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2026年03月12日

2026年2月9〜20日◆ストレンジャー・シングス(後編)

これの続きです。

「日本語の成り立ち」みたいなことを語ろうかなと思う。
Netflixで大評判のドラマ「ストレンジャー・シングス(未知の世界)」と何の関係があるか?
つまり身近なところに「もの凄い異世界」「違う世界」が広がっているということ。
日本語を今、扱っているが、天平の世、奈良時代に文字として漢字が入って来た。
その漢字に対して日本人はどうふるまったか?
日本人はこの漢字を日本人独特の使い方で使おうとしたワケで。
菅原道真。
この人がおっしゃった言葉が「和魂漢才」。

「和魂漢才」=「漢文はあくまで実用、心はやまと」(117頁)

漢字を読み下す為の機構、仮名を低く見た。
ところが平安の世になると平仮名・片仮名として発展して、女流文学が立ち興る。
文学というのは女の人が始めた。

 男性官人が漢文(和化漢文を多く含む)で書く日記は、基本的に公式な儀式を中心に記述する備忘録的なものである。(171頁)

日記に書く言葉は「やまと言葉」の平仮名・片仮名で綴るという。
日本人は裏・表を持ったワケ。
中国との関係だが中国から勉強するところと、全く取り入れないところがある。
中国が始めた文明制度、一つは科挙、もう一つが宦官。
皇帝の意向に沿う頭のいい人を試験で選ぶ。
もう一つが皇帝のおそば近くに仕える官僚。
性器を切り落として、女官達に手が出せない体にして、そばに置いた。
それから中国皇帝の立場というのはもう本当に凄くて。
だが日本というのは中国皇帝の真似をしなかった。
源氏物語の中に登場する帝というのは恋愛ゲームをやっている。
それと肉体を傷つけてまで官僚にするという制度は無かった。
日本はそういう意味では中国から見ると凄く変わっている。
漢字を学んでもそうで、「やまと心」と称して、自分達の読みで作ってしまう。
それから日本は教養の一部では「和歌を上手いこと作る人が頭がいい人」という。
それで万葉集から続いて「古今和歌集」がある。
これの選者に選ばれたりすると「凄い人だ」ということになったりするのだが。
その選者に選ばれた人の中で紀貫之という人がいた。
京都の朝廷で「女の人が平仮名で日記を書く」というのが大流行しているので、この人は女性のふりをして日記を書く。

〈男もすなる日記といふものを、女もしてみむとてするなり〉(170頁)

これはジェンダーフリー。
ガタガタ西洋から学ばなくても、日本はジェンダーフリー。
自分を女性に例えて文学を興すという。
これはもう太宰治がやっている。
「斜陽」とか「女生徒」とか。

斜陽 太宰治集 (古典名作文庫)


それから川上宗薫の官能小説。

官能文学電子選集 川上宗薫『肌狩り 好色のカレンダー』


これもそう。
これは素晴らしいもの。
川上宗薫という男性の作家さんが、うら若き乙女になって男性と性を交えるシーンを描くのだが。
これは凄い。
官能。
その官能の主軸になったのが男性。
だから男性でありながら女性の肉体をも含めてそのことが書けるというのは才能。
それから文春。
お馴染みの文春砲・スキャンダル。

藤原兼家(藤原道長の父)の側室のひとりが「平仮名」日記を綴りはじめた。次々に夫が関係を持つ他の妻妾に気をもみ、正妻にライバル意識を抱き、−中略−みずからの胸中に沸きあがるさまざまな想い、−中略−多くの和歌とともに書き連ねる。−中略−この『蜻蛉日記』は(174〜175頁)

〈この時のところに子産むべきほどになりて、よきかたえらびて、ひとつ車にはひ乗りて(175頁)

という感じで、事細かに本妻に対する嫉妬心を。
そして「蜻蛉日記」あたりくらいからいわゆる朝廷との恋スキャンダルで「源氏物語」というのが出てくるワケで。
まあ、不思議なもので、こんなふうにして「やまと言葉」で綴って、漢字をあまり使わないという文章の書き方が日本語の国語のスタイルとして定着していく。

さて、日本語の起源なのだが、この先生は調べておられて。

「日本語のルーツは、南インドのタミル語である」(64頁)

日本語の系統学説は、−中略−(台湾から東南アジア島嶼部、南太平洋の島々などの言葉)に日本祖語を求める説など、実にさまざまである。(64頁)

現代の日本語と同様に、古代の日本列島で使われていた言葉は、中国語とは異なる系統の言語だったということである。−中略−名詞や動詞といった、単独で意味をなす自立語にくっついて多様な働きをする助詞・助動詞=付属語がたくさんあるために「膠着語」と呼ばれる日本語に対して、中国語はその種の付属語に該当する言葉が非常に少ないため−中略−中国語を書きあらわす手段である漢字は、音と意味を同時に表現する、すなわち一字で一語となる「表語文字」なのである。ラテン文字(日本で言ういわゆるアルファベット)やアラビア文字のように、一文字が音素や音節をあらわす機能のみの「表音文字」とは異なっていて(65頁)

日本語は表記である漢字と音素である仮名を繋ぎ合わせる文法。
自分で何を言っているのかわからないが。
でもとにかく独特。
だから世界性を持ちえない。
漢字は持つ。
やはり英語と同じ文法だから。
その為に志賀直哉とか、維新後には薩摩のお侍さんだが森有礼あたりが「国語をフランス語にしよう」とか「英語にした方がよい」とか「日本語を捨てよう捨てよう」と大きい声を出すのだが、なんだかだ言いながらこんなふうな日本語で繋いできていて。

〈日本人は外国に出ると、日本語を捨てる方向に進むことが多い〉という印象を強く持つに至ったのである。(30〜31頁)

これはハッとする。
その傾向をこの方はずいぶん調べてらっしゃって

『比較日本人論 日本とハワイの調査から』−中略−〈日本語は外国語と接すると、外国語の方にのまれてしまって、急速に薄れる性質があるようである。(31頁)

比較日本人論―日本とハワイの調査から (1973年) (中公新書)


調査の内容は、〈「読むこと」「書くこと」「話すこと」「数えること」「考えること」の五つの能力分野で〉(32頁)

その失われ方は「書くこと」がまず失われ、その後だいたい二年半で現地語が全般的に優勢になり、日本語を話したり読んだりする力も失われる、という流れだ。この失われる順序は、まちがいなく日本語が漢字と仮名の融合体であることに由来している。(347〜348頁)

これは事実としてある。
これは「日本語に欠陥があるから」と一部の学者さんはそう言っていた。
でも最近の研究で「そうではないんじゃないか」という説は、もったいぶるがもうちょっと後。
とにかく「仮名」が発展することで「口語文」喋る言葉というのが日本語を国語にしていくワケで。

新しい漢字「口語」群の浸透に関して、−中略−いっそう強く影響を与えたのではないかと考えられるメディアがあったと私は思っている。それは、歌謡だ。より正確に言うなら、『梁塵秘抄』に収められたような「今様」=流行歌である。『梁塵秘抄』は、源頼朝に「日本一の大天狗」と呼ばれたと伝わる、かの後白河法皇が編纂した歌謡集だ。もともとは本編と口伝集を合わせ二十巻を超える大著だったようだが(195頁)

今はあまり数が残っていないのだが、鎌倉の世の中で流行った、様々な歌。
ポピュラーソングもあるのだが、ちょっといやらしい歌もちゃんと。
これが桑田さんに繋がっていく。
歌の内容は宗教ソング

和讃は、−中略−キリスト教になぞらえるなら讃美歌であり(197頁)

「今様」=後白河の時代に近い時期に流行った歌や(197)

これが後白河法皇の「梁塵秘抄」に記録してあるそうだ。

世俗歌謡を集めた「雑」の項にある次の歌だろう。(200頁)

(番組では「雑」を「ざつ」と言っているが、本によると「ぞう」)

〈遊びをせんとや生まれけむ、戯れせんとや生まれけん、遊ぶ子どもの声聞けば、我が身さへこそ揺がるれ、〉

「遊びをしようとこの世にうまれてきたのだろうか。戯れようとこの世にうまれてきたのだろうか。子どもたちが遊んでいるその声を聞けば、私のからだもネ、自然と動いてしまうよ」というのが、一番素直な解釈だ。もうひとつ、「遊び」「戯れ」を「遊び女」「戯れ女」、すなわち遊女の方角で解釈し、人間の「性」と業の哀しみを歌ったという考えもある。
(200頁)

この「雑」というこの章そのものがもうはっきり言って「エロ歌」。
一部紹介する。
朝から何だが。

王子の御前の笹草は 駒は食めどもなほ茂し
主は来ねども夜殿には 床の間ぞなき若ければ
(「梁塵秘抄」雑362)

現代語訳「私のアソコに茂る草。お馬が食べてもすぐ生えて、あなた来なくてもすぐに食べたがる人、来るもん。だって私若いから」
凄い歌だと思う水谷譲。
そういう歌。
ストレートなもの。

恋ひ恋ひて たまさかに逢ひて寝たる夜の夢は
いかが見る さしさしきしと抱くとこそ見れ
(「梁塵秘抄」雑460)

(番組では「さしさしきし」を「ぎしぎしぎし」と言っていて、解釈もそれに従った内容になっている)
これは「きしむベッドの上で♪」。
尾崎豊の世界だと思う水谷譲。
この時はベッドではないのだがギシギシギシとお布団が鳴っている。
これは「あなた恋しくてやっと会えた夜の夢。夢の中でもアタシ達、きしむ程やっちゃって」という。
色っぽい歌だと思う水谷譲。
その時に「これは春歌であり猥歌である」と。
それで桑田さんは凄く頭がいい人だから、あの人はサザンとかKUWATA BANDの歌はこの「梁塵秘抄」から取っているのではないか?と思うのだが。

「マンピーのG★SPOT」の歌詞など(416頁)

歌のタイトルだから。
(ここで本放送では「マンピーのG★SPOT」が流れる)



桑田さんのルーツは鎌倉時代、後白河法皇の今様にあるのではないだろうか?
桑田さんが切り開こうとしたロックのジャンルというのは、鎌倉時代の今様の歌にそっくり。
何か繋がるのがわかる水谷譲。
桑田さんの歌で「女呼んでもんで抱いていい気持ち」(「女呼んでブギ」)というのがあると思う水谷譲。
これは「梁塵秘抄」。
そしてもう一つ桑田さんの歌は「古今和歌集」の在原業平の一首にも似ている。

(ここで本放送では「スキップ・ビート」が流れる)



桑田さんは「Skipped beat」と歌ってらっしゃるのだが私共の耳には「すけべーすけべーすけべー」と聞こえる。
これ。
こういう同じようなことをもう既に「古今和歌集」の中にあるんだ、と。
その言葉が違う言葉に響くというような。
それを取り上げたのが在原業平。
古今和歌集の歌で

〈唐衣きつつなれにしつましあればはるばるきぬる旅をしぞ思ふ〉(在原業平『新編 日本古典文学全集11 古今和歌集』(363頁

「唐衣」は、中国風の衣の意が転じて「美しい衣」をさす。〈唐衣きつつ〉=「唐衣をながらく着て」が〈なれ〉=「馴れ」の序詞をなし、そして〈なれ〉は「衣が萎れる(くたくたになる)」と「馴れる(親しくなる)」、〈つま〉は「衣の褄(左右の裾の両端)」と「妻」、〈はるばる〉は「着物を張る(洗い張りをする)」と「はるかに」、〈きぬる〉は〈つま〉〈はる〉〈きぬる〉が、すべて〈唐衣〉に関わりのある縁語だという点だ。こうして「着古してくたくたになった衣」と「古く馴染んだ妻」のイメージは重なり合い(363〜364頁)

(〈きぬる〉は)一つ、繊維の「絹」もかかっている。
「来た」という意味で「絹」もかかるワケで「妻にも寂しい思いをさせている。あ〜あ〜もうこんな遠くまで来ちゃって、アイツも寂しがってるだろうな」という。
こういうふうにしていくつも言葉を引っかけていく。
言葉の「ゆらぎ」。
ダジャレというのはこういうこと。
重なる言葉がある。
その重ね言葉を遊ぶワケだが。
こういう「言葉遊びの妙」というのが実は日本語の本質の中にあって、この業平が歌った歌のような歌がサザンの桑田さんの歌ではないだろうか?
凄い分析だと思う水谷譲。
だから文脈から意味を決定していくのだが、そこには「重なる言葉がいっぱいある」という日本語の仕掛けそのものを楽しむという。
「日本語って、そんなふうにして広がってきたんですよ」という。
このへんは面白い。
ではサザンの前にはそういう歌は無かったのかと思う水谷譲。
フォークソングは、どちらかというと啄木系だったり

「はたらけどはたらけど猶わが生活楽にならざり(石川啄木「一握の砂」)

一握の砂・悲しき玩具―石川啄木歌集―(新潮文庫)


とかと、ちょっと遊び心が少ない、ストレート表現
北原白秋

薔薇ノ木ニ
薔薇ノ花サク
ナニゴトノ不思議ナケレド。
(北原白秋「薔薇二曲」)

白金之独楽: 詩集 (温古堂文庫)


だが、江戸期

浅間さん なぜそのやうにやけなんす いわふいわふがつもりつもりて(四方赤良)

浅間山が噴火した時に戯れ歌で「ヤキモチ焼いちゃ嫌よ浅間さん」というような、狂歌があった。
狂歌なんていうのは、まさしくそう。
そんなふうにして、いつも遊びがある。
「歌は遊ぶものである」という。
その発見が桑田さん。
「たかが歌詞じゃ無ぇか」(桑田氏の著書「ただの歌詩じゃねえか、こんなもん」を指していると思われる)というのの中に「日本人が日本語を遊ばないでどうするんだ?」という。
「国語」というのが明治まで無かった。
武士言葉で殿に申し上げる言葉はパターンが決まっていて、表現が自在ではない。
「〜しそうろうつかまつり」という、言葉が全部定型で決まっていた。
自在に使えない。
明治になって作らなくてはいけなかった。
国語を作るのは大変。
やってしまう。
明治になって日本人は日本語を作る。

維新後に、旗本や御家人の言葉を主体とする江戸の山の手言葉を、「共通語」としてあわてて整備した(40〜41頁)

そこから書き文句と喋り言葉を一致させようという「言文一致」という文学運動。

日本語の面白さ。
とにかく日本という国、近代になって初めて「国語」というものを作った。
日本の言葉「やまと言葉」というのは異国の文字を使いながら自分達の意味で解いてゆくという。
日本人は営々とそういうことを続けてきたワケで。
元々の文字の意味など正確でなくてもよく「ゆるさ」「ゆらぎ」がある。
日本人が国語に求めたのは、その「ゆるさ」と「ゆらぎ」であった。
今でも日本語は揺らいでいる。
志賀直哉が怒るのは当たり前。
「ヤバい」
いろいろ説はあるが、どうも江戸期にあった遊技場の「矢場」。
「弓矢を射て懸賞品とかが貰える」という「矢場」というマトイ屋、今で言う遊技場みたいなところがあった。
そこの裏側で吉原以外の非合法売春を行っていたらしい。
それで「あそこはヤバいよ」。
それで「ヤバい」。
それから看守さんが見張っているようなところを「厄場」と呼んだという。
いずれにしても暗黒街で生まれた言葉。
それが昭和・平成・令和の御代になるとアイスクリームをなめると「ヤバい」と女の子が言う。
つまり全然意味が変わっている。
かくのごとく言葉を遊ぶ。
「ゆるさ」「ゆらぎ」があって、ある概念を説明するというのではなくて、緩さの中で生きてゆくという。
それが日本語である。
しかし明治になって、遊んでばかりはいられない。
日本をまとめる為に、統一国家の為に「とにかく共通日本語を作ろう」というので。
それで東京・山の手、旗本士族の家庭の言葉が共通日本語として作られる。
これを地方に送り届けなければならない。
その日本の標準的な日本語をどうやって地方まで。
方言しかない。
標準語を送り届ける為に明治政府が考えたのは何か?
それが昨日水谷譲が聞いた「歌」。
(このあたりの話は本の内容とは異なる)
小学校唱歌。
子供達から育ててゆく。
その唱歌が発すると同時に生まれたのが歌謡曲。

いのち短し(「ゴンドラの唄」)

古い歌もあるが、

チョイト 東京音頭ヨイヨイ(「東京音頭」)

もうここにサザンオールスターズの「ちょいと」が出てきている。
歌謡曲が日本語を広めていった。
しかもこれも武田先生もアッと驚いたのだが、この先生、大岡先生がおっしゃるには、日本語はまんべんなく日本に定着したのはいつ頃か?
思ったよりも最近だということかと思う水谷譲。
そう。

「標準語」というフィクショナルな口語が全国的に普及し終わった、と考えられるのが−中略−一九八〇年代だ。(386頁)

もっと昔だと思う水谷譲。
でも、千昌夫さんだってトークは岩手弁を使っていた。
「すぃばれるなぁ」とかと言いながら。
それが歌に入ると

青空(千昌夫「北国の春」)

みんなそう。
標準語というのは定着には時間がかかった。
その裏側にあったのがサザン。
彼はまさしく1978年に登場した。
この大岡先生が「1978年」という章を書いてらっしゃる。
(第十一章 シンクロニシティ一九七八)
これが日本語が日本中にまんべんなく定着し始めるスタート。
覚えているが沖縄まで行ったら全く通じなかった。
そうやって考えると・・・
武田先生が言っているのは「まんべんなく」。
水谷譲の周辺ではない。
つまり北海道の端から沖縄の離れ小島まで、日本語が標準的に伝わり始めたというスタートは1980年代。
だからサザンはそういう意味では、やはり日本人に国語力を広めたロックバンドでもあった。
面白いもの。

今回はここまでにしておく。
この後もこの大岡先生の分析は続く。
「日本人は日本語をワリと捨てやすい」というような話もあったが、これも先生がまた解を出しておられる。
答えを出しておられる。
それはまた次回にしたいというふうに思っているので、楽しんでいただければ嬉しゅうございます。
「ストレンジャー・シングス」
奇妙な世界はあなたの横に広がっている。


2026年2月9〜20日◆ストレンジャー・シングス(前編)

(続きという感じの内容でもないが、今回はこの前の週の最後の方と同じ本が取り上げられている)
(この回は番組中に頻繁に曲が流れるのだが、ポッドキャストでは全てカットされているので内容がわけのわからない感じになっている)

Netflixで大評判のドラマのタイトルをお借りした。
「ストレンジャー・シングス」
ストレンジャー・シングス 未知の世界
子供達がいっぱい出て超能力があったりする(という内容で)途中まで見たが飽きてしまってやめてしまったが、大人気だと思う水谷譲。
これはドラマの作り方がもの凄く巧み。
これをやっているのはアメリカ。
武田先生は結構面白い(と思っている)。
今、第二シリーズを見ているのだが、凄く展開が緩やかで。
引っかけが上手い。
物語を作っていく為の小さなきっかけがあるのだが、それが小さく引っかけてくる。
それでズキッズキッと物語に何センチかずつ引っ張り込まれていくという。
アメリカ・ハリウッドのドラマ作法というのは、やはり世界中の人間を巻き込む上手さがある。
そういうのが面白い。
武田先生は、ちょっとかぶいているので。
何かちょっと変わったことを言われるとハッとするという。

(例えば)お金に困っている。
友人に金銭の都合を頼む。
「加奈、済まないけど〇月〇日まで必ず返すから、十万貸してくんないか?何で十万なのかちょっと言えないんだけど、頼む。貸してくれ」とかという、こういう金銭の依頼がある。
その時に例えば水谷譲が渋々と「いいわよ。十万だったら何とかなる。貸してあげる」と言った瞬間に普通は「ありがとう」と言う。
外国の人はこの金銭に関して「日本人は『ありがとう』と言わない」という。
それが「変わっている」という。
何と言うか?
水谷譲「わかった。じゃあ十万円。はい、貸してあげる」
武田先生「助かったぁ〜」
こんな言葉をここで持ってくるのは日本人だけだ。
そういうのをメッチャ武田先生は興奮する。
「YES」と「NO」の代わりに「はい」と「いいえ」というのがあるのだが、「いいえ」を日本人は使いたがらない、とか。
「あなたは英語できますか?」「はい、できません」と言ってしまうという。
それから「いいえ」を使うにしても半分しか使わない。
「いえ」とか、激しく否定する時は重ねてリズムを付けて「いえいえ」。
「いいえ」を使いたがらない。
日本人は「あるのに使わない日本語」を持っている、という。
「いいえ」という代わりに「大丈夫」と言ったりすると思う水谷譲。
絶えず奇妙な言い換えをやる。
そこが最初に抱いた数十年前の疑問。
これはまだ忘れない。
武田先生は1972年にプロのフォークシンガーになった。
悪戦苦闘。
もういろんなヒット曲がどんどん出てくる中で、ヒット曲が出ずに、一番最初に「母に捧げるバラード」で火が点くが、その後、出ないの何の。

母に捧げるバラード


五年、六年の歳月がかかって次にようやく辿り着くのだが。
今でもおぼえない。
(「忘れない」と言いたかったものと思われる)
1978年のこと、武田先生達フォーク世代は「旅」をずっと歌にしてきた。
ところが時代のテーマが変わって旅の歌が終わってしまっていて。
武田先生は気付かなかった。
テーマが「おうちに帰る歌」になっている。
松任谷由実さんが登場したら旅の歌が売れない。
(番組内では「荒井由実」を「荒井ユーミン」、「松任谷由実」を「松任谷ユーミン」と言っているが、煩わしいので「由実」に統一する)
ところがフォークシンガーの人は旅の歌というのがテーマだと思うから必死になって。
1978年、武田先生は旅の歌を作った。
それももう、「この旅も終わりかな」と思うような寂しげな歌。
それが「思えば遠くへ来たもんだ」。

思えば遠くへ来たもんだ


武田先生の前には旅の歌を作り終えたばかりの友人が一人座っていた。
その人が谷村新司さん。
この人がどんな旅の歌を作ったかというと、女性が歌う旅の歌で「いい日旅立ち」というのを作る。

いい日 旅立ち


二人とも旅の歌。
二人で「一仕事終わったね」という話でお互いの歌を批評し合っていた。
渋谷の宇田川町の喫茶店で。
有線からとんでもない歌が流れてきた。
その歌の衝撃を今だに。
あの谷村新司さんの片一方の眉毛がキリキリキリと上がった。
つまり時代を変える歌はそんなふうにして突然流れてくる。
谷村さんが聞き入った、そして武田先生がその歌を聞きながら不吉なものを感じた。
こんな不吉を感じるのはユーミンさん、荒井由実さんの「ルージュの伝言」以来。
自分達のセンスではできない歌。
だけど売れそうな気配を持った歌に遭遇すると、武田先生達シンガーソングライターはドキッとする。
この歌。
(ここで本放送では「勝手にシンドバッド」が流れる)



この歌はショックだった。
この歌の歌詞のセンスがもう自分達の世代ではできない。

砂まじりの茅ヶ崎 人も波も消えて
夏の日の思い出は ちょいと瞳の中に消えたほどに
(サザンオールスターズ「勝手にシンドバッド」)

何で「ちょいと」が出てくるのだろう?
「ちょいと」なんていうのは江戸言葉。
それで突然サビに入って、
「今 何時?」と時間を訊く。
「そうとう詞の作り方が俺達とは違うなぁ」という。
これは歌詞そのものが「ストレンジャー・シングス」ではないが、フラッシュバック。
「フラッシュバック的断片を繋ぎ合わせて、一曲にするという手法であるな」というふうに武田先生が分析しようとしたら、エラい本に出合った。
「日本語はひとりでは生きていけない」

日本語はひとりでは生きていけない


(本の中の傍点部はアンダーラインで表記する)
集英社インターナショナル、(著者は)大岡玲(あきら)さん。
この方は日本語の歴史を辿る学問的テーマを持っておられるのだが、この本のつかみがサザンオールスターズの「勝手にシンドバッド」。

 サザンオールスターズの「勝手にシンドバッド」を初めて聴いた時の衝撃は、それこそ湘南の土用波をからだの正面で受けとめた、という感じのものだった。一九七八(昭和五三)年八月、−中略−『ザ・ベストテン』(2頁)

出だしの情景からして全く理解ができない。
破調、乱調、そういう文章である。
この歌の途中で古語が出てくる。

〈夏の日の思い出は〉に続く、よく聴き取れなかった歌詞の文字面は〈ちょいと瞳の中に消えたほどに〉というものだが、−中略−古語「ほどに」が尻尾にくっついたりしている。(4頁)

そしてサビ文句。
武田先生も引っかかったところ。
「今 何時?」そして「胸騒ぎの腰つき」。
ところがこの国語の先生はこの歌を聞きながら、頭は大混乱で意味が分からないけれど唇が馴染んでしまう。
いつの間にかフッと歌っている。
70年代初頭から新しい音楽運動が興る。
興したのはフォークソング。
(ザ・)フォーク・クルセダーズとかというグループがいて、その後に続いてきたのが吉田拓郎。
日本の歌曲は言葉を多く詰め込まない。

松風騒ぐ(「古城」)

ところが60年代、ビートルズが登場してくると、バンバカ言葉が入ってくる。

She loves you, yeah, yeah, yeah(ビートルズ「シー・ラヴズ・ユー」)

シー・ラヴズ・ユー (Live From The Royal Variety Performance - Remastered)


という。
でも一番問題なのは「She loves you」を言う為に(英語だと)三つでOK。
「She・Loves・You」
ところが日本語でこの手の歌を作ろうとすると「カノジョハキミガスキダヨイエイイエイイエイ」になる。
このビートルズの手法にあやかろうと70年代フォークが、特に吉田拓郎さんが先頭を切って、16分音符

僕は僕なりに自由にふるまってきたし
僕なりに生きてきたんだと思う
(吉田拓郎「まにあうかもしれない」)

まにあうかもしれない


という。
ところが1978年、サザン・桑田。
ビートルズと同じビートで日本語のポップスを作ろうとする。
桑田さんの凄いところは、凄い仕掛けを歌詞にする。

歌の流れ。
1970年代を語っている。
それも後半。
今、考えたら本当にこんな時代をよく生きてきた。
武田先生も才能のある人達に囲まれて余命を繋いできた。
とにかく70年代の後半に入る。
驚愕すべき才能。
桑田佳祐さんがデビューしてきた。
ビートルズと同じリズムに乗っかってポップスを作っていく。
その為にはどうしても捨てなければならないものがある。
武田先生は悩んでいる人を現実に見たことがある。
アマチュアの頃だったが、チューリップの財津さんが歯痒そうに言ったのは、まだその頃はお互いに博多弁。
「日本語って言葉がいっぱいいろうが英語は楽っちゃ。ビートルズみたいにロックを作りたくても乗らんとよ。日本語じゃ。だけん俺達ゃ日本語と格闘せないかんったい。ロックを作る為には」
きつかったのだろう。
そんなのを彼はアマチュアの頃から悩んでいた。
向こうの歌を直訳して日本語で歌うと凄く妙な感じになってしまうと思う水谷譲。

 日本語とロックの嚙み合わせがしっくりこない悩み(8頁)

それに最初に手を付けたのが桑田さん。
日本語でロックをやる為には、日本語のあることを捨てなければならない。
意味を捨てた。
日本語の意味を追い求めるとロックに乗らない。
桑田さんの偉大なところは、言葉をメロディーに乗せるのではなくて、メロディーに乗る言葉を選ぶ。
それで乗らないヤツは切り捨てていく。
だから意味は一瞬わからない。
その為に彼が考えた歌唱法がちょっと英語訛りで歌ってしまうという。
一瞬聞くとその言葉が英語に聞こえる。
日本語の音のみを乗せてロックを作る、ポップスを作る。

一九八四(昭和五九)年の七夕に発売されたアルバム『人気者で行こう』でとどめを刺された。
 アルバムA面最初の曲「JAPANEGGAE(ジャパネゲエ)」は、耳で聴いただけでは英語にところどころ日本語が混じっているように思える。
−中略−耳では「I could never your more 知れず」だった詞は、実は〈愛苦ねば 世も知れず〉なのだ。(6〜7頁)

ちょっとここの部分だけ聞いてみる。
(ここで本放送では「JAPANEGGAE(ジャパネゲエ)」が流れる)



凄い。
この日本語のいじり方。
どんどん桑田さんは発展させていく。
これは全くそうとしか聞こえない。
英語で言うと「スキップ・ビート」
(ここで本放送では「スキップ・ビート」が流れる)



「すけべー」にしか聞こえない。
こんなふうにして日本語の音で作ってゆくという。
これはある意味では何というか「日本語当て込み言葉」。
「What time is it now?」「堀った芋いじんな」という、それと似ているようなもの。
こういう形というのは桑田さんが走りだと思う水谷譲。
彼はこの作り方を貫いていくのだが、この人は凄い本を出している。
やはりいろんな人から突っ込まれた、「オマエは歌手じゃない」とか言われたのだろう。

桑田佳祐の語り下ろし『ただの歌詞じゃねぇか、こんなもん』が新潮社から発刊された。(7頁)

これは彼の歯痒さが出ている。
それは彼のポリシーだった。

英語圏の音楽を載せる〈皿〉としては、そのままの日本語ではどうにも使い勝手が悪いと感じていた事実も(9頁)

ロックに乗せる為には日本語を一回、音に分解して作り上げた方が面白い音楽ができるという。
そういえばそう。
皆さん、何気ないと思われているかも知れないが、60年代にビートルズはこれをやった。
もう一回繰り返すが、

She loves you, yeah, yeah, yeah(ビートルズ「シー・ラヴズ・ユー」)

「yeah」には意味は無い。
でも意味の無い言葉がリズムを生んでいる。
それから
「Oh yeah, I'll」
「Oh yeah」までは何か入っているのかどうかわからない。
「Oh yeah, I'll tell you something」と、ここから英語の歌詞が始まる。
「Oh yeah, I'll」は殆ど、うめき声だ。

抱きしめたい (Remastered 2009)


それが曲頭になるとあれだけリズムを生み出すという。
このへんの用意周到さ。
1970年から80年代にかけてのサザンオールスターズ・桑田佳祐さん。
この人の凄いところは、リズムに乗っかるんだったらどこの国の言葉でも何でも使っている。
その一曲がこの歌で、アルバム「ブルーマー」から、ここのところを聞いてもらいますか。
(これから流れる曲は「ブルーマー」なるアルバムに収録されていたという情報は確認できず)
サビのところ。
(ここで本放送では「Ya Ya (あの時代を忘れない)」が流れる)



Sugar,sugar,ya ya,petit choux
美しすぎるほど
Pleasure,pleasure,lala,voulez vous
忘れられぬ日々よ
(サザンオールスターズ「Ya Ya (あの時代を忘れない)」)

と、こうくる。
「Sugar,sugar」は英語。
「ya ya」はこれはスペイン語。
お婆ちゃんのことを「yaya(ヤーヤ)」と言うらしい。
若しくは「はい」の「YSE」として「Yeah」。
「Sugar,sugar,ya ya,petit choux」
フランス語の「小さいシュークリーム」のこと。
それを「petit choux」。
それから「Pleasure,pleasure,lala」。
これも英語・英語。
「voulez vous」
これはフランス語だそうだ。
「あなたが欲しい」という意味だそうで。
音に言葉を乗せる。
何度この歌をみんなでカラオケで歌ったかわからないが、そんなことを考えて歌ったことは無かった水谷譲。
「勝手にシンドバッド」を聞くと谷村さんの顔が浮かんでくる。
旅の歌を二人で挑んだ。
社長から「JRに売り込むから作れ」と言われて。
それで作ったのが(谷村氏の)「いい日旅立ち」と武田先生は「思えば遠くへ来たもんだ」。
もちろん谷村さんの方が圧倒的に出来がいいので。
どちらも名曲だと思う水谷譲。
だが、その武田先生達の耳をかすめてやってきた音楽革命。
それはやはりサザンの桑田さんが興したというワケで。

ここでこの著者は凄い話になっていく。
大岡玲さん、この言語学者の人がとんでもないことを言い出す。
フランス語だろうが英語だろうが音に乗っかって歌詞作りがしてある。
志賀直哉が聞いたら大喜びしてるんじゃないか?
武田先生はこの本を読んで初めて知ったのだが、志賀直哉は日本語が大嫌いで。

志賀は、−中略−日本の国語ほど不完全で不便なものはない。−中略−ここはひとつ他の国の言語、たとえば−中略−フランス語を国語に採用したらよいのではないか、というのである。(9頁)

「小説の神様」とも称せられ、−中略−作家・志賀直哉である。(9頁)

「その人が本当は日本語が大嫌いだった」と、ショックではないか。
別に作品を読んでいてそんなふうに思ったこともない水谷譲。
でもこの人、志賀直哉は日本語をそれほど嫌ったかというと「曖昧である」。
例えば漢字にしても読み方が山ほどある。

「元を何と読むのか知らないが、そうすると杉山元元元帥となるわけだろ。変なものだよ」(25頁)

「元帥」の「元」と「元」というのが同じ字だが、「ゲンゲン」とかと読まずに「ヤマモトモトゲンスイ」と読まなければダメ。
そういう文脈で読み分けるというのが、日本語が曖昧だから。

「私わ日本人です」ではなく「私は日本人です」といった表記が残存することでもわかるように、完全な表記表音の一致には至っていない。(26頁)

それは平安の頃に「は」と書いたのが残ってしまった。
音は「わ」。
そのことで日本語には一貫性が無い。
だから日本語をもうやめちゃって、明日からフランス語にする。
結構極端な意見の持ち主だと思う水谷譲。
明治の時もそう。
鹿児島の出身の森有礼さんが「日本語をやめてしまって英語に切り替えよう」と言っている。
だって共通の日本語が無いから。
あの頃は地方にあったのは方言だから。
「バリ・ボリ・ジョン・ジョジョン」
「よい・素晴らしい・もっと素晴らしい」
それで「統一日本語が無いので英語にしよう」という。
とにかくここから、長い長い日本語の歴史に入る。
一旦桑田さんから離れるが、一番最後にまた桑田さんが出てくる日本語の長い旅。
400ページ以上の旅が始まる。

日本語は本当に複雑で難しいから、よく我々はやってるなと思う水谷譲。
もう一回話に出てくるかも知れないが、漢字にしたというのはここ。
「生」
読み方が多すぎて熟語になったりすると「生憎(あいにく)」から「芝生(しばふ)」から「芽生え(めばえ)」「生田(いくた)」「福生(ふっさ)」「壬生(みぶ)」「弥生(やよい)」「相生(あいおい)」「生粋(きっすい)」。
しかも本当に思うがフィギュア(スケート)で有名な人「羽生(はにゅう)」。
これが将棋になると「羽生(はぶ)」。
同じ漢字を書いてフィギュアと将棋で姓の読み方が変わる。
これは志賀先生がおっしゃる「でたらめすぎる」「原理原則が無い」というのは確かにそう。
では何でこんなにでたらめな日本語が生まれたのだろう?という。
遠い遠い昔に帰る。

七三〇(天平二)年の正月に開かれた「梅花の宴」で歌われた歌群を書き記したものだ。(94〜95頁)

「天平二年正月十三日、大宰帥・大伴旅人邸に集まって宴を開いた。(95頁)

武田先生は同じ場所へ行ったことがある。
そこでその模様を漢字で書き表して

時は初春のよき月、空気は澄んで快く、風邪は穏やか(初春月、気淑風)。(95頁)

その言葉から二つ文字を抜いてできた年号が「令和」。
この「梅花の宴」というのは32首が詠まれたのだが、この時は「万葉仮名」で。
万葉仮名というのは漢字を音で読んで日本語に当てているという。

原文の表記が、かつて暴走族の落書きに多かった「夜露死苦」という表記を連想させ(92頁)

ああいう漢字の当て込み。
でたらめ漢文。
そのでたらめ漢文で32首の梅の花を称える和歌を作った。
これは「文字は中国から借りたが我々は『やまとごころ』を詠った」という。

漢文の粋とも言える文をしたためつつ、漢詩ではない和歌だって立派に梅の花を詠めるんだよ、と高らかに宣言しているのである。−中略−和歌における叙情性=抒情性を明確に打ち出しているとも考えられる。(95〜96頁)

これが桑田さんの発想に似ている。

「JAPANEGGAE(ジャパネゲエ)」は、−中略−耳では「I could never your more 知れず」だった詞は、実は〈愛苦ねば 世も知れず〉なのだ。(6〜7頁)

それから「スキップ・ビート」。

Skipped beat,skipped beat
Skipped beat,skipped beat
(KUWATA BAND「スキップ・ビート」)

どうも日本人は桑田さんっぽかったのではないか?
この発想。
大岡さんの本はそういう分析の本なのかと思う水谷譲。
(そうではなく)武田先生が少し意訳して。
日本人は昔からそういうところがある。
中国の文学なんかに凄く詳しかった菅原道真という人が出てくる。
この人は学問の神様。
この人はもう中国の言葉もペラッペラというヤツ。
この人は「和魂漢才」と言ったりする。

「和魂漢才」=「漢文はあくまで実用、心はやまと」(117頁)


2026年03月11日

2026年1月26日〜2月6日◆忘却とは忘れ去ることなり(後編)

これの続きです。
(今回は二週目の途中で次の本に移行する。本ごとに分割しようかとも思ったが、いつも通り一週間分ずつ区切る)

忘れること。
これがいかに大事かということを説く今週。
スコット・A・スモール博士。
アメリカの大学の先生で心理学をやってらっしゃる方。
この方の本を読んでいる。
人間が頭の中に記憶を貯めていく道順があるという。
海馬という受け付けを通って脳の方に保管されるものと、非常口から飛び込んできて覚えておこうという偏桃体記憶(本によると「感情的記憶(情動記憶)」)というのがあるそうだ。
思い出のため込み方、収納の仕方というのを読んでいて、幸せの記憶。
これは頭の中でどんなふうに処理されているのかな?と。
水谷譲の幸せな記憶。
家族でお正月を迎えて、子供の頃(何年前かは)覚えていない。
水谷譲の反応が正しい。
このスモール博士曰くだが、

「幸福は白い紙に白いインクで書かれている」と述べた(94頁)

(恐らくアンリ・ド・モンテルランの言葉)
(幸せの記憶は)ぼんやりしているて、確かに「これ!」という感じではないと思う水谷譲。
「危険」とか「ゴキブリ」とかというとパッと思い出せる。
「もうこれ!」という感じだと思う水谷譲。
あれはやはり脳がそういうふうにできているようで。
だから武田先生自身も振り返っていて「辛かった」「苦しかった」「悲しかった」という、それは意外とはっきり鮮やかに思い出す。
高校の剣道部のかかり稽古ははっきり思い出せる水谷譲。
いつのこれみたいなのは。
幸せは確かにぼんやりしていると思う水谷譲。
「白い紙に白いインクで書いてある」というのは・・・
脳の仕組みがそんなふうにできているということだけは覚えておいてください。

さて、偏桃体、その非常口から飛び込んでくる記憶のしまい方。
恐怖に支配される。
そうすると怒りや暴力に走りやすくなる。
他者に対しても攻撃的であるのは恐怖に支配されているからで、強さではないという。
類人猿を見ましょう。
チンパンジーとボノボ。
これは人間に近いサルということなのだが、この二匹のサルの性格は全く違う。

チンパンジーとボノボの脳で最も異なる領域は偏桃体だ。(121頁)

恐怖反応が全く違う。

恐怖反応が生じる典型的な順序に従って、三つの単語は「凍結・逃走・闘争(freeze,flight,fight)」と並び変えられた。何かにおびえた時、ほとんどの人はまず体がすくみ、次に逃げようと決意する。−中略−怒りにかられて臨戦態勢になることがある。(114頁)

これが緊急反応。
ボノボは偏桃体の非常口が脳の中で少ないそうだ。
だからボノボは穏やか。
暴力的ではない。
チンパンジーは大きくなると暴力的になってしまう。
つまりそうしないと群れの中で命が保てないから、怯えやすくて恐怖に取り付かれやすい。
だから「(天才!)志村どうぶつ園」なんかで小さい時、可愛がっていて、大きくなると志村さんと別れていった
(チンパンジーの「パンくん」のことかと思われる)
あれはもうギリギリまでいって「これ以上は志村さんが危ない」。
暴れ始めたらもう人間の腕力どころではないから。
ヤシの実を叩き割るぐらいの腕力があるワケだから。
これはどういうことかというと、恐怖はチンパンジーを野蛮にとどめ、しかし恐怖を仲間と許し合うボノボは忘却のプロセスが進化している。
忘れるということが上手。
だから社会的になれる。
人間もそうで、恐怖に支配される人というのは暴力的になる。
覚えておきましょう。
「強いから暴力的」ではない。
怯えやすいから暴力的になってしまう。

脳内ホルモンのオキシトシンで愛情という感情を手に入れる。

オキシトシンは偏桃体のブレーキを踏む薬物と同じように働き、−中略−自分が属する集団と社会的絆を形成することで恩恵を受ける。(128頁)

これは人間だが、オキシトシン分泌の為、全身の毛を脱ぎ捨てるという選択を選んだ。
これは皮膚の下にあるオキシトシンを作る仕組みがある。
毛を抜いてしまうとオキシトシンが出やすくなる。
だから人間というのはそういう意味では偏桃体、嫌な思い出を忘れるという方に進化したサルの一匹である。
恐怖と怒りの偏桃体の制御から人が進化したんだ、ということで。

皆さん気を遣っておられるのは、いろんなものを忘れてしまうという病でアルツハイマー、認知症等々があるが、これもちょっと語ろうかなと思ったのだが、今回はやめておく。
ここはここで広大な世界なので。
この脳の方の病気であるアルツハイマー、認知症等々についてはまた別の「(今朝の)三枚おろし」で三枚におろしたいと思う。
これはデカいので。
おろすのは大変なので。
だからもう一回しっかり、武田先生ももう他人事ではないので、勉強したいというふうに思っている。

さて、記憶というものを振り返りましょう。

海馬依存性の記憶システムも機能している(作動し始めるのは三歳ごろからなので、私たちにはそれより幼いころの記憶がない)−中略−脳の発達において、前頭前皮質の複雑な機能が構築されるのはかなり遅く、前頭前皮質が十分に機能するようになるのは一〇代後半か二〇代前半になってからだ。(138頁)

ワーキングメモリ(作業記憶)と呼ばれる。−中略−ワーキングメモリとは、心的操作をおこなうのに必要な短い時間だけ情報を覚えておく能力を指す。(163頁)

数学的思考におけるワーキングメモリの役割がわかる単純な例として、−中略−「連続7減算」という頭の体操がある。患者に100から次々に7を引いていってもらうのだ。つまり、100引く7(答えは93)、93引く7(86)といった具合で引き算を繰り返し(166頁)

 自分の認知活動について、認知的な能力だけでなくバイアスや罠も含めて自覚する能力はメタ認知と呼ばれる。(160頁)

これはピンとこないか?
ズバリ言うと「もう俺も年齢だから、ボチボチ免許返納を考えないとな」という。
これが「メタ認知」。
これは何かというと自分の能力に関してちゃんと知っている」という能力のことを「メタ認知」という。
だから「俺も年だから、ボチボチ免許返納かな」これは自分の能力を「あそことあそこで危なかったなぁ」と覚えているからこんなことを言う。
では脳の方の病。
アルツハイマー等々になると一切気にしない。
自分の能力を振り返る能力が無いという。
「無い」といっては何だが、おぼろげになってしまうという。
だからご同輩「返納しようかな」と思ってらっしゃるうちは、まだ大丈夫。
「俺は大丈夫」と思うと危ないという。

記憶の仕方については不思議な能力がいくつもあって、「ヒューリスティック」と「バイアス」という能力が今、注目されている。
ヒューリスティック。
これはとにかく急いで結論を出そうとする。
そのことを「ヒューリスティック」という。
間違うこともあるのだが、そういう能力が脳の中にある。
間違えてもいいからとにかく答えを早く出した方が生き延びるチャンスが増えるよ、という。
だから急いで考える。
そうすると間違うこともあるのだが、とりあえず答えてしまうという能力のことを「ヒューリスティック」という。

ヒューリスティックが意志決定に及ぼす影響がよくわかる例として、次の問題が最もよく用いられるからだ。「モーゼは動物をそれぞれの種類につき何匹ずつ方舟に乗せたでしょう?」ほとんどの人が、すかさず「二匹」と答えるだろう。−中略−木の方舟に動物のペアを乗せたのは、モーゼではなくノアだ。(179頁)

「バットとボールの値段が、合計で一ドル一〇セントします。バットがボールより一ドル高い場合、ボールはいくらでしょう?」。もしあなたが「一〇セント」と答えたら、それは大多数の人と同じで、−中略−ワーキングメモリを使えば、ゆっくりとだが確実に「五セント」が正しい答えだと気づける。(178頁)

(番組内では1ドル10セントを1100円で紹介している)
脳の中には受け付けを通る正面の入り口と非常口ともう一つ、このビルにもあると思うが裏口がある。
全部の入り口、頭は使わにゃ損々というワケ。

脳にはいろんな入り口があって、正規の受け付けを通る思い出し方、非常口から通る思い出し方、裏口から通る思い出し方。
そこで、こんなことを思った。
裏口から入る。
これは歌の歌詞を作る時に必要なセンスで。
武田先生はそんなふうに思ってしまった。
歌というのはなるべく海馬を通過して思い出を取りに行った方がいい。
一例を出す。
(ここで本放送では「あの素晴らしい愛をもう一度」が流れる)



懐かしい歌。
「あの素晴らしい愛をもう一度」

命かけてと誓った日から
すてきな思い出 残してきたのに
あの時、同じ花を見て
美しいと言った二人の
心と心が今はもう通わない
(加藤和彦と北山修「あの素晴らしい愛をもう一度」)

この詞の真ん中に時間が流れている。
男女の恋の時間経過が歌に現れている。
あの時はおんなじ花を見て「美しい」と言っていた。
その心と心がもう通わない。
恋がゆっくりとしおれてゆく時間が歌詞になっている。
これがだいたい歌の典型。
思い出を受け付けから通って思い出を古い順に並べていくと、演歌になったりフォークソングになったりする。
「こんなことやっていいの?」と思った歌詞がある。
サザンオールスターズ「勝手にシンドバッド」。
これはもの凄く衝撃的な歌で、ここには日本の歌が持っていた時間経過が無い。

砂まじりの茅ヶ崎 人も波も消えて
夏の日の思い出は ちょいと瞳の中に消えたほどに
(サザンオールスターズ「勝手にシンドバッド」)

勝手にシンドバッド


どこに時間がある?
一応「夏の日の思い出」だと思う水谷譲。
情景から語り出して夏の日の恋を思い出している、と。
間に入ってくる「ちょいと」は何か?
「ちょいと」は江戸言葉で、昭和にできた歌としては異様な言葉遣い。
これは現代の言葉ではない。
彼はなぜこんな言葉を用いたのか。
武田先生にはわからない。
続ける。
その女を思い出したのだろう
夏の日のある女を。
どんどん時間が消えて

シャイなハートにルージュの色が ただ浮かぶ(サザンオールスターズ「勝手にシンドバッド」)

まあ、想像で「女の口紅の赤」、それが思い出されたのだろう。
でもこれは時間のどこに置けばいいのか。
「その女を思い出した」というのだが、これは海馬を通過した思い出ではない。
偏桃体。
非常口から入ってきた。
頭は入り口から入ってきて、二行目は非常口から入って来た女の思い出。
偏桃体刺激の色の付いた記憶の断片がフラッシュバックで入ってきている。
女の唇の赤を思い出すと、次に出てきたフレーズが、これも時間が全くわからない。

好きにならずに いられない
お目にかかれて
(サザンオールスターズ「勝手にシンドバッド」)

思い出は出会いから飛んで、デートを繰り返されたのだろう。
情景がまた重なるのかなと思ったら突然。
歌の構成でいうとここからサビ。
「お目にかかれて」の後。

今 何時?そうね だいたいね
今 何時?ちょっと 待ってて
今 何時?まだ 早い
(サザンオールスターズ「勝手にシンドバッド」)

これは恐らく「今 何時?」と訊いたのは女だろう。
時間、時計を気にしているワケで、男が引き留めるために「そうね だいたいね」と言っているのだろう。
女は男を振りほどいて帰っていった。
でないと一番ケツの

胸さわぎの腰つき((サザンオールスターズ「勝手にシンドバッド」)

だから、後ろ姿になっている。
「時計、時間を訊いた女が突然後ろ姿になった」というのは振り切って帰ったのだろう。
こんなふうにして歌を解釈することによって別の世界が見えてくるという話。

サザンオールスターズ、桑田さんの歌詞の不思議。
これを説いている。
これはもちろん、武田先生としては脳の話をする為に持ってきていた。
桑田さんの詞の作り方というのは、頭のいろんな入り口・出口を全部利用して歌詞を作る。
日本の歌というのは、歌詞を古い順に並べていく。

十四の頃の僕はいつも
冷たいレールに耳をあて
−中略−
思えば遠くへ来たもんだ
(海援隊「思えば遠くへ来たもんだ」)

と現在になる。
こんなふうに綺麗に並べる。
過去から今を語る。
桑田さんは、日本の歌謡曲の作り方に違反する。
その典型的な例が「勝手にシンドバッド」。
思い出の並べ方がでたらめ。
どれが新しいか古いかわからない。
しかも唐突にサビ文句で時間を訊く。

今 何時?そうね だいたいね
今 何時?ちょっと 待ってて
今 何時?まだ 早い
((サザンオールスターズ「勝手にシンドバッド」)

これを繰り返した後、突然、三度繰り返すサビ文句が

胸さわぎの腰つき((サザンオールスターズ「勝手にシンドバッド」)

ワケがわからない。
でもいかにもフラッシュバック。
思い出が偏桃体経由になっている。
頭のところの一行だけは海馬を通っているのだが、二つ目から偏桃体記憶になっている。
最後は裏口から入ってきた思い出で、これは異常な才能。
そしてこれは70年代が終わって80年代から大旋風を巻き起こす。
これは武田先生も、一人の作詞家として悩んだ。
一番ショックだったのは「今 何時?」というこのサビ。
というのは、武田先生達フォークは若いくせに老けた自分を仮定して歌を作っている。
こうせつさんは二十代の若さにある時に歌った歌が

若かったあの頃(南こうせつとかぐや姫の「神田川」)

神田川 (シングルバージョン)


(作詞は喜多條忠)
若いくせに老けた自分を仮定して歌を作っている。
桑田さんは何をやったかというと「今 何時?」。
つまり「今」。
これだけ差を付けられると考える。
この歌の作り方に若者は全部くっついていく。
それが今のJ-POPになる。
だから桑田さんはJ-POPの筆頭。
フォークソングともニューミュージックとも違う。
それで「桑田という人は」という怒りの一つもこみあげてくる。
そこでエライ本に武田先生が出くわした。
それが大岡玲(あきら)さんという方がお書きになった「日本語はひとりでは生きていけない」。

日本語はひとりでは生きていけない


(本の中の傍点部はアンダーラインで表記する)
(この本は、この翌週からも取り上げている)
集英社インターナショナルから出ている。
本が変わる。
この方は武田先生と同じ。

 サザンオールスターズの「勝手にシンドバッド」を初めて聴いた時の衝撃は、それこそ湘南の土用波をからだの正面で受けとめた、という感じのものだった。一九七八(昭和五三)年八月、−中略−『ザ・ベストテン』−中略−を、−中略−私は漫然と眺めていた。そこに、桑田佳祐をはじめとするメンバーが「乱入」してきたのである。(2頁)

サンバのリズムに乗った、どこか歌謡曲調も交じるメロディとともに聞こえてくるのは、日本語としての意味を持つはずの語群で、少なくとも曲の出だしのあたりはとりあえず聴き取れた。(3頁)

どこか英語めいたイントネーションで早口に歌いあげる単語群は、−中略−詞の文言もいわゆる正しい日本語とは異質に思える。(3〜4頁)

〈夏の日の思い出は〉に続く、よく聴き取れなかった歌詞の文字面は〈ちょいと瞳の中に消えたほどに〉というものだが、−中略−古語「ほどに」が尻尾にくっついたりしている。(4頁)

だいたい意味がわからないと思う水谷譲。

何度も聴いているうちにこれらの破格な言葉で表現されているだろう「事柄」が、あたまではなくからだに馴染んでくるのも事実で、−中略−確実にイメージとして定着する。(4頁)

言われてみれば、今のJ-POPもそうだと思う水谷譲。
明日は金曜日。
このあたりをちょいと触れながら、進めたいほどに。

みなさん、ちょっと路線が変わったのをもうお気づきですよね。
「忘れる」ということを前提にして脳のしくみみたいなものを語ってみようかなと思っていた。
その矢先に言語学者の人が書いた日本語論を読んで、その中のつかみとして出てきたのは桑田さんの「勝手にシンドバッド」だった。
この先生は桑田さんの詞を取り上げて「日本語としては体を成していない」と。
しかしまことに不思議な脳の作用があって、頭で考えるとわからないのだが、体は不思議に覚えてしまうという。
昨日の続きを続ける。
桑田さんがもし聞いておられたらお気になさらず。
決して悪口を語っているのではないのだが、一部誤解した部分も経由しながら、あなたの詞の作り方を辿ってゆくので。
とにかくあなたが作った「勝手にシンドバッド」は凄い違和感を感じた。
武田先生以上に違和感を感じた国語学者の先生が見つかった。
その人の説を使っていく。
その先生はおっしゃっている。
彼の詞は頭ではなく体になじんでくる。
違和感は最大限なのに、魅力的でいつの間にか口ずさむ自分を否定できなかった。

曲のタイトルからして、−中略−ピンク・レディーの「渚のシンドバッド」と、沢田研二の「勝手にしやがれ」を合成したものだとすぐにわかったし−中略−てっきりコミックバンドなのだろう、と早合点した。(2〜3頁)

阿久悠さんの作った作品からの合成タイトル。
武田先生はこの歌を聞いた時に、一緒に聞いたのが谷村新司さんだった。
谷村さんは武田先生と同じ表情をした。
それは「こんな歌が流行ったら大変なことになるな」と。
でも大ヒットする。
この国語学者の先生は「桑田佳祐さんの作詞というのは日本語と格闘してるんじゃないか?」。
日本語の規範を破ってはいるのだが「日本語と戦っているのではないだろうか?」という直感のもとに、桑田佳祐さんが戦ったそのルーツを探したいという。
これはちょっと武田先生の立場から言わせてもらう。
日本でロック音楽を目指したアーティストは全員、日本語に苦しんでいる。
音符がいりすぎる。
例えばビートルズが「シー・ラヴズ・ユー」。
「She・Loves・You」
三つでOK。
「She loves you, yeah, yeah, yeah」
これを日本語で言うと
「君はあの子が好き」
「キ・ミ・ハ・ア・ノ・コ・ガ・ス・キ」
九ついる。
三つで終わるのと九つで終わるのは詞の分量が変わってくる。
だからみんな苦しんでいる。
フォークソングはこの言葉を押し込むということの為に16分音符を駆使する。
「君が初めて僕と会ったのは 強い風が吹く日だった」
言葉をしゃべり言葉にしておいてメロディーを付けてゆく。
それがフォークソング。
吉田(拓郎)さんがやった手法だった。
歌詞を押し込む。
「君を忘れた頃に僕を思い出したい」
(吉田拓郎「春だったね」を指しているものと思われるが、そのような歌詞は無い)
ちょっとラップっぽい感じもあると思う水谷譲。
そういう意味ではラップ。
そんなことをやっている時に、ビートルズは悠々と音楽、ロックの世界で遊んだワケだ。
フォークはそんなふうに歌詞を押し込む。
ロックは苦しむ。
それでニューミュージックの人達は、曲のスピードを落とす

卒業写真のあの人は(荒井由実「卒業写真」)

卒業写真


とかという非常に巧みな飾りつけをしながら

真っ白な陶磁器を(小椋佳「白い一日」)

白い一日〜


とかと小椋さんが。
それから

さみしさのつれづれに(井上陽水「心もよう」)

心もよう (Remastered 2018)


古語を用いながらも古語であるところでスピードを飛ばさず、ロックになると苦しくなってしまうので。
オフコースもそうだと思う水谷譲。

さよなら さよなら(オフコース「さよなら」)

さよなら


恐らく、桑田さんはその時に「嫌だ」と思ったのだろう。
連符で歌うのも嫌だし、ミディアムに落としてまで歌詞を作るのも嫌だ。
あのビートルズのノリがやりたい。
そこで彼が考えた方法が日本語の意味を捨てる。
意味なんか伝えなくていいんだ。
音のみ。
日本語の音のみをのせて歌を作る、と。
ここからJ-POPが始まったのではないだろうか。

一九八四(昭和五九)年の七夕に発売されたアルバム『人気者で行こう』でとどめを刺された。
 アルバムA面最初の曲「JAPANEGGAE(ジャパネゲエ)」は
(6頁)

人気者でいこう(リマスタリング盤)


これは造語。
ここで大変なことをやる。
来週のお楽しみということで。
ここから壮大な日本語の物語になるので、サザンの悪口を言っているとは誤解しないでください。



2026年1月26日〜2月6日◆忘却とは忘れ去ることなり(前編)

(初日だけ「忘却とは忘れ去ること」と言っているが、後は全て「忘却とは忘れ去ることなり」と紹介されているので、タイトルは「忘却とは忘れ去ることなり」にしておく)

「忘却とは忘れ去ること」
昔のメロドラマのタイトルにあった。
「忘却とは忘れ去ることなり。 忘れられず、忘却を誓う心の悲しさよ。ヒュルルル〜♪ルルル〜♪」という、そういう何か。
(ラジオドラマ「君の名は」の冒頭のナレーション。正しくは「忘却とは忘れ去ることなり。 忘れえずして,忘却を誓う心の悲しさよ」)
母が見ていたのでいつの間にか・・・
番組の前に始まるナレーションが好きだった。
今でも覚えてらっしゃるのは凄いと思う水谷譲。
「禁酒法があった1920年代のアメリカは、汚職・麻薬・暴力が横行していた。この危機に敢然と立ちあがった我らFBIの仲間は絶対に買収されないという意味から『アンタッチャブル』と呼ばれ・・・Untouchables」
これも「アンタッチャブル」というドラマだった。
いくらでも出てくる。
記憶力が凄いと思う水谷譲。
何でこうこういうことを忘れないのか?
メガネをさんざん探したら、額の上にあったとかという。
頭の使うところが違うと思う水谷譲。
この間、TBSにいらっしゃるあの名アナウンサーの安住さんが面白いことをおっしゃっていたが、主婦になられた五人姉妹がコタツを囲んで。
長女の方が突然重大発表をなさって。
「うちの人、ガンになったらしいの」という。
「お姉さんしっかり。今では治る病気よ」とかみんなで・・・
そのうちの一人が「ガンの場所はどこ?」。
いろいろあるから。
そうしたら長女の方が「うちの人のガン・・・性感帯」。
「ああ、性感帯」とかと言っていて「性感帯ってどこ?」と誰かが訊いたら「私は耳たぶ」とか何か。
そういう話ではない。
病名を忘れてしまったらしくて、一番上のお姉さんが間違えてしまった。
「声帯」だった。
それに「カン」を入れてしまって「セイカンタイ」になってしまったという。
そのことがわかった瞬間に、暗い話なのに五人揃って大声で笑った、という。
深刻な話も一瞬の忘却で、たちまちコントになってしまうという。
本当に忘れやすくなった水谷譲。
スマホで何か検索しようと思ってスマホを開くが、その時点で何を検索するか忘れている水谷譲。
「なんだっけ?」みたいな。
「昨日買ったメガネ〜♪一昨日買った〇〇〜♪あれはどこへ行った〜♪」というのがあった。
中島みゆきさんの替え歌だったのだが。
(「さんまのからくりテレビ」武田宏子さん作詞「日常のドジ」。歌詞は「してたはずのメガネ 買ったはずの豆腐 みんな何処へいった」)
ちょっと面白い方に遭遇したので、その人の為に「忘れる」ということを三枚におろしてみようかなと思った。
これはすいません。
テレビとネタが重なっている。
(「サン!シャイン」2025年12月10日放送・2025年12月17日放送)





「人間というのは忘れる生き物である」という、そんなことを喋った。
人間は覚えていることを絶えず取り出していないと、忘れてしまう。
それとか記憶が歪んでしまうという。
前に話した。
人からいじめられたと思っている人が、よく話を聞いてみると、その人もいじめていたという。
2023年11月20〜12月1日◆し忘れ・ど忘れ・物忘れの時にも出てきた話かと思われる)
人間というのは覚えていることを喋っているみたいに言うが、正確に覚えていることを喋れる人はいない。
少しずつ改竄してしまう。
その話をしてワリとテレビスタジオでウケた。
そうしたらご一緒している政治評論家の岩田明子さんが「私、忘れたいのにすぐ出てくる嫌な思い出があるんです」という。
「何ですか?」と訊いたら「ゴキブリなんです」。
岩田さんはゴキブリが大嫌いで、ちょっとしたはずみにゴキブリの思い出が出てくると正確に蘇る。
そういう方は多くて周りにもいると思う水谷譲。
岩田さん曰く「生涯で出会ったゴキブリの全てが思い出せる」。
「自分が初めて叩いてグジャグジャにしたゴキブリが一匹目で、二匹目は叩こうとしたらこっち側に向かって飛んできた」とか。
それから「一人暮らしを初めて部屋に入った瞬間に夫婦のゴキブリとバッタリ目が合って、その夫婦は本棚の隅に消えた」とか人生で出会ったことのあるゴキブリを・・・
「これを思い出さなくする為にはどうしたらいんでしょう?」
ある意味トラウマだと思う水谷譲。
そう。
ゴキブリという軽い程度でも水谷譲のおっしゃったトラウマになっている。
それで「武田さん、教えてください」と言われて、本屋さんに行って見つけた本がある。
それが「忘却の効用」、(著者は)スコット・A・スモールという。

忘却の効用: 「忘れること」で脳は何を得るのか


アメリカの大学の先生。
白揚社から出ている。
腰帯にこんな宣伝文句があった。

忘れっぽいことは
正常であるばかりか、有益でさえある。
その理由を教えてくれる、実用的で、
すばらしい本
(本の帯)

つまり、「忘れてしまう」ということは正常であるばかりか、もの凄くあなたの為になっているんだ、と。
先生はこんなことをおっしゃっている。
「忘却とは衰えであると思い込んでいる人がいるかも知れないが、それは衰えの兆候でも何でもなく脳の大切な機能なんです。抗ってはなりません」
「忘れる」というのは体の為に有益なのかと。
「忘れることがいかに大事か」ということを説いた本。
コロンビア大学の教授であるスコット・A・スモール博士。
神経科の臨床医をやっておられて、記憶に障害があったり違和を感じる人の為の相談にものっておられるという。
武田先生の方はというと、仕事仲間になっている政治評論家の岩田明子さん、この人が「ゴキブリがどうも頭から消えない。上手く消す方法はないだろうか」と言われて、この本を読み出した。
岩田さんのゴキブリの記憶で「飛び出してくるゴキブリ」「走り去るゴキブリ」「叩き潰したゴキブリ」「反撃してこちらに向かってくるゴキブリ」その一つ一つが消えないという。
これは一種の写真記憶で、超高解像度でありありと浮かんでくる。
これは一種「記憶のやけど」のようなもの。
「記憶のやけど」は武田先生は上手いことを言う。
消えない嫌な思い出、これは誰にでもある。
人間というのはしょうもないことを覚えている。
あれは一種「記憶のやけど」だそうで。
こういうことで悩んだ人はいないだろうか?ということで、武田先生はこのスモール博士の臨床日記を読んだ。
その中には記憶で様々な障害を持つ人がいる。
まずそっちの方からいく。
消し方ではなくて、記憶全般から。

記憶に障害を持つ患者さんの嘆きというのを聞いてみましょう。

 私がコロンビア大学記憶障害センターで最初に診た患者のカールは言い切った。−中略−
 カールはマンハッタンで働く刑事事件専門の弁護士で
(17頁)

 カールは子どものころから学校でつねに優秀な成績を収め、彼の記憶力は競争の激しい学校の同輩たちのなかでも抜きん出ていた。−中略−その並外れた記憶力は弁護士の仕事でも役に立ち、所属していた法律事務所中に知れ渡っていた。−中略−彼は一度会った人の顔や名前を決して忘れなかった。−中略−彼は数か月前、ある重要な依頼人と初めて面会した。そして最近、−中略−ショッキングなことに相手の名前をいいよどんでしまった。(20頁)

これは弁護士さんにとっては、大変。
それは記憶障害だと思う水谷譲。
笑顔で応じてはいるのだが、その人の名前がどうしても思い出せない。
顔は覚えている。
名前が出てこない。
これが何人も続くと、マンハッタンを生きていく弁護士としてそうとう信用に差しさわりがあるという。
「何でこんなふうに私は、映像は残っているのに名前と結び付かないんだろう」というのでスコットさんのところ「に脳の病気ではないか?」と相談に来られた。
スコットさんはこの時に診断をしていくのだが、ゴキブリを忘れる方法は、ゆっくり話していきますからちょっと待っててください。
まずは「覚えている」ということはどういうことかという。
これは読んでびっくりした。
例えば水谷譲が今、目の前にいる。
水谷譲のことを「加奈」と呼びかけている。
この記憶。
「あなたの名前は『加奈』。あなたの目付きはそういう目付き。あなたの髪はそういう髪型。唇は、体形は・・・」
何と凄いことに脳の思い出の倉庫の中にバラバラに入っている。
眉なら眉のところに入っている。
目なら目のところに思い出が入っている。
耳なら、体つきなら、名前なら、全部バラバラ。
だから当然。
「顔は思い出せるんだけど名前は・・・」というのは倉庫の距離が遠い。
何でこんなに頭はそんなバラバラにするのか?という。
これは人の顔等は加齢と共に激しく変化する。
年を取るとわかるが。
武田先生はこの同窓会をやったばかりだったからこの話がやたら身に沁みた。
「ヤングジャパン」という芸能会社があって、一緒に働いた仲間が数十年ぶりに集まった。
誰が誰だかわからない。
名前は全然思い出せない。
でも、ある瞬間パッと思い出す。
それがしょうもないこと。
ひょいと向いた仕草で「オマエ、チマか!」。
「チマ」というヤツがいた。
動きを思い出した瞬間、ポーン!と名前が付いてくる。
それは別々の引き出しに記憶が入っているから、ある引き出しを開けたということかと思う水谷譲。
私達がフッとそんなふうにして思い出すのはバラバラにしまってあるから、80%が年取ってワケわかんなくても、20(%)を言い当てると80が出てくるという記憶があるという。
「忘れる」ということを探っていきたいと思う。
記憶というのは面白いもので、記憶という倉庫があるとすると人間の顔なり何なりを全部バラバラにして眉は眉、目は目、額は額で覚えていて、あるきっかけがあってそのバラバラにした何かに引っかかるとたちまち全部思い出せるという。

これは武田先生の例え。
会社で言うと思い出そうとしている物が会社の受け付けに行ったみたいなもの。
会社の受け付けに行くと、受付嬢に頼む。
「〇〇さんを呼んでいただけないでしょうか」
これが思い出す手順。
そうすると、その受け付けの人が「〇〇でございますね」と言って、その人のところに連絡を取る。
そうすると記憶がエレベーターで降りてきて「やあやあやあやあ!」と寄って来るという。
そういう脳のシステム、働きをスムーズにしている思い出の入り方、入り口。
その受け付けのことを「海馬」という。

脳には左右一対の海馬がある。−中略−海馬がタツノオトシゴ−中略−のように見えたので、そう名づけた(31頁)

ここがジャッジする。
「この人の顔はしっかり覚えておこう」それから「もう忘れちゃおう」とかという、そういう決心もこの海馬がする。
ここが分解し、モンタージュにして記憶。
眉のコーナー、鼻のコーナー、耳のコーナーにしまうという。
頭は凄いもの。
これは上手いこと言って、このスコット・A・スモール博士は武田先生の例えではなくて、この方は音楽に例えていて。

仮に海馬の小区域がピアノの鍵盤だとすると、依頼人との面会によってカールの海馬では、記憶という音符がいくつも重なった和音が鳴っただろう。(34頁)

遠い記憶はしっかり思い出せるのだが、最近入れた記憶が出てこないというのがある。

 カールは、−中略−昔からの依頼人の名前を忘れたことはない(40頁)

ところが新しい依頼人とか紹介された友人に関してはなかなか結び付いていない。
これはわかりやすく言えば記憶の収納倉庫と棚の方には問題が無い。

カールの海馬は、彼の人生を通じて電話交換手の機能を十分に果たしていた。−中略−だが、海馬は依然として機能していたものの、若いころより効率が悪くなっていたのだ。(40頁)

そうすると古い記憶はちゃんとしまってあるから思い出せるのだが、新しいのは苦手になっていく。
この最大のものが、武田先生が体験したことがある。
高島屋とか大きいデパートに行って、車を停めた場所がわからなくなるという。
8階、9階ぐらいまであって、その階を忘れると、もう絶望的。
あれはちょっと海馬が年を取ってきた証拠だそうだ。
本当にあの同じ風景の駐車場は忘れる。
隣の車の色とか思い出しても、隣の車がいなくなっているともうわからない。
自分が貯めた記憶が何の役にも立たないという。
正月の特番でそんなのをやっていて身につまされてしまって。
娘とデパートではぐれてしまったお爺ちゃんというのがいて、そのお爺ちゃんが迷子のコーナーに行っている。
そのお爺ちゃんは携帯を持っているのだが、電池が切れてしまって娘と連絡が取れないという。
お爺ちゃんとその娘さんの別れの言葉が「駐車場の車のところで俺、待ってるから」が合図だったもので、お嬢さんはそこで二時間待っていたという。
会うと娘さんからボロクソに言われたという。
前に水谷譲と話した。
何を一番覚えているか?
例えば思い出せる部分が少なくて思い出せないということがある。
でも何かと結びつけておくとスルッと出てくる。
人間は物語にすると覚えている。
情報として入れると忘れてしまう。
朝、聞いた情報は夕方に消えている。
これも海馬以下の脳の仕事。
消していかないと次が入ってこないから消してしまう。
こんなふうにして考えてみると、面白いもの。
忘れていかないと次に新しい情報が入ってこないから、忘れるという能力はもの凄く大事だということ。
それから毎日私達は寝る。

「私たちは忘れるために眠る」(149頁)

睡眠の主要な目的は大脳皮質をリフレッシュすることにある。睡眠は大脳皮質の記録を片付けて白紙にし、大脳皮質が新しい記憶を受け入れられるようにする。(151頁)

ところが人間の頭の中はいろいろ出入口があって、入り口が海馬の受け付け以外にもある。
この放送局(文化放送)は、他に入り口どこにあるか?
二階に受け付けがあって、一階に駐車場があって、駐車場の奥が警備室でそこも入り口だと思う水谷譲。
各階にある出入口。
非常口。
頭の中にも非常口がある。
「非常口から入って来る記憶」というのもあって、このあたりがどうやらゴキブリが入ってきた入り口と似ているということ。

「忘れる」ということの重大性を語っている。
これも触れておかなければいけない。
覚えているとどうなるか?
人間は記憶がある。
記憶はどんどん消えていく。
消えてゆかないとどうなるか?
頭の引き出しがいっぱいになってと思う水谷譲。
それがサヴァン症候群になる。
あれは記憶が消えてゆかない
これは凄く辛いらしい。
消えてゆくのがアルツハイマー、統合失調症、パーキンソン等々言われているが、サヴァン等々記憶障害というのは消えてゆかない。
どうなるかというと、子供なんかがそうだが

家の本棚に並んでいる本のうち、一冊の置き場所がわずかに変わっただけでも不満を募らせ、本がすぐさま元の場所に戻されなければ、かんしゃくを起こす。−中略−母親が通学路を変えようとしただけでもフレディは怒りを爆発させ(56頁)

(番組ではサヴァン症候群の例として紹介しているが、本では「サヴァン症候群」とは紹介されていない)
最近これは見つかったのだが、動物、ネズミなんかにもあるそうで。
行き止まりに出会うと、そこで餓死するネズミもいるという。
だから忘れることによって新規を探そうという意欲があるという。
そしてこのスモール博士の中でゴキブリが消えてゆかない岩田さんにピッタリだなと思って一生懸命読んだのが、水谷譲が言う通り「PTSD」「心的外傷後ストレス障害」。
思い出が消えてゆかない。
消えてゆかないどころか、その思い出が出始めると、もうそれ以外考えられなくなってしまうという、やはり「記憶のやけど」みたいなことが心的外傷、心の傷跡になる。
例えばPTSDによくみられるのは、戦場で辛い体験をすると、花火大会がダメになる。
バーン!という花火の破裂した音が聞こえると、戦場の思い出が克明に蘇ってくるという。
睡眠障害や突然の怒り、フラッシュバックによる精神的苦痛と混乱があるという。
「ゴキブリの記憶」というのはちょっとPTSDと呼ぶには軽すぎるが、岩田さんに現れている障害そのものはこれぐらい強いもの。
これは受け付けを通ってきた記憶ではない。
非常口から入ってきた。
非常口を開けたものだから、このビルもそうだと思うが、警備室のサイレンが鳴っている。
それで赤いランプが回る。
それが岩田さんの場合のゴキブリ。
だから非常口を閉めないとダメ。
閉めればサイレンと赤色灯の回転が止むという。
PTSDもそうで、そのゴキブリとはあまりにも違うかも知れないが、この博士が調べられたのは、戦場でのPTSDの人を扱ってらっしゃる。
お肉を食べようと思って肉を見ていたら、それが友人の撃たれた後の傷跡に見えたりするという。
それでもう、手が震えるというような心的障害が出てくるワケで。
でもならない人もいる。
「ランボー」とかというのがあって、ベトナムの戦場での傷が生々しくて、普段の市民の生活に戻ってもそこが突然戦場に見えたりなんかするというPTSDを患う。

ランボー/怒りの脱出 [DVD]


だが、ベトナムから帰還してきた人でもなっていない人もいる。
このスモール博士の調べ方が、なっていない人を全部調べる。
このPTSDを探っていくと、これは岩田さんに使える。
つまり非常口を閉めることだから。
これが面白い。
友達がいるかいないか。
戦争でもの凄い体験をする。
やはり戦闘の体験は心に凄い。
それは極限。
ところが基地に帰ってきて、友人と一緒に今日の戦場の話をしている。
それは悲惨な話。
ところがその悲惨な話を五人、六人で分け合ううちにフッと笑い話になったりすることもある。
「あん時さぁ、敵の姿見えたんだ。俺、ションベン漏らしちゃったよ」と言ったら横のヤツが「俺もだよ」と言った瞬間に男同士が笑う。
その間に心の重大な傷として扱わず、非常口を閉める。
そういうことがあるので、まだ他にも非常口を閉める秘訣がある。
心の傷が無かった人をよく調べると、基地に戻って仲間達と今日の出来事、戦場での殺し合いを語り合ううちに笑い話が生まれたりすると、比較的傷になりにくいという。
PTSDほど重くはないにしても、嫌なことがあった時に仲間とお酒を呑みながら共有して笑い飛ばせば忘れられると思う水谷譲。
「笑い飛ばす」というが、本当に「飛ばす」。
あれは飛ぶものもある。
皆さん、「この先も辛いことはあるかも知れないが、とりあえず毎日少しずつ笑いも貯金していくとあなたの重大なパワーになります」ということ。
そしてPTSD、心的な障害に関しては、こんな方法も、ということでこの博士が挙げてらっしゃるのが

 PTSDの一般的な治療法は、−中略−曝露療法(エクスポージャー)の論理で、この療法では、安全な状況のなかで、不安を引き起こす刺激に患者を何度もさらす。(97頁)

これは別の言い方で「クローゼットのドクロ」という。
これはあまりいい例えではないが、わかりやすので話すが。
誰かを殺してしまってクローゼットの中に白骨を隠している。
毎日ドキドキするけれども、ドキドキしない方法が一つだけある。
それは何かというと、毎日クローゼットを開けてドクロを見慣れてしまうことだ、という。
そういう刺激の仕方。
慣れてしまう。
そういうことが、人間の心の傷をだんだん塞いでくれるという。
だから岩田さんに勧めたのは「鈴虫を飼いましょう」。
ゴキブリとスズムシは似ている。
それはスズムシ好きな人は怒るのではないかと思う水谷譲。
あの色といい何といい。
一瞬でも「スズムシ可愛い」と思うとエクスポージャー、暴露療法で怯えなくなる。
もう一つ岩田さんに勧めたのが仮装。
例えばハロウィンなんかでゴキブリの恰好をして友達とゴキブリパーティーをやる。
やりたくないと思う水谷譲。
お祭り騒ぎ。
とにかくゴキブリに接近する。
ショック療法みたいな感じかと思う水谷譲。
もう今、嫌いな人達は、(「ゴキブリ」という)その名前を聞くだけで「鉄矢さんやめて!」となっていると思う水谷譲。
そういう方もいらっしゃるだろう。
でも、何てことない人もいる。
テレビでやった時は凄いものをスタッフは見つけて。
ゴキブリを殺す薬のコマーシャルをやっていたことがあって、ゴキブリの恰好をしたことがあった。
最後はその恰好で岩田さんに「友達になってください」と頭を下げるところで番組は終わった。

本題に入る。

体が脅威を感知したときには、偏桃体が実質的に神経系の「司令塔」として処理に当たる。−中略−偏桃体は、必要とあらば危険信号を徐々に増していき、ついには「緊急事態発生! 緊急事態発生!」とがなりたてる。−中略−こうして偏桃体は、記憶の何気ない事実──いつ、どこで、何を──に感情の色を塗るのだ。(92頁)

入り口、受け付けを通った時は目・鼻・口とかと全部バラバラにした。
非常口から入ってきた時は「これ、大変だから」というので丸々思い出にしまってある。
だから思い出すのは頭から全部思い出してしまう。
それで頭の中がいっぱいに広がる。
丸ごと飲み込むような、そんな無理がこの偏桃体から入って来る記憶にある。
これはもともと体に悪い思い出。
「二度とこんな目に遭わないように」ということで取ってある。
そういう記憶のしまい方もあるという。
一番大事なことは、この偏桃体から入って来た暴走する思い出に関して、ユーモアを加えることによって断ち切っていく、分解していく。
笑う力は大事。
上司の悪口を言った時も、最後にその上司に変なあだ名を付けたりすると笑い飛ばせるし、ユーモアは大切だと思う水谷譲。


2026年03月07日

2025年12月15〜26日◆バルセロナで豆腐屋になった(後編)

これの続きです。

バルセロナで豆腐屋さんになったという清水さんのお話。
清水さんが様々な工夫をするワケだが、中でも一番工夫したのが水の問題。

バルセロナは、水道水に含まれるカルシム分がきわめて多く、硬度が高い。−中略−豆腐づくりにはカルシウムが少ない軟水が良いとされ(60頁)

水道水のカルシウムを除去する装置を取り付けるが、そのカルシウム除去水をボイラーだけでなく作業場でも使えるように壁に埋め込んだ配管である。(59頁)

防腐剤や保存料を使わずに豆腐の鮮度を保つには冷やすほかない。豆腐を芯まで冷やすには氷水に入れるのがいちばん速いので(116頁)

そうすると買っていただいて醤油をちょこっと垂らして喰うと・・・
大豆の味がほのかに豆腐の肌理から湧いてくるという、あのジャパニーズ豆腐になるそうで。
唸るほどうまいという。

商売敵だが、バルセロナには中華の人の豆腐店があるそうで。
考えてみたら、豆腐とは元々中国のもので。
これが奈良・平安の頃に日本に入ってきて、日本人は日本人なりに豆腐の味を磨いたワケで。

バルセロナで中国の人がつくっている豆腐は、一丁が一.三ユーロ(約160円)で売られていた。(108頁)

清水さんはもうひたすら「三方よし」を貫く。
ジャパンファースト。
これは、あの党の方も覚えておいてください。
「ジャパンファースト」は日本を大事にすることではなくて、日本が国際的な世界に行った時は「三方よし」を貫く。
「あなたよし」「私よし」「世間よし」という。
これがジャパンファーストである、と。

ひたすら清水さんは日本の豆腐をバルセロナで作り、売り続ける。
そうするとここが大事なのだが、「日本」がだんだん商売になっていったという実感を持ってらっしゃる。

 開業から四年目の六月、−中略−国際都市であるバルセロナは、初めての事業として異国の文化を代表する一二の店を選び、表彰することになった。その中に私の豆腐屋が含まれているという。(121頁)

それで行ったらば、そのバルセロナの市長さんか何かから「ヒョーショージョー」と言いながら、表彰状を貰ったという。
(本によると表彰式があったことがわからず、当日は欠席だった)
それは異国の町に来て他の国の食物を美味しく安全に提供し続けたから「アンタは偉い」という表彰状だったという。

 表彰するということは、それらを生んだ国や地域に対して「リスペクト」するという意志表示でもある。(132頁)

清水さんは「こういうとこ、日本も真似しちゃどうですかね」。
東京都知事、何か緑のおばさんが、例えば韓国料理でキムチが抜群に美味いというところを「最高のキムチの味を日本に紹介した韓国の〇〇さん」。
そういうのはいいと思う水谷譲。
「ここのパンは美味しいですよ」とか「ここのチーズケーキは」「ここのピザは」そんなふうにして、よそから入ってきた食物に関して絶賛して「いやぁ口に合います」ということを表彰する。
「そういうことがあってもよくない?」という。
これはぜひ都庁の方で計画してみてください。
誰も嫌わないし。
経済効果にもつながると思う水谷譲。
そんなふうにして「この日本という国の文化に上手く溶け込んだら得することたくさんありますよ」という提案も、「ジャパンファースト」と言っていてはダメ。
はっきり言わせてもらうが、日本人でありながら「こいつ日本人か?」と思う人がいる。
それはちょっとラジオだから思い切って言わせてもらうが。
「ジャパンファースト」と言うならば「あるジャパンを持っている人じゃないとファーストしてあげないよ」という。
そのジャパンファーストに足並みをそろえていきたいと思っているインバウンドの人も「あなた方もファーストですよ」という、ファーストの基準を「日本」ではなくて「ファースト」に作る。
今いいことを言ってしまった。
自分の言葉に自分で感動して涙が出てきた武田先生。
「ジャパン」「ジャパニーズ」ではなくて「ファースト」の方に目を持ったらどうだろうか?

更に海外事情。
清水さんが教えてくださる
これでやっとわかる。
何でバルセロナで豆腐屋をやろうと思ったか。

バルセロナ市内には二〇〇軒以上の日本食レストランがあるということだった。−中略−ただし、そのうち日本人が経営する店は四〇軒ほどしかなく、八割近くは中華料理店が看板替えしたものだという。(137頁)

 街のいたるところに「SUSHI」の看板がある。入り口に置かれたメニューを見ると、ほとんどの店が「GYOZA」も載せている。日本人のお客は、そういう店を「なんちゃって日本食レストラン」と呼んでいた。(138頁)

武田先生もカナダでジャパニーズレストランに入ったことがあるが、モントリオールか何かで喰ったのだが、そこはお刺身の船盛りの横が鍋物だった。
ジャパンは、これはやらない。
寿司と餃子は一緒に扱わない。
それと火が出るものとお刺身を横に並べたりしない。
武田先生が行ったそのカナダのそのお店はフィリピン訛りの人だった。
ここで一つだけ肝に銘じておかなければならないのは、スペインでは「日本」は商売になるということ。
そのことがこの方を豆腐作りに走らせたのではないのか?
「豆腐」ではなく「日本」を売りたかった。

「バルセロナで豆腐屋になった」
この本を読みながら、武田先生は「ジャパン」或いは「ジャパニーズ」とは何だろうか?とつくづく考えたワケで。
水谷譲もジャパンファーストについて今週・先週で考え直した。
ちょっと驕っていると思う水谷譲。
朝、散歩するお宮さんの前で、一瞬だけ本殿の方を向いて御辞儀をする人がいる。
あれは姿がいい。
武田先生のすぐの近くの神社で七五三を十一月にしきりにやっていたが、神社の鳥居の下は観光客の人。
インバウンド。
神社に着物を着て石段を上がっていくのが、もうたまらないぐらいエキゾチックに見えるらしい。

スペイン・バルセロナに於ける、ジャパン・ジャパニーズ。
清水さんの観察。

広島風お好み焼きと関西風お好み焼きの店が相次いで開店した。焼きそばやたこ焼きなどを出す大衆酒場の店も登場した。−中略−イギリス人が茶そばと焼き鳥の店を開いた。(138頁)

ある意味で世界中の人達から見ると、「日本」というのは商売になる。

 一九八三年開業の老舗だが、お菓子の「OCHIAI」の存在も大きい。店主の落合尚さんは、大福、まんじゅう、どら焼きなどの和菓子だけでなく、モンブランやショートケーキなどの洋菓子もつくっている。(138頁)

やはりどら焼きを食べたい時にカルメンが言うのだろう。
「ドラヤキ、ドラヤーキ。ドラえもんも好きなドラヤーキ」というのが行くのだろう。

 その背景に、日本そのものに対する高い評価があったことを見過ごすことはできない。
 年配のスペイン人は「キヤノン」「ニコン」「ソニー」「パナソニック」などの名をあげて、日本製品の良さをたたえる。
−中略−「ホンダ、カワサキ、ヤマハ、スズキ」と続け、「日本製が最高だ」という。(139頁)

いいキャメラを持っていると「オーゥ!キャノン?」と。
そういう言い方をするように、日本というのはその名称だけで十分商売に成り得るという。

 三〇代より若いスペイン人は「漫画やアニメのファンだから日本が好き」という人がほとんどだ。スペインには子ども向けにアニメを放送するチャンネルがあり、「ドラえもん」「ドラゴンボール」「キャプテン翼」などを見て育った世代が社会の中堅になりつつある。(139頁)

スペインのもの凄く強いチームが特殊な陣形のことを「キャプテン翼!」と言うらしい。
「キャプテン翼」というのが作戦用語で使われるくらい有名だという。

ベジタリアン向けのレストランを訪れたら、壁の一面が「となりのトトロ」の絵で飾られていた。コースターの図柄も「トトロ」だった。(139頁)

つまり日本から流れ込んでくるものが商売に活かせるという。

もちろん言っておくが、これはちょっと古い情報。
十年以上の歳月がこの情報に関しては経っているが、武田先生は意外とこれは今でもそうなのではないかなというふうに思う。

それからもう一つ、うぬぼれてはいけないという警鐘でこんなことを清水さんはおっしゃりたかったのだろう。
格別の人を取り上げていて。

 北部のパルスという村に住むアルベルトさんは農薬を使わずに「あきたこまち」と「コシヒカリ」を栽培している。(141頁)

(番組内で「ルス」と言っているようだが「ルス」)
手作業で日本のお百姓さんを見習って無農薬。
アルベルトさんは日本人は無農薬で作ると聞いたのだろう。
無農薬で頑張っておられて。

しかも乾燥機を使用せず陽光と風だけで自然乾燥させる。(141頁)

この方の米が抜群に美味いそうだ。
何と5kg4600円。
今の日本と同じぐらい。
もうちょっと今は値上がりしているかも知れないが。
だいたい340ユーロぐらいで。

スペインでは「超」の字がつくほど高い値段である。(142頁)

とにかく味が抜群なので。
このアルベルトさんというのはもの凄く米作りに熱心だそうだ。
だから「日本で採れたから」なんてうぬぼれてはダメで。
「日本人のやり方をここまで見習っているスペインのお爺さんがいるんだ」という。
「ジャパン」「ジャパニーズファースト」じゃなくて、「ファーストたるべき資格を持った『ジャパン』『ジャパニーズファースト』でなければならない」という。
今日もいいことを言ってしまった。
とにかく味は抜群で、バルセロナでは日本食の相棒として皆さんがアルベルトさんのお米を求めるそうだ。
これは凄い。
「アルベルトさんの米は美味ぇ」
「アルベルトさんのあきたこまちは日本一・・・」
「日本」一ではない。

南フランスの和食レストランは、フェイスブックの告知を見て、わざわざ買いに来た。「ご飯は和食の柱だから」と言った。(142頁)

白米に対しての味が基準。
だから「白米、白いご飯の美味さ」というのが高くないと、相対的に味は・・・
つまり米が日本食の基準の全てである。
だからこういうことを報告しながら清水さんは「日本の方、油断しちゃダメですよ。それは『ファースト』で守ってもらえません。海外でこれぐらい米作りに打ち込んでる人もいるんだから」とおっしゃっている。

 農薬は米の胚芽などにたまりやすい。−中略−大勢の客に「米ぬかもほしい」と言われ、−中略−まとめ買いした和食レストランは「ぬか漬けをメニューに加える」という。(142頁)

清水さんは「日本人の人、日本人であることに甘えないでくださいね」という、これは彼の忠告が入っているのだろう。

ピレネー山脈が地中海に落ち込むモンセニーという地域で、−中略−ワサビの栽培に成功した。(144頁)

だが、アルベルトさんみたいな人がいるから、これはこれでまた「逆輸入しなければならないぐらい美味かったらどうしよう」というようなもの。
こんなのはフランスから飛行機で、すぐに買いに来そう。

さあ、ここから。
武田先生がこの本の中で一番感動した話。
著者はこんな人を紹介している。

 純子さんはバルセロナで初めての日本式カフェを開いて成功した。
 航空会社に入社して客室乗務員になり、東京で暮らしていたが、勤続一〇年が近づいたころ、
(147頁)

女ざかりの頃にこういう・・・
「女ざかり」は差別用語だろう。
「女ざかり」は嬉しい言葉だと思う水谷譲。
昔の探偵もので「美人女子大生殺人事件」というのがあったが、あれは子供心に「美人じゃなかったら何て書かれるんだろう」と思ったことがあったが。
純子さんに話を戻す。

JR品川駅のホームでめまいがして倒れた。一緒に並んでいた人たちは、だれも助けようとせず、声もかけずに電車に乗り込んだ。(147頁)

この瞬間に純子さんはこの国に愛想が尽きた。
それで「こんな国、出ていってやる」と思ったという。
冷たい日本人に腹が立ったのだろう。
ヘイトジャパン。
日本が憎くて仕方なくなり、スペインへ。
スペインへ来ると何となく「みんないいな」という。
そこでまた恋人も見つかって2006年からバルセロナに住んでおられたという。
(本によると恋人はバルセロナに行く前からいた)
もう日本みたいにしがらみとか上下関係とか、そういうのが一切無い異国の暮らしが彼女を生き生きと蘇らせた。
ジャパンファーストを訴える方も考えてね。
こういう日本の方もおられる。
「日本が大嫌い」という方もいらっしゃるので、「ジャパン」「ジャパンファースト」なんていうのは逆の方もいられるということを含みおかれて、ぜひその言葉に重みを与えてください。
この純子さんにとって、日本は実につまらぬ国だった。
ところが突然のことが起きる。

 アジア食材店で大福を買って食べたらあまりにもまずくて「これが日本の大福だと思われることは許せない」と怒りが湧いた。(148頁)

何と彼女の中で突然「日本」が破裂した。

もち米の粉や小豆を買い、台所で試作を重ねた。満足のゆくものができたので、知り合いのレストランに持ち込んで評価してもらった。私の店にも「試食してください」と持ってきた
 とてもおいしい大福だった。
(149頁)

何と彼女はやりくりしたのだろう。
カフェを開店。
恐らく日本茶と大福の店。
「この大福がこの人のジャパンに火を点けた」というのが面白くて仕方がない武田先生。
日本が嫌で、日本人が嫌で出てきたのに結局「日本」だと思う水谷譲。
そう。
もちろん「それは大福のことじゃないか」と言うのだが、ここでもそう。
「日本」が商売になってしまう。
彼女がカフェを開いた。
そうしたらどんどんスペインの人がやってくる。
それで大福を喰いながら「美味しいよ」とかと言う。

カフェを開店すると、さらに新商品を繰り出した。飲み物は日本のカルピスやメロンソーダ、菓子は−中略−抹茶ケーキ、そしてメロンパンや(149頁)

スペイン人の間でメロンパンは話題になった。(148〜149頁)

スペインにはメロンパンは無いのかと思う水谷譲。
あるワケがない。
あれはメロンとは何の関係も無い。
だからメロンパンはいい。
武田先生はメロンパンだけはうるさいので。
メロンの臭いのするクリームなど中に入れて欲しくない武田先生。
メロンパンは引きちぎっても何も入っていないからメロンパン。
あれはつまり「メロンを喰ってる夢をこれで見ろ」というヤツ。
武田先生はそう思う。
あの手の菓子類パンの中で中身が無いのはメロンパンだけ。
アンパンでもジャムパンでもクリームパンでも中身が入っている。
メロンパンはそうではない。
「中身が入っている夢を見ろ」というパン。
メロンが入っている夢を見る。
とにかくこのメロンパンがスペインで大ヒットしたという。
この日本大嫌いのこの純子さんも彼女がカフェを成功させる、その支えになったのはジャパニーズ商品。
カルピス、初恋の味。
メロンソーダなんて日本人しかいない。
メロンソーダは日本なのかと思う水谷譲。
誰が考える?こんなもん。
あれはメロンと何にも関係ない。
あれも夢見る飲み物。
あの緑色を見て「メロンを飲んでいると思え」という。
メロンパンはあの形を見て「メロンを思い出せ」「メロンを夢見ろ」。
でもそこに存在価値がある。
メロンソーダはメロンの味はしないと思う水谷譲。
当たり前。
夏になったらあれにアイスクリームを乗せて。
そういう不思議な食べ物
そこも込みでの「ジャパニーズ」「日本のもの」。
抹茶ケーキ。
ケーキとお茶をドッキング
今、抹茶は凄い。
フランス等でも流行って凄いと思う水谷譲。
抹茶ブームで、抹茶を飲みながら「落ち着くぅ」というヤツが外国人でいる。

焼きそばパンも。「こんなのがあったらいいな」と思いついたものを次々とつくった。(149頁)

焼きそばパンもこのカフェでは大当たりで。
あれは日本かと思う水谷譲。
ヌードルをパンに挟む。
ソース焼きそばは日本だと思う水谷譲。

 開業して一〇年が過ぎたが、店の経営は順調だ。開業当時から守ってきたことが一つある。夏に六週間、冬に一週間のバカンスを必ずとることだ。「食べ物は日本がいいけれど、働き方はスペイン流がいいと思うので」という。(150頁)

満点の人生だろう。
彼女の中に大福一個分の日本が眠っていた。
彼女の怒りは「こんな不味いもの」という。
その怒り。
つまり彼女の「日本」は「裏切らない味の大福」だった。
そこらへん、大福一個でさえも決していい加減な食べ物にしない、という。
それが彼女が開いたカフェの中にはカルピスにもメロンソーダにも抹茶ケーキにも、メロンパン、焼きそばパン、そういうものに全部こもっているのではないか?
私達は「ファースト」にすぐ「何かを持っている日本人じゃないと」という話。

純子さんの話は大好き。
「こんなものが日本の大福だと思われたら困っちまう」というので大福屋さんに自らなったという。
カフェを開くと日本の食べ物を次々思い出して大好評の喫茶店を開くようになったという。
大福や好評のメロンパンも実は日本。
日本ゆえに生まれたものだし。
選挙では大きな得票を集めた「ジャパニーズファースト」だが、やはりそれは大福一個でも「こんなものが日本の」というフレーズを持っているか持っていないかが「ファーストしてもらえるジャパン」と「ジャパニーズ」ではないだろうか?

ずっとお話してきた清水さんの豆腐店。
これだけのサポートが集まって、豆腐作りに励んだのはまさに豆腐に「日本」があるからではないだろうか?

 開業して二年目を迎えたころから、国外で暮らす日本人の来店が目立つようになった。(153頁)

豆腐を売っているというだけで、やっている青年がぶらっと訪ねてきて「ここですか」と言いながら豆腐一丁を喰って帰るのだろう。
彼等はもちろんだが清水豆腐店に豆腐を求めてきたのではないワケで。
彼等は何を探しに来たかというと日本をバルセロナで探している。
豆腐に宿る日本を訪ねてきている。
そういう意味では、どんな小さなものにでさえも日本が宿っているという。
そういう精神を持っていないと日本、或いは日本人というものは務まらない、らしくない、というか。
「そういう日本人でありたいな」と思う。

この後も本は本当にギッシリで、2011年の東日本の大震災から福島の原発事故。
これでスペインでも日本の食品は汚染が疑われるというような目に遭ったりするのだが、清水さんは耐える。
そして続いてコロナ・パンデミック。
これでも苦労の多い稼業を必死になって切り盛りなさっているという清水さんのやはり「三方よし」精神。
「客よし」「売り手よし」「世間よし」という。
これを貫くという清水さんがあるワケだが、ちょっと残念というか当然のゴールだが、2020年にこの豆腐屋さんを新しい世代に渡して奥様と二人で静かな暮らしに入られた清水さん。
その後はどうなさったかは、どうぞこの一冊を読んで訪ねていただければというふうに思うのだが、このバルセロナの豆腐店を次の方に譲りたいと言った時も手が結構挙がったらしい。
つまりその人達の胸の中にあるのも、日本の街角で地味な豆腐屋さんのあの美味い豆腐という。
それをバルセロナで作ってみたい、という。
そういう「豆腐の中にある何事か」を継ぎたいという方がいらっしゃるということ。
清水さんはその本の中で何があろうと力を貸してくれた友人、後輩、そして新世代に感謝しておられる。
豆腐に宿る「ジャパン」。
その「ジャパン」には皆が繋がってゆく何か縁(えにし)があるのではないか?と武田先生は読んだワケで。
少々ひねくれた言い方も見方もあったかも知れないが、ジャパンファースト、ジャパニーズファーストの中に「ファーストにせねばならぬ」という、そういう日本人の思いがあるのではないだろうか?というふうに思ったりした。

60歳過ぎて海外で暮らそうとか、しかもそこで豆腐作ろうとか、毎朝早く起きようなんていう思いも無いので恥ずかしくなった水谷譲。
ジャパンファーストを考え直して、何がジャパンファーストなのかと思う水谷譲。
「自国民を保護せよ」ということではない。
「自国民」ではない。
ジャパン。
あなたの胸の中に「ジャパン」「ジャパニーズ」があるか?
そういう思いが無いと「ジャパンファースト」「ジャパニーズファースト」というのは語れませんぜ。
何かそういう気がする。

これは本は面白い。
それと本当にマジに豆腐の作り方はもう必死。
文字で読んでも想像できない。
「先っぽに穴が空いている櫂で左右にワンツーで回す」とかと書いてあるのだが、これは道具を見たりなんかするとわかりやすいので、豆腐の作り方と一緒にこの本を読むと本当に苦労がわかる。
今、凄く豆腐を食べたい水谷譲。
豆腐の歌を作った武田先生。
「面倒なこと全部片づけて冷奴」
冷たいお酒でいただけば何も世の中に文句が無くなる。
そういう一句を俳句で知った。
「湯豆腐や今日もまだまだ生きている」とか、そういうの。
柔らかい湯豆腐に箸を入れて、すくってタレに持ってくる・・・
湯豆腐もいいと思う水谷譲。
「この世の中、文句は何も無え」という。
またキューッと一杯呑んでクゥ〜ッ!と言うと、人生ここに尽きるのである。
豆腐の話だった。

2025年12月15〜26日◆バルセロナで豆腐屋になった(前編)

2025年9月22日〜10月3日◆日本語教師、外国人に日本語を学ぶの最後の方にこの本の予告があった)

本のタイトルをそのままいただいた。
岩波新書、清水建宇さんという方がお書きになった本で「バルセロナで豆腐屋になった」という。

バルセロナで豆腐屋になった──定年後の「一身二生」奮闘記 (岩波新書 新赤版 2051)


この本のタイトルを見ただけで「商売になるの?バルセロナで豆腐屋が」という。
どういうことかな?と思って手を伸ばした本だが、これが何ともはや、「バルセロナで豆腐屋になった──定年後の『一身二生』奮闘記」とある。
つまり定年の後に「一つの体で二つの人生を送りたい」という、そういう願望を持っておられたのだろう。
だからこの方は定年後にスペインのバルセロナで豆腐屋さんになったという。
だが60歳で豆腐屋さんになるというのも大冒険だろうに、この方はどうしてまたそうまでして豆腐屋さんになりたかったのか?
こういう疑問があるワケで。
凄い方。
因みにマルコ・ポーロというイタリアの人は1271年、東へ真っすぐ行った。
20年に及ぶその旅をヴェネツィアに帰って旅行記「東方見聞録」にまとめた。
それでさえ大偉業だと言われているのに、この清水さんという方は「西方見聞録」。
もともと豆腐屋さんだったワケではないのかと思う水谷譲。
一番武田先生が心配したのは「バルセロナで豆腐が売れるのか」。
そこのところも非常に不吉なものを感じて。
スペインの奥さんでカルメンみたいな人が来てバラの花を咥えて「豆腐二丁ちょうだい。キヌゴッシー」とかがあると思うか?
異国の地であるバルセロナの人々にとって豆腐屋を始めた日本人。
これはどういう感情なのだろう?と。
丁度この本を読んでいる頃に選挙がたけなわで、日本のとある政党が「自国民ファースト」。
「自国民と流れ込んできた外国人を区別せよ」という主張をその政党の方はおっしゃっていたが、彼等はもの凄い得票率を集めたワケで。
その時に日本人がバルセロナで豆腐屋を始めるというのは、ご近所の迷惑になったらどうするんだという気遣いもある。
それ故に興味も湧く。

まずは水谷譲が興味を持たれたが「どういう人なんですか?」。
清水建宇さん。
1947年生まれ。
団塊の世代。
典型的戦後生まれの方。

朝日新聞社入社.−中略−『週刊朝日』副編集長.−中略−2000年1月から2003年3月までテレビ朝日「ニュースステーション」でコメンテーター.(奥付)

文筆業からテレビのコメンテーターまでこなしたというメディアの人で。
それにしても、その人が何でまたバルセロナで豆腐屋をやろうと思ったかという。
興味津々でページをめくったというワケで。
この定年後、初老の身でありながら豆腐屋を決心した彼だが、彼には強い思いがあって

「一身にして二生を経る」という言葉が私の頭に突き刺さった。−中略−
 知りえた限りでは、福沢諭吉が「文明論之概略」で書いたのが初めてのようだ。
−中略−まるで一つのからだで二つの人生を生きるかのように、一人の中に二人いるかのように) 
 福沢諭吉は、明治維新の前と後とで学問や研究が様変わりしたことを言おうとしているのだろう。国家や社会の仕組み、衣服、髪型までも一変した明治維新にあっては、学問や教育も変わらざるを得ない。
(6頁)

清水さんが挙げられたのは福沢諭吉ではなくて伊能忠敬。

 ──忠敬は一七四五年二月、千葉県の九十九里町で生まれた。(4頁)

「佐原囃子が聴こえてくらあ、(三波春夫「大利根無情」)

大利根無情(台詞入り)


の「佐原」。

 十七のとき、佐原村の大地主であり、酒やみそ、しょうゆの醸造、米・薪問屋、廻船業などを営む伊能家に見込まれて婿養子になった。(4頁)

四九歳で隠居(4頁)

それであっと驚くなかれ、日本地図を作るという。

全国を徒歩で調べた。歩いた距離は四万三七〇七キロ。地球一周分にあたる。−中略−七三歳まで生きた。(5頁)

清水さんは実は20、30年前からメディア、朝日新聞に勤めながら「老後は豆腐屋やりたいな」と思っていたという。
でないと、豆腐屋なんかできるものではない。
それもスペイン、異国の町・バルセロナを狙ったという。
凄い狙い目だが、でもご同輩、同じような年齢、団塊の世代の方、そういう方が我等の仲間にいるということを覚えておきましょう。
60歳から何とスペインで豆腐屋を開業したという。
そんな先達がいる。
この豆腐屋、いかになるか?
何という数奇な人生。
その綿密さというのは武田先生が驚いたのは、この方は定年の直前、60歳直前でスペイン語を学びつつ、豆腐作りを習う為に引っ越しまでしてらっしゃる。

京成線の駅前にある豆腐屋だった。−中略−修行させてほしいと頼むと、二つ返事で引き受けてくれた。(20頁)

 自転車をこいで午前五時に三河屋に着くと(22頁)

(番組では初めに修行した店と次に修行した店を混ぜて紹介しているが、一軒目が京成線の店、二軒目が三河屋豆腐店)

ご主人の鈴木光男さんは−中略−修業時代から数えると豆腐づくりの経験はやはり五〇年近い。(22頁)

本に詳しく書いてあるが、それを読んでもわからないから、武田先生はいろいろ調べた。
写真入りで豆腐の作り方とか勉強しながら本を読み進まないと、何が書いてあるかわからない。
ざっとだが、その三河屋さんで、どんな修行をしたかというのを語る。
豆腐の作り方。

ひと晩水に浸けた大豆を、加水しながら豆すり機でつぶし、ドロドロの状態にしたものを「呉」と呼ぶ。それを圧力釜に移して煮る。煮えたなと思ったら、絞り機にかけて豆乳とオカラに分離する。−中略−鈴木さんは木桶を床の空いたところに移し、木の櫂でゆっくりかき混ぜた後、「ワンツー」と呼ばれる道具を持ってきた。直径五〇センチくらいのステンレス製の円盤に一〇ほどの穴をあけ、二本の腕木を取り付けたものだ。これを豆乳の上から押し込むと、穴から逆流して、一気にかき混ぜることができる。(25〜26頁)

それからにがり、凝固剤を入れる。
分量は100に対して1ほど。
これで静かに澄ます。
豆腐が固まるまで、約20分待つ。
固まるとこれを箱型のまま、水槽に沈めて冷やす。
これで絹ごし豆腐が出来上がる。
絹ごしを作るまで大変。
これは手仕事。
これで絹ごしが出来上がる。
それでは木綿豆腐はどうやって作る?
初めてこの本で知った。
今度はやや薄めの豆乳で絞り、同じくこれを固めてこの豆腐を一回くずすそうだ。
それで木綿の布巾を敷いて箱に入れてゆっくりと絞る。
20分ほどで固めたものが木綿豆腐になる。
(このあたりの作り方の説明は、いろいろ内容が混ざっていて、正しくない部分がある)
豆腐屋さんの忙しさはこれだけではない。
これから「がんも」を作る。

豆腐の切れ端や前日の豆腐を砕いたものを出して、がんもの準備を始めた。水にさらした後、布袋に入れて二枚の板に挟み、重石を載せる。(27頁)

水気を抜いて片手で戻るほどの硬さになったらよし。
ニンジン、ゴボウ、きくらげ、具などを切込み、これを昆布だしでしっかり煮込む。
具は何でもOKで他に銀杏、チーズ。
美味しそうだが大変。
豆腐屋さんは、この隙にまだ作る。
油揚げを作らないと豆腐屋さんじゃない。

薄い豆乳で生地をつくった後、息子さんが切り分けて板に並べ、一時間ほど重石をかけて脱水する。それから一枚ずつ低温の油槽に入れてふくらませる。(21頁)

伸びたら高温の油槽に移し、キツネ色に仕上げる。(31頁)

この油揚げが出来上がったら、仕事がまだある。
今度は厚揚げを作る。
木綿豆腐をそのまま180〜200℃の高温で表面をキツネ色に揚げる。
「中身は豆腐のまんま」ということで、食感のいい厚揚げ豆腐。
厚揚げ、油揚げ、がんも、木綿、絹ごし。
これを朝の何時間かで作らないと豆腐屋さんにならないという。
基本的に一人で。
でもやはり家族経営の方が多いそうだ。
全部商品を作った後、習慣なのだろう。
正午過ぎぐらいに休憩に入る。
だから「豆腐屋さん」というが皆さん、こんなに忙しい。
著者はもうクッタクタになるのだが、読んでいる読者の私共もクッタクタになるという。
考えてみれば定年退職前の人がこれだけの作業をやって豆腐作りを覚えたという。
怖いのは実習で教わっているのだが、間違えたら全部ダメ。
にがりの分量とか間違えたら売り物にならないから、もの凄い緊張だったそうだ。

問題はバルセロナで豆腐が売れるかどうか。
もうその一点が気になってこの本を読む推進力となった。
まずはその豆腐屋さんを始めるというバルセロナの町、どういう町か?

