ぶのですが)、そのフォローのため、すでにその病院の歯科にかかっていました。(36頁)

それらの往診でお医者さんが「もう一回検査やりませんか?」ということで疑いが出たのが

〈脊髄性筋萎縮症〉(37頁)

そこで著者は深い絶望を感じて「大変なことになった」と思う。

脊髄性筋萎縮症ではないことがわかったときにはとても安心できました。−中略−ふうかの本当の病名である「先天性ミオパチー」(38頁)

これが著者も余り詳しく書いていない。
何でかというと、まだよくわかっていないそうだ。
ただ成長が遅くて、骨が細くて筋肉の薄い子だそうだ。
本当に親心の凄さだが「絶対に育ててみせる」という勇気みたいなものが湧いてきたという。
「ミオパチー」なる病。
今でも正体が分かっていない病で。
体重、歩行が健康な子どもに比べて遅くて。
でもその中でも著者はその子と生きる暮らし、それがたまらなく幸せと思うようになる。
これは「凄いな」と思ったのだが、女優をやっている星野真里だが、

 娘との暮らしの支えにしたいと、私は社会福祉士の資格を取得しました。(46頁)

生活に困難を感じている人に対して福祉の専門的知識をもって相談を受け、支援を行ったり、つなげたりすることが主な仕事となります。(47頁)

国家試験でもの凄く難度が高いのだが、星野真里は勉強家だ。
子育てをしながら一生懸命やっている。
確かに成長が遅いふうかちゃんだが、よく眺めていると確かに成長の跡があるんだ、気配があるんだ。
そのことが星野真里を励ます。
このふうかちゃんも利発な子で、体重が増えていかない自分に少し苛立ってか、

ああ、痩せたいって言ってみたいわ
ぶにゅぶにゅの自分のおなか、見てみたいわ
(45頁)

車いすでなければ歩行はかなわないが、細い体と細い脚の他は全て少女としての成長がみられて、著者を驚かせる。
これが素敵な文章だった。
車椅子でもふうかちゃんの場合は電動車椅子。
もう十歳を超えておられるから。
これは武田先生は飛ばして話しているが。

 それは家の近くの少し大きな公園に遊びに行ったときのことです。−中略−しばらくするとふうかから−中略−「公園をひと回りしてくるからママはここにいて」と。
 自分で移動できるようになり、今度は一人で動き回りたくなったのだと思います。
−中略−心配です。−中略−
 迷いながらも「わかった」と答えると、うれしそうに私のもとから離れていきました。
(58〜59頁)

それで電動車椅子でビューンと駆け出したふうかちゃん。
もう祈るがごとく一周して帰って来る方角を見ていたら、何のことはない、見送った方角と逆方向からもの凄いスピードでふうかちゃんが戻ってきた。

 が、なぜか目の前を通り過ぎるではありませんか。二周目に突入するのでしょうか。−中略−そのまま公園の管理室へと向かい、何やら管理人さんとお話をしているようでした。
 一体、何をしているのだろうと不思議に思っている私の耳に、チャイムの音が届きました。
(60頁)

「迷子のお知らせです。車いすの女の子が迷子になっています」(60頁)

慌てて駆け寄って抱きしめたという。
ただその電動車椅子であっても、この少女の中にもう既に自立心みたいなものが育っているというのがもの凄く納得がいく。
いい話。

武田先生がちょっと拡大解釈をしているのだが、星野さんは一日の終わりごとに寝る前に二人でニコニコ笑いながらその日を振り返るという情景で「さいごにきみと笑うのだ」とという。
(本の内容とは異なる)
武田先生は人生の一番最後に車椅子の娘と「後悔しないぞ、この人生は」みたいなことで楽しく笑う母親と娘の姿を想像したのだが、それほど大きな笑いではなかった。
もっと密やかなつましい笑いだった。
昨日も話したのだが、電動車椅子に乗って公園一周の冒険旅行に出た娘さん。
その彼女がお母さんとはぐれて、すぐに公園事務所に行って、お母さんを呼び出した。
「迷子のお知らせです。車椅子の女の子が迷子になっています」
ベンチのママを見つけられずにママを探したのだが、この子は頭がいい。
「ママに恥をかかせたら悪い」と思って「私が迷子になった」ことにしたらしい。
この子は気の利く明るい子。

著者の報告でふうかちゃんの障害を知ることができたのだが、このミオパチーは各臓器の発達が遅れるという障害だそうで、危険なのは肺だそうだ。
目覚めている時はよしとしても睡眠時、肺と肺にまつわる臓器、例えば腹筋とか横隔膜とか等は呼吸に充分ではなくて呼吸そのものが浅いそうだ。
そこで寝る時は人工呼吸器を付けて眠らないと。
厄介は厄介なのだろう。
それで睡眠時は人工呼吸器を付けるのだが、付けたら付けたで寝がえりが打てないワケだから。

ふうかはマスクの装着を嫌がったので(64頁)

身体も大きくなり、呼吸する力もついたようで、−中略−人工呼吸器を卒業することができました。(64頁)

在宅診療所の先生から再び人工呼吸器の導入を提案されました。
「今は使わなくても問題がないかもしれないけれど、10年先、20年先のふうかちゃんの身体のためには寝ている間、機械で呼吸をサポートしてしっかり肺を育てることが大切です」
(65頁)

ふうかにも10年先、20年先という未来がある。それを当たり前の前提としているお話に胸が熱くなりました。(65頁)

そうすると、ふうかちゃんもお母さんの迫力に押されてか、人工呼吸器を付けるのは嫌がらなくなってくる。

熱い食べ物があったときにね
人工呼吸器の空気で冷ませるんだよ
(75頁)

「病と一緒に生きていくんだ」という覚悟を持ったふうかちゃんが星野ママは自慢で自慢で仕方がないということなのだろう。
さっき「肺が育つ」とおっしゃったが、そんなことは考えたことがなかった水谷譲。
(肺を)育てなければならない。
日本の古い行事で「泣き相撲」とかといって。
「泣き相撲」は赤ちゃんを遮二無二泣かせて。
肺を鍛えている。
昔の親の知恵で、泣く子は肺が丈夫になる。
(昨今は)「ほら、静かにしなさい」ばかり。
でも母を泣きながら探すとかというのは肺の為には最高の運動だそうだ。
人間は泣き声が何か悲しみとかではない。
やはり泣くには泣くだけの、泣く為の何か理由がある。

星野真里さんがお書きになった本。
「さいごにきみと笑うのだ」
小学館から出ていて。
武田先生は乱暴な物言いでザックリザックリ話している。
半分も本はいっていないのだが、とにかく一週分だけ話してみようと思って語った今回。
これはなかなか工夫されていて合間合間に、障害を持ったお嬢さんだが、ふうかちゃんのコメントが載っている。
そのコメントがまた子供らしくて可愛らしい。

 ふうかの病名は先天性ミオパチー。ただしこれは筋肉の疾患の総称にすぎません。その中にもいくつもの型があり、ふうかは中心核ミオパチーと呼ばれるものだそうです。(84頁)

 私たちの細胞の一つ一つには核が存在しています。通常この核は細胞の隅にあるものですが、ふうかの場合は中央にあります。だから中心核ミオパチーと名づけられています。何が原因でこのようになるのかはわかっていません。原因がわからないということはその治療方法を探すのが困難だということでもあります。(84頁)

幼稚園探しでもいろんな苦労があったらしいのだが、それはある意味では当然な反応だが、いろんな幼稚園を巡るのだが、病がはっきりしないので「当園としては今回は」と断られるところがたくさんあったようだ。

幼稚園から電話がかかってきたのです。それは何とかしてふうかちゃんと一緒に過ごせないか、その方法を探らせてほしいという、思ってもいない知らせでした。(86頁)

今度小学校に行った時にもふうかちゃん自らが校長先生に

「車いすでも入学できますか?」って聞いたとき
校長先生がすぐに「考えましょう」って言ってくれた
うれしかった!
(122頁)

日本の教育制度もなかなか難しくて、支援学級というのが各所にあるのだが、ここも細かい区分ができていなくて、肢体不自由と知的障害というのが同じように扱われているのだが、肢体不自由と知的障害児の場合は同じクラスで学び合うことは非常に難しい。
そして繰り返し繰り返し星野真里が言っているが、ふうかちゃんを引き受けてくれた学校の先生たちの頑張りというのは凄いそうだ。

まだ著者の子育ては始まったばかりで、この後もずっと感動の記録は続くのだが。

わたしの人生で一番大きな決断は中学受験をするって決めたこと
ここに行きたいっていう学校があったから
(114頁)

(番組では受験かどうかは書いていないようなことを言っているが上記のように「受験」と書いてある)
心から「この子の行きたがっている憧れの中学校に行けるといいなぁ」とフッと思ったりして。
事実というものがあるのだが、しかし物語というのはかくのごとく力を持っていて。
ふうかちゃんが自分の好きな中学校に進学して、三年生の時のクラスが3年B組になったりなんかすると、お父さんもお母さんも涙を流して喜ぶのではないか。
「どこか遠くから見ている幻のおじいちゃんもきっとあなたの成長に涙ぐむと思いますよ。頑張れふうかちゃん」とメッセージを送りながら、母親になった我がドラマ上の娘の星野真里のこれから先を祈りたいというふうに思っている。
同じような状況、同じ思いで子育てをしているお父さん、お母さんもいっぱいいらっしゃるので、この本を読むと凄く心強いと思う水谷譲。
でも星野真里の姿勢の一番いいところは、やはり「知ろう」とすること、「知って学んでゆこう」というとこと。
それが励ましの言葉になるかどうかわからないのだが、でも星野真里が今、考えていることというのを理解する人が世界にはいっぱいいるという。
これは奇跡のようなことだから。
ということは、やはり障害を持つ子供、これはもう確実に世の中に存在する。
その子達に対する考え方がもの凄い勢いで変わってきている。
この大きな時代の曲がり角。
もう「今までの歴史全てを消して新しい時代を」という、何かそんな時代がもうそこまで来ている。
やはりそのトップランナーとして星野真里みたいな人がいるんだろうと思うと、「これから君たちの世紀、君たちの時代を切り開く為にも、ふうかちゃんと一緒に頑張って欲しい」と。
そして「パパも頑張れ」ということで。
一週間のこの回を締めくくろうと思う。

2026年05月23日

2025年7月14〜25日◆話が通じない相手と話をする方法(後編)

これの続きです。

ピーター・ボゴジアンとジェームズ・リンゼイさん、そのお二人がお書きになった晶文社「話が通じない相手と話をする方法」という非常にストレートなタイトルの本。
もうそのまま、まな板の上にのっけているワケで。
話が通じない相手。
もう本当に近頃は多い。
でも「やっぱり話をしないとダメですよ」というピーターさんとジェームズさんの思いの熱さみたいなものに押されて、皆さんに紹介しているワケだが。

知らないいときは「知らない」とはっきり言うこと。
 何かを知らないことは恥の印ではない。
(72頁)

「分かりません」と言っても大丈夫な雰囲気になる。そしてあなたのパートナーも知らないことを認めてよいのだ、という許可を暗黙裡に伝えられる。(70頁)

相手に話をぼやかされたり回答を拒否されてしまったら、全く同じ質問を自分にするように頼んでみること。−中略−
 簡潔な回答をしてみせて(つまり、相手にしてほしいことの手本をしてみせて)、それからすぐに全く同じ質問を相手に投げかけよう。
(72頁)

ここで重要なのは知らないことは聞く。
分からないことは説明してもらう。
この態度が大事なんだよ。
当たり前のことなのだが、意外とカッとなるとこういうことを忘れてしまう。

例えば、電気機器の半導体はどのように機能しているのだろうか。(74頁)

そこから聞けという。
やはり安直に我々は「半導体の問題もありますし」とかそう言ってしまうが、電気の機器に半導体は何で必要なのか?
こういうことをちゃんと聞け、という。

業界用語・専門用語は避ける。(74頁)

やたら酔う人がいる。
アルファベットみたいなことばっかり叫んでいる人がいる。

それからこの著者が言っているので、敢えて日本ふうに置き換えるが、私達は語り合う時、用語一つもそれぞれで意味が違うんだ、という。
これはギクッとした。
「経済」という言葉がある。
だが、いわゆる経済評論家、それからその経済のことを勉強なさっている方がいらっしゃるけれども、「経済」といっても「経済」という言葉の意味が違うという。
よく考えてみるとやはり比べると「経済」という言葉、その単語の意味が違う。
更に「政府」という単語も何か使っている単語が違う。

もしこの二人が「政府」についての会話をすることになったら、ほとんどすべての政策について同意している場合でさえ、言い争いになってしまう恐れがある。−中略−事前に言葉を定義し、その定義について同意を得ることでいくらか減らすことができる。(77頁)

石破さんというのは「政府」という言葉に一種メルヘンみたいなものを感じておられて。
山本太郎さんはひたすら邪悪なものとして語っておられる。
それぞれ「政府」という言葉の意味が違うような。
そのために言葉の丈を揃えるという意味で重要なのは質問する力。
質問する力とは一体何か?
「はい」と「いいえ」だけでは済まない。
較正済みの質問。
「較正」とは計器類の狂いや精度を比べて正す標準器のこと。

較正済みの質問は、「どのように」や「なにを」といった内容を訊ねるもので、〔英語だと〕「how」や「what」で始まる疑問文を指す。(81頁)

決して機械の点検のふりをしてハンマーで叩いて音を聞き取るというような、そんな質問の仕方じゃダメなんだという。
何か計器類の点検のふりをして言葉を叩く人がいる。
「今、おっしゃった政府という意味はこういう意味ですか!」とかという、剣呑な言い方で。
だから最近の討論とか対話とかというのは叩き合いになっている。
「今、言った」とか「言わない」とか。
どのように動けばよいのか、何がそれを動かしているのか。
質問は重しを付けて真っすぐ下へ降ろすこと。
重石で鞭みたいにコンコン叩いたりしない。
質問は振り回すものではない。
「無闇に質問を振り回していると、あなた額に当たって怪我しますよ」という。
「下手くそのヌンチャクと同じなんだ」という。
「真っすぐに聞きなさい」という。
では我々はその政府に対してどう動けばよいのか?
そう動いた政府は何をどう動かしてくれるのか?
米問題にしろ何にしろ、そういうところの真っすぐな討論というのが抜けているのではと思うのだが、ちょっと生意気なことを言って申し訳ございません。
「話が通じない相手と話をする方法」
学びが多い。

 アメリカ南部の諺で、−中略−こういうものがある。「あなたがどれだけものを知っているかなど誰も気にかけない、あなたがどれだけ気にかける人なのか分かるまでは」。(85頁)

つまり私を気にかけてくれることが分かるまで、あなたの知識やあなたの経験などはどうでもいいんだ、という。
もうそのまま何か投げかけたい人の顔が今、水谷譲の目の前に浮かんでいる。
いっぱい知恵を持っている人がいるのだが、でもよく考えるとその人達の知恵を聞きながら「関係無ぇや」と思っている。
でもその人がほんの僅かでも「あなたのことが気がかりで」というと、もの凄くその人に信頼を寄せてしまうという。
味方でなくてもいい。
でも「あなたに対し、私は敵にはならない」そのことを相手に必ず伝えることですよ。
今、極論が世界中。
だからこのお二人、はピーターさんとジェームズさんは、この本「話が通じない相手と話をする方法」なんてお書きになったのだろうが、もう極論ばっかり。
まずは大きな国であるアメリカという国がある。
ここが「MAGA」「Make America Great Again」という、これが今、アメリカの大メッセージ。
「上段に振りかざす」という。
しかしどこの国だって自分の国を偉大にしたい。
小国であろうがなかろうが。
「MAGA」「Make America Great Again」という発想。
これは極論。
そして中国にもある。
中国の愛国運動「愛国無罪」。
国を愛すればどんな悪いことを他の国でやってもそれは無罪になるんだ、という。
日本も負けていない。
「尊王攘夷」
かなり昔だと思う水谷譲。
そういう極論。
MAGAとか愛国無罪とか尊王攘夷。
それを叫べばあなたはスカッとするかも知れない。
だがあなたは絶対に真似しちゃいけない。
いいですか?
スカッとする他、何も無い。
そのことを知るべき。
大事なことは明日もしたくなるような対話を今日、仲間とすること、という。
そしてその話を将来もしたくなる。
そういう対話の場を持つことじゃないですか?
人類という種である私達は対面での会話ができるように進化した生物。
そのために表情や口調、仕草を持った。
そして時に哲学的言葉を使って語り合わなければならない。
やはり哲学が無いとダメ。
「私は知っている」と主張するならば、その理由があるはず。

●個人的な経験や感情−中略−
●文化
−中略−
●定義
−中略−
●宗教
−中略−
●推論
−中略−
●証拠
−中略−
まず最初に、彼の認識論の基礎になっている広いカテゴリーはどれかを見分けよう。
(112〜113頁)

人のことを誹謗中傷する人を今、「ディスる」と言う。
SNSなんかで大流行。
相手を傷つける。
その言葉が短ければ短いほど「アイツはできる」という評判になる。
何を傷つけるか。
水谷譲もやられていると思うが、水谷譲の努力していることを「無駄だ」と笑う。
それが一番、人間は傷つく。
傷つくしムカつくと思う水谷譲。
でももう一歩考えよう。
これは前、先週言ったように「呪いの言葉」。

呪いの時代


(この本は文庫本と単行本の二種類が発行されているが、ここでの引用として紹介するページ数は全て単行本のもの)
(本の中の傍点部はアンダーラインで表記する)
努力することへのインセンティヴを傷つけるというのが社会的差別のもっとも邪悪かつ効果的な部分なのです(「呪いの時代」34頁)

何で努力してる人を傷付けるのか?
それはその傷付けている人が努力をしたくないから。
努力してもダメな人だから人の努力を笑う。

僕たちの時代にこれほど利己的で攻撃的なふるまいが増えたのは、人々が−中略−自分を愛するということがどういうことかを忘れてしまったせいです。(「呪いの時代」34頁)

ディスる人のことを考えると、それをやって自分でスカッとしていると思う。
でも違う。
自分で自分をどうしても愛せないから人に「愛するな」と勧める。
でもそれが現代。
そうやって考えると、先週話したが呪いの言葉の恐ろしさ。
他者の努力を認めないということは、努力しても無駄な私を人を使って証明すること。

(番組冒頭の話からの流れで「気」という文字の話なので割愛)

「話が通じない相手と話をする方法」
人は認識について、このうちのどれか、或いはどれか一つによって主張している。
主張や信念というものは身に付けた衣服のようなもの。
それを身に付けて。
自分の考え。
なぜそれなのか?
その主張の何が好きかどこで納得したか?
好奇心いっぱいに尋ねること。
それが大事なことなんだ。

学びモードを採用すれば、ほとんどすべての会話で軟着陸を決められるようになるし(122頁)

ディスったりしないで興味を持って聞きなさい。
あなたはこの途中で決して結論を言うべきではない。
「そういう考えを持つと元気が出るの?」とかと尋ねるべきだ。
例えば「宇宙は神が造った」とか、「イエスは処女マリアから生まれた」など、これを返す言葉として「私は信じられない」と言った瞬間にもう対立しかない。
しかしこの二つを真理として13億の人が認めている。
あなたはシスティーナ礼拝堂のミケランジェロの天井画を見上げながら同じことを言えるか?
「この絵は嘘だ。神が真っ裸のハズが無い」とか「私は信じられない」と言えない。
これは疑うよりもそう信じている人達、その人達が一体何を成そうとしているのか?「これを信じることによってあなたはどう行動したいの?」というそのことを聞くべきじゃないかという。
そうするところからきっと話は絡み始める。
お互いの役に立つ。
ここで最も重要なのは、これはもう繰り返し言っているが

〔あなたが学びモードに入ったことを〕はっきりさせるのである。(127頁)

リ・ラーニング。
再び学んでいる。
その人の認識の過程を知ることは決して無駄ではない。
自分が賢くなりたいと願うんなら相手を賢くすることじゃないか?
強くなりたければあなたの相手をする人、強い人を求めなさい。
あなたが優しくなりたければ優しい人を対話の相手に選びなさい。
求めるものはそれを与えることによってしか手に入らないんですよ。
大好きな言葉。
これは本には書いていなっかった。
このへんのいい言葉は作るのが上手な武田先生。
凄く好きな言葉「あなたが欲望するものはその欲望を相手に与えることによってしか手に入りません」。
これはフランスのレヴィ=ストロース。
「求めるものは与えることによってしか手に入らない」という。
「満腹になりたい」と願うなら子供に自分の食べる分を分けてあげるという。
「子供が満足そうに眠った時に、あなたはちょっと満足していないかも知れないが、もっと深いところで別の意味で満足している」という。
世の中のお母さんはそういう人が多いと思う水谷譲。
武田先生は母が「腹が減っとっとか?」と言いながらうどんを何筋か武田先生の丼に入れてくれて。
それで喰って「美味しかった」と言って母を見上げたら笑った。
それはもう子供の時の思い出。
でも「ああ〜そうか」と言いながら。
その母の充足した笑み、幸せそうな笑みを見て「母親っちゃあ大変だな」と思った。
食べたいだろうに。
でもレヴィ=ストロースのこの心の構造を聞いて初めて分かった。
「与えることによってしか欲しいものは手に入らない」という。
これは重大なこと。
「そして強くなりたければ強い人を求めなさい」
これは合気道の先生から。
「上手になりたかったら上手な人」で、「下手な人に当たったら下手な人から学びなさい」という。
一個反論したい水谷譲。
子供に対してだったら与えることで幸せを感じるが、自分がお腹が空いているのに旦那には与えようと思わない水谷譲。
それの質問は違う番組で使って欲しい武田先生。
相手による。
人の考えを替えさせる会話、このスキル、これを学びましょう。
分かりやすい言葉でこの二人の著者は必死になって書き連ねている。
その情熱はヒタヒタと伝わってくる。
相手を変えさせたい。
そういう会話の技術を持ちたい。
誰でも思うだろうが、でも著者は繰り返し言う。

 意見が完全に一致することはないという「問題」にどう対処すべきだろうか? 簡単である。人が間違っていても気にしないことだ。とりわけ、間違っているのが友人ならばなおさらだ。(134頁)

それが専門家の説と違っても否定しないこと。
一番大切なのは間違っていることではなくて、そう考えるに至った彼の考え方を辿ること。
これをわかりやすい例で言うと、プーチンさんがなぜ戦争を始めたか。
そこを辿っていくと、あの人の顔に心細いロシア人の素顔があるような気がして。
違う会話の仕方があるのではないかなというふうに思う。
とにかく「コロナのワクチンは危険だ」と言う人に「それは間違っている」と言って説得することは不可能だ。
「ワクチンは体に危険なものだ」という。
まあ、そう。
弱い菌を入れてしまうワケだから。
医療と言っても100%安全なワケは無いという。
日本の医療というのは正確。
だが死ぬ人が何パーセントかいる。
麻酔をかけられる時、病院の念書を見たのだが、麻酔の安全性が書いてあるのだが、武田先生が貰った麻酔の安全性は99%だった。
でも100人中1人は死んでしまう。
麻酔から覚めない人がいる。
それは誰になるかわからない、という。
「絶対安全」なんていう医療はあり得ない。
ならば「ワクチンは危険ではない」という反論は意味が無い。
ワクチン危険説には「薬品会社の利益追求」「アメリカの陰謀」「中国が人民を支配する為にマイクロチップを体の中に埋め込む為」とかワクチン接種に関してはいろんな噂があった。
ワクチンというものの本質を知る為にはどこまで遡るか?
ジェンナーの種痘まで遡ればいい。
ジェンナーは決してお金儲けの為にワクチンを作ったワケではない。
人体実験をやりたかったワケでもない。
ワクチンの安全性はあの時も確立されていなかった。
日本に紹介されても緒形洪庵は、あの種痘のアレをやる時、やってくれる人にお金を渡した。
「JIN-仁-」で緒形洪庵(役を)やっていた武田先生。

JIN-仁- 完結編 Blu-ray BOX


最後は胸を患って死んでしまうのだが。
彼がワクチン接種に燃えたのは「一人の子供でも救いたい」という。
安全性は確認されていないが、ジェンナー以下、緒形洪庵はなぜ接種に乗り出したのか?
それは100%ではないかも知れないが、今、目の前でのたうち回っている熱のある子に対して、「助けられるんだったらば助けねば」という。
ワクチンというのはそういうものだという。
アメリカ・中国の陰謀説なんかもワクチンにあったが、でも自国民を殺す為にワクチンをアメリカが作ったとは思えないし、人民を支配する為に中国がコロナをばら撒いたとも思えない。
データ改竄等々の悪い噂もあるが、データというのは集まるまで時間がかかる。
「どうもワクチンで死んだらしい」というそれがきちんと証明されるのに数年の時間がかかることは間違いない。
そのワクチンで亡くなったのかどうかというのはわからないと思う水谷譲。
別の病気の原因もあるし。
だから年数がかかる。
確かにそのワクチンによって不調をきたしたこともあるが、ベストの方法が見つからなかった。
だから逆の意味で言うと、「三密禁止」とかということで、看取られることもなく逝った人もたくさんあの時いた。
同業者でもいた。
お葬式も無かったという無残なこともあった。
「ワクチンがあればの死」も、「ワクチンを打ったばっかりの死」もあった。
みんなが間違いなく救われる道はコロナについてはあの時無かった。
これが一番正しいものの言い方であるという。
だからコロナを語る時、私達は「彼ら」や「あなた」という人称で語ってはならない。
「あなたが悪かった」「彼らが悪かった」
そういう語り口ではダメで、コロナの問題の場合は、相手は「コロナ」と呼ぶべきだという。
コロナとどう対処しようかという、そういう問題の提供をするべきですよと教えてくださっている。

ピーターさんとジェームズさんがお書きになった「話が通じない相手と話をする方法」。
晶文社刊。
なかなかの本だが、武田先生はこの方々達の本を読みながら「分断したアメリカを立て直したい」というその思いに駆られているんだなと。
民主主義の国であるアメリカ。
その国で進む分断に耐え切れず、共和党員と民主党員、保守派、リベラル。
「誰とでも話し合わなければならない」という、その思いが伝わってきたので、抽象的な回ではあるが進めてきた今回。
水谷譲は少し褒めてくれた。
「今回はちょっとなぁ」とおっしゃっていたが、面白かったと思う水谷譲。
自分で「面白くできる」というヤツと「どうかな?」と思うヤツがあるのだが、かなり自信がなかった。
「時々こういう苦しいヤツもやりたいな」というふうに思っているので、お付き合いのほど、よろしくお願いします。

行き詰まったら、リフレーミングすること(129頁)

 会話のリフレーミング〔捉え直し〕とは、別の表現を用いることで視点を変え(148頁)

例えば「コロナワクチン」と呼ばず、「ジェンナーのやり方」と呼ぶだけで視点は変わる、と。
牛痘法。
そして今、主張している自分の信念について、どれほど確かか自分で自問自答しよう。

「1から10でいいうと、X[と言う考え]が正しいということにどれくらい自信がありますか?」と訊ねてみよう。(154頁)

「10信じている」というのはもう信念。
でもそれをレベルを分けると「それ、5くらいです」とか「6ぐらいです」とか「4ぐらいです」とか。
「その残った部分について、あなたと語り合いたい」と、そんなふうに言えばケンカすること無くなりますよ、と。
その分、対話は精緻になり、その上、「私はそれを変えることが可能です」と対話者、話している相手を励ますことになるじゃありませんか?

 プラトンの対話篇『ゴルギアス』の中でソクラテスは言っている−中略−間違った考えを持つのをやめる側になるほうが、人が間違った考えを持つのをやめさせる側になるよりもよいということだ。(167頁)

「考えを改めました」というフレーズは、−中略−力を与えてくれる。−中略−パートナーとの友情をさらに深める可能性も秘めている。(168頁)

著者は言う。
エビデンスや事実を並べ、相手にその信念の変更をさせることはできない。
皆さん「できない」と著者は言っている。

〔相手の信念と〕衝突するような証拠を提示することは、−中略−パートナーがさらに自説に引きこもることにもなりかねない。)(162〜163頁)

まず何よりも大事なこと。
相手と語り合う時に相手を傷付けない。

「どうやら私たち〔の会話〕は行き詰まってしまったみたいですね。いったん、両方が賛成できるような意見/情報/証拠だけを使うことにしませんか?」。(167頁)

そのことがとても大事なのではないだろうか?という。
武田先生の身の中で、ついこの間起こったこと。
もう言ってしまったのだが、ベーヤン(堀内孝雄)とこの間、浜ちゃん(浜田雅功)の番組に出て、浜ちゃんを励まそうと思って。
(5月30日にTBS系で放送された「ハマダ歌謡祭★オオカミ少年」のことだと思われる)
「元気出しなよ」みたいなことを。
もう今、元気だが、あの時は復帰したばかりだったのでその話をした。
その時に浜ちゃんがベーヤンに向かって突然質問した。
「ベーヤン、歌ってる最中、よう言いません?大きい声で『サンキュー』言うて。誰もあの、嫌いな人いませんよ。お礼言うてるワケだから。歌いながら礼言う人ってのはベーヤンしかいませんやん」とかと言ったらベーヤンが「あれ俺がやったんちゃうん。俺、真似しただけや」。
「え?初めてやった人誰ですか?」
「谷村新司やん」
谷村新司は歌ってる最中、突然「サンキューありがとう!」と言うそうだ。
ウワーッと拍手が、という。
それを横で見て「あ、これいいな」と思って、それで真似をして、いつの間にか自分がその担当になったという。
それで「俺ら谷村新司言うと何か音楽家〜ミュージシャン〜っていう感じするんですけど、あの人『サンキュー』とか大声で言う人やったんですか?」と言ったら「そうよ」。
ベーヤンが「気楽なやっちゃん、あいつは」。
その時にバーっと谷村の思い出が頭の中に広がった。
これをリフレーミング、捉え直しということだろう。
ベーヤンが「気楽なヤツやん」と言った時に気楽な谷村をいくつも思い出した。
谷村新司はもの凄く「こいついいヤツだな」と思った瞬間があった。
何かといったらお客さんの入らないコンサートの話を延々としたことがあった。
みんなある。
実はそれを隠している。
悔しい。
同業者の前で入らなかったコンサート。
それを谷村新司は正直に話す人。
谷村さんの「アリス」は関西で凄い人気があったのだが、富士山に近づくとどんどんお客さんが入らなくなるらしい。
それであの人が武田先生に向かって「そっちどう?」というから、「こっちもあんまり入ってないんだ」と正直に言ったら「俺んとこも幕開いてガッカリしたわ」と言いながら。
二人で入らないコンサートのステージの話をした。
その時の谷村の正直さが武田先生は凄く好きだった。
谷村の別の捉え方。
それを彼を送った後、思い出した。
「いいヤツだったなぁ」と。
リフレーミング、捉え直し、その人の違う面、違う考え方を思い付くことがある。


2025年7月14〜25日◆話が通じない相手と話をする方法(前編)

何でこういう話題を取り上げたのかというと、もう今、世界が苦しんでいるのはこれ。
話が通じない相手とどうやって話をするか?
諦めてしまったら大変なことになる。
でも、話し合いできないところがいっぱいあると思う水谷譲。
「話が通じない相手と話をする方法」

話が通じない相手と話をする方法――哲学者が教える不可能を可能にする対話術


(本の中の傍点部はアンダーラインで表記する)
半分ぐらい切なくなったのは、この本はもちろんアメリカの本。
アメリカの方がお書きになった本でピーター・ボゴジアンという人と、ジェームズ・リンゼイという方の共著で晶文社から出ている。
「話が通じない相手と話をする方法」
武田先生はこの本を手に取ってしみじみ思ったのは、もうこれを考えないと世界は進まないぞ、という。
2025年、アメリカのトランプ政治が始動したのだが、世界はどうなったかというと混沌を増して。
もう皆さんもご存じの通りアメリカは分断が凄い。
ニュースで知ってらっしゃるだろうと思うが、もうまるで南北戦争のような様相を呈していて。
その中でアメリカの知恵ある人の中で「何とかしないとアメリカ本当にまずいぞ」という。
この「何とかしないと本当にまずいぞ」というのは、実は世界中散らばっている。
戦争を始めたはいいが「どうするんだい?」と言いたくなってしまうロシア。
もちろんウクライナにも言いたいが、まずはロシアに言いたい。
それから中国の動向。
そしてイスラム世界とユダヤ教の争いのあの例の中東の大揉め。
もう「話が合わない」とか「通じない」相手との諍い事。
このアメリカの人が「それでもなお、話していかなければ地球はどうなるんですか?」という、そんなことを叫んでおられるような。
このお二人の著者、ピーターさんとジェームズさんが事細かに「こうやろう、こうやろう」と模索なさっているのだが、具体的な話ではないからもう面白くも何ともない。
「話の通じない相手に対して自分がどう行動すれば」という本。
だから読みながらもの凄いフラストレーションを感じる。
だが論争はいいが、昨今論争の向こう側に行ってしまって、罵り合い。
この間も、お二人とも頭のいい方なので、それぞれお考えがあるのだろうが、山本太郎さんと太田光さんが論争をなさっていた。
政治的な激論だが、激論というよりもケンカ。
EU、G7、ブリックス(BRICS)、それからイスラエル対パレスチナ。
それからアメリカにおいて保守・リベラル。
そういうもう殆ど断絶した関係で、「呪い合うような関係」というのが急速に進んでいると。
この本の著者達は、その分断とかというのは何が問題かというと、両者の会話に於けるスキル、技が下手になっているとおっしゃる。
対立も分断も互いをバカにし合うということで。
「寒くてたまらない」というような罵り方をするのだが、その中に寒ければ自分が上着を取りに帰るとか、そいういう工夫が全くしないのが今の語り合いではないか?という。
譲れるとか譲れないとか、何かそこだけを語りたがっている、という。
「それじゃあダメなんだ」と、この著者は叫んでいるような気がして。
話の通じない相手に対して私達はどう上着を着こむか?着こむことによって寒くない状態をお互いに作ることがいかに大事か。
対立と分断より危険な敵対と戦闘、或いは殺し合いという事態に至らない為に、一体会話する時にどんな心がけが必要なのか?という。
話が通じない人に対しては「もうダメだ」とあきらめる水谷譲。
こんなストレスになるくらいならもうこの人との関係を切ろうと思うが、世界情勢はまた違うと思う水谷譲。
やはり関係を切れない時がある。
ここから二週にわたってしつこい話になるかも知れないが、でもその思い、つまり対立と分断より危険な敵対と戦闘、或いは絶滅、殺し合うか否かという事実が世界中で進んでいる。
その中で一体、我々は何を考えよう?という。

ほんの少ない一例なのだが、1970年代、朝鮮戦争という戦争が起きた。
(亡命者の研究をしたのが1970年代で、朝鮮戦争が1970年代ではない)
こんな奇怪な出来事が起こった。
捕虜の交換に応じるという条約を結んでもアメリカ人捕虜のうち北朝鮮に亡命した者が結構いた。
日本もいた。
日本の学生運動を熱心にやっている人は、ハイジャックしてまで北朝鮮に渡ったということがあった。
そういう人が何で出たか?ということをまず考えてみようという。

朝鮮戦争中にアメリカ人捕虜のうち北朝鮮に亡命した者がいたのはなぜかを調査した。彼の研究によれば、亡命者のほぼ全員が、ある一つの訓練所の出身者だった。そこでは訓練の一環として、北朝鮮人は残忍で冷酷な野蛮人であり、アメリカを軽蔑し、一心不乱にアメリカの破滅を目論んでいると教えられていた。しかしこの捕虜たちが捕獲者〔である北朝鮮人〕の親切さに触れとき、訓練所での洗脳が解けたのである。(25〜26頁)

人間の不思議さだが、信じていたことを全部ひっくり返されると、信じ込ませた人を激しく憎むようになってしまうという。
このへんに洗脳の恐ろしさが両方ともある。
これと同じことで、人を説得することの難しさ、対立やら敵対のもの、そういう人達とどう語り合えばいいのか?
でもこれは難しいかも知れないが、大事なこと。

 会話のパートナーの思考を理解することを、(第一の)目標に捉えよう。(27頁)

会話で相手を打ちのめすこと。
そういうことしちゃダメ。
「理解しよう」という、まずその気持ちになること。

会話でのあなたの目標が「共同作業」と「理解」であることをはっきりさせること。(29頁)

「どうしてこの人はこんなことを信じるようになったのだろうか?」と、相手ではなく自分自身に問うこと。−中略−不信感ではなく好奇心にもとづいて。
 あなたがこの問いに答えようとしている限り、
−中略−攻撃的な雰囲気を避けられる確率はぐっと上がるだろう。(30頁)

これは前にも言ったかも知れないが、最近の批判の言葉が「呪い」の言葉。
打ちのめすことをしきりに考えておられる。
それから今いらっしゃる。
「論破王」とか。
やや上から目線のからかい言葉で相手をイラつかせるとか。
何かそういう「ディベートの上手な方」というのが、論客としてもてはやされている。
でもそれでは話をすることはできないような気がする。
それは本物のディベートではない気がする水谷譲。
相手を打ち負かす、打ちのめすということに目標を置いてしまっているから、おっしゃるように何もそこから生まれない気がする水谷譲。
ここで考えなければならないのは、どうぞおやりになる方は参考にしてください。
一生懸命、武田先生も読み説いた本なので。
まず討論する人に向かってこう言いましょう。
「私と10分ばかりで結構ですから、話してくださいますか?あなたを何と呼べばいいでしょう?実はあなたが主張しておられること、私、興味があります。私はその考えとは全く逆の考えを持っているのですが、あなたがそう考えたこと、どうしてそう考えたか、それを私に話してください。すると私はあなたをほんの少しかも知れませんが、理解することができるかもしれません」
こういう言葉遣いでないと人間は討論しないということ。
水谷譲はたまに放送で、ちょっと尖ったことを言うと一気にXで批判が来たりするのだが、そういう時は「水谷、オマエ何言ってるんだ」という「呪いの言葉」だと思う水谷譲。
だから「あ、私もじゃあ別にお話することはありません」となってしまうが、そういう感じできてくださったら「あ、ちょっと話し合いしよう」とは思う水谷譲。
つまり「呪いの言葉」の危険さを分かっておられないから「水谷オマエ何言ってるんだ」ということが言えると思う。
それは「呪いの言葉」の危険を知らない。
武田先生は内田(樹)さんの文章を読んでいて、この方の文章の中でもう遠い昔に書かれたあの本の中で「呪いの時代」というのがあった。

呪いの時代


(この本は文庫本と単行本の二種類が発行されているが、ここでの引用として紹介するページ数は全て単行本のもの)
人間の話し言葉の中、或いはSNS、他者を非難・批判する時に、人々は呪いの言葉を使うようになった。

 僕たちの時代は「呪い」がかつてなく活発に活動しています。(「呪いの時代」35頁)

ネット上の掲示板に繰り返し「死ね」と書かれて、それに耐えきれず自殺する人が毎年何十人(何百人かも知れません)となくいます。(「呪いの時代」36頁)

昔から「人を呪わば穴二つ」といって、呪ったその人もやがて暗い墓穴に落ちることになる。
「そのことをぜひ自覚してくれ」という。
水谷譲が言ったように、意見が違う人でもその出方によって「この人と10分ぐらいだったら話してみよう」。
「10分」というのはいい時間。
こういう言葉遣いを著者は挙げていて、この言葉だけでも世界で煮詰まった話題は相当進むのではないかなと思う。
延々とこの手の話になってしまうかも知れないが、なるべくわかりやすく進めていこうというふうに思う。

まずは言葉遣い。
この言葉遣いでラポール、心地よさを挟む。

 ラポールとは親近感の一種だ。ラポールを会話のパートナーとの間に築くことができれば、相手に親しみを覚えるようになる。−中略−双方ともに心地よさを感じ(33頁)

「気持ちのいい会話ができそうだ」という。
「ラポール」と言うそうだ。
この時、決して他人を話題にしない。
どこまでも自分の体験を語り相手に渡すこと。
「あなたこうやったでしょう」と言うと日本語でいうところの「角が立つ」。
「私こんな体験したんですけど」
自分の体験を語って相手に渡しなさい。
パラレル・トーク、他人の体験で惹きつけようとする。
「それじゃダメなんだ」とこの著者は言っている。
(「パラレル・トーク」に関する説明は本の内容とは大幅に異なる)
同じ場に立つ為には自分の足でフットワークすること。

「〇〇をすべきだ」とか「〇〇はすべきではない」といったように。−中略−ラポールを損ねる。(38頁)

正義の言葉遣いをすると対話はたちまち、勝か負けるかの試合になってしまう。

 他の人と同時に話し始めてしまった場合、話し続けてはならない。代わりに、「お先にどうぞ」と言おう。(39頁)

たまたま相手と同じタイミングで話し始めてしまい、かつパートナーが話し続ける一方であなたが黙って聴き続けているというような場合、再び話し始めるときに会話がバッティングするきっかけになった語句をまた用いるのはよすこと。
 あなたが誰かと会話していて、その相手と話し始めるタイミングが被ってしまったとしよう。あなたが最後に言いかけの言葉が、「それで彼は私にこう言ったんですよ──」というようなものだったとする。あなたが話す番が再び回ってきたときに、「それで彼は私にこう言ったんですよ──」という〔同じ〕言葉で始めないようにすることだ。そうしてしまうと、その間にパートナーが話したことをなにも聞いていなかったという印象を与えてしまう。
(42頁)

相手と話の切りだしでぶつかる。
相手に譲ってあなたの番。
その時、話しかけて止めたその言葉で始めてはならない。
そんなことをすると譲って聞いていた相手の話をずっとあなたは無視して自分の順番を待っていただけの人になってしまう。

「なるほど、分かります」と言うこと。(43頁)

会話中はスマートフォンをいじらないようにすること。(43頁)

これはもう例として挙げるのは面倒臭いので辞めてしまったのだが、その話っぷりはどうかというので、この著者の二人はいろんな人と対話をやっている。
それでピーターさんという人が短気らしくて、殴り合いのケンカ直前までになっている。
それを全部本に書いてある。
何がまずかったかをピーターさんに後でジェームズさんがお説教するというそういうパターンがある。
やはりどこでも揉める原因は言葉遣い。
相手に向かってピーターさんが「あなた大学で先生やってるんでしょ?」。
「やってますよ」と向こうが言う。
「よく教えられますね」
(本によるとピーターは言われた側)
それはケンカになる。
感じが悪いと思う水谷譲。
それをジェームズさんが切々と説く。
まず相手に対する尊敬の気持ちが無いと思う水谷譲。
それと自分のことを話さなければ。
「あなた大学で何やってんですか?〇〇やってます?よく教えられますね。それで学生に」とか、相手のことを話すべきではない。
そういうこと。
そして大事なのは「あなたと話していると私は変化している」。
「ほんの僅かでもいいから、変化している自分を見せなさい」という。

武田先生なんかも今、ニュース番組に出ている。
「今日はこういう話題です」というのは、知らせがテレビ局から入る。
その時に武田先生もあまり黙っていて出演するのも悪いし、みんな気を張り詰めてやっているから「こんな言葉並べればいいかな」と思って下にノートを置いて書いている。
それが結構役に立つことがある。
だが「話題がこういう話題なので、こんなことを話そうかな」と自分がメモ書きした紙がある。
これの使い道に関してジェームズさんが教えている。
訊きたいこと、伝えたいこと、それを用意してメモ書きしても構いませんよ。
フッと言葉は出なくなることがあるから。
でもそこで約束。
絶対忘れちゃダメよ。
それは「一切使わないという覚悟で書いてないとダメ」という。
書いたばかりにその一言を言おうとする。
そうすると話がグジャグジャになる時がある。
相手と話しをする時、聞きたいこと伝えたいこと色々用意してメモ書きもOK。
でも話の流れによっては一切使わない。
いつでも破り捨てられるという思いを持っていないとダメですよ。
聞きたいこと、伝えたいこと、それを相手にぶつけてしまうと話が通じなくなりますよ、と。
著者は自分が聞きたいこと、伝えたいことを用意しておくという、これを「伝令のメッセージ」と呼んでいる。
(本の内容とは異なる)
武田先生はこんなことを思いついて書いている。
これは武田先生の立場、テレビタレントで、ニュースワイドショーみたいなのに出ている武田先生から言うとテレビスタジオのADさんのカンペ。
番組を進行していて、もう皆さんもよく知っておられると思う。
実はキャメラの方を向いて喋っているが、その下にADさん、アシスタントディレクターという方がいて、「次はこれを聞いてくれ」と時間の計算をしながら出す。
それを今、思いついたようにメインのキャスターさんが語るワケだが。
これが邪魔な時がある。
番組進行上、どうしても触れなければいけないという時もあるのだが。
ADさんはちょっと申し訳ないが、腕前もあって。
下手なADさんは、とんでもないことをカンペに書くことがある。
これはちょっと、また怒られてしまうかも知れないが、カンペを読んで思わず「バカ」と言ったことがある。
言った方がわかりやすいから、もう言ってしまう。
あるヒット曲を生んだ歌手、シンガーの方の「売れた時の喜び」とか「売れることによって生活が一変する」という、そのことをみんなで盛り上がっていた。
水谷譲は体験が無いかも知れないが、芸能の暮らしの中に入るとある。
ある日、突然、道を歩いていて、全部の人が振り返って見ている。
特に昭和なんかは多かった。
武田先生達なんかも売れ出したのはラジオで売れたワケだから。
顔を知られていないが何本かテレビに出ると「あの歌、歌ってるのはアイツだ」とわかると人の視線が集まる。
そのことを話していた。
「帽子を深めに被るようになった」とか「サングラスかけた」とかという。
その時、そのADの人が「(ギャラは)いくらぐらい入ってきた」と書いた。
それはないと思う。
流れとしては「ヒットする」ということで生活がどう変化するかだが、それで給料がどのくらい、いくら現金が入ってきたかを・・・
あんまり品のいい質問じゃないという感じがする水谷譲。
ごめんなさいね。
武田先生はもうちょっとカッとなってしまって。
ADさんの指示は大事かも知れないが、時として全てをブチ壊す可能性がある。
人と人とが話をする。
その話に質問で割り込むことというのは、もの凄く色合いを変えてしまうことがあるという。
そういう世界に武田先生達は生きている。
ちょっと感情的になり過ぎかも知れないが。
二人で話している真ん中に入って「お金の話をいきなりした」というのが、何ともはや、武田先生としては許しがたかった。
やはりADさんは重要だと思う水谷譲。
絶対に重要。
ちょっと武田先生は芸能界が古くてジジイなものでカッとなった。

問答の達人、人と対話することの達人、名人という方が歴史上におられて。
いよいよソクラテスの登場。

 次に紹介する議論は、ソクラテスとメノンの間のもので(47頁)

ソクラテス (……)或る人々は悪いものを欲するが、他の人々はよいものを欲するという意味で言っているのかね? ではきみ、人はそろってよいものを欲していると、きみには思えないのかな?
メ ノ ン たしかに、そうは思えませんね。
ソクラテス 悪いものを欲する人もいる、と言うのだね?
メ ノ ン ええ。
−中略−
ソクラテス 「するときみには、メノン、悪いものが悪いということを知っていながらしかもなお、そうしたものを欲するような人が、現にいると思えるのだね?
−中略−
メ ノ ン 悪いものが有益であると考える人々もいるでしょうし、実は害があると知っている人々もいるでしょうね。
ソクラテス 一体、悪いものが有益であると考える人々が、悪いものが悪いということを知っていると、きみには本当に思えるだろうか?
(48〜49頁)

ソクラテス すると、メノン、少なくとも人が惨めで不幸な者でありたいと思わないなら、誰も悪いものを欲しないことになる。(50頁)

「ならばその人達もよいものを求めている私達と同じ人ではないか?」
そういうこと。
「よいものを求めている」は両者とも変わらない。
「両者とも変わらないところから話し合ったらどうか」という。
そのこと。
だから共通するところまで遡る。
それが話し合いの大事なところではないだろうか?と、ソクラテスはこういうワケで。
「同じ立場のところまで戻ってみる」という。
これは一つの対話の条件ではないか。

話がだんだん難しくなってくる。
目の前にいる相手は決して好きではない。
好きではないどころか悪の塊みたいに思っている。
あなたを邪悪と誤解し、敵意を持つ人があなたの前にいる。

もしパートナーが悪い意図をもっているなと感じ始めたら、好奇心モードに切り替えること。−中略−次のように言ってみよう。「−中略−あなたは私が知らないことを何かご存じなのでしょう。私にも理解できるように、そのような結論に至ったのはどうしてなのか、もう少し詳しくお聞かせいただけないでしょうか?」。(53頁)

「この会話でどうしたいと望んでいますか? この会話から何を得たいと考えていらっしゃいますか?」だ。(54頁)

それでこの人がストックフレーズ、決まり文句のスローガンを言い始めた。
そうすると話題は切り替えた方がいい。
この「ストックフレーズ」というのを覚えておいてください。
決まり文句のスローガン。
これはもう討論会を見ていてもそういう方がいらっしゃる。
「消費税は廃止すべきた」「彼らは賄賂を受け取っている」など、選挙公約のようなことを繰り返すならば。

苛立ちの感情が目立つようであれば、会話をそこで止めること。(59頁)

水谷譲が言っていたのはここ。
だからやめてもいい。

 文字通り、呼吸しよう。(59頁)

相手が会話を終わらせたいようであれば、話してくれたことについて礼儀正しく感謝すること。(60頁)

「あなたが退く場合は、時間を割いてくれたことに礼を言いましょう。そして相手を理解する為には私には時間が欲しい旨を伝えるべきです」という。
決して喧嘩別れで終わらないように。
くれぐれも沈黙で終わるな。
沈黙は良い印象を与えない。
説得や議論が上手な人の条件は聞き上手。
それが条件だ。
聞き上手が一番難しいと思う水谷譲。
でもこのストックフレーズが溢れ始めたらもう、止めた方がいい。
ストックフレーズばっかりの人はいっぱいいると思う水谷譲。
そう。
だからそのことを言っている。
今、あまりにもストックフレーズが多すぎる。
それさえ言ってしまえば、まるで結論のように。
「消費税は廃止すべき」
分かる。
払いたくないのはよくわかるが、消費税には消費税の何か正義があるはず。
本当におっしゃる通りで、話し合いというのは「じゃあ廃止にするんならどうするの?」ということで、それを言わないで「反対反対」というのはもう本当にいわゆるストックフレーズということだと思う水谷譲。
プラス「庶民の気持ちが分かってない」とかいろんなストックフレーズがあるが、このストックフレーズを振り回す人の危険さというのはある。

会話の技術をここからワンステップ高いステージへ。
著者が言っているのは「論破」とか「言い負かした」とか「ディベートの達人」、こういう人達が勝者のような。
これが果たして楽しいだろうか?
勝ったところでまた一人になっただけではないか?と。
目指しているところはどこなんだ?
私は一人ではない。
それを証明したかったんだろ?
そのためにどうして論破して一人になっちゃうんだ?
食事をする時、私達は満腹を目指して食べているワケではない。
分かち合える宴。
誰かと一緒に食べているという喜びを味わいたい。
「論破」とか「言い負かす」とかディベートの達人が目指していることは一人で満腹することじゃないか?
一人で満腹して何が美味しいんだ?という。
ただの自己満だと思う水谷譲。
私達はいつでもそうだが、誰かと分かち合える晩餐を楽しみたいと思う。
私達は笑顔の乾杯を目指している。
私達は飲んで酔いたいワケではない。
乾杯の笑顔を確認したいんだ。
一番大事なこと。
論破とか言い負かしたとかディベートでうっとりなさる方。
はっきりさせておかなければならないのは、あなた方はあなた方自身を知ってください。
そのことが会話の技術を高める技となります。

最近、武田先生もやっとできるようになった。

知らないときは「知らない」とはっきり言うこと。(72頁)

「昨日飲んだでしょう、お酒」
「いや、知らない・・・」
何かそういう。
それはただの嘘で、ちょっと方向性が違うと思う水谷譲。
分からなかったら「分からない」。
「知らない」「分からない」を正直に恥じ入らず、相手に伝えなさい、という。
「アンタやったんでしょ!」
「いや、分からない・・・」
バカ言っている間に時間いっぱいになった。
これでちょっと頑張って、山ほどのネタがあるもので、来週も抽象的な話でまことに申し訳ありません。
時々変なヤツをやるが、それがこの番組のエグミだと思って楽しんでいただければ嬉しい。

2026年04月26日

2026年2月23日〜3月6日◆ジョン・レノン(後編)

これの続きです。

(著者は)青木冨貴子さん。
「ジョン・レノン 運命をたどる」という一冊を読み下している。
講談社から出ている。
ビートルズファンならずとも興味津々で読める本。
青木さんのライターとしての目というのが独特の目をしておられる。
この人はクレバーな方。

ジョン・レノンとヨーコさん、その足跡を辿りましょう。
ビートルズが解散した1970年、そしてそれから1年経った1971年の1月のこと。
ジョンとヨーコは二人の作品を発表している。

「アメリカで発売されたアルバム・タイトルが『ジョン・レノン プラスティック・オノ・バンド』というのです。(66頁)

 東芝音楽工業のディレクター水原健二は−中略−
 まぎれもないヨーコ・オノからの電話を受け取ったのは、1971年1月21日のことだった。
(64頁)

前にもお話したが高嶋弘之さん。
あの高嶋(ちさ子)さんのお父様、あの方がイギリスのEMIとの結びつきがもの凄く深くて、日本でのプロモーションで大活躍した高嶋さんに関してはEMIも、その功績を認めている。
何かあったら直にEMIの方に「相談乗ってくれ」と、かかってくるそうだ。
これは高嶋さんの功績で、ビートルズの人気が日本で伸び悩んでいる時に、高嶋さんはイギリスIMEに対して「英語のタイトルじゃ売れないんだ。とにかく日本のタイトルを付けさせてくれ」とずっと粘ったようだ。

ビートルズの初代担当であり前任者の高嶋弘之は「抱きしめたい」という名タイトルを生み出し(64〜65頁)

ビートルズはこのあたりから火が点く。
それで日英での大ヒット、ミリオンヒットにつられてアメリカで「I Want To Hold Your Hand」が人気を得た。
それで高嶋の後釜にちょっと相談したいことがあるから、

「ヨーコです。帝国ホテルに泊まっていますから、いらっしゃらない? いま、二人でおりますのよ」(64頁)

それで水原健二さんという方が会いに行ったらジョン・レノンから「アルバム作ったばっかりなんだ。それで日本名のタイトル付けて、日本で売りたいから」。
それを頼んだそうだ。
これはもちろんジョン・レノンの意向ということだが、日本語で交渉なさったのはヨーコさんなのだろう。

「ジョンの魂」は「マザー」という歌から始まる。−中略−
 そんなことを話すジョンの言葉をヨーコが丁寧に通訳してくれた。
−中略−「それに彼女の言葉はむかしの上流階級の人が話すとても綺麗な日本語だったのでびっくりしました。(67頁)

その美しい日本語ゆえに水原さんはうっとりしたという。
その「マザー」の邦訳を、日本訳を聞きながら水原さんはアルバムタイトルの日本名が湧いてきて。

私が日本の題名を『ジョンの魂』と付けたら、ヨーコさんがとても喜んでくださった。(66頁)

その時にジョン・レノンさんも日本に馴染んでいた。
日本語でおっしゃった。

「このアルバムはシブイ≠フです」(71頁)

洋子さんと初めて二人揃ってやってきたという旅行がジョンさんにとっては初公演以来だった。
もうメッチャ、この時、日本に興味を持つ。
ここから凄い話。
来日の折、ジョンは日本の骨董屋巡りを趣味にしていた。

湯島にある羽黒洞という骨董品店をヨーコと一緒に訪ねた。(68頁)

ヨーコの説明を聞きながらジョンは掛け軸や禅画、禅宗のお坊さんが描いた絵などに興味を持って白隠を理解した。
白隠。
この人は禅宗のお坊さん。
丸一個を書く。
「その丸が見事」という。
或いは丸四角三角を描いて棒で一本貫いたというのが白隠さんの絵なのだが、ジョン・レノンは「それが素晴らしい」と言い出して。
ジョンは買ったようだ。
250年前の禅宗のお坊さんなのだが、ジョン・レノンは前衛を感じたそうだ。
それで「禅は面白い、禅は面白い」と言い始めたという。
そのうちにこの骨董屋さんの羽黒洞が凄い物を奥から取ってきた。

芭蕉の有名な俳句「古池や蛙飛び込む水の音」の短冊を見せるとジョンの目の色が変わった。「ハウ・マッチ」と問い、「二〇〇万円」と答える。当時の二〇〇蔓延はおそらく現在の一〇〇〇万円くらいはするだろう。それを知ってか知らずか、ジョンは一声「オーケー」と言った。(69頁)

「こういう類のものは他にないのですか」とジョンが訊いてきたので、良寛や一茶の短冊も見せると再び「オーケー」という。−中略−「私がこれを買って海外に持って行っても嘆かないでください」と言った。ジョンは日本の家を建て、日本の茶席をつくり、日本の庭で日本の茶を飲み、床の間にこれを飾って、日本人の心になってこの芭蕉を朝夕に見て楽しむから(69頁)

彼のジャポニズム、或いは禅宗への傾倒というのはアーティスト生命を賭けるほど、強く激しかった。
これは武田訳。
青木さんの本には無いのだが。
お経なんかも凄く勉強していた。
般若心経。
その影響で作ったと思われる歌もある。
「色即是空 空即是色」
これは言葉が反転している。
「色は空である 空は色である」
彼の作品の中に「ラヴ」というのがあるのだが、典型的に禅宗、或いは般若心経である言葉の使い方。

Love is real, real is love
Love is feeling, feeling love
(ジョン・レノン「Love」)

「色即是空 空即是色」
ジョン・レノンにはそんな感じで東洋を感じる。
ずばりジョン・レノンの作品で「ゴッド」。
(ここで本放送では「ゴッド」が流れる)



God is a concept by which we measure our pain
I’ll say it again
(ジョン・レノン「God」)

「神は私達の苦悩を測る物差しなんだよ」
以下、ずっと否定していく。
これは仏教のやり方。
「善は悪ならず、悪は善ならず」
そういう「ゴッド」の中では

I don’t believe in magic
I don’t believe in I-Ching
I don’t believe in Bible
(ジョン・レノン「God」)

どんどん否定していく。
今の「ゴッド」と非常によく似ているのが曹洞宗の道元。
「正法眼蔵」

『正法眼蔵』全巻解読


道元はこんなことを言っている。

仏道をならふといふは、自己をならふなり。自己をならふといふは、自己をわするるなり。自己をわするるといふは、万法に証せらるるなり。万法に証せらるるといふは、自己の身心および他己の身心をして脱落せしむるなり。(道元「正法眼蔵」)

この頭のところの「仏教を勉強するとはどういこと?」「これはね、自分を勉強することですよ」「自分を勉強するとは?」「自分を忘れることですよ」。
このへんの禅の言葉遣いが「ゴッド」なんかに反映されていると思う。

God is a concept by which we measure our pain(ジョン・レノン「God」)

「神様は何?僕達の苦しみを測るメジャーなんだ」
この発想は仏教。
そしてもう一つ、これは羽黒洞の骨董屋の主人が残しておられるエピソードなのだが、こんな凄いことがあった。
この羽黒洞のご主人が歌舞伎界に詳しくて

二人を歌舞伎座に連れて行ったと続けた。ちょうど歌右衛門と勘三郎の「墨田川」をやっていた。(70頁)

勘三郎は先々代。
お父さんの方の勘三郎。

「勘三郎が漁師を演っていたんです。歌右衛門の演じるのが子供をさらわれた母、狂わんばかりに子供を探し、流れ流れて墨田川までくると、漁師から子供は川に落ちて死んだと知らされて大狂乱、泣き崩れるという舞台です」−中略−ジョンの頬に止めどなく涙が流れていた。(70頁)

「ジョンは泣いて、泣いて、セリフはわからなくても歌舞伎を心から理解しているようでした。(70頁)

ジョンというのは日本人の何かに感応して、影響を受けていたという。

 プライベートな日本旅行を楽しんだジョンは、イギリスへ帰るとすぐ次のアルバムの録音に入っていた。(77頁)

東芝の水原さんを録音現場に招待している。
それでその次の年、1972年、ジョンと洋子はセカンドアルバムを発表する。
もう何かの物語のようだ。
日本の旅が終わってニューヨークに戻って二人はアルバム製作にかかった。
一年ぐらいでアルバムを完成させた。
そのアルバムが「イマジン」。

イマジン:アルティメイト・コレクション(1CDエディション)(SHM-CD)


この「イマジン」はベトナム戦争で悩んでいる若者達を励ます。
ベトナムという小さな地域でアメリカ軍がちょっと殺伐としたものの言い方になるが殺したベトナム人は300万人。
亡くなったアメリカの兵士が10万人。
そんな悲惨さの中でジョン・レノンは「イマジン」を歌っている。
「ベトナム戦争の最中の歌だ」ということを思い出していただくと、「イマジン」というのがいかに傑作かわかる。
ジョン・レノンは聞く人に訴えかけ、呼びかける。
君は僕のこと、夢みがちなヤツだと言うかも知れないが想像してみようよ。天国なんかないんだ。地獄なんかないんだよ」
ジョン・レノンの最初の断固たる呼びかけ。
「天国がないと思ってごらん。地獄がないと思ってごらん。そこにあるのは空しかないんだよ」
我々にはわかりやすい。
「空(くう)」の思想。
ところがジョン・レノンのイマジンは宗教否定として放送禁止になっている。
このアルバムを作っている最中

「水原さん、ニューヨークへいらっしゃらないですか」
 ある日、ヨーコはそんな誘いの言葉をかけてきた。何でですかと尋ねると、
「次のアルバムが出るんですのよ」
(75頁)

ご飯も水原さんに「食べにおいで」とダコタ・ハウスに行った。

水原が二人の部屋へ行くと、ジョージ・ハリソンが来ていた。ボブ・ディランも一緒だったので驚いた。(81頁)

それでその水原さんもお家事の手伝いをしたという。
この時にどんな話かわからないが青木さんの筆によれば、ジョン・レノンが最も熱くジョージ・ハリスンとボブ・ディランに薦めたのが日本のこと。
「面白い文化だよ」という。
何か嬉しいと思う水谷譲。

歌舞伎の印象がよほど強かったと見えて、−中略−ジョンはその話になると声を出して歌舞伎の舞台で聴いた音を真似した。(80頁)

青木さんの「ジョン・レノン 運命をたどる」、これは講談社から出ている。
ここまで書いた本は無かったから、凄く興味深かった。
しかもこの1972年、3年は大変だった
ヨーコさんもジョン・レノンさんも。
何でかというと、ヨーコさんもジョン・レノンさんも「反戦活動をしている」というのでFBIの尾行を受けている。
アメリカはそういう国。
ジョン・レノンに関してはイギリスの過激派のIRA等との関係が疑われていて。
つけてくるような日々を過ごしていた。
この時におそらく最初にご紹介したピート・ハミルさん達とニューヨーク・タイムズの記者達とも仲良くなった。
本当に面白いことに1975年になるとピタッとFBIの尾行が止む。
アメリカがベトナム戦争に敗れた。
この1975年は本当に武田先生は忘れない。
武田先生達にも影響があった。
お客さんが入らない。
武田先生もずっと「何でかな?」と思って。
アメリカがベトナム戦争に負けたから。
(海援隊は)反戦フォークだった。
ところがアメリカが負けてしまったものだから、もう反戦ソングを歌う必要が無い。
1975年に大ヒットを飛ばした日本のシンガーは誰か?
時代論の面白いところだが、松任谷由実さん。
(番組内では「松任谷由実」を「松任谷ユーミン」と言ったが「松任谷由実」としておく)
つまりあの手の「おうちへ帰ろう」ソングがウけ始める。

あのひとの ママに会うために−中略−
バスルームに ルージュの伝言
(松任谷由実「ルージュの伝言」)

ルージュの伝言


井上陽水さんは
「さみしさのつれ・・・」

心もよう (Remastered 2018)


手紙を書く。
それぐらい余裕があった。
小椋佳さんなんか凄い。
陶磁器を見ているのだから。

白い一日


武田先生達がウケるワケがない。
武田先生達は旅の歌ばかり歌っていた。
「故郷未だ忘れ難く」とか。

故郷未だ忘れ難く


1975年はかくのごとくガラッと時代の様相が転換するという。
やはり歌の中に時代が映り込んでいる。

1975年、ベトナム戦争はアメリカの敗北で終わっている。
南北民間人合わせて約300万人の死者、アメリカ兵5万8千人の戦死者。
無敵だったアメリカが小さな半島の国家・ベトナムに敗れ去った。
そしてこの1975年をもって、この言い方が正解。
「政治の時代」が終わる。
何か意味深。
フォークソング。
日本でも政治的な運動の中から興ってきた歌声運動なのだが、このベトナム戦争、アメリカ敗北によってピタッとフォークソングの戦いが終わってしまう。
その間、放送禁止になっていた「イマジン」。
これが放送禁止ゆえに強烈な力を持っていた。
これは歌の力の凄さ。
とにかくベトナム戦争に反対する時、みんな大声を上げて「イマジン」を歌った。
放送禁止にしてあるからこそ、なおさら人が歌う歌になった。
ところがニクソンがウォーターゲートというスキャンダルで追い詰められていって、権力の座から落ちていく。
そのうちに独り歩きする「イマジン」がジョン・レノンを反戦世界平和のシンボルとして取り上げるようになっていく。
そうすると誰もがジョン・レノンの生き方を、或いは歌の影響を受ける。
恐らくジョン・レノンにとって「イマジン」は「シー・ラヴズ・ユー」とか「ヘルプ」とか、「フール・オン・ザ・ヒル」とか、そこらへんの中の一曲だと思うが、ベトナム戦争を挟んでの「イマジン」ということで、この一曲の中にジョン・レノンが閉じ込められていくという。
ここから本当に世間の不思議さ。
反戦、或いは世界平和のジョン・レノンということで、彼のことを暗殺しようとするものが増えてくる。
その手の脅迫状が舞い込み始める。
本当に気の毒。
有名であることの切なさ。

目の前に迫ったテロリストの脅威に立ち向かうため、皮肉なことにこんどはFBIの助けが必要になったのである。(164頁)

相当有名な弁護士さんがついておられた。
そうしたらこんなもの。

 脅迫事件はFBIの手に任されたが、犯人も捕まらず、特定もされないまま数週間後に捜査は終わっていた。(165頁)

その気丈な洋子さんが占いに頼るようになってしまう。
(本によると占いは脅迫される前から)

ヨーコは「占星術」や「霊媒師」「方位学者」に入れ込むようになっていた。(159頁)

敵が見えている時の方が人間はファイトが燃える。
だからFBIがつけているとなると、友人達とも手を組んで「権力に負けるな」という。
ところがこれが脅迫者・暗殺者になると姿を見せないものだから恐怖が増すのだろう。
それでベトナム戦争の最中に作った「イマジン」の中に閉じ込めるというか。
だからアルバムは出すものの「イマジン」以上の傑作ができない。
やはりジョンさんも作っていながら自分が凡作しかできないのが分かってしまうのだろう。
もう「イマジンの呪縛」ということだと思う水谷譲。
これがヒット曲の難しいところ。
ヒット曲がその人をジャンプさせることもあるし縛り付けて沈める時もある。
それでジョン・レノンさんは活動休止に入ってしまう。

レノン一家が南西回り世界一周の旅に出発する(170頁)

かくの如くして、嵐の70年代が過ぎていく。
そしてやってきた希望の1980年代が始まった。
これと同時にジョン・レノンさんに歌心が戻ってきた。

ショーンとともにバミューダ植物園にあるレストランへ行くことになった。−中略−フリージアが咲いている歌壇があった。
 ジョンは足を止め、黒い地に白い文字で「ダブル・ファンタジー」と彫ってある小さな長方形の表示板をじっと見つめた。二人の人間が同時に同じイメージを描いたら、それはダブル・ファンタジーという神秘なのではないか、とジョンは思った。探していたアルバム・タイトルを見つけた瞬間だった。
(174頁)

(このあたりの経緯は番組の内容とは異なる)
というわけで年は暮れていっていよいよ製作にかかるという。
その名前をそのままにアルバムタイトルにして、アルバム製作に乗り出した。

Double Fantasy


これも夢中で聞いたのを覚えている。
「スターティング・オーヴァー」から「キス・キス・キス」「ギヴ・ミー・サムシング」「アイム・ルージング・ユー」、そして「ビューティフル・ボーイ」。
(ここで本放送では「ビューティフル・ボーイ」が流れる)



5歳になったショーン君がジョン・レノンにもの凄く大きな影響を与える。
「この子と一緒に咲く『ダブル・ファンタジー』でありたい」という思いを込めて作ったということ。

ジョンは40歳を迎え(176頁)

さて、この本だが「もう一人の男はどうなった?」と大声で叫んでらっしゃる方もいらっしゃるかも知れないが、「ジョン・レノン 運命をたどる」青木冨貴子さん。
120ページを費やしてジョン・レノンの半生を語っておられる。
残りの3章でチャップマンを辿る。
アメリカ南部テキサスに生まれたこの男は、アメリカの様々な刑務所を転々と渡り歩くことになる。
チャップマン自身も、かなり危険。
何が危険か?
刑務所の中に、彼を殺して名前を挙げようとする人達がいる。
だから転々と刑務所を移している。
その間にチャップマンの妻・グローリア洋子さん。
刑務所通いをなさっている。
もの凄い立派なご婦人。
それでこのグローリア洋子さんがチャップマンの人柄等々に関しては克明に話してらっしゃるのだが、ここははっきり言って楽しくない。
非常に苦しい話が多い。
チャップマンというのは幻覚が激しいらしくて、鬱病の発作が続くと手が付けられないくらい暗くなってしまう。
精神の病で、気分が安定しない。
チャップマン自身、自殺を何度か試みている。
そういう中でチャップマンが縋り付いたのがキリスト教。
神に縋ること。

「16歳になってドラッグをやめて神に目覚めた頃、−中略−『イマジン』は神に対する冒瀆だと言い(277頁)

ジョンが天国もない世界を想像してごらん、下には地獄もないし、上には空があるだけと「イマジン」のなかで歌ったのに大いに反発した。(278頁)

そして80年の12月8日の深夜遅く、ジョン・レノン、その彼に銃弾を数発撃ち込む殺人事件を起こしてしまった。
ただ青木さんが凄い皮肉なことを書いてらしたので。

 最後のアルバム「ダブル・ファンタジー」がリリースされた時、−中略−ジョンの久方ぶりのアルバムは思うほど売れなかった。
 ところが、ジョンが亡くなったことによって「ダブル・ファンタジー」は一気に世界のヒット・チャートのトップに躍り出て8週間もナンバーワンの座にあった。
(286頁)

何かそんなことと天秤に置かれる命の問題ではないのだが、しかしジョン・レノンさんのこの「ダブル・ファンタジー」のヒットを希望にしたいなというふうに思う。
殺されてもなお、その歌声に永遠の命がこもる。

そして二人の「洋子」。

ヨーコさんではないのですか、と尋ねるとたしかに「ヒロコです」と答えた。ジョージ・アベのくれたカードには「グローリア洋子」と書いてあったので、ヨーコであるとわたしが思い込んでしまっていた。(268頁)

そして両者共に日本というものを介在するという。
今、インバウンドで騒がしい、大賑わいの日本だが、日本を理解したトップバッターにジョン・レノンを。
そして武田先生はこんなことを思った。
「俺はジョン・レノンさんの高い高い音楽性、影響ちっとも受けて無ぇよ。音楽性が低いからな。でも、もし目の前にジョン・レノンさんが現れたら話したいことは山ほどある。他のミュージシャン達、深く深くジョン・レノンさんの音楽を理解している彼らには話題が見つからないかも知れないが、俺はジョン・レノンさんとは語り明かせない程の日本ネタは持っている」と。
ということで、運命の横糸・縦糸なのだが、いっぱい語り落としているところがあるので、チャンスがあったら是非一読の程、青木冨貴子さん「ジョン・レノン 運命をたどる」、講談社から出ている。


2026年2月23日〜3月6日◆ジョン・レノン(前編)

話は遠い昔に遡り、偶然と思ったことが次々繋がっていくという。
その込み入った話、まずはここから始める。
2025年12月8日、東京目黒代官山のあるギャラリーに武田先生はいた。
そこで何があったかというと「ジョンレノン写真展」(ヒルサイドプラザ「70年代ニューヨークのジョン・レノン」展)というものがあって、その「ジョンレノン写真展」に招待された。
その理由は当番組(「今朝の三枚おろし」)で紹介した「アーティスト伝説」の著者・新田和長さんからのお誘いで。
アーティスト伝説Iアーティスト伝説II

アーティスト伝説―レコーディングスタジオで出会った天才たち―


かつて70年半ば、ニューミュージックの流れを立ち起こした東芝EMIの伝説のディレクター・新田さん。
あのチューリップを福岡で発見して東京へ連れて行って、多くのヒットを打たせて、その上にユーミン、寺尾聰、加山雄三など、ヒットの現場で采配を振るい、音楽界のレジェンド・新田和長さん。
その新田和長の戦友ともいうべき存在が青木冨貴子女史。
この方は70年代フォークソングの立ち興りにもの凄い興味を持たれた。
この人は頭のいい人。
音楽記者としてのキャリアをこの70年代の初頭から踏んでおられて、もう綺羅星の如き大スター、ユーミンさん、石川セリさん等の女性シンガーとも親交が厚くて。

一九八四年に渡米し、「ニューズウィーク日本版」ニューヨーク支局長を三年間務める。一九八七年、作家のピート・ハミル氏と結婚(本の奥付)

このピート・ハミルさんがニューヨークタイムズの記者だった。

ピートは−中略−ジョンがカリフォルニアから帰ってくると−中略−ロングインタビューをしている。(8頁)

ピートの弟でカメラマンのブライアン・ハミルはジョンをダコタ・ハウスの屋上で撮影し(8頁)

それを「何枚か未発表のものがあるので」みたいなことで日本で公開したいという。
それで音楽関係者がギッチリいる、高嶋(ちさ子)さんのお父さん(高嶋弘之)とかいらっしゃる中で、ただ一人、山田洋次監督が映画関係で来ておられた。
ピート・ハミルさんがリーダーズ・ダイジェストにお書きになった短編小説が「幸せの黄色リボン」で、それを映画化したというので山田洋次が。
(リーダーズ・ダイジェストはニューヨーク・ポスト紙の再掲)

あの頃映画 幸福の黄色いハンカチ デジタルリマスター2010 [DVD]


それに武田先生が出ているというので「来ない?」と新田さんから。
原作者の方の奥様、その方がジョン・レノンと繋がっているということ。
複雑。
それで青木さんが「監督さんお見えなので、ご挨拶を」と言うのでそこから会が始まった。
監督がまたいい話をする。
お喋りが上手い人。
ピート・ハミルさんが、山田洋次監督にピート・ハミル家の伝説を教えてくれたそうだ。
それはピート・ハミルさんがうんと子供の時に、お母様が子供全員に言ったそうだ。
「みんなでお祈りしましょう。アメリカは今日、大変な罪を犯しました。長崎という日本の小さな町に原子爆弾を落としました。何でそれが罪かというと、長崎の町には私達と同じようにイエスを信じる人がたくさんいたんです。アメリカ人として心からお詫びしましょう」と言ってピート君も両手を合わせて詫びた。
それでシーンと静まり返る。
それで山田監督が武田先生の方を向いて「音楽の方が多いから、何か一つ君もご挨拶しなさい」と言ってくださって、恥ずかしながら武田先生もその席に立ったのだが、周りはたくさんのジョン・レノンの写真。
そのジョン・レノンに向かって武田先生がジョン・レノンを語るという。
複雑ではあるが、奇妙に一本に繋がるという。
長生きをしていると感じる運命。
それを今日から語ろうかなと思う。

70年代、80年代の音楽関係者ばかりが集まった代官山の会場だった。
ところがジョン・レノンといったところで武田先生とは関係があるワケではない。
でも影響は受けてらっしゃると思う水谷譲。
影響についてはちょっと痒い思い出がある。
その当時、とにかくライバルたちはみんな「ビートルズ、ビートルズ」と言う。
「俺はポールが好き」「俺はジョンが好き」
ポールの圧倒的ファンで有名だったのがチューリップの財津さん。
井上陽水さんはジョン・レノンだった。
正直、武田先生はそんなに音楽的に強いワケではないし。
それでみんなが「ジョン・レノン、ジョン・レノン」と言うから「『ジョン・レノン』と言っておけば大体通用するな」と思って。
武田先生は「母に捧げるバラード」という詞を作った。

母に捧げるバラード


数十万枚を超えるヒットになったのだが、その変わった博多弁の歌が面白いらしくて、音楽記者の方が来て、「『母に捧げるバラード』って変わった歌ですが、どこで思いつかれたんですか?」と言うから、自分が知っているだけの音楽の知識で「あ、これジョン・レノンです」。
ジョンレノンの「マザー」。
(ここで本放送では「マザー」が流れる)



「Mother, you had me」というこのロックの歌。
「これを聞いてる時にファッとインスピレーションが湧いたんです」
そう答えた。
嘘に決まっている。
「ちょっと影響受けた」というのは何かというと、「ロックシンガーが母ちゃんのこと歌うか」という驚きがあった。
このジョンの絶叫。
ちょっとマザコンかなと思う水谷譲。
「Mother, you had me」
どう考えてもこの「Mother」は「お母さん」ではない。
「かあちゃ〜ん!」だ。
「俺はアンタのもんだったけど、アンタは俺のもんじゃなかった」
「Mama don’t go」
絶叫。
これは「かあちゃん行かないで」。
「come home」
「おうち帰ってきて。かあちゃん早う帰ってきて」
「大人げないな」と思ったのが印象だった。
「武田君はマザコンだね」とかと言われるのが嫌で、「ジョン・レノンの影響です」と、そういう話をした。
そうしたら会場が笑いに包まれた。
ジョン・レノンというレジェンド・ロックシンガーと武田先生は距離が遠すぎて。
武田先生のビートルズ理解というのは浅いもので。
メッチャみんなビートルズに詳しかった。
音楽仲間でカイダというのがいて、ビートルズを聞く。
そうしたら「高い方がジョン歌いよった。でもね、武田さん面白いと。次のサビで入れ替わるよ」
それを全部言い当てることのできるヤツがいて。
この「主旋律を時々入れ替えて、主旋律がハーモニーに回る」とかというのは武田先生達(海援隊)はやっている。
そのへんはビートルズの真似をしている。
でもチューリップの面々なんかのコーラスの力に比べるともう全然。
チューリップなんてもっと複雑なビートルズのハモりを踏襲というか影響を受けている。
それに比べれば武田先生などはもう全然。
そこから。
遠い遠い存在であるジョン・レノン。
ところが青木さんという「幸福の黄色いハンカチ」繋がりの方から頂いた一冊の本を読むと、ジョン・レノンと友達になったような気がする。
「ジョン・レノン 運命をたどる」

ジョン・レノン 運命をたどる ヒーローはなぜ撃たれたのか


講談社から出ている。
武田先生が今回、運命の複雑を語っているが、この本自体が運命を語っている。
この一冊は二人の男の生と死を描いた物語。
一人の男はジョン・レノン。
そしてもう一人の男はというと1980年12月8日、彼に向かって銃弾を浴びせた殺人犯のチャップマン。
この二人の奇妙な運命を青木さんが辿るという。
40年に亘って取材を続けた青木さん。
残された謎を埋めてゆく。
そのピースの埋め込み。
一体どんな運命の折り方が見えてくるのか?
辿りましょう。

先に振っておくが、武田先生とジョン・レノンさんは遠い遠い存在で。
ところがその一点だが、ジョン・レノンさんの友人であるピート・ハミルさんがお書きになった短編小説「幸せの黄色いリボン」。
それを山田洋次監督が映画化して大成功させた。
この薄い一本の本当に糸なのだが、そのピート・ハミルさんの奥さんになられた元音楽記者の青木さんとの縁。
細い一本の糸なのだが、青木さんがお書きになった「ジョン・レノン 運命をたどる」という本を読んでいたら、彼に繋がってゆくような気がして。
そんなことをいうと、ジョン・レノンファンの方から叱られそうだが。
人の運命というのは縁を感じると近く感じてしまう。
人と人とを結ぶ縁という糸が織りなす曼荼羅模様。

 1966年秋、思わぬ発言が一人歩きした。北爆開始から1年、ベトナム戦争が激烈になり、−中略−アメリカ各地で戦争反対デモが大きな盛り上がりを見せるようになったこの頃、「ロンドン・イヴニング・スタンダード」紙−中略−に一本のインタビュー記事が掲載された。
「ビートルズは今やキリストより人気がある」
 発言者はジョン・レノン。
(16頁)

ところがこれがキリスト教圏では大問題になる。
キリストというのは西洋文明を背負うほどの神だったワケで。

 6月になると、ビートルズは日本で初公演を行う。−中略−「キリスト発言」を載せた−中略−抜粋がアメリカのティーンエージャー雑誌−中略−(9月号)に掲載された。−中略−米国の「ニューズウイーク」や「ニューヨーク・タイムズ・マガジン」は件のインタビュー記事を抜粋する形で掲載していたが(18〜19頁)

(番組ではジョン・レノンの発言が9月と言っているが、最初に掲載された記事は3月4日付)
「ジョン・レノン、人気もんだっつんで、少し有頂天になってんじゃ無ぇの?」
これが難しい問題。

アラバマ州バーミンガムのラジオ局WAQYディスクジョッキーのトミー・チャールズへ送ってみた。チャールズは朝のラジオ番組でジョンのコメントを話題にして、討論に火をつけようとした。(19頁)

「もうビートルズのレコードはかけないことにした!」とディスクジョッキーは興奮して声を上げた。(20頁)

これはやはりアメリカ南部。
アメリカ南部はこの手のことでは敏感に反応するところで。

メディアのなかには「ビートルズはキリストより偉大だ」と誤ってジョンの発言を伝えたり(20頁)

ここからビートルズ14都市でのステージ中止。
(本には「予定通り、一四都市で行われることになった」とある)

これでビートルズのライブ公演はすべて中止。これからはスタジオ録音に専念するという爆弾宣言だった。(21頁)

アメリカ南部で「ビートルズは自らを神より偉大だと言ってるぞ」と「冒涜の発言をした」というのが広がってゆく。

 1955年5月10日、テキサス州フォートワースに生まれ、米国南部ジョージア州ディケーターで育ったチャップマンは(22頁)

そのラジオ放送を11歳の少年が聞いていた。
このチャップマンという少年。
11歳なのだが「神を冒涜した」というジョン・レノンが「絶対許せない」と思ったという。
(このあたりは本の内容とは異なる)
まだ子供なのにそこまで思ってしまうのかと思う水谷譲。
このテキサス州とかジョージア州とかといういわゆる「ディープサウス」はそういう方が非常に多くて、宗教的体質な方が多いのか?
トランプ支持者が多いのがこの州だそうだ。
そういう環境の中で、チャップマンというのがジョン・レノンに対して激しい怒りを11歳で覚えたという。
これが後々運命で結ばれていく。
11歳のチャップマン。
この少年はジョン・レノンの発言「僕達は今やキリストより人気があるんだよ」。
その言葉が曲解されて「僕達は今やキリストより偉大なんだよ」という、その言葉を真に受けて、どこかで「神を冒涜した男の名」としてジョン・レノンという名前を少年として胸に刻んだのだろう。
青木冨貴子さんの凄まじさは何かというと、何とこのチャップマンに何度もインタビューを申し込んでいる。
ジョン・レノンへの殺意が、青木さんはやはり合点がゆかない。
だから音楽記者として凄く興味を持ってインタビューを申し込んでいる。
ひと時の報道では「ジョン・レノンの熱烈なファンだった」という説もあって。
それがなぜその彼を?という。
やはり運命。
ビートルズ解散は1970年。
(当時、水谷譲は)三歳。
解散した。
春、カイダが泣いたのを覚えている。
武田先生達は福岡のアマチュアだったが、カイダが泣いていた。
「ビートルズが解散したとよ〜」と言いながら。
ビートルズは解散したのだが、ジョン・レノンさんが亡くなられたのが1980年。
ジョン・レノンさんはビートルズが解散して10年後に亡くなられた。
この1970年代というのが彼の生きた10年間なのだが、日本でも音楽の揺れ方が半端ではない。
フォークソングが興ったと思ったらニューミュージックが立ち興り、ニューミュージックが全盛を覆ったと思ったら70年の後半になったらサザンオールスターズがデビューする。
それでジャパニーズロックが生まれたと思ったところからJ-POPがもう始まる。
その10年間の中でジョン・レノンさんが残した音楽的な足跡の大きさというのは重大だなと思う。
青木さんは、殺害したこのチャップマンに直接会って話を聞こうということで、チャップマンも刑務所内の取材について「条件が合えば」と返事をしてきたのだが。
なぜ青木さんは選ばれたのか?
それで理由を探るとチャップマンは凶行の数年前、1978年春だが、日本を訪れている。
もちろん韓国・中国などのアジア旅行の途中ではあるが、特に日本での体験は彼を喜ばせた、と。
その興奮を恋人に絵葉書で伝えている。
青木さんはそれを取材なさっている。
そして殺人犯のチャップマンが絵葉書で「日本はいいとこだね」と書いた葉書の宛先、つまり受取人はハワイ在住の日系二世(本によると三世)のアベさんという20代のお嬢さんだった。
その年、1978年に結婚している。

相手は日系三世のグローリア・アベ。(22頁)

 チャップマンの妻グローリアの日本名は小野洋子と同じ「洋子」だった。(24頁)

ここにやはり青木さんは記者として焔が立ったのだろう。
真っ赤な炎が。
「何なんだ?」
両方とも日本が関与している。
ただの偶然にしても被害者と加害者の真ん中に日本がいる。

今度はジョンの方を語る。
ジョンの連れ合い、奥様のヨーコさんのことを語る。

 小野洋子は昭和8(1933)年2月18日、−中略−東京に生まれた。
 洋子の母方の安田家は、
−中略−安田善次郎が一代で築いた財閥だった。(41〜42頁)

お父様は日本興業銀行・副を務めた方。
(本によると日本興業銀行の副総裁は父の父)

 学習院大学哲学科に進学すると−中略−洋子は名門女子大サラ・ローレンス大学に入学した。(45頁)

(番組では「留学」と言っているが、本によると「入学」)

22歳、洋子は−中略−大学を中退(48頁)

ヨーコは−中略−前衛芸術家として頭角をあらわし−中略−ニューヨークやヨーロッパの美術界で注目される存在になっていた。(41頁)

このヨーコさんとどうやってジョンが繋がっていくか?
財閥のおうち、銀行副頭取のお父様で、ニューヨークに行って、前衛芸術家として注目を集めて1966年のことだが、イギリスから誘われてロンドン・インディカ画廊で開かれたオノ・ヨーコ前衛展。
このインディカ画廊にジョン・レノンがフラリとやってくる。
そこにオノ・ヨーコさんがいらっしゃったらしい。

「ジョンがインディカ画廊を訪ねたのは、ほんの偶然だった」と数多くの本や記事に書かれているが、実際にはヨーコは彼が来るように仕組んでいたという説もある。(48頁)

ジョン・レノンという人は変わったものが大好きで。
そのオノ・ヨーコさんの個展を見るのだが、その中に参加するアートとして

「釘をハンマーで打ち込め」と書いた掲示だった。ジョンは「やってもいいか」と聞くとヨーコは「だめだ」と答えた。ショーは翌日から始まるから釘で傷つけたくなかった。そこへダンバーがきて、ヨーコに小さな声で「やらせなさいよ。この人は大金持ちだから、買いあげてくれるかもしれないよ」と囁いた。−中略−結局ヨーコが「いいわ。五シリング出してくれたらやってもいいわ」と言ってきた。−中略−
〈お利口さんのぼくは「わかった。5シリング君にあげたつもりで、釘をハンマーで打ち込んだつもりになるよ」って言ったのさ。
(50頁)

それが出会いだったらしい。
これはやはり運命的なのだろう。

ジョンは別の展示台にのっているリンゴを手に取った。−中略−一口かじって戻した。(50頁)

それでそのままポーンと置いてウインクしながらジョン・レノンが帰っていった。
(ということは本には書かれていない)
全てがドラマチックだと思う水谷譲。
後にビートルズが作るレコード会社の名前が「アップル」。
それで考えたら凄い。
でもオノ・ヨーコさんの前衛センスというのが、二つの世界を動かした会社のマークになっているということを考えると、この人の持っているセンスのすばらしさはわかる。
どこでどうなったかはわからないが、これが初めての出会いで、ここからジョンとヨーコの物語が始まる。
そして1968年。
名盤「ホワイト・アルバム」を作る。

「ホワイト・アルバム」の録音にもジョンはヨーコを連れてきた。(55頁)

ここでも色々噂があって、ポールが「ヨーコ大嫌い」とか。
ヨーコさんが、ジョージ・ハリスンのサンドイッチを喰ったらしい。
「ジョージ・ハリスンがメッチャ怒った」という説があるのだが「みんなでワイワイ楽しそうに『ホワイト・アルバム』作ってたよ」という説が・・・
もうこのへんは真偽は確かめられない。
しかしヨーコがいつもジョンのそばにいて、ジョンはそこからみるみるアーティストとしての深みを増していくという。
さあ、この二人、いかなことになるか?
その続きは来週のまな板ということになる。

2026年04月10日

2026年3月9〜20日◆このオムライスに、付加価値をつけてください(後編)

これの続きです。

柿内尚文さん、ポプラ社「このオムライスに、付加価値をつけてください」。
何気ないものだが、その何気ないものに予想もしなかった価値が付いているとわかった瞬間に人間というのは惹かれるもの。

うまくいかない人は付加価値をつくることよりも、目の前のこと(緊急度が高いこと)やすぐできること、やりやすいことを優先してしまいます。(158頁)

「そんなことじゃうまくいきませんよ」とおっしゃっている。

「こんなに頑張っているのに、どうして売れないんだろう?」(159頁)

うんと値段も安くしたし、頑張ったのに。

 Aさんの間違いは、「問い」にありました。−中略−
 Aさんは「どうして売れないんだろう?」という問いを立てました。
 でも、ここで立てるべきだったのは別の問いです。それは「どうしたら売れるんだろう?」です。
(160頁)
 
子供でも分かる理屈。
どうしたら売れるのか?

