「日本語の成り立ち」みたいなことを語ろうかなと思う。
Netflixで大評判のドラマ「ストレンジャー・シングス(未知の世界)」と何の関係があるか?
つまり身近なところに「もの凄い異世界」「違う世界」が広がっているということ。
日本語を今、扱っているが、天平の世、奈良時代に文字として漢字が入って来た。
その漢字に対して日本人はどうふるまったか?
日本人はこの漢字を日本人独特の使い方で使おうとしたワケで。
菅原道真。
この人がおっしゃった言葉が「和魂漢才」。
「和魂漢才」=「漢文はあくまで実用、心はやまと」(117頁)
漢字を読み下す為の機構、仮名を低く見た。
ところが平安の世になると平仮名・片仮名として発展して、女流文学が立ち興る。
文学というのは女の人が始めた。
男性官人が漢文(和化漢文を多く含む)で書く日記は、基本的に公式な儀式を中心に記述する備忘録的なものである。(171頁)
日記に書く言葉は「やまと言葉」の平仮名・片仮名で綴るという。
日本人は裏・表を持ったワケ。
中国との関係だが中国から勉強するところと、全く取り入れないところがある。
中国が始めた文明制度、一つは科挙、もう一つが宦官。
皇帝の意向に沿う頭のいい人を試験で選ぶ。
もう一つが皇帝のおそば近くに仕える官僚。
性器を切り落として、女官達に手が出せない体にして、そばに置いた。
それから中国皇帝の立場というのはもう本当に凄くて。
だが日本というのは中国皇帝の真似をしなかった。
源氏物語の中に登場する帝というのは恋愛ゲームをやっている。
それと肉体を傷つけてまで官僚にするという制度は無かった。
日本はそういう意味では中国から見ると凄く変わっている。
漢字を学んでもそうで、「やまと心」と称して、自分達の読みで作ってしまう。
それから日本は教養の一部では「和歌を上手いこと作る人が頭がいい人」という。
それで万葉集から続いて「古今和歌集」がある。
これの選者に選ばれたりすると「凄い人だ」ということになったりするのだが。
その選者に選ばれた人の中で紀貫之という人がいた。
京都の朝廷で「女の人が平仮名で日記を書く」というのが大流行しているので、この人は女性のふりをして日記を書く。
〈男もすなる日記といふものを、女もしてみむとてするなり〉(170頁)
これはジェンダーフリー。
ガタガタ西洋から学ばなくても、日本はジェンダーフリー。
自分を女性に例えて文学を興すという。
これはもう太宰治がやっている。
「斜陽」とか「女生徒」とか。
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それから川上宗薫の官能小説。
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これもそう。
これは素晴らしいもの。
川上宗薫という男性の作家さんが、うら若き乙女になって男性と性を交えるシーンを描くのだが。
これは凄い。
官能。
その官能の主軸になったのが男性。
だから男性でありながら女性の肉体をも含めてそのことが書けるというのは才能。
それから文春。
お馴染みの文春砲・スキャンダル。
藤原兼家(藤原道長の父)の側室のひとりが「平仮名」日記を綴りはじめた。次々に夫が関係を持つ他の妻妾に気をもみ、正妻にライバル意識を抱き、−中略−みずからの胸中に沸きあがるさまざまな想い、−中略−多くの和歌とともに書き連ねる。−中略−この『蜻蛉日記』は(174〜175頁)
〈この時のところに子産むべきほどになりて、よきかたえらびて、ひとつ車にはひ乗りて(175頁)
という感じで、事細かに本妻に対する嫉妬心を。
そして「蜻蛉日記」あたりくらいからいわゆる朝廷との恋スキャンダルで「源氏物語」というのが出てくるワケで。
まあ、不思議なもので、こんなふうにして「やまと言葉」で綴って、漢字をあまり使わないという文章の書き方が日本語の国語のスタイルとして定着していく。
さて、日本語の起源なのだが、この先生は調べておられて。
「日本語のルーツは、南インドのタミル語である」(64頁)
日本語の系統学説は、−中略−(台湾から東南アジア島嶼部、南太平洋の島々などの言葉)に日本祖語を求める説など、実にさまざまである。(64頁)
現代の日本語と同様に、古代の日本列島で使われていた言葉は、中国語とは異なる系統の言語だったということである。−中略−名詞や動詞といった、単独で意味をなす自立語にくっついて多様な働きをする助詞・助動詞=付属語がたくさんあるために「膠着語」と呼ばれる日本語に対して、中国語はその種の付属語に該当する言葉が非常に少ないため−中略−中国語を書きあらわす手段である漢字は、音と意味を同時に表現する、すなわち一字で一語となる「表語文字」なのである。ラテン文字(日本で言ういわゆるアルファベット)やアラビア文字のように、一文字が音素や音節をあらわす機能のみの「表音文字」とは異なっていて(65頁)