 バルセロナ市は市域の人口が一六〇万人。姉妹都市の神戸市とほぼ同じだ。(46頁)

通貨はユーロに切り替わっていて、2008年に開業を目指して。
(開業は2010年)
丁度その頃、スペインは不動産バブルがはじけた時で、この年の秋、アメリカでリーマン・ショックが覆うことになって、最悪の世界経済の最中。
何とこの著者はバルセロナで豆腐屋物件を探して。
何でバルセロナにしたのかと思う水谷譲。
わからない。
それは書いていない。
なぜバルセロナ、なぜ豆腐屋を。
(そのあたりの経緯は本の「はじめに」の部分に書いてある)
とにかくバルセロナで豆腐屋をやってみるという。

アリバウ通りに新しい「貸します」の看板が出ているのを見つけた。以前は花屋だった物件だ。(49〜50頁)

広さ一五〇平方メートル。(50頁)

約45坪。
畳92畳分。

示された月額家賃は二三〇〇ユーロ。(50頁)

(日本円に換算すると約)40万円。
(交渉の結果、実際の家賃は2100ユーロ)

 大豆をすりつぶした呉はドロドロの状態なので、直火で炊くと焦げやすい。だから多くの豆腐屋はボイラーから蒸気を釜に引き込んで煮る。(51頁)

だから店内に直火と蒸気の為のボイラーと湯気を出す煙突が必要。
豆腐屋さんから湯気が出ている。
その内装の許可を取って取付工事等を頼まないとダメだという。

不況のどん底だからこそチャンスに恵まれたと痛感した。(51頁)

家賃収入が無いから、家主さんは貸したくて貸したくてたまらない。
不況で頭を抱えているから「豆腐屋やります」とか、豆腐とかよくわからない。
「貸してやる貸してやる」ということで。
清水さんも考える。
バルセロナでウケる為には何をしたらいいか?
オカラでドーナツを作ろうと。
それから大豆があるワケなので、日本人の方も住んでらっしゃるので、遠くの日本人の商社マンなんかが買いに来てくれないかというので納豆も作ってみようと。
それで機材を集めて日本と往復しながら豆腐店を作る為の資材・機材を日本からバルセロナに送る。

日本の食材も置きたかった。みそ、しょうゆ、ソースなどの調味料、うどん、そば、即席めん(67頁)

そうしたら不思議なもので「それだけの店舗あったら家賃いくらか出すから俺、毎日弁当作ってくるんで、そこで弁当売らせてくれ」という。
それで開店が決まった時に、弁当も売ることになった。
(弁当を売ることになった経緯は本の内容とは異なる)
もちろんこれは清水さんに関係なく、友人が持ち込みの弁当を売るという。
それは日本人の友人。
ここからが凄い。
開店が迫ってきたら清水さんに豆腐作りを教えてくれた師匠二人が、落ち着くまでサポートやってやると言ってスペインに。
恐らく自腹だと思う。
飛んできてくれた。
(この二人は豆腐作りの師匠とは異なる)
これが2010年4月12日。
武田先生の疑問は「この人脈の広がりは何だろう?」と。
「弁当売らしてくれないか」という友人が現れたり、「オマエだけじゃまだ新人で危ないから教えた先生の俺が行ってやるよ」と、それも二人師匠が付きそうという。
新聞記者時代の人脈もあるだろうが、何でこれほど日本人のサポートが得られたか?
何だと思うか。
これは武田先生は本当に考えた。
清水さんの人柄があると思う水谷譲。
まずはそれ。
でもここに豆腐が引っかかる。
豆腐以外だったらこんなに日本人が来たか?
とにかく豆腐を売ることに関して、日本人のサポートが手厚く入ったという。
「異国の町に開店する」というだけではなくて、その奥底には「スペインで日本が試されている」という緊張が日本人の中に興ったのではないか?
「清水さんよ。俺達がしっかりいい豆腐作って、スペイン人に喰わせ無ぇと、こんなのが日本の豆腐なの?って舐められちゃあたまんねぇよな」という。
その「日本の豆腐を売るんだ」ということが、日本人の胸の中に火を点けたのではないだろうか?という。
武田先生はそんなふうに考えた。
「日本人の誇り」ということかと思う水谷譲。
その時、丁度選挙中だったので、とある政党の方が「ジャパニーズファースト」とおっしゃる。
この「ジャパン」或いは「ジャパニーズファースト」ということの中に、豆腐があるのではないか。
異国の人にとっては何てこと無い。
だが「ウマい豆腐」は何かを揺さぶる。
豆腐は美味しいのは本当に美味しいと思う水谷譲。
この冒険、まだまだ続く。

いよいよ(開店日の)その早朝。
集まった日本人全員で仕事、早朝5時開始。
絹、木綿豆腐、次に厚揚げ、がんも。
そしてオカラでドーナツを揚げて

外を見ると二〇人ほどの行列ができていた。午前一一の開店の三〇分前だったが(73〜74頁)

 私たちは手分けして豆腐や揚げ物、モヤシなどを冷蔵ショーケースに並べた。(74頁)

初日のお客は一〇八人。カミさんによると三割はスペイン語を話す人だったという。売上は千ユーロ(約一三万円)をわずかながら超えた。(74頁)

一番売れたのは弁当。

カツ丼、鶏の唐揚げ、幕の内といった定番メニューだけでなく、−中略−ベジタリアン向けの豆腐ステーキ弁当も出した。−中略−カツ丼は四.九ユーロ(六一〇円)、幕の内弁当でも五.七ユーロ(七一〇円)の値段をつけた(75〜76頁)

日本より安い。
(ということは無い)

スペインでは材料の肉や野菜が日本よりはるかに安いことを考慮して買いやすい値段にした。(76頁)

いなり寿司の三個入りパックを二.九ユーロ(三六〇円)で並べたところ、その日のうちに二五パックが売り切れた。(77頁)

豆乳のプリンや杏仁豆腐は女性客の評判が良かった。私がつくったオカラドーナツは、−中略−ほめてもらった。(77頁)

皆が自信を持ったのだが、その日のうちに同じマンションというか、アパートメントのスペイン人から抗議。

二人は険しい表情で「換気扇が夜中も回り続け、住民から眠れないと苦情があった。−中略−換気扇を使うのは朝八時以降とし、日曜と祝日は営業を認めない」と言った。私は謝罪し、誓約書に署名した。(74〜75頁)

このようなことで自分達の理屈をまず持ち出さない。
それが異国に住む心意気である、と。
「郷に入っては」ということだと思う水谷譲。
住民に合わせることで自分達の理屈を一切言わないこと。
これが異国で生きていくコツなんだ、と。
それよりも何よりも頑張るうちに建物住民にも便利に使われるようになった。
つまりだんだんと「朝うるさい」と言っていた人が、お弁当とかオカラドーナツとかを買うようになったという。

企業や役所の多くは昼休みが二時間あるので、自宅に帰って食事するとかレストランでゆっくり食べる人が多かった。
 不動産バブルの崩壊とリーマン・ショックが重なった深刻な不況が、この習慣に待ったをかけた。
−中略−昼休みを一時間に短縮する企業が増え始めた。
 一時間では帰宅して食事をすることは難しい。レストランでゆっくり食べるのも容易ではない。スペインの人にも弁当が支持されたのは、そういう事情があったからではないか。
(77〜78頁)

かつ丼弁当がもの凄い人気だったようだ。

オカラは−中略−四〇〇グラム入りの袋を「〇.三ユーロ(三八円)」と、タダ同然にした。(79頁)

 オカラが優れた食材であることは、私もよく知っていた。ゴボウよりも食物繊維がたくさん含まれている。(79頁)

これを説明すると、オカラがスペイン人の間に魔法の食べ物みたいなことで大人気になったという。

 納豆はうまくつくれなかった。−中略−いくらかき混ぜても糸を引かないのだ。(81頁)

これはスペインには納豆菌がいなかったのではないか?
人工の納豆菌を入れたとは思うが、スペインでやはり納豆は・・・
(番組では納豆は失敗という話で終わっているが、本の中では後に成功している)

 最大の誤算は、豆腐が予想していたほど売れないことだ。
 開業の初日こそたくさん売れたが、落ち着いてくると売れ行きが鈍った。
−中略−これでは「豆腐も売っている弁当屋さん」と言われても返す言葉がない。(83頁)

マドリードにも日本人が経営する日本の豆腐屋があることだ。−中略−マドリードとバルセロナとの距離は約六二〇キロ。−中略−工場は−中略−一〇人近い従業員が働いている。生産量は一日に三〇〇〇丁。スペイン全土に販売網を持ち、フランスやドイツにも輸出しているという。(84頁)

それはかなわないだろう。
これは長期保存だから、フランス、ドイツに輸出しなければいけない。

柔らかなビニール袋に豆腐と水が入っている。阿部さんたちは「豆腐をビニール袋に入れてから煮沸して殺菌したのではないか」という。そのせいか、消費期限は製造日から三週間と長くなっていた。−中略−堅くてざらざらした舌触りだ。(84頁)

このあたり、ライバルも登場してバルセロナ豆腐店、必死の闘いとなるワケだが、その闘いっぷりはまた明日ということ。
というワケでバルセロナで豆腐屋を開店したという方の一種冒険小説みたいなつもりで武田先生は読んでみた。

開業して次々とスペインでの豆腐ライバルが。
一日で千丁も作るというような豆腐大手。
清水さんはライバルの豆腐を試食しながら思う。
それは「私が売りたい豆腐とは違う」。
ここ。
彼が売りたい豆腐とは何か?
それは日本の街角の小さな豆腐屋さんのあの豆腐。
そういうこと。

 バルセロナの近郊に大きな豆腐工場があり、−中略−カマボコのように堅くて、真空パックになっている。消費期限は一カ月以上と長い。(85頁)

味の付いていないカマボコ。
これはどうも豆腐ステーキ用らしい。
焼く為の豆腐らしい。
生で食べる代物ではない。
豆腐に至る売り出し文句は「ダイエットに最高」という。

ドイツ製の豆腐が並んでいるが、これも真空パックされたカマボコのような堅い豆腐だ。ドイツ製はほとんど味付けされ、カレー味、マンゴー味、バジル入りなど色とりどりの製品が一〇種類以上ある。私はマンゴー味を買って食べてみたが、すぐ吐き出した。(86頁)

そうしたら清水さんは正直に「私の舌が受け付けなかった」という。
「もう豆腐ではない」ということかと思う水谷譲。
様々な工夫をしてらっしゃるのは確かに認めるが、「これは私が売りたい豆腐ではない」という。

こんなこともあったそうだ。
開業から二週間、近所のレストランから猛烈な抗議が入る。
だからやはり「バルセロナの人がみんな優しくて」ではなくて結構揺さぶられている。

「弁当の値段が安すぎる」と言われた。−中略−多くのレストランが昼食時に−中略−定食を出している。お得なコースで一〇ユーロ前後が多い。(87頁)

1700〜800円か、とにかく二千円近い。
ところが弁当は4ユーロ。
客が全部弁当の方に来てしまう。

「パリでは日本の豆腐が五ユーロもするそうですよ」と言う人もいた。(87頁)

7〜8百円。
清水さんはいくらで売っているかというと、1ユーロ。
(本によると1.7ユーロ)
妥当。

三河屋の値段とあまり違わないようにすることしか頭になかった。(87頁)

オカラは−中略−四〇〇グラム入りの袋を「〇.三ユーロ(三八円)」と、タダ同然にした。
 ある日、いつもオカラを買ってくれる女性客から「この値段はオカラに対して失礼だと思います」と叱られた。
(79頁)

全てが安過ぎる。

「安い値段で売るということは、私がつくる品物には価値がありませんと言っているのと同じことなんだよ」と激しい剣幕だった。(88頁)

清水さんは極端に安くするのをやめる。

豆腐などは〇.六ユーロ(二五円)値上げした。(87頁)

(番組では豆腐を二倍ちょっと上げたと言っているが、本によると上記の通り)

弁当は1ユーロ(一二五円)ずつ上乗せした。(87頁)

商売は「三方よし」。
「売り手よし」「買い手よし」「世間よし」。
この三つが円満に微笑まないと上手くいっているとは言えない。
この他、様々な清水さんの工夫というのがまた来週、辿っていきたいというふうに思う。


2026年02月13日

2025年10月6〜17日◆アーティスト伝説II(後編)

これの続きです。

「アーティスト伝説」ということ。
これは主役は新田君という東芝EMIの若き才能。
まだ「若き才能」と呼んでおく。
この方がめきめき力を付けてゆく。
その力を付けたベテランの中にかまやつさんという人がいて、かまやつさんの紹介でソニーの大看板だが吉田拓郎なんかと知り合いになって、という。
それで「我が良き友よ」という傑作が生まれるのだが、「さあ、これを頑張って売るぞ」ということで新田君の仕掛けた仕掛けが凄い。

早稲田大学卒業式で卒業生への餞として是非、この歌を披露させていただきたい。−中略−
「僕は卒業式にかまやつひろしさんを大隈講堂へ連れてきます。
−中略−
早稲田大学は僕の希望を聞き入れてくれた。僕は母校を誇らしく思った。
−中略−
 総長の祝辞の後しばらくしてから、司会の堂々とした声が耳に飛び込んできた。
「諸君、本日は特別なご来賓がお見えです。諸君の卒業を祝し、諸君の門出に相応しい歌を1曲披露してくださいます。ご紹介します。かまやつひろしさんです」
 会場はなぜか静まり返ってしまった。ムッシュはギターを手にしたままにニコリともしない。
−中略−壇上には教授たちが角帽をかぶり、黒いガウンを来て着席している。(200〜201頁)

左手でギターを持ち、右手を高く上げ、右の客席を見ながらステージに姿を現した途端、本物のムッシュを確認した卒業生たちから歓声が沸き上がった。(201〜202頁)

(ここで本放送では「我が良き友よ」が流れる)

我が良き友よ


「我が良き友よ」ということで大喝采のうちに、という。
絵になる。
だから新田さんというのはそういうプロモーション。
やったかまやつさんは偉いのだが、何というかそういう絵になる宣伝ができる人。
このあたりの話題からゆっくりとこれがヒットチャートを駆け上り始める。
「新田というのはなかなかやるなぁ」という噂がミュージシャンの間で広がった。

これはちょっと80年代の前に遡るが、1976年のことだが、預かった女性タレント・荒井由実。

荒井由実さんの結婚披露宴があった。かまやつひろしと吉田拓郎、青木富貴子さんと僕の4人はこの晴れの席にいた。
 青木さんは当時、音楽専門誌「guts」の記者で
(202頁)

「おめでとう」と声をかけるとユーミンは青木さんにそっとこう言った。
「新婚旅行に来ない?」
−中略−
 すっかり勢いづいた僕たち4人はユーミンの親戚が経営する熱海の旅館に飛び入り参加することになった。
(203頁)

(番組では箱根へ行ったような説明をしているが、本によると四人が言ったのは熱海で、箱根のホテルへは行かなかった)

 僕たちは新婚のふたりを寝かさないよう、消灯後、彼らの部屋の襖を開けようと抜き足差し足で近づいた。(203頁)

そうしたらもうユーミンが大笑いだったのだろう。
それで車座になってみんなでひっかけたという。
酔いつぶれるまで呑んだという。
(本によると松任谷由実に発見された後は自室に戻って寝ている)
これはもうまぶしい光景。
かくのごとく新田さんの周りに新しいミュージシャンがどんどん増えていったという。
今、何気なく話したことだが、これがまた巡り巡る縁で、武田先生もやがて引っ張られることになるのだが、それは明日のお楽しみということにしておく。

 青木さんは−中略−その後、−中略−ニューヨーク支局長を経て「幸福の黄色いハンカチ」の原作者、ピート・ハミル氏と結婚した。(202頁)

この方がニューヨークタイムズに書いた「幸せの黄色いリボン」というエッセーがフォークソングになって、そのフォークソングを聞いた山田洋治という日本の監督さんが「ぜひとも映画にしたい」ということで、山田洋治監督はピート・ハミルに会いに行って許可を。
そして北海道ロケ。
「誰がいいだろうか」ということで悩んだ時に山田さんの頭の中に「あの足の短いフォークシンガーで博多弁を使う男がいたな」というので指名されたのが武田鉄矢だったという。

あの頃映画 幸福の黄色いハンカチ デジタルリマスター2010 [DVD]


ちょっと嫌味になって誤解されやすい言い方になるが、ピート・ハミルさんが出来上がった映画を見て「赤い車を運転するドライバーが面白い」というのを。
下痢するシーンが大好きで。
もう膝を叩いて笑ったらしい。
そういう不思議な運命で青木富貴子さんに二年ぐらい前に50年ぶりに武田先生は会った。
三軒茶屋で。
青木富貴子さんが連絡を取られたのは新田さんだった。
「どうしてもあなたに会いたい」というので、青木さんには自分達がいかにあの原作を大事に演じたかを話した。
山田洋治監督のお話をしたら、本当に涙ぐんで聞いていただいた。

時代を70年代に戻す。
70年代から始まった「反抗と旅立ち」というテーマがゆっくりと沈んでいく。
過激派の学生さん達、理想に燃えているハズが連合赤軍事件等々、薄汚れた犯罪者になってしまったという。
その上にまた大企業も消火器に見せかけて爆弾を仕掛けるというような、つい先年逮捕されたというか首謀した犯人がいた。
そういうことがあって、若者達のテーマ「反抗と旅立ち」の時代が急速に終わっていく。
やはり時代。
その「反抗と旅立ち」というテーマが夕暮れに差し掛かった頃、あの東芝EMIの新田君は次の時代のテーマを抱えて全ての準備をし終えていたという。
くやしいが認めるしか無い。
ユーミンさん、井上陽水、小椋佳。
こういう都会派の洒落た歌を歌う人が新しいテーマを持ってきた。
そのテーマ、代表的なのをいく。
1975年の大ヒットだが、皆さん、この一曲から全て変わった。
松任谷由実「ルージュの伝言」。
(ここで本放送では「ルージュの伝言」が流れる)

ルージュの伝言


聴いてくださいよ、これ。
浮気な夫に愛想を尽かして夫の母の姑に相談しに行くという若嫁のショートストーリー。
暗い夫婦仲を彼女は明るくポップに歌っている。
新しい言葉に満ち溢れたこの歌。
「姑」は「あのひとのママ」、「置き手紙」は「ルージュの伝言」、「風呂場」は「バスルーム」、「不実な夫」は「マイダーリン」、乗った電車は「ガタンゴトン」で走らない。
「Ding-Dong」走る。
ここ。
皆さん、ポイント。
新しい才能、ユーミンが音楽界を塗り替えてゆく。
武田先生達フォークソングは全滅の危機に晒された。
本当に驚いた。
この女性の言葉の選び方の豊かさ。
典型的な女の子の言葉。
これはもう本当に、女性が持っている感性は、太刀打ちできない。
1975年、この時代から学生運動の「反抗と旅立ち」ではなくて、女性が解釈した旅立ちの歌が1970年の後半から80年にかけて広がっていく。
女性が「旅立ち」をどう読み変えたか?
これが「アンノン族」。
洒落た服を着て、京都のお寺なんかを歩くという「旅立ち」がバーっと広がる。
そしてユーミンの才能なのだが「私の物語」の作り方が上手い。
「小さい頃は神様がいると思った」とか、女性の解釈というのが圧倒的に力を持っている。
それをユーミンが引き出した。
だから「反抗と旅立ち」ではなくて「家に帰る物語」と「私の物語」。
それが時代の主流になっていく。
そして決して恨むワケではないが、才能ある人は敏感にこれに乗り換えてゆく。
見てください。
誰ももう反抗も旅立ちもしなくなる。
井上陽水はおうちで手紙を書いている。
この歌。
(ここで本放送では「心もよう」が流れる)



手紙を書いている場合ではない。
だがもっと酷い人がいる。
この歌を歌った人。
このフレーズ。
(ここで本放送では「白い一日」が流れる)



あの時代いたか?
陶磁器を眺めているヤツが二十代で。
ただ、時代そのものがその言葉を選んで流れを作っていく。
トップに立ったのが松任谷由実。
そのすぐ横に陽水、小椋佳という連中が並ぶ。

アリが死んでいる 角砂糖のそばで(井上陽水「たいくつ」)

ごめんね陽水。
あの歌を聞いた時に「アリはアリの都合があるから、アリの自由でいいんじゃないの?」と。
ごめん、そう思っただけでした。
でも典型的に「私の物語」を語り始めた。
「真っ黒い犬が♪」
小椋佳さんの歌であるが。
「犬は犬でいいんじゃないの?勝手に帰れば」
でもそんなことを言っている間に彼等はたちまちその時代を呼び寄せる。
そして新しいヒーローとしては甲斐バンドの甲斐君が同じく九州から出てきた。
そういう才能が揃う。
凄い。
ここで新田時代の新しいシンガー達がトップグループを形成する。
明日はこのトップグループの紹介から入りたいと思う。

というワケでもう新田「君」と呼んでいる場合ではない。
新田「さん」になっていく。
東芝EMIのディレクターさんなのだが、彼の周りには音楽的才能が集まってくる。
集まってくる才能の中には「HERO」を歌う甲斐バンドの甲斐君。
若くて生きのいい、ユイ音楽工房の新人・長渕剛さん。
この長渕剛さんのレコーディングに新田さんが用意したミュージシャンが
これはアマチュアの方はわからないが、武田先生達は胸がときめく。
キーボード松任谷正隆、ベース後藤次利、そしてドラム島村英二さん。
スタジオに一人いるだけで武田先生は頭がボーッとなってしまう。
でもことごとくやはり、吉田拓郎の後ろを飾っていた人。
吉田拓郎がこんな超一流のミュージシャンを呼び捨てにする。
「キーボード松任谷!」「ベース後藤!」とか言う。
一回、二回、呼び捨てにしたかった、本当に。
この新人の長渕剛さんのレコーディングの時に「巡恋歌」というデビュー曲。
これだけのミュージシャンをスタジオに揃えてレコーディング。
それに呼応して生ギターの長渕さん。
(ここで本放送では「巡恋歌」が流れる)

巡恋歌


 長渕自らも−中略−ギターも弾いた。彼はこの頃すでにこの時代のトップクラスのミュージシャンと演奏する力があっただけでなく(209頁)

さあ、新田君の周りは錚々たる才能なのだが敢えて名前は言わない。
どうぞ興味のある方は本を読んでください。
この新田さんの後輩からこんな提案があった。

新田さんもご存じの寺尾聰さんですが、−中略−テレビ朝日の日曜夜のドラマ『西部警察』の刑事役で人気が急上昇しているんです」−中略−
「僕はザ・サベージの時代から寺尾さんの音楽を聴いていたのでよくわかるんですが、彼の音楽性と俳優としての今の人気を掛け合わせれば、レコードは絶対に売れます」
(220〜221頁)

あの頃の石原プロは元気がいいから、大変だった。

石原プロの小林正彦専務に早急に挨拶してくださいと言ってきた。−中略−小林専務は−中略−
「レコード会社は、良い時はこうやって報告に来てくださいますが、悪くなった時でも、同じように来てくださるんですか」
(230〜231頁)

(小林専務に会ったのはレコードの発売後。この後も本の内容とは異なる)
それで新田さんも出向いて、寺尾さんを口説く。
「音楽やりましょうよ」
「いやでも俺は今、俳優に燃えてるから」と。
「とにかく我々東芝EMI、頑張って応援しますから」と言うので、寺尾さんは重い腰を上げて音楽製作にかかった。

1枚目のシングル「SHADOW CITY」を発売。(227頁)

新しいタイヤ、ASPECのCMに「SHADOW CITY」を起用してもらうことができた。−中略−それでも「SHADOW CITY」も「出航」もなかなか動かなかった。(228頁)

そこで新田さんは作詞家を探す。

アラン・ドロンとダリダが出てきてもおかしくないほど甘く切ないメロディーを寺尾聰はけだるく歌う。(228頁)

「うわ〜作詞難しいな」
後輩の頑張りと新田さんの人材の網で探した。
どんな作詞家がいいか?
いた。
これも新田さんのライン。

第3弾シングル「ルビーの指環」の歌詞を松本隆さんが書いた直筆の紙がファックスで届いたのだ。(228頁)

まあ洒落てるわ展開が上手いわ。
タイトル抜群「ルビーの指環」。
それが寺尾さんのイメージに合う。
寺尾さんは貧しいとダメ。
その人に結びついたイメージがある。
ルビーの指環は何かいい。
「下駄を鳴らして〜♪」ではない。
時代がそういう言葉を求めている。
ユーミンから始まるのだから。
「姑」のことを「あのひとのママ」、「浮気した夫」のことを「マイダーリン」、「風呂場の落書き」「ルージュの伝言」。
これが時代を呼び寄せる。
詞を見て気に入った。
新田さん「行ける!」「松本よくやった」というようなもの。

とうとう出来上がった「ルビーの指環」。
アレンジ抜群。
当時小学生だったのであのヒットはわかっているが、そのアレンジの何がいいのかというのはわからないで聞いていた水谷譲。
ちょっと説明しにくい。
でも抜群なアレンジ力。
今までにないようなアレンジだったと思う武田先生。
(ここで本放送では「ルビーの指環」が流れる)



それから、この松本隆の色使いの上手さ。

街でベージュのコートを 見かけると(寺尾聰「ルビーの指環」)

ベージュは相当お洒落な人。
「際立った色を身に付けないで街に溶け込もうとしている女」「それはもう他の人の奥さんになっているかも知れない」という。
都会派の男女の物語。
おっしゃったようにちょっとフランスな感じがする水谷譲。
だから女の人が歩くところもビル街の谷間。
そこに「ベージュの」という。
「ルビーの指環も、もし持っているんだったら捨ててくれ。俺を思い出にしないでくれ」
上手い。
これはもう新田君、いや、新田さんは「いける」と踏んで

 1981年2月5日、「ルビーの指環」は発売された。−中略−発売から約2ヶ月後の3月30日付けのオリコンでようやく1位を獲得した。(230頁)

この段階でシングル「ルビーの指環」の売り上げ枚数は実数で180万枚、アルバム−中略−は280万枚と(234頁)

凄い。
ザ・ベストテンで18週一位か何かで、確か真ん中にルビーの椅子ができた記憶がある水谷譲。

 東芝は1961年の坂本九「上を向いて歩こう」のときも、1966年の加山雄三「君といつまでも」のときも、いずれもレコード大賞を取り逃している。−中略− 第23回日本レコード大賞は、大賞を寺尾聰「ルビーの指環」が受賞(235頁)

「ルビーの指環」の後、松本隆作詞でいいのができていた。
発売されていない。

紅白歌合戦に関連して突発事件が起きた。NHKは全ての出演者に対し、リハーサルを含め年末の29日、30日、31日の3日間を原則として拘束していた。−中略−
 29日夜、
−中略−
 その日、寺尾さんはリハーサルを欠席したという。
−中略−寺尾さん本人の言い分は、「やることもないのに待機するなど意味がない。反省も謝罪もしない。紅白に出演しなくても構わない」というものだった。(235〜236頁)

この頃の紅白は強気だったのだろう。
激怒で、事務所サイドも説得するのだが寺尾さんは受け付けなかったという。

 事件はまだ続いた。
 翌1982年、全国ツアーの初日が神戸国際会館で始まった。
−中略−
 どうやら寺尾さんはリハーサル中、ステージの上から記者たちに向かって、チケットが売り切れて観られないお客さんがいるなかで大勢の新聞記者たちがチケットも買わずに観ていることに対しマイクで不満をぶつけたらしい。
(237頁)

そういう怒りをぶつけられたらメディアの方から「じゃあいいや」という。
そういうことで、飛ぶ鳥を落とす石原プロモーションも謝りようが無くなる。
それで寺尾人気というのは終わってしまった。
勿体ない。
まあいいか。
それは寺尾さんが選ばれた道。
役者さんとしてのイメージが今、強いと思う水谷譲。

 次のシングルは、アルバムに収録されている松本隆作詞「渚のカンパリ・ソーダ」に決まっていた。−中略−シングルとしては発売されず、お蔵入りになった。(239頁)

さあ、新田君、新田さん。
財産を山ほど持っている。

今期の寺尾君の売り上げが55億円(234頁)

それに追いつかんばかりの新しいシンガーが出てきた。
それがオフコース。
ごめんなさい。
ネタはまだある。

次はオフコースからちょっと語ってみる。
申し訳ございません。
二週費やしたんでここまでとして。
「アーティスト伝説」新田君の旅、別の機会に続けたいと思っている。




2025年10月6〜17日◆アーティスト伝説II(前編)

これ
の続きです。
(以前にも同じ本を取り上げていて、今回はその続きということで番組では「後編」と言っているのだが、日を改めて更に続きをやるような話になっているので、前回の分をI、今回の分をIIとしておく)
前編でお約束していたが、東芝EMIのディレクターの新田和長さん。
この方が自分と一緒に時代を作っていった、音楽のシーンを作っていった仲間達、そのことを綴った「アーティスト伝説」、新潮社から出ている本があって。

アーティスト伝説:レコーディングスタジオで出会った天才たち


これはやはり70年代、団塊の世代の音楽シーン、そこに深く関わった人で、もう武田先生も語りながら思い出す。
この新田さんが担当なさったミュージシャンはというと、加藤和彦、北山修、チューリップ・財津和夫、財津さんのソロなんか。
それからかまやつ(ひろし)、寺尾聰、長渕剛、加山雄三、小田和正、平原綾香、松任谷由実。
(この先ずっと番組内では「荒井由実」を「荒井ユーミン」、「松任谷由実」を「松任谷ユーミン」と言っているが、煩わしいので「由実」に統一する)
やはり、これは語らないといけない。
「ただの東芝のスタッフでした」で済まされるようなキャリアではなくて、彼は70年代、これらの星達を70年代という夜空に星座を結んだという人で。
その人のことを第二弾ということでお送りしたいなと思っている。
とにかく70年代の幕が開くと、いろんな才能が彼の所に集まってくる。
それで新田さん自身がワクワクしたのは、バックミュージシャンの人達。
販売予算を少しでも稼ぐように上司の高嶋(弘之)さん。
あの人は大変な方。
娘(高嶋ちさ子)をバカにしていたが、そんな人ではない。
大変な人。
この高嶋さんの厳命を受けて企画もののアイディアを出さなければならない。
(本によるとこの時点では既に高嶋氏は退社)
70年代に、そこで彼が考えたのは、歌を入れ終わった伴奏のオーケストラ。
これに主旋律のメロを付けて、カラオケで歌いやすいようなLP版の製作。
タイトルも洒落て「浜辺で歌う青春の歌」というアルバム作りを励む。
少ない編成で数々の名曲、それもフォークの名曲をその中に入れるという。
「悲しみのジェット・プレイン」「パフ」「時代は変わる」
これらの名曲をギターで演奏する。
(ここまでの話は複数の話が混ざっていて、事実とは大幅に異なる)
その二大ギタリスト石川鷹彦、そして安田裕美。
この二巨頭。
武田先生達も手伝ってもらったのだが、まあとにかくこの二人は上手かった。
石川鷹彦、この人は上手だった。
うち(海援隊)の千葉和臣なんか本当に可愛がってもらった。
そして安田裕美さん。
もういい人。
(安田裕美は)男性。
彼等のギターの響き。
(ここで本放送では「22才の別れ」が流れる)



今、流れてきたのは「22歳の別れ」。
これはもう間違いなく石川鷹彦さん。
(ここで本放送では「さらば青春」が流れる)



流れているが、これは小椋佳さんの「さらば青春」。
この後ろ側には安田裕美さん。
この人は(井上)陽水さんと組んで。
それから山崎ハコの後ろ。
ついでに旦那さんにもなったという。
他界してしまったが。

彼等の奮闘ぶり。
余り予算はかけられないので真夜中の12時から次の朝まで彼等のギターを入れていく。
(本によると予算の関係ではなく「時間の制約を受けずにとことん納得のいく録音ができるよう」)
そういう仕事に夢中で取り組む新田君。
この夢中で大事なことを忘れていた新田君。

 レコーディングに没頭していた師走、−中略−デザイン室から内線電話が入った。
「新田さん、ジャケットの表1、表4の写真と原稿がまだ入稿されていません。明日が締め切りです。明日入らなければ発売延期になります」
 音に夢中になるあまり、ディレクターがジャケットまで手配しなければいけないことをすっかり忘れていた。すでに年明け2月の発売が決まっているし、
−中略−
 ふと石川鷹彦さんが多摩美術大学を卒業されていたことを思い出し、ご自宅に電話をした。
「何とか明日までにジャケットを描いてもらえないでしょうか?」
−中略−
 さすがに驚かれたものの、ありがたいことに引き受けてくれた。とはいえ、手元に絵具はないし、
−中略−啓子夫人の靴墨で描いてくれるというのだ。画用紙もないのでオーディオ機器を買ったときの発泡スチロールの白い箱に描くと言ってくれた。(57〜58頁)

一本の大きな木を背景にフォークギターとアメリカ人女性シンガーの顔が靴墨の黒、焦茶、緑、黄緑とグラデーションで描かれていた。その絵の上には、鮮やかな茶色と紫色で描かれたレコード・タイトル「FOLK VILAGE」の文字が木の枝を通り抜けるような姿で描かれている。(58頁)

これで見事な作品に仕上げたというから石川先輩も凄い。
さてこんな苦労をしながら音楽業界で名を成していく新田君。
まだここも新田「君」と言うぐらいの若さ。
この人は前もお話した。
「赤い鳥」というグループを売って注目される。
しかも自身が(ザ・)リガニーズというフォークグループをやっていた関係上、いろんな若者と付き合うのだが、ちょっとそれは後にして。

新田さんの面白いところだが前にお話しした、高嶋さんというビートルズの売り出しに関してはイギリスのEMIも頭が上がらないほど、日本で貢献なさったというので、この体験が凄い。
うらやましい。
イギリスのEMIのディレクターであるジョージ・マーティンとの関係があって。
「ちょっと勉強させてやってくれる?」という上司の推薦を受けて新田君はビートルズのところに行っている。
(このあたりの経緯は本の内容とは異なる)
イギリス・ロンドンに行って、それでスタジオで。
ジョージ・マーティンというのはいい方だったのだろう。

ジョージ・マーティンは僕をAIRスタジオに連れて行ってくれた。−中略−ポール・マッカートニーを僕に紹介してくれた。休憩時間になって、僕は以前から疑問に思っていたことをポールに質問してみた。
「『イエスタデイ』のキーはFなのに、Gで演奏しなと押さえられないギターの音(二弦の3フレット目の「レ」)が鳴っています。あれは弦を全音下げてチューニングし、実際はGで弾いたのではありませんか」
こう聞いてみると、ポールはニコッと笑った。
「その通り!」
(161頁)

普通はわからない、気づかないものなのかと思う水谷譲。
気付く人は気付く。
でもポールは嬉しかったのだろう。
つまりビートルズは細かい計算をしている。

 ポールは傍らに置いてあった自分のギターケースを開けてマーティンを取り出し、僕に何か弾けと言ってきた。僕はポールの前でギターを弾くなら「ブラックバード」しかないと思った。(162頁)

これはポールの作品。
いろんなビートルズの情景を見た。
(本によると見たのではなくジョージ・マーティンから聞いた話)

「イン・マイ・ライフ」の感想をダビングする日のエピソードも話してくれた。
 あの日、ジョン・レノンがピアノを弾いてくれないかと頼んできたというのだ。ピアニストではないから弾けないと固辞したが、どうしてもピアノがほしい、
−中略−エンジニアにこっそりテープレコーダーの回転を半分に落としてもらって、オクターブ下でメロディーをゆっくり弾けば弾けないことはない。テープレコーダーの回転を元に戻して再生すれば、上手い人が速く弾いたピアノに聞こえる。さらにオクターブのメロディーやコードを重ねて、ハープシコードのような響きをつくった。(162〜163頁)

「イン・マイ・ライフ」
今、流れてきた。
これはそんな工夫が裏側にあったということ。
(ここで本放送では「イン・マイ・ライフ」が流れる)



「イエスタデイ」は、−中略−ジョージ・マーティンは弦楽四重奏を加えた。「イエスタデイ」のAメロは7小節だが8小節目、つまり2回目の冒頭からストリングスが左側から加わってくる。−中略−サビの後半はさりげなくポールの歌が二重になっていた。ストリングスと歌の存在感が釣り合うように歌をダブルにしていたのだ。−中略−ツーコーラス目のサビの中間で入って来るC→E♭→C→B♭→Aと流れるチェロの経過音だ。(164〜165頁)

これはワンコーラス目に入れなかった。
武田先生も何を言っているか本当はわかっていない。
だが彼等はもう細心の注意を払って、これを若き新田君が「なるほどポップな音楽ってこうやって作るんだ」ということを学ぶ。

前編・後編に別れての「アーティスト伝説」。
話がジグザグして申し訳ございません。
ちょっと話を前に戻す。
新田君は早稲田大学のフォークソングサークルのリガニーズのメンバーで。
その一曲に導かれて東芝レコードに入社。
高嶋なる上司に恵まれ、音楽の新しい潮流を感じる。
戦後歌謡界、ビクター、コロムビア、テイチク、キング等が強かった。
後発の東芝レコードには看板がいない。
美空ひばりがいない、三波春夫のようなスターがいない。
洋楽ではイギリスEMIと手を結び、ビートルズをヒットさせたものの、邦楽で売り物のスターはいない。
新田君は高嶋さんから「日本のミュージシャンを探せ」と言い渡される。
それらの素材をアマチュアの団塊の世代に探す。
このトップグループにいたのがザ・フォーク・クルセダーズ。
(ザ・フォーク・クルセダーズの「帰って来たヨッパライ」の発売は新田氏の入社以前)

「帰って来たヨッパライ」は、何ひとつレコード会社の手を借りず、数人の学生だけでつくり上げてしまったのだ。−中略−この家庭用のテープレコーダーの回転を変えて録音したので(93頁)

それで何とその年、131万枚を売り上げるシングルを作っている。
一人のプロもいない。
まして、京都というローカル。
「そういうところに意外と逸材がいるのではないだろうか?」ということでフォーク・クルセダーズと同じように、関西・近畿圏で活躍する「赤い鳥」というグループの売り出しに新田君は付き合う。

赤い鳥のアルバム「竹田の子守唄」は大ヒットし、オリコンのアルバム部門1位を半年間独占した。(82頁)

そんな新田君の噂を聞いて一人の青年が彼のところにやってくる。

僕は−中略−東芝レコードまで歩いて帰ってきた。入り口の前に、背の高い痩せた青年が立っていた。−中略−
「福岡のチューリップというバンドの財津和夫と申します。どうしても聴いてほしい曲を持ってきました」
−中略−
 そのままふたりで一緒にエレベーターで4階へ向かい、
−中略−まっすぐ視聴室に飛び込んだ。−中略−青年は福岡から大切に抱えてきたスコッチ製のオープン・リールを渡した。−中略−
「魔法の黄色い靴」が流れた。
(114〜115頁)

(ここで本放送では「魔法の黄色い靴」が流れる)



この一曲を聴いただけで新田君は後に語っているが、ビートルズのDNAを感じた。

チューリップが、−中略−完成させたデビュー・アルバム「魔法の黄色い靴」は、1972年6月に発売された。(124頁)

 その頃、財津和夫が珍しく僕にこぼした。フォーク・コンサートに出演したら、チューリップはもう出演しないでほしいと言われたというのだ。−中略−フォークではないというのが、主催者の言い分のようだ。−中略−かたやフォークではないと言われ、かたやロックではないと言われ、当事者のバンドは困っている。(127頁)

結構苦しい何年かが続いた。

チューリップの2枚目のアルバム−中略−のジャケットの帯に僕は、次のようなメッセージを記した。
「フォーク、ロックは、もうあきあきしたよ チューリップと呼んでほしい」
(130頁)

それで財津君を呼んで。
新田君はそんなに年が変わらないから、二人とも二十代の若さだから。
「新しい曲作ってよ」
それで財津君が出した一曲がこの歌。
「心の旅」
(ここで本放送では「心の旅」が流れる)



「これは売れるぞ」と。
しかもチューリップにしか出せない個性がこの一曲にはある。
いきなり高らかにサビを歌い出す。

あーだから今夜だけは(チューリップ「心の旅」)

心の旅


財津君は張り切っている。

 何の説明もせず、Aメロを姫野君に歌ってもらいたいと僕は言った。そう言われた姫野君は困っている。−中略−財津君が書いた曲だ。当然、財津君は自分で歌うつもりで今スタジオにいる。しかし、本番でいきなり僕が姫野君を指名したものだから、財津君は言葉にこそ出さなかったが明らかに怒っていた。(132〜133頁)

ただはっきりは言わなかっただろうが、財津君は歌が上手過ぎる。
姫野君は上手じゃないかも知れないが、若さがある。
ここはやはり新田君の決心。
新田君が初めて東芝でレコーディングする時に(ザ・リガニーズの)「海は恋してる」のレコーディングの時に、上司・高嶋さんから仕込まれた「上手な歌なんか聞きたか無ぇんだよ。売れる歌が欲しいんだよ」。
この強烈なことを新田君は財津君に命じた。
(ここで本放送では「心の旅」が流れる)
財津君は不満気であったらしい。
私達が聞いている「心の旅」はAメロのところは姫野さんなのかと思う水谷譲。
財津さんだと思っていた水谷譲。
声がいきなり甘く舌足らずになる。
財津さんはもっと出す。
あの人のキーは凄まじいから。
高嶋さんと同じことをチューリップに命じた。
プロモーションも必死に頑張るのだが、レコードはそんなもの。

「心の旅」は発売当月の4月も、5月も、6月も、7月も鳴かず飛ばずだったが、1曲に絞り、−中略−そうして発売から5ヶ月経った9月には、堂々オリコンの1位を獲得することができた。(138頁)

これは新田君も分析しきっていないから、このお爺さん(武田先生)が分析してあげましょう。
これは恐らく大きな時代の潮流との兼ね合い。
(理由を)武田先生はわかっているような気がする。
戦後歌謡曲の歌のテーマがこのあたりから変わる。
美空ひばりさんを頂点にした歌謡界が目指していたのは「戦争に負けたが私達は自由だよ」という。
ところが70年を挟んで800万人もいる団塊の世代が、親達に反抗し始めた。
彼等のテーマは何かというと「反抗」と「旅立ち」。
この1970年の頭から時代を見てください。
歌は旅の歌。

人は誰もただ一人旅に出て(はしだのりひことシューベルツ「風」)


花嫁は(はしだのりひことクライマックス「花嫁」)

花嫁


「旅」の歌、「旅を歌う」ということが歌謡界の大きなテーマになった。
チューリップ「心の旅」。
それがピタッとはまった。
それが暗い旅立ちではない。
それまでにあった旅立ちの歌はいささか暗かった。

ひとりで行くんだ 幸せに背を向けて−中略−
青年は青年は 荒野をめざす
(ザ・フォーク・クルセダーズ「青年は荒野をめざす」)

青年は荒野をめざす


とか、センチな旅立ちが多かった。
でもチューリップは違う。
「あーだから今夜だけは♪」という最高音のノリ。
これが若者に圧倒的に支持されたと同時に新しいテーマの時代が始まった。
それで新田君が新しい時代の集合地点になってしまっているものだから、人材がどんどん集まって来る。
まだ若い。
若いのだがチューリップの快進撃に火を点けた「新田いいじゃん」というのがバーっと広がると同時に東芝に別口の才能がやってきた。
いい曲を書く。

1973年−中略−に発売された荒井由実のデビュー・アルバム「ひこうき雲」のジャケットの帯には、エキスプレス・レーベルとして初めて(130頁)

(ここで本放送では「ひこうき雲」が流れる)



これは全く今までの音楽の潮流と違う。
「反抗と旅立ち」から更に時代を一歩。
数年待つことになるが、圧倒的な女王としてユーミンが登場して活躍が始まるが、とりあえずはまだチューリップのことからこの新田君の物語を続けていく。

「心の旅」がオリコン1位を獲得し、−中略−草野さんから僕に、予期せぬ電話がかかってきた。
「新田さん、次の4枚目のシングルの詞は、松本隆さんという、はっぴいえんどのドラマーに書かせてあげてほしい。彼はプロの作詞家を目指している」
−中略−
 財津君が作詞作曲した「心の旅」が1位を獲ったのは作品の力だった。
−中略−ソングライターとしての財津和夫の力が、今まさに証明されたばかりだというのに、こんどは松本隆の詞でいこうという。(139頁)

 松本隆作詞、財津和夫作曲による「夏色のおもいで」はヒットして(140頁)

(ここで本放送では「夏色のおもいで」が流れる)



新田さんは本の中で繰り返し「凄いやつだ」とおっしゃっているが松本隆の才能も凄い。
でもそのことでイヤな顔をせずに引き受けた財津君の度量の大きさに対しては「たいしたやつですよ」とおっしゃっている。
(という記述は本の中には無い)
そしてこの「夏色のおもいで」が終わった後、

 財津君は期待通りの曲をつくってきた。−中略−
「青春の影」
(142頁)

(ここで本放送では「青春の影」が流れる)



これは財津さんの才能の傑作ということ。
こうやってチューリップの連続ヒットとか、松本隆、荒井由実という新しい才能が新田君のところに集まって来るという。
その噂を受けて、才能がまた集まって来る。
誰が来たか?
オフコースが来た。
小田和正さんが。
武田先生が上手い表現をしている。
「新田君は新しい才能達の集合地点となった」
それはフォークでもない、ロックでもないという人達。
面白いことにこのロックでもない、フォークでもないという人をどんどん新田君が集めるうちに、ベテランも集まってきてしまった。
かまやつひろしさんが来たそうだ。

 ムッシュは−中略−ある日、ついにカセットテープをもってきて、
「新田さん、吉田拓郎から届きました。この曲聴いてください」
 僕に手渡したカセットテープには「我が良き友よ」と書かれていた。
(193〜194頁)

この曲はヒットすると直感した。(194頁)

そうしたらこれをかまやつさんがのらない。
(このあたりは本の内容とは異なる)
あの人は「ノー・ノー・ボーイ」とか「なんとかなるさ」(「どうにかなるさ」のことだと思われる)とか。

バンカラな学生生活を送っていた男の友情の歌みたいだ。(194頁)

瀬尾一三さんの編曲はこれしかないというくらい、よく考えられたアレンジだった。(195頁)

これが面白いリズムで
ズンタータズンタータズンタータズッチャーン♪といいながら。
そうしたら「こんな弾むヤツイヤだ」と。
(本の内容とは異なる。この後の顛末も違っている)

ムッシュがこれまで得意にしていた歌と、今レコーディングしようとしている歌は節回しやリズム、曲調が違う。ムッシュは歌いづらそうだ。僕はコントロール・ルームで一緒に聴いていた拓郎の顔を思わず見た。
「俺がガイドボーカルを歌ってもいいよ」
−中略−まずは拓郎の歌を先にレコーディングして、その後で、ムッシュは拓郎の歌をヘッドフォンで聴きながら歌うことになった。ここは東芝の1スタ、吉田拓郎はCBS・ソニーの看板アーティスト。事情を知らない人がこんな録音風景を見たら腰を抜かすことだろう。(196頁)

実を言うと、歌のエンディングを耳の良い人がしっかり聴けば、拓郎の声も少し聞こえるのだ。ムッシュは大きな音量で拓郎の歌を聴きながら歌っていたから、ヘッドフォンから漏れ聞こえる拓郎の声が、ムッシュが歌っているマイクにまわり込んだとしても不思議はなかった。(196〜197頁)

これはバレたら大変なことになってしまうのだが、まだまだ新田君の旅は続く。
まだ「君」。
この人が新田「さん」になる日がやってくるのでしばしお待ちをということで、この続きはまた来週のまな板の上で。


2026年01月29日

2025年7月28日〜8月8日◆人生後半にこそ読みたい和歌(後編)

これの続きです。

朝日新聞出版、(著者は)永田和宏さん「人生後半にこそ読みたい秀歌」という本を取り上げている。
もう武田先生も「年齢的には和歌の年齢かなぁ。辞世の歌、作って締め括り」みたいな、その学び始めの一冊にしたのがこの一冊だった。
短歌世界、聞けば聞く程面白い。
ありとあらゆることが文芸に成り得るという。
先週お約束した通り、不倫でさえも文芸になるという。
先週も取り上げたが、斎藤茂吉なる歌人がいる。
この方は精神科医として生きているが、短歌を残して、実は大歌人。
斎藤茂吉を習ったのか、詳しくは覚えていない水谷譲。
歌集のタイトルは「赤光(しゃっこう)」というヤツで。

赤光(初版・改選版併録) 斎藤茂吉全歌集


斎藤茂吉の「死にたまふ母」五九首は、−中略−この一連の挽歌に及ぶものは他にないと言い切ってもいいでしょう。(156頁)

これを武田先生達団塊の世代は国語で教わったような気がして。
覚えている短歌もあって

 死に近き母に添寝のしんしんと遠田のかはづ天に聞ゆる(156頁)

もうまんま。
お母さんがだんだん危篤の状態が重くなっていくという。
自分はその横に出て看取ろうとしている息子である。
深夜、目を閉じていると遠くの方、「遠田」遠くの方の田んぼで、「かはづ」カエルが鳴いている。
「天に響き満る声で」という。
そういう和歌を残した人。
息子は同じく精神科医でエッセーの妙手。
モタ先生(齋藤茂太)というので、有名なエッセーを書く人だった。
そして更に次なる息子が小説家の北杜夫さん。
この方は次男。
茂吉さんは実はこういう事情があった。

昭和8年、1933年のこと、奥様の不倫がスキャンダルになって。

若いダンス教師と不倫の関係になったことが、新聞各紙でスクープされ、−中略−茂吉は激怒し、大きな痛手を受けます。輝子とはその後一二年にわたって別居生活を続けることになりました。(81頁)

それで精神科医として生きておられたのだが、別の方と不倫を始めたという。
非常にドロドロした感じだが。
その、妻の裏切りに遭い、妻をまた更に裏切り返す為に不倫の関係の女性もできたという。

 山なかに心かなしみてわが落とす涙を舐むる獅子さへもなし−中略−
箱根強羅の山荘に滞在していたときの歌と思われますが
(83頁)

当時評判を呼んだ西洋の名著「ツァラトゥストゥラかく語りき」という、あれの中には横に作家の涙を舐めてくれるライオンがいるけど、私にはそのライオンすらもいない。
これは今までずっと「奥様から裏切られた時の悲しみの歌」ということだったらしいのだが、後にいろいろ物事を突き合わせてみると恋歌だったという。
なぜ恋歌かというと、奥様の不倫を受けて茂吉先生も秘密の恋人がいた。
ふさ子さんという方で。
そのふさ子さんが会いにきてくれないので、寂しくてたまらず「私の涙を舐めてくれるあなたがいない」という。
エロスの歌。
これは何でわかったかというと、ふさ子さんに宛てた手紙が後に(出てきた)。
それでふさ子さんには「君への思いを書いた歌なんだ。本当は。獅子は君なんだ。だけど気づくヤツがいないんでこれ、申し訳ない、今月の短歌として雑誌社に送ってカネ稼ぎますんで」という。
その手紙が出てきた。
文学的才能とは凄いもので、不倫なのだが、歌にしてしまうと文学的に読めてしまうという。
それがお金になるというのは凄いと思う水谷譲。
斎藤茂吉という人は大歌人だから。

 時に茂吉五三歳、ふさ子二五歳。−中略−二八歳という年の差(82頁)

これがうるさい息子たちにも知られることなく、密会を続けるという。
それで歌壇の方ではそのアララギ派の一派の歌人たちの間では気づく弟子達もいて、止めに入ったりなんかしているのだが、先生は言うことを聞かなかったという。

 茂吉が永井ふさ子に送った手紙は−中略−収録されているものだけでも一五七通にのぼります。初期の手紙は、再三にわたる茂吉の強い要請でふさ子が焼いてしまっているので(84頁)

ふさ子さんにも強烈な恋だったらしくて、こっそりとその手紙をふさ子さんは保管し続けたというところから後々の大スキャンダルになる。
斎藤茂吉という歌人であるところのその大先生が60近くなって28歳も年下の若い娘に恋をして不倫を続けたという。
何と送ったラブレターは200通近く。
何個か茂吉さんが「読んだら捨ててね」と言ってあったもので破り捨てたらしいのだが、ふさ子さんの方は忘れられずに大事に取ってあったそうだ。
いつも茂吉は恋文を書いて、その恋文の結び目にも和歌を送っている。

「わが心君に沁みなば文等をば焔のなかにほろぼしたまへ」と歌まで作って、焼却を要請しているところがいかにも茂吉ですが(85頁)

何とふさ子さんは大事にその恋文をとっていたという。
そしてふさ子さんはそれを全部公表してしまう。
一冊の本にまとめて。
凄い根性をしていると思う水谷譲。
焼き捨てられなかったという。
ふさ子さんは計算高い女かな?と思うのだが、凄い。
ふさ子さんは不倫のことが世に知られて、もう身の置き場所が世間に無い。
だって今でさえもそうじゃないですか
不倫なんかでそういう方がおられたら、もう叩くだけ叩かれてしまって。
それで身の置き場所が無くなるのだが、それでもふさ子さんのことを「嫁に欲しい」という男性が現れて。
その時、もう斎藤茂吉は亡くなった後。
でもふさ子さんは「許す」という男性がいて結婚する段取りになっても直前になってキャンセルしたりして生涯独身で80まで生きられたという。
(このあたりは本の内容とは異なる)
それは斎藤茂吉への愛を貫いたということ。
だから不倫とか何とかいうが、わからない。
でも何でそのラブレターを公にしちゃったんだろうと思う水谷譲。
アララギ派の弟子達は烈火のごとく怒ったらしい。
ただ、ふさ子さんは「斎藤茂吉の本当の素晴らしさを知る為にはこれを公表した方がいいのではないか?この正直さこそが、あの人の短歌なんだ」「私との関係も短歌の一種だった」という。
それで全部公表しちゃったものだからそれは大騒動になってしまうのだが、ただ、不思議なもので、その当時でいう愛欲に満ち溢れた老人の恋。
その老人の恋がだんだん少年のような無邪気さで恋している歌人の姿と重なって許せるようになってくる。
さあ、茂吉がどんなラブレターを書いたのか?
これはもう公表されているので読み上げるが、まるで少年のように赤裸々に若い娘の体を持つふさ子に訴える斎藤茂吉の文章。

 十一月二十六日(手交)
 〇ふさ子さん! ふさ子さんはなぜこんなにいい女体なのですか。何ともいへない、いい女体なのですか。どうか大切にして、無理してはいけないと思います。
−中略−今度の御写真見て、光がさすやうで勿体ないやうにおもひます。近よりがたいやうな美しさです。(90頁)

まもなく60になろるという精神科医、その先生が二十代半ばの娘に手渡した手紙。
それは女としても、そう言われたら嬉しいか、もしくはちょっと気持ち悪いと思うかどちらかだと思う水谷譲。
その時、斎藤茂吉というのはビッグな人だったのかと思う水谷譲。
ビッグなどころではない。
その当時、日本の歌人を代表して。
「こんなにいい女体なのですか」
これを言われたら嬉しいだろう?
嬉しいかも知れないと思う水谷譲。
この膝まづくような賛美の仕方というのは。
よく「叩けば叩いていいんだ」というようなことで浮気とか不倫とか言うが、もうスキャンダルの完成品。
このふさ子さんが亡くなられたのはついこの間。

ふさ子が亡くなったのは一九九三(平成五)年、八二歳であったといいます。(91頁)

どうしても茂吉との再会の思い断ちがたく、−中略−生涯独身をつらぬくことになりました(91頁)

見事な不倫だと思う。
不倫もいろいろあるのではないか?
今、言ったみたいな「見事な不倫」と「見事じゃない不倫」があるのではないか?
この間、(放送作家の)鈴木おさむさんが「『老害』という言葉がよくない」という。
「『老害』の反対の『老人を敬う』というそんな言葉を生まなきゃダメですよ」と言って。
「何て呼べばいいですかね?」とおさむさんに訊いたら「ローソン(老尊)」と答えた。

昨日は茂吉先生の不倫の話だったが、その不倫ゆえに苦しんだという女性の歌もたくさん残っている。

 かたはらにおく幻の椅子一つあくがれて待つ夜もなし今は
            大西民子『まぼろしの椅子』
(92頁)

「私の隣に椅子はあるが、空いたままだ。座ってくれる男はどこか行っちゃった」という。
短歌は正直に淡々としながら強烈なほど個人の苦しみを刻むことができるワケで。

大野誠夫さん。
(番組では「まさお」と読んだが本によると「のぶお」)
離婚を決意した日常をさりげなく詠んだ一首。

 幼子とひそかに写真を撮りしこと別れねばならぬ二日前なりき(96頁)

「離婚の二日前に子供とこっそり写真撮りました」という。
辛いと思う水谷譲。

 ほほゑみし筈が泣顔に撮られたる写真はいまも抽出ひきだしにあり(97頁)

「笑うつもりだったが、いつの間にか泣き顔になっていた」「何だか見る気がせずに、その離婚を決意した写真は引き出しの中に置いたままでございます」という。

ちょっと俳句と比べてみる。
武田先生の好きな俳句。
これは蕪村。
「つまみたる夢見心地の胡蝶かな」
(「うつつなきつまみごゝろの胡蝶かな」を指していると思われる)
蝶々がひらひら飛んでいる。
止まった
指でパッと蝶々を捕まえた。
捕まえたのだが捕まえた蝶々の羽が薄いから、まるで夢の中で蝶を捕まえたような不思議な心地。
「つまみたる夢見心地の胡蝶かな」
上手い。
これは凄いのは、もちろん中国の故事「胡蝶の夢」も引っかけている。
昔々、中国のある旅行家の青年が夢を見た。
その夢が凄い夢で、昼寝している間に蝶々になった。
ひらひらひらひら空中を飛んでいて、まあ楽しいの何の。
「ああ疲れた」と思って蝶々になった私が花に止まって休んでいる時、うとっと眠った。
眠った瞬間にハッと青年は目が覚めて「俺は人なのか蝶々なのか」。
蝶々が夢見ている人の夢なのかも知れないという。
見事な時空の表現。
短歌は、ある動きの連続で、俳句はノイズが入っている。
「ノイズが入っている」という表現が武田先生らしくていい。
これは武田先生の言葉。
この本の中は短歌しか出てこない。
武田先生はそれをちょっと俳句と合わせて語りたかった。
ノイズのある一茶の句を紹介する。
「雪とけて村いっぱいの子どもかな」
これは何で「いいな」と思うかというと音がする。
子供達の声が聞こえてくると思う水谷譲。
一茶はこういうのが上手い。
「雪が溶けて春がやってきた。村いっぱいに子供の声が響く」という、この俳句の持っている音の表現というのが凄い。
「蛙飛びこむ」も一茶だったかと思う水谷譲。
あれは芭蕉。
「古池や蛙飛びこむ水の音」
あの場合は音を言葉で残してあるが「古池や蛙飛びこむ水の音」で目に見える風景は何か?
池とカエル。
飛び込んだ。
どうなる?
肝心なことを忘れてしまっている。
波紋。
あれは音がして絵が見える。
だが、見える波紋のことは一行も触れていない。
それを感じなければ・・・
チャポーン!という小さな音と、広がっていく波紋。
俳句というのは書かれていない文字をどう引っ張り出すか?
だから絶望的なことを言うと、俳句は中国語に訳せない。
今度またチャンスがあったら、白川静の文章で教えてあげるが。
「古池や蛙飛びこむ水の音」を漢文の詩がある。
それは波紋を感じない。
漢字というのはガシーン!ガシーン!ガシーン!とイメージがくっつきあうから揺れる思いというのが無い。
それから川端康成の「雪国」。

雪国(新潮文庫)


「国境の長いトンネルを抜けると、雪国であった。」と、これは英語にできない。
英語にすると日本語の意味を離れてしまう。
「国境の長いトンネルを抜けると、雪国であった。」というのは列車を映してはいけない。
でも英語は「ロングロングトンネルをトレインが抜けたらスノーワールド」となってしまう。
でもこれは違う。
「真っ暗いガラス窓の中から突然白が広がった」という、それを感じないと川端が描きたかった雪国には入れない。

和歌というのは非常にストレートに人間の光の部分も影の部分も描くことができる文芸だということで。
ギクリとするような短歌世界をご紹介したいと思う。
大西民子さん。
大西民子さんは旦那様との結婚の失敗か何かで深く心に傷を負われた方なのだろう。
非常に事実の見方が厳しいというか、はっきり言って暗い。
そんな方の一首。

 亡き人をあしざまに言ふを聞きをればわが死のあとのはかり知られず(105頁)

亡き人をあげつらうような口ぶりに、私なども死んでしまえばきっとこんな風に「あしざまに」言われるのだろうと、いま自分の前で故人について言い募っている人を、距離を置いて嫌悪感とともに見やっているという歌です。(106頁)

これはドキッとする。
大西の歌は何やら短歌において文学の太宰治を思わせる、人間の本性を見抜く目の鋭さみたいなものがあるような気がする。

誰ひとり身寄りのいない大西であってみれば、なおさらそんな心の傾き方をしたのかもしれません。(106頁)

この心の傾きは人を思わず引き付けてしまうという。
そんな大西の歌。

 ねんごろの見舞ひなりしが去りぎはに人のいのちを測る目をせり(106頁)

嫌な短歌。
ちょっと怖い。
これは入院の体験がある人はちょっと刺さって。

懇ろな見舞いをしてくれた友人でしょうか。しかし去り際に一瞬だけれども、確かに自分の命があとどれだけもつものかと「測る目」をしたと見破った、あるいは気づいたというものです。(106頁)

こういうのはある。
このあたり、人生の後半になってくると命が次々とテーマを与えてくれる。
これは皆さん、暗い歌とか言わずに命の素直な叫びだと思って聞きましょうね。
そうやってくると衰えてゆく命というものも歌の材料を与えてくれるという。
衰えてゆく命に敏感になり、介護の現場でも命というものを生々しく歌うことができるようになるという。
有様を五七五七七に託してゆくワケで、まずは介護にある大変さ。

 ああ重たいああ重たいといふ声のいづくより湧く私の声か(123頁)

 川野里子は新幹線で遠距離介護を長く続けてきた作者ですが、そのような過酷な日常のなかで「ああ重たいああ重たい」という声が無意識のままに自分から漏れていることに不意に気づいたのでしょうか。「私の声か」には、現実が如何に自分の体を縛っているのかに気づいて、愕然としている作者が見えてきます。(124頁)

 死を願う心起こりしことなきや母看る我に問いし人あり
            島村久夫 朝日歌壇2019.4.14
(124頁)

あなたはそんなに一生懸命お母さんの面倒を見ているけれど、いっそ死んでくれたらと思ったことはないのかと、人に聞かれたというのです。(124頁)

 「空きを待つ」その空きの意味思いけり特別養護老人ホーム
            小山年男 朝日歌壇2008.3.10
(127頁)

ここで言う「空き」とは何を意味するのか、「その空きの意味」とは何なのか。
「特養」で「空き」が出るとは、誰かが亡くなること以外ではありません。
(127頁)

決して明るい歌ではないが、しかし「命を見届ける」ということは、このほの暗いまなざしを持たねばならんのであって。
私達の命は上へ伸びる、葉を茂らすと同時に、地面の下、暗がりへ根を伸ばさねば倒れてしまう。
いいことを言った。
これは武田先生が考えた。
すいません永田先生。
大事な書き物に上から字を書くような真似をして。
ちょっと、朝に出る番組によく人生相談が舞い込むような。
テレビのわがまま。
あんまり重たいヤツは朝から紹介するのが大変なので、ちょっと今、休んでいるのだが相談したがる方がいらっしゃるみたいで番組宛てに重たい相談が来る。
考えてみたら今言ったことと同じで「恋人を作って出て行った娘を引き戻したいけども、友達みたいに仲のいい母子だったんですが今、私を捨てた娘を憎みます」とか。
「それはあるって、お母さん。人間、子供を憎むことなんてあるんだよ。暗い方にだって根は伸びていきますよ」
そういうことが命にはある。
どっちの番組をやっているのかわからなくなった。
ごめんなさいね。
これは「(今朝の)三枚おろし」でした。

和歌を扱っている。
最後の方で、この著者の永田さんは死にまつわる和歌の方も紹介しておられる。
武田先生なんぞは他人事ではなくて噛みしめつつ読み進んだ。
ただ、青春時代から石川啄木が好きで。
その啄木の死の歌をご紹介しましょう。
啄木が、生まれて間もなく死んでしまった自分の子に対する哀惜というか悲しみを詠った歌で。
「元気いっぱい泣いていた子が死んでいる」という事実を突きつけられた時に、石川啄木が詠んだ歌。

 底知れぬ謎に対ひてあるごとし
 死児のひたひに
 またも手をやる
(162頁)

冷たい感触が伝わってくる感じがする水谷譲。
理不尽。
幼くてその子が死んでしまったという報告を聞いて信じられずに「またも手をやる」。
ひたいに手を当ててしまうという。
子供の死を「大いなる謎」「底知れぬ謎」と啄木は詠んだワケで。
だんだん武田先生も死に近づいてきた。
死はそんなに遠い出来事ではなくなったワケで、友らが次々と鬼籍に入るという知らせが届く昨今。
「底知れぬ謎」
これが武田先生のそばにやってくるワケで、もう人生の当然として死を考えなければならないという。
そういう意味で、今回はちょっと重たかったかも知れないが。

 死の二日前に書きくれし手紙には一杯やりましょうとインク青かりき
            永田 淳『竜骨もて』
(177頁)

(番組で「じゅんいち」と言っているようだが、上記のように「淳」)

 どっちみちどちらかひとりがのこるけどどちらにしてもひとりはひとり
            夏秋淳子 朝日歌壇2023.12.10
(183頁)

これもクールな歌。
厳しいがこういうもの。
もう「好き」とか「嫌い」とか言っている場合ではない。
本当にそうだ。
ここから人生を考えると人生は全て幸せなのだが。
今日やった夫婦喧嘩も全部幸せだった思い出なのだ。
だから死というのを考えると人生の見え方が変わってくるという。

寂しい歌にいく。
でも誰もがこの淋しさを引き受けなければなりません、ということでまいりましょう。

 わが胸にさぶしきすきまあるゆゑにすきま灯せりひとかげを立て
            渡辺松男『雨る』
(189頁)

「心にある隙間。その隙間に明かりをともして思い出の人をそこに呼びましょう」という。

もの凄くクールな永田さんの一首があるのだが、ちょっとやはり考えた。

 人の死はいつも人の死 いつの日ぞ人の死としてわが悲しまる(144頁)

死は全て自分で捉えることはできない。

真に申し訳ございません。
時々こういう重たいヤツもやらねばと、そんなふうに思っている。
今、「終活」なんていう。
それがやはり死を引き付けて、死を考えようというのだが無理。
それほど人間はタフではないし、死んだ後の自分を想像することができない。
命ある限り、らしく明るくあればいいのではないかなぁと思ったりする。
でもちょっと正直に言うと、(この回の原稿は)ワリと落ち込んだ時に作ったヤツ。
それで、始まる前に「今回あんまりおもしろくないぞ」と言った。
やはり老人性の何かがあって、気持ちに波がある。
それがフッとこんなふうにして、暗い「三枚おろし」になることもある。
この暗さも生きている時の暗さだから。
命の不思議さというのは、そんなもの。

この間、こんなことがあった。
友達の霊園の話から思い出が谷村新司になった。
谷村新司という友達ができた時に、もの凄く心が通じたのは何かというと、谷村の持っている正直な明るさが、もの凄く気に入った。
武田先生達はお客さんが入らなくて本当に辛くて、その話をしたら谷村がのってきて「俺も入らない」と言い出した。
それで「本当にこの人と気が合うなぁ」と思った。
その時の谷村は「昴 -すばる-」を歌う谷村ではなかった。
スマートさの全くない、ざらついたシンガーソングライターだった。
「もうあんな歌聞きとう無いんよ」と上ずった声で言う。
その時に人物の残した人生の思い出というのは、こんなふうにしてどんどん変わる。
そういうことも含めて今、この年齢になって、何人もの死者を送ったが「死んでいく友らに何を語ろうか」と思った時、ちょっと暗めだが短歌に於ける死というものも話題に成り得るということで語ってみた「三枚おろし」だった。




2025年7月28日〜8月8日◆人生後半にこそ読みたい和歌(前編)

今回は短歌を取り上げてみた。
五七五七七の世界。
これは「人生後半にこそ読みたい秀歌」ということで(著者は)永田和宏さん、朝日新聞出版。

人生後半にこそ読みたい秀歌


(紹介されている和歌が、番組内では内容や読みが異なる箇所があるが、本からの引用を紹介するだけにしておく)

短歌と俳句はどう違うか?
字数が違う、短歌の方が恋の歌が多いと思う水谷譲。
そうでもない。
辞世の歌は皆、和歌。
五七五七七で詠むので、恋の歌とは限らない。
決定的な違いは俳句は季語があるが短歌は入れなくてもいい。
俳句はある場面に関してシャッターを押す。
短歌というのは何かというと動画。
「動く絵」として
TikTok。
それにふさわしいような。
YouTube。

その名句をご紹介する。
武田先生はこの句が大好き。
こんな歌。

 おそるべき君等きみらの乳房夏来る
            西東三鬼『夜の桃』
(17頁)

これは見事だと思った。
これはもう男はすぐにわかる。
これは映像がパッと浮かぶ。
お母さんが夏だから堂々と(乳房を)出して赤ちゃんに吸わせていると思う水谷譲。

若い女性たちの、夏が来て薄着になって嫌でも目立ってくる溌剌とした乳房に圧倒されている男がいる。(17頁)

今だったらコンプライアンス違反の歌だと思う水谷譲。
俳句。
これはいい。
夏服のボタンをはじくような乙女たちの若き乳房のふくらみ、弾む足音が揺れているという。
その生命の躍動に対し、中年男はまぶしくたじろぐような思いで眺めている。
季語はもちろん「夏」。
これがやはり見事という他無い。
この句はやはり上手い。
活き活きしていると思う水谷譲。
これで真似をした句を作ったが、鼻もひっかけてもらえなかった。
夏井(いつき)先生に出したヤツで。
「ひざうらの Hのくぼみ 夏来る」
たいしたことがない。
ただのスケベという感じがする水谷譲。

短歌の方。
三鬼さんの句が「おそるべき君等きみらの乳房夏来る」というショットだが、短歌ではどんなふうになるのか?という。

 ありふれし中年われは靴の紐ほどけしままに駅に来てをり
            小池 光『草の庭』
(22頁)

「靴のヒモがほどけたまま駅にきてしまっている」と思う水谷譲。
そのまま言われても短歌の味わいは無い。
これは、営業か何かで歩きまわって疲れたサラリーマンがいる。
営業のことばかり一生懸命考えた。
帰り支度をして駅から家へ、或いは会社に帰ろうかと、その瞬間にフッと足元を見たら靴の紐がほどけていた。
「危ないぜ俺は」という。
靴の紐は危ない。
あれは皆さんもしっかり注意してください。
ほどけていると自分の足で自分の靴紐を踏んだりなんかすると転び方が、階段等々で起きると転落の危険性もあるという。
この「ありふれし中年われは靴の紐ほどけしままに駅に来てをり」そこに自分に向かって小さく舌打ちをする、無念のため息。
ここには中年の疲れとむなしさ、ため息があって、その「中年のわれ」が歩いていて、「靴の紐がほどけしままに駅にきていた」というそのことに気づくというところまでの一連の動画が目に浮かぶ。

そしてもう一つだが、写真と動画の差の他にも俳句は引き絵、引いていく。
大きな画面の中の私。
短歌は逆。
最初に大きな画面が映っているのだが、最後はシュッと寄りカットで終わるという。
「ありふれし中年われは靴の紐ほどけしままに駅に来てをり」
駅の雑踏の中から、靴のクローズアップで終わるという。
こういう短歌の面白さを今回、ご紹介できれば、お楽しみいただければというふうに思う。

この「和歌」というと俵万智さん。
大ブームになった。
「サラダ記念日」

サラダ記念日 (河出文庫 227A BUNGEI Collection)



「あなたがこの味がいいよと言ったから今日は二人のサラダ記念日」という、そんな感じ。
正しくは「『この味がいいね』と君が言ったから7月6日はサラダ記念日」)
これも一見すると「何てことない」という。
でも「これも短歌なんだ」と思わせてもらった水谷譲。

著者の理説を聞いてみる。
永田和宏はこの和歌に関してこんなことをおっしゃっている。
著者は言う。
年を取るというのはどういうことか?

「老化は病気である」という概念でした。老化は誰にでも等しく訪れる避けがたいプロセスではなく、病気の一つなのだ、だからそれは治療できる。(9頁)

老いに対する科学の戦い、医学の戦いは続いている。
しかし著者は言う。
ここが気に入ったのでこの本を最後まで読んでしまった。

長い老後と言う時間、それにいたる中高年という人生の充実期、これらが歌の素材、テーマとしておもしろくないはずがない。(11頁)

そんな短歌を紹介する。

 いかがなる晩年来ると思ひしが至りてみればごく当たり前
            齋藤 史『風翩翻以後』
(24頁)

これは水谷譲にはわからない。
これは納得する。
もうだいたい武田先生は60(歳)を過ぎたら「人生っていうのはねぇ、そんなもんだよ」なんて、そんなこと言うのかなぁとかと思っていたが、60では言わない。
昔はもう60を過ぎたらお爺さんだったが、今は全然違うと思う水谷譲。
童謡でも

今年六十のお爺さん−中略−
それ ぎつちら
(船頭さん)

船頭さん




とかという歌があった。
今、60なんてとんでもない。
武田先生も60の頃は体育ジムというか原宿にあるジムに通っていたが、青山にあるジムにも通っていたが。
なってみると「なんだこんなもんか」という。
これは昔、ある大監督が言った。
「君はまだ若いから、80幾つなんていうのはもうヨボヨボのジジイと思って、『死への覚悟ができている』とか思うだろ?なんにもないよ、そんなのは。明日はどこいって何喰うか?そんなことばっかり頭かすめるんだ」という。
その時は「お元気なお爺様」という感じで武田先生も応答していたが、今、自分が70の半ばを過ぎると「ただそれだけのことか」という。
つまりきてみれば「なんだ、ただの今までとおんなじじゃ無ぇか」というような。
年を取ってあたりを見回したところで。
武田先生が言いたいのは、この永田さんの主張の好きなところは「こんなばかばかしいほどの当たり前を歌にできるのは、世界の文化・文芸の中でも短歌にしかできませんよ」。
本当にきてみると晩年というのはそんなもので、決して拗ねて言っているワケでも何でも無くて、人生をそこまで行ってみると深々とした思いではなくて、振り返ったら「昨日があるばっかり」「明日の予定があるばかり」というので、「人生が俯瞰で見えたりするというような年の取り方はしておりませんぜ」という。
そして年を取ることの面白さを、そういうことも歌にできるのは短歌ですよ、という。

大先生を挙げてみる。
斎藤茂吉。
精神科のお医者さんでもあった斎藤茂吉だが、この人は本当に正直な人。
何回でも歌が出てくるから覚えておいてね。
斎藤茂吉。
息子さんが作家の北杜夫さん。
「どくとるマンボウ」の。

どくとるマンボウ医局記 新版 (中公文庫)


斎藤茂吉は、一九二三(大正一二)年から一年間、ミュンヘンのドイツ精神病学研究所に留学しました。−中略−留学当初はストレスの多い日々でありました。(30頁)

 Münchenにわが居りしとき夜ふけて陰の白毛を切りて棄てにき
            斎藤茂吉『ともしび』
(30頁)

どういう歌かというと、

留学時の茂吉は四一歳。−中略−ある夜、ふと「陰の白髪」に気づく。歌にしているのは、初めてそれに気づいたショックからでもあるでしょう。たぶんほんの一本か二本の白髪であったはずですが、「切りて棄てにき」という口調には、どこかいまいましさも感じられますね。それとともに、俺もそんな齢になったのかと(30〜31頁)

それはミュンヘンとどういう関係があるのかと思う水谷譲。
何の関係も無い。
ただ「ミュンヘンで下の白髪を抜いている」というのが何ともはや、ユーモア。

また、こういうズバリのヤツもある。
永田和宏さん(の句)。
同じく下の毛を歌っている。

 恥毛までロマンスグレイになつたぜと告げたき人もいまはをらねば(31頁)

これこそちょっと老いの臭いがするが。
そんなことを冗談半分に言っていたという。
これは、お若いまだ60前の水谷譲はピンとこないだろうが、やはり下に白髪が出るというのは結構、男は気持ちが折れる。
あえて「陰」と読ませてもらった。
品の無い言葉でも短歌では堂々と使えるところが愉快。

斎藤茂吉、もう一ついってみる。

 俗にいふ睾丸火鉢もせずなりてはや三十年になりにけるはや(33頁)

「睾丸火鉢」俗にいう「股火鉢」。
モモヒキを履いたまま、火鉢にまたがる。
そうすると暖かい。
体の芯が温まる。
その若き日の行儀の悪さを茂吉はユーモラスに歌にした。
「俗にいふ睾丸火鉢もせずなりてはや三十年になりにけるはや」
何か、小倉百人一首のように「ハイッ!」と取りたくなる。

「老いてゆく」ということ自体を歌った永田(和宏)さんの歌。

 忘れたのではない最初の一字が出ないだけあの人あの人 えーとあの人(35頁)

こういう思い出せないという老いの初期症状だが、これでさえも短歌になるという。
日常の愚痴、それをそのまま歌にできるという。
このへんが面白いもの。

それからちょっと身につまされたヤツ。
齋藤史さんが歌にしておられる。
五七五七七。

 疲労つもりて引出ししヘルペスなりといふ八十年生きれば そりゃぁあなた−中略−
疲労が積もり積もったのでしょうか、
−中略−重いヘルペスに罹り、−中略−「八十年生きれば そりゃぁあなた」と笑いとばす。(36頁)

「そりゃぁあなた」というのがいい。
これは武田先生も(ヘルペスを)やったがよくわかる。
認めたがらない。
「ここのところ痒い?痛いですか?」「いや、痛みはそうないんですよ」「じゃあ違うと思うけど」と言ってパッとお医者さんが声をひそめて「武田さん、ヘルペスかもしんないですね。そうしますとお薬が全部変わっちゃうんで。お元気いいからね、そんなことないと思います。ヘルペスかと思います」という。
今、帯状疱疹が流行っていると思う水谷譲。
もうただ仕方がない。
加齢と共に生命力が落ちてくると、隠れていた帯状疱疹というヤツがポコッと出てくるという。
だから何もかも衰えているということなのだろう。
だがこの方は「80年生きてりゃヘルペスの一つや二つ出てきますよ」というところに、老人の強がりみたいなのがある。
武田先生の場合は「顔にできた吹き出物」というので、ずっと痛かったのだがドーランを塗ってごまかした。
でも「ヘルペス」というと凄く年寄臭いので、それでメークさんに「これ吹き出物」とかと言いながら。
叩かれても痛いのだが、歯を喰いしばって痛みをこらえていた。
このあたり、思わず引き込まれてしまったという。

和歌のすばらしさ。
五七五七七。
どんなことでも題材になるという。

近代短歌から綿々と続いてきた大きなテーマに「貧しさ」ということがあったということができます。(41頁)

貧乏なんてなかなか文芸とは関係無く、歌になりにくいと思うが、短歌の中には貧しさの名句は多い。

 はたらけど
 はたらけど猶わが生活楽にならざり
 ぢつと手を見る
            石川啄木『一握の砂』
(42頁)

 おそらくこの歌を知らない日本人は皆無でしょう。−中略−近代から現代にかけての歌には、貧しさを詠った歌は枚挙にいとまがありません。(42頁)

かくのごとく「『貧しさ』というもので和歌を作ってみましょう」という。

 銀行の監視カメラに御辞儀して嬉しく下ろす初の年金
            三ツ松秀夫 朝日歌壇2006.5.8
(46〜47頁)

いい。
続いて浅上薫さんの貧しきながらのプライド。

 中学を出て働きしご褒美にこの頃年金友より多し(47頁)

「アンタはエライ!」というヤツ。
ひそかなるプライドを年金の額で知るという。
人には誇れないが短歌にしてしたためて己を褒めることはできるという。
「私を褒めてやりたい。それができるのが短歌である」という。

辞世の歌。
間もなく死んでゆこうとする時に和歌を残すという。
これは昔のお侍さん達は習慣で持っていた。
そのお侍さん達とは違って女性の中でも死んでいく時は一首歌を作ってどこかに入れていたようだ。
有名なヤツをご紹介する。
細川ガラシャ。
戦国の世に生まれた、明智光秀さんの娘さんで旦那さんが細川忠興という方。
もの凄いベッピンさんだったらしいのだが、権謀術数に巻き込まれて彼女自身は自害して果てるのだが、クリスチャンだったものだから自殺が禁止なので、使っていた老武士になぎなたで首を切ってもらった。
凄いエピソード。
旦那さん、忠興さんが凄いやきもち焼きで、男性が部屋に入ってきても激怒する。
入った使いの人間がいると忠興さんが切り殺したらしい。
それで死んでいく時も夫にそういうやきもちを焼かせてはいけないというので、自分は座敷の内側で正座して、廊下からなぎなたを持たせた老武将に首の血管を切らせたという。
首筋に、恐らくガラシャ夫人が刃を当てたのだろう。
それで曳かせた。
凄い話。
これは戦国時代。
その時に彼女の衣服の中、袖、或いは懐に辞世の歌が入っていたという。
それが残っている。
「ちりぬべき 時しりてこそ 世の中の 花も花なれ 人も人なれ」
散る時を知っているからこそ花は美しい。
人もそうでありたい。
これはいい。

次にいく。
今度は男性。
吉田松陰。
安政の大獄で江戸で処刑される。
浦賀・ペリー来航の折、黒船に密航してまで世界を学びたかったという勉学の人、松陰。
囚われて東京・伝馬町で切腹を命じられる。
その時の一首。
「身はたとえ 武蔵の野辺に朽ちるとも 残らざらまし 大和魂」
(実際の句とは異なる)
力強いと思う水谷譲。
これもいろんな人が真似をしたのだが。
もう一首、切ない歌。
「親思う 心にまさる 親心 今日のおとずれ 何ときくらん」
「私がお父さんとお母さんのこと心配で心配でしょうがないんだけど、ああいけね。むこうの方がもっと俺のこと心配してらぁ。腹切って死んだって聞いたら悲しむだろうなぁ」という。
これもいい。
しかしやはり真似したくなるのは「残らざらまし 大和魂」
今でも世田谷線にお墓があるのでよければぜひ豪徳寺の隣なので。



「人生後半にこそ読みたい和歌」
これは何を考えたかというと、武田先生ももうその年齢だなと思って、和歌を開始しようかなと。
だからもちろん辞世の歌として。
どこかでポックり逝ったりした時に「内ポケットからお父様の和歌が出てきたわ」とかと、何かいい。
「終活」とかというけども、「昔の人って見事だな」と思うのはやはりみんな下々の人までその手の洒落っ気があって。
作れと言われてもできないが、よく昔の方はみんな作っていたと思う水谷譲。
幕末の争乱の時に戦場に行った勤王の志士がいる。
いつ死ぬかわからないからいつも辞世の歌を懐に入れているとか財布の中に入れているとか、そういう美意識があったようで。
坂本龍馬みたいな、あんな文芸に関係の無いような人でも、死ぬつもりが無かったみたいだから作っていなかったようだが、作る練習はしていたようだ。
どれもこれも若さがはじける歌だが。
「世の中の人は 何とも云わばいへ 我が成すことは 我のみぞ知る」という。
彼らしい生き方の一首だが。
日本の文化の中にはそういう辞世の歌文化というのがあったのではないか。

短歌のいいところは淡々と事実をリズムに乗せるだけで何やら言葉が陰影を帯びてできてしまうという。
ちょっと二、三、現代の辞世の歌をご披露する。
これはもちろん永田さんの紹介によるが。

 わが死後に葬式代など要る金を置きたる場所を子に伝へおく
            岡田独甫 朝日歌壇2017.9.18
(48頁)

非常にストレートな。
「わが死後に葬式代など要る金を置きたる場所を子に伝へおく」という。
今、年寄りで問題になっている。
郵便貯金の暗証番号とか、貯金の暗証番号とか、何にも言わずに死んじゃったもんだから、後で大変だそうだ。
それからズバリ朝の番組に出ていたらそんなことを言っている人がいたが「一人暮らしのご老人は暗証番号を冷蔵庫に貼っとけ」と書いてあった。
安全ではないのだが、「後の迷惑を考えたらこれぐらいやっておかないとダメですぜ」という。
どんな複雑な思いでも事実を述べてその感想で結べばサマになるというのが和歌。

吉川(宏志)さん(の句)。

 書類すべてシュレッダーに呑ませたりこんなに軽くなるか、抽斗ひきだし(52頁)

これは水谷譲なんかも働いているから思うだろう。
書類の全てをシュレッダーに全部。
そうしたら今まで重たかった引き出しが軽くなったという。
会社を去る思い、退職の様子もまたある意味では辞世の歌に成り得るのであるという。

 階段を踏みくだりつつ中間の踊り場暗しつとめを今日去る
            宮柊二『多くの夜の歌』
(54頁)

そしてさらに著者はもっと生々しくお金と定年の句を紹介する。
小さな出来事が五七五七七に掬い取られていくという、そんな妙を味わっていただければ。

 月一度「給料」とある入金はこれが最後と記帳して気づく
            上野智子 朝日歌壇2021.4.18
(59頁)

「そういう日がきっとくるんだろうなぁ」と思う水谷譲。
「誰にでもやってくる」という日のことで、この「誰にでもやってくる」というところに辞世の歌のすばらしさがある。
「給料が今月から無いんだ」と不安。
その不安を文芸・文学にするという。
これは皆さんやりましょうよ。
美しいリズムにのっけて我が切ない暮らしを語りましょうよ。
当たり前の情景だが、これが和歌になるとこうなる。

 定年のわが給料を仏壇に供えて妻の祈りのながし
            小林 昇 朝日歌壇2000.10.8
(59頁)

いい。
不思議な瞬間。
これは歌で気が付いた。
一番最後のお給料を仏壇に置く。
もう一つ給料を仏壇に置いた体験は水谷譲には無いか。
(家に)仏壇は無いからわからない水谷譲。
母親が兄の給料が時に仏壇に置いたのを覚えている武田先生。
昔は現金支給でいただいたが、今は振り込みになっていると思う水谷譲。

来週は不倫の短歌を紹介したいと思う。



2026年01月23日

2025年11月17〜28日◆肌(後編)

これの続きです。
(月・火・金曜日分の本放送では番組の冒頭はQloveR(クローバー)の入会キャンペーンの宣伝)

整体師さん、マッサージさんの肩か何かに彼の親指が入ってきて揉んでくれるともう本当にうめき声が上がる。
老人のうめきだから「うぅ〜うう」というような。
あの気持ちよさ。
痛気持ちいい。
痛いのに何で気持ちがいいか?
「痛気持ちいい」というのは不思議な言葉。
ちょうどツボに入るあの感じだと思う水谷譲。
あれは絶対間違い無いのは、あの痛さに全く疑念が無い。
「この後、気持ちよくなる」という希望を持った痛さが「痛気持ちいい」。
あのまま痛かったら「殺される」とかいろいろ思うだろうが。
自慢ではないが、武田先生の整体師さんはパワーがある人で。
時々お腹に指をあててグーッと骨盤に向かって押されることがあるし、その時は「親指が背中に付くんじゃないか」というぐらい。
でもある意味それは、武田先生と(整体師が)肌が合うということで、やはり肌の合わない整体師さんもいらっしゃると思う水谷譲。
ただ痛いだけ、という。
武田先生と整体師は)もう二十年近い付き合いだから、どんどん深いところに入ってくる。
肛門の周りとか。
凄いのなんの。
「もう一つ門ができるんじゃないか」というぐらい。
それと、朝から何だがはっきり言った方が分かりやすいから伝わると思うので言うが、金玉の横とか、肛門の付け根。
もうあられも無いところ。
これはもう本当に凄いの何の。。
あの時に上げた「うぅ〜!」というのは人間の声ではない。
それも信頼関係があってのことだと思う水谷譲。
水谷譲は鋭いことを言う。
つまり、あの「痛気持ちいい」の中にあるのは信頼関係。
痛いのは不快。
だが、その不快が去れば不快の何倍もの快が俺にやってくるという信頼関係を彼の手のひらとか親指のパワーに感じる。
これは逆のケースもあるかも知れないが、今回はいいケースだけを取り上げる。

「肌」というと、その人の人格を表す意味合いになってくるようです。(「驚きの皮膚」134頁)

人と人との相性、「肌が合う・合わない」、性格を形容する言葉で「姉御肌」「一肌脱ぐ」「あの人は肌理が細かい」。
皮膚にはそんなふうにして内面が現れやすいという。
その肌が表す様子のことを「顔が真っ赤になる」「いやぁ〜。あん時、俺もびっくりしてさ、顔面蒼白さ」。
赤や白で。

ヘモグロビンは酸素を多く運んでいると赤くなり、運んでいる酸素の量が少ないと赤みが弱くなります(「驚きの皮膚」123頁)

(番組内では「ヘモグロビンの量」と言っているが、本によると上記のように運んでいる酸素の量)
肌というのが赤くなったり青くなったり白くなったりするという。
これは「なるほど」。

そこで面白いことを傳田さんは言い始める。
肌を毛を抜いて露出したのはいいが、女性の場合、男共から内面を読まれる可能性があるぞ」。
特にその人の前に行くと赤くなるということがばれてしまうと「あっ、惚れてるな」というのがわかる。
それから肌が白くなったり青くなったりすると「あんまり好かれて無ぇな」とかと、そういう内面を肌で読まれる可能性がある。

人間はむしろ「顔色」を読まれない努力をしてきたように思えます。−中略−多くの女性がメイクアップで顔色を隠し(「驚きの皮膚」124頁)

こんなふうにして肌には無意識が出やすい。
そういう考え方から化粧という文化が生まれたのではないか?
化粧というのは大昔からあったのだろう。
クレオパトラなんか目の上を青く塗っていたというから。
最近、男の子も化粧をし始めたが、あれは顔色を読まれたくないということかと思う水谷譲。
武田先生はリップクリームが苦手。
リップクリームは昔、男の人が塗っていると「え?」と思ったが、普通にみんな(当たり前になった)と思う水谷譲。
夏の日傘と冬のリップクリーム。
これは現代では当たり前になった。
やはり爺さんとして抵抗がある。
これがまた愉快なことに、テレビ局のメイクさんは、本当にリップクリームを塗ってくれる。
いちいち断っている武田先生。
テレビ局のメイクさんの共通点はここ。
リップクリームを塗りたがるのと眉毛をすぐ切る。
(眉毛を)「整える」というかも知れないが、凄く抵抗がある。

こんなふうにして今週、皮膚から肌へ話題を広げて語ってみたいと思う。

昨日はちょっと文明の中での化粧を語ってみたワケだが、ここから傳田さんの深い考察が始まる。

もともと門外漢であった私が、たまたま化粧品会社に勤めたがために、長年皮膚の研究に携わることになり(「驚きの皮膚」46頁)

「皮膚・肌」というのをコスメというものでいかに美しく保つかということの研究をやっているうちに「皮膚・肌」の研究に憑り付かれたという方で。

 体毛を失った120万年前に現れた人間の祖先は、ホモ・エルガステル、あるいはホモ・エレクトゥスかと考えられます−中略−。おそらく彼らの中から体毛を失った個体が生き残る、ということが始まったのでしょう。興味深いことに、これらの種から脳が大きくなり始めたのです。(「驚きの皮膚」43頁)

全身の毛を脱ぐことによって脳が発達した。
これはなぜか?という。
これは理由があって全身の感度が上がって皮膚に無数のセンサーができた。
その皮膚のセンサーは膨大な量の情報を脳へ送り込めるようになった。
すると皮膚からの情報で、脳というのが更に進化して、意識が広がった。
それはそう。
いろんなところに皮膚が情報を送る。
そうすると脳がその情報を受けて人間の意識が広がった。
それが人類ではなかろうか?という。

傳田さんの言葉の中にこんな言葉があって「いい言葉だな」と思った。
(この後の話は本の中には見つからなかった)
「文字も言語も無かった遠い昔、人間と人間を結びつけたであろう皮膚感覚が深い知恵を人間にもたらしたのかも知れません」
これはいい文章。
文字も言葉も無かった。
ところが毛を脱ぎ捨てたサルの一派の中で肌を触れ合うことによって人間関係の結びつき、その強さが生まれた。
パッと想像してしまって嬉しくなった。
例えばある一匹の殆どサルに近い毛を脱ぎ捨てたサルが肉親を失ったとする。
そうすると仲間の、「サル」と言った方がいいと思うが、サルぐらいのヤツがそいつの背中をそっと撫でた。
その瞬間に撫でられたサルは「優しくしてくれてるなぁ」という感情が、もの凄い勢いで立ち起こった。
それから「ここの集団とここの集団はもうケンカしない」「このままいったらもう両方共滅びちゃうからケンカするのはやめよう」と言って約束代わりに手と手を握り合わせた。
そういう触れあいが感情を作り、その感情が集団の結束を強くした。
武田先生が作った言葉だが、いいことを言っている。
触れあう記憶が肉親を失った一匹の裸のサルが悩んでいる時、仲間のメスザルで優しいのが背中をゆっくり撫でてくれると「優しくしてもらってるなぁ」という、それが人から触られると気持ちがいいという。
そういうことになったのではないだろうか?
今は触れ合うことが少なくなってきているので、どうなっていくのかと思う水谷譲。
もう本当、全国の爺さん婆さん。
加齢と共にふれあいに関して鈍感になってしまうが、痛いところを誰かが撫でてくれるというのは、強烈な信頼関係。
そんなことが武田先生達夫婦にもあった。
もう具体的に語るのはやめるが、婆さんがゆっくりと背中を撫でてくれた。
その時に昨日までと違って「この人でよかった」みたいなことを爺さんが突然、さだまさしみたいに歌い出す。
このへんが更に話は神妙な方角に走っていく。

傳田さんのお知恵を拝借しながら肌についての考察を深めていく。
傳田光洋さん、講談社「驚きの皮膚」。
皮膚感覚の不思議。
仮説ではあるだろうがひどく頷ける仮説。
触れあうということで人間はより人間らしくなった。
その肌と肌で触れ合うことがいかに大事かというと、触れ合うことによって生成されるホルモンがあるそうだ。

オキシトシンというホルモンです−中略−赤ちゃんがお母さんの乳首に吸い付くと、その刺激で下垂体後葉−中略−からオキシトシンが放出され、母乳を作る乳腺細胞を刺激して、母乳が出ます。(「驚きの皮膚」105頁)

男には決して味わえないが、女性だけの快感ホルモンなのだろう。

あるいは陣痛促進剤といって、出産時、子宮を収縮させる薬がありますが、これも実はオキシトシンです。(「驚きの皮膚」105頁)

脳が合成し放出すると考えられていたホルモンが、表皮ケラチノサイトでも合成されていることを傳田澄美子博士が発見しました。(「驚きの皮膚」105頁)

だからお母さんの皮膚を優しく撫でたりすると、お母さんはたちまちオキシトシンが皮膚からも生成されて愛情深くなるんだ、と。

 このオキシトシンですが21世紀になって、哺乳類の社会性などにも関係していることが相次いで報告されました。(「驚きの皮膚」105頁)

ある本で読んで武田先生は酷く感動したのだが、生き物の中で喰い物を分け合うのは人間だけ。
動物は分け合っているわけではないのかと思う水谷譲。
あれは基本的には自分が満腹にならない限り譲らない。
「空腹をこらえて与える」とか「これオマエの取り分な」とかと分ける生き物はいない。
お母さんが「自分は食べなくても子供に与えるだけで幸せ」というのはそういうことかと思う水谷譲。
卑俗な例で何だが「鍋物を楽しむ」というのは、人間だけの楽しみ方。
このオキシトシンがそのあたりも人間というサルを動かしているのではないだろうか?
この社会性を育成するというところ、これが毛を脱ぎ捨てた理由ではないだろうか?
社会性とは一体何かというと他人への信頼を高めるということで。
そのスイッチを入れる為には、皮膚・肌への刺激が大事で、肌の刺激を受けることによってオキシトシンを生成し、それが脳に伝えられ、脳に伝えられることによって脳もオキシトシンを合成するという。
全身が快感で包まれる。
整体、或いはマッサージには実はその気持ちよさがあるのではないか?
だから自分で肩を押さえても気持ちはそんなによくないが、他人に押さえてもらうと気持ちいいというその理由だと思う水谷譲。
ドラマとかをやっていると、メイクさんで指の強い人が「リンパの流れを良くしましょう」とかと言いながら首筋から肩、頬をさすってくれる。
あれが、うめくぐらい気持ちいい。
化粧ののりも良くなると思う水谷譲。
やはりやってくれるその人を忘れない。
当番でその人が後ろにくる度に小さい声で「少しやってくれる?」。
これは面白いことに下手な子がいる。
当り障りのない触り方をする子がいる。
そういう子は一発で見抜く。
多分見抜きもあれは、肌でやっている。
その子が撫でていると、ちょっとイラッとする。
飲み屋のお姉さんの横に座って膝に手を置く時の手の感触。
何かあれだけで「あっ、コイツ惚れてるな」とかといろんな妄想が膨らむ時と「なんだコノヤロー」とかと。
このへんが触れる、或いは触れ合うことの難しさ。
触れている人の本音も伝わってくることがあるというワケ。
傳田さんの説だとは思うが、オキシトシンのように脳が適応の為に生成する脳内ホルモン、これが実は皮膚にも肌にもあったという。
ケラチノサイトというこの皮膚のとある成分が、その生成に参加しているのであるとすれば実は皮膚というのは脳と同じ仕事をしているんだ、と。
こんなふうに考えると面白い。
このあたりに毛を脱ぎ捨てた理由があると思うところに人類史の面白いところが。
整体師さんの快感から、とうとう人類までいってしまった。

「オキシトシン」というような脳内ホルモンの名前まで出てきたワケだが、平原に生まれたサル、そのサルが全身の毛を脱ぎ捨てて肌を露わにした。
これはもしかすると肌感覚、触れ合うことによってチームワークがよくなった。
それが非常に厳しい環境の中でも適応する推進力になった。
二足歩行、道具を使う、そして触れ合う。
これが人類の特徴になるのではないか?という発想が面白いなと思って。
人からやってもらう肩揉みや手揉み。
これが人間という集団の結束を強めたという。
こういう発想が面白かった。
人にとって社会性とか集団性というのは人間なる為の重大な条件だった、という。

最後になるが肌や皮膚については多くの著述、本があって、研究なさっている方も凄く多い。
どれも興味深いものであるが、少しその進化の意味を別の視点から見るものとして、これは別の本なのだが、草思社から出ている本で山口創(番組では著者の名前を「そう」と言ったが、読みは「はじめ」)という方が(書かれた)「人は皮膚から癒される」。

文庫 人は皮膚から癒される (草思社文庫 や 5-2)


(この本に関しては番組で以前にも取り上げている。2023年3月13〜24日◆皮膚と肌
(単行本と文庫本があるが、ここではページ数は文庫本のものを採用する)
この著者は「皮膚は感覚だけではなくて感情と結びついている」。
これはもう傳田さんも同じだった。
感情と結び付いている。
この山口さんは、こんなことをおっしゃっている。
これはハッとする。
困難な事態に陥ると人は信頼できる人を皮膚で探そうとする。

相手が信頼できるか、助けてくれる人かどうかという感覚は、意識に上る以前の無意識の段階で素早い判断をしていると考えられる。皮膚が情報処理をしているということは、数々の実験からも明らかであり(「人は皮膚から癒される」53頁)

皮膚が考えるんですよ、皆さん。
その他者が自分と同じ意志があり、その人が誠実に同じ夢を実現したいと望んでいるかどうか?共にそのことをやる情熱は同じように持っているか?
それだけではない。
その実力をこの人は持っているか?
その仕事を依頼し、目的の為に自分と共に働いてくれるかどうか?
こんな難しいことを肌で探す。
だからハグする時もそうで、それで何となくわかる水谷譲。
つまりスポーツに於けるチームプレイに於いて、その集団が勝利する意欲を燃やしているかどうか、自分と同じ目標を持っているかどうか、というのは各選手は肌で探すそうで、ラグビーでいうところの「One for all, All for one」、そのOneたる人物を探し出すのは肌である。
個人と個人の相互作用で集団を形成する。
「その人はそういうことが上手だから集団の中で大いに活躍してもらおう」

 それに対して日本人は、自己を他から独立した「個人」ではなく、「間人」として捉えている。自分を人と人との「間柄」に位置づけられた相対的な存在であると感じ、社会生活を自分一人の力で営むのは不可能だと感じている。−中略−この相互に信頼し助け合う価値観を「間人主義」というのだ。これは、対人関係を自己の生存のための手段として捉える「個人主義」とは、対照的な価値観だろう。(「人は皮膚から癒される」84頁)

つまり一番バッターは一番バッターの役割を果たす。
四番バッターは四番の役割、八番バッターは八番バッターの役割に徹する。
それでチーム全体が勝つことを目指す。
だから「強力打線」といって打率のいい人を頭から並べたりしないという。
これは「ベースボール」と「野球」の違い。
これはアメリカでも評判だった。
ニューヨークタイムズが日米戦でアメリカが負けた時、ニューヨーク・タイムズが一面に打ったコメントは「アメリカン・ベースボールは日本の野球に負けた」。
野球に負けた。
それは一体何かというと、全体のことを考えて一塁走者を二塁に進める為に、「バントで自分は死んでも進める」というような作戦を野球はやる。
ここがメジャーリーガーの中で日本人選手が活躍している理由ではないか?というのが武田先生の仮説で、活躍する理由の中で武田先生が挙げたいのが肌。

傳田さんの話から、これはノートに書き写していた別の話だったのだが、山口創さんが草思社から出しておられる「人は皮膚から癒される」の中で日本人のチームの作り方、集団の作り方というのがやはり独特なのではないだろうか。
日本人はその集団全体が生き残れる為に、個人が努力する。
アメリカなんかは集団よりも個人が生き残る為に努力を求めるという考え方で。
西洋は「人間主義」、日本は「間人主義」。
「人間」をひっくり返して「間人」と読ませているワケだが。
その中でメジャーリーグで日本人選手が活躍しているのはこれじゃないか?と。
間人主義。
なぜ日本人選手はあんなに活躍できるんだろうか?
一番わかりやすい例。
大谷は肌が優れている。
何かあの優勝を争う選手達の中で、敵側にライバルがいる。
みんな大谷のそばにいて話しかけるのが好き。
大谷はメジャーリーグの選手それぞれを励ます力がある。
それは大谷の肌の力ではないだろうか?
考えてみたら凄いこと。
この間も武田先生は二戸で歌歌いに行ったのだが、岩手県をうろつくとわかるが申し訳ないがやはり静かな田舎町が多い。
皆さん、今、メジャーリーグを動かしているのは花巻。
見てくださいよ。
花巻周辺から出た大谷、佐々木、それから菊池雄星、今度は佐々木麟太郎。
みんなあの岩手県のあのエリア。
そして皆さんもお気づきだろうが、これは全員3.11の体験者。
今、メジャーリーグで活躍している選手の中で、肉親を失った人もいる。
その3.11は横に置いておいて、大谷というのはメジャーリーガーとして優れているところはいっぱいある。
いろんな体つきとか身長とか。
武田先生は「肌」。
何か一つの夢に向かって進もうとする時、自分と同じくらい頑張ってくれる仲間を肌が探すという。
(フレディ・)フリーマンとか(ロサンゼルス・)ドジャースの選手がいる。
もちろん日本人選手・佐々木朗希もいるが。
でも、あの大谷に対するリスペクトは凄い。
彼等がもの凄い好感を持って大谷を迎え入れている。
あれは何かというと彼等の肌も、大谷に反応した。
「コイツと力を合わせてドジャースを」という思いがこのチームを作っていったのではないかなと思うと・・・
しかも日本の東北地方の寒いエリアから出たことを思えば、彼等がの皮膚感覚がいかに優れているかわかる。
「だから南の人はダメ」と言っているのではない。
何かの微細なセンサーとしては北国の人の皮膚というのは抜群のセンサーなのではないだろうか、という。
新しい説。
これは武田説で。
全く武田先生として言いたいことを言っているワケだが。
メジャーリーグで花巻から一体何人出るのかと思ったら、つい言いたくもなる。
小さい頃から皮膚をうんと鍛えられた人達に与えられる特別の皮膚感覚・肌感覚の特権ではないか。


2025年11月17〜28日◆肌(前編)

(今回は「驚きの皮膚」と「人は皮膚から癒される」の二冊の本からの引用があるので、それぞれ区別して表記する)

短いタイトル、ネタだが「肌」。
いわゆる「皮膚」のこと。
水谷譲にも「こんな体験がないかなぁ」と思って武田先生の肌にまつわる疑問について、皮膚にまつわる疑問についての出来事からお話する。
ある日の事、顔なじみの整体師さんに整体を受けていた。
うつ伏せのマットに伏せて、この人の手のひらが首回りウワァーッと押し込んでくる。
その時に口から洩れる声の正体は一体何か?
「うぅう〜うぅ〜う・・・」という
ちょっと生き物の声ではない。
気持ちいいか?
いや、そうではない。
大きな手のひらが一番張ったところに攻め込んでくる時に、あの感覚はもうそうとしか言いようが無いが「痛気持ちいい」。
何で痛いことが気持ちいいか説明が付かない。
でもその手のひらとか整体師さんの親指、人差し指の圧に関してうめき声が上がる程、気持ちがいい。
その指が離れた瞬間にザーッと血流がそこに向かって流れて、肩の真ん中に「なるとの渦潮」みたいなのができてるのはないかと思うぐらい。
その時にやってもらいながら、つまらない質問を武田先生が整体師さんにした。
「なぜ人から揉んでもらうとこんなに気持ちいいんでしょうね?」
二の腕なんかも自分で揉むのだが、あまり気持ちよくない。
ところが人にやってもらうと、滅茶苦茶気持ちがいいという。
もちろんこの逆のケースもあるが、ここでは敢えて深く触れない。
つまり、嫌いなあの人から触られると、おぞけが震えるぐらい嫌な感触で伝わる。
今回の場合「なぜ気持ちいいか?」。
「人が皮膚に触れると気持ちいい」というその不思議を今回は探してみようと。
それにもう一つ皮膚に関しては懸案の不思議が武田先生にはあって。
これは前もお話したと思うが、何で我々には毛が無いのか?
もちろんある部分もあるが、本当に体の一部分で、後は進化の過程で全身毛を抜いてしまった。
我々は今、「裸のサル」として立っているワケだが、なぜ全身の毛を脱ぎ捨てたのか?
この不思議は一体何かと言うとカブトムシからクワガタからイワシから、今、ずいぶん騒がせているクマから犬まで、いわゆる防護の為の何かを持っていないのは考えてみたら人間だけ。
もちろん服を着ているから。
でも服は人工物だから。
普通の生き物は体毛として持っている。
つまりここに、裸になった深い理由があるのではなかろうか?というふうに思った。
武田先生はこの疑問の為に本を、まあ読んだ読んだ。
三冊、四冊読んだのだが、どうも皆さんにお伝えする為には、三枚におろしにくくて、この方の本を今回は中心に三枚におろした。
傳田光洋さん、講談社「驚きの皮膚」。

驚きの皮膚


全身皮膚の生き物として何個かいる。
毛を持っていない。
(例えば)タコ、イカ。
鱗も無いし。
ぬめり気を持っているので、あれが衣服みたいなもの。
さあ、そのタコ、イカと同等に並んだ人間だが、生物界を探すとそっくりなものがいて。
全身皮膚。

 ゾウリムシは一つの細胞からなる生き物、単細胞生物です。もちろん脳はありませn。細胞膜とその上の細かな毛のような繊毛があるだけです。しかし、障害物にぶつかると、それをよける。自分の命に関わる高温、低温、極端な水の酸性、アルカリ性から逃げる。(「驚きの皮膚」17頁)

ゾウリムシの先端−中略−に「ぶつかった刺激」が加えられると、細胞膜の内側と外側の電位差がなくなり−中略−先端が何かにぶつかって脱分極した場合、繊毛の膜にあるカルシウムチャネルというカルシウムイオンだけを通す穴からカルシウムが流れ込み、その結果、繊毛の動きが速くなり、泳ぐ速度が速くなる。−中略−温度に対しては、−中略−繊毛の動きが場所によって代わり、そのためゾウリムシは自分にとって「快適」な温度の場所に向かうそうです。(「驚きの皮膚」18〜19頁)

このゾウリムシは何かに似ている。
感覚だけで生きている。
ルンバ。
頭脳ではない。

電気店で見かける「自動掃除ロボット」も、部屋の構造を認識して掃除をしているのではなく、壁にぶつかる、あるいは赤外線センサーで障害物を感知すると方向転換する、そういう仕組みだけで、いつの間にか部屋全体を掃除しているのです。(「驚きの皮膚」22頁)

そうやって考えると皮膚、少し興味を持ってもらえたか。

(この日の最初は冒頭部分から引き続きセルフレジの話なので割愛)

本題に戻る。
昨日はルンバとそれからゾウリムシというのは仕掛けとしては同じであるという話をした。
自然界にはこのような仕掛けがたくさんの生物によって繰り返されていて、ムクドリ、イワシの群れ、何がそっくりかというと集団行動。

そこで決められている規則はたった3つです。個体は、隣の個体と、近づきすぎない。離れ過ぎない。そして集団が密集している方向へ動く。それだけです(「驚きの皮膚」27頁)

あれは人間の皮膚が持っているものと同じもので、細胞一つ一つの特徴で大きな単体のように見える。
その中に人間もあって。
皮膚の細胞というもので全身覆われていて、皮膚によって人間は行動を取るという。
私達を包み、外と内、それを区別しているもの、それが皮膚である。
皮膚はもの凄い仕事をしていて、よく考えると凄い。
温度。
これが皮膚はわかる。
その次に痛みがわかる。
だいたいわかる。
刃物を当てそこなったりして、血が出るか出ないかというのが感覚的にわかる時がある。
痛み、手触り、それから圧力なども感じる。
環境からの情報を皮膚はいくつも受信するワケで、受信する感覚を担うセンサーである。
凄いのは指先の感覚で、ポケットの中の五百円玉、百円玉、十円玉、五円玉、一円玉をその硬貨の中から636円を選ぶことができる。
五百円玉1枚と十円玉3枚と一円玉6枚。
(これでは536円になってしまうが)
それを人差し指、親指で嗅ぎ分けるワケで、これは考えてみたらもの凄い感覚。
この皮膚の仕掛けについては、もの凄く膨大な解説をこの著者、傳田さんは書いてらっしゃる。
これが傳田さん、申し訳ない。
読んでいてもわからないぐらいややこしい。
温度を感じるセンサーがあるとか、天気を感じるセンサーがあるとか、皮膚の中にセンサーがいちいちある。
とにかく皮膚にはそういう仕掛けがあるというワケで。

もう一つの武田先生の疑問なのだが「なぜ私達は裸のサルになったのでしょう?なぜそんな無謀なことを先祖はしたのでありましょう?」。
生き物は長い体毛、毛を持っている、鱗を持っている、甲羅を持っている。
カブトムシは硬めの皮膚を持っている。
陸・海・空、全ての生き物は外皮、外側の皮を持つ。
ところがヒトという名のサルのみが体毛を脱ぎ捨てた。
ちょっと話を引っ張るが、これはもの凄く危険なこと。
これは武田先生もいろいろ読んだのだが、まだ正確には出ていないそうだ。
今も謎だそうだ。
これは諸説ある。
「面白いな」と思ったのは、東海岸で生まれた平原のサルがマダガスカル方面に歩き始めて海を見る。
そうすると海の中にも喰い物がある。
それで浅瀬で貝や魚等を食糧を探しているうちに、濡れた体毛の重たさというのに耐え難くて「もういいか。体毛重いもん」とかということで脱ぎ始めたという。
或いは長距離で人間は獲物をずっと追いかけて旅をする。
そうすると汗をかく。

サバンナで直立して2本の足で歩くとき、熱に弱い脳を守るため、発汗による全身の冷却が必要になり、その際、体毛が邪魔になったから、という説です。(「驚きの皮膚」42頁)

これはわかりやすい。
人間はだいたい平均で60km歩けるそうだ。
こんなに長い距離を歩けるサルはいない。
人間だけ。
「長距離を獲物で追うサル」ということで体毛が体温調節の為に邪魔になった。
それは犬も人間と凄く仲が良くて。
何でかといったら獲物の狩り方が同じで、犬も長距離を追いかける。
では何で犬は毛が生えているのか?
人間には人間だけの裸になる理由があったと、ここからますます不思議が深まる皮膚の話。
なぜ我々人間は毛を脱ぎ捨てたのか?
傳田さんは己が説を説明してくれて。
これが現段階で、武田先生は最も信用する「裸のサル」の原因。

 体毛を失った120万年前に現れた人間の祖先は、ホモ・エルガステル、あるいはホモ・エレクトゥスかと考えられます−中略−。おそらく彼らの中から体毛を失った個体が生き残る、ということが始まったのでしょう。−中略−
 この事実から、私は、全身の表皮が環境にさらされる、いわば「皮膚感覚の復活」が人類の生存に有利に働いたのではないかと考えています。
(「驚きの皮膚」43頁)

皮膚がアンテナとかセンサーになった。
その皮膚で感じた情報を脳に送り、例えばそれまでは降ってくる雨に鈍感だったが、裸のサルは背中で雨を感じる。
それから足の裏、スネから足の裏はサルも裸だが、微妙な揺れとか大地の変化を感じる。

皮膚が音を「聴いている」(「驚きの皮膚」81頁)

これは思い当たる。
テレビで見る花火大会と、実際に隅田の花火大会に見に行くと、音が違う。
あの違う音は一体何か?
それは花火の本物がパーンと夜空を焦がして破裂した、あの空気振動を皮膚が聞く。
頬っぺたが感じる。
それがテレビでは排除されてしまうので、テレビの花火と墨田川花火大会の花火は全く違うものに感じてしまう。
これは「音が違うんだ」という。
中空で破裂した大気の揺れを耳よりも皮膚、頬が感じるという。
あの音を聞いているのは実は露出した頬の皮膚です、という。
更に傳田さんは、10万ヘルツ以上の高周波は耳ではなく人間は皮膚で聞く。
(このあたりの話は本の内容とは異なる)
高周波は脳に伝えられるとα波を発生させて、これが人を癒す。
どんな宗教もそうだが、音楽を持っていない宗教は無い。
あれはどこで聞いているかというと皮膚で聞くんだそうだ。
だから「音楽」「音を楽しむ」と書くが、「楽」の上にクサカンムリをかぶせると「薬」になる。
つまり、「音」は「薬」になる。
だから耳だけではなくて皮膚から音を聞くというのが人間にはあるのではないか。
これが自然環境の厳しい中で生きていく時に、適応する為に最も役に立ったのではないか?
これは頷ける。
やはり風の向きとかを敏感に感じる為には毛があるよりも無い方が。
それが危機になればなるほど敏感なセンサーとして全身の皮膚が役に立つ。

更に傳田さんは凄いことを言う。
皮膚は光も見えるそうで。

赤い光−中略−、青い光−中略−、緑の光−中略−、そして白い光−中略−を皮膚に照射して、バリア機能の回復速度を調べました。−中略−すると赤い光を照射すると、その後のバリア機能回復は光を照射していない群に比べて早くなりました。逆に青い光の照射は回復を遅らせました。白い光、緑の光はバリア機能回復速度に影響を及ぼしませんでした(「驚きの皮膚」83頁)

(番組内では青い光もバリア機能が回復すると言っているが誤り。番組内で免疫力が高まると説明しているが本には書かれていない。この後の話も本の内容とは異なる)
目隠しをして真っ赤な部屋に人を入れて「何色?」と訊くと「赤」と答えるらしい。
わからないと思う水谷譲。
青い部屋に入れると「青い」と言うそうだ。
この間、皮膚を色をジャッジしているという。
赤い部屋の方がちょっと暑い感じが、温度が違うのかと思う水谷譲。
考えてみたら温まる時の光の色は赤が多い。
それと消毒をする時は青い色。
それを皮膚が感じるのかと思う水谷譲。
人間の「皮膚に任せた感覚」というのを我々は見逃しているだけかも知れない。

よくSF映画で水溶液の中に脳だけがプカーッと浮かんでいて、脳がいろいろ命令を下すという。
ラスボスの正体は実は「培養液に浮かんだ脳だった」というのがある。
傳田さんは「そんなバカなことが起きるハズがない」という。

脳だけを取り出して培養液の中で生かし続けることができたにしても、その状態の脳は何の意識も思考も持ちえないと主張しています。博士によれば意識も思考も脳と身体の感覚器、そしてさまざまな臓器との相互作用があって初めて意識や感情が生まれ、やがて思考も可能になるというのです。(「驚きの皮膚」98頁)

ここからが面白い。
傳田さんの発展的考え方。
傳田さんの筆によると「皮膚も考えている」という。

 たとえばペンダコのようなもの、−中略−表皮ケラチノサイトが刺激や頻度や期間を記憶していると想定しないと、なぜペンダコができるのか説明できません。(「驚きの皮膚」108頁)

「ここ何回もよく使ってるなぁ」「ここ少し硬めにしといた方がいいな」というので皮膚が考えて層を厚くしてタコを作る。
足の裏もそうだと思う水谷譲。
よく使うところ。
つまりあれは皮膚が考えて作った防衛の仕事の一環。
その代わりゴルフをやらなくなったり、もう鉛筆でものを書いたりしないとタコは消える。
あれも皮膚。
武田先生は「(プロゴルファー)織部金次郎」をやっている時に、映画で使いたいから手のひらに、わざとデカいタコを作ったことがある。
驚くなかれ、そこでタバコを消していた。
それは映画の中でお見せした。
もう今は何も無い。
このへん、傳田さんの言うのはわかる。
「皮膚が考えてるんですよ」と言われたら、そんなことを脳が考えるワケがない。
やはり皮膚のことは皮膚が一番状況を知っているワケだから「こいつ必死になってゴルフやってやんの」といいながら一番使うところをやや硬めにするという。

実験をやる。
水谷譲に手首を曲げてもらう。
これは脳の電位差から始まり、実際に手首が曲がる。
武田先生が「手首を曲げてください」と言ったら、それを脳がジャッジして曲げた。
これは脳が聞いてジャッジして手首が曲がるまでに0.5秒かかるそうだ。
(本に書かれているのは脳がジャッジするのにかかる時間ではなく、皮膚触覚として知覚できる為に必要な刺激の長さ)
「0.5秒なんざは毎日の暮らしの中では実に小さな時間だ」と思われているかも知れない。
ところが切迫した日常の、ある出来事の中で、この0.5秒というのは重大な時間のロス。

時速60キロメートルで走る自動車のドライバーが危険を感じて止まろうと思うのに0.5秒費やしたら、その間に車は8メートル以上進んでしまいます。歩いている最中、つまづきそうになって、0.5秒の間、何もしなければ、確実に転びます。(「驚きの皮膚」141頁)

0.5秒は、だから重大な時間。
もっとわかりやすくする。
プロ野球の投手。
この投手達はだいたいボールを130〜160キロで投げる。
打者はそのスピードのボールを見極めて打つ打たないを決断するが、これに0.5秒かかっていると間に合わないそうだ。
脳で考えているのでは無いということだと思う水谷譲。
150キロのボールでも毎秒41m。
そのスピードでいうと18.4mを飛んでくる。
ミットに収まるまで、0.4秒しかかからない。
それを0.5秒かかっていたら、見送り三振という可能性がある。
だから打つ・打たないは、投げる投手の腕の形を見て決める。
それは頭ではない。
まさしく皮膚感覚に任せるしかない。

情報を意識化せず、いわば無意識に動作を行っていると考えたほうが理にかなっています。(「驚きの皮膚」141頁)

無意識が人間の行動を左右しているなら、皮膚からの情報は人間の行動、思考などに莫大な影響を及ぼしているでしょう。(「驚きの皮膚」144頁)

大谷のことをイメージしてください。
あの人は「打つ・打たない」をいつ決定しているのか?
これは無意識にお任せ。
頭で考えない。
考えたら振り遅れる。
それは無意識が優れている。
この「無意識が優れる」ということは何だろう?
何千回、何万回の練習が無意識を作っていくのだろう。
でも持って生まれたものもあると思う水谷譲。
脳で考えないで体がよい方向に動くというのを普段から練習しておかないと無意識が広がっていかない。
それと大谷は皮膚が優れているのではないか?
イチローの不思議なお遊び野球。
カーンとセンターか何かに大フライを打つ。
真っすぐそのボールの真下まで彼が走っていって背面キャッチする。
ボールを見ないでセンター方向を向いたまま後ろ手でボールを取る。
あれは何か?
あれは観客がいないとできないらしい。
コウモリと同じ。
つまりバーツとボールが上がっていって彼が「あのあたりに落ちる」と踏む。
そこの真下まで行くのだが、「真下まで行った・行かない」を観客の声でジャッジする。
見上げないのだから。
観客の声で「真下にいる・いない」をジャッジして後ろにグローブを出すとそこにストっと。
(観客のどういう声かは)わからない。
それはイチローの肌が捉える距離感。
やはりスポーツの世界は神妙なもの。
彼等は無意識で戦っている。
無意識が豊かな人じゃないと反応できない。
意識的に動くなんて、それじゃあダメなんだ。
人間のセンス・感覚のことを「視る・聴く・触る」。
この中で「触」を担当している皮膚、これは膨大な情報を受け取り、まず、ほとんど無意識へ伝達する。
この「無意識へ伝達する」というのは面白い。
時間がかかるから脳に持っていかない。
そういえば人と合って皮膚が先に結論を出すことがある。
「この人、嫌な人だな」みたいな。
あれはジャッジしているのは皮膚。
「生理的に受け付けない」ことを日本語で何と言うか?
ここが日本語の面白いところ

「肌が合わない」……気質、気立てが合わない。(「人は皮膚から癒される」80頁)

それは肌がジャッジしている。
肌とはその人の内面のセンサーで、この内面のセンサーが対人関係に於いても「この人と合う・合わない」とか、その人の気質。
それは「肌理(きめ)」と言う。
「肌理細かい」とか使うのだが、日本人の面白いところは「皮膚」と「肌」を変えた。
「皮膚」は表のセンサーのこと。

「肌」とはその人の内面が溢れ出てくることを前提とした身体の表面にあり(「人は皮膚から癒される」81頁)

内と外。
外に向かってのセンスが「皮膚」。
内側に向かってのセンスが「肌」。
だから対人関係とかで「どうもあの人とは肌が合わなくてねぇ」とか、性格を言う時も内面。
「いやぁ加奈さん、姉御肌だから」

「ひと肌脱ぐ」……あることについて力を尽くす。(「人は皮膚から癒される」81頁)

日本人というのは肌と皮膚を使い分けることによって皮膚の持っているセンスを探り出そうとしたのではないか?

英語では皮膚はskin≠フ一語である。(「人は皮膚から癒される」81頁)

ここまでの話をまとめると、傳田さんが言っていることは凄くわかりやすくて、昔、毛の薄いサルが生まれた。
そのサルは環境に見事適応して、たくましさを持っていたというので、人間が生まれた、ということ。
肌が、ある意味では進化を一挙に進めたという。
肌がいかにして人間を進化させたか?