 問いを変えるだけで、結果は変わります。(162頁)

売れる為の付加価値をどうやって作っていくか。

 長所と短所は「表と裏」と言われますが、たとえば小売りをしていて、せまい店なので品数で勝負ができないときは、「セレクト」「厳選」とポジティブ価値化することができます(176頁)

三軒茶屋なんかにあるお店であるが、キャッチコピー「汚いけど美味い」。
これは本当に誘われる。
「店構えそのものはあまり上等じゃないけど、あそこのちゃんぽんは美味いよ」とかという。

 付加価値をつくるきっかけは、「視点」から始まります。
 視点をいろいろと変えることで、付加価値の要素が見つかるのです。
(178頁)

 この「視点」、とても大切です。
 なぜ大切かというと、そもそも「考える」ということは「視点をさまざまな方向に向けること」からスタートするからです。
(178頁)

 付加価値には接着効果があるのです。−中略−
「つながり」が発生するのです。
(181頁)

 そのつながりをつくるのが、「3つのこと」
 それは、自分ごと、他人ごと、社会ごとです。
(181頁)

 10代のころ、僕が好きになった女の子は、ある曲が大好きでした。−中略−彼女が好きな曲ということを知ってからは、何度も何度もその曲を聴き、やがて大好きな曲になりました。(180頁)

「家族が好きなスポーツチームを家族全員で応援しに行く」とか。
また、SDGsとかマイボトルに参加したり協力したり。
そういう同じものを持つことによってそれが付加価値になってゆくという。
些細なことでも付加価値というのは見つかる。
これも敢えてもう商品名で言ってしまう。
武田先生がお嬢さんから聞いた話。
お嬢さんが勤めているのだが、ちょっとした手際の悪さがあって。
ミスをしたらしいのだが。
そうしたら手順があって、すぐお詫びに相手方のところに出かけるのだが、その時に持ってゆくモナカがある。

【新正堂】切腹最中(15個入り)


これは名前が凄い。
「切腹最中」
これは大ヒット商品になっているそうで、会社同士の取引の中でミスとか何やらエラーがあった場合「本当に申し訳ありません。これはささやかなもんですが、御一同で食べていただければ嬉しゅうございます」。
頭を下げる時にスッと差し出すのが切腹最中。
これは何で「切腹」と付いたか?
これは切腹して果てた忠臣蔵の浅野内匠頭が切腹したお屋敷(田村屋敷)跡にお店が。
それで思い切って「切腹最中」と付けたらしい。
これが大当たりで。
そういう演劇性、物語を持っていると、この付加価値というのが付くというお話。

 付加価値とは「喜びの素」とも言いかえられます。(193頁)

それを手に入れることが喜び。
その喜びを探る。
これが大事なんですよ、という。

 今はタイパが叫ばれる時代。効率のよさや、時短、手間いらずが付加価値として強く求められています(195頁)

ちょっとだけ手間をかけることを付加価値にしました。(196頁)

人間は面倒なことが大嫌いだが、手間がかからないとやりがいを感じない。
ハンバーグステーキ。
効率を考えれば食べやすい温度でサッサと食べて出て行ってもらえば回転効率もいいのだが、わざわざあれを無闇に熱い鉄板の上に置くという。
それを運んできて、タレをかける。
そうするとタレ玉がブァ〜!っとあたりに散る。

お客さんにエプロンをつけてもらいます。わざわざエプロンをつけることはお客さんにとっては手間ですが、これがおいしさへの期待感を演出します。(197頁)

プチ手間」は付加価値化されることがよくあります。(199頁)

 付加価値になっているか、不要価値なのかを見極めるポイントは、対象になる人がそこに自分なりの意味を発見できるかどうかです。(200頁)

 手間は付加価値にも不要価値にも変化するので、見極めや伝え方が重要です。(200頁)

 テレビの通販番組は「わかりやすい」を大切につくられていますね。
 機能性をパッと見てわかる形で表現し、そこに使用者の喜びの声や、番組出演者の感想といった感情要素をプラスしたものが多くあります
(201頁)

「わかりやすさ」が購買意欲につながる。
これは大事。
ニュース解説、コメンテーターと違ってあの通販番組では専門用語は使わない。

内容をよりわかりやすく、より多くの人に届くように変換することや、意味を「見える化」させることです。(201頁)

これがセールスの術で。
そういうこと。
ただし、「メイドインジャパン」を名乗る時、最も重大なのが既存価値。
その商品自体に価値がなければダメだ、その商品そのものが良くないとダメだ、という。
いい例で挙げてある。
これはもう本当に大賛成。
既存価値そのもの、価値そのものがあるという一例で今治タオル。
これはわかる。

今治タオルブランドのロゴマークは佐藤可士和さんがデザインしたものですが、認定商品にはロゴデザインが記された織りネームが必ずついています。このネームの裏側には4ケタの番号が記載されているのですが、これはタオルを製造したメーカーの企業番号です。
 市場に出回った後で、タオルに何かトラブルが起きたときに、この企業番号からどのメーカーの製品かわかるようになっています。
 今治タオルの既存価値である品質のよさを保証する、付加価値なのです。
(207頁)

だから「安いタオルよりも、やや高い今治タオルの方が、後々のことを考えればお得なんですよ」という。
タレントにも何かこういう登録商標が欲しい。

 付加価値は、プラス面だけでなく、マイナス面も気にする必要があるのです。(209頁)

例えば動物愛護で当選した国会議員の方がパワハラで騒がれたりなんかすると「生き物は愛するくせに自分のスタッフは愛せないのか」とか。
たちまちのうちにひっくり返る。
イメージの破綻ということ。
メディア、電波メディア、文字メディア等々はイメージの破綻、付加価値をひっくり返すことが得意で。

一連のニュースを大きく牽引したのが「令和の米騒動」というマイナス付加価値がついたネーミングでした。(210頁)

それからスリランカでサーフィン。
いいじゃないですかスリランカ。
いい波が立つのだろうが・・・
れいわ「山本太郎代表」が解散情報が飛び交うなか「スリランカでサーフィン休暇」 支援者は知らずに「雲隠れ説」も 健康問題を理由に議員辞職(全文) | デイリー新潮
まあタイミングは悪かったということなのだろう。

 理由は脳の特性にあります。ネガティブ、マイナスなことは自分の生命を脅かすリスクにもつながるので、感知能力が高いのです。(211頁)

「悲観主義は気分によるものであり、
 楽観主義は意志によるものである」
(211頁)

悲観は気分。
「なんかそんな気分になっちゃった」
楽観は意志。
「俺はこうやるんだ」という意志があれば、あなたは楽観主義になる。
悲観は「バッターボックスに立ちたくない」という気分になるが、楽観であれば立ち続ける。
そういうエネルギーになる。
楽観主義。
長嶋茂雄さん、ミスターはこの典型な楽観主義の方で悲観が大嫌い。
なぜかといったら、何もせずにそこに座り込んでいる人のことを「悲観」と言う。

 打席に立つと三振もするだろうけれど、ヒットは打席に立った先にしか生まれません。(213頁)

忘れてはならないこと。
ここからは決して悲観でかがみこまず、楽観を貫いた良き例ということで。

島根県の海士町がキーワードとして用いた言葉です。
 海士町は、人口が2230人ほどの小さな島ですが
(225頁)

 この海士町が発したメッセージが「ないものはない」という言葉です。(225頁)

これが結構評判を呼んだ。

 ないもの、足りないものに視点を向けるのではなく、実は気づいていないだけでそこにあるものに視点を向け、付加価値を発見する。(226頁)

「大事なことはすべてここにある」という視点(226頁)

 回転寿司の生みの親である白石義明さんは、ビール工場で、ビールがベルトにのって次々と運ばれて来るのを見て、「これを寿司に当てはめたら!」と考え、回転寿司のアイデアを思いついたそうです。(234〜235頁)

 人気のサーモスの真空断熱ケータイマグ(水筒)も、−中略−
 キャップ部分の開け閉めがワンタッチでできて、直飲みができる便利さが評判ですが、この「ワンタッチ」というアイデアを着想したきっかけも「当てはめ」だったそうです。
(235頁)

 片手でカチッとワンタッチで開けられるライター、この使いやすさをマグに当てはめたのです。(236頁)

それからここから芸能界話。
これは武田先生のネタ。
なかにし礼作品、菅原洋一「知りたくないの」。
(ここで本放送では「知りたくないの」が流れる)



一行目の歌詞

あなたの過去など 知りたくないの(菅原洋一「知りたくないの」)

この詞に出会った菅原さんは、凄く抵抗を感じ、「『過去』とは日本では前科のこと。「犯罪の前科」のことを意味してるんだ。そんなことをこのロマンチックな歌に乗せたくない」。
しかし若き、なかにし礼は絶対に譲らなかった。
譲らない理由が「『過去』という、ややほの暗い言葉を敢えて恋愛の感情に使うことによって、深い愛の言葉として響くはずだ」「そういう恋の歌に自分は挑みたいんだ」と。
「過去がある」
こういうハッとするような言い方が、いい言葉に聞こえる。
同じ言葉が商売の世界にある。

 訳ありという言葉には、何だか人を惹きつけるものがあります。(248頁)

 形が悪くて流通に乗せられない野菜と言うよりも、訳あり野菜と言ったほうが魅力的に伝わる。
 つまり売れない野菜に付加価値が生まれたわけです。
(249頁)

 たとえば、こう言いかえたらどうでしょうか。
●短所 → 伸びしろがある
●待ち時間60分 → 幸せまであと60分、熱狂まであと60分
●田舎には何もない → 田舎には「何もない」がある
●駅から遠い家 → 駅から家までの道があなたの思考の小道に
●坂が多い街 → 天然ジムタウン
(250頁)

面白い。
これは商売の話。
こんなところがある。
熱海にあるゲストハウス。

空き店舗になっていたところをゲストハウスにしているのですが、そこでは白ごはんとみそ汁のみのセットが提供されています。
 なぜおかずがないのかというと、熱海の街中にある干物屋さんとの連携を考えたから。お客さんは購入して持ち帰ってきた干物を施設内で焼いて、朝食として楽しめるという仕組みをつくっています。
−中略−視点を俯瞰化することで付加価値が生まれました(251頁)

古くなった温泉ホテルを「昭和レトロなホテル」としてリノベーションしています。(251〜252頁)

「昭和レトロ」は大評判。

 こうしたちょっとした視点の変化で、付加価値が生まれます。(252頁)

暗い言葉を明るい響きに変えること。
そのことによって「全然違う価値観が湧いてきますよ」という。
こういうのは「なるほどな」と思う。

福岡を訪れた際、おもしろい居酒屋チェーンを発見しました。そのお店は、「鶏皮」を前面に打ち出していたのです。(281頁)

武田先生が博多にいる頃はそんなものを食べたことがなかった。
福岡は何が凄いかというと、この鶏皮に特化したお店がある。
そこに特化しているからなおさら美味いのだろう。
それでその鶏皮の魅力を中心に持ってゆくということで焼き鳥のイメージを全部変えたという。
「特化」といっている。
「特別に狭い領域の一点を狙う」という。
そういうメニュー作りが上手い。
こうやって考えると「付加価値」は凄いもの。
「付加価値」という、たった四つの文字だが、世界は広い。
ハワイのダウンジャケットから始まって鶏皮まできた。

 お肉がおいしいことで知られる、あるレストランにいったときの話です。
 食後にお店の外国人のホールスタッフがテーブルにやって来ました。
−中略−
「食後にお酒はいかがですか? お肉の消化を助けてくれますよ」
 そう言って、1本のお酒のボトルをテーブルに置いたのです。
 そのボトルの中にはお酒だけでなく、洋梨が丸ごと1個入っていました。
−中略−
 そして、僕らに質問を投げかけてきました。
「どうやってボトルの中にこの果物を入れたか、わかりますか?」
(285頁)

 ボトルの中には、ボトルの口よりも明らかに大きな洋梨が入っています。(286頁)

 2つに分かれたボトルを後でくっつけたのか? でもボトルに継ぎ目はありません。−中略−
 なんと、洋梨が小さいうちに枝にボトルを縛りつけて、洋梨の実をボトルの中で育てていたんです。
(286頁)

 この話をされたうえで「このお酒、いかがですか?」と聞かれたら、当然「飲みたい!」と思いますよね。(287頁)

 心に響く話と一緒にお酒を勧められれば、それは興味をそそり、「飲んでみたい」を生み出します。
 まさに高付加価値の創出です。
(287頁)

こういうのは面白い。
興味深い付加価値。

愛知・名古屋の面白さ。
これはもうこの土地に行くとよくわかる。

愛知県には個人経営の喫茶店が多いということです。(321頁)

これはなぜかというと、この個人経営の喫茶店のモーニングが無闇に豪華、という。
いろんなものを頼んでコーヒーが付いてきたのではない。

愛知のモーニングに注目が集まったのは、「コーヒーを頼んだだけなのに、こんなにいろいろついてくる」という点です。(323頁)

愛知のモーニングの付加価値化は、「主従逆転法」が使われています。(323頁)

人間には三つの場所が必要なようだ。

ファーストプレイスを生活拠点。セカンドプレイスを仕事や学業の拠点。そしてサードプレイスを日々の煩わしさやストレスなどから解放される場所で(329頁)

カフェだけでなく、ジムや公園、図書館などもサードプレイスです。(329〜330頁)

全く価値の違う場所を持つこと。
これが大事だ、と。
このサードプレイス、第三の場所をどうやって切り開くか?
これを別の作家の人が、自分の人生の中に「そこに触ることはできるが支配できない場所、そういう場所を持っていないと人間ってダメですよ」という。
この一言に惹かれて、ここから掘り下げてまた別の機会に話す。
老いの付加価値を見つける。
「老いの付加価値」とは何か?
不便を見つける。
体験を話す。
ウナギ弁当の破けないタレのビニール袋。
腹が立つ。
若い方は何気なく破ける。
年を取ってきて握力が落ちると、あの油っぽいビニール袋は開かなくなる。
一筋ちょこっと切ってくれれば・・・
一筋切れているのではないかと思う水谷譲。
切れていないところがある。
それから栓の開かない炭酸水のペットボトル。
回しても回しても年寄りで、もう手の溝が薄くなっているものだから手の中で回ってしまう。
それからコインが滅茶苦茶入れにくい駐車場の精算機。
少しバックしないと百円玉が入らないという。
それは止め方が悪いのではないかと思う水谷譲。
違う。
カードを入れたら肩が攣ってしまう。
もっと近くに止めればいいのではないかと思う水谷譲。
あれは絶対、あの駐車場のあの精算機の問題。
というワケで、付加価値を付けての今回だった。


2026年3月9〜20日◆このオムライスに、付加価値をつけてください(前編)

これはタイトルだけで惹かれた本で。
本のタイトルがこのまま。
「このオムライスに、付加価値をつけてください」

このオムライスに、付加価値をつけてください


(本の中の波線部はアンダーラインで表記する)
(著者は)柿内尚文さん、ポプラ社から出ている。
(番組内では著者名を全て「なおふみ」と言っているが正しくは「たかふみ」)
この「付加価値」という言葉に惹かれる。
何でもそう。
この業界、電波でもメディアでも結構。
芸能界でもいい、歌謡界でもいい。
そこに存在し続ける為に必要なものは何か?
付加価値。
「俺はあいつよりも」とか「これはあれより」とか比べる時の目安として「これがあるからいいんだ」という。
そういう付加価値を持っていないとダメなのではないだろうか?
この付加価値という言葉に武田先生はもの凄く惹かれる。
(付加価値とは)その人だけが持っている個性とか特性ということかと思う水谷経。
でもそれは「誰かさんの為に役に立つ価値」ということ。
これはズバリ言うと、70(歳)の半ばを過ぎて生きていて、どこかでやはり「選ばれたい」とか「その仕事だったらやりたい」とかという欲望はある。
それと仕事が二つやってきた場合、あの仕事、この仕事。
その時に自分の価値観の真ん中にあるのは付加価値。
この付加価値というのは物事を決める時の重大な要素ではないかな?と。
もの凄くザックリ言えば、武田先生は70半ばを過ぎている。
70半ば過ぎているどころか、もうあと数年すれば80が見えてくる。
そんな自分で加齢という事実が待っている。
「オマエはだんだん役に立たなくなるぞ」というのは。
それは思う。
昔ほどもうタフではない。
それは誰でもそうなると思う水谷譲。
はっきり言うが、荒川の土手にモモヒキ無しでは立てない。
寒い。
年を取ったから。
若い時は(モモヒキ無しで)立っていた。
金八先生はスカスカのズボンにワイシャツにネクタイだけ。
でも寒いとも思っていなかったということかと思う水谷譲。
それはそう。
無我夢中で。
初主演だから。
試されているのはありありとわかる。
荒川の土手が一月寒いと気づいたのは(「3年B組金八先生」の)パート2の後半から。

3年B組金八先生第2シリーズ DVD-BOX [DVD]


(加藤)優の家に行って帰りのシーンで「寒いな!ここ」と思った。
それぐらい若さの時の馬力がある。
もう今はダメ。
つまり自分の付加価値が落ちてきた。
「武田ってのは使っても使っても使いやすいよ」とか「使っても使ってもひっくり返らないよ」とか、そういう丈夫さで雇われていた。
その付加価値が落ちてきた。
これからはもうどんどんその付加価値、その今まで売ってきた付加価値が武田先生には無くなる。
「じゃあ来年の付加価値どうする?再来年の付加価値どうする?」という。
そういう意味で「俺も付加価値、考えないとな」という。
それでいったら今でも記憶にあるのが、武田先生がバラエティで頭から火を吹いたのは凄い付加価値だと思った水谷譲。
バカができる。
「バカができる」というのは付加価値。
「あまり賢いことを言わない」というのは付加価値に成り得る。
タレントというのいつも付加価値で新製品を持っていないと来年が怖い。
去年まで持っていた付加価値で生きていけると思ったら大間違い。
武田先生の70半ば過ぎての付加価値、「どうしようか」と思った時にこの本が目に入った。

【ウォーミングアップ】
この問題を考えてみてください。
問題
ハワイでダウンジャケットを
売るには
どうしたらいいでしょうか?
(9頁)

このダウンジャケットに付加価値を付けないとハワイでダウンジャケットは売れない。
どう付加価値を付けるか?
ハワイでもたまに寒い日はあるということで、そのダウンの袖が外れて「ベストのダウンになるからより着やすくなります」ということかと思う水谷譲。
グッドだと思う武田先生。
この本の著者、柿内さんという方がおっしゃっているのは「しっかりと売る相手を見ましょう」と。
ハワイにやってくる人は観光客が多い。
そういう人達にダウンジャケットが必要な場所がハワイに一か所だけある。

旅行者がハワイにある標高4200mの「マウナケア山」に登るとき用に売る。(13頁)

だからそこに向かって途中のお土産屋さんで「マウナケア寒いよ」と言いながらダウンジャケットを売るという。
4200m。
寒いの何の。
そういうお客さんを選んでダウンジャケットを売る。
もう一つハワイからアラスカあたりに旅をしようとする人を見つける。
「客を選ぶことだ」と。
「付加価値」というのをそんなふうにして付けていかないと物は売れませんよ、という。

月曜日に語った表題、本のタイトルだが、オムライスの付加価値。
どう思うか?
卵を薄焼き卵のオムライスではなくて、フォークを入れるとトローンと溶けるから「インスタ映えする」、みたいなことかと思う水谷譲。

 たとえば、「復興支援オムライス」として、お店で出すオムライスにケチャップで応援メッセージを書いてもらいます。(45頁)

何かのイベントにちょっと引っかけてオムライスを出すとか。
そんなことをおっしゃって。
武田先生は何を思ったかといったらやはり、オムライスの名前だと思う。
「母の日プレゼントオムライス」とか。
「卵と鶏肉」は「親子」だからオムライスのケチャップご飯を暖かそうな布団が包んでいるというような形にすれば、「親孝行オムライス」とか「母の日オムライス」とか、そういう名前を付けると付加価値が付くという。
この手の発想。
ネーミングは大切だと思う水谷譲。

もの凄い大ヒット。

 事の始まりは1990年代後半。九州エリアで12〜1月にかけてKitKatの売り上げがなぜか伸びていたそうです。
 伸びている理由がわからず、メーカーが聞き込みをしたところ、受験生の親や友人がお守り代わりに受験生に贈っていたことがわかりました。
「キットカット」を「きっと勝っとお」と語呂合わせして、縁起をかついていたのです。
(230頁)

OKURUX [防府天満宮お祓い済み] キットカット 桜味 9枚入 ×1袋 CHILLOUT PACK サクラサク さくら 桜 kitkat 応援メッセージ 受験 受験応援 受験生 合格祈願 差し入れ 個包装


「必ずあなたは勝っているよ」というのを博多弁で「きっとかっと」という。
ちょっと(語尾が)上がる。
「アンタきっとかっと。よう頑張りよったけん、あんたきっとかっと」
これが「キットカット」になって。
それで博多でやたら売れるものだから、お宮さんなんかと受験のお守りにキットカットと。
博多ではなくてもワリと日本全国で「きっと勝つと」みたいなことで売っていると思う水谷譲。
それであそこのチョコレートメーカーが優れているのは、メッセージが書けるようにチョコレートのパッケージに白いメッセージののりしろを空けた。
そこにマジックで「頑張って」とかと書けるようになったという。
たかだかこれだけで、もの凄い売れ行きらしい。
だから天満宮の境内で絵馬の手前でキットカットという、この三枚の絵になると、そのいつも食べているチョコレートが付加価値を付けるという。
こうやって考えると付加価値は面白い。

付加価値の現状を改めて見る。
これは面白い。

 富士山の山頂の自販機で売っているペットボトルは、1本500円(50頁)

これが五合目では100円だそうだ。
七合目で300円。
付加価値というのはそういうこと。
売る場所によって価値が変わるという。

また問題。
例えばエビフライ。
お皿に盛りつけてあるのはエビフライ、キャベツの千切り、タルタルソース。
隅っこの方になぜかパセリ。
水谷譲への問い。
パセリにはどんな価値があるでしょう?
彩りがいいと思う水谷譲。
これが付加価値の難しいところで、価値には「既存の価値」。
そのもの本体、エビフライでいうところのエビフライがある。
付加価値。
これはキャベツの千切りとかタルタルソースなんかも付加価値なのだろう。
それから何の役にも立たない価値というので「不要価値」というのがあって、パセリなんぞは一瞬、不要に思える。
無くてもいいと思う水谷譲。
パセリを求めてエビフライを頼む人はいないワケで。
このへんが付加価値の難しさだが、実はあのパセリは不要価値として乗っているのではない。

・パセリに含まれる成分に殺菌効果、消化促進効果、消臭効果があるため(64頁)

パセリがついている理由を知らない、知っていてもそれがうれしくなければ、それは「不要価値」です。(62頁)

 パセリがついている意味を認識して、パセリがついていることがうれしければ、それは「付加価値」です。(62頁)

「パセリをきちんと付けている」というのはコックさんが知っておられるという。
だから物事を知らないと付加価値というのを発見する能力が無いということになる。

ここからは武田先生の独り言。
初日にお話しした話だが、武田先生の場合だとタレントとしての付加価値。
加齢と共に武田先生はどんどん老人になっていくワケで。
老人になってゆく我が身に、どう付加価値を付けていくか?
でも役者さんは、老人であることが付加価値になるのではないのかと思う水谷譲。
だからそれをどう呼ぶか?
武田先生もそれを狙っていた。
老人になれるのだから、「老人役は俺だな」と思ったのだが、結構いる。
シャープな年寄りは大竹(まこと)さん。
あの人なんて老人。
舌鋒鋭い理論家だもの。
大衆演劇の梅沢(富美男)さんだっている。
あの人はコンビのコマーシャルで老人をやってらっしゃるワケで。



「私だったらもっといいふうにできる」と思うのだが、雇われなかったから仕方がない。
武田先生にはタヌキとキツネが付いている。



「老人役」と簡単に言うが、先輩がいる。
徳光(和夫)さんがいる。
徳光さんは役者さんではないと思う水谷譲。
役者さんではなくても、あれくらいテレビのレギュラーを押さえている人はいない。
バスに乗っかってウロウロ歩くヤツで移動中、全部寝ているのだから。
でもそれがキャラになるというのが凄いと思う水谷譲。
それが付加価値。
「キャメラが回っても眠れる」という。
それがあの人が見つけた付加価値。
それに比べて武田先生はウダウダ「(今朝の)三枚おろし」で・・・
武田先生も必死になってやっているのだが、ちょっとうるさいかも知れないが小話とかは上手い。
いろんなことをよく知っている。
記憶力がよくて、昔のセリフなんかも全部頭に入ってらっしゃると思う水谷譲。
今、朝にやっている(テレビ)番組で谷ナントカ(谷原章介)さんが「しかし、皇室も大変ですね。朝、早くから」というようなコメントをなさった。
だから「朝廷」と言う。
「朝廷」というのは朝早くから働いているから「朝廷」と言う。
そうしたらあの人が「ああ、そうですか」と言った後、コマーシャルに入った瞬間「今、言う必要あります?」。
そんな怒るなよ。
でも「へぇ」と思う水谷譲。
そういう「へぇ」という一瞬の芸はできるのだが。
さあ、その他にどう付加価値を付けていくか。

「レストランのスタッフで、入って来たお客さんに対して『お好きな席にどうぞ』と言う人がいますが、私はそれはサービスだとは思っていません。入ってきたお客さんにとって、そのときに最適だと思う席を勧めることがサービスだと思っています」(102頁)

混雑時に案内するならば店内整理の為の「お好きな席」ということで店内を詰めて使う為にスタッフがそう発言するのはわかる。
しかしお客さんがいない時「お好きな席にどうぞ」。
客に席を選ばせてどうするんだ?それがサービスだと思っているのか?
ガラガラの店内でも「はい、わかりました。ちょっとお待ちください」と言いながらザッと見渡しておいて「こちらへどうぞ」と言うと付加価値が付く。
それで窓際の席を見つけてお客様をご案内したら「紅葉が始まりました」とか「間もなく桜の季節ですね」とかと言うと「私が選んだこの席へ」というのもサービスですよ、という。

スターバックスの「サードプレイス」は、ナラティブがうまく伝わったケースです。自宅でも職場でもない、居心地のいい第3の場所を提供するというストーリーが多くの人に響きました。(104頁)

「居心地の良い場所を提供する」というのがスタバなんだ、という。
もう一つ聞き慣れない言葉で、辞書を引きながら意味を知ったのだが、あらゆるものにナラティブを付けていく。

「ナラティブ」とは、物語や語りという意味で、−中略−
 ストーリーとナラティブは正確には意味は違うのですが
(104頁)

ナラティブというのは自分の主張や感情、解釈が真ん中に、という。
こういう違いがあるワケで。
これを付加価値として付けるのが重大なのではないか?という。
ナラティブというのにもの凄く惹かれた武田先生。
芸能で生きる者にとって歌唱力とか話術はもの凄く大事なもの。
ところが芸能界で生きていく為には歌唱力、話術だけでは持たない。
やはりナラティブ。
主観の物語を持っているかどうか。
個性とは逆のもの。
そういうものが必要なんだ。
「個性とは逆のもの」
これは深い。
その人が今まで生きてきた価値とされたものの反対側を持っているか否か。
武田先生の場合は何をイメージするか?
このしつこい喋りとか、出てこない結論とかいろいろある。
「金八先生」だと思う水谷譲。
では武田先生に付加価値を付けるとすれば何を付けるか?
今までに無いものということかと思う水谷譲。
簡単。
生徒になればいい。
教壇を降りて生徒の側の椅子に座る。
そういう物語を持っていることが武田先生には大事な付加価値になる。
だから(合気道の)道場に通っている。
強くならないのに。
武田先生は「何でかな?」と思ったらそれだった。
合気道の道場に行って習うナラティブ。
若先生が合気道の体術を教える。
「力んじゃダメ、柔らかく相手を包め」
その時に武田先生がバカデカい声で「なるほど!」とかと言う。
でも若先生は嬉しいようだ。
生徒役だからこそ喜ばれる場所が武田先生には一か所ある。
「これで俺は俺の付加価値を今、作ってるんだぞ」という。
自分の得意技じゃない技を下手クソながら練習し続けるというところに、その人のナラティブを持った付加価値が生まれるのではないか?
先生役をやっていた人が自分の付加価値を増す為に生徒に徹してみるという。
それが「ナラティブ」「自分の物語を作る」という。
伝えたいこと、そのことを更に発展させる為には「教えたい」の反対側「教わりたい」。
伝えたいこと、それを逆の言葉で語るという能力を持っていないと・・・
今、いいことを言った。
自画自賛。
付加価値とは伝えたいことを逆の言葉で語る。
それがナラティブなのだ。
これは本に書いてあることと半分半分。
武田先生の場合、調合が難しい。
伝えたいことを逆の言葉で語ることを物語にする。
何か?

 有名なのが、以前CMであったこのコピー。
「まずい! もう一杯!」
(109〜110頁)



これ。
伝えたいことを逆の言葉で語ることによって、そこに物語を作っていく。
「まずい! もう一杯!」

「日本で2番目にまずい店」
 ある場所で見たラーメン屋さんの看板にこう書かれていました。
(109頁)

こういう伝えたいことを逆の言葉で、逆の表現で語る。
それが物語を作っていく、ナラティブを作っていく。
ズバリこの人、八代亜紀。
「おんな港町」
(ここで本放送では「おんな港町」が流れる)



八代亜紀というのは、この逆張りというか「おんな港町♪」泣かせのところで「誰にもわからない♪」と歌の中では女が一番つらくて泣いている箇所。
女の気持ちなんか「誰にもわからない♪」。
そこで八代さんは敢えて笑う。
魔力。
ニヤっという感じで歌ってらっしゃると思う水谷譲。
そう。
つらくて泣いている箇所にもかかわらず笑っている。
ここに彼女のナラティブがある。
自分の主張や思いを優先させるのではなくて「相手ベースで顔じゃ笑ってるんですが、心じゃ泣いてるんですよ」という。
大人の芸はそこ。
逆張りのナラティブで自己を表現していくという。
芸能界にいっぱいいろんな歌手の人がいる。
歌が上手なばかりに伸び悩んでいる人はいっぱいいる。
これは伸び悩んでいる人ではないが、デビューの時のエピソードで聞いた話だが、小柳ルミ子さんとか五木ひろしさんとか、歌が凄く上手。
レコーディングをやる。
本人は張り切っている。
平尾(昌晃)さんが一回しかやらせてくれない。
小柳さんも五木さんもリハ(リハーサル)だと思っている。
そうしたらもう(平尾)先生が帰ってしまう。
「いや、今、軽く喉慣らしただけ!」とかおっしゃるのだが、平尾さんは相手にしなかったという。
誰からか聞いたのだが「レコーディングをする時に、もの凄く上手なのをみんなシンガーは見せたがるが、レコードを買いに来るお客さんは上手な歌なんか求めてない」
これは意味深。
「深いい話」だと思う水谷譲。
「歌の上手・下手」で「売れる・売れない」ではなくて、その他の何か、つまり声の付加価値で売れてるんだ、という。
付加価値。
どうやって付けるかと考えると、ちょっとワクワクしてきたという70代半ばを過ぎた武田先生。
今週はこれっきりで、この続きはまた来週のまな板の上で。



2026年04月04日

2025年11月3〜14日◆日本語再定義(後編)

これの続きです。

マライ・メントラインさん、この方がお書きになった「日本語再定義」。
日本で使われている言葉をもう一回、ヨーロッパ・ドイツからやってきた人間として再定義、意味を考えてというような本だった。
日本語再定義。
難しい本だが、皆さん、刺激にはなる。
本当に考える。

今日は何をいこうかと思ったのだが、今日はマライさんの本の中で見つけた言葉。
もうすぐに武田先生は反応してしまったが動詞「呪う」。

 オカルト大国といえば−中略−大英帝国(44頁)

「幽霊の出る館」みたいなのが平気で不動産売買で、ちゃんと「幽霊出ます」と書いてある。
アメリカにはスティーヴン・キング。
つまりホラーの大家がいて。
このホラー、そういうものに敏感な国なのだが

日本もなかなかのものだ。実話怪談系が大人向けのコンテンツとして立派に成立している(44頁)

「ホラーもの」というのが書籍から映画まで産業として成立している。
NHKのドラマも小泉八雲、ラフカディオ・ハーンさんの物語。
ばけばけ | NHK
あの人も「ホラー」「怪談」というのが当たった。
日本も負けず劣らず歴史的にもその怪談系が大人のコンテンツとして書籍から映画まで産業として成立しているワケだが、小説を並べた本屋さんの場合、ドイツでは

「ホラー」という棚区分がそもそも存在しないので、作品ごとに「ファンタジー」「サスペンス」「ヴァンパイア」「SF」「ミステリ」「歴史フィクション」に無理やり分散配置していたりする。(45頁)

ドイツではちょっとした事件があったらしいのだが

二十世紀未解決事件トップ10にだいたいランクインする、一九二二年にバイエルンの農場で起きた奇怪な一家殺害事件だ。−中略−ミュンヘン警察は霊能力者を起用する。霊界交信による証言ゲットの試みだ。そのために、遺体から頭部を切り離して霊能者のオフィスに送るという凄いことをやっている。−中略−しかも結果的に成果無し!(46頁)

この「役に立たない」「面目を潰しやすい」という、技能の不確実性に由来する問題点が、どうもドイツ社会でオカルト文化の地位失墜につながったように見受けられる。(46頁)

親衛隊トップのヒムラーがオカルトマニアだったのは考えさせられるが。(47頁)

言われてみればドイツのホラー映画は見たことが無い水谷譲。
日本ではホラーはもの凄く人気のあるジャンル。
しかも年々、「Jホラー」「ジャパニーズホラー」はリアルさを増して、優れた現代的語り手達、作り手達がいて、ネガティブな因果関係を拾い集め、テレビドラマにしたり本にしたり配信映画にするという。
「間取りが変」だとか何かそういうのがあった。

劇場版 ほんとうにあった怖い話〜変な間取り〜


日本人形が動き出したとか。
ああいうのはやはりゾっとする。
これはもう際立っているので、日本の文化としてJホラーというのは特別扱いされるほど、その怖さは世界でも際立っている。
これはマライさんははっきりおっしゃらないのだが、Jホラーは何でこれほど盛んなのか?
不動産屋さんがあまり大きく書かない文字で「事後報告あり」とか、そういうのは要注意。
書いてあるそうだ。
「後で報告することがあります」というのは、物件の中にあるそうだ。
日本の怖さというのはそういうところ。
イギリスだったら幽霊が出るお屋敷というのは「歴史があっていい」というのでもの凄く人気がある。
人気があるのかどうかは知らないが、ツアーを組んで見に行ったりとかというのがあると思う水谷譲。
日本はちょっとやはりそういうのは・・・
これはどうしてかというと、日本はホラーが現実に日常にある。
この間も話を聞いて。
武田先生達はローカルをいろいろうろうろしている。
ご飯を食べるところが駅前の食堂しかない。
そこでみんなで一杯やっていたのだが、土地の人が「いや〜このあたりはもうアンタ、山だらけで木しかないから、小さな村です、町ですよ」という。
「ああ、そうですか」なんてお話をしていて、それで何か料理を持ってくるたびに町の話を
「製材所をやる人もね、エライ大変でね、もうチェックせにゃならんですよ材木を」と言う。
「このあたりの山では何をチェックするんですか?」
「ああ〜ん。製材する時にね、五寸釘刺さってますねん」
これは何かというと藁人形を五寸釘で打つという「呪い」をやっている方が未だいらっしゃる。
それはホラー映画でしか見たことがない水谷譲。
これはゾっとする。
杉なら杉を伐り出していって皮を剥いで製材機の中に押し込んだら突然、火の粉がパーッ!と上がるという。
その五寸釘で打ち込むというのは効果がある・無しは横に置いておいて、誰にも見つからないように人を呪い殺す為に・・・
その心根の恐ろしさ。
Jホラーというのはそういう意味で現役で生きているという。

マライさんは日本の「呪う」を懸命に調べたのだろう。

「満たされない者の怨念」であり「道理の破壊」の切望であり、そしてその実行手段としての「呪い」である。(49頁)

遠き昔、おそらく縄文や弥生の頃から卑弥呼の時代まで「呪う」は政治的な手段であった。

既得権層−中略−に対する怨念の具体化こそが目的となり(49頁)

2016年の出来事だが、「呪い」という言葉に相応しい一言をインターネットの中に見つけて大騒ぎになったという。
凄い言葉。
「保育園、子供落ちた。日本死ね」
これはもちろん国会で取り上げられて、野党系の女性の方がこの呪いの言葉を国会で取り上げて、母達がいかに保育園の少なさを激しく憎んでいるか、恨んでいるかという。
しかし自分の子供が保育園に落ちたから、ある意味で「日本人全員死んでしまえ」という。
この母親の気持ちは怨念として「呪う」に値するホラー。
かくのごとく「Jホラー」は現役であると、マライさんはそんなふうにおっしゃっている。
武田先生も同感。
呪いは日本では現実なのではないか?
それにしても、あの日本を呪った母子は今頃、どうしているのだろう。
お子さんは中学か高校生になっておられる。
「保育園に落ちた」ということは中学いなっているぐらいかも知れないと思う水谷譲。
その間、落ちる度にあの方は呪っておられるのか。
そんなことを考えると呪いの恐ろしさについて、やはり考え込んでしまう。
武田先生のお勉強が凄いのだが、「呪いの時代」という本を読んでいた。

呪いの時代


(この本は文庫本と単行本の二種類が発行されているが、ここでの引用として紹介するページ数は全て単行本のもの)
ここ(「今朝の三枚おろし」)で取り上げたと思う水谷譲。
皆さん、「三枚おろし」を聞こう。
内田樹さんがお書きになった「呪いの時代」というのは、凄い衝撃を持って読んだ。
この方はフランス構造主義の哲学者の先生なのだから。
その先生が「日本っていうのは今や呪いの時代に入った」とおっしゃった。
ここから内田先生に乗り換える。

「呪い」の言説が際だってきたのは、1980年代半ば、ニュー・アカデミズムの切れ味のいい批評的知性が登場してきた頃からでした。この頃から「知性の冴え」がほとんど「攻撃性」と同義になり、「辛口」や「毒舌」という言葉がコラムのタイトルに頻出するようになります。(「呪いの時代」16頁)

テレビで痛快な攻撃手段としてディベートの相手をとにかく急所を突いて攻める。
相手の言葉の関節を砕くような論破の言葉遣いが知性の冴えとされた。
ネット上では相手を最も少ない言葉で効果的に深く傷つける能力が英雄視された。
これは今も変わらない。
「論破」というのは一種、大流行りのアレ。
でも内田先生はもう「1980年代から人々は論破する為に呪いの言葉を好んで用いるようになった」と。
その「呪いの時代」はすでに40年も前から始まっている。
2025年、マライさんはそのことをどこかでお感じになったのだろう。
日本の呪いは今も脈々とネット論壇で「呪怨」「呪い恨む」というマインドが強まっている、という。

呪い系の怪談が、−中略−現実の似姿なのは、−中略−理不尽なネットリンチに遭って自死に追い込まれる」事例を見ればよくわかるだろう。(52頁)

認めなければいけないのは呪いには効果がある。
しかもみんな匿名で呪いの言葉を発しているから本当に恐ろしいと思う水谷譲。
ネットリンチに於ける呪いから他国を非難する時の呪いの言葉まで含めて呪いこそ今、全世界を包んでいる、とこう考えられる。
希望のない言葉でごめんなさいね。
明日から希望を語りますから。

(番組冒頭の話からの流れで)
ちょっと今、水谷譲と世間話で愛子様の話。
愛子様のファンな武田先生。
水谷譲も大好き。
あのお嬢さんは何て感じのいいお嬢さんなのだろう。
全国の若者と会った時に、若者の一人が愛子様から「悩みとかありますか?」とか何かこう。
一人の学生さんが「自分達はボランティアで一生懸命尽くしているんだけど、意味があるんでしょうか?そいういう迷いが生じる時があります」とかと言ったら愛子様があの笑顔で「迷ってらっしゃること自体があなたの優しさではないですか?」。
学生さんが、その答えがもの凄く嬉しかったらしい。
それで思わず「超やばい」と。
何かそんな言葉を使ったらしい。
「しまった」と思ったらしい。
周りの人達も血相が変わってしまって「愛子様に向かって」みたいな。
これが何かYouTubeに上がっていて、涙ぐんでしまった武田先生。
これはちょっと話が間違っているかも知れない。
またそれはお手紙で指摘してください。

昨日言った。
「呪い」というものの恐ろしさ。
今はネットリンチ。
人を責める時とか、メディアを小バカにする時とか。
ことごとく使われる言葉が呪いの言葉。
酷い言葉がある。
「クソ官僚」という人がいた。
「クソ官僚」は無い。
それは大人の使う言葉ではない。
かくの如くネットリンチから国際情勢、「私は正しい、オマエは間違ってる」という理屈で他国を責める。
そういう支配者が今や権力者になっている。
非常に言葉遣いも含めて恐ろしいもの。
これはマライさんが書いていることではなくて、武田先生が引き寄せた言葉だが、マライさんに教えてあげたい。
日本には呪いについて凄く強力な呪い返しの術がある。
日本人の方は知っていると思うが「人を呪わば穴二つ」。
これはやはり日本人が呪いに寄せる思い。
「他者に向けた怨念、憎しみ。そういうものを人に向けると、同じ力でその力は自分にも向かってきますよ」という意味合いで「人を呪わば穴二つ」「人を呪う時は墓穴を自分の為も含めて二つ用意しなさい」。
この「呪い」というものがいかに自らを傷つけるものか。
これは日本人が世界に発信すべき言葉ではないか。
遠い昔の本だが、内田樹氏は2011年、自書でこう説く。

「呪い」は今や僕たちの社会では批評的な言葉づかいをするときの公用語になりつつあります。
「弱者」たちは救済を求めて呪いの言葉を吐き、「被害者」たちは償いを求めて呪いの言葉を吐き、「正義の人」たちは公正な社会の実現を求めて呪いの言葉を吐く。けれども、彼らはそれらの言葉が他者のみならず、おのれ自身へ向かう呪いとしても機能していることにあまりに無自覚なように思われます。
(「呪いの時代」11頁)

(本の中の傍点部はアンダーラインで表記する)
呪いを解除する。
水谷譲が誰かから恨まれる。
解除する方法がある。
内田先生。
ちょっと難しい。
これはできそうにない。

 呪いを解除する方法は祝福しかありません。(「呪いの時代」36頁)

これは難しい。
具体的にどうすればいいのか。
例えばその事実として全く見知らぬ人がYouTubeとかショート動画で激しく武田先生を憎み。
憎んでらっしゃる方がいらっしゃるようで、そういう時、武田先生の悪口も並んでいる。
それから自国民を戦場に送り出しても、兵器とお金が手に入れたいというような政治家の方も世界にはいらっしゃる。
彼等が世界に呪いをかけている。
その呪いを説く為に祝福はちょっと・・・
呪われた人が呪った人を祝福するのかと思う水谷譲。
どうすりゃいいのかと思う水谷譲。
この時にこの内田師匠がこの祝福の言葉の他に、別の言葉でこんなことを言っておられる。

多くの人が誤解していることですが、僕たちの時代にこれほど利己的で攻撃的なふるまいが増えたのは、人々が「自分をあまりに愛している」からではありません。逆です。自分を愛するということがどういうことかを忘れてしまったせいです。(「呪いの時代」36〜37頁)

凄くいい言葉。
つまり「人を呪う人」というのは自分を愛せない人。
YouTubeで匿名で人の悪口を一生懸命書き込む人は自分のことが嫌いで嫌いで仕方がない。
自分を愛せない。
自分の人生を愛せない。
これらの人達の特徴、人を呪うという人達の特徴は「自分を愛する」ということがどういうことか忘れてしまった人。
ならば我々はどうするか。

僕たちはまず「自分を愛する」というのがどういうことかを思い出すところからもう一度始めるしかないと僕は思います。(「呪いの時代」37頁)

自分を愛するということは難しいこと。
人を愛する方が遥かに簡単。
自分を許し、自分を愛する。
そうするとたちまち呪いは解ける。
呪いをかけられたら自分を愛しましょう。
水谷譲が武田先生を両手を合わせて拝んでいる。

理屈っぽい話で朝からごめんなさいね。
でも情報に溢れたこの時代、情報以外の物語を持った言葉を扱うっていうのはとても大事なことのような気がするので。

マライさんが見つけた日本語。

 ワンチャンとは−中略−「ワンチャンス」の略であり、用法としては「ワンチャンいけるっしょ」などが一般的といえる。論理的に考えれば「あわよくば」と完全互換できそうな語にも見えるが、実際の使用状況を観察すると両者には微妙かつ文化的に興味深いニュアンスの相違があり(106頁)

 言い換えれば「もし、すべてのプロセスでこちらの狙いどおりにコトが進めば」いけるっしょ、という感じだろうか。(106頁)

「行きましょうよ。ワンチャン。ワンチャン賭けましょう」
こういうふうに。
この「ワンチャン」というのは歴史的な情景としては、どこの国にもある。

たとえば、
 真珠湾奇襲作戦を検討している真っ最中の大日本帝国海軍首脳部
 が挙げられるだろう。
(106頁)

あれはワンチャンに賭けた。
帝国海軍で山本五十六という人が立てた作戦だが、隙をついて太平洋を横断し、北から回り込んでハワイの真珠湾という軍事施設をいきなり攻撃するという。
あんなことをよくやった。
これこそがワンチャン。

 また、二〇一四年のクリミア併合で「ワンチャンいけた」ことに味をしめて(109頁)

これはもうロシア。
ここにいきなり軍事力を集中してクリミア半島を取ってしまった。
これがワンチャン。
ところがこのワンチャンの難しさだが、真珠湾攻撃から始まったワンチャンに賭ける戦争はその後、四年、もう日本はこの戦争で60%焼かれてしまう。
ロシアはというと、ワンチャンに賭けてこれもいよいよ今年で四年目。
ロシアの優勢は続いているのだろうが、四年経っても終わらない戦争というのは、ロシアの方はどう思ってらっしゃるか知らないが。
最初は三カ月で終わらせるなんて言っていたと思う水谷譲。
最初のプーチンさんがアレしたのは三日(で終わらせると言っていた)。
キーウまで攻め込むのが三か月で。
「三日でカタを付ける」という。
ワンチャンに酔ったばかりに戦後、その後のチャンスの後の戦後の苦しみというのはもの凄いものだ。
そのことを忘れてはならない、ということ。
ロシアの皆さん、考えましょうよ。
北朝鮮中国がロシアを助けるとは思えない。
両国とも自腹を切ってロシアを救おうという、そういう思いは無いような気がして仕方がない。
著者マライさんは歴史上の戦争から、いくつものワンチャンの悲惨を挙げている。

第二次世界大戦終盤のドイツ軍の「ルントシュテット攻勢」(いわゆるバルジの戦い)や、日本軍の「あ号作戦」(いわゆるマリアナ沖海戦)の内情もまさにそんな感じで(110頁)

ナポレオン・ボナパルト。(111頁)

アルプスを越えてイタリアに攻め込んだイタリア侵攻。
全部その後、負けている。
ワンチャンなんてありえない。
ワンチャンに賭けたばかりに、他の戦線で敗北のつまづき。
そのつまづきが連続で大きな敗北で終わるという。
「ワンチャン」とはまさしく「ワン」であって「ツーチャン」「スリーチャン」は無いんだ、と。

これはマライさんではなくて武田先生(の考え)だが、ロシアも中国も北朝鮮もアメリカも、そういう意味ではもうとっくにワンチャンを使った国である。
では日本はでどうでしょう?
日本が持っているワンチャンを戦争の為とかそういうのではなくて、違うものに使うと日本はワンチャンの後、ツーチャン・スリーチャンを手にすることができるという。
武田先生がこんなことを言うのは、そのせいなのだが、インバウンドの人達の増加というのは何があるんだろうか?と不思議で仕方がない。
小さいことだが、朝の散歩に行った後、時々水を買うコンビニがあると思ってください。
そのコンビニが、近頃インバウンドに大ウケしている神社の近くなものだから、もうそこのお客さんの3分の1は外国の人。
もちろん東洋系の人達ははっきりしないのだが、白人のそれもヨーロッパ系の人達は何かを日本に探しに来ている。
この間も2mぐらいある大男のおじさんがいて、武田先生が水を買う為にそのコンビニに入ろうとしたら先に入った時に扉を開けて待ってくれている。
そのおじさんに、武田先生は日本人だから「あ、ありがとうございます」と言いながら頭を下げた。
そうしたらそのおじさんが同じ角度で頭を下げて「アリガトウゴザイマス」と言う。
つまり彼はバウという習慣が面白くてたまらない。
彼は一生懸命、日本から何事かを探しに来ている。
その「何事か」がまだある国という。
インバウンドもいろんなところで問題になっているが、彼らが探すもの、その中に実は日本と日本人があるのではないか?と。

一番最後に武田先生にふさわしい言葉を選んだ。
「隠居」

 いまどきの社会構造からみて、老いてもリタイア後に隠居して悠々自適に暮らすという目はもうありません。なので、体を壊さず死ぬまで働き続けるにはどうすべきかを考えましょう!(152頁)

そんなことを知り合いのサラリーマンが言っていたそうだ。
かつては人生の総まとめの期間として、マイペースでたとえ貧しくあっても、のどかに自分らしく生きる時間として「隠居」という言葉があったのだが、世界の中には、特にドイツなんかではマライさんがおっしゃっているが、優雅な隠居生活に入る方がたくさんいらっしゃるそうではある。
しかし日本では隠居が今は難しくなっている。
日本では死ぬまで労働。
その為に死ぬまで健康維持。
これが大事だという。

「どこかで体を壊し、労働できない状態になり、医療費が底をつき、誰も助けてくれない」という究極の生殺し状態に陥ることだろう。(154頁)

この隠居の言葉を扱いながら、マライさんが心配なさっているとか主張なさっているのが医療費が高騰しているので、これが高くて恐ろしいというのもあるのだが、もう一つ、技術産業構造そのものが近頃、高齢者を切り捨てる準備をしているという。
これは武田先生はわかる。
情報技術、そういうものがお年寄りを切り捨てるという。
それは例えばスマホとかパソコンとかAIとかと思う水谷譲。
もうわけがわからない。
ついていくのが精一杯な水谷譲。
コンビニに入ると最近やはり人員削減の意味合いも込めて、セルフレジとかバーコードの付いたあれでピッと当てるという。
年寄はそんなもの。
技術は年寄りなんぞを切り捨てて、どんどん進んでいく。
武田先生も思い知っているが、夏場にちょっと働き過ぎて、両肩がおかしくて。
今はもうかなり回復したのだが、四十肩みたいなのがやってきて。
「遅まき」のということかと思う水谷譲。
70半ばの四十肩でずいぶん若返ったのだが。
痛かった。
腕が上がらないというのが一か月ぐらいあって。
それから上手く歩けないというのがあって。
それから指先が力が入らない、曲がらない。
もうちょっとで回復だと思う。
これで、何て人差し指と親指を使う仕草が、動作が、生きていく中で多いのだろう。
ビニールのフタを剥がすとか、キーを差し込んで回すとか、ノブを回すとか。
それから車の運転も、人差し指が使えないと、車庫入れする時に切り返しが多くなる。
だから二回切り返したら車庫入れできるのに五回ぐらい切り返さないと。
それから切り返しのタイミングも遅れてゆくという。
マライさんがおっしゃっているのは、現代のお年寄りというのは何かというと、

隠居できず引退できず、さりとてアップデートもできない層(158頁)

そのことについて、多分マライさんは「年寄りは声を上げるべきだ」「そうしないと技術とか産業とか情報技術というのは年寄りを捨てていきますよ」という。
(コンビニで売っているような)おにぎり。
(セロファンを剥がす)手順がある。
ちゃんと1・2・3がある。
あれは上手く海苔を巻けないイギリスの女性が言った不満をコンビニが吸い上げた。
やはり企業は凄いなと思うが、その不満を聞いて「1・2・3の手順でやれば大丈夫」という。
よくできている。
そういう不満を年寄は上げるべきだ。
そのことが日本の技術を豊かにしていくんだ。
だから沈黙しちゃダメだ、という。
何かそれは凄くマライさんの励ましの言葉に武田先生は取れた。
薬にしても切れ目の入れていない袋は腹が立つぐらい開けにくい。
それと切れ目が入っているところを教えてくれるデザインをしていないとか、丁寧に色分けしていないとか。
それを探してあっちこっち・・・
やはり老眼で見えないのはメッチャ腹が立つ。
細かい字はもう難しくなっているのでわかる水谷譲。
マライさんがおっしゃっている、そんなことを絶対に沈黙しないで「おたくの商品ではそれはできません」と声を上げないと産業や技術は間違った方角に行きますよ。
スマートホンで燃え出すヤツ。
「バッテリーのリチウム電池が発火して」ということだと思う水谷譲。
そんなものを売ってはいけない。
あれはそのメーカーにもよると思う水谷譲。
でも火を噴く。
「目を離さないでください」と、そんなバカな道具が世界中どこにある。
リチウム電池。

と、言うワケでお届けしたという今回だが、マライさんが非常に高尚な文章でなかなか手強い本だったのだが、武田先生なりにということでやってみた。
間違ったところがあったらマライさん勘弁ね。


2025年11月3〜14日◆日本語再定義(前編)

ちょっと難しい六文字が並んでいるが「日本語再定義」。

日本語再定義


日本語、それをもう一回定義し直そう、と。
これは最近読んだ本の中で、ごめんなさいね、著者の方。
難度が高い。
書いてらっしゃる方がテレビで時々見かける異国の娘さん。
ドイツ・キール出身。
ヨーロッパの方で、マライ・メントラインさん。
2008年より日本在住。
ドイツらしく硬めの方で、おチャラけないという。
この方が翻訳とか書評とかエッセーもなさる頭のいいドイツの方で、物腰が実に柔らかなのだが、この方の日本の見方というのが非常に知的なインテリジェンス溢れる日本の見方で。
「アニメが好き」とか「日本文化ステキ」とかインバウンドの方が玄関先でおっしゃるようなご機嫌取りのご挨拶一切なしで。
この方が「日本人が使っている言葉って定義できない」という。
この方の理屈は何かと言うと、日本語の一語一語を取り上げつつ、カント、ニーチェ、ヘーゲル。
そういうドイツの哲学者がドイツ哲学で日本の一言を「腑分けする」というか「解剖する」というような。
そんなタッチで。
これは、非常に分かりにくくて唸るのだが「なるほど、ドイツの人はここにそういう不思議を感じるんだ」という。

まずはマライさんの現代用語に対する観察眼の透徹した論理の鋭さ。
「透徹した」たなんていう、難しい。
透徹した論理の鋭さを体験していただきたい。
まず「まえがき」でマライさんはこんなことをおっしゃっている。
これはちょっと意味深でわかり難いかも知れないが、でも噛みしめましょうね。
ドイツの方からの指摘。

その言葉の真意を定義することなく使いこなしてしまう瞬間の多さというものがある。−中略−そこで展開されるコミュニケーション上の蓋然性という面ではさしたる問題がないという点だ。つまり、実は「理解」ではなく誤解どうしが上手く噛み合っているだけなのかもしれない。(7頁)

なぜそんなことが日本語では可能なのだろうか?
ところが彼女曰く、「理解ではなく誤解しあったまんま理解し合う」という日本語独特の言葉遣いがある。
(番組では「日本語独特の」ということで説明しているが、本には「母国語にしろそうでないにしろ」とある)
日本語の本性については実に外国人にわかり難く、日本語の言葉の奥にもう一つ日本人だけがこっそり開ける「開かずの間」があるという。
それが日本語という言葉で。
でも水谷譲がいうとおり、具体例から入った方がいい。
多分、自分も知らず知らずにそういう誤解の言葉を使い合っているのではないかと思う水谷譲。
もう用例を出す。

「外タレ」とは「外国人タレント」の略称であるが(12頁)

 私が初めて外タレという概念的実在を目にしたのは、−中略−「ここがヘンだよ日本人」というテレビ番組だった。(13頁)

 九〇年代末期、姫路に留学する高校生として「ここがヘンだよ日本人」をホストファミリーと一緒に見ながら、私は「これがいまどき日本で成功するということなのか?(14頁)

この外国人タレントの「外タレ」という意味も時代と共に変遷している。
だからこのマライさんがおっしゃるのはいわゆるタレントとして成功している。
一番の外タレの成功者はデーブ・スペクターさん。

たとえば「お雇い外国人」になる。文明開化の音がする。(14頁)

西洋から文明を取り入れる為に日本人はもの凄い高額のお金を出して、西洋の学者さんを日本に招聘する。
あの人もそう。
小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)。
あの人は英語教師で松江に来た。
それからナウマンゾウの発見者であるドイツ人地質学者。
(エドムント)ナウマンさん。
ああいう人達も高額で雇われた外国人教師。
つまり「お雇い外国人」という「外国人タレント」だった。
まあ野球では「助っ人」という外国人タレントがいたりするのだが。
彼等は初期の方は目の飛び出るほど高額で雇われたのだが、日本の突出した個性で「知識が足りない時はお金を出して先生に来てもらう」という。
これは珍しい。
これは非常に尖った言葉になって申し訳ないが、お金を出してまで外国の方を教師として招きたがるというのは日本人ぐらい。
そういう外国の知識が欲しい時は、他の外国の人はどうしたか?
自分が外国に行くとかではないかと思う水谷譲。
日本の場合、遣唐使とか遣隋使がいるが。
異国の知識を知りたい場合、外国の人はどうしたかというと、さらってくる。
日本人は平安の頃から、お坊さんに来てもらうために船まで用意して高額のお金を、という。

マライ・メントラインさん。
テレビなんかでコメントをおっしゃっているのも慎重で。
それからむやみにウケようとなさらないというクールさが大好きだったのだが、この人は相当頭がいい。
文章が難しい。
批判ではない。
マライさんの個性だと思うのだが、一直線に答えに持っていかないという思考法が見事だなと思う。

たった一語だが、「外タレ」という一言、この中に込められた日本人の微妙な日本語の定義。
明治の初め、いわゆる「お雇い外国人」ということで日本人を教育する為にヨーロッパ世界から招かれた先生達がいた。
そういう長い長い歴史があったり。
それで最初に外国人の先生たちに対して日本国政府は糸目も付けないほどの高額なお金を払ったという。
それがズバッと真ん中を抜いてマライさんたちの時代になるとタレントとしてやってくる。
マイケル・ジャクソンとかそういう人達も「外タレ」。
手の届かない国際的な人気者のこと。
ところがテレビに出てくる「外タレ」というのはマライさんもはっきりおっしゃっているが、グッとお値段が安くなって。
それで、かぶらなければならないキャラが用意してある。

「日本スゴイ系」と呼ばれる(18頁)

これが喜ばれるという。
「ワタシ驚キマシタ。日本スバラシイ文化デス」とか、そういう人達。
或いは日本的知識に熟知している才能。
これが求められるという。
彼女はテレビで、或いはラジオで鍛えられたのだろう。

現場で求められるのは単なる実力以上に「ガイジンらしさ」と「ガイジンらしからぬ愛嬌」であり−中略−外タレが一種の「種族」として成功を収めることが出来た最大の要因は「日本人のニーズに合ったガイジン像を演じる」能力とコツのつかみ方の的確さなのだ。(19〜20頁)

なかなか手厳しい。
絶妙な難しいところを突いていると思う水谷譲。
なにせ、生まれとしては武田先生は1949年生まれで、彼女は1983年生まれだから。
だから言葉に関しても彼女の指摘はある意味勉強になるという。
武田先生の残りの人生はこれを研究しようかなと思うのは、「日本とは何か?」「日本人とは何者なんだ?」という。
政治の話は全然ダメな武田先生。
センスが無いし知らないから。
だが、「ジャパニーズ・ファースト」と言うと「ジャパニーズ」の定義が難しい。
「日本人ファースト」でもいいが、「都民ファースト」とは何か?
「東京都民優先」だと思う水谷譲。
ということは、短めにいうと東京都民で都税を払っている人のこと。
「ジャパニーズ・ファースト」と言うと「都民ファースト」と同じように「税金を払っている人」といえば「税金を払えない人」もいる。
その人もまた日本人。
では「何を以て日本人と言うのか」というのを言うべき。
それは何か?
必死になって考えている武田先生。
武田先生は「卵かけご飯」だと思う。
時々見事だと思う人がいる。
生卵をご飯にかけて混ぜるのだが、醤油を一回しか使わない。
それで見事に卵かけご飯にする。
どこかがベチャベチャしていたり、かけ残ったところがあるとかそういうのではない。
一発でできる人。
武田先生はその時、その人に向かって「この人は日本人だ!」と思う。
それから、旅行に行った先の真っ暗い露天風呂でカミソリで髭を剃っている爺さん。
そういう日本人しかできない小技を持っている人。
それは日本人しかできない小技なのかと思う水谷譲。
それは太宰治のエッセーの中にあって、武田先生は凄く感動した。
それは太宰治が旅先の旅館で刃物の刃でヒゲを剃っている爺さんを見て「この爺さんは凄い」と感動する。
「光を求めない」という。
「闇の中でできる」という、このことの為にこの爺さんは一体何回ヒゲを剃ったんだろう?という。
「そういう日本人しかできない技」を持っている人のことを「日本人」と言うのではないか?

余計なことだが、武田先生は彼女の「日本語(再)定義」を読みながらしみじみ思ったのだが、例えば豆腐という食べ物がある。
豆腐という食べ物をザルで買うと、家に持って帰っている間、水が滴り落ちる。
でもあの水の滴りの中にも豆腐の旨みがあるとすれば、それは味を逃しているのではないか?
では豆腐を買う時は日本人はどうするかというと、ボウルの中に水を湛えて水ごと豆腐を買う。
「これが日本人だ」という。
(本に書いてあるのではなく)武田先生が思いついた。
つまりそうやって「滴り落ちる水すらも味だ」というそのこだわりこそがジャパニーズじゃないかと思った時に、ここに守るべき日本と日本人がいるという。
そういう意味でマライさんのドイツから見た日本語の挑戦というのは、やはりボウルごと日本語をそこに入れて味わおうという思考で。
この解釈は見事(自画自賛)。

マライ・メントラインさん。
素敵な本当にドイツ人らしいお嬢さんが、この方がお書きになった本で「日本語再定義」小学館から出ている。
はっきり言う。
マライさん、あなたの文章は難しい。
マライさんが挙げられた言葉を読んでいるのだが、武田先生の読み方が正しいかどうかわからない。
マライさんは「違う」とおっしゃるかも知れないので、そのへんはもうどうぞマライさん勘弁してくださいね。
ただ、時々ハッとする面白い言い方がある。
こういうアンチテーゼをバン!と出されるところがマライさんの面白さ。

日本人がしばしば誇らしげに使う

「日本には、四季があります!!」(66頁)

別に普通の言葉だと思う水谷譲。
それが日本人。
これは国際的に間違った表現。
日本には四季があると思う水谷譲。
四季はどこでもある。
ハワイにだってインドネシアにだって雨季と乾季の間のそれぞれの中間で分けようと思えば四つの季節は必ずできる。
分けようと思えばあるが、日本ほど鮮やかではないと思う水谷譲。
鮮やかな四季が他にあったらどうするのか?
四季は「日本だけの」ではない。
自然現象。
それを「自分とこだけ」みたいな言い方をする。
「四季は日本の資源ではない」とマライさんはおっしゃっている。

地球の自転・公転をベースにした「地上のだいたいのポイントには国を問わず四季という現象が発生せざるを得ないんです」という(71頁)

それを日本人は自分のところだけフォーシーズンがあるみたいな言い方で。
観光ポスターにデッカく「日本には四季がある」。
どこでもあるんだよ、そんなもんは!
日本の四季は美しいと思う水谷譲。
「日本の四季は美しい」というこの思い込み。
思い込みではなく事実だと思う水谷譲。
インドネシアの四季だってあるかも知れない。
確かに海外の四季についてはちょっとわからないと思う水谷譲。
分からないくせに自慢げに「日本には四季がある」。
日本人は何でこんなものの言い方をするのか?
表現としてマライさんは本の中で「間違ってる」とおっしゃる。
今、ちょっと気づいたが、ホテルで「フォーシンズンズホテル」というのがあるが、ということはもう世界的に「フォーシーズン」がある、「四つの季節」があるということだと思う水谷譲。
そういうこと。

もう一つ、マライさんが引っかかって「なるほど」と思った言葉。

「日本人はおもてなしの心を持っているので」−中略−が頻出して、そのたび「他の国の人にはおもてなしの心がないみたいですがそんなことはありませんね」(66〜67頁)

日本は特にある、過剰にあるぐらいあると思う水谷譲。
これもマライさんはもの凄い疑問を持っておられて、おもてなし・ホスピタリティというのはどこにでもある。
日本は「お・も・て・な・し」なのだからと思う水谷譲。
この言い方。
それはやはり他国から見ると「オメェんとこだけじゃ無ぇ。こっちだってやってるよ」と。
ニューヨークの一流ホテルとか、おもてなしは凄いらしい。
なんでこんな日本人は、世界共通するものが「日本にしか無い」と言いたがるんだろう?という。
そう考えてドイツの人から指摘されれば、その通りではないか?
ところが日本人のこの言葉、間違った言葉の使い方の裏側に、もう一つ日本人の深慮遠謀、難しい言葉遣いになるが深き企みがあるという。
言葉としては間違っている。
「日本には四季がある」
それは「うちもあるよ」という人が何か国もある。
「じゃあみんな言えばいい」と思う水谷譲。
それは言わない。
日本人は実はこの間違った言い方の向こう側にもう一つ構えていることがある。
これが日本語の「開かずの間」。
「日本には四季がある」の裏側に隠されている言葉がある。

「日本には、四季を活かした魅力的な生活文化があります。(74頁)

フォーシーズンで生き方を変える。
冬の生き方と夏の生き方は生き方が違う。
「自分達はシーズンによって生き方を変えます」という言葉をもの凄く間違って「日本には四季がある」という言い方をするという。
それからもう一つ「おもてなし」。
これは世界に共通する「おもてなし」のジャンルに入っていないものを「おもてなし」にしてしまうという。
(例えば)京都の旅館に泊まったイギリス人がひっくり返る。
膳が運ばれてきて最初の先付を食べ終わって「一本目のお銚子が空いたな〜」と思ったら二品目が入ってくる。
その時に彼はあまりにも続く偶然に「どこかでキャメラが私を見てる」と。
「おもてなし」にいろんなホスピタリティがあるのだが、日本人は客と呼吸を合わせる。
食べ終わった時に次の料理を持ってくる。
「一本お銚子が空いたら二本目を持ってくる」という心遣いのことをホスピタリティの「おもてなし」のジャンルの中に入れている。
それを女将のカンでやる。
そのカンのことを日本人は「独特のおもてなしでしょう」というので「日本にはおもてなしがある」という。
だが、これがなかったら絶対に怒る。
「手ぇ叩いても来ないじゃない!ここ。電話電話!」「すいませ〜ん!」とかと。
つまりそういう独特の言葉の使い方によって日本を更に印象付けようとするという。

最近聞いた若者言葉の中に出てきた言葉。
「萌え」

 【草木が芽を出す。芽ぐむ】[俗に、ある物や人に対し、一方的で強い愛着心・情熱・欲望などの気持ちをもつ](76頁)

この「萌え」というこの言葉の中にいろんな意味が流れ込んでいる、という。
意味についての確かな定義は無く、対象に対して抱く様々な感情を表す「萌え」。
マライさんはこの「萌え」の一語について何を意味しているのか?
「萌え」というのは定義としてこういう意味である。
それが各個人によって違って共有されていない、という。

解の共有が不十分な暗号化でもある。(77頁)

だから武田先生のような70半ばの人間が「いやもう、俺、あれに関しては『萌え』」とかと言うと若い人が「違うよ。そういう意味の『萌え』じゃ無ぇや」と。
つまり人から「違う違う」という激しい指摘を受ける言葉である。
というのは、定義が一定ではない。
各個人によって違うという。
「萌え」の開かずの間に意味が隠してある。
これはマライさんの指摘だが、少女的なものに向けられる性的欲求。
もう一つ条件がある。
性的欲求の「寸止め」。
オタクカルチャーからの感情が主旋律であるともいうという。

「幼女・少女的なものに向けられる性的欲求の寸止め」から抽出されるサムシングの上澄みを精製した感情が「萌え」なのだ!(79頁)

欲望の寸止め。
この寸止めが利かなくなったら野獣と同じ。
言い得て妙だと思う水谷譲。

「萌える」心的メカニズムの根源にあるのはこの騎士道精神的な何かだ、というのがしっくりくる。つまり、何らかの障壁の存在とそれを躱す欺瞞性が、むしろ情動をターボ加速するという面が重要であり(80頁)

恋する異性がいても「好きだ」と言わないということによって内側にある自分の性的欲求、それをタブーで止めることによってターボ、より一層情熱を上げてしまう。

セクシャル情動的なタブー感情と神聖っぽい何かの衝突、およびその自覚の衝撃である。(82頁)

深い。
だから「萌え」というのは、欲望に突っ走ることではない。
それを抑えることによって更に次元の高いものにしていくという。
こういうものが日本のいわゆるアニメ文化の中に流れ込んで

仮想アイドルの先駆けにして完成系ともいわれる初音ミク(85頁)

萌えフィギュアや萌えグッズを依代とする自分の内的な価値体系や精神性には、凡人には窺い知れぬ素晴らしい意味があるという確信が求められる。(82頁)

この領域ではいわゆる性的関係を結ぶ以上に、相手を愛でるという行為が、至上の心的・魂的表現として描かれていることが大きなポイントだ。(82頁)

日本人は感性の新造語をどんどん作る。
例えば「あはれ」。
不思議な感情。
それは威勢がいいことでも美しいことでも無い。
これは平安の頃にもたされて、個人の好みの状況を「いとあはれ」と紫式部が言ったという。
ところがこれが鎌倉時代になると真ん中に小さい「つ」を入れて「あっぱれ」。
これは武士だけの専門用語で、「見事」という意味ではない。
敵将がいて、それが負けるのだが「懸命に最後まで戦った」というのを勝利者の側の武将が「あっぱれ!」と言うという。
そういう敗北の美的な意味合いでも「あっぱれ」は使えるという。
こういう「あはれ」とか「あっぱれ」の独特の感性を日本人は新造語、新しい造語として使いたがる。
それが「萌え」になっているのではないか?
そして水谷譲が言っていた「エモい」。

「エモい」とは、ただ単に嬉しい・悲しいという気持ちだけではなく、寂しい・懐かしい・切ないという気持ちや感傷的・哀愁的・郷愁的などしみじみする状態も含んでいます。形容しがたいさまざまな身上を表現する便利な言葉として「エモい」は使われているのですね。(136〜137頁)

「エモい」というのは「エモーショナル」ということなのだろう。
これも武田先生は「エモい」なんて初めて知った。

基本的には古語「あはれ」と大きく重なるが、−中略−何かプラスアルファ的な要素を感じた/相手に伝えたい場合に用いる表現で、そこには暗号めいたニュアンスが含まれることもある。(137頁)

部外者を内に入れない対話者との関係によって業界界隈に応じたニュアンス表現であるという。
つまり定義も各個人でズレているのだが、「俺はあれがスゲぇエモいんだよ」という「俺はこっちのエモいだ」なんていう、お互いに共通の言葉ではなくて違う意味合いで「エモい」を使い合う。
一種、他者との感情や感銘の共有ではなく

他者との分断ポイントを敢えて不明確にすることでポジティブなコミュニケーションを成立させやすい、という効用があり(140頁)

「オマエもエモいって感じんの?あ、いや、俺もあれはね、前からエモいって思ってたんだ」というような、違いながらも結びついているという。
このへん、日本語というのは非常に微妙なことを相手に伝えようとする言霊、言葉。
マライさんの指摘は驚き。
彼女にとっては「あはれ」をもの凄く難しく難度を上げた言葉のように感じられた。
その「あはれ」から「エモい」という新造語を生み続ける日本という国の言語空間の不思議さ。

武田先生はこれが一番びっくりした。
これはそんなふうに読んでもいいと思うが。
マライさんはこんなことを言っている。
自分のドイツ語の世界と比べて。
ドイツでは「萌え」「エモい」を何というかと考えると、ない。

「何も言わない」のだ。(142頁)

 一意に説明可能なもののみが言語化され、言語的に定義可能なもののみが存在する。(142頁)

これはもの凄く面白いこと。
つまり武田先生と水谷譲が同じ思いで見つめることが無いもの。
それはドイツ語では言葉にしない。
ではいわゆる若者言葉とかは無いのかと思う水谷譲。
おそらく無いのだろう。
マライさんがおっしゃっているのは、あの文豪ゲーテやシラーに向かって話す言葉こそがドイツ語であって、ゲーテやシラーと話しても通じるのはドイツ語。
ところが日本はこの「エモい」とか「キモい」とか「萌え」とか信長とか土方歳三に向かって使ったら叩き斬られてしまう。
それぐらい現代語の中にニュアンスを含む新造語が多い。
ではドイツではどうかというと、意味を伝えない言葉というのはドイツではあってはならない。
観念的に存在しない言葉、それはドイツ語では言葉にはなりえない。
この指摘は面白い。
そしてマライさんの可愛らしいところだが、これはそういうふうに読んでいいと思うが、そう考えると「ちょっとドイツ語って寂しい」という。
前に言っていた。
日本語を一生懸命学んでいる外国人の若い子に向かって国語の先生が「『超』とか『ヤバい』だけは絶対使うなよ。そういうのを使っていると日本語の語彙数が減るから」という。
2025年9月22日〜10月3日◆日本語教師、外国人に日本語を学ぶで紹介している話)

日本語教師、外国人に日本語を学ぶ (小学館新書 487)


でも「超」と「ヤバい」を知っているといろんな表現ができる。
特に「ヤバい」はヤバいと思う水谷譲。
それを彼女が瞬間的に、本能的に、とっても美味しいショートケーキか何かに当たった時に思わず「超ヤバい」と言ってしまうという。
直訳すると非常に危険な言葉なのだが、それを「ファンタスティック」と同じ意味で使うという。
日本語はそういう意味ではもの凄くトリッキー。
前に話した。
「適当にやっとけ」も。
「適当」というのも「本当に適時にやること」と「手を抜くこと」という、相反する意味を平気で使う。
「いい加減」もそう。
それから全く反対の意味になるのだが、「あの人の悪口を言うものはいない」。
この人は凄くいい人が凄く悪い人。
そんなふうにして文脈を読み間違えると逆の意味になるという。
この間、NHKのアナウンサーさんで嘆いておられる方があって「ああ、この人にもこういう悩みがあるんだな。ラジオって面白いな」と思って、思わず聞いてしまった言葉。
経済情報を知らせた後「ごきぶりの回復です」。
「日本経済の方ではアンケートを取りますと五期ぶりの回復です」
短い音楽を挟んで虫の話。
そうしたら喋り手の人が「私はびっくりしたよ。NHKのニュースで『ゴキブリの回復』を伝えるような状況なのかと思って」という。
日本語では「ごきぶりの回復」というのは全く別のもの、「中小企業の人がゆっくり景気よくなる」のと、「出川さんみたいなのがヒクヒクヒクと真っ白になって死んでいくような姿」というのが二つ、パッと浮かぶという。

というワケで「日本語再定義」。
これが皆さん、意外と深い。
来週もまた、このネタでお届けしたいというふうに思う。


2026年03月12日

2026年2月9〜20日◆ストレンジャー・シングス(後編)

これの続きです。

「日本語の成り立ち」みたいなことを語ろうかなと思う。
Netflixで大評判のドラマ「ストレンジャー・シングス(未知の世界)」と何の関係があるか?
つまり身近なところに「もの凄い異世界」「違う世界」が広がっているということ。
日本語を今、扱っているが、天平の世、奈良時代に文字として漢字が入って来た。
その漢字に対して日本人はどうふるまったか?
日本人はこの漢字を日本人独特の使い方で使おうとしたワケで。
菅原道真。
この人がおっしゃった言葉が「和魂漢才」。

「和魂漢才」=「漢文はあくまで実用、心はやまと」(117頁)

漢字を読み下す為の機構、仮名を低く見た。
ところが平安の世になると平仮名・片仮名として発展して、女流文学が立ち興る。
文学というのは女の人が始めた。

 男性官人が漢文(和化漢文を多く含む)で書く日記は、基本的に公式な儀式を中心に記述する備忘録的なものである。(171頁)

日記に書く言葉は「やまと言葉」の平仮名・片仮名で綴るという。
日本人は裏・表を持ったワケ。
中国との関係だが中国から勉強するところと、全く取り入れないところがある。
中国が始めた文明制度、一つは科挙、もう一つが宦官。
皇帝の意向に沿う頭のいい人を試験で選ぶ。
もう一つが皇帝のおそば近くに仕える官僚。
性器を切り落として、女官達に手が出せない体にして、そばに置いた。
それから中国皇帝の立場というのはもう本当に凄くて。
だが日本というのは中国皇帝の真似をしなかった。
源氏物語の中に登場する帝というのは恋愛ゲームをやっている。
それと肉体を傷つけてまで官僚にするという制度は無かった。
日本はそういう意味では中国から見ると凄く変わっている。
漢字を学んでもそうで、「やまと心」と称して、自分達の読みで作ってしまう。
それから日本は教養の一部では「和歌を上手いこと作る人が頭がいい人」という。
それで万葉集から続いて「古今和歌集」がある。
これの選者に選ばれたりすると「凄い人だ」ということになったりするのだが。
その選者に選ばれた人の中で紀貫之という人がいた。
京都の朝廷で「女の人が平仮名で日記を書く」というのが大流行しているので、この人は女性のふりをして日記を書く。

〈男もすなる日記といふものを、女もしてみむとてするなり〉(170頁)

これはジェンダーフリー。
ガタガタ西洋から学ばなくても、日本はジェンダーフリー。
自分を女性に例えて文学を興すという。
これはもう太宰治がやっている。
「斜陽」とか「女生徒」とか。

斜陽 太宰治集 (古典名作文庫)


それから川上宗薫の官能小説。

官能文学電子選集 川上宗薫『肌狩り 好色のカレンダー』


これもそう。
これは素晴らしいもの。
川上宗薫という男性の作家さんが、うら若き乙女になって男性と性を交えるシーンを描くのだが。
これは凄い。
官能。
その官能の主軸になったのが男性。
だから男性でありながら女性の肉体をも含めてそのことが書けるというのは才能。
それから文春。
お馴染みの文春砲・スキャンダル。

藤原兼家(藤原道長の父)の側室のひとりが「平仮名」日記を綴りはじめた。次々に夫が関係を持つ他の妻妾に気をもみ、正妻にライバル意識を抱き、−中略−みずからの胸中に沸きあがるさまざまな想い、−中略−多くの和歌とともに書き連ねる。−中略−この『蜻蛉日記』は(174〜175頁)

〈この時のところに子産むべきほどになりて、よきかたえらびて、ひとつ車にはひ乗りて(175頁)

という感じで、事細かに本妻に対する嫉妬心を。
そして「蜻蛉日記」あたりくらいからいわゆる朝廷との恋スキャンダルで「源氏物語」というのが出てくるワケで。
まあ、不思議なもので、こんなふうにして「やまと言葉」で綴って、漢字をあまり使わないという文章の書き方が日本語の国語のスタイルとして定着していく。

さて、日本語の起源なのだが、この先生は調べておられて。

「日本語のルーツは、南インドのタミル語である」(64頁)

日本語の系統学説は、−中略−(台湾から東南アジア島嶼部、南太平洋の島々などの言葉)に日本祖語を求める説など、実にさまざまである。(64頁)

現代の日本語と同様に、古代の日本列島で使われていた言葉は、中国語とは異なる系統の言語だったということである。−中略−名詞や動詞といった、単独で意味をなす自立語にくっついて多様な働きをする助詞・助動詞=付属語がたくさんあるために「膠着語」と呼ばれる日本語に対して、中国語はその種の付属語に該当する言葉が非常に少ないため−中略−中国語を書きあらわす手段である漢字は、音と意味を同時に表現する、すなわち一字で一語となる「表語文字」なのである。ラテン文字(日本で言ういわゆるアルファベット)やアラビア文字のように、一文字が音素や音節をあらわす機能のみの「表音文字」とは異なっていて(65頁)

日本語は表記である漢字と音素である仮名を繋ぎ合わせる文法。
自分で何を言っているのかわからないが。
でもとにかく独特。
だから世界性を持ちえない。
漢字は持つ。
やはり英語と同じ文法だから。
その為に志賀直哉とか、維新後には薩摩のお侍さんだが森有礼あたりが「国語をフランス語にしよう」とか「英語にした方がよい」とか「日本語を捨てよう捨てよう」と大きい声を出すのだが、なんだかだ言いながらこんなふうな日本語で繋いできていて。

〈日本人は外国に出ると、日本語を捨てる方向に進むことが多い〉という印象を強く持つに至ったのである。(30〜31頁)

これはハッとする。
その傾向をこの方はずいぶん調べてらっしゃって

『比較日本人論 日本とハワイの調査から』−中略−〈日本語は外国語と接すると、外国語の方にのまれてしまって、急速に薄れる性質があるようである。(31頁)

比較日本人論―日本とハワイの調査から (1973年) (中公新書)


調査の内容は、〈「読むこと」「書くこと」「話すこと」「数えること」「考えること」の五つの能力分野で〉(32頁)

その失われ方は「書くこと」がまず失われ、その後だいたい二年半で現地語が全般的に優勢になり、日本語を話したり読んだりする力も失われる、という流れだ。この失われる順序は、まちがいなく日本語が漢字と仮名の融合体であることに由来している。(347〜348頁)

これは事実としてある。
これは「日本語に欠陥があるから」と一部の学者さんはそう言っていた。
でも最近の研究で「そうではないんじゃないか」という説は、もったいぶるがもうちょっと後。
とにかく「仮名」が発展することで「口語文」喋る言葉というのが日本語を国語にしていくワケで。

新しい漢字「口語」群の浸透に関して、−中略−いっそう強く影響を与えたのではないかと考えられるメディアがあったと私は思っている。それは、歌謡だ。より正確に言うなら、『梁塵秘抄』に収められたような「今様」=流行歌である。『梁塵秘抄』は、源頼朝に「日本一の大天狗」と呼ばれたと伝わる、かの後白河法皇が編纂した歌謡集だ。もともとは本編と口伝集を合わせ二十巻を超える大著だったようだが(195頁)

今はあまり数が残っていないのだが、鎌倉の世の中で流行った、様々な歌。
ポピュラーソングもあるのだが、ちょっといやらしい歌もちゃんと。
これが桑田さんに繋がっていく。
歌の内容は宗教ソング

和讃は、−中略−キリスト教になぞらえるなら讃美歌であり(197頁)

「今様」=後白河の時代に近い時期に流行った歌や(197)

これが後白河法皇の「梁塵秘抄」に記録してあるそうだ。

世俗歌謡を集めた「雑」の項にある次の歌だろう。(200頁)

(番組では「雑」を「ざつ」と言っているが、本によると「ぞう」)

〈遊びをせんとや生まれけむ、戯れせんとや生まれけん、遊ぶ子どもの声聞けば、我が身さへこそ揺がるれ、〉

「遊びをしようとこの世にうまれてきたのだろうか。戯れようとこの世にうまれてきたのだろうか。子どもたちが遊んでいるその声を聞けば、私のからだもネ、自然と動いてしまうよ」というのが、一番素直な解釈だ。もうひとつ、「遊び」「戯れ」を「遊び女」「戯れ女」、すなわち遊女の方角で解釈し、人間の「性」と業の哀しみを歌ったという考えもある。
(200頁)

この「雑」というこの章そのものがもうはっきり言って「エロ歌」。
一部紹介する。
朝から何だが。

王子の御前の笹草は 駒は食めどもなほ茂し
主は来ねども夜殿には 床の間ぞなき若ければ
(「梁塵秘抄」雑362)

現代語訳「私のアソコに茂る草。お馬が食べてもすぐ生えて、あなた来なくてもすぐに食べたがる人、来るもん。だって私若いから」
凄い歌だと思う水谷譲。
そういう歌。
ストレートなもの。

恋ひ恋ひて たまさかに逢ひて寝たる夜の夢は
いかが見る さしさしきしと抱くとこそ見れ
(「梁塵秘抄」雑460)

(番組では「さしさしきし」を「ぎしぎしぎし」と言っていて、解釈もそれに従った内容になっている)
これは「きしむベッドの上で♪」。
尾崎豊の世界だと思う水谷譲。
この時はベッドではないのだがギシギシギシとお布団が鳴っている。
これは「あなた恋しくてやっと会えた夜の夢。夢の中でもアタシ達、きしむ程やっちゃって」という。
色っぽい歌だと思う水谷譲。
その時に「これは春歌であり猥歌である」と。
それで桑田さんは凄く頭がいい人だから、あの人はサザンとかKUWATA BANDの歌はこの「梁塵秘抄」から取っているのではないか?と思うのだが。

「マンピーのG★SPOT」の歌詞など(416頁)

歌のタイトルだから。
(ここで本放送では「マンピーのG★SPOT」が流れる)



桑田さんのルーツは鎌倉時代、後白河法皇の今様にあるのではないだろうか?
桑田さんが切り開こうとしたロックのジャンルというのは、鎌倉時代の今様の歌にそっくり。
何か繋がるのがわかる水谷譲。
桑田さんの歌で「女呼んでもんで抱いていい気持ち」(「女呼んでブギ」)というのがあると思う水谷譲。
これは「梁塵秘抄」。
そしてもう一つ桑田さんの歌は「古今和歌集」の在原業平の一首にも似ている。

(ここで本放送では「スキップ・ビート」が流れる)



桑田さんは「Skipped beat」と歌ってらっしゃるのだが私共の耳には「すけべーすけべーすけべー」と聞こえる。
これ。
こういう同じようなことをもう既に「古今和歌集」の中にあるんだ、と。
その言葉が違う言葉に響くというような。
それを取り上げたのが在原業平。
古今和歌集の歌で

〈唐衣きつつなれにしつましあればはるばるきぬる旅をしぞ思ふ〉(在原業平『新編 日本古典文学全集11 古今和歌集』(363頁

「唐衣」は、中国風の衣の意が転じて「美しい衣」をさす。〈唐衣きつつ〉=「唐衣をながらく着て」が〈なれ〉=「馴れ」の序詞をなし、そして〈なれ〉は「衣が萎れる(くたくたになる)」と「馴れる(親しくなる)」、〈つま〉は「衣の褄(左右の裾の両端)」と「妻」、〈はるばる〉は「着物を張る(洗い張りをする)」と「はるかに」、〈きぬる〉は〈つま〉〈はる〉〈きぬる〉が、すべて〈唐衣〉に関わりのある縁語だという点だ。こうして「着古してくたくたになった衣」と「古く馴染んだ妻」のイメージは重なり合い(363〜364頁)

(〈きぬる〉は)一つ、繊維の「絹」もかかっている。
「来た」という意味で「絹」もかかるワケで「妻にも寂しい思いをさせている。あ〜あ〜もうこんな遠くまで来ちゃって、アイツも寂しがってるだろうな」という。
こういうふうにしていくつも言葉を引っかけていく。
言葉の「ゆらぎ」。
ダジャレというのはこういうこと。
重なる言葉がある。
その重ね言葉を遊ぶワケだが。
こういう「言葉遊びの妙」というのが実は日本語の本質の中にあって、この業平が歌った歌のような歌がサザンの桑田さんの歌ではないだろうか?
凄い分析だと思う水谷譲。
だから文脈から意味を決定していくのだが、そこには「重なる言葉がいっぱいある」という日本語の仕掛けそのものを楽しむという。
「日本語って、そんなふうにして広がってきたんですよ」という。
このへんは面白い。
ではサザンの前にはそういう歌は無かったのかと思う水谷譲。
フォークソングは、どちらかというと啄木系だったり

「はたらけどはたらけど猶わが生活楽にならざり(石川啄木「一握の砂」)

一握の砂・悲しき玩具―石川啄木歌集―(新潮文庫)


とかと、ちょっと遊び心が少ない、ストレート表現
北原白秋

薔薇ノ木ニ
薔薇ノ花サク
ナニゴトノ不思議ナケレド。
(北原白秋「薔薇二曲」)

白金之独楽: 詩集 (温古堂文庫)


だが、江戸期

浅間さん なぜそのやうにやけなんす いわふいわふがつもりつもりて(四方赤良)

浅間山が噴火した時に戯れ歌で「ヤキモチ焼いちゃ嫌よ浅間さん」というような、狂歌があった。
狂歌なんていうのは、まさしくそう。
そんなふうにして、いつも遊びがある。
「歌は遊ぶものである」という。
その発見が桑田さん。
「たかが歌詞じゃ無ぇか」(桑田氏の著書「ただの歌詩じゃねえか、こんなもん」を指していると思われる)というのの中に「日本人が日本語を遊ばないでどうするんだ?」という。
「国語」というのが明治まで無かった。
武士言葉で殿に申し上げる言葉はパターンが決まっていて、表現が自在ではない。
「〜しそうろうつかまつり」という、言葉が全部定型で決まっていた。
自在に使えない。
明治になって作らなくてはいけなかった。
国語を作るのは大変。
やってしまう。
明治になって日本人は日本語を作る。

維新後に、旗本や御家人の言葉を主体とする江戸の山の手言葉を、「共通語」としてあわてて整備した(40〜41頁)

そこから書き文句と喋り言葉を一致させようという「言文一致」という文学運動。

日本語の面白さ。
とにかく日本という国、近代になって初めて「国語」というものを作った。
日本の言葉「やまと言葉」というのは異国の文字を使いながら自分達の意味で解いてゆくという。
日本人は営々とそういうことを続けてきたワケで。
元々の文字の意味など正確でなくてもよく「ゆるさ」「ゆらぎ」がある。
日本人が国語に求めたのは、その「ゆるさ」と「ゆらぎ」であった。
今でも日本語は揺らいでいる。
志賀直哉が怒るのは当たり前。
「ヤバい」
いろいろ説はあるが、どうも江戸期にあった遊技場の「矢場」。
「弓矢を射て懸賞品とかが貰える」という「矢場」というマトイ屋、今で言う遊技場みたいなところがあった。
そこの裏側で吉原以外の非合法売春を行っていたらしい。
それで「あそこはヤバいよ」。
それで「ヤバい」。
それから看守さんが見張っているようなところを「厄場」と呼んだという。
いずれにしても暗黒街で生まれた言葉。
それが昭和・平成・令和の御代になるとアイスクリームをなめると「ヤバい」と女の子が言う。
つまり全然意味が変わっている。
かくのごとく言葉を遊ぶ。
「ゆるさ」「ゆらぎ」があって、ある概念を説明するというのではなくて、緩さの中で生きてゆくという。
それが日本語である。
しかし明治になって、遊んでばかりはいられない。
日本をまとめる為に、統一国家の為に「とにかく共通日本語を作ろう」というので。
それで東京・山の手、旗本士族の家庭の言葉が共通日本語として作られる。
これを地方に送り届けなければならない。
その日本の標準的な日本語をどうやって地方まで。
方言しかない。
標準語を送り届ける為に明治政府が考えたのは何か?
それが昨日水谷譲が聞いた「歌」。
(このあたりの話は本の内容とは異なる)
小学校唱歌。
子供達から育ててゆく。
その唱歌が発すると同時に生まれたのが歌謡曲。

いのち短し(「ゴンドラの唄」)

古い歌もあるが、

チョイト 東京音頭ヨイヨイ(「東京音頭」)

もうここにサザンオールスターズの「ちょいと」が出てきている。
歌謡曲が日本語を広めていった。
しかもこれも武田先生もアッと驚いたのだが、この先生、大岡先生がおっしゃるには、日本語はまんべんなく日本に定着したのはいつ頃か?
思ったよりも最近だということかと思う水谷譲。
そう。

「標準語」というフィクショナルな口語が全国的に普及し終わった、と考えられるのが−中略−一九八〇年代だ。(386頁)

もっと昔だと思う水谷譲。
でも、千昌夫さんだってトークは岩手弁を使っていた。
「すぃばれるなぁ」とかと言いながら。
それが歌に入ると

青空(千昌夫「北国の春」)

みんなそう。
標準語というのは定着には時間がかかった。
その裏側にあったのがサザン。
彼はまさしく1978年に登場した。
この大岡先生が「1978年」という章を書いてらっしゃる。
(第十一章 シンクロニシティ一九七八)
これが日本語が日本中にまんべんなく定着し始めるスタート。
覚えているが沖縄まで行ったら全く通じなかった。
そうやって考えると・・・
武田先生が言っているのは「まんべんなく」。
水谷譲の周辺ではない。
つまり北海道の端から沖縄の離れ小島まで、日本語が標準的に伝わり始めたというスタートは1980年代。
だからサザンはそういう意味では、やはり日本人に国語力を広めたロックバンドでもあった。
面白いもの。

今回はここまでにしておく。
この後もこの大岡先生の分析は続く。
「日本人は日本語をワリと捨てやすい」というような話もあったが、これも先生がまた解を出しておられる。
答えを出しておられる。
それはまた次回にしたいというふうに思っているので、楽しんでいただければ嬉しゅうございます。
「ストレンジャー・シングス」
奇妙な世界はあなたの横に広がっている。


2026年2月9〜20日◆ストレンジャー・シングス(前編)

(続きという感じの内容でもないが、今回はこの前の週の最後の方と同じ本が取り上げられている)
(この回は番組中に頻繁に曲が流れるのだが、ポッドキャストでは全てカットされているので内容がわけのわからない感じになっている)

Netflixで大評判のドラマのタイトルをお借りした。
「ストレンジャー・シングス」
ストレンジャー・シングス 未知の世界
子供達がいっぱい出て超能力があったりする(という内容で)途中まで見たが飽きてしまってやめてしまったが、大人気だと思う水谷譲。
これはドラマの作り方がもの凄く巧み。
これをやっているのはアメリカ。
武田先生は結構面白い(と思っている)。
今、第二シリーズを見ているのだが、凄く展開が緩やかで。
引っかけが上手い。
物語を作っていく為の小さなきっかけがあるのだが、それが小さく引っかけてくる。
それでズキッズキッと物語に何センチかずつ引っ張り込まれていくという。
アメリカ・ハリウッドのドラマ作法というのは、やはり世界中の人間を巻き込む上手さがある。
そういうのが面白い。
武田先生は、ちょっとかぶいているので。
何かちょっと変わったことを言われるとハッとするという。

(例えば)お金に困っている。
友人に金銭の都合を頼む。
「加奈、済まないけど〇月〇日まで必ず返すから、十万貸してくんないか?何で十万なのかちょっと言えないんだけど、頼む。貸してくれ」とかという、こういう金銭の依頼がある。
その時に例えば水谷譲が渋々と「いいわよ。十万だったら何とかなる。貸してあげる」と言った瞬間に普通は「ありがとう」と言う。
外国の人はこの金銭に関して「日本人は『ありがとう』と言わない」という。
それが「変わっている」という。
何と言うか?
水谷譲「わかった。じゃあ十万円。はい、貸してあげる」
武田先生「助かったぁ〜」
こんな言葉をここで持ってくるのは日本人だけだ。
そういうのをメッチャ武田先生は興奮する。
「YES」と「NO」の代わりに「はい」と「いいえ」というのがあるのだが、「いいえ」を日本人は使いたがらない、とか。
「あなたは英語できますか?」「はい、できません」と言ってしまうという。
それから「いいえ」を使うにしても半分しか使わない。
「いえ」とか、激しく否定する時は重ねてリズムを付けて「いえいえ」。
「いいえ」を使いたがらない。
日本人は「あるのに使わない日本語」を持っている、という。
「いいえ」という代わりに「大丈夫」と言ったりすると思う水谷譲。
絶えず奇妙な言い換えをやる。
そこが最初に抱いた数十年前の疑問。
これはまだ忘れない。
武田先生は1972年にプロのフォークシンガーになった。
悪戦苦闘。
もういろんなヒット曲がどんどん出てくる中で、ヒット曲が出ずに、一番最初に「母に捧げるバラード」で火が点くが、その後、出ないの何の。

母に捧げるバラード


五年、六年の歳月がかかって次にようやく辿り着くのだが。
今でもおぼえない。
(「忘れない」と言いたかったものと思われる)
1978年のこと、武田先生達フォーク世代は「旅」をずっと歌にしてきた。
ところが時代のテーマが変わって旅の歌が終わってしまっていて。
武田先生は気付かなかった。
テーマが「おうちに帰る歌」になっている。
松任谷由実さんが登場したら旅の歌が売れない。
(番組内では「荒井由実」を「荒井ユーミン」、「松任谷由実」を「松任谷ユーミン」と言っているが、煩わしいので「由実」に統一する)
ところがフォークシンガーの人は旅の歌というのがテーマだと思うから必死になって。
1978年、武田先生は旅の歌を作った。
それももう、「この旅も終わりかな」と思うような寂しげな歌。
それが「思えば遠くへ来たもんだ」。

思えば遠くへ来たもんだ


武田先生の前には旅の歌を作り終えたばかりの友人が一人座っていた。
その人が谷村新司さん。
この人がどんな旅の歌を作ったかというと、女性が歌う旅の歌で「いい日旅立ち」というのを作る。

いい日 旅立ち


二人とも旅の歌。
二人で「一仕事終わったね」という話でお互いの歌を批評し合っていた。
渋谷の宇田川町の喫茶店で。
有線からとんでもない歌が流れてきた。
その歌の衝撃を今だに。
あの谷村新司さんの片一方の眉毛がキリキリキリと上がった。
つまり時代を変える歌はそんなふうにして突然流れてくる。
谷村さんが聞き入った、そして武田先生がその歌を聞きながら不吉なものを感じた。
こんな不吉を感じるのはユーミンさん、荒井由実さんの「ルージュの伝言」以来。
自分達のセンスではできない歌。
だけど売れそうな気配を持った歌に遭遇すると、武田先生達シンガーソングライターはドキッとする。
この歌。
(ここで本放送では「勝手にシンドバッド」が流れる)



この歌はショックだった。
この歌の歌詞のセンスがもう自分達の世代ではできない。

砂まじりの茅ヶ崎 人も波も消えて
夏の日の思い出は ちょいと瞳の中に消えたほどに
(サザンオールスターズ「勝手にシンドバッド」)

何で「ちょいと」が出てくるのだろう?
「ちょいと」なんていうのは江戸言葉。
それで突然サビに入って、
「今 何時?」と時間を訊く。
「そうとう詞の作り方が俺達とは違うなぁ」という。
これは歌詞そのものが「ストレンジャー・シングス」ではないが、フラッシュバック。
「フラッシュバック的断片を繋ぎ合わせて、一曲にするという手法であるな」というふうに武田先生が分析しようとしたら、エラい本に出合った。
「日本語はひとりでは生きていけない」

日本語はひとりでは生きていけない


(本の中の傍点部はアンダーラインで表記する)
集英社インターナショナル、(著者は)大岡玲(あきら)さん。
この方は日本語の歴史を辿る学問的テーマを持っておられるのだが、この本のつかみがサザンオールスターズの「勝手にシンドバッド」。

 サザンオールスターズの「勝手にシンドバッド」を初めて聴いた時の衝撃は、それこそ湘南の土用波をからだの正面で受けとめた、という感じのものだった。一九七八(昭和五三)年八月、−中略−『ザ・ベストテン』(2頁)

出だしの情景からして全く理解ができない。
破調、乱調、そういう文章である。
この歌の途中で古語が出てくる。

〈夏の日の思い出は〉に続く、よく聴き取れなかった歌詞の文字面は〈ちょいと瞳の中に消えたほどに〉というものだが、−中略−古語「ほどに」が尻尾にくっついたりしている。(4頁)

そしてサビ文句。
武田先生も引っかかったところ。
「今 何時?」そして「胸騒ぎの腰つき」。
ところがこの国語の先生はこの歌を聞きながら、頭は大混乱で意味が分からないけれど唇が馴染んでしまう。
いつの間にかフッと歌っている。
70年代初頭から新しい音楽運動が興る。
興したのはフォークソング。
(ザ・)フォーク・クルセダーズとかというグループがいて、その後に続いてきたのが吉田拓郎。
日本の歌曲は言葉を多く詰め込まない。

松風騒ぐ(「古城」)

ところが60年代、ビートルズが登場してくると、バンバカ言葉が入ってくる。

She loves you, yeah, yeah, yeah(ビートルズ「シー・ラヴズ・ユー」)

シー・ラヴズ・ユー (Live From The Royal Variety Performance - Remastered)


という。
でも一番問題なのは「She loves you」を言う為に(英語だと)三つでOK。
「She・Loves・You」
ところが日本語でこの手の歌を作ろうとすると「カノジョハキミガスキダヨイエイイエイイエイ」になる。
このビートルズの手法にあやかろうと70年代フォークが、特に吉田拓郎さんが先頭を切って、16分音符

僕は僕なりに自由にふるまってきたし
僕なりに生きてきたんだと思う
(吉田拓郎「まにあうかもしれない」)

まにあうかもしれない


という。
ところが1978年、サザン・桑田。
ビートルズと同じビートで日本語のポップスを作ろうとする。
桑田さんの凄いところは、凄い仕掛けを歌詞にする。

歌の流れ。
1970年代を語っている。
それも後半。
今、考えたら本当にこんな時代をよく生きてきた。
武田先生も才能のある人達に囲まれて余命を繋いできた。
とにかく70年代の後半に入る。
驚愕すべき才能。
桑田佳祐さんがデビューしてきた。
ビートルズと同じリズムに乗っかってポップスを作っていく。
その為にはどうしても捨てなければならないものがある。
武田先生は悩んでいる人を現実に見たことがある。
アマチュアの頃だったが、チューリップの財津さんが歯痒そうに言ったのは、まだその頃はお互いに博多弁。
「日本語って言葉がいっぱいいろうが英語は楽っちゃ。ビートルズみたいにロックを作りたくても乗らんとよ。日本語じゃ。だけん俺達ゃ日本語と格闘せないかんったい。ロックを作る為には」
きつかったのだろう。
そんなのを彼はアマチュアの頃から悩んでいた。
向こうの歌を直訳して日本語で歌うと凄く妙な感じになってしまうと思う水谷譲。

 日本語とロックの嚙み合わせがしっくりこない悩み(8頁)

それに最初に手を付けたのが桑田さん。
日本語でロックをやる為には、日本語のあることを捨てなければならない。
意味を捨てた。
日本語の意味を追い求めるとロックに乗らない。
桑田さんの偉大なところは、言葉をメロディーに乗せるのではなくて、メロディーに乗る言葉を選ぶ。
それで乗らないヤツは切り捨てていく。
だから意味は一瞬わからない。
その為に彼が考えた歌唱法がちょっと英語訛りで歌ってしまうという。
一瞬聞くとその言葉が英語に聞こえる。
日本語の音のみを乗せてロックを作る、ポップスを作る。

一九八四(昭和五九)年の七夕に発売されたアルバム『人気者で行こう』でとどめを刺された。
 アルバムA面最初の曲「JAPANEGGAE(ジャパネゲエ)」は、耳で聴いただけでは英語にところどころ日本語が混じっているように思える。
−中略−耳では「I could never your more 知れず」だった詞は、実は〈愛苦ねば 世も知れず〉なのだ。(6〜7頁)

ちょっとここの部分だけ聞いてみる。
(ここで本放送では「JAPANEGGAE(ジャパネゲエ)」が流れる)



凄い。
この日本語のいじり方。
どんどん桑田さんは発展させていく。
これは全くそうとしか聞こえない。
英語で言うと「スキップ・ビート」
(ここで本放送では「スキップ・ビート」が流れる)



「すけべー」にしか聞こえない。
こんなふうにして日本語の音で作ってゆくという。
これはある意味では何というか「日本語当て込み言葉」。
「What time is it now?」「堀った芋いじんな」という、それと似ているようなもの。
こういう形というのは桑田さんが走りだと思う水谷譲。
彼はこの作り方を貫いていくのだが、この人は凄い本を出している。
やはりいろんな人から突っ込まれた、「オマエは歌手じゃない」とか言われたのだろう。

桑田佳祐の語り下ろし『ただの歌詞じゃねぇか、こんなもん』が新潮社から発刊された。(7頁)

これは彼の歯痒さが出ている。
それは彼のポリシーだった。

英語圏の音楽を載せる〈皿〉としては、そのままの日本語ではどうにも使い勝手が悪いと感じていた事実も(9頁)

ロックに乗せる為には日本語を一回、音に分解して作り上げた方が面白い音楽ができるという。
そういえばそう。
皆さん、何気ないと思われているかも知れないが、60年代にビートルズはこれをやった。
もう一回繰り返すが、

She loves you, yeah, yeah, yeah(ビートルズ「シー・ラヴズ・ユー」)

「yeah」には意味は無い。
でも意味の無い言葉がリズムを生んでいる。
それから
「Oh yeah, I'll」
「Oh yeah」までは何か入っているのかどうかわからない。
「Oh yeah, I'll tell you something」と、ここから英語の歌詞が始まる。
「Oh yeah, I'll」は殆ど、うめき声だ。

抱きしめたい (Remastered 2009)


それが曲頭になるとあれだけリズムを生み出すという。
このへんの用意周到さ。
1970年から80年代にかけてのサザンオールスターズ・桑田佳祐さん。
この人の凄いところは、リズムに乗っかるんだったらどこの国の言葉でも何でも使っている。
その一曲がこの歌で、アルバム「ブルーマー」から、ここのところを聞いてもらいますか。
(これから流れる曲は「ブルーマー」なるアルバムに収録されていたという情報は確認できず)
サビのところ。
(ここで本放送では「Ya Ya (あの時代を忘れない)」が流れる)



Sugar,sugar,ya ya,petit choux
美しすぎるほど
Pleasure,pleasure,lala,voulez vous
忘れられぬ日々よ
(サザンオールスターズ「Ya Ya (あの時代を忘れない)」)

と、こうくる。
「Sugar,sugar」は英語。
「ya ya」はこれはスペイン語。
お婆ちゃんのことを「yaya(ヤーヤ)」と言うらしい。
若しくは「はい」の「YSE」として「Yeah」。
「Sugar,sugar,ya ya,petit choux」
フランス語の「小さいシュークリーム」のこと。
それを「petit choux」。
それから「Pleasure,pleasure,lala」。
これも英語・英語。
「voulez vous」
これはフランス語だそうだ。
「あなたが欲しい」という意味だそうで。
音に言葉を乗せる。
何度この歌をみんなでカラオケで歌ったかわからないが、そんなことを考えて歌ったことは無かった水谷譲。
「勝手にシンドバッド」を聞くと谷村さんの顔が浮かんでくる。
旅の歌を二人で挑んだ。
社長から「JRに売り込むから作れ」と言われて。
それで作ったのが(谷村氏の)「いい日旅立ち」と武田先生は「思えば遠くへ来たもんだ」。
もちろん谷村さんの方が圧倒的に出来がいいので。
どちらも名曲だと思う水谷譲。
だが、その武田先生達の耳をかすめてやってきた音楽革命。
それはやはりサザンの桑田さんが興したというワケで。

ここでこの著者は凄い話になっていく。
大岡玲さん、この言語学者の人がとんでもないことを言い出す。
フランス語だろうが英語だろうが音に乗っかって歌詞作りがしてある。
志賀直哉が聞いたら大喜びしてるんじゃないか?
武田先生はこの本を読んで初めて知ったのだが、志賀直哉は日本語が大嫌いで。

志賀は、−中略−日本の国語ほど不完全で不便なものはない。−中略−ここはひとつ他の国の言語、たとえば−中略−フランス語を国語に採用したらよいのではないか、というのである。(9頁)

「小説の神様」とも称せられ、−中略−作家・志賀直哉である。(9頁)

「その人が本当は日本語が大嫌いだった」と、ショックではないか。
別に作品を読んでいてそんなふうに思ったこともない水谷譲。
でもこの人、志賀直哉は日本語をそれほど嫌ったかというと「曖昧である」。
例えば漢字にしても読み方が山ほどある。

「元を何と読むのか知らないが、そうすると杉山元元元帥となるわけだろ。変なものだよ」(25頁)

「元帥」の「元」と「元」というのが同じ字だが、「ゲンゲン」とかと読まずに「ヤマモトモトゲンスイ」と読まなければダメ。
そういう文脈で読み分けるというのが、日本語が曖昧だから。

「私わ日本人です」ではなく「私は日本人です」といった表記が残存することでもわかるように、完全な表記表音の一致には至っていない。(26頁)

それは平安の頃に「は」と書いたのが残ってしまった。
音は「わ」。
そのことで日本語には一貫性が無い。
だから日本語をもうやめちゃって、明日からフランス語にする。
結構極端な意見の持ち主だと思う水谷譲。
明治の時もそう。
鹿児島の出身の森有礼さんが「日本語をやめてしまって英語に切り替えよう」と言っている。
だって共通の日本語が無いから。
あの頃は地方にあったのは方言だから。
「バリ・ボリ・ジョン・ジョジョン」
「よい・素晴らしい・もっと素晴らしい」
それで「統一日本語が無いので英語にしよう」という。
とにかくここから、長い長い日本語の歴史に入る。
一旦桑田さんから離れるが、一番最後にまた桑田さんが出てくる日本語の長い旅。
400ページ以上の旅が始まる。

日本語は本当に複雑で難しいから、よく我々はやってるなと思う水谷譲。
もう一回話に出てくるかも知れないが、漢字にしたというのはここ。
「生」
読み方が多すぎて熟語になったりすると「生憎(あいにく)」から「芝生(しばふ)」から「芽生え(めばえ)」「生田(いくた)」「福生(ふっさ)」「壬生(みぶ)」「弥生(やよい)」「相生(あいおい)」「生粋(きっすい)」。
しかも本当に思うがフィギュア(スケート)で有名な人「羽生(はにゅう)」。
これが将棋になると「羽生(はぶ)」。
同じ漢字を書いてフィギュアと将棋で姓の読み方が変わる。
これは志賀先生がおっしゃる「でたらめすぎる」「原理原則が無い」というのは確かにそう。
では何でこんなにでたらめな日本語が生まれたのだろう?という。
遠い遠い昔に帰る。

七三〇(天平二)年の正月に開かれた「梅花の宴」で歌われた歌群を書き記したものだ。(94〜95頁)

「天平二年正月十三日、大宰帥・大伴旅人邸に集まって宴を開いた。(95頁)

武田先生は同じ場所へ行ったことがある。
そこでその模様を漢字で書き表して

時は初春のよき月、空気は澄んで快く、風邪は穏やか(初春月、気淑風)。(95頁)