日本語は表記である漢字と音素である仮名を繋ぎ合わせる文法。
自分で何を言っているのかわからないが。
でもとにかく独特。
だから世界性を持ちえない。
漢字は持つ。
やはり英語と同じ文法だから。
その為に志賀直哉とか、維新後には薩摩のお侍さんだが森有礼あたりが「国語をフランス語にしよう」とか「英語にした方がよい」とか「日本語を捨てよう捨てよう」と大きい声を出すのだが、なんだかだ言いながらこんなふうな日本語で繋いできていて。
〈日本人は外国に出ると、日本語を捨てる方向に進むことが多い〉という印象を強く持つに至ったのである。(30〜31頁)
これはハッとする。
その傾向をこの方はずいぶん調べてらっしゃって
『比較日本人論 日本とハワイの調査から』−中略−〈日本語は外国語と接すると、外国語の方にのまれてしまって、急速に薄れる性質があるようである。(31頁)
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調査の内容は、〈「読むこと」「書くこと」「話すこと」「数えること」「考えること」の五つの能力分野で〉(32頁)
その失われ方は「書くこと」がまず失われ、その後だいたい二年半で現地語が全般的に優勢になり、日本語を話したり読んだりする力も失われる、という流れだ。この失われる順序は、まちがいなく日本語が漢字と仮名の融合体であることに由来している。(347〜348頁)
これは事実としてある。
これは「日本語に欠陥があるから」と一部の学者さんはそう言っていた。
でも最近の研究で「そうではないんじゃないか」という説は、もったいぶるがもうちょっと後。
とにかく「仮名」が発展することで「口語文」喋る言葉というのが日本語を国語にしていくワケで。
新しい漢字「口語」群の浸透に関して、−中略−いっそう強く影響を与えたのではないかと考えられるメディアがあったと私は思っている。それは、歌謡だ。より正確に言うなら、『梁塵秘抄』に収められたような「今様」=流行歌である。『梁塵秘抄』は、源頼朝に「日本一の大天狗」と呼ばれたと伝わる、かの後白河法皇が編纂した歌謡集だ。もともとは本編と口伝集を合わせ二十巻を超える大著だったようだが(195頁)
今はあまり数が残っていないのだが、鎌倉の世の中で流行った、様々な歌。
ポピュラーソングもあるのだが、ちょっといやらしい歌もちゃんと。
これが桑田さんに繋がっていく。
歌の内容は宗教ソング
和讃は、−中略−キリスト教になぞらえるなら讃美歌であり(197頁)
「今様」=後白河の時代に近い時期に流行った歌や(197)
これが後白河法皇の「梁塵秘抄」に記録してあるそうだ。
世俗歌謡を集めた「雑」の項にある次の歌だろう。(200頁)
(番組では「雑」を「ざつ」と言っているが、本によると「ぞう」)
〈遊びをせんとや生まれけむ、戯れせんとや生まれけん、遊ぶ子どもの声聞けば、我が身さへこそ揺がるれ、〉
「遊びをしようとこの世にうまれてきたのだろうか。戯れようとこの世にうまれてきたのだろうか。子どもたちが遊んでいるその声を聞けば、私のからだもネ、自然と動いてしまうよ」というのが、一番素直な解釈だ。もうひとつ、「遊び」「戯れ」を「遊び女」「戯れ女」、すなわち遊女の方角で解釈し、人間の「性」と業の哀しみを歌ったという考えもある。(200頁)
この「雑」というこの章そのものがもうはっきり言って「エロ歌」。
一部紹介する。
朝から何だが。
王子の御前の笹草は 駒は食めどもなほ茂し
主は来ねども夜殿には 床の間ぞなき若ければ(「梁塵秘抄」雑362)
現代語訳「私のアソコに茂る草。お馬が食べてもすぐ生えて、あなた来なくてもすぐに食べたがる人、来るもん。だって私若いから」
凄い歌だと思う水谷譲。
そういう歌。
ストレートなもの。
恋ひ恋ひて たまさかに逢ひて寝たる夜の夢は
いかが見る さしさしきしと抱くとこそ見れ(「梁塵秘抄」雑460)
(番組では「さしさしきし」を「ぎしぎしぎし」と言っていて、解釈もそれに従った内容になっている)
これは「きしむベッドの上で♪」。
尾崎豊の世界だと思う水谷譲。
この時はベッドではないのだがギシギシギシとお布団が鳴っている。
これは「あなた恋しくてやっと会えた夜の夢。夢の中でもアタシ達、きしむ程やっちゃって」という。
色っぽい歌だと思う水谷譲。
その時に「これは春歌であり猥歌である」と。
それで桑田さんは凄く頭がいい人だから、あの人はサザンとかKUWATA BANDの歌はこの「梁塵秘抄」から取っているのではないか?と思うのだが。
「マンピーのG★SPOT」の歌詞など(416頁)
歌のタイトルだから。
(ここで本放送では「マンピーのG★SPOT」が流れる)
桑田さんのルーツは鎌倉時代、後白河法皇の今様にあるのではないだろうか?