2026年01月16日

2025年6月9〜20日◆私言ったよね?いや聞いてないよはなぜ起きる(後編)

これの続きです。

人間の聞き間違い。
言葉によってコミュニケーションを取るのだが、その言葉がすれ違ったりすると伝えようとする意味が全く伝わらないという。
昨今、そういうことが世の中で頻発していて。
人間と人間のコミュニケーションの難しさみたいなものを痛感するという昨今。

無自覚のままに、あたかも自分の知識のように他人の知識を借りて話してしまう。これがバイアスの怖いところです。−中略−「他人の知識=自分の知識」バイアスに気づきました。(150〜151頁)

武田先生は本当に胸に思い当たる。
人から教えてもらっているのに、それがさも自分が知っていることのように偉そうにふるまう。
「偉そうに」と言った方がいいと思うが。
「(今朝の)三枚おろし」はある意味そういう番組だと思う水谷譲。
でも武田先生の中に、だからといってそれを「俺のものだ」というようなのは全然ない。
それではない。
何で武田先生のような性格が生まれてきたのか武田先生にもよくわかっていない。
でも人の知識を自分の知識と思い込む人というのはいる。
疑問があるとパッとスマートホンで引いて「これ」と言いながら片手で見せるヤツのあの得意そうな顔。
「俺は知ってるぜ」とオマエ知って無ぇよ。
「その情報間違ったらどうするんだろう?」とたまに思う水谷譲。
いる。
これはもう簡単なこと。
スマートホンの錯覚というのは凄くて、スマートホンを持っていると何せ128GB。
あの板の中に、ギガバイトで言うと128人分の記憶。
それで錯覚してしまう。
本をたくさん読んでいると、いかにも知識がたくさんあるぞというような情景に見えてしまうが、本箱とあなたは何の因果関係も無い。
それから「知的である」というのは「知的好奇心のある・なし」であって本とは何の関係もない。
武田先生は「知りたい」という気は凄くある。
「それはどうなってるんだろう」という疑問が生じるとしつこいぐらい覚えている。
そうじゃなかったらいっぺんに何冊もの本を同時に読み進めて自分なりにおろすことはしないと思う水谷譲。
皆さんにもいつも言っているが、だいたい一週に三冊ぐらいで。
興味深いものをずっと読んでいくという。
ほんの僅かでも心の針が震えたら無我夢中で読んでしまう。

もしかしたら興味が無いかも知れないが、内田樹先生が右の日本の思想史を。
内田先生は左傾の人なのだが、右の人にも興味があって、右翼思想の明治以来の人をずっと追いかけておられるという一冊を送っていただいて。
先生ありがとうございます。
ちょっと「三枚おろし」には使えそうにないが。
読んでいると夢中になって、その内田先生の本を読んでいるのだが。
この不思議な縁。
戦前のことなのだが、九州にもの凄く大きな右翼団体があった。
「玄洋社」といって、アジアを開拓していこうという天皇の先兵たるべき右翼の陣を張った人がいて。
その責任者の一人に内田良平という右翼の大ボスさんがおられて。
この内田が出てきたらもう無我夢中で。
思想とは全然関係ないのだが。
昔、高校で柔道をやっている時にもの凄く強い内田というヤツがいた。
その内田良平のお孫さんらしい。
その人は修猷館という福岡県で一番成績のいい学校に通っていて、柔道で身を立てるべく道を選んだ人なのだが。
その内田君のことを思い出して。
武田先生も変な頭をしている。
その思想史を読んでいたのだが、内田という名前に引きずられて内田君のことを思い出したらバーっと広がる。
内田君は柔道着の真横にマジックで一本線を入れていて。
得意技が内股という投げ技で。
その内田君の足がピーンと一本に伸びて一直線になった瞬間に相手は宙に舞っているという。
そういう綺麗な技をかける。
凄かったのはその同時期に、電波(高校)に園田というというのが兄弟でいてこれが強いの何の。
その園田さんの兄さんの方、兄貴の方が柔ちゃんの師匠(園田義男)になる。
二宮(和弘)さんとかいた。
二宮さんはその後、モントリオールで金をとった。
今でも覚えているのだが、ある大会に行ったら大外刈りで投げられた人が脳震盪を起こしている。
「危ねぇな、コイツ」と思って投げたヤツを見たら坂口という名前だった。
思わず「こんなヤツ連れてくんなよ」と思った。
大男。
その後プロレスに入ったと聞いて。
その息子(坂口憲二)が俳優になったと言って。
それで武田先生は親父役で共演して。
凄く縁があると思う水谷譲。
政治結社の話から無駄話が多くてまことに申し訳ございません。
何の話だったかは武田先生も忘れてしまった。

もう一回だけ脱線する。
柔道の漫画で「(JJM)女子柔道部物語」という漫画があって人気があるのだが、水谷譲と二人であの漫画の中に出た。

JJM 女子柔道部物語(3) (イブニングコミックス)


柔道部の審判員の役か何かで「武田」と「加奈」というので。
あの先生から言われた。
「柔道を語って精神を一切語らなかった人は武田さんです」
「幸福の黄色いハンカチ」の中で武田先生は「俺はケンカに強くなりたくて柔道を始めたのはいいが、お陰で足がどんどん短くなった」という(セリフがある)。
「武田さんの柔道話には一切精神性が無い。私はそれが凄く嬉しかったんです」という。
そういう微妙な褒められ方をしたのだが。

幸福の黄色いハンカチ デジタルリマスター2010


本題に戻る。
著者である今井さんはこうおっしゃっている。
ユーチューバーの方なんかは大勢の支持者がいるとかファンを持っている。
芸能人の中にもたくさんのファンがいるという人がいるが、はっきり言って変だよ、と。
「人気の質が粗い時代はありません」
先生はそうおっしゃっている。
トップアイドルから芸人まで、一言の言葉遣いのアレで、一瞬のうちに消えていくという。
やはり人気の質がかなり粗いのではないだろうか?
その一環として私達の中に、例えば手紙が上手な人がいる。
或いはメールを貰うと嬉しくなる人がいる。
それとどうでもいい人がいるという。
これは人間がいろいろ多様化しているんだという。
会社で報告したくなる課長と報告したくない部長がいるという。
かくのごとく人間の受け渡しというのは好き嫌いで次々選ばれていくようになる。
だからたった一言嫌いになると全部嫌いになってしまうという。
そういう宿命に今、さらされているという。
その「最初の言葉遣い」というのはどんなふうに築き上げればいいのか?
人と人との関係の言葉遣い。
例えばこんなことが会社であった。
5ページのコピーを急いで作りたい。
そのコピー機の前に同僚たちが並んでいる。
その列に割り込む為に声をかける。
どんな声をかければいいか?
これはクイズではないから。

@−中略−「すみません。5ページだけなんですが、コピー機を使わせてもらえませんか?」
A
−中略−「すみません。5ページだけなんですが、コピーをしなければならないので、コピー機を使わせてもらえませんか?」
B
−中略−「すみません。5ページだけなんですが、急いでいるので、コピー機を使わせてもらえませんか?」(198頁)

この中で割り込ませてもらう言葉として一番説得したものはどれだろうか?
謝っているし急いでいるという理由も言っているので、C(本の中ではB)だと思う水谷譲。

 これらのお願いに対する成功率は次の通りです。
@ 60%
A 93%
B 94%
(198〜199頁)

一番成功率が高かったのは、「急いでいるので−中略−」と理由を示したBのお願いです。(199頁)

これはなぜかというと「なぜならば」が使ってあるところで人は納得する。
「なぜそうするか」という理由をまずはっきり言う人、そういう人がコミュニケーションでは感情を交えることができる。
そしてなぜ割り込むのか?
それは「私に時間が無いから」で、「時間が無いということであれば私は待てる」ということを説得していることになる。
「時間が無いの」「あっ!ごめんごめん。やってやって」という。
これ。
この寄り添いで相手の感情を察する。
それが人と言葉をズレさせずに絡め合う言葉遣いなんです、と。
こういう言葉遣いがあれば険しさが無くなり「我々意識」が芽生える。
この我々意識をどう言葉遣いで表現するか?
「俺の方が忙しいんだ」という感情が入ると、たちまち暗くなりますよ、という。
このあたり、当たり前のことを言っているようだが、やはりひどく武田先生は納得してしまう。
多分Cを選ぶ人が多いとは思うが、最近そういうふうな言い方をしてくれない人が多くなっているのも確かで「こういうふうに言えばいいのに」と思う水谷譲。
それは若い人とは言わないけれども「どうやってこの人達とコミュニケーション取っていけばいいんだろう」というのはよく思う水谷譲。
そういうジェネレーションのギャップというのは会話しているうちに確かに感じる。
何をまず声をかけるか?
これが意外とその人の印象を決定付けてしまうということになりかねないような気がする。

更に何かを伝える為には。

 説明が上手な人には、特徴があります。それは「具体と抽象を行き来している」ということです。(209頁)

これはちょっと自分でもびっくりしたのだが、こんなことが学校であったそうだ。
私達は具体と全体を往復しなければ理解できない。
小学生低学年の子に2分の1と3分の1、どちらが大きいかをテストした。
(本によると小学校3、4、5年生が対象なので、「低学年」ということではない)

問 1/2と1/3では、どちらが大きいですか? 大きい方に〇をつけましょう。
正解 2/1
(221頁)

 抽象的な分数というものを、具体的に考えるところまで自分の力で持ってくることがそもそも難しいのでしょう。(221頁)

最も多い間違いは何かというと、1/3が2/1より大きいという間違い。

分母は3が2より大きいからです。(222頁)

でも分数の話。
一個のものを三つに切って食べるよりも一個を半分で切って食べた方が、1/3に切るよりは2/1の方が大きい。
分数は抽象。
抽象と具象。
具体的、具体。
これをやはり絶えず比べる練習をしておかないとダメですよ、という。
多すぎる具体は貯蔵が大変で、好きになった女性達と同じで思い出が多すぎる。

具体を数多く記憶に貯蔵しておくと情報過多になり、脳への負荷が大きくなりすぎます。だから抽象にすることで負荷を下げているのです。(224頁)

これは好きになった女性との思い出が多すぎるのと同じように。
詞にする為には女性達を抽象化しなければならない。
これは武田先生らしい。
その女性を全体的に見渡すという、そういう女性の抽象化というのがあるんだ、という。
それが作詞ということ。
最初作詞は小さい具体を置くところから始まる。
何でも歌のパターンはみんなそう。
例えば

雨に濡れながら 立たずむ女がいる(三善英史「雨」)


これは一個「雨に濡れながら 立たずむ女がいる」という「一人」にまずキャメラが寄って。
これがキャメラがどんどん遠ざかっていく。
「いろんな傘の花が開く午後のことでした♪」というと俯瞰になって、たくさんの人が傘を差している中で一人濡れながらじっと男を待っている、或いは女性を待っている人物が立っているという、こういう具体と抽象を往復する。

上野発の夜行列車 おりた時から(石川さゆり「津軽海峡・冬景色」)

津軽海峡・冬景色


どんどん広がっていく。

青森駅は雪の中(石川さゆり「津軽海峡・冬景色」)

どんどん広がる。
更に

北へ帰る人の群れは 誰も無口で
海鳴りだけをきいている
(石川さゆり「津軽海峡・冬景色」)

(番組では「海鳥だけが鳴いている」と言っているが誤り)
一番最後

ああ津軽海峡・冬景色(石川さゆり「津軽海峡・冬景色」)

で大俯瞰になるという。
これは凄く面白いことに歌唱力に関係している。
武田先生達が上手な歌手の歌を聞いて「この人はいいな」と思うのは、この具体を語っておいて抽象に広げていく力がある。
そのことを私達は歌唱力といって排気量とか声帯の強さでは無い。
具体をいかに抽象の高いところまで持ち上げることが可能かどうか。
それが実はもの凄く大事なことで、そのNo.1が美空ひばりさん。
美空ひばりさんは具体から抽象にいきなり広げられる。
もう一人、具体から抽象へ入る名人がその後に続いた。
八代亜紀さん。
武田先生は「八代亜紀のそこを話題にしなきゃ、この人の見どころはない」と思っているので、この方を思い出す為には写真ではなく声で思い出してください。

ちょっと今、ディレクターの方から注意があった。
これは本には載っていない。
これは武田先生がこの方の説を読みながら。
時々こういうことを武田先生はやる。
ごめんなさい。
これが「三枚おろし」の特徴だと思ってください。
今井むつみさん「『何回説明しても伝わらない』はなぜ起こるのか?」という、この本の中に書いてあったのは、具体で語った後は、抽象で語りなさい。
具体と抽象を織り交ぜながら部分と全体を理解させるという。
そういうものを持ってないとダメですよ。
仲間と話す時は「我々」というような大きい主語を持っていないと、相手に伝わりませんよ、というようなことをおっしゃっている。
その話に刺激を受けて思いついたのが「これを歌でいうと」と考えた時にパッと浮かんだのが戦後最大の歌手美空ひばり。
(このあたりの本放送はポッドキャストに比べて、ところどころカットされている。本放送では歌が流れるので、その分の尺合わせだと思われる)
この人は具体がもの凄く上手い。
「リンゴの花びらが散ったような」

リンゴ追分


そんなリンゴ花びらの一枚からグングン引きの絵で、青森県のリンゴ園の風景そのものを叙情にまで高めて歌うことができるという。
しかもこの美空ひばりは、性に関して男女を往復できる。
美空ひばりさんの子供の時の当たり役が「東京キッド」。

東京キッド [DVD]


男の子のふりをして靴磨きをやるという女の子。
鞍馬天狗角「角兵衛獅子の唄」では男の子の杉作をやる。

鞍馬天狗 角兵衛獅子 [DVD]


つまり少女と少年を往復できる。
性間を越えることができる。
「雪之丞変化」もそう。

ひばりの三役 競艶雪之丞変化 美空ひばり


女性と男性、闇太郎と雪之丞を往復できるような、一つの性でありながら両方の性。
これは歌手の方にも表れていて、ひばりは男歌と女歌が歌えた。

ひとり酒場で(美空ひばり「悲しい酒」)

と泣くくせに

勝つと思うな 思えば負けよ(美空ひばり「柔」)

その男女を往復できるのは凄い歌唱力が無いとダメ。
これこそが歌手の本領発揮。
美空に続いたのが八代亜紀。
この人は、ねっとりした女の情念の歌

雨の新宿(八代亜紀「なみだ恋」)

とかと悲しい悲しい新宿の女を歌った後、八代亜紀の代表的な男歌「舟唄」。
(ここで本放送では「舟唄」が流れる)



さあこれでお分かりでしょう。
見事でしょう。
この歌を聞くとお酒が呑みたくなる水谷譲。
具体の説得力が凄いからお酒が呑みたくなる。

お酒はぬるめの 燗がいい
肴はあぶった イカでいい
女は無口な ひとがいい
(八代亜紀「舟唄」)

という
具体を次々に並べておいて

しみじみ飲めば しみじみと
想い出だけが 行き過ぎる
(八代亜紀「舟唄」)

時間が飛んで過去に行く。
過去に飛んだと思ったらまたポーンと現代に戻ってくる。

涙がポロリと こぼれたら
歌いだすのさ 舟唄を
(八代亜紀「舟唄」)

これはやはり上手い。
これは、ねっとりした女心の歌から、ランプ一つ灯った中でしみじみ呑んでいるというような、そんな歌声。
これが往復できるのだから、この人の歌唱力というのは半端ではない。
「稀有な歌唱力だな」というふうに思う。
こんなふうにして抽象と具体、これをきちんと歌うことの重大さというのが日本人の演歌歌手の特に歌唱力に託されているのだろう。
これはデカい意味で今度は具象と抽象、これは理解することがいかに難しいかという。

今井むつみさんの「『何回説明しても伝わらない』はなぜ起こるのか?」 。
これを三枚におろして「私言ったよね?いや聞いてないよはなぜ起きる」と勝手に改題してお送りした三枚おろし。
ちょっと武田流も入っているのだが。
今井さんがおっしゃっているのは、技として学ぶという態度が大事。
そして語学の習得と同様にその言葉で話す人達と交わることでたくさん学べるんだ、と。
相手の意図を汲む配慮は必要ながら、その仕事は何の為にやる仕事なのか。
そのことを忘れちゃダメ、という。
そこで武田流の解釈では戦争の話になってしまうが、真珠湾攻撃というのは大成功だった。
アメリカは「来るはずが無い」と思っていた。
それは今は「騙し討ちしたんだ」ということで通っているワケだが。
とにかくアメリカの海軍はこれでコテンパンにやられて、ここから逆襲するワケで。
南雲率いるところの南雲艦隊は今度はミッドウェー海戦で大敗北を喫する。
これは今井さん、すいません。
(本の内容からは)離れております。
これは南雲さんは真珠湾攻撃の成功に引っ張られる。
だから「成功しなくちゃ」と思うからおかしくなってくる。
人間は一番危険なのは、完璧な勝利とかを望んだらろくな事はないということ。
今、世界に不安を与えている大国というのは負けたことが無い。
負けたことが無い国はとても危険。
日本もそうだった。
近代戦の中で一回も負けたことがないということが後の大敗北を喫する原因になる。
南雲艦隊は艦長の南雲さんが夢見ていたのは日本海海戦。
あの東郷平八郎がやった完膚なきまでにロシア軍を叩いた日本海海戦というのは、その成功の度合いからいくと海戦のNo.1。
それを南雲さんはやろうとしたから、飛行機がぶら下げる爆弾の種類にこだわったり。
「陸上用爆弾と魚雷を入れ替えろ」とか途中で命令を変更したお陰で、向こうの飛行機が来てしまって大損害を受けるという。
南雲さんは東郷平八郎の大勝利を真似したかった。
アメリカ軍の方の太平洋艦隊の指令長官はニミッツという人。
この人が一番好きだった海軍の軍人さんは東郷平八郎。
腹が立つのはニミッツは日本の海軍のことをよく調べたのだろう。
東郷平八郎は出身が鹿児島県。
仲間が非常に多くて友達の中でも東郷さんは人気者だったらしい。
太平洋戦争の場合の連合艦隊司令長官・山本五十六。
出身地は新潟。
一人で考え込むタイプ。
山本五十六と東郷平八郎は何が違うか?
パーティーの数が違う。
(東郷平八郎の方が)多い。
連絡が上手くできない時がある。
その時に各艦隊が自分独自の判断で動く。
日本は絶えず指令長官のところに許可を願う。
その間に連絡が遅れてゆく。
これが一番最初に今井さんがおっしゃった、現場にてもちろん技を学ぶのだが「技を学ぶということは、その現場で使われている言葉を体の中に入れることで、そのことが勝敗を決することになるんです」こういう結論になる。

最後に「言った・言わない」の問題は最後の締め、2024年1月2日JAL機と海上保安機の激突というのがあったのだが

2009年1月に起きた飛行機事故を基にした映画で−中略−
 離陸直後に野鳥の群れが機体にぶつかり、左右の両翼に設置されたエンジンがともに停止。機長は急きょ、ニューヨークのハドソン川に不時着しました。乗客乗員のすべての命が救われた歴史に残る出来事です。
(287頁)

機体に衝撃を受けてからわずか208秒間ほどの出来事だったといいます。(288頁)

 この決断に、その後、事故調査委員会の専門家たちから疑念が提示されます。後日、コンピューターでシミュレーションすると、空港に緊急着陸することは可能だったというのです。−中略−実際、事故に遭遇した機長と管制官が試行錯誤する時間を「35秒」とカウントしてシミュレーションすると、緊急着陸を試みたところで結局、市街地や森に墜落するという結果しか出ませんでした。(288頁)

「ハドソン川の奇跡」というのはパイロットの人が持っている直感のすばらしさ。

ハドソン川の奇跡(吹替版)


日本でもそうで衝突事故

JAL機の乗員乗客379人の全員が燃える機体から18分で脱出したことは、世界中から称賛を集めました。(293頁)

「機長さんの直感がハドソン川同然に奇跡を起こしたんです」と言ったら機長さんははっきりこうおっしゃったそうだ。
「これは私の直感ではありません。これは訓練の賜物です」
つまり同じ言葉で動くということがいかに事故を少なくするかということで。

考えさせられる一冊だった。
また来週は別のネタでご機嫌を伺いたいと思う。


2025年6月9〜20日◆私言ったよね?いや聞いてないよはなぜ起きる(前編)

(今回のタイトルを番組内等でも頻繁に異なった言い方をしているが全て「私言ったよね?いや聞いてないよはなぜ起きる」に統一しておく)
「私言ったよね?」「聞いてないよ」
老夫婦によくありがちな会話。
お互いのコミュニケーションというか、言葉で連絡し合う言葉の交信が上手くいかないという。
これはもう本屋で「これ読もう!」と決めた本。
本のタイトルはというと「『何回説明しても伝わらない』はなぜ起こるのか?」

「何回説明しても伝わらない」はなぜ起こるのか? 認知科学が教えるコミュニケーションの本質と解決策


(本の中の傍点部はアンダーラインで表記する)
(番組中に何度か本のタイトルを間違えて紹介しているが、全て正しいタイトルにしておく)
長いタイトルだが、年を取ると本当にこういうことがある。
日経BP、今井むつみさんという方がお書きになった本だが、深く読ませていただいた。
武田先生が言ったこの「私言ったよね?」「いや聞いてないよ」これはもう夫婦の会話にありそうな・・・
頻繁にある水谷譲。
ドキッとする。
彼女は「言った」という。
私は「聞いてない」と言う。
そういうことが日常であるワケだが。
とはいうものの、それはまだ幸せ。
これが一般社会で起こったり仕事の現場で起きると大変なことになる。
これは本当にそういう意味ではご冥福を祈りつつ話す話だが、これは重大な教えがこの事故の中には含まれているようで、敢えてラジオで取り上げてみたワケで。

 2024年1月2日に羽田空港で起きた大きな事故は、皆さん記憶に新しいことでしょう。着陸した日本航空516便と、離陸を待つ海上保安庁のJA722A(以下、海保機)が衝突し、炎上。海保機に乗っていた5名の命が失われる事態となりました。(24頁)

能登の地震の翌日。
これは事故調査員会が入って。
これはほんのささいな言葉遣い。

 この事故の直前、管制塔と海保機では、以下のようなコミュニケーションがなされていたという録音が残っています(実際に行われたやりとりは英語)。
海保機「タワー(=管制塔) JA722A C誘導路上です」
管制官「JA722A 東京タワー(=管制塔) こんばんは ナンバーワン C5上の滑走路停止位置まで地上走行してください」
海保機「滑走路停止位置C5に向かいます ナンバーワン ありがとう」
 このやりとりを見れば、確かに両者は互いに「了解」しています。しかし実際には、管制官は「停止位置まで」と指示していたところを、海保機は停止位置を越えて滑走路に侵入。その背景にあったのは「ナンバーワン」という言葉を解釈するときに生じた誤解ではないかと言われています。管制官は、「滑走路に進む優先度ナンバーワン」という意味で言ったことを、海保機は「離陸順位ナンバーワン」と思い、滑走路に侵入したのではないかと考えられています
(24〜25頁)

このへんがやっぱり言葉遣いの難しいところで、奥様とも「言ったよね?」「聞いてないよ」はまだ平和なうち。
「聞き間違い」と「思い込み」だと思う水谷譲。
だから交信、つまり会話が上手くいっているつもりでも、どこを中心に聞いているかで解釈が変わってきたり、聞き間違いが起こったりするという。
これが交信が英語であったが故に「ナンバーワン」が耳に残り続けたのではないだろうか?
英語と日本語というのは言葉が違う。

実際には「wear」という英単語は、日本語の「着る」とまったく同じ意味なわけではありません。ズボン、マフラー、手袋、メガネ、化粧も英語ではすべて「wear」で表しますが、日本語では、それぞれ、履く、巻く、つける、かける、するなどの動詞が用いられます。(32〜33頁)

このあたり、言葉の文化の違いというのがあって。
今回は「言った」「言わない」ということになりがちの人間の会話の誤作動というか喰い違いを三枚におろしたいと思う。

 数年前、駐車場にバックで車を入れていたときのことです。横並びの駐車スペースに止まっていた車から女性が飛び出してきて、
「あんだ、ぶつけた!」
 と怒鳴ってきたのです。私にはぶつけた感覚はまったくなかったのですが、相手は「ぶつけた」と言い張り、
「ほら!」
 と言って自分の車を指します。
(59〜60頁)

 その女性の、あまりに確信的な発言に影響されて、自分の「ぶつけていないはず」という記憶を疑ってしまった。(61頁)

これは著者の今井さんはここから妙なというか、生成AIが持つ問題がこれ。

ChatGPTは、インターネット上にある情報を学習して質問に回答しますが、インターネット上にはそもそも、誤情報や誤認識が溢れています。−中略−ChatGPTはそうしたデータをも学習に用いているため、ときに誤った答えを生成してしまうのは必然のことなのです。(63〜64頁)

問題)次の言葉を、順番通りでなくていいので、できるだけたくさん記憶してください。制限時間は1分。
 つくえ えんぴつ パン かびん ほん はな タオル ふうとう いす アイロン くつ バター けしゴム ペン ボール メガネ くつした カバン リモコン
−中略−
「先ほどの言葉の中で、食べ物に関する単語は何?」
(82〜83頁)

(番組で読み上げた言葉は本の内容とは数か所異なっている)

先ほどのクイズの答えは「パン」と「バター」です(84頁)

まず問題を隠しておいてやらせるところで引っかかってしまう。
問題の傾向に気づけば、きっと一発だった。
子供の勉強部屋にあるもの。
(という話は本の中には無い)
「つくえ えんぴつ パン かびん」
「パン」なんて子供の勉強部屋になんか無いと思う水谷譲。
だから子供の勉強部屋に無いものを二つ上げればいいだけ。
「パン」と「バター」。
後は全部「タオル ふうとう いす アイロン けしゴム ペン カバン」だから。
アイロンも(勉強部屋には)無いと思う水谷譲。
部屋にあるということだと思う水谷譲。
これを記憶する時に、覚えなければならないことをどこかに何かの連想で一つ持つと見抜くことができるという。
どこかで同じものを箱に入れるんだと思う水谷譲。
子供の机の上から部屋を連想すれば以外とスラスラと今の問題は解けていたのではないだろうかと。
これは人間の面白いところ。

 ランダムに提示された単語を覚える際には、ただその言葉を繰り返すのではなくて、自分に身近なストーリーにすると覚えやすいとも言われます。(83頁)

「子供の勉強部屋」とかと言うと「つくえ えんぴつ かばん ほん はな ふうとう いす」。
こんなふうにして思い出すことができる。
だから物語にするとか、具体的な映像を一つ持つということが記憶の為には凄く大事なんだという。

『100万回死んだねこ』は、福井県立図書館の司書さんたちが書いた本です。サブタイトルに「覚え違いタイトル集」とあるように、「本のタイトルの覚え間違い」をたくさん紹介しています。1977年初版発行の名作『100万回生きたねこ』(佐野洋子、講談社)が、「死んだ」になってしまうのは、タイトルを間違って覚えた人が本のタイトルを理解して覚えたからです。(86頁)

100万回死んだねこ 覚え違いタイトル集 (講談社文庫)


ある司書さんは、「『ストラディバリウスはこう言った』って本ありますか?」
 と利用者に聞かれたと紹介されています。利用者が探していた本は何だかおわかりですか? そう、ニーチェの『ツァラトゥストラはこう言った』(岩波文庫)です。
(86頁)

ツァラトゥストラは こう言った 上 (岩波文庫)


人間の面白さだが、何か強く印象付けられると、そのことを先に覚えてしまって見えなくなるという。

 私は以前、つるがオレンジ色のメガネをかけていました。あるとき、飛行機の中で、そのメガネをかけたまま寝てしまったことがありました。
 いつの間にか落ちてしまったようで、目が覚めたときにはメガネはどこにもありませんでした。
−中略−
 メカニックの人に「どんなメガネ?」と聞かれたので、私は、
「オレンジ色のフレームのメガネです」
 と答えました。
−中略−
5分くらい探した後に、
「マダム、どうしてもありません」
 と言いました。
−中略−
 メカニックの人は指さしながら、シートの下を見せてくれました。するとそこにはちゃんと私のメガネがあったのです。私が、
「これです」
 と言って取り上げると、メカニックの人はあんぐり口を開けて、とても驚いた様子でした。彼は、ふざけていたわけでも、冗談を言っていたわけでもありません。ただ「見えていなかった」ようなのです。
(89〜92頁)

 目の前にあり、視野にしっかり入っているのになぜ「見えていなかった」のか。
 それは彼が予想していた「オレンジ色のメガネ」と、私のメガネが全然違うものだったからです。私は「オレンジ色のつるのメガネ」と言いましたが、そのつるはとても細くて、オレンジ色が目立つものではありませんでした。彼のイメージする「オレンジ色のメガネ」はきっと、つるが太く、全体がオレンジ色のものだったのではないでしょうか
(92頁)

武田先生は一回だけもの凄いことを体験したことがあって。
これは自分で後確認したワケではないのだが、例の荒川の方の土手で先生シリーズをやっていた。

3年B組金八先生第1シリーズ DVD-BOX [DVD]


そこで鉄道が走っている橋が架かっていて、そこの手前の方の河原で芝居をやっていた。
そうしたら撮影が中止になった。
「ちょっと待ってください、ちょっと待ってください」
何でかというと、救急車が来て大騒ぎが始まった。
鉄道の線路を電車が走っているのに救急隊員がやってくる。
ピーポーピーポーが鳴っているものだから、ドラマ(の撮影)ができなくなって。
何と、鉄道の下で首を吊った方がおられたようだ。
その人を運んで救急車が来たという。
武田先生は見なかった。
(撮影していたカメラには)映っているハズ。
ずっと回して、その延長線上。
ところがスタッフ全員、全く見えなかった。
そんなところにそんな(ものがあるとは)思わない。
あるワケない。
そこにそういう悲劇の方がおられるとは思わないもので「思わない」ということは見えない。

 視界には確実に入っているのに、見えていない、ということは珍しいことではないのです。(94頁)

このへん、人間の視覚というのは「おまえ見ただろう」というのは絶対の証拠みたいに言う人がいるが、視覚というのも全く頼りにならないものだ、と。
しかも「見たいものを見る」とも言うと思う水谷譲。
視覚というのはそういうバイアス、歪みが入りやすいので、「一見は百聞に」なんて言っている場合ではない。
「一見」が意外と当てにならなかったという。
メガネフレームのオレンジも見えなければ、人間の聴覚はともかく視覚というのはそういう意味では非常に騙されやすいもんだという、何かそういうことを人間については覚悟しておいた方がいいな、と。

人間というのは忘れる。
大事なことを忘れるという。

 しかし、認知科学の視点で見ると、「忘れることは、とても重要な能力だともいえます。(120頁)

人間の頭はどうできているかというと、忘れるから覚える。

「忘れられない」ことはしばしば治療の対象ともなります。トラウマなどがいい例ですね。出来事の衝撃が強すぎて、忘れてしまいたいことでも記憶から消えなくなってしまう。(122頁)

このあたり、人間の不思議な不思議な認知能力。
「忘れる」これがいかに大事か。

今日は面白い例え。
年寄はちょっとピンとこない言い方だが、こういうふうに言ってもらうと「ああ、なるほど。そういうもんか」と納得してしまう。

認知科学者で米国ブラウン大学のスティーブン・スローマン教授をお招きしました。−中略−
 スローマン教授は、私たちの記憶容量は「1GB」ほどしかない、とお話されていました。
−中略−16GBのUSBメモリですら、人間の16倍の記憶容量があるわけです。(121頁)

知ってるつもり 無知の科学 (ハヤカワ文庫NF)


16GBのUSBメモリー。
送信・受信の関係で言うと2000通りのやり取りができるというのが16ギガバイト。

 最新のiPhoneなら、一番容量が少ないものでも、128GBもあります。私たちが128人集まってやっと、iPhone1台−中略−のものと記憶力で勝負ができるというわけです。(121〜122頁)

これはいかに凄いかわかる。
それをiPhoneというのは持っている。
たいしたもの。

 人間の脳は、−中略−保存していたデータをなんとかするしかない。−中略−必要だと判断された情報を残し、不要だと判断された情報を消す、ということが日々、ごく自然に行われていることになります。(122頁)

私達の記憶力は容量が小さい。
あくまでもバイアスが入りやすい。

 私たちの記憶が、ある程度「雑」だというのは、実は私たちにとって必要なことでもあります。(124頁)

「忘れる」とは本質を取り出し、小さく細切れにして、しまいやすくしてまた思い出す。
これが人間の脳の容量の使い道。

 最近は、顔で認証するなどのAI技術も発達しています。そうした技術では、目、鼻、口などの特徴的な位置や、パーツの大きさなどを基に、登録された情報と本人照合が行われています。(124頁)

ところが、人間はときどき目・鼻・口のパーツでも名前を思い出せないことがある。
最近凄くよくある水谷譲。
水谷譲もだんだん歳を取ってきたのだ。

20年前に登録した顔と照合して、同一人物と認証できるかといえばそれは難しいのではないかと思います。
 一方、私たちは、20年ぶりの同窓会でも、ある程度、顔を見れば誰だか思い出せるでしょう。
(124頁)

この間、びっくりして、このことを喋って怒られないだろうから喋ってしまう。
テレビ局のお求めによって、武田先生がやっている音楽グループ「海援隊」を振り返る。
それでセカンドアルバムの「望郷篇」のLPの撮影現場に行った。

●LP 海援隊/望郷篇 セカンド・アルバム 故郷未だ忘れ難く 母に捧げるバラード ◇r210820


昔はまだLPだからデカい写真で。
新宿のゴールデン街の横の引き込み線でやった。
同じポイントに行こうと。
五十二、三年ぶり。
まあ風景が全然違う。
その頃はゴールデン街の横なので、荒れた倉庫の裏側だった。
もう今は、インバウンドのお客さんがゴールデン街が珍しいからいっぱい来ている。
その人混みの中。
昔、人っこ一人通っていなかったところに立つ。
「あれ?この写真がここなの?」と訊いていたら、驚くなかれバッタり「武田!武田!」と呼ぶ人がいるので見て「俺だよ俺!忘れたのか俺」と言いながら彼がマスクをパッと外した。
そのアルバムのプロデューサー。
その人は業界では有名な方で初代・吉田拓郎さんのマネージャーで、その後、泉谷さんのマネージャーもやられていて、武田先生達を博多から東京まで連れてきたという方で。
そのアルバムの二番手のP(プロデューサー)だったのだが、その人とロケ現場で五十年後に会うなんて。
その時に思ったのだが「俺だよ俺!」と言いながら彼は自分の名前を名乗った。
それでもわからない。
彼はマスクをパッと外した。
わかった。
顔でわかったということだと思う水谷譲。
もちろん顔も変わっている。
変わっているが、何かスーッとそこにまとまっていく。
彼だといことがわかって「やあやあやあ」で。
「今、あの頃の思い出を辿ってるのよ」と「まあ奇遇だなぁ」で別れたのだが、すぐにやはり「彼のことを思い出した」ということが、武田先生の脳がどうのというより人間の脳というのは、たちまちやってしまう。
その人間の言葉の中でも不思議なのは感情でものを言うものだから、どんな感情で言ったかで言葉の意味が変わる。
こういう言葉遣いがなぜ起きるか?

ささやかな言葉遣い。
それで意味が変わってしまうという言葉による人間のコミュニケーションの問題点。

 Did you see a broken headlight?
 Did you see the broken headlight?
−中略−
 英語母語話者にとって、「a」と「the」に含まれる意味は全然違います。
(132頁)

 ここでは英語の例を紹介しましたが、日本語では同様のことは起こり得ます。例えば、事件の目撃者になったとして、
「髪の長い女性は現場にいましたか?」
 と聞かれるよりも、
「あの髪の長い女性は現場にいましたか?」
 と聞かれるほうが、その女性が現場にいたかどうかは置いておいても、「確か女性を現場で見た」気がしませんか?
(132〜133頁)

「the」を使うということは、それがあったのが前提。つまり「あったけどそれを見たでしょ?」という意味に取れる。一方で「a」はよりニュートラルに「見た?」と聞いていることになるからです。(132頁)

このあたりは言葉遣いの難しさ。
認知バイアスの中でも真正な価値観、つまりその人が思い込んでいる正義がその人の判断を大きく支配する。

 人工妊娠中絶を認めるかどうかは、アメリカの世論を二分する問題です。
 しかしスローマン教授は、これらの問題について人々は、それぞれが政策を検討し、その政策がもたらす結果を考えた上で「賛成・反対」を示しているのではないといいます。そうではなく、自分が持つ「神聖な価値観」によって決め
(139〜140頁)

女性のことを考えない。
トランプさんは絶対反対。
トランプ大統領は非常に強い自分で正義を持っておられるからだろう。
これは「どうしてこんなことが起きるのか?」という。
これは娘から「あんまりこんなことは言わない方がいいよ」と叱られた。
トランプ大統領は断定でおっしゃるものだから。
彼の演説の中でびっくりしたのは「ジョージ・ワシントンやリンカーンよりも自分が偉大な大統領」と言い切った。
それに近いことをおっしゃった。
あの自信はもの凄い。
「その自信はどこから来たのかな?」と思って。
武田先生の推測。
多分2024年7月13日、ペンシルベニア州バトラー郡の演説会場で彼を暗殺しようとする暗殺未遂事件が起きた。
ドナルド・トランプ暗殺未遂事件 - Wikipedia
数cmの違いで銃弾が右の耳をかすめて彼は助かった。
あともう1インチ顔を半分動かしていたら、頭部を撃ち抜かれている。
「右の耳を怪我した」というのが、武田先生は凄く引っかかっていて。
こんなことを言っているのはこのラジオだけ。
これはパッと頭にひらめいたのがあった。
聖書によく似たシーンがある。

シモン・ペテロは剣を持っていたが、それを抜いて、大祭司の僕に切りかかり、その右の耳を切り落した。その僕の名はマルコスであった。すると、イエスはペテロに言われた、「剣をさやに納めなさい。(ヨハネによる福音書 第18章)

そして、その僕の耳に手を触れて、おいやしになった。(ルカによる福音書 第22章)

それでまた別個の神話だが、その右の耳を切り落とされた兵隊さんはマルコスさんという方なのだが、右の耳から神の声が聞こえるようになったという。
信じがたい。
彼(トランプ)の中で我々が思っているよりも、聖書の影響があるのではないだろうか?という。
「聞こえるその声は『神の声』だ」という自信が、彼の断定に近い貫き方にあるのではないだろうか?と武田先生としては思ってしまった。
これは鉄矢説。
こんなことを言っている人はどこにもいないし、テレビ局で国際政治学の人に話したが「それはありません」と簡単に言われて。
でも人間はそういうバイアスを持ちやすい。
神の声が欲しい時に「右の耳を切り落とす」みたいな自傷行為をやる人がいた。
ゴッホ。
右の耳を切った。
トランプさんはローマ教皇のお葬式に行かれた。
あそこの大聖堂が建っているところが、さっき言ったペテロさんのお墓の上。
サン・ピエトロ寺院。
シモン・ペテロ。
ペテロが亡くなった刑場の真上に建っているのがあれ。
しかもまだある。
あの時、大物議を醸した。
トランプさんはブルーを着ていた
トランプ氏、服装規定従わず 教皇葬儀に青いスーツ姿:時事ドットコム
奥様は黒だから、あれほどの金持ちが(黒いスーツを)持っていないワケが無いという。
しかもあれは「ブルーに意味があるんだ」という。
「ブルーにどんな意味が」というと、キリスト教のNo.1の天使が纏うマントの色がブルー。
大天使ガブリエル。
話が逸れてしまったが、この続きはまた来週のまな板の上で。


2025年12月12日

2025年10月20〜31日◆べらぼう(後編)

これの続きです。

吉原というところにあった江戸文化というのを本に、書籍にして残し、大きなムーブメントを起こしたという蔦屋重三郎。
その人物を語っている。
蔦屋重三郎はもちろん、吉原を基盤として浮世絵なんかに当時の人々の暮らしの姿を描いて、それで大ブームを呼んだ人だが。
水谷譲も浮世絵は何枚か知っている。
みんな顔が同じ。
あれはよく考えたらよくできたもので。
プライバシーを守ったのではないか?
浮世絵を人相書きにしない。
野暮天で、わかるように描くバカどこにいるんだ?というようなもので。
その人の持っているファッションセンスだけは着物の柄とか髪の結い方で個性を表して、お顔立ち等々には一切触れないという。
今でいう「個人情報」を保護していたということかと思う水谷譲。
武田先生はそこに、もの凄く気の利いたものを感じる。
その蔦屋重三郎だが、そうやって日本の絵画の文化にも大いに尽くす方なのだが。
また読み物等々もヒットさせるのだが。

彼がやった最大の文芸運動は何かというと狂歌ブーム。
「狂歌」とは何かというと川柳に似ている。

 狂歌は和歌の詩形に即しながら穿ちや滑稽、パロディ、ナンセンスなどのスパイスを効かせ、身近なテーマを詠む。−中略−
「穿ち」は現代において「物事を斜めからみる、疑ってかかる」というニュアンスでとらえられがちだ。
(47頁)

そして真実を見抜き、しかも真実を笑うこと。
「これが真実だ」なんて力まない。
これはもちろん上方の文化圏から興り、大坂「浪花狂歌」というのが大変ヒットしたという。

 ところが、浪花狂歌の熱狂は江戸にまで及んでいない。
 どうやら江戸では浪花狂歌は俗悪だと敬遠されていたようだ。
(48頁)

「下品」「がさつ」「大坂弁嫌い」という、そういう人達が江戸期におられたようで。
狂歌ブーム。
大坂狂歌は何と箱根を超えられず。
大坂狂歌というのは今回は触れないが。
蔦重が集めた人材の中での江戸狂歌の天才を何人か紹介したいなと思って。

 江戸に狂歌ブームを巻き起こしたのは四方赤良よものあからこと大田南畝おおたなんぽ(後には蜀山人)、唐衣橘州からころもきっしゅう−中略−元木網もとのもくあみといった狂歌師たちだった。(49頁)

これは全部ざれ名前。

四方赤良の「四方」は、江戸を代表する地酒「瀧水」を売った酒屋の四方久兵衛にちなんでいる。「赤」はそこに、久兵衛が酒肴として売り出した赤味噌を重ねた。(51頁)

だから「四方赤良」。
「山上憶良(やまのうえのおくら)」に響きも似ているということで。
とにかく彼等は命がけでふざけた。
これは何だろう。
吉原に集まって狂歌を作るのだが、どんちゃん騒ぎ。
集まっていた人達はみな、不思議なペンネームを持っているが、もうみんないい加減な名前。

酒上不埒さけのうえのふらち宿屋飯盛やどやのめしもり−中略−土師掻安はじのかきやす(52頁)

この人達は吉原で女遊びをしている暇はない。
狂歌パーティーを夜毎開いて、作った狂歌に対してみんなで競い合ったという。

重三郎の−中略−狂歌名は本名と屋号の蔦屋にかけて蔦唐丸つたのからまる(87頁)

注目は何といっても大田南畝。
この人はもう狂歌を作らせるとでたらめで、これは後に本になる。
「万載狂歌集」

『絵本江戸すずめ−中略−が開板された。これが歌麿初の絵入狂歌本となる。−中略−絵本絵本吾妻袂えほんあずまからげ(143頁)

 ああうなぎ いづくの山のいもとせを さかれて後に身をこがすとは
(あぁ、つらいことよ。山芋が変化した鰻が背開きの蒲焼にされるように、どこかの男女も仲を裂かれ恋情に身を焦がしているのだろう)
(61頁)

うな重にひっかけた恋の歌。
こういうパロディー。
これは古今和歌集の恋歌をパロっている。
パロってうなぎとか山芋に仕立て上げているという。
これはもうみんな大笑いしたという。
何が言いたいかというと、古今和歌集等々に関する膨大な知識が無ければ笑えない。

江戸に巻き起こった狂歌ブーム。
大変なブームになって、この狂歌のおかしさがもう町中の評判。
その中でもう一歩も二歩も先んじているのが大田南畝、大田蜀山人という皮肉屋さん。
この方のその狂歌のセンスのよさ。
これはある意味で教養の深さなのだが、下ネタ。
この下ネタがタダものではない。

 七へ八へ へをこき井出の山吹の みのひとつだに出ぬぞきよけれ
(七、八発と屁をひっても、山吹に実がならぬよう汚物ひとつさえ出ないのだからいいじゃないか)
 身も蓋もない下ネタだが、本歌は兼明親王の「七重八重花はさけども山吹の実のひとつだになきぞかなしき」(『後拾遺和歌集』)。
(61〜62頁)

「花は絢爛と黄金の色にいくつも咲く山吹の花であるが、何と切ないことに実なんか一つもない」という。

この狂歌ではさらに、太田道灌が雨に降られ農家で蓑を所望したところ、農夫の娘から山吹を差し出され、「実の(蓑)ひとつない」と和歌を添えられた故事を穿っている。(62頁)

「蓑一つお貸しできない、貧しさにおります」という、そういうことを踏まえておいて大田南畝さんが作った歌は「七へ八へ へをこき井出の山吹の みのひとつだに出ぬぞきよけれ」。
これはドラマ(「べらぼう」)の中でみんなで踊る。
みんなで円陣を組んで「屁!屁!」と言いながら。
恐らくそんな大騒ぎをしたのだろう。
でも「ウンコもせずに屁だけこいた」という、優雅な歌をパロるとはいかな凄い歌の力量があったか。
人間らしいと思う水谷譲。
本当に綺麗なままじゃ生きていられない。
下ネタも故事と本歌どりの教養が無くば笑えず、狂歌のうちに潤沢なる古典に対する知識がある。
狂歌サロンは同様の教養人が集まり、江戸の笑いを作っていったという。

 田沼の重商政策でバブル経済は花盛り、庶民にまで奢侈と贅沢の風が吹いた。しかし−中略−天明には−中略−浅間山大噴火が勃発する。みちのくで未曾有の凶作、大飢饉もおこった。打ち毀しや一揆は全国に及んでいる。
 そんな世相を横目に狂歌師たちは酔狂に走った。
(63頁)

世相は暗くなっていくのだが、大田南畝はふざけにふざけ散らかして、狂歌を辞めなかった。

 びんぼうの 神無月こそめでたけれ あらし木がらしふく〵〳として
(神無月は貧乏神も出雲へ出掛けていなくなるんだからめでたいじゃないか。ほら、嵐や木枯しまで福々と吹いているくらいだ)
(62頁)

上手い。
「きっといいことありますぞ」と、こういうことを言いたかった。
「ドカーンと浅間山が噴火した」
大田南畝はこれをふざける。

 浅間さん なぜそのやうにやけなんす いわふいわふがつもりつもりて(63頁)

浅間山、何でそのように噴火する。
「やけなんす」、恋しいから「言い出そう言い出そう」というのが降り積もってしまった。

「いわふ」と「硫黄」を掛けながら、不安な心持を笑いのオブラートに包んだのだろう。(63頁)

ポジティブ。
浅間噴火をパロディにしたという。
今では許されない。
コンプライアンスがうるさいと思う水谷譲。
世の中を暗くするコンプライアンスはあっていいのか?
これをまた横にいて蔦重は次々本にしていく。
そうすると江戸の人は笑いころげた。
でも一番驚かなければいけないのは、笑い転げる江戸の人がいたということは、もの凄い識字率。
本を読んで楽しい人が百万都市の数十%以上いて、蔦重は儲かったというから、何ということでしょうか、この文化の高さは。

暗い時代にあって、蔦重は狂歌歌集を出して、この狂歌集は大ヒットした。
その時に蔦重の凄いところだが、文字だけでは疲れてしまうので、横にその狂歌になぞらえて浮世絵を入れる。
絵入り狂歌集という。
この浮世絵の絵を担当したのが歌麿。

歌麿も狂歌師の群れに身を投じ筆綾丸ふでのあやまると名乗っていた。(53頁)

危ない名前。

「真を写す」こと、卓抜の写生画力をいう。蔦重が与えたモチーフは美人ではなく昆虫や爬虫類、貝、鳥、花。(143頁)

それにしても古典に対する教養、パロディに仕立て上げる筆力、そしてそのブームを生むほどの人々の教養の高さ。
昨日も言ったように驚くべき識字率。
蔦重はここで吉原細見、ガイドブックからポップカルチャー、これを作り出す。

女を描き切る前に、自然の中にいる物いわぬ生物の表情、仕草、動きをリアリティたっぷりに写しとれ。それができれば、絵筆は女の姿形のみならず、内なるものまでとらえることができるはず──。(143頁)

『婦女人相十品』の大判錦絵シリーズ。いずれも観相がテーマで、人相で人を判じる観相は当時の流行でもあった。−中略−「団扇を持つ女」−中略−「ビードロ(ポッピン)を吹く娘」が含まれている。(150頁)

(番組では「婦人人相十品」と言ったが、上記のように「婦女人相十品」。本によると「団扇を持つ女」は「婦女人相十品」ではなく「婦人相学十躰」)
等々でいわゆるグラビア集の洒落たのを出す。
ここに短く注釈を入れて「こういう性格の人ですよ、この人は」みたいな。
更に歌麿と組んで女芸者、茶屋の娘、煎餅屋の町娘等々、市井の女性も描く。
「大首絵」という女性アップ集を出すのだがこれがもう大評判でアイドルブームが出版界に起きる。

モデルはファッションリーダーの役目を担っており、髪型や服飾品、着物の柄などに注目が集まったからだ。美人大首絵は現代のグラビア画像に匹敵するだけでなく、ファッション情報を発信するニュース性の高いメディアでもあった。(151〜152頁)

プライバシーを守る為か前にも言った通り、顔つきは個性なんか一切描かず、個性の気配を消して、ファッションとかそういうもので彼女達を描いたという。

 歌麿の春画第二作は−中略−大作錦絵『歌満うたまくら』、蔦重が版元だった。
 本作は蔦重−歌麿が制作した春画の最高峰というだけでなく、
−中略−確かな画力として開花した時だ。(157頁)

皆さんに説明する。
若い娘の後ろ姿。
その女の子が縁側で大股を開いている。
その後ろ姿。
うなじからして、うぶそうな子なのはわかる。
娘さんが開いた股ぐらの真ん中に男の顔がある。
後はもう想像・妄想の世界だと思う水谷譲。
これは凄いのは娘は後ろ姿で見えない。
女の子の開いた膝の影で男の表情が見えない。
だから本当に上手いのだが、歌麿は二人の表情を見えない構図にしている。
どうもとんでもないところに接吻を受けているような、そういう「あぶな絵」だが、この娘さんがうなじの美しさに気品があって、よい家庭のお嬢さんが体を賭けての恋をなさって、どこかの茶屋の奥で性行為をなさっているのではないだろうか(と妄想する)。
そのうぶなお嬢さんの強烈な意志。
それは何か圧倒されるようなエネルギーを、という。
春画というのは実りの豊かさ、子孫繁栄、寿ぎの絵であったという。
だから新年、明けると同時に春画を交換するということが文化にあったということ。
性の捉え方が現代の世界のコンプライアンスと違う。
とにかく彼の元には凄まじい才能がどんどん集まってくる。
才能というのは集まる。
驚くなかれ、集まった才能は凄い。

曲亭馬琴、葛飾北斎、東洲斎写楽(160頁)

これが集まるのだから。

そして時は過ぎていく。
幕閣・田沼意次の時代だったのだが、田沼はバブルを煽りすぎ、わいろを受け取っているというような影の評判が立って「御政道から彼を追放しよう」。
彼は「米本位の経済では絶対幕府は持たない。だから商売を始めないと日本幕府はダメだ」というので重商主義を取る。

 田沼は商業資本を活用して貿易振興、蝦夷地開拓、専売制など産業拡充を実現させる。(6頁)

ロシアとの開港を北海道で進めようとする。
何のことはない。
この後、幕府がこのことで自らが倒れるという。
田沼が頑張っていたら北方領土はあの国に渡らなかったろうと思う。
北海道開発は彼は燃えていたから。
その彼が追放になったということ。
田沼は開国するつもりだったらしいのだが、これが全部中止になって、江戸は大坂に経済を委ねてしまった。
行政府だけの都市になってしまった。
それに浅間山の大噴火、天候不順の天変地異が起こって。
商売人ばかりを大事にしたという怒りに触れて、激しく田沼は憎まれて遂に失脚。

松平定信が老中首座となった。−中略−「寛政の改革」がスタートした時、定信は三十歳だった。(101頁)

 定信は凶作に喘ぐ領民のため、大坂や江戸から米を買って配った。おかげで白河藩の餓死者はゼロだった。善政の評判は江戸城にも届き、田沼誠二の後事を託されることになる。(102頁)

蔦重38歳。
この定信さんというのは、江戸の粋が嫌いだった。
真面目な方で。
田沼の気風を憎む定信は

定信の指針は質素倹約と綱紀粛正、文武奨励を旨とする。(102頁)

定信は戯作と挿絵、浮世絵など蔦重の大事な商売物を眼の敵にした。(103頁)

 ところが蔦重も蔦重だ。自重するどころか寛政の改革をおちょくってみせる。−中略−この黄表紙は喜三二最大のヒット作といわれている。−中略−ことごとく定信と彼の為政をカリカチュアしていた。(103頁)

 何しろ定信は生真面目だ。改革を歓迎し、褒める戯作ならともかく、おもしろおかしく半畳を入れた作物が市中で大人気……当然、眉を顰めよう。
 案の定、蔦重と喜三二はマークされてしまった。
(106頁)

 喜三二が筆を折ることになってしまった。−中略−主君の秋田藩主佐竹義和から、きついお灸をすえられたうえ、戯作の世界と関わりを絶つよう迫られた。喜三二の本職は江戸留守居役(112頁)

そして大活躍した「七へ八へ」の歌で有名な大田さん。
この人も旗本だった。
(旗本ではなく御家人だったようだ)

南畝は−中略−尻尾を巻くように狂歌、戯作の世界から身を引いていく。(123頁)

「べらぼう」を見ているうちに武田先生は気付いた。
「べらぼう」では(大田南畝の役を)桐谷健太さんが演じておられる。
武田先生はこの役を昔、やったことがある。
36歳の時、NHKスペシャルか何かで。
(1986年放送「ドラマスペシャル 橋の上の霜」)
吉原に出入りする侍の大田南畝、大田蜀山人を演じる。
その武田先生が吉原で入れ込んだお女郎さんが秋吉久美子さん。
奥さんは多岐川裕美さんにやっていただいた。
武田先生をいさめて「吉原通いはやめることだ」と止めてくれる先輩が菅原文太さん。
その菅原さんの奥さん役が新珠三千代さん。
そうとう豪華な配役で。
本当にごめんなさい。
武田先生は36歳。
その時、「Ronin」(映画「幕末青春グラフィティ Ronin 坂本竜馬」)という映画を作っていて、竜馬を演じていたので、この役にさっぱり打ち込めない。
もう幕府を倒すことだけをずっと考えたものだから。
この役をボーッと演じていた。
脚本家の方も申し訳なく思っている。
平岩弓枝先生。
幕府の旗本で退屈で吉原通い。
そこでスラスラスラと歌を作るのだが、これが大評判になって、という。
(ドラマの撮影当時の武田先生は)蔦重とか知らなかったから。
それである出版社から頼まれて皮肉の歌ばかり作ってしまう。
それで落首、いたずら書きの川柳を作ってしまう。
その作った川柳が

 世の中に 蚊ほどうるさきものはなし ぶんぶといふて夜も寝られず(123頁)

これがどうも大田南畝が作ったらしい。
そして決定的なヤツ。
落首、いたずら書きなのだが、江戸中に評判になったヤツ。

 白川の清きに魚も棲みかねてもとの濁りの田沼恋しき(122頁)

これも有名。
これは実は大田南畝だったという。
これが幕閣で大問題になる。
「旗本のくせに老中・松平様の悪口を落首で書いたか」と詮議にあう。
「これは腹切りものかなぁ」と悩むというのが武田先生の役だった。
それで裁きの場に「来い」と言われて行く。
その時に「この歌はお前が作った歌か」「どの歌で」と言うと詠み出される歌が「世の中はわれより先に用のある人のあしあと橋の上の霜」。
「いやぁ。だから忙しいぞと思って朝早く起きてみたんだ。だけど、どんなに早く起きたって私より先に起きて働いている人が世の中にはいるじゃないか。ほらほら見て見ろ。橋の上、二の字二の字の下駄の跡」
「あっ!私が作りました」と頭を下げると裁定が下って「よき歌である。励めよ、大田」と言いながら無実になって胸をなでおろして帰るという。
いいシーン。
「世の中は」で武田先生はある歌を思い付く。

今でも思い出すが平沼弓枝先生の原作で「橋の上の霜」という、江戸期ものをやったのだが、とにかく武田先生は36歳のちょうど坂本竜馬を作っていた時だったもので、さっぱり熱が入らずに。

橋の上の霜 (新潮文庫)


ただ、本読みをやっている最中にもの凄く熱心に大田蜀山人のことを訊く人が共演者でいた。
その共演者が「大田蜀山人てのは面白い人ですなぁ」という。
戯れ歌で「(此の世をは とりやお暇に)線香の 煙とともに 灰さようなら」とかふざけた歌を作ったり。
(大田南畝ではなく十返舎一九の句らしい)
こういうギャグっぽいヤツが、しみじみと五七五七七で「世の中はわれより先に用のある人のあしあと橋の上の霜」。
これは一発で覚えた。
それでバカながら「いい短歌だな、いい一首だな」と思った。
朝早く起きてゴソゴソ仕事に出発する。
「こんなに朝早くから起きてんの俺だけだと思うと何のことはない、通りに出るともういろんな人が働いている時に、身の引き締まるような思いにかられちゃう」という。
この時に金八先生のシリーズの主題歌を作らなければならない。
ずっとこの一首が頭の中に響いていて。
「朝早く目を覚まして自分が町に行くと、もう走っている人がいる」というその情景を大田蜀山人・大田南畝に託してできたのがこの歌。
(ここで本放送では「スタートライン」が流れる)



夜明け前の薄暗い道を
誰かがもう走っている
(海援隊「スタートライン」)

という。
これが「橋の上の霜」と同じ。
「スタートライン」
走ることで自分の体を温めて自分の汗を流しながら走る人がいる。
「僕達の今、必要なのは人から夢や希望を教えてもらうことではなくて、自分で走り出すことじゃないかな」という。
あらためていい歌だと思う水谷譲。
それがずっと大田蜀山人が胸の中にあった。
別の言い方で大田南畝という名前は知らなかったから。
「べらぼう」の中であったときに「これ、俺じゃん」とかと思いながら。
桐谷君の芝居を見ながら遠い昔の自分を思い出したという次第。

蔦重のことを話さなければいけないのだが、蔦重には背負い込んだ背景があるもので、武田先生の役割はその背景を話すことではなかろうかなというふうに思う。

 蔦重は−中略−寛政九年に逝ってしまう。
 享年四十八、江戸患い(脚気)に倒れた。
(7頁)

江戸で白米食の習慣が広まり、玄米を食べなくなったせいで玄米胚芽に多いビタミンB1の摂取量が低下したというわけだ。(233頁)

蔦屋重三郎、蔦重だが、耕書堂という本屋の仕事。
これは自分が48歳で死んでいく時、だんだん気力も体力も無くなるのだが、きちんと女房と別れ杯で別れたという。

 蔦重は「昼どきに私は死ぬだろう」といって−中略−妻女にも別れを告げた。しかし彼の予告どおりに命は尽きなかった。蔦重は「人生の幕引きを知らせる拍子木はまだ鳴らないね」と笑った。−中略−
 蔦重に死が訪れたのは同日夕刻のこと
(234頁)

江戸っ子。
いい。
(NHKの大河ドラマ)「べらぼう」の方は続いている。
こういう名場面が出てくると思うが、もし桐谷君が出てきたら「あっ!武田だ」と思って見ていただくと・・・
全然タイプが違うと思う水谷譲。
それにしてもNHK「べらぼう」、近年稀に見る傑作。



2025年10月20〜31日◆べらぼう(前編)

もちろん「べらぼう」と名乗っている以上はNHK大河ドラマの「べらぼう」(大河ドラマ「べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜」の最新情報 - NHK)これを思うところあって取り上げたワケで。
(この大河ドラマは)見ていない水谷譲。
ただ、凄いドラマ。
何ゆえ武田先生が「凄い」と言うかというと、そのワケがある。
そのワケはゆっくり中で説明していく。

 蔦屋重三郎は寛延三(一七五〇)年に吉原で生まれた。−中略−父母が離婚した。重三郎は数えで八つだった。
 幼子は親戚に預けられる。
−中略−吉原で「蔦屋」の商号を掲げていた。(16〜17頁)

柯理は諱つまり名乗りなであり、通り名を重三郎という。−中略− 柯理は−中略−ここは「からまる」と呼びたい。(16頁)

引手茶屋を営む叔父に育てられた。(4頁)

「茶屋」というのも説明しないとわからない。

 吉原の引手茶屋とは客と妓楼、遊女を取り持つ中継地点として機能していた。
 粋や通を気取る客はいきなり登楼せず、まず茶屋にあがる。茶屋は食事や酒の用意を整え、酒席に幇間や女芸者、芸人を手配した。
 だが、引手茶屋は遊女を置かない。客は豪奢な宴席を愉しみながら、好みの遊女を茶屋にリクエストする。茶屋ごとに懇意な有名妓楼があり「この遊女を指名するなら、あの茶屋」という暗黙の了解もあった。
(21頁)

とにかく蔦屋なる茶屋を営む店に預けられた蔦屋重三郎。
この人は本で売り出すのだが、本と言っても実はガイドブックのこと。

 吉原細見は遊郭の最新データを満載したガイドブックに他ならない−中略−内容は妓楼や茶屋、船宿などの場所を記したタウンマップであり、遊女たちの名前、揚げ代のほか男女の芸者を網羅したリストでもあった。(20頁)

番組(大河ドラマ「べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜」)の中では「蔦重」と言っている。
24歳の時、色刷り浮世絵、今で言うグラビアで紙面を飾り、ショートストーリー、歌舞伎、浄瑠璃等々の物語まで紹介して、「あそこが上手いぞ」とかそんなふうにして「吉原細見」というガイドブックを出した。
吉原に特化した別冊で「どこのお店にいるあの人」と名前まで書いてあるし、所属プロダクション、それからファンが集まるお店まで全部書いてある。
その花魁さんと一緒にパーティーもできるし、細見にはバンドの紹介、つまり自分の憧れの花魁さんなんかと一杯やる。
仲間を呼んで一緒に飯を喰ったりなんかする。
その後ろ側で演奏するバンド。
と言っても太鼓、三味線とかそのあたりだが。
そういうのを全部、細見には値段表が書いてある。
それ一冊があれば吉原は一目でわかるということで。
(蔦屋重三郎は)もともと吉原で生きている人。
だから詳しい。
それでその別冊を大手出版会社から引き受けた。
「引手茶屋」、何件ものチェーン店を展開する蔦屋グループのバックアップ。
蔦屋グループというのはそういうチェーン店である。

「引手茶屋」とは何か?
ここでもう一回説明しておく。
吉原で遊びたければ、まずその茶屋へ行く。
ここで宴席が用意されて、芸者、お笑いタレント、そういうのを全部揃えられる。
その間に「この子に会いたい」というのを茶屋でお店の人に伝えると、遊女が指名できて、遊女を指名するとその茶屋から連絡が行く。

 遊女のなかでも最上級の花魁を呼びつければ、妓楼から茶屋まで迎えにきてくれる。この際、上妓は着飾ったうえ、数々のお供を引き連れて「花魁道中」という最高のパフォーマンスを演じてみせた。(21〜22頁)

「あの野郎!あの花魁揚げやがった」というのが町中の噂になる。
その金の準備のできた男はたまらない。
「どうだ!」という感じだと思う水谷譲。
それで楽しく過ごして今度は引き上げる。
新婚旅行。
つまり、茶屋ではそういうことを一切やってはいけない。
そこから出て、花魁のグループハウスに帰る。
その時に二人一緒に並ぶ。
そうするともう周りが「あの野郎!いいなぁ!」と言いながら。
抜群。
しかもこれが、その人と今夜男女の関係になるならないは花魁が決める。
お客が決めるのではない。
そこが今と違うところだと思う水谷譲。
そこに蔦屋重三郎という出版人が現れるのだがコイツの活躍が痛快無比で。

(大河ドラマの)「べらぼう」は、この吉原というシステムを詳しく説明しないとわかりにくい。
「引手茶屋」というところにまず申し込んで「〇〇さんみたいな花魁さんがいいです」みたいに。
そうしたら連絡をしてくれて、その茶屋の方で料理等々、楽しくやりたければ、三味線・太鼓・ダンサーなんかも用意してくれるという。
それで茶屋まで花魁がやってくる。
その時に見習い少女「禿(かむろ)」という。
「安室」ではない「禿」。
そういう少女を従えて花魁がやってくる。
これが花魁道中。
しかも花魁とすぐにベッドルームへなんていうことは絶対に無かったという。
これを「馴染(なじ)み」と言って二度、三度通わないとダメだという。
そして花魁は昼間何をやっているか?
勉強。
漢字の読み書き当たり前。
日本中の話題から和歌の作り方、筆の練習。
ラブレターを書いたりしなければいけないから。
もう大学出ぐらいの教養を持っていないとダメで。
「男と女だけであればいい」というものでは無い。
吉原が目指したのは、恋愛のような一夜を男性に過ごさせるという。
なぜ男性にかというと、もの凄くその頃、所帯を持つ人が少なかった。
江戸は百万都市だが、男性であふれかえっていた。
だから結婚できる人なんか一握り。
そうやって考えると切ない。
女性という性を見ることができなかった。
吉原はこれを見せてくれる。
それも綺麗にお化粧をして。
そして新婚の模擬までやってくれる。

ケチケチしたり面倒くさがったりした途端に野暮、無粋の烙印を押されてしまう。(22頁)

それから変態で柱に括り付けて鞭を用意したり、そういうことをやると次の朝、江戸中の評判になっているという。
その吉原にとって最高のお客を「ひき」と呼んだ。
失態を重ねると「おいおい!困ったもんだよ。野暮でよ」。
二人はパーティー会場で偶然に出会い、デートを繰り返し結婚、そしてハネムーンの旅に出るという、人生で最も華やかな時間を体験できる異次元こそ吉原である。
しかも巧妙な仕掛けがいくつもあって。
「花魁」というその手の女性は、日常の言葉を一切使わない。
これは花魁言葉と言って、ありんす「そうでありんす」「嫌でありんす」という、言葉自体が変わってしまうから、別の国に来たような興奮が男にはある。
しかも「花魁」は何か?
言葉の出どころは、もの凄く単純で、横に付き従う見習い少女の禿がいる。
あれが花魁のことを「おいらのねえさん」と言った。
あれは当て字。
「おいらのねえさん」が「花魁」になったという。
しかもこれは女の方がやってきて自分の家に男を連れて行くワケだから平安時代の御所あたりでの男女関係の模倣。
とにかく銭を必死に貯めた男は一夜だけ、源氏物語の源氏になったような。
しかも相手の女は短歌は作るわ生け花上手、茶道もできたという。

蔦重の時代だが

江戸の北端に位置する吉原へ赴くには、−中略−日本堤をいくしか方法がない。日本堤は墨田川の氾濫を防ぐために築かれた。(26頁)

 新吉原は縦が京間尺の百三十五間、横百八十間の長方形で敷地面積二万八千五百坪だった。−中略−東京ドームの二倍にあたる。(26〜27頁)

 吉原の出入口は北東に構えた大門しかない。(27頁)

このゲートをくぐってブロードウェイを入っていって、そのブロードウェイの脇にびっしり。
(このゲートは)誰でもくぐれる。
そして決まりがある。
武田先生の記憶に間違いが無いと思うが、お侍さんは大門をくぐるとすぐ刀預け。
野暮なことが起きないように。
言っておくが、ちゃんと吉原の中には交番(面番所)もあったという。
揉め事がちょっとあったりなんかしたら、すぐにお巡りさんが来るという、治安のいい一角。
驚くなかれ、そういう町ではあるのだが、コンビニから医者から、カンファレンスルーム。
(カンファレンスルームは)会議場。
それからコンドミニアム、大宴会があったという。
だからいわゆる女性をメインにしたテーマパーク。
東京ドームの二倍だからガイドブックが無いと「東口Bの3番」とかというのがわからない。
そこにこの蔦重という男が頭がいい。

吉原近辺で紙の再生紙を作る人がいた。
再生紙は一回使った紙をドロドロに溶かして。
浅草海苔なんかが取れるから、簀巻きにする竹の網がある。
あの簀巻きの上に溶けた紙のアレを塗って、乾くのを待って紙に仕立て上げた。
再生紙になる。
徹底したリサイクルの町だから。
その時にお兄ちゃん達5〜6人集まって、簀巻きに並べた紙が乾くまでの間、時間があるもので吉原見物に来る野郎がいる。
吉原をぐるっと見て帰る。
「紙を乾かしている間、見にきやがった」というのでどこかのお女郎さんが「また、ひやかしだよ」。
「紙をひやかしている間に見に来る」というので「このひやかしが」。
それで「ひやかす」という言葉が生まれたという。
新しい言葉を生むぐらい流行地だった。
これはしっかりした長方形の区画だった。
東京ドームの二倍。
大門というゲートがあって、

 吉原はぐるりと塀と幅五間(約九メートル)の溝で囲ってあった。(27頁)

その中に蔦重の本屋があった。
(本には「重三郎の本屋は大門の外、衣紋坂にあった」とある)

 遊女を含めた吉原の人口は一万人近いといわれる。(28頁)

(番組内では「人口一万人以上」と言っているが、本では上記のように「一万人近い」となっている)
テーマパークの中に一万人住んでいたという。
「細見」というのはガイドブックのことで、これが無いとどこに行ったらいいかわからないので、細見を見ながら自分の行きたい店を探したという。
蔦重、蔦屋重三郎の才能は何かというと、一番最初は別冊吉原の編集者。
だから大手が付いていいる。
その大手出版社の名前が鱗形屋という。
日本橋に本店のある本屋さんだった
そこからの依頼で蔦重が一冊本を編集する。

『一目千本花すまい』は重三郎が手掛けた初のオリジナル作品。−中略−
 内容は絵本仕立ての遊女評判記、ビジュアル重視の遊女リストといえようか。
−中略−
 さらに、北尾重政というキャリアに人気、実力とも一、二を争う大物絵師を起用してみせた。
(31頁)

『一目千本』では遊女を木蓮や山葵などの挿花に擬して紹介している。(31頁)

だからその遊女本人は出てこない。
今だったら写真を掲載すればいいが、それができないと思う水谷譲。
それで何をやったかというと、花に例えてあって野ばらが描いてある。
それで遊女の名前が下に書いてある。
この謎を解かなければならない。
「野ばら」だから「綺麗だけどちょっとトゲある」。
それから「わさびの花」か何か。
これは「終わった後、鼻にツーンときますよ」という。
それから「山吹の花」「辛抱強いんですよ、この子は」。
そういう謎解き判じ物の花魁紹介雑誌。
ところがこれはカネがかかっている。
花に見立て、花器、どんな器に生けてあるかまで全部謎で、それを見ながら読み解かなければならないという。
花の遊女紹介にしてあるものだから、カネがかかるわかかるわ。
蔦重が何をやったか?
これはドラマの中でも紹介された。
一流の花魁さんばかり。
固定客がいる。
それを遊女の方にお願いして旦那の耳元で「あちきは百冊以上売りたい」とかと言われると
旦那は「いいよ!買っちゃう俺、百冊」。
それを吉原中の花魁さんが「あちきは・・・」と言うものだから売れるの何の。
(本によると「『一目千本』がメガヒットを記録した形跡はない」)
このへんの才覚と洒落心。
この蔦重のセンスの良さ。
この手のことは全てであるが、一冊の本から学んだ。
増田晶文さん、「蔦屋重三郎」新潮選書。

蔦屋重三郎:江戸の反骨メディア王 (新潮選書)


これは一冊読んでおくと本当に勉強になった。
そしてこの蔦重が吉原を足場にしながら、やがで江戸文化まで作り上げてゆく。
あっと驚いたのは、この増田さんの書いた本で知ったのだが、蔦重は吉原専門の別冊の編集長で安く便利に使われていたのだが、ある時、とんでもない事件が起こる。

それまでの細見は江戸屈指の本屋たる鱗形屋が独占していた。
 ところが同年の夏、鱗形屋はとんでもない失策をしでかす。大坂の本屋が開板した本を勝手に改題して売り出してしまったのだ。
−中略−
 犯人は手代の徳兵衛、
−中略−主人の孫兵衛も監督責任を逃れられない。
 これを機に老舗本屋の信用はガタ落ちになった。
(34頁)

このことを知り、蔦重はタウンガイドを自分のところでやりたくなった。
その蔦重の頭のいいところは吉原の遊女のお店だけではなくて、大見世、中見世、小見世、そういうお店の紹介も全部含めて。
これが出版物として大ヒットしていくというワケなのだが、この蔦重の編集の上手さ。
老舗の出版社の鱗形屋が著作権侵害をやったものだから、商業倫理は江戸期は厳しかった。
それで売れ行き好調な細見、吉原タウンガイド。
これを自社から出しにくくなったという隙をついて蔦屋重三郎、

彼は吉原細見のリニューアルにも乗り出す。−中略−まがきの花』だ。
 この本から重三郎は細見改、取次だけでなく版元の重責を担うようになる。
(34頁)

タイトルがいい。

 格子の向こうから遊女が声をかけ、客は格子越しに一夜妻を選ぶ−中略−吉原と遊女のイメージと密接に重なる格子を籬と呼ぶ。(29頁)

これをもの凄く立派な大見世、中見世、小見世、小さなお店まで飾り窓の女達、それをガイドブックに克明に並べていった。
「これは便利だ」ということでヒットしてゆく。
しかもこれは人気のある花魁さんなんかは浮世絵で描いてくれるワケだから、今で言うとグラビア充実。
安くて詳しく、見やすい読みやすい「週刊大衆」のような雑誌、本だった。
更に蔦重は面白いことを考えて連載の読み物でお侍さんの文章とか、面白い小話等々もメンズマガジンとして抱き合わせで売った。
この頃の川柳にこういうのがあって

「足音がすると論語の下へ入れ」(26頁)

論語を読むふりをしていて細見を読んでいる。
足音がする度に論語の下にパッと隠している。

 細見の柱は遊女データと妓楼マップだが、重三郎はそこにカルチャーのテイストを吹き込んだ。(36頁)

江戸期に於ける最大の文化人という人を引っ張り込む。

 平賀源内は本草学者にして戯作者、科学者と多方面で活躍。(36頁)

何せエレキテルで電気を起こして発明品を売っていたという。
この人のペンネームが最高。
「福内鬼外(ふくちきがい)」というペンネーム。
何のことはない。
「福は内 鬼は外」これを漢字だけにして「福内鬼外」。

『細見鳴呼御江戸』では、平賀源内が福内鬼外のペンネームで序文を寄せている。(36頁)

そしてまた蔦重の凄いところは吉原のイベント「俄(にわか)」祭りを演出した。
これは祭りの名前にしたのだが「人」と「我」。
ニンベンだから。
他人の「人」と「私(我)」が一緒に騒ぐ。
それで俄祭りにしてそれで吉原の大イベントにする。
それはもう普段見られない吉原の花魁なんかが見られるものだから大挙して見物人がやってくるという。
しかもそれだけではない。
腕のいい浮世絵師を呼んでこれを「浮世絵です」と絵で見せた。
その横に平賀源内がしゃれた言葉で祭りを紹介した。
粋な文章で解説を入れるという。
また予告を打ったり。
とにかく文化、イベント、夜のガイドを一挙に掲載するという充実ぶりで。

蔦屋重三郎、29歳の時に「青楼美人合姿鏡(せいろうびじんあわせすがたかがみ)」とかそういうものを出して。
(本によると重三郎は安永七年に29歳なので、「青楼美人合姿鏡」が出版された安永五年には29歳ではない)

 彼女たちの艶姿を多色摺りで活写したのは当時の二大絵師だった。ひとりは−中略−北尾重政、さらに−中略−勝川春章なのだから(39頁)

彫りや摺りも超一流の職人に発注、豪華な造りが話題になったのは想像に難くない。(40頁)

それから実話記事も交えての、という。
そんな本を作り始める。
これほどの品質は妓楼と遊女達、大金持ち、押しの花魁ファンクラブからの援助が無ければとてもできるものではないという。
振り返るが、ズバリ言うと、吉原だから女性の性で売っている。
そのことを吉原の中で商売をやっている人はみんな自覚している。
これが謎の言葉で、ドラマの中にもよく出てくるのだが「忘八者(ぼうはちもの)」。
吉原で商売をやっている人間のことを「忘八者」という。
「忘八」とは何かというと、人間が生きていく上でとても大事にしなければならない徳目、守るべき道徳、その八つを忘れている。
「仁・義・礼・智・忠・信・孝・ 悌」
この八つを忘れた人間という。
「そんなアウトローが生きているところなんだ」そういうこと。
蔦重が言っている名言があるが「俺らは所詮、女の股ぐらで飯を喰う、腐れ外道の忘八者」。
これが大河ドラマで堂々と出てくる。
「よくNHKで」と思う水谷譲。
凄い覚悟。
力強い言葉。
「女の股ぐらで飯を喰う」という。

横浜流星君が「べらぼう」で蔦重を演じているが、「べらぼう」を見ながら蔦重の度胸の良さというか。
何せ蔦重自ら「女の股ぐらで飯を喰う、腐れ外道の忘八者」。
これを自分の名乗りにする。

「べらぼう」の中で忘れられないシーンがある。
小さな女の子がカネで買われて、花魁になる為の修行を開始する。
その可愛らしい女の子にボーイフレンドがいて、それが小さい蔦重。
それで井戸か何かに女の子が何か物を落としてしまう。
それで蔦重に「おまえ取っておくれ」とかと頼む。
一生懸命頑張って取れない。
「ダメだ〇〇ちゃん、これは取れやしねぇや」と言うと、その女の子がぷーっと膨れて「なんだい、だらしがない。女の股ぐらで生きてるくせに」と言う。
この子供がそれを言ったものだからひっくり返って笑った。
いつも感心しているが、武田先生も大河ドラマに何回か出たことがあるのだが、もう武田先生達が大河ドラマを飾っていた時の俳優さん達は一人も出てこない。
石坂浩二さんが眉毛の長い老人(松平武元)役で出てくるぐらい。
後は全部新規の人。
緒形さんとかいらっしゃるが、新しい俳優さんで見せてくれる大河はなかなかのものだが、ちょっと残念なのは、下調べをしておかないと何をやっているのかわからない。
ずっと前半の方を見ていて、武田先生も結構時間がかかった。
「サイケン、サイケン」と言うから、借金か何かして倒れたところを再び立ち起こす為の「再建」の方法を探っているのかなと思ったら吉原のガイドブックのことを「細見」と言うとかという。
その間、冷たいぐらい説明をしない。
そんなことをしていたらもう時間が無くなってしまうからだろう。
そして蔦重という人物の痛快さ。
吉原という、ズバリ言うと「売春を産業にした」というテーマパークなのだが、でもその中にいわゆるコミック、絵画、文芸、実用、ハウツー、歌舞伎、浄瑠璃の解説、そういうのを一冊でやってしまうという。
もちろんその吉原の存在そのものは世界的なコンプライアンスとは馴染まないものだが、そこにはそこの文化。
だって吉原無くんば今、西洋の方々が大喜びで集めておられる浮世絵は発展しない。
その中には「春画」もある。
男女の交わりのシーンも。
それはもう今や文化になってしまっている。
調べてびっくりしたのだが、何で「春画」と付いたか?

春画は新春にふさわしい寿ぎの絵として年礼の進物にさえなった。(156頁)

 性の営みは五穀豊穣、子孫繁栄と密接に結びつく。(156頁)

「春がやってきて、これから増える」という為には男女ともいやらしくならないとダメ。
これはもうやはり見ると凄い。
歌麿。
いやらしい。
でも、いやらしくないと増えていかないというところに人間の・・・
そういう意味合いで使われたという。
その春画の中に歌麿とか北斎とかがいるワケだから、考えたら凄いもの。
だから性の文化に知らん顔をしていたら文化は興らないという。
頑張れ「週刊大衆」。

週刊大衆 (11月24日号)


いいコラムも載っていると思う水谷譲。
武田先生が(「週刊大衆」のコラムに)いいことを書いている。

蔦重なのだが、順調にはいかない。

重三郎は通油町に進出した。−中略−現在の中央区日本橋大伝馬町あたりだ。(81頁)

そういう成功譚なのだが、江戸期というのが大きく揺れる文明で。

天明三(一七八三)年の浅間山大噴火、−中略−さらには陸奥や関東を飢饉が襲う。(95頁)

暗い時代になる。
でも皆さん、史実を見ても蔦重は負けない。
彼はその中で暗い世相に向かって、一大文芸運動を興す。
それで月曜日にお話ししたと思うが、武田先生はこの文芸ブームを引き起こした蔦重に絡まれた人物と縁があって、その人のことを語りつつ、もう一週、蔦屋重三郎「べらぼう」の物語を語っていこうと思う。



2025年11月30日

2025年5月26日〜6月6日◆いい音がする文章(後編)

これの続きです。

若き書き手であり、作詞もやる、アイドル達の歌を作ったりする高橋久美子さんがお書きになった「いい音がする文章」。
これをまな板に乗せているが、まな板に置いたワリにはテメェの話ばかりして。
でもこれは高橋さんの指摘なさることが自分の思いと重なるというか。
それでつい自分のことを話してしまうのだが。
この著者は作詞というのが文章を書く作業とは全く違うことを指摘している。

時代が歌詞を生み出すと同時に、
歌詞が時代を作ってきたとも思うのだ。
(222頁)

作詞でよい詞が生まれる為には時代が隠しているキーワードを見つけなければならない、という。
時代の中にキーワードがある。
これはそれぞれのテレビ局で好きにおやりになればいいのだが今、BSの音楽番組等でしきりに昔のベストテンを取り上げるという番組がある。
大変申し訳ありません。
その手の番組の作り手たちに言いたいのだが、それではダメ。
ベストテンで「これが一位でこれが二位だった」と、そんなふうにして歌を振り返っても何も見えてこない。
なぜその歌が売れた時代だったか背景をを見ないと。
文化放送にもそういう番組があると思う水谷譲。
それは所詮、歌謡なので、色物なのでいいのだが、その色物一曲が時代の表面に浮かび上がったということは時代の流れそのものに注目しないと。
「懐かしいねぇ」だけではダメということだと思う水谷譲。
八代亜紀さんを懐かしむという番組がテレビで。
それで関係者が集まって八代亜紀を絶賛するのだが「親しみやすいいい人だった」とか「少女のような人だった」とか。
大変申し訳ない。
もっと難しく伝えた方がいいのではないか?
八代亜紀が持っていた才能は「良い人だった」とか「明るい人だった」とかそういうことではない。
八代亜紀の歌声をあれほど人々はなぜ支持したかということが問題。
なぜあの歌声が沁みたのかだと思う水谷譲。
それは八代亜紀が残した「音」。
それが一体時代のどこを打ったのかという。
八代亜紀さんは何を思い出すか?
「雨々ふれふれ もっとふれ(「雨の慕情」)」とか「肴はあぶった イカでいい(「舟唄」)」、歌「声」だと思う水谷譲。

雨の慕情


八代亜紀 舟歌 雨の慕情 おんな港町 KB59 CD


あの人は女性の悲惨さを笑いながら歌える人。
あの人は演歌でいうところの「泣きのサビ」で笑い出す人。

おんな港町 別れの涙は(八代亜紀「おんな港町」)

おんな港町


と言っておいてニカーッと。
今、令和の時代、女性が悲惨を悲惨の顔のまま語る。
でも昭和の演歌歌手の中に女性の悲惨を微笑みながら歌う人がいた。
確かに八代亜紀さんはそうだと思う水谷譲。
語尾で笑う。
「ほろほろのめば〜♪」とかといいながら笑顔になっていく。
悲惨なところで笑う、という。
それが女性達を強烈に励ましている。
その手の力で拮抗していた人が石川さゆり。
八代亜紀と石川さゆりは芝居で言うところの女座長。
立ち回りをして憎きヤツを切った後、ニカッと笑うという。
ちょっとニヤリな感じだと思う水谷譲。
「天城越え」という名曲があるのだが、あれを一番最初に石川さゆりさんに持っていって勧めた時にふくれたようだ。

天城越え


「あたしのイメージを台無しにする気ですか。『あなた殺していいですか』とは何事ですか。私は黙って雪の降る青函連絡船だって乗り換えたんだ。それを峠道逃げながら『あなた殺していいですか』。私のイメージをどうしてくれるんですか」と言った時に先生方が「おまえにはこの歌を演じる力がないのか」。
その「演じる」と一言入れたらパラッと表情が変わったそうだ。
八代亜紀には演じる力がある。
石川さゆりも。
だから石川さゆりは絶妙に、あの最も問題の歌詞「あなた殺していいですか」というのを微笑むがごとく歌う。
演じている。
その演じる力を高く買ってあげないと。
武田先生のこだわりはそこ。
そこで、この高橋さんがおっしゃっている「時代が歌の文句を作るが、歌の文句が時代を作ることもあるんだ」。
そういう流れを。
高橋さんごめんなさい。
武田先生の歌で説明して。
これはちょっといい発見で凄く勉強になったので。
聞いてください。
この高橋さんの主張に対して説明する為に武田先生の歌を持ってくる。
武田鉄矢の作品で、これは海援隊が歌っているが、「思えば遠くへ来たもんだ」というのがある。

思えば遠くへ来たもんだ


実はこの一行「思えば遠くへ来たもんだ」1978年にリリースした一曲なのだが、「これと同じようなフレーズがあるぞ」というのがスマートホンの何か悪口を書くコーナーにあって。
「武田鉄矢はかっぱらい」というのがあったので興味深く読んでみたので、それからの反論を明日からやってみたいと思う。

(番組冒頭は電動キックボードの話だと思われるので割愛)
昨日ショッキングなことを言ったと思うのだが、スマートホンのいろいろ書き込めるところに「武田鉄矢の『思えば遠くへ来たもんだ』は、ある有名な詩人の詩をそのまま使ってるじゃないか」「かっぱらった」と。
これは実は元がある。
これは大正時代の大詩人だが中原中也という人が作った「頑是ない歌」の詩。
「頑是ない歌」ご披露しましょう。

思えば遠く来たもんだ
十二の冬のあの夕べ
港の空に鳴り響いた
汽笛の湯気は今いずこ
−中略−
それから何年経ったことか
汽笛の湯気を茫然と
眼で追いかなしくなっていた
あの頃の俺はいまいずこ
(中原中也「頑是ない歌」)

そこから。
素晴らしい詩。
だから中也の詩の思いを武田先生も真似したというか、重ねた。
これは「もうそっくりじゃないか」という方もいらっしゃるのだが、決定的な差は中也の詩は文学で武田先生の詞は歌謡。
だから武田先生は「時代から呼ばれなければ消えてゆく」ということで作ったのだが、70年代に青春を過ごしてきたものとして思いをしっかり重ねて作った。
しかし作る時に「中原中也ごめんね」とつぶやいたのを覚えている。
でも中原中也へのオマージュを込めて作ったということだと思う水谷譲。
カタカナを並べれば何とても言えるのだが、しかし武田先生なりに理由があって。
絶対に「思えば遠くへ来たもんだ」というのを「私の思い」にしたかった。
というのは、この70年代のテーマが「旅」。
1970年、万博があって、そこからフォークソングのブームが起きる。
それまで「港」だったり「酒場」だったり「涙」だったり「月」だったりした時代の言葉。
それを1970年の若者達は「旅」に託した。
例えばはしだのりひこの「風」。

人は誰もただ一人旅に出て(はしだのりひことシューベルツ「風」)

花嫁は 夜汽車にのって(はしだのりひことクライマックス「花嫁」)

そして吉田拓郎になると

浴衣のきみは尾花の簪(吉田拓郎「旅の宿」)

谷村新司は

いい日旅立ち(谷村新司「いい日旅立ち」)

という。
永六輔さんの

知らない街を(「遠くへ行きたい」)

あーだから今夜だけは君をだいていたい(チューリップ「心の旅」)

その時に武田先生は自分の「旅」を歌にしようと思った。
「中也と同じだ」と叱っている人、聞いてください。
武田先生の旅は何かというと、博多からここまで来た。
そして東京で今、生活してるというのが武田先生の旅の行程。
本当によく武田先生は覚えているのだが、この歌を作るちょっと前に武田先生はやっと喰えるようになった。
秋に作ったのだが1978年の春に「しあわせの黄色いハンカチ」に出た。

幸福の黄色いハンカチ デジタルリマスター2010


「やっとそっち(俳優の道)でも喰っていける」というので、五反田の六畳三つのアパートに住んでいた。
その時にそのアパートのベランダでため息をついた。
僅か六年だが、博多から五反田のアパートまでの六年間に出てきた言葉が、中也の真似ではない。

思えば遠くへ来たもんだ この先どこまでゆくのやら(海援隊「思えば遠くへ来たもんだ」)

(ここで本放送では「思えば遠くへ来たもんだ」が流れる)
それでも「似てるじゃないか」とおっしゃるから、作詞家として屁理屈を並べていく。
中也はこう歌っている。
「思へば遠く来たもんだ」
武田先生は「思えば遠く『へ』来たもんだ」。
この違い。
中也さんの方が詩人として優れている。
数えてみる
 おもえばとおく:7
 きたもんだ:5
七・五調だから最も日本人が好むリズム。
ところが武田先生は嫌だった。
波長、リズムを壊しても「へ」を入れたかった。
「おもえばとおくへ きたもんだ」
「へ」が重大。
武田先生の「へ」は場所的なもの、中原中也の「思えば遠く」というのはもっと感情的なものだと思う水谷譲。
「思へば遠く来たもんだ」というのは振り返って、来た距離を眺めている。
どこから出発したかわからない。
それぐらい遠い過去。
「ああ、思えば遠く来たもんだ」
だから中也はどうしても
「十二の冬のあの夕べ 港の空に鳴り響いた 汽笛の湯気は今いづこ」
出発点のわからない遥けさ、遠さ
「思へば遠く来たもんだ」
ここまで「遥々来たもんだ」という意味。
武田先生は遥々とここへ来た。
武田先生は「思えば遠く『へ』来たもんだ」。
これは「へ」だから問題なのは出発点。
「出発点からここまで来た」という。
中也と離れる。
ここで一番重要なのは、武田先生は「福岡からこっち方面に来た」ということを歌っている。
「こっち方面」とは関東平野。
「関東平野のどこぞに着いた」という、その距離を歌っている。
博多からの遠さを「思えば遠く『へ』来たもんだ」。
方向性。
ここが大いにに違う。
「へ」と言ってしまうから水谷譲が笑ってしまったが、これは助詞の問題。
これは「に」ではない。
「思えば遠く『に』来たもんだ」
「に」ではダメ。
それは武田先生も本能で作っていて、今更ながらある人から言われたので。
あの歌を深く解釈してくださる方から「あれは『に』じゃダメ!『へ』なのよ!」と言われた。
「に」は到着点のこと。
ここ「に」来た。
だからここが目標だった。
「へ」は目標ではない。
博多から関東平野「へ」来た。
「に」と「へ」の助詞の違いはここ。
「に」は到着点、目標を明確にする為の助詞。
「へ」というのは博多からここへ来たが、この先どこへ行くかはっきりしないという寂寥感がある。
情感の伝え方が違う。
日本語は微妙だと思う水谷譲。
それ故に武田先生が言いたかった「かっぱらったかっぱらった」とかアレだが、それはやはりたった一文字ながら武田先生の「遠く『へ』来たもんだ」なのだ。
武田先生はなぜ「へ」にしたかというと武田先生の事情を歌いたかったから「へ」にした。
もちろん中也からのインスパイアというのも十分わかっている。
そしてもう一つ、70年代のテーマで「旅」というキーワードを歌う為に武田先生は「博多からここ「へ」来た」という、その旅の途上を歌にしたかったワケで。
武田先生にとって歌の中で一番大事なのは博多とここの距離。
この歌を聞いてくれた人が感じるのも、例えば自分の古里と「ここ」。
「栃木から来た」とか「札幌から来た」とか「から来た」を強調したい人にとってはやはり「思えば遠く来たもんだ」ではなくて「思えば遠く『へ』来たもんだ」と、こうなる。
日本人は凄い。
理屈をわかっていなくても「へ」と「に」の違いをどこかで感じている。
英語だったら「to」で終わってしまうところが「へ」にすることによって「そこからどうなるかはわからないよ」というニュアンスを伝えてくれると思う水谷譲。
情感が「に」と「へ」では全然違う。
こうやって考えると歌作りはなかなか面白いもの。
助詞一つで全然違ってくると思う水谷譲。

高橋さんのご本を紹介しているうちに高橋さんに刺激されたことのみを語るという、ちょっと変則の・・・
高橋さんも現代のヒット曲を解説しておられる。
この方は作詞家として立派だから。
でもごめんね高橋さん。
あなたがご提示なさった、解説なさったヒット曲はこのお爺さんは殆どわからない。
新しいものだから「うっせぇ」一曲しかわからなかった。
それで自分のを使った。
ただそういう「歌への接近の仕方」というのは面白いかなと思って。
お話したように時代は言葉を隠している。
八代亜紀なんか歌声でそれを言い当てる。
その歌唱力の凄さ。
女性達が苦しい時代、その時代にあって、八代亜紀はそれを片頬で笑う。
それから男に尽くしてもさっぱり報われない虚しさ。
それを「雨よ降れ」と命じるという。
あの巫女的エネルギー。
人を動かす不思議な発声法というか、ただ単に名詞を言うだけで詞を感じてしまうという。
八代亜紀の歌唱はそう思う。
「肴はあぶった イカでいい」
これが響きとして伝わった時にいろんな・・・
またゆっくり歌謡論でやってみたい。

高橋さんの文章に触れずに刺激を受けたところだけ語ってしまってという。
本当に申し訳なく思っている。
でも、こういう若い方の作詞論、詞を作る時の自分なりの流儀みたいなものを知ると、あなた(高橋さん)とはもう本当に30歳以上年が違うのだがいい勉強になる。
今、昭和歌謡への注目度が高い時代になったのだが、昭和歌謡というのは誠に文学的で。

橋幸夫の「潮来の伊太郎」。
「潮来の伊太郎 ちょっと見なれば」
あれは1コーラス目はまあまあわかるとして
意味はあまりわからず音で覚えている水谷譲。
よくわからないのだが、昔の人はそれで平気だった。
2コーラス目から「潮来の伊太郎」は意味がわからなくなる。
(本放送ではここで「潮来笠」が流れる)



田笠の紅緒が ちらつくようぢゃ
振り分け荷物 重かろに
(橋幸夫「潮来笠」)

「田笠の紅緒が気になるようじゃ、振り分け荷物、切なかろうか、重たかろうか」そういう節。
潮来の伊太郎が道を歩いている。
そうすると若いお嬢さん「早乙女」。
田植えの時期なのだろう。
「田笠」田植えの時に被る帽子。
あれが「紅緒」。
潮来の伊太郎は若い娘が気になる。
ということは「やくざの旅を続ける自分の身分が切ないだろうな」という。
そういうこと。
そんなことがいっぱい昭和歌謡にはある。
3コーラス目、ラストの締め括りがこうなる。

人にかくして 流す花
だってヨー あの娘川下潮来笠
(橋幸夫「潮来笠」)

潮来の伊太郎が大利根川へ花を投げ込む。
利根川に花を投げ込んで「あの娘川下潮来笠」。
潮来の伊太郎が道中を歩いている。
横に利根川が流れている。
舞台は茨城県の潮来だから。
(「潮来」を、恐山などの)霊が降りて来る「イタコ」とずっと勘違いをしていた水谷譲。
それでは志村けんさんの世界。
とにかく利根川に「人にかくして流す花」だから、岸からそっと潮来の伊太郎が花を流した。
結末が「あの娘川下潮来笠」。
こっそり潮来の伊太郎は利根川に花一本投げたのだが「あの娘は川の下の方に住んでいる」という。

春日八郎「お富さん」。
あれは意味が全然わからないが何でか歌える。
(本放送ではここで「お富さん」が流れる)



粋な黒塀 見越しの松に
仇な姿の 洗い髪
死んだはずだよ お富さん
生きていたとは
−中略−
エッサオー 源治店
(春日八郎「お富さん」)

(番組内では「エッサオー」を全て「エッサホー」と発音しているようだが、歌詞に基づいて全て「エッサオー」としておく)
黒い塀が粋。
洗い髪のお富さんがそこにいらっしゃる。
(お富さん)はお妾さん。
色っぽくていい女。
与三郎という恋人を裏切ってしまってお金持ちのところに行ってしまった。
与三郎は簀巻きにされて海か何かに放り込まれてしまう。
それで傷だらけになって「切られの与三」というニックネームで恐喝に来る。
これは舞台の説明が「粋な黒塀」というから立派な、今でいうマンション。
そこにお富さんが住んでいて、「切られの与三郎」が恐喝に入る。
それがあの歌。
だからおどろおどろしいのだが、リズムで聞かせるものだからトントンいってしまう。
最大の謎「エッサオー 源治店(げんやだな)」。
「源治」は人の名前。
マンションの経営者が源治さん。
もの凄い高級だから、今でいうタワマン。
それを「エッサオー 源治店(げんやだな)」。
だから「タワマンマンション源治」そんな感じ。
(「タワーマンション源治」と言いたかったのではないかと思われる)
こんなふうにして意味もわからず覚えてしまったというのが、高橋さんおっしゃるところのリズム。
音になっているから覚えてしまったという。
この音というのが「世間が面白いと思った」という、そのことがヒットの原動力になっているということ。
あの世界を探っていくと面白いもの。

そこで今日は一番最後の日なのだが、あなた(高橋さん)の本を読んでいて、あなたが本にお書きになったことの続きみたいなことを人から聞いてしまった。
これは教えてくれたのは加藤のおときさん(加藤登紀子)。
あの人と話している時に、対談をやっている時にぽろっと出てきた。
(本放送ではここで「上を向いて歩こう」が流れる)



よくご存じだった。
加藤さんは永六輔さんのこともご存じなので。
「上を向いて歩こう」話。
「永さんはあまりお好きじゃなかった、あのヒット曲は」と言ったら「そうなのよ。あの人はもう坂本九の歌い方に関しても『絶対違う』っておっしゃるし『人々の解釈も違う。希望の歌として解釈し、にこやかに高らかに歌う。そんな歌じゃない。あれは失意の敗北の歌なんだ』っておっしゃってた」という。
加藤の姉御もそっちの方も詳しいから。
「60年安保闘争に敗れた若者達の心の傷っていうのはどれほど深かったか。60年安保というのは無念さを全ての若者が抱いたんだ。だから永さんはその中で『敗北の辛さを忘れまいと上を向いて歩こう。涙がこぼれないように』と同志を励ましたんだ。それがいつの間にか希望に向かって歩き出す歌になってる。『それは違う』ってあの人、怒ってた」と。
これは「そうですよね」という話で盛り上がった。
ところが、本当にそこがびっくりすることで、きてみなければわからなくて。
それが日米安保に反対する若者の歌だったのだが、アメリカまでいったらヒットチャートで一位になってしまった。
「スキヤキ・ソング」ということで。
「スキヤキ」も違う。
あれは喰い物だから全然歌とは関係ないのだが。
歌と関係無い方ばっかりに自分の歌が引っ張られていくという。
それで聞いた話だが「遠くへ行きたい」というのはそういう絶望を歌った歌だ、と。
ところがこれが旅の歌で70年代大ヒットしてしまうという。
こういうふうにして作った歌に。
ことごとく作った歌に裏切られていくという永さんの人生。
その永さんも数十年の歳月が流れて、お年を召して障害と戦いながら一生懸命リハビリをやっておられた。
それでリハビリをやる病院に通い始めると看護師さん達が音楽をかける。
それが「上を向いて歩こう」だったという。
それで若い人達は永さんのことをとにかく無茶苦茶励ます。
「ワン・ツー・ワン・ツー!ハイ!頑張って!う〜え〜を、う〜え〜を!」と言いながら。
ところが若い人は(永六輔作詞であることを)知らない。
つまり「上を向いて歩こう」はその病院ではリハビリ用のバックグラウンドミュージック。
希望の歌でもなければ、敗れ去った敗北の歌でもない。
リハビリの歌になる。
その時に永さんの胸に何が流れたかわからない。
本当に自分の作った歌なんてそんなもの。
めぐりめぐって年老いた永六輔を励ます歌として永さんの車いすを取り囲んでいたという。
つまり、作詞者がいて歌をある思いを込めて作った。
でもそれは世間に出てその歌もずっと生きている。
その歌と再会した時に、いつの間にか永さんを励ますリハビリの歌としてそこにあったという。
こうやって考えると作詞という作業の不思議さ。
昨日水谷譲に解説した「潮来の伊太郎」から「お富さん」から、私達はもう作詞者の名前も知らない。
ただ、覚えている。
「エッサオー 源治店」という。
歌は勝手に生きて行ってくれるということかと思う水谷譲。
そう。
つまり「そのようなものを作った」というのが作詞家の仕事。
それは世間に出て独り歩きを始めたら作った人を振り返ってはくれない。
そのことを作詞する人は思い知らなければならない、という。
そんなふうに考えると作詞のすばらしさというのは、作った人が忘れられたところからまた新たに始まるとも言えるワケで。
永六輔さんという天才的な作詞家の胸に流れたのは、バッタリ出会った「上を向いて歩こう」。
その見違えるほどの成長ぶりに彼自信が驚いたという、そんな再会ではなかったか?という。


2025年5月26日〜6月6日◆いい音がする文章(前編)

ごめんなさい。
これは本のタイトルそのまんま「(今朝の)三枚おろし」のまな板の上に乗せて。
高橋久美子さんという方がお書きになった本で「いい音がする文章」

いい音がする文章 あなたの感性が爆発する書き方


ダイヤモンド社から出ていて、タイトルが惹きつける。
本を読む時そうなのだが、読み始めて何か足踏みしてしまうヤツとズーっと流れていくという・・・
その差は一体何だろうか?と考えた時に「いい文章」というのは音がいい。
だから「いい音」で文章を作れるかどうか。
その人の文章を読むと、たちまち文章が絵になってゆくという。
世の中にはそういう人がいる。
その人に一回催眠術にかかると、(その人の文章であれば)どの本を読んでも全部かかる。
だから呼吸とリズムとかが文章の中にあって、結局文章というのはよく考えると音で読んでいるのではないか?という。
これは面白い。
(特定の作家の本を読んでいて)見えることがある水谷譲。
色になるとか。
これは不思議なことに、書き手と読者の相性というのがあるのだろう。
この作家の高橋久美子さん
この方は作家であり作詞家でもある。
プロのバンドを持っておられて、ドラムを叩いておられる。
故に文章にリズム、リズムに噛む音の響きの良さを感じる感性をお持ちの方。

 そもそも、言葉とはビートなのだと私はとらえています。
 意味ではなく、まずで相手の体をノックするものだと。
(7頁)

「それが文章なんだ」という。
高橋久美子さんが」言葉とはビートである」と。
それから作家と読者というのは相性があって、この人のリズムだったらついていけると思ったらどこまでもついてゆくんだ、という。
それが読者と筆者の関係なんだ。
音で相手の体をノックする。
こういう作家さんに人生で会える・会えないというのはもの凄く大きい。

高知県に行った時にいただいた本があって、土佐の高地の新聞で連載されていたヤツで「司馬遼太郎『竜馬がゆく』を読み直す」というヤツで、その中で「竜馬がゆく」が武田先生のバイブルみたいなヤツ。
武田先生は18(歳)の時に読んだのだが、何で惹き付けられたかというのは未だ謎。
その司馬遼太郎「竜馬がゆく」を分析なさっている方が「司馬遼太郎には講談がある」という。
神田伯山とかというような「調子があるんだ」という。
「そうかな?」とか思っていたのだが、確かに司馬遼太郎の文章は(机を叩く音)何か、神田伯山にも負けないリズム感がある。
そのリズム感とは一体何か?
その」講談調とは何か」と言うのを考えたというか。
武田先生の謎が少し溶けた。
司馬さんの「竜馬がゆく」の中で講談と同じ表現方法を使った文章がある。

桂は龍馬を見た。
その瞬間、この男は俺は苦手だとそう思った
だがそれを言葉では言わない。


思っていることを否定することをわざと文章にしてある。
何かに似ている。
否定していることを敢えて表現してしまう。
「俵星玄蕃」

長編歌謡浪曲 元禄名槍譜 俵星玄蕃


あの中で、「コイツ武士だな」と思った蕎麦屋に向かって、その侍に向かって、本当は杉野十平次という名前なのだが、蕎麦屋のなりをしている以上は身を隠しているワケだから「オマエ侍だな。名前は何と言うんだ」と訊きたいところをぐっと俵星がこらえて

せめて名前を聞かせろよと
口まで出たがそうじゃない
(三波春夫「俵星玄蕃」)

という、この「そうじゃない」という否定形が「竜馬がゆく」の中にポンポン出てくる。
その本人が否定しているワケだから、それを書く必要が無いのだが何を否定したかが書いてある。
講談はそこで言わなかったことも言ってみせるという。
司馬遼太郎の持っている文章の中に於ける講談調。
18の時、何でこんなに読みやすいのかわからないが、まだ覚えているが際限も無く読んでいけるという。

高橋さん、ごめんなさい。
あなたの本を紹介すべきなのだが、あなたから指摘されたところを我が人生で振り返ってみようと思う。
あなたが指摘なさったことを自分に置き換えて「俺にとっていい音がする文章って何だろうか?あっ!司馬遼太郎だ」と思ってしまった。
あなたの本を紹介すべきなのだが。
高橋さんはあまり「いい音がする文章、この人」とかとおっしゃっておられなくて、一種論説として書いてあるのだが、武田先生はあなたから浮かんでしまってしょうが無い。

昨日は「竜馬がゆく」を紹介した。
司馬遼太郎さんの本で、これは地味な本。
「菜の花の沖」という。

合本 菜の花の沖【文春e-Books】


北海道まで旅をして、港々で仕入れ物をする、或いは物を卸してゆくという。
北前船の船頭の物語で高田屋嘉兵衛という男がいて、江戸時代の方なのだが大阪から旅立って商品経済、経済を回すという。
その司馬さんの書き方が上手い。
もの凄く躍動感に溢れて。
プラスなのだが、それを読んでいて北前船で北海道も行く。
途中で日本海だから荒れて船が揺れる。
(本を読んでいて)船酔いしてしまった武田先生。
途中で気持ち悪くなってしまって。
そこまで凄い。
そんなに船酔いするほど荒波の描写がリアルなのかと思う水谷譲。
嵐で北前船が揉まれるのだが行間から、日本海の吹雪が出てくる。
それでもう、波しぶきが当たる。
そうしたらもう海の臭いの荒いヤツを嗅ぐものだから、胸がいっぱいになってしまって。
前にもあった。
「竜馬がゆく」を読んでいて薩摩の侍同士が殺し合うという寺田屋騒動という大事件があった。
読んでいたら血が顔にかかってくる。
それで目に入ってしまうものだから。
それはやはり司馬遼太郎の講談調の文章に酔わされてしまう。
凄い。
薩摩人同士が切り殺し合いをする。
殿様の言うことを聞くか討幕運動に生きるかでケンカが始まる。
そうすると凄い猛者がいてダメだと思ったらしく「おぉ!来い!」と言って刀を抜かない。
それで斬られてしまう。
道島五郎兵衛とかがいた。
その人がわざわざ仲間に額を割らせる。
死んでいく為に座っている。
日本刀で頭蓋骨を切ったら刃が跳ね返って両眼が飛び出したとかがある。
その綿密な。
それは何だろうから。
「菜の花の沖」にいってみる。
ここのところにゾクッとくる。
これは江戸時代の話なのだが、司馬さんの文章を借りると江戸だけでは無いような気がする。
こんな文章。
港々で商売を繰り返す北前船。
その船頭の高田屋嘉兵衛。
この人が江戸の消費経済の沸騰する中で江戸を見下している。
江戸は消費のみで生産ができない。
織物から酒まで、関西圏のよいものを欲しがる。
ただただ良いものを高く買う。
消費者の町が江戸であると、バカにしている。
つまらないものを「くだらない」という。
あれは大阪の方から下って江戸まで行かないというので「くだらない」、「つまらない」ということになったのだが、その江戸で大阪人が最も相手にした消費者が武士階級。
武士階級というのは銭も持っていない癖によいものはやたらと買いたがる。
故に関西人の嘉兵衛は心中、この侍という階級を軽蔑していた。
しかしその侍と知り合ううちに嘉兵衛は考え直すようになった。
その理由をこんなふうに司馬遼太郎は語る。

(侍など、ばかだ)
 と、嘉兵衛はひそかに思っていたのに、殿様とよばれている幕臣高橋三平の商品知識や経済地理の知識は、ときに嘉兵衛のおよばぬほどにみずみずしかった。しかも、志がある。
(志というものは、上方にはない)
 と、嘉兵衛は、このふたりのふんいきに接して、こころよい敗北感をもった。上方にあるのは、認識だけである。認識は、わけ知りをつくるだけであった。わけ知りには、志がない。志がないところに、社会の前進はないのである。志というものは、現実からわずかばかり宙に浮くだけに、花がそうであるように、香気がある。


トントント〜ン!といく。
いい。
しかももの凄く難しいことを話している。
嘉兵衛は「見下していた侍には志がある。志の無い人が経済をいじるとろくなことにならない」。
文章量としては何行かなのだが、もの凄く重要なことをおっしゃっていると思う水谷譲。
プラス、今にもあてはまる。
すぐお金に換算する人がいる。
「経済はそれじゃあダメなんだ」と司馬さんは言っている。

高橋さんごめんなさい。
あなたの本に触れながら、でもおっしゃる通り「いい音がする文章」がここにあるというワケで。

今日はもう一人紹介する。
宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」。
これは本当にいい音がする文章。

「月夜でないよ。銀河だから光るんだよ。」ジョバンニは云いながら、まるではね上りたいくらい愉快になって、足をこつこつ鳴らし、窓から顔を出して、高く高く星めぐりの口笛を吹きながら一生けん命延びあがって、その天の川の水を、見きわめようとしましたが、はじめはどうしてもそれが、はっきりしませんでした。けれどもだんだん気をつけて見ると、そのきれいな水は、ガラスよりも水素よりもすきとおって、ときどき眼の加減か、ちらちら紫いろのこまかな波をたてたり、虹のようにぎらっと光ったりしながら、声もなくどんどん流れて行き、野原にはあっちにもこっちにも、燐光の三角標が、うつくしく立っていたのです。(59頁)

こういう文章。
天の川をずっと見上げていると、天の川に星がバーっと流れているように見えて、天の川の星の隙間に水が見えたという。
その水は紫色の淡い影を浮かべているという。
宮沢賢治というのは凄い。
目をつぶって今、聞いていたが、キラキラしていたと思う水谷譲。
ほんの一部分だがいい文章。
賢治さすが。
「三角標」というのは聞き慣れない単語かも知れないが、夜の飛行場なんかで見ている誘導灯の灯りだと思ってください。
あれが夜空いっぱいの天の川に光っているという。
上手い人が書いた文章というのは、次々イメージが浮かんでくる。

高橋さんごめんなさい。
まだあなたの文章は一行も出てきていない。
このへんから高橋さんが論考なさっている。
つまり「いい音がする文章」。
これは作詞もそうではないか?
これはギクリとする。
基本的に作詞というのは何かといったら「音」ですよ、という。
その「音」というのが時代に受け入れられるかどうか。
これがその歌がヒットするしないの分かれ道で。
実は作詞家というのは音を競っているのだという。
まず高橋さんの論考、考えを聞く。
作品は永六輔・中村八大、歌唱・坂本九の「上を向いて歩こう」。

上を向いて歩こう


ヨナ抜き音階でジャズアレンジにした。−中略−ドレミファソラシドからファとシを抜いた音階だ。(174頁)

中村八大さんは、最初はメジャーコードで作曲し、「幸せは雲の上に」からマイナー調に変化させたあと、またメジャーに戻っている。(174頁)

イメージ的に言うと月が出ていて、それに雲がかかって「幸せは雲の♪」あたりで雲がかかったかなと思ったら、その雲がゆっくり流れて「上を向いて♪」戻ってゆくという。
そういう夜空の情景を巧みに表現した。
永六輔さんの詞も抜群で、「上を向いて歩こう」と誘いつつ、「ひとりぽっちの夜」と繰り返すという。
その矛盾が聞き手の「私」を一人にしない、「ひとり」と言いながら一人にしないという。

坂本さんは、邦楽が日常的に鳴り、唄われる家で育ったのだ。(175頁)

あの人の歌き方を一度、じっくり聞いていただくとわかるんですが、完全に邦楽の歌い方なんです。(中略)『♪ふへほむふひいて あはるこおおほほ』と聞こえてきませんか?
 あれは邦楽の歌い方なんです。
 新内、常磐津、端唄、これが全部彼のロカビリーの中に入っているんです。
(175頁)

「ととさんの名は。あいあい〜阿波の十郎兵衛と・・・(傾城阿波の鳴門)」という。
母音を伸ばして言葉をいちいち揺らしながら引っ張る。
(本放送ではここで「上を向いて歩こう」が流れる)
それが坂本九さんの歌唱になる。
「ふへほむうひぃて♪あ〜るこおほほ♪なみだ・・・」
この独特の引き延ばし。

 同じことですが、さだまさしもそうです。(175頁)

さださんも引っ張る
「きょ〜ねんの♪あ〜なたの・・・」

精霊流し(シングル・ヴァージョン)


上手く再現できなくて申し訳ないが、(歌い方は音を)引っ張る。
そうすると日本人は哀愁を感じる。
「目を閉じて何も見えず〜♪」

昴-すばる-


これも常磐津とか浄瑠璃語りの発声法。
これは武田先生では無くて高橋さんの論説。
ここの指摘の中で凄く面白かったのは、この「上を向いて歩こう」に関して永さんはあまり良い思いをなさらなかったという。
このあたりから始めるが、これは高橋さんのご意見。
これは傾聴に値するご意見。
永六輔さんは坂本九さんの歌唱法に関しては納得しておられなかった。
それともう一つ永六輔さんの神経を触ったのは

「この詞は、励ましの詞じゃないんです」と言っている。1960年の安保闘争で永さんが感じた挫折を歌ったものだそうで(178頁)

岸信介とかという自民党のボスによって安保闘争は潰された。
その敗北を歌った歌で、悔しさのあまり涙が流れた。
ほとんどの人は生きる上での応援ソングと思って聞いたり買ったりしていると思う水谷譲。
(そういう歌)ではない。
敗北の歌。
それを皆さん、ちょっと勘違いなさって「希望をみつけよう」という歌という。
それで高橋さんからの報告によると、永さんは「作詞した人間の思いが歌詞で伝わらないのだったら、何の為に作詞家をやってるんだ」というので絶望を味わわれたという。
この方の人生の不思議さなのだが、その絶望を作った歌が「遠くへ行きたい」。
全てを打ち捨てて作詞から遠ざかろうとした歌が「遠くへ行きたい」だった。
ところがそれが旅の歌で大ヒットする。
かくのごとく作詞家の思いは聞いている人に伝わらない。
それを言ったら武田先生の歌もそうだと思う水谷譲。
武田先生はネタバラシしているが、「贈る言葉」というのは22歳の失恋をベーシックに作った歌。

贈る言葉


まさかそれが卒業式の歌になるとは思わなかった。
詞を作っても真意が伝わらない。
ところが若い高橋さんは

音という翼をもつ歌詞の良さと辛さである。(178〜179頁)

「音を解釈するのは聞いている人なんだ。だから音を解釈した人に委ねられて、作詞家は消えていくんだ」という。
これはもの凄く深く頷ける。
その音を「音」としてお客が楽しんだ場合、ヒットしていく。
星野哲郎という作詞家がいて
例えば同世代の方、思い出してください。
北島三郎の「なみだ船」

なみだ船


涙の終わりの ひと滴
ゴムのかっぱに しみとおる
(北島三郎「なみだ船」)

あれは逆。
「ゴムのかっぱにしみとおる 涙の一滴」
倒置法。
どうしても星野は「涙」を先に持って来たかった。
母音の「あ」。
「なぁ〜♪」
「あ」で始まると印象が明るくなる。
星野は「あ」を持ってきたかったから倒置法でひっくり返した。
つまり響きとして、音としての「あ」が欲しいという。
作詞はこんなもの。
この高橋さんのおっしゃる通り、「いい音」なのだ。
山田洋次監督から聞いたのだが、寅さんの口上がそう。
仁義。
「私、生まれも育ちも葛飾柴又です。帝釈天で産湯を使い、姓は車、名は寅次郎、人呼んでフーテンの寅と発します」
「あ」がどんどん連続して出てくる。
そうすると、母音の「あ」の引っ張りが明るくなる。
高橋さんのご指摘の通り「いい音」まで考えて歌は作らないとダメだという。

高橋さんの論説、思いをこれから語っていく。
高橋久美子さんと同じ思いを坂本龍一さんもおっしゃっているそうで

音楽についてこう語っていた。
 感動するかしないかは、勝手なこと。
−中略−音楽に力があるのではない。音楽を作る側がそういう力を及ぼしてやろうと思って作るのは、言語道断でおこがましい(179頁)

「私の音」を「あなたの音」に介していく。
音をひたすら目指すんだ、という。
高橋さんは若いから、もの凄く面白い例をいっぱい挙げてあるのだが、流行言葉「チョベリバ」「チョベリグ」。
それから「ヤバい」。
これは両方とも発生した時期は同じ。

チョベリバとかチョベリグが流行って、速攻で消えていきました。(190頁)

死語になっている。
何で「ヤバい」はこんなに生き残っているかということだと思う水谷譲。
考えると面白い。

 ヤバいは、反射なんだと思う。−中略−熱いヤカンを触って「あちっ!」と言うような。(193頁)

「ヤバい」は江戸時代。

「あれはヤクザの言葉だから、軽々しく使ってはいけない」と大人たちは非難するわけなんだけれど(192頁)

これは「法に触れる」という意味だそうだ。
「おまえさん。そんなやばな」
それにいいつけて「ヤバい」になったそうだが
この「ヤバい」は生き残って、平成・令和で広がっているワケで。
これは「ヤバ!」という反射語。
「熱ち!」「痛て!」
音として好ましい。
非常に使いやすい。
意味もいい「ヤバい」もあるし悪い時の「ヤバい」もどっちもあると思う水谷譲。
音が楽しい。
こういう音の言葉、音が言葉になってゆく。
ちょっと長いのだが、江戸時代からあって今も残っている。

 しっちゃかめっちゃかって、すごい音ですね。(194頁)

言葉の並びが何となく楽しい。
こういうリズム、「音」の言葉。
武田先生と高橋さんの年齢差だが、武田先生は1949年生まれで高橋さんは1982年生まれ。
もう年齢差は30歳以上。
この差があるワケで、時代の差もあるのだが、高橋さんのおっしゃってる言葉に頷いた。
この方も作詞をやる方で。
作詞家は「意味に縛られない音としての言葉」というのに注目しないとダメなのではないか?

 一世を風靡したAdoの〈うっせえうっせぇうっせぇわ〜〉の一節。(240頁)

うっせぇわ


あの歌も一種「音」。
正確な発音とか意味ではなくて、あの音がいかにも振り切るようないい音。
今はテレビ・ラジオでも音が人気を席巻している。
文字の方はというと元気が無い。
それは音の音楽が軽やかに広がる力を持っているからで、再生回数が時代を動かしているからだという。

「再生回数=音楽の評価」と考えることに私は多少の違和感を覚えている。(200頁)

なるほどなと思う。

先日、原田知世さんのレコーディング現場で、作曲家の伊藤ゴローさんと制作についての雑談をしていたときのこと。私が「旅先でアイデアが浮かんだら、ボイスレコーダーに鼻歌を録るんですか?」と尋ねた。ゴローさんは「ううん、文章でそのときのことをメモしておくんだよ」と言うので驚いた。−中略−
「だって、メロディの鼻歌だけ残っていたって、そのときの感動とか細かな状況は覚えていないでしょう。ドレミだけでなくて、そのときイメージした気配を言葉に書いておくんだ」
(198頁)

これは高橋さんに武田先生は乗ってしまった。
とりあえずどんどん言葉を書いていく。
それを組み合わせていくうちに文章になっていく。
文章を読み返すうちにそれがリズムになっていく。
リズムになったらメロディーが浮かんでくる。
遠い昔に書いた作品だが「心が風邪をひいたようで」、時々心が風邪をひくという、そういうのがある。
ちょっと心が下向きになってしまう。
その中でサビの文句なのだが「こんなの若いうちに書いてたんだ」と思ったのだが。

心の冬に なすすべもなく
佇んでいても しかたないじゃないか
(海援隊「心が風邪をひいたようで」)



心が風邪をひいてしまって心が寒気がする。
その心に冬がやってきた。
「心の冬に なすすべもなく」
手も足も出なくて、じーっと立っているだけ。
それじゃあ仕方ないじゃないか。
これを繰り返し口の中で唱える。
「心の冬に〜なすすべもなく♪佇んでいても〜♪」
これを喋り言葉にすると「仕方ないじゃないか〜♪」。
「心の〜♪冬に〜♪なすすべ〜も〜なく〜♪佇んでいても〜♪しかたないじゃないか〜♪心が〜♪」
文章を作っておいて、文章を何回も読むうちにリズムを見つけていく。
「くれなずむ〜まちの〜光と〜」「くれなずむ〜♪まちの〜♪」という。
ここの面白さを高橋さんは訴えておられる。

ちょっと難しい話だが、また来週は高橋さんの文章を離れて、高橋さんから指摘されたことを武田先生の出来事で語っていきたいと思う。
ということで、完全に人間寄生虫になっているが、この続き、来週のまな板の上で。


2025年11月18日

2025年5月12〜23日◆おときさん(後編)

これの続きです。

加藤登紀子さんを取り巻く男達を話そうかなと。
これはテレビでやったのだが。
恋人となった藤本さんの大好きな「知床旅情」。
これを許可をいただいて歌ったのではなくて、お母様から「自分でいい歌が出来なかったら人のいい歌、歌っちゃえばいいのよ」と言われて、それで藤本が大好きだったということで「知床旅情」を歌った。
おときさんもおときさんで横着。
「叱られるかも知れない」と思いながら別に挨拶に行かなかった。
何と驚くなかれ、森繁さんは「知床旅情」をお聞きになった。
そして何と森繁さんは加藤さんの歌声を絶賛したという。
森繁さんはおっしゃったそうだ。
「私とおんなじだ君は。ツンドラの冷たい風を知っている娘の声だよ。君の声は」
もちろん引き揚げの地獄なんて知ろうハズが無いが、森繁さんは大きく包み込んで「中国・満州国に吹く風、その冷たさを知っている娘の声だ」という。
いいことを言う。
ここも不思議なキーワードだが、

森繁さんも私も同じ時期に満州から引き揚げ、戦後の惨憺たる状況を経験したことがわかった。(62頁)

命からがら遼寧省から葫蘆島の船に乗っかって祖国・日本に帰ってきたという、そういう「引き揚げ者と」いう偶然が二人を結びつけた、という。
そしてキャリアを積んで成長していくおときさんだが、1983年のこと、その前の年ぐらいなのか、そのおときさんにとんでもない仕事があった。
(映画の上映が1983年なので、当然仕事の依頼があったのはそれよりも前)

映画『居酒屋兆治』で高倉健さんの奥さん役のオファーをもらった時は、必死でお断りした。演技の経験もないし、−中略−もっとふさわしい女優さんが受けるべきだと思って。そしたらプロデューサーの田中寿一さんがわざわざ事務所にいらして、「あなたが女優じゃないからいいんです。加藤登紀子として出てください」って言ってくださり、そこまでおっしゃってくださるならと思って受けた。(169頁)

(番組の内容とは詳細が異なる)
あれがおときさんの女優デビュー作かと思う水谷譲。
まだ話は続く。
加藤さんも一生懸命おやりになる。
だがやはりそれは申し訳ないが、演技に力量の差がある。
あるシーンを撮り終わったら、自分の声の高さが少し高くなってしまって場面に似つかわしくない高い声になってしまった。
だから監督さんに「すいません、もう一度やらせてください」と言ったら健さんが「今のでいいですよ」。
それでOKになった。
この「居酒屋兆治」、遠い昔、恋人だった大原麗子さん(神谷さよ)。
その大原麗子さんのことをどこか諦めきれないという健さん(藤野英治)が、酷いことをするご亭主に仕えている大原さんを守る為に、そのご亭主に向かって暴力事件を起こした。
それで健さんが警察に捕まってしまう。
今の奥さんの加藤登紀子さん(藤野茂子)はショックだったろうと思う。
そこでもの凄く重大なセリフがある。
それは刑務所から出てきて、その兆治(藤野英治を指していると思われる)が頭を下げるらしい。
申し訳なさそうな顔で彼女を見つめると、おときさんのセリフ。
「いいのよ、いいの。人は心に思うことは誰にも止められないもの」
これを加藤さんは思いを込めて言うつもりだった。
リハーサルで軽くやったそうだ。
「いいのよ、いいの。人は心に思うことは誰にも止められないもの」
健さんが「OK」と叫んだ。
もちろん(カメラが)こっそり回っていた。
びっくりして「いや、もう一回やり・・・」「いや、今のでいいです。今のでいいです。軽く言うところがあなたの凄いとこですよ」。
おときさんは嬉しかっただろう。
この前のシーンの撮影がロケであった。
それは拘留所かも知れないが、とにかくその刑務所みたいなところから出てくる居酒屋兆治をおときさんが待っていてスーッと(カメラが)寄って行くという、そこのシーン。
「ヨーイ、ハイ!」で始まった。
スーッと寄って行って二人で歩き出すという。
セリフは録って無いらしかったと思う。
引き絵だったのでセリフも録っていないという。
だから二人が歩いていく姿を遠くの引きの絵で映すという。
その時に健さんの思っていたことが初めてわかったそうだ。
健さんが世間話を加藤さんにした。
「ご主人を迎えに行った時も、今みたいだったんですか?」
しびれてしまう。
高倉健が求めていたのはそこ。
上手い女優さんがいっぱいいる。
でも刑務所から出てくる亭主にフッと寄り添って黙って歩くという女の姿は・・・
映画はもちろん嘘だが、その嘘を一点も嘘もない人に演じて欲しいという。
これが健さん。
物語は嘘を作っていく。
しかしその嘘を演じる時「一点の嘘もあってはならない」という。
この話はいい。
「健さんらしいなぁ」と思って、おときさんの話を聞きながら感動した。
みなさん、こんなふうにして映画という物語は作られていくんです。
武田先生もエキストラでちょこっと出た。
兆治のお店によく来る若い者の(アベックの男役)。
その話を伺って(映画「居酒屋兆治」を)もう一回見たくなった水谷譲。
何かいい。

加藤登紀子さんというのは旦那様も学生運動活動をやっておられたし、凄く今も尚、政治についてはきちっとした批判精神をお持ちの方で。
もうそれは「体に刻まれた反戦の誓い」というか「戦争というものがどれくらい悲惨なものか」とか。それから「アジアの諸国に迷惑をかけた日本人の自覚」みたいなものをこの姉御は持っておられて。
健さんもそういうものがおありで、話が合ったようだ。
健さんも「アジアに対して迷惑をかけた日本」ということに関して。
健さんあたりは戦後世代の長男坊。
そういうことを口になさることもあった。
ただ、高倉という人は昨日言ったとおり、物語は嘘を作っていく。
しかし嘘を演じるのに一点の嘘も無いという。
これが高倉健のイズムで。
このへんはちょっと姉御と武田先生で激しく論争したのだが。
高倉健というのは「思想」ではない。
エモーショナルというか「感情」。

木村大作という名キャメラマンがいて。
健さんに「八甲田山」という名作がある。

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これは凄い。
みなさん一回見てください。
高倉健の存在感を。
特にラストシーンに於ける健さんの明治の軍人の描き方。
健さんは、もう本当に男の美意識に満ち溢れた素晴らしい軍人を演じておられる。
これは、木村大作さんが何気なくポロっと言ったのだから「映画の関係者、わかってんだな」と思ったのだが、八甲田山は実際の話があった。
そういう事実としての話があるのだが、健さんがおやりになったあの軍人さん(徳島大尉)は、残っている資料を読むとそんなにいい人ではなかったようだ。
意外と村人をガイドに使っても冷たかったり、「貴様!」とか呼び捨てにしてゲンコを振るったりみたいなことがあったようだ。
でも木村大作さんは「もう、健さんが演じちゃうと健さんなんだ。だから史実とかいくら綺麗に整えてもダメなんだよ。高倉健が演じたらそれは高倉健なんだ」という。
これは武田先生は本当にわかる。
「八甲田山」を撮る時もいっぱい調べたのだろう。
それでそういう事実をわかっていたが、健さんにそのことを言える人はいない。
「本当は悪かったらしいですよ」とか気安く言えない。
健さんはその嘘を一点の嘘もなく演じるワケだから、健さんは神田大尉の亡骸を見て鼻水を垂らして泣く。
それを木村大作が「その健さんが引き受けた役って健さんしかできないんだよ」という。
本当に何かそう。
だからそんなことを思わせる方。
かくのごとくして「居酒屋兆治」は終わるのだが、このあたりもおときさんは傑作を残している。
居酒屋兆治で歌われた歌。
この歌「時代おくれの酒場」。
(ここで本放送では「時代おくれの酒場」が流れる)

時代おくれの酒場


この歌も静かでいい。
「時代おくれ」というこの言葉が健さんに無理なくはまっていく感じが。
健さんのバージョンもあるから。
健さんも歌っておられる。

時代おくれの酒場


この映画の為に作られた歌。

森繁さんときて次、健さんときた。
その次が凄い。
武田先生も並べて驚いた。
宮崎駿さん。
この方もおときさんに向かって無理を言う。
「声優としてやっていただけませんか」
「いや、声優なら声優さんがいっぱい」と言ったら、宮崎監督の方から「歌う声優でないとダメで、その歌が非常に重大なんですよ」と言われて引き受けた作品が「紅の豚」。
もうよく皆さんご存じの、日本が、或いは世界が絶賛するアニメーター。
おときさんのところに舞い込んだ仕事は「紅の豚」というアニメ作品の声優。

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物語はというと、戦闘機乗りのポルコは戦友ベルリーニを戦場で失う。
その戦友を救えなかった無念がポルコを激しく自責の念に、自分を責める念に駆り立てて、ポルコは自らに呪いをかけて豚となったという。
複葉機に乗っているが、真っ赤な複葉機。
それ故に彼は「紅の豚」と呼ばれるようになったという。
この彼が義を通したかった死んだ戦友ベルリーニの恋人ジーナ。
このジーナがおときさん。

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ポルコも「紅の豚」である彼もこのジーナにはクラクラしているのだが、かつての戦友の恋人ということで折り目正しく距離を置いて彼女に接するという関係。
この宮崎駿という人も「何でこういう発想ができるのかな」と思ったのだが。
宮崎さんというのは不思議な人。
戦争は大嫌いなのだが、戦闘機は好き。
この方は北関東の方のお生まれらしいのだが、おうちのお仕事は兵器工場をやっておられて、飛行機か何かを作っておられた。
それで宮崎さんの作品によくあるヤツなのだが、敵が襲ってくるともの凄い勢いで逃げたりする。
あれは「幼児体験じゃないか」という人がいて。
彼等が営む兵器工場がこのエリアにあったので、米軍がよく爆弾を落としに来たという。
それで逃げたという体験が宮崎駿さんの体験の中に生きているのではないだろうか
「崖の上のポニョ」でも波から逃れるスピードが半端では無い。

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炎の中を逃げたり水の中を逃げたり波の中を逃げたりというのは宮崎さんの戦争体験なんじゃないだろうか。
記憶に間違い無ければ、宇都宮大空襲に巻き込まれたという。
そんなことをちょっと読んだ。
宮崎さんは宮崎さんで戦争に対して強い批判精神を持っておられる方。
加藤おときさんを指名なさったのも事情があった。
水谷譲に紹介する時、「ひとり寝の子守唄」を「敗北の予感の歌」と。
世の中には敗北の歌はある。
武田先生はテレビ番組の中でズバリ「姉御は負けてばっかりですね」と言ったことがある。
歌が敗者の歌。
「姉御、怒るかな?」と思ったら姉御は怒らずに「そう、私負け続けてるの」と。
「知床旅情」も一種、敗者が持っている・・・
そういうふうに思って聞いたことがない水谷譲。
武田先生にとっては、この「敗北」というのがとても大事。
やはり戦後、武田先生達は平和な昭和に生まれたが、戦後・昭和の始まりは何かと言ったら「敗北」から始まっている。
「敗北」と「自由」。
これが戦後の昭和のキーワードだと思う。
何かこう、加藤登紀子を巡る男性達は、みんな敗北の苦みを知っている。
健さんもそう。
健さんも自分でお書きになった少年の頃のエピソードであった。
川で遊んでいたら友人が来て「剛くん、日本は戦争に負けたこだるよ」と言ったという。
敗北から少年時代が始まった。
この宮崎さんも「敗北」というのを大事なテーマになさっている。
加藤さんに頼まれたのはこの「紅の豚」の中で流す「さくらんぼの実る頃」。
これはもちろんフランスの歌、シャンソンなのでおときさんでなければダメ。
「紅の豚」の姉御の声が色っぽいの何の、いい。
「さくらんぼの実る頃」
これも一種「ひとり寝の子守唄」。
1870年、理想の民主主義を目指してフランスで市民が作り上げた政府パリ・コミューンという臨時政府が出来上がった。
ところがこれがドイツ政府の介入によって内部対立を起こし、わずか72日間、2万5千人が血を流すというような大敗北を帰してパリ・コミューンが潰された。
その時にその犠牲者を悼む、そのパリ・コミューンを潰された時の歌が「さくらんぼの実る頃」。
宮崎さんも凄い。
ご存じだったらしくて。
「おときさん」姉御と、それから恋人・藤本さん。
彼等もまた、反米・反戦を訴えたその戦いは敗北に帰したという無念。
宮崎駿は「敗北を歌える人はこの人しかいない」ということで加藤のおときさんを指名したという。
「敗北」というのはとても大事な強いテーマになりうる。
1870年代、理想の民主主義を目指して市民が作り上げたパリ・コミューンという臨時政府。
それが僅か72日間でパリ・コミューンという臨時政府が潰されたというフランスの人々の無念。
それがこの歌「さくらんぼの実る頃」。
(ここで本放送では「さくらんぼの実る頃」が流れる)



流暢なフランス語で姉御は歌っているが、本人に聞いてみると初めてのフランス語。
凄い。
まあ大変な方。
やはり宮崎さんが「君じゃなきゃダメだ」と言ったのは今、聞いただけでもわかる。
何も考えずに映画をぼんやり見ていてはダメだと思う水谷譲。
その背景に一体どういうことがあったのかを知ってから見た方がいろいろと楽しいと思う水谷譲。
「紅の豚」のあのポルコの中に「敗北の悲しみ」みたいなものがいつもある。
ということで考えさせられるという「さくらんぼの実る頃」。
「さくらんぼが実る頃がやってくる度に私はあの日々を思い出す」という。
ある意味「知床旅情」。
敗者の歌。
でも負け続けることによって歌い続けるという。
そういうシンガー。
武田先生がそう形容しても、姉御は怒らなかった

これはご紹介が遅れて話ばっかりしている。
本に書いていないことばかり喋っているが。
本の中、『「さかさ」の学校』の中で姉御が残した名言も紹介したいと思う。

 いろんなコンサートをやるのだけれど、毎回、私が決めていることがある。それは、いちばんつらそうな人に寄り添ってうたうこと。−中略−私はお客さんの中で、とてもつらい思いをしている人、深みにはまっていちばん「底」にいる人に合わせてチューニングする。コンサートに入ってこられるように、つらくて深い歌を一曲はうたうようにしている。深みでその人に触れて、一緒に上がっていければいいなと思って。(97頁)

「一番つらい人のそばにいよう」というのはいい。
見事なシンガーソング魂。

テレビ番組で聞かせていただいた男達を巡る物語で。
一番最後はこの男性。
おときさんを巡る男。
なかにし礼。
なかにし礼さんは凄い才能の方。
また、因縁もあって1966年、23歳でデビューするおときさん、加藤登紀子んさんなのだが、そのデビュー曲が「(誰も)誰も知らない」というなかにし礼さんの作品。
これは申し訳ない。
さっぱり売れない。
三年間待たされて「赤い風船」でやっとヒット。

加藤登紀子 ベストコレクション CD2枚組 WCD-663


その間もずっと付き合いはあったらしいが二人の間に大きいヒット曲は無かった。
それから月日が流れて1986年、初めての出会いが1966年。
二十年後の時に「俺の為に一曲、曲付けてくんないか?」ということで、なかにし礼さんから。
「誰の歌?」と聞いたら「石原裕次郎さん」。
「え?裕次郎さんだったらもっと素敵な作曲家いっぱいいるじゃない。私なんかやらなくても」と言ったら「いや、お前でなきゃダメなんだよ」。
その時に、なかにし礼が言った言葉が凄い。
裕次郎さんは御病気で、かなり体が危険な状態。
それでハワイで録音をやるのだが「スタジオには酸素ボンベを持ち込むつもりなんだ。それで本人がどうしても最後に『マイ・ウェイ』のような歌を歌いたいと言っている。この間、裕次郎と打ち合わせをしてきたんだけど詞はこれだ。おまえ曲付けてくれ」。
「え?そんなん責任重すぎるよ」と言ったら、なかにし礼が「俺もおまえも引き揚げ者だ。人間の生き死にを見てきたんだよ。おまえはまだ二歳前後だから覚えてないかも知れないけど、俺達の周りでは生きる死ぬっていうのが平気であったんだ。人の死に付き合う。それは俺達の宿命だよ」
なかにし礼も凄い。
そしておときさんは見抜いておられるのだが、裕次郎に捧げた歌なのだが、その歌の中なかにし礼もこもっているという、そんな歌だったという。
詞を読んでみる。