その言葉から二つ文字を抜いてできた年号が「令和」。
この「梅花の宴」というのは32首が詠まれたのだが、この時は「万葉仮名」で。
万葉仮名というのは漢字を音で読んで日本語に当てているという。

原文の表記が、かつて暴走族の落書きに多かった「夜露死苦」という表記を連想させ(92頁)

ああいう漢字の当て込み。
でたらめ漢文。
そのでたらめ漢文で32首の梅の花を称える和歌を作った。
これは「文字は中国から借りたが我々は『やまとごころ』を詠った」という。

漢文の粋とも言える文をしたためつつ、漢詩ではない和歌だって立派に梅の花を詠めるんだよ、と高らかに宣言しているのである。−中略−和歌における叙情性=抒情性を明確に打ち出しているとも考えられる。(95〜96頁)

これが桑田さんの発想に似ている。

「JAPANEGGAE(ジャパネゲエ)」は、−中略−耳では「I could never your more 知れず」だった詞は、実は〈愛苦ねば 世も知れず〉なのだ。(6〜7頁)

それから「スキップ・ビート」。

Skipped beat,skipped beat
Skipped beat,skipped beat
(KUWATA BAND「スキップ・ビート」)

どうも日本人は桑田さんっぽかったのではないか?
この発想。
大岡さんの本はそういう分析の本なのかと思う水谷譲。
(そうではなく)武田先生が少し意訳して。
日本人は昔からそういうところがある。
中国の文学なんかに凄く詳しかった菅原道真という人が出てくる。
この人は学問の神様。
この人はもう中国の言葉もペラッペラというヤツ。
この人は「和魂漢才」と言ったりする。

「和魂漢才」=「漢文はあくまで実用、心はやまと」(117頁)


2026年03月11日

2026年1月26日〜2月6日◆忘却とは忘れ去ることなり(後編)

これの続きです。
(今回は二週目の途中で次の本に移行する。本ごとに分割しようかとも思ったが、いつも通り一週間分ずつ区切る)

忘れること。
これがいかに大事かということを説く今週。
スコット・A・スモール博士。
アメリカの大学の先生で心理学をやってらっしゃる方。
この方の本を読んでいる。
人間が頭の中に記憶を貯めていく道順があるという。
海馬という受け付けを通って脳の方に保管されるものと、非常口から飛び込んできて覚えておこうという偏桃体記憶(本によると「感情的記憶(情動記憶)」)というのがあるそうだ。
思い出のため込み方、収納の仕方というのを読んでいて、幸せの記憶。
これは頭の中でどんなふうに処理されているのかな?と。
水谷譲の幸せな記憶。
家族でお正月を迎えて、子供の頃(何年前かは)覚えていない。
水谷譲の反応が正しい。
このスモール博士曰くだが、

「幸福は白い紙に白いインクで書かれている」と述べた(94頁)

(恐らくアンリ・ド・モンテルランの言葉)
(幸せの記憶は)ぼんやりしているて、確かに「これ!」という感じではないと思う水谷譲。
「危険」とか「ゴキブリ」とかというとパッと思い出せる。
「もうこれ!」という感じだと思う水谷譲。
あれはやはり脳がそういうふうにできているようで。
だから武田先生自身も振り返っていて「辛かった」「苦しかった」「悲しかった」という、それは意外とはっきり鮮やかに思い出す。
高校の剣道部のかかり稽古ははっきり思い出せる水谷譲。
いつのこれみたいなのは。
幸せは確かにぼんやりしていると思う水谷譲。
「白い紙に白いインクで書いてある」というのは・・・
脳の仕組みがそんなふうにできているということだけは覚えておいてください。

さて、偏桃体、その非常口から飛び込んでくる記憶のしまい方。
恐怖に支配される。
そうすると怒りや暴力に走りやすくなる。
他者に対しても攻撃的であるのは恐怖に支配されているからで、強さではないという。
類人猿を見ましょう。
チンパンジーとボノボ。
これは人間に近いサルということなのだが、この二匹のサルの性格は全く違う。

チンパンジーとボノボの脳で最も異なる領域は偏桃体だ。(121頁)

恐怖反応が全く違う。

恐怖反応が生じる典型的な順序に従って、三つの単語は「凍結・逃走・闘争(freeze,flight,fight)」と並び変えられた。何かにおびえた時、ほとんどの人はまず体がすくみ、次に逃げようと決意する。−中略−怒りにかられて臨戦態勢になることがある。(114頁)

これが緊急反応。
ボノボは偏桃体の非常口が脳の中で少ないそうだ。
だからボノボは穏やか。
暴力的ではない。
チンパンジーは大きくなると暴力的になってしまう。
つまりそうしないと群れの中で命が保てないから、怯えやすくて恐怖に取り付かれやすい。
だから「(天才!)志村どうぶつ園」なんかで小さい時、可愛がっていて、大きくなると志村さんと別れていった
(チンパンジーの「パンくん」のことかと思われる)
あれはもうギリギリまでいって「これ以上は志村さんが危ない」。
暴れ始めたらもう人間の腕力どころではないから。
ヤシの実を叩き割るぐらいの腕力があるワケだから。
これはどういうことかというと、恐怖はチンパンジーを野蛮にとどめ、しかし恐怖を仲間と許し合うボノボは忘却のプロセスが進化している。
忘れるということが上手。
だから社会的になれる。
人間もそうで、恐怖に支配される人というのは暴力的になる。
覚えておきましょう。
「強いから暴力的」ではない。
怯えやすいから暴力的になってしまう。

脳内ホルモンのオキシトシンで愛情という感情を手に入れる。

オキシトシンは偏桃体のブレーキを踏む薬物と同じように働き、−中略−自分が属する集団と社会的絆を形成することで恩恵を受ける。(128頁)

これは人間だが、オキシトシン分泌の為、全身の毛を脱ぎ捨てるという選択を選んだ。
これは皮膚の下にあるオキシトシンを作る仕組みがある。
毛を抜いてしまうとオキシトシンが出やすくなる。
だから人間というのはそういう意味では偏桃体、嫌な思い出を忘れるという方に進化したサルの一匹である。
恐怖と怒りの偏桃体の制御から人が進化したんだ、ということで。

皆さん気を遣っておられるのは、いろんなものを忘れてしまうという病でアルツハイマー、認知症等々があるが、これもちょっと語ろうかなと思ったのだが、今回はやめておく。
ここはここで広大な世界なので。
この脳の方の病気であるアルツハイマー、認知症等々についてはまた別の「(今朝の)三枚おろし」で三枚におろしたいと思う。
これはデカいので。
おろすのは大変なので。
だからもう一回しっかり、武田先生ももう他人事ではないので、勉強したいというふうに思っている。

さて、記憶というものを振り返りましょう。

海馬依存性の記憶システムも機能している(作動し始めるのは三歳ごろからなので、私たちにはそれより幼いころの記憶がない)−中略−脳の発達において、前頭前皮質の複雑な機能が構築されるのはかなり遅く、前頭前皮質が十分に機能するようになるのは一〇代後半か二〇代前半になってからだ。(138頁)

ワーキングメモリ(作業記憶)と呼ばれる。−中略−ワーキングメモリとは、心的操作をおこなうのに必要な短い時間だけ情報を覚えておく能力を指す。(163頁)

数学的思考におけるワーキングメモリの役割がわかる単純な例として、−中略−「連続7減算」という頭の体操がある。患者に100から次々に7を引いていってもらうのだ。つまり、100引く7(答えは93)、93引く7(86)といった具合で引き算を繰り返し(166頁)

 自分の認知活動について、認知的な能力だけでなくバイアスや罠も含めて自覚する能力はメタ認知と呼ばれる。(160頁)

これはピンとこないか?
ズバリ言うと「もう俺も年齢だから、ボチボチ免許返納を考えないとな」という。
これが「メタ認知」。
これは何かというと自分の能力に関してちゃんと知っている」という能力のことを「メタ認知」という。
だから「俺も年だから、ボチボチ免許返納かな」これは自分の能力を「あそことあそこで危なかったなぁ」と覚えているからこんなことを言う。
では脳の方の病。
アルツハイマー等々になると一切気にしない。
自分の能力を振り返る能力が無いという。
「無い」といっては何だが、おぼろげになってしまうという。
だからご同輩「返納しようかな」と思ってらっしゃるうちは、まだ大丈夫。
「俺は大丈夫」と思うと危ないという。

記憶の仕方については不思議な能力がいくつもあって、「ヒューリスティック」と「バイアス」という能力が今、注目されている。
ヒューリスティック。
これはとにかく急いで結論を出そうとする。
そのことを「ヒューリスティック」という。
間違うこともあるのだが、そういう能力が脳の中にある。
間違えてもいいからとにかく答えを早く出した方が生き延びるチャンスが増えるよ、という。
だから急いで考える。
そうすると間違うこともあるのだが、とりあえず答えてしまうという能力のことを「ヒューリスティック」という。

ヒューリスティックが意志決定に及ぼす影響がよくわかる例として、次の問題が最もよく用いられるからだ。「モーゼは動物をそれぞれの種類につき何匹ずつ方舟に乗せたでしょう?」ほとんどの人が、すかさず「二匹」と答えるだろう。−中略−木の方舟に動物のペアを乗せたのは、モーゼではなくノアだ。(179頁)

「バットとボールの値段が、合計で一ドル一〇セントします。バットがボールより一ドル高い場合、ボールはいくらでしょう?」。もしあなたが「一〇セント」と答えたら、それは大多数の人と同じで、−中略−ワーキングメモリを使えば、ゆっくりとだが確実に「五セント」が正しい答えだと気づける。(178頁)

(番組内では1ドル10セントを1100円で紹介している)
脳の中には受け付けを通る正面の入り口と非常口ともう一つ、このビルにもあると思うが裏口がある。
全部の入り口、頭は使わにゃ損々というワケ。

脳にはいろんな入り口があって、正規の受け付けを通る思い出し方、非常口から通る思い出し方、裏口から通る思い出し方。
そこで、こんなことを思った。
裏口から入る。
これは歌の歌詞を作る時に必要なセンスで。
武田先生はそんなふうに思ってしまった。
歌というのはなるべく海馬を通過して思い出を取りに行った方がいい。
一例を出す。
(ここで本放送では「あの素晴らしい愛をもう一度」が流れる)



懐かしい歌。
「あの素晴らしい愛をもう一度」

命かけてと誓った日から
すてきな思い出 残してきたのに
あの時、同じ花を見て
美しいと言った二人の
心と心が今はもう通わない
(加藤和彦と北山修「あの素晴らしい愛をもう一度」)

この詞の真ん中に時間が流れている。
男女の恋の時間経過が歌に現れている。
あの時はおんなじ花を見て「美しい」と言っていた。
その心と心がもう通わない。
恋がゆっくりとしおれてゆく時間が歌詞になっている。
これがだいたい歌の典型。
思い出を受け付けから通って思い出を古い順に並べていくと、演歌になったりフォークソングになったりする。
「こんなことやっていいの?」と思った歌詞がある。
サザンオールスターズ「勝手にシンドバッド」。
これはもの凄く衝撃的な歌で、ここには日本の歌が持っていた時間経過が無い。

砂まじりの茅ヶ崎 人も波も消えて
夏の日の思い出は ちょいと瞳の中に消えたほどに
(サザンオールスターズ「勝手にシンドバッド」)

勝手にシンドバッド


どこに時間がある?
一応「夏の日の思い出」だと思う水谷譲。
情景から語り出して夏の日の恋を思い出している、と。
間に入ってくる「ちょいと」は何か?
「ちょいと」は江戸言葉で、昭和にできた歌としては異様な言葉遣い。
これは現代の言葉ではない。
彼はなぜこんな言葉を用いたのか。
武田先生にはわからない。
続ける。
その女を思い出したのだろう
夏の日のある女を。
どんどん時間が消えて

シャイなハートにルージュの色が ただ浮かぶ(サザンオールスターズ「勝手にシンドバッド」)

まあ、想像で「女の口紅の赤」、それが思い出されたのだろう。
でもこれは時間のどこに置けばいいのか。
「その女を思い出した」というのだが、これは海馬を通過した思い出ではない。
偏桃体。
非常口から入ってきた。
頭は入り口から入ってきて、二行目は非常口から入って来た女の思い出。
偏桃体刺激の色の付いた記憶の断片がフラッシュバックで入ってきている。
女の唇の赤を思い出すと、次に出てきたフレーズが、これも時間が全くわからない。

好きにならずに いられない
お目にかかれて
(サザンオールスターズ「勝手にシンドバッド」)

思い出は出会いから飛んで、デートを繰り返されたのだろう。
情景がまた重なるのかなと思ったら突然。
歌の構成でいうとここからサビ。
「お目にかかれて」の後。

今 何時?そうね だいたいね
今 何時?ちょっと 待ってて
今 何時?まだ 早い
(サザンオールスターズ「勝手にシンドバッド」)

これは恐らく「今 何時?」と訊いたのは女だろう。
時間、時計を気にしているワケで、男が引き留めるために「そうね だいたいね」と言っているのだろう。
女は男を振りほどいて帰っていった。
でないと一番ケツの

胸さわぎの腰つき((サザンオールスターズ「勝手にシンドバッド」)

だから、後ろ姿になっている。
「時計、時間を訊いた女が突然後ろ姿になった」というのは振り切って帰ったのだろう。
こんなふうにして歌を解釈することによって別の世界が見えてくるという話。

サザンオールスターズ、桑田さんの歌詞の不思議。
これを説いている。
これはもちろん、武田先生としては脳の話をする為に持ってきていた。
桑田さんの詞の作り方というのは、頭のいろんな入り口・出口を全部利用して歌詞を作る。
日本の歌というのは、歌詞を古い順に並べていく。

十四の頃の僕はいつも
冷たいレールに耳をあて
−中略−
思えば遠くへ来たもんだ
(海援隊「思えば遠くへ来たもんだ」)

と現在になる。
こんなふうに綺麗に並べる。
過去から今を語る。
桑田さんは、日本の歌謡曲の作り方に違反する。
その典型的な例が「勝手にシンドバッド」。
思い出の並べ方がでたらめ。
どれが新しいか古いかわからない。
しかも唐突にサビ文句で時間を訊く。

今 何時?そうね だいたいね
今 何時?ちょっと 待ってて
今 何時?まだ 早い
((サザンオールスターズ「勝手にシンドバッド」)

これを繰り返した後、突然、三度繰り返すサビ文句が

胸さわぎの腰つき((サザンオールスターズ「勝手にシンドバッド」)

ワケがわからない。
でもいかにもフラッシュバック。
思い出が偏桃体経由になっている。
頭のところの一行だけは海馬を通っているのだが、二つ目から偏桃体記憶になっている。
最後は裏口から入ってきた思い出で、これは異常な才能。
そしてこれは70年代が終わって80年代から大旋風を巻き起こす。
これは武田先生も、一人の作詞家として悩んだ。
一番ショックだったのは「今 何時?」というこのサビ。
というのは、武田先生達フォークは若いくせに老けた自分を仮定して歌を作っている。
こうせつさんは二十代の若さにある時に歌った歌が

若かったあの頃(南こうせつとかぐや姫の「神田川」)

神田川 (シングルバージョン)


(作詞は喜多條忠)
若いくせに老けた自分を仮定して歌を作っている。
桑田さんは何をやったかというと「今 何時?」。
つまり「今」。
これだけ差を付けられると考える。
この歌の作り方に若者は全部くっついていく。
それが今のJ-POPになる。
だから桑田さんはJ-POPの筆頭。
フォークソングともニューミュージックとも違う。
それで「桑田という人は」という怒りの一つもこみあげてくる。
そこでエライ本に武田先生が出くわした。
それが大岡玲(あきら)さんという方がお書きになった「日本語はひとりでは生きていけない」。

日本語はひとりでは生きていけない


(本の中の傍点部はアンダーラインで表記する)
(この本は、この翌週からも取り上げている)
集英社インターナショナルから出ている。
本が変わる。
この方は武田先生と同じ。

 サザンオールスターズの「勝手にシンドバッド」を初めて聴いた時の衝撃は、それこそ湘南の土用波をからだの正面で受けとめた、という感じのものだった。一九七八(昭和五三)年八月、−中略−『ザ・ベストテン』−中略−を、−中略−私は漫然と眺めていた。そこに、桑田佳祐をはじめとするメンバーが「乱入」してきたのである。(2頁)

サンバのリズムに乗った、どこか歌謡曲調も交じるメロディとともに聞こえてくるのは、日本語としての意味を持つはずの語群で、少なくとも曲の出だしのあたりはとりあえず聴き取れた。(3頁)

どこか英語めいたイントネーションで早口に歌いあげる単語群は、−中略−詞の文言もいわゆる正しい日本語とは異質に思える。(3〜4頁)

〈夏の日の思い出は〉に続く、よく聴き取れなかった歌詞の文字面は〈ちょいと瞳の中に消えたほどに〉というものだが、−中略−古語「ほどに」が尻尾にくっついたりしている。(4頁)

だいたい意味がわからないと思う水谷譲。

何度も聴いているうちにこれらの破格な言葉で表現されているだろう「事柄」が、あたまではなくからだに馴染んでくるのも事実で、−中略−確実にイメージとして定着する。(4頁)

言われてみれば、今のJ-POPもそうだと思う水谷譲。
明日は金曜日。
このあたりをちょいと触れながら、進めたいほどに。

みなさん、ちょっと路線が変わったのをもうお気づきですよね。
「忘れる」ということを前提にして脳のしくみみたいなものを語ってみようかなと思っていた。
その矢先に言語学者の人が書いた日本語論を読んで、その中のつかみとして出てきたのは桑田さんの「勝手にシンドバッド」だった。
この先生は桑田さんの詞を取り上げて「日本語としては体を成していない」と。
しかしまことに不思議な脳の作用があって、頭で考えるとわからないのだが、体は不思議に覚えてしまうという。
昨日の続きを続ける。
桑田さんがもし聞いておられたらお気になさらず。
決して悪口を語っているのではないのだが、一部誤解した部分も経由しながら、あなたの詞の作り方を辿ってゆくので。
とにかくあなたが作った「勝手にシンドバッド」は凄い違和感を感じた。
武田先生以上に違和感を感じた国語学者の先生が見つかった。
その人の説を使っていく。
その先生はおっしゃっている。
彼の詞は頭ではなく体になじんでくる。
違和感は最大限なのに、魅力的でいつの間にか口ずさむ自分を否定できなかった。

曲のタイトルからして、−中略−ピンク・レディーの「渚のシンドバッド」と、沢田研二の「勝手にしやがれ」を合成したものだとすぐにわかったし−中略−てっきりコミックバンドなのだろう、と早合点した。(2〜3頁)

阿久悠さんの作った作品からの合成タイトル。
武田先生はこの歌を聞いた時に、一緒に聞いたのが谷村新司さんだった。
谷村さんは武田先生と同じ表情をした。
それは「こんな歌が流行ったら大変なことになるな」と。
でも大ヒットする。
この国語学者の先生は「桑田佳祐さんの作詞というのは日本語と格闘してるんじゃないか?」。
日本語の規範を破ってはいるのだが「日本語と戦っているのではないだろうか?」という直感のもとに、桑田佳祐さんが戦ったそのルーツを探したいという。
これはちょっと武田先生の立場から言わせてもらう。
日本でロック音楽を目指したアーティストは全員、日本語に苦しんでいる。
音符がいりすぎる。
例えばビートルズが「シー・ラヴズ・ユー」。
「She・Loves・You」
三つでOK。
「She loves you, yeah, yeah, yeah」
これを日本語で言うと
「君はあの子が好き」
「キ・ミ・ハ・ア・ノ・コ・ガ・ス・キ」
九ついる。
三つで終わるのと九つで終わるのは詞の分量が変わってくる。
だからみんな苦しんでいる。
フォークソングはこの言葉を押し込むということの為に16分音符を駆使する。
「君が初めて僕と会ったのは 強い風が吹く日だった」
言葉をしゃべり言葉にしておいてメロディーを付けてゆく。
それがフォークソング。
吉田(拓郎)さんがやった手法だった。
歌詞を押し込む。
「君を忘れた頃に僕を思い出したい」
(吉田拓郎「春だったね」を指しているものと思われるが、そのような歌詞は無い)
ちょっとラップっぽい感じもあると思う水谷譲。
そういう意味ではラップ。
そんなことをやっている時に、ビートルズは悠々と音楽、ロックの世界で遊んだワケだ。
フォークはそんなふうに歌詞を押し込む。
ロックは苦しむ。
それでニューミュージックの人達は、曲のスピードを落とす

卒業写真のあの人は(荒井由実「卒業写真」)

卒業写真


とかという非常に巧みな飾りつけをしながら

真っ白な陶磁器を(小椋佳「白い一日」)

白い一日〜


とかと小椋さんが。
それから

さみしさのつれづれに(井上陽水「心もよう」)

心もよう (Remastered 2018)


古語を用いながらも古語であるところでスピードを飛ばさず、ロックになると苦しくなってしまうので。
オフコースもそうだと思う水谷譲。

さよなら さよなら(オフコース「さよなら」)

さよなら


恐らく、桑田さんはその時に「嫌だ」と思ったのだろう。
連符で歌うのも嫌だし、ミディアムに落としてまで歌詞を作るのも嫌だ。
あのビートルズのノリがやりたい。
そこで彼が考えた方法が日本語の意味を捨てる。
意味なんか伝えなくていいんだ。
音のみ。
日本語の音のみをのせて歌を作る、と。
ここからJ-POPが始まったのではないだろうか。

一九八四(昭和五九)年の七夕に発売されたアルバム『人気者で行こう』でとどめを刺された。
 アルバムA面最初の曲「JAPANEGGAE(ジャパネゲエ)」は
(6頁)

人気者でいこう(リマスタリング盤)


これは造語。
ここで大変なことをやる。
来週のお楽しみということで。
ここから壮大な日本語の物語になるので、サザンの悪口を言っているとは誤解しないでください。



2026年1月26日〜2月6日◆忘却とは忘れ去ることなり(前編)

(初日だけ「忘却とは忘れ去ること」と言っているが、後は全て「忘却とは忘れ去ることなり」と紹介されているので、タイトルは「忘却とは忘れ去ることなり」にしておく)

「忘却とは忘れ去ること」
昔のメロドラマのタイトルにあった。
「忘却とは忘れ去ることなり。 忘れられず、忘却を誓う心の悲しさよ。ヒュルルル〜♪ルルル〜♪」という、そういう何か。
(ラジオドラマ「君の名は」の冒頭のナレーション。正しくは「忘却とは忘れ去ることなり。 忘れえずして,忘却を誓う心の悲しさよ」)
母が見ていたのでいつの間にか・・・
番組の前に始まるナレーションが好きだった。
今でも覚えてらっしゃるのは凄いと思う水谷譲。
「禁酒法があった1920年代のアメリカは、汚職・麻薬・暴力が横行していた。この危機に敢然と立ちあがった我らFBIの仲間は絶対に買収されないという意味から『アンタッチャブル』と呼ばれ・・・Untouchables」
これも「アンタッチャブル」というドラマだった。
いくらでも出てくる。
記憶力が凄いと思う水谷譲。
何でこうこういうことを忘れないのか?
メガネをさんざん探したら、額の上にあったとかという。
頭の使うところが違うと思う水谷譲。
この間、TBSにいらっしゃるあの名アナウンサーの安住さんが面白いことをおっしゃっていたが、主婦になられた五人姉妹がコタツを囲んで。
長女の方が突然重大発表をなさって。
「うちの人、ガンになったらしいの」という。
「お姉さんしっかり。今では治る病気よ」とかみんなで・・・
そのうちの一人が「ガンの場所はどこ?」。
いろいろあるから。
そうしたら長女の方が「うちの人のガン・・・性感帯」。
「ああ、性感帯」とかと言っていて「性感帯ってどこ?」と誰かが訊いたら「私は耳たぶ」とか何か。
そういう話ではない。
病名を忘れてしまったらしくて、一番上のお姉さんが間違えてしまった。
「声帯」だった。
それに「カン」を入れてしまって「セイカンタイ」になってしまったという。
そのことがわかった瞬間に、暗い話なのに五人揃って大声で笑った、という。
深刻な話も一瞬の忘却で、たちまちコントになってしまうという。
本当に忘れやすくなった水谷譲。
スマホで何か検索しようと思ってスマホを開くが、その時点で何を検索するか忘れている水谷譲。
「なんだっけ?」みたいな。
「昨日買ったメガネ〜♪一昨日買った〇〇〜♪あれはどこへ行った〜♪」というのがあった。
中島みゆきさんの替え歌だったのだが。
(「さんまのからくりテレビ」武田宏子さん作詞「日常のドジ」。歌詞は「してたはずのメガネ 買ったはずの豆腐 みんな何処へいった」)
ちょっと面白い方に遭遇したので、その人の為に「忘れる」ということを三枚におろしてみようかなと思った。
これはすいません。
テレビとネタが重なっている。
(「サン!シャイン」2025年12月10日放送・2025年12月17日放送)





「人間というのは忘れる生き物である」という、そんなことを喋った。
人間は覚えていることを絶えず取り出していないと、忘れてしまう。
それとか記憶が歪んでしまうという。
前に話した。
人からいじめられたと思っている人が、よく話を聞いてみると、その人もいじめていたという。
2023年11月20〜12月1日◆し忘れ・ど忘れ・物忘れの時にも出てきた話かと思われる)
人間というのは覚えていることを喋っているみたいに言うが、正確に覚えていることを喋れる人はいない。
少しずつ改竄してしまう。
その話をしてワリとテレビスタジオでウケた。
そうしたらご一緒している政治評論家の岩田明子さんが「私、忘れたいのにすぐ出てくる嫌な思い出があるんです」という。
「何ですか?」と訊いたら「ゴキブリなんです」。
岩田さんはゴキブリが大嫌いで、ちょっとしたはずみにゴキブリの思い出が出てくると正確に蘇る。
そういう方は多くて周りにもいると思う水谷譲。
岩田さん曰く「生涯で出会ったゴキブリの全てが思い出せる」。
「自分が初めて叩いてグジャグジャにしたゴキブリが一匹目で、二匹目は叩こうとしたらこっち側に向かって飛んできた」とか。
それから「一人暮らしを初めて部屋に入った瞬間に夫婦のゴキブリとバッタリ目が合って、その夫婦は本棚の隅に消えた」とか人生で出会ったことのあるゴキブリを・・・
「これを思い出さなくする為にはどうしたらいんでしょう?」
ある意味トラウマだと思う水谷譲。
そう。
ゴキブリという軽い程度でも水谷譲のおっしゃったトラウマになっている。
それで「武田さん、教えてください」と言われて、本屋さんに行って見つけた本がある。
それが「忘却の効用」、(著者は)スコット・A・スモールという。

忘却の効用: 「忘れること」で脳は何を得るのか


アメリカの大学の先生。
白揚社から出ている。
腰帯にこんな宣伝文句があった。

忘れっぽいことは
正常であるばかりか、有益でさえある。
その理由を教えてくれる、実用的で、
すばらしい本
(本の帯)

つまり、「忘れてしまう」ということは正常であるばかりか、もの凄くあなたの為になっているんだ、と。
先生はこんなことをおっしゃっている。
「忘却とは衰えであると思い込んでいる人がいるかも知れないが、それは衰えの兆候でも何でもなく脳の大切な機能なんです。抗ってはなりません」
「忘れる」というのは体の為に有益なのかと。
「忘れることがいかに大事か」ということを説いた本。
コロンビア大学の教授であるスコット・A・スモール博士。
神経科の臨床医をやっておられて、記憶に障害があったり違和を感じる人の為の相談にものっておられるという。
武田先生の方はというと、仕事仲間になっている政治評論家の岩田明子さん、この人が「ゴキブリがどうも頭から消えない。上手く消す方法はないだろうか」と言われて、この本を読み出した。
岩田さんのゴキブリの記憶で「飛び出してくるゴキブリ」「走り去るゴキブリ」「叩き潰したゴキブリ」「反撃してこちらに向かってくるゴキブリ」その一つ一つが消えないという。
これは一種の写真記憶で、超高解像度でありありと浮かんでくる。
これは一種「記憶のやけど」のようなもの。
「記憶のやけど」は武田先生は上手いことを言う。
消えない嫌な思い出、これは誰にでもある。
人間というのはしょうもないことを覚えている。
あれは一種「記憶のやけど」だそうで。
こういうことで悩んだ人はいないだろうか?ということで、武田先生はこのスモール博士の臨床日記を読んだ。
その中には記憶で様々な障害を持つ人がいる。
まずそっちの方からいく。
消し方ではなくて、記憶全般から。

記憶に障害を持つ患者さんの嘆きというのを聞いてみましょう。

 私がコロンビア大学記憶障害センターで最初に診た患者のカールは言い切った。−中略−
 カールはマンハッタンで働く刑事事件専門の弁護士で
(17頁)

 カールは子どものころから学校でつねに優秀な成績を収め、彼の記憶力は競争の激しい学校の同輩たちのなかでも抜きん出ていた。−中略−その並外れた記憶力は弁護士の仕事でも役に立ち、所属していた法律事務所中に知れ渡っていた。−中略−彼は一度会った人の顔や名前を決して忘れなかった。−中略−彼は数か月前、ある重要な依頼人と初めて面会した。そして最近、−中略−ショッキングなことに相手の名前をいいよどんでしまった。(20頁)

これは弁護士さんにとっては、大変。
それは記憶障害だと思う水谷譲。
笑顔で応じてはいるのだが、その人の名前がどうしても思い出せない。
顔は覚えている。
名前が出てこない。
これが何人も続くと、マンハッタンを生きていく弁護士としてそうとう信用に差しさわりがあるという。
「何でこんなふうに私は、映像は残っているのに名前と結び付かないんだろう」というのでスコットさんのところ「に脳の病気ではないか?」と相談に来られた。
スコットさんはこの時に診断をしていくのだが、ゴキブリを忘れる方法は、ゆっくり話していきますからちょっと待っててください。
まずは「覚えている」ということはどういうことかという。
これは読んでびっくりした。
例えば水谷譲が今、目の前にいる。
水谷譲のことを「加奈」と呼びかけている。
この記憶。
「あなたの名前は『加奈』。あなたの目付きはそういう目付き。あなたの髪はそういう髪型。唇は、体形は・・・」
何と凄いことに脳の思い出の倉庫の中にバラバラに入っている。
眉なら眉のところに入っている。
目なら目のところに思い出が入っている。
耳なら、体つきなら、名前なら、全部バラバラ。
だから当然。
「顔は思い出せるんだけど名前は・・・」というのは倉庫の距離が遠い。
何でこんなに頭はそんなバラバラにするのか?という。
これは人の顔等は加齢と共に激しく変化する。
年を取るとわかるが。
武田先生はこの同窓会をやったばかりだったからこの話がやたら身に沁みた。
「ヤングジャパン」という芸能会社があって、一緒に働いた仲間が数十年ぶりに集まった。
誰が誰だかわからない。
名前は全然思い出せない。
でも、ある瞬間パッと思い出す。
それがしょうもないこと。
ひょいと向いた仕草で「オマエ、チマか!」。
「チマ」というヤツがいた。
動きを思い出した瞬間、ポーン!と名前が付いてくる。
それは別々の引き出しに記憶が入っているから、ある引き出しを開けたということかと思う水谷譲。
私達がフッとそんなふうにして思い出すのはバラバラにしまってあるから、80%が年取ってワケわかんなくても、20(%)を言い当てると80が出てくるという記憶があるという。
「忘れる」ということを探っていきたいと思う。
記憶というのは面白いもので、記憶という倉庫があるとすると人間の顔なり何なりを全部バラバラにして眉は眉、目は目、額は額で覚えていて、あるきっかけがあってそのバラバラにした何かに引っかかるとたちまち全部思い出せるという。

これは武田先生の例え。
会社で言うと思い出そうとしている物が会社の受け付けに行ったみたいなもの。
会社の受け付けに行くと、受付嬢に頼む。
「〇〇さんを呼んでいただけないでしょうか」
これが思い出す手順。
そうすると、その受け付けの人が「〇〇でございますね」と言って、その人のところに連絡を取る。
そうすると記憶がエレベーターで降りてきて「やあやあやあやあ!」と寄って来るという。
そういう脳のシステム、働きをスムーズにしている思い出の入り方、入り口。
その受け付けのことを「海馬」という。

脳には左右一対の海馬がある。−中略−海馬がタツノオトシゴ−中略−のように見えたので、そう名づけた(31頁)

ここがジャッジする。
「この人の顔はしっかり覚えておこう」それから「もう忘れちゃおう」とかという、そういう決心もこの海馬がする。
ここが分解し、モンタージュにして記憶。
眉のコーナー、鼻のコーナー、耳のコーナーにしまうという。
頭は凄いもの。
これは上手いこと言って、このスコット・A・スモール博士は武田先生の例えではなくて、この方は音楽に例えていて。

仮に海馬の小区域がピアノの鍵盤だとすると、依頼人との面会によってカールの海馬では、記憶という音符がいくつも重なった和音が鳴っただろう。(34頁)

遠い記憶はしっかり思い出せるのだが、最近入れた記憶が出てこないというのがある。

 カールは、−中略−昔からの依頼人の名前を忘れたことはない(40頁)

ところが新しい依頼人とか紹介された友人に関してはなかなか結び付いていない。
これはわかりやすく言えば記憶の収納倉庫と棚の方には問題が無い。

カールの海馬は、彼の人生を通じて電話交換手の機能を十分に果たしていた。−中略−だが、海馬は依然として機能していたものの、若いころより効率が悪くなっていたのだ。(40頁)

そうすると古い記憶はちゃんとしまってあるから思い出せるのだが、新しいのは苦手になっていく。
この最大のものが、武田先生が体験したことがある。
高島屋とか大きいデパートに行って、車を停めた場所がわからなくなるという。
8階、9階ぐらいまであって、その階を忘れると、もう絶望的。
あれはちょっと海馬が年を取ってきた証拠だそうだ。
本当にあの同じ風景の駐車場は忘れる。
隣の車の色とか思い出しても、隣の車がいなくなっているともうわからない。
自分が貯めた記憶が何の役にも立たないという。
正月の特番でそんなのをやっていて身につまされてしまって。
娘とデパートではぐれてしまったお爺ちゃんというのがいて、そのお爺ちゃんが迷子のコーナーに行っている。
そのお爺ちゃんは携帯を持っているのだが、電池が切れてしまって娘と連絡が取れないという。
お爺ちゃんとその娘さんの別れの言葉が「駐車場の車のところで俺、待ってるから」が合図だったもので、お嬢さんはそこで二時間待っていたという。
会うと娘さんからボロクソに言われたという。
前に水谷譲と話した。
何を一番覚えているか?
例えば思い出せる部分が少なくて思い出せないということがある。
でも何かと結びつけておくとスルッと出てくる。
人間は物語にすると覚えている。
情報として入れると忘れてしまう。
朝、聞いた情報は夕方に消えている。
これも海馬以下の脳の仕事。
消していかないと次が入ってこないから消してしまう。
こんなふうにして考えてみると、面白いもの。
忘れていかないと次に新しい情報が入ってこないから、忘れるという能力はもの凄く大事だということ。
それから毎日私達は寝る。

「私たちは忘れるために眠る」(149頁)

睡眠の主要な目的は大脳皮質をリフレッシュすることにある。睡眠は大脳皮質の記録を片付けて白紙にし、大脳皮質が新しい記憶を受け入れられるようにする。(151頁)

ところが人間の頭の中はいろいろ出入口があって、入り口が海馬の受け付け以外にもある。
この放送局(文化放送)は、他に入り口どこにあるか?
二階に受け付けがあって、一階に駐車場があって、駐車場の奥が警備室でそこも入り口だと思う水谷譲。
各階にある出入口。
非常口。
頭の中にも非常口がある。
「非常口から入って来る記憶」というのもあって、このあたりがどうやらゴキブリが入ってきた入り口と似ているということ。

「忘れる」ということの重大性を語っている。
これも触れておかなければいけない。
覚えているとどうなるか?
人間は記憶がある。
記憶はどんどん消えていく。
消えてゆかないとどうなるか?
頭の引き出しがいっぱいになってと思う水谷譲。
それがサヴァン症候群になる。
あれは記憶が消えてゆかない
これは凄く辛いらしい。
消えてゆくのがアルツハイマー、統合失調症、パーキンソン等々言われているが、サヴァン等々記憶障害というのは消えてゆかない。
どうなるかというと、子供なんかがそうだが

家の本棚に並んでいる本のうち、一冊の置き場所がわずかに変わっただけでも不満を募らせ、本がすぐさま元の場所に戻されなければ、かんしゃくを起こす。−中略−母親が通学路を変えようとしただけでもフレディは怒りを爆発させ(56頁)

(番組ではサヴァン症候群の例として紹介しているが、本では「サヴァン症候群」とは紹介されていない)
最近これは見つかったのだが、動物、ネズミなんかにもあるそうで。
行き止まりに出会うと、そこで餓死するネズミもいるという。
だから忘れることによって新規を探そうという意欲があるという。
そしてこのスモール博士の中でゴキブリが消えてゆかない岩田さんにピッタリだなと思って一生懸命読んだのが、水谷譲が言う通り「PTSD」「心的外傷後ストレス障害」。
思い出が消えてゆかない。
消えてゆかないどころか、その思い出が出始めると、もうそれ以外考えられなくなってしまうという、やはり「記憶のやけど」みたいなことが心的外傷、心の傷跡になる。
例えばPTSDによくみられるのは、戦場で辛い体験をすると、花火大会がダメになる。
バーン!という花火の破裂した音が聞こえると、戦場の思い出が克明に蘇ってくるという。
睡眠障害や突然の怒り、フラッシュバックによる精神的苦痛と混乱があるという。
「ゴキブリの記憶」というのはちょっとPTSDと呼ぶには軽すぎるが、岩田さんに現れている障害そのものはこれぐらい強いもの。
これは受け付けを通ってきた記憶ではない。
非常口から入ってきた。
非常口を開けたものだから、このビルもそうだと思うが、警備室のサイレンが鳴っている。
それで赤いランプが回る。
それが岩田さんの場合のゴキブリ。
だから非常口を閉めないとダメ。
閉めればサイレンと赤色灯の回転が止むという。
PTSDもそうで、そのゴキブリとはあまりにも違うかも知れないが、この博士が調べられたのは、戦場でのPTSDの人を扱ってらっしゃる。
お肉を食べようと思って肉を見ていたら、それが友人の撃たれた後の傷跡に見えたりするという。
それでもう、手が震えるというような心的障害が出てくるワケで。
でもならない人もいる。
「ランボー」とかというのがあって、ベトナムの戦場での傷が生々しくて、普段の市民の生活に戻ってもそこが突然戦場に見えたりなんかするというPTSDを患う。

ランボー/怒りの脱出 [DVD]


だが、ベトナムから帰還してきた人でもなっていない人もいる。
このスモール博士の調べ方が、なっていない人を全部調べる。
このPTSDを探っていくと、これは岩田さんに使える。
つまり非常口を閉めることだから。
これが面白い。
友達がいるかいないか。
戦争でもの凄い体験をする。
やはり戦闘の体験は心に凄い。
それは極限。
ところが基地に帰ってきて、友人と一緒に今日の戦場の話をしている。
それは悲惨な話。
ところがその悲惨な話を五人、六人で分け合ううちにフッと笑い話になったりすることもある。
「あん時さぁ、敵の姿見えたんだ。俺、ションベン漏らしちゃったよ」と言ったら横のヤツが「俺もだよ」と言った瞬間に男同士が笑う。
その間に心の重大な傷として扱わず、非常口を閉める。
そういうことがあるので、まだ他にも非常口を閉める秘訣がある。
心の傷が無かった人をよく調べると、基地に戻って仲間達と今日の出来事、戦場での殺し合いを語り合ううちに笑い話が生まれたりすると、比較的傷になりにくいという。
PTSDほど重くはないにしても、嫌なことがあった時に仲間とお酒を呑みながら共有して笑い飛ばせば忘れられると思う水谷譲。
「笑い飛ばす」というが、本当に「飛ばす」。
あれは飛ぶものもある。
皆さん、「この先も辛いことはあるかも知れないが、とりあえず毎日少しずつ笑いも貯金していくとあなたの重大なパワーになります」ということ。
そしてPTSD、心的な障害に関しては、こんな方法も、ということでこの博士が挙げてらっしゃるのが

 PTSDの一般的な治療法は、−中略−曝露療法(エクスポージャー)の論理で、この療法では、安全な状況のなかで、不安を引き起こす刺激に患者を何度もさらす。(97頁)

これは別の言い方で「クローゼットのドクロ」という。
これはあまりいい例えではないが、わかりやすので話すが。
誰かを殺してしまってクローゼットの中に白骨を隠している。
毎日ドキドキするけれども、ドキドキしない方法が一つだけある。
それは何かというと、毎日クローゼットを開けてドクロを見慣れてしまうことだ、という。
そういう刺激の仕方。
慣れてしまう。
そういうことが、人間の心の傷をだんだん塞いでくれるという。
だから岩田さんに勧めたのは「鈴虫を飼いましょう」。
ゴキブリとスズムシは似ている。
それはスズムシ好きな人は怒るのではないかと思う水谷譲。
あの色といい何といい。
一瞬でも「スズムシ可愛い」と思うとエクスポージャー、暴露療法で怯えなくなる。
もう一つ岩田さんに勧めたのが仮装。
例えばハロウィンなんかでゴキブリの恰好をして友達とゴキブリパーティーをやる。
やりたくないと思う水谷譲。
お祭り騒ぎ。
とにかくゴキブリに接近する。
ショック療法みたいな感じかと思う水谷譲。
もう今、嫌いな人達は、(「ゴキブリ」という)その名前を聞くだけで「鉄矢さんやめて!」となっていると思う水谷譲。
そういう方もいらっしゃるだろう。
でも、何てことない人もいる。
テレビでやった時は凄いものをスタッフは見つけて。
ゴキブリを殺す薬のコマーシャルをやっていたことがあって、ゴキブリの恰好をしたことがあった。
最後はその恰好で岩田さんに「友達になってください」と頭を下げるところで番組は終わった。

本題に入る。

体が脅威を感知したときには、偏桃体が実質的に神経系の「司令塔」として処理に当たる。−中略−偏桃体は、必要とあらば危険信号を徐々に増していき、ついには「緊急事態発生! 緊急事態発生!」とがなりたてる。−中略−こうして偏桃体は、記憶の何気ない事実──いつ、どこで、何を──に感情の色を塗るのだ。(92頁)

入り口、受け付けを通った時は目・鼻・口とかと全部バラバラにした。
非常口から入ってきた時は「これ、大変だから」というので丸々思い出にしまってある。
だから思い出すのは頭から全部思い出してしまう。
それで頭の中がいっぱいに広がる。
丸ごと飲み込むような、そんな無理がこの偏桃体から入って来る記憶にある。
これはもともと体に悪い思い出。
「二度とこんな目に遭わないように」ということで取ってある。
そういう記憶のしまい方もあるという。
一番大事なことは、この偏桃体から入って来た暴走する思い出に関して、ユーモアを加えることによって断ち切っていく、分解していく。
笑う力は大事。
上司の悪口を言った時も、最後にその上司に変なあだ名を付けたりすると笑い飛ばせるし、ユーモアは大切だと思う水谷譲。


2026年03月07日

2025年12月15〜26日◆バルセロナで豆腐屋になった(後編)

これの続きです。

バルセロナで豆腐屋さんになったという清水さんのお話。
清水さんが様々な工夫をするワケだが、中でも一番工夫したのが水の問題。

バルセロナは、水道水に含まれるカルシム分がきわめて多く、硬度が高い。−中略−豆腐づくりにはカルシウムが少ない軟水が良いとされ(60頁)

水道水のカルシウムを除去する装置を取り付けるが、そのカルシウム除去水をボイラーだけでなく作業場でも使えるように壁に埋め込んだ配管である。(59頁)

防腐剤や保存料を使わずに豆腐の鮮度を保つには冷やすほかない。豆腐を芯まで冷やすには氷水に入れるのがいちばん速いので(116頁)

そうすると買っていただいて醤油をちょこっと垂らして喰うと・・・
大豆の味がほのかに豆腐の肌理から湧いてくるという、あのジャパニーズ豆腐になるそうで。
唸るほどうまいという。

商売敵だが、バルセロナには中華の人の豆腐店があるそうで。
考えてみたら、豆腐とは元々中国のもので。
これが奈良・平安の頃に日本に入ってきて、日本人は日本人なりに豆腐の味を磨いたワケで。

バルセロナで中国の人がつくっている豆腐は、一丁が一.三ユーロ(約160円)で売られていた。(108頁)

清水さんはもうひたすら「三方よし」を貫く。
ジャパンファースト。
これは、あの党の方も覚えておいてください。
「ジャパンファースト」は日本を大事にすることではなくて、日本が国際的な世界に行った時は「三方よし」を貫く。
「あなたよし」「私よし」「世間よし」という。
これがジャパンファーストである、と。

ひたすら清水さんは日本の豆腐をバルセロナで作り、売り続ける。
そうするとここが大事なのだが、「日本」がだんだん商売になっていったという実感を持ってらっしゃる。

 開業から四年目の六月、−中略−国際都市であるバルセロナは、初めての事業として異国の文化を代表する一二の店を選び、表彰することになった。その中に私の豆腐屋が含まれているという。(121頁)

それで行ったらば、そのバルセロナの市長さんか何かから「ヒョーショージョー」と言いながら、表彰状を貰ったという。
(本によると表彰式があったことがわからず、当日は欠席だった)
それは異国の町に来て他の国の食物を美味しく安全に提供し続けたから「アンタは偉い」という表彰状だったという。

 表彰するということは、それらを生んだ国や地域に対して「リスペクト」するという意志表示でもある。(132頁)

清水さんは「こういうとこ、日本も真似しちゃどうですかね」。
東京都知事、何か緑のおばさんが、例えば韓国料理でキムチが抜群に美味いというところを「最高のキムチの味を日本に紹介した韓国の〇〇さん」。
そういうのはいいと思う水谷譲。
「ここのパンは美味しいですよ」とか「ここのチーズケーキは」「ここのピザは」そんなふうにして、よそから入ってきた食物に関して絶賛して「いやぁ口に合います」ということを表彰する。
「そういうことがあってもよくない?」という。
これはぜひ都庁の方で計画してみてください。
誰も嫌わないし。
経済効果にもつながると思う水谷譲。
そんなふうにして「この日本という国の文化に上手く溶け込んだら得することたくさんありますよ」という提案も、「ジャパンファースト」と言っていてはダメ。
はっきり言わせてもらうが、日本人でありながら「こいつ日本人か?」と思う人がいる。
それはちょっとラジオだから思い切って言わせてもらうが。
「ジャパンファースト」と言うならば「あるジャパンを持っている人じゃないとファーストしてあげないよ」という。
そのジャパンファーストに足並みをそろえていきたいと思っているインバウンドの人も「あなた方もファーストですよ」という、ファーストの基準を「日本」ではなくて「ファースト」に作る。
今いいことを言ってしまった。
自分の言葉に自分で感動して涙が出てきた武田先生。
「ジャパン」「ジャパニーズ」ではなくて「ファースト」の方に目を持ったらどうだろうか?

更に海外事情。
清水さんが教えてくださる
これでやっとわかる。
何でバルセロナで豆腐屋をやろうと思ったか。

バルセロナ市内には二〇〇軒以上の日本食レストランがあるということだった。−中略−ただし、そのうち日本人が経営する店は四〇軒ほどしかなく、八割近くは中華料理店が看板替えしたものだという。(137頁)

 街のいたるところに「SUSHI」の看板がある。入り口に置かれたメニューを見ると、ほとんどの店が「GYOZA」も載せている。日本人のお客は、そういう店を「なんちゃって日本食レストラン」と呼んでいた。(138頁)

武田先生もカナダでジャパニーズレストランに入ったことがあるが、モントリオールか何かで喰ったのだが、そこはお刺身の船盛りの横が鍋物だった。
ジャパンは、これはやらない。
寿司と餃子は一緒に扱わない。
それと火が出るものとお刺身を横に並べたりしない。
武田先生が行ったそのカナダのそのお店はフィリピン訛りの人だった。
ここで一つだけ肝に銘じておかなければならないのは、スペインでは「日本」は商売になるということ。
そのことがこの方を豆腐作りに走らせたのではないのか?
「豆腐」ではなく「日本」を売りたかった。

「バルセロナで豆腐屋になった」
この本を読みながら、武田先生は「ジャパン」或いは「ジャパニーズ」とは何だろうか?とつくづく考えたワケで。
水谷譲もジャパンファーストについて今週・先週で考え直した。
ちょっと驕っていると思う水谷譲。
朝、散歩するお宮さんの前で、一瞬だけ本殿の方を向いて御辞儀をする人がいる。
あれは姿がいい。
武田先生のすぐの近くの神社で七五三を十一月にしきりにやっていたが、神社の鳥居の下は観光客の人。
インバウンド。
神社に着物を着て石段を上がっていくのが、もうたまらないぐらいエキゾチックに見えるらしい。

スペイン・バルセロナに於ける、ジャパン・ジャパニーズ。
清水さんの観察。

広島風お好み焼きと関西風お好み焼きの店が相次いで開店した。焼きそばやたこ焼きなどを出す大衆酒場の店も登場した。−中略−イギリス人が茶そばと焼き鳥の店を開いた。(138頁)

ある意味で世界中の人達から見ると、「日本」というのは商売になる。

 一九八三年開業の老舗だが、お菓子の「OCHIAI」の存在も大きい。店主の落合尚さんは、大福、まんじゅう、どら焼きなどの和菓子だけでなく、モンブランやショートケーキなどの洋菓子もつくっている。(138頁)

やはりどら焼きを食べたい時にカルメンが言うのだろう。
「ドラヤキ、ドラヤーキ。ドラえもんも好きなドラヤーキ」というのが行くのだろう。

 その背景に、日本そのものに対する高い評価があったことを見過ごすことはできない。
 年配のスペイン人は「キヤノン」「ニコン」「ソニー」「パナソニック」などの名をあげて、日本製品の良さをたたえる。
−中略−「ホンダ、カワサキ、ヤマハ、スズキ」と続け、「日本製が最高だ」という。(139頁)

いいキャメラを持っていると「オーゥ!キャノン?」と。
そういう言い方をするように、日本というのはその名称だけで十分商売に成り得るという。

 三〇代より若いスペイン人は「漫画やアニメのファンだから日本が好き」という人がほとんどだ。スペインには子ども向けにアニメを放送するチャンネルがあり、「ドラえもん」「ドラゴンボール」「キャプテン翼」などを見て育った世代が社会の中堅になりつつある。(139頁)

スペインのもの凄く強いチームが特殊な陣形のことを「キャプテン翼!」と言うらしい。
「キャプテン翼」というのが作戦用語で使われるくらい有名だという。

ベジタリアン向けのレストランを訪れたら、壁の一面が「となりのトトロ」の絵で飾られていた。コースターの図柄も「トトロ」だった。(139頁)

つまり日本から流れ込んでくるものが商売に活かせるという。

もちろん言っておくが、これはちょっと古い情報。
十年以上の歳月がこの情報に関しては経っているが、武田先生は意外とこれは今でもそうなのではないかなというふうに思う。

それからもう一つ、うぬぼれてはいけないという警鐘でこんなことを清水さんはおっしゃりたかったのだろう。
格別の人を取り上げていて。

 北部のパルスという村に住むアルベルトさんは農薬を使わずに「あきたこまち」と「コシヒカリ」を栽培している。(141頁)

(番組内で「ルス」と言っているようだが「ルス」)
手作業で日本のお百姓さんを見習って無農薬。
アルベルトさんは日本人は無農薬で作ると聞いたのだろう。
無農薬で頑張っておられて。

しかも乾燥機を使用せず陽光と風だけで自然乾燥させる。(141頁)

この方の米が抜群に美味いそうだ。
何と5kg4600円。
今の日本と同じぐらい。
もうちょっと今は値上がりしているかも知れないが。
だいたい340ユーロぐらいで。

スペインでは「超」の字がつくほど高い値段である。(142頁)

とにかく味が抜群なので。
このアルベルトさんというのはもの凄く米作りに熱心だそうだ。
だから「日本で採れたから」なんてうぬぼれてはダメで。
「日本人のやり方をここまで見習っているスペインのお爺さんがいるんだ」という。
「ジャパン」「ジャパニーズファースト」じゃなくて、「ファーストたるべき資格を持った『ジャパン』『ジャパニーズファースト』でなければならない」という。
今日もいいことを言ってしまった。
とにかく味は抜群で、バルセロナでは日本食の相棒として皆さんがアルベルトさんのお米を求めるそうだ。
これは凄い。
「アルベルトさんの米は美味ぇ」
「アルベルトさんのあきたこまちは日本一・・・」
「日本」一ではない。

南フランスの和食レストランは、フェイスブックの告知を見て、わざわざ買いに来た。「ご飯は和食の柱だから」と言った。(142頁)

白米に対しての味が基準。
だから「白米、白いご飯の美味さ」というのが高くないと、相対的に味は・・・
つまり米が日本食の基準の全てである。
だからこういうことを報告しながら清水さんは「日本の方、油断しちゃダメですよ。それは『ファースト』で守ってもらえません。海外でこれぐらい米作りに打ち込んでる人もいるんだから」とおっしゃっている。

 農薬は米の胚芽などにたまりやすい。−中略−大勢の客に「米ぬかもほしい」と言われ、−中略−まとめ買いした和食レストランは「ぬか漬けをメニューに加える」という。(142頁)

清水さんは「日本人の人、日本人であることに甘えないでくださいね」という、これは彼の忠告が入っているのだろう。

ピレネー山脈が地中海に落ち込むモンセニーという地域で、−中略−ワサビの栽培に成功した。(144頁)

だが、アルベルトさんみたいな人がいるから、これはこれでまた「逆輸入しなければならないぐらい美味かったらどうしよう」というようなもの。
こんなのはフランスから飛行機で、すぐに買いに来そう。

さあ、ここから。
武田先生がこの本の中で一番感動した話。
著者はこんな人を紹介している。

 純子さんはバルセロナで初めての日本式カフェを開いて成功した。
 航空会社に入社して客室乗務員になり、東京で暮らしていたが、勤続一〇年が近づいたころ、
(147頁)

女ざかりの頃にこういう・・・
「女ざかり」は差別用語だろう。
「女ざかり」は嬉しい言葉だと思う水谷譲。
昔の探偵もので「美人女子大生殺人事件」というのがあったが、あれは子供心に「美人じゃなかったら何て書かれるんだろう」と思ったことがあったが。
純子さんに話を戻す。

JR品川駅のホームでめまいがして倒れた。一緒に並んでいた人たちは、だれも助けようとせず、声もかけずに電車に乗り込んだ。(147頁)

この瞬間に純子さんはこの国に愛想が尽きた。
それで「こんな国、出ていってやる」と思ったという。
冷たい日本人に腹が立ったのだろう。
ヘイトジャパン。
日本が憎くて仕方なくなり、スペインへ。
スペインへ来ると何となく「みんないいな」という。
そこでまた恋人も見つかって2006年からバルセロナに住んでおられたという。
(本によると恋人はバルセロナに行く前からいた)
もう日本みたいにしがらみとか上下関係とか、そういうのが一切無い異国の暮らしが彼女を生き生きと蘇らせた。
ジャパンファーストを訴える方も考えてね。
こういう日本の方もおられる。
「日本が大嫌い」という方もいらっしゃるので、「ジャパン」「ジャパンファースト」なんていうのは逆の方もいられるということを含みおかれて、ぜひその言葉に重みを与えてください。
この純子さんにとって、日本は実につまらぬ国だった。
ところが突然のことが起きる。

 アジア食材店で大福を買って食べたらあまりにもまずくて「これが日本の大福だと思われることは許せない」と怒りが湧いた。(148頁)

何と彼女の中で突然「日本」が破裂した。

もち米の粉や小豆を買い、台所で試作を重ねた。満足のゆくものができたので、知り合いのレストランに持ち込んで評価してもらった。私の店にも「試食してください」と持ってきた
 とてもおいしい大福だった。
(149頁)

何と彼女はやりくりしたのだろう。
カフェを開店。
恐らく日本茶と大福の店。
「この大福がこの人のジャパンに火を点けた」というのが面白くて仕方がない武田先生。
日本が嫌で、日本人が嫌で出てきたのに結局「日本」だと思う水谷譲。
そう。
もちろん「それは大福のことじゃないか」と言うのだが、ここでもそう。
「日本」が商売になってしまう。
彼女がカフェを開いた。
そうしたらどんどんスペインの人がやってくる。
それで大福を喰いながら「美味しいよ」とかと言う。

カフェを開店すると、さらに新商品を繰り出した。飲み物は日本のカルピスやメロンソーダ、菓子は−中略−抹茶ケーキ、そしてメロンパンや(149頁)

スペイン人の間でメロンパンは話題になった。(148〜149頁)

スペインにはメロンパンは無いのかと思う水谷譲。
あるワケがない。
あれはメロンとは何の関係も無い。
だからメロンパンはいい。
武田先生はメロンパンだけはうるさいので。
メロンの臭いのするクリームなど中に入れて欲しくない武田先生。
メロンパンは引きちぎっても何も入っていないからメロンパン。
あれはつまり「メロンを喰ってる夢をこれで見ろ」というヤツ。
武田先生はそう思う。
あの手の菓子類パンの中で中身が無いのはメロンパンだけ。
アンパンでもジャムパンでもクリームパンでも中身が入っている。
メロンパンはそうではない。
「中身が入っている夢を見ろ」というパン。
メロンが入っている夢を見る。
とにかくこのメロンパンがスペインで大ヒットしたという。
この日本大嫌いのこの純子さんも彼女がカフェを成功させる、その支えになったのはジャパニーズ商品。
カルピス、初恋の味。
メロンソーダなんて日本人しかいない。
メロンソーダは日本なのかと思う水谷譲。
誰が考える?こんなもん。
あれはメロンと何にも関係ない。
あれも夢見る飲み物。
あの緑色を見て「メロンを飲んでいると思え」という。
メロンパンはあの形を見て「メロンを思い出せ」「メロンを夢見ろ」。
でもそこに存在価値がある。
メロンソーダはメロンの味はしないと思う水谷譲。
当たり前。
夏になったらあれにアイスクリームを乗せて。
そういう不思議な食べ物
そこも込みでの「ジャパニーズ」「日本のもの」。
抹茶ケーキ。
ケーキとお茶をドッキング
今、抹茶は凄い。
フランス等でも流行って凄いと思う水谷譲。
抹茶ブームで、抹茶を飲みながら「落ち着くぅ」というヤツが外国人でいる。

焼きそばパンも。「こんなのがあったらいいな」と思いついたものを次々とつくった。(149頁)

焼きそばパンもこのカフェでは大当たりで。
あれは日本かと思う水谷譲。
ヌードルをパンに挟む。
ソース焼きそばは日本だと思う水谷譲。

 開業して一〇年が過ぎたが、店の経営は順調だ。開業当時から守ってきたことが一つある。夏に六週間、冬に一週間のバカンスを必ずとることだ。「食べ物は日本がいいけれど、働き方はスペイン流がいいと思うので」という。(150頁)

満点の人生だろう。
彼女の中に大福一個分の日本が眠っていた。
彼女の怒りは「こんな不味いもの」という。
その怒り。
つまり彼女の「日本」は「裏切らない味の大福」だった。
そこらへん、大福一個でさえも決していい加減な食べ物にしない、という。
それが彼女が開いたカフェの中にはカルピスにもメロンソーダにも抹茶ケーキにも、メロンパン、焼きそばパン、そういうものに全部こもっているのではないか?
私達は「ファースト」にすぐ「何かを持っている日本人じゃないと」という話。

純子さんの話は大好き。
「こんなものが日本の大福だと思われたら困っちまう」というので大福屋さんに自らなったという。
カフェを開くと日本の食べ物を次々思い出して大好評の喫茶店を開くようになったという。
大福や好評のメロンパンも実は日本。
日本ゆえに生まれたものだし。
選挙では大きな得票を集めた「ジャパニーズファースト」だが、やはりそれは大福一個でも「こんなものが日本の」というフレーズを持っているか持っていないかが「ファーストしてもらえるジャパン」と「ジャパニーズ」ではないだろうか?

ずっとお話してきた清水さんの豆腐店。
これだけのサポートが集まって、豆腐作りに励んだのはまさに豆腐に「日本」があるからではないだろうか?

 開業して二年目を迎えたころから、国外で暮らす日本人の来店が目立つようになった。(153頁)

豆腐を売っているというだけで、やっている青年がぶらっと訪ねてきて「ここですか」と言いながら豆腐一丁を喰って帰るのだろう。
彼等はもちろんだが清水豆腐店に豆腐を求めてきたのではないワケで。
彼等は何を探しに来たかというと日本をバルセロナで探している。
豆腐に宿る日本を訪ねてきている。
そういう意味では、どんな小さなものにでさえも日本が宿っているという。
そういう精神を持っていないと日本、或いは日本人というものは務まらない、らしくない、というか。
「そういう日本人でありたいな」と思う。

この後も本は本当にギッシリで、2011年の東日本の大震災から福島の原発事故。
これでスペインでも日本の食品は汚染が疑われるというような目に遭ったりするのだが、清水さんは耐える。
そして続いてコロナ・パンデミック。
これでも苦労の多い稼業を必死になって切り盛りなさっているという清水さんのやはり「三方よし」精神。
「客よし」「売り手よし」「世間よし」という。
これを貫くという清水さんがあるワケだが、ちょっと残念というか当然のゴールだが、2020年にこの豆腐屋さんを新しい世代に渡して奥様と二人で静かな暮らしに入られた清水さん。
その後はどうなさったかは、どうぞこの一冊を読んで訪ねていただければというふうに思うのだが、このバルセロナの豆腐店を次の方に譲りたいと言った時も手が結構挙がったらしい。
つまりその人達の胸の中にあるのも、日本の街角で地味な豆腐屋さんのあの美味い豆腐という。
それをバルセロナで作ってみたい、という。
そういう「豆腐の中にある何事か」を継ぎたいという方がいらっしゃるということ。
清水さんはその本の中で何があろうと力を貸してくれた友人、後輩、そして新世代に感謝しておられる。
豆腐に宿る「ジャパン」。
その「ジャパン」には皆が繋がってゆく何か縁(えにし)があるのではないか?と武田先生は読んだワケで。
少々ひねくれた言い方も見方もあったかも知れないが、ジャパンファースト、ジャパニーズファーストの中に「ファーストにせねばならぬ」という、そういう日本人の思いがあるのではないだろうか?というふうに思ったりした。

60歳過ぎて海外で暮らそうとか、しかもそこで豆腐作ろうとか、毎朝早く起きようなんていう思いも無いので恥ずかしくなった水谷譲。
ジャパンファーストを考え直して、何がジャパンファーストなのかと思う水谷譲。
「自国民を保護せよ」ということではない。
「自国民」ではない。
ジャパン。
あなたの胸の中に「ジャパン」「ジャパニーズ」があるか?
そういう思いが無いと「ジャパンファースト」「ジャパニーズファースト」というのは語れませんぜ。
何かそういう気がする。

これは本は面白い。
それと本当にマジに豆腐の作り方はもう必死。
文字で読んでも想像できない。
「先っぽに穴が空いている櫂で左右にワンツーで回す」とかと書いてあるのだが、これは道具を見たりなんかするとわかりやすいので、豆腐の作り方と一緒にこの本を読むと本当に苦労がわかる。
今、凄く豆腐を食べたい水谷譲。
豆腐の歌を作った武田先生。
「面倒なこと全部片づけて冷奴」
冷たいお酒でいただけば何も世の中に文句が無くなる。
そういう一句を俳句で知った。
「湯豆腐や今日もまだまだ生きている」とか、そういうの。
柔らかい湯豆腐に箸を入れて、すくってタレに持ってくる・・・
湯豆腐もいいと思う水谷譲。
「この世の中、文句は何も無え」という。
またキューッと一杯呑んでクゥ〜ッ!と言うと、人生ここに尽きるのである。
豆腐の話だった。

2025年12月15〜26日◆バルセロナで豆腐屋になった(前編)

2025年9月22日〜10月3日◆日本語教師、外国人に日本語を学ぶの最後の方にこの本の予告があった)

本のタイトルをそのままいただいた。
岩波新書、清水建宇さんという方がお書きになった本で「バルセロナで豆腐屋になった」という。

バルセロナで豆腐屋になった──定年後の「一身二生」奮闘記 (岩波新書 新赤版 2051)


この本のタイトルを見ただけで「商売になるの?バルセロナで豆腐屋が」という。
どういうことかな?と思って手を伸ばした本だが、これが何ともはや、「バルセロナで豆腐屋になった──定年後の『一身二生』奮闘記」とある。
つまり定年の後に「一つの体で二つの人生を送りたい」という、そういう願望を持っておられたのだろう。
だからこの方は定年後にスペインのバルセロナで豆腐屋さんになったという。
だが60歳で豆腐屋さんになるというのも大冒険だろうに、この方はどうしてまたそうまでして豆腐屋さんになりたかったのか?
こういう疑問があるワケで。
凄い方。
因みにマルコ・ポーロというイタリアの人は1271年、東へ真っすぐ行った。
20年に及ぶその旅をヴェネツィアに帰って旅行記「東方見聞録」にまとめた。
それでさえ大偉業だと言われているのに、この清水さんという方は「西方見聞録」。
もともと豆腐屋さんだったワケではないのかと思う水谷譲。
一番武田先生が心配したのは「バルセロナで豆腐が売れるのか」。
そこのところも非常に不吉なものを感じて。
スペインの奥さんでカルメンみたいな人が来てバラの花を咥えて「豆腐二丁ちょうだい。キヌゴッシー」とかがあると思うか?
異国の地であるバルセロナの人々にとって豆腐屋を始めた日本人。
これはどういう感情なのだろう?と。
丁度この本を読んでいる頃に選挙がたけなわで、日本のとある政党が「自国民ファースト」。
「自国民と流れ込んできた外国人を区別せよ」という主張をその政党の方はおっしゃっていたが、彼等はもの凄い得票率を集めたワケで。
その時に日本人がバルセロナで豆腐屋を始めるというのは、ご近所の迷惑になったらどうするんだという気遣いもある。
それ故に興味も湧く。

まずは水谷譲が興味を持たれたが「どういう人なんですか?」。
清水建宇さん。
1947年生まれ。
団塊の世代。
典型的戦後生まれの方。

朝日新聞社入社.−中略−『週刊朝日』副編集長.−中略−2000年1月から2003年3月までテレビ朝日「ニュースステーション」でコメンテーター.(奥付)

文筆業からテレビのコメンテーターまでこなしたというメディアの人で。
それにしても、その人が何でまたバルセロナで豆腐屋をやろうと思ったかという。
興味津々でページをめくったというワケで。
この定年後、初老の身でありながら豆腐屋を決心した彼だが、彼には強い思いがあって

「一身にして二生を経る」という言葉が私の頭に突き刺さった。−中略−
 知りえた限りでは、福沢諭吉が「文明論之概略」で書いたのが初めてのようだ。
−中略−まるで一つのからだで二つの人生を生きるかのように、一人の中に二人いるかのように) 
 福沢諭吉は、明治維新の前と後とで学問や研究が様変わりしたことを言おうとしているのだろう。国家や社会の仕組み、衣服、髪型までも一変した明治維新にあっては、学問や教育も変わらざるを得ない。
(6頁)

清水さんが挙げられたのは福沢諭吉ではなくて伊能忠敬。

 ──忠敬は一七四五年二月、千葉県の九十九里町で生まれた。(4頁)

「佐原囃子が聴こえてくらあ、(三波春夫「大利根無情」)

大利根無情(台詞入り)


の「佐原」。

 十七のとき、佐原村の大地主であり、酒やみそ、しょうゆの醸造、米・薪問屋、廻船業などを営む伊能家に見込まれて婿養子になった。(4頁)

四九歳で隠居(4頁)

それであっと驚くなかれ、日本地図を作るという。

全国を徒歩で調べた。歩いた距離は四万三七〇七キロ。地球一周分にあたる。−中略−七三歳まで生きた。(5頁)

清水さんは実は20、30年前からメディア、朝日新聞に勤めながら「老後は豆腐屋やりたいな」と思っていたという。
でないと、豆腐屋なんかできるものではない。
それもスペイン、異国の町・バルセロナを狙ったという。
凄い狙い目だが、でもご同輩、同じような年齢、団塊の世代の方、そういう方が我等の仲間にいるということを覚えておきましょう。
60歳から何とスペインで豆腐屋を開業したという。
そんな先達がいる。
この豆腐屋、いかになるか?
何という数奇な人生。
その綿密さというのは武田先生が驚いたのは、この方は定年の直前、60歳直前でスペイン語を学びつつ、豆腐作りを習う為に引っ越しまでしてらっしゃる。

京成線の駅前にある豆腐屋だった。−中略−修行させてほしいと頼むと、二つ返事で引き受けてくれた。(20頁)

 自転車をこいで午前五時に三河屋に着くと(22頁)

(番組では初めに修行した店と次に修行した店を混ぜて紹介しているが、一軒目が京成線の店、二軒目が三河屋豆腐店)

ご主人の鈴木光男さんは−中略−修業時代から数えると豆腐づくりの経験はやはり五〇年近い。(22頁)

本に詳しく書いてあるが、それを読んでもわからないから、武田先生はいろいろ調べた。
写真入りで豆腐の作り方とか勉強しながら本を読み進まないと、何が書いてあるかわからない。
ざっとだが、その三河屋さんで、どんな修行をしたかというのを語る。
豆腐の作り方。

ひと晩水に浸けた大豆を、加水しながら豆すり機でつぶし、ドロドロの状態にしたものを「呉」と呼ぶ。それを圧力釜に移して煮る。煮えたなと思ったら、絞り機にかけて豆乳とオカラに分離する。−中略−鈴木さんは木桶を床の空いたところに移し、木の櫂でゆっくりかき混ぜた後、「ワンツー」と呼ばれる道具を持ってきた。直径五〇センチくらいのステンレス製の円盤に一〇ほどの穴をあけ、二本の腕木を取り付けたものだ。これを豆乳の上から押し込むと、穴から逆流して、一気にかき混ぜることができる。(25〜26頁)

それからにがり、凝固剤を入れる。
分量は100に対して1ほど。
これで静かに澄ます。
豆腐が固まるまで、約20分待つ。
固まるとこれを箱型のまま、水槽に沈めて冷やす。
これで絹ごし豆腐が出来上がる。
絹ごしを作るまで大変。
これは手仕事。
これで絹ごしが出来上がる。
それでは木綿豆腐はどうやって作る?
初めてこの本で知った。
今度はやや薄めの豆乳で絞り、同じくこれを固めてこの豆腐を一回くずすそうだ。
それで木綿の布巾を敷いて箱に入れてゆっくりと絞る。
20分ほどで固めたものが木綿豆腐になる。
(このあたりの作り方の説明は、いろいろ内容が混ざっていて、正しくない部分がある)
豆腐屋さんの忙しさはこれだけではない。
これから「がんも」を作る。

豆腐の切れ端や前日の豆腐を砕いたものを出して、がんもの準備を始めた。水にさらした後、布袋に入れて二枚の板に挟み、重石を載せる。(27頁)

水気を抜いて片手で戻るほどの硬さになったらよし。
ニンジン、ゴボウ、きくらげ、具などを切込み、これを昆布だしでしっかり煮込む。
具は何でもOKで他に銀杏、チーズ。
美味しそうだが大変。
豆腐屋さんは、この隙にまだ作る。
油揚げを作らないと豆腐屋さんじゃない。

薄い豆乳で生地をつくった後、息子さんが切り分けて板に並べ、一時間ほど重石をかけて脱水する。それから一枚ずつ低温の油槽に入れてふくらませる。(21頁)

伸びたら高温の油槽に移し、キツネ色に仕上げる。(31頁)

この油揚げが出来上がったら、仕事がまだある。
今度は厚揚げを作る。
木綿豆腐をそのまま180〜200℃の高温で表面をキツネ色に揚げる。
「中身は豆腐のまんま」ということで、食感のいい厚揚げ豆腐。
厚揚げ、油揚げ、がんも、木綿、絹ごし。
これを朝の何時間かで作らないと豆腐屋さんにならないという。
基本的に一人で。
でもやはり家族経営の方が多いそうだ。
全部商品を作った後、習慣なのだろう。
正午過ぎぐらいに休憩に入る。
だから「豆腐屋さん」というが皆さん、こんなに忙しい。
著者はもうクッタクタになるのだが、読んでいる読者の私共もクッタクタになるという。
考えてみれば定年退職前の人がこれだけの作業をやって豆腐作りを覚えたという。
怖いのは実習で教わっているのだが、間違えたら全部ダメ。
にがりの分量とか間違えたら売り物にならないから、もの凄い緊張だったそうだ。

問題はバルセロナで豆腐が売れるかどうか。
もうその一点が気になってこの本を読む推進力となった。
まずはその豆腐屋さんを始めるというバルセロナの町、どういう町か?

 バルセロナ市は市域の人口が一六〇万人。姉妹都市の神戸市とほぼ同じだ。(46頁)

通貨はユーロに切り替わっていて、2008年に開業を目指して。
(開業は2010年)
丁度その頃、スペインは不動産バブルがはじけた時で、この年の秋、アメリカでリーマン・ショックが覆うことになって、最悪の世界経済の最中。
何とこの著者はバルセロナで豆腐屋物件を探して。
何でバルセロナにしたのかと思う水谷譲。
わからない。
それは書いていない。
なぜバルセロナ、なぜ豆腐屋を。
(そのあたりの経緯は本の「はじめに」の部分に書いてある)
とにかくバルセロナで豆腐屋をやってみるという。

アリバウ通りに新しい「貸します」の看板が出ているのを見つけた。以前は花屋だった物件だ。(49〜50頁)

広さ一五〇平方メートル。(50頁)

約45坪。
畳92畳分。

示された月額家賃は二三〇〇ユーロ。(50頁)

(日本円に換算すると約)40万円。
(交渉の結果、実際の家賃は2100ユーロ)

 大豆をすりつぶした呉はドロドロの状態なので、直火で炊くと焦げやすい。だから多くの豆腐屋はボイラーから蒸気を釜に引き込んで煮る。(51頁)

だから店内に直火と蒸気の為のボイラーと湯気を出す煙突が必要。
豆腐屋さんから湯気が出ている。
その内装の許可を取って取付工事等を頼まないとダメだという。

不況のどん底だからこそチャンスに恵まれたと痛感した。(51頁)

家賃収入が無いから、家主さんは貸したくて貸したくてたまらない。
不況で頭を抱えているから「豆腐屋やります」とか、豆腐とかよくわからない。
「貸してやる貸してやる」ということで。
清水さんも考える。
バルセロナでウケる為には何をしたらいいか?
オカラでドーナツを作ろうと。
それから大豆があるワケなので、日本人の方も住んでらっしゃるので、遠くの日本人の商社マンなんかが買いに来てくれないかというので納豆も作ってみようと。
それで機材を集めて日本と往復しながら豆腐店を作る為の資材・機材を日本からバルセロナに送る。

日本の食材も置きたかった。みそ、しょうゆ、ソースなどの調味料、うどん、そば、即席めん(67頁)

そうしたら不思議なもので「それだけの店舗あったら家賃いくらか出すから俺、毎日弁当作ってくるんで、そこで弁当売らせてくれ」という。
それで開店が決まった時に、弁当も売ることになった。
(弁当を売ることになった経緯は本の内容とは異なる)
もちろんこれは清水さんに関係なく、友人が持ち込みの弁当を売るという。
それは日本人の友人。
ここからが凄い。
開店が迫ってきたら清水さんに豆腐作りを教えてくれた師匠二人が、落ち着くまでサポートやってやると言ってスペインに。
恐らく自腹だと思う。
飛んできてくれた。
(この二人は豆腐作りの師匠とは異なる)
これが2010年4月12日。
武田先生の疑問は「この人脈の広がりは何だろう?」と。
「弁当売らしてくれないか」という友人が現れたり、「オマエだけじゃまだ新人で危ないから教えた先生の俺が行ってやるよ」と、それも二人師匠が付きそうという。
新聞記者時代の人脈もあるだろうが、何でこれほど日本人のサポートが得られたか?
何だと思うか。
これは武田先生は本当に考えた。
清水さんの人柄があると思う水谷譲。
まずはそれ。
でもここに豆腐が引っかかる。
豆腐以外だったらこんなに日本人が来たか?
とにかく豆腐を売ることに関して、日本人のサポートが手厚く入ったという。
「異国の町に開店する」というだけではなくて、その奥底には「スペインで日本が試されている」という緊張が日本人の中に興ったのではないか?
「清水さんよ。俺達がしっかりいい豆腐作って、スペイン人に喰わせ無ぇと、こんなのが日本の豆腐なの?って舐められちゃあたまんねぇよな」という。
その「日本の豆腐を売るんだ」ということが、日本人の胸の中に火を点けたのではないだろうか?という。
武田先生はそんなふうに考えた。
「日本人の誇り」ということかと思う水谷譲。
その時、丁度選挙中だったので、とある政党の方が「ジャパニーズファースト」とおっしゃる。
この「ジャパン」或いは「ジャパニーズファースト」ということの中に、豆腐があるのではないか。
異国の人にとっては何てこと無い。
だが「ウマい豆腐」は何かを揺さぶる。
豆腐は美味しいのは本当に美味しいと思う水谷譲。
この冒険、まだまだ続く。

いよいよ(開店日の)その早朝。
集まった日本人全員で仕事、早朝5時開始。
絹、木綿豆腐、次に厚揚げ、がんも。
そしてオカラでドーナツを揚げて

外を見ると二〇人ほどの行列ができていた。午前一一の開店の三〇分前だったが(73〜74頁)

 私たちは手分けして豆腐や揚げ物、モヤシなどを冷蔵ショーケースに並べた。(74頁)

初日のお客は一〇八人。カミさんによると三割はスペイン語を話す人だったという。売上は千ユーロ(約一三万円)をわずかながら超えた。(74頁)

一番売れたのは弁当。

カツ丼、鶏の唐揚げ、幕の内といった定番メニューだけでなく、−中略−ベジタリアン向けの豆腐ステーキ弁当も出した。−中略−カツ丼は四.九ユーロ(六一〇円)、幕の内弁当でも五.七ユーロ(七一〇円)の値段をつけた(75〜76頁)

日本より安い。
(ということは無い)

スペインでは材料の肉や野菜が日本よりはるかに安いことを考慮して買いやすい値段にした。(76頁)

いなり寿司の三個入りパックを二.九ユーロ(三六〇円)で並べたところ、その日のうちに二五パックが売り切れた。(77頁)

豆乳のプリンや杏仁豆腐は女性客の評判が良かった。私がつくったオカラドーナツは、−中略−ほめてもらった。(77頁)

皆が自信を持ったのだが、その日のうちに同じマンションというか、アパートメントのスペイン人から抗議。

二人は険しい表情で「換気扇が夜中も回り続け、住民から眠れないと苦情があった。−中略−換気扇を使うのは朝八時以降とし、日曜と祝日は営業を認めない」と言った。私は謝罪し、誓約書に署名した。(74〜75頁)

このようなことで自分達の理屈をまず持ち出さない。
それが異国に住む心意気である、と。
「郷に入っては」ということだと思う水谷譲。
住民に合わせることで自分達の理屈を一切言わないこと。
これが異国で生きていくコツなんだ、と。
それよりも何よりも頑張るうちに建物住民にも便利に使われるようになった。
つまりだんだんと「朝うるさい」と言っていた人が、お弁当とかオカラドーナツとかを買うようになったという。

企業や役所の多くは昼休みが二時間あるので、自宅に帰って食事するとかレストランでゆっくり食べる人が多かった。
 不動産バブルの崩壊とリーマン・ショックが重なった深刻な不況が、この習慣に待ったをかけた。
−中略−昼休みを一時間に短縮する企業が増え始めた。
 一時間では帰宅して食事をすることは難しい。レストランでゆっくり食べるのも容易ではない。スペインの人にも弁当が支持されたのは、そういう事情があったからではないか。
(77〜78頁)

かつ丼弁当がもの凄い人気だったようだ。

オカラは−中略−四〇〇グラム入りの袋を「〇.三ユーロ(三八円)」と、タダ同然にした。(79頁)

 オカラが優れた食材であることは、私もよく知っていた。ゴボウよりも食物繊維がたくさん含まれている。(79頁)

これを説明すると、オカラがスペイン人の間に魔法の食べ物みたいなことで大人気になったという。

 納豆はうまくつくれなかった。−中略−いくらかき混ぜても糸を引かないのだ。(81頁)

これはスペインには納豆菌がいなかったのではないか?
人工の納豆菌を入れたとは思うが、スペインでやはり納豆は・・・
(番組では納豆は失敗という話で終わっているが、本の中では後に成功している)

 最大の誤算は、豆腐が予想していたほど売れないことだ。
 開業の初日こそたくさん売れたが、落ち着いてくると売れ行きが鈍った。
−中略−これでは「豆腐も売っている弁当屋さん」と言われても返す言葉がない。(83頁)

マドリードにも日本人が経営する日本の豆腐屋があることだ。−中略−マドリードとバルセロナとの距離は約六二〇キロ。−中略−工場は−中略−一〇人近い従業員が働いている。生産量は一日に三〇〇〇丁。スペイン全土に販売網を持ち、フランスやドイツにも輸出しているという。(84頁)

それはかなわないだろう。
これは長期保存だから、フランス、ドイツに輸出しなければいけない。

柔らかなビニール袋に豆腐と水が入っている。阿部さんたちは「豆腐をビニール袋に入れてから煮沸して殺菌したのではないか」という。そのせいか、消費期限は製造日から三週間と長くなっていた。−中略−堅くてざらざらした舌触りだ。(84頁)

このあたり、ライバルも登場してバルセロナ豆腐店、必死の闘いとなるワケだが、その闘いっぷりはまた明日ということ。
というワケでバルセロナで豆腐屋を開店したという方の一種冒険小説みたいなつもりで武田先生は読んでみた。

開業して次々とスペインでの豆腐ライバルが。
一日で千丁も作るというような豆腐大手。
清水さんはライバルの豆腐を試食しながら思う。
それは「私が売りたい豆腐とは違う」。
ここ。
彼が売りたい豆腐とは何か?
それは日本の街角の小さな豆腐屋さんのあの豆腐。
そういうこと。

 バルセロナの近郊に大きな豆腐工場があり、−中略−カマボコのように堅くて、真空パックになっている。消費期限は一カ月以上と長い。(85頁)

味の付いていないカマボコ。
これはどうも豆腐ステーキ用らしい。
焼く為の豆腐らしい。
生で食べる代物ではない。
豆腐に至る売り出し文句は「ダイエットに最高」という。

ドイツ製の豆腐が並んでいるが、これも真空パックされたカマボコのような堅い豆腐だ。ドイツ製はほとんど味付けされ、カレー味、マンゴー味、バジル入りなど色とりどりの製品が一〇種類以上ある。私はマンゴー味を買って食べてみたが、すぐ吐き出した。(86頁)

そうしたら清水さんは正直に「私の舌が受け付けなかった」という。
「もう豆腐ではない」ということかと思う水谷譲。
様々な工夫をしてらっしゃるのは確かに認めるが、「これは私が売りたい豆腐ではない」という。

こんなこともあったそうだ。
開業から二週間、近所のレストランから猛烈な抗議が入る。
だからやはり「バルセロナの人がみんな優しくて」ではなくて結構揺さぶられている。

「弁当の値段が安すぎる」と言われた。−中略−多くのレストランが昼食時に−中略−定食を出している。お得なコースで一〇ユーロ前後が多い。(87頁)

1700〜800円か、とにかく二千円近い。
ところが弁当は4ユーロ。
客が全部弁当の方に来てしまう。

「パリでは日本の豆腐が五ユーロもするそうですよ」と言う人もいた。(87頁)

7〜8百円。
清水さんはいくらで売っているかというと、1ユーロ。
(本によると1.7ユーロ)
妥当。

三河屋の値段とあまり違わないようにすることしか頭になかった。(87頁)

オカラは−中略−四〇〇グラム入りの袋を「〇.三ユーロ(三八円)」と、タダ同然にした。
 ある日、いつもオカラを買ってくれる女性客から「この値段はオカラに対して失礼だと思います」と叱られた。
(79頁)

全てが安過ぎる。

「安い値段で売るということは、私がつくる品物には価値がありませんと言っているのと同じことなんだよ」と激しい剣幕だった。(88頁)

清水さんは極端に安くするのをやめる。

豆腐などは〇.六ユーロ(二五円)値上げした。(87頁)

(番組では豆腐を二倍ちょっと上げたと言っているが、本によると上記の通り)

弁当は1ユーロ(一二五円)ずつ上乗せした。(87頁)

商売は「三方よし」。
「売り手よし」「買い手よし」「世間よし」。
この三つが円満に微笑まないと上手くいっているとは言えない。
この他、様々な清水さんの工夫というのがまた来週、辿っていきたいというふうに思う。


2026年02月13日

2025年10月6〜17日◆アーティスト伝説II(後編)

これの続きです。

「アーティスト伝説」ということ。
これは主役は新田君という東芝EMIの若き才能。
まだ「若き才能」と呼んでおく。
この方がめきめき力を付けてゆく。
その力を付けたベテランの中にかまやつさんという人がいて、かまやつさんの紹介でソニーの大看板だが吉田拓郎なんかと知り合いになって、という。
それで「我が良き友よ」という傑作が生まれるのだが、「さあ、これを頑張って売るぞ」ということで新田君の仕掛けた仕掛けが凄い。

早稲田大学卒業式で卒業生への餞として是非、この歌を披露させていただきたい。−中略−
「僕は卒業式にかまやつひろしさんを大隈講堂へ連れてきます。
−中略−
早稲田大学は僕の希望を聞き入れてくれた。僕は母校を誇らしく思った。
−中略−
 総長の祝辞の後しばらくしてから、司会の堂々とした声が耳に飛び込んできた。
「諸君、本日は特別なご来賓がお見えです。諸君の卒業を祝し、諸君の門出に相応しい歌を1曲披露してくださいます。ご紹介します。かまやつひろしさんです」
 会場はなぜか静まり返ってしまった。ムッシュはギターを手にしたままにニコリともしない。
−中略−壇上には教授たちが角帽をかぶり、黒いガウンを来て着席している。(200〜201頁)

左手でギターを持ち、右手を高く上げ、右の客席を見ながらステージに姿を現した途端、本物のムッシュを確認した卒業生たちから歓声が沸き上がった。(201〜202頁)

(ここで本放送では「我が良き友よ」が流れる)

我が良き友よ


「我が良き友よ」ということで大喝采のうちに、という。
絵になる。
だから新田さんというのはそういうプロモーション。
やったかまやつさんは偉いのだが、何というかそういう絵になる宣伝ができる人。
このあたりの話題からゆっくりとこれがヒットチャートを駆け上り始める。
「新田というのはなかなかやるなぁ」という噂がミュージシャンの間で広がった。

これはちょっと80年代の前に遡るが、1976年のことだが、預かった女性タレント・荒井由実。

荒井由実さんの結婚披露宴があった。かまやつひろしと吉田拓郎、青木富貴子さんと僕の4人はこの晴れの席にいた。
 青木さんは当時、音楽専門誌「guts」の記者で
(202頁)

「おめでとう」と声をかけるとユーミンは青木さんにそっとこう言った。
「新婚旅行に来ない?」
−中略−
 すっかり勢いづいた僕たち4人はユーミンの親戚が経営する熱海の旅館に飛び入り参加することになった。
(203頁)

(番組では箱根へ行ったような説明をしているが、本によると四人が言ったのは熱海で、箱根のホテルへは行かなかった)

 僕たちは新婚のふたりを寝かさないよう、消灯後、彼らの部屋の襖を開けようと抜き足差し足で近づいた。(203頁)

そうしたらもうユーミンが大笑いだったのだろう。
それで車座になってみんなでひっかけたという。
酔いつぶれるまで呑んだという。
(本によると松任谷由実に発見された後は自室に戻って寝ている)
これはもうまぶしい光景。
かくのごとく新田さんの周りに新しいミュージシャンがどんどん増えていったという。
今、何気なく話したことだが、これがまた巡り巡る縁で、武田先生もやがて引っ張られることになるのだが、それは明日のお楽しみということにしておく。

 青木さんは−中略−その後、−中略−ニューヨーク支局長を経て「幸福の黄色いハンカチ」の原作者、ピート・ハミル氏と結婚した。(202頁)

この方がニューヨークタイムズに書いた「幸せの黄色いリボン」というエッセーがフォークソングになって、そのフォークソングを聞いた山田洋治という日本の監督さんが「ぜひとも映画にしたい」ということで、山田洋治監督はピート・ハミルに会いに行って許可を。
そして北海道ロケ。
「誰がいいだろうか」ということで悩んだ時に山田さんの頭の中に「あの足の短いフォークシンガーで博多弁を使う男がいたな」というので指名されたのが武田鉄矢だったという。

あの頃映画 幸福の黄色いハンカチ デジタルリマスター2010 [DVD]


ちょっと嫌味になって誤解されやすい言い方になるが、ピート・ハミルさんが出来上がった映画を見て「赤い車を運転するドライバーが面白い」というのを。
下痢するシーンが大好きで。
もう膝を叩いて笑ったらしい。
そういう不思議な運命で青木富貴子さんに二年ぐらい前に50年ぶりに武田先生は会った。
三軒茶屋で。
青木富貴子さんが連絡を取られたのは新田さんだった。
「どうしてもあなたに会いたい」というので、青木さんには自分達がいかにあの原作を大事に演じたかを話した。
山田洋治監督のお話をしたら、本当に涙ぐんで聞いていただいた。

時代を70年代に戻す。
70年代から始まった「反抗と旅立ち」というテーマがゆっくりと沈んでいく。
過激派の学生さん達、理想に燃えているハズが連合赤軍事件等々、薄汚れた犯罪者になってしまったという。
その上にまた大企業も消火器に見せかけて爆弾を仕掛けるというような、つい先年逮捕されたというか首謀した犯人がいた。
そういうことがあって、若者達のテーマ「反抗と旅立ち」の時代が急速に終わっていく。
やはり時代。
その「反抗と旅立ち」というテーマが夕暮れに差し掛かった頃、あの東芝EMIの新田君は次の時代のテーマを抱えて全ての準備をし終えていたという。
くやしいが認めるしか無い。
ユーミンさん、井上陽水、小椋佳。
こういう都会派の洒落た歌を歌う人が新しいテーマを持ってきた。
そのテーマ、代表的なのをいく。
1975年の大ヒットだが、皆さん、この一曲から全て変わった。
松任谷由実「ルージュの伝言」。
(ここで本放送では「ルージュの伝言」が流れる)

ルージュの伝言


聴いてくださいよ、これ。
浮気な夫に愛想を尽かして夫の母の姑に相談しに行くという若嫁のショートストーリー。
暗い夫婦仲を彼女は明るくポップに歌っている。
新しい言葉に満ち溢れたこの歌。
「姑」は「あのひとのママ」、「置き手紙」は「ルージュの伝言」、「風呂場」は「バスルーム」、「不実な夫」は「マイダーリン」、乗った電車は「ガタンゴトン」で走らない。
「Ding-Dong」走る。
ここ。
皆さん、ポイント。
新しい才能、ユーミンが音楽界を塗り替えてゆく。
武田先生達フォークソングは全滅の危機に晒された。
本当に驚いた。
この女性の言葉の選び方の豊かさ。
典型的な女の子の言葉。
これはもう本当に、女性が持っている感性は、太刀打ちできない。
1975年、この時代から学生運動の「反抗と旅立ち」ではなくて、女性が解釈した旅立ちの歌が1970年の後半から80年にかけて広がっていく。
女性が「旅立ち」をどう読み変えたか?
これが「アンノン族」。
洒落た服を着て、京都のお寺なんかを歩くという「旅立ち」がバーっと広がる。
そしてユーミンの才能なのだが「私の物語」の作り方が上手い。
「小さい頃は神様がいると思った」とか、女性の解釈というのが圧倒的に力を持っている。
それをユーミンが引き出した。
だから「反抗と旅立ち」ではなくて「家に帰る物語」と「私の物語」。
それが時代の主流になっていく。
そして決して恨むワケではないが、才能ある人は敏感にこれに乗り換えてゆく。
見てください。
誰ももう反抗も旅立ちもしなくなる。
井上陽水はおうちで手紙を書いている。
この歌。
(ここで本放送では「心もよう」が流れる)



手紙を書いている場合ではない。
だがもっと酷い人がいる。
この歌を歌った人。
このフレーズ。
(ここで本放送では「白い一日」が流れる)



あの時代いたか?
陶磁器を眺めているヤツが二十代で。
ただ、時代そのものがその言葉を選んで流れを作っていく。
トップに立ったのが松任谷由実。
そのすぐ横に陽水、小椋佳という連中が並ぶ。

アリが死んでいる 角砂糖のそばで(井上陽水「たいくつ」)

ごめんね陽水。
あの歌を聞いた時に「アリはアリの都合があるから、アリの自由でいいんじゃないの?」と。
ごめん、そう思っただけでした。
でも典型的に「私の物語」を語り始めた。
「真っ黒い犬が♪」
小椋佳さんの歌であるが。
「犬は犬でいいんじゃないの?勝手に帰れば」
でもそんなことを言っている間に彼等はたちまちその時代を呼び寄せる。
そして新しいヒーローとしては甲斐バンドの甲斐君が同じく九州から出てきた。
そういう才能が揃う。
凄い。
ここで新田時代の新しいシンガー達がトップグループを形成する。
明日はこのトップグループの紹介から入りたいと思う。

というワケでもう新田「君」と呼んでいる場合ではない。
新田「さん」になっていく。
東芝EMIのディレクターさんなのだが、彼の周りには音楽的才能が集まってくる。
集まってくる才能の中には「HERO」を歌う甲斐バンドの甲斐君。
若くて生きのいい、ユイ音楽工房の新人・長渕剛さん。
この長渕剛さんのレコーディングに新田さんが用意したミュージシャンが
これはアマチュアの方はわからないが、武田先生達は胸がときめく。
キーボード松任谷正隆、ベース後藤次利、そしてドラム島村英二さん。
スタジオに一人いるだけで武田先生は頭がボーッとなってしまう。
でもことごとくやはり、吉田拓郎の後ろを飾っていた人。
吉田拓郎がこんな超一流のミュージシャンを呼び捨てにする。
「キーボード松任谷!」「ベース後藤!」とか言う。
一回、二回、呼び捨てにしたかった、本当に。
この新人の長渕剛さんのレコーディングの時に「巡恋歌」というデビュー曲。
これだけのミュージシャンをスタジオに揃えてレコーディング。
それに呼応して生ギターの長渕さん。
(ここで本放送では「巡恋歌」が流れる)

巡恋歌


 長渕自らも−中略−ギターも弾いた。彼はこの頃すでにこの時代のトップクラスのミュージシャンと演奏する力があっただけでなく(209頁)

さあ、新田君の周りは錚々たる才能なのだが敢えて名前は言わない。
どうぞ興味のある方は本を読んでください。
この新田さんの後輩からこんな提案があった。

新田さんもご存じの寺尾聰さんですが、−中略−テレビ朝日の日曜夜のドラマ『西部警察』の刑事役で人気が急上昇しているんです」−中略−
「僕はザ・サベージの時代から寺尾さんの音楽を聴いていたのでよくわかるんですが、彼の音楽性と俳優としての今の人気を掛け合わせれば、レコードは絶対に売れます」
(220〜221頁)

あの頃の石原プロは元気がいいから、大変だった。

石原プロの小林正彦専務に早急に挨拶してくださいと言ってきた。−中略−小林専務は−中略−
「レコード会社は、良い時はこうやって報告に来てくださいますが、悪くなった時でも、同じように来てくださるんですか」
(230〜231頁)

(小林専務に会ったのはレコードの発売後。この後も本の内容とは異なる)
それで新田さんも出向いて、寺尾さんを口説く。
「音楽やりましょうよ」
「いやでも俺は今、俳優に燃えてるから」と。
「とにかく我々東芝EMI、頑張って応援しますから」と言うので、寺尾さんは重い腰を上げて音楽製作にかかった。

1枚目のシングル「SHADOW CITY」を発売。(227頁)

新しいタイヤ、ASPECのCMに「SHADOW CITY」を起用してもらうことができた。−中略−それでも「SHADOW CITY」も「出航」もなかなか動かなかった。(228頁)

そこで新田さんは作詞家を探す。

アラン・ドロンとダリダが出てきてもおかしくないほど甘く切ないメロディーを寺尾聰はけだるく歌う。(228頁)

「うわ〜作詞難しいな」
後輩の頑張りと新田さんの人材の網で探した。
どんな作詞家がいいか?
いた。
これも新田さんのライン。

第3弾シングル「ルビーの指環」の歌詞を松本隆さんが書いた直筆の紙がファックスで届いたのだ。(228頁)

まあ洒落てるわ展開が上手いわ。
タイトル抜群「ルビーの指環」。
それが寺尾さんのイメージに合う。
寺尾さんは貧しいとダメ。
その人に結びついたイメージがある。
ルビーの指環は何かいい。
「下駄を鳴らして〜♪」ではない。
時代がそういう言葉を求めている。
ユーミンから始まるのだから。
「姑」のことを「あのひとのママ」、「浮気した夫」のことを「マイダーリン」、「風呂場の落書き」「ルージュの伝言」。
これが時代を呼び寄せる。
詞を見て気に入った。
新田さん「行ける!」「松本よくやった」というようなもの。

とうとう出来上がった「ルビーの指環」。
アレンジ抜群。
当時小学生だったのであのヒットはわかっているが、そのアレンジの何がいいのかというのはわからないで聞いていた水谷譲。
ちょっと説明しにくい。
でも抜群なアレンジ力。
今までにないようなアレンジだったと思う武田先生。
(ここで本放送では「ルビーの指環」が流れる)



それから、この松本隆の色使いの上手さ。

街でベージュのコートを 見かけると(寺尾聰「ルビーの指環」)

ベージュは相当お洒落な人。
「際立った色を身に付けないで街に溶け込もうとしている女」「それはもう他の人の奥さんになっているかも知れない」という。
都会派の男女の物語。
おっしゃったようにちょっとフランスな感じがする水谷譲。
だから女の人が歩くところもビル街の谷間。
そこに「ベージュの」という。
「ルビーの指環も、もし持っているんだったら捨ててくれ。俺を思い出にしないでくれ」
上手い。
これはもう新田君、いや、新田さんは「いける」と踏んで

 1981年2月5日、「ルビーの指環」は発売された。−中略−発売から約2ヶ月後の3月30日付けのオリコンでようやく1位を獲得した。(230頁)

この段階でシングル「ルビーの指環」の売り上げ枚数は実数で180万枚、アルバム−中略−は280万枚と(234頁)

凄い。
ザ・ベストテンで18週一位か何かで、確か真ん中にルビーの椅子ができた記憶がある水谷譲。

 東芝は1961年の坂本九「上を向いて歩こう」のときも、1966年の加山雄三「君といつまでも」のときも、いずれもレコード大賞を取り逃している。−中略− 第23回日本レコード大賞は、大賞を寺尾聰「ルビーの指環」が受賞(235頁)

「ルビーの指環」の後、松本隆作詞でいいのができていた。
発売されていない。

紅白歌合戦に関連して突発事件が起きた。NHKは全ての出演者に対し、リハーサルを含め年末の29日、30日、31日の3日間を原則として拘束していた。−中略−
 29日夜、
−中略−
 その日、寺尾さんはリハーサルを欠席したという。
−中略−寺尾さん本人の言い分は、「やることもないのに待機するなど意味がない。反省も謝罪もしない。紅白に出演しなくても構わない」というものだった。(235〜236頁)

この頃の紅白は強気だったのだろう。
激怒で、事務所サイドも説得するのだが寺尾さんは受け付けなかったという。

 事件はまだ続いた。
 翌1982年、全国ツアーの初日が神戸国際会館で始まった。
−中略−
 どうやら寺尾さんはリハーサル中、ステージの上から記者たちに向かって、チケットが売り切れて観られないお客さんがいるなかで大勢の新聞記者たちがチケットも買わずに観ていることに対しマイクで不満をぶつけたらしい。
(237頁)