桑田さんが切り開こうとしたロックのジャンルというのは、鎌倉時代の今様の歌にそっくり。
何か繋がるのがわかる水谷譲。
桑田さんの歌で「女呼んでもんで抱いていい気持ち」(「女呼んでブギ」)というのがあると思う水谷譲。
これは「梁塵秘抄」。
そしてもう一つ桑田さんの歌は「古今和歌集」の在原業平の一首にも似ている。
(ここで本放送では「スキップ・ビート」が流れる)
桑田さんは「Skipped beat」と歌ってらっしゃるのだが私共の耳には「すけべーすけべーすけべー」と聞こえる。
これ。
こういう同じようなことをもう既に「古今和歌集」の中にあるんだ、と。
その言葉が違う言葉に響くというような。
それを取り上げたのが在原業平。
古今和歌集の歌で
〈唐衣きつつなれにしつましあればはるばるきぬる旅をしぞ思ふ〉(在原業平『新編 日本古典文学全集11 古今和歌集』(363頁
「唐衣」は、中国風の衣の意が転じて「美しい衣」をさす。〈唐衣きつつ〉=「唐衣をながらく着て」が〈なれ〉=「馴れ」の序詞をなし、そして〈なれ〉は「衣が萎れる(くたくたになる)」と「馴れる(親しくなる)」、〈つま〉は「衣の褄(左右の裾の両端)」と「妻」、〈はるばる〉は「着物を張る(洗い張りをする)」と「はるかに」、〈きぬる〉は〈つま〉〈はる〉〈きぬる〉が、すべて〈唐衣〉に関わりのある縁語だという点だ。こうして「着古してくたくたになった衣」と「古く馴染んだ妻」のイメージは重なり合い(363〜364頁)
(〈きぬる〉は)一つ、繊維の「絹」もかかっている。
「来た」という意味で「絹」もかかるワケで「妻にも寂しい思いをさせている。あ〜あ〜もうこんな遠くまで来ちゃって、アイツも寂しがってるだろうな」という。
こういうふうにしていくつも言葉を引っかけていく。
言葉の「ゆらぎ」。
ダジャレというのはこういうこと。
重なる言葉がある。
その重ね言葉を遊ぶワケだが。
こういう「言葉遊びの妙」というのが実は日本語の本質の中にあって、この業平が歌った歌のような歌がサザンの桑田さんの歌ではないだろうか?
凄い分析だと思う水谷譲。
だから文脈から意味を決定していくのだが、そこには「重なる言葉がいっぱいある」という日本語の仕掛けそのものを楽しむという。
「日本語って、そんなふうにして広がってきたんですよ」という。
このへんは面白い。
ではサザンの前にはそういう歌は無かったのかと思う水谷譲。
フォークソングは、どちらかというと啄木系だったり
「はたらけどはたらけど猶わが生活楽にならざり(石川啄木「一握の砂」)
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とかと、ちょっと遊び心が少ない、ストレート表現
北原白秋
薔薇ノ木ニ
薔薇ノ花サク
ナニゴトノ不思議ナケレド。(北原白秋「薔薇二曲」)
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だが、江戸期
浅間さん なぜそのやうにやけなんす いわふいわふがつもりつもりて(四方赤良)
浅間山が噴火した時に戯れ歌で「ヤキモチ焼いちゃ嫌よ浅間さん」というような、狂歌があった。
狂歌なんていうのは、まさしくそう。
そんなふうにして、いつも遊びがある。
「歌は遊ぶものである」という。
その発見が桑田さん。
「たかが歌詞じゃ無ぇか」(桑田氏の著書「ただの歌詩じゃねえか、こんなもん」を指していると思われる)というのの中に「日本人が日本語を遊ばないでどうするんだ?」という。
「国語」というのが明治まで無かった。
武士言葉で殿に申し上げる言葉はパターンが決まっていて、表現が自在ではない。
「〜しそうろうつかまつり」という、言葉が全部定型で決まっていた。
自在に使えない。
明治になって作らなくてはいけなかった。
国語を作るのは大変。
やってしまう。
明治になって日本人は日本語を作る。
維新後に、旗本や御家人の言葉を主体とする江戸の山の手言葉を、「共通語」としてあわてて整備した(40〜41頁)
そこから書き文句と喋り言葉を一致させようという「言文一致」という文学運動。
日本語の面白さ。
とにかく日本という国、近代になって初めて「国語」というものを作った。