鏡に映る わが顔に
グラスをあげて 乾杯を
たった一つの 星をたよりに
はるばる遠くへ 来たもんだ
長かろうと 短かろうと
わが人生に 悔いはない

この世に歌が あればこそ
こらえた涙 いくたびか
親にもらった 体一つで
戦い続けた 気持ちよさ
右だろうと 左だろうと
わが人生に 悔いはない

桜の花の 下で見る
夢にも似てる 人生さ
純で行こうぜ 愛で行こうぜ
生きてるかぎりは 青春だ
夢だろうと 現実(うつつ)だろうと
わが人生に 悔いはない
わが人生に 悔いはない
(石原裕次郎「わが人生に悔いなし」)

(ここで本放送では「わが人生に悔いなし」が流れる)



もう本当にいい歌。
詞をやる人、思いません?
リズムは七・五で取っているのだが、波長を一瞬だけ七・七でパターンを崩しておいて七・五のサビで締める。
武田先生達はそういう計算をする。
七・五だけだと全部リズムにアレしてしまうから、一回リズムを壊しておいて締めは七・五。
「わが青春に悔いはない」
(「人生」を言い間違えたものと思われる)
七・五になっているから、数えてみてください。
上手い。
この話の何が好きかというと
「鏡に映る わが顔に グラスをあげて 乾杯を」
恰好いい。
裕次郎さんだからブランデーグラスか何かをサイドボードの横に置いて、鏡か何かで映る自分の姿に乾杯!という。
武田先生はそれだと思っていた。
だから「歌うブロマイド」とこの歌を評したのだが。
おときさんから話を聞くとそんなに恰好いい歌ではない。
そこに裕次郎さんの本当の思いが伝わってくる。
生活の臭いのする裕次郎。
「長かろうと 短かろうと わが人生に 悔いはない」
いい歌。
これも一種、死に敗北していく男の物語。
「負ける」ということは重大な歌のテーマ。
勝者ばかりが歌になるのではない。
負ける、負け続ける。
その横に加藤登紀子のギターの音色と歌声がある。
こう思うと彼女の存在価値を深々と身に沁みる。


2025年5月12〜23日◆おときさん(前編)

今週、まな板の上は「おときさん」。
皆さんよくご存じのシンガーソングライター。
加藤登紀子さん。
武田先生達業界人は「おときさん」と呼んだり。
武田先生の場合、個人的に「姉御」と呼んでいる。
このおときさんをテレビ番組のゲストに迎えて、その時に別れ際に「読んで」と言いながらおときさんから本をいただいた。
『「さかさ」の学校』

「さかさ」の学校: マイナスをプラスに変える20のヒント


これは時事通社から出ている。
呼び込みの文句は「マイナスをプラスに変える81歳。ひっくり返せば18歳!」という。
実年齢でリアルに語ると「おときさん」加藤登紀子さんは武田先生達団塊、武田先生などに比べると六つばかり年上。
ギリギリながら、おときさんは戦中派。
武田先生は戦争が終わった後に生まれた戦後世代で、いわゆる団塊の世代。
おときさんに武田先生が冠した枕詞は「戦後昭和の長女たち」。
家庭の中で一番年上のお姉さん。
彼女は昭和18年生まれ。
大戦中、彼女は日本にいなくて外地・満州国にいて、植民地の中で大きくなった。
彼女は人と人とが殺し合うという時代に生きた人。
まだ二歳なのでもちろん記憶には無いだろうが、彼女の命がその時代に置かれたこと、それは命の覚悟の持ち方がどの世代とも違う。

この本のプロローグでお母さんのエピソードを話しておられるのだが、戦争中の思い出は全部お母さんからの話だそうだが。
二十代の前半で結婚を決意したおときさんだが、お母さんは大反対をしたそうだ。

「結婚は女には損よ。そんなことはできるだけ遅いほうがいいんじゃない?」(5頁)

こういうのがお母さんの説。

 人の命は、自分の力で生きている時に、いちばん輝く。誰かに頼って生きていくのでは楽しく無いし、力が湧かない。−中略−
人間最後はひとりで暮らすことになる。命を輝かせるためには、ひとりで生きる力を身に付けなくてはいけない。
(6頁)

それで「アンタの結婚には反対する」と言って。
それでおときさんは家を出た。
なかなか。
当時の女性ではそういう考えは珍しいと思う水谷譲。
(武田先生が)おときさんとぴったり話が合うのは、親父の悪口。
おときさんもやはりお父さんに対してはワリと厳しくて。
お父さんというのはどういう存在かというと「やらかしちまった人」という。
「何かをやって全部失敗した」という。
「狭い日本には住み飽きた。家族みんなで満州に行こう」とかといって「わ〜成功!」「戦争負けた〜!」とかという。
その時にお父さんは何と家族と一緒にいないで兵役か何かに就かれていて、お母様は男の子二人と乳飲み子のおときさんを抱えて敗戦を迎え、攻め込んでくるソ連軍の隙をついて港で待っている船に乗る為に汽車と歩きで港まで向かったという、命がけの・・・
だからお母様はニュースで伝えられる難民の人の姿を見ると「あら、懐かしい」と言った。
だからおときさんもガザやシリアの難民を見るたびに自分が紛れ込んでいるような錯覚になるという。
あれよりもっと酷かっただろう。
ロシア軍、ソ連軍なんていうのは殺したい放題だから。
異様な風景がいっぱいあったようだ。
聞いたのは、中国の人でまんじゅう売りの人が難民で逃げていく人の後をずっと追いかけてくる。
まんじゅうを売る。
お金が無かったら時計とかそのへんで物々交換とか。
それから「子供を置いてけ」と誘う「子供売り屋さん」、子供を売買するという人もいたらしい。
とにかくおときさんは小さい頃、その逃避行はまさしく生き地獄だったという。
ここ(「今朝の三枚おろし」)でも扱ったことがあるが、この引き揚げてくるという命がけの旅を数か月間やった人の先輩が、なかにし礼さん。
2017年12月11〜29日◆なかにし礼
なかにし礼さんは6歳とか7歳だから物心が付いている。
それで、おときさんが言っていたが、なかにし礼さんも話すと鬱屈しているそうだ。
ソ連軍の飛行機がバーっと機銃を撃ってくる。
列車に乗って逃げている最中、列車が急ストップしてバババババババッと機関銃が列車の上を走った。
ミシン目状に機銃が当たる。
丁度ミシン目状の隙間になかにし礼の頭があったので、前後の人はもう頭が無いというような亡骸だった。
だが礼さんは「お母さんは俺一人だけを列車の中に残した」という。
お母さんは「オマエはここにいなさい」と言いながらお兄さんを連れて表に逃げた。
何か極限状態なので・・・
そのことで命が助かったのだが、礼さんは「なぜ手を引いてくれなかったんだ」というのを大人になってもまだ言い続けたという。
ちょっと暗い話から始まるが、とにかくおときさんの人生が始まったということで。

シンガーソングライター。
大先輩の加藤登紀子さんの話をしている。
通称・ニックネームは「おときさん」。
武田先生は「姉御」と呼んでいる。
この方はテレビでゲストに迎えて引き揚げの体験とかをお話してくださるのだが、何か感性が違う。
他の方が悲惨なことを話されるのだが、姉御は結構ケロっとしている。
それは酷かったらしい。
女性に暴力を振るうとか強姦とか。
引き揚げの体験の惨めさというのはいろんな方から聞く。
お母さんも大変だったろうと思う。

 終戦の1年8ヶ月前に満州で未熟児として誕生し、戦後1年間は難民として暮らし、無蓋貨物列車に乗せられての引き揚げを体験。(7頁)

まさしく地獄の旅。
そこで何と中国大陸の冬を体験。
ゴザで囲って親子四人で寝た、という。
寒かっただろう。
お母さんはおときさんを抱きしめて、そのゴザのマットの上に正座して男の子二人も抱きかかえて休ませている時、天から雪が降って来た。
それを「凄い綺麗だった」とおっしゃる。
「おまえを抱いてね、中国の〇〇っていう町で冬、空から降って来る雪を眺めてたのよ。その雪が綺麗でさ」と、こうおっしゃるという。
半端ではない。

ここでちょっと一つだけお詫びをしなければいけないのだが。
今日のお話は『「さかさ」の学校』という、おときさんがお書きになった本からはあまり抜いていなくて、テレビで伺った話等々で。
それが面白い。
姉御、勘弁してください。
本も時々つまむようにして、おときさんの名言を紹介したいと思うが。
この人は何といってもお話が面白い。
姉御は言う。

 女性の生きる場所がフロンティアだから。(9頁)

女が生きている場所はフロンティアの荒野だ。
だから「開拓者となれ」という。
「新しく開拓するその土地を地獄と見るか天国と見るか、それは女の覚悟が決めることなんだ」という。
お母さんの影響もあるだろうけれども、おときさんも「フロンティアでありたい」と思ったという。
おときさんの本の中で見つけた名言、

 人生は積木のように、高く積んで限界に達していくものじゃない。何度もゼロから始め、無限に繰り返す。それは例えるなら畑のよう。種をまけば次々に花が咲き、実がなり、また種をつける。−中略−
 何かを残そうなんて思っていなかったけれど、いつの間にか思い出がいっぱい。
−中略−
せっせと生きる!
(10頁)

それで人生は十分だ。
こういう名言が『「さかさ」の学校』というこの著作の中に輝いている。
砂時計。
落ち切ったらまたひっくり返すという。
「自分が何かを残そう」とか、そういうふうに考え始めるというのは、けつまづく原因。
「我が道をゆくのだ」と。
泳ぎで言うと、手で波をかき分け続ける。
それが生きてゆくことなんだ。
困った時にも笑顔になれたら困ったことにはならない。
とりあえず笑っていると困ったということにはならないんだ、と。

ご存じの方も多いと思うが、本の中でおときさんが胸を張った出来事があって、その一つ。

私は50数年の歌手人生でコンサートを中止したことは3回しかない。1974年に大雪で飛行機が飛ばなかった北見のコンサート。1995年にハイジャックに巻き込まれた函館のコンサート。2018年に台風で延期になった多可町のコンサート。(45頁)

やむを得ない状況だと思う水谷譲。
やはり度胸がいい。
◆加藤登紀子 1995年6月、羽田発函館行き…:有名人の事件・事故 写真特集:時事ドットコム
まだジャンボ機のデカいヤツがあった頃ではないか。
ハイジャックされて、おときさんは二階のキャビンを上がったところのスペシャルルームにいたのではないか?
おときさんは、そこから何か外部に向かって電話をしていた。
その電話の声みたいなのがテレビで流れた。
その時も克明に犯人の状況みたいなのを喋っておられた。
顔色一つ変えることは無いのだろう。
この人はしかし、度胸がいい。

 1990年11月、ニューヨークのカーネギーホールで二回目のコンサートをした時、ホテルで−中略−自分の指で乳房にシコリを発見した。
 帰国後すぐに病院へ行くと「悪性の癌の可能性が高い」と言われた。
−中略−年末は「ほろ酔いコンサート」があり、中止することはできない。その1ヶ月、抗がん剤の処置をしながらコンサートを開催すると決めて、初めてお酒を飲まずに「ほろ酔いコンサート」をやり切った。バンドのメンバーにもいっさい言わずに。
 年明け早々、正月明けの病院で手術を受けた。1月半ばにコンサートがあり、キャンセルはできない、と医師に告げ、ステージで着る衣装は、肩を出した胸元までのドレスだ、と伝えたら、ドレスのラインをマーキングして、絶対に傷跡が見えないように手術をしてくれた。
(19〜20頁)

(番組の内容とは時系列などの詳細が異なる)

 左胸の乳頭の下のほうを切除した後の乳房が、見ると10代の頃に戻ったみたいに可愛くて、「右胸のほうも切ってもらおうかしら」なんて言ったらお医者さんもびっくり。
「そういう風に言った人は初めてだなあ!」と一緒に笑った。
(20頁)

武田先生のテレビ番組に来ていただいた時にしていただいた話が凄く面白い。
何かのご縁もあっただろうが、武田先生も一部、彼女のそのあたりの出来事を知っている。
お話しましょう。
何よりも興味深いのは、おときさんに絡んでいく男達のバラエティーの面白さ。
いろんな男がおときさんに絡んでいく。
彼女が本の中で最も頻度が高いのが藤本敏夫さんという。
おときさんの旦那さん。
彼は関西生まれの活動家。
アメリカのベトナムに於ける戦争の有様等々を見て、もの凄くアメリカに反感を持ったという。
学生でありつつ反戦運動を繰り返し、機動隊にぶつかっていった。
数度逮捕、拘留、投獄されたという方で。
1960年代から70年にかけて、もの凄く激しい青春を生きた人。
特に70年前後の東大闘争に於いては先頭グループの活動家で。
この時におときさんと知り合ったという。
藤本という方も関西生まれの方らしいのだが、「東大生でありつつギターを持って歌う歌手である」というおときさんに接近した藤本さんは、「決起集会で歌を歌ってくんないか?君歌手だろ。歌ってよ。戦う学生の為に」。
そうしたら、おときさんは凄い。
その藤本氏に向かって「政治に歌を利用するというその態度は何だ」という。
そうしたらここから彼女の目がキラキラ輝きながら亭主のことを語るのだが、彼はすぐにひっこめた。
「あっ、そうだよね。悪かった、悪かった」と言いながら。
もの凄く素直に「君の職業に対して少し上から目線だったかも知れない」みたいな謝り方をして素直に詫びたという。
その詫び方が何ともはや、おときさんには爽快だったのだろう。
断固アメリカを許さない。
その態度は絶対に崩さない。
そんな彼に、おときさんはゆっくり惚れていく。
警察から目を付けられ、いったんは釈放とかになったりするのだが、またデモに参加してまた捕まって。
その度に警察にお迎えに行ったり、時には拘置所の前で彼の出獄をまったりしたという。
彼が投獄されると、おときさんも手紙を書いたり。
その間も藤本氏は、もの凄く愉快な人で独房の自分を明るく明るく文字にしておときさんに送り続けたという。
その独房の中での体験だが、藤本氏が独房の中に一人いる時、便器の中からネズミが這い上がってきで。
そのネズミと語るのだけが楽しみだったという。
そんなちょっとメルヘンチックなところに、若き20代前半のひとえまぶたのおときさんは、ちょっと色っぽい顔をしていたのだろう。
ますます傾斜していって、ここから一つの歌が生まれたという。
加藤登紀子さんが惹かれていった藤本敏夫さん。
学生運動の猛者がいた。
この人は会うとわかるのだが、凄くスマートな人。
会ったことがある武田先生。
文化放送のラジオ番組のゲストに迎えたことがあって。

『ひとり寝の子守唄』をギターを弾きながらうたった。この歌は、夫の藤本敏夫が学生運動のリーダーで拘置所に拘留されていた時の手紙がきっかけ。
「僕のひとり部屋(独房)にトイレ兼椅子がある。朝起きて蓋を開けるとよくネズミくんがいるんだ。そのネズミくんが僕の唯一の友だち」
(61頁)

(ここで本放送では「ひとり寝の子守唄」が流れる)

ひとり寝の子守唄


少ないコードでいいメロディー。
シャンソン歌手であったというその彼女が、歌謡曲を歌って、そこそこのヒットを飛ばした。
だが、そのヒットでは飽き足らずに、この「ひとり寝の子守唄」という歌を。
おときさんはそんなふうには言わないが(藤本氏を)喜ばせたかったのだろう。
それで出所した彼を迎えに行った。
それでこの歌を歌って聞かせた。
そうしたら彼は大激怒。
口を利いてくれない。
加藤登紀子、おときさんに向かって「ひとり寝の子守唄」の歌の印象を伝えた。
「惨めじゃないか」
藤本氏には惨めな歌に聞こえた。
熱心に学生運動をやっておられる彼にとっては「敗北の歌」だった。
70年、安保闘争は日本中の学生さんが政治に傾斜した時代なのだが、武田先生もこの歌を聞いた時に思ったのだが、やはり「ひとり寝の子守唄」というのは敗北の歌。
まだ本式の戦いは始まっていないので、藤本氏は妙に敗北を予感したこの歌が許せなかったという。
複雑。
それで二人は大喧嘩になったらしい。
一時期会わないとかということもあったのだろう。
そのうちに本格的に70年安保闘争が始まる。
70年、71年、72年ぐらいまで時が過ぎるワケだが、その度に藤本氏はデモに参加して逮捕されて投獄されている。
彼女がある日のこと、迎えに行ったのだろう。
刑務所か拘置所かどちらかわからないが。
そうしたら彼が出てきて。
それで事務所の片隅でコーヒーか何か入れて二人で飲んだらしい。
そうしたら彼の中にも、もう怒りが無くて。
それは「ひとり寝の子守唄」が持っていた「学生運動は敗れ去る」という予感の歌を現実に敗れた、負けた人間として彼も受け止め始めたという。
姉御が「そこで彼と話したの」とかと。
サラっと言う。
「私達はその後、キスしたの」
それが何か、あの人が話すと胸がキュッとなる。
二人とも22〜23歳。
だからお母さんが反対するはず。
恋している男は過激派の角棒を持って暴れている男だから、決していい顔はなさらなかったという。
それを振り切ってその男と獄中結婚するワケだから。
そしてここで本当に運命。
「ひとり寝の子守唄」を藤本氏は許した。
と、同時に藤本氏は歌を歌い出した。
藤本さんは古里が京都なのか。
ちょっとこのへん、よくわからないが。
京都に有名な喫茶店がある。
その当時の流行言葉で言うと「学生街の喫茶店」があった。
京大の子達がたむろしている。
そこの喫茶店のマスターがEPレコードに針を置いていつも聞いている歌がある。
その歌を藤本氏が歌ってくれたらしい。
その歌はボブ・ディラン等の反戦歌では無かった。
森繁久彌さんの「知床旅情」。

森繁久彌全曲集 しれとこ旅情


レコードがあった。
それが何回も何回も流れてくるもので、藤本氏はそれをソラで覚えてしまったという。
姉御がおっしゃったのだが「彼はね、いい声で歌うのよ」。
「それ姉御、惚れてる証拠じゃないですか」と言いたかった。
藤本という青年は、いい声で歌ったのだろう。
藤本さんは敗北を受諾したという。
そしてその他の罪でも逮捕されて再度刑務所に収監された時、おときさんは妊娠してしまった。
面会に行くと鉄格子の網越しに藤本氏からプロポーズされて獄中で夫婦の手続きを取ったそうだ。
出所するのを迎えに行って。
藤本氏はどうしたかというと、千葉の鴨川に農園を開いて、そこで農業を始めたという。
これはけっこう成功する。
「面白い生き方だなぁ」というので、この局・文化放送が武田先生に紹介してくださって。
「元過激派の闘士で、今農業をやっている」というので彼をゲストにして番組(を放送した)。
(いつごろの事かというと)「その頃」としか言いようがない。
「青春大通り」とか、そういうタイトルの時だったのではないか。
(文化放送「ペパーミントストリート青春大通り」に武田先生がパーソナリティとして出演していたのは1978年4月〜1980年9月)
ハンサムな人で。
語り口が、おときさんが言うとおり明るい。
武田先生に向かって「武田さん。武田さんも一度捕まって刑務所で過ごすと勉強になりますよ。もう本当にありがたいですよ刑務所は。こんな僕にいろんな仕事を教えてくれて、僕はもう農業を教えてくれたのは刑務所でした。みなさんもね、遠慮しないで一度入った方がいいですよ」という。
何か悪いが、しゃあしゃあとしている。
農業をやる。
人手が足りない。
彼は何と言ったかといったら、ご近所に触れ回った。
「お宅の坊ちゃんお嬢ちゃんで成績不振の方がおられたらよこしてください。私が勉強教えます」
「家庭教師を無料で」みたいな。
それで少年や少女達を集めて、それで勉強を教えた。
それで「勉強の合間に体を動かさないと頭よくなんない」と言うので田んぼに連れていって作業をやらせたという。
この人はたくましい。
それでみるみる農業に於ける販売組織をを作っていく。
契約農家として主婦の方と契約を結んでもらって、そこに安心・安全な野菜を。
この時の発想はおときさんだった。
おときさんと子供に「よいものを食べさせたい」と言って農薬をもの凄く抑えて、或いはできるヤツは無農薬で。
それがこの藤本という人の凄いところ。
おときさんは未だに「感謝している」と。
だが、少年や少女達を集めて「無料で教えます」と言ってタダでこき使ったとかという知恵は思わず喝采を送りたくなるような。
そして彼は農園経営を軌道に乗せてゆく。
でも若くして50代で亡くなられるのだが、加藤登紀子さんの言葉の端々にこの人に対する愛情みたいなのを凄く感じる。
ベタベタしていないが。
学生運動は72年を境にして敗北していく。
おときさんは「ひとり寝の子守唄」から「シンガーソング」「作って歌うんだ」というキャリアをスタートさせる。
でも、「いい歌を作ろう」と思うのだが力みがあって。
お母様から注意された。
「歌ができない時は無理して作ること無ぇのよ。不出来な歌、聞くほど辛いことは無いんだから。人の歌で何か出来のいい歌何曲か知ってるでしょ?それを歌えゃいいんだよ」
フッとひらめいたのがこの歌。
(ここで本放送では「知床旅情」が流れるが、ポッドキャストでは流れないので意味不明な感じになっている)



このあたり歌とのめぐり逢いというのが、不思議な運命。
この時に姉御も横着。
悪いが、森繁(久彌)さんの許可を取っていない。
いい時代だと思う水谷譲。
ワリとみんなルーズだった。
ところが後に加藤おときさんを見かけたあの大俳優・森繁「お〜!君か!。」
この再会から更におときさんに訪れるキャリア。


2025年11月13日

2025年9月22日〜10月3日◆日本語教師、外国人に日本語を学ぶ(後編)

これの続きです。

我々が知っている日本語なのだが、しかし立場を変えて異国の人が学んだ日本語を我々は逆に教えてもらおうという。
日本語を日本人が学ぶ。
異国の人がもちろん先生としてだが。

 今回お話を聞かせてくれた、西アフリカ、ベナン共和国出身のアイエドゥン・エマヌエルさん(エマさん)(151〜152頁)

ガーナやナイジェリアに囲まれた1300万ほどの小さな国だそうだ。
(ガーナには接していないようだ)

 ゾマホンさんというタレントさんがいますよね。彼はベナン出身なんですが、父が日本にいた時『息子さんを留学させたらどう?』とゾマホンさんに勧められたことがきっかけで、日本へ行くことになりました。(153〜154頁)

祖国はフランス語が公用語で

私はヨルバ民族で、−中略−ヨルバ語と日本語の音はすごく似てるな、親しみやすいなとまず思いました。(154頁)

特に漢字に興味津々でした。(154頁)

漢字はエマさんが言うように絵にも記号にも見えるだろう。(155頁)

一文字ずつ全部意味を持っている。
それで文法的に彼がもの凄く異様だと思ったのが自動詞と他動詞の違い。

「電気がついています」「電気をつけておきます」という文が初級レベルの中盤あたりに出てくる。「ついて」と「つけて」の違いを、普段わたしたちは気にしない。が、前者は自動詞、後者は他動詞で、この区別はとても大事な文法項目だ。(158頁)

我々は普通にやっているが外国の方は難しいと思う水谷譲。
難しいだろう。

留学はお金もかかるし、−中略−
 留学生活2年目からは深夜のアルバイト
(160頁)

日本語学校で過ごし、エマさんは大阪府立大学へ進む。(161頁)

エマさんは目標が高い。

「この店、おいしくない」を「この店、おいしいじゃない」と言ったり、「昨日は暑かったです」を「天気が暑いでした」と言ったりする人もいる。そのような日本語で生きるのは決して悪いことではない。−中略−
 日本の大学院で学びたいという目標を持っていたエマさんは「生活の日本語」のさらに上を目指して言葉を磨いた。
(164頁)

英語、フランス語、当然ながら彼は堪能。

英語の文章を翻訳しなさいと指示されたら、前は一旦フランス語に訳して意味を把握していたんですけど、今は日本語で理解しながら読んでいますね。日本語のほうが先に出てくる。(169頁)

凄い頭。
今、言葉コミュニケーション、言語コミュニケーションの研究者として関西大学で教え、しかもまだ学んでいるエマさん。
日本にアニメや漫画を通して興味を持つ留学生たちに楽しんで学んでもらう
日本語のシステム化を目指したいという。
(アニメや漫画の話はエマヌエルさんの話とは別件)
しかしここでもまた、アニメや漫画が出てくる。
彼の指摘の通り、アニメとか漫画とかというのは日本の文化のよほど深いところから出てきているという、そんな気がする。
こんなエマさんのような人から私達は今、日本を探す時代にきている。
「漫画って何か」「アニメって何か」というのは考える。
「アニメとか漫画は日本文化だ」と言われるとちょっと照れくさくて「そうじゃ無ぇよ」と拗ねたくなる時もあるが、鳥獣戯画から始まってずっと漫画の歴史はある。
(鳥獣戯画は)漫画。
ウサギとカエルさんとか、タヌキさんとかキツネさんが楽しく絡み合うというのは一種漫画の技法だし。
そういう意味で実は深いところに漫画やアニメの源泉みたいなものが、日本文化そのものにあるのではないか?

次の方にいく。
この方は面白い。
こんな人がいる。
異国の方。

工藤ディマ(くどう・ディマ)
2000年生まれ、ウクライナ・キーウ出身。
(174頁)

日本で声優デビューを果たしたのだという。(171頁)

日本で公開されたウクライナ発のアニメーション映画『ストールンプリンセス:キーウの女王とルスラン』でデビューを飾った。もちろん日本語での吹き替えだ。
 活躍されている外国出身の声優さんと言えば、中国人の劉セイラさんをはじめ何人かの名前が思い浮かぶ。
(175頁)

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こういう存在を知って驚くのだが

 10代の頃から、日本のアニメや漫画を見たり読んだりしていて、日本語に興味はありました。−中略−でも、日本語の音は好きでした。響きが好きだったというか。(176頁)

キーウにいる時からコツコツと日本語の響きを学んだ。
同じような音が並んではいるが、その言葉の並べ方が面白い。
(この後の話は本には無い)
「私は酒を飲んだ」「私は酒を飲まされた」の受動・能動の違いなどから「は」や「が」の助詞の変化、周りに一人も日本人がいないウクライナで我流で勉強したという。
助詞をいいだすと日本語は難しい。
でも、そこに日本語の深みみたいなものがある。
「思えば遠くきたもんだ」「思えば遠くきたもんだ」
このへん。
やはり助詞まで出てくると日本語というのは際限も無く・・・
この方はそのウクライナで一人で日本語が面白くて一生懸命勉強していたという。
でも時たま日本人がやってくると無我夢中で話しかけて彼との会話、彼女との会話を全部録音して日本人が話す言葉を勉強し続けたという。
やっと22歳の時に来日がかなうという。
一年後にウクライナアニメの日本語声優としてデビューという幸運を掴んだ。
ディマさんは生まれつき耳がもの凄くいい方で、耳のカンがいい。
この方の発言だが、言葉としてロシア語とウクライナ語は結びつきが非常に大きい言葉である。
日本語とは大きな差がある。
ロシア・ウクライナ語は長く長くうねらせて喋る。
日本は違う。
平べったく喋る。
音を繋ぐロシア語・ウクライナ語と違って、声を響かせようとする。
そうかも知れない。
特に自分の主張や訴えのところを響かせる。
武田先生も時々思うが、アメリカの大統領は自分が残す名言みたいなのをサラッと言う。
ジョン・F・ケネディ「Together」と言う。
「共に」「一緒に」という「Together」。
それが凄く軽い。
そういう意味では、日本人は響かせる。
「共にやろうではございませんか!」
こう言う。
(バラク・)オバマさんみたいな人は珍しかったのかと思う水谷譲。
「Yes We Can!Yes We Can!」みたいな。
でも言い方としては軽い。
やはり「響かせ方」というのは日本人が響かせる。
それからこの人は面白い指摘をしている。

 例えば、「にほんご」の発音は、「に」が低く「ほ」で上がり、その次の「んご」は「ほ」と同じ高さだ。(186頁)

これが異国の人が聞くと波打っている。
「に」が低く「ほ」で上がり「んご」は「に」と同じ音。
頭の音と同じ音にする。
(「んご」の高さは頭の音ではなく「ほ」と同じ音)

「うつくしい」は「う」が低く「つ」で上がって「くし」は「つ」と同じ高さだが「い」で下がる。「いつも」は、最初の「い」が高く「つも」は低い。(186頁)

小さく上げて下げながら言葉を響かせるという。
こんなのを一つ一つ彼は聞いていた。
当たり前のようにやっていたからわからない水谷譲。

日本語のリズムをトントントンだとすると、ウクライナ語やロシア語はトゥルルルルって感じで、一つの文章の中にポーズ(間)がほとんどない。文字ひとつひとつをちゃんと言わないで、つなげて言う。日本語は文字をはっきり発音するから(187頁)

日本語は『声の芝居』の自由さが、ウクライナ語やロシア語より圧倒的にある。声の演技の自由度で言ったら、日本語を10割とすると、ウクライナ語が3、4割で、ロシア語は2割くらい。(188頁)

これが「響かせる」という意味ではないかと思う。
プーチンさんはそんな感じがする。
「(ロシア語っぽい言葉)」と言いながら何かトゥルトゥルトゥルトゥル言っているような気がして。
もちろん日本の政治家も政治家によっていろいろ格があるので。
いろんな方がいらっしゃると思う水谷譲。
でも何かそういう決定的な違いを彼は体験したようだ。
多分アニメになった場合、日本語では十秒のセリフで表現できる。
ロシア語の場合は同じ意味のセリフは五十秒から一分もかかる。
5〜6倍かかるのかと思う水谷譲。
彼の感想は、日本は感情をもの凄く短くできるということ。
そんなふうにとにかくディマさんは感じている。
(という話は本の中には無い)
日本語ではディマさん曰く「好きです」「おいしい」「かわいい」はそのものに接した時、まるで息を吐くように日本の娘達はその言葉をつぶやく。
そう。
「ああ美味しい!」「かわい〜!」息を吐くように。
しかしロシア語はそのような表現を好まない。
そのような感想はじっくり感じて言うものであって、それ故に表情がいちいち遅れるのである。
息と一緒に感想は言わない。
一回飲んでから言うという。
日本語の難しさもあるだろうが、これは一番、武田先生がハッとした言葉だが、この表現はやはり難しいのではないか。
このディマさんがある日本の監督さんからこんな演出を受けた。

「驚いているんだけど驚いていない感じを出してくださいって言われて、オーケーが出るまで時間がかかったセリフがありました。(190頁)

こういうのはどうか?
これはある。
特に声優という仕事の場合は声に頼る分があるので、声に頼るとこういう複雑な表現というのが難度がいきなり上がってしまう。
これは表情があると何とかやりようがあるのだが「驚いているんだけど驚いていない感じ」という。
難しそうだと思う水谷譲。
つまり「ああ!びっくりした!」ではなく違う表現だと思う水谷譲。
でも驚かなくてはいけないと思う水谷譲。
ディマさんはこの時に自分が試されているということをもの凄く感じて、必死でやったという。
だがディマさん。
日本人がお芝居を作っていく時は、これは必ずある。
この手のお芝居は「うらはら」というお芝居なのだが、上手な人が昔いた。
我々にはお手本がいくらでもあって。
渥美清さん。

男はつらいよ・望郷篇 [DVD]


この人が寅さんを演じている時、女性を会話をしていて。
長山さんが演じたその女の子が、寅さんはてっきり自分に恋をしていると女の人を誤解している。
その人が別の恋人のことを思いながら涙を拭いたりなんかして、寅さんに聞く。
「ねぇ寅さん。寅さんは何で結婚しないの?」
彼はびっくりしている。
つまりラブコールだと思ってしまう。
「愛を打ち明けられた」という。
その驚いていることを隠す。
その演技が、近くにあった水草の葉っぱか何かで水面を軽く撫でながら「ん?ああ、俺?んん。いろいろあったしな〜」。
もうこれが上手い。
ディマさんにも見て欲しいのだが。
それはディマさんが命じられたこと。
「驚いているんだけど驚いていない感じ」を渥美清という俳優さんは見事に演じてみせてくれるワケで。
「全く驚いていない」という感じだと「驚いているんだけど」は表現できない。
これが演技力の難しいところで。
この表現は日本人の暮らしの中にはあること。
「時として我等は真反対のことを言いつつ、本当のことを言うことがあるのです」と。
武田先生はそんなふうに書いている。
武田先生も演技論になってしまったから、山田洋次さんのところに初めて映画に出た時に仕込まれた。
言葉と裏腹のことを言っている。
「オマエなんか大っ嫌いだ!」という「大好き」な言い方。
これはある。
「オメェみたいなバカなツラは見たく無ぇや!」と言いながら「出ていくなよ」という、そういう親子の情愛。
人間の暮らしの中には、こういう真反対の用語を使うというのがある。
ディマさんが声優さんとして成功されることを祈っております。
声優というのは難しい商売だろうから。
本当に本当に凄い。
想像力とか微細な声の変化とか。
そういう演じ方だから。

次の方にいく。
最後に取り上げる人はジョージア。
アゼルバイジャンとロシアに挟まれた、黒海を挟んでウクライナ、その反対はカスピ海というあの辺の今、戦争をやっているあたりの。
申し訳ない。
グジャグジャとしたエリアにあるジョージアという国。
昔はグルジアと言ったのだが、今はジョージア。
東ヨーロッパの小国のジョージア。

ティムラズ・レジャバ−中略−
1992年に来日、
−中略−早稲田大学国際教養学部を卒業し、2012年4月キッコーマン株式会社に入社。−中略−2018年ジョージア外務省に入省。(226頁)

相当日本語が達者な方。
彼の日本論、日本人論というのはXのアカウントで35万人のフォロワーを持っているという。

Xのアカウントには35万人以上のフォロワーがおり(227頁)

日本語の理解力は抜群。
しかも指摘なさることが実に鋭いという。
本か何かお書きになって大注目を浴びた方。

ジョージア大使のつぶや記


まずそのレジャバさんがおっしゃるのは同じこと。
日本語に汚い言葉が少ない。

ジョージア人にも『日本語の汚い言葉って何?』と聞かれることがあるんですが、『うーん……バカ≠ュらいかな』と答えると『え、それだけ?』と結構がっかりされます(234頁)

日本語は、汚い言葉も少ないけれども褒め言葉も少ない。(234頁)

合格祝い、結婚祝い、金婚式、優勝、誕生日、出産、昇給。
全部同じ「おめでとう」。
お互いの健康を祝したり、愛情、友情、気遣い、お世話への感謝、そういうことを褒める時、「おめでとう」そういう言葉遣いしかない。
「おめでとう」というのはサイズとして大きい言葉なので、適切な褒め言葉みたいなものが無い。
励ます言葉も少ないと言う。
「頑張って」になってしまうのだが何か「頑張って」とあまり言いたくないなという人も多いと思う水谷譲。
「頑張って」とその手の言葉「大丈夫だよ」とか。
でもそれは危ない時にも使う。
「ダメかな、この人?」という時も「頑張って」「大丈夫」と言ってしまうという。
そういう意味では励ます言葉は少ない。
レジャバさんの日本人観察から、それ故にであろうか、日本人は褒め言葉を補う為に贈り物が多いという。
お歳暮とかお中元かと思う水谷譲。

「だからこそ日本には、いろんな場面で物が登場するんです」−中略−
「手土産や差し入れ、手紙、季節ごとの贈り物、そういう物で日本人は想いを相手に伝えますよね」
(236頁)

「おすそわけ」とかと思う水谷譲。
日本独特なのかと思う水谷譲。
複雑なヤツがある。
「到来物で申し訳ありませんが」とか。
「人からいただいたものをまたあなたに回す」という。
内祝いとかも面倒臭いと思う水谷譲。
新渡戸稲造の武士道という本の中に書いてあって「そうだな」と思ったのは

武士道 (岩波文庫 青118-1)


日傘をさしている。
それで、あるご婦人が町を歩いている。
向こう側から日傘をささない人がやってくる。
その時に二人の婦人は足を止めて挨拶をし、世間話を始めるのだが、この時のマナーが日傘をさしている人が閉じる。
これが日本人のマナー。
「同じ直射日光の下にいる」ということが日本人のマナーで、日本人は「同一である」「同じ思いをしている」ということが全てのマナーの原点らしい。
「朝早いですね」が「おはよう」だから。
向こうも「おはよう」と言う。
西洋の場合は宗教が後ろにあるので「よき朝を」という意味で「Good morning」「神のご加護がありますように」。

ここから一番、武田先生が面白かったというか、「なるほど」と思ったのだが、レジャバさんはジョージアという国で、前にはウクライナの人の話もしたが大相撲の力士がウクライナから来ている。
安青錦(あおにしき)。
強い。

多くの日本人に名を知られていたジョージア人と言えば大相撲の力士たちだろう。−中略−臥牙丸、栃ノ心。(327頁)

漢字文化圏の中からお相撲さんが出てくるのはわかるのだが、この北村さんが「よく東ヨーロッパの人が相撲の世界になじめましたねぇ」という。
そうしたらレジャバさんは面白いことを言っている。

「相撲の動きと言葉が一体化しているからじゃないかなあ。例えば、押し出そう、という時に、この動作を言葉にすると押し出しだ、ということが頭に刻まれて、体の動きと合致する。−中略−『右四つを狙う』とか『はたき込む』とか、勝つための思考が言葉と結びついているんですよね。(238頁)

だから東ヨーロッパから来ている人も一つわかると体の動きで全部わかる。
それがいわゆる相撲界に東ヨーロッパの人が活躍できる源ではないのか、という。
「なるほど」と思う。
でも逆に教えてもらうとわかりやすい。
こうやって考えると面白いもの。
彼は東ヨーロッパの小国、小さい国であるジョージアを心から愛しておられる。

大国が世界を仕切る時代になっている。
関税大国アメリカ。
そしてもう一国の大国が一帯一路の中国。
プーチンさんもそう。
ロシアも大国。
そういう大国がそれぞれ自国主義に陥っているという現状なのではないだろうか?
だから小国のジョージアにこそ心のよりどころがあると彼は言う。
水谷譲と先週話したのは「何でこんなにインバウンドの人が日本にやってくるんだろう?」という。
つい何年か前まで凄くバカにされていたことが一転してしまったワケで。
魚なんかも「気持ち悪い」ばかり言われていた。
生の魚を・・・
ずっと日本の食事は軽蔑されていたのだが、ある日突然。
それから「本家は俺だ」と言いたくなるだろうと思うがラーメン。
ラーメンというのは中国の人が発明したのであって、それを日本人が特化させたワケで。
日本独特のラーメン文化があると思う水谷譲。
その通り。
独特。
ジョージアのレジャバさんがおっしゃりたいのはそのことではないか?
小国は小国として、もう少し自己主張してもいいのではないだろうか?という。
私達は確かに大国からいろんな影響を受けているが、でも小国はそれに磨きをかけて作り直しているワケで。
日本というのは大国から流れてきたものに磨きをかけて日本化していくということに関しては殆ど天才的ではないかなと思ったりする。
そういうことをわかって考えた上での「日本人ファースト」ということなのかと思う水谷譲。
水谷譲は鋭い。
そういうこと。
「日本人が一番だ」という意味ではなくて、ということだと思う水谷譲。
「非常に日本人は独特なんだ」という。
私達はすぐにわかる。
ニューヨークや北京でラーメンを食べたことが無い水谷譲。
(海外でラーメンを)喰いながら「これは違うな」と言う。
やはり日本人の日本のラーメンが一番美味しいと思う水谷譲。
「これは違うな」という、それを持っていることが日本人。
ニューヨークの天ぷらとか寿司とかも全然違うので「これ違うよ」と思う水谷譲。

今度紹介する。
もう予告編で。
これを言ってしまうのだが、同じテーマを走っていくつもりでいるので、きっとわかっていただけるだろうと思うのだが。
バルセロナで豆腐屋さんをやっている人。

バルセロナで豆腐屋になった──定年後の「一身二生」奮闘記 (岩波新書 新赤版 2051)


この人は正直に文章に書いてらっしゃるだけなのだが、バルセロナでこの人が作った豆腐を食べた人というのは他の店に行って他のお客さんに薦める。
「この豆腐不味いよ。あそこに美味しい豆腐屋ができた」と。
日本の豆腐。
この時に水谷譲が言った「日本の」なのだ。
これは悪いことではない。
そんなことは全然やっていいのだから。
バルセロナに日本料理店が例えば80軒あったとすると60軒は中華系の人が経営なさっている。
だから「寿司」という看板を見ても日本人が望んでいる「寿司」ではない。
それで武田先生は「なるほど」と思ったのだが、一発で「あ!これは俺が求めてる日本の寿司じゃない」とわかるメニューがある。
メニューをバーっと開いて餃子をやっていたら(店から)出た方がいいという。
あり得ないワケで。
日本の寿司屋さんでマグロを握った後で餃子を焼いてくれる店というのは無い。
最近は日本の回転寿司でも餃子が乗っているお寿司とかハンバーグが乗っているお寿司は出てきているから「広がっては来てしまっているのかな」「それはそれでありか」と思う水谷譲。
好みでいろいろ。
でも「オマエが食べたかった寿司か?」ということ。

もう一つ話題があって、これは内田樹さんがそう指摘なさっていて武田先生はめっちゃ深く頷いたのだが、日本の寿司屋さんは寿司をお客さんが褒めると自分の手柄にしない。
例えばマグロ二貫がポーンと出てきた。
口に入れた。
美味い。
「美味いねぇ、マグロ」と、こう褒めると、日本の寿司屋さんは自分の腕前とか一切話さずに「いやぁ今日は大間産がいいマグロが入ったんですよ。あのあたりは海流が激しゅうございましてね、マグロが一生懸命泳ぐんで、身がピシっと」という。
味の手柄を漁師さんと自然に託すという。
それが寿司職人のマナーだ、という。
他のものを絶賛するという、日本人の何かがあるという。


2025年9月22日〜10月3日◆日本語教師、外国人に日本語を学ぶ(前編)

(8月22日放送の「僕には鳥の言葉がわかる」の最終日でもこの本に関して触れているが、内容が今回のものと重複しているので省く)

タイトルズバリなのだが「日本語教師、外国人に日本語を学ぶ」

日本語教師、外国人に日本語を学ぶ (小学館新書 487)


そんな本を手に入れた。
(著者は)北村浩子さんという方。
小学館新書。
武田鉄矢の人生最後の学びなのだが「日本人て何か?」と考え始めた。
それだけは解き明かしてこの一生、終われたらいいなと思って。
水谷譲はまだ生まれてからそんなに時間が経っていないから。
武田先生は子供の時から敗戦国日本に生まれて、団塊の世代だから、ロクなことが無かった。
日本は酷い言われ方で、学校の先生で「酷い国に生まれて、君たちは可哀そうに」とか言う先生もいたし。
それに近いことをおっしゃる方がいらっしゃった。
武田先生達は小学校の五年生で見た映画は北朝鮮の記録映画の「チョンリマ」という。
(1964年8月末に封切りされた『チョンリマ(千里馬) 社会主義朝鮮の記録』のことを指していると思われる)
いかに北朝鮮が幸せな国かというのを(学校で見せられる)。
思春期の頃は日本の悪口を言う本が大流行して。
一番よく売れたのは外交部門の日本人の人が書いた「みにくい日本人」というのがあって。
ショックだった。
「俺達は醜い日本人に生まれたんだ」と言っていた。
大学生になっても三島由紀夫なんていう頭のいい人が腹を切って死んでしまうし。
ところが後期高齢者の仲間に入った途端、「インバウンドインバウンド」と日本に観光客が来る。
これをどうケリを付けるか?
これはやはり一生のテーマ。
だから自分でそのことを感じたら手繰り寄せよう。
その時にバッタリ本屋さんで目が合ったのは「日本語教師、外国人に日本語を学ぶ」。
つまり外国の方で日本を熟知なさっている方に「あなたの知ってる日本とはどういう国ですか?」というのを、この後期高齢者、武田先生も知りたくなった。

北村浩子(きたむら ひろこ)−中略−
フリーアナウンサーとしてFMヨコハマにて20年以上ニュースを担当し
−中略−2009年からは日本語教師として(奥付)

メディアにも慣れておられる。
この人は日本語教師として異国の人に日本語を教える時、その人達が一体何があって日本語を学びたいと思ったのか?
その後、日本語を知ることによって彼は、或いは彼女はどう変わったのか?
この国の歴史の中で初めて。
こんな時代は無い。
令和というこの時代で異国人が大量に日本に、観光等々、仕事の方もいらっしゃるがおしかけてきているという。
インバウンドはどこに来ているか?
ハチ公、豪徳寺の猫、それから相撲の桟敷席に座って見ている人がいる。
最近、相撲見物の外国の方がどんどん増えている。
そして鎌倉の湘南電車。
あれを何で記念写真に撮りたがるのか?
それから合羽橋にも。
彼らは日本の中の日常を見物している。
一体彼らは何を探しに日本に来ているのか?
日本を彼達の日本語で語ってもらおうというワケで。

これは、この本を読んでいる時にズバリ会った。
著者はテレビでお馴染みの人物からこの探索を始めている。

日本でデビューした韓国出身の歌手、Kさん。(13頁)

韓国・ソウル市出身。(12頁)

奥さんは日本人(妻は関根麻里、義理の父は関根勤)。
Kさんというのはもちろん韓国の方というのは知っていたが、番組でバッタリ会った。
凄く好感度の高い彼。
日本人らしい日本語で。
彼は2002年の日韓共同開催のサッカーワールドカップのテーマソング、日韓コラボの「Let's Get Together Now」を契機に日本にやってきたという。

2002 FIFA World Cup Official Album~Songs of KOREA/JAPAN~


その時に、不思議な感性。
この「Let's Get Together Now」というそのテーマソングを彼も歌っていた。
その時に韓国語で彼は歌うのだが、共同開催だから歌詞の半分ぐらいは日本語。

今まで聴いたことないメロディ、言葉の響き、使い方。そういうのが全部合わさって、ああきれいだなあと思ったのが日本語の第一印象です。(16頁)

 スカウトされて来日したのは2004年。(16頁)

やはり一つ目標として「日本で仕事をすれば」という。
それで彼は日本にやってきて仕事をし始めたのだろう。
ラジオで喋る仕事があったが「ハングルではなくて、お願いだから下手でもいいから日本語で喋って欲しい」。
(本の内容とは異なる)
そして本人も喋りたくなって、そこから勉強を開始したという。
その彼が一体、日本語をどう感じたのか、ちょっと知りたくないか?
このあたりから異国の人から日本語というのを学ぶという、この本の企画、鮮やかに惹き付けられた。

そして二年、三年と続くうちに失敗を繰り返しながらゆっくり上達していったという。
そのあたりから日本語の深みを直感するようになったという。
ここからがKさんの指摘はドキッとする。

『韓国にいるお友達やご家族は、Kさんが今こうやって日本で音楽を作っていることについてどう思っていらっしゃいますか』とインタビューされた時。『みんな、僕の活躍をネットで見て喜んでますよ』と答えちゃったんです。日本では自分で自分のことを『活躍してる』って言わないじゃないですか。−中略−韓国では、今自分はこういう『活動』をしていて、なおかつ『活躍』もしていると自分でアピールする国なので、僕はその感覚で喋ってたんですけど、マネージャーさんに指摘されて、そうだったのか!と。(25頁)

(番組では自分で気づいたという説明をしているが、本によると上記のようにマネージャーからの指摘)
(日本語では)「僕の活動」とか「僕の仕事」とか、そういう言い方をするが「活躍」とは言わない。
こういう発見はハッとする。
大臣まで務めた人が「うちには米は売るほどある」とか、あんなバカを言う人がいる中で、韓国人のKさんは非常に日本語というものを敏感に捉えて、自らの働きぶりを「活躍」という表現を日本でする人は非常に少ないという「そんなふうには言わないんだ」。
「コメ買ったことない」「売るほどある」農水大臣の発言が波紋 「国民の感情を逆なで」街では批判の声 コメ価格は再び最高値更新…苦悩する老舗せんべい店【news23】 | TBS CROSS DIG with Bloomberg
日本語の面白さは何かというと、名詞を繋いで新しい名詞を作る。
こんなことは日本人は気が付かない

『葉・桜』って書いて『はざくら』って言うじゃないですか。文字で見れば葉っぱの『葉』と、桜の木の『桜』で、2つの言葉をつなげると、さくらに点々(濁点)が付くんですよね。(30頁)

「葉」+「桜」が「はざくら」と発音されるような現象を「連濁」という。「本」+「棚」が「ほんだな」、「青」+「空」が「あおぞら」となるなど、後ろの言葉の最初の文字に点々が付く現象のことだ。連濁が生じる条件には一定のルールがあり、例えば「海外」+「出張」は「かいがいじゅっちょう」にはならないし(31頁)

こんなふうにして日本人は絶対に間違えない。
このKさんがおっしゃりたいのは日本人は習っていないのに使えるという。
Kさんはしきりに「その国の国語が上手くなりたければ人と話して恥をかくしかないですよ」という。
そしてこの人はこんな深いことを言っている。
これは考えましょう。

いつも100%日本語だからか、韓国へ帰ると、金浦空港でタクシーの運転手さんが『安くできるよ』って必ず日本語で僕に言うんです。−中略−
 フィーリングというか、日本人っぽい何かが出てるんでしょうね。
(33頁)

その時はK君は日本人のフリをするそうだ。
そっちの方が話が早いし楽だそうだ。
向こうもあの手この手を誘ってくるので。
何かそんなことをおっしゃっていた。
テレビ番組で彼に会ったのだが、本当にいい青年で。

浩子さんが次に紹介してらっしゃるのが

イザベラ・ディオニシオ
1980年生まれ、イタリア出身。ヴェネツィア大学で日本語を学び、2005年に来日。
(58頁)

「驚いたこともいっぱいあります。−中略−単数・複数をその都度はっきりさせるわけじゃないということ。(68頁)

私達は複数というのを持たない。
向こうは「eggs」とか「apples」とか「s」を付ければ複数。
日本というのはもの凄く曖昧。
一番平べったいのは「達(たち)」を付けるという。
「金曜日の妻たち(へ)」とか。

金曜日の妻たちへII 男たちよ、元気かい? DVD-BOX


でも「卵たち」とは言わないと思う水谷譲。
この「たち」を付けて複数にするが、「人たち」「虫たち」「魚たち」で複数にしても「木たち」「花たち」「山たち」とは言わないという。

自然界だと「木々」「花々」「山々」のように「々」で言える、と思いきや「川々」はない。(68〜69頁)

「海々」「滝々」とか言わない。
これはイタリアの人は本当に不思議らしい。
そして日本の文法に強烈な不思議を感じるという。

時制の話には思わず「!」となった。−中略−
「『本を読んでいる時、電話が鳴った』という文の『読んでいる』は過去形じゃないけれど、後ろの動詞が『鳴った』になっているので、この文全体で過去の話だと分かります。本を読んでいるのも過去なのに、動詞が過去形にならない。日本語のこういうところも驚きでした。
 イタリア語は、動詞の形がたくさんあるんです。近過去、半過去、大過去、遠過去。
−中略−さっきの『本を読んでいる時、電話が鳴った』という文だったら、『本を読む』と『電話が鳴る』は、違う過去。本を読むのは時間的に長く続いている過去で、電話が鳴るのはその中に一瞬だけ入ってきた過去、半過去と近過去のコンビネーションになるんです」(69〜70頁)

これがイタリア。
ところが日本人は現在で言ってしまう。

「動詞の形で、自分がどう思っているかも表現できるんですよ。例えば『どこかに行った』という事実をひとつ言う時だけでも、動詞の選び方によって、例えば『実は行きたくなかったんだよね』という気持ちを含ませることができます」(70頁)

 イザベラさんの『女を書けない文豪たち』の中に、日本語には汚い言葉が少ないので〈汚い言葉を真っ先に習いたい留学生は大体みんながっかりする〉というくだりがある。(71頁)

イタリア語とかロシアとかにはたくさんありますし(72頁)

ところが日本語の汚い言葉は「バカ」ぐらいしかない。
それに頻度を付けて「クソ」とか付けるが、もうイタリア語には、汚い言葉が山ほどある。
小バカ、中バカ、大バカ。
イザベラさんの感性。

 日本語は、すごく怒った時、逆に丁寧になりますよね。恋人同士が『どうなさいます?』みたいに言い合ったりする。(72頁)

そのことによって怒りを伝えている。

「日本語で話している時の自分と、イタリア語の自分は人格が違います。(79頁)

これは面白い。
「テメぇ」とか「オメぇ」と言うよりは「あなたが」となった時の方が怖いと思う水谷譲。
内田樹さんという哲学者が指摘なさっていたが、「はい、わかりました」と言うのは「わかっていない」のと「もうあなたと話したくない」と言う言葉。
「はいはい、わかりました、わかりました」
日本人は、そういう言葉遣いの中でずっと生きてきたのだろう。
でも異国の人から見ると面白くて仕方がない。

もう一人いく。
この方はメディアなんかでもご覧になった方があると思う。
コメンテーターなんかでも出ておられる。

マライ・メントライン
1983年生まれ、ドイツ北部のキール市出身。姫路服飾西高校、早稲田大学に留学。
(88頁)

ドイツ人という立場で日本を観察している。
決して意地悪ではなくてこの人の日本観は実直。
もう真面目。
この人の指摘なのだが、日本人はその言葉をみんな知っているくせに使わない。

「『いいえ』です。使わないよね?(114頁)

「YES」「NO」の「NO」。
「いいえ」と返事をする人を聞いたことがない。
確かに「はい」は言うが、「いいえ」は冗談で「いーえ!」という感じでしか使わない水谷譲。
「これはあなたのものですか?」と訊かれると日本人は「はい。違います」と言う。
そしてもっと細かいのだが「いいえ」は使わなくて、

強くノーって言いたい時は『いえいえ』を使うし(115頁)

でも「いいえ」は使わない。
「いえいえ」も小さく伝える。
「いいえ」と、はっきり言う人がいないという。
マライさんは「日本人は否定或いは拒絶を相手に伝えることに関して失礼だと思っているという、言語上の礼儀作法があるのではないか?」。

強い言葉はなかなか使えないですよね。『全部は言わないけど、察してね』っていうのが日本語の前提で(112頁)

よく「おかわりいる?」とかと言うと「いいえ」じゃなくて「大丈夫」と言う。
「大丈夫って何だろうな?」と思う水谷譲。
「いいえ」と言うと「もういらないよ」となってしまうのだろうと思う水谷譲。
「いいえ」というせっかくある否定の言葉を使わないようにしているという。
考えてみると面白い。
もう一回繰り返しておくと、こういうことは異国の人から教えてもらわない限り・・・

まだまだいく。

ラウラ・コビロウ
フィンランド出身。
−中略−高校生の時、北海道・函館に留学し、−中略−国費留学生として北海道大学大学院に入学し、−中略−日本大手企業での就職を経て(122頁)

ラウラ・コビロウさんは、筋金入りのパフェ愛好家だ。−中略−日本全国をまわって様々なパフェに「会いに」行く。1年間に500個以上のパフェを味わうこともあるという。(123頁)

一日に一個以上だと思う水谷譲。
パフェなんて、日本にはそれだけある。
「何となく日本に来てしまったんです、私」という。

日本の高校に留学した時のことを聞かせてくれた。−中略−外国人に日本語を教える資格を持っていた先生がいたことです。−中略−1対1でその先生に日本語を教わっていました。
 先生の教え方は、いわゆる聞き流し的な方法だったんですよ。
(128〜129頁)

日本語は日本の生活に慣れない限り理解できないという。

『ランチをするに行く』みたいなすごく初歩的なミス。半年ぐらいそれを繰り返していて(134頁)

 フィンランド人って、謙虚というか、自分が感じていることを表現するのがあまり得意じゃないんですよ。心の中に持ってるだけ。『愛してます』は絶対に言わないし、『好きです』も、『おいしい』『かわいい』もほとんど言わない。(139〜140頁)

そういう国もある。
ところが日本は違う。
来てびっくりした。
パフェ屋さんに行ってパフェを食べたら横の子が「美味しい!」と言った。
「甘〜い!」
そういえば言う。
フィンランドの人にとってはびっくりすることなのだと思う水谷譲。
驚いたことに会話の相手がいないのに、パフェで叫び続ける子がいる。
独り言を言っている。
だが、それを全然日本では違和感なく受け入れられる。
パフェを食べながら「美味しい!美味しい!」と言う。

日本語で気兼ねなく、思ったらいつでも『おいしい』『かわいい』が言えるのが気持ちいい。何かに感動したとか、心動かされたことを表現する時は、日本語のほうが断然言いやすいです。わくわくした! 楽しかった! みたいなことをフィンランド語で言おうとすると、ちょっとうわべの人間っぽくなっちゃうというか、真面目じゃない感じになっちゃう。(140頁)

だからそういう意味もあってパフェを食べる夢を見ると日本人になってしまって「美味しい!」と言っている。
ラウラさんは最近、新しい日本語のエリアを見つけた。
複雑な心の微妙な感情を日本人はフッと四文字熟語で言う。

「ちょっと利己的な気持ちが働いている、相手の何かを自分の都合のいいようにする、みたいなことを言える日本語ないかな? ってずっと探していて、−中略−まさに探していた言葉でした。『我田引水』です」(142頁)

でも四文字熟語というのはフィンランドの方にとっては不思議な世界だと思う水谷譲。
そういうことで彼女は最近は四文字熟語が使いたくてたまらないそうだ。
この方、ラウラさんは日本語を聞く、それをずっと繰り返す。

その変化があらわれたのは2か月後くらいでしたね。あ、日本語話せる!と気付いたんです。(130頁)

文法を一から教えるわけではないというのはすごく新鮮に感じる。(130頁)

思い出が増えると日本語は定着してゆく。
何か体験しながら日本語を覚えるというのがいいのか。

 好きなのは、ドキドキ、ピカピカ、ツヤツヤみたいな繰り返しの言葉。−中略−
 繰り返しの言葉、オノマトペ(擬音語・擬態語)
(136頁)

それから日本には流行言葉というのがあって「やばい」「超」「めっちゃ」。
小さな感情でも言葉で表現できる。
そのせいか日本語はあまりジェスチャーが必要ではないという。
だから身振りが凄く大きい
そういう言語というのは表現が少ない
わりと西欧の方は身振りがあると思う水谷譲。
日本語は全く動かなくてもできるという。
それはオノマトペもあるのではないか?
「ドカーン!と破裂しまして」とか、そういう言葉を持っているというのが日本語の特徴ではないか?

「さっき高校時代の日本語の先生の話をしましたけど、先生、こう言ったんですよ。『ラウラ、〈やばい〉〈超〉〈めっちゃ〉。この3つの言葉は絶対使っちゃいけないよ。−中略−
 先生がこの3つを禁止したのは多分、カジュアルすぎるし万能だからだと思うんです。表現力が育たなくなるって、先生は思ったんじゃないかな。今はふざけて友達に『私、〈やばい〉は使っちゃいけないんだよね』って言って、その次に冗談で『めっちゃやばい』って言うとみんな笑う
(137頁)

確かに手足をむやみに振らなくても言葉でできやすというか。
そんなこんなでこの先、やってゆこうと思うのだが、日本を探そうかなというのを「(今朝の)三枚おろし」のテーマにしようかなと。
「日本語のことを外国人の人に聞く」という、それも一つの手だがこれはすぐにやるから楽しみにしていてね。
結構面白い本が見つかって、どんな本かというと、バルセロナで豆腐屋さんを開いた(日本人)男性の体験記があって

バルセロナで豆腐屋になった──定年後の「一身二生」奮闘記 (岩波新書 新赤版 2051)


ちょっと前まで朝日新聞の記者だった。
ニュースステーションなんかにもコメンテーターで出たことがある。
この人が何を思ったか
定年になったらバルセロナで豆腐屋をやるのが夢だった。
何でバルセロナ?何で豆腐と思う水谷譲。
そこにまず謎があるのだが。
彼の本を読んでいる時に謎の人物が出てきた。
この女性が面白くて。
品川駅がすぐ近く。
貧血で倒れた。
誰一人彼女を助けてくれなかった。
日本人の人だが、もう日本がいっぺんに嫌いになった。
それで「こんな国に住んでいること自体がバカだ」と言ってスペイン・バルセロナに行ってしまう。
まあそういう人がいてもいい。
ところがバルセロナにアジア市場という、アジアのものだったら何でも売っているというスーパーマーケットがあって、そこに大福が売っていた。
日本が大嫌いのその日本人の女の人が大福を喰った。
不味くて。
「こんなものを日本の大福だと思われたら国辱もんだ」というのでバルセロナで大福屋を始めたという。
この話は面白い。
「ジャパンファースト」或いは「ジャパニーズファースト」と言ってもいいが、それは相当難しいこと。
何をもって「ジャパン」と言うか、どこから「ジャパニーズ」と言うか。
これをちょっと今、真剣に。
この間、一例で見つけた。
これは「ジャパンファースト」「ジャパニーズファースト」。
卵かけご飯を間違いなく作れる人。
あれは凄い技術。
技術なんかいるか?と思う水谷譲。
それが「ジャパンファースト」ではない。
ただ割って醤油をかければいいだけだと思う水谷譲。
醤油を使うのは一回だけ。
あの卵一個とご飯の比率。
卵にかける醤油も上手な人は一回だけ。
下手くそなヤツがチビチビチビチビかけながら何回も(醤油を)使う。
そうやって考えると「ジャパン」は結構難しい。
それが「アメリカンファースト」とは違うところ。
お椀にカーン!と割って醤油を適量バーッと、カッカッカッカッと掻き回してスルッと。
ベトベトでもないサラサラでもない「卵かけ」ご飯という、あの見事な比率。
「TKG」だと思う水谷譲。

2025年10月03日

2025年9月8〜19日◆なぜ働いていると本が読めなくなるのか(後編)

これの続きです。

かつて「ジャパン・アズ・ナンバーワン」という「日本こそ一番である」と言われた時代があった。
日本というのは司馬遼太郎曰くだが、各藩が自分のところ、例えば薩摩なら薩摩、長州なら長州で派を競い合った。
その勢いが戦後は各企業に乗り移って各企業の企業精神で日本全体が。
つまり企業が頑張れば日本が膨らんだという。
国家と各企業の足踏みが一緒だった時代が。
特に70年代から日本というのは「一億総中流」と言われるぐらい豊かになっていったワケだが。
当然そういう日本に関して疑問を投げかけるというアンチテーゼが始まる。

『ノストラダムスの大予言』−中略−が1973年に刊行され、あるいは同年刊行の『日本沈没』(小松左京、光文社)といった社会不安を煽るような作品がベストセラーとなる。あるいは認知症を主題にした小説『恍惚の人』(有吉佐和子、新潮社、1972年)も大ヒットする。(137頁)

これは司馬遼ファンにとっては重大だが、この期に司馬遼太郎さんは「坂の上の雲」という小説を書かれて。

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これも長大な小説。
近代国家の中で個人が頑張る。
個人が「滅私奉公」「自分を削ってでも国に奉公するとその分だけ国が豊かになった」という個人と国家というものの、ある意味では幸せな関係があった。
それが日清・日露の戦いであって、日本は奇跡のような数十年間を過ごした。
それは考えてみたら凄いこと。
世界の大国に二連勝した。
一つは中国という国に勝ってしまったワケで。
その次はロシアという国に勝ってしまったワケで。
これはやはり凄い歴史だったろうと思うが、調子に乗って、その連戦連勝に酔って三百万人以上の死者を出すという日本史最大の敗北を経験する大東亜・太平洋戦争に及んだワケで。
司馬遼太郎というのはその糸口となった日清・日露の戦いを描きながら、読者に愛国などという陶酔に誘わないように十分に注意しながら。
「坂の上の雲」に何が秘められているか?
坂の上に雲がある。
明治の若者達はその雲を目指して歩いていった。
登り着いたらそこから先、断崖絶壁であったという。
彼が言いたかったのは、そういう意味。
そこから三百万人もの死者を出す、全く勝てる見込みのない大国・アメリカに向かって戦争を仕掛けてしまったという。
そのあたりのクールさがこの「坂の上の雲」にはある。
司馬遼太郎さんは振り返ってみたら、「ウエスト・サイド・ストーリー」とよく似ている。

ウエスト・サイド・ストーリー ブルーレイ DVDセット [Blu-ray]


個人の人物を扱うのだが、町の物語。
グループ同士が対決したりするみたいなことかと思う水谷譲。
「竜馬がゆく」を描いた時は土佐の町の若者達のタウンズストーリー。
西南戦争を描いた「翔ぶが如く」は薩摩の小さな町の若者達の物語。

翔ぶが如く(一) (文春文庫)


「世に棲む日日」は長州に住んでいた若者達のタウンストリート。

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そういうこと。
つまり個人ではなく集団が藩を信じた、或いは国家を信じたという。
藩と個人と、そういう大きい組織の幸せな蜜月の時代という。
でもそれも終わりがくるんじゃないだろうか?という「ジャパン・アズ・ナンバーワン」。
日本はNo.1になったが、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」の坂道を登りきったところからみんなの物語が消えていった。
では何の物語が始まったんだ?
80年代の始まりになるのだが、皆さんがそれぞれに「私の物語」を綴り始めた。

『サラダ記念日』は1987年−中略−に刊行され、そして瞬く間に大ベストセラーになった。(143頁)

 「嫁さんになれよ」だなんてカンチューハイ二本で言ってしまっていいの
                       (俵万智『サラダ記念日』)
(142頁)

「この味がいいね」と君が言ったから七月六日はサラダ記念日(「サラダ記念日」)

サラダ記念日 (河出文庫 227A BUNGEI Collection)


全く個人の、実に個人的な女性の体験が平安時代からの文芸である短歌というものに結集して女性の感性が表現された。
この俵万智のベストセラーは80年代の結晶であった。

黒柳徹子の私小説『窓ぎわのトットちゃん』−中略−は500万部を突破し、村上春樹の小説『ノルウェイの森』−中略−は上下巻合計350万部、−中略−吉本ばななの小説『TUGUMI』−中略−は140万部を突破した。(144頁)

 一方で、長時間労働をしているサラリーマンもまた、右肩上がりで増えていた。(145頁)

女性という新しい顧客を迎えて出版界は大いに賑わったという。
時代背景と売れた本の関係性が面白いと思う水谷譲。
個人の時代が始まってベストセラーも「窓ぎわのトットちゃん「ノルウェイの森」「TUGUMI」「サラダ記念日」等々の書籍が売れてゆくワケだが、この出版ブームは急激に女性の消費行動になだれ込みがあって景気が良くなるのだが、この頃男の子、男性はどうしていたのかというと雑誌に夢中だった。

1980年−中略−に創刊された雑誌「BIG tomorrow」(青春出版社)は、男性向け雑誌のなかで圧倒的な人気を博していた。(147頁)

「BIG tomorrow」は、「職場の処世術」と「女性にモテる術」の2つの軸を中心にハウツーを伝える、若いサラリーマン向け雑誌である。(147頁)

 同じビジネス雑誌ジャンルでも当時の「will」や「プレジデント」はエリート層サラリーマン向け雑誌だった(147頁)

これは何を問題にしたかというと「コミュニケーション力」をどうやってつけるかということで、70年代から一転して80年代は国家や集団を離れて

「僕」「私」の物語を貫き通す。(151頁)

 それは労働市場において、学歴ではなくコミュニケーション能力が最も重視されるようになった流れと、一致していたのだ。(151頁)

武田先生はその頃は30代だったが。
そして次に90年代。
本はまた日本人の関心を別の世代へといざなっていく。
時は平成に移る。

 平成を代表する作家を挙げろと言われたら、私は彼女の名前を出すだろう。さくらももこ。──言わずと知れた国民的アニメ、漫画『ちびまる子ちゃん』の作者だ。(163頁)

この人はある意味では新しい時代の新しい書き手だったという。
妊娠を直感した、その体感をさくらももこさんはエッセーにこう書いたそうだ。

 私は尿のしみ込んだテスターを握ったまま、十分余り便器から立ち上がることができなかった。−中略−
 この腹の中に、何かがいるのである。大便以外の何かがいる。便座に座り込んでこうしている間も、それは細胞分裂をしているのだ。私のショックとは無関係に、どんどん私の体内の養分を吸収しているのだ。
      (さくらももこ『そういうふうにできている』)
(163〜164頁)

そういうふうにできている (新潮文庫)


それは女性エッセイストの歴史で見ても、真似できる人がほかにいない。(165頁)

実に率直でマンガ、アニメ、主題歌も含めてベストセラーにした方。

 出産という非日常体験の記述ではあるのだが、「宇宙」という言葉がさらっと出てくるところに、いささか驚いてしまう。(166頁)

遠い宇宙の彼方から「オギャーオギャー」という声が響いてきた。私は静かに自分の仲間が宇宙を超えて地球にやってきた事を感じていた。生命は宇宙から来るのだとエネルギー全体で感じていた。
                         (同前)
(165頁)

さくらももこのこの文章を今読むと、−中略−どこかスピリチュアルな感性が当然のように挟まってくるところだ。(165頁)

このような傾向は、さくらももこだけに限ったことではない。

 たとえば『パラサイト・イヴ』(瀬名英明、−中略−自分の身体や遺伝子が何か変なことを起こすのではないか?という自分の内面への懐疑が主題となっている。さらに『ソフィーの世界─哲学者からの不思議な手紙』−中略−も、同年刊行のベストセラー。内容は哲学史の入門なのだが(166頁)

パラサイト・イヴ(新潮文庫)


新装版 ソフィーの世界 上 ―哲学者からの不思議な手紙


これはやはり遺伝子の中に刻み込まれた他者や自分の深い内面の中にある異質な世界、そういう異質な世界を探索するという時代がこの平成ではなかったのだろうか。

「本当の自分とは何か?」とか−中略−「私とは何か?」という問いには魅力があって、人々は外界とはまた別の価値を内面に探し求めた。−中略−
 なにより臨床心理士は大人気だった。
(162頁)

確かにスピリチュアル系は多かったと思う水谷譲。

 1995年、サンマーク出版から『脳内革命』−中略−が刊行される。(168頁)

あれでサンマークが有名になったと思う水谷譲。

自己啓発書である。同書は、一番すごいときは「3、4か月ごとに100万部ずつ重版」という状態だった(168頁)

1970年代のサラリーマンに読まれた司馬遼太郎の小説を紹介した。それらと90年代の自己啓発書と最も異なるのは、−中略−読んだ後、読者が何をすべきなのか、取るべき〈行動〉を明示する。(170頁)

この90年代にスタートしたのがこの番組(「今朝の三枚おろし」)。
「行動を変えよう。あなたが変わるから」というのが時代のテーマの時に、この短い番組の中で武田先生がその手のことを語るという。
武田先生は(番組開始当初)40歳で。
あの頃は頻尿ではなかった。

1989年1月8日から平成が始まった。
そして2019年4月で平成が終わるワケで。
この平成で何が変わったか?

バブル崩壊後、日本は長い不景気に突入するのだ。(172頁)

明治から思えば国家というものの繁栄が個人を豊かにした。
滅私奉公、自ら学び、名を挙げ錦を飾る。
日本国民全体の学び、それが世界での平均点を上げた。
そのことで社会的な階級を駆け上がることができた。
国ではなく個人は企業の為に学び、書籍を企業の理想である学びの為に必要とした。
ここから高度経済成長が始まった。
一億総中流へなった。
そして異様なバブル経済。
その崩壊。

 仕事を頑張れば、日本が成長し、社会が変わる──高度経済成長、あるいは司馬遼太郎が描き出した日本の夢とは、このようなモデルだった。(173頁)

90年代以降、−中略−
 経済は自分たちの手で変えられるものではなく、紙の手によって大きな流れが生まれるものだ。
(174頁)

ドラマがトレンディーなら世界はグローバリズム。
個人がやすやすと個人と結ばれるという全く新しい時代に入っていった。
集団で船を漕ぐという時代が終わり、それぞれやってきた波に個人で乗ってゆくという。
そういう時代の始まり。
これはもうまさしく今。
集団でもう船を漕がなくなった。
武田先生は、ここで考えた。
この「(今朝の)三枚おろし」はとにかく個人の教養・修養そういうものを紹介しているような気がする。
僅かでもお客さんの中で「なるほど」と思ってくれる出来事とかそんな話題が武田先生は個人的に好きだ。
多分武田先生はあの70年代の学生運動のノンポリの立場にいまだにいるんだろうと。
今、批判をする友人もいるのだが、朝の番組に出ているのだが、非常に芸能人の方がポリティカルが好きで、政治のことを語る。
吉本のお笑いの人が政治を語っているのだから。
これはやはりポリティカルというのは一種時代のキーワードだと思う。
本当に申し訳ない。
個人的に70年代は武田先生の青春のあった頃だが、学生運動をやっているヤツと肌が合わなくて。
武田先生の居場所は何かといったら、フォークソングというジャンルというか本当にすみっこ。
同時代の自分達の仲間達が政治を語ったりなんかするのが好きではなくて、武田先生は歌を語っていた。
「関西フォークいいね」とか「(ザ・)フォーク・クルセダーズいいね」とか「吉田拓郎は凄いぜ」とか。
随分バカにされたもの。
ヘルメットをかぶった人から「(「海援隊」という)グループ名が気にいら無ぇ」と言われたことがある。
「君たち右翼っぽいね」と言われて。
武田先生の顔つきからして奇怪な顔をしているから。
そういうフォーク系の人間、政治から離れた片隅のジャンルに生きた人間。
1994年に「三枚おろし」がスタートする。
武田先生は武田先生の傾向を持っている。
この番組を包んでいるのは政治。
いわゆる情報番組。
武田先生は情報はダメ。
扱いきれない。
国家と政治の時代から内面の時代へ。
しかし90年代から経済と行動の時代を迎えて、全て自分へと特化していく。
平成の時代の90年代。

仕組みを知って、行動し、コントロールできるものをコントロールしていくしかない。
「そういうふうにできている」ものを変えることはできない。だからこそ、波の乗り方──つまり〈行動〉を変えるしかない。
(175頁)

これが新しくやってきた時代のトレンドなワケで。
その中でヒットした読み物、ベストセラーは何か?

『電車男』(195頁)

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もうこれはズバリ。
「やりたいこと」「自分らしさ」、そして「情報の波を自分で捉えて乗ること」。
それが時代の中で一番大事なことという。
「電車男」「世界の中心で愛をさけぶ」そして「冬のソナタ」。
「やりたいこと」「自分らしさ」「あの人の情報」この三つを結びつけることが自己実現のゲームであったという。
そして本は読まなくても情報を読むことが重大になってくる。

読書はできなくても、インターネットの情報を摂取することはできる、という人は多いだろう。(200頁)

これはまさしく今。
インターネットの上で出会うという。

 インターネットの本質は「リンク、シェア、フラット」にある、と語ったのはコピーライターの糸井重里だった(196頁)

インターネット的 PHP文庫


リンクは繋がること、シェアは分かち合うこと、フラットは貸し借り無し。

「フラット」というのはつまり、「それぞれが無名性で情報をやりとりすること」と糸井は説明する。(166〜167頁)

「名無し」でいこう、と。
ハンドルネームで。
流れがちゃんとできていると思う水谷譲。
2000年代に入ってくると、また身につまされる話題が出てくる。

 2000年代、自己啓発書は1990年代にも増して売り上げを伸ばしていた。−中略−ベストセラー一覧には『生きかた上手』(日野原重明−中略−、『人は見た目が9割』(竹内一郎−中略−、『夢をかなえるゾウ』(水野敬也−中略−など多数の自己啓発書が入っている。(202頁)

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人は見た目が9割(新潮新書)


夢をかなえるゾウ1


自分の為だけの情報。
「これはあなたの為に役に立ちますよ」という情報。
勝者たるべき自分を目指す「情報」としての読書。
本を読むのではない。
情報を取りにいく。

過去や歴史とはノイズである。(204頁)

 しかし情報は、「今」ここに差し出されるものだ。たとえばインターネットで共有されるマネー情報は、刻一刻と変わっていく。最先端の情報を知っている人が「情報強者」とされ(204頁)

僅かに遅れた情報は、言葉はきついが「一種、ゴミなのである」と。
情報が量産される時代、人々は情報を読む。
著者はここで実に面白いことを述べている。

読書で得られる知識と、インターネットで得られる「情報」と「読書」の最も大きな差異は、−中略−知識のノイズ性である。−中略−情報にはノイズがない。(205頁)

この表現は驚いた。
昔のドラマを見ていると窓を開けると街の雑踏が流れ込んできた。
最近は入れない。
最近、水谷譲の好きなドラマは「VIVANT」
街のノイズ等々、ノイズが入っていない。
注意して見てください。
昔はノイズだらけだった。
ノイズというのは季節感だった。
山田洋二の「男はつらいよ」を見ると、もの凄くノイジー。

男はつらいよ 全50作DVDボックス


ご飯をとら屋で食べていると、ゴーンとお寺の鐘が鳴って「ああ、今日も日が暮れたねぇ」なんて。
寅さんが土手の道を歩くと、周りで遊んでいる子供の喧騒な声とか、ボールゲームをやっている少年達の声が響いた。
一切ない。
ドラマからもノイズが消えている。
この「ノイズの除去」というのが今、もの凄く重大なテーマになっている。
知識とは何か?

読書して得る知識にはノイズ──偶然性が含まれる。(205頁)

いつか役に立つかも知れないし、ただのゴミかも知れないというものを持っておくことが「知識」。
これは三宅さんから教えてもらったような気がしたのだが、武田先生はノイズ。
武田先生は今、情報番組に出ている。
サン!シャイン
相当、考えこんでいる。
あの番組でも左右に司会者とコメンテーターがいる。
あの人達に勝てない。
情報を持っておられる。
武田先生に情報は無い。
武田先生にあるのはノイズだけ。
武田先生はネットにもあまり触れない方なので、そういうことかと思う水谷譲。
「情報」とは何かというと「生もの」。
今、喰えるかどうか。
足が早いから間違って喰ってしまうと、お腹が痛くなってしまう。
ある意味、この番組は「ノイズでありたい」ということだと思う水谷譲。
ずっと本の流れを考えながら「『三枚おろし』って何かな?」といったら時代の中に於けるノイズ。
この「三枚おろし」が始まる前と「三枚おろし」が終わった後が情報番組になっていて、武田先生は何かというとノイズ。
武田先生はノイズで生きていこうと思って。
そう考えると、政治のことを取り上げることもあるが、取り上げ方がちょっと変わっていると思う水谷譲。
現にフジテレビの司会者の方からも「何を言い出すんだ、この爺さん」という顔をされることがある。
ノイズ。
お気づきの方も多かろうと思うが、武田先生は「生きかた上手」「人は見た目が9割」「夢をかなえるゾウ」等々、2000年代の自己啓発本はこの「三枚おろし」で全く触れていない。
これは恐らくそれらの本が情報だからだろう。
武田先生が触れるのはノイズだから。
物語で皆さんにお伝えしたいな、と。

2000年代からはじまっていた日本社会の「やりたいことを仕事にする」幻想は、2010年代にさらに広まることになる。(217頁)

「フリーランス」といった働き方がもてはやされたのだ。−中略−「ノマド」という言葉も浸透し(217頁)

個人完結型の人生の追求。
どこまでも自分の理想と自分を近づけていくか
これが生き方の大事なところになる。

池井戸潤の小説『下町ロケット』−中略−村田紗耶香『コンビニ人間』−中略−、『舟を編む』(三浦しをん−中略−『半沢直樹』−中略−、『逃げるは恥だが役に立つ』(218〜219頁)

下町ロケット (文春文庫)


コンビニ人間 (文春文庫)


舟を編む (光文社文庫)


半沢直美


逃げるは恥だが役に立つ


こういうのは自分の理想に自分を近づけるという生き方。
2010年代、労働と個人の理想のテーマが書籍にもドラマにも溢れていた。
ところがこの「三枚おろし」は本当に申し訳ない。
どの一冊も取り上げていない。
武田先生はその間、何をしていたか。
内田樹さんの行動主義や白川静さんの漢字の話をしていた。
よくぞ2010年代、この番組「三枚おろし」は潰されもせず生き抜いたものだ、と。
これは武田先生が時代の中に潜り込めたのではなくて、違う主語で語っていたからではないだろうか?
武田先生が持っているローカリズムの喋りでラジオ番組の中で小さなまな板を守ってきたような気がするんです、と。
このあたり、著者の指摘と我が身を計りながら本と武田先生の関係を辿ってみた。

 2010年代から2020年代にかけて、「オタク」あるいは「推し」という言葉が流行するようになった。
 2021年に芥川賞を受賞した、『推し、燃ゆ』(宇佐見りん
−中略−は「推し」のアイドルを愛する女性の葛藤を描き(227頁)

推し、燃ゆ (河出文庫)


これまで余暇時間に趣味として楽しむものとされてきたアイドルの応援活動に、人生の実存を預けているところにある。(228頁)

「オタク」と呼ばれる人達も同様で、他人の文脈で生きていくという。
これはたじろいだ。
「なるほど。『推し』っていうのはそういうことなのか」と。
他人の文脈に乗ってみるという。
でもこれは、武田先生はあんまり「推し」を遠くに感じなかった。
だって武田先生は自慢ではないが坂本龍馬を何十年も推している。
武田先生はビリを走っているつもりだったが、今、先頭に立った気持ち。
武田先生は申し訳ないが本当に推しだったら負けない。
水谷譲は「何やってんだ、この爺さん。薩長連合を語り始めちゃったよ」と迷惑そうな顔で聞いている。
本物の「推し」。

一番最後にこの頭のいい三宅香帆さんは上手いこと締めくくっていて「二十世紀から私達は外部と戦ってきた」。
凄い言葉。
他国との戦争に生きた。
政府への反抗もあった。
上司或いはライバルへの反発もあった。
反抗、反発、
もうボチボチ疲れてきた。
疲れない為には敵を想定しない。
「全身全霊を求める主張、主義、そういうものはだんだんと疲れ果ててくるんですよ、みなさん」と三宅さんは言っている。
この方はだからこそ全身全霊で働くなと言っている。
この人は「働いたふりをしながら本を読め」という。
三宅さん、ちょっとごめんなさいね。
このあたりのオチところ、ちょっとあなたの文章をよくかみ砕けなかったので粗い感じになったのだが。
でも武田先生はあなたが指摘してくださった中で、もの凄く嬉しかったのは「人間が生きていく中で文章の中のノイズ、これがもの凄く重大なんだ」という。
今、生ものであるところの情報に夢中で情報を握っている人が「情報強者」といって「オマエ知らないの?」という、そんなもんたいしたこっちゃ無ぇや、という。
明日はゴミになる情報じゃ無ぇか。
それよりも私達はノイズいっぱいの知識を手に入れて、それを物語にしていくことなんだ。
ここに情報と物語がある。
人間が何かを記憶する為には情報は覚えられない。
私達は物語が必要。
物語が無いと物事を覚えられない。
武田先生のしつこさは、龍馬を語ったら18の時から76まで語る。
あの南海の快男児は武田先生の胸の中で微動だにしない。
これこそ推しのパワーだ、と。
そしてこの龍馬から教えてもらったのだが「誰もオマエのことを聞きたがらないかも知れないけど、それはオマエのノイズなんだよ」という。
でもそれがこの「三枚おろし」がこれだけ続いている理由かも知れないと思う水谷譲。
今回、こんな本が流行ったというのを見ながら、ベストセラーに武田先生が全く触れていない時代がある。
そういうちょっと傾いているが偏向とは言わない。
傾いているが武田先生にとってはその傾きこそが武田先生のノイズたるゆえんで。
今、テレビで情報番組をやっているが、赤の横に座っているおじさん(カズレーザー)。
あれもノイズ。
時々メインのキャスターの方が「うるせぇなコイツ」という顔で。
ごめんなさい。

というワケで「ノイズでよければ」ということでお付き合いのほど。
これからも雑音として「三枚おろし」頑張ります。

2025年9月8〜19日◆なぜ働いていると本が読めなくなるのか(前編)

「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」

なぜ働いていると本が読めなくなるのか (集英社新書)


(著者は)三宅香帆さん。
集英社新書から出している方だが、この方は本の中で「自分は本を読むのが楽しみなんだ。ところが今の時代、一生懸命働けば働くほど読書の時間が無くなるじゃないか」という。
これは視点としては面白い。
この方は1994年生まれで、武田先生との年齢差は45歳。
だから45歳年下の人からその人の読書事情を聞くという。
なぜかというと「本を読む」というのは武田先生はもう半分日常だから。
武田先生はこの番組(「今朝の三枚おろし」)の為にだいたい週に3冊ペースで、(1か月当り約)12冊。
この中で使いものになるのが4〜5冊という。
時々「勿体ないかな」と思うのだが、その時に自分を励ます言葉が「俺は日本国民を代表して本を読んでるんだ」という。
この香帆さんが「偉いなぁ」と思った。
何を「偉い」と思ったかというと、この人は未来を想定する為に過去に遡るという思考パターンの人で。
いろんな人間が未来を思考している。
人間には三種類あって「昔を経由しながら未来を想像する人」そして「今を想いながら未来を想像する人」それから「未来に向かって想像して未来を描き出す」。
この三パターンがある。
武田先生は必ず過去に戻らないと駄目。
武田先生は昔から「まず歴史からだ」とおっしゃっていたと思う水谷譲。
そうすると未来の映像が浮かびやすいのだが、この三宅香帆さんの柄としては武田先生と同じだなと思ったのは、この方はどこまで遡ったかというと明治時代まで遡った。
それで明治時代にもベストセラーがある。
そのベストセラーを時代ごとであぶりだしながら、現代のベストセラーに辿り着くという。
現代は活字離れが進んでいる。
では明治の初め、なぜあんなに日本国民は無我夢中で本を読んだのか?という。
これは発想が面白い。
この三宅さんの視点はまた実に面白くて、江戸期との違いとは何か?
江戸時代の出版人と言えば蔦屋重三郎。
彼らと明治人との読書、本の感覚、センスの違いは一体何か?というと

句読点の使用が急速に増加したのは明治10年代後半〜20年代のことだった。(36頁)

明治時代初期に読書界に起きた革命と言えば、「黙読」が誕生したことだ。
 江戸時代、読書といえば朗読(!)だったのだ。当時、本は個人で読むものではなく、家族で朗読し合いながら楽しむものだった。実際、森鴎外が『舞姫』を書き上げたとき、家族の前で朗読したエピソードが残っているが
(35〜36頁)

あれは本人(森鴎外)の恋の物語。
それを女房と子供の前で、というから、まあそれとこれとは別ということだったのだろう。
こんなふうにして始まった「黙読」と「句読点」。
この二つで日本に「文字を読む」「読書」「本を読む」というのが習慣付いた。
明治期のベストセラー1位は何だったか?
これは面白い。
武田先生は一瞬、「学問のすゝめ」がよぎった。
これは明治期にやはり4〜50万部売れているから。

1871年(明治4年)に刊行された『西国立志編』は、『学問のすゝめ』よりもさらに売れた。(43頁)

(番組内では明治5年に刊行と言っているが、本によると上記の通り明治4年)

明治末までに100万部は売ったらしい。まだ人口5000万人だった日本いおいて、驚異の売り上げだ。(43〜44頁)

内容はというと

 ワット(James Watt)は、最も勉強労苦せる人と称すべし。その生平の行跡を観るときは、絶大のことを成し、絶高の功を収むるものは、天資(生まれつき)、大気力あり(44頁)

と、こういう。
この人はどういう人柄でどういう努力をやって、蒸気機関というワットを発明した、というのを。
だから西洋の成功例の人達の文章。
それを明治五年の若者達は無我夢中で読んだという。
成功者の秘訣を説く偉人伝でサクセスストーリー。

原題はSelf-Help=Aつまり「自助努力」。(45頁)

「自らを救う者は自らを」という。
一種人生のハウツーものだったという。
これが日本の本を読む人達に浸透した。
近代化に舵を切った日本で自己をいかに啓発していくか?
自分を成功者にのし上げていくビジネス書を読むことこそ読書であり、出版界の目指した本の理想とはこのビジネス書と修養を勧める本であるという。
ここから日本の読書が始まったという。
というワケで明治からの読書を振り返ろうと思う。

近代の日本から本の傾向というのを探ってゆこうと思う。

『西国立志編』からはじまり、−中略−欧米の自己啓発思想の輸入は、日本のベストセラーをつくり続けていた。(49頁)

かくのごとくしてビジネス書が読書傾向のスタートだった。
そこに「成功する成功する」ばっかりをささやく本から飽きた人がでてきた。
「成功だけ、何かそれだけが物語じゃ無いんじゃないの?」という。
「失敗する人の物語もあって、失敗する人は失敗したで素敵な失敗の仕方を学ぼうじゃねぇか」
そこに登場したのが夏目漱石。
夏目漱石はビジネスを離れて、修養とか教養を離れて、悩む人間としての物語を文学の中で提案した。
つまりこれが文学のスタートになる。
だから課題図書になるのかと思う水谷譲。
成功ではなく教養を目指すのでもない。
悩むことの重大さを教える文学というジャンルが立ち起こってゆくという。
ビジネスと文学、この二本は若者達がワリと必須の読み物にした。
そこからまた面白いことに、「だったら一冊ずつ勿体ないでしょ」と月刊誌で「両方載せますから読みません?」という。

「中央公論」を代表とする、「総合雑誌」と呼ばれる教養系雑誌のことである。
 大正時代初期から昭和戦前期は「総合雑誌の時代」と呼ばれた。
(77頁)

小説も載ってるわ、ビジネスは載ってるわ、政界の動きは載ってるわという。
これの第一号が「中央公論」。
そうやって考えると面白い。
それで明治から大正にこの中央公論が登場して、これが爆発的に売れた。

明治末の書店数は約3000店だったのに対し、昭和初期には1万店を超えるようになったというのだから驚きだ(57頁)

 当時の日本は、大きな行き詰まり感と社会不安に覆われていた。日露戦争によって巨額の負債を抱えた政府による増税、そして戦後恐慌による不景気が社会を襲う。−中略−日比谷焼き打ち事件や−中略−米騒動といった、都市民衆騒擾も起こった。−中略−暴動が絶えないくらい、若者のストレスは極致に達していた。(59〜60頁)

「大正の大ベストセラー」として挙げるのは、以下の3冊だ。
『出家とその弟子』
(58〜59頁)

出家とその弟子 (岩波文庫)


有名な作品。
親鸞と唯円の物語。
「人生とは何か」とか「生きるとは何か」とか「どうやれば救われるのか」とかというスピリチュアルもの。

『死線を超えて』(59頁)

死線を越えて


「社会主義という理想の考え方もあるぜ」という啓蒙書が売れて、読書人は社会主義を政治体制として憧れ始めたという。
ここに左翼文学が成立した。
これと同時に、大正期だが若者達が文学の中で花開いた。
それが芥川龍之介。
芥川龍之介というのは人間の扱いが生々しい。
「藪の中」

藪の中


貴族の女を強盗が襲って亭主の貴族の前で暴行するとか。
それでこの芥川と同時に名を馳せたのが谷崎潤一郎。

『痴人の愛』を読んだことがあるだろうか?
 谷崎潤一郎が1925年(大正14年)に刊行した小説だ。数え年で15歳の少女ナオミを自分好みの女性に育てあげようとする男性の物語である。この大正末期に世に出た小説の主人公は、実は「サラリーマン」であることをご存じだろうか。
(63頁)

痴人の愛


ネグリジェを着せて、自分がお馬さんになって柔らかい女の尻を背中に感じながら部屋を歩き回るという変態小説。
でも考えてみると人間を生々しく描くということが谷崎の性文化を否定しない。
谷崎潤一郎にそんなのがある。
女性の汚物を飲むという男性の物語とか。
もちろん人形なのだが、人形のお尻にチョコレートを詰めてそれを顔に押し当てて舐めるという。
谷崎というのは凄い。
これに目を付けたのが月刊誌で出てくる。
菊池寛。
菊池寛がこの変態小説と実際にあったスキャンダルを雑誌に載せた。
これが「文藝春秋」。
これは大正期スタート。
主筆・菊池寛という人。
菊池寛の広告にあるのだが文藝春秋社は小説家の人がよく遊びに来る出版社だった。
足繁く通ったのが芥川龍之介で。
芥川は何をしに来たかというと、スキャンダルを聞きに来た。
その「あわや殺し合いになった本妻さんとお妾さんの話」とか、そういうのが芥川は興味津々で。
何か小説のネタにしたいということかと思う水谷譲。
つまり性というものを捕まえて描かない限り、人間というのは捕まえられないんじゃないか?という、そういう思いが芥川にあって。
芥川自身も自殺前後の時に恋をなさったりして、奥様がもの凄く頑張って止められたとかと。

 1923年(大正12年)、関東大震災が日本を襲った。
 それは出版業界にも、当時広がりつつあった民衆の読書文化にも、大打撃を与えた。
(82頁)

 そんな出版界に革命を起こしたのが、「円本」だった。それは、倒産寸前だった改造社の社長がイチかバチかの賭けに出た結果だった。(83頁)

 円本を日本ではじめて売った、改造社の『現代日本文学全集』−中略−はまず全巻一括予約制をとった。つまり「予約した人しか買えない」−中略−「全巻を買うことが必須」(83頁)

1冊1円、という価格設定は、当時において破格の金額だったのだ。
 当時、書籍の単行本は2円〜2円50銭が相場だった。
(84頁)

戦前サラリーマンの給料の目安を「月給100円」だったと解説する。ビール大瓶は35銭、総合雑誌は50銭だった時代のことだ。−中略−円本全集の1冊1円は、現代でいえば1冊2000円ほどである。(89頁)

 出版社側はその安さを、初版部数の多さで補うという大博打を目論んだ。そしてそのバクチは大勝利に終わる。予約読者は23万人を超えた。−中略−改造社は当初全37巻、別冊1巻だった出版計画を変更する。結果的には全62巻、別冊1巻に及び、6年以上かかって刊行は終了した。(84頁)

これも火が点いてしまった。
事業としては大成功。
しかし、買ったところで全巻読んでいる人はいないのではないか?
面白いのもあれば面白く無いのも入っているだろうと思う水谷譲。
読んだことあるヤツと読んだことないヤツが。
これは62巻も揃えられて。
売れた原因は何か?
インテリア。
「そこに置いておくだけで」という。
昔でいったら百科事典みたいなことだと思う水谷譲。
恐らくインテリアとして書斎にバーっと60何巻全集を持っていて、「君、トルストイ読んだ?」とかと何かそういう話のネタに使うインテリア全集物。
これを通称「積読(つんどく)」という
「そこに積んどく」という。
これら文学全集に対して大衆小説「も負けてなるか」と「そっちに行かせるもんか」というのでそこに登場したのが

吉川英治、山本有三といった戦前からのベストセラー作家が次々と小説を刊行し、そして作品は売れていた。(101頁)

『風と共に去りぬ』、エーブ・キュリーの『キュリー夫人伝』などの翻訳書のベストセラーが出た。(101頁)

風と共に去りぬ(第1巻〜第5巻) 合本版


だから「風と共に去りぬ」は日本人も知っている物語だった。
これは小林桂樹さんというベテランの俳優さんから聞いたのだが、アメリカでもめっちゃ評判を呼んだ。
それでハリウッドが映画化に走った。
驚くなかれ太平洋戦争中。
日本軍が97式戦闘機か何かで「トラトラトラ」とかと言いながら真珠湾に攻め込んでいる時にハリウッドでは「よ〜い!ハイ!」とかと言いながら映画を作っていたという。
それで小林桂樹さんは兵隊さんとしてシンガポールに回されて、押収物(として)いわゆる米・英軍が残していった映画のフィルムがあったので、それを見たのが「風と共に去りぬ」だった。
これは絶対負ける。
小林桂樹さんは「風と共に去りぬ」と、ディズニーの「ジャングルブック」を見たそうだ。

ジャングルブック(吹替版)


一番最初の「ジャングルブック」。
あの模型か何か巨大な蛇が池を渡ってくるなんて。
その蛇が作りものに見えないぐらい精巧な
実写版「ジャングルブック」。
今見たいと思う水谷譲。
子供の時に見たことがある武田先生。
息をのむ。
太平洋で戦争をしていても、そんなのを作る力がアメリカ本土にはある。
そして昭和15年あたりから戦時色が強くなって、出版界は完全に軍部の前に膝まづくということになっていったという。

本当のことを言うと、読書の流れを戦後から始めたかった。
昭和戦後がスタートするのだが、滅茶苦茶人々は活字に飢えていて。
ところがだんだん時代が進んでくると読書以外にも娯楽が花を付ける。

サラリーマンや労働者たちが、今はパチンコや競輪に向かっている」と書かれている。−中略−すでに人気になっていた競馬に続く競輪は案の定人気になり(103頁)

 時代はラジオでNHK紅白歌合戦がはじまり、手塚治虫が漫画を描き、テレビ放送がはじまろうとするタイミング。そう、本格的に「余暇」を埋めるエンタメが、「本」以外に増えようとしている時代だった。(108頁)

本の方は読者層であるサラリーマンに照準を合わせる。
だから物語も短く読みやすく、わかりやすい。
サラリーマンものでは源氏鶏太がいた。
それから読み切り連載ものでだいたい通勤時間の往復で読めるもの、これが出版界を引っ張る内容になるワケで。
また高度経済成長が始まると同時に人々の労働時間がどんどん伸びてゆく。
求められたのはビジネスに活かせるハウツー本ということで、その頃ヒットしたのが

『記憶術─心理学が発見した20のルール』(117頁)

『英語に強くなる本』(116頁)

『頭のよくなる本─大脳生理学的管理法』−中略−『日本の会社─伸びる企業をズバリと予言する』−中略−はどれもカッパ・ブックスから刊行されたものだ。(117頁)

1960年代から、圧倒的なサラリーマンたちの支持を受けると同時に、今まで都市部に集中していたサラリーマンの読者層から、今度はローカルの労働者層へも広がっていったという。
働く人の為の教養としての本だった。
ご本人はそんなことをお考えになっていないと思うが、60年代の半ばからのビートルズとズバリ重なっている日本の作家さんが司馬遼太郎。
不思議なもの。
後に彼は国民作家と呼ばれる。
圧倒的支持を受けるという。

 司馬作品にしばしば見られる「乱世に活躍する人物」というヒーロー像への陶酔は存在しなかったのだろうか。(123頁)

それもモロ武田先生が影響されたと思う水谷譲。
ちょっと三宅さんほどクールにはなれない。
武田先生はこの人の代表作品でいう「竜馬がゆく」というのを18(歳)の時に読んだ。
武田先生は本なんか読んだことがない。
柔道部のあんちゃんで脚が短くて何か汚い青年だったのだが。
駅前の本屋さんにあった「竜馬がゆく」の一巻目〈立志篇〉を本当に無我夢中で読んだ。
この「無我夢中で読む」というのが水谷譲にはわからないだろう。
そこまで、はまったものは水谷譲には無い。
何で武田先生は竜馬を読もうと思ったのかと思う水谷譲。
司馬遼太郎の書いた文章というのは「読む」のではない。
もう読み始めて、あるルーティンができると場面が見えてくる。
だから「読む」のではなく「見て」いる。
例えば「竜馬がゆく〈怒涛篇〉」「秘密同盟の書」。

竜馬がゆく〈4 怒涛篇〉


「ば、ばかなっ」
 竜馬は、すさまじい声でいった。
「まだその藩なるものの迷蒙が醒めぬか。薩州がどうした。長州がなんじゃ。要は日本ではないか。小五郎」
 と、竜馬はよびすてにした。
−中略−
「坂本君、きみの提唱する薩長連合が成らざれば、おそらく長州はほろぶであろう」
−中略−
 竜馬はだまっている。
「ほろんでもかまわぬ」
−中略− 
 と、桂は、激昂をおさえつ、小さく叫ぶようにいう。
−中略−
「薩州は皇家のおそばにあって尽している。長州は文久以来、孤軍、藩の存亡を賭けてつくしてきた。もはや、藩の命脈はいくばくもない。しかし薩州が生き残って奮闘してくれる以上、天下のためには幸いである。われわれはいま交渉をうちきって郷国に帰り、幕府の大軍をむかえ討つことになるが、ほろぶとも悔いはない」
−中略−
 この土佐人は、佩刀をとって立ちあがった。

「どこへゆく」
 と桂の声が追っかけてきた。
 竜馬はもう廊下へとびだしていたが、「知れたことだ」と捨てぜりふのようにいった。薩州の二本松屋敷へゆく。
(「竜馬がゆく 怒涛篇」257〜259頁)

(ページは新装版ではない古い方の文藝春秋社刊のもの)
盛り上がっているところを申し訳ないが、そこまで映像化したのは武田先生ぐらいではないかと思う水谷譲。
武田先生は読んだのを覚えている。
18の時にここを一番最初に辿った時の感動を覚えている。
この本の熱というのが70(歳)の半ばを過ぎても・・・
二時間ぐらい喋りたい。

なぜ今まで本を読んだことがなかった鉄矢少年が「竜馬がゆく」を手に取ったのか?という水谷譲からの質問。
柔道部の大きい大会が終わってしまって、今から受験勉強をしても、来年の春までに間に合いそうにない。
今年一浪させてもらうということで、珍しく時間潰しに「本でも読もうかなぁ」という。
その時に本屋さんの棚を見たら「竜馬がゆく」とあった。
例えば時代小説だとフルネームで出てくる。
「宮本武蔵」とか「西郷隆盛伝」とか。
でも「竜馬がゆく」と、こんなタイトルは初めてだった。
未だに覚えているが「こんなの五冊もあんのかよ」とか思いながら、その一巻目の〈立志篇〉を読み始めたら第一章に出てきたのが19歳の坂本龍馬。
その19歳の坂本龍馬は土佐の田舎者で学問も全然ダメで少し体力に自信があるような若者。
茫洋としていて何かこう、胸の中に熱いものはあるのだが、形にならないという19歳。
その時に武田先生は18歳だった。
それを読むうちに五人兄弟の末っ子で子供の時から「ちょっとバカじゃない?この子は」みたいな扱いを受けていたという。
「俺じゃん」とかと思った。
武田先生は五人兄弟の末っ子。
兄ちゃんがいて姉ちゃんが三人。
竜馬も兄ちゃんがいて姉ちゃんが三人。
「俺んちとおんなじじゃん」とかと思った。
でもその文章を読み始めたら端々に何年後かの竜馬のことを伝える文章がある。
「この若者はこの後」「日本を大きく変える英雄に育っていくがこの頃はまだ」とかという表現があって「えっ?コイツが英雄になるの」と伝っていくうちにどんどんなっていく。
もうそれが胸かきむしられるぐらい。
それで自分にも自分を変えていく何かが起きるかも知れない。
司馬さんの上手さは、こういう文章。
これは「新史 太閤記」という信長の家来だった木下藤吉郎、秀吉と参謀になる黒田官兵衛が初めて会った時にこんな会話をする。
黒田官兵衛は頭がよくてクールな人。
(恐らく黒田官兵衛ではなく竹中半兵衛)
ボソッと藤吉郎にこう言う。

「私は上総介殿をきらっている。足下は上総介殿が士を愛するといわれるが、あの態度は愛するというより士を使っているだけのことだ」
「これはしたり、貴殿ほどのお人のお言葉とも思えませぬ。愛するとは使われることではござらぬか」
−中略−
 半兵衛は、あざやかな衝撃をうけた。なるほどそうであろう。士が愛されるということは、寵童のような情愛を受けたり、嬖臣のように酒色の座に同席させられるということではあるまい。自分の能力や誠実を認められることであろう。理解されて酷使されるところに士のよろこびがあるように思われる。
(「新史 太閤記(上)」228頁)

ゾクっとする武田先生とゾクっとしない水谷譲。
「竜馬がゆく」は累計で売れた冊数、2500万部。
司馬遼太郎というのはそれほど日本人を夢中にさせたというワケ。
司馬さんの話が長くなったがこの熱。
「本を読むということで人生が変わる」というのが本の中にあるんだ、という。
そしてこれはご本人もおっしゃっていた

司馬遼太郎の作品もまた、文庫本になってさらに広く受容された。(130頁)

1970年には通勤時間が1時間以下が76%だったのが、1975年には55%となっている。(130頁)

(番組では司馬遼太郎による統計という話になっているが本によると国土交通省作成「大都市交通センサス」)

この70年代の半ばに凄い本が世界で評判になった。
「ジャパン・アズ・ナンバーワン」

新版 ジャパンアズナンバーワン


「世界で一番は日本じゃ無ぇ」かという。
経済に於いて日本は米国を抜くんじゃないかと言われた。
その日本はまるで各企業が戦国大名のように国内で戦っている。
それで足腰を強くして海外に出ていくものだから他の国は勝てない。
この頃のことをよく覚えている。
ハワイのワイキキビーチのビルが見える。
あれの90%が日本企業のものだったという。
ワイキキビーチ。
日本は凄いと思う水谷譲。
「ジャパン・アズ・ナンバーワン」
ここに日本人の強烈な信仰が生まれた。
それはみんなで頑張る。
敗戦からわずか30年でみんなが贅沢できるという日本をつくったということ。
その裏にあったのが歴史から学ぼうという司馬遼太郎だったのではないだろうか?
近代の呼び方では「国家」とか「企業」とか呼ぶが、日本の場合は「徳川」とか「長州」とか「薩摩」とか、そういう藩単位のルールを持った企業が日本をこれだけ強靭な国にしたという。
ところがこれにまた出版界にアンチが生まれてくる。
そのアンチがまた別の出版ブームを起こすワケだが、その続きはまた来週ということで。



2025年09月07日

2025年6月23日〜7月4日◆アーティスト伝説I(後編)

これの続きです。

「アーティスト伝説」
新田和長さんがお書きになった一冊。
この中にたくさんのミュージシャンたちが並んでいる。
今回ちょっと新田さんを離れる。
新田青年を離れて60年代後半に入ってゆく日本の音楽界から語ろうかなと思う。
(水谷譲が生まれたのは1967年なので)60年代は水谷譲は生まれている。
そんな時に何が起こっていたかをまず話す。
戦後歌謡。
もう本当に日本人を、日本の歌謡界は励ましつつ復興に導くワケだが、その間にも政治闘争として安保闘争「アメリカの子分のままでいいのか」等々の激しい若者からの突き上げがあって60年が過ぎた。
次にやってくるのが70年。
歌謡曲の世界が揺れ始める。
これがちょうど新田青年が東芝に入って活躍する頃から。
その間に音楽界では何が起こっていたかというと、戦前・戦中の人達が作る歌謡と戦後世代が作る歌謡が分かれ始めた。
フォークソングが芽生える。
そのトップバッターとなったのが「フォークル」「(ザ・)フォーク・クルセダーズ」というグループなのだが、彼らが歌を作り始めると、それまでレコード会社に所属していた作詞家の人達、その戦線に文学界から寺山修司、五木寛之というような作家さん達が歌詞を提供するようになった。
その中でも特に影響が大きかったのがこの人の詞ではないかと思う。
寺山修司「戦争は知らない」。
(ここで本放送では「戦争は知らない」が流れる)

戦争は知らない


この巧みさ。

野に咲く花の 名前は知らない(ザ・フォーク・クルセダーズ「戦争は知らない」)

「花の名前を知らない」というところを問題提起している。
そんな名前も知らない花が好きだ。
「知らない」ということが大事で。
2コーラス目で

戦争の日を 何も知らない
だけど私に 父はいない
父を想えば あゝ荒野に
赤い夕陽が 夕陽が沈む
(ザ・フォーク・クルセダーズ「戦争は知らない」)

巧み。
あの戦争からもう二十年経っている。
1970年が間もなくやってくるから。
その私は戦争は知らないんだ。
だから「戦争を知らない人間としての価値を作ってゆこう」というのが彼らの歌になった。
寺山修司の用意周到なところは、これは世界的な歌とぴったり歩調を合わせている。
「花はどこへいった」

Where have all the flowers gone?(「花はどこへ行った」)

ピート・シーガーが作った歌なのだが、「花」というのがキーワードになってそれが戦いと結びついて歌を作っていくという戦中・戦前派が思いつかない歌の展開をこの60年代の若者達は。
しかもこの「花はどこへいった」を調べるとびっくりするのだが、ウクライナ民謡。
だからこの歌声は今もなお、どこかで響いている歌声。

一生懸命武田先生が言っているが、やはり「戦争は知らない」あたりぐらいから日本の歌謡界の気配、音楽の気配が変わった。
こんなことを思うのは武田先生だけか。
これはかなり武田節が入っている。
少なくとも寺山修司さんの「戦争は知らない」あたりには戦後世代の主張がある。
美空ひばりは戦争による消失を歌う。

せめて あたいが 男なら(美空ひばり「波止場だよ、お父つぁん」)

波止場だよ、お父つぁん


「波止場だよ、お父つぁん」

久しぶりに 手を引いて(島倉千代子「東京だョおっ母さん」)

東京だョおっ母さん


島倉千代子が歌う「東京だョおっ母さん」。
これはいずれにしても大戦があったという体験。
三波春夫。
彼は何を歌ったか。
敗戦を得ても変わらぬ日本人の共同幻想を歌うという。
これが三波先生。

槍は錆びても 此の名は錆びぬ(三波春夫「俵星玄蕃」)

長編歌謡浪曲 元禄名槍譜 俵星玄蕃


という「俵星玄蕃」の中に潜んでいるのは日本人が抱き続けたある種、共感の世界を歌うという。
ところが70年代の後半からの青春は「戦争は知らない」と断言したという。
そして「戦争は知らない」というこの一行から北山修は杉田二郎と一緒に「戦争を知らない子供たち」というヒット曲を作る。
このあたりから歌謡界のフレーズが変わってくる。
歌の歌詞が変わって来る。
これは「戦争は知らない」の中にある。
60年代中盤から「風」がキーワードになってくる。
多分ボブ・ディランの「風に吹かれて」なんかがそう。

風に吹かれて


それから「荒野」。

父を想えば あゝ荒野に
赤い夕陽が 夕陽が沈む
(ザ・フォーク・クルセダーズ「戦争は知らない」)

というような。
五木寛之がこれでフォークルの為に「青年は荒野をめざす」という。

青年は荒野をめざす


そして「野に咲く花」、それから「旅立ち」。
こういうことが歌の材料になっていって、「旅立ち」なんていうのは60年代に上がっていって70年代を突っ切って70年代の最後まで「旅立ち」というフレーズは、青春に響き続ける。
谷村新司の「いい日旅立ち」。

いい日 旅立ち


ずっと「旅」。
こうやって考えると面白い。
新田青年はそういう時代の狭間に生まれて、新しいフレーズを持った若いミュージシャンを見つけていく。
どうしてもやはり取り上げなきゃいけないと思うのだが

 歌舞伎役者の市川染五郎(後の九代松本幸四郎、現在の二代目松本白鸚)さん(61頁)

これが異国の顔をしていて、彫りが深くて。
昔の染五郎。
でも我々はどうしても「染五郎」と呼んでしまう。
「ラ・マンチャの男」等々でアメリカのブロードウェーとも渡り合えるぐらいの力量を持った、この御曹司。
これはただ者ではない。
これを見つけたのもやはり高嶋さんのようだ。
「おい、新田。ついてこい。口説くぞ、歌舞伎界の大物」と言って、この市川染五郎を口説きにお父様のところに行って頭を下げたという。
(本によると新田氏は同行していないのでこの部分は武田先生の妄想。同行したのは会社の重役)
「息子さんでレコードを作りたいです」と頭を下げて。
市川染五郎、松本白鳳さん。
スケールが違った。

「野ばら咲く路」は当時の日本のフォークソングでもなく、グループサウンズでもなく、−中略−フォーク・ロック・ブームを牽引したザ・バーズ、あるいはイギリスのデイヴ・クラーク・ファイヴ、ザ・ビートルズなどを好きで聴いていた人がつくることができた音楽のような気がする。いずれにせよ市川染五郎さんは60年代から70年代にかけての、日本の自作自演時代の新しい音楽の扉を開けたひとりだ。(62頁)



聞いたことが無い気がする水谷譲。
これは水谷譲が知っているヒット曲の路線からは外れているかも知れない。
ヒットした。
もの凄いショックを受けた。
歌舞伎界の御曹司の戦前・戦中とは違う音楽センスを持った方が出てきたという。
そして染五郎さんだから、歌舞伎界の御曹司だからもう違う。
それでアルバムを作るのだが、アルバムとなるとフォト表紙になって写真の表紙になる。

 ある日、染五郎さんは僕に聞いた。
「新田さん、ジャケットの写真を撮るカメラマンですが、どなたか候補の方はいらっしゃいますか」
「いえ、誰もいません。私はまだカメラマンに知り合いがいません」
「それでは友人のカメラマンに頼んでもいいですか」
−中略−
「まだ無名ですが、優秀です。将来必ず活躍する人です」
−中略−
 撮影当日、
−中略−現れたカメラマンの名前は篠山紀信といった。(68〜69頁)

そうだろうなと思っていた水谷譲。
続々と人材がそろっていくというか、新しい人達が時代の表に出始める。
新田青年はそういうのを目撃しながら大きくなっていく。
この方、新田青年はやはりつくづく感心するが、ザ・リガニーズをやっていて、そこそこヒット曲を出した。
その後は東芝EMIのスタッフ、ディレクターとして働き始めるのだが、もの凄く忠義深い。
この新田さんという方は仕事熱心な方。

 1969年秋、タクシーに乗っていると偶然流れてきた「竹田の子守唄」という歌に、僕は身を乗り出した。(72頁)

(ここで本放送では「竹田の子守唄」が流れる)



それを聞き入った。
「いける」
一発で思った。

歌っているのは赤い鳥というアマチュア・グループらしい。(72頁)

 その歌は、ピーター・ポール&マリーが歌ってもおかしくないフォークソングにも聞こえるが、何か違う。(72頁)

国際的な有名なグループなぞに負けないぐらい美しいハーモニーを。

まるで西洋と東洋が一緒になっているような聴いたことがない響きだった。(72頁)

「京都のフォークルに続いて、いけるのは兵庫の赤い鳥ではないか?」と直感した。
しかし残念なことではあるが、彼らは(日本)コロムビアからのデビューが決まっていた。
(このあたりからの移籍の経緯は本の内容とは大幅に異なる)
それでもやはり新田青年はあきらめきれなかったのだろう。
直ぐにメンバーとの接触を始める。
メンバーに会うのだがみんなクレバーでポリシーもしっかりしている。
マネージメントのスタッフもクール&クレバー。
それで先を越されて「竹田の子守唄」」が発売になる。
これが何なのだろう。
こういうことがある。

赤い鳥のデビュー・シングルは1970年6月に日本コロムビアから発売されていたが思うように売れず苦戦していたのだ。(74頁)

ラジオで新田君が聞いた時は「売れる!」と踏んだ。
ところがそれが正式のレコードになって流れるとちょっと変わってしまった。
新田は新しくアレンジになったこの「竹田の子守唄」が全く気に入らない。
何が変わったかというと歌詞を変えてしまった。
これは京都のわらべ歌。
だから方言がそのままメロディーになっていて。

守もいやがる ぼんからさきにゃ(赤い鳥「竹田の子守唄」)

子守で他家に行って働いている少女、その子が盆から先もまだ働き続けなければならない。
そのことの悲哀。

おどまぼんぎり 盆ぎり
盆からさきゃ おらんと
(「五木の子守唄」)

「私は盆までここで働きますけど、盆から先は私はもう古里に帰りたいんです」というあの悲しみ。
それをわかりやすいラブソングに変えたらしい。
そうしたら売れない。
新田は「アンタは何をやってるんだ」と「あの歌でいいじゃ無ぇか」。

『竹田の子守唄』は元の歌詞でないと駄目だと思います。言霊なんです。音楽とのマッチング、響きです。響きがこの歌の命です」(75頁)

意味っていうのは後から追いかけていけばいいだけで。
それに新田という青年はすぐに直感した。
レコーディングしたスタイルがよくない。
新田青年は「スタジオにおけるミュージシャンの立ち位置、演奏するスタイル、そういうのがもの凄く大事だ」という、そういうことがわかっていた。
一番大事なことは、「海は恋してる」で自分達は任せて貰えなかったけど、彼達赤い鳥のようなグループにとって大事なのは自分で演奏して自分で歌うんだ、という。
そうしないとあの良さが、本当の良さが出ない。
それをメンバーに語ったらしい。
そうしたらスタッフの仕事もやっているメンバーから「君の言う通りだね。もう一回やり直そうか」と言い始めたというところから「赤い鳥」という章の物語が始まる。
それで新田君はもう一回トライして、「絶対にヒットさせてみせる」というのが彼の誓いになった。

「竹田の子守唄」をライブ感のあるレコードに仕上げてヒットさせなくてはならない。メンバー5人の歌と演奏が同時に録音できるいちばん広い東芝1スタを押さえた。
 録音当日、メンバーに馬蹄形に並んでもらった。コントロール・ルームから見て、左端からギター山本俊彦、ボーカル新居潤子、ウッドベース大川茂、ボーカル平山泰代、右端がギター後藤悦治郎だ。
(76頁)

マイクを挟んで、「せーの!」で録ろうという。

「村井の弟子の瀬尾と申します」と挨拶してスタジオに入ってきた。
 イントロに足すチェロ一本、たった5小節の短いメロディーを書いた譜面のはずなのに、デザイナーが持ち歩く画用紙を2枚広げたような大きなバインダーを抱えてこの青年はやって来た。
(77頁)

瀬尾一三。
後に大アレンジャー。
武田先生達もやってもらった。
これはまだ青年で。
凄く張り切って模造紙を広げて「これです!」とかと言いながら。
この頃、瀬尾さんは可愛かったそうだ。
このレコーディングは新田さんはディレクタールームで聞いていて、彼自身が感動する。
やはり、だから本領発揮。
新田青年の見込んだ通り
潤子さんの知的でありながらどこか艶のある歌声。
この人はいい声をしている。
そしてサポートコーラスで絡む泰代さんのベールに包むような柔らかい響き、スキャット。
まあ聞いただけでうっとりするという。
(ここで本放送では「竹田の子守唄」が流れる)

竹田の子守唄 - 赤い鳥


「これで赤い鳥の本当の魅力を出せる」ということだったのだが、問題はというと、コロムビアから出した時に「守もいやがる」というそのフレーズをやめて違う詞を当てた作詞家(山上路夫)がいる。
これは新田青年が偉いなぁと思うのは、その作詞家を呼ぶ。
それで「失礼なことしちゃってるかも知れないが、私はこのほうがいいと思うんです」とその作詞家を説得する。
納得してくれたらしい。
「やっぱそうだよね」という。
それでこの作詞家に、失礼なことをしたので、新たな仕事を頼む。

作詞かの山上路夫さんのお宅に行ってB面の歌について相談した。−中略−これから活躍する赤い鳥のテーマ・ソングをつくろうという話になった。山上さんはふとこう呟いた。
「鳥は空を飛ぶよね」
 山上さんの頭には「翼をください」の歌詞がすでに浮かんでいたのかもしれない。
(78頁)

翼をください


というワケでここからまた新田青年の60年代の活躍が始まる。

山上路夫さんは「翼をください」を書くのだが、才能というのは凄いもので、もの凄くわかりやすい、誰でも口ずさめる詞を作るのだが、山上さんも冒険してみたかった。
今まで日本の歌謡界に登場したことのないフレーズで詞が作りたい。
それはB面を製作する時には敢えて使わなかった。
アルバムの時にそのフレーズを使う。
そのフレーズが有名になってしまう。

いま富とか名誉ならば
いらないけど 翼がほしい
(赤い鳥「翼をください」)

富や名誉はいらない。翼がほしい。価値観、生き方まで端的に示している革命的な唄だ。「富」とか「名誉」という言葉が日本の歌詞に登場する時代が来るとは誰も考えなかっただろう。(79頁)

それをLP用に取っておいたというから凄い。
このあたり新田青年も用意周到。
一曲の歌なのだが違う歌詞で別バージョンを持っていたという。
これは凄いことになる。
この二曲のヒットによって、この二曲を含むアルバムは驚くなかれ15万枚の大ヒット。
アルバムは当時1万枚でヒットを飛ばしたという時代に15万枚。
それも邦楽から出したワケで。
この「赤い鳥」の人気はビートルズに並び始めた。
遂に新田君は日本の中だけだが、大きな波を立てたという。
ここからが面白い。
赤い鳥はアルバムをバンバカ売れる。
それで1970年代に入ったばかりの頃だが、営業の方から売れるから「アルバム出せ!どんどん」。
それで上司から新田君のところに来る。
「作れ、急いでアルバムを」
ところがアルバムを作るにはアルバムを作るだけの材料の歌が集まらないと、アルバムというぐらいだからできない。
そこで新田君は、こんなことを考えたのは恐らく世界で初めて。
それは、古い歌でもいいから今度のアルバムはライブでいこう。
でも赤い鳥はライブで録れるグループではなくて、音をしっかり録音しないとダメなんで、

ファンにも参加してもらう形で1スタでスタジオライブをやったらどうだろう。1日でレコーディングができる。(83頁)

 当日は、150人近いファンの人たちがスタジオに入った。(84頁)

これが間違いないと思う。
スタジオライブというのは世界で初めて。

 それから21年後の1992年、エリック・クラプトンが−中略−かつての「赤い鳥スタジオ・ライブ」と同じレコーディング方式と知って僕は嬉しくなった。(85頁)

それからビートルズが会社の屋上でやった「ゲット・バック・(セッション)」。

ザ・ビートルズ:Get Back


あれは新田君は言いにくいだろうから武田先生が代わって言ってあげるが、ビートルズとエリック・クラプトンが新田君を真似したんじゃないか?
これは世界で初めてスタジオライブをやったという。
(8月25日の放送内で謝罪と訂正。ビートルズは1969年1月30日、赤い鳥は1971年12月なのでビートルズの方が先。この時点でもうビートルズは解散していたとのこと)

 アルバムは計画通り12月に発売され、当初の販売目標を大きく超える成果を上げることができた。(85頁)

これは聞いていてびっくりした。
つまり、レコーディングは緊張する。
その上に赤い鳥はお客さんまで入れたワケだから。
レコーディングの緊張とライブの緊張と両方。

新田君はこの赤い鳥を売ったことで(世間が)彼を注目するようになって、彼がどこかに入っていくと小声で「来たよ、東芝の新田だよ。新田が見てるよ」とかというヒソヒソ話が聞こえるようになったという。
彼が注目したのは加藤和彦、北山修、かまやつひろし、加山雄三、小田和正、平原綾香。
アーティストとの交流が始まる。

余談で今週を締めくくろうと思う。
まだまだ続く。
まだまだ(この本の内容は)続くのだが、これから新田さんのことを語るにあたって、ちょっとこぼれ話。
この日本中の若きアーティスト達が「新田、コイツ新しい音楽を作ろうとしてる」と注目が集まったある日のこと。

 1971年冬、僕は赤坂のTBSから溜池の東芝レコードまで歩いて帰ってきた。入り口の前に、背の高い痩せた青年が立っていた。−中略−ロングコート姿だった。
「新田さんですよね」
 僕が頷くと、
「福岡のチューリップというバンドの、財津和夫と申します。どうしても聴いてほしい曲を持ってきました」
−中略−
「魔法の黄色い靴」が流れた。
(114〜115頁)