そういう怒りをぶつけられたらメディアの方から「じゃあいいや」という。
そういうことで、飛ぶ鳥を落とす石原プロモーションも謝りようが無くなる。
それで寺尾人気というのは終わってしまった。
勿体ない。
まあいいか。
それは寺尾さんが選ばれた道。
役者さんとしてのイメージが今、強いと思う水谷譲。

 次のシングルは、アルバムに収録されている松本隆作詞「渚のカンパリ・ソーダ」に決まっていた。−中略−シングルとしては発売されず、お蔵入りになった。(239頁)

さあ、新田君、新田さん。
財産を山ほど持っている。

今期の寺尾君の売り上げが55億円(234頁)

それに追いつかんばかりの新しいシンガーが出てきた。
それがオフコース。
ごめんなさい。
ネタはまだある。

次はオフコースからちょっと語ってみる。
申し訳ございません。
二週費やしたんでここまでとして。
「アーティスト伝説」新田君の旅、別の機会に続けたいと思っている。




2025年10月6〜17日◆アーティスト伝説II(前編)

これ
の続きです。
(以前にも同じ本を取り上げていて、今回はその続きということで番組では「後編」と言っているのだが、日を改めて更に続きをやるような話になっているので、前回の分をI、今回の分をIIとしておく)
前編でお約束していたが、東芝EMIのディレクターの新田和長さん。
この方が自分と一緒に時代を作っていった、音楽のシーンを作っていった仲間達、そのことを綴った「アーティスト伝説」、新潮社から出ている本があって。

アーティスト伝説:レコーディングスタジオで出会った天才たち


これはやはり70年代、団塊の世代の音楽シーン、そこに深く関わった人で、もう武田先生も語りながら思い出す。
この新田さんが担当なさったミュージシャンはというと、加藤和彦、北山修、チューリップ・財津和夫、財津さんのソロなんか。
それからかまやつ(ひろし)、寺尾聰、長渕剛、加山雄三、小田和正、平原綾香、松任谷由実。
(この先ずっと番組内では「荒井由実」を「荒井ユーミン」、「松任谷由実」を「松任谷ユーミン」と言っているが、煩わしいので「由実」に統一する)
やはり、これは語らないといけない。
「ただの東芝のスタッフでした」で済まされるようなキャリアではなくて、彼は70年代、これらの星達を70年代という夜空に星座を結んだという人で。
その人のことを第二弾ということでお送りしたいなと思っている。
とにかく70年代の幕が開くと、いろんな才能が彼の所に集まってくる。
それで新田さん自身がワクワクしたのは、バックミュージシャンの人達。
販売予算を少しでも稼ぐように上司の高嶋(弘之)さん。
あの人は大変な方。
娘(高嶋ちさ子)をバカにしていたが、そんな人ではない。
大変な人。
この高嶋さんの厳命を受けて企画もののアイディアを出さなければならない。
(本によるとこの時点では既に高嶋氏は退社)
70年代に、そこで彼が考えたのは、歌を入れ終わった伴奏のオーケストラ。
これに主旋律のメロを付けて、カラオケで歌いやすいようなLP版の製作。
タイトルも洒落て「浜辺で歌う青春の歌」というアルバム作りを励む。
少ない編成で数々の名曲、それもフォークの名曲をその中に入れるという。
「悲しみのジェット・プレイン」「パフ」「時代は変わる」
これらの名曲をギターで演奏する。
(ここまでの話は複数の話が混ざっていて、事実とは大幅に異なる)
その二大ギタリスト石川鷹彦、そして安田裕美。
この二巨頭。
武田先生達も手伝ってもらったのだが、まあとにかくこの二人は上手かった。
石川鷹彦、この人は上手だった。
うち(海援隊)の千葉和臣なんか本当に可愛がってもらった。
そして安田裕美さん。
もういい人。
(安田裕美は)男性。
彼等のギターの響き。
(ここで本放送では「22才の別れ」が流れる)



今、流れてきたのは「22歳の別れ」。
これはもう間違いなく石川鷹彦さん。
(ここで本放送では「さらば青春」が流れる)



流れているが、これは小椋佳さんの「さらば青春」。
この後ろ側には安田裕美さん。
この人は(井上)陽水さんと組んで。
それから山崎ハコの後ろ。
ついでに旦那さんにもなったという。
他界してしまったが。

彼等の奮闘ぶり。
余り予算はかけられないので真夜中の12時から次の朝まで彼等のギターを入れていく。
(本によると予算の関係ではなく「時間の制約を受けずにとことん納得のいく録音ができるよう」)
そういう仕事に夢中で取り組む新田君。
この夢中で大事なことを忘れていた新田君。

 レコーディングに没頭していた師走、−中略−デザイン室から内線電話が入った。
「新田さん、ジャケットの表1、表4の写真と原稿がまだ入稿されていません。明日が締め切りです。明日入らなければ発売延期になります」
 音に夢中になるあまり、ディレクターがジャケットまで手配しなければいけないことをすっかり忘れていた。すでに年明け2月の発売が決まっているし、
−中略−
 ふと石川鷹彦さんが多摩美術大学を卒業されていたことを思い出し、ご自宅に電話をした。
「何とか明日までにジャケットを描いてもらえないでしょうか?」
−中略−
 さすがに驚かれたものの、ありがたいことに引き受けてくれた。とはいえ、手元に絵具はないし、
−中略−啓子夫人の靴墨で描いてくれるというのだ。画用紙もないのでオーディオ機器を買ったときの発泡スチロールの白い箱に描くと言ってくれた。(57〜58頁)

一本の大きな木を背景にフォークギターとアメリカ人女性シンガーの顔が靴墨の黒、焦茶、緑、黄緑とグラデーションで描かれていた。その絵の上には、鮮やかな茶色と紫色で描かれたレコード・タイトル「FOLK VILAGE」の文字が木の枝を通り抜けるような姿で描かれている。(58頁)

これで見事な作品に仕上げたというから石川先輩も凄い。
さてこんな苦労をしながら音楽業界で名を成していく新田君。
まだここも新田「君」と言うぐらいの若さ。
この人は前もお話した。
「赤い鳥」というグループを売って注目される。
しかも自身が(ザ・)リガニーズというフォークグループをやっていた関係上、いろんな若者と付き合うのだが、ちょっとそれは後にして。

新田さんの面白いところだが前にお話しした、高嶋さんというビートルズの売り出しに関してはイギリスのEMIも頭が上がらないほど、日本で貢献なさったというので、この体験が凄い。
うらやましい。
イギリスのEMIのディレクターであるジョージ・マーティンとの関係があって。
「ちょっと勉強させてやってくれる?」という上司の推薦を受けて新田君はビートルズのところに行っている。
(このあたりの経緯は本の内容とは異なる)
イギリス・ロンドンに行って、それでスタジオで。
ジョージ・マーティンというのはいい方だったのだろう。

ジョージ・マーティンは僕をAIRスタジオに連れて行ってくれた。−中略−ポール・マッカートニーを僕に紹介してくれた。休憩時間になって、僕は以前から疑問に思っていたことをポールに質問してみた。
「『イエスタデイ』のキーはFなのに、Gで演奏しなと押さえられないギターの音(二弦の3フレット目の「レ」)が鳴っています。あれは弦を全音下げてチューニングし、実際はGで弾いたのではありませんか」
こう聞いてみると、ポールはニコッと笑った。
「その通り!」
(161頁)

普通はわからない、気づかないものなのかと思う水谷譲。
気付く人は気付く。
でもポールは嬉しかったのだろう。
つまりビートルズは細かい計算をしている。

 ポールは傍らに置いてあった自分のギターケースを開けてマーティンを取り出し、僕に何か弾けと言ってきた。僕はポールの前でギターを弾くなら「ブラックバード」しかないと思った。(162頁)

これはポールの作品。
いろんなビートルズの情景を見た。
(本によると見たのではなくジョージ・マーティンから聞いた話)

「イン・マイ・ライフ」の感想をダビングする日のエピソードも話してくれた。
 あの日、ジョン・レノンがピアノを弾いてくれないかと頼んできたというのだ。ピアニストではないから弾けないと固辞したが、どうしてもピアノがほしい、
−中略−エンジニアにこっそりテープレコーダーの回転を半分に落としてもらって、オクターブ下でメロディーをゆっくり弾けば弾けないことはない。テープレコーダーの回転を元に戻して再生すれば、上手い人が速く弾いたピアノに聞こえる。さらにオクターブのメロディーやコードを重ねて、ハープシコードのような響きをつくった。(162〜163頁)

「イン・マイ・ライフ」
今、流れてきた。
これはそんな工夫が裏側にあったということ。
(ここで本放送では「イン・マイ・ライフ」が流れる)



「イエスタデイ」は、−中略−ジョージ・マーティンは弦楽四重奏を加えた。「イエスタデイ」のAメロは7小節だが8小節目、つまり2回目の冒頭からストリングスが左側から加わってくる。−中略−サビの後半はさりげなくポールの歌が二重になっていた。ストリングスと歌の存在感が釣り合うように歌をダブルにしていたのだ。−中略−ツーコーラス目のサビの中間で入って来るC→E♭→C→B♭→Aと流れるチェロの経過音だ。(164〜165頁)

これはワンコーラス目に入れなかった。
武田先生も何を言っているか本当はわかっていない。
だが彼等はもう細心の注意を払って、これを若き新田君が「なるほどポップな音楽ってこうやって作るんだ」ということを学ぶ。

前編・後編に別れての「アーティスト伝説」。
話がジグザグして申し訳ございません。
ちょっと話を前に戻す。
新田君は早稲田大学のフォークソングサークルのリガニーズのメンバーで。
その一曲に導かれて東芝レコードに入社。
高嶋なる上司に恵まれ、音楽の新しい潮流を感じる。
戦後歌謡界、ビクター、コロムビア、テイチク、キング等が強かった。
後発の東芝レコードには看板がいない。
美空ひばりがいない、三波春夫のようなスターがいない。
洋楽ではイギリスEMIと手を結び、ビートルズをヒットさせたものの、邦楽で売り物のスターはいない。
新田君は高嶋さんから「日本のミュージシャンを探せ」と言い渡される。
それらの素材をアマチュアの団塊の世代に探す。
このトップグループにいたのがザ・フォーク・クルセダーズ。
(ザ・フォーク・クルセダーズの「帰って来たヨッパライ」の発売は新田氏の入社以前)

「帰って来たヨッパライ」は、何ひとつレコード会社の手を借りず、数人の学生だけでつくり上げてしまったのだ。−中略−この家庭用のテープレコーダーの回転を変えて録音したので(93頁)

それで何とその年、131万枚を売り上げるシングルを作っている。
一人のプロもいない。
まして、京都というローカル。
「そういうところに意外と逸材がいるのではないだろうか?」ということでフォーク・クルセダーズと同じように、関西・近畿圏で活躍する「赤い鳥」というグループの売り出しに新田君は付き合う。

赤い鳥のアルバム「竹田の子守唄」は大ヒットし、オリコンのアルバム部門1位を半年間独占した。(82頁)

そんな新田君の噂を聞いて一人の青年が彼のところにやってくる。

僕は−中略−東芝レコードまで歩いて帰ってきた。入り口の前に、背の高い痩せた青年が立っていた。−中略−
「福岡のチューリップというバンドの財津和夫と申します。どうしても聴いてほしい曲を持ってきました」
−中略−
 そのままふたりで一緒にエレベーターで4階へ向かい、
−中略−まっすぐ視聴室に飛び込んだ。−中略−青年は福岡から大切に抱えてきたスコッチ製のオープン・リールを渡した。−中略−
「魔法の黄色い靴」が流れた。
(114〜115頁)

(ここで本放送では「魔法の黄色い靴」が流れる)



この一曲を聴いただけで新田君は後に語っているが、ビートルズのDNAを感じた。

チューリップが、−中略−完成させたデビュー・アルバム「魔法の黄色い靴」は、1972年6月に発売された。(124頁)

 その頃、財津和夫が珍しく僕にこぼした。フォーク・コンサートに出演したら、チューリップはもう出演しないでほしいと言われたというのだ。−中略−フォークではないというのが、主催者の言い分のようだ。−中略−かたやフォークではないと言われ、かたやロックではないと言われ、当事者のバンドは困っている。(127頁)

結構苦しい何年かが続いた。

チューリップの2枚目のアルバム−中略−のジャケットの帯に僕は、次のようなメッセージを記した。
「フォーク、ロックは、もうあきあきしたよ チューリップと呼んでほしい」
(130頁)

それで財津君を呼んで。
新田君はそんなに年が変わらないから、二人とも二十代の若さだから。
「新しい曲作ってよ」
それで財津君が出した一曲がこの歌。
「心の旅」
(ここで本放送では「心の旅」が流れる)



「これは売れるぞ」と。
しかもチューリップにしか出せない個性がこの一曲にはある。
いきなり高らかにサビを歌い出す。

あーだから今夜だけは(チューリップ「心の旅」)

心の旅


財津君は張り切っている。

 何の説明もせず、Aメロを姫野君に歌ってもらいたいと僕は言った。そう言われた姫野君は困っている。−中略−財津君が書いた曲だ。当然、財津君は自分で歌うつもりで今スタジオにいる。しかし、本番でいきなり僕が姫野君を指名したものだから、財津君は言葉にこそ出さなかったが明らかに怒っていた。(132〜133頁)

ただはっきりは言わなかっただろうが、財津君は歌が上手過ぎる。
姫野君は上手じゃないかも知れないが、若さがある。
ここはやはり新田君の決心。
新田君が初めて東芝でレコーディングする時に(ザ・リガニーズの)「海は恋してる」のレコーディングの時に、上司・高嶋さんから仕込まれた「上手な歌なんか聞きたか無ぇんだよ。売れる歌が欲しいんだよ」。
この強烈なことを新田君は財津君に命じた。
(ここで本放送では「心の旅」が流れる)
財津君は不満気であったらしい。
私達が聞いている「心の旅」はAメロのところは姫野さんなのかと思う水谷譲。
財津さんだと思っていた水谷譲。
声がいきなり甘く舌足らずになる。
財津さんはもっと出す。
あの人のキーは凄まじいから。
高嶋さんと同じことをチューリップに命じた。
プロモーションも必死に頑張るのだが、レコードはそんなもの。

「心の旅」は発売当月の4月も、5月も、6月も、7月も鳴かず飛ばずだったが、1曲に絞り、−中略−そうして発売から5ヶ月経った9月には、堂々オリコンの1位を獲得することができた。(138頁)

これは新田君も分析しきっていないから、このお爺さん(武田先生)が分析してあげましょう。
これは恐らく大きな時代の潮流との兼ね合い。
(理由を)武田先生はわかっているような気がする。
戦後歌謡曲の歌のテーマがこのあたりから変わる。
美空ひばりさんを頂点にした歌謡界が目指していたのは「戦争に負けたが私達は自由だよ」という。
ところが70年を挟んで800万人もいる団塊の世代が、親達に反抗し始めた。
彼等のテーマは何かというと「反抗」と「旅立ち」。
この1970年の頭から時代を見てください。
歌は旅の歌。

人は誰もただ一人旅に出て(はしだのりひことシューベルツ「風」)


花嫁は(はしだのりひことクライマックス「花嫁」)

花嫁


「旅」の歌、「旅を歌う」ということが歌謡界の大きなテーマになった。
チューリップ「心の旅」。
それがピタッとはまった。
それが暗い旅立ちではない。
それまでにあった旅立ちの歌はいささか暗かった。

ひとりで行くんだ 幸せに背を向けて−中略−
青年は青年は 荒野をめざす
(ザ・フォーク・クルセダーズ「青年は荒野をめざす」)

青年は荒野をめざす


とか、センチな旅立ちが多かった。
でもチューリップは違う。
「あーだから今夜だけは♪」という最高音のノリ。
これが若者に圧倒的に支持されたと同時に新しいテーマの時代が始まった。
それで新田君が新しい時代の集合地点になってしまっているものだから、人材がどんどん集まって来る。
まだ若い。
若いのだがチューリップの快進撃に火を点けた「新田いいじゃん」というのがバーっと広がると同時に東芝に別口の才能がやってきた。
いい曲を書く。

1973年−中略−に発売された荒井由実のデビュー・アルバム「ひこうき雲」のジャケットの帯には、エキスプレス・レーベルとして初めて(130頁)

(ここで本放送では「ひこうき雲」が流れる)



これは全く今までの音楽の潮流と違う。
「反抗と旅立ち」から更に時代を一歩。
数年待つことになるが、圧倒的な女王としてユーミンが登場して活躍が始まるが、とりあえずはまだチューリップのことからこの新田君の物語を続けていく。

「心の旅」がオリコン1位を獲得し、−中略−草野さんから僕に、予期せぬ電話がかかってきた。
「新田さん、次の4枚目のシングルの詞は、松本隆さんという、はっぴいえんどのドラマーに書かせてあげてほしい。彼はプロの作詞家を目指している」
−中略−
 財津君が作詞作曲した「心の旅」が1位を獲ったのは作品の力だった。
−中略−ソングライターとしての財津和夫の力が、今まさに証明されたばかりだというのに、こんどは松本隆の詞でいこうという。(139頁)

 松本隆作詞、財津和夫作曲による「夏色のおもいで」はヒットして(140頁)

(ここで本放送では「夏色のおもいで」が流れる)



新田さんは本の中で繰り返し「凄いやつだ」とおっしゃっているが松本隆の才能も凄い。
でもそのことでイヤな顔をせずに引き受けた財津君の度量の大きさに対しては「たいしたやつですよ」とおっしゃっている。
(という記述は本の中には無い)
そしてこの「夏色のおもいで」が終わった後、

 財津君は期待通りの曲をつくってきた。−中略−
「青春の影」
(142頁)

(ここで本放送では「青春の影」が流れる)



これは財津さんの才能の傑作ということ。
こうやってチューリップの連続ヒットとか、松本隆、荒井由実という新しい才能が新田君のところに集まって来るという。
その噂を受けて、才能がまた集まって来る。
誰が来たか?
オフコースが来た。
小田和正さんが。
武田先生が上手い表現をしている。
「新田君は新しい才能達の集合地点となった」
それはフォークでもない、ロックでもないという人達。
面白いことにこのロックでもない、フォークでもないという人をどんどん新田君が集めるうちに、ベテランも集まってきてしまった。
かまやつひろしさんが来たそうだ。

 ムッシュは−中略−ある日、ついにカセットテープをもってきて、
「新田さん、吉田拓郎から届きました。この曲聴いてください」
 僕に手渡したカセットテープには「我が良き友よ」と書かれていた。
(193〜194頁)

この曲はヒットすると直感した。(194頁)

そうしたらこれをかまやつさんがのらない。
(このあたりは本の内容とは異なる)
あの人は「ノー・ノー・ボーイ」とか「なんとかなるさ」(「どうにかなるさ」のことだと思われる)とか。

バンカラな学生生活を送っていた男の友情の歌みたいだ。(194頁)

瀬尾一三さんの編曲はこれしかないというくらい、よく考えられたアレンジだった。(195頁)

これが面白いリズムで
ズンタータズンタータズンタータズッチャーン♪といいながら。
そうしたら「こんな弾むヤツイヤだ」と。
(本の内容とは異なる。この後の顛末も違っている)

ムッシュがこれまで得意にしていた歌と、今レコーディングしようとしている歌は節回しやリズム、曲調が違う。ムッシュは歌いづらそうだ。僕はコントロール・ルームで一緒に聴いていた拓郎の顔を思わず見た。
「俺がガイドボーカルを歌ってもいいよ」
−中略−まずは拓郎の歌を先にレコーディングして、その後で、ムッシュは拓郎の歌をヘッドフォンで聴きながら歌うことになった。ここは東芝の1スタ、吉田拓郎はCBS・ソニーの看板アーティスト。事情を知らない人がこんな録音風景を見たら腰を抜かすことだろう。(196頁)

実を言うと、歌のエンディングを耳の良い人がしっかり聴けば、拓郎の声も少し聞こえるのだ。ムッシュは大きな音量で拓郎の歌を聴きながら歌っていたから、ヘッドフォンから漏れ聞こえる拓郎の声が、ムッシュが歌っているマイクにまわり込んだとしても不思議はなかった。(196〜197頁)

これはバレたら大変なことになってしまうのだが、まだまだ新田君の旅は続く。
まだ「君」。
この人が新田「さん」になる日がやってくるのでしばしお待ちをということで、この続きはまた来週のまな板の上で。


2026年01月29日

2025年7月28日〜8月8日◆人生後半にこそ読みたい和歌(後編)

これの続きです。

朝日新聞出版、(著者は)永田和宏さん「人生後半にこそ読みたい秀歌」という本を取り上げている。
もう武田先生も「年齢的には和歌の年齢かなぁ。辞世の歌、作って締め括り」みたいな、その学び始めの一冊にしたのがこの一冊だった。
短歌世界、聞けば聞く程面白い。
ありとあらゆることが文芸に成り得るという。
先週お約束した通り、不倫でさえも文芸になるという。
先週も取り上げたが、斎藤茂吉なる歌人がいる。
この方は精神科医として生きているが、短歌を残して、実は大歌人。
斎藤茂吉を習ったのか、詳しくは覚えていない水谷譲。
歌集のタイトルは「赤光(しゃっこう)」というヤツで。

赤光(初版・改選版併録) 斎藤茂吉全歌集


斎藤茂吉の「死にたまふ母」五九首は、−中略−この一連の挽歌に及ぶものは他にないと言い切ってもいいでしょう。(156頁)

これを武田先生達団塊の世代は国語で教わったような気がして。
覚えている短歌もあって

 死に近き母に添寝のしんしんと遠田のかはづ天に聞ゆる(156頁)

もうまんま。
お母さんがだんだん危篤の状態が重くなっていくという。
自分はその横に出て看取ろうとしている息子である。
深夜、目を閉じていると遠くの方、「遠田」遠くの方の田んぼで、「かはづ」カエルが鳴いている。
「天に響き満る声で」という。
そういう和歌を残した人。
息子は同じく精神科医でエッセーの妙手。
モタ先生(齋藤茂太)というので、有名なエッセーを書く人だった。
そして更に次なる息子が小説家の北杜夫さん。
この方は次男。
茂吉さんは実はこういう事情があった。

昭和8年、1933年のこと、奥様の不倫がスキャンダルになって。

若いダンス教師と不倫の関係になったことが、新聞各紙でスクープされ、−中略−茂吉は激怒し、大きな痛手を受けます。輝子とはその後一二年にわたって別居生活を続けることになりました。(81頁)

それで精神科医として生きておられたのだが、別の方と不倫を始めたという。
非常にドロドロした感じだが。
その、妻の裏切りに遭い、妻をまた更に裏切り返す為に不倫の関係の女性もできたという。

 山なかに心かなしみてわが落とす涙を舐むる獅子さへもなし−中略−
箱根強羅の山荘に滞在していたときの歌と思われますが
(83頁)

当時評判を呼んだ西洋の名著「ツァラトゥストゥラかく語りき」という、あれの中には横に作家の涙を舐めてくれるライオンがいるけど、私にはそのライオンすらもいない。
これは今までずっと「奥様から裏切られた時の悲しみの歌」ということだったらしいのだが、後にいろいろ物事を突き合わせてみると恋歌だったという。
なぜ恋歌かというと、奥様の不倫を受けて茂吉先生も秘密の恋人がいた。
ふさ子さんという方で。
そのふさ子さんが会いにきてくれないので、寂しくてたまらず「私の涙を舐めてくれるあなたがいない」という。
エロスの歌。
これは何でわかったかというと、ふさ子さんに宛てた手紙が後に(出てきた)。
それでふさ子さんには「君への思いを書いた歌なんだ。本当は。獅子は君なんだ。だけど気づくヤツがいないんでこれ、申し訳ない、今月の短歌として雑誌社に送ってカネ稼ぎますんで」という。
その手紙が出てきた。
文学的才能とは凄いもので、不倫なのだが、歌にしてしまうと文学的に読めてしまうという。
それがお金になるというのは凄いと思う水谷譲。
斎藤茂吉という人は大歌人だから。

 時に茂吉五三歳、ふさ子二五歳。−中略−二八歳という年の差(82頁)

これがうるさい息子たちにも知られることなく、密会を続けるという。
それで歌壇の方ではそのアララギ派の一派の歌人たちの間では気づく弟子達もいて、止めに入ったりなんかしているのだが、先生は言うことを聞かなかったという。

 茂吉が永井ふさ子に送った手紙は−中略−収録されているものだけでも一五七通にのぼります。初期の手紙は、再三にわたる茂吉の強い要請でふさ子が焼いてしまっているので(84頁)

ふさ子さんにも強烈な恋だったらしくて、こっそりとその手紙をふさ子さんは保管し続けたというところから後々の大スキャンダルになる。
斎藤茂吉という歌人であるところのその大先生が60近くなって28歳も年下の若い娘に恋をして不倫を続けたという。
何と送ったラブレターは200通近く。
何個か茂吉さんが「読んだら捨ててね」と言ってあったもので破り捨てたらしいのだが、ふさ子さんの方は忘れられずに大事に取ってあったそうだ。
いつも茂吉は恋文を書いて、その恋文の結び目にも和歌を送っている。

「わが心君に沁みなば文等をば焔のなかにほろぼしたまへ」と歌まで作って、焼却を要請しているところがいかにも茂吉ですが(85頁)

何とふさ子さんは大事にその恋文をとっていたという。
そしてふさ子さんはそれを全部公表してしまう。
一冊の本にまとめて。
凄い根性をしていると思う水谷譲。
焼き捨てられなかったという。
ふさ子さんは計算高い女かな?と思うのだが、凄い。
ふさ子さんは不倫のことが世に知られて、もう身の置き場所が世間に無い。
だって今でさえもそうじゃないですか
不倫なんかでそういう方がおられたら、もう叩くだけ叩かれてしまって。
それで身の置き場所が無くなるのだが、それでもふさ子さんのことを「嫁に欲しい」という男性が現れて。
その時、もう斎藤茂吉は亡くなった後。
でもふさ子さんは「許す」という男性がいて結婚する段取りになっても直前になってキャンセルしたりして生涯独身で80まで生きられたという。
(このあたりは本の内容とは異なる)
それは斎藤茂吉への愛を貫いたということ。
だから不倫とか何とかいうが、わからない。
でも何でそのラブレターを公にしちゃったんだろうと思う水谷譲。
アララギ派の弟子達は烈火のごとく怒ったらしい。
ただ、ふさ子さんは「斎藤茂吉の本当の素晴らしさを知る為にはこれを公表した方がいいのではないか?この正直さこそが、あの人の短歌なんだ」「私との関係も短歌の一種だった」という。
それで全部公表しちゃったものだからそれは大騒動になってしまうのだが、ただ、不思議なもので、その当時でいう愛欲に満ち溢れた老人の恋。
その老人の恋がだんだん少年のような無邪気さで恋している歌人の姿と重なって許せるようになってくる。
さあ、茂吉がどんなラブレターを書いたのか?
これはもう公表されているので読み上げるが、まるで少年のように赤裸々に若い娘の体を持つふさ子に訴える斎藤茂吉の文章。

 十一月二十六日(手交)
 〇ふさ子さん! ふさ子さんはなぜこんなにいい女体なのですか。何ともいへない、いい女体なのですか。どうか大切にして、無理してはいけないと思います。
−中略−今度の御写真見て、光がさすやうで勿体ないやうにおもひます。近よりがたいやうな美しさです。(90頁)

まもなく60になろるという精神科医、その先生が二十代半ばの娘に手渡した手紙。
それは女としても、そう言われたら嬉しいか、もしくはちょっと気持ち悪いと思うかどちらかだと思う水谷譲。
その時、斎藤茂吉というのはビッグな人だったのかと思う水谷譲。
ビッグなどころではない。
その当時、日本の歌人を代表して。
「こんなにいい女体なのですか」
これを言われたら嬉しいだろう?
嬉しいかも知れないと思う水谷譲。
この膝まづくような賛美の仕方というのは。
よく「叩けば叩いていいんだ」というようなことで浮気とか不倫とか言うが、もうスキャンダルの完成品。
このふさ子さんが亡くなられたのはついこの間。

ふさ子が亡くなったのは一九九三(平成五)年、八二歳であったといいます。(91頁)

どうしても茂吉との再会の思い断ちがたく、−中略−生涯独身をつらぬくことになりました(91頁)

見事な不倫だと思う。
不倫もいろいろあるのではないか?
今、言ったみたいな「見事な不倫」と「見事じゃない不倫」があるのではないか?
この間、(放送作家の)鈴木おさむさんが「『老害』という言葉がよくない」という。
「『老害』の反対の『老人を敬う』というそんな言葉を生まなきゃダメですよ」と言って。
「何て呼べばいいですかね?」とおさむさんに訊いたら「ローソン(老尊)」と答えた。

昨日は茂吉先生の不倫の話だったが、その不倫ゆえに苦しんだという女性の歌もたくさん残っている。

 かたはらにおく幻の椅子一つあくがれて待つ夜もなし今は
            大西民子『まぼろしの椅子』
(92頁)

「私の隣に椅子はあるが、空いたままだ。座ってくれる男はどこか行っちゃった」という。
短歌は正直に淡々としながら強烈なほど個人の苦しみを刻むことができるワケで。

大野誠夫さん。
(番組では「まさお」と読んだが本によると「のぶお」)
離婚を決意した日常をさりげなく詠んだ一首。

 幼子とひそかに写真を撮りしこと別れねばならぬ二日前なりき(96頁)

「離婚の二日前に子供とこっそり写真撮りました」という。
辛いと思う水谷譲。

 ほほゑみし筈が泣顔に撮られたる写真はいまも抽出ひきだしにあり(97頁)

「笑うつもりだったが、いつの間にか泣き顔になっていた」「何だか見る気がせずに、その離婚を決意した写真は引き出しの中に置いたままでございます」という。

ちょっと俳句と比べてみる。
武田先生の好きな俳句。
これは蕪村。
「つまみたる夢見心地の胡蝶かな」
(「うつつなきつまみごゝろの胡蝶かな」を指していると思われる)
蝶々がひらひら飛んでいる。
止まった
指でパッと蝶々を捕まえた。
捕まえたのだが捕まえた蝶々の羽が薄いから、まるで夢の中で蝶を捕まえたような不思議な心地。
「つまみたる夢見心地の胡蝶かな」
上手い。
これは凄いのは、もちろん中国の故事「胡蝶の夢」も引っかけている。
昔々、中国のある旅行家の青年が夢を見た。
その夢が凄い夢で、昼寝している間に蝶々になった。
ひらひらひらひら空中を飛んでいて、まあ楽しいの何の。
「ああ疲れた」と思って蝶々になった私が花に止まって休んでいる時、うとっと眠った。
眠った瞬間にハッと青年は目が覚めて「俺は人なのか蝶々なのか」。
蝶々が夢見ている人の夢なのかも知れないという。
見事な時空の表現。
短歌は、ある動きの連続で、俳句はノイズが入っている。
「ノイズが入っている」という表現が武田先生らしくていい。
これは武田先生の言葉。
この本の中は短歌しか出てこない。
武田先生はそれをちょっと俳句と合わせて語りたかった。
ノイズのある一茶の句を紹介する。
「雪とけて村いっぱいの子どもかな」
これは何で「いいな」と思うかというと音がする。
子供達の声が聞こえてくると思う水谷譲。
一茶はこういうのが上手い。
「雪が溶けて春がやってきた。村いっぱいに子供の声が響く」という、この俳句の持っている音の表現というのが凄い。
「蛙飛びこむ」も一茶だったかと思う水谷譲。
あれは芭蕉。
「古池や蛙飛びこむ水の音」
あの場合は音を言葉で残してあるが「古池や蛙飛びこむ水の音」で目に見える風景は何か?
池とカエル。
飛び込んだ。
どうなる?
肝心なことを忘れてしまっている。
波紋。
あれは音がして絵が見える。
だが、見える波紋のことは一行も触れていない。
それを感じなければ・・・
チャポーン!という小さな音と、広がっていく波紋。
俳句というのは書かれていない文字をどう引っ張り出すか?
だから絶望的なことを言うと、俳句は中国語に訳せない。
今度またチャンスがあったら、白川静の文章で教えてあげるが。
「古池や蛙飛びこむ水の音」を漢文の詩がある。
それは波紋を感じない。
漢字というのはガシーン!ガシーン!ガシーン!とイメージがくっつきあうから揺れる思いというのが無い。
それから川端康成の「雪国」。

雪国(新潮文庫)


「国境の長いトンネルを抜けると、雪国であった。」と、これは英語にできない。
英語にすると日本語の意味を離れてしまう。
「国境の長いトンネルを抜けると、雪国であった。」というのは列車を映してはいけない。
でも英語は「ロングロングトンネルをトレインが抜けたらスノーワールド」となってしまう。
でもこれは違う。
「真っ暗いガラス窓の中から突然白が広がった」という、それを感じないと川端が描きたかった雪国には入れない。

和歌というのは非常にストレートに人間の光の部分も影の部分も描くことができる文芸だということで。
ギクリとするような短歌世界をご紹介したいと思う。
大西民子さん。
大西民子さんは旦那様との結婚の失敗か何かで深く心に傷を負われた方なのだろう。
非常に事実の見方が厳しいというか、はっきり言って暗い。
そんな方の一首。

 亡き人をあしざまに言ふを聞きをればわが死のあとのはかり知られず(105頁)

亡き人をあげつらうような口ぶりに、私なども死んでしまえばきっとこんな風に「あしざまに」言われるのだろうと、いま自分の前で故人について言い募っている人を、距離を置いて嫌悪感とともに見やっているという歌です。(106頁)

これはドキッとする。
大西の歌は何やら短歌において文学の太宰治を思わせる、人間の本性を見抜く目の鋭さみたいなものがあるような気がする。

誰ひとり身寄りのいない大西であってみれば、なおさらそんな心の傾き方をしたのかもしれません。(106頁)

この心の傾きは人を思わず引き付けてしまうという。
そんな大西の歌。

 ねんごろの見舞ひなりしが去りぎはに人のいのちを測る目をせり(106頁)

嫌な短歌。
ちょっと怖い。
これは入院の体験がある人はちょっと刺さって。

懇ろな見舞いをしてくれた友人でしょうか。しかし去り際に一瞬だけれども、確かに自分の命があとどれだけもつものかと「測る目」をしたと見破った、あるいは気づいたというものです。(106頁)

こういうのはある。
このあたり、人生の後半になってくると命が次々とテーマを与えてくれる。
これは皆さん、暗い歌とか言わずに命の素直な叫びだと思って聞きましょうね。
そうやってくると衰えてゆく命というものも歌の材料を与えてくれるという。
衰えてゆく命に敏感になり、介護の現場でも命というものを生々しく歌うことができるようになるという。
有様を五七五七七に託してゆくワケで、まずは介護にある大変さ。

 ああ重たいああ重たいといふ声のいづくより湧く私の声か(123頁)

 川野里子は新幹線で遠距離介護を長く続けてきた作者ですが、そのような過酷な日常のなかで「ああ重たいああ重たい」という声が無意識のままに自分から漏れていることに不意に気づいたのでしょうか。「私の声か」には、現実が如何に自分の体を縛っているのかに気づいて、愕然としている作者が見えてきます。(124頁)

 死を願う心起こりしことなきや母看る我に問いし人あり
            島村久夫 朝日歌壇2019.4.14
(124頁)

あなたはそんなに一生懸命お母さんの面倒を見ているけれど、いっそ死んでくれたらと思ったことはないのかと、人に聞かれたというのです。(124頁)

 「空きを待つ」その空きの意味思いけり特別養護老人ホーム
            小山年男 朝日歌壇2008.3.10
(127頁)

ここで言う「空き」とは何を意味するのか、「その空きの意味」とは何なのか。
「特養」で「空き」が出るとは、誰かが亡くなること以外ではありません。
(127頁)

決して明るい歌ではないが、しかし「命を見届ける」ということは、このほの暗いまなざしを持たねばならんのであって。
私達の命は上へ伸びる、葉を茂らすと同時に、地面の下、暗がりへ根を伸ばさねば倒れてしまう。
いいことを言った。
これは武田先生が考えた。
すいません永田先生。
大事な書き物に上から字を書くような真似をして。
ちょっと、朝に出る番組によく人生相談が舞い込むような。
テレビのわがまま。
あんまり重たいヤツは朝から紹介するのが大変なので、ちょっと今、休んでいるのだが相談したがる方がいらっしゃるみたいで番組宛てに重たい相談が来る。
考えてみたら今言ったことと同じで「恋人を作って出て行った娘を引き戻したいけども、友達みたいに仲のいい母子だったんですが今、私を捨てた娘を憎みます」とか。
「それはあるって、お母さん。人間、子供を憎むことなんてあるんだよ。暗い方にだって根は伸びていきますよ」
そういうことが命にはある。
どっちの番組をやっているのかわからなくなった。
ごめんなさいね。
これは「(今朝の)三枚おろし」でした。

和歌を扱っている。
最後の方で、この著者の永田さんは死にまつわる和歌の方も紹介しておられる。
武田先生なんぞは他人事ではなくて噛みしめつつ読み進んだ。
ただ、青春時代から石川啄木が好きで。
その啄木の死の歌をご紹介しましょう。
啄木が、生まれて間もなく死んでしまった自分の子に対する哀惜というか悲しみを詠った歌で。
「元気いっぱい泣いていた子が死んでいる」という事実を突きつけられた時に、石川啄木が詠んだ歌。

 底知れぬ謎に対ひてあるごとし
 死児のひたひに
 またも手をやる
(162頁)

冷たい感触が伝わってくる感じがする水谷譲。
理不尽。
幼くてその子が死んでしまったという報告を聞いて信じられずに「またも手をやる」。
ひたいに手を当ててしまうという。
子供の死を「大いなる謎」「底知れぬ謎」と啄木は詠んだワケで。
だんだん武田先生も死に近づいてきた。
死はそんなに遠い出来事ではなくなったワケで、友らが次々と鬼籍に入るという知らせが届く昨今。
「底知れぬ謎」
これが武田先生のそばにやってくるワケで、もう人生の当然として死を考えなければならないという。
そういう意味で、今回はちょっと重たかったかも知れないが。

 死の二日前に書きくれし手紙には一杯やりましょうとインク青かりき
            永田 淳『竜骨もて』
(177頁)

(番組で「じゅんいち」と言っているようだが、上記のように「淳」)

 どっちみちどちらかひとりがのこるけどどちらにしてもひとりはひとり
            夏秋淳子 朝日歌壇2023.12.10
(183頁)

これもクールな歌。
厳しいがこういうもの。
もう「好き」とか「嫌い」とか言っている場合ではない。
本当にそうだ。
ここから人生を考えると人生は全て幸せなのだが。
今日やった夫婦喧嘩も全部幸せだった思い出なのだ。
だから死というのを考えると人生の見え方が変わってくるという。

寂しい歌にいく。
でも誰もがこの淋しさを引き受けなければなりません、ということでまいりましょう。

 わが胸にさぶしきすきまあるゆゑにすきま灯せりひとかげを立て
            渡辺松男『雨る』
(189頁)

「心にある隙間。その隙間に明かりをともして思い出の人をそこに呼びましょう」という。

もの凄くクールな永田さんの一首があるのだが、ちょっとやはり考えた。

 人の死はいつも人の死 いつの日ぞ人の死としてわが悲しまる(144頁)

死は全て自分で捉えることはできない。

真に申し訳ございません。
時々こういう重たいヤツもやらねばと、そんなふうに思っている。
今、「終活」なんていう。
それがやはり死を引き付けて、死を考えようというのだが無理。
それほど人間はタフではないし、死んだ後の自分を想像することができない。
命ある限り、らしく明るくあればいいのではないかなぁと思ったりする。
でもちょっと正直に言うと、(この回の原稿は)ワリと落ち込んだ時に作ったヤツ。
それで、始まる前に「今回あんまりおもしろくないぞ」と言った。
やはり老人性の何かがあって、気持ちに波がある。
それがフッとこんなふうにして、暗い「三枚おろし」になることもある。
この暗さも生きている時の暗さだから。
命の不思議さというのは、そんなもの。

この間、こんなことがあった。
友達の霊園の話から思い出が谷村新司になった。
谷村新司という友達ができた時に、もの凄く心が通じたのは何かというと、谷村の持っている正直な明るさが、もの凄く気に入った。
武田先生達はお客さんが入らなくて本当に辛くて、その話をしたら谷村がのってきて「俺も入らない」と言い出した。
それで「本当にこの人と気が合うなぁ」と思った。
その時の谷村は「昴 -すばる-」を歌う谷村ではなかった。
スマートさの全くない、ざらついたシンガーソングライターだった。
「もうあんな歌聞きとう無いんよ」と上ずった声で言う。
その時に人物の残した人生の思い出というのは、こんなふうにしてどんどん変わる。
そういうことも含めて今、この年齢になって、何人もの死者を送ったが「死んでいく友らに何を語ろうか」と思った時、ちょっと暗めだが短歌に於ける死というものも話題に成り得るということで語ってみた「三枚おろし」だった。




2025年7月28日〜8月8日◆人生後半にこそ読みたい和歌(前編)

今回は短歌を取り上げてみた。
五七五七七の世界。
これは「人生後半にこそ読みたい秀歌」ということで(著者は)永田和宏さん、朝日新聞出版。

人生後半にこそ読みたい秀歌


(紹介されている和歌が、番組内では内容や読みが異なる箇所があるが、本からの引用を紹介するだけにしておく)

短歌と俳句はどう違うか?
字数が違う、短歌の方が恋の歌が多いと思う水谷譲。
そうでもない。
辞世の歌は皆、和歌。
五七五七七で詠むので、恋の歌とは限らない。
決定的な違いは俳句は季語があるが短歌は入れなくてもいい。
俳句はある場面に関してシャッターを押す。
短歌というのは何かというと動画。
「動く絵」として
TikTok。
それにふさわしいような。
YouTube。

その名句をご紹介する。
武田先生はこの句が大好き。
こんな歌。

 おそるべき君等きみらの乳房夏来る
            西東三鬼『夜の桃』
(17頁)

これは見事だと思った。
これはもう男はすぐにわかる。
これは映像がパッと浮かぶ。
お母さんが夏だから堂々と(乳房を)出して赤ちゃんに吸わせていると思う水谷譲。

若い女性たちの、夏が来て薄着になって嫌でも目立ってくる溌剌とした乳房に圧倒されている男がいる。(17頁)

今だったらコンプライアンス違反の歌だと思う水谷譲。
俳句。
これはいい。
夏服のボタンをはじくような乙女たちの若き乳房のふくらみ、弾む足音が揺れているという。
その生命の躍動に対し、中年男はまぶしくたじろぐような思いで眺めている。
季語はもちろん「夏」。
これがやはり見事という他無い。
この句はやはり上手い。
活き活きしていると思う水谷譲。
これで真似をした句を作ったが、鼻もひっかけてもらえなかった。
夏井(いつき)先生に出したヤツで。
「ひざうらの Hのくぼみ 夏来る」
たいしたことがない。
ただのスケベという感じがする水谷譲。

短歌の方。
三鬼さんの句が「おそるべき君等きみらの乳房夏来る」というショットだが、短歌ではどんなふうになるのか?という。

 ありふれし中年われは靴の紐ほどけしままに駅に来てをり
            小池 光『草の庭』
(22頁)

「靴のヒモがほどけたまま駅にきてしまっている」と思う水谷譲。
そのまま言われても短歌の味わいは無い。
これは、営業か何かで歩きまわって疲れたサラリーマンがいる。
営業のことばかり一生懸命考えた。
帰り支度をして駅から家へ、或いは会社に帰ろうかと、その瞬間にフッと足元を見たら靴の紐がほどけていた。
「危ないぜ俺は」という。
靴の紐は危ない。
あれは皆さんもしっかり注意してください。
ほどけていると自分の足で自分の靴紐を踏んだりなんかすると転び方が、階段等々で起きると転落の危険性もあるという。
この「ありふれし中年われは靴の紐ほどけしままに駅に来てをり」そこに自分に向かって小さく舌打ちをする、無念のため息。
ここには中年の疲れとむなしさ、ため息があって、その「中年のわれ」が歩いていて、「靴の紐がほどけしままに駅にきていた」というそのことに気づくというところまでの一連の動画が目に浮かぶ。

そしてもう一つだが、写真と動画の差の他にも俳句は引き絵、引いていく。
大きな画面の中の私。
短歌は逆。
最初に大きな画面が映っているのだが、最後はシュッと寄りカットで終わるという。
「ありふれし中年われは靴の紐ほどけしままに駅に来てをり」
駅の雑踏の中から、靴のクローズアップで終わるという。
こういう短歌の面白さを今回、ご紹介できれば、お楽しみいただければというふうに思う。

この「和歌」というと俵万智さん。
大ブームになった。
「サラダ記念日」

サラダ記念日 (河出文庫 227A BUNGEI Collection)



「あなたがこの味がいいよと言ったから今日は二人のサラダ記念日」という、そんな感じ。
正しくは「『この味がいいね』と君が言ったから7月6日はサラダ記念日」)
これも一見すると「何てことない」という。
でも「これも短歌なんだ」と思わせてもらった水谷譲。

著者の理説を聞いてみる。
永田和宏はこの和歌に関してこんなことをおっしゃっている。
著者は言う。
年を取るというのはどういうことか?

「老化は病気である」という概念でした。老化は誰にでも等しく訪れる避けがたいプロセスではなく、病気の一つなのだ、だからそれは治療できる。(9頁)

老いに対する科学の戦い、医学の戦いは続いている。
しかし著者は言う。
ここが気に入ったのでこの本を最後まで読んでしまった。

長い老後と言う時間、それにいたる中高年という人生の充実期、これらが歌の素材、テーマとしておもしろくないはずがない。(11頁)

そんな短歌を紹介する。

 いかがなる晩年来ると思ひしが至りてみればごく当たり前
            齋藤 史『風翩翻以後』
(24頁)

これは水谷譲にはわからない。
これは納得する。
もうだいたい武田先生は60(歳)を過ぎたら「人生っていうのはねぇ、そんなもんだよ」なんて、そんなこと言うのかなぁとかと思っていたが、60では言わない。
昔はもう60を過ぎたらお爺さんだったが、今は全然違うと思う水谷譲。
童謡でも

今年六十のお爺さん−中略−
それ ぎつちら
(船頭さん)

船頭さん




とかという歌があった。
今、60なんてとんでもない。
武田先生も60の頃は体育ジムというか原宿にあるジムに通っていたが、青山にあるジムにも通っていたが。
なってみると「なんだこんなもんか」という。
これは昔、ある大監督が言った。
「君はまだ若いから、80幾つなんていうのはもうヨボヨボのジジイと思って、『死への覚悟ができている』とか思うだろ?なんにもないよ、そんなのは。明日はどこいって何喰うか?そんなことばっかり頭かすめるんだ」という。
その時は「お元気なお爺様」という感じで武田先生も応答していたが、今、自分が70の半ばを過ぎると「ただそれだけのことか」という。
つまりきてみれば「なんだ、ただの今までとおんなじじゃ無ぇか」というような。
年を取ってあたりを見回したところで。
武田先生が言いたいのは、この永田さんの主張の好きなところは「こんなばかばかしいほどの当たり前を歌にできるのは、世界の文化・文芸の中でも短歌にしかできませんよ」。
本当にきてみると晩年というのはそんなもので、決して拗ねて言っているワケでも何でも無くて、人生をそこまで行ってみると深々とした思いではなくて、振り返ったら「昨日があるばっかり」「明日の予定があるばかり」というので、「人生が俯瞰で見えたりするというような年の取り方はしておりませんぜ」という。
そして年を取ることの面白さを、そういうことも歌にできるのは短歌ですよ、という。

大先生を挙げてみる。
斎藤茂吉。
精神科のお医者さんでもあった斎藤茂吉だが、この人は本当に正直な人。
何回でも歌が出てくるから覚えておいてね。
斎藤茂吉。
息子さんが作家の北杜夫さん。
「どくとるマンボウ」の。

どくとるマンボウ医局記 新版 (中公文庫)


斎藤茂吉は、一九二三(大正一二)年から一年間、ミュンヘンのドイツ精神病学研究所に留学しました。−中略−留学当初はストレスの多い日々でありました。(30頁)

 Münchenにわが居りしとき夜ふけて陰の白毛を切りて棄てにき
            斎藤茂吉『ともしび』
(30頁)

どういう歌かというと、

留学時の茂吉は四一歳。−中略−ある夜、ふと「陰の白髪」に気づく。歌にしているのは、初めてそれに気づいたショックからでもあるでしょう。たぶんほんの一本か二本の白髪であったはずですが、「切りて棄てにき」という口調には、どこかいまいましさも感じられますね。それとともに、俺もそんな齢になったのかと(30〜31頁)

それはミュンヘンとどういう関係があるのかと思う水谷譲。
何の関係も無い。
ただ「ミュンヘンで下の白髪を抜いている」というのが何ともはや、ユーモア。

また、こういうズバリのヤツもある。
永田和宏さん(の句)。
同じく下の毛を歌っている。

 恥毛までロマンスグレイになつたぜと告げたき人もいまはをらねば(31頁)

これこそちょっと老いの臭いがするが。
そんなことを冗談半分に言っていたという。
これは、お若いまだ60前の水谷譲はピンとこないだろうが、やはり下に白髪が出るというのは結構、男は気持ちが折れる。
あえて「陰」と読ませてもらった。
品の無い言葉でも短歌では堂々と使えるところが愉快。

斎藤茂吉、もう一ついってみる。

 俗にいふ睾丸火鉢もせずなりてはや三十年になりにけるはや(33頁)

「睾丸火鉢」俗にいう「股火鉢」。
モモヒキを履いたまま、火鉢にまたがる。
そうすると暖かい。
体の芯が温まる。
その若き日の行儀の悪さを茂吉はユーモラスに歌にした。
「俗にいふ睾丸火鉢もせずなりてはや三十年になりにけるはや」
何か、小倉百人一首のように「ハイッ!」と取りたくなる。

「老いてゆく」ということ自体を歌った永田(和宏)さんの歌。

 忘れたのではない最初の一字が出ないだけあの人あの人 えーとあの人(35頁)

こういう思い出せないという老いの初期症状だが、これでさえも短歌になるという。
日常の愚痴、それをそのまま歌にできるという。
このへんが面白いもの。

それからちょっと身につまされたヤツ。
齋藤史さんが歌にしておられる。
五七五七七。

 疲労つもりて引出ししヘルペスなりといふ八十年生きれば そりゃぁあなた−中略−
疲労が積もり積もったのでしょうか、
−中略−重いヘルペスに罹り、−中略−「八十年生きれば そりゃぁあなた」と笑いとばす。(36頁)

「そりゃぁあなた」というのがいい。
これは武田先生も(ヘルペスを)やったがよくわかる。
認めたがらない。
「ここのところ痒い?痛いですか?」「いや、痛みはそうないんですよ」「じゃあ違うと思うけど」と言ってパッとお医者さんが声をひそめて「武田さん、ヘルペスかもしんないですね。そうしますとお薬が全部変わっちゃうんで。お元気いいからね、そんなことないと思います。ヘルペスかと思います」という。
今、帯状疱疹が流行っていると思う水谷譲。
もうただ仕方がない。
加齢と共に生命力が落ちてくると、隠れていた帯状疱疹というヤツがポコッと出てくるという。
だから何もかも衰えているということなのだろう。
だがこの方は「80年生きてりゃヘルペスの一つや二つ出てきますよ」というところに、老人の強がりみたいなのがある。
武田先生の場合は「顔にできた吹き出物」というので、ずっと痛かったのだがドーランを塗ってごまかした。
でも「ヘルペス」というと凄く年寄臭いので、それでメークさんに「これ吹き出物」とかと言いながら。
叩かれても痛いのだが、歯を喰いしばって痛みをこらえていた。
このあたり、思わず引き込まれてしまったという。

和歌のすばらしさ。
五七五七七。
どんなことでも題材になるという。

近代短歌から綿々と続いてきた大きなテーマに「貧しさ」ということがあったということができます。(41頁)

貧乏なんてなかなか文芸とは関係無く、歌になりにくいと思うが、短歌の中には貧しさの名句は多い。

 はたらけど
 はたらけど猶わが生活楽にならざり
 ぢつと手を見る
            石川啄木『一握の砂』
(42頁)

 おそらくこの歌を知らない日本人は皆無でしょう。−中略−近代から現代にかけての歌には、貧しさを詠った歌は枚挙にいとまがありません。(42頁)

かくのごとく「『貧しさ』というもので和歌を作ってみましょう」という。

 銀行の監視カメラに御辞儀して嬉しく下ろす初の年金
            三ツ松秀夫 朝日歌壇2006.5.8
(46〜47頁)

いい。
続いて浅上薫さんの貧しきながらのプライド。

 中学を出て働きしご褒美にこの頃年金友より多し(47頁)

「アンタはエライ!」というヤツ。
ひそかなるプライドを年金の額で知るという。
人には誇れないが短歌にしてしたためて己を褒めることはできるという。
「私を褒めてやりたい。それができるのが短歌である」という。

辞世の歌。
間もなく死んでゆこうとする時に和歌を残すという。
これは昔のお侍さん達は習慣で持っていた。
そのお侍さん達とは違って女性の中でも死んでいく時は一首歌を作ってどこかに入れていたようだ。
有名なヤツをご紹介する。
細川ガラシャ。
戦国の世に生まれた、明智光秀さんの娘さんで旦那さんが細川忠興という方。
もの凄いベッピンさんだったらしいのだが、権謀術数に巻き込まれて彼女自身は自害して果てるのだが、クリスチャンだったものだから自殺が禁止なので、使っていた老武士になぎなたで首を切ってもらった。
凄いエピソード。
旦那さん、忠興さんが凄いやきもち焼きで、男性が部屋に入ってきても激怒する。
入った使いの人間がいると忠興さんが切り殺したらしい。
それで死んでいく時も夫にそういうやきもちを焼かせてはいけないというので、自分は座敷の内側で正座して、廊下からなぎなたを持たせた老武将に首の血管を切らせたという。
首筋に、恐らくガラシャ夫人が刃を当てたのだろう。
それで曳かせた。
凄い話。
これは戦国時代。
その時に彼女の衣服の中、袖、或いは懐に辞世の歌が入っていたという。
それが残っている。
「ちりぬべき 時しりてこそ 世の中の 花も花なれ 人も人なれ」
散る時を知っているからこそ花は美しい。
人もそうでありたい。
これはいい。

次にいく。
今度は男性。
吉田松陰。
安政の大獄で江戸で処刑される。
浦賀・ペリー来航の折、黒船に密航してまで世界を学びたかったという勉学の人、松陰。
囚われて東京・伝馬町で切腹を命じられる。
その時の一首。
「身はたとえ 武蔵の野辺に朽ちるとも 残らざらまし 大和魂」
(実際の句とは異なる)
力強いと思う水谷譲。
これもいろんな人が真似をしたのだが。
もう一首、切ない歌。
「親思う 心にまさる 親心 今日のおとずれ 何ときくらん」
「私がお父さんとお母さんのこと心配で心配でしょうがないんだけど、ああいけね。むこうの方がもっと俺のこと心配してらぁ。腹切って死んだって聞いたら悲しむだろうなぁ」という。
これもいい。
しかしやはり真似したくなるのは「残らざらまし 大和魂」
今でも世田谷線にお墓があるのでよければぜひ豪徳寺の隣なので。



「人生後半にこそ読みたい和歌」
これは何を考えたかというと、武田先生ももうその年齢だなと思って、和歌を開始しようかなと。
だからもちろん辞世の歌として。
どこかでポックり逝ったりした時に「内ポケットからお父様の和歌が出てきたわ」とかと、何かいい。
「終活」とかというけども、「昔の人って見事だな」と思うのはやはりみんな下々の人までその手の洒落っ気があって。
作れと言われてもできないが、よく昔の方はみんな作っていたと思う水谷譲。
幕末の争乱の時に戦場に行った勤王の志士がいる。
いつ死ぬかわからないからいつも辞世の歌を懐に入れているとか財布の中に入れているとか、そういう美意識があったようで。
坂本龍馬みたいな、あんな文芸に関係の無いような人でも、死ぬつもりが無かったみたいだから作っていなかったようだが、作る練習はしていたようだ。
どれもこれも若さがはじける歌だが。
「世の中の人は 何とも云わばいへ 我が成すことは 我のみぞ知る」という。
彼らしい生き方の一首だが。
日本の文化の中にはそういう辞世の歌文化というのがあったのではないか。

短歌のいいところは淡々と事実をリズムに乗せるだけで何やら言葉が陰影を帯びてできてしまうという。
ちょっと二、三、現代の辞世の歌をご披露する。
これはもちろん永田さんの紹介によるが。

 わが死後に葬式代など要る金を置きたる場所を子に伝へおく
            岡田独甫 朝日歌壇2017.9.18
(48頁)

非常にストレートな。
「わが死後に葬式代など要る金を置きたる場所を子に伝へおく」という。
今、年寄りで問題になっている。
郵便貯金の暗証番号とか、貯金の暗証番号とか、何にも言わずに死んじゃったもんだから、後で大変だそうだ。
それからズバリ朝の番組に出ていたらそんなことを言っている人がいたが「一人暮らしのご老人は暗証番号を冷蔵庫に貼っとけ」と書いてあった。
安全ではないのだが、「後の迷惑を考えたらこれぐらいやっておかないとダメですぜ」という。
どんな複雑な思いでも事実を述べてその感想で結べばサマになるというのが和歌。

吉川(宏志)さん(の句)。

 書類すべてシュレッダーに呑ませたりこんなに軽くなるか、抽斗ひきだし(52頁)

これは水谷譲なんかも働いているから思うだろう。
書類の全てをシュレッダーに全部。
そうしたら今まで重たかった引き出しが軽くなったという。
会社を去る思い、退職の様子もまたある意味では辞世の歌に成り得るのであるという。

 階段を踏みくだりつつ中間の踊り場暗しつとめを今日去る
            宮柊二『多くの夜の歌』
(54頁)

そしてさらに著者はもっと生々しくお金と定年の句を紹介する。
小さな出来事が五七五七七に掬い取られていくという、そんな妙を味わっていただければ。

 月一度「給料」とある入金はこれが最後と記帳して気づく
            上野智子 朝日歌壇2021.4.18
(59頁)

「そういう日がきっとくるんだろうなぁ」と思う水谷譲。
「誰にでもやってくる」という日のことで、この「誰にでもやってくる」というところに辞世の歌のすばらしさがある。
「給料が今月から無いんだ」と不安。
その不安を文芸・文学にするという。
これは皆さんやりましょうよ。
美しいリズムにのっけて我が切ない暮らしを語りましょうよ。
当たり前の情景だが、これが和歌になるとこうなる。

 定年のわが給料を仏壇に供えて妻の祈りのながし
            小林 昇 朝日歌壇2000.10.8
(59頁)

いい。
不思議な瞬間。
これは歌で気が付いた。
一番最後のお給料を仏壇に置く。
もう一つ給料を仏壇に置いた体験は水谷譲には無いか。
(家に)仏壇は無いからわからない水谷譲。
母親が兄の給料が時に仏壇に置いたのを覚えている武田先生。
昔は現金支給でいただいたが、今は振り込みになっていると思う水谷譲。

来週は不倫の短歌を紹介したいと思う。



2026年01月23日

2025年11月17〜28日◆肌(後編)

これの続きです。
(月・火・金曜日分の本放送では番組の冒頭はQloveR(クローバー)の入会キャンペーンの宣伝)

整体師さん、マッサージさんの肩か何かに彼の親指が入ってきて揉んでくれるともう本当にうめき声が上がる。
老人のうめきだから「うぅ〜うう」というような。
あの気持ちよさ。
痛気持ちいい。
痛いのに何で気持ちがいいか?
「痛気持ちいい」というのは不思議な言葉。
ちょうどツボに入るあの感じだと思う水谷譲。
あれは絶対間違い無いのは、あの痛さに全く疑念が無い。
「この後、気持ちよくなる」という希望を持った痛さが「痛気持ちいい」。
あのまま痛かったら「殺される」とかいろいろ思うだろうが。
自慢ではないが、武田先生の整体師さんはパワーがある人で。
時々お腹に指をあててグーッと骨盤に向かって押されることがあるし、その時は「親指が背中に付くんじゃないか」というぐらい。
でもある意味それは、武田先生と(整体師が)肌が合うということで、やはり肌の合わない整体師さんもいらっしゃると思う水谷譲。
ただ痛いだけ、という。
武田先生と整体師は)もう二十年近い付き合いだから、どんどん深いところに入ってくる。
肛門の周りとか。
凄いのなんの。
「もう一つ門ができるんじゃないか」というぐらい。
それと、朝から何だがはっきり言った方が分かりやすいから伝わると思うので言うが、金玉の横とか、肛門の付け根。
もうあられも無いところ。
これはもう本当に凄いの何の。。
あの時に上げた「うぅ〜!」というのは人間の声ではない。
それも信頼関係があってのことだと思う水谷譲。
水谷譲は鋭いことを言う。
つまり、あの「痛気持ちいい」の中にあるのは信頼関係。
痛いのは不快。
だが、その不快が去れば不快の何倍もの快が俺にやってくるという信頼関係を彼の手のひらとか親指のパワーに感じる。
これは逆のケースもあるかも知れないが、今回はいいケースだけを取り上げる。

「肌」というと、その人の人格を表す意味合いになってくるようです。(「驚きの皮膚」134頁)

人と人との相性、「肌が合う・合わない」、性格を形容する言葉で「姉御肌」「一肌脱ぐ」「あの人は肌理が細かい」。
皮膚にはそんなふうにして内面が現れやすいという。
その肌が表す様子のことを「顔が真っ赤になる」「いやぁ〜。あん時、俺もびっくりしてさ、顔面蒼白さ」。
赤や白で。

ヘモグロビンは酸素を多く運んでいると赤くなり、運んでいる酸素の量が少ないと赤みが弱くなります(「驚きの皮膚」123頁)

(番組内では「ヘモグロビンの量」と言っているが、本によると上記のように運んでいる酸素の量)
肌というのが赤くなったり青くなったり白くなったりするという。
これは「なるほど」。

そこで面白いことを傳田さんは言い始める。
肌を毛を抜いて露出したのはいいが、女性の場合、男共から内面を読まれる可能性があるぞ」。
特にその人の前に行くと赤くなるということがばれてしまうと「あっ、惚れてるな」というのがわかる。
それから肌が白くなったり青くなったりすると「あんまり好かれて無ぇな」とかと、そういう内面を肌で読まれる可能性がある。

人間はむしろ「顔色」を読まれない努力をしてきたように思えます。−中略−多くの女性がメイクアップで顔色を隠し(「驚きの皮膚」124頁)

こんなふうにして肌には無意識が出やすい。
そういう考え方から化粧という文化が生まれたのではないか?
化粧というのは大昔からあったのだろう。
クレオパトラなんか目の上を青く塗っていたというから。
最近、男の子も化粧をし始めたが、あれは顔色を読まれたくないということかと思う水谷譲。
武田先生はリップクリームが苦手。
リップクリームは昔、男の人が塗っていると「え?」と思ったが、普通にみんな(当たり前になった)と思う水谷譲。
夏の日傘と冬のリップクリーム。
これは現代では当たり前になった。
やはり爺さんとして抵抗がある。
これがまた愉快なことに、テレビ局のメイクさんは、本当にリップクリームを塗ってくれる。
いちいち断っている武田先生。
テレビ局のメイクさんの共通点はここ。
リップクリームを塗りたがるのと眉毛をすぐ切る。
(眉毛を)「整える」というかも知れないが、凄く抵抗がある。

こんなふうにして今週、皮膚から肌へ話題を広げて語ってみたいと思う。

昨日はちょっと文明の中での化粧を語ってみたワケだが、ここから傳田さんの深い考察が始まる。

もともと門外漢であった私が、たまたま化粧品会社に勤めたがために、長年皮膚の研究に携わることになり(「驚きの皮膚」46頁)

「皮膚・肌」というのをコスメというものでいかに美しく保つかということの研究をやっているうちに「皮膚・肌」の研究に憑り付かれたという方で。

 体毛を失った120万年前に現れた人間の祖先は、ホモ・エルガステル、あるいはホモ・エレクトゥスかと考えられます−中略−。おそらく彼らの中から体毛を失った個体が生き残る、ということが始まったのでしょう。興味深いことに、これらの種から脳が大きくなり始めたのです。(「驚きの皮膚」43頁)

全身の毛を脱ぐことによって脳が発達した。
これはなぜか?という。
これは理由があって全身の感度が上がって皮膚に無数のセンサーができた。
その皮膚のセンサーは膨大な量の情報を脳へ送り込めるようになった。
すると皮膚からの情報で、脳というのが更に進化して、意識が広がった。
それはそう。
いろんなところに皮膚が情報を送る。
そうすると脳がその情報を受けて人間の意識が広がった。
それが人類ではなかろうか?という。

傳田さんの言葉の中にこんな言葉があって「いい言葉だな」と思った。
(この後の話は本の中には見つからなかった)
「文字も言語も無かった遠い昔、人間と人間を結びつけたであろう皮膚感覚が深い知恵を人間にもたらしたのかも知れません」
これはいい文章。
文字も言葉も無かった。
ところが毛を脱ぎ捨てたサルの一派の中で肌を触れ合うことによって人間関係の結びつき、その強さが生まれた。
パッと想像してしまって嬉しくなった。
例えばある一匹の殆どサルに近い毛を脱ぎ捨てたサルが肉親を失ったとする。
そうすると仲間の、「サル」と言った方がいいと思うが、サルぐらいのヤツがそいつの背中をそっと撫でた。
その瞬間に撫でられたサルは「優しくしてくれてるなぁ」という感情が、もの凄い勢いで立ち起こった。
それから「ここの集団とここの集団はもうケンカしない」「このままいったらもう両方共滅びちゃうからケンカするのはやめよう」と言って約束代わりに手と手を握り合わせた。
そういう触れあいが感情を作り、その感情が集団の結束を強くした。
武田先生が作った言葉だが、いいことを言っている。
触れあう記憶が肉親を失った一匹の裸のサルが悩んでいる時、仲間のメスザルで優しいのが背中をゆっくり撫でてくれると「優しくしてもらってるなぁ」という、それが人から触られると気持ちがいいという。
そういうことになったのではないだろうか?
今は触れ合うことが少なくなってきているので、どうなっていくのかと思う水谷譲。
もう本当、全国の爺さん婆さん。
加齢と共にふれあいに関して鈍感になってしまうが、痛いところを誰かが撫でてくれるというのは、強烈な信頼関係。
そんなことが武田先生達夫婦にもあった。
もう具体的に語るのはやめるが、婆さんがゆっくりと背中を撫でてくれた。
その時に昨日までと違って「この人でよかった」みたいなことを爺さんが突然、さだまさしみたいに歌い出す。
このへんが更に話は神妙な方角に走っていく。

傳田さんのお知恵を拝借しながら肌についての考察を深めていく。
傳田光洋さん、講談社「驚きの皮膚」。
皮膚感覚の不思議。
仮説ではあるだろうがひどく頷ける仮説。
触れあうということで人間はより人間らしくなった。
その肌と肌で触れ合うことがいかに大事かというと、触れ合うことによって生成されるホルモンがあるそうだ。

オキシトシンというホルモンです−中略−赤ちゃんがお母さんの乳首に吸い付くと、その刺激で下垂体後葉−中略−からオキシトシンが放出され、母乳を作る乳腺細胞を刺激して、母乳が出ます。(「驚きの皮膚」105頁)

男には決して味わえないが、女性だけの快感ホルモンなのだろう。

あるいは陣痛促進剤といって、出産時、子宮を収縮させる薬がありますが、これも実はオキシトシンです。(「驚きの皮膚」105頁)

脳が合成し放出すると考えられていたホルモンが、表皮ケラチノサイトでも合成されていることを傳田澄美子博士が発見しました。(「驚きの皮膚」105頁)

だからお母さんの皮膚を優しく撫でたりすると、お母さんはたちまちオキシトシンが皮膚からも生成されて愛情深くなるんだ、と。

 このオキシトシンですが21世紀になって、哺乳類の社会性などにも関係していることが相次いで報告されました。(「驚きの皮膚」105頁)

ある本で読んで武田先生は酷く感動したのだが、生き物の中で喰い物を分け合うのは人間だけ。
動物は分け合っているわけではないのかと思う水谷譲。
あれは基本的には自分が満腹にならない限り譲らない。
「空腹をこらえて与える」とか「これオマエの取り分な」とかと分ける生き物はいない。
お母さんが「自分は食べなくても子供に与えるだけで幸せ」というのはそういうことかと思う水谷譲。
卑俗な例で何だが「鍋物を楽しむ」というのは、人間だけの楽しみ方。
このオキシトシンがそのあたりも人間というサルを動かしているのではないだろうか?
この社会性を育成するというところ、これが毛を脱ぎ捨てた理由ではないだろうか?
社会性とは一体何かというと他人への信頼を高めるということで。
そのスイッチを入れる為には、皮膚・肌への刺激が大事で、肌の刺激を受けることによってオキシトシンを生成し、それが脳に伝えられ、脳に伝えられることによって脳もオキシトシンを合成するという。
全身が快感で包まれる。
整体、或いはマッサージには実はその気持ちよさがあるのではないか?
だから自分で肩を押さえても気持ちはそんなによくないが、他人に押さえてもらうと気持ちいいというその理由だと思う水谷譲。
ドラマとかをやっていると、メイクさんで指の強い人が「リンパの流れを良くしましょう」とかと言いながら首筋から肩、頬をさすってくれる。
あれが、うめくぐらい気持ちいい。
化粧ののりも良くなると思う水谷譲。
やはりやってくれるその人を忘れない。
当番でその人が後ろにくる度に小さい声で「少しやってくれる?」。
これは面白いことに下手な子がいる。
当り障りのない触り方をする子がいる。
そういう子は一発で見抜く。
多分見抜きもあれは、肌でやっている。
その子が撫でていると、ちょっとイラッとする。
飲み屋のお姉さんの横に座って膝に手を置く時の手の感触。
何かあれだけで「あっ、コイツ惚れてるな」とかといろんな妄想が膨らむ時と「なんだコノヤロー」とかと。
このへんが触れる、或いは触れ合うことの難しさ。
触れている人の本音も伝わってくることがあるというワケ。
傳田さんの説だとは思うが、オキシトシンのように脳が適応の為に生成する脳内ホルモン、これが実は皮膚にも肌にもあったという。
ケラチノサイトというこの皮膚のとある成分が、その生成に参加しているのであるとすれば実は皮膚というのは脳と同じ仕事をしているんだ、と。
こんなふうに考えると面白い。
このあたりに毛を脱ぎ捨てた理由があると思うところに人類史の面白いところが。
整体師さんの快感から、とうとう人類までいってしまった。

「オキシトシン」というような脳内ホルモンの名前まで出てきたワケだが、平原に生まれたサル、そのサルが全身の毛を脱ぎ捨てて肌を露わにした。
これはもしかすると肌感覚、触れ合うことによってチームワークがよくなった。
それが非常に厳しい環境の中でも適応する推進力になった。
二足歩行、道具を使う、そして触れ合う。
これが人類の特徴になるのではないか?という発想が面白いなと思って。
人からやってもらう肩揉みや手揉み。
これが人間という集団の結束を強めたという。
こういう発想が面白かった。
人にとって社会性とか集団性というのは人間なる為の重大な条件だった、という。

最後になるが肌や皮膚については多くの著述、本があって、研究なさっている方も凄く多い。
どれも興味深いものであるが、少しその進化の意味を別の視点から見るものとして、これは別の本なのだが、草思社から出ている本で山口創(番組では著者の名前を「そう」と言ったが、読みは「はじめ」)という方が(書かれた)「人は皮膚から癒される」。

文庫 人は皮膚から癒される (草思社文庫 や 5-2)


(この本に関しては番組で以前にも取り上げている。2023年3月13〜24日◆皮膚と肌
(単行本と文庫本があるが、ここではページ数は文庫本のものを採用する)
この著者は「皮膚は感覚だけではなくて感情と結びついている」。
これはもう傳田さんも同じだった。
感情と結び付いている。
この山口さんは、こんなことをおっしゃっている。
これはハッとする。
困難な事態に陥ると人は信頼できる人を皮膚で探そうとする。

相手が信頼できるか、助けてくれる人かどうかという感覚は、意識に上る以前の無意識の段階で素早い判断をしていると考えられる。皮膚が情報処理をしているということは、数々の実験からも明らかであり(「人は皮膚から癒される」53頁)

皮膚が考えるんですよ、皆さん。
その他者が自分と同じ意志があり、その人が誠実に同じ夢を実現したいと望んでいるかどうか?共にそのことをやる情熱は同じように持っているか?
それだけではない。
その実力をこの人は持っているか?
その仕事を依頼し、目的の為に自分と共に働いてくれるかどうか?
こんな難しいことを肌で探す。
だからハグする時もそうで、それで何となくわかる水谷譲。
つまりスポーツに於けるチームプレイに於いて、その集団が勝利する意欲を燃やしているかどうか、自分と同じ目標を持っているかどうか、というのは各選手は肌で探すそうで、ラグビーでいうところの「One for all, All for one」、そのOneたる人物を探し出すのは肌である。
個人と個人の相互作用で集団を形成する。
「その人はそういうことが上手だから集団の中で大いに活躍してもらおう」

 それに対して日本人は、自己を他から独立した「個人」ではなく、「間人」として捉えている。自分を人と人との「間柄」に位置づけられた相対的な存在であると感じ、社会生活を自分一人の力で営むのは不可能だと感じている。−中略−この相互に信頼し助け合う価値観を「間人主義」というのだ。これは、対人関係を自己の生存のための手段として捉える「個人主義」とは、対照的な価値観だろう。(「人は皮膚から癒される」84頁)

つまり一番バッターは一番バッターの役割を果たす。
四番バッターは四番の役割、八番バッターは八番バッターの役割に徹する。
それでチーム全体が勝つことを目指す。
だから「強力打線」といって打率のいい人を頭から並べたりしないという。
これは「ベースボール」と「野球」の違い。
これはアメリカでも評判だった。
ニューヨークタイムズが日米戦でアメリカが負けた時、ニューヨーク・タイムズが一面に打ったコメントは「アメリカン・ベースボールは日本の野球に負けた」。
野球に負けた。
それは一体何かというと、全体のことを考えて一塁走者を二塁に進める為に、「バントで自分は死んでも進める」というような作戦を野球はやる。
ここがメジャーリーガーの中で日本人選手が活躍している理由ではないか?というのが武田先生の仮説で、活躍する理由の中で武田先生が挙げたいのが肌。

傳田さんの話から、これはノートに書き写していた別の話だったのだが、山口創さんが草思社から出しておられる「人は皮膚から癒される」の中で日本人のチームの作り方、集団の作り方というのがやはり独特なのではないだろうか。
日本人はその集団全体が生き残れる為に、個人が努力する。
アメリカなんかは集団よりも個人が生き残る為に努力を求めるという考え方で。
西洋は「人間主義」、日本は「間人主義」。
「人間」をひっくり返して「間人」と読ませているワケだが。
その中でメジャーリーグで日本人選手が活躍しているのはこれじゃないか?と。
間人主義。
なぜ日本人選手はあんなに活躍できるんだろうか?
一番わかりやすい例。
大谷は肌が優れている。
何かあの優勝を争う選手達の中で、敵側にライバルがいる。
みんな大谷のそばにいて話しかけるのが好き。
大谷はメジャーリーグの選手それぞれを励ます力がある。
それは大谷の肌の力ではないだろうか?
考えてみたら凄いこと。
この間も武田先生は二戸で歌歌いに行ったのだが、岩手県をうろつくとわかるが申し訳ないがやはり静かな田舎町が多い。
皆さん、今、メジャーリーグを動かしているのは花巻。
見てくださいよ。
花巻周辺から出た大谷、佐々木、それから菊池雄星、今度は佐々木麟太郎。
みんなあの岩手県のあのエリア。
そして皆さんもお気づきだろうが、これは全員3.11の体験者。
今、メジャーリーグで活躍している選手の中で、肉親を失った人もいる。
その3.11は横に置いておいて、大谷というのはメジャーリーガーとして優れているところはいっぱいある。
いろんな体つきとか身長とか。
武田先生は「肌」。
何か一つの夢に向かって進もうとする時、自分と同じくらい頑張ってくれる仲間を肌が探すという。
(フレディ・)フリーマンとか(ロサンゼルス・)ドジャースの選手がいる。
もちろん日本人選手・佐々木朗希もいるが。
でも、あの大谷に対するリスペクトは凄い。
彼等がもの凄い好感を持って大谷を迎え入れている。
あれは何かというと彼等の肌も、大谷に反応した。
「コイツと力を合わせてドジャースを」という思いがこのチームを作っていったのではないかなと思うと・・・
しかも日本の東北地方の寒いエリアから出たことを思えば、彼等がの皮膚感覚がいかに優れているかわかる。
「だから南の人はダメ」と言っているのではない。
何かの微細なセンサーとしては北国の人の皮膚というのは抜群のセンサーなのではないだろうか、という。
新しい説。
これは武田説で。
全く武田先生として言いたいことを言っているワケだが。
メジャーリーグで花巻から一体何人出るのかと思ったら、つい言いたくもなる。
小さい頃から皮膚をうんと鍛えられた人達に与えられる特別の皮膚感覚・肌感覚の特権ではないか。


2025年11月17〜28日◆肌(前編)

(今回は「驚きの皮膚」と「人は皮膚から癒される」の二冊の本からの引用があるので、それぞれ区別して表記する)

短いタイトル、ネタだが「肌」。
いわゆる「皮膚」のこと。
水谷譲にも「こんな体験がないかなぁ」と思って武田先生の肌にまつわる疑問について、皮膚にまつわる疑問についての出来事からお話する。
ある日の事、顔なじみの整体師さんに整体を受けていた。
うつ伏せのマットに伏せて、この人の手のひらが首回りウワァーッと押し込んでくる。
その時に口から洩れる声の正体は一体何か?
「うぅう〜うぅ〜う・・・」という
ちょっと生き物の声ではない。
気持ちいいか?
いや、そうではない。
大きな手のひらが一番張ったところに攻め込んでくる時に、あの感覚はもうそうとしか言いようが無いが「痛気持ちいい」。
何で痛いことが気持ちいいか説明が付かない。
でもその手のひらとか整体師さんの親指、人差し指の圧に関してうめき声が上がる程、気持ちがいい。
その指が離れた瞬間にザーッと血流がそこに向かって流れて、肩の真ん中に「なるとの渦潮」みたいなのができてるのはないかと思うぐらい。
その時にやってもらいながら、つまらない質問を武田先生が整体師さんにした。
「なぜ人から揉んでもらうとこんなに気持ちいいんでしょうね?」
二の腕なんかも自分で揉むのだが、あまり気持ちよくない。
ところが人にやってもらうと、滅茶苦茶気持ちがいいという。
もちろんこの逆のケースもあるが、ここでは敢えて深く触れない。
つまり、嫌いなあの人から触られると、おぞけが震えるぐらい嫌な感触で伝わる。
今回の場合「なぜ気持ちいいか?」。
「人が皮膚に触れると気持ちいい」というその不思議を今回は探してみようと。
それにもう一つ皮膚に関しては懸案の不思議が武田先生にはあって。
これは前もお話したと思うが、何で我々には毛が無いのか?
もちろんある部分もあるが、本当に体の一部分で、後は進化の過程で全身毛を抜いてしまった。
我々は今、「裸のサル」として立っているワケだが、なぜ全身の毛を脱ぎ捨てたのか?
この不思議は一体何かと言うとカブトムシからクワガタからイワシから、今、ずいぶん騒がせているクマから犬まで、いわゆる防護の為の何かを持っていないのは考えてみたら人間だけ。
もちろん服を着ているから。
でも服は人工物だから。
普通の生き物は体毛として持っている。
つまりここに、裸になった深い理由があるのではなかろうか?というふうに思った。
武田先生はこの疑問の為に本を、まあ読んだ読んだ。
三冊、四冊読んだのだが、どうも皆さんにお伝えする為には、三枚におろしにくくて、この方の本を今回は中心に三枚におろした。
傳田光洋さん、講談社「驚きの皮膚」。

驚きの皮膚


全身皮膚の生き物として何個かいる。
毛を持っていない。
(例えば)タコ、イカ。
鱗も無いし。
ぬめり気を持っているので、あれが衣服みたいなもの。
さあ、そのタコ、イカと同等に並んだ人間だが、生物界を探すとそっくりなものがいて。
全身皮膚。

 ゾウリムシは一つの細胞からなる生き物、単細胞生物です。もちろん脳はありませn。細胞膜とその上の細かな毛のような繊毛があるだけです。しかし、障害物にぶつかると、それをよける。自分の命に関わる高温、低温、極端な水の酸性、アルカリ性から逃げる。(「驚きの皮膚」17頁)

ゾウリムシの先端−中略−に「ぶつかった刺激」が加えられると、細胞膜の内側と外側の電位差がなくなり−中略−先端が何かにぶつかって脱分極した場合、繊毛の膜にあるカルシウムチャネルというカルシウムイオンだけを通す穴からカルシウムが流れ込み、その結果、繊毛の動きが速くなり、泳ぐ速度が速くなる。−中略−温度に対しては、−中略−繊毛の動きが場所によって代わり、そのためゾウリムシは自分にとって「快適」な温度の場所に向かうそうです。(「驚きの皮膚」18〜19頁)

このゾウリムシは何かに似ている。
感覚だけで生きている。
ルンバ。
頭脳ではない。

電気店で見かける「自動掃除ロボット」も、部屋の構造を認識して掃除をしているのではなく、壁にぶつかる、あるいは赤外線センサーで障害物を感知すると方向転換する、そういう仕組みだけで、いつの間にか部屋全体を掃除しているのです。(「驚きの皮膚」22頁)

そうやって考えると皮膚、少し興味を持ってもらえたか。

(この日の最初は冒頭部分から引き続きセルフレジの話なので割愛)

本題に戻る。
昨日はルンバとそれからゾウリムシというのは仕掛けとしては同じであるという話をした。
自然界にはこのような仕掛けがたくさんの生物によって繰り返されていて、ムクドリ、イワシの群れ、何がそっくりかというと集団行動。

そこで決められている規則はたった3つです。個体は、隣の個体と、近づきすぎない。離れ過ぎない。そして集団が密集している方向へ動く。それだけです(「驚きの皮膚」27頁)

あれは人間の皮膚が持っているものと同じもので、細胞一つ一つの特徴で大きな単体のように見える。
その中に人間もあって。
皮膚の細胞というもので全身覆われていて、皮膚によって人間は行動を取るという。
私達を包み、外と内、それを区別しているもの、それが皮膚である。
皮膚はもの凄い仕事をしていて、よく考えると凄い。
温度。
これが皮膚はわかる。
その次に痛みがわかる。
だいたいわかる。
刃物を当てそこなったりして、血が出るか出ないかというのが感覚的にわかる時がある。
痛み、手触り、それから圧力なども感じる。
環境からの情報を皮膚はいくつも受信するワケで、受信する感覚を担うセンサーである。
凄いのは指先の感覚で、ポケットの中の五百円玉、百円玉、十円玉、五円玉、一円玉をその硬貨の中から636円を選ぶことができる。
五百円玉1枚と十円玉3枚と一円玉6枚。
(これでは536円になってしまうが)
それを人差し指、親指で嗅ぎ分けるワケで、これは考えてみたらもの凄い感覚。
この皮膚の仕掛けについては、もの凄く膨大な解説をこの著者、傳田さんは書いてらっしゃる。
これが傳田さん、申し訳ない。
読んでいてもわからないぐらいややこしい。
温度を感じるセンサーがあるとか、天気を感じるセンサーがあるとか、皮膚の中にセンサーがいちいちある。
とにかく皮膚にはそういう仕掛けがあるというワケで。

もう一つの武田先生の疑問なのだが「なぜ私達は裸のサルになったのでしょう?なぜそんな無謀なことを先祖はしたのでありましょう?」。
生き物は長い体毛、毛を持っている、鱗を持っている、甲羅を持っている。
カブトムシは硬めの皮膚を持っている。
陸・海・空、全ての生き物は外皮、外側の皮を持つ。
ところがヒトという名のサルのみが体毛を脱ぎ捨てた。
ちょっと話を引っ張るが、これはもの凄く危険なこと。
これは武田先生もいろいろ読んだのだが、まだ正確には出ていないそうだ。
今も謎だそうだ。
これは諸説ある。
「面白いな」と思ったのは、東海岸で生まれた平原のサルがマダガスカル方面に歩き始めて海を見る。
そうすると海の中にも喰い物がある。
それで浅瀬で貝や魚等を食糧を探しているうちに、濡れた体毛の重たさというのに耐え難くて「もういいか。体毛重いもん」とかということで脱ぎ始めたという。
或いは長距離で人間は獲物をずっと追いかけて旅をする。
そうすると汗をかく。

サバンナで直立して2本の足で歩くとき、熱に弱い脳を守るため、発汗による全身の冷却が必要になり、その際、体毛が邪魔になったから、という説です。(「驚きの皮膚」42頁)

これはわかりやすい。
人間はだいたい平均で60km歩けるそうだ。
こんなに長い距離を歩けるサルはいない。
人間だけ。
「長距離を獲物で追うサル」ということで体毛が体温調節の為に邪魔になった。
それは犬も人間と凄く仲が良くて。
何でかといったら獲物の狩り方が同じで、犬も長距離を追いかける。
では何で犬は毛が生えているのか?
人間には人間だけの裸になる理由があったと、ここからますます不思議が深まる皮膚の話。
なぜ我々人間は毛を脱ぎ捨てたのか?
傳田さんは己が説を説明してくれて。
これが現段階で、武田先生は最も信用する「裸のサル」の原因。

 体毛を失った120万年前に現れた人間の祖先は、ホモ・エルガステル、あるいはホモ・エレクトゥスかと考えられます−中略−。おそらく彼らの中から体毛を失った個体が生き残る、ということが始まったのでしょう。−中略−
 この事実から、私は、全身の表皮が環境にさらされる、いわば「皮膚感覚の復活」が人類の生存に有利に働いたのではないかと考えています。
(「驚きの皮膚」43頁)

皮膚がアンテナとかセンサーになった。
その皮膚で感じた情報を脳に送り、例えばそれまでは降ってくる雨に鈍感だったが、裸のサルは背中で雨を感じる。
それから足の裏、スネから足の裏はサルも裸だが、微妙な揺れとか大地の変化を感じる。

皮膚が音を「聴いている」(「驚きの皮膚」81頁)

これは思い当たる。
テレビで見る花火大会と、実際に隅田の花火大会に見に行くと、音が違う。
あの違う音は一体何か?
それは花火の本物がパーンと夜空を焦がして破裂した、あの空気振動を皮膚が聞く。
頬っぺたが感じる。
それがテレビでは排除されてしまうので、テレビの花火と墨田川花火大会の花火は全く違うものに感じてしまう。
これは「音が違うんだ」という。
中空で破裂した大気の揺れを耳よりも皮膚、頬が感じるという。
あの音を聞いているのは実は露出した頬の皮膚です、という。
更に傳田さんは、10万ヘルツ以上の高周波は耳ではなく人間は皮膚で聞く。
(このあたりの話は本の内容とは異なる)
高周波は脳に伝えられるとα波を発生させて、これが人を癒す。
どんな宗教もそうだが、音楽を持っていない宗教は無い。
あれはどこで聞いているかというと皮膚で聞くんだそうだ。
だから「音楽」「音を楽しむ」と書くが、「楽」の上にクサカンムリをかぶせると「薬」になる。
つまり、「音」は「薬」になる。
だから耳だけではなくて皮膚から音を聞くというのが人間にはあるのではないか。
これが自然環境の厳しい中で生きていく時に、適応する為に最も役に立ったのではないか?
これは頷ける。
やはり風の向きとかを敏感に感じる為には毛があるよりも無い方が。
それが危機になればなるほど敏感なセンサーとして全身の皮膚が役に立つ。

更に傳田さんは凄いことを言う。
皮膚は光も見えるそうで。

赤い光−中略−、青い光−中略−、緑の光−中略−、そして白い光−中略−を皮膚に照射して、バリア機能の回復速度を調べました。−中略−すると赤い光を照射すると、その後のバリア機能回復は光を照射していない群に比べて早くなりました。逆に青い光の照射は回復を遅らせました。白い光、緑の光はバリア機能回復速度に影響を及ぼしませんでした(「驚きの皮膚」83頁)

(番組内では青い光もバリア機能が回復すると言っているが誤り。番組内で免疫力が高まると説明しているが本には書かれていない。この後の話も本の内容とは異なる)
目隠しをして真っ赤な部屋に人を入れて「何色?」と訊くと「赤」と答えるらしい。
わからないと思う水谷譲。
青い部屋に入れると「青い」と言うそうだ。
この間、皮膚を色をジャッジしているという。
赤い部屋の方がちょっと暑い感じが、温度が違うのかと思う水谷譲。
考えてみたら温まる時の光の色は赤が多い。
それと消毒をする時は青い色。
それを皮膚が感じるのかと思う水谷譲。
人間の「皮膚に任せた感覚」というのを我々は見逃しているだけかも知れない。

よくSF映画で水溶液の中に脳だけがプカーッと浮かんでいて、脳がいろいろ命令を下すという。
ラスボスの正体は実は「培養液に浮かんだ脳だった」というのがある。
傳田さんは「そんなバカなことが起きるハズがない」という。

脳だけを取り出して培養液の中で生かし続けることができたにしても、その状態の脳は何の意識も思考も持ちえないと主張しています。博士によれば意識も思考も脳と身体の感覚器、そしてさまざまな臓器との相互作用があって初めて意識や感情が生まれ、やがて思考も可能になるというのです。(「驚きの皮膚」98頁)

ここからが面白い。
傳田さんの発展的考え方。
傳田さんの筆によると「皮膚も考えている」という。

 たとえばペンダコのようなもの、−中略−表皮ケラチノサイトが刺激や頻度や期間を記憶していると想定しないと、なぜペンダコができるのか説明できません。(「驚きの皮膚」108頁)

「ここ何回もよく使ってるなぁ」「ここ少し硬めにしといた方がいいな」というので皮膚が考えて層を厚くしてタコを作る。
足の裏もそうだと思う水谷譲。
よく使うところ。
つまりあれは皮膚が考えて作った防衛の仕事の一環。
その代わりゴルフをやらなくなったり、もう鉛筆でものを書いたりしないとタコは消える。
あれも皮膚。
武田先生は「(プロゴルファー)織部金次郎」をやっている時に、映画で使いたいから手のひらに、わざとデカいタコを作ったことがある。
驚くなかれ、そこでタバコを消していた。
それは映画の中でお見せした。
もう今は何も無い。
このへん、傳田さんの言うのはわかる。
「皮膚が考えてるんですよ」と言われたら、そんなことを脳が考えるワケがない。
やはり皮膚のことは皮膚が一番状況を知っているワケだから「こいつ必死になってゴルフやってやんの」といいながら一番使うところをやや硬めにするという。

実験をやる。
水谷譲に手首を曲げてもらう。
これは脳の電位差から始まり、実際に手首が曲がる。
武田先生が「手首を曲げてください」と言ったら、それを脳がジャッジして曲げた。
これは脳が聞いてジャッジして手首が曲がるまでに0.5秒かかるそうだ。
(本に書かれているのは脳がジャッジするのにかかる時間ではなく、皮膚触覚として知覚できる為に必要な刺激の長さ)
「0.5秒なんざは毎日の暮らしの中では実に小さな時間だ」と思われているかも知れない。
ところが切迫した日常の、ある出来事の中で、この0.5秒というのは重大な時間のロス。

時速60キロメートルで走る自動車のドライバーが危険を感じて止まろうと思うのに0.5秒費やしたら、その間に車は8メートル以上進んでしまいます。歩いている最中、つまづきそうになって、0.5秒の間、何もしなければ、確実に転びます。(「驚きの皮膚」141頁)

0.5秒は、だから重大な時間。
もっとわかりやすくする。
プロ野球の投手。
この投手達はだいたいボールを130〜160キロで投げる。
打者はそのスピードのボールを見極めて打つ打たないを決断するが、これに0.5秒かかっていると間に合わないそうだ。
脳で考えているのでは無いということだと思う水谷譲。
150キロのボールでも毎秒41m。
そのスピードでいうと18.4mを飛んでくる。
ミットに収まるまで、0.4秒しかかからない。
それを0.5秒かかっていたら、見送り三振という可能性がある。
だから打つ・打たないは、投げる投手の腕の形を見て決める。
それは頭ではない。
まさしく皮膚感覚に任せるしかない。

情報を意識化せず、いわば無意識に動作を行っていると考えたほうが理にかなっています。(「驚きの皮膚」141頁)

無意識が人間の行動を左右しているなら、皮膚からの情報は人間の行動、思考などに莫大な影響を及ぼしているでしょう。(「驚きの皮膚」144頁)

大谷のことをイメージしてください。
あの人は「打つ・打たない」をいつ決定しているのか?
これは無意識にお任せ。
頭で考えない。
考えたら振り遅れる。
それは無意識が優れている。
この「無意識が優れる」ということは何だろう?
何千回、何万回の練習が無意識を作っていくのだろう。
でも持って生まれたものもあると思う水谷譲。
脳で考えないで体がよい方向に動くというのを普段から練習しておかないと無意識が広がっていかない。
それと大谷は皮膚が優れているのではないか?
イチローの不思議なお遊び野球。
カーンとセンターか何かに大フライを打つ。
真っすぐそのボールの真下まで彼が走っていって背面キャッチする。
ボールを見ないでセンター方向を向いたまま後ろ手でボールを取る。
あれは何か?
あれは観客がいないとできないらしい。
コウモリと同じ。
つまりバーツとボールが上がっていって彼が「あのあたりに落ちる」と踏む。
そこの真下まで行くのだが、「真下まで行った・行かない」を観客の声でジャッジする。
見上げないのだから。
観客の声で「真下にいる・いない」をジャッジして後ろにグローブを出すとそこにストっと。
(観客のどういう声かは)わからない。
それはイチローの肌が捉える距離感。
やはりスポーツの世界は神妙なもの。
彼等は無意識で戦っている。
無意識が豊かな人じゃないと反応できない。
意識的に動くなんて、それじゃあダメなんだ。
人間のセンス・感覚のことを「視る・聴く・触る」。
この中で「触」を担当している皮膚、これは膨大な情報を受け取り、まず、ほとんど無意識へ伝達する。
この「無意識へ伝達する」というのは面白い。
時間がかかるから脳に持っていかない。
そういえば人と合って皮膚が先に結論を出すことがある。
「この人、嫌な人だな」みたいな。
あれはジャッジしているのは皮膚。
「生理的に受け付けない」ことを日本語で何と言うか?
ここが日本語の面白いところ

「肌が合わない」……気質、気立てが合わない。(「人は皮膚から癒される」80頁)

それは肌がジャッジしている。
肌とはその人の内面のセンサーで、この内面のセンサーが対人関係に於いても「この人と合う・合わない」とか、その人の気質。
それは「肌理(きめ)」と言う。
「肌理細かい」とか使うのだが、日本人の面白いところは「皮膚」と「肌」を変えた。
「皮膚」は表のセンサーのこと。

「肌」とはその人の内面が溢れ出てくることを前提とした身体の表面にあり(「人は皮膚から癒される」81頁)

内と外。
外に向かってのセンスが「皮膚」。
内側に向かってのセンスが「肌」。
だから対人関係とかで「どうもあの人とは肌が合わなくてねぇ」とか、性格を言う時も内面。
「いやぁ加奈さん、姉御肌だから」

「ひと肌脱ぐ」……あることについて力を尽くす。(「人は皮膚から癒される」81頁)

日本人というのは肌と皮膚を使い分けることによって皮膚の持っているセンスを探り出そうとしたのではないか?

英語では皮膚はskin≠フ一語である。(「人は皮膚から癒される」81頁)

ここまでの話をまとめると、傳田さんが言っていることは凄くわかりやすくて、昔、毛の薄いサルが生まれた。
そのサルは環境に見事適応して、たくましさを持っていたというので、人間が生まれた、ということ。
肌が、ある意味では進化を一挙に進めたという。
肌がいかにして人間を進化させたか?