日本の言葉「やまと言葉」というのは異国の文字を使いながら自分達の意味で解いてゆくという。
日本人は営々とそういうことを続けてきたワケで。
元々の文字の意味など正確でなくてもよく「ゆるさ」「ゆらぎ」がある。
日本人が国語に求めたのは、その「ゆるさ」と「ゆらぎ」であった。
今でも日本語は揺らいでいる。
志賀直哉が怒るのは当たり前。
「ヤバい」
いろいろ説はあるが、どうも江戸期にあった遊技場の「矢場」。
「弓矢を射て懸賞品とかが貰える」という「矢場」というマトイ屋、今で言う遊技場みたいなところがあった。
そこの裏側で吉原以外の非合法売春を行っていたらしい。
それで「あそこはヤバいよ」。
それで「ヤバい」。
それから看守さんが見張っているようなところを「厄場」と呼んだという。
いずれにしても暗黒街で生まれた言葉。
それが昭和・平成・令和の御代になるとアイスクリームをなめると「ヤバい」と女の子が言う。
つまり全然意味が変わっている。
かくのごとく言葉を遊ぶ。
「ゆるさ」「ゆらぎ」があって、ある概念を説明するというのではなくて、緩さの中で生きてゆくという。
それが日本語である。
しかし明治になって、遊んでばかりはいられない。
日本をまとめる為に、統一国家の為に「とにかく共通日本語を作ろう」というので。
それで東京・山の手、旗本士族の家庭の言葉が共通日本語として作られる。
これを地方に送り届けなければならない。
その日本の標準的な日本語をどうやって地方まで。
方言しかない。
標準語を送り届ける為に明治政府が考えたのは何か?
それが昨日水谷譲が聞いた「歌」。
(このあたりの話は本の内容とは異なる)
小学校唱歌。
子供達から育ててゆく。
その唱歌が発すると同時に生まれたのが歌謡曲。
いのち短し(「ゴンドラの唄」)
古い歌もあるが、
チョイト 東京音頭ヨイヨイ(「東京音頭」)
もうここにサザンオールスターズの「ちょいと」が出てきている。
歌謡曲が日本語を広めていった。
しかもこれも武田先生もアッと驚いたのだが、この先生、大岡先生がおっしゃるには、日本語はまんべんなく日本に定着したのはいつ頃か?
思ったよりも最近だということかと思う水谷譲。
そう。
「標準語」というフィクショナルな口語が全国的に普及し終わった、と考えられるのが−中略−一九八〇年代だ。(386頁)
もっと昔だと思う水谷譲。
でも、千昌夫さんだってトークは岩手弁を使っていた。
「すぃばれるなぁ」とかと言いながら。
それが歌に入ると
青空(千昌夫「北国の春」)
みんなそう。
標準語というのは定着には時間がかかった。
その裏側にあったのがサザン。
彼はまさしく1978年に登場した。
この大岡先生が「1978年」という章を書いてらっしゃる。
(第十一章 シンクロニシティ一九七八)
これが日本語が日本中にまんべんなく定着し始めるスタート。
覚えているが沖縄まで行ったら全く通じなかった。
そうやって考えると・・・
武田先生が言っているのは「まんべんなく」。
水谷譲の周辺ではない。
つまり北海道の端から沖縄の離れ小島まで、日本語が標準的に伝わり始めたというスタートは1980年代。
だからサザンはそういう意味では、やはり日本人に国語力を広めたロックバンドでもあった。
面白いもの。
今回はここまでにしておく。
この後もこの大岡先生の分析は続く。
「日本人は日本語をワリと捨てやすい」というような話もあったが、これも先生がまた解を出しておられる。
答えを出しておられる。
それはまた次回にしたいというふうに思っているので、楽しんでいただければ嬉しゅうございます。
「ストレンジャー・シングス」
奇妙な世界はあなたの横に広がっている。






















































































































































































