ここからまた新たなる新田伝説が始まるワケだが、少し時間を挟んで新田伝説、またこの続きは語りたいと思う。

今週の新田和長さんの「アーティスト伝説」はBSテレ東「武田鉄矢の昭和は輝いていた」でも取り上げている。
7月中の放送になるのでぜひそちらの方もご覧ください。
(7月18日放送のBSテレ東「武田鉄矢の昭和は輝いていた」【昭和40年代・歌謡界に新風を巻き起こした音楽】を指していると思われる)




2025年6月23日〜7月4日◆アーティスト伝説I(前編)

(後にこの続きが放送されたので、タイトルは「アーティスト伝説」から「アーティスト伝説I」へ変更する〈2026/2/13〉)
(今回のネタ本の著者である新田氏については2024年11月25〜12月6日◆人生、待っていたのはでも言及しているので、今回の話はその時の内容と重複する部分がある)

というワケで「アーティスト伝説」。
申し訳ない。
これはそのまま(本のタイトルを)使ってしまった。

アーティスト伝説:レコーディングスタジオで出会った天才たち


これは新田和長さんがお書きになった「アーティスト伝説」。
新潮社から出ている「レコーディングスタジオで出会った天才たち」というサブタイトルが付いているが。
皆さん、見てらっしゃる方もいらっしゃるだろうと思うが、今、武田先生もテレビで「(今朝の)三枚おろし」みたいなことを短い時間やっている。
テレビとラジオは違う。
テレビの場合、いかに短く伝えるか。
長くなるともたない。
だから「なるべく約めてくれ、約めてくれ」と言う。
十分ぐらいにまとめなければならない。
あれは大変だなと思う水谷譲。
我れながら「よくやってる」と思う武田先生。
もう正体をバラしてしまうと、「三枚おろし」で使ったネタを向こうでやっている。
だが、取り扱い方法が違う、組み立て方が全く違うワケで。

今朝から始まった「アーティスト伝説」。
新田さんの長き人生。
「レコーディングスタジオで出会った天才たち」ということなのだが。
新田さんというのは遠い思い出に出てくる人。
武田先生は遠い昔、この伝説の人と福岡の小さなホール(電気ホール)の舞台袖ですれ違ったことがある。
武田先生は大学の三年生。
22歳ぐらいの年齢だった。
「海援隊」というアマチュアフォークグループに夢中になっていた。
そこに彼がやってきた。
彼の肩書は東芝EMIディレクター。
(この時点での社名は「東芝音楽工業」。この後も番組内で何度も「東芝EMI」という言葉が出てくるのでここでも同様に表記していくが、その時期の実際の社名ではない箇所が多数ある)
遠い東京から遥々福岡までやってきたという。
それはもう存在だけでドキドキする。
彼はなぜわざわざそんな田舎町、50数年前の福岡にやってきたのか?
新田さんは彼の直感で「このグループはいける」と思ったグループが福岡にいたからで。
そのグループとは、もう詳しい方はすぐ名前が出てくると思うが「チューリップ」。
敢えて呼び捨てにさせていただくが、このチューリップのリーダーの財津という青年の持っている才能、これを「ただ者ではない」と見抜いたワケで、たった一曲聞いただけだが「果たしてこれがプロになるかどうか」ということで福岡にやってきたという。
それでじっと舞台袖からこの新田という青年の若さ、舞台袖で見ていた。
その時はまだチューリップは出ていなくて、チューリップの前座が出ていた。
それが海援隊。
面白い。
その新田さんが見ているとも気づかず、武田先生達は無我夢中でやっていたワケで
これは武田先生はよくは覚えていないのだが、チューリップの財津さんの方から「前座やってくんないか」という。
どうしてもその電気ホールを満員にしたい。
もちろん、アマチュアとしてのチューリップは人気があるのだが、安全パイの意味で満杯を勝ち取る為には財津さんはもう一グループ欲しかったのだろう。
それで前座として武田先生達(海援隊)が出た。
武田先生達が舞台が終わって降りてきた時に、東芝EMIの新田さんが手招きして武田先生達が呼ばれた。
それで「君たち面白いね」とおっしゃった。
新田さんは後に「違う言葉をかけた」とおっしゃるが、武田先生はその一言の印象が強くて、その一言を覚えている。
武田先生はどうしたかというと「そんな」と言いながら彼の前を足早に通り過ぎたという。
怖かった。
(海援隊は)ただのアマチュアグループ。
財津さんはもうプロを目指していたから、覚悟が全然武田先生達とは違う。
武田先生達はただ、ネエチャンに好かれたくてやっているようなフォークソングだから、最初から性根が腐っている。
それがやはり「プロの東芝EMIのディレクターさんが」というのがドキドキする。
それから長い年月が過ぎて、50年以上経って、この新田さんが自分の人生の大まとめということで「アーティスト伝説」という本をお書きになった。
その本の中に一行だけ武田先生が出てくる。

 海援隊を率いるあの武田鉄矢さんが一肌脱いでくれたらしい。観客動員のため、コンサートは海援隊とチューリップのジョイントだった。(118頁)

「後に、ここには武田鉄矢というのがいて非常にユニークな」というので出てくるワケで。
(本にはそういう文章は無い)
その「ディレクター」という言葉自体も珍しかったのだが、武田先生は「新田」という名前を聞くと胸がドキドキする。
この後、武田先生は人生の中でこの新田というディレクターさんの名前を何度も聞くことになる。
そんな凄い人なのかと思う水谷譲。
皆さんは「あっ!」と声を上げられるかも知れないが、著者・新田和長さんだが

 1968年、早稲田大学フォークソング・クラブ所属の僕たちのバンド、「ザ・リガニーズ」は東芝からレコードを出し(2頁)

あのリードボーカルが新田さん。
そうやって聞くと面白い。
この人自身もシンガーだった。
それもフォークソングのシンガーだったというところから、新田さんの長いミュージシャン達とのお付き合いが始まるワケだが、これがもう本当に見事な人々を網羅しているという新田伝説でもある。

ザ・リガニーズという学生バンドがあって、これがいよいよ東芝からレコードを出す。
学生さんを相手に東芝EMIというレコード会社がレコードを出そうという。
何でこんなことができるようになったのかというと、60年代の半ばから後半にかけて日本の音楽界に激震が走る。
その激震とは何かというと、どうしてもここから語らなければならない。

 ザ・フォーク・クルセダーズ(以下フォークル)のステージを初めて見たのは、1968年(86頁)

「帰ってきたヨッパライ」は何ひとつレコード会社の手を借りず、数人の学生だけでつくり上げてしまったのだ。後に僕は、京都駅からそう遠くない−中略−
 この家庭用のテープレコーダーの回転を変えて録音したので
(93頁)

(ここで本放送では「帰ってきたヨッパライ」が流れる)

帰って来たヨッパライ


フォークルの出現そのものが革命的だったのだ。(92頁)

ディレクターも必要としない曲が深夜放送で爆発的に売れたということ。
これで「手間も暇もかかんねぇな。学生は」というので「そのへんの学生に声をかけてみよう」という。
そうしたら早稲田大学に人気のあるフォークソング・クラブがあって、そのグループの名前が「ザ・リガニーズ」。

足元にザリガニを見つけて「ザ・リガニーズがいいんじゃないか!」と叫んだ。その一言でバンド名は決まった。(14頁)

それで「東芝から出そうよ」なんて、もの凄い話をレコード会社が学生さんにする。
新田さんもいい気持ちになったのだろう。

 1968年、シングルの発売に向け、大学3年生の僕は高田馬場から赤坂溜池の東芝音楽工業に通う機会が増えた。(18頁)

これはもう、あのときめきは忘れられない。
武田先生もそう。
武田先生も大学の二年生ぐらいの時に地元のテレビ局に出入りできるようになった。
TNCという地方局があって、自動扉が開く事務所に入ってゆくのはもう何か凄い自分が「業界!」(という感じで)「あ、月曜日空いてます」とかと言うと胸がときめく。
そのネクタイを締めた方から一丁前に扱ってもらえる喜び。
そんな気持ちだったのだろう。
新田青年はそこに出入りするようになった。
その東芝EMIに強烈な人がいた。
この強烈な人こそ誰あろう高嶋(弘之)さん。
聞いただけで「ああ」と頷く方がいらっしゃると思うが、東芝EMIのディレクターさんで

バイオリニスト、高島ちさ子さんは高嶋さんの次女だ。(41頁)

本当に、この高嶋さんというのはただ者ではない。
皆さんは「ちさ子さんのお父さん」というイメージがあるかも知れないがやめてください。
日本の音楽界で大変なことをした人。
この高嶋さんが新田という青年が気に入ってきた。

 ある日、高嶋さんは、卒業を来年に控えた僕に対して、驚くべきことを口にした。
「新田、無試験でいいからウチに入れ」
(18頁)

よっぽど見込んだというか人手が足りなかったというか、新田青年を「使いやすい」と見たか、何かよくわからない。
みんながみんな、先見の明がある人が揃っているということだと思う水谷譲。
それと人間の確かめ方が直感のみでよかった昭和特有の・・・

 突然の大胆なお誘いに戸惑いながら、
「ありがたいお話ですが、僕は輸出マーケティングというゼミで、商社に入るための勉強をしております」
「商社に入って何をするんだ?」
「はい、テレビ、カメラ、自動車など、国際競争力のある日本の製品を、世界に輸出したいと思っています」
「馬鹿だなあ、ウチに入って、君が言うところの国際競争力とやらのある音楽をつくって、世界に輸出すれば同じことじゃないか!
−中略−
「いいか、そのうち、姿、形のないものを輸出する時代が来る。芸能とか、芸術、文化とか」
−中略−
まだ、ソフトとか、ハードという言葉もなかった時代に、先見の明とはまさにこういうことを指すのだろう。
(18〜19頁)

試験無しだから。
当然正社員として迎える。
凄い時代だと思う水谷譲。
若者というのはこういうふうにして大人から仕切られると燃えるのだろう。
それで新田さんの人生の中でまずは「海は恋してる」という自分達のオリジナル曲のレコーディングに打ち込むワケで。

海は恋してる


この「海は恋してる」という曲から彼のレコーディングスタジオの歴史が始まるワケで。
敢えて「青年」と付けさせていただくが、新田青年はこうやってレコード産業界に入ってアマチュアとして卒業記念という意味合いも込みで東芝EMIから一曲、レコードを作ってそれを販売しようという話になったという。
それでギターの演奏を磨き、コーラスなんかも仲間が集まって一番楽しい時。
「レコーディングするから」と曲が決まって仲間と練習するという。
その時は楽しいもの。
そして新田青年は東芝EMIレコーディングスタジオへ乗り込む。

首相官邸に隣接するスタジオに到着した。ロビーで会った高嶋さんは言い放った。−中略−
「もう、スタジオミュージシャンで録音してあるよ!」
 がっかりだ。
(19〜20頁)

ボチボチそういう時代に差し掛かっていた。
そして「ああもやりたい」「こうもやりたい」と練っていたアレンジだが、アレンジも終わっていた。
ガックリくる。

さっそく、期待半分、不安半分でプロの演奏を聴かせてもらった。−中略−
 プレイバックされたイントロを聴いた瞬間、メンバーの誰かが、12弦ギターのチューニングが狂っていると言った。
−中略−E7のコードが、Em7になっていた。(20頁)

このあたりは丁度時代の変わり目で、新田君が夢見ている音楽業界は「あくまでも自分の手作り」というのだが、認められなかった。
というわけで、皆さん方に確認していただく意味でE7がEm7に変わっているところと、少しチューニングの甘いイントロの12弦ギターを聞いてみましょう。
ザ・リガニーズ「海は恋してる」。
(ここで本放送では「海は恋してる」が流れる)



この歌はよく知っているが、どこがどうおかしいのか全然わからない水谷譲。
これは新田青年のこだわりがあるのでチューニングが甘いとか、それからコード一か所アレンジの方が変えたのでコーラスが凄くやりにくくなったらしい。
だから「自分達が演奏する」というこだわりがあるので、ほんの僅かでも違和感を感じるとそれがミスのように感じてしまうという。
ここでまた凄く面白くて、新田青年は本当に高嶋さんのことを恨んだのだろう。
「やりたい音楽と違いますよ!」とかと言ったのだろう。
そうしたら高嶋上司から言われたのは「上手い歌なんかいらないんだよ!欲しいのは売れる歌なんだ」
(本の内容とは異なる)
これはもう誰もが洗礼を浴びるところでやはりいろんな人がここにぶつかっていく。
これは恐らく平尾昌晃さんから聞いた話。
歌唱力をひけらかすヤツがいる。
「誰がそんな。鼻歌でいいんだよ!聞き手の人はそれを聞きたいんだ。オマエの歌唱力なんかいら無ぇんだよ!」
それはもの凄く大事なセンスの違いで。
平尾さんは有名。
みんな歌唱力に自信があるから歌手になっているワケだから、もう何だか「十週勝ち抜きナントカ大会」みたいになってしまう。
「人々が求めてるのは鼻歌なんだ」という。
だからその歌自慢のヤツが「命をかけて歌唱に臨みます」なんていうのは誰も求めていない。
でもこれは本当におっしゃる通り。
アマとプロの差がそこにある。
上手い歌などいらない。
売れる歌を作る。
その為、売れる歌を作る為にはどうしたかというと、その歌は「売れるという渦を持っていないとダメだ」という。
凄い。
レコード産業界は厳しくて面白い。
新田青年はこの最初の高嶋との激しいやり取りが音楽の基本として「そうなんだ。俺達に要求されていることは『売れる歌』なんだ」というところから一歩、二歩と彼の人生が始まるワケだが、アーティスト伝説はこの後まだまだ続く。

1960年代の説明をしなければならないが、1960年代、レコード産業界が動き出す。

 ビートルズのデビュー・シングル「ラヴ・ミー・ドゥ」は、1962年−中略−イギリスで発売された。ヒットしたものの大ヒットとは言い難かった。しかもそれはイギリス国内だけの話だとして、アメリカのキャピトル・レコードは相手にしなかった。当時、世界の洋楽勢力図は圧倒的にアメリカが中心で、イギリスは遠く及ばなかった。−中略−マッシュルーム・カットに象徴される彼らの容姿はどう見てもまともな音楽家ではないと批判するクラシック界などからの声も聞かれた。(38〜39頁)

アメリカの扱いはどうかというと「イギリスの港町の田舎バンド」というイメージがビートルズ。
それぐらいの存在だった。
ポップスの方はというと、もうダントツ、アメリカ。
「ビー・マイ・ベイビー」とか「悲しき雨音」。
そんなのが大流行で「ラヴ・ミー・ドゥ」というラブソングはあまり・・・
ポップスについて「世界を主導できる、引っ張っていけるのはアメリカンポップスだけで、イギリスにそんな力があろうハズが無い」というのが全体の見方だった。

イギリスで発売された2枚目の「プリーズ・プリーズ・ミー」、4枚目のシングル「シー・ラヴズ・ユー」を聴いた高嶋さんは、−中略−日本でのレコード発売の準備に取り掛かった。
 その頃、アメリカのキャピトル・レコードは依然としてビートルズのアメリカでの発売に否定的だった。
(39頁)

これは武田先生も体感として覚えている。
「女の子みたいで髪の毛伸ばしたヤツ。そんな奴らが力があろうハズが無い」と思っていた。
タカトリ君という友達がいて、タカトリ君の好きな女の子がシロウズさんという。
それでそのビートルズが

She loves you, yeah, yeah, yeah(ザ・ビートルズ「シー・ラヴズ・ユー」)

と歌ったものでタカトリ君が学校の帰り道「ビートルズはシロウズの事ば知っとう」と言いながら武田先生に告白した秘密の会話を思い出すぐらいで。
でも「シー・ラヴズ・ユー」に反応したのはタカトリ君ぐらいだった。
「これではいけない」と思ったのが東芝。
これはEMIと提携をする。
1962年。
何とかしなければいけない。
東芝EMI。
(「提携」というのが不明だが、本によるとEMIと合弁会社になったのは1974年。会社同士のやり取りはビートルズ以前からあったようだ)

「プリーズ・プリーズ・ミー」、4枚目のシングル「シー・ラヴズ・ユー」を聴いた高嶋さんは、ビートルズの音楽はこれまでのアメリカの音楽とは何かが大きく違うと感じた。(39頁)

このグループはタダ者じゃない。
何でアメリカと喰い合わせが悪いのかというと、アメリカのポップスには無いブリティッシュロックというか、クラシックの臭いもあるんだ、という。
「これ絶対いけるわ」と高嶋は思う。
アメリカ、キャピトルは動かない。
「ビートルズ宣伝しよう」という。
高嶋は策士。
イギリスEMIと密談する。
日本とイギリスが手を組んで「ビートルズが売れた」と騒ぎだせば、絶対にキャピトルも腰を上げる、宣伝し始める、という。
それでEMIは「そんな夢かけてくれるんだったら、アンタの言うこと何でも訊く」と言ってイギリスEMIと高嶋の間で意思疎通ができるようになった。
(このあたりは本の内容とは異なる)
向こうのディレクターも高嶋に乗ってしまった。
高嶋は何を要求したかというと「プリーズ・プリーズ・ミー」とか「シー・ラヴズ・ユー」では受けない。
「どうしたらいいんだ」といったらビートルズは何を歌っているかをタイトルに付けた方がいいんだ」という。
でないと日本では手が付かない。
字幕の洋画か吹き替えで声優さんが演じているかの違い。
それでその次の歌が「アイ・ウォント・トゥ・ホールド・ユア・ハンド」。
これは「アイ・ウォント・トゥ・ホールド・ユア・ハンド」だから「あなたの手を取りたい」。
それを高嶋が「俺がタイトル付けるから納得してくれ。ビートルズにも言ってくれよ」といって。
それで「アイ・ウォント・トゥ・ホールド・ユア・ハンド」を日本のタイトルに変えた。
これが「抱きしめたい」。
さあ聞いてみましょう。
ビートルズ「抱きしめたい」
(ここで本放送では「抱きしめたい」が流れる)



英語タイトルでは日本では馴染みがない。
だから最初は「日本語でとにかくやらせてくれ」という。
これがまたものの見事に当たる。
何と日本とイギリスが手を組んだ「アイ・ウォント・トゥ・ホールド・ユア・ハンド」「抱きしめたい」、これが日英で大ヒットし始める。
そうしたらキャピトルがし始める。
アメリカ公演をやる時にファンをカネで雇ったというのだから。
ビートルズがアメリカに降り立った時、飛行場で騒いでいた女の子にギャランティーを出していた。
サクラ。
そして少しお金を握らせて、ジョン・レノンが落とした灰と灰皿をを百ドルで買った女の子というのも。
そういう伝説も。
そうしたら「アイ・ウォント・トゥ・ホールド・ユア・ハンド」、邦題「抱きしめたい」は日英米で火が点いたという。
これでEMIは高嶋に頭が上がらない。
そんな世界的なヒットをどうやって飛ばすかを横でじっくり見ていた新田青年。

改めて新田さんの本を読んでしみじみ思ったのだが、ビートルズを売るということに関して高嶋さんの働きは凄かったらしい。
まだ東芝の方での主役は誰かというとベンチャーズが主力だったという。
ベンチャーズがアルバムを100万枚売った。
(「インストゥルメンタル」という言葉が本放送ではカットされている)
それぐらいのパワーがあった。
テケテケテケ♪

 同じ東芝が発売していたベンチャーズのアルバムは100万枚も売れ、ビートルズはまだ5万枚しか売れていない時、高嶋さんは数字を改ざんしてベンチャーズよりビートルズの方が売れているように見せる社内書類を作成した。おまけに社外秘の印まで押して雑然とした机の上にさりげなく置いておく。業界紙の記者が毎日社内を歩き回ってネタを探していた時代なので、その書類は必然的に記者の目に留まる。(42頁)

EMIからの覚えもめでたいので高嶋さんだけにはビートルズの英語のタイトルを日本語に変えていい権利が伝授された。
ビートルズのナンバー

「恋する二人」「恋におちたら」「悲しみはぶっとばせ」「ノルウェーの森」「ひとりぼっちのあいつ」なども全て高嶋さんがつけたタイトルだ。(42頁)

今頃になってちょっと「間違えたんじゃないか」というのが発見されている。
「ノルウェーの森」ではないらしい。
本当は「Wood」だから「ノルウェーの家具」。
でも「ノルウェーの家具」では売れていないだろう。
「ノルウェーの森」で水谷譲の好きな作家さんの小説のタイトルになった。

ノルウェイの森 上 (講談社文庫)


でもそれぞれに音が聞こえてくる。
「恋する二人」「恋におちたら」「悲しみはぶっとばせ」「ひとりぼっちのあいつ」
これは全て高嶋さんのアイデアで。
一個だけ正確にものを言っておかなくてはいけないのだが、ビートルズは世界中で大ヒットするのだが中国だけはヒットしていない。
文化大革命(文革)の最中で、「愛国無罪」とか漢字四つ文字が流行っていた国ではビートルズは一切。
しかしこのグループは知れば知るほど天才的だった。
そのことを高嶋の横に立っていた新田青年は学ぶ。
ビートルズは何が凄いか?
イントロを聞いたらその曲がわかる。
例えば「アイ・フィール・ファイン」。
(ここで本放送では「アイ・フィール・ファイン」が流れる)



演奏のノイズのハウリング。
これがイントロ。
「Help!」
(ここで本放送では「Help!」が流れる)



イントロ無し。
いきなり。

「カム・トゥゲザー」は冒頭いきなり「シュッ!」という音で始まった。−中略−ジョン・レノンの声なのだろう。(43〜44頁)

(ここで本放送では「カム・トゥゲザー」が流れる)



60年代の半ばから日本をビートルズ一色に染めてゆくという。
それを新田青年はジーッと眺めていて、先行したビートルズから「なるほど。こんなふうにして音楽を売ってゆくのか」というのを学んだという。
もう一回繰り返すが、この60年代半ばから日本の音楽界に大革命が起きた。
これはもちろん先行するビートルズがいたからなのだが、日本でも影響力を持ったフォークグループがスタートする。
それが(ザ・)フォーク・クルセダーズ。
彼等からフォークソングという新しい音楽運動が。
日本のフォークソングはここから始まったという一曲がある。
これは武田鉄矢説。
寺山修司さんが作詞なさった「戦争は知らない」。
(ここで本放送では「戦争は知らない」が流れる)



それまでの日本の歌謡界は戦争を知っている人達の歌。
フォーク・クルセダーズが言い始めたのは「俺達は知らない。戦争を」。
寺山修司の作詞から影響を受けて北山修は「戦争を知らない子供たち」という曲を。

戦争を知らない子供たち


ここからフォークというものが立ち起こっていくという。

(本放送ではBSテレ東「武田鉄矢の昭和は輝いていた」の宣伝が入る)


2025年07月05日

2025年3月31日〜4月10日◆眼高手低(後編)

これの続きです。

二年前に読んだ本だがいい内容だった。
「妄想する頭 思考する手」というタイトルで暦本純一博士、東大大学院の教授。
コンピューターの開発を行ってらっしゃる方。
祥伝社から出ていた。
この方がスマートスキンというか指を広げたり縮めたりすると拡大、それから縮小が簡単にできる、あの原理を考えた方であって。
この方が「眼高手低」「眼差しを高く上げ、手をせっせと動かす」ということで次なる発明で考えておられるのが「白杖」。
視覚障害がある方の白い杖をデバイス、端末としてスマートフォンが持っている地図アプリを連動させて、それから振動機能があるので、最初に地図アプリの方に目的地を打ち込んで白杖を握る。
曲がるところになると小さく震えるとか、そういう工夫で目的地まで白杖が地図を覚えて引っ張っていくという。
これを今、開発中。
その一部がもう車に活かされていて、昨今、武田先生の車であるトヨタ車だが、白線をちょっと踏んだりするとハンドルが震える。
それから救急車が来ると知らせる。
チャイムが鳴る。
「救急車接近中」という。
このあたりが最近の車は本当にコンピューターだらけということ。

ここからもっと面白いことを考える。
便利がいいと思った
その、右に曲がるところ、角まで来たらちゃんと白杖がスマートフォンの地図アプリと連動していて、震えるとかというの。
これは凄いと思うのだが、ここからこの人はもっと凄いことを考えている。

非線形な振動によって引っ張られるような感覚が生じること自体は昔から研究されていた。(144頁)

これは道案内にも使える。単に振動するだけでなく、正しい方向に引っ張らせることができるのだから、よりリアルな「誘導」ともいえるだろう。(146頁)

この人はまず娯楽を考えるのだろう。

「仮想」の力を生み出せるとなると、エンターテインメントにも応用可能だ。たとえばアスリートが感じている力を再現できるかもしれないし、CGキャラの身体感覚を疑似体験することもできるだろう。(146頁)

この人が考えたのはバットを握る。
それで仮想現実でもいいのだが、とにかくボールを投げる。
その人が振る。
その時のバットの手ごたえがホームラン。
それは凄く娯楽性を帯びる。
そういえば画面ゲームを、ゴルフでもやり始めた。
世界のトッププロをスクリーンに向かってボールを打たせる。
それでテレビゲームとしてのゴルフをプロ選手にやってもらうという。
そういう仮想現実の、これはあくまでもエンターテインメントだが、こういうのはやはり「面白いな」と思う。

暦本さんは新しい発想をお持ちなのだが

新しいアイデアは、何も無いところから突如として出現するわけではない。そのほとんどは、「既知」の組み合わせだ。その組み合わせが新しいから、「未知」のアイデアになる。(86頁)

プリンターは何枚もの紙を連続してプリントするので、一枚のプリントが済んだことを感知する仕組みがないと、次のプリントを始められない。また、紙が詰まって動かなくなったら、作業を止めてエラーシグナルを出す必要もある。(147〜148頁)

これはいちいち「いちま〜い、にま〜い、さんま〜い」と番町皿屋敷みたいに機械が数を数えていた。
それが故障が多い。
引っかかったりすると「さんま〜い、さんま〜い、さんま〜い」になってしまう。

紙送りセンサーとして使われているのは、じつは低画質の「カメラ」だ。機械の中で移動する紙の様子を、毎秒一〇〇〇回ぐらいのスピードで撮影している。それによって、紙送りが終わったことや止まったことを感知するわけだ。(148頁)

つまり「シンプルじゃないとダメですよ」という。
これは紙送りセンサーというのがあって、コピー機のデバイス、端末としてたちまち誕生したという。

 HMDは、VRのディスプレイとして頭に装着するデバイスのことだ。テレビやパソコンやスマホなどで動画を見るのとは違い、周囲のリアルな風景をシャットアウトできるので、バーチャルな臨場感が得られる。
 その臨場感をさらに高めるには、できるだけ見える範囲、つまり視野を広げたい。
(152頁)

HMDの視野を広げるときに、全面を同じ解像度にする必要はない。周辺視野の映像は少しボヤけていても、リアリティが失われることはないだろう。(153頁)

つまり無駄な努力はしないというのがイノベーション発明の基本的な考え方だそうだ。

Netflixでホラーサスペンス系を見ることが多い水谷譲。
タイムマシンものと宇宙旅行ものをよく見る武田先生。
昨日見たのが「ライフ」だったか

ライフ [DVD]



火星で拾った生命体が宇宙ステーションの中で暴れ出して。
真田(広之)君も・・・
まあむなしい物語。
言ってしまうとまずいか。
ラストは「ちょっとどうするんだろう?」と思う水谷譲。
ドキドキさせるというヤツ。
あんなのを見ていて思うが、アメリカのハリウッドに於ける、あの手のいわゆるSF映画の作り方を見ると圧倒される。
仮想現実の無重力の宇宙ステーションを見せてくれる。
あれが本物にしか見えない。
ああいうのを見ているとハリウッドの持っているSFを作る力というのは凄い。
「スター・ウォーズ」だって昔は結構チンケなヤツがあった。
今は浮かぶスクーターとかというのも「バック・トゥ・ザ・フューチャー」なんかも明らかにあのブルーバックでやったという淡い仕掛けのラインが見えた。
今はもう全く無いという。
ゴジラを見てもそう。
あの「ゴジラ-1.0」

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「シン・ゴジラ」もそうだが「まあ凄いもんだな」という。

シン・ゴジラ



何でそんなことを喋ったかというと、この本の暦本純一さんがおっしゃっている「妄想」というのが人間の能力にとって大事な感覚。
妄想の最大のものが人間の拡張で。
人間は走れないが、車という拡張機に乗ると最高では200キロ近いスピードで。
SFで言うとガンダムの頭の中に入ってしまうと、自分の手足同然になるワケで拡張する。
暦本さんは「これなんだ。人間の夢は」。

私が研究している「ヒューマン・コンピュータ・インタラクション」という分野は人間と機械を「つなぐ」のがテーマだが、−中略−機械を自らの中に取り込むことによって、「人間」という概念がこれまでよりも広がる。それが、私の抱いている妄想の土台である「人間拡張−中略−」だ。(〜頁)

AIと人体の融合、あるいはChatGPTなどもそうで、今、考えてみると人間の能力の拡張である。
検索する。
何でもよく出てくる。
自分の忘れたことだって記録に取ってあるワケで、「もの凄い発明だなぁ」と思う。

「顕微鏡は視覚の拡張である。他の感覚器官、たとえば聴覚・嗅覚・味覚・触覚なども、将来の発明で拡張されるだろう」(170頁)

 さらに妄想を広げれば、人間の「脳」そのものがニューラルネットとの接続によって拡張されるはずだ。(196頁)

人間の脳がネットワークに繋がり、膨大な知識を自分のものとして使うという時代がもう既に到来しているワケで。
これも最初はもの凄く簡単で、美術館に於けるイヤホンガイド。
これが原型。
絵を見る時、意味がわからない。
でもイヤホンガイドを借りると絵の説明をしてくれるので。
歌舞伎だって外国の人は意味がわからないが、イヤホンガイドを付けると「出てきた彼女は子供亡くし、今、探しながら泣いております」という理解の拡張がそこにあるという。
拡張という、そういうこの事象を見る、この出来事を見る。

映画『マトリックス』では、ヘリコプターの操縦技術を脳にダウンロードするというシーンがあった。(196頁)

マトリックス (字幕版)



これがもう間もなくできるんじゃないか?という。
前に話したことがある
片手だけしか今、できていないのか。
そこにグローブみたいな手を付けると、手の動きがクラシックピアノを弾き始めるという。
それは手袋が弾いている。
これをもの凄く大きい意味で言うと「ショパンが弾いた手にしろ」という命令を出すとショパンが弾いた通りに弾けるという。
「体はゆく」の時に出てきたエクソスケルトンのことを指していると思われる)
例えばしっかりした用具を付けてパットを握って「イチロー」をジャックインするとイチローのヒットが打てるとか大谷のホームランが打てるとかという、そこまでなるのではないだろうか?という。
SF。

道具なしの「裸の動物」としてはネアンデルタール人のほうが強かったので、もし石器が発明されていなければ、現在の地球は彼らが支配していたかもしれない。しかし石器という道具によって拡張された能力は、ホモ・サピエンスのほうが高かった。いわば「矯正学力」でネアンデルタール人を上回ったわけだ。(199頁)

その道具はどうやって進化させたのか?
今日の問題にする。
これはディープラーニングと言うらしいが、道具を進化させる為に必要なのはたくさんの話し合いで。
(本の中の「ディープラーニング」の紹介内容とは異なる)
暦本さんは非常にヒューマン。
何かハッとして本に赤線をひっぱったのを覚えている。
武田先生が「(今朝の)三枚おろし」にネタを持ち込むワケだが、武田先生一人に任せておくと「武田先生一人が面白い」という番組になってしまう。
水谷譲を話し相手にしていると、番組そのものが予想もしなかった内容になり意外な方角に話題が広がってゆく。
媚びるワケではないが水谷譲に巡り合ってよかった。
何か時々ふと、最近、そういう当たり前のことに感謝できるような自分になった。
話題が盛り上がらないと乳の下を掻かれるというような屈辱を受けるのだが、それが武田先生を鞭打つ。
だから一人の価値観で物事を進めてはいけないという。
人気がある人に集中してはいけない、と。
本当にそうだと思う水谷譲。
「あの人さえ使っておけば何パーセント取れる」というような発想ではなくて。
その人を殿様にしてはダメだと思う水谷譲。
ちょっとこのあたり発言が微妙になるので。
一般論。
武田先生達は一般論を言っている。

テクノロジーの進歩というのは、中間の認識を多く持つことだそうだ。
皆さん、これは科学者らしい言葉。
テクノロジーを進歩させるとは中間の認識を多く持つことで、中間の認識をたくさん持つことが改良に結びつくのだ、という。
中間層は多様性に満ちている。
だからその多様性を改良に活かす意見とすることなんだ。
繰り返す。
世界は専制、たった一人の独裁者を嫌い、たった一人の人気者が支配するという世界を嫌い、自由を求めて自在に人の多様な意見を吸い上げるというシステムを好むという。
私共はどちらかと言えばそのことを踏まえて政治的に言うとウクライナを支援している。
「申し訳ないねぇプーチンさん。お宅のロシアに多様性を感じないんですよ」
いろんな人がいろんな意見を言っているという人間の声をあまりおたくの社会は静か過ぎて我々はダメ。
民主主義とは何か?
喧しいということ。
いろんなヤツが勝手にものを言って。
でも喧しいことが民主主義。
だから「うるさい」を否定してはいけない。
今日は冴えている。
おっしゃる通りだと思う水谷譲。
もうゾクゾクする。
自画自賛。
「我田引水」
好きな四文字熟語。
自分の田んぼに水を引かなくて誰に引くんですか?
こういうことなので、日本社会の弱さみたいなところは案外強さに変わり得ることがあるぞ、と。
これは反対する人はいるだろうが、嫌う人は嫌うのだろう。
マイナンバーカード。
みんな手続きしないで困っているじゃないか?
マイナンバーカードをICチップで注射で打てばいいんだ。
小さいのだったら打てるのではないか?
小さいICチップにして、体の中に埋め込んでおけばPASMO、Suica、それからアイデンティティカード。
水谷譲の猫の首に番号が書かれたチップを(埋め込んだ)。
全然わからないぐらい小さいので猫も痛いともスンとも言わない。
人間なら、なおさらできると思う水谷譲。

監視カメラを付けると「個人の自由が無くなる」とかと言ったが、もう今、監視カメラは犯人を割り出すのに最高のシステムになってるじゃないか」と。
これは逆に言うと今、最も監視カメラが発達しているのが中国。
中国の学校では凄い。
これは中国に負けてしまう。

深圳あたりの学校では、生徒の頭に脳波を計測するバンドをつけた状態で授業をやっているぐらいだ。(226頁)

中国は凄い。
ちょっとやり過ぎな気がする水谷譲。
暦本さんはそういう中国がいいとはおっしゃっていない。

この暦本さんの面白いところは何がいいかというと、「妄想する脳」を作らないと何事も発展しない。
管理された脳ではダメ。

日本という国は、−中略−ある種の「妄想大国」でもあったはずだ。(227頁)

『ドラえもん』は今も現役だし、『サイボーグ009』や『鉄腕アトム』などは古典として生き続けている。『機動戦士ガンダム』や−中略−『新世紀エヴァンゲリオン』など、(228頁)

これらの物語は妄想から生まれたんだ。
中国やロシアに於いて妄想は非常に限られた人しか持っていない。
それじゃダメなんだよ。
中間層の妄想が大事なんだ。
いろんな妄想があっていいんだと思う水谷譲。
ところが中国やロシアでは限られた人しか妄想ができない。
アメリカの「偉大な国」。
それもトランプさんの妄想かも知れない。
妄想はいろんな人が持っていないと活力にならないという。
妄想はどこから生まれるかというと「不真面目」から生まれる。
(本では「不真面目」と「非真面目」を区別していて、このあたりは「非真面目」)
そういう不真面目から生まれる妄想を大事にしないとダメですよ。
このへんはわかりやすい。
「遊びから生まれる」に近い感じかと思う水谷譲。

暦本さんは古い話を。
こんな職種があった。

 かつて、炭鉱には「スカブラ」と呼ばれる人たちがいた。−中略−みんな一生懸命に炭鉱で働いているのだが、一〇〇人のうち五人ぐらいは、何をするでもなく機嫌の良さそうな風情でブラブラとそのへんを歩いている。−中略−スカブラの人たちは、「平時」は何もしないけれど、いざ事故やトラブルなどが発生するとすぐに駆けつけてみんなを助けてくれるからだ。アリなどの集団でも同様で、観察すると実際には働いていないアリが一定の比率でいるそうだ。(230頁)

(番組の中で「スカプラ」と言っているようだが、本によると「スカブラ」。ここでは本に従って「スカブラ」に統一しておく)
こういう「スカブラ」みたいなことはとっても大事なことで

 グーグルには、かつて「二〇パーセントルール」と呼ばれる制度があった。「従業員は、勤務時間の二〇パーセントを自分自身のやりたいプロジェクトに費やさなければならない」というルールだ。−中略−以前はそれがグーグルの「イノベーションの源泉」とも言われた。(231頁)

こういうふうにして、みんなの為の妄想できる、そういう人間の組み合わせとかがタフな企業を作っていくという。
これは考えさせられる。
イノベーションの為のアイデアが生まれる為には、こういう不真面目な妄想から人間がいろいろこう発展させていくという。
とにかく妄想は重大なアイデアを作る為のスイッチなのであるという。
何か勉強になった。
始めて「スカブラ」という言葉を聞いた水谷譲。
言葉は悪いが「スカブラも使いよう」だと思う水谷譲。
だから一色に染まってはダメ。
今、世の中で一色にまとめるのがいいことだと思っている人がいて。
最近の大河ドラマを武田先生は評価する。
蔦屋重三郎が主人公なのだが、蔦屋重三郎というのは何者かというと、今でいうと芸能界のことを出版物にして芸能界をアピールするという。
大河ドラマ「べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜」
そうやって考えると凄くわかりやすくて。
あの「べらぼう」を書いておられる作家さんは素晴らしい。
「やるなぁ」と思って。
その名前をつぶやいていたらスタッフから「前にお付き合いしたじゃありませんか」と言われて。
「JIN -仁-」

JIN-仁- BD-BOX [Blu-ray]



(脚本はどちらも森下佳子氏)
だから武田先生は吉原に詳しい。
そういう意味でスカブラ。
蔦屋重三郎も一種スカブラ。
文化というのはみんなスカブラ。
「文化放送の電気のコード」のことを「QRコード」と言うのかと思った武田先生。

(この週の最終日は「雑感」ということで、本の内容とは無関係なので割愛)


2025年3月31日〜4月10日◆眼高手低(前編)

音だけでは非常にわかりにくい四文字熟語だが、「眼高手低」といってどんな字を書くかというと「眼は高く手は低く」という、そんな中国のことわざだが、意味については本放送を聞きながらどういう意味なのか探っていただければ嬉しい。
「妄想する頭 思考する手」

妄想する頭 思考する手 想像を超えるアイデアのつくり方 (単行本)



東大の教授の方で、コンピューター関係の開発を行っておられるという大博士。
(著者は)暦本純一さん。
祥伝社から出た本で。
申し訳ございません。
ご紹介が遅れた。
この本はもう二年以上前に読んだ本。
次に面白いのが来たりすると飛び抜かしてそれをやっているうちに、取り忘れてしまったヤツ。
「これはちょっと話もややこしいから面白く無ぇかな」と思って読み返していたら面白かった。
それで取り上げてみた。

この暦本さんの本を読みながらびっくりしたのだが、今はもう当たり前の当たり前になっているから、そんなことも考えもしなかったが。

スマートフォンを持っている人なら、この技術は毎日のように使っているはうだ。ピンチング(画面の上で二本の指を広げたり狭めたりすること)によって写真やテキストなどの拡大・縮小ができるあの技術だ。(14頁)

考えたら凄い発明。
どんなタイムマシンものを見ても、これは出てこない。
昔のSF映画で、空間に映像が出てきて、それを手でどんどん変えていく、流していくみたいな「こんなことできるワケないじゃん」と思っていたがそれに近いと思う水谷譲。
まさしく我々はその未来を歩いているワケだが、あの原理を考えた方が驚くなかれこの暦本さん。
日本人の人。
あれの原理を考えた。
凄い技術で、この技術は凄い発明なのだが。
この人の発明を発想したその裏側が面白いということで今回取り上げているワケで。

「必要は発明の母」と言うけれど(68頁)

灯油をストーブに移すシュポシュポとかああいうの。

トラスコ中山(TRUSCO) ポリエチレン ペール缶用ポンプ (手動式) 517mm GJ-10-1P



「必要があるから生まれてきた」という方が多いが、暦本さんは「そうじゃないんじゃないの?」という。
「これさえあれば便利」なんていう、そういう何だか真面目なことというのはあんまりひらめきを起こさないんですよ、人間の頭には」という。
その一例として大ヒット商品のソニーのウォークマンを挙げておられる。
あれは女性が提案した。
若い娘さんが「こんなのあったら便利」というのでウォークマンの原型を提案したら、もう重役会議でぼろくそに言われた。

社内でも「録音機能のないテープレコーダーなんて売れるわけがない」と反対する声があったらしい−中略−それでも、そういった当時の常識にこだわらずに、思いつきを突き通して形にしてみたら、画期的な商品として世界的な大ヒットとなった。(18頁)

それももう今は・・・
もうそういうのに取って変わったのだが、でもウォークマンの最初は「本当にいい道具だな」としみじみ思った。
指を広げたり縮めたりする「ピンチング」という技術なのだが、これはとんでもないところから発想している。
テルミン。

 テルミンという不思議な楽器がある。本体に手を触れることもなく、アンテナ型の電極に手を近づけたり遠ざけたり、その向きを変えたりすることで、音の高さや大きさをコントロールする楽器だ。ロシア(ソ連)の物理学者レフ・セルゲーヴィチ・テルミンが−中略−発明した。世界初の電子楽器である。(133頁)

シンセサイザーの前の電子楽器と言われて面白グッズとして紹介される。
発明する人というのはそういう頭なのだろう。
この「箱から出ているアンテナに手を近づけて音が変化する」という発想そのものに暦本さんが惹かれた。

 テルミンには、音の高さを決める垂直のアンテナと、音量を決める水平のアンテナがある。そのアンテナと手のあいだに蓄えられる静電容量の変化を利用するのが、この発明のポイントだ。(133頁)

これで「二本の指の動かし方で画面のサイズが変わる」という発想になるワケで、それがどう結びついていくか。

 たとえばテーブルのようなコンピュータ画面を、たくさんの電極線で縦と横に分割する。テルミンの垂直アンテナと水平アンテナを二〇〜三〇本ほど敷き詰めて座標を作るようなイメージだ。縦のマス目を数字、横のマス目をアルファベット順にすれば、座標の交点は「3のB」「7のH」といった具合に指定できる。そこに物を置くことで静電容量が変化すれば、その位置情報をテーブルに伝えることができるだろう。(134頁)

だから(スマートフォンの画面の)電話のところを押すとちゃんと電話番号を収めたノートが出てくる。
「YouTube見たい」とか基本は指先の静電気。
あれは縦と横に入ったマス目の数字とアルファベットでその所在がはっきりするという。
それを指しておいて広げると広がるという仕掛けにもつながるというワケ。
これはテルミンの音が、人間の手のひらを近づけることで音を大小にしたり、音の高い低いを変えられる。
それで狙った情報のスイッチがその画面の中にいっぱいあるということ。
しかしそれにしてもスマートフォンは便利が良すぎる。
アルバムはあるわアダルトビデオはあるわ。
スマホは調べものは抜群。
アダルトビデオに接触する度に「これは子供には見せられないな」とかと思いながら見ている。
それとやはり無限大に人の情報が入って来る。
「ちょっとおたくの機械おかしゅうございますから掃除しませんか」「きれいにしましょう」とかという諸注意が。
あれは相手にしなくていいのかと思う武田先生。
ダメなものもあるので武田先生はそれは触らない方がいいと思う水谷譲。
作っておいて「触らない方がいい」。
「何とかしろよ」と年寄としては言いたくなるが、そういうものなのだろう。
この仕掛けを考えて画面に指を近づけることで「画面変化とか特有のチャンネルに合わせるということができますよ」というので面白半分で暦本さんは研究していたそうだ。
「何かの役に立とう」なんて思ったことが無かった。
学会でも注目されるのだが、それは子供のおもちゃと同じで画面が大きくなると子供は喜ぶし触ればチャンネルが変わると楽しそう。

 でも結局、その発明を最初に商品化したのはアップルだった。(141頁)

ジョブズさんがいなければこの画期的イノベーションは生まれなかった、という。
この著者自身は自分の発明がこのような形で利用されること、それだけが嬉しくて。

 ところが、私と関係のないところで特許侵害をめぐる訴訟が起こった。訴えられたのはアップルではない。アップルがスマートフォンのライバルであるアンドロイドを作っているモトローラを訴えたのだ。アンドロイドに搭載されたマルチタッチ技術はアップルのものだから特許を侵害している、という。(142頁)

(番組ではモトローラがアップルを訴えたと言っているが、本によると上記のように逆)

当時モトローラはグーグル傘下にあったため、グーグルの顧問弁護士から協力を要請されたのだ。そもそもiPhoneで使った技術がアップルのオリジナルでなければ、モトローラは訴えられる筋合いがない。それを証明するために、アップルが暦本のアイデアを使ったことを裏付ける証拠がほしかったわけだ。−中略−私の出した証拠もモトローラにとって有利な材料として働いた。結局、アップルが訴訟そのものを取り下げる形でこの争いは終わっている。(142頁)

これは暦本さんは何も文句を言っていない。
「俺にカネよこせ」とか言わなかった。
ただ「俺のものだとは言えない」というのをスティーブ・ジョブズが言い出して、何のことはない、誰でも使っていいということになった。
暦本さんは大学教授の方。
いわゆる研究者で自分の主張を放棄なさった。
この暦本さんの発明はもっと凄いのだが。
「自分が考え付かなかったことをジョブズが考え付いてくれたんだから、みんなも使っていいですよ」と。
そうおっしゃってくださらなかったら、我々は今、そんなできなかったと思う水谷譲。

 もしモトローラが敗訴していたら、マルチタッチ技術はアップルが独占し、他社のスマートフォンやタブレットでは使えなくなっていたかもしれない。(142〜143頁)

指先でコンピュータの画面を拡大できたら、そのほうがマウスよりも自然だろうという感覚は持っていた。いや、現実世界ではものを一本指で操作することのほうがめずらしいのに、なぜマウスでは常に一本指ですべてを操作するような「不自然さ」を当たり前のように受け入れているのだろうかそういう自分自身の素朴な疑問から始まったのが、スマートスキンの開発だったのである。(16頁)

だから新しいものを発明する人は目の付け所が全然違う。
それが結び付いたワケで。
暦本さんがおっしゃっている中で本当に感心するのだが

自分の価値軸の上で「面白い」と感じたことを、素直かつ真剣に考えている
 その「妄想=やりたいこと」を実現するには、いろいろな工夫や戦略が必要だ。
(24頁)

「そういう『妄想する心』みたいなものが無いと新しい発明、イノベーションは生まれませんよ。必要よりも『ああ、面白い』という、そういうのが大発明を生むんです。子供が見て面白く、年寄が見て『あ、こりゃ便利だね』という」
やはり指の広げたり縮めたりで活字の大きさが変わるのは子供は面白いだろう。
写真なんか際限も無くアップにもできるし。
年寄にとって一番有難いのは老眼鏡をかけなくていい。
そこだけデカくしたら読めるワケで。

 たとえば産業革命の起爆剤となった蒸気機関は、最初から機関車の駆動技術を目的として発明されたわけではない。そもそもは炭鉱から水を汲み上げるためのポンプとして開発された。それを交通機関に転用した蒸気船が実用化されたのは、ワットの発明からおよそ四〇年後のこと。−中略−蒸気機関車が実用化されるまでには、それからさらに一〇年近くかかっている。(69頁)

ワット自身も「そんなふうに使ったの?俺の発明」と驚いているハズだ。

 また、エジソンの蓄音機という発明も、想定外の必要を生んだ。蓄音機(フォノグラフ)はもともと録音装置、今で言う「ボイスメモ」に近いものとして発明されたものだ。その場で自分の喋った言葉を「蓄音」すれば、たとえば後で聞きながら文字に起こすこともできる。そんな利便性をエジソンは考えていた。(69頁)

 ところが、この発明が「録音された音楽を聴く」という必要を生む。(70頁)

最初は音楽では無かった。

まったく縁のなかった分野に、「そんな技術があるなら是非これに使いたい」と言う人がいる可能性もある。自分の妄想から生まれた面白いアイデアは、最初の用途にこだわりすぎずに、より大きな「必要」の可能性を検討してみることも大事だろう。(71頁)

「なるほどな」と思った。
新しいアイデアは何かしら世のバランスを崩し「こう思っていたこと」それがひっくり返る。
そういう「ひっくり返す力」が無いと新しい発明はできませんよ。
これはやっぱりちょっと皆さん、メモっておいてください。
おっしゃる通り。

この先に暦本さんが考えておられる、新しい発明・発想を聞きたいでしょう?
これは面白いことを考える。
近頃世間を見ていて「あらら?」と思う一つに「強くなった卓球日本」。
確かに強くなったと思う水谷譲。
もちろん中国は強い。
でも肉薄しているのはわかる。
何でこの十年、二十年ぐらいでこんな強くなるの?何があったんだろう?とは思う水谷譲。
この突然強くなりつつある卓球だが、何とこれはどうも後ろ側に暦本さんがいらっしゃるようで。

あるとき、パラリンピックに出場する卓球の日本代表選手と話す機会があった。いろいろと話していて気づかされたのは、「スポーツは速度を落として練習することができない」ということだった。
 ギターやピアノなど楽器の演奏なら、速くて難しいフレーズを遅いテンポで練習することができる。
−中略−
 でも卓球やテニスの初心者は、最初から速いボールを打つ練習をせざるを得ない。
(97頁)

特にパラリンピックの卓球の選手の場合。
これはちょっと間違えたらごめんなさい。
多分聴覚欠損の選手だと思う。
耳の聞こえない選手、その人が卓球をやると速く攻撃するのがもの凄く難しい。
ピンポン玉を視覚で捉えて見なければいけないから。
それで暦本さんが考えたのは、卓球選手はどうやって練習しているかというと、卓に当たった音と最後のフォームを見ることでどこに来るかを予測する。
そうしたらどうするかというと、その耳の聞こえないパラリンピックの卓球選手のチームに対してはVRで速く打ち込む選手の姿を見せる。
暦本さんの発想を辿ろうと思うが、この方が卓球選手達の強化をどうやればいいのか、そこで考えた。

 時間の流れを変えられるVRの話は、その卓球選手も大いに興味を持ってくれたので、さらに踏み込んだ専門的な話もした。−中略−その選手はこんなことを教えてくれた。
「私たちもボールの軌道を目で追って反応してるわけじゃないんですよ。相手が打ったときのフォームや打球音で、一瞬のうちに次のプレーを予測しているんです」
(99頁)

それを聞いた暦本博士、何をやったかというと、もの凄い勢いで打ち込んでくる選手、それを撮影して「VR」「バーチャルリアリティ」のあの眼鏡の中にその選手を置いた。
それで何回も何回もそれを見せる。
そうすると「その選手の形がこうなったからボールはここ」にという条件反射で覚えさせるそうだ。
そうしたら打ち返せるようになった。
その人達のもの凄い速さのスピードを形として体に覚えさせる。
そうするとどこに出せば打ち返せるかが計算できる。
そういうのを聞くともう・・・
ちろん中国もすぐ作るのだろう。
だが武田先生はこの発想そのものに、そこに目を付けた暦本先生みたいな方がのびのびと生きておられるというのが、そこにこの国の可能性を感じる。

暦本さんというのは凄い人だと思う水谷譲。
何で武田先生も(この本を番組で)今までやらなかったかと自分でも・・・
時々こういうミスをする。
「こっちの方が加奈、喜ぶかな」と思って。
何とこの「(今朝の)三枚おろし」は、おろした料理は二年近く棚で眠らせていた。
熟成されたということだと思う水谷譲。
とにかく分野を超えて様々な分野の重ね合わせのうちから斬新なアイデアを生もう、と。
「みんながやらないと斬新な発明って生まれませんよ」

こういう問題が今、起きている。

用意するのは、二つの相反するニューラルネットワークだ。ひとつは、何かを「本物」っぽく作ろうとするニューラルネットワーク。もうひとつは、それが作ったものの「嘘」を見抜こうとするニューラルネットワーク。−中略−それを戦わせるから「敵対的」という。戦いのレベルが上がるにしたがって、「偽物」はどんどん「本物」に近づいていく。(115頁)

もう鉾と盾。
最強の鉾と最高の盾を戦わせる。
そうすると今は本物と見分けの付かない人の姿や人の声を作り出せるそうだ。

そうやって作ったのが、「この世には存在しないけど超リアルな人間の顔」だ。(115頁)

それから今のChatGPTに関してはこれは始まったばかりでまだイノベーションに辿り着いていない発明だ、と暦本博士はおっしゃる。
もうおっしゃる通り。
これをどう使うか?
「我々も参加しないとダメで頭のいい人だけに任せてはダメですよ」というのが暦本さんの言い方。
こういうのは面白い。

そしてここで明かしておく。
今週のタイトルになった「眼高手低」。

「眼」は、たとえば美術や文学の鑑賞力や批評力など物事を評価する力のこと。−中略−一方の「手」は、何かを創作する技能や能力のこと。その「眼」が高くて、「手」は低い。つまり「批評は上手だが実際に作らせると下手」という意味だ。口では立派な能書きを垂れるけれど、いざ自分で作ってみると実力のない「口先だけ」みたいな人を揶揄する言葉である。(118頁)

 ところが、この眼高手低を別のニュアンスで使った人がいる。生活雑誌『暮らしの手帳』の創刊編集長として有名な花森安治だ。
 花森さんは「手低」を「現実の生活にしっかりと着地している」という良い意味でとらえた。すると眼高手低は同じ「眼は高く、手は低く」でありながら、「高い理想を持ちながら、現実もよくわかっている」といった褒め言葉になる。
(118頁)

この眼高手低から暦本さん曰く「イノベーションは生まれるんです」と。

手を動かさないと失敗さえできない−中略−
 そういう試行錯誤をどこまで続けられるかが、技術開発の勝負どころだ。
(119頁)

手を動かし続けられるのも才能(120頁)

何度も失敗を重ねながら手を動かす時間は「神様との対話」をしているのだと思っている(122頁)

自分の「やりたいこと」が見つからないという人は、今の自分が何に手を動かしているかを考えてみるといいかも知れない。(125頁)

「そうすると手があなたの持っている隠れた才能を見つけることができますよ」
武田先生は文字を書くのが好き。
嫌いだったらこんなに書かないと思う水谷譲。
武田先生はやはり勉強をするとかではなく字を書くのが好き。
朝、三時間字を書いて、もう無我夢中でやっているのだろう。
それと、この本は非常に面白かったが、武田先生の一番いいところは面白くない本も結構面白く読む。
面白く無い本を面白く語ることができる。
これが武田先生のイノベーションだろう。
武田先生は字を書くのが好き。
昔からそうなのかと思う水谷譲。
小学校の時、ろくでもない子だから。
今だから罪を発表するが。
職員室に入って自分のテストの書き換えとかをやったことがある。
自分で「出来が悪いな」と思ったら朝早く学校に行って、職員室に潜り込んで正解が書いた先生のアレを見つけて書いたことが一回だけあった。
もう時効だが絶対見つかったら不味いことだと思う水谷譲。
武田先生は「頭のいい人のふり」をするのが大好きで、小学校四年ぐらいの時に味を覚えて、石を見てその石がどんな石かを友達に説明する。
「あ、これ花崗岩」とかと言うと知的に見える。
「これ玄武岩」
本当は何も知らない。
その石の名前を知っているだけで、それを適当に並べて言っている。
「あ、変成礫岩だ」とか嘘ばっかり。
そうするとみんな「武田は詳しか」という話になった。
そうすると「頭がいいっていうのは気持ちいいな」と思って。
それで頭がよく見える為にはどうしたらいいか?という。
それが、自分でノートを付けてそれを一杯頭の中に入れること。
「太陽の温度は6000℃」とか。
何かしょうもない。
それを書いていた。
テストをやるとそれはもう悪い。
だが発表会とかやらせると一人で説明する子。
「日本の工業地帯」とか画用紙に日本の地図を描いて日本の四大工業地帯、それから何を作っているかを図式に書いて。
それは図鑑の丸写しなのだが、それを黒板にバーっと貼って、棒を持って説明するとものすごい快感だった。
それで「頭がいい人に見えるにはどうしたらいいかな?」と考えていたら、一番いいのはコツコツ勉強することだった。
そこに思い当たるまで高校生までかかってしまうのだが。
「竜馬がゆく」なんていう小説の一冊に出くわして、誰も知らないことを武田先生だけ知っている。

合本 竜馬がゆく(一)〜(八)【文春e-Books】



「そこにいたら絶対負けない」という知識が、という。
そういうことから朝起きてコツコツコツコツ・・・
子供の頃から「三枚おろし」だったと思う水谷譲。
本に関してもつくづく思っているのは、差を付けたかったら一冊や二冊ではダメ。
そうすると全世界を網羅できる。
何かそういうことになってしまったのではないか?
だから暦本さんみたいなこういう博士の勉強ぶりなんか、武田先生はもう本当に感動する。

コンコルド。
大型旅客機。
もの凄い短時間でアメリカまで飛べるという。
これはどうなったか?
もう無い。
あんな夢のような飛行機だったのにと思う水谷譲。
250機まで作って、あまりのカネのかかりように中止になった。
(本によると製作されたのは16機。250機は採算を取る為に必要な数)

 コンコルドの場合は、開発途中で航空機業界が旅行の大衆化へ舵を切り、低コストで大量輸送が可能な旅客機が求められるようになったことで、超音速旅客機へのニーズが失われた。(131頁)

この暦本博士がまた加わっておられる発明があるのだが、これも面白い。

 そのとき考えたのは、「振動によって人を誘導する」というアイデアだ。たとえば視覚障害者が使用する白杖にそのデバイスを仕込んで、地図アプリのようなものと連動させる。白杖を進むべき方向に向けたときにブルブルッと振動して知らせれば、目的地まで誘導することができるだろう。(143頁)

実現化できそうな気がする水谷譲。
これは着々といい方に行っているそうだ。
地図アプリと連動させることによって「歩き出す」のサインから「ここを曲がろう」「ここを階段を降りよう」それをバイブで教える。
これはしかしできそう。
そしてこの発明の一部がもう既に車で生きている。
もう全部言ってしまう。
武田先生はトヨタ車に乗っているが、新車でびっくりした。
車を運転していたらハンドルが震える。
「何だ!オマエ」と思ってハンドルが震えている。
何で震えたか?
車線を踏んでいた。
追い越し車線を踏んだりすると「爺さん爺さん」とゆする。
こういうのが生きているので、水谷譲が言う通り、白杖の端末として地図アプリと連動させるというのがもう進みつつある。
ここから暦本さんの凄い発明が。




2025年06月29日

2025年4月25日〜5月9日◆りんごの物理(後編)

これの続きです。

伊与原新さん、文藝春秋社「宙わたる教室」という大変興味深い小説だが、これは小説だから物語がある。
(この番組では物語の部分には)触れていない。
武田先生がお話しているのは、その中の実験の様子だけを語っている。

本に戻る。
伊与原新さんの「宙わたる教室」。
「(今朝の)三枚おろし」的には「りんごの物理」ということでお話している。
この中でだんだん魅せられていったのだが、火星では夕日は青い。
この夕日の青というのはオポチュニティというNASAが打ち上げた火星探査機が送って来た映像。
このオポチュニティ自体も感動の物語。
これは問題から言う。
火星の夕日の青というのが実験室でやったよりも薄い。
本物の火星の夕日の青というのはもの凄く色が深い。
幻想的。
あの色を出す為には火星の土がわからなければダメだ、と。
酸化鉄はたくさん入っているそうだが、もう一つ重大なのはどうも火星には間違いなく水があるらしい。
その水が大気中に相当飛んでいるのではないだろうか?
これはどうしてそう言えるのかというと、クレーターでわかる。
火星のクレーターは月のクレーターとは違うそうで。
月のクレーターは水谷譲もご存じだと思うが丸い縁。
ところが火星のクレーターはその丸い縁にフリルが付いている。
花丸みたいな。
ヒラヒラと付いている。

「いくつか仮説があるんだけど、決着はついてない。有力なのは、氷や水が原因だって説」−中略−
火星表面の平均温度はマイナス五十五度と極低温であるために、地表や地下には水や二酸化炭素が凍った氷が存在すると考えられている。
 隕石が衝突すると、凄まじい熱でその氷が一気に融け、大量の水をエジェクタが取り込んで泥流となる。
−中略−ランパート・クレーターのローブは、それらが孔の外側に流れ出て堆積したものという説らしい。(174頁)

そのクレーターを実験で作ろうとこの夜間高校の生徒達が盛り上がる。
火星のクレーターを実験で作ってみようと話が弾む。
それでオポチュニティから報告でわかっている酸化鉄を含み、微量の鉱石、火山灰、そして水。
こういうのを混ぜないと火星の土ができない。
何で火星の土がわかるかというと、成分表をオポチュニティが送ってきている。
それで、地上で火星の土を再現できる。

「ほんのちょびっとある大気はほとんどが二酸化炭素で、地表の気圧は地球の〇.六パーセントしかない。(191頁)

地球とは全く違う自然が赤い青空、青い夕日を出現させているというワケ。
それにしてもオポチュニティの活躍なのだが、火星探査機オポチュニティ。
これは凄い。
武田先生は初めて知った。

 オポチュニティは、−中略−二〇〇三年七月に打ち上げられ、−中略−二〇〇四年一月に火星に到着。−中略−
 設計段階で想定されていた運用期間は、約三カ月。
−中略−
 そして気づけばなんと、十四年。
−中略−しかし二〇一八年、大規模な砂嵐に襲われて長時間日光が遮られ、とうとう太陽電池がダウン。機能の回復ができず、通信が途絶えてしまう。−中略−ミッション終了が宣言された。(101〜102頁)

「開発した技術者たちも、いずれ塵によって動かなくなるのは避けられないと考えていたようです。火星で三カ月も働けば、砂塵が太陽電池パネルに積もって発電できなくなるだろうと」
「なのに、なんで十四年ももったんですか」
「大きな理由は、パネルに積もった塵が露でうまく洗い流されたり、季節風のおかげで吹き飛ばされたりしたことだそうです。
(115頁)

「彼に、オポチュニティの運用が終わったときのことを聞いたことがあるんです。八カ月にわたって通信が途絶えていたオポチュニティに、いよいよ最後の信号を送ることになった日。管制室にはミッションに関わった人たちが集まった。そして、短い信号を四回発信。やはり応答なし。『十五年間の任務、ご苦労さま』。そんな言葉とともにマネージャーがミッションの終了を宣言したときには、みんな泣いていたそうです」(115頁)

(番組ではオポチュニティに対して「ご苦労様」というメッセージを送ったという話になっている)
いい話。
それにつけても何でこんないいニュースを伝えてくれないのだろう。
武田先生も水谷譲も(このニュースは)全然知らない。
伝えていたのかと思う水谷譲。
伝えて欲しい。
これはニュース。
最近でいうと「はやぶさ」とかは凄く伝わってきたのだが、オポチュニティは知らなかった水谷譲。
武田先生も知らなかった。
ニュースは作ってできるのだが、お願いだからニュースを作る人よければこういうこともニュースにしてください。
もう本当に関税ばっかりで飽きてしまった。
「知らなかったニュース」というので本当にもったいない。
学びのチャンスになるものは伝えて欲しい。

この物語「宙わたる教室」の中で(英語の木内)先生がこう英語で励ます

「Anyone who stops learning is old, whether at twenty or eighty」−中略−木内は笑顔でうなづく。「アメリカの自動車会社フォードの創業者、ヘンリー・フォードの言葉です。こう続きます。Anyone who keeps learning stays young」(129頁)

「学び続ける者は若さにとどまる」
本当にそう思う。

さて、藤竹は科学実験室に小さな火星を作り火星の出来事を再現しようと生徒達に呼びかける。
それは火星のクレーターを実験で作ることである。
まだこれは仮説らしいのだが。
火星のクレーターを自らの手で作ればそれは仮説ではなくなる。
興味深いのは物語はここから事実と並走する。
これは読み終わった後、教えてもらって驚いたのだが。
水谷譲にお話しした火星の実験があった。
夕日が青いとか。
これは実は本当の話。
本当に定時制の高校生達が科学部員で、火星の青い夕焼けから始まって、隕石が落ちる激突実験まで本当の定時制の高校生達がやっている。
(大阪府立大手前高等学校定時制の課程と大阪府立春日丘高等学校定時制の課程の「重力可変装置で火星表層の水の流れを解析する」)
そこは実話。

彼らの微小重力発生装置の東京大学の橘省吾さん−中略−が注目し、JAXA(宇宙航空研究開発機構)を中心とする「はやぶさ2」サンプラーチームが同様の装置で小惑星表面試料採取に向けた基礎実験に取り組みました。(284〜285頁)

 この小説は、久好さんら三人の先生方の熱い思いと、それに応えた生徒たちの奮闘に感銘を受けて書いたものです。(285頁)

武田先生が(この番組の中で)やっているのは先週も申し上げたが物理の実験のみ。
物語の方はもっと感動的なので是非読んでみてください。
実験室で火星を作る実験。
これが注目。
大気を通るのは長い波長の光だけになるような大気がある火星の空。
故に昼間の空は真っ赤、夕日は真っ青になるという火星の夕暮れ。
なぜそうなるのか?
それは大気に舞う塵が違うからで

「この実験、なんで火星の塵として酸化鉄の粉を使ってるんですか」
「実際に火星の表土に含まれている物質であって、かつ、簡単に手に入るからですね。火星の塵のサイズだといわれている、一マイクロメートル程度の粒子の試薬が」
−中略−
火星の表土を構成する、さまざまな鉱物の微粒子でできているはずです」
(114頁)

それをこの高校生達は一つ一つ再現していく。
彼らは火星の土づくりから始める。
火星の土は酸化第二鉄が多い。
とにかく地球とは違う知識が。
火星をどうしても再現したければ火星の大気とか気圧、そこまでも計算してアレしないと・・・
だから火星のいわゆる引力とか重力とかというのも火星に近づけないとできない。
これは大変。
その火星の地面の下には氷か水がある、と。
それが隕石の衝突した瞬間に高温が生じて溶けて湧出する。
一瞬にして土砂崩れのような大波を起こす為にフリル状の土砂が外輪を飾るという。
これはまた仮説。
果たしてそれが事実かどうか。
この小さなクレーターを作る実験と知恵が絞り出されていく。
だから、まさに少年ジャンプ的。
「友情」「努力」「勝利」
この手順でこの物語も進行する。

もうあきらめているが、ここからはラジオで語るのは非常に難しい、と。
武田先生には、読んでいてもその実験が文字で見えてこない。
なるほどテレビドラマ化するハズ。
これはもうテレビで見たら一瞬でわかるのだろう。
それでも文字で伝わってくるのは彼らの努力がどれほど凄まじかったか。
理解はしていないかも知れないが、感動したのは実はこの小説の中でここ。
重力の問題。
地球と火星では重力が違う。
火星では地球の0.38倍しか無いそうだ。
0.38倍の重力にする為には、夜間高校の実験室ではできない。
ところが実話の通り、高校生達がこれをやる。
重力を変えて火星での隕石衝突の再現。
これは相当大きい施設に頼まないとできるワケがない。
みんながそう諦めた時に、まあドラマでいうと見せ場。
藤竹先生が言う。
「いや、重力を変えることは可能ですよ」
前に何かのテレビのスペシャルで、飛行機で高くまで行って一気に失速すると重力を作るというのは見た水谷譲。
それに近い。

あなたたち自身は、いろんな重力をしょっちゅう体験しているはずですよ』って」−中略−
「『皆さんは、「ディズニーシー」に遊びに行ったことはありませんか?って。
−中略−
「『タワー・オブ・テラー』ですね」
−中略−
「そう、それ。真下に落っこちる乗り物なんだろ? 乗ったことなくても、ケーブルの切れたエレベーターを想像すりゃいい。自由落下する箱の中では、無重力になる」
(192頁)

 つまり、箱が落下する加速度を調節してやれば、原理的には好きな大きさの重力をその中に作り出すことができる。(195頁)

物理的には凄く簡単なことで箱の重さ、その反対側に箱の重さと同じ鉛を付ける。
そうすると手を放すと箱の方が落ちる。
それは重さが同じだから。
(同じ重さだと釣り合ってしまって落ちないのではないかと思う)
「その重さを変えることによって箱の落ちるスピードを変えることができますよ」という。
まず具体例でいう。
箱の落下速度を調節すればよい。
落下速度を変えればいい。
落下速度を変える為には反対側の重しで引っ張る力を強めにするとゆっくり落ちていく。
それを0.38倍になるところで止めればいい。
そうするとその重力が再現できるはず。
具体例でいきましょう。

天井に滑車を固定する。
井戸のつるべ。
その縄の端に重石を付け、反対の端に実験箱を取り付ける。
重石の調節によって0.38倍の重力の瞬間に鉄球を砂に落とす。
そうすれば火星のクレーター、その再現が箱の中で起きるはずだという。
箱の中だけが火星。
それをややゆっくり目の地上で落下する速度の三分の一になるように重石を反対側に付けて滑車を放す。
その時にその長さを計っておいて、その箱の上に鉄球を括り付け、そのスピードになった瞬間、ヒモがぎりぎりのところで結びつけられているので切れてしまう。
キレた瞬間に落ちる。
(本の内容とは異なる)
その数秒間の間に火星と同じ重力で鉄球が箱の下に敷いた土に激突する。
瞬間的。
しかしそれでも実験はできる。
火星と同じ重力が再現できる。

火星重力が維持できるわずか〇.六秒(211頁)

これを繰り返し繰り返し彼らは実験で割り出していく。
そしてついに火星と同じ0.6秒の瞬間を小さな箱の中に作る。
これを聞いていたJAXAもこのアイディアに負けたと思った。
それで引力の実験。
他の星でも重力の違うところはいっぱいある。
それを高校生のやり方でみんな真似をした。
それでその星で起こっていることを観測できる、実験できるようになったという。
このあたりはひどく感動したのを覚えている。

この物語を読みながら「人間の想像力というのは凄いものを生み出すことができるんだなぁ」。
「頭がいいとか悪いとかそういうことではない」「そこを超えている」と思う水谷譲。

ネタを使い切ってしまったか。
でも年を取ってくると全部のことが凄く気になるように・・・
武田先生はあの物理の教師、電車の振り子が揺れるのを見ながら地球の自転を証明しようと言ったあの物理の教師がよみがえった。
結局武田先生はその謎は解けたのかと思う水谷譲。
解けた。
物語を離れて一番最初にお話しした、あのつり革が揺れるのを見ながら地球が自転していることを証明しなさいという、あの高校三年の時の物理の授業に武田先生の思いは帰っていく。
一つの物理現象を目の前の実験でやりつつ、壮大な宇宙の理屈を割り出していくという。
それがフッと武田先生の個人史の中だが、高校生、生意気盛りの時に全く聞かなかった物理の時間に思いが戻って、あの時にその先生の話を聞いておけば一つは謎が解けたであろうに、先生の授業を聞かなかったというその無念がフッと思い出されて。
それが西鉄電車。
西鉄電車は関係ないが。
「つり革が揺れている」ということで「地球が自転している」ということを証明しなさいという。
武田先生は何を言っているのかわからなくて「つり革を見て地球が自転することがわかるわけないだろう」と思っていたのだが、実はあの物理の先生が教えたかったのはそこではない。
この物語の藤竹と同じで、つり革というのは「振り子」という意味合い。
とにかくつり革を作る。
それもつり革の短さだとすぐ止まってしまうからヒモを長くする。
それに数百キロの重石を付けて揺らす。
そうすると長いものだから揺れ続ける。
それをジーッと見ていると往復しない。
回る。
振り子がゆっくり回って行っているということかと思う水谷譲。
それが「フーコーの振り子」。
何で振り子は回るのか?
地面が動いているから。
(スタジオ内の電波が悪いのでドアを開けてYouTubeで「フーコーの振り子の動画を見る水谷譲)
(「フーコーの振り子」で検索するとたくさん動画が出てくるので、実際に番組で取り上げている動画がどれかは不明だが、一つだけ紹介しておく)



振り子を下げているその柱は、地面に直結している。
地面が振っている。
それがゆっくり違うところを往復するというのは地面の方が動いている。
この振り子の揺れによって地球がどの方向に自転しているのかもわかる。
今、見ているフーコーの振り子なのだが、少しずつずれている。
往復がゆっくり回転している。
「あの先生が言いたかったのはこれか」と。
なるほどそれで、地球が自転していることが証明できる。
もう少し詳しく言うと、自転の方向と逆回りだから日本で「フーコーの振り子」を揺らすと左に回る。
それで日本でいうと地球は右に回っているので、そうするとそういうことになる。
(多分逆)
たかだかこれしきの仕掛けでいろんなことがわかる。
さらに、頭が痛くなるかも知れないが、地球上のあるポイントではこれが全く動かない。
つまり「ずっと同じ方角に揺れ続ける」というポイントがある。
「赤道」だと思う水谷譲。
赤道は垂直に重りが引っ張られているので赤道上では往復を繰り返す。
そうやって考えると、あの先生が言いたかったのは小さな電車のつり革。
仕掛けはもちろんヒモの長さ等々違うのだが「それが揺れるというのも宇宙を貫いている物理なんですよ」という。
まだ映像がずっと続いているのだが、確かに振り子は普通にゆっくりゆっくり揺れているが、だんだんずれてきていると思う水谷譲。
これはもの凄く時間がかかる。
巨大な大地だから、球体だから、そう簡単に感じ取れるようなスピードではない。
映像を見たい人は「フーコーの振り子」で検索してください。
そうやって考えると物理法則、自転、公転、大気で何キロメートルにも達するような入道雲も小さなビーカーの中の味噌汁の煮え方でわかるとか、火星の重力でさえも実験室の中で再現できるとか。
面白いもの。
暮らしの中にはこのような物理法則がいくつも起こっている。
何か本当にそんなことをしみじみ思う。
それにしてもあの時、先生、もう今更ではあるが、授業をサボって申し訳ない。
ちゃんと先生に聞いておけばもうちょっとマシな・・・と思うのだが、あんまり贅沢を言わず、今、知ること、それでさえもやはり十分な知だというふうに思うので。

というワケで二週にわたって伊与原新さん、文藝春秋刊で「宙わたる教室」。
珍しく小説を。
物理実験のみを取り出して語ったという変わった回。
伊与原さんは「藍を継ぐ海」という短編集をお出しになって、これが直木賞に選ばれたという。
(第172回直木賞受賞作「藍を継ぐ海」)

藍を継ぐ海



伊予原さん、この人の考え方「自分達が生きているこの世界を貫く物理法則がある」「その物理法則というのが人間を豊かにしてるんだ」という。
物理と人間を結びつけたというのが武田先生は面白くてならない。
この人の直木賞受賞作品が何篇も好きなヤツがあったのだが、武田先生は「長崎の原爆資料を集めている」というのが好きだった。
(広島平和記念資料館の初代館長で地質学者の長岡省吾氏の活動に着想を得た「祈りの破片」)
長崎に原子爆弾が落とされた。
長崎のあちこちから遺品を集めたという人がいる。
焼けただれた茶碗とかそういうものを。
本当にいたらしい。
その人の廃屋があって、そこをガラクタだってみんな思っていて、よく調べたら原爆資料だったという。
科学で明かす為の証拠品として集め続けたという。
これも壮大な物語だった。
(「藍を継ぐ海」)
「藍」とは何か?
これは「海」。
「海を受け継ぐもの」というタイトルで四国のとある町にやってきたウミガメ(アカウミガメ)。
そのウミガメが付けていたタグがある。
そのタグを持って、異国のアメリカ人がその浜辺までやってくるという。
ウミガメの太平洋の旅は聞くと凄い。
そんなことを考えたこともない。
(ウミガメにタグをつけたのは)ウミガメの研究者の人。
それでもう本当にその時に伊予原さんが「痛いとこつくなぁ」と思うのだが、ウミガメのことを考えて村人は凄くウミガメを歓迎して、浜辺まで歩いてヨチヨチ歩きで行く最中に事故に遭ったりカラスに喰われたりしないように、かつて村人たちが卵を掘り起こして別の砂に移して大事に温めて子亀になるのを待って子亀を海に返したそうだ。
人間として優しい。
人間が手を加えることによって、助けたウミガメを全滅させている。
そのことが最近の研究でわかったという。
ウミガメが卵から孵る。
そうすると子亀の全身に「海に急げ」というホルモンが出る。
それは何日間かしか出ないもので、日にちが過ぎてしまうとそれは出なくなってしまう。
出なくなったのを確認して海に返してしまうと、ウミガメ自身が本能のパワーを無くしてしまう。
「優しさって何だろう」と思う水谷譲。
生き物を扱うということがいかに難しいか。
武田先生はこのへんを本当に思う。
生き物が生き物に対する思いというのはわからないでもないが。
タグをくっつけてそのウミガメを返す。
そのタグの成分がウミガメにマイナスだった。
とにかく人間が手を出すことによって、かえってその生物を絶滅に追い込んでいるという。
東日本大震災の時もそうだったが数か月でアメリカ北米に届く。
あの航路と同じ航路を辿ってウミガメは旅していって。
それでただ一点の自分の生まれた古里の浜辺を思い出して上ってくる。
あいつらも数十年かかるそうで。
ちょっと記憶が間違いないと思うが、確率から言えば千個の卵のうち、交尾できるウミガメに育つのは二匹。
だからやはり冷酷かも知れないが「その法則に従わなければダメなんですよ」という。
伊予原さんがそうおっしゃる。
その言葉に凄い説得力がある。
「人間が下手に手を加えてはいけないんだな」と思う水谷譲。
暮らしの中には小さな事象、いろんな森羅万象がある。
「リンゴが木から落ちる」とか「走る電車のつり革が揺れている」とか「空が青い」とか「夕焼けが赤」いとか。
実はその裏側には広大な宇宙の物理が働いている。
武田先生がもっとも感動したと言ってもいいと思うが、巻貝というのはある。
あの巻貝の巻く方角。
銀河の巻き方と同じ。
あれの通りに貝は巻くそうだ。
そんなふうにして考えると「私達の中にとても大きな宇宙がある」ということ。

武田先生は、古里の高校の先生ではあるが、こんな話を覚えている。
「私達は星の欠片でできているのです」



2025年4月25日〜5月9日◆りんごの物理(前編)

これの続きです。

(本放送では初日の冒頭にQloveR(クローバー)の入会キャンペーンの宣伝が入る)

水谷譲が直感鋭く「うわぁ〜物理ぃ〜!?」と言っていたが、普段の暮らしの中で物理の法則を意識するなんていうことは無い。
「ああなるほど。これは物理だ」とかニュートンみたいにリンゴが落ちる、その時に頭の中に引力というものの方程式が横切るとか、ピサの斜塔から物を落として落下速度とかそういうものの方程式が駆け巡るというのは無いワケで。
ただ、最近凄く面白い作家さんが現れた。
武田先生の普段の暮らしだが、まだ朝明けきらぬ空だが、人の声が聞きたくなって、申し訳ない。
つい(ラジオの放送局を)NHKにする。
喋り口が静かなので勉強しやすい
(「NHKの放送というのはこっち側の考え事を邪魔しない」は本放送ではカット。QloveRの宣伝に使った分の調整と思われる)
その番組の中で作者が出てきて自分の本をプレゼンするという、そういうコーナーがある。
ある作家さんが出てきて、
(「『どうしてこのような物語にしたんですか?』とアナウンサーが訊くと」は本放送ではカット。この後もところどころ細かくカットされている)
「世界には物理の法則というのがあるんですよ。物理の法則というのは普段の暮らしと結び付いた時、私達はその出来事から宇宙全体を感じる時がある。そんな小説が書いてみたかった」
これが引っかかった。
その目の前の出来事から宇宙全体の動きがわかるという。
でもそんなことが日常あるワケがない。
リンゴを見ても別に何とも思わないし。

でも武田先生の頭の中に一瞬よぎる思い出があって、武田先生が17歳ぐらいのいわゆる反抗期の頃。
高校に通っていて丸坊主頭で、生徒会長をやりながら柔道部に所属していて。
そんな時に物理の授業が面白くなくて。
もう物理に関しては、平べったく言うと「だから何だ」「何が面白いんだ、それが」みたいな。
そんな時に高校で教わる物理教師で地味な先生がいてせっせと授業をやるのだが、申し訳ない、誰も聞いていない。
クラス全体が騒ぐ。
「喧しい!聞け!」とかと言えばちょっと怯えるのだが、その教師がずっと我慢しているものだから、先生の声なんか聞こえないぐらいみんな世間話をしている。
武田先生は「柔道の練習が終わったら、今日はうどんにするか焼きそばにするか」というのをハンドボール部キーパーのイトウ君と語り合っていた。
さすがに教師もキレたらしくて授業をやめた。
すると物理教師がこんなことを言った。
「皆さん方は今朝学校に来る時、西鉄電車でやってきました」
武田先生達は西鉄電車の下大利という駅で降りる。
「西鉄電車でやってきました。その時に皆さんは電車が今動いている、止まっているというのは皆さんどうやってわかっているんですか?」
「それは体が揺れますもん」とかみんな言う。
その物理教師が「西鉄電車にはみんなつり革が下がっています。つり革が止まっていれば電車は止まっています。つり革が僅かでも揺れていれば電車は走っています。それは皆さんわかりますよね」。
そんなことわかる。
それにハンドボール部のイトウ君が「目をつぶってもわかります」と言った。
電車が走っているか止まっているかぐらいだったら。
そうしたらその物理教師が「では同じ理屈を使って地球が自転していることを証明しなさい」。
電車のつり革から、いきなり地球の自転に持って行った。
それがワケわからなくて、クラス全員50数名いるのだが「はぁ?」というヤツ。
教師はやはり武田先生達を物理世界に誘いたかったのだろう。
「いや、わかる。そういうことがつり革一つで。それはね・・・」と言った時にチャイムが鳴った。
もう聞きはしない。
全員早速学級委員が「起立!」と言ってお終い。
つり革で地球が自転していることを証明するなんて、もう全く興味が無かった。
でも、ここからが年齢ということの不思議さ。
変わってくる。
「あの先生は何を言いたかったんだろう?」とか「つり革で本当に地球の自転が証明できるんだろうか?」とか不思議になる。
それで30年の歳月が過ぎて、創立記念日に会った時に武田先生はその高校に舞い戻る。
それで体育館でパーティーをやっていたのだが、武田先生は物理教師を探した。
残念ながら亡くなられておられた。
目の前の出来事から宇宙の動きを察する。
そんなことが果たして・・・という思い出と、「普段の小さな暮らしから宇宙全体を察することのできる現象があるんです」というその作家さんのことが気になって、その作家さんの本を読みたくなった。
まあ探した。
とにかくこの本を今週、紹介しようと思っている。

齢(よわい)70を過ぎた武田先生だが、日常の現象から宇宙全体の現象が繋がるというその作家さんの一言に惹かれて彼の本を探し出した。
作家の名前は伊与原新さん、文藝春秋刊。
これはたくさんの方が読んでいるのではないか?
「宙わたる教室」

宙わたる教室



(本の中の傍点部はアンダーラインで表記する)
この人は今年の直木賞を取った。
それも凄く面白かったが、伊与原さんすみません。
武田先生は「宙わたる教室」が一番面白かった。
小説。
これはNHKでドラマ化されていた。
宙わたる教室 - NHK

宙わたる教室



申し訳ない。
見なかったが。
これは見ておけばよかった。
これはテレビの人が飛びつくハズ。
テレビドラマとして面白くできそうな予感がする小説。

物語の舞台は東京新宿にある都立高校の定時制。
髪の毛を真っ赤に染めた(本によると金髪)廃品業の青年とか、自分の経営する中小企業の工場を閉めて看病に当たっている中小企業の男、それからフィリピンの中年女性もいたり、それから手首を切ること、そういう自傷行為に走る子とか、そういうゴッタ煮の教室の中で藤竹なる教師は物理の面白さを説いてゆく。
しかしどう考えても「そんな人達がいわゆる物理に興味を持つハズが無いな」と思ったりする。
最初の方の物語に出てくるのは廃棄物処理で働く岳人なる青年。
(番組では「岳人」を「ガクト」と紹介しているが、本によると「タケト」)
小学校、中学校・高校でも成績不振。
(本によると高校へは進学しなかったようだ)

 読み書きに難があることは、どの職場でもふとしたきっかけで知られてしまった。露骨にばかにされたときはもちろん、冗談半分にからかわれただけで、今回のように手が出た。−中略−そんな人間が、職場に長く留まれるわけがない。(24頁)

この子はどうしても高校卒の免状が欲しい。
トレーラーの大型免許を取る為にはその免状が無いと取れないらしい。
(そういった事実は無い。本によると高卒資格取得の為ではなく運転免許を取得できる程度の読み書き能力を見に付けることが目的)
でも彼は文字を読むのが凄く苦手。
この作家さんは惹き込むのが上手い。
夜間高校に行くと、この藤竹なる熱心な先生がいる。
岳人が字が読めないということを、その先生が見抜いてしまう。
それで岳人も呆然とするのだが。

「ディスレクシア……」初めて聞く言葉だった。
「読み書きに困難がある学習障害です。
(32頁)

でもこういう例を使った方が分かりやすいだろうと思うがトム・クルーズがこれ。
読字障害、文字が読めない。

はねはらいも含めて線の太さが均一で、濁点なども大きめ。より手書きに近いので、文字の形をとらえやすい。ディスレクシアのために開発されたフォントです」(31頁)

脳の方の障害らしいのだが、その形を見ると脳がはじくという。
藤竹のその診断を聞いて、岳人は烈火のごとく怒る。
「オマエ俺のこと生まれつきのバカって言いたいのか」
でもそうではない。
藤竹は説得する。

「バカどころか、聡明な人だと私は思いますよ。いくら練習しても歌が下手な人、球技がだめな人がいるように、単に君は読むことや書くことが──」(32頁)

大谷翔平なんかもそう。
あれだけ凄い人ながら、バスケットなんか突いた瞬間手が合わないという。
サッカーも相当下手。
これと同じで「フォント」というそうだが、書体を変えたら夢のように読めるようになる。
今、簡単にできるから。
パソコンなんか文字の書体を変えられるから。
だから彼に渡すメモに関してはタブレットで書体を変えて渡す。
そうすると岳人は読める。
それはただ単にその文字の形が苦手というだけで知能とは関係ない。
その時に藤竹の魔法にかかった岳人は一瞬で世界が変わる。
この岳人を導く藤竹なのだが、ある日授業でとても不思議なことを言い始める。

藤竹は天井を指差した。「空はなぜ青いのか? 正しく答えられる人はいますか」(37頁)

そうするとフィリピン人の奥さんもリストカット好きの少女も中小企業の元社長もその当然は知らない。
「目の前の出来事を宇宙にまで拡大できるという授業が実は物理なんだ」ということで藤竹は「なぜ青空は青く見えるのか」「夕日は赤く見えるのか」の実験を教室で見せるという物語。
というわけで教師藤竹が授業で「空はなぜ青い」「夕焼けはなぜ赤い」という、空の物理を説明し始める。

 藤竹は、黒板の前に立てた縦長の段ボール箱の頭を開き、上から中に腕を突っ込んだ。何かスイッチを入れたらしく、白い光が開いた口から上方に放たれる。
「箱に入っているのは、強力なスポットライトです。
−中略−
「このライトを太陽だと思ってください。太陽の光は白色光ですが、プリズムなどを通すと、赤、橙、黄、緑、青というふうに連続的に分かれて見えることは知っていますか」
−中略−
太陽光には様々な波長の光が含まれていて、波長によって色が違う。波長が短いのが青色で、長いのが赤。すべて混ざっていると白い光になる。
−中略−
「誰か、たばこを吸う人──ああ、柳田君、たばこ持ってますよね? ちょっと前へ来て手伝ってください」
−中略−
藤竹はすたすたとスポットライトに近づき、その直上にたばこの束を掲げた。光の帯の中に、煙が立ちのぼる。
「どうです? 煙が青く見えませんか?」
−中略−
光の当たった部分が青みがかって見える。
−中略−
「太陽光が大気中で、空気の分子などの微粒子にぶつかると、四方八方に散乱を起こします。レイリー散乱という現象です。その際、波長の短い光は空気分子にぶつかりやすく、波長の長い光は通り抜けやすい。つまり、太陽光のうち波長の短い青い光がもっとも強く散乱されて空全体に広がり、たとえ太陽に背を向けていても、我々の目に飛びこんでくる。それが、空が青い理由です。
(38〜39頁)

この光が強ければ強いほど青は深くなる。
だから電灯では無くて太陽の明かりなんていうのは真上からバーっと降り注ぐと真っ青な青空になる。
まだ水谷譲はついていけていない。
武田先生もしばらくこれを考えた。
でも皆さんは経験したことは無いか?
昔は映画館でタバコを吸っていた。
(あの時の映画館でのタバコの煙の色は)青い。
武田先生は覚えている。
小林旭「銀座旋風児」

二階堂卓也・銀座無頼帖 銀座旋風児



武田先生は小学校六年生。
その時に館内にタバコを吸うおじさんがいて、タバコ(の煙)をフーっと吹くとそのスクリーンを映すための光が出ている。
それにタバコの煙が混じると、青かった。
何でかというと吐く時は白い。
闇の中でも白く見える。
それが光の中に当たった瞬間、青くなる。
だから今、みんな礼儀正しくなっちゃってそういうのがわかりにくくなった。
それで藤竹の凄いのは、そこからまた一工夫する。
そのタバコを吸ってフーっと吹く。
「これが青空が青く見える物理ですよ」

藤竹は別の一本をこちらに差し出す。「すみませんが、煙をしばらく肺に溜めてもらえませんか。できれば一分間」−中略−
「はい、光の当たっているところに吐き出して。ゆっくり、そっとですよ」
 岳人は口をすぼめ、静かに煙を吐く。
「今度は煙が真っ白でしょう。雲のように」
−中略−
「煙の粒が、柳田君の肺の中で水蒸気を含んで、ふくらんだんです。粒子がある程度大きくなると、すべての波長の光を同程度に散乱させます。だから、出てくる光は白くなる。ミー散乱という現象です。雲を構成する水滴や氷の結晶は粒が大きいので、ミー散乱が起きます。それが、雲が白く見える理由」
(40頁)

水谷譲は波長とか微粒子は全くよく理解していないのだが「同じことがここでできるんだな」ということにちょっとびっくりした。
つまり大きい言葉で言うと、ここに物理の面白さがあって、目の前の事象は全宇宙を貫いている真実だということ。

これで「雲が白い」「空が青い」がわかった。

日没近くになると、太陽光が大気を通る距離が長くなり、青色以外の光も散乱の影響を受けるようになる。したがって西の空を見ると、もっとも波長が長く散乱されにくい赤い光が生き残って目に届く。それが地球の夕焼けが赤い理由だという。(99頁)

赤い色は長い波に乗ってやってくる。
「理解できません」という。
もうずっと(スタジオの中で)語り合っている。
とにかく光というのは波。
後にアインシュタインが見抜いた如く、光は粒であり波。
その両方の性質を持っている。
波でやって来る。
波の名画と言えば葛飾北斎の「神奈川沖浪裏」。

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あの中には三パターンの波が出てくる。
富士山を包まんばかりの大波と、人間がしがみついている中波があって、その一番右端に小波がある。
あの大波に乗っかっているのが赤い色。
全部波なのだが大きな波に乗ってくるのが赤い色。
一番小さい波に乗ってくるのは青。
乗っている波が違う。
太陽が真上にいる時は真っ青に空が見えるのは地表と太陽の関係で垂直なので、短いので真っ青に上空が見える。
ところが夕日が沈んでいくので、横になるから空気の層が厚くなる。
そうすると次々に青いヤツははじかれて見えない。
一番大波でやってくるヤツに空気中の埃みたいなものがぶつかって真っ赤に見えるという。
「埃」というと響きが悪くてごめんなさい。
その空気の成分に当たってしまう。
だからどの波がどの塵に当たるかで色が変わる。
どの波がどの塵に当たるかで色は変わる。

この授業が終わった後、ちょっと不思議な習慣が出て、定時制の彼らはそれから空を見上げる人間になってゆくという。
この作家さんは上手い。
次々に藤竹は面白い実験をやっていく。

 ビーカーは小さなホットプレートに載せられ、加熱されている。味噌汁が温まる様子をこうして真横から見るのは初めてだ。(50頁)

「味噌汁の表面に、サラダ油を浮かべてありましてね」藤竹が眼鏡に手をやった。「表面の蒸発による冷却が抑えられていることもあって、対流が間欠的に起こるんです」(51頁)

「味噌汁で積乱雲を作る実験ですよ」藤竹が答える。−中略−
 味噌の濃い部分がビーカーの底から三分の一あたりまで溜まり、上澄み部分と分離した。そのまましばらく待っていると、突然味噌が下からもくもくと沸き上がり、液体の上面で横に広がる。
「ほんとだ。入道雲みたい」
 ビーカーの中をぐるっと回った味噌は、またゆっくりしたに落ちていく。
「液体や気体をしたから温め、上を冷やすと、対流が起こりますね」藤竹が手振りをまじえて説明する。「温められた部分は密度が小さくなって上昇し、上で冷やされてまた落ちてくる。物質そのものが上下にぐるぐる回って熱を運ぶわけです」
(50〜51頁)

そしてこの一言は魅せられた。

「我々は、対流の世界を生きているんですよ」藤竹が続ける。「地球のダイナミックな現象は突きつめればほとんどすべて、対流による熱の輸送が引き起こしたものです。雲も雨も風も海流も、地震も火山も」(51頁)

この対流の法則というのは恋愛関係も対流。
よく考えてみると恋というものは入道雲かも知れないという。
雨も降れば雷も鳴る。
それは対流だから。
新婚当初からもう70、80になると、綾小路きみまろのやるあの漫談の通り。
あれは悲しい。

「あなた、どこにいるの?あなたがいなければ生きていけない」
あれから40年
「何呼んでんの、人を」


対流。
これは武田先生の家庭のことを話しているのではない。
一般論として語っている。
面白い。
「世の中は全て対流で」という。
皆さん、全部「対流」。
アメリカは今、元気がいいが、もうすぐ元気がなくなる。
対流。
そうやって考えると簡単に「勝った負けた」なんぞ口にするものではない。

藤竹は小さな世界で次から次へと面白い物理現象を見せてくれる。

 まず、すき焼き鍋に水飴を深さ数ミリ程度まで流し入れ、IHヒーターで加熱する。百四十度で煮立たせて一分ほどすると、泡立ちがおさまり、粘り気が出てくる。水飴が黄金色に変わってきたところで、藤竹が「もういいでしょう」と声をかけた。−中略−このまま固まれば、べっこう飴の完成だ。冷めるのを待つ間に、岳人が大きなバットに氷水を用意する。−中略−藤竹は、「よし、氷水へ」と命じる。岳人はすき焼き鍋を両手で持ち上げ、静かにバットに入れた。
「何なに? 何が起きるの?」
「地震だよ」
(63頁)

すき焼き鍋の飴からピチピチとかすかな音が聞こえてくる。音はだんだん大きくなり、やがてパリッという音とともに、ふちのほうに小さなひびが入った。(63頁)

 パリッ、パリッという断続的な音とともに、新しい割れ目がどんどん生まれていく。直線的ではなく、円形に閉じた割れ目だ。
「地震というのは、地殻の破壊現象です」藤竹は言った。「固い物質に力が加わると、わずかに変形することでそれに抵抗しようとしますが、力が大きいとどこかで限界を迎え、破壊が起きる。同様に、固まりけたべっこう飴を急冷すると、熱収縮によって飴の内部に力が加わって、クラックが生じます。つまりこれは、地震発生モデル実験になっているわけです」
(64頁)

割れていくプチプチプチという音があるが、あれを録音しておいて波形を取る。
それを地震と比べると全く同じだそうだ。
つまり我々はべっこう飴の上に住んでいる生き物。
では鍋の底は?というとマグマで。
距離があって熱は我々には届かないが、でも急激に冷えることによって裂け目ができやすい。
地震の波と同じ波形をこのピチピチピチは描くそうで、割れ方は地球の逆断層、正断層の割れ方と全く同じ。
我々はべっこう飴の上に住んでいる生き物。
鍋で大地震を縮小して見せてくれる科学実験。
もの凄くわかりやすい。

藤竹の物理はだんだんだんだん夜間の生徒達を巻き込んで物理実験にのめり込んでゆく。
そしてある日のこと、この藤竹が凄いことを言いだす。
それは「物理実験で違う世界に行ってみよう」と。
「今までは地球であるものを再現してきたけど、我々は知恵さえあれば宇宙のどこにでも行けるから宇宙のどこにでもあることそれを小さくして見ることもできるかも知れないよ」ということで。

アクリル水槽は、幅二十五センチ、高さ十センチほどのものだ。中に入っているのは、今回も、水と酸化鉄の粉末。
 水槽の右側にはスタンドに取り付けた白色LEDライト、左には小さなスクリーンがセットしてある。ライトを点けると、光は水槽を通り抜けて、スクリーンに当たる。その色は、うっすら青い。火星の夕焼けだ。
(112頁)

酸化鉄というのは遠い遠い火星にある地面の成分。
だから風が吹くところみたいなのでその酸化鉄の粉がアクリル水槽の中で少し微塵、粉となって浮かんでいる。
それを強烈なライトで照らすと青になる。

火星の大気は極めて薄いのですが、その代わり風によって巻き上げられた塵が大量に含まれている。塵の粒子のサイズは赤色の波長に近いので、太陽光のうち赤い光をより強く散乱させます。ですから、火星の昼間の空は赤っぽい。夕方になって太陽高度が下がると、散乱されずに残った青い光が我々の目に届くので、青い夕焼けが見られるというわけです」(99頁)

これはただ単に想像ではない。

 オポチュニティは、−中略−二〇〇三年七月に打ち上げられ(101頁)

NASAの火星探査車です」(100頁)

これが送って来た火星の一日の情景で、オポチュニティが火星の赤い青空と火星の青い夕焼けを送ってきている。
このブルーが綺麗の何の。
「何のごみもないから綺麗なんだ」と思う水谷譲。
違う。
そんなふうにして持ち上げてはダメ。
「火星だから人間住んでないから綺麗だろ」と思ってはいけない。
これは火星の事情でそうなっている。
つまり大気の質が違う。
大気中に漂っているこまやかな微塵。
それが性質が変わると見えてくる色が変わる。
つまり波がやってくるのだが、当たるもので色は変化する。
「オポチュニティ」を引くと、この火星の赤い青空と青い夕焼けを見せてくれる。
72 火星探査機オポチュニティ Stock Photos, High-Res Pictures, and Images - Getty Images
そうすると、とにかくあの夕焼けの美しさ。
吸い込まれる。
話はここから壮大なる宇宙へと繋がっていく。



2025年4月25日〜5月9日◆りんごの物理(序)

(4月25日は「言葉のレンズ」の回の週の最終日なのだが、翌週から始まる「りんごの物理」の話なので、この日の分も「りんごの物理」として紹介する。内容的に翌週のものとかなり重複している)

大ネタに入ってしまう。
だからまた来週続くかも知れない。
これは、「(今朝の)三枚おろし」としては珍しく小説。
「どういう動機でこれを取り上げたか?」という我が思い出と絡めてこの一篇の小説を語りたいと思う。
まだ朝明けきらぬ空、武田先生は勉強を開始している。
昨今は6時には勉強を開始する。
遅くても7時までには。
朝の10時までが武田先生の勉強時間。
3〜4時間。
その時に家の者は誰も起きてこないのでラジオを点ける。
NHKの放送が声が穏やかなものだから勉強をしながら聞くにはもってこいで。
何か人の気配を感じていれればいいので、ずっとボリュームを押さえて聞いているのだが、男性の声がクールに何事かを語っている。
そのラジオの喋りの中でこんなことを言っていた。
「物事の真ん中には必ず物理法則があるんですよ。その法則は当たり前のことで気にもしない。普段は。でも、物理を知るともう一つ新たな世界が見えてきて、その世界の広さに気づくことがある。そのようなことを私は物語にしたかったんですよ」と著者が語っている。
「物理法則を小説にする」という。
この方が今、もうウケにウケている。
直木賞をお取りになった。
伊与原新さんという方。
(第172回直木賞受賞作「藍を継ぐ海」)

藍を継ぐ海



この方は別の短編集の方でお取りになったのだが、武田先生が興味をそそられたのは「宙わたる教室」という学園もの。

宙わたる教室



「物理法則を知る」ということがもう一つ広い世界を知ることになるという。
実はこんなことがあった。
17歳だったと思う。
高三だったか。
反抗期真っ盛りの頃、物理の授業を受けていた。
この物理がもう退屈で退屈で堪らない。
実験室の階段教室で白衣を着た物理教師は何やら物理式を黒板にカツカツカツと書いて、物理法則と物理世界を懸命に説明する。
これが興味も何も湧かない。
そこで仕方なく隣のハンドボール部のキーパーをやっていたイトウ君と二人で・・・
「四文字熟語を作れ!」と高校の先生から言われて、先生から「しっかり準備することは何と言うか?用意、用意・・・」と言ったらイトウ君が「用意ドン」と言った。
そういうイトウ君と部活帰りに何を喰うかのヒソヒソ話をしていた。
50人程のクラスだが、この教師の話を聞いているものなんていうのは殆どいない。
あっちこっちでヒソヒソヒソヒソ話している。
その私語がだんだん喧しくなってくるという。
カーッとなって「喧しい!」とかと怒鳴ればいいのに、大人しい物理教師で何も言わない。
ところがその物理教師が反抗期盛りのゴツい高校生の武田先生達に向かって突然、珍妙なことを言い始めた。
「皆さん方は今日は電車で大半の人がこの学校に来とります」
武田先生達は高校を西鉄電車で電車通いの人が多かった。
この物理教師はこんなことを言う。
「今日も西鉄電車で大半の皆さんはこの学校まで来ましたが、停車した電車のつり革と走っている電車のつり革の違いは何ですか?」
頭の悪い子でもわかる。
止まっていればつり革は揺れない。
走っていればつり革は揺れる。
当然。
武田先生もアホだったがそれぐらいはわかる。
「そんなことは眠っとってもわかる」と武田先生が言ったらクラスがバカウケした。
しかし、物理教師は笑わず神妙なままこう続けた。
「では止まっている電車のつり革と、走っている電車のつり革の違いを使って地球が自転していることを証明する為にはどうしたらいいでしょう?」
もうばかばかしくて「だから何だっつうんだ?」という。
50名一クラスの生徒が唖然として物理教師を見ている。
大半のものが質問の意味がわからない。
電車のつり革と自転する地球がどうやっても結びつかない。
それでみんな「ええ〜?」とか言いながら不満の声を上げながらザワザワザワとしたのだが、その物理教師は「つり革の揺れで地球の自転が証明できるんですよ」と笑った。
その時チャイムが鳴った。
昼休みの食堂へ行く時間だというので、学級委員が「起立!礼!着席!」でウワ〜ッと散ったという。
それで終わり。
ところが年を取るというのは面白いもの。
50歳ぐらいになった時に「電車のつり革と同じ理屈で地球の自転を証明するというのは何だろう?」と思い始めた。
そうは思わない水谷譲。
何十年過ぎたでしょう?
とにかく18歳の時、高校三年の時のあの日、あの問題を解く為に武田先生は物理法則を遡ることになったが、それがこの伊与原新さんの「宙わたる教室」とピタッと重なるところがあって、来週からの 「宙わたる教室」の回でご説明したいと思う。



2025年06月23日

2025年3月3〜14日◆悪について(後編)

これの続きです。

「悪について考えよう」という今週だが、時代そのものが「悪の時代」なのではなかろうかということ。
これは製作にもいろんな意図があるだろうが、例えば配信動画の中では武田先生も見たが「サンクチュアリ」「地面師(たち)」「極悪女王」「ゴールデンカムイ」など。
暴力、殺人、詐欺。
それが物語の大きな流れになっているという。
悪をどう描くかが今、とても大事で。
正義の味方と同量、悪も描かないと物語が成立しない。
出てくる人がいい人、悪い人、というのは非常にわかりにくい時代になってきたのではないだろうか?
それ故に少年ヒーローの徳目「友情」「努力」「勝利」、これを読み間違えて闇バイトに走っているのではないだろうか?という。
さてマンガ家、「ジョジョの奇妙な冒険」の作家である大変な売れっ子さん、荒木さんはマンガ作家として悪について実に細かく細部からつくりこんでおられる。
先週もお話した通り、この方は悪というものを徹底的に調べた。
それでその上に悪役を作る時はその名前から服装、表情、そして悪へ傾斜していった動機等々悪の手口から悪の喜びまで、これが構成されないとストーリーが動いていかないそうだ。
配信動画の方へ目を転じる。
「ゴールデンカムイ」「サンクチュアリ」「極悪女王」「地面師たち」等々がある。
これは全て悪の物語。

日本の悪役というのは伝統芸。
だから伝統芸の要素というものを演技の中で表現しなければならない。
例えば武田先生達が子供の時に見たのは時代劇スターが主役で中村錦ちゃん(中村錦之介)とか 勝新太郎「座頭市」とか、そういう時代劇のヒーローが立つと、出てきただけで悪役とわかるという。

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「水戸黄門」がそう。
水戸黄門で一番求められるのは悪役がちゃんと悪役らしく演じるからわかりやすい。
迷うことはない。

ちょっとこの悪役の伝統というものに触れてみる。
ラスボス、一番偉いボス、或いはお代官様。
これは無表情であること。
そして笑う、怒る、叫ぶはなるべく突然に。
歩く歩幅は大きくしかもゆったりと。
他者を見る時は真っすぐ見下す。
やや上から目線で「そちが・・・」とか言ったりなんかすると「あ、この人は悪い人だ」。
日本人は非常に敏感に「あ、この人、悪だ」と。
「上で待てばよいのか、下で待てばよいのか作法をお教えください」「そのようなこともわからんのか。田舎大名。フナじゃフナじゃフナ侍じゃ」

忠臣蔵



こういう演技。
そうするとみんな怒るという。
ラスボスの下の方の子分はどうするかというと、これは姿勢は半身。
半身というのはちょっと足を前後させて腰を低く。
それで斜に構える。
正対しない。
肩なら肩だけを向けて斜に構える。
表情はなるべく左右対称にしない。
「へっへっへっ。冗談じゃないてんだよ」とか何か言いながら。
表情は歪ませる。
笑い声は鼻で笑う。
アゴを引き上目遣いを基本とし、喜怒哀楽の表情は混ぜて。
目は怒りの表情ながら口元は笑っている。
「なんだと?」
こういう(演技の仕方をする)。
上手い(自画自賛)。
こうすると悪党に見えるという。
この法則は面白い。
基本形だと思う水谷譲。
これは自分で悪役をやると本当に伝統芸は身に沁みてわかる。
武田先生の悪役は「白夜行」だと思う水谷譲。

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あれでこういうことを次々と思いついた。
刑事なのに悪役。
殺人犯を追っているので刑事で正義の味方なのだが、表情は悪役。
だから顔を左右対称にせずに片一方が笑っているような頬の上げ方をして、片一方は下がっているという。
こういうことをすると悪役に見える。
憎々しい刑事だったと思う水谷譲。
こんなふうにして悪というのは作法に則ってやるワケだが、昨今はちょっと冷たい言い方をするが、最近の配信動画を見ると皆さん、悪の作法を知らずにキャメラ割りに頼っておられる。
それが意味の無い目のアップ。
何であんなに多用するのか?
バーン!と目のアップに寄る。
ツーショットを映しておいたかなと思ったら悪党が何か思いついたら目のアップ。
でも本当のことを言ったら俳優さんが悪を演じないとダメ。
そのへん頑張ってください、若い方。
こういう「悪のお芝居」というのは長い映画の伝統の中で磨かれた伝統芸、作法。
配信動画の中の悪というのは、いささかハリウッド映画の影響を受けている。
俳優さんの芝居を見ていると「この人はアメリカ映画見過ぎだな」と思うのがある。

悪役の演じ方とかそういうのを語り始めると、水谷譲がだんだんノってきた。
その手の話になると面白いという。
何に関しても言えることだが、皆さんがご覧になっている時代劇の「SHOGUN 将軍」、それから大河ドラマ「べらぼう」。

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あのあたり、若い方あたりが時代劇の作法をはずしておられる。
それは武田先生は昭和を生きてきたからいろんな悪役の人とすれ違った。
彼らには演じるにあたっての作法があるのだが、昨今の方は作法が無い。
そんなことを感じる。
ハリウッドの映画を受けた時代劇に於ける芝居というのは、やたら相手に向かって話す。
大河ドラマもズバリ言うが、セリフを言う時に目と目を合わせ過ぎ。
セリフを相手役に渡そうという芝居が芝居だと思っておられる。
そうじゃない。
芝居に於けるセリフというのは相手に渡すのではなくて観客に渡さなければいけない。
その典型が歌舞伎。
歌舞伎というのは正面を向いてセリフを言うのだが、観客にセリフを渡す。
悪党は悪党の芝居を、正義の味方は正義の味方のお芝居をやる。
作法が全部決まっている。
何かその違いがあって。
大変になるとだんだん声が大きくなっていって話す。
それはない。
話が深くなると声を低くしていくのが時代劇の伝統。
叫ぶことは殆どない。
それから相手とは目を合わせない。
水谷譲と武田先生は目を合わせているが、それは仕事の関係で合わせているだけであって、お互いに何の感情もない。
ちょっと雑駁な言い方になったが。
ラブシーンを見ていて思うが、最近の恋愛ドラマは見つめすぎ。
相手を見つめることが愛の証だと思うせいか。
見つめるなんてちょっと照れくさくてできないと思う水谷譲。
普通はそう。
プロポーズの時だって日本人は相手を見つめない。
違う方向を見ながら「俺はアンタのことを思うと夜、眠れないんだ」と言う。
見つめて言えない。
悪役同士が向かい合って悪事の相談をしている。
日本の時代劇では悪代官と越後屋がヒソヒソと語り合うというあのシーン。
悪の相談をする時に正対している。
この時に悪の順位が分かるという。
ボスの方は必ず床の間を背にしているとか。
この時に一番声を低くする。
「(小声で)主水之介をどう始末するかじゃ」とか何か言ったりするともの凄く納得できる。
それでいよいよ主水之介が現れてコイツを殺す場面になると、もう悪いヤツは見つめ合わない。

旗本退屈男



ところが最近、悪い人を描く時、ミーティングをやる。
何の作品というのは不味いから言わない方がいいか。
悪者たちがミーティングをしているのはドラマで見た水谷譲。
丸いテーブルを囲んでやる。
悪いヤツが円卓のテーブルに並んで悪事を相談する。
これが何だか武田先生には違和感。
これは悪の描き方が個人ではない。
集団化されたグループゲームになっているので、友情と同様に悪も円卓のテーブルで円陣を組んで語り合うという。
つまり悪にもチームワークが必要という。
今でいう悪というのはチーム。
役割分担があって。
部屋の外で見張るヤツと、部屋まで運ぶヤツと、そういう段取りと役割分担がこまやかに決まった「悪のチームプレイ」というのが今のこの悪のやり方になってしまったという。
これはまさしく悪に於ける「友情」「努力」「勝利」。
こういうもので支配されているグループの結束なのである、と。
これが政治の中にも反映されて。
「友情」「努力」「勝利」
これが国際政治の中でもジャンプふうになってしまって、皆さん真似しておられる。
プーチン、習近平、ネタニヤフ。
皆さん全員グループでミーティングをやりながら「少年ジャンプ」の結束、「友情」「努力」「勝利」を目指しておられるという。
ちょっと意外なところに行くかもしれないが、この意外なまま突っ走ろうと思う。

2000年代に入ってから世の中の流れが変わった。
かつて武田先生達が少年だった時の少年ヒーローの徳目、彼らの特徴は「勇気」「正直」「親切」。
これが少年マガジン時代。
それが2000年代あたりから変わって少年ヒーローの徳目、そのキャラクターはというと「友情」「努力」「勝利」。
この「少年ジャンプ」の影響が国際政治にも反映して、皆さんジャンプ的になってしまった。
トランプ、プーチン、習近平、金正恩、ネタニヤフまで風貌はラスボス的。
ラスボスという顔をしている。
トランプさんはピッタリ。
彼らにとって外交というのははっきり敵を想定して激しく憎むこと。
みんなそう。
「激しく敵を憎む」という。
これが一番必要とするのは何かというと「友情」。
つまり徒党を組みたがる。
例えばイスラエルは「アメリカの後ろ盾があって」とか、みんな連携してやりたがる。
プーチンさんなんか全然仲良くなかった北朝鮮の将軍様と仲良く手を組んだりなんかして。
やはり「友情」。
「僕達頑張ろうね」
戦線にそこの兵隊さん達がいって加勢しているワケだから。
目指すのはたった一つ。
彼らが目指しているのは何か?
これはトランプさんもプーチンさんも習近平さんも正恩さんもネタニヤフさんもみんな同じ。
「勝利」を目指している。
ジャンプ的。
かつての時代、「少年マガジン」の頃はというとその頃の政治家はジョン・F・ケネディ。
この人はどう考えても「勇気」「正直」「親切」の人だった。
この人の演説はかっこいい。
「次の何年までに我々は人類を月に送り込もう。そして最も深い海まで潜ろう」
彼の呼びかけというのは勇気に溢れ正直で親切だった。
だから公民権もやはり認めた。
「黒人の人には権利があるんだ」という勇気。
それ故にああいう悲劇が。
本当にこのジョン・F・ケネディとかというのは少年マガジン的ヒーローだった。
でも「勇気」「正直」「親切」を言う政治家が今もいらっしゃる。
日本の石破さん。
この方は「少年マガジン」。
「勇気をもって野党の方、語り合っていこうと思うんです」「楽しい日本にしましょう」
やはり石破さんは「少年マガジン」。
一番胸がときめくのは迫力が悪役的。
山本太郎さんを睨む顔なんていうのは。
もう目が白くなると思う水谷譲。
もう素晴らしいと武田先生は喝采を送った。
だからこれからやはり石破さんが持っている「マガジン的」に期待しましょう、皆さん。
どこかで思い切ってくださると思う。
武田先生は可能性として菅(義偉)さんなんか凄いと思った。
菅さんは何を考えているかわからない。
(菅氏の顔立ちは)ラスボスの後ろにいる人。
更に後ろ。
ラスボスがいて、その後ろにいる。
スター・ウォーズで言うとヨーダ。
あのキャラ。
だから武田先生は菅さんは好き。
そうやって考えると、そういう意味では日本の政治家は面白い。
武田さんは面白いことを言う(自画自賛)。

日本という国は歴史と文化に於いて悪には緩い文化圏である、と。
キリスト教圏や儒教圏とは違う。
「元気」「躍動感」、これを「悪」と呼んでいる。
日本の文化そのものが悪を否定したことがない。
能、或いは狂言には悪太郎という登場人物がいて、悪さばかりするのだが、室町時代には「元気があってよろしい」という。
そして地方に芽生えた政治勢力。
これを鎌倉時代には「悪党」と呼んだ。
この悪党の中には楠木正成がいるし足利・新田義貞等々も「悪党」と名乗る地域、エリアの勢力だった。
やがて室町が終わって、ついに戦国時代がやってくると、悪というのは新しい日本を創造するエネルギーでもあった。
ここが中国の方の政治・歴史とは違う。
日本は悪を尊んだ。
その代表が信長。
それはもの凄い革命家。
信長なんていうのは、中国はもう絶対認めない。
中国史というものは易姓革命・華夷秩序、これは常識。
ところが日本はこの常識を一回も認めたことがないという。
日本というのは大変な国。
中国はあんな大国なのに全然真似をしようとしないのだから。
戦国時代、信長の家来でどこから湧いて出てきたかわからないような秀吉が次の天下を取る。
それは考えればもの凄い国。
日本は悪を否定しない。
日本の伝統としては「悪を成す人間」というのを排除しようとしない。
その人の持っているエネルギーを高く評価するという。
ただ一つ条件がある。
これが日本の面白いところ。
うわーっと元気で景気のいいヤツは好きだ、という。
明の時代に日本を訪れた中国の人がいた。
倭寇という盗賊がいて、中国の沿岸で悪さばっかりする。
それで頭にきた人が日本を訪ねてきて、九州のある町にやってきて日本人を観察する。
日本にやってきて彼が驚く。
それは何を驚いたかというと日本刀を振り回して暴れたりするのだが、秩序がある。
それでその明の人が「狂暴なれども秩序あり」という。
下剋上といって上下関係を無視して下が上を殺したりなんかする。
ところが面白いことに裏切りやだまし討ちをするともの凄く嫌う。
変。
「誰を殺してもいい」という戦国時代でありながら、光秀が信長を討ってしまうと「卑怯だ」と言う。
だまし討ちを嫌う。
そのくせ正々堂々だったら首を切ろうが何をしようがオールOK。
「堂々としているから」という。
このあたりが日本の歴史・文化というのが中国や朝鮮半島の国々と違う道を歩き出す。
これは恐らく鎌倉という侍の世の中、ここらあたりから日本は独特の文化圏になるのだが、この時に宗教に悩むという時代が鎌倉時代にあった。
仏とは何か?という。
その中で親鸞という人がいた。
この人は変わっている。
この人は宗教家、お坊さん。
この人は浄土真宗という宗教を興すのだが、テーマが何か?
悪。
悪について考えた人。
それで凄いことを教義にする。

歎異抄 (岩波文庫)



善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや(歎異抄)

「善人?もちろん極楽いけますよ。悪人?行けるに決まってるじゃないですか」
そして「人間はどんないいことをすれば極楽に行けるんですか?」と言ったら「何言ってるんですか!我々人間は」と親鸞が言った言葉は

地獄は一定すみかぞかし(歎異抄)

「オマエの行く先は地獄に決まってるじゃないか」
上手い言い方ではないが「地獄が決定」「所属する場所だ」と、こう親鸞は言う。
しかも凄い。
親鸞は言う。

「たとえば人を千人殺してんや、しからば往生は一定すべし」(歎異抄)

「どうしても極楽に行きたかったら人を千人殺せ。そうしたら往生できる」

久遠劫より今まで流転せる苦悩の旧里はすてがたく、いまだ生まれざる安養の浄土は恋しからず候こと(歎異抄)

意味を言う。
「久遠劫よりすてがたく」
「嫌な嫌な世間でございます。嫌なことばかりある。ところがいざ死ぬ段になると何だか死にたくないんだなぁ。死ねば極楽が待っているのに」
「安養の浄土は恋しからず候」
「ちっとも極楽が恋しくない」
人間と言うものは

「さるべき業縁のもよおせば、いかなる振る舞いもすべし」(歎異抄)

「業(ごう)が心に立ち起こればケダモノのようなことをするんですよ、人間は。そんなもんなんです人間は。だからこそ仏教があるんです。阿弥陀様という方がおられて、あなたが悪に染まりやすいから、いつでも救ってあげるって彼は言ってるんですよ。それを信じましょうよ」
彼は悪から救済を見つめた人。
善から救済を考えるという手順、そこにもの凄い困難を感じた。
「いや、悪の方が優先的に救われるからこそ、そこに仏の力があるのではないだろうか」という。
だから親鸞の浄土真宗の教えというのは、読み間違えるとすると「少年ジャンプ」になってしまう。
闇バイトの危険さ、これを悪の自覚なく悪をバイト仕事として引き受ける。
そして金銭を得る。
それを成功と呼ぶ無知。
そこに欠けているものは何か?
盗みをする仲間に友情を感じ、共犯という悪の結び目を絆とするオマエ達の人間としての狭さ、ラスボス・実行犯・見張り・逃走係、そんなの悪で結び付く。
そして暴力を犯し窃盗をやる。
そんなことを努力し勝利と読み間違えている、という。
でも、これはとっても危険なことだが、これはあり得る。
何があり得るかというと「昔ヤンキーだったんだけど、今は凄い良いパパ」とか。
よくあると思う水谷譲。
親鸞が怒っているのはここ。
「その人の語り口の中の言葉の中に『昔ワルだったから今、いい人になった』という、甘えがあるんじゃ無ぇの?」
これを親鸞はめっちゃ怒っている。
つまり「悪くなったら次はいい人になれる」というような人生の読み間違いが、闇バイトが無くならない一因になっているのではなかろうか?という、実に複雑な。

「闇バイト」から浄土真宗・親鸞「歎異抄」に来たワケだが今日は締め括りたい。
昨日言った「若気の至りで悪さをしておいて、成人になると立派な人になる」という。
それが何だかまるで一つのストーリーのように言う人がいる。
じゃあ最初から真面目な人はどうなのか?
そこにあんまり物語を感じない。
昔悪かった子が今はいい、立派な大人になったということが、面白味があるワケだから。
そのことをしきりに言う人がいるのだが、武田先生は闇バイトの中にこの論法が生きているような。
つまり「若ぇ時、悪さをやってもいいんだ。大人になってからマトモになりゃそれで取り返せる」という。
この中のストーリーは何かというと「善に気づく為に一度悪に身を染めてみせる。それを機に悪から真逆の善の方角を見つけ出すんだ」という。
この生き方が「闇バイト」というのをバイト感覚にしているのではなかろうか。
こんなことはとっくに親鸞が叱っている。
これは「歎異抄」の一条に書いてある

弥陀の本願には老少善悪の人をえらばず、ただ信心を要とすと知るべし。 (歎異抄)

「若かろうがそんなことで阿弥陀様に救われる救われないが決まるワケじゃない。ただただ信じるか否かだ。若気の至りで多少の悪さをしてもいいというのは弥陀を信じていないからだ」
弥陀を試している。
「一回悪に染まろう」なんていうのは、試すというのは、もう根性が間違っている。
「弥陀の信心」とは何かというと、

罪悪深重・煩悩熾盛の衆生を助けんがための願にてまします。(歎異抄)

「どんなに悪い人でも救ってやろうと決心なさった。その人の前でオマエは悪党のふりをするのか?」という。

悪をもおそるべからず、弥陀の本願をさまたぐるほどの悪なきがゆえに(歎異抄)

「阿弥陀様はただただ我等を救わんがために永久の誓いとして『人類を救済せねば』とそう宣言なさった。その宣言を信じるんだ。どんな悪を成したものでも必ず救おうと決心なさった。その決心をオマエは試すのか?」
親鸞は人間に絶望していると言える。
人間というのはとんでもない悪いことをする。
もう今の世の中を見てください。
悪いことばっかりするヤツがいっぱいいる。
でも

善き心のおこるも宿善のもよおすゆえなり。悪事の思われせらるるも悪業の計らうゆえなり。(歎異抄)

「運命によって善も悪も決定してしまう。運命がほんの僅か曲がっただけで人間はとんでもない罪を犯してしまう」

わが心の善くて殺さぬにはあらず、また害せじと思うとも百人千人を殺すこともあるべし」(歎異抄)

「『人なんか傷つけちゃいけない』と思いながらも運命の喰い違いで思わず人を殺めてしまうこと、それも百人も千人も殺めてしまうことだって人生にはあるんだ。悪なんてコントロールできないんだ。それが人間なんですよ」という。