2026年01月16日

2025年6月9〜20日◆私言ったよね?いや聞いてないよはなぜ起きる(後編)

これの続きです。

人間の聞き間違い。
言葉によってコミュニケーションを取るのだが、その言葉がすれ違ったりすると伝えようとする意味が全く伝わらないという。
昨今、そういうことが世の中で頻発していて。
人間と人間のコミュニケーションの難しさみたいなものを痛感するという昨今。

無自覚のままに、あたかも自分の知識のように他人の知識を借りて話してしまう。これがバイアスの怖いところです。−中略−「他人の知識=自分の知識」バイアスに気づきました。(150〜151頁)

武田先生は本当に胸に思い当たる。
人から教えてもらっているのに、それがさも自分が知っていることのように偉そうにふるまう。
「偉そうに」と言った方がいいと思うが。
「(今朝の)三枚おろし」はある意味そういう番組だと思う水谷譲。
でも武田先生の中に、だからといってそれを「俺のものだ」というようなのは全然ない。
それではない。
何で武田先生のような性格が生まれてきたのか武田先生にもよくわかっていない。
でも人の知識を自分の知識と思い込む人というのはいる。
疑問があるとパッとスマートホンで引いて「これ」と言いながら片手で見せるヤツのあの得意そうな顔。
「俺は知ってるぜ」とオマエ知って無ぇよ。
「その情報間違ったらどうするんだろう?」とたまに思う水谷譲。
いる。
これはもう簡単なこと。
スマートホンの錯覚というのは凄くて、スマートホンを持っていると何せ128GB。
あの板の中に、ギガバイトで言うと128人分の記憶。
それで錯覚してしまう。
本をたくさん読んでいると、いかにも知識がたくさんあるぞというような情景に見えてしまうが、本箱とあなたは何の因果関係も無い。
それから「知的である」というのは「知的好奇心のある・なし」であって本とは何の関係もない。
武田先生は「知りたい」という気は凄くある。
「それはどうなってるんだろう」という疑問が生じるとしつこいぐらい覚えている。
そうじゃなかったらいっぺんに何冊もの本を同時に読み進めて自分なりにおろすことはしないと思う水谷譲。
皆さんにもいつも言っているが、だいたい一週に三冊ぐらいで。
興味深いものをずっと読んでいくという。
ほんの僅かでも心の針が震えたら無我夢中で読んでしまう。

もしかしたら興味が無いかも知れないが、内田樹先生が右の日本の思想史を。
内田先生は左傾の人なのだが、右の人にも興味があって、右翼思想の明治以来の人をずっと追いかけておられるという一冊を送っていただいて。
先生ありがとうございます。
ちょっと「三枚おろし」には使えそうにないが。
読んでいると夢中になって、その内田先生の本を読んでいるのだが。
この不思議な縁。
戦前のことなのだが、九州にもの凄く大きな右翼団体があった。
「玄洋社」といって、アジアを開拓していこうという天皇の先兵たるべき右翼の陣を張った人がいて。
その責任者の一人に内田良平という右翼の大ボスさんがおられて。
この内田が出てきたらもう無我夢中で。
思想とは全然関係ないのだが。
昔、高校で柔道をやっている時にもの凄く強い内田というヤツがいた。
その内田良平のお孫さんらしい。
その人は修猷館という福岡県で一番成績のいい学校に通っていて、柔道で身を立てるべく道を選んだ人なのだが。
その内田君のことを思い出して。
武田先生も変な頭をしている。
その思想史を読んでいたのだが、内田という名前に引きずられて内田君のことを思い出したらバーっと広がる。
内田君は柔道着の真横にマジックで一本線を入れていて。
得意技が内股という投げ技で。
その内田君の足がピーンと一本に伸びて一直線になった瞬間に相手は宙に舞っているという。
そういう綺麗な技をかける。
凄かったのはその同時期に、電波(高校)に園田というというのが兄弟でいてこれが強いの何の。
その園田さんの兄さんの方、兄貴の方が柔ちゃんの師匠(園田義男)になる。
二宮(和弘)さんとかいた。
二宮さんはその後、モントリオールで金をとった。
今でも覚えているのだが、ある大会に行ったら大外刈りで投げられた人が脳震盪を起こしている。
「危ねぇな、コイツ」と思って投げたヤツを見たら坂口という名前だった。
思わず「こんなヤツ連れてくんなよ」と思った。
大男。
その後プロレスに入ったと聞いて。
その息子(坂口憲二)が俳優になったと言って。
それで武田先生は親父役で共演して。
凄く縁があると思う水谷譲。
政治結社の話から無駄話が多くてまことに申し訳ございません。
何の話だったかは武田先生も忘れてしまった。

もう一回だけ脱線する。
柔道の漫画で「(JJM)女子柔道部物語」という漫画があって人気があるのだが、水谷譲と二人であの漫画の中に出た。

JJM 女子柔道部物語(3) (イブニングコミックス)


柔道部の審判員の役か何かで「武田」と「加奈」というので。
あの先生から言われた。
「柔道を語って精神を一切語らなかった人は武田さんです」
「幸福の黄色いハンカチ」の中で武田先生は「俺はケンカに強くなりたくて柔道を始めたのはいいが、お陰で足がどんどん短くなった」という(セリフがある)。
「武田さんの柔道話には一切精神性が無い。私はそれが凄く嬉しかったんです」という。
そういう微妙な褒められ方をしたのだが。

幸福の黄色いハンカチ デジタルリマスター2010


本題に戻る。
著者である今井さんはこうおっしゃっている。
ユーチューバーの方なんかは大勢の支持者がいるとかファンを持っている。
芸能人の中にもたくさんのファンがいるという人がいるが、はっきり言って変だよ、と。
「人気の質が粗い時代はありません」
先生はそうおっしゃっている。
トップアイドルから芸人まで、一言の言葉遣いのアレで、一瞬のうちに消えていくという。
やはり人気の質がかなり粗いのではないだろうか?
その一環として私達の中に、例えば手紙が上手な人がいる。
或いはメールを貰うと嬉しくなる人がいる。
それとどうでもいい人がいるという。
これは人間がいろいろ多様化しているんだという。
会社で報告したくなる課長と報告したくない部長がいるという。
かくのごとく人間の受け渡しというのは好き嫌いで次々選ばれていくようになる。
だからたった一言嫌いになると全部嫌いになってしまうという。
そういう宿命に今、さらされているという。
その「最初の言葉遣い」というのはどんなふうに築き上げればいいのか?
人と人との関係の言葉遣い。
例えばこんなことが会社であった。
5ページのコピーを急いで作りたい。
そのコピー機の前に同僚たちが並んでいる。
その列に割り込む為に声をかける。
どんな声をかければいいか?
これはクイズではないから。

@−中略−「すみません。5ページだけなんですが、コピー機を使わせてもらえませんか?」
A
−中略−「すみません。5ページだけなんですが、コピーをしなければならないので、コピー機を使わせてもらえませんか?」
B
−中略−「すみません。5ページだけなんですが、急いでいるので、コピー機を使わせてもらえませんか?」(198頁)

この中で割り込ませてもらう言葉として一番説得したものはどれだろうか?
謝っているし急いでいるという理由も言っているので、C(本の中ではB)だと思う水谷譲。

 これらのお願いに対する成功率は次の通りです。
@ 60%
A 93%
B 94%
(198〜199頁)

一番成功率が高かったのは、「急いでいるので−中略−」と理由を示したBのお願いです。(199頁)

これはなぜかというと「なぜならば」が使ってあるところで人は納得する。
「なぜそうするか」という理由をまずはっきり言う人、そういう人がコミュニケーションでは感情を交えることができる。
そしてなぜ割り込むのか?
それは「私に時間が無いから」で、「時間が無いということであれば私は待てる」ということを説得していることになる。
「時間が無いの」「あっ!ごめんごめん。やってやって」という。
これ。
この寄り添いで相手の感情を察する。
それが人と言葉をズレさせずに絡め合う言葉遣いなんです、と。
こういう言葉遣いがあれば険しさが無くなり「我々意識」が芽生える。
この我々意識をどう言葉遣いで表現するか?
「俺の方が忙しいんだ」という感情が入ると、たちまち暗くなりますよ、という。
このあたり、当たり前のことを言っているようだが、やはりひどく武田先生は納得してしまう。
多分Cを選ぶ人が多いとは思うが、最近そういうふうな言い方をしてくれない人が多くなっているのも確かで「こういうふうに言えばいいのに」と思う水谷譲。
それは若い人とは言わないけれども「どうやってこの人達とコミュニケーション取っていけばいいんだろう」というのはよく思う水谷譲。
そういうジェネレーションのギャップというのは会話しているうちに確かに感じる。
何をまず声をかけるか?
これが意外とその人の印象を決定付けてしまうということになりかねないような気がする。

更に何かを伝える為には。

 説明が上手な人には、特徴があります。それは「具体と抽象を行き来している」ということです。(209頁)

これはちょっと自分でもびっくりしたのだが、こんなことが学校であったそうだ。
私達は具体と全体を往復しなければ理解できない。
小学生低学年の子に2分の1と3分の1、どちらが大きいかをテストした。
(本によると小学校3、4、5年生が対象なので、「低学年」ということではない)

問 1/2と1/3では、どちらが大きいですか? 大きい方に〇をつけましょう。
正解 2/1
(221頁)

 抽象的な分数というものを、具体的に考えるところまで自分の力で持ってくることがそもそも難しいのでしょう。(221頁)

最も多い間違いは何かというと、1/3が2/1より大きいという間違い。

分母は3が2より大きいからです。(222頁)

でも分数の話。
一個のものを三つに切って食べるよりも一個を半分で切って食べた方が、1/3に切るよりは2/1の方が大きい。
分数は抽象。
抽象と具象。
具体的、具体。
これをやはり絶えず比べる練習をしておかないとダメですよ、という。
多すぎる具体は貯蔵が大変で、好きになった女性達と同じで思い出が多すぎる。

具体を数多く記憶に貯蔵しておくと情報過多になり、脳への負荷が大きくなりすぎます。だから抽象にすることで負荷を下げているのです。(224頁)

これは好きになった女性との思い出が多すぎるのと同じように。
詞にする為には女性達を抽象化しなければならない。
これは武田先生らしい。
その女性を全体的に見渡すという、そういう女性の抽象化というのがあるんだ、という。
それが作詞ということ。
最初作詞は小さい具体を置くところから始まる。
何でも歌のパターンはみんなそう。
例えば

雨に濡れながら 立たずむ女がいる(三善英史「雨」)


これは一個「雨に濡れながら 立たずむ女がいる」という「一人」にまずキャメラが寄って。
これがキャメラがどんどん遠ざかっていく。
「いろんな傘の花が開く午後のことでした♪」というと俯瞰になって、たくさんの人が傘を差している中で一人濡れながらじっと男を待っている、或いは女性を待っている人物が立っているという、こういう具体と抽象を往復する。

上野発の夜行列車 おりた時から(石川さゆり「津軽海峡・冬景色」)

津軽海峡・冬景色


どんどん広がっていく。

青森駅は雪の中(石川さゆり「津軽海峡・冬景色」)

どんどん広がる。
更に

北へ帰る人の群れは 誰も無口で
海鳴りだけをきいている
(石川さゆり「津軽海峡・冬景色」)

(番組では「海鳥だけが鳴いている」と言っているが誤り)
一番最後

ああ津軽海峡・冬景色(石川さゆり「津軽海峡・冬景色」)

で大俯瞰になるという。
これは凄く面白いことに歌唱力に関係している。
武田先生達が上手な歌手の歌を聞いて「この人はいいな」と思うのは、この具体を語っておいて抽象に広げていく力がある。
そのことを私達は歌唱力といって排気量とか声帯の強さでは無い。
具体をいかに抽象の高いところまで持ち上げることが可能かどうか。
それが実はもの凄く大事なことで、そのNo.1が美空ひばりさん。
美空ひばりさんは具体から抽象にいきなり広げられる。
もう一人、具体から抽象へ入る名人がその後に続いた。
八代亜紀さん。
武田先生は「八代亜紀のそこを話題にしなきゃ、この人の見どころはない」と思っているので、この方を思い出す為には写真ではなく声で思い出してください。

ちょっと今、ディレクターの方から注意があった。
これは本には載っていない。
これは武田先生がこの方の説を読みながら。
時々こういうことを武田先生はやる。
ごめんなさい。
これが「三枚おろし」の特徴だと思ってください。
今井むつみさん「『何回説明しても伝わらない』はなぜ起こるのか?」という、この本の中に書いてあったのは、具体で語った後は、抽象で語りなさい。
具体と抽象を織り交ぜながら部分と全体を理解させるという。
そういうものを持ってないとダメですよ。
仲間と話す時は「我々」というような大きい主語を持っていないと、相手に伝わりませんよ、というようなことをおっしゃっている。
その話に刺激を受けて思いついたのが「これを歌でいうと」と考えた時にパッと浮かんだのが戦後最大の歌手美空ひばり。
(このあたりの本放送はポッドキャストに比べて、ところどころカットされている。本放送では歌が流れるので、その分の尺合わせだと思われる)
この人は具体がもの凄く上手い。
「リンゴの花びらが散ったような」

リンゴ追分


そんなリンゴ花びらの一枚からグングン引きの絵で、青森県のリンゴ園の風景そのものを叙情にまで高めて歌うことができるという。
しかもこの美空ひばりは、性に関して男女を往復できる。
美空ひばりさんの子供の時の当たり役が「東京キッド」。

東京キッド [DVD]


男の子のふりをして靴磨きをやるという女の子。
鞍馬天狗角「角兵衛獅子の唄」では男の子の杉作をやる。

鞍馬天狗 角兵衛獅子 [DVD]


つまり少女と少年を往復できる。
性間を越えることができる。
「雪之丞変化」もそう。

ひばりの三役 競艶雪之丞変化 美空ひばり


女性と男性、闇太郎と雪之丞を往復できるような、一つの性でありながら両方の性。
これは歌手の方にも表れていて、ひばりは男歌と女歌が歌えた。

ひとり酒場で(美空ひばり「悲しい酒」)

と泣くくせに

勝つと思うな 思えば負けよ(美空ひばり「柔」)

その男女を往復できるのは凄い歌唱力が無いとダメ。
これこそが歌手の本領発揮。
美空に続いたのが八代亜紀。
この人は、ねっとりした女の情念の歌

雨の新宿(八代亜紀「なみだ恋」)

とかと悲しい悲しい新宿の女を歌った後、八代亜紀の代表的な男歌「舟唄」。
(ここで本放送では「舟唄」が流れる)



さあこれでお分かりでしょう。
見事でしょう。
この歌を聞くとお酒が呑みたくなる水谷譲。
具体の説得力が凄いからお酒が呑みたくなる。

お酒はぬるめの 燗がいい
肴はあぶった イカでいい
女は無口な ひとがいい
(八代亜紀「舟唄」)

という
具体を次々に並べておいて

しみじみ飲めば しみじみと
想い出だけが 行き過ぎる
(八代亜紀「舟唄」)

時間が飛んで過去に行く。
過去に飛んだと思ったらまたポーンと現代に戻ってくる。

涙がポロリと こぼれたら
歌いだすのさ 舟唄を
(八代亜紀「舟唄」)

これはやはり上手い。
これは、ねっとりした女心の歌から、ランプ一つ灯った中でしみじみ呑んでいるというような、そんな歌声。
これが往復できるのだから、この人の歌唱力というのは半端ではない。
「稀有な歌唱力だな」というふうに思う。
こんなふうにして抽象と具体、これをきちんと歌うことの重大さというのが日本人の演歌歌手の特に歌唱力に託されているのだろう。
これはデカい意味で今度は具象と抽象、これは理解することがいかに難しいかという。

今井むつみさんの「『何回説明しても伝わらない』はなぜ起こるのか?」 。
これを三枚におろして「私言ったよね?いや聞いてないよはなぜ起きる」と勝手に改題してお送りした三枚おろし。
ちょっと武田流も入っているのだが。
今井さんがおっしゃっているのは、技として学ぶという態度が大事。
そして語学の習得と同様にその言葉で話す人達と交わることでたくさん学べるんだ、と。
相手の意図を汲む配慮は必要ながら、その仕事は何の為にやる仕事なのか。
そのことを忘れちゃダメ、という。
そこで武田流の解釈では戦争の話になってしまうが、真珠湾攻撃というのは大成功だった。
アメリカは「来るはずが無い」と思っていた。
それは今は「騙し討ちしたんだ」ということで通っているワケだが。
とにかくアメリカの海軍はこれでコテンパンにやられて、ここから逆襲するワケで。
南雲率いるところの南雲艦隊は今度はミッドウェー海戦で大敗北を喫する。
これは今井さん、すいません。
(本の内容からは)離れております。
これは南雲さんは真珠湾攻撃の成功に引っ張られる。
だから「成功しなくちゃ」と思うからおかしくなってくる。
人間は一番危険なのは、完璧な勝利とかを望んだらろくな事はないということ。
今、世界に不安を与えている大国というのは負けたことが無い。
負けたことが無い国はとても危険。
日本もそうだった。
近代戦の中で一回も負けたことがないということが後の大敗北を喫する原因になる。
南雲艦隊は艦長の南雲さんが夢見ていたのは日本海海戦。
あの東郷平八郎がやった完膚なきまでにロシア軍を叩いた日本海海戦というのは、その成功の度合いからいくと海戦のNo.1。
それを南雲さんはやろうとしたから、飛行機がぶら下げる爆弾の種類にこだわったり。
「陸上用爆弾と魚雷を入れ替えろ」とか途中で命令を変更したお陰で、向こうの飛行機が来てしまって大損害を受けるという。
南雲さんは東郷平八郎の大勝利を真似したかった。
アメリカ軍の方の太平洋艦隊の指令長官はニミッツという人。
この人が一番好きだった海軍の軍人さんは東郷平八郎。
腹が立つのはニミッツは日本の海軍のことをよく調べたのだろう。
東郷平八郎は出身が鹿児島県。
仲間が非常に多くて友達の中でも東郷さんは人気者だったらしい。
太平洋戦争の場合の連合艦隊司令長官・山本五十六。
出身地は新潟。
一人で考え込むタイプ。
山本五十六と東郷平八郎は何が違うか?
パーティーの数が違う。
(東郷平八郎の方が)多い。
連絡が上手くできない時がある。
その時に各艦隊が自分独自の判断で動く。
日本は絶えず指令長官のところに許可を願う。
その間に連絡が遅れてゆく。
これが一番最初に今井さんがおっしゃった、現場にてもちろん技を学ぶのだが「技を学ぶということは、その現場で使われている言葉を体の中に入れることで、そのことが勝敗を決することになるんです」こういう結論になる。

最後に「言った・言わない」の問題は最後の締め、2024年1月2日JAL機と海上保安機の激突というのがあったのだが

2009年1月に起きた飛行機事故を基にした映画で−中略−
 離陸直後に野鳥の群れが機体にぶつかり、左右の両翼に設置されたエンジンがともに停止。機長は急きょ、ニューヨークのハドソン川に不時着しました。乗客乗員のすべての命が救われた歴史に残る出来事です。
(287頁)

機体に衝撃を受けてからわずか208秒間ほどの出来事だったといいます。(288頁)

 この決断に、その後、事故調査委員会の専門家たちから疑念が提示されます。後日、コンピューターでシミュレーションすると、空港に緊急着陸することは可能だったというのです。−中略−実際、事故に遭遇した機長と管制官が試行錯誤する時間を「35秒」とカウントしてシミュレーションすると、緊急着陸を試みたところで結局、市街地や森に墜落するという結果しか出ませんでした。(288頁)

「ハドソン川の奇跡」というのはパイロットの人が持っている直感のすばらしさ。

ハドソン川の奇跡(吹替版)


日本でもそうで衝突事故

JAL機の乗員乗客379人の全員が燃える機体から18分で脱出したことは、世界中から称賛を集めました。(293頁)

「機長さんの直感がハドソン川同然に奇跡を起こしたんです」と言ったら機長さんははっきりこうおっしゃったそうだ。
「これは私の直感ではありません。これは訓練の賜物です」
つまり同じ言葉で動くということがいかに事故を少なくするかということで。

考えさせられる一冊だった。
また来週は別のネタでご機嫌を伺いたいと思う。


2025年6月9〜20日◆私言ったよね?いや聞いてないよはなぜ起きる(前編)

(今回のタイトルを番組内等でも頻繁に異なった言い方をしているが全て「私言ったよね?いや聞いてないよはなぜ起きる」に統一しておく)
「私言ったよね?」「聞いてないよ」
老夫婦によくありがちな会話。
お互いのコミュニケーションというか、言葉で連絡し合う言葉の交信が上手くいかないという。
これはもう本屋で「これ読もう!」と決めた本。
本のタイトルはというと「『何回説明しても伝わらない』はなぜ起こるのか?」

「何回説明しても伝わらない」はなぜ起こるのか? 認知科学が教えるコミュニケーションの本質と解決策


(本の中の傍点部はアンダーラインで表記する)
(番組中に何度か本のタイトルを間違えて紹介しているが、全て正しいタイトルにしておく)
長いタイトルだが、年を取ると本当にこういうことがある。
日経BP、今井むつみさんという方がお書きになった本だが、深く読ませていただいた。
武田先生が言ったこの「私言ったよね?」「いや聞いてないよ」これはもう夫婦の会話にありそうな・・・
頻繁にある水谷譲。
ドキッとする。
彼女は「言った」という。
私は「聞いてない」と言う。
そういうことが日常であるワケだが。
とはいうものの、それはまだ幸せ。
これが一般社会で起こったり仕事の現場で起きると大変なことになる。
これは本当にそういう意味ではご冥福を祈りつつ話す話だが、これは重大な教えがこの事故の中には含まれているようで、敢えてラジオで取り上げてみたワケで。

 2024年1月2日に羽田空港で起きた大きな事故は、皆さん記憶に新しいことでしょう。着陸した日本航空516便と、離陸を待つ海上保安庁のJA722A(以下、海保機)が衝突し、炎上。海保機に乗っていた5名の命が失われる事態となりました。(24頁)

能登の地震の翌日。
これは事故調査員会が入って。
これはほんのささいな言葉遣い。

 この事故の直前、管制塔と海保機では、以下のようなコミュニケーションがなされていたという録音が残っています(実際に行われたやりとりは英語)。
海保機「タワー(=管制塔) JA722A C誘導路上です」
管制官「JA722A 東京タワー(=管制塔) こんばんは ナンバーワン C5上の滑走路停止位置まで地上走行してください」
海保機「滑走路停止位置C5に向かいます ナンバーワン ありがとう」
 このやりとりを見れば、確かに両者は互いに「了解」しています。しかし実際には、管制官は「停止位置まで」と指示していたところを、海保機は停止位置を越えて滑走路に侵入。その背景にあったのは「ナンバーワン」という言葉を解釈するときに生じた誤解ではないかと言われています。管制官は、「滑走路に進む優先度ナンバーワン」という意味で言ったことを、海保機は「離陸順位ナンバーワン」と思い、滑走路に侵入したのではないかと考えられています
(24〜25頁)

このへんがやっぱり言葉遣いの難しいところで、奥様とも「言ったよね?」「聞いてないよ」はまだ平和なうち。
「聞き間違い」と「思い込み」だと思う水谷譲。
だから交信、つまり会話が上手くいっているつもりでも、どこを中心に聞いているかで解釈が変わってきたり、聞き間違いが起こったりするという。
これが交信が英語であったが故に「ナンバーワン」が耳に残り続けたのではないだろうか?
英語と日本語というのは言葉が違う。

実際には「wear」という英単語は、日本語の「着る」とまったく同じ意味なわけではありません。ズボン、マフラー、手袋、メガネ、化粧も英語ではすべて「wear」で表しますが、日本語では、それぞれ、履く、巻く、つける、かける、するなどの動詞が用いられます。(32〜33頁)

このあたり、言葉の文化の違いというのがあって。
今回は「言った」「言わない」ということになりがちの人間の会話の誤作動というか喰い違いを三枚におろしたいと思う。

 数年前、駐車場にバックで車を入れていたときのことです。横並びの駐車スペースに止まっていた車から女性が飛び出してきて、
「あんだ、ぶつけた!」
 と怒鳴ってきたのです。私にはぶつけた感覚はまったくなかったのですが、相手は「ぶつけた」と言い張り、
「ほら!」
 と言って自分の車を指します。
(59〜60頁)

 その女性の、あまりに確信的な発言に影響されて、自分の「ぶつけていないはず」という記憶を疑ってしまった。(61頁)

これは著者の今井さんはここから妙なというか、生成AIが持つ問題がこれ。

ChatGPTは、インターネット上にある情報を学習して質問に回答しますが、インターネット上にはそもそも、誤情報や誤認識が溢れています。−中略−ChatGPTはそうしたデータをも学習に用いているため、ときに誤った答えを生成してしまうのは必然のことなのです。(63〜64頁)

問題)次の言葉を、順番通りでなくていいので、できるだけたくさん記憶してください。制限時間は1分。
 つくえ えんぴつ パン かびん ほん はな タオル ふうとう いす アイロン くつ バター けしゴム ペン ボール メガネ くつした カバン リモコン
−中略−
「先ほどの言葉の中で、食べ物に関する単語は何?」
(82〜83頁)

(番組で読み上げた言葉は本の内容とは数か所異なっている)

先ほどのクイズの答えは「パン」と「バター」です(84頁)

まず問題を隠しておいてやらせるところで引っかかってしまう。
問題の傾向に気づけば、きっと一発だった。
子供の勉強部屋にあるもの。
(という話は本の中には無い)
「つくえ えんぴつ パン かびん」
「パン」なんて子供の勉強部屋になんか無いと思う水谷譲。
だから子供の勉強部屋に無いものを二つ上げればいいだけ。
「パン」と「バター」。
後は全部「タオル ふうとう いす アイロン けしゴム ペン カバン」だから。
アイロンも(勉強部屋には)無いと思う水谷譲。
部屋にあるということだと思う水谷譲。
これを記憶する時に、覚えなければならないことをどこかに何かの連想で一つ持つと見抜くことができるという。
どこかで同じものを箱に入れるんだと思う水谷譲。
子供の机の上から部屋を連想すれば以外とスラスラと今の問題は解けていたのではないだろうかと。
これは人間の面白いところ。

 ランダムに提示された単語を覚える際には、ただその言葉を繰り返すのではなくて、自分に身近なストーリーにすると覚えやすいとも言われます。(83頁)

「子供の勉強部屋」とかと言うと「つくえ えんぴつ かばん ほん はな ふうとう いす」。
こんなふうにして思い出すことができる。
だから物語にするとか、具体的な映像を一つ持つということが記憶の為には凄く大事なんだという。

『100万回死んだねこ』は、福井県立図書館の司書さんたちが書いた本です。サブタイトルに「覚え違いタイトル集」とあるように、「本のタイトルの覚え間違い」をたくさん紹介しています。1977年初版発行の名作『100万回生きたねこ』(佐野洋子、講談社)が、「死んだ」になってしまうのは、タイトルを間違って覚えた人が本のタイトルを理解して覚えたからです。(86頁)

100万回死んだねこ 覚え違いタイトル集 (講談社文庫)


ある司書さんは、「『ストラディバリウスはこう言った』って本ありますか?」
 と利用者に聞かれたと紹介されています。利用者が探していた本は何だかおわかりですか? そう、ニーチェの『ツァラトゥストラはこう言った』(岩波文庫)です。
(86頁)

ツァラトゥストラは こう言った 上 (岩波文庫)


人間の面白さだが、何か強く印象付けられると、そのことを先に覚えてしまって見えなくなるという。

 私は以前、つるがオレンジ色のメガネをかけていました。あるとき、飛行機の中で、そのメガネをかけたまま寝てしまったことがありました。
 いつの間にか落ちてしまったようで、目が覚めたときにはメガネはどこにもありませんでした。
−中略−
 メカニックの人に「どんなメガネ?」と聞かれたので、私は、
「オレンジ色のフレームのメガネです」
 と答えました。
−中略−
5分くらい探した後に、
「マダム、どうしてもありません」
 と言いました。
−中略−
 メカニックの人は指さしながら、シートの下を見せてくれました。するとそこにはちゃんと私のメガネがあったのです。私が、
「これです」
 と言って取り上げると、メカニックの人はあんぐり口を開けて、とても驚いた様子でした。彼は、ふざけていたわけでも、冗談を言っていたわけでもありません。ただ「見えていなかった」ようなのです。
(89〜92頁)

 目の前にあり、視野にしっかり入っているのになぜ「見えていなかった」のか。
 それは彼が予想していた「オレンジ色のメガネ」と、私のメガネが全然違うものだったからです。私は「オレンジ色のつるのメガネ」と言いましたが、そのつるはとても細くて、オレンジ色が目立つものではありませんでした。彼のイメージする「オレンジ色のメガネ」はきっと、つるが太く、全体がオレンジ色のものだったのではないでしょうか
(92頁)

武田先生は一回だけもの凄いことを体験したことがあって。
これは自分で後確認したワケではないのだが、例の荒川の方の土手で先生シリーズをやっていた。

3年B組金八先生第1シリーズ DVD-BOX [DVD]


そこで鉄道が走っている橋が架かっていて、そこの手前の方の河原で芝居をやっていた。
そうしたら撮影が中止になった。
「ちょっと待ってください、ちょっと待ってください」
何でかというと、救急車が来て大騒ぎが始まった。
鉄道の線路を電車が走っているのに救急隊員がやってくる。
ピーポーピーポーが鳴っているものだから、ドラマ(の撮影)ができなくなって。
何と、鉄道の下で首を吊った方がおられたようだ。
その人を運んで救急車が来たという。
武田先生は見なかった。
(撮影していたカメラには)映っているハズ。
ずっと回して、その延長線上。
ところがスタッフ全員、全く見えなかった。
そんなところにそんな(ものがあるとは)思わない。
あるワケない。
そこにそういう悲劇の方がおられるとは思わないもので「思わない」ということは見えない。

 視界には確実に入っているのに、見えていない、ということは珍しいことではないのです。(94頁)

このへん、人間の視覚というのは「おまえ見ただろう」というのは絶対の証拠みたいに言う人がいるが、視覚というのも全く頼りにならないものだ、と。
しかも「見たいものを見る」とも言うと思う水谷譲。
視覚というのはそういうバイアス、歪みが入りやすいので、「一見は百聞に」なんて言っている場合ではない。
「一見」が意外と当てにならなかったという。
メガネフレームのオレンジも見えなければ、人間の聴覚はともかく視覚というのはそういう意味では非常に騙されやすいもんだという、何かそういうことを人間については覚悟しておいた方がいいな、と。

人間というのは忘れる。
大事なことを忘れるという。

 しかし、認知科学の視点で見ると、「忘れることは、とても重要な能力だともいえます。(120頁)

人間の頭はどうできているかというと、忘れるから覚える。

「忘れられない」ことはしばしば治療の対象ともなります。トラウマなどがいい例ですね。出来事の衝撃が強すぎて、忘れてしまいたいことでも記憶から消えなくなってしまう。(122頁)

このあたり、人間の不思議な不思議な認知能力。
「忘れる」これがいかに大事か。

今日は面白い例え。
年寄はちょっとピンとこない言い方だが、こういうふうに言ってもらうと「ああ、なるほど。そういうもんか」と納得してしまう。

認知科学者で米国ブラウン大学のスティーブン・スローマン教授をお招きしました。−中略−
 スローマン教授は、私たちの記憶容量は「1GB」ほどしかない、とお話されていました。
−中略−16GBのUSBメモリですら、人間の16倍の記憶容量があるわけです。(121頁)

知ってるつもり 無知の科学 (ハヤカワ文庫NF)


16GBのUSBメモリー。
送信・受信の関係で言うと2000通りのやり取りができるというのが16ギガバイト。

 最新のiPhoneなら、一番容量が少ないものでも、128GBもあります。私たちが128人集まってやっと、iPhone1台−中略−のものと記憶力で勝負ができるというわけです。(121〜122頁)

これはいかに凄いかわかる。
それをiPhoneというのは持っている。
たいしたもの。

 人間の脳は、−中略−保存していたデータをなんとかするしかない。−中略−必要だと判断された情報を残し、不要だと判断された情報を消す、ということが日々、ごく自然に行われていることになります。(122頁)

私達の記憶力は容量が小さい。
あくまでもバイアスが入りやすい。

 私たちの記憶が、ある程度「雑」だというのは、実は私たちにとって必要なことでもあります。(124頁)

「忘れる」とは本質を取り出し、小さく細切れにして、しまいやすくしてまた思い出す。
これが人間の脳の容量の使い道。

 最近は、顔で認証するなどのAI技術も発達しています。そうした技術では、目、鼻、口などの特徴的な位置や、パーツの大きさなどを基に、登録された情報と本人照合が行われています。(124頁)

ところが、人間はときどき目・鼻・口のパーツでも名前を思い出せないことがある。
最近凄くよくある水谷譲。
水谷譲もだんだん歳を取ってきたのだ。

20年前に登録した顔と照合して、同一人物と認証できるかといえばそれは難しいのではないかと思います。
 一方、私たちは、20年ぶりの同窓会でも、ある程度、顔を見れば誰だか思い出せるでしょう。
(124頁)

この間、びっくりして、このことを喋って怒られないだろうから喋ってしまう。
テレビ局のお求めによって、武田先生がやっている音楽グループ「海援隊」を振り返る。
それでセカンドアルバムの「望郷篇」のLPの撮影現場に行った。

●LP 海援隊/望郷篇 セカンド・アルバム 故郷未だ忘れ難く 母に捧げるバラード ◇r210820


昔はまだLPだからデカい写真で。
新宿のゴールデン街の横の引き込み線でやった。
同じポイントに行こうと。
五十二、三年ぶり。
まあ風景が全然違う。
その頃はゴールデン街の横なので、荒れた倉庫の裏側だった。
もう今は、インバウンドのお客さんがゴールデン街が珍しいからいっぱい来ている。
その人混みの中。
昔、人っこ一人通っていなかったところに立つ。
「あれ?この写真がここなの?」と訊いていたら、驚くなかれバッタり「武田!武田!」と呼ぶ人がいるので見て「俺だよ俺!忘れたのか俺」と言いながら彼がマスクをパッと外した。
そのアルバムのプロデューサー。
その人は業界では有名な方で初代・吉田拓郎さんのマネージャーで、その後、泉谷さんのマネージャーもやられていて、武田先生達を博多から東京まで連れてきたという方で。
そのアルバムの二番手のP(プロデューサー)だったのだが、その人とロケ現場で五十年後に会うなんて。
その時に思ったのだが「俺だよ俺!」と言いながら彼は自分の名前を名乗った。
それでもわからない。
彼はマスクをパッと外した。
わかった。
顔でわかったということだと思う水谷譲。
もちろん顔も変わっている。
変わっているが、何かスーッとそこにまとまっていく。
彼だといことがわかって「やあやあやあ」で。
「今、あの頃の思い出を辿ってるのよ」と「まあ奇遇だなぁ」で別れたのだが、すぐにやはり「彼のことを思い出した」ということが、武田先生の脳がどうのというより人間の脳というのは、たちまちやってしまう。
その人間の言葉の中でも不思議なのは感情でものを言うものだから、どんな感情で言ったかで言葉の意味が変わる。
こういう言葉遣いがなぜ起きるか?

ささやかな言葉遣い。
それで意味が変わってしまうという言葉による人間のコミュニケーションの問題点。

 Did you see a broken headlight?
 Did you see the broken headlight?
−中略−
 英語母語話者にとって、「a」と「the」に含まれる意味は全然違います。
(132頁)

 ここでは英語の例を紹介しましたが、日本語では同様のことは起こり得ます。例えば、事件の目撃者になったとして、
「髪の長い女性は現場にいましたか?」
 と聞かれるよりも、
「あの髪の長い女性は現場にいましたか?」
 と聞かれるほうが、その女性が現場にいたかどうかは置いておいても、「確か女性を現場で見た」気がしませんか?
(132〜133頁)

「the」を使うということは、それがあったのが前提。つまり「あったけどそれを見たでしょ?」という意味に取れる。一方で「a」はよりニュートラルに「見た?」と聞いていることになるからです。(132頁)

このあたりは言葉遣いの難しさ。
認知バイアスの中でも真正な価値観、つまりその人が思い込んでいる正義がその人の判断を大きく支配する。

 人工妊娠中絶を認めるかどうかは、アメリカの世論を二分する問題です。
 しかしスローマン教授は、これらの問題について人々は、それぞれが政策を検討し、その政策がもたらす結果を考えた上で「賛成・反対」を示しているのではないといいます。そうではなく、自分が持つ「神聖な価値観」によって決め
(139〜140頁)

女性のことを考えない。
トランプさんは絶対反対。
トランプ大統領は非常に強い自分で正義を持っておられるからだろう。
これは「どうしてこんなことが起きるのか?」という。
これは娘から「あんまりこんなことは言わない方がいいよ」と叱られた。
トランプ大統領は断定でおっしゃるものだから。
彼の演説の中でびっくりしたのは「ジョージ・ワシントンやリンカーンよりも自分が偉大な大統領」と言い切った。
それに近いことをおっしゃった。
あの自信はもの凄い。
「その自信はどこから来たのかな?」と思って。
武田先生の推測。
多分2024年7月13日、ペンシルベニア州バトラー郡の演説会場で彼を暗殺しようとする暗殺未遂事件が起きた。
ドナルド・トランプ暗殺未遂事件 - Wikipedia
数cmの違いで銃弾が右の耳をかすめて彼は助かった。
あともう1インチ顔を半分動かしていたら、頭部を撃ち抜かれている。
「右の耳を怪我した」というのが、武田先生は凄く引っかかっていて。
こんなことを言っているのはこのラジオだけ。
これはパッと頭にひらめいたのがあった。
聖書によく似たシーンがある。

シモン・ペテロは剣を持っていたが、それを抜いて、大祭司の僕に切りかかり、その右の耳を切り落した。その僕の名はマルコスであった。すると、イエスはペテロに言われた、「剣をさやに納めなさい。(ヨハネによる福音書 第18章)

そして、その僕の耳に手を触れて、おいやしになった。(ルカによる福音書 第22章)

それでまた別個の神話だが、その右の耳を切り落とされた兵隊さんはマルコスさんという方なのだが、右の耳から神の声が聞こえるようになったという。
信じがたい。
彼(トランプ)の中で我々が思っているよりも、聖書の影響があるのではないだろうか?という。
「聞こえるその声は『神の声』だ」という自信が、彼の断定に近い貫き方にあるのではないだろうか?と武田先生としては思ってしまった。
これは鉄矢説。
こんなことを言っている人はどこにもいないし、テレビ局で国際政治学の人に話したが「それはありません」と簡単に言われて。
でも人間はそういうバイアスを持ちやすい。
神の声が欲しい時に「右の耳を切り落とす」みたいな自傷行為をやる人がいた。
ゴッホ。
右の耳を切った。
トランプさんはローマ教皇のお葬式に行かれた。
あそこの大聖堂が建っているところが、さっき言ったペテロさんのお墓の上。
サン・ピエトロ寺院。
シモン・ペテロ。
ペテロが亡くなった刑場の真上に建っているのがあれ。
しかもまだある。
あの時、大物議を醸した。
トランプさんはブルーを着ていた
トランプ氏、服装規定従わず 教皇葬儀に青いスーツ姿:時事ドットコム
奥様は黒だから、あれほどの金持ちが(黒いスーツを)持っていないワケが無いという。
しかもあれは「ブルーに意味があるんだ」という。
「ブルーにどんな意味が」というと、キリスト教のNo.1の天使が纏うマントの色がブルー。
大天使ガブリエル。
話が逸れてしまったが、この続きはまた来週のまな板の上で。


2025年12月12日

2025年10月20〜31日◆べらぼう(後編)

これの続きです。

吉原というところにあった江戸文化というのを本に、書籍にして残し、大きなムーブメントを起こしたという蔦屋重三郎。
その人物を語っている。
蔦屋重三郎はもちろん、吉原を基盤として浮世絵なんかに当時の人々の暮らしの姿を描いて、それで大ブームを呼んだ人だが。
水谷譲も浮世絵は何枚か知っている。
みんな顔が同じ。
あれはよく考えたらよくできたもので。
プライバシーを守ったのではないか?
浮世絵を人相書きにしない。
野暮天で、わかるように描くバカどこにいるんだ?というようなもので。
その人の持っているファッションセンスだけは着物の柄とか髪の結い方で個性を表して、お顔立ち等々には一切触れないという。
今でいう「個人情報」を保護していたということかと思う水谷譲。
武田先生はそこに、もの凄く気の利いたものを感じる。
その蔦屋重三郎だが、そうやって日本の絵画の文化にも大いに尽くす方なのだが。
また読み物等々もヒットさせるのだが。

彼がやった最大の文芸運動は何かというと狂歌ブーム。
「狂歌」とは何かというと川柳に似ている。

 狂歌は和歌の詩形に即しながら穿ちや滑稽、パロディ、ナンセンスなどのスパイスを効かせ、身近なテーマを詠む。−中略−
「穿ち」は現代において「物事を斜めからみる、疑ってかかる」というニュアンスでとらえられがちだ。
(47頁)

そして真実を見抜き、しかも真実を笑うこと。
「これが真実だ」なんて力まない。
これはもちろん上方の文化圏から興り、大坂「浪花狂歌」というのが大変ヒットしたという。

 ところが、浪花狂歌の熱狂は江戸にまで及んでいない。
 どうやら江戸では浪花狂歌は俗悪だと敬遠されていたようだ。
(48頁)

「下品」「がさつ」「大坂弁嫌い」という、そういう人達が江戸期におられたようで。
狂歌ブーム。
大坂狂歌は何と箱根を超えられず。
大坂狂歌というのは今回は触れないが。
蔦重が集めた人材の中での江戸狂歌の天才を何人か紹介したいなと思って。

 江戸に狂歌ブームを巻き起こしたのは四方赤良よものあからこと大田南畝おおたなんぽ(後には蜀山人)、唐衣橘州からころもきっしゅう−中略−元木網もとのもくあみといった狂歌師たちだった。(49頁)

これは全部ざれ名前。

四方赤良の「四方」は、江戸を代表する地酒「瀧水」を売った酒屋の四方久兵衛にちなんでいる。「赤」はそこに、久兵衛が酒肴として売り出した赤味噌を重ねた。(51頁)

だから「四方赤良」。
「山上憶良(やまのうえのおくら)」に響きも似ているということで。
とにかく彼等は命がけでふざけた。
これは何だろう。
吉原に集まって狂歌を作るのだが、どんちゃん騒ぎ。
集まっていた人達はみな、不思議なペンネームを持っているが、もうみんないい加減な名前。

酒上不埒さけのうえのふらち宿屋飯盛やどやのめしもり−中略−土師掻安はじのかきやす(52頁)

この人達は吉原で女遊びをしている暇はない。
狂歌パーティーを夜毎開いて、作った狂歌に対してみんなで競い合ったという。

重三郎の−中略−狂歌名は本名と屋号の蔦屋にかけて蔦唐丸つたのからまる(87頁)

注目は何といっても大田南畝。
この人はもう狂歌を作らせるとでたらめで、これは後に本になる。
「万載狂歌集」

『絵本江戸すずめ−中略−が開板された。これが歌麿初の絵入狂歌本となる。−中略−絵本絵本吾妻袂えほんあずまからげ(143頁)

 ああうなぎ いづくの山のいもとせを さかれて後に身をこがすとは
(あぁ、つらいことよ。山芋が変化した鰻が背開きの蒲焼にされるように、どこかの男女も仲を裂かれ恋情に身を焦がしているのだろう)
(61頁)

うな重にひっかけた恋の歌。
こういうパロディー。
これは古今和歌集の恋歌をパロっている。
パロってうなぎとか山芋に仕立て上げているという。
これはもうみんな大笑いしたという。
何が言いたいかというと、古今和歌集等々に関する膨大な知識が無ければ笑えない。

江戸に巻き起こった狂歌ブーム。
大変なブームになって、この狂歌のおかしさがもう町中の評判。
その中でもう一歩も二歩も先んじているのが大田南畝、大田蜀山人という皮肉屋さん。
この方のその狂歌のセンスのよさ。
これはある意味で教養の深さなのだが、下ネタ。
この下ネタがタダものではない。

 七へ八へ へをこき井出の山吹の みのひとつだに出ぬぞきよけれ
(七、八発と屁をひっても、山吹に実がならぬよう汚物ひとつさえ出ないのだからいいじゃないか)
 身も蓋もない下ネタだが、本歌は兼明親王の「七重八重花はさけども山吹の実のひとつだになきぞかなしき」(『後拾遺和歌集』)。
(61〜62頁)

「花は絢爛と黄金の色にいくつも咲く山吹の花であるが、何と切ないことに実なんか一つもない」という。

この狂歌ではさらに、太田道灌が雨に降られ農家で蓑を所望したところ、農夫の娘から山吹を差し出され、「実の(蓑)ひとつない」と和歌を添えられた故事を穿っている。(62頁)

「蓑一つお貸しできない、貧しさにおります」という、そういうことを踏まえておいて大田南畝さんが作った歌は「七へ八へ へをこき井出の山吹の みのひとつだに出ぬぞきよけれ」。
これはドラマ(「べらぼう」)の中でみんなで踊る。
みんなで円陣を組んで「屁!屁!」と言いながら。
恐らくそんな大騒ぎをしたのだろう。
でも「ウンコもせずに屁だけこいた」という、優雅な歌をパロるとはいかな凄い歌の力量があったか。
人間らしいと思う水谷譲。
本当に綺麗なままじゃ生きていられない。
下ネタも故事と本歌どりの教養が無くば笑えず、狂歌のうちに潤沢なる古典に対する知識がある。
狂歌サロンは同様の教養人が集まり、江戸の笑いを作っていったという。

 田沼の重商政策でバブル経済は花盛り、庶民にまで奢侈と贅沢の風が吹いた。しかし−中略−天明には−中略−浅間山大噴火が勃発する。みちのくで未曾有の凶作、大飢饉もおこった。打ち毀しや一揆は全国に及んでいる。
 そんな世相を横目に狂歌師たちは酔狂に走った。
(63頁)

世相は暗くなっていくのだが、大田南畝はふざけにふざけ散らかして、狂歌を辞めなかった。

 びんぼうの 神無月こそめでたけれ あらし木がらしふく〵〳として
(神無月は貧乏神も出雲へ出掛けていなくなるんだからめでたいじゃないか。ほら、嵐や木枯しまで福々と吹いているくらいだ)
(62頁)

上手い。
「きっといいことありますぞ」と、こういうことを言いたかった。
「ドカーンと浅間山が噴火した」
大田南畝はこれをふざける。

 浅間さん なぜそのやうにやけなんす いわふいわふがつもりつもりて(63頁)

浅間山、何でそのように噴火する。
「やけなんす」、恋しいから「言い出そう言い出そう」というのが降り積もってしまった。

「いわふ」と「硫黄」を掛けながら、不安な心持を笑いのオブラートに包んだのだろう。(63頁)

ポジティブ。
浅間噴火をパロディにしたという。
今では許されない。
コンプライアンスがうるさいと思う水谷譲。
世の中を暗くするコンプライアンスはあっていいのか?
これをまた横にいて蔦重は次々本にしていく。
そうすると江戸の人は笑いころげた。
でも一番驚かなければいけないのは、笑い転げる江戸の人がいたということは、もの凄い識字率。
本を読んで楽しい人が百万都市の数十%以上いて、蔦重は儲かったというから、何ということでしょうか、この文化の高さは。

暗い時代にあって、蔦重は狂歌歌集を出して、この狂歌集は大ヒットした。
その時に蔦重の凄いところだが、文字だけでは疲れてしまうので、横にその狂歌になぞらえて浮世絵を入れる。
絵入り狂歌集という。
この浮世絵の絵を担当したのが歌麿。

歌麿も狂歌師の群れに身を投じ筆綾丸ふでのあやまると名乗っていた。(53頁)

危ない名前。

「真を写す」こと、卓抜の写生画力をいう。蔦重が与えたモチーフは美人ではなく昆虫や爬虫類、貝、鳥、花。(143頁)

それにしても古典に対する教養、パロディに仕立て上げる筆力、そしてそのブームを生むほどの人々の教養の高さ。
昨日も言ったように驚くべき識字率。
蔦重はここで吉原細見、ガイドブックからポップカルチャー、これを作り出す。

女を描き切る前に、自然の中にいる物いわぬ生物の表情、仕草、動きをリアリティたっぷりに写しとれ。それができれば、絵筆は女の姿形のみならず、内なるものまでとらえることができるはず──。(143頁)

『婦女人相十品』の大判錦絵シリーズ。いずれも観相がテーマで、人相で人を判じる観相は当時の流行でもあった。−中略−「団扇を持つ女」−中略−「ビードロ(ポッピン)を吹く娘」が含まれている。(150頁)

(番組では「婦人人相十品」と言ったが、上記のように「婦女人相十品」。本によると「団扇を持つ女」は「婦女人相十品」ではなく「婦人相学十躰」)
等々でいわゆるグラビア集の洒落たのを出す。
ここに短く注釈を入れて「こういう性格の人ですよ、この人は」みたいな。
更に歌麿と組んで女芸者、茶屋の娘、煎餅屋の町娘等々、市井の女性も描く。
「大首絵」という女性アップ集を出すのだがこれがもう大評判でアイドルブームが出版界に起きる。

モデルはファッションリーダーの役目を担っており、髪型や服飾品、着物の柄などに注目が集まったからだ。美人大首絵は現代のグラビア画像に匹敵するだけでなく、ファッション情報を発信するニュース性の高いメディアでもあった。(151〜152頁)

プライバシーを守る為か前にも言った通り、顔つきは個性なんか一切描かず、個性の気配を消して、ファッションとかそういうもので彼女達を描いたという。

 歌麿の春画第二作は−中略−大作錦絵『歌満うたまくら』、蔦重が版元だった。
 本作は蔦重−歌麿が制作した春画の最高峰というだけでなく、
−中略−確かな画力として開花した時だ。(157頁)

皆さんに説明する。
若い娘の後ろ姿。
その女の子が縁側で大股を開いている。
その後ろ姿。
うなじからして、うぶそうな子なのはわかる。
娘さんが開いた股ぐらの真ん中に男の顔がある。
後はもう想像・妄想の世界だと思う水谷譲。
これは凄いのは娘は後ろ姿で見えない。
女の子の開いた膝の影で男の表情が見えない。
だから本当に上手いのだが、歌麿は二人の表情を見えない構図にしている。
どうもとんでもないところに接吻を受けているような、そういう「あぶな絵」だが、この娘さんがうなじの美しさに気品があって、よい家庭のお嬢さんが体を賭けての恋をなさって、どこかの茶屋の奥で性行為をなさっているのではないだろうか(と妄想する)。
そのうぶなお嬢さんの強烈な意志。
それは何か圧倒されるようなエネルギーを、という。
春画というのは実りの豊かさ、子孫繁栄、寿ぎの絵であったという。
だから新年、明けると同時に春画を交換するということが文化にあったということ。
性の捉え方が現代の世界のコンプライアンスと違う。
とにかく彼の元には凄まじい才能がどんどん集まってくる。
才能というのは集まる。
驚くなかれ、集まった才能は凄い。

曲亭馬琴、葛飾北斎、東洲斎写楽(160頁)

これが集まるのだから。

そして時は過ぎていく。
幕閣・田沼意次の時代だったのだが、田沼はバブルを煽りすぎ、わいろを受け取っているというような影の評判が立って「御政道から彼を追放しよう」。
彼は「米本位の経済では絶対幕府は持たない。だから商売を始めないと日本幕府はダメだ」というので重商主義を取る。

 田沼は商業資本を活用して貿易振興、蝦夷地開拓、専売制など産業拡充を実現させる。(6頁)

ロシアとの開港を北海道で進めようとする。
何のことはない。
この後、幕府がこのことで自らが倒れるという。
田沼が頑張っていたら北方領土はあの国に渡らなかったろうと思う。
北海道開発は彼は燃えていたから。
その彼が追放になったということ。
田沼は開国するつもりだったらしいのだが、これが全部中止になって、江戸は大坂に経済を委ねてしまった。
行政府だけの都市になってしまった。
それに浅間山の大噴火、天候不順の天変地異が起こって。
商売人ばかりを大事にしたという怒りに触れて、激しく田沼は憎まれて遂に失脚。

松平定信が老中首座となった。−中略−「寛政の改革」がスタートした時、定信は三十歳だった。(101頁)

 定信は凶作に喘ぐ領民のため、大坂や江戸から米を買って配った。おかげで白河藩の餓死者はゼロだった。善政の評判は江戸城にも届き、田沼誠二の後事を託されることになる。(102頁)

蔦重38歳。
この定信さんというのは、江戸の粋が嫌いだった。
真面目な方で。
田沼の気風を憎む定信は

定信の指針は質素倹約と綱紀粛正、文武奨励を旨とする。(102頁)

定信は戯作と挿絵、浮世絵など蔦重の大事な商売物を眼の敵にした。(103頁)

 ところが蔦重も蔦重だ。自重するどころか寛政の改革をおちょくってみせる。−中略−この黄表紙は喜三二最大のヒット作といわれている。−中略−ことごとく定信と彼の為政をカリカチュアしていた。(103頁)

 何しろ定信は生真面目だ。改革を歓迎し、褒める戯作ならともかく、おもしろおかしく半畳を入れた作物が市中で大人気……当然、眉を顰めよう。
 案の定、蔦重と喜三二はマークされてしまった。
(106頁)

 喜三二が筆を折ることになってしまった。−中略−主君の秋田藩主佐竹義和から、きついお灸をすえられたうえ、戯作の世界と関わりを絶つよう迫られた。喜三二の本職は江戸留守居役(112頁)

そして大活躍した「七へ八へ」の歌で有名な大田さん。
この人も旗本だった。
(旗本ではなく御家人だったようだ)

南畝は−中略−尻尾を巻くように狂歌、戯作の世界から身を引いていく。(123頁)

「べらぼう」を見ているうちに武田先生は気付いた。
「べらぼう」では(大田南畝の役を)桐谷健太さんが演じておられる。
武田先生はこの役を昔、やったことがある。
36歳の時、NHKスペシャルか何かで。
(1986年放送「ドラマスペシャル 橋の上の霜」)
吉原に出入りする侍の大田南畝、大田蜀山人を演じる。
その武田先生が吉原で入れ込んだお女郎さんが秋吉久美子さん。
奥さんは多岐川裕美さんにやっていただいた。
武田先生をいさめて「吉原通いはやめることだ」と止めてくれる先輩が菅原文太さん。
その菅原さんの奥さん役が新珠三千代さん。
そうとう豪華な配役で。
本当にごめんなさい。
武田先生は36歳。
その時、「Ronin」(映画「幕末青春グラフィティ Ronin 坂本竜馬」)という映画を作っていて、竜馬を演じていたので、この役にさっぱり打ち込めない。
もう幕府を倒すことだけをずっと考えたものだから。
この役をボーッと演じていた。
脚本家の方も申し訳なく思っている。
平岩弓枝先生。
幕府の旗本で退屈で吉原通い。
そこでスラスラスラと歌を作るのだが、これが大評判になって、という。
(ドラマの撮影当時の武田先生は)蔦重とか知らなかったから。
それである出版社から頼まれて皮肉の歌ばかり作ってしまう。
それで落首、いたずら書きの川柳を作ってしまう。
その作った川柳が

 世の中に 蚊ほどうるさきものはなし ぶんぶといふて夜も寝られず(123頁)

これがどうも大田南畝が作ったらしい。
そして決定的なヤツ。
落首、いたずら書きなのだが、江戸中に評判になったヤツ。

 白川の清きに魚も棲みかねてもとの濁りの田沼恋しき(122頁)

これも有名。
これは実は大田南畝だったという。
これが幕閣で大問題になる。
「旗本のくせに老中・松平様の悪口を落首で書いたか」と詮議にあう。
「これは腹切りものかなぁ」と悩むというのが武田先生の役だった。
それで裁きの場に「来い」と言われて行く。
その時に「この歌はお前が作った歌か」「どの歌で」と言うと詠み出される歌が「世の中はわれより先に用のある人のあしあと橋の上の霜」。
「いやぁ。だから忙しいぞと思って朝早く起きてみたんだ。だけど、どんなに早く起きたって私より先に起きて働いている人が世の中にはいるじゃないか。ほらほら見て見ろ。橋の上、二の字二の字の下駄の跡」
「あっ!私が作りました」と頭を下げると裁定が下って「よき歌である。励めよ、大田」と言いながら無実になって胸をなでおろして帰るという。
いいシーン。
「世の中は」で武田先生はある歌を思い付く。

今でも思い出すが平沼弓枝先生の原作で「橋の上の霜」という、江戸期ものをやったのだが、とにかく武田先生は36歳のちょうど坂本竜馬を作っていた時だったもので、さっぱり熱が入らずに。

橋の上の霜 (新潮文庫)


ただ、本読みをやっている最中にもの凄く熱心に大田蜀山人のことを訊く人が共演者でいた。
その共演者が「大田蜀山人てのは面白い人ですなぁ」という。
戯れ歌で「(此の世をは とりやお暇に)線香の 煙とともに 灰さようなら」とかふざけた歌を作ったり。
(大田南畝ではなく十返舎一九の句らしい)
こういうギャグっぽいヤツが、しみじみと五七五七七で「世の中はわれより先に用のある人のあしあと橋の上の霜」。
これは一発で覚えた。
それでバカながら「いい短歌だな、いい一首だな」と思った。
朝早く起きてゴソゴソ仕事に出発する。
「こんなに朝早くから起きてんの俺だけだと思うと何のことはない、通りに出るともういろんな人が働いている時に、身の引き締まるような思いにかられちゃう」という。
この時に金八先生のシリーズの主題歌を作らなければならない。
ずっとこの一首が頭の中に響いていて。
「朝早く目を覚まして自分が町に行くと、もう走っている人がいる」というその情景を大田蜀山人・大田南畝に託してできたのがこの歌。
(ここで本放送では「スタートライン」が流れる)



夜明け前の薄暗い道を
誰かがもう走っている
(海援隊「スタートライン」)

という。
これが「橋の上の霜」と同じ。
「スタートライン」
走ることで自分の体を温めて自分の汗を流しながら走る人がいる。
「僕達の今、必要なのは人から夢や希望を教えてもらうことではなくて、自分で走り出すことじゃないかな」という。
あらためていい歌だと思う水谷譲。
それがずっと大田蜀山人が胸の中にあった。
別の言い方で大田南畝という名前は知らなかったから。
「べらぼう」の中であったときに「これ、俺じゃん」とかと思いながら。
桐谷君の芝居を見ながら遠い昔の自分を思い出したという次第。

蔦重のことを話さなければいけないのだが、蔦重には背負い込んだ背景があるもので、武田先生の役割はその背景を話すことではなかろうかなというふうに思う。

 蔦重は−中略−寛政九年に逝ってしまう。
 享年四十八、江戸患い(脚気)に倒れた。
(7頁)

江戸で白米食の習慣が広まり、玄米を食べなくなったせいで玄米胚芽に多いビタミンB1の摂取量が低下したというわけだ。(233頁)

蔦屋重三郎、蔦重だが、耕書堂という本屋の仕事。
これは自分が48歳で死んでいく時、だんだん気力も体力も無くなるのだが、きちんと女房と別れ杯で別れたという。

 蔦重は「昼どきに私は死ぬだろう」といって−中略−妻女にも別れを告げた。しかし彼の予告どおりに命は尽きなかった。蔦重は「人生の幕引きを知らせる拍子木はまだ鳴らないね」と笑った。−中略−
 蔦重に死が訪れたのは同日夕刻のこと
(234頁)

江戸っ子。
いい。
(NHKの大河ドラマ)「べらぼう」の方は続いている。
こういう名場面が出てくると思うが、もし桐谷君が出てきたら「あっ!武田だ」と思って見ていただくと・・・
全然タイプが違うと思う水谷譲。
それにしてもNHK「べらぼう」、近年稀に見る傑作。



2025年10月20〜31日◆べらぼう(前編)

もちろん「べらぼう」と名乗っている以上はNHK大河ドラマの「べらぼう」(大河ドラマ「べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜」の最新情報 - NHK)これを思うところあって取り上げたワケで。
(この大河ドラマは)見ていない水谷譲。
ただ、凄いドラマ。
何ゆえ武田先生が「凄い」と言うかというと、そのワケがある。
そのワケはゆっくり中で説明していく。

 蔦屋重三郎は寛延三(一七五〇)年に吉原で生まれた。−中略−父母が離婚した。重三郎は数えで八つだった。
 幼子は親戚に預けられる。
−中略−吉原で「蔦屋」の商号を掲げていた。(16〜17頁)

柯理は諱つまり名乗りなであり、通り名を重三郎という。−中略− 柯理は−中略−ここは「からまる」と呼びたい。(16頁)

引手茶屋を営む叔父に育てられた。(4頁)

「茶屋」というのも説明しないとわからない。

 吉原の引手茶屋とは客と妓楼、遊女を取り持つ中継地点として機能していた。
 粋や通を気取る客はいきなり登楼せず、まず茶屋にあがる。茶屋は食事や酒の用意を整え、酒席に幇間や女芸者、芸人を手配した。
 だが、引手茶屋は遊女を置かない。客は豪奢な宴席を愉しみながら、好みの遊女を茶屋にリクエストする。茶屋ごとに懇意な有名妓楼があり「この遊女を指名するなら、あの茶屋」という暗黙の了解もあった。
(21頁)

とにかく蔦屋なる茶屋を営む店に預けられた蔦屋重三郎。
この人は本で売り出すのだが、本と言っても実はガイドブックのこと。

 吉原細見は遊郭の最新データを満載したガイドブックに他ならない−中略−内容は妓楼や茶屋、船宿などの場所を記したタウンマップであり、遊女たちの名前、揚げ代のほか男女の芸者を網羅したリストでもあった。(20頁)

番組(大河ドラマ「べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜」)の中では「蔦重」と言っている。
24歳の時、色刷り浮世絵、今で言うグラビアで紙面を飾り、ショートストーリー、歌舞伎、浄瑠璃等々の物語まで紹介して、「あそこが上手いぞ」とかそんなふうにして「吉原細見」というガイドブックを出した。
吉原に特化した別冊で「どこのお店にいるあの人」と名前まで書いてあるし、所属プロダクション、それからファンが集まるお店まで全部書いてある。
その花魁さんと一緒にパーティーもできるし、細見にはバンドの紹介、つまり自分の憧れの花魁さんなんかと一杯やる。
仲間を呼んで一緒に飯を喰ったりなんかする。
その後ろ側で演奏するバンド。
と言っても太鼓、三味線とかそのあたりだが。
そういうのを全部、細見には値段表が書いてある。
それ一冊があれば吉原は一目でわかるということで。
(蔦屋重三郎は)もともと吉原で生きている人。
だから詳しい。
それでその別冊を大手出版会社から引き受けた。
「引手茶屋」、何件ものチェーン店を展開する蔦屋グループのバックアップ。
蔦屋グループというのはそういうチェーン店である。

「引手茶屋」とは何か?
ここでもう一回説明しておく。
吉原で遊びたければ、まずその茶屋へ行く。
ここで宴席が用意されて、芸者、お笑いタレント、そういうのを全部揃えられる。
その間に「この子に会いたい」というのを茶屋でお店の人に伝えると、遊女が指名できて、遊女を指名するとその茶屋から連絡が行く。

 遊女のなかでも最上級の花魁を呼びつければ、妓楼から茶屋まで迎えにきてくれる。この際、上妓は着飾ったうえ、数々のお供を引き連れて「花魁道中」という最高のパフォーマンスを演じてみせた。(21〜22頁)

「あの野郎!あの花魁揚げやがった」というのが町中の噂になる。
その金の準備のできた男はたまらない。
「どうだ!」という感じだと思う水谷譲。
それで楽しく過ごして今度は引き上げる。
新婚旅行。
つまり、茶屋ではそういうことを一切やってはいけない。
そこから出て、花魁のグループハウスに帰る。
その時に二人一緒に並ぶ。
そうするともう周りが「あの野郎!いいなぁ!」と言いながら。
抜群。
しかもこれが、その人と今夜男女の関係になるならないは花魁が決める。
お客が決めるのではない。
そこが今と違うところだと思う水谷譲。
そこに蔦屋重三郎という出版人が現れるのだがコイツの活躍が痛快無比で。

(大河ドラマの)「べらぼう」は、この吉原というシステムを詳しく説明しないとわかりにくい。
「引手茶屋」というところにまず申し込んで「〇〇さんみたいな花魁さんがいいです」みたいに。
そうしたら連絡をしてくれて、その茶屋の方で料理等々、楽しくやりたければ、三味線・太鼓・ダンサーなんかも用意してくれるという。
それで茶屋まで花魁がやってくる。
その時に見習い少女「禿(かむろ)」という。
「安室」ではない「禿」。
そういう少女を従えて花魁がやってくる。
これが花魁道中。
しかも花魁とすぐにベッドルームへなんていうことは絶対に無かったという。
これを「馴染(なじ)み」と言って二度、三度通わないとダメだという。
そして花魁は昼間何をやっているか?
勉強。
漢字の読み書き当たり前。
日本中の話題から和歌の作り方、筆の練習。
ラブレターを書いたりしなければいけないから。
もう大学出ぐらいの教養を持っていないとダメで。
「男と女だけであればいい」というものでは無い。
吉原が目指したのは、恋愛のような一夜を男性に過ごさせるという。
なぜ男性にかというと、もの凄くその頃、所帯を持つ人が少なかった。
江戸は百万都市だが、男性であふれかえっていた。
だから結婚できる人なんか一握り。
そうやって考えると切ない。
女性という性を見ることができなかった。
吉原はこれを見せてくれる。
それも綺麗にお化粧をして。
そして新婚の模擬までやってくれる。

ケチケチしたり面倒くさがったりした途端に野暮、無粋の烙印を押されてしまう。(22頁)

それから変態で柱に括り付けて鞭を用意したり、そういうことをやると次の朝、江戸中の評判になっているという。
その吉原にとって最高のお客を「ひき」と呼んだ。
失態を重ねると「おいおい!困ったもんだよ。野暮でよ」。
二人はパーティー会場で偶然に出会い、デートを繰り返し結婚、そしてハネムーンの旅に出るという、人生で最も華やかな時間を体験できる異次元こそ吉原である。
しかも巧妙な仕掛けがいくつもあって。
「花魁」というその手の女性は、日常の言葉を一切使わない。
これは花魁言葉と言って、ありんす「そうでありんす」「嫌でありんす」という、言葉自体が変わってしまうから、別の国に来たような興奮が男にはある。
しかも「花魁」は何か?
言葉の出どころは、もの凄く単純で、横に付き従う見習い少女の禿がいる。
あれが花魁のことを「おいらのねえさん」と言った。
あれは当て字。
「おいらのねえさん」が「花魁」になったという。
しかもこれは女の方がやってきて自分の家に男を連れて行くワケだから平安時代の御所あたりでの男女関係の模倣。
とにかく銭を必死に貯めた男は一夜だけ、源氏物語の源氏になったような。
しかも相手の女は短歌は作るわ生け花上手、茶道もできたという。

蔦重の時代だが

江戸の北端に位置する吉原へ赴くには、−中略−日本堤をいくしか方法がない。日本堤は墨田川の氾濫を防ぐために築かれた。(26頁)

 新吉原は縦が京間尺の百三十五間、横百八十間の長方形で敷地面積二万八千五百坪だった。−中略−東京ドームの二倍にあたる。(26〜27頁)

 吉原の出入口は北東に構えた大門しかない。(27頁)

このゲートをくぐってブロードウェイを入っていって、そのブロードウェイの脇にびっしり。
(このゲートは)誰でもくぐれる。
そして決まりがある。
武田先生の記憶に間違いが無いと思うが、お侍さんは大門をくぐるとすぐ刀預け。
野暮なことが起きないように。
言っておくが、ちゃんと吉原の中には交番(面番所)もあったという。
揉め事がちょっとあったりなんかしたら、すぐにお巡りさんが来るという、治安のいい一角。
驚くなかれ、そういう町ではあるのだが、コンビニから医者から、カンファレンスルーム。
(カンファレンスルームは)会議場。
それからコンドミニアム、大宴会があったという。
だからいわゆる女性をメインにしたテーマパーク。
東京ドームの二倍だからガイドブックが無いと「東口Bの3番」とかというのがわからない。
そこにこの蔦重という男が頭がいい。

吉原近辺で紙の再生紙を作る人がいた。
再生紙は一回使った紙をドロドロに溶かして。
浅草海苔なんかが取れるから、簀巻きにする竹の網がある。
あの簀巻きの上に溶けた紙のアレを塗って、乾くのを待って紙に仕立て上げた。
再生紙になる。
徹底したリサイクルの町だから。
その時にお兄ちゃん達5〜6人集まって、簀巻きに並べた紙が乾くまでの間、時間があるもので吉原見物に来る野郎がいる。
吉原をぐるっと見て帰る。
「紙を乾かしている間、見にきやがった」というのでどこかのお女郎さんが「また、ひやかしだよ」。
「紙をひやかしている間に見に来る」というので「このひやかしが」。
それで「ひやかす」という言葉が生まれたという。
新しい言葉を生むぐらい流行地だった。
これはしっかりした長方形の区画だった。
東京ドームの二倍。
大門というゲートがあって、

 吉原はぐるりと塀と幅五間(約九メートル)の溝で囲ってあった。(27頁)

その中に蔦重の本屋があった。
(本には「重三郎の本屋は大門の外、衣紋坂にあった」とある)

 遊女を含めた吉原の人口は一万人近いといわれる。(28頁)

(番組内では「人口一万人以上」と言っているが、本では上記のように「一万人近い」となっている)
テーマパークの中に一万人住んでいたという。
「細見」というのはガイドブックのことで、これが無いとどこに行ったらいいかわからないので、細見を見ながら自分の行きたい店を探したという。
蔦重、蔦屋重三郎の才能は何かというと、一番最初は別冊吉原の編集者。
だから大手が付いていいる。
その大手出版社の名前が鱗形屋という。
日本橋に本店のある本屋さんだった
そこからの依頼で蔦重が一冊本を編集する。

『一目千本花すまい』は重三郎が手掛けた初のオリジナル作品。−中略−
 内容は絵本仕立ての遊女評判記、ビジュアル重視の遊女リストといえようか。
−中略−
 さらに、北尾重政というキャリアに人気、実力とも一、二を争う大物絵師を起用してみせた。
(31頁)

『一目千本』では遊女を木蓮や山葵などの挿花に擬して紹介している。(31頁)

だからその遊女本人は出てこない。
今だったら写真を掲載すればいいが、それができないと思う水谷譲。
それで何をやったかというと、花に例えてあって野ばらが描いてある。
それで遊女の名前が下に書いてある。
この謎を解かなければならない。
「野ばら」だから「綺麗だけどちょっとトゲある」。
それから「わさびの花」か何か。
これは「終わった後、鼻にツーンときますよ」という。
それから「山吹の花」「辛抱強いんですよ、この子は」。
そういう謎解き判じ物の花魁紹介雑誌。
ところがこれはカネがかかっている。
花に見立て、花器、どんな器に生けてあるかまで全部謎で、それを見ながら読み解かなければならないという。
花の遊女紹介にしてあるものだから、カネがかかるわかかるわ。
蔦重が何をやったか?
これはドラマの中でも紹介された。
一流の花魁さんばかり。
固定客がいる。
それを遊女の方にお願いして旦那の耳元で「あちきは百冊以上売りたい」とかと言われると
旦那は「いいよ!買っちゃう俺、百冊」。
それを吉原中の花魁さんが「あちきは・・・」と言うものだから売れるの何の。
(本によると「『一目千本』がメガヒットを記録した形跡はない」)
このへんの才覚と洒落心。
この蔦重のセンスの良さ。
この手のことは全てであるが、一冊の本から学んだ。
増田晶文さん、「蔦屋重三郎」新潮選書。

蔦屋重三郎:江戸の反骨メディア王 (新潮選書)


これは一冊読んでおくと本当に勉強になった。
そしてこの蔦重が吉原を足場にしながら、やがで江戸文化まで作り上げてゆく。
あっと驚いたのは、この増田さんの書いた本で知ったのだが、蔦重は吉原専門の別冊の編集長で安く便利に使われていたのだが、ある時、とんでもない事件が起こる。

それまでの細見は江戸屈指の本屋たる鱗形屋が独占していた。
 ところが同年の夏、鱗形屋はとんでもない失策をしでかす。大坂の本屋が開板した本を勝手に改題して売り出してしまったのだ。
−中略−
 犯人は手代の徳兵衛、
−中略−主人の孫兵衛も監督責任を逃れられない。
 これを機に老舗本屋の信用はガタ落ちになった。
(34頁)

このことを知り、蔦重はタウンガイドを自分のところでやりたくなった。
その蔦重の頭のいいところは吉原の遊女のお店だけではなくて、大見世、中見世、小見世、そういうお店の紹介も全部含めて。
これが出版物として大ヒットしていくというワケなのだが、この蔦重の編集の上手さ。
老舗の出版社の鱗形屋が著作権侵害をやったものだから、商業倫理は江戸期は厳しかった。
それで売れ行き好調な細見、吉原タウンガイド。
これを自社から出しにくくなったという隙をついて蔦屋重三郎、

彼は吉原細見のリニューアルにも乗り出す。−中略−まがきの花』だ。
 この本から重三郎は細見改、取次だけでなく版元の重責を担うようになる。
(34頁)

タイトルがいい。

 格子の向こうから遊女が声をかけ、客は格子越しに一夜妻を選ぶ−中略−吉原と遊女のイメージと密接に重なる格子を籬と呼ぶ。(29頁)

これをもの凄く立派な大見世、中見世、小見世、小さなお店まで飾り窓の女達、それをガイドブックに克明に並べていった。
「これは便利だ」ということでヒットしてゆく。
しかもこれは人気のある花魁さんなんかは浮世絵で描いてくれるワケだから、今で言うとグラビア充実。
安くて詳しく、見やすい読みやすい「週刊大衆」のような雑誌、本だった。
更に蔦重は面白いことを考えて連載の読み物でお侍さんの文章とか、面白い小話等々もメンズマガジンとして抱き合わせで売った。
この頃の川柳にこういうのがあって

「足音がすると論語の下へ入れ」(26頁)

論語を読むふりをしていて細見を読んでいる。
足音がする度に論語の下にパッと隠している。

 細見の柱は遊女データと妓楼マップだが、重三郎はそこにカルチャーのテイストを吹き込んだ。(36頁)

江戸期に於ける最大の文化人という人を引っ張り込む。

 平賀源内は本草学者にして戯作者、科学者と多方面で活躍。(36頁)

何せエレキテルで電気を起こして発明品を売っていたという。
この人のペンネームが最高。
「福内鬼外(ふくちきがい)」というペンネーム。
何のことはない。
「福は内 鬼は外」これを漢字だけにして「福内鬼外」。

『細見鳴呼御江戸』では、平賀源内が福内鬼外のペンネームで序文を寄せている。(36頁)

そしてまた蔦重の凄いところは吉原のイベント「俄(にわか)」祭りを演出した。
これは祭りの名前にしたのだが「人」と「我」。
ニンベンだから。
他人の「人」と「私(我)」が一緒に騒ぐ。
それで俄祭りにしてそれで吉原の大イベントにする。
それはもう普段見られない吉原の花魁なんかが見られるものだから大挙して見物人がやってくるという。
しかもそれだけではない。
腕のいい浮世絵師を呼んでこれを「浮世絵です」と絵で見せた。
その横に平賀源内がしゃれた言葉で祭りを紹介した。
粋な文章で解説を入れるという。
また予告を打ったり。
とにかく文化、イベント、夜のガイドを一挙に掲載するという充実ぶりで。

蔦屋重三郎、29歳の時に「青楼美人合姿鏡(せいろうびじんあわせすがたかがみ)」とかそういうものを出して。
(本によると重三郎は安永七年に29歳なので、「青楼美人合姿鏡」が出版された安永五年には29歳ではない)

 彼女たちの艶姿を多色摺りで活写したのは当時の二大絵師だった。ひとりは−中略−北尾重政、さらに−中略−勝川春章なのだから(39頁)

彫りや摺りも超一流の職人に発注、豪華な造りが話題になったのは想像に難くない。(40頁)

それから実話記事も交えての、という。
そんな本を作り始める。
これほどの品質は妓楼と遊女達、大金持ち、押しの花魁ファンクラブからの援助が無ければとてもできるものではないという。
振り返るが、ズバリ言うと、吉原だから女性の性で売っている。
そのことを吉原の中で商売をやっている人はみんな自覚している。
これが謎の言葉で、ドラマの中にもよく出てくるのだが「忘八者(ぼうはちもの)」。
吉原で商売をやっている人間のことを「忘八者」という。
「忘八」とは何かというと、人間が生きていく上でとても大事にしなければならない徳目、守るべき道徳、その八つを忘れている。
「仁・義・礼・智・忠・信・孝・ 悌」
この八つを忘れた人間という。
「そんなアウトローが生きているところなんだ」そういうこと。
蔦重が言っている名言があるが「俺らは所詮、女の股ぐらで飯を喰う、腐れ外道の忘八者」。
これが大河ドラマで堂々と出てくる。
「よくNHKで」と思う水谷譲。
凄い覚悟。
力強い言葉。
「女の股ぐらで飯を喰う」という。

横浜流星君が「べらぼう」で蔦重を演じているが、「べらぼう」を見ながら蔦重の度胸の良さというか。
何せ蔦重自ら「女の股ぐらで飯を喰う、腐れ外道の忘八者」。
これを自分の名乗りにする。

「べらぼう」の中で忘れられないシーンがある。
小さな女の子がカネで買われて、花魁になる為の修行を開始する。
その可愛らしい女の子にボーイフレンドがいて、それが小さい蔦重。
それで井戸か何かに女の子が何か物を落としてしまう。
それで蔦重に「おまえ取っておくれ」とかと頼む。
一生懸命頑張って取れない。
「ダメだ〇〇ちゃん、これは取れやしねぇや」と言うと、その女の子がぷーっと膨れて「なんだい、だらしがない。女の股ぐらで生きてるくせに」と言う。
この子供がそれを言ったものだからひっくり返って笑った。
いつも感心しているが、武田先生も大河ドラマに何回か出たことがあるのだが、もう武田先生達が大河ドラマを飾っていた時の俳優さん達は一人も出てこない。
石坂浩二さんが眉毛の長い老人(松平武元)役で出てくるぐらい。
後は全部新規の人。
緒形さんとかいらっしゃるが、新しい俳優さんで見せてくれる大河はなかなかのものだが、ちょっと残念なのは、下調べをしておかないと何をやっているのかわからない。
ずっと前半の方を見ていて、武田先生も結構時間がかかった。
「サイケン、サイケン」と言うから、借金か何かして倒れたところを再び立ち起こす為の「再建」の方法を探っているのかなと思ったら吉原のガイドブックのことを「細見」と言うとかという。
その間、冷たいぐらい説明をしない。
そんなことをしていたらもう時間が無くなってしまうからだろう。
そして蔦重という人物の痛快さ。
吉原という、ズバリ言うと「売春を産業にした」というテーマパークなのだが、でもその中にいわゆるコミック、絵画、文芸、実用、ハウツー、歌舞伎、浄瑠璃の解説、そういうのを一冊でやってしまうという。
もちろんその吉原の存在そのものは世界的なコンプライアンスとは馴染まないものだが、そこにはそこの文化。
だって吉原無くんば今、西洋の方々が大喜びで集めておられる浮世絵は発展しない。
その中には「春画」もある。
男女の交わりのシーンも。
それはもう今や文化になってしまっている。
調べてびっくりしたのだが、何で「春画」と付いたか?

春画は新春にふさわしい寿ぎの絵として年礼の進物にさえなった。(156頁)

 性の営みは五穀豊穣、子孫繁栄と密接に結びつく。(156頁)

「春がやってきて、これから増える」という為には男女ともいやらしくならないとダメ。
これはもうやはり見ると凄い。
歌麿。
いやらしい。
でも、いやらしくないと増えていかないというところに人間の・・・
そういう意味合いで使われたという。
その春画の中に歌麿とか北斎とかがいるワケだから、考えたら凄いもの。
だから性の文化に知らん顔をしていたら文化は興らないという。
頑張れ「週刊大衆」。

週刊大衆 (11月24日号)


いいコラムも載っていると思う水谷譲。
武田先生が(「週刊大衆」のコラムに)いいことを書いている。

蔦重なのだが、順調にはいかない。

重三郎は通油町に進出した。−中略−現在の中央区日本橋大伝馬町あたりだ。(81頁)

そういう成功譚なのだが、江戸期というのが大きく揺れる文明で。

天明三(一七八三)年の浅間山大噴火、−中略−さらには陸奥や関東を飢饉が襲う。(95頁)

暗い時代になる。
でも皆さん、史実を見ても蔦重は負けない。
彼はその中で暗い世相に向かって、一大文芸運動を興す。
それで月曜日にお話ししたと思うが、武田先生はこの文芸ブームを引き起こした蔦重に絡まれた人物と縁があって、その人のことを語りつつ、もう一週、蔦屋重三郎「べらぼう」の物語を語っていこうと思う。



2025年11月30日

2025年5月26日〜6月6日◆いい音がする文章(後編)

これの続きです。

若き書き手であり、作詞もやる、アイドル達の歌を作ったりする高橋久美子さんがお書きになった「いい音がする文章」。
これをまな板に乗せているが、まな板に置いたワリにはテメェの話ばかりして。
でもこれは高橋さんの指摘なさることが自分の思いと重なるというか。
それでつい自分のことを話してしまうのだが。
この著者は作詞というのが文章を書く作業とは全く違うことを指摘している。

時代が歌詞を生み出すと同時に、
歌詞が時代を作ってきたとも思うのだ。
(222頁)

作詞でよい詞が生まれる為には時代が隠しているキーワードを見つけなければならない、という。
時代の中にキーワードがある。
これはそれぞれのテレビ局で好きにおやりになればいいのだが今、BSの音楽番組等でしきりに昔のベストテンを取り上げるという番組がある。
大変申し訳ありません。
その手の番組の作り手たちに言いたいのだが、それではダメ。
ベストテンで「これが一位でこれが二位だった」と、そんなふうにして歌を振り返っても何も見えてこない。
なぜその歌が売れた時代だったか背景をを見ないと。
文化放送にもそういう番組があると思う水谷譲。
それは所詮、歌謡なので、色物なのでいいのだが、その色物一曲が時代の表面に浮かび上がったということは時代の流れそのものに注目しないと。
「懐かしいねぇ」だけではダメということだと思う水谷譲。
八代亜紀さんを懐かしむという番組がテレビで。
それで関係者が集まって八代亜紀を絶賛するのだが「親しみやすいいい人だった」とか「少女のような人だった」とか。
大変申し訳ない。
もっと難しく伝えた方がいいのではないか?
八代亜紀が持っていた才能は「良い人だった」とか「明るい人だった」とかそういうことではない。
八代亜紀の歌声をあれほど人々はなぜ支持したかということが問題。
なぜあの歌声が沁みたのかだと思う水谷譲。
それは八代亜紀が残した「音」。
それが一体時代のどこを打ったのかという。
八代亜紀さんは何を思い出すか?
「雨々ふれふれ もっとふれ(「雨の慕情」)」とか「肴はあぶった イカでいい(「舟唄」)」、歌「声」だと思う水谷譲。

雨の慕情


八代亜紀 舟歌 雨の慕情 おんな港町 KB59 CD


あの人は女性の悲惨さを笑いながら歌える人。
あの人は演歌でいうところの「泣きのサビ」で笑い出す人。

おんな港町 別れの涙は(八代亜紀「おんな港町」)

おんな港町


と言っておいてニカーッと。
今、令和の時代、女性が悲惨を悲惨の顔のまま語る。
でも昭和の演歌歌手の中に女性の悲惨を微笑みながら歌う人がいた。
確かに八代亜紀さんはそうだと思う水谷譲。
語尾で笑う。
「ほろほろのめば〜♪」とかといいながら笑顔になっていく。
悲惨なところで笑う、という。
それが女性達を強烈に励ましている。
その手の力で拮抗していた人が石川さゆり。
八代亜紀と石川さゆりは芝居で言うところの女座長。
立ち回りをして憎きヤツを切った後、ニカッと笑うという。
ちょっとニヤリな感じだと思う水谷譲。
「天城越え」という名曲があるのだが、あれを一番最初に石川さゆりさんに持っていって勧めた時にふくれたようだ。

天城越え


「あたしのイメージを台無しにする気ですか。『あなた殺していいですか』とは何事ですか。私は黙って雪の降る青函連絡船だって乗り換えたんだ。それを峠道逃げながら『あなた殺していいですか』。私のイメージをどうしてくれるんですか」と言った時に先生方が「おまえにはこの歌を演じる力がないのか」。
その「演じる」と一言入れたらパラッと表情が変わったそうだ。
八代亜紀には演じる力がある。
石川さゆりも。
だから石川さゆりは絶妙に、あの最も問題の歌詞「あなた殺していいですか」というのを微笑むがごとく歌う。
演じている。
その演じる力を高く買ってあげないと。
武田先生のこだわりはそこ。
そこで、この高橋さんがおっしゃっている「時代が歌の文句を作るが、歌の文句が時代を作ることもあるんだ」。
そういう流れを。
高橋さんごめんなさい。
武田先生の歌で説明して。
これはちょっといい発見で凄く勉強になったので。
聞いてください。
この高橋さんの主張に対して説明する為に武田先生の歌を持ってくる。
武田鉄矢の作品で、これは海援隊が歌っているが、「思えば遠くへ来たもんだ」というのがある。

思えば遠くへ来たもんだ


実はこの一行「思えば遠くへ来たもんだ」1978年にリリースした一曲なのだが、「これと同じようなフレーズがあるぞ」というのがスマートホンの何か悪口を書くコーナーにあって。
「武田鉄矢はかっぱらい」というのがあったので興味深く読んでみたので、それからの反論を明日からやってみたいと思う。

(番組冒頭は電動キックボードの話だと思われるので割愛)
昨日ショッキングなことを言ったと思うのだが、スマートホンのいろいろ書き込めるところに「武田鉄矢の『思えば遠くへ来たもんだ』は、ある有名な詩人の詩をそのまま使ってるじゃないか」「かっぱらった」と。
これは実は元がある。
これは大正時代の大詩人だが中原中也という人が作った「頑是ない歌」の詩。
「頑是ない歌」ご披露しましょう。

思えば遠く来たもんだ
十二の冬のあの夕べ
港の空に鳴り響いた
汽笛の湯気は今いずこ
−中略−
それから何年経ったことか
汽笛の湯気を茫然と
眼で追いかなしくなっていた
あの頃の俺はいまいずこ
(中原中也「頑是ない歌」)

そこから。
素晴らしい詩。
だから中也の詩の思いを武田先生も真似したというか、重ねた。
これは「もうそっくりじゃないか」という方もいらっしゃるのだが、決定的な差は中也の詩は文学で武田先生の詞は歌謡。
だから武田先生は「時代から呼ばれなければ消えてゆく」ということで作ったのだが、70年代に青春を過ごしてきたものとして思いをしっかり重ねて作った。
しかし作る時に「中原中也ごめんね」とつぶやいたのを覚えている。
でも中原中也へのオマージュを込めて作ったということだと思う水谷譲。
カタカナを並べれば何とても言えるのだが、しかし武田先生なりに理由があって。
絶対に「思えば遠くへ来たもんだ」というのを「私の思い」にしたかった。
というのは、この70年代のテーマが「旅」。
1970年、万博があって、そこからフォークソングのブームが起きる。
それまで「港」だったり「酒場」だったり「涙」だったり「月」だったりした時代の言葉。
それを1970年の若者達は「旅」に託した。
例えばはしだのりひこの「風」。

人は誰もただ一人旅に出て(はしだのりひことシューベルツ「風」)

花嫁は 夜汽車にのって(はしだのりひことクライマックス「花嫁」)

そして吉田拓郎になると

浴衣のきみは尾花の簪(吉田拓郎「旅の宿」)

谷村新司は

いい日旅立ち(谷村新司「いい日旅立ち」)

という。
永六輔さんの

知らない街を(「遠くへ行きたい」)

あーだから今夜だけは君をだいていたい(チューリップ「心の旅」)

その時に武田先生は自分の「旅」を歌にしようと思った。
「中也と同じだ」と叱っている人、聞いてください。
武田先生の旅は何かというと、博多からここまで来た。
そして東京で今、生活してるというのが武田先生の旅の行程。
本当によく武田先生は覚えているのだが、この歌を作るちょっと前に武田先生はやっと喰えるようになった。
秋に作ったのだが1978年の春に「しあわせの黄色いハンカチ」に出た。

幸福の黄色いハンカチ デジタルリマスター2010


「やっとそっち(俳優の道)でも喰っていける」というので、五反田の六畳三つのアパートに住んでいた。
その時にそのアパートのベランダでため息をついた。
僅か六年だが、博多から五反田のアパートまでの六年間に出てきた言葉が、中也の真似ではない。

思えば遠くへ来たもんだ この先どこまでゆくのやら(海援隊「思えば遠くへ来たもんだ」)

(ここで本放送では「思えば遠くへ来たもんだ」が流れる)
それでも「似てるじゃないか」とおっしゃるから、作詞家として屁理屈を並べていく。
中也はこう歌っている。
「思へば遠く来たもんだ」
武田先生は「思えば遠く『へ』来たもんだ」。
この違い。
中也さんの方が詩人として優れている。
数えてみる
 おもえばとおく:7
 きたもんだ:5
七・五調だから最も日本人が好むリズム。
ところが武田先生は嫌だった。
波長、リズムを壊しても「へ」を入れたかった。
「おもえばとおくへ きたもんだ」
「へ」が重大。
武田先生の「へ」は場所的なもの、中原中也の「思えば遠く」というのはもっと感情的なものだと思う水谷譲。
「思へば遠く来たもんだ」というのは振り返って、来た距離を眺めている。
どこから出発したかわからない。
それぐらい遠い過去。
「ああ、思えば遠く来たもんだ」
だから中也はどうしても
「十二の冬のあの夕べ 港の空に鳴り響いた 汽笛の湯気は今いづこ」
出発点のわからない遥けさ、遠さ
「思へば遠く来たもんだ」
ここまで「遥々来たもんだ」という意味。
武田先生は遥々とここへ来た。
武田先生は「思えば遠く『へ』来たもんだ」。
これは「へ」だから問題なのは出発点。
「出発点からここまで来た」という。
中也と離れる。
ここで一番重要なのは、武田先生は「福岡からこっち方面に来た」ということを歌っている。
「こっち方面」とは関東平野。
「関東平野のどこぞに着いた」という、その距離を歌っている。
博多からの遠さを「思えば遠く『へ』来たもんだ」。
方向性。
ここが大いにに違う。
「へ」と言ってしまうから水谷譲が笑ってしまったが、これは助詞の問題。
これは「に」ではない。
「思えば遠く『に』来たもんだ」
「に」ではダメ。
それは武田先生も本能で作っていて、今更ながらある人から言われたので。
あの歌を深く解釈してくださる方から「あれは『に』じゃダメ!『へ』なのよ!」と言われた。
「に」は到着点のこと。
ここ「に」来た。
だからここが目標だった。
「へ」は目標ではない。
博多から関東平野「へ」来た。
「に」と「へ」の助詞の違いはここ。
「に」は到着点、目標を明確にする為の助詞。
「へ」というのは博多からここへ来たが、この先どこへ行くかはっきりしないという寂寥感がある。
情感の伝え方が違う。
日本語は微妙だと思う水谷譲。
それ故に武田先生が言いたかった「かっぱらったかっぱらった」とかアレだが、それはやはりたった一文字ながら武田先生の「遠く『へ』来たもんだ」なのだ。
武田先生はなぜ「へ」にしたかというと武田先生の事情を歌いたかったから「へ」にした。
もちろん中也からのインスパイアというのも十分わかっている。
そしてもう一つ、70年代のテーマで「旅」というキーワードを歌う為に武田先生は「博多からここ「へ」来た」という、その旅の途上を歌にしたかったワケで。
武田先生にとって歌の中で一番大事なのは博多とここの距離。
この歌を聞いてくれた人が感じるのも、例えば自分の古里と「ここ」。
「栃木から来た」とか「札幌から来た」とか「から来た」を強調したい人にとってはやはり「思えば遠く来たもんだ」ではなくて「思えば遠く『へ』来たもんだ」と、こうなる。
日本人は凄い。
理屈をわかっていなくても「へ」と「に」の違いをどこかで感じている。
英語だったら「to」で終わってしまうところが「へ」にすることによって「そこからどうなるかはわからないよ」というニュアンスを伝えてくれると思う水谷譲。
情感が「に」と「へ」では全然違う。
こうやって考えると歌作りはなかなか面白いもの。
助詞一つで全然違ってくると思う水谷譲。

高橋さんのご本を紹介しているうちに高橋さんに刺激されたことのみを語るという、ちょっと変則の・・・
高橋さんも現代のヒット曲を解説しておられる。
この方は作詞家として立派だから。
でもごめんね高橋さん。
あなたがご提示なさった、解説なさったヒット曲はこのお爺さんは殆どわからない。
新しいものだから「うっせぇ」一曲しかわからなかった。
それで自分のを使った。
ただそういう「歌への接近の仕方」というのは面白いかなと思って。
お話したように時代は言葉を隠している。
八代亜紀なんか歌声でそれを言い当てる。
その歌唱力の凄さ。
女性達が苦しい時代、その時代にあって、八代亜紀はそれを片頬で笑う。
それから男に尽くしてもさっぱり報われない虚しさ。
それを「雨よ降れ」と命じるという。
あの巫女的エネルギー。
人を動かす不思議な発声法というか、ただ単に名詞を言うだけで詞を感じてしまうという。
八代亜紀の歌唱はそう思う。
「肴はあぶった イカでいい」
これが響きとして伝わった時にいろんな・・・
またゆっくり歌謡論でやってみたい。

高橋さんの文章に触れずに刺激を受けたところだけ語ってしまってという。
本当に申し訳なく思っている。
でも、こういう若い方の作詞論、詞を作る時の自分なりの流儀みたいなものを知ると、あなた(高橋さん)とはもう本当に30歳以上年が違うのだがいい勉強になる。
今、昭和歌謡への注目度が高い時代になったのだが、昭和歌謡というのは誠に文学的で。

橋幸夫の「潮来の伊太郎」。
「潮来の伊太郎 ちょっと見なれば」
あれは1コーラス目はまあまあわかるとして
意味はあまりわからず音で覚えている水谷譲。
よくわからないのだが、昔の人はそれで平気だった。
2コーラス目から「潮来の伊太郎」は意味がわからなくなる。
(本放送ではここで「潮来笠」が流れる)



田笠の紅緒が ちらつくようぢゃ
振り分け荷物 重かろに
(橋幸夫「潮来笠」)

「田笠の紅緒が気になるようじゃ、振り分け荷物、切なかろうか、重たかろうか」そういう節。
潮来の伊太郎が道を歩いている。
そうすると若いお嬢さん「早乙女」。
田植えの時期なのだろう。
「田笠」田植えの時に被る帽子。
あれが「紅緒」。
潮来の伊太郎は若い娘が気になる。
ということは「やくざの旅を続ける自分の身分が切ないだろうな」という。
そういうこと。
そんなことがいっぱい昭和歌謡にはある。
3コーラス目、ラストの締め括りがこうなる。

人にかくして 流す花
だってヨー あの娘川下潮来笠
(橋幸夫「潮来笠」)

潮来の伊太郎が大利根川へ花を投げ込む。
利根川に花を投げ込んで「あの娘川下潮来笠」。
潮来の伊太郎が道中を歩いている。
横に利根川が流れている。
舞台は茨城県の潮来だから。
(「潮来」を、恐山などの)霊が降りて来る「イタコ」とずっと勘違いをしていた水谷譲。
それでは志村けんさんの世界。
とにかく利根川に「人にかくして流す花」だから、岸からそっと潮来の伊太郎が花を流した。
結末が「あの娘川下潮来笠」。
こっそり潮来の伊太郎は利根川に花一本投げたのだが「あの娘は川の下の方に住んでいる」という。

春日八郎「お富さん」。
あれは意味が全然わからないが何でか歌える。
(本放送ではここで「お富さん」が流れる)



粋な黒塀 見越しの松に
仇な姿の 洗い髪
死んだはずだよ お富さん
生きていたとは
−中略−
エッサオー 源治店
(春日八郎「お富さん」)

(番組内では「エッサオー」を全て「エッサホー」と発音しているようだが、歌詞に基づいて全て「エッサオー」としておく)
黒い塀が粋。
洗い髪のお富さんがそこにいらっしゃる。
(お富さん)はお妾さん。
色っぽくていい女。
与三郎という恋人を裏切ってしまってお金持ちのところに行ってしまった。
与三郎は簀巻きにされて海か何かに放り込まれてしまう。
それで傷だらけになって「切られの与三」というニックネームで恐喝に来る。
これは舞台の説明が「粋な黒塀」というから立派な、今でいうマンション。
そこにお富さんが住んでいて、「切られの与三郎」が恐喝に入る。
それがあの歌。
だからおどろおどろしいのだが、リズムで聞かせるものだからトントンいってしまう。
最大の謎「エッサオー 源治店(げんやだな)」。
「源治」は人の名前。
マンションの経営者が源治さん。
もの凄い高級だから、今でいうタワマン。
それを「エッサオー 源治店(げんやだな)」。
だから「タワマンマンション源治」そんな感じ。
(「タワーマンション源治」と言いたかったのではないかと思われる)
こんなふうにして意味もわからず覚えてしまったというのが、高橋さんおっしゃるところのリズム。
音になっているから覚えてしまったという。
この音というのが「世間が面白いと思った」という、そのことがヒットの原動力になっているということ。
あの世界を探っていくと面白いもの。

そこで今日は一番最後の日なのだが、あなた(高橋さん)の本を読んでいて、あなたが本にお書きになったことの続きみたいなことを人から聞いてしまった。
これは教えてくれたのは加藤のおときさん(加藤登紀子)。
あの人と話している時に、対談をやっている時にぽろっと出てきた。
(本放送ではここで「上を向いて歩こう」が流れる)



よくご存じだった。
加藤さんは永六輔さんのこともご存じなので。
「上を向いて歩こう」話。
「永さんはあまりお好きじゃなかった、あのヒット曲は」と言ったら「そうなのよ。あの人はもう坂本九の歌い方に関しても『絶対違う』っておっしゃるし『人々の解釈も違う。希望の歌として解釈し、にこやかに高らかに歌う。そんな歌じゃない。あれは失意の敗北の歌なんだ』っておっしゃってた」という。
加藤の姉御もそっちの方も詳しいから。
「60年安保闘争に敗れた若者達の心の傷っていうのはどれほど深かったか。60年安保というのは無念さを全ての若者が抱いたんだ。だから永さんはその中で『敗北の辛さを忘れまいと上を向いて歩こう。涙がこぼれないように』と同志を励ましたんだ。それがいつの間にか希望に向かって歩き出す歌になってる。『それは違う』ってあの人、怒ってた」と。
これは「そうですよね」という話で盛り上がった。
ところが、本当にそこがびっくりすることで、きてみなければわからなくて。
それが日米安保に反対する若者の歌だったのだが、アメリカまでいったらヒットチャートで一位になってしまった。
「スキヤキ・ソング」ということで。
「スキヤキ」も違う。
あれは喰い物だから全然歌とは関係ないのだが。
歌と関係無い方ばっかりに自分の歌が引っ張られていくという。
それで聞いた話だが「遠くへ行きたい」というのはそういう絶望を歌った歌だ、と。
ところがこれが旅の歌で70年代大ヒットしてしまうという。
こういうふうにして作った歌に。
ことごとく作った歌に裏切られていくという永さんの人生。
その永さんも数十年の歳月が流れて、お年を召して障害と戦いながら一生懸命リハビリをやっておられた。
それでリハビリをやる病院に通い始めると看護師さん達が音楽をかける。
それが「上を向いて歩こう」だったという。
それで若い人達は永さんのことをとにかく無茶苦茶励ます。
「ワン・ツー・ワン・ツー!ハイ!頑張って!う〜え〜を、う〜え〜を!」と言いながら。
ところが若い人は(永六輔作詞であることを)知らない。
つまり「上を向いて歩こう」はその病院ではリハビリ用のバックグラウンドミュージック。
希望の歌でもなければ、敗れ去った敗北の歌でもない。
リハビリの歌になる。
その時に永さんの胸に何が流れたかわからない。
本当に自分の作った歌なんてそんなもの。
めぐりめぐって年老いた永六輔を励ます歌として永さんの車いすを取り囲んでいたという。
つまり、作詞者がいて歌をある思いを込めて作った。
でもそれは世間に出てその歌もずっと生きている。
その歌と再会した時に、いつの間にか永さんを励ますリハビリの歌としてそこにあったという。
こうやって考えると作詞という作業の不思議さ。
昨日水谷譲に解説した「潮来の伊太郎」から「お富さん」から、私達はもう作詞者の名前も知らない。
ただ、覚えている。
「エッサオー 源治店」という。
歌は勝手に生きて行ってくれるということかと思う水谷譲。
そう。
つまり「そのようなものを作った」というのが作詞家の仕事。
それは世間に出て独り歩きを始めたら作った人を振り返ってはくれない。
そのことを作詞する人は思い知らなければならない、という。
そんなふうに考えると作詞のすばらしさというのは、作った人が忘れられたところからまた新たに始まるとも言えるワケで。
永六輔さんという天才的な作詞家の胸に流れたのは、バッタリ出会った「上を向いて歩こう」。
その見違えるほどの成長ぶりに彼自信が驚いたという、そんな再会ではなかったか?という。


2025年5月26日〜6月6日◆いい音がする文章(前編)

ごめんなさい。
これは本のタイトルそのまんま「(今朝の)三枚おろし」のまな板の上に乗せて。
高橋久美子さんという方がお書きになった本で「いい音がする文章」

いい音がする文章 あなたの感性が爆発する書き方


ダイヤモンド社から出ていて、タイトルが惹きつける。
本を読む時そうなのだが、読み始めて何か足踏みしてしまうヤツとズーっと流れていくという・・・
その差は一体何だろうか?と考えた時に「いい文章」というのは音がいい。
だから「いい音」で文章を作れるかどうか。
その人の文章を読むと、たちまち文章が絵になってゆくという。
世の中にはそういう人がいる。
その人に一回催眠術にかかると、(その人の文章であれば)どの本を読んでも全部かかる。
だから呼吸とリズムとかが文章の中にあって、結局文章というのはよく考えると音で読んでいるのではないか?という。
これは面白い。
(特定の作家の本を読んでいて)見えることがある水谷譲。
色になるとか。
これは不思議なことに、書き手と読者の相性というのがあるのだろう。
この作家の高橋久美子さん
この方は作家であり作詞家でもある。
プロのバンドを持っておられて、ドラムを叩いておられる。
故に文章にリズム、リズムに噛む音の響きの良さを感じる感性をお持ちの方。

 そもそも、言葉とはビートなのだと私はとらえています。
 意味ではなく、まずで相手の体をノックするものだと。
(7頁)

「それが文章なんだ」という。
高橋久美子さんが」言葉とはビートである」と。
それから作家と読者というのは相性があって、この人のリズムだったらついていけると思ったらどこまでもついてゆくんだ、という。
それが読者と筆者の関係なんだ。
音で相手の体をノックする。
こういう作家さんに人生で会える・会えないというのはもの凄く大きい。

高知県に行った時にいただいた本があって、土佐の高地の新聞で連載されていたヤツで「司馬遼太郎『竜馬がゆく』を読み直す」というヤツで、その中で「竜馬がゆく」が武田先生のバイブルみたいなヤツ。
武田先生は18(歳)の時に読んだのだが、何で惹き付けられたかというのは未だ謎。
その司馬遼太郎「竜馬がゆく」を分析なさっている方が「司馬遼太郎には講談がある」という。
神田伯山とかというような「調子があるんだ」という。
「そうかな?」とか思っていたのだが、確かに司馬遼太郎の文章は(机を叩く音)何か、神田伯山にも負けないリズム感がある。
そのリズム感とは一体何か?
その」講談調とは何か」と言うのを考えたというか。
武田先生の謎が少し溶けた。
司馬さんの「竜馬がゆく」の中で講談と同じ表現方法を使った文章がある。

桂は龍馬を見た。
その瞬間、この男は俺は苦手だとそう思った
だがそれを言葉では言わない。


思っていることを否定することをわざと文章にしてある。
何かに似ている。
否定していることを敢えて表現してしまう。
「俵星玄蕃」

長編歌謡浪曲 元禄名槍譜 俵星玄蕃


あの中で、「コイツ武士だな」と思った蕎麦屋に向かって、その侍に向かって、本当は杉野十平次という名前なのだが、蕎麦屋のなりをしている以上は身を隠しているワケだから「オマエ侍だな。名前は何と言うんだ」と訊きたいところをぐっと俵星がこらえて

せめて名前を聞かせろよと
口まで出たがそうじゃない
(三波春夫「俵星玄蕃」)

という、この「そうじゃない」という否定形が「竜馬がゆく」の中にポンポン出てくる。
その本人が否定しているワケだから、それを書く必要が無いのだが何を否定したかが書いてある。
講談はそこで言わなかったことも言ってみせるという。
司馬遼太郎の持っている文章の中に於ける講談調。
18の時、何でこんなに読みやすいのかわからないが、まだ覚えているが際限も無く読んでいけるという。

高橋さん、ごめんなさい。
あなたの本を紹介すべきなのだが、あなたから指摘されたところを我が人生で振り返ってみようと思う。
あなたが指摘なさったことを自分に置き換えて「俺にとっていい音がする文章って何だろうか?あっ!司馬遼太郎だ」と思ってしまった。
あなたの本を紹介すべきなのだが。
高橋さんはあまり「いい音がする文章、この人」とかとおっしゃっておられなくて、一種論説として書いてあるのだが、武田先生はあなたから浮かんでしまってしょうが無い。

昨日は「竜馬がゆく」を紹介した。
司馬遼太郎さんの本で、これは地味な本。
「菜の花の沖」という。

合本 菜の花の沖【文春e-Books】


北海道まで旅をして、港々で仕入れ物をする、或いは物を卸してゆくという。
北前船の船頭の物語で高田屋嘉兵衛という男がいて、江戸時代の方なのだが大阪から旅立って商品経済、経済を回すという。
その司馬さんの書き方が上手い。
もの凄く躍動感に溢れて。
プラスなのだが、それを読んでいて北前船で北海道も行く。
途中で日本海だから荒れて船が揺れる。
(本を読んでいて)船酔いしてしまった武田先生。
途中で気持ち悪くなってしまって。
そこまで凄い。
そんなに船酔いするほど荒波の描写がリアルなのかと思う水谷譲。
嵐で北前船が揉まれるのだが行間から、日本海の吹雪が出てくる。
それでもう、波しぶきが当たる。
そうしたらもう海の臭いの荒いヤツを嗅ぐものだから、胸がいっぱいになってしまって。
前にもあった。
「竜馬がゆく」を読んでいて薩摩の侍同士が殺し合うという寺田屋騒動という大事件があった。
読んでいたら血が顔にかかってくる。
それで目に入ってしまうものだから。
それはやはり司馬遼太郎の講談調の文章に酔わされてしまう。
凄い。
薩摩人同士が切り殺し合いをする。
殿様の言うことを聞くか討幕運動に生きるかでケンカが始まる。
そうすると凄い猛者がいてダメだと思ったらしく「おぉ!来い!」と言って刀を抜かない。
それで斬られてしまう。
道島五郎兵衛とかがいた。
その人がわざわざ仲間に額を割らせる。
死んでいく為に座っている。
日本刀で頭蓋骨を切ったら刃が跳ね返って両眼が飛び出したとかがある。
その綿密な。
それは何だろうから。
「菜の花の沖」にいってみる。
ここのところにゾクッとくる。
これは江戸時代の話なのだが、司馬さんの文章を借りると江戸だけでは無いような気がする。
こんな文章。
港々で商売を繰り返す北前船。
その船頭の高田屋嘉兵衛。
この人が江戸の消費経済の沸騰する中で江戸を見下している。
江戸は消費のみで生産ができない。
織物から酒まで、関西圏のよいものを欲しがる。
ただただ良いものを高く買う。
消費者の町が江戸であると、バカにしている。
つまらないものを「くだらない」という。
あれは大阪の方から下って江戸まで行かないというので「くだらない」、「つまらない」ということになったのだが、その江戸で大阪人が最も相手にした消費者が武士階級。
武士階級というのは銭も持っていない癖によいものはやたらと買いたがる。
故に関西人の嘉兵衛は心中、この侍という階級を軽蔑していた。
しかしその侍と知り合ううちに嘉兵衛は考え直すようになった。
その理由をこんなふうに司馬遼太郎は語る。

(侍など、ばかだ)
 と、嘉兵衛はひそかに思っていたのに、殿様とよばれている幕臣高橋三平の商品知識や経済地理の知識は、ときに嘉兵衛のおよばぬほどにみずみずしかった。しかも、志がある。
(志というものは、上方にはない)
 と、嘉兵衛は、このふたりのふんいきに接して、こころよい敗北感をもった。上方にあるのは、認識だけである。認識は、わけ知りをつくるだけであった。わけ知りには、志がない。志がないところに、社会の前進はないのである。志というものは、現実からわずかばかり宙に浮くだけに、花がそうであるように、香気がある。


トントント〜ン!といく。
いい。
しかももの凄く難しいことを話している。
嘉兵衛は「見下していた侍には志がある。志の無い人が経済をいじるとろくなことにならない」。
文章量としては何行かなのだが、もの凄く重要なことをおっしゃっていると思う水谷譲。
プラス、今にもあてはまる。
すぐお金に換算する人がいる。
「経済はそれじゃあダメなんだ」と司馬さんは言っている。

高橋さんごめんなさい。
あなたの本に触れながら、でもおっしゃる通り「いい音がする文章」がここにあるというワケで。

今日はもう一人紹介する。
宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」。
これは本当にいい音がする文章。

「月夜でないよ。銀河だから光るんだよ。」ジョバンニは云いながら、まるではね上りたいくらい愉快になって、足をこつこつ鳴らし、窓から顔を出して、高く高く星めぐりの口笛を吹きながら一生けん命延びあがって、その天の川の水を、見きわめようとしましたが、はじめはどうしてもそれが、はっきりしませんでした。けれどもだんだん気をつけて見ると、そのきれいな水は、ガラスよりも水素よりもすきとおって、ときどき眼の加減か、ちらちら紫いろのこまかな波をたてたり、虹のようにぎらっと光ったりしながら、声もなくどんどん流れて行き、野原にはあっちにもこっちにも、燐光の三角標が、うつくしく立っていたのです。(59頁)

こういう文章。
天の川をずっと見上げていると、天の川に星がバーっと流れているように見えて、天の川の星の隙間に水が見えたという。
その水は紫色の淡い影を浮かべているという。
宮沢賢治というのは凄い。
目をつぶって今、聞いていたが、キラキラしていたと思う水谷譲。
ほんの一部分だがいい文章。
賢治さすが。
「三角標」というのは聞き慣れない単語かも知れないが、夜の飛行場なんかで見ている誘導灯の灯りだと思ってください。
あれが夜空いっぱいの天の川に光っているという。
上手い人が書いた文章というのは、次々イメージが浮かんでくる。

高橋さんごめんなさい。
まだあなたの文章は一行も出てきていない。
このへんから高橋さんが論考なさっている。
つまり「いい音がする文章」。
これは作詞もそうではないか?
これはギクリとする。
基本的に作詞というのは何かといったら「音」ですよ、という。
その「音」というのが時代に受け入れられるかどうか。
これがその歌がヒットするしないの分かれ道で。
実は作詞家というのは音を競っているのだという。
まず高橋さんの論考、考えを聞く。
作品は永六輔・中村八大、歌唱・坂本九の「上を向いて歩こう」。

上を向いて歩こう


ヨナ抜き音階でジャズアレンジにした。−中略−ドレミファソラシドからファとシを抜いた音階だ。(174頁)

中村八大さんは、最初はメジャーコードで作曲し、「幸せは雲の上に」からマイナー調に変化させたあと、またメジャーに戻っている。(174頁)

イメージ的に言うと月が出ていて、それに雲がかかって「幸せは雲の♪」あたりで雲がかかったかなと思ったら、その雲がゆっくり流れて「上を向いて♪」戻ってゆくという。
そういう夜空の情景を巧みに表現した。
永六輔さんの詞も抜群で、「上を向いて歩こう」と誘いつつ、「ひとりぽっちの夜」と繰り返すという。
その矛盾が聞き手の「私」を一人にしない、「ひとり」と言いながら一人にしないという。

坂本さんは、邦楽が日常的に鳴り、唄われる家で育ったのだ。(175頁)

あの人の歌き方を一度、じっくり聞いていただくとわかるんですが、完全に邦楽の歌い方なんです。(中略)『♪ふへほむふひいて あはるこおおほほ』と聞こえてきませんか?
 あれは邦楽の歌い方なんです。
 新内、常磐津、端唄、これが全部彼のロカビリーの中に入っているんです。
(175頁)

「ととさんの名は。あいあい〜阿波の十郎兵衛と・・・(傾城阿波の鳴門)」という。
母音を伸ばして言葉をいちいち揺らしながら引っ張る。
(本放送ではここで「上を向いて歩こう」が流れる)
それが坂本九さんの歌唱になる。
「ふへほむうひぃて♪あ〜るこおほほ♪なみだ・・・」
この独特の引き延ばし。

 同じことですが、さだまさしもそうです。(175頁)

さださんも引っ張る
「きょ〜ねんの♪あ〜なたの・・・」

精霊流し(シングル・ヴァージョン)


上手く再現できなくて申し訳ないが、(歌い方は音を)引っ張る。
そうすると日本人は哀愁を感じる。
「目を閉じて何も見えず〜♪」

昴-すばる-


これも常磐津とか浄瑠璃語りの発声法。
これは武田先生では無くて高橋さんの論説。
ここの指摘の中で凄く面白かったのは、この「上を向いて歩こう」に関して永さんはあまり良い思いをなさらなかったという。
このあたりから始めるが、これは高橋さんのご意見。
これは傾聴に値するご意見。
永六輔さんは坂本九さんの歌唱法に関しては納得しておられなかった。
それともう一つ永六輔さんの神経を触ったのは

「この詞は、励ましの詞じゃないんです」と言っている。1960年の安保闘争で永さんが感じた挫折を歌ったものだそうで(178頁)

岸信介とかという自民党のボスによって安保闘争は潰された。
その敗北を歌った歌で、悔しさのあまり涙が流れた。
ほとんどの人は生きる上での応援ソングと思って聞いたり買ったりしていると思う水谷譲。
(そういう歌)ではない。
敗北の歌。
それを皆さん、ちょっと勘違いなさって「希望をみつけよう」という歌という。
それで高橋さんからの報告によると、永さんは「作詞した人間の思いが歌詞で伝わらないのだったら、何の為に作詞家をやってるんだ」というので絶望を味わわれたという。
この方の人生の不思議さなのだが、その絶望を作った歌が「遠くへ行きたい」。
全てを打ち捨てて作詞から遠ざかろうとした歌が「遠くへ行きたい」だった。
ところがそれが旅の歌で大ヒットする。
かくのごとく作詞家の思いは聞いている人に伝わらない。
それを言ったら武田先生の歌もそうだと思う水谷譲。
武田先生はネタバラシしているが、「贈る言葉」というのは22歳の失恋をベーシックに作った歌。

贈る言葉


まさかそれが卒業式の歌になるとは思わなかった。
詞を作っても真意が伝わらない。
ところが若い高橋さんは

音という翼をもつ歌詞の良さと辛さである。(178〜179頁)

「音を解釈するのは聞いている人なんだ。だから音を解釈した人に委ねられて、作詞家は消えていくんだ」という。
これはもの凄く深く頷ける。
その音を「音」としてお客が楽しんだ場合、ヒットしていく。
星野哲郎という作詞家がいて
例えば同世代の方、思い出してください。
北島三郎の「なみだ船」

なみだ船


涙の終わりの ひと滴
ゴムのかっぱに しみとおる
(北島三郎「なみだ船」)

あれは逆。
「ゴムのかっぱにしみとおる 涙の一滴」
倒置法。
どうしても星野は「涙」を先に持って来たかった。
母音の「あ」。
「なぁ〜♪」
「あ」で始まると印象が明るくなる。
星野は「あ」を持ってきたかったから倒置法でひっくり返した。
つまり響きとして、音としての「あ」が欲しいという。
作詞はこんなもの。
この高橋さんのおっしゃる通り、「いい音」なのだ。
山田洋次監督から聞いたのだが、寅さんの口上がそう。
仁義。
「私、生まれも育ちも葛飾柴又です。帝釈天で産湯を使い、姓は車、名は寅次郎、人呼んでフーテンの寅と発します」
「あ」がどんどん連続して出てくる。
そうすると、母音の「あ」の引っ張りが明るくなる。
高橋さんのご指摘の通り「いい音」まで考えて歌は作らないとダメだという。

高橋さんの論説、思いをこれから語っていく。
高橋久美子さんと同じ思いを坂本龍一さんもおっしゃっているそうで

音楽についてこう語っていた。
 感動するかしないかは、勝手なこと。
−中略−音楽に力があるのではない。音楽を作る側がそういう力を及ぼしてやろうと思って作るのは、言語道断でおこがましい(179頁)

「私の音」を「あなたの音」に介していく。
音をひたすら目指すんだ、という。
高橋さんは若いから、もの凄く面白い例をいっぱい挙げてあるのだが、流行言葉「チョベリバ」「チョベリグ」。
それから「ヤバい」。
これは両方とも発生した時期は同じ。

チョベリバとかチョベリグが流行って、速攻で消えていきました。(190頁)

死語になっている。
何で「ヤバい」はこんなに生き残っているかということだと思う水谷譲。
考えると面白い。

 ヤバいは、反射なんだと思う。−中略−熱いヤカンを触って「あちっ!」と言うような。(193頁)

「ヤバい」は江戸時代。

「あれはヤクザの言葉だから、軽々しく使ってはいけない」と大人たちは非難するわけなんだけれど(192頁)

これは「法に触れる」という意味だそうだ。
「おまえさん。そんなやばな」
それにいいつけて「ヤバい」になったそうだが
この「ヤバい」は生き残って、平成・令和で広がっているワケで。
これは「ヤバ!」という反射語。
「熱ち!」「痛て!」
音として好ましい。
非常に使いやすい。
意味もいい「ヤバい」もあるし悪い時の「ヤバい」もどっちもあると思う水谷譲。
音が楽しい。
こういう音の言葉、音が言葉になってゆく。
ちょっと長いのだが、江戸時代からあって今も残っている。

 しっちゃかめっちゃかって、すごい音ですね。(194頁)

言葉の並びが何となく楽しい。
こういうリズム、「音」の言葉。
武田先生と高橋さんの年齢差だが、武田先生は1949年生まれで高橋さんは1982年生まれ。
もう年齢差は30歳以上。
この差があるワケで、時代の差もあるのだが、高橋さんのおっしゃってる言葉に頷いた。
この方も作詞をやる方で。
作詞家は「意味に縛られない音としての言葉」というのに注目しないとダメなのではないか?