心の善きをば善しと思い、悪しきことをば悪しと思いて、願の不思議にて助けたまうということを知らざることを(歎異抄)

「心が『よいことをしたぞ』『悪いことをしたぞ』、考えてしまうが、それを全部忘れて善悪を超えて救ってくださる。そこに阿弥陀仏のありがたさがあるんだよ。悪を重さに換算して『未成年だから』『少年法が守ってくれるから』、そんな計算をする薄汚い悪がどこにあるんだ」
そして一番最後に彼がおっしゃっているのは

わざと好みて悪をつくりて、「往生の業とすべき」由を言いて、ようように悪し様なることの聞こえ候いしとき(歎異抄)

「わざと悪をつくって、それを往生のきっかけにしよう。それはね

「薬あればとて毒を好むべからず」(歎異抄)

薬があるからといって毒を喰うような真似をするのか?お前は。それは毒で薬を試すことだ。薬を信じるなら毒を試すな」
もちろんここに親鸞の矛盾がある。
矛盾があるからこそ親鸞は惹き付けられる。
一番最後に親鸞はこんなことを言っている。

「海河に網をひき釣りをして世を渡る者も、野山に獣を狩り鳥をとりて命をつぐ輩も、商いをもし田畠を作りて過ぐる人も、ただ同じことなり」と。(歎異抄)

「漁師の人、お百姓さん、商売やってる人、鳥・獣を殺して生きていく糧になさっている方、そんなふうにしてみんなは業(ごう)の中で自分の業の苦しさを感じつつ生きている。そういう人は私の友達なんです」という。
いい。
親鸞は一度ひっかかるとずっと考え続ける。

まあとにかく「闇バイト」から「親鸞」まできたということで納得していただければという。
ワケがわからない回になったかも知れないが、また来週は別のネタでご機嫌伺いたいと思う。



2025年3月3〜14日◆悪について(前編)

壮大なるテーマだが「悪について」。
これは申し訳ない
去年ぐらいの時に考えたヤツなので少し世間の流れが変わっているのかも知れないが。
ここで取り上げた「悪」というのは実は「闇バイト」の一件。
闇バイト。
これは強盗なのだが、強盗事件が多発している頃に考えた。
振り返りましょう。
2012年の日本の強盗件数は1138件。
ところが2023年になると「闇バイト」と称して特殊詐欺や強盗等の犯罪をグループでやるという。
実は殺人まで含めた事件というのが2023年までに何と17500件に増えているそうだ。
今はわからないが、逮捕された青年を何人か、皆さんも(テレビの)画面でご覧になったろうと思うが、何ともはや、少年の名残があるような気弱そうな青年がいる。
続っぽい言い方でまことに申し訳ない、あの手の青年たちに対して武田先生達、年寄が持っている形容詞「ケツの青い」青年達。
報道番組で顔を映せない少年らがこれに続いている。
ただ世界的に見ると強盗のみでは日本が1138件に対して、トランプさんが仕切るアメリカでは121373件と、もうアメリカは桁が違う。
この強盗事件、呼び名は通称「闇バイト」。
この「闇バイト」という呼び名そのものもあまり関心しなくて、クラブ活動のような気楽さがある。
いとも簡単に悪の勧誘に乗ってしまう少年や若年層の青年達。
彼らが持っているもろさ、危うさ、これは一体何だろうと懸命に考えた。
日本での逮捕率は九割。
アメリカは20%がやっと。
日本は九割逮捕される。
残り10%近くあるのだが、これも長年のうちに逮捕されることになる。
ただ胸が痛んだのは闇バイトに走った少年を孫に持つおじいちゃん、つまり武田先生達の世代のおじいちゃんが「もうあの子は見限った。縁ば切ります」と嘆く人がおられた。
痛々しい。
身内のものとして犯罪に手を染めた子や孫を見る時の絶望。
その絶望がいかに深いか。
武田先生はジンときた。
しかし武田先生達はこの祖父世代にいるワケだが、孫の世代は何でいとも簡単にそんな悪さをするのか?
そこで悪についてこれからとことん考えてみましょう。
武田先生が一番気になったのは、水谷譲にも一度言ったと思うが、気になって仕方のない哲学者・内田樹先生。
この方が絶妙のエッセーを書いておられて。
(このあたりの話は2024年10月28〜11月8日◆男の唯一無二で紹介している)

勇気論



この方は「自分達、祖父世代の人間が少年だった時、最も支持したサブカルチャーでマンガというものがあった」と。
そのマンガの中には少年ヒーローが出てくる。
その少年ヒーロー達には徳目、テーマがあった
それはどんなものかというと、比べてみましょう。
「月光仮面」「少年探偵団」「鉄人28号」「鉄腕アトム」「宇宙少年パピイ」なんてあった。
遊星少年パピイを指しているものと思われる)
「パピイ〜パピイ〜!」というので。
それから「赤胴鈴之助」。
「こしゃくな小僧め、名を名乗れ!」「赤胴鈴之助だ」という。
この威勢のいいタンカで始まる。
それから「少年ケニヤ」。
「ワタルは強いぞ♪」
少年ケニヤの歌 キング児童合唱団 - ニコニコ動画
それから「狼少年ケン」
「ボバンババンボン ブンボバンバババ♪ボバンババンボン ブンバボン♪」



ちょっと団塊の世代の皆さん中心に今、お話している。
この少年ヒーロー達には特徴があった。
この少年ヒーロー達の徳目、持っている徳は何かというとまず「勇気」次に「正直」そして「親切」。
これが武田先生達団塊の世代の少年ヒーローの徳目。
「勇気」「正直」「親切」の徳目を持ったればこそ、少年のヒーローとなれた。
これはやはり意外と重大で、武田先生達をこうやってマンガから少年ヒーロー達の活躍を見て、道徳教育を必要としないほど強烈だった。
少年マンガから教えてもらったのだろう。
この少年ヒーロー達が変わっていくという時代の流れの中に「闇バイト」につながる何事かが起こったのではないだろうか?という今回。

団塊の世代の子供時代・少年の頃、一斉を風靡した少年ヒーロー。
「月光仮面」「少年探偵団」「鉄人28号」「鉄腕アトム」「赤胴鈴之助」「少年ケニヤ」と。
「月光仮面」はおじさんだが、あと以下は全部少年ヒーロー。
これがゆっくり昭和が進むと、昭和の変貌と共にヒーロー像が変わっていく。
「あしたのジョー」「巨人の星」「キャプテン翼」「ワンピース」「ドラゴンボール」「鬼滅の刃」「スラムダンク」「呪術海戦」
かくのごとく少年ヒーローはゆっくりと変わっていくワケで。
「少年マガジン」の時代、「少年サンデー」の時代がゆっくりと暮れてゆくと、昇ってきた少年ヒーローの雑誌が、今言った後半の方だが「キャプテン翼」「ワンピース」「ドラゴンボール」「鬼滅の刃」「スラムダンク」「呪術海戦」。
これは「少年ジャンプ」。
この「少年ジャンプ」というのは、編集者が強烈なテーマを持っていて、それが少年ヒーローの徳目。
「友情」「努力」「勝利」
そういえば「キャプテン翼」「ワンピース」「ドラゴンボール」「鬼滅の刃」「スラムダンク」「呪術海戦」。
全部集団ドラマ。
鋭い内田樹氏の指摘は「少年ジャンプ世代の徳目と少年ジャンプの徳目の喰い合わせが悪い」とおっしゃっている。
何が悪いか?
少年マガジンの時に一番大事にされたものは「勇気」。
ところがジャンプの一番大事にするものは「友情」。
「勇気」と「友情」は違う。
「勇気」は一人になった時に試される。
「友情」は相手がいないとダメ。
それから「正直」「親切」。
これも個人の徳目。
「俺は正直でありたい「俺は親切にした」。
ところが「努力」と「勝利」というのはジャッジ者がいる。
「よく頑張ったよ」と言う人がいる。
そして「やったな!オマエの力だよ!」という人がいる。
そうしないと成立しないから「友情」「努力」「勝利」には他人が必要。
ところが少年マガジンの「勇気」「正直」「親切」。
これは仲間がいらない。
自分の問題。
正直の一番代表例。
「金の斧銀の斧」

金のおのと銀のおの: イソップものがたり (はじめての世界名作えほん 76)



あれなんか自分が正直だから立派な斧を貰っただけであって、横に友達が必要無い。
この「少年マガジン」と「ジャンプ」の徳目の差というものにいつの間にかその徳目を読み間違えて、「友情」「努力」「勝利」を犯罪に使ってしまったのが「闇バイト」ではないか?
これは犯罪の構造によく似ている。
どこぞにお館様がおられて、使える戦士を集める。
それらはチームワークで、変な言い方だが「君、見張り。僕、実行犯」。
役割分担。
そして勝利を目指しているワケだから。
「やったね!300万、ジジイ騙しちゃった」とかという。
そういう意味では最近の犯罪はチームワーク。
悪が分担作業になっている。
このあたりが爺ちゃん世代と孫世代の違い。
「少年マガジン」にはライバルや別の正義を抱くもの、違う正義が必要であった、と。
しかし、少年ジャンプの中のヒーロー達が求めたのは「絶対悪」。
それが正義と対立するという。
この時に、もの凄く面白い理由は悪がもう一つの物語としてストーリーの柱になっているということ。
正義の物語なのだが、同じ分量「悪の物語」もストーリーの中に書かないと物語が成立しない。
鉄腕アトムが空を飛んでいてバッと降りた先に悪いヤツがいると、悪いヤツのことは描かずにアトムがどうやってやっつけるか。
ところが今のマンガは悪の方を描かないとストーリーが成立しない。
ここで「これは面白いぞ」と思った。
三軒茶屋蔦屋。
店名まで行ってしまった。
ここで面白い本を見つけた。
それは荒木飛呂彦さん。
この方はマンガ家の方なのだが。
「(荒木飛呂彦の)新・漫画術 悪役の作り方」

荒木飛呂彦の新・漫画術 悪役の作り方 荒木飛呂彦の漫画術 (集英社新書)



彼は大変なヒットメーカーで、「ジョジョの奇妙な冒険」というシリーズを書いておられて、これは今大ヒットしているそうだ。

ジョジョの奇妙な冒険 1~7巻(第1・2部)セット (集英社文庫(コミック版))



彼のマンガは20万部を超える大ヒットメーカー。
この中で一番の問題を彼がおっしゃったのは「悪をどうやってつくるか?」。
これは興味がある。
荒木さんの考え方をいく。
これは面白かった。

漫画でも天才が続出し、それまでの漫画を大きく変えた時代がありました。−中略−当時の日本の漫画は手塚治虫先生などがいて(65〜66頁)

彼は平面二次元のマンガ、紙に書いてあるマンガ、そこに感情を表現する。

「基本四大構造」−中略−@「キャラクター」、A「ストーリー」、B「世界観」、C「テーマ」の四つの要素(14頁)

この人あればこそ、日本のマンガ界はここまで進歩した。
これも内田先生の発想。
武田先生は感心してしまった。
先生の言葉、まるまるではないが、こんなふうに手塚治虫を語っている。

手塚治虫は実に哲学的だった。
彼の巧妙さ、上手さは物語に前景と背景がある。
「人間とは何か?」ということをテーマにすると手塚治虫はロボットを主人公にした。
ロボットから人間を考える。
「死」をテーマにする時は絶対死なない「火の鳥」を主人公にした。

【化粧箱入り】火の鳥 全12巻セット



「生命」「命」をテーマにして考える時は次々に死んでいく生き物たちの繋がり。
これが「ジャングル大帝レオ」、或いは「ブラック・ジャック」。

少年チャンピオン・コミックス『新装版ブラック・ジャック』全17巻セット(化粧箱入り)



「心」というものをテーマにした時、手塚さんが考えたのは心を妖怪に盗まれた百鬼丸「どろろ」。

どろろ 1



「どろろ」はそう。
心を盗まれている。
この手塚の手法に従って日本のマンガ界は、アメリカに対して圧倒的な差をつける内容の深さを持った。
この前景と背景、二重構造は日本マンガの伝統である。
「ジョジョの(奇妙な)冒険」を書いてらっしゃるこの人気漫画作家が自分がデビューした頃の日本を考えると、社会の心理の価値が大きく変わっていった。
「ジョジョの奇妙な冒険」のスタートがちょうど2000年代に当たるそうだ。
(「週刊少年ジャンプ」の連載が1986年かららしいので、これは誤り)

二〇〇〇年代から、−中略−人間の異常性や変わった部分をテーマにした作品がヒットするようになった気がします。(68〜69頁)

2000年、このあたり、コミックではないアメリカ映画を見ると悪を描いた作品。
2000年代前後「羊たちの沈黙」。

羊たちの沈黙 (特別編) [DVD]



これは1991年。
人肉を好む異常なハンニバルという博士の物語。
これは大当たり。
「ハンニバル」だけでもう一作作った。

ハンニバル (字幕版)



このあたりから日本人も変わってきて、これは作曲家の方には申し訳ないが武田先生にはそう思えるのだが、振られた男の心理を描くのも闇っぽくなってくる。
槇原敬之さん「SPY」。
(本放送ではここで「SPY」が流れる)



「彼女の様子がおかしい」というので、ある日スパイを気取って彼女を後ろからずっとつけてゆく。
ストーカーということだと思う水谷譲。
槇原さんごめんなさいね。
武田先生が言ったのではない。
「ストーカー」と水谷譲が言った。
これは槇原さんみたいな若い方が考えられた失恋男の描き方。
それでは昔の歌を聞いてみましょう。
鈴木三重子さんの「愛ちゃんは太郎の嫁になる」。
(本放送ではここで「愛ちゃんはお嫁に」が流れる)



愛ちゃんは太郎の嫁になって去ってゆくのだが、愛ちゃんは「俺(おい)ら」を捨てて太郎の嫁になってしまう。
主人公は愛ちゃんの花嫁行列を見ている。
追いかけたりしない。
振られた男は立ったまま花嫁姿の彼女の幸せを祈りつつ見送るという。
この男の心理が変化するワケで。

(この日の冒頭は本とは無関係なバリウムの話なので割愛)
(「SPY」と「愛ちゃんはお嫁に」の話は)本には書いていない。
もうちょっと違う例の歌はなかったのかと思う水谷譲。
思いついたのはこれだから仕方がない。
2000年のヒット曲と1956年のヒット曲。
40年間経つとこれだけ違う。
人間の心の表現の仕方が変わっていく。
これはひょっとすると悪役が主役になっていくという、そういう時代が2000年で現れたのではないだろうか?
これは「ジョジョ」のマンガ家さんもおっしゃっているのだが「悪を描く時にカッコよくないとダメなんだ」。
悪がどのぐらいカッコいいかがヒットマンガの条件。
1950年代「愛ちゃんは太郎の嫁になる」の時代の頃、「少年マガジン」或いは「サンデー」の頃、悪役とはちょっと珍妙な風采で様子がおかしい人が多かった。
例えばピーターパンに登場するキャプテンフック。
あの眼帯の、カギの片腕の。
ああいう異様な風体の人でなければダメで、そういう意味では一目見ただけで「カッコ悪いよ」というのが悪役の条件であった。
それから1970年代、星飛雄馬のライバルとなる花形満。

巨人の星(1) (週刊少年マガジンコミックス)



「あしたのジョー」の力石徹のように、敵役、ライバル達がカッコよく描かれるという。
それで主役と同じように扱わないと物語が盛り上がらない。
2000年代が近づくと悪はもっと複雑に。
荒木氏曰くだが、その支配の為、相手を排除するという万能の武器を持っている。
そして上手く社会にパラサイトして、よい人のような顔をして生きていくという。
ドキッとする。
それ故に、悪も世界観を持っていなければマンガでは通用しない。
荒木さんは偉い。
マンガの中の悪役を作る為に勉強した。
不動産、会社経営、AIをいかに利用するか等々。
この不動産、会社経営、AI利用の詐欺から悪役を学んだ。
凄い。
つまり「絶対悪」という単純ではなくて社会の影に映り込んだようないじめ、疎外、格差、そういう共感できる悪をどう描くか。
とにかくマンガ家さんも悪について懸命に勉強して。

(武田先生が「レミオロメン」を「マスクメロン」と言い間違えてイルカさんから叱られた話は割愛)

悪役を作るということは、作者の「悪とは何か」という一種の「哲学」が反映される、けっこう深い作業なのです。(89頁)

 そんな今の時代の「悪」を描いた作品のひとつが、映画『ジョーカー』(二〇一九年)でしょう。『ジョーカー』の主人公は、後に『バットマン』シリーズのラスボス、ジョーカーとなる若者アーサーで(88頁)

ジョーカー [DVD]



配信動画のヒット作も見てください。
悪。
「サンクチュアリ」「地面師(たち)」「極悪女王」「ゴールデンカムイ」
この中で描かれるのは暴力、殺人、詐欺の仕掛け合い、いかに相手を騙すか。
このドラマが進行する時の最も重大な要素が「友情」「努力」「勝利」。
「何億円も儲かる」というような土地詐欺。
驚くなかれ、鎌倉幕府を作った(北条)政子様が悪党の中にいらっしゃるというような。
あれもチームワーク。
今、時代そのものが「悪役の時代」。
そうやって考えるとわかりやすい。
悪もドラマも並行して描いている映画とかドラマとかアニメは本当に今多いと思う水谷譲。
少し前に内田樹先生の名著で「呪いの時代」というのを読んで、凄く感銘を受けたことがあるが、呪いからちょっと時代が進んで今は「悪の時代」。

呪いの時代



これはまことに申し訳ないが「少年ジャンプ」を非難しているワケでも何でもない。
ただ、このあたりに闇バイトを若い子達が参入していくというあのパターンが日本では繰り返されているのではないでしょうか?という。
犯罪の構造そのものがヒットマンガそっくりで「指示役、実行役、見張り役」こんなふうにしてキャラクターを分けてお互い犯罪現場で連絡を取り合うという。
そんな犯罪が繰り返されている。
果たしている役割で力を合わせるワケで金銭・物品を強奪するという犯罪を犯す。
それを山分けする時が彼らの言うところの「勝利」ではないだろうか?と。
それほど「善」というものに魅力が無い時代なのかという、こういう問いを立ててみた。
善の方に魅力がない?
善に魅力が無いから悪に惹かれてしまうのではないか?
善はそんなに魅力が無いかどうかというのをこの荒木さんの本で探していて、ギクッとする一文章に出くわした。
武田先生が取り上げている本は集英社新書、荒木飛呂彦のお書きになった文章なのだが「(荒木飛呂彦の)新・漫画術 悪役の作り方」。
これで唐突にエピソードを語り出す荒木さんなので、最初は意味がわからなかったのだが、何回か咀嚼するうちに「もしかしてこういう仮説?」ということで思いついたのだが、マンガの中で荒木さんが球体三つの必殺道具を考えた。
(このあたりの話は本の内容とは異なる。番組では荒木氏と編集者のやり取りであるように説明しているが、本によると「岸辺露伴は動かない」の中のストーリー)

岸辺露伴は動かない 3 (ジャンプコミックスDIGITAL)



漫画の中で使う為の何かの道具を。
その球体三つの道具が面白いなと思ってその物語を急ごうとしたら編集の方から「マズいっすよ先生。デザイン変えてくださいよ」。
「非常に危険だ」という。
丸いボールが三つくっついているという、それだけのもの。
それを編集者から「危険危険」と言われる。
編集者の心配。
球体三つ。
盗用ということで著作権侵害に当たり訴訟問題に発展する可能性があるという。
荒木さんは、これは何だと書いていない。
だから想像するしかない。
世界で一番有名なネズミのシルエットに似ている。
それを気にする。
これは名前もおっしゃらないので、理由も解き明かさないで「丸三つが問題問題」ばかりおっしゃる。
だからその丸三つ続けて描くことは国際的な厄介ごとに巻き込まれる可能性があるという。
盗用というのはもの凄く危険な地雷なのではないだろうか?
失言、揶揄、指導の口調、訓練の会話、しつけ、応対の態度等々、伝える言葉が法に則らないと今、ものすごい勢いで・・・
その典型が丸三つで「『うちの盗んだでしょう』と言われたら返事できなくなりますよ」。
つまり今、善はもの凄く息苦しい。
面倒くさいことばかりだと思う水谷譲。
善よりも悪の方が自由度が高い。
だからラスボスの呼びかけによって集められた仲間との絆で力を合わせ、ガラスをたたき割り、現金或いは物品を盗むという闇バイトの構造が実は悪の方でこそ、のびのびという。
このあたりが悪にドラマチックな展開を考えている、考えの浅い人には飛びつくべきストーリーを持っているように思えてしまうのではないか?
武田先生達「少年マガジン」の世代で正直ストーリーが理解できない、そういう映画が今、何本もヒットしている。
これは武田先生の感覚。
関係者の人、許してね。
何だかよくわからないのがある。
「ハリー・ポッター」

ハリー・ポッターと秘密の部屋 (吹替版)



本当のことを言うと、これは二作目から意味がわからない。
わかったふりをしているが、何が何なのかわからない。
「スター・ウォーズ」は「ドラゴンボール」を見ているみたいで。
「ヤー!」と言いながら光線を出してばっかりで。
「ヤー!」とは言っていないと思う水谷譲。
悪の描き方が善と同量で、よく見ていないとどの人が悪い役かわからない。
「スター・ウォーズ」も「悪いと思っていた人が実はもの凄い悲しい歴史を背負っている」みたいになっていると思う水谷譲。
そうやって考えてみると非常にストーリーが読みにくい時代。
この奥にある「悪を」探求したいと思う。


2025年05月25日

2025年4月14〜23日◆言葉のレンズ(後編)

これの続きです。

先週の続き。
「言葉の風景、哲学のレンズ」(著者は)三木那由他さんという方、講談社から出ている。
かつて男性でありつつ、今は女性として生きておられるというこの方「の言葉をめぐる哲学」というのが非常に武田先生には面白かった。
その中で彼がおっしゃっているのは「矛盾の無い人間というのは意外とつまらないもので、矛盾とか合理的ではないえという、理屈に合わないというところが人間の人間たるゆえんである」と。
老刑事が若い私立探偵から秘密の情報をねだられる。
公的立場にある刑事は「そんなこと教えられるわけがないじゃないか」と拒否するのだが、正義感に溢れた私立探偵が好きでたまらない。
そうすると依頼に対して「Noだ!」と言っておきながら「情報はなぁ、このファイルの中に全部書き込んである。これさえ読めば一発でオマエだってわかるよ。だがなぁ絶対オマエには見せられない。申し訳ない、俺はちょっとタバコを一服してくる。絶対に見るなよ、このファイル」と言いながらオフィスを出ていく。
こういう不合理な行動の中に人間というのは人間らしさ、人間の柄を持つのであるという。
人間は非理性的であるというところにその人の本性・本音、人間の手触りが出るということ。

私たちの多くは、矛盾を抱え、あちこちで理由のない決断をして生きているのではないだろうか。そして私は、それぞれのひとが織りなす一貫性のないぐねぐねと曲がりくねった軌跡が重なり合うこの世界を、とても愛おしく思うのだ。(113〜114頁)

いい文章。
武田先生もそうだが、生き方としてはぐねぐね生きている。
男に生まれて男という性に目覚めて、青春の頃、異性を求めて性淘汰のレースの中に投げ込まれ、どんどんライバルに抜き去られる敗北の嵐の中で、歌を歌うこと、それで己を慰め、ハッと気が付くとそれを職業にしたという。
著者のように自分の性について二重性は武田先生には無い。
そういう苦悩は全く無いが、トランスジェンダーに生まれた著者に対して申し訳ないことに実に単純に男としての性を生きているが、年を取ると男としての能力が急速に性の部分で落ちてゆくものだから。
何か「男性の女性化」はあるのだろう。
男の人は急におばさんぽくなったり、おばさんもだんだんおじさんぽくなったりすると思う水谷譲。
深層心理学で学んだのだが、入れ替わるらしい。
若いうちは心の奥底に一人の乙女をちゃんと秘めているのが男で、その乙女が男らしさを。
ところが年を取るとだんだん入れ替わってきて、その乙女が前面に出て外側にいた男性がゆっくり沈んでいくという。
これは女性にも起こるということで。
奥様の叱り方なんかを見ていると最近は「ああ、男らしい」と思う時がある武田先生。
年齢で変化していく。

著者はトランスジェンダーとしての中でGLAYの大ファンになる。
彼女のお気に入りは「pure soul」。
流れて来た。
(ここで本放送では「pure soul」が流れる。ポッドキャストではチャラ〜ン♪という効果音のみ)

pure soul



 避けられぬ命題を今 背負って 迷って もがいて 真夜中 出口を探している 手探りで(126頁)

著者に決心をさせる歌とは、あるいはノックとはそれほどの言葉のレンズを持っているという。

ちょっとあとの「賽を振る時は訪れ 人生の岐路に佇む」という歌詞(127頁)

人生には賽(サイ)を振る時が来る。
水谷譲にもあった。
何回かあった
やはりある。
今日、賽を振る方もおられると思うが、どうぞ頑張ってしっかり振ってください。
人生の分かれ道、どっちの道を行くか、右に行くか左に行くか。
「pure soul」というGLAYの名曲なのだが、その言葉が、言葉のレンズによって個人の中である風景をバーっと大きく見せる。
やはり言葉というのはレンズ。
その文脈で受け取ってしまった著者はそのようにしか聞こえなくなってしまうという。
これはもちろんトランスジェンダーの迷いの歌ではない。
全然違うところにあるのだが、そんなふうに聞こえてしまった著者にはそのようにしかもう聞こえないという。
レンズとしての言葉というのは凄い力を持っているという。

ここから気づきもしないことを、この著者・三木那由他さんがおっしゃる。
これは武田先生はずっと「言葉のレンズ」「レンズのような使い方をする言葉」という意味で語ってきたのだが、言葉にはもう一つ使い方があって「犬笛的言葉」。

もともと「犬笛」とは人間の可聴域を超えているが犬には聞こえる音を発するホイッスルのことで、犬に合図を出すのに用いられたりする。これが転じて、特定の集団にしか聞き取れないメッセージを持つ言葉が「犬笛」と呼ばれるようになった。(129頁)

哲学の人は凄いところを突く。

例えばBlack Lives Matterの運動が大きく報じられるようになったなかで、ALL Lives Matterというスローガンを掲げるひとたちがいた。これは文字通り読むならば「すべての命は大切だ」ということであり、たぶん多くのひとが「まあ、そうだよね」と思うだろう。しかし同時にこの言葉は、人種差別主義者の人々にとっては「すべての命が大切なはずなのに黒人ばかりわがままを言っている」という印象を生じさせたり、ひいてはBLM運動に反対する言動を引き起こしたりする働きをしていたと考えられる。このとき、「ALL Lives Matter」という言葉は人種差別主義者にしか聞こえない音を発する犬笛となっている。(129〜130頁)

 似たような事例はいろいろとある。例えばドナルド・トランプは何度か「大統領に再選したら男性が女子スポーツに参加できないようにする」と発言している。額面通りに見ると意味がわからず、むしろ当たり前のことしか言っていない発言に見える。実のところこれは、近年のレギュレーションの調整などを経て女子スポーツに出場できるようになった少数のトランスジェンダーの女子選手を保守的な人々が中傷する文脈で(133頁)

そういう「犬笛」的呼びかけがこの「全ての男を叩き出す」という。
現実にトランプさんはトランスジェンダー問題に関してはまとめてしまった。
「生まれながらの性を優先するんだ」というのがトランプさんの考え方だと思う水谷譲。
ただ大統領が叫んでも一発で通らないようだ。
アメリカは衆の国「state」なので、衆が法律を持っているので、大統領の命令が一発で通るという「鶴の一声」ではないらしい。
しかしそれにしてもやはりその存在は大きいし、トランプさんが持っている言葉のレンズというのが非常に強力なレンズである上に、犬笛的要素も持っていて、彼の支持者を集めるということに関してはまことに・・・
こんなふうにして、今、ニュースに犬笛的言葉が多すぎてしまって「身内を集めるためだけのニュース用語」というのがたくさんある。
最近、ニュース用語が固定されていて、例えば「トランプ関税」とかと言うが、あの仕組みが果たしてアメリカを豊かにするのかというのは疑いっぽい。
つまりトランプさんの言っていることには大きい方の話がない。
「これをこうする」「これをこうする」「これをこうする」は全部「具体」があるのだが、この人には抽象と全体が無い。
話というのは具体と全体で進むもので、
「抽象的なものばかりでもダメだけれども」ということだと思う水谷譲。
具体的なものばかりでもダメ。
武田先生はそう思う。
だから武田先生も考えた。
現代に於ける「犬笛的言葉」って何かな?と思った。
それは「年収103万円の壁」。
103万円に壁は無い。
それは一種犬笛的使い方。
「103万円の壁」とか言わずに「いくらあったら幸せなのか」というレンズとして使わないと。
「遠くの人も近くに見える」という言葉をレンズにしましょう。
これはかなり武田先生の説が入っている。

 GLAYの話に戻ると、「誘惑」という曲の歌詞には「ZEROを手にしたオマエは強く」という一節がある。(133頁)

「ZEROを手にする」
それが「全体」ということではないか?
1や2や3や4という具体と0(ZERO)という、そういうことを著者は三木さんは感じておられるのではないか?
いつも我々は0を手にしておかなければいかけない。
千とか万とか億の単位の0。
プラス「何も無い」という0も手にしておかなければならない。
「0なんだ」という。
この言葉を武田先生は詩的で好きだった。

そして終章、一緒に生きてゆく為にトランスジェンダーの苦しみを彼女はこんなふうに語っておられる

二〇二三年二月、荒井勝喜総理大臣秘書官(当時)が同性婚に関連して「見るのも嫌だ。隣に住んでいたら嫌だ。人権や価値観は尊重するが、認めたら、国を捨てる人が出てくる」などと強烈にホモフォビックな発言をして問題視されたことをきっかけに、再び話題にされるようになった。(136頁)

性についてグレーである彼ら、彼女達はこういう方がおられると息苦しい水圧のコミュニケーションの中で生きてゆかなければならないという。
何が息苦しいかというと、これはやはり「大変だなぁ」と思ったのだが

 背景を説明すると、私の体は現在、テストステロン(いわゆる「男性ホルモン」)もエストロゲン(いわゆる「女性ホルモン」)も産出できない状態にある。なので、定期的にホルモン補充療法を受けないと、体からホルモンが枯渇した状態になって体調を崩すことになる。具体的には、震えるような寒気がしたり、顔がほてったり、めまいがしたり、といった症状が出る。−中略−ホルモン補充療法を中心的におこなっているのは婦人科なので(139頁)

診療所はトランスジェンダーの人達に関してははっきりと「来ないで欲しい」。
「女性客の迷惑なので」という。

人間の認識というのは見た目でジャッジされると非常に困った混乱が言葉の中で起こる。
これは武田先生が考えた。
武田先生は偉い。
例えば大きな真っ白い鳥がいる。
「白鳥」
白いから。
「スワン」で「白鳥」というのはいい。
ところがスワンの中には黒いのもいる。
「黒鳥」
その時に「黒鳥」というのは変。
「白鳥」と名づけたのだから、これはどう考えても「黒い白鳥」ということ。
そういうふうに言葉が変わって。
トランスジェンダーの問題に関してはそんなふうに考えたらどうだろうか?
あんまりはっきり何かを言ってしまうと、「男」「女」と言ってしまうとそれ以外動かなくなってしまうところで違う性の人が出て来たところで混乱してしまうという。
或いは乱暴になってしまうという。
「白鳥の中には黒い鳥もいる」という、そういう約束事をきちんと持っていれば白鳥と黒鳥が泳ぐ風景を私達はのどかに眺めることができる。
白と黒に意味を付けると同じ種類のものをまるで違う種類のように思ってしまうという言葉のレンズの誤解が生じますよ、という。
そういう意味合いで、この三木那由他さんの小さい本だったが、非常に勉強になったような気がした。
いずれにしろ黒鳥であろうが白鳥であろうが、私共は一種自然の風景としてそれを眺め楽しみましょう。
美しいものです。

(この週の最後の二日間はこの本とは関連の無い話なので今回は取り上げない)


2025年4月14〜23日◆言葉のレンズ(前編)

一冊の本をまた、まな板の上に置いて三枚におろすワケだが、おそらくはこの「(今朝の)三枚おろし」で取り上げると著者の方もびっくりなさると思う。
かなり哲学的な。
えぐみのある一冊。
「言葉の風景、哲学のレンズ」(著者は)三木那由他さんという方、講談社から出ている。

言葉の風景、哲学のレンズ



全編150ページほどの文章に何か深いものを感じさせるという武田先生の直感。
著者は哲学を研究する人。
哲学とは大きな世界観を持つ学問だが、その哲学そのものを問うという学問の分野がある。
「哲学を哲学する」「その哲学を使って新しく哲学を築き上げよう」という。
もうすっかり水谷譲に付いてくる気が無くなった。
ここから細かいところに入っていくが、この細かいところが武田先生には面白かった。
タイトル「言葉の風景、哲学のレンズ」とあるが、武田先生はこの本のタイトルを「言葉のレンズ」と、こうしてはどうかな?というふうに思って。
「言葉」とは一体何か?
水谷譲もお互いに言葉の世界に生きている。
この著者、三木さんは「言葉とはレンズのようなものではないか?」という。
何がどうレンズかというと、言葉というものがあるとその言葉から遠くが突然見えたり、或いは近くがググッと近く見えたりするという。
そういう伝達の道具、それが言葉ではないか?と。

この方はもの凄く珍妙なことをおっしゃる。
第一章でこの方はこんな深いことを綴っておられる。
それは「痛みを伝える」。

 誰かが「痛い」と言っているとする。でも、そのひとが本当に痛みを感じていると私たちは確実に知ることができるだろうか? 単にそう言っているだけなら嘘である可能性もあるから、「『痛い』と言っている以上は痛いに違いない」とは言えない。−中略−結局、他者の痛みについて確実に知る手段などないのではないか。(10頁)

それと、痛みの程度がわからない。
痛みというのを理解し合えない。
「どういうふうに痛いの?我慢できないの」と訊くしかないと思う水谷譲。
だからこのあたりでも男女差があるので男は理解できない。
例えば「生理痛」とか「出産の痛み」とかというのは男は想像できない。
一生わからないと思う水谷譲。
だから「痛み」というのはどの程度のものか、或いは本当か嘘かもわからない。
なのになぜ人は「痛い」と言うのか?という。
これは哲学として面白い。
これは哲学的に解決しようという。
それでも人はなぜ「痛い」と言うのか?と。
このあたりはもう哲学らしく理屈っぽいという。
しかし一度この「痛い」という言葉にひっかかると「確かにそうだな」と。
「痛いの」と言われてもどの程度の痛みであるか、深いことを言うならば真偽のほどもわからない。
だからやがて表情や顔色等の変化と共に「痛い」の程度を探ることしかできないのが痛みを報告された人の想像力。
痛みは正確には伝わらない。
それでも尚、人に向かって「痛い」と伝える意図は一体何か?
何で「痛い」という言葉が日常生活の中にあるのか?
哲学的。

 具体的な人間である私たちが日常において「痛い」と訴えるとき、−中略−「通常の仕方で授業を受け続けることはできない」だとか、「約束通りに事を進めることができない」だとか、「仕事のスケジュールの変更が必要だ」だとか、「いまの作業を止めて手当をしてほしい」だとか、とにかく私とあなたがこれまでやってきたことを続けるのに支障が生じているから、何かしら軌道修正をしたいということを伝えているのではないか。−中略−私たちはただ、誰かが「痛い」と言い出したのをきっかけにして、ともにやっていくやりかたを再考しているだけなのだから。(12〜13頁)

つまり「痛い」という言葉は哲学的になにゆえに存在するかというと「ここから二人の関係を変えましょう」という。
「だから休ませて」ということだと思う水谷譲。
「あなたでは相手にならない」とか、それから「痛いので慰謝料をください」とか。
それから「明日はお休みしたい」とか。
「痛い」を挟んで付き合い方の変化は何通りもあるという。
その為にはまず「痛い」から始めなければならない。
哲学者・三木那由他さん、この方はそこに言葉のレンズとしての役割があるのではないだろうか?と。
この何気ない言葉のやり取りの中に、実はたくさんの人間の心理が響き合っているという。
ちょっと深いのだが今週お付き合いください。

言葉が持っている不思議な作用。
言葉には変わった仕事があるという。
普段は聞き逃しているのだが、よく考えてみると言葉というのは実に不思議である、と。

最近、Netflixばっかり見ていて今、バカリズムさんの「ホットスポット」という連続ドラマを見ている水谷譲。
ホットスポット | Netflix
武田先生は「鹿の角を持つ少年」を見ている。
スイート・トゥース: 鹿の角を持つ少年 | Netflix (ネットフリックス) 公式サイト
これは面白い。
地球にデカい変事が起こったようで、動物と人間のハイブリッドが出てきて、可愛らしい少年の頭から角が生えてくるという。
こういうヤツを見ていても思うのだが、あの手のドラマの中で、ドラマの言葉の使い方で、「あら?」と思うのがある。
その画面とその言葉遣いがマッチしていない言葉遣いがある。
たまに「あら?これ・・・違うな」というのがある水谷譲。
「私達の言葉遣いと違うな・・・」
著者の三木さんがこんなシーンをマーベル映画で発見している。
こういうのは面白い。

 マーベル映画にハマった。そう、スパイダーマンとか、アイアンマンとか、そういった派手なスーツとマスクを身につけたヒーローが出てきて、犯罪者やら怪物やら異星人やらと激しく戦う、あのマーベル映画だ。
 きっかけは『スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム』だった。
(28頁)

スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム エクステンデッド・エディション (字幕版)



変なところでどうにも気になることがあった。−中略−反目しあっている二人がいて、その一方がピンチになる。そこにもう一方がさっそうと現れて助け出し、ピンチになっていた側が何か言いたげな顔をしたところで、その前に言う。「どういたしまして!(You're welcome!)」(30頁)

(番組内ではこのシーンは「スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム」の中に登場するという説明をしているが、本には「具体的いどの作品でどう出てきたのかはっきり覚えてはいない」と書かれている)
一体「You're welcome!」「どういたしまして!」というのは何を意味しているのか?
この状況に最もふさわしいのは礼を言おうとしている相手に向かって「お礼はいいですよ」と言えばいいのに「You're welcome!」「どういたしまして!」と言う。
先にに言ってしまうと思う水谷譲。
この「You're welcome!」「どういたしまして!」は日常でも出現する。
例えばご婦人でご高齢の方がおられて、傘を持っておられずに濡れておられる。
そこに傘を差しだして「ビニール傘の安いヤツなんで持ってってください」と彼女に渡して彼女が何か言おうとした瞬間「どういたしまして」と言う。
「お礼を塞いじゃう」という。
なぜお礼を塞ぐのか?
ここにも言葉のレンズとしての働きがある。

「感謝をしたひとは、謝意を表明したひとがするような振る舞いをするという一種の約束を相手と交わしたことになる」というようなものだろう。(35頁)

それはどういうことかというと「私も同じようにピンチになった時、雨に濡れそうになった時、あなたもまた、私を助けてくれますよね?」という。
ややこしいというか面倒くさいと思う水谷譲。
でもこんな言葉遣いは水谷譲はどこでも見かけているハズ。
これは日常でこういう言い回しはある。
ラジオでは使わない。
でも同じ語法をコンビニで見ているハズ。
時々おトイレを拝借して、そのおトイレの水洗の入り口のところに書いてある。

トイレなどにある「きれいにご利用いただきありがとうございます」がある種の行動を促す機能を持つのかという話をした。この貼り紙によって、それを提示したひとは感謝という言語行為をおこなっている。−中略−感謝されるに値する行為(つまりトイレをきれいに使うこと)をもたらすのではないか。(32頁)

ある意味脅迫というか「きれいに使わなくちゃいけないんだ」という気持ちになる水谷譲。
それが「You're welcome!」。
言葉というのはこういうふうにして考えると、まことに面白いもの。
未来に於ける関係を先回りして今、言うことによって共同の未来を持てるような言葉遣いが世の中にはある。
「いつもきれいに使ってくださってありがとう」
まだ使っていないのに。
それを言うことによって「きれいに使おう」という気になるという。
言葉によるコミュニケーションとは「私をあなたに言葉で伝えること」ではなくて「私とあなたの振る舞いを今後こういうことにしましょう」という約束事の為に人は語り続けるのである、と。
まさしく言葉とはレンズ的、近眼で使ったり老眼で使ったり。
言葉とは不思議なもの。
前に入ったお手洗いで「トイレットペーパーを持ち帰らないでいただいてありがとうございます」と書いてあって「ああ、持ってっちゃう人、いるんだな」と思った水谷譲。
そういう言葉遣いの面白さというのはある。
万引き防止の究極の脅し「ちゃんと見てるぞ」。

コミュニケーション。
人間と人間が言葉で繋がるということは、その言葉の隅々の中に「これからの二人の振る舞いをこうしましょう」という、「未来完了形」というか「未来で完了するであろうその行為にこれから向かいましょう」という言葉遣いがあるという。
「未来完了形」というのは、いい言葉。
この「未来完了形」というのは「みなしの約束」「約束とみなす」という。
このコミュニケーションの約束の誤作動、受け渡しが上手くいかない、それが「ハラスメント」である。
なぜハラスメントになるかというと、渡された言葉を逆に取ってしまう。
「嫌い」と言われると、これを「好き」と勘違いする。
「帰ります」と言っているのに「帰りたくない」と、こういう逆の反応になるという。
男女間に於いては特にそうだが、真逆に表現する時がある。
武田先生は典型的に真っすぐ取ってしまって痛い目に散々遭った子だから
やはり「武田君、いい人よね」と言われると「この女、惚れてるな」と思う。
本当にそう言っている人もいると思う水谷譲。
女性の場合は無い。
やはり「いい人ね」と言われると武田先生は「あぁ」となるのだが、実はこれは「どうでもいい」という。
一番曲者なのは絶世の美女がちょっと眉間に皺を寄せて「あたしあの人嫌い」とかと言う時。
それはよく考えたら「好き」の表現だったり。
別情報で、(海援隊の)リードギターの千葉(和臣)が小声で「できとうよ、あの二人は」と言ったりなんかするという青春の頃のフォークソングのグループ活動の中にあった。
女の子は困ったことに「大嫌い」という言葉で「大好き」を伝えることがあるという。
「もう帰ろうかな〜」なんて言った時に「じゃあまたね」と言われると「おいおい!止めてよ」と思ったりする水谷譲。
これは人のネタなのであまり言ってはいけないが、もうジジイになったのでお互いにボソボソみっともない恋愛話をするようになって、千葉和臣はなかなかの美男子だった
可愛らしい年下の恋人がいて、武田先生達、中牟田(俊男)もそうだがなかなか女子の言葉が読めない。
千葉は最高傑作で、その女の子が「あたし寒い」と言ったらしい。
薬局に風邪薬を買いに行っている。
「風邪をひかせてはいけない」という。
でも女の子は「ぎゅっと抱きしめて暖めて欲しい」それが言いたかった。
千葉がせつなそうに「俺、一生懸命薬局まで行ったよ。『ちょっと熱があるかも知れんとですよ』相談したったい。もうその間に彼女はおらんことなっとった」。
こういう言葉の齟齬というのは・・・
言葉はやはり「哲学」。
親が子に向かって「オマエなんか死ね!」という。
それは「死んじゃいけないよ」ということを「死ね」という表現で。
そういうことはある。
「出ていけ」と言いながら「出てゆくな」ということを叫びたい親心というのがあって。
このへん、測り切れない言葉の軽い重いがある。
その中でこの方は「からかい」という受け渡しのミスがある。

「からかい」が「遊び」の文脈にあること(51頁)

だが言われたその人は「本当のことだ」という意味で取ってしまうという。
「からかい」によってマイノリティーのジェンダーの人達はサークルの中で傷つけられてしまうという。

ここからこの話になってしまう。
このあたりで武田先生もアホで、やっと少しわかってきた。
著者はトランスジェンダーで。
今は女性として生きておられる方で。
性別に於ける言葉遣いに悩む。
それ故に言葉を哲学にするという学問を選ばれたという方。
ジェンダーの問題を外しても己を語る為だけの哲学ではない。
言葉遣いの歪みの指摘というのは、この人から受けると鋭くて実に武田先生にとっては興味深くなる。

何でもいい。
これは国会答弁でよく出てくる言葉。

 どこが気になるかというと、「議論が尽くされていない」という表現である。(61頁)

「国会での議論が足りないので結論は出せない」ということを言いたいが為に「議論が尽くされていないという」こういう言い方をする。
最近、これは何でも言う。
流行り。
「103万円の壁」とかという時に、「与野党間で議論が尽くされていない」という。
この「議論が尽くされた・尽くされない」というのは議論している当人から外れた第三者が測るものであって、ジャッジする審判がいて「はい、議論尽くされました」と言う人がいない限りできないはず。
(このあたりの話は本の内容とは異なる)
こういう曖昧な言葉遣いが現代で非常に多い、という。
それから「論破された」というのが好き。
「その人の言っている理屈を叩き伏せられた」という意味で「あの人は論破された」と言うが、これも実体の無い言葉で審判がいるワケではないから。
「アンタ勝ち」とかと、そういうことにはならない。
「ディベート」
懐かしい言葉。
司馬遼太郎が日本語訳で「ディベート」のことを「減らず口」と訳した。
見事。

三木那由他さん「言葉の風景、哲学のレンズ」という講談社刊の本。
なかなか難度が高くて、一生懸命読んだ。
そして読み始めてから感性が独特なので驚いていたらトランスジェンダーの方で、今は女性として生きておられるという。
トランスジェンダーとしての体験からあぶりだされた深い思索があるような気がする。

92ページの章で「カミングアウト」を取り上げておられる。
「カミングアウト」というのも最初に出てきた時に何だからわからなかった武田先生。
武田先生はもちろん「金八先生」で
3年B組金八先生(第6シリーズ)|ドラマ・時代劇|TBSチャンネル - TBS
(鶴本)直という女の子が突然、お母さんに向かって「私今日、カミングアウトしちゃった」と言ったらパッとお母さんの顔色が変わって。
武田先生はわからなかった。
上戸彩がトランスジェンダーの少女役でそれをやった。
その「カミングアウト」が乱れ飛ぶのだが、演出家も説明してくれないから、「カミングアウト」と(いう言葉の意味が)ずっとわからなかった。
その頃、生まれた言葉ということだと思う水谷譲。
そうやってどんどん新しい言葉が生まれてくる。
何かこうついていけない。
「アップデート」の意味を教えてくれたのは指原さんだった。
「アップデート」もわからなかった。
武田先生は「急いでデートコースを回ることかな」。
響き的にはそう。
武田先生は「アップテンポ」とかそういう言葉は知っているが「アップデート」だから、バーっと忙しく車でデートーコースを回る、「東京タワーの次、浅草よ」とかという感じかなと思ったら全然違う意味で。
でも指原さんが、「アップデートって何?」と武田先生が番組の中で訊いたら、絶望的な顔をなさった。
「このジジイ、何にも知ら無ぇや」という。
「何?」と言われても説明する言葉が出てこない、「アップデートはアップデートだから」と思う水谷譲。
そういう言葉は今、凄く多い。
「M&A」
それは「吸収&合併」だと思う水谷譲。
武田先生は「チョコレート」だと思った。

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何か似たようなことはいっぱいある。
それから武田先生が間違えた音楽のグループ。
「レミオロメン」
我々はカタカナで入って来たことを日本語に訳せないまま生きているという。
「カミングアウト」もそう。
カミングアウトを日本語で説明すると「告白する」みたいな感じかと思う水谷譲。
ところが「告白」と思いがちなのだが、トランスジェンダーのこの方にとって「カミングアウト」というのはそれだけでは済まない。
なるほど、言われてみてわかる。

カミングアウトを言語行為的な観点から取り上げる研究がある。(94頁)

これを発話することで話し手はあるときには主張をおこなったり、報告をしたり、説得をしたり、いろいろな行為をおこなっている。このように言語を用いてなされる行為が言語行為であり(95頁)

このカミングアウトをした後はどうなるかというと、自分の性の変更を告げるワケで。
「私は男としてふるまっているが、実は女であった」
このカミングアウトをした後は、会う人ごとに、ずっとその事情を説明しなければならない。
「告白」だけでは済まない。
告白し続けなければならない。
新しい人に会う度に「私は実は」「男性としての戸籍を持っているが、本当は女性で、しかもカミングした後、女性として生きています」という顛末を告白し続けなければならないという言葉が「カミングアウト」。
そうやって考えてみると「発語内行為」という、何か言葉を発するとその発した言葉が行為で支えられるという、行為し続けなければならないという。
これは大変。

発語内行為はたいていの場合、誰もがいつでも自由におこなえるようなものではない。例えばスポーツの試合で反則を取れるのは、きちんと認められている審判が適切な手続きに則って発話をおこなう場合だけであって(98頁)

このような存在があれば「カミングアウト」とはずっと楽であるが、そういう存在が無い限り日常は実に厳しい。
相手に対して絶えず自分の顛末を、自分の文脈を説明し続けなければならない。
そして親に対しては「今まで育ててもらった文脈の全てを改定して欲しい」という「男の子として育てられたが、女の子だったというふうに変えてください」と。
そして他人に対して「私は『シスジェンダー』『生来の生まれついての女性』ではなく人生のあるところから女性になった」というカミングアウトをし続けなければ、告白し続けなければならないという。
「カミングアウト」というのは大変な行為。
ただ、本を読んでいて、彼女がおっしゃっていることはわかるような理解できるような気がする。
著者は「『その人生は間違ってる・間違ってない』そんなことをやる為に人間は生きてるんじゃない」と。
「人間はぐねぐねと生きていく」という。
ぐねぐねと「正しい」「間違っている」だけではなくて矛盾こそその人の命の奇跡である。
矛盾こそ、その人の個性でありその人の興味深いものである、と。
こういうのが大好きな武田先生。
内田樹大先生の本の中で「人は間違った時のみ個性的です」という、その一行に触れた時にもう武田先生は雄叫びを上げた思い出がある。
そう。
間違っている時は個性的。
正しいことをやっている時は個性も何も無い。
そうやって考えると「正解」はつまらない。

 私が血液検査を受けた結果、中性脂肪の値が高すぎて心配になったとしよう。心配なものだから、次に検査を受けるときまでには中性脂肪の値をいまより下げておきたいと私は考える。さらに、運動をすれば中性脂肪の値が下がると私は思っているとする。−中略−たいていの人間はそこまで理性的ではない。私は、甘いものを控えるのが中性脂肪の値を抑えるのに寄与すると思っているのに、甘いものを控えられずにいる−中略−そんなことをしてしまうのは不合理というほかない。
 こうした不合理性はしばしば「意志の弱さ」と呼ばれていて
(106〜107頁)

「意志の弱さ」を表す古代ギリシア語の「アクラシア」という言葉(107頁)

こういう人間の「意志の弱さ」がその人の「個性」になっているという。
実は理性を弾ませる内なる力は何かというと、この意志の弱さである。
意志が弱い時だけ人は激しく理性で「だからこうしなきゃダメなんだ!」と自分に命じるという。
やはり人間は一筋縄ではいかない。
私達は意志の弱さを痛感する度に理性の正しさを思い知る。
様々な推論を並べる能力は意志の弱さが原動力となるのである。
「こうすればいい」「ああすればいい」というのは。
人間の行動と心理もまた推論に結びついている。
故に理性的ではない。
外れたところに理解のカギがある。
故に私達は不合理に魅力を感じてしまう。
だからこそ大好きな人に向かって逆に「大嫌い」と叫んでみたりするのであるという。
まさに男女間はそういうことだと思う水谷譲。
この不合理こそが物語になる。
合理的物語は面白くもなんともない。
老刑事がいる。
若い私立探偵がやって来た。
「情報を知りたいんだけど」
そうしたら老刑事が「オマエごとき私立探偵にそんな重大なことが教えられるはずがない」
バタン!
ドアを閉めた。
これ。
そこでお終い。
物語にならない。
映画のシーンで言えば、どこから物語が始まるか?

 職務に忠実な刑事が、顔なじみの私立探偵から情報提供を求められる。刑事は部外者に情報を漏らしてはならないということを理解している。−中略−「部外者に情報を教えるわけにはいかない。だが、少し煙草でも吸ってこようと思う」などと言って席を立ち、自分が席を立っているあいだに捜査資料を覗き見するようそれとなく探偵に促すといった振る舞いをする。(110〜111頁)

シーンになる。
つまりここでは真逆の言葉が。
私達はそのような矛盾した行動を見ると感動する。
だから「矛盾する行為」とか「意志の弱さ」とかそういうものが物語を推進する、推し進める力になってゆくという。
そういうのが無い人は「クソ面白くない」と思う水谷譲。
お願いだから「クソ」を付けないで欲しいと思う武田先生。
つまり私共はこういうシーンを見ると「粋だなぁ」とか心理の読み合いの綾を知る。
そのことがやはり人間の面白さではないかなというふうに思う。

ちょっと今週は偏った哲学話かも知れないが、実はこれは今、そこら辺にいっぱい溢れている出来事。
私達の生活は簡単そうに見えるがややこしい。
謎がいっぱいある。
「人間はなぜその時そう言ったか」というのは全部謎。
謎を「クソ面白くもない」と水谷譲がおっしゃった理屈で解いていくと、どんどん世の中つまらなくなってしまう。
私達は解けない謎の真ん中にいるという「非理性的」「不合理」な世界にいると、そういうふうに思うとこの世界に更なる興味が湧いてくるという。
これはまだネタがあるので来週も続けてみたいと思うが、理屈っぽい話で申し訳ない。




2025年05月18日

2024年10月14〜25日◆倍音(後編)

これの続きです。

(番組冒頭は文化放送「浜祭」でのグッズ販売の宣伝)
さて本題だが、まな板の上は「倍音」が乗っている。
(著者は)中村明一さん、春秋社から出ている、ズバリ「倍音」という本。
発想は「声」を「音」という段階から考えようという。

歌謡、芸能の世界から入っていって、ゆっくりとお喋りの世界、それを辿りながらというところが武田先生にはたまらなく面白かった。
ここから声の方で「音」というのを見ていたいと思う。

政治の世界でいかんなく発揮したのが、田中角栄元首相でした。(59頁)

彼の演説の巧みさは群を抜いていた。
確かに本当にそうで武田先生も聞いたことがあるが、長岡の駅前で遊説を始める。
その時の第一声。
「ばあちゃん!」
その言い方が、何となく愛嬌がある。
喋りというのは不思議。

テレビ番組のインタビューに際して「……私は…シャケが好きでしてねえ…」と濁らせた声で、つまり[非整数次倍音]たっぷりで答えていたことが−中略−[非整数次倍音]を聞かされた私たちは、妙に親近感がわき、身近にいる人、という感覚が生じて、彼のことを好きになってしまったのです。(60頁)

(番組では政治家のパーティーの席での発言というような説明をしているが、本によるとテレビ番組のインタビュー)
この方が文春報道等々によってロッキード事件の親玉ということで「越後の悪代官」のイメージで見られた時だが、そこで大パーティーが行われた。
ゲストで呼ばれたのだろう。
それで挨拶をするのだが、その第一声が「ワタクシが田中角栄であります」。
これだけ。
「ワタクシが田中角栄であります」
会場大爆笑。
「ロッキード事件に関して何か言うのではないか?」という期待の真ん中で「ワタクシが田中角栄であります」という。
それが皆さんにはユーモアと余裕に見える。
大爆笑。
コロッケの「こんばんは、森進一です」。
これで爆笑を取るのと同じ。
どんな本音が聞けるかと思ったら何のことはない、ただの名乗りだった、自己紹介だったというところがおかしい。
このへんが[非整数次倍音]。
非整数の声、波の声ではない。
ノイジーな、そういう波音で声を聞かせると人気者が出てくる。
田中角栄の対極を置く。
田中角栄さんの対極にいる声を音にした持ち主は誰か?

小泉純一郎氏の場合、田中角栄氏とは違って、[非整数次倍音]を前面に出した声で演説をしていました。−中略−「自民党をぶっ壊す!」「感動した!」というように、発言の強さはありました。内容、言い方は強かったのです。しかし、声は[非整数次倍音]の豊かな声でした。少し濁って、ザラザラ・カサカサしていたのです。この倍音はダイレクトに心に響いてきます。(61頁)

(番組では田中角栄氏が[非整数次倍音]で小泉純一郎氏が〈整数次倍音〉という説明をしているが、本によると角栄氏は両方を使いこなしているが〈整数次倍音〉が強く出ていて、小泉氏は[非整数次倍音]だった)
これは本人の口調ではなくモノマネ芸人の小泉純一郎さんのマネをなさっていた、そのマネの中にこんなヤツがあった。
大観衆が彼を待っている。
そこに小泉純一郎のモノマネの人が出てくるのだが、もう出て来た瞬間から小泉純一郎になりきっている。
会場を静かに見渡して「何の集まりかは知りませんが、おめでとう」という。

さあ、では芸能ではどうか?

 まず、タモリです。彼は〈整数次倍音〉が非常に強い声の人です。−中略−タモリは、どちらかというと若い芸人やタレントとよくからみ、友だち付き合いをしているように、同レベルで親しみやすい内容の話をします。こうして親しみやすさの意思表示をしながら、〈整数次倍音〉の強い声で、どこか上のほうから、どこか遠くのほうから見ている人、というポジションを獲得しているのです。(63頁)

 次にビートたけしを見てみましょう。−中略−話している内容は、きわめて毒のある、一見世をすねた、斜に構えた発言をしているのですが、声質が[非整数次倍音]を多くふくむ、カサカサしたものです。−中略−それゆえ、ひどい嫌みを言ってもそれが嫌みに聞こえない、ということが起こるのです。(63〜64頁)

さんまさんもそう。
[非整数次倍音]
これが単独の芸人さん。
ここから漫才コンビに入る。
ボケとツッコミ。
吉本の漫才の元型は「やすきよ」。

ツッコミの西川きよしは[非整数次倍音]、ボケの横山やすしは〈整数次倍音〉でした。これはむしろ、役割からすると逆のように思えます。−中略−これ以降、売れているコンビにはこのパターンが多くなっていきます。(65頁)

「ダウンタウン」も、元々、この形でした。ツッコミの浜田雅功は[非整数次倍音]の持ち主(66頁)

こんなふうにしてお笑いにもボケとツッコミの領域、エリアがあって、これを取り換えてはいけない。
ボケた人がボケたままツッコむと大変な炎上騒ぎになるという。
敢えて触れないが、あの8月、9月の番組を見るとおわかりでしょう。
オリンピックのメダル選手を迎えての司会は浜田さんと上田さんだった。
それがボケ・ツッコミのバランスの面白いところ。

「なるほど」と思うが[非整数次倍音]と言うが「ノイジーな声」。
だがノイジーな声というのはパッと引き付けるという、そういう力があるんだよ、という。
〈整数次倍音〉これは魅力的だけども、力量を持っていないと人を聞かせることができないよ、という。
ジョン・レノン、ボブ・ディラン。
この二人は[非整数次倍音]。
そしてもうくどいが美空ひばり、北島三郎、この人達は整数と非整数を自由に行き来できる。
それが歌の上手さになっているという。
整数と非整数を揺らしながら歌が歌えるという。
彼の人の歌唱力の中には日本人の何かを揺さぶっている、私達がただ「歌」と思っているが、実は深いところを掴まれているのではないだろうか?

日本人ほど音の響きについて敏感な国民はいない。
例えば普段の暮らしからみてそうだが、世界中でそんなことをやっているのは日本人だけだろう。

 象徴的なもののひとつが、美味しいスイカの選び方です。八百屋さんの軒先に並んだスイカを、おじさんがポンポンと叩いて「ほら、いい音がするだろう。こっちのスイカは甘いよ」と声をかけてくる。−中略−私たちは、叩いた時の音で、スイカの味を聴き分けていたのです。(75頁)

 海外では、果物売り場でメロンをポンポン叩く光景など見たことがありません。(76頁)

少なくともハリウッド映画などには出てこないと思う水谷譲。
ムスターファとかが出てきて、西洋の長いスイカをこう叩いて「あ!熟れてる」とかと。
そんな人は見たことが無い。
「甘いかどうか」というのを音と手の感覚で確かめるというから、舌で味わうものを指先の感触とか耳で確認するというのは本当に変わっている。

 叩いた音で中身を知る、という方法を、専門的に利用している場があります。缶詰工場です。−中略−打検士と呼ばれる検査士が缶詰を叩きます。叩いて返ってきた音で、その缶詰の状態を判断するのです。(76頁)

それからトンネルか何かもヒビ割れが入ってないかどうかをコンコンコンコン叩きながら「こことここが弱くなってる」とかと叩いた音の反響で異常を知るという。
日本人の耳というのは凄い。
凄いところに話が飛んでしまうが、日本人というのは潜水艦を作るのが上手。
何で上手かというとスクリューの磨き工程が上手。
潜水艦のスクリューを磨く人達がいて、この人達が磨くと海底で回しても音が全くしない。
それが技術で。
武田先生はやっとわかったが、潜水艦みたいなところに行くと初めて納得がいくのだが、原子力潜水艦というのは意外と使い物にならないらしくて、どこにいるか音で一発でわかる。
原子炉がずっと燃えている。
あれは海底の中ではすぐ聞こえる。
やはり物事というのは進み過ぎると厄介なところが出て来たりするんだな、と。

打検士の話に戻る。

 どのくらいの速さで検査ができるかといえば、通常一分間に二〇〇〜三〇〇個。−中略−一日一人当たり一〇万個の検査をすることができる。(77頁)

こんな耳を持った人というのは非常に珍しいということ。
リラックスした時、世界の人々は柔らかいものの上に腰をおろす。
ソファーとか椅子とかというのがあるのだが、かつての日本人は柔らかいといっても座布団が精いっぱいで椅子みたいにひじ掛けとか背もたれが一切付いていないので、そうすると衣服というものの根本の思想が違って、例えばベルト。

帯は、洋服のベルトとはメカニズムが異なります。−中略−帯は骨盤の上に巻くので、同じようには、できません。帯を締めて着物が着崩れないようにするためには、腹を出し続けていなければならない。(82〜83頁)

これは武田先生もいろいろ考えた。
皆さんに何を説明しようかなと思ったが、相撲で言うところの蹲踞(そんきょ)の姿勢。
或いは優勝力士がトロフィーを抱えて笑顔で。
あの時はおなかがまわしの上に出ている。
あれが関係しているという。
武田先生は「なるほど」と思ったのだがあれは腹式の呼吸をする。
(本によると「密息」というもので「腹式」とは異なる)
おなかを帯の上に出す。
そのおなかを息を吸うたびに上下させない。
そうするとおなかを動かさず呼吸ができる。
これが日本人の発声なんかに関して凄く有利に働いているのではないだろうか?という。
水谷譲は感動していたが、北島三郎という人は「風雪ながれ旅」を歌う時、必ず袴を付ける。

風雪ながれ旅/北の漁場/まつり - 北島三郎



あの帯の結び目に北島三郎さんのおなかが乗っている。
だからあのいい声が出るのだという。
来週から水谷譲も帯でやるように。

政治家の声、等々を辿ってきたがいよいよ水谷譲のアナウンスの方にもいってみたいと。
平べったく言うと、水谷譲も音の職業だから。
日本語の持つ音色性、倍音は日常の中に息づいていて、我々はわずかな響きの違いを微妙に使い分けながら生きているという。

「傘の絵」、「傘の柄」と発音してみてください。「え」の音の違いが分かりましたか。−中略−「絵」の方が、倍音が強いことが分かります。私たちが同じ音だと思っていた「絵」と「柄」は、実は異なった音だったのです。(93頁)

「絵」の方は響かせるのだが、取っ手の方の「柄」は響かないように。
「純音」というのはそう。
かくのごとく意識しないでもちゃんと使い分けている。
だからこの筆者が言う通り「倍音」というのがいかに深く体の中に潜り込んでいるのはわかる。

 同様に、「死」、「師」、「詩」について考えてみましょう。「死を悼む」、「師を敬う」、「詩を書く」と言ってみてください−中略−「死」は「sh」を強調しています。「師」はあまり強調していません。「詩」の場合は逆に「い」を強調しています。(93〜95頁)

僅かな響きの違いで、まあ日本語というのは大変だ。
これをやっているワケだから。
これを勉強する人は難しいと思う水谷譲。
同じ「し」でも全部響きを変えて相手に伝えようとするという。
この「響き」というところが日本語の特徴。
そして日本語の共通点だが筆者も面白いのを挙げてくる。

『怪獣の名はなぜガギグゲゴなのか』−中略−の中で、さまざまな男性の心をくすぐるものの名前に濁点が付いている(ゴジラ・ガメラ・ガンダム)とか、売れる自動車にC音が多い(カローラ・クラウン・シーマ)ということをあげています。私の観点からすると、ガ行もC音も、いずれも[非整数次倍音]が強い音です。(96頁)

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「助けて」という重要な言葉であっても、英語では[非整数次倍音]を入れないで普通に「ヘルプ・ミー」と言えば、聞き手も「助けて」の意味として受け取ることができます。しかし日本語の場合、[非整数次倍音]を込めて声を濁らせないと「本当に重要である」という言葉通りの意味が認識されません。(37頁)

(日本語の)「助けて」は歌にならない。
一曲だけある「老人と子供のポルカ」というので左卜全(ひだりぼくぜん)という人が

おお 神様 神様 たすけてパパヤー
ズビスバー
(左卜全とひまわりキティーズ「老人と子供のポルカ」)



「助けて」と言えば大ヒット曲。
「ヘルプ!(Help!)」



ビートルズ。
「ヘルプ」で成立する。
ところが「助けて」には歌唱・歌謡にはならない。
なぜならば「助けて」と叫ぶ時、表情が決定しているから。
その顔じゃないと「助けて」は言えないので、その顔で始められる歌は無い。
サビだけ急にそういう顔になるというのは無理。
悲惨な一語を楽しい顔で歌うことはできない。
それが日本語なのである。
映画やドラマでは、この響きだけでセリフを持つ俳優が数多くいた。
これが先週話しかけてやめたところ。
日本の映画の中にはセリフが非常に不明瞭なことを個性とする俳優さんがいた。
そのトップバッターが左卜全という方で。
それがもう一人、子供の頃に時代劇スターで大河内傳次郎という人がいる。
何を言っているのかわからない
セリフがはっきりしないのでよくモノマネをされる。

東野英治郎をはじめとする役者の話し方が、現在とは非常に違っていることに気が付きました。−中略−「にってんでぇ。んなこてってるけど、めぇなんかくぅだろぅ」(何言ってるんでえ、そんなこと言ってるけど、てめえなんかこうだろう)。(109頁)

どん底



映画で見るとわかる。
こういう言い方をした。
かくのごとく「セリフが不明瞭で、セリフが伝わる」という演技がかつての日本の映画界にはあったということ。

(この日の最初は冒頭部分から引き続いての「暗黒の木曜日」関連の話なので割愛)
ここから水谷譲の出番。

 それに対して、現代の、−中略−テレビ・ラジオのアナウンサーなどは、非常に違ってきています。−中略−口を大きく開け、言葉をきっちり区切って話しています。しかし、口を大きく開けることにより、倍音の高い成分がなくなります。(110頁)

だから水谷譲なんかもぜひお考えになってください。
水谷譲は〈整数次倍音〉の習慣がある。
これを職業となさっているが、どこかで[非整数次倍音]、それを技として水谷譲も持たないと水谷譲の老後はない。
自分で訓練すれば持てるものなのか?と思う水谷譲。
これが本当に面白いことに日本の古典を練習すると水谷譲も上手くなる。
落語の口真似でもいい。
そしてもう一つ、[非整数次倍音]の練習で歌舞伎。
[非整数次倍音]のお手本、それは歌舞伎。
歌舞伎というのはセリフを明瞭に言うと全くつまらなくなる。
(明瞭に発音して)「知らざあ言って聞かせやしょう 浜の真砂と五右衛門が歌に残せし盗人の 種は尽きねえ七里ヶ浜」
これは非整数を目指す。
「わかんないとこはわかんなくていいんだ」と開き直って「知らざあ言って聞かせやしょう 浜の真砂と五右衛門が歌に残せし盗人の 種は尽きねえ七里ヶ浜」。

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そうすると歌舞伎の演技になる。
整数で喋っていると歌舞伎の芝居にならない。
それと落語が持っている「(不明瞭な発音の言葉)」というそういう非整数の喋り方。
そこが実は魅力なのである。
非整数を狙う。
それがいわゆる葛飾北斎が描いた波の絵になる。
アナウンサーの方は大波だけ届けようとするから。

 西洋音楽では、音高と時間的位置という要素に、決定的に大きな優先度が置かれています。それに続いて、音量という要素、その後に音質(=倍音構造)、という優先順位です。(114頁)

日本人にとっては、「この音高で奏でる」ということよりも「この音質(倍音構造)で奏でる」ということの方がより重要だったのです。
 一方、時間と音量の情報は、古い尺八の楽譜には、まったくありません。個人に任されているとも考えられますし
(116頁)

 たとえば、能などにおいては「イヨーッ」というかけ声とともに、間を計り、「ポン」と鼓を打つことがあります。−中略−
 アメリカでワークショップをしたときに、お手本を示してからアメリカ人の受講生に「イヨーッ、ポン」をやってもらいました。すると、受講生たちは、「イヨー(ワン・ツー・スリー)ポン」とすこしかけ声を変えて、それに合わせて手を叩く「間」を変えると、彼らは「さっきは四拍目で叩いたのに、なぜ今度は二拍目の裏で叩くのだ」と、多くの人が疑問を口にしました。
−中略−
 ところが日本人の場合は、誰もそのような疑問を持ちません。私が日本で、一番多くの人と行った事例では、約二〇〇〇人に、「イヨーッ、ポン」と手を打ってもらったことがあります。これだけの人数でも、日本人ですと、一糸乱れず、見事に「ポン」が合います。しかも、カウントを取る人はいません。
(141頁)

(番組の内容とは若干異なる)
武田先生も一回だけ体験したことがあるのだが、あるパーティーで「手締めでいこう」というので、外国の方がいらっしゃったので、「関東一本締め」で「ヨーオ、パン」でいこうと「一本だけだからできるだろう」というので少し説明して入ったがダメ。
バランバラン。
だからリズムではなくて「間」でポンと叩く。
何でこういう間の習慣が付いたかというと、この人は面白い。
こういう間の練習を小さい頃、我々はさんざんやったという。

たとえば、ジャンケンを考えてみてください。「じゃんけんぽん」と声に出してから、動作をし終えるまで、無意識のうちに相手との「間」をはかり、呼吸を合わせていることに気が付きませんか。(177頁)

(外国の人は)できない。
パックンマックンとかやらせるとダメ。
とにかくビッタリ合うという、この「間」というのは日本人はなんだかんだ言いながら、体の中に沁みついている。
そして、この作者は、このあたりを一番説明したかったのではないか?
この方は尺八奏者。
この「間」は時に能の拍子で

能の囃子に用いられる能管という笛(143頁)

能管 合竹製 紐巻



ここで重大なのは音階を静かに上がっていった音が、突然整数次から非整数次へ飛躍する。
能狂言でこんな音を聞いたことはないか?
「ピョー〜〜〜ピョォォォォ」
この笛が〈整数次倍音〉「ピロロ〜♪」とかと弾いていて、突然音がある間を挟んで[非整数次倍音]に「ピョ〜」と鳴ったりなんかするという。
これは舞台上のもちろん演出の為だが

大きな倍音の変化により、空間も歪みます。時間も空間も異様に歪んた状況において、現実世界とは遠い異界への扉が開いていきます。(144頁)

この[非整数次倍音]へ飛んだその間の後から死者、或いは霊が登場するという、そういう展開のきっかけに[非整数次倍音]があるということ。

 もともと、倍音が強い音というのは、火山の爆発、地鳴り、台風など、人間にとって異様な状況の時に現れる音でした。倍音が強くなると、脳はさまざまな反応をし、脳の状態が通常とは異なった段階に上がります。(144頁)

そういうので整数から非整数次へ飛ぶ音に関しては過敏になったのではないだろうかという。
これは面白い。
これはあくまでも筆者の感じたことだと思うが、この手のことが国際的に日本の文化の中から外へ流れ出したんじゃないか?
ジョン・レノンなんかにもあるが、やたら非整数を使う。
東洋の文化の影響かどうかわからないが、ジョン・レノンは異様な音が好き。
だから初期の作品だがハウリングから始まる、そういう音楽があった。
「アイ・フィール・ファイン(I Feel Fine)」なんかがそう。

(本放送ではここで「アイ・フィール・ファイン」が流れる)



つまり、非整数次、ノイジーに聞こえるものの中に音楽性を見つけるという。
そうやって考えるとビートルズ、特にジョン・レノンはもの凄く東洋の影響を受けている。
「スターティング・オーヴァー (Just Like) Starting Over)」だったかソロアルバムでも仏壇のチーン!と叩くような音から始まったり。



仏壇っぽい。

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あの人は日本人のノイジーが好き。
「世界は女の奴隷か」で何か誰かから聞いたがクールファイブを聞いて感動したという。

女は世界の奴隷か! (2010 Digital Remaster) [Explicit]



(「世界は女の奴隷か」ではなく「女は世界の奴隷か!」。意味が逆になってしまう)
あんなしつこいサックスの音を好きなのは日本人だけ。
「ああああ〜長崎〜は〜♪」で「ブブブブ〜♪」というのはノイジー。



ノイズい近い。
だが「ノイズの中に何かある」というイメージを。
尺八もやはりノイジーで、最初から整数が出しにくい。

 人間は、物質とエネルギーを取り込んで成長し続ける有機体というモデルとして、考えることができます。(173〜174頁)

食事がそうで、そして人間は人間とコミュニケーションすることで人間を成長させる。
〈整数次倍音〉、或いは[非整数次倍音]、そういう声を持った人に関して人間というのは情緒豊かに育てることができるんだ、と。

本当はこれからもう一ネタあるのだが、もうネタがあり過ぎて、これを語るにはもう一週必要なので、今回はこれでやめておく。
チャンスがあったらこの続きをやりたいと思う。
それで実は何でこんなに「声」を「音」ということで皆さんに語ってみたかったかというと、一つ、武田先生の胸のうちにあることで、それがこの本の著者とビッタし考えが同じだった。
武田先生としては、それが凄くうれしかった。
この中村明一さんが「音の中に脳にまで沁み込んで脳を非常に癒す力が音にあるのではないだろうか?」こうおっしゃっている。

 声として発するときには、〈整数次倍音〉の方が、−中略−エネルギーが少なくて済むので、超高音波と呼ばれる領域の高次倍音まで出すことが可能です。−中略−この領域の超高周波を聞くと、α波をはじめ、脳内で快感となる物質、抗ストレス・ホルモン、免疫機能向上ホルモンを出すことが分かっています。すると気持ちが良くなり、癒され、リラックスし、精神が安定し、−中略−免疫機能が向上するといった働きが起こる。(36頁)

この音の解釈は凄い。
美空ひばりや北島三郎さん、或いは三波春夫という人達の歌声、それが戦後の日本の中でなぜ誕生したかというと、日本人の大脳に沁み込んで彼らを励ます強いエネルギーになり得たのではないだろうか?
そう思うと、ただ単に歌謡史の問題ではなくて、これは精神まで沁み込んできた「声」ではなく「音」ではないだろうか。
そうやって考えると素敵なオチ。
「楽」という字を書いてください。
「音を聞いて楽しい」これが「音楽」。
そして音楽の「楽」に「くさかんむり(艹)」をかぶせると「薬」。
このオチを考えた(武田先生が)武田先生を好きになった。
というワケでうぬぼれ一杯だが、まだ落ちはついていないので、どこかのチャンスでこの「倍音」のパート3をやりたいと思う。


2024年10月14〜25日◆倍音(前編)

(この回に関しては、また別の機会に続きをやるような話をしていたので続きが終わってからアップしようと思っていたが、一向に続きが放送されないので放送された分のみ紹介する)

(番組冒頭は文化放送「浜祭」でのグッズ販売の宣伝)
本題だが今週、まな板の上は「倍音」が乗っている。
中村明一さん、春秋社から出ている一冊なのだが。

倍音 音・ことば・身体の文化誌



(番組の中で、正しく言っている箇所もあるが「整数次倍音」のことを「整数倍音」と言ったり「非整数次倍音」のことを「非整数倍音」と言ったりしているが、全て本の表記と同一の〈整数次倍音〉と[非整数次倍音]に統一しておく)

武田先生は奇妙なものに引っかかってしまって、三波春夫という昭和歌謡・演歌史の講談・浪花節の作品で「俵星玄蕃」というのがある。
それが9分間にも亘る長編浪曲・講談・歌謡曲なのだが、この作品を三波春夫さん自身が作ったという事実に圧倒されて、三波さんはなぜ作り上げたのだろうか?と、そこを考え始めた。

長編歌謡浪曲 元禄名槍譜 俵星玄蕃



ちょうどひっかかることに、この番組でもお話したが、武田先生は1970年の頃青春を過ごしていて、その1970年、まさに学園紛争のただ中で大学生だった武田先生。
ヘルメットの反戦運動の学生達が日本中に溢れたという。
その遠い思い出の中に九州のある大学で文化祭に出演したら過激派の学生から声をかけられて、そいつが言った一言「三波春夫の『俵星玄蕃』、あれ聞いてると何で涙が出てくるのかね?」という。
(この時のことに関しては2024年8月12〜16日◆俵星玄蕃で詳しく語られている)
ヘルメットの過激派の学生。
それが「俵星玄蕃」に感動しているというのが武田先生には不思議でならず「さあ、わからないな」なんていう返事をしたのだが、歳月が流れて50年の歳月、ある人の本を読んでいたらアルベール・カミュの一言「反抗的人間」という作品があって、その中でカミュの言葉だが

「人が死ぬことを受け入れ、時に反抗のうちで死ぬのは、それが自分個人の運命を超える『善きもの』のためだと信じているからである。−中略−人がある価値の名において行動するのは、漠然とではあっても、その価値を万人と共有していると感じているからである。」

これはちょっと難しい言葉だが、そのヘルメットの学生あたりが必死になって戦っていたのは「ベトナム反戦」という運動が、武田先生達1970年を青春で生きた者の中にある。
それ故に我々は社会全体に反抗した、という。
「ベトナム人民が可哀そうじゃないか。何人殺せば気が済むんだ、アメリカ帝国主義」という、そういう思いがあった。
平和を希求する「善きもの」の為に激しく社会と戦うという運動が70年の学生運動の中にはあったのではないか?
それにしても三波春夫の不思議は「俵星玄蕃」。
よく考えてみるとこれも元禄という時代の中にあって幕藩体制、幕府の体制ゆえに簡単に「正しい」「間違っている」を決められて自分のお殿様を亡くした侍たちが起こした反乱と思えば、武士の筋を通すという意味合いでは彼らの正義がここにあったのではないか?と。
三波さんはそのことを訴えたかったとすれば、なぜ東京オリンピックの年にこの歌だったんだろう?と、そんなふうに思った。
スーッと頭によぎったのは三波さんの胸の中にシベリアあたりで死んでいった日本兵の姿、「私の中で、死んだ戦友たちは日本の正義を信じていた」という無念を、それを忠臣蔵と重ねたのかな?と思って、「凄いな」と思って三波春夫を辿っていたら、また凄いのに出会ってしまった。
一つ疑問を持つと疑問というのは芋づるで次々繋がっていく。
晩年の歌唱だが、三波春夫さんが1999年、NHKの企画で「一本刀土俵入り」という任侠ものをやっている。

トリプルベスト 三波春夫1「大利根無情(台詞入り)/一本刀土俵入り(台詞入り)/俵星玄蕃(メロ譜なし)」



二葉百合子さんとやっている。
(駒形)茂兵衛を励まして「立派な横綱になるんだよ」とかと言いながらやさしくしてあげる旅籠の女を(演じる二葉百合子)。
それを浪曲でやっている。
何度も何度も頭を下げていく茂兵衛。
「どんなに嬉しかったんだろうねぇ」とかと言いながら。
お蔦という、その宿場町の女が茂兵衛に向かって一声かける。
二葉さんが「よっ!駒形!」。
その声が何と言うか、しびれるぐらいいい。
この声の良さは一体何だろう?と。
朗々とし、凄味があって凛として響きがいい。
物語を始めるには最高の掛け声で背中にゾワりと泡立つものが感じられる。
こんな感激をなぜ感じるんだろう?
ただの歌謡曲ではない。
物語を辿るのだが、「歌声」なんていう軽いものではなくて。
とにかく声が入ってくる。
「これは一体何なんだろう?」と思った時に見つけたのがこの本。
「倍音」
武田先生はその時、直感で二葉百合子さん、三波春夫さんの歌声を「声」として解釈するのではなくて、「音」として解釈した方が正解に近づけるのではないだろうか?
とにかく歌声を一回「音」という基本の単位まで落として「倍音」という音に関する感性、それを今週から来週にかけて探っていきたいなと思っている。
日常の暮らしの中で「音」というものに注意を向けてみましょう。
奇妙なことに皆さんお気づきになりませんか?

 私たちの身の回りにはさまざまな音があります。そのなかには、よく知っているようで、考えてみると不思議なことがたくさんあります。−中略−
 テレビを見ていると、電話の音。
「あっ! だれからかな?」
 電話に手を伸ばすと、テレビの中で女優が「はい」。
「なんだ、テレビの音か」
 そうかと思えば、うちの犬は、窓の外から聞こえる犬の鳴き声には、どんなに遠くの小さな鳴き声にも反応するが、同じ室内のテレビから聞こえる犬の声にはまったく無反応。
(3頁)

 これらの不思議、謎を解く鍵は、「倍音」にあります。(5頁)

明らかに違うから反応しない。

人間の方にいく。
ドラマとか映画にもよくあるし、日常の暮らしの中でもあろうかと思うが、鹿威(ししおど)しがカーン!と鳴る。

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鈴虫がリンと鳴る。
季節はいつがいいか?
「秋」にする水谷譲。
除夜の鐘がゴンと鳴る。
「冬」だと思う水谷譲。
当たり前のようにおっしゃるが、私共は、かくのごとく音によって季節を言い当てることができる。
これはやってみないとわからないが、普段聞いている豪徳寺の夕方五時の鐘と、除夜の鐘の違いが分かるかも知れない。
私共は基本的に物音で季節を聞き分けるという力がある。
確かに「蝉が鳴いたら夏」と思う水谷譲。
私共にとってその風景の中にある音、自然の音、それが確実に季節を連想させる、という。

 テレビで芸人が森進一のものまねをしています。「森進一です」の一言だけで皆が笑う。何がおかしいのでしょうか。(4頁)

小泉進次郎。
あの人が選挙でやってきて「こんばんは、小泉進次郎です」と言ったらおかしくもなんともない。
何なんだこれは?
それが「音」ということ。
「音まで深く入って考えてみよう」という。

 私が小学校の頃、男の子たちは、音楽の時間に、歌うのがイヤでした。とにかく歌を歌うのが恥ずかしかった。(4頁)

そのくせ学校帰りには春日八郎とか三橋美智也は歌える。

三橋美智也 全曲集 おんな船頭唄 夕焼けとんび リンゴ花咲く故郷へ 赤い夕陽の故郷 石狩川悲歌 星屑の町 夢で逢えるさ おさらば東京 流れ星だよ 君は海鳥渡り鳥 お花ちゃん 哀愁列車 NKCD-8001



「ホーイのホイ♪」とか歌っていたが、なんだか良い子ぶって大きく口を開けて「あかいとり ことり♪」。



博多弁で言うと「なンつや付けて歌って」。
この差は一体何だろうか?

 小津安二郎、黒澤明など、昔の映画を見ると、話し方が現在とまったく違うことに驚かされます。日本語に何が起こったのでしょう。(5頁)

その奥にあるのが「倍音」なのではないか?
私共は「倍音」の恩恵にあずかりながらも「倍音」に注意を向けたことすら無い。
では「倍音」とは何か?
これは海援隊の仲間がいると皆さんにわかりやすく説明できるのだが。
例えば武田先生の横にリードギターを弾く仲間がいて、そいつが弦をデーン!と叩く。
そうすると彼が叩いた弦というのは震える。
「震える」とは何かというと弦を震わせる波が移動していく。
沖からバーっと波がよせてきて浜辺に打ち上げるように音という波が寄せて震え続ける。
絵で言うと北斎
北斎の名画「神奈川沖浪裏」という有名で渦を巻いているヤツ。

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(番組では「かながわおきうらなみ」と言っているようだが「かながわおきなみうら」)
あの中に波が描かれていて、やや左手の方に大波がある。
大波のすぐ下には中波があって、一番下に小波があって海面がある。
あれを「倍音」と言う。
一番大きな波だって大きな波でいられる。
次に中波になって小波になる。
波が大きい時は谷になったりする。
その構造そのものを「倍音」と言う。
大波・中波・小波のことを。

「倍音」のことを、英語では−中略−「ハーモニックスharmonics」と言います。(9頁)

なぜ「ハーモニー」か?
音の波は海面から整数に倍で立ちあがり大波を作り上げる。
1/2、1/3の波、1/4の波、それで大波・中波・小波を作って走る。

音の周波数は通常、一秒間に何回振動したかによって表わされ−中略−一秒間に四四〇回の振動ならば四四〇ヘルツで、−中略−楽器のチューニングによく使う音叉の音の高さです。(8頁)

基音が四四〇ヘルツなら、−中略−四四〇ヘルツの音=ラ(A3)と言うわけです。(9頁)

産まれたばかりの赤ちゃんが泣く。
オギャー!
これがドンピタ「ラ」の音。
我々は「ラ」の音から人生を始める。
不思議。
人類が「音楽」というのを作って、何と音を記号で後世に伝えることができるという文明を興したワケで。
ただ、西洋音楽が「音」というものを記号に変えることができるのだが、だからと言って音を掴み切ったワケではない。
だから倍音も難しい。
音は波である。
それが山を描きながら伝わってゆくワケだが、「整数の倍音」というものもあれば非常にカウントしづらい、そういう音も中にはあって、そのような音のことを「非整数」という。
「整数(次倍音)」という音と「非整数(次倍音)」という音が暮らしの中にはあるという。
私共が持っている暮らしの音に関する情報だが、私共は〈整数次倍音〉と[非整数次倍音]を同時に聞きながら暮らしている。

 都はるみは、ひとつのフレーズの中で、三点を自由に行き来しています。「アンコ椿は恋の花」という歌の「あんこ〜♪」の部分を見てみると、「あ」で〈整数次倍音〉を出し「ん」と唸る部分では[非整数次倍音]が強く、最後の「こ〜」というとことは倍音の少ない裏声に抜けていく。(56頁)

(本放送ではここで「アンコ椿は恋の花」が流れる)



こぶしが回って不安定になる。
あの不安定が[非整数次倍音]。
(本によると最後の部分は「倍音の少ない裏声」で「非整数次倍音」ではない)
「あ」が〈整数次倍音〉。
それをわざと非整数を。
そうすると演歌の正体が見えてくる。
整数の音を出しておいて、次の音に行く瞬間、不安定にさせてたどり着く。
それがこぶし。
我々はその音を聞くと凄く感動してしまう。
このへんがまことに面白いところで。
歌手の上手い下手というのは実は〈整数次倍音〉と[非整数次倍音]、正しい音階で歌っているところと正しくない音階に落ちた、そのぎりぎりのはざまの揺れが「あの人は歌、上手いね」という。
この〈整数次倍音〉と[非整数次倍音]というのは人間の耳をコントロールする力を持っているのだが、〈整数次倍音〉と[非整数次倍音]の天才的なシンガーが戦後の歌謡界にいる。
それが美空ひばりさん。
この人は正しい音から正しい音にゆくとつまんない歌。
「あ〜かいとり〜こ〜とり〜♪」になってしまう。
そこで「あかい」の「あ」から次の「か」にゆく時にわざと不安定な経路をたどって「か」にたどり着く。
しかも正しく「か」に辿り着ける。

 基本的に、彼女の声質は、〈整数次倍音〉を多く持っています。だからこそ、カリスマ性を発揮して、多くの熱狂的支持を集めることができたのでしょう。(57頁)

だからいささか難しいことを言っていても唸ってしまう。
「あ、なるほど」と思ってしまう。
彼女の歌は歌詞でわからせるのではない。
美空ひばりという人は音でわからせる。
だから考えると矛盾しているが、矛盾が耳に心地よく感じる。
その典型がこの歌。
「柔」
(本放送ではここで「柔」が流れる)



勝つと思うな 思えば負けよ(美空ひばり「柔」)

「じゃ、どうすればいいんだ?」という。
2コーラス目はなおさら難度が増してわからない。

人は人なり のぞみもあるが
捨てゝて立つ瀬を 越えもする
せめて今宵は 人間らしく
恋の涙を 恋の涙を 噛みしめる
(美空ひばり「柔」)

言われてみると不可解だと思う水谷譲。
武道の一番奥にある悟りのような心境を、いきなり演歌で歌って何となく聞いてしまう。
これが美空ひばりが持っているパワー。
彼女と並べるくらいの歌の力を持った人が北島三郎。
北島三郎というのは整数の倍音で歌うのだがずっと震えている。
「なぁぁぁぁぁ〜み〜〜だのぉぉぉぉ〜〜〜おぉぉぉ〜〜〜♪」



面白い。
これからぐいぐい話を広げていきましょう。
これが歌謡曲だけに終わらないところにこの話の面白さがある。

ささやかことなのだが、この倍音の勉強をしている時に昔の歌謡曲を辿ったりなんかして、「柔」を歌う美空ひばりさんの姿があった。
それが彼女が袴を履いて、紺絣で柔道着を肩にかけて歌うシーンがあった。
見事。
「正中線」といって武道でよく言うが自分の体の真ん中を一本芯が通っているみたい。
真っすぐ。
美空さんはその線が一本綺麗に通っていて「勝つと思うな〜♪」が入ってくる。
我々の体の中には〈整数次倍音〉に関して素直に従うという本能が仕組まれている。
芸能界を探しましょう。

 日本の歌手で〈整数次倍音〉が強いのは、−中略−松任谷由実。話し声では、黒柳徹子やタモリの声があげられます。(23頁)

 かつて庶民の生活に溶け込んでいた物売りの声にも、〈整数次倍音〉が強く含まれていました。「たーけやー、さおだけー」の竿竹売り、金魚屋、豆腐屋、焼き芋屋などの売り声です。(23頁)

民謡、謡曲、声明、「歌いもの」と呼ばれるジャンルに属する長唄や地歌などの声は、どれも〈整数次倍音〉の比率が多くなっています。(23頁)

これに対してもう一方であるのが[非整数次倍音]。
これはわかりやすく言うと波としては崩れてしぶきをまき散らかしているという。

ザラザラした、ガサガサした音、あるいは高次だとカサカサした音、という表現ができます。(24頁)

森進一、−中略−演歌以外では、宇多田ヒカル、−中略−桑田佳祐、明石家さんま、ビートたけし(54〜55頁)

日本伝統音楽の発声の中では、「語りもの」と呼ばれるジャンルに属する義太夫節、説教節、浪曲などの声に、[非整数次倍音]が多く含まれています。−中略−日本の人達は、尺八、三味線、琵琶、能管など、海外から入ってきた楽器をすべて、この[非整数次倍音]が出るように改良したのです。(24〜25頁)

〈整数次倍音〉ではないから不正確。
不正確な故に人が意図的に聞こうとする。
浪曲なんかもその為にわざわざ声をガサガサにする。
「旅行けば♪」



あの歌声なんていうのはそういうワケ。
尺八なんかもそう。

尺八の指孔が大きく、指孔の数が少ないこと。これらは、みな、高音を連続的に変化させることを可能にするために改良されたのです。(117頁)

それを魅力とする。
「正確に一発で出ない」というところが日本人の音に関する感性。
面白いもので、ちょっとわかりにくいかも知れないが、ここに日本人の耳の特徴がある。

西欧人は−中略−言語やそれに似たものの音を聞いたときには、左脳で反応しているわけです。それ以外はすべて右脳に入っている。西洋楽器音、−中略−自然音、鳴き声、雑音などはすべて右脳で反応が見られます。(26〜27頁)

日本人は、言語・邦楽器音を含む自然界にある音はすべて左脳で(27頁)

鳥の声を聞くと人間の声と同じように反応してしまう。
犬がワンワン!と吠えると「まぁ、チイちゃん。今日はお元気ね」と御近所の奥さんが犬の鳴き声だけを人間の言葉に変えることができるという。
そういうのができるのは日本人の耳だから。
いわゆる自然音に関して耳が日本人は敏感。
日本は四季があるからというのも関係するのかと思う水谷譲。
季節も全部音から入ってくるという。
水谷譲は今、「日本には四季がある」と言った。
四季ともう一つ自然の中にあるもの。

自然の音は、主として[非整数次倍音]でできています。(37頁)

倍音が強い音というのは、火山の爆発、地鳴り、台風など、人間にとって異様な状況の時に現れる音でした。(144頁)

「この風の音はただごとじゃないな」とか「この波音はだたの波じゃない」とか、その分だけ自然に関してもの凄く敏感な耳を持っていて。
地震にしても最初の揺れみたいなものを体験すると「デカくなる・デカくならない」を日本人は全身で感じる。
そうして行動すると思いませんか?
[非整数次倍音]で伝わってくる自然からの物音で感じる。
[非整数次倍音]というのは何かが起こる時の音。
だから耳がギョっとそっちを向いてしまう。
だからストーンと自己紹介とかをされるとガクっとくる。
[非整数次倍音]で「こんばんは、森進一です」と言うから。
小泉進次郎君だったら何ということはない。
だが森さんが[非整数次倍音]で「こんばんは、森進一です」と言う。
だからおかしい。
面白い。
かくのごとく我々は〈整数次倍音〉[非整数次倍音]を使い分けながら生きているという。

水谷譲は昨日「あ、そういうことか」と思ったことがあって、例えばアナウンサーの喋りでも凄く上手に器用に喋る人がいるが何も入ってこないという人がいる。
それはもしかして倍音が関係するのかな?と思う水谷譲。
整数過ぎる倍音はよほど力量が無いと右から入って左へ抜けてゆく。
音声が明瞭だが意味不明の人というのがいる。
それと同じこと。
ここからまた喋り方のチャームさなんかにも話が広がっていくから

日本語の特徴というものをもう一回考えてみましょう。
日本語の特徴。
これは日本人の耳の特徴だが、日本人は言語脳であるところの左脳で鳥のさえずりや虫の音、自然音も聞いてしまう。
だから人の声として理解する。
そういう音世界に住んでいる。
音楽。
西洋音楽は右で聞く。
日本語の言葉そのものは異様な言葉で「あいうえお」の言語なのだが、これは数少ない。

 この反応の傾向は、日本人とポリネシアの民族において見られました。(29頁)

子音と母音は何が違うか?
この本でやっとわかった。
70(歳)も真ん中過ぎているのに。
「かー」と必ず「あ」になると思う水谷譲。
それも特徴。
日本語の「あいうえお」。
この母音というのは何者か?
この本で初めて教えてもらった。
著者の方、本当にありがとうございます。
何と驚くなかれ、母音の「あいうえお」。
これは口の大きさだけで音が発声できる。
「かきくけこ」
舌と歯がやたらと出てくる。
「さしすせそ」
「たちつてと」
唇と歯。
それに比べて母音。
「あいうえお」
口の大きさだけ。

母音がこれほど多く使われている言語も珍しいと書いています。実際に、胃、鵜、絵、尾−中略−母音のみの単語がいくつもあります。(89頁)

 私たちは「か」と言ったときに、実はKと書く「クッ」というカサカサした[非整数次倍音]と、Aで書く「あー」という〈整数次倍音〉とを、常にセットにして発音しています。(90頁)

かくのごとくだが、日本語は独特の言語世界・言葉世界を持っているという凄い国語。
このポリネシアなんかの人達と同じような母音中心の言語と会話をすると、他の言語の人達と全く違うところが一箇所だけあって、身振りがいらない。

日本人は、非言語性の表現の中で、身振りなどの感情表出は控えめだが、音声・音響表現により敏感であるという研究結果も出ています(98頁)

西洋人はもの凄く身振りが大きいと思う水谷譲。
ヒトラーも疲れたろうと思う。
でも日本人であそこまで動く人はいない。
このへんが面白いところで、大きな身振りを必要としない。
これは東洋人の中でも中国の人よりも身振りが少ない。
香港映画とかを見ていると臭い時がある。
「チョチョシンゴンバー」とかと。
指でこうやるのが多いと思う水谷譲。
あんなのはいない。
時代劇でああいうヤツが出てきたら監督から凄く怒られる。
つまり、言葉だけでそういう世界を持っているということが日本語の面白いところ。
故に、日本人はこの言語の世界であらゆるものが決定していく。
喋り方がそうだから。
〈整数次倍音〉[非整数次倍音]と母音の多い言語、母音支配の言葉遣いで日本語は成立しているワケで。
これがいかに我々の体に沁み込んでいるか?



2025年05月01日

2024年10月28〜11月8日◆男の唯一無二(後編)

これの続きです。

「男の唯一無二」
暗い話になってまことに申し訳ございません。
景気のいい話もしたいのだが、ちょっと迷ったのだが。
この本をお書きになったトーマス・ジョイナーさんには申し訳ないのだが読みにくい本だった。
はっきり言ってしまうけれども。
最近、そういう本に当たることが多い。
「この本、もう読むのやめよう。三枚におろすの無理だ」と思うのだが、そう思って次のページをめくった瞬間に「え?え?何これは」みたいな文章に出くわすものだから。
この本がまさしくそうだった。

男が寂しさ故に人生の晩年に於いて自殺するというその傾向がある。
これをこの方は国防省から頼まれている。
兵隊さんの中で、もの凄く多いそうだ。
戦場体験者の中で年取ってから自殺なさる方が。
それで「調べてくれ」ということで調べ始めたらしいのだが、そこに彼は男という性そのものが非常に晩年になって死という穴ぼこに落ちやすいという性なのではなかろうか?という。
男は男たるべく、特にこれはアメリカの方なのでやはり「唯一無二」「王座に就け」と。
いろんな人から励まされて、ただ一つの自分の座れる椅子を目指すワケで。
自分が立てる頂を目指すワケだが、そこに座る、或いはその頂に立つと、何のことはない周りには誰もいない寂しさがこみあげてくるという。
こういう矛盾を男達は生きているのではないだろうか?という。
男というのは人と繋がっているというよりも人を従える時にもの凄く自分の能力に自信を持つという。
「人に嫌われても自信はある」というようなトップの方がアメリカでは好まれる。
もの凄い坂道があったにしても自分がリーダーとしてその坂道を登るんだったらば、いくらでも無理が効くという。
ジョイナーさんが繰り返しおっしゃっている。
体を傷付けるもの、それは孤独なんだ
まずは命の最小単位で考えてみよう。
この方は細胞の中にも入ってしまう。

テロメアとは、染色体の先端にある保護膜で、靴ひもの端にあるプラスチック製の鞘のような、靴ひもがほころびないようにするためのものだ。鞘が弱くなったり切れたりすると靴ひもがほころびるように、テロメアが短くなると染色体もほころびる。−中略−染色体がほころびると、染色体やその重要な情報を複製する作業が十分にできなくなり、「ほころび」のある情報は失われてしまうからだ。DMAに関して言えば、−中略−がんを含む多くの問題を引き起こす可能性がある。(「男はなぜ孤独死するのか」60〜61頁)

これは極端な言い方。
ただ、トーマス・ジョイナーというこの人は、「がんの原因は孤独である」と言う。
凄い論理だと思う水谷譲。
「そこまで孤独というのは細胞の一単位、染色体にも悪い影響を及ぼすんだ」という。

特に男性の孤独感を加速させる要因として、社会的ストレスがテロメアを短縮させることが明らかにされており(61頁)

実はそれが全ての不幸、全ての病のスタートになるという。
これを女性を比較してみよう。

全般的に女の子は親に対して秘密主義である場合が少ない。(「男はなぜ孤独死するのか」72頁)

お母さんに何でも話す水谷譲。

 全般的に、男の子は女の子に比べて親に対して秘密主義的であり、−中略−男の子は女の子に比べて、母親に対する反応が低く(「男はなぜ孤独死するのか」87頁)

武田先生も胸に手を当てるとそれがわかる。
娘と母親が包みなく語り合っている姿というのはいいもの。
男にはそれほどのネタが無い。
それが男の子の美学だと思う水谷譲。
男の子というのは生涯に亘って一人で何ができるか、そこに自分の価値を置く。
対して女性は友人との関係を価値とみる。
この差が人生の後半に於いて孤独の深さを男女で変えてしまうのである。

自然界の生き物を見てみよう。

「群生するイナゴの脳は、同種の単独行動するイナゴの脳より30%大きい」。(「男はなぜ孤独死するのか」96頁)

一匹でいるイナゴは脳が小さい。
集団で移動する、旅するイナゴというのは30%もデカい。
サルからヒトになった我等人間もそうである。
我等は群れにより旅をして賢くなり生存してきた。

人類学者のロビン・ダンバー(「男はなぜ孤独死するのか」97頁)

これは武田先生の話に、よく出てくる。
これは人間が賢くなる為の集団、そういう集団の人数は何人かということを調べた人。
これは面白い。
その集団の仕事にぴったりの人数のことを、この人の名前を取って「ダンバー」で表現する。
人間が何か、ある仕事を果たす為に集団、グループを組む。
そのグループの人数というのは、この人数だと非常に作業がやりやすくなるという。
例えば果実を探す。
ブルーベリーを摘んだり探したりする。
この人数。
これは何人が一番いいかというと5〜6人。
これを「5〜6ダンバー」と言う。
そういう言い方をする。
5、6人。
魚釣りだったら2〜3人。
マンモス、クジラ等々を仕留めるんだったらば30人以上が必要だ、という。
適正人数を「ダンバー」という単位で呼んだ。
これは本当に「なるほど」と思うが。
人間が野宿をする。
その為に必要な人間というか、安眠の条件は何人くらいか?
4人だと思う水谷譲。
完璧に水谷譲は外れている。
野原で寝袋で眠る。
30人。
なぜ30人か?
セーノで30人で眠る。
そうしたら一時間おきに誰かが起きている。
そうすると何かあった場合、凄く便利がいい。
それで安眠がとれる。
こういうのは「なるほどなぁ」と思う。
(このあたりの話はこの本の内容とは無関係)

「ダンバー数」について考えてみよう。人類学者のロビン・ダンバーが150としたこの数字は、人間が維持できる意味のある社会的結びつきの最大数だ。−中略−ダンバー自身も230になる可能性があると指摘している。大方の見解は300人以下のようだが(「男はなぜ孤独死するのか」97〜98頁)

このダンバーというのが何を注目されたかというと戦争の時の兵隊さんの組ませ方。
小隊・中隊・大隊・旅団とかとある。
あれはこの「ダンバー」で戦闘のエリア、仕事を決めるという。
(ロビン・ダンバーについては、以前詳しく扱っている。2016年10月10〜21日◆『ことばの起源』ロビン・ダンバー

僕たちの種が生き残り、ネアンデルタール人が生き残れなかった理由のひとつに、僕達の社会的に複雑な機能を持つ脳が関係している可能性があると主張されていた。−中略−「脳が大きい、あるいは新皮質が多い霊長類は、脳が小さい他の霊長類に比べて、より大きな集団で生活し(「男はなぜ孤独死するのか」99頁)

だから(ネアンデルタール人は)寝る時に水谷譲が言うように4人ぐらいで眠っていて獣に襲われてしまった。
ところがクロマニヨンからスタートした現生人類は30人単位で眠ったので誰かが起きていて獣を追い払うことに成功したという。

これは武田先生の考え。
トーマス・ジョイナーさんの本を読みながら思ったのだが、この集団の大きさを決定するという直感を持っている性が女性ではないだろうか?
武田鉄矢説で言っていいと思う。
マンションならマンションを買った。
その部屋をパっと見た瞬間に女性が子供を何人産むか決める。
その空間に対する、環境に対する人数の調節は女性の直感によっているのではないだろうか?
だから女性たちに遮二無二子供を産ませようとするのはやめた方がいい。
女の直感に任せるべきだ。
妊娠する・しないなんていうのは国が口出しすることではない。
それは女性の考え方、そこに任せるべき。
それがやはり男達が一番忘れてはいけないことなのではないか。
男は所詮山のてっぺんを目指す。
女の人はグルグル歩きながら山全体のことを。
それはきっと武田先生がそういう女性の直感によって今まで人生を助けられてきたということだと思う水谷譲。
それはもうわかっている。
女の人のその直感というのは凄いと思う。
日本は戦争に負けた。
それで日本中の女達は「さあ、子供産むぞ」と思った。
「もう兵隊には取られない。いっぱい産んどこう。これが日本がもう一回景気よくなる道なんだ」と戦後ベビーブーマー、たくさん子供が。
今、女性達が産みたがらない。
それは何かを直感している。
その直感に任せた方がいい。
何せ彼女達は山全体をいつも眺めているのだから。
これは武田先生の考えだが。

これが著者、トーマス・ジョイナーさんがお書きになったこと。
このあたりから武田先生は「なるほど。女性というのはそのダンバーに関しては直感があるんだな」と思ったのだが。

「女性の場合、思春期を過ぎると、わずかなアイロニーが常に救いとなる。というのも、彼女たちが歩んできた人生は、必ずや彼女たちを皮肉屋にするからだ」(「男はなぜ孤独死するのか」104頁)

これは何かというと彼女達は社会全体、或いは集団、そういう中で何人の人数が的確か、それを直感で知る。
それが年を取れば取るほど、女性達は皮肉屋になる。
男は不思議と皮肉は言わない。
一種女性達の直感から出た生存、サバイバルの術ではなかろうか?
これに対して男だが、男は集団のサイズではなくて「俺」のことしか考えられない。
「俺の邪魔をするな」
これは武田先生は見たことがないが沖縄の方なんかはよく見てらっしゃるのだろう。

 米海兵隊の旗であるガズデン旗は黄色で、とぐろを巻いて今にも襲いかかろうとしているガラガラヘビが描かれている。(「男はなぜ孤独死するのか」112頁)

「俺んとこに入ってきたら噛みつくぞ」という、そういう象徴でガラガラヘビが描いてあるそうで。
本当にあまりにもストレート過ぎて。
とにかく男にとって「俺の邪魔はするな」「全て俺のコントロールの下に従え」そういうのが男という性の中に盛り込まれた意欲。
人を従えている時に男というのは燃える。
だから何でもそうだが人の悪口を言う時でも仲間を募りたがるという。
ネット社会の中で友人を作りたいと思うと、人の悪口を言って群がりたがる愚かさがあるということ。

例えば男の信念というのは非常に単純で金持ちを目指す。
カネをとにかく貯めたい。
金持ちになったら金持ちの友達はいらない。
とにかくアリスの歌に出てくるが「You're king of kings」「王の中の王」を目指したがるという自己中心的満足というものが男の中にあるのではなかろうか。

チャンピオン



これは三百何十ページの本なので、ずっとそういう男の愚かしさについての報告が様々な例をとりながら。
ここらへんで、もの凄くくたびれた。
だがもうちょっと読み進めてみようと思って。
百ページ目ぐらいから男の孤独に対する解決策へのアイディアが出てくる。
これで読んでしまった。

 男の孤独を和らげられるという希望はあるのかという問いに対する、もう一つのアプローチは、次のような質問を投げかけることだ。即ち、男の脳は単純に異なる配線がされていて孤独とそれを引き起こす傾向が、ハードウェアに埋め込まれているのだろうか。繰り返しになるが、希望はある。こうした傾向は、生まれつき埋め込まれているものではない。(「男はなぜ孤独死するのか」221頁)

視覚的刺激の中でその脳が強い関心、或いは印象を受け、興味深く反応するイメージは何か?
そのイメージの中に孤独を減少させる力がもしやするとあるかも知れない。

調査チームは、イメージを内容に基づいて次の三つのグループに分けた。それらは、エロティックなイメージ、親和的なイメージ−中略−、刺激的なイメージである。−中略−親和的なイメージは、母親が赤ちゃんを世話している姿、刺激的なイメージは、サーフィンでチューブライディングをしている、波しぶきを浴びた人物のクローズアップを映し出すといったものだ。脳は、どのようなイメージを最も強く志向するのだろうか。−中略−脳は、エロティックなイメージと神話的なイメージに対しては、同様に高い反応を示し、刺激的なイメージに対しては、それほど高い反応を示さなかった。(「男はなぜ孤独死するのか」221〜222頁)

(このあたりの番組内の説明は本の内容とは異なる)
自分でも連載をやっている「週刊大衆」という週刊誌があるのだが、これも巻頭グラビアは若い女性の・・・
今は「(週刊)ポスト」でも何でもとりあえず巻頭グラビアは若い女性の裸が多い。
そういう意味ではイメージというのが寂しさを消してくれるという。

観葉植物の世話をすることが、老人ホームの入居者の死亡率低下と関連するという研究を思い起させる。−中略−「ガーデニングにまったく興味のなかった宇宙飛行士たちが、実験用の温室の手入れに長い時間を費やしている」という。(「男はなぜ孤独死するのか」226頁)

自然とつながることは、それだけで孤独感を軽減する効果がある。(「男はなぜ孤独死するのか」229頁)

だから年取って農業をやる方が出るのかと思う水谷譲。
これは生々しくて。
トーマス・ジョイナーさんは国防省から頼まれての自殺の調査をやっておられるのだが

潜水艦の艦長が、乗務員のやる気を引き出し、報酬として使うものの一つに、「潜望鏡使用の自由」がある。それは、潜望鏡を通して、海岸線や星や、雲や鳥を眺めるチャンスだ。(「男はなぜ孤独死するのか」226頁)

これは面白い。

そしてここ。
65歳以上は聞いて。
もう一つ男が孤独を忘れる瞬間。

彼は宇宙ではなく、正しくはブラジルの大自然の中にいる。彼は、他の人々と持続的な接触をしない部族の、最後の生き残りだった。−中略−
 本当に孤立しているにもかかわらず、彼が人間関係を活発に続けているという証拠がある。つまり、彼は、亡くなった先祖たちの霊的な世界と定期的に交信し
(「男はなぜ孤独死するのか」228頁)

だから「死者を胸の中に持つ」というのは孤独を鎮める為の一本道であるかも知れない。
武田先生なんぞもふと考えたらよかった。
胸の中にいつも死者を持っているから。
坂本龍馬。
そうやって考えると「霊との交信」というのは宗教でもあるが、純朴な形で神様はいなくても霊がいると人間というのは寂しさを感じないという。

さんざん男と孤独というものを語ってきた。
この著者の主張、「孤独というのが非常に体とか精神に悪いんだ」という。
それを遺伝子の段階から説くという。
では具体的にどうすればいいのか?
若い人ならともかくも70代以上、65歳以上になると、なかなか孤独との付き合い、孤独をどう避けるかというのは難しい命題になる。
著者がシンプルな方法を提案していて。
水谷譲に笑わないで欲しいが実行した。
この大学教授の結論は何か?
「美味しいものを食べること」ではないかと思う水谷譲。

電話で連絡を取るといったシンプルなこと(「男はなぜ孤独死するのか」236頁)

 毎日、電話をかけるという解決策で問題になるのは、一言で言えば、「誰に電話をするのか」ということだ。ほとんどの場合、「電話をする相手がいない」というのは言い訳として説得力がない。(「男はなぜ孤独死するのか」237頁)

 それに関連した言い訳として、電話口で気まずい瞬間があるかもしれないというものがある。(「男はなぜ孤独死するのか」238頁)

「電話をすれば話題はその時決まるはずです。そして思い出しましょう。あなたはその短い電話で孤独という危険を避けることができるんです」
これを読んで友達に電話をした武田先生。
そこで素直に電話をするのが武田先生のいいところだと思う水谷譲。
これだけは皆さん信じて。
口先だけにならないように、本で学んだことはなるべく実行してみようと思って。
それで二、三のことを話して
福岡の友達だが
「年は取ったけどこんなことやりたい、あんなことやりたい」と言って、いろんなことを話して。
普通の男の人は「何だこんな結論。バカにしやがって」と言って電話をしないのが普通の男の人だと思う水谷譲。
(電話を)した方がいい。
してよかったと思う。
まだ何かの結論は出ていないかも知れないが、それは凄く大事なことのような気がする。
男の感性の中にある非常にまずい感性は「あそこは俺は通り過ぎた」と言って、通り過ぎた山の五合目を八合目ぐらいからバカにするという傾向がある。
「昔、通った道だよ」とかと。
でもそこへ敢えて連絡をしてみるということが大事で。
武田先生の周りにもたくさんの芸能人の友達とかがいる。
フォークソングの仲間とか。
でもやはりみんなどこか寂しそう。
その寂しさはどこから来ているかというと、やはり成功したが故の孤独から来ている。
そんなことを思う。
もの凄く乱暴な言い方をして、「誰」というとまた問題だから言えないが、若い時に一発当たってそれからさっぱり当たらずに、それでも一生懸命まだ頑張っているヤツがいる。
そいつの方が生き生きした顔をしている。
この本の中に書いてあった「とにかく友達に電話をしてごらんよ、友達に。そして君が忘れない一番大事なことはその人に向かって感謝の気持ちを抱くことなんだ。落ち込む、妬む、それから強欲、そういうものを全部排除して、ただ単にあの頃に戻って無邪気に話をするんだ。そうするとね、君の体の中で抵抗力がぐんぐん強くなるんだよ。例えば人間ドックに通う、歯科に行って口の中をチェックする、それと同じように。電話の内容は『もう一回一緒に遊んばないか』って友達を誘うことなんだよ。あの少年の日々に戻る為の一歩だよ。ここでもう一度仲間を求めよう。全ての男達は青春を通り、そして旅へ出た。旅が終わりつつあるなど自分で決めてはいけない。この旅は続くんだ。友達を探しに、さあ、歩きましょう」。
(本には書いていない)

そしてこれはアメリカの調査。

「高校で友人が1人増えるごとに、半年分の教育費に相当する所得が倍増する」
青春時代に8人の友人を増やすことは大学教育全体と同等の価値があり、大学教育は生涯を通じて100万ドルの収入増につながるということだ。収益的に考えれば、友人1人は約15万ドルの追加収入の価値がある。これは、30年間の仕事人生では、友人1人につき、年間5000ドルのボーナスを受け取るのと同じだ。
(「男はなぜ孤独死するのか」〜頁)

凄い数字で1億4千万円(100万ドル)とか並ぶが、現金に換算するところが生々しい。
そしてその友達と再会して何をやるか?
もの凄くシンプル。
火を囲んで食事すること。
人間は火を見ながら食事をすると「分かち合う」という本能がある。
そういえば炉端焼き屋で掴み合いのケンカをしているヤツを見たことがない。
火が燃えていると「何だテメェは!俺が頼んだんだよ!ホッケの開きは!」とかというのはない。


これは面白いというか何というか。
喫煙、或いは飲酒。
一種本能の行動で寂しさを忘れる為。
タバコというのは一人で吸う時も寂しさを消す為。
飲酒もそうで人の話でも聞きながら一杯飲んでいるとホッとする。
ギュウギュウ詰めでも駅前の喫煙所で吸う人がいる。
寂しさが消えた喜び。
「見知らぬ他人と一緒に煙草を吸ってる」というのは一種孤独を癒すというのがある。
お酒に関しては「わ♪今日、誰かとお酒飲むんだ。楽〜しみ〜♪」となるので楽しくてしようがない水谷譲。
これは「トーマスさん無理でしょう」と言いたくなるのだが

孤独は喫煙や肥満のような明らかな災いよりも、さらに強く健康に悪影響を及ぼすのではいかという主張がある。(「男はなぜ孤独死するのか」190頁)

だから「もの凄く辛かったらタバコは吸っていいよ」と。

自分でタバコを栽培して自然とつながることの利点や、他の愛煙家や庭を手入れしている人たちとの会話から得られる利点を含む、いくつかの利点を享受することをお勧めしたい。(「男はなぜ孤独死するのか」289頁)

飲酒の方もそうで、楽しく飲むことに関しては孤独を消し去るという。
繰り返すが「私達は孤独を侮っている。実に危険なものなのだ」という。
日本では年間で6万8千人という孤独死があるが、この孤独死というのも病ゆえの孤独死もあるかも知れないが、中には孤独という害毒にやられて孤独死なさる方がいらっしゃるのではないだろうか?
6万8千人の孤独死の中で自宅で亡くなる方が2万人だそうだ。
その8割が65歳以上。
だから「友達がいない」ということが孤独死を、あるいは自死、自ら自殺するというようなことにもなっていったのではないだろうか?

そしてこの著者は面白いことを言う。
寂しさや悲しみを消す為に友達を探せと言っているのではない。
あなたが悲しむ、あなたが苦しむ、それはまだ未完成なのだ。
あなたの悲しみや苦しみに深く頷く友達がいる。
「わかるよ、お前のは」と言いながら。
その時に悲しみや苦しみが完成する。
苦しみや悲しみを完成させなさい、という。
これは「なるほどなぁ」と思う。

この本はちょっと言い訳だけしておかないといけないが、静けさとか孤独というのが人を哲学的にするという哲学書もいるというのでそういう人も紹介してあるのだが、著者はそういう人達を否定なさっている。
そのいちいちに関しては「(今朝の)三枚おろし」は取り上げていない。
ただ、このトーマス・ジョイナーさんの言葉の中で「いいな」と思ったのは「毎日毎日少しずつでもいいから友達を増やそうという行動をやっていこうよ。そんな努力が年を取ってからも必要なんじゃないかな?」という。
65以上の同性、男性の方は呼びかけるが、やはり「女性の真似をしましょう」。
女の人はやはり、人と人との結び付け方が上手。
男が肩をいからせて「俺の邪魔をするな!」とか「ここは俺の陣地だ!」とかそんなことを言って威張っている時代はもうとっくに終わっている。

ささやかなことなのだが、ちょっと武田先生は打ちっぱなしに行くだけの車の移動なのでバスで行っている。
そこで「女性には勝てないな」と思うが。
武田先生も貰えるのだが、武田先生が住んでいる区では高齢者になるのでバスの無料券を貰える。
それで武田先生は代金を払って乗るのだが、もうことごとく女性はちゃんと無料券を持っている。
それを運転手さんに見せてバスに乗ってくる。
「この人達は凄いな」と思う。
降りる時に必ず運転士さんに向かって「ありがとうございました」と声をかける。
何という美しい習慣でしょう。
彼女達は区にちゃんと税金を払っているから獲得した権利。
しかしその権利を施行する時も〇〇バスの運転士さんに向かって大きい声で「ありがとう〜」と言いながら降りていく。
ああいうのを見ると女性の持っている「人と結ばれてゆく糸の結び方」というのはもう見事だなというふうに思って、「これからは真似せねば」というふうに思ったりする。
最後にではあるが、著者は孤独な男達に励ましの言葉を置いている。
323ページの最後の行に書かれていた一言。

「人々がいなければ、あなたは何者でもない」(「男はなぜ孤独死するのか」323頁)

武田先生もフォークソングを歌っている時に武田先生の友人でつぶやいた一言「鉄っちゃん、あんた不思議な力があるよ」。
あの一言。
武田先生が信じた一言
あいつがいなければ武田先生は何者でもなかった。
来週また、友を求めて「三枚おろし」続けたいと思う。


2024年10月28〜11月8日◆男の唯一無二(前編)

(今回は二冊の本を取り上げているので区別を付ける為にページ数のところに「男はなぜ孤独死するのか」「勇気論」と入れておく)

よくわからないタイトルになってしまった。
「男の唯一無二」
これは、(武田先生が作った資料の量が)これだけある。
ちょっと最近は、お時間があるものだから。
これが果たして皆さんの聞きたいネタかどうかというのはわからないが、この年になってやたらこういうものに惹かれるという年齢になった。
釣り上げた本は何かというとタイトルは「男はなぜ孤独死するのか」。
「男たちの成功の代償」という副題が付いていて(著者は)トーマス・ジョイナーさん、晶文社から出ている。

男はなぜ孤独死するのか 男たちの成功の代償



分厚い。
このジョイナーさんはフロリダ州立大学の心理学者。
専門のテーマは自殺なのだが、この方は頼まれて米国防省の軍人さんの自殺が定年なさった後にもの凄く多い。
このテーマで「男の自殺」というものを心理研究の対象としたいということでトーマス・ジョイナー教授が研究に乗り出した。
(米国防総省が資金を提供した軍隊での自殺率を下げる方法に関するプロジェクトの主任研究員を務めた)
ただ、いろんな知恵というか出来事がなだれ込んでくる本で、支流が多くて途中でもうワケわかんなくなって眠たくなってしまう。
ただ、十ページに数行、ハッとする文章に出会う為、必死になり読み進み、「もうやめようか」と思うとまた十ページ読む頃にいい文章にバッタリ出会うという。
それでやめられず何度も息切れしながら、いつの間にか読了してしまったという。
これは男の後半のいわゆる完成しやすい人生のポイントで、アメリカのたくさんの男達が自殺しているという。
その中で自殺の原因の第一位「孤独」。
孤独がつらくて自殺するという。
その大半の男性が成功者。
自分の人生に於いて、ある程度の成功を収めたものの最晩年に自殺しているという。
ギクッとする。
成功されているのに・・・ということ。
嫌味な言い方になるが「人生の成功者」といえば武田先生もそう。
ラジオのレギュラーをお持ちになって・・・と思う水谷譲。
そんなことを考えると、とても他人事とは思えない。
と、思う時に「男はなぜ、自殺してしまうのか」という。
そこで「男の晩年に於ける自殺」というものを三枚におろしてみようかと。

ズバリ言うと男性は女性に比べて自殺をする率が高い。
男性の方が遥かに女性よりもたくさん自殺している。
なぜ男性はそうなりやすいのかというと、はっきりしているのは晩年、その人は孤独であった。
ではなぜ孤独に陥るのか?
その孤独を避ける道とはあるのかないのか?
それをどうしても自分でも気になった。
晩年の孤独の原因が「人生の成功」。
家族はいらっしゃらない。
それともう一つ、家族の中でも孤独であったという。
このトーマス・ジョイナーさんのテーマの据え方「男の晩年に於ける自殺の研究」なのだが、ジョイナーさんがこんなことを言うからギクッとしてしまう。
この人はお父さんを自殺で亡くしている。

 僕の父が命を絶ったのは彼が56歳の時だった。(「男はなぜ孤独死するのか」175頁)

ジョイナーさんはその朝に機嫌のいい父の顔を見て、夕暮れに死の報告を聞いているという。
(本の内容とは異なる)
家族をみんな幸せにして、お父様は成功者であった。
武田先生はもう人生の晩年、夕暮れを生きて、黄昏を生きているが「男の人生は非常に晩年、孤独に陥りやすい」という、そういうところの観点から生存、生き延びる術を探すという意味合いでお付き合い願えればなぁというふうに思う。

 1991年、10月の太陽がオークランドとバークレーの丘に昇る頃、−中略−火災は数分以内に住宅街に及び、最も激しい時には11秒に一軒の割合で燃え広がり、家の所有者たちは命からがら家から逃げ出すことを余儀なくされた。−中略−
 美術品や宝石を手にする人は、ほとんどいなかったが、多くの人が写真──愛する人々の写真を救い出していた。
(「男はなぜ孤独死するのか」10〜11頁)

人々は避難所に集まってお互いを助け合い、優しさに満ち溢れた言葉を掛け合って再起を誓い合ったという。
大変いい話なのだが。

「火災の体験が世俗的な財産を切り離し、自分の意志を清らかにしようと促しているまさにその時、保険をめぐる現実的な政治が始まり、プライドや欲、罪悪感、その他、思いつく限りの不穏な感情に煽りたてられるのだ」(「男はなぜ孤独死するのか」12頁)

新しい家の窓が上向きに設計されていたため、火事の影響やほかの人の家を見ずに済むという事実が語られていなかった。要は建築によって意図的に作られた絶縁空間だったのだ。−中略−火災は、数週間にわたる励まし合いとともに、その後の貪欲さと卑劣さと対立という気の遠くなるような試練をもたらした。(「男はなぜ孤独死するのか」13頁)

このあたりからこの方の研究が始まるワケで。
今週は少し暗い話題だが何かの人生のお役に立てばと三枚におろす今週。

難しいタイトルを付けてしまったが「男の唯一無二」。
男の人生というのは何となく「唯一無二」「誰にも似ていない一生を送りたい」という。
これは男のどこか理想。
「唯一無二の存在でありたい」という、そういう生き方を目指すワケだが。
この「唯一無二を目指す」というところが、考えてみると当然だが孤独になる。
唯一無二を目指しているワケだから。
男性は年齢と共に孤独を選ぶ傾向にある。
彼等男性は独りぼっちを「人生の戦利品」「戦って手に入れたトロフィー」だというふうに思っている。
仕事でライバル達に勝ち、多くの金銭を手にできた。
そして「いやぁ、あの仕事は彼しかできませんよ」なんていう評判を立てられる技と知恵を持っていた。
それ故に彼は彼しか座れない「ただ一人の椅子」に座ることができた。
それが玉座じゃなくても「俺しか座れない椅子に俺は座ってるんだ」というのは男の唯一無二の証。
ここ。
この「一人しか座れない椅子に座る」ということ自体が独りぼっちを目指しているワケで、それが晩年になって「寂しさ」になって襲ってくる。
その「唯一無二を目指す」というところから男というのは案外晩年で躓きやすい性なのではないだろうか?
彼は男であることにまずは満足している。
男であるからこそ、たった一つの椅子に座れた。
その「男」について考えてみよう。
男はそれほど強い生き物なのか?

「受胎から老齢に至るまでのすべてのライフステージにおいて、男性は女性よりも死亡率が高い」と記されている。−中略−女の子100人に対して、男の子は受胎した125人のうち105人しか生まれてこない。男性の約2割は出産まで至らないのだ。そして、産まれてきた男の子は、女の子に比べ、超低出生体重児や、成長障害症候群がより多く見受けられている。−中略−男性にとっては女性を奪い合う一種の「椅子取りゲーム」のような状況を意味する。−中略−まさに命を賭けた真剣勝負だ。(「男はなぜ孤独死するのか」16頁)

そして耐えなければならない。
ロシアの平均寿命。
2021年、男64歳、女75歳。
僅か二年前は男性が68歳で女性が78歳だった。
死亡年齢が低くなっている。
だから今年ぐらいの男の平均寿命はもっと下がる。
戦争をやっているから。
戦争をやると一発で下がる。
戦場に駆り出されずとも、男の死亡率というのは成人になればなるほど高くなる。
交通事故とか趣味での遊び、それによる事故。
三十代半ばで世界的に女性の数が男よりも多くなる。
つまり男の方はどんどん死んでいなくなってしまうという。
この他の生物を見ればわかるが、男という性は基本的には消耗品。
強そうで弱い。
女性は生存の為に男より強く作られている。

同じレベルの外傷を負った場合でも、女性は男性よりも約14%生存率が高いという。(「男はなぜ孤独死するのか」18頁)

その上に病気が中年から一斉に出てくる。

冠動脈疾患、脳卒中、慢性閉塞性肺疾患、インフルエンザおよび肺炎、糖尿病、HIV、自動車事故、自殺、外傷、肝疾患などがこれに当たる。また、肺がん、大腸がん、咽頭がん、胃がん、膵臓がん、膀胱がん、非ホジキンリンパ腫、白血病など、がんの発生率は女性よりも男性の方が約50%高くなっている。−中略−労働災害による死亡率の90%以上が男性だ。(「男はなぜ孤独死するのか」18〜19頁)

だから男はこれほどのハードさを切り抜けながら生きているワケで。
中年から以降、待っているのが自殺という人生の終わり方。
何と驚くなかれ、アメリカの自殺者4万9449人(2022年の自殺者数)。
約5万人。
アメリカの自殺者の70%が男性。
その70%の殆どが高齢者。
65歳以上ということ。
日本では自殺者は現在のところでは一時期3万人までいったのだが、今は2万人ぐらい。
このうちの半分くらいは高齢者の方。
(男女比は)日本も圧倒的に男性が高い。
この原因が日本でも「孤独」だそうだ。
朝から暗い話だが、この先にそれを避けるべき手段は何か?という、ここまで話を進めるのでしばしお付き合いを。
男は孤独である。
では男はどうやったら、その孤独から避難できるのであろうか?
現代社会というものに目を向けてみましょう。

1800年以降、この2世紀の間に、控えめに見ても国民一人当たりのGDP(国内総生産)が、約2000%上昇している(「男はなぜ孤独死するのか」27頁)

つまり我々は1800年代に生きるよりも2000%豊かになっている。
その割合を重ねても自殺者が増えているという、これはやっぱり謎である、と。
自殺には別の原因があるのではなかろうか?

 僕の答えは、ひとことで言えば、孤独感だ。(「男はなぜ孤独死するのか」20頁)

人間は「一人だ」と思うと死んでしまうという。
今、非常に人々が孤独を感じやすい。
パーソナルメディア、個人が発するネット社会が広がっているワケで。
世界の誰かがつぶやいた言葉が一瞬のうちに世界中に広がる可能性もあるという。
こんな世界を体験するのは人類史では初めて。
ニューヨーク、或いはアイルランドの片隅で誰かがポソッと言ったことがもう全世界、たちまちみんな知っているという。

僕たちがまさにナルシシズムの時代に突入した可能性があることを示している。(「男はなぜ孤独死するのか」30頁)

非常に個人がうぬぼれやすいという。
「〇〇大統領が俺の言うことを聞いてくれない。じゃあ暗殺しよう」
これが平気で成立するという。

今現在、誰もがスターであり、少なくともスターになる資格がある−中略−と主張するのは、ごく自然なことのように思われる。(「男はなぜ孤独死するのか」30頁)

だから容赦もなく、人のことを罵倒できる、ののしれる。
武田先生達芸能人もそうだが、たった一言言い間違えたばかりに、本当に芸能界から消えてしまう。
それで武田先生も管理されている。
武田先生は炎上しやすいタイプ。
武田先生達のような昭和生まれは特に炎上しやすい。
炎上させているのは芸能界では昭和生まれの人が多い。

ここで面白い説を唱える人がいて。
本を乗り換える。
内田樹先生なのだが、くっつけてしまった。

勇気論




この先生が「世間をよく見る為に漫画雑誌を注目してみよう」という。
それも少年漫画雑誌。
その変遷を見てみよう。
内田樹先生の理論
我々、武田先生とか内田先生のように戦後、昭和で大きくなった、その少年達を動かしていた徳目、いわゆる道徳的素晴らしさ、その行動原理、それは何か?

たしかに僕が子どもの頃に、マンガや小説を通じて繰り返し「少年は勇気を持つべし」と刷り込まれてきたことを思い出しました。(「勇気論」21頁)

「鉄腕アトム」「赤胴鈴之助」「鉄人28号」の金田少年、「まぼろし探偵」「紫電改の鷹」「スポーツマン金太郎」。
全部「勇気のある少年」だった。
勇気の次に大事な徳目、行動原理は何か?
「正直」
正直は大事だった。
ジャポーン!と湖に斧を落とした。
「ああ悲しや」というと妖精が出てきて「金の斧か?銀の斧か?」という。
その時に正直に「普通の斧でした」と言わないと金の斧が貰えない。

 勇気が最優先の徳目であった時代に、それに続く徳目は「正直と親切」でした(「勇気論」23頁)

見知らぬ人に親切にする。
例えば「すずめのお宿」。
爺さんがすずめを哀れに思って米粒を与えてあげるという親切。
「傘地蔵」
命無き石仏に雪降る中「寒かろう」と言って傘をかぶせてあげる親切。

「勇気・正直・親切」が求められた。とりあえず、僕が読みふけっていたマンガではそうでした。(「勇気論」23頁)

だからミス発言をする人は勇気がある。
そこでは言ってはいけないことを言ってみる。
それも正直に
でも二心のない。
みんな親切で言っている。
それが変わった。
この武田先生達に少年の守るべき行動原理を教えたのは「少年マガジン」だった。
ところが今は少年雑誌が変わった。

『少年ジャンプ』が作家たちに求めた物語の基本は「友情・努力・勝利」でした。(「勇気論」22頁)

これが行動原理。
見てみるとそう。
全員やはり友情によって結ばれたヒーローばっかり。
「ドラゴンボール」「ワンピース」「スラムダンク」「鬼滅の刃」「ナルト」
全然違う。
「少年ジャンプ」の時代と「少年マガジン」の時代。
物語の主人公達の行動原理が全く違うんだ、と。

『少年探偵団のうた』だって、「ぼくらは少年探偵団 勇気りんりん るりのいろ」から始まります。
 1950年代の少年に求められた資質はまず勇気だったのでした。
(「勇気論」21頁)



ところが「少年ジャンプ」の方は「友情」。
これはもう「鬼滅の刃」でも凄い。
うなりながらも。

でも、友情と勇気は相性が悪いんです。(「勇気論」22頁)

「友情」には友達が必要。
でも「勇気」は一人じゃないと確認できない。
「オマエ一人でもやるのか?」「やる」と言ったところから「勇気」。
それから「少年マガジン」の方は「正直」と「親切」。
「ジャンプ」の方は「努力」と「勝利」。
これも喰い合わせが悪い。

 正直や親切というのはごく個人的なものです。社会的な評価とか達成とかということとはとりあえず無縁です。(「勇気論」23頁)

己に正直である。
他者に「ありがとう」と言って貰う為に親切にするのではない。
親切にするということは自分で自分を認めるという行為だ、と。
それが「ジャンプ」になると「努力」と「勝利」。
これは両方共「査定者」、点数を付ける人がいる。
だからパリのオリンピックの柔道と同じ。
すぐに警告を取ってしまう審判という。
ああいう武道を「他者の目に委ねる」という競技にしてしまったところが、漢字で書く「柔道」とオリンピック種目のローマ字の「JUDO」の違い。
武道の方の「柔道」は他者に自分の評価を託さない。
だから美空ひばりは

勝つと思うな 思えば負けよ
負けてもともと この胸の
(美空ひばり「柔」)

美空ひばり全曲集 柔



「柔道を勝つ為に使ってはいけない」という、そのことを歌謡曲、演歌でも日本人は理解できるのだが、フランスのパリの柔道会場ではそういう柔道の精神は見られない。
勝ったら勝ったで大喜びして相手に対して一礼もしないという。
我々、「少年マガジン」の世代の方はそういうもの。
他者に自分の価値をねだらない。
万来の拍手は必要ない。
自分で納得できるか否か。
だから星飛雄馬も最後の一球を投げた後、たった一人で「次はどの星を目指そう」と言いながら球場を去って行くという。

巨人の星コンプリートBOX Vol.1 [DVD]



「あしたのジョー」も最期は椅子に座ったまま「燃えたよ・・・真っ白に」と言いいながら・・・

あしたのジョー1&2 DVD-BOX【劇場版】



そういう「男一人の孤独を背負う」という。
それが栄光だった。
男は「孤独」でそれが「栄光」。
だから武田先生達戦後世代、「少年マガジン」はひたすら孤独を目指して生きてきた。
ところが時代が進んで、その男の孤独そのものが、絶縁で死に結びついているのではなかろうか?と。
これに対して、もういよいよここにきた。
女性はどうか?
女性は何かというと「友情」「努力」これを絶えず人生の中で結ぶことを知っている。
女の人、女性という性はどうやって人と人を自分が人に結ばれていくか?
そこにもの凄く高い人生の価値を置く。

いろいろな派閥について、誰がどうその派閥に属しているのか、誰が誰の友だちなのか、知っていなくちゃならないのよ」。−中略−女の子たちはそれを実践しているのだ。(「男はなぜ孤独死するのか」38頁)

彼女達は独立性を犠牲にしても関係を重視する。
これはまた怒られてしまうかも知れないが、奥様の長電話を聞く度に・・・
真似できない。
関係を重視して、その関係を懸命に言葉で厚くしていく。
あの女性の持っている本能というのは凄い。
例えば、メジャーリーグを見ていても、選手の奥さん達が隊を作って集まるが、逆のことはあり得ない、女性のスポーツがあって旦那さん達が集まるということは無いと思う水谷譲。
大谷さんとかだってご家族を見てください。
旦那さんは友達がヌートバーが飲み屋に誘っても行かない。
「睡眠が大事」
あの人はもう栄光を目指す人だから孤独。
それに比べて奥さん。
やはりめっちゃあのコミュニティの中で人気者のようだ。
やはり人気者たるべき気配を持っておられる。
ところが男というのは一点を信じてそこに行こうとするという。
大谷は誰を目指しているのか?
それこそ「唯一無二」と思う水谷譲。
唯一無二。
あの犬っころも可愛い。
「犬っころ」と言ったら怒られてしまうが。
男と女というのはそもそもが「生きていく旅の形」が違うというか。
男と女というものを比べながら話した方がずっとわかりやすいのだが、ちょっと男の部分を熱く語りすぎたので。
朝から話題として暗いなと思われた方も多かろうと思うが。
昨日話したとおり「男の生き方」「女の生き方」どうも違うみたいだ、と。
生命力として女の人の方が強い。
男性より長生きだと思う水谷譲。
男女比を付けられて、さんざん男からアゴでこき使われて生きてゆくのだから。
だからやはり無くした分は全部取り返していくという女性の根性というのは凄い。
それは何でかというと、これは多分に武田先生の脚色、盛り付けが入っているが、この作者のトーマス・ジョイナーさん、アメリカの大学教授が言いたいのは、女性はトレッキング、ずっと歩いていく。
男というのは山といったらてっぺんだけ目指す。
その山のてっぺんの頂上の一番高い狭い所に立つのが「山に登った」という記憶になる。
しかも男の人は自分から山に登りたがると思う水谷譲。
しかも一人しか立てない山が好き。
だからペントハウスみたいな高い所に住みたがると思う水谷譲。。
男の人生が寂しくなるのは当たり前。
一人しか立てないところを目指すから。
バカタレ。
「頂上の孤独」ということで、加齢と共に孤独は深くなるというしくみの人生。
ところが女性はトレッキングで山の周りを回っているものだから、ワリと町人とか、すれ違うものだから寂しくない。
気楽で楽しいと思う水谷譲。

父は富と地位にこだわり、すでにそれを手に入れていたが、彼の人生で親友と呼べるのはビジネスパートナーだけで、−中略−20年後、二人がもう友人でもビジネスパートナーでもなくなった時、父は自殺した。(「男はなぜ孤独死するのか」40〜41頁)

それがずっとこの著者は引っかかっているのだろう。
考えてみれば子供の頃から孤独を気に留めないように男は育てられた。
一人になってワンワン泣く子は凄くバカにされる。
だから「男のくせに」というので小さい頃は凄く衝撃的な言葉だった。

紀元前2000年頃のエジプトで書かれた、最初のものとして知られている遺書には、「僕は不幸を背負い、信頼できる友人がいない」と書かれている。(「男はなぜ孤独死するのか」42頁)

つまり彼は孤独。
その孤独こそが己の本質だと思っている。
ときに彼は人々の中で遊んだにしても「群衆の中の孤独」それを英雄の条件と考えてしまう。
「寂しいのは俺が際立っているからだ」「他の男より抜きん出ているから俺は一人で寂しいんだ」という。
これが現代のうぬぼれのナルシストとドッキングして「寂しさの毒」に関して鈍感になっているという。
この作者の「信頼できるな」と思う一言は「孤独は毒だ」と言っている。
「孤独をよいものだと持ち上げるな」と。

孤独を多く経験すると−中略−センサーの調子が悪くなる。攻撃性、怒り、過度なリスクテイクなどの行動を取りがちになり、その結果、さらに孤独になり、−中略−負のスパイラルに陥り、最悪の結末を迎えることになるのだ。(「男はなぜ孤独死するのか」53〜54頁)

「孤独であるのはいいことだ」と思っていたのだが、それが反転すると「何だ。俺は無視されてる」という。
太宰治が言った言葉。
「『選ばれている』と思ったら、捨てられていた」という。
「選ばれた才能」と「捨てられた才能」は似ている。
実は同じこと。
太宰の名言

撰ばれてあることの
恍惚と不安と
太宰治「葉」

「あ、自分は選ばれてるんだ」という、うっとりするようなナルシストたる甘美な感情がある。
でも選ばれている人は他に誰もいない。
「え?これ俺だけ」と思ったら「この恍惚はもしかすると病気かもしんない」という。
複雑。
「もしかしたら本当は俺、選ばれたんじゃなくて捨てられたんじゃないか」と思う、そういう瞬間が人生で来ることがある。
それに警戒してください。
もう一度著者が言ったことを繰り返すと「孤独は毒です」。
この続き、来週のまな板の上で。


2025年04月29日

2025年1月20〜31日◆降りてゆく生き方Part2(後編)

これの続きです。

この向谷地さんの本を読んでいたら「この人のことラジオで喋っていいのかな?」という、そういう思いを。
そうしたら向谷地さんは「いいんじゃ無ぇの」とかと強気で言うものだから。
ご迷惑をかけないように心して語るつもりでいるが。

元大学の教授でありつつ、予備校にて論文試験の講師などもやっておられるという(最首悟氏と)、文化人類学の教授の方で辻信一さんとの対談。
これも知らない人の名前ばっかり続いて申し訳ない。
ザックリした言い方をすると、そういう方がおられてそんな話をなさったという。
その途中でこの最首さんはある重大な殺人犯との交流を語られる。
これは衝撃的。
人間を見る深いまなざし。
ただラジオで語るにはご本人の許可が必要かと思ったという。
しかしその本を編集した人から聞いたら「本に書いてあることなんで」という。
ただ、この最首悟さんというこの方の一種畏怖を感じる。

最首 私は現在八五歳になりまして(二〇二二年)。私が四〇歳のときにダウン症の星子が生まれました。三人上に子がいて(一男二女)、星子はその四番目の三女ということになります。
 現在(二〇二二年)星子は四五歳になるわけです。
(169頁)

(番組では「星子」を「ほしこ」と紹介しているが、本の振り仮名によると「せいこ」)

 当時はダウン症の子は、早死にするという。生きても三〇代とかということだったんですけど。今はもう六〇代まで生きる人も出てきて(169頁)

八歳の頃、白内障の手術が失敗したんですね。−中略−それで星子は全盲ということになって。−中略−
 何もできないというか、物を掴まない、食べるのも食べさせてもらう、そして噛まないで丸のみにするんです。
(169〜170頁)

一九七六年というのは、大変な子どもが本当に多く生まれている年で、四月には乙武君も生まれてるんですね。(170頁)

胎児性の病ということで。
最首さんはその時代、星子さんと生きてこられた。

星子は、頼らなくては行きていけない存在ですよね。鉢植えの草花っていうようなイメージで。やっぱり、水を三日やらないと枯れてしまうようなことで。(171頁)

他の力がいるんですみたいな。そのように頼られている。私たちが頼ってるっていうのは、頼られてることの、別名かと思ったりします。頼るというのと、頼られるという、これは相互関係ですよね。関係っていうのは、一方通行ではないんだ、そういう気もするんです。(172頁)

 将来、よく幼い子どもを持っている人に「将来が楽しみですね」というふうに声をかけるのが挨拶としてありますよね。(172頁)

「私も星子の将来に対しては楽しみでならないんですよ。そういう恩恵をこの子から貰っている」

今日という日と、明日という日はそんなに変わらない。
 じゃあ、未来はないんですかとはっきり言われるとね、そうは考えてないな、というような感じなんですね。
(173頁)

それも立派な将来なのだ、と。
何かそんなことを目指して生きておられるそうだ。

変化はあるんですよ。そりゃあもう、少しの変化だけで本当に嬉しいし。星子は便秘気味でしてね。なるべく薬を使わないっていうことになると、一〇日くらいぶりの排便になります。家中もう臭いんですよ。それが、何とも、母親と私とで、うきうきした気分になって、そういうのが良いですね。(174頁)

「私共はそういう生活をちっとも不幸とは思わない」「この排便の臭いをさせてくれる星子という存在が無ければ私どもの暮らしには喜びはありません」という、そういう方。
誰のものでもない出来事が私を喜ばせている。
その成り行きには人称の主語がない。
また日本語の不思議さ。
「成り行き」の不思議さ。

茶碗が割れた、ガラスが割れたという。それ割っちゃったっていうよりも、割れたっていうんですよね。(177頁)

こういう言い方をして、人影を言葉から消して、そういう流れであるという「成り行き」。
それが星子さんとの間に交わされることの嬉しさがとても幸せだとおっしゃる最首さんだが、その最首さんの身辺に実に不穏な影が忍び寄る。

余談だが不思議な日本語の言い回し。
「居る」という単語。
「そこに居る」という成り行き。

 リビングルームも居間ですしね、居留守を使うとか、居酒屋とかね。その居るっていう落ち着き方というかね、その場にいるっていうことなんだ、みたいな。驚いたのは、西洋語に、居るっていう表現がないっていうんですよ。(178頁)

「居る」というのは不思議な表現。
「そこに座っていた」とかそういう言い方をしないで「居る」という。
これは一種の成り行きで、流れのうちにある行動。
意志でそこにいたのではなくて、そこにいるような運命であったということで「いやぁ〜家に居たよ」、それから「居酒屋にいた」。
「アイツどこに居た?」「居酒屋に居るよ」という。
居る事情、成り行きを持っているという。
それを一瞬のうちに伝える。
哲学用語で言うと「私はそこに存在している」。
不思議な言い方がある。
「仕事は何やってるの」
「あ、学生してます」という。
あれも妙な言い方。

 風が吹くと桶屋が儲かる、そういう辿り方ができないんじゃないかと。−中略−私たち、成り行くというと、ちょっとって枠組みが取れない。(〜頁)

この最首さんのダウン症の娘さんに寄せる思いというのは、能力で人を分けなくなった。
「星子がそこにいる。それだけで幸せなんである」という。
そのことをこの最首さんという老境の大学教授が本にお書きになった。
これが評判を呼んだらしい。
評判を呼んだ最首さんのところに、ある日、手紙が舞い込んだ。
手紙を見て最首さんはびっくりなさる。
これが死刑囚・植松聡から。
事件当時26歳だった植松からの手紙だった。
覚えておられますか?皆さん。
相模原施設19人殺害事件、植松被告に死刑判決 - BBCニュース
やまゆり学園で重症心身の障害者の方45人を殺傷したという。
もう死刑判決は降りているが。
その彼からの手紙だった。
それで何が書いてあったかというと「この国にあって生産能力の全くないものを支援することはできない」。
丁寧な文章で差別の正当性を訴えてきた。
死刑囚・植松は著者と星子さんの関係が嘘に満ちていると手紙で告発してきた。

 一点目は、「奥さんがどんなに苦労してるのか、あんたわかるのか」ということ。−中略−あんたも大学人なら優生思想だろう。それと、星子のような子どもを育てるのは矛盾している。(180頁)

最首 会いに行きました(180頁)

「あの野郎」と言いたくなるが、あの死刑囚・植松聡。
報道キャメラが彼を撮ろうとした時に、車の中で笑い転げていた。

 その印象はどうでした。
最首 輪郭がはっきりしなくて、ぼけていて、この青年が、あれ程のことができるのかと思うような人でしたね。
(180頁)

そこでこの死刑囚と語り合うことになった。
植松は世界を割り切ろうとする。
「世界というのは単純化すべきなんだ。単純な支配、それが世界を動かしてるんだ」

IQ二〇以下は人間じゃない、もう人間扱いしないようにしよう(183頁)

「そういうふうに割り切った方が日本という国をもっと豊かにできるんだ」という。

それで、私は「割り切れないよ」っていうことを言い続ける覚悟というか、そんな簡単に、この命ということで、私たちは、命を生きたりなんかしてない。(183頁)

「自立している命が一つずつ世界にばらまかれているワケではないんだ。両足で立つもの、片足で立つもの、座るもの、うずくまるもの、様々な姿の命がある。弱くてフラフラしているものだってあるよ。そこでその命は誰かに頼る。命はそれ故に成立するんだよ」

「人のあいだ」を人と言う。(185頁)

「二人の間」の君と私であって、「二つの私」ではないという。
凄い。
それを直接本人に言いに行った。
この最首さんは論客で。
「よく考えてみてくれよ。単独としての個人なんていようはずがない。何かこう世界というものはそういう人達でできてるんだ。人間で一番孤独ではないということじゃないか?」と。
ここからこの方は壮絶な討論をこの死刑囚と始める。

最首さんはこの死刑囚と語り合うことになった。
植松は「生産能力の全くないものを支援することはできない」差別の正当性を訴えてきた。
最首さんと植松で往復書簡があったらしいのだが、結果から言うと植松の方が面会しなくなってしまう。
最首さんはいつでも会っていいと思ってらっしゃるのだが。
手紙の方も交換を最初はしていたのだが、植松は逃げ出して、一切返事をくれなくなった。
だから最首さんは定期的に手紙をきちんと書いておられる。
凄まじい、おどろおどろしい事件は「時のかなた」みたいに思ってしまうが、まだ皆さん、世の中であの男と戦っておられる方がいる。
あの男に何べん言ってもわからない。
最首さんのエッセーで中に凄まじいと思うのは、星子が今日は自力で便を出したというその臭いが家の中に残っていることですら最首さんにとっては喜びであったということ。
「汚い」とか「嫌な臭い」。
そうじゃない。
「いい臭い」「悪い臭い」は個人のもの。
そういう個人というものをとても大事に。
この最首さんのおっしゃっている「個人」は「一人」ということではない。
星子さんに支えられて二人が個人になっている。
西洋の思想の中で明治以来日本人がもの凄く苦闘したのがこの「個人」という考え方。
「個人」になる為にいろいろ日本人は必死になって頑張ってきた。
ところが「個人」で頑張ろうと福沢諭吉さんなんかが立ち上がるのだが反乱がおきると薩摩という、藩の人達がまた集まって問題を起こしたり。
その後は長州閥とか言って「閥」が。
今でもある。
卒業した大学の「閥」とかっていうのが法曹界にはある。
政治の世界ではというと、今度個人になるべきはずで投票は個人でやるべきなのだが「〇〇派」という「派」があって、という。
その「派」では学生運動の派閥があって。
ここでは殺し合いもしている。
「〇〇赤軍何とか」とあった。
それから「それはそれ、これはこれ」というので関係を個人にしようとするギャグ。

 そんなの関係ねぇって、コメディアンの小島なんとかさんは、裸で叫ぶ。カラスの勝手でしょとかね(191頁)

関係性で回りを断ち切ろうとする。
そこまでして個人を目指すのだが、なんだか上手くいかない。
それから流行った言葉。
「自己責任」
「自己責任」をわかりやすく説明した「テメェのケツはテメェで拭け」という汚い言い方があるが。
これなんかが「自己責任」で。
でもケツの拭けない人もいる。
もう腹をくくって他人のケツを拭く人がいる。
だったらその意味での自己責任も言葉として日本人には理解できていないワケで。
どうも明治以来、日本は個人というものに関して勘違いしている。
そのまま大きくなっている。
ではその個人とは一体何だろうかという、自信が無くなっているのが今の日本ではなかろうか?
最首さんは「その個人は見つからない」「人間は個人ではありえない。やっぱり人間は人間なんだ」。
「間」
関係の中に生きている、それが人間。
「自分は今、星子から頼られている。だが頼られることによって私は個人として立つことができるから。『おたくの娘さんは人間として扱いませんよ』あなたが言うこっちゃないよ!」という。
最首さんの堂々たる論理。
重症心身障害者の娘に頼られる時、私は頼る娘を頼りにして、私であるという。
植松の方から殆ど最近は面会も謝絶で、刑務所の方から聞くと受け取りを拒否して溜り続けているという。
(本には「死刑囚は、一般人からの手紙を読むことはできない」とある)
もともとは自分から出しているのにと思う水谷譲。
植松という人の正義というのはかくのごとく非常に孤独で。
武田先生も反省文で書いている。
「朝のラジオで喋るつもりだが、しかし、重すぎるのではないだろうか?この放送をどうお聞きになるか?とにかくあなたが孤独ではないことを祈りつつ、私は聞いてくださるあなたを頼りにしております。これは決して『私の正論』とか『私の言いたいこと』ではなくて、聞いてくださるあなたへの放送で」
三枚放送。
この成り行きの中に私個人が成立しているワケで、最首さんの言葉をお借りし、最首さんから学んだ言葉を今聞いてらっしゃる方に語り掛けている。
最首さんもおっしゃっているのだが、武田先生も締めくくりにこの言葉で今日を締めくくろうと思う。

『君あり故に我あり』(189頁)

君あり、故に我あり (講談社学術文庫 1706)



昨日のところで本の方の語りは一応お終いというこで、ここから先はフリートーク。
日記風に書いている。
「2024年10月の物思い」ということで書いていたのだが「10月の4、5、6を費やして浦河べてるの家、べてる文化祭へ行く」と。
帯広を降りて車で二時間、初秋の旅。
道南、襟裳岬の根本の町、浦河へ着く。
数か月ぶり、向谷地さんに会う。
そしてもう馴染みの統合失調症の(早坂)潔さん。
この方とも会う。
ちょっと浦河の原野に食べ物屋さんがあったりして、そこでべてるのスタッフと向谷地さんのところのご家族と。
向谷地の言葉遣いが好きで。
向谷地がソーシャルワーカーとして浦河にやってきて、生活が破綻した方がおられて、それを福祉で救おうとする。
お爺ちゃんがアル中で、お父さんがアル中で、せがれもアル中でという。
三代アル中。
その一家と向谷地が苦闘するのだが、向谷地の使う言葉は「いやぁ〜、あの親子三代には鍛えられました」
「鍛えられました」と発言するところは、この人のいいところ。
こんなふうにして水谷譲にも言ったことがあったか、この話。
べてるの文化祭に出ていた時に、統合失調症の方もいれば精神障害の方もおられて、そういう人達と一緒に混じって舞台の上に立っている時に、精神障害を持っておられる方から「武田さんも自分が精神障害者としてどんな病名を自分に付けますか?」。
べてるの家では自分の精神障害に自分で病名を付けなければいけない。
それで言われたので、遠い昔に、落ち着きのない武田先生を見て、ある人間ドッグのお医者さんが武田先生に病名を付けてくださった。
その名前が「過剰適応症」。
過剰に環境に適応しようとする為に、自分本人の何かを忘れているという。
「過剰適応症」と言ったら周りの精神障害の人達がもの凄く同情してくれる。
「大変ですねぇ」とか何か言われて。
それで武田先生もちょっと自分に自信が無くなって。
周りの方は「武田鉄矢」という目で見ているのか?「この人はテレビに出ている人だ」とかと思う水谷譲。
そういうことは皆さんわかっておられて、その上に「この人にも障害はあるんだ」という目で見てくださる。
そう言われてみると自分に自信が無くなる。
武田先生がが作る歌は変。
「あんたが大将」

あんたが大将



こんなの博多の戯言。
それが歌になると思うところも変と言えば変。
「贈る言葉」なんか泣きじゃくった恋の思い出。

贈る言葉



それを卒業式の歌と勘違いされるような抒情詩に仕上げるワケで。
才能と言えば才能だが、狂気と言えば狂気。
「私はちょっと変なんじゃないか?」
でも「自分は人として完璧なんだ」と思っている人こそ変だ、そんな怪しい人はいないと思う水谷譲。
そういう過剰適応症追及という、せっかく遠い昔、人間ドッグのお医者さんから貰った適応障害なので、自分で研究してみようと思って、今、適応障害の人達の本を読んでいる。
これはまた皆さんに必ずご報告すると思う。
もうちょっと待っていてください。

いよいよ話が長くなったが「べてるの家」で様々なことを学びつつ、東京へ二泊三日の旅を終えて帰ることになったのだが、向谷地さんが凄く気を遣ってくれて、浦河赤十字病院精神科の医長、精神科の長であるところの川村敏明先生に会わせてくれた。
川村先生とは前にも会ったことがあるのだが、この方と武田先生は同じ年。
団塊の世代で。
この川村先生は令和の今も現役。
初めに会った時の印象と殆ど変わらなくて、もう殆どヒグマのような風貌の先生でヒゲボーボー。
自宅近くの広大な庭で何十人もの来客を迎えて、ちょうど講話を、お話をするという会をやっておられた。
武田先生が(川村)先生のところに挨拶に行って「いやぁ〜!武田さ〜ん!」と言いながら手を振ってくれて
「こっちこっち!」と言いながら。
この川村先生は「べてるの家」と共に生きた方。
もちろん病院の先生なのだが。
まぶしい程の人で活き活きとしておられる。
何か知らないが豊かな人。
この人が小さな丸太小屋に武田先生を案内して「ちょっと世間話でもしましょうよ」と言いながらいくつか話をしたのだが。
締めにこの川村先生との会話を皆さんに聞いていただこう。
というワケで「べてるの家」と共に浦河の町での精神障害者の人達の暮らしを支える精神科医の川村先生とお会いして話していて、こういう人は落ち着く。
その時にべてるの文化祭で聞いた話。
UFOがしきりにテレパシーを送ってきて「宇宙に飛び立とう」という。
そのUFOに向かって走り出したものだからみんなで止めて。
そうしたら「べてるの家」だから、もう殆ど全員がUFOに乗ったことがある人で、みんなでミーティングをやって、その「宇宙人の中で免許証持ってないヤツもいるから危ない」とかそういう話になって、自然と流れは「アンタもUFOの免許取った方がいい」ということで川村先生は病院におられて精神科医で。
診断の結果、一週間の入院という。
入院生活をし始めると円盤の声がゆっくり遠ざかっていって、だんだん親和的、つまり向こうも慣れ親しんでくるという。
話す内容も変わってきて。
円盤の宇宙人の方から「いや、アンタやっぱり地球にいた方がいいよ」なんて真逆なことを言われてしまって。
それで症状が落ち着いたところでまた町へ帰ってくる
その時に「はい。免許取る為に入院ね」と言ったのが川村先生。
川村先生にその時の印象を聞いたのだが、やはり川村先生は医者。
武田先生がその人の狂気についてお尋ねすると、川村先生はサラっと「狂気の人も少し気がついている。幻覚や幻聴を見て、現実として狂気を語るんだけども、どこかで『ちょっとおかしい』と思う」。
だからバーっと寄ってたかって「オマエは間違ってる」と言うと狂気が強くなる。
そうすると幻覚と幻聴が生々しくなる。
ところが「そうだそうだ」と言いながらみんなで幻覚と幻聴を盛り上げると、幻覚と幻聴がゆっくりと薄くなってゆくという。
「違う」と言わずに「そうだそうだ」と一緒に乗っかると狂気の方がだんだん「いや、このままじゃまずいな」とか「みんな言ってること変だよ」とかと狂気が狂気に向かって説教し始めるという。
「そういうのを見抜くのが我々の仕事なんですよ」とえおっしゃる。
「私共も狂気を演じるんだ」と川村先生は言う。
つまり狂気の奥底には芸能にもつながるいわゆる「芸術の何か」があるという。
川村先生の近況を聞いたら、日赤でまだやってらっしゃると思う。
医長としての仕事、その局の中の長としての仕事と、それから縛られるのも何だからと言うので独立して医療の町医者を始められた。
そうしたらやはり、いろんな人がたくさん来る。
川村先生の腕がいいのを見込んで。
これが面白い。
誰かドラマにしてくれないか?
最後の仕事で、武田先生に川村先生の役をやらせてくれないか。
何が面白いかというと、人間というものを考える。
それと芸能人はやはりちょっと変じゃないとできない。
個性の塊じゃないきゃいけないし、どこかに狂気もなくちゃいけないし、癖もなくちゃいけないし、平板な人じゃ生きていけないと思う水谷譲。
そういう意味ではそっちの方面でも励まされたような気がした。
その時に最後に川村先生と盛り上がって向谷地さんも目を輝かしていたのだが、日本はこの浦河から先進の精神障害等々の治療が今、どんどん発見されている。
一万人ちょっとの小さな町。
でも世界に通じる町。
これからの「べてるの家」に期待してください。
どういう方が「べてるの家」に入れるのかと思う水谷譲。
やはり本人の決断。
「入れてください」から始まる。
ここに行くと、とにかく考え込む。
いろんな適応障害、精神障害を持った人がこの町に集まってきていて、それをべてるの文化祭で見たのだが、人から心を読まれると悩んでいる人がいる。
この人にとって必要なのは「心の壁」を持つことで、壁を持たないと他人が入ってくるという。
彼女の相談相手に向谷地さんが選んだ人が自閉症の人。
自閉症で引きこもりの青年が、この精神障害を持った女性に対して「どうやったら人との間に壁を作るか」「どうやったら閉じこもることができるか」を教えている。
面白い。
この子に向谷地が「作業は進んでる?」と言うと「はい。だいぶ壁ができるようになりました、彼女も」と言う。
彼はスタッフとして働いてる。
「人との間に壁を作る名人」「引きこもりの達人」という。
こういう発想が抜群で。
「人間というもの」というのが、どのように支え合って、ある意味で言うと硬い言葉で有機的に結びついていくか。
その人間の実験場として「べてるの家」というのは面白くて、チャンスがあったらここからまた川村先生の川村先生診療譚というのは、別個の「(今朝の)三枚おろし」で触れたいと思うのでこうご期待。
(川村敏明氏については2025年2月17〜28日◆治したくないで取り上げた)
「降りてゆく生き方Part2」を締めくくる。
来週はまた別のネタで。


2025年1月20〜31日◆降りてゆく生き方Part2(前編)

これの続きです。

弱さの情報公開?つなぐー



「降りてゆく生き方Part2」ということで、申し訳ない。
これは本当に山ほどネタを仕込んでしまって、たった二泊三日の旅だったが、いい旅を事務所スタッフからさせてもらって、いいネタをたくさんそこで見かけることができた。
「どのへんから話を始めようかなぁ」と思って言うが、昨日ちょこっと起こったことから話す。
とある長い長いバラエティー番組に呼ばれて。
「何時間続くんだ?」というような長さだったのだが、それの収録をしていた。
(2月23日放送のTBS「ベスコングルメ」のことかと思われる)
それで声のいい麒麟の川島(明)さんが番組を回しておられる。
武田先生の使い道など無いのだが、川島君はいい子だから(話を)振る。
それで昭和の思い出話をする。
あんまり詳しくないから、武田先生の話せる範囲内は決まっている。
「101回目のプロポーズ」の前後とか「金八先生」とか、昭和の深い時代に終わった人気番組のこと。
川島さんが振るのだが、振りにもう無理がある。
全然わからない。
テレビゲームの話とかになる。
武田先生は「インベーダーゲーム」で終わっている。
「名古屋撃ち」とかそういうのでもう終わっていて、「〇〇ファンタジー」とかもうわからない。
それを若い人達が盛り上がるという。
そうしたら話が、今もブームが続いているらしいが「たまごっち」になった。
また再燃。
そんなのは全然知らない。
川島さんがよせばいいのに武田先生にたまごっちを振る。
武田先生はやったこともなければ興味も無い。
面白いとも思わない。
金八先生で「たまごっち禁止」という、そういうものを物語の中で扱ったことがある。
そうしたら川島さんが残念そうにあのいい声で「いやぁ武田さんご存じかと思ったけど、ご存じないんだ」とかと言うから「日本人は何でこんな奇妙なものが突然大ブームになるんだろう?」。
これは凄い。
たまごっちだけで二百億、三百億円の経済効果があった。
何で起こっているのか誰もわからないのに大ヒットしているという。
(川島さんが)「日本人て不思議ですよね」とおっしゃるから、日本人はそういう不思議なブームを巻き起こすことがあるというので、思わず「あ、俺らガキん時によくやってた赤土団子っていうのがあった」。
赤土団子を知らない水谷譲。
知るワケがない。
武田先生達は子供の時、小学校低学年の時、何も遊び道具が無い。
それで何をするかといったら、赤土を指でほじって、それをガラス板の上で丸める。
それを金属の玉みたいにテッカテッカにする。
それがパチンコの玉みたいに、もう赤土が金属に見えるぐらい光り始める。
それを「泥団子」と呼んでいた水谷譲。
それでその硬さとか光沢を仲間同士で競い合う。
それで何回も校長先生が朝礼で禁止条例を出す。
赤土が見当たらないから運動場の隅にある子供相撲の土俵の赤土を指でほじって。
運動場の隅に土俵があったのを不思議に思う水谷譲。
昔は相撲文化だから、それを指でほじる。
ところが全校生徒千人近くいるワケで、男の子は全員毎日ほじるものだから、土俵にボコッと横穴が空いてしまって、もう校長先生が烈火のごとく怒っているのだがやめない。
それから「ギンナン笛」。
校門の横にギンナンの木が立っていて実が落ちる。
その実のアレを取って、あのタネで笛を作る。
ところがそれをやると子供だからギンナンに負けてしまって発疹だらけになる。
そうしたら低学年の子は全員ブツブツ。
「やめろ」というのだがやめない。
いったん流行り出すとやり続ける。
これが「降りてゆく生き方」にどうつなげていくかわからないのだが。

LGBTの方がレインボー運動をやっておられる。
今、アメリカなんか凄い。
トランプさんが大統領になるが、あの中で、またLGBT嫌いな人が一人いる。
あれはまた揉める。
だが日本は意外とみんな許容している。
多様性は認めている国だと思う水谷譲。
それが考えてみたら文化の中にある。
歌舞伎はやっぱり女形が芸のうちになるし、宝塚は女性が男性を演じるところに美しさがある。
こういう「ジェンダーを入れ替える」というのは、平安の昔からあった。
「とりかへばや物語」というのが源氏物語と同じぐらいの時期に物語としてあって、男の子を女の子に、女の子を男の子にして育てるという物語が平安時代にある。

とりかへばや物語 ビギナーズ・クラシックス 日本の古典 (角川ソフィア文庫)



そういう文化の中で、異国のLGBT問題と日本は少し違うんじゃないか?という。
「日本という国が独特の文化を持っている」というところから「降りてゆく生き方」「べてる」のあり方みたいなものを探ってゆこうと思う今週。

「降りてゆく生き方Part2」ということで北海道・襟裳岬の根本の町「べてるの家」。
ここに向谷地さん。
武田先生と同世代の方がいらっしゃる。
その方が教えてくれた「べてるの家」の活動みたいなもの。
これがなかなか武田先生の後半の人生にとって非常に深い意味を持っているような気がして。
「そのへんを語ってみたいなぁ」と。
「降りてゆく生き方」は素敵な言葉。
これは60(歳)の頃出会った言葉だったが「なるほど」と思った。
この「降りてゆく生き方」は多分、向谷地さんが作った言葉ではないか?
違ったらごめんね向谷地さん。

パウル・ティリッヒ(アメリカの神学者・思想家)があります。『存在への勇気』という非常に難解な本でしたけれども、そこから私が得たものは、ティリッヒの「人生曲線」だったんですね。−中略−今を生きる高さから、私たちは毎日、死ぬという低さに向かって降りている、という考え方を教えられるわけですね。ここから私の中で「降りていく生き方」というキーワードが与えられ(212〜213頁)

それを生きているうちに模索しようではないか。
それから向谷地さんは読書傾向が似ていて

V・フランクルの本を示されるわけです。名著と呼ばれる『夜と霧』−中略−このフランクルの「ホモ・パティエンス」の考え方もそうですね。まさに人間は「苦悩する存在」であるということですね。この「苦悩」を人間存在の根本的なものとして捉えた。(213頁)

ものごとを「楽」とか「安らぎ」で解こうとするから、ものごとはどんどん絡まってくる。
全ての解決を苦労で解いてゆく、そういう生き方をすることだ。
「毎日みんなで苦労しようぜ」という。
そう覚悟したら人生は違ったものになる。
この言葉に向谷地という人は惹かれたらしい。
だから苦悩が義務であるから、毎日苦労してしているかどうかが問題なんだ、と。
強靭な意志。
それでこの方は社会の福祉に尽くす福祉人として精神病を患っている人と暮らしを共にする。
「精神障害の人達を病院に閉じ込めないで町に出て労働する、そこに解決策を見出そうぜ」という。

「社会復帰」っていう切り口からでなくて「社会進出」の発想でチャレンジする。(216頁)

精神的に障害を持った人が社会に進出していく、そういう生き方を探ろうということで小さな小さな浦河の町で地元産の昆布の商品化とか板金工、或いはパン屋さんをやったり、それからいわゆる道路補修等々の公益の事業に就いたりして一緒に苦労したという。

風呂に行くのを節約して早坂潔さんと雨の中で風呂代わりに体を洗って(209頁)

「苦労」への参画ということです。(216頁)

もう「今日も苦労。明日も苦労しようね」と言いながら苦労に参加していくと、次々新しい発見がある。
ここから向谷地さんは絶妙のことを言う。
何かというと精神障害を抱えたその人達が、毎日苦労するということを体験しているうちに幻聴や幻覚が質的に変化する。

私達が機嫌良くなると、幻聴さんも機嫌が良くなる。私達が仲良くなると、この幻覚も私達に対して親和的なものになるということが徐々に分かってきたんです。(216頁)

つまり幻覚や幻聴、特に幻聴が強い人が「オマエなど死ね」という言葉がどこからか聞こえてくるという幻聴に苦しんでいる。
それがここで毎日の苦労を覚悟して日々、肉体を使って働くと「頑張ろうよ」と言い出す。
つまり幻聴も変化する、という。
幻覚も変化していく。
この時に起こった事件が「空飛ぶ円盤で誘いに来た宇宙人」が、あの例の話。
みんなで語り合って、宇宙に連れていかない為にはどうするか?
そうしたら彼を入院させて、それで出てきたら幻聴が遠のいた。
あれからも、宇宙人からのテレパシーで幻聴があったそうだ。
そうしたら内容が変わってしまって、宇宙人の幻聴が「なるべく地球に残った方がいいよ」と言い出した。
これは向谷地は「もしかしたら大変なことが実は起こってんのかも知んない」という。
それで彼はソーシャルワーカーとして頑張るのだが。

精神障害を持っておられる方、症状としてよくあるのが「幻聴」幻の声が聞こえる、
或いは「幻覚」神が目の前に出てくるとか、そういうことがある。
ところが向谷地さんはキリスト教徒なので、聖書なんかよく読んでらっしゃる。
その向谷地さんが気が付いた。
「そういえば幻覚・幻聴っていうのはキリスト教の中では聖書に書いてあるな」
有名な話がある。
熱心なユダヤ教徒であるパウロ。
彼は新興のキリスト教徒を激しく憎んで捕えては次々と処刑するという「キリスト教迫害者」だった。
ある日のこと、急に視力を失って気が付いたらキリストの声が聞こえた。
「パウロ、パウロよ、なぜわたしを迫害するのか」とキリストが責めたという。
(この時点ではパウロの名前は「サウロ」)
それからパウロは目からうろこが落ちたような状態になり自らキリスト教徒になったという。
それから、武田先生はこの話が大好き。
アピアン街道の話。
これはペテロ。
キリストが処刑されるのを見届け、それから熱心にキリストを神の子だと信じるようになったペテロ。
だんだんお爺ちゃんになってしまって。
その頃キリスト教徒も増えたのだが、ネロという恐ろしい皇帝様がローマ帝国の長になられると、キリスト教徒を遊び半分で殺す。
恐ろしくなったペテロは、命が惜しくて逃げる。
ローマからギリシャ方面に逃げようとしたのか。
そこでアピアン街道というところを走って逃げていた。
そうしたら向こう側からパンツ一枚で危険なローマに向かって走る若者を見る。
彼は急いでいる。
よく見たら何のことはない、若い時お別れしたイエス・キリスト。
それで彼はその若者、あの死んでしまったイエスに向かって声をかける「Quo vadis, Domine?」「主、汝いずこへ行きたまう」「イエスはどこへ行かれるんですか」。
そうしたらイエスが怒った目で、キッ!と睨んだのだろう。
「オマエはまた裏切るの?」という。
「最期の晩餐の時もそうだったじゃん。アンタ裏切って逃げたでしょ?私がよみがえって永遠の命を見せたのに今度またアンタ命惜しさに。何べん言ったらわかるの」みたいな、イエスは厳しい目つきだったのだろう。
そこでナヨナヨナヨと倒れたペテロは「申し訳ない。ちゃんと死にますから許して」と言いながらローマに取って返して十字架にかかるのだが、普通にかかったら、ご主人のイエス様に申し訳ないので「私を逆さにして磔にしてください」ということで磔のさかさまで死んでいったという。
そのペテロの逆さ吊りの十字架の跡に立ったのがセント・ピエトロ寺院(サン・ピエトロ大聖堂)。
でもこれはいずれにしてもパウロ、そしてペテロも怒りの声。
神様からの怒りの声。
これを幻覚・幻聴で聞いてしまう。
「べてるの家」の精神障害の人達は仲間と共に頑張ると幻覚・幻聴が明るく変わってくるという。
水谷譲に一回言ったことがある。
2024年7月8〜19日◆老害2024年8月19〜30日◆ヒト、犬に会うで遅刻する夢の話が出た)
幻覚・幻聴、或いは悪夢の傾向があるという。
武田先生があの時言った。
「遅れる」という夢を見る。
今でもしょっちゅう見る水谷譲。
武田先生も今だ、遅れる(夢を見ることが)めっちゃ多い。
試験会場に遅れる、国際線に乗り遅れる、新幹線に乗り遅れる、どんどん遅れてゆくという。
「生放送に遅れる」というのをしょっちゅう見る水谷譲。
自分の内側に眠っている狂気に向かって聞いてみた。
「何で俺はこんなに遅れる夢ばっかり見るんだろう?」
そうしたら気が付いたのだが、日本人の文化の中、物語の中に「遅れる」ということがいっぱいある。
宮本武蔵と佐々木小次郎。
巌流島の決闘で武蔵はわざと遅れてゆく。
それから堀部安兵衛の決闘高田馬場では自分が遅れるという。
それで自分の親戚のおじさんか何かが切り殺されてしまうので、堀部安兵衛がもの凄い勢いで高田馬場まで走って行った。
走ってゆくといえば何回も話が出ているが、太宰治の「走れメロス」も約束を守る為に遅れを取り返そうとするとか。
昭和の戦前のことだが、国際社会に対してだんだん不満を持った日本。
それが非常に焦ってきて、ヨーロッパと肩を並べられない自分達、我が国日本に対して「バスに乗り遅れるな」。
それからミッドウェー海戦では爆弾を入れ替えようとした時の「あと五分で出撃できます」。
その隙に飛行機が攻めてきた。
日本では間に合うか間に合わないか、これが大事な・・・
この「遅れる」という恐怖感。
これが日本人の体の奥に宿っているのではなかろうかと。
ただ一瞬だけ奇怪なことがあった。
武田先生は、この向谷地さんの本を読んでいて、遅れる夢を見た。
その時に「何で遅れる夢ばっか俺見るんだろう?」と夢に訊いた。
そうしたら、それから何か月間か遅れる夢を見なくなった。
「また遅れる夢か」
そうしたら向こうが「見抜かれるぞ」みたいな。
そうしたら何か月間か見なかった。
だいたい夢の中で遅れそうで慌て始めたら「夢かも」というふうに自分で疑ってみるという。
このあたり、人間の奥の奥にある何事か。
これは恐らく民族的な遺伝子ではないだろうか。
だって「キリスト教の神と出会った」というのはアメリカの人達に影響を与えている。
マイケル・ジャクソンが亡くなった時に、凄い言葉だなと思ったのだが「王がいない国の人達は神の真似をしたがる」と。
どこかの心理学者(の言葉)だと思うのだが。
王様がいる国というのは、狂気の人は王様の真似をする。
それで、王様がいない国は神様の真似をしたがる。
だからキリストの真似をして死にたがる傾向を持つとか。
そういえばアメリカの凄いアイドル、ジェームズ・ディーンとかも若くして死す。
マイケル・ジャクソンも。
あれは神様の真似をしたがったのではないか、という。
そういう例え方が凄く面白くて。
この日本人の「遅れることへの恐怖感」というのは、どこから来ているんだろうか?と本当に真剣に考えたことがあった。
今も考えている。
これはやはり稲作を中心とした社会。
季節に間に合わないと、完璧に遅れる。
人が田植えを始めたら自分も田植えを始めないと、乗り遅れると、真夏がやってくると雨が降らないという時期がくるワケで、そういう意味では「遅れる」ということが死につながる。
なんせこの国は桜が咲いたら新聞のトップだから。
「花が咲く」ということがトップニュースになるというのは、こんな国はない。
咲かなければ咲かないでそれもトップニュースになると思う水谷譲。
それは天気にしてみれば「暑い時だってあるよ」「ちょっと俺が遅れたぐらいで『遅れたろ?』」という。
何かそういう「遅れること」に対する恐怖心というのが、自然とか天然・自然の災害とか、そういうものによってしつけられている。
集団の足並みを乱すことへの罪意識。
他の民族と違ってもの凄く日本人は重大な罪として。
電車が二分ぐらい遅れただけで「大変申し訳ありません」という放送が流れたりすると思う水谷譲。
東京駅でよく見かける風景だが、新幹線が時間通り発車しているのを時計と発車のパネルを撮って出ていく新幹線と三つキャメラにおさめている人がいる。
だから九時発の新幹線が九時に出ているというのは彼らにとっては異常なこと。
武田先生はそういう意味で「遅れる」ということに対する社会の問題化というのが日本人の心の中には相当深くあるようで、一種狂気として「遅れることへの怯え」があるのではないだろうか?と。
子供の頃から「時間は必ず守れ」と言われたと思う水谷譲。
10分以上遅れたらぼろくそに言われた。
こういうふうにして自分の狂気をジーッと見つめていると民族全体の遺伝子の流れみたいなものを感じて仕方がない。
そうなってくると向谷地さんとどう結びつくのか?という。

向谷地さんに戻ろうと思うが、この人の話を聞くといつも感動してしまう。
この方は25年間、「べてるの家」の体験で20万件の精神障害の人達と語り合ったという。
彼は「べてるの家」の実践から狂気への取り組み方を会得している。
これはこの人のおっしゃっていることだが、その人が持っている狂気に関して、研究する時に最も大切なのは「対話型」「語り合うことだ」という。
障害者と治療者、お医者さんと患者さん。
上下を付けないで語り合う。
なぜその幻聴はきたのか?
その幻覚はどうやったら出現するのか?
そういうことを徹底的に語り合う。
「そうするとだんだん正体がわかってきますよ」ということ。
向谷地さんの言葉遣いの面白いところは、精神障害がワリと重篤で治療困難という方がおられると、向谷地さんは武田先生の前でも使ったが「この人は手ごわかったんですよ」と。
「手ごわい」という。
それからさんざん迷惑をかけられた精神障害の人に対しては「いやぁ〜勉強させられました」と言う。
この向谷地というのはいい人。
とにかく徹底的に語り合う。
それで裏の裏を見抜くという。

統合失調症を持つAさんを紹介します。−中略−安全保障問題から政治情勢まで、機関銃のように話題が口から出てくるんですね。例えば病棟の看護師長さん今度は知事になるとか、自分は自民党の政調会長になるとかそんな話を延々とするわけですね。(225頁)

これは武田先生ではない。
向谷地さんの本の中で書いていた一言だが、精神障害の人と付き合ってるとわかるが、そういう人達が政治を語るっていうのは病気が酷くなっている時。
これはちょっとごめんなさいね。
国会の為に頑張って働いてらっしゃる方を決して軽蔑してるのではない。
前にお話しした神様との契約をしてるというその人と、政治を語る裏側に何があるのかと思って向谷地はずっと探索していくと彼の神様がいた。
2024年11月25〜12月6日◆人生、待っていたのはに出て来た話)

神様からのテレパシーで送られてくる命令の内容が、何と一四種類あって、その中に、「新聞を読むな」「テレビを見るな」なんと「部屋から出るな」っていうテレパシーもあるんですね。ちゃんと神様のテレパシーを守ってるんですね。−中略−私はそれを聞いて言いました。「神様もいろいろいるけどあなたのその神様ひどいじゃないですか、その神様に苦情を申し立てたい」っていうふうに言いましたら、「Aさんはそれはやめてくれ」という事で、私は「ぜひ神様に嘆願書を出しませんか」とスタッフの人に言ったら、看護師さんはそれはいいねって言ってくれて、看護師さん達は見事な嘆願書を作ってくれました。それで署名欄まで作ってくれて、スタッフの方たちや入院患者さんの一部の方たちも含めて四〇人以上の人が署名してくれて、Aさんにそれを見せたんです。これを絶対神様に届けようねって言ったらものすごく喜んでくれました。
 すると、不思議なことに、あっという間に縛りが一四から五つにまで減りました。私は五つの縛りの中身がちょっと気になりまして、
−中略−「あんまり看護師さんの胸を見るな」なんて声がちゃんとあると言って大笑いしたことがあります。(225〜226頁)

これを向谷地は「狂気を共有すると狂気の方もこっち側を見ている」という。
これでアジア圏から注目する人がいる。

メールをいただき私はべてるのスタッフ、メンバーとアジアの最貧国のバングラディシュへの「家庭訪問」を決行しました。
 檻の中で家畜同然のように暮らす女性と鎖につながれている女の子の家に家庭訪問をしました。
−中略−五年ぶりに檻から出ていただきました。しかし、シラミのために髪の毛はバリカンで丸坊主にせざるを得ませんでした。庭に出た彼女は何かに怒ってまして、私は挨拶した途端に回し蹴りとパンチをくらいました。−中略−私は一緒に彼女と塀の外へ出ました。−中略−一緒にリキシャに乗ってですね、町を一緒に散策しました。(233〜234頁)

特に鎖につながれていた女の子は何かに恐怖していると思いました。−中略−次の日、地域の会館を借りて一緒に当事者研究をしました。彼女はかぼちゃのおばけに苦しんでいたことがわかりました。−中略−彼女にとって必要だったのはですね、一緒に苦労について対話できる仲間だったんですね。私たちはこれからもアジアの精神保健福祉の現状を変えるためにアクションを続けたいと思っています。(234頁)

(番組では話を混ぜてしまっているが、向谷地氏に暴力をふるった人とかぼちゃのおばけに悩まされている人とは異なる)
この向谷地が語る狂気への向き合い方、これを知れば知るほどこの人は本当に偉大な人だと思うし、精神障害の人達のことも知れば知るほど狂気というものが格別の障害になるとは思えなくなる。
政治、宗教、思想、恋愛、芸能、そういうものにみんな狂気の片鱗がある。
それでちょっと面白いことを考えた。
武田先生の中にもそれ(狂気)はあるなと考えて、「心身症」とか呼ばれるヤツの人の本を読んでいたら、武田先生はピッタリ。
それはまた別に話す。
つまり精神にある「バイアス」「歪みとか傾きを持つ」というのは意外と人間、あるのではなかろうかと思った次第。
来週だが、もの凄く大きい問題に突入していく。


2025年04月28日

2024年11月11〜22日◆降りてゆく生き方Part1(後編)

これの続きです。

依存症をどうやって治すか?
精神科医の先生の論文を元にしてお話をしている。
(本によると論文ではなく「SHIGETAの学校での講演」)
論文の書き手、松本俊彦先生という方。
精神医療の方。
この方が依存症を治すという。
「依存」が付くものは全部、治療の対象となりうる。
薬物依存、アルコール依存、ギャンブル依存。
それから水谷譲が思いついてくれたがセックス依存症。
その「依存症」というのは精神のどこから来てるんだ?という。
この松本先生が紹介なさったネズミの実験というのがあって、このネズミの実験というのが驚きで。

 オスメス同数のネズミ、三二匹、トータル三二匹ですね。それを用意します。そしてその三二匹をランダムに二つのグループに分けます。一つ目のグループは、一匹ずつ檻の中に閉じ込めます。−中略−エサや水は決められた時間に決められた量しか与えられません。−中略−
 それからもう一方のグループは、一六匹まとめて一箇所に集めました。ネズミたちのために作った人工的な楽園に置いたんです。
−中略−広々とした場所です。そして床にはおがくずが敷かれていて、ふかふかしてとてもあったかいです。エサや水は欲しいときに欲しいだけ摂取することができます。そしていろんなガラクタが置いてあります。このガラクタで遊んだりじゃれあったり、いろんなことをします。−中略−ネズミたちはあっという間に恋に落ちます。−中略−恋におちるやいなや交尾を始めます。(101〜102頁)

これが毎日繰り広げられて、
面白いものでメスに気に入られる為に、オスは空いた時間はクルクルクルクル回るヤツで足腰鍛えているという。
メスはメスでオスとの恋を楽しむという。
グループAの16匹は体はたいして動かせない。
うずくまり、ただ水とエサの時間を待つだけという日々を過ごすという。

 この二つのグループ−中略−のネズミに二つの飲み物を与えます。一つは普通の水です。もう一つはモルヒネ入りの水です。(102〜103頁)

この二つの飲み物を、二つのグループのネズミたちに与えて、五七日間観察します。−中略−どちらのグループのネズミのほうが、このモルヒネ水を好むネズミの数が多いか? こういう実験です。−中略−実際の結果は、圧倒的に一匹ずつ檻に入れられたネズミでした。この檻に入れられたネズミ一六匹中一六匹が普通の水よりもモルヒネ水を好みました。しかもモルヒネ水の消費量は、この実験中どんどん増えていきました。(103頁)

(番組ではモルヒネの濃度を濃くしたように説明しているが、濃度は一定で消費量が変わったようだ)

 一方、楽園に置かれたネズミたちは−中略− こんな状態でモルヒネ水を摂取したら、ラリッてしまって足腰が立たずに、乱交パーティの相手が見つからない、モテ度が下がってしまう。そのことを危惧したのかもしれません。一匹だけモルヒネに対して嗜好を示すネズミはいました。しかしながら、檻の中のネズミに比べると、モルヒネの消費量は二〇分の一以下だったことがわかっています。(103〜104頁)

かくのごとく57日間でもAとBを比べると、もの凄い差が出る。
つまり依存症とはこういうことなのである。

薬物を摂取すると、以前からずっと悩んでいた、痛みや悩みが一時的に消えるんです。苦痛が緩和されること、これが報酬となるってことなんです。(104頁)

大事なことは「快感」を求めているのではない。
痛みの和らぐことを求めて「依存している」という自分を積み重ねてゆく。
だから依存症というのは、努力しないと依存症になれない。
これは武田先生はハッとしたのだが松本先生は凄いことを言う。
依存症の本質、依存症が求めているのは快感ではない。
苦しみや痛み、これを緩和するところに喜びがある。
一番大事なことは苦痛を完全に消すことは困ることで、緩和されるということが快感なのである。
だから苦痛を大事にとっているんだ、と。

 快感だったら飽きるかもしれません。しかし、以前からずっと悩んでいた苦痛がいっとき和らぐ。これは飽きないと思います。(104頁)

だから「苦しい」が終わらないように、「苦しい」を感じない時間があってまた苦しくなるということが依存症の一番大事なところで。
変な男で失敗してもまた同じ男に行ってしまうようなものかと思う水谷譲。
フロイトが言っていた。
3回、4回結婚しても女房がだいたい似たタイプという男がいる。
誰かが四度目の結婚式場に出て小さい声で「あの野郎、雪道に迷いやがった」と言っている。
グルグルグルグル同じところを回っているというのがいる。
芸能人の中。
(名前を出したいが)我慢する。
言ってはいけない。

ここから依存症は奥につっこんでいきましょう。

実は依存症というのは、「安心して人に依存できない病」だという気がするんです。(109頁)

薬物であろうとドラッグであろうとギャンブルであろうと、女性依存、或いはセックス依存というような依存症というのは「安心して人に頼れない私」。
「そこから始まるんだ」というと「あの依存症の人もそんな顔、してたなぁ」という気になってくる。
この「依存」の反対語は何かというと「自立」。
「自立」とは何かというと自分で根を張って生きているということで、植物に例えると、四方に根を持つ。
例えば桜とかそういうもの。
では依存症の植物は何かというとツル。
誰かに巻き付いている。
その人の脇で巻き付いて生きていくというような性格、或いはキャラクターの人が依存症になりやすいようだ。

初めて依存症の専門外来にやってきた方たち、治療開始から三か月後にも治療を続けている人がどのくらいいるのかを調べてみました。なんと七割が治療を中断していました−中略−この三割の方に聞きました。−中略−この三か月間に一回でも覚せい剤を使った? 聞いてみると、なんと九六パーセントが一回も使ってないんですよ。(111頁)

その三割の人に「なぜ頑張れたのか」と聞くと「三か月もやめているということを誰かに自慢したかった」という。
その「誰か」がお医者さん。
「アンタ三か月辞めたのか!」とそういう喜びを分かち合える人がいると、その笑顔に会う為に我慢できる。
(番組では三割の人は医者から褒めてもらえることで覚せい剤をやめられているというような話になっているが、本ではやめることができている三割の人が自慢をしに病院に来ているだけという内容)
とにかくこの松本さんというお医者さんがおっしゃっている。
これはちょっと乱暴な言い方。
でも皆さん、検討しましょう。

 安心してシャブを使いながら参加できるプログラム。(113頁)

こういうのをプログラム診療所といって、様子を見ながら治療していくという。
どんなことでも急に「やめろ」と言われたら苦しいと思う水谷譲。
武田先生もタバコをやめてしまった。
三箱吸っていたのに。
(やめた理由は)病院の入院生活が忙しくて。
心臓病の手術をやって入院していた。
それでも頑張って吸いに行っていた。
病院を抜け出して近くの児童公園の滑り台の下で。
そこは他の患者さんもいっぱい隠れて吸いに来ている。
糖尿病の人とか。
その中には、ちょっと反社の人とかもいる。
だから何分待ったら吸えるのかが読めない。
それから競馬のノミ屋さんとか、電話で連絡している。
並んだ並木道の陰に隠れて彼らが去るのを待つのだが、あの人達は話好きが多いから話が長い。
反社の人とノミ屋さんが独占している。
それでだんだん行くのが面倒臭くなって。
ある日ハッと気づくと「あれ?俺いけ無ぇ!タバコ吸うの忘れてた」と思って。
それで手術したばかりの痛い腹を押さえながらまたブランコのところに行ったら、反社の人がまたいる。
「退院が間近だ」とお話になっていて。
本当に「早く退院してくれ」と思った
そうしたら武田先生の方が退院が早くて。
「やめた!雨も降ってるし今日行か無ぇ」と思った雨の日が三日、四日続くと(タバコを吸うことを)すっかり忘れてしまって。
だから禁煙なんていう思いがない。
「タバコを吸うのを忘れちゃった」という日々が十数年続いているという。
助かった。
それからやはりお医者さん(の存在)がデカかった。
手術直前に「武田さん、あの、ざっとでいいですけどタバコ何か月前におやめになりました?」
その時にいい先生だったもので「え?タバコですか?昨日やめました」とはっきり嘘とわかる顔で言った。
その人が悲しそうに下を向いて「そうですか・・・」。
それが結構残像で強かった。
奥様からあんなに厳しく言われても、奥様には悪いのだが、武田先生にタバコを止めさせたのはあの反社のウエットスーツ(スウェットスーツのことか?)を着てらっしゃる方とか、競馬のノミ屋さんをやっておられて借金の取り立てをやっておられる方、そしてあの真面目な心臓外科医の〇〇先生、この三人のお陰でタバコが辞められたという。
よかった。
いい人に会った。
本当に反社感激!
それは「感謝(感激)」だと思う水谷譲。

先ほど示したネズミさんの実験を紹介したいことがあります。五七日間檻の中でモルヒネ漬けになって、すっかり薬物依存になってしまったネズミさんを、一匹だけ楽園のほうに移します。−中略−数日経つと完全に乱交パーティグループのレギュラーメンバーになって、みんなと一生に乱交しています。そのころから、このネズミに大きな変化が出るんですよ。それまでモルヒネ水を吸っていたネズミは、他のグループのメンバーの真似をして、普通の水を飲むようになるんです。−中略−急ににモルヒネをやめるので、激しい禁断症状が出てきます。水を吸いながら痙攣発作を起こしています。でも、二、三日我慢するとその禁断症状もとれで、三日目以降は、どのネズミが元々檻の中にいた薬物依存症ネズミか、もはや区別がつかなくなっています。(115〜116頁)

だから取り囲むというのは大事。
松本さんというこのお医者さんはいいことをおっしゃっている。
なんでもいろんな目で考えてみましょう。

アディクション、これは酒や薬に溺れた状態、あるいは依存症を意味する言葉です。じゃあアディクションの反対はなに?(116頁)

 アディクションの反対はコネクションですよね。−中略−酒や薬は止まらなくてもまずは繋がることです。(116頁)

日本語だと「依存・自立」だが英語は「繋がり」「コネクション」。
ということは依存症というのは繋がりに弱い。
仲間がいて、その繋がりができれば依存は治まる。
だから著者は言う。
「覚せい剤やめますか。それとも人間やめますか。」とか「ダメ。ゼッタイ。」とか。
こういう標語は役に立たないんだという。
考える。

この「ダメ。ゼッタイ。」は、国連が出した Yes to Life, No to Drug の和訳なんですよ。−中略−半分訳し残してるからまず間違いなくバツですよね。(120頁)

「Yes to Life」、これが無いんだという。
では「Yes to Life, No to Drug」、これを何と武田先生だったら訳すか?
「おいで人生、さよならドラッグ」
そういうふうな訳の方がいいんじゃないだろうかと。
「Yes to Life」、こっちの方を大事にしないとダメなんだという。
だから松本さんという方は面白いことを考える。

「人間は薬物を使う生き物ですから」と答えています。−中略−ケシの花からアヘンを抽出するだけではなく、ヘロインまで作りました。でもその一方で、アオカビからペニシリンを作り、それから柳の木の樹皮からアスピリンを作った。−中略−人間は薬物を使う生き物です。(121頁)

トータルで一番害が大きい薬物はなにか、ダントツでアルコールなんです。(123頁)

お医者さんだからそうおっしゃる。
宗教の中でもアルコールに関して非常に厳しい宗教がある。

こんな薬物がコンビニで売っています。(124頁)

それなのに覚せい剤に関してはいかにも暗く暗く考えてしまうという。
「言っときますけどね、コロナと同じですよ」と松本さんはおっしゃる。

薬物問題と感染症の問題ってすごく共通点があるなと思います。(124頁)

天然痘、インフルエンザ、コロナ、手足口病、HIV、A・B・C型の肝炎、エボラ出血熱、コレラ、破傷風、ペスト、どれも根絶できないんだ、と。
自然界には病原体がいっぱいいる。
それを「ダメ絶対」、これが通用しないんだ。
それだったらば薬物依存に陥っている人に一緒に社会を明るい方角に。
とにかくアメリカ禁酒法の失敗、禁酒法を繰り返すと社会の中にカポネら違法ヤカラが蔓延することになる。

中国の明の時代に煙草を規制したら今度はみんながアヘンを吸うようになる。(124頁)

(番組では清が煙草を規制したように言っているが、本によると煙草を規制したのは明でアヘンを規制したのが清)
日本では薬物がダメ。
だったらば市販薬を大量に飲んでしまって、トランスとか変性意識に憧れる若い人達がいっぱいいる。
何でこんな人達が出現するんだ?
昔もあった。
何かアンプルに入った液体をチュッチュッチュと吸うと元気が湧いてきて。
エナジードリンク。
それを吸いながら「ドンドコドンドコ効いてきた♪」というのがあって。
小学校の子供達がみんな真似をした。
「ドンドコドンドコ効いてきた♪」
アンプルの強壮剤。
(亜細亜製薬の「強力ベルベ」を指しているものと思われる)
依存症になるならないを全部横に置いておいて。
薬物とかというのを暗い目で見ないで、仲間がいると非常にそういう依存症になる人が少ないよという。
そこの観点から依存症というのを考えてはもらえないだろうか?という。
治療法の一つとしてそういう方法もあるよ、ということかと思う水谷譲。
もちろん法として取り締まりというのは大事。
でも言葉狩りのように、ある行為に関してもの凄く厳しくすると人間は歪んでくるという、そこの一点を忘れてはなりませんぞ、という。
弱さについて語っているが、人間の弱さはまだまだある。
語りあかしましょう。
人間の弱さというものを辿ってゆく。

それから話は移って、薬物に依存、ギャンブルに依存するアルコールに依存するという依存症の方々、その弱さを訪ねていく時に遭遇するのが加齢による弱さ。

ドイツの老人保養施設の中で、利用している人たちの自殺が群発してしまうっていうことがあったんですね。これを防ぐために、スタッフはいろんな工夫をしたんです。精神科医を呼んで、うつ病のスクリーニングをやったりとか、心理カウンセラーを入れて、困っていそうな人にカウンセリングを強要したりとか。いろいろやったんだけど、全然自殺が減らなかったんですね。最終的にいちばん効果があったのは、お金を払って利用している老人たちに、役割を与えて厨房を手伝わせたり、庭掃除を手伝わせたりとか、そういう係を決めて責任を持たせてやらせたんですよね。そうしたら、自殺が減ったっていうんです。(130頁)

老人にとって責任ある仕事こそが居場所であるという。
それがまた繋がりにもなる。
一緒に仕事をしている仲間こそが、まさに命を繋ぎ合う関係であるという。
それを踏まえて、ドイツの老人保護施設で認知症カフェを開くと、その町のよき集会所になってたちまち人気のカフェになったという。
これはべてるがやった「人間を強さではなく弱さで結びつける」という。
認知症の方がやっているカフェが、日本でもあると思う水谷譲。
多分モデルケースはここではないか。
(番組では「認知症カフェ」をドイツの話として紹介しているが、本には日本での事例が紹介されているのみ)
彼らに仕事がある。
その仕事をやりながら自分の病と闘うワケで。
確かに効果があるのだが、注意すべきこともある。

これまでうまく人に依存できなかった人が依存し始めるときには、この人依存しても良いんだと思った瞬間に、全体重が乗っかってきたりすることがあるんですよ。−中略−だから、そこでチームを作るっていうこと、一人でしないっていうこと、多機関で支えるとか、チームで支えるっていうことをポリシーにする。(142頁)

ドイツのその上手くいっている、水谷譲が日本にあるといった認知症カフェもそうで、凄く人気がある。
注文したコーヒーがなかなか届かなくても思い出して持っていくと「すいません」「いやぁ〜アタシもあるわよ」でゲタゲタ笑うという、この「弱さ」。
だがそれは「集団で無ければダメですよ」。
この中でハッとする。
人間関係に柱を作らない。
ヒモでつながるようにするという。
キャンプのテントを張るように、ヒモで引っ張って。

大事なのが説得術。
ちょっと紹介しておく。

FBIのネゴシエーターのテクニックなんです。−中略−
 よく言うのはピウス(PIUS)かな。まずPはポジティブ。肯定的に言う。
−中略−次のIは愛メッセージ。お前こうこうしろっていうふうに、二人称単数で言うと、人は反発するんですよ。そうじゃなくて、自分の気持ちを一人称単数で言って、あなたがこんな泥酔状態になっちゃうと悲しいって、私は悲しいっていうふうに言うのが大事とかね。それからUは、アンダースタンディングだ。−中略−そして最後のSはシェアですよね。責任の一帯を担ってあげる。あなたにこんなふうに飲ましちゃうなんて、何か私も至らないところがあったのかもしれない。私に何かできることないかしら。(143頁)

これが人間を説得していくんだという。
依存症、或いは鬱、精神疾患、その問題にその個人が追い込まれる。
そこまでを理解しないといけないんじゃないかな?という。
「それをいとも簡単に、自殺をしようとした人はすぐ警察に電話、薬物違反これも警察、みんな警察に行っちゃうだろ?その前に一手、我々の仲間で何か手を打とうよ」「そうなるまでにきっと何かあったんだよ」という考え方。
それが大事なんじゃなかろうかなぁと。
鬱、依存に自分で好んでなったんじゃなく、そういうところにゆっくり落ちていった。
薬物がやめられないんだったら、やめられないまま当事者として自分を記録していく。
そういう自分を記録するところに解決策が見つかるという。
この時、最も人を励ます言葉は何か?
これは「べてるの家」のテーマだが「安心して絶望できる人生」。
でも皆さん「、安心して絶望できる」というのも希望に成り得るような気がする。

この間、孤独死の話題が上がっていて、孤独死の人というのはもの凄い人数。
「ここにお金置いておきますんで焼いてください」とか遺書に書いてらっしゃる方もいるようだ。
ところが孤独死なさる方の財産というのが結構凄い金額だそうだ。
びっくりしたのだが没収財産。
(番組では「没収」と表現しているが「残余財産の国庫への帰属」というものらしいので「没収」ということではない)
孤独死なさった方が残されたものがある。
それをまとめると、武田先生が聞いたラジオ番組では700億円と言っていた。
(2021年度に647億円、2022年が1015億円)
没収財産。
没収して国庫、国に入ってゆく。
孤独死なさる方が命が細っていく中で、火葬場の費用とか無縁仏に収める費用とか数百億円の財産を国に残しておられるワケで。
そういう意味では日本の死者達というのは働き者。
没収財産だけでそれだけの金額になるというワケだから。

精神に病を持つ方、それから依存症の方、そして認知症を取り上げてみたのだが、何でこんな話をしたかというと今、性的な少数者が世界的に人権を獲得している。
このLGBTの方々、性的少数者の方々というのが二十世紀初頭はもの凄く差別された方々で。

ミシェル・フーコー(フランスの哲学者−中略−フーコーは自身の同性愛という性的嗜好についてずっと苦悩していました。そこから生まれた考察のひとつが「標準」をめぐる「権力」の研究です。医療は医学に基づいて、教育は教育学などに基づいて実践されていると思いますが、−中略−人間の身体と精神を「標準化」させようとする不可視の装置であると論じたのです。(78頁)

フーコーの言う「大監獄時代」へと突入していきます。−中略−霊的な存在と一緒に「標準から外れた人間」もまた組織的に排除されるようになったのです。そこには「狂人」だけではなく、あらゆる障害者や病人、同性愛者なども含まれていました。(79頁)

言われてみたらその通り。

「狂気は白日のもとで大いに活躍していた。『リヤ王』も『ドン・キホーテ』もそうだ。しかし、それから半世紀も経たないうちに、狂気は押し込められてしまった。強制収容の城塞の中で、『理性』と、道徳の諸規則と、それがもたらす彩のない暗がりに縛り付けられてしまったのである」(78頁)

狂気の歴史<新装版>: 古典主義時代における



今や彼らを解放すべきである。
日本では芥川龍之介。
芥川龍之介もやはり一種の狂気
「河童」とか「藪の中」とか、あれは狂気が書かせた。

河童



藪の中



つまり狂気はかつて文学であったという。
それを全部監獄の中に入れて、檻の中にいれて囲い込みをやって、服従・管理を求めた。
「そうじゃないんだ」という。
国民の安全と家族の負担等々を軽くするという名目で、それらの人達を世界から隔離してしまった。
LGBTの人達もまた己の性を隠して二十世紀生きてきた。
もうその時代がゆっくり終わりつつある、という。
そうやって考えると襟裳岬の根っこにある浦河という小さな小さな「べてるの家」というところが、実は小さな地方の片隅から日本を大きく変革すべき新しいアイデアを秘めている。
そんなふうに。
「べてるの家」の向谷地さんがやっていることは本当に面白いと思う水谷譲。
皆さん喝采を送りましょう。
武田先生は文化祭に行ってくるので。
べてるの文化祭(「べてるまつり」)がある。
「妄想大賞」(「幻覚&妄想大会」)とかといって愉快。
凄い妄想を見た人に、「円盤がやってきた」とか、毎年新しい妄想が出てくるのだが、その人に表彰状をあげるという「べてるの家」の文化祭がある。
それにちょっとゲストで参加しようかなというふうに思う。
そういう人達を片隅に追いやらないで。
浦河も人口流失が、町がどんどん縮小してしまって、つい暗く考えがち。
向谷地さんは明るく語る。
「べてるの家」でやっていたスタッフが、町が小さくなるので、それだけの人数がいらないので、「べてる」を出ていく。
それは悲しいこと。
ところが向谷地は「いやぁ助かるんですよ」、
「なんで」と聞いたら「よその町に行ってべてるをやる」。
タンポポの穂みたいに飛んでいくのだが「落ちたところで『べてる』というやり方が活躍できるようになりました」。
そんなのを聞くと向谷地という人のタフネスさが嬉しくなってしまって。
「降りてゆく生き方」
ここまでにしておく。
二週続けた。
来週はまた別のネタでご機嫌伺いたいと思う。


2024年11月11〜22日◆降りてゆく生き方Part1(前編)

(この時の放送では「降りてゆく生き方」というタイトルだったが、2025年1月に放送された続きのタイトルが「降りてゆく生き方Part2」なので、こちらを「降りてゆく生き方Part1」にしておく)
(この週のポッドキャストは一日分ごとに間に「STORIES〜アルモノガタリ〜」のCMが入る)

遠い昔の個人的な話から始めようかなというふうに思う。
実は久しぶりに向谷地さんと会って「あら懐かしや」でずいぶん話が弾んだ。
唐突な話で申し訳ない。

向谷地生良
−中略−社会福祉法人浦河べてるの家理事長。(237頁)

彼との縁は何かというと武田先生が60歳になる前。
だからもう15年以上前のこと、一般公開無しの自主製作映画に主演したことがあって。
降りてゆく生き方 | 映画&総合情報 公式サイト
変わった主演映画だった
プロの俳優が2〜3人しかいない。
後はオールアマチュアで、通行人を含めて俳優さんは全員一般市民のボランティアからオーディションをやって選ぶという。
映画のテーマはというと日本の地方が乱開発等々が進んでいて、地方がボロボロになってゆく。
或いは農業衰退、人口流出、限界集落の問題等々を見据えて地方のエネルギーがいっぱいたまった映画を一本作りたい。
これをどうするかというと「東京なんかでやらないで地方で自主で公開していこう」。
自分達で映画を公開していく。
その時になにがしかのお金を貰って、それをその製作費に回そうではないかということ。
プロが非常に少ないので、監督もテレビで演出をやっているという方だったのだが、とにかく「武田さん、よろしく」というというようなもので。
脚本づくりから加わったのだが、硬いテーマをいかに柔らかくするかが映画作りの妙。
武田先生が地方を守る守り手になるとストーリーが流れ過ぎる。
ストーリーが上手く流れ過ぎる。
それでは映画はダメ。
映画というのはひっかかりで、前も「(今朝の)三枚おろし」で言っていたが「いないいないばあ」で。
2024年9月16〜26日◆いないいないばあ
「ないない」というところから「ばあ」と何かが大きく変わる。
そういう物語でないといけないので、主役の武田先生は地方を舐めきっているヤツで。
外国資本の手先となり日本の土地を買い漁るある国の使い走り。
(武田先生の役は)悪者。
村を買い占めて、そこにリゾートを作って周辺の村人を全員叩き出すという。
大悪党の手先の子悪党で。
武田先生は、山村の人達に取り入って調子よく騙しながら村を買い占めるという不動産屋の役を演じた。
これは場所はどこかというと新潟。
新潟の方はもの凄く、県知事さんも市長さんも協力してくださってこの映画作り。
だから安い映画のワリにはスケールが凄く大きくて、町の通り一本を貸し切りで「ヨーイ、ハイ!」を言ったりというような、非常に贅沢な撮影をやらせてもらった。
この映画の中にちょっと面白い仕掛けがあって、「リアルでいきたい」というので地方に住んで地方をもう一回立ち上がらせたい、古里を創生したいという本物さんを呼んでミーティングをやっているところをキャメラを回そうという。
米作りを農薬を一切使わない、自然栽培。
この人のお米はデンプンが体質で合わなくて摂れない人も食べても大丈夫という。
そういう米作りの達人から、体がご不自由なのだが地方について「こうやればいい地方ができる」と頑張っている論客、そういう人達を何人も呼び集めて新潟市長も含めて「ローカルを語り合う」というシーンを撮った。
その「ローカルを語り合う」というシーンの一人に、さっきお話した向谷地さんというのがいる。
この人のやっている社会活動が重大。
この人は襟裳岬の根本の町、浦河というところに住んでおられて「べてるの家」という社会福祉法人をやっておられる。
何の為かというと、精神障害で悩んでいる幻覚や幻聴で悩むというような人達がいる。
その人達を精神病院に閉じ込める、入院してもらっているのだが、「それじゃあダメだ」という。
「彼らは病人であるときと病人でない時があるので、病人で無い時に何で病院に入れるんだ」
凄い発想。
それでこの浦河という町に住み着いて、生活を一緒にしながら病気の兆候が現れたらすぐに病院に移動してもらう。
病院の院内と院外を往復することによって病気を治そうという。
この向谷地さんがその精神障害の人達の治し方、治療法で考えたのが「当事者研究」。
お医者さんではない。
精神障害を持っておられる方を精神障害の人と語り合いながら治してゆく。
これは凄い発想。
遠い遠い北海道の「何もない春です」の襟裳岬の根本なので、あまり騒ぎにもならなかったのだが、この向谷地さんの研究にだんだんヨーロッパが注目し始めた。

襟裳岬



そうすると精神障害の治療法が革命的に変わったという。
向谷地さんからドサッと紙袋で「読んでみます?うちの本」とかと渡された。
そのうちの一冊が「弱さの情報公開」で出版社はくんぷる。

弱さの情報公開?つなぐー



この一冊はタイトルの通り。
人間の弱さについての対談・鼎談・座談会を収めてある。
主催者の向谷地さんがいて、ゲストを迎えて「べてるの家」の精神障害を抱えつつ生活をするべてるの人々、それから若い社会福祉家達と一緒に対談をやっている。
何とその丸テーブルの中にアっと驚く人が一人混じっている。
その人の名前は「吉田知那美」さん。
女子カーリング競技、銀メダルの選手。
この人がいる。
「べてる」のある襟裳岬の根本と、彼らがいる北海道のオホーツクの東側の常呂町。
車で行ったら4〜5時間かかるのか。
縁の大元はわからないのだが、とにかくその吉田さんが「べてる」のミーティングによく顔を出しているという。
(どういう経緯かは本の中には書かれている)
それで座談会で発言しておられる。
彼女がべてるの様子を見て「本当に助かった」という。
何で助かるんだろう?
そこから語りが始まるのだが、

オリンピックとなると、オリンピックが掲げているスローガンというのが「より強く、より高く、より早く」。(16頁)

「べてるの家」とは全く無縁な世界の戦いである。
ところが戦っていくうちにだんだん吉田さんが、戦うことがつらくなってきた。

他のチームを見て「強さで繋がってるチームっていうのは、すごくもろいな」と感じたのです。(17頁)

そのことを思った時に、自分達もそうで「凄く力あるぞ」と言われているのだが、その中に凄い脆さを見た。

日本代表決定戦っていうのがありました。−中略−同じチームと五回戦って、三回勝った方が日本代表になるルール。オリンピックに出場するチームを決定する試合なので、−中略−なんと、最初二連敗してしまって。−中略−次、負けたら、「オリンピック出場終わり」という。(18頁)

それでパニックになってしまって「あと一つ、あと一つ」と言っているうちに一緒に競技をやっていく連中の表情がどんどん硬くなる。
「何でこんなにあたし達は脆いんだろう」
その時に吉田さんは「べてる」の人達と語り合った時に「べてる」の人達が一番大事にしているのが「弱さ」。
「弱さを口にすること」なんだ。
弱さを全員で分け合う。
そうしたら弱さで結ばれた人は強く結ばれる。
そこでこの方が提案したかどうかはわからないが、もう「あと一回勝たないとオリンピックに行けないと言った」時に、覚えてらっしゃいますか、皆さん。
タカハシ(と聞こえるが不明)さんに向かって「あたし達さ、もっと楽しくやってたじゃない?オリンピックに出たいとか金メダル獲りたいとか言ってるうちに、あたし達のカーリングは楽しくないよ。小学校・中学校の時のカーリングのこと思い出して楽しくやろう。その為にはまず何が弱いかを声出してしまおう」「秘密の謎のチームの強さなんかそんなもの、あてにしちゃダメなんだ。『まだまだ、まだまだアンタできるよ』って言ってたけど、それを『十分だ十分だ』って言おう、切り替えよう。そっちの方が力出るんだよ。子供みたいにはしゃぎながらやろう、カーリングを。不調な時に口、閉ざすのやめて不安とか心配とか失敗とか大声で仲間で叫びあったら強い絆ができるよ。わたしね、『べてる』っていうところで見てきたの。そこの人達、そういうことで結ばれてるんだ」と言ったらタカハシさんがダーっと涙を流した。
自分達の弱さを、なんでも公開しよう。
だから愚痴を言い合う休憩時間。

モグモグタイムって、他のスポーツだったら、たぶんロッカーに帰って、見えないところでやってたりはすると思うんですけど、私たちのチームはカメラの前で作戦会議も、そのまま見せちゃうし(51頁)

あれはこの方のアイデアらしい。
そうしたら勝った。
勝った時の感想が「楽しかったね〜」になった。
それが後にメダルになっていくという。
精神を病んだ方の為の治療方法がスポーツの世界でも使えるんじゃないか?
人間は弱さで結ばれる。
弱さで結ばれた人間の方が強い絆で結ばれるという。
彼女達が「そだね〜」みたいな、それが凄くみんな可愛いなと思って見ていた水谷譲。
「そだね」もそう。
これを吉田さんが学んだのが「べてるの家」だったという。
また向谷地さんが考えたキャッチコピーが凄い

『安心して絶望できる人生』(15頁)

新・安心して絶望できる人生 「当事者研究」という世界



ではいかな人生か?
向谷地さんの言う「安心して絶望できる人生」。
ギクッとする文句。
絶望していい。
では「どう絶望するか」というのを精神障害、その病と闘う人達から学ぼう、と。
「べてる」の人達は自分の精神障害を通して自分を研究するという日々を送っておられる。
故に彼らは専門医に任せずに自分で自分の病名を付ける。
自分の弱さに、自分の病に名前を付ける。

チャーミーはあだ名です。私の自己病名は、躁は買い物、うつは体のストライキな躁うつ病のチャーミーです。(39頁)

早坂さんは「あい うえお」といって。「愛に飢えてる男」でね。(41頁)

(早坂潔さんとは)武田先生もお会いしたことがあって、映画にも出演してもらった。
早坂さんは精神障害を持っておられるのだが、何か頼りがいのある人で、親分格。
普通にコミュニケーションをとっている時に何か違いは感じるのかと思う水谷譲。
何も感じない。
この「べてる」の人達と付き合うと、いろんなことを考える。
それが早坂さん。
(佐藤)太一さんという方がおられるのだが、この方は幻聴。
べてるの家ではこれに「さん」を付けて「幻聴さん」と呼ぶのだが。
この方は四人の声が聞こえるという。
それぞれ四人とも性格が違うもので、この四人の中にいい人もいれば悪い人もいるという。
さっきお話した早坂さんは一途な方で、ロコ・ソラーレを夢中で応援なさっていて、毎日お祈りをする。
それが早坂さんの習慣。
早坂さんは山根(耕平)さんという弟子がいる。
その山根さんから指摘されているが、カーリングがよくわかっていない。
スポーツの中身をわからずに「勝て!勝て!」と言っているらしい。

向谷地 いわゆる弱さの文化というか、これは非常に、もしかしたら日本的、東洋的な文化かもしれないなって思うんです。海外いって弱さの情報公開をすると、たとえば自分はこんな病気を持ってますという話をすると、なんでそんな自虐的なんだとか、お前はもっとこういう良いところがあるじゃないかとか、そんな自分のダメなところに目を向けないほうが良いよみたいな、私たちが弱さの情報公開をしても上手に伝わらないもどかしさみたいなのを、海外でたまに経験することがあって(52頁)

私が思ったのは、いわゆる私たちがとりあえず弱さと言っているものって、実はものすごく大事なもので、大切なもので、私たちはまだそこに価値を見いだせていないだけであって、だからこそ独り占めしないでみんなで分かち合う大事なものだという(52頁)

これは面白い発想。

山根 −中略−僕はサッカーをずっと、大人になるまでずっとやっていて、なんでも努力すれば、勉強もスポーツも努力すればうまくいくものだと思っていたんですけど、この統合失調症って病気については、努力すればするほどどんどん悪くなっちゃう。なにしてもダメだと思ったときに、早坂さんに弱さの情報公開をしたら、お前も苦労してんだなって言われて、でも俺とか他の先輩が同じような苦労をして失敗してるから、お前も失敗しても大丈夫だっていう(53頁)

これが「弱さの情報公開」であるし、「安心して絶望できる人生」という。
もう一方、精神を患った方で自殺癖のある方がいる。
木村さんという方がいる。
この人の話が面白い。

チャーミー 何年か前、一〇年ぐらいか、七、八年前に死にたいんですと向谷地さんに言ったら、向谷地さん「ああ、そうですか」という感じで、「あー、そうですか」って、ただそれだけだって、聞いてくれたんだよね。でもそのときに「あー、死んじゃダメだよ」とかって、そういうんじゃなくて、「あ、そうですかって」淡々言われたことで(58〜29頁)

(木村さんではなくチャーミーさんの話。「死んじゃダメ」と言われたと番組で言っているが本によると上記のように言っていない)
(ここから先は「木村」さんではなく「木林」さんの話。番組ではチャーミーさんの話と混同している)

向谷地 木林さんは死にたくなって、海に。−中略−海が近いから、港にいってね、テトラポットという波消しの上に向かったら、するっと苔というか、海藻で足が滑ったんだもんね。そしたら、−中略−
木林 
−中略−そのとき滑って、ぞっとして、「あー死ぬかと思った」と。死のうと思っていったのにね。(59頁)

そうしたら水谷譲も笑っておられるが、本人が笑い始めた。
この話は笑う。
笑っていい。
この木村さんも笑い出して。
人間は面白いもので、笑い話というのは誰かに話したくなる。
それで自分に冷たくした向谷地さんにだけはこの話はしておきたいなと思ったら、ハッと気が付いたらべてるの家に戻っていく自分がいた。
(それは「治った」とは)言わない。
「治る」「治らない」は言わない。
「それは死ななきゃダメよ。思い切って」「いや、死ねませんよぉ」とかと「死」というのを仲間と笑い転げていくうちに、彼の中でほんの僅かの変化は死への衝動がだんだん薄くなっていったという。
この「薄く」なるというところに当事者研究の妙がある。
時々酷い発作の時には、彼はまた自殺の方向に走るかも知れないが、その勢いがだんだん薄まってきたという。
そのへんが当事者研究の面白いところ。
それから向谷地さんの報告なのだが、自傷の人。
セメントの壁に自分の頭を打ち付けるし、こぶしを握り締めて自分の顔を殴る。
そういう人が「べてるの家」に来た。
それで向谷地さんが「ん〜」とかとうなっていると、早坂さんを含めて精神障害を持ってらっしゃる方が、その女性を囲んで「どうすべぇか」を語り合った。
何を思い付いたか?
これが病院の先生では思いつかない。
普通だったら「手を縛ろう」とか「拘束しなくちゃいけないよね」というふうになると思う水谷譲。
病院はそれ。
これは早坂さん、達精神病の先輩達がその人が自傷行為に入った瞬間、六人がかりでコチョコチョやる。
とにかく発作が起きたら周りにいるべてるの仲間が一斉にくすぐる。
コチョコチョ・・・と擬音を立てながらだろう。
本人は真剣にアゴを殴ったり目を殴ったりしているのだが、あいた隙間の脇とかまたぐら、足の裏、それを6〜7人でくすぐるから、自傷行為が途中で止んで本人も「アハハ〜ん!」と笑いだす。
これが効果があって、自傷行為の頻度がだんだん減っていったという。
「弱さ」というのを隠さないで公表するところに分かち合う分があって、分かち合った弱さは絆になるという。
共通しているのはこの当事者研究、精神に病を持つ人は精神に病を持つ人を治療に当たるというここの特典は、一種のその人を支配していた狂気がどんどん薄くなる。
この時に向谷地さんはもの凄い重大なことに気づく。
前に水谷譲に説明したことがある。
今、インバウンドの人がいっぱい集まってくる。
あれは一種、「弱さの文化」へのあこがれではないだろうか?
諸外国はみんな「強くないと生きていけない」「自己主張が強い人が生き残る」という文化の中で、日本にはまだかすかに「弱さの文化」がある。
そういう日本の風土の「弱さの文化」。
咲き誇る桜より散ってゆく桜、それを「美しい」と言ってしまう。
その「弱さの文化」に諸外国の人達は憧れを持ったのではないだろうか?
前にお話ししたロコ・ソラーレの吉田さん。
吉田さんもそのあたりを「べてる」から学んだ。
「弱さ」というのを隠さないで公表するところに分かち合う分があって、分かち合った弱さは必ず絆になるという。
そうやって考えると、あわれな物語を日本の文化は十分に持っている。
咲く花よりも散る花の方が美しい。
そしてもう一つ、たとえ負け戦であっても最後まで立派に戦ったもの、これを「あわれ」の反対語で「あっぱれ」という。
この「あわれ」と「あっぱれ」の文化は実は弱さの連帯から生まれたものではないだろうか?と。
このへんは面白い。
かくのごとく話、「降りてゆく生き方」は続く。

「べてるの家」の話。
ちゃんと病院と連携して、病の方が重くなっていたらそのまま入院で軽くなったら出てくる。
社会と結びつくということが、いかに精神障害の人達にとって大事か。
そういうことを向谷地さんは切々と訴える。
武田先生よりも若い人だが、この人には頭が上がらないところがあって「偉いなぁ」と思う。
この本の面白さ。
この「弱さの情報公開」。

ここまでお話したのは精神に病を持つ方、鬱病とか自傷とか、鬱とかというそういう重度の精神に病を持つ方。
中には統合失調症、幻覚や幻聴に苦しむ人達もいるのだが。

第四章なのだが、これは依存、薬物依存。
その依存症の専門のお医者さん達の。
これが本当に読みながら深く考えた。
薬物依存を中心とする依存症の専門医、松本俊彦さんという方の主張なのだが、申し訳ない。
面白かった。
「面白い」と言ったら失礼だが、本当に考えた。
この方ははっきりおっしゃっている。
皆さん、覚せい剤、あるいは危険ドラッグ、脱法ハーブ、深刻化している。
薬物依存によって意識障害、けいれん、昏睡、肝障害、或いは死亡等々が増えているのではないだろうか?

もしかすると刑罰が悪い結果をもたらしている可能性はないのかということ(88頁)

 もっとも有名な前例は、一九二〇年から一九三三年の間、米国において行われた禁酒法です。あの禁酒法が行われた一三年間、アメリカ国民のアルコール問題はまったく問題が解決しなかったことがわかっています。それどころか、反社会勢力が酒の密売をしたために、アルカポネをはじめとした反社会勢力が巨利を得たということがわかっています。−中略−メチルアルコールが含まれた密造酒が出回ってしまって、それを飲んだ人が失明をしたり、死亡したりという、深刻な健康被害が続出したんです。(96頁)

著者は依存症の人々に対して「ダメ。ゼッタイ。」というのが合言葉だが「ダメ。ゼッタイ。」が効果があったことが一度も無いぞ、という。
ここに薬物依存の問題も見つけていくという。

危険ドラッグは危険な薬物でした。−中略−しょうがないから通院だけ続けなさいということで言うと、わかりましたということで、しぶしぶ通院するといったところがせいぜいでした。−中略−治療を開始して一年後、多くの方たちが薬物をやめていたんです。(97〜98頁)

脱法ハーブはドラッグよりも成績がよくて、この中で依存症で成績が悪いのが覚せい剤。
脱法ハーブ、ドラッグ、それからオーバードーズ。
そういうものが青少年に流行ったりなんか・・・
これはやがて覚せい剤で大変な大沼にはまってしまう入り口になってしまうから、そこに落ちてゆくからというのだが、人が絡めば治りやすい。
そういうことを考えると「ダメ。ゼッタイ。」「人間やめますか」、覚せい剤に相対する対し方というのはもう一手何か考えればという。
とにかく覚せい剤に関しては「人間やめますか。覚せい剤やめますか」だから丁半しかない。
病院に通院するだけでだんだん依存が治ってくるというのはどういうことかというと、これがもう「べてる」と同じ。
やめて何か月間かは禁断症状に耐えると先生が褒めてくれる。
だからやる気になる。
モチベーションが上がる。
覚せい剤の方は「またやった」となると、警察に連絡してしまう。
それで病院に来なくて再び手を出すという。
この松本先生曰くだが、とにかく病院まで来てくれて医者と接触してくれたら、依存症は治る。

覚せい剤の違法薬物を使っている方たちは、はじめて覚せい剤を使ってから専門病院に繋がるまで、−中略−平均すると約一五年と言われています。(98頁)

芸能人でやった人もいるが、本当に長い。
何度も何度も逮捕されている。
覚せい剤の人は薬から抜け出すまで20年から30年かかる。

脱法ハーブがなんでこんなにも早く治療にアクセスできるかというと、違法ではないからなんです。(99頁)

著者は「犯罪にされるか、職場、家族、恋人、病院が関係の中に入って『やめなよ』と言ってくれる人を回りにいっぱい持っているかがこの差なんだ」という。
これがこの松本先生は凄いことを言う。
もう松本先生は何の凄いことかというと、本当に実践だと思う。
だからどうすればいいかというと、覚せい剤をやっている人がいる。
その覚せい剤の量をゆっくりと減らしていく努力。
つまり「ダメ。ゼッタイ。」では絶対に効果がないという。
「人間やめますか。覚せい剤やめますか」では両方共やめられる人はいない。
人間はやりたいわ、覚せい剤はやりたいわ。
この松本先生がちょっと身に堪えるような動物実験を本の中で披露している。
これは動物の実験なので、人間に当てはまるかどうかはわからないが、どんな実験結果が出たかは来週の続きとしましょう。


2025年04月27日

2024年11月25〜12月6日◆人生、待っていたのは(後編)

これの続きです。

(この週は、番組の冒頭はQloveR(クローバー)の入会キャンペーンの宣伝)

大変な事件が起こって、どんな事件かというと同じネタをやりそうになった。
そのことに水谷譲が気づいて「同じ話をなさっているんじゃないですか?」という静かな口調の軽蔑のまなざしで。
それで慌てて自分の身の上に起こった「待っていたもの」を語ろうかなという流れに。
アメリカの心理学者のトーマスさんという方の説を。
でもそれは前の前の放送で語っていた。
申し訳ございません。

先週は自分の青春時代の話でまとめて、小さな屋台で22歳の武田先生はホラばかり吹いていた。
ホラというか理想、夢を語っていたと思う水谷譲。
「俺は歌だけでは終わらない。人気は吉田拓郎に次ぐぐらいのフォークの人気で映画なんかにも出演する俳優にもなるんだ」とか。
「将来それでカネ貯めたら俺は坂本龍馬を演じるんだ」という。
でも皆さん本当、笑わないでください。
これは全部やってしまう。
そこが凄いと思う水谷譲。
武田先生はその頃、いつも大学に通うカバンの中に酒井和歌子さんのブロマイドを入れていた。
好きで
酒井和歌子さんが。
でも考えてみたら「刑事物語パート2」で共演者に選んだ。

刑事物語2 りんごの詩



こんなふうにしてことごとく武田先生は屋台で語ったことの夢をなぞるような後半の人生になる。
この頃の武田先生のエピソードで、さっぱり女性にモテなくて。
本当にモテなかった。
よく振られる話は伺う水谷譲。
いろんな人から嫌われて。
女性から「武田鉄矢の印象は?」というと「気持ち悪かぁ」という、そういう感じだった。
でも辛抱強い子がいて時々長く付き合ってくれる子がいたのだが、最後の詰めがダメで
告白して「恋人にならんね」と誘うと下を向いて「なりきらん。武田さんの恋人にはなりきらん」「なんで?アンタは俺と手ぇつないだやないね!?」「手は誰とでもつなぐ。フォークソングとおんなじやけん」「そらフォークダンスやろ」みたいなもので。
その一人の女の子、が今でも忘れないが、言った言葉の中にあったのが「言うことがとんでもない」と。
「東京に出ていって『フーテンの寅さん』に出る」とか「吉田拓郎とコンサートをジョイントでやる」とか。
それこそホラだと思う水谷譲。
「そげな武田さんの夢を聞きよったら、つきあいきらんと思う」「そげなこと言う人は福岡にだ〜れもおらんよ」という。
確かに現実を見ていないというか夢を追いすぎて「大丈夫か?この男」とは思うかもしれないと思う水谷譲。
遠い昔、余計なことをしたがるテレビ局が。
武田先生を振ったという女性十人にアンケートをとってくれた。
それで出た結論。
10人中7人が同じことを言っている。
「武田鉄矢をなぜ選ばなかったか」
第1位「将来性がない」。
女の人というのは将来を考える。
当たり前か?
ごめんなさい。
それは見抜けなかった。
そんな武田先生だった。
でも屋台のラーメンの湯気の中で語った夢というのを、それはジュンというのが聞き役で「アンタはその後それば全部やった」と言った。
それでそのジュンから出たアイデアが「もう一回湯気ば俺が立てるけん、語らんね」。
彼は今、小さな飲食店をやっている。
そこでなるべくおでんを中心に湯気を立てるような料理をやるので「福岡の知り合いとか友達の前でもう一回夢ば語らんね」。
「でもそげんいくつもないよ?」と言ったら「アンタやったらあるハズ。それば語るったい。湯気ん中でアンタ夢あっためたら、アンタそれ必ず実現する」と言う。
もう本当にドラマのワンシーンのようだと思う水谷譲。
それをこの間、福岡に帰った時にちょっと話した。
そうしたら店にホリケンが来ていた。
博多のローカルタレントが青木さやかさんと一緒に。
それをジュンと話していたらバーっと出てきて「湯気の中に入れてもらってよかですか?聞きたかぁ〜!」という。
そういう出来事があったから、このネタを選んだ。
そうしたら一回喋ったネタでした。
ごめんなさい。
もう一つ二日間の短い旅で経験した出来事がある。
「自分の人生にこれも待ってた出来事だなぁ」と思ったことは明日からお話しましょう。

「人生待っていたものは」
自分としてはそこを通過したつもり。
例えば先週お話したように博多の警固(けご)神社のすぐ脇にあった屋台の湯気の中。
それは青春の一ページだったのだが、九州福岡の友だちが「もう一回その湯気の中に戻って武田、夢ば語らんか?」。
自分としては通過したつもり。
ところが戻ってゆくというか、何かそういうのがある。

(この後は「弱さの情報公開−つなぐ−」に書かれている部分があるので引用を入れる)

弱さの情報公開?つなぐー



ここから先はまた別の話になる。
ちょっと放送では使いにくい、表現しにくいこともあるのだが、なるべく皆さんに伝わりやすく話さなければならないが。
15年前になるが武田先生は60歳のおりに一本の映画に出演している。
これは一般公開無しの巡回映画と言って「その映画を見たいという人が数百人集まったらその映画を公開します」という、そういう変わった映画で。
「降りてゆく生き方」という映画に出演した。
降りてゆく生き方 | 映画&総合情報 公式サイト
その映画に出てくる出演人物たちはプロで俳優さんという方が4〜5人しかいない。
後は全部新潟のアマチュアの方に出演してもらって物語にしていくという。
脚本の段階から入ったのだが、そのアマチュアの方が台本を書くというのでプロさが全くない。
「どんな話にしましょうか?」と、「そこから話に乗ってくれ」というような映画だった。
それで新潟県のある町の再生、それを有志達が集まって「志があるものが集まって素晴らしいローカルを作ろうじゃないか」という。
そういうローカルストーリーにするという。
それで「武田さんにはその中心人物になって欲しい」と言われたのだが、まず良い人達を描いてしまうと、良い映画にならない。
武田先生は悪い役に回らないとダメだ。
「いい人達に付き合っていくうちに良くなってしまう私」という、そういう映画の作りの方が面白いいんじゃないの?という。
どこかの国が日本の国土を金で買収していく。
それで武田先生は日本の田舎を売りまくるという、その手先。
それで田舎の人達を武田先生は口八丁手八丁で騙くらかして、次々用地を買収していって、その国の人達の為の町を作るという計画に乗る。
ところが付き合っていくうちにいっぱいいい人がいるもので、だんだんそっちの方に武田先生は引き込まれていって味方してしまうという、そういう映画。
これが「降りてゆく生き方」。
いろんなところから俳優さんを集めるのだが、それは真面目にローカルで生きている人達。
そういう人達を率先して集めた。
新潟県で山奥の田んぼで、「不耕起」「田んぼを耕さない」という新しい農業の方法で素晴らしいお米を作っておられるお百姓さんとか。
老人のケアセンターの中で老人達を懸命に励ます若い人達のグループとか。
酒造りを辞めてしまった酒屋さん。
その酒造会社を貸し切って撮影をやっていた。
そうしたらそこの酒屋さんが映画の撮影をやっているうちに、やる気になってしまって。
また再開し始めた。
それから千葉県の方ではお酒を造っておられる酒メーカーの方とか。
そういう人達と仲良くなった。
その中に「浦河べてるの家」の人達がいた。
「べてる」の人達を上手いこと紹介しないといけないのだが、精神障害の団体。
その精神障害の人達が共同で精神障害と戦いながら、そこにいるソーシャルワーカーの方たちの守りもあって、精神障害者同士が精神障害者の人を助けて町で生きていく、生活していくという、そういう運動をやってらっしゃる。
そこで知り合ったのが北海道・襟裳岬の根本の町、浦河という交通の要所があって、ここに居を構える「浦河べてるの家」。
ここは凄い。
幻覚や幻聴がある、そういう人達が町の人達と一緒に生活している。
だが幻覚や幻聴が襲ってくるワケで「大丈夫なのかな?病院に入院しとかないで」。
「大丈夫だ」という浦河べてるの家。
そこで知り合ったのが向谷地(生良)さんという方。
これはもう話した。
あの時はまだ行っていなかったのだが、秋口、この「浦河べてるの家」で文化祭(「べてるまつり」)をやるので「ゲストに来い」という話になって「行くよ」というようなもので行った。
十数年ぶりで「べてるの家」に行って、久しぶりに昔、映画で共演した人達と再会したのだが、そこでも考えさせられることが次々あって。
15年ぶりぐらいに「べてる」に行って向谷地さんに「べてるの家」の現状を聞いたりなんかした。
浦河べてるの家「べてるまつり」。
妄想大賞(「幻覚&妄想大会」)。
精神障害を持ってらっしゃる方というのは時として幻聴が聞こえたり、幻覚が見えたりする。
それで、もの凄い幻覚、素敵な幻覚を見た人には、その年の年間大賞をあげるという。
ちょっとこれは「大丈夫かね?」と思うのだが、これが皆さん、楽しい。
今年は、コロナでしばらく会えなかったから「盛り上げようぜ」というようなもので、これまでの傑作妄想、これを「べてるの家」の精神障害を持った人達が力を合わせてショートコント、舞台劇にしてある。
これは面白かった。
前にも水谷譲にお話しした「べてるの家」の精神障害者の方。
この方が襟裳岬の先端にUFOを降ろす。
その幻聴に誘われて彼が走り出すと向谷地さんが「ちょっと待て」と。
「一人で行っちゃだめじゃないか。みんなに相談しようよ、一回」と言いながら、べてるの町に引き戻してミーティング。
5〜6人集まってUFOから聞こえた声がある
「どう対処したらいいか、みんなどう思う?」
それで向谷地さんがその6人に向かって「今までUFOなんていうのは乗ったことのある人いる?」と言ったら殆ど全員が手を上げたという。
UFOはみんなある。
それでみんなから今、走り出した人に向かって「いろいろ注意することがあったら」という。
そうしたら一人の人が「免許証確認したか?」という。
「ライセンス持ってないと危ない」
そうしたら別の女性が手を上げて「私、無免許の人に乗ったことがある。墜落したのよ、白神山中に」という。
そういう方がおられて最後に出た結論が「円盤のライセンス、オマエも取れ」。
そういう話。
運転に疲れたりなんかすると、宇宙人が「途中で代われ」という。
長い宇宙の旅なんで「オマエもやってくれ」とかと言う。
操作が難しいからチョチョチョっと覚えただけではダメで「だからオマエもライセンスを取らなきゃダメだ」。
それが凄い。
日赤病院の精神科の川村先生。
「ここに行くと日本国が隠している『空飛ぶ円盤練習場』というのが別にあるんで、そこに行ってライセンスを取れ」
それですぐに行って川村先生に。
そうしたら川村先生がたった一言「わかった。免許頑張って取るように。まずは一週間の入院」と言うので入院したらしい。
でもそれは我々は本当にUFOのことを知らないだけで、本当にみなさん乗ってらっしゃるかも知れないと思う水谷譲。
これは内話がある。
本当に素敵な話。
それで一週間入院している。
そうしたら幻聴は消えていく。
これは本当に面白いと思う。
幻聴は振り切ろうとすると強くなる。
仲良くなろうとすると薄くなる。
入院している間は何もしない。
川村先生が「どう?まだ円盤の声聞こえる?」「はっきり聞こえるようじゃ逆にまずいんだな」とかと。
「いわゆる練習場とか何かが秘密基地にあるから、円盤からそこ、探査されるとまずい」と言って、入院して二週間ぐらいで全く幻聴が聞こえなくなったんで「はい、町に帰っていいよ」で帰ったという。
ただ、それだけの話。
この文化祭の面白いところは、その幻聴を見た人が審査員席に座っている。
それで司会者が訊いた。
「君の幻聴を舞台化してみたんだけどどうだろう?」
その人が「バっカみたいですねぇ」と。
それが妄想・幻覚であるというのはもうわかっている。
単純ではない。
今日、喋ってしまうかな。
川村先生が「一週間入院」とおっしゃった。
その後、武田先生は川村先生に会っている。
川村先生は忙しくて文化祭に出てこられなかったのだが、帰る日に川村先生に会って。
「先生あれ面白かったです。一週間入院は大爆笑だったよ」
そうしたら川村先生は教えてくれた。
いわゆる「狂気」というものが襲ってくる。
振り切ろうとすると近寄ってくる。
だからみんなで 狂気に寄り添う。
そうするとその狂気に取り憑かれた人が気づく。
みんなで空飛ぶ円盤の話をする。
川村先生に言っても「秘密基地の資格として一週間入院」とか言う。
今までそんな話をするとさんざんバカにされたのに、ここはみんな狂気に協力してくれる。
協力すると狂気は小さくなっていく。
川村先生の名言で、本当に感動した。
幻聴、幻覚でどんなに頭の中がグシャグシャになっても、20%ぐらいの自分がいて、正気があって「変だな」というのはわかっている。
だけど周りから「オマエが変だ変だ」と言うとどんどん正気が小さくなって狂気が大きくなる。
逆に狂気に付き合ってあげると狂気がだんだん萎縮して狂気が人間に合わせようとする。
この精神障害によって幻覚・幻聴の話を聞くと人間観がゆっくり変わってきて、この話はまた明日続ける。

ネタを忘れてしまったというミスがあるので、これも終わった話かも知れないが「いい話だな」と思ったので続ける。
向谷地さんからいただいた本を読んでいて感心したのだが、向谷地さんが「べてるの家」で一緒に生きている精神障害の人。
(番組の中で「べてるの家」にいる人として紹介しているが、本によると別の場所での話のようだ)

統合失調症を持つAさんを紹介します。−中略−その方の後ろには「神様」がいて、そのテレパシーをいつも感じていること、−中略−神様からのテレパシーで送られてくる命令の内容が、何と一四種類あって、その中に、「新聞を読むな」「テレビを見るな」なんと「部屋から出るな」っていうテレパシーもあるんですね。ちゃんと神様のテレパシーを守ってるんですね。−中略−私はそれを聞いて言いました。「神様もいろいろいるけどあなたのその神様ひどいじゃないですか、その神様に苦情を申し立てたい」っていうふうに言いましたら、「Aさんはそれはやめてくれ」という事で、私は「ぜひ神様に嘆願書を出しませんか」とスタッフの人に言ったら、看護師さんはそれはいいねって言ってくれて、看護師さん達は見事な嘆願書を作ってくれました。それで署名欄まで作ってくれて、スタッフの方たちや入院患者さんの一部の方たちも含めて四〇人以上の人が署名してくれて、Aさんにそれを見せたんです。これを絶対神様に届けようねって言ったらものすごく喜んでくれました。
 すると、不思議なことに、あっという間に縛りが一四から五つにまで減りました。私は五つの縛りの中身がちょっと気になりまして、
−中略−「あんまり看護師さんの胸を見るな」なんて声がちゃんとあると言って大笑いしたことがあります。(225〜226頁)

(番組では神様からの命令が15、署名に応じた人数が50名)
だんだん神様の声が聞こえなくなっていった。
つまり向谷地は昨日話したとおり。
狂気を否定するんじゃない。
狂気に寄り添おうとする。
その文化祭というのは凄い女性が出て来た。
その人も過去の(妄想)大賞を獲った人で。
この人は恋愛に命を賭けるというタイプの妄想で、小泉(純一郎)さんに恋してしまう。
何と恋心のすさまじさで体がちぎれてしまう。
半分だけの彼女が小泉純一郎のところに会いにいった。
小泉さんもいい人なんで会ってくれた。
凄く大喜びしていたらしいのだが、浦河の町に半分だけで生きていくのが辛いので向谷地に頼んで、それでそのまま妄想も酷いので一回病院に行ったら、病院の川村先生ではなく精神科医ではなく、内科医の若い先生がおられて、今度は何とその人に恋した。
毎日会いたい。
恋愛病だから。
向谷地に相談する。
「毎日会いたいんだけど、どうしたらいいんだろう?」
そうしたら向谷地が「毎日会いたいっていうのは難しい。一番いいのは糖尿病だ。だから糖尿病になれ」という。
それで頑張って糖尿病になって毎日会いに行くようになったという。
それが治療。
「一つの病を作り出す」ということも精神障害に対しては、治療になる可能性がある。
この「べてる」が教えてくれることはそういうこと。
そういう精神医療がある、という。
そのことの重大さ。
非常に危険かも知れないが、人間はそのようにして正気を。

それと今年の2024年の妄想大賞が素晴らしかった。
聞いて、もう泣きそうになってしまって。
旦那様がアルコール中毒で生活力もなくて奥様は妄想とか幻覚のあるという精神障害を持っておられて、お子様もいらっしゃるのだが養護施設に預けて懸命に働くのだがその二人がある寒い日に酷いケンカをした。
旦那様がアルコールの依存の為に暴れ始めて、彼女は裸足で飛び出して初冬の北海道の浦河の冬道を歩いていた。
ここでの生活は何が大変かというと、その女性が証言なさっていたが、灯油と電気を切られたそうで。
北海道で電気を切られて灯油を切られたら無理。
凍え死んでしまうと思う水谷譲。
待ち受けているのは、そういう貧しさだった。
それで彼女は夜道へ飛び出して歩いていた。
そうしたらもともと妄想・幻覚のある精神障害を持った方なのだが、そこに幻覚が降りてきたという。
その幻覚が何と凄い。
道路の真ん中にいたらしいのだが、キツネ。
(キツネの)子供を引き連れているそうだ。
そしてそのキツネが彼女に向かって話しかけてきた。
それは「頑張るんだよ。頑張るんだよ」とキツネが言う。
それで彼女は「頑張ろう」と思って、ソーシャルワーカーの向谷地のところまで走っていったという妄想。
「面白い」と言ったら失礼だが面白い。
狂気が励ましている。
私共にとっては狂気というのは恐ろしいもの。
幻覚とか幻聴とかというのは正気を失うワケだから。
ところが狂気というのは時として、その人に「生きてゆけ」と励ますという。
そういう狂気もあるんだというので、その方が2024の大賞を受賞なさった。
その狂気のキツネが目に見える。
「狂気が生き延びる術を語りかけてくる」という強烈なものを武田先生はそこに感じた。
それと向谷地さんも重い声で言っていたが、日本にまだ命がけの貧困があるということ。
悪い循環で、このアルコール依存症の旦那がいらっしゃった。
お父さんもアルコール依存、お爺ちゃんもアルコール依存。
生きてゆくのが大変なのだろう。
そういう貧しさを引き受けながら狂気と折り合って生きている、そういう女性がいるということ。
この浦河・日赤、浦河の「べてるの家」というのは幻覚・幻聴の人達を町の人と同列に、同じように共に生活者として生きていくワケで。
それで上手くいっている。
何かトラブルとか無いのかなぁと思う水谷譲。
ある。
都会では妄想に取り憑かれた人が起こした犯罪がある。
でも向谷地さんは言葉にはしないが「狂気との付き合い方を都会の人が忘れてるからじゃないか?」という。
現代を生きていく命に関する力不足。
忙しさにかまけて今日の自分の用事にせかされて忘れちゃってる、というのが。
確かに都会だと隣に誰が住んでいるのかも興味が無かったりするとそういう関係性も薄いと思う水谷譲。
「だから関係性をどう作る」というのがもの凄く人間の命に大切で。

驚くなかれ、武田先生は感動してしまったが、今年の浦河の「べてるまつり」の「べてるの家」の文化祭なのだが、韓国から見学の人が来ていた。
「べてるのやり方を学ぼう」という人達が韓国にいる。
それと「狂気の住む場所というのは昔はあった」という。
前も「べてる」の時に言った。
文学者の人は狂気と一緒に住んでいたという。
シェイクスピアも、カフカも変だし芥川龍之介も変。
でもそれが文学になっていた。
ところがその今、入院させて檻の中に閉じ込めている。
向谷地は「これから俺はアジアに乗り出そう」。
だから彼はバングラデシュなんかに行っている。
そこの精神科の医療を訪ねて。
ちょっと嫌な言い方になるが、指導にかかっている。
彼が一番興味を持っているのは中国。
中国みたいなしっかりした社会は狂気の住む場所がない。
しかも町中に監視カメラがあるので、そういう社会というのはすぐに檻の中に入れる。
そういうことが習慣づくと出て来た狂気は本当に暴れる。
そういう事件があった。
そういう意味合いで「べてる」というのが、小さな町だが世界に向かって何かこう、道しるべみたいなものを。
武田先生はその時、フッと思ったのは「この話を九州の友達にしたいなぁ」と思った。

ということで、「ネタを家に忘れた」というところから始まった二週だったが語ってみたというワケで。
ちょっとフリートークで言葉もいろいろ不適切な言葉もあっただろうかと思うが不適切な表現を借りねば語れないこともあるもので、そのへんどうぞ御容赦のほど。
来週はまた立て板に水でお送りしたいと思いますんでよろしくお願いします。



2024年11月25〜12月6日◆人生、待っていたのは(前編)

(この週は、番組の冒頭はQloveR(クローバー)の入会キャンペーンの宣伝)