 一世を風靡したAdoの〈うっせえうっせぇうっせぇわ〜〉の一節。(240頁)

うっせぇわ


あの歌も一種「音」。
正確な発音とか意味ではなくて、あの音がいかにも振り切るようないい音。
今はテレビ・ラジオでも音が人気を席巻している。
文字の方はというと元気が無い。
それは音の音楽が軽やかに広がる力を持っているからで、再生回数が時代を動かしているからだという。

「再生回数=音楽の評価」と考えることに私は多少の違和感を覚えている。(200頁)

なるほどなと思う。

先日、原田知世さんのレコーディング現場で、作曲家の伊藤ゴローさんと制作についての雑談をしていたときのこと。私が「旅先でアイデアが浮かんだら、ボイスレコーダーに鼻歌を録るんですか?」と尋ねた。ゴローさんは「ううん、文章でそのときのことをメモしておくんだよ」と言うので驚いた。−中略−
「だって、メロディの鼻歌だけ残っていたって、そのときの感動とか細かな状況は覚えていないでしょう。ドレミだけでなくて、そのときイメージした気配を言葉に書いておくんだ」
(198頁)

これは高橋さんに武田先生は乗ってしまった。
とりあえずどんどん言葉を書いていく。
それを組み合わせていくうちに文章になっていく。
文章を読み返すうちにそれがリズムになっていく。
リズムになったらメロディーが浮かんでくる。
遠い昔に書いた作品だが「心が風邪をひいたようで」、時々心が風邪をひくという、そういうのがある。
ちょっと心が下向きになってしまう。
その中でサビの文句なのだが「こんなの若いうちに書いてたんだ」と思ったのだが。

心の冬に なすすべもなく
佇んでいても しかたないじゃないか
(海援隊「心が風邪をひいたようで」)



心が風邪をひいてしまって心が寒気がする。
その心に冬がやってきた。
「心の冬に なすすべもなく」
手も足も出なくて、じーっと立っているだけ。
それじゃあ仕方ないじゃないか。
これを繰り返し口の中で唱える。
「心の冬に〜なすすべもなく♪佇んでいても〜♪」
これを喋り言葉にすると「仕方ないじゃないか〜♪」。
「心の〜♪冬に〜♪なすすべ〜も〜なく〜♪佇んでいても〜♪しかたないじゃないか〜♪心が〜♪」
文章を作っておいて、文章を何回も読むうちにリズムを見つけていく。
「くれなずむ〜まちの〜光と〜」「くれなずむ〜♪まちの〜♪」という。
ここの面白さを高橋さんは訴えておられる。

ちょっと難しい話だが、また来週は高橋さんの文章を離れて、高橋さんから指摘されたことを武田先生の出来事で語っていきたいと思う。
ということで、完全に人間寄生虫になっているが、この続き、来週のまな板の上で。


2025年11月18日

2025年5月12〜23日◆おときさん(後編)

これの続きです。

加藤登紀子さんを取り巻く男達を話そうかなと。
これはテレビでやったのだが。
恋人となった藤本さんの大好きな「知床旅情」。
これを許可をいただいて歌ったのではなくて、お母様から「自分でいい歌が出来なかったら人のいい歌、歌っちゃえばいいのよ」と言われて、それで藤本が大好きだったということで「知床旅情」を歌った。
おときさんもおときさんで横着。
「叱られるかも知れない」と思いながら別に挨拶に行かなかった。
何と驚くなかれ、森繁さんは「知床旅情」をお聞きになった。
そして何と森繁さんは加藤さんの歌声を絶賛したという。
森繁さんはおっしゃったそうだ。
「私とおんなじだ君は。ツンドラの冷たい風を知っている娘の声だよ。君の声は」
もちろん引き揚げの地獄なんて知ろうハズが無いが、森繁さんは大きく包み込んで「中国・満州国に吹く風、その冷たさを知っている娘の声だ」という。
いいことを言う。
ここも不思議なキーワードだが、

森繁さんも私も同じ時期に満州から引き揚げ、戦後の惨憺たる状況を経験したことがわかった。(62頁)

命からがら遼寧省から葫蘆島の船に乗っかって祖国・日本に帰ってきたという、そういう「引き揚げ者と」いう偶然が二人を結びつけた、という。
そしてキャリアを積んで成長していくおときさんだが、1983年のこと、その前の年ぐらいなのか、そのおときさんにとんでもない仕事があった。
(映画の上映が1983年なので、当然仕事の依頼があったのはそれよりも前)

映画『居酒屋兆治』で高倉健さんの奥さん役のオファーをもらった時は、必死でお断りした。演技の経験もないし、−中略−もっとふさわしい女優さんが受けるべきだと思って。そしたらプロデューサーの田中寿一さんがわざわざ事務所にいらして、「あなたが女優じゃないからいいんです。加藤登紀子として出てください」って言ってくださり、そこまでおっしゃってくださるならと思って受けた。(169頁)

(番組の内容とは詳細が異なる)
あれがおときさんの女優デビュー作かと思う水谷譲。
まだ話は続く。
加藤さんも一生懸命おやりになる。
だがやはりそれは申し訳ないが、演技に力量の差がある。
あるシーンを撮り終わったら、自分の声の高さが少し高くなってしまって場面に似つかわしくない高い声になってしまった。
だから監督さんに「すいません、もう一度やらせてください」と言ったら健さんが「今のでいいですよ」。
それでOKになった。
この「居酒屋兆治」、遠い昔、恋人だった大原麗子さん(神谷さよ)。
その大原麗子さんのことをどこか諦めきれないという健さん(藤野英治)が、酷いことをするご亭主に仕えている大原さんを守る為に、そのご亭主に向かって暴力事件を起こした。
それで健さんが警察に捕まってしまう。
今の奥さんの加藤登紀子さん(藤野茂子)はショックだったろうと思う。
そこでもの凄く重大なセリフがある。
それは刑務所から出てきて、その兆治(藤野英治を指していると思われる)が頭を下げるらしい。
申し訳なさそうな顔で彼女を見つめると、おときさんのセリフ。
「いいのよ、いいの。人は心に思うことは誰にも止められないもの」
これを加藤さんは思いを込めて言うつもりだった。
リハーサルで軽くやったそうだ。
「いいのよ、いいの。人は心に思うことは誰にも止められないもの」
健さんが「OK」と叫んだ。
もちろん(カメラが)こっそり回っていた。
びっくりして「いや、もう一回やり・・・」「いや、今のでいいです。今のでいいです。軽く言うところがあなたの凄いとこですよ」。
おときさんは嬉しかっただろう。
この前のシーンの撮影がロケであった。
それは拘留所かも知れないが、とにかくその刑務所みたいなところから出てくる居酒屋兆治をおときさんが待っていてスーッと(カメラが)寄って行くという、そこのシーン。
「ヨーイ、ハイ!」で始まった。
スーッと寄って行って二人で歩き出すという。
セリフは録って無いらしかったと思う。
引き絵だったのでセリフも録っていないという。
だから二人が歩いていく姿を遠くの引きの絵で映すという。
その時に健さんの思っていたことが初めてわかったそうだ。
健さんが世間話を加藤さんにした。
「ご主人を迎えに行った時も、今みたいだったんですか?」
しびれてしまう。
高倉健が求めていたのはそこ。
上手い女優さんがいっぱいいる。
でも刑務所から出てくる亭主にフッと寄り添って黙って歩くという女の姿は・・・
映画はもちろん嘘だが、その嘘を一点も嘘もない人に演じて欲しいという。
これが健さん。
物語は嘘を作っていく。
しかしその嘘を演じる時「一点の嘘もあってはならない」という。
この話はいい。
「健さんらしいなぁ」と思って、おときさんの話を聞きながら感動した。
みなさん、こんなふうにして映画という物語は作られていくんです。
武田先生もエキストラでちょこっと出た。
兆治のお店によく来る若い者の(アベックの男役)。
その話を伺って(映画「居酒屋兆治」を)もう一回見たくなった水谷譲。
何かいい。

加藤登紀子さんというのは旦那様も学生運動活動をやっておられたし、凄く今も尚、政治についてはきちっとした批判精神をお持ちの方で。
もうそれは「体に刻まれた反戦の誓い」というか「戦争というものがどれくらい悲惨なものか」とか。それから「アジアの諸国に迷惑をかけた日本人の自覚」みたいなものをこの姉御は持っておられて。
健さんもそういうものがおありで、話が合ったようだ。
健さんも「アジアに対して迷惑をかけた日本」ということに関して。
健さんあたりは戦後世代の長男坊。
そういうことを口になさることもあった。
ただ、高倉という人は昨日言ったとおり、物語は嘘を作っていく。
しかし嘘を演じるのに一点の嘘も無いという。
これが高倉健のイズムで。
このへんはちょっと姉御と武田先生で激しく論争したのだが。
高倉健というのは「思想」ではない。
エモーショナルというか「感情」。

木村大作という名キャメラマンがいて。
健さんに「八甲田山」という名作がある。

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これは凄い。
みなさん一回見てください。
高倉健の存在感を。
特にラストシーンに於ける健さんの明治の軍人の描き方。
健さんは、もう本当に男の美意識に満ち溢れた素晴らしい軍人を演じておられる。
これは、木村大作さんが何気なくポロっと言ったのだから「映画の関係者、わかってんだな」と思ったのだが、八甲田山は実際の話があった。
そういう事実としての話があるのだが、健さんがおやりになったあの軍人さん(徳島大尉)は、残っている資料を読むとそんなにいい人ではなかったようだ。
意外と村人をガイドに使っても冷たかったり、「貴様!」とか呼び捨てにしてゲンコを振るったりみたいなことがあったようだ。
でも木村大作さんは「もう、健さんが演じちゃうと健さんなんだ。だから史実とかいくら綺麗に整えてもダメなんだよ。高倉健が演じたらそれは高倉健なんだ」という。
これは武田先生は本当にわかる。
「八甲田山」を撮る時もいっぱい調べたのだろう。
それでそういう事実をわかっていたが、健さんにそのことを言える人はいない。
「本当は悪かったらしいですよ」とか気安く言えない。
健さんはその嘘を一点の嘘もなく演じるワケだから、健さんは神田大尉の亡骸を見て鼻水を垂らして泣く。
それを木村大作が「その健さんが引き受けた役って健さんしかできないんだよ」という。
本当に何かそう。
だからそんなことを思わせる方。
かくのごとくして「居酒屋兆治」は終わるのだが、このあたりもおときさんは傑作を残している。
居酒屋兆治で歌われた歌。
この歌「時代おくれの酒場」。
(ここで本放送では「時代おくれの酒場」が流れる)

時代おくれの酒場


この歌も静かでいい。
「時代おくれ」というこの言葉が健さんに無理なくはまっていく感じが。
健さんのバージョンもあるから。
健さんも歌っておられる。

時代おくれの酒場


この映画の為に作られた歌。

森繁さんときて次、健さんときた。
その次が凄い。
武田先生も並べて驚いた。
宮崎駿さん。
この方もおときさんに向かって無理を言う。
「声優としてやっていただけませんか」
「いや、声優なら声優さんがいっぱい」と言ったら、宮崎監督の方から「歌う声優でないとダメで、その歌が非常に重大なんですよ」と言われて引き受けた作品が「紅の豚」。
もうよく皆さんご存じの、日本が、或いは世界が絶賛するアニメーター。
おときさんのところに舞い込んだ仕事は「紅の豚」というアニメ作品の声優。

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物語はというと、戦闘機乗りのポルコは戦友ベルリーニを戦場で失う。
その戦友を救えなかった無念がポルコを激しく自責の念に、自分を責める念に駆り立てて、ポルコは自らに呪いをかけて豚となったという。
複葉機に乗っているが、真っ赤な複葉機。
それ故に彼は「紅の豚」と呼ばれるようになったという。
この彼が義を通したかった死んだ戦友ベルリーニの恋人ジーナ。
このジーナがおときさん。

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ポルコも「紅の豚」である彼もこのジーナにはクラクラしているのだが、かつての戦友の恋人ということで折り目正しく距離を置いて彼女に接するという関係。
この宮崎駿という人も「何でこういう発想ができるのかな」と思ったのだが。
宮崎さんというのは不思議な人。
戦争は大嫌いなのだが、戦闘機は好き。
この方は北関東の方のお生まれらしいのだが、おうちのお仕事は兵器工場をやっておられて、飛行機か何かを作っておられた。
それで宮崎さんの作品によくあるヤツなのだが、敵が襲ってくるともの凄い勢いで逃げたりする。
あれは「幼児体験じゃないか」という人がいて。
彼等が営む兵器工場がこのエリアにあったので、米軍がよく爆弾を落としに来たという。
それで逃げたという体験が宮崎駿さんの体験の中に生きているのではないだろうか
「崖の上のポニョ」でも波から逃れるスピードが半端では無い。

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炎の中を逃げたり水の中を逃げたり波の中を逃げたりというのは宮崎さんの戦争体験なんじゃないだろうか。
記憶に間違い無ければ、宇都宮大空襲に巻き込まれたという。
そんなことをちょっと読んだ。
宮崎さんは宮崎さんで戦争に対して強い批判精神を持っておられる方。
加藤おときさんを指名なさったのも事情があった。
水谷譲に紹介する時、「ひとり寝の子守唄」を「敗北の予感の歌」と。
世の中には敗北の歌はある。
武田先生はテレビ番組の中でズバリ「姉御は負けてばっかりですね」と言ったことがある。
歌が敗者の歌。
「姉御、怒るかな?」と思ったら姉御は怒らずに「そう、私負け続けてるの」と。
「知床旅情」も一種、敗者が持っている・・・
そういうふうに思って聞いたことがない水谷譲。
武田先生にとっては、この「敗北」というのがとても大事。
やはり戦後、武田先生達は平和な昭和に生まれたが、戦後・昭和の始まりは何かと言ったら「敗北」から始まっている。
「敗北」と「自由」。
これが戦後の昭和のキーワードだと思う。
何かこう、加藤登紀子を巡る男性達は、みんな敗北の苦みを知っている。
健さんもそう。
健さんも自分でお書きになった少年の頃のエピソードであった。
川で遊んでいたら友人が来て「剛くん、日本は戦争に負けたこだるよ」と言ったという。
敗北から少年時代が始まった。
この宮崎さんも「敗北」というのを大事なテーマになさっている。
加藤さんに頼まれたのはこの「紅の豚」の中で流す「さくらんぼの実る頃」。
これはもちろんフランスの歌、シャンソンなのでおときさんでなければダメ。
「紅の豚」の姉御の声が色っぽいの何の、いい。
「さくらんぼの実る頃」
これも一種「ひとり寝の子守唄」。
1870年、理想の民主主義を目指してフランスで市民が作り上げた政府パリ・コミューンという臨時政府が出来上がった。
ところがこれがドイツ政府の介入によって内部対立を起こし、わずか72日間、2万5千人が血を流すというような大敗北を帰してパリ・コミューンが潰された。
その時にその犠牲者を悼む、そのパリ・コミューンを潰された時の歌が「さくらんぼの実る頃」。
宮崎さんも凄い。
ご存じだったらしくて。
「おときさん」姉御と、それから恋人・藤本さん。
彼等もまた、反米・反戦を訴えたその戦いは敗北に帰したという無念。
宮崎駿は「敗北を歌える人はこの人しかいない」ということで加藤のおときさんを指名したという。
「敗北」というのはとても大事な強いテーマになりうる。
1870年代、理想の民主主義を目指して市民が作り上げたパリ・コミューンという臨時政府。
それが僅か72日間でパリ・コミューンという臨時政府が潰されたというフランスの人々の無念。
それがこの歌「さくらんぼの実る頃」。
(ここで本放送では「さくらんぼの実る頃」が流れる)



流暢なフランス語で姉御は歌っているが、本人に聞いてみると初めてのフランス語。
凄い。
まあ大変な方。
やはり宮崎さんが「君じゃなきゃダメだ」と言ったのは今、聞いただけでもわかる。
何も考えずに映画をぼんやり見ていてはダメだと思う水谷譲。
その背景に一体どういうことがあったのかを知ってから見た方がいろいろと楽しいと思う水谷譲。
「紅の豚」のあのポルコの中に「敗北の悲しみ」みたいなものがいつもある。
ということで考えさせられるという「さくらんぼの実る頃」。
「さくらんぼが実る頃がやってくる度に私はあの日々を思い出す」という。
ある意味「知床旅情」。
敗者の歌。
でも負け続けることによって歌い続けるという。
そういうシンガー。
武田先生がそう形容しても、姉御は怒らなかった

これはご紹介が遅れて話ばっかりしている。
本に書いていないことばかり喋っているが。
本の中、『「さかさ」の学校』の中で姉御が残した名言も紹介したいと思う。

 いろんなコンサートをやるのだけれど、毎回、私が決めていることがある。それは、いちばんつらそうな人に寄り添ってうたうこと。−中略−私はお客さんの中で、とてもつらい思いをしている人、深みにはまっていちばん「底」にいる人に合わせてチューニングする。コンサートに入ってこられるように、つらくて深い歌を一曲はうたうようにしている。深みでその人に触れて、一緒に上がっていければいいなと思って。(97頁)

「一番つらい人のそばにいよう」というのはいい。
見事なシンガーソング魂。

テレビ番組で聞かせていただいた男達を巡る物語で。
一番最後はこの男性。
おときさんを巡る男。
なかにし礼。
なかにし礼さんは凄い才能の方。
また、因縁もあって1966年、23歳でデビューするおときさん、加藤登紀子んさんなのだが、そのデビュー曲が「(誰も)誰も知らない」というなかにし礼さんの作品。
これは申し訳ない。
さっぱり売れない。
三年間待たされて「赤い風船」でやっとヒット。

加藤登紀子 ベストコレクション CD2枚組 WCD-663


その間もずっと付き合いはあったらしいが二人の間に大きいヒット曲は無かった。
それから月日が流れて1986年、初めての出会いが1966年。
二十年後の時に「俺の為に一曲、曲付けてくんないか?」ということで、なかにし礼さんから。
「誰の歌?」と聞いたら「石原裕次郎さん」。
「え?裕次郎さんだったらもっと素敵な作曲家いっぱいいるじゃない。私なんかやらなくても」と言ったら「いや、お前でなきゃダメなんだよ」。
その時に、なかにし礼が言った言葉が凄い。
裕次郎さんは御病気で、かなり体が危険な状態。
それでハワイで録音をやるのだが「スタジオには酸素ボンベを持ち込むつもりなんだ。それで本人がどうしても最後に『マイ・ウェイ』のような歌を歌いたいと言っている。この間、裕次郎と打ち合わせをしてきたんだけど詞はこれだ。おまえ曲付けてくれ」。
「え?そんなん責任重すぎるよ」と言ったら、なかにし礼が「俺もおまえも引き揚げ者だ。人間の生き死にを見てきたんだよ。おまえはまだ二歳前後だから覚えてないかも知れないけど、俺達の周りでは生きる死ぬっていうのが平気であったんだ。人の死に付き合う。それは俺達の宿命だよ」
なかにし礼も凄い。
そしておときさんは見抜いておられるのだが、裕次郎に捧げた歌なのだが、その歌の中なかにし礼もこもっているという、そんな歌だったという。
詞を読んでみる。

鏡に映る わが顔に
グラスをあげて 乾杯を
たった一つの 星をたよりに
はるばる遠くへ 来たもんだ
長かろうと 短かろうと
わが人生に 悔いはない

この世に歌が あればこそ
こらえた涙 いくたびか
親にもらった 体一つで
戦い続けた 気持ちよさ
右だろうと 左だろうと
わが人生に 悔いはない

桜の花の 下で見る
夢にも似てる 人生さ
純で行こうぜ 愛で行こうぜ
生きてるかぎりは 青春だ
夢だろうと 現実(うつつ)だろうと
わが人生に 悔いはない
わが人生に 悔いはない
(石原裕次郎「わが人生に悔いなし」)

(ここで本放送では「わが人生に悔いなし」が流れる)



もう本当にいい歌。
詞をやる人、思いません?
リズムは七・五で取っているのだが、波長を一瞬だけ七・七でパターンを崩しておいて七・五のサビで締める。
武田先生達はそういう計算をする。
七・五だけだと全部リズムにアレしてしまうから、一回リズムを壊しておいて締めは七・五。
「わが青春に悔いはない」
(「人生」を言い間違えたものと思われる)
七・五になっているから、数えてみてください。
上手い。
この話の何が好きかというと
「鏡に映る わが顔に グラスをあげて 乾杯を」
恰好いい。
裕次郎さんだからブランデーグラスか何かをサイドボードの横に置いて、鏡か何かで映る自分の姿に乾杯!という。
武田先生はそれだと思っていた。
だから「歌うブロマイド」とこの歌を評したのだが。
おときさんから話を聞くとそんなに恰好いい歌ではない。
そこに裕次郎さんの本当の思いが伝わってくる。
生活の臭いのする裕次郎。
「長かろうと 短かろうと わが人生に 悔いはない」
いい歌。
これも一種、死に敗北していく男の物語。
「負ける」ということは重大な歌のテーマ。
勝者ばかりが歌になるのではない。
負ける、負け続ける。
その横に加藤登紀子のギターの音色と歌声がある。
こう思うと彼女の存在価値を深々と身に沁みる。


2025年5月12〜23日◆おときさん(前編)

今週、まな板の上は「おときさん」。
皆さんよくご存じのシンガーソングライター。
加藤登紀子さん。
武田先生達業界人は「おときさん」と呼んだり。
武田先生の場合、個人的に「姉御」と呼んでいる。
このおときさんをテレビ番組のゲストに迎えて、その時に別れ際に「読んで」と言いながらおときさんから本をいただいた。
『「さかさ」の学校』

「さかさ」の学校: マイナスをプラスに変える20のヒント


これは時事通社から出ている。
呼び込みの文句は「マイナスをプラスに変える81歳。ひっくり返せば18歳!」という。
実年齢でリアルに語ると「おときさん」加藤登紀子さんは武田先生達団塊、武田先生などに比べると六つばかり年上。
ギリギリながら、おときさんは戦中派。
武田先生は戦争が終わった後に生まれた戦後世代で、いわゆる団塊の世代。
おときさんに武田先生が冠した枕詞は「戦後昭和の長女たち」。
家庭の中で一番年上のお姉さん。
彼女は昭和18年生まれ。
大戦中、彼女は日本にいなくて外地・満州国にいて、植民地の中で大きくなった。
彼女は人と人とが殺し合うという時代に生きた人。
まだ二歳なのでもちろん記憶には無いだろうが、彼女の命がその時代に置かれたこと、それは命の覚悟の持ち方がどの世代とも違う。

この本のプロローグでお母さんのエピソードを話しておられるのだが、戦争中の思い出は全部お母さんからの話だそうだが。
二十代の前半で結婚を決意したおときさんだが、お母さんは大反対をしたそうだ。

「結婚は女には損よ。そんなことはできるだけ遅いほうがいいんじゃない?」(5頁)

こういうのがお母さんの説。

 人の命は、自分の力で生きている時に、いちばん輝く。誰かに頼って生きていくのでは楽しく無いし、力が湧かない。−中略−
人間最後はひとりで暮らすことになる。命を輝かせるためには、ひとりで生きる力を身に付けなくてはいけない。
(6頁)

それで「アンタの結婚には反対する」と言って。
それでおときさんは家を出た。
なかなか。
当時の女性ではそういう考えは珍しいと思う水谷譲。
(武田先生が)おときさんとぴったり話が合うのは、親父の悪口。
おときさんもやはりお父さんに対してはワリと厳しくて。
お父さんというのはどういう存在かというと「やらかしちまった人」という。
「何かをやって全部失敗した」という。
「狭い日本には住み飽きた。家族みんなで満州に行こう」とかといって「わ〜成功!」「戦争負けた〜!」とかという。
その時にお父さんは何と家族と一緒にいないで兵役か何かに就かれていて、お母様は男の子二人と乳飲み子のおときさんを抱えて敗戦を迎え、攻め込んでくるソ連軍の隙をついて港で待っている船に乗る為に汽車と歩きで港まで向かったという、命がけの・・・
だからお母様はニュースで伝えられる難民の人の姿を見ると「あら、懐かしい」と言った。
だからおときさんもガザやシリアの難民を見るたびに自分が紛れ込んでいるような錯覚になるという。
あれよりもっと酷かっただろう。
ロシア軍、ソ連軍なんていうのは殺したい放題だから。
異様な風景がいっぱいあったようだ。
聞いたのは、中国の人でまんじゅう売りの人が難民で逃げていく人の後をずっと追いかけてくる。
まんじゅうを売る。
お金が無かったら時計とかそのへんで物々交換とか。
それから「子供を置いてけ」と誘う「子供売り屋さん」、子供を売買するという人もいたらしい。
とにかくおときさんは小さい頃、その逃避行はまさしく生き地獄だったという。
ここ(「今朝の三枚おろし」)でも扱ったことがあるが、この引き揚げてくるという命がけの旅を数か月間やった人の先輩が、なかにし礼さん。
2017年12月11〜29日◆なかにし礼
なかにし礼さんは6歳とか7歳だから物心が付いている。
それで、おときさんが言っていたが、なかにし礼さんも話すと鬱屈しているそうだ。
ソ連軍の飛行機がバーっと機銃を撃ってくる。
列車に乗って逃げている最中、列車が急ストップしてバババババババッと機関銃が列車の上を走った。
ミシン目状に機銃が当たる。
丁度ミシン目状の隙間になかにし礼の頭があったので、前後の人はもう頭が無いというような亡骸だった。
だが礼さんは「お母さんは俺一人だけを列車の中に残した」という。
お母さんは「オマエはここにいなさい」と言いながらお兄さんを連れて表に逃げた。
何か極限状態なので・・・
そのことで命が助かったのだが、礼さんは「なぜ手を引いてくれなかったんだ」というのを大人になってもまだ言い続けたという。
ちょっと暗い話から始まるが、とにかくおときさんの人生が始まったということで。

シンガーソングライター。
大先輩の加藤登紀子さんの話をしている。
通称・ニックネームは「おときさん」。
武田先生は「姉御」と呼んでいる。
この方はテレビでゲストに迎えて引き揚げの体験とかをお話してくださるのだが、何か感性が違う。
他の方が悲惨なことを話されるのだが、姉御は結構ケロっとしている。
それは酷かったらしい。
女性に暴力を振るうとか強姦とか。
引き揚げの体験の惨めさというのはいろんな方から聞く。
お母さんも大変だったろうと思う。

 終戦の1年8ヶ月前に満州で未熟児として誕生し、戦後1年間は難民として暮らし、無蓋貨物列車に乗せられての引き揚げを体験。(7頁)

まさしく地獄の旅。
そこで何と中国大陸の冬を体験。
ゴザで囲って親子四人で寝た、という。
寒かっただろう。
お母さんはおときさんを抱きしめて、そのゴザのマットの上に正座して男の子二人も抱きかかえて休ませている時、天から雪が降って来た。
それを「凄い綺麗だった」とおっしゃる。
「おまえを抱いてね、中国の〇〇っていう町で冬、空から降って来る雪を眺めてたのよ。その雪が綺麗でさ」と、こうおっしゃるという。
半端ではない。

ここでちょっと一つだけお詫びをしなければいけないのだが。
今日のお話は『「さかさ」の学校』という、おときさんがお書きになった本からはあまり抜いていなくて、テレビで伺った話等々で。
それが面白い。
姉御、勘弁してください。
本も時々つまむようにして、おときさんの名言を紹介したいと思うが。
この人は何といってもお話が面白い。
姉御は言う。

 女性の生きる場所がフロンティアだから。(9頁)

女が生きている場所はフロンティアの荒野だ。
だから「開拓者となれ」という。
「新しく開拓するその土地を地獄と見るか天国と見るか、それは女の覚悟が決めることなんだ」という。
お母さんの影響もあるだろうけれども、おときさんも「フロンティアでありたい」と思ったという。
おときさんの本の中で見つけた名言、

 人生は積木のように、高く積んで限界に達していくものじゃない。何度もゼロから始め、無限に繰り返す。それは例えるなら畑のよう。種をまけば次々に花が咲き、実がなり、また種をつける。−中略−
 何かを残そうなんて思っていなかったけれど、いつの間にか思い出がいっぱい。
−中略−
せっせと生きる!
(10頁)

それで人生は十分だ。
こういう名言が『「さかさ」の学校』というこの著作の中に輝いている。
砂時計。
落ち切ったらまたひっくり返すという。
「自分が何かを残そう」とか、そういうふうに考え始めるというのは、けつまづく原因。
「我が道をゆくのだ」と。
泳ぎで言うと、手で波をかき分け続ける。
それが生きてゆくことなんだ。
困った時にも笑顔になれたら困ったことにはならない。
とりあえず笑っていると困ったということにはならないんだ、と。

ご存じの方も多いと思うが、本の中でおときさんが胸を張った出来事があって、その一つ。

私は50数年の歌手人生でコンサートを中止したことは3回しかない。1974年に大雪で飛行機が飛ばなかった北見のコンサート。1995年にハイジャックに巻き込まれた函館のコンサート。2018年に台風で延期になった多可町のコンサート。(45頁)

やむを得ない状況だと思う水谷譲。
やはり度胸がいい。
◆加藤登紀子 1995年6月、羽田発函館行き…:有名人の事件・事故 写真特集:時事ドットコム
まだジャンボ機のデカいヤツがあった頃ではないか。
ハイジャックされて、おときさんは二階のキャビンを上がったところのスペシャルルームにいたのではないか?
おときさんは、そこから何か外部に向かって電話をしていた。
その電話の声みたいなのがテレビで流れた。
その時も克明に犯人の状況みたいなのを喋っておられた。
顔色一つ変えることは無いのだろう。
この人はしかし、度胸がいい。

 1990年11月、ニューヨークのカーネギーホールで二回目のコンサートをした時、ホテルで−中略−自分の指で乳房にシコリを発見した。
 帰国後すぐに病院へ行くと「悪性の癌の可能性が高い」と言われた。
−中略−年末は「ほろ酔いコンサート」があり、中止することはできない。その1ヶ月、抗がん剤の処置をしながらコンサートを開催すると決めて、初めてお酒を飲まずに「ほろ酔いコンサート」をやり切った。バンドのメンバーにもいっさい言わずに。
 年明け早々、正月明けの病院で手術を受けた。1月半ばにコンサートがあり、キャンセルはできない、と医師に告げ、ステージで着る衣装は、肩を出した胸元までのドレスだ、と伝えたら、ドレスのラインをマーキングして、絶対に傷跡が見えないように手術をしてくれた。
(19〜20頁)

(番組の内容とは時系列などの詳細が異なる)

 左胸の乳頭の下のほうを切除した後の乳房が、見ると10代の頃に戻ったみたいに可愛くて、「右胸のほうも切ってもらおうかしら」なんて言ったらお医者さんもびっくり。
「そういう風に言った人は初めてだなあ!」と一緒に笑った。
(20頁)

武田先生のテレビ番組に来ていただいた時にしていただいた話が凄く面白い。
何かのご縁もあっただろうが、武田先生も一部、彼女のそのあたりの出来事を知っている。
お話しましょう。
何よりも興味深いのは、おときさんに絡んでいく男達のバラエティーの面白さ。
いろんな男がおときさんに絡んでいく。
彼女が本の中で最も頻度が高いのが藤本敏夫さんという。
おときさんの旦那さん。
彼は関西生まれの活動家。
アメリカのベトナムに於ける戦争の有様等々を見て、もの凄くアメリカに反感を持ったという。
学生でありつつ反戦運動を繰り返し、機動隊にぶつかっていった。
数度逮捕、拘留、投獄されたという方で。
1960年代から70年にかけて、もの凄く激しい青春を生きた人。
特に70年前後の東大闘争に於いては先頭グループの活動家で。
この時におときさんと知り合ったという。
藤本という方も関西生まれの方らしいのだが、「東大生でありつつギターを持って歌う歌手である」というおときさんに接近した藤本さんは、「決起集会で歌を歌ってくんないか?君歌手だろ。歌ってよ。戦う学生の為に」。
そうしたら、おときさんは凄い。
その藤本氏に向かって「政治に歌を利用するというその態度は何だ」という。
そうしたらここから彼女の目がキラキラ輝きながら亭主のことを語るのだが、彼はすぐにひっこめた。
「あっ、そうだよね。悪かった、悪かった」と言いながら。
もの凄く素直に「君の職業に対して少し上から目線だったかも知れない」みたいな謝り方をして素直に詫びたという。
その詫び方が何ともはや、おときさんには爽快だったのだろう。
断固アメリカを許さない。
その態度は絶対に崩さない。
そんな彼に、おときさんはゆっくり惚れていく。
警察から目を付けられ、いったんは釈放とかになったりするのだが、またデモに参加してまた捕まって。
その度に警察にお迎えに行ったり、時には拘置所の前で彼の出獄をまったりしたという。
彼が投獄されると、おときさんも手紙を書いたり。
その間も藤本氏は、もの凄く愉快な人で独房の自分を明るく明るく文字にしておときさんに送り続けたという。
その独房の中での体験だが、藤本氏が独房の中に一人いる時、便器の中からネズミが這い上がってきで。
そのネズミと語るのだけが楽しみだったという。
そんなちょっとメルヘンチックなところに、若き20代前半のひとえまぶたのおときさんは、ちょっと色っぽい顔をしていたのだろう。
ますます傾斜していって、ここから一つの歌が生まれたという。
加藤登紀子さんが惹かれていった藤本敏夫さん。
学生運動の猛者がいた。
この人は会うとわかるのだが、凄くスマートな人。
会ったことがある武田先生。
文化放送のラジオ番組のゲストに迎えたことがあって。

『ひとり寝の子守唄』をギターを弾きながらうたった。この歌は、夫の藤本敏夫が学生運動のリーダーで拘置所に拘留されていた時の手紙がきっかけ。
「僕のひとり部屋(独房)にトイレ兼椅子がある。朝起きて蓋を開けるとよくネズミくんがいるんだ。そのネズミくんが僕の唯一の友だち」
(61頁)

(ここで本放送では「ひとり寝の子守唄」が流れる)

ひとり寝の子守唄


少ないコードでいいメロディー。
シャンソン歌手であったというその彼女が、歌謡曲を歌って、そこそこのヒットを飛ばした。
だが、そのヒットでは飽き足らずに、この「ひとり寝の子守唄」という歌を。
おときさんはそんなふうには言わないが(藤本氏を)喜ばせたかったのだろう。
それで出所した彼を迎えに行った。
それでこの歌を歌って聞かせた。
そうしたら彼は大激怒。
口を利いてくれない。
加藤登紀子、おときさんに向かって「ひとり寝の子守唄」の歌の印象を伝えた。
「惨めじゃないか」
藤本氏には惨めな歌に聞こえた。
熱心に学生運動をやっておられる彼にとっては「敗北の歌」だった。
70年、安保闘争は日本中の学生さんが政治に傾斜した時代なのだが、武田先生もこの歌を聞いた時に思ったのだが、やはり「ひとり寝の子守唄」というのは敗北の歌。
まだ本式の戦いは始まっていないので、藤本氏は妙に敗北を予感したこの歌が許せなかったという。
複雑。
それで二人は大喧嘩になったらしい。
一時期会わないとかということもあったのだろう。
そのうちに本格的に70年安保闘争が始まる。
70年、71年、72年ぐらいまで時が過ぎるワケだが、その度に藤本氏はデモに参加して逮捕されて投獄されている。
彼女がある日のこと、迎えに行ったのだろう。
刑務所か拘置所かどちらかわからないが。
そうしたら彼が出てきて。
それで事務所の片隅でコーヒーか何か入れて二人で飲んだらしい。
そうしたら彼の中にも、もう怒りが無くて。
それは「ひとり寝の子守唄」が持っていた「学生運動は敗れ去る」という予感の歌を現実に敗れた、負けた人間として彼も受け止め始めたという。
姉御が「そこで彼と話したの」とかと。
サラっと言う。
「私達はその後、キスしたの」
それが何か、あの人が話すと胸がキュッとなる。
二人とも22〜23歳。
だからお母さんが反対するはず。
恋している男は過激派の角棒を持って暴れている男だから、決していい顔はなさらなかったという。
それを振り切ってその男と獄中結婚するワケだから。
そしてここで本当に運命。
「ひとり寝の子守唄」を藤本氏は許した。
と、同時に藤本氏は歌を歌い出した。
藤本さんは古里が京都なのか。
ちょっとこのへん、よくわからないが。
京都に有名な喫茶店がある。
その当時の流行言葉で言うと「学生街の喫茶店」があった。
京大の子達がたむろしている。
そこの喫茶店のマスターがEPレコードに針を置いていつも聞いている歌がある。
その歌を藤本氏が歌ってくれたらしい。
その歌はボブ・ディラン等の反戦歌では無かった。
森繁久彌さんの「知床旅情」。

森繁久彌全曲集 しれとこ旅情


レコードがあった。
それが何回も何回も流れてくるもので、藤本氏はそれをソラで覚えてしまったという。
姉御がおっしゃったのだが「彼はね、いい声で歌うのよ」。
「それ姉御、惚れてる証拠じゃないですか」と言いたかった。
藤本という青年は、いい声で歌ったのだろう。
藤本さんは敗北を受諾したという。
そしてその他の罪でも逮捕されて再度刑務所に収監された時、おときさんは妊娠してしまった。
面会に行くと鉄格子の網越しに藤本氏からプロポーズされて獄中で夫婦の手続きを取ったそうだ。
出所するのを迎えに行って。
藤本氏はどうしたかというと、千葉の鴨川に農園を開いて、そこで農業を始めたという。
これはけっこう成功する。
「面白い生き方だなぁ」というので、この局・文化放送が武田先生に紹介してくださって。
「元過激派の闘士で、今農業をやっている」というので彼をゲストにして番組(を放送した)。
(いつごろの事かというと)「その頃」としか言いようがない。
「青春大通り」とか、そういうタイトルの時だったのではないか。
(文化放送「ペパーミントストリート青春大通り」に武田先生がパーソナリティとして出演していたのは1978年4月〜1980年9月)
ハンサムな人で。
語り口が、おときさんが言うとおり明るい。
武田先生に向かって「武田さん。武田さんも一度捕まって刑務所で過ごすと勉強になりますよ。もう本当にありがたいですよ刑務所は。こんな僕にいろんな仕事を教えてくれて、僕はもう農業を教えてくれたのは刑務所でした。みなさんもね、遠慮しないで一度入った方がいいですよ」という。
何か悪いが、しゃあしゃあとしている。
農業をやる。
人手が足りない。
彼は何と言ったかといったら、ご近所に触れ回った。
「お宅の坊ちゃんお嬢ちゃんで成績不振の方がおられたらよこしてください。私が勉強教えます」
「家庭教師を無料で」みたいな。
それで少年や少女達を集めて、それで勉強を教えた。
それで「勉強の合間に体を動かさないと頭よくなんない」と言うので田んぼに連れていって作業をやらせたという。
この人はたくましい。
それでみるみる農業に於ける販売組織をを作っていく。
契約農家として主婦の方と契約を結んでもらって、そこに安心・安全な野菜を。
この時の発想はおときさんだった。
おときさんと子供に「よいものを食べさせたい」と言って農薬をもの凄く抑えて、或いはできるヤツは無農薬で。
それがこの藤本という人の凄いところ。
おときさんは未だに「感謝している」と。
だが、少年や少女達を集めて「無料で教えます」と言ってタダでこき使ったとかという知恵は思わず喝采を送りたくなるような。
そして彼は農園経営を軌道に乗せてゆく。
でも若くして50代で亡くなられるのだが、加藤登紀子さんの言葉の端々にこの人に対する愛情みたいなのを凄く感じる。
ベタベタしていないが。
学生運動は72年を境にして敗北していく。
おときさんは「ひとり寝の子守唄」から「シンガーソング」「作って歌うんだ」というキャリアをスタートさせる。
でも、「いい歌を作ろう」と思うのだが力みがあって。
お母様から注意された。
「歌ができない時は無理して作ること無ぇのよ。不出来な歌、聞くほど辛いことは無いんだから。人の歌で何か出来のいい歌何曲か知ってるでしょ?それを歌えゃいいんだよ」
フッとひらめいたのがこの歌。
(ここで本放送では「知床旅情」が流れるが、ポッドキャストでは流れないので意味不明な感じになっている)



このあたり歌とのめぐり逢いというのが、不思議な運命。
この時に姉御も横着。
悪いが、森繁(久彌)さんの許可を取っていない。
いい時代だと思う水谷譲。
ワリとみんなルーズだった。
ところが後に加藤おときさんを見かけたあの大俳優・森繁「お〜!君か!。」
この再会から更におときさんに訪れるキャリア。


2025年11月13日

2025年9月22日〜10月3日◆日本語教師、外国人に日本語を学ぶ(後編)

これの続きです。

我々が知っている日本語なのだが、しかし立場を変えて異国の人が学んだ日本語を我々は逆に教えてもらおうという。
日本語を日本人が学ぶ。
異国の人がもちろん先生としてだが。

 今回お話を聞かせてくれた、西アフリカ、ベナン共和国出身のアイエドゥン・エマヌエルさん(エマさん)(151〜152頁)

ガーナやナイジェリアに囲まれた1300万ほどの小さな国だそうだ。
(ガーナには接していないようだ)

 ゾマホンさんというタレントさんがいますよね。彼はベナン出身なんですが、父が日本にいた時『息子さんを留学させたらどう?』とゾマホンさんに勧められたことがきっかけで、日本へ行くことになりました。(153〜154頁)

祖国はフランス語が公用語で

私はヨルバ民族で、−中略−ヨルバ語と日本語の音はすごく似てるな、親しみやすいなとまず思いました。(154頁)

特に漢字に興味津々でした。(154頁)

漢字はエマさんが言うように絵にも記号にも見えるだろう。(155頁)

一文字ずつ全部意味を持っている。
それで文法的に彼がもの凄く異様だと思ったのが自動詞と他動詞の違い。

「電気がついています」「電気をつけておきます」という文が初級レベルの中盤あたりに出てくる。「ついて」と「つけて」の違いを、普段わたしたちは気にしない。が、前者は自動詞、後者は他動詞で、この区別はとても大事な文法項目だ。(158頁)

我々は普通にやっているが外国の方は難しいと思う水谷譲。
難しいだろう。

留学はお金もかかるし、−中略−
 留学生活2年目からは深夜のアルバイト
(160頁)

日本語学校で過ごし、エマさんは大阪府立大学へ進む。(161頁)

エマさんは目標が高い。

「この店、おいしくない」を「この店、おいしいじゃない」と言ったり、「昨日は暑かったです」を「天気が暑いでした」と言ったりする人もいる。そのような日本語で生きるのは決して悪いことではない。−中略−
 日本の大学院で学びたいという目標を持っていたエマさんは「生活の日本語」のさらに上を目指して言葉を磨いた。
(164頁)

英語、フランス語、当然ながら彼は堪能。

英語の文章を翻訳しなさいと指示されたら、前は一旦フランス語に訳して意味を把握していたんですけど、今は日本語で理解しながら読んでいますね。日本語のほうが先に出てくる。(169頁)

凄い頭。
今、言葉コミュニケーション、言語コミュニケーションの研究者として関西大学で教え、しかもまだ学んでいるエマさん。
日本にアニメや漫画を通して興味を持つ留学生たちに楽しんで学んでもらう
日本語のシステム化を目指したいという。
(アニメや漫画の話はエマヌエルさんの話とは別件)
しかしここでもまた、アニメや漫画が出てくる。
彼の指摘の通り、アニメとか漫画とかというのは日本の文化のよほど深いところから出てきているという、そんな気がする。
こんなエマさんのような人から私達は今、日本を探す時代にきている。
「漫画って何か」「アニメって何か」というのは考える。
「アニメとか漫画は日本文化だ」と言われるとちょっと照れくさくて「そうじゃ無ぇよ」と拗ねたくなる時もあるが、鳥獣戯画から始まってずっと漫画の歴史はある。
(鳥獣戯画は)漫画。
ウサギとカエルさんとか、タヌキさんとかキツネさんが楽しく絡み合うというのは一種漫画の技法だし。
そういう意味で実は深いところに漫画やアニメの源泉みたいなものが、日本文化そのものにあるのではないか?

次の方にいく。
この方は面白い。
こんな人がいる。
異国の方。

工藤ディマ(くどう・ディマ)
2000年生まれ、ウクライナ・キーウ出身。
(174頁)

日本で声優デビューを果たしたのだという。(171頁)

日本で公開されたウクライナ発のアニメーション映画『ストールンプリンセス:キーウの女王とルスラン』でデビューを飾った。もちろん日本語での吹き替えだ。
 活躍されている外国出身の声優さんと言えば、中国人の劉セイラさんをはじめ何人かの名前が思い浮かぶ。
(175頁)

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こういう存在を知って驚くのだが

 10代の頃から、日本のアニメや漫画を見たり読んだりしていて、日本語に興味はありました。−中略−でも、日本語の音は好きでした。響きが好きだったというか。(176頁)

キーウにいる時からコツコツと日本語の響きを学んだ。
同じような音が並んではいるが、その言葉の並べ方が面白い。
(この後の話は本には無い)
「私は酒を飲んだ」「私は酒を飲まされた」の受動・能動の違いなどから「は」や「が」の助詞の変化、周りに一人も日本人がいないウクライナで我流で勉強したという。
助詞をいいだすと日本語は難しい。
でも、そこに日本語の深みみたいなものがある。
「思えば遠くきたもんだ」「思えば遠くきたもんだ」
このへん。
やはり助詞まで出てくると日本語というのは際限も無く・・・
この方はそのウクライナで一人で日本語が面白くて一生懸命勉強していたという。
でも時たま日本人がやってくると無我夢中で話しかけて彼との会話、彼女との会話を全部録音して日本人が話す言葉を勉強し続けたという。
やっと22歳の時に来日がかなうという。
一年後にウクライナアニメの日本語声優としてデビューという幸運を掴んだ。
ディマさんは生まれつき耳がもの凄くいい方で、耳のカンがいい。
この方の発言だが、言葉としてロシア語とウクライナ語は結びつきが非常に大きい言葉である。
日本語とは大きな差がある。
ロシア・ウクライナ語は長く長くうねらせて喋る。
日本は違う。
平べったく喋る。
音を繋ぐロシア語・ウクライナ語と違って、声を響かせようとする。
そうかも知れない。
特に自分の主張や訴えのところを響かせる。
武田先生も時々思うが、アメリカの大統領は自分が残す名言みたいなのをサラッと言う。
ジョン・F・ケネディ「Together」と言う。
「共に」「一緒に」という「Together」。
それが凄く軽い。
そういう意味では、日本人は響かせる。
「共にやろうではございませんか!」
こう言う。
(バラク・)オバマさんみたいな人は珍しかったのかと思う水谷譲。
「Yes We Can!Yes We Can!」みたいな。
でも言い方としては軽い。
やはり「響かせ方」というのは日本人が響かせる。
それからこの人は面白い指摘をしている。

 例えば、「にほんご」の発音は、「に」が低く「ほ」で上がり、その次の「んご」は「ほ」と同じ高さだ。(186頁)

これが異国の人が聞くと波打っている。
「に」が低く「ほ」で上がり「んご」は「に」と同じ音。
頭の音と同じ音にする。
(「んご」の高さは頭の音ではなく「ほ」と同じ音)

「うつくしい」は「う」が低く「つ」で上がって「くし」は「つ」と同じ高さだが「い」で下がる。「いつも」は、最初の「い」が高く「つも」は低い。(186頁)

小さく上げて下げながら言葉を響かせるという。
こんなのを一つ一つ彼は聞いていた。
当たり前のようにやっていたからわからない水谷譲。

日本語のリズムをトントントンだとすると、ウクライナ語やロシア語はトゥルルルルって感じで、一つの文章の中にポーズ(間)がほとんどない。文字ひとつひとつをちゃんと言わないで、つなげて言う。日本語は文字をはっきり発音するから(187頁)

日本語は『声の芝居』の自由さが、ウクライナ語やロシア語より圧倒的にある。声の演技の自由度で言ったら、日本語を10割とすると、ウクライナ語が3、4割で、ロシア語は2割くらい。(188頁)

これが「響かせる」という意味ではないかと思う。
プーチンさんはそんな感じがする。
「(ロシア語っぽい言葉)」と言いながら何かトゥルトゥルトゥルトゥル言っているような気がして。
もちろん日本の政治家も政治家によっていろいろ格があるので。
いろんな方がいらっしゃると思う水谷譲。
でも何かそういう決定的な違いを彼は体験したようだ。
多分アニメになった場合、日本語では十秒のセリフで表現できる。
ロシア語の場合は同じ意味のセリフは五十秒から一分もかかる。
5〜6倍かかるのかと思う水谷譲。
彼の感想は、日本は感情をもの凄く短くできるということ。
そんなふうにとにかくディマさんは感じている。
(という話は本の中には無い)
日本語ではディマさん曰く「好きです」「おいしい」「かわいい」はそのものに接した時、まるで息を吐くように日本の娘達はその言葉をつぶやく。
そう。
「ああ美味しい!」「かわい〜!」息を吐くように。
しかしロシア語はそのような表現を好まない。
そのような感想はじっくり感じて言うものであって、それ故に表情がいちいち遅れるのである。
息と一緒に感想は言わない。
一回飲んでから言うという。
日本語の難しさもあるだろうが、これは一番、武田先生がハッとした言葉だが、この表現はやはり難しいのではないか。
このディマさんがある日本の監督さんからこんな演出を受けた。

「驚いているんだけど驚いていない感じを出してくださいって言われて、オーケーが出るまで時間がかかったセリフがありました。(190頁)

こういうのはどうか?
これはある。
特に声優という仕事の場合は声に頼る分があるので、声に頼るとこういう複雑な表現というのが難度がいきなり上がってしまう。
これは表情があると何とかやりようがあるのだが「驚いているんだけど驚いていない感じ」という。
難しそうだと思う水谷譲。
つまり「ああ!びっくりした!」ではなく違う表現だと思う水谷譲。
でも驚かなくてはいけないと思う水谷譲。
ディマさんはこの時に自分が試されているということをもの凄く感じて、必死でやったという。
だがディマさん。
日本人がお芝居を作っていく時は、これは必ずある。
この手のお芝居は「うらはら」というお芝居なのだが、上手な人が昔いた。
我々にはお手本がいくらでもあって。
渥美清さん。

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この人が寅さんを演じている時、女性を会話をしていて。
長山さんが演じたその女の子が、寅さんはてっきり自分に恋をしていると女の人を誤解している。
その人が別の恋人のことを思いながら涙を拭いたりなんかして、寅さんに聞く。
「ねぇ寅さん。寅さんは何で結婚しないの?」
彼はびっくりしている。
つまりラブコールだと思ってしまう。
「愛を打ち明けられた」という。
その驚いていることを隠す。
その演技が、近くにあった水草の葉っぱか何かで水面を軽く撫でながら「ん?ああ、俺?んん。いろいろあったしな〜」。
もうこれが上手い。
ディマさんにも見て欲しいのだが。
それはディマさんが命じられたこと。
「驚いているんだけど驚いていない感じ」を渥美清という俳優さんは見事に演じてみせてくれるワケで。
「全く驚いていない」という感じだと「驚いているんだけど」は表現できない。
これが演技力の難しいところで。
この表現は日本人の暮らしの中にはあること。
「時として我等は真反対のことを言いつつ、本当のことを言うことがあるのです」と。
武田先生はそんなふうに書いている。
武田先生も演技論になってしまったから、山田洋次さんのところに初めて映画に出た時に仕込まれた。
言葉と裏腹のことを言っている。
「オマエなんか大っ嫌いだ!」という「大好き」な言い方。
これはある。
「オメェみたいなバカなツラは見たく無ぇや!」と言いながら「出ていくなよ」という、そういう親子の情愛。
人間の暮らしの中には、こういう真反対の用語を使うというのがある。
ディマさんが声優さんとして成功されることを祈っております。
声優というのは難しい商売だろうから。
本当に本当に凄い。
想像力とか微細な声の変化とか。
そういう演じ方だから。

次の方にいく。
最後に取り上げる人はジョージア。
アゼルバイジャンとロシアに挟まれた、黒海を挟んでウクライナ、その反対はカスピ海というあの辺の今、戦争をやっているあたりの。
申し訳ない。
グジャグジャとしたエリアにあるジョージアという国。
昔はグルジアと言ったのだが、今はジョージア。
東ヨーロッパの小国のジョージア。

ティムラズ・レジャバ−中略−
1992年に来日、
−中略−早稲田大学国際教養学部を卒業し、2012年4月キッコーマン株式会社に入社。−中略−2018年ジョージア外務省に入省。(226頁)

相当日本語が達者な方。
彼の日本論、日本人論というのはXのアカウントで35万人のフォロワーを持っているという。

Xのアカウントには35万人以上のフォロワーがおり(227頁)

日本語の理解力は抜群。
しかも指摘なさることが実に鋭いという。
本か何かお書きになって大注目を浴びた方。

ジョージア大使のつぶや記


まずそのレジャバさんがおっしゃるのは同じこと。
日本語に汚い言葉が少ない。

ジョージア人にも『日本語の汚い言葉って何?』と聞かれることがあるんですが、『うーん……バカ≠ュらいかな』と答えると『え、それだけ?』と結構がっかりされます(234頁)

日本語は、汚い言葉も少ないけれども褒め言葉も少ない。(234頁)

合格祝い、結婚祝い、金婚式、優勝、誕生日、出産、昇給。
全部同じ「おめでとう」。
お互いの健康を祝したり、愛情、友情、気遣い、お世話への感謝、そういうことを褒める時、「おめでとう」そういう言葉遣いしかない。
「おめでとう」というのはサイズとして大きい言葉なので、適切な褒め言葉みたいなものが無い。
励ます言葉も少ないと言う。
「頑張って」になってしまうのだが何か「頑張って」とあまり言いたくないなという人も多いと思う水谷譲。
「頑張って」とその手の言葉「大丈夫だよ」とか。
でもそれは危ない時にも使う。
「ダメかな、この人?」という時も「頑張って」「大丈夫」と言ってしまうという。
そういう意味では励ます言葉は少ない。
レジャバさんの日本人観察から、それ故にであろうか、日本人は褒め言葉を補う為に贈り物が多いという。
お歳暮とかお中元かと思う水谷譲。

「だからこそ日本には、いろんな場面で物が登場するんです」−中略−
「手土産や差し入れ、手紙、季節ごとの贈り物、そういう物で日本人は想いを相手に伝えますよね」
(236頁)

「おすそわけ」とかと思う水谷譲。
日本独特なのかと思う水谷譲。
複雑なヤツがある。
「到来物で申し訳ありませんが」とか。
「人からいただいたものをまたあなたに回す」という。
内祝いとかも面倒臭いと思う水谷譲。
新渡戸稲造の武士道という本の中に書いてあって「そうだな」と思ったのは

武士道 (岩波文庫 青118-1)


日傘をさしている。
それで、あるご婦人が町を歩いている。
向こう側から日傘をささない人がやってくる。
その時に二人の婦人は足を止めて挨拶をし、世間話を始めるのだが、この時のマナーが日傘をさしている人が閉じる。
これが日本人のマナー。
「同じ直射日光の下にいる」ということが日本人のマナーで、日本人は「同一である」「同じ思いをしている」ということが全てのマナーの原点らしい。
「朝早いですね」が「おはよう」だから。
向こうも「おはよう」と言う。
西洋の場合は宗教が後ろにあるので「よき朝を」という意味で「Good morning」「神のご加護がありますように」。

ここから一番、武田先生が面白かったというか、「なるほど」と思ったのだが、レジャバさんはジョージアという国で、前にはウクライナの人の話もしたが大相撲の力士がウクライナから来ている。
安青錦(あおにしき)。
強い。

多くの日本人に名を知られていたジョージア人と言えば大相撲の力士たちだろう。−中略−臥牙丸、栃ノ心。(327頁)

漢字文化圏の中からお相撲さんが出てくるのはわかるのだが、この北村さんが「よく東ヨーロッパの人が相撲の世界になじめましたねぇ」という。
そうしたらレジャバさんは面白いことを言っている。

「相撲の動きと言葉が一体化しているからじゃないかなあ。例えば、押し出そう、という時に、この動作を言葉にすると押し出しだ、ということが頭に刻まれて、体の動きと合致する。−中略−『右四つを狙う』とか『はたき込む』とか、勝つための思考が言葉と結びついているんですよね。(238頁)

だから東ヨーロッパから来ている人も一つわかると体の動きで全部わかる。
それがいわゆる相撲界に東ヨーロッパの人が活躍できる源ではないのか、という。
「なるほど」と思う。
でも逆に教えてもらうとわかりやすい。
こうやって考えると面白いもの。
彼は東ヨーロッパの小国、小さい国であるジョージアを心から愛しておられる。

大国が世界を仕切る時代になっている。
関税大国アメリカ。
そしてもう一国の大国が一帯一路の中国。
プーチンさんもそう。
ロシアも大国。
そういう大国がそれぞれ自国主義に陥っているという現状なのではないだろうか?
だから小国のジョージアにこそ心のよりどころがあると彼は言う。
水谷譲と先週話したのは「何でこんなにインバウンドの人が日本にやってくるんだろう?」という。
つい何年か前まで凄くバカにされていたことが一転してしまったワケで。
魚なんかも「気持ち悪い」ばかり言われていた。
生の魚を・・・
ずっと日本の食事は軽蔑されていたのだが、ある日突然。
それから「本家は俺だ」と言いたくなるだろうと思うがラーメン。
ラーメンというのは中国の人が発明したのであって、それを日本人が特化させたワケで。
日本独特のラーメン文化があると思う水谷譲。
その通り。
独特。
ジョージアのレジャバさんがおっしゃりたいのはそのことではないか?
小国は小国として、もう少し自己主張してもいいのではないだろうか?という。
私達は確かに大国からいろんな影響を受けているが、でも小国はそれに磨きをかけて作り直しているワケで。
日本というのは大国から流れてきたものに磨きをかけて日本化していくということに関しては殆ど天才的ではないかなと思ったりする。
そういうことをわかって考えた上での「日本人ファースト」ということなのかと思う水谷譲。
水谷譲は鋭い。
そういうこと。
「日本人が一番だ」という意味ではなくて、ということだと思う水谷譲。
「非常に日本人は独特なんだ」という。
私達はすぐにわかる。
ニューヨークや北京でラーメンを食べたことが無い水谷譲。
(海外でラーメンを)喰いながら「これは違うな」と言う。
やはり日本人の日本のラーメンが一番美味しいと思う水谷譲。
「これは違うな」という、それを持っていることが日本人。
ニューヨークの天ぷらとか寿司とかも全然違うので「これ違うよ」と思う水谷譲。

今度紹介する。
もう予告編で。
これを言ってしまうのだが、同じテーマを走っていくつもりでいるので、きっとわかっていただけるだろうと思うのだが。
バルセロナで豆腐屋さんをやっている人。

バルセロナで豆腐屋になった──定年後の「一身二生」奮闘記 (岩波新書 新赤版 2051)


この人は正直に文章に書いてらっしゃるだけなのだが、バルセロナでこの人が作った豆腐を食べた人というのは他の店に行って他のお客さんに薦める。
「この豆腐不味いよ。あそこに美味しい豆腐屋ができた」と。
日本の豆腐。
この時に水谷譲が言った「日本の」なのだ。
これは悪いことではない。
そんなことは全然やっていいのだから。
バルセロナに日本料理店が例えば80軒あったとすると60軒は中華系の人が経営なさっている。
だから「寿司」という看板を見ても日本人が望んでいる「寿司」ではない。
それで武田先生は「なるほど」と思ったのだが、一発で「あ!これは俺が求めてる日本の寿司じゃない」とわかるメニューがある。
メニューをバーっと開いて餃子をやっていたら(店から)出た方がいいという。
あり得ないワケで。
日本の寿司屋さんでマグロを握った後で餃子を焼いてくれる店というのは無い。
最近は日本の回転寿司でも餃子が乗っているお寿司とかハンバーグが乗っているお寿司は出てきているから「広がっては来てしまっているのかな」「それはそれでありか」と思う水谷譲。
好みでいろいろ。
でも「オマエが食べたかった寿司か?」ということ。

もう一つ話題があって、これは内田樹さんがそう指摘なさっていて武田先生はめっちゃ深く頷いたのだが、日本の寿司屋さんは寿司をお客さんが褒めると自分の手柄にしない。
例えばマグロ二貫がポーンと出てきた。
口に入れた。
美味い。
「美味いねぇ、マグロ」と、こう褒めると、日本の寿司屋さんは自分の腕前とか一切話さずに「いやぁ今日は大間産がいいマグロが入ったんですよ。あのあたりは海流が激しゅうございましてね、マグロが一生懸命泳ぐんで、身がピシっと」という。
味の手柄を漁師さんと自然に託すという。
それが寿司職人のマナーだ、という。
他のものを絶賛するという、日本人の何かがあるという。


2025年9月22日〜10月3日◆日本語教師、外国人に日本語を学ぶ(前編)

(8月22日放送の「僕には鳥の言葉がわかる」の最終日でもこの本に関して触れているが、内容が今回のものと重複しているので省く)

タイトルズバリなのだが「日本語教師、外国人に日本語を学ぶ」

日本語教師、外国人に日本語を学ぶ (小学館新書 487)


そんな本を手に入れた。
(著者は)北村浩子さんという方。
小学館新書。
武田鉄矢の人生最後の学びなのだが「日本人て何か?」と考え始めた。
それだけは解き明かしてこの一生、終われたらいいなと思って。
水谷譲はまだ生まれてからそんなに時間が経っていないから。
武田先生は子供の時から敗戦国日本に生まれて、団塊の世代だから、ロクなことが無かった。
日本は酷い言われ方で、学校の先生で「酷い国に生まれて、君たちは可哀そうに」とか言う先生もいたし。
それに近いことをおっしゃる方がいらっしゃった。
武田先生達は小学校の五年生で見た映画は北朝鮮の記録映画の「チョンリマ」という。
(1964年8月末に封切りされた『チョンリマ(千里馬) 社会主義朝鮮の記録』のことを指していると思われる)
いかに北朝鮮が幸せな国かというのを(学校で見せられる)。
思春期の頃は日本の悪口を言う本が大流行して。
一番よく売れたのは外交部門の日本人の人が書いた「みにくい日本人」というのがあって。
ショックだった。
「俺達は醜い日本人に生まれたんだ」と言っていた。
大学生になっても三島由紀夫なんていう頭のいい人が腹を切って死んでしまうし。
ところが後期高齢者の仲間に入った途端、「インバウンドインバウンド」と日本に観光客が来る。
これをどうケリを付けるか?
これはやはり一生のテーマ。
だから自分でそのことを感じたら手繰り寄せよう。
その時にバッタリ本屋さんで目が合ったのは「日本語教師、外国人に日本語を学ぶ」。
つまり外国の方で日本を熟知なさっている方に「あなたの知ってる日本とはどういう国ですか?」というのを、この後期高齢者、武田先生も知りたくなった。

北村浩子(きたむら ひろこ)−中略−
フリーアナウンサーとしてFMヨコハマにて20年以上ニュースを担当し
−中略−2009年からは日本語教師として(奥付)

メディアにも慣れておられる。
この人は日本語教師として異国の人に日本語を教える時、その人達が一体何があって日本語を学びたいと思ったのか?
その後、日本語を知ることによって彼は、或いは彼女はどう変わったのか?
この国の歴史の中で初めて。
こんな時代は無い。
令和というこの時代で異国人が大量に日本に、観光等々、仕事の方もいらっしゃるがおしかけてきているという。
インバウンドはどこに来ているか?
ハチ公、豪徳寺の猫、それから相撲の桟敷席に座って見ている人がいる。
最近、相撲見物の外国の方がどんどん増えている。
そして鎌倉の湘南電車。
あれを何で記念写真に撮りたがるのか?
それから合羽橋にも。
彼らは日本の中の日常を見物している。
一体彼らは何を探しに日本に来ているのか?
日本を彼達の日本語で語ってもらおうというワケで。

これは、この本を読んでいる時にズバリ会った。
著者はテレビでお馴染みの人物からこの探索を始めている。

日本でデビューした韓国出身の歌手、Kさん。(13頁)

韓国・ソウル市出身。(12頁)

奥さんは日本人(妻は関根麻里、義理の父は関根勤)。
Kさんというのはもちろん韓国の方というのは知っていたが、番組でバッタリ会った。
凄く好感度の高い彼。
日本人らしい日本語で。
彼は2002年の日韓共同開催のサッカーワールドカップのテーマソング、日韓コラボの「Let's Get Together Now」を契機に日本にやってきたという。

2002 FIFA World Cup Official Album~Songs of KOREA/JAPAN~


その時に、不思議な感性。
この「Let's Get Together Now」というそのテーマソングを彼も歌っていた。
その時に韓国語で彼は歌うのだが、共同開催だから歌詞の半分ぐらいは日本語。

今まで聴いたことないメロディ、言葉の響き、使い方。そういうのが全部合わさって、ああきれいだなあと思ったのが日本語の第一印象です。(16頁)

 スカウトされて来日したのは2004年。(16頁)

やはり一つ目標として「日本で仕事をすれば」という。
それで彼は日本にやってきて仕事をし始めたのだろう。
ラジオで喋る仕事があったが「ハングルではなくて、お願いだから下手でもいいから日本語で喋って欲しい」。
(本の内容とは異なる)
そして本人も喋りたくなって、そこから勉強を開始したという。
その彼が一体、日本語をどう感じたのか、ちょっと知りたくないか?
このあたりから異国の人から日本語というのを学ぶという、この本の企画、鮮やかに惹き付けられた。

そして二年、三年と続くうちに失敗を繰り返しながらゆっくり上達していったという。
そのあたりから日本語の深みを直感するようになったという。
ここからがKさんの指摘はドキッとする。

『韓国にいるお友達やご家族は、Kさんが今こうやって日本で音楽を作っていることについてどう思っていらっしゃいますか』とインタビューされた時。『みんな、僕の活躍をネットで見て喜んでますよ』と答えちゃったんです。日本では自分で自分のことを『活躍してる』って言わないじゃないですか。−中略−韓国では、今自分はこういう『活動』をしていて、なおかつ『活躍』もしていると自分でアピールする国なので、僕はその感覚で喋ってたんですけど、マネージャーさんに指摘されて、そうだったのか!と。(25頁)

(番組では自分で気づいたという説明をしているが、本によると上記のようにマネージャーからの指摘)
(日本語では)「僕の活動」とか「僕の仕事」とか、そういう言い方をするが「活躍」とは言わない。
こういう発見はハッとする。
大臣まで務めた人が「うちには米は売るほどある」とか、あんなバカを言う人がいる中で、韓国人のKさんは非常に日本語というものを敏感に捉えて、自らの働きぶりを「活躍」という表現を日本でする人は非常に少ないという「そんなふうには言わないんだ」。
「コメ買ったことない」「売るほどある」農水大臣の発言が波紋 「国民の感情を逆なで」街では批判の声 コメ価格は再び最高値更新…苦悩する老舗せんべい店【news23】 | TBS CROSS DIG with Bloomberg
日本語の面白さは何かというと、名詞を繋いで新しい名詞を作る。
こんなことは日本人は気が付かない

『葉・桜』って書いて『はざくら』って言うじゃないですか。文字で見れば葉っぱの『葉』と、桜の木の『桜』で、2つの言葉をつなげると、さくらに点々(濁点)が付くんですよね。(30頁)

「葉」+「桜」が「はざくら」と発音されるような現象を「連濁」という。「本」+「棚」が「ほんだな」、「青」+「空」が「あおぞら」となるなど、後ろの言葉の最初の文字に点々が付く現象のことだ。連濁が生じる条件には一定のルールがあり、例えば「海外」+「出張」は「かいがいじゅっちょう」にはならないし(31頁)

こんなふうにして日本人は絶対に間違えない。
このKさんがおっしゃりたいのは日本人は習っていないのに使えるという。
Kさんはしきりに「その国の国語が上手くなりたければ人と話して恥をかくしかないですよ」という。
そしてこの人はこんな深いことを言っている。
これは考えましょう。

いつも100%日本語だからか、韓国へ帰ると、金浦空港でタクシーの運転手さんが『安くできるよ』って必ず日本語で僕に言うんです。−中略−
 フィーリングというか、日本人っぽい何かが出てるんでしょうね。
(33頁)

その時はK君は日本人のフリをするそうだ。
そっちの方が話が早いし楽だそうだ。
向こうもあの手この手を誘ってくるので。
何かそんなことをおっしゃっていた。
テレビ番組で彼に会ったのだが、本当にいい青年で。

浩子さんが次に紹介してらっしゃるのが

イザベラ・ディオニシオ
1980年生まれ、イタリア出身。ヴェネツィア大学で日本語を学び、2005年に来日。
(58頁)

「驚いたこともいっぱいあります。−中略−単数・複数をその都度はっきりさせるわけじゃないということ。(68頁)

私達は複数というのを持たない。
向こうは「eggs」とか「apples」とか「s」を付ければ複数。
日本というのはもの凄く曖昧。
一番平べったいのは「達(たち)」を付けるという。
「金曜日の妻たち(へ)」とか。

金曜日の妻たちへII 男たちよ、元気かい? DVD-BOX


でも「卵たち」とは言わないと思う水谷譲。
この「たち」を付けて複数にするが、「人たち」「虫たち」「魚たち」で複数にしても「木たち」「花たち」「山たち」とは言わないという。

自然界だと「木々」「花々」「山々」のように「々」で言える、と思いきや「川々」はない。(68〜69頁)

「海々」「滝々」とか言わない。
これはイタリアの人は本当に不思議らしい。
そして日本の文法に強烈な不思議を感じるという。

時制の話には思わず「!」となった。−中略−
「『本を読んでいる時、電話が鳴った』という文の『読んでいる』は過去形じゃないけれど、後ろの動詞が『鳴った』になっているので、この文全体で過去の話だと分かります。本を読んでいるのも過去なのに、動詞が過去形にならない。日本語のこういうところも驚きでした。
 イタリア語は、動詞の形がたくさんあるんです。近過去、半過去、大過去、遠過去。
−中略−さっきの『本を読んでいる時、電話が鳴った』という文だったら、『本を読む』と『電話が鳴る』は、違う過去。本を読むのは時間的に長く続いている過去で、電話が鳴るのはその中に一瞬だけ入ってきた過去、半過去と近過去のコンビネーションになるんです」(69〜70頁)

これがイタリア。
ところが日本人は現在で言ってしまう。

「動詞の形で、自分がどう思っているかも表現できるんですよ。例えば『どこかに行った』という事実をひとつ言う時だけでも、動詞の選び方によって、例えば『実は行きたくなかったんだよね』という気持ちを含ませることができます」(70頁)

 イザベラさんの『女を書けない文豪たち』の中に、日本語には汚い言葉が少ないので〈汚い言葉を真っ先に習いたい留学生は大体みんながっかりする〉というくだりがある。(71頁)

イタリア語とかロシアとかにはたくさんありますし(72頁)

ところが日本語の汚い言葉は「バカ」ぐらいしかない。
それに頻度を付けて「クソ」とか付けるが、もうイタリア語には、汚い言葉が山ほどある。
小バカ、中バカ、大バカ。
イザベラさんの感性。

 日本語は、すごく怒った時、逆に丁寧になりますよね。恋人同士が『どうなさいます?』みたいに言い合ったりする。(72頁)

そのことによって怒りを伝えている。

「日本語で話している時の自分と、イタリア語の自分は人格が違います。(79頁)

これは面白い。
「テメぇ」とか「オメぇ」と言うよりは「あなたが」となった時の方が怖いと思う水谷譲。
内田樹さんという哲学者が指摘なさっていたが、「はい、わかりました」と言うのは「わかっていない」のと「もうあなたと話したくない」と言う言葉。
「はいはい、わかりました、わかりました」
日本人は、そういう言葉遣いの中でずっと生きてきたのだろう。
でも異国の人から見ると面白くて仕方がない。

もう一人いく。
この方はメディアなんかでもご覧になった方があると思う。
コメンテーターなんかでも出ておられる。

マライ・メントライン
1983年生まれ、ドイツ北部のキール市出身。姫路服飾西高校、早稲田大学に留学。
(88頁)

ドイツ人という立場で日本を観察している。
決して意地悪ではなくてこの人の日本観は実直。
もう真面目。
この人の指摘なのだが、日本人はその言葉をみんな知っているくせに使わない。

「『いいえ』です。使わないよね?(114頁)

「YES」「NO」の「NO」。
「いいえ」と返事をする人を聞いたことがない。
確かに「はい」は言うが、「いいえ」は冗談で「いーえ!」という感じでしか使わない水谷譲。
「これはあなたのものですか?」と訊かれると日本人は「はい。違います」と言う。
そしてもっと細かいのだが「いいえ」は使わなくて、

強くノーって言いたい時は『いえいえ』を使うし(115頁)

でも「いいえ」は使わない。
「いえいえ」も小さく伝える。
「いいえ」と、はっきり言う人がいないという。
マライさんは「日本人は否定或いは拒絶を相手に伝えることに関して失礼だと思っているという、言語上の礼儀作法があるのではないか?」。

強い言葉はなかなか使えないですよね。『全部は言わないけど、察してね』っていうのが日本語の前提で(112頁)

よく「おかわりいる?」とかと言うと「いいえ」じゃなくて「大丈夫」と言う。
「大丈夫って何だろうな?」と思う水谷譲。
「いいえ」と言うと「もういらないよ」となってしまうのだろうと思う水谷譲。
「いいえ」というせっかくある否定の言葉を使わないようにしているという。
考えてみると面白い。
もう一回繰り返しておくと、こういうことは異国の人から教えてもらわない限り・・・

まだまだいく。

ラウラ・コビロウ
フィンランド出身。
−中略−高校生の時、北海道・函館に留学し、−中略−国費留学生として北海道大学大学院に入学し、−中略−日本大手企業での就職を経て(122頁)

ラウラ・コビロウさんは、筋金入りのパフェ愛好家だ。−中略−日本全国をまわって様々なパフェに「会いに」行く。1年間に500個以上のパフェを味わうこともあるという。(123頁)

一日に一個以上だと思う水谷譲。
パフェなんて、日本にはそれだけある。
「何となく日本に来てしまったんです、私」という。

日本の高校に留学した時のことを聞かせてくれた。−中略−外国人に日本語を教える資格を持っていた先生がいたことです。−中略−1対1でその先生に日本語を教わっていました。
 先生の教え方は、いわゆる聞き流し的な方法だったんですよ。
(128〜129頁)

日本語は日本の生活に慣れない限り理解できないという。

『ランチをするに行く』みたいなすごく初歩的なミス。半年ぐらいそれを繰り返していて(134頁)

 フィンランド人って、謙虚というか、自分が感じていることを表現するのがあまり得意じゃないんですよ。心の中に持ってるだけ。『愛してます』は絶対に言わないし、『好きです』も、『おいしい』『かわいい』もほとんど言わない。(139〜140頁)

そういう国もある。
ところが日本は違う。
来てびっくりした。
パフェ屋さんに行ってパフェを食べたら横の子が「美味しい!」と言った。
「甘〜い!」
そういえば言う。
フィンランドの人にとってはびっくりすることなのだと思う水谷譲。
驚いたことに会話の相手がいないのに、パフェで叫び続ける子がいる。
独り言を言っている。
だが、それを全然日本では違和感なく受け入れられる。
パフェを食べながら「美味しい!美味しい!」と言う。

日本語で気兼ねなく、思ったらいつでも『おいしい』『かわいい』が言えるのが気持ちいい。何かに感動したとか、心動かされたことを表現する時は、日本語のほうが断然言いやすいです。わくわくした! 楽しかった! みたいなことをフィンランド語で言おうとすると、ちょっとうわべの人間っぽくなっちゃうというか、真面目じゃない感じになっちゃう。(140頁)

だからそういう意味もあってパフェを食べる夢を見ると日本人になってしまって「美味しい!」と言っている。
ラウラさんは最近、新しい日本語のエリアを見つけた。
複雑な心の微妙な感情を日本人はフッと四文字熟語で言う。

「ちょっと利己的な気持ちが働いている、相手の何かを自分の都合のいいようにする、みたいなことを言える日本語ないかな? ってずっと探していて、−中略−まさに探していた言葉でした。『我田引水』です」(142頁)

でも四文字熟語というのはフィンランドの方にとっては不思議な世界だと思う水谷譲。
そういうことで彼女は最近は四文字熟語が使いたくてたまらないそうだ。
この方、ラウラさんは日本語を聞く、それをずっと繰り返す。

その変化があらわれたのは2か月後くらいでしたね。あ、日本語話せる!と気付いたんです。(130頁)

文法を一から教えるわけではないというのはすごく新鮮に感じる。(130頁)

思い出が増えると日本語は定着してゆく。
何か体験しながら日本語を覚えるというのがいいのか。

 好きなのは、ドキドキ、ピカピカ、ツヤツヤみたいな繰り返しの言葉。−中略−
 繰り返しの言葉、オノマトペ(擬音語・擬態語)
(136頁)

それから日本には流行言葉というのがあって「やばい」「超」「めっちゃ」。
小さな感情でも言葉で表現できる。
そのせいか日本語はあまりジェスチャーが必要ではないという。
だから身振りが凄く大きい
そういう言語というのは表現が少ない
わりと西欧の方は身振りがあると思う水谷譲。
日本語は全く動かなくてもできるという。
それはオノマトペもあるのではないか?
「ドカーン!と破裂しまして」とか、そういう言葉を持っているというのが日本語の特徴ではないか?

「さっき高校時代の日本語の先生の話をしましたけど、先生、こう言ったんですよ。『ラウラ、〈やばい〉〈超〉〈めっちゃ〉。この3つの言葉は絶対使っちゃいけないよ。−中略−
 先生がこの3つを禁止したのは多分、カジュアルすぎるし万能だからだと思うんです。表現力が育たなくなるって、先生は思ったんじゃないかな。今はふざけて友達に『私、〈やばい〉は使っちゃいけないんだよね』って言って、その次に冗談で『めっちゃやばい』って言うとみんな笑う
(137頁)

確かに手足をむやみに振らなくても言葉でできやすというか。
そんなこんなでこの先、やってゆこうと思うのだが、日本を探そうかなというのを「(今朝の)三枚おろし」のテーマにしようかなと。
「日本語のことを外国人の人に聞く」という、それも一つの手だがこれはすぐにやるから楽しみにしていてね。
結構面白い本が見つかって、どんな本かというと、バルセロナで豆腐屋さんを開いた(日本人)男性の体験記があって

バルセロナで豆腐屋になった──定年後の「一身二生」奮闘記 (岩波新書 新赤版 2051)


ちょっと前まで朝日新聞の記者だった。
ニュースステーションなんかにもコメンテーターで出たことがある。
この人が何を思ったか
定年になったらバルセロナで豆腐屋をやるのが夢だった。
何でバルセロナ?何で豆腐と思う水谷譲。
そこにまず謎があるのだが。
彼の本を読んでいる時に謎の人物が出てきた。
この女性が面白くて。
品川駅がすぐ近く。
貧血で倒れた。
誰一人彼女を助けてくれなかった。
日本人の人だが、もう日本がいっぺんに嫌いになった。
それで「こんな国に住んでいること自体がバカだ」と言ってスペイン・バルセロナに行ってしまう。
まあそういう人がいてもいい。
ところがバルセロナにアジア市場という、アジアのものだったら何でも売っているというスーパーマーケットがあって、そこに大福が売っていた。
日本が大嫌いのその日本人の女の人が大福を喰った。
不味くて。
「こんなものを日本の大福だと思われたら国辱もんだ」というのでバルセロナで大福屋を始めたという。
この話は面白い。
「ジャパンファースト」或いは「ジャパニーズファースト」と言ってもいいが、それは相当難しいこと。
何をもって「ジャパン」と言うか、どこから「ジャパニーズ」と言うか。
これをちょっと今、真剣に。
この間、一例で見つけた。
これは「ジャパンファースト」「ジャパニーズファースト」。
卵かけご飯を間違いなく作れる人。
あれは凄い技術。
技術なんかいるか?と思う水谷譲。
それが「ジャパンファースト」ではない。
ただ割って醤油をかければいいだけだと思う水谷譲。
醤油を使うのは一回だけ。
あの卵一個とご飯の比率。
卵にかける醤油も上手な人は一回だけ。
下手くそなヤツがチビチビチビチビかけながら何回も(醤油を)使う。
そうやって考えると「ジャパン」は結構難しい。
それが「アメリカンファースト」とは違うところ。
お椀にカーン!と割って醤油を適量バーッと、カッカッカッカッと掻き回してスルッと。
ベトベトでもないサラサラでもない「卵かけ」ご飯という、あの見事な比率。
「TKG」だと思う水谷譲。

2025年10月03日

2025年9月8〜19日◆なぜ働いていると本が読めなくなるのか(後編)

これの続きです。

かつて「ジャパン・アズ・ナンバーワン」という「日本こそ一番である」と言われた時代があった。
日本というのは司馬遼太郎曰くだが、各藩が自分のところ、例えば薩摩なら薩摩、長州なら長州で派を競い合った。
その勢いが戦後は各企業に乗り移って各企業の企業精神で日本全体が。
つまり企業が頑張れば日本が膨らんだという。
国家と各企業の足踏みが一緒だった時代が。
特に70年代から日本というのは「一億総中流」と言われるぐらい豊かになっていったワケだが。
当然そういう日本に関して疑問を投げかけるというアンチテーゼが始まる。

『ノストラダムスの大予言』−中略−が1973年に刊行され、あるいは同年刊行の『日本沈没』(小松左京、光文社)といった社会不安を煽るような作品がベストセラーとなる。あるいは認知症を主題にした小説『恍惚の人』(有吉佐和子、新潮社、1972年)も大ヒットする。(137頁)

これは司馬遼ファンにとっては重大だが、この期に司馬遼太郎さんは「坂の上の雲」という小説を書かれて。

合本 坂の上の雲【文春e-Books】


これも長大な小説。
近代国家の中で個人が頑張る。
個人が「滅私奉公」「自分を削ってでも国に奉公するとその分だけ国が豊かになった」という個人と国家というものの、ある意味では幸せな関係があった。
それが日清・日露の戦いであって、日本は奇跡のような数十年間を過ごした。
それは考えてみたら凄いこと。
世界の大国に二連勝した。
一つは中国という国に勝ってしまったワケで。
その次はロシアという国に勝ってしまったワケで。
これはやはり凄い歴史だったろうと思うが、調子に乗って、その連戦連勝に酔って三百万人以上の死者を出すという日本史最大の敗北を経験する大東亜・太平洋戦争に及んだワケで。
司馬遼太郎というのはその糸口となった日清・日露の戦いを描きながら、読者に愛国などという陶酔に誘わないように十分に注意しながら。
「坂の上の雲」に何が秘められているか?
坂の上に雲がある。
明治の若者達はその雲を目指して歩いていった。
登り着いたらそこから先、断崖絶壁であったという。
彼が言いたかったのは、そういう意味。
そこから三百万人もの死者を出す、全く勝てる見込みのない大国・アメリカに向かって戦争を仕掛けてしまったという。
そのあたりのクールさがこの「坂の上の雲」にはある。
司馬遼太郎さんは振り返ってみたら、「ウエスト・サイド・ストーリー」とよく似ている。

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個人の人物を扱うのだが、町の物語。
グループ同士が対決したりするみたいなことかと思う水谷譲。
「竜馬がゆく」を描いた時は土佐の町の若者達のタウンズストーリー。
西南戦争を描いた「翔ぶが如く」は薩摩の小さな町の若者達の物語。

翔ぶが如く(一) (文春文庫)


「世に棲む日日」は長州に住んでいた若者達のタウンストリート。

合本 世に棲む日日(一)〜(四)【文春e-Books】


そういうこと。
つまり個人ではなく集団が藩を信じた、或いは国家を信じたという。
藩と個人と、そういう大きい組織の幸せな蜜月の時代という。
でもそれも終わりがくるんじゃないだろうか?という「ジャパン・アズ・ナンバーワン」。
日本はNo.1になったが、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」の坂道を登りきったところからみんなの物語が消えていった。
では何の物語が始まったんだ?
80年代の始まりになるのだが、皆さんがそれぞれに「私の物語」を綴り始めた。

『サラダ記念日』は1987年−中略−に刊行され、そして瞬く間に大ベストセラーになった。(143頁)

 「嫁さんになれよ」だなんてカンチューハイ二本で言ってしまっていいの
                       (俵万智『サラダ記念日』)
(142頁)

「この味がいいね」と君が言ったから七月六日はサラダ記念日(「サラダ記念日」)

サラダ記念日 (河出文庫 227A BUNGEI Collection)


全く個人の、実に個人的な女性の体験が平安時代からの文芸である短歌というものに結集して女性の感性が表現された。
この俵万智のベストセラーは80年代の結晶であった。

黒柳徹子の私小説『窓ぎわのトットちゃん』−中略−は500万部を突破し、村上春樹の小説『ノルウェイの森』−中略−は上下巻合計350万部、−中略−吉本ばななの小説『TUGUMI』−中略−は140万部を突破した。(144頁)

 一方で、長時間労働をしているサラリーマンもまた、右肩上がりで増えていた。(145頁)

女性という新しい顧客を迎えて出版界は大いに賑わったという。
時代背景と売れた本の関係性が面白いと思う水谷譲。
個人の時代が始まってベストセラーも「窓ぎわのトットちゃん「ノルウェイの森」「TUGUMI」「サラダ記念日」等々の書籍が売れてゆくワケだが、この出版ブームは急激に女性の消費行動になだれ込みがあって景気が良くなるのだが、この頃男の子、男性はどうしていたのかというと雑誌に夢中だった。

1980年−中略−に創刊された雑誌「BIG tomorrow」(青春出版社)は、男性向け雑誌のなかで圧倒的な人気を博していた。(147頁)

「BIG tomorrow」は、「職場の処世術」と「女性にモテる術」の2つの軸を中心にハウツーを伝える、若いサラリーマン向け雑誌である。(147頁)

 同じビジネス雑誌ジャンルでも当時の「will」や「プレジデント」はエリート層サラリーマン向け雑誌だった(147頁)

これは何を問題にしたかというと「コミュニケーション力」をどうやってつけるかということで、70年代から一転して80年代は国家や集団を離れて

「僕」「私」の物語を貫き通す。(151頁)

 それは労働市場において、学歴ではなくコミュニケーション能力が最も重視されるようになった流れと、一致していたのだ。(151頁)

武田先生はその頃は30代だったが。
そして次に90年代。
本はまた日本人の関心を別の世代へといざなっていく。
時は平成に移る。

 平成を代表する作家を挙げろと言われたら、私は彼女の名前を出すだろう。さくらももこ。──言わずと知れた国民的アニメ、漫画『ちびまる子ちゃん』の作者だ。(163頁)

この人はある意味では新しい時代の新しい書き手だったという。
妊娠を直感した、その体感をさくらももこさんはエッセーにこう書いたそうだ。

 私は尿のしみ込んだテスターを握ったまま、十分余り便器から立ち上がることができなかった。−中略−
 この腹の中に、何かがいるのである。大便以外の何かがいる。便座に座り込んでこうしている間も、それは細胞分裂をしているのだ。私のショックとは無関係に、どんどん私の体内の養分を吸収しているのだ。
      (さくらももこ『そういうふうにできている』)
(163〜164頁)

そういうふうにできている (新潮文庫)


それは女性エッセイストの歴史で見ても、真似できる人がほかにいない。(165頁)

実に率直でマンガ、アニメ、主題歌も含めてベストセラーにした方。

 出産という非日常体験の記述ではあるのだが、「宇宙」という言葉がさらっと出てくるところに、いささか驚いてしまう。(166頁)

遠い宇宙の彼方から「オギャーオギャー」という声が響いてきた。私は静かに自分の仲間が宇宙を超えて地球にやってきた事を感じていた。生命は宇宙から来るのだとエネルギー全体で感じていた。
                         (同前)
(165頁)

さくらももこのこの文章を今読むと、−中略−どこかスピリチュアルな感性が当然のように挟まってくるところだ。(165頁)

このような傾向は、さくらももこだけに限ったことではない。

 たとえば『パラサイト・イヴ』(瀬名英明、−中略−自分の身体や遺伝子が何か変なことを起こすのではないか?という自分の内面への懐疑が主題となっている。さらに『ソフィーの世界─哲学者からの不思議な手紙』−中略−も、同年刊行のベストセラー。内容は哲学史の入門なのだが(166頁)

パラサイト・イヴ(新潮文庫)


新装版 ソフィーの世界 上 ―哲学者からの不思議な手紙


これはやはり遺伝子の中に刻み込まれた他者や自分の深い内面の中にある異質な世界、そういう異質な世界を探索するという時代がこの平成ではなかったのだろうか。

「本当の自分とは何か?」とか−中略−「私とは何か?」という問いには魅力があって、人々は外界とはまた別の価値を内面に探し求めた。−中略−
 なにより臨床心理士は大人気だった。
(162頁)

確かにスピリチュアル系は多かったと思う水谷譲。

 1995年、サンマーク出版から『脳内革命』−中略−が刊行される。(168頁)

あれでサンマークが有名になったと思う水谷譲。

自己啓発書である。同書は、一番すごいときは「3、4か月ごとに100万部ずつ重版」という状態だった(168頁)

1970年代のサラリーマンに読まれた司馬遼太郎の小説を紹介した。それらと90年代の自己啓発書と最も異なるのは、−中略−読んだ後、読者が何をすべきなのか、取るべき〈行動〉を明示する。(170頁)

この90年代にスタートしたのがこの番組(「今朝の三枚おろし」)。
「行動を変えよう。あなたが変わるから」というのが時代のテーマの時に、この短い番組の中で武田先生がその手のことを語るという。
武田先生は(番組開始当初)40歳で。
あの頃は頻尿ではなかった。

1989年1月8日から平成が始まった。
そして2019年4月で平成が終わるワケで。
この平成で何が変わったか?

バブル崩壊後、日本は長い不景気に突入するのだ。(172頁)

明治から思えば国家というものの繁栄が個人を豊かにした。
滅私奉公、自ら学び、名を挙げ錦を飾る。
日本国民全体の学び、それが世界での平均点を上げた。
そのことで社会的な階級を駆け上がることができた。
国ではなく個人は企業の為に学び、書籍を企業の理想である学びの為に必要とした。
ここから高度経済成長が始まった。
一億総中流へなった。
そして異様なバブル経済。
その崩壊。

 仕事を頑張れば、日本が成長し、社会が変わる──高度経済成長、あるいは司馬遼太郎が描き出した日本の夢とは、このようなモデルだった。(173頁)

90年代以降、−中略−
 経済は自分たちの手で変えられるものではなく、紙の手によって大きな流れが生まれるものだ。
(174頁)

ドラマがトレンディーなら世界はグローバリズム。
個人がやすやすと個人と結ばれるという全く新しい時代に入っていった。
集団で船を漕ぐという時代が終わり、それぞれやってきた波に個人で乗ってゆくという。
そういう時代の始まり。
これはもうまさしく今。
集団でもう船を漕がなくなった。
武田先生は、ここで考えた。
この「(今朝の)三枚おろし」はとにかく個人の教養・修養そういうものを紹介しているような気がする。
僅かでもお客さんの中で「なるほど」と思ってくれる出来事とかそんな話題が武田先生は個人的に好きだ。
多分武田先生はあの70年代の学生運動のノンポリの立場にいまだにいるんだろうと。
今、批判をする友人もいるのだが、朝の番組に出ているのだが、非常に芸能人の方がポリティカルが好きで、政治のことを語る。
吉本のお笑いの人が政治を語っているのだから。
これはやはりポリティカルというのは一種時代のキーワードだと思う。
本当に申し訳ない。
個人的に70年代は武田先生の青春のあった頃だが、学生運動をやっているヤツと肌が合わなくて。
武田先生の居場所は何かといったら、フォークソングというジャンルというか本当にすみっこ。
同時代の自分達の仲間達が政治を語ったりなんかするのが好きではなくて、武田先生は歌を語っていた。
「関西フォークいいね」とか「(ザ・)フォーク・クルセダーズいいね」とか「吉田拓郎は凄いぜ」とか。
随分バカにされたもの。
ヘルメットをかぶった人から「(「海援隊」という)グループ名が気にいら無ぇ」と言われたことがある。
「君たち右翼っぽいね」と言われて。
武田先生の顔つきからして奇怪な顔をしているから。
そういうフォーク系の人間、政治から離れた片隅のジャンルに生きた人間。
1994年に「三枚おろし」がスタートする。
武田先生は武田先生の傾向を持っている。
この番組を包んでいるのは政治。
いわゆる情報番組。
武田先生は情報はダメ。
扱いきれない。
国家と政治の時代から内面の時代へ。
しかし90年代から経済と行動の時代を迎えて、全て自分へと特化していく。
平成の時代の90年代。

仕組みを知って、行動し、コントロールできるものをコントロールしていくしかない。
「そういうふうにできている」ものを変えることはできない。だからこそ、波の乗り方──つまり〈行動〉を変えるしかない。
(175頁)

これが新しくやってきた時代のトレンドなワケで。
その中でヒットした読み物、ベストセラーは何か?

『電車男』(195頁)

電車男 スタンダード・エディション [DVD]


もうこれはズバリ。
「やりたいこと」「自分らしさ」、そして「情報の波を自分で捉えて乗ること」。
それが時代の中で一番大事なことという。
「電車男」「世界の中心で愛をさけぶ」そして「冬のソナタ」。
「やりたいこと」「自分らしさ」「あの人の情報」この三つを結びつけることが自己実現のゲームであったという。
そして本は読まなくても情報を読むことが重大になってくる。

読書はできなくても、インターネットの情報を摂取することはできる、という人は多いだろう。(200頁)

これはまさしく今。
インターネットの上で出会うという。

 インターネットの本質は「リンク、シェア、フラット」にある、と語ったのはコピーライターの糸井重里だった(196頁)

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リンクは繋がること、シェアは分かち合うこと、フラットは貸し借り無し。

「フラット」というのはつまり、「それぞれが無名性で情報をやりとりすること」と糸井は説明する。(166〜167頁)

「名無し」でいこう、と。
ハンドルネームで。
流れがちゃんとできていると思う水谷譲。
2000年代に入ってくると、また身につまされる話題が出てくる。

 2000年代、自己啓発書は1990年代にも増して売り上げを伸ばしていた。−中略−ベストセラー一覧には『生きかた上手』(日野原重明−中略−、『人は見た目が9割』(竹内一郎−中略−、『夢をかなえるゾウ』(水野敬也−中略−など多数の自己啓発書が入っている。(202頁)

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人は見た目が9割(新潮新書)


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自分の為だけの情報。
「これはあなたの為に役に立ちますよ」という情報。
勝者たるべき自分を目指す「情報」としての読書。
本を読むのではない。
情報を取りにいく。

過去や歴史とはノイズである。(204頁)

 しかし情報は、「今」ここに差し出されるものだ。たとえばインターネットで共有されるマネー情報は、刻一刻と変わっていく。最先端の情報を知っている人が「情報強者」とされ(204頁)

僅かに遅れた情報は、言葉はきついが「一種、ゴミなのである」と。
情報が量産される時代、人々は情報を読む。
著者はここで実に面白いことを述べている。

読書で得られる知識と、インターネットで得られる「情報」と「読書」の最も大きな差異は、−中略−知識のノイズ性である。−中略−情報にはノイズがない。(205頁)

この表現は驚いた。
昔のドラマを見ていると窓を開けると街の雑踏が流れ込んできた。
最近は入れない。
最近、水谷譲の好きなドラマは「VIVANT」
街のノイズ等々、ノイズが入っていない。
注意して見てください。
昔はノイズだらけだった。
ノイズというのは季節感だった。
山田洋二の「男はつらいよ」を見ると、もの凄くノイジー。

男はつらいよ 全50作DVDボックス


ご飯をとら屋で食べていると、ゴーンとお寺の鐘が鳴って「ああ、今日も日が暮れたねぇ」なんて。
寅さんが土手の道を歩くと、周りで遊んでいる子供の喧騒な声とか、ボールゲームをやっている少年達の声が響いた。
一切ない。
ドラマからもノイズが消えている。
この「ノイズの除去」というのが今、もの凄く重大なテーマになっている。
知識とは何か?

読書して得る知識にはノイズ──偶然性が含まれる。(205頁)

いつか役に立つかも知れないし、ただのゴミかも知れないというものを持っておくことが「知識」。
これは三宅さんから教えてもらったような気がしたのだが、武田先生はノイズ。
武田先生は今、情報番組に出ている。
サン!シャイン
相当、考えこんでいる。
あの番組でも左右に司会者とコメンテーターがいる。
あの人達に勝てない。
情報を持っておられる。
武田先生に情報は無い。
武田先生にあるのはノイズだけ。
武田先生はネットにもあまり触れない方なので、そういうことかと思う水谷譲。
「情報」とは何かというと「生もの」。
今、喰えるかどうか。
足が早いから間違って喰ってしまうと、お腹が痛くなってしまう。
ある意味、この番組は「ノイズでありたい」ということだと思う水谷譲。
ずっと本の流れを考えながら「『三枚おろし』って何かな?」といったら時代の中に於けるノイズ。
この「三枚おろし」が始まる前と「三枚おろし」が終わった後が情報番組になっていて、武田先生は何かというとノイズ。
武田先生はノイズで生きていこうと思って。
そう考えると、政治のことを取り上げることもあるが、取り上げ方がちょっと変わっていると思う水谷譲。
現にフジテレビの司会者の方からも「何を言い出すんだ、この爺さん」という顔をされることがある。
ノイズ。
お気づきの方も多かろうと思うが、武田先生は「生きかた上手」「人は見た目が9割」「夢をかなえるゾウ」等々、2000年代の自己啓発本はこの「三枚おろし」で全く触れていない。
これは恐らくそれらの本が情報だからだろう。
武田先生が触れるのはノイズだから。
物語で皆さんにお伝えしたいな、と。

2000年代からはじまっていた日本社会の「やりたいことを仕事にする」幻想は、2010年代にさらに広まることになる。(217頁)

「フリーランス」といった働き方がもてはやされたのだ。−中略−「ノマド」という言葉も浸透し(217頁)

個人完結型の人生の追求。
どこまでも自分の理想と自分を近づけていくか
これが生き方の大事なところになる。

池井戸潤の小説『下町ロケット』−中略−村田紗耶香『コンビニ人間』−中略−、『舟を編む』(三浦しをん−中略−『半沢直樹』−中略−、『逃げるは恥だが役に立つ』(218〜219頁)

下町ロケット (文春文庫)


コンビニ人間 (文春文庫)


舟を編む (光文社文庫)


半沢直美


逃げるは恥だが役に立つ


こういうのは自分の理想に自分を近づけるという生き方。
2010年代、労働と個人の理想のテーマが書籍にもドラマにも溢れていた。
ところがこの「三枚おろし」は本当に申し訳ない。
どの一冊も取り上げていない。
武田先生はその間、何をしていたか。
内田樹さんの行動主義や白川静さんの漢字の話をしていた。
よくぞ2010年代、この番組「三枚おろし」は潰されもせず生き抜いたものだ、と。
これは武田先生が時代の中に潜り込めたのではなくて、違う主語で語っていたからではないだろうか?
武田先生が持っているローカリズムの喋りでラジオ番組の中で小さなまな板を守ってきたような気がするんです、と。
このあたり、著者の指摘と我が身を計りながら本と武田先生の関係を辿ってみた。

 2010年代から2020年代にかけて、「オタク」あるいは「推し」という言葉が流行するようになった。
 2021年に芥川賞を受賞した、『推し、燃ゆ』(宇佐見りん
−中略−は「推し」のアイドルを愛する女性の葛藤を描き(227頁)

推し、燃ゆ (河出文庫)


これまで余暇時間に趣味として楽しむものとされてきたアイドルの応援活動に、人生の実存を預けているところにある。(228頁)

「オタク」と呼ばれる人達も同様で、他人の文脈で生きていくという。
これはたじろいだ。
「なるほど。『推し』っていうのはそういうことなのか」と。
他人の文脈に乗ってみるという。
でもこれは、武田先生はあんまり「推し」を遠くに感じなかった。
だって武田先生は自慢ではないが坂本龍馬を何十年も推している。
武田先生はビリを走っているつもりだったが、今、先頭に立った気持ち。
武田先生は申し訳ないが本当に推しだったら負けない。
水谷譲は「何やってんだ、この爺さん。薩長連合を語り始めちゃったよ」と迷惑そうな顔で聞いている。
本物の「推し」。

一番最後にこの頭のいい三宅香帆さんは上手いこと締めくくっていて「二十世紀から私達は外部と戦ってきた」。
凄い言葉。
他国との戦争に生きた。
政府への反抗もあった。
上司或いはライバルへの反発もあった。
反抗、反発、
もうボチボチ疲れてきた。
疲れない為には敵を想定しない。
「全身全霊を求める主張、主義、そういうものはだんだんと疲れ果ててくるんですよ、みなさん」と三宅さんは言っている。
この方はだからこそ全身全霊で働くなと言っている。
この人は「働いたふりをしながら本を読め」という。
三宅さん、ちょっとごめんなさいね。
このあたりのオチところ、ちょっとあなたの文章をよくかみ砕けなかったので粗い感じになったのだが。
でも武田先生はあなたが指摘してくださった中で、もの凄く嬉しかったのは「人間が生きていく中で文章の中のノイズ、これがもの凄く重大なんだ」という。
今、生ものであるところの情報に夢中で情報を握っている人が「情報強者」といって「オマエ知らないの?」という、そんなもんたいしたこっちゃ無ぇや、という。
明日はゴミになる情報じゃ無ぇか。
それよりも私達はノイズいっぱいの知識を手に入れて、それを物語にしていくことなんだ。
ここに情報と物語がある。
人間が何かを記憶する為には情報は覚えられない。
私達は物語が必要。
物語が無いと物事を覚えられない。
武田先生のしつこさは、龍馬を語ったら18の時から76まで語る。
あの南海の快男児は武田先生の胸の中で微動だにしない。
これこそ推しのパワーだ、と。
そしてこの龍馬から教えてもらったのだが「誰もオマエのことを聞きたがらないかも知れないけど、それはオマエのノイズなんだよ」という。
でもそれがこの「三枚おろし」がこれだけ続いている理由かも知れないと思う水谷譲。
今回、こんな本が流行ったというのを見ながら、ベストセラーに武田先生が全く触れていない時代がある。
そういうちょっと傾いているが偏向とは言わない。
傾いているが武田先生にとってはその傾きこそが武田先生のノイズたるゆえんで。
今、テレビで情報番組をやっているが、赤の横に座っているおじさん(カズレーザー)。
あれもノイズ。
時々メインのキャスターの方が「うるせぇなコイツ」という顔で。
ごめんなさい。

というワケで「ノイズでよければ」ということでお付き合いのほど。
これからも雑音として「三枚おろし」頑張ります。

2025年9月8〜19日◆なぜ働いていると本が読めなくなるのか(前編)

「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」

なぜ働いていると本が読めなくなるのか (集英社新書)


(著者は)三宅香帆さん。
集英社新書から出している方だが、この方は本の中で「自分は本を読むのが楽しみなんだ。ところが今の時代、一生懸命働けば働くほど読書の時間が無くなるじゃないか」という。
これは視点としては面白い。
この方は1994年生まれで、武田先生との年齢差は45歳。
だから45歳年下の人からその人の読書事情を聞くという。
なぜかというと「本を読む」というのは武田先生はもう半分日常だから。
武田先生はこの番組(「今朝の三枚おろし」)の為にだいたい週に3冊ペースで、(1か月当り約)12冊。
この中で使いものになるのが4〜5冊という。
時々「勿体ないかな」と思うのだが、その時に自分を励ます言葉が「俺は日本国民を代表して本を読んでるんだ」という。
この香帆さんが「偉いなぁ」と思った。
何を「偉い」と思ったかというと、この人は未来を想定する為に過去に遡るという思考パターンの人で。
いろんな人間が未来を思考している。
人間には三種類あって「昔を経由しながら未来を想像する人」そして「今を想いながら未来を想像する人」それから「未来に向かって想像して未来を描き出す」。
この三パターンがある。
武田先生は必ず過去に戻らないと駄目。
武田先生は昔から「まず歴史からだ」とおっしゃっていたと思う水谷譲。
そうすると未来の映像が浮かびやすいのだが、この三宅香帆さんの柄としては武田先生と同じだなと思ったのは、この方はどこまで遡ったかというと明治時代まで遡った。
それで明治時代にもベストセラーがある。
そのベストセラーを時代ごとであぶりだしながら、現代のベストセラーに辿り着くという。
現代は活字離れが進んでいる。
では明治の初め、なぜあんなに日本国民は無我夢中で本を読んだのか?という。
これは発想が面白い。
この三宅さんの視点はまた実に面白くて、江戸期との違いとは何か?
江戸時代の出版人と言えば蔦屋重三郎。
彼らと明治人との読書、本の感覚、センスの違いは一体何か?というと

句読点の使用が急速に増加したのは明治10年代後半〜20年代のことだった。(36頁)

明治時代初期に読書界に起きた革命と言えば、「黙読」が誕生したことだ。
 江戸時代、読書といえば朗読(!)だったのだ。当時、本は個人で読むものではなく、家族で朗読し合いながら楽しむものだった。実際、森鴎外が『舞姫』を書き上げたとき、家族の前で朗読したエピソードが残っているが
(35〜36頁)

あれは本人(森鴎外)の恋の物語。
それを女房と子供の前で、というから、まあそれとこれとは別ということだったのだろう。
こんなふうにして始まった「黙読」と「句読点」。
この二つで日本に「文字を読む」「読書」「本を読む」というのが習慣付いた。
明治期のベストセラー1位は何だったか?
これは面白い。
武田先生は一瞬、「学問のすゝめ」がよぎった。
これは明治期にやはり4〜50万部売れているから。

1871年(明治4年)に刊行された『西国立志編』は、『学問のすゝめ』よりもさらに売れた。(43頁)

(番組内では明治5年に刊行と言っているが、本によると上記の通り明治4年)

明治末までに100万部は売ったらしい。まだ人口5000万人だった日本いおいて、驚異の売り上げだ。(43〜44頁)

内容はというと

 ワット(James Watt)は、最も勉強労苦せる人と称すべし。その生平の行跡を観るときは、絶大のことを成し、絶高の功を収むるものは、天資(生まれつき)、大気力あり(44頁)

と、こういう。
この人はどういう人柄でどういう努力をやって、蒸気機関というワットを発明した、というのを。
だから西洋の成功例の人達の文章。
それを明治五年の若者達は無我夢中で読んだという。
成功者の秘訣を説く偉人伝でサクセスストーリー。

原題はSelf-Help=Aつまり「自助努力」。(45頁)

「自らを救う者は自らを」という。
一種人生のハウツーものだったという。
これが日本の本を読む人達に浸透した。
近代化に舵を切った日本で自己をいかに啓発していくか?
自分を成功者にのし上げていくビジネス書を読むことこそ読書であり、出版界の目指した本の理想とはこのビジネス書と修養を勧める本であるという。
ここから日本の読書が始まったという。
というワケで明治からの読書を振り返ろうと思う。

近代の日本から本の傾向というのを探ってゆこうと思う。

『西国立志編』からはじまり、−中略−欧米の自己啓発思想の輸入は、日本のベストセラーをつくり続けていた。(49頁)

かくのごとくしてビジネス書が読書傾向のスタートだった。
そこに「成功する成功する」ばっかりをささやく本から飽きた人がでてきた。
「成功だけ、何かそれだけが物語じゃ無いんじゃないの?」という。
「失敗する人の物語もあって、失敗する人は失敗したで素敵な失敗の仕方を学ぼうじゃねぇか」
そこに登場したのが夏目漱石。
夏目漱石はビジネスを離れて、修養とか教養を離れて、悩む人間としての物語を文学の中で提案した。
つまりこれが文学のスタートになる。
だから課題図書になるのかと思う水谷譲。
成功ではなく教養を目指すのでもない。
悩むことの重大さを教える文学というジャンルが立ち起こってゆくという。
ビジネスと文学、この二本は若者達がワリと必須の読み物にした。
そこからまた面白いことに、「だったら一冊ずつ勿体ないでしょ」と月刊誌で「両方載せますから読みません?」という。

「中央公論」を代表とする、「総合雑誌」と呼ばれる教養系雑誌のことである。
 大正時代初期から昭和戦前期は「総合雑誌の時代」と呼ばれた。
(77頁)

小説も載ってるわ、ビジネスは載ってるわ、政界の動きは載ってるわという。
これの第一号が「中央公論」。
そうやって考えると面白い。
それで明治から大正にこの中央公論が登場して、これが爆発的に売れた。

明治末の書店数は約3000店だったのに対し、昭和初期には1万店を超えるようになったというのだから驚きだ(57頁)

 当時の日本は、大きな行き詰まり感と社会不安に覆われていた。日露戦争によって巨額の負債を抱えた政府による増税、そして戦後恐慌による不景気が社会を襲う。−中略−日比谷焼き打ち事件や−中略−米騒動といった、都市民衆騒擾も起こった。−中略−暴動が絶えないくらい、若者のストレスは極致に達していた。(59〜60頁)

「大正の大ベストセラー」として挙げるのは、以下の3冊だ。
『出家とその弟子』
(58〜59頁)

出家とその弟子 (岩波文庫)


有名な作品。
親鸞と唯円の物語。
「人生とは何か」とか「生きるとは何か」とか「どうやれば救われるのか」とかというスピリチュアルもの。

『死線を超えて』(59頁)

死線を越えて


「社会主義という理想の考え方もあるぜ」という啓蒙書が売れて、読書人は社会主義を政治体制として憧れ始めたという。
ここに左翼文学が成立した。
これと同時に、大正期だが若者達が文学の中で花開いた。
それが芥川龍之介。
芥川龍之介というのは人間の扱いが生々しい。
「藪の中」

藪の中


貴族の女を強盗が襲って亭主の貴族の前で暴行するとか。
それでこの芥川と同時に名を馳せたのが谷崎潤一郎。

『痴人の愛』を読んだことがあるだろうか?
 谷崎潤一郎が1925年(大正14年)に刊行した小説だ。数え年で15歳の少女ナオミを自分好みの女性に育てあげようとする男性の物語である。この大正末期に世に出た小説の主人公は、実は「サラリーマン」であることをご存じだろうか。
(63頁)

痴人の愛


ネグリジェを着せて、自分がお馬さんになって柔らかい女の尻を背中に感じながら部屋を歩き回るという変態小説。
でも考えてみると人間を生々しく描くということが谷崎の性文化を否定しない。
谷崎潤一郎にそんなのがある。
女性の汚物を飲むという男性の物語とか。
もちろん人形なのだが、人形のお尻にチョコレートを詰めてそれを顔に押し当てて舐めるという。
谷崎というのは凄い。
これに目を付けたのが月刊誌で出てくる。
菊池寛。
菊池寛がこの変態小説と実際にあったスキャンダルを雑誌に載せた。
これが「文藝春秋」。
これは大正期スタート。
主筆・菊池寛という人。
菊池寛の広告にあるのだが文藝春秋社は小説家の人がよく遊びに来る出版社だった。
足繁く通ったのが芥川龍之介で。
芥川は何をしに来たかというと、スキャンダルを聞きに来た。
その「あわや殺し合いになった本妻さんとお妾さんの話」とか、そういうのが芥川は興味津々で。
何か小説のネタにしたいということかと思う水谷譲。
つまり性というものを捕まえて描かない限り、人間というのは捕まえられないんじゃないか?という、そういう思いが芥川にあって。
芥川自身も自殺前後の時に恋をなさったりして、奥様がもの凄く頑張って止められたとかと。

 1923年(大正12年)、関東大震災が日本を襲った。
 それは出版業界にも、当時広がりつつあった民衆の読書文化にも、大打撃を与えた。
(82頁)

 そんな出版界に革命を起こしたのが、「円本」だった。それは、倒産寸前だった改造社の社長がイチかバチかの賭けに出た結果だった。(83頁)

 円本を日本ではじめて売った、改造社の『現代日本文学全集』−中略−はまず全巻一括予約制をとった。つまり「予約した人しか買えない」−中略−「全巻を買うことが必須」(83頁)

1冊1円、という価格設定は、当時において破格の金額だったのだ。
 当時、書籍の単行本は2円〜2円50銭が相場だった。
(84頁)

戦前サラリーマンの給料の目安を「月給100円」だったと解説する。ビール大瓶は35銭、総合雑誌は50銭だった時代のことだ。−中略−円本全集の1冊1円は、現代でいえば1冊2000円ほどである。(89頁)

 出版社側はその安さを、初版部数の多さで補うという大博打を目論んだ。そしてそのバクチは大勝利に終わる。予約読者は23万人を超えた。−中略−改造社は当初全37巻、別冊1巻だった出版計画を変更する。結果的には全62巻、別冊1巻に及び、6年以上かかって刊行は終了した。(84頁)

これも火が点いてしまった。
事業としては大成功。
しかし、買ったところで全巻読んでいる人はいないのではないか?
面白いのもあれば面白く無いのも入っているだろうと思う水谷譲。
読んだことあるヤツと読んだことないヤツが。
これは62巻も揃えられて。
売れた原因は何か?
インテリア。
「そこに置いておくだけで」という。
昔でいったら百科事典みたいなことだと思う水谷譲。
恐らくインテリアとして書斎にバーっと60何巻全集を持っていて、「君、トルストイ読んだ?」とかと何かそういう話のネタに使うインテリア全集物。
これを通称「積読(つんどく)」という
「そこに積んどく」という。
これら文学全集に対して大衆小説「も負けてなるか」と「そっちに行かせるもんか」というのでそこに登場したのが

吉川英治、山本有三といった戦前からのベストセラー作家が次々と小説を刊行し、そして作品は売れていた。(101頁)

『風と共に去りぬ』、エーブ・キュリーの『キュリー夫人伝』などの翻訳書のベストセラーが出た。(101頁)

風と共に去りぬ(第1巻〜第5巻) 合本版


だから「風と共に去りぬ」は日本人も知っている物語だった。
これは小林桂樹さんというベテランの俳優さんから聞いたのだが、アメリカでもめっちゃ評判を呼んだ。
それでハリウッドが映画化に走った。
驚くなかれ太平洋戦争中。
日本軍が97式戦闘機か何かで「トラトラトラ」とかと言いながら真珠湾に攻め込んでいる時にハリウッドでは「よ〜い!ハイ!」とかと言いながら映画を作っていたという。
それで小林桂樹さんは兵隊さんとしてシンガポールに回されて、押収物(として)いわゆる米・英軍が残していった映画のフィルムがあったので、それを見たのが「風と共に去りぬ」だった。
これは絶対負ける。
小林桂樹さんは「風と共に去りぬ」と、ディズニーの「ジャングルブック」を見たそうだ。

ジャングルブック(吹替版)


一番最初の「ジャングルブック」。
あの模型か何か巨大な蛇が池を渡ってくるなんて。
その蛇が作りものに見えないぐらい精巧な
実写版「ジャングルブック」。
今見たいと思う水谷譲。
子供の時に見たことがある武田先生。
息をのむ。
太平洋で戦争をしていても、そんなのを作る力がアメリカ本土にはある。
そして昭和15年あたりから戦時色が強くなって、出版界は完全に軍部の前に膝まづくということになっていったという。

本当のことを言うと、読書の流れを戦後から始めたかった。
昭和戦後がスタートするのだが、滅茶苦茶人々は活字に飢えていて。
ところがだんだん時代が進んでくると読書以外にも娯楽が花を付ける。

サラリーマンや労働者たちが、今はパチンコや競輪に向かっている」と書かれている。−中略−すでに人気になっていた競馬に続く競輪は案の定人気になり(103頁)

 時代はラジオでNHK紅白歌合戦がはじまり、手塚治虫が漫画を描き、テレビ放送がはじまろうとするタイミング。そう、本格的に「余暇」を埋めるエンタメが、「本」以外に増えようとしている時代だった。(108頁)

本の方は読者層であるサラリーマンに照準を合わせる。
だから物語も短く読みやすく、わかりやすい。
サラリーマンものでは源氏鶏太がいた。
それから読み切り連載ものでだいたい通勤時間の往復で読めるもの、これが出版界を引っ張る内容になるワケで。
また高度経済成長が始まると同時に人々の労働時間がどんどん伸びてゆく。
求められたのはビジネスに活かせるハウツー本ということで、その頃ヒットしたのが

『記憶術─心理学が発見した20のルール』(117頁)

『英語に強くなる本』(116頁)

『頭のよくなる本─大脳生理学的管理法』−中略−『日本の会社─伸びる企業をズバリと予言する』−中略−はどれもカッパ・ブックスから刊行されたものだ。(117頁)

1960年代から、圧倒的なサラリーマンたちの支持を受けると同時に、今まで都市部に集中していたサラリーマンの読者層から、今度はローカルの労働者層へも広がっていったという。
働く人の為の教養としての本だった。
ご本人はそんなことをお考えになっていないと思うが、60年代の半ばからのビートルズとズバリ重なっている日本の作家さんが司馬遼太郎。
不思議なもの。
後に彼は国民作家と呼ばれる。
圧倒的支持を受けるという。

 司馬作品にしばしば見られる「乱世に活躍する人物」というヒーロー像への陶酔は存在しなかったのだろうか。(123頁)

それもモロ武田先生が影響されたと思う水谷譲。
ちょっと三宅さんほどクールにはなれない。
武田先生はこの人の代表作品でいう「竜馬がゆく」というのを18(歳)の時に読んだ。
武田先生は本なんか読んだことがない。
柔道部のあんちゃんで脚が短くて何か汚い青年だったのだが。
駅前の本屋さんにあった「竜馬がゆく」の一巻目〈立志篇〉を本当に無我夢中で読んだ。
この「無我夢中で読む」というのが水谷譲にはわからないだろう。
そこまで、はまったものは水谷譲には無い。
何で武田先生は竜馬を読もうと思ったのかと思う水谷譲。
司馬遼太郎の書いた文章というのは「読む」のではない。
もう読み始めて、あるルーティンができると場面が見えてくる。
だから「読む」のではなく「見て」いる。
例えば「竜馬がゆく〈怒涛篇〉」「秘密同盟の書」。

竜馬がゆく〈4 怒涛篇〉


「ば、ばかなっ」
 竜馬は、すさまじい声でいった。
「まだその藩なるものの迷蒙が醒めぬか。薩州がどうした。長州がなんじゃ。要は日本ではないか。小五郎」
 と、竜馬はよびすてにした。
−中略−
「坂本君、きみの提唱する薩長連合が成らざれば、おそらく長州はほろぶであろう」
−中略−
 竜馬はだまっている。
「ほろんでもかまわぬ」
−中略− 
 と、桂は、激昂をおさえつ、小さく叫ぶようにいう。
−中略−
「薩州は皇家のおそばにあって尽している。長州は文久以来、孤軍、藩の存亡を賭けてつくしてきた。もはや、藩の命脈はいくばくもない。しかし薩州が生き残って奮闘してくれる以上、天下のためには幸いである。われわれはいま交渉をうちきって郷国に帰り、幕府の大軍をむかえ討つことになるが、ほろぶとも悔いはない」
−中略−
 この土佐人は、佩刀をとって立ちあがった。

「どこへゆく」
 と桂の声が追っかけてきた。
 竜馬はもう廊下へとびだしていたが、「知れたことだ」と捨てぜりふのようにいった。薩州の二本松屋敷へゆく。
(「竜馬がゆく 怒涛篇」257〜259頁)

(ページは新装版ではない古い方の文藝春秋社刊のもの)
盛り上がっているところを申し訳ないが、そこまで映像化したのは武田先生ぐらいではないかと思う水谷譲。
武田先生は読んだのを覚えている。
18の時にここを一番最初に辿った時の感動を覚えている。
この本の熱というのが70(歳)の半ばを過ぎても・・・
二時間ぐらい喋りたい。

なぜ今まで本を読んだことがなかった鉄矢少年が「竜馬がゆく」を手に取ったのか?という水谷譲からの質問。
柔道部の大きい大会が終わってしまって、今から受験勉強をしても、来年の春までに間に合いそうにない。
今年一浪させてもらうということで、珍しく時間潰しに「本でも読もうかなぁ」という。
その時に本屋さんの棚を見たら「竜馬がゆく」とあった。
例えば時代小説だとフルネームで出てくる。
「宮本武蔵」とか「西郷隆盛伝」とか。
でも「竜馬がゆく」と、こんなタイトルは初めてだった。
未だに覚えているが「こんなの五冊もあんのかよ」とか思いながら、その一巻目の〈立志篇〉を読み始めたら第一章に出てきたのが19歳の坂本龍馬。
その19歳の坂本龍馬は土佐の田舎者で学問も全然ダメで少し体力に自信があるような若者。
茫洋としていて何かこう、胸の中に熱いものはあるのだが、形にならないという19歳。
その時に武田先生は18歳だった。
それを読むうちに五人兄弟の末っ子で子供の時から「ちょっとバカじゃない?この子は」みたいな扱いを受けていたという。
「俺じゃん」とかと思った。
武田先生は五人兄弟の末っ子。
兄ちゃんがいて姉ちゃんが三人。
竜馬も兄ちゃんがいて姉ちゃんが三人。
「俺んちとおんなじじゃん」とかと思った。
でもその文章を読み始めたら端々に何年後かの竜馬のことを伝える文章がある。
「この若者はこの後」「日本を大きく変える英雄に育っていくがこの頃はまだ」とかという表現があって「えっ?コイツが英雄になるの」と伝っていくうちにどんどんなっていく。
もうそれが胸かきむしられるぐらい。
それで自分にも自分を変えていく何かが起きるかも知れない。
司馬さんの上手さは、こういう文章。
これは「新史 太閤記」という信長の家来だった木下藤吉郎、秀吉と参謀になる黒田官兵衛が初めて会った時にこんな会話をする。
黒田官兵衛は頭がよくてクールな人。
(恐らく黒田官兵衛ではなく竹中半兵衛)
ボソッと藤吉郎にこう言う。

「私は上総介殿をきらっている。足下は上総介殿が士を愛するといわれるが、あの態度は愛するというより士を使っているだけのことだ」
「これはしたり、貴殿ほどのお人のお言葉とも思えませぬ。愛するとは使われることではござらぬか」
−中略−
 半兵衛は、あざやかな衝撃をうけた。なるほどそうであろう。士が愛されるということは、寵童のような情愛を受けたり、嬖臣のように酒色の座に同席させられるということではあるまい。自分の能力や誠実を認められることであろう。理解されて酷使されるところに士のよろこびがあるように思われる。
(「新史 太閤記(上)」228頁)

ゾクっとする武田先生とゾクっとしない水谷譲。
「竜馬がゆく」は累計で売れた冊数、2500万部。
司馬遼太郎というのはそれほど日本人を夢中にさせたというワケ。
司馬さんの話が長くなったがこの熱。
「本を読むということで人生が変わる」というのが本の中にあるんだ、という。
そしてこれはご本人もおっしゃっていた

司馬遼太郎の作品もまた、文庫本になってさらに広く受容された。(130頁)

1970年には通勤時間が1時間以下が76%だったのが、1975年には55%となっている。(130頁)

(番組では司馬遼太郎による統計という話になっているが本によると国土交通省作成「大都市交通センサス」)

この70年代の半ばに凄い本が世界で評判になった。
「ジャパン・アズ・ナンバーワン」

新版 ジャパンアズナンバーワン


「世界で一番は日本じゃ無ぇ」かという。
経済に於いて日本は米国を抜くんじゃないかと言われた。
その日本はまるで各企業が戦国大名のように国内で戦っている。
それで足腰を強くして海外に出ていくものだから他の国は勝てない。
この頃のことをよく覚えている。
ハワイのワイキキビーチのビルが見える。
あれの90%が日本企業のものだったという。
ワイキキビーチ。
日本は凄いと思う水谷譲。
「ジャパン・アズ・ナンバーワン」
ここに日本人の強烈な信仰が生まれた。
それはみんなで頑張る。
敗戦からわずか30年でみんなが贅沢できるという日本をつくったということ。
その裏にあったのが歴史から学ぼうという司馬遼太郎だったのではないだろうか?
近代の呼び方では「国家」とか「企業」とか呼ぶが、日本の場合は「徳川」とか「長州」とか「薩摩」とか、そういう藩単位のルールを持った企業が日本をこれだけ強靭な国にしたという。
ところがこれにまた出版界にアンチが生まれてくる。
そのアンチがまた別の出版ブームを起こすワケだが、その続きはまた来週ということで。



2025年09月07日

2025年6月23日〜7月4日◆アーティスト伝説I(後編)

これの続きです。

「アーティスト伝説」
新田和長さんがお書きになった一冊。
この中にたくさんのミュージシャンたちが並んでいる。
今回ちょっと新田さんを離れる。
新田青年を離れて60年代後半に入ってゆく日本の音楽界から語ろうかなと思う。
(水谷譲が生まれたのは1967年なので)60年代は水谷譲は生まれている。
そんな時に何が起こっていたかをまず話す。
戦後歌謡。
もう本当に日本人を、日本の歌謡界は励ましつつ復興に導くワケだが、その間にも政治闘争として安保闘争「アメリカの子分のままでいいのか」等々の激しい若者からの突き上げがあって60年が過ぎた。
次にやってくるのが70年。
歌謡曲の世界が揺れ始める。
これがちょうど新田青年が東芝に入って活躍する頃から。
その間に音楽界では何が起こっていたかというと、戦前・戦中の人達が作る歌謡と戦後世代が作る歌謡が分かれ始めた。
フォークソングが芽生える。
そのトップバッターとなったのが「フォークル」「(ザ・)フォーク・クルセダーズ」というグループなのだが、彼らが歌を作り始めると、それまでレコード会社に所属していた作詞家の人達、その戦線に文学界から寺山修司、五木寛之というような作家さん達が歌詞を提供するようになった。
その中でも特に影響が大きかったのがこの人の詞ではないかと思う。
寺山修司「戦争は知らない」。
(ここで本放送では「戦争は知らない」が流れる)

戦争は知らない


この巧みさ。

野に咲く花の 名前は知らない(ザ・フォーク・クルセダーズ「戦争は知らない」)

「花の名前を知らない」というところを問題提起している。
そんな名前も知らない花が好きだ。
「知らない」ということが大事で。
2コーラス目で

戦争の日を 何も知らない
だけど私に 父はいない
父を想えば あゝ荒野に
赤い夕陽が 夕陽が沈む
(ザ・フォーク・クルセダーズ「戦争は知らない」)

巧み。
あの戦争からもう二十年経っている。
1970年が間もなくやってくるから。
その私は戦争は知らないんだ。
だから「戦争を知らない人間としての価値を作ってゆこう」というのが彼らの歌になった。
寺山修司の用意周到なところは、これは世界的な歌とぴったり歩調を合わせている。
「花はどこへいった」

Where have all the flowers gone?(「花はどこへ行った」)

ピート・シーガーが作った歌なのだが、「花」というのがキーワードになってそれが戦いと結びついて歌を作っていくという戦中・戦前派が思いつかない歌の展開をこの60年代の若者達は。
しかもこの「花はどこへいった」を調べるとびっくりするのだが、ウクライナ民謡。
だからこの歌声は今もなお、どこかで響いている歌声。

一生懸命武田先生が言っているが、やはり「戦争は知らない」あたりぐらいから日本の歌謡界の気配、音楽の気配が変わった。
こんなことを思うのは武田先生だけか。
これはかなり武田節が入っている。
少なくとも寺山修司さんの「戦争は知らない」あたりには戦後世代の主張がある。
美空ひばりは戦争による消失を歌う。

せめて あたいが 男なら(美空ひばり「波止場だよ、お父つぁん」)

波止場だよ、お父つぁん


「波止場だよ、お父つぁん」

久しぶりに 手を引いて(島倉千代子「東京だョおっ母さん」)

東京だョおっ母さん


島倉千代子が歌う「東京だョおっ母さん」。
これはいずれにしても大戦があったという体験。
三波春夫。
彼は何を歌ったか。
敗戦を得ても変わらぬ日本人の共同幻想を歌うという。
これが三波先生。

槍は錆びても 此の名は錆びぬ(三波春夫「俵星玄蕃」)

長編歌謡浪曲 元禄名槍譜 俵星玄蕃


という「俵星玄蕃」の中に潜んでいるのは日本人が抱き続けたある種、共感の世界を歌うという。
ところが70年代の後半からの青春は「戦争は知らない」と断言したという。
そして「戦争は知らない」というこの一行から北山修は杉田二郎と一緒に「戦争を知らない子供たち」というヒット曲を作る。
このあたりから歌謡界のフレーズが変わってくる。
歌の歌詞が変わって来る。
これは「戦争は知らない」の中にある。
60年代中盤から「風」がキーワードになってくる。
多分ボブ・ディランの「風に吹かれて」なんかがそう。

風に吹かれて


それから「荒野」。

父を想えば あゝ荒野に
赤い夕陽が 夕陽が沈む
(ザ・フォーク・クルセダーズ「戦争は知らない」)

というような。
五木寛之がこれでフォークルの為に「青年は荒野をめざす」という。

青年は荒野をめざす


そして「野に咲く花」、それから「旅立ち」。
こういうことが歌の材料になっていって、「旅立ち」なんていうのは60年代に上がっていって70年代を突っ切って70年代の最後まで「旅立ち」というフレーズは、青春に響き続ける。
谷村新司の「いい日旅立ち」。

いい日 旅立ち


ずっと「旅」。
こうやって考えると面白い。
新田青年はそういう時代の狭間に生まれて、新しいフレーズを持った若いミュージシャンを見つけていく。
どうしてもやはり取り上げなきゃいけないと思うのだが

 歌舞伎役者の市川染五郎(後の九代松本幸四郎、現在の二代目松本白鸚)さん(61頁)

これが異国の顔をしていて、彫りが深くて。
昔の染五郎。
でも我々はどうしても「染五郎」と呼んでしまう。
「ラ・マンチャの男」等々でアメリカのブロードウェーとも渡り合えるぐらいの力量を持った、この御曹司。
これはただ者ではない。
これを見つけたのもやはり高嶋さんのようだ。
「おい、新田。ついてこい。口説くぞ、歌舞伎界の大物」と言って、この市川染五郎を口説きにお父様のところに行って頭を下げたという。
(本によると新田氏は同行していないのでこの部分は武田先生の妄想。同行したのは会社の重役)
「息子さんでレコードを作りたいです」と頭を下げて。
市川染五郎、松本白鳳さん。
スケールが違った。

「野ばら咲く路」は当時の日本のフォークソングでもなく、グループサウンズでもなく、−中略−フォーク・ロック・ブームを牽引したザ・バーズ、あるいはイギリスのデイヴ・クラーク・ファイヴ、ザ・ビートルズなどを好きで聴いていた人がつくることができた音楽のような気がする。いずれにせよ市川染五郎さんは60年代から70年代にかけての、日本の自作自演時代の新しい音楽の扉を開けたひとりだ。(62頁)



聞いたことが無い気がする水谷譲。
これは水谷譲が知っているヒット曲の路線からは外れているかも知れない。
ヒットした。
もの凄いショックを受けた。
歌舞伎界の御曹司の戦前・戦中とは違う音楽センスを持った方が出てきたという。
そして染五郎さんだから、歌舞伎界の御曹司だからもう違う。
それでアルバムを作るのだが、アルバムとなるとフォト表紙になって写真の表紙になる。

 ある日、染五郎さんは僕に聞いた。
「新田さん、ジャケットの写真を撮るカメラマンですが、どなたか候補の方はいらっしゃいますか」
「いえ、誰もいません。私はまだカメラマンに知り合いがいません」
「それでは友人のカメラマンに頼んでもいいですか」
−中略−
「まだ無名ですが、優秀です。将来必ず活躍する人です」
−中略−
 撮影当日、
−中略−現れたカメラマンの名前は篠山紀信といった。(68〜69頁)

そうだろうなと思っていた水谷譲。
続々と人材がそろっていくというか、新しい人達が時代の表に出始める。
新田青年はそういうのを目撃しながら大きくなっていく。
この方、新田青年はやはりつくづく感心するが、ザ・リガニーズをやっていて、そこそこヒット曲を出した。
その後は東芝EMIのスタッフ、ディレクターとして働き始めるのだが、もの凄く忠義深い。
この新田さんという方は仕事熱心な方。

 1969年秋、タクシーに乗っていると偶然流れてきた「竹田の子守唄」という歌に、僕は身を乗り出した。(72頁)

(ここで本放送では「竹田の子守唄」が流れる)



それを聞き入った。
「いける」
一発で思った。

歌っているのは赤い鳥というアマチュア・グループらしい。(72頁)

 その歌は、ピーター・ポール&マリーが歌ってもおかしくないフォークソングにも聞こえるが、何か違う。(72頁)

国際的な有名なグループなぞに負けないぐらい美しいハーモニーを。

まるで西洋と東洋が一緒になっているような聴いたことがない響きだった。(72頁)

「京都のフォークルに続いて、いけるのは兵庫の赤い鳥ではないか?」と直感した。
しかし残念なことではあるが、彼らは(日本)コロムビアからのデビューが決まっていた。
(このあたりからの移籍の経緯は本の内容とは大幅に異なる)
それでもやはり新田青年はあきらめきれなかったのだろう。
直ぐにメンバーとの接触を始める。
メンバーに会うのだがみんなクレバーでポリシーもしっかりしている。
マネージメントのスタッフもクール&クレバー。
それで先を越されて「竹田の子守唄」」が発売になる。
これが何なのだろう。
こういうことがある。

赤い鳥のデビュー・シングルは1970年6月に日本コロムビアから発売されていたが思うように売れず苦戦していたのだ。(74頁)

ラジオで新田君が聞いた時は「売れる!」と踏んだ。
ところがそれが正式のレコードになって流れるとちょっと変わってしまった。
新田は新しくアレンジになったこの「竹田の子守唄」が全く気に入らない。
何が変わったかというと歌詞を変えてしまった。
これは京都のわらべ歌。
だから方言がそのままメロディーになっていて。

守もいやがる ぼんからさきにゃ(赤い鳥「竹田の子守唄」)

子守で他家に行って働いている少女、その子が盆から先もまだ働き続けなければならない。
そのことの悲哀。

おどまぼんぎり 盆ぎり
盆からさきゃ おらんと
(「五木の子守唄」)

「私は盆までここで働きますけど、盆から先は私はもう古里に帰りたいんです」というあの悲しみ。
それをわかりやすいラブソングに変えたらしい。
そうしたら売れない。
新田は「アンタは何をやってるんだ」と「あの歌でいいじゃ無ぇか」。

『竹田の子守唄』は元の歌詞でないと駄目だと思います。言霊なんです。音楽とのマッチング、響きです。響きがこの歌の命です」(75頁)

意味っていうのは後から追いかけていけばいいだけで。
それに新田という青年はすぐに直感した。
レコーディングしたスタイルがよくない。
新田青年は「スタジオにおけるミュージシャンの立ち位置、演奏するスタイル、そういうのがもの凄く大事だ」という、そういうことがわかっていた。
一番大事なことは、「海は恋してる」で自分達は任せて貰えなかったけど、彼達赤い鳥のようなグループにとって大事なのは自分で演奏して自分で歌うんだ、という。
そうしないとあの良さが、本当の良さが出ない。
それをメンバーに語ったらしい。
そうしたらスタッフの仕事もやっているメンバーから「君の言う通りだね。もう一回やり直そうか」と言い始めたというところから「赤い鳥」という章の物語が始まる。
それで新田君はもう一回トライして、「絶対にヒットさせてみせる」というのが彼の誓いになった。

「竹田の子守唄」をライブ感のあるレコードに仕上げてヒットさせなくてはならない。メンバー5人の歌と演奏が同時に録音できるいちばん広い東芝1スタを押さえた。
 録音当日、メンバーに馬蹄形に並んでもらった。コントロール・ルームから見て、左端からギター山本俊彦、ボーカル新居潤子、ウッドベース大川茂、ボーカル平山泰代、右端がギター後藤悦治郎だ。
(76頁)

マイクを挟んで、「せーの!」で録ろうという。

「村井の弟子の瀬尾と申します」と挨拶してスタジオに入ってきた。
 イントロに足すチェロ一本、たった5小節の短いメロディーを書いた譜面のはずなのに、デザイナーが持ち歩く画用紙を2枚広げたような大きなバインダーを抱えてこの青年はやって来た。
(77頁)

瀬尾一三。
後に大アレンジャー。
武田先生達もやってもらった。
これはまだ青年で。
凄く張り切って模造紙を広げて「これです!」とかと言いながら。
この頃、瀬尾さんは可愛かったそうだ。
このレコーディングは新田さんはディレクタールームで聞いていて、彼自身が感動する。
やはり、だから本領発揮。
新田青年の見込んだ通り
潤子さんの知的でありながらどこか艶のある歌声。
この人はいい声をしている。
そしてサポートコーラスで絡む泰代さんのベールに包むような柔らかい響き、スキャット。
まあ聞いただけでうっとりするという。
(ここで本放送では「竹田の子守唄」が流れる)

竹田の子守唄 - 赤い鳥


「これで赤い鳥の本当の魅力を出せる」ということだったのだが、問題はというと、コロムビアから出した時に「守もいやがる」というそのフレーズをやめて違う詞を当てた作詞家(山上路夫)がいる。
これは新田青年が偉いなぁと思うのは、その作詞家を呼ぶ。
それで「失礼なことしちゃってるかも知れないが、私はこのほうがいいと思うんです」とその作詞家を説得する。
納得してくれたらしい。
「やっぱそうだよね」という。
それでこの作詞家に、失礼なことをしたので、新たな仕事を頼む。

作詞かの山上路夫さんのお宅に行ってB面の歌について相談した。−中略−これから活躍する赤い鳥のテーマ・ソングをつくろうという話になった。山上さんはふとこう呟いた。
「鳥は空を飛ぶよね」
 山上さんの頭には「翼をください」の歌詞がすでに浮かんでいたのかもしれない。
(78頁)

翼をください


というワケでここからまた新田青年の60年代の活躍が始まる。

山上路夫さんは「翼をください」を書くのだが、才能というのは凄いもので、もの凄くわかりやすい、誰でも口ずさめる詞を作るのだが、山上さんも冒険してみたかった。
今まで日本の歌謡界に登場したことのないフレーズで詞が作りたい。
それはB面を製作する時には敢えて使わなかった。
アルバムの時にそのフレーズを使う。
そのフレーズが有名になってしまう。

いま富とか名誉ならば
いらないけど 翼がほしい
(赤い鳥「翼をください」)

富や名誉はいらない。翼がほしい。価値観、生き方まで端的に示している革命的な唄だ。「富」とか「名誉」という言葉が日本の歌詞に登場する時代が来るとは誰も考えなかっただろう。(79頁)

それをLP用に取っておいたというから凄い。
このあたり新田青年も用意周到。
一曲の歌なのだが違う歌詞で別バージョンを持っていたという。
これは凄いことになる。
この二曲のヒットによって、この二曲を含むアルバムは驚くなかれ15万枚の大ヒット。
アルバムは当時1万枚でヒットを飛ばしたという時代に15万枚。
それも邦楽から出したワケで。
この「赤い鳥」の人気はビートルズに並び始めた。
遂に新田君は日本の中だけだが、大きな波を立てたという。
ここからが面白い。
赤い鳥はアルバムをバンバカ売れる。
それで1970年代に入ったばかりの頃だが、営業の方から売れるから「アルバム出せ!どんどん」。
それで上司から新田君のところに来る。
「作れ、急いでアルバムを」
ところがアルバムを作るにはアルバムを作るだけの材料の歌が集まらないと、アルバムというぐらいだからできない。
そこで新田君は、こんなことを考えたのは恐らく世界で初めて。
それは、古い歌でもいいから今度のアルバムはライブでいこう。
でも赤い鳥はライブで録れるグループではなくて、音をしっかり録音しないとダメなんで、

ファンにも参加してもらう形で1スタでスタジオライブをやったらどうだろう。1日でレコーディングができる。(83頁)

 当日は、150人近いファンの人たちがスタジオに入った。(84頁)

これが間違いないと思う。
スタジオライブというのは世界で初めて。

 それから21年後の1992年、エリック・クラプトンが−中略−かつての「赤い鳥スタジオ・ライブ」と同じレコーディング方式と知って僕は嬉しくなった。(85頁)

それからビートルズが会社の屋上でやった「ゲット・バック・(セッション)」。

ザ・ビートルズ:Get Back


あれは新田君は言いにくいだろうから武田先生が代わって言ってあげるが、ビートルズとエリック・クラプトンが新田君を真似したんじゃないか?
これは世界で初めてスタジオライブをやったという。
(8月25日の放送内で謝罪と訂正。ビートルズは1969年1月30日、赤い鳥は1971年12月なのでビートルズの方が先。この時点でもうビートルズは解散していたとのこと)

 アルバムは計画通り12月に発売され、当初の販売目標を大きく超える成果を上げることができた。(85頁)

これは聞いていてびっくりした。
つまり、レコーディングは緊張する。
その上に赤い鳥はお客さんまで入れたワケだから。
レコーディングの緊張とライブの緊張と両方。

新田君はこの赤い鳥を売ったことで(世間が)彼を注目するようになって、彼がどこかに入っていくと小声で「来たよ、東芝の新田だよ。新田が見てるよ」とかというヒソヒソ話が聞こえるようになったという。
彼が注目したのは加藤和彦、北山修、かまやつひろし、加山雄三、小田和正、平原綾香。
アーティストとの交流が始まる。

余談で今週を締めくくろうと思う。
まだまだ続く。
まだまだ(この本の内容は)続くのだが、これから新田さんのことを語るにあたって、ちょっとこぼれ話。
この日本中の若きアーティスト達が「新田、コイツ新しい音楽を作ろうとしてる」と注目が集まったある日のこと。

 1971年冬、僕は赤坂のTBSから溜池の東芝レコードまで歩いて帰ってきた。入り口の前に、背の高い痩せた青年が立っていた。−中略−ロングコート姿だった。
「新田さんですよね」
 僕が頷くと、
「福岡のチューリップというバンドの、財津和夫と申します。どうしても聴いてほしい曲を持ってきました」
−中略−
「魔法の黄色い靴」が流れた。
(114〜115頁)

ここからまた新たなる新田伝説が始まるワケだが、少し時間を挟んで新田伝説、またこの続きは語りたいと思う。

今週の新田和長さんの「アーティスト伝説」はBSテレ東「武田鉄矢の昭和は輝いていた」でも取り上げている。
7月中の放送になるのでぜひそちらの方もご覧ください。
(7月18日放送のBSテレ東「武田鉄矢の昭和は輝いていた」【昭和40年代・歌謡界に新風を巻き起こした音楽】を指していると思われる)




2025年6月23日〜7月4日◆アーティスト伝説I(前編)

(後にこの続きが放送されたので、タイトルは「アーティスト伝説」から「アーティスト伝説I」へ変更する〈2026/2/13〉)
(今回のネタ本の著者である新田氏については2024年11月25〜12月6日◆人生、待っていたのはでも言及しているので、今回の話はその時の内容と重複する部分がある)

というワケで「アーティスト伝説」。
申し訳ない。
これはそのまま(本のタイトルを)使ってしまった。

アーティスト伝説:レコーディングスタジオで出会った天才たち


これは新田和長さんがお書きになった「アーティスト伝説」。
新潮社から出ている「レコーディングスタジオで出会った天才たち」というサブタイトルが付いているが。
皆さん、見てらっしゃる方もいらっしゃるだろうと思うが、今、武田先生もテレビで「(今朝の)三枚おろし」みたいなことを短い時間やっている。
テレビとラジオは違う。
テレビの場合、いかに短く伝えるか。
長くなるともたない。
だから「なるべく約めてくれ、約めてくれ」と言う。
十分ぐらいにまとめなければならない。
あれは大変だなと思う水谷譲。
我れながら「よくやってる」と思う武田先生。
もう正体をバラしてしまうと、「三枚おろし」で使ったネタを向こうでやっている。
だが、取り扱い方法が違う、組み立て方が全く違うワケで。

今朝から始まった「アーティスト伝説」。
新田さんの長き人生。
「レコーディングスタジオで出会った天才たち」ということなのだが。
新田さんというのは遠い思い出に出てくる人。
武田先生は遠い昔、この伝説の人と福岡の小さなホール(電気ホール)の舞台袖ですれ違ったことがある。
武田先生は大学の三年生。
22歳ぐらいの年齢だった。
「海援隊」というアマチュアフォークグループに夢中になっていた。
そこに彼がやってきた。
彼の肩書は東芝EMIディレクター。
(この時点での社名は「東芝音楽工業」。この後も番組内で何度も「東芝EMI」という言葉が出てくるのでここでも同様に表記していくが、その時期の実際の社名ではない箇所が多数ある)
遠い東京から遥々福岡までやってきたという。
それはもう存在だけでドキドキする。
彼はなぜわざわざそんな田舎町、50数年前の福岡にやってきたのか?
新田さんは彼の直感で「このグループはいける」と思ったグループが福岡にいたからで。
そのグループとは、もう詳しい方はすぐ名前が出てくると思うが「チューリップ」。
敢えて呼び捨てにさせていただくが、このチューリップのリーダーの財津という青年の持っている才能、これを「ただ者ではない」と見抜いたワケで、たった一曲聞いただけだが「果たしてこれがプロになるかどうか」ということで福岡にやってきたという。
それでじっと舞台袖からこの新田という青年の若さ、舞台袖で見ていた。
その時はまだチューリップは出ていなくて、チューリップの前座が出ていた。
それが海援隊。
面白い。
その新田さんが見ているとも気づかず、武田先生達は無我夢中でやっていたワケで
これは武田先生はよくは覚えていないのだが、チューリップの財津さんの方から「前座やってくんないか」という。
どうしてもその電気ホールを満員にしたい。
もちろん、アマチュアとしてのチューリップは人気があるのだが、安全パイの意味で満杯を勝ち取る為には財津さんはもう一グループ欲しかったのだろう。
それで前座として武田先生達(海援隊)が出た。
武田先生達が舞台が終わって降りてきた時に、東芝EMIの新田さんが手招きして武田先生達が呼ばれた。
それで「君たち面白いね」とおっしゃった。
新田さんは後に「違う言葉をかけた」とおっしゃるが、武田先生はその一言の印象が強くて、その一言を覚えている。
武田先生はどうしたかというと「そんな」と言いながら彼の前を足早に通り過ぎたという。
怖かった。
(海援隊は)ただのアマチュアグループ。
財津さんはもうプロを目指していたから、覚悟が全然武田先生達とは違う。
武田先生達はただ、ネエチャンに好かれたくてやっているようなフォークソングだから、最初から性根が腐っている。
それがやはり「プロの東芝EMIのディレクターさんが」というのがドキドキする。
それから長い年月が過ぎて、50年以上経って、この新田さんが自分の人生の大まとめということで「アーティスト伝説」という本をお書きになった。
その本の中に一行だけ武田先生が出てくる。

 海援隊を率いるあの武田鉄矢さんが一肌脱いでくれたらしい。観客動員のため、コンサートは海援隊とチューリップのジョイントだった。(118頁)

「後に、ここには武田鉄矢というのがいて非常にユニークな」というので出てくるワケで。
(本にはそういう文章は無い)
その「ディレクター」という言葉自体も珍しかったのだが、武田先生は「新田」という名前を聞くと胸がドキドキする。
この後、武田先生は人生の中でこの新田というディレクターさんの名前を何度も聞くことになる。
そんな凄い人なのかと思う水谷譲。
皆さんは「あっ!」と声を上げられるかも知れないが、著者・新田和長さんだが

 1968年、早稲田大学フォークソング・クラブ所属の僕たちのバンド、「ザ・リガニーズ」は東芝からレコードを出し(2頁)

あのリードボーカルが新田さん。
そうやって聞くと面白い。
この人自身もシンガーだった。
それもフォークソングのシンガーだったというところから、新田さんの長いミュージシャン達とのお付き合いが始まるワケだが、これがもう本当に見事な人々を網羅しているという新田伝説でもある。

ザ・リガニーズという学生バンドがあって、これがいよいよ東芝からレコードを出す。
学生さんを相手に東芝EMIというレコード会社がレコードを出そうという。
何でこんなことができるようになったのかというと、60年代の半ばから後半にかけて日本の音楽界に激震が走る。
その激震とは何かというと、どうしてもここから語らなければならない。

 ザ・フォーク・クルセダーズ(以下フォークル)のステージを初めて見たのは、1968年(86頁)

「帰ってきたヨッパライ」は何ひとつレコード会社の手を借りず、数人の学生だけでつくり上げてしまったのだ。後に僕は、京都駅からそう遠くない−中略−
 この家庭用のテープレコーダーの回転を変えて録音したので
(93頁)

(ここで本放送では「帰ってきたヨッパライ」が流れる)

帰って来たヨッパライ


フォークルの出現そのものが革命的だったのだ。(92頁)

ディレクターも必要としない曲が深夜放送で爆発的に売れたということ。
これで「手間も暇もかかんねぇな。学生は」というので「そのへんの学生に声をかけてみよう」という。
そうしたら早稲田大学に人気のあるフォークソング・クラブがあって、そのグループの名前が「ザ・リガニーズ」。

足元にザリガニを見つけて「ザ・リガニーズがいいんじゃないか!」と叫んだ。その一言でバンド名は決まった。(14頁)

それで「東芝から出そうよ」なんて、もの凄い話をレコード会社が学生さんにする。
新田さんもいい気持ちになったのだろう。

 1968年、シングルの発売に向け、大学3年生の僕は高田馬場から赤坂溜池の東芝音楽工業に通う機会が増えた。(18頁)

これはもう、あのときめきは忘れられない。
武田先生もそう。
武田先生も大学の二年生ぐらいの時に地元のテレビ局に出入りできるようになった。
TNCという地方局があって、自動扉が開く事務所に入ってゆくのはもう何か凄い自分が「業界!」(という感じで)「あ、月曜日空いてます」とかと言うと胸がときめく。
そのネクタイを締めた方から一丁前に扱ってもらえる喜び。
そんな気持ちだったのだろう。
新田青年はそこに出入りするようになった。
その東芝EMIに強烈な人がいた。
この強烈な人こそ誰あろう高嶋(弘之)さん。
聞いただけで「ああ」と頷く方がいらっしゃると思うが、東芝EMIのディレクターさんで

バイオリニスト、高島ちさ子さんは高嶋さんの次女だ。(41頁)

本当に、この高嶋さんというのはただ者ではない。
皆さんは「ちさ子さんのお父さん」というイメージがあるかも知れないがやめてください。
日本の音楽界で大変なことをした人。
この高嶋さんが新田という青年が気に入ってきた。

 ある日、高嶋さんは、卒業を来年に控えた僕に対して、驚くべきことを口にした。
「新田、無試験でいいからウチに入れ」
(18頁)

よっぽど見込んだというか人手が足りなかったというか、新田青年を「使いやすい」と見たか、何かよくわからない。
みんながみんな、先見の明がある人が揃っているということだと思う水谷譲。
それと人間の確かめ方が直感のみでよかった昭和特有の・・・

 突然の大胆なお誘いに戸惑いながら、
「ありがたいお話ですが、僕は輸出マーケティングというゼミで、商社に入るための勉強をしております」
「商社に入って何をするんだ?」
「はい、テレビ、カメラ、自動車など、国際競争力のある日本の製品を、世界に輸出したいと思っています」
「馬鹿だなあ、ウチに入って、君が言うところの国際競争力とやらのある音楽をつくって、世界に輸出すれば同じことじゃないか!
−中略−
「いいか、そのうち、姿、形のないものを輸出する時代が来る。芸能とか、芸術、文化とか」
−中略−
まだ、ソフトとか、ハードという言葉もなかった時代に、先見の明とはまさにこういうことを指すのだろう。
(18〜19頁)

試験無しだから。
当然正社員として迎える。
凄い時代だと思う水谷譲。
若者というのはこういうふうにして大人から仕切られると燃えるのだろう。
それで新田さんの人生の中でまずは「海は恋してる」という自分達のオリジナル曲のレコーディングに打ち込むワケで。

海は恋してる


この「海は恋してる」という曲から彼のレコーディングスタジオの歴史が始まるワケで。
敢えて「青年」と付けさせていただくが、新田青年はこうやってレコード産業界に入ってアマチュアとして卒業記念という意味合いも込みで東芝EMIから一曲、レコードを作ってそれを販売しようという話になったという。
それでギターの演奏を磨き、コーラスなんかも仲間が集まって一番楽しい時。
「レコーディングするから」と曲が決まって仲間と練習するという。
その時は楽しいもの。
そして新田青年は東芝EMIレコーディングスタジオへ乗り込む。

首相官邸に隣接するスタジオに到着した。ロビーで会った高嶋さんは言い放った。−中略−
「もう、スタジオミュージシャンで録音してあるよ!」
 がっかりだ。
(19〜20頁)

ボチボチそういう時代に差し掛かっていた。
そして「ああもやりたい」「こうもやりたい」と練っていたアレンジだが、アレンジも終わっていた。
ガックリくる。

さっそく、期待半分、不安半分でプロの演奏を聴かせてもらった。−中略−
 プレイバックされたイントロを聴いた瞬間、メンバーの誰かが、12弦ギターのチューニングが狂っていると言った。
−中略−E7のコードが、Em7になっていた。(20頁)

このあたりは丁度時代の変わり目で、新田君が夢見ている音楽業界は「あくまでも自分の手作り」というのだが、認められなかった。
というわけで、皆さん方に確認していただく意味でE7がEm7に変わっているところと、少しチューニングの甘いイントロの12弦ギターを聞いてみましょう。
ザ・リガニーズ「海は恋してる」。
(ここで本放送では「海は恋してる」が流れる)



この歌はよく知っているが、どこがどうおかしいのか全然わからない水谷譲。
これは新田青年のこだわりがあるのでチューニングが甘いとか、それからコード一か所アレンジの方が変えたのでコーラスが凄くやりにくくなったらしい。
だから「自分達が演奏する」というこだわりがあるので、ほんの僅かでも違和感を感じるとそれがミスのように感じてしまうという。
ここでまた凄く面白くて、新田青年は本当に高嶋さんのことを恨んだのだろう。
「やりたい音楽と違いますよ!」とかと言ったのだろう。
そうしたら高嶋上司から言われたのは「上手い歌なんかいらないんだよ!欲しいのは売れる歌なんだ」
(本の内容とは異なる)
これはもう誰もが洗礼を浴びるところでやはりいろんな人がここにぶつかっていく。
これは恐らく平尾昌晃さんから聞いた話。
歌唱力をひけらかすヤツがいる。
「誰がそんな。鼻歌でいいんだよ!聞き手の人はそれを聞きたいんだ。オマエの歌唱力なんかいら無ぇんだよ!」
それはもの凄く大事なセンスの違いで。
平尾さんは有名。
みんな歌唱力に自信があるから歌手になっているワケだから、もう何だか「十週勝ち抜きナントカ大会」みたいになってしまう。
「人々が求めてるのは鼻歌なんだ」という。
だからその歌自慢のヤツが「命をかけて歌唱に臨みます」なんていうのは誰も求めていない。
でもこれは本当におっしゃる通り。
アマとプロの差がそこにある。
上手い歌などいらない。
売れる歌を作る。
その為、売れる歌を作る為にはどうしたかというと、その歌は「売れるという渦を持っていないとダメだ」という。
凄い。
レコード産業界は厳しくて面白い。
新田青年はこの最初の高嶋との激しいやり取りが音楽の基本として「そうなんだ。俺達に要求されていることは『売れる歌』なんだ」というところから一歩、二歩と彼の人生が始まるワケだが、アーティスト伝説はこの後まだまだ続く。

1960年代の説明をしなければならないが、1960年代、レコード産業界が動き出す。

 ビートルズのデビュー・シングル「ラヴ・ミー・ドゥ」は、1962年−中略−イギリスで発売された。ヒットしたものの大ヒットとは言い難かった。しかもそれはイギリス国内だけの話だとして、アメリカのキャピトル・レコードは相手にしなかった。当時、世界の洋楽勢力図は圧倒的にアメリカが中心で、イギリスは遠く及ばなかった。−中略−マッシュルーム・カットに象徴される彼らの容姿はどう見てもまともな音楽家ではないと批判するクラシック界などからの声も聞かれた。(38〜39頁)

アメリカの扱いはどうかというと「イギリスの港町の田舎バンド」というイメージがビートルズ。
それぐらいの存在だった。
ポップスの方はというと、もうダントツ、アメリカ。
「ビー・マイ・ベイビー」とか「悲しき雨音」。
そんなのが大流行で「ラヴ・ミー・ドゥ」というラブソングはあまり・・・
ポップスについて「世界を主導できる、引っ張っていけるのはアメリカンポップスだけで、イギリスにそんな力があろうハズが無い」というのが全体の見方だった。

イギリスで発売された2枚目の「プリーズ・プリーズ・ミー」、4枚目のシングル「シー・ラヴズ・ユー」を聴いた高嶋さんは、−中略−日本でのレコード発売の準備に取り掛かった。
 その頃、アメリカのキャピトル・レコードは依然としてビートルズのアメリカでの発売に否定的だった。
(39頁)

これは武田先生も体感として覚えている。
「女の子みたいで髪の毛伸ばしたヤツ。そんな奴らが力があろうハズが無い」と思っていた。
タカトリ君という友達がいて、タカトリ君の好きな女の子がシロウズさんという。
それでそのビートルズが

She loves you, yeah, yeah, yeah(ザ・ビートルズ「シー・ラヴズ・ユー」)

と歌ったものでタカトリ君が学校の帰り道「ビートルズはシロウズの事ば知っとう」と言いながら武田先生に告白した秘密の会話を思い出すぐらいで。
でも「シー・ラヴズ・ユー」に反応したのはタカトリ君ぐらいだった。
「これではいけない」と思ったのが東芝。
これはEMIと提携をする。
1962年。
何とかしなければいけない。
東芝EMI。
(「提携」というのが不明だが、本によるとEMIと合弁会社になったのは1974年。会社同士のやり取りはビートルズ以前からあったようだ)

「プリーズ・プリーズ・ミー」、4枚目のシングル「シー・ラヴズ・ユー」を聴いた高嶋さんは、ビートルズの音楽はこれまでのアメリカの音楽とは何かが大きく違うと感じた。(39頁)

このグループはタダ者じゃない。
何でアメリカと喰い合わせが悪いのかというと、アメリカのポップスには無いブリティッシュロックというか、クラシックの臭いもあるんだ、という。
「これ絶対いけるわ」と高嶋は思う。
アメリカ、キャピトルは動かない。
「ビートルズ宣伝しよう」という。
高嶋は策士。
イギリスEMIと密談する。
日本とイギリスが手を組んで「ビートルズが売れた」と騒ぎだせば、絶対にキャピトルも腰を上げる、宣伝し始める、という。
それでEMIは「そんな夢かけてくれるんだったら、アンタの言うこと何でも訊く」と言ってイギリスEMIと高嶋の間で意思疎通ができるようになった。
(このあたりは本の内容とは異なる)
向こうのディレクターも高嶋に乗ってしまった。
高嶋は何を要求したかというと「プリーズ・プリーズ・ミー」とか「シー・ラヴズ・ユー」では受けない。
「どうしたらいいんだ」といったらビートルズは何を歌っているかをタイトルに付けた方がいいんだ」という。
でないと日本では手が付かない。
字幕の洋画か吹き替えで声優さんが演じているかの違い。
それでその次の歌が「アイ・ウォント・トゥ・ホールド・ユア・ハンド」。
これは「アイ・ウォント・トゥ・ホールド・ユア・ハンド」だから「あなたの手を取りたい」。
それを高嶋が「俺がタイトル付けるから納得してくれ。ビートルズにも言ってくれよ」といって。
それで「アイ・ウォント・トゥ・ホールド・ユア・ハンド」を日本のタイトルに変えた。
これが「抱きしめたい」。
さあ聞いてみましょう。
ビートルズ「抱きしめたい」
(ここで本放送では「抱きしめたい」が流れる)



英語タイトルでは日本では馴染みがない。
だから最初は「日本語でとにかくやらせてくれ」という。
これがまたものの見事に当たる。
何と日本とイギリスが手を組んだ「アイ・ウォント・トゥ・ホールド・ユア・ハンド」「抱きしめたい」、これが日英で大ヒットし始める。
そうしたらキャピトルがし始める。
アメリカ公演をやる時にファンをカネで雇ったというのだから。
ビートルズがアメリカに降り立った時、飛行場で騒いでいた女の子にギャランティーを出していた。
サクラ。
そして少しお金を握らせて、ジョン・レノンが落とした灰と灰皿をを百ドルで買った女の子というのも。
そういう伝説も。
そうしたら「アイ・ウォント・トゥ・ホールド・ユア・ハンド」、邦題「抱きしめたい」は日英米で火が点いたという。
これでEMIは高嶋に頭が上がらない。
そんな世界的なヒットをどうやって飛ばすかを横でじっくり見ていた新田青年。

改めて新田さんの本を読んでしみじみ思ったのだが、ビートルズを売るということに関して高嶋さんの働きは凄かったらしい。
まだ東芝の方での主役は誰かというとベンチャーズが主力だったという。
ベンチャーズがアルバムを100万枚売った。
(「インストゥルメンタル」という言葉が本放送ではカットされている)
それぐらいのパワーがあった。
テケテケテケ♪

 同じ東芝が発売していたベンチャーズのアルバムは100万枚も売れ、ビートルズはまだ5万枚しか売れていない時、高嶋さんは数字を改ざんしてベンチャーズよりビートルズの方が売れているように見せる社内書類を作成した。おまけに社外秘の印まで押して雑然とした机の上にさりげなく置いておく。業界紙の記者が毎日社内を歩き回ってネタを探していた時代なので、その書類は必然的に記者の目に留まる。(42頁)

EMIからの覚えもめでたいので高嶋さんだけにはビートルズの英語のタイトルを日本語に変えていい権利が伝授された。
ビートルズのナンバー

「恋する二人」「恋におちたら」「悲しみはぶっとばせ」「ノルウェーの森」「ひとりぼっちのあいつ」なども全て高嶋さんがつけたタイトルだ。(42頁)

今頃になってちょっと「間違えたんじゃないか」というのが発見されている。
「ノルウェーの森」ではないらしい。
本当は「Wood」だから「ノルウェーの家具」。
でも「ノルウェーの家具」では売れていないだろう。
「ノルウェーの森」で水谷譲の好きな作家さんの小説のタイトルになった。

ノルウェイの森 上 (講談社文庫)


でもそれぞれに音が聞こえてくる。
「恋する二人」「恋におちたら」「悲しみはぶっとばせ」「ひとりぼっちのあいつ」
これは全て高嶋さんのアイデアで。
一個だけ正確にものを言っておかなくてはいけないのだが、ビートルズは世界中で大ヒットするのだが中国だけはヒットしていない。
文化大革命(文革)の最中で、「愛国無罪」とか漢字四つ文字が流行っていた国ではビートルズは一切。
しかしこのグループは知れば知るほど天才的だった。
そのことを高嶋の横に立っていた新田青年は学ぶ。
ビートルズは何が凄いか?
イントロを聞いたらその曲がわかる。
例えば「アイ・フィール・ファイン」。
(ここで本放送では「アイ・フィール・ファイン」が流れる)



演奏のノイズのハウリング。
これがイントロ。
「Help!」
(ここで本放送では「Help!」が流れる)



イントロ無し。
いきなり。

「カム・トゥゲザー」は冒頭いきなり「シュッ!」という音で始まった。−中略−ジョン・レノンの声なのだろう。(43〜44頁)

(ここで本放送では「カム・トゥゲザー」が流れる)



60年代の半ばから日本をビートルズ一色に染めてゆくという。
それを新田青年はジーッと眺めていて、先行したビートルズから「なるほど。こんなふうにして音楽を売ってゆくのか」というのを学んだという。
もう一回繰り返すが、この60年代半ばから日本の音楽界に大革命が起きた。
これはもちろん先行するビートルズがいたからなのだが、日本でも影響力を持ったフォークグループがスタートする。
それが(ザ・)フォーク・クルセダーズ。
彼等からフォークソングという新しい音楽運動が。
日本のフォークソングはここから始まったという一曲がある。
これは武田鉄矢説。
寺山修司さんが作詞なさった「戦争は知らない」。
(ここで本放送では「戦争は知らない」が流れる)



それまでの日本の歌謡界は戦争を知っている人達の歌。
フォーク・クルセダーズが言い始めたのは「俺達は知らない。戦争を」。
寺山修司の作詞から影響を受けて北山修は「戦争を知らない子供たち」という曲を。

戦争を知らない子供たち


ここからフォークというものが立ち起こっていくという。

(本放送ではBSテレ東「武田鉄矢の昭和は輝いていた」の宣伝が入る)


2025年07月05日

2025年3月31日〜4月10日◆眼高手低(後編)

これの続きです。

二年前に読んだ本だがいい内容だった。
「妄想する頭 思考する手」というタイトルで暦本純一博士、東大大学院の教授。
コンピューターの開発を行ってらっしゃる方。
祥伝社から出ていた。
この方がスマートスキンというか指を広げたり縮めたりすると拡大、それから縮小が簡単にできる、あの原理を考えた方であって。
この方が「眼高手低」「眼差しを高く上げ、手をせっせと動かす」ということで次なる発明で考えておられるのが「白杖」。
視覚障害がある方の白い杖をデバイス、端末としてスマートフォンが持っている地図アプリを連動させて、それから振動機能があるので、最初に地図アプリの方に目的地を打ち込んで白杖を握る。
曲がるところになると小さく震えるとか、そういう工夫で目的地まで白杖が地図を覚えて引っ張っていくという。
これを今、開発中。
その一部がもう車に活かされていて、昨今、武田先生の車であるトヨタ車だが、白線をちょっと踏んだりするとハンドルが震える。
それから救急車が来ると知らせる。
チャイムが鳴る。
「救急車接近中」という。
このあたりが最近の車は本当にコンピューターだらけということ。

ここからもっと面白いことを考える。
便利がいいと思った
その、右に曲がるところ、角まで来たらちゃんと白杖がスマートフォンの地図アプリと連動していて、震えるとかというの。
これは凄いと思うのだが、ここからこの人はもっと凄いことを考えている。

非線形な振動によって引っ張られるような感覚が生じること自体は昔から研究されていた。(144頁)

これは道案内にも使える。単に振動するだけでなく、正しい方向に引っ張らせることができるのだから、よりリアルな「誘導」ともいえるだろう。(146頁)

この人はまず娯楽を考えるのだろう。

「仮想」の力を生み出せるとなると、エンターテインメントにも応用可能だ。たとえばアスリートが感じている力を再現できるかもしれないし、CGキャラの身体感覚を疑似体験することもできるだろう。(146頁)

この人が考えたのはバットを握る。
それで仮想現実でもいいのだが、とにかくボールを投げる。
その人が振る。
その時のバットの手ごたえがホームラン。
それは凄く娯楽性を帯びる。
そういえば画面ゲームを、ゴルフでもやり始めた。
世界のトッププロをスクリーンに向かってボールを打たせる。
それでテレビゲームとしてのゴルフをプロ選手にやってもらうという。
そういう仮想現実の、これはあくまでもエンターテインメントだが、こういうのはやはり「面白いな」と思う。

暦本さんは新しい発想をお持ちなのだが

新しいアイデアは、何も無いところから突如として出現するわけではない。そのほとんどは、「既知」の組み合わせだ。その組み合わせが新しいから、「未知」のアイデアになる。(86頁)

プリンターは何枚もの紙を連続してプリントするので、一枚のプリントが済んだことを感知する仕組みがないと、次のプリントを始められない。また、紙が詰まって動かなくなったら、作業を止めてエラーシグナルを出す必要もある。(147〜148頁)

これはいちいち「いちま〜い、にま〜い、さんま〜い」と番町皿屋敷みたいに機械が数を数えていた。
それが故障が多い。
引っかかったりすると「さんま〜い、さんま〜い、さんま〜い」になってしまう。

紙送りセンサーとして使われているのは、じつは低画質の「カメラ」だ。機械の中で移動する紙の様子を、毎秒一〇〇〇回ぐらいのスピードで撮影している。それによって、紙送りが終わったことや止まったことを感知するわけだ。(148頁)

つまり「シンプルじゃないとダメですよ」という。
これは紙送りセンサーというのがあって、コピー機のデバイス、端末としてたちまち誕生したという。

 HMDは、VRのディスプレイとして頭に装着するデバイスのことだ。テレビやパソコンやスマホなどで動画を見るのとは違い、周囲のリアルな風景をシャットアウトできるので、バーチャルな臨場感が得られる。
 その臨場感をさらに高めるには、できるだけ見える範囲、つまり視野を広げたい。
(152頁)

HMDの視野を広げるときに、全面を同じ解像度にする必要はない。周辺視野の映像は少しボヤけていても、リアリティが失われることはないだろう。(153頁)

つまり無駄な努力はしないというのがイノベーション発明の基本的な考え方だそうだ。

Netflixでホラーサスペンス系を見ることが多い水谷譲。
タイムマシンものと宇宙旅行ものをよく見る武田先生。
昨日見たのが「ライフ」だったか

ライフ [DVD]



火星で拾った生命体が宇宙ステーションの中で暴れ出して。
真田(広之)君も・・・
まあむなしい物語。
言ってしまうとまずいか。
ラストは「ちょっとどうするんだろう?」と思う水谷譲。
ドキドキさせるというヤツ。
あんなのを見ていて思うが、アメリカのハリウッドに於ける、あの手のいわゆるSF映画の作り方を見ると圧倒される。
仮想現実の無重力の宇宙ステーションを見せてくれる。
あれが本物にしか見えない。
ああいうのを見ているとハリウッドの持っているSFを作る力というのは凄い。
「スター・ウォーズ」だって昔は結構チンケなヤツがあった。
今は浮かぶスクーターとかというのも「バック・トゥ・ザ・フューチャー」なんかも明らかにあのブルーバックでやったという淡い仕掛けのラインが見えた。
今はもう全く無いという。
ゴジラを見てもそう。
あの「ゴジラ-1.0」

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「シン・ゴジラ」もそうだが「まあ凄いもんだな」という。

シン・ゴジラ



何でそんなことを喋ったかというと、この本の暦本純一さんがおっしゃっている「妄想」というのが人間の能力にとって大事な感覚。
妄想の最大のものが人間の拡張で。
人間は走れないが、車という拡張機に乗ると最高では200キロ近いスピードで。
SFで言うとガンダムの頭の中に入ってしまうと、自分の手足同然になるワケで拡張する。
暦本さんは「これなんだ。人間の夢は」。

私が研究している「ヒューマン・コンピュータ・インタラクション」という分野は人間と機械を「つなぐ」のがテーマだが、−中略−機械を自らの中に取り込むことによって、「人間」という概念がこれまでよりも広がる。それが、私の抱いている妄想の土台である「人間拡張−中略−」だ。(〜頁)

AIと人体の融合、あるいはChatGPTなどもそうで、今、考えてみると人間の能力の拡張である。
検索する。
何でもよく出てくる。
自分の忘れたことだって記録に取ってあるワケで、「もの凄い発明だなぁ」と思う。

「顕微鏡は視覚の拡張である。他の感覚器官、たとえば聴覚・嗅覚・味覚・触覚なども、将来の発明で拡張されるだろう」(170頁)

 さらに妄想を広げれば、人間の「脳」そのものがニューラルネットとの接続によって拡張されるはずだ。(196頁)

人間の脳がネットワークに繋がり、膨大な知識を自分のものとして使うという時代がもう既に到来しているワケで。
これも最初はもの凄く簡単で、美術館に於けるイヤホンガイド。
これが原型。
絵を見る時、意味がわからない。
でもイヤホンガイドを借りると絵の説明をしてくれるので。
歌舞伎だって外国の人は意味がわからないが、イヤホンガイドを付けると「出てきた彼女は子供亡くし、今、探しながら泣いております」という理解の拡張がそこにあるという。
拡張という、そういうこの事象を見る、この出来事を見る。

映画『マトリックス』では、ヘリコプターの操縦技術を脳にダウンロードするというシーンがあった。(196頁)

マトリックス (字幕版)



これがもう間もなくできるんじゃないか?という。
前に話したことがある
片手だけしか今、できていないのか。
そこにグローブみたいな手を付けると、手の動きがクラシックピアノを弾き始めるという。
それは手袋が弾いている。
これをもの凄く大きい意味で言うと「ショパンが弾いた手にしろ」という命令を出すとショパンが弾いた通りに弾けるという。
「体はゆく」の時に出てきたエクソスケルトンのことを指していると思われる)
例えばしっかりした用具を付けてパットを握って「イチロー」をジャックインするとイチローのヒットが打てるとか大谷のホームランが打てるとかという、そこまでなるのではないだろうか?という。
SF。

道具なしの「裸の動物」としてはネアンデルタール人のほうが強かったので、もし石器が発明されていなければ、現在の地球は彼らが支配していたかもしれない。しかし石器という道具によって拡張された能力は、ホモ・サピエンスのほうが高かった。いわば「矯正学力」でネアンデルタール人を上回ったわけだ。(199頁)

その道具はどうやって進化させたのか?
今日の問題にする。
これはディープラーニングと言うらしいが、道具を進化させる為に必要なのはたくさんの話し合いで。
(本の中の「ディープラーニング」の紹介内容とは異なる)
暦本さんは非常にヒューマン。
何かハッとして本に赤線をひっぱったのを覚えている。
武田先生が「(今朝の)三枚おろし」にネタを持ち込むワケだが、武田先生一人に任せておくと「武田先生一人が面白い」という番組になってしまう。
水谷譲を話し相手にしていると、番組そのものが予想もしなかった内容になり意外な方角に話題が広がってゆく。
媚びるワケではないが水谷譲に巡り合ってよかった。
何か時々ふと、最近、そういう当たり前のことに感謝できるような自分になった。
話題が盛り上がらないと乳の下を掻かれるというような屈辱を受けるのだが、それが武田先生を鞭打つ。
だから一人の価値観で物事を進めてはいけないという。
人気がある人に集中してはいけない、と。
本当にそうだと思う水谷譲。
「あの人さえ使っておけば何パーセント取れる」というような発想ではなくて。
その人を殿様にしてはダメだと思う水谷譲。
ちょっとこのあたり発言が微妙になるので。
一般論。
武田先生達は一般論を言っている。

テクノロジーの進歩というのは、中間の認識を多く持つことだそうだ。
皆さん、これは科学者らしい言葉。
テクノロジーを進歩させるとは中間の認識を多く持つことで、中間の認識をたくさん持つことが改良に結びつくのだ、という。
中間層は多様性に満ちている。
だからその多様性を改良に活かす意見とすることなんだ。
繰り返す。
世界は専制、たった一人の独裁者を嫌い、たった一人の人気者が支配するという世界を嫌い、自由を求めて自在に人の多様な意見を吸い上げるというシステムを好むという。
私共はどちらかと言えばそのことを踏まえて政治的に言うとウクライナを支援している。
「申し訳ないねぇプーチンさん。お宅のロシアに多様性を感じないんですよ」
いろんな人がいろんな意見を言っているという人間の声をあまりおたくの社会は静か過ぎて我々はダメ。
民主主義とは何か?
喧しいということ。
いろんなヤツが勝手にものを言って。
でも喧しいことが民主主義。
だから「うるさい」を否定してはいけない。
今日は冴えている。
おっしゃる通りだと思う水谷譲。
もうゾクゾクする。
自画自賛。
「我田引水」
好きな四文字熟語。
自分の田んぼに水を引かなくて誰に引くんですか?
こういうことなので、日本社会の弱さみたいなところは案外強さに変わり得ることがあるぞ、と。
これは反対する人はいるだろうが、嫌う人は嫌うのだろう。
マイナンバーカード。
みんな手続きしないで困っているじゃないか?
マイナンバーカードをICチップで注射で打てばいいんだ。
小さいのだったら打てるのではないか?
小さいICチップにして、体の中に埋め込んでおけばPASMO、Suica、それからアイデンティティカード。
水谷譲の猫の首に番号が書かれたチップを(埋め込んだ)。
全然わからないぐらい小さいので猫も痛いともスンとも言わない。
人間なら、なおさらできると思う水谷譲。

監視カメラを付けると「個人の自由が無くなる」とかと言ったが、もう今、監視カメラは犯人を割り出すのに最高のシステムになってるじゃないか」と。
これは逆に言うと今、最も監視カメラが発達しているのが中国。
中国の学校では凄い。
これは中国に負けてしまう。

深圳あたりの学校では、生徒の頭に脳波を計測するバンドをつけた状態で授業をやっているぐらいだ。(226頁)

中国は凄い。
ちょっとやり過ぎな気がする水谷譲。
暦本さんはそういう中国がいいとはおっしゃっていない。

この暦本さんの面白いところは何がいいかというと、「妄想する脳」を作らないと何事も発展しない。
管理された脳ではダメ。

日本という国は、−中略−ある種の「妄想大国」でもあったはずだ。(227頁)

『ドラえもん』は今も現役だし、『サイボーグ009』や『鉄腕アトム』などは古典として生き続けている。『機動戦士ガンダム』や−中略−『新世紀エヴァンゲリオン』など、(228頁)

これらの物語は妄想から生まれたんだ。
中国やロシアに於いて妄想は非常に限られた人しか持っていない。
それじゃダメなんだよ。
中間層の妄想が大事なんだ。
いろんな妄想があっていいんだと思う水谷譲。
ところが中国やロシアでは限られた人しか妄想ができない。
アメリカの「偉大な国」。
それもトランプさんの妄想かも知れない。
妄想はいろんな人が持っていないと活力にならないという。
妄想はどこから生まれるかというと「不真面目」から生まれる。
(本では「不真面目」と「非真面目」を区別していて、このあたりは「非真面目」)
そういう不真面目から生まれる妄想を大事にしないとダメですよ。
このへんはわかりやすい。
「遊びから生まれる」に近い感じかと思う水谷譲。

暦本さんは古い話を。
こんな職種があった。

 かつて、炭鉱には「スカブラ」と呼ばれる人たちがいた。−中略−みんな一生懸命に炭鉱で働いているのだが、一〇〇人のうち五人ぐらいは、何をするでもなく機嫌の良さそうな風情でブラブラとそのへんを歩いている。−中略−スカブラの人たちは、「平時」は何もしないけれど、いざ事故やトラブルなどが発生するとすぐに駆けつけてみんなを助けてくれるからだ。アリなどの集団でも同様で、観察すると実際には働いていないアリが一定の比率でいるそうだ。(230頁)

(番組の中で「スカプラ」と言っているようだが、本によると「スカブラ」。ここでは本に従って「スカブラ」に統一しておく)
こういう「スカブラ」みたいなことはとっても大事なことで

 グーグルには、かつて「二〇パーセントルール」と呼ばれる制度があった。「従業員は、勤務時間の二〇パーセントを自分自身のやりたいプロジェクトに費やさなければならない」というルールだ。−中略−以前はそれがグーグルの「イノベーションの源泉」とも言われた。(231頁)

こういうふうにして、みんなの為の妄想できる、そういう人間の組み合わせとかがタフな企業を作っていくという。
これは考えさせられる。
イノベーションの為のアイデアが生まれる為には、こういう不真面目な妄想から人間がいろいろこう発展させていくという。
とにかく妄想は重大なアイデアを作る為のスイッチなのであるという。
何か勉強になった。
始めて「スカブラ」という言葉を聞いた水谷譲。
言葉は悪いが「スカブラも使いよう」だと思う水谷譲。
だから一色に染まってはダメ。
今、世の中で一色にまとめるのがいいことだと思っている人がいて。
最近の大河ドラマを武田先生は評価する。
蔦屋重三郎が主人公なのだが、蔦屋重三郎というのは何者かというと、今でいうと芸能界のことを出版物にして芸能界をアピールするという。
大河ドラマ「べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜」
そうやって考えると凄くわかりやすくて。
あの「べらぼう」を書いておられる作家さんは素晴らしい。
「やるなぁ」と思って。
その名前をつぶやいていたらスタッフから「前にお付き合いしたじゃありませんか」と言われて。
「JIN -仁-」

JIN-仁- BD-BOX [Blu-ray]



(脚本はどちらも森下佳子氏)
だから武田先生は吉原に詳しい。
そういう意味でスカブラ。
蔦屋重三郎も一種スカブラ。
文化というのはみんなスカブラ。
「文化放送の電気のコード」のことを「QRコード」と言うのかと思った武田先生。

(この週の最終日は「雑感」ということで、本の内容とは無関係なので割愛)


2025年3月31日〜4月10日◆眼高手低(前編)

音だけでは非常にわかりにくい四文字熟語だが、「眼高手低」といってどんな字を書くかというと「眼は高く手は低く」という、そんな中国のことわざだが、意味については本放送を聞きながらどういう意味なのか探っていただければ嬉しい。
「妄想する頭 思考する手」

妄想する頭 思考する手 想像を超えるアイデアのつくり方 (単行本)



東大の教授の方で、コンピューター関係の開発を行っておられるという大博士。
(著者は)暦本純一さん。
祥伝社から出た本で。
申し訳ございません。
ご紹介が遅れた。
この本はもう二年以上前に読んだ本。
次に面白いのが来たりすると飛び抜かしてそれをやっているうちに、取り忘れてしまったヤツ。
「これはちょっと話もややこしいから面白く無ぇかな」と思って読み返していたら面白かった。
それで取り上げてみた。

この暦本さんの本を読みながらびっくりしたのだが、今はもう当たり前の当たり前になっているから、そんなことも考えもしなかったが。

スマートフォンを持っている人なら、この技術は毎日のように使っているはうだ。ピンチング(画面の上で二本の指を広げたり狭めたりすること)によって写真やテキストなどの拡大・縮小ができるあの技術だ。(14頁)

考えたら凄い発明。
どんなタイムマシンものを見ても、これは出てこない。
昔のSF映画で、空間に映像が出てきて、それを手でどんどん変えていく、流していくみたいな「こんなことできるワケないじゃん」と思っていたがそれに近いと思う水谷譲。
まさしく我々はその未来を歩いているワケだが、あの原理を考えた方が驚くなかれこの暦本さん。
日本人の人。
あれの原理を考えた。
凄い技術で、この技術は凄い発明なのだが。
この人の発明を発想したその裏側が面白いということで今回取り上げているワケで。

「必要は発明の母」と言うけれど(68頁)

灯油をストーブに移すシュポシュポとかああいうの。

トラスコ中山(TRUSCO) ポリエチレン ペール缶用ポンプ (手動式) 517mm GJ-10-1P



「必要があるから生まれてきた」という方が多いが、暦本さんは「そうじゃないんじゃないの?」という。
「これさえあれば便利」なんていう、そういう何だか真面目なことというのはあんまりひらめきを起こさないんですよ、人間の頭には」という。
その一例として大ヒット商品のソニーのウォークマンを挙げておられる。
あれは女性が提案した。
若い娘さんが「こんなのあったら便利」というのでウォークマンの原型を提案したら、もう重役会議でぼろくそに言われた。

社内でも「録音機能のないテープレコーダーなんて売れるわけがない」と反対する声があったらしい−中略−それでも、そういった当時の常識にこだわらずに、思いつきを突き通して形にしてみたら、画期的な商品として世界的な大ヒットとなった。(18頁)

それももう今は・・・
もうそういうのに取って変わったのだが、でもウォークマンの最初は「本当にいい道具だな」としみじみ思った。
指を広げたり縮めたりする「ピンチング」という技術なのだが、これはとんでもないところから発想している。
テルミン。

 テルミンという不思議な楽器がある。本体に手を触れることもなく、アンテナ型の電極に手を近づけたり遠ざけたり、その向きを変えたりすることで、音の高さや大きさをコントロールする楽器だ。ロシア(ソ連)の物理学者レフ・セルゲーヴィチ・テルミンが−中略−発明した。世界初の電子楽器である。(133頁)

シンセサイザーの前の電子楽器と言われて面白グッズとして紹介される。
発明する人というのはそういう頭なのだろう。
この「箱から出ているアンテナに手を近づけて音が変化する」という発想そのものに暦本さんが惹かれた。

 テルミンには、音の高さを決める垂直のアンテナと、音量を決める水平のアンテナがある。そのアンテナと手のあいだに蓄えられる静電容量の変化を利用するのが、この発明のポイントだ。(133頁)

これで「二本の指の動かし方で画面のサイズが変わる」という発想になるワケで、それがどう結びついていくか。

 たとえばテーブルのようなコンピュータ画面を、たくさんの電極線で縦と横に分割する。テルミンの垂直アンテナと水平アンテナを二〇〜三〇本ほど敷き詰めて座標を作るようなイメージだ。縦のマス目を数字、横のマス目をアルファベット順にすれば、座標の交点は「3のB」「7のH」といった具合に指定できる。そこに物を置くことで静電容量が変化すれば、その位置情報をテーブルに伝えることができるだろう。(134頁)

だから(スマートフォンの画面の)電話のところを押すとちゃんと電話番号を収めたノートが出てくる。
「YouTube見たい」とか基本は指先の静電気。
あれは縦と横に入ったマス目の数字とアルファベットでその所在がはっきりするという。
それを指しておいて広げると広がるという仕掛けにもつながるというワケ。
これはテルミンの音が、人間の手のひらを近づけることで音を大小にしたり、音の高い低いを変えられる。
それで狙った情報のスイッチがその画面の中にいっぱいあるということ。
しかしそれにしてもスマートフォンは便利が良すぎる。
アルバムはあるわアダルトビデオはあるわ。
スマホは調べものは抜群。
アダルトビデオに接触する度に「これは子供には見せられないな」とかと思いながら見ている。
それとやはり無限大に人の情報が入って来る。
「ちょっとおたくの機械おかしゅうございますから掃除しませんか」「きれいにしましょう」とかという諸注意が。
あれは相手にしなくていいのかと思う武田先生。
ダメなものもあるので武田先生はそれは触らない方がいいと思う水谷譲。
作っておいて「触らない方がいい」。
「何とかしろよ」と年寄としては言いたくなるが、そういうものなのだろう。
この仕掛けを考えて画面に指を近づけることで「画面変化とか特有のチャンネルに合わせるということができますよ」というので面白半分で暦本さんは研究していたそうだ。
「何かの役に立とう」なんて思ったことが無かった。
学会でも注目されるのだが、それは子供のおもちゃと同じで画面が大きくなると子供は喜ぶし触ればチャンネルが変わると楽しそう。

 でも結局、その発明を最初に商品化したのはアップルだった。(141頁)