個人的なことだが、夏のことだが名古屋という街で共に苦労をしてきたツチダという名前のスタッフがいて訃報が入って。
ちょっと71(歳)という若さで逝ったものだからツチダを偲びつつ。
皆さんには関係の無いことなので個人的な思い。
今週、まな板の上に置いたのは「人生、待っていたのは」。
もう武田先生の身辺にもいろいろちょっと「アイツが死んだ」とかという報が入る。
武田先生も人生の決してもう真ん中ではないので、最後の直線コースに入っているワケだが、友人の後輩の死か何かを聞いて本屋さんに行って見つけた本だが。
これは本のタイトル「男はなぜ孤独死するのか」。

男はなぜ孤独死するのか 男たちの成功の代償



もちろんこれは武田先生の後輩、スタッフとは何の関係も無いのだが、そういえば孤独死、最近よく聞くこと。
その本は非常に気になる副題が付いていてトーマス・ジョイナーさんという方がお書きになった晶文社の本だが「男たちの成功の代償」。
フロリダ州立大学心理学者であるトーマス。
専門のテーマは自殺。
360ページを超える大著で。
もの凄くいろんなことがたくさん書いてあるので「やめようかな」と思ったことも何度かあったのだが、この本は困ったことに十ページに一行必ずいいことが書いてある。
それでその一行を求めてめくっていくうちに、だんだん身に沁みてきたという。
何が一番、身に沁みたかというと、ドキッとするのだが男の人生である程度の成功を収めた人ほど、晩年自殺しやすいという。
これはアメリカの話。
皆さん、アメリカの話だと思って聞いてください。
そういう人がアメリカには多い。
人生である程度成功を収めた男が晩年に自殺しやすい。
アメリカで起こっているかも知れないが、非常に気になる文章で。
「人生である程度成功を収めた」というのは武田先生の身の回りにいっぱいいる。
武田先生自身のことを考えたらそう。
博多のイモ兄ちゃんが一発ヒット曲が生まれたかと思ったら、その後、先生役か何かでずっと生きていることになって。
大成功だと思う水谷譲。
そういう「成功した男」ほど自殺の傾向が激しいという。
これは気になる。
しかもこのトーマスさんの調べ方は徹底していて、この傾向は女性に比べて遥かに自殺する確率は高齢になればなるほど男性が高くなる。
その一つの要因に男性が孤独になりやすい性質を生まれながらに持っている。
なぜ男は孤独に陥るのか?
これは凄く気になる。
年取った男が非常に脆いというのは・・・
男性で奥様を先に亡くしたりすると、とても脆くなるなという方はよく見かける水谷譲。

こういう話がアメリカにあったそうだ。

 1991年、10月の太陽がオークランドとバークレーの丘に昇る頃、−中略−火災は数分以内に住宅街に及び、最も激しい時には11秒に一軒の割合で燃え広がり、家の所有者たちは命からがら家から逃げ出すことを余儀なくされた。(10〜11頁)

新しい家の窓が上向きに設計されていたため、火事の影響やほかの人の家を見ずに済むという事実が語られていなかった。要は建築によって意図的に作られた絶縁空間だったのだ。−中略−火災は、数週間にわたる励まし合いとともに、その後の貪欲さと卑劣さと対立という気の遠くなるような試練をもたらした。(13頁)

皆さん何をなさっているかというと、建て直した家に関しては懸命に孤独を守ろうとなさっていたという。
人間、何か一つあると孤独を守りたがるという。
この「孤独」が問題。
訃報を聞いて見つけた本だがトーマス・ジョイナーさんという方がお書きになった晶文社の本「男はなぜ孤独死するのか 男たちの成功の代償」。
成功した男性であればあるほど、自殺の確率が高くなるというアメリカの心理実験。

老いを生きている昨今だが人生の中で待っていたもの、それが明るく希望に満ちたものであればいいのだが、老いてゆく自分を見つめるというのはなかなかしんどい作業。
そんなことを話そうかなと思ったのだが、バラしてしまうがこのネタは(この番組で過去に)やった。
2024年10月28〜11月8日◆男の唯一無二
昨日「デジャブっぽいな」と思いながら話を聞いていた水谷譲。
一回出したヤツをまた出してしまった。
武田先生の勉強部屋のノートの置き方が悪かった。
一番上にあったヤツを「これだこれだ」「これやりたかったんだ」と思ったら一回やったヤツをもう一回引いてしまったという。
それで水谷譲が「一回聞きました」と言うものだから。
年を取るとダメ。

とある決心をさせることが、一回目をやっておいてなった。
前のタイトルは「男の唯一無二」。
男は山のてっぺんの一か所を目指して登ってゆく。
その生き方を人生に例えるとだんだん孤独になってゆく。
女はどうかというと、てっぺんを目指さない。
山の裾野をグルグル回っているものだから、いつも山全体を見渡している。
それが女性の力である。
そういう男女差の違いが、男が一か所を目指したばかりに孤独に陥って、もう山を下りなければならないのにまだ頂にいる為にどんどん孤独になっていくという。
これは本当に正直に話すが、昨今の自分の心境。
自分も唯一無二の個性を求めてずっと生きてきたし、男にとって唯一無二の個性を発揮した人生は充実していると思って、70代になると結構寂しい。
この本の中に書いてあった「昔の友人に電話しろ」という。
そんなことを話した。
同じ話。それで電話をした。
それでその友人に会いに行った。
博多。
そうしたら博多のいつもの同級生達が集まって武田先生のことを囲んでくれた。
武田先生のことに関していろいろ話すうちに、自分の初心を思い出したというか。
それは前に話した通り。
それはもう仲間にも言われたこと。
「武田さんはいつも『ライバルはチューリップの財津さんだ』『ソロで上手い井上陽水さんだ』って言う。だけど武田さんはね、違うと。陽水さんも財津さんも歌ば歌いよる。武田さんはアマチュアの頃から歌、歌ったことない。語ってた。歌を歌っても武田さんはメロディーは付いてるけど武田さんの歌い方は語りよ。目指してるもんが全然違うから武田さんは陽水さんや財津さんに負けまいと思って歌、作ったワリには似ても似つかない歌ができる」
(どういう仲間なのかというと)武田先生にアマチュアの頃、音楽仲間、(「海援隊」の)千葉(和臣)・中牟田(俊男)の他にもう一人ジュンというヤツ。
そのジュンというヤツと一緒に海援隊の練習が終わった後、ナケナシのカネを合わせて二人で屋台に行く。
そこでラーメン一杯とビールを大事そうにチビチビ飲みながら、寒い時には熱燗一本だけを貰って二人で「オマエから先に呑んでよかぜ」とかと博多弁で言い合っこしながら二つに分けたお酒を呑みあっていた。
その貧乏な学生と、ジュン君は喫茶店を自分で出すことが夢なオーナーになることを目標にしている労働青年だった。
語り合っているうちに武田先生は駄ボラをこく。
「俺は映画に出る。博多から出てきた田舎者の武田鉄矢は演技力は凄かぞ」
ホラをこいて喋る。
そうしたら屋台なので、ラーメン屋のオヤジさんがラーメンを湯がいている。
その湯気の向こう側からその屋台のオヤジさんが「その先はどげんなったと?」と聞く。
そこでさんざんホラ話をする。
そうするとみんな「面白か」とかと。
3、4日してまたそこの屋台に行って、そこのラーメンを湯がくオヤジが「あの続きはどうなったと?」と言う。
気づくとお客さんがいる。
そのお客さんは武田先生の話を聞きたいばかりに通い続けている。
その時にジュンが「アンタには不思議な力があるよ」と言った。
それがポッと心に灯って「東京行きたかぁ〜!」という。
結局それが実現していると思う水谷譲。
ネタが重なったので、武田先生の終わりを語りたくて二度に亘って。

同じネタを持ってきてしまったもので、自分の人生を待っていたものをアドリブで喋りたいという非常に苦しい一週間だがお付き合いのほどよろしくお願いします。
昨日のお話は何か、その光景自体がドラマのワンシーンみたいな感じがした水谷譲。
その22歳の若者だった武田先生も今、75歳だが、ふっと人生を振り返ると屋台の明かりが見えてくる。
その頃のことを話しましょう。

福岡は音楽の青春を選んだ若者達が非常に多かった。
武田先生がよく通っていた屋台から歩いて5分ぐらいのところにフォーク喫茶「照和」というライブハウスがあって。
繰り返しになるが、そこには強力な音楽仲間というか、ライバルがいて、チューリップの財津さんがいて、チューリップはもう完璧なコーラスで。
それから時々ソロで歌いながらコーヒーを運ぶ役が「甲斐バンド」の甲斐(よしひろ)君。
お客さんの中には聞くところによると長渕剛さんがいらっしゃって、「風」の正やん・伊勢正三さんがそこを観客席にいて何ブロックか先に喫茶店があってそのマスターがタモリさん。
タモリさんはいたずらばかりしていたという。
お客さんが「何が美味いか教えてください」。
「あ、ウインナーコーヒーですね」と言いながらコーヒーにウインナーを入れて出したという。
そのタモリさんの勤めていた喫茶店のちょっと先、大橋を渡った反対側の中州ではペドロ&カプリシャスが歌っている。
そんな渦。
その中で我が身の「海援隊」はというと、パっとしない。
また仲間もよく付き合った。
武田先生達は変なパロディソングを作っていて
海援隊で初めて作ったパロディソングが「大学ボタン」といって。
ここでも一度ご紹介したことがあると思うが。
2024年8月12〜16日◆俵星玄蕃
60年代に大ヒットしていた高倉健の「唐獅子牡丹」の替え歌を「大学ボタン」といって。
健さんの「唐獅子牡丹」は任侠映画で

義理と人情を 秤にかけりゃ−中略−
背中(せな)で吠えてる 唐獅子牡丹
(高倉健「唐獅子牡丹」)



と、こうくる。
武田先生達の「大学ボタン」は70年代の学生運動をパロディに選んで

辞書とゲバ棒 はかりにかけりゃ
ゲバ棒が重たい 学生の世界
背中(せな)で吠えてる 第四機動隊


と歌う。
田舎のフォークグループだから、これしきでもウケる。
その演歌仕立てが。
その頃のフォークは爽やかで

人は誰もただ一人(はしだのりひことシューベルツ「風」)



とか、その中で「♪辞書と・・・」と(ステージに)出るとワーッと。
その程度。
井上陽水さんの前座をやった。
陽水さん、勘弁してくださいね。
ちょっとお話します、あなたのことを。
福岡から車で一時間以上かかる佐賀県の田舎。
その当時は田舎だった。
佐賀の人、勘弁してください。
唐津の人、勘弁してください。
唐津という町がある。
そこの公民館の前で唐津大漁祭りとかというのがあって、提灯がぶら下がっている下で朝礼台みたいな台を置いてフォークシンガーが歌を歌う。
陽水さんが出た。
その時の陽水さんはまだ全然売れていなくて。
まだヒット前。
「アンドレ・カンドレ」を辞めて「井上陽水」になったばかりで、彼も自分でオリジナルを作り、ため始めた頃だった。
だから何曲か自作の歌を歌うのだが、これが後に日本を席巻するニューミュージックの先駆け。
「サキガケ」はやはり「先が崖」。
余り受けなかった。
何でかというと公民館の前。
青空の下で後ろは松林でガーッと風で揺れている。
そこで陽水さんが日本の社会の闇を歌う。
彼のテーマは「青年の孤独」。
唐津青年団とかが見ている中で都会の青年の憂鬱を歌う。

都会では自殺する若者が増えている(井上陽水「傘がない」)

傘がない (Remastered 2018)



田舎の人はびっくりする。
「東京では若者が自殺しようと!?」という。
サビが凄い。

行かなくちゃ−中略−
傘がない
(井上陽水「傘がない」)

と言う。
唐津の青年団は理解できない。
「雨の中、君に逢いに行かなくちゃ」なのに「傘がない」というのは。
小さな声が会場に沸き起こった。
ある意味でどうしても言いたかった村の青年達のつぶやきだろう。
「濡れて行けばいいやな」
それぐらい文化ギャップがある中で苦戦なさっていた。
この後、武田先生達「海援隊」。

そんなこんなで文化差が東京エリアと博多・福岡ではあの当時あった。
60年代、70年代の初めのことだから。
だから陽水さんのあの都会派、アーバンなニューミュージックというのは受けなかったというかあんまり反応がよくなかった。
それに比べて武田先生達(海援隊)は泥付きの地方ローカルバンドだから盛り上がる。
演歌がかったフォークか何かでみんな村民の手拍子で。
そういうところが仲間たちは「武田は少し誤解しているんじゃないか?武田はフォークソングでも何でもない」。
武田先生は勝手に「ライバルだ」とかと呼んでいた人達は武田先生達のことを何とも思っていないワケで。
余りにも違い過ぎるから。
「母に捧げるバラード」を作った。

母に捧げるバラード



その時に音楽記者の方から「どうしてお母さんのことを歌おうなんて思いついたんですか?発想の原点は何ですか?」と言うから、その当時の流行言葉で「やっぱりビートルズですかねぇ」という。
ジョン・レノンの「マザー」。

ジョンの魂:アルティメイト・コレクション<1CDエディション> (通常盤)(SHM-CD)



Mother,you had me(ジョンレノン「Mother」)

ああいうのを聞いて「母親のことを歌おう」。
「やっぱり影響はジョン・レノンですね」と言った。
そうしたら遠くで聞いていた井上陽水さんが「アンタ達はね、『ビートルズの影響』とか言うけどな〜んも受けとらんよ。ビートルズはおらんでもアンタは『母に捧げるバラード』は作っとう」と言われた。
それは当たっている。
誉め言葉だと思う水谷譲。
その時は(誉め言葉だとは)思わなかった。
吉田拓郎とかに憧れていたし。
それがずっと引っかかっていて「バカにしとうなコイツは」とかと思っていたのだが。

もうこんな話もしましょうか。
もう今や、誰に恨まれるワケでもないだろう。
(19)70年、或いは71年。
その70年代の始まったばかりの頃に博多にも大変な騒動が起きる。
フォーク喫茶「照和」にレコード会社が来ている。
びっくりして。
それは何かといったら「チューリップ」。
チューリップの上手さがもう他の都道府県にも響いていて、日本で新しい音楽を起こそうとしている東芝EMI。
そこからスカウトが覗きに来ている。
その時に財津さんの顔色が変わった。
「武田君」と呼ばれて行って相談された。
「僕達とジョイントばしてくれん?」
その当時は武田先生達にとっては非常に晴れの舞台だったのだが、渡辺通という大通りがあって、その脇に電気ホールというホールがあった。
お客さんが千人ちょっとか。
そこを財津さんは満員にしたかった。
ちょっと自信が無かったのだろう。
もう一つ、或いは二つ、三つ。
仲間を誘ってやって自分達がトリを取ったら満員に、という。
その満員にできる可能性のサポートは、客を呼んでくれそうなのは「海援隊」というローカルコミックバンド。
それで武田先生に「ジョイントばせん?」と。
その時に財津さんは「頼むけん」と頭を下げた。
やはり彼は東芝EMIのオーディション、シンコーミュージックというところがプロダクションなのだが、そのディレクターと社長さんの前で福岡での人気を見せたかった。
満員ということを前提に。
それでチューリップをトリにしておいてコントをやったりする。
チューリップが主人公のコントをやった。
コントとか好きだから、武田先生も出たかった。
そうしたら「武田君はいらんけん」と言われて。
妙に出してウケるとヤバいと思って。
コントはチューリップ全員でやる。
武田先生達は武田先生達で演歌臭いのを歌って、それでチューリップがトリを取って。
そうしたらディレクターさんが舞台袖で見ていた。
東芝EMI、切れ者で有名な新田(和長)さんという。
その時に武田先生もちょっと見て「ああ、この人か。東芝の偉い人は」。
田舎者が東芝ならドキドキする。
その人がパっと見て「さっき出てたの君?」と言うから「はい、そうです」その方が「君さぁ。面白いね」とおっしゃった。
だがそんなことを言われても困るし。
チューリップが目立つべき。
「僕達は福岡でずっと歌うていきますけん」とかと言いながら武田先生はそこを引き上げた。
そこから時間が経つ。
その後、その場にいらっしゃった東芝EMIの新田さんと50年ぶりに会った。
去年のこと。
これがまた不思議なご縁で。
ピート・ハミルという方がおられて。
この方はニューヨークでライターをやっておられて。
ニューヨークタイムズにエッセーを書いておられた。
そのピート・ハミルさんがお書きになったエッセーのタイトルが「幸せの黄色いリボン」。
これはアメリカの町で本当にあったことらしいのだが、長距離バスに乗り合わせた若者と一人の中年男がいて中年男が横にいる若者に「実は俺、刑務所を出てきたばっかりなんだ」と言う。
「ああ、そうですか」というような話をしているうちに、だんだん打ち解けて「彼女はきっと幸せに暮らしていると思うけども、私が家に帰って欲しくなかったら俺んちの前に樫木が一本あって、その樫木に何も掲げないでくれ。でも私をもし待っててくれたらその樫木に黄色いリボンを結んどいてくれないか」という。
これは本当にあった話。
バスがその家の前を通った時に男はじっと下を向いていて、若者が「ありましたよ。ハンカチ」と指さすと樫木いっぱいにリボンが結んであったというアメリカの小さな田舎町のエピソードをニューヨークタイムズに書いた。
それがフォークソングの「幸せの黄色いリボン」という歌になった。



それを映画女優である倍賞千恵子さんが歌っていた。
傍におられた山田洋二監督が「倍賞君、その歌どういう意味なの?」と言ったら倍賞さんは「この歌、綺麗な歌なんですよ」とバーっと話したら山田監督がじーっと考えて「これは映画になるねぇ」という。
松竹はちゃんと許可を貰って、これを日本版で山田洋二監督が脚本をお書きになって「映画にしよう」。
いろんな候補があったけれどもやはり「あの人がいいなぁ」ということで高倉健。
問題は若者(の役)。
「若者は現代風の人がいい」というので女性は桃井かおり。
「じゃ男性は」といろんな人が挙がったらしい。
だがそのうちに山田さんが突然「武田鉄矢でいこうか」という。
武田先生をどこで見ていたのかと思う水谷譲。
永遠の謎。
最近も訊いているが監督はお答えにならない。
ただ「君を使うことに於いては賭けだった」といつもおっしゃる。
ただ山田監督のこだわりは何かというと、フォークソングでいきたかった。
だからフォークを歌っているヤツがいい。
プラス田舎臭いヤツがいい。
山田さんの胸の中にフッと沸いたのは、健さんがその若者と古里の言葉訛りで語り合うという。
「あ!武田といえば訛りだな」というようなもので、フォークソングと古里に救われたというのは武田先生のこと。
それで武田先生にお呼びがかかってあの映画に。
飛ばす。
あの映画は成功裏に終わった。
お陰で武田先生もやっと喰っていけるようになった。
二年後には荒川の土手を歩く中学校の先生役が舞い込む。

3年B組金八先生第2シリーズ DVD-BOX [DVD]



歳月が流れた。
また(話は)戻る。
武田先生に声をかけた東芝EMIの新田さん。
友達がいる。
新田さんがピート・ハミルさんの奥さん(青木冨貴子)と知り合いだった。
ピート・ハミルさんはもう亡くなってしまったのだが(奥さんは)実は日本人だった。
しかもこの人は日本で音楽雑誌記者をやっていた。
この人が初めて駆け出しの頃にインタビューしたのが「海援隊」。
その方が日本に一旦戻ってこられた。
新田さんと音楽仲間だった。
それで新田さんに「武田君と一杯やりたいね」という話になった。7
武田先生が通っている合気道場に彼の「テカ」(と聞こえるが何を意味しているかは不明)が通っていた。
それでピート・ハミルさんの奥さんの青木さんと「会おう」という話になって、ピート・ハミルの奥さんと新田さんと武田先生と三軒茶屋で一杯やった。
武田先生は高倉健という俳優が懸命に打ち込んでいたか、山田洋二が真剣にあの一本の映画に演出をやっていたというお話をしたら、ピート・ハミルの奥さんである青木さんが泣きながら聞いてくださる。
ピート・ハミルさんも映画の仕上がりを見てくださっていた。
武田先生がお気に入りだったらしい。
武田先生のニックネームが(映画の中で)車を運転していたから「ドライバー」というのだが、ウンコをしてティッシュペーパーの箱を抱えて走るところはハミルさんが笑っていた。
それを話してくださって。
その宴席の一番最後に新田さんがおっしゃった一言が「人生で待っていたものは」。
「あん時、アンタもスカウトしとけばよかった」
長大な話だが、こんな話もちょっと続けてみる。



2025年04月15日

2025年3月17〜28日◆希望の歴史・下巻(後編)

これの続きです。

ルトガー・ブレグマンの「希望の歴史」を三枚におろしている。
その第16章。
変わったタイトルが付いている。
「テロリストとお茶を飲む」
この中でまたルトガーはルトガーらしい希望の見つけ方を語っている。
これは読むとハッとする思いに駆られる。
それぐらいルトガーには説得力がある。
そのルトガーが激しく疑った定説こそ「割れ窓理論」。

 ハーバード大学の政治学教授だったウィルソン(162頁)

 一九八二年、ウィルソンは−中略−こう記した。「割れた窓をそのまま放置したら、じきに他の窓もすべて破壊されるだろう」。−中略−道端に散らかるゴミ、路上の浮浪者、壁の落書き。そうしたものは全て、殺人や暴力の前兆だ。割れた窓が一枚でもあると、ここでは秩序が守られていない、もっとやっていい、というメッセージが犯罪者に送られる。したがって、重罪と戦うのであれば、割れた窓を修理するところから始めなければならない。(163〜164頁)

これは結構、一世を風靡した。

ブラットンは−中略−ニューヨーク市警察の交通部門のトップに任命された。彼はウィルソンの理論の熱烈な信奉者で(165頁)

ブラットンがしようとしていたのは、窓の修繕だけではなかった。ニューヨークの秩序を立て直したかったのだ。−中略−最初にその標的となったのは、地下鉄の無賃乗車だ。取り締まりは強化され、一.二五ドルの切符を提示できなかった人は、鉄道警察に逮捕され、−中略−逮捕者の数は以前の五倍になった。(165頁)

今や、誰でも、ほんの些細な違反でも、逮捕される可能性が出てきた。公の場で酒を飲んだ、マリファナを所持していた、警官に軽口を叩いた、というだけで。ブラットン自身の言葉によれば、「街路で小便をしたら、刑務所行きだ」。(165〜166頁)

とにかく「割れ窓理論」に乗っかって街を綺麗にする、浄化運動を始めた。

犯罪率は急落した。殺人は? 一九九〇年から二〇〇〇年の間に六三パーセント減少した。強盗は? 六四パーセント減少。車泥棒は? 七一パーセント減少。(166頁)

大きい効果だと思う水谷譲。
この「割れ窓理論」はニューヨークを安全な街にする為の重大な秩序となった。
ところがルトガーさんはこの「割れ窓理論」の影の部分を見つける。
2000年代に入ると「割れ窓理論」そのものにヒビ割れが入り始めた。

 ……ブルックリン・パークでドーナツを食べていた女性。インウッドの公園でチェスをしていた人、午前四時に座席に足をのせていた地下鉄の乗客。そして、凍った寒い夜、必要になった処方薬を車で買いに行く時にシートベルトをしていなかったクイーンズ地区の老夫婦。−中略−その後、夫は心臓発作を起こして亡くなった。(168頁)

(亡くなった経緯は番組の内容とは異なる)
本当に薬が無ければダメだった。

割れ窓戦略は人種差別と同義語であることも判明した。データによると、軽犯罪で連行された人のうち白人はわずか一〇パーセントだった。(169頁)

そうするうちに大変なことが起きてしまう。

二〇一四年に煙草を密売した疑いで拘束され窒息死したエリック・ガーナーの事件のような、致命的な結果を招いた。「あんたらは、俺を見るたびに、ちょっかいを出したがる」とガーナーは抗議した。−中略−
 しかし、警官は彼を地面に倒し、締め技をかけた。ガーナーの最期の言葉は「息ができない」だった。
(169〜170頁)

例のアメリカの大暴動のきっかけになるという。
あれは全ての始まりは「割れ窓理論」に則っての警察の行動だった。
ここから「割れ窓理論」にヒビが入っていくワケで。
1982年、ハーバード大学JAウイルソン教授から始まった「割れ窓理論」からいつの間にかそれが人種的特権を含む過剰な取り調べになったという。
水谷譲に言った。
「割れ窓理論」を利用して殺人は63%、強盗は64%、車泥棒は71%も十年間で減ったという。
でも怪しい。

警官たちは、できるだけ多く罰金を科し、召喚状を発行するよう、駆り立てられた。彼らは違反の捏造さえ始めた。(169頁)

だからガーナーさんがお気の毒なのは、何回も嫌な目に遭っている。
「友だちに煙草を一箱あげるのが何で麻薬の密売になるんだ」という、それが反抗的態度ということで窒息死という亡くなり方をしたということ。

ルトガーさんは「希望をどう持つか」ということでこんな例を出されている。

「もしあなたが、女性を誘拐して五年間ラジエーターに鎖でつなぐ男の映画を作ったら──おそらくそんなことは、歴史上、一度しか起きていないだろうが、──それは社会を現実的に分析した映画だと、褒めそやされる。−中略−恋に落ちる人々を描いく映画を作ったら、今日の英国ではおよそ一〇〇万人が恋に落ちているにもかかわらず、非現実的な世界を感傷的に描いた映画だと言われるだろう」
    リチャード・カーティス(映画監督・脚本家)
(214頁)

(上記の話は細部が番組の内容とは異なる)
「平凡が大事なんじゃないの?」という。
今、異常なことが起きると異常さを強調するニュースの並べ方をする。
「そこにリアルはないんだよ」というのをルトガーさんが言っている。
著者は平凡にリアルを求めるという、それを希望にするという、そういうものを持ってないと今、世の中どんどん暗く見えちゃいますよ、という。
これは人間の心の内側にあるネガティブ・バイアスという本能で、人間が危険に遭わない為に追い込まれた心理。

人間には「ネガティビティ・バイアス」があることを述べた。(216頁)

「暗い方に物事を考える」という。
だから、あなたが被害に遭わない為にニュースは連呼するのだが、メディアの役割は何かというと「警戒して」。
リアルは何かというと人間は常に警戒できない。
ではリアルはどこにあるかというと時々騙される。
これが人間のリアルなんだ。

時々は騙されるという事実を受け入れたほうがはるかに良い、と彼女は言う。(218頁)

そうした方が人間というのは希望を見つけられるのではないだろうか?
これはハッとする指摘。
武田先生は「騙す」という字が最近、気になって一生懸命字源を・・・
「騙」
これは「だます」と読むのだが、違う読み方で「かたる」と読む。
武田先生が放送しているのは、これは「語り」。
でも「だます」ことも「かたる」と言う。
つまり皆さん、武田先生の喋りには「語る」と「騙る」が両方混じっているということを忘れないでください。
特に武田先生にはどっちもあると思う水谷譲。
つまり「語っている」時に思わず「騙ってしまう」ということがある。
だから常に「騙されるか」と思ってこの番組を聞いていただくよりも、敢えて「時々騙されてやろう」と思って聞いた方があなたの暮らしの中で希望が見つかることがある。
ルトガーさんは抜群の名言を残しておられる。

もしあなたが一度も騙されたことがないのなら、基本的に人を信じる気持ちが足りないのではないか、と自問すべきだろう。(218頁)

この逆説が成立するところにルトガーがいる。

「希望」それを手探りしている。

ドナルド・トランプは−中略−こうアドバイスする。「相手ではなく、自分に勝ち目があるうちに、敵を粉砕し、自分のためになるものを奪い取れ」。(219頁)

トランプ大統領の大変さは、絶えず敵がいないと成立しない。
この人は敵が必要。

 良いことをすると気分が良くなる世界に生きているというのは、素晴らしいことだ。−中略−人助けが好きなのは、他者がいないと自分もいなくなるからだ。(219頁)

他人がいるから自分という名乗りができるのであって、他人がいないと自分も消えてしまう。
敵を憎み、反感や悪意を抱くと、体の中がそうだがエネルギーの消費が跳ね上がるそうだ。
憎悪というのはくたびれる。
そんなものから自分を解放したければ許すこと。

 世界史上のほぼすべての哲学に共通する黄金律ゴールデンルールは、「自分がされたくないことを人にしてはいけない」というものだ。−中略−孔子がすでに述べている。(220頁)

その通り。

 黄金律のこのバリエーションは、「白金律プラチナルール」と呼ばれるが、ジョージ・バーナード・ショーがその本質をうまく言い当てている。「自分がしてもらいたいと思うことを他人にしてはいけない。その人の好みが自分と同じとは限らないからだ」(221頁)

当然のことだが、このへんを時々人間は鼻が高くなったり、ちょっとした権力を握ったりなんかすると忘れてしまう。
大国、大きな国というのは周辺の小さな国に対して「尊敬しろ」、尊敬を求める。
巨大な文明をもたらすのは強大な王の国、キングダム。
だからこそ小国に対して威張る。
「大国だからといって尊敬されると思うな。このバカチンが」と教授はおっしゃっている。
何かやたらと偉大さを振り回す人というのはいる。
「我が国は偉大だ。我が国は偉大だ」という。
今、人間の精神活動はMRI等のスキャン技術でモニター画面で脳の活性を見ることができたりする。
何を考えているかというのは脳をスキャンしてみるとわかるそうだ。
これは面白いことに、世界の独裁者はこのスキャンをもの凄く嫌うそうだ。
バレてしまうから。
このスキャンではっきりわかることがある。
大国同士が手を結ぶ時、共通の敵を探し出して憎む。
その「憎む」という心で共感を結び合う。
しかし「憎むことで手を結ぶとくたびれるよ」という。
それは本当。
敵を想定すると前頭前野、耳のすぐ後ろにある脳の領域がいつも緊張する。
「恐怖に耐えよ」そう命じる脳の部位がここらへんにあるらしい。
人間が一番くたびれるのは何か?
これはルトガーさんが調べたのだろう。
「愛国心」
愛国心というのは脳がくたびれる。
脳の消耗が著しくなる。
愛国心はどこかでふんばらないと。
今で言うところの「ギガ」が重いのだろう。

今、光っているのは、線条体と眼窩前頭皮質だった。−中略−わたしたちが「思いやり」と呼ぶものだ。共感と違って思いやりはエネルギーを搾りとらない。(223頁)

だから意志が続く。
キープすることが可能。
敵に対してどうすれば敵対の心を鎮めることができるのか?
それは敵に対して思いやりを描くことだ、という。
確かに愛国心が強すぎるとそれも戦いに導かれちゃったりすると思う水谷譲。
愛国心はやはり怖い。
これは同士、同じ愛国心を抱く人にとっては凄く重大なことかも知れないけれども、敵に回された人にとっては何回殺されるかわからないという。
今もある。
愛国心ゆえに追い詰めるだけ追い詰めて人間を殺しているという。
やはり体がそうであるように、心の健康を保持する為にも、私達には「思いやり」という心を健康にする働きをしている感情があるよ、という。

 わたしたちは人を区別する。えこひいきするし、身内や自分に似た人々のことをより気にかける。それは恥ずかしいことではない──それがわたしたちを人間にしているのだ。それでも理解しなければならないのは、他の人々、遠くの見知らぬ人々にも、愛する家族がいることだ。そして彼らもまた、あらゆる点でわたしたちと同じ人間であることだ。(228頁)

この「当たり前のリアル」。
「ここから考えよう」という。

「希望の歴史」上下巻に亘って触れてきたのだが、最後の方になってこのルトガーさんがもの凄いことを言いだす。
著者はギクリとするようなことを終章に向かって書いている。
希望を見つける10の心得(本によると「人生の指針とすべき10のルール」)。
希望を見つけるテクニックは十個ある。
その七番目にこんなことを書いている。
「ニュースを避けよう」
それを言われてしまうと立つ瀬がない。
だがルトガーさんの考え方だけはちょっと皆さんにお伝えしておく。
「ニュースを見るのやめましょう」と言っている。
確かに最近そう思う水谷譲。
ちょっと言い方が悪いがムナクソ悪くなってきていることがある水谷譲。
(「ムナクソ悪い」という表現は)「いい言葉」「べらぼう」だと思う武田先生。
ルトガーさんは言う。
「日常の中でニュース見るのやめよう、聞くのやめよう」

実のところニュースは、あなたの世界を歪めている。−中略−ニュースは往々にして、「腐ったリンゴ」に焦点を絞る。(229頁)

「とにかくリンゴの中で腐ったものを選んで『ホラ汚い』『ホラ腐ってる』って騒いだ方が見るんだよ。悪ければ悪いほど注目を集めるのがニュースなんだ」

ソーシャルメディアについても同じことが言える。少数の不良が遠くで叫んだヘイトスピーチが、アルゴリズムによってフェイスブックやツイッターのフィードの上部にプッシュされる。これらのデジタル・プラットフォームはわたしたちのネガティビティ・バイアスを利用して儲けていて、人々の行動が悪くなればなるほど、利益が増える。なぜなら、悪い行動は人々の注目を集めて、クリック数を増やし、クリック数が多ければ多いほど、広告費は上がるからだ。このことがソーシャルメディアを、人間の最悪の性質を増幅するシステムに変えた。(229頁)

「まずはそのニュースに近づかないことさ」
武田先生は何だかすっかり気持ちよく読んでいるが、そんなことを言っていない。
ルトガーさんに成り切ったつもりで続けましょう。

もっと繊細な新聞の日曜版や、もっと掘り下げた著述を読む。−中略−自分の体に与える食べ物と同じくらい、心に与える情報についても慎重になる。(230頁)

「ラジオでおすすめは『(今朝の)三枚おろし』だね」(とルトガー氏は)言わ無ぇよ、嘘言うなよ。
だからオマエは「騙り屋」って言われるんだ。(自分で自分にツッコみ)
とにかく明るい方へ物事を見よう。
武田先生はバカだから信じてしまう。
最高傑作はニュースで「信用でき無ぇな」と思ってスクロールして次のニュースを見た。
そうしたら「芸能界で意外と嫌われているベテラン」というのが出てきてそれの第三位が武田先生だった。
その瞬間に「こんなん信用でき無ぇよ!」。
自分が出てきたら「信用でき無ぇ」。
本当に人間というのは浅はかなもの。
人の悪いニュースは率先して取り入れて、自分が同じことをやられたら「誰だ!こんなこと書いたのは!」と被害者面をして。
「PTSDになったらどうするんだ!」とか使ったことも無いような、PTSDの意味も知らず。
知っているのは「DDT」だけという。
(「DDT」は)戦後の話。
武田先生はメモ書きしていて今度ご披露するが、本当にいろんな言葉を知らない。
ニュースは、そういう横文字を三つ並べて使う。
ずっと同じ状態が続くこと「持続可能社会」「SDGs」。
「SKD」だったら知っているが。
言葉が分かりにくい。
「インフルエンサー」は「風邪をひいて人に移す人」のことかと思った。
「インフルエンス」に「er」が付いているのだろう。
「(インフルエン)サ」も「ザ」も変わりはしない。
咳をしながら移す爺さんがいる。
「あのジジイ、インフルエンサーだ」と言いながら。
そういうのがある。
それから「ダイバーシティ」。
武田先生はフジテレビのことかと思った。
あれは「お台場」だと思う水谷譲。
でも「台場」の「シティ」。
「台場シティ」と言ったら「フジテレビ」に決まっている。
(意味は)「多様性」だと思う水谷譲。
それから「LGBTQ」。
それから「ChatGPT」。
でも「YKKファスナー」と「ChatGPT」は語感は一緒。
そんなもの、年寄はわかりはしない。
かくのごとく「メディアというのはわかりにくいぞ」という。
「あんまり信用しちゃダメだよ」とルトガーさんは言うという。
その中でもルトガーさんが最後にとても愉快な希望の話題を持ってくる。

「希望の歴史」いよいよ終章。
本の方はまだたっぷりあるのだが、武田先生がとりあげたのはこの出来事。
ルトガーさんの言葉。
不安で出来事を語り、それをニュースにして語る人がいる。
ネガティブは売り物になる。
批判、不満、不安、ニュースは自分達が正しいという証拠になる。
批判とか不満とか不安を言えばそれは商売になるんだ。
それに対して希望について相手にしない。
希望は商売にならない。
彼らは批判と不満と不安をなるべく短い言葉でまとめてこれをリピート、繰り返すことで商売にしている。
ナチス、アウシュビッツ、日本帝国主義、そういう用語を何度も繰り返し使えば人を不安にさせることができる。
つまりニュースの用語そのものが売り物になるから。
ルトガーはこんなニュースを伝えている。

ヒトラーの腹心だったルドルフ・ヘスが獄中で自殺し、ヴンジーデルの墓地に埋葬されると、その町はネオナチの聖地になった。現在でも、毎年ヘスの命日である八月一七日には、スキンヘッドのネオナチが暴動や暴力が起きるのを期待しつつ、町中を行進する。
 そして毎年、まさにそのタイミングで、反ファシズム主義者がこの町にやってきて、ネオナチの望みどおりの状況をもたらす。
−中略−ナチを殴っても彼らを力づけるだけだ。彼らはそれを自分たちの正当性の裏づけと見なし、新兵の勧誘がしやすくなる。−中略−絶妙なアイデアを思い付いた。ルドルフ・ヘスのための行進をチャリティウォークにしたらどうだろう?−中略−ネオナチが歩いた一メートル毎に、町の人々は一〇ユーロをEXIT-Deutschlandに寄付するのである。そのお金は極右グループからの脱退の支援に使われる。(231頁)

(細かい部分は番組の内容とは異なる)

彼の組織はドイツの過激なロックフェスティバルで、Tシャツを配った。極右のシンボルが派手に描かれたそのシャツは、ネオナチの思想を支持しているかのように見えた。しかし、洗濯すると、別のメッセージが現れた。「Tシャツにできることは、きみにもできる。わたしたちは、きみが極右から自由になれるのを助けよう」(232頁)

こんなふうにしてこのジョークがドイツ中では評判になっている。
このユーモアには説得力がある。
批判、不安、不満ではなくてジョークで返せるだけの余裕があるということが大事なこと。

最後にルトガーはもう愚直に叫んでいる。

現在、現実主義者という言葉は、冷笑的の同義語になっているようだ──とりわけ、悲観的な物の見方をする人にとっては。(236頁)
 
「現実を見る」とは人の善を信じることだ。
人が時に友好的で他人を命をかけて救い、懸命に助けようとする、そういう生き物であること、そこから人間を考えてみよう。
「一番大事なことは無知から脱出すること。それが人間の希望の歴史なんだ」という。
スケールの大きい話になったが。
こんなことを話しているのは武田先生達だけ。
がんばりましょう。

ということで「希望の歴史」ルトガーさんの考えだった。
来週また別のネタでご機嫌伺いたいと思う。


2025年3月17〜28日◆希望の歴史・下巻(前編)

(今回は以前放送された「希望の歴史」の続きの内容となる。前回も今回もタイトルは「希望の歴史」なので、それぞれのネタ本に従って「上巻」「下巻」としておく)

上巻をお送りしたばっかりという感じだが「希望の歴史」下巻の方に入りたいと思う。
「これは善だ」「これは悪だ」
「我々は善悪で行動を決定しているが、ちょっとその考え方、あんまり急ぐのやめた方がいいぜ」というルトガー・ブレグマンさんがお書きになった「希望の歴史」、文藝春秋社刊。

Humankind 希望の歴史 下 人類が善き未来をつくるための18章



(本の中の傍点部はアンダーラインで表記する)
歴史の中で「悪だ」と思われていることがあるが、よく見つめると実はそれが「善」だったりするという。
文藝春秋はいい本を出す。
「善悪はそう簡単に決められるものではない」というご本。
ルトガーさん。
アメリカの研究者。
下巻の方はというと「権力はいかにして腐敗するか」。
ここから始まる。
(下巻は「共感はいかにして人の目を塞ぐか」から始まり、「権力はいかにして腐敗するか」は二番目)
この本はもの凄く丁寧で膨大。
だから申し訳ありませんが、皆さんにご報告というか、「(今朝の)三枚におろし」で語るのは武田先生の興味のあるところだけを切り取って出しているので、どうぞ御容赦のほどよろしくお願いいたします。

これは下巻の40ページから続く章だったのだが「権力はいかに(して)腐敗するか」「権力というのは非常に腐敗しやすいものなのだ」と。

 一五一三年の冬、一人の落ちぶれた官吏が、パブで長い夜を過ごした後、小論の執筆に取り掛かった。(40頁)

「こうやりゃ間違いないんだ。バカ野郎!」「てやんでぇ」というようなもの。
何で江戸っ子なのかがわからない水谷譲。

後にその官吏、すなわちマキャヴェッリは、その小論を『君主論』と名づけた。(40頁)

君主論 - 新版 (中公文庫 マ 2-4)




彼は次のように記している。権力を得たければ、つかみとらなければならない。図太くなれ。原則やモラルに縛られる必要はない。(41頁)

この1513年の前後の頃に日本では、ちょっと暴君と見間違えるような織田信長が生まれいてる。
それで、戦国時代がこれでようやく終わる為の始まりが信長から始まるという。
「君主論」というのはそういう意味では見事に世界情勢を言い当てたという一冊になっているワケで、「善悪には縛られない。権謀術数に長け、目的の為に手段を選ばない。そういう君主がいいんだ」という。
ある意味ではちょっと皮肉な言い方だが、現代がまさしくそういう時代で。
暴君と言えるような人が国のまとまりを作るという。

権力を手に入れて維持するには、厚かましく嘘をつき、人を騙さなければならないのだろうか。(41頁)

「ちょっとした気まぐれ」とマキャヴェッリが呼ぶこの小論は後に、西洋史上、最も影響力を持つ著作の一つになる。『君主論』は、皇帝カール五世、ルイ一四世、スターリン書記長のベッドサイドに置かれた。ドイツ首相オットー・フォン・ビスマルクも、チャーチルもムッソリーニもヒトラーも同書を持っていた。ワーテルローで敗北を喫した直後のナポレオンの馬車の中にもあった。(41頁)

この系譜はザーッと今も習近平、トランプさんに続くワケで。
悪の使い方こそが「マキャヴェリズム」と呼ばれるもので、今も権力はこれを目指している。
だから「君主論」というのはプーチンさんなんかは熱心に読んでいるのだろう。
「なるほど〜」とかという感じで勉強なさっているのだろう。

ケルトナーは、人が権力を得るとどうなるかについても研究した。−中略−「クッキーモンスター研究」だ。『セサミストリート』に登場する毛むくじゃらの青いマペット、クッキーモンスターにちなんでの命名である。−中略−被験者を三人ずつのグループにして、ランダムに選んだ一人をリーダーに指名した。そして全員を退屈な作業に取り組ませた。まもなく実験助手が、「皆さんでどうぞ」と、五枚のクッキーを乗せた皿を持ってきた。どのグループも最後の一枚を皿に残した(マナーの黄金律だ)。しかし、ほぼすべてのグループで四枚目のクッキーはリーダーが食べた。さらに、ケルトナーが指導する博士課程の学生は、リーダーたちの食べ方がだらしないことに気づいた。−中略−これらの「クッキーモンスター」たちは、往々にして口を開いたまま、大きな音を立てて食べ、シャツにこぼすことも多かった。(42〜43頁)

ニキ SESAME STREET(セサミストリート)/クッキーモンスター クラシック 25? 3041956




(番組では四人グループということになっているが、本によると上記のように三人)
自分がリーダーに選ばれたら「最後の一枚はみんなでわけようね」とならないのかと思う水谷譲。
クッキーモンスター実験ではならなかった。
かくのごとく人間の奥底に眠っている「特別な人間になった」という思いが高圧的な上から目線の態度になってしまうという。
「こういうのが人間の実態にあるんだぞ」とルトガーが教えてくれる。

実験は更に続く。
このあたりから水谷譲には興味を持ってもらおうと思うが
次なる、権力というものに乗っかった人間の心理の変化。
これはアメリカの方が書いた本だが

ケルトナーらのチームが行った別の研究では、高級車の心理的影響を調べた。第一グループの被験者は、古びた三菱車かフォード・ピント(小型車)の運転を課せられた。横断歩道を渡ろうとする歩行者を見かけると、彼らは皆、法に従って一時停止した。
 しかし第二グループの被験者は、素敵なメルセデスを与えられた。今回、四五パーセントの人は、歩行者のために一時停止しなかった。そして車が高価になればなるほど、運転マナーは乱暴になった。
(43〜44頁)

ここからルトガーさんの面白いところ。
それで「世界の権力者達の行動と表情を観察しよう」という。
様々な政治家が世界にはおられる。
政治家の中で強い権力を持っている人。
プーチンさん、トランプさん、習近平さん。
そのあたりを皆さん、イメージしてください。

権力者はあまりミラーリングをしない。(44頁)

共感において重要な役割を果たす精神プロセス「ミラーリング」(他者の行動や態度を無意識に模倣すること)(44頁)

誰かが笑うと思わず笑っている。
誰かがあくびをするとあくびに誘われてしまう。
こういうふうにして「集団との繋がり」というものが表情に出るという。
これが絶対的な権力者になればなるほど殆ど出ない。
強い権力を持っている人は場の雰囲気で笑ったりしない。
その表情は他者に対して否定的。
それが権力者の特徴である。
そういえばやはり読みにくい。
トランプさんとか。
「腹の中では何を考えてらっしゃるんだろうな」的な表情だと思う水谷譲。
世界の政治家の中で最も表情が少ないのは習近平さんだろう。
それからトランプさんは、もの凄く人々が笑顔で拍手を送っているのに、彼のみが怒った顔で「アメリカを偉大にする」とか。
ましてプーチンさんはあくびが移るような顔をしていない。
そんなふうにして考えると、このルトガーさんの指摘がわかるような気がする。
権力の無い人はどういうことかというと、もの凄く公平を好む。
だから食べ物が手に入ると「分けようとする」という本能がある。
ところが権力を持つと変わる。

わずか三歳の子どもでも、ケーキを平等に分けようとするし(49頁)

これは人間の特徴で言われてみれば思い当たる。
類人猿、チンパンジー等々がそうだが、人間に一番近いと言われるボノボというサルには見られる傾向だが「食事の奪い合いをしない」という。
チンパンジーなんか食べ物の取り合いをする。
ところが人間はしない。
「人が喰ってるもん横から取るヤツ」というのはよっぽどのこと。
それはマナーとして守っているワケで。
食事の奪い合いをしないということと、それからズバリ言うと「食事をしている人に声をかけるのも失礼だ」というマナーを持っている。
公平に分け合うこと、それが人の本能である。
本能に根差した感覚に反した時、「マナーに違反したな」と思った時は口ごもったり、人間の最大の特徴は赤面する。
赤面というのがもの凄く人間的な行為として大事。
だから漢字でも意味深。
「耳」の横に「心」を書いて「恥」だから。
ほっぺたを赤くする「恥じ入る」というのは人間の最大の特徴。

 権力を握る人々にも、同じ傾向がみられる。−中略−
 つまり彼らは赤面しないのだ。
(44頁)

言われてみれば赤面している権力者は見たことがない水谷譲。
トランプさん、プーチンさん。
あの人は屁をこいても全然恥ずかしそうな顔をしないような、そんな感じが。
ごめんなさいね、プーチンさん。
例が悪くて。
そういう恥じらいみたいなもの。
恥じらいがあるところが人間らしさなのだが、権力を手にすると恥じらいを消してしまうという。
この奥の方に眠る権力とは何か?
ルトガーさんのこれは文書にあった言葉だが興味深いのは「専制独裁者は赤面しない」「彼らは羞恥心が無いことで生き残って来た例外の人々である」。

診断可能な社会病質者は、一般の人々では一パーセントしかいない(59頁)

だから「赤面しない」というのは独裁者になるかどうかのテストになるという。
赤面した瞬間にもうその人の偉さは無くなってしまうから、厚顔無恥でいてくれないとと思う水谷譲。
高校の友だちに「急所を攻めるのはやめてください」と言ったヤツがいた。
「オマエみたいなバカを『厚顔無恥』と言うったい。わかっとっとかイトウ」「先生!急所を攻めるのはやめてください」
イトウ君はあの時、顔が真っ赤だった。
睾丸を鞭で攻めているのが想像できたのだろう。

ここからルトガーさんの逆説に満ち満ちた希望の見つけ方が始まる。
V.E.フランクルさん。
この方は文明的な人。
アウシュビッツまで行ったという。
この方が本の中でこういうことを掲げてある。

「それゆえわたしたちはある意味、理想主義者でなければならないが、それは、そうなって初めて、真の現実主義者になれるからだ」
         ヴィクトール・フランクル
(72頁)

「理想主義者でなければ現実主義者にはなれないよ」こうおっしゃっている。
一体に人を疑うことと人を信じること、どちらが人生で役に立つでだろうか?
「人を信じること」だと思う水谷譲。
V.E.フランクルさんは、人生をそう喝破なさった。
政治家にも同じことを求められるという。
政治を批判する人も「人を信じる」ということで現実を知らなければならない。
ルトガーさんはそれをわかりやすく、こんなふうに説明する。

 友情を取り上げよう。もしあなたがある人を疑っていたら、その人に嫌われるような振る舞いをするはずだ。友情や愛や忠誠心といったものは、わたしたちがそれらを信じる「からこそ」真実になる。ジェイムズは、信じていたことが後に誤りだとわかることもある、としながらも、「希望の末の欺瞞」の方が「恐れの末の欺瞞」より好ましい、と主張した。(75頁)

現実を変える力となるのは疑うことではない。
信じることなんだ。
これはちょっと「武田が明るいこと言っとるな」とお思いの方もいらっしゃるだろうし、武田先生もなかなかそこまでの達観はできないが、最近YouTubeなんかで人の悪口が凄い。
あれは気が滅入ってくる。
「ある組織体の裏側はこうなっている」とか、もの凄い暗いことが書いてある。
危険な言葉が飛び交って。
「こんなこと書いていいのかな」というようなことが書いてある。
でもそのYouTubeから何も力は出てこない。

 新学期が始まった時、スプルース小学校の教師たちは、ローゼンタール博士という高名な科学者が、自校の児童を対象として知能テストを行うことを知らされた。この「習得度想定テスト」は、今後一年で最も成績が伸びる児童を割り出すためのテストだと説明された。
 実を言うとそれはごく普通の知能テストで
(77頁)

全部偽物。
そんなのわかるワケがない。
そういうテストをやったそうだ。
「一年後、この子が伸びるかそれとも成績が落ちていくかを今ジャッジできるという知能テストです」ということでやった。
その心理学者がその結果を教師に渡した。
教師は悪い人ではないのだろう。

教師たちは「成績が伸びる」と言われた子どもたちに、より多くの関心を寄せ、より多くの励ましと称賛を与え、結果として子どもが自分をどう見るかを変えた。−中略−知能指数は、一年で平均二七ポイントも上昇した。(78頁)

反対に「あんたは下がる」と言った子は本当に下がった。

 ローゼンタールは自分の発見を「ピグマリオン効果」と名づけた。−中略−わたしたちが抱く信念は、真実であっても想像であっても、同様に命が吹き込まれ、世界に変化をもたらす。(78頁)

彼は二〇人の孤児を二つのグループに分け、一方のグループには、きみたちは上手にはっきり話すことができる、と語り、もう一方のグループには、きみたちは将来どもるようになる、と語った。−中略−数人の孤児に生涯続く発音障害を残した。(79〜80頁)

ピグマリオン効果の裏面はゴーレム効果と呼ばれる。(79頁)

今の社会はこのゴーレム効果を試す人が多くて、とにかく一回後ろから突き飛ばして落としてみるという感じ。
まあそういうのが好きな人がいるのだろうが、突き落とすのが好きな人はどんな人生になってしまうのだろう?
武田先生がどっちを信じるかというと、ごめんなさいね皆さん。
ピグマリオン効果を信じる。
何でかというと、実は武田先生にも確かにピグマリオン効果があった。。
ピグマリオン効果について我が人生を振り返って、武田先生はまさしくこれだった
27歳の時に本当に三流のフォークシンガーで喰い詰め直前までいっていたのに、一本の映画「幸福の黄色いハンカチ」に抜擢されて武田先生は俳優の道を歩き出す。

幸福の黄色いハンカチ デジタルリマスター2010



そこで凄い人、高倉健さんとか渥美清さんに会って。
初めて役者の世界を、芝居の世界を見るワケだが。
何よりも最大の出来事は山田洋二監督という演出家に出会ったこと。
本当に忘れないが、この監督さんから「ここが上手くいかないんだよ。君ならどうするね?」と、そう依頼を受けて、「自分がみっともない男で、強くなりたいから柔道をやって、足が短くなった」というそんな話を映画の中でアドリブでやったら、そのシーンが終わった後だが「君にはセリフをつくる不思議な才能がある」。
これは生涯忘れない。
親もそんなことを一回も言ったことがなかった。
親も気づいてくれないのに人様から、しかも大変な映画の監督さんから「セリフをつくる能力がある」と褒められたその一言がピグマリオン効果になって。
それから5〜6年後には台本を書いていたから。
それでテレビのレギュラーが入ってきたら、頼まれもしないのに40分アドリブでやったり。
「オマエさ、極端だろ」というようなものだが、人間はきっとなる。
それはいい結果だと思う水谷譲。
だからこのルトガーさんあたりの本を読んでいると、そのへんの自分が交錯していく。
だからピグマリオン効果はどこかで信じている。
激しく否定する人よりも、とりあえず褒めてくれた人の言葉をいつまでも覚えているタイプというのは。
褒めて伸びるタイプだと思う水谷譲。
それから親戚のおばさんから言われた「鉄矢は大器晩成やけん」というのが。
「大器晩成」というのが大好きだった。
もう頭の悪い子の唯一の希望「大器晩成」。
だから龍馬が好きになった。
坂本龍馬は子供の時「知的な才能が無い」と。
「坂本のよばいたれ」とか、「おねしょばっかりしている」とか「愚鈍」とかさんざん罵倒される。
「常識が無い」とか。
それが小学校6年ぐらいから剣道場に通い始めたら人変わりしたという。
それで17〜18(歳)ぐらいになると剣の才能が芽生えてきて、いっぱしの男としての風格を持つようになったという。
その愚鈍の部分がもの凄く惹き付けられた。
「俺も龍馬になるぞ」という。
ピグマリオン効果というのは確かにあるような気がする。

第13章「内なるモチベーションの力」。

二〇世紀の二つの主要なイデオロギーである資本主義と共産主義が、この人間観を共有していたことだ。資本主義者も共産主義者も、人を行動させるには二つの方法しかない、それはニンジンと棍棒だ、と語る。資本主義者がニンジン(つまり、金)に頼る一方、共産主義者は主に棍棒(つまり、罰)に頼った。(88頁)

「外因性インセンティブ・バイアス」と呼ぶ。つまり、人にやる気を起こさせるには報酬を与えるしかないと、わたしたちは決めつけているのだ。(88頁)

 資本主義の基盤になっているのは、この冷笑的な人間観だ。(88頁)

それからこの間テレビで仕入れた言葉だが、最近の若い人はあんなことを言う。
政治家が人民を操るコツ「サーカスとパン」。
サーカスと喰い物を与えていると人民はついてくるという。
それを「サーカスとパン」というそうだ。
この国の全ての政党は同じことしか言わない。
「あなたの時給と休憩時間を増やそう」これが現代の政治家の主張である、と。

 そしてわたしたちは幾度となく、他の人は自分のことしか考えていないと決めつける。つまり、目の前に報酬がなければ、人はだらだら過ごすのを好む、と思い込んでいるのだ。(93頁)

それが政治家の人間観であるという。
しかしこれはルトガー曰く、人間をつかみそこなってるんじゃないか?
私達には人間について新しいリアリズムを今、書き直す時なんだ。
そんなもので人間は動いてないよ。
高い収入のニンジンがなければ人は上手くいかない。
そんなふうに思っているけれども、そうか?
上手くいってるとこだってあるぞ。
我々が今、新しい人間観をつかむ為に、「人間はこういうものだ」と見つける為に必要なものは収入が十分でないにも関わらずやりたくなるという仕事をやっている人。
そういう人を見つめることなんだ。
そこに新しい人間のリアリズムがある。
これはハッとする。

まずは子供の世界を見てみよう。
子供にとって教育される場所の学校に待っているのは監視と成績の順位である。
この二つが子供達にとって飴か鞭かということになっている。
しかし急いで大人になること、それがいいことのように言っているがそんなことはないぞ。
しっかり遊ばないといい大人にならない。
まずはしっかり遊ぼう。
遊ぶとは一体どういうことか?
ここからまたルトガーが細かに入っていく。
興味ある方、明日も聞いてね
「しっかり子供は遊ばないと立派な子供にはならないぞ」「遊びが子供を作ってゆくんだ」という。
これは思い当たる
おっしゃる通りだと思う水谷譲。
「遊び」とは何かというとルールがある
それからそのルールを当たり前だが守ること。
基本的に遊びのルールは自分の内側に眠っている勇気を奮い起し、仲間達に親切で結び合い、違反には正直に告白するという。
これは前にもお話した少年マガジンのルール。
「鉄腕アトム」にしろ「ジャングル大帝」にしろ「鉄人28号」にしろ、皆、この少年の遊びのルールを守った。
その遊びのルールとは「勇気」「正直」「親切」。
この三つを守って遊ぶという。
だから我々の少年時代のヒーローは勇気に溢れ、正直で親切という。
「タイガーマスク」とかそう。
一番最後はみなしごの子達につくして、最後は死んでゆく。
かわいそうに。
交通事故で死んでゆくのだが、タイガーマスクであることを隠す為に彼はマスクを捨てる。
そして別の人間として死んでいき、「タイガーはどこかで生きている」というレジェンドを残すという。
そういうラスト。
最後は交通事故で死ぬ。
その時に薄れゆく意識の中で胸ポケットに入っているタイガーのマスクをドブ川に捨てる。
そうすると「伊達(直人)」で死んでいける。
タイガーは生き残るという。
これは泣ける。
初めてニュースで聞いた時、武田先生は泣いてしまった。
みなしごの方ばかりが集団で暮らしている施設の前にランドセルが置いてあって「タイガーマスクより」と書いてある。
ランドセル寄付の「タイガーマスク」張本人が語る...「子供時代は偏見にさらされていた」(ニューズウィーク日本版) - Yahoo!ニュース
たまらない。
つまり「勇気」「正直」「親切」。
これが遊びの徳目だったが、遊びもどんどん広がって守るべき徳目も変わってきて少年ジャンプの徳目「友情」「努力」「勝利」。
これが少年ヒーローの目指すべき徳目になる。
だからこの「友情」「努力」「勝利」で「鬼滅の刃」「ワンピース」「進撃の巨人」「呪術回戦」等々のストーリーが展開していく。
「スラムダンク」とかみんなそう。
集団劇。
「友情」「努力」「勝利」
これを子供達は体験しないとダメなんだ。
だから読み間違えてしまって悪い方につるんだりなんかしてしまって。
闇バイトなんか友達と一緒に参加したりなんかして。
「ルールをしっかり守る」という、これが遊びにとって大事なんだ、という。
武田先生はまだしつこくゴルフなんかやっているのだが、遊び飽きない爺さん達が朝早く打ちっぱなしに行くと同じぐらいの年齢の人が、舌打ちをしながら練習をしている。
まだゴルフ場から魂が帰ってこない。
ゴルフで試されるのもやはり「勇気」「正直」「親切」。
あれは嘘をつくと面白くもなんともない。
一打ごまかしたりなんかすると。
ルールを一本通さないと遊びは面白くない。
「なんでもやっていい遊び」というのは面白くない。
そうやって考えていくと子供にとって「遊ぶ」ということがどれほど大人になる為のよい勉強か、ということ。
その例としてルトガーはいじめを例に挙げている。
「いじめは同じ場所、同じ条件で発生する歪んだ狂気である」と。
だいたい同じような場所、条件でいじめが発生するそうだ。

・全員が同じ場所に住み、ただ一つの権威の支配下にある。
・すべての活動が共同で行われ、全員が同じタスクに取り組む。
−中略−
・権威者に課される、明確で形式張ったルールのシステムがある。
(117頁)

こういう条件が続くといじめが発生するそうだ。
このような場所は日本の社会のどこにでもある。
まずは「学校」

その究極の例は刑務所で、そこにいじめがはびこっている。−中略−老人ホームなど他の場所でも見られる。(117頁)

ではいじめの場所・条件を突き崩す為に何をすればよいか。
これが実に簡単で、もう一度泥んこになって遊ぶ子供と同じ環境になればいいんだ、と。
自由を与え、ある年代と様々な能力を持つ子供達がそこに混じり、そしてしっかりしたコーチとプレーリーダーが支援する場所。
そこで子供達はよく学ぶという。
これはやはりそのルールのしっかりした「遊び」とその場所、そこで子供は最もよく学ぶというのは大人も同じこと。
そんなふうにして考えると、このルトガーさんが言っておられる「希望のある場所」というのはそういうところだなというふうに思う。

ルトガーさんの面白いところは、今まで私達が「これが人間に関する定説だ」と思うことをひっくり返していくところにある。
権力に憧れて、人を上から目線で突き動かしたいという欲望はそれは誰の胸の中にもあるのだが、しっかりした遊びをやった子供というのはそれを乗り越えてゆける、という。
遊びの中で自分を鍛えるということが、自分を作っていくということが、いかに大事かというルトガーさんのこの説に従って、さあ我々が信じ切っているこの世界の中、どう変えていけばいいのか?
その希望の源、歴史を訪ねたいと思う。
同じタイトルでまた来週頑張りたいと思う。




2025年03月19日

2025年2月17〜28日◆治したくない(後編)

これの続きです。

襟裳岬の根本の町、浦河の町・東町に診療所ができる。
精神医療の為の診療所。
ここに川村先生という名物先生がいて、この先生が往診はやるのだが入院は無い。
「自宅で治しなさい。それが一番いいことなんだよ」という。
分別し隔離するという精神医療、「そんな時代は終わったんだ」ということ。
その代わり訪問診療をしてくれる。
しかも北海道は広いから先生の往診は

一日の走行距離が百キロを超えることもあり(131頁)

北海道は老々介護の農家が多いそうで、川村先生の診察は先生が来てくれるのでもう有難くてたまらない。

 訪問先の一軒は兼業農家だった。−中略−車から降りてまず裏のビニールハウスに向かっている。−中略−
 この家の八十代の「父さん」は、認知症でもう働けない。けれど「母さん」はしっかり家を切り盛りしている。ビニールハウスを見ればそれがわかる。
(131〜132頁)

 台所から今に来て座った母さんが、そうそうとうなずく。−中略−
 「やっぱり寝れるからでない? 夜」
 「なんで寝れるようになったんだろ」
 「この人が寝れるから」
 父さんが寝てくれるので、母さんも寝られるようになった。
(133頁)

父さんはいつしか畳の上に寝そべっていた。その顔を見ながら、先生が誰にともなくいう。
「我が家にいるって顔してるね。穏やかだもん」
(134頁)

ということで、本日の診療お終い。

 別な日、先生たちは−中略−八木国男さんの家に往診に行った。
 統合失調症の八木さんは、数年前、自宅の敷地内に自分で小屋を建て、そこに立てこもったことがある。母屋にいると幻聴が聞こえるからだ。いっしょに暮らしている兄の車を壊すなどのトラブルを起こすようになり、一時は駐在所の警察官のお世話になった。
(135頁)

 母屋の裏手に八木さんが自分で建てた小屋がある。−中略−その小屋を指さしながら先生がいう。
「これ自分でつくったって、自作でしょ。そこにわたしたちはまず感動したんですよ」
(138頁)

 塚田さんはこの前の年、八木家の空いている畑に先輩看護師の竹越さんとトウモロコシを植えた。(139頁)

それを芽が出たらヤギさんも人の撒いた種なのでちょっと責任感を感じて面倒を見ているうちにすくすく育って、まあそのトウモロコシのその年の出来がいいこと。
(このあたりは本の内容とは異なる)
これが先例になって統合失調症の八木さんも先生がやってくると野菜の出来をまず見せて、症状を見てもらうという。
ある意味、それはモチベーションになっていると思う水谷譲。
だから「今日は大丈夫だ」と言ってもらう為にとにかく頑張って野菜を作るようになったら統合失調症の幻覚・幻聴が静まっていったという。

今度は南の方に回って道南の海辺沿いには漁師さんで統合失調症の方、或いは認知症の方がおられる。

先生は訪問診療についてこういっていた。
「訪問に歩いているのは、安心を配達しに歩いているだけなんですわ。
(137頁)

こういう往診の風景。
この著作はこのように筆の運びで川村先生の診療を記録している。
往診に出かけては患者と話し込む川村先生。
そうすると患者さんの内側にあるものが見えてくるという。

こんな婆さんがいたそうだ。
この方は認知症かもしかすると統合失調症もちょっとあるのかも知れない。
(本によるとクマの話をした人は認知症でも統合失調症でも無いようだ)

「浜にクマが来たの? 昆布拾いに?」
「来た、採りに来たの。それ、おれのだからよこせ、って」
−中略−
 クマが浜に来て昆布を拾っていった。いや人間から取っていった。
 ある日、往診に出かけた先生がソファに寝そべっているばあちゃん相手にバカ話を楽しんでいる。
(141頁)

これはクマを害獣として扱うのではなくて「隣人としてクマを感じる」という婆ちゃん。
その自然に対する感性。
「狂っている」と言うかも知れないが、クマの声が聞こえるというのは、まるで宮沢賢治のような。

もう一人の患者さんを説明する。

じいちゃんは長年漁師として暮らしてきた。八十歳を超え認知症を病んでも(142頁)

 船に乗っているとき、腹のぐあいが悪くなり薬を飲んだ、でもよくならない、そこまではわかる。しかしつづいてこういうのである。(143頁)

 病院に行ったら盲腸だといわれた。ところがそこから話は飛んで、船長が「おまえ、どうした」と尋ねてくる。(143〜144頁)

 「すろうと」の「船の親方」に、盲腸を「しゃあねえ、やってもらうよ」と「切ったぎった」されたのか。(144頁)

 そこでようやく概要が見える。じいちゃんは船の上で腹が痛くなった、船長が盲腸じゃないか、といったけれど、医者でもない「すろうと」のいうことで「切ったぎった」になるのはかなわない。おびえながらも陸に上がり、結局病院で医者に手術してもらった。そういう経過が飛び飛びに、前後を入れ替えながら語られている。(145頁)

先生はじっと話を聞くそうだ。
そして先生は思う。

病の深さっていうのを知ってるんだよね。(151頁)

この言葉がなかなか意味深でいい言葉。

北海道・浦河にある精神医療の先生の話をしている。
精神障害にしろ認知症にしろ、病には深さがある。
と、こんなことをおっしゃる。
脳の部位、いろんな部分があるが、そこが幻覚・幻聴を引き起こす。
或いは認知症の場合だと時間の消失、それから人間関係の図式の記録、そういうものを失う。
それは確かに正常ではない。
「狂気」と呼んでいるワケだが、だからといって正気に戻るのがよいことなのか?
精神障害の場合はそう簡単にその答えが出せない。
川村先生は「狂気の中に人間の心の力学が狂気の中にあるのではないだろうか?」「心理の深いところにある原始の未分化の命を励ますものが心の奥底に実は眠っているのではないか?」という。
「狂気を防ぐ」とか「狂気が表に出てこないように抑え込む」とかそんなことはできないという。

今年の正月・元旦に「ヘビの記憶」というのをやっていた。
子供に9九枚組の写真を(見せる)。
その9枚の写真の中に花とか木とかがあるのだが、ヘビが一匹混じっている。
その「9枚の写真の中のヘビを当てなさい」という。
そうすると幼稚園の子でもヘビを見抜く。
そんなに難しいヤツじゃない。
今度は逆にすると8枚がヘビの絵で1枚だけ花がある。
その中で「花を見つけなさい」と言うと時間がかかる。
9枚の写真のうち1枚だけがヘビということになると、すぐに小さい子供でも見つける。
これはなぜゆえか?という。
番組でちょっとお叱りを受けたけれども、木の上に人間がサル然として生きていた頃、襲われたのがヘビ。
だからヘビに対する警戒心、「すぐにヘビを見つける」という能力は遺伝子であるということ。

白川(静)博士。
武田先生が大好きな漢字の博士が「中国人を動かしている民族のエネルギーは何だろうか?」。
その質問に対して「狂」と言っている。
毛沢東みたいな英雄が、秦の始皇帝みたいな英雄が現れると中華民族というのはその英雄の足元にひれ伏す。
一種「狂」である。
韓国はどうか?
ここは「恨(ハン)」の文化。
恨みを民族のエネルギーにしている。
日本は何だろうか?
何かもっと穏やかなものだと思う水谷譲。
違う。
日本人も凄いのが。
武田先生は「悪」だと思う。
悪のエネルギー。
生きる為に悪を敢えて選ぶということ。
それを日本人は決して否定しない。

川村先生の言葉に戻る。

「自分のなかから思わず行動が引き出されるから、誰が何をしたっていう感覚が、した、されたっていう関係がないんですよね。(そこで)思わずおもしろいものが見える」(164頁)

「目指さない。その面白いものとは出会うんですよ。期待したものとは違う。違うものと出会う。だからそれを面白がるか否かなんですよ」

正しい答があってそこに進めばいいのではないから、迷い悩み、考える。考えながらなお、目の前に起きている事象にいまこの時点での対応をする。(165頁)

「それが生きていくことですよ。答えなんか探しちゃダメなんですよ。そしてその出くわした事象、出来事に対してそれが決定打ではなくて、それもまた流れている。そういう状況を面白がることなんですよ」
答えをきちんと持たない。
「答えも流れているということが難問に遭遇した時の心がけですよ」とおっしゃっている。
このへんからかなり先生の話は文学みを帯びてくるが、それゆえに武田先生は面白くて仕方がない。

昨日は川村先生の哲学的な「求めてはいけない。答えには出会うんだ」と。
難しい表現になるが、でもこの先生も精神の病の人達にと対峙するうちにいろんなことを考えたのだろう。
答えを固定化してはいけない。
「流れている状況というものを答えにしましょう」
そして流れてまたその答えは変わってゆく。
そんなふうにして我々の日々、人生というのは日常を作ってゆくのではないだろうか。

 価値は、力のある人が力を発揮して何事かを成しとげるところにあるのではない。−中略−人びとのなかに入り、自分の力を抑えることで人びとを生かし、人びととともにいること。そこで生まれることにこそ「うんと」価値がある。(168頁)

たった一人のトランプ大統領の出現で世界が変わるとは思えない。
この後、彼もいろんなことをやっていくだろうが。

そこで患者は「ある種、こっちに合わせてくれる」ようなことがなくなり、患者も医療者も、精神科とは何かを考えることがそれまでより自由にできるようになる。(168〜169頁)

こんなことをおっしゃっている。
「物語は精神障害を持った人の病態に似ている」
そう。
おどろおどろしい物語が多い。
特にアメリカ映画はピンチに次ぐピンチ。
「まあよくもここまで考えたな」というぐらいピンチが続く。
バイアスがあり飛躍があり敵がある。
そして意外な展開が用意されて物語ができていく。
自分の内側に狂気というものがあるとすれば向き合いたいなと思う。
自分の狂気は見てみたいと思う水谷譲。
昔、70年代だが読もうと思って買わなかった本に「われらの狂気を生き延びる道を教えよ」というのがあって、タイトルが武田先生は凄く好きで。

われらの狂気を生き延びる道を教えよ(新潮文庫)



これをいつか歌にしたかった。
他には「されどわれらが日々」とか。

新装版 されどわれらが日々 (文春文庫) (文春文庫 し 4-3)



そういう文学作品があった。
フォークシンガーで吉田拓郎さんが歌っていた。

されど私の人生 (Live)



されど私の人生は(吉田拓郎「されど私の人生」)

そんなフォークソング。
「軍旗はためく下に」というのを泉谷しげるさんが「国旗はためく下に」という一字しか変えなかったという。

軍旗はためく下に-増補新版 (中公文庫 ゆ 2-23)



国旗はためく下に(Live)



そういうのもあった。
ごめんなさい。
しょうもない話。

都市部をうろついていても、時々妙チクリンな人と出会うことがある。
それは「ふてほど(不適切にもほどがある!)」なんかにも出てくるが、ある日のこと、バス停を降りたらお姉ちゃんがずっとかまぼこ板にずっと話をしているという。

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するとあのオッサンが「どうしたんだい?耳ん中にうどん入れて」とかと。
でも知らない人にとって、やはり狂気。
かまぼこ板に向かってずっと話している人というのは、どこから見ても。
「スマートホンを持たずに話をしている人を「あれ?この人大丈夫かな?と一瞬思う水谷譲」。
「独り言・・・?ああ違う電話してんだ」みたいに思う水谷譲。
随分デカい独り言の人もいるし、我々は「スマートホン持ってるか持ってないか」でジャッジしている。
やはり「人を見る目」というのがいろんなところに拡散してしまっているものだから、その人の狂気というのが非常に危険であるという、それを確認できない。
そんなことを考えてみると、やはり小さな田舎町のこのトライ、挑戦というのがいかに素晴らしいことか本当にわかる。

ここでわかりやすくいく。

 診療所の薪ストーブの前で、早坂潔さんと川村先生が話をしている。
 早坂さんは自称「精神バラバラ状態」、
−中略− 先生は、早坂さんとは三十年以上のつきあいだ。(180頁)

(番組では「ハヤカワキヨシ」と言っているようだが、本によると「早坂潔」。この後も番組内では「ハヤカワ」と言っているが本に従って全て「早坂」にしておく)

「先生はね、潔どんたちといっしょにいい精神科をつくりたいなって。−中略−
 ちょっと頭のおかしい人でも、暮らしやすい「いい精神科」をつくりたい。
(182頁)

早坂さんが、間髪を入れずに答える。
「いや、そんなに治さなくてもいい、っていった」
「そうだ、ほんとに、ははは。すっかり病気なくなったらおれ困るなあって」
「困るなって、いったわ」
「川村先生くらいでいい、すっかり治されても困るものぉ、っていったんだよ。
(183頁)

実は本のタイトル「治したくない」はここから来ていること。

早坂さんの顔を見ながらふっと、ことばが川村先生の口をついた。
 「半分治したから、あとの半分はみんなに治してもらえ」
(183頁)

この「半分治す」というところが。
潔さんと語り合ううちに思わず出てしまった言葉ということなのだが、川村先生は「完治を目指すことが精神障害者にとっては本当によいことなのか?」。
潔さんは「医者に任せっきりにした自分は楽しくない」。

 精神病の経験から早坂さんが学んだことは、自分自身で「考えたり悩んだり」することだった。(190頁)

その弱さについて仲間と語り合う。
「それが凄く楽しいんだ」という。

そして一人の女性の話になる。

 「名古屋から来た患者さんが、ある日救急外来に来て。日赤時代。なんか幻聴も聞こえると不調を訴えて、精神的余裕なっくなってきて」−中略−
 「苦しくなって、休みの日にやっぱり救急外来に「注射してください」って来たんです。で、ぼく「注射しないよ」っていったんですよ。彼女も一生懸命粘って、「病院なのにどうして注射してくれないんですか、わたしは名古屋でこういうときはいつも注射してもらったんです」と、けっこう粘るわけです」
 くり返し自分のつらさを訴え、強硬に彼女は注射を求めた。先生は答えた。
 「ここで名古屋とおなじことしたいんだったら、名古屋に帰んなさいっていったんです。
(212〜213頁)

 浦河では有名な林園子さんのエピソードである。林さんはその後、統合失調症という自分の病気を仲間とともに考え、話し、克明なメモを取りながら注射に変わる対処法を編みだしていった。(213頁)

ところが不思議なことに、このノートが他の患者さん、仲間達にも役に立つようになったという。(213頁)

彼女の苦労はやがて浦河で、「当事者研究」と呼ばれる病気とのかかわり方に発展していった。(213頁)

そしてついに「もうこれ以上、わたしの病気を治さないでください」というまでになる。(213頁)

 その数年後、彼女は自室で倒れ、そのまま帰らぬ人となった。生きていればさらに多くどれほどのことばを残してくれたかと思うと、彼女の不在は埋めようのない空洞になったというほかはない。(213頁)

「悩むこと、考えることは生きていく上で重大なことである」「苦労するということが命にとってはとても大事なことだ」という。
これは武田先生はギクッとしたが、これはV.E.フランクル。
V.E.フランクルというのは深層心理学の方に出てくる方。
「夜と霧」

夜と霧 新版



アウシュビッツで次々処刑になる同胞を見守りつつも「人間の精神の支えになるのは何か?」そのことを突き止めようとした心理学者。
このV.E.フランクルの名言の中にあるのは「人間は苦悩する才能がある」という。
人間だけだと思う水谷譲。
「苦悩とは生きていく条件だ」と言っている。
潔さんという方、精神に疾患のある方でこの方はもうこの病にかかって50年以上。
向き合えることが凄い、向き合って名前まで付けるほど自覚ができるということが凄いと思う水谷譲。
武田先生がべてるの家の文化祭で「自分に精神的な病があるとして名前は何にしますか?」と(問われた)時に「過剰適応症です」と言ったら、もっとも同情してくれたのが潔さんだった。
「鉄ちゃんも大変だ」と言われた。
狂気というのは遠いものではない。

斉藤道雄さん「治したくない ひがし町診療所の日々」、みすず書房の一冊。
斉藤道雄さんこの方が本の終わりの方で、難解極まりないフランスの哲学者を取り上げて。
レヴィナス。
レヴィナスは武田先生が勝手に師と仰ぐ、内田樹先生が師と仰ぐフランスの哲学者がレヴィナス。
このレヴィナスがこんなことを言っている。
これは難解な言葉なので気持ちが半分逃げているが。

〈他者〉を打つ力に対抗することが可能であるのは、抵抗の力によってではない。対抗が可能であるのは、〈他者〉の反応が予見不可能であるからにほかならない。(237頁)

わけがわからない。
〈他者〉に対抗する力がある。
それは抵抗することによってではない。
対抗が可能であるのは〈他者〉の反応が予見不可能であるからである。
この言葉をレヴィナスはどこで言っているかというと、ナチス時代のアウシュビッツを取り上げて言っている。
ナチスによる弾圧によってアウシュビッツで殺されたユダヤ人が何百万人といる。
その事実を見たユダヤ人の中で「神はいない」と言い切る人が出てきて、ユダヤ教を離れる人がいっぱい出た。
それに対してレヴィナスは「違う」と言う。
「神は一人も救ってくれなかった。だけど、そのいわゆる予見不可能な神の態度こそが我々が神を考える為の最高の材料じゃないか」という。
「神が何もしないことによって神たるべき」という。

向谷地さん、それから川村先生。
この人達は実は解決しない。

 精神障害が何であるか、精神障害者とは誰なのか、それは「無限なもの」のなかにあって見通すことはできない。精神障害にどう応じればいいのか正しい答はないし(240頁)

「無限なもの」を考えつづけること、人間を、また人間と人間のあいだを見つめることだったのだと思う。(238頁)

無限なものとは「捉え難く、絶対に思いどおりにはなりません」ともいっている。(239頁)

「でもその無限に耐えて人間は迂回しながら考えるんだ」
こういうこと。
難しいように聞こえて、川村先生や向谷地さんがやっていることはまさにそれだと思う水谷譲。
そう。
「真っすぐ解決に行くな。遠回りしろ、迂回しろ。その迂回から見えてくることがある」
向谷地さんと話していて、武田先生は「面白い言葉遣いするな」と思うのだが、この人は精神障害を持つ人に殴られたり蹴られたりしている。
でも殴られたり蹴られたりしながらじっと耐えながら、自分の中の何事かを伝えようとする。
向谷地さんの苦労話の中で本当に目も当てられない惨憺たる人はいる。
その人の思い出を語る時に向谷地さんの使う不思議な言葉遣いで「いやぁ〜あの人には鍛えられた」。
「あの人に迷惑を被った」と言わない。
そこにもの凄い彼のスピリッツを感じる。
川村先生もそう。
人口1万2千ばかりの浦河から、日本どころか世界を変える力を持つ。
小さな町の精神科の診療所が、いくつもいくつも探り当てているこの現状を皆さん方に伝えたくて無我夢中の喋りとなったが。
べてるの家はこれからどうなっていくのかと思う水谷譲。
日赤で精神科がどんどん縮んでいく。
ところが面白いことに縮んでいくとそこで鍛えられた人、精神障害を持つ人達に鍛えられた人達が職を求めてよその町に行く。
そうしたらべてるのメソッドがよその町に広がってゆくという。
つまり「一面で不幸を見ちゃダメだよ」という
川村先生は子供が野球ができる球場を作ったり。
浦河の町は町としては縮んでいる。
だが川村先生のところにはいろんな人が集まってきて「これはいいですね」とか。
一番当たったのはあの統合失調症の女性の為に作った墓地。
あれは「私も入りたい。私も入りたい」で、べてる経営の霊園墓地ができそうで。
ある意味経営も強化されている。
それで潔さんに「武田さんもこっち来て入ればいいじゃん」と言われて、武田先生はその墓地を見に行った。
いい環境。
つまり希望と絶望は同時進行。

折に触れて、また新しい便りがあったら必ずお伝えしたいと思う。


2025年2月17〜28日◆治したくない(前編)

まな板の上に乗せたのは「治したくない」という不思議なフレーズだが、実はこれはまた北海道。
北海道・襟裳岬の付け根にある人口1万2千ばかりの浦河町「べてるの家」ということで、何度も話題に。
そこの町で生きる、あるお医者様に注目したという著作が、みすず書房「治したくない ひがし町診療所の日々」。

治したくない??ひがし町診療所の日々



(本の中の傍点部はアンダーラインで表記する)
斉藤道雄さんという方が書いておられるのだが、これが読み応えがあったのだが、まずは初めて聞かれる方の為に浦河という町の風景からご説明する。
町の背中は日高山脈で目の前には北海道の南の海が広がっている。
日高の山々。
傾斜地が多いのだが、その一番緩やかなところには浦河の有名な産業であるが競馬馬の生産をやっておられて。
ここは南の海が温かいものだから海洋性気候で霧が発生しやすい。
その分、冬の厳しさもある程度緩やかだという場所。
これは行くとわかるが日高山脈は緩やかな裾野には馬の牧場が広がっていて、牛の方はワリとバリケードでバーっと巡らしている。
馬牧場の方は白い柵がずらーっと並んでいて、何かこう歌が聞こえてくる・・・



「ルンナ♪白い何とかのルンナ♪」というような。
牧舎も全然スケールが。
この浦河の町に今、インドの出稼ぎの方が凄い勢いで増えているという。
インドというのは昔、イギリスの植民地でイギリスが、ポロとかで競馬もそうだが、とても馬競技を大事にしたので、馬の飼育に関してプロが多い。
人手不足を補う為に浦河の町にインド人の方がやってきて、という。
このインド人の方々の技術というのは日本競馬会「JRA(日本中央競馬会)」でもスタッフとして有名だそうだ。
とにかく海は豊か、山は豊かという浦河。
ここは日高昆布の集積所、集まる市場がある。
人口1万2千の本当に小さな町に、何度でも紹介しているが、精神障害者のグループホームの「べてるの家」があって。
精神障害の方が精神障害の方と一緒に暮らしながら、いわゆる精神障害を治そうという医療の挑戦。
精神の方の病は様々あるが、長い人類の歴史の中でこの精神の病というのは無くなったことはない。
確かに存在する。

 日本の精神科の入院患者は三十一万人(196頁)

これに加えて昨今では、鬱、引きこもり、そして認知症等も加わって、15年前から2.6倍の患者の方がおられるということ。
認知症等は高齢者の14%がこの病に罹っているということで、とにかく体を統合する心を病み、或いは暮らしを認識する能力を失うというこの病は世界的にも増加傾向にあるということ。
アジアでは韓国社会もその人数が増えているし、韓国では「どうやって治すか」の模索が続いていて、武田先生もお会いしたが、韓国からの医療の方々がここで勉強しておられる。
やはり中国の方も早く勉強をスタートした方がいいんじゃないだろうか?
認知症が中国では加わっていくから。
本当に「景気のどうのこうの」言っていないで、この勉強を開始した方がいいのではないか?と。
浦河というのはアジアが注目する精神医療の最前線基地になっている。
これは日本の方もご存じないかと思うが、やはりこの浦河の挑戦というのは凄く今、ヨーロッパが注目している。
「べてるの家」というのはそれほど価値のあるものだが、実はこのべてるの家を支えるのに奇跡のような人物がいる。
それが精神医療者、病院の先生で川村敏明先生という先生がおられる。
この方は浦河赤十字病院の精神科医をしながら、浦河の病院に精神に病があって入院してくる人達を町に出しているという。
精神に病を持った人を入院という形で病院に閉じ込めてしまうとどんどん悪くなる。
川村先生は逆に町に出して普通の暮らしを、働いて生きていくという暮らしをさせた方が病の為にはいいということで通院を求めるという。
この今回は川村先生のこの精神医療に対する日々の取り組みをご紹介したいと思って語り始めたワケで。

北海道浦河、赤十字病院の川村先生の話。
精神に病を持つ方がやってくるのだが、先生は「町で共同生活をしなさい」
その町には「べてるの家」という福祉法人があるワケで。
「そっちの方が治りが早い」というのを川村先生はおっしゃる。
そうすると浦河の赤十字の精神科の方の入院のベッドが空いてしまう。
矛盾している。
そうするとお国の方から「縮小しろ」と。
「入院患者を引き受けないんだったらベッドはいらないだろ」

 精神科病棟を老人病棟にしろという要求は、−中略−地域からの方が強かった。(7頁)

川村先生は「認知症も隔離しておいて治すということはできないんだ」という。
かといって治るものでもない。
はっきり言って認知症は治らない。
今は薬も出始めているが、始まったばかりだから。
それでその日赤の人間として立場も苦しい川村先生が考えたのが、「診療所を作ろう」という。
だから「入院設備はない」という。
自分が診療する。
そうすると、この先生は何か凄い評判がいい人で、看護師さんたちも「川村先生と一緒だったら私、定年退職したら先生の診療所に行く」と言って何人も力を貸してくれる。
とにかく精神医療というのはなかなか偏見もあって難しい。
それで病院で隔離せずに町に出してしまう川村先生にも凄い非難が集まるのだが、べてるの家というこの福祉施設がしっかりしていて、町との折り合いがいいものだから、ワリと上手くいっている。

「結局、(精神科は)赤字だから患者さんを集めてベッドを埋めるか、やめるかだっていわれたんですよ、経営コンサルタントに。で、集めるっていったら高齢者、それこそ認知症の人たちで埋めるって話で、それはもう」−中略−こんどは老人の「収容施設」になるなんて耐えられない。(6〜7頁)

これでもう廃止が決まってしまう。
入院病棟を持っていると国から6億円出るのだが、先生はどんどん(病院から)出してしまうので6億円が入ってこない。
(本によると、浦河日赤では入院患者の減少で国の医療保険が毎年六億円の節約になったという試算があるということが書かれてあるので、このあたりの話は事実とは異なる)
それでその認知症の老人達はどうするかというと、入院施設の無い先生の診療室に行く。
それでこの先生は何をやったかというと、自分で車に乗って看護師さんを連れて二人で自宅を診て歩く。
認知症の老人達のところを。
それが斉藤道雄さんがお書きになった「治したくない ひがし町診療所の日々」に書いてある。
それが「こんなことをやってる人がいるのか」と思うだけでなんだか心がウォームアップ(「ハートウォーミング」ということを言いたかったのだと思われる)というか温かくなってくる。
その認知症の老人達の話は後回しにして、一番最初にその診療所が扱った問題を。
(以下の内容は2017年に始まったようなので、診療所のオープンが2014年であることから考えると「一番最初に扱った」というのは誤りだと思われる)

 大貫恵さんは統合失調症だ。かつて子どもを二人産んだが育てることはできず、児童相談所が介入して施設に預けなければならなかった。親はアルコール依存症、きょうだいも頼りになるどころか逆に大貫さんの生活保護費をあてにするありさまだった。大貫さん自身も幻聴や幻覚が強く、パチンコや男性依存から抜けられない−中略−川村先生の患者だったが、二年前に浦河から姿を消し、隣町に行ったといわれていた。(45頁)

(番組内では浦河から姿を消したのは数か月であるように言っているが、上記のように二年)

 その大貫さんが妊娠したと一報が入ったのは三月だった。子どもは浦河で産みたいと、浦河日赤まで受診に来たのである。ところが四十代の高齢出産だというのに準備がまったくできていない。所持金もなく(45頁)

 母親は精神障害、自活能力はなく、頼れる友人家族はひとりもいない。−中略−子どもが生まれたらはじめから児童相談所に任せるというのが一般的な判断だろう。(45頁)

 長年大貫さんとかかわった経験のあるワーカーの伊藤恵里子さんは、「チャンスだと思った」とふり返っている。高田大志ワーカーも「もうパパっと動きましたよ」といい、川村先生も「これはビッグ・イベントだ」と腰を浮かせた。(46頁)

家族に取りあげられていた預金通帳を取り返すこと、そこに振り込まれる生活保護費を自分で受けとれるようにすること(47頁)

べてるの家が持っているグループホームを借りて中古の冷蔵庫を一台買うとその冷蔵庫にセイコーマートで買えるだけの食品を詰め込んで、本人に「おなかの子の為にこの中にある食品を喰え!」という。
(本によると既にあった冷蔵庫の中へ「近くのスーパー」から買ってきたものを入れたことになっている)
町の福祉が「子供産むの無理だよ」と言う。

役場の担当者はときに声を荒げたという。
「支援、支援っていうけど、いつまで支援できるんですか。
−中略−あなた方、骨を拾うところまで援助できるっていうんですか」(47頁)

川村先生は凄い。
病院内で骨を拾う順番を決めたという。
「私がまず拾って」という。
(という話は本にはない)
「どこに埋めるんですか?」と言ったら何人か入れる墓を購入したというから凄い。
行政担当者からしてみれば福祉の枠組みからはみ出す行為を川村先生はやる。
しかし川村先生の後ろ側にはべてるの家があって、それで出産させたという。
ここからまた凄まじい福祉の戦いのような活動が始まる。
というワケで精神障害のある恵さんに子供を産ませた。
産まれてくる子供にとって何が幸せなのかがわからないから、ちょっと今のところどうなるかが凄く不安だと思う水谷譲。
男の子だったらしく、「タック」という名前だそうだ。
(番組の中で「タックン」と言っているようだが、本の内容に従って全て「タック」と表記する。この後の内容も本の内容とはかなり異なっている)
子育ては診療所でである。
診療所の待合室にこの子を置いてみんなで面倒を見るという。
手の空いた人が散歩に連れて行ったり、夜は夜で日赤保健所の人、或いはベテルの家の精神障害を持った人がおしめを替えたりして24時間体制のシフトを組んだという。
グループホームの精神障害者の人が育児に協力し、精神障害を持っておられるから「睡眠が大切」ということで夜は川村先生と川村先生の奥さんが面倒を見続けた。
朝はそのまま先生は診療室に行って診療室の待合にタックを置いておくと心に病がある人がやってきてタックのお守りをしてくれる。
最初は育児放棄があったらしい。
ところが本当に「不思議なことが起きる」としか言いようがない。
だんだんタックがそういう人達に慣れてくると、恵さんの中にお母さんが芽生え始めて、面倒を見られるように成長していく。
子供が母を育てる。
育児放棄が始まったりするとスタッフ、或いは精神障害の症状が軽い人が順番に面倒を見る。
そしてグループホームへ連れてゆく。
とにかく手の空いた人がタックを家に連れていく。
そして寄り添う。
子育てに最も大事なのは手の多さであって、育児は手さえあれば何とかなるんだ、と。

 ひがし町診療所の「みんなの子育て」は、法律や制度に縛られず、「パパっと動く」人びとの自然な思いが可能にしたことだった。(50頁)

そして一番重大なことは「責任者を置かない」。
責任者を置くとその人が支点になって重圧を被ることになる。
今まで話を聞きながら「誰が責任取るんだろう?」というふうに思っていた水谷譲。
最後は川村先生が取るのだろう。

責任論に巻き込まれない。「正しさ」や「常識」で考えようともしない。(50頁)

とにかく調子のいい人がタックの面倒を見るという。
調子のいい人が誰もいないということはあり得ないのかと思う水谷譲。
これが百人以上いるので、何とか回転する。
つまり責任者の責任ではなくて、手の多さが育児を回していく。

「(援助するのが)ひとり二人だったらね、(受ける方は)すごく不安なんです。どっさり人がいるんです。ふふふ。質より量です」
 わかりますか? 援助ってのはね、質より量なんです。
(57頁)

こういう発想。
そして一個だけ川村先生らしいのは月に一回必ず支援ミーティング。
(本によると「応援ミーティング」)
タックの子育てに関して反省、これからのスケジュール、そしてこれからの希望をみんなで検討する。
責任者よりもこれら頼りないべてるの人々が実は援助の中心になっていく。
そしてそのベテルの人達を地域社会は取り囲んでいる。

タックが育つにしたがい、大貫さんの暮らしも病状も行ったり来たりしながらではあったけれど少しずつ落ち着いている。(49頁)

「ちゃらんぽらんだったけど、母親らしくなった」(49頁)

凄いことに、恵さんの狂気も子育てに協力し始める。
これは川村さんも、それから向谷地さんも言っていたが、狂気もこっち側を見ているらしくて、だんだん小さくなる。
面白い。

 ひがし町診療所がオープンした二〇一四年五月一日、−中略−なんの宣伝もしないのにこんなに患者がやって来るのは見たことがないと、製薬会社の営業担当が驚いたという。過疎の町だというのに、開設から五年半のあいだに訪れた患者の数は千八百人を超えている。(23頁)

こんなに繁盛している精神科の病院はちょっと類がないらしい。
川村先生の診療というのは、この姿勢で心の病に対応していく。

 たとえば自分たちで田植えをし米づくりをする、−中略−石窯をつくってピザを焼くといったようなことだ。−中略−山をひとつ買って−中略−そこに「哲学の道」や「幻聴の広場」をつくりたい、あるいはヤギを飼いたい(24頁)

 医者が患者を診ているのと同時に、患者もまた医者を見ている。(26頁)

川村先生のこれは名言。
患者は医師に希望を探る。
希望を感じない医者はいつか患者から捨てられる。

どれだけ治さなくてすむかっていうか、世間が考える医療的な部分をどれだけ減らしてもやっていけるか」
 むしろ、そちらの方向を考える。
(28頁)

これを伝えて提案するのが医療の道ではないか?
この川村先生の言う

「どれだけ治さなくてもすむか」(28頁)

治すことばっかりを考える医療。
それを我々は当然と思っているが「いや、全部治しちゃダメだ」という。
治すパーセンテージを決めるという。
こういう川村先生の発想というのは凄い。
先生は言う。
医療を抑えると思いがけないことが症状に起きる。
それが完治より患者を励ますことがある。
つまり病院があったり医者が手を出すと医者の思う通りになる場合もある。
しかし、医者の思い通りにならない時にそのことが患者をより励ますことがあるという。
これはちょっとこの先生の説はややこしい。
それが待てるかどうかが医師の腕だ。
医師が何かをする、或いは何かをしない。
そのことによって病状が変化する。
よいふうにも悪いふうにも。
よいふうになった、悪いふうになった。
この二つを見極めるところに医師の腕がある、という。
これは精神障害だから、何がどうなるかわからない。

昔、水谷譲に話した。
河合隼雄という深層心理学の先生が、自殺しかかった青年をなぐさめる為に「何か言わなきゃ、この子は自殺する」という電話か何かのやり取りで。
何も思い浮かばない。
「生きなきゃダメだよ」とかそんなこと聞きそうにない子。
先生がその時に東京駅のみどりの窓口で駅員から言われた一言をポッと言った。
「のぞみは無いがひかりはある」
そうしたらその青年は態度を変えたという。
言葉はそんなもの。
これはJRの人のつぶやいた言葉。
「のぞみは無いがひかりはある」というのは列車のこと。
のぞみが無い時でもひかりはある。
それを自殺する子には何よりの希望の言葉として繋がった。
「思想家 河合隼雄」の時にも紹介されていた話)
そういうその言葉しか伝えられない何か。
それが言葉の面白さ。
そのたとえが分かるかわからないか。
ゴルフなんか典型的。
「手で打つバカがあるか!腰で打つ」って「打て無ぇよ。打ってみろ腰で」。
その「何か」に出会うまで人は模索しなければ。
それが待てるかどうかが医者の腕なんだ、という。

統合失調症の女性が出産し、子育てをする。
これは危険この上無い。
反対する福祉事務所を押し切って出産した。
母親は幻覚・幻聴があり育児放棄もあった。
だがそこに百人のサポーターが集まってみんなで育児を続行した。
するとこの統合失調症の女性の恵さんは三か月で症状が治まったという。
(このあたりも本の内容とは異なる)
夜任せられるようになった。
誰がどう責任を負うか。
そんなことではない。
「責任者決めてるようじゃダメなんだよ。入院させればみんな安心する。管理してる、収容してるという、そんな言葉で」
それが長い精神障害の治療であった。
そんな方法はすぐに役に立たなくなる。
数千万人いる高齢者の4人に1人が認知症になる時代に、隔離・管理で消すことはできない、という。
「認知症と共に生きていく」という腹をくくることが大事なんだ。
「今、のどかに景気のいいことを言っているが、プーチンさん。アンタんとこだって大変だよ、あれ。一億ちょっとの人口いますけど戦争やったPTSD等々を含めると、もの凄い人が心を傷付けてますよ」
皆さん、ここが面白い。
「来るべき未来の為に」と川村先生は言う。
来るべき未来の為にまずは地方が悩もう。
大都市でできないことが浦河ではできる。
だから率先して日本の問題を地方の浦河、人口1万2千が悩む。
解決することはもちろんできない。
しかし「何かにたどり着くことはできるよ」「ローカルが日本の為に悩むんだ」という。
ローカルが率先して日本の為に。
とにかく日本の問題を過疎のこの小さな町が先に悩むこと。
そうすると前進があるという。
人口1万2千の浦河がゆっくりと日本の未来の問題を解決する、或いは打つべき手をいくつも思いついているという。
高齢者の認知症も含めて精神障害というのは人類が抱えた宿痾・業病である。
「命の宿命」なんだという。
そのことを引き受ける。
そういう小さなローカルを持つことがいかに大事かという。
武田先生の熱量は凄い。
何かこういう希望を持っている人の姿を見たり語り合うと安らぐ。
これだけは皆さん、覚えておいてね。
「責任者を置かない」
良い言葉。
もうスタジオ中、みんな頷いている。
みんな責任者になりたくない。

北海道・襟裳岬の根本の町、浦河。
その浦河で精神医療に関して小さな診療所を始めた川村先生。
この川村医師が始めた精神障害者に対する町ぐるみの対処の姿勢を並べてみましょう。

ここでは誰もがみな対等だ。常勤医師は川村先生ひとり、あとは看護師、ワーカー、事務職員などで、非常勤を含めれば三十人ほどのスタッフがいるけれど、その全員がほぼ対等な関係にある。−中略−より個性的になって、その人でなければできない役割を担うようになる。(70頁)

問題と解決を結びつけない。

幻聴が聞こえるといえば薬を増やすのが一般的な時代に、川村先生は増やさないどころかときには減らしている。「低脳薬」になった患者は自分を語るようになり、その語りが「治療」の風景を変えていった。(77頁)

すると幻覚・幻聴が当然だがひどくなる。
ひどくなると面白いことに患者とはどんな幻覚・幻聴なのかを耐えられずに人に話すようになる。
目の前に宇宙人が見えたりなんかするというのは恥ずかしい。
人に話すと「バカじゃ無ぇの」とかと言われてしまうのが嫌。
ところが酷くなるとそれを思わず話したくなる。
話し出したら先生はそれをとにかく聞く。
看護師さん達もそれを聞く。
その幻覚・幻聴の変化を記録するそうだ。
そうすると少しずつ幻覚・幻聴が物語になる。
「そうかそうか。へぇ〜。そういうふうに出た?幻覚が。ふーん。どうなるんだろう?」先生がそうやって励ますとだんだん幻覚・幻聴が整い始める。
物語っぽくなってゆく。
そこで「面白いけど面白過ぎない?」と先生から言われると狂気も考えるらしくて狂気が訂正してくる。
それでそういう話をしているうちにその人が何を隠しているかがわかってくる。
つまり人間の弱さがだんだんはっきりしてくると、見えてくるものがある。
とどのつまり先生が言いたいのは「健常者などどこにもいない」という。
狂気の人の幻覚・幻聴を聞くうちに「その幻覚だったら俺も見たことがある」とつい言いたくなるような事態になってしまう。
そうなった時に自分の異常さとその精神の病を得た人のそれが重なる。
そういうことがある。
それがはっきりした後でどうするかというと、患者自らが自分の病名を決める。
お医者さんが診断して決めるんじゃなくて、患者さんが自分の。
それを彼の病名としてカルテに書き込むんだそうだ。
例えばどういう病名が?
「あいうえお病」というのが(早坂)潔さんがよく言っていた。
「愛に飢えている」「あいうえお病」とか、「男好き好き病」とかという、そういうの。
水谷譲に言ったのだが、武田先生も精神障害の人から「武田さんも何か病気持ってますか?」と言われて、人間ドックに通い始めた時に主治医から「過剰適応症ですね」と言われて。
「過剰適応症」というのは先生でもないのに先生のふりをという凄いストレスを感じつつ演じているという。

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役者さんはみんな過剰適応症になっている。
そうやって考えると狂気というのと物語とかそういうものがどんどん似通ってくる。
役者さんの根性なんていうのは一種狂気。
だから考えてみればスタントの人なんてそれ。
キャメラのアングルを探しておいて、そこで最も危険なことをやりたがるというのは、彼の中に狂気が無いとそんなことはできやしない。
一種異常とも言えると思う水谷譲。
その異常が芸術を生んでるんじゃないか?とかと考えると、精神の病には統合失調症、鬱病、双極性障害とか不安、発達障害等々あるのだが、自分も一種の狂気を帯びていると思えば思い当たることはいくらでもある。
女の人に恋をすることはやはり狂気。
女の人はいっぱいいる。
それを「あれじゃなきゃダメだ」と言うのだから「いい加減にしろよ」(と自分で自分に言う武田先生)
「アンタと一緒になれなきゃ死んじゃう」なんていうのがいるのだから。
かくのごとく狂気というのは遠い存在ではなくて内側に誰にでも突発的に出てくることがある。

 幻覚や妄想は、一対一で聞いてもつまらない。けれどみんなのなかで話せば、こんなおもしろいことはないというときがある。(219頁)

このみんなの笑いが精神障害者にとってどれほど重大か?
お笑い芸人にお笑いを頼るのではなくて、笑いを自分達の手で作ってみる。
そのことが実はもの凄く大事なことなのではなかろうか?と。

これで今週はお終い。
水谷譲の声を殆どふさぐようにして喋っているが、何かこの話は素敵。
皆さんもちょっと不適当な言葉がポンポン出たかも知れないが、ごめんなさい。
川村先生を語っていると、このような言葉になってしまう。
ここからまた更に面白い。
今度はこの川村先生が認知症の老人のそういうものに乗り出すという。
これは来週はお年寄りの方は聞いてね。



2025年03月08日

2025年2月3〜14日◆希望の歴史・上巻(後編)

これの続きです。

先週はとても大きな問題を提出して。
かつてニホンザル、ゴリラ、チンパンジー、様々なサルが。
あれと同じで人間もホモ・エレクトス、ホモ・フローレシエンス、ホモ・デニソワンなどいろんな種類別があった。
それが現生人類、今の私達のみが生き残って、他はみんな死に絶えた。
では何で我々は生き残ったのか?
弱肉強食説というのがあって「喰っちゃったんじゃないか?」と。
もういっぱい説があったのだが、どれもぴったりこない。
そこでこんな実験をやった人がいるそうだ。

 ここで話は一九五八年の春にさかのぼる。モスクワ大学で生物学を学ぶリュドミラ・トルートは、ドミトリー・ベリャーエフ教授の部屋のドアをノックした。動物学と遺伝学を専門とするベリャーエフは、野心的な研究を計画しており、そのための助手を探していた。(89頁)

彼らが解こうとしていたのは、どうすれば、どう猛な捕食動物をフレンドリーなペットに変えられるか、というシンプルな謎だった。−中略−家畜にはいくつか注目すべき類似点があることを指摘していた。まず、それらは野生の先祖より体が小さい、また、脳と歯も野生の祖先より小さく、多くの場合、耳は垂れ、尾はくるりと巻き上がり、−中略−生涯にわたって幼く、可愛らしく見えることだ。
 これは長年ベリャーエフを悩ませてきた謎だった。なぜ家畜化された動物は、そのように見えるのだろう。
(90頁)

 そしてベリャーエフは、−中略−人間を怖がらない個体だけを交配させて、野生の動物を、飼いならされたペットのように変えるのだ。最初に試す動物として、ギンギツネを選んだ。(90頁)

選択交配の四世代目で、キツネはしっぽを振り始めた。(91頁)

耳は垂れ、しっぽは丸くカールし(92頁)

人間を見ると寄ってくるキツネ。

「ひと懐っこいキツネほど、ストレス・ホルモンの分泌が少なく、セロトニン(幸せホルモン)とオキシトシン(愛情ホルモン)の分泌が多いのです」(93頁)

この家畜化できたキツネというのはどういう風貌かというと愛嬌があり人懐っこい。

発生生物学の用語を使えば、幼形成熟ネオテニー(おとなになっても幼体の特徴を保つこと)した。簡単に言えば、子どものようになったのである。(94頁)

これはいわゆる今、女性が好む、水谷譲なんかが求めている「小顔の子」。
全体的に丸っこくて歯が小さいという。
脳は小さく、頭蓋骨は小さくて、いわゆる小顔で、耳は垂れ、尾も丸く、共通項があるのだが家畜化された生き物は目に愛嬌があって、目がパッチリしているという。
沖縄の安室ちゃん。
安室ちゃんがいわゆる進化系。
「家畜化」と言う言葉を悪い意味にとらないでください。
これは人懐っこくて雰囲気全体に子供の特徴を持っている。
それがいわゆる家畜化には必要で

ドミトリー・ベリャーエフは、人間は飼いならされた類人猿だと言っているのだ。−中略−人間の進化は、「フレンドリーな人ほど生き残りやすい」というルールの上に成り立っていた、というのが彼の主張だ。(93頁)

今の女性アイドルの方はそういう感じが多いと思う水谷譲。
みんな人懐っこい。
それで様々な人間の種類がいる時に、現生人類はこの「人懐っこそうな顔」というのが生き残りの原因になったのではないか?
これがまさしく希望の人類史。
つまり「愛される」ということが生き残りの戦略に成り得るという。
我々は「少年の顔をした大人」に弱いし、今もそうだが「少女の顔をした成熟した女性」に弱い。
武田先生も成人週刊誌に連載を持っているから言うが、若いお嬢さん方の魅力的な水着とか半裸のカラーグラビア。

週刊大衆 2025年3月17日号[雑誌]



あれは「一体何かな?」と思ったらそれ。
幼形成熟。
肉体そのものは40、50の女性を思わせつつ、顔は少女の風貌というのに男性は弱い。
ここで一人の男、つまり幼形成熟のネオテニーの見本のような男が頭の中に思い浮かぶ。
アメリカの野球界で最もギャラの高い人(大谷翔平)。
あれは大人ではない。
(顔は)少年。
あの彼が、あのゴツいメジャーリーグの世界で、敵地からも好かれるような人気選手になったのは幼形成熟、東洋系の少年が持つ純真さが30(歳)の彼の顔にあるから。
そう思うと彼のそのいわゆる天文学的な800億円とかいうギャランティもわからないでもないし、メジャーリーグの選手を見るとゴツい。
恐ろしい。
はっきりいって大谷選手は怖くない。
しかも選んだ奥様がいい。
あれはもうバスケット少女。
あの二人は誰も何も言えないと思う水谷譲。
大谷の周りには金髪のいい女とかもいただろうに、そっちに行かなくて彼女を射止めたというのはまるで少年と少女のような。
しかも耳の垂れた犬を飼っているという。
これがまた「よく言うことを聞くんだ」という。
そうやって考えると幼形成熟説はまんざらでもない。
「我々は人懐っこい風貌をしているから生き残ったのではないだろうか?」という。
私達は集団で暮らす命、そういう命をデザインされている生き物。
そのためには自分の集団を愛するホルモン、オキシトシンとセロトニン、「愛情と幸せのホルモン」を体内の中にたくさん蓄えている。
他にいろんな人類もいただろうが、私達、現生人類が最もたくさんオキシトシンとセロトニンを与えられた種だったのではないだろうか。
最大の欠点は何か?
これはこの本の著者が言っている実に鋭いところだが。
このオキシトシンとセロトニンが多ければ多いほど愛情と幸せをきちんと知っているという、そいういうホルモンが多ければ多いほど他の集団に対して残酷になる。
やはり自分とこの集団がかわいらしいから。
しかしルトガーというこの著者は、希望を説く。

『暴力の人類史』である。(110頁)

暴力の人類史 上



二一か所の遺跡で見つかった骨の中で、暴力による死の兆候を示すものの比率は? 一五パーセント。今も狩猟採取の生活を続ける八つの部族における暴力による死の比率は? 一四パーセント。二つの大戦を含む二〇世紀全体での暴力による死の比率は? 三パーセント。現在のその比率は?
 一パーセント。
(111頁)

確実に減っている。
希望はある。

番組冒頭からこんなことを言うのも何だが、もし通学途中でこの番組を聞いている若い人がいたら、短い時間だから今日は最後まで聞いていってね。
そんな話をしたいと思う。
この本の著者ルトガーさん、オランダ人の方。
人間について徹底して調べている。
この人は戦場に行って兵士にインタビューしている。

 一九四三年一一月二二日の夜半、太平洋のギルバート諸島のブタリタリ環礁−中略−では、−中略−米軍と日本軍との戦闘が始まった。米軍の攻撃は計画通りに進んでいたが、奇妙なことが起きた。
 大佐で歴史家のサミュエル・マーシャルは、陸軍公認の戦史家として従軍していた。
(112頁)

日が落ちると日本軍が奇襲攻撃を仕掛けてきた。−中略−日本軍は人数こそ少なかったが、米軍の戦列を崩すことにほぼ成功した。
 翌日、マーシャルは、何が悪かったのかと考えた。
(112頁)

兵士全員を集めて、グループに分け、自由に話すことを求めたのである。−中略−こうしてマーシャルが知ったのは、驚くべき事実だった。
 昨晩、ほとんどの兵士は一度も発砲していなかったのだ。
(112〜113頁)

アメリカ軍で上官から「撃て!」と命令されて真っ暗闇の中でそういう命令が下ったのだが、突っ込んでくる日本兵に向かって銃を撃った人がいなかった。
これ。

 マーシャル大佐は、最初は太平洋戦線で、次にヨーロッパの戦場で、兵士たちとのグループ・インタビューを重ねるにつれて、戦場で銃を撃ったことのある兵士は全体の一五〜二五パーセントしかいないことを知った。−中略−「彼らが撃ったのは、わたしや他の上官が見ている時だけだった」(113頁)

理由は一つ。

普段は意識していないが、人を殺すことに抵抗があり、自分の意志で人を殺そうとはしない」(114頁)

これは今もウクライナの戦線あたりではある話ではないか。
このマーシャルさんの説はアメリカ国防省が躍起になって否定したそうだ。
「そんなことがあるか!」
ところがマーシャルさんが言いだすと他の大佐や中佐も加わって「俺んとこもそうなんだよ」と言い始めた。
戦場に於ける銃撃戦は凄い。
何であの撃ち合うイメージなのか?
これをルトガーさんは「ハリウッド映画の影響だ」という。
確かに今、思い浮かぶ光景というのは映画の光景だから、リアルな戦場は見ていないからわからないと思う水谷譲。
ニュースでも「ウクライナ戦争を撮影しろ」と言ったら大砲を撃っているところを撮りに行く。
ところが意外と静かで撃ち合わないという。
戦場に於ける銃撃戦のイメージは半分ぐらいハリウッド映画によって作られたイメージではないだろうか?
この後、若い人、聞いて。
学校に行ったら友達に話して。

ハリウッド映画によって作り上げられた暴力のイメージと現実の暴力は、ポルノと現実のセックスが違うのと同じくらい違う。(119頁)

これはごめんなさい。
ハッとした。
アダルトビデオとか見ると信じてしまう。
十代の時「はっはぁ〜!こうなってんのか」とか思った。
それをお手本にする方も多いんじゃないかと思う水谷譲。
それはそんなふうに思う。
このルトガーさんがはっきりおっしゃっているのは「戦場に於ける銃撃戦とポルノ映画のセックスシーンは現実には殆ど無い」。
それは長い人生を振り返って、あれは無い。
それをやはり十代の時は信じた。
「はっはぁ〜!」「あそことあそこを責めるのか」という。
こういうことで「人類の本能、殺人の本能とか、性の本能とかというのもメディアの誇張が入ってますよ」という。
ルトガーはそのことをメディアリテラシーというのか、メディアを読む力で持っておかないとダメで、若い諸君に言いたいのは「アダルトビデオなんかで見かけるシーンは君の人生に殆ど起きません。そのことを覚えておこう」。
人類というのは本当に面白いもので「強さ」「賢さ」「狡さ」とかいっぱい人類の特徴が。
「それゆえに生き残った」と言うが、人類史の中でルトガーが確認したのは「人類が生き残ったのは人懐っこいから」。
「人懐っこい」というはどういうことか?
これは若者、聞いてくれよ。
これはルトガーが叫んでいることだが、それは「協力します」と顔に書いてある人が「人懐っこい」。
「何に関しても協力しますよ」という顔をした子。
今、我々に要求されていることはこういうことで、この間も深夜の討論会で「トランプ外交に石破で大丈夫か」というのを激論するのでおっしゃっていたが、武田先生は石破さんの中に愛嬌を感じる。
あの人の微笑みは何だか石仏みたいな笑顔でいい。
「石仏」というのも何だが。
頑張って欲しい。
人の容貌はけなすより褒めてあげよう。

人間の中にあるもので希望を見つけようという。

仮に文明が始まってから今日までの年月を一日に置き換えてみれば、二三時四五分まで、人々は実に惨めな暮らしを送っていた。(150頁)

(番組では11時55分と言っているが、どこから出てきた数字なのかは不明)
その中で人類はとてつもない残酷なこともやったワケで、アウシュビッツ、ホロコースト、そして専制者による悲劇が続いていて。
だから人間というのは天使ではない。
「天使ではないから悪魔なんだ」という方もおられる。

こんな実験。
科学はいくつもの悪の証拠を実験で提出している。

 一九七一年八月−中略−その日の午後、若い犯罪者たち(本当は無実の学生たち)は、スタンフォード大学の四二〇号棟の石の階段を降りて、心理学部の地下室へ向かった。「スタンフォード郡監獄」という表示が彼らを迎える。階段の下で彼らを待っていたのは、九人の学生からなる別の集団で、全員が看守の制服を着て、−中略−ほんの数日で、スタンフォード監獄実験は制御不能に陥るのだ。(183頁)

これは「人間の心の中に悪魔があるからだ」という結論。

 スタンフォード監獄実験よりさらに有名な心理学実験があり、−中略−スタンレー・ミルグラムだ。−中略−一般人五〇〇人を募集する、と書かれていた。−中略−被験者は二人一組になり、くじを引いて、一人は「先生」役、もう一人は「生徒」役になる。先生は大きな装置の前に座るよう指示され、それは電気ショック発生器だと教わる。−中略−生徒は隣の部屋で椅子に縛られており、声だけが先生に聞こえるようになっている。こうして記憶テストが始まるが、生徒が答えを間違えると、先生は研究スタッフの指示通りにスイッチを押して、生徒に電気ショックを与えなければならない。(204〜205頁)

 電気ショックは一五ボルトという弱い電圧から始まる。(205頁)

その裁量は先生に全て委ねられていて、450ボルトまでの威力があるそうで、450というのは命の危険があるから相当不味い。

被験者の六五パーセントが電圧を上げ、ついには最大となる四五〇ボルトの電気ショックを生徒に与えたのだ。−中略−見知らぬ人を感電死させてもかまわないと思ったのである。(205〜206頁)

 ミルグラムは−中略−最初からこの研究を、ホロコーストの究極の説明として発表した。−中略−人間は命令に無批判に従う動物だ、と彼は言う。(206頁)

「ミルグラムの実験」というので、これは人間の残酷さを示す実験として非常に有名で。
これが面白い。
2017年のことだが、著者ルトガーはこの実験が信じられなかった。
ルトガーはしつこい。
実験に参加した500人を探し求めて詳しく実験の中身を聞いたそうだ。
この人は人間のいわゆる希望に対して執念の人。
このミルグラムの電気ショック心理実験は今でも取り上げられて、人間の心理の奥底に潜む残酷さの証明実験に使われるのだが、何と驚くなかれミルグラムはこの実験を始める前に台本があったそうだ。
そして電気は入っていなかった。
先生役で死を意味する450ボルト以上上げた人も500人の中にいた。
(最大が450ボルトなので、それ以上上げることはできないと思われる)
ところがこれは横にいたミルグラムが「上げれば。上げれば」と指示したという。
電流が本当は入っていないということを直感した人もいたし、直感できなかった人もいるのだが、直感できなかった人は「ミルグラムさんからそう言われたから上げた」。
やらせみたいなことだと思う水谷譲。
そしてプラス450まで上げた人はギャラを貰ってすぐに帰れた。
それだったら武田先生だってすぐ450にする。
ギャラが何ドルか(一時間につき4ドル)貰えるワケで。
この450を一発で上げてさっさと帰る人もいたというので、人間の残酷さとは全く関係のない実験がミルグラムの電圧実験。
スタンフォード実験も追試者を集めると、こういう結果にしたいという旨が博士から伝えられていた。
こういうのを考えると人間の残酷さというのを、すぐにナチスを持ち出して例えて考えるのはあまりよくないぜ、と。

そしてこのルトガーはさらにナチのアイヒマンの裁判記録を丁寧に調べる。

元ナチス親衛隊中佐(218頁)

大量虐殺。
アイヒマンとかいう人は600万人ぐらい殺しているワケで

アドルフ・ヒトラーか上官の誰かからの明確な指示がなければ、私は何もしなかった」と、アイヒマンは法廷で証言した。−中略−同じ嘘を、後に無数のナチス党員が繰り返すことになる。「わたしはただ命令に従っただけだ」と。(219頁)

公式の命令はめったに出されなかったので、ヒトラーの信奉者たちは自らの創造性に頼らざるを得なかった。彼らはただ指導者に従うのではなく、総統の精神に沿う行動をして「ヒトラーに近づこうと努めた」(220頁)

ミルグラムの被験者と同じく、自分は善を行っていると確信していたので、悪を行ったのだ。(219頁)

この人(著者のルトガー)は徹底して個別の問題を扱っている。
事実というものを見つめ直すと違うものがどんどん浮き出てくるぞ、という。
その事件の一つ一つを書いてあるものだから、ページ数がもの凄く必要。

一九六四年三月一三日、午前三時一五分。キャサリン・スーザン・ジェノヴィーズは−中略−オースティン・ストリートの、地下鉄の駅にほど近いパーキングに車を停めた。−中略−
 誰もがキティと呼ぶ彼女は、
−中略−二八歳、−中略−アパートへ急いで戻るところだった。(230頁)

 三時一九分、夜の街に叫び声が響いた。−中略−
 暴漢はいったん姿を消したが、また戻ってきた。男は再びキティを刺した。
−中略−
 誰も出てこない。
−中略−近隣の数十人は、−中略−窓から眺めるだけだ。−中略−
 男が再度、戻ってきた。キティは自分のアパートの建物のすぐ内側にある階段の下に横たわっていた。
−中略−
 男はキティを何度も刺した。
 三時五〇分、警察署に最初の通報があった。
−中略−二分以内に警官が到着したが、もはや手遅れだった。(230〜2301頁)

三月二七日、−中略−ニューヨーク・タイムズ紙の一面には「殺人を目撃した三七人は警察を呼ばなかった」の見出しが掲げられた。記事はこう始まる。「クイーンズ地区キューガーデンの遵法精神に富む立派な市民三八人は、三〇分以上にわたって、殺人犯が女性を三度襲うのを見ていた」。そして記事は、キティは今も生きていたかも知れない、と語る。刑事の一人が言うように、「通報の電話がありさえすれば」。(231頁)

国内のメディアはニューヨーク・タイムズをきっかけとして目撃者38人を罵倒する。

牧師は、アメリカ社会は「イエスを十字架にかけた人々と同じくらい病んでいる」と語った。(232頁)

日本、イランを含む世界各国で、キティの死は大々的に報じられた。ソ連の新聞、イズベスチヤはこの事件は資本主義の「ジャングルにおけるモラルの欠如」の証拠だと記した。(232頁)

この事件を説明する時に最も応用されたのが、昨日も言ったスタンフォード大学の監獄実験とか電気ショック事件だそうだ。
「ほら、見てごらん。人間の心なんざ、悪なんだよ」という。
この実験がこの事件を挟んで、世界中で有名になったという。
著者は凄いことにこのメディアの報道した悪についてもう一度自分で調べ直している。
この著者は凄い。
社会心理学者の人達と一緒にこの事件をもう一度調べ直すと違う側面が見えてくる。
窓を開いた住人達。
その駐車場が見下ろせた人達の38人は全員その物音と気配、ただならぬ様子を「これは不味いな」と思って。
だから誰かが警察に電話をすればよかったのだが、何と38人の人が同時に「誰かが電話してる」と思ってしまった。
もの凄い悲劇なのだが、これがただ一人の人が聞いていたら直ぐに警察に電話している。
しかし38人が窓を開けて見下ろしているので、「誰かが電話しているハズだ」と。
それで、38人が誰一人とも電話しなかったという事実を作り出している。

彼女の夫は警察に通報しようとしたが、彼女は夫を引き留めた。「通報の電話はもう三〇本以上、かかっているはずよ」と言って。(235頁)

その奥さんがさめざめと泣いて「ああ・・・しとけばよかった」と言う。
(という話は本の中には無い)

被験者は大学生で、閉めきった部屋に一人で座り、同年代の学生数人とインターコムで学生生活についておしゃべりするよう指示される。−中略−まもなく、誰かがうめき始める。−中略−この叫びを聞いたのは自分だけだと思った被験者は、廊下に駆け出した。−中略−しかし、最初に、近くの部屋に他に五人の学生がいると説明され、その五人も叫び声を聞いていると思い込んだ被験者では、六二パーセントしか行動を起こさなかった。これが傍観者効果だ。(234〜235頁)

それは何かというと「あんな大きな声だもの、誰かが行っている」。
これは人間性とは全く関係がなく、著者ルトガーは「隣人を信じられる」と主張している。
ホッブスの人間闘争進化論、ダーウィンの自然淘汰、ドーキンスの利己的遺伝子、アダム・スミスのホモ・エコノミクス「カネのことを考えることで生き残った」と、人間の性善説を激しく否定する理論とされているけれども、人間は経済を離れて、利己的遺伝子を離れて、弱肉強食を離れて、闘争進化論を離れて性善の「善」を持っている。
「そう信じようではありませんか」とルトガーは説く。
これが上巻。
下巻の方はまた折を見て、来週はまた別のネタで。