ジョブズさんがいなければこの画期的イノベーションは生まれなかった、という。
この著者自身は自分の発明がこのような形で利用されること、それだけが嬉しくて。

 ところが、私と関係のないところで特許侵害をめぐる訴訟が起こった。訴えられたのはアップルではない。アップルがスマートフォンのライバルであるアンドロイドを作っているモトローラを訴えたのだ。アンドロイドに搭載されたマルチタッチ技術はアップルのものだから特許を侵害している、という。(142頁)

(番組ではモトローラがアップルを訴えたと言っているが、本によると上記のように逆)

当時モトローラはグーグル傘下にあったため、グーグルの顧問弁護士から協力を要請されたのだ。そもそもiPhoneで使った技術がアップルのオリジナルでなければ、モトローラは訴えられる筋合いがない。それを証明するために、アップルが暦本のアイデアを使ったことを裏付ける証拠がほしかったわけだ。−中略−私の出した証拠もモトローラにとって有利な材料として働いた。結局、アップルが訴訟そのものを取り下げる形でこの争いは終わっている。(142頁)

これは暦本さんは何も文句を言っていない。
「俺にカネよこせ」とか言わなかった。
ただ「俺のものだとは言えない」というのをスティーブ・ジョブズが言い出して、何のことはない、誰でも使っていいということになった。
暦本さんは大学教授の方。
いわゆる研究者で自分の主張を放棄なさった。
この暦本さんの発明はもっと凄いのだが。
「自分が考え付かなかったことをジョブズが考え付いてくれたんだから、みんなも使っていいですよ」と。
そうおっしゃってくださらなかったら、我々は今、そんなできなかったと思う水谷譲。

 もしモトローラが敗訴していたら、マルチタッチ技術はアップルが独占し、他社のスマートフォンやタブレットでは使えなくなっていたかもしれない。(142〜143頁)

指先でコンピュータの画面を拡大できたら、そのほうがマウスよりも自然だろうという感覚は持っていた。いや、現実世界ではものを一本指で操作することのほうがめずらしいのに、なぜマウスでは常に一本指ですべてを操作するような「不自然さ」を当たり前のように受け入れているのだろうかそういう自分自身の素朴な疑問から始まったのが、スマートスキンの開発だったのである。(16頁)

だから新しいものを発明する人は目の付け所が全然違う。
それが結び付いたワケで。
暦本さんがおっしゃっている中で本当に感心するのだが

自分の価値軸の上で「面白い」と感じたことを、素直かつ真剣に考えている
 その「妄想=やりたいこと」を実現するには、いろいろな工夫や戦略が必要だ。
(24頁)

「そういう『妄想する心』みたいなものが無いと新しい発明、イノベーションは生まれませんよ。必要よりも『ああ、面白い』という、そういうのが大発明を生むんです。子供が見て面白く、年寄が見て『あ、こりゃ便利だね』という」
やはり指の広げたり縮めたりで活字の大きさが変わるのは子供は面白いだろう。
写真なんか際限も無くアップにもできるし。
年寄にとって一番有難いのは老眼鏡をかけなくていい。
そこだけデカくしたら読めるワケで。

 たとえば産業革命の起爆剤となった蒸気機関は、最初から機関車の駆動技術を目的として発明されたわけではない。そもそもは炭鉱から水を汲み上げるためのポンプとして開発された。それを交通機関に転用した蒸気船が実用化されたのは、ワットの発明からおよそ四〇年後のこと。−中略−蒸気機関車が実用化されるまでには、それからさらに一〇年近くかかっている。(69頁)

ワット自身も「そんなふうに使ったの?俺の発明」と驚いているハズだ。

 また、エジソンの蓄音機という発明も、想定外の必要を生んだ。蓄音機(フォノグラフ)はもともと録音装置、今で言う「ボイスメモ」に近いものとして発明されたものだ。その場で自分の喋った言葉を「蓄音」すれば、たとえば後で聞きながら文字に起こすこともできる。そんな利便性をエジソンは考えていた。(69頁)

 ところが、この発明が「録音された音楽を聴く」という必要を生む。(70頁)

最初は音楽では無かった。

まったく縁のなかった分野に、「そんな技術があるなら是非これに使いたい」と言う人がいる可能性もある。自分の妄想から生まれた面白いアイデアは、最初の用途にこだわりすぎずに、より大きな「必要」の可能性を検討してみることも大事だろう。(71頁)

「なるほどな」と思った。
新しいアイデアは何かしら世のバランスを崩し「こう思っていたこと」それがひっくり返る。
そういう「ひっくり返す力」が無いと新しい発明はできませんよ。
これはやっぱりちょっと皆さん、メモっておいてください。
おっしゃる通り。

この先に暦本さんが考えておられる、新しい発明・発想を聞きたいでしょう?
これは面白いことを考える。
近頃世間を見ていて「あらら?」と思う一つに「強くなった卓球日本」。
確かに強くなったと思う水谷譲。
もちろん中国は強い。
でも肉薄しているのはわかる。
何でこの十年、二十年ぐらいでこんな強くなるの?何があったんだろう?とは思う水谷譲。
この突然強くなりつつある卓球だが、何とこれはどうも後ろ側に暦本さんがいらっしゃるようで。

あるとき、パラリンピックに出場する卓球の日本代表選手と話す機会があった。いろいろと話していて気づかされたのは、「スポーツは速度を落として練習することができない」ということだった。
 ギターやピアノなど楽器の演奏なら、速くて難しいフレーズを遅いテンポで練習することができる。
−中略−
 でも卓球やテニスの初心者は、最初から速いボールを打つ練習をせざるを得ない。
(97頁)

特にパラリンピックの卓球の選手の場合。
これはちょっと間違えたらごめんなさい。
多分聴覚欠損の選手だと思う。
耳の聞こえない選手、その人が卓球をやると速く攻撃するのがもの凄く難しい。
ピンポン玉を視覚で捉えて見なければいけないから。
それで暦本さんが考えたのは、卓球選手はどうやって練習しているかというと、卓に当たった音と最後のフォームを見ることでどこに来るかを予測する。
そうしたらどうするかというと、その耳の聞こえないパラリンピックの卓球選手のチームに対してはVRで速く打ち込む選手の姿を見せる。
暦本さんの発想を辿ろうと思うが、この方が卓球選手達の強化をどうやればいいのか、そこで考えた。

 時間の流れを変えられるVRの話は、その卓球選手も大いに興味を持ってくれたので、さらに踏み込んだ専門的な話もした。−中略−その選手はこんなことを教えてくれた。
「私たちもボールの軌道を目で追って反応してるわけじゃないんですよ。相手が打ったときのフォームや打球音で、一瞬のうちに次のプレーを予測しているんです」
(99頁)

それを聞いた暦本博士、何をやったかというと、もの凄い勢いで打ち込んでくる選手、それを撮影して「VR」「バーチャルリアリティ」のあの眼鏡の中にその選手を置いた。
それで何回も何回もそれを見せる。
そうすると「その選手の形がこうなったからボールはここ」にという条件反射で覚えさせるそうだ。
そうしたら打ち返せるようになった。
その人達のもの凄い速さのスピードを形として体に覚えさせる。
そうするとどこに出せば打ち返せるかが計算できる。
そういうのを聞くともう・・・
ちろん中国もすぐ作るのだろう。
だが武田先生はこの発想そのものに、そこに目を付けた暦本先生みたいな方がのびのびと生きておられるというのが、そこにこの国の可能性を感じる。

暦本さんというのは凄い人だと思う水谷譲。
何で武田先生も(この本を番組で)今までやらなかったかと自分でも・・・
時々こういうミスをする。
「こっちの方が加奈、喜ぶかな」と思って。
何とこの「(今朝の)三枚おろし」は、おろした料理は二年近く棚で眠らせていた。
熟成されたということだと思う水谷譲。
とにかく分野を超えて様々な分野の重ね合わせのうちから斬新なアイデアを生もう、と。
「みんながやらないと斬新な発明って生まれませんよ」

こういう問題が今、起きている。

用意するのは、二つの相反するニューラルネットワークだ。ひとつは、何かを「本物」っぽく作ろうとするニューラルネットワーク。もうひとつは、それが作ったものの「嘘」を見抜こうとするニューラルネットワーク。−中略−それを戦わせるから「敵対的」という。戦いのレベルが上がるにしたがって、「偽物」はどんどん「本物」に近づいていく。(115頁)

もう鉾と盾。
最強の鉾と最高の盾を戦わせる。
そうすると今は本物と見分けの付かない人の姿や人の声を作り出せるそうだ。

そうやって作ったのが、「この世には存在しないけど超リアルな人間の顔」だ。(115頁)

それから今のChatGPTに関してはこれは始まったばかりでまだイノベーションに辿り着いていない発明だ、と暦本博士はおっしゃる。
もうおっしゃる通り。
これをどう使うか?
「我々も参加しないとダメで頭のいい人だけに任せてはダメですよ」というのが暦本さんの言い方。
こういうのは面白い。

そしてここで明かしておく。
今週のタイトルになった「眼高手低」。

「眼」は、たとえば美術や文学の鑑賞力や批評力など物事を評価する力のこと。−中略−一方の「手」は、何かを創作する技能や能力のこと。その「眼」が高くて、「手」は低い。つまり「批評は上手だが実際に作らせると下手」という意味だ。口では立派な能書きを垂れるけれど、いざ自分で作ってみると実力のない「口先だけ」みたいな人を揶揄する言葉である。(118頁)

 ところが、この眼高手低を別のニュアンスで使った人がいる。生活雑誌『暮らしの手帳』の創刊編集長として有名な花森安治だ。
 花森さんは「手低」を「現実の生活にしっかりと着地している」という良い意味でとらえた。すると眼高手低は同じ「眼は高く、手は低く」でありながら、「高い理想を持ちながら、現実もよくわかっている」といった褒め言葉になる。
(118頁)

この眼高手低から暦本さん曰く「イノベーションは生まれるんです」と。

手を動かさないと失敗さえできない−中略−
 そういう試行錯誤をどこまで続けられるかが、技術開発の勝負どころだ。
(119頁)

手を動かし続けられるのも才能(120頁)

何度も失敗を重ねながら手を動かす時間は「神様との対話」をしているのだと思っている(122頁)

自分の「やりたいこと」が見つからないという人は、今の自分が何に手を動かしているかを考えてみるといいかも知れない。(125頁)

「そうすると手があなたの持っている隠れた才能を見つけることができますよ」
武田先生は文字を書くのが好き。
嫌いだったらこんなに書かないと思う水谷譲。
武田先生はやはり勉強をするとかではなく字を書くのが好き。
朝、三時間字を書いて、もう無我夢中でやっているのだろう。
それと、この本は非常に面白かったが、武田先生の一番いいところは面白くない本も結構面白く読む。
面白く無い本を面白く語ることができる。
これが武田先生のイノベーションだろう。
武田先生は字を書くのが好き。
昔からそうなのかと思う水谷譲。
小学校の時、ろくでもない子だから。
今だから罪を発表するが。
職員室に入って自分のテストの書き換えとかをやったことがある。
自分で「出来が悪いな」と思ったら朝早く学校に行って、職員室に潜り込んで正解が書いた先生のアレを見つけて書いたことが一回だけあった。
もう時効だが絶対見つかったら不味いことだと思う水谷譲。
武田先生は「頭のいい人のふり」をするのが大好きで、小学校四年ぐらいの時に味を覚えて、石を見てその石がどんな石かを友達に説明する。
「あ、これ花崗岩」とかと言うと知的に見える。
「これ玄武岩」
本当は何も知らない。
その石の名前を知っているだけで、それを適当に並べて言っている。
「あ、変成礫岩だ」とか嘘ばっかり。
そうするとみんな「武田は詳しか」という話になった。
そうすると「頭がいいっていうのは気持ちいいな」と思って。
それで頭がよく見える為にはどうしたらいいか?という。
それが、自分でノートを付けてそれを一杯頭の中に入れること。
「太陽の温度は6000℃」とか。
何かしょうもない。
それを書いていた。
テストをやるとそれはもう悪い。
だが発表会とかやらせると一人で説明する子。
「日本の工業地帯」とか画用紙に日本の地図を描いて日本の四大工業地帯、それから何を作っているかを図式に書いて。
それは図鑑の丸写しなのだが、それを黒板にバーっと貼って、棒を持って説明するとものすごい快感だった。
それで「頭がいい人に見えるにはどうしたらいいかな?」と考えていたら、一番いいのはコツコツ勉強することだった。
そこに思い当たるまで高校生までかかってしまうのだが。
「竜馬がゆく」なんていう小説の一冊に出くわして、誰も知らないことを武田先生だけ知っている。

合本 竜馬がゆく(一)〜(八)【文春e-Books】



「そこにいたら絶対負けない」という知識が、という。
そういうことから朝起きてコツコツコツコツ・・・
子供の頃から「三枚おろし」だったと思う水谷譲。
本に関してもつくづく思っているのは、差を付けたかったら一冊や二冊ではダメ。
そうすると全世界を網羅できる。
何かそういうことになってしまったのではないか?
だから暦本さんみたいなこういう博士の勉強ぶりなんか、武田先生はもう本当に感動する。

コンコルド。
大型旅客機。
もの凄い短時間でアメリカまで飛べるという。
これはどうなったか?
もう無い。
あんな夢のような飛行機だったのにと思う水谷譲。
250機まで作って、あまりのカネのかかりように中止になった。
(本によると製作されたのは16機。250機は採算を取る為に必要な数)

 コンコルドの場合は、開発途中で航空機業界が旅行の大衆化へ舵を切り、低コストで大量輸送が可能な旅客機が求められるようになったことで、超音速旅客機へのニーズが失われた。(131頁)

この暦本博士がまた加わっておられる発明があるのだが、これも面白い。

 そのとき考えたのは、「振動によって人を誘導する」というアイデアだ。たとえば視覚障害者が使用する白杖にそのデバイスを仕込んで、地図アプリのようなものと連動させる。白杖を進むべき方向に向けたときにブルブルッと振動して知らせれば、目的地まで誘導することができるだろう。(143頁)

実現化できそうな気がする水谷譲。
これは着々といい方に行っているそうだ。
地図アプリと連動させることによって「歩き出す」のサインから「ここを曲がろう」「ここを階段を降りよう」それをバイブで教える。
これはしかしできそう。
そしてこの発明の一部がもう既に車で生きている。
もう全部言ってしまう。
武田先生はトヨタ車に乗っているが、新車でびっくりした。
車を運転していたらハンドルが震える。
「何だ!オマエ」と思ってハンドルが震えている。
何で震えたか?
車線を踏んでいた。
追い越し車線を踏んだりすると「爺さん爺さん」とゆする。
こういうのが生きているので、水谷譲が言う通り、白杖の端末として地図アプリと連動させるというのがもう進みつつある。
ここから暦本さんの凄い発明が。




2025年06月29日

2025年4月25日〜5月9日◆りんごの物理(後編)

これの続きです。

伊与原新さん、文藝春秋社「宙わたる教室」という大変興味深い小説だが、これは小説だから物語がある。
(この番組では物語の部分には)触れていない。
武田先生がお話しているのは、その中の実験の様子だけを語っている。

本に戻る。
伊与原新さんの「宙わたる教室」。
「(今朝の)三枚おろし」的には「りんごの物理」ということでお話している。
この中でだんだん魅せられていったのだが、火星では夕日は青い。
この夕日の青というのはオポチュニティというNASAが打ち上げた火星探査機が送って来た映像。
このオポチュニティ自体も感動の物語。
これは問題から言う。
火星の夕日の青というのが実験室でやったよりも薄い。
本物の火星の夕日の青というのはもの凄く色が深い。
幻想的。
あの色を出す為には火星の土がわからなければダメだ、と。
酸化鉄はたくさん入っているそうだが、もう一つ重大なのはどうも火星には間違いなく水があるらしい。
その水が大気中に相当飛んでいるのではないだろうか?
これはどうしてそう言えるのかというと、クレーターでわかる。
火星のクレーターは月のクレーターとは違うそうで。
月のクレーターは水谷譲もご存じだと思うが丸い縁。
ところが火星のクレーターはその丸い縁にフリルが付いている。
花丸みたいな。
ヒラヒラと付いている。

「いくつか仮説があるんだけど、決着はついてない。有力なのは、氷や水が原因だって説」−中略−
火星表面の平均温度はマイナス五十五度と極低温であるために、地表や地下には水や二酸化炭素が凍った氷が存在すると考えられている。
 隕石が衝突すると、凄まじい熱でその氷が一気に融け、大量の水をエジェクタが取り込んで泥流となる。
−中略−ランパート・クレーターのローブは、それらが孔の外側に流れ出て堆積したものという説らしい。(174頁)

そのクレーターを実験で作ろうとこの夜間高校の生徒達が盛り上がる。
火星のクレーターを実験で作ってみようと話が弾む。
それでオポチュニティから報告でわかっている酸化鉄を含み、微量の鉱石、火山灰、そして水。
こういうのを混ぜないと火星の土ができない。
何で火星の土がわかるかというと、成分表をオポチュニティが送ってきている。
それで、地上で火星の土を再現できる。

「ほんのちょびっとある大気はほとんどが二酸化炭素で、地表の気圧は地球の〇.六パーセントしかない。(191頁)

地球とは全く違う自然が赤い青空、青い夕日を出現させているというワケ。
それにしてもオポチュニティの活躍なのだが、火星探査機オポチュニティ。
これは凄い。
武田先生は初めて知った。

 オポチュニティは、−中略−二〇〇三年七月に打ち上げられ、−中略−二〇〇四年一月に火星に到着。−中略−
 設計段階で想定されていた運用期間は、約三カ月。
−中略−
 そして気づけばなんと、十四年。
−中略−しかし二〇一八年、大規模な砂嵐に襲われて長時間日光が遮られ、とうとう太陽電池がダウン。機能の回復ができず、通信が途絶えてしまう。−中略−ミッション終了が宣言された。(101〜102頁)

「開発した技術者たちも、いずれ塵によって動かなくなるのは避けられないと考えていたようです。火星で三カ月も働けば、砂塵が太陽電池パネルに積もって発電できなくなるだろうと」
「なのに、なんで十四年ももったんですか」
「大きな理由は、パネルに積もった塵が露でうまく洗い流されたり、季節風のおかげで吹き飛ばされたりしたことだそうです。
(115頁)

「彼に、オポチュニティの運用が終わったときのことを聞いたことがあるんです。八カ月にわたって通信が途絶えていたオポチュニティに、いよいよ最後の信号を送ることになった日。管制室にはミッションに関わった人たちが集まった。そして、短い信号を四回発信。やはり応答なし。『十五年間の任務、ご苦労さま』。そんな言葉とともにマネージャーがミッションの終了を宣言したときには、みんな泣いていたそうです」(115頁)

(番組ではオポチュニティに対して「ご苦労様」というメッセージを送ったという話になっている)
いい話。
それにつけても何でこんないいニュースを伝えてくれないのだろう。
武田先生も水谷譲も(このニュースは)全然知らない。
伝えていたのかと思う水谷譲。
伝えて欲しい。
これはニュース。
最近でいうと「はやぶさ」とかは凄く伝わってきたのだが、オポチュニティは知らなかった水谷譲。
武田先生も知らなかった。
ニュースは作ってできるのだが、お願いだからニュースを作る人よければこういうこともニュースにしてください。
もう本当に関税ばっかりで飽きてしまった。
「知らなかったニュース」というので本当にもったいない。
学びのチャンスになるものは伝えて欲しい。

この物語「宙わたる教室」の中で(英語の木内)先生がこう英語で励ます

「Anyone who stops learning is old, whether at twenty or eighty」−中略−木内は笑顔でうなづく。「アメリカの自動車会社フォードの創業者、ヘンリー・フォードの言葉です。こう続きます。Anyone who keeps learning stays young」(129頁)

「学び続ける者は若さにとどまる」
本当にそう思う。

さて、藤竹は科学実験室に小さな火星を作り火星の出来事を再現しようと生徒達に呼びかける。
それは火星のクレーターを実験で作ることである。
まだこれは仮説らしいのだが。
火星のクレーターを自らの手で作ればそれは仮説ではなくなる。
興味深いのは物語はここから事実と並走する。
これは読み終わった後、教えてもらって驚いたのだが。
水谷譲にお話しした火星の実験があった。
夕日が青いとか。
これは実は本当の話。
本当に定時制の高校生達が科学部員で、火星の青い夕焼けから始まって、隕石が落ちる激突実験まで本当の定時制の高校生達がやっている。
(大阪府立大手前高等学校定時制の課程と大阪府立春日丘高等学校定時制の課程の「重力可変装置で火星表層の水の流れを解析する」)
そこは実話。

彼らの微小重力発生装置の東京大学の橘省吾さん−中略−が注目し、JAXA(宇宙航空研究開発機構)を中心とする「はやぶさ2」サンプラーチームが同様の装置で小惑星表面試料採取に向けた基礎実験に取り組みました。(284〜285頁)

 この小説は、久好さんら三人の先生方の熱い思いと、それに応えた生徒たちの奮闘に感銘を受けて書いたものです。(285頁)

武田先生が(この番組の中で)やっているのは先週も申し上げたが物理の実験のみ。
物語の方はもっと感動的なので是非読んでみてください。
実験室で火星を作る実験。
これが注目。
大気を通るのは長い波長の光だけになるような大気がある火星の空。
故に昼間の空は真っ赤、夕日は真っ青になるという火星の夕暮れ。
なぜそうなるのか?
それは大気に舞う塵が違うからで

「この実験、なんで火星の塵として酸化鉄の粉を使ってるんですか」
「実際に火星の表土に含まれている物質であって、かつ、簡単に手に入るからですね。火星の塵のサイズだといわれている、一マイクロメートル程度の粒子の試薬が」
−中略−
火星の表土を構成する、さまざまな鉱物の微粒子でできているはずです」
(114頁)

それをこの高校生達は一つ一つ再現していく。
彼らは火星の土づくりから始める。
火星の土は酸化第二鉄が多い。
とにかく地球とは違う知識が。
火星をどうしても再現したければ火星の大気とか気圧、そこまでも計算してアレしないと・・・
だから火星のいわゆる引力とか重力とかというのも火星に近づけないとできない。
これは大変。
その火星の地面の下には氷か水がある、と。
それが隕石の衝突した瞬間に高温が生じて溶けて湧出する。
一瞬にして土砂崩れのような大波を起こす為にフリル状の土砂が外輪を飾るという。
これはまた仮説。
果たしてそれが事実かどうか。
この小さなクレーターを作る実験と知恵が絞り出されていく。
だから、まさに少年ジャンプ的。
「友情」「努力」「勝利」
この手順でこの物語も進行する。

もうあきらめているが、ここからはラジオで語るのは非常に難しい、と。
武田先生には、読んでいてもその実験が文字で見えてこない。
なるほどテレビドラマ化するハズ。
これはもうテレビで見たら一瞬でわかるのだろう。
それでも文字で伝わってくるのは彼らの努力がどれほど凄まじかったか。
理解はしていないかも知れないが、感動したのは実はこの小説の中でここ。
重力の問題。
地球と火星では重力が違う。
火星では地球の0.38倍しか無いそうだ。
0.38倍の重力にする為には、夜間高校の実験室ではできない。
ところが実話の通り、高校生達がこれをやる。
重力を変えて火星での隕石衝突の再現。
これは相当大きい施設に頼まないとできるワケがない。
みんながそう諦めた時に、まあドラマでいうと見せ場。
藤竹先生が言う。
「いや、重力を変えることは可能ですよ」
前に何かのテレビのスペシャルで、飛行機で高くまで行って一気に失速すると重力を作るというのは見た水谷譲。
それに近い。

あなたたち自身は、いろんな重力をしょっちゅう体験しているはずですよ』って」−中略−
「『皆さんは、「ディズニーシー」に遊びに行ったことはありませんか?って。
−中略−
「『タワー・オブ・テラー』ですね」
−中略−
「そう、それ。真下に落っこちる乗り物なんだろ? 乗ったことなくても、ケーブルの切れたエレベーターを想像すりゃいい。自由落下する箱の中では、無重力になる」
(192頁)

 つまり、箱が落下する加速度を調節してやれば、原理的には好きな大きさの重力をその中に作り出すことができる。(195頁)

物理的には凄く簡単なことで箱の重さ、その反対側に箱の重さと同じ鉛を付ける。
そうすると手を放すと箱の方が落ちる。
それは重さが同じだから。
(同じ重さだと釣り合ってしまって落ちないのではないかと思う)
「その重さを変えることによって箱の落ちるスピードを変えることができますよ」という。
まず具体例でいう。
箱の落下速度を調節すればよい。
落下速度を変えればいい。
落下速度を変える為には反対側の重しで引っ張る力を強めにするとゆっくり落ちていく。
それを0.38倍になるところで止めればいい。
そうするとその重力が再現できるはず。
具体例でいきましょう。

天井に滑車を固定する。
井戸のつるべ。
その縄の端に重石を付け、反対の端に実験箱を取り付ける。
重石の調節によって0.38倍の重力の瞬間に鉄球を砂に落とす。
そうすれば火星のクレーター、その再現が箱の中で起きるはずだという。
箱の中だけが火星。
それをややゆっくり目の地上で落下する速度の三分の一になるように重石を反対側に付けて滑車を放す。
その時にその長さを計っておいて、その箱の上に鉄球を括り付け、そのスピードになった瞬間、ヒモがぎりぎりのところで結びつけられているので切れてしまう。
キレた瞬間に落ちる。
(本の内容とは異なる)
その数秒間の間に火星と同じ重力で鉄球が箱の下に敷いた土に激突する。
瞬間的。
しかしそれでも実験はできる。
火星と同じ重力が再現できる。

火星重力が維持できるわずか〇.六秒(211頁)

これを繰り返し繰り返し彼らは実験で割り出していく。
そしてついに火星と同じ0.6秒の瞬間を小さな箱の中に作る。
これを聞いていたJAXAもこのアイディアに負けたと思った。
それで引力の実験。
他の星でも重力の違うところはいっぱいある。
それを高校生のやり方でみんな真似をした。
それでその星で起こっていることを観測できる、実験できるようになったという。
このあたりはひどく感動したのを覚えている。

この物語を読みながら「人間の想像力というのは凄いものを生み出すことができるんだなぁ」。
「頭がいいとか悪いとかそういうことではない」「そこを超えている」と思う水谷譲。

ネタを使い切ってしまったか。
でも年を取ってくると全部のことが凄く気になるように・・・
武田先生はあの物理の教師、電車の振り子が揺れるのを見ながら地球の自転を証明しようと言ったあの物理の教師がよみがえった。
結局武田先生はその謎は解けたのかと思う水谷譲。
解けた。
物語を離れて一番最初にお話しした、あのつり革が揺れるのを見ながら地球が自転していることを証明しなさいという、あの高校三年の時の物理の授業に武田先生の思いは帰っていく。
一つの物理現象を目の前の実験でやりつつ、壮大な宇宙の理屈を割り出していくという。
それがフッと武田先生の個人史の中だが、高校生、生意気盛りの時に全く聞かなかった物理の時間に思いが戻って、あの時にその先生の話を聞いておけば一つは謎が解けたであろうに、先生の授業を聞かなかったというその無念がフッと思い出されて。
それが西鉄電車。
西鉄電車は関係ないが。
「つり革が揺れている」ということで「地球が自転している」ということを証明しなさいという。
武田先生は何を言っているのかわからなくて「つり革を見て地球が自転することがわかるわけないだろう」と思っていたのだが、実はあの物理の先生が教えたかったのはそこではない。
この物語の藤竹と同じで、つり革というのは「振り子」という意味合い。
とにかくつり革を作る。
それもつり革の短さだとすぐ止まってしまうからヒモを長くする。
それに数百キロの重石を付けて揺らす。
そうすると長いものだから揺れ続ける。
それをジーッと見ていると往復しない。
回る。
振り子がゆっくり回って行っているということかと思う水谷譲。
それが「フーコーの振り子」。
何で振り子は回るのか?
地面が動いているから。
(スタジオ内の電波が悪いのでドアを開けてYouTubeで「フーコーの振り子の動画を見る水谷譲)
(「フーコーの振り子」で検索するとたくさん動画が出てくるので、実際に番組で取り上げている動画がどれかは不明だが、一つだけ紹介しておく)



振り子を下げているその柱は、地面に直結している。
地面が振っている。
それがゆっくり違うところを往復するというのは地面の方が動いている。
この振り子の揺れによって地球がどの方向に自転しているのかもわかる。
今、見ているフーコーの振り子なのだが、少しずつずれている。
往復がゆっくり回転している。
「あの先生が言いたかったのはこれか」と。
なるほどそれで、地球が自転していることが証明できる。
もう少し詳しく言うと、自転の方向と逆回りだから日本で「フーコーの振り子」を揺らすと左に回る。
それで日本でいうと地球は右に回っているので、そうするとそういうことになる。
(多分逆)
たかだかこれしきの仕掛けでいろんなことがわかる。
さらに、頭が痛くなるかも知れないが、地球上のあるポイントではこれが全く動かない。
つまり「ずっと同じ方角に揺れ続ける」というポイントがある。
「赤道」だと思う水谷譲。
赤道は垂直に重りが引っ張られているので赤道上では往復を繰り返す。
そうやって考えると、あの先生が言いたかったのは小さな電車のつり革。
仕掛けはもちろんヒモの長さ等々違うのだが「それが揺れるというのも宇宙を貫いている物理なんですよ」という。
まだ映像がずっと続いているのだが、確かに振り子は普通にゆっくりゆっくり揺れているが、だんだんずれてきていると思う水谷譲。
これはもの凄く時間がかかる。
巨大な大地だから、球体だから、そう簡単に感じ取れるようなスピードではない。
映像を見たい人は「フーコーの振り子」で検索してください。
そうやって考えると物理法則、自転、公転、大気で何キロメートルにも達するような入道雲も小さなビーカーの中の味噌汁の煮え方でわかるとか、火星の重力でさえも実験室の中で再現できるとか。
面白いもの。
暮らしの中にはこのような物理法則がいくつも起こっている。
何か本当にそんなことをしみじみ思う。
それにしてもあの時、先生、もう今更ではあるが、授業をサボって申し訳ない。
ちゃんと先生に聞いておけばもうちょっとマシな・・・と思うのだが、あんまり贅沢を言わず、今、知ること、それでさえもやはり十分な知だというふうに思うので。

というワケで二週にわたって伊与原新さん、文藝春秋刊で「宙わたる教室」。
珍しく小説を。
物理実験のみを取り出して語ったという変わった回。
伊与原さんは「藍を継ぐ海」という短編集をお出しになって、これが直木賞に選ばれたという。
(第172回直木賞受賞作「藍を継ぐ海」)

藍を継ぐ海



伊予原さん、この人の考え方「自分達が生きているこの世界を貫く物理法則がある」「その物理法則というのが人間を豊かにしてるんだ」という。
物理と人間を結びつけたというのが武田先生は面白くてならない。
この人の直木賞受賞作品が何篇も好きなヤツがあったのだが、武田先生は「長崎の原爆資料を集めている」というのが好きだった。
(広島平和記念資料館の初代館長で地質学者の長岡省吾氏の活動に着想を得た「祈りの破片」)
長崎に原子爆弾が落とされた。
長崎のあちこちから遺品を集めたという人がいる。
焼けただれた茶碗とかそういうものを。
本当にいたらしい。
その人の廃屋があって、そこをガラクタだってみんな思っていて、よく調べたら原爆資料だったという。
科学で明かす為の証拠品として集め続けたという。
これも壮大な物語だった。
(「藍を継ぐ海」)
「藍」とは何か?
これは「海」。
「海を受け継ぐもの」というタイトルで四国のとある町にやってきたウミガメ(アカウミガメ)。
そのウミガメが付けていたタグがある。
そのタグを持って、異国のアメリカ人がその浜辺までやってくるという。
ウミガメの太平洋の旅は聞くと凄い。
そんなことを考えたこともない。
(ウミガメにタグをつけたのは)ウミガメの研究者の人。
それでもう本当にその時に伊予原さんが「痛いとこつくなぁ」と思うのだが、ウミガメのことを考えて村人は凄くウミガメを歓迎して、浜辺まで歩いてヨチヨチ歩きで行く最中に事故に遭ったりカラスに喰われたりしないように、かつて村人たちが卵を掘り起こして別の砂に移して大事に温めて子亀になるのを待って子亀を海に返したそうだ。
人間として優しい。
人間が手を加えることによって、助けたウミガメを全滅させている。
そのことが最近の研究でわかったという。
ウミガメが卵から孵る。
そうすると子亀の全身に「海に急げ」というホルモンが出る。
それは何日間かしか出ないもので、日にちが過ぎてしまうとそれは出なくなってしまう。
出なくなったのを確認して海に返してしまうと、ウミガメ自身が本能のパワーを無くしてしまう。
「優しさって何だろう」と思う水谷譲。
生き物を扱うということがいかに難しいか。
武田先生はこのへんを本当に思う。
生き物が生き物に対する思いというのはわからないでもないが。
タグをくっつけてそのウミガメを返す。
そのタグの成分がウミガメにマイナスだった。
とにかく人間が手を出すことによって、かえってその生物を絶滅に追い込んでいるという。
東日本大震災の時もそうだったが数か月でアメリカ北米に届く。
あの航路と同じ航路を辿ってウミガメは旅していって。
それでただ一点の自分の生まれた古里の浜辺を思い出して上ってくる。
あいつらも数十年かかるそうで。
ちょっと記憶が間違いないと思うが、確率から言えば千個の卵のうち、交尾できるウミガメに育つのは二匹。
だからやはり冷酷かも知れないが「その法則に従わなければダメなんですよ」という。
伊予原さんがそうおっしゃる。
その言葉に凄い説得力がある。
「人間が下手に手を加えてはいけないんだな」と思う水谷譲。
暮らしの中には小さな事象、いろんな森羅万象がある。
「リンゴが木から落ちる」とか「走る電車のつり革が揺れている」とか「空が青い」とか「夕焼けが赤」いとか。
実はその裏側には広大な宇宙の物理が働いている。
武田先生がもっとも感動したと言ってもいいと思うが、巻貝というのはある。
あの巻貝の巻く方角。
銀河の巻き方と同じ。
あれの通りに貝は巻くそうだ。
そんなふうにして考えると「私達の中にとても大きな宇宙がある」ということ。

武田先生は、古里の高校の先生ではあるが、こんな話を覚えている。
「私達は星の欠片でできているのです」



2025年4月25日〜5月9日◆りんごの物理(前編)

これの続きです。

(本放送では初日の冒頭にQloveR(クローバー)の入会キャンペーンの宣伝が入る)

水谷譲が直感鋭く「うわぁ〜物理ぃ〜!?」と言っていたが、普段の暮らしの中で物理の法則を意識するなんていうことは無い。
「ああなるほど。これは物理だ」とかニュートンみたいにリンゴが落ちる、その時に頭の中に引力というものの方程式が横切るとか、ピサの斜塔から物を落として落下速度とかそういうものの方程式が駆け巡るというのは無いワケで。
ただ、最近凄く面白い作家さんが現れた。
武田先生の普段の暮らしだが、まだ朝明けきらぬ空だが、人の声が聞きたくなって、申し訳ない。
つい(ラジオの放送局を)NHKにする。
喋り口が静かなので勉強しやすい
(「NHKの放送というのはこっち側の考え事を邪魔しない」は本放送ではカット。QloveRの宣伝に使った分の調整と思われる)
その番組の中で作者が出てきて自分の本をプレゼンするという、そういうコーナーがある。
ある作家さんが出てきて、
(「『どうしてこのような物語にしたんですか?』とアナウンサーが訊くと」は本放送ではカット。この後もところどころ細かくカットされている)
「世界には物理の法則というのがあるんですよ。物理の法則というのは普段の暮らしと結び付いた時、私達はその出来事から宇宙全体を感じる時がある。そんな小説が書いてみたかった」
これが引っかかった。
その目の前の出来事から宇宙全体の動きがわかるという。
でもそんなことが日常あるワケがない。
リンゴを見ても別に何とも思わないし。

でも武田先生の頭の中に一瞬よぎる思い出があって、武田先生が17歳ぐらいのいわゆる反抗期の頃。
高校に通っていて丸坊主頭で、生徒会長をやりながら柔道部に所属していて。
そんな時に物理の授業が面白くなくて。
もう物理に関しては、平べったく言うと「だから何だ」「何が面白いんだ、それが」みたいな。
そんな時に高校で教わる物理教師で地味な先生がいてせっせと授業をやるのだが、申し訳ない、誰も聞いていない。
クラス全体が騒ぐ。
「喧しい!聞け!」とかと言えばちょっと怯えるのだが、その教師がずっと我慢しているものだから、先生の声なんか聞こえないぐらいみんな世間話をしている。
武田先生は「柔道の練習が終わったら、今日はうどんにするか焼きそばにするか」というのをハンドボール部キーパーのイトウ君と語り合っていた。
さすがに教師もキレたらしくて授業をやめた。
すると物理教師がこんなことを言った。
「皆さん方は今朝学校に来る時、西鉄電車でやってきました」
武田先生達は西鉄電車の下大利という駅で降りる。
「西鉄電車でやってきました。その時に皆さんは電車が今動いている、止まっているというのは皆さんどうやってわかっているんですか?」
「それは体が揺れますもん」とかみんな言う。
その物理教師が「西鉄電車にはみんなつり革が下がっています。つり革が止まっていれば電車は止まっています。つり革が僅かでも揺れていれば電車は走っています。それは皆さんわかりますよね」。
そんなことわかる。
それにハンドボール部のイトウ君が「目をつぶってもわかります」と言った。
電車が走っているか止まっているかぐらいだったら。
そうしたらその物理教師が「では同じ理屈を使って地球が自転していることを証明しなさい」。
電車のつり革から、いきなり地球の自転に持って行った。
それがワケわからなくて、クラス全員50数名いるのだが「はぁ?」というヤツ。
教師はやはり武田先生達を物理世界に誘いたかったのだろう。
「いや、わかる。そういうことがつり革一つで。それはね・・・」と言った時にチャイムが鳴った。
もう聞きはしない。
全員早速学級委員が「起立!」と言ってお終い。
つり革で地球が自転していることを証明するなんて、もう全く興味が無かった。
でも、ここからが年齢ということの不思議さ。
変わってくる。
「あの先生は何を言いたかったんだろう?」とか「つり革で本当に地球の自転が証明できるんだろうか?」とか不思議になる。
それで30年の歳月が過ぎて、創立記念日に会った時に武田先生はその高校に舞い戻る。
それで体育館でパーティーをやっていたのだが、武田先生は物理教師を探した。
残念ながら亡くなられておられた。
目の前の出来事から宇宙の動きを察する。
そんなことが果たして・・・という思い出と、「普段の小さな暮らしから宇宙全体を察することのできる現象があるんです」というその作家さんのことが気になって、その作家さんの本を読みたくなった。
まあ探した。
とにかくこの本を今週、紹介しようと思っている。

齢(よわい)70を過ぎた武田先生だが、日常の現象から宇宙全体の現象が繋がるというその作家さんの一言に惹かれて彼の本を探し出した。
作家の名前は伊与原新さん、文藝春秋刊。
これはたくさんの方が読んでいるのではないか?
「宙わたる教室」

宙わたる教室



(本の中の傍点部はアンダーラインで表記する)
この人は今年の直木賞を取った。
それも凄く面白かったが、伊与原さんすみません。
武田先生は「宙わたる教室」が一番面白かった。
小説。
これはNHKでドラマ化されていた。
宙わたる教室 - NHK

宙わたる教室



申し訳ない。
見なかったが。
これは見ておけばよかった。
これはテレビの人が飛びつくハズ。
テレビドラマとして面白くできそうな予感がする小説。

物語の舞台は東京新宿にある都立高校の定時制。
髪の毛を真っ赤に染めた(本によると金髪)廃品業の青年とか、自分の経営する中小企業の工場を閉めて看病に当たっている中小企業の男、それからフィリピンの中年女性もいたり、それから手首を切ること、そういう自傷行為に走る子とか、そういうゴッタ煮の教室の中で藤竹なる教師は物理の面白さを説いてゆく。
しかしどう考えても「そんな人達がいわゆる物理に興味を持つハズが無いな」と思ったりする。
最初の方の物語に出てくるのは廃棄物処理で働く岳人なる青年。
(番組では「岳人」を「ガクト」と紹介しているが、本によると「タケト」)
小学校、中学校・高校でも成績不振。
(本によると高校へは進学しなかったようだ)

 読み書きに難があることは、どの職場でもふとしたきっかけで知られてしまった。露骨にばかにされたときはもちろん、冗談半分にからかわれただけで、今回のように手が出た。−中略−そんな人間が、職場に長く留まれるわけがない。(24頁)

この子はどうしても高校卒の免状が欲しい。
トレーラーの大型免許を取る為にはその免状が無いと取れないらしい。
(そういった事実は無い。本によると高卒資格取得の為ではなく運転免許を取得できる程度の読み書き能力を見に付けることが目的)
でも彼は文字を読むのが凄く苦手。
この作家さんは惹き込むのが上手い。
夜間高校に行くと、この藤竹なる熱心な先生がいる。
岳人が字が読めないということを、その先生が見抜いてしまう。
それで岳人も呆然とするのだが。

「ディスレクシア……」初めて聞く言葉だった。
「読み書きに困難がある学習障害です。
(32頁)

でもこういう例を使った方が分かりやすいだろうと思うがトム・クルーズがこれ。
読字障害、文字が読めない。

はねはらいも含めて線の太さが均一で、濁点なども大きめ。より手書きに近いので、文字の形をとらえやすい。ディスレクシアのために開発されたフォントです」(31頁)

脳の方の障害らしいのだが、その形を見ると脳がはじくという。
藤竹のその診断を聞いて、岳人は烈火のごとく怒る。
「オマエ俺のこと生まれつきのバカって言いたいのか」
でもそうではない。
藤竹は説得する。

「バカどころか、聡明な人だと私は思いますよ。いくら練習しても歌が下手な人、球技がだめな人がいるように、単に君は読むことや書くことが──」(32頁)

大谷翔平なんかもそう。
あれだけ凄い人ながら、バスケットなんか突いた瞬間手が合わないという。
サッカーも相当下手。
これと同じで「フォント」というそうだが、書体を変えたら夢のように読めるようになる。
今、簡単にできるから。
パソコンなんか文字の書体を変えられるから。
だから彼に渡すメモに関してはタブレットで書体を変えて渡す。
そうすると岳人は読める。
それはただ単にその文字の形が苦手というだけで知能とは関係ない。
その時に藤竹の魔法にかかった岳人は一瞬で世界が変わる。
この岳人を導く藤竹なのだが、ある日授業でとても不思議なことを言い始める。

藤竹は天井を指差した。「空はなぜ青いのか? 正しく答えられる人はいますか」(37頁)

そうするとフィリピン人の奥さんもリストカット好きの少女も中小企業の元社長もその当然は知らない。
「目の前の出来事を宇宙にまで拡大できるという授業が実は物理なんだ」ということで藤竹は「なぜ青空は青く見えるのか」「夕日は赤く見えるのか」の実験を教室で見せるという物語。
というわけで教師藤竹が授業で「空はなぜ青い」「夕焼けはなぜ赤い」という、空の物理を説明し始める。

 藤竹は、黒板の前に立てた縦長の段ボール箱の頭を開き、上から中に腕を突っ込んだ。何かスイッチを入れたらしく、白い光が開いた口から上方に放たれる。
「箱に入っているのは、強力なスポットライトです。
−中略−
「このライトを太陽だと思ってください。太陽の光は白色光ですが、プリズムなどを通すと、赤、橙、黄、緑、青というふうに連続的に分かれて見えることは知っていますか」
−中略−
太陽光には様々な波長の光が含まれていて、波長によって色が違う。波長が短いのが青色で、長いのが赤。すべて混ざっていると白い光になる。
−中略−
「誰か、たばこを吸う人──ああ、柳田君、たばこ持ってますよね? ちょっと前へ来て手伝ってください」
−中略−
藤竹はすたすたとスポットライトに近づき、その直上にたばこの束を掲げた。光の帯の中に、煙が立ちのぼる。
「どうです? 煙が青く見えませんか?」
−中略−
光の当たった部分が青みがかって見える。
−中略−
「太陽光が大気中で、空気の分子などの微粒子にぶつかると、四方八方に散乱を起こします。レイリー散乱という現象です。その際、波長の短い光は空気分子にぶつかりやすく、波長の長い光は通り抜けやすい。つまり、太陽光のうち波長の短い青い光がもっとも強く散乱されて空全体に広がり、たとえ太陽に背を向けていても、我々の目に飛びこんでくる。それが、空が青い理由です。
(38〜39頁)

この光が強ければ強いほど青は深くなる。
だから電灯では無くて太陽の明かりなんていうのは真上からバーっと降り注ぐと真っ青な青空になる。
まだ水谷譲はついていけていない。
武田先生もしばらくこれを考えた。
でも皆さんは経験したことは無いか?
昔は映画館でタバコを吸っていた。
(あの時の映画館でのタバコの煙の色は)青い。
武田先生は覚えている。
小林旭「銀座旋風児」

二階堂卓也・銀座無頼帖 銀座旋風児



武田先生は小学校六年生。
その時に館内にタバコを吸うおじさんがいて、タバコ(の煙)をフーっと吹くとそのスクリーンを映すための光が出ている。
それにタバコの煙が混じると、青かった。
何でかというと吐く時は白い。
闇の中でも白く見える。
それが光の中に当たった瞬間、青くなる。
だから今、みんな礼儀正しくなっちゃってそういうのがわかりにくくなった。
それで藤竹の凄いのは、そこからまた一工夫する。
そのタバコを吸ってフーっと吹く。
「これが青空が青く見える物理ですよ」

藤竹は別の一本をこちらに差し出す。「すみませんが、煙をしばらく肺に溜めてもらえませんか。できれば一分間」−中略−
「はい、光の当たっているところに吐き出して。ゆっくり、そっとですよ」
 岳人は口をすぼめ、静かに煙を吐く。
「今度は煙が真っ白でしょう。雲のように」
−中略−
「煙の粒が、柳田君の肺の中で水蒸気を含んで、ふくらんだんです。粒子がある程度大きくなると、すべての波長の光を同程度に散乱させます。だから、出てくる光は白くなる。ミー散乱という現象です。雲を構成する水滴や氷の結晶は粒が大きいので、ミー散乱が起きます。それが、雲が白く見える理由」
(40頁)

水谷譲は波長とか微粒子は全くよく理解していないのだが「同じことがここでできるんだな」ということにちょっとびっくりした。
つまり大きい言葉で言うと、ここに物理の面白さがあって、目の前の事象は全宇宙を貫いている真実だということ。

これで「雲が白い」「空が青い」がわかった。

日没近くになると、太陽光が大気を通る距離が長くなり、青色以外の光も散乱の影響を受けるようになる。したがって西の空を見ると、もっとも波長が長く散乱されにくい赤い光が生き残って目に届く。それが地球の夕焼けが赤い理由だという。(99頁)

赤い色は長い波に乗ってやってくる。
「理解できません」という。
もうずっと(スタジオの中で)語り合っている。
とにかく光というのは波。
後にアインシュタインが見抜いた如く、光は粒であり波。
その両方の性質を持っている。
波でやって来る。
波の名画と言えば葛飾北斎の「神奈川沖浪裏」。

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あの中には三パターンの波が出てくる。
富士山を包まんばかりの大波と、人間がしがみついている中波があって、その一番右端に小波がある。
あの大波に乗っかっているのが赤い色。
全部波なのだが大きな波に乗ってくるのが赤い色。
一番小さい波に乗ってくるのは青。
乗っている波が違う。
太陽が真上にいる時は真っ青に空が見えるのは地表と太陽の関係で垂直なので、短いので真っ青に上空が見える。
ところが夕日が沈んでいくので、横になるから空気の層が厚くなる。
そうすると次々に青いヤツははじかれて見えない。
一番大波でやってくるヤツに空気中の埃みたいなものがぶつかって真っ赤に見えるという。
「埃」というと響きが悪くてごめんなさい。
その空気の成分に当たってしまう。
だからどの波がどの塵に当たるかで色が変わる。
どの波がどの塵に当たるかで色は変わる。

この授業が終わった後、ちょっと不思議な習慣が出て、定時制の彼らはそれから空を見上げる人間になってゆくという。
この作家さんは上手い。
次々に藤竹は面白い実験をやっていく。

 ビーカーは小さなホットプレートに載せられ、加熱されている。味噌汁が温まる様子をこうして真横から見るのは初めてだ。(50頁)

「味噌汁の表面に、サラダ油を浮かべてありましてね」藤竹が眼鏡に手をやった。「表面の蒸発による冷却が抑えられていることもあって、対流が間欠的に起こるんです」(51頁)

「味噌汁で積乱雲を作る実験ですよ」藤竹が答える。−中略−
 味噌の濃い部分がビーカーの底から三分の一あたりまで溜まり、上澄み部分と分離した。そのまましばらく待っていると、突然味噌が下からもくもくと沸き上がり、液体の上面で横に広がる。
「ほんとだ。入道雲みたい」
 ビーカーの中をぐるっと回った味噌は、またゆっくりしたに落ちていく。
「液体や気体をしたから温め、上を冷やすと、対流が起こりますね」藤竹が手振りをまじえて説明する。「温められた部分は密度が小さくなって上昇し、上で冷やされてまた落ちてくる。物質そのものが上下にぐるぐる回って熱を運ぶわけです」
(50〜51頁)

そしてこの一言は魅せられた。

「我々は、対流の世界を生きているんですよ」藤竹が続ける。「地球のダイナミックな現象は突きつめればほとんどすべて、対流による熱の輸送が引き起こしたものです。雲も雨も風も海流も、地震も火山も」(51頁)

この対流の法則というのは恋愛関係も対流。
よく考えてみると恋というものは入道雲かも知れないという。
雨も降れば雷も鳴る。
それは対流だから。
新婚当初からもう70、80になると、綾小路きみまろのやるあの漫談の通り。
あれは悲しい。

「あなた、どこにいるの?あなたがいなければ生きていけない」
あれから40年
「何呼んでんの、人を」


対流。
これは武田先生の家庭のことを話しているのではない。
一般論として語っている。
面白い。
「世の中は全て対流で」という。
皆さん、全部「対流」。
アメリカは今、元気がいいが、もうすぐ元気がなくなる。
対流。
そうやって考えると簡単に「勝った負けた」なんぞ口にするものではない。

藤竹は小さな世界で次から次へと面白い物理現象を見せてくれる。

 まず、すき焼き鍋に水飴を深さ数ミリ程度まで流し入れ、IHヒーターで加熱する。百四十度で煮立たせて一分ほどすると、泡立ちがおさまり、粘り気が出てくる。水飴が黄金色に変わってきたところで、藤竹が「もういいでしょう」と声をかけた。−中略−このまま固まれば、べっこう飴の完成だ。冷めるのを待つ間に、岳人が大きなバットに氷水を用意する。−中略−藤竹は、「よし、氷水へ」と命じる。岳人はすき焼き鍋を両手で持ち上げ、静かにバットに入れた。
「何なに? 何が起きるの?」
「地震だよ」
(63頁)

すき焼き鍋の飴からピチピチとかすかな音が聞こえてくる。音はだんだん大きくなり、やがてパリッという音とともに、ふちのほうに小さなひびが入った。(63頁)

 パリッ、パリッという断続的な音とともに、新しい割れ目がどんどん生まれていく。直線的ではなく、円形に閉じた割れ目だ。
「地震というのは、地殻の破壊現象です」藤竹は言った。「固い物質に力が加わると、わずかに変形することでそれに抵抗しようとしますが、力が大きいとどこかで限界を迎え、破壊が起きる。同様に、固まりけたべっこう飴を急冷すると、熱収縮によって飴の内部に力が加わって、クラックが生じます。つまりこれは、地震発生モデル実験になっているわけです」
(64頁)

割れていくプチプチプチという音があるが、あれを録音しておいて波形を取る。
それを地震と比べると全く同じだそうだ。
つまり我々はべっこう飴の上に住んでいる生き物。
では鍋の底は?というとマグマで。
距離があって熱は我々には届かないが、でも急激に冷えることによって裂け目ができやすい。
地震の波と同じ波形をこのピチピチピチは描くそうで、割れ方は地球の逆断層、正断層の割れ方と全く同じ。
我々はべっこう飴の上に住んでいる生き物。
鍋で大地震を縮小して見せてくれる科学実験。
もの凄くわかりやすい。

藤竹の物理はだんだんだんだん夜間の生徒達を巻き込んで物理実験にのめり込んでゆく。
そしてある日のこと、この藤竹が凄いことを言いだす。
それは「物理実験で違う世界に行ってみよう」と。
「今までは地球であるものを再現してきたけど、我々は知恵さえあれば宇宙のどこにでも行けるから宇宙のどこにでもあることそれを小さくして見ることもできるかも知れないよ」ということで。

アクリル水槽は、幅二十五センチ、高さ十センチほどのものだ。中に入っているのは、今回も、水と酸化鉄の粉末。
 水槽の右側にはスタンドに取り付けた白色LEDライト、左には小さなスクリーンがセットしてある。ライトを点けると、光は水槽を通り抜けて、スクリーンに当たる。その色は、うっすら青い。火星の夕焼けだ。
(112頁)

酸化鉄というのは遠い遠い火星にある地面の成分。
だから風が吹くところみたいなのでその酸化鉄の粉がアクリル水槽の中で少し微塵、粉となって浮かんでいる。
それを強烈なライトで照らすと青になる。

火星の大気は極めて薄いのですが、その代わり風によって巻き上げられた塵が大量に含まれている。塵の粒子のサイズは赤色の波長に近いので、太陽光のうち赤い光をより強く散乱させます。ですから、火星の昼間の空は赤っぽい。夕方になって太陽高度が下がると、散乱されずに残った青い光が我々の目に届くので、青い夕焼けが見られるというわけです」(99頁)

これはただ単に想像ではない。

 オポチュニティは、−中略−二〇〇三年七月に打ち上げられ(101頁)

NASAの火星探査車です」(100頁)

これが送って来た火星の一日の情景で、オポチュニティが火星の赤い青空と火星の青い夕焼けを送ってきている。
このブルーが綺麗の何の。
「何のごみもないから綺麗なんだ」と思う水谷譲。
違う。
そんなふうにして持ち上げてはダメ。
「火星だから人間住んでないから綺麗だろ」と思ってはいけない。
これは火星の事情でそうなっている。
つまり大気の質が違う。
大気中に漂っているこまやかな微塵。
それが性質が変わると見えてくる色が変わる。
つまり波がやってくるのだが、当たるもので色は変化する。
「オポチュニティ」を引くと、この火星の赤い青空と青い夕焼けを見せてくれる。
72 火星探査機オポチュニティ Stock Photos, High-Res Pictures, and Images - Getty Images
そうすると、とにかくあの夕焼けの美しさ。
吸い込まれる。
話はここから壮大なる宇宙へと繋がっていく。



2025年4月25日〜5月9日◆りんごの物理(序)

(4月25日は「言葉のレンズ」の回の週の最終日なのだが、翌週から始まる「りんごの物理」の話なので、この日の分も「りんごの物理」として紹介する。内容的に翌週のものとかなり重複している)

大ネタに入ってしまう。
だからまた来週続くかも知れない。
これは、「(今朝の)三枚おろし」としては珍しく小説。
「どういう動機でこれを取り上げたか?」という我が思い出と絡めてこの一篇の小説を語りたいと思う。
まだ朝明けきらぬ空、武田先生は勉強を開始している。
昨今は6時には勉強を開始する。
遅くても7時までには。
朝の10時までが武田先生の勉強時間。
3〜4時間。
その時に家の者は誰も起きてこないのでラジオを点ける。
NHKの放送が声が穏やかなものだから勉強をしながら聞くにはもってこいで。
何か人の気配を感じていれればいいので、ずっとボリュームを押さえて聞いているのだが、男性の声がクールに何事かを語っている。
そのラジオの喋りの中でこんなことを言っていた。
「物事の真ん中には必ず物理法則があるんですよ。その法則は当たり前のことで気にもしない。普段は。でも、物理を知るともう一つ新たな世界が見えてきて、その世界の広さに気づくことがある。そのようなことを私は物語にしたかったんですよ」と著者が語っている。
「物理法則を小説にする」という。
この方が今、もうウケにウケている。
直木賞をお取りになった。
伊与原新さんという方。
(第172回直木賞受賞作「藍を継ぐ海」)

藍を継ぐ海



この方は別の短編集の方でお取りになったのだが、武田先生が興味をそそられたのは「宙わたる教室」という学園もの。

宙わたる教室



「物理法則を知る」ということがもう一つ広い世界を知ることになるという。
実はこんなことがあった。
17歳だったと思う。
高三だったか。
反抗期真っ盛りの頃、物理の授業を受けていた。
この物理がもう退屈で退屈で堪らない。
実験室の階段教室で白衣を着た物理教師は何やら物理式を黒板にカツカツカツと書いて、物理法則と物理世界を懸命に説明する。
これが興味も何も湧かない。
そこで仕方なく隣のハンドボール部のキーパーをやっていたイトウ君と二人で・・・
「四文字熟語を作れ!」と高校の先生から言われて、先生から「しっかり準備することは何と言うか?用意、用意・・・」と言ったらイトウ君が「用意ドン」と言った。
そういうイトウ君と部活帰りに何を喰うかのヒソヒソ話をしていた。
50人程のクラスだが、この教師の話を聞いているものなんていうのは殆どいない。
あっちこっちでヒソヒソヒソヒソ話している。
その私語がだんだん喧しくなってくるという。
カーッとなって「喧しい!」とかと怒鳴ればいいのに、大人しい物理教師で何も言わない。
ところがその物理教師が反抗期盛りのゴツい高校生の武田先生達に向かって突然、珍妙なことを言い始めた。
「皆さん方は今日は電車で大半の人がこの学校に来とります」
武田先生達は高校を西鉄電車で電車通いの人が多かった。
この物理教師はこんなことを言う。
「今日も西鉄電車で大半の皆さんはこの学校まで来ましたが、停車した電車のつり革と走っている電車のつり革の違いは何ですか?」
頭の悪い子でもわかる。
止まっていればつり革は揺れない。
走っていればつり革は揺れる。
当然。
武田先生もアホだったがそれぐらいはわかる。
「そんなことは眠っとってもわかる」と武田先生が言ったらクラスがバカウケした。
しかし、物理教師は笑わず神妙なままこう続けた。
「では止まっている電車のつり革と、走っている電車のつり革の違いを使って地球が自転していることを証明する為にはどうしたらいいでしょう?」
もうばかばかしくて「だから何だっつうんだ?」という。
50名一クラスの生徒が唖然として物理教師を見ている。
大半のものが質問の意味がわからない。
電車のつり革と自転する地球がどうやっても結びつかない。
それでみんな「ええ〜?」とか言いながら不満の声を上げながらザワザワザワとしたのだが、その物理教師は「つり革の揺れで地球の自転が証明できるんですよ」と笑った。
その時チャイムが鳴った。
昼休みの食堂へ行く時間だというので、学級委員が「起立!礼!着席!」でウワ〜ッと散ったという。
それで終わり。
ところが年を取るというのは面白いもの。
50歳ぐらいになった時に「電車のつり革と同じ理屈で地球の自転を証明するというのは何だろう?」と思い始めた。
そうは思わない水谷譲。
何十年過ぎたでしょう?
とにかく18歳の時、高校三年の時のあの日、あの問題を解く為に武田先生は物理法則を遡ることになったが、それがこの伊与原新さんの「宙わたる教室」とピタッと重なるところがあって、来週からの 「宙わたる教室」の回でご説明したいと思う。



2025年06月23日

2025年3月3〜14日◆悪について(後編)

これの続きです。

「悪について考えよう」という今週だが、時代そのものが「悪の時代」なのではなかろうかということ。
これは製作にもいろんな意図があるだろうが、例えば配信動画の中では武田先生も見たが「サンクチュアリ」「地面師(たち)」「極悪女王」「ゴールデンカムイ」など。
暴力、殺人、詐欺。
それが物語の大きな流れになっているという。
悪をどう描くかが今、とても大事で。
正義の味方と同量、悪も描かないと物語が成立しない。
出てくる人がいい人、悪い人、というのは非常にわかりにくい時代になってきたのではないだろうか?
それ故に少年ヒーローの徳目「友情」「努力」「勝利」、これを読み間違えて闇バイトに走っているのではないだろうか?という。
さてマンガ家、「ジョジョの奇妙な冒険」の作家である大変な売れっ子さん、荒木さんはマンガ作家として悪について実に細かく細部からつくりこんでおられる。
先週もお話した通り、この方は悪というものを徹底的に調べた。
それでその上に悪役を作る時はその名前から服装、表情、そして悪へ傾斜していった動機等々悪の手口から悪の喜びまで、これが構成されないとストーリーが動いていかないそうだ。
配信動画の方へ目を転じる。
「ゴールデンカムイ」「サンクチュアリ」「極悪女王」「地面師たち」等々がある。
これは全て悪の物語。

日本の悪役というのは伝統芸。
だから伝統芸の要素というものを演技の中で表現しなければならない。
例えば武田先生達が子供の時に見たのは時代劇スターが主役で中村錦ちゃん(中村錦之介)とか 勝新太郎「座頭市」とか、そういう時代劇のヒーローが立つと、出てきただけで悪役とわかるという。

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「水戸黄門」がそう。
水戸黄門で一番求められるのは悪役がちゃんと悪役らしく演じるからわかりやすい。
迷うことはない。

ちょっとこの悪役の伝統というものに触れてみる。
ラスボス、一番偉いボス、或いはお代官様。
これは無表情であること。
そして笑う、怒る、叫ぶはなるべく突然に。
歩く歩幅は大きくしかもゆったりと。
他者を見る時は真っすぐ見下す。
やや上から目線で「そちが・・・」とか言ったりなんかすると「あ、この人は悪い人だ」。
日本人は非常に敏感に「あ、この人、悪だ」と。
「上で待てばよいのか、下で待てばよいのか作法をお教えください」「そのようなこともわからんのか。田舎大名。フナじゃフナじゃフナ侍じゃ」

忠臣蔵



こういう演技。
そうするとみんな怒るという。
ラスボスの下の方の子分はどうするかというと、これは姿勢は半身。
半身というのはちょっと足を前後させて腰を低く。
それで斜に構える。
正対しない。
肩なら肩だけを向けて斜に構える。
表情はなるべく左右対称にしない。
「へっへっへっ。冗談じゃないてんだよ」とか何か言いながら。
表情は歪ませる。
笑い声は鼻で笑う。
アゴを引き上目遣いを基本とし、喜怒哀楽の表情は混ぜて。
目は怒りの表情ながら口元は笑っている。
「なんだと?」
こういう(演技の仕方をする)。
上手い(自画自賛)。
こうすると悪党に見えるという。
この法則は面白い。
基本形だと思う水谷譲。
これは自分で悪役をやると本当に伝統芸は身に沁みてわかる。
武田先生の悪役は「白夜行」だと思う水谷譲。

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あれでこういうことを次々と思いついた。
刑事なのに悪役。
殺人犯を追っているので刑事で正義の味方なのだが、表情は悪役。
だから顔を左右対称にせずに片一方が笑っているような頬の上げ方をして、片一方は下がっているという。
こういうことをすると悪役に見える。
憎々しい刑事だったと思う水谷譲。
こんなふうにして悪というのは作法に則ってやるワケだが、昨今はちょっと冷たい言い方をするが、最近の配信動画を見ると皆さん、悪の作法を知らずにキャメラ割りに頼っておられる。
それが意味の無い目のアップ。
何であんなに多用するのか?
バーン!と目のアップに寄る。
ツーショットを映しておいたかなと思ったら悪党が何か思いついたら目のアップ。
でも本当のことを言ったら俳優さんが悪を演じないとダメ。
そのへん頑張ってください、若い方。
こういう「悪のお芝居」というのは長い映画の伝統の中で磨かれた伝統芸、作法。
配信動画の中の悪というのは、いささかハリウッド映画の影響を受けている。
俳優さんの芝居を見ていると「この人はアメリカ映画見過ぎだな」と思うのがある。

悪役の演じ方とかそういうのを語り始めると、水谷譲がだんだんノってきた。
その手の話になると面白いという。
何に関しても言えることだが、皆さんがご覧になっている時代劇の「SHOGUN 将軍」、それから大河ドラマ「べらぼう」。

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あのあたり、若い方あたりが時代劇の作法をはずしておられる。
それは武田先生は昭和を生きてきたからいろんな悪役の人とすれ違った。
彼らには演じるにあたっての作法があるのだが、昨今の方は作法が無い。
そんなことを感じる。
ハリウッドの映画を受けた時代劇に於ける芝居というのは、やたら相手に向かって話す。
大河ドラマもズバリ言うが、セリフを言う時に目と目を合わせ過ぎ。
セリフを相手役に渡そうという芝居が芝居だと思っておられる。
そうじゃない。
芝居に於けるセリフというのは相手に渡すのではなくて観客に渡さなければいけない。
その典型が歌舞伎。
歌舞伎というのは正面を向いてセリフを言うのだが、観客にセリフを渡す。
悪党は悪党の芝居を、正義の味方は正義の味方のお芝居をやる。
作法が全部決まっている。
何かその違いがあって。
大変になるとだんだん声が大きくなっていって話す。
それはない。
話が深くなると声を低くしていくのが時代劇の伝統。
叫ぶことは殆どない。
それから相手とは目を合わせない。
水谷譲と武田先生は目を合わせているが、それは仕事の関係で合わせているだけであって、お互いに何の感情もない。
ちょっと雑駁な言い方になったが。
ラブシーンを見ていて思うが、最近の恋愛ドラマは見つめすぎ。
相手を見つめることが愛の証だと思うせいか。
見つめるなんてちょっと照れくさくてできないと思う水谷譲。
普通はそう。
プロポーズの時だって日本人は相手を見つめない。
違う方向を見ながら「俺はアンタのことを思うと夜、眠れないんだ」と言う。
見つめて言えない。
悪役同士が向かい合って悪事の相談をしている。
日本の時代劇では悪代官と越後屋がヒソヒソと語り合うというあのシーン。
悪の相談をする時に正対している。
この時に悪の順位が分かるという。
ボスの方は必ず床の間を背にしているとか。
この時に一番声を低くする。
「(小声で)主水之介をどう始末するかじゃ」とか何か言ったりするともの凄く納得できる。
それでいよいよ主水之介が現れてコイツを殺す場面になると、もう悪いヤツは見つめ合わない。

旗本退屈男



ところが最近、悪い人を描く時、ミーティングをやる。
何の作品というのは不味いから言わない方がいいか。
悪者たちがミーティングをしているのはドラマで見た水谷譲。
丸いテーブルを囲んでやる。
悪いヤツが円卓のテーブルに並んで悪事を相談する。
これが何だか武田先生には違和感。
これは悪の描き方が個人ではない。
集団化されたグループゲームになっているので、友情と同様に悪も円卓のテーブルで円陣を組んで語り合うという。
つまり悪にもチームワークが必要という。
今でいう悪というのはチーム。
役割分担があって。
部屋の外で見張るヤツと、部屋まで運ぶヤツと、そういう段取りと役割分担がこまやかに決まった「悪のチームプレイ」というのが今のこの悪のやり方になってしまったという。
これはまさしく悪に於ける「友情」「努力」「勝利」。
こういうもので支配されているグループの結束なのである、と。
これが政治の中にも反映されて。
「友情」「努力」「勝利」
これが国際政治の中でもジャンプふうになってしまって、皆さん真似しておられる。
プーチン、習近平、ネタニヤフ。
皆さん全員グループでミーティングをやりながら「少年ジャンプ」の結束、「友情」「努力」「勝利」を目指しておられるという。
ちょっと意外なところに行くかもしれないが、この意外なまま突っ走ろうと思う。

2000年代に入ってから世の中の流れが変わった。
かつて武田先生達が少年だった時の少年ヒーローの徳目、彼らの特徴は「勇気」「正直」「親切」。
これが少年マガジン時代。
それが2000年代あたりから変わって少年ヒーローの徳目、そのキャラクターはというと「友情」「努力」「勝利」。
この「少年ジャンプ」の影響が国際政治にも反映して、皆さんジャンプ的になってしまった。
トランプ、プーチン、習近平、金正恩、ネタニヤフまで風貌はラスボス的。
ラスボスという顔をしている。
トランプさんはピッタリ。
彼らにとって外交というのははっきり敵を想定して激しく憎むこと。
みんなそう。
「激しく敵を憎む」という。
これが一番必要とするのは何かというと「友情」。
つまり徒党を組みたがる。
例えばイスラエルは「アメリカの後ろ盾があって」とか、みんな連携してやりたがる。
プーチンさんなんか全然仲良くなかった北朝鮮の将軍様と仲良く手を組んだりなんかして。
やはり「友情」。
「僕達頑張ろうね」
戦線にそこの兵隊さん達がいって加勢しているワケだから。
目指すのはたった一つ。
彼らが目指しているのは何か?
これはトランプさんもプーチンさんも習近平さんも正恩さんもネタニヤフさんもみんな同じ。
「勝利」を目指している。
ジャンプ的。
かつての時代、「少年マガジン」の頃はというとその頃の政治家はジョン・F・ケネディ。
この人はどう考えても「勇気」「正直」「親切」の人だった。
この人の演説はかっこいい。
「次の何年までに我々は人類を月に送り込もう。そして最も深い海まで潜ろう」
彼の呼びかけというのは勇気に溢れ正直で親切だった。
だから公民権もやはり認めた。
「黒人の人には権利があるんだ」という勇気。
それ故にああいう悲劇が。
本当にこのジョン・F・ケネディとかというのは少年マガジン的ヒーローだった。
でも「勇気」「正直」「親切」を言う政治家が今もいらっしゃる。
日本の石破さん。
この方は「少年マガジン」。
「勇気をもって野党の方、語り合っていこうと思うんです」「楽しい日本にしましょう」
やはり石破さんは「少年マガジン」。
一番胸がときめくのは迫力が悪役的。
山本太郎さんを睨む顔なんていうのは。
もう目が白くなると思う水谷譲。
もう素晴らしいと武田先生は喝采を送った。
だからこれからやはり石破さんが持っている「マガジン的」に期待しましょう、皆さん。
どこかで思い切ってくださると思う。
武田先生は可能性として菅(義偉)さんなんか凄いと思った。
菅さんは何を考えているかわからない。
(菅氏の顔立ちは)ラスボスの後ろにいる人。
更に後ろ。
ラスボスがいて、その後ろにいる。
スター・ウォーズで言うとヨーダ。
あのキャラ。
だから武田先生は菅さんは好き。
そうやって考えると、そういう意味では日本の政治家は面白い。
武田さんは面白いことを言う(自画自賛)。

日本という国は歴史と文化に於いて悪には緩い文化圏である、と。
キリスト教圏や儒教圏とは違う。
「元気」「躍動感」、これを「悪」と呼んでいる。
日本の文化そのものが悪を否定したことがない。
能、或いは狂言には悪太郎という登場人物がいて、悪さばかりするのだが、室町時代には「元気があってよろしい」という。
そして地方に芽生えた政治勢力。
これを鎌倉時代には「悪党」と呼んだ。
この悪党の中には楠木正成がいるし足利・新田義貞等々も「悪党」と名乗る地域、エリアの勢力だった。
やがて室町が終わって、ついに戦国時代がやってくると、悪というのは新しい日本を創造するエネルギーでもあった。
ここが中国の方の政治・歴史とは違う。
日本は悪を尊んだ。
その代表が信長。
それはもの凄い革命家。
信長なんていうのは、中国はもう絶対認めない。
中国史というものは易姓革命・華夷秩序、これは常識。
ところが日本はこの常識を一回も認めたことがないという。
日本というのは大変な国。
中国はあんな大国なのに全然真似をしようとしないのだから。
戦国時代、信長の家来でどこから湧いて出てきたかわからないような秀吉が次の天下を取る。
それは考えればもの凄い国。
日本は悪を否定しない。
日本の伝統としては「悪を成す人間」というのを排除しようとしない。
その人の持っているエネルギーを高く評価するという。
ただ一つ条件がある。
これが日本の面白いところ。
うわーっと元気で景気のいいヤツは好きだ、という。
明の時代に日本を訪れた中国の人がいた。
倭寇という盗賊がいて、中国の沿岸で悪さばっかりする。
それで頭にきた人が日本を訪ねてきて、九州のある町にやってきて日本人を観察する。
日本にやってきて彼が驚く。
それは何を驚いたかというと日本刀を振り回して暴れたりするのだが、秩序がある。
それでその明の人が「狂暴なれども秩序あり」という。
下剋上といって上下関係を無視して下が上を殺したりなんかする。
ところが面白いことに裏切りやだまし討ちをするともの凄く嫌う。
変。
「誰を殺してもいい」という戦国時代でありながら、光秀が信長を討ってしまうと「卑怯だ」と言う。
だまし討ちを嫌う。
そのくせ正々堂々だったら首を切ろうが何をしようがオールOK。
「堂々としているから」という。
このあたりが日本の歴史・文化というのが中国や朝鮮半島の国々と違う道を歩き出す。
これは恐らく鎌倉という侍の世の中、ここらあたりから日本は独特の文化圏になるのだが、この時に宗教に悩むという時代が鎌倉時代にあった。
仏とは何か?という。
その中で親鸞という人がいた。
この人は変わっている。
この人は宗教家、お坊さん。
この人は浄土真宗という宗教を興すのだが、テーマが何か?
悪。
悪について考えた人。
それで凄いことを教義にする。

歎異抄 (岩波文庫)



善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや(歎異抄)

「善人?もちろん極楽いけますよ。悪人?行けるに決まってるじゃないですか」
そして「人間はどんないいことをすれば極楽に行けるんですか?」と言ったら「何言ってるんですか!我々人間は」と親鸞が言った言葉は

地獄は一定すみかぞかし(歎異抄)

「オマエの行く先は地獄に決まってるじゃないか」
上手い言い方ではないが「地獄が決定」「所属する場所だ」と、こう親鸞は言う。
しかも凄い。
親鸞は言う。

「たとえば人を千人殺してんや、しからば往生は一定すべし」(歎異抄)

「どうしても極楽に行きたかったら人を千人殺せ。そうしたら往生できる」

久遠劫より今まで流転せる苦悩の旧里はすてがたく、いまだ生まれざる安養の浄土は恋しからず候こと(歎異抄)

意味を言う。
「久遠劫よりすてがたく」
「嫌な嫌な世間でございます。嫌なことばかりある。ところがいざ死ぬ段になると何だか死にたくないんだなぁ。死ねば極楽が待っているのに」
「安養の浄土は恋しからず候」
「ちっとも極楽が恋しくない」
人間と言うものは

「さるべき業縁のもよおせば、いかなる振る舞いもすべし」(歎異抄)

「業(ごう)が心に立ち起こればケダモノのようなことをするんですよ、人間は。そんなもんなんです人間は。だからこそ仏教があるんです。阿弥陀様という方がおられて、あなたが悪に染まりやすいから、いつでも救ってあげるって彼は言ってるんですよ。それを信じましょうよ」
彼は悪から救済を見つめた人。
善から救済を考えるという手順、そこにもの凄い困難を感じた。
「いや、悪の方が優先的に救われるからこそ、そこに仏の力があるのではないだろうか」という。
だから親鸞の浄土真宗の教えというのは、読み間違えるとすると「少年ジャンプ」になってしまう。
闇バイトの危険さ、これを悪の自覚なく悪をバイト仕事として引き受ける。
そして金銭を得る。
それを成功と呼ぶ無知。
そこに欠けているものは何か?
盗みをする仲間に友情を感じ、共犯という悪の結び目を絆とするオマエ達の人間としての狭さ、ラスボス・実行犯・見張り・逃走係、そんなの悪で結び付く。
そして暴力を犯し窃盗をやる。
そんなことを努力し勝利と読み間違えている、という。
でも、これはとっても危険なことだが、これはあり得る。
何があり得るかというと「昔ヤンキーだったんだけど、今は凄い良いパパ」とか。
よくあると思う水谷譲。
親鸞が怒っているのはここ。
「その人の語り口の中の言葉の中に『昔ワルだったから今、いい人になった』という、甘えがあるんじゃ無ぇの?」
これを親鸞はめっちゃ怒っている。
つまり「悪くなったら次はいい人になれる」というような人生の読み間違いが、闇バイトが無くならない一因になっているのではなかろうか?という、実に複雑な。

「闇バイト」から浄土真宗・親鸞「歎異抄」に来たワケだが今日は締め括りたい。
昨日言った「若気の至りで悪さをしておいて、成人になると立派な人になる」という。
それが何だかまるで一つのストーリーのように言う人がいる。
じゃあ最初から真面目な人はどうなのか?
そこにあんまり物語を感じない。
昔悪かった子が今はいい、立派な大人になったということが、面白味があるワケだから。
そのことをしきりに言う人がいるのだが、武田先生は闇バイトの中にこの論法が生きているような。
つまり「若ぇ時、悪さをやってもいいんだ。大人になってからマトモになりゃそれで取り返せる」という。
この中のストーリーは何かというと「善に気づく為に一度悪に身を染めてみせる。それを機に悪から真逆の善の方角を見つけ出すんだ」という。
この生き方が「闇バイト」というのをバイト感覚にしているのではなかろうか。
こんなことはとっくに親鸞が叱っている。
これは「歎異抄」の一条に書いてある

弥陀の本願には老少善悪の人をえらばず、ただ信心を要とすと知るべし。 (歎異抄)

「若かろうがそんなことで阿弥陀様に救われる救われないが決まるワケじゃない。ただただ信じるか否かだ。若気の至りで多少の悪さをしてもいいというのは弥陀を信じていないからだ」
弥陀を試している。
「一回悪に染まろう」なんていうのは、試すというのは、もう根性が間違っている。
「弥陀の信心」とは何かというと、

罪悪深重・煩悩熾盛の衆生を助けんがための願にてまします。(歎異抄)

「どんなに悪い人でも救ってやろうと決心なさった。その人の前でオマエは悪党のふりをするのか?」という。

悪をもおそるべからず、弥陀の本願をさまたぐるほどの悪なきがゆえに(歎異抄)

「阿弥陀様はただただ我等を救わんがために永久の誓いとして『人類を救済せねば』とそう宣言なさった。その宣言を信じるんだ。どんな悪を成したものでも必ず救おうと決心なさった。その決心をオマエは試すのか?」
親鸞は人間に絶望していると言える。
人間というのはとんでもない悪いことをする。
もう今の世の中を見てください。
悪いことばっかりするヤツがいっぱいいる。
でも

善き心のおこるも宿善のもよおすゆえなり。悪事の思われせらるるも悪業の計らうゆえなり。(歎異抄)

「運命によって善も悪も決定してしまう。運命がほんの僅か曲がっただけで人間はとんでもない罪を犯してしまう」

わが心の善くて殺さぬにはあらず、また害せじと思うとも百人千人を殺すこともあるべし」(歎異抄)

「『人なんか傷つけちゃいけない』と思いながらも運命の喰い違いで思わず人を殺めてしまうこと、それも百人も千人も殺めてしまうことだって人生にはあるんだ。悪なんてコントロールできないんだ。それが人間なんですよ」という。

心の善きをば善しと思い、悪しきことをば悪しと思いて、願の不思議にて助けたまうということを知らざることを(歎異抄)

「心が『よいことをしたぞ』『悪いことをしたぞ』、考えてしまうが、それを全部忘れて善悪を超えて救ってくださる。そこに阿弥陀仏のありがたさがあるんだよ。悪を重さに換算して『未成年だから』『少年法が守ってくれるから』、そんな計算をする薄汚い悪がどこにあるんだ」
そして一番最後に彼がおっしゃっているのは

わざと好みて悪をつくりて、「往生の業とすべき」由を言いて、ようように悪し様なることの聞こえ候いしとき(歎異抄)

「わざと悪をつくって、それを往生のきっかけにしよう。それはね

「薬あればとて毒を好むべからず」(歎異抄)

薬があるからといって毒を喰うような真似をするのか?お前は。それは毒で薬を試すことだ。薬を信じるなら毒を試すな」
もちろんここに親鸞の矛盾がある。
矛盾があるからこそ親鸞は惹き付けられる。
一番最後に親鸞はこんなことを言っている。

「海河に網をひき釣りをして世を渡る者も、野山に獣を狩り鳥をとりて命をつぐ輩も、商いをもし田畠を作りて過ぐる人も、ただ同じことなり」と。(歎異抄)

「漁師の人、お百姓さん、商売やってる人、鳥・獣を殺して生きていく糧になさっている方、そんなふうにしてみんなは業(ごう)の中で自分の業の苦しさを感じつつ生きている。そういう人は私の友達なんです」という。
いい。
親鸞は一度ひっかかるとずっと考え続ける。

まあとにかく「闇バイト」から「親鸞」まできたということで納得していただければという。
ワケがわからない回になったかも知れないが、また来週は別のネタでご機嫌伺いたいと思う。



2025年3月3〜14日◆悪について(前編)

壮大なるテーマだが「悪について」。
これは申し訳ない
去年ぐらいの時に考えたヤツなので少し世間の流れが変わっているのかも知れないが。
ここで取り上げた「悪」というのは実は「闇バイト」の一件。
闇バイト。
これは強盗なのだが、強盗事件が多発している頃に考えた。
振り返りましょう。
2012年の日本の強盗件数は1138件。
ところが2023年になると「闇バイト」と称して特殊詐欺や強盗等の犯罪をグループでやるという。
実は殺人まで含めた事件というのが2023年までに何と17500件に増えているそうだ。
今はわからないが、逮捕された青年を何人か、皆さんも(テレビの)画面でご覧になったろうと思うが、何ともはや、少年の名残があるような気弱そうな青年がいる。
続っぽい言い方でまことに申し訳ない、あの手の青年たちに対して武田先生達、年寄が持っている形容詞「ケツの青い」青年達。
報道番組で顔を映せない少年らがこれに続いている。
ただ世界的に見ると強盗のみでは日本が1138件に対して、トランプさんが仕切るアメリカでは121373件と、もうアメリカは桁が違う。
この強盗事件、呼び名は通称「闇バイト」。
この「闇バイト」という呼び名そのものもあまり関心しなくて、クラブ活動のような気楽さがある。
いとも簡単に悪の勧誘に乗ってしまう少年や若年層の青年達。
彼らが持っているもろさ、危うさ、これは一体何だろうと懸命に考えた。
日本での逮捕率は九割。
アメリカは20%がやっと。
日本は九割逮捕される。
残り10%近くあるのだが、これも長年のうちに逮捕されることになる。
ただ胸が痛んだのは闇バイトに走った少年を孫に持つおじいちゃん、つまり武田先生達の世代のおじいちゃんが「もうあの子は見限った。縁ば切ります」と嘆く人がおられた。
痛々しい。
身内のものとして犯罪に手を染めた子や孫を見る時の絶望。
その絶望がいかに深いか。
武田先生はジンときた。
しかし武田先生達はこの祖父世代にいるワケだが、孫の世代は何でいとも簡単にそんな悪さをするのか?
そこで悪についてこれからとことん考えてみましょう。
武田先生が一番気になったのは、水谷譲にも一度言ったと思うが、気になって仕方のない哲学者・内田樹先生。
この方が絶妙のエッセーを書いておられて。
(このあたりの話は2024年10月28〜11月8日◆男の唯一無二で紹介している)

勇気論



この方は「自分達、祖父世代の人間が少年だった時、最も支持したサブカルチャーでマンガというものがあった」と。
そのマンガの中には少年ヒーローが出てくる。
その少年ヒーロー達には徳目、テーマがあった
それはどんなものかというと、比べてみましょう。
「月光仮面」「少年探偵団」「鉄人28号」「鉄腕アトム」「宇宙少年パピイ」なんてあった。
遊星少年パピイを指しているものと思われる)
「パピイ〜パピイ〜!」というので。
それから「赤胴鈴之助」。
「こしゃくな小僧め、名を名乗れ!」「赤胴鈴之助だ」という。
この威勢のいいタンカで始まる。
それから「少年ケニヤ」。
「ワタルは強いぞ♪」
少年ケニヤの歌 キング児童合唱団 - ニコニコ動画
それから「狼少年ケン」
「ボバンババンボン ブンボバンバババ♪ボバンババンボン ブンバボン♪」



ちょっと団塊の世代の皆さん中心に今、お話している。
この少年ヒーロー達には特徴があった。
この少年ヒーロー達の徳目、持っている徳は何かというとまず「勇気」次に「正直」そして「親切」。
これが武田先生達団塊の世代の少年ヒーローの徳目。
「勇気」「正直」「親切」の徳目を持ったればこそ、少年のヒーローとなれた。
これはやはり意外と重大で、武田先生達をこうやってマンガから少年ヒーロー達の活躍を見て、道徳教育を必要としないほど強烈だった。
少年マンガから教えてもらったのだろう。
この少年ヒーロー達が変わっていくという時代の流れの中に「闇バイト」につながる何事かが起こったのではないだろうか?という今回。

団塊の世代の子供時代・少年の頃、一斉を風靡した少年ヒーロー。
「月光仮面」「少年探偵団」「鉄人28号」「鉄腕アトム」「赤胴鈴之助」「少年ケニヤ」と。
「月光仮面」はおじさんだが、あと以下は全部少年ヒーロー。
これがゆっくり昭和が進むと、昭和の変貌と共にヒーロー像が変わっていく。
「あしたのジョー」「巨人の星」「キャプテン翼」「ワンピース」「ドラゴンボール」「鬼滅の刃」「スラムダンク」「呪術海戦」
かくのごとく少年ヒーローはゆっくりと変わっていくワケで。
「少年マガジン」の時代、「少年サンデー」の時代がゆっくりと暮れてゆくと、昇ってきた少年ヒーローの雑誌が、今言った後半の方だが「キャプテン翼」「ワンピース」「ドラゴンボール」「鬼滅の刃」「スラムダンク」「呪術海戦」。
これは「少年ジャンプ」。
この「少年ジャンプ」というのは、編集者が強烈なテーマを持っていて、それが少年ヒーローの徳目。
「友情」「努力」「勝利」
そういえば「キャプテン翼」「ワンピース」「ドラゴンボール」「鬼滅の刃」「スラムダンク」「呪術海戦」。
全部集団ドラマ。
鋭い内田樹氏の指摘は「少年ジャンプ世代の徳目と少年ジャンプの徳目の喰い合わせが悪い」とおっしゃっている。
何が悪いか?
少年マガジンの時に一番大事にされたものは「勇気」。
ところがジャンプの一番大事にするものは「友情」。
「勇気」と「友情」は違う。
「勇気」は一人になった時に試される。
「友情」は相手がいないとダメ。
それから「正直」「親切」。
これも個人の徳目。
「俺は正直でありたい「俺は親切にした」。
ところが「努力」と「勝利」というのはジャッジ者がいる。
「よく頑張ったよ」と言う人がいる。
そして「やったな!オマエの力だよ!」という人がいる。
そうしないと成立しないから「友情」「努力」「勝利」には他人が必要。
ところが少年マガジンの「勇気」「正直」「親切」。
これは仲間がいらない。
自分の問題。
正直の一番代表例。
「金の斧銀の斧」

金のおのと銀のおの: イソップものがたり (はじめての世界名作えほん 76)



あれなんか自分が正直だから立派な斧を貰っただけであって、横に友達が必要無い。
この「少年マガジン」と「ジャンプ」の徳目の差というものにいつの間にかその徳目を読み間違えて、「友情」「努力」「勝利」を犯罪に使ってしまったのが「闇バイト」ではないか?
これは犯罪の構造によく似ている。
どこぞにお館様がおられて、使える戦士を集める。
それらはチームワークで、変な言い方だが「君、見張り。僕、実行犯」。
役割分担。
そして勝利を目指しているワケだから。
「やったね!300万、ジジイ騙しちゃった」とかという。
そういう意味では最近の犯罪はチームワーク。
悪が分担作業になっている。
このあたりが爺ちゃん世代と孫世代の違い。
「少年マガジン」にはライバルや別の正義を抱くもの、違う正義が必要であった、と。
しかし、少年ジャンプの中のヒーロー達が求めたのは「絶対悪」。
それが正義と対立するという。
この時に、もの凄く面白い理由は悪がもう一つの物語としてストーリーの柱になっているということ。
正義の物語なのだが、同じ分量「悪の物語」もストーリーの中に書かないと物語が成立しない。
鉄腕アトムが空を飛んでいてバッと降りた先に悪いヤツがいると、悪いヤツのことは描かずにアトムがどうやってやっつけるか。
ところが今のマンガは悪の方を描かないとストーリーが成立しない。
ここで「これは面白いぞ」と思った。
三軒茶屋蔦屋。
店名まで行ってしまった。
ここで面白い本を見つけた。
それは荒木飛呂彦さん。
この方はマンガ家の方なのだが。
「(荒木飛呂彦の)新・漫画術 悪役の作り方」

荒木飛呂彦の新・漫画術 悪役の作り方 荒木飛呂彦の漫画術 (集英社新書)



彼は大変なヒットメーカーで、「ジョジョの奇妙な冒険」というシリーズを書いておられて、これは今大ヒットしているそうだ。

ジョジョの奇妙な冒険 1~7巻(第1・2部)セット (集英社文庫(コミック版))



彼のマンガは20万部を超える大ヒットメーカー。
この中で一番の問題を彼がおっしゃったのは「悪をどうやってつくるか?」。
これは興味がある。
荒木さんの考え方をいく。
これは面白かった。

漫画でも天才が続出し、それまでの漫画を大きく変えた時代がありました。−中略−当時の日本の漫画は手塚治虫先生などがいて(65〜66頁)

彼は平面二次元のマンガ、紙に書いてあるマンガ、そこに感情を表現する。

「基本四大構造」−中略−@「キャラクター」、A「ストーリー」、B「世界観」、C「テーマ」の四つの要素(14頁)

この人あればこそ、日本のマンガ界はここまで進歩した。
これも内田先生の発想。
武田先生は感心してしまった。
先生の言葉、まるまるではないが、こんなふうに手塚治虫を語っている。

手塚治虫は実に哲学的だった。
彼の巧妙さ、上手さは物語に前景と背景がある。
「人間とは何か?」ということをテーマにすると手塚治虫はロボットを主人公にした。
ロボットから人間を考える。
「死」をテーマにする時は絶対死なない「火の鳥」を主人公にした。

【化粧箱入り】火の鳥 全12巻セット



「生命」「命」をテーマにして考える時は次々に死んでいく生き物たちの繋がり。
これが「ジャングル大帝レオ」、或いは「ブラック・ジャック」。

少年チャンピオン・コミックス『新装版ブラック・ジャック』全17巻セット(化粧箱入り)



「心」というものをテーマにした時、手塚さんが考えたのは心を妖怪に盗まれた百鬼丸「どろろ」。

どろろ 1



「どろろ」はそう。
心を盗まれている。
この手塚の手法に従って日本のマンガ界は、アメリカに対して圧倒的な差をつける内容の深さを持った。
この前景と背景、二重構造は日本マンガの伝統である。
「ジョジョの(奇妙な)冒険」を書いてらっしゃるこの人気漫画作家が自分がデビューした頃の日本を考えると、社会の心理の価値が大きく変わっていった。
「ジョジョの奇妙な冒険」のスタートがちょうど2000年代に当たるそうだ。
(「週刊少年ジャンプ」の連載が1986年かららしいので、これは誤り)

二〇〇〇年代から、−中略−人間の異常性や変わった部分をテーマにした作品がヒットするようになった気がします。(68〜69頁)

2000年、このあたり、コミックではないアメリカ映画を見ると悪を描いた作品。
2000年代前後「羊たちの沈黙」。

羊たちの沈黙 (特別編) [DVD]



これは1991年。
人肉を好む異常なハンニバルという博士の物語。
これは大当たり。
「ハンニバル」だけでもう一作作った。

ハンニバル (字幕版)



このあたりから日本人も変わってきて、これは作曲家の方には申し訳ないが武田先生にはそう思えるのだが、振られた男の心理を描くのも闇っぽくなってくる。
槇原敬之さん「SPY」。
(本放送ではここで「SPY」が流れる)



「彼女の様子がおかしい」というので、ある日スパイを気取って彼女を後ろからずっとつけてゆく。
ストーカーということだと思う水谷譲。
槇原さんごめんなさいね。
武田先生が言ったのではない。
「ストーカー」と水谷譲が言った。
これは槇原さんみたいな若い方が考えられた失恋男の描き方。
それでは昔の歌を聞いてみましょう。
鈴木三重子さんの「愛ちゃんは太郎の嫁になる」。
(本放送ではここで「愛ちゃんはお嫁に」が流れる)



愛ちゃんは太郎の嫁になって去ってゆくのだが、愛ちゃんは「俺(おい)ら」を捨てて太郎の嫁になってしまう。
主人公は愛ちゃんの花嫁行列を見ている。
追いかけたりしない。
振られた男は立ったまま花嫁姿の彼女の幸せを祈りつつ見送るという。
この男の心理が変化するワケで。

(この日の冒頭は本とは無関係なバリウムの話なので割愛)
(「SPY」と「愛ちゃんはお嫁に」の話は)本には書いていない。
もうちょっと違う例の歌はなかったのかと思う水谷譲。
思いついたのはこれだから仕方がない。
2000年のヒット曲と1956年のヒット曲。
40年間経つとこれだけ違う。
人間の心の表現の仕方が変わっていく。
これはひょっとすると悪役が主役になっていくという、そういう時代が2000年で現れたのではないだろうか?
これは「ジョジョ」のマンガ家さんもおっしゃっているのだが「悪を描く時にカッコよくないとダメなんだ」。
悪がどのぐらいカッコいいかがヒットマンガの条件。
1950年代「愛ちゃんは太郎の嫁になる」の時代の頃、「少年マガジン」或いは「サンデー」の頃、悪役とはちょっと珍妙な風采で様子がおかしい人が多かった。
例えばピーターパンに登場するキャプテンフック。
あの眼帯の、カギの片腕の。
ああいう異様な風体の人でなければダメで、そういう意味では一目見ただけで「カッコ悪いよ」というのが悪役の条件であった。
それから1970年代、星飛雄馬のライバルとなる花形満。

巨人の星(1) (週刊少年マガジンコミックス)



「あしたのジョー」の力石徹のように、敵役、ライバル達がカッコよく描かれるという。
それで主役と同じように扱わないと物語が盛り上がらない。
2000年代が近づくと悪はもっと複雑に。
荒木氏曰くだが、その支配の為、相手を排除するという万能の武器を持っている。
そして上手く社会にパラサイトして、よい人のような顔をして生きていくという。
ドキッとする。
それ故に、悪も世界観を持っていなければマンガでは通用しない。
荒木さんは偉い。
マンガの中の悪役を作る為に勉強した。
不動産、会社経営、AIをいかに利用するか等々。
この不動産、会社経営、AI利用の詐欺から悪役を学んだ。
凄い。
つまり「絶対悪」という単純ではなくて社会の影に映り込んだようないじめ、疎外、格差、そういう共感できる悪をどう描くか。
とにかくマンガ家さんも悪について懸命に勉強して。

(武田先生が「レミオロメン」を「マスクメロン」と言い間違えてイルカさんから叱られた話は割愛)

悪役を作るということは、作者の「悪とは何か」という一種の「哲学」が反映される、けっこう深い作業なのです。(89頁)

 そんな今の時代の「悪」を描いた作品のひとつが、映画『ジョーカー』(二〇一九年)でしょう。『ジョーカー』の主人公は、後に『バットマン』シリーズのラスボス、ジョーカーとなる若者アーサーで(88頁)

ジョーカー [DVD]



配信動画のヒット作も見てください。
悪。
「サンクチュアリ」「地面師(たち)」「極悪女王」「ゴールデンカムイ」
この中で描かれるのは暴力、殺人、詐欺の仕掛け合い、いかに相手を騙すか。
このドラマが進行する時の最も重大な要素が「友情」「努力」「勝利」。
「何億円も儲かる」というような土地詐欺。
驚くなかれ、鎌倉幕府を作った(北条)政子様が悪党の中にいらっしゃるというような。
あれもチームワーク。
今、時代そのものが「悪役の時代」。
そうやって考えるとわかりやすい。
悪もドラマも並行して描いている映画とかドラマとかアニメは本当に今多いと思う水谷譲。
少し前に内田樹先生の名著で「呪いの時代」というのを読んで、凄く感銘を受けたことがあるが、呪いからちょっと時代が進んで今は「悪の時代」。

呪いの時代



これはまことに申し訳ないが「少年ジャンプ」を非難しているワケでも何でもない。
ただ、このあたりに闇バイトを若い子達が参入していくというあのパターンが日本では繰り返されているのではないでしょうか?という。
犯罪の構造そのものがヒットマンガそっくりで「指示役、実行役、見張り役」こんなふうにしてキャラクターを分けてお互い犯罪現場で連絡を取り合うという。
そんな犯罪が繰り返されている。
果たしている役割で力を合わせるワケで金銭・物品を強奪するという犯罪を犯す。
それを山分けする時が彼らの言うところの「勝利」ではないだろうか?と。
それほど「善」というものに魅力が無い時代なのかという、こういう問いを立ててみた。
善の方に魅力がない?
善に魅力が無いから悪に惹かれてしまうのではないか?
善はそんなに魅力が無いかどうかというのをこの荒木さんの本で探していて、ギクッとする一文章に出くわした。
武田先生が取り上げている本は集英社新書、荒木飛呂彦のお書きになった文章なのだが「(荒木飛呂彦の)新・漫画術 悪役の作り方」。
これで唐突にエピソードを語り出す荒木さんなので、最初は意味がわからなかったのだが、何回か咀嚼するうちに「もしかしてこういう仮説?」ということで思いついたのだが、マンガの中で荒木さんが球体三つの必殺道具を考えた。
(このあたりの話は本の内容とは異なる。番組では荒木氏と編集者のやり取りであるように説明しているが、本によると「岸辺露伴は動かない」の中のストーリー)

岸辺露伴は動かない 3 (ジャンプコミックスDIGITAL)



漫画の中で使う為の何かの道具を。
その球体三つの道具が面白いなと思ってその物語を急ごうとしたら編集の方から「マズいっすよ先生。デザイン変えてくださいよ」。
「非常に危険だ」という。
丸いボールが三つくっついているという、それだけのもの。
それを編集者から「危険危険」と言われる。
編集者の心配。
球体三つ。
盗用ということで著作権侵害に当たり訴訟問題に発展する可能性があるという。
荒木さんは、これは何だと書いていない。
だから想像するしかない。
世界で一番有名なネズミのシルエットに似ている。
それを気にする。
これは名前もおっしゃらないので、理由も解き明かさないで「丸三つが問題問題」ばかりおっしゃる。
だからその丸三つ続けて描くことは国際的な厄介ごとに巻き込まれる可能性があるという。
盗用というのはもの凄く危険な地雷なのではないだろうか?
失言、揶揄、指導の口調、訓練の会話、しつけ、応対の態度等々、伝える言葉が法に則らないと今、ものすごい勢いで・・・
その典型が丸三つで「『うちの盗んだでしょう』と言われたら返事できなくなりますよ」。
つまり今、善はもの凄く息苦しい。
面倒くさいことばかりだと思う水谷譲。
善よりも悪の方が自由度が高い。
だからラスボスの呼びかけによって集められた仲間との絆で力を合わせ、ガラスをたたき割り、現金或いは物品を盗むという闇バイトの構造が実は悪の方でこそ、のびのびという。
このあたりが悪にドラマチックな展開を考えている、考えの浅い人には飛びつくべきストーリーを持っているように思えてしまうのではないか?
武田先生達「少年マガジン」の世代で正直ストーリーが理解できない、そういう映画が今、何本もヒットしている。
これは武田先生の感覚。
関係者の人、許してね。
何だかよくわからないのがある。
「ハリー・ポッター」

ハリー・ポッターと秘密の部屋 (吹替版)



本当のことを言うと、これは二作目から意味がわからない。
わかったふりをしているが、何が何なのかわからない。
「スター・ウォーズ」は「ドラゴンボール」を見ているみたいで。
「ヤー!」と言いながら光線を出してばっかりで。
「ヤー!」とは言っていないと思う水谷譲。
悪の描き方が善と同量で、よく見ていないとどの人が悪い役かわからない。
「スター・ウォーズ」も「悪いと思っていた人が実はもの凄い悲しい歴史を背負っている」みたいになっていると思う水谷譲。
そうやって考えてみると非常にストーリーが読みにくい時代。
この奥にある「悪を」探求したいと思う。